ノスタルジー:1970 年代初頭のサウジアラビア・ヒジャーズ地方

ノスタルジー:1970 年代初頭のサウジアラビア・ヒジャーズ地方
1973 年から 74 年にかけて、サウジアラビア北西部のヒジャーズと呼ばれる地方で砂漠暮らしをしました。砂漠の中をジープ
に乗ってくまなく走り回り、航空写真を片手にベドウィン(アラブ遊牧民)から地名を聞き出すという仕事です。そのときの写真
が出てきたので、いくつか紹介します。30 年経っていても、砂漠の様子は今もそう変わっていないでしょう。ひとときのお目休
めにどうぞ。
{画面は小さめ(実際の大きさ)にしてご覧いただくと、見やすくなります}
堀内正樹
2001.09.11@horiuchi
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
第 1 部:ジェッダ編
中央広場脇の市場。
西海岸最大の都市「ジェッダ」の目抜き通り。ジェッダはサウジア
ラビアで最大の人口を擁する町で、西海岸の文字通り表玄関。巡礼
月になると、世界中からこの町にムスリムが集結します。
ジェッダの裏町。伝統的な木造の高層住宅。もっと高い高層建築は、
南隣のイェメンへ行くとたくさん見られます。
映画館。雨はまず降らないと言ってよいので、青空席です。
中央市場の入り口
子供たちがコーランの勉強をするマドラサ(学校)
。
どうということのないジェッダの下町の風景
第 2 部:砂漠編
の冒頭で、ロレンスがある井戸で水を飲もうとしたとき、オマ
ー・シャリフ演ずる井戸を所有する部族の長がどこからともな
く現れて、無断で水を飲ませようとしたロレンスのガイドを撃
ち殺すというシーンを覚えていませんか?実際には、人が水を
飲むのは誰の井戸からでもよいのです。ただし家畜に飲ませる
場合には、その部族の了承が必要です。
どこへ行ってもお目にかかるうんざりするような風景
サウジアラビアの北西部の広大な地域をヒジャーズ地方といい
ます。イスラムの歴史上、重要な事件が数多く生じた重要な地
幹線道路はこのようにひたすらまっすぐ。砂漠の道なき道を砂
域です。その中心都市の一つ「タブーク」の近くの風景です。
まみれになって走り回った後、こうした舗装道路に乗ると、ま
るで天国のように感じました。
山に囲まれた盆地のことをラハバと呼びます。この写真はラハ
バの真ん中にある井戸です。ベドウィンが家畜を連れてやって
きます。もちろん部族の所有です。映画「アラビアのロレンス」
砂嵐です。全く何も見えなくなります。怖いですよ。
アル・ウラーという地方です。深い砂の続く平地のあちこちに、
巨大な一枚岩の固まりが、ごろんごろんと現れます。岩の高さ
は数十メートルあります。
ベドウィンから駱駝の乳を飲ませてもらうの図。搾りたてをホ
ウロウのボウルに入れて飲むのですが、なま暖かくて、表面に
駱駝の毛が浮いているのをフーっと息で向こう側に寄せて素早
く飲む。飲み過ぎるとすぐに下痢をしますのでご注意を。
なんの変哲もない土漠の風景。空がひたすら広い。
ベドウィンのテント。山羊の毛で編んだ布を使っています。半
分に仕切られていて、向かって左側が男の部屋、右側が女と子
供の部屋。男の客は当然左側で接待を受けます。ここで入れて
もらうカルダモン入りの、まるで抹茶のような薄い色をしたほ
ろ苦いアラビア・コーヒーが旨い!やみつきになります。
ナフードという大砂丘地帯の入り口あたり。料理に使う薪に都
合のよい灌木は、こうしたトゥウースという砂丘の中に生えて
います。ベドウィンも、わざわざ燃料集めに砂丘の中へ入って
ゆきます。
第一次大戦に際して、アラビアのロレンスが破壊して回ったヒ
少し長く定住しようというベドウィンは、粗末だけれども家を
ジャーズ鉄道の線路の跡地。レールは引き剥がされて、自動車
建てる。周囲には砂丘から集めてきた灌木を置いて、燃料とす
(といっても四駆かローリー)の道として利用されている。周
る。
囲の土地が四駆でも車輪が埋まってしまうような深い砂地や岩
場なので、固められた線路用地が道として便利なのです。
マダーイン・サーレフというところにある、古代ナバテア人の
洞窟住居の遺構。最近、考古学的調査が進んでいる。
ヒジャーズ鉄道のムアッザムという駅の傍らにうち捨てられた
貨車の残骸。レールや枕木は塀や建築用材として利用されたが、
貨車は用無しだった。なお、ヒジャーズ鉄道は当時アラビアも
支配していたオスマン・トルコが同盟国ドイツの協力を得て敷
設したもので、トルコの首都イスタンブールと聖地メディナを
結ぶ巡礼鉄道だった。
これは雪ではありません。地中の塩分が地表に吹き出して固ま
った塩湖です。サバフと呼ばれ、大きいものになると数キロ四
方あります。
終始、私の運転手をつとめてくれたウベイダッラーという名の
気のよい男です(右)
。メディナへ向かう峠道で。なお、彼の出
身部族はかの預言者ムハンマドと同じクライシュ族です。今は
どうしているかなあ。
ヒジャーズ山脈がアカバ湾に落ちるあたりには、砂漠のイメー
ジとはほど遠い屹立した岩山が折り重なっています。これはタ
イビスムというところで、両側が百メートルはあろうかという
ほぼ直立した断崖に挟まれています。地面まではほとんど光が
届きません。清冽な小川が谷底を流れ、赤や黄のけばけばしい
原色の花が咲いていました。陰花性植物です。
僚友ウベイダッラーたちと、聖地メディナ郊外のガホワ(お茶
屋)で。
アカバ湾に面したマグナーというオアシスです。地表にあふれ
砂漠で何ヶ月野宿をしたことか!
出た水が地面を流れています。
にくるまる。冬は寒さがこたえました。朝、寝ぼけ眼で出発の
準備。
砂の上に毛布を広げ、寝袋
ヨルダン国境の町ハクルに間近いワーディー。正面に見える海
サウジ王家発祥の地ナジュド地方の中心都市ブライダ。
はアカバ湾。
サウジアラビア東海岸の、ペルシア湾に面した石油の町ダハラ
海岸からアカバ湾を望む。向こうに見えるはシナイ半島です。
ン郊外でのお遊び。湾岸戦争のはるか以前ですから、まさに透
ベドウィンは小さな漁船で向こうとこちらを往来します。
き通るような海の青さでした。クラゲと戯れています。
アカバ湾に突き出たシェイク・フメイド岬の近くの海岸で。中
東戦争で壊された飛行機の残骸です。
とりあえずこの辺で。今は昔の懐かしき画像でした。