ま え が き 人口の高齢化が叫ばれている今日,高齢者の医療,福祉に関する話題は社会的関心事と なっている.しかし,核家族のなかで育った世代にとってこれらの話題は,今一つ遠い世 界の出来事というのが実感であろう.身近な存在として高齢者を意識する機会は極端に少 なく,世の中で関心をもたれているこれらの問題に直面することがほとんどないというの が実態だからである. それではそのような世代の人たちが高齢者のケアに取り組むとき,何が一番必要になる であろうか.『老年看護学1・2』を編集するにあたって,私たちが意識した最大のこと はそのことであった. 今日の看護教育においては,経験知からの学びよりも理論の修得に力点がおかれた学習 が進められている.そのことは看護学の発展にとって意義深いことであるし,また,不可 欠のことである.しかし,医療施設や在宅の場に一歩足を踏み入れるとき,看護師を待っ ているのは,生きてきた歴史も価値観も異なる高齢者である.そのような高齢者の支援に かかわる看護師には,高齢者を身近な存在として関心をもつことからすべてが始まるとい うのが私たちの考えである. そこで『老年看護学1』では,まず“老い”の理解から入ることにした.これは老化が もつ諸側面が,個々の高齢者の生命や生活にどのような問題をもたらしているかを知って ほしいという思いからである.また,この巻では老年看護のあり方を解説し,高齢者の生 活の質の確保に必要な様々な保健・医療・福祉制度についても概説した. 次いで『老年看護学2』は,健康障害を抱える高齢者のケアに焦点を絞ってまとめた. 罹患している疾患は同じでも,成人と高齢者ではそのもたらす影響は大きく異なる.その 点を理解してもらうために,多様な障害,種々の疾患や診療に伴うケアを取り上げた. 今回,刊行後約4年が経過したことで,『老年看護学1・2』をとおして,上記の特色 を生かしながら,法律・制度,あるいは統計資料等を含め,新しい状況に合わせた改訂を 行った. わが国の高齢者人口は,ますます増加する状況にある.それら高齢者が健康な老後を過 ごすためには質の高いケアに依るところが大きい.本書が少しでもそれに貢献できれば幸 いである. 2006年11月 鎌田ケイ子 川 原 礼 子 i 目次 第1章 高齢者(老年期)とは何か 1 1 老いとは ――――――――――――― 2 A 老いのイメージ……………………………… 2 1.加齢・老化 2 2.老いの受け止め方 2 1 A 老化の本質と特徴 ………………………… 18 1.老化の要因・原因 18 2.老化の身体的特徴 20 B 老化による各種機能の変化の日常生活 B 老年観の変遷………………………………… 3 への影響 ……………………………………… 26 C 言語表現にみる老いのイメージ…………… 4 C 老化と老年病 ……………………………… 28 D 社会生活のなかの老い……………………… 5 1.老年病とは 28 1.生活史のなかの老い 5 2.老化と老年病との関連 28 2.引退の意味 5 3.老年病の特徴とそれによる看護上の 3.老いの価値 5 問題 30 2 2 ライフステージとしての老年期 ――― 7 5 5 加齢とこころ――――――――――― 31 A 老年期とは…………………………………… 8 A 高齢者心理の背景 ………………………… 31 1.老年期の幅 8 1.時間的蓄積を理解する 32 2.前期老年期と後期老年期 9 2.衰退・損失への理解 33 B 老年期の課題………………………………… 9 1.老年期の特徴 9 2.人生の完成への援助 10 3 3 高齢者と社会――――――――――― 11 A 社会的役割の変化 ………………………… 11 3.人生体験の豊かさ 33 4.時代背景と生活史 33 B 知的能力の変化 …………………………… 34 C 情緒の変化 ………………………………… 35 1.不安について 35 1.定年後の生計 11 2.無気力,依存について 36 2.働き続けること 12 3.自尊心について 37 B 家庭における変化 ………………………… 13 1.新しい生活への適応 14 2.社会からの孤立 15 C 社会環境 …………………………………… 17 4.性格について 38 5.高齢者のこころへの支援 38 6 6 高齢者の性―――――――――――― 39 1.社会的偏見 39 1.高齢者差別 17 2.生理的変化 39 2.社会環境の整備 17 3.性への欲求の大切さ 39 4 4 老化とからだ――――――――――― 18 4.性への理解と援助 40 iii 第2章 老年看護の理念・目標・原則 41 1 1 老年看護の理念―――――――――― 42 B 自尊心の尊重 ……………………………… 56 A 高齢者の特性 ……………………………… 42 C 予防的対処の優先 ………………………… 57 B 老年看護の独自性 ………………………… 42 D 残存機能の活用による日常生活の自立 … 58 1.生活に着目することの意味 43 E 看護用具の活用による生活環境の調整 … 60 2.生活を志向した援助の体系 45 F 生きることの喜びを見出し,社会交流 3.看護の働きが求められる生活という 営み 47 C キュアとケアの統合 ……………………… 48 ・参加を促す ………………………………… 60 G 家族の支援 ………………………………… 62 H 関連職種との連携(チームケア)………… 62 1.生活の質(QOL)ということ 48 I 看護の継続 ………………………………… 63 2.治療と看護 49 4 4 老年看護の機能と役割――――――― 64 3.予測と予防の看護 50 A 高齢者にとっての健康状態 ……………… 64 D 看護の役割と介護の役割 ………………… 51 B 健康段階と場に応じた看護の機能と役 E 老年観の育成 ……………………………… 51 割 ………………………………………………65 2 2 老年看護の目標―――――――――― 52 1.健康段階に応じた看護のあり方 65 A 満足のいく生の完成 ……………………… 54 2.急性期医療における看護の機能と役割 68 B 快適で自立した生活の実現 ……………… 54 3.訪問看護の機能と役割 69 3 3 老年看護の原則―――――――――― 55 4.介護保険施設における看護の機能と役 A 個別性の尊重 ……………………………… 55 割 71 第3章 高齢社会の保健医療福祉 1 1 未経験の高齢者問題―――――――― 74 2 2 わが国の人口高齢化の特徴とその影響 ――――――――――――――――― 74 A 高齢社会の急速な歩み …………………… 74 4.医療の場から生活の場へ 81 3 老年保健・医療・福祉の動向―――― 3 81 A 高齢者医療の動向 ………………………… 81 1.有訴者率と受療率 81 1.社会現象としての高齢社会 74 2.医療費の推移 82 2.老年人口比率 74 3.入院を必要とする高齢者 84 3.人口構成 76 4.要介護高齢者の実態とケアニーズ 85 B 高齢社会がもたらす保健・医療・福祉の B 高齢者保健・福祉の動向 ………………… 88 課題 …………………………………………… 78 1.高齢者保健・医療の法整備の経緯 88 1.国民的課題としての高齢者問題 78 2.保健事業 89 2.家族形態の変化 79 3.豊かな老年の課題 80 iv 73 目 次 3.後期高齢者医療制度 91 4 4 高齢者の保健活動――――――――― 91 A 予防の意義 ………………………………… 91 B ヘルスシステムの目標と活動 …………… 91 2.介護保険制度 100 C 在宅サービス……………………………… 101 1.健康の保持・増進 91 1.在宅サービスへのニーズ拡大の背景 101 2.検診活動 93 2.在宅ケアとほかのサービスの連携 101 3.寝たきりの予防対策 93 3.訪問看護 103 4.介護予防 96 4.在宅福祉サービス 104 5.認知症高齢者対策 97 D 施設サービス ………………………………106 5 5 ソーシャルサポートシステム―――― 99 1.介護療養型医療施設 107 A ソーシャルサポートシステムの必要性 … 99 2.介護老人保健施設 108 B ソーシャルサポートシステムの具体化 … 99 3.介護老人福祉施設 109 1.ゴールドプラン21 99 E 看護と介護の連携 …………………………110 第4章 高齢者と家族 1 1 家族形態の社会的変化 ―――――― 114 A 人口の高齢化と家族形態の変化………… 114 1.家族形態の変化 114 2.家族関係の変化と老親の扶養 114 B 高齢者介護と家族問題…………………… 117 1.家族介護の実態 117 113 5.家族の役割 123 2 2 家族への支援 ―――――――――― 125 A 家族支援をする際の態度………………… 125 1.家族支援の求められる状況 125 2.家族に接するときの態度 125 B 家族支援の方法…………………………… 126 2.介護者の心理的問題 119 1.家族問題の把握と評価 126 3.高齢者の介護が困難になる原因 120 2.家族支援の展開 127 4.これからの家族介護 121 第5章 介護保険制度 129 1 1 制度創設の背景と目的 ―――――― 130 3 3 サービス利用の手続き ―――――― 135 2 2 給付対象とサービス内容 ――――― 130 4 4 ケアプランの作成 ―――――――― 137 A 給付対象…………………………………… 130 1.ケアプラン作成の意義 137 B サービス内容……………………………… 132 2.ケアプラン作成のポイント 137 C 介護予防サービス………………………… 133 目 次 v 第6章 高齢者の人権と倫理問題 1 1 高齢者の差別 ―――――――――― 142 141 2.観察の要点および看護の展開 146 2 2 高齢者の虐待 ―――――――――― 143 3 3 高齢者の身体拘束 ―――――――― 148 A 虐待の分類………………………………… 143 A 事故が起こったらどうするか…………… 149 B 日本における高齢者虐待の特徴………… 143 B 緊急やむを得ない場合とは……………… 150 C 虐待を引き起こす要因…………………… 145 C 身体拘束廃止に向けての全国的取り組み D 看護の展開………………………………… 146 …………………………………………………150 1.看護の視点 146 索 引 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 151 vi 目 次 1 第 章 高齢者 (老年期) とは何か 1 老いとは A 老いのイメージ 1 加齢・老化 人はこの世に生を受けて以降,時間の経過とともに成長・発達を続け成 熟期を迎える.その後,衰退が始まり,最後には死を迎え,生命は消滅す る.これが人間の一生の過程の自然な姿である.生命が成長・発達した後 におけるこの変化を指して,加齢(エイジング,aging) ,または老化とよ ぶ. 加齢は,外観や身体の諸機能に様々な変化をもたらす.最も直接的・具 体的に老いの印象を与えるのは,容貌や外観,そして動作に現れる変化で あろう.高齢者にみられる容貌や外観,動作の変化には,前屈した姿勢, 薄くなった頭髪や白髪,顔のしみやしわ,張りのない皮膚,ゆっくりした 足どり,などがある.人によって,これらの変化の現れる時期や程度に差 はあるものの,高齢になると一般に現れる特徴である.いずれにしても, これらの容貌や外観,動作の変化が“老人らしさ”を表現することになる. 2 老いの受け止め方 個々の高齢者に現れる老いに伴う変化は,高齢者自身や周りの人間に 様々なかたちで受け止められる.このうち高齢者が,自らの変化を“老い” として感じることを指して老性自覚とよぶ.人によって,この老性自覚の きっかけは様々であるが,一般には,体力の衰え,老視の出現(新聞の活 字が見えにくくなる)などによって自覚されることが多い. 一方,高齢者の周りにいる人間が,高齢者の外観の変化からとらえる印 象は,人によっても,高齢者の状態によっても,また時によっても異なる ものである.たとえば同じような高齢者を目にした場合でも,ある人には 惨めで弱々しく,暗くみえることもあれば,長い歳月を生き抜いてきた人 の自信や穏やかさを感じる人もある. また,老いの受け止め方は,高齢者本人にとっても一様ではない.老い に強い衝撃を受けて自信を喪失したり,失望したり,否定したり,逃避し たりする人がいる一方,自然のなりゆきととらえ,比較的平静に受け止め る人もいる. このように老いの受け止め方は,本人の考え方はもとより,周囲の人々 2 第1章 高齢者(老年期)とは何か や社会の老いに対する価値観によっても左右される. このような老年や老いについて抱くイメージや観念は,老年観とよばれ る.この老年観は,時代,文化,個人によって著しく異なる.個々人の老 年観は,老化についての知識の有無や時代背景,社会の価値観による影響 を強く受ける. B 老年観の変遷 時代と思想の変化は,様々な老年観を醸成した.その過程では,人間が 長く生命を保つことが尊ばれた時代もあったし,弱体化した生命を疎む思 想もあった. 旧約聖書によれば,古代ヘブライ民族は,高齢者または老年に対し絶大 な敬意を表したという.英雄や予言者の多くは,みな長寿を得た知恵者で, その象徴として白髪高齢者の姿で神は表象されたといわれている.一方, 古代ギリシャにおいては,老年に対しては陰惨なイメージを抱く傾向が強 く,青年の若さを称賛したという. おきな おうな わが国においても,古来から翁,媼として高齢者に対する敬老の思想が みられた.これは古来の神話的表象に,儒教・仏教の思想が結びついたも のといわれる.翁や媼には呪性と霊性が求められていた.しかし, 『枕草子』 や『徒然草』では,高齢者のいろいろな行動を取り上げて老年について悲 観的な記述をしている箇所もみられる.また,貧しい経済状態が,各地に 敬老:高齢者を敬うこと. 孟子の告子下,「三命日, 敬老慈幼,無忘賓旅」が出 典. 姥捨ての伝説を残すに至った経緯もある.なお,徳川時代においては,敬 老*の観念が一般化したが,それは儒学の興隆によるものである.この考 え方は近代に入ってからも継続し,隠居した後も,高齢者は知恵のある者 として尊敬され,物事の相談相手であった.また子どもは,年老いた親を 大事にし,親孝行が社会の規範として尊ばれた. ところが明治以降,わが国では近代工業が発展し,資本主義が隆盛する に至って,生産を優先する価値観をもとに,若さを重んじる風潮がつくり 出された.その結果,敬老の思想も変質を余儀なくされることになった. このようなわが国の工業国への変化は,豊かな文明社会を築き上げるも とになり,平均寿命の伸びをもたらすことにもなったが,皮肉なことに, それによって増加した高齢者は,生産活動の場を失い,生産能力をもたな いものとして尊重されなくなり,生きがいを失うことになった. というのは,近代工業の勃興は,機械化による大量生産を可能にし,高 齢者が培ってきた職人芸ともいえる生産技術は経済性をもたなくなったか らである.機械の操作に馴染みやすい若者のほうが重宝であり,職人芸は 資本主義社会での商品価値を失っていったのである. 1 老いとは 3 ただし,その一方で近代社会における人権思想が,弱者の保護,人権の 確立を促し,高齢者の福祉に対する配慮を進めてきた側面もある. その結果,農業によって支えられていた時代には,高齢者は家庭内で扶 養されていたが,近代工業を産業の基盤においた国では,老後を年金によ って支えられるように社会保障が進められるようになっていった. C 言語表現にみる老いのイメージ 老いについて,日本人は先に述べた歴史的変遷のもとで様々なイメージ を醸成した.それを言語表現から探ってみよう. “老”の表意文字は,背が 曲がり,杖を持った髪の長い人の形を示している(図1-1) . “老い” , “高齢者”を表す言語表現は様々あるが,そのニュアンスは大 きく2つに分かれる. どちらかといえば,老いを客観的にとらえた老化,老後,年寄り,老年 者といった表現のほかに,時間や程度が長いとか高いという意味を込めた 長寿,高齢,長老といった表現や,老成や老練といった円熟の意味を込め ろうもう もうろく た表現で老いを敬っているものと,老醜,老耄,耄碌といった蔑視を込め た表現とがみられる. 性別にみた場合でも, “老女” “老爺”といった表現のほかに,翁,媼と いった敬称や,鬼婆,狸親爺といった蔑称がある.しかし今日の社会では, “老”という言葉そのものにマイナスイメージを感じる人も少なくない.そ のため,最近では“老”という日本語を使わないで表現しようと試みる傾 向もある.たとえば,老人を高齢者としたり,老年初期も含めて,中高年 者を熟年とよんだり,シルバーエイジ(silver age)というように,英語 を使って新語をつくる試みなどがそれにあたる. 図1-1●“老”の文字の変化 元の表意文字 4 第1章 高齢者(老年期)とは何か 変化 現在 D 社会生活のなかの老い 1 生活史のなかの老い 高齢者の姿は,生理学的要因によって決定されるのみならず,時代的背 景に大きな影響を受けるものである.かつて高齢者といえば,決まって腰 が曲がり,杖をついている姿を思い浮かべたものであるが,今の高齢者に そのような姿をみかけることは少ない. 看護の対象となる高齢者は,高齢者という漠然とした存在ではなく,一 人ひとりが今を生きている人間である.老齢という概念に納まることなく, 若者と同様に新しい時代や環境に挑戦しようとしている高齢者も少なくな い.それらの一人ひとりの高齢者の姿を正しく理解するためには,現在に 至るまで,その高齢者が生きてきた生活史(ライフヒストリー) ,生涯歴を 知らなくてはならない.現在,高齢者に現れているほとんどの事柄・事象 は,過去の時間的蓄積が反映されたものにほかならないからである.現在 を理解するためにも,過去を知る必要がある. 特に今の高齢者の生活史・生活歴には,激動の歴史が刻み込まれている. 第1次・第2次世界大戦を体験したこの世代が生きてきた時代は,現在の ように物の豊かな時代ではなく,貧困と飢えに苦しむ人の多い時代でもあ った.そのような時代背景のもとで,現在の生活習慣,価値観,家族関係 などが築き上げられてきたのである(図1-2) . 2 引退の意味 老いは身体的な変化だけではなく,社会生活上にも大きな変化をもたら す.多くのサラリーマンは,能力の有無に関係なく,一定の年齢に達すれ ば職業を喪失し(定年退職) ,強制的に生産的な仕事にかかわる機会を奪わ れることになる. 社会的な引退を,昔は隠居とか悠々自適と表現していた.そしてその表 現には,ある種の豊かさがあった.しかし現在では,引退により社会的有 用性を喪失することが,社会的な評価を低下させる一因ともなっており, そのことがまた,高齢者に生きがいを喪失させるきっかけともなっている. 3 老いの価値 様々な時代的背景のなかで,老年期に対する受け止め方は変化してきて いるが,今日の社会においては,マイナスのイメージが強いのが現実であ る.しかし,老年期に至っても本人の意思や意欲があり,機会さえ与えら 1 老いとは 5 図1-2●高齢者の生きてきた時代背景(例) 1915(大正4)年 ⃝⃝県の農家の3男として生まれる 1927(昭和2)年 12歳で上京,呉服店に丁稚に入る 1940(昭和15)年 奉公の苦労が実り,25歳でのれん分けしてもらい独立すると ともに結婚.翌年,長男誕生,続いて次男も生まれる 1943(昭和18) 年28歳で第2次世界大戦に召集され,戦地ビルマへ赴く 1945(昭和20) 年終戦,戦火で家が消失 1946(昭和21)年死線をさまようが,戦地から無事復員する 1950(昭和25)資金をやりくりして洋服店を東京に開く.息子の結婚,店の増築 1985(昭和60)年 70歳.店を息子に譲り,その後は店を手伝いながら,老人ク ラブに参加したり,趣味を楽しむ 1995(平成7)年 80歳.脳梗塞を起こし,入退院を繰り返す 2005(平成17)年 90歳.肺炎で入院中,寝たきり状態となる れれば,生産的な仕事をすることは可能である.表1-1のように,芸術家や 政治家が,老年期に至っても立派な業績を上げているのはその一例である. 芸術家や政治家は,一般人よりも,特に高齢になっても業績を上げる傾 向が顕著であるが,これだけ多くの有名な芸術家が,高齢になっても,創 造的な作品を作り上げていることに驚きを禁じえない.もちろん,優れた 才能に恵まれていたとはいえ,老年期になっても意欲を失わない限り,創 造的な人生を送ることができることを示している. そしてこのことは,必ずしも一部の芸術家や政治家に限られたことでは 6 第1章 高齢者(老年期)とは何か 表1-1●老年期における業績の例 人 名 ミケランジェロ 業績の内容 70歳を過ぎてからサン = ピエトロ大聖堂の改築を手がける. (1475-1564,イタリア) 88歳で亡くなるまで大理石像を彫り続ける. ゲーテ 81歳で『ファウスト』第2部を完成させる. (1749-1832) モネ 視力の衰えにもかかわらず,自宅の庭の睡蓮池を描いた大作 (1840-1926,フランス) の連作壁画を完成させるなど,86歳で亡くなるまで制作を続 ける. モーゼス (1860-1961,米国) マチス 75歳で本格的に絵画を始める.80歳で初めての個展を開く. 以後,101歳で亡くなるまで,素朴派の画家として活躍する. 車椅子生活となりながらも,大胆で美しい絵を描き続ける. (1869-1954,フランス) 79歳でロザリオ礼拝堂の装飾を開始,82歳で完成させる. チャーチル (1874-1965,英国) シュバイツァー (1875-1965,ドイツ) アデナアウアー (1876-1967,ドイツ) ピカソ 66∼71歳まで首相,77歳で再び首相となる.80歳で首相を 引退した後も,執筆活動を行う. 90歳で亡くなるまで,自分で建てたアフリカのランバネル病 院で医療活動を行う. 73歳で首相就任.87歳で引退した後は回顧録の執筆にとりか かる. 91歳で亡くなるまで,衰えを感じさせない若々しい線で絵画 (1881-1973,スペイン) や彫刻に励む. レーガン 69歳で大統領に就任し,78歳まで務める. (1911-2004,米国) 近松門左衛門 (1653-1724) 杉田玄白 67歳で『心中天網島』を完成,70歳で『心中宵庚申』を完成 させる. 83歳で『蘭学事始』を完成させる. (1733-1817) 滝沢馬琴 74歳で『南総里見八犬伝』を完成させる. (1767-1848) 横山大観 (1868-1957) 71歳で大観芸術の集大成,『海山十題』を完成させる.89歳 で亡くなるまで,制作活動を続ける. ない.確かに経験による知に対する価値は,以前の時代よりは減じたもの の,いわゆる円熟・老練という言葉で表現されるように,老いによって初 めて生み出される価値も確かにある.たとえば,人間に対する深い洞察力 をもち,きめ細かな配慮のできる人が,新たな価値を生み出す集団を支え, 引っ張っている姿などに,それらの具体例をみることができる. 2 ライフステージとしての老年期 加齢の様相が顕著に現れ,社会生活や役割に変化が生じる時期を老年期 という.老年期は,身体的な面でいえば生命現象が最も自然に経過した人 2 ライフステージとしての老年期 7 図1-3●人間の一生の歩み 誕生 幼児期 青年期 壮年期 学童期 老年期 死 生における最終の段階である.そして老年期は死で閉じられる(図1-3) . A 老年期とは 1 老年期の幅 老年期がいつから開始されるかについては,個々人により異なり,定ま ったものではない.世界保健機関(World Health Organization;WHO) の定義や人口動態統計などでは,現在のところ65歳と定めてはいるものの, これも高齢者をとらえるための一つの指標にすぎないといえる. 高齢者を対象としたわが国の法律においても,その対象とする年齢は 様々である.老人福祉法は65歳を老年期の開始時期としており,年金の支 8 第1章 高齢者(老年期)とは何か ご注 文はこちらから http://www.medical-friend.co.jp/
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