産業近代化遺産の活用に関する問題点

日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要
No.42(2007)pp.39 − 44
産業近代化遺産の活用に関する問題点
佐野 充・田中絵里子
The Problems about the Use for the Industry Modernization Heritage
Mitsuru SANO and Eriko TANAKA
(Received September 30, 2006)
The purpose of this paper is to clear the process of canal restoration, and to be useful for Japanese tourism development. A British canal was built in the times of the Industrial Revolution, and it was restored in after 1960. Now canals
attract attention as the center of tourism. Canals serve to follow culture, tourism, environmental symbiosis, and landscape
formations.
There is culture to walk for a long time in Japan. The plan that utilized local resources in Japan of the present age is
possible. I think that the tourism development that attached great importance to “the speed to walk”is necessary.
Keywords : The Industry Modernization Heritage, The Cultural Properties, The World Heritage
期以降,今日まで開発の利益を享受してきた先進工業国
Ⅰ はじめに
群が作り出した負の遺産の弁済までも発展途上国群に,
19 世紀に出来上がった工業化と国民国家の形成によ
るヨーロッパ世界は,1
1 世紀以上の時間をかけて,地球
いわゆる応分の負担と責任を持ってもらうような主張
は,強者の論理そのものである。
規模の展開をした。産業革命以降,ヨーロッパを源とす
このような状況において,人類が地球に負荷をかけて
るヨーロッパ的世界は,成長・成熟・停滞・崩壊の歴史
きた結果の残照としての「残された自然と開発の足跡」
を繰り返してきた。結果として現存している世界は,地
である遺物・遺産を後世に伝えるために,世界遺産をは
球規模の保全・保護を人類の目標として,自然と人類に
じめとする保存・再生を伴うさまざまな方策がとられて
やさしい地球づくりを心がけている。しかしながら,
いる。
ヨーロッパ的世界の成熟段階にある先進工業国群は,現
在保有する産業・生活レベルを温存しつつ,地球規模の
Ⅱ 産業近代化遺産の文化財としての保存
バランス感覚で地球環境の保全・保護を達成しようとし
世界遺産は,一般的に世界遺産条約といわれている
ている。この先進工業国群は,今日までの開発行為や汚
「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」
染・汚濁行為などによる地球に対する負荷を考慮するこ
に基づいて,
「世界遺産リスト」に登録された自然や文化
となく,
「地球に残されている糧を人類が平等的に享受
のことであり,自然遺産,文化遺産,複合遺産に分類さ
しよう」と主張している。この主張は,ヨーロッパ的世
れる。この条約は,第17回国際連合教育科学文化機関(ユ
界化の発展段階にある発展途上国群の発展に対する国威
ネスコ)総会(1972 年)で採択された。2006 年 7 月現在,
を削いでしまうことになりかねない主張である。残され
世界遺産リストには自然遺産 162 件,文化遺産は 644 件,
た地球の糧を有効活用していくために規制や制限を実施
複合遺産は24件の総計830
24件の総計830
件の総計830
830 件が登録されている。しかし,
していくことは,必要不可欠なことであるが,産業革命
全世界遺産の半数近くがヨーロッパに集中しており,8
8
日本大学文理学部地理学教室 :
〒 156
156−8550 東京都世田谷区桜上水
東京都世田谷区桜上水 3 −25−40
Department of Geography, College of Humanities and Sciences, Nihon
University: 3−25−40 Sakurajosui Setagaya−ku, Tokyo, 156−8550 Japan
─ 39 ─
( 39 )
佐野 充・田中絵里子
割近くが文化遺産に登録されているなど,地域や登録分
ロッパ的世界とそれに対峙する非ヨーロッパ的世界とに
類の不均衡が生じている。この傾向については,1990
1990 年
おける,人類共通の「ヨーロッパ的世界の視点からの遺
代頃から問題視され,是正する動きが見られるように
産」として,制定されたものであるため,偏りが存在す
なってきたが,現在でもヨーロッパ偏重の傾向は,収
るのは,必然的結果であるといえる。
近年,18
18 ∼ 19 世紀の産業革命期を象徴する,いわゆ
まっていない。
世界遺産がヨーロッパに集中する背景としては,世界
る世界の近代化に貢献した産業遺物・遺産である「産業
遺産条約自体がヨーロッパの価値観に基づいて,ヨー
近代化遺産」が,世界遺産指定の対象として注目を集め
ている。1986 年登録の「アイアンブリッジ峡谷」(図 1 )
を初めとして,「ブレアナヴォンの産業景観」
(2000
2000 年登
録),
「ダーウェント渓谷の工場群」
(2001年登録)
2001年登録)
年登録)などが,
ヨーロッパ地域での産業革命期の原風景を現す産業近代
化遺産として数多く登録されている。
自然遺産・文化遺産・産業遺産などの後世に伝えるべ
き人類の財産の保存については,静態保存と動態保存が
ある。
静態保存とは,遺跡や伝統的建造物などを現存する場
所でそのままの状態で保存したり,適当な場所に移築を
した後に移築前の状態を保ったままで保存する保存方法
である。動態保存とは,現存する遺跡や伝統的建造物な
どを遺産としての存在価値を損なわない限りにおいて,
他用途に転用して現代の生活に機能することを目的とし
図 1 アイアンブリッジ渓谷(ユネスコ資料による)
て活用しつつ保存する方法である(図 2 )。
赤レンガ倉庫は,横浜市の中心市街地に隣接している
みなとみらい 21 地区に立地している 2 棟の赤煉瓦倉庫
である。この明治・大正期の都市景観を呈している建造
物は,1965
1965 年に横浜まちづくり六大事業が開始され,そ
の一つである横浜都心強化(再生)計画の一環であるみ
なとみらい 21 計画の一部分として,再活用されるまで
の長い期間は,使い勝手の悪い空き倉庫として放置され
ていた。計画推進の過程で,歴史的産業遺産的価値のあ
る赤煉瓦倉庫の再活用が話題になり,市民的議論の中で
図2
動態保存されている赤レンガ倉庫(横浜観光コンベン
ション・ビューローによる)
再活用の実現化が決まり,日本の海港場として発展して
きた横浜を代表する明治・大正期の煉瓦造建築物の外観
をそのままに,内部はホール・多目的スペース・レスト
有形文化財
重要文化財
ラン・物販店などに再活用され,周囲に広がるかつての
国 宝
荷捌き場とともに,「横浜赤レンガ倉庫と赤レンガパー
登録有形文化財
無形文化財
民俗文化財
重要無形文化財
ク」として観光スポット化されたのである。
重要無形民俗文化財
文化財
その一方で,現在,日本では開発と快適な生活環境づ
重要有形民俗文化財
くりのために実施されてきた国土開発や都市再開発など
登録有形民俗文化財
記念物
史 跡
特別史跡
名 勝
特別名勝
天然記念物
特別天然記念物
の進展に伴い,伝統的な町並みや古い由緒ある建造物な
どの文化財が消えつつある。また,社会的な評価を受け
る前の将来に残しておくべき建造物などが消滅の危機に
登録記念物
文化的景観
重要文化的景観
伝統的建造物群
伝統的建造物群保存地区
重要伝統的建造物群保存地区
ある。このような状況下での文化財の保存は図 3 のよ
うな保存体系をとって,実施されている。
図 3 日本における文化財の保存体系
( 40 )
中でも,重要文化財・登録有形文化財は,それぞれに
─ 40 ─
産業近代化遺産の活用に関する問題点
代化遺産」を設け,文化財の指定を実施した。現在,藤
表 1 保存の対象・保存状態・規則の状況
対 象
象
象
保存状態
規制 倉水源地水道施設(1993
1993 年),碓氷峠鉄道施設(1993
1993 年),
重要文化財
点(指定)
指定)
)
静態保存
厳しい
白水溜池堰堤水利施設(1999
1999 年)などの産業近代化遺産
登録有形文化財
点(登録)
登録)
)
動態保存
緩い
重要伝統的建造物群
保存地区
面(選定)
選定)
)
静態保存
厳しい
1996 年には,変化の著しい現代社会に対応する文化
動態保存
緩い
財保存制度として,登録有形文化財の制度を導入した。
が重要文化財に指定されている。
登録有形文化財の条件は,国土の歴史的景観に寄与して
いること,造形の規範となっていること,再現すること
保存における特徴があり,国宝指定の基盤となっている
が容易ではないことなどである。この制度においては,
重要文化財は静態保存の方法をとっており,指定の基準
文化財としての価値評価が確定していない近代建築物で
と規制は最も厳しい。登録有形文化財
1)
)
は,後世に幅
も,後世に継承するために文化財・遺産として,積極的
広く継承することを目的としているために,登録による
に登録することを推進するものであり,重要文化財とは
緩やかな保護処置をとっており,建造物の内装や用途の
異なり,幅広い活用が可能である。従って,建物の外観
変更などを容易に行うことができ,動態保存がしやすく
はそのままに内部を改装したり,用途を転用したりし
なっている(図 3 )
。これら 2 者が建造物などの点的なも
て,建物をそのまま活用し続けることができる動態保存
のが保存の対象であったのに対して,宿場町や港町など
がしやすくなった。また,登録制をとっているために,
の町並みを保存の対象とする重要伝統的建造物群保存地
申請も簡便になり,全国に数多くの登録有形文化財が生
区は,面的に建造物群が選定され,静態保存と動態保存
まれた。
の両方が保存方法として採られている(表 1 )
。
最近の動向としては,産業近代化の足跡である産業遺
産や,稼動中の工場を観光に活用する産業観光が注目さ
Ⅲ 日本の産業近代化遺産指定と世界遺産登録の現状
)
れ始め,隠れた産業遺産 2)
を見直す動きが出てきている。
日本において,歴史的価値を持つ建造物などの造形物
これは従来の名所旧跡と,大型観光投資の造形物である
の保存が注目されるようになったのは,高度経済成長期
観光施設を巡る観光からの脱却の一方策である。ヨー
以降の過度な開発による日本の伝
統的風景や町並みの消滅に対する
表 2 日本の世界遺産
想い,悪化していく自然・社会環
和 名(一般的な邦訳名)
境に対する憂いと保全に対する意
改正により,伝統的な建造物群が
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
面的に保存されるようになり,全
12 紀伊山地の霊場と参詣道
国に数多くの保存地区が誕生し
13 知床
識の高揚が始まってからである。
1960 年代末ころから日本全国で
歴史的な町並みを保存しようとす
る動きが活発になり,1975
1975 年に文
化財保護法が改正され,重要伝統
的建造物群保存地区が選定できる
ようになった。この文化財保護法
法隆寺地域の仏教建造物
姫路城
白神山地
屋久島
古都京都の文化財(京都市・宇治市・大津市)
白川郷・五箇山の合掌造り集落
広島平和記念碑(原爆ドーム)
厳島神社
古都奈良の文化財
日光の社寺
琉球王国のグスクおよび関連遺産群
所在地
登録年
分類
奈良県
兵庫県
秋田県・青森県
鹿児島県
京都府・滋賀県
岐阜県・富山県
広島県
広島県
奈良県
栃木県
沖縄県
三重県・奈良県・
和歌山県
北海道
1993
1993
1993
1993
1994
1995
1996
1996
1998
1999
2000
文化
文化
自然
自然
文化
文化
文化
文化
文化
文化
文化
2004
文化
2005
自然
た。
資料:文化庁
日本の近代化を担ってきた産
業・交通・土木に係る造形物は,
表 3 日本の世界遺産暫定リスト記載物件
日本の伝統的な建造物と同様に技
件 名
術革新や産業構造の変化に伴い,
取り壊しが相次いで行われた。こ
のような現状に対して,文化庁は
1
2
3
4
古都鎌倉の寺院・神社ほか
彦根城
平泉の文化遺産
石見銀山遺跡
1993 年に文化財の種別として,
「近
所在地
記載年
分類
神奈川県
滋賀県
岩手県
島根県
1992
1992
2001
2001
文化
文化
文化
文化
資料:文化庁
─ 41 ─
( 41 )
佐野 充・田中絵里子
ロッパには,産業近代化遺産の世界遺産指
表 4 各時代における運河の役割と社会的背景
定は多いが,日本にはまだ一つもない。産
業近代化遺産を単に文化財として扱うだけ
ではなく,修復,保存し,地域の活性化策
に直接結びつけようとする動きが多数みら
れるようになってきている。
現在,民間の産業考古学会による推薦産
時代
社会的背景
18 世紀以前
18 世紀半ば
産業革命
19 世紀以降
蒸気機関車の営業運転開始
1960 年以降
地域資源の見直し
自然環境保全
レジャーへの関心の高まり
)
業遺産認定 3)
や,文化庁の登録有形文化財
制度による近代に築かれた産業遺産になり
運河の状態
河川,水路
運河の役割
動力源
漁場
運河建設
物資輸送
(カナルマニア)
衰退
−
埋め立て
修復
環境保全
レジャー
うる可能性のある施設の保存,活用が推進
)
されている。さらに,日本観光協会は,近代化産業遺産 4)
施設の改修や利用についての厳格な制限がある訳ではな
を独自に認定している。近年中に,日本においても産業
く,登録有形文化財制度に基づく産業近代化遺産化は,
近代化遺産分野の世界遺産登録がなされる可能性が高い。
外観を維持すれば自由に改修や利用ができるため,文化
さて,世界遺産登録についてであるが,日本は,1992
1992
財の保存という点において,新たな問題を内在させるこ
年の世界遺産条約批准以降,着実に登録数を増やし,
とになる。現在,愛媛県新居浜市の旧別子銅山(1973
1973 年
2006 年 10 月 1 日現在で,13
13 件(自然遺産 3 件,文化遺産
閉山)や,群馬県富岡市の旧富岡製糸場(1872
1872 年建設,
10 件)が登録されている(表 2 )。また,現在「古都鎌倉
1987 年操業停止)などでは,産業観光都市化の取り組み
の寺院・神社ほか」,「彦根城」,「平泉の文化遺産」,「石
が始まっており,産業近代化遺産を軸とした観光による
見銀山遺跡」の 4 件が暫定リストに記載されている
地域再生を望んでいるが,全体構想先行,詳細計画の立
(表 3 )。これら 4 件は,今後 5 ∼ 10 年以内に世界遺産に
ち後れといった状況にある。
登録されることを目指していずれも世界遺産の文化遺産
候補ではある。中世遺跡の「石見銀山遺跡」は,日本の産
Ⅴ イギリス産業革命期の運河の再活用
産業近代化遺産の事例として,イギリス産業革命期に
業遺産として世界遺産登録を目指しているが,本稿でい
造られたが,時代の変化の中で長い間放置されていた運
うところの産業近代化遺産にあたらない。
河が,あらたなレクレーション・観光資源としてよみが
Ⅳ 日本の産業近代化遺産の指定における課題
えった 6,400km の運河について報告する。イギリスの運
世界遺産は,現状維持が義務とされている。国際連合
河の多くは,18
18 世紀の産業革命期に建設された。それ以
教育科学文化機関(ユネスコ)からの保護に関わる資金
前の河川は水車を設置して動力源にしたり,漁場として
援助は原則的にはないが,その一方では,保全状態が定
開発することに関心が向けられていた。最初の近代的な
期的に調査される。しかし,世界遺産としての価値が失
運 河 は,1761
1761 年 に ブ リ ッ ジ ウ ォ ー タ ー 伯 爵(1736
1736 ∼
われたと判断された場合には,国際連合教育科学文化機
1893)
)が,所有する炭鉱から工業都市マンチェスターま
関によって世界遺産リストから除外されてしまうことが
で石炭を輸送するために建設したおよそ 30 マイルの水
ある。
)
路であるといわれている 5)
。このブリッジウォーター運
世界遺産登録には,過剰な不必要な開発計画に対し
河が効率のよい石炭輸送を実現すると,たちまちイギリ
て,開発抑止効果があるといわれている。しかし,その
ス中に運河建設ブームが巻き起こり,投資家たちは多額
一方で,世界遺産に登録されたことによる市民生活や観
の資金を運河建設に投資した。このブームは“カナル・
“カナル・
カナル・
光産業への多大な影響が問題視されている場合もある。
マニア(canal
canal mania)
)”と呼ばれ,1770 年ごろから 10 年ほ
白川郷では,世界遺産に登録されたことによって,観光
ど続いた。この結果,イギリス国内には総延長 4,000 マ
客が激増し,地域内は交通渋滞が恒常化し,住民の生活
)
イル(6,400
6,400 km)
)の運河が出現した 6)
。
イギリスにおいて運河輸送が発達した理由としては,
環境は大きく変化した。近年では,観光客相手の土産店・
民宿,観光施設の増加,自家用自動車や観光バスなどの
輸送コストの安さ,輸送量の多さ,時代的背景が挙げら
増加が顕著になり,道路景観は新たに設置された看板な
れる。
運河による水運は,荷馬車による陸運の約 25 倍もの
どによって騒々しくなってきている。
産業近代化遺産について言えば,観光資源としての出
)
量を一度に運ぶことができた 7)
。
番は増加しそうである。重要文化財制度のように,遺跡
( 42 )
─ 42 ─
産業革命期は,原料・資材を産地から工場へ輸送する
産業近代化遺産の活用に関する問題点
ニーズが高かったために,大量かつ安価に物資を輸送す
③ 環境共生,④
④ 景観形成などさまざまな役割を担って
ることができる運河は物流の担い手として重要な役割を
いる(図 4 )。
果たしていた。
運河は,運河そのものと周囲の田園とによって構成さ
しかし 19 世紀になると,石炭をはじめとした物資を
れる景観,そこをゆっくり航行していくナローボート,
輸送する役割は,運河から鉄道へと変化し,運河は衰退
)
トゥパス 9)
をカナル・ウォーク,サイクリングする観光
の一途をたどった。運河は,運河規格の未統一,高通行
客・住民などによって,産業近代化遺産が動態保存され
料金であったために,1825
1825 年に世界初の蒸気機関車によ
ている。そこは,まさにツーリズムの源であり,イギリ
る営業運転が開始された高速で艀による運河輸送よりも
ス国民のみならず世界中の人々から愛されている保存す
大量に運搬できる鉄道輸送に流通の主役が取って代わっ
べき人類の財産である。
たのは,自然の流れであったといえる。運河は次第に
人々から忘れ去られ,衰退していった(表 4 )
。
環境保全の活動が活発化したことによって,運河が修
復・再生された結果,運河巡りが観光客の人気を集め,
しかし,過去の遺物と化していた運河は,1960
1960 年代に
入って,再び注目が集まったのである。 過度の開発に
周囲の田園にも集客効果が見られ,運河周辺地域は地域
資源と伝統・文化をうまく活用した地域再生がなされた。
よる都市環境,生活環境,衛生環境の悪化は,環境保全
つまり,運河の活用は,環境や治安が悪化していた地
に対する市民意識を芽生えさせたのである。社会は自然
域に忘れられていた地域資源の活用の機会を与えたこと
環境保全や地域資源の見直し,余暇活動などへの関心が
により,周辺環境の保全・整備への関心を高め,環境共
高まりを見せるようになった。このような社会的背景の
生の意識をも高めた。この運河の活用では,運河やその
中で,やがて,運河は環境再生への取り組みと日常生活
周辺環境の維持・管理には,市民ボランティアの積極的
における楽しみを求める市民によって,環境再生とレ
環境再生とレ
な関わりが成功の一翼を担っていた。さらに付け加える
ジャーとの活用が併せて試みられるようになった。
のであれば,運河とその周辺地域では,近代化の時代を
この市民的行動は,イギリス水路委員会を動かすこと
生きたシェイクスピアやイギリスの産業を支えてきた工
になり,運河は修復・再生されることになった。これに
場や公共施設など,産業革命期という同一コンセプトに
は市民ボランティアなどが大きく貢献した。現在でも,
合わせた景観整備が行われ,美しい景観の形成にも貢献
運河の修理や草刈りなどの周辺環境整備に,多くの市民
してきた。まさしく,産業近代化遺産を軸とした総合的
ボランティアや周辺住民が協力している。
地域づくりが実践されてきたといえる。
運河の再活用の代表は,レジャー用に改良された運河
8)
)
船(ナローボート・narrow
narrow boat)
)
に乗って修復された運
Ⅶ まとめ
河を巡る旅である。この旅は,人々の人気を集め,各地
イギリスの運河を産業近代遺産として,地域再生に役
で運河の修復が進められた結果,現在では運河の最盛期
の 9 割が航行可能となっている。また,近年では修復
した運河を軸に,運河周辺地域を包括したローハス的地
域再生が盛んに行われている。一方では,
一方では,運河沿いには,
運河巡りを楽しむための施設を配置し,積極的に観光客
や地域住民の呼び込むことを実践することによって地域
再生を実現しようする計画も推進されている。
つまり,イギリスの産業革命期に建設され,イギリス
の産業・経済を支えてきた運河が,衰退の憂き目をみた
後に,再び,修復・再生され,イギリス国民の大切な財
産・資産となって,イギリスを代表する産業近代化遺産
となっているといえる。
Ⅵ 産業近代化遺産としての運河の果たす役割
イギリスにおける運河は,一度は衰退したもののレ
ジャー用として見直され,さまざまな活用が試みられて
いる。現代の運河は,① ツーリズム振興,② 文化の復興,
─ 43 ─
図 4 現代における運河の社会的役割 10)
( 43 )
佐野 充・田中絵里子
立てた事例は,地域資源の潜在的価値を再評価すること
人が周囲の自然環境や暮らしに融け込んでしまうのに
の重要性を示唆している。さらには忘れられた遺産を地
は,このくらいの低速で移動することが望ましい。
域資源として活用することが,ツーリズムの振興のみな
現代に忘れられている運河が存在していない日本に,
らず,文化の復興,環境共生の実現,新たな地域景観の
全国規模の展開は実現できないが,古来,
「移動は歩き」
形成など,多岐にわたる分野においても多大な地域貢献
の道の国である日本は,全国に点在する産業近代化遺産
的効果をあげることが証明された。
を軸とした「歩き空間」にポイントを置いた地域再生を
さて,現在日本の各地で産業近代化遺産の世界遺産登
試みることは十分に可能である。さらに,近代化前の主
録に向けての運動が盛んに行われているが,イギリスの
要街道や巡礼街道や古道の再現などを加えることによっ
ような全国規模の展開をする運河を活用した地域再生・
て,現代日本においてもナローボートによる運河巡り的
大規模なツーリズムは,日本においてはほぼ不可能であ
ツーリズム,環境保全,地域資源を活用した地域づくり
る。日本にも運河が江戸時代を中心に存在したが,江戸
が可能であると考える。
にしても,大阪にしても,運河はそのほとんどが埋めた
そのためには,スローライフ的視点にたった「歩く速
てられてしまっている。イギリスのナローボートの良さ
さ」によるツーリズム開発が必要であると考える。
は,人の歩みとほぼ同速度で運河を巡るところにある。
注
1)登録有形文化財は,届け出制,指導・助言・勧告が基本
の緩やかな保護処置である.
2)経済産業省は,産業観光に関連して,産業遺産の用語を
用いている.
3)産業考古学会は,人間が築いてきた過去の生産活動の痕
跡を具体的に示し,同時に未来の産業発展に多くの展望
と示唆を与えてくれるものについて,産業遺産の用語を
用いている.
4)日本観光協会は,近代化,工業化に貢献してきた産業施
設や建物,これらを支えた運河,鉄道,港湾といったイ
ンフラの遺構などを総称するものを近代化産業遺産とし
て認定している.
5)水路を建設して船を通す運河自体はこれ以前のヨーロッ
パにすでに存在していたが,運河によって経済的効果を
生んだのは 1761 年であることから,これが近代的運河
の始まりだとする説が一般的である.
6)canal mania, http: //www. h4.dion. ne. jp/˜canal/
7)ウェッジウッドは,工場のあるイングランド中部の都市
ストーク−オン−トレント(Stoke−On−Trent)から製品を
( 44 )
輸送した.1777年に開通したトレント・マージー運河は,
ストーク−オン−トレントの陶磁器産業を急成長させた.
8)ナローボート(narrow boat)とは,狭くて(narrow)
,細
長いボート(boat)のことである.全長は船に応じて 10
∼ 20 m(平均 17 m)あるのに対して,幅は 2 m ほどしかな
い.狭い運河を自由自在に往来するための形で,産業革
命期に石炭を工場地帯へ輸送するのに使用された船の形
を踏襲している.現代のナローボートは運河巡りのレ
ジャー用として造られたものであり,色鮮やかな彩色が
施され,伝統的なデザインがふんだんに取り入れられた
非常に美しい船である.
9)もともとは馬が船を牽引するために整備されたトゥパス
は,今日,ナローボートでのツーリズムに活用されてい
るばかりではなく,サイクリングやウォーキングの道と
しても利用されている.
10)田中絵里子・佐野 充(2006)
:「イギリスにおける産業
革命期の運河の復活とナローボードを用いたツーリズ
ム」
,日本地域政策研究第 4 号,P94 の 図 8 を用いる.
─ 44 ─