:SSN 0286‑5831
學
國學院大學博物館学研 究室
Bulletino{Mu."ology,
Kolugakuin
University
HAKUBUTUKANGAKU-KIYO
2006,No.31
CONTENTS
A View Point of Local Museum
- Works and "a Region" in the Prefectural
Museum
SUGIYAMA Masashi
The Histry of Open Air Museum
- aboutKumagusuMinakata'sOpenAir Museumwhich introduced
an OpenAir Museum
... OCHIAITomoko ........".....15
to our countryfor thefirst time
A Considerationof Out-doorMuseumsand NationalParks
- Focusingon the Processof the Establishingof
... KONNOYutaka...'..............33
a Systemof NationalParksWATANABE Mai '...........59
Preservation
of Booksin a Museum
A study on diorama
- Import of dioramaand its history of
development
'.. SHIMOYUNaoki.'..........'..T1
.....' KANNO Masatoshi
'...........91
MuseumandCinemathiques
ITOH Daisuke .'.............10b
T h e R e s e a c ho f a P h o t o g r a p hi n a M u s e u m " .
A report on the case,use of "replica",
in Art Museumsexhibition
A Studyof DisplayAreaandthe Elements
of
Display
fromViewof MuseumManegement
...... OGAWA Fusako
.'. AOKI Yutaka '.......--....'...I25
Tendency of Choiceof BasicPolicy to
Utilize a HistoricalBuilding.....
. KOIKE Shinroku .....".....133
Maintenanceand PracticalUse of Medieval Castles
and Historicsites
KAWASE Kenshu.'..........149
"School's
Exhibition"in museums
-Problem and view-
TAMAMIZU Hirotada......169
The Museum Study Room
KOKUGAKUIN UNIVERSITY
Shibuya,Tokyo, Japan
第 31韓
國學院大學博物館学研 究 室
地域博物館 の視点
〜 県 立 館 にお け る
地域
"と
取組 〜
A Vie、v Point of Local NIuseum
一 Works and ̀̀a Region'' in the Prefectural Museulll一
杉 山 正 司
SUGIYAMA Masashi
l は じめに〜地域概念 〜
^村
町 立 博物館 の設立
地域」 とい う用語 は、比較的安易に使われている. 特 に市‖
博物館 にお いて 「
を
理念 には、地域T I I lが不可
欠であ る. 市 町村 立 博物館 は、 自治体 の境 界内、 い わゆ る管l J i 下
念
フィー ル ドとして扱 い、そ こに 「
地域博物館J と しての存在意義がある。そ うしたことか ら、地域
博物館 とい う と市町村 立博物館が中心 と考えられがちであるc
国立博物館 は 1 1 本今土、都道府県立館 ( 以 ド、県立館 と略す) は 市町村 の集合体 としてのエ リア
とい う概念 で、一般的な 「
地域J の 認識 とはかけ離れ て い えるか もしれない。だが、見方を変 えれ
│ ゴ「
地域博物館J は 、 日本全土 とい う地域 を扱 う博物館、都道府県 とい う地域 を扱 う博物館 ともい
うことがで きるのである。平成1 7 ( 2 0 0 5 ) 年 1 0 月に開館 した九州卜1 立博物館 は、九州 の名が冠せ ら
れ、 しか も九州 とい う地域 の特性 を生か し、「
東 アジアとの交流J と い う大 きなテ ーマ設定 の もと
展示 を始め事業展開が行われてお り、いわ ば地域博物館 とい うべ き国立博物館である. も ちろん九
点か ら日本全国を視野に人れてい るが、
州 とい う地域だけを扱 うわけではな く、対外交流 とい う視′
そ の基 幹 は九州 にあることを主張 して い るようである。 これ まで も京都国立博物館や奈良国立博物
館 も、立地する地域 の特性 をテーマ として展示 などが行われて きた ともいえるが、九州日立 博物館
は地域 博物館 としての姿が鮮明にな った といえる。
つ ま り地域博物館 とは、「ある意味 を持 った、 あるい は何 らかの関係 を持 った特定 の地域 を対象
とした博物館J と い えるであろう.
地域博物館論J を は じめ 多 くの先学が定義等 を発表 され、
地域博物館論 につい ては、伊藤寿朗 の 「
本紀要第2 8 号で 中野知幸 によって先行 の論考 をまとめて考察 されてい るので、本稿では改めて紹介
て、永 い
しない。 また、加藤有次 も 「
地域 博物館 の使命は、その地域 人が いかなる自然風上 をJ i t っ
時間の 中、衣 ・食 ・住 を通 じて暮 らしをし、歴史的風土 を築 いて きたかを、市民に博物館 で生涯学
習 をさせて、地域 における生 き方、 まちづ くりの方法な ど、未来にかけての倉1 造を よ りよく促進 さ
せ ることにある。 これが地域博物館 の 目的理念であ り、地域学 の樹 立となるのである. J と 述 べ て
お り、地域博物館 の定義や使命につい て、広 義 には大方 の異論はないであろ う.
―
‑
1
‑
一
地域博物館 の視点
さて、県 立館 とい う と所在す る 自治体 内を対象 とす ることが 中心 となる。加藤有次 らは、 『
秋田
県立綜合博物館設立構想』のなかで 「
秋田学」 を提唱 され、秋田 とい う地域 ( 郷土 または風土) に
根 ざした地域綜合博物館が生 まれてい るが、 多 くの県立館 は内容 の違 い はあれこの範疇 に入 る。
一方、東北歴 史博物館や九州歴史資料館
など、 自治体の範囲を越 えた地域 を対 象 とす る博物館 も
ある。千葉県立の各博物館 などの よ うに旧国な ど限 られた地域 とそこにお ける特徴あるテーマ を取
り上げた 博物館 をは じめ、滋賀県立琵琶湖博物館の よ うに琵琶湖 とい う地域 を対 象 とした 博物館 な
ど、 ( 市域 を越 えて相模川水系 を扱 った平塚市立博物館 な どの例 もある) 県 立館 の地域博物館 は 市
町村 よ りは比 較的 フレキシブルに地域 を捉 えてい る。
筆者が、平成1 8 年3 月 末 まで 3 年 間勤務 した埼玉県 立歴 史資料館 ( 以下、歴 史資料館 と略す) は 、
昭和5 1 ( 1 9 8 6 ) 年 に開館 した資料館である。鎌倉時代 の武蔵武士 ・畠山重忠が居館 を構 えた と伝 え
られる国指定史跡 「
菅谷館跡」 に立地 す る。 当初 は調査研究 を行 う機関 として設置 されたため展示
施設 を持たない館 として建設が開始 されたが、建設途中か ら地元住民な どか ら展示に対す る要望が
あ り、翌5 2 年1 1 月に展示館が増設開館 した とい う経緯があ る。館 の活動内容 は、埼玉県全体 を対 象
とす るが展示内容 は所在 す る比企地域 ( 比企郡 と東秩父村 の 1 市 7 町 1 村 ) の 考古 ・歴史 ・民俗 を
対象 として きた。開館以来3 0 年が経過 しようとしてい るが、 これまで国庫補助 による調査事業は区
切 りがつ き、県 単の調査事業 も緊縮予算 により継続 で きない状況である。 この状況 の なか限 られた
予算 をや りくりして、特 にこの 3 年 間は比企地域 の 自治体や団体 などと連携 して地域博物館 として
の意義 をもう一度見直 して もらお う と、様 々 な事業 を企画 し取 り組 んで きた。わずか 3 年 足 らずの
短 い期 間ではあ ったが、 この 間歴史資料館が これほ ど地域の人 々 と強 く関 わ りを持 ち、 また愛 され
てい るか を感 じたことはなかった。筆者 が、学芸 員生活の多 くを過 ご して きた県立博物館 との大 き
な違 いであ り、驚 きで もあ り、 これ までにない喜 びであった。
比企地域 には、市町村 立博物館がないこ ともあ り、特 に調査事業が終了 したこの数年間 は比企地
域 を意識 して活動 して きた。 こ うした活動が奏功 して、わずかづつ ではあるが利用者 も増加 してい
る。
しか しなが ら、埼玉県 の 博物館再編整備計画によ り、平成1 8 年3 月 末 で歴 史資料館 は再編 統合 さ
れて規模 も縮小 されたが、そ の後 の先行 きは不透明な部分 を含んでい る。利用者か らは現状での存
続 を求める声 があったが、平成1 8 年4 月 か らはさきたま資料館 と統合 され、考古系博物館の枠組 み
の なかで 「
埼 玉県 立嵐 山史跡の博物館」 として再 スター ト切 った。 これによ り、 これ まで培 って き
た地域博物館 としての取組 の多 くが、基本的には新生博物館 に継承 されてい るが、職員等の削減か
ら徐 々にそれ らは解消 される危惧がある。
小稿では、筆者が経験 した歴 史資料館 における事業 の取組 を通 して、県立館 による地域博物館 の
視点 を考えてみたい。
‑2‑
点
地域博 物館 の 視 ′
2 歴 史資料館 を取巻 く地 域環 境
(1)比
企 地域 の歴 史環境
比 企 地域 は、埼 玉 県 西部 にひろが る東松 山 市 ・吉 見 ‖
町 ・川 島町 ・鳩 山 田
] ・ と きが わ町 ・小 川町 ・
嵐 山町 ・滑 川 町 と東秩 父村 の 1 市 7 町 1 村 ( 平成 1 8 年 2 月 1 日 現在) の 地域 で あ る。 もとも と東秩
父村 は秩 父郡 に属 し、 それ以外 は比 企郡 とい う行政 区分 であ るので、 この 地域 を包括 す る名称 と し
て 「
比 企 地域J と 呼 んでい る。
この 地域 は、東松 山市 以外 は町村 ばか りで、 平成 の大 合併 の動 きの なか で幾 多 の 合併 の話 が生 ま
れて は壊 れ、結 局合併 は都 幾 川村 と玉川 村 が合 併 してで きた
̀と
'の
み で あ る. 現 況 で は、
きが わ町
町村 が ひ しめ き分立 して い て ま とま りが な い よ うに も見 えるが、歴 史的 には一 つ の ま とま りを持 っ
て い た。比 企郡 は、か つ ての横 見刑̀ をあ わせ た地域 で、古代 には東 山道が 通 って い た場 所 で、近 年
吉 見町か らは遺 構 の
一
部 が検 出 され て い る。 占代 の 瓦窯九卜か らは国分 寺 の郡 名瓦 が焼 か れ るな ど し
て い る。 中 山には、郡 名 か ら鎌倉 幕 府 の 有力御 家 人 ・比 企能 員 一 族 の 出 自に関係 す る と もい われ、
畠山重忠 ・源 義 賢 ・源範 頼 らが館 を構 え るな ど して い る。 一 方 、慈 光寺 は平安 時代 に創 建 され た と
伝 え られ、源頼朝 らの 信仰 を得 てい る。慈 光寺 に伝 わ る国i t 「法+ 経 一品経J は 、頼朝 との 関係 か
ら摂 関家 で あ る九 条家 ゆか りの 人 々 に よって書写 され本納 され た とい われ、 京 まで崇拝 を集 め てい
た。比 企地域 には この他 に多 くの寺 院が あ り、 い ず れ の寺 院 も鎌 倉時代 の仏 教美術 の優 │1キ
1を
今 に伝
えて い る. 戦 国時代 には、比 企 1 1 陵の い た る ところに城 が築 か れ、 戦略 的要地 となって い た. こ の
「
って は、 政 治 的 ・社 会的 ・文化 的拠 点 と しての歴 史環境 を有 して い るし
地域 は、 F r 代か ら│ │ 世にあ
(2)地
域連携
埼 玉 県 内各 地 の 市 町村 で 幾 多 の 連携 が 行 わ れ て い る. 博 物 館 関係 で は、合 同企 脚i 展 「
葛西用水
展J ( 2 0 0 1 ) に お け る鷲宮 町立郷 土 資料 館 ・春 日部市 郷 土 資料 館 ・八 潮 市 立資 料館 ・埼 玉 県 立 文書
館 ・葛 節j 区郷 土 と天 文 の博物 館 、 そ して合 同企 画展 「人 間川再発 見 │ ― 身近 な川 の 自然 ・歴 史 ・文
化 を さ ぐって一 」 ( 2 0 0 4 ) の川越 市 立 博 物 館 ・入 間 市博 物館 ・狭 山市 立 博 物館 ・飯 能 市郷 土館 ・名
な どが あ げ られ る。残 念 なが ら、比 企地域 には博 物 館 施設 が な く、 わ ず か
栗村 教 育 委 員会 の 共f l l 展
に東松 山市 と古見 町 に埋 蔵文化財 セ ン ター が あ るのみで、 博物 館機 能 は歴 史資料館 が 中心 的 な役割
を呆 た して きた こ とが、 今 回 の拙稿 の 契機 とな ってい る。
また、教 育委 員会 の 文化財担 当者 が集 まって地域 の 文化財 を調 査 して報 告書 を刊 行 し、展 示 に結
び付 け て い る ところ も埼 玉 県 内で は見 られ る.
比 企 地域 で は、比 企地 区文化財振 興協 議 会が組織 され てい る。 同協 議 会 は、比 企地 区 の市 町村教
育委 員会 の 文化財担 当者 で組織 され て い る。 研 究 会や 見学 会 の ほか 機 関誌 を発行 す るな ど、 活 発 な
活動 を して い るが、 なか で も巡 I J 展は特 筆 され る事 業 で あ るc 後 述 す るが 、 「比 企 の タイム カプセ
‑3‑
地域博物館の視点
ル Jと 題 した展示 は、地域の文化財 を住 民に知 って もらうとともに文化財保護の啓発 を目的 として
い る。展示 には、歴 史資料館 も関わってお り、回を重ねて今年度で 7回 日とな り、地域 に定着 した
展覧会 となっている。
この よ うに近年 は、各地 にお い て地域 連携が広がって きてお り、博物館の呆たす役割 も増大 して
きてい るとい える。
3 事 業展開 と取組
ここでは、歴史資料館が実施 して きた地元教育委員会や機関 ・団体 な ど、地域 との事業 の収組 を
祝点に置 き、主な活動実例 を紹介 してお きたい。
(1)比
企のタイムカプセル (展示事業)
平成 12(2000)年 か ら開始 された、比企地域 を対象 とした地域連携事業 である。歴 史資料館単独
で事業 を行 うのではな く、地元10市町村 と対等 の立場 で連携 して共催す る展覧会 として企画 された。
これは10市町村 (比企地区文化財振興協議会)が 中心 となって企 画 された展示 に、歴史資料館が加
わって行われてい る。
内容は、比企地域 の全 市町村が参加 で きるように、共通のテーマの下、地元文化財を展示紹介 し
て文化財保護事業 の理解 と保護活動 の啓発 を目的に毎年開催 されてい る。 これまでのテーマ は、は
にわ ・緑色 の石 のメッセー ジ ・土の器 ・比企のまつ りな どで行 われて きた。夏休みに入る 7月 20日
前後 にスター トして、10市町村 を 1〜 2週 間の会期 として巡回 し、最後の会場 として10月下旬 に歴
史資料館 を会場 として11月末ない し12月初 旬 まで開催 される。展示資料の選定 も各 市町村が リス ト
ア ップ し、歴 史資料館 に資料 を持 ち寄って全員で協議 し決定、 さらに展示 レイアウ トを行って、パ
ネル、キャプションの検討を行 っている。 ここでは、歴 史資料館 は展示 の助 言や必要展示機材等 の
提供 を行 う。殆 どの町村 は展示施設 を持 たないため、ケー ス内展示が出来ずに露出展示 となるため
アクリルカバ ーやベ ース、 フェル ト、パ ネル、展示小道具 などを用意 して い る。展示内容が決 まる
と、ポス ター・
歴史資料館が と りま とめて印刷業者に依頼、費
展示解説 リー フレッ トの作成 を分担 し、
用 も折 半 してい る。展示資料 の各会場 間の搬出入 と展示 は、歴 史資料館 と前後 の 会場 となる 市町村
が担 当 して行 っている。
県立館が入ることで、 ともす ると市町村側が県立館 を頼 って しまいがち となる虞があ るが、 この
よ うに市町村 と県 立館が同 じ立場 に立って事業が行われてお り、地域博物館 としての歴史資料館 の
位置が明 らかであろう。
(2)比
企歴史の丘教室 (講座)
この事業 は、比企地域 を中心 に埼 玉県 の歴 史や文化 につい て年間のテーマ性 を持たせてほぼ毎月
地域博物館 の視点
一 l l・第二金日
の理解 を深めて もらうため比企
程日に開催す る講座である。特 に最初 の 3 回 は、郷 1 1 へ
地域 のテーマ に絞 ってい る。参加者は、比企地域が中心 で あ るが、ほぼ全 県 か ら応募 されている.
毎回7 0 〜1 0 0 名ほ どの参加が コンス タ ン トにある講座で、そ の半数以 上 は常連 の参加者 である。 多
ー
くの 博物館 で もみ られる傾向であると思 うが、 い わゆるシルバ 世代が受講者 の大半 を占める。筆
者 も勤務 して開催 目を何故、金曜 日にするのか とい う疑間があ った. そ の理 由は、かつ て土曜 日に
開催 した ことがあったが、参加者が減 って しまった とい う. 生 涯学習時代 を表 して他 の施設での講
程日は家族が在宅 しているので外出 しに くい な
座等へ の参加希望 もあ り、 また主婦 の参加 も多 く上 日
どの意見が寄せ られ、平 日の開講 を要望 されて再び金曜 日に戻 した とい う経緯 を聞 いた。
さて、地域 をテーマ とす るだ けでは、当然であ り特筆す る事業 ではないが、この講座 も県立館 の
学芸員 は もとよ り、比 企地域 の市 R I 村教育委員会 の文化財‖l 当者、地元 で活動 して いる団体や個
人 ・研究者 などを講師に招 いて い る。 しか も、講師はボラ ンテ イアで謝金無 しでお願 い して い る.
甘 えてい るとい えばそれ までだが、地域博物館 としての歴 史資料館 の位置付 け と講座へ の理解があ
れば こそ といえるのではない だろ うか。地域 で活動す る人が講師 とな り、地域へ の理解 を深め よ う
とす る参加者 の思 いが、歴史資料館 を 「
場」 として集 う。 こ うした地元の人たち と事業 をつ くる収
組 も、地域博物館本来 の姿 の一端 を表 してい るとい えるのではないだろ うか.
(3)企
画展 「
埼玉の戦国時代 城 」 とシンポジウム 「
埼玉 の戦国時代 検 証 。比企の城」
当館 は、比較的県の財政状況が良好 な平成 4 年 か ら6 年 にかけて企画展 を実施 してい たが、その
発掘
後大 きな調査事業や予算 の 関係か ら開催 されて こなかった。 しか し、平成1 4 年か ら始 まった 「
埼
調査i 評
価・
指導委員会比 企地域中世遺跡委員会J ( 以 ド、委員会) の 成果 を公開 したい と考えて 「
玉の戦同時代 城 」 ( 2 0 0 5 ) を開催す ることになったG
一般 に、企画展 など通常予算で賄 い きれない比較的大 きな事業は、前年度か ら予算要求 をして措
置 しなければ開催 は難 しい。だが、 これ まで企画展 を開催 してお らず、 緊急性 があるもの以外の新
規 に予算要求 は認め られない とい う状況 で、通常 予算 を遣 り繰 りしてF 7 1 0す
催る方向で準備 が進め ら
一
れた。その 方 で、展示以外 の シンポジウム などの 関連事業については、文化庁の芸術拠点形成事
業 の助成 を中請 した. 結 果、助成が受け られる ことな り、事業 の 予算面での不安 はな くな ったc
展示 は、委員会 の指導 により進め られた比企地域 における中 陛城館跡 の最新発掘成果 を紹介す る
ことと した。特 に松 山城 ( 吉見H J ^ ) ・
杉 山城 ( 嵐山町) ・小倉城 ( 玉川村) は 、発掘直後 の 出上品、
しか も未整理 の状態 で 当然報告書 も出てい ない とい う状況 の なかでの展示 であった。発掘担 当者 は、
通常報告書刊行以前に成果 を公表す ることを嫌 う向 きがあるが、最新 の成果 を地元の人 々 に還元 ―
公表 したい との担当者 の熱意に よ り実現 し、接合な どしてい ない状態で の展示 であった。 まさに生
の資料 のため、理解 されないか との危惧 もあったが、かえって迫力があるもの とな り、見学者 のア
‑5‑
地域 博物 館 の視 点
ンケ ー トか らも好評 の 結果 を得 る こ とが で きた。
シ ンポ ジウム を中心 と した関連 事業 は、 前述 の とお り芸術 拠 点形 成事業 の助 成 を受 けたが、展示
以上 に地域 博物館 と しての存 在 を明確 にで きた。 展示 で は、 「
城」 と して比 企 地域 を中心 と したが、
シ ンポ ジウム は 「
比企 の城 Jと 題 して地域 の城 にテ ー マ を絞 って行 った。 2日 間 の参加 者 は1000人
を超 え、 この テ ー マ の 関心 の 高 さが感 じられ た。
これ に関連 して 「
城 跡 見学 会Jを 行 った。歴 史資料 館 と嵐 山町 。玉川村 と連 携 して、 菅谷城 ・杉
山城 ・小 倉城 の三 城 を、行 政 バ ス な ど 3台 を利 用 して見 学 会 を行 った。 特 に杉 山城 と小 倉城 は、交
通不 便 地 にあ る山城 の ため、 なか なか個 人で は見学 しに くい城 で あ る。 各城 に は担 当者 を配置 し、
解説 を行 った。地元 に住みなが らこ うした機会 を待 っていた住民 の参加が多 く、 この見学会は地域
(:
との連携 によ りに実施で きた事業である
(4)企
まほろばの里 。比企 〜慈光寺 とその周辺 〜」
画展 「
この企画展 も、平成1 8 ( 2 0 0 6 ) 年 1 月 開催 を目標 に、予算化 されない まま企画 された。それは、
前項 の 「
埼玉戦国時代 城 J 開 催が予想以 L の 反響があ り、 しか も歴史資料館 として も手 ごた えが
あった ことか ら、年度が明けて急遠、年度内に企画展 開催 を検討 した。その結果、中世 にお い て宗
教 ・文化 の拠点であった都幾川村 の慈光寺 を中心 としたテーマ とす ることとした。そ して歴 史的 ・
̀ま
文化的に密接 に関係 を持 つ 隣接する玉川村 を含めた中世の文化財 を通 じて、かつ ての
ほろばの
'を
里
再認識 して もらうことと した。 この展示 も、当該地域の都幾川村 ・玉川村、両村教育委員会
の共催や地元観光協会 と商工 会 の協賛 を得て実施 する ことがで きた。 また歴 史資料館が単独で開催
す るよ うな動 きを避けるため、展示資料 の選定や所有者 との連絡調整、搬 出入等 の立会 い、キャプ
ションや 図録原稿 などの執筆へ の参加 など、両教育委員会文化財担 当者に も担当 して もらった。 こ
うした ことが地域 をよく知る担 当者 をは じめ、村や教育委員会全体 の意識 を醸成することがで きた
と考えている。
慈光寺所蔵 の国宝 「
法華経 一 品経J の 寺保管分2 5 巻全 巻公開や、重要文化財、県指定文化財、村
指定文化財 を中心 とした展示資料 の 内容や質 ・量 などか らなれば、当然県 立博物館 で 開催 して しか
るべ き展示である。だが、 県立 博物館 では、 これまで この うちの一部 の資料が様 々 な展覧会に展示
されたに過 ぎなかった。ちなみに比企地区をテーマ に特別展 「
比企」 ( 1 9 8 9 ) を開催 して い るが、
これは溜池農業、民俗芸能、瓦窯関係資料 を中心 とした展示 であった。
しか し、今 回の展示 の趣 旨か らみて も、地元比企 に所在す る歴史資料館で 開催 して こそ意義があ
るもの といえる。地域 をテーマ に、地域で 開催す る地域 博物館 の展示本来 の姿 である。
地域 へ の取組 として、両村広報紙へ の展示や事業等 について 2 ケ 月にわたって連載 を行 い、広報
紙に展示 パ ンフレッ トを挟み込んだことが あげ られる。 自治体 の広報紙 は、全戸配布 されるため地
‑6‑
地域 博物館 の 視 点
彩 の 国 だ よ りJ も 県民全 戸 配布 され るため、
域住 民 が 直接 手 にす る もので あ る。埼 玉 県 の広 報紙 「
こ ち らに も情 報 を提 供 して い るが、情 報過 多 な うえ に項 目の スペ ー スが 小 さいため 目に入 らな い可
能性 もあ り、両村 の広 報紙 利用 は有 効 であ った。 住 民 の 関心 を喚起 させ る こ とが で き、 地域 の テ
ー
マ を扱 うための 関心 もあ ろ うが、 これ まで以上 に歴 史資料館 へ の 来館 が 日立 って増 加 した。
この ほか 「
]お
‐ こ し〜 J と 題 した シ ンポ ジウム を企 画 した。歴 史資
寄 り合 い 〜 文化 財 を とお した ‖
料館 が 、地域 に何 が で きるか を考 えた場 合 に、展 示 も ^ つ の 方法 で あ るが 、 陣物館 の特性 を生 か し
て 文化 財 をキ ー ワー ドに町 お こ しに活動 に資す る こ とが で きるので は な い か と考 えた. こ の事 業 は、
全 国各地 で 世 界文化 遺 産登 録 の活動 が盛 んであ るが、 当該地域 をみ る と歴 史的遺 産、 つ ま り文 化財
を もとに町 の 活性化 へ の起爆 剤 となる こ とも地域 博物 館 の役 割 で あ る と考 え企 画 した。地域 の 持 つ
問題 点 の 発展 的解 決 の ため、必要 な提 言 を博 物館 か ら発信 し、地域 振 興 へ 結 び付 け る こ とも地域 博
物館 が果 た しうる機 能 で あ る。
(5)ア
ンケ ー ト調 査 にみ る来館 者動 向
地域博 物館 と して、館 自体 と事 業 が 来館 者 に受 け入れ られ て い るか を検証 す る手段 と して、前 出
の企 画展 「まほ ろばの里 ・比 / 1 N 〜
慈 光寺 とそ の 周辺 〜 J 会 期 中 に来館 者 ア ンケ ー ト調査 を行 った。
これ は ( 3 ) で あげた企画展 「
埼 玉 の 戦 国時代 城 」 の調 査項 目に、新 た に展 示法 に関す る設 間 を加
えて行 った。 ア ンケ ー トで は多 くの デ ー タが 得 られたが 、本稿 と離 れ る内容 も含 まれて い るが 、他
館 の活動 の 参考 にな る と思 うので 最小 限 に とどめ るが紹 介す る こ とと し、地域博 物 館 と して の あ り
方 に資す る結 果 を中心 に述 べ るc
ア ンケ ー トの狙 い は、基 本 デ ー タ と企 画展 の 認 知度 、企 画展 に よる新 規 来館 者 の掘 り起 こ し、地
域 へ の 未着 度、展 示評価 な どで あ る。
会期 中人館 者 6 , 8 2 5 人に対 して ア ンケ ー ト6 0 4 枚と、約 9 パ ー セ ン トの 回答 が あ り、前 回 3 パ ー セ
ン トであ った こ とか らも、 今 回か な り精 度 の 高 い 結 果が得 られ た。
設 間 は、 問 い に対 して○ をつ け る方式 と し、1 年 齢 、
2 男 女別 、 3 住 所 、 4 来 館 回数 、 5 誰 と来館 したか、
6 来 館 目的 、 7 認 知 経 路 、 8 展 示 で紹 介 した社 寺 ヘ
1 5 歳以 下
人
50ノ
ヽ
15〜 19歳
12人
2%
8%
の 認 知 度 、 9 展 示 の 感 想 、1 0 解 説 パ ネ ル 、1 1 印 象 に
20代
2 0 メ、
3%
残 った展 示 資料 、1 2 全 体 評 価 をあ げ た。 そ の ほ か 各設
30代
間 と全 体 で、 感想 や意 見 を 自由 に記 入 して もらう方式 と
10%
59メ、 :
した。
表 1 】 は、6 0 代以上が中心の3 1 パーセ
◇ 1 の年齢構成 【
ン トで、来館者傾向をみても首肯できる結果である。
‑7‑
表 1】年齢層
【
地域博 物館 の 視点
しか し、20代は少ないが、ほぼ各年代バ ラン
スが取れている。
県外
◇ 2の 回答の男女比は、5.8:4.2で、男性がや
や多 いが、全体の口1答傾向での男女差は、ほ
比企
ぼ変化がない。誰 と来館 したかとい う同伴者
埼玉
を問 う設間については、女性は単独 よ りも家
0
50
100
150
200
250
族や友人 と来館する傾向が顕著であった くら
表 2】居住地
【
いである。
◇ 3の居住地 【
表 2】 は、埼玉県内が87パーセ
ン トで、県外 は関東一 円が1 3 パーセン トで、1 人 香川県か らの来館があった。埼玉県内の うち、
地元比企地域は全体の3 0 パーセン トに及び、地域の人 々の利用が中心 であることが確認された。
表 3 】 は、初めてが4 3 パーセントで、今回の企画展が来館 のきっかけになってい
◇ 4 の 来館回数 【
る。この企画展が、新規来館者の掘 り起 こ しにつ ながった ことを示 している。一方で5 7 パーセン
卜が リピー ター とい う結果 もあ り、催 し物の有効性
とともに地域の人 々の リピー ター となっていること
が確認で きた。
◇ 5 の 同伴者 【
表 4 】 については、全体的には家族 と
ともに来館 されるのが特徴的で、前述の とお り女性
は家族や友人 と来館するが、 一方男性 は単独 で来館
す る傾 向が顕著 である。 この傾向は、博物館 に限 ら
ず 日常行動 にもみ られるもので、予想 された傾向で
ある。
表 3】来館回数
【
表 5 】 は、今回の企 画展が6 5 パーセ
◇ 6 の 来館 目的 【
ン トと最 多 であるが、次 いで観光が1 1 パー セ ン トで、
余H 限
等 をあわせて1 9 パー セ ン トが企画展 を知 らずに
来館 されたことが分かる。つ ま り5 人 に 1 人 は偶然
に来館 して企画展 を見学 したことにな り、次の設問
にも関連す るが広報が │ ^ 分に行 きわたって い なかっ
たのか、残念 なが ら今回の調査結果か らは判然 とし
ない。
◇ 7 の 認知経路 【
表 6 】 は、広報 をどこか ら得てい る
か、今後 どのよ うな広報手段 が有効かを知 ろ う とし
表 41誰 と来館したか
【
地域博 物館 の視 点
た。 回答 数 で 最 も多 いの はポ ス ター で あ
―
―
―
│
0
るが 、 それ以外 の 媒体 もわず か数 ポ イ ン
250 300 350 400 450
50 100 150 200
展示
ト差 で あ り、大 き な 差 は 無 い。 つ ま り
講座
131
様 々な経路 か ら情 報 が 得 られ てお り、 あ
団体
1711111111
る程 度講 じた広報 手段 は奏 功 した と もい
学校
1 5 1 1 ■│
■
える。全 般 に埼 玉県 が毎 月 1回 発行 し、
余暇
151
168
観光
新 間 の折 込 な どを通 じて令戸 配布 して い
の他
33
る 「
lだよ りJが 全 般 的 に効 果 が あ
彩 の │■
る こ とが わか るっ また、女性 で特徴 が顕
著 な の は、伝 聞 (回コ ミ)に よる ものが
│
そ
【
表 5】 来館目的
│
男性 に比 べ て突 出 して い る.
60
また、前 述 の とお り来館 して女Πった、
あ る い は企画 を知 らなか ったが 18パ
ーセ
彩の国だよリ
村広報誌
か った ともい えるが、単 に企画展 が 来館
雑誌
1丁・HP
の 意識 が あ った こ とと もい え、 む しろ喜
ば しい こ とか も知 れず 、別 な形 の調 査が
必 要 で あ る こ とを痛 感 した。
100
リー フ
ン トで あ る の は、広 報 が 行 きわ た らな
の きっか け で はな い だ けで資料館 利 用 ヘ
80
ポ スタ ー
伝聞
来館
不知
その他
表 6】 認知経路
【
ヽ
ι
さ らに今 回展 示 の 中′
資料 が所 在す る
都幾 川村 と玉川村 の 両村 の広 報紙 に、 開
催 前 2同 にわた って連 載 記事 を掲 載 して
も らったの しか し、実 際 に両村 か らの来
館 者 は多 か った に もかか わ らず 、 認知 度
はわず か 5パ ー セ ン トで あ った.両 村 か
らの来館 者 で は15パ ー セ ン トが 見 た こ と
にな り、村 内全戸 配布 とい う こ とで両村
民 の 認知 度 はか な り得 られ、地域 との連
携 として有効 な手段 であ った。
今 回顕 蕃 だ った認 知手段 と して あげ ら
れ るの は、男性 の イ ンター ネ ッ トに よる
認 知 が、彩 の 国 だ よ りと同割 合 であ った。
0
50 100 150
慈光寺
霊 山院
萩 日吉
多武峯
龍福寺
円通寺
東光寺
光 明寺
小倉城
不知
表 7】 知っている社寺
【
120
地域 博物館 の視点
時代 を反映 してい るといえ、広報手段 として主力 にな
りつつ ある ことを示 してい る。
◇ 8 社 寺認知度 【
表 7 】 は、展示で対象 とした地域の
社寺や史跡について、 どの程度認知されているか知ろ
うとした。 中心 となる慈光寺は、6 8 パーセン トと最多
であったが、比企に住 んでいる人でも知 らない人がい
た。
◇ 9 展 示感想 【
表 8 】 では、9 4 パーセン トか ら好評を
得 た。つ まらない、難 しいは 6 パ ーセン トで、特 に女
【
表 8】 展示の感想
性か らはキャプションの漢字全てに ルビを
つ けてほ しい との意見が多 く、他 に社 寺 の
350
案内地図が欲 しい などである。 また展示ス
見易 い
ペ ースの関係か ら国宝の慈光寺経 は傾斜台
分 り易 い
を使 って上 下2 段 に展示 したが、L 段 が見
見難 い
3101
分 り難 い
難 い との意見 もあった。
◇ 1 0 解 説 パ ネル等 【
表 9 】 では、 見やす い、
表 91解 説パネル等の見易さ
【
分 か りやす い をあわせ て9 4 パー セ ン トで
あ った一方 で、見に くい と分か りに くいは、
感想 と同様 に漢 字全 てにルビをつ けるべ き、
資料保護か ら照度 を落 としたことによ り解
説が見えに くか った、 とい う意見であった。
今回の展示では、解説パ ネル をガラス全 面
に掲 出 した り、キャプ シ ョンをA 4 版 に大
型化 した り、指定の色分けや見出 し ( リー
ド) →資料名称 → 資料解説 とい う工 夫 な ど
の改善 を試み、多 くはその効果が検証で き
たが、 一部 の見学者 には照度の調整 によ り
効果が薄 らい だことは残念であった。
◇ 1 1 印 象 に残 った展示資料 【
表1 0 】では、
中心 となる国宝 の慈光寺経が最 多 と予想 し
龍福寺
聖僧文殊
宝冠
仏手
鉄仏
銅造
頭部
法華経
大般若
絵巻
古文書
蔵骨器
密教法具
鰐口
小倉城
多武峯
流鏑馬
その他
ていたが、龍福寺 の阿弥陀如来像が 多 かっ
表10】印象に残 つた展示資料
【
た。 これは展示構成上、見学者 の印象 に残
‑10‑
地域博物館 の視点
りやす い よ うに最初 の展示室 l f 面に配置 した効果 と、初公 開の見出 しが効 いた ものか と思われるc
◇
すなわち資料の質 よ り展示演出 によって、展示資料 の印象が左右 される傾向にある とみ られる.
ー セ ン トの不満 は、慈光寺経が見難か った
1 2 満 足度 【
表 1 1 】は、9 9 パーセ ン トは満足で、1 パ
と、夫 につい て きたため 関心がな くつ まらなかった、などである。
◇ 13 全 体 の感想 では、紙数の関係か ら列挙 で
きないが、満足度を反映 した内容で、要約す
ると企山i展の継続要望 と地元にあって も普段
見る ことがで きない資料 に接 した感動が多 く
記 されてい る。博物館再編 が間近 に迫 ってい
■■1溝足■│
■■433人■│
│││175%│││
ることもあ り、地域 か ら博物館 が消 える、 ま
たはこうした事業がな くなるのではないか と
い う危惧 した意見が多数 を占め、地域博物館
としての歴史資料館の活動が、認め られたこ
表111展 示総合表価 (満足度)
【
とが検証で きた と考 えてい る。
(6)ロ
ビー展示
歴史資料館では、常設展示 とは別 に、 エ ン トラ ンスロビー を利用 して 「ロビー展示Jを 実施 して
い る。 ロビー展示は、 もと受付があった場所 で、受付が展示館内 に移動 したため、空 い たスペ ー ス
を利用 して行 ってい るcこ の展示 は、 ロビー とい う無料 空間を利用 して行 ってお り、休憩や トイ レ
利用:な どの利用者 も自由に見学で きる。 ここでは、1回 の会期 を lヵ 月半程度 として、年間 7回 ほ
どの展示 を行っている。歴 史資料館 の設立理念や常設展示 にとらわれることな く、 自由なテーマ で
i展で ある。比較的固まった常設展示 に対 して、展示の固定化観 を避 ける狙 い
開催 してい る ミニj/1N口
もある。
筆者 が担当 して 3年 であるが、 この 間近世 の洪水や飢饉な どの災害碑 を調査 して拓本 を採収 して
い る小川町の郷 ll史
研究家 の協力 を得て、拓本 を中心 に地域 の災害 の歴 史を紹介 した.見 学者か ら
家 の近 くで洪水があ ったのを知 らな
は 「
碑 は知 っていたが こ うい うことが刻 まれていたのか」や 「
かったJな どの反響 を得たc地 域の ことは地域 の人に聞 くのが最良で、地道な活動 であるが新 たな
地域 史の掘 り起 こしと もな った。
堅香 千Jは 、折 々 に当館の常設展示の歳時記 コーナ ーや菅谷
また、地元嵐山町にある俳句結社 「
館跡 を詠んだ句会を催 してい る。 単な る俳句 では当館 との 関 わ りは全 くないが、展示や館跡 を詠ん
だ もの もあ り、そ うした接点か ら同人の句 を展示す ることとした。同人 も機関誌 な どの紙 画を通 じ
ての発表 は 日常行われてい るが、展示 とい う形態 での経験 は少な く、当館 との思惑 と合致 した。 こ
―
‑
1
1
‑
―
地域博物館の視点
の展示か ら、 これ まで当館 に足 を運んだことが なかった人 々が、同人の句 を見学がて ら常設展 示 も
見学するとい う効果 をもた らした。
同様 に東松 山市 を中心 に史跡め ぐりを行 い なが ら郷土の歴 史 の見聞を広めてい る 「
ふる さと探訪
の会」 との共催 も行った。同会 は、会員 の写真家が探訪 の記録 として撮影 を続 けてお り、 ビジュア
ル的にも優 れた もので ある。そ こで、同会が訪ねた身近な歴史 と文化財 の記録 を展示 紹介 した。 さ
らに同会 と、次項 で紹介する当館 も加盟 してい る 「
彩 の国 。文化 の森連絡協議会J 会 員 で ある( 財)
原爆 の 図丸木美術館の共催 を得、 日本画家 。丸木位里 。俊夫妻が描 いた長野県松本市 の寺院の襖絵
を紹介す る展示 を行った。 これは非公 開の襖絵 を、同会が住職の好意 で見学 して撮影す る機会を得、
地元 にゆか りのある作家の作品を紹介で きないか との希望が当館 に寄せ られたことに始 まる。当館
として も遠方で しか も非公開のため知 る人が少ないこ ともあ り、そ のよ うな作品を紹介す ることも
意味ある ことと考えた。 しか も近隣に丸木美術館が所在 し、前出協議会 員 で もある ことか ら、かね
てか ら同協議会員間で何か連携事業がで きないか と考えてい た折 で もあ り、同作品の 関連資料 の展
示 も合わせてで きれば意義深 い展示 となる。そこで、三者共催 を打診 し、快諾 を得たことか ら開催
となった。探訪 の会か らは写真 を、美術 館か らは丸木夫妻 の 関連資料 の 出品をいただ くことがで き、
しか も会期中、美術館では襖絵 の数面 を借用展示 す ることがで き、相乗効果で来館 者増 につ ながっ
た。
通常 な ら当館 とは接点 を持たない 団体 も、 この ような フレキ シブルな展示 を媒介 として地域 の文化
活動 の ^ 端に関わった。
このほか、嵐 山町教育委員会 と共催で、 自治体史 の一環 で調査 し刊行 した 「
嵐 山の博物誌 ア ニ
マ リアJ の 成果 を提供 して もらい、歴 史資料館周辺や嵐山町周辺 に生息す る昆虫 を写真 と標本 で紹
介 してい る。夏休みの 自由研究の参考 になるように、夏休み期間に開催す るようにしてお り、 子供
や保護者か ら好評 を得てい るため毎年実施 している。人文系博物館ではあるが、館の所在する地域
の 自然環境 を知 る L か らも、 こ うした 自然系の展示の取組 も重要であるc
(7)彩
の国 。文化 の森連絡協議会
埼 玉県 には、埼玉県博物館連絡協議会 とい う県内の公私立 の博物館 ・美術館等 の加盟機 関がある。
それ とは別に、博物館施設だけでな く比企地域 を中心 とした文化施設 の連絡機関 「
彩 の 国 。文化 の
森連絡協議会J が 組織 されてい る。 これは埼玉県西部 ・北部地域内の学術 ・文化等 の関係施設が相
互に連携 を図 り、広域的な広報活動や研修会 の 開催、来館者増 とその便宜 を図る ことを目的 として
い る。加盟館 は、運営や活動形態が異 なる施設が連携するもので、研修会 のほか、現在 の ところ地
域的に接近 してい ることか ら手始めに施設 をまわるス タ ンプラリー を行ってい る。歴 史資料館 とし
ては、前述 のロビー展示 の共催 を行ったほか、 共催事業 の計画 を持 っている。今後地域 博物館 とし
―‑12‑―
地域 博物館 の 視 点
て 博物館 以外 の 文化施 設 との連 携 を模 索 して い る ところで あ り、今 年 度実現 で きそ うで あ る.
4 結 語― 地 域博物館 の視 点 一
地域博 物館 の ひ とつ の事例 と して、埼 玉県立歴 史資料館 にお け る事業 の取 組 を紹 介 して きた。 こ
の事例 を通 して、私 な りの 地域 博物 館 の視 点 を ま とめ てみ た い .
博 物館 学 で は従来か ら、 第
一 世代 ・第 二 世代 ・第 二 世代 、 また は地域志 向型 。中央志 向型 ・観 光
志 向型 、 あ る い は地域社 会型 ・観 光型 ・研 究型 な ど博 物館 を 3つ の類 型 に当て はめ、地域博 物館 論
につ い て述 べ られて きたcま た近 年 は 第 四世代 、 矢目的 リク リエ ー シ ョン志 向型 とい う考 え方 も提 案
されて い る。 第 二 世代 の 利 用者 が 成長 して 博物館 活動 に参画 し、 ボ ラ ンテ ィアや他 の施 設 や地域 、
学校 との連携 をはか り、楽 しみ なが ら利 用す る段 階 に きて い る とい う もので あ る.第 1項 で も触 れ
た よ うに、 これ らの分類 は傾 聴す べ き論 で あ り、小 生 も否定す る もの で は な い 。
きは失 って はお
特 に伊 藤寿朗 の 第 二 世代 と三つ の類 型 に分類 され た地域 博 物 館論 は、 い まだ にI ■
らず 、地域 博物 館 定義 の 指標 となって い る。 しか し、伊藤 自身 も認識 して い る とお り発展 論 にお い
て現代 は第 二 世代 (第四世代 )の 博 物館 とい うが 、多 くの博 物館 は 第
^世 か らのす べ て を備 えて
代
い るので あ り、 さ らに博 物館 の形式 をあ えて三 つ あ るい は四 つ の類 型 に当て はめ る必 要 はない と思
う。 多 かれ少 なか れ、 そ れぞ れす べ ての性 格 を有 して い る場 合 が多 いので あ る.こ れ は、小生 を含
め 現場 の 多 くの学芸 員 の偽 らざる意 見で は な い だ ろ うか。
さて、 こ う した地域博 物館 の発展 論 や形 式論 は と りあ えず置 いて お いて 、現代 の博物 館 は事 業 中
代 とい われ る所 以 で
心 、 しか も体験 学習偏 重 の傾 向が強 いの は確 か で あ るcこ う した こ とが 第 四 1時
あ るが、実 は地域 博物館 は 多様 な面 を持 って い るので あ り、 地域博 物館 の 定型 はな い とい わ ざる を
得 な いので あ る。
前項 で 紹 介 した歴 史資料館 の収 組 か ら、 あ えて地域博 物館像 を語 れ とす れ ば、 次 の よ うにな ろ う
かっ 地域 博物 館 は、地域 の 資料 を中心 と して、 地域 の人や 団体 、 自治体 と連 携 した博 物館 活 動 を行
い 、地域 の 課題 に取 り組 む こ とにあ る。 そ して地域 博物館 に人が集 ま り、地域 の 人た ち に利用 して
もらい 、地域 の 歴 史や文化 を学 び、 ここか ら様 々 な情 報 を発信 す る.こ う した活動 が地域 に寄 与す
る こ とにな り、 地域 博物館 の存 在意義 が 高 まる と言 え るので はないだ ろ うか。
(埼玉 県 立歴 史 と民俗 の博 物館 主任 学芸 員)
註
(1)
―
伊藤寿朗 「地域博 物館 論 ―現代博物館 の課題 と展 望 J 『現代社 会 の課題 と展望』 1 9 8 6 明 石吉店
ほか
(2)
同學 院大學博 物館学紀要』 第2 8 f i 2 0 0 4 國 學 院大學博物館学
物館論 の考 察」 『
中野知幸 「地域1 専
―‑13‑―
地 域 博 物 館 の視 点
研 究室
(3)加
藤有次 「 Ⅱ 地 域社 会 と博物館J『新版博物館 学講座 3 現 代博物館 論― 現状 と課題― 』 2000
雄 山閣
(4)加
藤有次 ほか 『秋 │口
県立 綜合博物館設立構 想』 1972 秋 田県
(5)『 県 立博物館施設再編整備 実施 計画策定報告書』 2004
(6)東
秩 父村 は秩 父郡 に属 して い るが、近 年 は生 活 圏が 隣接 す る小 川 町 な ど比企 郡 に拠 ってい る。 その
ため近 年 は、行政面 等 か らも比 企郡 の管轄 に組 み入 れ られてい るので、比 企地 区あ るい は比 企地域
と総称 して い るc
(7)平
成18年 2月 1日 合併
(8)東
松 山市 と吉 見 町 の理 蔵 文化財 セ ンター 以外 は、 図書館、 公民館 、 コ ミュニ テ ィー セ ンター な どの
講座室等 を使用 して い る。
(9)杉
山 ・栗 岡員理子 「企画展示 と事業展 開 〜企画展 「
埼 玉 の戦 国時代 城 Jと シ ンポ ジウム 「
埼 玉の
戦 国時代 検 証 比 企 の城」〜J『研 究紀要』 第277 2005 埼
玉県 立歴 史資料館
(10)高 橋信裕 「生涯学習時代 にお ける博物館 の役害1〜最近 の動 向 を中心 として〜 」 (埼玉県博物館 連絡
協議会後期研 究 レジュ メか ら)1999
‑14‑
野外博物館 の歴 史
一
― 我が国に 「
野外博物館」を初めて紹介した南方熊楠の野外博物館について
The Histry of Open Air h/1useum
― about Kumagusu Ⅳ
Iinakatゴs Open Air Ⅳ Iuseum which introduced
an Open Air h/1useum to our country for the first tiine― ―
落 合 知 子
OCHIAI Tomoko
は じめ に
野外博 物館 の 唱矢 は北 欧 の スウェ ー デ ンに見 られ る もので、 そ の 後 も北 欧 を中心 と して欧米諸 国
に発展 を遂 げ た もので あ る. 北 欧 の 野タト博物 館 誕生 の 要 因 は、 1 9 世紀 の 産業 革命 に よ り伝統 的民俗
文化 の 減 少 を招 き、 それ に対 す る危機 感 か ら保 存 活用 に取 り組 んだ もので あ った。 同様 に我 が 国 に
お いて も戦後 の 農地 改革 ・高 度成 長 に よる 開発 に よ り、伝統 的建築物 が取 り壊 されて い くこ とに対
す る焦 燥 感 か らの保 存意識 が大 きな要 因 とな った もので あ るc
我 が 国 の 野外 博物館 の 設立 は、 昭和 3 1 年 ( 1 9 5 6 ) 日本民 家集 落博 物館 の 誕 生 を もってその 始 ま り
と して扱 われ るが、野タト博 物館構 想 はす で に昭和 1 4 年 ( 1 9 3 9 ) に渋 沢敬 三 に よって東京府北 多摩 郡
保 谷市 に建 設 され た民族学 会 附属 民族 学博 物館 の 開館 時 に見 られ る もので あ った。 実際 に武 蔵 野民
家 と絵 馬 堂 の 移築 が行 われ て い た こ とか らも、 そ れ は野外 博物館 的概 念 と して 見 な され る もので あ
り、 野外博 物館 誕生 の 一 つ の歴 史 と して意義深 い もの と考 え られ る。
本稿 は、南方熊楠 が神 社 の神林 こそが 野外博 物 館 で あ る と提 唱 した社叢 、我 が 国 の 代 表 的 な野外
陣物館 であ る 日本民 家集落 陣物館 と川 崎 市立 日本民 家 園、野外博 物館 の 唱 矢 と考 え られ る民族学博
物 館 を事例 と して考 察す る もので あ る。
また、 海外 の 野外博 物館 と して は我 が 国 の 野外 陣物館 は言 うまで もな く、 l U 界の 野外 陣物館 の 発
展 に大 きな影響 を及 ぼ した スカ ンセ ンを例 に とって 考 察す る もので あ る。
日本 の野外 博 物館
1.社 叢
我 が l I I で「
野外 博物 館」 とい う言葉 をは じめて使 用 し紹 介 した の は南 方熊楠 で あ る. 熊 柿 が説 い
た野 外 博物館 とは神社 の神林 で あ った。
天然物 は神社 と別 な り、相 当 に別 方法 を もって保存 す べ しとい わんか. そ は金 銭 あ り余 れ る
米 国 な どで初 め て 行 なわ るるべ き こ とにて、実 は前述 ご と く欧米 人 の いづ れ も、 わが邦 が 手軽
‑15‑
野外 博物館 の歴 史
く神社 に よって何 の 費用 な しに従 来珍草奇 木異様 の 諸生物 を保 存 じ来 たれ る を羨 む もの な り。
近 く英 国 に も、友 人 バ サ ー博 士 ら、 人民 を して土地 に安 着 せ しめん とな らば、 その土 地 の事歴
と天 産物 に通 暁せ しむ る を要 す とて、 野タト博 物館 を諸 地方 に設 くるの企 て あ りと聞 く。 この 人
明治 二 十七年 ころ 日本 に来 た り、 わが 国 の神 池神 林 が非常 に天産物 の保存 に益 あ る を称 揚 しお
りたれ ば、 名 は大 層 なが ら野外 博物 館 とは実 は本邦 の 神 林 神 池 の二 の 舞 な らん。 ( 中略) わ が
国 の神 社 、神林 、池 泉 は、人 民 の心 を清 澄 に し、 国恩 の あ りが た きと、 日本人 は終始 日本人 と
して楽 しんで世 界 に立 つべ き由来 あ る を、 い か な る無 学 無筆 の 輩 に まで も円悟徹 底 せ しむ る結
構 至極 の秘 密儀軌 た るにあ らず や。加 之 、 人民 を融和 せ しめ、社交 を助 け、勝 景 を保存 し、 史
蹟 を重 んぜ しめ、天然 記念物 を保 護 す る等、 無類 無 数 の 大功 あ り。
これ は1 9 1 2 年 ( 明治 4 5 年 2 月 9 日 ) に 自井光 太郎 に宛 て た書簡 で あ り、 同年 の神 社合 併反対 意 見
の 中 に も同様 の 記載 が見 られ る もので あ る。
熊楠が考 えていた野外 博物館 とはまさに神社 の神林 であ り、社叢 こそが我が国における広義の野
外博物館 の疇矢 と見なせ る ものであろう.神 社 はその地域住民の拠 りどころであ ったので、神社が
廃社 となれば、民俗学的に も宗教学的にも失 うものが 多い。外 国の ように野外博物館 を設けて寸1地
の来歴、風土等 を継 承 させた ように、神社 は我が国の野外博物館 であ り、人 々の生活すべ てが凝縮
している神林 を保存 しなければな らないことを説 いた もので ある。神社合祀反対 によって生涯 をか
けて神林 の保存 を訴えた熊楠は、外国文化 に実際かかわって きた経験か ら我が国の伝統文化が国民
教育に とって も重要な ものであると実感 して いたのである。
2 7)頃 とされて い るが、
熊楠 の書簡 の 中に見 られるバ サ ー博士が 日本 に訪れたのは1894年 (IIn治
その時期熊楠 はロ ン ドンに留学中であったので、両者 における日本での接点は見 られない。来 日し
た時点でバ サ ー博 士 は1891年 (明治24)に 開館 したスカ ンセ ンをすでに見ていたのか、あるい は日
本か ら帰国 した後 に見た ものかは定かではないが、英国にも同様 の野外博物館が必要 であるとの設
立構想 を立ててい たことは確実 で ある。 (その後英国では1938年にマ ン島に初 の野外博物館が建設
されて いる。)日 本 で見た神社 の社叢が野外 博物館 としての役割 を果た してい ることに注 目し、そ
の環境 を羨み、そ してその保存 を英国に帰国 してか ら熊楠 に促 して い るのである。熊楠 自身が1892
年 (明治25)〜1901年 (明治34)に かけて ロン ドン留学 中に野外博物館 を実際に見た とい う記録 は
な く、「
野タト
博物館」 の語 は留学中に友人 で あ ったバ サ ー博 士か ら得 た知識 によるものであると考
えられる。バ サ ー 博士 はスカ ンセ ンを見学 してお り、そ の影響 を強 く受けていると考え られること
か ら、熊楠の使用 した 「
野外博物館Jと い う語 も、 まさに スカンセ ンを意味す るものであったこと
が理解で きよう。 したがって、博物館学的な観点における我が国の野外博物館構想 の最初 は南方│〔
楠が使用 した 「
野外 博物館Jで ある ことを提唱するものである。
しか し、熊楠 自身 の 目的は 「
野外博物館」ではな く、あ くまで も神社 ・社叢 を守ることであった
‑16‑―
野外博 物館 の歴 史
こ とか ら、我 が 国 の 野タト博 物 館 の 設 立 は渋 沢敬 三 らの活動 を待 つ こ とにな った. そ れ以上 に、我 が
野外博 物館 」 とい う概 念 を紹 介 した こ と と、社 叢 を野 外博 物 館 と
国 に 「野外博 物 館J と い う語 、 「
見立 てた こ との意 義 は大 きい c つ ま り民俗 学 ・宗教 学 ・生物 学 ・植物 学 等 あ らゆ る分 野 の総 合 的学
問 の研 究対 象 とな り得 る社 叢 は、現代 の 野外 博物館 、換 言す れ ば郷 i l の集約 で あ る こ とを明治4 5 年
に論 じた こ とは、野外博 物 館 の歴 史 L 重 要 な もので あ ろ うc
我 が 国 の 自然 は熊楠 の生 涯 をか け た運 動 の 成果 に よ り残 され た もの も少 な くな いc 白 井光 太郎 は
「
神社境 内 の樹 木 の保 護 に就 てJ の 中で次 の よ うに述 べ て い る.
l 其■1 地に能 く適 営 す
( 前略) 老 樹 巨木 といふ もの は神 社 建 設 の 年代 、崇敬 の 程 度 を示 し、 「
る樹 木 の種 類 を示 す もので 、其 庭 の 史蹟 名勝 天然 記念物 で、 三度 と出 来 ぬ 貴重 の もの で、 其神
社 の 来歴 、村 落 の 新 古 を語 る もの で、 百年経 て ば又 出来 る といお、は偏 りで あ る。 ( 中略) 社 と
云 ふ は天 神 地祇 土地 の 神 五 穀 の神 生 産 の神 を祭 る場 庭 で、社 木 と云 つ て 本 を神 社 と した もので
あ る. 即 ち ひ もろ ぎで あ る。上 占大 ■1 など云 ふ ものの無 い 時代 には、 御宮 といふ もの は全 く無
い 、其 時代 には樹 木 の 森 を神 社 と した もの で、 高葉集 に は神社 と書 い て も りと読 ませ てあ る。
また、 「史蹟 名勝 天然記 念物 の保 存 に就 てJ の 中 に次 の如 く述 べ て い る.
( 前略) 又 我 国 の 驚 くべ き天然 記 念物 、驚 くべ き風 景 は、 帝 に學 術 上 に神益 を典 あ、るのみ な
らず我風 土 の 秀麗、 大 産 の優 越 な る こ とを直接 に矢Π覚 せ しむ る もので 、 `
1 4 生之 を耳 目す るに よ
りて、 不知不 識 の 間 に愛郷愛 國 の 観念 を養成す るに典 つ て大 に力 あ る もの た るは、論 を侯 たぬ
事 で、 従 つ て 無 暗 に破 壊 す べ き物 で な い 事 も、論 を倹 た な い 事 で あ ります。 ( 中略 ) 樹 といあ、
もの は、 史蹟 と天然 記 念物 を兼 ね た もので 、社叢即 ち神 社 には、 史蹟 、 名勝 、天然記 念物 の、
三 者 を兼備 した ものが 多数 にあ ります . ( 中 略)
次 に保 存 す べ きは社 叢 で あ る、社 叢 とは村 落 々々 に有 る所 の 、 神 明 を奉 T E する神 聖 な土地 で
あつ て。社 地 には必 ず社 木 と云 つ て、 本 を植 へ た もので あ る。社 は二 十 五 戸 を社 と云 お、
事 もあ
つ て、社 が集 つ て社 曾 を成 す ので 、今 日使 用す る社 含 といふ 語 も、此社 叢即 神社 か ら起 つ た も
の で、 東洋 で は、人民 の 集 る所 に は、必 ず社 が あ つ た もの で あ る。 ( 中略) 日 本 に は依 然 と し
て建 回以 来 の社叢 、即 ち神 社 が 、村 落 に保存 せ られ て、 驚 く口
∫き巨木老樹 が 、到 る虎 に 蕃茂 し
て居 るは、 高国 に比 類 の 無 い もので 、 国粋 の最 なる もので あ るc 殊 に松 柏科植 物 の 豊富 なる事
は、我 回 の 欧米 に優越 す る特 粘 で あつ て、外 国 人 の驚歎 す る事 で あ る。
農科大 学教授 であ り、 史蹟 名勝 天然記 念物保 存協 合 の 評議 員 であ った 自井 が述 べ てい る よ うに、
社叢 は 人 々の 集 まる拠 り所 で あ り、愛 国心 を育 む場 で あ る こ とを指摘 し、 欧米 諸 国 と対比 させ なが
ら、社 叢保存 の重 要性 を強調 した もので あ った. こ れ は まさに三年 前 に南方熊楠 か ら届 い た吉簡 の
影響 を強 く受 けた もので あ る こ とは言 うまで もな い こ とであ ろ う。
また、黒板 勝 美 は 「史蹟 遺物保 存 に関す る研 究 の概 説J の 中で国家 と して保存 す べ き史蹟 や遺物
―‑17‑―
野タト
博物館 の歴史
の範囲を限定 してい る。
第二類 祭 祀宗教 に関するもの
これは申す迄 もな く神社が第一 、佛寺が 第二 です。次 に楔板の奮趾、邊舞所 の趾、是等は信
仰風教 の上か ら特 に保 存 を願 ひたいので あ ります。是 につい ては内務省令 の神社併合 はこの保
存 の精神 に背反 した もので ある ことを一言附け加 へ て置 きます。
黒板 は史蹟保存 の立場か ら神社の保存 を述べ ているが、神社合祀 につい ては白井 と同様 に批判的
であった。 この ように後 に博物館学 と繋が りを持 つ ことになる人物が社叢の重要性 を論 じた もので
あ った。
2 . 日 本民族学会附属民族学博物館
我が国に民家園 の考えが入 って きたのは1 9 2 0 年代 〜 1 9 3 0 年代 にかけてであるが、それは渋沢敬 三、
今和次郎 たちが海外 の野外博物館 を見学 して感銘 を受けたことによるところが大 きい。渋沢 は大正
1 1 年〜1 4 年にかけて横浜正金銀行 ロン ドン支店に勤務 の合間に、 スカンセ ン民族博物館 をは じめ と
してオスロー野タト
博物館、その他 コペ ンハ ー ゲ ン人類学博物館、 ウイー ン美術 史博物館、 ロン ドン
ナ シ ョナ ルギ ャラリー、大英博物館、 自然博物館、 ヴィク トリア ン ドアルバ ー ト博物館 などを見学
し、我が国にもこのよ うな大規模 な民俗園の実現 を強 く念願 したのであった。昭和3 4 年1 1 月2 9 日付
けの朝 日新聞 「きの うきよ う」 にスカ ンセ ンやグリー ンビレ ッジを紹介 したあ とで 「わが 国にも一
つ立派な野外博物館 がほ しい。東京保谷、大阪豊中、上呂等その他各地 に既 にその芽 ばえを見せて
い る。」 と述 べ ている。 しか しその実現が困難 な ことか ら、小規模 で も可能な範囲で直実 にその計
画を進めたのである。
渋沢 は大学 一年 の 頃、東京高等
師範学校附属小学校以来 の 同窓生
と三田の渋沢邸内に屋根裏 を利用
したアチ ック ・ミュー ジアムをつ
くり、植物標本や動物標本、化石
などを持 ち寄 って陳列 を始めたの
は周知 の如 くで あるが、渋沢 の博
物館 に対す る理念は小学校時代 に
おける同校附属教育博物館主事 を
兼務 して い た棚橋源太郎か らの博
日本民族学会附属研究所 拓 嘉 一郎氏
( 屋根裏 の博物館 から転載)
―‑18‑―
物館教育が大 きく影響 した もの と
みてよいで あろう。
野外博 物館 の歴 史
アチ ック ・ミュー ジア ムの収 集 資料 の増 大 に伴 い 、昭和 1 2 年 ( 1 9 3 7 ) に アチ ック同人 の 高橋 文太
郎 の協 力 に よ り東京 府 北 多摩 郡保 谷 町 に約 1 万 坪 の土 地 を得 て、2 階 建 て1 2 5 坪の研 究所 と事 務所
が建設 された。 ここにアチ ック ・ミュ ー ジアムの 収蔵 民具 の ・
1 本民族 学 会 に
部 が移 され、1 0 月に 「
寄贈 され た。 昭和 1 4 年 ( 1 9 3 9 ) に はアチ ック ・ミュ ー ジアムの収 蔵民 具 がす べ て 日本民 族学 会 附属
博 物 館 に移 管 され、博 物 館 が 開館 した。 しか し昭和 1 7 年 ( 1 9 4 2 ) に官 憲 の 圧 力 に よ リアチ ック ・
ミュ ー ジアムの改 名 を迫 られ、 「日本常民 文化研 究所 」 と改 め た。 そ の後 昭和 2 6 年 ( 1 9 5 1 ) の博 物
館 法 の 施行 に よ り、 登録 博物館 とな り、 昭和 3 7 年 ( 1 9 6 2 ) 文部省 史料館 民 具収蔵庫 の完 成 に伴 い、
民 族学協 会 は アチ ック関係 資料 を国 に寄贈 した。 昭和 5 2 年 ( 1 9 7 7 ) 目立民族 学博 物館 完 成 と共 に、
アチ ック資料 はそ こに移 管 され今 日に至 ってい る。
高橋 は保 谷 町 に 日本民族 学 会 附属博 物館 が建 設 され るに伴 い 、 博物館 と しての既 成事 実 を積 み上
げ るた め に野タト展 覧 の 整備 を進 め、 今和 次 郎 にそ の 指 導 を仰 ぎ 「
の本
Garden Planning」
H 談 と、 高
橋 の所 有す る民 家 の復 元 と移築調査 を依 頼 したので あ った. 昭 和 1 3 年 ( 1 9 3 8 ) に移築 復元 可1 事が 竣
工 され、武 蔵野民 家 は 日本初 の 野外 展示 で あ る 「オ ー プ ングラウ ン ドミュ ー ジアム」 の 第 1 号 展 示
物 とな った。 そ の 後、今和 次郎 の 設計 に よ り絵 馬 堂 も建 設 され、 昭和 1 4 年 ( 1 9 3 9 ) に 「日本 民族学
会 附属 民族 学博 物館 」 と して開館 され たのであ る 。
武蔵野民家 楕 嘉 一郎氏
( 屋根裏の博物館 から転載)
絵馬堂 栴 嘉 一郎氏
( 屋根裏の博物館 から転載)
また、 この 時期 に昭和 1 5 年の皇 紀2 6 0 0 年記 念事 業 の 一 環 と して政府 内部 にお い て 民族学博 物 館 の
建 設 を推 進 す べ く、渋沢 は 白鳥庫 吉 、石 黒忠 篤 とと もに建設 運動 を進 めて い た. そ の構 想 には民 家
同、 つ ま り野外展 観 が大 き く加 わ ってお り、今和 次郎 に よって 鳥跛 図 も作 成 され てい た。 結 果 的 に
この計 画 は、渋沢 と黒 板 勝 美 ら皇 国史観 的歴 史学者 との 方法論 L の 相 違 と、 戦争 の 切迫 に よ り実現
しなか った。 しか し、 日本民 族学 会 附属民 族学博 物館 は 日本 で初 めて の民衆 の生 活 を扱 い 、 日本民
族 博物館 の 目的で あ った野タト展 覧 の構 想 も部分 的 に実現 した もの であ った。
この 皇紀 三 千 六 百年 記念 「日本民 族博 物館 設 立建 議案 博 物館 ノ ロ的 トソ ノ運営 」 の なか で、 野
外 展示 の項 目を設 けて次 の如 く記 され て い る 。
―‑19‑―
野外博 物館 の歴 史
野外展観
一 、 地方色 アル民屋
右干 ヲ建 設 スル事
8、 製塩 関係
東北 、 関東、 関西 、其他 島 中 ヨ リ若干 ヲ
9、 製糖 関係
選定 スル コ ト
10、造 酒醤 関係
ー 、其 一 部 ニハ 民 具其他 ヲ
展観 スル コ ト
11、製紙 製鏡 関係
ー 、都 会家屋 ニ モ
12、製 糸 関係
留 意 シ意義 アルモ ノハ 之 ヲ取
扱 フコ ト
ー 、次 ノ如 キ特
13、織 布染 色 関係
殊 関係 ノ家屋 、共他 ヲ考慮 ス ル
14、路 傍造 設物
不敢 営、地蔵 、 一 里塚 、馬牛頭観 世音 、
コト
1、 家屋 形態 ヲ トル別 陳類
道祖神 、塞 ノ神 、 高札 、火 ノ見梯 子 、番
納屋 、 倉、釜屋 、機屋 、氷 室、 鶏小屋 、
木、 火 ノ見櫓 、燈 籠、 天下大 将 軍、職 関
薪 小 屋 、水 屋 、船 小 屋 (牛馬 其 他 )、網
係
小 屋 、使 所 (娘
1)、見張 小 屋 (魚見害 鳥
15、作業場 関係
獣 盗 人 見 張 等)、灰 屋 、若 者 宿 、穀 倉 、
16、河 川池 関係
田屋 、産屋 、 室、漆 室、集憩小屋 、 高倉 、
橋 梁 (丸木 橋 、 ツ リ橋 等)、堤 防、蛇 籠
肥 料小屋 、 門、辻番 小屋 、 火 ノ番小屋 、
類 、百本杭 、渡 シ場 、堰 、用 水池 、杭 、
風 呂小屋 等
洗 ヒ場 、 サ イ フオ ン
2、 水 車類
17、石 工 関係
水 車小屋 、水 車 (足踏車 、風 車 、桶付 水
車 等)、 ボ ツ トリ、 ソー ツ (バツ タ リ)
採石 、石切場 、 運搬 設備 、石垣 各種
18、船 舶 関係
筏 、丸木舟 、 ヘ ギ舟 、 ソル コ舟、ト モ ド、
3、 用 水 関係 (飲料 ヲ主 トシテ)
井 戸 (ハネ ツ ル ベ 、車 井 戸 、 汲 取 井 戸
チ ヨキ、 二〇 り、 ボ ワチ ヨ ワ、高瀬 、平
等 )、寛 、 天水溜 、川戸 、汲 ミ地 等
田、川崎 、家根 舟 、偉 馬、 ダル マ 、 田舟、
チ ヤ ンコ、 カツ コ、 サ ツパ 、 ダ ンベ ー 、
4、 炭焼 関係
渡 海舟 、朝鮮 ペ ー 、 ニ ー ヤ ン (小葉舟)、
炭竃 、炭焼小屋
5、 焼 物 関係
生箕 舟 等
19、車権 関係
陶磁 器 関係 、上 り竃 、瓦焼 其他
ネ コ、 コロ、 大 八、 シラ、 牛 車 、馬車、
6、 鉱業 関係
タタラ関係 、鍛 冶 、銅 山、金銀 山
ツ リ車 、荷 車 、人力 車 、 円太郎 、 ワバ 車 、
鋳物等
イザ リ車 、様 、 一 本 ゾ リ、 人カ ゾ リ、蓮
壼 、 ス キ ー 関係等
7、 山樵 関係
20、牧 畜 関係
山中設備 、材採 関係 、木材搬 出設備 等
―‑20‑―
野外博 物館 の歴 史
狩猟 関係
ホ コ ラ類 ( 石、本) 、神社 、 仮屋 、 鳥居 、
穿 、落穴、○〇 、 エ リ、 害 鳥 獣豫 防装 置
籠 り堂 、地蔵 堂 、観音 堂 、Oノ 河 原 、 山
( ワナ) 等
堂 、拝所 等
2 2 、 季節 行事 関係
2 4 、其他特 殊建 設造 型物
2 3 、 信仰 関係
(屋根 裏 の 博 物館 か ら転載 )
IⅢ
■lt響
スカンセン鳥敵図 (屋根裏 の博物館 から転載)
野タト
博物館 の歴 史
このよ うに具体的な展示施設 として野外展覧が含 まれた もので あ り、それは実際の状 況 を具現化
す るための ものであ った。野タト
展覧には民族植物園 も計画 されてお り、今和次郎が設計 した鳥厳図
はスカ ンセ ンと酷似 してお り、渋沢が調査 した民家が描かれた ものであった。今和次郎 は昭和 5年
(1930)に欧州 を訪れた際 に、渋沢か らスカンセ ンの解説書 を入手 してい る。渋沢 は建 築学的調査
お よびアチ ック関係 の博物館 の設計 を今和次郎 に依頼 してい る。今和次郎 は日本青年館郷土資料陳
列所開設 の際に 「
小博物館 の 開設 に際 して」で次の如 く述 べ てい る。
スカンセ ンには、その国の各地方 の 占い民家その他 の建物が、一 区域 に集め られて保存 され
てい るのである。そ して各建物の周囲には夫 々の地方の畑や牧場の様子が添 えられてい るか ら、
遠隔 の土 地 を旅行 してい る様 な感が博物館 を逍遥 う事 によって与 えられる。
このよ うに今和次郎が設計 した 日本民族博物館の鳥瞳図の発想 はスカンセ ンが基本 となった もの
であ ったことがいえる。今和次郎が設計 した 「日本民族博物館 屋 外部設計俯眼図」 と設立建議案
を見る限 り、現在我が国で管理運営 されてい る野外博物館 とさほ ど大 きな変化 はな く、渋沢が構想
した民族博物館が今 も生 きつづ けて い るものであ り、 また当時の概念 を越 えてい ない ともい えるも
ので あろ う。今和次郎 は 日本初 の野外博物館 となるはず で あ った鳥跛図 の設計、武蔵野民家 の解
体 ・移築復元 ・絵馬堂 の設計 と建設 といった我が国の野外博物館 にお いて大 きな業績 を残 した人物
であった。
保谷 市に移 築 された武蔵野民家お よび絵馬堂 と、戦後 の昭和25年 (1950)に野外展示 の拡充 を図
るために建設 されたアイヌの住居 は野外展示 としてオー プ ン したが、現存 してい ない。 さらに昭和
35年 (1960)に奄美 の高倉が移築 され、高床 はその後武蔵野郷土館 に再移 築、現在江戸東京 たて も
の園に引 き継がれ、当時の民族博物館 に移築 された建物で唯一残 る貴重 な資料 となっている。
奄美 の高倉 (屋根裏 の博物館 から転載)
―‑22‑―
民俗博物館 はなぜ必要 か
(屋根裏 の博物館 から転載)
野外博 物館 の歴 史
昭和 2 8 年 ( 1 9 5 3 ) 日本民 族学 会 ・日本 人類学 会 。日本常民 文化研 究所 。全 国博 物館大 会 は 「国立
民俗 博物館 設 置方 に関す る建 議書J を 発表 し、そ の建議 は翌 昭和2 9 年に 『
民俗 博物館 はなぜ 必要 か』
に掲 載 され た。 この冊 子 の 表紙 はス カ ンセ ン、裏表紙 は フ リー ラ ン ドムゼ ー の 案 内図が掲 載 され て
お り、野タト展 示 の必 要性 が うかが われ る もの とな ってい る。 また、 国立民俗博 物館 の 図面 の 野外展
示 鳥蹴 図 は、 今 和 次郎 が設計 した 日本民族博 物館 の もの と酷似 した もので あ り、 まさに渋 沢 が構 想
して い た 日本 民族 博物館 で あ った。
後述 す る 日本民 家集 落博 物 館 、 川崎市 立 日本 民家 園 も 日本 各地 の代 表 的 な建 築物 を収 集 し、移 築
した移 設移築 型 野外 博物館 で あ り、 それ に伴 う民 具類 つ ま りそ の地 方 の 文 化 ・歴 史 まで も展 示公 開
す る とい った、渋沢 が 日指 した民俗 学 の理 念 を受 け継 い だ もので あ る. 渋 沢 は 日本 民家集 落 博物館
の設 立 に際 して顧 間 に就任 、移 築民 家 の 資金 づ く りに財 界へ の寄付 協 力依 頼 に名 を連 ね、 開館 以 降
も生 涯 を通 じてその理 事 を務 め た。 当時 の保 谷 の財 団法 人 日本民族 学 会 附属民 族学博物館 に収蔵 さ
れ てい た 資料 は、 現 在大 阪吹 田市 の 国立民族 学博 物館 に収蔵 され て い る。
「日本民 族学協 会会長新村 出 。理事 長 高 田保 馬宛 書簡」 昭不日1 9 年 ( 1 9 4 4 ) 7 月 4 日 に財 団法 人 口
本民族 学協 会 に民族 学博 物館 を寄贈 す る際 に、 渋沢 が記 した書簡 で あ るが 、 この 中 で 野タト
博物館 を
オ ー プ ング ラウ ン ドミュ ー ジアム と称 して、そ の必 要性 を述 べ て い る。
現保 管場 所 を選 定致 した るはち と甘 き夢 を見 た る為 に候 それ は少 くと も民族 学 的標 本 に於 て
は堅牢 な る建物 内 に展 観保存 を要す べ きは勿論 乍 ら ^ 部は オ ー プ ング ラウ ン ドミュ ー ジアム に
致 し度 各地 の民 家 夫 の物 迄 もそ の儘 に移 して保存 致 す方 よろ し くさす れ ば屋 根 等 も当時 の 東京
市外 た る方便 宜 と存 じた る こ と と、会 々紀 元 二 千 六 百年記念事 業 に 関連 せ しめ て この 意 図成就
せ しめん としたるが為 に ( 略)
りとい う評価 はされていないが、生涯 を通 じて渋沢が理想 とし
た博物館像 を考えた場合、やは りこれ らの ものは博物館学理念
に基 づ く野タト
博物館 で あると考 えられるものであ り、野外博物
館 の晴矢 と見なしてよい ものであろう。
日本民族学協会会長新村 出 。理事長高田保馬宛書簡
1944(昭
和 1 9 ) 年7 月 4 日 ( 屋根裏の博物館 から転載)
‑23‑
.
﹄一
摯一
一一一一
摯一
摯一
一﹂一
一一摯一
ウ一
一摯一
一一
幸一
一一 一
一一
一一
摯一一一一一
一一
一一
一一
つ一
﹁一
一一 一
一
一↓一
一一
前述 した武蔵野民家 と絵馬堂 は、一般 に野タト
博物館 のは じま
t一
換一
要・
■一
一一
︐一
■一
撼一
″一
t一
一一 一
一一
t一一
一一
一一
一一
擁一
t一
一一
一一
′一
4一 一
縦一 ■一一
■
一
^一
構一
︐一一て一 一
一一
一一
躍一
競一
棗一
t一
ぶt一
一一
警一
苺一
︐一
︐一
贅一
場一
■一一
一薔一一一
一一
一一
桜
・
た ものであ った。
一一一一 一 一一
一一一
一
一一一一
︐一
な一
一一 一
″一
一一
一一
︶一
一一 一一 一
一一
一一 一
一一
一一″一
築 しただけの ものではな く、 スカンセ ンの よ うに生活 を再現 し
一■一
7一
一一
一一
ヽ一
一一
一一
︐ 一
一一
■一
一一
一一
一一
一一
︐一
鷲一
一一 一
一一
t一一
■一
︐一
一︐一一●
一な一
離●一
軒 一
一一
︐一
r一 一
一一
4一
ζ一″一
難一
絡一 一
キ一
一一
︐一
一一
一一
″一
鮮一
鮭一 一
策一
館一よ
なるが、渋沢が実現 しようとした野外博物館 は単 に建築物 を移
一■一一
一
・一■︐
一一
一
︐
一
一
一一
一
一
一
一
ヽ
t一
′
蔭一一一一
苺
一一
撻4
一
輩一
苺
一
■一
一一
一
一
一一
一一
一一ヽ一 ζ 一
一︐す一■′ 一︐ 一
一一︐一一
一︐■︐ す一
一一
︲︲
︲
︲
一一一一一
一
夕
一一一一一
一
︐
一
︐
一
一
︐
一
︐
一
一︐
一
一
一
一
t
一
ヽ
一・
︐
一
一
一
一
一
一
一
一
ヽ
一
一
一一
︐
一
一
︐
一
7
一一一
一一︐一
︲
︲︲
渋沢は戦後 になって野外博物館 とい う言葉 を使用す ることに
野タト博物館 の歴 史
3 . 日 本 民家集 落博物館 の 設 立過 程
日本民 家集 落博 物館 は大 阪北郊 の豊 中市服 部緑 地 の 一 角、 お よそ 3 万 6 0 0 0 ぶの敷 地 に1 1 件1 4 棟の
建築物 を移築保存 して い る。北 は岩手県 の南 部 曲 り屋 か ら南 は鹿 児 島県 の奄 美 諸 島 の 高倉 まで、 日
本各地 の特 色 あ る建 築物 を収 集 して い るのが 特徴 で あ る。
我 が 国最初 の野タト
博 物館 で あ る大 阪府 豊 中市服 部緑 地公 園 の 日本民 家集 落博 物館 ( 1 9 5 6 年) の 設
立過程 は、 当時 の豊 中市教 育長 島 田牛稚 氏 に よる民俗館 設立 の記 に詳 しい 。
昭和3 1 年秋 に郷 土研 究 会員 ・学 芸大学助 教授 鳥越 憲 三 郎氏 か ら合掌造 り民家 の 移築 の 話 が持 ち込
まれ たのが 発端 であ った。
飛騨 白川村 の 合掌造 民家 が、 国策遂行 の ・
翼 をにな う電 源 開発 工 事 のため に、永 久 に ダ ムの
水底 に沈 む こ とにな った。 ところが そ の 一棟 が、 関西 電力 株 式会社 の 好 意 に よって 買収 の うえ、
大 阪府 に寄 附 され る。 それが府 下の どこに設置 され るか未 定 だが、 わが豊 中市 に移 築 して は ど
うか。や りかた次 第 で何 とかなると思 う。
島田教育長 はこの話 を受 けた時に合掌造民家 の二つの価値 に注 目したのである。 一つ は釘や鑓 を
^ 切使用せ ず、縄や ネソで結びつ けた特異建築様式 としての建築史上価値 であ り、 もう一 つ は 山
村生活様式 つ ま り生産構造 としての民俗学的価値 であった。 この民家 を移築 してさらに民具 を収集
し、 「
民俗博物館J と して活用で きれば極めて特徴的な施設がで きる ことに見当をつ けてい たので
"を
あった。そ して 民俗博物館設置要望書
大阪府知事 に提 出 したので ある。
豊中市だけでな く高槻市、箕面町 のほか数件 の候補地があ ったが、経費面 での条件 を満たせ ば豊
中市 に決定す るとい う内意 が示 された。 しか し赤字財政の豊中市で負担額 をどのように工面す るか
が最大の 目標 となったのである。その内訳は移築関係費4 8 0 万円の うち、関電 が1 5 0 万円、大阪府が
1 8 0 万円、豊 中市が1 5 0 万円 ( 後の交渉 で1 0 0 万円に減額) と い うもので あ った。 しか し市会の承認
を求めるにあた り、文化都市 を誇る建前上 この ような文化的価値 の高 い施設 は必要 であるとい う意
見に対 して、義務教育の学校 さえも十分に建て られないの にその よ うな不要不急 の ものに予算 は出
せない、 さらに赤字都市 にその ような厄介なものを持ち込むのは、現在お よび将来に大 きな累を及
ぼす とい う賛否両論 の声 があが り、 しか も慎重論が強 く市会全員 の協賛 を期待す るのは困難 であっ
た。
何 とか して民俗館 を設 立 させ た い とい う願 い が実現 で きた の は、 市民 の 大 きな協 力 が 得 られ たか
らで あ った。 民俗博 物館 設立構 想 を立 て る際、郷 土文化研 究 会 の 意 見 を聞 き、 また教 育 的利用 の立
場 か ら学校 側 に図 り、 その結果生 きた社 会科 教材 と して学 童 に利用 させ た い とい う希 望 を得 て、 さ
らに新 聞 は事 の成 行 きを委細 に伝 え る こ とに よ り世論 は高 ま り、 つ い に
"を
致発起 人会
結成 、寄 附金 の募 集 に着 手 したので あ った。
飛騨 白川村 合 掌造 民家誘
市長 、教 育長 、公民館 長 をは じめ と し、 関係 者 一 同が動 員 され、教職 員組合 ・学校 ・P T A ・
―‑24‑
郷
野外博 物館 の歴 史
1 1 文化研 究会 ・青年 団 。ボ ー イス カウ ト ・婦 人会 ■文化 団体 は言 うまで もな く、 会社 法 人 に い た る
まで の協 力 が得 られたc 関 電 ・阪急 電鉄 ・阪急 百貨 店 ・阪急 バ ス ・大 阪 ガ スで5 0 万「1 をは じめ と し、
予定 の1 8 0 万円 は軽 く上 回 る結 果 となった。
移 築民 家 は 当初予 定 して い た もので は な く、 よ り占い形式 の 大 井家 に変更 とな り、現 地 契約 、解
^ 角に白川
体、移 送、復 元 の順 を辿 り、服 部緑 地4 2 万坪 の
民 家 は移 築 され たので あ る。建 築 学 か ら
大阪市 立大 学 の滝 沢教授 に調査 を依 頼 、 鳥越助 教授 ― 行 が現 地 で 民 具収 集 に派遣 され た. 後 に民俗
館条例 、予 算 の 決 定 をみ て 開館 式 を迎 え る運 び とな った。 連 日観 覧者 数 は1 0 0 名を越 え、初 年 度観
覧料 は6 0 万 円 に及ぶ 見通 しをみ たので あ る。
"を
民 俗館
拡 充 し整 備 し、 名実 と もに西 日本 にお け る文化 セ ン ター た ら しめ、 学 童教 育 の
国 と して、社 会 人観 光 の 資 と して、 い な進 んで伝統 日本 を外 国 人 に も紹 介す る場 と した い と念
願 す る もので あ る。
と して結 んで い る。
経 過 ―束
"設
置 申請 大 阪府 へ 。
昭和 3 0 年1 1 月1 7 日
( 市長 、教育 長)
日
召不Π3 1 1 1 1 月 1 1 日
( │ │長
∫、助 役 、教 育 委 員長 教 育 長 に対 し) 人 阪府 か ら、 半 中市 へ 貸 与の
民俗博 物館
内諾 あ り.
昭和3 1 年 1 月 1 9 日
昭和3 1 年 2 月 7 日
市会 文教 委 員会 へ 誘 致案説 明
飛騨 白川村 合掌造民 家誘致発起 人会
"を
組織 、 第 一 国会合 を開 くc
/1N員
協 議会 に了解 を求 め た.
昭禾│131年2月 14日
市会
昭和 31年 3月 L句
寄 附金募 集 開始 。
1昭
和3 1 年 4 月 2 0 日
府 よ り、 大 田家 は都 合が悪 く、他 の 家 と取 替 えて は しい と、 関電 よ り要
望 あ り。
昭和 3 1 年 5 月 1 6 日
関電水 日庶 務次 長、府 土本部 島野計画 課長 、 山田建 築技 師、 鳥越助 教授 、
一
島I11教
育 長 の 行が現地 に赴 き調 査 の 結果 、大 り
1 家 に変 更c
昭和 3 1 年 6 月 1 7 H
立大 学 滝沢教授 を建築学 の立 場 か らの調 査、 大阪学芸 大学 鳥越助
大Flx市
教授 、菅沼氏 を民俗 資料 蒐 集 の 目的で現 地 に派遣 .
昭和 3 1 年 7 ナJ 2 5 日
大型 トラ ック運 搬 第 ^ 陣緑 地着 c
昭和 3 1 年 8 月 L 句
復 元 開始 c
昭和 3 1 年 8 月 2 0 日
復 元完 了。
昭禾1131年9月 22日
全 文 1 1 条よ りなる契約 書 を府 と調節 c
昭和 3 1 年 9 月 2 4 回
「
民俗 館 条例」 と同予 算 を市 会 に提 出、満場 一 致 可決 っ
―‑25‑―
野外博物館 の歴 史
昭和 3 1 年 9 月 2 9 日
一
般公 開。
昭和 3 1 年1 0 月 6 日
開
館式。
以 1 1 が設 立過程 の 一 部 で あ る。延 べ 1 6 7 坪の民 家 を、大型 トラ ック6 0 台で、3 6 0 キロの 行程 を運 び、
第
^ 陣が服
部緑 地 に到着 したのが 7 月 の 末 で、8 月 上 旬 か ら復 元 にかか り、建 物 の 周 囲 の石 ・屋 根
の茅 等 は現 地 か らの もの を使 用 し、 人夫 も白川村 民 を使 った。
我 が 国 で規 模 的 ・組織 的 に見 た場合 、野外博 物館 の 第 1 号 は昭和 3 1 年 ( 1 9 5 6 ) に開館 した 日本 民
家集 落博 物 館 とみ るのが 一 般 的 で あ り、平成 1 8 年度 現 在 設立5 0 周年 を迎 えて い る。 しか し、 この博
物館 の 設 立 年 度 は論 文 に よって 昭和 3 1 年 ( 1 9 5 6 ) 、あ る い は3 5 年 ( 1 9 6 0 ) と され てお り統 一 性 に欠
くこ とが 多 い が、 この博物 館 の歴 史に は二つ の 時期 が あ る こ とが錯 綜 の原 因 とな ってい るの で あ ろ
(18)
う。
・
つ は前述 した豊中市立民俗館の時代 であ り、二つ は財団法人 日本民家集落博物館 としての時代
であるc鳥 越氏 は設立途中で府 立博物館 に してほ しい との要望 を出 してい るが、民家が10棟以上 に
なった ときに考 えるか ら、 しば らく豊中市の施設 に してほ しい との指示 によ り、豊中市民俗館 とし
て開館 した もので あった。開館 と同時 に 「
特別 自川民俗展」、 「白川芸能際」が催 された り、民俗
絵葉書、合掌優頭 の販売などもなされた ものであ った。 第 2期 は昭和 34年、民俗館が開館 し服 部緑
地 を訪れる人が多 くなったにもかかわ らず、放置 されている公園 の開発 は遅れていたため、豊 中市
立民俗館 を発展解消 し、 スカンセ ンに匹敵する東洋一 の野外博物館 を建設 しようとい う案 が持 ち上
がった。財政面で府独 自の建設 は困難なため、財団法人 日本民家集落 の名 での発足が決定 したので
ある。昭和35年 4月 1日 か ら豊中市立民俗館 は財 団法人 日本民家集落に移管 され、翌36年に財団法
人 日本民家集落博物館 と改称 されたのである。
このよ うに豊中市立民俗館 とい う日本民家集落博物館 の前身時代 を経て現在 に至 った もので ある。
また、豊中市立民俗館の当時か ら、民具の陳列館 を 1棟 建設 して い る。移 築民家以外 の地域 の民具
蒐集 を行 うためであった。 日本民家集落博物館 は、高度成長期 に次 々 と消 えてい く町並み と伝統的
建築物 を保存 し、公開するといった偉業 を成 し遂げたことの意義 は非常 に深 い。その後 に続 く野外
博物館 の範 になった我が国最初の野外博物館 としての価値 は大 きい ものである。
4.川 崎市立 日本民家園
昭和 42(1967)年 に開園 した川崎市立 日本民家園の発端 は 日本建築史学者の関口欣也氏が横浜国
立大 学 の卒業論文 として提 出 した 「
多摩 丘陵の農家 1955年 細 山」 の調査が きっかけとなった もの
である。 日本民家園建設構想の基 になったのは、 第 1号 移築民家 となった伊藤家住宅 であるが、 こ
れは昭和39年 (1959)に国の重要文化財 に指定 され、その保存 のために翌 昭和40年に移 築復元工事
―‑26‑―
野外博 物館 の歴 史
が な され、 昭和 42年 に民 家 園が 開園 され るに至 った もので あ る。 関 日氏 は昭和 30年 (1950)8月 に
伊 藤 家 を調査 し、 同年 12月に卒業論 文 と して ま とめ、大 学 に提 出 して い る.こ れ に よ り建 築 史研 究
会 の調査 が行 われ、 昭和 31年 (1951)に 論 文 の 一 部 が 『農村建 築 』 33号に発 表 され、伊 藤家 の 事 例
が紹 介 され た。伊藤 家住 宅 の 学術 的文化 財価 値 が世 に理解 され、重 要 文化 財 に指 定 され る に至 った
こ と もさる こ となが ら、 一 大 学 生 の 卒業 論文実 地 調査 が、結 果 と して 日本民家 「1設立 を実現 させ る
こ とにな った点 は特 筆 す べ きで あ ろ う。
伊藤 家住 宅 の 移築先 は当初横 浜市 三 渓 園 に予 定 され ていたが、 地元 川崎 に保存 す る要望 が起 こ り、
市 会議 員、 見識者 の 運動 を背 景 に、金刺 不 二 太郎 川崎市 長が市 内生 田緑 地 に ス カ ンセ ンに倣 って民
│1崎市稲 田図書館 長 の 占江 亮仁氏 が初代 の 日本民 家 同長 に
家 博物 館 の建 設 を決意 した もので あ る。 り
就任 し、 定年 の 昭和 50年 まで民 家 園 の主 体 部 の建 設が遂 行 され た。 古江氏 は 昭和 26年頃か ら川崎 市
の 文化 財 調査 と保 護 の 仕事 に携 わ りなが ら、生活 の 変化 に よ り、民 家が改築 され た り取 り壊 され る
こ とに心 を痛 め、 早急 な施 策 を執 らなけれ ば な らな い とい う焦 りと同時 に、 日本 の代 表 的民 家 を集
め て緑 の環境 の なか に移 築 した ら、 共通 の 「ふ る さ と」 に もな り、意義 が あ る もの にな る と夢 を膨
らませ て い たので あ る。 前述 した地 元 川崎 に保 存 す る要望 を強 く訴 えたの は古 江氏 であ り、 「川崎
市の よ うな新 しい都 市 で、 旧農村 部 の 伝統 的 な ものが 急 激 に姿 を消 して い る所 で は、 こ う した 占民
家 な ど生 活 文化 財 を残 す べ きで あ る」 とい う意 見 を提 出 し、 そ の 結 果 市議 会 の 賛 同 を得 た もの で
あ った。
横 浜 国立大学 人 岡実教授 が顧 問 とな り、古民家 の 野外博物 館 プ ラ ンの 設定 にかか り、東 日本 を中
心 と した全 国的 な もの を40棟程収 集す る こ とにな った。 この 案 に対 して他府 県 まで の民 家 を収 集す
ふ る さ と』 と して、全 国各地 の
る とな る と国 家事 業 にな る とい う反対 を受 けたが、 「市民 共通 の 『
代表 的 な古 民 家 を市 内 の緑 の環境 の 中 に集 め て移建 した い 。 そ れ等 の古 民家 はみ な200年か ら300年
を経 、 われ われ の先祖 の生 活 の場 で あ って、 そ の汗 と脂 が泌 み込 んで い る もので、 純粋 に民衆 の 文
化 財 で す。学 問的価 値 は もとよ り、勤 労市民 の心 の やす らぎを得 る所 とな り、 そ の 子弟 の 教 育 の場
と して も、 日本民 族 の生 活 の歴 史 を膚 で感 じとる こ とにな り、民 族 の伝 統 は脈 々 と して子 孫 に伝 え
られ る こ とに な りま し ょう。 これ は近 ごろの観 光 ブ ー ムで 、 あ ち こち にみ られ る封 建領 主 の 牙城 で
あ る城 郭 を、鉄筋 コ ンク リー トで復 原 した もの とは性 質 が全 く違 い 、 その意義 はず っ と深 い もの な
ので、 本市 で全 国 に魁 けて民家 博物館 を建 設 した いので す」 と説 明 を し、満場 一 致 で 賛意 を表 され
た もので あ った。
当民家 園 は復 元 調査 を もとに建 て られ た 当初 の形 に戻 す とい った 当初復元 の 形態 を採 ってい る.
維持 管 理 は、1965年の 旧伊 藤 家住 宅 か ら始 ま り、1990年の IH岩澤家住 宅 で移 築 は終 了して い るc今
後 の 移 築 見込 み は な く、現 在 は保 存 修 理 が大 きな課 題 とな って お り、市 の 財 政 事 情 の 悪 化 と も相
侯 って 未修 理民家 が 累積 して い る状 況 で あ る。 そ の 結 果差 し茅 程 度 で 済 む ものが 、葺 替 え を必 要 と
―‑27‑―
野タト博物館 の歴 史
す る まで屋 根 の腐朽 が進 んで しまった事 例 も出て い る。 古民 家 の保 存 で特 に経 費 がか か るのが屋 根
の葺 替 えで あ り、屋 根 講 や結 い 制 度 の消 滅 や材料 の調 達 が難 しい こ とな どか ら ・
棟 につ き 2千 万 円
以上 の経 費が必要 とな って くる のが 一 般 的 とい え る。 これ は萱 葺 き職 人が近 隣 に在住 して い な い こ
ともそ の理 由 の 一 つ と して挙 げ られ る。最近 の事例 と して、渋 谷 区代 々木 八 幡神 社 内 に保 存 公 開 さ
れて い る小 規模 の 竪 穴住居 の葺 替 えが行 われ たが、 地方 か ら専 門 の技術 者 を呼 び、 修 理 に数 日かか
るため に、 滞在 費等 を含 め てそ の経 費 は 9百 万 円以 上にの ぼ って い る。 ほ とん どの技 術 者 が 熟 練 の
高齢者 で あ り、若 手後継 者 の育成 は深刻 な もの となってい るのが現 状 で あ る。
我 が 国 の いず れ の 野外 博物館 が抱 えて い る維持 管 理 にかか る経 費 は大 きな問題 となってい る。 増
渕和 夫氏 が最 後 に 「
廃 屋 園 で あ って は な らな い 。Jと 結 んで い る一 文 に も緊迫 感 が 読 み 取 れ るの で
あ る。
川 崎市立 日本民家 園 は川 崎 市北 部 に位 置す る生 田緑 地 丘陵のお よそ 3万 11iを
利用 して開 園 した も
ので あ り、前述 の 日本民 家集 落博 物館 と同様 に 日本 各地 か ら代 表 的 な建 築物 を移 築 した もので あ る。
重 要 文化 財 が 8件 、 県指 定 文化 財 が 10件あ り、規模 と内容 か らみ て レベ ルの 高 い 民家 園 とい える も
ので あ り、 ここを訪 れ る と 日本 各地 の 民 家 を見 る こ とが 出来 、 ´ つ の博 物館 で 各地方 の特色 を比 較
しなが ら学 べ る こ との意 義 は大 きい 。
また ボ ラ ンテ ィア制 度 の 充実 か らイベ ン ト活 動 が盛 ん に行 われ、 来館 者 へ の サ ー ビスの提供 や配
慮 が充分 で あ り、館 内 の整 備 も行 き届 いてい る。 また周 囲 には谷戸 を残 す な どの 自然 景 観 の 配慮 も
な され て い る.こ れ は移 築 当初 か らの 方針 と して、 園 内 の 移築復 原 の建 造物 は漠 然 と建 て るので は
な く、地域 別 に村 落 をつ くり、急傾 斜 地、 渓谷 な どの地形 と 自然 を活 かす よ うに心掛 け、 地域 ご と
に特 色 あ る樹 木 を植 え て、 自然 環境 の 再 現 に努 め て きた こ との 結 果 で あ ろ う。 一 般 農 家 に は梅 ・
桃 ・梨 ・柿 な どを周 囲 に植 林 し、菜 園や米麦 の畑 を作 る こ とに よ り、農村 の 景観 を出 して い る。 ま
た、 民具収 集 には留 意 してお り、生活 の 知恵 、生業 、風 土 等 の 関係 を理 解 させ る よ うに努 め てお り、
農具小屋 を建 てて収納展 示 を行 ってい る。
さ らに導 入部 に展 示 室 が設 けて あ り、民家 の歴 史 ・構 造等 が模 型 な どに よって解 説 され てい る。
野外 博物館 にお い て も屋 タト展示 に留 まる もの で な く、屋 内 にお け る情 報伝 達 が相快 って こそ野外博
物館 の あ り方 を理解 で き得 るで あ ろ う し、来館 者 の 見学知識 ・意欲 を向上 させ る手立 て と して重 要
な もの とな って くるので あ る。 これ は計 画段 階 で大 岡氏 の 出 した 「
野外 博物館 には建 築 を主 と した
付 属 の 資料館 が欲 しいJと い う要望 に基 づ い た もので あ ろ う。
海外 の野外 博 物館
1.ス カ ンセ ン野外 博物 館
世 界 初 の 野 外 博 物 館 で あ るス カ ンセ ンは、1891年に Artur Hazelius(1833〜1907)
―‑28‑―
ってス
野外博 物館 の歴 史
トックホ ル ムの ジュ ー ル ゴー デ ン島 に設立 され たの この 島 に はス ウェ ー デ ン最大 の北 方 博物館 が あ
り、対 岸 には民 族学 博物館 や歴 史 博物 館 が あ り、文化 地 区 を形 成 して い る. ス カ ンセ ン とは小堡 塁
の 意 味 で、 古 くは業 が あ る工 本 の 狩猟 場 で あ っ た。 面積 3 0 h a の十地 は起 伏 に富 み 自然 豊 か な環 境
で、 ス ウ ェー デ ン各地 か ら移 築 され た建 築物 や │ 1 1 市
街 の 剛家 、風 車 、鐘楼 、教 会 な どが 生活 用 具 な
どの民 具 と ともにあ りの ま まの姿 で 展 示 され て い る。
ア ー サ ー ・ハ ゼ リウス は陸 軍十 官 の父 の もと、 中流 家庭 の 次男 と して生 まれ、 ウプサ ラ大学 で ス
カ ンジ ナ ビ ア語 学 を学 ん だ。歴 史 に関心 を持 つ 語 学 教 師 とな った ハ ゼ リウ スはス ウ ェ ー デ ンの ダ
に よる生活 ・伝統 文化 ・宗 教等 の 変化 と消 失 に危機 感 を覚 え、
ラー ナ地 方 を旅行 した際 、産業 I l l 命
古 い 衣装 ・家 具 ・装飾 品 ・道 具 ・絵 画 ・占楽 ・踊 り ・民 間伝 承等 の収 集 をは じめ た. そ の後民 俗 資
料 をは じめ と し、 各地方 の さ まざ まな伝 統風 習が集 め られ た. 衣 装 の コ レク シ ョンを借 家 で公 開 し
たの ち、 ス トックホ ルムの 中央 、ド ロ ッ トニ ングガ ー タ ンの 南北 1 つの 展示場 に資料 を移 し、 1 8 7 3
ion)と
年 1 0 月2 4 日に は ス カ ンジ ナ ビア 民 族 学 博物 館 ( T h e s c a n d i n a v i a n E t h n ( ) g r a p h i c C o l l e c tし
て展 示 公 開 を始 めた もので あ ったc
1 8 7 8 年パ リ万 国博 覧会 にお いて ス ウ ェ ー デ ンの 農民 の暮 ら しを中心 と した展 示 で 世界 的 な評価 を
得 た。 それ は マ ネキ ン3 0 体に民族 衣装 を着せ た
^ 連の 「
生 きた絵 J と して展 示 した もので あ り、 コ
スチ ュ ー ムス タ ッフを配 置 し、 ラ ップ人の パ ノ ラマ や ア マ リア ・リ ンデ グ レンの F 少女 の最 後』 を
人気 を博 した もの であ った。
題 l4・
と した活 人 L l l は
ハ ゼ リウ スの博 物 館 は現 在 の ノル デ ィカ博 物 館 ( N o r d i s k a M u s e e t ) へと成 長展 開 して い くが 、
民家 に当時 の 家具が並 べ られ て も、家畜 お よび 自然 の風 景 に囲 まれて 当時 の衣装 を着 た 人 々が い な
けれ ば歴 史 を映 し出す こ とはで きな い と思 案 して いた . そ して パ リ万 国博 覧会 でそ の 土地独特 な歴
史的建 造物 を見 た こ とに よ り、 自分 の民俗 博物館 に も野外 部 門 の 設置構 想 を立 て、 世 界初 の 野外博
物館 で あ る ス カ ンセ ンの 開館 と して実 を結 ぶ こ とに な ったので あ るc
ハ ゼ リウ ス は屋 内 ・屋 外 の 両 分野 と も民俗 博物館 の 必須構 成 と見 な した こ とか ら、北 方博 物 館 は
資料保 存 ・修復 ・調査 ・出版等 を行 い 、 ス カ ンセ ンは五 感 に訴 える教 育 に重 きを置 い た もの で あ っ
た。 特 筆 す べ きは野外博 物館 に 開館 当初か ら動物 園が含 まれ て い た こ とで あ る. ま た、民 族 衣装 を
つ けた コス チ ュ ー ムス タ ッフ を配置 し、 パ ン焼 き 。刺 繍 ・糸紡 ぎ等 の 実演 が行 われ、民俗 芸能が繰
り広 げ られ た。
2 で 述 べ た保 谷 町へ の 民家移 築 が我 が 国 の野外博 物館 の 哨矢 とす るの に対 して、 海外 にお い て も
ス カ ンセ ンの 設 立を遡 る野外 博物 館 の 萌芽 がみ られ る。先 ず代 表 的 な事 例 と して は、 1 9 7 0 年スイス
の シ ャルル ・ドゥ ・ボ ンス テ ー テ ンに よる 「
諸民族 の 家族 や 農場 と共 に、 ラ ップ ラ ン ドや フェロー
諸 島や ア イ ス ラ ン ドの 人た ち の民家 が あ る よ うな海 浜 に イギ リス風庭 園 をつ くるJ と い う着想 や、
1 7 9 3 年デ ンマ ー クの フ リー デ ンス ボ ー城 の庭 園 に野外 博物館 的 な もの を造 る とい う計 画 が あ ったが
―‑29‑―
野タト
博物館 の歴史
実現 は して い ない。1841年にはノル ウェーの 」 ・C・ ダー ルが ワ ン湖地方か ら中世風教会を買 い求
めて、 フレデ リック ・ウイリアムⅣ世 のポツダム庭園に贈 った事例があ る。 これ らは野外博物館 の
概念 として捉 えてよい もので あろう。 ス ウェー デ ンではスカンセ ン以前に国王が趣味的に中世家屋
の模型 を造 らせたこともあったが、一般市民 に展示公開 ・活用 の意図で設置 された点か らみて、野
外博物館 の始 ま りはスカンセ ンとい えるのである。
杉本尚次 も 「
非常 に市民 に開放 されて いわゆる博物館 である一 方 では、遊園地で もある」 と述べ
てい るように、現在 スカ ンセ ンは園内に動物園、水族館、遊園地 を設け、国民の娯楽施設 としての
活用が大 きい ため、年間 を通 じて人館者数が多 くなってい る。我が国の よ うに多種多様 の娯楽施設
が氾濫 してい る環境のなかでは、博物館 を憩 いの場 として利用 してい る国民の割合は非常 に少ない。
それに対 してスウ ェーデ ンには娯 楽施設が少 ないこ とか らスカンセ ンが唯一 の レジャー施設、テー
マパ ー クであ り、人 々の憩 いの場 となっているのである。
おわ りに
博物館 とは当該地域 の集約 である。博物館 をさらに分か り易 くす るには野タト
展示 を伴 う とい うこ
とが重 要 である。博物館 とは郷土の集約、つ ま りふる さとの原風景 でな ければな らない.特 に自然
の集約 は野夕れこお いてのみ存在す るものであ り、 自然 を屋 内で展示 しようとすれば、二次資料 に頼
らざるを得 ないで あろう。
地域学 とは郷土の集約 であ り、郷土学の展 開には野外博物館が必要不可欠な もの となって くるの
である。 つ ま り、民家 を展示するな らば、その民 家が 置かれ ていた環境 で ある庭、畑、井戸、納屋
等 まで もが含 まれるものであ り、炭焼 き小屋や祠、道祖神 など人 々が係 わって きた総合的な展示 を
しなければな らない。 つ ま り人間 との係 わ りを総合的に展示す るのが野外博物館 の役割 なので ある。
この観点か ら、市方熊楠が社 叢 こそが野外博物館であると説 いたことは特 筆すべ きことで あ り、我
が国の野タト
博物館 の歴 史 の幕開け と言 って も過言ではないのである。
熊楠 は 『日本及び 日本人』 の なかで、次のよ うに述べ てい る。
愛郷心 は愛国心 の根本 な り。英国学士会員バ サ ー氏 い わ く、人民 を土地に安住せ しむるには、
その地の由緒、来歴 を知悉せ しむるを要す、 と。氏は、近 日野外博物館 を諸村 に設けん と首唱
す。名前 は大 層なれ ど、実はわが神林ある神社 の ごと きものな り。
このよ うに愛郷心 は愛国心の根本 な りと断言してい た ものであ り、郷土心 を育むには社 叢 つ まり
野タト
博物館が必要 であることを明治45年にすでに論 じていたので ある。社叢は天然記念物の宝庫で
あ り、人 々の拠 り所 であ り、郷土心 を育む場 として古 くか ら日本人 と係 わって きた もので ある。我
が国の野タト
博物館 は人 間 との係わ り、 自然 との係わ りを地域学 の集約 として展示、つ ま り総合性 を
持 った郷土 学 の展 開が成 され なけれ ば な らな い。
―‑30‑―
(國學 院大學 兼任 講 師)
野外博 物館 の歴 史
主
口
究室紀要第3 0 輯 落 合知子 2 0 0 6
學
博物館小 史」 F r K l院大学博物館学研
( 1 ) 「 野タト
南方熊楠 全集』 南方熊楠 白 井光太郎宛 ( 明治4 5 年 2 月 9 H )
( 2 ) 「 神社合祀 問題 関係書簡」 『
( 3 ) 「 神社合併 反対意 見」 『日本及 日本 人』 南方熊楠 ( 明治4 5 年 4 ・ 5 ・ 6 月 5 8 0 ・ 5 8 1 ・5 8 3 ・5 8 4 号)
・
( 4 ) 「 アーサ ー ・ハ ゼ リウス とス カ ンセ ン野外 博物館」 M u s e u m s t u d y 1 4 矢 島回雄 本 間与之 訳
2002
( 5 ) 「 神社境 内 の樹 木 の保護 に就 て」 史蹟 名勝天然記 念物 第 1 巻 第 5 号 白 井光 太郎 1 9 1 5
( 6 ) 「 史蹟名勝天然記念物 の保存 に就 てJ 史 蹟 名勝天然記念物 第 1 巻 第 7 号 白 井光太郎 1 9 1 5
( 7 ) 「 史蹟遺物保存 に関す る研 究 の概説」 史蹟名勝天然記 念物 第 1 巻 第 3 号 黒 板勝美 1 9 1 5
・
( 8 ) 「 学者 ・澁澤敬 三 」 展 示学 第 1 5 号 岩井宏賞 1 9 9 3
^渋
沢敬 三 1 9 6 4
( 9 ) 「 野外 陣物館J 博 物館研 究第3 7 巻第1 0 号
( 1 0 ) 「渋沢先 生 の生 涯 と博物館」 博物館研 究 第3 7 巻第 9 号 宮 本馨太郎 1 9 6 4
( 1 1 ) 「屋根 裏 の博物館J 横 浜市歴 史博物館 ・神 奈川大学 日本常民研 究所 2 0 0 1
( 1 2 ) 註 1 0 と同 じ
( 1 3 ) 「皇紀 2 6 0 0 年記念 日 本民族 博物館 設立建議案J 展 示学 第 1 3 号 高 橋信裕 1 9 9 2
( 1 4 ) 註 1 1 と同 じ
(15)
ク
(16)
″
( 1 7 ) 『民俗 』 第 1 巻 第 1 号 1 9 5 7 豊 中 市立民俗館
( 1 8 ) 「 日本民家集落 博物館 開設 の経緯J 民 具 マ ンス リー 第 7 巻 1 号 鳥 越憲三郎 1 9 7 4
( 1 9 ) 『多摩丘 陵 の 農家 1 9 5 5 年 細 山 日 本民家 園 の 発端 』 日本民家 園叢 書 関 口欣 也 2 0 0 3 川 崎 市立
日本民家 園
( 2 0 ) F 日 本民家 園物語』 古江亮仁 多 摩川新 聞社 1 9 9 6
^古
江亮仁 1 9 7 4
「日本民家 園 につ いて」 民具 マ ンス リー 第 7 巻 1 号
( 2 1 ) 「古民家 の包 む もの一 保存 と解 きほ ぐし― J 民 家 園 を考 える 2 0 0 5 年 日本民俗建築学 会 シンポ ジウム
増測和 夫
( 2 2 ) 「世 界 の野外博物館」 学芸 出版社 杉 本 尚次 2 0 0 0
主4と 1司じ
(23) 言
(24) 註 22と1司じ
( 2 5 ) 「市民 のあ、るさとス カ ンセ ンJ 季 刊 民族学 1 杉 本 尚次 T ^ 里 文化財 日 1 9 7 7
(26)註 3と同じ
―‑31‑―
野タト
博物館 の歴 史
参考文献
「
社寺保管林制度の諸 問題」『
造園雑誌』 第13巻第 1号 日 本造園学会 小 寺駿吉 1949
「
建築保存 と野外建築博物館 につい て」 東京家政学院生活文化博物館年報第 9号 大 橋竜太 2000
「
民家園― そ の発展 と背景― 」 民家園を考える 2005年 日本民俗建 築学会 シンポジウム 杉 本 尚次
故渋沢敬三氏」 博物館研究第36巻第12号 徳 川宗敬 1963
「
「
文化政策 としての民俗博物館」 21陛紀 COEプ
ログラム神奈川大学年報 人 類文化研究のための
非文字資料 の体系化第 3号 丸 山泰明 2006
たて もの野外博物館探見」 JTB 広
「
岡祐
「
野外博物館 の展示」 展示学 14 杉 本尚次 1985
「
建築保存 と野外建築博物館 につい て」 東京家政学院生活文化博物館 年報第 9号^大 橋竜太 2000
「日本の巨樹 ・巨木林 (全国版)」 第 4回 自然環境保全基礎調査巨樹 ・巨木林調査報告 環 境庁 1991
野外博物館 と国立公 園 に関す る一 考察
―一 国立公園制度が成立す る過程 を通 して 一―
A Consideration Of Out¨
door NIuseums and National Parks
― Focusing on the Process of the Establishing of a Systenl of National Parks―
今 野
農
KONNO Yutaka
l.は じめ に
「
施 設J 的 側 面 のみか ら 「
博 物館 J 像 を提 える とき、屋 外 に立地す る文 化財 な どは 「
博 物館 」の類
型 として看倣 し難 い こ とは事 実 で あ る。 しか しなが ら、屋外 の 文化 財 を初 め とす る野外 博物 館 には、
施 設」型 の博 物館 で は全 う し得 な い機 能 も指摘 され て い る 1 広
「
瀬1 9 9 2 p p 1 9 10 1ヽ●例 と して、博 物
館 とは 「
機 関J で あ り、 「
施設J で はない とい う認識 に基 づ き、広瀬 鎮 は施 設 的側 面が 強調 され る 日
本 の 博物館観 に対 して以下 の様 な主張 を して い る。
従 来 か ら、博 物館 は施設 と してのみ と らえ られ、非 施設型 の博 物館 に対 す る関心 は低 か った。
野タト博 物館 、天然 記 念物 の保存 地域 や そ の環境 をひっ くるめて 自然環境博 物館 と して と らえ、 そ
れ らの文化 活動 を、博 物館 教育 と して把 握 す る こ とにはい まだ若干 の抵抗 が あ ろ う ( 広
瀬1 9 9 1 : p 3 5 5 ' o
博物館 が施 設性 を強 く■1 張され て い る現 代社 会 にお い て も環境 が持 つ 学 問的価 値 に立朋l した 自
然 を文化 とと らえて知 覚す る活動 はや は り正 し くと らえ られ なけれ ば な らな い。 そ こには、環境
が博 物館 と して とらえ られ る要 素 が存 在 して い るか らで あ る ( 前
掲、広瀬1 9 9 2 : p p 1 9 10 )ヽ●
広瀬 の指摘 す る よ うな博物館 認識 の形 成要 因 は、 改 め て学 史 に基 づ く検 討 を要 し、野外 陣物 館 の
位 置付 けは明確 に され るべ きであ る.
わが 国 にお い て、野外博 物 館 は棚 橋 源 太郎 や木場 ^ 夫に よって紹介 され ( 棚
1 本9
場1
橋1 9 3 0 a p p 117596)ヽ
1 9 : p p 129027〜) 、
特 に ア メ リカにお け る「1 立公 同 の 事 例 を掲 げ た. ア メ リカで 国立 公 国内 に野外 博 物
館 が建 設 され た2 0 世紀前 半 は、 わが 国 にお い て 国立 公 ほ│ に関す る議論 が 高 ま り、創 設 され た時代 で
もあ る。 そ の 後 、野外博 物 館 の体系 的 な意義付 け は、新井重 三 に よって試 み られ た。新 ブトは野外 博
物館 を 「
現 地保 存型 」 と 「
収 集移 設型J に 分類 し、前 者 には 史跡 や天然記 念物 の保存 地域 を、後 者
に は 動 植 物 園 や 移 設 民 家 園 を含 め、 特 に 「
現 地 保 存 型J は
「
護 りの 博物 館 」 と も表 現 され て い
る (新井1989:pp 21〜
46)。
筆者 は、この よ うな 「
現 地保存型J の 博物館 を論 じる L で 、 「
護 りJ の 制 度 が成立す る課程 にお い
―‑33‑―
野外博物館 と国立公園に関する 一考察
て、 博物館界が どの様 な関わ りを持 ったのか (あるい は持たなかったのか)と い う視点は、 博物館
史にお いて重要であると認識 して い る.史 跡等 の文化財お よび国立公 園 と博物館界 の 関わ りは、総
合的に描出されなければならず、前者 について論及 される ことはあって も、後者に関 しては 目立っ
た研究に乏 しい。
そこで本稿では、国立公園に主眼を置 き、ア メリカにお ける国立公 園 と野タト
博物館 についての概
略を示 した後、20世紀前半か ら戦前 までの時代 における博物館界 との関 わ りについて一試論 を提示
す るものである。
2.ア メ リカの国立公園 と博物館
本章 に関 しては、上岡克己 (2002)『アメリカの国立公園』、お よび村 串仁 三郎 (2001・2006)を
参考 とした。ただ し、村 串の緒論 は、 詳細かつ優れ た考察 に富 んでお り、事実関係 の把握 には大変
保存」 と 「開発」
国立公園成立史の研究』 を含め (村串2005)、「
参考 となるものの、後 に掲げる 『
の確執 を論点 に据 え られて い るため、 「
教育的利用」面 に対す る言及には乏 しい。筆者 は、文化遺
はあ くまで 今 日的な 「
価
産 とい う視点 か らこの問題 にアプ ローチす るとき、「
保存」すべ き価llEと
価値」 を醸成 してい くも
値観」 に支 えられてい るため、教育や研究 といった利用 を通 じて新 たな 「
の と考えている。実際には 「
保存」と 「開発」が最終的な争点 になることは無論であるが、「
教育的
利用」 は 「
保存」か 「開発Jか 、 といった視点か らは捉 えに くい分野 で もある。その点 に関 しては、
適切 な参考文献 とは言 い難 いが、筆者 の力量不足か ら、村 串の論考に優 る文献 を選定で きなか った
ため、本稿 では端 々に引用 させて頂 いた。
2.1)ア
メリカ国立公園成立略史
、保護区 としての国立公園を提唱
自然保護 の思潮が萌芽 した19世紀後半、画家のGeorge Catlinは
した。 カリフォルニ ア州の住民が、連邦政府 に対 して 自然 を保護するためにYosemiteの一定地域 の
割譲 を要求 し、1864年に至 りYosemite州立公園が成立 す る。当時の土地政策はホー ムス テ ッ ド法下
にあ り、国有地内 にお い て容易 に居住 者 が所有権 を取得 で きたため、州政府が管理するとい うシス
テ ムが選択 された。 この時点 で、「
保護 のための公園」が実現す る。その後、イエロー ス トー ン設置
∫決 し、「国立」 の公園が成立 した。
法 が1872年に 日
19世紀末 には自然保護団体の幾 つ かが組織 されてい るが、以降の国立公園問題 を左右する有力な
1 892年に結成 され、会長にはナチ ュ ラリス トの」
Ohn Muirが就任 した。Muirらは、
団体Cierra Clubも
Yosemite州立公園地域 を含む 3倍 の面積 に拡大 して国立公園 とし、SequOia、General Grant、
2国
立公園の成立に貢献 してい る け串2001:pp 120‑‑13ω
O
その後、幾 つ かの国立公園が指定 されてい るものの、以上の過程 にお いては、統 一 的な政策によ
―‑34‑
野外 博物館 と国立公 園 に関す る一 考 察
る もの で は な く、独 自の 運 営 が 成 され て い た. 1 9 1 6 年 に国立 公 園局 設 置 法 が採 択 され、 内務 長 官
F r a n k l i l l K . L a n eSは
t e p h e n T M a t h e r に局 長就任 を打 診 した.
M a t h e r は裕 福 な実 業 家 で あ り、 ジ ャー ナ リ ス トの 経 験 を も備 え、 自然 保 護 に も関心 を抱 い て い
た。 日 立公 園政 策 に関 して は、 議 会 、 国民 の 支持 を得 る こ とを最 大 の重 要事 項 で あ る と1 / t え
、時 に
私 費 を投 じて道路 の 設置 や パ ー テ ィー を催 し、 そ の普 及 に努 め た。 道路 な どは比 較 的安 易 に設置 し
て い るが 、 ダム建 設 や鉱 山開発 に は断 固反対 の主 張 を示 して い る. ま た、 チ ケ ッ トの安 売 りな ども
実施 し、博 物 館 の設 置 に も貢献 した。 反面 、生態 系 な どを無視 した政 策 は 自然保護 団体 か らの 反発
も生 じたが 、制 度 の 明確化 が な され たの もM a t h e r の 時代 で あ り、そ の リー ダー シ ップは 今 │ ] にお い
て も高 く評価 され て い る。
1 9 1 8 年5 月 1 8 日付 けで 出 され た 内務 長官L a n e か らM a t h e r への手 紙 は、 曖 味 で あ った 法律 に政 策
の具体性 を明示 した もの と して、行政 文書 の 中 で重 要 な もの の 一 つ に位 置 づ け られ て い る. こ の書
L a n e か らM a t h e r へ宛 て たJ も の とされ てい るが 、実 際 にはM a t h e r を補 佐 し、後 にそ
簡 は ^ 般に 「
の座 を引 き継 い だH o r a c e A l b 五
g h t らが執 筆 し、 そ れ に対 してM a t h e r が承 認 を りえ た もの で あ る と
い う ぃ│ │ 1 1 2 0 0 6 : p 2 9 3書
' oは、
本 「
保存Jと
「開発J の 規 定 を明 記 して い るの み な らず 、 「レク リエ ー
シ ョン的利用 のみ な らず 、 国立 公 園 の教 育 的利 用 は、 実 行性 の あ る全 ての 方法 で促 進 され なけれ ば
な らな い 。大 学 や高校 にお け る科 学 の授 業 は、 休 日
限中 の 学習 の ため に特 別 な施 設 を見 出す であ ろ う
公 国 に 自生す る野生 の花 、灌木 、樹 木 、台座 を供 えた動物 、 鳥、魚 、 の標 本そ して この様 な特 徴 の
あ る他 の展 示物 を収 蔵 す る博物館 は、 公 的 な認定 に基 づ き設 置 され るで あ ろ う。 ( ※筆者訳 ) J と の
記述 を加 えて い る ( c a m e r O9 崩
2 2 : p p 1 59ヽ
)O
ア メ リカにお いて、 以 卜の よ うな目 立公 園が成 立 したJ I F 由と して、 上 岡克 己 は 5 つ の 要 因 を掲 げ
てお り ( L 岡2 0 0 2 : p p 4 7 ‑ 4以
8 )下は、上
、
岡 の分析 を筆 者 が要約 した もので あ るc
l . 先 住民 の生 活様 式 は文 明化 され てお らず、 「手 つ か ず の 自然J が 残 され て い た こ と
2 . ア メ リカはデ モ ク ラ シー の 理 念 に基 づ い て成 立した 国家 で あ り、 公有地 の概 念が普 及 して い
たこと
3 . 開 拓 は東 部 か ら始 め られ てお り、 国 立公 園 の 必要 が 説 か れ た1 9 世紀 後 半には、 西部 に偏 在す
る公 園用地 は未 開拓 で あ った こ と
4 . さ ほ ど生 活 には困 窮 しない 程 、 国力 の 蓄積 が あ り、 「ウ イル ダネス ( 手つ か ず の 自然 ) 」 の必
要 を認識 して い る割合 が 高か った こ と
5 。 南北 戦争 に よる[ J 家分 裂 を経験 し、 ´体 化 の 「
象徴 J が 模 索 され る中、 日立公 園が そ の 役害1
をl l l っ
た こと
―‑35‑―
野外博物館 と国立公 同に関する一 考察
また、国内か ら海外 に向か う観光客 の 日を国立公園に向けさせ るべ く、鉄道会社が積極的に運動
し、国立公園の成立に貢献 した。村串は、 自然保護勢力 と観光産業 の両者 によって、国立公 園成立
が推進 された もの としている け串2 0 0 6 : p p 2 87 ●
50〜
2.2)ア
メ リカ の 国立 公 園 にお ける野外博物 館
Y o s e m i t e 国立 公 園 に は、 当初A n s e l F . H a l l
に よってt r a i l d d e m u s e u m設置
が され て い た。
Hallは
、個 人 的 な人脈 に よって 資金 を調達 し、
この博 物館 を創 設 して い る。 この 試 み に対 し
て1 9 0 6 年に創 設 され た ア メ リカ 博物 館 協 会
(The American Assodation Of Museums)
が 関心 を持 ち、Laura Spelman Rockfeller記
念財 団 に よ り1 9 2 4 年1 1 月か らY o s e m i t e 博物
Fig.1:LAYS CONER―
MUSEUM ※
S丁ONE OF YOSEMI丁 E
A . A . M . 1 9 2 4 より転載 。
館 の建 設 が始 め られたc M a t h e r は、 コー ナ ー ・ス トー ンの 設置式典 にお い て 「一 刻 も早 い 国立公 園
にお け る教 育活動 の創 設J を 述 べ 、 さ らにH a l を 紹介 した ( T h e A mcca■
n A s s o nd a o■f M u s e u m 1 9 2 4 : p p 1 3
以下A A M と 略) 。
この よ うなtrailside museumは
ア メ リカ博物館協会 ・野外教育部FlのHermon C.Bumpusに よっ
て推 し進め られた。Bumpusは 1930年の 『
THE MUSEUM NEWS』
Vol.7.No.14において、第 ^段
Grand Canyon、第三段階 のYellowstonと
、
階 としてのYosem■e、次 いで第二段 階のBear Mountainと
これ まで の経緯 を紹介 し、「
実際 の博物館 は建物 の外 であ り、博物館活動 の 目的は、屋外 (out Oi
doors)を理解せ しめることである。 よ り小 さな博物館― trailside museum一
が起因 となることは、
我 々の構 想外 で あ る。 (※筆者 訳)」
と して、「
屋 外 Jそ の もの を博 物館 と
8)oそ
明言 して い る (Bumpus1930:pp
6〜
の 後、Yosem■e国立 公 園で は1932年
にMa五 posa GrOveにお い て も博 物
1 932:pp 7)、
6〜 さ
館 が設置 され eresn』
らに、設 置 は国立公 園、州 立公 園 に
限 定 され る こ とな く、Clevelandな
どにお い て も trailside museumを
備
Fig.2:TRA:LSIDE MUSEUM AT MADiSON」
※B u m p u s 1 9 3 0 より転載 。
UNC丁 10N
―‑36‑―
えることとなった (A A M 1931lp l)●
一
野外博 物館 と国立公 園 に関す る 考 察
2.3)ま
とめ
ア メ リカにお い て も、保存 と開発 の1 ̲ 1 重
性 を内包 して い る ものの、 筆者 は基本 的 にア メ リカの国
ー
ー ー ー
立公 同 を 「
保 護 区J と して位 置付 けた い 。今 日にお い て こそ、 オ バ ユ スや排 ガ ス な ど、 ツ
リズム に よる環境 悪化 が 問題視 され て い る ものの、 当時 と して は エ コロ ジー に対 す る認識 が今 日ほ
どで はな く、観 光利 用 を強調 した面 が あ る とは言 え、 ^ 方 で は保 護規 定 も設 け られ て い るので あ る
また、 ^ 般 に も自然保 護 の思 想 が浸 透 してお り、 強力 な団体 も存 在 したっ政 策 を司 る議 員や官僚 に
教育 に対 す る高 い 意識 が 見 られ、 それ らを具体 化 す る 手段 の
一 つ と して、博 物館 が確 固 た る地 位 を
備 えて い たので あ るc 国 立 公 園 の 野外博 物館 も、 この よ うな土壌 にお い て形 成 され た もの と考察 さ
れ るc
3 . 国 立公 園の成 立
本章 で は、 わが 国 にお い て国立 公 園 の議 論 が始 まってか ら中断す る まで の 前 半期 と、議論 の再 浮
L か ら制 度 が成 立 す る後 半期 に分 け、論 争 の 過 程 を検 討 す る。 本章 にお け る論 争 の 描 写 に は、 『白
`
、 よび村 申1 1 二郎 の F 目立 公 園成 立 史 のl l l 究
然保 護 行 政 の あ ゆみ』( 環
境l i自
然保護局1 9 8 1 ) お
』 を参 考 と
した ( 前
掲、利中2 0 0 " 〇特 に後 者 は、 国立 公 園研 究 史上 の 問題 点 を掲 げ、独 自の 分析 を加 えた優 れ た著
書 で あ る。
3.1)国
立 公 園 を巡 る初 期 の論 争
1 9 1 1 年 ( 明治4 4 ) の 帝 国議 会 にお い て、 目立公 ほ1 設立 の 請願 書 2 件 が提 出 され た こ とに よ り、 わ
が国の 国立公 園論 争 が始 め られ る. 無 論 、 思想 自体 の流 入や請願 に至 る まで の準備段 階 はそ れ以 前
に遡 るので あ るが、 本稿 で は省略す る。
この論争 の 中心 は、田村岡1 を嘱託 とし、 本多静六が支援す る内務省衛生 局 と、内務省人│ [ 官房地
理課 の外郭団体 である史蹟名勝紀年物保存協会 との 間で巻 き起 こ された.
本多静六は帝大 にお い て造園学 と林学 を講義 し、その門下 には、本郷高徳、L 原 敬 二 、田村岡1 な
ど、 当時 の造園界を代表す る学者や官僚 を育成 した。円村が内務省嘱託 の座 を得た ことも、本多 の
保
影響 に負 う ところが大 きい。 史跡名勝紀年物保存協会 にも評議委員 として名 を連ねて い たが、「
利用J を 促進す るために 口本庭 園協 会 した. 協 会 の機関紙 1 庭
存」 一 辺倒 の協 会 と 一線 を画 し、「
1 度の創設 に最
園』にお いて、国立公同運動 を展 開 して い く。 また、田村岡1 とは、以後、日立公ほ1 市
造朦1 概論』 は近代造園学 の礎 とさ
も貢献 し、「国立公園の父J とも称 される人物であるc そ の著書 『
)0
天然公園」 として造園学中に意義付 けている │ │ │]19月
1 8 : 7982〜
れ、 ここで 国立公園を 「
‑ 方 の 史蹟名勝紀年物保存会 は、三好 学 の提案に よ り、徳川頼倫 を会長 として設立 された団体で
―‑37‑―
野外博物館 と国立公園に関する一考察
あ り、1 9 1 1 年に 「史蹟及名勝紀年物保存 二関スル建議J を 提 出 し、採択 されて い る。その後、1 9 1 9
年 ( 大正 8 ) に は、文化財保護法 の前身 となる史跡名勝天然記念物保存法 を制定に主要 な役割 を果
た した。 評議委員には、三好 の他、黒板勝美、「
'1井
光太郎 など、各分野 を代表す る学者が名 を連ね
ていた。 中で も三好 は、 明治2 0 年代 に ドイツに留学 して植 物 生理 ・生態学 を学 び、 自然遺産 の保護
を見聞 してい る。その後、欧米各国を遊学 し、その見 聞録 を 『
欧米植物観察 』 として著 した。本書
にお いて、天然記念物保存事業、お よび米国西部 の國設公園の項が設け られ、 各国の植物園や研究
機関のみ な らず保存 事業 を紹介 してい る ( , 1r 女
1 9 1 4 : p p 320735)〜
○
そ の他、『史跡名勝天然紀念物』にお
いて 「
天然紀念物保存雑記」 を著 し、天然記念物博物館 の構想 を掲げるなど、博物館 に対 して も一
定の理解 を備 えてい た ( 三
好1 9 1 7 : p p 1l 21 07 0〜白井光太郎 も1 9 0 3 年に 『
植物博物館及植物園 の話』を考
し、箕 作佳古 と共に自然科学博物館の設置運動 も提唱 した人物である ( 1 11宅
940'p"0
国立公園論争は、 まず田村剛が 「
国立公園の本質J と 題する論文 を 『
庭園』に掲載 し ( 日
1921a:pp
本
す
7 〜9 ) 、次 いで 「日立公園論」を新 聞紙 上 に発表する ことで先鞭 を付 けた。本論 は東京朝 日新 聞1 9 2 1
年 ( 大正1 0 ) 9 月 7 日 か ら1 3 日にか けて、 6 回 に渡 り連載 された ものである ( 田
こ れに対 し、
利1 9 2 1Oい
上 原敬 二 は 「
國 立公園の真意義J と して、史跡 名勝紀年物保存協会 の機関紙 『
史蹟名勝天然紀念物』
において、円村論の批判 を展開 した l ■
原1 9 2 2 a l p p 9 08 17 9〜2 2 b : p p 110020)〜
。 を代 表す る 2 人 の造園学
時代
者 による論争 は、 『自然保護行政のあゆみ』 において要点 をまとめてい るので、以 下に引用す るこ
とと,ドる (前掲、環境庁自然保護局1981:pp月
6〜50)○
●田村 剛 「国立公 園論 」
1.国 立 公 園 の本 質 と して 自然 の 大風 景 で あ る こ と。
2.し か し公 園 で あ るため には、総 ての人が 利用 で きる もの で なけれ ば な らな い。 その ため には 自
然 の 美化 とともに実 用化 ―加 工が なけれ ば な らな い。 日本 アル プス も風 景 地 と してそ の ま まで
は決 して公 園で は な い。風 景地 には、 常 に各種 の宿 泊施 設 が整備 され て、 親 しみ あ る誘 惑 的 な
娯 楽 、保 養 の場所 が なけれ ば な らな い。 国立公 園 に必要 な施 設 はホ テ ル、 別荘 に加 えて、温 泉
施設、 ゴル フ場 、 テ ニ ス コー ト、乗 馬施設 そ の他 の 運動施 設 、公 会堂、 ク ラブ、朦1場な どで、
これ らを整備 した リゾー トであ る。
3.国 家 記念物 と国立 公 園 とは全 然 別様 の もの で あ る。
4.目 立公 園 は風 景 を資本 と しての利用並 び に文 明 的 開放 の使 命 を担 う。
5.目 立公 園 は、全 国 に適 当 に分 布 す る必 要 が認 め られ る。比較 的小 面積 の もの を多数 に分 布 す る
方が有 効 で あ る。 そ の 面積 は五 千 一 三 万 町歩 、標 準 一 万 町歩 (1万 ヘ ク ター ル)を とる。
6。 日本 の風 景 は山に よって代 表 され る。 山 は山脈 の肢 節 が 発達 して、谷 や峰 や湖沼 や 高原等 が錯
雑 して い るほ ど面 白い 。単 峰 と しての富士 山 よ りは、 日本 アル プスが理想 的 で あ る。
―‑38‑―
一
野外 博物館 と目立 公 園 に 関す る 考察
7.風 景 の 質 につ い て は ^l■
│を代 表す る もので あ って欲 しい .
0上 原敬 二 「国立公 園 の 真意 義」
1.国 立公 園 は、 ア メ リカそ の他 の 例 に徴 して も、世俗 に考 える公 園 とい う語 にあて は まる もので
はな い .む しろ 一つ の天 然記念物保 護 区域 で あ る。 国民 の 遊 覧、 来遊 とい う こ とは主 た る 目的
で はな い 。
2.国 民 的 に利 用 され、民 衆 的 に解 放 され る公 園 は、 それ は国民 公 園 (na■ons park)の 謂 で あ っ
て 国立 公 園 (national park)と 混 同 して は な らぬ.国 民 公 園 につ い て は、 そ れ を適 切 に説 り│
して い る記事 が、 円村 岡1氏の論 (前掲 日立公 園論)で あ るc田 村 氏 のい う国 立 公 園 は 国民 公 園
で あ って、 同氏 は両 者 を全 く混 同 して い る。
3.国 立公 園 の 実用化 は、 原始 的 な風 景 の破 壊 の 第
´
歩 で あ る。施設 を加 え な くと も国立 公 障│とし
て │^分利用 され る。
4.国 立公 園そ の もの は、 史蹟 や 名勝 や 天然紀 念物 で はな い cし か し世 界 の 国立 公 園 を通観 す る と、
ア メ リカをは じめ天然紀 念物保 護 を主 た る 目的 と し、民 衆 の 来遊 が主 日的で は ない .
5。 国立 公 園 の 選定 上 、 史蹟 や名勝 を入 れ る こ とは障害 とはな らな い 。
6.真 の 国立 公 園 は貴重 な る天然 紀 念物 の保存 を 目的 と した る区域 と して、 同時 に雄大 な る代 表 的
風 景 地 た る こ とを要 す る。
7.わ が 国 にお い て は、何 れの風 景 地、 また は如 何 な る天然紀 念物 を包蔵す る区域 を、 国立 公園 と
なす べ きか は、慎 重 に立案せ ね ば な らぬ 問題 で あ る。
この 論争 にお い て 田村 は 「
保 存」 につ い て触 れ る こ とな く 「開発J面 を強調 し、11原 は 「来遊J
は 目的 で は な い との 見解 を呈 して い るが、 両者 は必 ず しもア メ リカの例 を正確 に伝 えて い な い。 両
者 の 認識 論 に関 し、村 串 は 『国立公 園成 立 史のllH究』 にお いて 、 やや上原 の 見解 を評価 して い たが、
323,0
、ホ
そ の 後 、 lll者の評価 の 一 部 を修 正 して い る (ni掲
14.2006:pp 310ヽ
触t景の利用 と天然紀 念物 に封 す る予 の根 本 的 主張J
開発 ・利 用 を推進 す る本 多 は田村 を擁 護 し、 「
l運
で 「
幼稚 に等 しき単純 なる保 守論 者 の 無責任 な る非 難攻 撃 が屡 々風 景 美 の民 衆 的利用 を妨 げ、 │・
の発 展 を阻害す るJと して保 存派 を激 し く非 難 し、 ケ ー ブ ル カー の 設置 な どに も賛成 の 立場 を示 し
た (本多1921:pp 89ヽ
91)o
これ に対 し、三好 学、 白井 光太郎 等 は保存 の立 場 か ら、 田村 、本多 の 意 見 に反対 して い る。 三 好
天然紀 念物 の保 存 と美化 Jと 題 す る
は1915年 2月 21日 か ら24日 にか け て、 東京 H々 新 間 にお い て 「
公 園化Jを
論説 を発 表 してお り、 「
一
「
美化Jと 表現 し、 「
保存 Jと 同 に扱 われ る こ とに対 す る注 意
天然 紀 念物 』 にお い て は、ド イ ツで 天 然 記念物保 護 市1度 を確
を喚 起 した (1女
r1915a)o同年 の 著 吉 『
―‑39‑―
野外博物館 と国立公園に関す る一考察
立 したHugO COnwentzの言を紹介 し 「
米国で用い られる 「国設公園」或は 「
天然公園」 の如 き言葉
を避け 「
天然保護匠域Jと い っている」 として、 この時点で既 に国立公園を天然保護区域 と同一視
する見解 を示 した。そ して 「兎角公園 と云ふ と美化 し俗化す る虞がある (中略)埓 来我邦 に於 い て
名勝保護H域 を造 る場合 には能 く此粘 に注意 して、美化 に過 ぎ、俗化 に陥ることの無いや うに しな
ければな らぬ、 一口に言へ ば普通の公 園設計 は斯かる場所 には不適営 で、之が為 に往 々天然の風 景
を損 し貴重 なる天然記念物 を害す る悪結 果 を残 す ことになるJと 述べ ている (「
三
1915bipp 140〜
女
14'0
「
さらに、Yosem■eや ヨー ロ ッパ アルプスの事例 は 「
広大Jで あ り、「
多少人 口を加 えて も、甚だ し
く毀損す ることはない」が、 日光 などの小規模 な場所で同様 の ことは不可能 で あるとして、事情の
相違 を指摘 してい る Hl掲、二好1915b:pp 126〜
12つ
0白 井 もア メ リカの例 を紐解 き、「
國立公園 と云お、けれ
ども、 普通 の公 同ではな くして、天然紀念物保存の 目的を以 って立て られた もの」 として、│:好の
意見 と同様 の見解 を示 してい る (¬
66ヽ
O
井1922:pp 6J
以上の様 な初期 の論争点は、 自然保護区 との異同、お よび 「
利用Jの あ り方 であった。 この点を
巡って両者の意見は真 っ向か ら対立 した。両者の妥協点が模索 されない まま、史蹟名勝 紀年物保存
協会は ^時解散 し、大戦 後 の不景気 と大震 災の混乱 も手伝 って論争は停滞期 に入 る。
『自然保護行政のあゆみ』 は、 この論争過程 を 「
国立公 園の よ うな重要 な国家的課題 につい て、
徹底 した論議 をつ くして国民的合意 を得 るよ うな ことは全 く行われず、極めて中途半端な状態で進
行 して行ったように思われる。国立公 園に関す る基本的な概念が、 国の立場 にお いて収東 されて、
適切 なポ リシーが確 立されるべ きであったJと 評 し、筆者 も異論は無 い (前
掲、環境庁自然保護局1981:p50o
また村 串 は、 この時期 の重 要 な点 として 「1.保 存 と開発 の どち らを重視 す るか とい う今 日にまで
引 き続 く大原則論か ら始め られて い ることJ、「2.保 護、開発 の規制 をどの程度にす るのか とい う
点 で も争われたが、互 いの批判 に傾倒 す る余 り、双方 とも具体案 を欠 いてい たこと」、「3.自 然保
護派 は保護 の普及に言及 してい るものの具体的な運動 は起 こさず、 ^方 の 開発派 は保護 について一
切言及 しなかったことJ「 4.上 原 の意見は多分に危惧 を含んでお り、む しろ戦後の国立公 園制定期
にこそあてはまること」 を挙げて い る (商
65〜村 串 の論考 は卓見 であるが、特 に第
t掲
、小
」
串2005:pp 69)○
1、 第 2の 指摘 は国立公 園研究史 L、 重要な指摘であると評価 される。
3。 2)国 立公園制度の成立
論争 の停滞期にお いて、出村 はアメリカを視察す る機会を得 た。帰国後 しば らくす ると、観光外
客 の誘致が経済審議会 にお い て論 じられ、 さらに各地で も国立公園設置の機運が高 ま りをみせ る様
になった (11掲
、環境庁自然保護局1981:p500こ
れを機 と捉 えた本多 ・田村 は、運動 の再開に着手する。
まず1927年 (昭和 2)に 内務省衛生局は、田村の著 した 『
日立公園』 と題す るパ ンフレ ッ トを刊
一、我が同立公 園運動J、「
二、北米合衆國の國立公
行 し、その普及 を図った (田
1927)0本
オ
寸
書 は、 「
―‑40‑―
野外博 物館 と目 立公 園 に関す る
・
考察
'公 園J、 「四、 回 立公 園 の 意義 とそ の使 命J、「五、我 が 回
三 、 キ ャナ ダ、 イ タ リー其 他 の 回 ヽ
同J、 「
立公 同問題J、 「六、我 が 回立公 国 の賓 施私案Jで 構 成 され るc
一
本書 に関 して は、 まず 「天然公 園 の 種 で あ って 国民 的興 味 を繋 ぎうるほ どの特 色 を有 し、 そ の
保 存Jと 「開発Jが 並 ダ」的 な 日的 とされ てい
風景 の保 存 と開強 とを二 人事 業 とす る ものJと して、「
^文 と して、 「円家
1927:p32)O続
け て、 合 衆 国政府 調 査 会刊 行 書 籍 の
る こ とに注 目され る (前
掲、111寸
紀 念物 の 目的 は歴 史的、科學 的又 は其他 の興 味 あ る物件 の破壊 毀損 を免 れ じめ、 これ を保 存す るに
11の施設 をなす もの で
1公 園 は上記 の 日的 の他 に、更 に公衆 のため に完 全 な る享 り
あ るЭ然 るに、國 ヽ
^文には、 ‖1村の戦 略 が凝 縮 され て い る (前
19
掲、III付
あ るJと の 一文 を引 い た。 そ して、 同書結 びの
2 7 : 1 ) p 5534〜
)0
要す るに日立公園は、我国にとつ ての頗 る適切なる事業であって、 いつ かは着手せ られねばな
らない。併 も今 日我 々は直ちに着手せねばな らぬ種 々の理由をもって いる。而 してこれが大成 に
は長年月 を費や さねばな らぬが、その一部分 の事業、即 ち箇庭 の選定 をな し、 これが計萱 の大 方
を樹 立 して、官民檬 る所 を示 して、漸次 これが賞行 を期す といふ には、 い さ ゝか も経費を要す る
ことでは、併 もそれは焦眉 の急 を告 ぐるものだ といら、ことを以て、本稿 の結論 として、筆 を欄 く
こと ヽす る。
尚、本書 にお いて教育的配慮が見出される
^ 文としては、以 ドの ようなものがある l n、
1927:
t掲
1村
つ
o 具 体的な計画が示 されてい る訳ではないが、 この様 な論考に紙片が害1 かれていることも、
p p 3 63ヽ
造同学概
造同概論』やそ の後 の 『
初期 の論争か ら比較すれば一つの前進 として評価 したい。先 の 『
造園対象 としての公共建築物 の
論』 における博物館 の認識 は、造同学者 とすれば当然であるが、「
‐
^ つJ ( 前掲、田村1 9 1 8 p 7 5 「
いつた ものであった.
と
)公園に必要
、
な知的施設 の つJ ( I 村1 9 2 5 : p p 220076)〜
前述す る所 により、日立公園は国民保健教化 を i i 眼とす るものであるが、それは同時に天然状
態 に於 ける完全なる地域 で あるか ら、 自然現象 を観察研究す る者 にとっては、偉大な教室でな く
てはならぬ。従 って國立公園の早術 L の 使命 も決 して軒んぜ られてはな らぬ. ア メ リカ回立公園
局 で も博物學者 を公園に配置 して賞地に就 き公衆 の 博物 に開する知識の普及を図ってい る. た め
に完全 なパ ンフレッ トなども出版 されてゐる。
保存J 面 に配慮がみ られ、田村 は実際に黒部の保存な どを訴えて
本書 では、初期論争 を踏 まえ 「
い るが ( H I1村
す き方策 に関
9 2 9 a : p p9 )8、
〜
^ 方 では 「開発」面 も堅持 され、それに伴 う破壊 を抑 l 1 1 べ
保存 と開残」すべ き国 立公「│ と
しては ^ 切触れ られる ことはな く、「
保存J す べ き天然記念物 と、 「
‑ 41‑
野外博物館 と国立公園に関す る ´
考察
をあ くまで別 もの として扱 っている。ア メ リカの国立公 園を紹介 した記 載 で も、開発面が強調 され、
つ い ての記述 はな く、やや誤解、歪 曲、偏重 した描写が見受 け られる。
ohn Muirや
c たr r a C l u b に
」
そ して、水力発電な どに比 して観光外客誘致が儲かる ことをア ピー ル し ( t由掲
、田村1 9 2 7 : p 3 0事業
、 に
は経費を必要 とせ ず、かつ急 を要 して い ることが 強調 した。 『
国立公園』誌 において も、極めて小
記事でア メ リカ国立公 園における経費問題の実情 を掲 げる ・
1 9 3 1 : p 2、アメ
い
リカの 国立公
方で ( 日
本
」
同を引 き合 い に出 しなが ら経 費が掛か らない との主 張 をして い る ( 出
1 9 2 9 b : p p7 )60ヽこ れ らの点 に
ホ
す
つい て村 串 は、黒 部や十和 田の 開発 などが 日前 に差 し迫 ってお り、 まず法の制定 を最優先 し、その
た め に 開 発 側 へ の 道 を 開 き、安 L が り な 目 立 公 園 を 主 張 し た も の と 考 察 し て い
る ( 前掲、村串2 0 0 5 : p p8 07)4●
ヽ
田村の 『
国立公同』が薯 された1 9 2 7 年の1 2 月には、細川護立 を会長 とす る国立公 園協会が設立 さ
れた。 また、1 9 2 9 年か らは機関紙 『
国立公園』が刊行 され、『
庭園』に代 わって運動が推進 されてい
く。 さらに1 9 3 0 年1 月 には、 閣議決定により国立公園調査会が設立 される。
協会 の役員は、議員 6 名 、官僚 8 名 、実業界 3 名 、学者 7 名 で構成 されている。学者の内訳 は、
円村 ( 林学博士) 、本多 ( 林学博士) 、上原 ( 林学博士) に 加 え、薗部 一 郎 ( 林学博十) 、山崎直方
( 理学博士) 、三好学 ( 理学博士) 、辻村太郎 ( 帝大教授) 、氏原佐蔵 ( 医学博士) と なってお り、上
原、三好、辻村 とい う、保存派 の参画 も認め られる。
1 9 3 0 年3 月 、日立公園法が 可決 され、翌3 1 年4 月 1 日 には同法が公布 された。加えて 「国立公園
ノ選定 二関 スル方針J の 答 中を提 出 した。紙片の制約 によ り、 ここで法 の / T N 文
を掲げることは不可
能であるため、『
国立公園』の記事 を参照 された い ( 國
立公園協会1 9 3 1 a : p p 4 ‑ 6 ) O
一
まず、法第二章第 節 にお いて 「国立公園 トハ 自然 ノ大風景 ヲ保護開発 シ国民 ノ保健休養強化 ニ
供用 スル為国 ノ設定 スル公園 ヲ謂 フJ 定 義付 けが成 されてお り、 ここで 「自然公園」であると捉 え
られ、 「
保護開発J の 並列的二 大 目的が掲 げ られた。 また、諸外国にお い て先例 のなかった 「
地域
市U J を採用 している。「
地域制J と は、国会以外が所有する土地であって も公園地 として指定するも
ので あ り、公有化 に経費を必要 としない反面、私有 を認可で もあるため開発 を容易 に して い る。 ま
た、 開発行為 に対する制限規定が著 しく弱体 である ことも、本法 の特徴 とい える。以上の よ うな法
的性格 は、ほぼ田村 の意図する方向に進展 してお り、指導力 の高 さを示 して い るが、「
保護」 に対
しては速やかな立 法 を実現すべ く、「開発J 派 に対す る妥 協が伺 われる。 青木精 一議員は、国会質
疑 にお い て 「
保護開発J の
調整」 を如何 に行 うのか とい う問題 を提起 してい るが、担 当大臣は明
「
言 で きてい ない ( 國
立公園協会1 9 3 1 b : p p1 970〜
尚、盛 んに議論 された史跡名勝天然記念物 の異同に関 しては、国立公園 とは異なるもの として決
着 した ものの、「国立公園 ノ選定 二 関 スル方針」 の副次条件 の一 つ として 「史跡名勝天然記念物 に
富む ことJ が 掲げ られ、積極的に扱 われて い る。
―‑42‑―
考察
野外博物 館 と卜1 立公 園 に関す る ・
1 9 2 0 年代 後半 か ら1 9 3 0 年代前 半 の 論考 にお いて 、 I I F ^ 、教 育 面や博 物館 に言 及 した著書 と して 中
北 米 国 立公園遊記 』 が あ る. I I ! 村は毎 日新 聞 の 記者 で、 ア メ リカ滞 在 中 に目立公 園 の視 察
村 秋季 『
1 = 特に
3 2 ' p p 116667ヽ
を行 い 、紙 片 は少 な い なが らもY o s e m ■e の 博物 館 に訪 れ た記述 も存 在す る ( 1 1 1 19 」
第
本 書 の 第1 ̲ 1 章
一 節 で は、 ア メ リ カ 国立 公 園 の特 色 に稿 が割 か れ てお り、 以 ドは 「国 内 の 設備 」、
c
お よび 「
教化 啓 蒙J の 記述 で あ る 輌掲、 村1 9 3 2 : p p 2253)ヽ
な
、プ場 の 設備 、風光 明l l l l地貼
園内 の 設備 : 公 国内 の 設備 は至 れ りつ くせ りで、清 潔 な公衆 キ ャノ
へ 道路 をつ く り、博 物館 、病 院、郵使 局、電信 、電話 、電燈等 に至 る迄完備 し、 公 園 を して 自
然 博物 館 、研 究所 、休養保健 の 目的 を達 しめ ん と努 力す る。 ( 以下略 )
教化啓 蒙 : 公 園 は民衆 の 自然科學 の研 究室 に営 て ゝあ るか ら、 国 内へ 這 入 る者 は、大 自然 の懐 に
抱 か れ て、地 質學 、氷河 、植 物 動物學 等 を賞験 的 に學 ぶ こ とが 出末 る. 天 然 の 異常 な景色 を毀
損 せぬ ように注意 を典へ 、同時に道徳心 を醒 し、以て共存共榮 の大義 を教へ ん とす る. 自 然 よ
ア公国内に溢れて ゐる。 イ ンスピレー シ ョンを受け、黙示 を得て、人生 の
り多 く學 ぶ ものが 回 ヽ
意義 を解決するもの もあるであろう。文學藝術方面 にも資す るところが少 くない=
調査会発足後、1 6 件の候補地 を中心 に選定のための調査が実施 され、最終的には1 2 件に絞 り込 ま
れて、調整が容易な候補地か ら適宣指定が成 された。 まず、1 9 3 4 年3 月 1 6 日に雲仙 ・霧島 ・瀬戸内
海、同年 1 2 月4 目 に阿寒 。人雪山 。日光 ・中部山岳 ( 日本アルプスか ら改称) ・阿蘇、1 9 3 6 年2 月 1
れて い る.
日に十和田 ・宮 l f 箱
根 ・吉野熊野 。人山の指定が官報 で 告/ 1 N さ
模索 され始め、F 目立公園』誌 に
候補地 の指定が確 定的な段 階 となる と、個 々の具体的な計l n l が
も教育関連 の記事 が掲載 され始める。 これ までは、ア メリカのL J 立公園を紹介 した記事 にお いて も
寿蔵 による論 考は、 この
教育面や博物館 に対 して稿が割かれる ことはなかったが、1 9 3 3 年の井 1 1 高
^に よ
ヽ
lサi 1 9 3 3 b : p9p) ●
6そ
ヽの後 の稲 I l l[青
ト1 1 9 3 3 a : p p1 61)2(ト
点 につい て初めて言及 した もので ある ( リ
る 「
北米合衆國日立公は│ に於ける強化施設及教化事業J は 、合衆国における教化事業 の担 い 手や経
二 、自動 車旅行隊J 、「
1 1 、自然イ
、「
四、歴史イ
リ
究
リ
「
「
究路」
過、主要方針 を紹介 し、「 ^ 、指導旅行J 、「
八、講演キャ ン
七、野生動物の陳列J 、「
五、現場 における陳夕l J 、「
六、野4 L 植物 の陳列J 、「
路J 、「
^
〇
―´
りし
、諸学校」、「
、調査班J 、「 ‑ 1 、 印刷
プファイヤ ー トー クスJ 、「
、博物課及観測所J 、「
Л1 9 3 5 : p pア)2。
ヽそれぞれ の解説 は小 文 であるが、「自然研究路
物 の刊行」 の項 目に言及 して い る ( 稲
は陳列物 に依 って静かに獨 りで學 びたい と云お、
希望 を持 つ 人 々には甚だ好都合であるが、指導旅行
に比すれば陳列物及其 の筒所制限せ られる訣路があるJ 点 や、歴 史研究路 の ラベ ル設 置法 について
此れはア メリカの如 く国 立公 園 と史蹟名勝天然記念物 を同列に取扱 はれてゐる場合に往 々豫想 さ
「
れ得 るものであるが、本邦 の如 き歴 史の 占い國家 に於 いては二三の回 l l 公園に於 て此の如 き企て も
野タト博 物館 と国立 公 園 に関す る ´
考察
可能J で あ る点 に触 れ て い る。 後 に言 及す る様 に、 この 時期 にお け る 『
博 物館研 究』 の論 考 や雑報
が 単なる 「
紹 介」 に と どまってい るの に対 し、稲 垣 は教 育事 業全体 の枠 組 みや制 度 上 の 相違 、方法
の功 罪等 を指摘 してお り: 筆 者 は最 も質 の 高 い 記事 で あ る と評価 す る もので あ る。
しか しなが ら時局 は戦 時下 の 局 面 を強 め、1 9 3 8 年に は 国民 の体 力 向上 を 目的 と した厚 生 省 が新 た
に新 設 され る。 国立公 園 もその 一 翼 を担 うべ く諸施 設 が建 設 され て い る ものの 、戦局悪化 に伴 い、
公 同行 政 も縮小 されて い き、苦 難 の 時代 を経験 す る。
3.3)ま
とめ
合衆 国 の 国立公 園が あ くまで 「自然保 護 区」で あ り、 隣り
用 J を 訴 えなが らも 「
保 護」対 す る規 定
を疎 か にす る こ とはなか った。 これ に対 し、 わが 国 の 目立 公 園論争 で は、 法 の 制 定が最優 先 され、
国立公 園 の 定義 や計 画 は曖 味 で あ り、保 存 に対 す る規 定 も著 し く弱体 な もの となった。 か つ 、 これ
らの過程 が非常 に急 ピ ッチ で進 め られ てい る。 そ して初期 の 論争 にお い て は互 い の批 判 に傾 倒 し、
論争 の リー ダ ー に知識 面 にお け る教 育 的 な活 用 の具体 案 を訴 えた人物 はお らず、 そ の よ うな組織 も
成立 して い なか った こ とが伺 われ る。三 好 や 白井 な ど、 博 物館 に一 定 の 理解 を持 った 人物 も論争 に
は参加 したが、 「
教 育 的利 用」 が論 じられ る こ とは な く、博 物 館 関係 者 にあ って は論壇 に L が る こ
とす らなか ったので あ る。
国立公 園理 念 の確 立 と普 及 に努 め たM a t h e r と田村 で は、条件 や担 った役 害1 に相違 が あ り単純 な比
較 は不可 能 で あ る ものの 、 田村 が成立 過程 を通 じて教 育面 に対 す る配慮 は極 め て控 えめ に主 張 され、
この 分野 に対 す る温 度差 が あ る こ とは否 め な い 。 ただ し、 田村 の 専 門は造 園学 で あ り、教 育 i n にま
で完璧 な要 求 す る こ とは不 口
∫能 で あ る。 そ して、何 よ りもイ メー ジで しか なか った 「国立公 園」 か
ら、 法 を制 定 し、 国立公 園市1 度を具現化 せ しめた手腕 は最大 限 の 評価 を与 えなけれ ばな らず 、 そ の
過程 での発 言 で あ る こ とに も留 意せ ね ば な らな い。 む しろ問題 は、 この 論 争 に一 度 も登壇 す る こ と
の なか った博 物館 界 に も存 在 す る。次 章 で は、 国立公 園 の 成 立期 にお け る博 物館 界 につ い て 言及す
る。
4 . 2 0 世 紀前 半 か ら戦前 までの博 物館 界 と国立公 園
1 9 2 8 年 ( 昭和 3 ) は 即 位 の大礼 を記念 して社 会教 育施設 の 設置機 運が 高 まった時期 で あ り、平 山
成信 らは 日本博物館 協 会 の前 身 で あ る博物館 事 業促 進 会 を設 立す る。理 事 の 中 には、三 好学 らも名
を連 ね た。 本会 は、博物館 設置 の推 進 運動、 お よび博 物館 令 制 定運動 を推 進 し 晰名1 9 8 8 : p p 226730〜
、
究 玲J 刊され た。 同誌 の 記事 内容 は、 論 説、議事 ・対 談録 、
同年 3 月 1 日 には機 関紙 『
博物 館 7 1 J l』力
ニ ュ ー ス ・雑報、 文献 紹介 に大 別 され るc 第 4 巻 第 1 2 号か らは 日本博物館 協 会 の 発行 とな り、戦 時
ドにお け る 中断 の後 、戦後 になって復 興 第 1 巻 第 1 号 が発 行 され るc ガU 表は本稿 と関 わ りの あ る記
―‑44‑―
野外博物館 と目立公園に関する
^ 考察
事 をまとめた ものであ り、文 中 の番号 は本表 に対応 して い る。本章では、本表 に基 づ き、戦 前の
『
博物館研究』掲載記事 を中心 に、国立公ぽ1 運動 との関係や野外博物館論 の形成過程 を検討する。
尚、表 には参考 として復刊号 までを掲載 している.
4 . 1 ) l ■ l 立公 園運 動 との関係
国立公 園関連 の記事 と して は、2 、 5 、 7 、 8 、 9 、 1 1 、1 2 、1 4 、1 5 、1 7 、1 8 、1 9 、2 0 、2 3 、2 8 、
2 9 、3 1 、3 3 、3 4 、3 7 、3 8 、4 0 、4 3 、4 5 、4 8 があ り、7 の 記者 ( 1 9 2 9 b ) や 、1 8 の博物館 事 業促 進 会
( 1 9 3 0 b ) 、2 0 の棚 橋 ( 1 9 3 0 ) は野外 博物館 とも重 複 す るc
まず 、 身近 な 日本 の 国立 公 同行 政 関連記事 と して、 1 1 、1 2 、2 9 、4 0 が挙 げ られ る。4 0 は 日米 国立
公 園 間 の 交流 に関す る もの で、1 2 と2 9 は国 立公 園法 の 市1 定 と候 補 地 を報 じた もので あ る。 紙 片 は極
め て微 量 、 内容 も希 薄 なが ら、 『
報 じられ た こ とJ 自 体 を持 って博 物 館 界 に
博 物 館研 究 』誌 L に 「
こ とが で きる。 1 1 は、岐阜 県教 育 会書 記 の建 部松 三 郎 に よる博 物 館並類 似
お け る関心 の 一端 をf n l ぅ
施設 主任 者協 議 会 中 の 発言 で あ り、 国 立 公 園が念頭 に置か れ ての発 言 で あ るか に関 して は疑 間が あ
遊 覧地J へ の 積極
る もの の、 国 立 公 園候 補 地 で あ る 日本 ア ル プ スで の博 物 館建 設 計画 を例 示 し、 「
的 な博物 館建 設 を提 唱 した もので あ るため、本 表 に含 め た。 た だ し、建 部 の 発言 は 博物館 の振 興 方
策 と して述 べ られた もので あ るが、 特 に取 り L げ られ る こ と もな く、 そ の 後 の議 論展 開 をみ て い な
い。
次 い で、 海外 の 国立公 同関連記事 に注 目した い c こ の 内 には、2 、 7 、 8 、 1 5 、1 7 、1 8 、1 9 、2 0 、
4 0 があ り、1 5 以外 は全 て ア メ リカの記事 で あ る こ とが 特徴 的 で あ る. カ ナ ダや イ タ リア に も日立公
園 は成 立 してお り、 前掲 、 田村 ( 1 9 2 7 ) な どに よって 報 じられ て い る こ とは先 に述 べ たが 、 当時 の
て い た もの と思 われ る.
博 物館 界 は ア メ リカを主 と して 目立 公 園 を1 / 1 え
THE MUSEUM NEWS』
海外 の 目 立公 園 関連記事 の 内、2 、 8 、 1 9 、ア メ リ カ博 物館 協 会発 行 『
の記事 紹 介 であ る。 無論 、 同誌 には博 物 館 に直接 関係 す る記事 も掲 載 されて い るのであ るが 、そ れ
らに増 して国立公 園行 政 の 人事 や移 管 が紹介 され て い る。1 7 に至 って は、公 国 人事 が トピ ック とな っ
お け るt r a i l s i d e m u s e u m事
の例 が 早 々 と報 じられ る等 、
てお り、 さ らに1 8 ではM a d i s O n 」u n c t i o n に
海外 の 目立 公 園 に対 す る 関心 も存在 した.
o r S m a l M u s e u m s 』孝 書 の 訳 で あ り、B e a r
7は 「
記 者」 に よるL V C o l e m a n ( 1 9 2 7 ) 『M a n u a l l ‐
M o u n t 」n 国 立 公 園 の 「
戸タト博 物館 J に つ い て触 れ て い るのみ な らず 、初 め て野外博 物館 理論 を紹 介
O ま た、2 0 は博 物館 界 の 第 一 人者 ・棚橋 源 太郎 に よる論 説 で あ
した記事 で もあ る 輛己
者1 9 2 9 b : p p 65)〜
眼 に訴 へ る教 育 機 関』 に も転 載 され
、本論 とほぼ 同様 の 文 章 は、 同年 の 著書 『
り 硼橋1 9 3 0 b : p p 5 2) 〜
の事 例 を掲
ている (前
) o 棚橋 は最 初 の 「
路 傍博 物館 」 と してB e a r M O u n a t a i n 、
掲、棚橋1 9 3 0 a : p p 115769ヽ
な どの施 設 や幾 つ か の 設備 につ い て触 れ、最 後 にB u m p u s や 博 物 館 協会 の 野外 教 育
げ、 n a t u r e t r 」
―‑45‑―
野外 博物館 と国立公 園 に 関す る 一考察
一
ξ﹁ 型経 観 畿 宣
一
S● 曜 K K 墨 ヽ 重 叡
一
最
極 ︶ぐ 筆 C 国 市 籠 迎 理
ユヽ
К 密年 ヽ︶ぐ贈CS型製継紫 や誉黎せ ﹁
︵
国準ピ 一
E ■ ヽ ヽ キ ■卜 ・二 К ヽ い ヽ
︵
議 期ヽ勲 鷺 毅ぶ鸞¨
薫転一一
ヾ編 一
紳溶 鷲● 撃醸
一暇
葦鐵 一
tぐ 一
撃 S撻議 経 憩
ス一
︵
ぜ 駅霞 ︶
↑ 暗C
ぐセ 黎 せ 理 製 翠 さ 0 朧 く К
︵K か年 ヽ︶↑ 賠 C ﹁回 準 菫 超 撃 十 ヽ ヽ キ ・卜 ・4K ヽヽ ベ 一ヽ
一i ヽ譲 α 彗 結 継 餓 麟 樹
︵
暉 灘 ︶盤 載 篤 箪 爾軽 電奎 一一
一
一
︵
嶽螺︶
一
痙増饉饉餞一
﹃ 倒国一一
■鞭難籠識0載賦b■一積 壼終醸
恒轟 Ю
ロ ー︶
︵
ぐ 繋 C認 霊 C 匡 S 黒 く こ
今
腟一
躍 ︶ご 翠 鸞 瑯 圏 螂調 国 二ξ 一
瞳一
S 圏 蒸纏 趣 鋼
︵
避 百 P K 工堅 ︶瞑﹈ ・檬 駄 C 計 祭 伸 .
ミ撃 中鱈 C ﹁
毅 ゛ 壁ま 獣
ぐ 面鷲e調 鰹逮巖噴 樹 酸
導一
蕪 織 ︶輩 難 捜
S 部機 製 織 ■ 一書 ヽ
︵ま つ スト︶ぐ 駆 C 態 ヽ ヽ 理 製 Q誉 鶏 せ ヽ ヽハ知 ・く 卜ヽ 1 1 ″
︵ヽ︱ ン ヽは i5 薬C 彗
︵
K ´年 ヽ︶
ぐ 駆 C t 吐 ヽ 製 Qむ 妥 せ ミ H 誉 可 ヽ ヽト
︵ミ いスト︶ 卍ぐ 繁 C健き Su ●誉 黎 せ K卜 十ヽ 測ミ ヽ ヽや 1 1ヽト ン
︵
曹嘱 ︶
ζ議 簿 軽腐﹂
一S 肇 穣 縫 筆 鬱 薫
︵
臨
マ C
響鸞
薫 一 ヽ騒
資 一
尋ヽ量 導
期 椰 響 糧ぶ 一
醍
∽︐′o﹂
︵ 日 ぅo∽●守漁 Φ ↑
ポ 譴 CS設 柱
壊 ヽ 量 旨 3 駆 CX L
緊 肇 ギ 薫 ヾ ぺ 一eD Oぐ
脚 隷器糞 戦機織 難 禦
一
製 簿 箪 螺 簿 難も ヽ 量
o崎∝0
∞〇
ヽ紫 C国 ﹁
0 ば 一亘 一 ︵τ吟∝0
∞〇 ∞〇
韓 緩畿 総 撃 O
や
二嶺け0
︐
さ 一饉
域 S 筆 斗 薫 κ 工せ 噸 妥
つい∞0 燿 攣
∞〇 ∞〇
ヽいい0 壺 量 回
襲 ゛ 攣 ′ヽt C E
∞〇 ∞〇
掘維 継一
職 銀続 一ぶ 壁 辞 諄 書一
眠= 睡一 輌ヽい0 寧 撃
︵
3︶
糧
﹁﹃めゆ﹇ 暉 撃 菫
誕 墨 C 疇ヽ 早 く 個
∞∞0 寧 筆 コ ∞〇︶00
︵
鞭 幕 攣 欄 雄颯 総 螺
嬌一 0一
t攣難︸
由 ︿い0︶0一
薇ぶ 量 く 占 せ逢 罫
N∞0
∞〇︶¨○
や︻綸0一 準事 構一︵0 警0一
ヽ一 0一
腱 ヽ翻
F∝ 奪 ︶
一
ヽC
ロ
恒終 壊 S量
∝0 こ んい製 ヽ祉
︵
∝〇︶﹁〇
︵
∝︵ 寸〇
∞い
や〇い0
・
ぐ翠世
∝0 ヽ
〇〇︶寸〇
﹁順 ︵
∝0 螂暉 掛 ︵
い〇︶︶〇
0︶ 姿響 鸞 ︵
懲︶
8
い0︶ヽ0一
一準響 摯一︵
∝0 ﹇γN 由 ﹁1︲
お
匡ヽ鋼寒 ﹂
騨藝念鰹一
筆黎 一
0﹁︷ ︵ヽ一ヽSヽ
畢 繭寒 球肝
一
卜居一一
一■ ● 樹一も ︐T も■ 0卜 ● ● 卜 理 4 ■t 囁 一 ﹄とも 議
国轟 〇 一
一
いL 決C
一量
今0
お事はC
OO ¨〇
一
掛壼 ︵壕 ︾ N ︶
翠 壁
﹂騨一 ﹁陣
F一
︶
〇︶﹇〇
課
︵0い0﹁︶絲
や ﹁推 NO︶NO
口ヽ 輌0■す蘇︐
議高聟一︵
︻
0︶一い0一
00︶H
O
寸〇︶〇
︵じ0中0
今4〇一0一
∞∞
0∞
い∞
¨
摂 一
一
総
ON
いい
ヽ家一
9忠 簸 一
S 攣 導 菫 癒 一曇 漁 彗 壁 終
一9
一︶ 一 ︐
︵
崚0 0﹁ 鯉 ■藤 鴛9一
一R
一﹁
一ア 一
一一
ヽ L f r● 城 事 や燃 一一
一一
■ 漱 商 ﹁一嗅■ つ驚↑ ︵
0一い0﹁︶
ル駆 ゛﹄
螺 念X薔い0一 一〇︼
騒蘇 O 黎 一
綴攣墜 輩 日 は
︵0一 一 ぐ 翠競
︵
べ一︼霊り
一
∝︷
一鸞 ぐ 寧 駅想 6 一
疑勘一
響 羅廊 恣 樹 盟一 今゛0わ0= ぐ 暉 筆 ︵
ヽ0︶い0
ON0
E 軍 C士 ﹈ 部 製 蝦 ぶ 型
︵
︵
﹁一
︶NO
刊 コ 劉 翻 翻 図 劇 測 剛 期 ■螢凄 礁 撃 崚 一 ︵3
︵撤一らヽ9一一
S事数 一3
︵
︺一い0﹁︶″
﹃
∝C
︵
粟約て
一
■■●●■け戦眼劉鋼刊国
o﹂r
∞ ︻ ・卜引 oフ鋼 ∞ ︼
一
■
ドF
一■
3
〇﹁
一一
喘一
ヽ二
OZ
椰鵬側 田暇 ヾ地 球 断6 %絆 国≪ 倒 回 収黙 杓舗 熙 星 ﹃
ぶ春 報 ヾ攣 ﹄︼艦
︵中 ︶K
減
ヽ
麟い 一
口
雲
軍
0
長一
一
驚一
ヽ卜X挽鶴S■一聖短■t職準鸞一
0一一
墨懸一
甕囃嶽一
回
奪駿鮮羅一S繭ぐ=回一檬 一聡0■轟轟
︵
ヽ■一ヽヽ︶
選館一
導一
髯鷺︐
X■一
t家一
一
一
一一
一一
一
ヽヽヽ一卜 ●
一そ鯉0■一0
ヽ一
一ヽヽ一
︵
薇■ヽ卜︶
一
↑瞳S蹄く飩 =鞍
一
K
s
騨 詭漑 鰻 一畿 墨 営業 X車 圏 颯一一
響鯉
墨 翼 連菫 C埋 ゛ 壇 ギ ミ値 申
Z一
螺 畢 S 靭 巡回 も 日 醸
密饉饉準議峰榊調樹認錮挙鰹料醸轟露響=錘雑
2
一
一
編一
黎 一
職ヽ
一
量
膏 一一一
藤
嘩
傘
準
準
鮨 (
ぐ 理 ︶ 誉 経 掏暉 C 壊 ゛ 坐 一ヽt
が︐ヽ ︐一
︶
一
ぐ 鷺一●曲一
ミ 維 A一
卜一
ぐ一
摯躍■一
か
熙 壊 ︶苺 鐸 0 ■ 鯉 響 攣 檬メ ﹄∴ 攣 攀 楔 軍 錮 ≪棗 饉 ●煮 鑢 C 質維 継
¨スト︶で龍 C 囲≪ く ヽ ざ ヾ 帯せ鯉 ゛ 型 ロ ヨ ヽl m〜 1 ︱
︐
へ ヽ ヽ 1 ヽ ´︵ヽ は l H 心 К ︶ヽ や ヽ R K
圏 憮 認 蝉 c一
ヽ卜 ヽ一卜終一一島 一
圏一
S 黎 腱 ● 響蝶
一K
C国t 翡 硼 国
一
一
奎へ
難葦 ︶
攀 縦艘 護 麟率 鴨
一
S 華梅 裁 筆 鐵 菫
→︐一
ヽ一
ヽ一
ト
一R● 毬一彙 一締 ≪ 国 準 与一
鐵 一 豪い
■ぐ 蒻 O
鐵 寧 筆 義 動 二部 奎 鱈 榊 馬 爾 電 喩 諄 一
奪
年 ヽ ︶へ
隠
帥
銀曜 e観蘇 燕翻贈場w
薇 違嬌驚
ぐ 駆0 ︵
は ヽ い ヽ ︶へ く ヽ ︱ 卜 ´
メ
"
fl9
゛R C 副 釜
︵
0∞中のH ぐ 翠 壇
じ∞い0︼ 翠 壇
審 壁
Ч
゛ 世意 ■ ︵
゛●﹁t拓一一
t島0︐ 油事p名一一
鷹畷蓄壼とも掛↑ 今崚匈゛一串 ヽ襲議製
避 ゛ 量 ま n c 重 メ ︵∞い0出 ぐ撃 祉
︵
叶 に ポ ︶撫
奥
窓
雙
=
C
わ
11
一ヽ
β
Z
Z
櫂
Z
催
Z
(
K
く
く 雑 持
パ
踏 購 総
康 パ 議 察
│::にZ
2
之
拒
籠
ス Z
纏 縫
之
Z
Z
Z
髄
Z
Z
澪│警
飛
贅
長
ざ ぐ
繊 難採ド奈贈c逮圏韓難は雲
︵R か ヽ卜︶
ぐ 理 尽訃 Cと に ポ
︵
ミ縦 黒 ︶
ぐ 軽 尽椰 C 尽 回 そ
︵ぶ一
0一
ム一
ト 奪 鞍 崎 暇 ゛一卜 駆一■ 一細 総 圏 嗽 日
ぐ 駆 C S年 にL 墨 一
娯
Z
2
平
(
疑 K
霧
K
や
│(
黙 ヾ
R
一
野外 博物館 と国立公園に関す る 考察
︶ ●晏↑ 里
却三 く む ∝ o
撃 挙 黎一
ヽ N
や さ 製 罫 む ∞o
む
く ぐ
輛
い
一
む
ヤこS鷲ま ξ
﹈
軍 ミ や ヽ C 笙ギ 収 ま t
一ま L
ヽ C ︐実
´ 里 三
色
■
.マ ´
C 事﹁ 一
連
軽再 一 回
※
し※
■︐く 掏 要 C 三 ま
︵
rc寸0
燿量 一
※
К l ■︱
︲※
f D︶ む薫 票 ※
業■ 筆 ゛量 む■卍 C S■
エ
コや
∝寸0﹇
︵
︶﹁¨ i一
彙
3寄OJ 嘘 一
燿曇
隆
︶0
柾
寸一
︸一
︵ 〇︶0
溶霊 一
∃
︶0 盤 肇 ︸
し〇︶0 S ユ 一
︵
匡゛摯く一 ぐ
︵
0∞0
述撃く ポく≦ 争
む ヽ 肇 護 Шヨ遷
任 工 C 煮 曇 瓢 く お´墾 涎
黎 攣 ポ■ 0 撻 翌 ミ筆 く 口
︵
0い0
棒量 匡
つ
■崎¨0■︸豪管量T
3 ∞oご 日
︲
∞O
OC
00
OO︶﹁
OC
ЮO
∝︵
︶〇︶∞
い0
0
︸0
∞崎
Φ吟
めい
〇い
00
∝〇
∞ヾ
一
書
∞﹁
一寄
0﹁
S︶
00︶00
Φ∞0 ﹁一 日ヽ
00
︵
︵
崚0い0 燦 筆 壺 00︶い0
にCい0 寧 攣 一
00 い0
︵
︵
r﹄∝0
∞∞0 ミ 一
筆
0∞∞一 ぜ ′
︵
﹁
︵∞¨0 班 ′
一
瞼∞ 0 一欅撃菫
ヽ一
︑
な ´ヽ 国 ″マ К ヽ ト
壊﹁
︸委 測翌 ミ 筆 ヾ 恒
馨¨
一卜 筆 く 滋
﹁■ さ く 桜
工 ゛・ ﹀玉世師
︲
璽一
ぶ響 一
ヨ 鰹 〇一
椰
玉瑠 翻 裳 C 蝦 ミ 筆 小 S星
回墨
K■一
華麒
籠却 C 国≪ = 薫 く こ
緩 ヽ 量 セ■ 祭
難継 Sヽ 継緊 米 面
一
Cく
eS螺
2 で
ヾ
H
O︶﹇〇搬
要︾ 製 ︶
熙︶
¨
ヾ
一
︵
0︶0 贅
榛一
や
一0︶一0蒻
姦一
書
︵9ヽ0一
﹀
牽量﹄
︵
r∝マ0
︵ ∞東 ︶ぜ 藤 再 ﹂
υ∝︶0
︵
ヽ
ヤ式ゴ ︶二 共せ半
一燿 ﹂ ′︵
一く ︶ 要
■
撃事さ譴 二Eヨ製キ
↓準 一
壼
● C ´0 こ 押ヽ
﹁Z 一
´押
′型 玉 三
︵ 撃 笙 ︶
やき C︶
Eキ
一ヽ 三 二 世 半 ´К 1 1 ︱
︲壼
一
●3姜
S量ま ま むま´
ミ黙 や
ヾ
ミ筆く
麻一
ヨ く ミ 覆 N壊 ぐ 憎 く い
︱︱︱︱︱︱︱︱︲︱ ︲
﹁
一霊曇翠ヨ掟ヽ蝦ぶ鸞撃麟t 懸枷
コ
玉 0■ 年お嗽準忙
︶30せ三 市C国 ミヾ 警 翠小呟 □
媛0口.
当型 二蟹
一⇔ ︶
一
ヽQ熙 や
一
継燿 紅 郡 意 一k一
0 国一
ぶ● 菫. 鵞 一一 駆■ 筆
︶〇 8 S
ぐ 電 R卜 匿 せ 黒 要 3 ● ヽ C ヨ翠 メ ま ミ ︵﹁卜︸〇ご ヾ 一掛一
︐︶﹂﹁0ご 檬一
8S
■ 一
くヽ C督 こ ぼ 菫 壊 S筆
〇黎
﹄ぶ J S コ NO︶﹁
゛
ヽa c壊 ヽ 量 ざ メ ■響
置 ぶ ご寧量
︻︶
は︶
0 肛性 梶 撻 調 長 量 ↓ 輩 ミ 量 Eれ ︵
一 ミ ゛十 翌 里
ミ■ 護 仁費N三
議玉C 準薫 く こメ挙
●●ぐ鷺継躍潔傲篤翠メ
ミ 坐 壮 ミ つ絶 月ぜ N 三
︵壺 工
準一
螂ぐ 竃
.マ ヾ ︶ ■ 卍 C
︶
´
案 R 3 ︶ 黒 r ● 群も
■ 籠 セ
′
一
さ
終 ヾヾ や押J
︐ で く 和 三 黎 終 十 ミ ミ 量 椰 F一
︵
型 掌 響 ︶ぐ 華 C ︐ こ 鯉 宿
ヾ Юトエ せヽ0■ ≦К 拳 ヾ量ヨ
ミニ ξ
′い
却ヽ ヽ 中
里 工 下 ヾ ■ 長 ↓く
゛ヽ礎
↑ q 費 C 覇 ゛ 里 一↑
c● く ゛ お ヽ t
や さ ョ 罫 一 r ヽ ■ 遜 → 二 聟 社 き C 峯 ビ︵ く 仁
′や 要 C
r史 D 撃
´む ︶ ご
﹁ヽ ■ 一 悩 悩 C ︶ セ ■ 程 C
伸 ぐ 費 ぐ 華 C Et 謳 製こ
謳性で一
卒 二掛熙К懲熟一
揮龍
ミ 量 伸せ ぐ 遺 .
ぐ 華 C 匡 t 竃 調 こ 一・
E韓きコ罫
﹂D3 姜
.3 0 ︺ ご α C 月 む 電 準 一 ′嘔
.で 3 ︶ コ 1
ヽ
^ ﹁ヽ 卍
製 D禅 軍 モ C S ´二 き C 準
↑ 彙 ︶範 彗 卜 0 く N
ミ要C
︵ 菫︶
ぐ 賠 C ■ 覆ミ 官
挙翠墨
郎
∞ミ
改 露 設 ぶ 肇 ● ●一
匡も ● 富
t︐ 霊 博餞 ●ぐ 駿 S一
〒 奎 墨 E螂 E H総 ぐ 葉 C ● 申
︵ ぐ 薫︶輌 雲 卜 0ぐ N翌S
熙 尋 C 亘ぐ ギ
姜К︶
↑ 薫 C Ei ヽ 製 匡
︵
彗 一
‑47‑―
国製 ミ理製製 逹
樫き C 妥ざ メヨ C︶ ´
コマ ´
やさ や卜 区 LヽO祀 ≦ К埜 ヾ墨 慰
︵
嵌
︶区増部L 十ミに .
ぐ 撃 C目t 謳劇 官
︵
ミ薔
費 早︶
ぐ 駆︵
■ヽ ビ ぐ 薫 C蝦
︵
■照 ︶
ぐ 撃C E
堅 ぜ︶
ぐ 騒 C壊 E
︵
畳ン
藤︱ ぐ 軍 C 権 認 却 国
ミ 罠 C ﹁ 肛ヾ Q● 区 里 S e ■ ≪ К 塗 ヽ重 製
ぐ ミ C凝
C︻κ I たヽ理 C 国 十 諏 編 国 ぐ セ 毅 せ て正 旨 う 輛 ﹄
C壕
C盤
︵
雌準︶撃彎翠難匡●ド ●蠍諄0日搬鱗報匡蝦
工*巡 にそ ´
●コ ﹁
壊さ壁まL﹂゛国製
熱興 一三壺ポ薫κ ´
ぐ粟掏コ匡匡半工ヽ
︵
姜R︶
ぐ 駆C壊
^知織一専螺籍嶺憲一軍 ぐ樹回●蠍一
願●コ橘 綴製国度
類 L C 纂 師 や卜 区 せ ヽ ↑ 祀 く К
一
蜜嘱 ︶鐵黎 ゛朧0 ﹁底 膠 理 機 K︸ 撃 縦 翌腟 甕も﹁ 国一一
一
一
ぐ 鐵 ぐ 爛 轟 認趨 蒸 菫
一一一
︵
Kκ︶
疑撃輩館Cヽ結ゞ澤ヽ騒ヨ十鮨﹁ ・国ヨポゴ■阜﹁ ぐ 葉CE市議製国E
経 舶 ● 0で N埋 ゛ 量 掏 C つC ︶ 善 繁
k 一●︶颯 μ S菰一
国 意一
螢 一絆 忠一事 一
謬 ■一
神 ●一
卜一
■ヽ
︵
く 壼●一
一一ヽ■一
増回ぬ一一
響
雲
饉̀
=
│く
Z
Z
Z
Z
鍵
/
Z
絹 Z
Z
1名│
Z
121絹
IZ ̀層 Z
贅 黙 罫 罫
パ 罫
く 黎 く く く К く
く
く│<
く く ぐ く く
Z
Z
催 籠 籠
く
(菖
贅
パ 総 パ │(
黙│黙
驚
パ
醸
歌
く
K
K く く <
く
(
ぐ く く く 終
く く
奏
野外博物館 と国立公 園に関す る ‐
考察
部P l について述べ た。本稿 は、 冒頭 に 「
小学校の理科教授や少年同の指導上 参考する慣値があると
思ふか らその一班 を紹介 す る」 と断 っているよ うに、終始 「
紹介」 に徹 してい る。博物館 の 目的に
関す る 「
建物外 の 自然 を民衆 に充分理解 せ しめん とす ることにある」 との下 りは、同年 1 月 に掲載
された前掲B u m p u s ( 1 9 3 0 ) を 引用 した ■
l 能性があ り、端 々 に本論 を参 考 とした もの と見受け られ
る箇所や、本稿 にも掲載 したM a d i s O n 」
unctionの
写真 の掲載が認め られる。
最後に、国立公園制定に向け、 各地 の動 きが報 じられて い ることに も言及する必要がある。5 、
9 、 1 1 、1 4 、2 3 、2 8 、3 1 、3 3 、3 4 、3 7 、4 3 、4 5 、4 8 は、博物館建設計画や新設情報に関す るニ ュー
ス記事 として報 じられた もので あ り、概ね文中に 「
国立公園J 関 連 の文 言が含 まれるものを掲 げた。
この 内、1 1 につい ては先 に述べ た。1 0 の民衆鏡物園、2 2 の富士博物館 は、 今 日におい ては野外博物
館 として目立公国内に立地す るものの 前身であるが、報 じられた時点 では国立公園 との 関係性が不
明瞭であるため、野外博物館 関連記事 に類別 した。雲1 1 物産館 の2 3 、長野県 の 山岳 博物館 の3 3 、3 4
の富士 高山植物博物館 には、 「国立公園J 関 連 の文言が含まれてい ないが、「
遊覧地」、「
観光J な ど
があるため、 ^ 先 ず国立公園関連記事 に含めている。 また、5 の 大沼公園は、 前述 した1 6 件には掲
げ られて いた候補地 の ^ つであるが、最終的には大雪 山にその座 を譲った北海道の物件 で ある。3 1
の英彦 山郷土 博物館 は、 「目立公園候補地J の 文言が見 られるものの、1 6 件の 内にはそ の名 を見出
す ことがで きない。ただ し、今 日では両物件共に、国定公園の指定 を受 けて い る。
即 ち、以下が国立公園制定 との係 わ りが明確 な記事であ り、その計画 を略述す る。
富士箱根 国立公園 : 箱根 関所考古館 ( 9 ・ 2 8 ) 、富士 山麓 の天然博物館 ( 1 4 )
中部山岳 国立公園 : ( 上高地 の) 山 の博物館 ( 3 7 )
雲 4 h 国 立 公 園 : 雲仙 の天然植物園 ( 4 3 )
大 雪 山 国 立 公 園 : 大 雪山の高山植物園 ( 4 5 )
吉野熊野国立公園 : 吉 野 山の歴史博物館 と高山植物園 ( 4 8 )
富士 箱根 国立 公 国 内 に は、9と 28の 「
箱根 関所 考 占館 」、 14の 「
富 士 山麓 の天 然博物館 」の 計 画 が
持 ち上 が ってい る。
も ともと箱根 には関所 関連 の 資料 を保 管 ・展示 す る 「陳列所 」 が存在 して い たが、 関所 考古館館
主 ・石 内 九 吉 郎 は、 拡 張 の L、 自然 科 学 方 面 に もお よ ぶ 資 料 を収 集 して い く方 針 が 示 さ れ
た 囀促会1929b:pl●
cこ の 記事 が掲 載 され る以前 の1929年 2月 、石 内 は棚 橋 に宛 て て 9日 付 け の書 簡
を送 ってい る (日
博協1965:p60o書簡 の 後 半部分 にお い て、 「幣地 も新 聞紙 Lに て御 承知之事 なれ とも
国立 公 園 の予 定地 と確 定 され て候 由 にて 当地方 二 て も着 々其 実現 に奔走 中 にて此 国立公 園 の 実現 ま
て にハ 少 な くも半完 全せ る関所 考古館 の建 設 をみ た きもの と心 のみ 焦 り候 」 と して、指 定 を控 えた
―‑48‑―
野外博物館 と国立公園に関す る ‐考察
建設計画につい て記 して い る. そ の後、1 9 3 1 年には指定確実 の状況 と、資料保存 の 面か ら、組織 を
財 団法 人 と改 め た̲ L 、工 費十万 円 を もって同年 の 冬 には建 設 を着 工 す る との 記事 が掲 載 され
た (博
元箱根石仏群J 、「I H 街道杉並木J 、「│ 1卜街道
● 館 は今 日まで存続 し、付近には 「
促会1 9 3 1 d : p0l同
一里塚」「1 日
街道石畳」 な ど、 史跡整備が盛 んに行われ ているc
14の 「
富十 山麓の天然博物館J は 、富士 山開発計画に伴 い、県議会特別委員会お よび国立公園協
電車軌適 と風致」、「
交通機 関の
会 の設立発起人会 における協議で浮 L し て い る。 この会議 では、 「
連絡J 、「
動植物保護及蕃殖」、「
猟区施設 ・養魚及釣魚施設」 の設置 といった、 「
保存J ・「開発J の
´
調整問題 に加 え、「
富士 山博物館」の設置が議題 とされ、 自然、歴 史の 「 大天然博物館J と して、
適当な地 を選定 し、此等資料 を度 く蒐集 して ^ 般に展覧せ しめ公衆の強化 に使な らしむJ と され
「
ている 囀促会1 9 2 9 g : p p 1154)ヽ
0 しか し、計画の実現 は戦後 まで待 たねばな らず、1 9 5 4 年に 「山梨県立
1 9 5 4 : p p 1110)ヽ
、
1 年 後 には厚 生 省公陸1 部の指導 を受け、「│ 1 1
l中
富士五湖観光博物館J と して開館 し ( 日
40 ヽ
こ のプランニ ングには、田村 も携 わっ
梨県立富士 目立公園博物館J と 改称 した ( l l1l9本5 5 : p p 11●
て い る。建設 に当た り半額 の 国庫補助 を受けてお り、本論 の著者は 「
野外 博物館 の一系列J と して
、
位置づ けてお り ( 山
本1 9 6 2 : p p 2298)ヽ
今 日では 「
富十 ビジターセ ンターJ と なっている.
3 7 の 「山の 博物館」 は、中部山岳国立公園内、上高地にお い て、内務省衛 ′
│:局
が漸 く乗 り出 した
計画 である。展示内容 としては、 「
登 山者が直ちに該地の全貌 を含得出末 る模型、地岡、篤員文献
等 をは じめ同地特有の動植物、地質気象 に開す る資料、そ の他登 山者 の携帯必需品、尊 き出の犠牲
路傍 の樹木、革叢 に學名、和名 を誌 した名票 をつ けて 自然 の ま ヽのl l l
者 たちの遺品等」 であ り、「
c 経は兎 も
物園を現出す る企は多額 の費用 を要 さないJ も の と計画 されて い る ( 1 障
協1 9 3 5 c i p 9 9 )費面
角、展示内容 は具体的に語 られてお り、ある程度、実現性 のある計画であろう。池 ノ上 容は 「
昭和
7 年 か ら支那事変 の起 こった昭和 1 2 年まで」 に思 い描 いていた 「
夢J と して、 この構想 を振 り返 っ
てい る 他 ノ[ 1 1 9 5 1 : p8p) o6 〜
管理事務所 の反対側 にはガ ッチ リした建物がある。上高地博物館である. 日 本ア ルプスの地形
地質、動植物等の 自然科学がわか りやす く展示 してあるし、 一室 にはウェス トンをは じめ小 島鳥
水等 に関す る人文的資料 が見 られる。 この 博物館 は無料 で公 開され、公国内所 々 に見 られる路傍
展示所 と共に国立公園の 「
野外 の教室J と しての機能に大 きな役割 をはた してい る.
この文章か らは、当時の内務省衛 生 局 にお いて、野外博物館お よびt r a i l s i d c m u s e u構想が掲
m的
げ られて い た ことが伺 われる ものの、「
満州事変 の起 こった1 9 3 7 年まで」 とい う具体的な期 限が示
されて い ることか ら、計画が完遂 されなかった事 由 として戦局 の悪化が推測 されるc
43の 「
雲仙 の天然植物園」は、雲仙目立公園における長崎営林署の計画である。 自雲池付近 ・
情
―‑49‑
野外博物館 と国立公 園に関する ´
考察
を、「
天然植 物園 とし、植物名 を記入 した木札 を吊る し一般人 に知 らず知 らず植物 の矢Π識 を得 させ
よ うJと の計画 である (日
そ の後、1940年に発行 された 『
博協1936b:p7)。
国立公園』誌中の記事 では、
ー
道路、テニ スコ ト、 ゴル フ場、ホテル などの施設は完成 を見てい るが、博物館 については未 だ将
来 の計画に とどまっている (国
25〜
孝1940:pp 2"O
45の 「
大雪 山の高山植物園」 は、大雪 山国立公園内の北海道帝国大学 による計画である。北 海道
帝国大学植物園長 ・伊藤誠哉博士、栃内吉彦教授、大飼哲男教授、根本事務官が 8月 に踏査 し、 ま
た田村岡│も現地調査 を行 った とされる (日
.予 定地に は、五色 岳か ら赤岳の付近が選定
博協1937a:pl力
され、植物研究所 も併設する ことが報 じられてい る。
48の吉野山における「
歴 史博物館」と 「
高山植物園Jの 計画は、吉野熊野国立公園協会によるもの
である。紀元 二千六百年記念事業 の一 つ として、吉野山に吉野朝歴史博物館、大峰山麓に古野群 山
高山植物園の建設 を企画 してい るが、それ以上の具体的な記述 は見出せ ない (日
博協1938b:p100
以上 は、あ くまで誌 ヒに掲載 された記事であるため、 この他 の地域 にお いて も計画が持 ち 11がっ
て いた可能性 も存在する。 これ らの多 くは、経費問題、あるい は戦局悪化のためか、あるものは戦
後 になってか ら実現 し、 またある ものは実現 される ことは なかった。田村 の本意 でないに して も
「
安 上が りな国 立公 園」 で スター トして い るため、 博物館 の建設予算経費につい ては極 めて乏 し
かった もの と思われるが、具体的な建設計画資料 を手 にしてい ないため、可能性 の指摘 までに止め
る。 しか しなが ら、日立公園の指定 を受けた現場では施設計画の必要 に直面 し、少なか らず博物館
建設 を試みた地域が存在 したことは明記 されて しかるべ きであろう。
4.2)野
外博物館論 の形成
野外博物館 関連 の記事 としては、1、 3、 4、 6、 7、 10、13、16、18、20、21、22、24〜27、
30、32、35、36、39、41、42、44、46、47、49〜61であ り、先 に日立公園関連 として掲 げた もの も
存在する。 これ らの殆 どが ニ ュー ス な どに相当 し、論説 に類 別 される記事であって も実際には事例
紹介 に過 ぎない もの も多い。
前半期 の記事 では、1、 3、 4、 6、 7、 13、16、18、20、24〜27、35のよ うに、 海外 の事例 を
・
扱 った ものが大多数 であ り、3の 三笠 に関す る記事 は例外的 で ある。 また、第 1巻 第 1号 か ら、何
の注釈 もな く 「
戸外博物館Jの 語が使用 されてい ることか ら推測す ると、博物館 関係者 の 間では、
Out―
door Museum等の訳語 としての 「
戸タト
博物館Jは 市民権 を得 ていたのか も知れない。 また、前
半期 に対 して、海外の事例 を積極的に輸入 した時期 と位置づ ける こともで きる。
逆 に後半期 には、戦時下に入ったこともあ り、本邦の記事 (22、30、32、36、39、41、42、44、
46、47、49〜61)が 件数 を増す。 これ らの殆 どは、不動産文化財 の 「
保存 。活用Jに 関する事例紹
介 である。30は朝鮮半島の事例 で あるが、旧 日本領下 にあ り事業 の担 い手で もあ るため、本邦 の記
‑50‑―
野外 博物 館 とに1 立公 園 に関す る ^ 考察
事 と して扱 って い る。
また、棚橋 源 太郎 は 「博物館 施 設 近時 の傾 向J(16)の
^つ と して 「
戸外博 物館 の 発達Jの 項 を設
け、 ス ウ ェ ー デ ンのSkansen、 オ ラ ン ダのAachen、 イギ リスのEasington、お よび本 邦 にお い て 野
で は、11と し
19291pp 12)o本稿
3ヽ
外博 物 館 と看倣 し得 る 「施設Jと して三渓 園や 三笠 を紹 介 した lllll橋
て 史跡 や天然 記 念物 とい った、屋 内 に は持 ち込 め な い 文化財 を野外 で展 示 す る 「
施設Jと い う認識
に止 まってお り、功罪 の検 討 とい った 内容 に まで は踏 み込 んで い な い 。
再 度、前掲 した棚橋 源 太郎 に よる 国立 公 園 の 野外博 物館 論 を紐解 い てみ て も、命題 の提 起 や、設
立 に向 けた具体 案 に関 して は全 く論 及 して い な い の この 時期 にお け る棚 橋 の 論 は、 国立 公 園意外 に
も、Skansenな どの 収 集 ・移 設 型 の 野外 博物館 や、 史跡 名勝 天然 記念 物協 会 の 活動 な どに も言及 し
て い る ものの、 総 じて紹 介 に近 い 内容 で あ る。 野外博 物館 とは何 か とい う、 また、 国立 公 園 とい う
新 た な 博物館 活 動 の フ ィー ル ドを開拓 す べ く、運動 を提 唱す る こ と もなか ったっ
そ の他 、城 郭 その もの を 「
博 物館Jと 看倣 す論 考 や (L田1936:pl)、
史跡 等 文化 財 の 「陣物 館」的利
用 が論 じられ て い る (池11936:pp 4)(青
3〜 F'1943:pp 6)Oま
5〜 た、各種 建物 の 保存事 例 に加 え、教材 園 の
:pp 4〜
設置事例 や 勒‖
6)、庭 園 を 「戸外博 物館」 と して報 じて い る (日
藤19綱
十
劇筋1938a:p16)●
不動 産文化
財の 「
保 存 ・活 用」事 例 が 『
博 物 館 研 究』誌 上 に掲 載 され て い る こ と と併 せ て、 野 外 の 文 化 財 を
「
博 物館 Jと 見倣 す思潮 と考 え られ るが、 そ の後 の積 極 的 な議論 や、理 念 の形 成 に まで発展 す る こ
とは なか った。 同誌 の記事 か らは、 これ らの論 考 や報告 に対 して、否定 的 な見解 が示 され る こ とも、
積極 的 に支持 の立 場 を明確 に した論 考 も見 出す こ とが で きな い。
ここで改 め て戦 前期 の博 物館 界 の状 況 につ い て述 べ る と、 前述 した よ うな博 物館 の振 興 方策 と法
規 に関す る問題 を抱 え、更 には紀 元 1千 六百 年記念事 業 と して郷 土 博物館 の 設 置気 運が 高 ま りをみ
せ る (前
261)0
l t ll、
■
名1 9 8 8 p: 2I 3〉9 〜
文 部次官 ・小 尾範 治 は 「
i i 任者 協議会J I I ' 、
博物 館 並類似 施設 ‐
博 物館 が 「百数 卜館J に 足 らな い
現状 と博物館 事 業 が急 務 で あ る 旨 を訴 えて い る ( 1促
中会1 9 2 9 i : p p1 06'〜
c その後 も、博 物 館施 設 の不振 が
訴 え られ る な ど ( 来
屋1 9 3 2 : p p 2l)ヽ
、博 物館 の振 興 は重 大条件 で あ った こ とが何 われ るっ ^ 方 の、法規
が未整備 で あ る とい う こ とは、立 法 に よって博 物館 が保 障 され て い な い とい う こ とであ り、 更には
博 物館 の 明確 な定義 が存在 して い な い とい う こ とで もあ るc
以上 の よ うに、 当時 の状 況 は、 「
野タト博 物館 J 以 前 に 「
博 物館 J そ の もの を普 及 ・
周知 し、理 念 を
構 築 す る必 要 に追 られて い た。
郷 土博 物館 の 設置気 運 は野 外博 物 館 と 目的 を同 じ くす る面 を備 え、先 に述 べ た様 に城 郭 や 1 日
宅の
保 存 とい う形 で 結 実 した もの の ( 南
)、
t 掲、棚橋1 9 5 8 : p p 114573ヽ
国立 公 園や そ こに設 置 す べ き野 外博 物 館
とは一 線 を画 し、少 な くと も同 ^ 線上 の 問題 と して扱 われ る こ とは なか った。 尚、 『
年 表 我 回於
け る郷 上博 物 館 の 登展 ( 稿) 』 に は ( 人日本聯青年同郷[ 資‖陳列所1 9 3 6 0 2 7 ) 、
昭和 5 年
‑51‑
( 1 9 3 0 ) の事 業 にお
野外 博物館 と国立公園に関す る一考察
い て、 開国鉄太郎 による 「
野外博物館 に就て」 とい う論題 が掲 げ られ、 「
藩来は民衆公園 の発達 と
郷土保護記念物保存 の 問題、並 に土俗博物館 の設置 と結 びついて相営発達すべ きもの と思あ、
Jと い
う一文 を記 してい るが、出典 となった文献 を確認で きなかったため、本稿では参考 までに止めたい。
終戦後、1 9 4 7 年の 「旧皇室苑地の運営 に関す る件」 における閣議決定 に基 づ き、1 9 4 9 年に1 日
白金
御料地 は文部省 の国立 自然教育園 ( 現、国立科学博物館付属 自然教育園 ・国指定史跡お よび天然記
つ ま り旧白金御料地 は文 部省
念物) と しての活動が始め られた ( 鶴
│ 1 1 9 7 8 : p 1p "卜O 鶴 田総 一郎 は、「
所管 とな り、文部省が国立 自然教育園の内容の企画 と実施 にあたることとなった。そ して、隅 々そ
の実務l H 当を私が命ぜ られた次 第 で ある。つ ま り、「
博物館 をつ う じてJ と い う私 の考 え方 を、日本
には前例の無 い新 しい 「
野外 自然 博物館J ( 傍 線筆者) を 創造す るとい う形 で実現 を試み られる こと
になった訳である。
J と してい る 囀田 他1 9 9 1 : p p 1l 21 ●
80〜
時 を同 じくして、長瀞 ( 国指定特別名勝お
よび天然記念物) の 地に民衆鎖物園を祖 とする秩父 自然科学博物館が誕生 し、両者 は海夕l l・こ
向けて
`
も紹介 されて い る ( A r1五9 5 8 : p p 9 )6 〜
s u r u t a 1 9 5 8 :3p0po 表
31〜
中に示 した様 に、終戦直後 になる と文化
財 の利用 に対 しての関心が高 ま りをみせ、棚橋 も個別 に論 じて い るが 制橋1 9 4 8 : p p 3 l) 〜
、鶴 回の野外
博物館 に対す る認識論 も含めて後 の課題 としたい。
田村 と博物館 界の接点が で きるの も、戦後 になってか らの ことで ある。1 9 4 8 年7 月 、文化観覧施
設講習会が開催 され、田村 はここで 「
國立公園その他 自然公園の戸外教育意施設」 と題 す る講演 を
行 っている。 手元 に資料がな く、 どの様 な内容であったのかを窺 い知 ることはで きなか ったが、漸
く教育分野 に参画で きる余裕がで きた ので あろ うか。同年 に刊行 された 『
國立公園講和』では、
「
第 4 章 、国立公園の計蓋 と経誉」 にお いて、以下に引用 した如 く野外博物館 を推奨する一文 を掲
1 9 4 8 : p p 115660〜
0
載 してい る ( 田
ホ
寸
動植物園の如 きも都合 に見 られるや うなもの よ りも、自然式 の ものが よ く、自然研究路N a t u r e
Trailを
設定 して、動植銀物等博物の研究資料 を自然状態の ままで親察せ しめるや うにす るのが
好 ましい。鳥 の巣箱 の設置 もよい。水族館 に して も自然 の地形 を利用 した り、透明度 の高 い水面
では、ガラス底 の舟 を浮かべ て水中の魚族 を自然生態のままで観察せ しめるや うにす るの もよい。
( 中略〉日本の国立公園のやうに、地質、鍍物、動植物等の種類の豊富な國では、博物館の設置
は是非 と も入 用 で あ る。歴 史や民俗 L か ら郷 土色 の豊 か な資料 も澤 山あ るか ら、 さ う した もの を
も一 緒 に集 めて陳列 して置 きた い 。 これ は内外 人共 に利用 す るか ら、 そ の用 意 が い る。 映豊 や幻
燈 ここに附設す る とよい と思 はれ る。
4.3)ま
とめ
以 上 の様 に、博 物館 界 に も 「国立公 園」 へ の 関心 は少 なか らず存 在 し、 『
博物館研 究 』で は、取 り
―‑52‑―
た公園に関する一考察
野外 博物館 と同 ヽ
以 も、行政の人事 などを報 じて い る. し か しな
分 けア メリカの事例 に関 してt r a i l s i d e m u s e u外m に
がら 「
紹介」 に終始 し、 これ らに対する理論形成のため の議論やわが国で実現するため の具体案、
掲載 された
設置 のための運動 に発 展す ることはなかった。棚橋 の論に して も、「日立公園J t t L に
稲垣 の 論考 に及んで い ないっ これに対 し、地元では国立公園制定に向けての博物館建設 を試みた事
例が認 め られるものの、実現する ことは なかったc
「
野外博物館J 論 自体 の形成 に対 して も、ほぼ同様 の点 を指摘 し得 る。内務省 にお い ては具体的
に野外 博物館 の構想 が描かれてい るのに対 し、博物館協会が計画に乗 り出す ことはなかった. 即 ち、
2 0 世紀 前半か ら戦前 までを 「
輸入 の時期J と 看倣す ことがで きよう。
5.考 察
これ までの議論 にお いて、考察点 に幾 つ かは示 したが、以 ドにまとめて提示する.
・ア メ リカの 国立公園は 「自然保護区」であ り、担 当 した議員や官僚 には、「
教育的利用」 に対す
る一 定 の理解があ り、博物館 は日立公園利用の一 手段 として確 たる位置付 けが成 されて いた.
・日本 の 日 立公 園論 は、 「
保護J と
「開発J と い う原則論か ら始め られてお り、初期 の 論争か ら国
立公園法制定 まで の 間に 「
教育的利用J が 議論 される ことはなかった. ま た、日村 の本意 ではな
い にせ よ、計画の具体性 を欠 き、乏 しい経費 の国立公園でスター トした。
・計画実行 の段階では、僅かではあるものの、博物館界 に優 る論考や計画が、現1 / 2 の
対応 に迫 られ
た内務省 におい て見出される。
。国立公園の候補地や指定地には、多 くの博物館建設計画が持 ち上がった ものの、戦局悪化な どに
よって実現 を見ず に終わってお り、 博物館事業促進会 ・日本博物館協会は国立公臓│ や野外博物館
に対する関心 は認 め られるが、優先すべ き課題が山積 してい たため、積極的な議論や運動 に展開
す ることはなかった。
以上 の ように、2 0 世紀初頭か ら戦前 までの時代 にお いては、国立公 同行政、国立公陳1 指定地域、
博物館界に はそれぞれの事情 を抱 え、時代的背景 も災 い し、日立公園に野外博物館 が実現 されるに
は至 らなかった。国立公園 とい う格好 の 問題提起が成 されて い なが ら、博物館 協会 はこの機会 を逸
した感 は否めない。「
輸入 の時代J に お い て積極的な議論が成 されることな く、紹介 に終始 し、実
現 のための土壌 を構築するに至 らなかった点は、今 日における野タト
博物館不振 に関する要因の ^ つ
として結論付 け られるものである。
おわ りに
本稿 では、 アメリカ野タト
博物館 の実態、日立公目指定地域 における博物館建設計画の経緯 と具体
―‑53‑―
野外博物館 と国立公 園に関す る一考察
的内容、教育行政 との 関わ り等 の点に課題 を残 した。 また、終戦後の文化財利用計画につい て も、
稿 を改めて論及 したい。 しか しなが ら、「国立公園」とい う視点 をもって野タト
博物館 を論 じる必要 に
言及 し得た こと、それによって博物館学史に名 を留めることのなかった館 にもスポ ッ トを当てるこ
とをもって、本試論 の意義 と位置付けたい。尚、本稿の執筆 にあた り、青木豊教授、Marion William
Steele教
授 (国際基督教大学)の 御教唆 を賜った。末筆 とな りましたが、記 して御礼中 し Lげ ます。
註
(1)
National Park Serviceホ ームページNational Park Service:The First 75 Years Biographical Vignettes
を参 考 と した。http://www.cr.nps.gOv/history/online̲books/sontag/hall.htm
最グ イ ン
終ロ
2006年 1月
(2)
11原の 意 図す る 「国民 のための公 園」 の訳語 と しては、nations parkで
は な くnatiors parkが
相応 し
い との 御 指 摘 をSteele教
授 よ り受 け たが、引用 した環 境 省 自然 公 園課、お よび̲L原の 原 典 と もに
nations parkと
な っている。 しか しなが ら引用文であ るため、 その ままnations parkと
して い る。
(3)
前掲 、」enkS Cameron(1922)を 意 図 して い る。
(4)
棚橋 に よるその後 の論 考 (棚橋 1950a:pp.239〜246)(棚橋 1950b:pp.205〜212)(棚橋 1958:pp.90〜
92)で は、初 めて実施 された国立公園内のtrailside museumに
関 して修正 が な され、A.Hallによる も
の と した。
(5)出
典は 「
造 同研 究」十 一月号 とされているが、一 水 会編 ・西 ケ原刊行 会発行 に よる 『
造 園研 究』 は、
昭和 6 年 ( 1 9 3 1 ) の創刊 で あ り、倉1 刊号 には関口鉄太郎 の記事 は存在 して い ない。 また第 2 号 以 降 に
は、 関日の寄稿が あ る ものの 、 この タイ トルの論文 は掲載 されて い ない。
参考 文献
A.A.M.(1924)LAYS CORNER―
STONE OF YOSEMITE MUSEUM,THE MUSEUM NEWS, 2(15).
A.A.M.(1931)CLEVELANDiS NEW TRAILSIDE MUSEUM IN N.CHAGRIN PARK,THE MUSEUM
NEWS,9(5).
Arai」 uz。 (1958)Local Museums in Japan,MUSEUM,10(1),UNESCO
Bumpus,H.C.(1930)MUSEUM WORKIN THE NATIONAL PARKS,THE MUSEUM NEWS, 7(14).
Cameron,」 。(1922)The National Park Service:Its History,Activities and Organization,D.Appleton and
Company
Presnall,C.C.(1932)A NEW TRAILSIDE MUSEUM IN YOSEMITE,THE MUSEUM NE W S,10(6).
Tsuruta Soichiro(1958)The National Park for Nature Study,Tokyo,MUSEUM.10(1),UNESCO
青 戸 精 一 ( 1 9 4 3 ) 「 保 存 事 業 と博 物 館 J 『 博物 館 研 究 』 V o l . 1 6 N o . 3 日 本博 物 館 協 会
―‑54‑―
^考
野 外 博 物 館 と国 立 公 園 に 関 す る
察
重 三 (1989)「 野外博物館総論J『 博物館学雑誌』Vol.14 No.1・ 2 全 日本 博物館学 会
新リ
ト
粟屋 謙 (1932)「 本邦博物館施設 の不振 J『博物館研 究J Vol.5 No.8 博物館事業促 進 会
池 田政晴 (1936)「 オ
直物学博物館 の活動範 囲J『博物館研 究』Vol.9 No.H 日 本博物館協会
井 上高 寿栽 (1933a・ b)「 米 国 の 回立公 園 に就 きて (上 ・下)J『國立公 園』Vol.5 No.4・ 5 日 立公 園
協会
池 ノ L容 (1951)「 夢J『匡1立公園 (戦後版)』No.23 同 上
稲垣龍 一 (1935)「 北米合衆 回國立公 障│に於 ける強化施設及教化事業J『回立公 同』Vol.6 NO.2 同
11
上 田三平 (1936)「 城郭 は博物館JF博 物館研究』Vd.9 No.9 日 本 陣物館協 会
L原 敬 二 (1922a・ b)「 闘立公 園 の真 意義 (上 ・下)J『史蹟 名勝天然紀念物』Vol.5 No.8・9 史 蹟 名勝
天然紀念物保存協会
加藤正 lU(1941)「
国民学校理科教材 国 の計画 につ い てJ『博物館研 究』Vd.14 No.9 日 本博物館協 会
環境庁 自然保護局 (1981)「 自然保 護行政 の あゆみ :自 然公 園五十周年記 念』
記者 (]929b)「 戸外展観物」 『
博物館研 究』Vol.2 No.2 博
物館事業促進 会
目立 公園協 会 (1931a)「 國立公 園法案J『回立 公園』Vol.3 No.3 國 立公 園協会
日立公園協 会 (1931b)「 國立公 園法案 二 開 スル質疑應答J『國立公 園』Vcll.3 No.3 同L
木場 ^夫 (1949)『 新 しい博物館 』 日本教育 出版社 ※ 大空社 (1991)『博物館 基本 文献集』第12巻所収
:と共 の施設現況 及将 来J「國立 公園』Vol.12 No.4 回 立公 障1協会
国孝治郎 (1940)「 雲仙公 園 の沿 :■
博物館 事業促進会 (1929i)「 本含 主催 博物館並類似施設 主任 者協議會議事録J『博物館研究』Vd.2 No.7
博物館事業促進会
椎 名仙卓 (1988)『 日本博物館発達 史』 雄 山閣出版
白井光太郎 (1903)『 植物博物館 及lI●
物 国 の話』 丸善書店
IJ井光太郎 (1922)「 國設 公園 と植物J『史蹟 名勝天然紀念物』Vd.5 NO.7 史
蹟 名勝 天然紀念物保存
協会
大 日本聯青年 博1郷上資料 陳列所 (1936)『 年表 我 國於 ける郷上博 物館 の発展 (稿)』 ※大空社 (1991)
『博物館基本文献集』第 6巻 所収
│‖
中保 (1954)「 山梨県立富 Jf五湖観光博物館 につ いてJ『1専
物館研 究J No.8 日 本 博物館協 会
棚橋源太郎 (1929)「 博物館施設近時 の傾 向J『博物館研 究』Vol.2 No.11 博 物館事業促進会
棚橋源太郎 (1930)『 眼 に訴 へ る教育機 関J 宝 文社 ※ 大空it(1991)『 博物館 基本 文献集』第 1巻 所1又
棚橋源太郎 (1948)「 國立公 国 の戸外教育施設J『博物館研 究』 復興 Vol.2 No.1 日
本 陣物館協 会
棚橋源太郎 (1950a)『 博物館学綱要』 理想社 ※ 大空社 (1991)『博物館基 本文献集』第 13巻所収
棚橋 源太郎 (1950b)『 博物館 』 二 省堂 出版 ※ 大空社 (1991)『博物館 基本文献集』 第17巻所収
棚橋 源太郎 (1958)『 博物館 ・美術館 史』 長谷川書房 ※ 大空社 (1991)『
博物館基本文献集』第 16巻所収
一ヽ55‑―
野 外 博 物 館 と国 立 公 園 に 関す る 一 考 察
1■
村 剛 ( 1 9 1 8 ) 『 造 園概 論』 成美堂書店
田村 岡1 ( 1 9 2 1 a ) 「 回立公 同 の本 質J 『庭 園』V o l . 3 N o . 2 日
本庭 園協会
田村 剛 ( 1 9 2 1 b ) 「 国立公 園論 ( 1 〜 6 ) 」 『
東京朝 日新 聞 ( 朝刊) 』第 1 1 6 6 0 〜1 1 6 6 6 号
田村 剛 ( 1 9 2 5 ) 『 造 園学概論』 成美堂書店
田村 岡1 ( 1 9 2 9 a ) 「 黒部渓谷 を救 へ J 『成1 立公 同』V O l . l N o . 9 同 立公 園協 会
田村 岡1 ( 1 9 2 9 b ) 「
回立公 園 の経 費問題J 『回立公 園』V o l . l N o . 5 同
L
田村 剛 ( 1 9 2 7 ) 『 同立公園』内務 省衛生局
田村 剛 ( 1 9 3 1 ) 「 アメ リカ国立公 園局 の豫算」 『
國立公 園』V o l . 3 N o . 4 國
立公 園協 会
田村 剛 ( 1 9 4 8 ) 『 国立公 園講和 』 明治書 院
鶴 田総 一 郎 。他 ( 1 9 7 8 ) 「 自然教育 園沿革 史」『自然教育 園報告』N o . 8 国
立科学博物館付属 自然教育 園
鶴 円総 一 郎 ( 1 9 9 1 ) 「 『
博 物 館 学 人 門』 の 「
博 物 館 学 総 論J 篇 を執筆 した経緯J 『博 物館 基 本 文献 集 ( 別
巻) 』 大空社
博物館事業促進会 ( 1 9 2 9 b ) 「 箱根 開所考 占館 の振張J 『博物館研 究』V o l . 2 N o . 4 博 物館事業促進会
博物館事業促 進会 ( 1 9 2 9 g ) 「 富士 山麓 に天然 博物館建 設計蓋」 『
博物館研究』V o l . 2 N o . 8 同
博物館事業促進会 ( 1 9 3 1 d ) 「 箱根 考 占館 の新築計蓋」 『博物館研 究』V d . 4 N o . 8 同
日本博物館協会 ( 1 9 3 5 c ) 「 山の博物館計豊」 『
博物館研 究』V o l . 8 N o . 8 日
上
上
本博物館協会
日本博物館協 会 ( 1 9 3 6 b ) 「 雲仙 に天然植物 園J 『博物館研 究』V o l . 9 N o . 9 同
上
日本博物館 協会 ( 1 9 3 7 a ) 「 大雪 山の高 山植物 園J 『博物館研 究』V o l . 1 0 N o . 6 同 上
日本博物館協会 ( 1 9 3 8 a ) 「 春 に開 く三名園J 『博物館研 究』V o l . 1 l N o . 2 同 上
日本博物館協会 ( 1 9 3 8 b ) 「 吉野 山に歴 史博物館 と高 山植物 園J 『博物館研 究』V o l . 1 l N o . 2 同 L
日本 博物館協会 ( 1 9 6 5 ) 『 わが 国 の近代博物館 施設発達資料集成 とその研究 大 正 ・昭和編』
広瀬鎮 ( 1 9 7 8 ) 「 教育事業J 『博物館概 論』 学苑社
広瀬鎮 ( 1 9 9 2 ) 『 博物館社 会教育論一 障害学習時代 の博物館一 』 学文社
本 多静 六 ( 1 9 2 1 ) 「 風 景 の 利用 と天 然紀 念物 に対 す る予 の根 本 的主 張J F 史 蹟 名勝 天然紀 念物 』V o l . 4
N o . 8 史 蹟名勝天然紀念物保存協 会
三好学 ( 1 9 1 4 ) 『 欧米植物観察』 冨 山房
三好学 ( 1 9 1 5 a ) 「 天然紀念物 の保存 と美化 ( 1 〜 4 ) J 『 東京 日々新 聞 ( 朝刊) 』 第 1 3 7 5 4 〜1 3 7 5 7 号
三好学 ( 1 9 1 5 b ) 『 天然紀 念物』 冨 山房
三好学 ( 1 9 1 7 ) 「 天然紀念物保存雑記 ( 続) 」『史蹟 名勝 天然紀念物 』 V o l . l N o . 1 5 史蹟 名勝 天然紀念物
保存協会
三宅膜 一 ( 1 9 4 0 ) 「 国立 博物館 建設 の運動 に就 きてJ 『博物館研 究』V o l . 1 3 N o . 2 日本 博物館協 会
村 串仁 二 郎 ( 2 0 0 1 ) 「 ア メ リカの国立公 園 の理 念 と政 策 につい ての歴 史的考察 ( 1 ) 自
―‑56‑―
然保護 と観光 その
一
野 外 博物 館 と目 立 公 園 に 関す る 考 察
他 の 開発 との確執 の理 解 をめ ぐってJ 『経 済志林』V o l . 6 9 N O . 2 法 政大学経済学 会
村 串仁 三 郎 ( 2 0 0 5 ) F 国 立公 園成立 史の研 究 開 発 と自然保 護 の確執 を中心 に』 法政大学 出版 会
村 串仁 三 郎 ( 2 0 0 6 ) 「 ア メ リカの国立公 園 の理念 と政 策 につい ての歴 史的考察 ( 1 ) 自
然保護 と観光 そ の
他 の 開発 との確執 の理解 をめ ぐって ( 2 ) J 『経済志林』V I D l . 7 4 N o . 1 ・2 法 政大学経済学 会
山本寿 々雄 ( 1 9 5 5 ) 「 富十 国立公 園 陣物館 につ いて」 F 博物館研 究』V d . 2 8 N o . 7 日
本博物館 協会
立 公園博 物館 につ いて」 「1 専
物館研 究』V l l l .
山本寿 々雄 ( 1 9 6 2 ) 「 公 園博 物館 ― 思 いつ くままに一 富 : I f 国
35 No.5・ 6 1司 11
―‑57‑―
博物館 にお け る文献 の保存 :そ の意味 と手段
Preservationof Booksin a Museum
渡 邊 真 衣
ミXTANABE Mai
は じめ に
博物 館 活動 にお い て記録 資料 の収 集、 製作 が重 要 な位 置 を占め る事 は、改 め て指摘 す る まで もな
い。 また これ らの保 存 も必 要 とな るが、 博物館 で は単 に 「
実物 史料 を
保存 J と 言 った場 合大抵 が 「
よ り完 全 な状 態 で 後世 に残 す こ とJ を 意 味 し、 「
記 録 史料 の 保 存 」 は図 書館 。文 書館 な どの領 分 と
され る場 合 が多 い。
例 えば図書館 に とって、保 存 は利 用 を前提 と した もので あ り、資料 の形状 を多 少変化 させ て も利
一
用 と管理 が容 易 にな る こ とを優 先 す る。 勿論 、博 物館 にお い て も文献 資料 を扱 う場 合 は利 用 を第
と考 える こ とが望 ま しい が、 文献 資料 の 定義 は幅広 く、 い わ ゆ る文書 記録 の 他 、過去 に出版 され た
本、勿論現 在流 通 して い る書籍 、 また古 文書、古 記録 、 占典籍 とい った実物 資料 も場 合 に よって は
記録 資料 と して の機 能 を期待 され る場 合が あ り、保存 の あ り方 は様 々 であ る。
点か ら博物 館 活動 を支 え る文献 につ い て、 図書 を中心 に考 えてみ たいc
保存 とい う観 ′
l . 図 書 の保 存
(1)図
書 の保 存
! であ る. 保 存す
本 の主 な材 料 で あ る紙 は、本材 か ら取 り出 した パ ル プ を漉 きあ げて作 る繊 維 製 I ド
る L で は、温 湿 度 の 変化 に敏 感 で あ る こ と、 汚 れが つ き易 い こ と、 昆 虫や微 生物 の 被害 を受 けやす
い こ とな どの特徴 が あ る。 また物 理 的 に もそれ程 強靭 で はな く、折 り曲げ る、引 っ張 る等 の力 を加
えれ ば、折 り目や癖 が つ い た り破 れ た りとい った不 具合 が起 きるだ ろ う。
保 存 環 境 と紙 の 寿 命 との 関係 を示 す の に よ く使 わ れ るR . D o S m k h の 実 験 に よる と、 ア メ リカの
図書館 の標 準 と して適 当 とされ る気 温 2 5 ℃、湿 度 5 0 % の 条件 ドにお け る紙 の 寿 命 を 1 と した場 合 、
紙 の 」保存 を考 え るな らば、
気温 1 5 ℃、 湿 度 1 0 % 時 の寿 命 は2 0 . 7 と約 2 0 倍になる ( 図 1 ) 。 従 って 「
温 度湿 度 を この 範 囲 に保 ち、劣化 要 因 とな る光 ( 特に紫 外 線) 、汚 染 物 質 な どをで きるだ け取 り除
いた環境 にす るのが望 ま しい 。
ただ し資料 を調査研 究 に用 い る こ とを考 えれ ば、 この 環境 が実 際 的 で な い こ とは 言 うまで もな い.
―‑59‑
博 物館 にお け る文献 の保存 :そ の 意味 と手段
温度 と湿度が低す ぎる環境 は大抵 の人 間にとって不
快 で あろうし、保存時 と利用 時 で環境 を変化 させ る
のは資料 にとって有害 で ある。温度 の急 な変化 は結
図 1
平均温 度
( ℃)
露 の原因 とな り、湿度 の変化で紙が伸 び縮みすれば
反 り返 りや印刷 の剥離が起 きる。 また本 は紙だけで
作 られ る ものでは な く、皮革 ( 装丁、本文) 、布 や
糸 ( 装丁、製本) 、金属 ( 製本) な どの材料 を組 み
合わせた製品である為、装丁 と本文 の羽料 で理想的
平均相対湿度 (%)
70
50
0,14
0,19
0,30
0,68
0,74
1,00
1,56
3,57
2,74
5,81
9.05
20,70
10
引 っ張 りに対 す る強度が 当初 の 2 分 の 1 に なる
までの時 間 を寿 命 とす る ( R . D . S m i t h 1 9 7 0 )
な環境が異なるとい う事 もあ り得 る。
あ らゆる種類 の図書に適 した保存 環境 と言 うものが存在 しない以 L 、 人間の生活に支 障がな く資
料へ の影響が少ない現実的な妥協点が必要 となる。一般的に紙資料 は温度2 5 ℃、湿度5 5 % 、 が適当
とされてお り、 これに近 い環境 であ ま り変化 の ない よ うに管理 で きれば良 い と思われる。
また文献資料 はご く一 部 を除けば再 び入 手で きない と言うものではない。例 えば古文書、古文献
が貴重であ り慎重 な保存が必要 となるのは、記録 自体が持 つ資料的な価値、形態的な価値 に加 えて、
数が少ない などの理由で一 度消滅すれば二度 と戻 らない とい う事実がある為 だ。
それでは現在出版販売 されてい る本は消耗品同様 に扱 って も良 いのか とい えば、それ も否である。
現在手に入る本が数年後 にも同 じよ うに入手で きるとは限 らず、 いかに重要 な文献であって も、消
滅 の危険はついて回る。 また、現在 は価値 を認め られてい ない資料が数十年後、数百年後 に文献的
価値 を見出される可能性 も、 コ ミック本が 日本文化 を語る資料 として認知 されて い ることを考えれ
ば皆無 とは言 えない。種類 を問わず文献 資料 を収集する施設は、 こ ういった重要性 を改めて認識す
る必要がある。
(2)今
ある本の価値
現代 の本が ともすれば消耗品 のよ うに使 い捨て られる理由には、安価 であること、古 い物 とは逆
に希少性が低 いこ と、必要 な時は交換が可能なことが挙げ られる。
高度経済成長期 に始 まった コス トの増大、 またその後の不景気 による売れ行 きの低 下か ら生産が
減少 したことによる 一冊辺 りの価格 の引 き上げで、書籍の高定価化は続 い てい るが、それで も書籍
自体 の価格 は安 い もので ある。書籍の価格 を決定す る要素は製造費、経費、そ の他利益 を出すため
の調整分 に分かれ、概 ね次のよ うになる。
①製造直接費 特 定 の書籍 を製造す る為 に直接掛か った費用。編集経費、資料貸与の謝礼 など、
発行部数に関係 な く一定 の 「岡定費」 と、 印刷代 。用紙及び材料代 など、発行部数にはぼ比例 す る
変動費」 に分かれるc 著 者 に支払われる印税お よび原稿料 もこれに含 まれるが、印税 は定価 に対
「
―‑60‑―
博物館 にお け る文 献 の保 存 : そ の 意 味 と手段
す る割 合 で算 出 され る。
② 製造 間接 費 製 造 費 の 内、直接 把 握 で きな い 費用c 編 集、 製造 の 際 に発生 す る人件 費が主 であ
る。
O 販 売費 出 版社 としての販売活動 に要する全ての費用。運賃 ・保険料 ・保管料 などの直接費、
広告費 ・販売員の 出張費など問接費に分かれる。 また広告宣伝 の費用は割合が大 きいため に別項 日
にされる場合 もある。
④ 一般管理費 ( 総係費) 出 版社 の事業全般 に関わる管理費。給 与^ ・用品費 ・交通費 ・保険料 な
どが これに当 たる。実際に定価 を計算す る際は、 「
経費J と して0 と ^ 括 りにされ、過去 の平均率
や経営の指標 な どか ら算出されるっ
⑤ 処分率 ( または最終残本率 ・返本見込率) 必 ず発 生す る返本や、寄贈な どの予想率 を定価 に
見込む
以 1 1 の他 に、経営上必要 な利益 と書店お よび取次店 のマ ー ジン分 を加 えた ものが書籍 の定価 とな
り、一般 にはこの内、原価である● の割合 ( 原価率) に 、予め決定 してい るその他 の割合 を加 える
ことで決定す る. 具 体的には製造 直接費 の集計にその他 の要素 を積み上げて決定する コス トプラス
方式 と、内容、読者 の購 買欲、類書 の定価 などか ら低下 を決定 し、逆算 してペ ー ジ数、素材 な どを
決めるプライス ライ ン方式があ り、絶対 ではないが学術書 などは コス トプラス方式、類書 の多 い も
のはプライスライン方式 で価格が決 まる傾向がある。
また本の定価 は発行部数に大 きく左右 され、発行部数が多ければ多 い ほ ど、1 冊 当た りに掛か る
製造費を軽減す る事が出来 る。書籍 の 中で も一般 に専門書 ・学術書 は高価 だ と言われるが、高い利
益 を望めない書籍 は発行部数が少な くなる為 に ^ 冊当た りの価格が高 くなる傾 向がある. こ れに対
して文庫や新書は、初版部数が多 いこ とに加 えて、装 「 ・造本 の規格 を統 一 し、更に頁数 を削減す
ることで印刷 に掛かる コス トを軽減することがで きる。2 0 0 5 年における書籍の価格 は単行本¥ 1 , 5 7 2 、
文庫本 ¥ 6 1 2 、 新吉本 ¥ 7 7 2 で あ り、 単行本が圧倒的に高 いc そ の 中で も買い手 の少ない 「
硬 い本 」
は言わず もがなで ある。
それで も、現代 の書籍 は安価 だ。少な くとも現代 の 日本 にお い ては、平均的な生活水準 にあれば
本 を 1 冊 買 うことが即家計 を圧迫するような ことはない.
の 内容 を持 つ書籍 は国内で大量 に流通す る為、同 じも
また書籍出版販売 のシステムによって 同 ヽ
のを全 国 どこにいて も入手する ことがで きる。
書籍 は出版社か ら取次 ( 出版取次) と 呼 ばれる卸売業者 を通 して、全国の小売膚1 に置かれ る. 取
次は出版社 か ら書籍 を巨1 収して書店に分配する業者であ り、全国に数千存在する出版社 と数万の小
売店 との取引総数を最小化 して、流通 を円滑 にす る役割 を持 つ 。収次 を通す販売 ルー トは最 も一般
正規ルー ト」 とも呼 ばれてい る。
的に行われるため 「
‑61‑
博物館 における文献 の保存 :そ の意味 と手段
取次 を通す他 にも、出版社やその代理店か ら直接読者や学校 などに販売する 「
直接販売 ルー ト」、
通販会社 を通 す 「
通信販売 ルー トJな どの販売 ルー トが存在す る。近年は小規模小売店 の経営悪化
が深刻化 してい るものの、 コンビニエ ンスス トアやインター ネ ッ ト書店 の成長 も大 きく、書籍の流
通 自体 は安定 して い る。
機械 による大量の印刷製本 と出版 の体市1によって、本 をどこにで もあ り、望めばいつで も簡単に
入手で きる身近な存在 になると同時に、希少価値 の低 い ものになった と言 えるだろう。
(3)本
が消滅する時
前述 の通 り、現代 の本 にも消滅の可能性 は存在する。
資料 の消滅 に繋 がる危険 として、 まず極端 な状態の悪化や紛失 と言 った理 由か ら、 ・冊の本が消
滅する場合が考えられる。 この ように特定 の本 一冊が無 くなった場合であれば、同 じもの、 または
同 じ内容 を持 つ ものを購入す る事 で解決で きるが、購入が不可能になった場合はその限 りではない。
本 の永続性 には出版のシステムが大 きく関ってお り、出版側 に問題が生 じれば本の安全性 も危 う
い。所謂絶版のように流通が停止 して実物がな くなる他、倒産などの理由か ら出版者 自体がな くな
ることもあ り得 る。出版がな くな った後 も、取置 き制 によって書 店な どに残 る場合、雑器本 として
古書店な どに置かれる場合 はあるが、 こ ういった例 は全体 のご く一 部 で しかない。所謂古典名作や
一部 の人気作品の よ うに、媒体や版元 を変 え、テキ ス トのみが生 き残 るケー ス も、過去 に出版 され
た書籍全 体か ら見れば稀 である。
また、数十年、数百年 とい う時間の経過によって、実物 の消滅、出版 の停 止、版元の消滅、テキ
ス トの消失 と言 ったこれ らの条件全ては確実 に満たされる。実物 に加 えて、本文の一 部、あるい は
全て の消失、 また表題、作者 といった書誌情報 の消滅、更には存在 した とい う証拠す らな くな って
しまう。 このよ うに散逸 したデー タは、次の ような条件が整 えば存在は確認で きるだろう。
〜 とい う書物 にこ うあ った」 の ような記述 がある。
①記録 が現存 する 文 章などに 「
② 目録 が現存する 蔵 書 目録、著者 目録、出版 目録 などに名前がある。
③状況 か らあると推測 される 例 えば同シリー ズの 1巻 と3巻 が現存す る場合、2巻 があると推
測 で きる。
た だ し全 ての 資料 が残 る とは限 らず、 又 この場合 実 際 の テ キ ス トは発 掘 な どの調査 で 発 見 されで
も しな い 限 り戻 らな い 。
2 . 図 書 以外 の 文献 とその保存
(1)貴
重 図書 と記録 資料
先 に触 れ た よ うな稀 少 な資料 には、貴重 な文献 とな る もの も多 い 。博 物 館 に とって研 究 とその成
―‑62‑―
博 物館 にお け る文献 の保存 : そ の 意 味 と手段
果 の発 表 に当た り資料 の 裏付 は不可 欠 で あ り、必 要 が あれ ば資料 そ の もの を所持 しない まで も、所
在 を把 握 す る事 は必要 にな るだ ろ う.
入手 の 難 しい文献 と、 そ の収 集 お よび保 存 につ い て述 べ るc
O 貴 重 図書
書籍 」 で は な くな った 本 は存
刊 行 され た本 で あ って も、先 に挙 げ た よ うに絶 版 な どの理 由か ら 「
在す る。 ^ 般 に貴重 図書 とされ るの は、 この よ うな古 い刊 本 や写 本 な ど三 度 と手 に入 らな い可 能性
の 高 い 本 、 また学術 上 稀 有 な資料 と認 め られ る もの であ り、 単に高価 で あ る とい う理 由で はそ う呼
ばれ な い。
貴重 図書 の基準 と して特 に定 まった もの はな く、所 蔵す る供1 の感覚 で左 右 され る。 国会 図書館 で
は特 定 の 時代 以 前の刊 本 及 び写本 の他 、特 に芸術 的 また は資料 的価 値 が あ る と認 め られ る稀 少 な書
写物 、 自J 刷物 を貴重書 とす る。
貴重 図書 は図 書館 や 博物館 とい った施 設 の ほか、 寺社 、 旧家 な どに所蔵 され、多 くは門外 不 出 で
あ る。 また保 存 のため に特 別 な設備 や容 器 に収納 され る こ と も多 い 為 、 閲覧や取 り扱 い には注 意 を
要す る。
②文献資料
集 される文献 には、書籍以外の記録資料 も含 まれてい る。 これ らは基本的にオリジナ
博物館 で1 又
ルが ^ 点しか存在 しない とい う点 で、編集 された図書 よりも資料的価値が高 い と言えるだろ う。
同 じように資料の保存管理や提供 を使 命 とする施設で も図書館や文書館 とは異 な り、博物館 は利
用者が直接資料 を手に取 る機会 は少ない. 区 1 書 ・文献 の類はⅨI 書室などを通 して直接提供 される こ
とはあるものの、利用 に+ 1 限がある場合が多 い。特 に書籍以外の資料の場合、保存の関係 L 図 書 よ
りも管理 が慎重 にならざるを得 ない。
^ 記録 の媒体 な ど様 々 な形態が
記録資料 に も写真 ( 及びその フイルム) 、マ イク ロ フ イルム、電 子
り
あるが、今 の所紙が中心 である。紙資料 を保存 す る条件 は最初に述べ た通 りで、記録資料 をl l l t扱
う場合 はこちらの方法が適切 だろ う。
しか し記録資料 の規格 は同 ^ であるとは限 らず、逆 に形態 ・形状共 に様 々で あるc 素 材 も多様で
あ り、例 えば同 じ紙であって も古 い もの と新 しい もの、酸性物質 を多 く含む もの などが混在 してい
る場合が多 い。
記録資料 の保存 にお いては、テキス トの 内容 のみ ならず媒体 の状況 など原型 の持 つ 全情報が重要
にな り、更に資料の基本単位が個ではな く群 で あ ることが 多 いっ資料同十の関連性、発生 ・保持 さ
れて きた経緯 なども情報 の一 部 として保存 されるべ きものであ り、個 々の資料 は勿論、全体 の状態
の保全 も必要 となる。
―‑63‑―
博物館 における文献 の保存 :そ の意味 と手段
(2)収
集の手段
このよ うな文献 を探す場合、図書館 などの特定機 関が所蔵する資料 をFEl覧
す るか、古書 店 に頼る
ことになるだろう。受動的な手段 として寄贈 とい う方法 もあるが、 これは基本的に元の持 ち主 の 自
由意志 によって行 うことで あ り、受け入れる倶1から必要な資料 を指定することはない。
古書店は古書 (ここでは出版後 に最低 ^度は消費者 の手元 に置かれ た中占の本 を指す)を 専 門に
扱 う古物商 で ある。扱 う ジャンルは文学、学術書、美術書、写真集、漫画 な ど、特定 のテ ー マ に
従 って専 門化 してい ることが多 く、貴重書、絶版本 などの取 り扱 い もある。店によっては所蔵 目録
の発行や特定古書 の探索、斡旋な どを行 なってお り、価格 は書 店側 の判断 で決定 されることが 多 く、
場合に よっては定価 の何倍 にもなるが、入手 の難 しい資料 を探す手段 として利用 される。
ただ し古書 店 の本 は全て 「
商品」である為、利用す るにはまず購入 しなければな らず、 また 目的
〜 に関す る文
の資料が必ず見付 か る とは限 らな い。特定の文献 1冊 を探す場 合 には有効 だが、 「
献J「某氏 の著作Jの よ うに 目的が漠然 としている場合、 また早急 に内容 を参照す る必 要がある場
合は、文献 を所蔵 して いる機関を利用するのが 当然 だろ う。
文献 を1又
集する専 門機関 としては、 まず図書館が考 えられる。公共の生涯学習 を支 えるもの とし
て博物館 と比較 される こと も多 いこの施設は、名 前の通 りに解釈すれば 「図書Jを 収集 し、保管 し、
提供する 「
館Jだ が、図書館で 「
郷土資料、地方行政資料、美術 品、 レコー ド、 フイルム」 を含む
「図書、記録、視聴党教育 の資料その他必要な資料」 を図書館資料 と定義 して いるよ うに、対象 と
なる資料 は博物館 と重複す る部分が多 い。 こ うい った施設の差異 は、資料その ものよ りも収集や利
用 の方針 によるようだ。
博物館 にお いて記録資料 は、館の専 門領域か ら必要 に応 じて収集 される為、資料の範囲は限定 さ
れ統 一性 のある コ レクションになる。
これに対 して図書館では、専 門図書館 の よ うなケースを除けば出版物 を満遍 な く1又
集す る傾 向が
ある。特 に地域の公共図書館では、様 々 な趣味志向を持 つ不特定多数 の利用者が満足で きるように
配慮 しなければな らな い。 また図書館 は時間 の経過 な どによって消 えて い く出版物 を残す役割 も
持 っている為、1又
集 の方針 は範囲を限定 しない、無差別なものにな らざるを得 ない。
専 門的な資料 を探すのであれば、国立国会図書館 の ように全ての資料 を収集す る図書館、 または
専 Pl図書館、大学図書館 など特定領域 に関す る資料 を収集す る図書館が対象 となる。
○国会図書館
国立国会図書館法 には納本制度が定め られてお り、 これによって国内における全て の 出版物は発
行す る際、すべ て国会図書館 に収集 される建前 になってい る。
国立国会図書館法第二 十四条お よび二十五条 では出版物 の納人につい て定 めてお り、国の諸機関、
市町村 など地方公共団体、その他の団体や個人は、①図書、②小冊子、O逐 次刊行物、④楽譜、⑤
―‑64‑―
博 物館 にお け る文 献 の保存 : そ の 意 味 と手段
地 図、O 映 画 フ イル ム、0 そ の他 、 自J 刷そ の他 の 方法 で複 製 した文書 又 は図 画、( D レ コー ド、0 電
子 的、磁 気 的、 そ の他 の 手段 に よる 記 録 を出版 す る際、 そ の
^ 部を国 会 図書 館 に納 人す る こ とに
なって い る。 国家 と地 方公 共 団体 以外 の発 行者 には通常 出版 と納 入 に必 要 な費用相 当 の金 額 が支払
われ、 更 に正 当 な理 由無 しに納 本 を怠 った場合 には 5 倍 以 下の 罰金 も定 め られて い るが 、完 全 とは
言 い 難 く、現在 の収 集率 は約 7 0 % と 言われ て い る。 特 に 自費 出版 の よ うに取 次 を通 さず に販売 され
る書籍 や、 そ もそ も販売 を前提 と して作 られて い な い 書籍 は出版 の把 握 も難 し く、取 りこぼ しが激
しい 。
しか し国立 国会図書館 が 国 内 で 最 も広範 囲か つ 多様 な収 集 を行 ってお り、利用 者 に対 して 開かれ
て い るの も確 か で あ る. 日 本 の場 合 は日 立 国会 図書館 法 第 二 │ ‐^ 条に、 「
両 議 院、 委 員 会 及 び 議 員
並 び に行 政 及 び司 法 の 各部 門か らの要 求 を妨 げ な い 限 り、 日本 国民 に これ を最 大 限 に利 用 させ るJ
と定 め られ てお り、 1 8 才以上 な ら誰 で も人館 し、 資料 を開覧 で きる。
○専 門図書 館 と大学 図書 館
専 門図書館 は、特 定 の情報 に特 化 した蔵書構 成 を持 つ 図書館 とい う性 質 と、 議 会 、裁判所 、官 公
庁 、企業 、 調査 ・研 究機 関 な どの組織 が が その設 置 日的 を追 求す る L で 必 要 とな る活動 ・業務 に関
連 す る特 定 主 題 に関す る 資 料 を収 集 し、 所 属 す る人員 の 要 求 す る情 報 を提 供 す る とい う性 質 を持
て) 。
大学 に設置す る図書館 は未 本的に教育 ・
研究支援 を日的 とした 図書 ・学a T 雑誌 ・視聴覚資料そ の
他 の収集 を行 うもので ある。広 い 日で見れば専F i 図書館 の一形態 と考 えることもで きるが、 ^ 般 の
専 門図書館 よりも遥かに規模が大 きく、収集の範囲が広 くなる。
この よ うな施設 の場合、資料 は特定 の利用者 に公開されるのが前提であ り、公共 の図書館 の よ う
に誰で も自由に利用で きるとい うものでは ない。通常であれば、外部 の利用者 に対 しては、非公開
である、利用手続 きを必要 とする、な ど市1 限が付 く。
また これ らの機関は:i′いにネッ トワー クを作 り、蔵書 日録の提供、資料の貸借、検索サ ー ビスな
どの相互協力 を行 うケー スが 多 い。
(3)代
替化の手段
資料 の保存状態があま りにも悪い場合、 また資料 の価値が非常 に高 い と認め られた場合 は、実物
の保存 とは別 に利用のための代替化が必要 となる。
上で挙げた ような資料 の 中 には、その希少性や付加価値 などか ら実物 資料 として価値 を認め られ
るものがあ り、 この場合 は実物資料 に応 じた保 存が必要 になるが、l l 究な どの 目的か ら内容 を頻繁
に参照 しなければな らない事態 も考 えられるだろう。実物資料 にとって望 ましい環境が利用 に適 さ
ないの は 1 章 の通 りであ り、 この場合 は同 じ内容の資料 を用意す るか、資料 の 内容 を別の媒体 に移
―
‑65‑―
博物館 における文献 の保存 :そ の意味 と手段
し、実用 に耐 える状態 にする事が必要 になるだろ う。
貴重資料 は万 一 の事故 に備 えて慎重 な取 り扱 いが必要 になるが、複製 は閲覧などに利用 す る際取
り扱 いの不備 による汚損、破損 を考慮 せ ず、気軽 に用 い る事がで きる。 また複製 を数箇所 に分散 し
て保存すれば情報が消失す る危険を分散 させ ることにも繋が り、万 一実物が無 くなった時はそ の代
用 になる。
媒体 を変更する ことで利用環境 を改善で きる こと も、代替化 の優 れた点 と言 えよう。 つ ま り資料
の形状、大 きさ、場合 によっては言語や仮 名遣 い な ども変更 で き、 また劣化や破損が起 こ りやす い
媒体か ら別の保存 に耐 える媒体 に移 し変えることも可能である。
①複 製
原本 の内容 の他 に、形態などに価 値が認 め られる資料 (例えば絵巻 ・彩色本)で あれば、複製が
作 られる場合 もあるだろう。複製の作成方法 として代表的なのは、写真 の画像 な どか らカラー印刷
を起 こす方法 である。
カラー印刷 には コロ タイプ印届1とオフセ ッ ト印刷 の二種類があ り、絵巻 ・古文書 などの複製市1作
は コロ タイプ中心 に行 われてい る。ただ し明治二 十年 ごろ 日本に導入 され、昭和30〜40年代 に全盛
期 を迎 えた コロタイプは コス トの 問題 などか ら引 き受ける印刷所が少 な く、鳥獣戯画絵巻 の複製 で
知 られる便利堂 (京都)な ど数社が請け負 うのみである。 オフセ ッ トは発色 などの問題で まだ コロ
タイプ印刷 には及ばない ものの、現在 は開発が進んで い る。
また、材料、製法か ら正確 に再現 し、全 く同 じものを再現する方法 もある。 これ を実行す るには
物 の成 り立ちに対する正 しい知識 とそれを再現するだけの技術が求め られるが、そ うして作 られた
精巧 な複製であれば実物 に準 じるもの として展示、研究な どに用 い る事が で き、万 一実物 に問題が
起 きた場合 の保険 として も利用が可能である。
②媒体 の変更 (代替化)
。画像化
実物資料 を代替化す る手段 は様 々だが、 ・番簡単 な方法は、写真 に撮 るなど、画像 として残す こ
とだろ う。 コピーや スキャナは手軽だが、資料の面 に機械 を押 し付ける為、破壊 に繋が る可 能性が
あ り、資料の状態 によっては不適切である。多少形 は変わるが、 マ イク ロフイルム もこの 中に入る。
地域や時代 の差か ら文章が解読で きない もの、 または内容 に直接 関 りがない書込みや印な どの状 態
もそ の ままの形 を留めておけるため、実物 には及ばない まで も、十分に研究材料 としての役 目を呆
たす ことがで きる。
◆書籍及び翻刻刊行物
絵 図を含 まない文字 の資料 で 内容 を正 しく読解 してい る もの な らば、翻刻刊行物 を作成す ること
も可能である。 この場合 テキス トのみを問題 にすれば実物 よりも読み取 り易 い とい う利点があるも
―‑66‑―
博物館 における文献の保存 : その意味 と手段
のの、 画像的な正確 さは望めず、写 し間違 いや解釈の違 い によって実物 と異 なる情報 を伝 えて しま
う欠点があ る。 また出版物である為、先 に触れたような理由か らテキス ト自体 は安定 して い るが、
実物 の情報は少な くなる。
これは主に古典 の活字復刻、史料集 などに見 られる形で、活宇に直 した本文 と内容や成立の背景
の解説 に、場合 によっては訳文 ( 翻訳 ・現代語訳) 、原資料か ら取 られた図像、参考資料 な どを加
えた形 になる。
この ように画像、テキ ス ト、注釈 な どを全て編集 した 「
本J は 、原本以 1 1 に
大 きな スペ ースを必
要 とす ることも問題 になるだろ う。
。電子化
資料 の電子化 は、実物 の l l■像、本文 のテキス ト、注記等 も全て 1 つ のデー タとして関連付 け、纏
めて管理 す る手段 として有効 である。デ ー タの量 に対 して保存する媒体が小 さいこ と、又様 々 な メ
デイアに移植する事がで きるので、紙や フィルムなどに印刷す る他 に、電子記録 として保存 し、パ
ソ コンなどを通 して複数の場所か ら同時に閲覧す る、 イ ンター ネッ トで公 開す るなど、 よ り広 い情
になる。
報 の発信 を行 うことが l l J 能
もっと も電子化にお い ては、 省 スペ ー スや作業効率の利点 と共に、安全性 の 問題 も指摘 され続け
ている。紙 を媒体 にする資料 は先 に述べ た ような欠点 も多 くあ るが、過去 に和紙が永久に残 ると言
われて い た よ うに、保存 に適 した環境 に置けば長 い寿命 を持 つ 。 これ対 してC D ―R O M 、 C D ―R W
など電子資料 の媒体 は皆、5 0 年未満程度 の寿命 しか持たない。
また電子記録 には、複製が簡単 な反面、書 き換 えや消去が容易 とい う特性があ り、常 にバ ック
アップを取 るなどの保険が必要 で ある。 ウェブ上の記録が失われやす いこ とは言 うまで もない だろ
うЭ
目立国会図書館 では平成 1 4 年よ り電 子出版物 の保存 に関す る調査研究 を開始 し、収集資料の 7 割
弱 に当たる1 3 8 点に不具合が発生 した事 を報告 して い る。 原因 は0 0 S 等
、 P C の 基本 ソフ トウ ェ
アとアプリケ ー ションソフ トウェアの不適合6 9 点、② アプリケー シ ョンソフ トウェアの人手不可4 1
点、0 記 録媒体 の技術的I H 式化及び劣化1 7 点、④そ の他1 1 点であ り、動作環境 の確保が深刻 である。
また記録媒体 による不具合 として技術 的│ 1卜式化 と劣化が一括 りになってお り、 この時点で媒体 の保
存 はそれ程大 きな問題ではない よ うである。紙な どが媒体か ら直接情報 を読み取 る事 がで きるのに
‐
対 して、電子資料は専用の機械 を用 いて初めて読み取 りが 可能 になる機I I t 可
読式 である為、装置が
利用 で きな くなればH p 情報が分 らな くなる。仮 に情報が消滅 して もす ぐには分 り難 いc 寿 命 の 問題
が表面化 して くるで あろう数十年後 までは常 に改変 され続ける環境 の 中で情報へ のアクセスを保証
す る事が最 も重要な課題であ り続け ると思われる。対処法には動作環境 の再現 ( エミュレー ション)
と、プ ログラムやデー タの移行及び変換 ( マイグ レー ション) が 挙が ってお り、後者 は紙や マ イク
‑67‑―
博物館 における文献 の保存 :そ の意味 と手段
ロフィルムヘ の代替 も含 まれてい る。
電子記録 を保存するためには媒体 の保存 の他 にも、 アクセス手段 の確保 とテキス トの安全 を常に
考えなければならない。 また製作 と維持 にかかる コス トが比較的高 いの も問題 と言 えるだろ う。
電子史料 の長所 は簡単に複製や書 き換 えが可能な柔軟 さと、別 の媒体 に移 し変え られる軽快 さで
あ り、情報 の伝達や利用 には最適だが保存 には細心の注意 を必要 とする。元か ら電子媒体で作成 さ
れた資料は別 として、別にオリジナルが存在する二次的な資料 の場合、保存 のみを考 えるな ら電子
化 は効 率的ではない と言わざるを得 ない。
まとめ
博物館 に必要な文献 は、 まず第一 に資料であ り、博物館 における研究やそ の結果 として提供 され
る内容に正確 な裏付 を与える役割があ る。
それを踏 まえた上で博物館 に必要 とされる文献 の あ り方 を考 えると、「
必要 な時はす ぐに参照で
きる」 ことや、財り
用 し難 い場合、 また利用す ることで資料 に問題が発生す る恐 れがある場合 は代
替化す る」 ことなど、利用 Lの 便利 さを第 ´として、その上で将来 も利用 し続ける ことを念頭 にお
い た保存が必要だろ う。
■保存の レベル
資料保存 の方法 は様 々であ り、管理者は資料の状態や重要性 などか ら判断 して適当な保存方法 を
選 ぶ ことになる。文献 は必 ず しも丁寧 な保存が必要な ものではないが、 資料 の性質や重要性 に合わ
せて保存 を考 える必要があるだろ う。
①実物資料 としての価 値 を認め られるものな らば、資料 自体 を残す形で保存する ことが望 ましい。
その場合 は資料 の劣化 を避けるため、文献資料 として気軽 に利用で きる代替物 を用意 した方が良
い と思 わ れ る。
②実物 にそれほどの価値 を認めないのであれば、資料 自体を利用に提供す る、 もしくは内容のみを
保存 して資料 自体は持たないといった選択肢が考えられる。
など)と テキス トのみ残
0代 替物 には、元 となる資料 の形 とテキス トを両方残す もの (複製 ・llJ像
す もの (書写 ・翻刻など)が 考えられ、 どのような形になるかは必要に応 じて決まる。
④ また必要な文献、テキス トの所在を把握 し、どこで何を調べ れば求める情報が得 られるかす ぐに
分かるようにすることも、博物館において重要な情報の保存 と考え られる。
―‑68‑―
博物館 にお け る文献 の保 存 :そ の 意 味 と手段
主
口
(1) R.Do Smith.The Non―Aqueotis Deacidincation of Paper and Books,Doctral Dissertation The
llniversity of Chicago,1970
(2)専
門家 に よって は更 に低 い、5 0 % 以 下4 0 % 程 度 の湿度 を推 奨 して い る
(3)鎗
田清 太郎 『
角川源義 の時代 』角川書店, 1 9 9 5
( 4 ) 『 2 0 0 6 出版指標 ・年報』書籍新刊 ・販売対象別 出版状 況 よ り
(5)そ
の他、金融、需給 の調節 、書誌情報サ ー ビス な ど、取次が果 たす役割 は大 きい
( 6 ) 「 国立 匡1 会図書館貴重書指定基準」
(7)紙
に含 まれ る酸 は、 隣接 の 資料 に移 行 して複 数 の 資料 を ‐
度 に劣化 させ る こ とが あ り、 これ をマ イ
グ レー シ ョンと呼 ぶ。虫や徹 な どの生 物劣化 が伝染す るの は 言うまで もない
( 8 ) 「 図書館法J 第 二 条 ( 図書館奉( t )
( 9 ) 「 国 立国会 図書館 法J t t 1 1 十四条 ( 国の 発行す る出版 物 の納 入) 、二 │ 四́条 の二 ( 地方公 共 団体 の発
行す る出版物 の納 入) 、二 十五条 ( 私人 の 発行す る出版物 の納 入)
( 1 0 ) 同 法第 二十五条第 二項 ( 代償金 の交付 ) 、二 「五 条の二 ( 罰則)
( 1 1 ) 丸 山昭 二 郎 ほか監訳 『A L A 図
( 1 2 ) 「大学 図書館基準J 三
書館情報学辞典』丸善, 1 9 8 8
( 図書館 の機能 と業務)
( 1 3 ) た だ し、現代 の酸性紙 、 中性紙 はそれ ほ ど長期 間の保存 には耐 えな い
( 1 4 ) 平 成1 2 年 4 月 よ り、 パ ッケ ー ジ系電子 出版物 が納本 の対象 となってい る
( 1 5 ) 『電 子情報 の長期 的保 存 とア クセ ス手段 の確保 の 為 の調査報告書』 日立 国会図書館 , 2 0 0 4
参考文献
Nathan Stolowo Conser,ation and Exhibitions, Butterworth, 1987
荒井宏子 「古典 カラー プ リ ン トJ 東 京都写真美術館紀要 1 , 1 9 9 7
石川 陸郎 「書 院内 の保存環境 につ いて」 保存科学 1 2 , 1 9 7 4
岩野治彦 「画像保存 にお ける 世界 の動 向J 日 本写真学会誌5 4 ‑ 5 , 1 9 9 1
岩野治彦 「博物館学芸員 のための写真知識J 陣 物館研 究2 6 ‑ 7 , 1 9 9 1
記録 と資料編集委 員会 「特集/ 記 録 資料 の保存 と保護 : 特 集 にあた ってJ 『記録 と資刑』 2 , 1 9 9 1
日窪直規 「美術作 品 の情報管理 : 図 書館 の場合 と博物館 の場合J 『現代 の 図書館 』 2 8 ‑ 4 , 1 9 9 0
安澤秀 ^ 「 電 子記録 の保存 ガイ ドJ F 全 国歴 史史料保存利用機 関連絡協議 会会報』 4 7 , 1 9 9 9
フ ァウス タ 。ギ ャロ ; ピ エ ー ル ・ギ ャ ロ著 ; 新 井英 夫 ; 森 八 郎監訳 『紙本保存 の 手引 き : 書 籍 の敵 ・昆 虫
と微 生物 』 日本博物館協会 , 1 9 7 3
ヘ ン リー ・ペ トロス キ ー著 ; 池 田栄 ^ 訳 「本棚 の歴 史』 自水社 , 2 0 0 4
―‑69‑―
博 物館 にお け る文献 の保存 :そ の 意 味 と手段
青山英幸 「記録史料学」『
図書館情報学ハ ン ドブ ック 第 2版 』 丸善,1999
荒井宏子ほか 『写真史料 の保存 (シリーズ本 を残 す10)』 日本図書館協会,2003
安藤正人 『記録資料学 と現代 :ア ー カイブズの科学 を目指 して』 吉川弘文館,1998
稲葉政満 『図書館 ・文書館 における環境管理 (シリー ズ本 を残す 8)』 日本図書館協会,2001
小川千代子 『電子記録 のアー カイビング』 日外 アソシエ ー ツ
田屋裕之 『電 子メデ ィアと図書館 』 勁草書房,1989
箕輪成男 『パ ピルスが伝 えた文明』 出版 ニ ュース社,2002
アー カイブズ ・イ ンフォメー シ ョン研究会編訳 『国際文書館評議会記録史料記述 の国際標準』 Jヒ
海道大
学図書刊行会,2001
記録 史料 の保存 ・修復 に関す る研究 集会実行委員会編 『記録史料 の保存 と修復 :文 書 ・書籍 を未来 に遺
す』 アグネ技術セ ンター,1995
国立国会図書館編 『紙 1 未 来に遺す :第 8回 資料保存 シンポ ジウム講演集』 日本図書館協会,1998
国立国会図書館編 『電 子情報 の保存一 今 われわれがやるべ きこと一 :第 9回 資料保存 シンポジウム講演
集』 日本図書館協会,1999
全国出版協会出版科学研究所 『2004 出 版指標 。年報』 全国出版協会 ,2004
全国出版協会出版科学研究所 『2005 出版指標 。年報』 全国出版協会 ,2005
全国出版協会出版科学研究所 『2006 出版指標 。年報』 全国出版協会,2006
鎗田清太郎 『角川源義 の時代』 角川書店,1995
日本 エ デイタースクール編 『新編 出 版編集技術 上 ・ド』 日本 エデ イタースクール出版部,1997
日本 エデ イター スクール編 『標準 編 集必携 第 2版 』 日本 エデ イタースクール出版部,2002
日本図書館協会資料保存 委員会編著 『日で見 る 「
利用 のための資料保存」 (シリー ズ本 を残す 6)』 日本
図書館協会,1998
日本図書館協会編 『図書館ハ ン ドブ ック 第 6版 』 日本図書館協会,2005
日本図書館協会編 『図書館法基準総覧 第 二版』 日本図書館協会,2002
―‑70‑―
ジオ ラマ展示考
― ― ジオ ラ マ の 舶 載 とそ の 展 開史 ― ―
AL Study on diorama
―Import of diorama and its history of development一
下 湯 直 樹
Naoki SHIMOYU
は じめ に
2 0 世紀 前半 か ら1 9 8 0 年代 まで に隆盛 をl l l xた展
め 示 に ジオ ラマ展 示 が あ る。我 が 国 の ジオ ラマ 展示
は、経 済 成 長期 に伴 い博 物 館 展 示 に大 きな予 算 が投 じ られ る中 で、折 か らの 自治体 の 博 物 館 建 設
ブ ー ム とも相倹 って新 設 され る博 物 館 には必ず とい って よい ほ どジオ ラマ展 示 が設 置 され る よ うに
なった。
しか し、 日本博 物館 協 会が 昭和 5 8 年、 平成 3 年 の 両 年 に実施 した ジオ ラマ 展示 に 関す る実態 調査
の報 告 をみ てみ る と、実 にジオ ラマ展 示 と一 日 に い え ども ^ 様 で は な いの で あ る ( 写真 1 〜 4 ) .
また、 ジオ ラマ展 示 の概 念 規 定 にお い て も博 物 館学 の父 と尊称 され る棚橋 源 太郎 で さえ、
一
「ジオ ラマ と云 う名称 は、 今 日吾 々 が 般 に理解 し呼 ん で い る ジオ ラマ とは、全 く異 な った
もの に附 け られ た 名称 で あ った。D i o r a m a と云 う語 はギ リシャ語 のd i a ( 透 か し) h e r a O ( 見 る)
か ら来 て い る、 この 透 か し見 る と云 う意 味 のD l o r a m a なる語 を、最初 に使 用 したの は ^ 八三 二
年 パ リで、 ダゲ ー ル透 し檜 ( D a g u e r r a t y p e ) の発 明者 ル イ ・ダゲ ー ル ( L o u ヽD a g u e r r e ) と 、
が、 彼 等 が発 明 した透 明 の 布 地 に
チ ャー ル ス ・マ リー ・ボ ー トン ( C h a n e s M a r i e B o u t o n ) と
描 い た新種 類 の油給 に、 命名使 用 したのが そ もそ もの始 ま りであ る。 そ れが給 ばか りで な くそ
れを納めた小舎 を意味するようになつ た。 … 中略 … ゆえにダゲ ー ル ・ボー トンのこの透明書 の
一 連か ら成 るジオラマ は、今 日の主 として 曲がつ た背景豊 と立体前景 とを、人為で透視的に融
合 させて出来て い るところの小型 グルー プとは、根本的に異つ た ものである。随て このグルー
プにジオラマ なる語 を使用することは全 く正 しくないので ある。 しか しなが らこれ まで の往 き
がか り上、 これが′
慣行 を強 い られるのは己むを得 ないの である。J
とい うように我 々が今 日使 ってい る 「ジオラマJ と は通称であるとす る疑間を投 げかけなが らも、
その問題解決を中座 して しまってい るのである。当論文ではダゲー ルの発明 したジオラマ と博物館
における 「ジオラマ」 とを区別 し、後者 をジオラマ展示 と呼称す ることにす る. そ して、 ジオラマ、
ジオラマ展示 の研究 史を論 じてい く中で、 ジオラマ展示が現在 の多用 な形態 をとる こととなった原
‑71‑
ジオ ラマ展 示 考
因 を究 明 し、 改 め て ジオ ラマ 展示 の 定義 を企 て る もの で あ る。
写真 1 藤 枝 市郷 土博 物館
写真 2 高 知 市 立 自由民権 記念館
写真 3 国 立歴 史民俗 博 物館
写真 4 神 奈川 県立博 物館
1.見 世物 と しての ジ オ ラ マ
●元祖 ジオ ラマ
一
ジオ ラマ 展 示 につ い て は、金 山喜 昭 に よる 「
博 物 館展 示 法 の 考 察J、青 木 豊 に よる 『
博 物 館展
示 の研 究』 に詳 しい が、 ジオ ラマ とい う用 語 の起 源 につ いて書 か れ た もの は少 な い。 こ こで は、 そ
の ジオ ラマ の誕生 か らみ て い きた い。
ジオ ラマ の発案 者 はル イ ・ジ ャ ック ・マ ンデ ・ダゲ ー ル (1787‑1851)と 従 来言 われ て い るが、
その発想 の基 礎 となったの はス イス人 フラ ンツ ・ニ クラウス ・ケ ー ニ ッヒ (1765‑1832)の 発 明 で
あ る。 ケ ー ニ ッヒのそ の発 明 は1811年の こ とであ り、 そ の後 、 光学 的 な ジオ ラマ の原理 を理論 的 に
解 明 し、大規模 な見 世物 に して大 衆 に提 供 したのが興行 師 ダゲ ー ルで あ った。
ケ ー ニ ッヒは風 景画家 で 舞 台装 置 も手掛 けてお り、 1815年に はベ ル リ ンで興行 した際 に、 当時 の
人 々 に愛 好 され て い た景色 を八 景、最 大85×118cmの大 きさの 紙 の 画面 に水 彩 絵 具 で 描 き、暗室 で
見せ たの これ らは この 当時 に描 か れ て い たパ ノ ラマ 画 とは異 な り、前面 か らの照 明 に よる反 射光 と、
背 面か らの照 明 に よる透 過光 の 2種 類 の 光線 で見せ て、昼 の風 景 を夜 の風 景 に変換 させ た りして変
化 を付 けた もの だ った。透 過 光 を見せ る には、 この 部分 の紙 を透 明 に しなけれ ば な らな く、 そ の た
―‑72‑―
ジオ ラマ 展 示 考
め に油 を塗 り、紙 の 裏似1を削 って 薄 くして 光が通 りやす くす
る工 夫 を施 したc透 明化 した キ ャ ンバ ス に背 面 か ら光 を透過
させ るの で、 ケ ー ニ ッヒは 自分 の 発 明 を、 ギ リ シ ヤ語 のdia
(二通す)と horama(=景
Diaphanorama」
色)を 合成 して 「
(ディア フ ァノラマ )と 呼 んだ。
一 方 、 ダゲ ー ル は]804年か ら 3年 ほ ど 「オペ ラ座Jの 主任
舞 台画 家 で あ った デ ゴ ッテ イの徒 弟 とな り、彼 の もとで 修行
を行 った。 そ の 後、 パ ノ ラマ 画家 で あ った ピエ ー ル (1764‑
図 1
ジオラマの二重効果
―昼のイメージー
1821)の 助 手 と して 9年 間 ほ ど働 い た。 そ の 間 に同 じ く助 手
として働 いてい た、後 に 「ジオ ラマ館 」 を共 同経営 して い く
こ と とな るチ ャー ル ス ・マ リー ・ボ ー トン (1781‑1853)と
出会 った。 ダゲ ー ルは そ の後 、独 り立 ち し、 パ リのTempk街
にあ った 「ア ンビグー コ ミック」劇場 (ア ンビグ座 )に 舞 台
装 置家 と して招 か れ て 6年 間 で13の舞 台装 置 を手掛 けた。 そ
Senartの森J
れ らの 中 で特 筆 す べ きは1818年10月]4同初演 「
で あ り、 この 舞 台 で は本物 の草 や木 を舞 台 に植 え、小 川 の 水
邪 道J
を走 らせ た 舞 台装 置 であ った。 これ は当時、 舞 台 で 「
図 2 ジ オラマの二重効果
―夜のイメージー
とされていた本物 を用 いた彼 の巧みな 「だまし絵」技術 が如何 な く発揮 された もので あ った。1 8 1 9
年 には とう とう 「オペ ラ座J か ら主任舞台装置家 としてお呼びがかか り舞台装 置家 として師であっ
たデ ゴ ッテ ィと肩 を並 べ るよ うになる。
この頃、 ダゲール は ケー ニ ッヒの発明 した 「デ イアフアノラマJ と 「1 分の得意 とす る舞台装置
である大画面のパ ノラマ とを組み合わせれば 「だまし絵」の極致 ともい える見世物が出来 ると考 え
d i o r a m a J ( デイオラマ) と 命名す ること
てい た。 これがダゲー ル独 自の発想であ り、 これを後 に 「
となったc こ の発想 を具現化 したのが、1 8 2 2 年7 月 1 1 日にボー トンを誘って建設されたジオラマ館
である。 もちろんこの よ うな事業 が 「1 人だ けで出来るわけもな く、株主 を募 って 「ジオラマ株式会
社」 ( s o c i e t e d u d i o r a m a組織
) を した。「ダゲ レオ タイプ教本J に よればその当時の ジオラマ 製作
法は以下 の通 りであるc
キャ ンバスにはキヤラ コ綿布 を使 い、 この両 面に 2 回 膠 を塗って乾かす。反射光 で見せ る前面に
は透明な水彩絵具 をテ レビン油 を溶 いた物 で風 景な どを描 くc 透 過光で見せ る仕掛 けは裏側 にある。
まず この全面 に透明な白絵具を塗 るc そ して透過 して見せた くない部分は、 この 自絵具に煤 を混ぜ
た物で塗 りつぶす。光 を透過 させて、夜 の灯光 の感 じを出そ う とす る部分 は塗 らないでお く。 もち
ろん全体の画面は正確 な遠近法 に従 って忠 実に自然 の ままに描 く ( 図1 ・ 2 ) .
―‑73‑―
ジオ ラマ展 示 考
左 記 の 製作 法 に よ り、 パ リの ジオ ラマ館 ( 図 3 ) は 焼 失 す る1 8 3 9 年まで に3 0 景の ジオ ラマ が製 作 、
公演 され た。 その後 、 ジオ ラマ は ドーバ ー海 峡 を渡 り、 ロ ン ドンで もダゲ ー ルの義理 の 弟 に よ リジ
オ ラマ館 が建 設 され、 ジオ ラマ はパ リだ けで な く、 ロ ン ドンにお い て も人気 を博 した ( 図 4 ) 。 ダ
ゲー ルのジオラマが全て 同 じよ うに賞賛 されたわ けではない ようで あるが、1 8 3 1 年
1 1 月1 9 日初演の
ー
ニ
ス イ ス の 風 景 「シ ャ モ
渓 谷 か ら眺 め た モ ン ブ ラ ン風 景J ( V u e d e M O n t B l a n c , p n s e d e l a
V a l l e e C h a m o u n y )特別評判が
│ま
よ く2 年 間 も続演 されたよ うである。 これを見たイギ リス婦人の
言葉が印象的であるので紹介 してお く:
「これは絵 じゃない わ。魔 法だって、 こ うは出来ない
わ。芸術 と自然が驚 くほど混 じ り合 って効果 を発揮す
るものだか ら、 どこで 自然がl L んで、 どこか ら芸術が
始 まるのか区別が出来 ませ ん。 あの家 は建 ってい ます
し、あの本は自然だ し。そ うあれ も、 これ も」
これに対 してダゲ ールはこ う言 った よ うである。
批評家たちの気 に入 らないの は、 まさに この 自然 と
「
芸術 の混合 なのです。彼 らの言 う ところによると、あ
図 3 パ リ ジ オラマの内部
の生 きた山羊、小屋、本当の樅 の本などは画家が使 っ
て は い け な い補助物 なのです。私 は 自然 を盗 み た い。 だか ら盗 人 にな らね ば な りませ ん。 あ な
た 方 が シ ャー モ ニ ー 渓谷 に行 かれ た ら、 ここ と全 く同 じ物 を見 る こ とで し ょ う。軒 の 出て い る
小屋 、 あそ この農 具、 あ の 山羊 さえ もシ ャモ ニ ー か らの 輸入 した物 で す。J
この 会話 か ら分 か る よ うに 「モ ンブ ラ ン風 景J で は本物 の 本 こ り小 屋 、斧 、 薪 な どを配 置 し、生
きた 山羊 まで登場 させ 、 しか も光 学 的 な効 果 に よ り前 景 とな る実物 と光 景 の背 景 画 との繋 ぎ目を無
くし、芸術 的 に現 地 の環境 を再現 した もので あ った 。
静 q馬鑢趣膨 饒
図 4 1824年
イギ リス ジ オ ラ マ の 構造
―‑74‑
ジオラマ展示考
0日 本 へ の舶載
ケー ニ ッヒが 「デ イアファノラマJを 発明 した後、 ダゲー ルによ リジオラマ としてさらなる改良
を遂げた装置は名称 自体 も照明による反射光 と、背 面か らの11明に よる透過光の 2種 類 でみせ る絵
か らなる一連 の名称か ら棚橋が指摘す るよ うに絵 ばか りでな くそれを納 めた小合を意味するように
なった (図 4)。
しか し、発明 ・改良され た後、各国の興行師達 によってパ ノラマ 同様 に様 々 な興行 の場面 に用 い
られるようにな り、興行師が企て意図す る名称 が 自由 自在 に使 われるようになった。それで も初め
パ ノラマJ、光学的な、あ るいは動態要素
の うち は、スケー ルの大 きな ものや連続的なものには 「
か らくりであって も)「 ジオラマ」 の名称が つ け られて いたが次
を持 つ もの (たとえば小 さなpllき
第 にジオラマ とパ ノラマ 自体 の EX別も曖味 になっていったcそ の よ うな状況下 の 中で我が国にパ ノ
ラマ に続 き、 ジオ ラマ が舶載 され た。
我 が 国 にはケ ー ニ ッ ヒが発 明 した 「デ イア フ ァノ ラマ 」 の よ うに透
過光 を視 覚 上極 め て 効 果 的 に用 い て、 動 態 要 素 を加 え た見 世 物 が な
か った わけで は な い。 そ の歴 史 はケ ー ニ ッヒが発 明 した ジオ ラマ よ り
古 く、 円 山応挙 の 眼鏡絵 な どに、 紙 を切 り抜 い て色 をつ け た 裏紙 を当
て、裏 か ら光 を透 かす技 法 が試 み られ て い るので あ る。 元 来、和 紙 は
西洋 の キ ャ ンバ スや羊皮 紙 な どと違 い 、透過性 に富 む特性 を有 して い
る ところか ら、 日本 人 は灯 籠 や提 灯 な どを通 じて和 紙 を光 に透 かす こ
とに親 しんで きたc京 伝 の 「
御存 商売物 Jに 収 め られ た 「お らんだ大
か ら く り (のぞ きか ら く り)」 (図 5)に す で に透 か し絵技 法 が読 み と
図 5 お らんだ大からくり
れ るので あ る。
京 四条川原の夕涼み のてひ、 これ も夜分 の けひへ とかは り、つ らりつ とひが とぼ ります
しゆびや うお わ りますれば、おな ご りお しや うはござい ます るがそ うよ うさまへ のおい とまご
ひ、なん とよい さい くでござ りましよ う
上の文か らも解 るようにのぞ きか らくりの場 面の最後 は、四条河原の光景 を夕方か ら夜 へ と変化
させた ようで、描かれた装置 を見る限 り、特別に照明 を調節す るための工 夫 は見あた らないが、岡
泰正 によればのぞ きか らくりでは絵 の裏側 には裏板が仕込 まれてお り、 これを引 き抜 けば裏側か ら
か らくりは視点 を固定 させ ることにより
光が入る仕組 みになってい たよ うで ある。そ もそ も、p l l き
臨場感 を高める効果 を狙 った もので ある。
明治時代 になると、周知 の通 り西洋文化が大 い に流行 し、 ジオラマ、パ ノラマ といった西洋の見
か らくりや立版古 と
世物、 またその技術 も怒涛 のごと く流入 した。 さらに、 日本 に従来あ ったp l l き
い った見世物 とジオラマ やパ ノラマが融合 した更なる新たな種 々の見世物 も登場 したのが 当該期 の
‑75‑
ジオ ラマ展示 考
特 質 で あ る。
そ の 一 つ が、 当時横 浜 で絹 地 に 肖像 画 を描 く技 法 を完成 して い た五 姓 田方柳 と、 油絵 興 行 を実施
して い た五 姓 田義松 ( 二世芳柳 ) が 著 した 「
初代 五 姓 田芳柳 伝 」の 中 にみ る こ とが 出来 る。
明治六年、 東京 に還 り、浅草 に住 し、 新 門辰 五 郎 と計 り、金龍 山内 に今 謂 う ジオ ラマ が如 き
もの を創 む。 前面 に人 物 画 を等 身大 に切 抜 きて配置 し、背 景 には家屋 橋 梁等 木材 を以 つ て構 ふ
るあ り、画 に因て成 るあ り、其 間樹 木 を植 へ 、宛 然活 景 を見 るが如 く、称 して活 画 と云 ふ 。
上記 の文か ら察す るに元 来、 日本にあった立版古技術 を用 いて、模型や マ ネキ ンの代わ りに人物
の描かれた画 を切 り抜 き、それを実物共 々透視的に配置 した見世物 で あ ったろ う。決 して、 ジオラ
マ とはいえない見世物であったろ うが、立体物 と背景画 を有機的に繋 ぎ合 わせ るとい ったジォラマ
の一要素 を含 んだ もので あったろう。
また、淡島寒月が考 した 『
梵雲庵雑話J いの 中にもジオラマの要素 を含んだ見世物がみて とれる。
明治七八年の頃だった と思 ひますが、尾張町の東側 に伊太利風景 の見世物があ りました。 こ
れは伊太利人が持 って来 た もので、長 いカンバスヘパ ノラマ風 に伊太利 のベニ ス風景だ とか、
ナポ リ風 景 だ とか或 ひはヴエ スビアス火 山だ とかいった ものが描 い てあって、それを機械 で一
方か ら一 方へ 巻 いて行 くに連れて夫等の景色が順次正 面へ現れて来 ます。 さうするとその前 の
方へ 少 し離れた所 に灯火の仕掛があって是れが其の絵 に従 って種 々 な色の光 を投 げかけるや う
になって居 ます。例へ ばベニスの景 の時には月夜 の有様 を見せて青 い光 を浴せ、ヴエ ス ビアス
火山噴火の絵 には赤 い光線 に変 るといった具合 です。
淡島は この 見世物が何 か明 らかに して い な く、 この見世物 には前景に実物 こそ配 して い ないが、
ジオラマの光学的な要素 をもつ 見世物であったろ う。 さらに内田魯庵の 『
思 い 出す人 々 』では
其頃 どこかの気紛れの外 国人がデオラマの古物 を横浜 に持 つ て来 たのを椿岳 は早速買 い込ん
で、西洋型 の船 に擬 へ た大 きな小屋 を建て、舷側 の明 り窓か ら西洋 の景色や戦争 の油絵 を覗か
せ るといふ趣向の見世物 を持へ 、那破烈翁や羅馬法上 の油画 肖像 を看板 として西 洋 の覗眼鏡 と
云ふ名で人気 を煽 つ た。
とい うよ うに覗 きか らく りとジオラマ とが融合 した 「
西洋眼鏡」 なる見世物が存在 して いたよ う
である。上記 のごと く、明治初年頃か らジオラマの要素 を含 んだ見世物が登場 していた ものの所変
われば品変わるように我が国にお いては、す ん な りとダゲー ルの考案 したジオラマ は定着 しなかっ
たが 明治中頃にようや く日本版 ジオラマが正 式に誕生する こととなった。
それは1 8 9 9 ( 明 治2 2 ) 年 、浅草のジオラマ館 のオー プンで ある。石井研堂はその展示特徴 と技法
について 『
明治事物起源 』で次 の如 く記 してい る。
明治二 十二年中浅草公園花屋敷隣に、デオラマ館 を開設 して縦覧せ しむ。 これをデオラマの
哨矢 とす。憲法発布式 の図、桜田門外要撃の図、愛宕 山上浪士結束の図三要の油絵、各方七尺
―‑76‑―
ジオ ラマ 展示 考
ほ どの もの にて、綿 架 を散 ら しお きて、雪 と見せ るな ど、
実物 と画 とを接 着 せ しめて見す る こ と、 パ ノラマ に似 た
りき。規模 はす こぶ る小 に して、従 来 の覗 きか ら く りの 、
やや大 な る もの といふべ し。
背景 は洋画家の山本芳翠が描 いた ようで、題羽 も日本人が
好む歴 史的名場面 4 コ マ を主題 としたジオラマ であった ( 写
真 5 ) 。 この浅草 ジオラマ館 の登場 によ り多 くの 日本人が ジ
写真 5 愛 宕山上浪士結束の場面
を示 したジオラマ
ー
オ ラマ とい う展 示物 を知 る ところ となったで あ ろ う. 続 い て1 9 0 1 ( 明治2 4 ) 年 には、神 田錦 町 に オ
プ ン した パ ノラマ館 に、 パ ノラマ とは別 に忠 H i 蔵名場 面 4 コ マ の ジオ ラマ が併 設 された。 そ の展 示
博 物館 展示 の研 究 』で次 の如 く述 べ てい る.
特徴 と技 法 につ い て青木 豊 は 『
本例 の 如 く、 ジオ ラマ とパ ノ ラマ の組 み合 わせ に よる見流 し展 示 は、 この 後 主流 とな リジオ
ラマ で物 語 を継 続 させ て、 呼 び込み 場 面 をパ ノ ラマ とす るのが常 套 手段 とな って い った。 当該
期 の 初期 の ジオ ラマ の なか には幅1 2 m に も及 ぶ 大掛 か りな仕掛 け の もの も実 在 した よ うで あ る
一
が 、総 じて幅 1 〜 2 m 、 高 さ5 0 〜9 0 c m と小型 の もので、 連 の場 面 を再現 した ジオ ラマ を複 数
態 的 には箱 で あ り、傾斜
連続 させ る こ とに よ リス トー リー を持 たせ た もので あ ったc ま た、7 形
を持 たせ た床 に 切 り出 しや模 型 で近 景 をつ くる な ど、遠 近感 の創 出が な され た もので あ った よ
うで あ る。
この よ うな特徴 に加 え、 ジオ ラマ と呼 ばれ る所 以 で あ る光学 的効果 、 当見 世物 で は側 方 向か らの
1 1 明効 果 に よ り実物 と画 の繋 ぎ日を無 くしてい た こ と も見逃せ な い 。 しか し、 見 陛物 と しての ジオ
ラマ は、 この 後 、 パ ノラマ と同様 に明治 時代 中期 に隆盛 を迎 え るが 、や は リパ ノ ラマ 同様 、明治末
年 には衰退 して い った展 示物 で あ った。
2 . 生 態展示 とジオ ラ マ 展示
0 欧 米 の生態 展 示
状況 を
博 物館 にお け る ジオ ラマ展 示 は、 導入初 期 には主 に動物 の 剥 製 を用 い て、 そ の動物 の棲 患、
指 し示す 生態展 示 か ら成 って いた もの で、現 在 で もジオ ラマ 展示 の邦 訳 と して生態展示 が 当 て られ
るな ど生 態展示 とジオ ラマ 展 示 とは非常 に関係深 い もの であ る。
本項 で は、我 が 国 に伝播 す る以前 の 国外 の生 態展 示 の歴 史 を振 り返 り、生態展 示 とジオ ラマ 展示
の 関係 を論 ず る もの であ る。
そ もそ も、博 物館 にお け る生態 展 示 とは、 動物 の最1 製
^ 体をただ ケ ー ス に入 れ並 べ た よ うな剥 製
して い た状 況 を復 元
標 本展 示 とは異 な り、教 育 的効 果 を高 め るため にその動物 の生 虐、
造 的 に種 々組 み合 わせ た展 示 で あ る。
―‑77‑―
・再 元 して構
ジオラマ展示考
博物館 にお いて生態展示 の先駆 け とされるのは、1 7 8 6 年にアメリカでチ ャー ルズ ・ウィルソン ・
ピー ルが建 てたフィラデルフ ィア博物館 の生態展示である。 ピー ルは 自然史学 ( 博物学) の 通俗教
育 のため に自分の収 集品で あった剥製標本の背面に景観 を描 き添 える ことによ り、正確 にその生物
が生 きて いた, 大
況 を示そ うとした ものであった:
次 にウィリアム ・ブ ロ ックが1 8 1 2 年に ロン ドンの ピカデ リー通 りに 「リヴァプール博物館」 の新
エ ジプシャン・
館 として建設 した 「
ホー ル」 ( 正式名称 ロ ン ドン博物館) の 展示物 にみることが出
パ ンサ リオ ン」 と名付 け られ、展示 す る剥製 のポー ズやその物理的環境 にま
来る。 この展示物 は 「
で 卜分に配慮 された生態展示であった よ うである。 R ・ D 。 オー ルテ ィックの著 した 『ロン ドンの
見世物 』よれば、以下のよ うな展示物であった。
世 に知 られた四足 獣 の全体像 を、その棲息地や暮 らしぶ りに至 るまで、 よ り完璧 な形で展
「
示す るよ うにJ 配 慮 されて いた。スタッファ島のフインガルの洞窟に ヒン トを得 た玄武岩 の洞
窟 の原寸大模型 を通 り抜 けると、熱帯雨林 に擬せ られた一室に出る。前景には目立つ イ ン ド風
の小屋があ り、後景には彩 りも叢かなパ ノラマの光景が広がっていて、遠 く離れた効果 を与え
て い る。「
あ らゆる風土か ら選び抜 かれた一番珍 しい、最 も繁茂す る植物 に形状、色 彩 の両面
でそっ くりの模型」が置かれ、 ここは ・
体何処 なのか、そんな疑 問を抱かせ るものの、場 の幻
影 を完璧 なものに してい る。キ リ ン、サ イ、象 に威圧 された小動物の標本 は怯 えるさまが よ く
分かるように配置 されてい る。 ライオ ン、 ヒョウ、ジャガー は巣 の 中か、月ヽ
道具の岩の̲ 1 1 に
寝
そべ り、 アザ ラシの群れは岩の上 に並んで 「
海 の眺望」 パ ノ ラマ を見下ろ してい る。 ア リクイ
ー
は 「タ マ イ ト、つ ま り、 アフリカのシロア リの巣であるこん もりと盛 り上がった塔 の一 つJ
の模型 の近 くをうろついているよ うに見え、キツネザルが本 の枝 に うず くまってい るか と思 う
と、ナマ ケモノが三匹、サ イの群れの先頭近 くにあるアメリカア ロエの幹 にぶ ら下がって い る
とい った具合である。
上 記 の文か ら明白であるように、 これ らの展示物 はジオラマが発明される以前か ら透視 的な手法
を用 いて まるでその場 に居合 わせたかのよ うな状況 を作 り出す展示 として実在 し、現在、我 々が生
態展示 と呼 んでいる もの と大差 ない もの と推定 される。 しか し、 この よ うな進歩的な展示方式 はイ
ギ リスのごとき伝統 を重ん じるお国柄 にお いては未だ単品陳列法 を温存 す る保守派が強 く、本格的
採用 には時間を要 した。
その後、1 8 8 0 年、 イギ リス、サ ウスケ ンジ ン トンに所在す る大英博物館 の分館 ( 現在 のN a t u r a
H i s t o r y M u s e u m ) は、 ウィリアム ・ブ ロ ックの考案、施行 した展示 方式 を引 き継 ぎ、本格的な生
態展示 を展示 す ることとなった。 この方式 は 市民や博物館界 に も大 きな反響 を巻 き起 こ し、 ヨー
ロ ッパ 各地やアメリカまで もが、 この展示手法 を採用するよ うになっていったのである。
では、 この普及 していった生態展示が如何 に してジオラマ展示 と呼 ばれるよ うになったのかにつ
―‑78‑―
ジオラマ展示考
いて 「
生態 ジオラマ」 の メッカとされるア メリカ 自然史
博物館 を例 に取 りみ てい くことにす るc
1 8 6 9 年に建設 されたア メリカ 自然史博物館 は現在、大
小問 わず哺乳類 か ら、鳥類、魚類 まで様 々な生態 ジオラ
マが展示 されて い るが、創成期にお いて実はそ うではな
かった。当初 の展示物 はガラスケー スに入った景1 製標本
の 単体展示 がほとん どであ り、そ の展示 に進展がみ られ
たのは1 8 8 5 年のことである。 当時、ア メリカ 自然史博物
esupが ロ ン ドンを訪 問 し、
館 の 会長 で あ ったM()rris K,」
二 費 ̀ 1887年
生態展 示 group"方 式
e boughs」
サウスケ ンジン トンに所在す る人英博物館の分館に展示 「A m e c a n r o b i n s o n atprpeЮ
されていた当該地域 の鳥類 の剥製 と、植物模型 とを組み合わせた生態展示の見事さに感銘を受け、
Amencan
そ の技師達 を自身 の博物館 に招 いた。そ の技師達 の助力によって1 8 8 7 年に作 られた 「
r o b i n s o n a p p l e t r e e bとo称す
u g hる
s」
構造展示 はその臨場感故 に人気を博したのであったc ( 写 真
6)。
このよ うな ガラスケー ス内に背景画 を添 えずに配置 した鳥の剥製 と、植物模型 とを組み合わせた
一
展示物 は当時、 g r O u p " と呼 ばれてい た。 この展示方法 を 新 したのはア メリカ自然史博物館で最
初 の鳥類学キ ュレー ター となったF r a n k M , C h a p m a n であ った とされる。 まず、彼 はこの g r o u p "
の背後 にそ の 鳥 の棲 息地 を平 面 な背 景
画 で 描 き添 え る生態展 示 を製作 した。
( 写真 7 ・8 ) こ れが 、 H a b i t a t g r o u p "
と呼 ばれ る展 示物 の 誕 生 で あ る。
そ して、 そ の 後 さ らに立体 感 を創 出
the bird rOck group」
写真 7 1 8 9 8 年 「
生態展示 g r O u p " 方式 ( 背景画 無 )
す るため に、 そ の背 景 を山面 背 景 にす
る工 夫 を加 えたc 1 9 0 2 年 には 山面背 景
を伴 っ た
H a b ■a t g r o u p " ( 写真 9 )
を展 示 室 の 壁 面 全 体 に 配 置 した
ープ ン
N o r t h A m c r i c a l l B i r d sオ
Jを
「
す る。 これが 今 日、我 々が H a b i t a t
d i o r a m a " ( ハ ビタ ッ ト ・ジオ ラマ ) と
呼 ぶ展 示 物 とな った。 ア メ リカ 自然 史
写真 8
生態展 示
1 9 0 3 年「
Cobbis!sland」
g r o u p " 方式 ( 背景画 有 )
―‑79‑―
博 物館 の ア フ リカの 哺乳類 室 にエ ー ク
レ イ ホ ー ル と名 を残 す こ と と な る、
ジオラマ展示考
カー ル ・エ ー ク レイが 1 8 8 9 年に ミル ウ ォー キ ー 公
立 博 物館 で最初 に製作 した
H a b ■a t d i O r a m a "
( 写真 1 0 ) も また 曲面背 景 を伴 った展示 物 で あ っ
た。
要 す る に、セ r o u p " か ら H a b i t a t g r o u p "さ
、
らに は
Habitat diorama"へと展 示 物 の 名 称 が
変化 した最 もた る理 由 は、立 体 感 の創 出 を促 す 曲
面背 景 画が加 わ った こ とで あ ろ う と看取 され る。
さ らには、 四 面 ガ ラスの ケ ー スか ら視 点 を 一点 に
写真 9 1 9 0 3 年 「T h e P d t a n l d a n d d i o r a m a 」
at diorama"方
生態展示 h a b ■
式
限定せ しめ る前 面 だ け ガ ラス張 の壁 面 ケ ー スヘ 改
良 した こ と もそ の理 由 の 一 つ と指摘 で きる (写真
11・12)。
ダゲ ー ルの 考案 した ジオ ラマ もまた光学 的効 果
に よ り前 景 となる 自然物 と人工 物 、後景 となる背
景画 とが ´
体 となる こ とに よ り、 まるでその場 に
居合 わせ て い るか の よ うな錯 覚 に陥 らせ る展 示物
である ことか ら、 このよ うな生態展示 もまたその
写 真 1 0 1 8 8 9 年 エ ー ク レイ製作
方
"と
視覚効果 によ り H a b i t a t d i o r a m a呼ばれるに
「 爵香ネズ ミ」 h a b n a t d i O r a m a " 式
至 ったことは納得が い く。無論、 H a b i t a t d i o r a m a "お0い
こて も光学的な理 を用 いて、前景 となる
剥製 の影が背景画に不 自然 に掛か らない よう光源 の位置、量が計算 された光学的効果 を当時最大限
に利用 した展示物であった。
at group"
写真 1 1 1 9 0 0 年 初 期 の h a b ■
四 方 ガ ラスケ ー ス
―‑80‑―
写真1 2 1 9 3 1 年
ジオラマ展示のケースデザイン
ジオ ラマ 展 示 考
の を採 り入れ た e c o s y s t e m e x h i b i t "
その後 、ア メ リカ 自然 史博 物館 で は H a b i t a t d i o r a m a "手法
( 生態系展 示 ) や
H a b i t a t d i o r a m a "有
特で あ った 視点 を限定 させ る方式 か ら、視 点 を限定 させ ず
に前 面 を ガ ラスで仕切 らず 開 口 を広 く とる方式 、 「オ ー プ ン ・ジオ ラマ J も 考案 され て い る. こ の
よ うにアメリカ 自然 史博物館 の生 態展示 だけを取 り L げ てみて も、 g r O u p " →H a b i t a t g r o u p " →
たは我が国で 「オー プ ン ・ジオラマ」 と呼称 して い
t"、
H a b ■a t d i o r a m a " e→c o s y s t e m e x h i b iま
る展示 もこの展示手法 の流れに含 まれる。
では、 このよ うな流 れをもつ生態展示 を日本では どのよ うに受容 してい ったのかについてみてい
くこととす る。
●日本 の生態展示
我が国 に見 L I 物としてのジオ ラマやパ ノラマが 明治初期か ら中期 にかけて既 に流人 して いたこと
は先 に述 べ たが、ほぼ時 を同 じくして博物館 の展示 にお いて も生態展示 の手法が受け人 れ られる契
機があ った。それは文明開化 の煽 りもあ って欧米 の 博物館 を訪れた先達者 の報告 によるものである.
生態展示 の教育的、啓蒙効果 に魅せ られ、その報告 の濫腸 となったのは1 8 9 9 ( 明治3 2 ) 年 の箕作佳
吉の 「
博物館 二就キ テ」 と題 す る論文 で次の如 く記 してい る.
第ニ ノ 日的川j チ普通教育上参考 トナ ルベ キ陳列品 ヲ備 へJ . ツー般公衆 ノ為 メニ賞物 二依 リテ
ー
有益 ナ ル知識 ヲ得、兼 テ高 尚ナル快楽 ヲ感 ズルノ途 ヲ設 ルハ賓 二博物館設立 ノ 大 ヒ限 ニ シテ
一
世人 ノ脳 中二映 ズル博物館 トハ 主 トシテ此部分 ノミヲ云 フナ リ而 シテ近年博物館陳列 ノ方法
新 シタルモ亦 夕此 ノ部分 ニ アルナ リ従来ハ博物館 二至 リテ之 ヲ参観 ス レバ例 ヘバ動物 ノ如キ棚
上 二数多 ノ鳥 ノ剥製標品 ガ日自 ノ推 シ合 ノ如 ク或ハ雛棚 ノ如 クニ陳列 シア リ或 イハ糧又堤 卜重
ナ リ重ナ リ能 ク其 ノ中二在 ルモ ノヲ見 ル能 ハザ ル様ナ リシガ此 レノ如 クニ シテハ 普通 ノ参観人
ニハ徒 二倦厭 ヲ招 ク而已 ニ シテ到底智識普及 ノ ロ的ヲ達 スル能ハ ズ亦快楽 ノ如キハ 更 ニナキナ
リ今 日ニ テハ博物館管理者 ノ興論ハ 全 ク ^ 変シ第一 二専 門家 卜公衆 卜観 ル可キ物品 ヲ同一 ニ ス
ルハ 有害無益ナ リ博物館 中公衆 ノ入場 ヲ許ス部分ハ 単二公衆娯楽 二共 スベ シ陳列品 ノ如キハ 強
チ多キヲ要 セザ レルモー 品毎 二精選 シテ其陳夕1 方法 二意匠 ヲ希 シ公衆 ノ注意 ヲ惹 ク ト同時 二其
教 ユル所 ヲシテ瞭然 タラシメザル可 ラズ
例 ヘバ鳥 ノ如キ求1 製ノモノヲ棚上 二 置ク ラ以 ツテ足 レリ トセズ其 自然 二生活 スルノ状態 ヲ示
シ海外 二住 ム者ハ 海岸 ノ景色 ヲ造 り出シテ ( シカモ美術的 二) 鳥 ノ標品 ヲ或 ハ岩上 二 1 1 マラシ
メ或 ハ巣 ヲ営 ム ノ模様 ヲ示 シ而 ノ雛′
鳥ノ標品 ヲ活キ タル如 クニ造 リテ其内二納 メ又鴨 ノ如キモ
ノナ レバ水邊 ノ景色 ヲ造 リテ遊泳 ノ状 ヲ示 シきつ ゝきノ如キモ ノナ レバ樹木 ノ幹共 二之 ヲ陳列
シテ其樹皮 ノ ドニ虫 ヲ求 ムル ノ様 ヲ現 ハ シ燕 ノ煙突中二巣 ヲ営 ム如キ屋根及煙突 ノー 部分 ヲモ
J^
出シテ人 ノ注意 ヲ惹 ク様 ニセザ ル可 ラ ズ此等 ノ如キハ 唯僅 々二三例 ニ シテ学科 ノ標品 ノ教ユ ロ
‑81‑
ジオ ラマ展 示 考
キ普通 ノ 人 ノ見 テ以 ッテ快 楽 ヲ感 ジ知 ラズ識 ラズ ノ 間 二其標 品 ノ教 ユ 可 キ知識 ヲ吸 収 スル様 ニ
意 匠 ヲ凝 シテ 造 り出サ ヾル 可 ラ ズ 英 国博 物 館 ノ 中央 堂 二 備 ヘ タル標 品 ( 進化 論 ヲ説 明 スルモ
ノ) 及 鳥類 ノ美術 的標 品 ノ如 キ或 ハ ニ ュ ー ヨル ク博 物館 ノバ イソ ン牛 ノー 家族 力平 原 二遊 ブ ノ
状 ヲ造 り出 シ タル標 品 ノ如 キ如何 二 冷淡 ナ ル 人 モ 愉快 ヲ感 ズル ナ ラ ン之 ヲ旧式 ノ博 物 館 ノ陳列
品 二比 ス レバ 活 キ タル ト死 シタル トノ差 ア リ ト言 ハ ザ ル可 ラ ズ友人岸 上 鎌 吉君 ガ瑞 典 ニ テ見 タ
ル庭 ナ リ トテ語 ラル、 ヲ聞 クニ 同国 ノ ニ市ニ テハ ー ノパ ノ レマ ヲ作 り其 内 二 山、 川、平 原 、海
等 ヲ造 り出 シ其場 庭 々 々應 ジテ之 二住 ス ル 自國産 ノ′
鳥獣 ヲ拾 モ 活 キ タル状 態 二作 り付 ケ ー 見 自
国 ノ産物 ヲ知 ラ シム ル ノ方法 ヲ取 リタ リ ト云 フ賓 二面 白キ意 匠 卜云 フベ シ ( …… は筆 者)
箕作 の この卓 見 と言 うべ き論 はア メ リカの エ ー ル大 学 で 動物 学 を専攻 し、 1 8 9 7 年 ( 明治 3 0 年) に
ワシ ン トンで 開催 され た 「
北太 平洋 及 び ベ ー リ ング海 の オ ッ トセ イ保 護 問題 評議 会」 を始 め と し、
ケ ンブ リ ッジでの 「
万 国動物 学 会」、 ロ ン ドンでの 「出版 目録 編纂 に関す る万 国会議J 、 セ ン トル イ
スでの 「
万 国学術 会議 」 な どに我 が 国 の代 表 と して派遣 された際 に、大 学付 属博 物館 や 各地 の 博物
館 を見学 した こ とに よる もの で あ ろ う。点線 部分 を意 図す る展 示 はお そ ら くア メ リカ 自然 史博 物館
の ( 写真 1 2 ) で あ ろ う。先 学 の研 究 で は これ が 「ジオ ラマ 展 示」 を論 じた初見 の 文献 とす る見 方が
ハ ビタ ッ ト ・ジオ ラマ 」 と呼 ばれ る以前 の
あ るが、 箕作 が 当時 見 た展 示物 は 「
g r o u p " 、も し くは
g r o u p " と 呼 ばれ る展 示物 の背 後 にそ の 鳥 の棲 息地 を平 面 な背 景 画 で描 き添 えた H a b i t a t g r o u p "
で あ った と考 え られ る。
次 に1 9 0 8 ( 明 治4 1 ) 年 か ら 2 年 間 にわた り欧米 を遊歴 した歴 史学 者、黒板 勝 美 の報告 が挙 げ られ
る。 1 9 1 1 年の 『
西 遊 二 年 欧 米 文 明記 』 に よれ ば ア メ リカ 自然 史博 物 館 を訪 れ た 印象 を次 の 如 く
語 ってい る。
そ の他 人類學 や 人種學 の 蒐集 品 をは じめ 哺乳 動物 か ら, 鳥
類 、贔類 、魚 介類 、植物 破物 の 各種
類 と十二 層 の 室 々 に陳 列 せ られ、 そ の説 明 の 親切 なる、 そ の順序整 へ る、 そ の科 学 的 なる とこ
ろ賓 に感 嘆す べ き債 値 が あ る、 殊 に光線 の理 を應用 して ジ ヨ ラマ 的 に鳥獣 の棲 息 し飛翔 せ る有
様 、魚贔 の遊 泳 し姦動せ る状 態 を示 し、愉快 の 中 に覺 えず博 物 の 知識 を得 しむ るや うに篤 つ て
居 るので、 學校 の教 師 な ど、 教場 同様 に此 陳列館 を利用 し、毎 日幾組 とな く學 童 を率 ゐて賓物
教授 をやつ て居 る、我が國 では何故 に此種 の陳列館が起 らぬのであ らうか、東京 市の如 き何故
卒先 して之が新設 を計蓋せぬのであ らうか、上野なる帝室博物館 の一 隅に動植物や破物 の標本
が陳夕1 せられ てあるにせ よ、博物陳列場 としての慣値 は甚だ疑 は しい とい はねばな らぬ。
黒板 はアメ リカ自然史博物館 に登 場 した生態展示の新方式 で ある H a b ■a t g r o u p " を見て 日本
に流入 していた見世物のジオラマ になぞ らえ、「ジ ヨラマ的」と独特 の呼 び方 をしてい る。 また、そ
の展示 を賞賛す ると共 に、当時の帝室博物館 の無味乾燥 ともい える標本の展示法 を批判 してい るの
である。
―‑82‑―
ジオラマ展示考
活気 ある博物館
そ して、箕作 の理論 を継承 し、理論的な充実 を図る こととなる谷津直秀の論文 「
を設 立 す べ しJ で は、箕作 も見 た で あ ろ う ア メ リカ 自然 史博 物 館、鳥類 学 キ ュ レ ー タ ー の
t h e b i r d r o c k g r o と、
u p 」さ らに1 9 0 3 年に`
C h a p m a n が 1 8 9 8 年に製作 した 「
F 面 の背景画 を添 え、
Cobb s ldandJと
題 された生態展示 の写真 を挿絵
g r o u p " と 呼 ばれる展示方式 に改良 を加 えた 「
に使 っている。彼 の理論 の 内容 の一部 は次 の如 くである。
余の所謂活 きたる博物館 とは次の如 きものを云 ふ。
第一 に、凡ての凡て馳 に於 て教育的ならざるべ か らず。市街生活 は特 に自然 よ り遠 ざかるも
の故、凡 てに於 て 自然 の状態 を示す様に努むべ し即 ち一例 を出せばイL 雀の如 きも如何 なる場所
に生棲す るやを示す為 めに、其週園を実物或 は油給 を以て現出すべ し、鹿や、熊や、雷鳥や、
薦 鴨皆 此 の 如 くす べ し。
箕作 同様 、従 来 の剥 製標 本 をた だ並 べ ただ け の展 示法
を死 した る もの、 活 きた る博 物館展 示 と して上 記 のイi態
展示 法 を挙 げ てい る。
この理 論 が具体化 され たの は同年 の1912(大 正 元)年
‐・ 三
十 月 十日に開館 され た 「
通俗 教 育館 」 の展示 で あ る
通俗 教 育館 」 は周知 の 如 く東京 高等 師範学
(写真 13)。「
校 に付 設 され、 当時、本博 物館 の主 事 を して い たのが棚
橋 源 太郎 で あ った。 この生 態展示 は四 方 ガ ラ スの ケ ー ス
写真1 3 1 9 1 2 年 「通俗教育館」
生態展示 四 方ガラスケース
に納 め られ、前景 に矛1製標 本 や樹 木、 後景 には 自然 を模
した平 面 の背 景 画が描 か れ た4 1 態展示 で あ った。 この展 示 は当 時 の我 が 国 の博 物館展示 の 中 で は革
新 的 な展 示 法 で あ った こ とは容易 に推 測 で きるが、 曲面背 景 を有 さず 、視 点 を限定 させ な い三 方 ガ
ハ ビ タ ッ ト ・ジオ ラマ 」 と言 うには及 ば な い展 示 で あ った。 しか し、 こ
ラスの ケ ー スで あ るため 「
の後 、 生態 展 示 のl l l 論
は さ らに充 実 して くこ ととな る。
例 えば1 9 1 3 年か ら翌 1 4 年の春 まで欧米 に出張 した植物 学者 で あ った三 好学 も黒板 同様 ア メ リカ 自
然 史博 物館 の
H a b ■a t g r O u p " を見 て次 の如 く述 べ て い る 。
此紐 育博 物館 は亜米利加 に近 年 出来 た他 の博 物館 の如 く、大規模 の建物 で、 … 中略 … 陳列 の
方法 な ど も欧州 の博 物館 に見 られ な い新 式 になつ て居 る、 日、
又標 本 の作 り方 に就 い て も ^ 層 の
改 良 を加 へ て、 専 ら動植物 の生 活 の 有様 を賓 地 に示 す や うに出来 て居 る、彼 の動物 や植物 の標
本 を器械 的 に並 べ たので な く、其植 物 が天然 に生 活 して居 る状 態 を見せ るので あ るか ら、 鳥類
なれ ば其常 に止 まる樹 木 や草叢 の 有様 を現 は し、獣類 にて も其棲 んで 居 る場 所 を模擬 して あ る、
之 が為 賓物 の周 回 は巧 に細 工 を施 し、模 型 や豊 を加 へ て全性 の景色 を出す こ とを努 め て居 る、
生態 陳列法」 で、 観 覧者 に深 い趣 味 を惹起 させ る利益 が あ る。
此 陳列 法 は所 謂 「
―‑83‑
ジオラマ展示考
以上の よ うにアメ リカ自然 史博物館 に出現 した新 式 の生 態展示である H a b i t a t g r o u p " が
欧州
に所在す る博物館 にはないこ とを述べ 、 H a b i t a t g r o u p " 生
を態展示 の一形態 として明確 に捉 えて
い るのである。
さらに、生態展示の詳細 な発達の歴史に加 え、その製作 法 をも言及 したのは川村 多賓二 である。
木場 一夫が1 9 4 9 年に著 した 『
新 しい博物館 ―その機能 と教育 』 の中で川本
すの 「
米国博物館生態陳列」
の全 文 を掲載 してい ることか らもこの論文が いかに当時の来本文献であったかを物語 っている。川
村 は生態展示 の歴 史につい て次の如 く述べ てい る。
然 るに千 八百六十年頃か ら九 │ 年́頃までの 間に英囲 ブライン トン市 で熱心 に鳥類 を採集 し且
剥製標本 を作 りつ ゝあつ たブース といふ人が、鳥 の姿勢 を正 しく篤す ことに苦心 し、且 つ幾分
其鳥 を射落 した場所 の状況 を模 して背景 を添 える ことを試みた。 これが今 日の所謂 「
生態陳
ー
列」 の濫場 である。次 いで ライセス タ 市 のブ ラウ ンといふ 人が之に倣 ひ、鳥類学者 シャー プ
等 の谷顧 を受けて、英国博物館 の為 に鶴の類の生態標本 を作 つ たことがある。更にサ ー、ウイ
リアム、 フアウラーが館長 となつ てか ら、最 も熱心 に之 を奨励 し、技術 に於 て大進歩 をなす と
共 に、益 一般公衆 の 日を惹 い て、暫次教育上 の効果 を挙 げ る様 になつ たのである。 … 中略 …
( アメ リカ自然 史博物館 につい て) 最 初 に作 られた ものは、 鳥類 に関するものであつ た。之は
申迄 もな く其羽毛 の美麗なる こと ゝ、大 きさが手頃で簡易 な陳列 に適 して居 ること ヽに由るの
である。然 し現今では象や河馬の様 な大 きな哺乳類 も用 ひられ ゝば爬虫類、両棲類 は勿論無脊
椎動物 も亦盛 に用 ひられてあ り、最近には魚類 甲殻類 を初め、水母海綿等の水棲動物 までにも
同様 なる陳列法 を應用する様 になつ た。 陳列箱その もの も、最初は四方硝子 とし ヽ
方 の壁 に背
景 を萱 く様 にな り、遂 には前面だけを硝子張 りとして一 方 よ り観覧す る今 日の型式に到 つ たの
である。而 して其進歩が賞 に急速で、 ^ 函 は他函 より、 一 回は前回よりといふ風 に、絶へ ず改
良せ られ来つ たために、現今各博物館 に陳列せ られてある生態陳列標本 を見れば、極古 い型か
ら極新 しい型 まで、一 堂の中に集 つ て、頗 る不揃 の感 は免れぬが、其代 り此技術進歩の跡 を回
顧するには甚だ好都合である。
さらに数年前までは、単 に或一種 の動物 を一函 に置 く方針 であつ たのが、斯 くては非常 に場
所 を取 る許 りでな く、教示するところの事責 が貧小 で散逸 して居 るために、観者の興味 を惹 く
力が弱 い と云ふ欠点があるか ら、現今は若 千 の群 の動物 を取 り合せて、 一場面 の陳列 とす る様
にな り。H a b i t a t g r o u p云ふ
と 名 を以 つ て之 を呼ぶ様 になつ て来 た。従 つ て場面 に現 はれた景観
^分
なるもの も、数年前 の様 に或地方 に賞在す る景観 を 一本 一石 寸 の相違 な く模写 した ものでは
な くて、製作者 の技価頭脳 によつ て、数箇所 の費景材料 を用 ひて、人工の臭みを残 さぬ までに
巧 に組み合わせた、理想上の景観なので ある。
川村 のい うブー スの製作 した生態展示 は決 して生態展示の濫腸 ではないが、 イギ リスにおける生
―‑84‑
ジオ ラマ 展示 考
態展示 の発 達 が み て とれ る。 また、 ア メ リカ 自然 史博
物館 にお け る生態展 示 の 発 達 を著 した箇所 にお い て は
生態展 示 の 発達 に伴 った展 示 ケ ー スの 変化 につ いて も
言 及 し て い る。 ア メ リ カ 自 然 史 博 物 館 発 行 の
で もそ の変 化 の ^ 端と
WINDOWS ON NATURE』
『
して
ケー
H a b i t a t g r o u p " とH a b i t a t d i o r a m a " の
スの形 態 的差異 が 明確 に看取 で きる ( 写真 1 1 ・1 2 ) . さ
と う新式 の生 態展 示
らに、川村 は H a b i t a t g r o u p " い
の 手法 を紹 介す るのみ な らず 、生態展 示 の もう一 つ の
方式 を紹 介 して い るので あ る c
カンサ ス大學 には米国 の哺乳類 を、熱帯か ら極
カ
ンザス大学 の
Cyclorama group"
一
北へ 、平地か らロ ッキー 山頂 までに亘 つ て分布及 び生態愛化 を併せ示すために、 場面 に組合
わせた ものが あつ て、少 し無理ではあるが、兎 も角 も新式である。 これをC y c l o r a m a g r o u p と
呼ぶ。
この展示 ( 写真 1 4 ) は 1 8 9 3 年開催 の シカ ゴ万博 に出謂│ された もので現在 ではアメリカ 博物館 の
H a b i t a t g r o u p "様
同にジオラマ展示 と呼ばれ て い る。木場 は川村 の この論文 を引用す る際 に、
とい う訳語 を付 して い る. こ れ
h a b i t a t g r o u p "同地生態群、
に
C y c l o r a m a g r o u p "連続生態群
に
によ り、生態展示 にはさらにもう一形態ある ことが分かる。
以上の よ うに、1 8 9 9 年か ら1 9 2 0 年までの先学者達 の主要 な論文 を概観 して きたが、黒板が 「ジヨ
ラマ 的J と 一度使 ったのみで、 しか も先述 した通 り展示物 につい た名称 ではな く、博物館 の展示 に
お いてジオラマ展示 とい う手法 は未だ 一般化 して い なかった ことが伺 い知れ る。 さらに、 日本に生
概念であ り、アメリカ自然 史博物館 の よ うに段 階
態展示 として流入 した概念は H a b ■a t g r o u p " の
を踏んで
い うよ うに展示手法やその概念 を変化 させていった もので
g r o u p " →H a b ■a t g r o u p " と
はない。 つ ま り、生態展示の初源である g r o u p " とい う方式 を指 してジオラマ展示 と称す ること
は出来な く、そ もそ もジオラマ展示 の邦訳 としての生態展示 は間違 いであるとい えよう。 とはい え
い う手法 の変化 の
b ■a t d k ) r a m a " と
博物館そ の ものの概念 も輸入品であ り、 H a b i t a t g r ( ) u pH"a→
過程 にお いて、それ以前の生態展示 を見ることのなかった 日本人に とって形態的な特徴 でのみ半1 断
した場合、 ジオラマ展示 の邦訳が生態展示 となって しまったの も無理か らぬ ことで あ ったろ う. こ
の点が冒頭 で述べ たよ うに現在、 ジオラマ展示 と ^ 日にい えども決 して一様 ではない要因の ^ つで
通俗教育館J の 四方 ガラスのケー スに、前景
あろうと考 えられる。例 えば、1 9 1 2 年に開館 された 「
に剥製標本や樹木 を置き、後景に自然 を模 した平面の背景l n i で
組 み合わされた生態展示 に対 して、
^ 般的である。
現在 の博物館人でさえも当該展示 をジオラマ展示 であった とす る見方が
―‑85‑―
ジオラマ展示考
ここで用語 の混乱 を避けるために も再定義 してお くと、 ジオラマ展示 とはジオラマ とい う形態的
名称 を使 う以上、 あ くまで もダゲ ールの考案 した展示物であるが如 く、光学的手法 を用 いて、前景
の立体物 と後景 の背景 との繋 ぎ目を無 くし、芸術的に幻想空間を倉1 出す る展示物でなければな らな
い。 また、それを可能に したのが曲面背景であ り、それを有 してい ない、 もしくは立体物 と後景の
背景 との繋 ぎ目を無 くす よ うな工 夫がなされて い ない展示物 はジオラマ展示 ではない と考 えねばな
らないのである。
さらに、 ジオラマ展示 と一 口にい えども一様 ではない要因 として もう一 原因が挙げ られる。その
キー ワー ドとして 「ジオラマ式陳列J と い う用語 に着 目すると次の如 くで ある:
3 . ヂ オラマ式陳列
先 の定義 でみた場合、 1 8 9 9 年か ら1 9 2 0 年まで我が国の博物館界にお いてジオラマ展示 は誕生 して
い ないが、1 9 2 8 年に博物館事業促進会が発足 し、 『
博物館研究』が発行 されるや否や 「ジオラマ」、
または 「ジオラマ式陳列J と い う名称が紙面 を賑わす ようになる。それ とい うの も博物館事業促進
会は先 に紹介 した棚橋、黒板、谷津、三好 のみならず、理学博士 の石川千代松や民俗学者の柳 田国
男等、多数 の有識者で構成 され、当会が発行 す る 『
博物館研究』には博物館 の建設、機能、経営 に
関す る記事 に加 え、内外 国 の最新 の施設やそ の展示 を逸早 く紹介す る雑誌 で あ ったか らである。
『
博物館研究』第一巻、第一 号に早速、 ジオラマに関する記事が載ってい るので紹介 してお く。
英帝国産業館 の面 目一新。
ロン ドンのサウスケ ンジン トンに在 つ て、インペ リヤルイ ンスチチユ ー トと呼んで居 る商品
見本 の陳列館 は、 この程 一人陳列換 を行 つ て面 目を 一新 した。我邦の商品陳列場や物産館 など
に対 して、 よい参考になるか と思ふか ら、其 の大要 を紹介す る。 …前略 …
新陳列法 の特色。
今回の陳列換 で著 しいの は、電燈照明應用 のデオ ラマ を盛 に使用 して、各國 の特殊 な知貌風
土重要産業 を示 したことである。之れに依 つ て一般来館者 に深 い興味 を感ぜ しめるや うに した。
これは1 9 2 6 年に ロン ドン郊外 ウエ ムブレーで 開い た大博覧含 の際 の経験 に基 い て計豊 された も
ので ある。本来天然資源 と云ふ ものは普通観覧者 に対 して余 り面 白い ものではないので ある。
今回デオラマ を多 く使用するに至 つ た理 由は此路 にある。即 ちデオラマ に依 て各国 の風土生活
様態 に興味 を起 さしめや う とす るのである。
デオラマの製作法。
博物館陳列法 としてデオラマを して真 に効果あ らしめるためには、其 の方面 の専 門技術家 の
手 を借 らなければならぬ。其 の製作 の順序 を述べ て見るな らば、先ず第一 に間口七 フイー ト、
奥行四 フイー ト、高 さ三 フイー トの本製の骨組 を造 るのである。次 に一枚 の ビーバ ー ボー ドを
―‑86‑―
ジオラマ展示考
適当に曲げて骨組 の内側 に嵌め込み、その屈曲 した面へ背景豊 を描 くので あるc 従 来往 々見る
や うに平な ビーバ ー ボー ドヘ 背景蓋 を描 き、後 に之れを曲げて嵌め込む ことは、透視 の法員1 を
無視するもので よろ しくない。
次 に前景の製作 に着手す る。 前景 は石膏其の他 の材料 で造 り、前縁か ら後方 の水平線 に達せ
しめるのである。塑像l l t 物
及び建築物 は起伏模型で造 り附けるので ある。デオラマの製作家は
此の前景 と背景蓋 とを巧 に繋 ぎ合 せて、一 方が何処か ら始 り何処 か ら何処で終 つ て居 るか区別
出来ぬ よ うに しなければな らぬ。 …後略 …。
これは先 の定義 にお いて も間違 い な くジオラマ展示 の製作法 である。1 9 2 0 年以降のいつ 、 どこで、
どのよ うに してジオラマ展示 とい う概念 が 日本に流入 したかは今後 の課題 とす るが、1 1 記の 文か ら
分かるように1 9 2 6 年のロン ドン万国博 覧会には既 に博物館展示 として参 考 となるジオラマが展示 さ
れていたことが窺 えるのである。 これ以後、第一巻、第四 けに 「博物館 のデオラマ式陳列J ま たは、
動物園にデオラマ式 の應用」 とい うような記事 を始め、新展示法 としてジオラマ展示 は数多 く紙
「
般化 され、名称 として定着 した
面に採 り上げ られて い くようになる。その後、 ジオラマ式陳列は ・
が、 これを定義付 け、体系 立てて分類 しようとした人物 に棚橋源太郎が い る. 当 時、彼は博物館事
博物館研究』 の大 1 4 の記事 を 「 ^ 記者」 と称 して著 してい た。彼 は
業促進会 の理事 であ りなが ら 『
当雑誌で内外国の最新 の施設やそ の展示 を逸早 く紹介す るに留 まらず、その最新の展示 を体系立て
て分類 しようとした当時数少ない博物館学者 であった。現在 の博物館 の 「
展示学J の 基礎 を作った
眼に訴へ る教育機関』がある。
人物 ともい えるだろう。それを著 した ^ つに1 9 3 0 年に発干1 され た 『
その中でジオラマ式陳列 について次の如 く述べ ている。
組み合 わせ 陳列
博物、土俗、歴 史の博物館 では、組み合わせ陳列 ( グルー プエ キシ ビシ ョン) と 云ふ ことが
普ね く採用 されて来た。此陳列方法 は互に関係のある若T の 標品若 しくは模型 を、 自然 の有 り
の儘 の状態 に配合 して陳列す るのである。此陳列方法で最 も進歩 した ものは舞墓装置 の 一種 で、
特殊 の照明法 を施 したケー ス内に陳列 して、見物人は窓を通 じて見るや うになつ て居 る. 故 に
またデオラマ式陳列 と云ふ こと も出来るのである。
この よ うに棚橋 はデオラマ式陳列 を組み合わせ陳列の ^ 形式、若 しくは最 も進歩 した形式 として
捉 え、分類 してい る。 この後、棚橋 は組み合わせ陳列 を集団陳列法 と置き換 えてはいるが、恐 らく
g r o u p " と い う概念か ら、組み合わせ、集団陳列法 とい う分類基準 を得た ので あろうc
そ うでなけれ ばデオラマ展示 を集団陳列法 ( グルー プエ キシ ビシ ョン) の 中で最 も進歩 した もの と
生態展示 の
して捉 えていた とは考え られない。
こ うしてデオラマ式陳列 は棚橋 によって組み合わせ陳列 ( 後の集団陳列法 ) の 中に分類 された。
"の
"を
この分類 によ リジオラマ展示 は 展示 の形態
指 し示す意味ではな く種 々ある 展示 の手法
―‑87‑―
ジオラマ展示考
〜式」 とい
中の一 手法 として位置づ け られた。 とはいえ手法 として捉 え られることになったため 「
〜式J と い う語 にはそれを応 用 した、一 部利用 した様式 とい
う呼 び方 に曖 昧な点が残 った。「
う意
味 も含 まれ、ある擬似的な光景 を現出する形態 を採 っていれば、 あるジオラマ要素 を含んでおれば
デオラマ式」 と、 さらにはジオラマ呼べ るよ うになって しまった。
「
現在 にお い て もこのジオラマの曖昧 さによ り、ある擬似的な光景 を現出する形態の ものを 「ジオ
ラマ式」、「ジオラマ仕 立て」、「ジオラマ風」 と呼 ぶケースが ある。 もちろん 「
式、風、仕立て」 と
いった言葉が常 に使われるわけでな く、 ジオラマ とい う用語がそ の まま使われてい る場合がある。
例 えば、 ジオラマが流人す る以前か らあった立版古 または模型 に対 して もジオラマ と呼 ぶ ことが
あ り、形態 としての立版古や模型 とい う名称 を押 しのけ、手法 としてのジオラマ とい う名称が使用
"を
されて しまう場合があるも この よ うにジオラマ とい う用語が 展示 の形態
指 し示 す語か ら 展
"を
一
示 の手法
指 し示 した語 に変化 した ことが現在、 ジオラマ展示 と 日にい えども一様 ではない も
う一つ の原因であ ったろ う と考えられるのである。
4 . ま とめ
我が国では1 9 3 1 年にな り東京科学博物館
( 現在 の 国立科学博物館) が 開館 した こと
によ り、 よ うや く本格的な生態展示 として
ジオラマ展示 ( 写真1 5 ) の 手法が採 り入れ
られ、戦後 には人文系博物館 にも波及 し、
遂 には 「ジオラマ大国」 とまで呼ばれるよ
うになった。
筆者は当論文でジオラマ展示 と一 口にい
写真1 5 1 9 3 1 年 東 京科学博物館
海 の鳥獣類生態」 のジオラマ展示
「
えども ^様ではない要因に 「ジオラマ」 の邦訳 として生態展示が不的確 であった とい う点 と、 ジオ
"を
"を
ラマ (式)と い う語が 展示 の形態
指 し示す語か ら 展示 の手法
指 し示 した語 に変化 した
とい う点 の二 つ を挙げた。
特 に 展示 の形態 1か ら 展示 の手法
"へ
変化 したことはジオラマ展示 にあ ま りにも大 きな影響
を及ぼ し、 いつの 間にか ジオラマ展示 には 「ジオラマ らしさJが 欠如す るよ うになって しまった。
ダゲー ルの発明 した元祖 ジオラマやアメリカ 自然史博物館 の ジオラマ展示 は見 る者 の視点 を限定 さ
せ、芸術 的に立体物 と背景画 を融合 し、幻想空間を創 出する ことによって見る者 を魅了するもので
あ ったが、その 「らしさ」が現在の博物館 にあるジオラマ展示 ではなかなかみ られない。 これは、
我が国博物館 の財政̲Lの厳 しさか ら莫大 な費用のかかるジオラマ展示 の製作費 の問題や学芸員 とっ
て博物館 の展示 を企画 ・立案 して も研究者 としての業績 とはならない現状があ ることに起 因す る。
―‑88‑―
ジオラマ展示考
一
そ のため学芸員 には展示意識が薄 く、 ジオラマ展示 を 度製作 した として も、そ のノウハ ウは展示
業者 にのみ蓄積 し、その後 の展示替えの際にはその業者の力 を多分に借 りることとなった。そ して、
学芸員 自身は ジオラマ展示 に教育的効果 を期待す るばか りで、見 る者 を魅了する ジオラマ展示 を生
み出せずにいる。
昨今 ではジオラマ展示 の 手法 の 中で も視点 を限定 させずに前面 をガラスでJ i 切らず開 口を広 くと
る方式 「オー プ ン ・ジオラマ」や展示空間全体 をジオラマ に見立てて、そ の 中に見学者 自身が入る
ことの 出来る方式 「ウォー クスルー 。ジオラマJ と いった新 しい手法が登場 した。 しか し、 これ ら
は先の定義か らいって も既 にジオラマ展示 とい う名称や手法 の範疇 を越 えて いる。そ のため用語 の
含 め 「ジオラマ らしさJ の 欠けた展示物 をジオラマ展示 と呼
混乱 を避 けるためにも今後 は定義 1 1 も
ぶ ことはI L めるべ きであるっその 良い例 として挙 げるな らば北九州市 立自然 史 ・歴史博物館 の約 1
エ ンバ イラマ館」があ
億 3 0 0 0 年前 の北九州地域 の環境 を3 6 0 度体感型 のジオラマ として再 現 した 「
る1 ) エ ンバ イラマ とはE n v i r o n m e n t ( = 環境) と D b r a m a ( = 透
か し見る) に よる造語 で あ り、
D b r a m a を 組 み合 わせ
元 々造語 であったD b r a m a で あるか ら、新 しい造語 としてのE n v i r o n m e n t と
たエ ンバ イラマ とい う名称 は不適切 な ものではない。む しろ、 これをジオラマ展示 と呼 ぶ ことこそ
不適切 なので ある。 いずれ展示 の名称 とは淘汰 されるもので あるため、 これを手本 とす るも良 し、
新 しく別 の名称 を提唱す るも良 しで、 いつ まで も 「ジオラマ」 とい う用語 に縛 られていず に今後は
ジオラマ展示 の範疇越 えるものに対 してそれに代わる名称 を、定義 を含め検討 してい く必要があ る「
主
口
(1)日
本博物館協会編 1 9 8 3 年 『 ジオ ラマ展示実態調査報告書』
(2)日
本博 物館協 会編 1 9 9 2 年 『博物館 の効果 的 な展示法 の 開発 に関す る調査研 究報告書 ( ジオラマ展
示 の現状 と効果 的 な展 示例) 』
里想社
( 3 ) l l l 橋 源太郎 1 9 5 0 年 『博物館學綱要』 チ
一 考察J 『博物館学雑誌』 第 ヒ巻 第 二 号
(4)金
山喜 昭 1 9 8 2 年 「博物館展示法 の
(5)青
木 豊
(6)中
ー
崎 昌雄 1 9 9 1 年 「 ダゲ レオ タイプ とジオラマ 手法 の歴 史 とその実際」 F 中京大学教養論叢 l 第
の研 究』 雄 山閣
2 0 0 3 年 『博物館展4 そ
32巻 第 2号
(7)R・
(8)註
D 。オー ルテ ィック 小 池滋監訳 1 9 9 0 年 『ロ ン ドンの 見 世物 』 第 Ⅱ巻 図 書 F l 行会
6 と 1 司じ
(9) J.m.Eder,
1973年
『Geschichte der PhotographieJ
(10)註 3と 同じ
―
ー
( 1 1 ) ポ ー ル ・ロ レンツ監 修 F ・ クラ イ ン = ル ブ ル著 北 澤真 木訳 1 9 9 5 年 『パ リの職業 づ くし 中
―‑89‑―
ジ オ ラマ 展 示 考
世か ら近 代 までの庶民生活誌 』 論倉1 社
( 1 2 ) 山 東京伝 1 7 8 2 年 『御存商売物 』
(13)岡
泰 正 1 9 9 2 年 『めがね絵 考』 筑摩書房
( 1 4 ) 五 姓 田芳柳 1 9 0 8 年 「初代五姓 田芳柳 伝」 『
光風 』 第 4 年 第 1 号
( 1 5 ) 淡 島寒 月 1 9 3 4 年
『 梵雲庵雑話』 書物展望社
( 1 6 ) 内 田魯庵 1 9 2 5 年 『思 い 出す 人 々』 春秋社
( 1 7 ) 石 井研 堂 1 9 9 7 年 「キ ネオ ラマJ 『明治事物起源 』 ち くま学芸文庫
(18)註 5と同じ
(19)Stephen Christopher Quinn 2006年
『WINDOWS ON NATURE』
American Museum of Natural
History
(20)註 7と 同 じ
( 2 1 ) 註 1 8 と同 じ
( 2 2 ) 箕 作佳吉 1 8 9 9 年 「博物館 二就 キテ」 『
東洋學 藝雑誌』 第2 1 5 号
(23)玉 木 存
1 9 9 8 年 『動物学者箕作佳吉 とその時代 一明治人 は何 を考 えたか』 三一 書房
( 2 4 ) 黒 板勝美 1 9 1 1 年 『西遊 二 年 欧 米文明記』 文會堂書店
( 2 5 ) 谷 津直秀 1 9 1 2 年 「活気 ある博物館 を設立すべ し」 『
新 日本』 二 巻 二 号
(26)三 好 学
1 9 1 4 年 『欧米植物観察』冨 山房
( 2 7 ) 木 場 一 夫 1 9 4 9 年 『新 しい博物館 』 日本教育 出版
( 2 8 ) 川 村 多賓 二 1 9 2 0 年 「米 国博物館 の生 態 陳列」 『
動物学雑誌 』 第3 8 0 号
( 2 9 ) 註 1 8 と同 じ
( 3 0 ) 註 2 7 と同 じ
( 3 1 ) 註 2 6 と同 じ
( 3 2 ) 博 物館事業促 進会 1 9 2 8 年 『博物館研 究』「内外博物館 ニ ュー スJ 第 一 巻
第一 号
( 3 3 ) 博 物館事業促進会 1 9 2 8 年 『博物館研 究』 「
雑録J 第 一 巻 第 四号
( 3 4 ) 棚 橋 源太郎 1 9 3 0 年 『眼 に訴へ る教 育機 関』 賓文館
(35)註 3と 同 じ
(36)飯 塚 啓
1 9 3 6 年 「博物館 にお ける生態 陳列 に就 て」 『日本学術協会報告 』 第 1 1 巻 第 3 号
( 3 7 ) 高 田 順 ・高橋雅弥 1 9 7 9 年 「環境復元 ジオラマか らオー プ ンジ オラマヘ 」 『
秋 田博研 報』 NO.4
主2と 1司じ
(38) 言
( 3 9 ) 丹 青研 究所 2 0 0 3 年 「感動す る展示 i n M u s e u m ( 7 ) 」
―‑90‑―
『
丹青研 究所 レポ ー 卜』
博物館 とシ ネ マ テ ー ク
Museums and Cinematheques
菅 野 将 聡
KANNO Masatoshi
l . シ ネマテークとは何か
・
mathё
シネマ テ ー ク ( フラ ンス語 ; c i 睫
q u e ) と は、映画 フ イルム を破 損 散 逸 か ら守 るため に収
集 し、保 管 し、 必要 に よ り、修復 ・復 元処 理 を施 して、公 開す る非営 利 的機 関 で あ る.
シネマ テ ー ク とい う言葉 は、 フ ラ ンス語 で、 「映 画」 を意味す る
つ
cin61la"と
、「
箱J の 意 味 を持
ー
thё
q u e " と の合 成語 で あ るが、 シネマ テ ク と同様 の機 能 を持 つ 機 関 は、各 国で、様 々 な名称
ー
で 呼 ばれて い る。代表 的 な呼称 と して は、 ① シネマ テ ー クに準 ず る名称 ( シネマ テ ク、 チ ネテ カ
ー
・
ー
等)② フイルム ・アー カイヴに準ず る名称 (フイルム ・ア カイヴ、 フイルム アル ヒ ヴ等)●
フ ィルム ・ライブラリー14「映画博物館」 に相当する名称、 を挙げる ことがで きる。
一
ー
また、 シネマテー クを、そ の組織形態か ら見た場合、(〕 つ のシネマテ クとして 「単独Jで 存
在 してい るもの②映画会社、大学、図書館等 の既存組織 に所属 してい るもの0既 存 の博物館 (美術
館)に 所属 してい るもの、に大別す ることがで きる。
シネマ テー クの機能 (活動)に お いて も、現実には、冒頭 で述 べ たすべ ての機能 を持 つ ものばか
りではな く、収集 ・保管機能 (アー カイヴ機能)が 中心 であって、積極的な上映 (上映機能)を 行
映画博物館Jと 呼ばれ るシネマ テー クに
なわない ものや、修復 ・
復元機能 を持たない もの、 また、「
ー
代表 されるような、映画関係資料 (モノ)の 常設展示 を持 つ もの、 等があ り、各 シネマテ クが有
す る機能 には、大 きな差違があると言 える。
共通点Jと し
言 い換 えれば、世界に存在す る 「シネマテー ク (或い は、それに類す る機関)Jの 「
ては、 「シネマ テー ク (『
映画 を入れる箱』が語源)」や 「フイルム ・アー カイヴ (映画保管所)」 と
いった言葉 を文字通 りに解釈 した、「(映画 フイルムの)保 管所」 である、 とい う点 であるか もしれ
ない。
二l大機能」 ともい える、「アー カイヴ機
そ して、 シネマ テー クを考察す る うえで、その本来 の 「
上映機能」 とを中心 に考えてい く必要 があるだろう。
「
所属Jす る
日本 におけるシネマ テー クとしては、 日本 を代表す る規模 を持 ち、国立 の美術館 に 「
能Jと
東京国立近代美術館 フイル ムセ ンター (NFC)を
‑91‑
筆頭 に、 自治体や財団が設 立 し、運営する、広
博物館 とシネマテー ク
島市映像文化 ライブラリー、川崎 市市民 ミュー ジアム、京都府 京都文化博物館、福 岡市総合図書館、
横浜 シネマ テー ク、 また、 「
民間Jの シネマテー クの草分 けで ある、アテネ ・フランセ (東京都 千代
田区)、等が存在 してい る。
この小文 は、 シネマテ ー クとは何 か"と い う点 につい て考察す るものであるが、倉 田公裕 は、
"と
い う問題について、「この 間には、二つの問題が含 まれてい る。その一つ は現
博物館 とは何か
在ある博物館 はどのよ うな ものであるのか とい うこと、今 一 つ は博物館 はどの よ うにあるべ きか と
.:
い うことで あるc」 と述べ ている
"と
現在ある シネマテー クはどの ような ものであるのか
い うことについては、前述 の通 り、その
機能にお いては、様 々 なオ
H違が存在 してい ると言えるであろう。
"と
そ して、 シネマテー クは どのよ うにあるべ きか
い うことについて、これか ら述べ るものであ
るが、その 「問 いJに 対す る筆者 の 「
答 えJを 先 に、一 言 で述 べ るな らば、 シネマ テ ー クとは、
"と
「
博物館Jで あるべ き
考えるものである。
各 シネマテー クには、その組織形態や規模、予算、設立 目的、等 に違いがあるため、機能に相違
があること自体 は、 当然である。ただ し、そ うした違いを超 えて、 シネマテー クが 「
博物館」であ
らねばならない点が存在す るはずである。
我が国にお いて、社 会一般 として、 シ ネマ テー クは、 「
博物館Jと して認識 されて い ない (「
シネ
マ テー ク」や 「フィルム ・アー カイ ヴ」 といった言葉 の認知度 自体 も低 い)状 況であろう。 また、
博物館学 上の研究題材 として、 シネマ テー クが取 り上 げ られることは、殆 ど無いのでは ないだろ う
か。 こ うしたなかで、一般の人 々に 「博物館」 として認め られに くい 「
動物園」や 「
水族館Jが 、
一
当然 なが ら、博物館学 の分野で研究 され、その成 果が活かされてい るよ うに、 般認識 として、 シ
"こ
ネマ テー クを 「博物館」 に 近づ ける
とは別 として も、 シネマテー クを博物館学 の領域 に明確
に位置付ける ことは、大 きな意味 を持 つ のでは ないだろ うか。
先ず、なぜ、「シネマテー クJと
「
博物館」が、「
遠 い関係」 となって しまってい るかについて、
映画 の 「
誕生J以 降、「フィルム ・アー カイヴJ、「シネマテー ク」が、概 ね成立するまでの 関係 史か
ら考えて行 きたい。
次 に、なぜ 筆者が シネマテー クを 「
博物館Jと 考 えるのか、さらに、「
博物館」 として優 れた活動
をお こなってい る、仏 ・シネマテー ク ・フランセー ズに関する こと、そ して、最後に、 シネマ テー
クの これか らについて述べ てい きたい。
なお、本稿において、冒頭に記 したような、い くつかの機能を持つ 「
映画保管所J的 機関につい
て、「フィルム ・アーカイヴJ等 ではな く、「シネマテークJと いう名称を使用 しているのは、フラ
ンス の 代 表 的 シ ネ マ テ ー クで あ る、シ ネ マ テ ー ク ・フ ラ ンセ ー ズ ( L a C i n 6 m a t hqё
ue Francaise=CF)
が 、創 設 当初 よ り、 単 に 「映 画所 管 所 」 と して の 機 能 を呆 た す に と ど ま らず 、 真 に 博 物 館 的 " な
―‑92‑―
博 物館 とシネマ テ ー ク
活動 を行 な って きた と、筆者 が考 えるため であ る ( 詳 し くは後 述 す る) c よ って、本稿 で は、広 義 に、
ー
保 存 機 能」 を有 して い る機 関 と して、 「ラ ィル ム ・ア カ イヴJ 、そ して、確 か に
映画 フ イル ムの 「
ー
「博物館 機 能J を 備 えた機 関 として、 「シネマ テ ク」 とい う言葉 を使用 す る こ と と したc
2 . 映 画 と博物館及び、 フ ィルム ・ア ー カイヴ、シネマテ ー クの関係史
誕生」以前か らその源流 を見る ことがで きるЭそれ
映画 と博物館 との 関係 につい ては、映画の 「
は、 エ ミー ル ・レイノーが、1 8 9 2 年1 0 月2 8 日か らパ リのモ ンマル トル大通 りの蝋 人形館である、グ
活動画J の
玄J 想の 間」 で 「テア トル ・
オプティック ( 光学劇場) 」と名付 けた 「
レヴァン博物館 の 「
興行 を開始 した ことである。 これは、 セルロ イ ド製 フイルムに絵 を描 いて用 いる装置 を使用 した も
ので、 原始的アニ メー シ ョンとして、映画誕生前の一形態 と評価 されてい る。その後、同博物館で
の̲ L 映が行 なわれ、5 0 万人 の人々が 見物 して いる。つ ま り、映画
は、1 9 0 0 年まで の 間 に、1 2 , 8 0 0 回
博物館」 とい う場 にお いて行なわれ
映画的なるもの」の公 開が 「
及 び映画館 の誕生以前 にお いて、「
娯楽J と い う佃│
オプテ ィック」 は、当時の 「
たのであるが、「テア トル ・
最先端科学J を 駆使 した 「
"と
"と
い う二つの側l i l を
持 つ ことか ら考 えれば、
娯楽的
面を持 ってお り、「博物館」 が 教育的
これは、実 に示唆的な出来事であると言 える .
そ して、1 8 9 5 年1 2 月2 8 日に、 パ リのキ ャピシー ヌ大通 り1 4 番地、 グラ ン ・カフェの地階 「イ ン ド
の 間」にお い て、オー ギ ュス トとル イの リュ ミエ ー ル兄弟が開発 した 「シネマ トグラフ・リュ ミユ ー
ル」に よる有料の投影式 フイルム L 映が行 なわれたのが、一般 に、「
映画 の誕生J と されてい る。
発明家J が 映画 の初期形
実際には、 リュ ミエ ー ル兄弟 のシ ネマ トグラフ上映に先立ち、複数 の 「
態 と考え られる 「
動 く映像J を 披露 している。有名なのが、ア メリカの トーマス ・エ ジソ ンと彼 の
ー
研究所 ス タッフが 開発 した 「キネ トスコー プ」 で ある。 しか し、 これは、 ス クリ ンに投影するも
のではな く、覗 き穴方式 によるものであ り、一台につ き、 ^ 人 しか見ることが出来なかったc ま た、
ドイツでは、 マ ックスとエ ミー ルのスク ラダノフスキー 兄弟が、1 8 9 5 年1 1 月1 日 に、彼 らが開発 し
た 「ビオス コー プ」 による投影式の L 映 を行なってい るが、彼 らの装置は、 リュ ミユ ー ル 兄弟 の も
の と比 較 して、未熟 なもので あった。 シネマ トグラフによる上映 のほぼ同時期 には、各国で多 くの
映山i 発明者」 を巡っての論争が繰 りひろげ
映画」 の 開発 を目指 してお り、かつ ては、「
研究者が、「
られた : し か し、現在では、その論争は完全 に終結 した とは言 えない まで も、 シネマ トグラフによ
る上映が、 スクリー ン方式 であること、現在の映画興行形態の原型である こと、そ の装置が高 い完
映画 の発明者」の栄誉 を享受すべ きで ある と諄
成度 を持 つ こと、等 によ り、リュ ミエ ー ル兄弟が、「
うことが、広 く認め られて い る。
間もな く、博物館 とシネマ テー クとの関係 に大 きな影響 を及ぼ した と考 えられる出来事が、発生
す る。1 8 9 7 年5 月 4 日 、パ リの ジャ ン= グ ー ジ ョン街 で 開催 された、慈羊バ ザ ー ルの会場 における
―‑93‑―
博 物館 とシネ マ テ ー ク
シネマ トグ ラ フの上 映会 にお い て、 映写用 の エ ー テ ル ・ラ ンプか ら引火 し、死 者 1 2 1 人の 大惨 事 と
なった。 当時 の セル ロ イ ド ・フ ィルム は、可 燃性 が 高 く、 オイ ルや エ ー テ ル等 の ラ ンプが 光源 と し
て使用 され たため、 映画 の上 映会 にお い て、 火災が 多発 したが、 この大火 災 は、 その代 表 で あ る。
この 出来事 に よ り、 人 々 は、 映画 は危 険 な もので あ る" と 考 え、非 難 したので あ った 。
しか し、 そ の 一方 で、 新 しい 「娯楽」 で あ る映画 に対 す る人 々の 関心 は高 ま り、発展 して い くこ
ととな る。
そ して、1 8 9 8 年には、 ポ ー ラ ン ドの 学者、 ボ レス ワフ ・マ トゥシ ェ フス キが映画 の 永 久 的 な保管
所 の必 要性 を訴 えて い る『 これ は、 お そ ら く、 映画 の保 存 につ いての 、最初 の主 張 で あ る と思 われ
るが、 実 際 に、 本格 的 な フ ィル ム ・ア ー カ イ ヴが成 立 す るの は、 1 9 3 0 年代 まで待 た なけれ ば な らな
い。
また、ほぼ同 じ頃か ら、 イギ リスのジャーナ リズム にお いて、映画 の保存 に対する関心が高 ま り
をみせて い く。 このことについ て、清水品は、以 下のよ うな、記事 を紹介 してい る。
「
《トルー ス》 の一記者 は、先 年 のヴ ィク トリア女王6 0 年祭や、 つい先頃ウェス トミンス ターで行
なわれた偉人の葬儀 ( グラ ドス トー ンのこ とで ある) な どを撮影 した映画 フイルムの収集に、国立
美術館 の よ うな機関が乗 り出すべ きであると提案 したJ ( 1 8 9 9 年の 《マ ジック ・ラ ンター ン ・ジャー
ナ ル》)
「
記録映画 の製作者がイギ リス博物館やボ ドレー図書館、オ ックスフォー ド……等 々に コ ッピー を
2 本 ずつ送 るよ うな日が来ない ものだろ うか。そ うすれ ば、あ らか じめ手配 したすべ ての出来事 の
…・
・
状況 を、後世 になって も見る ことが出来るのだが ・
の 《オプティカル ・ラ ンター ン ・ア
」 (1906年
ン ド ・シネマ トグラフ ・ジヤー ナ ル》)
「
今週 の ある新間に掲載 された、重要 な歴史的事件 を記録 した映画 フィルムは国家 の コ レクシ ョン
として 博物館 に保存 すべ きであるとい う提案は、各方面 の少なか らぬ支持 を受けてい る。 この種 の
コ レクシ ョンは、過 ぎ去 った時代 の歴 史的な、画期的な事件 をもう一 度見 られるとい う点 で、後世
の 人 々 にす こぶる有益 で ある ことはい うまで もない」 ( 1 9 1 0 年5 月 2 6 日付 の 《ビオス コー プ》)
また、1 9 1 9 年に、英政府 は、 第 一次大戦 を記録 したすべ ての映画 フイルムを陸軍省 に保管 す るこ
とを決定 して い る。
以上の記事 か ら、英 国にお い て、「
記録映画」の国家的保護 の重 要性が叫ばれ始めた状況 をうかが
うことがで きる。
1915年頃には、大英博物館の評議員 たちが、 国立 の映画 フィルム収蔵庫 の設立 を視野 に入れた、
取 り組みを開始 して い る。 つ ま り、 この時点で、大英博物館 は、 自ら映画 フィルムを保管するので
はな く、別 の機関の設立 を想定 して い るのである。
そ して、同 じ英国では、1927年、映画遺物 を収 蔵す る映画博物館設立 の準備 を日的 として、「ファ
―‑94‑
博物館 とシネマ テー ク
キ ュ リテ イ ・オブ ・シネマ ・アー ト ・リミテ ッ ドJ が 結成 されてい る。
一方、既存 の博物館 の展示にお いて、「
映画」 の導入 も進んでお り、1 9 3 1 年に、「ア メリカ博物学
紐育市科学産業博物館J 、「グラ ン ドカニ ヨン博物館J に 自動式 の小型活動鴬真機が設置
博物館」、「
された ことが、 日本に も、紹介されてい る。
映画 フイルムの 「
保存機関」 としてのフイルム ・アー カイヴの成立 を考える場合、 この頃 までに、
趣味J
個人」や 「
組織」 が、映画 フイルムの収集 を開始 していた. 個 人的に 「
既 に、 い くつ か の 「
として、映画 を集めていたコレクター は、多 く存在 してい た。 また、 ソ連邦 にお いて は、1 9 3 1 年に、
用に独 自のフ イルム ・ライブラリー を設置 し、映画 フ イルム
国立映画学校が、学生の教育用、l l l 究
の収集 と保存管理 を行 なって い る。
しか し、それ らは、 いずれ も、保存 に関 して、個 人的、或 いは、限定的規模であって、本格的な
「フィルム ・アー カイヴJ と して認め られるレベ ル にはなかった.
そ して、1 9 3 3 年に、 ス トックホ ルムで 国立 フィルム ・ライブラリーが設立 され、 これが、 世界最
初 のフイルム ・アー カイヴとして、広 く認 め られて い る。
さらに、1 9 3 3 年には、英国映画協会の一部局 として、ナシ ヨナ ル ・フィルム ・ライブラリーが発
足 し、同年 に 、ア メ リカでは、 ニ ュー ヨー ク近代美a T 館にフィルム ・ライブラリーが創 設され、ア
イリス ・バ リー らが、古 い映画 フイルムの収集 を開始 した。1 9 8 6 年には、パ リで、ア ンリ ・ラ ング
ロ ワ等 によって、 シネマテー ク ・フランセー ズが発足 した。
1 9 3 8 年には、フラ ンス 、イギ リス 、ア メリカ、ド イツの 4 か 国のアー カイヴのの加需に より、国
=FIAF)が
際 フィルム ・アー カイヴ連盟 ( F 6 d 6 r a t i o n l n t c r n a t i o n a l e d e s A r a r c h i v e s d u F i l m発足
し、 ここに、国際的な協力関係 の もとに、活動が進 め られる体制が始 まったc
日本にお いては、1 9 3 9 年に、大 日本映画協会が、映画博物館設立を計画 し、資料 の収集 に着手 し
たが、その後 の詳細 は不明 で、博物館設 立前に、計画は消滅 した と、推測 されるこ
そ して、わが国における、本格的なフィルム ・アー カイヴは、1 9 5 2 年に東京 ・京橋 に、国立近代
美術館 フイルム ・ライブラリー ( 現在 の東京国立近代美術館 フィルムセ ンターの 前身) が 発足 した
ことによって始 まったのである。
3 . シ ネマ テ ー クの博物館的認識
シネマテー クで も、「
映画関係資料 = モ ノ」 の常設展示 を行 い、「
映画博物館J と い う名称 を持 つ
ような シネマ テー クや、既存の博物館 に 「
所属」 して い る様 なシネマ テー クは、比較的博物館学 の
モ ノJ の 常設展示
研究対象 とな りやす い。 シネマテー クが 「
博物館」 として認識 されに くいの は、「
を持たない、また、既存 の博物館 とは、「
別組織」 として存在 して い るよ うな、 シネマテー クである.
前述 のよ うに、映画が誕生 して以降、映画 フイルムの保存 の必 要性が、叫ばれ始 めた時点で、そ
―‑95‑―
博物館 とシネマテー ク
の主張者たちの多 くは、映画を保存する機関 として、既存 の博物館 を想定 して いた。
にもかかわ らず、既 に存在 して いた博物館が、映画 フイルムの収集 ・保存 に乗 り出 した例 は少 な
"設
く、多 くが、新たに、「
別組織」 として、 独 自に
立 されて い ったので ある。
こ うした状況につい て、筆者 は、以下 の ような、 い くつ かの、原 因を考える。
先ず、それは、映画 フイルムの 「
危険性」 で ある。
映画誕生初期 の IJ‐
燃性 フイルムが、 しば しば火災 を発生 させた ことは、先 に述べ たが、 当時か ら、
映画 フィルムの保管 は、関係者 を悩 ます問題 となっていた。 フィルムを保管す るには、本来、強固
な保管庫が必要である。英 国にお い て、 映画製作者たちが、適当なフィルム収蔵庫 を建設すべ きで
あるとい う主張が されてい るが、その コス トは大 きい 。
よって、既 に 「
美術品J等 の多 くの 「
資料Jを 有する博物館が、 リス クを負 い なが ら、映画 フイ
ルムの収集 ・保存 を始めるよ りも、 まった くの別組織 として、それに適 した、専 門の機 関 ・施設 を、
新 たに創設す る流れに、 向か っていったのであろう。
次 に、映画iフィルムの保存 は、場合 によって、国家的な重要課題 となった、 とい う点 で ある。
英国での例 の通 り、 (「
芸術映画Jで は無 く)歴 史的出来事 を映 したよ うな 「
記録映画」 の保存 は、
「国益」 に関わる問題であると政府が認識 し始め、国家主導 で、新 しくフィルム ・アー カイヴを設
立す る方針が、出て きた と思われる。
そ して最後に、映画の 「
新興性Jで ある。
誕生初期 の映画は、一通 りL映 が終了すれば、捨て られた り、 セル ロ イ ドを再生す るために、溶
か された りした ものである。多 くのフイルムは、 まさに、「
散 り行 く花」 の運命 をた どっていった。
つ ま り、 ほ とん どの映両製作者 たちは、 映画 フィルムを保存するとい う考 えを、持たなかったので
ある。後 に、「
第七芸術」 と呼ばれるようになった映画であるが、その 「
芸術性」が一般 に認識 され
るには、かな りの時間を要 した。北野武は、リュ ミエ ー ル兄弟 によって誕生 して以来110年が経過 し
た映 画 につい て、絵 画 と比 較 し、その歴 史 の浅 さ、及 び、 フェデ リ コ ・フェ リー ニ ャや ジャン =
リュ ック ・ゴダー ルの挑戦的な仕事 は認 めつつ も、映画全体の流れ としては、 印象派やキ ュー ビズ
ム、 モ ダ ン、 コンテ ンポラリー等 を生んだ絵画の よ うな劇的な変化、革新 は無 い とい う点 を指摘 し
ている。
つ まり、先行する他の 「
芸術Jに くらべ、「
新興文化Jと して 「
軽視」されてきた映画は、(前述
の「
記録映画Jの ような例を除き)国 家や既存の博物館による保護がなかなか進まず、´部の熱心
な、映画の保存を主張する人々によって、独自にフィルム ・アーカイヴが創 られていった、という
側面があるのではないだろうか。
―‑96‑―
博物館 とシネマ テー ク
4 . シ ネマ テ ー クは 「
博物館」 か
先 に述べ た通 り、筆者 は、 シネマテー クを 「
博物館」 と考 える。以 下、そ の理由を述 べ てい きた
い。
"と
いう
先ず、「
博物館学J と い う学問 自体が、 博物館 とは何か
博物館」 とは、何 であろ うか。「
ことについ て考えるものであるか ら、その領域 は広 いが、本稿では、 シネマテー クは博物館の 「
条
定義」につい て考える
件J を 満 たす とい うことを明 らかにす るのが本 旨であるか ら、「博物館J の 「
こととす る。
世 界各 国 の 博 物館 及 び博 物館 専 門家 に よって組 織 され た 国際機構 で あ る、卜1 際博 物館 会議
( I n t e r n a t i o n a l C o u n d O f M u s e u m s = I C O M )定款
の には 「
博物館」につい て以下の通 り記 されて
い る。
社会 とその発展 に寄与す ることを目的 として広 く市民 に開放 された営利 を
「
第 3 条 博 物館 とは、
日的ない恒久施設 で あ って、研究 ・教育 ・レクリエ ー ションに供す るために、人類 とその環境 に関
す る有形の物証 を収集 し、保存 し、調査 し、資料 としての利用 に供 し、また展示 を行 うものをい う. 」
また、 日本 の博物館法 では、次 の通 り規定 してい る.
「
第二 条 こ の法律 にお いて 「博物館J と は、歴史、美術、民俗、産業、自然科学等 に関す る資料
を収集 し、保管 ( 育成 を含む。以 ド同 じ。
) し 、展示 して、教育的配慮の ドに一般公衆 の利用 に供 し、
その教養、調査研究、 レクリエ ー ション等 に資す るために必要な事業 を行 い、あわせて これ らの資
料 に関する調査研究 をする ことを日的 とする機関 ( 社会教育法 による公民館及び図書館法 による図
書館 を除 く。) の うち、地方公共団体、民法第二十四条 の法人、宗教法人又 は政令で定めるその他の
法人が設置す るもので第二 章 の規定による登録 を受けた ものをい う。」
以上の点か ら、次の よ うな 「
条件 ( 機能) J を 備 えた機関であれば、「
博物館J と 認 めて よいので
はないだろ うか。
それは、①収集②保存O 調 査 ・研究④教育⑤展示0 非 営利、 で あるc
言 うまで も無 く、 シネマ テー クは、映画 フイルムを収集、保存す る機能を持 っている。
さらに、映画 に関す る調査 ・研究 を行 なってお り、それに応 じて、研究書籍の発行や、 シンポ ジ
ウム、講演会 の 開催等、 によ り、教育的活動 も進めて い る。 また、 シネマ テー クは、最新 の劇場公
上映す るよ うな映画館 と違って、 非営利的機関である。
itを
開作占
そ して、筆者 は、最後 に残 った 「
条件」である、「
展示」が、 シネマ テー クが 「博物館J で あるか
どうかを検討す るにあたって、重点 になると考え るc
映画関係資料 ( モノ = 非 フイルム資料) 」の常設展示 を持 つ シネマ テー クは、確かに 「
展示機能J
「
モ
を有すると認め られ、 「
博物館」 であると言うことがで きるだろう。 しか し、 シネマテー クは、「
ヽ
ノJ の 展示 を持 つ ものばか りではない。む しろ、シネマ テ ー クの 「中′
し
資料J が
‑97‑―
映画 フ イルム
「
博物館 とシネマ テ ー ク
(フィル ム 資料 )Jで あ る こ とか らす れ ば、 シネマ テ ー クの 「
条件 」 と して、 「モ ノ」 の常 設展 示 の
有 無 は 関係 しな い 、 と言 えるであ ろ う。
で は、 「モ ノJの 常 設展 示 を持 た な い 、 シ ネマ テ ー クに、 「
展 示」 は存 在 す るの で あ ろ うか。
倉 田公裕 は、 「
展 示Jに つ い て、以下 の よ うに述 べ てい る。
「『
展示 ( E x h i b i t i o n ) は
と、見せ ること ( t O S h o w ) 陳列す ること ( t o D pζl a y ) 目 にふれる様 に
する こと ( t O M a k e v i s i b l eあ
) でり、多 くの国語 にお いて、展示 とは、 ものを選 び意味 の ある表示
( M e a n i n g f t l l S h o w i n g o f T h i的
n gの
s )ある陳夕
目
1 ( D i s p l a y w i t h P u r p o s 意味
e ) をしてい る』( T h e
O r g a n i z a d o n o f M u s e u m s , P r a c t i c a l A d v i説かれ
c e " ) とるが如 く、展示 は単 なる 『もの』の陳列で
はな く、『ひろげて示す』ことで あ り、そ こには人に積極的に見せ よ うとい う意識があ り、 コ ミュニ
ケー ションの一つ の形態である。つ ま り、意味があ り、目的をもって、教育的配慮の下に 『
見せ る』
ことで ある。」
また、新井重三は、同 じく 「
展示」 について、次の ように述べ ている。
「
博 物館 にお け る展 示 とは、展示 資利, ( も の) を 用 い て、あ る意 図 の もとにその価値 を提 示
( P r e s e n t a t i o n )るとともに、
す
展示企画者 の考えや主張 を表現 ・説示 ( I n t e r p r e t a t i o nること
)す
一
。
によ り、広 く 般市民に対 して感動 と理解 発展 と探求 の空 間を構築する行為 である。
J
以上の見解か ら、 「
展示企画者 ( 学芸員) 」が、明確 な 「
意味J や
意図」 ( = 「 考え」)
「目的J 、「
を持 って、 「見せ る」 ことが展示 とい う行為 として重要 であ り、 さらに、単なる 「
展示」 ではな く、
"
「
博物館 にお け る展示 ( 博物館学的展示) J と い う視点か らは、「
教育的配慮」 を持 って 見せ る
とい うことが、導 き出されるのでは ない だろ うか。
"も
のは、「
「
映画関係資料 圭モ ノJ を 除けば、 シネマ テー クにお いて、 見せ る
映画 フィルム」で
しかあ り得 ない。そ して、それは、「
上映」 とい う形 をとって、利用者 に 見せ られる ( 観せ られ
る) " の で ある。 つ ま り、シネマ テー クにおける、「
映画 の̲ L 映J が 、「
展示J と 言 えるのか どうかが
問題 となる。
シネマテー クとい う機関での、 映画上映 の最大 の 「目的」 は、商業的判断に左右 されるような、
通常、劇場公開される作 品 と違 って、人々に、古今東西の映画 ( 一般的に鑑賞機会が少ない作品が
中心) を 観 る機会 を、提供す る、 とい う点 ではないだろ うか。
これは、 卜
1 映す る映画作品の選定 と言う立場 にお いて、「
教育的配慮」がなされていると考 える こ
とがで きる。
では、 シネマ テー クで映画 を上映する際に、企画者 の 「
意味」や 「目的」、「
意図」 を利用者 に伝
えるとい うことが 出来るのであろうか。
「
展示技術 ( 手法) 」的償1 面か ら見れば、映画の上映は、 「モノJ の 展示 における、「
資料」 の物理
的配置や照明や、展示ケー ス、等の半J 断の よ うに、企画者 による、「
選定J 、「
決定」が出来るもので
―‑98‑―
博物館 とシネマ テー ク
はない。
"で
"(=各
企l l l 者
が考え
あ り、 誰がお こなって も同 じ
映画 フイルムJ は 、 映写機にかけるだけ
「
"「
る 個別 の
考え」 を 「
表現」す ることは出来ない) と 言 えるか もしれない.
む しろ、 「
映画作品」 は 「
映画監督」 ( 「
監督J と い う概念が発生 してい ない時期 にお い ては、 「
映
画製作者」或 い は 「
映画撮影者」) が 「
芸術的責任」 ( すべ ての映画は、「
映画芸術」 とい う領域 に含
まれ、「
芸術性J を 持 つ と筆者 は考える) を 負 う完結 した 「
記録映画J で あって も、「
作品」 である
"上
か ら、それを、上映企画者が個別の 「
映で きるような性格 を持 つ ものではな
考え」 を 加 えて
く、 また、そ うす ることが 認め られるもので もない とも言える。
しか し、厳密 には、「
映画 の上 映」にお いて、企画者 の 「
考 えJ を
加 えて
"観
せ る、 とい うこと
があ り得 るのである。それは、現在、忘れ去 られつつ ある存在 とい っていい、「
サ イレ ン ト映画J に
お いてである。
^ 例を挙げれば、1 9 9 4 年1 2 月に、東京国立近代美術館 フィルムセ ンター の主 によ
催
り、有楽 l l l
等
ー
マ リオ ン内の朝 ロホ ルで、9 本 のサ イレン ト映画に伴奏音楽 をつ けて上映す る試みが行 なわれ、
坂本龍 ^ 等が作 曲 ・演奏 にあたった。 つ ま り、 この 1 1 映会にお いて、企画者が、作曲 ・演奏者 を選
び、 さらに、選ばれた者が、独 自に作 曲 ・
演奏 し、6 0 年以上前 に製作 された映画作品 と、 「
共演J し
たのであるの これは、企画者が、作 曲 ・演奏者 を通 して、その 「
意図」 を観客 に伝 えた と、 考える
ことが 出来 る。 この よ うな企画は、意欲的な試み として、評価すべ きであるが、「
映画 の上 映」 と
「
展示」 とを考察する 1 1 では、 レアケー スではあるだろう。
よって、映画上 映に際 して、通常、その映画 と企 画者 の 「
考え」 は、相容れない もので あるが、
"側
以 卜は、展示の 技術的
面にお いての話 である。
よ り重要なのは、いかなる コンセ プ トをもとに、展示 を行 なうか とい う、「
展示思想J 的 側面であ
る。
この問題について、1 9 4 8 年の 『ミュー ジアム』誌 の記事 に以 ドのよ うな、注 目すべ き記述があるc
「( 筆者註 : ニ ュー ヨー ク近代美術館のフィルム ・ライブラリー にお いて) 博 物館 の展示 に相当す
るものは、毎 日の上映プ ログラム とい う形態 をとってお り、それは、映画の発展期、国 ごとの様式
や、映画の発展 に寄 与した独創的な個性、 といったテーマ に基づいて慎重 に組み立て られているc J
筆者 も、 この記事が指摘す るよ うに、企画者が様 々なテーマ を思考 して、プ ログラム を決定 して
映画 を上映す ることは、既 に 「
展示」 であると考 える。 シネマテー クの活動 にお いて、その l l 映プ
ログラムの決定は、 もっとも重要な仕事の一つ であろ う。多 くの利用者 は、1 1 映プ ロ グラム を判断
材料 として、観 る作 │ 『
1 を決定するのである。企画者が、観客が魅了 されるような上映プ ログラム を
組 んだ とすれば、それは、優 れた展示 として、評付1 されるべ きであろうこ
以上の点か ら、シネマ テー クにお け る映L b l の
上映は、博物館学的な展示 と認め られ、よって、「
映
―‑99‑―
博物館 とシネマ テー ク
画関係資料 ( モノ) 」の常設展示 の有無に関わ らず、シネマ テー クは、その 上映活動 によ り、機能的
に博物館 で あると言えるのでは ないだろ うか。
5 . シ ネマ テ ー ク ・フランセ ーズ ( c F ) と は
博物館 としてのシネマ テー クは、充実 した上映活動 をお こなって いるとい う点が、大 きな条件 と
なる。
先 に、本稿 における 「
定義」 として、 「
保存機能」 を持っていれば 「フィルム ・アー カイヴJ 、「
博
物館機能」 をもってい れば 「シネマテー ク」 と述べ たが、 「
博物館機能J と は、言 い換 えれば、「
保
上映機能 ( = 展 示) J が 加わ った機能 のことで ある。 これは、筆者が、博物館 における
存機能J に 「
最 も特徴的な機能は、「
展示」 であると考えるか らで もある。
そ して、筆者が、設立時か ら、「
博物館J と して充実 した活動 を行なってい ると考えるのが、仏 ・
シネマテー ク ・フランセー ズ ( C F ) で
ある。
C F は 、博物館 としての シネマ テー クを考 える際に、大 い に、参考 となる存在 である。 ここでは、
シネマテー クと、その博物館的認識 とい う点 を中心 に、簡単 にC F に ついて、触れた い。
C F と は、無類の映画愛好家 であ り、 フイルム ・コ レクターであった、ア ンリ ・ラ ング ロ ワとそ
の友人に よって、1 9 3 6 年に発足 した、先駆的な、シネマ テー クであ り、後 に開設 された、「
映画博物
館J ( 映 画関係資料 を展示) と ともに、世界的評価が高 い。2 0 0 5 年9 月 には、パ リ東部のベ ルシー地
区にお い て、新装開館 して い る。
C F は 、その活発な上映活動 により、広 く 「博物館J と して認識 されている。
ニ ュー ヨー ク ・タイムズ紙 は、 C F に つい て、以下のよ うな、記事 を載せてい る。
「シネマテー ク・フランセーズは、博物館であ り、実用的なライブラリーで あ り、映画学生 を自任
する者が学習出来る学校 で あ り、映画狂 は、そ こで、他の者 にとっては、盛 り沢 山す ぎると思われ
る くらいの、映画体験が出来るのである。
」
また、 ジャック ・ジメールは、次 の ように述べ て い る。
れ た博物館 である。
「このシネマ テー クとい う組織 は、稀 に見る数量の映画作品を取 り揃 えた i f / 外
」
そ して、 シネマテー ク ・フランセー ズの館長 ( 当時) の ドミニ ク ・パ イーニ は、 この よ うに述べ
てい るc
「フィルム ・アー カイヴは、確かに、 モ ダ ン ・ミュー ジアムの直接 の子孫 である J
このよ うに、「
博物館」 として、確 固たる評価 を得 ているC F は 、わが国に も影響 を与えてい る。
"を
例 えば、 映画 を観せ ること
最優先 し、「
外 国語映画」 を字幕 な しで上映す る ( 字幕 をつ ける
お蔵入 りJ に なるよ りは、利用者 に鑑賞機会 を提供 した
予算がないよ うな状況 で、それによって 「
い とい う考えに よる) と い うよ うな点 で、 日本 のアテ ネ ・フランセにその影響 を見る ことが 出来る。
―‑100‑―
博 物館 とシネマ テ ー ク
シネマ テ ー ク ・フラ ンセ ー ズの 「L 映 至 上主 義J 的 とも受 け取 られか ね な い 、意欲 的 な方針 は、
ー
「
博物館 」 と して の シネマ テ クの未 来像 を示 唆 して い るので は な い だ ろ うか。
6 . 博 物館 と しての シネ マ テ ー クの これ か ら
シネマ テ ー ク と博 物館 との 関係 にお いて 、今後 、 シネマ テ ー ク を博 物館 学 的見地 か ら、広 く、T l l
究対象 とす る こ とが必 要 で あ るだ ろ う。
また、 シネマ テ ー クの条件 と して、 映画 関係 資料 の常 設展 示 の 有無 は、 関係 しな い とは い え、 シ
ネマ テ ー クには、様 々 な規模 、対 象領域 を持 つ ものが あ るため、 「国家 的規模 J の シネマ テ ー クは、
総舎 映 山i 博物館 J と で も言 うべ き存 在 であ るべ きだ ろ う. そ う
非 フ イル ム資料 の常 設展 示 も持 つ 、「
した意 味 で は、 日本 に も、 国家 的 な 「映画博物 館」 の創 設が望 まれ るc
シネ マ テ ー ク と ( シネマ テ ー ク以外 の) 博 物 館 、或 い は、 映 画 と ( 映画 以外 の) 「他 分 野J と の
「
相 互交流」 も期待 され る。
例 えば、新 生 オ ー プ ン した シ ネマ テ ー ク ・フラ ンセ ー ズで は、画家 の オ ー ギ ュス ト ・ル ノア ー ル
と、 その息子 で映 画監 督 の ジャ ン・ル ノア ー ル とを比 較 した、 「ル ノア ー ル/ ル ノア ー ル展 J を 開催
して い る。
また、 ル ー ヴ ル美術 館 の館 長、 ア ン リ ・ロ ワ レッ トは、 ル ー ヴ ル 内で、 サ イ レン ト映画 に、現 代
音楽家 の 曲 をつ けて、1 1 映す る構 想 を、持 って い る。
回 美 l T 館の 映画祭」が 開催 され、美
日本 で も、2 0 0 6 年1 1 月に、青森 県 立美術 館 にお い て、「第 ヽ
術 館 や美術 に関連 した映画作 謂1 が上 映 され たが 、今 後 も、 この よ うな企画が広 く行 われ る こ とを期
待 した い 。
そ して、 シ ネマ テ ー クが 「
不 寛 容」 が あ る とす れ ば、そ れが
博物館 J の 領域 に入れ な い とい う 「
生 され る こ とを望 み た い。 そ うなれ ば、
除か れ、「
博 物館 学J の なか にお け る 「シネマ テ ー ク学」が倉」
"と
チ ャー リー ・
チ ャ ップ リ ンが、 映画 が人 々 を博 物館 に導 くで あ ろ う
予言 した よ うに、 シネマ テ ー
クにお いて 、 「映画」 と 「
博物 館J の 幸福 な関係 が続 くで あ ろ う.
(団學 院大學 大 学 院 博士 課 程 前期)
ir Henri Langlois
註 ・引 用 文 献
田公裕 1 9 7 9 『 博 物 館 学 』 東 京 堂 出版
(1)倉
(2)C・
W ・ ツ ェ ー ラ ム ( 著) 、 月尾 嘉 男 ( 訳) 1 9 7 7 『
(3) GEOFFREY NOWELL SMITH (ed) 1996 「
映 画 の 考 古 学 』 フ イル ム ア ー ト社
Thc()xf()rd History of ヽヽ
「
orld Cinema』 Oxお rd
University Press
―‑101‑―
博 物 館 と シ ネマ テ ー ク
(4)清
水 晶 1 9 6 6 「 イギ リスのナ シ ョナ ル ・フ ィルム ・アー カ イヴ」 『
世界 の フ ィルム ・ライブ ラ リー
1 9 6 6 年』 フイルム ・ライブ ラ リー助成協議会
(5) 「 KINEMA FILMS FOR POSTERITY」
(6) 「 cinema museum」
『THE MUSEUMSJOURNAL』
『THE MUSEUMSJOURNAL』
VOL 14,APRIL,1915
VOL26,MARCH,1927
( 7 ) 「 博物館 に 自働活動篤 真機据 附J 『 博物館研 究』 第四巷 第四号 昭 和 6 年 4 月 博 物館事業促 進会
(8)山
田和 夫 1 9 6 6 「 ソビエ トの フ ィル ム ・ライブ ラ リー 全 連邦 国立映画 フィルム保存所 ( ゴス フ ィ
ルモ フ ォン ド) J 『 世界 の フ ィルム ・ライブ ラリー 1 9 6 6 年 』 フ ィルム ・ラ イブ ラリー助 成協議会
(9) YVES LABERGE 1994 「
A hundred years of cinema」 『museum international』No4, 1994
UNESCO
( 1 0 ) MILTON BRACKER 1935 「
OLD FILM DRAMAS SEE LIGHT AGAINJ 『
THE NEW YORK
TINIES』 」uly 14,1935
(11) 「
映画悼物館 設 立 計画」 『
博物館研 究』第X l l 巷
第 5 号 昭 和 1 4 年 5 月 日 本博物館協 会
(12) 註 5と同じ
( 1 3 ) Jヒ野 武 2005 「 TAKESHI' S MESSAGEJ 『
カ ヮ ム ック No 225 角 り
││イン
リリ冊 カ ドカ ワ』 力 lヾ
タラクテ イブ 。メデ ィア
( 1 4 ) 註 1と 同 じ
( 1 5 ) 新井重 三 1 9 8 1 「 展示 と展示法J 『 博物館学講座 』第 7 巻 雄 山閣出版
(16) 「
サ イレン ト・ル ネサ ンスー 映画 と音楽 の新 たな出会 い に向けてJ 『 N F C ニ
ュー ズ レター』 1 9 9 5 年
5 月 号 東 京 国立近代 美術館
(17) 「THE MOTION PICTURE IN MUSEUMS OF THE PRESENT DAYJ 『
MUSEUM』
VOLUMEI
DECENIBER 1948 UNESCO
(18) VINCENT CANBY 1977 「
The Divine Lunacy Of Henri Langlois」
『THE NEⅥ 「YORK TINIES』
」anuary 23,1977
( 1 9 ) ジ ャ ック ・ジメー ル ( 著) 、計 良道子 ( 訳) 1 9 9 9 『
パ トリス ・ル コン ト ト ゥル ー ・ス トー リー』
共 同通信社
( 2 0 ) ド ミニ ク ・パ イー ニ の役職 は、 D I R E C T E U R " で
には、他 に名誉職 の
レクターJ や
PRESIDENT"が
あ り、通常 「
館長」 と訳 され る場合が多 いが、C F
存在 し、 こ ち らを 「
館 長J と し、 D I R E C T E U R " を
「デ ィ
理事」 と呼 ぶ こ ともあ る。 今 回は、通例 に倣 った。
「
(21) DOMINIQUE PAIN1 1994 「
Thèhouse Of c011ect市
e dreams'J 『 museum international』No4,
1994 UNESCO
(22)「 La nouvelle CinmathёqueJ 『 CAHIERS DU CINEMA』
CAHIERS DU CINEMA
―‑102‑―
SEPTEMBRE 2005 No604
ー
博 物 館 と シ ネマ テ ク
「映画で旅す るフラ ンスJ F タ イ トル』 2 0 0 4 年3 月 号 文 藝春秋
『THE MUSEUMSJOURNAL』
CINEMAS AND MUSEUMS」
「
VOL25, OCTOBER,1925
参考 文献
青木 豊
1997『 博物館映像展示論』 雄 山閣
―
―
現代 の 図書館 』 第34巻第 3け 日 本 図書館
岡島 尚志 1996「 映画遺 産 の 保存 今 そ こに あ る危 機 」 『
協会
椎 名仙卓 1988『
日本博物館 発達 史』 雄 山閣出版
出中千世子、他 2003「 ヨー ロ ッパ 映画 1895→ ∞ 』 共 同通信社
村 山匡 一郎 (編)2003『
山田宏 ‑ 2002 増
映画 史 を学 ぶ ク リイテ イカル ・ワー ズ』 フ イルム ・アー ト社
補 『友 よ映 画 よ、 わが ヌー ヴ ェル ・ヴ ァー グ誌 』 平凡社 ライブ ラ リー
東京 国立近代 美術館 (編)1992『
海外 にお け る映像芸術 と ミュ ー ジアム活 動 の研 究』 東京 国立近代美術
館
RICHARD ROUD 1982 『
A PASSION FOR FILlvIS Henri Langlois and Cinematheque FrancaiseJ
SECKER&WARBURG
参考映像
『ル イ ・リュ ミエ ー ル』 監督 エ リック ・ロメー ル 1 9 6 8 年 作 品 紀 伊 匡1 屋書店 ( D V D )
HENRI LANGLOIS:PHANTOM OF THE CINEMATHEQUE』
『
KINO INTERNATIONAIン
(DVD)
―‑103‐ ―
A Film by JACQUES RICHARD 2005
博物館 にお け る写真 につ いての
一 考察
The Reseachof a Photograph in a Museum
伊 藤 大 祐
ITOH Daisuke
l . は じめ に
博物館 で用 い られ る写 真 には、透過 原稿 と反 射 原稿 の 1 種が あ るc 透 過 と反 射 とい うの は、光 を
当 て た と きの 反応 に よる区別 で、透過 原稿 は光 を透過す る透 明 な素 材 を用 い た原 稿 で、 反射 原稿 は
光 を反射 す る不透 明 な素材 を用 い た原稿 で あ る。
ー
透 過 原稿 は、 バ ック ラ イ トや ラ イ トボ ックス ( イル ミネ タ) で 照 ら して鑑 賞す る、 あ るい は暗
室 で スク リー ンに投 影 して鑑 賞す るための原稿 で あ り、 前者 は博 物館 にお い て内照 式 パ ネル 、通称
ア ン ドン と呼 ばれ る もので あ る。 当該種 は、 人 の 日が 明 る い光 源 にり│ かれやす い とい う性 質 を利用
して、 グ ラフ イ ツクパ ネ ルの背面 に照 明 を仕 込 んだ もので あ るの 内照式 パ ネ ルの主 な製法 と して は、
ー
写植 l I・様に文字 ・写真 ・イラ ス トな どを組 み合 わせ た版 ド、 ポ ジ を作 成 し、 イ ンタ ネ ガ を起 こ し、
拡 大縮小 して フ イルム に焼付 け表示 面 を作 るの フ イルム を透 明 と乳 白色 の ア ク リル樹 脂 に挿 んで押
ー
え る方法 と、 フ イル ム をそ の まま四方 を ス プ リ ングで張 り込 む方法 の二種 が あ る。他 に ス ク リ ン
印刷 を した もの もあ るが こ こで は取 り上 げ な い こ ととす るc
一
反射 原稿 は、 い わゆ るプ リ ン トと呼 ばれ る もので あ る。 般 には、 プ リ ン ト以外 に も印昴1 物な ど、
光 を反射 す る原稿 全般 を さす が こ こで は単 にプ リ ン トの意 と して用 い る こ ととす る。 なぜ な ら、 反
射 原稿 と して の写真 原稿 は、 プ リ ン トが最 も適 して い るか らで あ る。 自然 光や室 内照 明 の ドで 観 察
で き、気軽 に利用 で き親 しみやす い 原稿 とい える。
本稿 は、透過原稿 と反射 原稿 の 二つ の 原稿 、特 に透過 原稿 を用 い た内照 式 パ ネル を中心 に博 物館
にお け る利 用上 の特性 につ いて 考 察す る もので あ る。
2 . 内 照式 パ ネル の特 性
さが
内照式 パ ネ ルは、 ポ ジフ ィルムの 原稿 を ライ トボ ツクスで鑑 賞 す るの と同様 、 l l B る
^ 定し、
ほぼ偏 りな く同 じ明 る さで原稿 が照 らされ、 また透 過光 の 色 は澄 んで 見 え る こ とか ら、写真 が最 も
美 し く見 え る鑑 賞法 の
一 つ で あ る。 内1 1 式パ ネルは写真 を非常 に明 る く見 せ る こ とが で き、 これ に
よって写真 の コ ン トラス トが 明瞭 とな り、暗部 の トー ンが よ く分 か る よ うに な り、写真 を観 察す る
―‑105‑一 ―
博物館 における写真 についての一考察
上で好都合である。 また明る くで きるとい うことは非常 に視 認性が よ くなる点で も好 ましい。特 に
高齢者 には好 ましい結果が得 られ、 高齢者 の明るさと認識 については 『
照明デザ イ ン入門l ' が詳 し
い。
視力 が低 下 した高齢 者 に とって は、 明 る くす る こ とが 見易 さに直接 つ なが る。 目の機 能 は4 0
歳代 か らだん だん に低 下す る。 一 般 に若 い 人 に比 べ 約 3 倍 の 明 る さが必 要 なのだ ろ うか。
眼鏡 で 同 じ視 力 に矯 正 した3 0 歳、4 3 歳、5 5 歳、6 9 歳の 四 つ の 年代 別 の実験 に よる と、 新 間 を
読 むための 明 る さは、3 0 歳を 1 と す る と4 3 歳で は1 . 2 5 倍、5 5 歳で は1 . 6 5 倍、6 9 歳で は2 . 7 5 倍と
なる。 もっ と小 さい コ ンサ イ ス辞 典 にな る と、3 0 歳の 1 に 対 し、6 9 歳は4 . 1 倍と、そ の差 は ます
ます 開 い てい く。
つ ま り比較 的大 きな文字 の場 合 には読 むの に必 要 な明 る さに年齢 差 は少 な く、小 さな字 にな
るほ ど差 が大 き くな る。 別 の 言 い 方 をす れ ば、 字 が大 きけれ ば高 齢 者 で も普通 の 明 る さで読 め
るのである。 高齢者社会 を迎 え、あ らゆる活字情報に 「
普通 の 明るさで読める大 きさ」が期待
される。
L記 は 「
文字J の 例であるが、活字 のみに留 まるものではな く、写真や図版 にお い て も同様であ
る。ただ し、写真や図版 にお いてはモノの細部 を描 写 しよ う とすれ ばどうして も細か くなる ことが
あるであろう。 しか し、内照式パ ネルの使用 により、明る く見せ ることがで き、解決で きるのであ
る。
次 にまた、内照式パ ネルには以下のよ うな優 れた特性がある。視認性が高 く、周囲 との輝度差 に
よ り、人の 目が明るい光源 に注意を喚起 される習性か ら暗 い ところで も明るい ところで も日立つ と
い う点 である。特 に内照式 パ ネル は非常 に明る くで きるので、明るい ところで よ り明る く見せ るこ
とがで き、明るい展示室 にお いて も見る者の注意 を引 き、 また明る くする ことが写真 を観 察す る上
で も好都合 な点がある ことか ら、む しろ暗所 よ りも明るい ところで用 い ると好 ましい。 こ うする こ
とによ り暗所 で連続 して内照式 パ ネル を見ることで起 きる疲労 の心配 もな くなるのである。
通常 の写真 パ ネ ル ( 反射原稿) は 、それを視 認す るためには照明を必要 とし、その光源が写真 パ
ネルに反射 して、 グレアを生ず ることが ある。内照式パ ネルは、別 に照明を必要 とせ ず、光源 の反
射や、それが直接 日に入る ことによって生 ず るグ レアが皆無である点 を最大の特徴 とす る。通常 の
写真 パ ネルの鑑賞にお い て、照 明が反射 しないポイン トとい うものが あるが、博物館 にお いては観
察者 の 身長差や視力差 の幅は広 く一 定ではない。入場者数によって立ち位置なども異 なるだろう。
そ うなると必 ず しもすべ ての観察者がグ レアや光源の反射 な しに鑑賞で きるとい うことは ない。そ
の点、内照式パ ネル を用 いればかかる観点での照明の位置等 について考 える必要性が減 ることか ら、
総 じて設置の 自由度が高 くなるのである。
また、テクナメー ションパ ネルのよ うなパ ネル装置 により、拡張性が期待 で きる ことと設置 の仕
―‑106‑―
博物 館 にお け る写真 につ いての
一 察
考
ー
方 に よって特 殊 な効 果 が得 られ る こ とで あ る。特 に後者 で は、大型 内11式パ ネ ル に よって ウ オ ル
ウ ォ ッシ ャ効 果 が得 られ る こ とで あ る。 ウ ォー ル ウ ォ ッシャ効 果 とは照 明手法 の こ とで、 一般 的 に
´
高反射 率 で拡 散仕 上 げ の壁 面全般 が、 明 る く均 に照 明 され る こ とで、壁 瞳i全般 を周 囲か ら浮 き上
が らせ る効 果 を狙 った手 法 で、 空 間 に高級 感や広 々 と した印象 を高 め るため に有効 な手法 で あ るc
特 に壁 面 が建 築 デザ イ ンを定義 づ け る場 合 、例 えば低 い 天丼 か ら急 に高 い 天丼 の空 間に出 た人壁 面
な どが、 ウ ォー ル ウ ォ ッシ ャ照 明 の 対 象 とな る。 この場 合壁 面 が周 辺照 度 の概 略 50倍以上 の 明 る さ
l体が 発光 して い る よ うで 感動 的 にな る。
が あ る と、 あたか も壁 面 ピ
この場 合、 内照式 パ ネ ル は もち ろん パ ネ ル 自体 が発光 して い るか ら非常 に効 果 的 であ る。例 えば
仏 像 、特 に脇 侍 を伴 った阿弥 陀如 来や大 日如 来 の 巨大 な内照 式 パ ネ ル を上述 した空 間 に展示 す れ ば、
高級 感 や広 々 と した空 間 を演 出で きるだ け で な く、神 々 しさ とい った 要素 も演 出 で き感動 的 な もの
が作 れ るだ ろ う。 ウ ォー ル ウ ォ ッシ ャ効 果 が得 られ るの は、 写真本 来 の解像 度 の 高 さか ら内照式 パ
ネ ルが大 きい もの を作 れ るか らで あ る。
3.内 照 式 パ ネル と映像
近年 、博 物館 展示 の 内照 式 パ ネ ルは 、映像 に置 きか え られ て きた。 しか し、単純 に映像 が 内照 式
パ ネル に対 して ^方的 に優 れ てい る とい えるだ ろ うか。 内照式 パ ネル は、 低 コス トで簡単 に高精細 、
あ るが故 に映像 と違 い熟 読、凝 視 に耐 えるな ど、 映像
高解 像 度 の ものが作 製 で き、 また、静止 LnJで
に対 して情 報 量 で劣 る こ とは、 決 して な いので あ る。
一 方 で映 像 は、 内照 式 パ ネ ル に対 して動 きの
あ る もの、 継 続 す る一 連 の動 きとい う もの を表現 で き、 これ は内11式パ ネルで は表現 しづ らい もの
で あ る。 つ ま り本 来補完 しあ って用 い るべ きもので あ る。 ただ、 単純 そ う割 り切 って しまって は内
照 式 パ ネ ルの優 れた特性 が 見 えに くいの であ えて対 立す る もの と して、解像 度 をキ
ー ワー ドに比 較
す る。
解像 度が大 きい とい う こ とは、 大 き く引 き仲 ばせ して も画像 の 精 度が維持 で きる とい う こ とで あ
り、 また 同 じ大 きさの もの を作 るな らば、解 像 度が高 い ものの 方が よ り精細 になる。 この解 像 度 を
以 下 に並 べ てみ る と ド記 の 如 きで あ る。 内照 式 パ ネ ルの解 像 度 で あ るが、 これ は原稿 を作 成す る カ
メ ラ、 フ イル ム を用 い た もの な らば フ ィルム、 デ ジ タル な らば撮 影素子 で決 まるcフ イル ムの解 像
度 につ いて は 『デ ジ タル写真 の基 礎 』 が詳 しいので 以下 に引用 す るc
フ ィルム や レ ンズ を含 め形 成 され た 画像 の性 能 を計測 す るデ ー タ と して、MTF(ModuladOn
transler ftlncdon:空
間周 波 数特 性 )力 液日られ て い る。 フ ィル ムの MTF特
性 が わか る と、 そ の
デ ー タか ら画素 に見立 て た ときの画 素 間隔 を知 る こ とが で きる。 画素 間隔 Sは 、式 (2.1)で求
め られ る。
―‑107‑―
博物館 にお け る写真 につ い ての ・
考察
S=
2× /mtf=05
式 (2.1)
/ m t f = 0 5 と は、M T F が 0 . 5 ( 5 0 % ) に な る空 間周波 数 で あ る。
式 ( 2 . 1 ) を使 って現 状 で 最 もデ ー タの優 れ た フジ ク ロ ー ム V e l v i a 1 0 0 F の画 素 間隔 を計 算
す る と0 . 0 1 l m m と な る。 つ ま り3 5 m m フ
ィル ムの 長辺 に3 , 2 7 2 個、短 辺 に2 , 1 8 1 個の 画素 が 並ん
一
で い る こ とに相 当す る。 画素 の 画素数 は、約 7 1 4 万画素 とい う結果 にな る。 カラー フ ィルムだ
か ら、R , G , B の 各感光層 に同数 の 画 素が あ る こ とにな り、 総 数 は2 , 1 4 2 万画素 であ る。
同 じフ ジクロー ム V e l v i a 1 0 0 F を使 って、別 の解芥 も見 つ け られ る。 解 像 度チ ャー トの よ う
なハ イ コ ン トラス ト ( 1 0 0 0 : 1 ) の 被 写体 を撮 影 す る と、約 1 6 0 本/ m m の
解像力 が得 られ る。
写真 の解 像 力 は、 自黒 の線 が交 1 1 に自、黒、 白 と並 ぶ状 態 で 1 本 と数 える。 つ ま り 3 個 の 画素
が な い と 1 本 に数 えな い。解像 力 を画 素 数 に換 算 す る式 は、式 ( 2 . 2 ) の とお りで あ る。
画素 数 =2R+1(R=解
この 式 を使 って1 6 0 本/ m m の
像 力)
式 (2.2)
画 素 数 を計 算 す る と、l m m 当
た り3 2 1 画素 で、 結 果 は長辺
1 1 , 5 5 6 ×短 辺7 , 7 0 4 画素 に な り、 一 画 面 で は8 , 9 0 2 万画 素 を少 し越 え る。 フ ジ ク ロー ム v e l v i a
1 0 0 F は カ ラー フ イル ムで あ るか ら、総 数 は 3 倍 の2 6 , 7 0 8 万画素 に達 す る こ とが わか る。
両者 の 数値 の測 定条件 が か な り異 な り、実 用 的 には一 概 に どち らが正 しい とは 断定 で きない 。
コ ン トラス トの低 い 条件 で は M T F か
ら算 出 した数値 に、 ハ イ コ ン トラス トの被 写体 で は解像
カ チ ャー トか ら導 い た結果 に近 くなるはず だか らであ る。 最大 の解像 度 は フ ィル ム 上に実 際 に
それ だ け の画素 が存 在す る こ とを意 味す る。 だが、 レンズ を含 めた カメ ラに よる画 質 の劣化 が
生 じる こ とも確 かで、 フ ィル ムの 能力 を十全 に発揮 で きるわけで はない。 条件 に よって両 方 と
も正 しい とい うのが 結論 で あ ろ う。
銀塩 写真 で は、 さ らに画面 サ イ ズを大 き くす る こ とで画 素 数 を飛躍 的 に向上 で きる とい う利
点 もあ る。 同 じフ イルム を使用 で きるな ら、6 c m × 4 . 5 c m サ イズで3 5 m m の
2 倍 、6 × 7 c m
サ イ ズ な ら、約 4 倍 の 面積 ( 画素 数) に なるわ け で あ る。 4 i n c h ×5 i n C h サイズや 8 i n c h ×
1 0 i n c h サイズ ともなれ ば、 ま さに巨大 な数字 にな る こ とが わか るだ ろ う。
表 2 . 5 に、 現状 で使 われ る最小 の フ イルム サ イ ズの ミノ ックスサ イズか ら 8 i n c h ×1 0 i n c h ま
で の 画素 数 の換 算値 を挙 げ た。 フ ィル ムの 画 素 間隔 デ ー タは、3 5 m m か
ら 8 i n c h ×1 0 i n c h ま
で、最 も多 くのサ イ ズが そ ろってい る フ ジク ロー ム P r o v i a 1 0 0 F を使 って算 出 した もので あ る。
ミノ ックスサ イ ズ と A P S サ イ ズの P r o v i a 1 0 0 F は実 際 に は販 売 され て い な い の で、 あ くまで
換 算値 で あ る。 ちなみ に、P r o 宙a 1 0 0 F の M T F か
―‑108‑―
ら求 め た画 素 間隔 は0 . 0 1 3 m m に な る:
博物館 にお け る写真 につ い ての
一 考察
表 2.5
フイル ムサ イズ
ミノ ッ ク ス
画素実 寸
1 lrn
×
mm
APS
241111in×16mm
35mm
36mm×
2411nm
換 算口i素数
846× 615=52万
1,846× 1,230=227万
2,880× 1,920=553ノ j
6 cm x 4.5cm
56nlln× 41.51■lin
3,294‐×2,441=804万
6cmxTcm
55rnmx 70mm
4.088× 3.294=1,347,り
4 inch × 5 inch
123mm×
98nlm
7,235× 5,764=4,170フ j
inch × 10inch
248mm ×
197mm
14,705× 11,705=17,212万
8
注)フ ジクロー ム Provia 100F、 画素間隔0,013mmで 計算、万以下の桁 は四捨71 ttc
フ ィル ムの 画素 数 につ い て、MTFか
ら計算 した もの と解像 度 チ ャー トか ら計 算 した もの につ い
て上 記り1用で触 れて い たが、 フ ィルムで得 た 画像 を見 る と、 デ ジ タル と比 べ て全 体 と して見 た 日の
解像 感 が劣 ってい る場 合 で も、 デ ジ タルで は、破 綻 して描 画 で きて い な い ものが 、 フ イル ムで はィく
ー
十分 なが らも描 画 で きて い る こ とが あ るcそ れが解像 度 チ ャ トで 求 め られ る よ うな フ イル ムの 高
画素、 高性 能 な ところで あ る。 しか し、全体 的 な解 像 感 、引 き伸 ば し耐性 か ら見 る と MTFか ら計
^般的 なポ ジフ イル ム を用 い た
算 した画素 数 で 評価 す るべ きであ ろ う。 そ うす る と原稿 を作 る際 の
画素 数 の評価 は、上記 引用 の 表 の35mmフ
イルムが2,880×1,920で約 553万画素 、ブ ロ ー ニ ー フ イル
ム の 6 cm× 4.5cmが 3,294×2,441で約804万画 素 、大 判 の 4 inch× 5 inchが7,235×5,764で約
14,705×11,705=約 17,212万画 素 とい った ところだ ろ う。 上 記 り│
4,170万画 素、8 inch× 1 0inch、
用 で触 れ られ てい た よ うに フ イル ム は、 サ イズ を大 き くす れ ばそ れ だ け高解像 度化 で きる ので あ るc
デ ジ タル カ メ ラの場 合 は、 一 般 向 け の廉価 なデ ジ タル
SOny製 の CCDか
ー 眼 レフ カ メラの場 合 、広 く用 い られ て い る
ら得 られ る画 像 の 画 素 数 は、3,008×2,000で約 600万画 素 、3,872×2,592で約
1,000万画 素 にな るcデ ジ タル 中判 カメ ラの場合 は、ハ ッセ ル ブ ラ ッ ド製 の H3D‑39を
例 に出i素数
ー
を挙 げ る と、5,412×7,212で約3,900万画素 で あ る.こ の よ うに画素 数 を挙 げ てみ る とシ トフ ィル
ム を用 い た ときには、非常 に高画 素、 高精細 であ り、 条件 が よけれ ば さ らに高画 素、 高精細 な画像
が得 られ るので あ る。
また、映像 の解 像 度 を規格 か ら見 る と、 フル ハ イ ビジ ョンが 走 査 線 1,080本、 1,920×1,080で約
207万画 素 、 ス ー パ ー ハ イ ビ ジ ョンが 走 査 線 4,320本、7,680×4,320で約3,300万画 素.こ れ は フル
ハ イ ビジ ョンの16倍であ る。
この よ うに内照式 パ ネ ルの 方が高精細 、 高解 像 度 な画像 が得 られ、 ス ー パ ーハ イ ビジ ョンは 内照
式 パ ネ ル に劣 らず 高解 像 度 な画像 が得 られ る こ とが わか る。2005年の愛 知万博 で NHKは
、
『テ レビ技 術 で、画 面 の きめ細 か さを決定 づ け るのが走今線 の 数 で す。 有効走 査線 数 1080本の
ハ イ ビジ ョンに対 して ス ーパ ー ハ イ ビジ ョンは4,320本、1画 面 あた りの情 報 量 は16倍に な りま
―‑109‑―
博物館 における写真 につい ての 一考察
す。その威力 をまざまざと感 じさせ るのが、映画なみの大型スクリー ンに映 し出 した時です。
万博会場 に設け られる 「スーパ ーハ イビジ ョンシア ター」 のスク リー ンは6 0 0 インチ。横1 3
メー トル、縦 7 メ ー トルのビ ッグな画面です。 これほ どの大 きさに拡大すると、 ハ イビジ ョン
では画素 の粒 々が浮 き出て、言わば画面の肌荒れが 目立って しまい ます。 ところがスーパ ーハ
イ ビジ ョンでは走査線が 一切 見えません。艶やかな画面が保たれるのです。7 0 ミリの映画 よ り
も解像度が高 く、グラ ビア写真 にも例 えられる超 高精細映像 は、 まさにテ レビの常識 を越 えた
未来 の技術です』
(http://www nhk.or.jp/aichibanpaku/super̲hi/)
と600インチのスク リー ンを用 いて もスーパ ーハ イ ビジ ョンで あれば十分に鑑 賞 で きる画質であ り、
グラ ビア写真 とほぼ同 じくらいの きめの細かさであることをアピー ル した。実際、パ ビ リオ ンの人
り口で入場者 の様子 を撮影 し、それを600インチのスクリー ンに映 し出 して、ひとりひと りの顔が鮮
明に確認で きる ことでス,パ ーハ イ ビジ ョン映像 の超高精細 を証明 して見せた。
このスーパ ーハ イ ビジ ョンは、九州国立 博物館 にお いて常設施設 として使用 されてい る。九州国
立博物館 ではスーパ ーハ イビジ ョンシアター を 「シアター 4000」と呼 び、走査線4,000本で解像度
が現行 ハ イ ビジ ョンの16倍にあたる超高精細の映像 を目玉 としてい るものである。ただ し、技術的
制約か ら静止画のみの上映 となっている。現在は 「
世界をとらえた 日本のわざと美」「シルクロー ド
敦燿 の仏たち」「
海 の正倉院 ・沖 ノ島」 と題 した 3本 の映像 ソフ トが上映 されて い る。
今 の段 階では、静 │卜
画 のみの̲L映は、継続 す る一連 の動 きを表現で きる映像の長所 を捨 ててお り、
さほ ど内照式 パ ネルや原稿サイズの大 きいス ライ ドの上映 との違いが感 じられない。ただ し、内照
式パ ネ ルとの比較のために批 判的に述 べ たが、静止画 のみの上 映で も、解像度の高 い高精細 な映像
を提供 し、映像 と写真 の垣根 を越 えつつ あるさまがわか り、 これは驚 くべ きことである。そ うなる
とス ーパ ーハ イ ビジョンにかかる コス トが気 になるところである。 まず施設その ものが非常 に高額
な ものであ り、上映作品の作成 にかかる コス トも大 きくなる。 スーパ ーハ イ ビジ ョンの解像度を活
かすにはそれ相応以上の解像度で撮影がで きる ビデオカメラが必要 となる。 ビデ オカ メラの解像度
が スーパ ーハ イ ビジ ョンの解像度以 ドであるとス ーパ ーハ イ ビジ ョンの解像度が意味を成 さないか
らである。 また、従来のハ イ ビジョンに比べ 高解像度、高精細である ことか ら作品に要求 されるレ
ベ ル も上が り、 コンテ ンツの製作 にも莫大な コス トがかかるのではないか と思われる。
以上のよ うにスーパ ーハ イビジ ョンについて考察 したが、現段階でス ーパ ーハ イ ビジ ョンが安定
して運用で きるものではないので仕方 の ない ことで ある。将来 スーパ ーハ イ ビジ ョンが安定 し、安
価 に設置運用で きるよ うになれば条件が変わるが、現在 の段階では映像 に比べ 、内照式 パ ネルが解
像度 とコス トの点 で利点があるのは確かである。ただ し、 これ も現段階の静止画 しか上映で きない
スーパ ーハ イビジ ョンとい う極端 な例 を挙げたか らであ り、 また現段階のスーパ ーハ イ ビジョンの
‑110‑
博物 館 にお け る写真 につ い て の
一 考察
l
展 示 も新 しい技 術 に触 れ る こ とが で きる とい う点 でか けが いの な い もので あ る。前述 した通 り内Л
式 パ ネ ル と映像 は、基本 的 に互 い に補 完 して用 い るべ きもので あ り、 そ の よ うな こ とを考慮 す る と
映像 と比較 した ときの 内照式 パ ネルの メ リッ トは コス トが安 い こ とになるこ
4.原 稿 はデ ジ タル とフ ィル ム どち らを用 い るべ きか
写真 を取 り巻 く状 況 は、 デ ジ タル化 が時代 の潮流 にあ るが、 写真 の 原稿 と して博 物館 で利 用 す る
には、 どち らが優 れ て い るの だ ろ うか。 こ こで は プ リ ン トして透過 原稿 、 あ る い は反射 原稿 を作 成
す る こ とにつ い て は フ ィルム を用 い る こ とを勧 め た い 。 内11式パ ネ ル と映像 で触 れ たが 、高精細 、
高解像 度 とい う点 で は、 サ イズの大 きい フ ィル ムの ほ うが優 れ てい るか らで あ る。 博 物 館展 示 にお
いて は、 や は り写真 の 高精細 さ とプ リ ン トの大 きさを求 め るべ きで あ る とい う考 えか らであ る。 ま
た、 プ リ ン トの とき、 デ ジ タル は色彩 の再現性 な ど とい った 問題 で カ ラー マ ネジネ ン トな どを行 っ
て い て もい ろ い ろ と手 間が かか る。 フ イルム な らばポ ジ フ イル ム (リバ ー サ ル フ イルム )を 用 い る
とい う前提 で あれ ば、 見本 をつ けて も無意 味 で あ る とい う向 き もあ るが、 ポ ジ フ ィルム 自体 が 見本
とな り、熟 練 した プ リ ン ター (現像所 で 引 き伸 ば しをす る技 術者 )に 任 せ れ ばそれ相応 の ものが 出
来 11がるか らで あ る。
5.プ
リン ト法 イ ル フ ォク ロ ー ムの すす め
原稿 の プ リ ン トにつ い て は イ ル フ ォク ロー ム を勧 め た い 。 イ ル フ ォク ロー ム とは、 1960年代 に ス
イスのチ バ ガ イギ社 が 開発 した カラー プ リ ン ト技 法 の こ とで、 ^般 に カラー プ リ ン トが、現 像 時 の
カ ップ リ ング反応 に よ り、写真乳 剤層 中 に色 素 を形 成 し発色 させ る発 色現 像 法 を用 い るの に対 し、
イル フ ォク ロー ムは、色 素 のか わ りにア ゾ染料 を用 い る銀 染料 漂 白法 で あ るc当 初 はチ バ ク ロ ー ム
とい う名称 で あ ったが1989年にチ バ ガ イギ社 が、写真 部 門 を米 国 イ ンター ナ シ ヨナ ルペ イパ ー カ ン
パ ニ ー に移 行 し、 イ ル フ ォー ド社 の グ ル ー プ カ ンパ ニ ー とな り、 1991年に イル フ ォー ド社 が銀 染料
漂 白感 光材料 の 製 品名 の変 更 を決定 し、現 在 で は イル フ ォク ロー ム とい う名称 になって い る。
イル フ ォク ロー ムの特徴 は銀染料 漂 白法 か ら くるプ リ ン トの 高 画 質 と高耐 久性 で あ るcイ ル フ ォ
ク ロー ム は忠 実 な色再現 や高解 像 度力 を持 ち、発色 は美 し く、透 明感 が あ る。 反射 原稿 にプ リ ン ト
して も透過 原稿 の透 過光 の よ うな美 しさを持 ち、透 過原稿 にプ リ ン トした ときには非常 に美 しい プ
リ ン トが仕 Lが る。 プ リ ンター の 方 か ら聞 いた 話 であ るが、以 前 にポ ジ原稿 か ら令紙 人 の透 過 航t稿
を二 つ 作 り、 ^つ を電飾 パ ネル (内照式 パ ネ ル)用 に し、 もう ^つ は ス ライ ドと して原稿 の 後 ろか
ら強力 な ラ イ トを当てて、 そ の 透過光 を ビルの壁 一 面 に映 し出 した とい う こ とで あ る.イ ル フ ォク
ロー ムの 高画 質 と高耐久性 か らこの よ うな こ とを試 した とい う こ とであ るが、 ビルの 一 面 に投 射 す
る まで に引 きイ
申ば して も画像 が破綻 す る とい う こ とはなか った とい う。 イル フ ォク ロー ム を用 い れ
‑
1
1
1
‑
博物館 における写真 についての一 考察
ば反射原稿 で も透過原稿 に匹敵 す るよ うな画質が得 られるので、状況 ど環境 によるプリン トの選択
の幅が広がるであろう。
イルフ ォク ロー ムの耐久性 は非常 に高 く、特 に驚異的な耐変退色性 を誇 っている。劣化が決 して
ない わけではないが、劣化 して も青だけが抜 ける、黄色だけが抜 けるといったカラーバ ラ ンスが大
きく崩れることがない。劣化 して もほぼ各色均等 に非常 に長 いスパ ンをかけて徐 々 に色が抜 けてい
くようである。イルフォクロー ムで プ リン トされた もので、古 く変退色が起 こってい るとい うもの
をい くつ か見たが、ほ とん どいわれなければわか らない よ うな ものか、気 づい て も非常 に軽微 なも
のであ った。イルフォクロー ム独特 の色彩の透明感 を維持 してお り、 またカラーバ ラ ンスが崩れて
い ないか らである。 もし何 もいわれず に博物館等 でこの劣化 したプ リン トを鑑 賞す ることがあれば、
特 に劣化 につい て気 づ かないか、 もともとこ ういった風合 い だ と思 う程度 であろ うcそ れほ どに耐
変退色性が強 いのである。変退色にお いて著 しくプリン トの美 しさを損 なうのはカ ラーバ ラ ンスが
崩れる ことである。特 に博物館で色が薄 くな った 11に黄ばんだ内照式パ ネル を見かけることがある
が、あれほ ど見苦 しい ものはない。イ ルフ ォクロー ム を用 いればそ のよ うな ことがな くなるので あ
る。 また L記 の例は劣化 に対す る対 策 を してい ない ものなので、 ラミネー ト加工 を施すか、内照式
パ ネル な らば紫外線対策を した光源 を用 いればさらに耐久性が増す だろ う。
イルフォクロー ムが画質 と耐久性 に優 れてい ることを述べ たが、1960年代 か ら存在 し、 これほ ど
優 れて い なが ら現在ではあま り利用 されてい ない。 しか し、以前 はイルフォクロー ム を利用 して、
博物館や美術館 にお い て盛んに資料や美術作 品のデュー プが行 われていた とい う。 しか し現在 にお
いてはほ とん ど行 われな くなっている。それは最近では写真 のデジタル化が原因 と思われるが、 も
う一 つの原因 としてイルフォクロー ムが一般的なものにな らなかったことが挙げ られる。写真 のデ
ジタル化 については、述べ るまで もない として、 イルフ ォクロー ムが一般的なものにな りえなか っ
たのは、発色現像法 になれたプリンターが、 カプラー のかわ りにアゾ染料 を用 い るイルフォクロー
ムとい う技術 にな じめなかったのが原因のよ うである。 さらに時代が下 り、写真 のデジタル化やデ
ジタルプリン トが登場 し、イルフォクロー ムが一般的なものにな りえなか ったよ うであるの しか も
イルフォクローム用品を扱 っていた 中タト写真薬品が、2005年をもって販売 を終了 して しまった。 イ
ルフォク ロー ム を取 り巻 く環境 は厳 しいが、その画質 と耐久性 は確 かなものであ り、必要 な用品 自
体 はイルフ ォー ド社が生産 を続 けて い るのでイルフォクロー ムが再び広 く利用 される ことを望みた
い。プ リン トをイルフォクロー ム にし、熟練 したプ リンター に任 せればそれだけで超 高画質 と驚異
の耐変退色性 をもったプリ ン トがで きるはずである。
6.写 真 とミュージアムグッズ
ここでは写真 とミュー ジアムグッズについ て述べ たい。東京都写真美術館 に HASHI[橋 村奉 臣]
‑112‑
一
博物館 における写真 についての 考察
一 瞬 の永遠』& 『 未来 の原風景』 を見に行 った際に、個展 を見終 えて出日の ところに ミュー ジ
展 『
アム グッズが 置いてある コー ナー の ノー トカー ドが 目にとまった。F P 刷に しては画質が良 いので あ
る。主 にイ ンクジェッ トプ リンタ用 メデ ィアを製造 して い る ピク トリコ社 のウェブサイ ト ( 1 l t t/p ●
これは印刷 で
www3.pictorico.co.jp/HASHI interview2006 見
h tて
m後
l )で知ったことであるが、
を
はな くイ ンクジェ ッ トペ ーパ ー にプ リ ン トした もので あったじ ノー トカー ドは、同社 の 印画紙 を
ベ ースに したハ イグ ロス ・フォ トペ ーパ ー にプリ ン トされた ものだ とい う. 一 般的に自1 刷物 のクオ
リテイは高 くない。当然、写真は印刷 された もの とプリ ン トされた ものではプリン トされた ものの
れた ものであるが、 ここで
方が画質が良 い。 ノー トカー ドは、ミ ュー ジアムグッズとしてはあ りあ、
は自J 刷物 を用 い なかった ことで、高画質な ものを提供 した ことに注 目したい。 ノー トカー ドとい う
ー
反射原稿 を用 い ることで、展示品を持 って帰る、そ の場 で得 た情報 を持 って帰 るとい う ミュ ジア
ム グッズのI T 想的な形 を表現 していたか らである。 これは もちろん写真展 とい う好都合 が前提条件
で あ ったか らであるが、 イ ンクジ ェ ッ トプ リ ンタとイ ンクジ ェ ッ トベ ーパ ー の クオ リテ イが高 く
なった こと も理由の一 つ であるが、何 よ りも反射原稿 どんな環境で も鑑賞で きるもので あったか ら
である。反射原稿 の手軽 さ、気軽 さとい うもの侮れない もので ある。反射原稿 とい うものは ミュー
ジアムグ ッズ とい うものを考える L い ろいろと研究す ることがで きそ うである.
註
( 1 ) 中 島龍興, 近 田玲子, 面 出薫 1 9 9 5 『照明デザ イン入門J 9 0 頁
( 2 ) 大 野信, 甲 田謙一, 内 藤明, 豊 円堅三 2 0 0 5 『デジタル写真の基礎』3 4 〜3 6 頁
参考 文献
青木 豊
1 9 9 7 『 博物館 映像展示論 視 聴党 メデ ィアをめ ぐる』 雄 山閣
日本展示学 会 『
展示学事典 』編 集委 員会 1 9 9 6 『 展示学事典』 ぎょうせ い
デ ィスプ レイの世界編集委員会 1 9 9 7 『 デ イスプ レイの世 界』 六耀社
中島龍興 , 近 田玲 子, 面 I l l 薫1 9 9 5 『 照 明デザ イ ン入門』 彰 同社
大野信 , 甲 田謙 ^ , 内 藤 明, 豊 円堅 二 2 0 0 5 『 デ ジ タル写真 の基礎 ] コ
日本色彩学会 1 9 9 8 F 新 編 色彩科学 ハ ン ドブ ック』 東京大学 出版 会
‑113‑
ロナ社
‑114‑
複製」活用事例
展示 にお け る 「
A report on the case,use of "replica", in Art Museurns exhibition
小 川 滋 子
OGAWA Fusako
は じめ に
一
今 日、美術 館 で は海外 美術館 の優 品 を 時 的 に借 り入 れて展 開す る 「
特 別展 J や 他館 との 相 互協
企 画展J 、協力館 を巡 回す る 「巡 回展J に 多 くの割 合 が 割 か れて い る. 常 設展 示 を行 なわ
力 しての 「
な い 、 あ る い は 自館 で収蔵 資料 を所 有せ ず に イベ ン ト的 な企画展 示 のみ を行 な ってい る館 も多数存
在 してい ることも事実であるc こ の ような今 日の現状 ドにお いて 日本 の美術館 における 「
複製J は
どの よ うに扱 われてい るのだろ うかc 歴 史や考 古、民俗、 自然科学 を扱 う 「
博物館」 にあって、 レ
プリカを始め とした 「
複製J は 展示や教育 の 面か ら、 または実物資料 を保存する上で重要な役割 を
果 た し、展示構成中に展開され見学者に も受容 されてい るようにも見受け られるのだが、美術館で
同様 に、 ( 美術館 の場合 では模写や模刻、あるい はやは リレプリカといった) 「複製J を 展示に加 え
た として、それ らは受容 されるだろうか. 「本物ではない」 とい う感情が生 じて 「
複製J を 価1 に
有る
もの として見倣 さない、他の展示へ の興味 まで減退す る結果 を生んではい ないだろ うか。実際に美
術館、今回の調査 では絵画 を自館 コ レクシ ョンの 中心 として所蔵 して い る館 を調査対象 として現状
を考えてい くこととす る。
a . 対 象 となる館の紹介 と分類
本論 の執筆 にあた り、独 立行政 法人日立博物館、独 立行政 法人国立美術 館、公 立 ( 地方 自治体立)
美術館、私立美術館 を含んだ計1 5 館を調査対象 とし、 この1 5 館の立地 条件 を東京2 3 区内及 び千葉県
内 と限定 した。 また、来本的に自館資料 として美術品 ・資料 を所蔵 し、 日̲ つ2 0 0 6 年9 月 〜1 2 月の 調
査期 に平常開館 をしてい る美術館 を対象 としてい る. 個 々の館 の名称 は以下の通 りである.
独立 行政 法 人 国立博物館
東京 国立 博物館
…常 設展 示、 企画展 示 「仏像展 」
―‑115‑―
展示における 「
複製」活用事例
。独立 行政 法 人 国立 美術 館
国立西洋 美術館
…常設展示
東 京 国立 近代 美術 館
…常設展示、企画展示 「
モ ダ ン ・パ ラダイス展」
。公立 の 美術館
板橋 区立美術館
… 企 画展示
日黒 美術館
… 企画展 示
渋谷 区立松 涛美術館
…企 画展示
千葉 県 立美術 館
… 企画 展示
千 葉市 立美 術 館
… 企画 展示
市川市 立 東 山魁 夷 記念館
・
… 「第 3 L ●
l 通常展 自 然 の なか の喜 び ・秋J 展
私立 美術 館
出光美術 館
…企画展示 「国宝 伴 大納言絵巻展」
ブ リデ ス トン美術館
…常設展示
企画展示 「プリズム : オー ス トラリア現代美術展」
山種 美術 館
・
…「
竹内栖鳳 とその弟子 たち」 展
損保 ジャパ ン東郷 青 児美術 館
…常設展示、企画展示
川村 記念 美術館
・
・
´
常設展示、企画展示
東京藝術 大学大学 美術 館
・
… 「日曜美術館3 0 年展」
加 えて、 これ らの館 は洋画 ( 油彩画) の 自館 コ レクシ ョンを所有 して いる とい う点 で選択 を行
なった もので ある。ただ、私立 の美術館 は企業が運営母体 を形成 してい る館 と、大学が運営 してい
る館 の二 つ に大別で きる。 また、企業が運営母体 であるまたは企 業関連法人が運営 してい る館 につ
いては、 コ レクションの 出 自が個人であるか企業であるか とい う基準 で も分類 を設けるべ きか否か、
以上の二点 については苦慮 したが、今 回は分類 を設けずに一律 に私立美術館 とい う扱 い にすること
とした。 さらに付 け加 えると、調査 にあたって見学 した展示は、常設展、企画展の二種類 に分類で
き、企画展 を行 っている美術館 の 中には常設展示 は行 なわず、従来の体制 として企画展 のみ行 なう
とい う館があ った。 日黒美術館、渋谷区立松 濤美術館 がその分類 に挙げ られる。
b . 展 示 と複製の利用
以下は今回調査 した1 5 館の美術館 にお いて、展示や 自館所蔵資料中の複製 の有無につい ての調査
‑116‑
複製」活用事例
展示における 「
結 果 を表 に ま とめ た もので あ る。
表 1 展 示 中 の複 製活用 の 有 無
複製 の有無 (展示)
複製 の 有無 (館蔵 )
東京 国立博物館
目立 西洋美術館
◎
◎
展示
東京 国立近代美術館
板橋 区美ai館
日黒美術館
渋谷 区立松濤美術館
千葉県 立美術館
千葉市 立美術館
市川市 立東 山魁夷 記念館
出光美術館
△
◎
教育
◎
展示 ・保護等
◎
展示
複製利 用 日的
教育
△
△
◎
○
ブ リ ジス トン美lf館
山種 美術館
損保 ジャパ ン東郷青児美術館
川村記念美ai館
東京藝術大学 大 学美af館
◎
l l 記の表 1 の 如 く、◎ で示 した1 5 館中 3 館 で 「
複製J が 展 示 に利 用 され、 さ らに もう 1 館 で所 蔵
が確 認 され て い る。 よって計 4 館 で複 製 資料が利 用 され てい た こ とが 判 明 した. し か し、 出光美a T
模写J で あるとの分類がなされ てお
複製J と い う分類 ではな く、過去に製作 された 「
館 の事例 は 「
複製J の 活用に合 めるべ きか どうかは今後の疑間である。 また同様に、△ で表示
り、 この事例 を 「
した、国立西洋美術館、東京国立近代美術館、 ブリジス トン美術館 で も、有名作家が 自身のオ リジ
模刻J の 類 として分類 ・表記
模写J 。「
ナル作品 としてではな く、技術向上 等を意図 して製作 した 「
複製J 資 料 の展示意
模刻J の 分類 ・表記 を行なった館 の 「
を行 っていたぃ この 「
模写」あ るい は 「
複製J で ある ことを活用す る目的で展示 してい るのではな く、イ∫
図は、 これ らの美術1 釉・資料が 「
複製J の
模刻J で あるか ら展示に供 しているので ある. つ ま り、「
模写」、あるい は 「
名作家作 の 「
扱 いでは な く、有名作家 の作である とい う著名性 、そ の付加価値 のみを主体 とし展示 してい ると見
倣 せ よ う。有名作家 の著名性や作家名か ら生 じる付加価値があろうと無かろうと、本論文の定義す
一
複製J の 利用事例 に加 えて よい と判断 される
る「
複製」の条件 を満た して い るものに関 しては、「
複製J で あるとい う美
方 で、美術館側の行 なってい る 「( 有名) 作 家作J と い う銘 の付加 によって 「
術品 。資料 の一面 を必要以 [ 1 に隠匿 して しまってはい ない だろ うか、 との懸念が存在す るとい うこ
ともまた考慮 されるべ きであろうと考えられ る。
ここで注 目されるのが、市川市 の東 山魁夷記念館 の事例 である。 この館 は展示資料 の 多 くを東山
魁夷 の遺品 とプリン ト製法 による作品に依 ってい る。 とい うの も東山魁夷 自身が気 に人った作I F ; 1 を
リ トグラフ等に して再制作 し、版画集や作ど1 として展開 してい るか ら
あるいは需要 のあ った作I V i を
である。 この館 の 「
複製」 ( 「
複製画J と い う表記 になっている) と は、東山家 か ら寄贈 を受けた特
一‑117‑
展示 にお ける 「
複製」活用事例
殊印届1の 「
複製画」で、東 山魁夷本人が企業 に発注 し製作 に携 わった ものであるとの説明を受けて
い る′
点を付記 してお きたい。
c.複 製資料の保有状況
表 2 複 製所蔵、公開の有無
複製所蔵公 開
東京 国立博 物館
国立西洋美術館
東京 国立近代美術館
板橋 区美術館
目黒美術館
渋谷 区立松 濤美術館
千葉県立美術館
千葉市立美術館
市川市立東 山魁夷記念館
出光美術館
ブ リ ジ ス トン美術館
山種 美術 館
損保 ジャパ ン東郷青児美術館
○
目録記載
×
○
記載場所
年報
HP
×
○
レジュメ
○
レジュ メ
△ (模写)
川村 記念美術館
東京藝術 大学 大 学美術館
レジュ メ
表 1で は複製が公開されてい るか、 とい う一点 のみ を判断するにとどまったが、展示 されてい な
い状況にあるだけで美術館が 「
複製」 を所蔵 して い る、 とい う可能性 を考え、上記の よ うに1又
蔵品
目録 と年報 の調査結果 を表 2で 示す こととした。結 果 を踏 まえてみてみると、千葉県立美術館 は運
営 してい るホームペ ー ジ上での公 開で あるが、他の館 は 「
複製」資料 を所蔵 して い る場合、館 の発
行する資料中で 「
複製」 の所蔵 を明示 してい ることがわかる。 表 1で も表 したように、3館 では展
示 に も利用 していた。 千葉県立美術館 は展示中に複製 を見かけることは無か ったが、ホー ムペ ー ジ
Lで 複製資料 の貸 し出 しサ ー ビス を呼びかけている。所蔵複製画 の リス トも閲覧 ・プリン トアウ ト
が可能で、サ ー ビスの利用者対象 は県内の小 中学校 を始め とした教育機関、教育団体 を想定 して い
る。 貸 し出 しサ ー ビス以外 にこれ らの複製画は利用 されてはお らず、館 内に展示 される ことはない
とのことだった。複製画は現時点で30点ほどあ り、製作 はプリハ ー ド社、製法 は同社 の特殊印刷 に
よるもので ある。30点ほ どある複製画中、 千葉県立美術館がオ リジナル作品を所蔵 して い るのは一
点 のみ、残 りの29点は美術 史の通史を学習で きるよ うにとの観点か ら選択 された ものだ とい う。教
育 目的で導入 に至った複製 画 ではあるが、小中学校か らの依頼 は少な く、千葉市 の教職員 の 中には
貸 し出 しサ ー ビスがあることを知 らない職員 も多 い。実際に比較的継続 して利用 してい るのは千葉
市内の 図書館で、知的空間演出のためやイ ンテリア充実のために使用す ることがあるとのことだっ
た。今後 はよ リー層学校 関係者、教育団体へ の認知度を高め、県内の学校 へ の貸 し出 しを目標 にし
‑118‑
複製J 活 用事例
展示 における 「
ているとい う。
複製」資料 を所蔵 してい ることが判明 したが、予想 と調査結果 は合
調査 した1 5 館中、計 5 館 が 「
致 しなかったc 更 に、年報 の調査 を行 なった東京国立博物館 の年報 か ら所蔵が半J 明 した複製資料
( 模写 ・模刻 の表記 を含む) に ついての数値 を以 ドに記載す る.
表 3 東 京国立博物館年報調査
‑119‑
展示 にお ける 「
複製J 活 用事例
東京国立博物館の年報調査か らは、先述 の 「
正倉院御物模造品特別陳列」の意図に連なる事業が
継続 されてい たことがわかる。昭和2 3 年、「
正倉 院御物模造品」が一括 して、東京国立博物館 に導入
されて い ることも見て取れる。 このこ とか らも、複製 を一過性 の事業用 で あると見倣 していたわ け
ではな く、活用 の途 を考慮 しよ う としていた と考えて も良 いだろ う。昭和2 3 年か ら平成1 7 年度時点
までで ( 途中の斜線 は年報発行が無かった年度である。表内の※印は 「
模写J 、「臨」 といった資料
扱 い に該当 しない ものを含 んでいることを指 して い るc ) 7 2 件 の複製が館 に導入 されて い ることが
わかる。導入 された資料 を見ると、「
複製」に該当す る資料が一件 も導入 されて い ないの は陶磁、金
工、民俗資料 の三分野であ り、 これ らについ ては陶磁、金工 は真作 と同様 の制作方法 を以って して
は複製が製作 しがたい分野であったか らであ り、民俗 資料 に関 しては今後、1 大
態 の良好 な実物資料
を確保 して導入 しよ う との意図が ある、 と私 は推測 してい る。 とはいえ、 ‐分野に偏 らず複数 の分
野 で複製が コ レクションに加 えられている状 況は事実 として あ り、やは り複製 は 目的を以って導入
された もので あ り、受け入れ られていると看 ることが出来 よ う。ただ、東京国立博物館では、「
複
製」 との表示 は行 われず、「
模造」、「
模本」、「
模型J 、「
模写」等 の用語 を充てて分類、展示 を行 なっ
てい る。東京国立博物館 におい て もどういった 目的で 「
複製」 を導入 して い るのかについ ての調査
が必要であることは明白で ある。 また、 表 3 の 年度計 の項 をみれば一 目瞭然であるよ うに、 「
複製」
一
資料 を 件 も導入 してい ない年度が多 く、調査可能年度5 3 年分の うち2 8 年、全体 の半分 を越 える年
度 では 「
複製J の 導入が行 われていないことも看過す ることはで きないだろ う。何故、そ のよ うな
頻度で 「
複製」導入を行 って きたのか、あるい は導入を控 えて きたのかについて も調査が必要であ
るだろ う。
d . 考 察 。今後 の展望
ただ、 日本国内で最大規模 を誇 る東京国立博物館 にあって も昭和か ら平成にかけてのお よそ6 0 年
間で導入され た 「
複製」は7 2 件で ある。他 の小規模館 を考 えれば、「
複製」導入を視野に入れてい な
い、 もしくは 「
複製」 を全 く用 い ない館が存在するの も当然なのか もしれない。そ してあ くまで私
個人 の私見であるが、 日本国内の美術館 には確かに 「
複製J 忌 避 の思想が存在 してい る。その根源
は日本国内に、他館 に先ん じて創設 された 「
帝国博物館」 の設立時期、 つ ま りは博物館思想 の導入
時期が1 9 世紀、 ヨー ロ ッパ における美術館 の過渡期、「
複製」の価値が低下 した時期、フラ ンス にお
いては 「
模写美術館」の 開館が起 こった 「
複製J 資 料 の存在意義 の定 まらない時期 と合致 して しまっ
てい ることにあるように感 じられてな らない。実際、 フランスの美術館 にお い て複製彫刻 ( 模刻)
は複製 ( 複製美術品) と して美術 館 に導入 された ものの、現代 に製作 された複製絵画i に関 しては美
術資料 として展示 された作 品は見当た らない. ( 模 写 は展示例がある。
) イ ギ リスのヴイク トリア ・
ア ン ド ・アルバ ー ト美術館 の コ レクシ ョン展 開は他 に類 を見 ない珍 しい事例 であるといえるだろ う。
―‑120‑―
複 製」 活用事 例
展示 にお け る 「
また、ド イツ の美術館 が論 争 し、 ヨー ロ ッパ 各国 の美術館 が館 の 方針 を教 育 目的 に も向 け て若 年層
へ の プ ロ グラ ム を意 欲 的 に組 んで い る よ うに、日本 に も博 物館 思想 が導 入 され た後 、「
複 製Jに 新 た
な価値 を付加 す る、 とい う思 想 も導 入 され て い れ ば、今 回 の調 査結 果 は また異 なる もの にな って い
たか も しれ な い 。
ヽ
国内 で は大 きな展 開 こそ あ ま り11い もの の、Jlに保 存 卜の 理 由で代 替 品 と して の 実 j^複製 も製作
源氏物語絵 巻Jの 平成復 元模 写 が記憶 に新 し
され て きた。近 年 で は徳 川美術館 の行 なった、 国宝 「
ま らず 、 昭
い 。徳 川美術館 で は、尾 張徳 川藩時代 か ら 「
源氏物語絵 巻Jを 模 写 させ てい た こ とに I卜
和 に 4回 、平 成 に人 ってか らは 2回 、模 写 を含 む複製 製作事 業 を行 なって きて い る。江 戸 、 昭和 初
Fi和33〜38年 と平 成 11〜
期 に行 われ た模 写 は原本 の景1落部分等 を正確 に写 し取 った もので あ るが、 日
17年に行 なわれ た模 写 は剥 落部 分や脱色 を復元 し、描 か れ た当時 の状 態 を再現 す る 方法 を採 った も
ので あ る。特 に、平 成 の復 元模 写 にはデ ジ タル技術 を用 い て オ リジナ ル作 品 のデ ー タを記 録 ・保存
複 製J作 品
複 製」 製作 に際 して も活用 され た.そ して これ らの 「
してお り、 そ の 精密 なデ ー タは 「
て
複 製」を展 /oNし
が、企画展 等 で オ リジナ ル作 品 と同一 窄 間 に展示 され る機 会 を得 てい る こ とは、「
い る ヴ イク トリア ・ア ン ド ・アルバ ー ト美術館 カー ス ト ・コー トの石膏 レプ リカの事例 と もまた異
・
な る展 開 で あ る。徳 川美術 館 は保存 、展示 の 両面 に複 製 を活 用 して い る とい えるだ ろ うc京 都 二
1として模 写 に よる複 製事 業 を進 め、兵庫 県
条城 で は障壁 画 の 劣化 を防 ぐ為 に展 示用 の代 替 1昇
。大乗
大乗 寺 円 山派 デ ジ
Iであ る襖 絵 を収 蔵庫 で の保存 に切 り替 え る 為、 「
寺 で は所 蔵 す るオ リジナ ル作 │ド
タル ミュ ー ジア ムJと い う名称 の企 画 を展 開 し、作 品 の 公 開 を イ ンター ネ ッ ト Lで 行 な ってい る。
この二つ の事 例 で も、「
複 製」はオ リジナ ル作 品 を保存 す る為 の 手段 と して用 い られ る重 要 な代 替 品
で あ り、 同時 に作 品情 報 をオ リジナ ルの展 示 とは異 な る手段 で公 開す る手段 となって い る とい える
だ ろ う。
そ して、「
複 製Jが 指 し示 す領域 は 今 日、日々拡大 しつつ あ る こ と も看過 で きまい.制 作 費が かか
複 製J製 作 よ りも、 コ ンピュ ー
り、特 殊技 術 を有 す る人材 を活用 す る故 に人件 費 もかか る従 来 の 「
複 製」 製作 は今
タの作 業 工程 さえ理解 し使 い こ なせ れ ば誰 にで も製作 可能 なデ ジ タル技 術 に よる 「
後、 い っそ う発展 し、社 会 に浸透 して い くこ と とな るだ ろ う。前 述 した こ とで あ るが 、独 立行政 法
人国 立美術 館 が行 って い る 「
所蔵作 品総合 日録検索 システム」 や各美術 館 が行 なって い る所 蔵作 品
をホ ー ムペ ー ジ Lで 画像 公 開す る コ レクシ ョン検 索 な ど、 デ ジ タル技 術 は 単館 に よる事業 か ら大 き
くネ ッ トワー クを広 げ た情 報 公 開手段 、記録 媒体 と しての機 能 を 卜分 に果 た し、利用 されて い る こ
とが うかが える。利 点 は劣 化 させ る こ と無 く、美術 品 ・資料 の デ ー タを保 存 してお ける とい う点 に
あ るだ ろ う。 だが、 同時 に発 生す るデ メ リ ッ トは触 感 を伴 わ な い体 験 しか得 られ な い こ とであ るっ
複 製」 は視 覚 と聴 党 に作 用す る もので あ る.嗅 党 や触
現 時点 にお い て、 デ ジ タル技 術 の もた らす 「
党 を伴 わ な い が故 に体験 とい う感 に乏 し く、存 在 が 希 薄 に な っ て しま う こ とを否 め な い c今 後、
‑121‑
展示における 「
複製」活用事例
ゲーム等を通 じてデジタル技術に親 しんでいる世代か らの支持 は見込ゅるものの、博物館資料 とし
て適切か どうかは議論を要する課題であろ う。
美術館成立へ至る ヨーロ ッパの王侯貴族 コレクションの変遷を考慮に入れるならば、それぞれの
コレクションの蒐集理由は、嗜好であった り政治的なプロパ ガンダであった り、財産 としてであっ
た りと一様 ではないが、次第に蒐集する美術作品や資料 の分野が拡大するにつれて、管理者が定め
られて公開す る空 間を確保 されてい く過程は類似するところも多 い。そ して、オリジナル作品が入
手困難であった状況や時代背景から 「
複製」は製作 ・蒐集が行なわれるようになり認められるよう
にもなるが、近代国家が成立し、美術作品 ・資料に関する価値観に変化が訪れると、博物館理念に
基 づ くもの以外の 「
複製」 は製作 ・蒐集が是認 されな くなってい く。概 して是認か ら否認に動 いた
と見て良いだろ う。
「
複製」を内含する模倣 に関す る思想 面 の変化 は、古 代 では是 認、キ リス ト教教義によっては否認
される時代があ り、 ル ネサ ンス期 に至 って是 認否認 の両意見が並立 し、芸術家の社会 的台頭 によっ
て、あるいは近代 に至 って著作権が保証 されたことで大 きく、贋作忌避の方向へ 世論が動 いて、現
在 に至ってい る。ここで重ねて述べ てお きたいの は否認 されたのは「
贋作J のみであるに も拘 らず「
複
製J お よび模倣 も 「
贋作J と 同等にそ の価値 を低下 させ、そ の存在意義 をも認め られ難 い状況 に至 っ
て しまってい るとい うことで ある。商業的な 「
複製J が 著作権 に基づい た製作、精密機械の技術 を
用 いた数 々の廉価版 となって商品化 され、大量に取引 されてい ることも感情的な面 で 「
複製J は 商
品なのであって美術館 ( 博物館) 資 料 としての価値 を軽 い もの として見倣 して しまう遠因 となって
しまってい るのか もしれない。
だが、博物館 の基本理念たる 「
収集 ・保管 ・展示 ・教育」 の 目的 の為 に、模写、模刻 を始め とし
た 「
複製」 は従来、有効な手段 として存在 して きた し、実物 を忠実に再現す るとい う日的にお いて
且 つ実物資料 として存在す る 「
複製J が もた らす効果は過去 の事例 を見て も推察 されるよ うに、十
分立証 されて きた。それは徒弟制度等 にみ られる模倣 の慣習、実物が入手 で きない場合 の 「
複製」
の需要、学術的用途による展示 に 「
複製」 は実 際に有効 に活用 されて きた とい えよう。そ して現在、
「
複製」技術 は多様化 し、印刷、キャス ト等 といった古来 の製作技術か ら大 きく乖離 し、コンピュー
タ等精密機械 の生 み出す ヴァーチ ャル な次元 にも展 開を見せてい る、発展め ざましいデジタル技術
の もた らす 「
複製」は今後、技術進歩の如何、活用の如何 によっている。その一方 で、「
複製J は 一
部 で美術館 における展示資料 として活用 されてい る事例があ る。徳島県 ・鳴門の大塚国際美術館 に
は陶板焼成 による 「
複製」が、展示 に使用 されてぃる。 この陶板焼成による 「
複製画J は 、実物の
美術作品や資料の美術的要素 を再現 しづ らい として賛否両論があるが、陶板焼成 の 「
複製画J は 褪
色 しに くい とい う利点があ り、劣化要因に左右 されづ らい。 これ らの利点 を活かす ことがで きれば、
新 しい 「
複製」 の在 り方 として展 開を見せ て い く可能性 もある。実物資料 として製作 されて きた
―‑122‑―
複製」活用事例
展示 における 「
「
複製」群 に追随する存在 とな り得 ると考 えられる. 総 じて美術館 史か ら見て も、思想 史か ら見て
複製J は
も、「
複製J は 博物館理念 の もとに是認 されて良 い もので あるのだが、 国内にあ っては、「
卜分に活用 されてい るよ うには見受け られない. そ の理 由は各美術館 によって、例 えば、実物 を最
な り得 る 「
複製J 製 作費用 は
優先 させ るとい う指針 があるのか もしれない し、実物資料 の代替I W l に
複製J を 活
安価 なものではな く金銭的理由 によるものか もしれない。実物 を所蔵する美術館では 「
用す ることに心理的な抵抗があるのか もしれない。現在 にあって、各美術館 によって存在意義が異
複製J は 一層受容 され活用 されてい くべ き資料 であ り、存在意
なるもので あって当然 だが、今後、「
義 を再考 されるべ きである と私 は考え るに至った。
今回 は対 象 とす る美術館の数が少なかったので、 あ くまで 各館 の事例 を参考に したモデルケ
ース
複製J に 関す る思想史の変遷 を概観 し、
として論 を展開 した。本論 は、美術館成立過程 と歴 史及 び 「
複製J 資 料活用 の事例 と重ねて考察す るに、そ の活用 の レヴェ
現代 日本 の 国内美術館 にみ られる 「
ル は十分 なもの とは言えず、今後 より ^ 層 の活用努力 が見 られて も良 い との見解 を導 き出そ う と意
図 した もので あるが、調査館 の数や調査 文献 の総量 は国公立、私 立美術館のバ ラ ンスを考慮 に入れ
ることは した ものの、調査地域が東京2 3 区と千葉県下の 一部 に限定 した もので あったた め 卜分 で
あった とは言い難 い。十分 な情報量 を得 るには少な くとも首都 圏下 を調査範囲 とす るか、 または美
術館 の集中す る大都 市圏 を調査する、あるい は運営母体別 、地域別等 に、 系統的な分類 をした うえ
で調査 を行 ない平均的なデー タを出す必要があると考 えてい る。
一方 で、 今回調査 した館では収蔵資料中の 「
複製」資料 の有無 を確認 で きる資料 を見つ け出 しづ
らい面があ ったことを事実 として述べ てお きたい。東京国立陣物館では年報か ら、千葉県立美a T 館
ではイ ンター ネッ ト上のホー ムペ ー ジか ら、 市川 市立東山魁夷記念館 と出光美術館 では館 内配布 さ
れた レジュメか ら 「
複製」 もしくはそれに準 じた表記の資料が存在 してい ることが判断で きた。だ
複製」 の存在有無 を判断する ことはで
が、残 りの館 では出版 されて い る収蔵品 目録 ( 選集) か ら 「
複製J
きなかった し、判断で きる文献や資料 を調査す ることもで きなか った。今後調査 の機会 では 「
資料 の存在 の有無 を判断で きる文献や資料が、美術館刊行 の どの資料 に記載 されて い るのか、それ
らが公開はされてい るのか等 も併せて考慮 に入れていかねばな らない論題 であるだろ う。
また、博物館理念に基 づいた活用が現在、展示や教育にお いて展開され ている状況 を想定 し、各
館 ごとにどの よ うな展開 を志向 しているのか も調査 してい きたいЭそれには、年報や広報誌等 で館
の指針 を確認 し、博物館教育が どの程度意識 されて い るのか も考慮 に入れて いかねばな らないだろ
う。
最後 に、今回調査 は絵画 を コレクションの 中心 に据 えてい る美術館 を中心 として進めたのだが、
複製画」 のみに止 まらず、美術館が扱
「
複製J 資 料 の活用 とい うテーマ を掲 げ るならば、本来は 「
う全 ての美術品 ・資料 の分野 に範囲を広げていかねばならない だろ う とい う課題 であるc た だ、そ
―‑123‑― ―
展 示 にお け る 「
複 製」活 用事例
の ため には 「
複製」 とい う対 象 に関 す る規 定 をそ の都 度 明確 に定 め、 対象 範 囲 を確 実 に限 定 して い
くこ と も重 要 な課題 とな って くるはず で あ る。 本論 文 の執筆 を して強 く実感 したのだが、「
複 製J と
い う論題 は 内含 され る要 素 が膨 大 な もの であ り、 そ の用語 の 定義 や使 用範 囲 を限定 す る こ とす らも
困難 を極 め る もので あ った。 今後 、 本論 文 と同様 の テ ー マ を以 って研 究 を進 め てい く場 合 には、 今
回 よ りも一 層細心 の注 意 を払 って調査 が行 なわれて然 るべ きで あ ろ う、 と反 省 して い る。 今 回 の論
文執筆 で得 た論題 に関 す る留 意点、 多 々 見 出 され た反 省点 と改 善点、展 望 を是 非 、今後 の機 会 に活
か して い きた い と考 えて い る。 今 後 の機 会 には、 よ り広 い 調査範 囲 を設 けて 「複製」 の活用 につ い
て考 えて い きた い。
主要参考 文 献
加藤有次 1 9 9 6 年 『博物館学総論』 雄 山閣
青木 豊 2 0 0 3 年 『博物館展示の研究』 雄山閣
青木 豊
1 9 9 7 年 『博物館映像展示論 視 聴覚 メデ ィアをめ ぐる』 雄山閣
西野嘉章編 2 0 0 1 年 『員贋 のは ざま デ ュシ ャ ンか ら遺伝子 まで 東 京大学 コ レクシ ョンⅦ』 東京大学
出版会
「
西洋美術研究J 編 集委員会 2 0 0 4 年 『西洋美術研究 N o l l オ リジナリテ イと複製』 三元社
古賀忠道 ・徳川宗敬 ・樋 口清之監修 1 9 8 1 年 『博物館学講座 第 7 巻 展 示 と展示法』 雄 山閣
矢代幸雄 1 9 3 3 年 「海外彫刻 の石膏複製について」 『
博物館研究 第 九巻 第 五号』 日本博物館協会
青木豊編 2 0 0 3 年 『國學院大學 博 物館學紀要 第 2 8 輯』 國學院大學 博物館学研究室
並木誠士 ・吉中充代 。米屋優編 1 9 9 8 年 『現代美術館学』 昭和堂
並木誠士 ・中川理 2 0 0 6 年 『美術館 の可能性』 学芸出版社
関野 貞 1 9 3 4 年 「保存上重要美術品の複製をつ くれJ 『博物館研究 七 月号』 日本博物館協会
松宮秀治 2 0 0 3 年 『 ミュー ジアムの思想』 白水社
ヴァルター , ベ ンヤ ミン著 高 木久雄 ・高原宏平 ・他訳 1 9 7 0 年 晶 文社 『複製技術時代 の芸術 ベ ンヤ
ミン著作集 二 』
岩淵潤子 1 9 9 5 年 『美術館 の誕生 美 は誰の ものか』 中公新書
リュック ・ブノワ著 水 嶋英治訳 2 0 0 2 年 『博物館学へ の招待』 文庫 クセジュ 自 水社
―‑124‑―
博物館経 営か ら見 る展示 室 の面積 と基 本展示法
A Study of Display Area and the Elements of Display
from View of Museum Manegement
豊
青 木
AOKI Yutaka
̀ まじめ に
博物館 に於 け る展 示 は、 博物館 を代 表す る機 能 であ る こ とは最 早確 認 す る まで もな く、 さ らに突
き詰 め れ ば 博物館 そ の もの で あ る と断 言 して も過 言 で は なか ろ う。す なわ ち、我 々が通常博 物館 に
一
ー
行 くとい う こ とは、 具体 的 には展示 室 に行 くこ となので あ る. 故 に、 般 に博 物館 イ コ ル展示 室
で あ る と考 えね ばな らな い こ とは以 前 に も記 した通 りで あ る。
また、博 物 館於 け る展 示 行 為 こそが、他 の教 育機 関 と博 物館 を明確 に区別 し、博 物館 を決 定 づ け
る機 能 で あ る こ とを常 に忘 れ て は な らな いので あ る。
ところが博 物館 は また 一 方 で、 資料保存 を担 う機 関 で もあ る。 博 物 館 法 第 3 条 ( 定義 ) に は、 収
^ 般に 4 大 機 能 と称 されて い るが、必 ず しも並ダ1 の関係 で把
集 ・保管 ( 存) 。研 究 ・展 示 と列 記 され
・
握 し得 る もので はな い 。 つ ま り、 人文系博物館 、 中 で も歴 史 民俗 ( 族) ・美術 系 の 博物 館 に於 い て
一
は、 資料 の保存 行為 こそが博 物館 設 立 の 目的 と意 義 の つ で あ る こ とは他 な らな い か らで あ る. 要
民俗 ( 族) 資 料 を保 存 し未 来 に伝 達す る こ とが 今 を生 きる我 々
す るに、過 去 の遺 産 で あ る歴 史資料 ・
全 員 の責務 で あ り、 これ を社 会的 に遂行せ ね ば な らな い機 関が歴 史 ・民俗 ( 族) ・美a V 系博物 館 な の
で あ るc
以 L の 如 く、博 物館 を代 表 す る機 能 で あ る展 示 と、 人文系博 物館 の 設 立の意 義 で あ る資料保 存 の
両者 は、博 物館 の 不可避 の 要件 で あ る こ とに違 い はな い ので あ るが 、 また両者 は 博物館 活動 の 中 で
蔵 ) の 間隙 の 中 で
大 きな矛盾撞 着 を含 んで い る こ と も事 実 で あ る. こ の相 矛盾 す る展 示 と保存 ( 1 又
ー
博物館 経 営 の主 た る要 点 で もあ る見学 者 の滞留 時 間 の延 長 と、 中 で もリ ピ ト客 の 誘 引 の L で の必
要性 につ い て論 じる もの であ る。
展 示室 の面積 と収蔵 庫 の面積
は、展 示室 の 面積 の三 倍 を基本 とす る と ^
従 来 よ り、博 物館 を建 設 す るに際 しての収 蔵庫 の l F l 積
般 に博物館 ・博物 館学研 究者 の 間 で ま こ と しや か に囁 か れて来 た こ とは事 実 で あ るc
この 点 は、 前述 した観 点 に基 づ けば、具体 的資料保 存 の 施設 と しての1 又
蔵庫 の 面積確 保 の 主要性
―‑125‑―
博物館経営か ら見 る展示室 の面積 と基 本展示法
と重 要性 を意図 した ものに違 い な く、歴史 ・
民俗 (族)・美術系博物館の設立の 目的を達成 し得 る為
の不可避 な施設であ り、当該観点 に立脚 した場合 は博物館 の心臓 に値す るか らである。故に、資料
保存 の観点か ら優 秀 で大 きな心臓が希求 されることは極めて当然である。該点に関 した1984年に野
村東太 。他 による博物館 にお け る資料等 の収蔵 ・保管状況 に関する全国調査結果によると、約半数
の館が収蔵空間が不足 してお り、近 い将来不足 を来たす で あろうと回答 してい る館が約 8割 に達 し
てい ると報告 されてい る。 この よ うな実態か ら収蔵庫 の面積 は展示面積 の三倍 なる定説 (?)が 、
かつ て一般化 した もの と推定 されるのである。
確 かに収蔵lliは
広ければ広 い ほ ど好 ましい事 は当然である。が しか し、後述 す る如 く博物館経営
の視点か らは、 よ り広面積 の展示室 を必要 とする。展示室 と1又
蔵庫 は両者 とも広ければ広 い程良 い
のは当然 で あるが、欧米の博物館 と比較 して も全体的に狭少 な我が国の博物館 に於 い ては何 もか も
とい う訳 にはいかないこ ともまた 当然である。
しか し、筆者 は博物館経営 の観点か ら博物館 の顔、否博物館その もので ある展示内容の充実 は勿
論 の事、収蔵庫 の面積 を割愛 してまで も展示室の面積 を拡大 すべ きであると考えるものである。
平成 15年 6月 に廃止 された 「
公立博物館の設置及び運営 に関す る基準 の取 り扱 い につい てJ(昭 和
48年11月30日 文 社社第141号)の 五、第 5条 関係 には都道府県立 ・指定都市立 と市町村立 の博物館
施設 の面積 と更に施設内の用途別面積が明記 されていたことは周知 の通 りであ り、 この条文が また
博物館展示室 の面積 の確保 L支 障を来た して いた もの と看取 されるのである。 つ まり、
都道府県立 ・
指定都市立博物館の望 ましい博物館 の床面積である6,000ぷの うち、展示 ・教育活動が2,500ぷ、保
管 ・研究関係が2,500ぷ、市町村 立 にあ っては、総面積2,000ぷ中それぞれが850ぷ と同等 なのであ
る。 この点が展示室の狭少化 を招 き、 リピー ト客 の誘引を阻害する結果 となって きた と指摘で きる
ので ある。
また ^方、1970年 (昭和45)の 文化庁文化財保護部 による 「
有形文化財 (美術 工芸 混1)の 展示 を
主体 とする美術 品または美術工芸品を多 く取 り扱 う博物館等 の施設配置 に関する基準 につい て」 で
は、・美術 工 芸品の収納のための収蔵庫 は展示室 の50%で ある こと、・展示室 の面積 は延面積 の30%
を越 えず最低1,000平方 メー トル以上であることが望 ましい、と明記 されて い る。 当該基準 は、美術
工芸 品、即 ち劣化因子 に対 し過敏で保存 の上で特 に留意を要 す る資料群 を意図 してい ると思われる。
それで も収蔵面積 は展示室 の50%以 ̲Lなので ある。そ して、展示面積 は延面積 の30%を 超 えず とい
うのは理解 に苦 しむが、最低1,000平方 メー トル以上であることが望 ましい とす る考 え方は正 鵠 を
射 た もの と考えられる。
収蔵庫 の必要面積
先ず、お断 りしておかなければならないこ とは筆者 は収蔵庫が不要であった り、狭少で良 い と述
―‑126‑―
國學院大學
博物館學紀要
2006年度 第 31輯
目次
地域博物館の視点 〜 県立館 にお け る 地域 "と 取組 〜 ………………・
杉 山
正
野タト
博物館 の歴 史
― 我が国に 「
野外博物館Jを 初めて紹介 した
南 方熊楠 の 野外博 物館 につ い て一 ……… ……… … ……… …… ……… … 落
合 知
野外博 物 館 と国立公 園 に関 す る一 考 察
一 国立 公 園制度 が成 立 る過
す
程 を通 して一 … …… ……… …… ……… …今
野
農 … … 33
博 物館 にお け る文 献 の保存 : そ の 意 味 と手段 つ い て ……… ……… …… ・
渡
邊 真
衣 …… 59
ジオ ラマ展 示 考 ― ジオ ラマの 舶 載 とそ の展 開史― …… …… ……… … 下
湯 直
樹 …… 71
…… …… ………… …… …… ……… …… ……… …
博 物館 とシネマ テ ー ク ・
菅
野 将
…… 91
聡・
…… …… ……… …… ……… …伊
博 物館 にお け る写真 につ い て の 一 考察 …・
藤 大
祐 … … 105
………………………………………小
展示 における 「
複製」活用事例 ……・
川 滋
子 … … 115
…………青
博物館経営か ら見 る展示室の面積 と基本展示法 ………………・
木
豊 …… 125
………………………古
歴 史的建造物 の活用 に関わる基 本方針 の選択傾向 ・
池 晋
禄 … … 133
……………………………………・
・
中世城郭史跡の整備 と活用 について ・
り
‖ 瀬 健
秀 …… 149
:・
……………………玉
博物館 に於け る 「
学校展示」 ― 問題点 と展望― …・
匡 … … 169
水 洋
國學 院大學
博物館學紀要 第 3 1 輯
発行 日 平
発行所
成
19 年
31 日
3 月
0 1 5 0 8 4 4 0 東 京都渋谷区東4 1 0 2 8
電話 (03)54660251(直
通)
國學 院大學 博 物 館 学研 究 室
編集権代表者
印 刷
株 式会社
青
秀
木
飯
豊
舎
國學 院大學
博物館學紀要 第 3 1 輯
発行 日 平
発行所
成
19 年
31 日
3 月
0 1 5 0 8 4 4 0 東 京都渋谷区東4 1 0 2 8
電話 (03)54660251(直
通)
國學 院大學 博 物 館 学研 究 室
編集権代表者
印 刷
株 式会社
青
秀
木
飯
豊
舎
國學院大學
博物館學紀要
2006年度 第 31輯
目次
地域博物館の視点 〜 県立館 にお け る 地域 "と 取組 〜 ………………・
杉 山
正
野タト
博物館 の歴 史
― 我が国に 「
野外博物館Jを 初めて紹介 した
南 方熊楠 の 野外博 物館 につ い て一 ……… ……… … ……… …… ……… … 落
合 知
野外博 物 館 と国立公 園 に関 す る一 考 察
一 国立 公 園制度 が成 立 る過
す
程 を通 して一 … …… ……… …… ……… …今
野
農 … … 33
博 物館 にお け る文 献 の保存 : そ の 意 味 と手段 つ い て ……… ……… …… ・
渡
邊 真
衣 …… 59
ジオ ラマ展 示 考 ― ジオ ラマの 舶 載 とそ の展 開史― …… …… ……… … 下
湯 直
樹 …… 71
…… …… ………… …… …… ……… …… ……… …
博 物館 とシネマ テ ー ク ・
菅
野 将
…… 91
聡・
…… …… ……… …… ……… …伊
博 物館 にお け る写真 につ い て の 一 考察 …・
藤 大
祐 … … 105
………………………………………小
展示 における 「
複製」活用事例 ……・
川 滋
子 … … 115
…………青
博物館経営か ら見 る展示室の面積 と基本展示法 ………………・
木
豊 …… 125
………………………古
歴 史的建造物 の活用 に関わる基 本方針 の選択傾向 ・
池 晋
禄 … … 133
……………………………………・
・
中世城郭史跡の整備 と活用 について ・
り
‖ 瀬 健
秀 …… 149
:・
……………………玉
博物館 に於け る 「
学校展示」 ― 問題点 と展望― …・
匡 … … 169
水 洋
© Copyright 2026 Paperzz