カナダ留学を通して 教員養成過程 英語教育専攻 中尾 綾香 2010 年、私は 4 週間のイリノイ州立大学への交換留学プログラムに参加しました。 ホストファミリーにも恵まれ、楽しい 4 週間を過ごすことができました。しかし、その 時は私の他にも 10 人の仲間がいたこともあり、また、私自身、初対面の人を話すこと が苦手だったため、4 週間のほとんどを、一緒に旭川から来た仲間やホストファミリー と過ごし、自分から積極的に何か行動を起こすとこもなく、ただ楽しんできただけでし た。帰国後、どうしてもっと積極的になれなかったのか、せっかくのチャンスを生かせ なかったことにとても後悔しました。3 年生に入り、周りは卒業後の進路を考え始めだ しました。しかし、私は将来自分が何をしたいのか、なかなか見つけられませんでした。 ただ、イリノイ留学後の後悔から、また海外に行きたい!と漠然と思っていました。教 育実習前、冗談半分で両親にまた留学したいことを相談したときに、行きたいのならい っておいで、と背中を押してもらい、2011 年 3 月から 2012 年 2 月までの約 1 年間のカ ナダ留学を決めました。イリノイ留学での反省を生かし、学校の交換留学制度を利用せ ず、第二言語学習に力を入れているという理由でカナダへの私費留学を決めました。そ れからは、インターネットで学校を探し、現地のエージェントを通してホストファミリ ーを探し、大急ぎで準備に取り掛かりました。留学のために学生ローンを組みましたが、 アルバイトも掛け持ちし、12 月から 2 ヶ月間ほぼ休みなしで働きました。 カナダ滞在の前半 5 ヶ月間は、日本でインターネットを通して見つけた私立の語学学 校に通いました。夏に比べ、冬は日本人留学生が少ないため、私が入学してから最初の 数ヶ月間、学校に通う日本人は私 1 人でした。小規模の学校で、1 クラスの人数も少な かったため、なんとか語学学校の友達とはすぐに打ち解けられましたが、それでも、最 初の 1 ヶ月は英語も 通じず、周りに日本人 がいないことで本当 に苦労し、何度も日本 の家族や友達に励ま されました。銀行口座 を作ったり、携帯電話 を契約したり、事務的 な手続きもしなけれ ばならなかったので すが、店員の言ってい ることが何一つ理解 できず、何度もホスト <語学学校の卒業式>先生とクラスメイトと! ファミリーや学校の友達に付き添ってもらい、身振り手振り、絵を書いたりして、助け てもらいました。私の通っていた語学学校は、スピーキング重視の授業が多かったため、 間違った英語でも、次第に話すことに慣れていくことができました。また、アクティビ ティも豊富で、ランチタイムには、みんなで食べ物を持ち寄ってパーティーがあったり、 自分の得意技を披露する小さな企画があったり、クラス対抗でミニゲーム大会があった りして、私もいくつかの競技に参加したり、みんなの前で手品を披露したりしました。 放課後に行われるアクティビティは、パブに行くことが多かったのですが、それにも積 極的に参加することで友達の話も広がり、週末には旅行に行ったり、パーティーを行な ったり、先生生徒関係なくみんなで集まってワイワイしていました。 2 校目はカナダに到着後に探すつもりだったのですが、旅行しすぎてしまったことと、 帰国前にもう 1 度イリノイのホストファミリーに会いにいくという目標があったので、 当初の予定よりもお金がないことに気づきました。そこで、2 校目は TESOL(Teaching English to Speakers of Other Language)の Certification を取れる学校を選び、そこ で 2 ヶ月間勉強し、その後、3 ヶ月半語学学校の先生のアシスタントとしてボランティ アを行いました。TESOL のクラスでは、午前中は英語教育について学び、午後は主に、 実際に語学学校で英語を学習している人にボランティアになってもらい、30 分ほど英 語を教えていました。英語教育については大学 3 年間で学んでいたのですが、知らない ことも多く、また、実際に生徒やクラスメイト相手に模擬授業し、フィードバックがも らえることも、私にとっては貴重な経験でした。 2 ヶ月間のコース終了後のボランティアでは、1 クラス 5~9 人ほどで、例えるなら中 学校前半レベルの英語を教えるクラスを私は担当していました。先生が教えている内容 が理解できない人、アクティビティがうまく進められない人、恥ずかしくてなかなか周 りと話せない人たちをサポートしたり、授業で使用するプリントやテストを作ったり、 採点したり、また、実際 にアクティビティを考 え授業で行なったり、文 法を教えたりしました。 もちろん、私自身も完璧 に英語を話すことがで きないので、英語を英語 で教えるのは本当に難 しく、また、責任も重く、 何度も挫折し、苦労しま した。 3 ヶ月半のボランティ アを終え、帰国前に私は 東海岸の方へ念願だった 2 週間の旅行に行きました。たった 2 泊しかできませんでした が、イリノイでは前回のホストファミリーが迎えてくれました。 留学前、私は本当に英語が全く話せませんでした。英語を話すよりも、ジェスチャー や絵を書いた方が人とのコミュニケーションしやすかったくらい、私の英語力は低かっ たのです。たった 1 年間で英語がペラペラになったわけではありませんが、色々な国か ら来たたくさんの人と出会い、多くの経験をして、自分の視野や考え方が本当に大きく 変わりました。今でも、カナダで出会った仲間とは連絡を取り合っています。また、将 来やりたいことが見つけられないから、という理由でカナダ留学を決めたことに反対す る人も多く、自分自身も初めは後悔していました。しかし、語学学校で自分が受けた英 語の授業や、TESOL の勉強、3 ヶ月半のボランティアをきっかけに、将来自分は教師に なりたい、としっかりと思うことができました。 両親と支えてくれた友達には本当に感謝しています。 ← 4 月のレイクルイーズ 夏のビクトリア→
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