関西のページ(2) 電気38 笹本 榮

関西のページ(2)
日本酒㳊愉㲳㳛
電気系関西地区同窓会 笹本 榮(電気38年卒) お酒との出会い
日本酒への傾倒
私が初めてお酒を飲んだという意識をした
学生時代のお酒と言えば下宿の部屋で、バ
のは大学に入った年の暮れであったから、大
イトで稼いだお金を出し合って買ってきた安
きな声では言えないがまだ未成年の時であ
酒を囲んで、茶碗で飲みながら色々と遅くま
る。
で議論したのを思い出す。この時の肴は食堂
当時の田中学長が顧問を務める大乗仏教研
のおばさんに分けてもらった味噌である。誰
究会なるクラブの「禅同好会」と言うところ
がどうして発見したのかは知らないが、これ
に入って、常栄寺で雲水見習いみたいな生活
に味の素を振りかけて混ぜると照りが出て絶
をしていた頃、年末の茶会で(老師が主宰す
品の肴となる。学生が大手を振って酒が飲め
る著名な人たちの茶会が毎月開かれており、
るのはクラブのコンパである。私はバレー部
年末にはお酒も出て本堂で忘年会みたいなも
に属していて、年末には必ず宇部の街に出て
のがあった)残り物の片付けで飲んだのが始
飲まされた。この時は、先輩に負けないよう
めてである。日頃は精進料理に白湯ばかりな
に事前にチーズなどをかじって出かけるのだ
ので、ご馳走の残り物をつまみ食いしながら、
が、先輩はそれを察知してか早めに呼び出し
皆で盗み酒をしたのである。
てホルモン屋で焼酎を飲まされて(もちろん
他の仲間が真っ赤になって酔っ払って苦し
ストレートで)
、港まで走らされてハンディ
げなのに、私のほうは気分がよくなり、結構
をつけられたものである。こんなクラブでの
いけそうだ…と言う新しい自分を発見したの
酒では意識不明になって田んぼの中で一夜を
である。勢いに乗って街に繰り出してバーと
過ごしたこともあるが、そんな経験を積みな
いうところに行ったのもこの時が初めての経
がら着実に実力をつけて行ったのである。
験であった。ウイスキーという酒を飲んだの
上級生になると仲間同士で勝手に飲みに行
も初めてで、壁に書かれた値段表を見ながら
くこともあった。宇部の街では、場所は正確
飲んでいたらシングルとダブルがあるのも知
には覚えていないが、川沿いで通りに面した
らず、結局持ち金がなくなり学生証を置いて
角に「千福」の看板がかかった居酒屋があっ
帰ったのを覚えている。
てよく通った。今でも千福は親しみを感じる
そして今日まで50余年、色々の酒を飲んで
酒である。
きたが、振り返るとお酒のおかげで得をした
会社に入ってからも、現場配属だったこと
こともたくさんあるが、失敗も数え切れな
もあってよく先輩に連れられて飲み歩いた。
い。お酒は日頃の武装を解除して人の心を開
酒が飲めないと一人前ではないような雰囲気
いてくれ、お互いに生身の人間が現われるの
があったが、私は学生時代の鍛錬のおかげで
で人との交流が多くなり、色々の縁を結ぶこ
何とか現場のつわものの仲間に入れてもらえ
とができるのは最大のプラス面ではないかと
たのは山大の成果である。はじめの頃の酒は、
思う。
人との交わりを作るための機会であり、次に
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は酔うための媒体であったように思う。もち
日本酒を愉しみながら日本の素晴らしさを見
ろんビールやウイスキー、焼酎なども飲んだ
直そう
が、やはり年配のおじさん達との一杯はコッ
色々の酒を飲みながら調べていると、日本
プ酒である。現場では一仕事が済んだら帰り
酒に関する文献が非常に多いことに驚く。発
際に、会社の近くの立ち飲み屋によく連れて
酵工学の専門書から始まって、医者、文人な
行かれた。酒屋の片隅に通い箱を積み上げた
どの酒の愛好家の書いたものにも、日本酒の
ようなテーブルで、コップに薬缶からギリギ
素晴らしさを称えたものが多くあるが、それ
リに注がれる酒を口を近づけて飲み、駄菓子
らを網羅したような原典とも言える有名な書
屋のガラス壷のような入れ物から串刺しのす
は、東大の名誉教授、坂口謹一郎先生の「日
るめを1本とってかじりながら、1日の疲れ
本の酒」
(岩波新書)である。この冒頭に「酒
を癒すのである。
は日本人が古い大昔から育て上げてきた一大
若い頃はただ酔ってストレスを発散できれ
芸術的創作である。したがって古い時代の日
ば幸せで、酒の味などあまり気にしなかった
本の科学も技術も、全部この中に打ち込まれ
が、40歳を過ぎたころ、仕事の関係でアルミ
ているわけであるから、日本人の科学する能
の加工業者に連れられて姫路の山奥の酒蔵を
力や限界も、またその特徴もすべて、この古
訪ねて、そこで私の人生を変えるような出会
い伝統ある技術をつぶさに調べることによっ
いが待っていたのである。初めての酒蔵見学
てうかがい知ることができる。」そして日本
であり興味を持って蔵を回ったが、絞りたて
人の科学的創造力、独創的な技術に対して驚
の酒は酸味が強く、荒っぽい味が印象に残っ
嘆すると共に賞賛し、今日のバイオテクノロ
てあまり旨いという感じはしかしなかったよ
ジーの原点はここにうかがうことができると
うに思う。
いっている。それもこれも日本の四季の温度
ところが、そこでもらって帰った壷入りの
変化や適度の湿度といった風土的環境を抜き
酒を、盃に満たして口を近づけると得も言え
には生まれ得なかったものであり、世界で唯
ぬ香りが立ち、口の中ではパーっと旨味のよ
一無二の文化と言えるのではなかろうか。
うな味が広がり、喉元を通り抜けた瞬間に電
医者や文人の書いた酒の礼賛の辞を読んで
気が走り抜けたような感動が五体を満たし…
いると、一言一言が身にしみて酒が飲める喜
そこから私の本当の酒の遍歴が始まったので
びを実感するのである。日本の詩や短歌など
ある。
には感傷的な酒が出てくるが漢詩の中には人
実は私の子供の頃、実家の長崎の片田舎で
生を達観したような飲み方があって面白い。
は密造酒を作っていて、その手伝いをした覚
このように酒に関する文献を集め、読みなが
えがあり、祝い事や法事などの時は必ず酒が
ら一献というのも酒の一つの楽しみ方だと思
出るので、子供でも少しは飲んだことはある
う(わが本棚には日本酒に関する本が20数冊
がもちろん酔うという経験はなかった。本当
並んでいる)
。
の日本酒の香りと、またその熟成した味を利
でもやはり酒には肴である。いい肴がある
いて子供の頃の酒の記憶が蘇ったのである。
と安物の酒でも嬉しいものであるが、それで
本物の酒に出会ってから、色々の酒を飲み
も相性というものがある。季節の素材に合わ
香りや味の違いなどを楽しみながらその世界
せて作られる肴に合わせて色々の酒を楽しむ
の奥深さの虜になってしまったのである。 ことができるのも、日本酒の多様性にあるよ
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うに思う。冷酒で飲む酒や温めの燗がいい酒
は日本酒の良さが認識されていないのは残念
もあるので、季節に応じて酒を選ぶのも贅沢
である。ここでは我々はもっと日本酒のよさ
な楽しみである。私の酒の肴はやはり豆腐が
を見直して大いに飲むべきだと主張してい
一番であるが、蕎麦で飲むのも好きである。
る。
酒と肴の相性は個人の好みもあるが、かけが
平成になって酒税法が改正されてから、酒
えのないのは相棒である。よき友と議論し心
の等級制が廃止され地方のいい地酒が広く飲
を通わせながら飲む酒は何よりで、最良の肴
めるようになったのも、日本酒の復活の後押
は楽しい会話であろうか。
となっている。
それまで兵庫の灘・伊丹、京都の伏見、広
今や日本酒は世界中でそのよさが認識さ
島の西条などと言ったブランド酒が好まれて
れ、輸出の貴重な産物になっているようであ
いたが、この時期を境に地方のいい酒が話題
るが、これはヘルシーで人気が出ている日本
に上がるようになり、日本酒の会でも地酒の
食とあわせて、日本の食文化の素晴らしさを
方が上位にランクされるようになり、頼もし
実証しているのではないかと思われる。
い限りである。山口県はこれまであまり酒造
私は随分前から「いい日本酒を育む会」や
県としては陽が当たらなかったようである
「日本酒愛好会」「番茶会」などといった色々
が、最近の人気銘柄のトップに「獺祭」があ
の会に参加して日本酒好きの仲間と付き合
り、
「長州学舎」のようないい酒があること
い、また会社でも好きな仲間を集めて全国各
に誇りを感じている。
地の酒を持ち寄って飲み比べるなど、すっか
酔っ払いのたわごとはこの辺で。
り日本酒党になってしまっているが、一般に
昨年の夏に登った八ヶ岳連峰の「硫黄岳」にて。
毎年山に登ることを目標に日々の生活をコントロールして頑張っています。
今年は阿弥陀岳の予定でトレーニングをしているところです。
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