X 線管前史

Super Rotalix Ceramic - SRC -
(1979 年)
シネ撮影やデジタル・アプリケーションが実施さ
陽極 軸受けは陽極の両側にベアリングを持つた
れるようになり、X 線管の出力向上に対する要
め、陽極の重量を 2000 グラム以上に増やすこ
求はさらに高まった。このことが金属 - セラミッ
とが 可能になり、X 線管の熱 容量を大幅に増加
ク技術を用いたオール金属のコンパクトな管球、
させることが 可能になった。金 属容器の X 線管
Super Rotalix Ceramic(SRC)管 の開 発につ
にはベリリウム 放 射 窓 がある。この 物 質は X 線
ながった(図 85、86)。
吸収率が最も低いので、減 弱や散乱がほとんど
なく利 用 X 線を放 出することが できる。Super
このタイプの X 線管に用いられた最も重要な新
Rotalix Ceramic 管の陽極は最大許容温度が高
技術は、セラミック絶縁体、オール金属容器、陽
いため、従来の X 線管より熱伝達が良い。また、
極の両側のベアリングである(図 84)。
金属容器は冷却率が大幅に高くなるので長時間
の連続出力が可能になり、照射待ち時間がいっそ
オール金属容器は接地(アース)されている。高
う短くなった。
電圧ケーブルの接続受け口になるセラミック絶縁
体が、真空接合された金属容器に挿入されてい
Philips SRC 管は稼働率の高い心血管造影の作
る。陽極および陰極(つまり 2 つの高圧ケーブル
業環境の中で特別な地位を獲得した。
コネクター)は隣あわせになっている。
金属容器
重金属陽極
高電圧ケーブル接続用
セラミック絶縁体
陽極軸受
+75 kV
-75 kV
回転セラミック
絶縁体
ステーター
陰極
セラミックX線管
図84 Super Rotalix Ceramic(SRC)管の断面図
61
図85 Super Rotalix Ceramic - SRC -(1979年)
図86 Super Rotalix Ceramic(SRC)管の内部構造がわかるカット模型
62
Maximus Rotalix Ceramic - MRC -
(1989 年)
X 線管技 術の歴 史の中で回転陽極の開発に加え
摩 耗がないので、MRC 管は 1 回スタートアップ
て大きな出来事の 1 つは、スパイラル・グルーブ・
するだけで終日稼働し続けることができる。大き
ベアリングの導入である。
な陽極円板は大きな熱容量を持つ。
Philips はスパイラル・グルーブ・ベアリングの採
MRC 管は、ほぼ無制限に心臓連続撮影や CT 連
用により、より大きく、より重い陽極円板(200
続ボリューム・スキャンが可能である。
mm)のため の、信 頼 性 の 高 い 全く新しい ベ ア
リング 方 式を 他に先 駆けて開 発した。ス パイラ
待ち時間や騒音がないため、MRC 管によって作
ル・グル ーブ・ベアリングはハイドロプレーニン
業環境は大きく改善される。ユーザーは何も気に
グ(aquaplaning)に似た現象を利用するもので、
しなくてよい。
ベアリングが液体金属の薄膜上を非接触で滑走す
るため、陽極円板は静かで振動および摩耗のない
動作をする。
図87 Maximus Rotalix Ceramic - MRC -(1989年)
63
MRC 管の特性
図 88 スパイラル・グルーブ・ベアリングはハイドロプレーニング
(aquaplaning)効果により液体金属薄膜上を非接触で滑走するの
で、陽極円板が静かで振動および摩耗のない動作をする。
図89 陽極円板はX線管内に組み込む前に高温加熱によってガス
抜きをする。
図90 冷却油が陽極円板と直接に接触するため、速やかに熱が
放散する。
図 91 Maximus Rotalix Ceramic
(MRC)管のカット模型
64
図92 Maximus Rotalix Ceramic(MRC)金属容器に組み込む200 mm陽極円板の組み立て
図93 Super Rotalix Ceramic(SRC)のコンピュータ・テスト
65
Philips Rotalix シリーズ
(1998 年)
放射線診断のあらゆる要求を満たす
X 線管シリーズ
1. Rotalix シリーズ:RO 管
グリッド制御のMRC GS X線管は、立ち上が
通常負荷のワークステーション用の、レニウム・タン
り・下がりが急峻な非常に短い照射パルスを生成
グステン・モリブデン合金陽極を持つ回転陽極管。
することができる。大きな200 mm陽極円板は
2. Super Rotalix シリーズ:SRO 管
スパイラル・グルーブ・ベアリングはハイドロプ
熱容量が大きい。
レーニング(aquaplaning)効果により液体金属
放射線診断用の、レニウム・タングステン・モリ
薄膜上を非接触で滑走するので、陽極円板が静か
ブデン合金陽極を持つ高出力の回転陽極管。
で振動および摩耗のない動作をする。
3. Super Rotalix Metal シリーズ:
SRM 管
6. CT用X線管:Rotalix SRC 120 CT
金属 − セラミック技術を用いたレニウム・タング
高負荷のワークステーション用の、ガラス-金属技
ステン・モリブデン合金陽極を持つ回転陽極管。
術を用いたレニウム・タングステン・モリブデン
Rotalix MRC 200 CT
合金陽極を持つ回転陽極管。
レニウム・タングステン・グラファイト合金陽極
4. Super Rotalix Ceramic シリーズ:
SRC 管
高稼働率の心血管撮影作業環境用の、セラミック
およびスパイラル・グルーブ・ベアリングを持つ
高出力の回転陽極管。
7. マンモグラフィ用X線管:Rotalix
ROM 20
絶縁体、オール金属容器、陽極軸受けを持つコン
パクトなX線管。
ガラス-金属技術を用いたモリブデン・グラファイ
5. Maximum Rotalix Ceramicシリーズ:
MRC 管
心臓、心血管造影、シネおよび高速撮影、DSA
用等の非常に稼働率の高い作業環境において無制
限の連続動作を行うための、レニウム・タングス
テン・モリブデン合金陽極およびスパイラル・グ
ルーブ・ベアリングを持つグリッド制御の回転陽
極管。
66
ト合金陽極を持つ単極軟X線回転陽極管。
夢の実現
W i l h e l m B u s c h は 18 8 4 年 に 、『 M a l e r
Klecksel( へ ぼ 絵 描 き)』 という架 空 の 芸 術 家
として、この夢の印象的なイラストを描いた(図
94)。そのわずか11年後の1895 年11月 8 日に、
この夢が W.C. Röntgen 教授の X 線発見によっ
て実現するとは(図 95)、Wilhelm Busch は思っ
てもみなかったに違いない。
図94 『かつてないほどよくわかるようになった人体深部の秘密』
X線の発見によって医学の世界は根本的に変わ
り、当 社のさらなる発 展 を 決 定 づけた。C.H.F.
MüllerとPhilipsは100年にわたってX線技術の
開発を牽引し、驚くほどの大成功を収めた。今日、
当時を振り返ると感謝と誇りの両方の思いがよみ
がえる。
ハンブルクの MRC 工場と最新の製造設備の建設
が、当社の歴史に希望に満ちた新たな一章を開い
たのだ。これまでと同様に、これからも Philips
の先駆的な技術とその製品の品の高さが、医療技
術の発展に大きな影響を与えるであろう。
実際、人体の内部を観察できたらという夢は、医
学の歴史と同じくらい古いものである。
図95 X線画像初体験
67
終わりに
最新の高出力回転陽極をローテーション・アンギ
オグラフィ(図 96)および循環器用ワークステー
ションに搭載することによって、極めて細い血管で
C.H.F. Müller と Philips の X 線管の歴史を振り
さえも非常に鮮明な画像が得られるようになった。
返った本書の最後に、いくつかの年表を示してお
これらのワークステーションは以下の特長を持つ:
こうと思う。このうちの 2 つは X 線管の前史お
よび初期の歴史と過去 100 年間で最も重要な出
・優れた画質
来事を示したものである。その他の年表は X 線
・高い効率
管と当社の発展を実現した 4 人の経歴である。そ
・高い患者スループット
の 4 人 と は、Anton Philips、Gerard Philips、
Carl Heinrich Florenz Müller、そしてもちろん、
Philips はこれらの開発に際立った役割を果たし
Wilhelm Conrad Röntgen のことである。
たといえる。
付 録の小画像 集にはガラス工芸品から始まって
C.H.F. Müller ガ ラ ス 吹 き 工 場 の Geissler 管、
Lore Alfter の一連の油絵、クロム鋼ブロックの
製造の様子を示す。また、C.H.F. Müller 社カタ
ログ表紙の傑作選も加えてある。歴史シリーズの
最後は、工場と本館の写真である。
なお、Werner Fehr 博士と Dipl.-Ing.( 工学 士)
Heinz Bergmüller による C.H.F. Müller の歴史
に関する研究が、本書の作成に役立った。また、
ハンブルクとアイントホーヘンの多くのルートか
ら、Philips Medical Systems の歴史上の日付
や情報を教えていただいた。この場を借りて心か
らの感謝を表します。
Willi Stamer
1)
1)Dipl.-Ing. W. Stamer・Wohltorfer Strasse 6・D-21465
Reinbek
図 9 6 最 新(当時)のローテーション・アンギオグラフィ環 境:
Philips Integris V3000
68
付 録
図97 1926年のC.H.F. Müllerパンフレット。
表紙に実績のあるRapid管が描かれている。
69
Philips Medical Systems
- X 線管 100 年の歴史
年表
1864年9月19日 C.H.F. Müllerがハンブルクにガラス工場を設立。
1876年
C.H.F. Müllerがベネチアン・グラス(ゴブレット)を製造(73ページ)。
1882年
C.H.F. Müllerが白熱電球を製造。
1895年11月11日W.C. Röntgen教授がX線を発見。
1896年
C.H.F. Müllerが最初の特定用途向けX線管を製造。
1897年
独立に配置した対陰極を用いた改良型X線管を開発。
1899年
C.H.F. Müllerが水冷式対陰極を用いたX線管で最初の特許を取得。
1901年
英国レントゲン学会が最も優れたX線管に贈られる金賞をC.H.F. Müllerに授与。
1905年
50,000本目のX線管を製造。
1906~1914年 手作業工程からX線管工場生産への変遷。
1917年
SHS(Selbsthärtenden Siederöhre)型イオン管を開発。
1918年
当時、世界中に知られるX線管専用工場として従業員が180人になる。
1918年
外科医のGoetze博士が線状焦点の原理で特許を取得。
1920年
C.H.F. Müllerが最初の水冷式陽極を持つ熱陰極X線管(Metwa管)を製造。
1921年
陽極から発生する熱を放射により放散させるMetro管が登場。
1921年
長時間透視用DDLM管が市場に登場、これが診断用に製造された最後のイオン管となる。
1921年
Goetze博士による線状焦点を用いた最初のMedia管が市場に登場。C.H.F. MüllerはGoetze博士
とライセンス契約を結ぶことによって、長年にわたり他のX線管メーカーとの競合において有利な
立場を維持できた。
1926年
C.H.F. Müllerが防護カバー内蔵型のX線管を開発。
Philips: 1917年
PhilipsがアイントホーヘンでX線管の研究を開始。
1920年
アイントホーヘンでX線管の製造を開始。
1922年
最初のPhilips X線管が登場。
1924~1927年
A. Bouwers教授が新たなX線管技術のMetalix方式を開発。
1927年4月17日 Philipsが株主となってC.H.F. Müllerを引き継ぐ。
1927年
Metwa Metalix管が登場。
1928年
Metalix完全防護型X線管が登場。
1928年
ストックホルムで開催された第2回ICRにおいて、Philipsが新しい移動可能な装置Metalix Junior
を発表。
70
1930~1935年 Philips X線装置の全シリーズがアイントホーヘンで開発される。
1931年
パリで開催された第3回ICRにおいて、胸部検査用Rotalixワークステーションを発表。
1934/1935年
初めて発生器とX線管を1つにまとめたCentralixタンク・ユニットが登場、移動スタンド付き
Centralixユニットとして供給された。
1934年
最初のフォーリングロード発生器であるMetalix Super D 4バルブ発生器が登場。
1937年
A. Kuntkeが中心となってハンブルクに最初の電気技術開発研究所を開設。
1938年
瞬時バルブ切り換えの可能なMaximus D直流発生器が登場。
1939~1945年 戦争の時代。
1943年
ドイツ航空省と15 MeV円形加速器(Betatron)の開発契約を結ぶ。
1946年
硬質ガラス容器のRotalix回転陽極管が登場。
1948年
自動ノモグラム制御の発生器シリーズ、DA100、DA400、DA1000が登場。
1949年
硬質ガラス容器と油冷式陽極を用いた200 kV RT 200治療システムが登場。
1959年
Super Rotalix(SRO)回転陽極管が登場。
1959年
ハンブルクの工場で500,000本目のX線管を製造。
1966年
X線発生器用の半導体整流器が登場。
1968年
プログラム撮影法、自動露光制御(AEC)。
1969~1972年 アイントホーヘンの経営陣の決定を受けてハンブルクのX線工場の規模を拡大、X線管の開発と製
造をハンブルクに集約。
1973年
Super Rotalix Metal(SRM)管の登場。
1979年
Super Rotalix Ceramic(SRC)管の登場。
1989年
Maximus Rotalix Ceramic(MRC)管の登場。
1998年
1998 年 のPhilips Rotalixシリーズ:放 射 線 診 断 のあらゆるアプリケーション向けのX 線 管
シリーズ。
71
年表:X 線管前史
X 線管前史・初期の歴史はガス放電現象の物理学から始まった。これは希ガス中の電流の通過と関係が
ある。
1838 年には Michael Faraday(1791 ~ 1867 年)が、真空容器中の電極に十分に高い電圧を加え
ると真空中に現れるグローについて報告した。陰極グローと明るい“陽光柱”とを隔てる暗い部分は、現
在でも“Faraday 暗部”として知られる。
1850年
Heinrich Daniel Rühmkorff(1803~1877年)が最初の効率のよいスパーク・インダクション・
コイルを開発。
1852年
George Gabriel Stokes(1819~1903年)がシアン化白金バリウムなどの鉱物の蛍光を
発見。
1855年
Robert Bunsen(1811~1895年)がBunsenバーナーを発明。
1855年
Heinrich Geissler(1815~1879年)が水銀真空ポンプ(Geisslerポンプ)を製造。
1858年
Heinrich Geisslerが改良型のガス放電管(Geissler管)を開発。
1858年
Julius Plücker(1801~1868年)が後に“陰極線”と名付けられる放射線を発見。
1866年
Werner von Siemens(1816~1892年)がダイナモ発電の原理を発見。
1869年
Johann Wilhelm Hittorf(1824~1914年)が陰極線は磁場で曲げられることを発見。
1879年
William Crookes(1832~1919年)がガス放電管中の陰極線による蛍光を使用して実用化。
1894年
Philip Eduard Anton Lenard(1862~1947年)が陰極線によって感光板が黒くなることを
観察。
1895年
英国の物理学者J.J. Thomson(1856~1940年)が、静電気で陰極線が曲げられることの実証
に成功。負に帯電した物体とは反発し、正に帯電した物体に引き寄せられることから、陰極線が負
の電荷を運ぶものに違いないと証明した。
1895年8月11日 Wilhelm Conrad RöntgenがX線を発見。
72
図98 C.H.F. Müller工場のベネチアン・グラス(ゴブレット)
73
図99 古いC.H.F. Müllerガラス製品カタログに載っているGeissler管(1890年)
74
小画像集
図100 小児の腕の透視検査
75
図101 Lore Alfterによる油絵「ガラス吹き工」
図102 Lore Alfterによる油絵「機械によるガラス吹き工程」
76
図103 Lore Alfterによる油絵「古い銅製品工場」
図104 Lore Alfterによる油絵「絞りプレス機」
77
図105 Metalix管に必要なクロム鋼を製造する電気溶解炉
図106 るつぼに満たされる溶融クロム鋼
78
図107 クロム鋼ブロックの鋳造
図108 クロム鋼ブロックの旋盤仕上げ
79
1925 ~1935 年の C.H.F. Müller
カタログ抜粋
図109
Müller Media管:1925年のカタログの表紙
図110
Media Metalix管:1929年のカタログの表紙
80
図111
Müller Rotalix管(Philipsシステム):1930年のカタログの表紙
図112
陰極線:1935年の製品情報シートの表紙
81
工場と本館
図113 1930年の製造センターおよび本社ビル
図114 現在の製造センターおよび本社ビル
82
図115
Hamburg-FuhlsbüttelのPhilips Medical Systems本社
ビル入り口にある、Paul Dierkes教授による彫刻。この彫
刻は人体を透過するX線を表している。
図116
Hamburg-FuhlsbüttelのPhilips Medical Systems本社ビル
入り口にある、W.C. Röntgen記念碑
83
図117 1891年のC.H.F. Müllerカタログの表紙
図118 C.H.F. Müller社のトレードマークとワードマークの変遷
84
年表:それぞれの経歴
Gerard Philips(1858 年 10 月 9 日~1942 年 4 月 26 日)
1858年10月9日 Gerard Philipsがオランダ・ザルトボンメルに生まれる。
1896年3月19日 Johanna van der Willigenと結婚。
1883年
デルフト工科大学を修了、機械工学の学位を取得。
1885/1886年
Gerard Philipsがグラスゴー大学「自然哲学部(Natural Philosophy Department)」の
「1886-1887研究グループ(1886-1887 Research Group)」に加入。
1887年
当時最大の電気照明企業の1つであったロンドンのAnglo-American Brush Electric
Corporation Ltd.に入社。
1891年3月15日 Gerard Philipsが父親のFrederik Philipsの支援を受けてPhilips & Co.を設立。
1892年3月
白熱電球の製造を開始。
1895年
Anton PhilipsがPhilips & Co.に加入。
1898年
Gerard Philipsが「Vereeniging Eindhoven Vooruit」の創設者の1人となる。この団体はアイ
ントホーヘンにおける予防医療、教育、回復期医療施設の改善という目標を持っていた。同時期
に、Philipsは最初の労働者住宅の建設を開始し、医療保険制度を設けた。
1912年8月29日Philips & Co.がGerard PhilipsとAnton Philipsを経営者とする有限会社、N.V. Philips'
Gloeilampenfabriekenとなる。
1916年
Gerard Philipsとその妻Johanna van der Willigenの個人的な社会貢献が、Philips van der
Willigen Study Fund の創設によりさらに拡大。この基金によって、Philipsの従業員の子供は
さらなる高等教育が受けられるようになった。
1917年
1917年にGerard Philipsはデルフト大学から名誉理工学博士号を授与される。
1922年
Gerard Philipsは1922年に退職するとパリに移り、数年後にはカンヌに移る。
1931年
Gerard Philipsがオランダに帰国。死ぬまでハーグで暮らした。
1942年4月26日、妻の死の4日後にGerard Philips死去。
85
Anton Philips(1874 年 3 月 14 日~1951 年 10 月 7 日)
1874年3月14日 Anton Philipsがオランダ・ザルトボンメルに生まれる。Anton Philipsはアムステルダム公立商
業学校を修了後、アムステルダムとロンドンで株式仲買人の見習いとなる。
1898年7月9日
Anna Henriette Elisabeth Maria de Jonghと結婚。娘3人と息子1人をもうける。
1895年1月3日
Anton Philipsが20歳のとき、兄Gerard PhilipsのPhilips & Co.に加入。
1896~1912年 Philips & Co.が規模の拡大を続ける。多数のヨーロッパ諸国に営業所が開設され、販売業者が指
定された。兄のGerard Philipsと同様に、Anton Philipsもアイントホーヘンにおける予防・医療
施設の拡大に尽力した。1902年に「Vereeniging Eindhoven Vooruit」の会長となる。
兄弟の社会貢献も、後のPhilipsにおける医療技術事業の成功の基礎を成している。
1912年8月29日 Philips & Co.がGerard PhilipsとAnton Philipsを経営者とする有限会社、N.V. Philips
Gloeilampenfabriekenとなる。
1915~1917年 Philipsが自社ガラス工場とガス工場を建設。
1918~1922年 Philipsの国際販売組織が発足、後のNational Philips Organizationsの基礎を成す。
1922年
Gerard Philipsの退職後、Anton PhilipsがN.V. Philips Gloeilampenfabriekenの会長となる。
1928年
1928年にAnton Philipsはロッテルダムのオランダ国立ビジネススクール(National Dutch
Business School)から名誉経営学博士号を授与される。
1936年11月
Anton Philipsが会社の社長に任命される。
1939年7月6日
Anton Philipsが退職。娘の夫であるFrans Ottenが後継者となる。
1951年10月7日、Anton Philips死去。
Carl Heinrich Florenz Müller(1845 年1月 29 日~1912 年11月 24 日)
1845年1月29日 Carl Heinrich Florenz MüllerがSachsen-Meiningen(チューリンゲン)のPiesauに生まれる。
父親はJohann Christian Gustav Müller(1827年10月21日生まれ、1901年9月12日没)、
母親はJohanne Catharine Elisabethe, née Rost von Spechtsbrunn(1824年8月24日生まれ、
1888年1月21日没)。
1863年10月1日 C.H.F. Müllerはハンブルクへ行き、Neuen WallのGreiner Glassworksで働く。
1864年9月19日C.H.F. Müllerが自分の工場を開設。
86
1866年8月27日 ハンブルクでEmma Maria Ludowiecke von Dorumと結婚。
1869年5月30日 ガラス工芸品メーカーとして開業。
1867~1869年 C.H.F. MüllerがAlter Steinweg 33に小さなガラス工場を持つ。
1870~1871年 C.H.F. MüllerがAlter Steinweg 30と32のガラス工芸品メーカーを登記。
1872年
Speersort 20にガラス工場を設立。
1874年~
Geissler管とHittorfガス放電管、Crookes管および放射計の製造を開始。
1876年
ハンブルク産業博覧会(Hamburg Industrial Exhibition)でC.H.F. Müllerのガラス製品に銀賞
が授与される。
1877年
C.H.F. MüllerがヴィルヘルムI世(Kaiser Wilhelm I)への誕生日の贈り物としてゴブレットを
製造。
1880年
C.H.F. Müllerの代表的なガラス工芸品コレクションがドイツ料理博覧会(German Culinary
Exhibition)で展示される。
1878~1886年 ガラスの工芸品や外科器具、化学器具、製薬器具、気象測器、家庭用ガラス器具、白熱電球の工場
と倉庫をSonninstr. 23に設立。
1882年~
白熱電球の製造を開始。
1888~1889年 白熱電球とガラス器具の工場を設立、発電所が稼働。
1889年
C.H.F. Müllerがハンブルクにおける芸術と産業に対して金賞を授与される。
1890年~
C.H.F. MüllerがHamburg-St Georg, Bremer Reihe 14に工場敷地を確保。
1896年の初め C.H.F. Müllerが最初の特定用途向けX線管を製造。
1897年
独立に配置した対陰極を用いた改良型X線管を開発。
1899年
C.H.F. Müllerが水冷式対陰極を用いたX線管で最初の特許を取得。
1901年
英国レントゲン学会が最も優れたX線管に贈られる金賞をC.H.F. Müllerに授与。
1904年
最初の工場を開設してから40年後、C.H.F. Müllerは工場の経営から退く。
1912年11月24日、C.H.F. Müller死去。仕事中に受けた放射線傷害(火傷)が手術不可能な腫瘍に進行したため。
全身のさまざまな部位に痛みを伴う転移が生じ、死亡の一原因となった。
87
Wilhelm Conrad Röntgen(1845 年 3 月 27 日~1923 年 2 月 10 日)
1845年3月27日 Wilhelm Conrad Röntgenがドイツのベルギッシェス・ランド地方(Bergisches Land)の
レンネップ(Lennep)に生まれる。父親はFriedrich Conrad Röntgen、母親はCharlotte
née Frohwein。
1848~1862年 子供時代と青年期をオランダのアペルドールン(Apeldoorn)で過ごす。
1849~1863年 ユトレヒトの工業高校に通学。
1864~1865年 ユトレヒト大学の科目履修生となる(機械工学)。
1865~1868年 スイスのチューリヒ工科大学(ETH Zurich)で学ぶ。
1868年
ETH Zurichで機械工学の学位を取得。
1869年
チューリヒ大学で博士号を取得、August Kundtの助手となる。
1870年
ドイツ・ヴュルツブルク大学(Julius-Maximilian University, Würzburg)でAugust Kundtの
助手を務める。
1872年
Bertha Ludwig(1839~1919年)と結婚。
1873年
ストラスブールのカイザー・ヴィルヘルム大学(Kaiser Wilhelm University)でAugust
Kundtの助手を務める。
1874年
ストラスブールで講師となる。
1875年
ドイツ・ホーエンハイム農業アカデミー(Agricultural Academy in Hohenheim)の物理学
および数学の教授に就任。
1876~1878年 ストラスブール大学(University of Strasbourg)理論物理学の員外教授に就任。
1879~1888年 ドイツ・ギーセン大学(Ludwigs University, Giessen)の物理学の教授に就任。
1888~1900年 ドイツ・ヴュルツブルク大学の教授および学長に就任。
1895年11月8日 X線の発見
1901年12月10日 Wilhelm Conrad Röntgenがノーベル物理学賞を受賞。
1900~1923年 ドイツ・ミュンヘン大学の教授に就任。
1923年2月10日、ドイツ・ミュンヘンでWilhelm Conrad Röntgen死去。
88
出典、参考文献、図表一覧
カタログ、書籍、報告書、抄本など
Bergmüller, H.
Eine Erinnerung an C.H.F. Müller Hamburg - Philips Medizin Systeme, Hamburg 1990.
Bouwers, A.
Eine Metallröntgenröhre mit drehender Anode - Sonderdruck aus: Verhandlungen der DeutschenRöntgen-Gesellschaft, Bd. XX. 1929.
C.H.F. Müller
33 Jahre Müller-Röhren, Carly, H., Hamburg 1928.
C.H.F. Müller
Röntgen-Röhren von 1895-1935, Zentralvertrieb Berlin.
C.H.F. Müller
65 Jahre Müller 1895-1930: Vom Werden der Röntgenröhre, Hamburg 1930.
Fehr,W.
Von der ersten Röntgenröhre zur neuzeitlichen Großanlage, C.H.F. Müller, Hamburg/Berlin 1938.
Fehr, W.
... mit Röntgen begann die Zukunft. C.H.F. Müller, Hamburg 1981.
Freybott, A.
100 Jahre Röntgen - Eine Entdeckung erobert die medizinische Welt. Radiologe 35 (1995): 866-870
Springerverlag 1995.
Hartl, W.
Technologie und Technik der Drehanoden- Röhre - Die Entwicklung der letzten Jahrzehnte.
Röntgenstrahlen 63/1990.
Heinzerling, J./
Diek, L./
Borsutzky, G.
100 Jahre Röntgentechnik - Von den ersten Röntgenröhren zum modernen Dienstleistungsunterneh
men. Kontraste, Heft 07 Mai 1995, 6-11.
Jensen, F.
100 years of X-rays. MedicaMundi - Volume 40,3 1995.
Puylaert, C.B.A.J./
Puylaert, J.B.C.M./
von Waes, P.F.G.M.
General radiology: the first century ... and after. MedicaMundi - Volume 40,3, 1995.
van der Tuuk, J.H.
Moderne Röntgentechnik 1936 - LABORATORIA - N.V. Philips Gloeilampenfabrieken Eindhoven.
Bienek, K.H.P.
Medizinische Röntgentechnik in Deutschland, Wissenschaftliche Verlagsanstalt, Stuttgart.
Früling, S./
Vogel, H.
Die Röntgenpioniere Hamburgs - Vom Selbstversuch zur medizinischen Fachdisziplin Landsberg:
Ecomed, 1995.
Glasser, O.
Wilhelm Conrad Röntgen und die Geschichte der Röntgenstrahlen, 3. Aufl. Springer Verlag Berlin Heidelberg - New York, 1995.
Gocht, H./
Kümmell, H. (Eds)
Die Gründung des chirurgischen Röntgeninstitutes am Allgemeinen Krankenhaus Hamburg-Eppendorf.
Festschrift dem Eppendorfer Krankenhaus zur Feier seines 25-jährigen Bestehens. Bruns' Beiträge zur
klinischen Chirurgie, Tübingen 1914.
Heufl, T.
Wilhelm Conrad Röntgen in Deutsche Gestalten (1947). Kontraste, Heft 07 Mai 1995, 2-5.
Holthusen, H. (Hrsg.)/ Ehrenbuch der Röntgenologen und Radiologen aller Nationen 2. Aufl., Urban & Schwarzenberg,
Meyer, H. (Hrsg.)/
München-Berlin 1959.
Molineus, W. (Hrsg.)
Holthusen, H./
Deneke, T. (Hrsg.)
Das Röntgeninstitut und die Entwicklung der Röntgeneinrichtung des Krankenhauses St. Georg.
Festschrift zum 100-jährigen Bestehen des Allgemeinen Krankenhauses St. Georg in Hamburg. Verlag
von Leopold Voss, Leipzig 1925.
Lossau, N.
Röntgen: Eine Entdeckung verändert unser Leben - Mit einem Vorwort von Heinz Riesenhuber. I. Aufl.
Köln: vgs, 1995.
Walter, B.
Pioniere und Opfer der Röntgenstrahlen: Carl Heinrich Florenz Müller. Röntgenpraxis 1959,
R217-R219.
89
写真および文書:
本 書 の 執 筆 に 用 い た 写 真 お よ び 文 書 は アイントホー ヘ ン お よ びハ ン ブ ル ク の Philips Medical
Systems アーカイブに収蔵されている。
表紙
Maximus Rotalix Ceramic 200 CT
図32
1904年版カタログのMüller X線管...p.24
図1
1865年のハンブルク...p.1
図33
肺の透視に対するアーティストのインプレッション...p.25
図2
風車マーク...p.1
図34
顔面防護マスク...p.26
図3
Carl Heinrich Florenz Müller...p.4
図35/36 初期のX線撮影室の様子...p.26
図4
Wilhelm Conrad Röntgen...p.4
図37
Albers-Schönberg博士のX線室...p.27
図5
シンプルなX線検査...p.7
図38
英語版カタログの表紙...p.28
図6
Bremer Reihe地区に聳え立つC.H.F. Müllerの古い工場
敷地...p.8
図39
パリ支店の広告...p.28
図40
シガレットカードの広告...p.29
図7
C.H.F. Müller X線管の配送光景...p.9
図41
C.H.F. Müllerロンドン支店のスタッフ...p.30
図9
Herman Gocht教授...p.10
図42
Hamburg-Hammerbrookの工業団地...p.31
図10
Heinrich Albers-Schönberg教授...p.10
図11
Bernhard Walter教授...p.10
図12
Voller教授の手のX線画像...p.11
図13
最初に撮影された実験器具のX線写真...p.11
図14
消化器内にイガイが見られるカレイの幼魚...p.12
図15
手のX線画像...p.13
図16
最初の実用的なX線管...p.13
図17
改良された手のX線画像...p.13
図18
改良されたX線管...p.13
図19
イオン管の開発ステップ...p.15
図20
最初の水冷式X線管...p.16
図21
C.H.F. Müllerのレターヘッド...p.17
図22
金賞を受賞したX線管...p.17
図23
水冷式対陰極を持つX線管の特許申請書...p.18
図24
水冷式陽極を持つX線管の付図...p.19
図25-27
治療用X線管...p.20
図28
最初のC.H.F. Müller X線管カタログ...p.21
図29
1904年版カタログの一例...p.22
図43/44 Müller X線管...p.32
図45-53
各種のX線管...p.33-35
図54
Goetze博士による線状焦点の原理...p.36
図55/56 Lore Alfterによる油絵...p.36-37
図57
製造された各種X線管の図...p.38
図58
古い本の表紙...p.39
図59
Anton Philips...p.40
図60
Gerard Philips...p.40
図61
A. Bouwers教授...p.42
図62/63 Media Metalix管...p.44-45
図64
Rotalix回転陽極X線管の外観および内部...p.46
図65
防護カバー内蔵型のRotalix管...p.47
図66/67 移動可能なMetalix Junior Dワークステーション...p.48-49
図68
移動可能なMetalix Standard Dワークステーション...p.50
図69
ゴンドラのX線マクロ検査...p.51
図70
肺および心臓検査のためのRotalixワークステーション...p.53
図71/73 Röntgenstrasseでのビル建設の様子...p.54
図30/31 集合写真...p.23
90
図74
新工場と本社ビルが完成...p.54
図75-78
表紙傑作選...p.55
図79
1950年のMüller社の研究者...p.56
図114
現在の製造センターおよび本社ビル...p.82
図80
Rotalix回転陽極管...p.57
図115
Paul Dierkes教授による彫刻...p.83
図81
真っ赤になる陽極円板...p.58
図116
W.C. Röntgen記念碑...p.83
図82
Super Rotalix...p.59
図117
カタログの表紙...p.84
図83
Super Rotalix Metal...p.60
図118
トレードマークとワードマーク...p.84
図84
Super Rotalix Ceramic(SRC)管の断面図...p.61
図119
作業するガラス吹き工のKlemens Abraham...p.92
図85
Super Rotalix Ceramic...p.62
図86
Super Rotalix Ceramicのカット模型...p.62
図87
Maximus Rotalix Ceramic...p.63
図88-91
MRC管の特性...p.64
図92
200 mm陽極円板の組み立て...p.65
図93
コンピュータ・テスト...p.65
図94
『人体深部の秘密』...p.67
図95
最初のX線画像...p.67
図96
最新のローテーション・アンギオグラフィ用環境...p.68
図97
1926年のC.H.F. Müllerパンフレット...p.69
図98
ベネチアン・グラス(ゴブレット)...p.73
図99
Geissler管...p.74
図100
小児の腕の透視検査...p.75
図101-104 Lore Alfterによる油絵...p.76-77
図105
電気溶解炉...p.78
図106
るつぼに満たされる溶融クロム鋼...p.78
図107
クロム鋼ブロックの鋳造...p.79
図108
クロム鋼ブロックの仕上げ...p.79
図109
Müller Media管:表紙...p.80
図110
Media Metalix管:表紙...p.80
図111
Müller Rotalix管:表紙...p.81
図112
陰極線:表紙...p.81
図113
1930年の製造センターおよび本社ビル...p.82
91
図119
作業するガラス吹き工のKlemens Abraham。
1973年に撮影された写真。硬質ガラス容器内に陽極および陰極を封入する様子を示している。
Klemens Abrahamはガラス吹き工として50年にわたりC.H.F. Müller社に勤務した。
92