創薬基盤技術の最新動向を探る - ヒューマンサイエンス振興財団

HS レポート No.80
平成 24 年度
創薬技術調査報告書
創薬基盤技術の最新動向を探る
-イメージング技術・高速シークエンサー・
新規モデル動物試験系-
平成25 年 3 月
財団法人 ヒューマンサイエンス振興財団
i
ii
はしがき
序章 トピックスとトレンドの概説
1
第 1 章 医薬品開発の最新動向
7
1-1.はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1-2.医薬品開発関連技術に関するトピックス ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1-2-1.リプログラミング・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1-2-2.糖鎖工学研究の最近の話題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1-2-3.スーパーコンピュータ「京」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1-2-4.ゲノムコホート研究とバイオバンク・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1-2-5.エピジェネティクス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1-3.医薬品開発のトレンド ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1-3-1.バイオ医薬品・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1-3-2.システムバイオロジーの進展・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1-4.生命科学領域でのトピックス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第 2 章 創薬技術の最新動向と創薬への応用
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-1.イメージング技術 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-1-1.分子イメージングの創薬への応用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-1-2.バイオイメージングによる医薬品開発・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-1-3.PET イメージングによる創薬支援・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-1-4.SPECT、PET・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-1-4-1.創薬における“放射線医薬品”の利用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-1-4-2.SPECT、PET の将来展望・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-1-4-3.マイクロドージングの日米欧の規制および医薬品開発への利用の
現状と課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-1-5.蛍光プローブの論理的開発と in vivo がんイメージングへの応用・・・・・・・・・・・・・・
2-1-6.生体 2 光子励起イメージングで解析する生きた細胞動態~医療・創薬への応
用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-1-7.MRI(核磁気共鳴イメージング)と MRS(核磁気共鳴スペクトロスコピー)による
生体現象の可視化と評価・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-2.高速シークエンサー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-2-1.高速シークエンサー(次世代シークエンサー)概説・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-2-2.高速シークエンサー利用の現状・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-2-3.高速シークエンサーのゲノム科学への応用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-2-4.疾患研究への応用 −がん(1)- がんとスーパーコンピュータ・・・・・・・・・・・・・・・・
2-2-5.疾患研究への応用 −がん(2)−・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-3.新規モデル動物試験系・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-3-1.重度免疫不全 NOG(NOD.Cg‐Prkdcscid Il2rgtm1Sug/Jic)マウスと
ヒト化マウス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-3-2.ヒト化肝臓マウス ―機能性‘ヒト化肝臓’の作製―・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-3-3.遺伝子改変によるヒト疾患モデルマーモセット作製法の確立・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2-3-4.医用モデルブタの研究開発・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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7
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27
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147
156
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169
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183
183
192
197
205
215
第 3 章 社会・行政・企業等の動向
3-1.日本再生戦略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3-2.健康・医療戦略室・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3-3.再生医療への注力・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
215
221
226
第 4 章 考察と提言
230
あとがき
233
ii
はしがき
日本の科学・技術のインフラに甚大な被害をもたらした 2011 年 3 月 11 日の東日本大震災と、そ
れに続いて発生した原発事故から約 2 年がたち、ライフサイエンス分野を基盤とした大型の復興事
業である東北メディカル・メガバンク事業と医療福祉機器・創薬拠点整備事業が始動しています。こ
れらにより宮城県と福島県に医療機関や研究機関および研究開発型企業を集積し、雇用の創造と、
医療福祉分野における世界最先端の研究・開発拠点の形成を目指しています。東北メディカル・メ
ガバンク事業は文部科学省予算、医療福祉機器・創薬拠点整備事業は経済産業省予算で実施さ
れますが、目標は地域復興と国民への医療福祉の還元であり、省庁間の壁を越えたオールジャパ
ンでの取り組みが今後とも期待されています。
財団法人ヒューマンサイエンス振興財団 開発振興委員会では、医薬品開発とそれに関わる生命
科学に関する最新動向と今後の展望について、長年にわたり調査活動を行ってきました。生命科学
と技術の進歩は医薬品開発のみならず、予防医療や再生医療など今後の保健医療発展の基盤で
あり、調査結果を報告書としてまとめ会員企業並びに関係各方面に提供してまいりました。
医薬品開発のトレンドとして米国の状況を見てみると、2012 年に米国食品医薬品局(FDA)で承
認された新薬は 39 件であり、このうち生物学的製剤は 6 件でした。新薬数 39 件は 2008 年 24 件、
2009 年 26 件、2010 年 22 件、2011 年 30 件を上回り、2004 年の 36 件以来最も多い数となりま
した。生物学的製剤もここ数年の承認数を維持しています(2008 年 3 件、2009 年 7 件、2010 年 6
件、2011 年 6 件)。2012 年の新薬は、抗がん剤が 12 件を占め、続いて代謝・内分泌系の 5 件と、
突出して多数の抗がん剤が開発されました。2011 年にはコンパニオン診断薬(CoDx)と同時承認
された新薬は 2 件でしたが、2012 年は HER2 陽性乳がんに対する pertuzumab と診断薬が承認
された 1 件に留まりました。FDA は New Drug Review において、新薬の 4 分の 1 がオーファンド
ラッグであったこと、約半分が first in class の薬剤であったこと、5 分の 4 以上の薬剤が米国で最
初に承認されていることなど、2012 年は米国の創薬イノベーションが強力な年であったと評価して
います。
日本国内の新薬開発では、初めて医薬品とその CoDx がほぼ同時に 2 件承認されたことが注目
されます。ALK 融合遺伝子陽性の切除不能な進行・再発の非小細胞肺がんを適応とするクリゾチ
ニブと ALK 遺伝子変異診断薬、および再発又は難治性の CCR4 陽性の成人 T 細胞白血病リン
パ腫を適応とするモガムリズマブと CCR4 発現検査薬がそれぞれほぼ同時に承認されました。さら
に、これら診断薬による検査に対する診療報酬として、ALK 遺伝子変異診断には 6,520 点、CCR4
発現検査には 10,000 点が認められ、従来の遺伝子検査 2,000 点の壁が突き破られたことは画期
的でした。今後、CoDx と新薬の同時開発が促進され、個別化医療の推進に繋がっていくことが期
待されます。
2012 年の開発振興委員会 創薬技術調査ワーキンググループでは、近年の技術的進展が著し
い「イメージング技術」、「高速シークエンサー」および「新規モデル動物試験系」をとりあげ、これら
の創薬・医療分野への応用について調査しました。特に高速シークエンサーのここ 10 数年の進歩
は、解析スピードで 1,000 倍、解析コストで 5 万分の 1 とも言われています。従来、アレル頻度 5%
以上の SNPsを対象とした GWAS では見出すことが出来なかった疾患の遺伝的要因を、高速シー
クエンサーによる全ゲノムや全エクソンの配列解析で原因遺伝子に辿りつくことが可能となりました。
iii
5%未満の低頻度変異やさらに少ない希少変異が原因となる疾患の多くは孤発性の神経変性疾患
など重篤で稀な疾患が多く、医療上重要な領域となっており、パーソナルゲノム解析の診断への応
用が期待されています。さらに、リプログラミング、糖鎖工学、スーパーコンピュータ、コホート研究、
バイオ医薬品、システムバイオロジー、生命科学領域のトピックスおよび行政動向など、医薬品開発
全体を取り巻く様々な分野の動向調査の結果も含め、「創薬基盤技術の最新動向を探る-イメージ
ング技術・高速シークエンサー・新規モデル動物試験系-」として報告書にまとめ、本年度からは本
報告書冊子体の印刷はせず、当財団ホームページで公開することといたしました。
この分野の研究開発に携わる方々や研究開発を推進・支援する方々など、会員企業に留まらず
より一層広くご活用いただければ幸いです。ご多用中にもかかわらず、本調査にご協力いただきま
した各位に深く感謝いたします。
平成 25 年 3 月
財団法人ヒューマンサイエンス振興財団
一般事業委員会
開発振興委員会委員長 佐々木 康夫
iv
本調査にご協力いただいた学識経験者及び機関(敬称略、所属機関五十音順、所属等は平成 24
年度)
西 村 伸 太 郎 アステラス製薬(株) バイオイメージング研究所
児 玉
石
孝 雄 大阪大学免疫学フロンティア研究センター(IFReC)
井
吉 岡
優 大阪大学免疫学フロンティア研究センター(IFReC)細胞動態学分野
芳 親 大阪大学免疫学フロンティア研究センター(IFReC)生体機能イメージング
畑
澤
順 大阪大学大学院医学系研究科 放射線統合医学講座 核医学
成
松
久 (独)産業技術総合研究所 糖鎖医工学研究センター
伊
藤
守 (公財)実験動物中央研究所 実験動物研究部
末 水
洋 志 (公財)実験動物中央研究所 バイオメディカル研究部
佐 々 木 え り か (公財)実験動物中央研究所 応用発生学研究部
北 川
宮
正 成 タカラバイオ(株) ドラゴンジェノミクスセンター
野
辻
悟 東京大学 医科学研究所ヒトゲノム解析センター
省
次 東京大学大学院医学系研究科 脳神経医学専攻 神経内科学
菅 野
純 夫 東京大学大学院新領域創成科学研究科 メディカルゲノム専攻
浦 野
泰 照 東京大学大学院医学系研究科 生体物理医学専攻 医用生体工学講座
大
彰 (独)農業生物資源研究所 遺伝子組換え研究センター 医用モデルブタ研究開
発ユニット
保 弘 日本メジフィジックス(株)
西
川 崎
岩 井 久 美 子 日本メジフィジックス(株) 研究開発推進部
瀬 藤
光 利 浜松医科大学解剖学講座細胞生物学分野
渡 辺
恭 良 (独)理化学研究所 分子イメージング科学研究センター
伊 藤
昌 可 (独)理化学研究所 横浜研究所 オミックス基盤研究領域 LSA システム構築グ
ループ オミックス制御研究ユニット
徹 (独)理化学研究所 オミックス制御研究ユニット
八
尾
v
調査・執筆者リスト (所属機関五十音順、所属は平成 24 年度)
田中
弘 一 郎 (リーダー)
ゼリア新薬工業(株) 中央研究所
平野
弘 之 (サブリーダー)
ゼリア新薬工業(株) 研究開発企画部
濱里
史 明 (サブリーダー)
有賀
博 文 (サブリーダー)
(株)日立製作所 社会イノベーション・プロジェクト本部ヘルス
ケアプロジェクト本部
ライフテクノロジーズジャパン(株)
望月
順 一 朗 (サブリーダー)
佐々木
具
嶋
康 夫 ( 開 発 振 興 委 員 会 旭化成ファーマ(株) 医薬事業推進総部
委員長)
弘
(独)医薬基盤研究所
田中
弘
田
勲
中
(株)理研ジェネシス
エーザイ(株) エーザイ・グローバルレギュラトリー機能ユニット
非臨床部
エーザイ(株) エーザイ・プロダクトクリエーション・システムズ
サイトサービス部
エーザイ(株) エーザイ・プロダクトクリエーション・システムズ
サイトサービス部
(株)エスアールエル 技術開発部
河 合
隆 利
杉崎
肇
杉原
英光
SBI ファーマ(株) 医薬開発本部
吉 川
直 樹
塩野義製薬(株)東京支店業務部
齋 藤
雅 光
(株)セルイノベーター
井 浦
陽 介
東レ(株) バイオツール事業推進室
冨田
久夫
冨田バイオテクノロジー コンサルタント
園家
曉
井 合
宏 道
(株)日立ハイテクノロジーズ 統括本部
野 津
克 忠
ユイメディック(株)
五十嵐
日本新薬(株) 東部創薬研究所
タ 子 (事務局)
(株)シード・プランニング リサーチ&コンサルティング部
野田
恵 一 郎 (事務局)
(株)シード・プランニング リサーチ&コンサルティング部
清末
芳 生 (事務局)
(株)シード・プランニング
井口
富 夫 (事務局)
(財)ヒューマンサイエンス振興財団
vi
序章
序章 トピックスとトレンドの概説
2012 年の日本の再生医療分野の進捗には目を見張るものがあり、特に人工多能性幹細胞
(induced pluripotent stem cell; iPS 細胞)の応用分野には重点的な予算が投入されてい
る。iPS 細胞を発明した山中伸弥教授(京都大学)が、John B. Gurdon 教授(Cambridge 大
学)とともにノーベル医学・生理学賞を受賞したことと併せて、日本の再生医療にとってターニン
グポイントとなる年であった。一方、iPS 細胞による再生医療が「夢の治療法」として、過剰な期
待が寄せられている側面もあるようだ。注目を集めている今こそ冷静に、iPS 細胞を含む多能性
幹細胞などの臨床応用における課題を良く理解して着実に推進すること、再生医療だけではな
く創薬への利用など研究開発資源としての活用も進めること、さらに分化した細胞のリプログラミ
ングのメカニズム解明など基盤的研究も確実に進めることなど、総合的な視点に立った研究開
発の推進が重要である。また、重点的な予算配分による研究資源の偏りが懸念され、山中教授
が科学技術政策担当大臣との会談で「科学技術は国の将来を支えるものであり、その全体の底
上げのため支援をお願いしたい」との発言もなされている。日本の科学技術基盤全体のボトムア
ップを目指したバランスのとれた研究支援の政策が重要である。
以下に、ライフサイエンス分野における 2012 年のトピックスとして、再生医療・細胞治療、コホ
ート研究、臨床研究・治験の活性化をとりあげ概説した。
1) 再生医療・細胞治療の推進加速化
再生医療の実現に向けた基盤的研究は文部科 学省の「再生医療実現化 プロジェクト 」 1 ) が
2003 年より実施されてきた。各 5 年間ずつの 1 期及び 2 期が 2012 年度に終了し、次年度か
らは「再生医療実現拠点ネットワーク事業」に引継がれる予定である。また、2011 年には、再生
医療のいち早い実現のために厚生労働省と経済産業省も連携して支援する「再生医療の実現
化ハイウェイ」 2 ) が構想され実施されてきた。この間、実現化プロジェクトで推進された 4 つのプ
ロジェクトが実現化ハイウェイに移行し、実現化に向けた進捗が見られている。厚生労働省およ
び経済産業省でも再生医療の実現に向けて大きく動き出しており、以下の各省の施策について
概要を示した。
① 文部科学省(iPS 細胞研究ロードマップの更新) 3 )
2009 年 6 月に公表していた iPS 細胞研究の目標を掲げた「iPS 細胞研究ロードマップ」を、
2012 年 11 月に更新して発表した。iPS 細胞から誘導した細胞をヒトに移植する臨床研究を複
数始めることを 5 年以内の短期的目標としていて、具体的には、加齢黄斑変性症、網膜色素変
性症、血小板減少症、重症心不全、脊髄損傷が対象疾患となっている。2013 年 3 月現在、「滲
出型加齢黄斑変性に対する自家 iPS 細胞由来網膜色素上皮(RPE)シート移植に関する臨床
研究」が実施施設の審査を終了し、厚生労働省に「ヒト幹細胞を用いる臨床研究に関する指針
(ヒト幹指針)」に基づく審査の申請がなされた。これが承認されると 2013 年より患者からの iPS
細胞の作製と RPE シートの作製が開始され、2014 年中にも iPS 細胞を使った世界初の臨床
1
序章
研究が行われることになる。
さらに 5 年以降の長期的目標として、赤血球、ドーパミン産生神経細胞と角膜、造血幹細胞、
骨・軟骨、骨格筋、膵 β 細胞、肝細胞、腎臓細胞、臨床研究のスタート時期の見通しを示した。
歯胚、肺組織、腎臓組織、大脳、小脳、副甲状腺、副腎などに関しては、立体器官を構築する
ための技術を確立するとしている。また、iPS 細胞の初期化メカニズムの解明、並びに iPS 細胞
バンクの構築についても目標が設定されている。
② 厚生労働省(再生医療の安全性確保と推進に関する専門委員会) 4)
再生医療は、機能不全となった細胞や組織を再生させ、これまで有効な治療法のなかった疾
患が治療できるようになるなど、患者・国民の期待が高い。しかし、新しい医療である再生医療
については、関係法令などが必ずしも十分整理されておらず、再生医療の実用化に際しての安
全性に課題があることから、厚生労働省では当該仕組みの検討に必要な知見を持った、医学・
再生医療の専門家、法律・生命倫理等の専門家、一般の立場を代表する者等により構成する
専門委員会を 2012 年 9 月に組織した。検討課題は、医療として提供される再生医療について、
薬事法等関係法規と同等の安全性を十分確保しつつ、実用化が進むような仕組みについて、
倫理的、医学的、社会的観点等からの多角的な検討を行うことである。当初、専門委員会の名
称は「再生医療の安全性確保に関する専門委員会」として提案されたが、「いかに早く再生医
療を実現させるか」も検討課題であるとして、「再生医療の安全性確保と推進に関する専門委員
会」とされた。
この専門委員会での議論はすでに 6 回行われ、関連法案の成立も視野に入れた検討が進ん
でいる。報道情報などによれば以下の 3 法案の成立と改正が検討されている。
(1)再生医療基本法(仮称)
再生医療を国民が迅速かつ安全に受けるため総合的な施策の推進に関する基本方針
を定めた法律。医療関係者や研究者、再生医療用細胞を加工する事業者等の役割を規
定してオールジャパンの推進体制を築く。
(2)薬事法の改正
再生医療の実用化に対応できるように、再生医療製品の特性を踏まえた承認・許可制度
を新設するための改正。開発初期に安全性が確認され、有効性が推定された段階で条件
付きで承認し、市販後に安全性・有効性のデータを集積して最終的な正式承認をする制
度案等が議論されている。
(3)再生医療・細胞治療の安全性の確保等に関する法律(仮称)
再生医療・細胞治療の安全性確保等をはかるため、再生医療等の実施計画に関する承
認制度、細胞培養加工施設の設置に関する許可等の制度について定める法律。再生医
療等は用いるヒト幹細胞の種類や投与部位・方法等の違いによってリスクが異なるため、リ
スクの程度に応じた安全性の確保をはかるための仕組みを構築する。最もリスクの高い再
生医療等を実施する場合は厚生労働大臣の承認を受けることとし、低リスクの場合は届出
とするような制度案が議論されている。
2
序章
③ 経済産業省(再生医療の実用化・産業化に関する報告書 最終とりまとめ) 5 )
再生医療等の実用化・産業化に向けては、再生医療の特性を十分踏まえるとともに、これに
付随する諸課題を解決し、これを促進する環境整備を図ることが必要であるとして、制度に関す
る課題やコストに関する課題等について検討がなされた。この報告書では、日本の再生医療市
場の将来予測を、その周辺産業の市場も含めて試算されていることが注目される。再生医療市
場は 2012 年 90 億円から 2030 年には 1 兆円、周辺産業市場は 2030 年 5500 億円と予測さ
れている。予測数値の真偽は兎も角、これまで期待だけが先行していた日本の再生医療に、コ
ストやリスクの構造に基づいて成長する産業としてのビジョンを明確に発信したことで、今後、企
業参入のきっかけとなり、再生医療の実用化・産業化が促進されることが期待される。
2) 日本のゲノムコホート研究の推進
日本のコホート研究は先進諸国に比較して規模 、内容において不十分と言われているが、
2011 年に「大規模分子疫学コホート研究の推進と統合」が、2012 年には大規模ゲノムコホート
研究を含む「東北メディカル・メガバンク計画」が立案され、研究が進められている。しかし、実
際どのように全国的な規模まで拡大していくか、ゲノムなどの最新情報をどのように研究に組み
込んでいくかについて、具体的な方策はまだ明らかになっていない。このような研究を実施する
には医学、生命科学の研究者だけではなく、理学、薬学、工学、情報科学等の研究者を動員す
る必要があり、日本の科学技術全般にわたる大きな挑戦である。また、個人情報保護への配慮、
倫理対応、組織構築、制度設計および解析技術開発などの課題を明らかにした上で、国のとる
べき姿勢を明確にし、研究事業を適切に推進する必要がある。このような背景のもと、日本学術
会議は日本のゲノムコホート研究をさらに先進のものとする新しい研究内容とその体制、すなわ
ち統一基準による全国体制の「ヒト生命情報統合研究」の実施が必要と結論した提言 6 ) をまとめ
た。以下にこの提言の概略を示した。
① ヒト生命情報統合研究の創出
人間集団を対象とするコホート研究では、最新の計測技術を使った生化学的データ、生理学
的データ、細胞生物学的データ、画像診断データ、さらには心理学的行動学的データを長期
にわたって収集した膨大なデータを、最新の情報科学を用いて解析する必要がある。大規模ゲ
ノムコホート研究では多様なデータ情報を融合し、統合的な解析までを一貫して実施する新し
い研究分野である「ヒト生命情報統合研究」を創出する必要がある。
② 医療情報基盤のさらなる整備
健康医療情報を電子的かつ標準化された形式で網羅的に収集でき、同一個人ごとに統合で
きる情報基盤の整備を行うために、国は次の 3 点を目指すことが必須である。
(1)標準化対応の医療情報システムの開発と導入
(2)新たな「国民保健番号(仮称)」の制度と法令の整備
(3)同意研究参加者の医療情報追跡基盤の構築
3
序章
③ ヒト生命情報統合研究の拠点整備とその機能
100 万人規模のバイオバンクの構築、並びに多因子疾患の原因解明と予防・治療法の開発
を目標に、中核拠点を軸とした組織構築、制度設計を行い、コホート事業の開始に向けた解析
基盤、情報基盤の整備を行う。また、本研究の発展に必要な、膨大な臨床情報とゲノム情報や
中間形質情報の統合解析技術を駆使できる人材育成が急務であり、臨床現場に近い医育機関
に臨床ゲノム情報技術人材の育成に専念する専門教育組織を全国数カ所に恒久的に整備す
るべきである。
④ 包括同意にもとづく研究を可能とすることに対する国民の理解醸成と研究倫理指針の改定
ヒト生命情報統合研究は大規模で長期にわたる前向き研究を志向するが、網羅的分析技術
等は急速に進歩しており、常に新しい解析方法を積極的に取り込んでいく必要がある。そのた
めには研究参加者の包括同意を得ることが必須であり、国は一定の条件を満たす研究では包
括同意を可能とすることに対する国民の理解醸成を積極的に行い、関連する研究倫理指針を
改定して包括同意にもとづく研究遂行を可能とするとともに、様々な制度面の整備を行う必要が
ある。
⑤ 研究拠点整備と提言実行のための推進協議会(仮称)の設置
ここまで述べた研究拠点整備等の実現をはかるため、専門家による推進協議会を設置する。
3) 臨床研究・治験活性化 5 か年計画 2012 とアクションプラン
2012 年 3 月に「臨床研究・治験活性化 5 か年計画 2012」 7 ) が策定され、5 月に同アクション
プラン 8 ) が取りまとめられた。1996 年に公布された新 GCP の施行に伴い治験の届出数が激減
した治験の空洞化を改善することを目的に、これまでに 2003 年からの「全国治験活性化 3 カ年
計画(1 年延長)」及び 2007 年からの「新たな治験活性化 5 カ年計画」の 2 回の治験活性化計
画が実施された。
2 回目の「新たな治験活性化 5 カ年計画」実施中の 2009 年には有識者による中間見直し検
討会を実施して、① translational research や proof of concept 等の開発早期の治験・臨
床研究の強化、② 標準治療等の開発に繋がる大規模臨床研究、市販後の比較試験等の臨床
研究、臨床試験の強化、③ 症例集積性の更なる向上、人材の育成確保、④ 情報公開、コスト・
スピード・質の適正化、等の加速かつ強化するべき課題が提言された。この提言を受け、臨床
研究・治験活性化 5 か年計画 2012 とアクションプランが策定された。
今回の臨床研究・治験活性化 5 か年計画 2012 は大きく 2 つの柱から構成されている。
4
序章
① 更なる飛躍と自立を目指した 6 項目の設定
9 年間の活性化計画を踏まえた更なる飛躍と自立を目指して、以下の 6 項目を設定して取り
組むこととしている
(1)症例集積性の向上(ネットワーク化の促進)
(2)治験手続きの効率化(共同 IRB の活用、治験の依頼等に係る統一書式の作成、統一書
式入力支援ソフトの作成)
(3)医師等の人材育成及び確保(CRC、IRB 委員等を対象とした研修、臨床研究・治験に
精通した医師の育成)
(4)国民・患者への普及啓発(治験・臨床研究に参加する被験者、患者等に対する、試験の
意義の啓発)
(5)コストの適正化(治験研究費の出来高払いを導入、治験コストの適正化)
(6)IT 技術の更なる活用(IRB 業務の IT 化等)
② 日本発の革新的な医薬品・医療機器等の創出
医療イノベーションに向けて、以下の 4 項目に取り組むこととしている。
(1)質の高い臨床研究等が実施できる体制整備(橋渡し研究支援拠点、早期・探索的臨床
試験拠点、臨床研究中核病院)
(2)臨床研究における倫理性及び質の向上(「臨床研究に関する倫理指針」の改訂の中で、
IRB の認定制度の導入、研修等の強化、共同 IRB の普及、治験以外の臨床研究の届
出制度等の検討を行う)
(3)開発が進みにくい分野への取り組みの強化(小児疾患、希少疾病、難病、医療機器、先
端医療への取り組み、質の高い臨床研究に対する研究費の優先配分)
(4)大規模災害が発生した際の迅速な対応(臨床研究・治験に関する災害時の対応マニュ
アルの検討、災害時のデータの信頼性確保のための方策の検討)
日本の治験届出数は 2003 年の 361 件から 2011 年には 628 件まで回復してきた。これら
の施策によって 600 床程度の病院を 3~5 施設でネットワーク化し、あたかも 1 医療機関のよう
に機能させることにより、アジア諸国に誕生している 2,000 床を超えるメガ治験病院と同等の症
例集積性と効率的な治験が実施可能となるよう期待される。また、研究論文数でみて世界第 3
~4 位の日本の基礎研究力に対して、20 位以下で弱いと指摘されている臨床研究の推進力が
改善されることにより、日本の医薬品や医療機器の研究開発が臨床研究から治験にスムーズに
繋がり、医療イノベーションが実現されることを期待したい。
5
序章
【参考資料】
1)
再生医療の実現化プロジェクト
http://www.stemcellproject.mext.go.jp/index.html
2)
再生医療の実現化ハイウェイ
http://www.stemcellproject.mext.go.jp/index.html
3)
科学技術・学術審議会 研究計画・評価分科会 ライフサイエンス委員会(iPS細胞研究ロー
ドマップについて)
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日本学術会議 提言「ヒト生命情報統合研究の拠点構築 ―国民の健康の礎となる大規模コ
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臨床研究・治験活性化5か年計画2012 アクションプラン
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/chiken/dl/121025_3.pdf
6
第1章
第1章 医薬品開発の最新動向
1-1.はじめに
2012 年のライフサイエンス分野における最大のトピックスは、「細胞のリプログラミング(初期
化 ) 」 に 関 す る 発 見 に 対 し て ノ ー ベ ル 生 理 学 ・ 医 学 賞 が 授 与 さ れ た こ と で あ る 。 1962 年 、
Cambridge 大学の John B. Gurdon らは、分化したオタマジャクシの体細胞の核を用いた研
究で、核のエピジェネティックな情報を個体発生の初期段階までリプログラミングできることを発
見した。その後、そのメカニズム解明のため多くの研究がなされたが、2006 年になって、京都大
学の山中伸弥らによりマウスの体細胞と分化多能性を有する ES 細胞の遺伝子発現の比較からリ
プログラミングを誘導する遺伝子が見出され、ヒトの体細胞にわずか 4 因子を導入することで人工
的な多能性細胞(iPS 細胞)を誘導できるようになったことから、最近この分野の研究が急速に進
展してきた。
ヒト iPS 細胞の樹立は、再生・細胞医療への可能性から一般にも注目され、大きく報道されて
いる。このようなリプログラミング研究の進展は、ゲノム解析、遺伝子発現解析、エピジェネティク
ス、バイオインフォマティクスなど基盤技術のデータベース構築と深くかかわっている。マウスのあ
らゆる組織や発生段階の遺伝子発現データが公共データベースとして公開され、また、遺伝子
発現を比較する手法の公開によってリプログラミング因子の絞り込みが行われた経緯は広く知ら
れるようになった。
ヒ ト ゲ ノ ム 解 析 以 後 、 遺 伝 子 の 転 写 ネ ッ ト ワ ー ク ( ト ラ ン ス ク リ プ ト ー ム 解 析 ) 、 ncRNA
(non-codingRNA)による転写制御、エピジェネティック制御による遺伝子発現、高速シークエ
ンサーの普及による個人の全ゲノム解析、質量分析によるプロテオーム解析、翻訳後のタンパク
質糖鎖修飾解析などの膨大なデータが蓄積され、公共に利用できるライフサイエンス関連の統
合データベースが構築されている。また、莫大なデータを高速に処理するスーパーコンピュータ
の利用を提供する環境も整備が進められている。今後は、このような公開されたライフサイエンス
のビッグデータを利用して広範な基盤技術を融合することによって革新をもたらす研究が増加し
てくると期待される。
第 1 章では、生命科学領域の動向を広くとらえるためリプログラミング、糖鎖基盤技術と公開デ
ータベース、ゲノムコホート研究の現況、スーパーコンピュータ、バイオ医薬品、システムバイオロ
ジーおよび生命科学領域のトピックスを取り上げた。
7
第1章
1-2.医薬品開発関連技術に関するトピックス
1-2-1.リプログラミング
2012 年、ノーベル生理学・医学賞は京都大学の山中伸弥(京都大学)と、John B.Gurdon
(Cambridge 大学)にあたえられた。授賞の対象となった研究は体細胞の遺伝子発現のリプロ
グラミング(初期化)である。多細胞生物の体細胞は、一個の受精卵から発生して組織・臓器に分
化した細胞が個体を形成している。各々の細胞は機能に応じた遺伝子発現を行っており、分化
する過程で遺伝子発現パターンの制御が獲得されている。分化した細胞で獲得された遺伝子発
現制御を消去・再構成することを、リプログラミング(再プログラム化・初期化)と呼んでいる。
1) リプログラミング研究のはじまり
受精卵は、様々な細胞に分化増殖して個体を形成する能力(分化全能性)を有しているが、生
殖細胞以外の体細胞は再び未分化な状態に戻ることはなく、細胞が分化することで必要のなくな
った遺伝子情報は失われていると考えられていた。
1962 年、John B.Gurdon らはアフリカツメガエルのオタマジャクシの小腸細胞核を、予め核
を破壊した卵に移植する実験を行った。小腸細胞の核を移植した卵は正常にカエル(個体)にま
で成長した。この結果から、細胞核は分化過程でも遺伝子情報を保持しており、遺伝子発現のパ
ターンを変えるプログラムが働き様々な細胞に分化していることが示された。また分化した細胞
(核)も遺伝子の発現する状態を胚のように初期化(リプログラミング)することができれば、新たに
個体を形成できるという発生・細胞分化の研究に変革をもたらした 1 ) 。
2) クローン技術(哺乳類の体細胞の核移植によるリプログラミング)
体細胞から同じ遺伝情報を持つ新たな個体を発生させるクローン技術は、高等な哺乳類の体
細胞では不可能と考えられていたが、1997 年スコットランドのロスリン研究所 Ian Wilmut らによ
りクローン羊ドリーの成功が報告された。細胞は分化の程度によらず分裂・増殖しており、DNA
合成準備期、DNA 合成期、細胞分裂準備期、細胞分裂期といった周期(細胞周期)を持ってい
る。Wilmut らは体細胞の細胞周期に着目し、体細胞の培地の血清(栄養分)を希釈(血清飢餓
培養)することで、細胞周期を休眠状態(G0 期)に同調させ分化全能性を獲得(リプログラム)で
きるという仮説を提唱した。ドリーでは未授精卵から核を除き、血清飢餓培養した体細胞と細胞融
合する方法がとられた。
体細胞を用いたクローン技術は、細胞融合を必要としない体細胞の核を移植する方法が開発
され、ウシ、マウス、ブタ、ヤギ、ネコなど他の哺乳類でも相次いで作製された。しかしながら体細
胞クローン胚の初期の発生率は、体外受精胚と変わらないものの個体の発生率は非常に低く、ま
た発生した個体の表現型異常が多く観察された。このような発生過程の異常は移植された核が初
期胚を発生する程度にはリプログラムされているが、個体発生に必要とされる遺伝子発現が正常
に働いておらず、リプログラムが十分に達成されていないことが示唆された。さらに発生したクロー
ン個体の表現型異常の多くは、有性生殖によって誕生させた後代には現れなかった。このことか
ら正常な遺伝情報のリプログラミングは生殖細胞、初期胚の 2 つの段階で起こると考えられた 2 ) 。
核移植の研究は、リプログラミングについて多くの課題を提供した。卵細胞質では、受精後の
8
第1章
精子と同じく、移植された核の染色体構造の変化が起こると考えられ、なかでも染色体構成タン
パク質であるヒストンの変化が検討された。さらに DNA のメチル化状態の変化も認められ、DNA
の配列を変化させずに遺伝子発現を制御するメカニズム(エピジェネティックな制御)が、リプログ
ラミングの機構解明に重要な課題となった。
3) ES 細胞(リプログラムが維持された細胞)
リプログラムにより達成する最も高い分化能力は全能性である。分化全能性は、受精卵および
数回の卵分割後の細胞だけが持つ分化能力であり、細胞は自律的に個体の発生に向けて分化
するため、分化全能性を維持したまま培養できる細胞は実現されていない。発生初期段階の胚
盤胞期の胚の一部、内部細胞塊より作られる幹細胞株から、多様な組織になる分化多能性(表
参照)を保ちつつ、継代培養・増殖させることができる細胞株として ES 細胞(Embryonic stem
cells;胚性幹細胞)が作製された。
1981 年には、マウスの ES 細胞が、2 つのグループによって樹立された 3 ) 。ES 細胞は胎盤な
どの胚外組織に分化しないため、単独で個体発生はできないが胚盤胞期の胚にもどすことにより
キメラ個体を発生させることができる。キメラ個体では ES 細胞由来の生殖細胞も形成しており、
ES 細胞由来の後代を誕生させることができる(遺伝子操作を行った ES 細胞を用いて遺伝子改
変(トランスジェニック、ノックアウト)動物が研究に利用されている)。
ヒト ES 細胞の樹立では、生命倫理の問題から細胞の分化能をキメラ個体発生で確認すること
はできない。他の方法として、胚様体(Embyoid Body, Embryonic Body, EB)形成とテラトー
マ形成が用いられている(胚様体とは、ES 細胞を、分化培地中で浮遊培養して得られる胚様の
細胞塊であり、テラトーマとは、ES 細胞を、免疫不全マウスに移植して得られる奇形腫である)。
胚様体やテラトーマを組織特異的な抗体で染色し、三胚葉(外胚葉、中胚葉、内胚葉)すべて
に分化することができるかが ES 細胞の多能性の指標となっている(表 1-2-1、図 1-2-1)。
1998 年にはこの指標に基づく、ヒト ES 細胞の樹立が報告された 4 ) 。
表 1-2-1.細胞の分化能力
分化全能性
(Totipotency)
分化多能性
(Pluripotency)
胎盤などの胚体外組織を含む、一個体を形成するすべての細胞へ分化可能。
受精卵および数回の卵分割後までが持つ分化能力。
胎盤などの胚体外組織を除く、一個体のすべての細胞へ分化可能。狭義には
三胚葉(内胚葉、中胚葉、外胚葉)に属する細胞系列へ分化し得る能力。
一個体を形成する自律的な分化能力はなく、胚盤胞期の胚にもどすことにより
キメラ個体となる。
(分化能力を維持した培養・増殖が可能)
分化多能性
(Multipotency)
分化可能な細胞系列が限定されるが、多様な細胞種へ分化できる。
基本的に胚葉の系譜を超えて分化しない。
体性幹細胞、組織幹細胞、成体幹細胞など。
分化単能性
(Unipotency)
幹細胞として分裂増殖する、また、一種類の細胞にだけ分化する(前駆細
胞)。
9
第1章
図 1-2-1.細胞分化マップ
(E-pathology “WikiPathologica” 三胚葉と臓器発生 5 ) より改変)
10
第1章
4) リプログラミング・分化多能性を維持する因子
体細胞の核を卵に移植するとクローン胚が発生すること、体細胞は ES 細胞との融合により遺
伝子発現が ES 細胞様に変化することから、卵や ES 細胞の中には、核のエピジェネティックな情
報をリプログラムし、それを維持する因子が含まれていると考えられた。この因子を見出すために
は、分化過程における様々な細胞の遺伝子の発現状態を解析した研究基盤となる情報が必要と
された。
理化学研究所の林崎らはマウスの遺伝子発現に関する基盤的研究プロジェクト(マウスゲノム
エンサイクロペディアプロジェクト)で、マウスのあらゆる発生段階の組織から完全長 cDNA クロー
ンを収集しており、収集された完全長 cDNA のアノテーション(機能注釈)を目的とした国際研究
コンソーシアムを 2000 年に結成した。コンソーシアム FANTOM(Functional Annotation of
Mouse)の成果はデータベースとして開示され、現在も進展しつづけている。
山 中 ら は 、 独 自 に ES 細 胞 で 特 異 的 に 発 現 す る 遺 伝 子 群 Expressed Sequence Tag
(EST)の収集を計画していたが、マウス遺伝子発現データの公開、組織・細胞の遺伝子発現量
を比較する NCBI による digital differential display 法の公開、マウスのマイクロアレイの普
及 に よ っ て 計 画 が 促 進 さ れ た 。ES 細 胞 特 異 的 な 遺 伝 子 群 は ECAT ( ES cell associated
transcript)と命名された。ECAT に含まれる遺伝子のノックアウト、強制発現による機能解析が
直ちに開始された。ホメオボックス転写因子である Nanog/ECAT4 をノックアウトすると ES 細胞
の多能性は失われ、強制発現で分化多能性が維持されること、恒常活性化型 Ras タンパク質
ERas/ECAT5 のノックアウトで分化多能性は維持されるが、増殖能は低下し、腫瘍形成能がほ
ぼ消失することなど重要な因子の機能解析が他の研究グループに先駆けて進められた。
また ES 細胞で働く Sox(SRY 関連 HMG ボックス)ファミリー転写因子群では Sox2 が唯一
発現すると考えられていたが、ECAT の一つが Sox15 であることが見いだされた。
Sox15 は Sox2 と同様に Oct3/4 と協調して Fgf4 や Fbx15 などの転写を活性化するが、
Sox2 を欠損した ES 細胞は樹立できないが、Sox15 を欠損した ES 細胞は形態、増殖、分化能
ともに正常であった。この機能解析の過程で転写活性化される Fbx15 は ES 細胞で発現するが、
Fbx15 をノックアウトしても致死とならず、その機能は ES 細胞の増殖、分化能に影響を与えない
と考えられた。この Fbx15 の遺伝子座に neomycin 耐性遺伝子をノックインしたマウス線維芽細
胞を作製することで、ES 細胞同様の遺伝子発現がおこる場合は蛋白合成阻害剤(G418)に耐
性を示し、誘導が起こらない細胞は蛋白合成阻害剤によって選別されるという誘導因子のスクリ
ーニング系が構築された。
この系を用いて ES 細胞と同じ多分化能(Pluripotency)を誘導すると考えられる候補遺伝子
24 種が評価された。候補遺伝子を 1 種類ずつマウス線維芽細胞に導入した場合には G418 耐
性の ES 細胞様コロニーは観察されなかったが、候補遺伝子 24 種を同時に導入した場合、ES
細胞に類似した G418 耐性細胞コロニーの出現が認められた。24 遺伝子より 1 遺伝子除くこと
で、ES 細胞様コロニーの誘導に必要な因子を選定し、最終的に 4 種類の遺伝子(Oct4、Sox2、
Klf4、c-Myc)の組合せが明らかになった 6 ) 。
11
第1章
5) iPS 細胞
4 種類の遺伝子(Oct4、Sox2、Klf4、c-Myc)をレトロウイルスベクターで導入すること ES 細
胞マーカー遺伝子を発現し、テラトーマを形成する多能性幹細胞が得られ、人工多能性幹細胞
(induced pluripotent stem cells, iPS 細胞)が樹立できることが報告された 7 ) 。
① Fbx15-iPS 細胞
スクリーニング系の Fbx15 レポーター細胞から誘導した Fbx15‐iPS 細胞は、遺伝子発現や
DNA メチル化様式が部分的に ES 細胞と異なっており、ES 細胞では可能なキメラマウス作製が、
この細胞では出来なかった。
② Nanog -iPS 細胞
4 種類の遺伝子には ES 細胞の分化多能性に重要な遺伝子 Nanog が含まれていなかった。
このことから、4因子の導入に加え Nanog の発現を指標とできる Nanog レポーターマウスの胎
仔線維芽細胞を用い、Nanog-iPS 細胞の樹立に成功した。
Nanog‐iPS 細胞は ES 細胞のマーカー遺伝子(Nanog、Eras、Esg1 など)を発現しており、
マイクロアレイによる遺伝子発現解析では約 90%が ES 細胞と同程度であった。またマウス由来
胚 盤 胞 へ Nanog-iPS 細 胞 を 移 植 す る こ と で キ メ ラ マ ウ ス が 得 ら れ た 。 キ メ ラ 個 体 で は
Nanog-iPS 細胞が生殖系列に分化しており、Nanog‐iPS 細胞由来の F1 マウスも得られた。
しかしながらこの F1 マウスでは高率に腫瘍形成を認められた 8 ) 。これらの腫瘍では導入した c‐
Myc 遺伝子の発現が再活性化されていた。
③ c-Myc(-) -iPS 細胞
癌原性遺伝子でもある c‐Myc を除いた 3 種の遺伝子(Oct4、Sox2、Klf4)によって誘導の効
率は下がるが iPS 細胞が樹立された。4 因子による iPS 細胞由来キメラマウスでは 100 日齢ま
でに約 20%に腫瘍発生を認めたが、c‐Myc(‐) ‐iPS 細胞由来キメラマウスでは腫瘍発生を認
めなかった。
④ 成熟マウス肝臓由来 iPS (iPS-Hep) 胃上皮細胞由来 iPS (iPS‐Stm)
iFbx15 ノックインマウスの肝細胞および胃上皮細胞に4因子を導入し、
・ 形態、増殖能力の類似
・ ES 細胞マーカー遺伝子の発現
・ テラトーマ形成(多能性)
により樹立が確認され、iPS‐Hep(Hepatic)細胞および iPS‐Stm(Stomach)細胞と命名され
た。これら細胞由来のキメラマウスが得られ生殖系譜への分化が確認された。腫瘍発生を 30 週
間観察で比較したところ、iPS‐Hep 細胞および iPS‐Stm 細胞由来のキメラマウスでは腫瘍発
生は認められず、また F1 世代は 4 因子を導入した iPS 細胞由来であるにも関わらず同観察期
間に腫瘍発生を認めなかった。
iPS‐Hep 細胞および iPS‐Stm 細胞ではレトロウイルスによる遺伝子挿入は少なく、また挿入
部位の共通性もなかった。このことから上皮細胞由来 iPS 細胞の腫瘍原生の低さと、iPS 細胞
の樹立に特定の部位にレトロウイルスが挿入される必要は無いことが確認された。
12
第1章
⑤ ヒト成人線維芽細胞からの iPS 細胞
ヒト皮膚由来線維芽細胞(HDF)に、遺伝子導入効率を高めるレトロウイルスレセプター遺伝
子を導入しておき、レトロウイルスベクターを用いて 4 因子が導入された。
・ ヒト ES 細胞と形態と増殖能の類似
・ 特異的表面抗原とマーカー遺伝子の発現
・ OCT3/4, SOX2, Nanog, SALL4, E-カドヘリン,hTERT のタンパク量が同等
・ 浮遊培養で多様な形態 三胚葉系の細胞へ分化能
・ in vitro で神経・心筋の組織へ分化誘導可能
・ 免疫不全マウス移植で三胚葉系の細胞を含むテラトーマを形成
の条件を満たしたことからヒト iPS 細胞樹立が確認された。
6) リプログラミング機構の課題
分化した細胞のリプログラミングは、4 種類の遺伝子(Oct4、Sox2、Klf4、c‐Myc)を導入する
ことで、iPS 細胞にできることが示された。2006 年にマウス iPS 細胞、2007 年にヒト iPS 細胞が
樹立されて以降、多くの研究者によって iPS 細胞の樹立が報告されているが、また誘導因子とし
て遺伝子だけでなく、タンパク質、また化合物など(微生物またその成分)を導入する方法が構築
されている。しかしながら遺伝子や誘導因子の導入効率に比べ、iPS 細胞の樹立の効率は低く、
樹立される iPS 細胞の分化能力に差(リプログラミンクの不完全さ)が生じている。このような iPS
細胞で見られる現象に対して 2 つの仮説モデルが想定され 9 ) 検証されている。
① エリートモデル(Elite model)
誘導因子の導入によって iPS 細胞へ誘導が起こる細胞は、因子導入の対象になる細胞集団
のうち、少数の条件が既定された細胞に限られているというモデルである。エリートモデルには、
生得エリートモデルと誘導エリートモデルと 2 タイプに分けられる。
(1) 生得エリートモデル
4 遺伝子(Oct3/4, Klf4, Sox2, c-Myc)を導入する前に、完全なリプログラムが達成される条
件(核が初期化される)の体細胞(エリート細胞)が決定しているとするモデル。組織幹細胞や未
分化細胞がエリート細胞の候補としてあげられる。体細胞核移植でも、未分化な前駆細胞や、組
織幹細胞などがも、完全に分化した細胞の核より、高効率に初期化される(図 1-2-2)。
図 1-2-2.生得エリートモデル
((財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG 作成)
13
第1章
(2) 誘導エリートモデル
レトロウイルスを用いて外来遺伝子をゲノムに導入することで、導入した 4 遺伝子以外の遺伝
子が影響(活性化、または非活性化)されて、完全なリプログラムが達成される条件の細胞(エリ
ート細胞)が誘導されるとするモデル。
レトロウイルスによってゲノムの特定部位に外来遺伝子が挿入された細胞が、細胞核初期化を
起こすと考えられる(図 1-2-3)。
図 1-2-3.誘導エリートモデル
((財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG 作成)
② 確率モデル(Stochastic model)
ほぼすべての細胞がリプログラム因子によって多能性を回復する能力を有しているが、リプロ
グラム因子の発現と、それによって起こる核のリプログラミング(エピジェネティックな変化)は確率
的な過程であり、様々な変化を起こした細胞群から一部の(一定の確率で、正しく核が初期化さ
れた)細胞が、iPS 細胞に至るとするモデルである。
細胞核の iPS 細胞に至る初期化過程には、(1)外部から導入した 4 遺伝子の発現パターンの
制御、(2)多能性を発現するエピジェネティックな状態の維持という 2 つの要件が必要と考えられ
る。
(1) 外部から導入した 4 遺伝子の発現パターンの制御
細胞の初期化は、4 因子の発現の量のバランス、発現の継続性、4 因子のサイレンシングのプ
ロセスによって決定すると考えられる。
・ 細胞核初期化プロセスの始めに、外部から導入した 4 因子の遺伝子の強い発現が必要であ
るが、過剰な Oct3/4 と Sox2 発現は多能性維持を阻害するため、発現のバランスも重要であ
る。
・ 外部からの導入遺伝子は、適切な発現の継続が必要である(導入後 10 日から 14 日間)。
・ 外部からの導入遺伝子が、サイレンシングされない場合も初期化不全となる。
これらは遺伝子導入方法によって大きく変化する。
14
第1章
(2) 多能性を発現するエピジェネティックな状態の維持
分化した体細胞や線維芽細胞では、多能性に関係する遺伝子のプロモーター領域の DNA
はメチル化 (発現が抑制) されている。これに対して多能性を有する ES 細胞、iPS 細胞では、
多能性遺伝子のプロモーター領域は低メチル化状態にある。また、DNA に結合するヒストン(タ
ンパク質)は、ES 細胞及び iPS 細胞では、多能性に関連する遺伝子のプロモーター領域で、ヒ
ストンの H(ヒスチジン残基)3 と H4 が高アセチル化されている。対照的に、体細胞ではヒストン
H4 は低アセチル化されている。同様に、ヒストンのメチル化修飾も重要と考えられる。核の DNA
メチル化状態 やヒストンの修飾というエピジェネティックな要因は、iPS 細胞の樹立に重要な働き
をしている。
この 2 つの要件を制御することは現在の技術では困難であり、実験的には確率的に様々な変
化が進行している。2 つの要件が満たされ、iPS 細胞に誘導されたものを選別する方法が取られ
ている。この確率モデルにおける iPS 細胞の樹立効率について矛盾はない。
図 1-2-4.確率モデル
((財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG 作成)
山中らは、生得エリートモデルに対する反証として、
・ Nanog 発現による細胞選別のタイミングを遅らせるだけで、樹立効率が上昇する。
・ 組織幹細胞の存在率よりも高い割合で iPS 細胞が得られる。
・ 幹細胞ではない分化した体細胞(分化系譜が決定された細胞)から、iPS 細胞が樹立可能
(肝細胞、膵細胞などの分化した細胞から樹立が確認されている)。
を挙げ、また誘導エリートモデルに対する反証として、
・ レトロウイルスを用いたマウス肝臓・胃細胞からの iPS 細胞の樹立では、共通したレトロウイル
スの導入部位は確認されず、特定部位への因子導入は必要条件ではない。
・ レトロウイルスを用いない因子導入(アデノウイルスベクター、プラスミド、4 因子のタンパク質
導入)でマウスおよびヒトの iPS 細胞の樹立が可能である。
を挙げている。
15
第1章
iPS 細胞樹立過程の 2 つのモデルに対する問いに対して、系譜が決定する程度に分化した細
胞からの iPS 細胞が樹立され、核のエピジェネティックな変化が、確率的な変化を経てリプログラ
ミングされるなどの結果が示され、確立モデルが受け入れられつつある。一方、誘導因子を導入
する細胞の分化度により iPS 細胞の樹立効率に大きく影響を受ける結果も示されており、エリー
トモデルがすべて否定されてはいない。2010 年、東北大学大学院の出澤、藤吉らはタンパク質
分解酵素による数時間の処理というストレスに耐性をもち、皮膚や筋肉、肝臓など多様な細胞に
分化することができる細胞を発見し、Multilineage‐differentiating Stress Enduring Cell
(多種系統に分化できる、ストレス耐性のある細胞)、Muse 細胞と命名した。Muse 細胞は、3 胚
葉の細胞系譜に分化可能な多能性幹細胞であり、ES 細胞・iPS 細胞に類似しているが、テラト
ーマの形成能はないという点で異なっている。
2011 年、出澤らと京都大学大学院藤吉らの共同研究グループは、線維芽細胞の Muse 細胞と
非 Muse 細胞に 4 因子を導入し、Muse 細胞のみで iPS 細胞を得ることを認めた。Muse 細胞が
多能性を保ち、無限増殖能を獲得すると iPS 細胞に変化するというメカニズムが示唆された 1 0 ) 。
7) ダイレクト・リプログラミング
iPS 細胞は、細胞移植治療など臨床応用が期待され大きく報道されている、また研究分野で
ある応用病態の解明、薬剤探索、毒性試験への応用も期待されている。これらの応用を進める上
で、分化多能性を持つまでの細胞核のリプログラミングは基盤技術といえる。一方、分化多能性
と無限増殖能を有することは、臨床応用を考えると腫瘍形成のリスクを回避しなければならないと
いう課題も有している、Muse 細胞など多能性をもつ幹細胞、同じ系譜の幹細胞・前駆細胞から
必要とされる細胞を直接(ダイレクトに)得られるダイレクト・リプログラミングが研究されている。
九州大学生体防御医学研究所の鈴木淳史らはマウスの線維芽細胞に二つの転写因子
(Hnf4αと Foxa(Foxa1,Foxa2,Foxa3 のいずれか))を導入することで,線維芽細胞を肝細
胞の性質をもった細胞 iHep(induced Hepatotyte‐like cells)に誘導できることを示した 1 1 ) 。
8) 分化全能性リプログラミング
リプログラミングの研究は核の移植により分化した細胞の核から新たに個体を形成できることか
ら始まった。分化能力の高い多能性細胞である ES 細胞の遺伝子発現の解析から誘導因子が探
索され iPS 細胞が樹立でき、また直接目的の細胞種へリプログラミングする因子の研究に進展し
ている。
リプログラミングの研究は、さらに分化能力の頂点に立つ分化全能性へのリプログラミングに向
けて進められている。
16
第1章
【参考資料】
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generation. Nature. 460(7251):49-52(2009)
10) Wakao S, et al., Multilineage-differentiating stress-enduring (Muse) cells are
a primary source of induced pluripotent stem (iPS) cells in human fibroblasts.
Proc. Natl. Acad. Sci. USA. 14;108(24):9875-9880(2011)
11) 鈴木淳史 生化学 第84巻第8号, 675-679(2012)
17
第1章
1-2-2.糖鎖工学研究の最近の話題
ヒトゲノム解析以後、核酸、タンパク質、網羅的な生体分子のオミックスの研究は大きく進展し
た。しかし遺伝子の最終産物である多くのタンパク質は糖鎖修飾をうけ糖タンパク質として存在し
ている。タンパク質は多様な糖鎖修飾によって成熟し、本来の機能を獲得していることは認識さ
れているものの、「タンパク質の糖鎖解析」は基盤技術が十分に一般化しておらず、多くの研究
者には手を出しがたい分野であった。
現在、タンパク質の糖鎖は、疾患バイオマーカー、細胞分化マーカー、バイオ医薬品の品質を
決定する不可欠な要素として重要性を増している。糖鎖研究について我が国は長い歴史があり、
現時点でも欧米にひけをとらない。すでに基盤技術であるタンパク質の糖鎖修飾に関係する遺
伝子(糖鎖遺伝子)、標準的な糖鎖ライブラリの構築、糖鎖解析技術が構築され公開データベー
スに集積されている。基盤技術構築と医薬分野での実用化に産業技術総合研究所(産総研)・
糖鎖工学研究センターの成松久らが 2001 年以来極めて重要な役割を果たしてきた。成松らは
糖鎖とタンパク質その機能を解析する「グライコプロテオミクス」を提唱し、バイオマーカー探索研
究に発展させているので以下に紹介する。
1) 糖鎖解析の基盤技術
タンパク質と糖鎖の機能を解析するためには、糖鎖を構築する糖転移酵素の網羅的な探索、
糖転移酵素を用いた糖鎖合成、合成糖鎖を用いた構造解析といった基盤技術の構築が必要だ
った。2000 年ヒトゲノムが解析されたが、当時は既知の糖転移酵素(遺伝子)も限られていた。産
業技術総合研究所・糖鎖工学研究センターは 2001 年度以来、糖転移酵素の網羅的発見、多
様な構造の糖鎖の自動合成、糖ペプチド・ライブラリなどを標準品とする迅速で簡便な構造解析
システムの開発のプロジェクトを推進してきた(図 1-2-2-1)。
図 1-2-2-1.産総研・NEDO プロジェクトによる糖鎖研究の進展
(産総研 成松久氏提供資料)
18
第1章
① 糖転移酵素(遺伝子)
ヒトゲノムからインフォマティクス手法で未知の糖転移酵素遺伝子候補を見いだす方法が報告
されている。糖転移酵素のゴルジ膜貫通領域の特徴を抽出し、独自の糖転移酵素判別方法を開
発、さらに遺伝子予測や配列プロファイル比較システムを糖転移酵素判別向けに改良し、組み
合わせて使用している 1 ) 。
糖転移酵素を発見する(GG)プロジェクトは開始から僅か 3 年の 2003 年に完了した。現在糖
鎖遺伝子は 200 種類近くが確認され、成松らのグループは新規な 45 個(糖鎖遺伝子の 4 分の
1)を発見し、知的財産化している。(ヒトの遺伝子が 2 万遺伝子とすると、約 1%が糖鎖遺伝子で
ある。
② 自動糖鎖合成、 標準糖鎖ライブラリ
糖鎖遺伝子のクローニング、リコンビナント酵素の発現により多様な構造の糖鎖合成が可能と
なり、糖鎖の標準品ライブラリが構築された。
生体内の糖転移酵素は、細胞内のゴルジ膜に分布していることに着目し、糖転移酵素の固定
化技術、特異的操作が可能な多官能性リンカー、機能性高分子担体の開発により酵素連続反応
による糖鎖自動合成装置の開発に成功した 2 ) 。
糖鎖自動合成装置により簡便かつ短時間で糖鎖ライブラリの構築が可能となった。多様な糖鎖、
枝分れや立体異性の違いなど糖鎖独特の複雑な構造にも対応できている。
③ 糖鎖構造解析
(1)質量分析による糖鎖構造解析および定量技術
糖鎖には位置異性、立体異性、枝分かれ構造などが存在し、単純な配列解析では構造を調
べることができない
MALDI-TOF 質量分析で、試料をイオン化させた後、特定の質量数のイオンのみを選択して、
不活性ガス(アルゴンなど)と衝突させ、選択したイオンから 2 次的なイオン(プロダクトイオン)を
発生させるタンデムマス(MS/MS)が開発され、さらに高次に試料からフラグメントイオンを発生さ
せ解析する MS n スペクトルを測定する多段階タンデム質量分析装置(島津 AXIMA-QIT)が開
発された。これによって多様な糖鎖のライブラリの MS 1 ~MS 4 スペクトルが測定されデータベー
ス化された。
糖鎖の MS n スペクトルは糖鎖構造によって独自のフラグメント化によるスペクトルパターンを示
す。独自の MS n スペクトルをフィンガーブリント(指紋照合)としてデータベースと照合する糖鎖構
造解析システムが作成された 3 ) 4 ) 。
(2) レクチンマイクロアレイによる糖鎖プロファイリング技術
レクチン(糖鎖に結合するタンパク質)を用い、糖鎖の特徴的部分構造を効率的に解析するプ
ロファイリング技術として、レクチンアレイが開発された。
レクチンアレイは、糖鎖の特徴的部分に対応するレクチン 40 種程度を基板に固定してあり、分
析する糖鎖を含む対象と結合するプロファイル情報をもとに糖鎖構造を推定する(図 1-2-2-
1 ) 。測定 原 理に は「エ バ ネッ セン ト 波励 起 蛍光 」 を採用 し、レク チン - 糖鎖 間の 弱い 相互 作用
(抗原-抗体反応の 100~10,000 分の 1 程度)でも高い感度で検出でき、10 ピコグラム(1,000
19
第1章
億分の 1 グラム)のタンパク質上の糖鎖も検出可能となっている 5 ) 。
産総研 糖鎖工学研究センターは糖鎖遺伝子、糖鎖合成、糖鎖微量迅速解析の 3 つの基盤
技術(研究ツール)を構築し、2006 年からは、がん、免疫、感染症、再生医療の医療工学分野に
おける糖鎖研究を中心に糖鎖医工学研究センターとして研究を進めている。
2) 糖タンパク質における糖鎖の機能
タンパク質の糖鎖構造は、糖鎖遺伝子(約 200 種類)の発現の組み合わせで変化が生じてお
り、遺伝子翻訳後の修飾において糖鎖修飾は最も多様な修飾である。一種類のタンパク質も多
数の糖転移酵素による修飾が組み合わさり、多用な糖鎖構造が作り出される。in vitro 試験系で
は、酵素の組成によって特定の糖鎖構造ができることは予測可能となっているが、細胞内の糖鎖
遺伝子の発現量で構造を推測することは容易ではない。
遺伝子から翻訳され機能を発揮する本体はタンパク質であるが、翻訳後の糖鎖修飾、また糖
鎖の種類によってタンパク質の機能は制御されている。糖タンパク質の機能は糖鎖とタンパク質
を一体としてとらえ、生体内での生理活性を解析できるようにすること(グライコプロテオミクス)が
ライフサイエンスに残された重要な課題と考えられている(図 1-2-2-2)。
図 1-2-2-2.大規模生命化学研究の変遷
(産総研 成松久氏提供資料)
20
第1章
生体内の糖鎖には、以下のように多様な機能がある。
・ 糖タンパク質の代謝、移送を決定
タンパク質の品質管理
タンパク質分解酵素からの保護
生体内の移送の標識
タンパク質の(水)溶解性向上
・ 細胞間の接着
・ レクチン・ホルモン・増殖因子との結合
(病原菌・ウイルス感染の結合受容体)
さらに細胞表面の糖タンパク質の糖鎖は、細胞の発生、分化、老化に伴い構造が変化する。細
胞の成熟状態や未分化な幹細胞が、神経系、間葉系など分化するリネージ(系譜)も細胞表面
の糖鎖構造に反映される。タンパク質の糖鎖は、機能、細胞の状態を反映することからバイオマ
ーカー(疾患マーカー、分化マーカー、機能マーカーなど)となる資質を有している。
3) 糖タンパク質バイオマーカー
糖タンパク質は、前述のとおりタンパク質の部分が同じであっても糖鎖の構造が異なる糖鎖修
飾異性体が存在する。タンパク質と糖鎖を一体のものとして糖鎖修飾異性体を探索することで特
異性の高いバイオマーカーの開発に応用することができる(図 1-2-2-3)。
図 1-2-2-3.糖タンパク質バイオマーカー開発の基本理念
(産総研 成松久氏提供資料)
21
第1章
① 糖鎖の特異性
タンパク質の糖鎖修飾は、産生される臓器による特異性がある。同じタンパク質であっても修
飾された糖鎖を解析することで、産生臓器の判別が可能となり診断への応用が可能である。
実用化が進められているものとして、アルツハイマー型認知症と特発性正常圧水頭症との鑑
別診断がある。特発性正常圧水頭症の臨床症状はアルツハイマー型認知症と類似しており、CT
画像においても鑑別は困難である。特発性正常圧水頭症は加齢に関わる原因により髄液の流れ
や吸収が妨げられ、脳室に髄液が貯留し脳が圧迫されることで症状が徐々に出現する。認知症
の 10%程度がこの疾患であり、髄液の流れを改善する「髄液シャント術」によって治療が可能で
あるため鑑別診断を行うことは重要である。
認知症患者の脳脊髄液の中の糖タンパク質を解析し、鑑別する疾患によってトランスフェリン
の糖鎖に違いが認められた。血液中のトランスフェリンは主に肝臓で産生され、血液から脳脊髄
に移行する。一方、脳の脈絡叢もトランスフェリンを放出している。どちらのトランスフェリンも、同
じタンパク質でありアミノ酸配列を解析しても区別がつかないが、脳由来と肝臓由来のトランスフ
ェリンでは糖鎖構造が違っており、糖鎖を解析することでアルツハイマー病との鑑別が可能であ
った 6 ) 。
② 疾患糖タンパク質バイオマーカー探索の戦略
産総研 糖鎖医工学研究センターでは、グライコプロテオミクス 基盤技術を基に戦略的にバイ
オマーカー探索を進めている(図 1-2-2-4)。
(1) 診断すべき組織(がん組織)と対象となる組織(非がん組織)の糖鎖遺伝子RNAを抽出し、
発現量を測定、糖鎖遺伝子の発現パターンの比較により病変組織で変化する糖鎖構造を
推定する。
(2) 診断組織の総糖タンパク質、培養細胞の分泌総タンパク質をレクチンマイクロアレイによる
糖鎖プロファイリングを行う。特徴的なレクチンプローブを選択する。
(3) 特徴的な結合するレクチンを用い捕集したマーカー候補糖タンパク質を網羅的に同定する。
(4) バイオインフォマタィクスによる選択
i)
マーカー候補(糖タンパク質)のなかから血清中の量が多いと推定されるものを選択。
ii) 診断する組織と他の組織からマーカー候補の分泌を比較、組織に特異的なものを選択。
iii) レクチンとの結合性が高いNグリカンやOグリカンの多いマーカー候補を優先的に選択。
(5) マーカー候補(糖タンパク質)のウェスタン解析で血清中の量を推測
(6) 選出されたマーカー候補(糖タンパク質)を免疫沈降法で粗精製し、レクチンマイクロアレ
イによるプロファイリングで疾患診断にもっとも特異的なレクチンを選出する。
(7) マーカー(糖タンパク質)に対する抗体を検討(結合力、特異性の向上、作製検討)
(8) 結合力、特異性のある抗体、糖鎖プローブ(レクチン)でマーカー(糖タンパク質)をサンド
イッチする診断キットを開発、100件の臨床試料で検証
(9) 既存診断マーカーとの比較。1,000件以上の多試料で評価
(10) 臨床試料のマーカー(糖タンパク質)は微量であるため、診断組織の培養細胞の分泌す
る糖タンパク質がマーカーと同じレクチン反応性を示すことを確認し、培養細胞から目的の
マーカー(糖タンパク質)を精製しMSn質量分析による糖鎖構造決定を行う。
このような戦略的探索により、肝線維化、胆管がんのマーカーが開発されている。
22
第1章
肝 臓 の 線 維 化 状 態 を 反 映 す る 肝 線 維 化 マ ー カ ー と し て は 、 alpha-1 acid glycoprotein
(AGP)があり、線維化のレベルを鑑別する最適なレクチンが選出された。さらに臨床検体の前
処理に時間を要さないマーカー候補も見出されている。
胆管がんのマーカーでは胆汁中、血清中のマーカーを見出しており、従来の胆汁による癌細
胞検出率 20~30%に比較し、85~90%という高い正診率であることを確認した。
図 1-2-2-4.がんマーカー探索の戦略
(産総研 成松久氏提供資料)
23
第1章
4) 糖鎖研究の今後の開発課糖題鎖
これまで、糖鎖基盤の構築が進められてきたが、技術開発の課題は残されている(表 1-2-2
-1)。
表 1-2-2-1.糖鎖研究の今後の開発課糖題
現状(従来技術の課題)
①質量分析
による糖鎖
構造解析
②糖鎖合成
技術
③糖鎖機能
の解析
④糖鎖バイ
オマーカー
の開発
⑤糖鎖認識
による体内イ
メージング
󲐀󲐀
将来望まれる技術開発
○複雑な糖鎖構造の解析・同定に必要
・糖タンパク質のままでの解析
・タンパク質の糖鎖修飾の位置、糖鎖構造を同時に解
析
・高感度な解析
・不均一に存在する糖鎖、O 型糖鎖の解析
糖鎖をタンパク質から切り離して解析
するため、機能性糖タンパク質として
の情報がえられない。
比較的多量の試料が必要(感度低)
N 型糖鎖は可能となりつつあるが、
O 型糖鎖の解析には課題がある。
ヒト型糖鎖は糖転移酵素を用い少量
であれば多様なものを合成可能
ヒト由来酵素の不安定で大腸菌による
発現では大量に得られない。
○ヒト型糖鎖の大量合成系の確立
・発現系の検討(酵母・複合的な方法)
・低コストで多様な糖鎖を大量に合成する方法の確立
○糖鎖機能のハイスループット解析技術
・糖鎖構造の変化による糖タンパク質の生理機能を網
羅的に捉える技術
(細胞間ネットワークの解明、糖鎖機能をターゲットに
した診断技術、創薬へつながる技術)󲐀
個別的な糖タンパク質の機能解析
(時間・労力を著しく消費)
生体試料中の微量な糖鎖変化を捉え
るため、多量のサンプル
過剰夾雑物の除去(前処理)が必要。
開発された疾患糖鎖マーカーは
主に体外診断。
抗糖鎖プローブの毒性(レクチンの血
球凝集能、異種生物由来の抗原性)
により実験動物の イメージングが限
界。
○疾患に伴う量的・質的変化を同時にモニターする技
術
・微量糖鎖バイオマーカーの高感度検出法・機器の
開発
(低濃度分子の僅かな糖鎖構造の変化を高感度に検
出できれば、疾患初期の質的変化を特異的に捉える
ことも可能になる。)
○非侵襲的なメディカルイメージング
・糖鎖認識による体内イメージング技術の開発
(特定の糖鎖を持った糖タンパク質の直接検出可能
なプローブの開発。体内投与しても副作用が無く、体
内の糖鎖変化を捕らえるヒト型抗体など安全なプロー
ブの開発が重要な開発要素である。)
(産総研 成松久氏提供資料から(財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG 作成)
24
第1章
5) 統合データベース
糖鎖研究の分野は基盤技術が構築されていない段階では遺伝子、タンパク質に比べデータ
ベースの開発も遅れていた。現在、糖鎖基盤技術の構築、糖鎖分析機器の普及によって研究者
の利用できるデータの質が高まり、膨大な糖鎖研究のデータをデータベースにまとめて公開され
ている(表 1-2-2-2)。
2007 年度から 2010 年度の文部科学省 統合データベースプロジェクトでは、国内の大学や研
究機関などにある糖鎖に関連するデータベースの統合が進められている。日本糖鎖科学コンソ
ーシアム(Japan Consortium for Glycobiology and Glycotechnology:JCGG)のデータ
ベース;日本糖鎖科学統合データベース JCGGDB が JCGG 運営委員会、立命館大学、野口研
究所、LipidBank 構築委員会、生化学工業、名古屋大学、名古屋市立大学などの研究者の協
力によって構築された。この統合プロジェクトによって欧米と比較しても幅広い領域を含むデータ
ベースの整備することができた。
表 1-2-2-2.2007 年度から 2010 年度の文部科学省 統合データベースプロジェクト
糖鎖関連遺伝子とその基質特異性のデータベース
レクチンと糖鎖との相互作用のデータベース
(自動化フロンタルアフィニティークロマトグラフィーシステ
ム)
標準糖鎖の MSn スペクトルデータベース
糖タンパク質のデータベース
糖鎖付加位置特異的安定同位体標識法
GGDB
http://riodb.ibase.aist.go.jp/rc
mg/ggdb/
LfDB
http://riodb.ibase.aist.go.jp/rc
mg/glycodb/LectinSearch
GMDB
http://riodb.ibase.aist.go.jp/rc
mg/glycodb/Ms_ResultSearch
GlycoProtDB
http://riodb.ibase.aist.go.jp/rc
mg/glycodb/Glc_ResultSearch
((財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG 作成)
4 つのデータベースは産総研が開発した技術をもとに各種の試料を計測しデータベース化し
たものである。
国内のデータベースの統合や連携を図りながら、実験データだけでは足りない情報を論文な
どから収集し、糖鎖と関連する分野のデータベースを増やしてきた。
それぞれのデータベースはキーワードや糖鎖構造で横断的に検索できる。糖鎖構造の入力で
は米国 CFG コンソーシアム(Consortium for Functional Glycomics)の単糖シンボルによ
る構造入力、また化合物構造式での入力が可能である。
糖鎖を解析したい専門外の研究者が、糖鎖修飾された脂質やタンパク質を解析できるよう実
験プロトコールのデータベース GlycoPOD が公開されている。
さらに 2011 年度からは科学技術振興機構 統合データベースプロジェクト 統合化推進プログ
ラムで 立命館大学(糖鎖生物学の知識ベースや抗糖鎖抗体の多く情報を保有)、野口研究所
(糖鎖の有機合成)、理化学研究所(糖鎖有機合成)が協力し、さらなる統合を推進している。
25
第1章
【参考資料】
1)
向井有理 産総研 TODAY Vol.3(2003) No.10 p16
糖転移酵素の膜貫通領域判別
http://www.aist.go.jp/aist_j/aistinfo/aist_today/vol03_10/vol03_10_p16.pdf
2)
西村伸一郎 産総研 TODAY vol06 (2006) No. p22-23
酵素連続反応による糖鎖自動合成
http://www.aist.go.jp/aist_j/aistinfo/aist_today/vol06_02/vol06_02_p22_p23.pdf
3)
亀山 昭彦他 糖鎖医工学研究センター
http://www.aist.go.jp/aist_j/aistinfo/aist_today/vol08_11/special2/p10.html
4)
成松久 他 産総研TODAY, 6(1), 18-21(2006).
http://www.aist.go.jp/aist_j/aistinfo/aist_today/vol06_01/vol06_01_topics/vol0
6_01_topics.html
5)
糖鎖医工学研究センター
http://www.aist.go.jp/aist_j/aistinfo/aist_today/vol08_11/vol08_11_full.pdf
6)
「糖鎖機能活用技術開発」(事後評価)第1回分科会 公開資料6-2
平成23年7月15日
http://www.nedo.go.jp/content/100187166.pdf
7)
我が国のデータベース構築・統合戦略シリーズ 第7回
鹿内俊秀,成松久「糖鎖科学統合データベース」
http://events.biosciencedbc.jp/article/07
26
第1章
1-2-3. スーパーコンピュータ「京」
独立行政法人理化学研 究所(理研)と 富士通株 式会社は、共同で、文部 科学省が推進する
「革新的ハイパフォーマンス・コンピューティング・インフラストラクチャ(HPCI)の構築」計画の下、
2012 年 6 月末の完成を目指してスーパーコンピュータ「京」の開発を進めてきた。「京(けい)」は、
高性能・低消費電力の CPU や超大規模構成を可能とするネットワークなど、数々の先端技術を
結集して高性能・高信頼を追求したスーパーコンピュータである。2010 年 9 月末から搬入を開始
し、2011 年 8 月末に 864 筐体全ての搬入・据付が完了した。スーパーコンピュータの性能ランキ
ング「TOP500」では、2011 年 6 月、2011 年 11 月と世界第 1 位を 2 期連続で獲得するとともに、
「HPC チャレンジ賞」 4 部門全てでの首位獲得、ゴードン・ベル賞受賞などを果たし、実アプリケ
ーションでも高い性能を実現できることを示した。
「京」は、広く国内外の研究者、技術者の利用に供することを念頭に、高い演算性能と幅広い
範囲のアプリケーションに対応できる汎用性を兼ね備えたスーパーコンピュータである。特に、
2011 年の秋以降は、大規模システム環境下におけるオペレーティングシステム(OS)、ジョブマ
ネージャ、並列化ライブラリなどシステムソフトウェアの整備・調整を行ってきた。並行して、国が
戦略的に重要と定める分野で画期的な成果を早期に創出するため、「グランドチャレンジアプリ
ケーションの研究開発」や「戦略プログラム」に参加している研究者に対し、「京」の一部を試験利
用環境として提供してきた。2012 年 6 月 29 日、ユーザの利便性やハードウェア性能を最大限に
引き出す機能を備えたシステムソフトウェアが整い、「京」全体の動作確認を終了し、完成した 1 ) 。
その後状況として、2012 年 9 月にスーパーコンピュータ「京」は、本格稼働した。企業などの関
心は高く、産業利用枠の利用研究課題として 25 件が採択された。「京」の能力の 5%を割り当て
られた産業利用枠に名乗り上げた企業の業種は、自動車メーカー、ゼネコン、化学など幅広い。
住友ゴム工業は、タイヤ用のゴム素材を分子・ナノレベルの構造から分析し、低燃費性能や摩
擦性能をシミュレーション素材設計に役立てる。神戸製鋼グループで総合試験や研究支援事業
を手掛けるコベルコ科研(兵庫県神戸市)は、次世代リチウムイオン電池の性能を向上させるた
めのシミュレーションに「京」を活用する。同社から、現在の分析技術では難しい材料の劣化メカ
ニズムを検証できるとコメントがあった。竹中工務店は、地震時に建物と地盤の強度を同時に計
算する。基礎のくいの本数や埋める深さなどを科学的に明らかにするのが狙い。
製薬会社では、第一三共、大日本住友製薬、武田薬品工業が提案した課題が採択され、第
一三共からは、有望な新薬候補を選び出す期間(通常 3 年程度)を「京」を使うことで作業の効率
を高め、その期間を短縮するとのコメントがあった。
理研計算科学研究機構 平尾機構長は、高度情報科学研究機構(RIST)、FOUCUS(民間
企業などが利用できる小型スーパーコンピュータ)は、「京」と産業界とつなぐ接着剤の役割を果
たし、3 者が連携し、産業利用が盛んになるように努力したいとコメントしている。「京」が産業利
用に向く点は、いかなる分野のソフトウエアを走らせても 1 ペタ FLOPS のスピードという最高の
パフォーマンスを提供できるのが、「京」の開発理念である。最高速度の 10 ペタの「京」にとって
の 10 分の 1 だが、汎用性が高い。世界を見るとスピードは速いが、実は特定のアルゴリズム(演
算方法)しか使えないマシンが多いと述べた 2 ) 。
27
第1章
「京」の産業利用における利用方法の種類としては、①トライアル・ユース(無償、利用は 3 か
月、随時受付)、②実証利用(無償、利用は年度単位、成果報告書により公開)、③個別利用(有
償、利用は年度単位、成果非公開)がある。利用費用の詳細は、トライアル・ユースでは、無償で
あるが、最大 5 万ノード・時間積の制限があり、実証利用では、原則無料であり、個別利用では、
12.68 円/ノード・時間で、実費負担金としては、定額分はないが、従量分は、個別利用の内容や
利用量に応じて算定する 3 ) (ノード(node)とは、e‐Words よりネットワークを構成する一つ一つ
の要素のことで、通信ネットワークでは、コンピュータやハブ、ルータなどの一台一台の通信機器
がノードにあたるが、「京」では、一つの CPU に 8 個のコア(計算を受け持つ最小単位)が搭載さ
れていて、計算速度 8×16 ギガ FLOPS で、この一つの CPU をノードとする)。
「京」は、スーパーコンピュータの総合的な性能を評価する HPC チャレンジベンチマークの実
測結果により、2012 年「HPC チャレンジ賞」の 4 部門中 3 部門で第 1 位を獲得した。米国・ソル
トレークシティで開催された HPC(ハイパフォーマンス・コンピューティング:高性能計算技術)に
関する国際会議「SC12」で現地時間 11 月 13 日発表された。HPC チャレンジ賞で第 1 位を獲
得したのは、(1)大規模な連立 1 次方程式を解く演算速度 (2)多重負荷時のメモリアクセス速度
(3)高速フーリエ変換の総合性能 の 3 部門で、京は、昨年の 4 部門第 1 位に引き続き汎用スパ
コンとしての総合的な性能において高い評価を得たことになる。残りの並列プロセス間でのランダ
ムメモリアクセス性能は、IBM のスーパーコンピュータに次ぐ 2 位だった 4 ) 。
「TOP500」では、2012 年 6 月には、米国 IBM 社製「セコイア」ローレンス・リバモア国立研究
所(米国)が 1 位となり、「京」は、2 位となった。2012 年 11 月には、米国クレイ社製「タイタン」オ
ークリッジ国立研究所(米国)が 2012 年 6 月の 6 位から 1 位となり、「京」は、2012 年 6 月 3 位
となった。
筑波大学、理化学研究所、東京工業大学は、2012 年 11 月、「京」を使用した研究成果が、米
国計算機学会のゴードン・ベル賞の最高性能賞を受賞したと発表した。宇宙空間を埋め尽くす
謎の暗黒物質(ダークマター)約 2 兆個が、137 億年前の宇宙誕生からどう動くかをシミュレーシ
ョンした 5 ) 。
「京」の構成は、88,828個のCPUをもち、一つのCPUに8個のコアで搭載されている。それら
が合わさって1京/秒つまり1兆の一万倍もの回数の演算をするものである。現在主流のスーパー
コンピュータの数百倍の計算能力がある。「京」は理研の登録商標で、10ペタ(10の16乗)を表
す万進法の単位である。
「京」の「戦略プログラム」とは、2011 年度~2015 年度で文部科学省が進めている事業。スー
パーコンピュータ「京」の計算機資源を必要とし、かつ、社会的・学術的に大きなブレークスルー
が期待できる分野(戦略分野)ごとに、「京」を中核とする HPCI を用いた研究開発及びわが国の
計算科学技術体制の整備を行う。
各戦略分野及び事業を中核的に実施する戦略機関は、以下のとおりである(表 1-2-3-1)。
28
第1章
表 1-2-3-1.各戦略分野及び事業を中核的に実施する戦略機関
戦略分野
戦略機関
分野 1
分野 2
予測する生命科学・医療および創薬
基盤
新物質・エネルギー創成
分野 3
分野 4
防災・減災に資する地球変動予測
次世代ものづくり
分野 5
物質と宇宙の起源と構造
理化学研究所
東京大学物性研究所、自然科学研究機構分子科学
研究所、東北大学金属材料研究所
海洋研究開発機構
東京大学生産技術研究所、日本原子力研究機構、
宇宙航空研究開発機構
筑波大学計算科学研究センター、高エネルギー加
速器研究機構、自然科学研究機構国立天文台
(理研、富士通 2012 年 7 月 2 日プレスリリース スーパーコンピュータ「京」が完成より記載)
戦略 5 分野の分野 1 は、「予測する生命科学・医療および創薬基盤」であるが、分野 1 のめざ
すものは、統括責任者である柳田敏雄によると、「きわめて複雑な生命を研究対象に「京」を用い、
生命を理解し、予測する。さらに、生命に潜む法則を見出す。」である。
計算生命科学の数理モデルにおいて、ゲノム領域では、全ゲノム関連解析、メタゲノム、比較
ゲノム解析があり、生体分子領域では、分子動力学計算、量子化学計算、自由エネルギー計算
がある。細胞のシステムバイオロジー領域では、反応ネットワークデータベース、反応速度論、反
応拡散方式、化学マスター方程式、ブラウン動力学法、化学量論解析があり、組織、器官領域で
は、マルチスケールシミュレーション解析がある。
計算生命科学のめざすものは、Equal Collaboration である。つまり計算生命科学と実験生
命科学との均衡ある連携を確立するものである 6 ) 。
研究開発課題は 4 つあり、1)細胞内分子ダイナミクスのシミュレーション、2)創薬応用シミュレ
ーション、3)予測医療に向けた階層統合シミュレーション、4)大規模生命データ解析である 7 ) 。
1) 細胞内分子ダイナミクスのシミュレーションは、タンパク質や核酸、脂質二重膜などの分子
動力学計算は、現在でも盛んに行われている。しかし、計算機の演算性能の限界により、
溶液中や脂質二重膜中での単一タンパク質の計算を行っているにすぎない。生命現象の
理解 、予 測を 実現 してい くには、分 子レベルの 計 算と システムズバ イオ ロジーを融合 し、
「細胞まるごと」を理解することが必要不可欠である。本研究課題は「細胞まるごとシミュレ
ーション」に至る必要なステップとして「細胞環境を強く意識した分子および細胞スケール
シミュレーション(細胞内分子ダイナミクス)」を行う。この研究の特徴は、①「京」の数十万
CPUcore を利用した大規模シミュレーションを実施すること、②細胞内のタンパク質の運
動を観て、計測データと直接比較することで新しい生命現象の理解と予測を行うこと、③膜
タンパク質の動態の理解から阻害剤の開発などの創薬に繋がるシミュレーションや疾患と
細胞内でのタンパク質動態の関係(ガンやアルツハイマー病など) など創薬・医療への展
開も考慮していること、である。
2) 創薬応用シミュレーションは、超並列アルゴリズムを用いた分子動力学シミュレーションで、
タンパク質とリガンドの結合自由エネルギーを高精度に計算できる可能性が出て来た。ここ
で は 、 「 京 」 の 計 算 能 力 を フ ルに 活 用 し て 、創 薬 プ ロ セ ス を 革 新 す る 新 し い Computer
Aided Drug Design (CADD)技術の確立を目指す。新しい治療薬が待望されている病
29
第1章
気の標的タンパク質に対する薬候補化合物をこの新技術を用いて設計して実際の薬開発
における有用性を検証する。
3) 予測医療に向けた階層統合シミュレーションは、深刻な後遺症をもたらし得る心疾患・脳血
管疾患および、運動機能障害をもたらす神経疾患等を対象とし、これまで別々に開発を進
めてきた血栓症シミュレータ、心臓シミュレータ、筋骨格シミュレータ、脳神経系シミュレー
タの統合により、それぞれの疾患に対する血球細胞・心筋細胞・筋繊維・神経細胞レベル
からの複雑なプロセスを取り込み、病態の予測と治療支援、薬効の評価などを行なう筋骨
格-神経-循環器系統合シミュレータを開発し、計算を実施する。具体的には、サブテー
マとして(A) 心筋梗塞・脳梗塞のマルチスケールシミュレーション、(B) 心疾患の治療法・
薬効評価のためのマルチスケール・マルチフィジックス心臓シミュレーション、(C) 神経疾
患による運動機能障害解明のための全身筋骨格-神経系統合シミュレーションを実行して
いく。さらに、人の運動機能や心臓を始めとした循環器系の機能に大きな影響を与える神
経系を軸として、上記の 3 つのシミュレータの統合を進める。
4) 大規模生命データ解析は、ゲノムを基軸とした大規模生命データ解析により生命プログラ
ムとその多様性を理解する。最先端のシークエンサーの登場により、ゲノムの DNA 配列だ
けでなく、DNA の修飾状態、DNA のコピー数、機能性 RNA を含む転写産物を超高速・
低コストで網羅的に解析できるようになった。このため、メタゲノム解析や脊椎動物 10K プ
ロジェクトなど地球規模でゲノム解析が進行し、人類はパーソナルゲノム時代を迎えようと
している。加えて、様々の最先端計測技術が生命システムデータの精緻化・大規模化を加
速している。しかし、その背後にある生命システムの設計原理は、最も明らかになっている
遺伝継承の原理を除き、転写制御ネットワークやシグナル伝達ネットワークなどについては
多くの生物学的知見が蓄積されてはいるが、あまり明らかではない。そのため、物理モデ
ルを高度に並列化するというアプローチではなく、大規模データ解析という方法論が有効
である。こうした背景のもと、本研究開発課題の目標を達成するために、京コンピュータに
最適化した最先端・大規模シークエンスデータ解析基盤を整備した上で、生命プログラム
の複雑性・多様性や進化をゲノムによって理解する研究と同時に、ゲノムを基軸とした生体
分子ネットワーク解析研究を行う。
戦略分野 1 の平成 23 年度の研究成果は、報告済みであるので、参照されたい 8 ) 。戦略分野 2
~5 については、本報告書の趣旨を考え触れなかった。
現政権、安倍晋三首相は、2013 年 1 月神戸市の理化学研究所でスーパーコンピュータ「京」
の研究施設を視察し、成長戦略の柱として科学技術開発を支援していく考えを示し、「やっぱり
世界一を目指さないとダメ」とのコメントを出した。2013 年度予算の科学技術関連予算の「京」に
関する部分に予想することができ、今後の「京」の具体的成果に反映することを期待する。
スーパーコンピュータ「京」の医薬分野への応用の最近の話題として、理研生命システム研究
センター泰地らは、分子動力学シミュレーションを創薬分野へ応用する研究は活発に行われるよ
うになり、高精度にタンパク質―薬剤間の結合親和性を予測できる MP-CAFEE 法等はその代
表的なもので、「京」の利用により、実用的な計算方法になると期待していると述べ、さらに実行
効率・並列性能に優れた「京」をきっかけに、計算分子設計と生化学的実験が円滑に連携されれ
ば、難病治療薬を開発することも現実のものとなるだろうと述べている 9 ) 。
30
第1章
報告書発行前に平成 25 年度後期の「京」を含む HPCI 共用計算資源の利用研究課題の追
加募集が実施されることになったので紹介する。
そのスケジュールは、課題申請書受付開始 2013 年 4 月 8 日、課題申請書受付締切 2013 年
5 月 28 日、課題実施期間 2013 年 10 月 1 日~2014 年 3 月 31 日となっているので、詳細は
下記資料を参照されたい 1 0 ) 。
【参考資料】
1)
http://pr.fujitsu.com/jp/news/2012/07/2.html
2)
2012年9月18日、11月28日日本経済新聞
3)
https://www.hpci-office.jp/guide/use.html
4)
http://pr.fujitsu.com/jp/news/2012/11/14-1.html
5)
2012年9月22日、11月13日、15日、17日日本経済新聞
6)
(財)ヒューマンサイエンス振興財団開発振興委員会勉強会2012年2月10日非公開
7)
http://www.kobe.riken.jp/stpr1-life/overview/index.html
8)
http://www.kobe.riken.jp/stpr1-life/achievement/index.html
9)
泰地真弘人他:スーパーコンピュータ「京」の医薬分野への応用 ファルマシア Vol.48,
No.12,1171-1175(2012)
10) https://www.hpci-office.jp/invite2/invite-2013/
31
第1章
1-2-4.ゲノムコホート研究とバイオバンク
1) はじめに
コホート研究とは調査開始時に固定した集団を一定期間追跡し、環境や生活習慣等の様々
な要因と疾患発生の関連を調べる観察的研究である。少子高齢化が急激に進む日本では、予
防医学を強力に進めることが強く求められている。65 歳以上の高齢者の割合は、2030 年には
人口の 30%を超えると予想され(厚生労働統計 2012)、医療費を含めた社会保障制度の破た
んが危惧されている。これを回避するためには、病気の予兆をとらえ、重篤な疾患に進展する前
に適切な処置や投薬等で支障のない日常生活や社会生活を維持することが出来るようにする
予防医療・先制医療が必要と考えられる。現在までのコホート研究で遺伝子との相互関係を解
析した研究では、糖尿病や高血圧等の生活習慣病や認知症等の高齢者に多く発症する疾患
は、環境、生活習慣や複数の遺伝的変異の影響を複雑に受ける多因子疾患である事が証明さ
れてきた。その要因を特定して有効な診断方法や治療方法、さらに予防法を研究するためには、
患者だけを対象とした研究では困難であり、比較対象となる大規模な健常者集団の精緻で長
期間の観察データを基盤とする前向きの大規模コホート研究の推進が不可欠である。特に環境
と遺伝子要因との関係を明らかにするためには、近年急速に進歩している高速シークエンサー
によるゲノム解析をはじめ、生命科学分野の多彩なタンパク質(プロテオーム)や代謝物(メタボ
ローム)等の統合的な解析を組み込んだゲノムコホート研究が可能となっており、日本でも複数
のゲノムコホート研究が計画又は実施されている。
しかし、大規模で長期のゲノムコホート研究を実施していくには、日本の予防医学の国民理
解の遅れや保険医療システムの不備が指摘されており、2012 年 8 月に日本学術会議は大規
模ゲノムコホート研究を強力に推進するため、「ヒト生命情報統合研究の拠点構築 ―国民の健
康の礎となる大規模コホート研究―」と題する提言を行っている。この提言については序章に概
略を記載しているので参照されたい。
2) 疾患ゲノムコホート研究と住民(健常人)ゲノムコホート研究
コホート研究のうち、まず正確な診断によって確定した特定の疾患の患者群を集めて、その
患者群で高頻度に検出される遺伝子変異を探すことにより、疾患感受性遺伝子を同定しようと
したり、血圧や血液バイオマーカー等の表現型と関連する遺伝子を探したりする研究が疾患ゲ
ノムコホート研究である。この疾患ゲノムコホート研究は、既に病気になった人を振り返って解析
する「後ろ向きの研究」である。過去の生活習慣等の情報は前もって考えた仮説に基づき収集
されるが、患者が健康であった時まで遡って臨床情報や環境、生活習慣情報を収集するには
限界がある。
一方、住民ゲノムコホート研究では、健常な人の集団を登録し、その人たちのゲノム情報を含
む医学的情報や環境、生活習慣等の情報を、仮説を立てずにすべて収集しながら、20 年以上
にわたって追跡するコホート研究である。登録された人たちがどのような疾患を発症し、どのよう
な治療を受け、どのような反応をしたかを「前向きに研究」する点が疾患ゲノムコホート研究とは
異なる。
研究が「前向き」か「後ろ向き」かによって対象者からの同意取得の内容が異なることを理解
することがコホート研究を推進するうえで重要である。後ろ向きの疾患ゲノムコホート研究では対
32
第1章
象者から DNA 等の生体試料を得るときに、その生体試料で特定の疾患と類似の病気を解析す
ることを明確にした上で同意を得ることになる。一方、前向きの健康な住民を対象とした住民ゲ
ノムコホート研究ではどのような疾患の研究に繋がるか研究開始時点では予測できない。また、
ゲノム解析をはじめとした分析技術は急速に進歩しており、新しい解析方法を積極的に取り込
んでいくことが必要である。従って、この場合には対象者から包括的な同意を得ておくことが必
須となる。
しかしながら、昨今の研究に関する同意のあり方に関しては、倫理問題の専門家から「包括
同意」という文言には否定的な見解が多く出されており、「研究の透明性、倫理性」に関する従
来の法的な拘束力のない「ガイドライン」から、「遺伝子差別禁止法」にあたる法制化の必要性も
指摘されている。
このような環境のもとでは、医療情報や遺伝子情報などの重要性と公的な意味合いを十分に
配慮した体制作りが重要であると考えられている。
3) 日本のゲノムコホート研究
日本で行われたコホート研究としては、1947 年から始められた放射線影響研究所による広
島・長崎の被爆者を対象とした生涯にわたる健康影響調査研究 1 ) が挙げられる。約 9 万 4 千人
の被爆者と約 2 万 7 千人の非被爆者からなる 12 万人を固定集団として、主に原爆放射線が死
因やがん発生に与える長期的影響を調査している。最近では被爆者のがん病理組織の分子生
物学的解析も行われている。また、1961 年には福岡県久山町の地域住民を対象とした脳卒中
の疫学実態調査研究 2 ) が始められた。1961 年からの第 1 集団(1,618 名、剖検率 80%)のデ
ータでは脳出血による死亡率が脳梗塞のわずか 1.1 倍であり、それまでの 12.4 倍という死亡診
断書による集計結果の誤りを正した。久山町コホート研究では 5 年ごとに 40 歳以上の住民を対
象にした新しい集団を設定して、生活習慣の移り変わりなどの影響も追跡している。2002 年に
設定した集団(3,772 名)からは、遺伝子解析(SNPs)も加えており、ゲノムコホート研究として
継続されている。
2000 年代になり、日本国内では様々なゲノムコホート研究が実施されるようになった。主なゲ
ノムコホート研究としては表 1-2-4-1 に示したコホート研究がある。以下に 3 つコホート研究
について概略を示した。
33
第1章
表 1-2-4-1.日本の主なゲノムコホートとバイオバンク
規模/目的
大規模/
多目的
小規模/
特定目的
(特定疾患)
住民ゲノムコホート
東北メディカル・メガバンク
東北大学
2013 年~/被災住民 8 万人、こども 3 世代
7 万人
次世代多目的コホート研究
(JPHC-NEXT)
国立がん研究センター
2011 年~/10 万人
多施設共同コホート研究(J-MICC 研究) 3 )
2005 年~/8 万人、
愛知がんセンター・名大
山形分子疫学コホート 4 )
2002 年~/9,100 人
鶴岡みらい健康調査 5 )
(メタボロームコホート研究)
2012 年~/1 万人
久山町コホート研究
追跡率 99%、剖検率 80%
8,000 人/50 年歴史
滋賀県ながはま 0 次予防コホート 6 )
2006 年~/1 万人
患者ゲノムコホート
オーダーメイド医療実現化プロジェクト
(バイオバンク・ジャパン)
・東京大学医科学研究所・理化学研究所
2003 年~/20 万人
47 疾患 12 医療機関
ナショナルセンターバンクネットワーク
(NCBN)プロジェクト
・国立がん研究センター
・国立循環器病研究センター
・国立精神・神経医療研究センター
・国立長寿医療研究センター
・国立国際医療研究センター
・国立成育医療研究センター
2010 年~/
難病研究資源バンク
・医薬基盤研究所
2009 年~/
((財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG 作成)
① 東北メディカル・メガバンク(ToMMo) 7 )
東日本大震災からの復興を目指して計画された大規模な住民コホート研究。被災地における
医療の再生と医療機関の復興にあわせて、被災地を中心とした大規模なゲノムコホート研究を
行うことにより、地域医療への貢献と次世代医療体制(予防医療、個別化医療等)の構築を目指
している。宮城県と岩手県の住民を対象に、15 万人から試料と情報が収集される。事業内容は、
大規模ゲノムコホート研究の実施と医療情報ネットワーク構築を柱に、バイオバンク・ジャパンや
既存のコホート研究との連携を視野に入れた活動が計画されている。保管された試料と情報は、
必要な審査手続きを経て希望する外部研究者にも提供される予定である。実施期間は当面 10
年間を予定している。
② 次世代多目的コホート研究(JPHC-NEXT Study) 8 )
生活習慣・環境と発がんなど生活習慣病発生の関連を検討し、日本のがん予防のための科
学的根拠を提示する目的で、約 14 万人の地域住民を対象にした長期追跡調査である「多目的
コホート研究(JPHC Study)」 9 ) が 1990 年より開始された。研究対象は、全国の 29 市町村在
住の住民で、血液試料、健康診断データの収集と併せ生活習慣や健康状況などに関するアン
ケート調査を実施した。また、5 年後と 10 年後に、同様な調査を繰り返し、さらに 30 年の予定で
追跡を継続中である。その間、生活習慣の変化などに関する情報を加えながら、研究対象者の
死亡、異動、がんや脳卒中、心筋梗塞などの病気の発生状況を把握し、両者の関連について
の解析を進めている。
しかし、戦後、日本人の生活習慣は大きく変わってきており、これまでの研究では解決しない
34
第1章
問題がまだ数多く残されている。さらに、最近の研究手法や解析技術の急速な進歩により、ゲノ
ムや血液などから生活習慣病の予防・治療に役立つ様々な情報が得られるようになったことか
ら、2011 年に新たに次世代多目的コホート研究(JPHC-NEXT Study)が立ち上げられた。
対象地域は連携地域も含めて全国 6 地域、10 万人以上の登録を目指している。また、解析項
目としてゲノム、エピゲノム、プロテオーム等を計画している。
③ オーダーメイド医療実現化プロジェクト(バイオバンク・ジャパン) 1 0 )
様々な疾患の患者から血清等の生体試料を収集し、SNPs解析により発症原因や治療成績
に関連する遺伝子を探索することを目的として計画された。2003 年~2007 年を第 1 期、2012
年までの第 2 期が実施された。2013 年 1 月時点で、登録者は約 20 万人、登録症例数の多い
疾患は、高脂血症、糖尿病、白内障、不整脈、脳梗塞等である。また、がん領域では大腸・直
腸がん、胃がん、乳がん、前立腺がん、肺がん、肝がん、造血器腫瘍、食道がん等である。成果
としてはこれまでに疾患関連遺伝子 241、薬剤関連遺伝子 22 を新たに同定している。
また、このプロジェクトでは開始時より ELSI 委員会(Ethical, Legal and Social Issues
(倫理的、法的、社会的問題)委員会)を組織して、必要に応じて助言できる体制を構築した。
主な活動として、試料と臨床情報の収集にあたる協力機関において同意取得の手続きと個人
情報保護が適切に行われているか確認すること、死亡診断書の記載情報をプロジェクトで改修
できるかの議論したこと、事前に試料の利用目的を特定せずに同意を取得する包括同意のあり
方を議論したこと等があった。
4) 大規模ゲノムコホート研究(内閣府) 1 1 )
2010 年 6 月に閣議決定された新成長戦略で示された「ライフ・イノベーションによる健康大国
実現」のため、総合科学技術会議では「平成 23 年度科学・技術重要施策アクション・プラン」の
ための施策として「ゲノムコホート研究と医療情報の統合による予防法の開発」を推進することが
計画された。20 年間の住民ゲノムコホート研究で、大目標の「予防医学の推進による難治性疾
患の罹患率の低下」と推進目標(表 1-2-4-2)を達成するため、最終的には、10 万人規模
のコホートを 10 カ所程度の地域の研究拠点で分担して進めることで 100 万人規模のコホート
研究を実現する。このコホートの規模は、心筋梗塞、脳卒中やがん等の主要な疾患患者が 10
年間で 1 万人集積できる規模として想定されている。すでにゲノムコホート研究のパイロットプロ
ジェクトである「大規模分子疫学コホート研究の推進と統合」 1 2 ) がスタートしている。これにより、
大規模分子疫学コホート研究を推進する上で重要となる、大規模分子疫学コホート研究のコン
ソーシアム構築と統合のノウハウを開発することを目指している。
35
第1章
表 1-2-4-2.大規模ゲノムコホート研究の目標
大目標
予防医学の推進による難治性疾患の罹患率の低下
第 1 期推進目標
・大規模ゲノムコホート推進体制の完成とバンキング事業の実施
・横断的解析からの疾患関連マーカーの同定
・疾患に関わる遺伝・環境因子の同定と相互作用の解明
第 2 期推進目標
・大規模ゲノムコホート体制によるバンキング事業の継続
・横断的解析からの新規疾患バイオマーカーの意義付けと臨床応用
・介入研究による罹患率低下のための予防医学の実践
((財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG 作成)
5) バイオバンク
ゲノムコホート研究では、数多くの健常人や患者の生体試料と個人情報が収集され、厳格な
ガバナンスで保管・維持・管理されるバイオバンクが形成される。生体試料には、DNA、血液、
髄液、尿、病理凍結組織、病理組織パラフィン切片、生検組織、胎盤、臍帯血等が含まれる。ま
た、個人情報には環境、医療、家系等の情報が含まれる。上記のゲノムコホート研究でもそれぞ
れにバイオバンクが構築されている。下記に病因・病態の研究、バイオマーカーや診断法開発
に役立つと思われる 2 つのバイオバンクを紹介した。
① ナショナルセンターバンクネットワーク(NCBN)プロジェクト 1 3 )
厚生労働省関連の 6 つのナショナルセンター(NC)は、主要な疾患を網羅し、国民の健康を
守るために疾患原因の解明と治療法の開発を目指す医療研究機関である。NCBN プロジェク
トではこれらの NC が率先して共同のバイオバンク構築に取り組み、NC との幅広い共同研究等
を通じてバイオリソースを産学官連携して活用できるような仕組み作りを目指している。NCBN
は、ネットワーク型の組織形態で運営され、各々の NCBN の自立性を考慮した上で実効性の
高い持続的な研究支援活動を行うために、中央情報データベース管理などの専門家組織を含
む中央バイオバンクと事務局を設置して、多施設協力体制でのバイオリソースの収集・活用を推
進している。表 1-2-4-3 に各 NC が収集している生体試料と主軸研究事例を示した。
36
第1章
表 1-2-4-3.NCBN における各 NC の役割
ナショナルセンター
がん研究センター
循環器病研究センター
精神・神経医療研究センター
精神・神経医療研究センター
収集する主な生体試料
主軸研究(例)
血液、病理凍結組織・パラフィ
がんの基礎・臨床・公衆衛生・
ン切片、DNA など
政策関連研究
血液、尿、病理組織パラフィン
NCVC 病院コホート、トランス
ブロックなど
レーショナル・リサーチ
筋レポジトリー、剖検脳、血
精 神/ 神 経 疾患 、 筋 疾 患、 発
液、髄液など
達障害の病因・病態研究
血液、生検組織、DNA など
感染症、代謝性疾患、免疫異
常症におけるバイオマーカ
ー・診断法の開発
成育医療研究センター
長寿医療研究センター
胎盤・肝組織、患者由来細
小児難治性疾患の病態解明
胞、臍帯血など
研究、出生コホート
血液、DNA、髄液など
認知症 、老 化による 身体 脆弱
性・運動器疾患に関する研究
((財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG 作成)
② 難病研究資源バンク 1 4 )
1972 年に特定疾患調査研究事業が開始され、2003 年からは難治性疾患克服研究事業に
改称して実施されている。難治性疾患克服研究事業では、難治性疾患(難病)の患者の QOL
向上を図ることを目的として、難病研究の推進を図っている。難病は約 7,000 疾患あるとされ、
多くは希少性疾患(国内の患者数が 5 万人未満)であり、現在、130 疾患で研究班が設置され
て研究が進められている。難病の研究においては、患者の生体試料(血液、細胞、DNA 等)と
その試料情報(医療情報等)が取集されて管理・保管されている。そこで、難治性疾患克服研
究事業の一環として、収集研究班によって収集された試料と情報を集中化して管理する「難病
研究資源バンク」(「難病バンク」)が、医薬基盤研究所に設立された。引き続き収集研究班・医
療機関と協力して、患者の試料と情報を幅広く収集しながら、難病研究資源として研究者に公
正に分譲して難病研究の推進に利用されている。これまでに患者約 600 名分、1,000 検体を超
える試料が収集されている。2013 年 3 月現在、研究者に分譲可能な試料(ゲノム DNA、血清
又は血漿)の原因疾患を表 1-2-4-4 に示した。
表 1-2-4-4.難病研究資源バンクで分譲可能な組織の原因疾患
HTLV-1 関連脊髄症
HTLV-1 感染症(未発病)
ケネディ病(球脊髄性筋萎縮
症)
原発性アルドステロン症
原発性アルドステロン症
(特発性アルドステロン症)
原発性アルドステロン症
(アルドステロン産生腫瘍)
クッシング症候群
サブクリニカルクッシング症候
群
褐色細胞腫
褐色細胞腫(両側副腎)
悪性褐色細胞腫
悪性褐色細胞腫(副腎)
非機能性副腎腫瘍
網膜色素変性症
錐体ジストロフィー
網膜色素変性症(非定型)
クリスタリン網膜症
(医薬基盤研 難病研究資源バンク資料 1 4 ) をもとに
(財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG で作成)
37
第1章
6) おわりに
日本国内でも 1 万人程度から 10 万人を超える規模の様々なゲノムコホート研究が実施され
ている。更に 100 万人規模のゲノムコホート研究が計画されている。今後はこれら複数のゲノム
コホート研究の連携が重要となる。複数のコホート研究の試料や情報を総合的に解析するには、
研究デザイン、試料の採取法・処理法・保管法・分析法・品質管理法、研究のガバナンス等が
共通していなければならず、これらの標準化が課題である。また、ゲノムコホートコホート研究で
は個々人のゲノム情報を疫学的な研究に活かそうとするものであるが、日本ではゲノム情報を
「究極の個人情報」として特別視する傾向がある。遺伝子型は生涯不変で高い確率で個人の特
定が可能なために「究極」と言われるのかもしれないが、実際の意味と根拠は明確ではない。ゲ
ノム情報は、その本人の既往歴、家族歴や感染状況等と同様の医療情報である個人情報として、
適切なガバナンスの基で収集・利用されるべき情報であり、ゲノムコホート研究に対する国民の
理解が必要である。
ゲノムコホート研究は、高齢化を迎えた日本で予防医療を推進するために極めて重要な基盤
的研究である。しかし、コホート研究では 10 年程度はデータ収集期間で、その成果が実際に応
用可能となるには 20 年を超える息の長い研究が続けられなければならない。次世代の保健医
療の姿を見据えて、ゲノム情報に関する国民理解の醸成等も含めた国家レベルの取り組みが
強く求められている。
【参考資料】
1)
健康影響調査研究; http://www.rerf.or.jp/radefx/index.html
2)
久山町コホート研究; http://www.med.kyushu-u.ac.jp/envmed/index.html
3)
多施設共同コホート研究; http://jmicc.com/
4)
山形分子疫学コホート; http://gcoe.id.yamagata-u.ac.jp/index.html
5)
鶴岡みらい健康調査; http://tsuruoka-mirai.net/
6)
滋賀県ながはま0次予防コホート;
http://www.city.nagahama.shiga.jp/index.cfm/9,3709,19,158,html
7)
東北メディカル・メガバンク; http://www.megabank.tohoku.ac.jp/
8)
次世代多目的コホート研究; http://epi.ncc.go.jp/jphcnext/
9)
多目的コホート研究; http://epi.ncc.go.jp/jphc/
10) オーダーメイド医療実現化プロジェクト; http://biobankjp.org/index.html
11) 大規模ゲノムコホート研究(内閣府);
http://www8.cao.go.jp/cstp/budget/aptf/life4/siryo2.pdf
12) 大規模分子疫学コホート研究の推進と統合;
http://www.jst.go.jp/shincho/program/kadai/genomcohort_h23_01.html
13) ナショナルセンターバンクネットワーク; http://www.ncbiobank.org/
14) 難病研究資源バンク; http://raredis.nibio.go.jp/
38
第1章
1-2-5.エピジェネティクス
1) はじめに
エピジェネティクス(Epigenetics)とは DNA の塩基配列に変化を伴わない遺伝子発現制御
を対象とする研究領域である。様々な生物の全ゲノムが解析されてからはゲノム全体に対するエ
ピジェネティクスはエピゲノミクス(epigenomics)ともいわれる。受精卵から個体に至るまで、細
胞は分化しながら分裂・増殖するが、細胞分裂した後も元の細胞の表現型は継承される。 核に
おけるエピジェネティックな遺伝子発現制御の分子的なメカニズムは DNA 塩基の修飾(メチル
化、またメチル基のヒドロキシル化)、染色体を構成するヒストンタンパク質の様々な修飾および、
転写後の ncRNA(非翻訳性 RNA)や microRNA によって行われている。これらのエピジェネテ
ィクス研究の進展については、昨年の調査報告書「RNA 研究と創薬技術開発の新展開」(HS レ
ポート No.77)でも取り上げている。
2012 年ノーベル生理学・医学賞の対象となったリプログラミングもエピジェネティクス研究の一
分野である。エピジェネティクスは、発生・分化過程で、父母由来の対立する 2 つの遺伝子の一
方の発現を制御するゲノム・インプリンティング、雌性の一方の X 染色体の不活化、分化に伴う細
胞機能の制御という重要な遺伝子発現調整に関与している。エピジェネティクスの異常は先天的
疾患やがん等の疾患発生にも深く関係しており、エピジェネティクス研究は生命発生に関する基
盤的研究から疾患メカニズム解明や治療薬の創薬と広い範囲で進められている。
2) エピジェネティクスの研究動向
アメリカ国立衛生研究所(National Institutes of Health:NIH)の主導でエピゲノミクス・
マップ(Roadmap Epigenomics Mapping Consortium:REMC)の解析が進められ、2012
年 6 月には、エピゲノミクス・マップの第 8 版の解析結果が発表された 1 ) 。この REMC のサイトで
は、胎児と成人の各組織のエピゲノムの解析結果に加え、ES 細胞や iPS 細胞を対象とした解析
結果が公開されている。REMC の成果の一つとして、母体の血糖レベルが胎盤のアディポネク
チン遺伝子のメチル化に影響していることが示された。これは、妊娠中の飢餓状態と生まれた子
供の成人病との関係を示唆する重要な知見である 2 ) 。
わが国においても、エピジェネティクス制御のメカニズム、生命現象とエピジェネティクスとの関
係、エピジェネティクスの異常がかかわる疾患の解析など、種々の研究が進められている。2009
年から科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業のプロジェクトとして「エピジェネテ
ィクスの制御と生命機能」が、細胞リプログラミングに立脚した幹細胞作製・制御による革新的医
療基盤技術の創出を目標に実施されている 3 ) 。
ライフサイエンス統合データベースには、CpG メチル化の解析ツール QUMA (バイサルファ
イト配列データのゲノム配列アライメント、結果の定量化、グラフ作成機能)が公開されている 4 ) 。
3) エピジェネティクス薬剤の開発動向
疾患のエピゲノミクスを標的にした薬剤では現在のところ主に 2 種類ある。1 つはヒストン脱ア
セチル化阻害剤であり、vorinostat と panobinostat が承認されており、血液がんや固形がん
を対象とした開発が行われている。抗てんかん薬の既存薬であるバルプロ酸にヒストン脱アセチ
ル化阻害作用があることが認められ、抗がん剤として開発も行われている 5 ) 。また、もう 1 つは
39
第1章
DNA のメチル化阻害剤であり、azacitidine と decitabine が骨髄異形成症候群治療薬で承認
されている。
4) 全能性エピゲノム
ES 細胞と iPS 細胞は多能性細胞であるが、個体を発生させる全能性は有していない。 分化
多能性は個体のあらゆる細胞に分化できる可能性があるが、自律的な個体発生に向けた分化は
なく受精卵のように胚外組織である胎盤や羊膜への分化はしないと考えられている。胎盤の形成
には父性遺伝子のインプリンティング(エピジェネティクス制御)を必要としている。したがって個
体を正常に発生させる分化全能性のエピジェネティクスとそのメカニズムの解明は、今後の重要
な課題となっている。全能性を獲得するための 2 段階の初期化(生殖細胞と受精卵・初期胚)のエ
ピジェネティクスに関する最近の研究を以下に紹介する。
① 多能性細胞から生殖細胞への分化
京都大学 大学院医学研究科の斎藤らの研究グループは多能性幹細胞である ES 細胞、iPS
細胞より、生殖細胞である機能的な卵子の作製に成功したことを発表した 6 ) 。その内容は以下の
とおりである。
(1)雌マウスの ES 細胞、iPS 細胞を in vitro で始原生殖細胞様細胞(PGC(Primordial
Germ Cell) –like cells:PGCLCs)に分化させる。
(2)PGCLCs をマウス胎仔中の卵巣になる体細胞と共培養する。
(3)共培養で分化した PGCLCs を雌の免疫不全マウスの卵巣に移植し未成熟卵子とする。
(4)未成熟卵子を体外培養(凝集培養)により受精可能な卵子にまで成熟させる。
(5)成熟卵子を体外受精させ、マウス個体を発生させる。
この卵子の機能として、体外受精によってマウス個体を発生させ、発生した個体は自然交配に
よって後代(F1)を生むことを確認している。
多能性細胞から正常な生殖細胞が作成できることから、生殖細胞型のリプログラミングのメカニ
ズムやそれを誘導する因子など、生殖細胞に至る初期化過程の解明が期待される。
② 受精後に働くエピジェネティックな情報の初期化を制御する因子
分化全能性を有する受精卵で働くエピジェネティックな情報の初期化(リプログラミング)および
正常な発生に必要なエピジェネティックな情報(インプリンティング)の維持に働く因子のすべて
は、まだ解明されておらず、新たな因子の発見が報告されている。
近畿大学生物理工学部の松本らの研究チームは、哺乳類の受精卵が分化全能性を獲得する過
程で重要な働きをする遺伝子 GSE(gonad-specific expression gene:生殖腺特異的発現遺
伝子)を報告した 7 ) 。受精卵の DNA 合成開始以前に雄性ゲノムの 5‐メチルシトシン(5mC)は 5
‐ヒドロキシメチルシトシン(5hmC)に転換され能動的に脱メチル化が起こる。この脱メチル化に
よってエピジェネティックな情報は消去され初期化されるが、GSE タンパク質は、受精後、雄性の
クロマチン特異的に、ヒストン(H3、H4)に結合しており、GSE タンパク質の発現を抑制した受精
卵では、5mC から 5hmC への転換が抑制されることが認められた。
40
第1章
【参考資料】
1) Human Epigenome Atlas.
http://www.genboree.org/epigenomeatlas/index.rhtml
http://www.genboree.org/epigenomeatlas/multiGridViewerPublic.rhtml
2) Bouchard L. et al., Placental adiponectin gene DNA methylation levels are
associated with mothers' blood glucose concentration., Diabetes 61. 1272-1280
(2012)
3) エピジェネティクスの制御と生命機能(科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業
さきがけ)
http://www.jst.go.jp/erato/research_area/ongoing/sze_PJ.html
4) “Quantification tool for methylation analysis”(理化学研究所 発生・再生科学総合
研究センター 哺乳類エピジェネティクス研究室)
http://quma.cdb.riken.jp/top/quma_main_j.html
5) Chu BF et al., Phase I study of 5-aza-2'-deoxycytidine in combination with
valproic acid in non-small-cell lung cancer., Cancer Chemother Pharmacol. 71.
115-121.(2013)
6) “多能性幹細胞から機能的な卵子を作製することに成功”. (斎藤全能性エピゲノムプロジェ
クト京都大学・科学技術振興機構 共同発表 (2012/10/05))
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20121005/index.html
7) Yuki Hatanaka et al. GSE Is a Maternal Factor Involved in Active DNA
Demethylation in Zygotes, PLOS ONE 8 v4 e60205(2013)
41
第1章
1-3.医薬品開発のトレンド
1-3-1.バイオ医薬品
1) はじめに
世界の医薬品市場は、2011 年には約 9,560 億ドル、その後も年平均 3~6%の成長を続け、
2016 年には 1.2 兆ドルに達すると予測されている 1 ) 2 ) 。この中で、バイオ医薬品とジェネリック医
薬品の市場は、2011 年に各々1,570 億ドル、2,420 億ドルであるが、2016 年には各々2,100
億ドル、4,300 億ドルに大きく拡大すると推測されている 2 ) 。
2012 年に米国食品医薬品局(FDA)に承認された新薬は 39 品目であり、低分子医薬品の
New Molecular Entity(NME:新有効成分)及びバイオ医薬品が各々33 品目及び 6 品目で
あった。これは、2010 年の 21 品目、2011 年の 30 品目を大きく上回り、1996 年に 53 品目の
新薬が承認されて以来、最も多くの承認数である 3 ) 4 ) 。領域別では抗癌剤の 12 品目が最多であ
った。
2012 年は、世界の医薬品売上トップ 10 のうち、バイオ医薬品が初めてトップを占め、更に 7
品目がリストアップされる記念すべき年となった(後述) 5 ) 6 )7 )8 ) 。売上トップは Humira(Abbott、
関節リウマチ、92.65 億米ドル)で、低分子医薬品に代わって初めて抗体医薬品がトップになっ
た。バイオ医薬品以外でランクインした低分子医薬品は、3 位 Advair(GlaxoSmithKline、喘
息、79.96 億米国ドル)、8 位 Crestor(AstraZeneca、高脂血症、62.53 億米国ドル)、10 位
Januvia/Janumet(Merck & Co.、2 型糖尿病、57.45 億米国ドル)であった 6 ) 7 ) 8 ) 。2011 年
の世界の医薬品売上トップ 10 のうち、2001 年から 11 年間にわたってトップの座を守ってきた
Lipitol(Pfizer、高脂血症)、2 位 Plavix(Bristol-Myers Squibb / Sanofi-Aventis、抗血
小板薬)、9 位 Diovan(Novartis、高血圧)、10 位 Seroquel(AstraZeneca、統合失調症)が
ランク外になった 6 ) 7 ) 。それぞれ 2011 年の売上から 56 億米国ドル(59%)、45 億米国ドル
(64%)、12 億米国ドル(22%)、30 億米国ドル(70%)の減収となった
9)
。これは、2010 年問題
(ブロックバスターの特許切れ問題、パテントクリフ;patent cliff とも言われる)が現実化した結
果である。世界の医薬品売上トップは、1990 年代の Zantac や Omeprazole に代表される抗潰
瘍薬から 2000 年代の高脂血症治療薬 Lipitol へと受け継がれたが、2012 年は、ついにバイオ
医薬品がトップとなり、時代は大きく変わりつつある 5 ) 1 0 ) 1 1 ) 。
本稿では、最近のバイオ医薬品の中心となっている抗体医薬及び核酸医薬の開発に関する
最新動向について概説する。尚、抗体医薬開発の基盤技術等については、HS レポート No.67
12)
も参照していただきたい。
42
第1章
2) バイオ医薬品開発の現状
世界のバイオ医薬品の市場は、2005 年に 660 億米国ドル、2010 年に 1,300 億米国ドル、
2011 年には 1,570 億米国ドルと順調に成長を続け、2016 年には 2,100 億ドルに達すると予測
されている 2 ) 1 3 ) 。また、世界の医薬品売上に占めるバイオ医薬品の割合も、2010 年に 18%、
2011 年に 19%に増加し、2016 年には約 21%に達すると予測されている 1 3 ) 。2011 年の世界の
医薬品売上トップ 50 を見ると、売上総額 2,303 億米国ドルに対してバイオ医薬品の売上は 783
億米国ドルで、34.0%占めている。2010 年のトップ 50 と比較すると、バイオ医薬品は売上で
10.5%、割合で 2.4%増加し、今後も順調な成長が見込まれる 5 ) 。一方、国内の 2012 年のバイ
オ医薬品売上(遺伝子組み換え技術応用製品)は約 9,800 億円、2011 年は約 9,090 億円であ
る。この中で、抗体医薬の売上は、2011 年の 3,350 億円から 3,690 億円と約 10%増加したが、
前年の増加率の 21.8%よりは低下した 1 4 ) 。
2012 年の世界の医薬品売上トップ 10 は前述のようにバイオ医薬品がトップを占め、7 品目の
バイオ医薬品がランクインしている。その内訳は、抗体 5 品目(1 位 Humira、 2 位 Remicade、
5 位 Rituxan、7 位 Herceptin、9 位 Avastin)、IgG 融合タンパク質 1 品目(4 位 Enbrel)、
インスリン 1 品目(6 位 Lantus)であった。
バイオ医薬品の 2011 年最終確定後の売上トップ 20 及び 2012 年の速報ランキング(世界の
医薬品トップ 10 にランクされた 7 品目)を表 1-3-1-1 に示した。2011 年のトップ 20 には、
抗体 6 品目(Remicade、Humira、Rituxan、Avastin、Herceptin、Lucentis)、インターフ
ェロン 4 品目(Avonex、Rebif、Pegasys、Betaferon)、インスリン 3 品目(Lantus、Novo
Rapid/Mix 、 Humalog ) 、 エ リ ス ロ ポ エ チ ン ( EPO ) 3 品 目 ( Aranesp 、 Epogen 、
Procrit/Eprex ) 、 抗 体 IgG 融 合 タ ン パ ク 質 1 品 目 ( Enbrel ) 、 顆 粒 球 コ ロ ニ ー 刺 激 因 子
(G-CSF)1 品目(Neulasta)、ワクチン 1 品目(Prevnar)、へパリン製剤 1 品目(Lovenox)が
リストアップされている。2012 年の速報ランキングに載った 7 品目は、2011 年のバイオ医薬品ト
ップ 10 にもランクされ、新製品が加わったわけではないが、それらの総売上は 2011 年の 477
億米国ドルから 514 億米国ドルと 7.8%の増加を示した。
このように抗体医薬を中心としたバイオ医薬品市場は順調に成長を続けているが、一方で
Lipitol や Plavix のように、これまでブロックバスターの上位に位置していた低分子医薬品がパ
テントクリフにより一気に大きな減収になったことから、これから相次いで特許期間が満了するバ
イオ医薬品の今後の動向が注目される。2011 年のトップ 20 を見ると、2015 年までに失効する
医薬品は、既に失効しているものも含めて 14 品目あり(表 1-3-1-1)、今後これに伴いバイオ
医薬の後発品(バイオ後続品、バイオシミラー)の開発が盛んになると考えられる。
43
第1章
表 1-3-1-1.2011 年及び 2012 年バイオ医薬品売上
(参考資料
順位
5)6)7)8)
製品名
をもとに(財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG で作成)
一般名
成分
開発企業
2011
2012
1 (3)
2 (2) Remicade
infliximab
Anti-TNFα Ab
J&J
2 (4)
1 (1) Humira
adalimumab
Anti-TNFα Ab
3 (6)
3 (4) Enbrel
etanercept
4 (8)
4 (5) Rituxan
適応症
売上(億米ドル)
特許失効
2011
2012
関節リウマチ
81.59
82.15
2014
Abbott
関節リウマチ
79.32
92.65
2016
TNFαR-Fc
Amgen
関節リウマチ
73.67
79.73
失効
rituximab
Anti-CD20 Ab
Genentech
非ホジキンリンパ腫
68.06
71.51
2015
5 (12) 7 (9) Avastin
bevacizumab
Anti-VEGF Ab
Genentech
大腸癌
59.98
61.49
2019
6 (13) 6 (7) Herceptin
trastuzumab
Anti-HER2 Ab
Genentech
乳癌
59.54
62.79
2019
7 (16) 5 (6) Lantus
insulin glargine
Insulin
Sanofi-Aventis
糖尿病
54.61
63.73
2015
8 (―)
-
Neulasta
pegfilgrastim
G-CSF
Amgen
好中球減少症
52
―
2015
9 (22)
-
Prevnar
Vaccine
Wyeth
肺炎
41
―
失効
10 (―)
-
Novo Rapid/Mix insulin aspart
Insulin
Novo Nordisk
糖尿病
39
―
失効
11
-
Lucentis
ranibizumab
Anti-VEGF-A Ab Genentech
加齢性黄斑変性症
38
―
2019
12
-
Lovenox
enoxaparin
低分子量 Heparin Sanofi-Aventis
抗凝固剤・血栓塞栓症
29
―
失効
13
-
Avonex
Interferon β1a
Interferon β1a
Biogen Idec
多発性硬化症
27
―
2013
14
-
Humalog
human insulin
Insulin
Eli Lilly
糖尿病
24
―
2013
15
-
Rebif
Interferon β1a
Interferon β1a
Merck Serono
多発性硬化症
24
―
2013
16
-
Aranesp
darbepoetin α
EPO
Amgen
貧血
23
―
2024
17
-
Epogen
epoetin α
EPO
Amgen
貧血
20
―
2013
18
-
Pegasys
peginterferon α 2a Interferon α 2a
Roche
C型肝炎
16
―
2017
19
-
Procrit/Eprex
epoetin α
EPO
Ortho Biotech
貧血
16
―
2013
20
-
Betaferon
Interferon β1b
Interferon β1b
Bayer
多発性硬化症
16
―
失効
―
順位の項の()は、各年の全医薬品中の売上ランキング.
EPO:erythropoietin、G-CSF:granulocyte colony stimulating factor
44
第1章
3) 抗体医薬
① 抗体医薬品開発の現状
2013 年 3 月末現在、日米欧いずれかで承認されている抗体医薬は 31 品目である(表 1-3
-1-2)。主要な領域は癌と免疫領域で、31 品目のうち癌領域が 14 品目、免疫領域が 12 品目、
その他が 5 品目になっている。抗体の種類は、マウス抗体が 2 品目、キメラ抗体が 5 品目、マウ
ス・ラットハイブリッド抗体が 1 品目、ヒト化抗体が 13 品目、そして完全ヒト抗体が 10 品目で、完
全ヒト抗体の割合が増加している。尚、乾癬治療薬 Raptiva(2009 年、副作用)、腎移植後急性
拒 絶 反 応 治 療 薬 Zenapax ( 2009 年 、 商 業 上 の 理 由 ) 及 び 腎 移 植 後 急 性 拒 絶 反 応 治 療 薬
Orthoclone OKT3(2011 年、商業上の理由)は、販売を中止あるいは終了した。また、急性骨
髄性白血病治療薬 Mylotarg は、2010 年に米国の市販後臨床試験で有用性が認められなか
ったため、承認の自主取り下げが行われた 1 5 ) 1 6 ) 。
抗体医薬品は、2011 年の世界の医薬品売上トップ 10 に 3 品目、2012 年には 5 品目がリスト
アップされている。また、2011 年のバイオ医薬品の売上トップ 20 には、6 品目の抗体医薬品がラ
ン ク イ ン し た ( 表 1 - 3 - 1 - 1 ) 。 2012 年 の 世 界 の 抗 体 医 薬 品 売 上 ト ッ プ は adalimumab
( Humira, 92.65 億 米 国 ド ル ) で 、 以 下 infliximab ( Remicade, 82.15 億 米 国 ド ル ) 、
rituximab(Retuxan, 71.51 億米国ドル)、trastuzumab(Herceptin, 62.79 億米国ドル)、
bevacizumab(Avastin, 61.49 億米国ドル)であった(表 1-3-1-1)。
2012 年 か ら 2013 年 に か け て 世 界 で 新 た に 承 認 さ れ た 抗 体 医 薬 は 、 日 本 で 承 認 さ れ た
mogamulizumab(Poteligeo)、欧米で承認された pertuzumab(Perjeta)、米国で承認され
た raxibacumab(ABthrax)の 3 品目である。
協和発酵キリンが開発した Poteligeo は、tocilizumab(Actemra)に続く日本発の抗体医薬
として注目され、2012 年 3 月に世界に先駆けて承認された。Poteligeo は、ケモカイン受容体
CCR4 に 対 す る ヒ ト 化 抗 体 で あ り、成 人 T 細 胞 白 血 病 リ ン パ 腫 ( ATL ) を 適 応 症 と してい る 。
CCR4 は白血球遊走に関与するケモカイン受容体で、ATL などの血液癌に高発現していること
から、本剤は CCR4 陽性 ATL をその ADCC 活性(抗体依存性細胞障害活性)により殺傷する
ことで効果を発揮する。Poteligeo は、旧協和発酵工業が開発した高 ADCC 活性抗体作製技術
であるポテリジェント(Potelligent)技術を利用して創製された初めての抗体医薬である。また、
子会社である協和メデックスから CCR4 の発現を検査するコンパニオン診断薬も同時に申請され、
承認された 1 7 ) 1 8 ) 。
Perjeta は、HER2 に対するヒト化抗体であり、2012 年 6 月に米国、2013 年 3 月に EU で
HER2 陽性転移性乳癌を適応症として承認された。本剤は、癌細胞の表面に発現する HER2
受容体に結合して、HER2 と他の HER 受容体(HER1、HER2、HER3、HER4)との 2 量体化
を阻害して HER2 のシグナル伝達を遮断することにより、癌細胞の増殖を阻害する。同じ HER2
に対するヒト化抗体である Herceptin(trastuzumab, Genentech/Roche)とは作用機序が異
なるため、併用投与による効果増強が期待されている。乳癌以外にも、胃癌、胆道癌適応症とし
て開発が進められている。Perjeta は Genentech 社により創製され、現在 Roche と共同開発さ
れている。日本では中外製薬が国内承認を申請中である 1 9 ) 。
ABthrax は、炭疽菌 Bacillus anthracis に対する完全ヒト型抗体であり、2012 年 12 月に
米国で肺炭疽を適応症として承認された。肺炭疽症は、炭疽菌の毒素によって引き起こされる感
染症である。炭疽毒素は、防御抗原と 2 種類の酵素からなる複合体であるが、ABthrax は防御
抗原に結合してこれを中和することにより、炭疽毒素が細胞に入ることを阻害し、細胞死を防ぐ。
炭疽菌は 2001 年米国で発生したバイオテロに用いられたことで有名になったが、その後、対テ
ロ対策として米国の Human Genome Sciences 社と米保健福祉省が共同開発していた 2 0 ) 2 1 ) 。
45
第1章
表 1-3-1-2.日米欧における既承認・申請中抗体医薬品
(参考資料
製品名
15)16)
をもとに(財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG で作成)
一般名
開発企業
種類
標的分子
承認時期 / 最高ステージ*
(第
適応症
一適応)
日本
米国
欧州
1997
1998
癌領域
Rituxan
rituximab
Herceptin trastuzumab
Biogen-IDEC / Genentech / Roche キメラ
CD20
非ホジキンリンパ腫
2001
Genentech / Roche
HER2
乳癌
2001
1998
2000
2005
2000
2010販売中止
―
P II
2001
2001
ヒト化
Mylotarg
gemtuzumab
ozogamicin
Cellutech /AHP / Wyeth
ヒト化
CD33
急性骨髄性白血病
Campath
alemtuzumab
Millennium / ILEX / Schering
ヒト化
CD52
慢性リンパ性白血病
Zevalin
ibritumomab
tiuxetan
Biogen-IDEC / Schering
マウス
CD20
非ホジキンリンパ腫
2008
2002
2004
Bexxar
tositumomab-
Corixa / GSK
マウス
CD20
非ホジキンリンパ腫
―
2003
P III
Erbitux
cetuximab
ImClone System / BMS / Merck
キメラ
EGFR
大腸癌
2008
2004
2004
Avastin
bevacizumab
Genentech
ヒト化
VEGF
大腸癌
2007
2004
2005
Vectibix
panitumumab
Amgen / Abgenix
完全ヒト
EGFR
大腸癌
2010
2006
2007
Arzerra
ofatumumab
GSK / Genmab
完全ヒト
CD20
慢性リンパ性白血病
2013
2009
2010
マウス-ラット EpCAM &
ハイブリッド CD3
癌性腹水
―
P II
2009
P II
2011
2011
2012
P II
P II
申請中
2012
2013
131
I
Removab
catumaxomab
TRION Pharma / Fresenius
Yervoy
ipilimumab
Gilead Sciences / BMS / Medarex 完全ヒト
CTLA-4
メラノーマ
Poteligeo
mogamulizumab
協和発酵キリン
ヒト化
CCR4
成人T細胞白血病リンパ腫
Perjeta
pertuzumab
Genentech / Roche
ヒト化
HER2
乳癌
basiliximab
Novartis
キメラ
CD25
腎移植後急性拒絶反応
2002
1998
1998
Remicade infliximab
Centocor / Johnson & Johnson
キメラ
TNF-α
慢性関節リウマチ
2002
1998
1999
Humira
adalimumab
Abbott / CAT
完全ヒト
TNF-α
慢性関節リウマチ
2008
2002
2003
Xolair
omalizumab
Genentech / Novartis / Tanox
ヒト化
IgE
喘息
2009
2003
2005
Tysabri
natalizumab
Biogen-IDEC / Elan
ヒト化
integrin α4β1 多発性硬化症
免疫領域
Simulect
P III
2004
2006
2005
2010
2009
Actemra
tocilizumab
中外 / Roche
ヒト化
IL-6R
キャッスルマン病
関節リウマチ
Soliris
eculizumab
Alexion
ヒト化
C5a
発作性夜間血色素尿症
2010
2007
2007
Cimzia
certolizumab pegol UCB
ヒト化
TNF-α
クローン病
2012
2008
2009
Stelara
ustekinumab
Centocor / Janssen-Cilag
完全ヒト
IL-12 / IL-23 尋常性乾癬
2011
2009
2009
Simponi
golimumab
Centocor Ortho Biotech/ J & J
完全ヒト
TNF-α
慢性関節リウマチ、乾癬性
関節炎、強直性脊椎炎
2011
2009
2009
Benlysta
belimumab
Human Genome Sciences / GSK
完全ヒト
BLyS
全身性エリテマトーデス
P III
2011
2011
Prolia
denosumab
Amgen
完全ヒト
RANKL
骨粗鬆症 / 骨病変
2012
2010
2010
ReoPro
abciximab
Centocor / Lilly
キメラ
GPⅡb / Ⅲa
心筋虚血
P II(続報なし)
1994
1995
Synagis
palivizumab
MedImmune / Abott
ヒト化
RSVFProtein RSウイルス感染症
2002
1998
1999
Lucentis
ranibizumab
Genentech
ヒト化
VEGF-A
滲出型加齢黄斑変性症
2009
2006
2007
2011
2009
2009
―
2012
―
その他
Ilaris
canakinumab
Novartis
完全ヒト
IL-1β
クリオピリン関連周期性症
候群
Abthrax
raxibacumab
Human Genome Sciences
完全ヒト
炭疽菌
炭疽症
*2013/3/27現在. CCR4:chemokine (C-C motif) receptor 4、BLyS:B細胞活性化因子、EpCAM:epithelial cell adhesion molecule
CTLA-4:CTLA-4:cytotoxic T lymphocyte antigen-4
46
第1章
2012 年から 2013 年にかけて国内で新たに承認された抗体医薬は、denosumab(Prolia)、
certolizumab(Cimzia)、ofatumumab(Arzerra)の 3 品目であるが、これらはすべて欧米で
承認されている抗体である。
Prolia は、RANKL(receptor activator of NFκB ligand)に対する完全ヒト型抗体であり、
2012 年 1 月に癌の骨転移を適応症として承認され、更に 2013 年 3 月に骨粗鬆症を適応症と
して承認された。欧州では、2010 年 5 月に閉経後骨粗鬆症への適応で承認を取得し、同年 6
月には米国でも承認されている。RANKL は、破骨細胞形成及び活性化などに重要な分子で、
本剤はこれを阻害することにより骨破壊の阻害や骨量及び骨強度の増大を促進する作用を有し
ている。6 ヶ月に一度の投与で効果を示すことから、その利便性が魅力である 2 2 ) 。
Cimzia は、TNFαに対するヒト化抗体の Fab’フラグメントをポリエチレングリコール(PEG)で
化学修飾した抗体医薬であり、2012 年 12 月に関節リウマチを適応症として承認された。Fab’フ
ラグメントを用いていることから、大腸菌で製造されている。また、PEG 化されているため血中半
減期が長く、月に一度の投与で治療可能である。国内で承認された TNFα 関連のバイオ医薬品
は、Cimzia で 5 製品目、関節リウマチを適応症とするバイオ医薬品としては 7 製品目となる。国
内では、ベルギーUCB 社とアステラス製薬が共同開発していた 2 3 ) 2 4 ) 。
Arzerra は、B 細胞上の CD20 に対する完全ヒト型抗体であり、2013 年 3 月に慢性リンパ性
白血病を適応症として承認された。米国では 2009 年 10 月、欧州では 2010 年 4 月に慢性リン
パ性白血病を適応症として承認されている。更に非ホジキンリンパ腫、関節リウマチなどの適応
症でも開発が進められている 2 2 ) 。
抗体 IgG の Fc 領域に可溶性の受容体などを融合したイムノアドへシン(immunoadhesin)
と呼ばれる抗体 IgG 融合タンパク質が現在 7 品目承認されている(表 1-3-1-3)。抗体 IgG
融合タンパク質は、標的タンパク質の受容体の可溶性細胞外ドメインとヒト抗体 IgG の Fc 領域を
融合したヒト型キメラタンパク質である。例えば、etanercept(Enbrel) は、ヒト TNF-α受容体の
可溶性細胞外ドメインとヒト IgG1 の Fc 領域を融合したキメラタンパク質 2 量体である。TNF-α
及び TNF-βに結合して、これらの炎症性サイトカインが細胞表面の TNF 受容体に結合すること
を阻害し、関節リウマチを改善する。Enbrel は、2012 年の世界医薬品売上の 4 位に位置してい
る(表 1-3-1-1)。抗体 IgG の Fc 領域が用いられている一つの理由は、この領域が IgG 胎
児性 Fc 受容体(FcRn)と相互作用することにより融合タンパク質の血中半減期が延長されること
を利用するためである 2 6 ) 。
47
第1章
表 1-3-1-3.日米欧における抗体 IgG 融合タンパク質医薬の開発状況
(参考資料
製品名
一般名
25)
をもとに(財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG で作成)
開発企業
種類
標的分子
適応症
承認時期/最高ステージ*
米国
欧州
日本
etanercept
Immunex /
Amgen / Wyeth
可溶性TNFαR2 + IgG1 Fc 融合タンパク質
TNF-α, -β
関節リウマチ
2005
1998
2000
Amevive
alefacept
Biogen-IDEC
Genentech
LFA3 + IgG1 Fc 融合タンパク質
CD2
乾癬
PI
1)
2003
2003(中止)
Orencia
abatacept
BMS
CTLA-4 + IgG1 Fc 融合タンパク質
CD80 / 86
慢性関節リウマチ
2010
2005
2007
IL-1
クリオピリン関連周期性症
候群
―
2008
2009
2011
2008
2009
―
2011
2011
2012
PI
2011
2012
2012
2013
Enbrel
Arcalyst
rilonacept
Regeneron
IL-1R + IgG1 Fc 融合タンパク質
Nplate
romiplostim
Amgen
TPOR agonist peptide + IgG1融合タンパク質 TPOR
血小板減少性紫斑病
Nulojix
belatacept
BMS
CTLA-4 + IgG1 Fc 融合タンパク質
腎移植における拒絶反応
Regeneron /
Bayer / Sanofi
VEGFR-1+VEGFR-2+IgG1 Fc 融合タンパク質 VEGF
Eylea / Zaltrap aflibercept
CD80 / 86
加齢性黄斑変性症
転移性結腸直腸癌
*2013/3/7 現在. 1)心移植における拒絶反応(尋常性乾癬 PII 開発中止, 2006)
CTLA-4:cytotoxic T lymphocyte antigen-4, LFA-3:leukocyte function-associated antigen-3, TPOR:thrombopoietin receptor
最 近 日 米 欧 の い ず れ か で 新 た に 承 認 さ れ た 抗 体 IgG 融 合 タ ン パ ク 質 は 、 romiplostim
(Nplate)、belatacept(Nulojix)及び aflibercept(Eylea / Zaltrap)の 3 品目である。
Nplate は、トロンボポエチン受容体(TPOR)に結合するペプチドとヒト IgG1 Fc から成る完
全ヒト型融合タンパク質であり、2008 年 8 月に米国、2009 年 2 月に EU、2011 年 3 月に日本
で血小板減少性紫斑病を適応症として承認された。Nplate は TPOR のアゴニスト活性を持つこ
とから、内因性 TPO と同様に巨核球の分化・増殖及び血小板造血を促進する。米 Amgen 社に
より開発され、国内ではオーファンドラッグの指定を受け、協和発酵キリンが開発していた 2 7 ) 。
Nulojix は、CTLA-4(cytotoxic T-lymphocyte associated protein 4) と ヒト IgG1 Fc か
ら成る完全ヒト型融合タンパク質であり、2011 年 6 月に米国及び EU で腎移植における拒絶反
応を適応症として承認された。国内では開発されていない。T 細胞の増殖や活性化には、T 細胞
の表面にある CD28 が抗原提示細胞表面の CD80/CD86 に結合することで生じる副刺激シグ
ナルが必要である。一方、CTLA-4 は T 細胞表面に発現している分子で、T 細胞の増殖や活性
化を調節(抑制)するため CD28 のリガンドである CD80/CD86 に結合することにより、CD28 を
通じて伝達される副刺激シグナルを阻害する。CTLA-4 の融合タンパク質である Nulojix は、こ
のようなメカニズムで腎移植における拒絶反応や関節リウマチの発症に関与する T 細胞の活性
化 及 び サ イト カ イ ン 産 生 を抑 制 す る と 考 え られ る 。す で に 日 米 欧 で 承 認 さ れ てい る abtacept
(Orencia)は、同じ作用メカニズムを有する 2 8 ) 。
Eylea / Zaltrap は、血管内皮細胞増殖因子(VEGF)の受容体 VEGFR-1 と VEGFR-2 の
可溶性細胞外ドメインを直列につなぎ、更にヒト IgG1 Fc を融合した完全ヒト型融合タンパク質で
ある。Eylea の製品名で 2011 年 11 月に米国、2012 年 9 月に日本、2012 年 11 月に EU で
加齢性黄斑変性症を適応症として承認された。また、Zaltrap の製品名で 2012 年 8 月に米国、
2013 年 2 月に EU で転移性結腸直腸癌を適応症として承認された。本剤は、VEGF-A 及び
VEGF-B が細胞膜上の VEGFR に結合するのを阻害することで血管新生阻害作用を示し、加
齢性黄斑変性症治療薬及び抗癌剤としての効果を発揮する。既に発売されている
bevacizumab(Avastin)が VEGF-A のみを選択的に阻害するのに対して、Eylea / Zaltrap
は VEGF-B も阻害することから、bevacizumab に反応しない症例への有効性が期待されてい
る。Eylea / Zaltrap は、米 Regeneron 社により創製されたが、眼科領域では Bayer 社と、癌
領域では主に Sanofi-Aventis 社と共同で開発をしている 2 9 )3 0 )3 1 ) 。
48
第1章
② 次世代抗体医薬
(1) Bispecific 抗体医薬
次世代の抗体医薬として、癌細胞と免疫系細胞を効率的に接近させることで抗腫瘍効果を狙
っ た bispecific 抗 体 が 開 発 さ れ て い る ( 表 1 - 3 - 1 - 4 ) 3 2 ) 3 3 ) 。 今 の と こ ろ 欧 州 で
catumaxomab が承認されているだけだが、いくつかの bispecific 抗体が臨床開発段階に入っ
ている。
表 1-3-1-4.Bispecific 抗体医薬の開発状況
(参考資料
33)
をもとに(財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG で作成)
開発名
開発企業
標的分子
適応症
癌性腹水
catumaxomab
TRION Pharma / Fresenius
EpCAM / CD3
米国
欧州
PⅡ
2009
卵巣癌
―
PⅡ
胃癌
―
PⅡ(DE)
非小細胞肺癌/上皮癌
―
PⅠ
乳癌
―
PⅡ
急性リンパ性白血病
PⅡ
PⅡ
非ホジキンリンパ腫
PⅠ
PⅠ
PⅡ
―
―
PⅡ(DE)
PⅠ
―
―
PⅠ(DE)
ertumaxomab
TRION Pharma / Fresenius
Her2 / CD3
blinatumomab
Micromet / Amgen
CD19 /CD3
MM-111
Merrimack Pharmaceuticals
ErbB2 / ErbB3 固形癌/、乳癌、胃癌
FBTA-05
TRION Pharma / Fresenius
CD20 / CD3
MEDI-565 / MT-111 Micromet / Amgen / MedImmune CEA / CD3
開発ステージ*
B細胞リンパ腫
消化器癌
solitomab / MT-110 Micromet / Amgen
EpCAM / CD3
MM-141
Merrimack Pharmaceuticals
IGF-1R / ErbB3 固形癌
PⅠ
―
TF2
Immunomedics
CEA / HSG
結腸直腸癌
PⅠ
―
ACE-910
中外 / Roche
FIXa / FX
血友病A
固形癌
PⅠ(日本)
*2013/3/24現在. EpCAM: epithelial cell adhesion molecule、CEA: 癌胎児性抗原、HSG: histamine-succinyl glutamate
米 Micromet(現 Amgen)が開発している BiTE(Bispecific T Cell Engagers)抗体は、
癌細胞の表面抗原に対する抗体の可変領域と細胞障害性 T 細胞の表面抗原(CD3)に対する
抗体の可変領域を連結した一本鎖の bispecific 抗体である。BiTE 抗体は、細胞障害性 T 細胞
と癌細胞を結合することにより、T 細胞からパーフォリンやグランザイムを放出させ、癌細胞のアポ
トーシスを促進する 3 4 ) 。BiTE 抗体は、標的抗原に対するモノクローナル IgG1 抗体に比較して
約 1,000~100,000 倍の効率で癌細胞を傷害することができる 3 5 ) 。blinatumomab は、標的
細胞である B 細胞の表面抗原 CD19 と細胞障害性 T 細胞の CD3 に対する bispecific 抗体で、
シグナル伝達なしに T 細胞の増加と活性化を同時に行う。欧米で急性リンパ性白血病(フェーズ
2)あるいは非ホジキンリンパ腫(フェーズ 1)を適応症として開発されている。
MEDI-565/MT-111 及 び solitomab/MT-110 も 癌 細 胞 の 異 な る 表 面 抗 原 ( CEA 及 び
EpCAM)と T 細胞の表面抗原 CD3 を標的とした bispecific 抗体である 3 3 ) 。
独 TRION Pharma が開発している Triomab は、癌関連抗原及び T 細胞抗原(CD3)を標
的とする bispecific 抗体であるが、更に各結合部位が癌細胞、T 細胞及びマクロファージなどの
免疫細胞に結合して tri-cell-complex を形成する 3 機能抗体である。癌細胞と免疫系細胞を
49
第1章
効率的に接近させる上に、2 種類の免疫系が活性化されることにより効率良く抗腫瘍効果を発揮
する。catumaxomab は、癌関連抗原 EpCAM(epithelial cell adhesion molecule)及び
CD3 抗原を標的とする Triomab の一つで、2009 年、癌性腹水を適応症として欧州で承認され
た 3 3 ) 。TRION 社は、これ以外にも癌細胞の異なる表面抗原(HER2、CD20)と T 細胞の表面
抗原 CD3 を標的とした bispecific 抗体を開発している 3 3 ) 。
中外製薬は、血友病治療薬として、血液凝固因子の第Ⅷ因子の機能を代替する bispecific
抗体(ACE-910)を独自に開発している 3 6 ) 。血友病 A は、第Ⅷ因子が欠乏することにより血液が
正常に凝固しなくなる遺伝性疾患である。通常、第Ⅷ因子は第Ⅸa 因子と第Ⅹ因子に同時に結
合して、第Ⅸa 因子による第Ⅹ因子の活性化を促進し、結果として血液凝固反応が進む。
ACE-910 は第Ⅸa 因子及び第Ⅹ因子に対する bispecific 抗体で、第Ⅸa 因子と第Ⅹ因子に同
時に結合することにより第Ⅷ因子と同様の機能を発揮し、血液凝固反応を促進する。抗体の新し
い利用法として注目されており、同社は 2012 年 8 月から国内で臨床試験を開始した 3 7 ) 3 8 ) 。
(2) 抗体薬物複合体
抗体薬物複合体は、抗体あるいは sc-Fv(single-chain variable fragment)などの抗体フ
ラグメントに細胞毒性を有する薬物を結合した複合体で、イムノコンジュゲート
(immunoconjugate)やイムノトキシン(immunotoxin)と呼ばれる薬剤の一つである。現在開
発されている抗体薬物複合体の多くは癌を対象としており、癌細胞特異的な抗原に対するモノク
ローナル抗体と細胞毒性を有する低分子化合物(微小管重合阻害剤など)を化学的に架橋して
作 製 され て い る 。 技 術 的 に は 、 米 国 ImmunoGen 社 の ミ サ イ ル 弾 頭 ( Targeted Antibody
Payload : TAP ) 技 術 及 び Seattle Genetics 社 の 抗 体 薬 物 複 合 体 ( Antibody-Drug
Conjugate:ADC)技術が多く用いられている 3 9 )4 0 ) 4 1 ) 。
最近承認された抗体薬物複合体は、米国で承認された brentuximab・vedotin(Adcetris /
SGN-35)と trastuzumab・emtansine(Kadcyla / T-DM1)である(表 1-3-1-5)。
表 1-3-1-5.抗体薬物複合体製剤の開発状況
(参考資料
開発名
42)
をもとに(財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG で作成)
抗体・薬物
開発企業
標的分子
開発ステージ*
適応症
日本
Mylotarg
gemtuzumab・ozogamicin
Adcetris / SGN-35 brentuximab・vedotin
Cellutech /AHP / Wyeth
CD33
Seattle Genetics / 武田 / Millennium
CD30
HER2
HER2陽性進行性乳癌
CD56
小細胞肺癌
T-DM1/ Kadcyla
trastuzumab・emtansine
Roche / Genentech / 中外 / ImmunoGen
IMGN901
lorvotuzumab・mertansine
ImmunoGen
CDX-011
glembatumumab・vedotin
Seattle Genetics / CuraGen / Celldex
SAR-3419
anti-CD19・DM4
ImmunoGen / Sanofi-Aventis
CD19
BT-062
indatuximab ravtansine
ImmunoGen / Biotest Pharmaceuticals
PSMA ADC
anti-PMSA・vedotin
Progenics Pharmaceuticals
DCDT-2980S
anti-CD22・vedotin
DCDS-4501A
anti-CD79b・vedotin
milatuzumab-Dox milatuzumab・doxorubicin
米国
欧州
2000 承認
申請後中断
2010 中止
急性骨髄性白血病
2005
ホジキンリンパ腫
PⅡ
2011
―
2011
2012
申請中
2013
申請中(EP)
PⅡ(EP)
非ホジキンリンパ腫
2012
―
PⅡ
―
PⅡ
―
B細胞リンパ種 / 非ホジキンリンパ腫
―
PⅡ
PⅡ(FR)
CD138
多発性骨髄種
―
PⅡ
―
PSMA
前立腺癌
―
PⅡ
―
Genentech / Roche / Seattle Genetics
CD22
慢性リンパ性白血病
―
PⅡ
―
Roche / Genentech / Seattle Genetics
CD79b
B細胞リンパ種 / 非ホジキンリンパ腫
―
PⅡ
―
Immunomedics
CD74
前立腺癌
―
PⅡ
―
GPNMB 進行性性乳癌 / 転移性メラノーマ
* 2013/3/24現在. GPNMB :glycoprotein NMB、 PSMA :prostate-specific membrane antigen
vedotin: monomethyl auristatinE、DM4: maytansinoid、emtansine、mertansine、ravtansine すべて微小管重合阻害剤
50
第1章
Adcetris は、CD30 に対するキメラモノクローナル抗体に殺細胞作用を有する微小管重合阻
害剤 vedotin を結合させた抗癌剤で、2011 年 8 月に米国、2012 年 10 月に EU でホジキンリ
ンパ腫及び非ホジキンリンパ腫を適応症として承認された。Adcetris は、細胞表面の CD30 に
結合した後、速やかに細胞内に入り、細胞内で活性本体を放出する。米国 Seattle Genetics
の ADC 技術を用いて開発され、2009 年 12 月に武田薬品工業の子会社の M i l l e n n i u m
Pharmaceuticals 社と Seattle Genetics 社が共同事業化契約を締結して開発してき
た 4 2 )4 3 ) 。
Kadcyla は、trastuzumab(Herceptin)に微小管重合阻害剤 emtansine を結合させた抗
癌剤で、2013 年 2 月に米国で転移性乳癌を適応症として承認された。日本では、2013 年 2 月
に承認申請された。Kadcyla は、ImmunoGen 社の TAP 技術が用いられており、細胞内に吸
収された後、DM1 を放出することにより癌細胞を殺傷する。Genentech 社は、2000 年 5 月に
ImmunoGen 社の TAP 技術を Herceptin などの 抗体 に応 用 する 独占 的権 利 を 獲得 して、
開発 してき た 4 2 ) 。
(3) Recycling 抗体
中外製薬は、1 分子の抗体が何度も標的抗原と結合し、その抗原の作用を繰り返し遮断するこ
とを可能にした Recycling 抗体技術を発表した 4 4 ) 。現在承認されている抗体医薬は、標的抗原
に結合してその効果を発揮するが、通常はその結合は 1 度だけである。これは、形成された抗原
抗 体 複 合 体 が 細 胞 内 に 取 り込 ま れ た 後 、複 合 体 の ま ま 細 胞 外 に リ サ イク ルされ る か らで あ る 。
Recycling 抗体技術の特徴は、抗体にアミノ酸置換を入れることにより、pH7.4 で抗原に強く結
合し、pH6.0 で解離する pH 依存的な結合様式を有する抗体を作製したことである。その結果、
血中で形成された抗原抗体複合体は細胞内に取り込まれた後、pH6.0 を示すエンドソーム内で
速やかに解離し、抗原はリソソームで分解され、更に抗体は細胞外へリサイクルされて再び抗原
と結合することが可能になった。実際、中外製薬が開発した抗 IL-6 受容体抗体、tocilizumab
(Actemra)に Recycling 抗体技術を用いて pH 依存性を付与した結果、抗体による遮断効果
の持続性が顕著に改善された。これらの結果から、Recycling 抗体技術を用いることにより、従
来の抗体医薬と比較して、投与頻度や投与量を大幅に低減できる可能性が示唆された。更に、
この技術を改良して、標的抗原を血中から除去することを可能にした Sweeping 抗体技術も開
発された。Sweeping 抗体技術の特徴は、抗体が中性で細胞表面にある FcRn(胎児性 Fc 受容
体)に結合できるように改変し、結果としてリサイクリング速度を更に上げることにより、抗原を分解
する回転速度を上昇させたところである。この結果、標的抗原を効率良く除去する事が可能にな
り、通常抗体では達成し得ない低い投与量を実現できる可能性が示された 4 5 ) 。これらの技術は、
従来の抗体では達成できない革新的な抗体医薬の創製につながる可能性を秘めており、今後の
進展が期待される。
51
第1章
4) 核酸医薬
核酸医薬は、アンチセンス(antisense)、RNAi(siRNA)、microRNA(miRNA)、RNA ア
プタマー(RNA aptamer)、RNA デコイ(decoy)、リボザイム(ribozyme)、CpG DNA 等のオ
リゴ核酸を用いたものが主流である 4 6 )4 7 ) 4 8 ) 。表 1-3-1-6 に現在開発されている核酸医薬の
特徴をまとめた。2012 年までに承認された核酸医薬は、ISIS Pharmaceuticals / Novartis
が開発し、1998 年に米国で承認されたアンチセンス、Vitravene(サイトメガロウイルス性網膜
炎治療薬)と Eyetech Pharmaceuticals が開発し、2004 年に米国で承認された RNA アプタ
マー、Macugen(加齢性黄斑変性症治療薬)の 2 品目のみである。この原因は核酸医薬特有の
性質に由来し、特に DDS(drug delivery system)の開発など多くの課題点が指摘されている
が、最近では効率的な DDS(drug delivery system)の開発、オフターゲット効果の回避、化
学的安定性と酵素的安定性及び作用の持続化に関する課題解決などの多くのチャレンジが行
われ、バイオ医薬としての可能性への挑戦が続いている。このような状況下、2013 年 1 月、アン
チセンス医薬、mipomersen(Kynamro)が家族性高脂血症を適応症として米国で承認された。
Roche 社の撤退でトーンダウンしていたこの分野にも、変化の兆しが見えてきている。
本稿で は、核酸 医薬の中 で開発が盛 んなアンチセ ンス医 薬 、RNAi 医 薬、miRNA 医薬 、
RNA アプタマー医薬の開発状況のみを紹介する。各核酸医薬の詳細については HS レポート
No.74(2011 年) 4 9 ) 及び HS レポート No.77(2012 年) 5 0 ) を参考にされたい。
表 1-3-1-6.核酸医薬の特徴
(参考資料
48)
をもとに(財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG で作成)
構造
医薬の種類
対象分子
作用メカニズム
アンチセンス
18~30mer
1本鎖
DNA / RNA
mRNA
翻訳阻害、mRNA切断
siRNA
20~25mer
2本鎖
RNA
mRNA
mRNA切断
miRNA
20~25mer
1 / 2本鎖
RNA
mRNA
遺伝子発現調節、翻訳阻害
RNAアプタマー
~30mer
1 / 2本鎖
RNA
タンパク質
機能阻害
デコイ
~30mer
2本鎖
DNA
転写因子
転写阻害
リボザイム
~60mer
1本鎖
RNA
mRNA
mRNA切断
CpG DNA
脱メチル化CpG配列
1本鎖
DNA
TLR9
アジュバント作用、免疫系活性化
TLR9: Toll-like receptor 9
52
第1章
① アンチセンス医薬
アンチセンスは標的遺伝子の mRNA に結合することで mRNA からタンパク質への翻訳過程
を阻害する 1 本鎖の DNA/RNA(18~30 ヌクレオチド)である。2013 年 1 月に ISIS 社が開発
し て い た mipomersen ( Kynamro ) が 家 族 性 高 脂 血 症 を 適 応 症 と し て 米 国 で 承 認 さ れ た 。
1998 年に米国で承認された Vitravene 以来、15 年ぶりのアンチセンス医薬として実用化され
た。Kynamro は、ApoB-100 タンパク質を標的としたアンチセンス医薬で、コレステロール低下
作用を有している 5 1 ) 。
最近のアンチセンス医薬の開発状況を開発最高ステージがフェーズ 3 以上に絞って示す(表
1-3-1-7)。アンチセンス医薬のリーディングカンパニーは ISIS 社で、現在 4 種類のアンチ
センス医薬がフェーズ 3 以上にある。
表 1-3-1-7.アンチセンス医薬の開発状況
(参考資料
起源企業
ISIS Pharmaceuticals
Genta
51)
開発企業
適応症
標的分子
承認時期・最高ステージ*
日本
米国
欧州
CMV性網膜症
―
1998
19991)
申請中
fomivirsen (Vitravene)
IE2
Genzyme
mipomersen (Kynamro)
ApoB-100
家族性高コレステロール血症
PI
2013
Teva / OncoGenex
custirsen
Clusterin
前立腺がん / 非小細胞肺癌
―
PⅢ
Atlantic Healthcare
AP-1431
ICAM-1
潰瘍性大腸炎
―
―
PⅢ(GB)
2)
Atlantic Healthcare
AP-1451
ICAM-1
クローン病
―
―
PⅢ(GB)
2)
Atlantic Healthcare
alicaforsen
ICAM-1
回腸嚢炎
―
―
GSK
ISIS-TTRRx
transthyretin 家族性アミロイドポリニューロパシー
―
PⅢ
PⅢ(FR)
慢性リンパ性白血病
―
申請中
PⅢ(GB)
多発性骨髄腫
―
PⅢ
PⅢ(GB)
非小細胞肺癌
―
PⅢ
PⅢ(GB)
急性骨髄性白血病
―
PⅢ
PⅡ(GB)
非ホジキンリンパ腫
―
PⅢ
PⅡ(GB)
星状細胞腫
―
PⅢ(中止)
PⅢ(中止)
NIH
oblimersen (Genasense)
―
NovaRx
Gene Signal
Prosensa
開発名
Novartis
Antisense Pharma
Immune Response
をもとに(財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG で作成)
trabedersen
Bcl-2
TGF-β2
GSK
InDex Pharmaceuticals Merck Serono
PⅢ(GB)
非小細胞肺癌
―
PⅢ
PⅢ
IRS-1
移植片拒絶反応
―
―
PⅢ
drisapersen (2402968)
Dystrophin
デュシェンヌ型筋ジストロフィー
PⅢ
PI
PⅢ
antisense NF-κB p65
NF-κB p65
潰瘍性大腸炎
―
―
PⅢ
belagenpumatucel-L (Lucanix) TGF-β
―
―
aganirsen (GS-101)
* 2013/3/24現在. 1)2002年 商業上の理由から販売中止、2)続報なし
CMV: cytomegalovirus、 IE2: CMVの増殖に必要な遺伝子、 ICAM-1: intracellular adhesionmolecule-1、 IRS-1: insulin receptor substrate-1
53
第1章
② RNAi 医薬
RNAi 医薬は RNAi の原理を応用したもので、siRNA(small interfering RNA)と呼ばれ
る短い 2 本鎖 RNA(20~25 ヌクレオチド)がこれと相補的な塩基配列を有する mRNA を分解し、
標的遺伝子の発現を抑制することを利用している。治療には合成された siRNA を投与する方法、
及び生体内で目的とする siRNA を産生させる方法が検討されている。後者は持続的な効果が
期待できるが、遺伝子治療としての取り扱いとなるため実現にはまだ時間がかかりそうである。
最近の RNAi 医薬の開発状況を示す(表 1-3-1-8)。これまで最も開発が進んでいた
OPKO Health 社の加齢性黄斑変性症を適応症とした Bevasiranib(フェーズ 3)と Silence
Therapeutics 社の加齢性黄斑変性症及び糖尿病黄斑浮腫を適応症とした PF-4523655(フェ
ーズ 2)は開発中止となり、現在の開発最高ステージはフェーズ 2 となっている。その他にも続報
のないものもあり、開発は順調とは言えない 5 2 ) 。課題の解決を含めて、今後の RNAi 医薬の開
発動向については注視する必要がある。
表 1-3-1-8.RNAi 医薬の開発状況
(参考資料
起源企業
52)
をもとに(財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG で作成)
開発企業
OPKO Health OPKO Health
Silence
Therapeutics
開発名
Bevasiranib
VEGF
Quark / Pfizer
PF-4523655
RTP801
Quark
QPI-1002
p53
Silence
ATU-027
PKN-3
Cubist / 協和発酵キリン ALN-RSV01
Alnylam
標的分子
Alnylam / Tekmira
最高ステージ*
適応症
加齢性黄斑変性症
加齢性黄斑変性症
日本
米国
欧州
―
PⅢ(中止)
―
PⅡ(中止) PⅡ(中止)
―
糖尿病黄斑浮腫
―
PⅡ(中止)
―
急性腎不全
―
PⅡ
PⅠ
臓器移植後臓器機能障害
―
PⅡ
―
非小細胞肺癌
―
―
PⅠ(DE)
PⅠ
RSV gene
RSV感染症
前臨床
PⅡ
ALN-VSP
VEGF / KSP
肝癌
―
PⅠ
―
ALN-TTR01
transthyretin(TTR)
TTR介在性アミロイドーシス
―
―
PⅠ
ALN-TTR02
transthyretin(TTR)
TTR介在性アミロイドーシス
前臨床
―
PⅡ(EP)
ALN-PCS
PCSK9
高コレステロール血症
―
前臨床
PⅠ(GB)
SYL-040012
AdR β-2
高眼圧症、緑内障
―
―
PⅡ(EP)
SYL-1001
VR1
眼痛
―
―
PⅡ(EP)
―
Sylentis
Sylentis
ZaBeCor
ZaBeCor
Excellair
Syk
喘息
―
PⅡ
Marina
Marina
CEQ-508
β-catenin
家族性大腸ポリポーシス
―
PⅡ
―
Quark
Quark
QPI-1007
Caspase-2
非動脈炎性虚血性視神経症
―
PⅡ
―
FANG vaccine
furin
卵巣癌 / メラノーマ / 結腸癌
―
PⅡ
―
pbi-shSTMN1LP stathmin 1
固形癌
―
PⅠ
―
GNE Lipoplex
GNE
骨格筋疾患
―
PⅠ
―
RXI-109
CTGF
創傷治癒
―
PⅠ
―
TKM-080301
PLK-1
固形癌 / リンパ腫
―
PⅠ
―
TKM-ApoB
ApoB
高コレステロール血症
―
PⅠ
―
TKM-Ebola
polymerase, VP-24,35 エボラ出血熱
―
PⅠ
―
―
Gradalis
Gradalis
Rxi
Rxi
Tekmira
Tekmira
Calando
Calando
CALAA-01
RRM2
固形癌
―
PⅠ
Senesco
Senesco
SNS-01
elF5A
多発性骨髄腫
―
PⅠ
―
Silenceed
Silenceed
siG12LODER
変異型 K-ras
膵臓癌
―
―
PⅠ(IL)
*2013/3/24現在. RTP801: HIF-1- responsive gene、PKN-3: protein kinase-3、KSP: kinesin spindle protein
PLK-1: polo-like kinase 1、RRM2: ribonucleotide reductase M2 subunit、PCSK9: proprotein convertase subtilisin/kexin type 9
RSV: Respiratory syncytial virus、VR1: vaniloid receptor 1、GNE: UDP-N-acetylglucosamine 2-epimerase/N-acetylmannosamine kinase
CTGF: Connective Tissue Growth Factor 、AdR: adrenergic receptor
54
第1章
③ miRNA 医薬
microRNA(miRNA)は 20~25 ヌクレオチドからなる 1 本鎖(2 本鎖) RNA で、標的 mRNA
の 発 現 を 調 節 す る こ と で 発 生 や 分 化 な ど の 生 命 現 象 を 制 御 す る 機 能 を 有 す る ncRNA
(non-coding RNA)の一種である。miRNA の機能は遺伝子発現の抑制にあり、mRNA の 3’
側 非 翻 訳 領 域 に 相 補 的 な配 列 を 有 し て 、 そ の 結 合 に よ っ てタ ン パ ク 質 へ の 翻 訳 を阻 害 す る 。
miRNA は siRNA と同様に mRNA のタンパク質への翻訳を阻害するが、その作用メカニズム
は大きく異なる。siRNA の高い特異性と比較的低いオフターゲット効果に比べて、miRNA は特
異性が低く、1 つの miRNA が多くの遺伝子転写に影響を及ぼすことが報告されている 5 3 ) 。この
ことは、miRNA 医薬を開発する上で大きな課題となる可能性がある。
最近、miRNA の異常発現が癌、ウイルス感染症、代謝性疾患、循環器疾患、中枢神経系疾
患など多くの疾患に関連していることが明らかになってきた。特に癌領域は良く研究されており、
高速シークエンサーによる miRNA 発現プロファイリングから、各種の癌で発現が亢進あるいは
抑制されている miRNA が数多く同定されている。
最近の miRNA 医薬の開発状況を示す(表 1-3-1-9)。治療戦略には、①発現亢進して
いる miRNA の機能抑制、②発現抑制されている miRNA の補充の 2 種類がある。①の機能抑
制にはアンチセンス miRNA オリゴヌクレオチドが用いられる。臨床開発段階にあるのは、デンマ
ーク Santaris 社の miR-122 を標的とした HCV 治療薬である Miravirsen のみである。②の
miRNA の補充療法では、生体が元来持っている RNAi 機構を応用することから、先行する
siRNA の方法論が参考になっている。いずれの場合もプロジェクト数は増えつつあるが、前臨床
の段階から進捗が見られるものは現在のところほとんどない。
55
第1章
表 1-3-1-9.miRNA 医薬の開発状況
(参考資料
開発企業
54)
をもとに(財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG で作成)
開発名
標的分子
適応症
miRNA抑制剤
Santaris
miRagen
Therapeutics
Miravirsen
miR-122
MGN-1374
miR-15 / 195
MGN-4893(miR-199) miR-199
MGN-4893(miR-451) miR-451
心筋梗塞
虚血性心疾患
赤血球増加症
代謝性疾患
前臨床
前臨床
前臨床
MGN-6114
末梢動脈疾患
前臨床
MGN-5804
miR-378
MGN-7455
miR-199
miR-92
C型肝炎
PⅡ
前臨床
虚血性心疾患
前臨床
miR-208 / 499
慢性心不全
前臨床
miR-122
miR-122
脂質異常症
C型肝炎
前臨床
前臨床
anti-miR-33a/b
miR-33a/b
動脈硬化
前臨床
脂質異常症
前臨床
MGN-4220
miR-29
心筋線維症
前臨床
miR-143 / 145
冠動脈再狭窄
前臨床
筋萎縮性側索硬化症
前臨床
let-7
miR-34
ND
非小細胞肺癌
前立腺癌、固形癌
固形癌
前臨床
前臨床
前臨床
固形癌
前臨床
固形癌
前臨床
前立腺癌
前臨床
固形癌
固形癌
前臨床
MGN-9103
Regulus
Therapeutics
開発ステージ *
miRNA補充剤
miRagen
Therapeutics
MGN-2677
MGN-8107
let-7
MRX-34 (miR-Rx34)
Mirna
Therapeutics
miR-Rx01
miR-Rx02
miR-Rx03
miR-Rx05
miR-Rx06
miR-Rx07
miR-209
ND
ND
ND
ND
ND
miR-16
ND
固形癌
*2013/3/24現在.米国開発のみ. ND: no data
Regulus: Alnylam Pharmaceuticals社とISIS Pharmaceuticals社のジョイントベンチャー
56
前臨床
前臨床
第1章
④ RNA アプタマー医薬
RNA アプタマーは、30 以下のヌクレオチドにより構成される 1 本鎖の RNA である。タンパク
質が固有の立体構造を形成するのと同様に、RNA アプタマーもそのヌクレオチド配列依存的に
固有の立体構造を形成し、抗体等と同様に特定のタンパク質に特異的に結合する。RNA アプタ
マーは、抗体と同様に高い特異性と親和性を示す一方、抗体に見られる細胞傷害性を示さず、
免疫原性もほとんどない。また、化学合成が可能で、コスト面で有利であることなどから、「核酸抗
体」として医薬への応用が期待されている。
最近の RNA アプタマー医薬の開発状況を示す(表 1-3-1-10)。現在承認されているの
は 、 2004 年 に 米 国 で 承 認 さ れ た Macugen の み で あ る 。 本 剤 は 、 血 管 内 皮 細 胞 増 殖 因 子
( VEGF ) を 標 的 と した 加 齢 性 黄 斑 変 性 症 の 治 療 薬 で 、 塩 基 の 修 飾 や ポ リ エ チ レ ン グ リ コ ー ル
(PEG)化などにより VEGF への親和性の増加、生体内での安定化と免疫原性の低下が図られ
ている。眼球に局所的に投与されるため、DDS に関する問題点を回避できている。
RNA アプタマー医薬のリーディングカンパニーは Archemix 社である。独 Noxxon 社は
Spiegelmer という立体異性体の RNA アプタマーを開発している。立体異性体のためヌクレア
ーゼによる分解を受けにくく、生体内での高い安定性を獲得している 5 3 ) 。
表 1-3-1-10.RNA アプタマー医薬の開発状況
(参考資料
起源企業
開発企業
55)
をもとに(財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG で作成)
開発名
標的分子
適応症
承認時期・最高ステージ*
米国
欧州
2004
2006
滲出型加齢性黄斑変性症
VEGF
PⅢ
PⅢ(申請後中止)
糖尿病黄斑浮腫
PⅡ
PⅡ(AT)
―
血栓性血小板減少性紫斑病
ARC1779
Archemix
von Willebrand Factor
(egaptivon pegol)
PⅠ
PⅡ(RU)
―
急性冠症候群
PⅡ
―
―
手術時の血液凝固
Regado Biosciences
REG1
Factor IXa
PⅠ
―
―
深部静脈血栓塞栓症
Archemix
E-10030
PDGF-B
―
PⅡ
―
滲出型加齢性黄斑変性症
Ophthotech
ARC-1905
C5 complement factor 加齢性黄斑変性症
―
PⅠ
―
ARCA Biopharma
NU-172
Thrombin
―
PⅠ
―
手術時の血液凝固
Baxter International
ARC-19499
TFPI
―
―
PⅠ(GB)
血友病
急性骨髄性白血病 / 腎細胞癌
―
PⅡ(中止)
―
ACT-GRO-777 /
Aptamera Antisoma
Nucleolin
AS1411
PⅡ
―
―
癌
PⅡ
―
―
糖尿病性腎症
NOX-E36
MCP-1
PⅠ(英)
―
―
ループス腎炎
PⅡ(BE/IT)
―
―
慢性リンパ性白血病
Noxxon
Noxxon
PⅡ(AT/IT)
―
―
多発性骨髄腫
NOX-A12
SDF-1
PⅠ(DE)
―
―
自己骨髄幹細胞移植
PⅠ(DE)
―
―
血液腫瘍、固形癌
NOX-H94
Hepcidin
―
―
PⅡ(EP)
貧血
*2013/3/24 現在. MCP-1: Monocyte Chemotactic Protein-1、 TFPI: Tissue factor pathway inhibitor、 SDF-1: Stromal cell derived factor 1
Gilead
Sciences
Pfizer
Macugen
Eyetech Pharmaceuticals (pegaptanib)
57
日本
2008
PⅢ
第1章
【参考資料】
1)
IMS Japan http://www.ims-japan.co.jp/japanese/pr_20120724.php
2)
IMS Institute
http://www.imshealth.com/ims/Global/Content/Insights/IMS%20Institute%20
for%20Healthcare%20Informatics/Global%20Use%20of%20Meds%202011/Me
dicines_Outlook_Through_2016_Report.pdf
3)
SCRIP January 11th, 2013, No 3631, pp.1&4
4)
FDA Drug Approval Reports
http://www.accessdata.fda.gov/scripts/cder/drugsatfda/index.cfm?fuseaction=
Reports.ReportsMenu
5)
Cegedim Strategic Data
6)
Mix online
http://utobrain.co.jp/news/20120730.shtml
http://www.mixonline.jp/Article/tabid/55/artid/43790/Default.aspx
7)
Mix online
http://www.mixonline.jp/LinkClick.aspx?fileticket=KrPzfurJOR8%3d&tabid=6
0
8)
Monthly ミクス 2012年 増刊号、91-93
9)
Chem-Station
http://www.chem-station.com/chemistenews/2013/02/2012.html
10) SCRIP100 16-20 (2012)
11) HS レ ポ ー ト No.77 ( 2012 年 ) 調 査 報 告 書 「 RNA 研 究 と 創 薬 技 術 開 発 の 新 展 開 」
pp20-21
12) HSレポート No.67(2009年) 調査報告書 「ポストゲノムの医薬品開発とシステムバイオロ
ジーの新展開」 pp233-248
13) https://www.evaluatepharma.com/secure/Registration.aspx?confirm=true&id
=66519fb7-cc53-4f8d-a0be-6a4556bccf32, Evaluate Pharma, World Review
2016 “ Beyond the Patent Cliff ” (2011)
14) 日経バイオテク 2013年1月14日, pp.3-7
15) 明日の新薬 各抗体名検索 (2013/3/27) 表作成
16) 国立医薬品食品衛生研究所 生物薬品部 http://www.nihs.go.jp/dbcb/mabs.html
17) 日経バイオテク 2012年2月2日
18) 明日の新薬 mogamulizumab検索 (2013/3/10)
19) 明日の新薬 pertuzumab検索 (2013/3/7)
20) 明日の新薬 raxibacumab検索 (2013/3/7)
21) 日経バイオテク 2013年1月14日, p.10
22) 明日の新薬 Prolia, Arzerra検索 (2013/3/27)
23) 日経バイオテク 2013年1月14日, p.10
24) 明日の新薬 Cimzia検索 (2013/3/10)
25) 明日の新薬 「抗体IgG融合タンパク質医薬」検索 (2013/3/7) 表作成
26) Roopenian D.C. Nat Rev Immunol. 7, 715-725 (2007)
58
第1章
27) 明日の新薬 Nplate検索 (2013/3/7)
28) 明日の新薬 Nulojix検索 (2013/3/7)
29) 日経バイオテク 2012年11月5日, p.9
30) New Current 24(6), 15-22
31) 明日の新薬 aflibercept検索 (2013/3/10)
32) Holmes, D. Nat Rev Drug Discov. 10, 798-800 (2011)
33) 明日の新薬 「bispecific抗体」検索 (2013/3/24) 表作成
34) Baeuerle P. et al. Drugs of the Future 33, 137-147 (2008)
35) Micromet http://www.micromet-inc.com
36) Kitazawa T. et al. Nat Med 18, 1570-1574 (2012)
37) New Current 24(1), 31-33
38) 日経バイオテク 2012年10月22日, p.12
39) 日経バイオテク 2011/1/19、2011/1/20
40) Seattle Genetics
http://www.seattlegenetics.com
41) ImmunoGen http://www.immunogen.com
42) 明日の新薬 「抗体薬物複合体」検索 (2013/3/24) 表作成
43) SCRIP March 1st, 2013, p.11
44) Igawa T. Nat Biotech 28, 1203-1207(2010)
45) 中外製薬「中外製薬における独自の革新的抗体技術」
http://www.c-hotline.net/docs/html/CHPH2571/dl/chph121218_1.pdf
46) 玄番 岳践 ファルマシア Vol.48, No.7, pp.663-667 (2012)
47) 濱島 仁 政策研ニュース No.37 pp.24-29 (2012)
48) 西川 元也 医薬品医療機器レギュラトリーサイエンス Vol.43, No.9, pp.778-785 (2012)
49) HSレポート No.74(2011年) 調査報告書 「ポストゲノムの医薬品開発とエピジェネティク
スの新展開」
50) HSレポート No.77(2012年) 調査報告書 「RNA研究と創薬技術開発の新展開」
51) 明日の新薬 「アンチセンス」検索 (2013/3/24) 表作成
52) 明日の新薬 「RNAi」検索 (2013/3/24)
53) 岡田弘晃 Drug Delivery System 25-6, 552-564 (2010)
54) 明日の新薬 「miRNA」検索 (2013/3/24)
55) 明日の新薬 「RNAアプタマー」検索 (2013/3/24)
59
第1章
1-3-2.システムバイオロジーの進展
(理化学研究所 八尾 徹 氏 寄稿)
【本節の目次】
1) はじめに
2) 3 つの注目すべき動き
① Translational Systems Biology and Bioinformatics 戦略報告書
② Systems Medicine and Precision Medicine
③ バイオインフォマティクスモデル開発へのクラウドソーシングの活用
3) システムバイオロジーの欧米近況(注目すべき政策の動き)
① 米国の国立システムバイオロジーセンターが 15 ヶ所に
② 米国生命体マルチスケールモデリング(MSM) コンソーシアム
③ ドイツ システムバイオロジー報告書発行
④ 英国合成バイオロジーの展開方針発表
⑤ スイス システムバイオロジープロジェクト SystemsX.ch 第 3 期に突入
4) システムバイオロジーの研究動向(成果、技術ほか)
① 細胞システムバイオロジー
② 転写制御因子(TF) ネットワーク の解析と応用、細胞リプログラミング
③ 単細胞の丸ごとコンピュータモデル
④ 合成バイオロジー(基盤ライブラリー、文献動向)
5) おわりに
1) はじめに
10 年以上になる世界的なシステムバイオロジーの展開を踏まえて、医薬・医療分野では、近
年特に Systems Medicine という言葉で多くの論文が出されるようになってきた。各疾病のメカ
ニズムのシステム的理解の重要性が認識され、そのシステム的理解に基づいた診断・治療・創薬
あるいは治験が行われるようになり始めている。個別化医療を支える大切な根拠を与えることに
なっていくと考えられる。
更に長期的な視点に基づく Translational Systems Biology and Bioinformatics の戦
略報 告 書が EU から 2012 年 発刊 された 。また 、2012 年に は米国 NAS から Precision
Medicine の方向性が示された。一方、バイオインフォマティクスにおけるモデル開発には、近年
のインターネットの発達を踏まえたクラウドソーシングが有効であるという検証報告がハーバード
大学から出された。
以下に、これら 3 つの動きを簡単にご紹介し、次にトピックスとして、欧米各国におけるシステム
バイオロジーに関するその後の動きと、この分野の最近の科学技術の進歩を取り上げる。
2) 3 つの注目すべき動き
① Translational Systems Biology and Bioinformatics 戦略報告書
EU-FP7(欧州科学技術計画第 7 期)の一環として、”EU におけるトランスレーショナルシステ
ム生物学とバイオインフォマティクスのための戦略レポート”が 2012 年 1 月に発刊された。
近年数多く開発されてきた各種疾病モデルの臨床(診断・治療・創薬・治験等)への活用に当
たって、その可能性・事例・検証・基準などの様々な観点から 20 数名の有識者・研究リーダーに
よって検討された報告書である 1 )2 ) 3 )4 ) 。
60
第1章
② Systems Medicine and Precision Medicine
Systems Medicine については、昨年の報告書(2012 年 3 月)及び後述の通り欧米各国で
大 き な 動 き に な っ てい る が 、そ れ を踏 ま え て 2011 年 末 に 米 国 NRC ( National Research
Council)/NAS(National Academy of Sciences)の打ち出した Precision Medicine は、
今後の医科学研究と応用に当たって重要な方向性を示すものと考えられる 5 ) 。
ここで Precision Medicine の実現のために、2 つのことを重視している。
(1) 既存医学知識と先端医科学研究成果との融合
(2) 国際疾病分類(ICD)の再構築
この報告書刊行のすぐあとに、Lancet、 New England Journal of Medicine などの医学
雑誌がこの動きを取り上げており、今後、注目すべきと考えられる 6 )7 ) 。
この提唱に対し、米国 9 省庁連携の IMAG-MSM(Multi-scale Modeling)コンソーシアム
が具体的にどのように貢献できるかについて 2012 年 10 月に真剣な討議をした 8 )9 ) 。
③ バイオインフォマティクスモデル開発へのクラウドソーシングの活用
ハーバード大学の研究グループが、バイオインフォマティクスの開発のための効果的なモデル
としてクラウドソーシングの検証について 2013 年 2 月報告書を出した 1 0 ) 。
「クラウドソーシング」は、従来の研究開発の「アウトソーシング」を更に発展させたリソースの調
達方法で、特に異分野知識を広く動員しなければならない生命体モデル(がんモデル等)や免
疫細胞等のビッグデータ解析ソフトの開発には益々有効な方法になったと述べている。バイオイ
ンフォマティクスのクラウド利用においては、協調(共同研究)と競争(コンペティション)の両方の
側面があるが、後者の方が動員力と速さの面で優れているようである。具体的事例として、
TopCoder(プログラミングの公開コンテストサイト)で行われたゲノム配列情報の高速解析ソフト
の開発には多数(122 グループ、700 名超)の応募があり、その中には従来の最高速解析ソフト
MegaBLAST の 970 倍の高速化を達成したものがあると報告された。
3) システムバイオロジーの欧米近況(注目すべき政策の動き)
① 米国の国立システムバイオロジーセンターが 15 ヶ所に
米国では、システムバイオロジーの国家的推進策の一つとして、2005 年以降、国立システム
バイオロジーセンターを逐次設立してきた。2012 年 10 月に、次の 2 つのセンターが新たに認可
され、全米で 15 か所となった。
(1) Microbial Communites 魚を使って、ホスト・微生物間のモデルを開発し、人間レベル
の 各 種 疾 病 に お け る 微 生 物 群 の 影 響 を 解 明 で き る よ う に す る 。 オ レ ゴ ン 大 学 の Dr.
K.Guilemin の微生物生態の理論をベースに展開する。
(2) UC Berkeley の Dr. J. Cate が中心になって、生細胞における遺伝子発現への RNA
の役割を解明するシステムバイオロジーを始める。
新規に認可されたセンターの予算は、共に 5 年間、1,000 万米国ドルである。また同時に他の
既存センターの予算更新も発表され、研究の継続性が重視されている。
これらとは別に、既設のウィスコンシンセンターでは Virtual Physiological Rat の開発が始
まっている。遺伝子群と心臓血管生理の関係を統合的に解析するコンピュータモデルを、実験グ
ループとタイアップして作り上げている。Medical College of Wisconsin の Dr. D. Beard をリ
ーダーとし、10 大学 12 名の研究者による共同研究である。
61
第1章
② 米国生命体マルチスケールモデリング(MSM)コンソーシアム
2012 年 12 月 5 日~7 日に東京国際フォーラムで、バイオスーパーコンピューティング国際シ
ンポジウム(ISLiM)が開かれた。その招待講演者の一人、NIH-NIBIB(National Institute
for Biomedical Imaging and Bioengineering)のプログラムディレクターGrace Peng 博士
から米国における生命体マルチスケ-ルモデリングの状況が紹介された。
米国では MSM(Multi-Scale Modeling)コンソーシアムが 2003 年から始まり、現在 80 名
の PI(研究リーダー)の下、100 のプログラムが動いていること、そしてそれらは当初から省庁を
またがる IMAG(Interagency Modeling Analysis Group)として現在 9 省(NIH、NSF、
DOE、USDA、NASA、FDA 他)の連絡会 8 ) の下で進んでいることが示された。これらの中で特
記事項を以下に列挙する。
MSM ワ ー キ ン グ グ ル ー プ は 日 本 の ISLiM と ほ ぼ 同 じ 分 類 で あ る が 、 更 に 臨 床 ・ 移 転
Working group と集団モデル Working group が加わっていることに特徴がある。
MSM の数多いテーマの中に、かなり具体的な臓器や疾病のテーマが多く見受けられる。以
下にいくつか例示する。
(1) Virtual Physiological Rat –上述 Medical College of Wisconsin、心血管疾患研
究のための仮想動物モデル
(2) Ventilator Induced Lung Injury-ピッツバーグ大学、人工呼吸器誘発肺損傷モデル
(3) Anti-VEGF therapies in Cancer-ジョンホプキンス大学、薬物反応・動態モデル
上記の米国国立システムバイオロジーセンター(www.systemscenters.org)は、当然のこと
ながらマルチスケーリングモデリングに関係し、この MSM コンソーシアムの中心的役割をしてい
る。また後述の通りドイツでは、更に手術への活用までを目指していることにも注目したい。マル
チスケールモデリングは正に基礎研究から応用への橋渡しの役割を果たす方向に進んでいる。
③ ドイツ システムバイオロジー報告書発行
2012 年 5 月、ドイツのシステムバイオロジー報告書国際版が発刊された。
その中心課題が“Systems Medicine”になっている。以前にも紹介したように、ドイツは早くか
らシステムバイオロジーを始め、3 年前のこの国際版では、ドイツはシステムバイオロジーで、世
界のトップを行くのだという宣言をしている。
ドイツのシステムバイオロジーの当初の進め方は、重点化であった。2004 年に肝臓細胞シス
テムバイオロジー(HepatoSys)プロジェクトを国家的に始めた。数ある候補テーマの中からこの
肝臓細胞ひとつに絞ったことは当時としては大英断であった。このターゲットに対し全ドイツの関
係各研究機関・研究者(12 サイト、150 名)が、代謝・シグナル伝達・細胞再生などの各現象に対
し、実験と計算の両面からアプローチした。当初の 3 年間のパイロット期と、続く 4 年間の本格研
究期の成果を踏まえて、2010 年か ら Virtual Liver Network プロ ジェクトへと進んでいる
(www.virtual-liver.de)。いよいよコンピュータモデルを使った診断・治療が実現する時期が
近づいている。手術への活用までを目指している。
実 は、ドイツ はこの間 、シ ス テム バ イオ ロ ジーの 多 面 的 な展開 を、並 行 して 始め てき てい る 。
2007 年に、全ドイツにシステムバイオロジーセンターを 4 つ立ち上げ(Heidelberg, Potzdam
他)、新しい研究棟 BioQuant ビルが建てられた。その後さらに 12 サイトにも拠点ができ、2010
年末には全部で 8,000 万ユーロ、132 名の PI(研究リーダー)が関わっているという規模になっ
62
第1章
ている。このようにして、ドイツのシステムバイオロジー施策は、当初の「重点化」から最近は「広
域化・多様化」へと展開してきている。
今回の国際版は、このような背景の下に、多様な動きが紹介されている。
“Systems Medicine” の 特 集 欄 に は 、 ま ず ICGC ( International Cancer Genome
Consortium)と NGS(Next Generation Sequencing)の包括的な紹介のあとに、システム
バイオロジーによる以下の内容が示されている。
・脳腫瘍の解明(Potsdam-Humboldt-Munich-Berlin)
・脳神経のネットワーク解析(Julich)
・肺がん治療における EPO (Erythropoietin)の功罪の解明(Heidelberg DKFZ)
・皮膚細胞からの肝臓細胞の再生メカニズムの解析(Jena-MPI-Humboldt)
・ウイルス感染対策の新しいシステムアプローチ(MPI Saarbrucken)
ほかに、昆虫の発生分化(Dr. Ulrike Gaul)、植物の葉の形成(Dr. Ute Kramer)、環境微
生物のネットワーク応答動態(Dr. Ralf Rabus)等の解析も紹介されている。
その上で、BMBF(ドイツ教育研究省)の下で 2011 年から始まった新しいシステムバイオロジ
ープログラムが示されている。
“e:Bio – Innovations Competition Systems Biology” という傘(Roof) の下に、今後 継
続的に次の 3 つのカテゴリーでグラントを出していくというものである。
(1) システムバイオロジーの新しい刺激的なアイデア・イノベーションテーマ
(2) 基礎研究と応用を結びつけるプロジェクト
(3) 若手研究者の育成
この考え方で、すでに 2011 年には募集が行われ、170 件(1-91 件、2-41 件、3-38 件)の応
募があった。審査の結果、全体で 6,500 万ユーロのグラントが出され、2012~2013 年にスター
トすることになっている。この募集は逐年継続的に行われる。
以上のように、ドイツはシステムバイオロジーに大きな期待をかけ、力を注いでいる 1 1 ) 。
④ 英国合成バイオロジーの展開方針発表
2012 年 7 月、英国 Technology Strategy Board から「英国合成バイオロジーロードマップ」
が公表された 。その 直 前 5 月に は英国政 府が、合成 バイオロ ジービ ジネスを促進す るための
$10M のグラントを計画していると発表している。更に 9 月 12 日には、英国に「合成バイオロジー
知 識 イノ ベ ー ショ ン セ ン タ ー 」 ( IKC-Innovation and Knowledge Center for Synthetic
Biology)を設立すると宣言した。
更 に 、 BBSRC ( Biotechnology and Biological Sciences Research Council ) は 、
EU-FP7 計画でサポートされている ERASynBio Network(16 ヶ国参加の欧州合成バイオロ
ジー研究ネットワーク)に積極的に加入すると言っている。
*「英国合成バイオロジーロードマップ」
短期(~2015 年)、中期(~2020 年)、長期(~2030 年)について提示している。
このような政策を強く打ち出している背景には、合成バイオロジーの世界市場規模が現在
(2011 年)の 16 億米国ドルから 2016 年に 108 億米国ドルに急速に拡大する見通しであること
(BBC リサーチ)と、英国がこの分野で強い立場にあるとの認識がある。
63
第1章
合成バイオロジーの応用分野・市場については、次の 6 分野を挙げている。
(1) 医療・健康
(2) 精密化学・特殊化学品(化粧品ほか)
(3) エネルギー
(4) 環境
(5) センサー
(6) 農業・食糧
加えて、基盤技術の整備を重要視している。
合成バイオロジーは、生物学・化学・工学・ITなど多様な分野の融合によって進める必要があ
るため、知識・技術の融合センターと人材育成の必要性を強調している。
一方では、社会の受容や規制の整備を重視し、チェックアンドバランスが大切と論じている。
更に、英国のこの分野における強さについて述べている。ここで最初に強調していることは、画
期的なブレークスルーの実績(特に生物科学、工学、IT 分野)とそのイノベーションを積極的に
支えてきた機関(HEFCE, EPSRC, BBSRC 他)の存在である。(これらの支援状況を具体的に
述べている)
合成バイオロジーの世界の研究者数は約 3,000 人で、その中で、研究論文数では英国は米
国に次ぎ第 2 位であるとしている。更に英国における強力な化学会社、製薬・バイオ企業の存在
を強みの一つとして挙げている。
その上で、下記の 5 点を進めるように提言している。
(1) 多分野融合センターの設立(陣容・資源・設備・連携など)
(2) 全英の合成バイオロジーコミュニティの形成(SIG 結成、人材育成、ELSI)
(3) 技術→市場加速のための投資
(4) 国際的なリーダーシップ
(5) 総合司令塔の設立
英国は今後、このロードマップに従って、強力な施策をとってくることと思われる。
⑤ スイス システムバイオロジープロジェクト SystemsX.ch 第 3 期に突入
スイスは、2007 年に国家システムバイオロジープロジェクト Systems X.ch を立ち上げ、研究
基盤整備と人材育成プログラムの上に、公募によって 2008 年に 8 研究テーマ、2009 年に 6 研
究テーマをスタートさせてきた。そして、これらの成果を踏まえて、2012 年 12 月に第 3 期として
新たに 15 テーマを認可した。2013 年~2016 年に亘って、2,920 万スイスフラン(約 30 億円)
の予算である。研究テーマが 11 件、研究移転テーマが 4 件である。
スイスの場合は、研究基盤(シークエンサー、オミックス施設、コンピュータなど)を国側で用意
した上で、研究テーマは申請(ボトムアップ)による競争であることが特徴である。
200 研究チームによる 40 件の提案(企業・海外からも含む)の中から、細胞の発生・分化など
基礎研究テーマ、がんを対象としたテーマ、また植物の形態形成・成長のテ―マなど多様なもの
が選ばれた。
尚、これまで当初から SystemsX.ch を統括・推進してこられた Ruedi Aebersold に代わって、
今後は、2010 年にチューリッヒ大の教授になったばかりの若い Lucas Pelkmans が引き継ぐこ
とになった。
64
第1章
4) システムバイオロジーの研究動向(成果、技術ほか)
① 細胞システムバイオロジー
最近、Cell 誌に細胞システムバイオロジーの論文・総説が非常に多く載るようになってきた。こ
のことは、分子システムバイオロジーの過去 10 年ほどの大きな進歩が背景にあると思われる。ゲ
ノム解析・オミックス解析・分子イメージングなどの分子レベルの先端計測技術とコンピュータモ
デリングの発達によって細胞内基本システムの理解が非常に進んできたことが引き金と考えられ
る。
2012 年 “Cell”誌は、システムバイオロジーの特集号を出して、C.Macilwain らの主論文
“Systems Biology: Evolving into the Mainstream.” 1 2 ) に続く 16 論文の中に、次の 2 つ
のエッセイを載せている。
P.Nurse らは、細胞研究にシステムバイオロジーが大きく貢献して行くだろうことを述べており 1 3 ) 、
C.Smolke らは更にシステムバイオロジーと合成バイオロジーを併用することによって、細胞の理
解と応用が加速されるだろうと述べている 1 4 ) 。
このような特集記事は今後の細胞研究に対して大きなインパクトを与えると考えられる。研究者
だけでなく、国の研究施策や企業の行動にまで影響を及ぼすと考えられるからである。
② 転写制御因子(TF)ネットワークの解析と応用、細胞リプログラミング
細胞の発生・分化過程と、細胞内分子ネットワーク 特に転写制御因子ネットワークとの関係の
解析が活発化してきている。
理化学研究所 OSC(林崎領域長)では、すでに 2009 年 4 月に単芽球から単球(マクロファー
ジ)への細胞移行における転写因子ネットワークの変化を追うことに成功し 1 5 ) 、更に 2010 年 3 月
に、ヒトとマウスについて転写因子(約 1,200 種)間相互作用の網羅的マップを公表し、その解析
から細胞のタイプを決めるのは、15 個の転写因子からなる相互作用サブネットワーク(図.1-3
-2-1)であることを突き止めている 1 6 ) 。非常に重要な発見であった。
・
図 1-3-2-1.細胞のタイプを決める 15 個の転写因子からなる相互作用サブネットワーク 1 6 )
65
第1章
これらの研究を背景に、2012 年 2 月にはヒト繊維芽細胞に転写制御因子ネットワーク(TRN)
を挿入する方法で iPS 細胞を経由せずに、特定の機能を持つ細胞を創ることに成功した 1 7 ) 。
【理研プレスリリース 2012 年 3 月 14 日】
iPS 細胞を経由せずに、特定の機能を持つ細胞を創ることに成功 1 8 )
-転写因子ネットワーク再構築することで分化転換による細胞機能改変-
細胞の機能を決めているのは転写因子のネットワークである。細胞 A の転写因子のネットワークを
細胞 B の中に再構築すれば、細胞 B は細胞 A になるはずだと考えた」(図 1-3-2-2)と鈴木研究
員。そして 2012 年 4 月、鈴木研究員らは、線維芽細胞に単球の機能を持たせることに成功した。
図 1-3-2-2.転写因子のネットワーク再構築の概念
上記以外に、幹細胞や iPS 細胞のシステムバイオロジー(細胞状態遷移のメカニズム解明とモ
デ ル化 ) が 非 常 に 活 発 に 進 ん で い る 1 9 ) 2 0 ) 2 1 ) 2 2 ) 2 3 ) 2 4 ) 2 5 ) 。更 に 、最 近 の Nature 誌 の 特 集
Frontiers in Biology において、細胞から組織形成へのシステムダイナミックスの進展が紹介さ
れている 2 6 ) 。
③ 単細胞の丸ごとコンピュータモデル
長年の課題であった単細胞の丸ごとコンピュータモデルの一つがついに完成した 2 7 ) 。
スタンフォード大 Markus Covert のグループが、ヒト病原菌 Mycoplasma Genitalium の
「細胞丸ごとコンピュータモデル」を作り上げこれを使って表現型の予測が出来るようになったと
発表した。この細菌群は、ゲノムサイズが小さく(55~140 万 bp)、遺伝子数も少なく(400~600
個)、以前からミニマムゲノムプロジェクトの対象になってきていたが 2 8 ) 、今回その理論モデルが
作り上げられたことは画期的なことである。
525 遺伝子を持つ M. genitalium の細胞内分子プロセスを 16 種変数、28 サブモデル
(DNA 複製・転写制御・修復、RNA 処理・修飾・翻訳、タンパク質処理・修飾・フォールディング、
染色体形成・分解、代謝パスウエイ等)に分けて、それぞれに適切なモデル型を作り上げ、それ
らを全体としてまとめるという手法を取っている。そのモデル作成には 900 文献と 1900 の測定パ
ラメータが使われ、更に独自の実験でモデルの検証をしている。単細胞だけでなく細胞集団とし
ての検証もしている。細胞周期の変化による細胞行動の変化にも注目している。
そして最後にこのモデルを使って、遺伝子ノックアウトによる各種表現型の変化の予測結果を
示し、実験で検証している。その中には実験に合わない結果がいくつかあり、それが新しい発見
につながった例( lpdA gene の役割)も示されている。
M.Covert 達は、これは最初の「ドラフトモデル」(ヒトゲノムドラフト配列を模して)に過ぎないと
言っている。また最小サイズの細胞であることにも言及している。
66
第1章
たしかに細胞壁もない寄生細菌のモデルに過ぎないかも知れないが、ついにこのレベルまで
到達したことは絶賛すべきことだと考える。
④ 合成バイオロジー(基盤ライブラリー、文献動向)
上記のような進展を背景に、合成バイオロジーに関し、次の 2 つの注目すべき動きが報告され
た。
(1)真核生物の転写因子群のライブラリ 2 9 )
合成バイオロジーの基盤となる真核生物の転写因子群のライブラリを作り上げた報告である。
これは一方では真核生物の転写因子の働きを理解する基礎研究のためであり、他方ではそれら
を利用して有用な働きを持つ生物機能を創るという応用研究のためでもある。代表的な DNA 結
合モティーフである Zinc Finger の組み合わせを中心として特異性と共通性を持つプロモータ
ー領域を作り上げている。この人工転写因子群(sTFs)の組み合わせによって各種の基礎実験
と応用開発ができるようにその基盤を提供したことは、大きな貢献と言える。
(2)PLoS One 合成バイオロジー論文 3 0 )
PLoS One が過去 6 年間に掲載した合成バイオロジーの論文 52 件のリストである。従来の専
門分野を超えてまたがった(Interdisciplinary)分野である合成バイオロジーの発表の場として
PLoS One はふさわしいと自賛しているが、たしかに合成バイオロジーはタンパク質分子レベル
から細胞レベル、更には微生物集団レベルなど多岐にわたっている。
このリストの冒頭 2007 年には、嬉しいことに大阪大四方グループの論文が載っており、2011
年 3 月 に は 、 上 記 の 理 化 学 研 究 所 OSC の 成 果 が 載 っ た が 、 そ の 間 に は 、 A.Arkin 、
J.Keasling、L.Serrano、D.Endy、M.Hecht、 R.Weiss など合成バイオロジーの主要なメン
バーが論文を発表している。ちょっと気になることはこれらに交じって中国人研究者の論文が多
いことである。合成バイオロジーは応用を目指す段階では、必ず社会的アセスメントを必要とする
が、その点で国家間の意識や規制の差が出てくると考えられる。将来展開についてよく考えなけ
ればならない。
5) おわりに
生命現象の解明とその応用におけるコンピュータ利用の重要性は、年々急速に高まってきて
いる。バイオインフォマティクス・計算生命科学・システムバイオロジー・合成バイオロジーなどに
おいて、ビッグデータの解析や複雑システムのシミュレーション等が大きな課題となり、スーパー
コンピュータ「京」の利用が進んでいる(次世代生命体統合シミュレータ開発プロジェクト、海外プ
ロジェクト他)。
一方では、基礎研究成果の臨床応用への展開が世界的にも大きな課題で、様々な動きがある。
そのような動向やトピックスについて、今回いくつかを取り上げ紹介したが、これまでの 6 年間の
報告と合わせて読んで頂ければ大きな流れをくみ取って頂けると思う。
システムバイオロジーは、分子生物学・細胞生物学・生理学・薬理学等を統合して、生命現象
をシステムとして理解しようというアプローチで、今後数十年に亘って発展していくものである。そ
れを見越した研究体制と人材育成を長期的な視点で各国が推進している。日本における状況は、
2011 年、2012 年の HS 創薬技術調査報告書 3 3 ) (HS レポート No.74、No.77)に詳しく載せて
いる通り、近年かなり活発化して来ているが、今後さらなる展開が必要と考える。
67
第1章
【参考資料】
1)
Strategic Report for Translational Systems Biology and Bioinformatics in the
EU.
http://www.inbiomedvision.eu/PDF/Report-TranslationalBioinformatics-FIN
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2)
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3)
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Collaborative Competition.” Nature Biotechnology 29, 2011
4)
N.Shublaq “Strategic Report on Genotype-Phenotype Resources in the
European Union.” (2012)
5)
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Research and a New Taxonomy of Disease”
http://www.ucsf.edu/sites/default/files/documents/new-taxonomy.pdf
6)
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Nov.12, 2011 ”Moving Toward Precision Medicine”
7)
The New England Journal of Medicine Feb.9, 2012 “Preparing for Precision
Medicine”
8)
http://www.imagwiki.nibib.nih.gov/mediawiki/index.php?title=Main_Page
9) Winslow et al. “Computational Medicine: Translating Models to Clinical Care”,
Sci Transl. Med. Vol.4, Issue 158 (2012)
10) “Validation
of
Development”
Crowdsourcing
as
Effective
Model
for
Bioinformatics
Nature Biotechnology Feb. 7, 2013
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13) P.Nurse and J.Hayles “The Cell in an Era of Systems Biology”, Cell. 2011 Mar
18;144(6)
14) C.Smolke and P.Silver “Informing Biological Design by Integration of Systems
and Synthetic Biology”, Cell. 2011 Mar 18;144(6)
15) Ryan J Taft et ql Nature Genetics , Apr. 2009, Nature Genetics 41, 572–578 (1
May 2009) | doi:10.1038/ng.312 , Tiny RNAs associated with transcription
start sites in animals, Ryan J Taft , Evgeny A Glazov , Nicole Cloonan , Cas
Simons , Stuart Stephen , Geoffrey J Faulkner , Timo Lassmann , Alistair R R
Forrest , Sean M Grimmond , Kate Schroder , Katharine Irvine , Takahiro
Arakawa , Mari Nakamura , Atsutaka Kubosaki , Kengo Hayashida , Chika
Kawazu , Mitsuyoshi Murata , Hiromi Nishiyori , Shiro Fukuda , Jun Kawai ,
Carsten O Daub , David A Hume , Harukazu Suzuki , Valerio Orlando , Piero
Carninci , Yoshihide Hayashizaki & John S Mattick
16) Cell March (2010)
17) T. Suzuki, H.Suzuki et.al “Reconstruction of Monocyte Transcriptional
68
第1章
Regulatory
Network
Accompanies
Monocytic
Functions
in
Human
Fibroblasts.” PloS One 2012, 7(3) e33474
18) http://www.riken.jp/r-navi/face/048/index.html
19) H.Xu, I.Lemischka et al; “Toward a Complete in silico, multi-layered
embryonic Stem Cell Regulatory Network. www.wiley.com/wires/sysbio, 2010
20) I.Chambers
and
S.Tomlinson;
“The
Transcriptional
Foundation
of
Pluripotency.”, Development 136, 2311-2322 (2009)
21) J.Hanna et al “Pluripotency and Cellular Reprogramming: Facts, Hypotheses,
Unsolved Issues” Cell 143, Nov.12, 2010
22) S.Islam et al ; “Characterization of the Single-Cell Transcriptional Landscape
by Highly Multiplex RNA-Seq” Genome Research 2011
23) M.Gabut, B.Blencowe et al ; “An Alternative Splicing Switch Regulates
Embryonic Stem Cell Pluripotency and Reprogramming” Cell 147, Sep.30,
2011
24) J.Polo, E.Anderssen, S.Ramaswamy, K.Hochedlinger et al ; “A Molecular
Roadmap of Reprogramming Somatic Cells into iPS Cells” Cell 151, Dec.21,
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25) C.Blanpain; “Tracing the Cellular Origin of Cancer”, Nature Cell Biology 15,
126-134 (2013)
26) Y. Sasai; “Cytosystems Dynamics in Self-Organization of Tissue Architecture”,
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27) J. Karr, M. Covert et al; “A Whole-Cell Computational Model predicts
Phenotype From Genotype.” Cell 150, 389-401, July 20, 2012
28) C.Venter et al; PNAS 2006
29) A.Khall, J.Collins, et al; “A Synthetic Biology Framework for Programming
Eukaryotic Transcription Functions”, Cell Aug.3, 2012
30) “The PLoS One Synthetic Biology Collection for 6 years” PLoS One Aug 15,
2012
【全般の参考資料】
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32) D.Alfrdo, F.Marcus 編 (H.Kitano, T.Yao 分 担 ), “Cancer Systems BiologyBioinformatics and Medicine”, Springer 2011
33) HS創薬技術報告書(これまでのHS創薬技術調査報告書
HSレポート No.63 2007年度(平成19年度)報告書(平成20年4月刊)
HSレポート No.67 2008年度(平成20年度)報告書(平成21年4月刊)
HSレポート No.71 2009年度(平成21年度)報告書(平成22年4月刊)
HSレポート No.74 2010年度(平成22年度)報告書(平成23年3月刊)
HSレポート No.77 2011年度(平成23年度)報告書(平成24年3月刊)
69
第1章
1-4.生命科学領域でのトピックス
最近の生命科学領域でのトピックスについては、主に 2012 年のノーベル生理学・医学賞、化
学賞及び Science 誌が発表している“Breakthrough of the Year”の内容を中心に紹介する。
2012 年 の ノ ー ベ ル 生 理 学 ・ 医 学 賞 は 山 中 伸 弥 ( 京 都 大 学) と John B. Gurdon ( 英 国 、
Cambridge 大学)に贈られた。“分化した細胞を初期化(リプログラミング)して万能性(分化多
能性)を有する細胞に戻せることを発見したこと”が受賞理由である。Gurdon は、1962~66 年
の間に、カエルの体細胞(小腸細胞)の核を、除核した未受精卵に移植することでオタマジャクシ
からカエルにまで成長できることを示した。各組織に分化した細胞の核にも個体発生に必要な全
ての遺伝子が含まれていることを証明し、細胞は分化に伴って不必要な遺伝子を失っていくとい
う定説を覆した。それから約 50 年の期間を経た 2006 年に、山中らはマウスの皮膚細胞に 4 個
の 遺 伝 子 ( 転 写 制 御 因 子 ) を 導 入 す る こ と で 初 期 化 さ れ た ( 分 化 ) 多 能 性 幹 細 胞 ( Induced
prulipotent stem cell, iPS 細胞)へ誘導できることを報告し、翌年にはヒトでも同様の iPS 細
胞が作製できることを示した。それ以前にも、1981 年に Sir Martin Evans(英国、Cardiff 大
学)によって、受精卵の胚盤胞から分化多能性を有する胚性幹細胞(Embryonic stem cell,
ES 細胞)が作製されていたが、分化した細胞から人工的に分化多能性を有する細胞(iPS 細
胞)が作製されたことは世界を驚かせた。それと同時に iPS 細胞の発見は、再生医療をはじめと
する多くの生命科学分野の研究に飛躍的進歩をもたらすものとして注目されている。尚、Evans
は ES 細胞を用いたノックアウトマウスの作製による医学的貢献から、Mario R. Capecchi(米国、
Utah 大学)および Oliver Smithies(米国、North Carolina 大学)と共に 2007 年のノーベ
ル生理学・医学賞を受賞している。
iPS 細胞に関する研究とその応用に向けた研究開発は世界各国で凄まじい勢いで進められ、
着実に進歩してきている。特に再生医療分野での応用研究の進展は著しく、臨床試験段階に入
ろうとする疾患領域も出てきている。また、各種疾患の病態解明や創薬への応用も実用段階にあ
る。これらの研究成果は、多くの論文発表と共にマスメディアによって盛んに報道されていること
より詳細は省略するが、今後の科学的課題は、どのようなメカニズムによって細胞のリプログラミン
グが生じるかであろう。その鍵となるのはエピジェネティックな制御と考えられ、この制御機構の詳
細な解明が待たれる。
ノーベル化学賞は、G タンパク質共役受容体(GPCR)の機能と構造解明に関する研究で、
Robert J. Lefkowitz 博士(米国、Howard Hughes 医学研究所)と Brian K. Kobilka(米
国、Stanford 大学)が受賞した。1970 年に Lefkowitz 博士は、βアドレナリン受容体がアドレ
ナリンと結合すると細胞内の G タンパク質を活性化して細胞内シグナル伝達経路を活性化するこ
とを発見した。また、Kobilka と共にβアドレナリン受容体遺伝子を同定し、7 回膜貫通型受容
体であることも明らかにした。GPCR は膜貫通型受容体タンパク質であり、その構造解析に向け
た同タンパク質の結晶化は困難であったが、2007 年に Kobilka によって結晶化が成功し、構造
解析が行われた。更に、2011 年には、βアドレナリン受容体がそのリガンドであるアドレナリンと
結合し、細胞内の G タンパク質も結合している活性化状態での構造解析にも成功した(尚、最初
に結晶化され構造解析された GPCR はロドプシンであり、これは 2000 年にワシントン大の岡田
博士によってなされている)。現在、約 1,000 種の GPCR が見出されており、GPCR に作用する
医薬品も多い。今後も、新規の GPCR に作用する医薬品の研究開発が続けられると考えられる
70
第1章
が、両博士によってもたらされた GPCR の構造情報は、既にコンピュータを用いたドラッグデザイ
ンに大きく貢献しているものと思われる。
Science 誌が毎年発表している“Breakthrough of the Year”では、2012 年に報告された
研究成果の中で、「ヒッグス粒子」に関する発見が第 1 位に選ばれた 1 ) 。この研究成果は生物も
含めたあらゆる物質の根源につながるものである。素粒子物理学では、物質に質量を与える素
粒子であるヒッグス粒子の存在が 1960 年代から予測され、巨大加速器を使った探索が 30 年以
上も続けられていたが、その発見は難航していた。2012 年 7 月、2 つの国際研究グループ(日本
からは東京大学が参加)が、スイスにある欧州合同原子核研究機構の世界最大の巨大加速器を
使った科学史上で最大規模の実験を行い、ヒッグス粒子の可能性が高い新粒子を発見したこと
を報告した 2 ) 。今回見出されたものが確かにヒッグス粒子であるか否かに関する実験が更に進め
られ てお り、2013 年春 頃に確定 する と推 測 され てい る 。2012 年の“Breakthrough of the
Year”には、ヒッグス粒子に関する発見以外に、ニュートリノやマヨラナ粒子に関する研究成果が
取り上げられている。ヒトゲノム計画を初めとするゲノム科学の進歩が生命科学にもたらした変革
と同様に、素粒子物理学の世界にも新たな時代が始まろうとしている。
その他に“Breakthrough of the Year”に選ばれた生命科学関連の研究成果は以下の通り
である。
1) 古代人(デニソワ人)のゲノム解析
2010 年にネアンデルタール人のゲノムがほぼ完全解読され、ヒトのゲノムとの詳細な比較から、
現在のヒト(欧州人及びアジア人)はゲノムの 2~6%をネアンデルタール人から受け継いでいるこ
とが示された(この研究成果は 2010 年の“Breakthrough of the Year”に選ばれている) 3 ) 。
更に 2010 年末には、2008 年にシベリアで発見された別の旧人類であるデニソワ人のゲノムの
一部も解析され 4 ) 、ヒトのゲノムと比較された(この研究成果は 2011 年の“Breakthrough of
the Year”に選ばれている)。しかしながら、約 5 万年以上前に生きていたと考えられるデニソワ
人(少女)の化石から抽出された DNA の多くは一重鎖であり、従来の方法でのゲノム解析では
正 確 な結 果 が 得 られ なかっ た 。そ こで 、Meyer 等 ( Max Planck 研 究 所 ) は、新 た な一 重 鎖
DNA 解析技術を開発し、デニソワ人のゲノムの 92%を解読した 5 ) 。その結果、東南アジアに住
むヒトではゲノムの約 3%をデニソワ人から受け継いでいることが示され、現代人の祖先はデニソ
ワ人と異種交配していたことが改めて明らかとなった。また、今回の解析結果から、解析されたデ
ニソワ人の目、皮膚及び髪の色なども推測可能となった。今後、この新技術を用いて、ネアンデ
ルタール人のより詳細なゲノム解析を行いデニソワ人との比較が行われる予定である。2009 年
の“ラミダス猿人に関する研究”から 4 年連続してヒトへの進化に関する研究が“Breakthrough
of the Year”に選ばれたことになる。
2) 遺伝子操作を容易にする新技術開発
近年、新たな遺伝子組換え技術として、目的とする DNA 配列に特異的に結合し切断する人
工制限酵素の開発が注目されている。人工制限酵素については、既に 1990 年代後半にジンク
フィンガーヌクレアーゼ(Zinc Finger Nucleases, ZFNs)の開発が行われた 6 ) 。これは、DNA
配 列 を 認 識 し て 結 合 す る ジ ン ク フ ィ ン ガ ー ド メ イ ン と DNA を 切 断 す る ヌ ク レ ア ー ゼ ( Fok I
nuclease の DNA 切断ドメイン)の融合タンパク質であるが、作製が難しく、また特許権の問題も
71
第1章
あり、別の同様の技術が望まれていた。2009 年に植物病原菌 Xanthomonas が産生するタン
パク質である TALEs(Transcription Activator-Like Effectors)にジンクフィンガードメイン
と同様の DNA 結合ドメイン(17 塩基対前後を認識するドメイン)が発見され、このドメインに Fok
I nuclease の DNA 切断ドメインを融合させたタンパク質である TALEN(TALE Nucleases)
が作製された 7 )8 ) 。2012 年になって、TALEN の DNA 結合ドメインのアミノ酸配列を目的とする
DNA 配列に結合するように変換したものを簡単に安く作製できる技術が開発され、種々の細胞
や動物の遺伝子改変の作製等に広く使用されるようになってきいる 9 ) 。更に、詳細は省略するが、
より簡便な技術として原核生物の免疫機構に関与している CRISPR/CAS(Cas9 nuclease)シ
ステムを応用した新技術の開発も進められている。これらの新技術は遺伝子工学に大きな進歩を
もたらすと考えられる。
3) ヒトゲノム解析の進歩
1990 年に始まったヒトゲノム計画(Human Genome Project)は 2003 年に完了し、ヒトゲノ
ムの全塩基配列(約 30 億 bp)がほぼ明らかにされた。その結果を基に、ヒトゲノムにコードされて
いるすべての機能要素を解明することを目標とした ENCODE(Encyclopedia of the Human
DNA Elements)計画が、米国 NIH のヒトゲノム解析研究所を中心に世界各国の 32 の研究機
関(日本からは理化学研究所が参加)が参加する国際プロジェクトとして 2003 年 9 月から開始さ
れた。ENCODE 計画の研究成果はこれまでにも報告されていたが、2007 年から開始された第
2 期の研究成果が 2012 年 9 月に報告された 1 0 ) 1 1 ) 。
これまでの研究成果によると、ヒトのタンパク質をコードする遺伝子数は約 22,000(ゲノム全体
の 2%以下)であり、その一方でヒトゲノムの約 76%が RNA に転写されていることが明らかにさ
れた。これらの RNA の多くはタンパク質をコードしていないが、何らかの機能を発揮していると考
えられ、non-coding RNA(ncRNA)と呼ばれている。ncRNA の中には、20~30 塩基の小さな
ncRNA である siRNA や microRNA (標的とする mRNA の分解・翻訳抑制)や数十万塩基に
もなる長鎖 ncRNA(転写因子の活性制御、細胞内(核内)構造体形成及びクロマチンへの作用
によるエピジェネティック制御)が含まれており、それぞれの機能が解明されたものもあるが、未だ
に機能不明の ncRNA も多数存在している。また、種々の細胞(349 種)を用いた研究からは、ゲ
ノム上で転写因子が結合する部位が約 390 万も同定され、これらの機能に関する解明が進めら
れている。更に、各種疾患の発症リスクに関係する新たな DNA 領域も見出された。「1,000 人ゲ
ノムプロジェクト」との比較からは、ヒトゲノムの 8%に変動が見られ、これらがヒトの進化に重要な
関係があると推測されている。ENCODE 計画は、今後のゲノム研究推進に重要な情報を見出し
たことで多いに評価されると考えられる。
4) X 線レーザーによる最初のタンパク質構造解析
X 線によるタンパク質の構造解析は従来から行われてきているが、膜タンパク質などの結晶化
が難しいタンパク質の解析は非常に困難であった。そこで非結晶状態でもより高精度・高速な解
析が可能となる X 線レーザー(X 線自由電子レーザー;XFEL, X 線とレーザーの特性を併せ持
つ光)による解析技術の開発が日米欧で進められている。世界で初めて X 線レーザーの発振に
成功したのは米国の SLAC 国立加速器研究所であり、2009 年にライナックコヒーレント光源
(Linac Coherent Light Source, LCLS)を使って行われた。2012 年になって、この X 線レ
72
第1章
ー ザ ー を 用 い て 、 ア フ リ カ 睡 眠 病 病 原 体 で あ る 寄 生 性 原 虫 ト リ パ ノ ソ ー マ の Trypanosoma
brucei cysteine protease cathepsin B(本疾患に関与する酵素)の構造解析が行われた。解
析には培養細胞内で過剰発現させることで形成された微小結晶(in vivo 結晶化)が使用され、
X 線レーザーによって得られた 178,875 個の回折パターンを基に本酵素の詳細な構造が解析さ
れた。この研究成果は、本酵素を標的としたアフリカ睡眠病に対する新薬の研究開発に有用な
情報をもたらすものと考えられている 1 2 ) 。
X 線レーザーによる解析技術は、タンパク質等の構造解析だけでなく、高分解能の細胞内分
子イメージングや細胞内の複数の RNA 同時測定等への応用も検討されている。X 線レーザー
解析技術は、生命科学の基礎研究から創薬研究までも含めた広い範囲において有用な技術に
なると考えられる。また、生命科学以外の研究領域(天文学など)においても有用な技術となるこ
とから、更なる技術開発が世界各国で進められている。日本では、理研播磨研究所に XFEL 施
設;SACLA(さくら)が SPring‐8 に併設され、2011 年に X 線レーザーの発振に成功し、2012
年から稼働している。また、欧州においても、ドイツ電子シンクロトロン研究所で技術開発が進め
られている。
5) 幹細胞を用いた卵子の作製
京都大学の斎藤と林らのグループは、マウスの多能性幹細胞(ES 細胞及び iPS 細胞)から卵
子を作製し、これらの卵子から子供を産み出すことに初めて成功した 1 3 ) 。同グループは in vitro
でマウスの ES 細胞や iPS 細胞から、始原生殖細胞(卵子や精子に分化する細胞)を作製し、更
に卵巣になる体細胞(雌生殖巣体細胞)と共培養後、雌マウスの卵巣に移植することで卵母細胞
へと分化させた。この卵母細胞に通常のマウスの精子を用いて体外受精させ、この受精卵を雌マ
ウスに移植して正常なマウスを出産させることに成功した。生まれたマウスは正常に成長し、生殖
能力もあることが示された。同グループは 2011 年に ES 細胞や iPS 細胞から精子を作製するこ
とにも成功している 1 4 ) 。同グループによると、これらの成果は、卵子や精子が形成されていくメカ
ニズムの解明に貢献すると共に、本技術を応用することで不妊症の原因究明などにも役立つこと
が期待されるとしている 1 5 ) 。
以 上 が 2012 年 の ノ ー ベ ル 生 理 学 ・ 医 学 賞 及 び 化 学 賞 や Science 誌 が 発 表 し て い る
“Breakthrough of the Year”に関する紹介であるが、これら以外に興味がもたれる研究成果
も数多く報告された。例えば、今後の動向が注目される研究成果が Stanford 大学から 2 つ報告
されている。Stanford 大学医学部の Synder らのグループからは、Synder 本人の血液を用い
て、経時的(14 ヶ月)にゲノミクス(約 12,000 個の遺伝子)、トランスクリプトミクス(約 20,000 種
の RNA)、プロテオミクス(約 6,000 種のタンパク質)およびメタボロミクス(約 1,000 種の代謝産
物)解析等を実施し、これらの解析データを統合した integrative Personal Omics Profile
(iPOP)の結果を報告している 1 5 ) 。Synder 本人の健常時と感染症発症時での違いや、ゲノム
解析を基にした各種疾患に対する発症リスク等の解析等が行われている。iPOP は、個別化医
療や各種疾患の病態を更に詳細に解析する上で有用な情報をもたらすと考えられることから、今
後の動向が注目される。また、生命工学科(Bioengineering)の Covert 等は、 Mycoplasma
genitalium (525 個の遺伝子しか持たない細菌)に関する論文データを用いて、細菌の中で起
きる生化学反応に関する 1,900 個以上の情報(分子間相互作用に関するパラメーター等)をシミ
73
第1章
ュレーションソフトに組み入れ、細菌の生命現象を再現できるコンピュータモデルを作製したと報
告している 1 7 ) 。このような細胞(細菌)全体のコンピュータモデルの作製は世界初であり、情報生
命科学(Computational biology)あるいはシステムバイオロジー領域における大きなトピックス
であったと思われる。 Mycoplasma genitalium は、2008 年に Venter 等が行った世界初の人
工染色体の合成にも用いられており、「人工生命」の実現に向けた研究の動向にも興味が持たれ
る。
以上、2012 年の生命科学領域でのトピックスを述べてきたが、やはり iPS 細胞に関連した研
究の進展が最も注目されたものであろう。また、タンパク質の構造解析に関する研究成果が評価
された点にも注目すべきであり、これらの成果は、今後の創薬研究においても重要な役割を果た
すものと推測される。
【参考資料】
1)
Breakthrough of the Year. Science 338:1524 (2012)
2)
Cho A et al., Science 337:141 (2012).
3)
Green RE et al., Science 328:710-22 (2010)
4)
Reich D et al., Nature 468:1053-60 (2010)
5)
Meyer M et al., Science 338:222 (2012).
6)
Kim YG et al., Proc Natl Acad Sci USA 93:1156 (1996)
7)
Boch J., Science 326:1509 (2009)
8)
Boch J., Nature Biotechnology 29:135 (2011)
9)
Reyon D et al., Nature Biotechnology 30:460 (2012)
10) Pennisi E., Science 337:1159 (2012)
11) ENCODE Project Consortium, Nature 489:57 (2012).
12) Redecke L et al., Science 11:227 (2013)
13) Hayashi K et al., Science 338:971 (2012)
14) Hayashi K et al., Cell 146:519 (2011)
15) http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news6/2012/121005_2.htm
16) Chen R et al., Cell 148:1293 (2012)
17) Karr JR et al., Cell 150:389 (2012)
74
第2章
第 2 章 創薬技術の最新動向と創薬への応用
はじめに
ライフサイエンスを基盤とした革新的医薬品・医療機器の創出は、成長戦略の重点領域の一
つに位置づけられ、これを踏まえて「革新的医薬品・医療機器創出のための 5 ヵ年戦略」が省庁
横断的に内閣府・文部科学省・厚生労働省・経済産業省から 2007 年 4 月に発表された 1 ) 。その
後、医薬品・医療機器を取り巻く環境はこの 5 年間で大きく変化したことから、再生医療や個別化
医療なども取り入れ、更に具体的な「医療イノベーション 5 ヵ年戦略」が 2012 年 6 月に策定され
た。この中で医薬品・医療機器開発の支援体制の整備が叫ばれ、我が国の優れた研究成果を確
実に医薬品・医療機器の実用化につなげることができるように、産学官の連携による創薬支援ネ
ットワークの構築が提案された 2 ) 。2012 年 12 月の政権交代に伴い「医療イノベーション 5 ヵ年戦
略」は形を変え、新たに「健康・医療戦略室」が設置されたが、戦略の骨子「医療、医薬品、医療
機器を戦略産業として育成し、日本経済再生の柱とする」に変化はない 3 ) 。このような状況下、革
新的医薬品・医療機器(再生医療製品を含む)を世界に先駆けて開発する上で、創薬基盤技術
の研究開発の重要性が尚一層増している。
本章では、最新の創薬基盤技術の中から、最近特に著しい進展が見られる、「イメージング技
術」、「高速シークエンサー」、「新規モデル動物試験系」を取り上げ、基礎と共に創薬・医療への
応用について最新動向を調査した。ここに挙げた基盤技術の中には、低分子化合物の創薬にお
ける創薬ターゲットの探索・同定、ターゲットバリデーション、各種スクリーニングによるシード探索、
リード化合物の最適化、薬効薬理・毒性などの前臨床試験、臨床試験、市販後のリスク管理など
のいずれかの過程ですでに活用されているものもあり、将来的には、更に効率的で確率の高い
創薬を実現するための重要な基盤技術に発展すると考えられる。
【参考資料】
1) http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/03/dl/h0305-1b.pdf
2) http://www.kantei.go.jp/jp/singi/iryou/5senryaku/siryou01.pdf
3) http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/dai1/siryou03.pdf
75
第2章
2-1. イメージング技術
生物試料からその機能や刺激応答、あるいは変異を特徴付ける応答を読み取る場合、大きく
分けて 2 通りの方法が採られている。1 つは生物試料を生きたまま観察して情報を読み取る方法
で、もう 1 つは生物試料を固定した後切片化し、その切片から情報を読み取る方法である。前者
には蛍光物質を利用した蛍光顕微鏡法、RI を利用した SPECT や PET 法、核磁気共鳴を利用
した MRI 法、X 線を利用した X 線 CT 法、他にも超音波法などが挙げられ、後者には電子顕微
鏡法、光学顕微鏡と質量分析器を組み合わせた質量顕微鏡法などが挙げられる。それぞれの手
法の選択に関しては、目的に見合ったコストで十分なパフォーマンスが得られるように、本分野に
おける十分な情報開示と情報交換が望まれる。本項では、前者の手法を中心に日本を代表する
研究者らにヒアリングを行い、それらの原理、パフォーマンス、長所・短所などの特徴、研究・臨床
での活用例を整理し、現在、将来における創薬との接点に関して述べる。
2-1-1.分子イメージングの創薬への応用 1)
1) 理化学研究所分子イメージング科学研究センターの概要
理化学研究所分子イメー ジング科学研究センターは、分子イメージングの拠点として、2005
年より文部科学省の分子イメージング研究プログラムとして始動している。現在は分子イメージン
グ研究戦略推進プログラム(J‐AMP)として、第 2 期のプロジェクトを実施しており、世界一の標
識化合物合成力や精細な動物実験(無麻酔下・麻酔下の双方で PET 撮像。また、無麻酔下で
の 経口投与薬物動態研究も可能)の技術を用い、分子イメージング活用創薬と先制医療・健康
科学への貢献を目指している(図 2-1-1-1)。
理化学研究所分子イメージング科学研究センターは、多数の機関との共同研究をしており、と
りわけ、臨床共同研究は、先端医療センター、大阪市立大学、国立がん研究センター、兵庫医
科大学等、様々な機関と実施している。
76
第2章
図 2-1-1-1.理化学研究所分子イメージング科学研究センターにおける取り組み
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
2) PET 技術
理化 学 研究 所分 子 イメー ジング 科学 研 究セ ン ター では、分 子 イメー ジング 技術 と して、主に
Positron Emission Tomography(PET)の技術を用いている。
自然界の
12
C は陽子 6 個、中性子 6 個を持ち、エネルギー的に非常に安定な形で存在して
いる。一方 11 C は中性子が 5 個であり、原子核内が非常に不安定であるため、崩壊して 11 B にな
る。その際に陽電子(ポジトロン:e + )が放出される。陽電子はすぐに核外の電子 e - と引き合って
衝突し、その鉛直面に 511keV のエネルギーを持った一対のγ線を発生する。
PET は標識した化合物を取り込ませ、崩壊させることにより検出する技術である。e + は体内を
通りぬけないため組織切片等では検出できるが、生体では通常γ線を検出する。ヒト用 PET は
直径 60~80cm で、50 列~64 列の検出リングを備えている。撮像範囲(FOV:field of view)
は 20~30cm で、光であるため速度は速い。6 ns(ナノ秒)ゲーティングで、ほぼ同時計数により
γ線を検出できる。数 100 万本以上の同時計数線を 3 次元的等高線で描く Filtered Back
Projection 法で再構築することで、密度分布、標識化合物分布を測定可能である。ノイズをキャ
ンセルアウトする仕組みもあり、体内の深層でも検出できる定量性の高い技術である。
ヒト臨床用 PET は 1960 年代から開発され、実用的になったのは 1980 年代であり、空間分解
能は当初は 6mm~1cm であったが、現在は 1mm~ 2mm になっている。動物用 PET は 1990
年代から、まずサル用、ついで、遺伝子改変した動物を撮像するために開発され、その技術革新
で臨床用 PET の空間分解能も向上した。空間分解能の向上のためには、感度の高い計測系が
必要であり、クリスタルの開発等、様々な技術要素が開発され、実用化されてきた。
サイクロトロンで核種を製造しホットラボで合成する部分の技術革新は十分には進んでおらず、
PET 技術が真の意味で汎用化できていない理由となっている。日本には PET を用いた臨床施
設は 300 か所、そのうちサイクロトロンを備え、合成が可能であるのは 140~150 か所である。他
方、米国では 500 か所の臨床施設ある。
77
第2章
3) 分子イメージングとして PET を用いる理由
① 超高感度
多くは半減期が短い核種を使用するため、感度の高い計測ができる。例えば、 14 C の半減期
は 5,000 年以上なのに対して、 11 C は半減期 20.4 分であり、 11 C は
14 C
と比較し単位時間当た
り計測できるカウント量は 9×10 9 倍高く、それだけ感度の高い計測が可能である。投与量として
分子量 300 程度の低分子化合物の場合、30~3,000 ng 程度、医薬品として使う量の 1,000 分
の 1 以下でのマイクロオーダーで検出可能である。
② 標的分子の多様性
分子標的に特異的に結合する物質や、候補物質を標識して動態をみるが、標的分子の多様
性として C を標識できるため、原理的には、有機化合物を全て分子イメージングに導入すること
が可能である。 18 F、 13 N、 15 O も標識可能であり、金属やハロゲンの標識も可能で、目的に応じ
た物質の標識が可能である。
③ ヒト身体の深部まで高い定量性
消滅γ線(1 対のフォトン)を同時計数線としてとらえる画像構成で、吸収補正などの定量性を
確実にする方法が樹立されている。
4) PET に利用される放射線核種
理化学研究所分子イメージング科学研究センターにおいて利用されている放射線核種は以下
の通りである(図 2-1-1-2)。
11 C:
高純度チッソガスに加速したプロトンを衝突させると、 11 C が生成される。C は、反応性が
高いためターゲット中に超微量存在する O 2 と反応し 11 CO 2 としてターゲットから取り出す
ことができ、これを 11 CH 3 I、 11 CO、 11 CH 4 等に加工し合成を始める。
13 N:
半減期は約 10 分。 13 NH 3 として循環器系への使用や、様々な合成に使用が可能。
15 O:
15 O 2 や、C 15 O 2
18 F:
半減期は約 2 時間。FDG (2-deoxy-2-[ 18 F]fluoro-D-glucose)として、がん検診等に
使用されているなど、デリバリーも可能。
68 Ga:
68 Ge
64 Cu:
半減期約 13 時間。神戸で抗体を標識し、国立がん研究センターへ輸送、検査をするこ
とが可能。
他に
H 2 15 O として脳血流を測定可能であるが半減期は約 2 分。利点はあり、
酵素的合成についても挑戦したが、物質を合成して投与し測定することは難しい。
、
をミルキングすることにより、サイクロトロンフリーで毎日標識合成が可能。
76 Br、 124 I、 89 Zr(半減期
3 日)などがある。
78
第2章
図 2-1-1-2.理化学研究所分子イメージング科学研究センターで
利用されている放射線核種
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
5) 理化学研究所分子イメージング科学研究センターの設立
理化学研究所では、研究センターの設立を文部科学省に訴えていたが、2001 年に理化学研
究所 野依良治氏がノーベル化学賞を受賞し理事長に就任されたころから現実味を帯び、2006
年 10 月に神戸ポートランドに設立された(図 2-1-1-3)。予算の都合上、現在でも当初計画
の半分しか作られていない。当初 3 チームでスタート。現在は 6 チーム 3 ユニットで実施。創薬と
しては、理化学研究所創薬医療基盤技術プログラムとして、様々なセンターが技術を横断的に
提供する仕組みがある。「多く物を作る」ことを主眼に置いたセンターであり、サイクロトロン 2 台、
合成装置 10 台(5 室)、GMP 準拠 4 台(2 室)の合計 14 台の合成装置が設置されている。多く
の標識合成化合物を分子細胞レベルで評価した後に、うまくいきそうなものを動物に投与する。
動物実験については、長期観察スタディーができるようになっている。1 階にマカク属のサルを
30 頭、マーモセット 100 頭以上、他の階にマウス、ラット、ウサギ等を飼育しており、遺伝子操作
した動物も飼育している。マーモセットに関しては胚操作も可能である。実験動物中央研究所、
慶 応 義 塾 大 学 岡 野 栄 之 氏 、 理 化 学 研 究 所 脳 科 学 総 合 研 究 セ ン タ ー ( Brain Science
Institute ;BSI)と共同で撮像等を実施している。臨床面では、ファースト・イン・ヒューマン施設
をセンターの横に計画中である。センターの目的として、実用的に使用できる分子プローブライ
ブラリを構築し、様々な領域で使用していこうとしている。低分子化合物、生物製剤、高分子を標
識する技術を作っており、再生医療・遺伝子治療モニタリング、各種疾患、未病(先制医療)、薬
物動態等と 50 を超える多数の研究機関と共同研究を行っている。
79
第2章
図 2-1-1-3.理化学研究所分子イメージング科学研究センター
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
6) 分子イメージングの活用による創薬プロセスのイノベーション
創薬の中心課題は、創薬段階が最初から最後までヒトで完結すれば単純であるが、安全性の
問題、ヒト体内での薬物動態・薬効評価系が欠如していることが問題である。
実験動物とヒトでは、代謝速度、代謝経路、適応速度等のタンパク質機能の種差がある等、バ
イオアベイラビリティの相関はほとんどなく、実験動物からヒトの薬物動態を推測することは不可
能に近い。そのためヒトで実際に測定する必要があり、分子イメージング技術が役に立つ。
臨床試験において、イメージング・バイオマーカーは大きな役割を果たすと思われる。また、マ
イクロドーズの前臨床試験・早期探索的臨床試験においても、役割は大きい。動物試験において
も、現在使用 されている 多くの遺伝子改変疾患モ デルはバ ラツキをもつた め、同 じ個体を投与
前・投与後でフォローできる技術は有用である(図 2-1-1-4、図 2-1-1-5)。
80
第2章
図 2-1-1-4.創薬プロセスのイノベーション
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
図 2-1-1-5.分子イメージングの活用による創薬プロセスの革新
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
81
第2章
7) 分子イメージング活用創薬のロードマップ
マイクロドーズ臨床試験や早期探索的臨床試験のガイダンスはできた(図 2-1-1-6)。放
射性イメージング薬ガイダンスについては、FDA がアルツハイマーのアミロイドイメージング薬と
して既に公示しており、使用されるようになった。
図 2-1-1-6.分子イメージング活用創薬のロードマップ
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
82
第2章
8) マイクロドーズ・早期探索的臨床試験
マイクロドーズについては、薬効用量・臨床投与量の 1/100 以下、あるいは 100μg 以下の投
与量で試験が可能である。もう少し用量を上げた、早期探索的臨床試験も可能になってきた(図
2-1-1-7)。
図 2-1-1-7.マイクロドーズ・早期探索的臨床試験
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
83
第2章
9) 分子イメージング基盤形成
分子イメージングの基盤形成は仕上がりつつあるが(図 2-1-1-8)、まだ新しい研究者・技
術者の参入が必要。コンピュータシュミレーション、構造生物学、合成生物学、オミックス技術な
どを扱う研究者に目を向けてもらおうと動いており、かなり多くの若手が興味を持ってくれている。
うまく臨床に持っていくことを企画している。半減期が短いことがネックであるが、技術として汎用
化させることが課題である。
図 2-1-1-8.分子イメージング基盤形成
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
10) 理化学研究所オリジナル PET プローブ
短い半減期の核種を化合物に入れる技術を作ってきた。5 年間で 122 のオリジナル(世界に
全くない)化合物を合成した(図 2-1-1-9)。合成のスピードは格段に上がっており、前駆体
を含めると年間 50 種以上の新種プローブの開発は可能である。実際に汎用するプローブも合成
しており、180 化合物がラインアップされ、世界 2 位である。世界 1 位は、我々の長年の共同研究
先であるスウェーデン Uppsala 大学で 300 種類、このうち臨床に進んだものが 100 種類。スウ
ェーデン Karolinska 研究所が 160 種類。他には米国 MD Anderson Cancer Center、米国
Stanford 大学などが挙げられるが、100 種類を超えた程度である。レパートリーを増やし実効性
の高いものを合成することが使命である。
84
第2章
図 2-1-1-9.理化学研究所オリジナル PET プローブ
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
11) 理化学研究所の最近の成果
① 超早期診断の前臨床試験
近年、内在性の尿酸と同じものに標識をできるようになった。血中に投与し、血液中の尿酸の
動態を追跡することが可能である。高尿酸血症は、痛風には至らない病態モデルであるが、関節
に尿酸が停滞している(図 2-1-1-10)。これが関節に蓄積することで、痛風を引き起こす。高
尿酸血症から腎障害が起るが、この時期はまだ腎障害は発症していない。このモデルで、尿酸レ
ベルが高い患者をイメージングすることにより、痛風発作を引き起こす足関節に尿酸が蓄積して
いることがわかれば、尿酸を駆逐する薬の適用を行うことで、発症前に先制医療による治療が可
能となる。
85
第2章
図 2-1-1-10.超早期診断の前臨床試験
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
② 再生医療の評価法の開発
再生医療について、細胞の分化度が重要なカギとなっている。未熟であるとテラトーマを誘発
するため、がん化を解析するシステムが必要である。
京都大学高橋淳氏らとの共同研究では、移植した細胞が生着しドーパミンを産生するか、がん
化するか、周囲の免疫拒絶細胞(T 細胞)がどの程度出てきているかをモニターしている(図 2-
1-1-11)。実験動物の場合は摘出すれば分かるが、これはヒトへ実用化させようとしている技
術であり、テラトーマ化したものをイメージングし、テトラサイクリン等で繋いだレポーター遺伝子
で細胞を破壊する仕組みを作る必要がある。「再生医療の実現化ハイウェイ」の中での取り組み
が進められている。
86
第2章
図 2-1-1-11.再生医療の評価法の開発
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
12) 分子イメージングの創薬への活用
分子イメージングでは、ヒトと共通の技術で動物を計測することが出来るため、動物モデルがヒ
ト疾患モデルとなりうるかの検証が可能であり、実証により動物モデルを有効に活用することがで
きる。更には、薬効評価、用量設定、薬物動態、DDS 開発、副作用評価もできるが、現在最も大
事であるのは、個別化医療における患者の適応選択である。
多くの薬物トランスポーターにより、薬物動態が決定されている。分子イメージングにより、様々
な予測がトランスポーターの動態で理解できる(図 2-1-1-12)。ヒトの場合は体液中の動態を
見ることが主であったが、分子イメージング技術により、ヒトの全身臓器内薬物動態も定量的に追
跡できるようになった。実験動物では臓器を取り出せ、また、詳細な細胞情報の取得も可能であ
る。これまでは、動物とヒトの血中濃度を比較し、ヒト組織中の薬物動態をある程度推測していた
にすぎない。一方、種差の問題や、血中と組織中の薬物濃度との乖離の問題等がある。これまで
実証が不可能であったため、予測にすぎなかったが、実証が可能になれば共通技術である程度
攻めていくことができ、動物モデルをヒトに適応させることが可能となる。薬物トランスポーター群
として、腸管吸収、肝細胞への取り込み、腎臓への取り込みと尿中排泄、ターゲット臓器へのデリ
バリー等をヒトで実証できることが重要である。ポイントは定量的に解析できるかどうか、薬物相互
作用を見ることができるか、薬物動態が非線型性であるものに対しては、メカニズムはどうかであ
る。
PET ではコンパートメントモデル解析、インテグレーションプロット様のプロット等はすでに行わ
れていたため、さまざまなプロットの素過程の速度定数を決定することができる。動物の場合は代
謝物分析を行いながら代謝物の寄与を決定していくことができる。ヒトの場合でも血中や胆汁排
泄されるものの実態の代謝物分析を行なっている。特に分子イメージングは、薬物間相互作用に
有効である(図 2-1-1-13)。主には薬物トランスポーターを介した相互作用を見ている。新し
87
第2章
く開発された化合物と、既存の化合物の受容体、トランスポーターリガンド等における競合を測定
することが可能で、相互作用も見ることが可能である。
図 2-1-1-12.PET による薬物動態の予測
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
図 2-1-1-13.薬物動態研究への分子イメージング導入
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
88
第2章
13) 薬物動態 PET 研究
PET を用いた薬物動態研究としては、大きくは、図 2-1-1-14 に示した 5 つの項目が挙げ
られる。
図 2-1-1-14.薬物動態 PET 研究
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
14) 分子イメージングによる再生医療の高精細モニタリング
再生医療として、移植細胞の品質決定に多くの研究者が取り組んでいる。移植細胞をモニタリ
ングし、ヒトで実用化する機能としては、イメージング技術は重要である(図 2-1-1-15)。
図 2-1-1-15.分子イメージングによる再生医療の高精細モニタリング
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
89
第2章
15) 理化学研究所分子イメージング科学研究センターにおける共同研究等
理化学研究所分子イメージング科学研究センターにおける共同研究等への取り組みを図 2-
1-1-16、図 2-1-1-17 に示す。
図 2-1-1-16.理化学研究所分子イメージング科学研究センターにおける共同研究等
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
図 2-1-1-17.早期探索的臨床試験ネットワークの形成
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
90
第2章
16) 先制医療への分子イメージング活用
多くの疾患、未病、健康状態の正常域等を決定するバイオマーカーが分かってきており、イメ
ージングで源流の組織や細胞を追いかける取り組みを行なっている(図 2-1-1-18)。
がんはがん細胞の種類、認知症はアミロイド、タウタンパク質のイメージングが臨床試験で行わ
れており、実用化できるようになってきた。糖尿病については、インスリン産生細胞の数や機能、
動脈硬化については初期プラーク等、また、脳内の炎症を様々な疾患別に見ている。
図 2-1-1-18.先制医療への分子イメージング活用
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
理化学研究所分子イメージング科学研究センターは GMP 準拠の製造施設を保持している。
国立がん研究センターで使用される抗体医薬品の標識を行い、空輸し、患者に対する撮像をす
ることが可能である(図 2-1-1-19)。原発乳がん、悪性度の高い乳がんについて、抗体がが
ん細胞に到達しているかを測定する事ができる。それにより、現在はバイオプシーを行わないと
使用できない抗体医薬の適合性があるかを一本の静脈注射による全身のイメージングで判定す
ることができる。
91
第2章
図 2-1-1-19.理化学研究所神戸の GMP 生産施設から東京へ
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
① がん分野
FDG-PET を行う施設は日本に 300 程度あり、多くの症例で行われているが、ファーストスクリ
ーニングや治療効果の判定には力を発揮している。ブドウ糖類縁体を使用していることから、脳
や前立腺がんは見えにくい。また、当初は悪性度の判断が可能ということであったが、潰瘍や炎
症で蓄積されることから、悪性度の判断が真にすべてのがんに可能かという点については疑問
符がついている。治療方法を決める段階には種別の判断が必要であるが、FDG-PET では分か
らない。がんの生検ができない臓器にはイメージングが必須となる。
分子標的薬は、従来の抗がん剤よりも他の細胞に対するアタックが少ないため、副作用は少な
い。その例として抗体医薬品や核酸医薬品が考えられている。通常の抗がん剤と抗体医薬で生
存率を上げることが分かっているため、臨床的には多く使用されている。問題は高価であり、ニー
ドルバイオプシーにより HER2 陽性であることを示す必要である。
生検ができない組織、転移巣、途中から HER2 陽性になる場合は適応できない。患者の侵襲
も問題である。それを静脈注射によるイメージングで診断できる。
がんにおける取り組みの結果と考察及びがん個別化医療の実現を目指す取り組みの概要を
図 2-1-1-20、図 2-1-1-21 に示す。
92
第2章







HER2陽性乳がんの原発巣、転移巣の局在を64Cu-DOTA-トラ スツズマブ /PETを用い
て描出することが可能であった。
大分子であるトラスツズマブは血液脳関門を通過しないとされているが、複数の症例で、
HER2陽性脳転移巣特異的にシグナルを認めた。
被曝は、F-18 FDG/PETとほぼ同等であり、又、放射線排泄のデータでは 一般病棟/外
来での施行の安全性が示された。
今後、HER2陰性乳がん(プロトコルの改訂が必要)における検討(Negative Control)が
必要である
今後、ヒト生体内におけるHER2細胞への64Cu-DOTA-トラスツズマブの取り 込みの証明
が必要である。
他がん腫への応用、 64Cu-DOTA-セツキシマブへの応用を考えている。
早期臨床開発における抗体の標的分子阻害の証拠にも、この技術の応用 が期待され
る。
図 2-1-1-20.がんにおける取り組みの結果と考察
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
図 2-1-1-21.がん個別化医療の実現に向けて
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
93
第2章
② アルツハイマー型認知症分野
アルツハイマー型認知症については、アミロイドイメージングが世界的に数千人の規模のフォ
ローアップが行われている(図 2-1-1-22)。大阪市立大学では 6 年前から 300 例以上を追
跡している。基本的に高齢の健常者から軽度認知障害が対象であるが、アミロイドが蓄積してい
る人ほど 3.5 年程度の期間でアルツハイマーになりやすくなる。アルツハイマー型認知症という
診断がされている患者でも、20%程度はアミロイドの蓄積がない。治療方針が全く異なってくる。
目の前の患者の病態の解析は、医療全体の大きな問題であり、創薬の起点をどこに求めるか
に関係してくる。アルツハイマー型認知症は原因がはっきり分かっている訳ではない。大きな病
理所見は老人斑と神経原線維変化である。各中心タンパク質のイメージングは可能であり、脳の
炎症やプライミングを行うリン酸化タウタンパク質もイメージングで解析できるため、全てを追いか
けることも方法の 1 つである。
一方、多くの患者が認知症になり、社会問題になっているため、食い止めなくてはいけない。
片方で、セラノスティックスな考え方として、治療方法を考案しながらその方法を用いて診断方法
も構築していくという考え方でも取り組んでいく。
図 2-1-1-22.アルツハイマー型認知症分野
(理化学研究所 渡辺恭良氏提供資料)
94
第2章
③ 糖尿病分野
糖尿病については、インスリン産生細胞(β細胞)の数を測定するイメージングが可能である。
イメージングで 2 型糖尿病であってもβ細胞の数が 40%程度に減り空腹時血糖値が上昇するこ
とが分かっているため、その手前のメタボリックシンドロームやヘモグロビン A1c 等のリスクファク
ターを検出しながらβ細胞のイメージングを開始し、例えばβ細胞が 20%減少したのであれば
β細胞保護剤を摂取する。糖尿病にならないようにしようという取り組みを先制医療として行って
いかなくてはいけない。
動脈硬化についても、問題となる不安定プラークができてくるまでに、初期過程として様々な
分子が認識分子として働くため、そのような認識分子をイメージングする。P-セレクチンを見るイメ
ージングはできてきたため、ヒト型抗体を作成し、ヒトの臨床へ応用しようとしている。
④ 健康科学、疲労分野
健康科学・疲労もイメージングの大きな対象である。
疲労の場合は、疲労を抑える解決策にエビデンスを与える、日本から世界の健康産業市場に
出していくことが目標である。
【参考資料】
1) (財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成 24 年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリン
グ記録 理化学研究所 分子イメージング科学研究センター センター長 渡辺恭良氏 2012
年 6 月 21 日 非公開
95
第2章
2-1-2.バイオイメージングによる医薬品開発 1)
1) トランスレーショナルサイエンスとしてのバイオイメージング技術
主に PET を用いた医薬品開発と要素技術開発について概説する。PET はがんや脳機能等
の診断に臨床現場で使われている短半減期の放射性診断薬を用いた、核医学診断技術である。
特長としては感度が高いピコモルレベル、同一個体の繰り返し測定、経時変化測定が可能、開
発候補品自体の標識による薬剤の生体内分布の定量的検出が可能である。またほぼ同じプロト
コルで動物とヒトの撮像および比較が可能なことから、トランスレーショナル研究の強力なツール
として期待されている。Arrowsmith(Nature Reviews in Drug Discovery. 87, 328-329
(2011))によれば近年の医薬品の臨床開発において薬効、安全性の問題で中止に追い込まれ
るものは Phase II で各々51%、19%、Phase III では 66%、7%であった。臨床開発後期ほど
投資規模が大きくなるため、なるべく早期の段階での見極めが重要であり、PET などのバイオイ
メージング技術の利用にも期待がかかっている。
2) バイオイメージングの種類と比較
バイオイメージングの種類について図 2-1-2-1 に示したが、最近ではイメージングマスと
いう技術も欧米では非常に注目されている。PET の長所は半減期の短い RI から発生するガン
マ線を用いて高感度で検出できることと、有機合成技術を駆使して様々な PET 薬剤の作製が可
能である。一方短所は重装備で初期投資コストがかかることと、空間分解能が若干悪いことだが、
後者については CT・MRI と複合させることにより改善される。また動物でもヒトでも使用可能でト
ランスレーショナルリサーチに適用できる。SPECT も臨床では有用であるが、低分子の薬物動
態試験には適応は困難である。
図 2-1-2-1.バイオイメージングの種類と比較
(アステラス製薬(株) 西村伸太郎氏 提供資料)
96
第2章
3) PET の原理と利用手順
PET の原理であるが、サイクロトロンと呼ばれる加速器により
11 C, 18 F
といったポジトロン放出
核種を合成し、次いで自動合成装置を用いて目的の PET トレーサーを合成する。トレーサーは
ヒトや動物に投与し、その体内分布をスキャナーで撮像する(図 2-1-2-2)。
図 2-1-2-2.PET の原理と利用手順
(アステラス製薬(株) 西村伸太郎氏 提供資料)
4) PET が創薬に貢献している疾患分野
米国 NIH の調べでは、欧米では PET は CNS 領域とがん領域がメインである(図 2-1-2
-3)。
図 2-1-2-3.PET が創薬に貢献している疾患分野
(アステラス製薬(株) 西村伸太郎氏 提供資料)
97
第2章
5) アステラス製薬でのイメージング研究の沿革
アステラスのイメージング研究の歴史は産学連携を基盤に発展させてきた(図 2-1-2-4)。
第 1 段階が株式会社生体機能研究所で、民間 7 社の第三セクターでスタートした。第 2 段階は
(財)(現公益財団法人)先端医学薬学研究センター、第 3 段階(現在)は 2010 年 4 月より自社
施設・バイオイメージング研究所を立ち上げており、サイクロトンをもつ国内初の施設となった。
図 2-1-2-4.アステラス製薬でのイメージング研究の沿革
(アステラス製薬(株) 西村伸太郎氏 提供資料)
バイオイメージング研究所は、国内製薬企業ではサイクロトロンを有する初の自社 PET/MRI
研究施設として、2010 年 4 月より試験を開始しており、その特徴としては、
①
自社開発 PET 薬剤合成システム
②
特注の大動物(サル)用 PET
③
要素技術開発力
などがある。
近況としては、要素技術研究から非臨床・臨床研究に至る一気通貫のバイオイメージング研究
連携体制を構築中で、抗体やがん領域にも注力して応用範囲を拡大中である。
バイオイメージングの利用法は、主に以下の 4 項目である。
①
薬物動態試験: 標的臓器における薬剤濃度を生きたままの状態で測定…最適投与量の
推定、responder の推定や副作用が懸念される臓器内濃度測定にも利用
②
受容体占有率試験: 最適投与量の推定や比較・差別化に利用
③
薬効評価試験: 様々なトレーサーを用いて同じ個体の経時変化を測定
④
安全性評価試験:中枢、心臓、腎臓毒性試験への利用
などがある。
施設の主要装備としてはサイクロトロン、PET 薬剤自動合成装置、小動物用 PET/CT 複合機、
浜松ホトニクス製の特注品である大動物用スキャナーなどがある。
98
第2章
6) PET を用いた医薬品開発研究のための検討プロセス
PET による医薬品開発の検討プロセスは、
①
PET 薬剤製造プロセス(いかにして半減期の短い PET 薬剤を合成できるか)
②
非臨床研究プロセス
③
臨床研究プロセス
④
データ解析プロセス
などが挙げられる。
PET 薬剤合成上の課題は、
① 迅速合成法開発の必要性…ポジトロン放出核種の物理学的半減期が非常に短い ( 11 C:
20.2 min,
13 N:
10 min,
15 O:
2 min,
18 F:110
min)化学形:としては
11 CO 2 ,
K 18 F と
いった単純な出発物質
②
自動 合 成 装置 開 発の 必 要性 … 超 微量 合 成 (nano/pico mole ) 、安定 同 位体 に よる希
釈・比放射能の低下(例:大気中に含有する約 300ppm の
12 CO 2
の混入)、手合成では
再現性を確保するのが困難、合成者の X 線被爆の問題
③
臨床研究・試験時は PET トレーサーには GMP レベルが要求される。
7) サイクロトロンによるポジトロン放出核種の合成
サイクロトロン(加速器)は高真空中で、Dee 電極間電圧でイオン化陽子(プロトン)を加速し、
ターゲットボックス内で核反応を行い、ポジトロン放出核種を合成する(図 2-1-2-5)。
図 2-1-2-5.サイクロトロン
(アステラス製薬(株) 西村伸太郎氏 提供資料)
99
第2章
陽電子放出核種の一般的合成法を図 2-1-2-6 に示す。
図 2-1-2-6.陽電子放出核種の一般的合成法
(アステラス製薬(株) 西村伸太郎氏 提供資料)
8) PET 薬剤自動合成装置開発
PET 薬剤自動合成装置開発は、コールドの基礎検討を 90 年代初期に開始、最初に開発した
第 1 世代の装置では糖代謝マーカーである[ 11 C]aldose 類を合成、第 2 世代では[ 11 C]FK506
などの標識体を合成、第 3 世代では世界に先駆けてタンパク・抗体のラベル体の自動合成がで
きるようになり、第 4 世代(現在)では一応のシステムの完成を見た(図 2-1-2-7)。
図 2-1-2-7.PET 薬剤自動合成装置開発
(アステラス製薬(株) 西村伸太郎氏 提供資料)
100
第2章
迅速標識合成の例としては東京大学中村栄一教授との共同研究で、物理学的半減期がたっ
た 2 分しかない
15 O
で標識した[ 15 O]デオキシグルコース(ODG)の合成に世界で初めて合成に
成功した(図 2-1-2-8)。合成から精製までの所要時間はわずか7分で、ラットでの体内分布
も[ 18 F]フルオロデオキシグルコース(FDG)と同じであることを確認した。
図 2-1-2-8.超迅速合成:[ 1 5 O]デオキシグルコース
(アステラス製薬(株) 西村伸太郎氏 提供資料)
オープンイノベーションでのがん診断用新規 PET 薬剤探索研究として[ 11 C]グリシルザルコシ
ン(Gly-Sar)を開発した。これは、がんでペプチドトランスポーターが高発現することを発見した
金沢大学辻彰教授との共同研究で、ペプチドトランスポーターの基質であるグリシルザルコシン
ががんのトレーサーとして使えることを示した。本研究は J.Nucl.Med.誌の 2008 年 4 月号で表
紙を飾った。
9) PET スキャナーの開発
PET スキャナーの検出器の大手メーカーである浜松ホトニクス社に特注をお願いして、大型
動物での実験が可能な PET スキャナーを共同で開発した。PET 測定後のデータ解析に関して
は各種画像解析ソフトを開発した(図 2-1-2-9)。例としては、
① サル脳標準化ソフト(ワシントン大学簑島教授との共同開発)
② コンパーメントモデル解析ソフト(薬物動態解析用)などである。
101
第2章
図 2-1-2-9.PET スキャナーの画像解析ソフト
(アステラス製薬(株) 西村伸太郎氏 提供資料)
10) 臨床画像データベース
臨床画像データベース構築を石川県羽咋市にある(財)先端医学薬学研究センターで実施し
ている。健常人やアルツハイマー病患者を含め現在では 2,000 件以上のデータが集まっている
ものと思われる。CNS 関連病の早期診断、薬効評価や PET/MRI その他のパラメータを用いた
バイオマーカー検索への利用が期待される。1 施設でこれだけの規模の健常人の画像データを
集めたのは世界でも数少ないと思われる。臨床データベースの応用に関して、早期診断例として
は 80 歳女性の健常ボランティアに FDG-PET を受診してもらったところ脳の糖代謝低下が判明。
19 ヶ月後被験者はやはりアルツハイマー病を発症した(図 2-1-2-10)。
図 2-1-2-10.臨床データベースの応用
(アステラス製薬(株) 西村伸太郎氏 提供資料)
102
第2章
11) PET試験の規制対応/コンソーシアム
① PET 臨床試験への規制対応
<海外>
・ PET 薬剤製造に関して GMP 規制強化に乗り出している。
・ 2012 年、FDA からイメージングを用いた治験に関するガイダンスが示された。
<国内>
・ 2008 年、マイクロドーズ臨床試験ガイドライン
・ 2012 年、診断用放射性医薬品の臨床評価方法に関するガイドライン
・ 2012 年、PET 治験企業懇談会
PET 治験企業懇話会は、日本核医学会が民間企業に呼び掛け、日本での PET を用いた治
験や臨床研究では規制当局の示すルールが PET 独特の事情に合わなかったり、欧米と異なっ
ていたり、あるいは不明な点があるため、日本核医学会の分子イメージング戦略会議が、メンバ
ー企業と問題点を整理、規制当局と協議することで臨床治験・研究推進を図る目的で設置され
た。
②イメージング研究のコンソーシアム
・ ADNI(J-ADNI): アルツハイマー病を対象にした、国際的臨床データベース(PET/MRI
等)プロジェクト
・ HESI: バイオイメージング技術を用いた、国際的安全性試験評価共同研究プロジェクト(中
枢・心臓・肝臓・腎臓等を対象にした非臨床研究)
12) つくば国際総合戦略特区
アステラス製薬はつくば国際総合戦略特区構想に参画し、筑波大学付属病院内に 2012 年オ
ープンしたつくば次世代分子イメージングセンターや同大付属病院などと連携し、最先端がん治
療 BNCT(ホウ素中性子捕捉療法)の開発・普及を推進、がん治療効果判定のための PET 診断
プロジェクトを推進している(図 2-1-2-11)。特区参画により、様々な臨床研究に関連する規
制が緩和され、創薬に活用されることを期待している。
103
第2章
図 2-1-2-11.つくば国際総合戦略特区
(アステラス製薬(株) 西村伸太郎氏 提供資料)
イメージングデータの信頼性保証に関して、ERES(ER/ES ガイドライン:医薬品等の承認又
は 許 可 等 に 係 る 申 請 等 に 関 す る 電 磁 的 記 録 ・ 電 子 署 名 利 用 の た め の 指 針 ) 、 CSV
(Computerized System Validation)ガイドラインは電子データをどう取り扱うかについてのガ
イドラインである。画像処理の重要な点は、見栄えで無くもデータの信頼性である。アステラスで
はこれら画像診断による試験の信頼性保証体制の構築に早期から取り組んでいる。
13) 創薬における PET の利用(図 2-1-2-12)
PET 利用の利点は、
(1) ビジュアルかつ定量的
(2) 候補薬物の体内分布を見られる
(3) 長期的調査が可能
(4) ヒトと動物で同じプロトコル
などである。
PET 利用の方法論は、
(1) 薬物動態試験
(2) 受容体占有率測定試験
(3) 薬効試験
(4) 安全性試験
(5) コンパニオン診断薬
などが考えられる。
コンパニオン診断薬適応への課題としては保険償還や EMEA と FDA 間のガイドラインの相
違などがあり、ビジネスモデルの構築には慎重な検討が必要と思われる。FDA の方は診断薬と
治療薬の同時開発を推奨している。先ずは少数例で POC を取りに行けるような診断薬を見出す
ことができればと考えている。
104
第2章
① PET による薬物動態試験
microdosingPET…トレーサー用量のラベル化合物のみ使用、処理投与するまでの非臨床
安全性データに関してはコンベンショナル。
通常 PET…トレーサー用量のラベルした化合物と薬効用量付近のコールド化合物の混合物
を使用、但し PhaseⅠ以降のみ。
2001 年にアルツハイマー治療候補薬である FK960 を用いて(財)先端医学薬学研究センタ
ーにおいて日本初の GCP レベルでの治験を実施した。目的が薬物動態試験なのでポジトロン
放出核種の中では比較的半減期の長い 18 F を使用し、通常の PET 薬剤の投与法である静注で
はなく経口で投与した(図 2-1-2-12)。
図 2-1-2-12.PET による PK スタディー
(アステラス製薬(株) 西村伸太郎氏 提供資料)
105
第2章
② [ 1 8 F]FK960 の臨床薬物動態試験
2 時間後に消化管からの吸収チェックを whole body scan で行った。この結果から推定投与
量が決定された。ただし、PET での薬物動態試験で留意しなければならない点のひとつはラベ
ル化合物を microdose 試験で実施する場合、化合物の線形性・非線形性の問題である。この例
では microdose の標識体に加えて薬効用量付近のコールド体を混合して実施しており、非線形
性の問題を回避している(図 2-1-2-13)。
図 2-1-2-13.PET による[ 1 8 F]FK960 の臨床 PK スタディー
(アステラス製薬(株) 西村伸太郎氏 提供資料)
③ サルを使った受容体占有率測定試験
PET を用いた本方法は開発候補品の脳内神経伝達物質受容体やトランスポーター部位に結
合する状態を測定する事が可能である。生体に非標識の薬効用量付近の開発候補品を前投与
した後、ターゲット受容体・トランスポーターに特異的に結合する PET 薬剤を投与,撮像すること
で占有率が算出され、薬効試験のデータとのブリッジにより臨床投与量の推定が可能である。こ
の方法の特徴は開発候補品の薬剤ターゲット受容体との結合の状態が生きたままの状態で観察
でき、しかもひとつの PET 薬剤があれば複数の開発候補品・対照薬での比較(結合能,持続性)
が実施できることである。
サルを用いた PD-PET の例を図 2-1-2-14 に示す。この例ではパーキンソン病に関与し
た脳のアデノシン A2a のアンタゴニスト 3 種類の化合物の受容体占有率を測定比較したところ、
この中では ASP5854 の結合持続性が長いことが判明した。このようにターゲットが明確で、かつ
選択性に優れるトレーサーがある場合には効率的な手法である。
106
第2章
図 2-1-2-14.サル脳内受容体占有率試験
(アステラス製薬(株) 西村伸太郎氏 提供資料)
④ PET を用いた薬効試験
PET を用いた薬効試験について述べる。
(1) 糖代謝をはじめとする種々の生体機能の測定が可能になる。
(2) CNS 研究では薬物動態試験や受容体占有率測定試験は良く利用できる状況になってき
ているが、一方で薬効試験に関してはまだ learning phase の段階であると思われる。新
たなバイオマーカーの探索や ANDI(アルツハイマー病のデータベース構築の国際的コ
ンソーシアム)等で推進されているデータベース構築が重要である。
(3) がん研究では
18 F-FDG
や
18 F-FLT
がトレーサーとして薬効試験では汎用されている。
⑤ PET を用いた安全性試験
PET を用いた安全性試験について述べる。
安全性研究に PET を用いる場合の方法論として先ず考えられるのは PK および PD 試験の
応用である。開発候補品を PET 薬剤化して毒性ターゲットの臓器・組織への薬剤濃度を定量測
定する方法や、毒性ターゲットが脳内受容体の場合、開発候補品との相互作用の有無・程度を
脳内受容体リガンドの PET 薬剤化による占有率測定により判定する方法が考えられる。またバイ
オマーカーを PET 薬剤化して開発候補品の投与前後における機能変化を測定する方法も考え
られる。アステラス製薬ではラット腎臓移植拒絶モデルを用いた腎臓機能や形態変化の
PET/CT 測定を報告している。
( http://www.medical.siemens.com/siemens/en_GB/gg_nm_FBAs/files/imgbk/IOY_
Booklet_2011_FINAL.pdf)
これは Lewis ラットの同種および Brown Norway ラットとの異種間腎臓移植後,免疫抑制剤
タクロリムスの投与をコントロールして腎臓における拒絶の病態を PET と X 線 CT でモニタリング
した。ヨード造影剤イオパミロンを用いて造影した X 線 CT で形態・体積変化を測定、また PET
107
第2章
を用いて[ 11 C]MDG(methyl-D-glycoside)による尿細管吸収能測定,[ 18 F]フッ化ナトリウムに
よる腎糸球体ろ過能測定)、および[ 18 F]FDG による腎炎症像の画像を取得した。いずれの画像
も同種および異種移植の比較において異種移植のラットの方が腎機能低下や形態変化が進行
していた。このように非侵襲的に内臓器の安全性の評価をモニターできる事は利点の一つと言え
よう。
⑥ コンパニオン診断薬としての今後の展望
テーラーメイド医療へのシフトの流れの中で、診断薬と治療薬のコンビネーションが益々重要
になると思われ、将来的には PET のコンパニオン診断薬としての展開、すなわち薬効・副作用予
測への応用や治療効果のモニターなどにも利用されていくものと期待している。保険償還の問題
はあるが、がん領域では PET イメージングは感度が高く、バイオプシーが不要で転移相が追跡
できるといったインビトロの方法に比べいくつかのメリットがある。
14) PET の創薬応用の課題と展望
課題:
(1) PK/PD 等従来法との差別化・相乗効果の創出
(2) 臨床予測性の高い動物モデル・測定技術開発や、臨床データベース・探索的臨床研究の
充実等
(3) CNS・がん以外の適用疾患の拡大
(4) 欧米・国内のガイドラインに準拠した体制やデータ信頼性保証の構築
(5) 日本で厳しい RI 等に関する規制対応
(6) CRO のレベルアップを含めた人材育成
展望: 基礎から臨床に至るまでの一気通貫体制の構築
具体的には、
(1) 要素技術開発
(2) 探索的臨床研究の推進
(3) 海外連携
(4) CDX(コンパニオン診断薬)の追求
108
第2章
15) GDDI の確立に向けて
GDDI(Global Discovery Development Interface)を確立し、バイオマーカー・診断・モ
デリング及びシミュレーションといった要素技術を駆使してトランスレーショナル・サイエンス・プラ
ットフォームを構築していくために PET は重要な位置づけになると考えている(図 2-1-2-
15)。
図 2-1-2-15.GDDI の確立
(アステラス製薬(株) 西村伸太郎氏 提供資料)
【参考資料】
1) (財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成 24 年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリ
ング記録 アステラス製薬株式会社 バイオイメージング研究所 所長 西村伸太郎氏 2012
年 9 月 7 日 非公開
109
第2章
2-1-3. PET イメージングによる創薬支援 1)
1) マイクロドーズ臨床試験にかかわる規制・基準
陽電子放射断層撮影法(Positron Emission Tomography; PET)によるイメージングを用
いる創薬支援、つまり PET を用いるマイクロドーズ臨床試験については、欧米での実施が先行し
ている。この試験は、極微量の放射性同位元素(陽電子線崩壊)による標識により、候補化合物
の体内動態を PET イメージングにより評価するものである。
わが国に先だち、創薬研究の促進を目的として、2003 年には欧州連合医薬品庁からポジショ
ンペーパ(CPMP/SWP/2599/02/Rev1) 2 ) が、そして 2004 年には米国食品医薬品局からガイ
ドライン(DOCKET NO 2004N-0432) 3 ) が、それぞれマイクロドーズ試験の参照文書として公
表された。わが国においては、2008 年に厚労省からガイドライン(薬食審査発第 0603001 号) 4 )
が公表され、その後日本核医学会において、施設基準などを記したガイドラインの作成がすすめ
られている。
一方、試験を実施する医療施設においては、放射性同位元素をつくるサイクロトロンおよびそ
れを候補化合物に標識する技術とさまざまな装置が必要となる。医薬品の治験として実施する場
合には、GMP 基準に適合した施設内での実施が必須である。微量の標識候補化合物の代謝物
の解析は大切である。それに加えて何より最も大切なことは、マイクロドーズ試験においては、微
量とはいえ、医薬品候補化合物をヒトにはじめて投与することとなるため、有害事象に備えた万
全の緊急体制・臨床支援体制の重要性である。これらの施設・設備・技術・体制が評価され、大
阪大学医学部附属病院(大阪大学病院)は厚労省の選定した 5 施設の医薬品早期探索拠点の
ひとつを占めることとなった。
2) 大阪大学病院における PET マイクロドーズ臨床試験の基盤
大阪大学には、2010 年に PET 分子イメージングセンター(動物用)が設置され運用が開始さ
れた。動物専用の施設であり、サイクロトロン、標識合成装置、動物飼育施設および中型動物用
(マーモセット、犬、猫、ウサギ、羊、豚)の PET カメラが設置されている(図 2-1-3-1)。小動
物(ラットやマウス)専用の PET カメラもまもなく設置される予定にある。
大阪大学病院の強みは、動物専用施設での研究成果をもとに、きれ目なくヒトでの PET イメー
ジングが可能となるところにある。つまり、PET 分子イメージングセンターで発明・発見された標
識化合物については、学内倫理委員会の承認が得られれば、医師主導型の臨床試験を開始す
ることができる。そのための治験薬 GMP に適合した放射性同位元素をつくるサイクロトロンおよ
び標識化合物の調製装置が設置されている。現在の装置により、局方に記載されている医薬品
の約 7 割を標識できる能力がある。そして、設置された PET カメラの感度が最高水準に高いため
に(島津製作所と共同開発)、短半減期の核種(炭素-11、半減期約 20 分)による標識化合物の
体内動態の追跡が可能となった。施設内のデータサーバーは、外部からは物理的に完全に遮断
されている。なお、大阪大学病院の GMP 施設の維持は、現行においては、病院の経済的負担
となっている。
以上の施設および設備によって、薬物動態の定量的評価が、動物においてもヒトにおいても
可能になった。例えば、薬剤投与後の消化管吸収については、消化管における吸収量および吸
収速度から、最終的には生物学的利用能を定量的に評価できる。血液から組織への移行速度、
110
第2章
逆に組織から血液への移行速度を明らかにすることが可能となった。排泄 に関しては、腸管排
泄・再吸収、尿路への排泄・再吸収を定量的に測定して、全身からの消失について評価すること
が可能となった。
図 2-1-3-1.大阪大学病院における PET マイクロドーズ臨床試験の基盤
(大阪大学病院
畑澤 順 氏 提供)
3) PET マイクロドーズ臨床試験の必要性および試験結果の種差の検証
実験動物による評価において明らかに効果があると予想された候補医薬品が、実際の臨床試
験において効果が認められないことはよくある。マイクロドーズ臨床試験により、候補薬剤の標的
臓器およびそれ以外への臓器への標識候補薬剤の集積を評価できる。臨床試験において効果
が認められない場合には、候補薬剤が標的臓器に到達していないこともある。副作用が出現した
場合には、候補薬剤が標的臓器以外にも集積して副作用をもたらしていることがある。PET マイ
クロドーズ試験により、微量の標識候補薬剤を投与して、その代謝や組織への移行率、標的臓
器以外への集積状況を実際に確認できる(図 2-1-3-2)。
大阪大学病院においては、既存の医薬品について、ヒトと実験動物での解析結果を比較し、
その種差について検討がおこなわれている。塩酸ドネペジルの場合には、ラットにおいては心臓
への集積は認められなかったが、ヒトでは心筋以外に膵臓にも高く集積するという傾向が認めら
れ、副作用の発現との関係が示唆された。標的臓器であるヒト脳への集積は投与量全体の少量
であった。塩酸ドネペジルの体内動態において、標的外臓器への集積は人とラットでは種差があ
るということが推定された。
111
第2章
体内薬物動態については、マイクロドーズ試験で投与される微量(マイクロドーズ量)の標識薬
剤と mg〜g単位の薬理量レベルでの薬物動態は同じであるのかが問題とされる。塩酸ドネペジ
ルの場合には、マイクロドーズ試験の結果は、薬理量投与時の動態の推定に有効であった。一
方で、フェニルヒダントインの場合には、マイクロドーズ量に薬理量を増量していくと、標的臓器で
ある脳への集積が増量に応じて増加することが観察される。このような場合には、マイクロドーズ
試 験 で 得 られ る 動 態 と 薬 理 量 投 与 時 の 薬 物 動 態 と の 関 係 は、注 意 深 く 解 釈 しな けれ ば な らな
い。
図 2-1-3-2.マイクロドーズ臨床試験の必要性 (大阪大学病院
112
畑澤 順 氏 提供)
第2章
4) マイクロドーズ臨床試験の医薬品開発への寄与
マイクロドーズ臨床試験の利用についてはいろいろの見解がある。実際にさまざまな候補医薬
品について、動物とヒトとの薬物動態における種差を判断する場合、種差の原因が、生物学的利
用能の種差であるのか、標的臓器分布容積の種差であるのか、標的外臓器分布の種差であるの
か、さらに薬物消出半減期の種差であるのかをよく理解しなければならない。
これまでは、製薬会社は、経験に基づいてそれらを考慮し、臨床試験の優先順位を決めてい
たと思われる。マイクロドーズ試験により、種差を客観的に評価し、その上で臨床試験を実施す
べき候補薬剤を選定できれば、医薬品開発はより効率的なものとなる(図 2-1-3-3)。
図 2-1-3-3.PET マイクロドーズ臨床試験による創薬支援
(大阪大学病院
畑澤 順 氏 提供)
【参考資料】
1) (財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成 24 年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリン
グ記録 大阪大学病院 畑澤順氏 2012 年 10 月 9 日 非公開
2) CPMP/SWP/2599/02/Rev1
http://www.tga.gov.au/pdf/euguide/swp259902r1en.pdf
3) DOCKET NO 2004N-0432,
http://www.fda.gov/ohrms/dockets/dockets/04n0432/04N-0432-EC3-Attach-1.pdf
4) 薬食審査発第 0603001 号
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/chiken/dl/080705.pdf
113
第2章
2-1-4.SPECT 、PET
2-1-4-1.創薬における“放射線医薬品”の利用
1) 放射性医薬品とは
核医学診断には、微量の放射線を出す放射性医薬品を体内に投与し、身体の状態を画像や
数値で捉えるインビボ検査と、採取した血液や尿などの試料を試験管内で試薬と反応させ、ホル
モンなどの微量物質を測定するインビトロ検査がある。
インビボ検査は核医学検査とも呼ばれ、体内に投与した放射性医薬品が臓器や体内組織など
に集まる様子を画像化し、疾病の診断、病期や予後の確認、治療効果の判定などに有用な情報
を提供する画像診断のひとつである。同じ画像診断である CT スキャンや MRI による画像は、精
度の高い形態的な情報を提供するが、核医学検査では、血流や代謝などの機能変化を画像情
報として反映する。つまり、疾病による形態上の変化を早期に捉えることが可能であり、両方あい
まって、より正確な診断が可能となる(図 2-1-4-1)。
PET
インビボ検査
SPECT
核医学診断
核医学検査
使用される医薬品は
放射性診断薬
インビトロ検査
図 2-1-4-1.核医学診断
(日本メジフィジックス(株)より提供)
核医 学検 査 は、SPECT ( Single Photon Emission Computed Tomography) と PET
(Positron Emission Tomography)に分類される。SPECT 検査では 1 方向の放射線を放出
する RI を用いるのに対し、PET 検査は、2 方向の放射線を同時に正反対の方向に放出する RI
を用いる(図 2-1-4-2)。
114
第2章
SPECT
PET
検出器
検出器
検出器
図 2-1-4-2.SPECT と PET の違い
(日本メジフィジックス(株)より提供)
2) 放射性医薬品を創る
放射性医薬品について大きく 3 つに分類し、その開発について述べる。
① 放射線診断薬の開発(機能検査のターゲット)
放射性診断薬は、脳や心筋などの臓器に分布した放射性同位元素から放射線を検出し、画
像化することにより、生理機能の異常がないかを診断する。患者にほとんど負担を与えることなく
高度な情報を得ることができ、X 線 CT では検出困難な急性期の脳梗塞をはじめ、様々な病態に
おける局所脳血流の状態を知ることができるため、治療効果判定に極めて有用である。
癌細胞における放射性診断について述べると、癌細胞では正常細胞に比べ、ブドウ糖の細胞
膜輸送が亢進している。したがって、ブドウ糖類似物質である FDG(フルオロデオキシグルコー
ス)はブドウ糖同様に細胞に取り込まれるが、解糖系で代謝されずに細胞内に蓄積される。FDG
の集積度は腫瘍細胞の増殖速度、悪性度、腫瘍細胞量と相関するため、診断、治療の指標とし
て利用されている。
アルツハイマー型認知症は物忘れなどの症状が出る数十年前からアミロイド β 蛋白が脳に蓄
積し始め、この蓄積により脳神経細胞の機能が低下し、認知機能障害が進展するとされている。
これまで、その臨床診断はアミロイド斑を画像所見として得ることができなかったため、非常に困
難であった。
このような状況下、2002 年ピッツバーグ大学でアミロイドマーカーとしてポジトロン放射性アイ
ソトープである[ 11 C]で標識した [ 11 C]PIB(Pittsburgh Compound-B) 2 ) が、PET 用放射性薬
剤として開発され、アミロイド蛋白の蓄積情報を PIB-PET 画像として得ることが可能となった。以
来、本手法は画期的なアルツハイマー型認知症の臨床診断として注目を集めている(図 2-1-
4-3)。
米国では現在、アルツハイマー型認知症の早期診断法を確立するために頭部 MRI、PET、
アミロイドイメージングなどを比較検討する大規模な研究が進められ、PIB の周辺誘導体である
AV45 が承認されている。
115
第2章
健常者
AD患者
健常者
AD患者
図 2-1-4-3.アルツハイマー病の画像診断(アミロイドイメージング)
(日本メジフィジックス(株)より提供)
② 放射性治療薬
現在、放射性治療薬の開発で最も注目されているのは抗体医薬である。抗体に放射線を放出
する核種を導入し、放出される高エネルギーのβ線またはα線の殺細胞効果を治療に利用する
ことで、抗体医薬の効果を増強する(図 2-1-4-4)。したがって、対象疾患は主に悪性腫瘍と
なる。これまで外科的手術や放射線の体外照射では治療が困難であった多発性転移性の癌に
おいても、完全治癒した例が複数報告され、承認されたものもある。
リガンド
RI
NK細胞
補体
攻撃
攻撃
標的細胞
抗体依存性
細胞障害作用
補体依存性
細胞障害作用
×
シグナルを
ブロック
結合をブロック
×
標的細胞
リガンド/受容体
結合阻害作用
放射線
標的細胞
放射性核種の
ターゲッティング
図 2-1-4-4.抗体医薬の作用機序(科学技術動向研究センターHP 資料を改変)
③ 放射線治療補助剤
近年、癌など対象部位のみに高エネルギー放射線を集中的に照射する技術が飛躍的に進歩
し、それに伴い治療施設も増加した。癌病変に対する治療効果を最大にし、癌以外の正常細胞
への放射線被爆の影響を最小にするために、放射線増感剤や放射線被爆防止剤の開発も行わ
れている。
116
第2章
3) 放射性医薬品で創る
放射性医薬品は、検出感度が高く投与量が微量ですみ、体内での挙動変化を経時的に捕捉
できることから、イメージング・バイオマーカーやマイクロドーズ試験のプローブなど医薬品開発を
促進する強力なツールとなりうる。
① イメージング・バイオマーカーの役割
バイオマーカーが果たす大きな役割として、以下が考えられる。

創薬標的

非臨床薬効評価

臨床の治療効果判定

薬剤の反応性予測(至適用量の設定)

副作用の評価
例えば、FDG を癌治療におけるバイオマーカーとして使用すれば、抗癌剤の投薬期間の前
後で、癌病巣がどれだけ退縮しているか治療効果を判定することが可能である。問題点としては
validate されたバイオマーカーを使用しなければ、データが申請資料として使用できない恐れ
がある。
② マイクロドーズ試験
ごく微量(数十 μg 以下)の化合物をヒトに単回投与し、複数の新薬候補化合物から最適なも
のを選抜するために実施する臨床試験を意味する。目的自体は、化合物のスクリーニングである
が、ヒトを対象とするため、安全性や倫理面の観点から、GCP 規制下の治験として実施すること
になっている。
117
第2章
2-1-4-2.SPECT 、 PET の将来展望
1) SPECT と PET
冒頭で SPECT、PET の特徴について述べたが、使用される核種も異なる。PET で使用され
る RI(放射性同位元素)は、炭素、酸素、フッ素、窒素など生体中に存在する元素であるため、
SPECT より代謝などの様子を正確に把握できるという長所がある反面、半減期が分単位と非常
に短いことが欠点である。
SPECT
PET
核種
半減期
99m Tc
6.01h
201 Tl
72.91h
111 In
2.81d
123 I
13.2h
130 Xe
5.24d
82 Rb
1.3m
11 C
20.4m
13 N
10.0m
15 O
2.04m
18 F
110.0m
図 2-1-4-5.SPECT、PET で使用される核種と半減期
(日本メジフィジックス(株)より提供)
2) 放射性医薬品メーカーおよび装置メーカー
日 本 と 米 国 の 放 射 線 医 薬 品 メ ー カ ー を 下 に 示 す 。 米 国 に は Radiopharmacy と
Manufacture の 2 社がある。

日本
日本メジフィジックス、富士フィルム RI ファーマ

米国

Radiopharmacy
Cardinal Health, GE Healthcare, Covidien

など
Manufacture
Bracco,BMS,Covidien,GE Healthcare,PETNET,IBA
など
また機器装置メーカーとして、日本と米国には以下がある。

日本:SPECT 約 1,669 台、PET 約 424 台
東芝メディカルシステムズ、シーメンスジャパン、GE ヘルスケアジャパン、島津製作所、
日立メディコ

米国:SPECT 約 12,000 台、PET 約 1,200 台、
GE,Siemens,Philips,Positron,Hitachi
118
第2章
3) FDA の提言によるクリティカル・パス
FDA は 2004 年 3 月 、 ガ イ ダ ン ス 「 Innovation Stagnation: Challenge and
Opportunity on the Critical Path to New Medical Technology」にてクリティカル・パス・
イニシアチブ(Critical Path Initiative)を提言し、米国における革新的新薬及び治療法の研
究開発の停滞についての分析結果を示した 3 ) 。
以来、FDAは数々のガイダンスを発表し、関連する学術研究機関や製薬企業と共同で研究に
携わり、医薬品開発の効率化を目的とした各種プロジェクトを推進してきた。そして2006 年3 月
に は 、 イ ニ シ ア チ ブ の 一 環 と し て 進 め て き た 「 Critical Path Opportunities Report and
List」を発表した。ここでは、6課題76プロジェクトに言及し、関節炎や認知症など将来的に緊急
性が高い疾患分野においてイメージング・バイオマーカーを有効に活用すること等が提言された
4)
。
4) SPECT 、PETの将来展望
① がん領域
(1) FDG(フルオロデオキシグルコース)
グルコース 2 位にフッ素を導入した 18 F-FDG を用いた PET 診療は腫瘍診断において大変有
用である。癌細胞では通常細胞に比べ解糖系が亢進しており、グルコース取り込み能も非常に
高くなっていることから、 18 F-FDG は癌細胞において高い集積性を示す。この体内分布を画像
化することで、癌の早期発見および転移・再発などの診断に利用可能となる。
一般に PET は SPECT に比べ、分解能が優れており、癌転移巣の把握など全身画像による
診断に威力を発揮する。
(2) 低酸素イメージング剤
18 F
標識したニトロイミダゾール誘導体である[ 18 F]FMISO([ 18 F]fluoromisonidazole)は、
腫瘍細胞の低酸素状態を診断する薬剤として利用されている。FMISOは低酸素状態の細胞内
でイミダゾール環のニトロ基が代謝還元され、アミン系化合物となることで細胞内に蓄積する。低
酸素状態にある腫瘍細胞は、放射線療法に対して抵抗性を示すため、腫瘍組織中の低酸素細
胞の割合を評価することにより、治療方針の決定が可能になる 5 ) , 6 ) 。
その他にも、FMISO は低酸素治療薬の適応患者選択や癌幹細胞スクリーニングにも用いら
れている。
(3) オクトレオスキャン
オクトレオスキャン(一般名インジウム 111 標識オクトレオチド)はオクトレオチドを放射性物質
であるインジウム 111 で標識した診断薬である。オクトレオチドが体内でソマトスタチン受容体に
結合し放出したγ線を検出することで、ソマトスタチン受容体の分布画像を得る。世界 30 数カ国
で保険償還されているが、日本では未だに承認に至っていない。
119
第2章
② 中枢領域
(1) アルツハイマー病の診断基準とアミロイドイメージング技術
厚生労働省の推計によると、2012 年時点で日本における認知症患者は既に 300 万人を超え、
65 歳以上人口に占める割合は約 10%となった。2020 年には 410 万人に達するとの報告もあり、
認知症は今や大きな社会問題となっている。アルツハイマー病は認知症の主な原因のひとつで
あり、アミ ロ イドβ 蛋白の 脳組織中への過 剰蓄積 が病態の最上流に位置 すると考え られ ている
(アミロイド仮説)。
近年は診断により、できるだけ早期にアルツハイマー病を発見し、治療につなげる動きが高ま
っており、2011 年には米アルツハイマー病協会と NIH(米国国立衛生研究所)が診断基準を
27 年 ぶ り に 改 定 し た 。 こ れ に よ り 、 発 症 の 前 駆 段 階 で あ る MCI ( Mild Cognitive
Impairment:軽度認知障害)、さらに MCI 以前の段階である pre-clinical stage の概念が取
り入れられた。
アルツハイマー病の治療方針として早期介入が明確に打ち出される中、臨床診断の在り方も
大きく変わりつつあり、アミロイドβ蛋白 の脳内蓄積を画像化するアミロイドイメージン
グ技術が注目を集めている。 プローブについては、GE Healthcare 社、Eli Lilly 社、
Navidea 社など複数のメーカーが開発を進めており、Eli Lilly 社の Florbetapir のようにβア
ミロイドに対して感度及び特異性が高く、米国で承認を受けたものもある。しかしながら、FDA の
考え方としては、あくまでβアミロイドの画像診断薬であり、本技術が薬効評価に有効なサロゲー
トマーカーになりうるか、今後の検証が必要となろう。
アミロイドイメージング技術の将来的な活用として、アルツハイマー病を含めた除外診断がまず
考えられる。また、MRI など他の診断技術との組み合わせにより、軽度認知症段階での早期発
見とその後の病状を予測する方法としての利用もあると思われる。抗 Aβ治療薬の開発に際して
は、より応答性の優れた治験患者の選抜にも有効な手法となりうるであろう。
(2) アルツハイマー病治療薬の最近の開発状況
下にアルツハイマー病治療薬の開発状況をまとめた。抗体治療薬については開発中止となり、
現在エーザイ社及び Eli Lilly 社による BACE(βアミロイド前駆体タンパク質部位切断酵素)
阻害剤が開発中である。また予防研究の試みとして、米国 NIH による The A4 Trial が計画さ
れている(図 2-1-4-6)。
120
第2章
■2 つの抗体治療薬(Aβ除去)の PhⅢ結果
 Pfizer 社のバピネオズマブ→主要評価項目未達、開発中止
 Eli Lilly 社のソラネズマブ→主要評価項目未達、開発中止
■苦戦が続くものの Aβを標的とする治療薬の開発が主流
 エーザイ社の E2609(BACE)が Ph1 に成功
 Eli Lilly 社の LY2886721(BACE)が日米欧で Ph1/2 開始
■予防研究の計画(The A4 Trial、米国 NIH ファンド、500 例/群、3 年)
 アミロイドの蓄積が確認された健常高齢者に抗アミロイド抗体を投与し、超早期からの
Aβ除去が AD 発症予防につながるか評価する。
図 2-1-4-6.アルツハイマー病を巡る新薬開発の動向
(日本メジフィジックス(株)より提供)
1980 年ごろより、PET を用いた脳の機能及び代謝の解明研究が行われ、その過程でアストロ
サイトが代謝活動における重要な役割を担っており、アルツハイマー病とも強い関連があることが
明らかとなってきた。すなわち、老化の進行により脳における血流や糖代謝が低下すると、ニュー
ロンを取り巻くアストロサイトから次第に炎症性サイトカインや活性酸素が放出されるようになる。
その結果、アルツハイマー病の発症につながるのではと考えられている。
最近、Pfizer 社は新規作用メカニズムを有するアルツハイマー病治療薬として RAGE 阻害剤
の 開 発 を 進 め て い る 。 RAGE と は 最 終 糖 化 産 物 受 容 体 ( the Receptor for Advanced
Glycation Endproducts)を意味し、その内因性リガンドとして Aβやアストロサイトが産生する
S100B が考えられてい る。これらは RAGE を介して神経活動を調節す る役割を担うとされ 、
RAGE 阻害剤はアルツハイマー病治療薬として大きな期待を集める。
TTP488 は ト ラ ン ス テ ッ ク ・ フ ァ ー マ 社 が 創 製 し た 経 口 RAGE アン タ ゴ ニ ス ト で あ り 、主 に
Pfizer 社の出資により臨床試験が進められている。軽度から中程度のアルツハイマー病患者に
5mg の投与を行ったところ、18 か月間の認知機能低下に対し、プラセボとの比較で 26%の進行
抑制が示された。より顕著な効果は軽度アルツハイマー病患者において認められ、プラセボとの
比較で 46%上回った。安全性にも大きな問題はなく、忍容性は良好であった。
イメージング技術の活用により、Aβの蓄積や脳血流、糖代謝等を指標に対象患者を選抜す
れば、より明確に有効性を示せる可能性があると思われる。
121
第2章
2-1-4-3.マイクロドージングの日米欧の規制および医薬品開発への利用の現状と課題
1) マイクロドージング試験の日米欧の法規制
マイクロドージング試験の法規制のポイントは、下に示すように早期探索的臨床試験、非臨床
試験、治験薬 GMP の 3 点がある。マイクロドージング試験は早期探索試験の中に含まれ、2003
年の欧州におけるマイクロドージング試験のガイダンスを初めに、日米でも相次いでガイダンスが
発表された。ただし、日本では早期臨床探索的試験ガイダンスは策定されていないため、健常人
による試験エントリーしか認められていない(図 2-1-4-7)。
■マイクロドーズ試験と早期探索的臨床試験
 米国では 1990 年代後半にスクリーニング IND と称して、いわゆる早期探索的臨床試験
の制度を整備。2006 年に早期探索的臨床試験(ex-IND)のガイダンス
 欧州では欧州連合(EU)では 2003 年にマイクロドージング試験のガイダンス
 日本では 2008 年にマイクロドージング試験ガイダンス。早期探索的臨床試験ガイダンス
は出されていない。
■非臨床試験
 ICH-M3 (R2) 「医薬品の臨床試験及び製造販売承認申請のための非臨床安全性試験
の実施についてのガイダンス」
■治験薬 GMP
 欧米では FDG は医薬品承認
 日本では医薬品と医療機器承認
図 2-1-4-7.マイクロドージング(MD)試験の規制ポイント
(日本メジフィジックス(株)より提供)
早期探索的臨床試験についてはⅠ型・Ⅱ型・Ⅲ型があり、その内容については下に示す通り
である。欧米のガイドラインでは、これら全てが対象となっているのに対し、日本ではⅠ型マイクロ
ドーズ試験が対象となっているのみである(図 2-1-4-8)。
■早期探索的臨床試験
 Ⅰ型マイクロドーズ試験
健常人で体内分布を評価
 Ⅱ型準薬効用量または推定薬効域での単回投与試験 健常人、患者で薬効を評価
 Ⅲ型反復投与試験
反復投与での安全性を評価
■日欧米の規制
 米国: 早期探索的臨床試験(ex-IND)のガイダンス
 欧州: マイクロドージング試験のガイダンス(ex-IND と同様)
 日本: マイクロドージング試験のみのガイダンス
⇒健常人での体内分布評価のみで、患者をエントリーすることができない
図 2-1-4-8.早期探索的臨床試験の日欧米規制
(日本メジフィジックス(株)より提供)
122
第2章
2) 医薬品開発への利用の現状と課題
①
米国における放射性医薬品利用を推進するための制度
米国では米国核医学会(SNM, Society of Nuclear Medicine)により、クリニカル・トライア
ル・ネットワーク(CTN)という組織が設置されている。FMISO や FLT といった化合物について、
腫瘍診断剤として治験でのみ使用できるよう CTN を通じ承認申請している。
米国における放射線医薬品の承認経路を下に示す(図 2-1-4-9) 5 ) 。これは FDA の認可
した放射線医薬品研究委員会(RDRC, Radioactive Drug Research Committee)の承認を
得て臨床研究を行う制度である。ただし、米国薬局方(United States Pharmacopoeia)のう
ち、PET 薬剤についての一般規則である USP823 に準拠していることが必要である。
図 2-1-4-9.米国における放射性医薬品の承認経路
(日本メジフィジックス(株)より提供)
SNM から、CTN 化合物をバイオマーカーとして臨床試験で使用できるよう Central IND の
承認申請を行うことができる。SMN に対し製薬企業 3 社から資金提供がなされている(図 2-1
-4-10)。
123
第2章
米国食品医薬品局(FDA)
IND申請
Drug Master File
米国核医学会(SNM)
バイオマーカー
CMC (Chemistry, Manufacturing and Control)
製造施設
図 2-1-4-10.SNM による放射性医薬品の承認申請
(日本メジフィジックス(株)より提供)
日本には SNM や CTN などの制度がないため、バイオマーカーを用いた国際共同治験への
参加が困難な状況にある。これを改善するため日本核医学会は米国の協力のもと、SNM 及び
CTN と提携覚書を交わした。今後は助言を受けながら、グローバル製薬企業に日本における国
際共同治験実施を提案する場を設けるなどの活動を行う。
(1) イメージング・バイオマーカー
統合失調症治療薬の開発における、バイオマーカーの最近の利用例について述べる。
統合失調症の発病原因には諸説あるが、有力なものとして、ドーパミン仮説とグルタミン仮説
がある。ドーパミン仮説は中脳辺縁系におけるドーパミンの過剰が、幻覚や妄想といった陽性症
状に関与しているという仮説である。したがって、薬剤によりドーパミン D2 受容体を拮抗的に遮
断することで病状を改善できるが、その脳内占拠率が高すぎるとパーキンソン症状が顕れる懸念
がある。
Janssen Pharmaceuticals 社は、イメージング技術により開発化合物のドーパミン D2 受容
体占拠率を可視化することで、臨床における至適投与量の設定に成功した6)。すなわち、
6mg/day が副作用の懸念が少なく、最も有効性が高いと予測されたことから、この結果を申請資
料に組み込み、パリペリドン徐放錠の承認取得に成功した。
一方、Merck 社及び GlaxoSmithKline 社は代謝型グルタミン酸受容体(mGluR)に着目し、
統合失調症治療薬の開発を進める。Merck 社はイメージング剤として[ 18 F]SP203 を創製し、
mGluR5 受容体占拠率を確認しつつ、用法及び用量を設定する試験を計画している。
(2) コンパニオン診断薬
Merck 社は Endocyte 社から葉酸レセプター指向性抗癌剤を導入し、その適用診断薬となる
イメージング剤 EC20 の開発も並行して進めている。EC20 を用いて葉酸指向レセプターの発現
度合について情報を収集し、適切な患者の選択が可能となれば、将来的に抗癌剤と診断薬
EC20 の drug-drug として申請するものと推測される。
124
第2章
(3) 医薬品開発における課題
日本には CTN のような制度もなく、早期探索的臨床試験に関してもガイダンスされているのは
マイクロドーズ試験のみである。国際共同治験に参加できる治験環境を整えることは日本にとっ
て喫緊の課題であり、今後は日本核医学会を中心とした積極的な啓蒙を行い、早期探索的臨床
試験拠点の充実させることが必要と考える(図 2-1-4-11)。
 早期探索的臨床試験
マイクロドーズ試験のみのガイダンスであるため
患者のエントリーができない
 米国CTNのような枠組みがなく、バイオマーカーを治験で利用できない
 治験薬GMPで利用可能なバイオマーカーがない
 治験薬GMPが製造できる施設が少ない
国際共同治験実施に向けた世界標準を目指して
 早期探索的臨床試験拠点の充実
治験薬GMP製造による臨床試験の実施
 日本核医学を中心とした学会活動
PET製剤製造基準等の整備
図 2-1-4-11.日本の医薬品開発における課題
(日本メジフィジックス(株)より提供)
最後に日本における RI 規制について述べる。国内では二重規制になっており、薬事法に準
じて製造した医薬品として送付する場合は医療法の管理下となり、試験用薬として送付する場合
は放射性障害防止法の下で管理される。医薬品として取り扱う場合、医師は放射線取扱主任者
を兼 任 で き る が 、試 薬 と し て扱 う 場 合 、 放 射 線 取 扱 主 任 者 が 別 途 必 要 で あ る ( 図 2 - 1 - 4 -
12)。
125
第2章
放射性医薬品を医療機関に譲渡する場合 : 薬事法下
医薬品製造所
(卸売販売業)
医薬品として輸送
(表示: 医薬品)
医療機関
放射性臨床性能試験用薬を医療機関に譲渡する場合 : 放射線障害防止法下
臨床性能試験薬製造施設
(RI許可施設・RI販売業)
RI として輸送
(表示: 臨床性能試験薬)
医療機関
衛生検査所
図 2-1-4-12.日本における RI 法規制
(日本メジフィジックス(株)より提供)
【参考資料】
1)
(財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成24年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリン
グ記録 日本メジフィジックス株式会社 川崎保弘氏、岩井久美子氏 2012年11月12日 非
公開
2)
Weet. Klunk et al., Ann. Neurol., 55,306(2004)
3)
U.S.Food and Drug Administration, March 2004.
4)
U.S.Food and Drug Administration, March 2006.
5)
Fujibayashi Y., Taniuchi H, Yonekura Y., et al.: J. Nucl. Med., 38,1155–1160
(1997).
6)
Takahashi N., Fujibayashi Y., Yonekura Y., et al.: Ann. Nucl. Med., 14,
323–328 (2000).
7)
Kurihara, C., Inoue, T.: Clinical Evaluation, 38, 353-358(2010)
8)
Arakawa R, Ito H, Takano A, Takahashi H, Morimoto T, Sassa T, Ohta K, Kato
M, Okubo Y, Suhara T., Psychopharmacology (Berl).197, 229-235(2008).
126
第2章
2-1-5. 蛍光プローブの論理的開発と in vivo がんイメージングへの応用
(東京大学大学院医学系研究科 浦野泰照氏寄稿)
1) 分子内光誘起電子移動に基づく蛍光プローブの論理的精密設計法の確立
蛍光プローブとは、検出対象分子と特異的に反応・結合してその蛍光特性が大きく変化する
分子ツーであり、近年、「生きている状態の生物試料」における種々の生理活性物質の動態をリ
アルタイムに観測するために汎用されている。蛍光プローブは、GFP などの蛍光タンパク質をベ
ースとするものと有機合成小分子をベースとするものに大別されるが、本稿ではヒトでのがんイメ
ージングに適用可能という観点から、後者の有機小分子をベースとするプローブについて以下
紹介する。
有機小分子蛍光プローブとは、それ自身は無蛍光であるが、観測対象分子と反応、結合する
ことで強い蛍光を発するようになる分子である。本プローブ類は、細胞外液に添加するだけです
べての細胞に、速やかにかつ濃度を制御して導入可能であるなどの特長も持つ。このように生体
応答観測や疾患イメージングツールとして優れた性質を有する有機小分子蛍光プローブである
が、これまでに開発されてきたプローブのほとんどは trial and error 方式で開発されてきており、
望みの機能を実現する蛍光プローブを狙って開発することは極めて困難であった。この理由とし
て、現代の最新の量子化学計算を駆使しても、新たな有機化合物の蛍光特性、中でもその明る
さ(蛍光量子収率)を正確に予測することはほぼ不可能であり、それら新規物質を実際に合成し、
蛍光特性を実測してみるまで、光るか光らないかはわからないことがあげられる。
そこで筆者らは、このような状況を打破し、目的の機能を有する蛍光プローブを論理的に精密
に 設 計 す る こ と を 目 標 と し た 研 究 を 行 っ て き た 結 果 、 光 誘 起 電 子 移 動 ( Photoinduced
Electron Transfer; PeT)を設計原理とする蛍光プローブの論理的なデザイン法を確立するこ
とに成功した。すなわち、例えば代表的な蛍光分子であるフルオレセインは、分子をベンゼン環
部位と蛍光団であるキサンテン環部位の 2 部位に分けて考えることが可能であり、分子内 PeT に
よりその蛍光特性を精密に制御可能であることを見出した(図 2-1-5-1 (a))。具体的には、
ベンゼン環部位の HOMO エネルギーレベルがある値よりも高いフルオレセイン誘導体に青色光
を照射して、蛍光を発する部位であるキサンテン環部位を励起させると、蛍光を発して基底状態
に戻るよりも速く電子移動が起こる(これを PeT と呼ぶ)ため蛍光はほぼ観察されないが、ベンゼ
ン環部位の HOMO エネルギーレベルが低い誘導体では PeT 速度は遅いため、通常通りの強
い蛍光が観察されることが明らかとなった(図 2-1-5-1 (b)) 1 ) 、2 ) 。すなわち、フルオレセイン
類のベンゼン環部位の HOMO エネルギーレベルを精密に変化させることで、その蛍光特性を
自在に制御することが可能となった。さらにこの分子内 PeT に基づく蛍光制御法は、ローダミン
や BODIPY、シアニンといった他の蛍光団にも適用可能であることも明らかとなった。
以上の知見を発展させることで筆者らは、図 2-1-5-1 (c)に示した蛍光プローブの論理的
設計法の確立に成功した。すなわち、ある観測対象分子に対する蛍光プローブの開発を考える
際、その観測対象分子と特異的に結合・反応し、かつその反応前後で基質の HOMO エネルギ
ーレベルが大きく低下する化学反応(分光学的な変化は一切必要ない)さえ知っていれば、これ
を活用して反応前は PeT によりほぼ無蛍光であり、反応後に PeT が起こらなくなることで強い蛍
光を発するプローブを論理的に開発することが可能となった。
127
第2章
図 2-1-5-1.(a) 代表的な長波長励起蛍光分子であるフルオレセインは2つの部位に分割して
考えることができる (b) フルオレセイン誘導体の蛍光量子収率は、ベンゼン環部位の HOMO
エネルギーレベルに依存した光誘起電子移動の概念によって、精密に予測することが可能であ
る (c) これまでに確立した、光誘起電子移動に基づく蛍光プローブの論理的精密設計法の一
例
上述の蛍光プローブデザイン法を活用することで、筆者らは様々な蛍光プローブの開発に成
功してきた。図 2-1-5-2 に、ある特定の活性酸素種(Reactive Oxygen Species; ROS)の
みを検出可能な蛍光プローブの例をいくつか挙げた。図 2-1-5-2 (a)-(c)は、それぞれ
ROS の一種である一重項酸素、OH ラジカルなどの強い酸化活性を有する hROS( Highly
Reactive Oxygen Species)、パーオキシナイトライトを高選択的かつ高感度に検出可能な蛍
光プローブの開発事例であるが、それぞれアントラセンからエンドパーオキサイドを生成する化学
反応 2 ) ,3 ) 、ジフェニルエーテル類の ipso 置換反応 4 ) 、フェノールのニトロ化反応 5 ) をそれぞれ鍵
化学反応として活用することで、論理的に開発することに成功した。
128
第2章
図 2-1-5-2. 確立した PeT、スピロ環化平衡に基づく設計法を駆使して開発することに成功
した、各種活性酸素種を種特異的に検出可能な蛍光プローブ群
(a) 一重項酸素検出蛍光プローブ DPAX, DMAX 類、
(b) 強い酸化活性種(hROS)のみを検出するプローブ HPF, APF、
(c) ニトロ化ストレス検出蛍光プローブ NiSPY 類 、
(d) 次亜塩素酸特異的、抗光褪色性蛍光プローブ HySOx
(注(a)-(c)は PeT を、(d)はスピロ環化平衡を原理とする蛍光プローブである)
筆者らはこの他にも、生細胞中の様々な酵素活性(ex. β-ガラクトシダーゼ 6 ) 、 7 ) 、グルタチオ
ン S-トランスフェラーゼ 8 ) など)を検出可能な蛍光プローブなどの開発にも成功しているが、紙面
の都合でここでは割愛する。
2) スピロ環化平衡を利用した蛍光プローブ設計法の確立
筆者らはさらにごく最近、分子内スピロ環化平衡を蛍光制御原理とする新設計法の確立に成
功した。分子内スピロ環化平衡とは、簡潔に言えば分子内のある置換基が蛍光団へと付加する
ことで生成する無色・無蛍光の分子構造と、通常の蛍光団が存在する分子構造の間での平衡の
ことである。より具体的に説明すると、図 2-1-5-1(b)に示したようにフルオレセインやローダ
ミン類はベンゼン環部位にカルボキシ基を持っているが、カルボキシ基の蛍光団への付加特性
は非常に低い。そのためフルオレセインやローダミン類は、水溶液中で図 2-1-5-1 (b)に示
す蛍光団であるキサンテン環構造を持つ分子構造が優先し、強い蛍光を示す。ところが、このカ
ルボキシ基をより強い付加特性を持つアルコール性水酸基やチオール(-SH)基などで置き換え
た分子を合成して、その蛍光特性を精査したところ、O 原子や S 原子がキサンテン環 9 位の炭素
原子に付加した構造の無色の分子構造が安定に存在することが明らかとなった。
例えば、図 2-1-5-2(d)に示した HySOx と名付けた分子 9 ) は、テトラメチルローダミンの
129
第2章
カルボキシ基をメルカプトメチル(-CH 2 SH)基に置換した分子であるが、メルカプトメチル基の S
原子の求核付加能が非常に高いため、キサンテン環 9 位に S 原子が分子内付加したスピロ環構
造体として存在し、よってその水溶液は無色・無蛍光である。一般に S 原子を含む物質は ROS
によって酸化されることが知られているため、HySOx 分子と各種 ROS との反応性を詳細に検討
したところ、次亜塩素酸イオンと選択的に反応し、強い蛍光を発する分子へと変化することが明ら
かとなった。これは次亜塩素酸イオン選択的に S 原子が酸化され、その結果メルカプトメチル基
の求核付加能が失われるため、通常のテトラメチルローダミン蛍光団復活し、強い蛍光を発する
ようになるためである。さらに本プローブは抗光褪色性のローダミンをその母核とするものである
ため、同一視野の連続観察時におけるプローブの褪色が全く見られないなど、極めて生細胞イメ
ージングに適した性質を持つ。そこで、ブタ好中球によるザイモザン貪食時に生成する次亜塩素
酸のリアルタイム可視化を試みた結果、ザイモザンを貪食して生成したファゴソーム内のみに、貪
食のタイミングと極めて良く相関して、強いローダミン蛍光が生成することが観測された 9 ) 。本結
果は、好中球の活性化による次亜塩素酸生成をリアルタイムで可視化した初めての例であり、白
血球の生理作用解析や、医薬品開発に大きな力を発揮するものと期待している。
3) 蛍光イメージングプローブの精密設計に基づくがん選択的蛍光イメージング
臨床的な観点からがんは、発見時の進行度により患者の予後が大きく左右されることが一般的
に知られており、実際胃がん、肺がん、結腸がん、乳がんなど主要部位のがんにおいて、がんの
早期発見の重要性が示されている。また外科手術において、微小がんまでも完全に取り残さず
に除去できれば、再発までの期間が飛躍的に長くなることもよく知られている事実である。そこで、
実用的な外科手術サポート術としての新たながん蛍光イメージングの実現を目指し、がん細胞で
亢進している酵素活性をターゲットとする戦略に基づくプローブの開発を開始した。
具体的には、種々のペプチダーゼ活性が、がん細胞の高い増殖活性を支えるために高いとさ
れている点を活用し、これらの酵素活性を特異的に検出可能な蛍光プローブを開発することで、
新たな in vivo が ん部 位 イメー ジング技 法の 確 立を 目指 した 。ま ず 、前 項で紹 介 した 分子 内
spiro 環化平衡を活用した設計法をさらに発展させ、種々のアミノペプチダーゼ活性を生細胞で
検出可能な蛍光プローブ群を開発し、これらを培養がん細胞(ヒト卵巣がん細胞;SHIN3)と正
常細胞(正常ヒト臍帯静脈内皮細胞;HUVEC)に適用し、その酵素活性の比較を行った。その
結果、ロイシンアミノペプチダーゼ(LAP)など多くのペプチダーゼ酵素活性は、両細胞間で大き
な差は見られなかったが、いくつかのペプチダーゼ活性には差が見られ、中でもγ-グルタミルト
ランスペプチダーゼ(以下、GGT と略す)活性は SHIN3 で非常に高く、HUVEC では低いこと
が、開発に成功した GGT 活性検出蛍光プローブ gGlu-HMRG(図 2-1-5-3(a))によるイメ
ージング実験から明らかとなった 1 0 ) 。
gGlu-HMRG によるがん細胞イメージング機構を、図 2-1-5-3(b)に示した。中性 pH 環
境でほぼ無蛍光である gGlu-HMRG は、細胞環境にスプレーされても、GGT 活性がない状態
では蛍光を発しないため、バックグラウンド蛍光は極めて低く抑えられているが、これががん細胞
表面に高発現している GGT に出会うことで、効率よく加水分解されて高蛍光性の HMRG に変
換され、疎水性の高い HMRG は即座に細胞内に取り込まれることで、GGT 活性の高いがん細
胞を蛍光可視化するものと考えている。さらに肺、肝臓、胆管がん細胞などへと gGlu-HMRG を
適用したところ、全てのがん細胞では無いものの、様々な部位由来のがん細胞でその GGT 活性
130
第2章
が亢進していることが明らかとなった(図 2-1-5-3(c))。GGT は細菌から哺乳類まで普遍的
に存在するグルタチオン代謝酵素であり、グルタチオンなどのγ-グルタミルペプチドを加水分
解し、他のペプチドやアミノ酸にγ-グルタミル基を転移することで、グルタチオンの生合成・代
謝に強く関与する酵素である。がん細胞でこの高い発現が多く見られるのは、がん細胞の高い増
殖活性を支える酵素として GGT が重要な役割を果たしているからであると考えている。
図 2-1-5-3. (a) 開発に成功したスピロ環化平衡を原理とする GGT 活性検出蛍光プロー
ブ gGlu-HMRG (b)gGlu-HMRG によるがん細胞イメージング機構 (c) gGlu-HMRG による各
種がん細胞、正常細胞の GGT 活性比較 (d) gGlu-HMRG による腹腔内微小播種がんイメー
ジング(市販のデジタルカメラによる撮像)
131
第2章
次にがんモデルマウスを用いた in vivo 蛍光イメージングを行った。各種卵巣がん細胞を腹腔
内に播種したがんモデルマウスを作成し、これに gGlu-HMRG の PBS 溶液を腹腔内投与し、5
分後に開腹して蛍光イメージングを行った。その結果、プローブ投与 5 分後であっても、がん部
位が極めて強い蛍光を発し、1 mm 以下の微小がんであっても、明確にこれを検出可能であるこ
とが明らかとなった(図 2-1-5-3(d))。なおこの写真は特別な装置で撮像したものではなく、
筆者が個人所有している市販のデジタルカメラで、515 nm のロングパスフィルター越しに撮った
ものである。すなわち、本プローブの散布により、裸眼でも十分に検出できるだけの強い蛍光が
がん部位から発せられている。この短時間かつ高感度でのがん蛍光イメージングは、本プローブ
の特筆すべき特長であり、本プローブの活用により、術者が治療すべきがん部位を明確に判断
でき、的確な蛍光内視鏡下手術、あるいは開腹外科手術時が可能となる日も近いと大いに期待
している。
4) 謝辞
本稿で紹介した蛍光プローブ類の開発研究は、筆者らが 2 年前まで在籍していた東京大学大
学院薬学系研究科薬品代謝科学教室で主に行われたものであり、長野哲雄教授をはじめ、多く
の大学院生と共に遂行してきた成果である。また、がんの蛍光イメージング技法の開発に関して
は、米国 NIH の小林久隆主任研究員との共同研究であり、紹介したがんイメージング蛍光プロ
ーブの開発は、長野研究室で筆者らと共に研究を行ってきた神谷真子博士、浅沼大祐博士(お
二人とも、現東京大学大学院医学系研究科助教)と坂部雅世博士(現、富士フイルム)の類い希
な才能と大きな努力によるものである。この場を借りて、以上の皆様に深く感謝いたします。
【参考資料】
1) Miura T, et al., J. Am. Chem. Soc., 125: 8666-8671(2003).
2) Tanaka K, et al., J. Am. Chem. Soc., 123: 2530-2536(2001).
3) Umezawa N, et al., Angew. Chem. Int. Ed., 38: 2899-2901(1999).
4) Setsukinai K, et al., J. Biol. Chem., 278: 3170-3175(2003).
5) Ueno T, et al., J. Am. Chem. Soc., 128: 10640-10641(2006).
6) Urano Y, et al., J. Am. Chem. Soc., 127: 4888-4894(2005).
7) Kamiya M, et al., J. Am. Chem. Soc., 133: 12960-12963(2011).
8) Fujikawa Y, et al., J. Am. Chem. Soc., 130: 14533-14543(2008).
9) Kenmoku S, et al., J. Am. Chem. Soc., 129: 7313-7318(2007).
10)Urano Y, et al., Sci. Transl. Med., 3: 110ra119(2011).
132
第2章
2-1-6.生体 2 光子励起イメージングで解析する生きた細胞動態 ~医療・創薬への応用 1)
1) はじめに
骨は重力に抗して体を支え運動機能を維持するとともに、カルシウムやリンなどミネラルの貯蔵
庫として重要な機能を担っている。骨組織では常に新陳代謝が繰り返されており、その構造およ
び強度は骨を形成する骨芽細胞と破壊する破骨細胞の機能的平衡により維持されている。一方、
加齢などによる骨粗鬆症ではこの均衡が崩れ、破骨細胞が局所で異常に活性化された状態とな
っている 2 ) 。
骨粗鬆症治療薬として用いられるビスホスホネート製剤は、骨表面の破骨細胞の不活化ある
いはアポトーシス誘導により骨吸収機能を抑制する。臨床での有効性は十分に示されているが、
重篤な副作用として骨が急に脆くなる顎骨壊死の懸念から、より安全かつ有効性の高い薬剤が
求められている。
破骨細胞は単球系血液細胞から分化・成熟する多核巨細胞であり、これまでの研究成果から
骨 髄 間 質 細 胞 や 骨 芽 細 胞 な ど に よ っ て 産 生 さ れ る M-CSF ( macrophage colony
stimulating factor)や RANKL(receptor activator of NF-κB ligand)が、破骨細胞の分
化・成熟に必須であること、RANKL 刺激は NF-κB や NF-AT などの転写因子群を介して破骨
細胞の分化を誘導するなどの知見が確立している 3 ) 4 ) 。その一方で、破骨細胞はどのように骨表
面に到達するのか、遊走を調節するメカニズムについては、長らく不明とされていた。
2) 破骨細胞の遊走とケモカイン
破骨前駆細胞の骨表面への、また骨表面からの trafficking のメカニズムについて解明する
ため、種々のケモカインや脂質メディエーターについて in vitro でスクリーニングを行った。その
結果、破骨前駆細胞の遊走を刺激する複数の分子種を得たが、その中でリンパ球の遊走制御に
関わるとされる 5 ) 6 ) スフィンゴシン-1-リン酸(S1P)に注目した。
図 2-1-6-1.破骨前駆細胞を動かす物質の in vitro スクリーニング
(大阪大学 石井優氏提供)
133
第2章
S1P は主に赤血球や血小板で産生され、組織に遍在する S1P リアーゼによって分解を受ける。
したがって、S1P は一般に血中で高く、組織では低い濃度に保たれており、S1P に対するケモタ
キシスは、細胞が組織から血中へ還流する際に作用すると考えられた。まず in vitro で検証を行
ったところ、破骨前駆細胞には S1P1 受容体が発現しており、S1P の濃度勾配によってケモタキ
シスを起こすことが明らかとなった。
図 2-1-6-2.破骨細胞とその前駆細胞での S1P 受容体の発現と機能
(大阪大学 石井優氏提供)
3) 二光子励起顕微鏡による骨組織のライブイメージング
破骨細胞の遊走を in vivo で確認するため、二光子励起顕微鏡による骨組織内部のイメージ
ング実験を行った。骨基質に含まれるリン酸カルシウム結晶は、励起光を容易に散乱させるため、
赤外線レーザーを用いても深部まで到達させることは困難である。そこで、骨基質が比較的薄い
マウス頭頂骨を用いて、生きた骨髄内を外部から非侵襲的に高解像度で観察することに成功し
た(図 2-1-6-3)。
134
第2章
図 2-1-6-3.生体2光子励起ライブ骨イメージングによる in vivo スクリーニング
(大阪大学 石井優氏提供)
骨組織に存在する破骨前駆細胞を含む単球系細胞は、定常状態ではほとんど動きは見られ
なかったが、強力な S1P1 アゴニストである SEW2871 を静脈投与すると、急速に動きが大きくな
り、血管内へ移行する様子が観察された(図 2-1-6-4、図 2-1-6-5)。
図 2-1-6-4.S1P による破骨細胞前駆細胞の遊走の制御
(大阪大学 石井優氏提供)
135
第2章
図 2-1-6-5.S1P による破骨細胞前駆細胞の遊走の制御
(大阪大学 石井優氏提供)
以上の実験結果より、 in vivo の骨組織内でも破骨細胞は S1P 受容体刺激に応じて遊走する
ことが証明された。
4) 破骨前駆細胞の位置決めの制御機構
さらに検討を行った結果、破骨前駆細胞には S1PR1 だけでなく、S1PR2 という受容体が存在
し、それぞれが細胞遊走におけるアクセル、ブレーキの役割を担っていることを見出した 7 ) 。
図 2-1-6-6.破骨細胞に存在する 2 種の受容体
(大阪大学 石井優氏提供)
136
第2章
破骨細胞は S1P の濃度に応答することでそれらの機能を使い分け、位置決めを行っていると
考えられ、前述の図 2-1-6-4 及び図 2-1-6-5 で観察された現象についてもアクセルと
ブレーキによって説明することができる。すなわち、S1P 濃度が低い場合、S1PR1 にのみ作用し
遊走を開始するが、S1P 濃度の上昇に伴い、S1PR2 にも作用するようになり遊走が抑制される
(図 2-1-6-6)。
破骨細胞の S1P に対する遊走の生理学的意義を明らかにするため、骨粗鬆症モデルマウス
に対し、S1PR2 のアンタゴニストである JTE013 を投与し、その治療効果を検証した。その結果、
JTE013 は強力な骨吸収抑制作用を示し、骨粗鬆症における骨破壊を大幅に改善した。以上の
ことから、S1P による破骨前駆細胞の遊走制御が、創薬コンセプトとして有望であることが示唆さ
れた。
図 2-1-6-7.破骨細胞の遊走を制御する新規骨吸収抑制薬の開発
(大阪大学 石井優氏提供)
冒頭でも述べたように、現在よく使用される骨吸収抑制薬としてビスホスホネート製剤があり、こ
れと異なる作用機序を有する薬剤としてカテプシン K 阻害剤が臨床試験中である。いずれも最
終的に分化した破骨細胞をターゲットとしているが、破骨細胞の遊走を制御する薬剤は従来のも
のとは作用メカニズムが異なるため、併用による相乗効果が期待できると考えられている。
137
第2章
5) ライブイメージング技術による成熟破骨細胞の機能解明
図 2-1-6-8 は十分成熟した破骨細胞をイメージングで観察したものである。活発に活動し
ているもの(non-resorptive)と静止しているもの(resorbing)があり、様々な手法により解析し
た結果、静止している破骨細胞の周辺では pH 値が低いことが明らかとなった。成熟破骨細胞に
は活動状態と静止状態があり、静止したものが骨・軟骨組織を破壊吸収していると考えられる。
図 2-1-6-8.成熟破骨細胞による骨吸収過程の世界初の可視化
(大阪大学 石井優氏提供) 7 )
静止した成熟 破骨細胞 の機能を確認するため 、次のイメージング 実験を行った。すなわ ち、
RANKL(receptor activator of NF-κB ligand)処理により骨粗鬆症を強力に誘導した状態
(中央)および RANKL 処理後にビスホスホネートを投与した状態(右)における成熟破骨細胞の
動きを観察した(図 2-1-6-9)。
138
第2章
図 2-1-6-9.生きた成熟破骨細胞の骨表面での動き(病的状態)
(大阪大学 石井優氏提供)
コントロールでは破骨細 胞が骨組織を吸収してい るもの(R:resorbing)と 遊走しているもの
(N:non-resorptive)が混在している。病態では破骨細胞の数が増加し、かつ多くが骨吸収の
状態(R)となっている。一方、ビスホスホネートを投与したものは、破骨細胞の数が大きく減少し、
いずれも遊走している。
組織切片では細胞数の増減しか観察できないが、イメージング技術を導入することで、組織が
どのように機能しているか、より多くの情報をリアルタイムで収集することができる。一方でイメージ
ング技術の弱みは、動きの変化について定量的評価が難しいことである。動きの情報を数値化
できれば、in silico スクリーニングによる多検体スクリーニングが可能となることから、数理シミュ
レータの開発も行われている(図 2-1-6-10)。
139
第2章
図 2-1-6-10.生きた成熟破骨細胞の骨表面での動きの自動解析
(大阪大学 石井優氏提供)
6)ライブイメージング技術の応用
関節リウマチに代表される炎症性の骨破壊では、以前から T 細胞である Th17 の関与が示唆
されていたが、その詳細については不明だった。そこで、ライブイメージング技術による機能解明
に取り組み、骨破壊に至る過程を明らかにした。すなわち、活性化した T 細胞のうち、Th17 が細
胞 膜 上 に RANKL を 発 現 し 、 こ れ が 遊 走 し て い る 破 骨 細 胞 に 直 接 相 互 作 用 ( cell-cell
contact)することにより、骨吸収が開始されることが判明した。
先にも少し触れたが、イメージング技術の欠点として、細胞分化のように内部での変化を捕捉
することも指摘されている。これに対し、位置情報(x, y, z)、時間(t)に新たなパラメータである色
の変化を加えた 5 次元イメージングが提唱され、取り組みが進んでいる。すなわち、破骨前駆細
胞が成熟すると緑から赤色に変化するダブルリポーターマウスを作成し、ライブイメージング実験
を実施すると、開始から数時間内に緑色から黄色を経て赤色となることから、破骨細胞の分化が
進む様子を観察することができる。
7)イメージング研究の今後の展望
これまで述べてきたようにイメージング技術の最大の強みは、注目する細胞の動きの情報を細
胞毎に、かつリアルタイムで取得できることである。特に免疫やがん領域のように細胞の動態が重
要な分野では、イメージング技術を駆使して得られた時空間情報により、生物学的に重要な知見
がもたらされ、新たな創薬概念及び創薬標的の発見につながる可能性がある。今後の発展に強
く期待したい。
140
第2章
【参考資料】
1)
(財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成 24 年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリ
ング記録 大阪大学免疫学フロンティア研究センター 石井優氏 2012 年 10 月 9 日 非公
開
2)
Teitelbaum SL, Science 289: 1504-1508(2000)
3)
Takayanagi H, Nat Rev Immunol, 7: 292-304(2007)
4)
Lorenzo J, Horowitz M, Choi Y, Endocr Rev, 29: 403-440(2008)
5)
Rosen H, Goetzl EJ, Nat Rev Immunol, 5: 560-570(2005)
6)
Cyster JG, Annu Rev Immunol, 23: 127-159(2005)
7)
Ishii M, Kikuta J, Shimazu Y, Meier-Schellersheim M, Germain RN, J Exp
Med 207: 2793-2798(2010)
141
第2章
2-1-7.MRI(核磁気共鳴イメージング)と MRS(核磁気共鳴スペクトロスコピー)による生体
現象の可視化と評価
1)
1) 磁気共鳴情報の概要
MRI の面白さのひとつは、単一の装置で多種類の画像情報が得られることにある。例えば、
機能的 MRI により、運動や知覚にともない活動している大脳皮質の部位を知ることができる。臨
床例として、自己免疫疾患(多発性硬化症)患者の脳の画像をみると、神経膠芽腫や肺癌からの
脳転移の画像とは異なることから、鑑別診断に使用することができる。
磁気共鳴情報の中にはさまざまなパラメータがある。それらには、血行動態を反映するもの、
酸素飽和度を示すもの、脳の温度を反映するものが含まれ、絶対値を測定することが可能であ
る。
体内の水のブラウン運動(拡散)の違いを画像に反映させることも可能である。マウスの中大脳
動脈を結紮した後の脳画像(結紮後の 40 分および 120 分の画像)においては、脳の虚血障害
が明らかに描出できる。これは脳の虚血部位で水の拡散が変化するためであり、この手法は、虚
血性脳疾患の超急性期の最も鋭敏な検査方法として臨床的にも確立されてきた。細胞・組織内
の水のブラウン運動には異方性があり、この異方性を可視化できる。この異方性を利用すれば、
脳や脊髄の神経軸索をトレースすることもできる。
このように磁気共鳴法では、分子レベルから全身レベルに至るまでの様々な情報を加味した
画像を取得できるが、さらに興味深いことに、全て同一の装置で測定・解析できるのである 2 ) 。
図 2-1-7-1.MRI と MRS により取得できる画像情報
(大阪大学 吉岡芳親 氏 提供)
142
第2章
2) 免疫動態の可視化
磁気共鳴が生体にとっては非侵襲的であることを利用し、試験管内ではなく、生体レベルにお
ける免疫動態を可視化する研究が進められている。使用する MRI 装置は、ヒト用には 3 テスラ、
実験動物用には 11.7 テスラの磁場が用いられている。
マウスに麻酔をかけた状態で、細胞レベルで追跡するような研究が進められている。マウスの脳
について、貪食細胞を特別なプローブでラベリングし、麻酔下で MRI 画像をとると、脳内の貪食
細胞の分布が画像化される。免疫反応や炎症反応が細胞レベルで解析できる。画像だけではな
く、3 次元的に領域を絞ってスペクトルを測定することができ、スペクトルから分子レベルの解析
が可能となる。
11.7 テスラの MRI 装置により、0.5mm を超えるマウスのリンパ節(腸間膜、鼠径部、膝)を画
像化できる。変化量の場合には、0.1mm くらいの変化があれば追跡できる。例えば、実験的に
大腿部を傷つけたマウスのリンパ節の腫大を画像化された。
免疫系の画像化において、マウスのリンパ管の可視化は難しい課題であった。高磁場の MRI
装置の解像度をあげることにより、リンパ管にそって細い静脈が存在すること、しかもそれらを区
別して画像化できることが示された。このような画像は、15 分間程度で撮像できる。
図 2-1-7-2.マウスのリンパ節の MRI 画像
(大阪大学 吉岡芳親 氏 提供)
143
第2章
3) 特定の免疫細胞の可視化
特定の細胞を可視化することおよび特定の細胞を追跡する研究について述べる。特定の細胞
を磁気共鳴用のプローブにより標識し、画像上でコントラストをつけることが可能である。プローブ
を細胞に結合させるのみであれば、細胞分裂により希釈されコントラストは失われる。細胞に鉄の
トランスポーターである MAG-A を導入すると、その細胞自身が鉄をとりこみ、それ自体がプロー
ブとなってコントラストが明瞭となる。そのような細胞をマウスの頭に投与すると、200 個程度でも
簡単にみることができる。10 個程度を画像化できるほどの高感度である。
細胞移動の追跡の例として、貪食細胞が異物を貪食し、リンパ管からリンパ節に異動する現象
の画像化が検討された。投与する異物として、200nm 径超の微粒子が選択され、貪食細胞のリ
ンパ節への移動および局在が画像化された。高感度のセンサーを使用すると、インビボにおいて
平面 20 ミクロン~厚さ 50 ミクロンくらいまでの可視化が可能である 3 ) 。
応用例として、炎症部位の免疫細胞の可視化について、心筋症ラット、熱傷マウス、LPS 投与
マウスなどを対象として研究がすすめられている。免疫細胞が炎症の原因となる場合と、炎症部
位に免疫細胞が引き寄せられる場合がある。
炎症にともなう反応を、いくつかの MRI 画像としてとらえることができるが、炎症は血管系の変
化をともなうことが多く、現在の装置では、100μm 程度の血管の炎症も追跡できている。異方性
のある脊髄や神経線維の炎症は、ブラウン運動(拡散)やその異方性を指標にすることでより詳
細に評価でき、脊髄の再生や神経変性の研究に大いに寄与できる。
4) 代謝の可視化
MRI により、代謝の面から疾患の診断および治療の評価をおこなうことができる。腹腔や皮下
の脂肪は CT により比較的容易に画像化できるが、組織内(例えば肝臓)の脂肪については難し
い。CT では、脂質の含有量が 30%を超えなければ診断がむずかしい。詳細に脂肪量を知るた
めには、一般的には生検が適応となるが、MRI を使えば、非侵襲でありながら詳細に肝臓内の
脂肪量を評価できる。
肝臓内の脂肪をみるときは、領域を絞ってデータを取ることが可能である。ただし MRI で画像
化できる脂肪は貯蔵脂肪であるトリグリセライドであり、細胞膜上のリン脂質やコレステロールは見
えていない。これは臨床的に非常に重要で貯蔵脂肪を実質的に測定できるということである 4 ) 。
筋肉内(ヒラメ筋内)の脂肪量について、領域を絞って測定することが可能である。骨格筋であ
るために、筋細胞間の細胞外の脂肪も含まれる。細胞内および細胞外の脂肪の分離には、3 テ
スラくらいの装置を使用する必要がある。
脳内代謝については、数ミリモルから 10 ミリモルレベルの GABA、グルタチオン、アスコルビン
酸などの物質を分別定量できる。神経細胞死のマーカーの発見に役だつ可能性がある。
さらに、磁気共鳴により、体内深部の pH および温度も詳細に測定できる。温度については、
0.1℃くらいのばらつきで測定することが可能である。
144
第2章
図 2-1-7-3.ヒト脳の MRI および MRS
(大阪大学 吉岡芳親 氏 提供)
【参考資料】
1)
(財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成 24 年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリ
ング記録 大阪大学免疫学フロンティア研究センター 吉岡芳親氏 2012 年 10 月 9 日 非
公開
2)
森 勇樹, 朱 大松, 吉岡 芳親,磁気共鳴法を用いたダイナミックな免疫現象の可視化を目
指して,日本分子イメージング学会誌 JSMI Report , 2012: 5, 9
3)
Mori, Y., et al., MR contrast in mouse lymph nodes with subcutaneous
administration of iron oxide particles: size dependency, Magn Reson Med Sci,
2011: 10, 219
4)
Ishii, M., et al., Liver fat content measured by magnetic resonance
spectroscopy at 3.0 T independently correlates with plasminogen activator
inhibitor-1 and body mass index in type 2 diabetic subjects, Tohoku J Exp Med,
2005, 206, 23
145
第2章
2-2.高速シークエンサー
2003 年 4 月にヒトゲノムの完成版配列が発表されてから、早くも 10 年が経とうとしている。ヒト
ゲノム計画における塩基配列解読で中心的な役割を果たしたのが、キャピラリー式の DNA シー
クエンサーであった。これはサンガー法による反応とゲル電気泳動とをベースにした DNA シーク
エンシング技術であるが、蛍光色素標識とキャピラリーを用いた電気泳動によって解析効率が著
しく向上し、ヒトゲノム計画の完遂に大きく貢献した。その一方で、サンガー法とは全く異なった原
理に基づく DNA シークエンシング技術の開発が行われ、2005 年に Roche より最初のシークエ
ンサー454 Genome Sequencer GS20 が発売された。その後、各メーカーから相次いで製品
がリリースされ、急速に普及しつつある 1 ) 。キャピラリー式 DNA シークエンサーに関しては現在も
根強い需要があるものの、新たなシークエンサーの登場によって生命科学や医学のアプローチ
は大きく変わりつつある。ゲノムのシークエンスコストが大幅に低下すると共に、解読スピードが飛
躍的に向上し、様々な生物種やその個体のゲノム解析が精力的に進められている。また、シーク
エンサーをプラットフォームとした新たな解析技術が開発され、発現解析やエピゲノム解析、メタ
ゲノム解析などに応用されるなど、単なる塩基配列解読に留まらない一種の革命的技術となって
いる。
これら新型の DNA シークエンサーは、サンガー法による DNA シークエンサーを「第 1 世代シ
ー ク エ ン サ ー 」 と し た 場 合 に 、 そ れ と の 対 比 で 「 次 世 代 シ ー ク エ ン サ ー ( Next-Generation
Sequencer:NGS)」と呼ばれてきた。しかし、最近では、その圧倒的に高い配列解読能力から
「High-throughput Sequencer(高速シークエンサー)」と呼ばれている 1 ) 。また、新型のシー
クエンサーに共通した特徴は、非常に多数のシークエンス反応を同時に行う点であるが、その特
徴より「massively parallel sequencing(超並列シークエンシング)」という言葉が使われてい
る 2 ) 。本稿では、「高速シークエンサー」という言葉を使わせていただく。
本ワーキンググループの調査報告書では、2007 年度より毎年 1 つの項を高速シークエンサー
の解説に当ててきた 3 )4 ) 5 ) 6 ) 7 ) 。今年度は、創薬における重要技術の 1 つとして高速シークエンサ
ーを取り上げ、メイントピックとして関係者へのヒアリングなどの調査を行った。その調査内容をま
とめたものを、本章で報告する。全体の構成としては、基礎から応用へと並んでいる。まず 2-2
-1 では、高速シークエンサーの分類や開発史など、その全体像について概要を述べる。次い
で、2-2-2 では、高速シークエンサーの利用に関して、実際の用途などについて現状を報告
する。さらに、2-2-3 では、高速シークエンサーのゲノム科学への応用に関して、主に
FANTOM 計画の成果ついて報告する。その後の 2-2-4 以降では、高速シークエンサーの疾
患研究への応用に関して、スーパーコンピュータの利用なども含めて報告する。登場から 8 年目
になる高速シークエンサーの現状とそれが有するポテンシャルについて、理解の一助となれば幸
いである。
146
第2章
2-2-1.高速シークエンサー(次世代シークエンサー)概説
1) 高速シークエンサーとは
生物種のゲノム解読に関するデータベース Genomes Online Database によれば、本稿を
執筆中の 2013 年 2 月時点でゲノム配列の解読が完了した生物種は、ドラフト配列を含めて
4,126 種(古細菌 181 種、細菌 3,762 種、真核生物 183 種)となっている 8 ) 。また、ゲノム配列の
解読が進行中の生物種は 16,502 種(古細菌 251 種、細菌 13,657 種、真核生物 2,594 種)と
なっている。本ワーキンググループの 2005 年度の報告書では、2005 年 12 月時点でゲノム解読
が完了した生物種は 332 種(原核 292 種、真核生物 40 種)、解読が進行中の生物種は 1,408
種(原核生物 848 種、真核生物 560 種)と記されている 9 ) 。したがって、その後の 7 年間で 10
倍以上に増えたことになる。その原動力になってきたのが、2005 年に登場した高速シークエンサ
ーが有する高いシークエンス能力である。
高速シークエンサーの歴史については後述するが、その開発はすでに 1990 年代に始まって
いる。ヒトゲノム計画は 1990 年に 30 億ドルの予算をもって 15 年計画で始まった。その中でもサ
ンガー法に代わるより効率的なシークエンス技術の研究開発が進められていた。ヒトゲノム計画
は、予定より 2 年の前倒しで、2003 年 4 月に完成版配列の発表をもって完了したが、その直後
の 2003 年 5 月 、 米 国 国 立 ヒ ト ゲ ノ ム 研 究 所 ( National Human Genome Research
Institute:NHGRI)が新しいシークエンシング技術の開発計画を発表した 1 0 ) 。ヒト全ゲノムを
1,000 ドル以下のコストで解読するという「1,000 ドルゲノム」という目標コンセプトが発表され、ヒ
トゲノム計画で行われていた新しいシークエンス技術の開発はこの計画で継続された。これを契
機に、米国を中心にして数多くの研究チームやベンチャー企業が 1,000 ドルゲノムの実現に向
けてシークエンスのコストダウンとスピードアップにしのぎを削ることになったのである。その結果、
2005 年 に は 最 初 の 高 速 シ ー ク エ ン サ ー と し て Roche/454 Life Sciences の Genome
Sequencer System が製品として市場に出た。さらに、それに続いて他のシークエンサーも発売
され、現在の隆盛へと至っている。したがって、高速シークエンサーの開発には 1,000 ドルゲノム
計画以前に基礎研究が存在しており、その成果に基づいて実用化されたという点に注意してほ
しい。高速シークエンサーのように従来法とは異なる原理に基づいた新たな概念による装置を開
発する場合には、やはりそれ相応の研究開発が必要である。ライフサイエンスにおける革命的な
技術は、決して数年の研究開発で実現できるようなものではない。
現在では様々な原理に基づく高速シークエンサーが開発されており、技術的特徴から以下の
ように形式的には第 2 世代・第 3 世代・第 4 世代と分類することができる。ただし、この分野は進
展も早く、後から開発された技術の方が先に製品として普及するケースもある。分類は流動的で
あり、あくまでも理解のための便宜的なものと考えるべきであろう。
① 第 2 世代シークエンサー:逐次 DNA 合成と光検出法を用いた超並列シークエンシング
DNA ポリメラーゼによる逐次的 DNA 合成法、DNA リガーゼによるオリゴ DNA のライゲーシ
ョン反応、パイロシークエンスなどの手法を用いて、蛍光・発光などの光検出によって超並列的に
塩基配列を解読する。光検出を行うために、反応試薬には蛍光色素や発光基質を必要とし、ラ
ンニングコストが高くなる。また、装置には光検出器や撮像素子を必要とするため、構造が複雑
になり、高価になる傾向がある。さらに、画像処理によりベースコールを行うため大規模なデータ
147
第2章
処理能力を必要とする。すでに多くの装置が高速シークエンサーとして製品化され、研究現場で
使用され、日々大量のデータを生み出している。
② 第 3 世代シークエンサー:1 分子リアルタイムシークエンシング
DNA1 分子を鋳型として DNA ポリメラーゼによる DNA 合成を行い、1 塩基ごとの取り込み反
応を蛍光や発光などで検出することにより、リアルタイムで塩基配列を解読する。1 分子シークエ
ンサーの特徴は、サンプルの増幅をせずに塩基配列を解読できることである。PCR などの手法
によりサンプルの増幅を行うと、増幅効率の違いによってバイアスが生じてしまい、本来のサンプ
ルの状態を反映しなくなってしまう。したがって、発現解析などサンプルの分子数を正確に反映
する必要があるアプリケーションでは、1 分子シークエンサーはその威力を発揮する。また、1 分
子の DNA を鋳型として DNA ポリメラーゼの合成速度で塩基配列を読むために、単位時間当た
りの配列解読量が大きく、コストダウンにつながることが期待される。さらに、反応あたりのリード長
が数百ベース以上と長いので、 de novo シークエンスによる新規配列の解読にも利用できること
が期待されている。ただし、1 分子イメージングを行うという原理のため、現時点は解読精度が低
い。それを克服するための工夫がなされているが、配列決定の精度を要する解析には適さない。
③ 第 4 世代シークエンサー:Post-light シークエンシング
蛍光・発光などを用いず、光検出以外の検出方法により超並列的に塩基配列を解読する。光
検出を行わないので、試薬や装置がシンプルになり、ランニングコストや装置価格が低下すること
が期待されている。また、DNA 試料の調製も簡便になると思われる。様々な方式が開発されてい
るが、半導体シークエンサーがいち早く製品化され、研究現場で用いられている。なお、実用化
が期待されているナノポアシークエンサーであるが、光検出を用いていない点では第 4 世代シー
クエンサーと言えるが、1 分子シークエンサーとしての特徴も有しており、その点では第 3 世代シ
ークエンサーとも言えよう。
高速シークエンサーに関しては、総説なども書かれているが、進歩が早いためにすぐに内容が
古くなってしまう。また、予想していないところから新しい技術や製品が出てくるなど、予断を許さ
ない。したがって、情報を得るためには、各社のホームページを参照するとともに、ニュースサイト
などで 最 新 の 情 報 を追 い か ける こ と が 望 ま しい 。そ の 点 で 、株 式 会 社 ジナ リ ス の ホ ー ム ペ ー ジ
「GO クラブ」がトピックスとその解説として優れており、本稿の執筆に際しても参考にさせて頂い
た 1 1 ) 。 高 速 シ ー ク エ ン サ ー 各 機 種 の 性 能 比 較 な ど に 関 し て は 、 THE MOLECULAR
ECOLOGIST ホームページの「NGS Field Guide」がよくまとまっている 1 2 ) 。また、本ワーキン
ググループの過去の調査報告書も参照して頂きたい 3 )4 )5 ) 6 )7 ) 。
2)
高速シークエンサーの歴史
2005 年末に最初の高速シークエンサーとして Roche Diagnostics より 454 Life Sciences
の Genome Sequencer System が発売された。その後、各メーカーから製品がリリースされ、こ
の数年の間に急速に普及した。本ワーキンググループの報告書に初めて高速シークエンサーが
登場したのは、2003 年度の報告書における 454 Life Sciences と Solexa であった 1 3 ) 。両社は
それぞれ米国および英国のベンチャー企業であり、新たな原理による DNA シークエンサーの開
148
第2章
発を行っていたのだが、その 2 年後に最初の製品が市場に出たわけである。
454 Life Sciences は、CuraGen に所属していた Rothberg らが新しいシークエンス技術と
してパ イロ シー ク エ ン ス 法 を 発 明 し 、CuraGen の 子 会 社 と して設 立 した も の で あ る 。そ の 後 、
2005 年 5 月に Roche Diagnostics と独占契約を結び、さらに 2007 年 5 月には Roche に買
収された。したがって、現在は 454 Life Sciences のシークエンサーは Roche の製品となって
いる。
Solexa は、1998 年に英国の Cambridge で設立された。技術としては、1990 年代半ばに
Cambridge 大学の Balasubramanian と Klenerman とが基板上に固定した DNA ポリメラ
ーゼの活性を 1 分子レベルで観察したことに始まる。この技術を DNA シークエンスに用いること
を考え、1998 年にベンチャーキャピタルから資金を獲得し、Solexa を設立したのである。2005
年に装置メーカーである Lynx Therapeutics を合併して上場し、カリフォルニアに拠点を移す
と共に、シークエンサーを製品化した。最初のシークエンサーGenome Analyzer は 2006 年に
リリースされた。その後、2007 年 1 月に Illumina に吸収合併され、現在は Illumina によって
製品化されている。
その他には、Agencourt Bioscience が、Harvard Medical School の George Church
ら が 開 発 し た Polony Sequencing を 改 良 し た SOLiD シ ー ク エ ン サ ー を 開 発 し て い た 。
Agencourt Bioscience は 2005 年 4 月に Beckman Coulter に買収された後、本技術の開
発部門は別会社 Agencourt Personal Genomic として分離された。その後、2006 年 5 月に
Applied Biosystems に買収され、SOLiD は Applied Biosystems の製品として 2007 年秋
に発売された。なお、2008 年 11 月に Applied Biosystems は Invitrogen によって買収され、
Life Technologies が誕生したので、現在、SOLiD は Life Technologies の製品となってい
る。
このように、2005 年から 2007 年初頭にかけて、高速シークエンサーを開発していたベンチャ
ー企業の買収や提携が相次ぐと伴に、製品が発売された。マイクロアレイなどに替わる新たな解
析プラットフォームや製品として高速シークエンサーに注目して、ビジネスに向けての具体的な
動きが始まったのである。2007 年には日本でも高速シークエンサーの導入が始まり、2009 年度
に入ると急速に普及が進み始めた。これらの装置は分類的には第 2 世代シークエンサーと呼ば
れるもので、先に述べた Roche Diagnostics、Illumina および Life Technologies(Applied
Biosystems)の 3 社より市販されている。各社の主力製品であるハイエンド機種に関しては、常
に性能アップが図られており、より多くの塩基配列が解読可能な機種がリリースされている。それ
に伴って解読能力が向上し、解読コストは低下している。
これら第 2 世代シークエンサーに続いて、1 分子シークエンシング技術を用いた第 3 世代シー
クエンサーの実用化も進んでいる。まず、Helicos BioSciences からシークエンサーHeliScope
が製品化された。次いで、2010 年 11 月には Pacific Biosciences の装置が発売された。これ
ら第 3 世代シークエンサーは、鋳型 DNA の増幅反応を行わずに塩基配列の解読が可能であり、
1 反応あたりのリード長も数百~数千ベースになるとされている。超並列反応と併せて第 2 世代を
大きく上回るスループットを実現すると期待されているが、現時点では十分な性能は出ていない
ようだ。なお、Helicos BioSciences に関しては、以前より経営状況が厳しく、人員削減などを行
っていたが、2012 年 11 月に米連邦破産法第 11 条に基づく倒産処理を開始した。
第 4 世代のシークエンサーとしては、2011 年後半には Life Technologies より半導体シーク
149
第2章
エンサーIon Personal Genome Machine(Ion PGM)が発売され、さらに 2012 年には Ion
Proton が発売された。また、2012 年 2 月に Oxford Nanopore Technologies のナノポアシ
ークエンサーGridION および MinION が発表され、多くの期待を集めたが、それから 1 年経っ
た 2013 年 2 月時点ではまだ市販されていない。
高速シークエンサーのプラットフォームを巡っては企業の買収などの動きも活発化している。
2012 年の始めには、Roche による株式公開買い付けによる Illumina 買収の動きも出たが、買
収は成立しなかった。しかし、2012 年 12 月に再度、株価を上げての公開買い付けを行い、今回
は 買 収 が 成 立 し た よ う で あ る 。 ち な み に 、 Oxford Nanopore Technologies に 対 し て は 、
Illumina が 2009 年 1 月に 1,800 万ドルの出資を行ない 15%の株式を所有しており、互いの
関係性も複雑になっている。また、Complete Genomics は、自らのシークエンサーを開発して
いるが、装置の販売はせずに、専ら受託解析に利用してきた 1 4 ) 。経営的には厳しい状態が続い
ていたが、2012 年 9 月に BGI との吸収合併に合意した。ただし、Complete Genomics は従
来通り、独立した企業としての運営を続けて行く。BGI が Complete Genomics を買収した理由
は 、 Complete Genomics が 有 す る ヒ ト ゲ ノ ム 解 読 の プ ラ ッ ト フ ォ ー ム や 技 術 、 特 に Long
Fragment Read 技術であると考えられる。これによって、10 細胞程度に相当する 100 pg とい
う非常に少ない DNA から 99.9999%という非常に高い精度での全ゲノム解読が可能で、SNP
のハプロタイピングも可能となる 1 5 ) 。
以上のように、高速シークエンサーの開発やビジネスに関しては、大学や研究機関、ベンチャ
ー企業や大手企業などが入り乱れて、そこにベンチャーキャピタルなどの投資家も絡んで、激し
い競争を繰り広げている。果たして、この戦いの勝者は誰になるのであろうか。シークエンサーの
開発も重要であるが、実用化に必要なスピードや低コスト化に関しては、ほぼ現実的なレベルに
到達しつつある。現在の開発ペースが近い将来には飽和する可能性もある。シークエンサー自
体の開発も重要であるが、そこで生まれたデータをどのように処理し活用して行くか。今後は、そ
ちらに焦点が移って行くと考える。戦いの勝者はそこにいるのかもしれない。
3)
高速シークエンサーの現状と課題 1 6 ) 1 7 )
高速シークエンサーは、単に DNA の塩基配列を解読するだけの装置ではなく、生命科学研
究における汎用測定器の 1 つになりつつある。その意味で、使用を避けて通ることはできないも
のになっており、さらに様々な用途の可能性を秘めている。様々な機種が出ているので、各機種
の特徴・欠点・限界などを把握した上で使いこなすことが重要になっている。現在は装置や技術
の進歩が非常に早いため、設備投資した時には既に古くなってしまうという問題も生じている。そ
の点を踏まえると、装置は所有せず、シークエンス作業を外注するのも 1 つの手段と言えよう。研
究者は、試料の準備や出て来たデータの処理などに専念し、シークエンス作業は外注するので
ある。シークエンスの受託作業を行っている会社も多いが、内容は様々なので、最終的には自分
で判断する必要がある。
一方で、高速シークエンサーから産生される膨大な量の情報解析の重要性が増している。配
列情報に関しては、情報解析の工夫次第で様々な使用方法が可能である。シークエンサーから
排出される配列データを入力したら最後まで自動で処理するプログラムをパイプラインと呼ぶが、
これを構築する部分が重要になっており、バイオインフォマティシャンの実力が要求されている
(言い換えれば、情報解析能力がないと意味のあるデータを取り出すことができない)。また、同
150
第2章
じデータであっても、使い回して検討することで、新しい発見に繋がることもある。その点で、公開
されたデータも有用である。実験を行う際には、どのような目的で行うかを明確にしておく必要が
ある。また、実験の計画段階からバイオインフォマティシャンが参加して、情報処理も含めた計画
を立てる必要がある。
実験上の課題としては、微量の試料からのシークエンスが挙げられ、様々な技術開発が行わ
れている。また、がん細胞におけるゲノム解析が盛んに行われているが、がんのようなヘテロな細
胞集団からのシークエンス解析も重要になっている。さらに、がん細胞や血中循環がん細胞、あ
るいは難培養性の細菌など、単一細胞からのゲノム解析や発現解析も重要な課題となっている。
その点で、DNA サンプルの増幅が必要のない、1 分子シークエンサーやナノポアシークエンサ
ーの実用化に期待がかかっている。
コスト的には、1,000 ドルゲノムが目標とされているが、ヒト全ゲノム配列解読に関しては、まだ
1,000 ドルを切っていない。したがって、コスト削減を図る場合には、ゲノム上の遺伝子のエクソ
ン部分のみを解読するエクソーム(exome)解析が用いられる。エクソーム解析では、全ゲノムの
DNA サンプルからエクソン部分のみを捉えて濃縮する必要があり、そのための精製キットが各社
から販売されている。ヒトのゲノム全体では 3,200 Mb であるが、そのうちのエクソン部分は 48
Mb であり、全体の約 1.5%となっている。エクソーム解析では、エクソン以外の部分に由来する
情報が失われてしまう危険性があり、noncoding-RNA なども無視することになる。しかし、コスト
的には全ゲノム解析の約 4 分の 1 になり、コストと時間を大幅に削減できる。シークエンスデータ
の処理や解析に要する時間やコストも、全ゲノム解析に比べると少なくなっている。現在、エクソ
ーム解析に要するコストは約 10 万円とされている。将来的にシークエンスコストがさらに下がれ
ば、エクソーム解析よりも全ゲノム解析を行うようになるかもしれないが、現時点では失われる可
能性のあるデータを考慮に入れても、エクソーム解析の方が有利である。
4) パーソナルユース向け廉価版シークエンサーの普及
シークエンサーの高性能化が進む一方で、2010 年には普及を狙った低価格の機種がリリース
され、使用目的や購入予算などに応じて機種のレパートリーが増えている。従来の機種は大量の
シークエンスを行うことを目的とした大型装置であり、ランニングコストも高く、ゲノムセンターや大
きな研究施設への設置が主であった。それに対して、廉価版の機種はパーソナルユースを目的
としたもので、一般の研究室単位での購入が可能な価格となり、急速に普及が進んでいる。産生
されるデータは少ないものの、高額装置と同様のデータが産生される。自らデータ処理することも
可能なので、高額装置を用いた大規模解析に向けた踏み台とするのも良いかもしれない。
廉価 版の 機種 と しては、 2010 年に Roche よ りベン チ トッ プ型 シー クエ ンサ ー GS Junior
System が発売された。次いで、2011 年には Illumina より MiSeq が発売された。さらに、2011
年後半には Life Technologies より半導体シークエンサーIon Personal Genome Machine
(Ion PGM)が発売された。現在は、Illumina の MiSeq と Ion PGM との争いになっている。
また、2012 年 2 月に Oxford Nanopore Technologies のナノポアシークエンサーGridION
および MinION が発表されたが、まだ製品は発売されていない。以下、Illumina の MiSeq、
Life Technologies の Ion PGM および Oxford Nanopore Technologies のナノポアシーク
エンサーについて解説する。
151
第2章
① Illumina 1 8 )1 9 )
2011 年に発売された Illumina の MiSeq は、従来は別々の装置で行っていた増幅反応とシ
ークエンスを 1 台の装置に統合したシステムで、装置が小型になるとともに、シークエンスに要す
る時間が従来機種の約 10 分の 1 と大幅に短縮された。すなわち、DNA の片側を長さ 35 ベー
スで読む場合、ライブラリー調製からデータ解析までを 8 時間で行うことが可能となり、朝から始
めてその日の夕方には全ての作業を終えることができる。ベースコールからアライメント、さらに変
異コールまでの一連のデータ解析は MiSeq システム内蔵のコンピュータで行われる。用途として
は研究者による日常の使用を想定しており、PCR 産物のシークエンスやクローンの確認などこれ
までキャピラリー式シークエンサーで行ってきた作業からゲノムサイズの小さい生物種のゲノム解
読まで、幅広いシークエンス作業を低コストで行うことが可能となる。また、Illumina では MiSeq
ユーザー向けに BaseSpace と呼ばれるクラウド型のデータ解析サービスの提供を開始した。高
速シークエンサー普及のネックとなっているのが、大量の配列データの処理や解析であり、通常
はバイオインフォマティクスの専門家の協力が必要である。そこで、Illumina では、この部分の
サービスを提供することにより、情報処理に疎い生物学者にも高速シークエンサーが使えるような
環境を提供し、普及を図るものである。
② Ion Torrent Systems(Life Technologies) 2 0 ) 2 1 )
2011 年後半には Life Technologies より半導体シークエンサーIon Personal Genome
Machine(Ion PGM)が発売された。この装置は Ion Torrent Systems が開発したものである
が、同 社は 2010 年 10 月に Life Technologies に買 収 されたた め 、Ion PGM は Life
Technologies から販売されている。装置の重量は約 30 kg と小型で、価格も 50,000 ドルと従
来機種に比べて安価であり、ベンチトップ型シークエンサーとして研究現場への普及を狙ってい
る。ちなみに、日本における販売価格は約 1,000 万円と、米国における価格の約 2 倍となってい
るが、これは多くの輸入製品にほぼ共通した価格設定である。
Ion Torrent Systems は、454 Life Sciences の創設者である Rothberg が創設したベン
チャー企業で、Ion PGM も 454 と同じくパイロシークエンシング反応によるシークエンサーであ
る。ただし、454 がルシフェラーゼによる発光反応と光検出を用いているのに対して、Ion PGM
ではパイロシークエンシングと CMOS 半導体による検出を組み合わせて、シークエンシング反応
をデジタル化している。原理としては、半導体チップ上で DNA ポリメラーゼによる DNA 合成反
応を行い、各塩基が取り込まれる際に放出される水素イオンをイオン電極で計測して塩基配列の
解読を行うものである。
Ion PGM の性能は、リード長と使用する半導体チップの性能によって決まる。リード長は、発
売当初は 100 ベースであったが、現在は約 200 ベースになっており、反応系の改良によりさらに
長くなると期待される。半導体チップに関しては、集積度がアップするに従って処理能力も向上し
ている。最初の Ion 314 Chip は、ウェル数 120 万個、リード数 10 万以上で、1 回のランで得ら
れる配列データは約 20 Mb である。次いで 2011 年に発売された Ion 316 Chip は、ウェル数
610 万個、リード数 100 万以上で、1 回のランで得られる配列データは約 200 Mb である。さら
に、2012 年始めに発売された Ion 318 Chip は、ウェル数 1,100 万個、リード数 500 万以上で、
1 回のランで得られる配列データは 1 Gb 以上となっている。したがって、この 1 年間で集積度が
10 倍になるとともに、有効なウェルの割合が改善され、トータルの処理能力は 50 倍になっている。
152
第2章
なお、2013 年にはリード長が現在の倍の 400 ベースに到達する予定とアナウンスされており、処
理 能 力 はさ らに 向 上 す る 見 込 み で あ る 。性 能 的 に は、 1 回 の ラン あ た りの 処 理 能 力 と して は 、
Illumina の MiSeq とほぼ同等であるが、Ion PGM のラン時間がサンプル調製を含めて約 8
時間であるのに対して、MiSeq では長さ 2×150 ベースのペアエンドの場合 27 時間となってい
る。また、MiSeq がショートリードシークエンサーであるのに対して、Ion PGM はパイロシークエ
ンスによるロングリードシークエンサーなので、新規ゲノムの解読やゲノム構造の解析などの用途
に適していると考えられる。
なお、Life Technologies からは Ion PGM に続く半導体シークエンサーとして、2012 年 9
月に Ion Proton シークエンサーが発売された。これは廉価版機種ではなく、価格は Ion PGM
の約 3 倍の 149,000 ドルである。Ion Proton で使用する Ion Proton Ⅰ Chip は、Ion 314
Chip の 100 倍以上の 1 億 6,500 万個のウェルを有しており、1 回のランは 1 日で完了し、10 Gb
の配列データを得ることが可能とされている。さらに、2013 年には Ion Proton Ⅱ Chip の発売
が予定されている。これは 6 億 6,000 万個のウェルを有し、1 回のランで 100 Gb の配列データ
を得ることが可能とされており、30 倍のカバレッジでシークエンスを行う場合、ヒトゲノムの解読も
可能になる。さらに、2014 年には集積度のアップした Ion Proton Ⅲ Chip の発売が予定され
ており、1 回のランで 200 Gb の配列データを得ることが可能とされている。したがって、データ産
生量という点からは、Ion Proton はパーソナルユース向けの機種ではなく、大規模解析を目的
と し た 機 種 と な っ て お り 、 Illumina の HiSeq と 競 合 す る こ と に な る 。 ち な み に 、 Life
Technologies からは大規模解析用の高速シークエンサーとして 5500xl SOLiD が販売されて
いる。その 2012 年 3 月時点における性能は、1 回のランに 7 日間を要し、最大で 180 Gb のデ
ータを産生するものである 2 0 ) 。今後の SOLiD の性能向上は不明であるが、現状では 1 日あたり
のデータ産生量では Ion Proton Ⅱ Chip が 5500xl SOLiD を上回ることになる。
③ Oxford Nanopore Technologies 2 2 )
2012 年 2 月 Oxford Nanopore Technologies からナノポアシークエンサーの製品として
GridION と MinION の 2 機種が発表された。Oxford Nanopore Technologies は、Oxford
大学の Hagan Bayler により 2005 年に設立されたベンチャー企業である。ナノポアシークエン
サーとは、ナノメートルサイズの穴に DNA 分子を通過させて塩基配列解読を行う技術である。計
測手法としては蛍光検出や電流測定などが使われているが、1996 年に最初の特許が出されて
おり、既に 15 年の歴史がある技術である。この技術では、1 分子レベルでの検出感度を有するた
め、サンプルの増幅が不要である。したがって、ライブラリー調製などの前処理が不要で、低コス
トかつ短時間で配列解読が可能となる。処理能力に関しては、同時並行的に処理を行うことによ
って多量のサンプルの配列解読が可能である。
GridION は、従来のシークエンサーのイメージとは大きく異なり、コンピュータのラック形サー
バーのような外観である。ノードと呼ばれるこのデバイスを幾つも繋げて並列的にシークエンスを
行うことが可能で、各ノードにはシークエンス用の使い捨てのカートリッジを挿入して使用する。
試薬などは必要なく、消耗品はカートリッジだけである。各カートリッジには 2,000 個のナノポアが
存在するが、2013 年には 8,000 個以上になる予定である。シークエンス能力は、2,000 ポアの
カートリッジの場合、1 ノードあたり 1 日の稼働で数十 Gb とされており、数分から数日の稼働が可
能である。ユーザーは必要に応じてノードを増設することが可能で、8,000 ポアのカートリッジを
153
第2章
20 ノード接続すれば、150 Gb の出力データを得て、ヒトゲノムを 50 倍のカバレッジで 15 分で
解読できると発表している。
MinION は、さらに小型になり、手のひらに乗るサイズとなり、パソコンの USB ポートに差し込
んで使用するようになっている。価格は 1 個 900 ドル以下になるとされており、この使い捨てデバ
イスを購入して、パソコンに専用ソフトをインストールすれば、塩基配列の解読が可能になる。試
薬や前処理装置は不要なので、これを購入すれば、個人ユーザーでも自宅でシークエンスが可
能になるだろう。MinION の性能は、ポア数 500 個で、解読能力は 1 時間あたり数百 Mb、トー
タルのシークエンシング時間は数分から 6 時間程度とされている。
なお、当初は 2012 年内に発売予定と発表されていたが、その後目立った動きは無く、本原稿
を執筆している 2013 年 2 月時点でも発売はされていない。ナノポアシークエンサーに関しては、
Genia Technologies が製品化を発表するなど 2 3 ) 、Oxford Nanopore Technologies 以外に
も開発を行っているベンチャー企業は存在するので、他社からの製品リリースの方が早くなる可
能性もある。さらに、ナノポアシークエンサー以外のシークエンス技術も台頭して来ており、予断
を許さない状況である 1 1 ) 。
【参考資料】
1)
Mrdis, E.R., Nature 470, 198-203 (2011)
2)
Nature 467, 1026-1027 (2010)
3)
HSレポート No.63、調査報告書「ポストゲノムの医薬品開発とDDS技術の新展開」、(財)ヒ
ューマンサイエンス振興財団、2008年3月
4)
HSレポート No.67、調査報告書「ポストゲノムの医薬品開発とシステムバイオロジーの新展
開」、(財)ヒューマンサイエンス振興財団、2009年4月
5)
HSレポート No.71、調査報告書「ポストゲノムの医薬品開発とオミックス医療の新展開」、
(財)ヒューマンサイエンス振興財団、2010年4月
6)
HSレポート No.74、調査報告書「ポストゲノムの医薬品開発とエピジェネティクスの新展
開」、(財)ヒューマンサイエンス振興財団、2011年3月
7)
HSレポート No.77、調査報告書「RNA研究と創薬技術開発の新展開」、(財)ヒューマンサ
イエンス振興財団、2012年3月
8)
http://www.genomesonline.org/
9)
HSレポート No.53、調査報告書「ゲノム科学の変遷と今後の方向性」、(財)ヒューマンサイ
エンス振興財団、2006年3月
10) http://www.genome.gov/11008124
11) http://genaport.genaris.com
12) http://www.molecularecologist.com/next-gen-fieldguide/
13) HSレポート No.46、調査報告書「創薬におけるターゲットバリデーション -その現状と動向
を探る-」、(財)ヒューマンサイエンス振興財団、2003年4月
14) http://www.completegenomics.com/
15) Peters, B.A., et al., Nature 487, 190-195 (2012)
16) (財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成24年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリン
154
第2章
グ記録、東京大学大学院新領域創成科学研究科 菅野純夫氏、2012年7月21日、非公開
17) (財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成24年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリン
グ記録、理化学研究所オミックス基盤研究領域 オミックス制御研究ユニット 伊藤昌可氏、
2012年9月25日、非公開
18) http://www.illumina.com/
19) http://www.illuminakk.co.jp/
20) http://www.appliedbiosystems.jp/
21) http://www.iontorrent.com/
22) http://www.nanoporetech.com/
23) http://www.geniachip.com/
155
第2章
2-2-2.高速シークエンサーの利用の現状 1)2 ) 3 )
1) 高速シークエンサーの能力
高速シークエンサーの種類や能力は前項 2-2-1 で詳細に述べられているが、能力に関して
わかり易いように簡単な例を 2 つ上げる。
1 つはバクテリアの解析で、以前(サンガー法)のシークエンサー(Classical)と高速シークエ
ンサー(NGS)の解析時間を比較してみると、サンガー法のキャピラリーDNA シークエンサーで
は、1997 年に、4.2 Mb の枯草菌を解析するのに 6 年間かかった。2008 年の高速シークエン
サー(ロッシュ社 GSFLX)では、4.6 Mb のバクテリアで、1週間であるが、実際に高速シークエ
ンサーを動かしたのは、10 時間である。さらに 2011 年の高速シークエンサー(Ion PGM)では、
4.6 Mb のバクテリアで、数日で、高速シークエンサーを動かしたのは、たった 3 時間である。
1997 年から、約 10 年間で解析スピードは、おおよそ 300 倍になり、14 年間では、約 1,000 倍
である。
また、個人ゲノム配列決定するための時間と費用を比較すると、2002 年で、3 年間を要し、約
300 億円かかった。それが、2007 年には、3 ヶ月、1 億円になった。2012 年では、1 日、60 万
円となり、この 10 年間で時間は 1,000 分の 1、費用は 5 万分の 1 となった。
以上のように、10 数年前に比べ、解析スピードは驚くほど速くなり、シークエンス費用は極端に
安くなったため、種々の利用法が考えられてきたので、ここに紹介する。参考までに、以下に高
速シークエンサーの能力の比較表を掲載する。
主な市販次世代型高速シーケンサーの比較
種類
リード長
ロシュ社
GS FLX+
イルミナ社
HiSeq2000
ライフテクノロ
ジー社
5500xl
SOLID
ロシュ社
GS Junior
イルミナ社
MiSeq
ライフテクノロ
ジー社
Ion PGM
Pacific
Bioscience
s
RS
大型
大型
大型
ベンチトップ
型
ベンチトップ
型
ベンチトップ
型
大型
100 b
75 b
(ペアエンド
100bx2)
(メイトペア
約500 b
(ペアエンド
150bx2)
約700 b
150 b
60 bx2)
約60億/run
約28億/run
(ペアエンド)
(メイトペア)
約700Mb
/run
約
600Gb/run
約 180 Gb
/run
約35Mb
/run
解析
手法
Pyrosequenci
ng
Sequencing
by
Synthesis
Sequencing
by Ligation
Run時
間
23hr
11day
7day
リード数
約100万/run
読取量
約680万/run
約100 b
2,5003,000b(?)
(~10,000b?)
約10万/run
>22,00035,000
約1Gb/run
約10Mb
/run
65Mb-90Mb
Pyrosequenci
ng
Sequencing
by
Synthesis
Ion semiconductor
sequencing
Single
Molecule,
Real-Time
10hr
27hr
3h
90min+2hr?
約10万/run
(ペアエンド)
2012/9/25
•
図 2‐2‐2‐1.主な市販次世代型高速シークエンサーの比較
(タカラバイオ株式会社 北川 正成氏 提供)
156
第2章
2) 高速シークエンサーの利用について
なぜゲノムを読むのか? 1 つ目は species の違いを決めるレベル。2 つ目は個体の識別・個
性を決めるレベル。3 つ目はティッシュレベルで、がん細胞やホールトランスクリプトーム、オミック
ス解析などである。
ゲノムを読むことによって、種々の応用解析がある。モデル生物と非モデル生物、DNA と RNA
という観点からみて以下の図のようになる。
次世代シーケンサーのアプリケーション
モデル生物種
・ゲノム変異解析
・ Whole transcriptome 解析
・Exon sequence解析
・ Fusion Gene 解析
・ メチル化解析
・ small RNA 解析
・ ChIP解析
・Integration site 解析
DNA
RNA
・ メタゲノム解析
・ cDNA解析
3’EST
5’EST
全長
・ 16S rRNA解析
・ Bac/Fosmid解析
・ ゲノムドラフト解析
非モデル生物種
2012/9/25 •
図 2‐2‐2‐2.次世代シークエンサーのアプリケーション
(タカラバイオ株式会社 北川 正成氏 提供)
これらの中から代表的な利用として、以下のものについて解説する。
非モデル生物種…DNA ①ゲノムドラフト解析
②メタゲノム解析
③16SrRNA 解析
モデル生物種…DNA
④ゲノム変異解析
⑤Exon Sequence 解析
⑥メチル化解析
⑦ChIP 解析
⑧Integration site 解析
モデル生物種…RNA
⑨Whole transcriptome 解析
⑩Fusion Gene 解析
⑪small RNA 解析
非モデル生物種…RNA ⑫cDNA 解析(3‘EST 解析、5’EST 解析、全長)
157
第2章
① ゲノムドラフト解析
ゲノムドラフト解析 4 ) では、参照ゲノム配列がない場合、 de novo( デノボ) シークエンスを行い、
参照ゲノム配列がある場合は、リシークエンス 5 ) を行う。高速シークエンサーでは、鋳型 DNA の
調整に大腸菌を用いたクローニング工程を必要とせず、クローニングによるかたよりの軽減およ
び工程の簡素化を実現した。高速シークエンサーでは、今までのシークエンサーでは困難であ
ったホモポリマーや GC 領域の正確なシークエンスが可能となった。大量のシークエンスデータ
をすでに解読されているヒトゲノム配列を参照し、それへ写像(貼り付ける)ことにより、SNP の同
定、挿入削除配列長、逆位(ゲノムの一部の領域が反転する現象)、欠失部の同定の解析ができ
る。また、微生物変異株解析データをマッピングしていくことで変異のあるなしを見ることができる。
このように、既存のゲノム配列を参照し断片配列を写像してゲノム間の差異を同定する方式をゲ
ノムのリシークエンシング(re-sequencing)と呼ぶ。対象物として、ヒトなどの真核生物、バクテリ
ア、真核微生物などあらゆる生物の全ゲノムシークエンスを行う。マッピング作業と変異遺伝子の
アノテーションにバイオインフォマティクスの知識が必要である。
② メタゲノム解析
メタゲノム解析 6 ) は人の腸内や環境中の生物を分離せずにゲノムを直接解析し、細菌叢解析
などを行うものである。細菌叢解析は当初 16S rRNA 遺伝子の V1、V2 の variable な領域の
みを菌叢解析するために amplify してシークエンシングしていた。さらにクラスタリングして系統
樹を書いて菌叢・系統の似ている、似ていないを判断する作業を行っていたが、高速シークエン
サーにより、存在するゲノム全てを読むメタゲノム解析の形になっている。腸内や環境中の試料
から直接回収されたゲノム DNA を網羅的にシークエンスすることにより、従来の方法では困難で
あった難培養菌のゲノム情報の取得を期待できるほか、菌叢の遺伝子組成や機能の解明を期待
できる新しい手法である。
③ 16S rRNA 解析
16S rRNA 解析は、ゲノム中の 16S rRNA 領域配列の違いにより細菌の菌種推定解析を行う
ものであり、土壌、活性汚泥、口腔内など、多種類の細菌が存在する環境試料中の細菌群を解
析する。実際は 16S rRNA 領域を増幅した PCR 産物等を大量に配列解析を行い、得られた配
列を用いて 16S rRNA データベースに対する相同性検索および系統分類解析を行う。これによ
り、対象試料中に、どのような微生物がどの程度存在しているかを検出することが可能である。
④ ゲノム変異解析
ゲノム変異解析は、主に、「微生物の変異株解析」と、「ヒトなどの高等生物の SNP やゲノム構
造変化の解析」の 2 種類が挙げられる。
・ 微生物の変異株解析
微生物の変異株解析はゲノム上にある SNP や変異塩基、挿入・欠失領域、ゲノム構造
変異を同定し、疾患原因遺伝子の探索や機能解析、微生物有用株の作製などに必要
な変異情報を取得する。大量の配列を一挙に取得でき、DNA 変異候補領域を効率よ
く解析でき、また多検体を混合してシークエンスも可能である。
158
第2章
・ ヒトなどの高等生物の SNP やゲノム構造変化の解析
ヒトなどの高等生物の SNP やゲノム構造変化の解析は高速シークエンサーにより、膨
大な配列データを取得し、参照ゲノム配列と比較することで、SNP や変異塩基、挿入・
欠失領域、ゲノム構造変異を同定し、疾患原因遺伝子の探索や機能解析に必要な変
異情報を取得する。また、大きなゲノムの構造変化(Structural Variants SVs)の候
補領域を検出し、リスト化も可能である。
⑤ Exon Sequence 解析
Exon Sequence 解析はヒトやマウスなどの、参照配列が公開されている生物種について、ゲ
ノム上のエクソン領域を濃縮、シークエンスすることで、その領域に絞り込んだ変異解析を行う。
濃縮は目的領域に相補的に設計された核酸プローブと、断片化されたゲノム DNA を相互作用
させ る こと で 行 う。解 析 対 象 を エ ク ソン 領 域 に 絞 り 込 む こと で 、少 ない シー ク エ ン ス量 で 十 分 な
depth(冗長度)を得ることでき、全ゲノムシークエンスと比較して低コストで解析が可能である。
例えば、ヒトゲノム、3,200 Mb の約 1~2%で、約 48 Mb のエクソン領域を解析する場合、全ゲ
ノム解析に比べ、解析時間は大幅に削減し、コストは約 10 分の 1 になる。変異解析を行うエクソ
ン解析は、遺伝病等の探索に有効で、現在盛んに研究が行われている。
⑥ メチル化解析
メチル化解析 5 ) は、メチル化 DNA 領域を濃縮し、取得した DNA 断片を網羅的にシークエン
スし、参照配列へマッピングし、検体間でリードの集中が異なる領域をメチル化の変化した領域と
して検 出 、リ ス ト アッ プ す る 、濃 縮 技 術 と 高 速 シー ク エ ン サ ー と の 組 み 合 わせ に よ り、網 羅 的 な
DNA メチル化領域のプロファイリングが可能である。
⑦ ChIP 解析
ChIP 解析 7 ) は、転写調節因子やヒストン修飾研究で利用されるクロマチン免疫沈降サンプル
の網羅的解析を行う。高感度で微量サンプルから解析可能な高速シークエンサーを使う手法は、
ChIP で濃縮した DNA 断片を大量にシークエンスすることで、転写因子結合部位の同定等が可
能で、全ゲノムを対象とした DNA とたんぱく質の相互作用を解明するツールとして大変注目され
て、転写調節因子の相互作用領域推定、修飾ヒストンのゲノム上へのマッピングや DNA メチル
化領域の推定などに利用できる。
⑧ Integration site 解析
Integration site 解析とは、導入遺伝子のゲノム Integration site 解析のことで、ウィルス
ベクターを用いて作製された iPS 細胞の安全性評価、トランスジェニックマウスのトランスジーン
挿入位置同定による品質確認、トランスポゾンのようなモバイルエレメントの挿入位置同定による
育種研究などが可能である。
⑨ Whole transcriptome 解析
Whole transcriptome 解析 8 ) 9 ) は、mRNA の網羅的解析で、転写産物の発現定量化、配
列から未知の発現領域の同定と定量ができ、新規スプライシングジャンクションの推定を網羅的
159
第2章
に行い、スプライシングバリアントの検出が可能である。また微量転写産物を検知可能である。転
写産物のシークエンスからスプライシングバリアントの解析や新規遺伝子の発見が可能である。
問題点は細胞あたり数万~数千コピー発現しているものもあれば 1 コピー以下のものも存在する。
選択スプライシングや選択スタートあり、RNA の editing などもある。さらに、ゲノムの配列や構
造の異常が、transcriptome を変化させることもある。
⑩ Fusion Gene 解析
Fusion Gene 解析は近年、がん細胞の分子標的治療のターゲットとして、融合遺伝子が注目
されている。高速シークエンサーを用いることで、比較的低い発現量の融合遺伝子の検出や網
羅的な探索が可能になった。ヒトがん細胞などの Total RNA から、シークエンス配列取得後、
Fusion Gene 解析ソフトウェアにより、融合遺伝子の検出と偽陽性の判別を行い候補遺伝子の
リスト化を行う。
⑪ small RNA 解析
small RNA 1 0 ) の 一 つ で あ る miRNA ( micro RNA ) は 、 18 ~ 26 塩 基 か ら な る 機 能 性
non-coding RNA で、遺伝子発現の転写後抑制機構として注目を集めており、miRNA は組織
特異的または時期特異的に多数の mRNA を制御することで、細胞増殖・アポトーシス・発生と分
化・代謝などに深く関与している。また、その異常はがん等の疾患と密接に関わっており、数々の
miRNA とそのターゲットの同定が可能である。また、miRNA のような small RNA だけでなく、
siRNA (small interfering RNA) も 21~23 塩基の small RNA だが、主にウイルスやト
ランスポゾンなどの由来する長い二本鎖 RNA から生成される。piRNA (piwi-interacting
RNA) は 24~32 塩基の small RNA で、主に生殖細胞において長い一本鎖 RNA からつく
られ、トランスポゾン由来の RNA を分解する。以上 2 つの non-coding RNA の解析も可能であ
る。
⑫ cDNA 解析
cDNA 解析 5 ) (3‘EST 解析、5’EST 解析、全長 mRNA 配列決定)は、新規 cDNA の配列
決定を行い、末端配列(EST)解析や cDNA のランダムショットガンシークエンス解析による配列
決定も行う。cDNA の調整は、解析目的に応じて均一化、cDNA 作製や全長均一化 cDNA 作
製をも可能である。
3) 創薬への応用
製薬会社は自前では、高速パーソナルシークエンサーを除き、殆ど所有せず、受託解析会社
に解析依頼を出している状況にある。ある受託解析会社の場合、クライアントの割合は民間 3 割、
アカデミック 7 割で、民間はほとんどが製薬企業である。創薬への応用として、製薬企業は最近よ
く高速シークエンサーを利用しており、ある大手製薬の場合、配列決定などを高速シークエンサ
ーで行い、データ解析は創薬開発内容を外に漏らすことへの抵抗感のため、自社で能力のある
バイオインフォマティシャンを揃えている場合が多い。また、いわゆる臨床研究に高速シークエン
サーのデータを 利用した いというニ ーズも増 えている。GLP などの担保 の問題が大きく、単に
SOP だけでなく、これだけのデータ量になるとコンピュータシステムが非常に大きいため、専用製
160
第2章
品を GLP 対応のコンピュータバリデーションシステムを用意するのが難しく、ひとつの課題にな
っているが、高速シークエンサーのデータを実際に臨床研究、治験データに使いたいクライアン
トが増えている。
4) データの品質担保
コンパニオン Dx や PGx を念頭において、薬投与した患者のゲノムデータをシークエンスする
など、臨床試験試料のシークエンス依頼があるが、データの品質をどう担保するかが難しい状況
である。サンガーシークエンスではクオリティに関する指標が固まっており、その場合波形データ
が見えて、その波形のきれいさで 1 個 1 個の塩基にクオリティを付ける定評のある指標がある。高
速シークエンサーの場合も 1 個 1 個の塩基にクオリティスコアをつけているが、各社独自の指標
に基づき、塩基データの確からしさの確率を数値化している。そのため高速シークエンサーの場
合、クオリティが必ずしも精度を反映していないため、開発の余地がある。臨床データのクオリテ
ィ担保には何を指標とするかはまだ試行錯誤している。今後、日本の製薬企業は、高速シークエ
ンサーをどう使いこなしていくか、企業によって戦略が異なるように感じられる。ある企業は優秀な
バイオインフォマティシャンを新たに採用したところもあるようだが、一方では、経費削減から、派
遣のバイオインフォマティシャンを少なくしたところも出てきているようである。
【参考資料】
1)
(財)ヒューマンサイエンス振興財団、平成24年度創薬技術調査ワーキンググループ、ヒアリ
ング記録、タカラバイオ株式会社 ドラゴンジェノミクスセンター 北川正成氏 2012年9月25
日、非公開
2)
タカラバイオ受託サービスカタログ2012-2013.33-88
3)
タカラバイオ株式会社高速シークエンス解析受託.―アプリケーションガイドー
4)
豊田 敦・藤山秋佐夫,.蛋白質拡散酵素.54:1271-1275(2009)
5)
森下 真一,.蛋白質拡散酵素.54:1239-1247(2009)
6)
森 宙史・林 哲也・黒川 顕,.蛋白質拡散酵素.54:1264-1270(2009)
7)
倉田 哲也,.蛋白質拡散酵素.54:1248-1255(2009)
8)
鈴木 穣・土原一哉,.蛋白質拡散酵素.54:1256-1263(2009)
9)
菅野 純夫,.実験医学.Vol.27No.1:8-13(2009)
10) 佐々木裕之・北條浩彦,.実験医学.Vol.27No.1:14-19(2009)
161
第2章
2-2-3.高速シークエンサーのゲノム科学への応用
1) はじめに
理化学研究所オミックス基盤研究領域のマウス cDNA 研究を中核に据えたゲノム研究は、生
命の設計図である静的なゲノムだけでなく、そこから時間や環境変化に応じて動的に転写制御さ
れている mRNA をさまざまな観点から解析することに力点を置き、生命現象の解明やゲノム解
析の新技術開発に多くの成果を残してきた。代表的なものとして、完全長 cDNA を合成する技術、
転写開始点を特定する技術、mRNA の発現量を定量し、遺伝子ネットワークにマッピングする技
術、ベイスン概念の確立、などがあり、ジャンボリー型遺伝子情報国際会議 FANTOM を通し、
それらの情報の整理と発信を行っている。このマウス完全長 cDNA 研究から発展してきたゲノム
科学研究は、近年の高速シークエンサーの技術を取り入れ大きく躍進してきた。本節では、理化
学研究所伊藤昌可氏へのヒアリング 1 ) の解説を通して高速シークエンサーと融合した新技術、お
よび医療・創薬への応用展望を概説する。
2) FANTOM 会議5回の軌跡とゲノム科学へのインパクト
マウスの完全長 cDNA 約 20,000 種に対してその機能を割り当てる国際会議 FANTOM が行
われたのは、今から 13 年前の 2000 年のことである。それから 13 年、体内で発現している RNA
の役割がタンパク質合成のための mRNA だけでないことや遺伝子発現ネットワークなどの新し
い知識とパラダイムを開拓しながら 5 回の FANTOM 会議が開かれてきた。ゲノム研究の展開と
成果を概観するためにもこれら FANTOM 会議の歴史を簡単に振り返ってみることにする 2 ) 。
FANTOM1 は、マウスの完全長 cDNA 約 20,000 クローンに対して、その機能注釈を付ける
国際会議として 2000 年に理研筑波研究所にて行われた。全世界から集まったマウス研究者た
ち が 5 日 間 に わ た っ て 議 論 を 続 け る ジ ャ ン ボ リ ー 型 の 会 議 が 行 わ れ 、 そ の 成 果 は 2001 年
Nature 誌に発表された。このときの会議の名称 FANTOM は、Functional annotation of
mouse genome の短縮形として命名された。
FANTOM2 は、翌 2002 年、機能注釈する cDNA の数を6万超にして理研横浜研究所で開
催された。この会議により、国際的に標準化された初のほ乳動物ゲノム情報が整備された。このと
きから FANTOM は Functional annotation of mammalian genome に改称されている。
FANTOM3 では、会議の方向性が大きく方向転換されることになった。過去 2 回の FANTOM
では完全長 cDNA にコードされているタンパク質の設計図を明らかにしようという大きな目標があ
っ た の だ が 、 研 究 が 進 む に つ れ 半 分 以 上 の 発 現 RNA は タ ン パ ク 質 を コ ー ド し て い な
non-coding RNA (ncRNA)であることがわかってきていた。2004 年に開催された FANTOM3
では ncRNA にも機能があるとする新たなパラダイム「RNA 大陸」が提唱された。ゲノムにコード
されているタンパク質はゲノムの約 2%の領域にすぎず、残りの 98%は使われていないと考えら
れてきたが、実はゲノムの 70%以上が転写され、そのうちの 50%以上が ncRNA であり、遺伝子
発現制御やタンパク質翻訳制御にも ncRNA が関与していることが示唆された。この考えはそれ
までの教科書を塗り替える大きなパラダイムシフトであったため、理研の提唱する ncRNA はまっ
たくの人工的産物であり、RNA 大陸説は誤った考え方であると批判する論文も発表された。それ
から 9 年を経た現在、ncRNA のゲノム制御機構は揺るがしがたいものとして受け入れられてい
る。
162
第2章
図 2-2-3-1 5回の FANTOM 会議とゲノム科学のパラダイムシフト
(理化学研究所 伊藤昌可氏提供)
FANTOM4 が開催された 2009 年になると次世代シークエンサーと呼ばれる高速シークエン
サーが大量の配列データを出せるようになってきていた。この技術進歩と完全長 cDNA 合成技
術とが相まって、RNA の転写開始点に焦点をあてたデータ収集と転写制御メカニズムの解析が
できるようになってきていた。FANTOM4 では RNA 転写開始点をゲノムワイドに調べ、どのプロ
モータがどのタイミングで働いているかを調べていった。分化の途中のタイムコースを追うことで、
遺伝子制御ネットワークが推定され、データベース化された。
FANTOM5 は 2011 年に開催された。FANTOM5 では、150 種あまりの様々な細胞(主に初
代培養細胞)にゲノムワイドなプロモータ活性定量解析をほどこし、細胞分化や病態に特徴的に
現れる転写開始点を探求し、プロモータ解析を行うことにより、ヒトの細胞の多様性を系統的に理
解しようとする試みが行われている。研究成果は 2013 年に発表される予定である。
以上述べてきたように、12 年以上にわたって技術進歩と科学の進歩に支えられ進化してきた 5
つの FANTOM 会議を通し、ほ乳類モデル生物としてのマウスの cDNA にコードされているタン
パク質の全容の解明、タンパク質をコードしていない ncRNA の遺伝子発現制御機構の発見、そ
して RNA 転写と病態や分化との関連性を明らかにする研究が展開されてきた。ここで中心的な
技術として開発され活用されているのが、完全長 cDNA 解析から培われてきた RNA 転写開始
点解析とプロモータ解析である。
163
第2章
3) CAGE による RNA 転写開始点解析
次に、転写開始点を特異的に解析する技術である CAGE 技術について簡単に解説する 3 ) 4 ) 。
この技術を4)で取り上げる高速シークエンサーに適合させることで転写開始点解析のスピードは
劇的に加速されることになる。
CAGE は Cap Analysis of Gene Expression.の略で、キャップトラップと転写開始点部分
のタグ化、ゲノム配列上へのマッピングからなる手法である。まずはじめに、細胞や組織から抽出
した全 RNA から、ランダムプライマーもしくはオリゴ dT プライマーを用いて相補鎖 cDNA を合
成する。ついで、真核生物の mRNA の転写開始点に特有な構造であるキャップ構造(5'末端に
7-メチルグアノシン三リン酸が 5'-5'結合したもの)を酸化してビオチン化する。次に RNase を作
用させて一本鎖 RNA を除去し、転写開始点まで伸長した cDNA とハイブリッドした RNA のみを
取り出す。このとき、ビオチン化の副産物である 3'末端にビオチンが結合した RNA も取り除くこと
ができる。アビジンカラムにてビオチン化されているキャップ構造を含む RNA をトラップし、アル
カリ処理にてそこにハイブリッドしている cDNA を一本鎖 cDNA として取り出す。
こうして得られた転写開始点を含む cDNA の 3'末端(RNA から見ると 5'末端)にビオチン化し
たリンカーを結合させる。このリンカーには、クローニングに必要な認識部位、末端切り出し用制
限酵素認識部位(XmajI)、およびタグ化に必須なクラス IIs 制限酵素(Mmel)認識部位が含ま
れている。第2鎖 cDNA を合成した後、クラス IIs 制限酵素(Mmel)にて RNA の 5'末端側から
20 塩基に相当するタグ配列を切り出す。RNA の 3'末端側に相当する部分に制限酵素認識部位
(XmajI)を含むリンカーを結合させ、ビオチントラップにてこのリンカー付きのタグ配列を取り出
す。ついで両端のリンカーにある認識部位を制限酵素(XmajI)で切断し、タグ配列を得る。
図 2-2-3-2 CAGE 法の原理
(理化学研究所 FANTOM ホームページの技術開発「CAGE」から部分引用)
164
第2章
こうして得られたタグ配列はその mRNA の発現量に応じた量の転写開始点部分の配列を持っ
ており、この配列を読み、ゲノム上にマッピングすれば、どの遺伝子がどのプロモータによってど
れ だ け 転 写 さ れ た か を 解 析 す る こ と が で き る 。 FANTOM4 で 開 発 さ れ た 配 列 解 読 手 法 は 、
Roche Diagnostics 社の高速シークエンサー454 Life Science シークエンサーを用いたもの
であった。シークエンス効率を上げるため、タグの両端にある制限酵素切断配列を利用して多数
のタグを連結しコンカテマーとしてからシークエンスしていた。その後開発された高速シークエン
サーはプロトコルにしたがったリンカーを結合させることで CAGE タグのままシークエンスできる
できるようになり、より直接的にタグの定量化が可能となった。タグ化に用いる制限酵素をより離
れた位置で切断可能なタイプ III 制限酵素(EcoP15I)を用いることでタグ長を 25 塩基にするこ
とができ、ゲノム上へのマッピングの特異性をあげることも可能である。
4) 高速シークエンサーの進歩と CAGE 技術への応用
Illumina 社や Helicos BioSciences 社などが次々と実用化した次世代シークエンサーと呼
ばれる高速シークエンサーは、それぞ固有の測定原理と特徴を持っており(2-2-1 節参照)、
自ずと CAGE 技術との相性も違っている。FANTOM4 では Roche Diagnostics 社の 454 Life
Science シークエンサーでシークエンスする手法を用いた。ここでは読み取り効率を上げるため
20 塩基の CAGE タグを多数連結したコンカテマーを作ったのちシークエンシングしていた。これ
を Illumina 社の Genome Analyzer に適応させた行程を考案したが、一人で 4 サンプルを調
整するのに 14 日かかり、出発トータル RNA 量も 50 マイクログラム必要だった(図 2-2-3-3
左)。これを第3世代高速シークエンサーHelicos BioSciences 社の HeliScope によるシークエ
ンシングに合わせたプロトコルを考案し、各工程を最適化することで出発トータル RNA 量を 1 - 5
マイクログラムに減らすこと成功している。ここでは cDNA の精製に SPRI 磁気ビーズによる精製
キット AMPure を用い、RNA やタンパク質の除去を単一の処理で行えるようにするとともにロボ
ットによる自動処理化を実現している。また、QC チェックポイントも入れることができ、質の悪い試
料を棄却することでデータの質をあげることも可能になった。
図 2-2-3-3 高速シークエンサー向きに最適化した CAGE タグ調製法
(理化学研究所 伊藤昌可氏提供)
165
第2章
HeliScope は 1 分子シークエンシング技術を用いているため PCR 過程が不要であり、配列依
存で増え方が変わる増幅バイアスの影響を受けず、RNA の発現絶対量を比較定量することがで
きる優れたシークエンサーであった。しかしながら Helicos BioSciences 社は 2012 年 11 月に
倒産したため、HeliScope の継続使用は断念せざるを得なくなった。
5) ベイスンネットワークコンセプト
京都大学の山中伸弥教授らが皮膚細胞から万能細胞である iPS 細胞の作成に成功したきっ
かけととして、FANTOM データベースに登録されていた ES 細胞で特異的に発現している転写
因子を選んだことはよく知られている。山中らが最終的に絞り込んだ山中4因子(Oct3/4, Sox2,
Klf4, c-Myc)により、皮膚細胞の恒常性を維持する「プログラム」を、分化前の状態に戻してい
たと考えることができる。
細胞がある分化状態を安定に維持しているのは、何らかの形で遺伝子の調節ネットワークが安
定した状態であるということが言える。この安定状態をベイスンと呼ぶ。ベイスン状態にある細胞
は、細胞の形質を制御する特異的な特定の転写因子群と ncRNA とがネガティブフィードバック
により濃度一定の平衡状態もしくは発散しない振動状態を保っており、この状態を実現する「プロ
グラム」がゲノムに書かれているのである。細胞の分化は、ひとつのベイスンから不安定な状態を
経て別の安定なベイスンへ移行することと考えることができる。ベイスンどうしの移行関係を明ら
かにすることでベイスンネットワークを組み立てることができ、iPS 細胞を介さずに皮膚細胞から
血球細胞にダイレクトにリプログラミングすることもできるようになると考えられている。
図 2-2-3-4 ベイスンネットワークのコンセプト
(理化学研究所 伊藤昌可氏提供)
166
第2章
しかしながら、繊維芽細胞から iPS 細胞を経由せず直接単球やリンパ球で働いている転写因
子群にスイッチするという実験は、残念ながら期待した結果にはならなかった。エピゲノムの調節
がかかっていて、転写因子を入れ替えても血球細胞で発現してくる遺伝子が転写されてこない領
域があったのである。このエピゲノムバリアの調節がベイスンネットワーク研究における今後の主
要なテーマとなるであろう。これらベイスンネットワーク研究は、高速シークエンサーの出現により
現実的な時間で解析することが可能となった。
6) 高速シークエンサーのゲノム研究を通した医療・創薬への応用
ゲノム DNA は生まれたときから変わらないと考えられている。どういう病気になりやすいか、ど
ういう薬が効きやすいかということがゲノム情報を読み解くことで予測できると考えられている。医
療応用としては、大腸がんのリスクファクターを持っている人は若いうちから定期検診を受けるこ
とで、大腸がんの早期発見につなげられるといったテーラーメイド医療にも結びつけることができ
る。リスクファクターは、病態と相関するゲノムマーカーとして報告される GWAS (Genome-wide
association study) の論文が、テンプレート化されたこともあり多数発表されるようになった。高
速シークエンサーの進歩に伴い 1,000 ドルゲノムの実現も夢でなくなった現在、ゲノム配列解析
の医療応用はあまり遠くない将来現実のものとなるであろう。
これに比べ RNA は遺伝的バックグラウンドの影響を受けつつも、体の変化に応じて発現量や
種類が変化する性質がある。発症前に現れる RNA 変化を検出することができれば発症前に先
制医療を施すことができる。ここでも高速シークエンサーがプロモータバイオマーカーの探索に
大きく貢献するものと考えられる。
図 2-2-3-5 高速シークエンサーのゲノム研究を通した医療への応用
(理化学研究所 伊藤昌可氏提供)
167
第2章
高速シークエンサーのゲノム研究を通した創薬への応用としては、病態と相関することが立証
されたゲノム DNA や発現 RNA がある種のタンパク質をコードしているのであれば、そのタンパク
質の機能を阻害したり、そのタンパク質が関与する細胞内ネットワークを調節する薬剤を設計す
るという手法が考えられる。また、ncRNA の病態との関連性が明らかになったり、プロモータバイ
オマーカーにもとづくベイスンネットワークの制御が可能となれば、それらを誘導する薬物やバイ
オロジクスの開発というまったく新しい分野も開拓されることになるかも知れない。いずれにしても
まだ確固たる創薬応用への道が拓かれたと言える時代にはなっていないというのが現状である。
7) 期待のかかるバイオインフォマティクス分野
さて、高速シークエンサーのゲノム科学への応用で忘れてはならないのが、バイオインフォマ
ティシャンの存在である。シークエンスするサンプルの調製はプロトコル化されており、高速シー
クエンサーにかければ大量のデータが誰にでも簡単に出せる時代となった。研究者はその実験
を通して何を得たいのかを明確にし実験計画を立案する部分と、高速シークエンサーから得られ
る大量のデータを適切に解析するバイオインフォマティクスの部分とをしっかりしておかないと、
情報の山に埋もれて終わることになる。高速シークエンサーから得られるデータはメーカーに依
存することなく共通化が進んでいるものの、シークエンス原理にもとづく装置固有の癖は解析側
でも把握しておく必要がある。
日本では大学でのバイオインフォマティクス教育の充実が叫ばれて久しいが、情報系の基礎
がしっかりしていて応用の利く教育を受けた人であれば、バイオロジーの知識がなくてもすぐに即
戦力になっていくというのが現状のようである。理化学研究所オミックス基盤研究領域でも、研究
員の半数はバイオインフォマティシャンであり、彼らは実験計画の段階からプロジェクトに参画し
ている。実験計画を立案するためにも、バイオインフォマティシャンはバイオロジーを理解する必
要があり、高速シークエンサーの原理をうまく活用するためには化学や物理の知識も必要という
時代になっており、人材不足はますます深刻になりつつある。
【参考資料】
1)
(財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成24年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリン
グ記録 理化学研究所オミックス基盤研究領域 伊藤昌可氏 2012年9月25日 非公開
2)
理研FANTOMホームページ http://fantom.gsc.riken.jp/jp
3)
CAGE技術 http://fantom.gsc.riken.jp/jp/protocols/cage.html
4)
DeepCage技術 http://fantom.gsc.riken.jp/jp/protocols/deep.html
168
第2章
2-2-4.疾患研究への応用 がん(1)-がんとスーパーコンピュータ 1 )
1) はじめに
私たちは一人一人異なるゲノムを持っている。さらに、がんの場合、原発から浸潤、転移して、
ヘテロな細胞集団のゲノムが進化している。2003 年にヒトゲノム計画により 30 億文字からなる
ATCG のゲノム情報の電子化が完了したが、一人のヒトの全ゲノムが決まったからといって、疾患
の説明がつくという問題ではない。時間軸や場所によってゲノムは変化しており、薬剤耐性を獲
得しているがんも同様であるということが分かってきた。これらの変化は、近年性能やコストの面で
著しい進化を遂げている高速シークエンサーの発展により解明されつつあり、さらには臨床シー
クエンスへの応用も期待されている。
高速シークエンサーはゲノムの ATCG の配列を決めることができるだけではなく、様々な応用
技術が開発されている。 DNA にはメチル化されているところがあり、シークエンサーにより DNA
配列のどこがメチル化されているかを解析することができる。また、DNA が巻き付いているヒスト
ンの修飾についても解析することができる。これらの修飾の状態をまとめてエピゲノムとよんでい
るが、これらは遺伝的ではなく、環境因子の影響を受けて変化している。そしてこのエピゲノムは、
転写制御に影響を与えているため、生命プログラムを理解するために重要な解析である。DNA
から RNA に転写されたものをトランスクリプトームと呼んでいる。タンパク質に翻訳される mRNA
のほか、翻訳や転写制御に関わっているタンパク質に翻訳されない non-coding RNA について
も、シークエンサーを用いて RNA の配列を決めるだけでなく、シークエンスしてコピー数を解析
することで RNA の定量もできる。これまで DNA チップを使ってやっていたことがシークエンサー
でできるわけである。さらに、がんなどで頻繁に観察される 2 つの遺伝子が融合した遺伝子なども
この解析で探索することができる。さらに、タンパク質に、そのタンパク質に翻訳される mRNA を
くっつけ、相互作用したタンパク質どうしの mRNA をつないで読むことで、タンパク質相互作用を
調べる in vitro virus(IVV)法という技術もできている。このように、シークエンサーデータの大
量高速処理は、生命プログラムの理解のための重要なチェックポイントになっている。
がんで は、個 人 個 人で 異 なってい る 遺伝 的 要 因 ( DNA ) 、腫 瘍 細 胞に 蓄 積 した 遺伝 子 変異
(がんゲノム)、環境要因による DNA の修飾(エピゲノム)の違いが、がんの悪性度や治療応答
性、副作用の出やすさを規定していることが分かってきている。正常細胞やがん細胞のゲノム情
報を知ることができれば、予後の予測や、遺伝性のがんの危険性が分かり、治療方針の決定や
予防に役立てることが可能となる。
2) 臨床シークエンスとスーパーコンピュータ
2-2-1 でも述べたように、高速シークエンサーの性能やコストが飛躍的に改善してくると、こ
の技術の臨床シークエンスへの応用が期待される(図 2-2-4-1)。現状の血液検査や尿検査
の検査結果の表示と同じ感覚で、データにパーソナルゲノム情報が記載され、治療方針の決定
に役立つものとなる時代が来るかもしれない。
しかし、臨床シークエンスしようとすると、例えば HiSeq2500 を使用した場合、正常組織で 30
コピー分、がん組織で 40 コピー分のカバレッジをする必要がある。30 億文字が印刷された書類
のコピー30 部をシュレッダーにかけて出てくる 100 文字ほどの長さに切り刻まれた断片の山がで
きることになる。正常組織で 900 億文字、がん組織 1,200 億文字のデータに相当する。それらを
169
第2章
スーパーコンピュータ(以下、スパコン)を使って、リファレンスにあてはめながら、もとの DNA、が
んゲノム、がんをドライブしている変異があるかなどインフォマティシャンが解析をする。
東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センターのスパコンは、計算能力はピーク性能で
225TFLOPS(テラフロップス)であり、日本国内で医学生命学に特化したスパコンではトップの
性能である。ストレージは 4.4PB(ペタバイト)の容量があり、日本のヒトの大規模研究はこれを使
用している。数日~1 週間くらいで、親から受け継いだゲノムが何であり、環境因子によって蓄積
した変異がどんなものかを解析することができる。このように、1日程度で出てくるシークエンスを、
マッピングしてアセンブルをする部分は、計算コアをたくさん(1,000~2,000 コア)使えば、2 日く
らいでできる。ただし、その後の解釈という点では、いろいろなデータベースの活用や知見に基
づき決定していくもので、この部分のスピードアップが臨床シークエンスでは最も大きな課題とな
っている。
スーパーコンピュータで
シークエンスのアセンブリとデータ解析
メディカルイン
フォマティクスの
達人たち
検
体
21億ピースのジグソーパ
ズルを解き、がんのシステ
ム異常の原因を暴き出す
数日~
親から受
け継いだ
ゲノム
スパコンシステム
計算ノード225TFLOPS
次世代シークエンサー
1日
ストレージ4.6PB
正常組織 900億文字
がん組織1200億文字
のデータ
がんを発
症する鍵
遺伝子の
変化
黒
幕
X
黒
幕
Z
環境因子
による変
化を受け
たゲノム
図 2-2-4-1.臨床シークエンス
(東京大学 宮野悟氏提供)
我が国のスパコン「京」は 1,100 億円の総事業費で開発し、12 メガワットの電力を使っている
が、2012 年 11 月に米国 Cray 社の Titan は 17.6PFLOPS の性能で No.1 となった。京の 1.7
倍くらいの能力で、消費電力は 8.2 メガワットと省電力化に成功している(図 2-2-4-2)。現在
は、10PFLOPS の 100 倍(1ExaFLOPS)のマシンの開発を日本も米国も構想している。このよ
うなマシンはライフサイエンスのようにディスクに高速にパラレルにアクセスするような計算機の作
り方になっておらず、臨床シークエンスを展開する意味では実用を見据えた開発とはなっていな
い。
170
第2章
図 2-2-4-2.スーパーコンピュータ世界トップ5 (2012 年11月時点)
(“Top500 List Supercomputer Sites: http://www.top500.org/”より)
3) 国際ヒトゲノム計画からの 10 年(2003 年~2012 年)
1953 年にワトソンとクリックによる DNA の二重らせん構造の発見があり、ちょうど 50 年後の
2003 年に 30 億文字からなるゲノム情報の電子化が完了した。しかし、「ヒトゲノムが解読された」
と世界中で報道されたが、ヒトゲノムという暗号が解読されたわけではない。ヒトゲノムのドラフト配
列の公開から 10 年、世界でどのような動きが起こったかを振り返って解説する。
① 2003 年:ヒトゲノム解読後のロードマップ(米国)
2003 年に NIH はヒトゲノム解析後のロードマップを発表した。これは、「バイオメディカルリサ
ーチというものは、情報マネジメントの科学である」というメッセージであった。ICT(Information
and Communication Technology)による医療・ヘルスケア開発のパラダイムシフトが起こるこ
とが示唆されていた。
② 2003~2007 年:国際 HAPMAP 計画
個人個人の違いを DNA レベルで解明する国際 HAPMAP 計画が完了し、ヒトの病気や薬剤
応答に関わる遺伝子を効率よく見つけるための基盤ができた。このプロジェクトでは、日本は理
化学研究所が中心に 25%の貢献をした。3 つの人種の全ゲノムに渡る DNA の違いが明らかに
なり、Human Genetic Variation が分かった。本成果は 2007 年 11 月に Science 誌の
「Breakthrough of the Year」に選ばれたが、日本国内での注目度は低かった。
③ 2008~2010 年:オバマ大統領の誕生(米国)
2008 年に上院議員時代に「ゲノムと個別化医療法案」を提出したオバマ氏が大統領に就任し
た。2009 年には「遺伝子差別禁止法」が成立。2010 年に「ゲノムと個別化医療法案」が議会で
議論され、今後この法案が通ると、米国ではさらに個別化医療が推進していくものと考えられる。
171
第2章
④ 2008 年:国際がんゲノムコンソーシアムの発足
2008 年に国際がんゲノムコンソーシアム(International Cancer Genome Consortium:
ICGC)が発足され、主要ながん「50 種」のゲノム異常カタログを作成するために、2.5 万のがん
試料と正常細胞の、合わせて 5 万人分の全ゲノム情報を解析する。
2012 年 5 月の国際がんゲノムワークショップでは 7,200 人分のゲノム由来が分かってきた。
日本ではゲノム研究の予算が限られており、国立がん研究センター、理化学研究所が東京大学
医科学研究所のスパコンを使い、肝臓がんのゲノム解析をしている。2012 年 5 月に Nature
Genetics にて発表しており、肝臓がん 27 例の全ゲノムを解読し、多様なゲノム変異は肝炎ウイ
ルスや飲酒などとも関連していることを明らかにした。
⑤ 2009 年:米国 NIH 所長に Francis Collins 博士が就任(米国)
2009 年、米国ヒトゲノム計画を完遂した Collins 博士が米国 NIH 所長に就任した。ゲノム情
報を基盤とした米国の医療・ヘルスケア戦略が、垣間見える。
⑥ 2010 年:1,000 人ゲノムプロジェクト(中国・英国・米国)
2008 年から始まった 1,000 人ゲノムプロジェクトは、2010 年 10 月に世界各地の異なる民族
グループから 1,000 人以上の全ゲノムを解析して、医学的応用価値のある人類ゲノム地図を作
成する「1,000 人ゲノム」のゲノムデータが発表された。データはサイトからダウンロード可能とな
っている 2 ) 。
2013 年以降、高速シークエンサーはさらに超安価、超高速、高性能の製品が出てくることが
予想され、様々な疾患での全ゲノムシークエンス解析が加速されることになると考えられる。ゲノ
ム及びエピゲノム、トランスクリプトーム解析が、今後どのようにクリニカルな解析に翻訳・解釈す
ることができるかが最も重要となる。これまでのような研究用途でのデータの利用から臨床シーク
エンスのような臨床用途への利用が進んで行くことで、ビジネスチャンスが生まれるとの見方が強
い。全人類規模で起こってくる「臨床シークエンス」によりゲノムビッグデータが誕生すると言われ
ており、予防医療や新たな医療サービスなど、巨大な医療・ヘルスケア ICT 市場の登場が予想さ
れる。
4) 臨床シークエンス時代への突入
世界では全ゲノム臨床シークエンスの研究が始まっており、時系列に沿って状況を解説する。
① 2009 年~2011 年
米国ウイスコンシン医科大学が世界で初めての全遺伝子解析に基づく治療を行った。対象と
なったのは、小児の自己免疫疾患の症状を呈するもので、化学治療の効果が得られなかったた
め、遺伝子解析の情報を元に治療を実施した。この時は、454 というシークエンサーを使って解
析を行い、X 染色体上にある XIAP という遺伝子の変異が原因であることが分かった。幸いなこと
に治療法があり、造血幹細胞移植による治療が効果的であると考えられ、臍帯血移植が行われ、
この小児は回復した。
172
第2章
② 2011 年 12 月 6 日
NIH では“ゲノムシークエンスに基づく医療応用研究に$4.16 億ドル”(4年間で 400 億円)の
予算を付けると発表した。
③ 2012 年 12 月 2 日
カナダでのオンタリオがん研究所では、国際がんゲノムコンソーシアムの成果に基づき、がん
の臨床シークエンスに基づく個別化医療の研究開始を発表した。
④ 2011 年 6 月 29 日~2012 年 5 月 3-4 日
NIH が主催した Genomic Medicine 会議では検査の提供側、医療保険会社、規制当局の
FDA が出席した。国を挙げての取り組みとなっており、米国では明日の問題として強く認識され
てきた。
⑤ 2012 年 6 月
カナダ トロントの Hospital for Sick Children(子供病院)はシリコンシークエンサー(Ion
Proton)を導入し、将来的には 1 万人/年の規模で全ゲノム臨床シークエンスをすることを発表
した。
このように、ゲノム医療革命は既に始まっており、米国を中心に臨床シークエンス研究へと踏
み出している。この 1 年間で、米国は激走しており、日本はまだまだ保守的な意見が多いのが実
情である。2003 年のヒトゲノム解読から 10 年後の今、ゲノム医療は米国では明日の問題として
急速に動いている。
5) スパコンで暴き出すがんのシステム異常の本態
従来のマイクロアレイのデータに加え、高速シークエンサーの台頭により大量の遺伝子データ
が得られるようになった。しかしながら、その臨床や創薬においての応用という意味では解釈にお
ける点で多くの課題を残していることはこれまで述べてきた通りである。これらのデータの活用の
一つとして、スパコンを使って解析することで、遺伝子の発現量の相互関係を示すネットワーク地
図(アトラス)を作ることができるようになってきた。
東京大学医科学研究所の宮野教授らは、スパコンを使って、がんの遺伝子ネットワークを推定
し、薬剤標的遺伝子の探索や病気や薬剤応答に関する遺伝子ネットワークの研究で成果を得て
いる。
遺伝子の転写をコントロールするのが遺伝子ネットワークであり、個人個人で異なっている遺
伝的要因(DNA)や、腫瘍細胞に蓄積した遺伝子変異(がんゲノム)、環境要因による DNA の
修飾(エピゲノム)が遺伝子ネットワークの構造を変えている。この遺伝子ネットワークががんに関
わる様々なパスウエイを動かして、がんの病態を作り出している。このネットワークを遺伝子発現
データから構築することができるが、「京」クラスのスパコンが必要となる。また、そのためのデータ
は、これまではマイクロアレイで解析した全遺伝子発現解析のデータを使っていたが、今後は高
速シークエンサーにより大量かつ安価に得られるデータが使われるようになってくる。以下、マイ
クロアレイデータをスパコンで解析することで導き出された成果について紹介する。
173
第2章
① スパコンで捉えたがんの黒幕たちのネットワーク-上皮間葉転換が引き起こす新規遺伝子
の発見-
上皮間葉転換(Epithelical-Mesenchymal Transition: EMT)は、がんの悪性度や線維
症に関係しており、ゲフィチニブなどの抗がん剤に耐性を作る原因となっていると言われている。
この EMT を引き起こすいくつかの遺伝子は見つかっているが、そのメカニズムはよく分かってい
ない。そこで、英国 Sanger Institute が公開している 762 個のがん細胞株のマイクロアレイデ
ータを使って、1 個 1 個の細胞株の遺伝子ネットワークを EMT という観点から見てネットワークを
構築した 3 ) 。この構築には 1,024 CPU コア (12.3 TFLOPS)を使って理論的には 3 週間の計
算が必要であったが、実際には、3ヶ月を要している。E-cadherin に着目して制御因子としてス
コアの高い 24 遺伝子を抽出してくると、文献的に EMT に関係している 12 遺伝子が含まれてい
た。それ以外の 12 遺伝子については、EMT という観点では研究がなされていなかったが、名古
屋大学医学研究科の高橋隆教授らのグループが、遺伝子 KLF5 をノックダウンすると EMT が引
き起こされることを肺がん細胞株で実証し 3 ) 、また、米国の研究グループ 4 ) が遺伝子 GRHL2 に
ついて、EMT が起こることを確認するなど新たな知見へと繋がっている。
② スパコンがあぶり出した再発リスクに関わる肺がん患者のパーソナル遺伝子ネットワーク
国立がん研究センター横田淳氏、河野隆志氏との共同研究で、臨床試料を使いマイクロアレ
イによる遺伝子発現解析を行った。226 人の肺がん患者の遺伝子発現データから再発という観
点で遺伝子ネットワークの解析を行った。再発リスクのスコアを定義するため、再発リスクと相関す
る 50 個の転写因子の遺伝子発現量でスコア化して並べた。最も再発リスクの高い人と最も再発リ
スクが低い人を並べてみると、CTGF (Connective Tissue Growth Factor)というがんの悪
性度に深く関わりのある遺伝子が、再発リスクの低い人には見られない関係が、再発リスクの高い
人のネットワークでは見られ、CTGF を制御する状況があるということが分かってきた(図 2-2-
4-3)。
再発リスク
低
高
スパコンで全体データを使って個人個人のシステムを計算
再発リスクが最も低い患者のシステム
再発リスクが最も高い患者のシステム
CTGF (Connective Tissue Growth Factor)
増殖・分化を制御するTGF-βの下流因子で、 TGF-βの間質繊維化促進作用を仲介
増殖促進、遊走、細胞外基質算出、血管新生作用を呈する
図 2-2-4-3.再発リスクの異なる肺がん患者の遺伝子ネットワークの比較
(東京大学 宮野悟氏提供)
174
第2章
③ エルロチニブ薬剤耐性・感受性の違いに関わる鍵分子を遺伝子ネットワークで探す
抗がん剤のエルロチニブの薬剤耐性に関わる遺伝子ネットワークの推定を行った。米国
National Cancer Institute から出ている 160 個の NSCLC 細胞株 に対する 22,277 プロ
ーブのマイクロアレイデータと各細胞株にエルロチニブを投与した時の GI 50 (薬剤未処置群に比
して細胞増殖を 50%抑制する濃度)のスコアを解析した。これにより、エルロチニブ薬剤耐性・感
受性の違いに関わる鍵分子を探すことが出来る。ネットワークの違いを見出すのは難しかったた
め、ハブの構造が大きく変わったかどうかに着目した(図 2-2-4-4)。その結果、ハブのサイ
ズが大きく変わった遺伝子が TTF-1 という遺伝子だった。名古屋大学医学研究科の高橋隆教授
らは、TTF-1 は肺腺がんに特異的に高発現している遺伝子で、肺がんの生存に非常に重要な
遺伝子であることを示していた。しかし、TTF-1 遺伝子は肺がんの生存だけでなく、正常の肺の
機能維持にも必要なため、薬のターゲットにはならないとされていた。ネットワーク解析からも推
定されるが、高橋教授は、TTF-1 が直接的にレギュレートする ROR1 という遺伝子を見出し、
TTF-1 の働きは ROR1という受容体型チロシンキナーゼを発現させて、ROR1が肺がんの細胞
の生存と細胞腫の使命を決定するシグナルを担っていることを解明した5)。すなわち、肺腺がん
の アキ レス 腱 で あ る と い う こと が 分 か っ た 。TTF-1 が 重 要 で あ る と い う こと が 、エ ル ロ チ ニ ブ の
GI 50 とマイクロアレイのデータから見えてきて、時系列のデータから TTF-1 は ROR1 を直接的
にレギュレートしており、この ROR1 の下流にある遺伝子のネットワークもそのネットワーク推定か
ら見えてきている。
Hubness の差異による鍵分子の探索
多くの遺伝子を制御する/に制御される遺伝子
ハブ遺伝子
図 2-2-4-4.ハブの大きさの差異による鍵分子の探索
(東京大学 宮野悟氏提供)
175
第2章
6) まとめ
高速シークエンサーにより安価に大量に遺伝子データが取得できるようになると、例えば、が
んの臨床試料が数百集まれば、スパコンを使うことでがんの様々な側面(浸潤・転移能、再発、薬
剤耐性、薬剤応答等)からみたネットワークを簡単に作ることができるようになる。これにより、ゲノ
ム医療革命はさらに進み、多様な治療法、予防/早期発見、個別化医療といったところで貢献
できるようになる。Francis Collins の著書「遺伝子医療革命」の第 1 章のタイトルでは、「未来は
とっくに始まっている」と書いており、世界で始まっているゲノム医療革命を強く認識すべきであ
る。
【参考資料】
1)
(財)ヒューマンサイエンス振興財団.平成24年創薬技術調査ワーキンググループヒアリング
記録 東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター 宮野 悟 教授 2012年7月30日 非
公開
2)
http://www.1000genomes.org/
3)
Shimamura T, Imoto S, Shimada Y, Hosono Y, Niida A, Nagasaki M,
Yamaguchi R, Takahashi T, Miyano S. A novel network profiling analysis
reveals system changes in epithelial-mesenchymal transition. PLoS ONE.
6(6): e20804, 2011.
4)
Cieply B, Riley P 4th, Pifer PM, Widmeyer J, Addison JB, Ivanov AV, Denvir J,
Frisch SM. Cancer Res 72(9):2440-53, 2012.
5)
Yamaguchi T, Yanagisawa K, Sugiyama R, Hosono Y, Shimada Y, Arima C,
Kato
S,
Tomida
S,
Suzuki
M,
Osada
H,
Takahashi
T.
NKX2-1/TITF1/TTF-1-Induced ROR1 is required to sustain EGFR survival
signaling in lung adenocarcinoma. Cancer Cell. 21(3):348-61, 2012.
176
第2章
2-2-5.疾患研究への応用 −がん(2)−
1) 高速シークエンサーとがんゲノム解析
高速シークエンサーの登場によって患者各人のゲノム情報が疾患研究に利用されるようになり、
がんの研究や医療が大きく変わりつつある。がんは、正常細胞のゲノム上に生じた変異の蓄積に
よって引き起こされる、いわゆる「ゲノム疾患」と捉えることができる。すなわち、ゲノム上の変異の
蓄積によって正常な分子メカニズムが破綻し、細胞が無秩序に増殖したり転移したりするのであ
る。したがって、ゲノムの変異を知ることは、がんのメカニズムを解明し、診断法や治療法を確立
する上で重要なアプローチとなる。そもそも、1986 年に Dulbecco が初めてヒトゲノム計画を提
唱した際に、その目的はがんの原因を解明することであった。ヒトゲノム計画完了後も、従来のシ
ークエンスパワーでは得られるゲノム情報は限られたものであり、がんのメカニズムを解明するに
足るほどの情報を得ることができなかった。この Dulbecco が四半世紀前に抱いた夢が、高速シ
ークエンサーの登場によって急速に現実のものとなりつつある。高速シークエンサーを用いたゲ
ノム解析により、がん細胞で生じている体細胞変異を網羅的に記述することが可能となったので
ある。このような変異のカタログ化を行い、がんの発生や進行に関与する変異を見出し、そのメカ
ニズムを解明することを目的として、様々な研究やプロジェクトが行われている。最終的には、が
んをゲノムの変異という視点から理解し、新たな診断マーカーや治療標的を同定し、ゲノム情報
に基づく個別化医療を実現することを目指している。
ゲノム解析のアプローチとしては、先の 2-2-1 でも述べたが、エクソン部分のみをシークエ
ンスするエクソーム解析とゲノム全体を解析する全ゲノムシークエンス解析の 2 つがある。ヒトゲノ
ムの全配列 30 億塩基を決定する全ゲノム解析はきわめて網羅性の高いアプローチである。全ゲ
ノム解析によって、ほぼ全ての塩基置換や挿入/欠失などのポイント変異、コピー数変異、染色
体の構造異常、ウイルスゲノムやトランスポゾンなどの挿入などを検出することが可能であり、ゲノ
ムの多様な変異を解析することができる。がんの場合、タンパク質をコードする遺伝子領域以外
にも様々な変異を有しており、これらの変異もがんの発生や進行、転移などの性質において重要
な意味を持っている可能性がある。したがって、エクソーム解析よりも全ゲノム解析を行うことが望
ましいが、コストや情報処理能力への負担などが課題となって、現在はエクソーム解析が主流と
なっている。ちなみに、ヒトゲノム 30 億塩基(3 Gb)の配列を高い精度で解読するためには、通
常 30 倍のカバレッジが必要とされ、そのためには約 900 億塩基(90 Gb)の配列データを産生
する必要がある。今後のシークエンス解析技術の進歩とさらなるコストダウンに期待するところが
大きい。
がん組織のゲノム解析を行う場合、組織のヘテロジェネイティー(不均一性)を考慮する必要が
ある。すなわち、がん組織は、クローナルな細胞集団であるにもかかわらず、同じ患者の 1 つのが
ん組織において、個々の細胞に違いがある。がん組織を摘出してゲノム配列を解析すると、通常
は正常細胞とがん細胞の混合物のデータが得られる。さらに、がん細胞自身も変化していくので、
場合によっては複数種の混合配列データが得られることになる。高速シークエンサーでは、並行
して多数のシークエンスを行い、リード数をデジタルに数値でカウントする。これによりダイナミック
レンジが広がり、非常に高感度の定量解析が可能となる。したがって、高速シークエンサーを用
いて、がん組織由来のゲノムの同一変異箇所を大量にシークエンスすることにより、変異頻度を
確定することが可能であり、がん組織中の細胞集団を解析できる。その際に課題となるのが、高
177
第2章
速シークエンサーの解読精度である。現在の高速シークエンサーは、機種にもよるが 0.1〜1%
程度の解読エラーが生じる。したがって、このエラー頻度よりも高い割合で含まれる変異でないと、
変異として検出できないことになる。あるいは、それを補うために高いカバレッジが必要となる。す
なわち、ある特定のゲノム領域において低頻度の変異を検出するには、例えば 1,000 倍などの
高いカバレッジのシークエンスを行う必要がある。これは従来のキャピラリー式シークエンサーで
は困難であり、多数の試料を並行して同時にシークエンスする高速シークエンサーによって可能
となった。
がんのゲノム解析において重要なのは臨床データと結び付けられた試料試料を確保すること
で、がん研究を進めるためにはバイオバンクの整備が必要である。また、各試料に関しては、量と
質とが確保されていることが必要である。特に、ゲノム解析、トランスクリプトーム解析、エピゲノム
解析など、複数の解析を行う際には、重要となる。その点を踏まえると、微量の試料からでも解析
可能な技術が必要とされている。将来的には、がん組織のゲノム配列を1細胞ごとに決定できれ
ば、がんの発生と進展についてより正確な理解が得られるだろう。
このようながん組織における全ゲノム解析あるいはエクソーム解析によるマーカー探索や関連
遺伝子探索は、今後、解析コストの低減や解読精度の上昇、情報解析技術の普及などに伴って
広く行われるようになると考えられる。特に、臨床現場でゲノム解析を行い、その解析結果を臨床
にフィードバックするクリニカルシークエンスが重要になるであろう。病理診断よりも遺伝子診断の
方が、治療に直結する確率が高いという意見を持つ医師もいる。その際に、多数存在する変異の
中から重要なものを見出し、その解析結果を診断や治療へ結びつける手法を確立する必要があ
る。
2) がん研究への応用
① Cancer Genome Atlas Project 1 )2 )
The Cancer Genome Atlas Project(TCGA)は、米国の National Cancer Institute と
National Human Genome Research Institute が共同で進めているがんゲノム解析プロジ
ェクトである 1 )2 ) 。すでに、1 億ドルの予算で 2006 年から 3 年間のフィージビリティスタディを行い、
がん細胞のゲノム解読のための新しいプラットフォームの開発や評価を行った。その成果の 1 つ
が、急性骨髄性白血病患者のゲノム上の変異を、高速シークエンサーを用いたゲノム解読によっ
て解明したものである 3 ) 。この解析では、患者の皮膚正常細胞とがん細胞のゲノムを Illumina
の Genome Analyzer を用いて解読し、両者の配列を比較することによって、細胞のがん化に
関係している変異が生じている 10 個の遺伝子を発見した。このうち、2 個の変異については、既
にがん化への関与が知られていたが、残り 8 個の変異については、初めてがん化への関与が明
らかになった。これらの遺伝子や変異は、将来的な治療や診断のターゲットとなる可能性を有し
ている。この報告によって、高速シークエンサーを用いたがん細胞のゲノム解読という、データ取
得にバイアスのかからない手法によって、がんに関与している新たな遺伝子の発見が可能なこと
が示されたのである。
このフィージビリティスタディの成果を踏まえて、2009 年 9 月から 5 年間の本プロジェクトが始
まっている。予算は最初の 2 年間で 2 億 7,500 万ドルである。20 種類のタイプのがんに関して
それぞれ 500 の試料を解析するもので、各患者についてがん組織と正常組織のペアで解析し、
がん細胞に生じている変異を解明する。ちなみに、TCGA では、単にがん細胞のゲノムの解読
178
第2章
だけでなく、メチレーションなどのエピジェネティクスの解析を含めて、総合的にがんにアプロー
チしている。今後は、より多くのがんについてゲノム解析を進め、がん化のメカニズムを解明して
いく計画である。
② International Cancer Genome Project 4 )5 )
上記 TCGA が米国内のプロジェクトであるのに対して、International Cancer Genome
Project は、14 カ国が参加する International Cancer Genome Consortium による国際プ
ロジェクトである 4 )5 ) 。50 種類のがんのタイプやサブタイプに関して、それぞれ 500 の試料を集め、
計 25,000 のがんについて解析を行う予定である。プロジェクトでは、各患者についてがん組織と
正常組織のペアでゲノム解読を行い、がんで生じているゲノムの変異のレパートリーを明らかにし、
変異の影響を解明する。それと同時に、がん組織におけるトランスクリプトーム解析やエピゲノム
解析などの網羅的な記述を行い、がん細胞に生じている変異を解明する。このようなオミックス的
アプローチによってがん細胞のゲノムで生じている異常を網羅的に同定してカタログ化し、最終
的には診断治療のためのサブタイプを定めるとともに、新たな治療法を開発することを目的として
いる。現在、52 のプロジェクトが行われており、その成果はデータベース化されて一般公開され
ている 6 ) 。2012 年 12 月にリリースされた Ver.11 では、42 のプロジェクトによる 7,358 試料のデ
ータが公開されている。なお、全データのうち、全ゲノム解析を行ったのは 222 例で、残りはエク
ソーム解析である。
International Cancer Genome Project には日本からは理化学研究所ゲノム医科学研究
センターと国立がん研究センターが参加し、ウイルス性肝臓がんのゲノム解析を担当している。
すでに 500 例の試料の収集を終えて、高速シークエンサーとスーパーコンピュータを用いた全ゲ
ノムシークエンス解析を進めている。その成果として、100 例以上の肝臓がんのゲノム配列デー
タを一般公開しており、プロジェクト全体の成果における全ゲノム解析の半分近くが日本チーム
によるものとなっている。成果の一部であるが、25 人の肝臓がん患者から正常細胞と 27 例のが
ん細胞を収集し、全ゲノム解析を行ったところ、ポイント変異ががん細胞 1 個当たり平均で 1 万
1,000 ヶ所存在することが分かった 7 ) 。また、染色体の構造異常は平均で 21 ヶ所であった。ただ
し、これは平均の数であり、同じ肝臓がんであっても、患者によって変異の種類や位置、数などが
大きく異なっていた。さらに、多中心性腫瘍という複数のがんが発生する患者では、同じ患者でも
個々のがんで変異の状態は異なっており、がんにおけるゲノム変異が多様性と柔軟性を有して
いることが明らかになった。ポイント変異における塩基配列の置換パターンに着目して全ゲノムを
見ると、がんの原因である飲酒の習慣や肝炎ウイルスの種類などによって置換パターンが異なっ
ていることが分かった。また、クロマチン制御に関わる遺伝子に着目すると、27 例中 16 例におい
て 10 個の遺伝子のうち 1 個以上に変異が生じており、多い場合には 1 人の患者で 4 個の遺伝
子に変異があった。今後、がん細胞ゲノム上の 1 万ヶ所以上の変異のうち、がんにおいて重要な
役割を果たしているドライバー変異を見出し、それを診断や治療に結びつける手法を確立する必
要がある。
179
第2章
③
日本におけるがんゲノム解析
ヒトゲノムプロジェクトでは重要な役割を果たした日本であるが、がんゲノム解析に関しては研
究班が組めておらず、米国などに比べて 3 年ほど遅れている状況である。残念ながら、国際的に
もプレゼンスが低い。
その中で、国立がん研究センター東病院の江角・土原、東京大学大学院新領域創成科学研
究科の菅野・鈴木らは、がんのエクソーム解析を行っている 8 ) 。がん細胞における突然変異は、ド
ライバー変異とパッセンジャー変異とに分けることができる。すなわち、がん細胞を車に例えた場
合、車を運転している、すなわちがん化を引き起こしている変異がドライバー変異である。一方で、
パッセンジャー変異とは車の乗客のようなもので、がん化に付随して生じたり偶然によって生じた
りした変異である。がん化に際しては、ドライバー変異の蓄積が重要である。肺腺がん患者 97 名
をエクソーム解析したデータを見ると、最も変異が多い患者で 1,400 個近くを有している一方で、
最も少ない患者で 14 個と、その数は 2 桁の違いがある。がん化には 5 個程度のドライバー変異
が必要とされているので、最も変異が少ない患者の 14 個の変異の中にもパッセンジャー変異が
含まれていると考えられる。患者あたりの変異の数は、平均で 80~90 個なので、大部分がパッ
センジャー変異である。最も変異が多い患者では 1,400 個近くの変異が生じているが、このよう
な患者は mutator と呼ばれる。がんの元になる遺伝子に変異が入り、変異し易くなっており、結
果としてがんになったと考えられる。肺腺がんにおいて変異が生じた遺伝子は、EGFR が全患者
の 50%、TP53 が 33%である。それ以外の遺伝子では、多くて 10%程度である。さらに、10%以
下の割合の変異が数多く存在して、ロングテールを形成しており、そのほとんどがパッセンジャー
変異である。一方で、EGFR や TP53 の変異がない試料も数多くあり、がん化のメカニズムに興
味が持たれる。
最近になって、自治医科大学分子病態治療研究センターの間野らによる新たながん遺伝子の
発見が発表された 9 ) 。これは、ゲノム解析ではなく、転写産物の配列解析による成果である。高
速シークエンサーによる解析で問題となるエラー率を下げる手法を開発し、各種のがん検体や細
胞株に対する網羅的配列解析を行った。配列解析によって単離された遺伝子変異について機
能評価を行い、「配列異常」があり、かつ「発がん機能」がある遺伝子を効率よく同定することを試
みている。ヒト線維肉腫細胞株 HT1080 においてがん関連遺伝子約 900 の cDNA を単離し、
Illumina の Genome Analyzer Ⅱx を用いて配列解読を行った。その結果、2 種類の異常遺
伝子を発見した。1 つは NRAS タンパク質の 61 番目のアミノ酸であるグルタミンがリジンに置換
した NRAS(Q61K)、もう 1 つは RAC1 タンパク質の 92 番目のアミノ酸であるアスパラギンがイ
ソロイシンに置換した RAC1(N92I)である。両者のがん化能を確かめたところ、どちらの遺伝子
変異にもがん化能が認められた。NRAS タンパク質と RAC1 タンパク質の両方とも低分子量 G タ
ンパク質であり、NRAS(Q61K)は NRAS 遺伝子のがん化変異として最も高頻度に生じるタイプ
であることが知られている。それに対して、RAS ファミリー以外の低分子量 G タンパク質における
がん化変異は知られておらず、今回初めて RAC1(N92I)ががん化能を持つことが明らかになっ
た。さらに siRNA を用いた機能阻害実験を行ったところ、RAC1 遺伝子を抑制すると速やかな
細胞死が誘導された。ところが、NRAS 遺伝子を抑制しても細胞増殖への影響は軽微であった。
したがって、NRAS(Q61K)ではなくて RAC1(N92I)こそが、HT1080 細胞における本質的な
発がん原因であり、ドライバー変異として機能していると考えられる。
180
第2章
3) 創薬への応用
がんゲノム解析は、研究だけでなく、創薬への応用も期待されている。ゲノム情報の創薬への
応用として、ゲノム上のマーカーを用いた層別化治験の試みを挙げることができる。米国 20 ヶ所
のがん拠点病院を利用して進められているのが、I-SPY2 TRIAL(Investigation of Serial
Studies to Predict Your Therapeutic Response with Imaging and Molecular
Analysis である 1 0 ) 1 1 ) 。これは、バイオマーカーを用いた乳がん治療薬の臨床試験への取り組
みで、Foundation for the National Institutes of Health と Biomarkers Consortium と
が進めるプロジェクトである。I-SPY2 の目的は、バイオマーカーを用いた患者の層別化により、
抗がん剤の臨床試験に要する時間とコストを低減することである。I-SPY2 では、2010 年からの
5 年間で 2,600 万ドルの予算を用い、参加製薬企業からの 12 の IND 申請薬に関して臨床試
験を行う予定である。具体的には、臨床試験のフェーズ 2 に際して、全ての患者に対して臨床試
験を行うのではなく、バイオマーカーを用いた層別化を行うものである。プロジェクトでは、パクリ
タキセル、ドキソルビシン、シクロホスファミドを用いた標準的な術前化学療法に併用する治験薬
の投与が有効とみられる患者を、バイオマーカーを用いて特定する。これによって、通常よりも少
ないコストと時間でフェーズ 2 試験を終えて、フェーズ 3 に進むことを目指している。患者からは
がん組織と血液を採取し、それと共に診断のための治療前および治療中の MRI 画像を撮影す
る。ここから得られるバイオマーカーを用いて患者はサブグループに分けられ、サブグループを
対象に臨床試験が行われる。すなわち、臨床試験成績とバイオマーカーとを照らし合わせながら、
臨床試験成績と相関を示すバイオマーカーを探すことになる。バイオマーカーとしては、エストロ
ゲン受容体や HER2 など、乳がん治療に関する既知のバイオマーカーを用いるとともに、ゲノム
シークエンスによる新しいバイオマーカーの探索も進めるとされている。このようなバイオマーカ
ーを用いた層別化フェーズ 2 の結果によりフェーズ 3 の成功見込みが 85%以上と判定された治
験薬は、 フェーズ 3 に進められ、次の治験薬のフェーズ 2 を開始する。この際の判定には、すで
に終了したフィージビリティスタディである I-SPY1 で得られた成果と情報処理システム caBIG を
用いる 1 2 ) 。そのようなツールの 1 つである caIntegrator は、分子情報・画像データ・臨床所見な
どを統合し、症状の進行と薬剤の効果とを予測することが可能な情報プラットフォームである。フ
ェーズ 3 は、最初からバイオマーカーによって選別された患者に対して行うことになる。このような
バイオマーカーを用いた層別化治験により、フェーズ 3 を通常より 1 桁少ない 300 人程度で行う
ことが可能になると期待されている。ちなみに、Biomarkers Consortium では、I-SPY2 の他
にも、アルツハイマー病のマーカー探索など、10 以上のプロジェクトを進めている 1 3 ) 。今後、臨
床試験に全ゲノムシークエンスによるマーカー探索を組み合わせ、臨床試験の効率化を図るよう
な試みが行われると期待される。
181
第2章
【参考資料】
1)
http://cancergenome.nih.gov/
2)
Chin, L., et al., Nature Medicine 17, 297-303 (2011)
3)
Ley TJ, et al., Nature 456, 66-72 (2008)
4)
http://icgc.org/
5)
Nature 464, 993-998 (2010)
6)
http://dcc.icgc.org
7)
Fujimoto, A., Totoki, Y. et al., Nature Genetics 44, 760-764 (2012)
8)
(財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成24年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリン
グ記録、東京大学大学院新領域創成科学研究科 菅野純夫氏、2012年7月21日、非公開
9)
Kawazu, M., et al., www.pnas.org/cgi/doi/10.1073/pnas.1216141110 (2013)
10) http://www.ispy2.org/
11) Barker, A.D., et al., Clin. Pharmacol. Ther., 86, 97-100 (2009)
12) http://cabig.cancer.gov/
13) http://www.biomarkersconsortium.org/
182
第2章
2-3.新規モデル動物試験系
医薬品の開発において病態や毒性のモデルを用いる薬剤の評価は欠かせない。現在、種々
の動物、細胞を用いて各種モデル系が開発されているが、臨床試験実施前の薬剤の評価には
未だ不十分である。特に、モデル動物においては、種差の存在のためヒトでの薬効や毒性を正
確に予測することは不十分であると言わざるを得ない。この課題を克服するために、近年、ヒトと
同様の薬物動態や代謝を有するヒト化臓器などの作製の研究が進められている。本項では、これ
らの研究を精力的に実施している公益財団法人実験動物中央研究所(以下「実中研」と略す)及
び独立行政法人農業生物資源研究所(以下「生物研」と略す)に以下の最近の研究成果につい
てヒアリングした結果を紹介し、モデル生物系研究の進展について概観する。
2-3-1.重度免疫不全 NOG(NOD.Cg‐ Prkdc s cid Il2rg t m 1 Su g /Jic )マウスとヒト化マウス 1 )2 ) 3 )
1) ヒト化マウス作製の意義
実験動物中央研究所(実中研)では異種細胞、組織の移植のための免疫不全マウスの開発を
行なっており、様々なヒト組織を生着させたヒト化マウスを作製する取り組みを行なっている。
近年、幹細胞・組織幹細胞、ES 細胞・iPS 細胞等を使用した再生医療が脚光を浴びている一
方、ヒト由来細胞や抗体医薬品は実験動物で再生医療や治療のモデル実験ができないという事
情がある。臨床試験の前にヒトにおける作用や副作用を動物実験で予測できることが望ましいが、
ヒト(型)のタンパク質医薬品や治療用細胞の場合、ヒトと動物間の種差があるため動物実験が成
立しないことが多い。そこで、ヒト組織やヒトの免疫系を動物の体内に再構成したヒト化動物が求
められている。動物にとってヒト由来の組織や細胞は異物であるので、拒絶反応のない高度免疫
不全マウスの開発が前提となる。
ヒト化マウスは免疫不全マウスをベースとし、そこにヒト遺伝子・染色体・細胞・組織・臓器を生
着させることにより作製する。ヒト組織が生着すればマウス体内でヒトの細胞や組織の維持が可能
となるが、機能を再現するためにはそれぞれの機能に応じた個別の因子を新たに導入するなど
の工夫が必要である。細胞や組織の機能の一部でも再現することができれば、ヒト疾患モデルと
して利用することができる。ヒト化動物の開発と有用性・有効性評価のバリデーション研究にはか
なりの時間が必要であるが、医学や基礎生物学の進展や医薬品開発に寄与できるものと考えて
いる。
2) ヒト化マウス開発の歴史と NOG マウス
ヒトの細胞や組織を移植できるマウスを作製するためには拒絶反応のない免疫不全マウスが
必要である。T 細胞の欠損した被毛と胸腺のないヌードマウス(1962 年)や T 細胞、B 細胞の両
方が欠損する SCID マウス(1983 年)が使用されてきたが、移植片や移植細胞が生着しても形
態 や 機 能 の 再 現 は 限 定 的 で あ っ た 。 そ の 後 、 糖 尿 病 モ デ ル マ ウ ス と し て 知 ら れ る NOD
(non-obese diabetic)近交系マウスと SCID マウスを掛け合わせた NOD-scid マウス(1992
年)が作製された。このマウスは補体系の欠損やマクロファージ機能の低下などの形質が付加さ
れ、ヒト造血系幹細胞の生着率の改善と造血系や免疫担当細胞の分化・増殖が効率よく誘導さ
れるようになった。
183
第2章
実中研では 1973 年に Nude マウス(BALB/cA nu/nu)をデンマーク Dr.C.W.Friis より導
入、1995 年には SCID マウスを Fox Chase Cancer Center の Dr.Bosma より導入し、多様
な複合マウスの作製と異種細胞の生着性の向上について検討を行なってきた。
この時代まではすべて自然発生の突然変異により得られた形質であるが、Capecchi らが遺伝
子ノックアウト(KO)マウス作製法を確立した 1995 年以降、様々な人為的遺伝子操作を行った
マウスが作製されており、免疫関連でも 100 種類を超える遺伝子改変 KO マウスが作製された。
これら免疫機能に関係する遺伝子をノックアウトした遺伝子改変マウスと NOD-scid マウスを掛
け合わせ様々な免疫不全マウスを得る試みが広く行われた。
実中研でも、NK 細胞の欠損が知られる IL-2Rγ KO マウスと NOD/Shi-scid を掛け合わせ、
新たな免疫不全マウス NOG マウス(2000 年)を開発した。IL-2Rγ KO マウスは東北大学医学
部の菅村教授らが作製した IL-2 レセプターの γ 鎖の細胞外ドメインを欠損したマウスを使用し
た。また、NOD/Shi-scid は塩野義製薬で維持されていた NOD/Shi マウスと SCID マウスから
実 中 研 で 作 製 し た も の で あ る ( 1995 年 ) 。 こ れ と 同 等 な も の が Jackson Laboratory の
Dr.L.D.Shultz らが作製した NOD/LtSz-scid である。彼らもこのマウスと IL-2Rγ KO マウス
を掛け合わせ NOG マウスと類似の免疫不全マウス(NSG マウス、2005 年)を報告している。
NOG マウスは、多様な免疫不全形質をもつ。T 細胞・B 細胞・NK 細胞の欠損、樹状細胞の
機能不全が起こっており、NOD の形質である補体活性も消失している。NOD/Shi-scid に X 線
照射を行い、臍帯血や骨髄幹細胞を導入しても、これらの細胞の分化は起こるが T 細胞への分
化は全く認められない。一方 NOG マウスでは T 細胞へと分化し機能することが分かり、世界的に
注目された。
原因はいくつか解明されてきたが、まだ完全ではない。IL-2R の役割は多様である。また、γ
鎖は IL-4R、IL-7 R、IL-9 R、NK 細胞の分化因子である IL-15 R、抗体産生に重要な IL-21
R と共有している。これら複数のサイトカイン系がほとんど働かなくなり、ある種の免疫担当細胞の
分化と増殖が停止してしまうため、異種細胞の生着性が増すと考えられている(図 2-3-1-1)。
なお、IL-2Rγ 遺伝子はヒトの免疫不全疾患 X-SCID の原因遺伝子であることが知られている。
184
第2章
図 2-3-1-1.シグナル伝達における IL-2Rγの役割
(実中研 伊藤守氏 提供)
3) NOG マウスを使用したヒト組織移植マウス
NOG マウスはがんを含む異種細胞・組織に対し極めて高い生着性を持つ。Nude マウス移植
腫瘍株 LM-2-JCK(T 細胞リンパ腫)を NOG マウスの皮下に注入すると急速かつ安定的な増殖
が認められる。NOD/Shi-scid でも増殖するが、増殖速度や安定性に欠ける。C.B-17/Icr-scid
では、生着し増殖するものもあれば、増殖しないものもある。
NOG マウスは異種細胞の生着性が高いことが分かったが、実際に HeLa S3 細胞を皮下に移
植し、生着の様子を比較した。NOG マウスには 100 細胞で生着するが、NOD/Shi-scid では
10,000 細胞を移植しなければ生着性が認められなかった。また、BALB/cA nu/nu にいたって
は 100,000 細胞を移植しなければ生着は観察されなかった。生着に必要な細胞数は移植する
細胞によって異なると思われるが、HeLa S3 細胞を指標としたこの実験では、宿主により生着に
必要な細胞数に 100 倍から 1000 倍の違いが認められ、NOG マウスの異種細胞を排除する能
力の低さが際立っていた(図 2-3-1-2)。
185
第2章
図 2-3-1-2.NOG マウスでのヒトがんの急速かつ安定な増殖
(実中研 伊藤守氏 提供)
もっと重要であるのは、腫瘍の組織の形態・機能をどの程度保持できるかということである。初
代の腫瘍細胞を NOG マウスの皮下に移植し継代した。通常継代により腫瘍細胞の形態が変化
するが、NOG マウスは安定して形態を保持する(図 2-3-1-3)。その理由はまだ解明されて
いない。
図 2-3-1-3.NOG マウスに移植・継代した腫瘍細胞の病理組織学的評価
(実中研 伊藤守氏 提供)
NOG マウスにはがん細胞だけではなく、様々な細胞が生着する。東北大学の産婦人科との共
同研究の結果を図 2-3-1-4 に示す。ここではヒトの卵巣を移植している。腎臓に 2mm 角の
切片を移植し、数ヶ月すると卵巣組織が増殖する。ヒト卵巣の組織形態を保持しており、グラフ濾
胞様の組織が形成されていることが分かる。
186
第2章
図 2-3-1-4.NOG マウスへのヒト卵巣移植によるグラフ濾胞形成
(実中研 伊藤守氏 提供)
また、実中研の末水らはヒトの肝臓組織を NOG マウスの肝臓に生着させるとともに宿主である
マウスの肝臓組織を特異的に壊死させるという置換実験を行っており、50%以上の肝組織がヒト
由来となる結果を得ている。このことについては次項で詳しく記述する。
上記のように、NOG マウスを使用してヒト化マウスを作製するという研究手法は、がん領域ば
かりでなく様々な分野で利用されるようになっている。ヒト細胞にしか感染しないウイルスや原虫
などの感染症分野の研究や GVHD メカニズムの研究などでは他の研究手法では得られない成
果を上げつつある。培養組織や培養細胞(株)では研究できないことがヒト化マウスでは研究でき
るため多くの研究者にこの手法を利用してもらいたいと考えている。
4) NOG マウスを使用したヒト免疫系の再構成
幹細胞移植には 2 種類の方法が一般的に知られている。1 つは新生児 NOG マウスに 1Gy
の X 線照射を行うことにより骨髄を空にし、肝臓、もしくは顔面静脈よりヒト幹細胞を移植する方法、
もう 1 つは 8~12 週齢の NOG マウスに強め(2.5Gy)の X 線照射を行った後、尾静脈よりヒト幹
細胞を移植する方法である。実中研では 8~12 週齢の実験系を主に使用しているが、米国、欧
州では新生児移植が盛んに行われている。新生児移植の方が良いと言われていたが、実際に行
った経験では 2 倍程度結果が良くなるが、それほど大差ないと判断した。実中研では一般的に 8
~12 週齢の実験系を使用している。
NOG マウスが注目された理由は、ヒト臍帯血由来幹細胞の移植により、様々なヒト造血細胞へ
の分化・増殖が見られたためである。造血幹細胞を NOG マウスに移植し、8 週後、16 週後の血
液を見た。移植後 8 週では B 細胞が優位であるが、16 週になると、これまで見えてこなかった
CD3 陽性細胞(T 細胞)がクラスアップしてくる。また、CD4 陽性細胞、CD8 陽性細胞が見えるよ
うになる。さらに CD56 陽性細胞も分化してくる。キメラ率は、末梢血で 20-40%、骨髄や脾臓で
は 60-80 % 程 度 と な る 。 T 細 胞 サ ブ セ ッ ト も 検 出 で き る 。 CD4-CD8- ( ダ ブ ル ネ ガ テ ィ ブ ) 、
CD4+CD8+(ダブルポジティブ)、CD4-CD8+・CD4+CD8-(シングルポジティブ)の存在も確
認される。さらに、CD4+CD8-は Th1、Th2、Th17、iTreg に分化することが分かっている。しか
し、数的・量的に完全に機能を補完できる程度のものなのかについては、研究者によって意見は
187
第2章
様々である。
脾臓では、CD45 陽性細胞の周囲に B 細胞(CD20 陽性細胞)が存在し、中心に T 細胞
(CD3 陽性細胞)を見ることができる。マクロファージの局在は見られず、DC 細胞(CD205 陽性
細胞)は中心に近い部位に存在している。ヒト FDC(follicular dendritic cell:濾胞性樹状細
胞)は NOG マウスの中ではヒト造血幹細胞から分化して来ないようである。見られるのはマウス
FDC である。マウス FDC がヒト FDC を抑えているかもしれないという議論は以前からされてい
た。
NOG マウスにヒトの造血幹細胞移植した後に NOG マウス内で分化した血球系細胞を分析す
ると、巨核球・血小板、肥満細胞、マクロファージ、樹状細胞、B 細胞、T 細胞、NK 細胞は検出
されるが、赤血球、顆粒球、好中球、好酸球に関しては分化が見えてこない。論文によっては赤
血球と好中球が観察されるというものもあるが、実際に血液細胞を取ってみると非常に少ないか
検出できないため、通常の分化はしていないと考えられる。何かが不足しているか、もしくは阻害
するものが存在するためであると推測された。
NOG マウス皮膚でのヒト肥満細胞への分化を Toluidine blue 染色で確認した。特異性はあ
まりないが、3 ヶ月ではあまり見えなかったヒト肥満細胞が 5 ヶ月後には出てくる。これをヒトキマー
ゼ、ヒトトリプターゼ抗体等で染色すると、明確にヒト肥満細胞が染色される。この NOG マウスの
胃や肺を摘出し、ヒトキマーゼ抗体、ヒトトリプターゼ抗体等で染色すると、粘膜型と組織結合型
の 2 種類の肥満細胞の存在が確認される。
5) 新しい免疫不全マウスの作製とそれを用いたヒト化マウス実験系の確立
NOG マウスに移植したヒトの免疫系の反応性が弱いと考えられている。幹細胞由来の様々な
細胞の分化と増殖が不十分なことや機能を維持する因子がマウスのものでは作用不足と考えら
れるためである。そこで、ヒトのサイトカイン、ケモカインや HLA などを導入し、解析事象に合った
特徴的な反応性を誘導することを試みている。ヒト造血幹細胞を長期維持できないかという大き
なテーマにも取り組んでいる(図 2-3-1-5)。
188
第2章
図 2-3-1-5.新しい免疫不全マウスの作製とそれを用いたヒト化マウス実験系の確立
(実中研 伊藤守氏 提供)
① HLA class II トランスジェニック NOG マウス
免疫性ヒト化マウスにおける大きな問題点として、血液細胞の分化においてリンパ系細胞の中
で NK 細胞への分化が低頻度であることと、ミエロイド系細胞の分化・増殖が不十分であり、免疫
機 能 を 十 分 に 反 映 で き てい な い こ と が 挙 げ られ る 。ま た 、 細 胞 傷 害 活 性 を持 つ 抗 体 特 異 的 な
CD8 陽性細胞への分化があまり観察できず、液性免疫応答についても抗原特異的な IgM 抗体
産生はあるが、IgG 抗体産生は認められていない。B 細胞でのクラススイッチ能力は十分に保持
しているため、それに対する刺激が加わっていないと予測された。NOG マウスで産生されるヒト T
細胞は、ヒト胸腺ではなく、マウス胸腺で教育されるため、機能的にはマウスと同じ形になる。ヒト
B 細胞はもともと、ヒト HLA に拘束される形で産生されるが、マウスとヒトの T 細胞と B 細胞の相
互作用はない。これが、これまで IgG の産生が認められなかった原因と考えられている。
そのため、HLA を一致させたトランスジェニックマウスを作製すれば、それを克服できるのでは
ないかと考え、NOG/HLA-DR4/IA-/-マウスを作製した。このマウスに HLA が適合した幹細胞
と、HLA が適合しない幹細胞の 2 種類の幹細胞を移植する実験を行なった。HLA トランスジェ
ニックマウスでは、胸腺上皮、および抗原提示細胞に HLA の DR が発現することが分かっている。
そのため、B 細胞を十分に分化させることができると予想される。移植後、B 細胞を観察すると
HLA が適合した幹細胞移植したものは非適合に比較し細胞の増殖が活発であった。T 細胞の
機能解析では、ヒト化マウスの脾臓において分化することが分かった。また、IL-2、IL-4 は基本
的にヒトと大きく変わらないことが分かった。最終的に T 細胞がヒト HLA に拘束されて産生されて
いるのであれば、B 細胞とのマッチングにより抗原特異的 IgG 抗体の産生が見られるはずであ
る。
189
第2章
HLA 一致幹細胞と不一致幹細胞を移植した NOG マウスに OVA(ovalbumin)特異的な
IgM 抗体(004243)が出来る。しかし、OVA 特異的 IgG 抗体は HLA がマッチングしたものから
しか出 てこない 。 この 実 験 結 果 か ら、この マ ウスを 使 え ば 抗 原 特 異 的 抗体 産 生 が 可 能で あ る 。
HLA は多型であり、全てを持つトランスジェニックマウスを作製することは非常に難しい。どのよう
に打破するかが大きな課題である。
② ヒト NK 細胞への分化を促進する hIL-2 NOG マウス
hIL-2 NOG マウスは、サイトメガロウイルスのプロモータ下に hIL-2 の cDNA が組み込まれ
たトランスジェニック動物である。hIL-2 の血中濃度は比較的高く、3.54ng/ml である。X 線照射
後、末梢血単核球(peripheral blood mononuclear cell:PBMC)を移植し、観察した。この
マウスは PBMC 移植後に CD8T 細胞が急激に上昇し死亡に至る。強力な細胞傷害性 T 細胞
(CTL、LAK)が誘導されていると推測された。
hIL-2 NOG マウスにヒト CD4T 細胞や CD8T 細胞を分離し移入すると、全く様相の異なる
GVHD が観察できる。このようなものを使えば、CD4 T 細胞や CD8 T 細胞が誘導する GVHD
の解析が行えるのではと考え、検討している。
PBMC 移入の実験結果から、臍帯血由来幹細胞の導入では T 細胞の活性化とマウスの死亡
が予測されたが、実際はそうではなかった。普通の NOG マウスに移植しても NK 細胞は全く確
認されないが、hIL-2 NOG マウスに移植すると、B 細胞、T 細胞への分化は少なく、NK 細胞へ
の分化が強 力に促進 されてい ると思 われ 、3 ~ 6 週になると ほと んど NK 細胞 ばかりに なる 。
hIL-2 NOG マウスへの幹細胞移植の特徴は、ヒト NK 細胞への分化増殖である。ただし現段階
では、ヒト臍帯血幹細胞由来 NK 細胞は、ヒト末梢血 NK 細胞と比べて細胞傷害活性が劣る。そ
の理由として Perforin、Granzyme 等の発現が弱いことが分かっており、機能的分化は不十分
と考えられる。hIL-2 だけでなく、NK 細胞の分化因子である hIL-15 の補填により、NK 細胞の
機能を検討できるヒト化マウスとなるものと考えている。
③ ヒト顆粒球分化を促進する hGM-CSF/IL-3 トランスジェニック NOG マウス
hGM-CSF と IL-3 の両方が発現するマウス(NOG-hGM-CSF/IL-3)を作製した。これにヒト
幹細胞を移植すると、生着が亢進した。脾臓においても細胞数が著しく増加しており、特に増え
ているものはミエロイド系細胞(単球・顆粒球等)であった。肺胞洗浄液中にも単球や顆粒球の増
加が観察された。これまでそのような例は無かったため、ミエロイド系細胞の解析を行った。好中
球はヒトの場合は多型核であるが、採取した好中球は 2 核等であり、完全に最終分化に至ってい
ないかもしれないと考えられた。顆粒球中の好塩基球については、G-CSF 受容体の発現を調べ
ると、ヒトの末梢血の顆粒球と同じように発現することが分かっている。このマウスを用いて花粉症
の患者の血清による刺激で PCA 反応の検出が可能である(論文執筆中)。
190
第2章
6)まとめ
実中研で樹立された改良型を含む免疫不全マウスのリスト(図 2-3-1-6)を示す。これらは
現在、供給が可能なものである。NOG マウスをベースに多様な研究の目的に使用可能な様々な
免疫不全マウスを提供していきたいと考えている。具体的には、種々のヒト遺伝子の導入や、マウ
ス遺伝子の不活化等の改良により、移植するヒト組織や研究目的に合った免疫不全 NOG マウス
を作製したいと考えている。
図 2-3-1-6.実中研で樹立された改良型を含む免疫不全マウスリスト
(実中研 伊藤守氏 提供)
【参考資料】
1)
(財)ヒューマンサイエンス振興財団、平成24年度創薬技術調査ワーキンググループ、ヒアリ
ング記録、公益財団法人実験動物中央研究所 実験動物研究部 伊藤 守 氏、2012年8
月1日、非公開
2)
伊藤守 ヒト化マウスの現状 細胞工学 Vol. 28, No. 10, 238-242, 2010
3)
伊藤守、末水洋志 ヒト化マウスの改良と疾患モデルへの応用 実験医学 Vol. 30, No. 2(増
刊), 154-159, 2012
191
第2章
2-3-2. ヒト化肝臓マウス ―機能性‘ヒト化肝臓’の作製― 1)
1) ヒト化肝臓マウスの意義
肝臓は、薬物代謝を担う主たる臓器であることから、医薬品の開発過程で着目すべき臓器であ
る。肝臓の機能を in vitro で維持することは非常に困難である。単離した肝細胞をコラーゲンコ
ートプレートに撒いたプライマリーカルチャーでは、培養 1 日目の細胞はきれいな敷石状である
が、培養約 3 日目で細胞が壊れ、遺伝子の発現も急速に減速して最終的にはフィブロブラスト様
の細胞に置き換わってしまう(図 2-3-2-1)。また、肝臓の重要な機能である胆汁排泄能など
は in vitro ではみることができない。したがって、肝臓機能を調べるためには動物を用いた in
vivo の検証は必要不可欠である。
図 2-3-2-1. 単離肝細胞の in vitro 培養
(実中研 末水洋志氏提供)
一方、薬物代謝においてはマウス、ラット、ヒト等で種特異性があることが知られている。げっ歯
類を用いた薬物の毒性試験の結果に問題がなくても、ヒトにおいて初めて毒性が見つかるという
現象は多く認められている。したがって、ヒトにより近い薬物代謝を検討するためにはヒトの肝臓
をもった動物「ヒト化肝臓マウス」が欠かせない。ヒト化肝臓マウスは、最近では上記のような薬物
代謝研究に限らず肝炎や肝臓再生の研究にも使用されることが多くなってきている。
以下に実中研におけるヒト化肝臓マウス作製研究の進展状況を紹介する。
2) ヒト化肝臓マウス作製方法
ヒトの肝臓をもったマウスを作製するためには、先ず、ヒト肝細胞が生着する確率の高いマウス
を用いる必要がある。そのために、実中研で開発作製した異種細胞生着率の高い NOG マウス
(2-3-1節参照)を宿主として用いた。
また、ヒト肝細胞が宿主マウスの肝臓に生着した後コロニーを形成し増殖し続けるためには、宿
主マウス肝臓中にその増殖スペースが必要である。そこで、宿主マウスの肝臓に障害を起こし、
192
第2章
肝細胞を壊してそのスペースを確保した。マウスに肝障害を与え、持続的に肝細胞を壊すために、
NOG マウスに以下の 2 種類の遺伝的改変を施した(図2-3-2-2)。
① uPA-NOG マウス
urokinase-type plasminogen activator (uPA)遺伝子をアルブミンプロモーター下で
発現させ、肝細胞内で uPA を多量に合成させる。肝細胞では uPA の基質も合成されており、
肝細胞内で uPA が多量に合成されると、基質-酵素複合体が多量に生成し、肝細胞障害が
起こり肝臓が徐々に崩壊する。
② TK-NOG マウス
ヘルペスウィルスの Thymidine Kinase(TK)遺伝子(HSVtk)をアルブミンプロモータ
ー下で発現させ、肝細胞内で TK を合成させる。この NOG マウスにガンシクロビル(GCV)
などのヌクレオチドアナログを投与すると、ヌクレオチドアナログは酵素 TK により毒性代謝
物に変換され、肝細胞が死滅して肝障害が起こる。
ヒト化肝臓
NOG マウス
図 2-3-2-2. ヒト化肝臓作製の基盤マウス
(実中研 末水洋志氏提供資料より一部改変)
これらの肝障害マウスに市販のヒト肝細胞を脾臓から門脈経由で肝臓に移植すると、肝臓内に
生着して微小なコロニーが形成され始める。成熟とともにこれらのコロニーが肝臓の大部分を占
めるようになり、ヒト化肝臓マウスが完成する。
なお、マウス肝障害モデル作製によく用いられる四塩化炭素等の薬物肝障害は一過性であり、
1 週間程度で肝障害が消えてしまうため、ヒト肝細胞の移植には不適である。
193
第2章
3) ヒト化肝臓マウスの性質
① uPA-NOG マウスモデル
2)
uPA-NOG マウスでは遺伝子導入した uPA 遺伝子は肝臓でのみ発現し、肝逸脱酵素 ALT
が 100 U/L 以上(200~300 u/L)の状態が 6~14 週間続き、肝障害が維持される。
本モデルでは、約 6 週齢でヒトの肝細胞を移植すると、その肝細胞は比較的効率良く生着し、
移植後 4~8 週間程度でマウスの肝臓の 10%程度がヒト肝細胞に置き換わった状態(キメラ率
10%)となる。マウスによっては、ヒトの肝細胞は増殖を続け、最終的に 7 割程度の置換率(キメラ
率)のまま 10~30 週間維持される場合もある。このマウスの血清をウェスタンブロット法で解析す
ると、ヒトのアルブミンが検出される。一方、野生型 NOG マウスではヒトアルブミンは検出されな
い。マウスのアルブミンはいずれにも残存している。
H&E 染色で白く抜けている部分はヒトグリコーゲンが蓄積している部分である。免疫染色でヒ
ト細胞の存在を確認した結果、h-CK8/18 染色で同じ部分が染色され、ヒト肝細胞がコロニーを
形成していることが分かる。
② TK-NOG マウスモデル
3)
TK-NOG マウスでは遺伝子導入した TK 遺伝子は肝臓でのみ発現している。本モデルでは、
GCV を投与すると用量依存的に肝障害が誘発される。通常、i.p.で 3~6 mg/kg GCV を 2 日
間隔で 2 回投与し、その 5 日後にヒト肝細胞を脾臓から門脈経由で移植する。uPA-NOG マウ
スモデルと同様に移植後 4 週間程度で、血中でヒトアルブミンが測定できるようになる。
4) ヒト肝細胞のクローン性増殖の検証
3)
ヒトの移植肝細胞とマウス肝細胞が融合する可能性も考えられるため、その可能性を蛍光免疫
二重染色法により検証した。ヒト肝細胞を赤に、マウス肝細胞を緑に染色したところ、融合が起き
ている場合は黄色に観察されるが、実際には赤、緑が明確に識別でき、各細胞が独立して存在
していることが判明した。また、h-CK8/18 染色でヒト肝細胞の領域を特定し、その一部をレーザ
ーマイクロダイセクション(LMD)法で切り抜き DNA を解析したところ、ヒト肝細胞、マウス肝細胞
の領域に各々ヒト、マウスの DNA が検出され、ヒト肝細胞が単独でクローン性の増殖を起こして
いることが確認された。
5) ヒト化肝臓マウスにおけるタンパク質と遺伝子の発現
3)
ヒトアルブミン以外のヒト化肝臓マウスが発現しているタンパク質あるいは遺伝子を調べところ、
ヒトの Transferrin や Ceruloplasmin などの血清タンパク質、あるいは各種ヒト遺伝子の発現
が確認できた。薬物代謝酵素群では CYP3A4 などの発現が高かった。
また、Affymetrix GeneChip Expression Array を用いた網羅的遺伝子発現解析により、
ヒト化肝臓マウスでは移植したヒト肝細胞の遺伝子発現プロファイルがほぼ保たれた状態でキメラ
肝臓を構築していることが分かった。
臓器としてのヒト化肝臓の機能を検証するために、グルタミン合成酵素(GS)の肝小葉内分布
を観察した。GS は通常のマウスでは肝小葉の中心静脈周辺部に一層に分布しているが、ヒトで
は複数層に分布している。ヒト化肝臓マウスでは、GS はマウス部分では一層に分布し、ヒト化の
部分では複数層に分布しており、機能的にもヒト型肝臓となっていることが確認できた。
194
第2章
6) ヒト型薬物代謝の検証
3)
ヒト化肝臓マウスの肝臓内でヒト型の代謝が起こっているかどうかについて検証した。降圧剤デ
ブリソキンを代謝(水酸化)する酵素 CYP2D6 にはヒトとマウスで種差があることが知られており、
ヒト型の CYP2D6 の方が活性が高い。ヒト化肝臓マウスと(ヒト化していない)NOG マウスのデブ
リソキンの水酸化活性を比較したところ、明らかにヒト化肝臓マウスの方が高く、ヒト化肝臓マウス
でヒト型の代謝が起こっていることが確認された。
7) ヒト化肝臓の安定性
ヒト化肝臓マウス内で再構築されたヒト化肝臓は 1 年ほど安定に維持可能であるが、その後、マ
ウス由来の癌が発生してしまう。マウスの寿命 2 年まで安定的に維持することは出来ていない。
8) 置換率(キメラ率):Replacement index (RI)
ヒト化肝臓マウスの置換率(キメラ率)RI は、(切片中の h-CK8/18 染色面積)/(切片中の全面
積)によって求められるが、この値はマウス血中のヒトアルブミン濃度と非常に高い相関があること
が分かっている。したがって、血中ヒトアルブミン濃度を測定すれば置換率(キメラ率)を推定する
ことができる。
9) 移植するヒト肝細胞の重要性
市販されている 4 種のヒト肝細胞について各種遺伝子発現を測定したところ、個体による発現差
が大きいことが判明した(図2-3-2-3)。移植するヒト肝細胞によって作製されたヒト化肝臓マ
ウスの質が異なってくるので注意が必要である。また、移植するヒト肝細胞のロットによってキメラ
率が変化することが多い。良いロットではキメラ率 70%程度まで上げることができる。
図 2-3-2-3. 市販ヒト肝細胞の各種遺伝子発現比較
(実中研 末水洋志氏提供)
10) ヒト型代謝物の検出例
3)
サリドマイドのようにげっ歯類では毒性が認められなかったが、ヒトでは副作用が認められる薬剤
195
第2章
に対し、ヒト化肝臓マウスを用いることでヒト型代謝物が検出可能かどうかを検証した。
サリドマイドは、ヒトとマウスでは代謝パターンが若干異なっている。更に、ヒトでは CYP3A4 に
よってジヒドロキシサリドマイドに代謝されることが明らかとなっている。このジヒドロキシサリドマイ
ドは、通常マウスではほとんど検出されなかったが、ヒト化肝臓マウスでは明確に検出された。
ヒト化肝臓マウスを用いてヒトに特有の代謝物を検出し、ヒトに特有の毒性を見出していくことが
今後の研究課題である。
参考資料
1)
(財)ヒューマンサイエンス振興財団、平成 24 年度創薬技術調査ワーキンググループ、ヒアリ
ング記録、公益財団法人実験動物中央研究所 バイオメディカル研究部 末水 洋志 先生、
2012 年 8 月 1 日、非公開
2)
Suemizu, H, Hasegawa, M, Kawai, K, Taniguchi, K, Monnai, M, Wakui, M,
Suematsu, M, Ito, M, Peltz, G, Nakamura, M, Establishment of a humanized
model of liver using NOD/Shi-scid IL2Rg(null) mice., Biochem Biophys Res
Commun, 377, 248-252 (2008)
3)
Hasegawa, M, Kawai, K, Mitsui, T, Taniguchi, K, Monnai, M, Wakui, M, Ito, M,
Suematsu, M, Peltz, G, Nakamura, M, Suemizu, H, The reconstituted
'humanized liver' in TK-NOG mice is mature and functional., Biochem Biophys
Res Commun, 405, 405-410 (2011)
196
第2章
2-3-3. 遺伝子改変によるヒト疾患モデルマーモセット作製法の確立 1)
1) 霊長類の実験動物としての重要性
非ヒト霊長類(non human primate)は実験動物として重要な位置を占めている。その理由と
しては以下のような事実が挙げられる。
①
妊娠したマウスにサリドマイドを与えても催奇形性は認められないが、霊長類では四肢の催
奇形性が認められる。Nature の 1972 年の論文 2 ) では、マーモセットで初めて非ヒト霊長類
の催奇形性が確認されたことが報告された。
②
マウスでは感染しない感染症として、A 型肝炎ウイルス等がある。
③
近年、霊長類の脳のみで発現する遺伝子が発見された。その機能は未だ不明であるが、マ
ウスやラットにはその遺伝子が存在しないため、ノックアウト動物を作ることができない。その
遺伝子の機能を知るためには霊長類を用いた研究が必要であり、遺伝子改変が可能なマー
モセットを用いた研究が進められている。
2) コモンマーモセットの実験動物としての利点
コモンマーモセット(以下「マーモセット」と呼ぶ。)は、ブラジル原産の霊長類であり、成体の体
重は約 300 g、寿命は約 20 年である。現在、実験動物として使用されている霊長類は、アカゲザ
ル、カニクイザルなどがあるが、これらの霊長類と比較してマーモセットには以下の実験動物とし
ての利点がある。
①
ヒトに近縁であり、ヒトとの類似性が高い。
マーモセットは代謝経路や生理学的・解剖学的特徴がヒトと非常に類似しており、ヒトサイ
トカイン・ヒトホルモンに交差性を示す。発生工学研究の過程で様々な性腺刺激ホルモン
を投与するが、ヒトの薬剤を使用することが可能である。
②
繁殖効率が高く、発生工学研究に適している。(図 2-3-3-1)
マーモセットはサルの中では繁殖能力が高い。生まれてから 1 年~1 年半で性成熟し、1
度の妊娠で 2~3 匹の仔を生むことができる。妊娠期間は 145~148 日。通常の霊長類
は仔に哺乳させている時期は妊娠しないが、マーモセットは出産 2 週間後には排卵し、
着床する。そのため年 2 回、4~6 匹の仔を生むことができる。1 匹の雌の生涯分娩回数
は 20~30 産で、生涯産仔数は 40~80 匹である。
それに比して、アカゲザルやカニクイザル等のマカクザルは性成熟に 3~4 年を要し、1
度の妊娠で 1 匹の仔しか産まない。子育て中は妊娠しないため、分娩間隔が約 550 日と
長く、1 頭の雌から生涯で 10~12 匹の仔しか生むことができない。
3 年間でみてみると、アカゲザル等では 2 匹の仔しか得られないのに対し、マーモセット
では 14 匹ほどの仔が得られ、更に、マーモセットでは生まれた仔同士で 1 年後に繁殖が
可能であるため 54 匹程度の仔を得ることができる。これだけの数があれば F1 の解析が
可能となる。
197
第2章
マーモ
セット
マウス
マカクザル
図 2-3-3-1.各種実験動物の繁殖特性
(実中研 佐々木えりか氏提供資料より一部改変)
③
小型で飼育や実験上の取り扱いが容易である。
マーモセットは比較的簡単なトレーニングで飼育が可能であり、高度・大規模な実験動物
施設は不要である。また、自発運動量が多く、行動観察も比較的容易である。
④
実験動物用コロニーが存在する。
マーモセットは実験動物用のコロニーが複数存在する。アフリカ原産ではないため、エボ
ラ出血熱や B ウイルス病等の病原体を保持しておらず、自然界での感染例の報告はない。
人獣共通感染症の可能性が低く、研究者にとって安全である。また、遺伝的に均質であり、
微生物学的な統御がなされている。
3) マーモセットを用いた前臨床研究システムの確立
実中研ではマーモセットを用いた前臨床研究システムの確立を目指し、以下の活動を行って
いる。
① iPS 細胞、ES 細胞を用いた再生医療のためのシステム構築
再生医療の実用化を目的として iPS 細胞、ES 細胞の樹立等
② ヒト疾患モデル構築を目的とした発生工学によるトランスジェニック・マーモセットの作出
既存のマーモセットによる疾患モデルとしては、物理的破壊による脊髄損傷モデル、血管
遮断による脳梗塞モデル・心筋梗塞モデル、MPTP 投与によるパーキンソン病モデル等
があるが、マウス等と比較しマーモセットにはヒト疾患モデルの種類が少ない。トランスジェ
ニック・マーモセットの作出を通じて多くのヒト疾患モデルを確立する。
③ マーモセット利用のためのツール開発
モノクローナル抗体作製、cDNA ライブラリー構築、ゲノム解析等のツール開発
198
第2章
4) トランスジェニック・マーモセット作出方法
マウスの場合、受精卵(100~200 個)と精巣を屠殺により獲得し、体外受精により得た受精卵
に遺伝子導入し、全てレシピエント(仮親)に戻した後、生まれた仔の中からトランスジェニックに
なっているものを選ぶ方法をとるが、マーモセットの場合にこの方法を取ると、1 回の実験に数百
万円費やすことになる。また、マーモセットの場合、生まれた仔に遺伝子が導入されていなかった
としても殺すことはなかなかできない。そのため、月に 1 万円、年間 12 万円の飼育費が掛かるこ
とになる。これを防ぐため、確実に遺伝子導入された受精卵のみを選択してレシピエントに移植
する。生命倫理上と経済上の問題で、なるべくマーモセットを殺さない方法を取ることを目指して
行う。
① 採卵と成熟
黄体退行因子 PGF2 α(prostaglandin F2 alpha)を用いて、血中のプロゲステロン濃度を
モニターしながら卵胞期に性周期を移行させ、ヒト卵胞刺激ホルモン(FSH)を 10 日間投与し、
その後排卵のための卵子の成熟を促す hCG(Human Chorionic Gonadotropin)を投与した
20 時間後に採卵をする。腹部に 1~1.5cm 程度の開腹により卵胞を露出させ、注射針を刺して
卵子を吸引する。この卵子を一晩培養することにより、第 2 減数分裂中期にある、受精に供する
ことができる卵子へと成熟させる。採卵後のドナーは、開腹部を縫合し、2 ヶ月後にはまた採卵で
きるようにしている。
② 精子の採取
雄のドナーから無麻酔でフォルダーに固定し、電気刺激で精液を採取する。
③ 体外受精と遺伝子導入、培養
体外受精および培養系はマウスの場合とほぼ同様である。
成熟させた卵子と採取した精子を一晩同時に培養することにより受精させる。受精直後の前核
期にレンチウイルスにて遺伝子導入を行うが、この際に同時にマーカーとなる蛍光タンパク質遺
伝子を導入し、レシピエントの子宮に戻す前にトランスジェニックとなる受精卵のみを選択する。
マウスの受精卵の場合は透明帯との隙間にレンチウイルス液をインジェクションすれば全体に
液が広がっていくが、マーモセットの受精卵は透明帯により強固に保護されており、インジェクシ
ョンが難しい。試行錯誤の末、最終的に 0.25 M Sucrose の添加により脱水させて受精卵を収縮
させ、できた透明帯と受精卵の隙間にウイルスを Femto Jet を用いて導入すれば良いことが分
かった(図 2-3-3-2)。これらの操作はマイクロマニピュレータを用いる。Sucrose 非添加の
場合は、遺伝子導入効率は 40.8%であったが、Sucrose 添加の場合はほぼ 100%に近い結果
(97.7%)の導入効率を達成した(図 2-3-3-3)。導入遺伝子が長いと導入効率が低下する
が、現在では平均で 6~8 割で遺伝子導入が可能である。
199
第2章
レンチウイルスベクター液注入法
図 2-3-3-2.レンチウイルスベクター液注入法
(実中研 佐々木えりか氏提供)
図 2-3-3-3.Sucrose を用いたレンチウイルスベクター液注入法の効果
(実中研 佐々木えりか氏提供)
200
第2章
受精卵は 10 日程度かけて胚盤胞まで培養することが可能であるが、培養期間が長いほど個
体になる確立が減るため、なるべく早い時期に子宮に戻したい。レンチウイルスベクターに搭載し
た蛍光タンパク質遺伝子が染色体に挿入され発現するには 8 細胞期胚以降の成熟が必要となり、
数日間を要する。その期間は体外で培養を行う。8 細胞期胚(受精後 4 日目)~桑実胚(受精後
6 日目)の期間毎日観察し、蛍光タンパク質の発現が確認された時点でレシピエントに移植す
る。
[遺伝子導入法について]
・ レンチウイルスベクターを用いる方法は、時間はかかるが非常に確度が高く、これまでマーモ
セットでトランスジェニック動物が得られないという事例はなかった。また、レンチウイルスベクタ
ーを用いることで体細胞で導入遺伝子の発現が認められるものは現在まで全てジャームライ
ン・トランスミッションを示している。一方で、レンチウイルスベクターを用いる方法では 8Kb を
超える大きな遺伝子を導入することは不可能である。
・ マウスと同様の原核注入法も試みたが、トランスジェニックになる受精卵を選択することが不可
能であるため、霊長類に対しては非常に効率が悪い。
・ 遺 伝 子 導 入 法 と し て ト ラ ン ス ポ ゾ ン ベ ク タ ー を 用 い た ICSI ( Intracytoplasmic sperm
injection)法(卵細胞質内精子注入法)を検討している。マウスでは既に行われており、未受
精卵に物理的に精子を 1 個だけ注入する際に導入遺伝子を入れる方法であり、その際にトラ
ンスポゾンベクターを用いることで、レンチウイルスと同程度の効率でトランスジェニック動物を
作製することができる。トランスポゾンベクターはレンチウイルスベクターよりもはるかに大きい
遺伝子を導入することができ、レンチウイルスベクターの弱点を克服することが可能と考えられ
る。
・ マーモセットでは顕微授精の ICSI 法が未だ確立していないため、その確立にも数年間挑戦
している 。受精 卵の成熟 度、精 子を入れるタ イミ ン グと受精効 率等の条件 検 討を行 なってい
る。
④ 移植
卵子ドナーと同時期にレシピエントにも PGF2αを投与すると、性周期を同期化させることがで
きる。これは霊長類では珍しく、マーモセットが属するシンセカイザルの特徴である。移植は、開
腹せずに腟内にカテーテルを挿入し、エコーを見ながらヒト不妊治療と同様の方法で行う。マー
モセット用に小型のツールを作製し移植している。
トランスジェニックではない移植の妊娠率は、昔は 5 割弱であったが、この方法により 8 割近い
成績が出ている。開腹せずに行えるため、動物にとっても侵襲性が少なく、術者にとっても術後
のケアがほとんど必要ないというメリットがある。
妊娠診断は、移植後 2~3 週間、採血によるプロゲステロン値のモニタリングと 3 週間目のエコ
ー検査で行う。
201
第2章
5) トランスジェニック・マーモセット作出の成果
上記の方法で GFP トランスジェニック・マーモセットを作製し、導入遺伝子が次世代に伝わる
ことを 2009 年に世界で初めて Nature に報告した 3 ) 。
5 匹生まれた内 4 匹(ヒスイ♀、ワカバ♀、ケイ♀、コウ♂)は体内の様々な部位の体細胞で導入
蛍光タンパク質を発現し、ジャームライン・トランスミッションを示していた(論文の執筆中はコウ♂
のみがジャームライン・トランスミッションを示していたが、最終的には 4 匹全てで認められた)。霊
長類の体細胞で導入遺伝子が発現したのは初めての報告であった。F1 の三胚葉で導入遺伝子
の発現が確認できている。現在 F2 まで作製されているが、順調に GFP マーモセット・ラインの確
立が進んでいる。
6) パーキンソン病モデルマーモセット作製への取り組み
ヒト疾患モデル動物として、パーキンソン病モデルマーモセットの作製に取り組んでいる。家族
性パーキンソン病の原因遺伝子である変異型α-synuclein 遺伝子を過剰発現するトランスジェ
ニック・マーモセットの作製を行い、遺伝子導入した蛍光タンパク質が発現している受精卵をレシ
ピエントに移植することにより、2 匹のトランスジェニック・マーモセットを得た。
通常α-synuclein は毛根に発現しないが、トランスジェニック・マーモセットの毛根を採取し
RT-PCR により確認したところ、蛍光タンパク質の遺伝子とα-synuclein の mRNA の発現が認
められ、トランスジェニックであることが確認された。FISH 解析においても、染色体中に 2 コピー
の導入遺伝子が確認された。これら 2 匹はともにジャームライン・トランスミッションを示していた。
これらの 2 匹トランスジェニック・マーモセットは現在 3 歳であるが、外見は極めて健康的である。
非 侵 襲 的 な パ ー キ ン ソ ン 病 診 断 の た め に 、 PET 解 析 と 、 MRI に よ る VBM
(Voxel-Based-Morphometry)解析を定期的に行なっている。PET 解析については大きな変
化は認められていないが、VBM 解析により黒質領域の密度低下が認められつつあり、ドーパミ
ン産生神経の量が若干減ってきているのではないかと考えられる。但し、震え等の症状は、ベー
スラインから 25%まで減少しないと発症しないので、未だ認められていない。
マーモセットは、飼育条件下では 20 歳程度まで生存する。早期に発症するトランスジェニック・
マーモセットを得るため、プロモータやトランスジーンの蛍光タンパク質等を変更した新しいベク
ターを構築し、トランスジェニック・マーモセットを得た。現在、F1 が 1 歳になるところであり、今後、
解析・繁殖を進める予定である。
7) ノックアウト・マーモセット作出の試み
バイオメディカル研究においてはノックアウトマウスが有用なツールとなっているが、マーモセッ
トではノックアウト個体を作出できないことがマーモセットをヒト疾患モデルとして使用する上での
欠点となっている。ノックアウト個体を作製するにはジャームライン・トランスミッションする ES 細胞、
iPS 細胞が必要であるが、ジャームライン・トランスミッションする ES 細胞、iPS 細胞が得られて
いるのはこれまでマウスだけであり、数年前にラットで得られるようになった段階である。他の動物
(ブタ、サル、ウサギ等)でも未だ得られていない。
近年、ジャームライン・トランスミッションする ES 細胞、iPS 細胞がない動物でもノックアウト動
物を作製できる人工ヌクレアーゼ法が報告された。Zinc finger ドメインとヌクレアーゼを人工的
に融合させたタンパク質 Zinc finger nuclease(ZFN)を作成し、それを用いてノックアウトする
202
第2章
方法である。Zinc finger は DNA に結合する能力を持っているため、標的とする配列特異的に
結合する。Zinc finger にヌクレアーゼを結合させたタンパク質を産生するベクターを構築し、受
精卵に導入すると ZFN が発現し、標的遺伝子に結合する。この際、DNA 二本鎖の両方を切断
する。DNA は片方が切断されても反対側の鋳型をもとに修復できるが、両鎖を切断すると、鋳型
がなくなるために読み取り枠がずれる等、正しい修復が行なわれずに目的タンパク質のノックアウ
トがなされる。
この技術を用いて、他家移植が可能な免疫不全ノックアウト・マーモセットの作製を目指し、イ
ンタ ー ロ イキ ン 2 受容 体 のγ鎖 をノ ック アウト した マーモ セッ トの 作製 を試 み てい る 。マ ウスの
ZFN についてはバリデートされたものがシグマ社より入手可能であるが、マーモセットの場合は
バリデートされた ZFN が入手できないため、先ず ZFN の選定から始め、最も効率良くマーモセ
ットのゲノムを切断する ZFN を選定した。この ZFN を受精卵に導入し、胚盤胞(Blastocyst)ま
で発生することを確認した後、ノックアウトの有無を調べると 40%の確率でノックアウトになってい
ることが分かった。どの時期にノックアウトになるか、モザイク率はどの程度かを調べるため、ZFN
導入後 8 細胞期になるまで培養し、その割球を細断し、その割球のいくつがノックアウトになって
いるかを調べた結果、約 6 割であったため、ZFN が働くのは 4 細胞期以降程度ではないかと予
想される。40~60%のモザイク率を示す。現在、バリデーションが終了しており、受精卵をレシピ
エントの子宮に移植して妊娠状態となっているため、ノックアウト・マーモセットが生まれることが
期待される。
8) その他マーモセットに関して

マーモセットは父親も子育てに参加しており、家族間コミュニケーションが密であることから、
行動学モデルとしても注目されている。

マーモセットはヒトとは性周期が異なり、繁殖についてはヒトのモデルにはならない。また、繁
殖生理学的には、LH(Luteinizing Hormone:黄体形成ホルモン)がなく、Gonadotropin
で排卵しているので違いは大きい。

マーモセットのゲノム配列は、ヒトゲノム配列にマウスに比べてかなり近く、チンパンジーよりは
遠い。
9) 終わりに
レンチウイルスベクターあるいはトランスポゾンによるによるトランスジェニック・マーモセットの
作出やノックアウト・マーモセットの作出について概説してきたが、これらの技術を用いてより多く
の疾患に対応したトランスジェニック・マーモセットの作出法を確立し、ヒト疾患モデル動物として
創薬研究に使用できるようにしたいと考えている。
203
第2章
【参考資料】
1)
(財)ヒューマンサイエンス振興財団、平成24年度創薬技術調査ワーキンググループ、ヒアリ
ング記録、公益財団法人実験動物中央研究所 応用発生生物研究室 佐々木 えりか氏、
2012年8月1日、非公開
2)
Poswillo DE, Hamilton WJ and Sopher D. The marmoset as an animal model
for teratological research. Nature. 1972;239:462-464.
3)
Sasaki E, Suemizu H, Shimada A, Hanazawa K, Oiwa R, Kamioka M, Tomioka
I, Sotomaru Y, Hirakawa R, Eto T, Shiozawa S, Maeda T, Ito M, Ito R, Kito C,
Yagihashi C, Kawai K, Miyoshi H, Tanioka Y, Tamaoki N, Habu S, Okano H
and Nomura T. Generation of transgenic non-human primates with germline
transmission. Nature. 2009;459:523-527.
204
第2章
2-3-4. 医用モデルブタの研究開発
1)
1) 背景
実験動物としてのブタの利用は、医学、薬学、獣医学、生物学等の分野に広がっている。ブタ
がヒトに類似した生物学的特徴を持つこと、従来使用されてきたイヌ、サル、ネコ等の実験動物に
対して動物愛護の問題があり、数が不足することが理由にある。また近年、特に医学、薬学にお
いて、医用モデルブタの必要性が高まっており、その背景として、欧州において実験動物として
のイヌの使用が全面禁止となり、ブタへの変換が急速に進んでいることが挙げられる。イヌは早く
から実験に用いられ、育種改良されたビーグル犬により精度の高い実験が可能となったが、動物
愛護、動物福祉、コンパニオンアニマルとしての観点からイヌを実験動物とすることに抵抗が強く
なっている。
一方、ブタは食用としての歴史が長く、実験への使用に対して抵抗感が少ない。また、1 年に 2
回、計 20 頭前後を出産し、成長が早い特長を持つ。実験動物として飼育された動物の中では比
較的安価であり、系統が確立され、同腹から多くの個体を入手できることより、実験の精度が高く
なる特長もある。また、ブタはマウス等の従来から用いられている実験動物よりも、循環器、消化
器において生理学的及び解剖学的にヒトと類似性が高いため、ヒトの疾病や治療法、臓器移植
の研究に適しており、臨床応用が検討されている 2 ) 。この様に、実験動物としての利点を多く備え
ているブタの利用に期待が寄せられている。
循環器
消化器
異種移植
:ヒトの心臓とサイズが近いため心臓手術や、異種移植の実験が行われている。冠
状動脈の分布がヒトと類似し、心筋梗塞に対する薬剤の効果の検討、心血拍出量
のモニター、心不全の研究やステント等の研究、応用が可能である。
:胃噴門部の潰瘍がヒトの場合と類似の原因で起こることから、潰瘍の研究がなされ
ている。消化生理・腸内細菌叢がヒトと類似しているので、新生児におけるウイル
スや大腸菌による腸管感染の疾病も出る動物としても有用とされる。
:脳死状態、あるいは生体の一部からの移植はドナーの数が不足しており、代替と
なる人工臓器は、肝臓や腎臓のような複雑な機能を有する臓器については実現
が困難である。
異種間移植として、ヒトに近い動物であるサル類のヒヒやチンパンジーからの移植が期待される
が、動物愛護、動物福祉においてヒトに近いため批判、抵抗が大きく、数も不足している。ブタは
生理的にも臓器の大きさでもヒトに近く(図 2-3-4-1)、十分に供給可能であり、動物愛護の
観点からも問題が少ない。今後の免疫反応の解決に期待が寄せられている。
205
第2章
図 2-3-4-1.ヒト、ブタ、ウシの内臓の外観比較
(生物研 大西彰氏提供)
モデルブタの実験は主に以下の 3 種に分類され、特に免疫不全ブタの開発が活発になされて
いる。
・異種移植用モデル
・再生医療モデル
・疾患モデル
:糖鎖改変や補体制御したものでブタ臓器を提供する。
:免疫欠損させたブタにヒト幹細胞を入れヒト型の臓器・抗体を作製す
る。
:遺伝子改変によりマウスで再現できない病気を作る。
2) 医用モデルブタの現状
実験動物としての医用モデルブタの開発は、欧州では比較的順調に進展しているのに対し、
日本ではある程度普及しているが、普遍的に利用されるまでには至っていない。実験用には個
体を小さくする必要がある。ミニブタは大きいブタとミニブタとの交配により産生可能であり、現在、
高脂血症モデルブタ等、必要とするモデルブタを作製後にミニブタを作出する方法が進められて
いる。理由として、普通のブタが 1 回で 13 頭生むのに対しミニブタはその半分の 6 頭しか産めな
いという繁殖能が低い点にある。体細胞クローン技術がミニブタにも応用できるが、産出数が多
い方が成功率は高くなるため、ミニブタ化はクローン化後に行われている。
価格の問題として、普通のブタは 1~2 万円程度に対し、ミニブタは、1頭 15 万円と比較的高
価である。許諾されたブリーダー以外が自家繁殖することは違法となるため、普通のブタから必
要に応じてミニブタが作製されている。米国でも同様な方法を採用している。
医用モデルブタとして、まず、ゲッチンゲンミニブタが広く知られているが、これは、デンマーク
のエレガード社が開発し中外製薬が導入した。現在はオリエンタル酵母工業(株)が長野県伊那
市で飼育中である(http://www.oyc-bio.jp/)。日本で作製されたミニブタは主に 2 種類あり、1
つは鹿児島県伊佐市の(株)ジャパンファームが飼育するクラウン系ミニブタ。鹿児島大学名誉
206
第2章
教授 中西喜彦氏らにより開発された品種で、ゲッチンゲン系ミニブタ、オーミニ系ミニブタの F1、
ランドレース、及び大ヨークシャーの F1 を交雑した系統である(http://www.japanfarm.co.jp/
group/crown1. html)。もう1つは山梨県北杜市小渕沢にある日生研(株)が供給する NIBS
系ミニブタ。(財)日本生物科学研究所により開発された品種で、ピットマンムーア系ミニブタ、台
湾小耳種、及びゲッチンゲン系の三系統のミニブタを起源とする小型で均整のとれた白毛色のミ
ニブタである(http://www.jp-nisseiken. co.jp/kobuchisawa/ index.html)。また、富士マ
イクラ(株)が静岡県富士宮市でミニブタよりも小型のマイクロミニブタを作製している
(http://www. fujimicra.co.jp/ index.html)。
3) 遺伝子組み換えブタの作出方法
遺伝子組換えが数多く行われているマウスの場合、受精後の胚の一部から取り出された細胞
を、特殊な条件下で培養して得られる ES 細胞が用いられる。ES 細胞に対して遺伝子組換えを
行い、その後、組み換えられた ES 細胞から個体が再生される(前核注入法)。一方、ブタの場合、
長年の研究にもかかわらず、実用的な ES 細胞はなく、遺伝子ノックアウトブタの作製は成功して
いない。そこで、ヒツジ、ヤギ、ウシ、マウス等の大型哺乳類で用いられる体細胞クローン技術(核
移植)を適用した体細胞クローンブタの作出を生物研の大西らのグループと米国の研究グルー
プが検討し成功をおさめ、2000 年に両者が論文発表した 3 )4 ) 。
ES 細 胞 で は な く 、 体 細 胞 ク ロ ー ン 技 術 を 採 用 し た 理 由 は 、 そ の 作 出 効 率 の 高 さ に あ る 。
Schnieke らの報告 5 ) から示されるように(表 2-3-4-1)、ヒツジ1頭の組換え体の作出に要す
る頭数が、前核注入法では 50 頭程度必用なのに対し、核移植ではその半数で十分である。大
型動物にかかる人員・コストを考えると、この半数のメリットは非常に大きい。加えて、前核注入法
ではヒツジ約 3,000 頭から 56 頭(4.4%)の組換え体が生まれるのに対し、核移植の場合は体細
胞を経由するので、遺伝子導入について選択が可能であるため 104 頭から 5 頭の組換え体
(100%)が得られる点も大きな利点となる。
表 2-3-4-1. 核移植による遺伝子組み換え生物の作出効率
(生物研 大西彰氏提供)
(生物研 大西彰氏提供)
207
a
第2章
体細胞クローン法には大きく 2 つの流れがある。1 つは卵の準備であり、卵巣から卵子を 500
~600 個摘出する。もう 1 つは、胎児由来の繊維芽細胞への遺伝子の導入である。この遺伝子
導入された繊維芽細胞の核を、あらかじめ除核した卵子の中に移植する。核移植した胚に電気
刺激を加え胚移植すると、例えば GFP( Green Fluorescent Protein) 遺伝子を導入した場
合、100%の確率で、緑色に光るブタが生まれる。遺伝子組み換えには、組換え遺伝子を GFP
を指標として選択した。
ヒト補体制御因子(hDAF)の組換えブタ
生物研の大西らは、ヒト補体制御因子(hDAF)組換えブタの作出を試みた。
遺伝子導入した繊維芽細胞をフローサイトメトリーにより分析すると、ほとんどの細胞は遺伝子
が組み込まれても発現しない(図 2-3-4-2)。そのため、発現量の多い少数の細胞(点線の
円で囲われた部分)をセルソーターで分離し、再度培養して核移植を行う。この方法により、ヒト
補体制御因子(hDAF)を高発現したクローンブタの作製に成功した。
図 2-3-4-2. 任意の遺伝子組換えブタ作出
(生物研 大西彰氏提供)
血管内皮細胞のフローサイトメータによる分析を図 2-3-4-3 に示す。左が非組換えブタ、
中央がヒトのコントロール、右が組換えブタのピークを示しており、高い hDAF の発現が組換えブ
タに確認された。また、組換えた遺伝子の子孫への継体も重要であるが、検証した結果、子孫全
てに元親と同じ遺伝子が発現することが確認された。マウス ES 細胞の場合、組換え遺伝子の入
った細胞と組換え遺伝子のない細胞が混在して生まれるが、ブタの体細胞クローン法の場合、サ
ザン解析においても子孫の全てに目的遺伝子は発現しており、子孫への遺伝子の継代の確実
性が体細胞クローン法を用いる最大のメリットと考えられている。
208
第2章
図 2-3-4-3.フローサイトメータによるhDAF発現の確認
(生物研 大西彰氏提供)
体細胞クローン法の長所は以下の 4 点である。

導入遺伝子を発現する個体が細胞を選択することによりある程度確実に得られる

任意の遺伝子発現が可能

導入遺伝子が確実に子孫に伝わる

遺伝子ターゲッティングによりある特定遺伝子を喪失させることが可能
4) 免疫不全ブタの作製方法
免疫不全ブタ作製の目的は、ヒト化マウスをブタで行うことにある。つまり、免疫不全マウスにヒ
トの細胞や組織を移植して作製される、腫瘍モデル、感染症モデル、ヒト免疫・造血系モデル、
及びヒト臓器保有モデル等を、大型動物に適応するニーズに応えるものである。ヒト肝臓を有す
るヒト肝キメラマウスは、既にヒト特有の肝炎ウイルスの研究等に用いられている。ブタにおいても、
ヒト肝臓保有ブタは東大医科研で既に行われ成功している。しかしながら、ヒトの肝細胞を静脈内
から移植する方法を採用するため、ヒト肝臓保有ブタのヒト型肝臓の内部の血管はブタ由来となり
拒絶反応が存在する。この観点から異種移植の研究は重要となる。また、体外では培養できない
研究・薬理試験用ヒト Hepatocyte(肝細胞)の作製が免疫不全ブタにより可能になると考えられ
る。
大西らは、免疫不全ブタの作製の際に、クローン胚の作製を通常の方法で行わなかった。そ
の理由は、培養細胞へのベクター導入から PCR による組換え細胞選択まで1カ月半かかること、
ES 細胞とは異なりブタ胎児由来の線維芽細胞は、初代培養から1カ月半で細胞の増殖が遅くな
ってしまう点にある。また遺伝子のノックアウトの確認が PCR の段階では不確定でありサザン解
析を必要とするが、この解析には大量の細胞が必要となる点も考慮した。そこで、最初に核移植
を行い、遺伝子が導入された胎児を選択した後、この個体の細胞の核を用いてクローン胚の作
製を行うことを選択した。クローン胎児からであれば、サザン分析の細胞量に問題はない。手間
ではあるが、この方法で確実にクローンブタが得られた(図 2-3-4-4)。
209
第2章
免疫不全クローンブタの作出法
培養細胞へのベクター導入
PCRによる組換え細胞の選択
クローン
胎児
クローン胚の作製
クローン
免疫不全クローン
ブタの誕生
サザン解析
図 2-3-4-4.免疫不全クローンブタの作出法
(生物研 大西彰氏提供資料より一部改変)
5) Il2rg 遺伝子を欠失させた免疫不全ブタ
免疫不全ブタの作製を目的として、免疫不全を引き起こす、X 染色体に存在する共通サイトカ
イン・レセプター遺伝子「Il2rg 遺伝子」を標的遺伝子として選択した(図 2-3-4-5)。この遺
伝 子 の 機 能 を 消 失 す る と 、 Il2rg 遺 伝 子 産 物 を 共 通 ド メ イ ン と し て 持 つ 、IL-2 , IL-4 ,IL-7 ,
IL-9,IL-15 及び IL-21 が一度に同時に産出されなくなる。これらのサイトカインは、免疫細胞
であるT,NK, B 細胞の分化増殖に重要な働きを持ち、これらを欠失させることで X-SCID 免疫
不全ブタの作製が可能であるか検討した。
図 2-3-4-5. Il2rg 遺伝子と各種サイトカイン分子の関係
(生物研 大西彰氏提供)
210
第2章
Il2rg 遺伝子は、性染色体の X 染色体上に位置するため、機能を喪失した Il2rg 遺伝子を X
染色体上にもつ雄は Il2rg 遺伝子を持たず、一方、雌は片方の X 染色体上の Il2rg 遺伝子が
機能を喪失しても、もう一方の X 染色体上が正常な Il2rg 遺伝子を持つヘテロ型になると予想さ
れた。クローンブタ後代では、ホモ欠損型は、ヘテロ型とは異なり胸腺が消失することが検証され
た。また、フローサイトメトリーにより免疫細胞の状態から調べたところ(図 2-3-4-6)、ホモ欠
損型では野生型と異なり T 細胞、NK 細胞は消失しており胸腺の有無と相関した。一方で、胎児
期には肝臓で、生後は骨髄で作られる B 細胞はホモ欠損型でも残存した。
図 2-3-4-6.Il2rg 遺伝子をノックアウトしたクローンブタ後代の末梢血中免疫細胞の状態
(生物研 大西彰氏提供)
次に、抗体産生能について、IgG, IgA, IgM の産生量を確認した。母乳に由来する IgG,
IgA は、生まれた子ブタも最初から備えているが、約 4 週間経過すると全て消失した。その後、野
生型、ヘテロ型では自分で作り始めるが、免疫不全ブタは IgG, IgA, IgM を産生できず、7 週間
後でも増加しなかった(図 2-3-4-7)。これらの結果より、免疫不全ブタは B 細胞は残存する
がイムノグロブリンを産生できないため、抗体を産生する能力はないと考えられた。
結果を要約すると以下の 3 点となる。
・ Il2rg を欠損する免疫不全ブタの開発に成功
・ 免疫器官である胸腺が欠失
・ 主要なリンパ球を欠失し、抗体が作られない
これらより、共通サイトカイン・レセプターである、 Il2rg 遺伝子を欠損した免疫不全クローンブタ
の作製が確認された 6 ) 。
211
第2章
図 2-3-4-7. Il2rg 遺伝子をノックアウトしたクローンブタ後代のイムノグロブリン産生能
(生物研 大西彰氏提供)
6) 免疫不全ブタへの骨髄移植
免疫不全ブタへの骨髄移植の検討を行った。この検討により、免疫機能を免疫不全ブタに与
えることができれば、将来的にヒトの細胞を移植して免疫系をヒトに置き換えることができる可能性
がある。骨髄の抑制は、マイルドな前処置を行った条件と前処理を行わない条件を検討した。骨
髄抑制は、放射線等で顆粒球を死滅させ細胞の生着をよくする為に行うが、この方法はブタには
適用できなかった。そこで、老人や子供等に適用されている骨髄非破壊的なマイルドな前処置
移植手法を採用した。
前処理を施さなかった場合、骨髄系の細胞、顆粒球・マクロファージのピークは残存したが、T,
B, NK 細胞のピークは消失した。移植後は、移植後の骨髄が T, B, NK 細胞を作り出し、リンパ
系が回復し自ら抗体を産生できるようになり、移植の成功が確認された(図 2-3-4-8 左)。
前処理を施した場合、GFP 発現骨髄細胞を移植した免疫不全ブタにおいて顆粒球が下がっ
た。前処理を行ったためキメラにならず、T, B, NK 細胞もドナー由来のピークのみが検出され、
免疫不全ブタ由来のピークは消失した(図 2-3-4-8 右)。
骨髄移植した雄より精液を採取し、ヘテロ型欠損雌(Il2rg-/+)へ人工授精した結果、ホモ型
欠損の雌(Il2rg-/-)が誕生した。
前処理なし
前処置あり
図 2-3-4-8.免疫不全ブタへの骨髄移植の検討(前処理ありと前処理なし)
(生物研 大西彰氏提供)
212
第2章
7) 生殖細胞の保存方法
細胞生物学研究や畜産業界において、細胞、精子・卵・受精卵の凍結保存は無くてはならな
い技術として広く使用されている。現在では、世界中の細胞バンクにて種々の株化細胞などが凍
結保存されている。凍結保存後の生存率が低いという問題点を抱える細胞は、ヒト ES/iPS 細胞
など多く存在するが、ブタの生殖細胞の保存法に関しても、精子についてはほぼ確定しているが、
受精卵についてはまだ技術が固まっていない状況にある。
細胞懸濁液に凍結からの保護を目的としてジメチルスルホキシド(DMSO)やグリセリン等を添
加し、フリーザー中で凍結する方法は、簡易にできることから研究室や細胞バンクなどで良く用
いられる。しかし、受精卵などは凍結の際の細胞内外の氷晶形成によるダメージが無視できず、
解凍後の生存率が非常に低い。そのような細胞にはガラス化法と呼ばれる特殊な凍結法が用い
られている。ガラス化法では水を結晶化させずにガラス状態で固化、凍結する方法である。
ガラス化凍結保存法をブタに適用し、19 個の GFP 遺伝子導入移植胚を凍結融解し生産を行
った。その結果、11 頭の子ブタが生まれ、この中の1頭に GFP が発現せずに光らない子ブタが
存在した。このブタは凍結融解後に緑色に光らなかった胚(図 2-3-4-10 左)に対応した。
遺伝子組換え胚凍結保存技術の開発
埼玉県農林総合研究センター畜産研究所との共同研究
産子の遺伝子型
ガラス化保存胚の移植成績
移植
胚数
仮親
頭数
妊娠
頭数
産子数
19
1
1
11
GFP
♂
♀
計
+
3
7
10
-
1
0
1
計
4
7
11
凍結融解後の胚
ガラス化保存したGFP発現胚由来産子の生産に成功
図 2-3-4-10.遺伝子組換え胚凍結保存技術の開発
(生物研 大西彰氏提供資料より一部改変)
213
第2章
8) 医用モデルブタの今後
実験用のブタはまだ日本では開発段階であり普及していない。普及への重要な課題として、
飼育管理技術者不足がある。実験用ブタ普及のための課題は以下の4項目が提起されている。
① 飼育管理技術の確立
微生物学的制御
栄養学的制御
飼育環境期中の整備
② 飼育管理を含む専門技術者の養成
③ 実験動物としての基準設定
④ 啓もう活動の強化
【参考資料】
1)
(財)ヒューマンサイエンス振興財団、平成24年度創薬技術調査ワーキンググループ、ヒアリ
ング記録、独立行政法人農業生物資源研究所 医用モデルブタ研究開発ユニット 大西 彰
氏、2012年12月14日、非公開
2)
波岡 茂郎: ブタ・アラカルト(4) 実験動物としてのブタ・I: All About Swine, 22・23: 8-10
(2003)
3)
Onishi A., Iwamoto M., Akita T., Mikawa S., Takeda K., Awata T., Hanada H.,
Perry AC.: Pig cloning by microinjection of fetal fibroblast nuclei.: Science,
289: 1188-1190 (2000)
4)
Polejaeva IA., Chen SH., Vaught TD., Page RL., Mullins J., Ball S., Dai Y.,
Boone J., Walker S., Ayares DL., Colman A., Campbell KH.: Cloned pigs
produced by nuclear transfer from adult somatic cells.: Nature.: 407, 86-90
(2000)
5)
Schnieke AE., Kind AJ., Ritchie WA., Mycock K., Scott AR., Ritchie M., Wilmut
I., Colman A., Campbell K H.: Human factor IX transgenic sheep produced by
transfer of nuclei from transfected fetal fibroblasts.: Science, 278: 2130-2133
(1997)
6)
Suzuki S., Iwamoto M., Saito Y., Fuchimoto D., Sembon S., Suzuki M., Mikawa
S., Hashimoto M., Aoki Y., Najima Y., Takagi S., Suzuki N., Suzuki E., Kubo M.,
Mimuro J., Kashiwakura Y., Madoiwa S., Sakata Y., Perry AC., Ishikawa F.,
Onishi A.: Il2rg Gene-Targeted Severe Combined Immunodeficiency Pigs.:
Cell Stem Cell, 10: 753–758 (2012)
214
第3章
第 3 章 社会・行政・企業等の動向
3-1.日本再生戦略
1) はじめに
日本再生戦略は、『~フロンティアを拓き、「共創の国」へ~』を掲げ、平成 24 年(2012 年)7
月 31 日に閣議決定され、内閣官房国家戦略室によって公表された 1 ) 。
日本再生戦略の趣意・目標は、『私たちは、世界に先駆けて様々な困難に直面しています。こ
の困難を日本にとってのフロンティアとして、勇気を持って切り拓いていくことで、世界に範を示
す社会を築くことがこの「日本再生戦略」の目標である。そのために、政府、地方自治体、企業、
共同体、個人といった多様な主体が持っている能力や資源を最大限に引き出し、新しい価値を
創り出す「共創の国」を築きあげていきます。』とされている
2) 。
日本再生戦略は、グリーン(エネルギー・環境)、ライフ(健康)、農林漁業(6 次産業化)の重点
3 分野と、担い手としての中小企業を加えた 4 つのプロジェクトで成り立っている。
このうちライフ分野に関しては、-世界最高水準の医療・福祉の実現プロジェクト-を掲げ、①
医療、介護、生活支援サービス等の包括提供、②革新的医薬品・医療機器の創出、③医療シス
テム等の海外展開、に取り組むとしている。
2) ライフ分野-世界最高水準の医療・福祉の実現プロジェクト- 1)
2020 年までの目標:50 兆円の需要創造と 284 万人の雇用創造
我が国の医療は世界的にも平均医療の水準の高さなど強みを有しているが、今後は高齢社会
の中で、どこに住んでいても、その人にとって適切な医療・介護サービスが受けられる社会を実
現する。同時に、できる限り住み慣れた地域で在宅を基本として生活を継続し、地域社会の中で、
医療、介護、予防、住まい、生活支援サービスを包括的に受けることができる社会を実現する。
また、公的保険で対応できない分野についても、民間活力を生かし、その創意工夫において、
多様なニーズに対応したサービスを創出・提供することにより、きめ細かなサービスを実現し、医
療・介護サービスを利用しつつ、地域で豊かな生活を送ることができる社会を実現する。
さらに、グローバル経済で高付加価値化を図って勝ち抜いていくためには、将来の我が国の
成長産業として医薬品・医療機器産業は重要な位置づけを占めることが期待される。国民に世
界最高水準の医療を提供し続けるためには、革新的医薬品・医療機器を世界に先駆けて創出す
るとともに、再生医療や個別化医療のような世界最先端の医療分野で日本が世界をリードしてい
く。加えて、高齢者の生活の質の向上、介護・福祉現場等における負担軽減、効率化、介護サー
ビスの進化のため、我が国が有するロボット技術等を活用し、多様な医療機器、福祉機器を開発
し、我が国の新しいものづくり産業の創出に貢献する。
我が国は世界でも高齢化の進展で先頭を走っており、これらの取組を進め、日本の医療の強
みをいかして弱みを克服した新たな医療システムを構築し、積極的に日本の医療を世界に発信
していくことで、高齢化に対応した先進的な事例と評価される可能性を秘めており、医療サービ
スと医療機器が一体となった海外展開や医療・介護システムをパッケージとした海外展開など医
療産業の市場を広く海外に展開し、大きな成長を目指す 3 ) 。
ライフ分野の成長戦略として以下の目標が挙げられている。
215
第3章
【2020 年までの目標】
医療・介護・健康関連サービスの需要に見合った産業育成と雇用の創出:新市場約 50 兆
円、新規雇用 284 万人
(うち革新的医薬品・医療機器の創出並びに再生医療、個別化医療及び生活支援ロボットの
開発・実用化、先端医療の推進による経済波及効果:1.7 兆円、新規雇用 3 万人、健康関連サ
ービス産業:市場規模 25 兆円、新規雇用 80 万人)
海外市場での医療機器・サービス等ヘルスケア関連産業での日本企業の獲得市場規模約
20 兆円
【2015 年度の中間目標】
創薬支援ネットワークによる支援対象の検討シーズ数累積 100 件
治験届出数 800 件(うち国際共同治験数 150 件、医師主導治験数 20 件)
新医療機器承認数 30
ヒト幹細胞を用いた研究の臨床研究又は治験への移行約 10 件
医療・介護機関と連携した医療・介護周辺サービス市場 1 兆円
医療・介護・健康関連産業を真に日本の成長産業とし、医療・介護サービスの基盤強化を図り、
世界最高水準の医薬品・医療機器を国民に迅速に提供するため、「医療イノベーション 5 か年戦
略」(平成 24 年 6 月 6 日医療イノベーション会議決定)の着実な実施等により、関連する規制・
制度改革を進め、引き続きドラッグラグ、デバイスラグの短縮に取り組むとともに、日本のものづく
り力をいかした革新的医薬品・医療機器・再生医療製品やリハビリ・介護関連機器等を世界に先
駆けて開発し、積極的に海外市場へ展開する。
3) ライフ成長戦略における重点施策 4) 5 ) 6) 7 )
① 重点施策 1:革新的医薬品・医療機器創出のためのオールジャパンの支援体制、臨床研
究・治験環境の整備
4)
医薬基盤研究所を中心とする創薬支援ネットワークを作ることで、日本の弱みであった基礎研
究から実用化までの橋渡し機能を強化することとしている。また、医療機器については、医学分
野と工学分野の連携により開発力を強化し、複数の病院のネットワークの中核として高度かつ先
進的な臨床研究を中心となって行う臨床研究中核病院の整備。長期間にわたる研究開発を促進
するため創薬関連の研究開発予算を効率的、一体的に確保及び執行するとしている。
さらに、2020 年には、がん等の治療ニーズの高い領域を中心とした革新的医薬品、海外でも
利用される医療機器が創出される日本を実現するとしている。
【中間目標】
創薬支援ネットワークによる支援対象検討シーズ数累積 100 件、治験届出数 800 件、新医
療機器承認数 30
【2020 年までの目標】
革新的医薬品・医療機器の創出並びに再生医療、個別化医療及び生活支援ロボットの開
発・実用化、先端医療の推進 経済波及効果 1.7 兆円、新規雇用 3 万人
216
第3章
実施内容は以下のとおりである。
[オールジャパンの創薬支援体制の整備(創薬支援ネットワーク)]

基礎研究から実用化までの切れ目ない支援
[医療機器の開発、医療サービスと一体となった海外展開]

医工連携の推進

医療国際化を目指す医療機関と医療機器メーカーの事業組成のサポート
[質の高い臨床研究・治験環境の整備]

臨床研究中核病院等を 15 か所整備

複数病院のネットワーク化
[創薬関連の研究開発予算の効率的、一体的な確保及び執行]
[迅速に審査できる体制の強化]

医薬品医療機器総合機構の審査員の増員と質の向上、相談機能の拡充
重点施策 1 では、がん、難病、肝炎、感染症等の研究開発の重点領域を中心に大学等の基
礎研究における優れた成果等を確実に実用化につなげる一貫した支援を行う。具体的には、医
薬基盤研究所が中心となる創薬関連研究機関等による創薬支援ネットワークを構築し、同研究
所がその本部機能を担うのに必要な体制強化や業務運営ルールの策定等を行う。同ネットワー
クについては、今年度から取組を開始し、2014 年度には構築を完了する。医療機器については、
医工連携等による拠点整備・開発並びに医療サービスと一体となった海外展開等を推進する。
また、国際水準の臨床研究や難病等の医師主導治験の実施体制を整備するため、複数病院
か ら な る 大 規 模 ネ ッ ト ワ ー ク の 中 核 と し て 多 施 設 共 同 研 究 の 支 援 を 含 め た い わ ゆ る ARO
(Academic Research Organization)機能を併せ持つ臨床研究中核病院等を 2013 年度ま
でに 15 か所程度整備する。
そ し て 、長 期 間 に わ た る 革 新 的 医 薬 品 の 研 究 開 発 を促 進 す る た め 、米 国 NIH ( National
Institutes of Health USA)の取組を参考にして、文部科学省、厚生労働省、経済産業省の
創薬関連の研究開発予算の効率的、一体的な確保及び執行について、関係府省において
2012 年度から検討を開始し、必要な措置を遅くとも 2014 年度までに講じる。
加えて、審査迅速化や実用化の加速を目指し、医薬品医療機器総合機構の審査・安全対策
要員の増員や質の向上、相談機能の拡充を図り、その役割にふさわしい財政基盤や審査手数
料の在り方の検討を行う。
② 重点施策 2:医療機器・再生医療の特性を踏まえた規制・制度の確立、先端医療の推進 5 )
医療機器、再生医療それぞれの特性を踏まえた制度改正(薬事法改正等)を進め、実用化を
促進する。iPS 細胞研究など、再生医療の研究開発から実用化までを一貫して支援し、先端医
療推進のための環境も整備する。さらに、2020 年には、医療機器の審査が迅速化・合理化され
るとともに、世界に先駆けて再生医療が本格的に実用化された日本を実現することとしている。
217
第3章
【中間目標】
新医療機器承認数 30、審査期間 14 か月 ヒト幹細胞を用いた研究の臨床研究等への移行
数約 10 件、機関特区の採択数 25 件以上
【2020 年までの目標】
革新的医薬品・医療機器の創出並びに再生医療、個別化医療及び生活支援ロボットの開
発・実用化、先端医療の推進 経済波及効果 1.7 兆円、新規雇用 3 万人
実施内容は以下のとおりである。
[医療機器の特性を踏まえた制度改正]

薬事法改正法案の提出

登録認証機関を活用した承認・認証制度の拡充(後発医療機器等)
[再生医療の研究開発から実用化までの一貫した支援]

iPS 細胞等の研究に対する集中的支援
[再生医療の特性を踏まえた実用化の仕組みの構築]

再生医療推進上の課題や仕組みの検討

薬事法改正法案の提出

医療としての再生医療の安全性確保と実用化の仕組みの構築
[先端医療を推進する環境整備]

機関特区創設等の検討
重点施策 2 では、医療機器の審査の迅速化・合理化を図るため、薬事法について、次期通常
国会(2013 年度)までの改正法案提出を目指して医療機器の特性を踏まえた制度改正を行い、
医薬品から別章立てするとともに、後発医療機器等を対象に登録認証機関を活用した承認・認
証制度の拡充を行う。また、制度改正に先立ち、関係者の意見も十分に聴取しつつ、審査迅速
化・質の向上に向け、承認基準、審査ガイドラインの策定等の運用改善を実行に移すための取
組を行うとしている。
再生医療については、世界に先駆けて本格的に実用化することにより、世界的に優位な産業
として成長させるため、10 年程度で世界最先端の iPS 細胞等の安全性や標準化の確立を目指
す研究に対して、成果や進捗状況等を踏まえた集中的な支援を行うなど、早期にできる限り多く
の実用化の成功事例創出に取り組む。また、再生医療の開発・実用化に必要な装置等の周辺産
業を含めた関連産業の国際競争力強化等の産業振興に資する取組を行う。あわせて、実用化を
加速するため、再生医療研究等の実情の把握に基づいた再生医療推進に係る課題や仕組みの
検討を踏まえ、薬事法改正法案の次期通常国会(2013 年度)までの提出を目指す等、再生医
療製品の特性を踏まえた規制を構築するとともに、医療として提供される再生医療についても、
薬事規制と同等の安全性を十分確保しつつ、実用化が進むような仕組みの構築について 2012
年度から検討を開始し速やかに実施することとしている。
また、先端医療等を推進する突破口として、現在実施されている先端医療開発特区(スーパー
特区)における成果も踏まえ、大学病院、企業、研究開発機関等の先進的な取組を行う機関が
全国的な規模で活動ができるよう、行政区域単位の特区とは異なる機関特区の創設、規制の特
218
第3章
例措置や税制・財政・金融上の支援措置の活用について、新たな法的措置も視野に入れた検討
を進めることとし、当面は総合特区制度の活用により対応を図る。
③ 重点施策 3:15 万人規模のバイオバンクによる東北発の次世代医療等の実現 6 )
被災地住民を主な対象とした健康調査を実施し、15 万人規模の大規模バイオバンクを構築。
住民の健康管理に貢献するとともに、個別化医療実現のための基盤を整備する。
2020 年には、個々人に適した、有効かつ副作用の少ない医療(個別化医療)、さらには疾病
の予防(個別化予防)が進んだ日本を実現することとしている。
【中間目標】
15 万人規模のバイオバンク整備(2016 年度まで、東北メディカル・メガバンク計画)全国の
コホート研究、バイオバンク事業の連携・協力機関数 10 機関以上
【2020 年までの目標】
革新的医薬品・医療機器の創出並びに再生医療、個別化医療及び生活支援ロボットの開
発・実用化、先端医療の推進 経済波及効果 1.7 兆円、新規雇用 3 万人
実施内容は以下のとおりである。
[個別化医療推進のためのインフラ整備]

東北メディカル・メガバンク計画の推進

東北以外の健常者・疾患コホート研究・バイオバンクの推進と連携

医療情報連携基盤の整備
[遺伝情報の適切な取扱い]

制度のあり方について検討・必要な措置の実施
[個別化医療を支える新たな医薬品・医療機器の開発]

分子標的薬とコンパニオン診断薬の同時開発推進
重点施策 3 では、東日本大震災の被災地住民を主な対象とした健康調査を実施し、地域医療
機関間を結ぶ医療情報ネットワークと連携しつつ、15 万人規模の大規模バイオバンクを構築す
る。健康調査を通じて住民の健康管理に貢献するとともに、オールジャパンの協力体制の下、バ
イオバンクを用いた解析研究により個別化医療等を実現するための基盤を整備し、東北発の次
世代医療の実現の起点とする。
また、東北メディカル・メガバンク計画においては、個別化医療等の実用化に向けて、東北メ
ディカル・メガバンク計画を中心として、それぞれの健常者・疾患コホート研究(集団の追跡研究)
やバイオバンクの取組及びその相互連携を推進するとともに、患者・住民の医療健康情報を安
全かつ円滑に収集・蓄積・共有するための医療情報連携基盤を整備する。
④ 重点施策 4:ロボット技術による介護現場への貢献や新産業創出/医療・介護等の周辺
サービスの拡大 7 )
高齢者や介護従事者といった現場のニーズに応えるロボット技術の研究開発や実用化のため
の環境を整備し、公的保険外の医療・介護周辺サービスを拡大し、国内の潜在需要を掘り起こし、
219
第3章
地域における医師確保を推進し地域医療を再生するとしている。
2020 年には、介護ロボットが高齢者の自立、現場の負担軽減に貢献するとともに、公的保険
外の周辺サービスが拡大している日本を実現することとしている。
【中間目標】
特定分野の介護ロボットの導入台数 1,000~5,000 台、医療・介護機関と連携した医療・介
護周辺サービス市場 1 兆円
【2020 年までの目標】
革新的医薬品・医療機器の創出並びに再生医療、個別化医療及び生活支援ロボットの開
発・実用化、先端医療の推進 経済波及効果 1.7 兆円、新規雇用 3 万人、健康関連サービス
産業市場規模 25 兆円、新規雇用 80 万人
実施内容は以下のとおりである。
[大学、研究機関、企業等が介護現場と連携したロボット技術の研究開発・実用化のための環境
整備]

重点分野の特定

介護現場と開発現場のマッチング支援
[生活支援ロボットの安全性確保]

安全性・評価手法の確立
[海外市場展開に向けた国際標準化]

介護ロボット等の海外実証実施

対人安全に関する国際基準策定
[公的保険外の医療・介護周辺サービスの拡大]

ヘルスケア関連分野の製品製造やサービス提供事業の促進
重点施策 4 では、高度なものづくり技術を有する大学、民間研究機関、企業等と介護・福祉現
場の連携を促進し、高齢者や介護従事者等の現場の具体的なニーズに応えるロボット技術の研
究開発や実用化のための環境整備を図る。また、重点分野を特定した上で、安全性や性能の評
価手法を確立し、適切な実証の場を整備する。
さらに、国内における早期普及を目指し、生活支援ロボットの安全性等の認証体制構築等の
公的支援・制度的措置を講じるとともに、介護ロボット等の海外実証実施など海外展開に向けた
国際標準化の支援や、必要に応じて公的給付への適用の検討等を行う。あわせて、公的保険外
の医療・介護周辺サービスを拡大する。
これにより、高齢者の自立支援と生活の質の向上、介護・福祉現場等における負担軽減、我が
国の新しいヘルスケア産業やものづくり産業の創出に貢献するとともに、高齢化社会に向かって
いるアジアを中心とした海外の需要も獲得する。あわせて、課題対応事業促進法等を活用したヘ
ルスケア分野等における製品製造やサービス提供事業の支援を通じて国内の潜在需要を掘り起
こす。
また、疾病予防、介護予防やリハビリテーションに更に取り組むとともに、より効率的で質の高
い医療提供体制の構築を目指して、地域の医師偏在を解消し、医師不足地域の医師確保等を
行う地域医療支援センターの活用等により、地域における医師確保の推進、地域医療の再生を
果たす。
220
第3章
3-2.健康・医療戦略室
1) 医療イノベーション室の廃止
平成 24 年(2012 年)6 月 6 日に開催された第 5 回医療イノベーション会議において、今後の
医療イノベーション推進の具体的施策をとりまとめた工程表となる「医療イノベーション 5 か年戦
略」が内閣官房医療イノベーション推進室により公表された 8 ) 。
この戦略において、医薬品産業を含む医療関連分野は成長産業として位置づけられ、これを
発展させるために革新的な医薬品(再生医療製品を含む)の研究、開発、実用化にかかわる施
策を国として一体的に推進することの重要性がうたわれた。
その後、民主党から自民党への政権交代に伴い、平成 25 年 2 月 22 日付発表で、「医療イノ
ベーション会議」、「医療イノベーション推進室」は廃止され、「医療イノベーション推進室」に代わ
って、「健康・医療戦略室」が設置された 9 ) 。
2) 健康・医療戦略室
2013 年(平成 25 年)に開催された、新政権下の規制改革会議において、経済活性化、民需
主導の経済成長を実現するための、大胆な規制改革を推進する基本方針が確認された。
規制改革会議では、2013 年半ばをめどにワーキング・グループで検討して、成長戦略が取り
まとめられることとされており、設置された 3 つのワーキング・グループの中に「健康・医療ワーキ
ング・グループ」の設置が提案された。
我が国が世界最先端の医療技術・サービスを実現し、健康寿命世界一を達成すると同時に、
それにより医療、医薬品、医療機器を戦略産業として育成し、日本経済再生の柱とすることを目
指すため、平成 25 年 2 月 22 日、「健康・医療戦略室」が内閣官房に設置された 9 ) 。
「健康・医療戦略室」は、医療機器などの医療関連分野を、戦略産業として育成し、日本経済
再生の柱とすることを目指し、体制の強化を図ることとしている。これに伴い、前政権での「医療イ
ノベーション会議」、「医療イノベーション推進室」は廃止された。「健康・医療戦略室」は、官房長
官の直轄組織として、和泉内閣総理大臣補佐官を室長に、厚生労働省、文部科学省、経済産業
省の審議官級の者を次長とする府省横断型の強力な実施体制となることが発表された 1 0 ) 。
3) 規制改革会議での検討
2013 年 2 月 15 日に開催された第 2 回規制改革会議における健康・医療関連の検討内容を
以下に示す 1 1 ) 。
【健康・医療分野の課題】
221
第3章
◇議論の切り口
<健康の増進・医療の充実>【1~5】
・
健康を維持して長生きしたいとの国民のニーズに応えるため、患者の利益に適う最先端
の医薬品、医療機器等を国内で一日でも早く使用可能とするとともに、こうした医薬品、医
療機器等を国際的に展開していく環境の整備を図る観点
<ICTの利活用の促進>【6~12】
・
ICTの活用による国民の利便性の向上、健康の維持・増進及び医療事務の効率化を図る
観点
<介護サービスの向上>【13】
事業経営の透明性の確保及び競争原理を通じた介護サービスの向上を図る観点
具体的な検討項目は以下の通りであった。
(1) 再生医療の推進
(2) 医療機器の承認業務の民間開放の推進
(3) 治験前臨床試験の有効活用
(4) 一般健康食品の機能性表示の容認
(5) 保険外併用療養の更なる範囲拡大
(6) 一般用医薬品のインターネット等販売規制の見直し
(7) レセプト等医療データの利活用促進
(8) 遠隔診療の普及
(9) 特定健診の保健指導におけるICTを活用した遠隔面談の実現
(10)処方箋の電子化
(11)電子カルテシステムの普及促進
(12)医療機関における各種文書の紙媒体による保管の不要化
(13)介護事業の効率化
【規制改革の方向性】
健康・医療分野に関する規制改革の方向性について、規制改革会議 森下竜一委員(大阪大
学大学院 医学系研究科教授)が示した考え方を以下に示す 1 1 ) 。
222
第3章
図 3-2-1.健康・医療分野の規制改革の方向性
(内閣府ホームページ 第 2 回規制改革会議資料より 1 1 ) )
図 3-2-2.医薬品・医療機器における規制改革プレーヤーとサイクル阻害要因
(内閣府ホームページ 第 2 回規制改革会議資料より 1 1 ) )
健康・医療分野に関する規制改革について、森下委員は以下に示す 3 つの提言をしている。
223
第3章
図 3-2-3.森下委員による提言①
(内閣府ホームページ 第 2 回規制改革会議資料より 1 1 ) )
図 3-2-3.森下委員による提言②
(内閣府ホームページ 第 2 回規制改革会議資料より 1 1 ) )
224
第3章
図 3-2-3.森下委員による提言③
(内閣府ホームページ 第 2 回規制改革会議資料より 1 1 ) )
225
第3章
3-3.再生医療への注力
1) 2013 年度予算
2013 年度の政府バイオ関連予算は、2012 年度比 4.9%増の 3,265 億円とされている。政権
交代に伴い、民主党色の強い、医療イノベーション等の施策は見直されることとなった。
そうした中、再生医療関連の予算は大きく伸びている。
2) 再生医療への各省庁の取り組み
①厚生労働省 1 2 )
(1)再生医療、iPS 細胞研究等の推進
革新的医療技術である再生医療の実用化には、安全性・品質の確保が重要な課題で、再生
医療の実用化に向け、研究の促進とともに、国民に正確な情報を提供する必要がある。
iPS 細胞等ヒト幹細胞を用いた再生医療技術の研究開発の基盤を構築するとともに、移植時
の課題である拒絶反応及びがん化に関する研究、並びに移植後の診断検査技術の開発を推進
する。
(2)再生医療の人材育成拠点整備
iPS 細胞など再生医療に用いる細胞の培養・加工や人への移植・投与に携わる人材を育成す
る拠点の整備に乗り出す。再生医療に用いる iPS 細胞や ES 細胞(胚性幹細胞)の樹立・調整に
は、専門的な技術やノウハウが求められ、移植の成否も医師の技量に左右される。
(3)「ヒト幹細胞データベース」の整備や創薬の研究支援の経費
ヒト幹細胞データベースを構築し、ヒト幹細胞に係る情報を広く研究者等に提供することにより
ヒト幹細胞研究を促進するとともに、患者(国民)への情報提供を行う。
iPS 細胞から作られた細胞を用いて医薬品の安全性等を評価するための技術の開発及びヒト
幹細胞を用いた新たな創薬技術の確立を図る。
② 経済産業省
(1) 再生医療等産業化促進事業
経済産業省が2013年度から、ガイドライン未整備により、再生医療製品の薬事審査が長期化
していることから、審査の迅速化を目的に最低限の要求項目を明らかにするため、臨床研究及び
データ分析の委託を行う目的で、2013年度政府予算案で、「再生医療等産業化促進事業」に
10億円が認められた 1 3 ) 。
また、経済産業省は、我が国が強みを有する再生医療の実用化・産業化を促進するとともに、
これを支える各種関連技術分野の充実を図るための制度及び支援のあり方について検討を行う
ため、平成 24 年 7 月から「再生医療の実用化・産業化に関する研究会」を開催してきており、こ
のたび、研究会の最終報告書を取りまとめた 1 4 ) 。
226
第3章
図 3-3-1.再生医療の実用化のための必要な対応
(再生医療の実用化・産業化に関する報告書最終取りまとめ 平成 25 年 2 月、経済産業省 再
生医療の実用化・産業化に関する研究会 1 4 ) )
図 3-3-2.再生医療の周辺産業
(再生医療の実用化・産業化に関する報告書最終取りまとめ 平成 25 年 2 月、経済産業省 再
生医療の実用化・産業化に関する研究会 1 4 ) )
227
第3章
③ 文部科学省
(1) 再生医療実現拠点ネットワークプログラム 1 5 )
iPS 細胞は、再生医療・疾患研究等に幅広く活用されることが期待される我が国発の画期的
成果であり、この研究成果を総力を挙げ育てていくため、オールジャパン体制のもと戦略的に幹
細胞・再生医学研究を推進する。
平成 23 年度から再生医療のいち早い実現化のため、関係省庁が連続的に支援を実施するこ
とが可能な仕組みを構築し、長期間(10~15 年間)、研究開発を支援・橋渡しすることを目指す
「再生医療の実現化ハイウェイ」を実施している。平成 25 年度から疾患・組織別に再生医療の実
現化を目指す拠点を整備することから、再生医療の実現化ハイウェイの既存課題のうち、特に実
用化まで5~7年を見込んでいる課題については、必要に応じてこれらの拠点と連携を取ること
により実用化に向けて更なる加速を行うとともに、課題の実施により得られる知見、ノウハウ等を
拠点に還元することにより拠点の機能強化に繋げる等、実施体制の強化を行う。
(2) 再生医療の実現化ハイウェイ 1 6 )1 7 )
「再生医療の実現化ハイウェイ」は、再生医療の実現」を担っており、文部科学省と厚生労働
省による「研究開発の長期支援・橋渡し」をするプロジェクトである。
短期で臨床研究への到達を目指す再生医療研究(課題 A)では、1~3 年目までに臨床研究
に到達することを目指す、主として体性幹細胞を用いた研究を、中長期で臨床研究への到達を
目指す再生医療研究(課題 B)では、5~7 年目までに臨床研究に到達することを目指す、主とし
て iPS/ES 細胞を用いた研究をそれぞれ想定している。これらの研究が進捗し、臨床研究の実
施が認められた場合には、厚生労働科学研究費の事前評価委員会にて審査する等、文部科学
省と厚生労働省の緊密な連携の元で再生医療の実現化を目指す。
また、再生医療の実現化を目指す研究の支援(課題 C)では、再生医療の実現化に向けて課
題 A、B 及び既に実施している「再生医療の実現化プロジェクト」の課題の実施機関を対象とした
進捗管理、ノウハウ集約等の協力等体制を整備し、生命倫理等の課題の解決に関する研究(課
題 D)では、再生医療の実現化に向けた研究開発における生命倫理上の問題に関して調査・検
討・協力する体制を整備する。
228
第3章
【参考資料】
1)
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/npu/pdf/20120731/20120731.pdf
2)
http://www.npu.go.jp/saisei/index.html
3)
http://www.npu.go.jp/saisei/life/
4)
http://www.npu.go.jp/saisei/life/01.html
5)
http://www.npu.go.jp/saisei/life/02.html
6)
http://www.npu.go.jp/saisei/life/03.html
7)
http://www.npu.go.jp/saisei/life/04.html
8)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/iryou/5senryaku/
9)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/index.html
10) http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201302/22_a.html
11) http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/committee/130215/
agenda.html 第 2 回規制改革会議(平成 25 年 2 月 15 日)
12) http://www.mhlw.go.jp/topics/2012/01/dl/tp0118-1-94.pdf
13) http://www.mof.go.jp/budget/budger_workflow/budget/fy2013/seifuan25/06-2
.pdf
14) http://www.meti.go.jp/press/2012/02/20130222004/20130222004-2.pdf
15) http://www.mext.go.jp/a_menu/hyouka/kekka/1326795.htm
16) http://www.highwayprogram.org/
17) http://www.mext.go.jp/b_menu/boshu/detail/1326263.htm
229
第4章
第 4 章 考察と提言
平成24年度 (財)ヒューマンサイエンス振興財団 開発振興委員会 創薬技術調査ワーキン
ググループは、「創薬基盤技術の最新動向を探る-イメージング技術、高速シークエンサー、新
規モデル動物試験系-」に焦点を当てた調査を実施した。本章では、その調査結果について考
察し、広く社会全般(産学官)に対して以下を提言する。
1) ライフサイエンス産業の振興と基盤的科学技術のボトムアップ
創造的科学技術立国を目指す日本にとって、ライフサイエンス産業の振興は最重要課題であ
る。アカデミアによる iPS 細胞をはじめとした細胞を用いた再生医療の進展は目覚ましく、iPS 細
胞を用いた世界初の臨床研究も開始目前となっている。細胞を用いた再生医療では、細胞の調
整法や品質の評価法の標準化、移植後の安全性や有効性の評価法等まだ未確立の課題も多い。
これら課題を解決しながら着実な推進が重要である。また、産業化を見据えた規制環境の整備も
進みつつあるが、これをさらに加速して再生医療実現の道筋を早期につけるべきである。産業界
は再生医療およびその周辺産業に積極的に参入し、ビジネスモデル構築に取り組む必要があ
る。
一方、iPS 細胞を用いた再生医療への重点的な予算配分の結果、研究資源の偏りによる弊害
が懸念されるようになった。ライフサイエンス産業は、広範な基盤的科学技術の上に成り立つ知
的集約型産業であることを理解しなければならない。国際競争力の高い、安全で有効な医療を
提供するライフサイエンス産業を育成するため、生命科学をはじめ、工学や情報科学等の基盤
的科学技術全般のボトムアップをはかるバランスのとれた振興政策を推進する必要がある。また、
研究者の側は、その時々の研究分野や解析技術等のトレンドに安易に飛びつくことなく、長期的
視野に立って独自性のある研究に取り組むことによって、日本の基盤的科学技術を多様で高水
準に引き上げていくことも重要である。
以上のことから、1)再生医療実現のため、産学官が一丸となった臨床研究から産業化への推
進、2)基盤的科学技術のボトムアップのため、広範な研究領域へのバランスの取れた予算配分
と振興政策の実施、を提言する。
2) 創薬基盤技術の研究開発体制の構築と人材育成
① イメージング技術
SPECT、PET、蛍光プローブ法、2 光子励起イメージング法、MRI, MRS 等のイメージング
技術は、見えないものを見えるようにする技術であると言える。これらは、全て非侵襲的に時空間
情報を取得して解析できる技術であり、生体の状態解析はもちろん創薬や病状の早期診断への
活用も可能な技術である。一般的に、イメージングデータは非常に膨大なデータ量を持ち、それ
らを自在に処理する技術と、目的に応じて取得したデータの中から適切な情報を引き出して利用
する能力が重要となるため、解析機器の性能向上とともにデータの保存・管理に関連するシステ
ムの構築や解析ソフトウェアの開発・改良が望まれる。また、可視化の対象が遺伝子、タンパク質
や様々な代謝産物等と多岐に渡るため、様々な専門分野の研究者や技術者が参画した共同研
230
第4章
究を行うことにより更なる研究の進展が期待される。
現在のこの分野で必要とされる機器システムは高額なものが多く、また、放射性同位元素を使
用する場合は取り扱い規制への対応で高額な施設が必要である。産学官問わず協力して技術
の確立を目指すといった意味からも共同研究による相乗効果が期待される。
以上のことから、イメージング技術の更なる活用・進展のため、1)様々な領域の研究者や技術
者の共同研究により、基礎から臨床研究までの一貫した研究体制の構築、2)ヒト試験に必要な
各種ガイドライン等の整備と放射性同位元素取り扱い規制の適正な緩和、を提言する。
② 高速シークエンサー
高速シークエンサーの登場から 8 年が経ち、生命科学は新たなフェーズを迎えている。すなわ
ち、高速シークエンサーの性能は個人ゲノム解読に要求されるレベルに達しており、ゲノム解析
の医療や創薬への利用が実現しつつある。近い将来、個人ゲノム情報が幅広く診療に導入され、
診断の確定や適切な治療の選択といったパーソナルゲノム医療が実現すると期待される。その
ためには、診療情報をはじめとする臨床情報とゲノム情報の統合的解析が必須であり、ゲノム医
療という全く新しい医療モデルを、産学官にて議論し、構築していく必要がある。
また、ゲノム情報利用における 情報処理の重要性が高まっており、膨大な量のデータを扱うた
めの情報処理インフラの整備や人材の育成が課題となっている。同時に、ゲノム情報の医療への
利用に際しては、倫理的側面や個人情報保護に留意するとともに、ゲノム解析に対する国民的
な理解を得る必要がある。
以上のことから、1)ゲノム解析のためのインフラ整備と人材育成、2)高速シークエンサーを用
いたゲノム解析の推進と医療向けデータベースの整備、3)ゲノム解析に対する国民の理解向上
に向けた施策の実施を、国家戦略として取り組むこと、を提言する。
③ 新規モデル動物試験系
疾患モデル動物は、患者の病態を正確に反映し、革新的医薬品の創出に貢献できるものであ
る。近年の遺伝子改変技術の進歩により、疾患モデル動物の作製が盛んとなっている。体細胞ク
ローンや遺伝子改変技術により、マウスのみならず、新世界ザルであるマーモセットやヒトに臓器
構成が類似するブタのモデル動物化も可能となっている。これらの技術への期待度は大きく、成
長が見込まれる分野である。疾患モデル動物研究の今後の課題は、新しいモデル動物で得られ
たデータをどのようにヒトに当てはめていくかという外挿の問題の解決である。この解決には、モ
デル動物とヒトとの病態の相違や遺伝子機能の動物種差などの山積する課題を一つ一つ解明し
ていくことが求められる。
以上のことから、疾患モデル動物の更なる活用・進展のため、モデル動物を開発する研究者と、
それらを利用する側である産学の研究者が、緊密な共同研究開発に取り組むこと、を提言する。
231
第4章
3) バイオ医薬品の開発基盤整備及び産業育成
2012 年は、世界の医薬品売上トップ 10 のうち、バイオ医薬品が初めて 1 位を占め、更に 7
品目がリストアップされる記念すべき年となった。これは、これまでランクインしていたブロックバス
ターの低分子医薬品がパテントクリフによりランク外になったことに起因するが、一方でバイオ医
薬品の市場が順調に成長し続けていることが大きな要因となっている。また、現在ブロックバスタ
ーとなっている主な抗体医薬品の特許が 2014 年頃から切れることから、これらのバイオ後続品
の市場参入も間近に迫っている。このような世界情勢の中、国内におけるバイオ後続品を含むバ
イオ医薬品の開発基盤は欧米に比べて大きく遅れており、その結果、日本発のバイオ医薬品は
数えるほどしかなく、このままでは日本のバイオ医薬品が成長の機会を失う恐れがある。2013 年
2 月に「健康・医療戦略室」が設置され、「医療、医薬品、医療機器を戦略産業として育成し、日
本経済再生の柱にする」ことが施策の中心に据えられ、具体的な実現に向けて期待が寄せられ
ているが、この成長戦略の一環として、医療経済面で懸念材料となる高コストを改善した革新的
バイオ医薬品の開発及び製造を推進してバイオ医薬品の産業育成を図ることは非常に重要であ
る。
以上のことから、日本発の革新的バイオ医薬品の開発及び製造を促進するため、1)産学官が
協力したバイオ医薬品の開発基盤の早急な整備、開発環境の改善及び支援ネットワークの構築、
2)国際競争力の高い国内製造力の強化、3)バイオ医薬品開発に係わる人材の育成、を提言す
る。
以上
232
あ と が き
(財)ヒュ-マンサイエンス振興財団(HS 財団) 開発振興委員会では、一般事業として創薬技
術調査ワ-キンググル-プ(WG)を組織し、ゲノム科学の創薬への応用等を中心に、医療に係
る科学技術の最新動向の調査活動を行い、その社会的側面や経済的側面も含めた報告書を刊
行し、医療に携わる多くの方々から大きな反響をいただいてきました。
創薬技術調査 WG では、毎年アンケートを実施し、調査活動テーマを決定してきました。平成
24 年度は、提案されたテーマの中から近年の技術的進展が著しい「イメージング技術」「高速シ
ークエンサー」「新規モデル動物試験系」を選択し、甲乙付け難かったため敢えて絞り込むことを
せず、無謀にも 3 テーマで創薬への応用の最新動向について調査することとしました。
また、リプログラミング、糖鎖工学研究、ゲノムコホート研究、バイオ医薬品およびシステムバイ
オロジーなど、医薬品開発全体を取り巻く様々な分野の最新動向も調査しました。
本報告書の構成は、第 1 章で医薬品開発の最新動向を取り上げ、第 2 章ではイメージング技
術、高速シークエンサー、新規モデル動物試験系の創薬応用に関する最新動向について、第 3
章では、日本再生戦略、再生医療など社会・行政・企業の動向についてまとめました。また、第 4
章では、今回の調査を通して浮かび上がった種々の課題について考察し、WG としての提言を
まとめました。
なお、創薬技術調査報告書については、広く一般の皆様方にも情報提供すべく、平成 24 年
度から HS 財団のホームページにおいて web 公開をすることとし、冊子体の刊行は行わないこと
といたしましたので、皆さまのご理解をお願い致します。
最後に、公開にあたりまして、本報告書作成にご協力いただきました皆様に心より感謝申し上げ
ます。
(事務局
233
井口富夫)
これまでに刊行したゲノム科学関連調査報告書

平成5年度 :HSレポート No.22 遺伝子治療ガイダンス資料

平成7年度 :HSレポート No.26 遺伝子治療に関する国内医療関連企業の認識

平成8年度 :HSレポート No.27 遺伝子治療臨床研究の現状と問題点並びに将来動向

平成9年度 :HSレポート No.28 次世代遺伝子治療-DNAワクチンの展望と課題-

平成10年度 :HSレポート No.31 ゲノム創薬-現状と展望-

平成11年度 :HSレポート No.33 ファーマコゲノミクス-臨床応用への展開-
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平成12年度 :HSレポート No.34 ゲノム医療への展望-ファーマコプロテオミクスに向けて-
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平成13年度 :HSレポート No.36 ゲノム医療・創薬におけるインフォマティクスの動向
-バイオインフォマティクス、ケモインフォマティクス、システム生物学-
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平成14年度 :HSレポート No.41 ゲノム科学の臨床応用に向けて
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平成15年度 :HSレポート No.46 創薬におけるターゲットバリデーション
-その現状と動向を探る-
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平成16年度 :HSレポート No.51 ゲノム科学と医療-そのフロンティアを探る-
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平成17年度 :HSレポート No.53 ゲノム科学の変遷と今後の方向性
-最新の研究開発動向とビジネス展開-
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平成18年度 :HSレポート No.59 ポストゲノムの医薬品開発と診断技術の新展開
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平成19年度 :HSレポート No.63 ポストゲノムの医薬品開発とDDS技術の新展開
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平成20年度 :HSレポート No.67 ポストゲノムの医薬品開発とシステムバイオロジーの新展開
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平成21年度 :HSレポート No.71 ポストゲノムの医薬品開発とオミックス医療の新展開
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平成22年度 :HSレポート No.74 ポストゲノムの医薬品開発とエピジェネティクスの新展開
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平成23年度 :HSレポート No.77 RNA研究と創薬技術開発の新展開
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HS レポート No. 80
調査報告書
創薬基盤技術の最新動向を探る
-イメージング技術・高速シークエンサー
・新規モデル動物試験系-
発行日: 平成 25 年 3 月 29 日
発
行: 財団法人 ヒューマンサイエンス振興財団
〒101-0032
東京都千代田区岩本町 2-11-1 ハーブ神田ビル
電話 03(5823)0361/FAX 03(5823)0363
(財団事務局担当 井口 富夫)
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