地域文化政策研究 - Fiber Bit

2012 年度 調査報告書
地域文化政策研究
第8号
2013 年 3 月
高崎経済大学地域政策学部
友岡研究室
地域文化政策研究
第8号
高崎経済大学地域政策学部
友岡研究室
はしがき
友岡邦之
本報告書『地域文化政策研究』は,高崎経済大学地域政策学部・友岡研究室所属学生
の卒業論文を元にした論文と,3 年次生の進級論文(演習Ⅰにおける課題)とをあわせ
て収録したものである.
友岡研究室の開室から時が経つにつれ,最近では,「地域政策学」に取り組む際の本
研究室なりの視点も定まってきたように思われる.その視点は,主に「コモンズ」「ソ
ーシャル・キャピタル」「コミュニタリアニズム」「ガバナンス」「アーキテクチャ」の
5 つの要素によって支えられている.
すなわち,他者との関係性の問題が深く関わる物的・人的資源としての「コモンズ」
「ソーシャル・キャピタル」,社会制度を構想する上での理論的根拠としての「コミュ
ニタリアニズム」
(あるいはリベラリズムやリバタリアニズム等の公共哲学),社会の統
治に関するエージェントと制度設計の問題としての「ガバナンス」「アーキテクチャ」.
これらのことが,地域社会における文化活動と文化政策のあり方の検討をメインテーマ
とする本研究室でも,積極的に議論されるようになっていったのである.
本年度もまた,学生たちの就職活動は困難を極めた.大半の学生が自身の進路を決め
るための活動に多くの時間をとられ,論文執筆に思うように注力できなかったようであ
る.私見では,論文を執筆し,研究を発表するための一連の作業は,就職活動をはじめ
とするさまざまな社会活動に応用できる重要な経験である.この作業を計画的かつ着実
にこなすことは,他の活動にもプラスに作用すると確信している.しかし,就職活動を
めぐる現在のような状況が続いていては,学生は論文を書くという行為(あるいはそも
そも大学で学ぶということ)に意義を見出さなくなるのではないか.指導教員としては,
そのことを強く危惧している.
各稿の執筆過程では,数多くの方々に様々な形で御協力いただきました.心より御礼
申し上げます.
目次
はしがき ......................................................... (友岡 邦之)
野外博物館と歴史的まちづくりの接続............................... (太田 岳)- 7 文化施設建設における住民合意
―佐久市総合文化会館建設計画の事例から― ................................... (高橋 実希)- 21 迫害されるコミュニティ
―喫煙者と非喫煙者の共存を目指して―........................................... (上原 広毅)- 21 高校野球を考える
―野球留学,その正体と意義― ......................................................... (前田 健太)- 50 農村における生き物との共存
―群馬県利根郡川場村の専業農家を例に― ....................................... (小林 美樹)- 65 フェアトレードにみる文化的価値の在り方
―持続可能性のある社会をめざして― ........................................... (大山 明日香)- 79 ご当地グルメの可能性
―パスタの街・高崎の挑戦― ................................................................. (高尾 亮)- 92 日本におけるコーチング普及の可能性
―夫婦の問題を乗り越えるための新しいプロセス― ...................... (丸尾 美生)- 105 アイドルとファンの距離と関係についての考察
―ジャニーズファンの実態と搾取される地方組― .......................... (和田 瑞歩)- 120 著作物と情報共有社会にみる所有意識.......................... (月井 菜緒)- 136 ネタ化するサブカル評価
―評価プロセスに入り込む外部的要素―...................................... (三代澤 淳弘)- 147 見巧者がつくる芸術
―映画振興における鑑賞者の役割― .................................................... (中 祥宏)- 158 中央行政主導の危険性
―地域 SNS に見る地方行政の役割― .............................................. (堀込 翔平)- 171 キャラクターが変える広報
―SNS におけるキャラクターを用いた広報― .................................. (庄司 倫弘)- 187 情報の海に沈む地域のメッセージ
―インターネット時代における地域広報― ..................................... (笹川 諒平)- 203 テレビがつくる「地域」
―放送から考える地域づくり― ....................................................... (要藤 貴幸)- 212 -
インターミディアリーアイドル
―地域の媒介者としてのアイドル― ................................................ (吉羽 侑稀)- 222 TCG による近世代間交流のすすめ .............................. (伊藤 拓哉)- 233 ネット・レビューの秩序
―2010 年以降のネットコミュニティのあり方を考える― .............. (小玉 悠太)- 242 記号としてのキャラクター
―私たちがキャラクターに求めたものとは― ................................. (阿部 裕美)- 259 ボーカロイドが開く可能性の扉
―CGM サイトにみられる協力関係とセルフプロデュース能力―... (石原 和樹)- 266 クリエイティヴィティの源泉
―理想の創造の場としてのレーベル― ............................................ (柴田 圭祐)- 278 -
Ⅰ
第 7 期生 卒業論文
野外博物館と歴史的まちづくりの接続
太田 岳
はじめに
近年,歴史的資産を活用した地域づくりが注目を集めている.中でも,地域の中に残る歴史的建
造物を保存活用した歴史的まちづくりにおいては,妻籠・馬籠地区(長野県・岐阜県)や川越本町
地区(埼玉県)など各地で年間数十万人の来訪者を集めるなど,地域の持続的な発展に成功してい
る.また 1998 年には登録有形文化財制度の開始,2011 年には,地域における歴史的風致の維持及
び向上に関する法律の制定などこれを支援する枠組みづくりも進んでいる.
さて,このような歴史的まちづくりの推進にあたっては,その前提条件として地域内に一定数
の歴史的建造物のストックがあることが求められる.ところが,多くの地域では都市区画整理や
過疎化などによって,それら歴史的建造物の多くが失われてしまった.このように歴史的建造物
が損なわれる状況下で,それらを保存活用しようという運動も同時に起こってきた.その中には
歴史的建造物がもとあった場所にそのまま保存される「現地保存」に成功したものが挙げられる.
その一方で,歴史的建造物がもとあった場所から移築,復元されることによって保存される事例
も出てきた.本論で取り上げる「野外博物館」での歴史的建造物の保存はその一例といえる.
さて,本稿ではこの「野外博物館」が地域づくりに貢献し得る事柄について検討を進めてゆき
たい.これを明らかにする上ではまず,野外博物館の収蔵する歴史的建造物がどのような役割を
果たし得るのかを検討することにした.その上でそれら歴史的建造物を収蔵する野外博物館の運
営のあり方を示したい.その後,その仮説に立って,我が国の野外博物館を比較し,その実際の性
格についてみていく.そこから,野外博物館を地域づくりに役立てる上でのシステムづくりにつ
いて提言をするというのが本論の主旨である.
1 歴史的建造物の役割の検討
1-1 本章のねらい
歴史的建造物は一般に,文化財指定や登録の行われていない建造から概ね 50 年以上が経過し
た建造物をいう.しかし,本稿では文化財指定や登録を受けたものについてもその範疇に含める
ものとしたい.次章以降で取り上げる野外博物館についても,それら文化財指定,登録を受けた建
造物を移築・復元したケースがみられるためだ.本章ではまず,この歴史的建造物の果たす役割と
は一体どのようなものであるか検討していく.
ところで,建造物には居住,若しくは商業,公共の用に供するといった役割が求められてきた.
ところが,個々人のライフスタイルや,商業,公共の場に対するニーズの変化から,歴史的建造物
はそういった従来の役割を十分に果たし得ないと判断されがちである.本稿ではそのような建造
物本来の役割,いわば機能面を留保するかたちで,それ以外に求められる,歴史的建造物のいわば
二義的役割について検討することを先にお断りしたい.
-7-
1-2 歴史的建造物の役割の検討
さて,検討に当たってはまず,歴史的まちづくりに取り組んだ人物の意見を紹介したい.これは,
前述のように,機能面では不足のある歴史的建造物を敢えて残した行動とその理由から,歴史的
建造物のもつ役割を見出せるのではないかと考えたためだ.はじめに,我が国の歴史的まちづく
りに先鞭をつけた北海道小樽市の「小樽運河を守る会」会長,峯山冨美氏はこのように語る.「ま
ちは過去・現在・未来に生きる人たちの共同作品である.運河と倉庫群は,小樽のまちのシンボル
であり,心臓部であり,町の個性なのだ.また,そのような場所を,今生きている我々が失うことは
到底できない.ここから,運河周辺に価値を見出しその保存に踏み切ったのだ.」(峯山 2007)北海
道小樽市は,運河とそれに沿って立つ明治-昭和期の倉庫群を活用して,歴史的まちづくりに取り
組んできた.この峯山氏の考え方は,運河と倉庫群が一体となってまちのシンボルや個性を創り
出しているというものだ.このことから,歴史的建造物には,まちのシンボルや個性を創り出す役
割があるといえるだろう.これは小樽に限ったことではなく,各地域の歴史的建造物も同様であ
ると考えることができる.
次に,近代産業技術史研究の第一人者である清水慶一は特に近代化遺産について以下のように
述べている.「近代化遺産は,人の営みや生業の跡であり,明治維新を境とした我が国の激変,近代
化の物語を伝える役割がある.」(清水 2000:156)これは,歴史的建造物の記憶装置としての役割
について示唆するものと捉えることができる.
建築史家の藤森照信氏はその講演の中で「人は見ている自然や町の建築が変わらないことで,
昔も今も自分が自分なのだというアイデンティティを得るのだと思う」(藤森照信 2011)と歴史
的建造物の果たし得る役割について述べている.先に挙げた三氏の発言を総合すると,歴史的建
造物は,まちの個性やシンボルとして存在することで,地域アイデンティティを創出させる作用
があることがいえるだろう.このことを念頭に置き,次章以降ではこれら歴史的建造物を移築復
元した野外博物館の運営のあり方について論じてゆきたい.
2
野外博物館における歴史的建造物の保存
2-1 現地保存の現状
第1章では歴史的建造物に求められる役割について検討を行い,歴史的建造物が地域において
その個性やシンボルとなること,また記憶装置としての役割を果たすことを検討した.またこれ
らが地域アイデンティティの創出に繋がることも確認した.
さて,このような性格を持つ歴史的建造物は,それがもとあった場所で保存や活用が図られて
いくことが望ましい.しかし,実際の現地保存には様々な困難が伴いその多くが今尚解体されつ
つあるのが実情だ.例えば,東京都特別区における近代建築の残存・消失状況の調査結果によれ
ば,1980年には23区全体で2191 件あった建築物の内,1998年時点で残存していたものは830 件
(37.88%),逆に消失した建造物は1360 件(62.07%)に上る.つまり東京都特別区内だけをみ
ても,20年弱の間に6割以上の近代建築が消失しているのである.この現地保存の難しさは,東京
-8-
都特別区に限らず全国的なものといえるだろう.
この現地保存に代わる保存方法として,歴史的建造物の移築保存をここでは取り上げたい.こ
れは,歴史的建造物を一度部材ごとに解体した上で,もとあった場所とは異なる場所で復元・保存
を図るものである.この移築保存を博物館の事業として実施しているのが,次章以降で主に取り
上げる野外博物館である.本稿ではとくに,この,野外博物館の運営のあり方について論じてゆき
たい.
2-2 野外博物館の分類
野外博物館とは,博物館資料としての保存活用を目的に,現地に存在する,または他から移築し
た家屋や構築物,もしくは動植物等で構成された博物館全般を指す用語である.新井重三はこれ
を「現地保存型野外博物館」
「収集展示型野外博物館」2種に大別した上で,更に自然系・人文系
という観点から分類した (表1) .
表1
現
地
保
存
型
野
外
博
物
館
自然・人文総合野外博物館
生活・環境博物館
自然系
自然系総合野外博物館
野外博物館
野生生物保護センター
天然記念物博物館
人文系
野外博物館
人文系総合野外博
物館
史跡・遺跡博物館
産業遺産博物館
収
集
展
示
型
野
外
博
物
館
野外博物館の分類
地域住民の伝統的な生活を環境と共に保存・育成・
発展させるもの
自然遺産を総合的に現地で保護育成し公開しているも
の
野生生物の保護・育成を目的とするもの
地質・生物等の貴重な自然遺産を保全し,
展示・公開しているもの.
現地で文化遺産を総合的に保存・修復し,
展示・公開しているもの
史跡・遺跡・城郭・家屋・町並みなどを
現地で保存・修復し公開するもの
生産工場・鉱山・坑道等の産業遺産を
保存・修復し,公開するもの.
自然・人文総合野外博物館
自然系
野外博物館
自然及び文化遺産を各地から収集し,
それを野外に移設・復元・展示し,公開するもの
自 然 系 総 合 野 外 自然を構成する岩石・鉱物・動植物などを
博物館
野外で展示公開するもの
動物園・植物園・ 各種の動・植物,魚類などを収集し,
水族園
生きているものを野外で飼育・栽培公開するもの
地学園・岩石園
人文系
野外博物
人文系総合野外
博物館
建築物等移設・
復元博物館
岩石の状態やその産状が理解できるように
野外に展示したもの
各種の建築物や美術・彫刻作品等を野外で
展示・公開するもの
各地から建築物資料等を収集し,
移設・復元して展公開するもの
新井重三 1989『野外博物館総論』を基に筆者作成
新井の分類によれば,本稿のテーマである歴史的建造物を移築保存するタイプの野外博物館は,
収集展示型博物館にあたり,更に人文系野外博物館-建築物等移設・復元博物館と考えられる.以
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後,本稿で野外博物館の語を用いる場合,特にことわりがない限りは,この人文系野外博物館建築
物等移設・復元博物館を指すものとする.
2-3 我が国における野外博物館の歴史的展開
ここでは更に野外博物館の歴史的展開について触れておきたい.我が国に野外博物館の理念を
はじめて紹介したのは南方熊楠である.植物学者として著名な南方は,神社の社叢の豊かな植生
に注目し,野外博物館の語を用いて,これを保存すべきとの考えを 1912 年に示している.
愛郷心は愛国心の根本なり.英学士学員バサーいわく,人民を土地に安住せしむるには,
その地の由緒,来歴を知悉せしむるを要す,と.氏は,近日野外博物館を諸村に設けんと首唱
す.名前は大層なれど,実はわが神林ある神社ごときものなり.この人二十年ばかり前本邦
に来たり,神林が土地の由緒と天然記念品を保存するに大功あるを感じ,予に語られしこと
あり.(南方[1912]2006)
南方は特に社叢,つまり野外における植生の保存に関して野外博物館の重要性を説いたが,筆
者はこれが歴史的建造物を移築復元した博物館にも通じる議論ではないかと考える.つまり,保
存された地域の歴史的建造物は,地域の特性を掴む上で有効なツールとなり得るのだ.
その後,1920 年代から 1930 年代にかけて黒板勝美や棚橋源太郎の手によってノルウェーの野
外博物館スカンセンiが我が国に紹介された.この流れを受けて,1937 年『日本民俗学会附属民俗
学博物館』が開館した.これは渋沢敬三が東京市郊外の保谷に設けたもので,民家 1 軒と倉庫 1
棟が移築された.ただ,本格的に設置が始まったのは 1956 年の日本民家集落博物館(大阪府)の開
館からである.この後,野外博物館の設置は全国に広まった.その分布を図 1 にまとめた.
全国に分布する野外博物館で保存される歴史的建造物の多くは,地域の気候風土を反映したも
のである.これを学び取ることは,南方のいう愛郷心,また地域アイデンティティの創出を助ける
ことであり,そこに野外博物館設置の主要な目的があるものと推察される.この野外博物館設立
の目的に関し,日本民家博物館「民俗館設立の記」には以下の記述がみられる.
“民俗館”を拡充し整備し,名実ともに西日本における文化センターたらしめ,学童教育の園
として,社会人観光の資として,いな進んで伝統日本を外国人にも紹介する場としたいと念願
するものである」また青木豊はこのように指摘している「史跡等の整備の目的は,第一義は地
域住民の“ふるさとの確認”であるところの郷土学習志向の契機であり,郷土学習の場である.
次いで交流人口を求めるための地域おこし,村おこしであり,地域文化の核を創出することに
ある.(鳥越憲三郎[1974]2006)
i
同国の首都ストックホルムのユールゴーデン島に所在する野外博物館.1891 年に民族学者であ
る A.ハセリウスによって設立された.敷地内には同国内より移築された,農家,木造教会,商店,とい
った歴史的建造物が移築復元されている.
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図 1 我が国の主な野外博物館一覧
これらの指摘からも,野外博物館の保存する歴史的建造物は,地域の特性を掴む,ここでいう郷
土教育のための有効なツールとして機能する可能性を期待することができる.このことはまた,
野外博物館運営のあるべき姿を指し示すものである.その点については次章で論じる.
4 地域博物館としての野外博物館
4-1 博物館 3 つの型
本章では野外博物館の運営の在り方について,博物館学上の「博物館の 3 つの型」の概念から
検討してゆきたい. 伊藤寿朗によると,博物館はその目的,調査研究の軸の違いから,中央志向型,
観光志向型,地域志向型と分類することができる.ただ,実際の博物館運営をみると,各志向の性
格を併せ持った運営が行われているケースもみられる.以下で検討を行う野外博物館の運営のあ
り方については,これを考慮した上で,特に求められる志向の傾向,その強弱の度合いについて論
じるものとすることを先にお断りしたい.
さて,筆者はこの博物館の 3 つの型の概念から野外博物館を捉えるとき,とくに地域志向型の
- 11 -
博物館,つまり地域博物館の概念に注目した.この地域博物館について,提唱者である伊藤寿朗は
以下のように説明している.
地域博物館は地域のさまざまな課題を,博物館が代行し,普及するのではない.地域のさ
まざまな課題は,地域に生きる市民自身が主体となって取り組むことが基本である.地域博
物館の役割は,こうした住民自治の原則を博物館の領域において,そして博物館の機能を通
して育み,支えていくことである.(伊藤 1986:263)
表2
博物館 3 つの型
目的
調査研究の軸
中央
人々の日常的生活圏や特定の
資料と人間との関係の,一般性,共通性
志向型
フィールドをもたず,全国・全県単位など
を課題とし,そこに価値を見出すこと
で科学的知識・成果の普及を目的とするも
を中心とする.軸となるのは各専門領
の
域ごとの法則や法則性
観光
地域の資料を中心とするが,市民や利用者
資料と人間との関係の,特殊性や意外
志向型
からのフィードバックを求めない観光利
性を課題とし,そこに価値を見出すこ
用を目的とするもの
とを中心とする.軸となるのは希少性
地域
地域に生活する人々の様々な課題に博物
資料と人間との関係の,相互の規定性
志向型
館の機能を通して応えていこうというこ
や媒介性を課題とし,そこに価値を見
とを目的とするもの
出すことを中心とする.軸となるのは
人々の生活課題(地域課題)
『市民のなかの博物館』伊藤寿朗 を基に筆者作成
また,金山善昭は地域博物館とまちづくりの関係について「地域博物館は『まちづくり』に貢
献するものである.(…)『まちづくり』に貢献する主要な施策に接続することが必要である」(金
山 2003:72)と指摘している.この指摘と同時に金山は,以下の領域が,地域博物館がまちづくり
接続するものとしている(金山 2003).
①地域文化の創造
②住民同士の新しいコミュニケ―ションの形成
③情報公開
④人権の尊重
⑤文化・歴史遺産や自然遺産の保全
⑥子どもたちへの学習支援⑦地域経済などへの波及効果
地域博物館としての野外博物館は,先に挙げた郷土教育のみならず,とくに⑤の機能によって
- 12 -
「歴史的まちづくり」に貢献するものと考えられる.この野外博物館による歴史的まちづくりへ
の貢献の1つの形態として,歴史的建造物の維持や復元に関する情報の提供が挙げられる.これ
に関して,大野敏は「民家野外博物館」について「民家の維持修理や日常管理に関する様々な情
報が蓄積され,民家維持・保存の情報基点足り得る資質を有している」(大野 2001:30)としてい
る.これは,野外博物館に移築保存された歴史的建造物が,館外,つまり地域の歴史的建造物維
持・保存に当たっての情報を得るための材料として有効,つまり野外博物館の歴史的まちづくり
への接続を示唆するものである.
本章では野外博物館の運営のあり方について検討した.ここから得られたのは,地域博物館と
しての野外博物館のあり方である.その貢献し得る地域課題とは,具体的には,歴史的まちづくり
が挙げられる.また,第 3 章で取り上げた郷土教育についても,地域博物館として果たし得る役割
と考えられるだろう.次章ではこの 2 点を仮説として,実際の野外博物館の事業をみてゆきたい.
5
野外博物館の実際
5-1 野外博物館の事業比較
さきに野外博物館は,とくに地域志向型博物館としての性格が強いとの仮説を立てた.それで
は実際の野外博物館の博物館活動,その事業は地域博物館の性格に近いものとなっているのだろ
うか.本章では我が国を代表する野外博物館2つの比較を試みて,その実際をみてゆきたい.
今回筆者が比較したのは「江戸東京たてもの園」と「博物館明治村」の 2 館である.今回両館
を選んだ視点として,移築保存する歴史的建造物の傾向(地域別・時代別)の違い,経営主体(公
営・民営)といったものが挙げられる.今回はこの 2 館の事業から来場者の傾向について推察した.
これは,先に取り上げた地域博物館の運営の特徴として,その主なターゲットが地域住民と設定
されており,それに準じた事業を展開しているためである.
5-2 江戸東京たてもの園の例
江戸東京たてもの園は東京都小金井市に所在する野外博物館である.運営は指定管理者である
東京都歴史文化財団が行っており,江戸東京博物館(墨田区両国)の分館として扱われている.開
館は1993年,7万㎡の敷地内には現在29棟の歴史的建造物iiが移築保存されている.これら建造
物の多くは江戸時代後期から戦後まもなくにかけて実際に東京都下に存在したものである.園内
は江戸後期の民家がある武蔵野ゾーン,大正期の住宅を集めた山の手ゾーン,商店等を集めた下
町ゾーンに分けられている.これら保存された歴史的建造物の内部では,生活民俗資料の展示を
行うとともに,町並みを再現・創造し,優れた建築文化の理解に役立つ展示を行っている.また四
季折々の行事や遊び,伝統工芸の実演を行っている.具体的には以下の事業が挙げられる.
① 情景再現事業
第3章で検討した通り,歴史的建造物は郷土教育のツールとして有用である.しかしながら,この
2012 年 10 月現在 1 棟が復元工事中.最終的に 30 棟となる計画
ⅰ
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ツールを実際の郷土教育に活用するにあたっては,その歴史的建造物がかつてどのように使われ
ていたのか,それを指し示す情景再現展示が同時に必要となる.江戸東京たてもの園ではこの情
景再現事業として平成22年度には季節毎にイベントを実施している.表3ではこれらイベントを
イベント名,期間,会場,参加者数でまとめた.尚,イベント内容について特に説明が必要と筆者が
考えたものについては表中で併記することとした.
表3
イベント名
江戸東京たてもの園イベント
期間
会場
参加者数
平成22年5月4・5日
園内全域
6,582人(当日来園
春期
子どもの日イベント
者)
内容:買い物ゲーム,泥団子づくり,チャンバラ,兜・風車づくりなど,昭和の子供たちの遊びを
再現
夏期
七夕折り紙教室
平成22年6月26・27日
西ゾーン 吉野家
102人
小暑のつどい
平成22年7月3日・4日
園内ビジターセン
2,051人(当日来園
ター前及東ゾーン
者)
内容:朝顔,ほおづきの鉢植えの販売や浴衣の展示などで初夏の風情を再現.
下町夕涼み
平成22年7月31日・8
園内全域
月1日
8,722人(当日来園
者)
内容:盆踊り,寄席,夜店などによる夏の夕涼みの風情を再現.
秋期
体験!発見!職人さん
平成22年10月2・3日
東ゾーン
2,380人(当日来園
者)
冬期
クリスマスリースづく
平成22年11月20・
ビジターセンター・ 32人
り
21日
田園調布の家
正月飾りづくり
平成22年12月11・12
東ゾーン
113人
園内全体
3,296人(当日来園
日
正月遊び
平成23年1月8・9日
者)
はらっぱ大会
平成23年2月12・13日
東ゾーン
2,176人(当日来園
者)
内容:ベーゴマ大会,チャンバラ大会,足湯,いろりでの湯茶のサービスを実施.
『事業実績 平成22年度(4)野外収蔵(分館) 江戸東京博物館』を基に筆者作成
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これら情景再現事業の他にも, 桐箪笥,江戸扇子といった江戸東京に残る伝統工芸の実演や,
ボランティアや近隣のサークル,大学生などの地域諸団体と連携による子ども居場所作り「武蔵
野えどまる団」 等の事業を展開している. 特に「武蔵野えどまる団」は,文部科学省が推進して
いる「地域子ども教室推進事業」の一環として実施されているものであり,博物館運営上の1つの
ターゲットとして地域が意識されている点が伺える.
次に江戸東京たてもの園の入園者実績をみてみよう.平成22年度の実績では以下の通りとなっ
ている.注目されるのは,東京都下の小学生,中学生及び教育活動での入館が無料となっている点
である.これは先に述べた,地域志向型博物館としての役割,郷土教育を念頭に置いたものと考え
られる.
表4
区 分
平成22年度
一 般
84,124人
大学生・専門学校生
8,809人
高校生、都外中学生
2,230人
65歳以上
23,103人
無料観覧者(小学生,都内中学生,教育活動等)
94,768人
合 計
213,034人
『事業実績 平成22年度(4)野外収蔵(分館) 江戸東京博物館』を基に筆者作成
5-3 博物館明治村の例
博物館明治村は,愛知県犬山市に所在する野外博物館である.管理運営は公益財団法人明治村,
経営は名古屋鉄道の子会社名鉄インプレスが行うという形態をとっている.館内には明治期に全
国で建てられた歴史的建造物が67棟移築保存されている.
この博物館明治村の平成22年度の事業報告書をみると,春から冬まで季節毎に園内の施設を利
用した体験型の催事を設けている.具体的には以下の内容及び期間を設定することでその集客を
図っている.以下にその主なものをまとめた.
表5
イベント名(会場名)
期間
①春催事『明治探険隊Ⅵ 創・世・記・外・伝』
平成22年3 月6 日-7 月25 日
第44 回明治村茶会(西郷從道邸)
平成22年4 月16 日・17 日
のりもの探険隊「廻してみよう!SL転車体験」
平成22年5 月22 日・23 日
②夏催事 『宵の明治村』(夏期夜間開園)
平成22年8 月7日-16日
夏のよしもと「呉服座」公演 (呉服座)
同上
ライトアップ明治村 (帝国ホテル中央玄関・東山梨郡役所ほか) 同上
10DAYS・JAZZナイト(帝国ホテル中央玄関前芝生広場) 同上
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③秋催事『明治秋色紀行-明治スイーツ&グルメ博』
平成22年9 月18 日-11 月28
日
「きもの」で楽しむ明治村
平成22年11 月13 日・14 日・
きもの試着体験(安田銀行会津支店)
20 日・21 日・23 日
秋祭りイベント(民族舞踊団「音舞」明治村公演ほか)
平成22年9 月19 日
11 月6 日・7 日
④冬催事『明治彩発見冬の明治村』
村のクリスマス(聖ザビエル天主堂)
平成22年12 月19 日-12月24
村のお正月「日本各地の門松・しめ縄めぐり」
平成23年1月1日-1月30日
村のバレンタイン
平成23年2 月1 日-2月13 日
『平成22年度事業報告書 博物館明治村』を基に筆者作成
博物館明治村の平成22年度の来場者は411,132人となっている.ただ,主なターゲットとされて
いるのは,地域外の住民と筆者は考える.まず,さきに挙げた催事の期間設定は,土休日や小学校
の長期休業期間に概ね合致する.また広報宣伝活動として,親会社にあたる名古屋鉄道の駅や電
車内,更に東海地区に路線網をもつ,東海旅客鉄道の車内に催事を告知するポスターが掲示され
ていることも,この地域外集客に重きをおいていることを推察させるものである.一方で,博物館
明治村には地域住民に向けた事業も存在する. 犬山市民総合大学がそれで,これは博物館の立地
する犬山市公民館との連携事業である.先の事業報告書によれば,平成22年度には以下の内容,日
程で3回行われている.
「犬山市民総合大学」募集人員:70人・受講料:2,000円
第1回「錦絵に見る明治の歴史と明治村」中野学芸員(10 月2 日)
第2回「海外の文化財保護」 鈴木館長(10 月16 日)
第3回「修理・修復と明治村」 石川建築担当(10 月 30 日)
『平成22年度事業報告書 博物館明治村』を基に筆者作成
5-4 観光志向型博物館としての野外博物館
本章では我が国の代表的な野外博物館として,江戸東京たてもの園と博物館明治村を挙げ,そ
の事業を比較した.結果,両博物館がターゲットとする利用者層には相対的な違いがみられるこ
とが分かった.江戸東京たてもの園は地域住民,博物館明治村は地域外住民を主なターゲットと
しているのである.このことから,博物館明治村は,野外博物館であっても観光志向型博物館とし
ての性格が強いことが推察される.
また江戸東京たてもの園については「歴史的まちづくりへの貢献」という観点からみると地域
博物館としての機能を十分に果たし得ているかどうかは断定し難い.何故なら第1章で述べた通
- 16 -
り,博物館の立地する東京都下に於いては,今尚歴史的建造物が失われる傾向にあるためだiii.そ
れでは,野外博物館を地域博物館として活用する,つまりは歴史的まちづくりに接続するために
は,如何なる取り組みが必要なのか.次章では主に野外博物館運営への市民参加の観点から検討
したい.
6 野外博物館運営への市民参加
6-1 ボランティア制度の存在
金山喜昭は,「地域志向型博物館がその機能を発揮するためには,まず学芸員が住民と日常的に
コミュニケ―ションをとることが前提となる.(中略)地域博物館がまちづくりに貢献するために
は,住民の理解や協力などが不可欠である」(金山 2003:110)としている.これを野外博物館に置
き換えると,それが歴史的まちづくりに貢献するためには,その運営への市民参加が求められる
ということである.
この博物館運営への市民参加の一形態として,ボランティア制度が挙げられる.このボランテ
ィア制度について,博物館の整備・運営の在り方についての文部省社会教育審議会社会教育施設
分科会は以下のような答申を示している.
博物館活動の活発化を図るためには,その活動等に関わる多彩な人材が必要であり,また
人々の社会参加意識を高めるためにも教育ボランティアの導入等を促進する方策が必要で
ある.特に専門的知識や技術をもった人材を活用するとともに,高齢者などの生きがいを高
め,その豊かな経験や知識を発揮させるような多様なボランティア活動の場を積極的に提
供することが極めて重要である.(社会教育審議会 1990)
我が国の野外博物館でボランティア制度がはじめて採り入れられたのは,川崎市立日本民家園
であり,1994 年(平成 4)にボランティア養成講座が開講されている. 三輪修三によると,現在約
100 名の会員が登録され,開園時は 10 人前後のボランティア会員が来園し,2 棟から 3 棟の建物に
ついて清掃・薫煙・来園者のガイド・園内の巡回にあたっている他,各種の講座や講演会での受
付けや会場準備などの補助を行っている.また,担当職員が専従に近い状態でボランティア会員
との連絡調整にあたり,月 1 回学芸職員による学習と連絡会を実施して円滑な運用を行っている
(三輪 1999) .
先に紹介した江戸東京たてもの園にも「ひじろ会」の名でボランティア団体が存在する. これ
は 2000 年(平成 10 年)より活動を開始したもので,同館の開館時は常時 30 名のボランティアスタ
ッフがその運営の補助にあたっている.ボランティアの主な内容は,園内の案内,建造物のガイド
ツアーとワンポイントガイド,茅葺き屋根の民家を保護するための燻煙,植栽の手入れ,耕作と川
iii
日本建築学会が1980年に刊行した「日本近代建築総覧」掲載の,23区内の近代建築は219
6件。このうち,2009年末時点で残存が確認されたのは585件だった.
- 17 -
崎市立民家園のボランティアと共通するものの他,第 5 章で取り上げた同館の各種事業の運営補
助と多岐に渡っている.
6-2 ボランティア制度の限界
ただ,このボランティア制度が野外博物館の地域志向を強めると主張するのは早計である.何
故なら,先に比較検討し観光志向が強いとみられる博物館明治村に於いても,市民がボランティ
アとして先に紹介した業務にあたっているのだ.確かに来園者へのホスピタリティ向上や,建造
物への理解を深める観点から,ボランティア制度は野外博物館運営に採り入れられて行くべきも
のだろう.ところが,これを,地域志向型博物館として運営するにあたっての十分条件と言い難い
ことも指摘せねばならない.
ボランティア活動は来園者の博物館資料に対する理解,博物館を利用する上でのサービス向上
には役立っている.しかしながら,これが野外博物館を地域に接続するための施策としてはまだ
十分に機能していないのが現状である.次章では,地域博物館として,野外博物館はどのような市
民参加の形態をとるべきか,野田市郷土博物館の事例から考察していく.
6-3 新しい市民参加システムを探る-野田市郷土博物館の事例
野田市郷土博物館は千葉県野田市に所在する博物館である.開館したのは 1959 年(昭和 34 年)
であり,千葉県では初の登録博物館でもある.設置者は野田市であるが,2007 年(平成 19 年)に指
定管理者制度が導入され,その運営には地域のNPO法人野田文化広場があたっている.なお館
外施設として,重要文化財旧花野井家住宅,同敷地内に国登録有形文化財の旧茂木佐邸を有し,
野外博物館としての側面もあることも併記しておきたい.
筆者がこの野田市郷土博物館,NPO法人野田文化広場に注目したのは,同法人が博物館内外
の歴史的建造物についてその調査研究,活用に向けての取り組みを行っている点にある.例とし
て,博物館内の旧茂木佐邸において,寺子屋講座と称して「まちの仕事人講話」「芸道文化講座」
「親子体験実習」の3テーマ毎の活動を行っている.これは指定管理者となる以前, 2005 年(平
成 17)度からの継続している事業である.また,館外活動として,野田市中心市街地に現存する歴
史的建造物についてイラストマップを作成しこれを紹介している .これらの取り組みの結
果,2007 年(平成 19 年)には,市内の歴史的建造物 13 件が,経済産業省の近代化産業遺産群として
認定を受けた.
野田市郷土博物館の事例から,地域博物館運営への市民参加の 1 つのあり方がみえてくる.そ
れは,博物館組織の外に作られた市民による組織が,博物館運営に参加することによって,博物館
の機能を地域に還元し実際のまちづくりに役立てるシステムである.これは野外博物館の機能を
地域に接続するためにも応用できる仕組みと考えられるだろう.
金山喜昭は「最初は認知を変えて,行為を変えて,行動を変えて,最後に価値観を変える」(金山
1999:130)ことが,地域博物館の果たす役割としている.これを野外博物館について捉えると,地
域住民の歴史的建造物に対する認識を変え,その保存や活用を行う,その結果,歴史的建造物が地
- 18 -
域資源とした歴史的まちづくりが今後推進されるものと考えられる.
おわりに
本稿では,歴史的建造物が持つ役割を基点に,それを移築保存した野外博物館の運営のあり方
について考えた.このための検討の過程に於いて導き出されたのは,歴史的建造物はもとより,野
外博物館それ自体も郷土教育のツールとして有用であり,また歴史的まちづくりに貢献し得る存
在,との考え方である.
本稿ではこの考え方に基づき,野外博物館は地域博物館としての性格が強いものとする仮説を
立てた.ところが実際の野外博物館の運営をみていくと,必ずしも地域志向型博物館とは成り得
ていない,寧ろ観光志向型博物館としての性格が強い傾向も伺えた.
こうした野外博物館の地域志向を強めるための施策として,本稿では博物館活動・運営への市
民参加を提案した.ところで従来の野外博物館にはボランティア制度という形での市民参加があ
った.しかし,これだけでは地域への接続が不十分である.今回は NPO 法人がその運営に携わる野
田市郷土博物館の事例を参考に,博物館組織の外に市民による組織をつくり,野外博物館から地
域の歴史的まちづくりへ接続していくシステムづくりについて提案した.
そもそも野外博物館で保存される歴史的建造物は,やむなき理由でもとあった場所から移築さ
れたものである.今後はこの野外博物館を基点として,地域に残る歴史的建造物の活用,歴史的ま
ちづくりが推進することを期待したい.
文献
峯山冨美 2007 小樽 運河と共に生きる まちは過去・現在・未来に生きる人たちの共同作品『証
言・町並み保存』学芸出版社 27-50
清水慶一 2007『近代化遺産探訪
知られざる明治・大正・昭和』230
伊藤寿朗 1986 地域博物館論『現代社会教育の課題と展望』明石書店 263
伊藤寿朗 1993 地域博物館論『市民のなかの博物館』吉川弘文館 155-164
金山喜昭 2003『博物館学入門-地域博物館学の提唱-』慶友社 72-75,110
三輪修三 1999 Ⅸ館種別博物館の企画運営 野外博物館『新版博物館学講座 12 博物館経営論』雄
山閣出版 213-218
大野敏 2001 民家保存メニュー拡大と民家野外博物館への期待『建築雑誌』vol.116.30
金山喜昭 1999「まちづくり」の心を育てていく地域博物館を『地域博物館のソーシャルマーケ
ティング戦略』アム・プロモーション 130-140
村上義彦 1997『地域博物館概論』雄山閣出版
文部省社会教育審議会社会教育施設分科会 1990『博物館の整備・運営の在り方について』
事業実績 平成 22 年度(4)野外収蔵(分館) 江戸東京博物館
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/about/results/pdf/22_koueki2.pdf
- 19 -
平成 22 年度事業報告書 博物館明治村
http://www.meijimura.com/guidance/pdf/22jigyouhoukoku.pdf
ボランティア活動|江戸東京たてもの園 http://tatemonoen.jp/volunteer/index.html
博物館明治村ボランティア会
http://www.meijimura.com/102/voranteerhp/DATA/volunteer/index.html
- 20 -
文化施設建設における住民合意
―佐久市総合文化会館建設計画の事例から―
高橋 実希
はじめに
2010(平成 22)年,長野県佐久市にて,
「佐久市総合文化会館建設の賛否を問う住民投票」が行
われ,文化会館の建設中止が決まった.条例に基づき地方自治体が実施した住民投票は全国で
400 件に上るが,そのほとんどが市町村合併に関連するものであり,それを除けば 18 件しかな
い.さらに,その 18 件のうちの多くが産業廃棄物処分場や原子力発電所の建設に関する住民投
票であり,この佐久市総合文化会館建設の是非を問うた事例は全国的に珍しいものだといえる.
2005 年の事例を嚆矢に,公共施設の建設に関する住民投票が登場し,この佐久市総合文化会館
建設の事例で 3 件目となる.これは,
「ハコモノ」と批判されてきた施設建設という公共事業の
是非が,住民の判断に委ねられる時代になってきているといえるのではないだろうか.
本稿では,その公共施設の建設の是非を問うた住民投票の中でも直近の事例である,佐久市総
合文化会館建設について取り上げ,文化施設建設という公共事業に焦点をあて,施設建設の是非
を問い直し,文化施設の在り方を考える.今日における公立文化会館をはじめとした公立文化施
設の意義,必要性とはどのようなものなのか,そして,これからの文化政策にはなにが求められ
ているのだろうか.
1 佐久市総合文化会館にみる文化施設建設の諸問題
まず,本稿で主に扱う文化施設である「文化会館」とはなんだろうか.社団法人全国公立文化
施設協会によると,文化ホール機能を有する文化施設のことを,一般的に,
「文化会館」
「文化ホ
ール」「文化施設」
「劇場・ホール」などと呼ぶi(社団法人全国公立文化施設協会 2007).
従来,公立文化会館には,博物館施設における「博物館法」のような根拠法がなく,法的な定
義が存在しなかった.しかしながら,2012(平成 24)年 6 月 27 日に「劇場,音楽堂等の活性化に
関する法律(通称:劇場法)」が施行され,今後,文化ホールの在り様が変化していくことが予
想されている.
それでは,佐久市総合文化会館はどのような文化会館を目指して建設されようとしていたので
あろうか.建設計画の発端から中止に至るまでをみてみよう.
i
所管する官庁や行政的位置づけ,開設経緯などの違いから「文化会館」や「文化センター」,
「市
民プラザ」などの様々な呼称が用いられている.本稿では,佐久市総合文化会館を「文化会館」
と表記することがあるが,それ以外は「文化ホール」で統一する.
- 21 -
1-1. 時期を逸した建設計画
1986(昭和 61)年 9 月,文化団体などで組織された「佐久市文化会館建設推進協議会」が陳情
書を旧佐久市に提出した.これを契機に,佐久市総合文化会館建設計画は検討され始めた.翌年
3 月には,建設資金を確保するため「佐久市総合文化会館建設基金」が設置され,団体や個人か
ら寄附金が寄せられていった.
ところが,この建設計画は市長の交代を機に頓挫することになる.この計画を進めていた三浦
大助市長は,旧佐久市から現佐久市にまたがり,20 年(1989~2009 年)という長期にわたって市
長を務めていた.しかし,2009 年より文化会館建設に「慎重な検討」を行うことを公約した柳
田清二氏が市長に就任したことにより,事態が変わったのである.
そして,2010(平成 22)年 11 月 14 日,長野県佐久市にて,佐久市総合文化会館建設の賛否を
問う住民投票が行われた.投票結果は建設反対が 3 万 1051 票,賛成が 1 万 2638 票であったii.
この結果を受け,柳田清二市長は建設中止を表明したのである.
このような経緯から,文化会館建設計画が立ち上がったのは,住民投票が行われる 24 年前で
あったことがわかる.このことから,24 年もの年月が経ったことで,文化会館建設の話が出た
当時と時代や状況が異なり,住民投票が行われたときには,市民に文化会館を必要と考えない人
が増えていったと考えられるのではないだろうか.
では,なぜ 24 年という長きにわたって建設計画が進展していかなかったのだろうか.その理
由の大きなひとつとして,合併特例債があげられる.
1-2. 合併特例債
合併特例債とは,現在は失効となっている市町村の合併の特例に関する法律(旧合併特例法)が
1999(平成 11)年 7 月に一部改正されてできた,いわゆる「平成の大合併」を促進するために設
けられた制度で,市町村が合併したことにより必要となる事業について使用できる借入金である.
合併年度とこれに続く 15 ヵ年度iiiに限って活用が認められており,対象事業費の 95%を借り入
れることができ,さらにその元利償還金の 70%が国から合併市町村に普通交付税として交付さ
れ,残り 30%を合併市町村が負担するという地方債である.2005(平成 17)年 3 月 31 日までに
合併申請を行い,2006(平成 18)年 3 月 31 日までに合併した市町村に認められている.
佐久市は,2005(平成 17)年 4 月 1 日に 4 つの市町村が合併して新たに佐久市となっており,
この合併特例債を利用するために,合併後の文化会館建設を望んだと考えられ,結果として計画
が遅々として進まなかったのではないかということがいえる.
また,この合併特例債自体に問題があるようだ.普通交付税は,基準財政需要額が基準財政収
入額を上回る額(財源不足額)に応じて配分されているが,この合併特例債は地方交付税の基準財
政需要額に算入されるものであると言っているにすぎず,元利償還金の 70%を国からもらえる
投票率は成立要件の 50%を満たす 54.87%であった.
2012(平成 24)年 6 月に合併特例債延長法が成立し,10 ヵ年度から延長された.合併市町村が
特定被災地方公共団体又は特定被災区域をその区域とする市町村である場合は,20 ヵ年度であ
る.
ii
iii
- 22 -
保証がないというのである.
そもそも,市町村合併を国が推進した目的のひとつは,少しでも地方交付税を受け取る自治体
をなくして,地方交付税を削減することである.合併が行われた場合,スケールメリットにより
人件費や内部管理経費などの様々な経費の節減が可能となり,一般的には基準財政需要額が減少
し,それに従って交付税額も減少する.ただ,合併による経費の節減は,合併後直ちにできるも
のばかりではないことから,合併特例債には合併算定替という特例が設けられているiv.しかし,
このような特例があるとしても,15 年という期限を過ぎれば合併前よりも地方交付税が減額さ
れるということを忘れてはならない.いうまでもなく,合併すれば地方交付税はむしろ減額され,
旧市町村が交付されていた総額を下回るからこそ,特例的に期間限定で激変緩和措置がとられて
いるのである.
さらに合併特例債には,地方交付税の財源自体が景気変動に連動するため不安定であり,不況
期には大幅に減収するという問題がある.それゆえ,合併特例債の返済分は交付金を受け取れた
としても,特例債以外の,子育て・医療・福祉等に使える部分で交付金が減らされるということ
が起こりうるのである.
1-3. 土地の買収問題と立地問題
佐久市総合文化会館建設計画は中止になったとはいえ,佐久市はすでに合併特例債を利用して
31 億 40 万円を借り入れている.佐久市は 2007(平成 19)年度より,佐久市総合文化会館建設事
業に着手しており,その事業費にあたっては合併特例債を使用していたのである.おもに土地の
購入費として,この 31 億 40 万円という額の合併特例債は使用されているが,この土地の購入
に問題があったようだ.
「佐久市総合文化会館の建設に反対する会」の代表の井上隆氏がいうには,1994(平成 6)年,
当時佐久市長であった三浦大助氏が理事長を務める佐久市土地開発公社は,三浦大助市長の依頼
で,
「公共広場等」を目的とするという覚書のもと,当該する土地を取得した.しかし,この土
地が佐久市総合文化会館の予定地であると明らかにされたのは 2005(平成 17)年の第 1 回定例会
議でのことで,それまで市民にも議会にも知らされてはいなかったのである.(井上隆 2011)
佐久市総合文化会館の予定地となった場所は,佐久平駅の周辺である.佐久市では,1998 年
の長野オリンピックの開催に合わせ,長野新幹線が 1997 年に開通した.これにより,佐久平駅
の周辺は開発が進み大型商業施設が立ち並び,発展していったようにみえる.その一方,かつて
栄えていた商店街は閑散としたシャッター通りと化している.もし,佐久市総合文化会館が佐久
平駅周辺にできていたら,この商店街の衰退をはじめとした,新幹線の駅から離れた地域の衰退
に拍車がかかっていたのではないだろうか.新幹線の駅周辺に文化会館が建てられることで,市
外からの集客は見込めるかもしれないが,佐久平駅から離れた地域についてはどうだったのであ
市町村の合併の特例に関する法律(旧合併特例法)第 11 条第 2 項より
合併が行われた年度およびこれに続く 10 ヵ年度は合併関係市町村がそのまま存続したものとし
て,算定される交付税額の合計額を保障し,その後 5 ヵ年度については保障額を段階的に縮減
していくというもの.
iv
- 23 -
ろうか.
かくして,佐久市は 2008(平成 20)年度に合併特例債で 30 億 2,590 万円を借り入れ,市長選
直前の 2009(平成 21)年 1 月に佐久市土地開発公社から 31 億 8 千万円で用地を取得したのであ
るが,一市民としては高額すぎるように思える.国は公社の取得金額が適正であるか検討してか
ら合併特例債の貸し付けを行ったのであろうか.
佐久市総合文化会館の建設の中止により,すでに借り入れた 31 億 40 万円の合併特例債につ
いて,速やかに借入金融機関へ返済する必要性が生じることとなった.合併特例債事業がなくな
ったとなれば,元利償還金の 70%が国から合併市町村に普通交付税として交付されるという合
併特例債のシステムが認められないため,ただちに国へ一括返金しなければならなくなるのであ
る.佐久市は,そのような合併特例債の返済等による財政への影響を避けるため,すでに借り入
れた合併特例債の,他の合併特例事業への振替が認めてもらえるように,佐久市総合文化会館の
予定地を,公園・緑地「市民交流ひろば」として活用する方針を示した.合併の新市建設計画に
も盛り込んだ「公園・緑地の整備」に沿う事業を採用することで国側の了解を得ようという考え
である.
2 市民の意識
ここまで,佐久市総合文化会館建設中止に至るまでの経緯をたどり,文化会館建設の諸問題に
ついて述べてきたが,市民は文化会館建設問題をどのように考えていたのであろうか.2 章では,
建設中止後に問題となった基金のゆくえについて現状を把握し,市民運動である署名活動につい
て問題となったことに触れ,佐久市総合文化会館建設計画が頓挫する決め手となった住民投票に
ついて述べる.
2-1. 建設中止後の基金のゆくえ
1-1 で,佐久市総合文化会館建設計画が検討され始めた翌年に,建設資金を確保するため「佐
久市総合文化会館建設基金」が設置され,団体や個人から寄附金が寄せられていったことを述べ
たが,建設中止後,この基金の用途が問題視されている.佐久市には,1987(昭和 62)年から積
み立てられてきた基金が約 19 億円存在する.この基金のうちの約 819 万円が文化会館建設のた
めに集められた寄付金なのである.市は,文化会館建設ではない他の文化的政策のための資金へ
の基金の用途変更を発表し,寄付した人々に対し説明会を開いている.同様の問題を抱えた事例
として,2010 年に「文化会館建設基金」を「文化振興基金」に改め,事実上建設中止となった
新潟県三条市の文化会館建設計画がある.この建設基金は旧市時代の 1973 年に設立された.し
かし,財政難から積み立てが順調に進まず,新市の合併建設計画から漏れ,基金だけが残り,
2008 年度末の残高は,個人・団体からの寄付金約 600 万円と一般会計からの積立金を合わせ
7278 万円となっている.
- 24 -
2-2. 水増しされた署名
施設建設問題などでは署名運動といった住民運動がしばしば行われるが,佐久市ではこの署名
運動において署名の水増し事件が発生した.人口約 10 万人の佐久市で 50 万人の署名が集まっ
たというのである.
2007(平成 19)年 3 月,区長会や文化団体などでつくる「早期建設促進を願う会」が提出した
陳情を市議会が採択し,計画を作るための協議会が設置された.しかし,この陳情に添えられた
署名を「署名団体 1291 団体,延べ人数 50 万人」と掲げたことが,実態のない数字だとして強
い批判も浴びたのである.当時の佐久市長三浦大助氏は議会答弁にて,「非常に多くの市民の要
望があり,市民の文化会館に向けての関心が高まっている」と答えている.
これを受けて,50 万もの署名などあり得ないと疑問を呈した人々が署名の内容開示を請求し
たところ,団体名や他何名といった記載があり,自筆の署名は 1388 名のみであることが判明し
た.この事件により,市長が強引に建設を推進しようとしているのではないか,という疑念が市
民の中に広がっていったのではないかと考えられる.
2-3. 「民意」とは
2010(平成 22)年の「佐久市総合文化会館建設の賛否を問う住民投票」で,文化会館の建設中
止が決まったことは先にも述べたが,この住民投票に問題はなかったのだろうか.
住民投票の投票率は 54.87%であった.投票率が,市民の関心度を表していると考えるのは早
計であるといえよう.しかし,54.87%という投票率はけっして高いとはいえず,もっと高い投
票率を目指すべきなのではないだろうか.市民一人ひとりの文化施設への関心度を高め,文化施
設に関する理解度を向上させるべきである.現状では市民だけではなく,行政と市民両者の文化
施設への理解度が危ぶまれているように感じる.
これまでに述べた,巨額な土地の買収問題や署名問題による建設計画への不信感,合併特例債,
市長交代,そして住民投票による「民意の反映」などといった様々な要素が積み重なって,佐久
市総合文化会館は建設中止となった.しかし,忘れてはならないのは,ここでいう「民意」とは,
「多数派の意見」であるということである.
「佐久市総合文化会館建設の賛否を問う住民投票」
の場合の「民意」では,有権者の 54.87%のうちの約 71%の意見ということになる.投票におい
て,少数派の意見もまた「民意」であり,さらに言えば非有権者の意見も「民意」である.
「民
意」という言葉は少数派の意見を駆逐するかのような力をはらんでいる.「民意」とはあくまで
「民のうちの多数派の意見」であるということを銘肝すべきである.
3 ハコモノ行政か文化の拠点づくりか
バブル経済が発生した 1980 年代後半から,その崩壊後の 1990 年代にかけて,
「ハコモノ」と
よばれる施設が乱立した.
「ハコモノ」とは,施設や建造物の設置そのものが目的となり,その
利用目的や活用方法が十分に検討されないまま事業が推進された結果,施設が有効に活用されず,
さらには維持管理費によって財政に悪影響を及ぼすだけの無駄なモノとなってしまった公共事
- 25 -
業の事例の俗称である.
現在,そのような過去の影響が大きなものとなり,日本社会では公立施設建設に対し,「ハコ
モノアレルギー」ともいえる現象を引き起こしているという可能性も考えられるのではないだろ
うか.社団法人全国公立文化施設協会によると,全国の公立ホール数は 2227 館である(2012 年
11 月 12 日調べ).この数は多いのだろうか少ないだろうか,それともちょうどいいのだろうか.
1,2 章では佐久市総合文化会館建設計画の経緯やそれにまつわる問題などについて述べてきた
が,3 章では文化施設そのものに注目して,佐久市総合文化会館建設問題について考察したい.
3-1. 文化ホールのキャパシティ
まず,文化ホールのキャパシティ(座席数)についてみてみよう.佐久市総合文化会館は,1476
席の文化ホールを建設する計画であった.この約 1500 席という文化会館建設計画は,文化ホー
ルのキャパシティとして,どのようなものだったのであろうか.
全国の公立文化ホールを大ホール①(座席数 2000 席以上),
大ホール②(座席数 1000~1999 席),
中ホール(座席数 500~999 席),小ホール(座席数 499 席以下)に分けると,大ホール①82 館,大
ホール②573 館,中ホール 1060 館,小ホール館 1130 館となっているv.さらに,
大ホール①の 82 館の管理機関別にみてみると,政令指定都市 15 館,都道府県 30 館,区市町村
31 館,その他 6 館である.
図 1 全国の文化ホールをキャパシティ別に分けた割合
v
1 施設にホールが複数存在する場合があるため重複している.
- 26 -
この大ホール①を管理している区市町村の人口規模を多い順に並べて表にした(表 1).佐久市
もこの表に加えてある.佐久市の人口は 2012(平成 24)年 12 月 1 日現在,100,408 人である.
表 1 大ホール①を管理している区市町村の人口順位
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
区市町村
川口市
松山市
宇都宮市
福山市
長崎市
富山市
岐阜市
高崎市
所沢市
福島県郡山市
青森市
福井市
富士市
佐世保市
人口
580986人
517181人
515296人
473169人
442299人
422113人
418653人
375536人
343265人
328280人
300778人
268643人
260182人
258503人
15
16
17
18
19
20
21
22
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24
25
26
27
28
29
府中市
つくば市
渋谷区
甲府市
出雲市
佐久市
宗像市
岩見沢市
大島郡
土岐市
西脇市
西牟婁郡
富士河口湖町
遠賀郡
川上郡
252036人
217725人
212019人
195781人
175015人
100408人
96238人
88744人
70714人
61474人
43474人
41635人
26345人
19651人
16404人
文化ホールのある区市町村の人口規模を調べたところ,座席数 2000 席以上の文化ホールの人
口規模は,約 16000 人から約 580000 人と大きな差があり,単純に人口規模のみで文化ホール
のキャパシティは判断できないということがわかった.
では,今度は文化ホールの用途から,文化ホールのキャパシティについて考えてみる.以下は,
「山猫森猫」というブログからの引用である.
サザンオールスターの全国ツアーはドームクラスばかりだったが,2005 年のツアー
「SOUTHERN ALL STARS Live Tour 2005 みんなが好きです!」では,新潟県民会館
(1730 席),愛媛県県民文化会館(ひめぎんホール)(3000 席),青森市文化会館(2031 席)
でもコンサートが開かれた.
アンジェラ・アキ Concert Tour 2009 は,青森市文化会館(2031 席),秋田県民会館
(1839 席),郡山市民文化センター(2004 席),宇都宮市文化会館(2000 席),茨城県立県
民文化センター(1764 席),新潟県民会館(1730 席),群馬音楽センター(1932 席),三重
県文化会館(1903 席),周南市文化会館(1800 席),島根県民会館(1804 席),熊本市民会
館(1800 席)など,そして県内はまつもと市民芸術館(1800 席)である.
アンジェラ・アキのツアーのチケットは 6000 円だ.2000 席なら売り上げが 1200 万
円,1800 席なら 1080 万円,1500 席なら 900 万円の売り上げになる.会場の使用料は
売り上げに比べればきわめて小さい.リハーサルもステージのセッディングのコストも
会場の規模で変わるものではない.当然,席数の多い会場のほうが魅力的だ.全国規模
- 27 -
のコンサートツアーでの利用を考えるなら,最低でも 1,800 席,できれば 2,000 席は
必要だということである.収容人数 1500 席では,プランニングの段階で検討対象から
外されてしまう.(山猫森猫 2009)
以上のように,佐久市総合文化会館の 1500 席というキャパシティは,全国規模のコンサート
ツアーを誘致するには小さいということがわかる.佐久市総合文化会館は,全国ツアーなどのコ
ンサートライブはあまり視野に入れてはいなかったのであろうか.だとすれば,その文化会館の
用途を市民に明確に提示する必要があったと思われる.ただ,クラシック音楽の場合は 1500 席
が良いとされていることもありvi,一概に 2000 席以上の大ホール①をつくるべきであったとは
いえない.だがいずれにせよ,文化会館の用途をより詳細に市民に知らせるべきであった.
3-2. 巡回コンサートと文化振興
3-1 で全国規模のコンサートツアーの例を引用したが,その巡回コンサートについて,文化振
興との両立という観点から考えてみたい.
まず,巡回コンサート等への貸館事業とはどのようなものなのだろうか.社団法人全国公立文
化施設協会,貸館事業について以下のように説明している.
自主文化事業の本数にもよりますが,行政行事等含めて開館日の半分から 3 分の 2 以
上は貸館という館が大半です.……つまり,貸館事業は公立文化会館の主要事業であり,
……ともすると「場所貸し」と安易に考えられがちですが,実際には,自主文化事業予
算の多寡にかかわらず,貸館公演が活発に行われることによって会館への理解,支援者,
理解者の拡大などがはかれるということです.……ホールを貸し出すことにより,プロ
の文化芸術団体やアーティスト公演が行われ,地域住民が一流の芸術作品に触れる機会
が拡大します.また,圏域の文化芸術団体が館を利用することによって地域の文化活動
の育成がはかられ,館を中心に地域文化ネットワークが形成されます.さらに,このネ
ットワークに館内の自主文化事業や施設管理などが連関して,地域の文化芸術振興に大
きく貢献していきます.これらを考え合わせると,貸館は文化芸術支援や市民文化支援
の一環であるともいえます.(社団法人全国公立文化施設協会 2007)
社団法人全国公立文化施設協会によれば,巡回コンサート等への貸館事業も文化振興のために
は重要なことであるようだ.まずは,施設がちゃんと使われていると市民が感じることが大切だ
ということであろう.
次に,上記の社団法人全国公立文化施設協会の説明にもある自主事業について考えてみる.佐
1560 席というのは,シューボックススタイルの原点となったライプツィヒのケヴァントハウ
スと同じ席数であり,クラシックの様々なレパートリーを演奏するのにふさわしいコンサートホ
ールであると言えます.石川県立音楽堂ホームページより,(2012 年 12 月 17 日取得,
http://www.ongakudo.jp/info/concert/index.html)
vi
- 28 -
久市総合文化会館では,巡回コンサート等への貸館事業とは別に,自主事業としてクラシック音
楽やポップス音楽,演劇,ダンス,古典芸能,映像,そのほかワークショップなどを計画してい
た.この自主事業について,かつて望月町役場職員を務め,現在は民芸館館長や NPO 法人理事
長として文化によるまちづくりに取り組んでいる吉川徹氏は次のように述べている.
私が最初に疑問に思ったのは,文化会館の自主事業である.後に広報佐久号にも記さ
れたが,積極的に事業をやる場合年間 23 回オーケストラ・室内楽・バレエ・歌舞伎・
ミュージカルなどを企画するとなっている.他の例を見ても,これらを満席にするのは
大変だろうが,市当局は満席に近づけるために,文化団体の協力も求めるだろう.私た
ちは今まで,小さなコンサートや演劇上演にしばしば取り組んできたが,手分けしてポ
スターを張り,チラシを配り,チケットを売って,ようやく採算を合わせて,出演者と
ともに成功を喜び,慰労会などもやった.「自分たちの手で地域に文化を」という願い
を実感して活動してきた.ところが,市が補助金を出して安くて素敵なコンサートなど
を開くようになると,そのほうがチケット売りなどせず自分たちも楽だし,良い演奏も
聴ける.次第に独自の文化活動は廃れていく.そして市民は文化会館の自主事業に協力
する形になっていく.市民が主人公で,市民の活動を支えるような文化施設,文化会館
というものもあるだろう.しかし今回は,旧佐久市時代の文化活動の変遷や前市長時代
からの建設の経過を見て,上からの文化という疑念を拭い去れなかった.
上記の意見について,筆者にはその是非の判断がつかない.しかし,市民への説明の不十分さ
はうかがえるだろう.
3-3. 既存の文化施設
昨今の財政難では,新施設建設よりも既存施設の有効利用が第一とされる.佐久市の場合,住
民投票で市民が佐久市総合文化会館建設反対を選択した要因のひとつに,この既存施設の存在が
ある.
佐久市総合文化会館建設計画が検討され始めた 1986 年当時,
佐久市に存在する文化ホールは,
佐久市総合体育館の一角に建てられた長野県佐久勤労者福祉センターのみであったvii.その後,
1-2 で述べたとおり,佐久市は 2005 年に,佐久市,南佐久郡臼田町,浅科村,北佐久郡望月町
の 4 市町村が合併して(新)佐久市となっている.そして,この合併によって新たに佐久市となっ
た,
・旧南佐久郡臼田町のコスモホール,
vii
佐久市が発表した「佐久市総合文化会館基本計画」には,佐久市内の主な文化ホールは,コ
スモホール,交流文化館浅科,駒の里ふれあいセンター,長野県佐久勤労者福祉センターである
と記述されている.佐久市中込会館は基本的に公民館であり,文化ホールとは捉えられていない
ようである.長野県佐久創造館は移動式座席数 1000 席の施設だが,多目的体育館であり文化ホ
ールではない.
- 29 -
・旧浅科村の佐久市交流文化館浅科・穂の香ホール,
・旧北佐久郡望月町の佐久市駒の里ふれあいセンター,
の 3 施設が佐久市に含まれるようになったのである(表 2viii).それゆえ,佐久市にはもう文化会
館があるから新たに建設しなくてもよいではないか,という市民の声があがるようになったと考
えられる.これには,旧佐久市民と新佐久市民との意見の違いもあることだろう.たとえば,佐
久市コスモホール(旧南佐久地域振興センター 臼田町コスモホール)は,旧臼田町以外の新佐久
市民や旧佐久市民にはそれほど大切な文化施設ではなかったかもしれないが,旧臼田町の人々に
とっては,思い入れのある大切な文化ホールであり,佐久市総合文化会館ができればその新施設
ばかりが賑わい,コスモホールの衰退を招くのではないかと危惧されるものであったかもしれな
いのである.合併することで合併特例債というメリットを求めた.しかしそのために文化会館建
設計画が遅々として進まなかったことが,かえって計画を頓挫させる要因の一つとなったかもし
れないのだ.このことから,佐久市総合文化会館政策における長期的な見通しの甘さが指摘でき
る.
表 2 佐久市の主な文化ホールおよび類似施設
施設名称
建設年度
座席数
備考
1967年
450席
長野県佐久勤労者福祉
長野県佐久平駅南4-1
※2001年 (固定438・車イ
センター
移転改築
ス用12)
長野県佐久市下小田切124番
804席
小ホール
佐久市コスモホール
地1
1991年 (固定800・車イ
(200席)あり
※旧南佐久郡臼田町下小田切
ス用4)
佐久市交流文化館浅
科・穂の香ホール
所在地
長野県佐久市八幡229番地
※旧北佐久郡浅科村八幡
2003年
400席(移動)
佐久市駒の里ふれあい 長野県佐久市望月303
センター
※旧北佐久郡望月町望月
1995年
374席
(固定10,移動
100,可動264)
佐久市中込会館
佐久市平賀新町1897-1
1961年
512席(固定)
長野県佐久創造館
長野県佐久市猿久保55
1980年
1000席(移動)
多目的体育
館
これまで、佐久市総合文化会館が建設中止となった要因について検討してきたが、文化
ホールの建設には適度な計画期間、市民への詳しい説明が必要であるといえるだろう。
表 2 は,社団法人全国公立文化施設協会のデータベースから作成したものである.このほか
にも文化ホールの類似施設は存在するが,ここでは同データベースに記載されている施設に限定
している.
viii
- 30 -
4 文化会館のこれから
昨今の学校教育や社会情勢の変化などにより,博物館施設の 1 館当たりの入館者数は減少しix,
地方の小規模な博物館施設などでは費用対効果の観点から,休館・閉館を迫られているところも
ある.そのような中で,多くの博物館施設が入館者増加に向けて様々な取り組みを行っており,
その取り組みの一つに,地域の文化施設などとの連携がある.文化ホールとの連携も例外ではな
い.既存施設について考えたとき,既存の文化ホールだけではなく,既存の博物館施設などの文
化施設との連携についても考慮すべきではないだろうか.
4-1. 既存の文化施設との連携
既存の文化施設との連携について,
「佐久市総合文化会館基本計画」では,市内の主な文化ホ
ールとして,コスモホール,交流文化館浅科,駒の里ふれあいセンター,長野県佐久勤労者福祉
センターをあげている.このうち,
「長野県佐久勤労者福祉センターについては,総合文化会館
と連携することにより,両施設の特性を生かした役割分担を図ります」としているが,「コスモ
ホールは,中規模の合唱,歌謡ショー,イベント等に適した施設として,また,交流文化館浅科,
駒の里ふれあいセンターは,小規模の演劇,合唱,イベント等に適した施設であると同時に地域
における生涯学習の場としての役割をもつ施設として,各ホールの特徴を生かした施設運営を図
ります」というようにそのほかの既存施設を位置づけている.
このように,既存の文化施設との連携に関しては,長野県佐久勤労者福祉センターのみしか計
画されていない.これでは,新施設により既存施設が衰退してしまうのではないかと危惧される
のは容易に想像できる.新しい施設ができたことで,その新施設ばかりが賑わい,既存の施設の
利用者が減少することを避けるためにも,施設の役割分担だけでなく,新施設と既存施設の連携
は欠かせないものなのではないか.また,既存の文化施設として文化ホールに関しては触れられ
ていたが,既存の博物館施設などとの連携についても考慮すべきではないかと思われる.佐久市
の場合では,佐久市立近代美術館において,「出張!まちじゅう美術館」という地域の文化施設
との連携による地域の文化振興発展に向けた取り組みがなされており,市内の公共施設である,
野沢小学校,佐久市子ども未来館,佐久市コスモホールなどで展示が行われている.このような
文化施設の連携の取り組みについて,同じ長野県内の事例もみてみたい.
4-2. 松本市における既存の文化施設の連携
長野県松本市では,
「松本まるごと博物館」という取り組みが行われている.これは,エコミ
ュージアムの考え方に基づき,既存の博物館施設を核として,松本市全域を活動範囲とする取り
組みである.松本市内の博物館などの見学ルートを設定し,積極的な観光アピールを行い,これ
までの施設中心の博物館から脱却した,施設と資源,資源と人,人と施設,そして人と人とのネ
ットワークの構築を目指しているのである.
ix
文部科学省より
2.博物館数,入館者数,学芸員数の推移
(2012 年 12 月 17 日取得,http://www.mext.go.jp/a_menu/01_l/08052911/1313126.htm)
- 31 -
また,「松本まるごと博物館」は,松本市の博物館などに限られた文化施設の連携であるが,
松本市ではまつもと市民芸術館と松本市美術館の連携という文化ホールと博物館の連携も行わ
れている.松本市美術館で演奏が行われ,松本市民芸術館にしか訪れない人も美術館の方にも行
ってみたいと思わせるような取り組みがなされているのである.
まつもと市民芸術館と松本市美術館,そして松本市音楽文化ホールは,指定管理者制度が導入
され,財団法人松本市教育文化振興財団によって管理・運営が行われており,この 3 施設の連
携を行うことで,松本市における新たな文化の領域形成が図られている.
4-3. 計画中の文化施設
今日では,「ハコモノ」と称され敬遠されがちな印象を受ける文化施設であるが,そんな中で
も新たに建設中または建設計画中,完成後開館予定中の文化施設もある.佐久市の隣市である上
田市では,上田市交流・文化施設建設事業が現在進行中である.上田駅の駅前に,大ホール(1700
席),小ホール(300 席),美術館,交流施設,緑地・広場などが一体となった,大規模な文化施設
を建設しているのだ.また,いったん建設中止となった計画をベースに新計画をたてた事例があ
る.小田原市芸術文化創造センター(市民ホール)とアーツ前橋(前橋市美術館)である.
小田原市芸術文化創造センターは,2016(平成 28)年度の完成を目指し,小田原市で建設計画
中の文化ホールである.この文化ホール建設計画は,1986(昭和 61)年に,老朽化した小田原市
民会館の建て替えが検討されたことで始まったが,議論が難航しすでに 26 年が経過している.
一度は 2005(平成 17)年に「(仮称)城下町ホール基本構想」という基本構想が発表され,市によ
ってなかば強引に実施設計まで進められていたのだが,この基本構想に市民が反対したことで,
基本構想が作り直されたのである.そして,2011(平成 23)年に新たな「市民ホール基本構想」
および「市民ホール基本計画」が策定され,現在は設計者の募集が行われている.この「市民ホ
ール基本計画」によると,大ホール(1200 席程度),小ホール(300 席程度),ギャラリー,スタジ
オなどが作られる予定である.
前橋市には,アーツ前橋という,2012(平成 24)年 10 月に工事が完成し,2012(平成 25)年秋
に開館を予定している芸術文化施設がある.このアーツ前橋は,2007 年から前橋市の美術館構
想として始まり,美術館開館に向けて施設建設やプレイベントが行われていたが,2012(平成 24)
年度,市長が交代したことで美術館構想が白紙にされ,新たに設置された市民による芸術文化施
設運営検討委員会からの提言により,美術館の機能だけではなくそのほかの文化的機能を持ち合
わせた施設として再構想されているのだ.前橋市では,1981(昭和 56)年度から美術品の収集を
始まっており,約 30 年前から前橋市立美術館構想について検討されていた.
さいごに,建設計画中,建設中,そして開館予定中の文化施設をみてきた.これらの事例にみ
られるように,文化施設はもう日本に必要ないということはなく,今後も慎重な検討を重ねなが
ら,それぞれの地にそれぞれに合った文化施設が建設されていくことを願う.
- 32 -
おわりに
筆者は,コンサートやライブ,演劇などに興味がなく,文化ホールというものには縁のない人
間である.本稿は,そのような人間の視点から,文化ホールをはじめとした文化施設について考
えたものである.今回,この論文を執筆するための調査の中で,「ハコモノ」と批判されてきた
施設建設という公共事業に対する世間の風当たりは強いように感じられた.特に,「文化」とい
う,ともすれば蔑ろにされがちな分野において,それは顕著である.しかし,人間らしい生き方
が提唱される今日において,文化を軽視していく世の中でよいのだろうか.そのような世界で生
きていきたいと思うだろうか.
文化というのは,決して短期的視野で考えるのではなく,長期的,歴史的な視点で考えなけれ
ばならないものである.文化施設というものは,「ハコモノ」として簡単に切り捨てられるよう
なものではないように思う.たとえば,事例として扱ったまつもと市民芸術館は,その建設にあ
たり,建設中止の是非を問う住民投票の実施を求める請願の提出や署名運動などの激しい反対を
受けて建設された文化ホールである.しかし,今では反対の声もなく,2013(平成 25)年には開
館 10 周年を迎える.そこで働いているスタッフの方によると,そのような今があるのは,地域
文化振興に向けた積極的な姿勢を貫いてきたからだという.文化に興味のない市民でも,まつも
と市民芸術館などの地元の文化施設がなにか活発に活動していると聞いていれば誇りに感じる
のである.また,スタッフだけでなく,市民も共に企画・運営にかかわっていることが大きいそ
うである.住民が反対したからと言ってハコモノであるとは限らない.もちろん,ハコモノには,
そのように呼ばれてしまうような欠点があり,筆者は調べていく中で,行政が作るハコモノにも,
現場スタッフがハコモノを作る過程から関わるべきだということや,まずその現場スタッフを育
成していく必要があると感じた.長期的な視野で,文化ホールをはじめとする文化施設の必要性
を,これからの未来のために見極めていかなければならない.
佐久市では,住民投票により文化ホールが建設中止となったが,そこで終わってしまってはい
けないように思う.佐久市で文化ホールの建設が求められたことは事実であるし,佐久市のシン
ボル,佐久市民の拠り所となるようななにかが必要であることを,筆者はひしひしと感じている.
一体なにが求められているのか.そして,文化とはなにか,人間が生きていくためにはなにが必
要なのか.その答えをこれからも考えていきたい.
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『住民投票で止めた文化会館建設--その経過から学ぶもの(長野県佐久市)』自治体
研究社.
- 34 -
迫害されるコミュニティ
-喫煙者と非喫煙者の共存を目指して-
上原 広毅
はじめに
喫煙スペースでタバコを吸う.または分煙指定区域の路上でマナーを守り迷惑のかからないよ
うにタバコを吸う.子どもや妊娠者にも配慮をし,近くにそういった人がいるならば吸わない.
このような単純なマナーを守って吸っていても他人がタバコを吸うという行動に対し嫌悪感を
示す人がいる.
誰にも迷惑をかけているわけではなく飲酒や個人の趣味と等しく行われる行為に対してなぜ
このようないわれを受けなくてはならないのだろうか.喫煙所で喫煙するということはそんなに
も唾棄すべき行動なのだろうか.一喫煙者として筆者はこう考え,なぜこのような傾向になって
しまったのかを探求すべく本論を書くこととした.またその中で,こういったコミュニティの迫
害が起こるシステムについてラベリング理論を用い考察すると共に,今後の非喫煙者と喫煙者の
コミュニティの新たなるあり方に言及していく事とする.
1 タバコを巡る問題
喫煙と人類の関係は古くからある.遡るとタバコ喫煙の起源は紀元前 10 世紀の頃,地域はマ
ヤ文明とされ,古くからアメリカ先住民の間に喫煙の習慣が広まっていた.大航海時代の到来と
共にヨーロッパに伝播し,様々な薬効があると信じられたことにより,15 世紀から 16 世紀にか
けて,100 年間という当時としては短い期間で急速に世界へ広まった.
このように世界規模で行われているタバコによる喫煙だが,健康やマナーなど様々な要因で規
制の動きがある.本章では日本国内外の比較により規制とそれに伴う諸問題を明確にしていきた
いと思う.
1-1. 諸外国のタバコ事情
1-1-1. ヨーロッパにおける喫煙動向
近年の欧州連合(以下 EU)諸国全体で見ると「EU たばこ規制法」が EU の議会である欧州
議会が 2002 年 5 月 15 日に可決,成立した.この法律の主な内容は
・タバコ会社に,包装箱の表側30%以上,裏側40%以上を割いて「タバコは死を招く」など
の警告文の印刷を義務付ける.
・タバコ一本当たりのニコチン,タールなど含有量の許容値を定めた.タールの含有量は 2004
- 35 -
年以降,現行の 12 ミリグラムから 10 ミリグラムに減らすよう求めているi.
ヨーロッパのタバコ動向としては,EU の 2007 年のタバコ調査に関するレポート『The
European Report on Tobacco Control Policy』によると,まず問題点として挙がるのが誰でもタ
バコを手に入れられる環境がある.国としてタバコの販売制限をしている国はイギリスやスペイ
ン,ロシアなど 9 カ国にとどまり,その他の国では年齢制限すらない状態であるii.(表1参照)
しかしながらタバコについてのアピール,つまりタバコを直接紹介するような CM 戦略につ
いては見直しが検討されているらしく,ほぼすべての国で禁止規制がなされていた.
(表2参照)
また喫煙スペースの問題に対する対処に関しては,完全規制と部分的規制が半数ずつと国によ
り力の入れ具合が違うようだ.
(表3参照)
このように EU に関しては,規制についての関心が高まっているようだが年齢制限などの青
少年への対応という面では規制が進んでないように見える.
表1
様々な手段によるタバコ製品販売の禁止・規制(-はデータなし)
(出典)ISSUE
BRIEF
たばこ規制をめぐる内外の動向
国立国会図書館
田中敏
読売新聞,EUたばこ規制法, 2001,6,20 全国 朝刊 02 頁(二面) 01 段 317 文字
http://plus.yomiuri.co.jp/article/words/EUたばこ規制法
ii World Health Organization, 2007,『Regional Office for Europe The European Report
on Tobacco Control Policy』, Table5,
http://www.euro.who.int/__data/assets/pdf_file/0005/68117/E89842.pdf
i
- 36 -
表2
タバコ製品の直接広告に関する規制(-はデータなし)
(出典)ISSUE
BRIEF
たばこ規制をめぐる内外の動向
国立国会図書館
田中敏
表3
公共の場所での喫煙に関する規制(-はデータなし)
(出典)ISSUE
BRIEF
たばこ規制をめぐる内外の動向
田中敏
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国立国会図書館
1-1-2. アメリカにおける喫煙動向
米国での禁煙の関心はおそらく世界各国で見ても厳しいものではないだろうか.2009 年 6 月
13 日付けのニュースによるとiiiアメリカでの新しいタバコ規制法案が成立した.法案の内容とし
ては,広告規制に関する義務の強化とタバコで使われていた「マイルド」や「ライト」などのタ
バコの健康への影響が緩く見られるような表記の完全禁止がある.
もともと喫煙に関しては規制の強い国であり屋外での喫煙禁止の徹底やタバコパッケージの
インパクトの強さなど喫煙へのバッシングが強くある.
これらはアメリカの健康に関する団体 the American Cancer Society(ACS),the American
Heart Association(AHA),the American Lung Association(ALA)など複数の団体が単独,
または共同での反タバコ運動を行うなど,活発にロビー活動が行われていることも要因としてあ
げられるだろう.
アメリカのタバコ規制の流れの一因にレーガン大統領による大統領令スーパー301 条がある.
これはレーガン政権当時のアメリカのタバコ廃絶への流れの中でタバコ産業での利益の確保の
ために弾圧の強いアメリカ国内ではなく国外への輸出政策により利益をあげようとしたもので
ある.方法としては単純な圧力外交でありアメリカ産タバコの輸入緩和をしない場合アメリカへ
の製品輸入への障壁を設けるという脅しをかけたのだ.これにより日本や韓国,台湾などの国々
はこの圧力に屈する形となった.
しかし 1997 年 9 月 26 日,政府によるタバコ輸出促進政策を禁止する法案が可決した.民主
党議員ジョン・ルイスによる「公的資金を使って他国での喫煙を促進するようなことは許しては
ならない.どうして毒を輸出することができようか」との主張が通った形となるiv.
このようにアメリカはタバコに関する考えとしては基本的に全面禁止のスタンスであり,世
界的な規制への流れを加速させる力を持った第一人者的な国といえる.
1-2. 日本のタバコ動向
日本は世界的に見ると禁煙後進国であると言われている.近年になり禁煙への関心が高まり,
禁煙,分煙の流れが加速している.公共の場で言えば主要都市部での路上喫煙が禁止になり,ま
た条例での罰則を設けている市もある.
条例の名称や中身については各県での細かな差異はあるものの,近年では条例に努力義務だけ
でなく法的強制力を持たせたものも増えてきている.
条例は主に路上喫煙の禁止や歩きタバコの禁止,またはポイ捨て禁止などモラル面での禁止事
項,禁煙地区の制定などのまちづくりの一環としての禁止事項がある.
罰金刑の場合多くとも五万円以内,小額のものだと千円からの罰金と口頭注意で終わるものも
AFPBB News,米で新タバコ規制法案成立へ、FDA に強力な規制権限,2009,
http://www.afpbb.com/article/politics/2610932/4260184
iv伊佐山芳郎,1999,
『現代たばこ戦争』
,岩波書店
iii
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ある.また,法的拘束力を持たない条例の場合では口頭注意によるものでしか無い.
これらの条例の背景にも近年の脱喫煙志向の高まりや,1994 年に起きた事件による危険認知
が大きいv.
この条例にも様々な意見が寄せられており,概ね条例に賛成な意見であれば罰則の追加や強化,
各自治体での条例の拡大などがあり.また反対意見では,携帯灰皿を持ちマナーを守って路上で
喫煙をしているのにも関わらずなぜ規制するのか.個人の嗜好を条例で締め付けるのはいき過ぎ
であるなどの意見が出ているvi.
では,こういった条例や世論の移り変わりの中で実際の喫煙率のデータの推移を見てみると
2003 年現在のデータでは日本における喫煙率は 24.4%(男性 45.9%,女性 9.9%であり,こ
のデータを見ると,ここ数年で減少傾向にあるものの男性の喫煙率は依然として他の先進諸国よ
りも高い数値となっている様に思われるvii.しかし,本当に他の先進国と比べた時,この数値が
高い数値だといえるだろうか.
日本の喫煙率が高いと思われる要因としてはまず諸外国と比べて圧倒的にタバコ自体の入手
とタバコに対するイメージが緩いためであると考えられる.タバコの入手法を考えてみると,ス
ーパーマーケット,コンビニ,自動販売機,またはインターネットでの通販など圧倒的に入手が
しやすい.近年では喫煙者向け ID カードである「TASPO」により,自動販売での未成年者へ
の対応が取られている事や年齢確認の強化が行われているが,あまり実を結んでいるようには思
えない.タバコという商品は日本においてはどこにでも手に入るものとして定着しているのが現
状ではないだろうか.
また,よく日本はタバコの値段が安いために喫煙率が高いという話が出る.しかし筆者はこれ
に対しては疑問を感じる.近年旅行クチコミサイトのトリップアドバイザーviiiが公開したデータ
に EU 周辺国と東アジアなどの喫煙率とタバコの値段を比べた比較表がある.
(表 4 参照)この
表を見て分かる通り特段に日本のタバコの値段が低いわけでもない.また,一箱あたりの値段が
大きい国においても喫煙率自体はあまり変わらないのがわかる.また,米国通販サイトアマゾン
(http://www.amazon.com/)でのタバコの値段を見てみたところ 2012 年現在,約 3 ドルから 7
ドル,日本円にして 300 円から 500 円程度とあまり変わらないように見える.
では,なぜこのように日本での喫煙率は多いと言われるのか.一つとしてはメディアへの露出
の容易さがあるのではないだろうか.近年ではタバコ自体の CM は規制がかけられるようにな
った.しかし,各民間放送局でのテレビドラマでの喫煙シーンや,漫画,アニメなど日本でよく
1994 年 1 月 9 日には,JR 東日本船橋駅構内において,歩行喫煙していた男性のタバコの
火が幼女の瞼に当たり,救急搬送されるという事件が発生した.過失傷害罪が成立する可
能性があるが,当該行為者を特定できず,検挙に至らなかった.
vi 東京都千代田区,2005,
『東京都千代田区による生活環境条例に関する主な意見及び区民
世論調査 2005』
,http://www.city.chiyoda.lg.jp/service/00069/d0006907.html
vii 厚生労働省,2001,
『国民栄養の現状 平成 13 年国民栄養調査結果』
,
http://www.jti.co.jp/News/02/NR-no21/no21.html
viii トリップアドバイザー株式会社,2012,世界の喫煙率とタバコの値段,
http://www.tripadvisor.jp/smoking/
v
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目にされる雑誌媒体での喫煙シーン,ファッション雑誌などにはタバコの広告が平然と乗ってい
るのが現状にある.端的に言ってしまえば気安いのだ.イメージとして格好良く,誰でもタバコ
を吸えば様になるようなイメージ,またはテレビの中の憧れの俳優や女優に少しでも自分を模倣
するためのファッションとしての側面がないとは言いがたい.こういったタバコの敷居の低さに
よる喫煙率増加が一つ挙げられると考えられる.
そしてもうひとつ挙げられるのが,喫煙率が高いという印象をもたせている可能性だ.表 4
をみても他の国とはあまり喫煙率は変わらない.しかし,近年世界的に見ると禁煙へと流れは確
実に傾いている.世界保健機関(以下 WHO)による 2003 年 5 月 21 日の世界保健総会におい
て,
「たばこ規制枠組条約(Framework Convention on Tobacco Control)」ixの成立がこの流れ
を加速させている.
確かに喫煙は健康に影響を与える行為になる.しかし,自分自身以外に害をなさないように吸
うのであればそれは他人の迷惑にならない趣味嗜好の範囲になるのではないだろうか.
そういった意見を無視し,ひたすらに喫煙者を槍玉に挙げるような風潮がないとは言い切れな
いのではないか.このことに関し次節ではラベリング理論を用いて考察をしていく.
表4
各国の喫煙率とタバコ 1 箱の値段
(出典)トリップアドバイザー(http://tg.tripadvisor.jp/smoking/)
WHO は加盟国に対して,タバコによる健康被害を食い止めるべく,各国に総合的なタバ
コ政策を求める決議を採択してきた.タバコ製品の広告,密輸,健康被害に対する対策の
ためには,各国が共通した政策をとることが必要であるとして,1999 年には条約の起草・
政府間交渉の開始が決定され,2001 年の世界保健総会で条約が可決し締約国の参加,2003
年に世界保健機関枠組条約発効へと至った.
ix
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1-3. 逸脱行動としての喫煙
本章ではラベリング理論を用いて日本における喫煙者への迫害の変遷を考えていくこととす
る.
1-3-1. ラベリング理論とは
ラベリング理論とは《逸脱行動》を単なる社会病理現象として扱ってきたアプローチとは一線
を画し,
《逸脱》というのは,行為者の内的な属性ではなく,周囲からのラベリング(レッテル
貼り)によって生み出されるものだ,と捉えるものである.
ハワード S ベッカーによると
社会集団は,これを犯せば逸脱となるような規則をもうけ,それを特定の人々に適用し,
彼らにアウトサイダーのラベルを貼ることによって,逸脱を生みだすのである.
(ハワード
S ベッカー,2011)x
としている.
1-3-2. 喫煙者というアウトサイダー
ここでは喫煙者をアウトサイダーと定義づけることとする.
ハワードの弁によるとアウトサイダーをアウトサイダーたらしめるのは周りからのラベリン
グによるとされる.それでは喫煙者はどのようなラベリングをされているのか.
筆者が考えるだけでも
・指定区域外での喫煙行動という規範からの逸脱
・タバコの吸殻の不始末
・歩きタバコなどの他者への身体的危険性のある行動
・未成年者への悪影
・他の薬物摂取への疑惑
など,少し考えるだけでもこれだけ挙げることが出来る.
また,見方を変えるだけで
・喫煙姿がかっこいい
・様になる,絵になる
・有名な俳優や女優もテレビドラマの中で吸っている
というようにプラスのイメージになることもある.
しかし注意してもらいたい点として,すべてのユーザーがこのような事を行なっているわけ
ではないということだ.数多くいる喫煙愛好者の中のほんの一部のマナーの悪さが喫煙者=悪と
x
ハワード S ベッカー,2011,
『アウトサイダーズ ラベリング理論再考』 ,現代人文社
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いうレッテルを貼ることに貢献しているのだ.しかしながら,筆者としてもラベリングする側と
される側,言い換えれば非喫煙者と喫煙者双方の意見に同調できる部分が確かにある.つまり喫
煙マナーがいたらないのが悪いというレッテルを貼る側からの意見も,大多数の喫煙者が思うで
あろう殆どの人はマナーを守って迷惑をかけずに喫煙を楽しんでいるという意見も双方ともに
賛同ができてしまうのだ.また,見方を変えるだけで喫煙に対するイメージが悪いものから良い
ものに簡単に変わってしまうのも事実である.見るものの感じ方によってこうまで喫煙者に対す
る意見は変わってしまう.
ところで,こういった喫煙者にとって悪いイメージのラベリングはどのように付けられてきた
のか.まだ,日本が喫煙に関して寛容だった時代もあった.日本国有鉄道(現 JR,以下 JR)
の車両などでの喫煙席もあり,分煙という考えもあまり浸透していなかった時代が 1980 年代前
までの時である.
この頃喫煙に関してはやはり路上での喫煙に対するもの,または,若年者への喫煙へのあこが
れを抱かせるといった風紀の乱れへの懸念が大きかったのではないだろうか.もし健康被害が主
なラベリングだとした場合,公共交通機関での喫煙の許可が説明しづらい.
1980 年に列車内の禁煙化を求める嫌煙権訴訟が起こされたのちに日本でも禁煙車設置が進む
ようになり,1990 年代以降は概ね優等列車全車両の半数から 70%が禁煙化された.また 2007
年のダイヤ改正では各社が大幅禁煙化に踏み切った.そして,航空機・高速バスとの競合が激し
い東海エリアや西日本エリアにおいても 2009 年 6 月,新幹線・寝台列車・四国(岡山発着含む)
の一部列車を除き全列車禁煙となった.2011 年 3 月のダイヤ改正においては,四国(岡山発着)
の列車も全列車禁煙となった.
このように 1980 年台の嫌煙訴訟を皮切りに車内での禁煙が進んでいったまた,この時期から
喫煙者のラベリングに関しても,非喫煙者への健康被害が挙がってきているように思える.
健康被害に関するラベリングの流れを加速させたのが前章にも記載した WHO による「たば
こ規制枠組条約(Framework Convention on Tobacco Control)」であると考えられる.
この枠組自体は健康被害への対策に関するものを定める意義のあるものであり,反論の余地は
ない.しかし,日本での場合この規制に乗りかかる形で“財源確保のための”タバコの値上げが
行われ,また,マスコミでの政府発表には健康被害拡大を防ぐことや喫煙者を減らす目的での値
上げであると嘯いたのである.
もちろんそういった意図はあったのだろうが,財政圧迫のニュースが連日流れ,増税法案を可
決するか否かでの政府での討論が行われている中での発表であったために喫煙者からの増税の
ための言い訳ではないかという不信感も残り,また,非喫煙者からはより一般大衆的な娯楽とな
りうる酒類の増税や日用品の増税と比べられ,槍玉に挙げやすいものであるという,いわばスケ
ープゴードとしての役割を与えられてしまう形となった.こういった状況において,健康被害の
原因として喫煙であるという意見が通りやすく,これが現在の喫煙者に対するラベリングといえ
るのではないだろうか.
筆者個人としては,喫煙を単純な悪として見ることはいささか早まった見解であると考えてい
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る.マナーの問題にせよ,喫煙者と非喫煙者の空間共有の問題にせよ解決できる方法の模索はい
くらでも出来ると考えられるからだ.
例えは,マナーの問題についてでは,これは主に喫煙者側の行動に由来するものであり,喫煙
者各個人が行動を起こすことで改善を図る必要がある.今行われている解決に向けた事例に関し
て言えば,一つに JT が中心として行なっている「ひろえば街が好きになる運動」がある.
この運動は『吸う人も吸わない人も心地よい世の中へ』をテーマに各県での清掃活動に地域住
民を巻き込みながら行うボランティア活動である.こうした活動を通して意識の改善を図ること
が現状を変えていく一つの方法であるといえるだろう.
また,レッテルを貼る非喫煙者側における問題点の一つに一部の過度な嫌煙家の主張,つまり
禁煙ファシズムの考えがあることもあげられる.
2 禁煙ファシズムとは
禁煙ファシズムとは,喫煙を擁護する言論や表現が封殺されているとした愛煙家が,禁煙・嫌
煙運動を批判するさいに,嫌煙権運動を過激であると非難して用いる言葉である.
本項では嫌煙運動の流れとその激化,批判としての禁煙ファシズムについて考察していく.
2-1. 嫌煙運動への流れ
嫌煙運動とは「嫌煙権」という言葉により始まる.この言葉は 1978 年に「嫌煙権確立を目指
す人びとの会」の共同代表である中田みどりが提唱し広まった言葉である.
「嫌煙権確立を目指
す人びとの会」は,
・タバコの煙によって汚染されていないきれいな空気を吸う権利
・穏やかではあってもはっきりとタバコの煙が不快であると言う権利
・公共の場所での喫煙の制限を求めるため社会に働きかける権利
の 3 点を掲げ,嫌煙権を主張した.
これを機に嫌煙権という言葉が広まり,嫌煙活動につながっていった.
2-2. 嫌煙運動の原動力
ではなぜこれほどの行動力を持ってまで嫌煙運動は続けられているのか.理由の一つとして各
種の日本医師会の勧告宣言があるためだと考えられる.
日本にある学会の内とりわけて医学的見地にあるものが喫煙に対する学会の態度として禁煙
宣言ないし,禁煙に関する提言を行なっている.それらの多くが前述にもある WHO の 2003 年
「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」や,日本での「健康日本 21」,
「健康増進法」,
「特定健康診査」,
「がん対策基本法」などで喫煙対策を含む施策を理由としている.
では,民間レベルでの原動力はいかにして生まれてくるのであろうか.
嫌煙権という言葉が認知され始めたのは 1980 年台のことである.この頃「嫌煙権訴訟」が起
こることにより,この言葉は爆発的に認知されていくことになった.
「嫌煙権訴訟」とは当時の
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国・JR・日本専売公社(現 JT,以下 JT)を相手取り,電車内での喫煙により精神的,身体的
に被害を受けたとして市民 14 人が
1・国鉄は車両の半数を禁煙車両とすること
2・被告三者は原告への健康被害の損害賠償として合計 920 万円を支払う
という 2 つを主に上げて闘う姿勢を見せたxi.
結論として言えばこの判決としては東京地裁の一審により原告側の主張は棄却される.一見敗
訴になり終わったかのように思えるがこの訴訟が始まり終わるまでの約 7 年の間に国鉄側の禁
煙席の増加など,状況改善が行われたために二審への上告がなされなかっただけであり,実質的
には勝訴として終わった形になる.
この裁判以降国としても喫煙空間の縮小に動きだし,禁煙推進としての動きを加速させていっ
た.これが原動力の一つとなっていると考えられる.
では,現代の嫌煙運動の原動力は何なのだろうか.まず前提として,嫌煙運動の一つに非喫煙
者や嫌煙者が自らの立場を明確にすることで社会的理解を求めること,つまり嫌煙者であること
をカミングアウトすることがある.
このカミングアウトの機会と場が増えているのではないかと筆者は考えている.つまり誰もが
気軽に嫌煙を主張できる風潮に日本が変わってきたとも言える.これは一つとしてマスコミュニ
ティの過剰な嫌煙反応と,インターネットを媒介とした個人の発言の場が増えているからだと考
えられる.
現在インターネットで「喫煙者」と調べるだけでも約 8,420,000 件の検索結果がでるxii.さ
らには検索ワードの関連項目にもかなり辛辣な言葉が目立つ.こういった喫煙者バッシングの状
況が多数の人に言われているように見えてしまう.多数の人がバッシングをしているという実態
があるのかも不明な流れに乗ることで,活動が個人間で遂行されていく.現状の嫌煙運動の実態
の一側面であろう.もちろん,多数の団体による実際の運動があることも否めない.社団法人化
された禁煙友愛会と呼ばれる団体が各地にあり,各個に活動をしている.街頭でのビラ配りや演
説など積極的に市民の目に触れるように活動をすることである程度の成果を上げているように
も見える.
2-3. 過剰なコミュニティの弾圧
前項にマスコミュニティの過剰な嫌煙反応と述べたがこれについて話をすすめるものと
する.マスコミュニティについて伊佐山芳郎はこう述べている.
嫌煙権の市民運動が急速に,且つ確実に市民権を獲得してきた要因には,いろいろある
と思われますが,その大きな要因の一つは,マスコミの機能をあげることが出来ると思いま
xi松本昌悦
憲法判例研究⑤ 「嫌煙権」訴訟判決
http://www.chukyo-u.ac.jp/educate/law/academic/hougaku/data/25/1/matumoto.pdf
xii 2012 年 10 月現在において,Google 社の検索システムを使用
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す.権力はなく,金もない市民活動にとって有力なのはマスコミです.私たちは市民活動の
動向について絶えずマスコミに情報を提供しています.(伊佐山,1986)xiii
前項で述べた嫌煙権訴訟において,原告敗訴の報道に関しても各社の見出しには「負けたけど
時代は“分煙“」
「運動の手応え確か”実質勝訴“と晴れやか」
(朝日新聞),
「敗訴でも”嫌煙権
は定着“」「増え続ける禁煙ゾーン」(毎日新聞)
「でも私たちは勝った」
「小さな運動大きな輪」
(読売新聞)と名付け,実質的な勝訴を大きくアピールした.
一章でも述べた通り条例による喫煙区画の縮小は節度を守った喫煙者でさえも締めだすなど,
理不尽な被害を生むこともある.また,路上喫煙防止条例に寄せられた市民の意見の一つにある
「歩行喫煙が減ったことにより空気がきれいになった.」などという意見は自動車の排気ガスな
どの,より有害な物質の排出などを無視しながらあたかもタバコの煙だけが悪であるような言動
もある.一部とはいえ,嫌煙家のこのような極度な弾圧はいかがなものだろうか.
3 喫煙者のコミュニティ
社会の成り立ちにはコミュニティは欠かせないものだといえる.喫煙者にもコミュニティは形
成される.それは,決して大規模なものではなく,ちょっとした 世間話が出来る程度のコミュ
ニティがそこにはある.本章では喫煙者のコミュニティとコミュニティを形作る空間のあり方を
論じていく.
3-1. 喫煙空間の役割
喫煙空間はもちろんながら公共空間や会社の中で喫煙することを許されたスペースであ
る.数が特段多いわけでもなく,むしろ近年では縮小される傾向にあるこの場所は喫煙者
がマナーを守りながら非喫煙者を気にすることなくタバコが吸える場所なのだ.
そして,喫煙所の中だからこそのコミュニティも存在する.喫煙所は言ってしまえば喫煙者
の小さな国みたいなものだ.この小さなスペースは喫煙者という同じ嗜好を持った人間が集まる
場所であり,小さなコミュニティとなり得る.同じ嗜好を持っているわけであり,タバコを吸う
という点に関してこの場所に集まる人の間には迫害がないからだ.
この空間ではふとしたきっかけで初めて知り合った人同士で会話が発生することがある.き
っかけは些細なことで,自分のお気に入りのタバコの銘柄が同じために会話が始まることや,ラ
イターを忘れたので火を貸して欲しいなど.そこから今まで自分のあったことのない全く新しい
交友関係が生まれることもある.また,世代を超えて会話が生まれることもある.
筆者が経験した話で言えば,ちょうどゼミでの合宿中に江ノ島を訪れた時,小さな喫煙スペ
ースで筆者の父親ほどの年齢の男性と会話が弾んだことがある.内容は他愛もないことだったが,
本来関わることの少ない世代の人間との交流は,自身の見識を深めるいい機会にもなり,面白い
体験となった.
xiii
伊佐山芳郎,1986,
「嫌煙権をめぐって」,『権利の動態Ⅰ』
,第38号,有斐閣,38-39
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また,自身が勤めるアルバイト先でもこういった会話がある.各フロアにアルバイトスタッ
フが多数おり,フロア間での交流は殆ど無い.これは,社員とアルバイトの間でも言える.しか
しながら,喫煙所で他フロアの人と出会い,会話が始まったことは何回もある.
このように,喫煙空間だからこそもたらす出会いというものがある.これはある種,喫煙者
であるからこそ可能であるコミュニケーションであり,喫煙にはこういったコミュニケーション
ツールとしての方法もあるといえる.また,タバコをコミュニケーションツールとして活用でき
る場所として喫煙所は役割を果たしている.
3-2. 喫煙スペースの消失
さて,本論で何度も述べている通り喫煙者の数の減少と禁煙区域の拡大により喫煙スペ
ースがかなり減ってきている.公共機関での禁煙は仕方がないにしても,街のどこへ行こ
うにも喫煙場所がない現状は,むしろ禁煙区画での路上喫煙の可能性を増やしているだけ
だと言える.
一章に記述した通り,路上喫煙が喫煙者にとって悪いイメージを植え付ける原因の一つである.
特に禁煙区画での路上喫煙は非喫煙者にとっても迷惑な事でもあり,喫煙者にとってもイメージ
を損ない,将来的に自身の首を絞めかねない行為である.しかし,この路上喫煙という行為が,
喫煙場所の減少にともなって起こるというのは,禁煙区画の拡大を目指している人にとってもは
なはだ皮肉な結果であり,さらに言えばルールを守ってタバコを吸う喫煙者にとっても,一部の
喫煙者が起こした行動によって喫煙場所を制限されていくというのは非常に苛立たしく,不愉快
なことなのだ.
こういった中でコミュニティの基盤といえる喫煙空間がなくなることにより喫煙者による交
流の場が消えてしまい,交流の可能性が少なくなってしまう.
では,喫煙者にとっても非喫煙者にとっても最良な方法はどのような方法だろうか.筆者はこ
の問を投げた時に,新たな分煙という可能性を提示したい.
3-3. 新たな分煙の可能性
分煙とは,タバコを吸える場所と吸えない場所を分けるという意味がある.この考えは
今までの路上喫煙を禁止し,ただ単に空調で分けるような設備の利用のない喫煙ができる
スペースを設けるという方法が主だといえる.
しかし,この分煙方法では分煙としての最小限を実施した結果であり根本的な喫煙者と非喫煙
者の暮らしやすい環境を作るという目的が十全に達成できているとは言えず,前述した通り喫煙
場所の削除がされるなど,一方的な喫煙者の締め出しとなってしまう可能性が大きい.これでは
喫煙者にとって納得のできる状態ともいえず,路上での喫煙など問題行動が起きる可能性も含ん
でしまう.また,非喫煙者にとってもタバコの煙から遠ざかるという目的も達成できるとはいい
づらい.このような問題を解決するためにも新たな取組が必要なのだ.
分煙の新たな形への取組は民間企業を軸に始まりつつある.企業としても分煙設備を作ること
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で,喫煙者のニーズを満たし,また非喫煙者からのクレームにも対応することが可能なために新
規ユーザーの確保や既存ユーザーの不満を解消することにより,新たな利益が見込めるからだ.
一例を挙げると,今年の九月に JR 西国分寺駅ホームに新たに出店を果たしたドーナツチェ
ーン「ミスタードーナツ」は,喫煙エリアと禁煙エリアを明確に分ける仕切り分煙を実施してお
り,全 34 席のうち喫煙席が 12 席で,客席全体の約 3 分の 1 を占める.喫煙席は喫煙者にとっ
てくつろげる空間になっている.この店舗では最新の空気清浄機が使われており,屋外への排気
が立地的に難しい中で排気を室内での循環で可能にするシステムを構築している.そうすること
で,通常であれば屋外排気をする際に必要なダクト等を敷設する費用が抑えられるといったメリ
ットもある.
こういった最新の空調機器による分煙方法の他にも,空気の流れを考えることによって仕切り
のない状態での分煙を可能にする取り組みもある.
東京都中央区にある「CAFE SETSUGEKKA 京橋店」では,店内を取り囲む柱に排気用のダ
ストを埋め込むことにより隣の席にタバコの煙がいかないようにすることで,広い空間の中で喫
煙者と非喫煙者がいたとしても,タバコを吸える空間に仕上げているxiv.
従来のような仕切りで分けるだけの不完全な分煙から,技術と発想で利用者全てに満足の行く
新たな分煙に着実に変わってきている.技術の進歩がある中で,こういった新たな取組が可能と
なり,すべての人にとって満足のいく環境を形成することが出来るのだ.
一方的な禁煙政策ではなく,喫煙者にとっても非喫煙者にとっても共存可能な社会を作るため
にも新たな分煙による空間の形成は必要であるといえる.
分煙という事自体は,喫煙者と非喫煙者双方にとってより住みやすい環境を作るために必要不
可欠なことだと考えられる。分煙空間のなされてない誰もがタバコを吸える空間は,非喫煙者に
とってはとても居心地が悪いものであるし,その逆として完全禁煙の空間は喫煙者にとっては居
心地のあまり良くない空間になる.無論,そういった空間で喫煙者が自制する必要は大いにある
し,場合によってはマナーを守るため,または社会的なモラルを守るために必要な行動ではある.
しかし,息抜きをするために喫煙したいにもかかわらず,どこにも喫煙スペースがない状態とい
うのは,喫煙者にとって心を休める事ができず,または先にも述べたとおり交流の場を失わせる
という事にも繋がってしまう.
分煙は喫煙者だけで行えるものではなく,そこには非喫煙者の協力も必要なのだ.非喫煙者に
してみれば,勝手にタバコを吸っている人が自分たちに迷惑だけを押し付けているとも取れてし
まうだろうが,喫煙者の非喫煙者に対して迷惑をかけずに喫煙をしたいという考えを理解してい
ただきたいところである.勿論,こういった働きかけをするには,まず喫煙者の行動を改善する
必要があり,相互に理解が深められる関係を作っていく必要がある.こういった交流の中で,新
しい分煙は完成されていくものなのだ.
xiv日経レストラン
ONLINESPECIAL,2012,http://nr.nikkeibp.co.jp/bunen/
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おわりに
本論では喫煙者によるコミュニティとこれを取り巻く環境について講じてきた.喫煙者へのイ
メージは一部マナーの悪い喫煙者がもたらすイメージによるラベリングがあり,このレッテルに
関してはレッテルを貼る側である非喫煙者の寛容さの必要性,また,貼られる側である喫煙者の
問題解決への取り組みが必要である.そして,喫煙者による意識の改善と非喫煙者の歩み寄りに
よって現状を打開し,よりよい環境を作ることこそが双方に住みよい社会を生み出すことが出来
る解決方法であるといえる.
筆者自身が喫煙者であるために、ニュートラルな意見として喫煙者を語ることは難しく,かな
り喫煙者よりの意見にはなってしまうが,本論文は喫煙を推奨するものではなく,あくまで自身
の自由を活かしつつ他人の自由も考えられる社会はどうあるべきかを論じさせてもらった.
重要なのは,喫煙者は非喫煙者の協力なしには,喫煙空間の維持はできず,個人の趣味といえ
ども,当たり前のことではあるが,モラルとマナーを守り喫煙を続けていく必要があるというこ
とだ.もちろん,喫煙場所での喫煙中に謂れの無い事を言ってくる者もいるであろうが,そこは,
過度に反応せずに言動に流されない寛容さが必要である.
また、非喫煙者にしても,喫煙者の一部のマナーが悪く,大多数の喫煙者はマナーを守って喫
煙を楽しんでいるということを理解していただきたい.その上で,ある程度の許容の心を持ち喫
煙者に寛容になっていただきたい.相互にある程度の譲歩を求め,ある程度の自由を許した環境
のほうが,住みやすく圧迫感のない社会になるのではないだろうか.
言い換えれば,今回論じたのはマイノリティコミュニティとマジョリティコミュニティのあり
方の一例であり,この問題の本質は社会の形成において互いの欠点を認めることにより,互いに
歩み寄り補い改善への取り組みをすることでコミュニティ全体の発展につながることとも言い
換えることが出来る.
様々なコミュニティが入り乱れる公共空間において,他人に迷惑をかけないことということは
大切なことではあるが,しかしながら完全に他人に迷惑をかけないで生活することは不可能であ
る.だからといって,その事実を糾弾し正していくことを行えば,社会としてはいずれ正しい事
だけが残る空間となりうるかもしれないが,息苦しく閉塞感の残るものとなる可能性も大きい.
ならば,互いに譲歩し合いながら形成する社会のほうがより人間らしい社会となるのではない
だろうか.
文献
AFPBB News,米で新タバコ規制法案成立へ、FDA に強力な規制権限,2009,
http://www.afpbb.com/article/politics/2610932/4260184
ハワード S ベッカー,2011,『アウトサイダーズ ラベリング理論再考』 ,現代人文社
伊佐山芳郎,1999,『現代たばこ戦争』,岩波書店
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- 49 -
高校野球を考える
―野球留学,その正体と意義―
前田 健太
はじめに
本稿では高校野球,特に野球留学に注目し,それを中心とした議論を進めていく.後述で詳細
に説明するが,野球留学とは簡潔にいえば県(都道府)外出身者の受け入れである.プロ野球東
北楽天の田中将大選手や米大リーグのダルビッシュ有選手など,プロの第一線で活躍している野
球選手の中には野球留学を経験した人が数多くいる.生まれ育った故郷を飛び出して野球の強豪
校へ進学し,優れた指導者のもと切磋琢磨するこの野球留学という越境機能は,事実,多くの優
れた野球選手輩出に一役買ってきた.
しかしながら,野球留学をめぐっては多くの意見が飛び交っているのが現状である.優れた選
手を輩出する機能がある一方で,甲子園において県(都道府)代表の名を背負っているにもかか
わらず地元出身以外の生徒が選手登録されているのはいかがなものか,と疑問を唱える人がいる.
実際,甲子園大会において,関西圏から多くの野球留学生を受け入れている青森代表と大阪代表
の対戦について,一部では“大阪代表対大阪第2代表”とアイロニカルに揶揄されてもいる.
こうした野球留学であるが,様々な角度からアプローチし,その本質を見極め冷静に分析・考
察していこうというのが本稿における最大の目的である.本稿では野球留学について,単なるそ
の是非に終わる議論は意図しておらず,より建設的な議論を目指していく.たとえば,本稿では
代表校をめぐる地域共同体の問題について,デュルケム社会学における「集合的沸騰」,「地縁」
をめぐる愛郷心及びナショナリズムなどの観点から考えている.また,現場の当事者である高校
球児であった人々の意識調査から野球留学の姿をとらえるなど,高校野球に対して多角的なアプ
ローチを試みる.そして,それを分析し,野球留学の本質とは一体どのようなものなのか,どの
ような意義があるのかを考える議論こそ本稿のねらいである.
1 高校野球のいま
1-1. 現行の高校野球
我々が生きる社会には多種多様なスポーツが存在する.その中でも野球は国民的な競技スポー
ツとして多くの日本人に親しまれているのではないだろうか.実際,我々にとって普段から馴染
みのある情報メディアでは,連日野球の話題が事欠かない.それは,新聞や書籍,テレビ,ラジ
オなどの旧メディアをはじめ,インターネットのような新しいメディアにおいても同様である.
そのように話題として取り上げられる機会が他のスポーツと比べても非常に多いのは,野球が多
くの人々の関心事として定着しているからという理由が考えられる.
そのような野球ではあるが,野球は大きく2つに分類される.1つはプロ野球,もう1つはア
- 50 -
マチュア野球である.後者の場合,社会人野球や大学野球,さらにいえば軟式や硬式とより細分
化される.その中で,本稿においては高校の硬式野球,俗にいう高校野球を主題として取り上げ
ていく.
高校野球は春と夏にそれぞれ甲子園球場を舞台とした全国大会が実施される.特に夏の甲子園
大会は毎年8月のお盆の時期におこなわれ,多くの家庭においては,大人数で甲子園大会をテレ
ビ観戦しているのではないだろうか.なぜならば,この時期は墓参りなどを目的に帰省する人々
が多い時期でもあるからだ.また,甲子園大会はその構造上,各都道府県の代表校が対戦する仕
組みとなっている.そのため,里帰りした人々の中には,郷土の代表チームに対して,ノスタル
ジックな感情を抱きコミットする人も少なくないだろう(竹内,高橋 2006).
ところで,上述のように高校野球は夏の風物詩として我々から大いに親しまれているのだが,
夏の甲子園大会はその系譜を辿ってみると実に 100 年近い歴史を有している.清水諭iによれば,
現行の高校野球の全国大会は,
「全国中等学校優勝野球大会」という名称で 1915 年に開催された
のが始まりであった.のちに,この大会は 1948 年の学制改革により「全国高校野球選手権大会」
と改称され,現在にいたる(清水 2002)
.現行の高校野球はこのように歴史あるものなのだ.
しかしながら,いま現在の高校野球に対しては,批判的な,もしくは懐疑的な意見がしばし見
受けられることがある.一例としては,高校野球とは本来,教育の一環としておこなわれるべき
であるにもかかわらず,いまとなっては本来の姿を見失い,ある意味で興行的なものとなってい
るのではないのかという見方である.これについては,つづく次節で詳細に述べていくものとす
る.
1-2. 興行優先的という評価
高校野球というのは高等学校における部活動の1つである.つまりは,高校野球とは教育の一
環であるというのが一般的な解釈といえよう.日本学生野球憲章第2条においても,
「学生野球
の基本原理」の1つとして謳われている.しかしながら,それに関しては先に述べたように,批
判的な意見がある.内容としては,昨今の状況から考えると現行の高校野球は教育目的というよ
り,むしろ興行性が目的化しているのではないかという評価である.
この要因については2つの点から指摘することができよう.1つは,金品の受け渡しや暴力な
どの不祥事の問題である.もう1つは,優れた野球の技能を有する選手が,他の地域の野球強豪
校へと越境入学することで甲子園を目指す野球留学である.
前者について,以下はその問題に関して具体的に述べたものである.
今夏の甲子園では,大会前に強制わいせつや電車内での痴漢で部員が逮捕された2
校が出場.
〔……〕いずれも学校側は出場辞退はせず,高野連iiも「個人の学校外での
i筑波大学教授
ii日本高等学校野球連盟の略称.高校野球の大会を主催しており、夏の甲子園大会は朝日新聞
社と、春の選抜大会は毎日新聞社と共催している.
- 51 -
犯罪」としておとがめはなかった.
(『サンケイスポーツ』2012.8.30)
サンケイスポーツは,つづけてこう述べる.
そういえば甲子園閉会式の講評で奥島高野連会長が地方大会にふれ,「残念なのは
大谷君(花巻東)を甲子園で見られなかったことだ」と述べ,批判が殺到したという.
18U 世界選手権でエースとして注目される 160 キロ右腕は確かに甲子園で見たかった
が,会長が言ったら岩手代表・盛岡大付の立場がない▼教育の一環というより,“興
行優先”の思惑が会長の不適切発言の裏に見え隠れする.このままでは,どんな不祥
事を起しても“居座り勝ち”になりかねない.(
『サンケイスポーツ』2012.8.30)
不祥事というのは高校野球において非常にシビアな問題であろう.高校野球において選手やそ
の学校は品行方正で高校生らしいことが必要条件となっており,性,暴力,恐喝,盗みといった
“青年”や“高校生”といった文脈から逸脱した行為は,即刻処分の対象となるとされている(清
水 2002)
.したがって,深刻とおもわれる不祥事が処罰されないことが,現行の高校野球が教育
精神よりも興行性が目立っているように印象づけているのであろう.
不祥事をめぐる議論については,それ自体高校野球にとっての重要なイシューである.しかし
ながら,本稿の目的は後者,野球留学に焦点を当て高校野球を考えていくことであるため,不祥
事の問題は本稿ではこれ以上掘り下げて述べることはない.それでも,不祥事をめぐる議論が現
行の高校野球を考える上で重要なものとなることに変わりないことは述べておこう.
さて,次に後者についてである.たとえば 2005 年の夏の甲子園大会開会式において,当時の
文部科学大臣は,地元出身ではない選手がチームに在籍する野球留学に対して苦言を呈している.
そして,高野連はこの問題を取り上げ,その実態調査をおこない,野球技能をいかした越境留学
の現状を報告した.また,2006 年以降も同調査を継続すること,地方大会申込書の選手名簿に
は出身中学校とその中学校がある都道府県名を加筆するよう決定した(竹内,高橋 2006).
この野球留学を考える議論が本稿では極めて重要である.次章以降では,この留学の問題につ
いて深く掘り下げ述べていきたい.次章では野球留学とはなにかを具体的に述べ,あわせて他の
留学例との比較をおこなう.それ以降では,当事者である高校球児による野球留学への評価,野
球留学に対する社会学的アプローチなど,様々な角度からその実情,ならびに意義について考え
ていく.
2 スポーツや学術を目的とした地域留学
まず,はじめに整理しておきたいのが,地域留学の定義である.本稿における地域留学とは,
生徒が高校入学の際,ある特定の分野に優れた高校へ故郷を離れ越境入学を果たし,その分野の
技能を高めようとするおこないである.特定の分野とは,学業,芸術,スポーツなど多種多様で
ある.
- 52 -
現在,高校生の地域留学は珍しいものではなくなった.一般入試,推薦,セレクションによる
特待生など,形はどうであれ地域留学生はみな目的のために越境し,地元を離れることになる.
それでは,はじめに野球留学について詳細に述べていく.以降は野球留学以外の地域留学に注目
し,それぞれの実例を取り上げ比較していくものとする.
2-1. 野球留学とはなにか
本節では,野球留学におけるその現状について述べていこう.繰り返すが,本稿における高校
野球とは“硬式野球”である前提条件のもと議論は進められている.先に述べたように,いま現
在全国各地でスポーツ留学はおこなわれており,その中で野球留学は高校野球を目的とした地域
留学である.また,野球留学も他の競技スポーツ同様に積極的におこなわれている.特に,私立
高校が積極的に取り組んでいるように印象づけられる.
実際の野球留学における高校生の越境の具体的内容,ならびにその割合については高野連の調
査により明らかにされている.第1章でも述べたが,高野連による野球留学の実態調査は 2005
年におこなわれた.その調査内容だが,2005 年の段階における,過去 10 年間の春と夏の甲子園
出場校の非地元出身選手の人数,ならびに彼らの入出地域を明確にするものであった.また,こ
の調査における留意点としては,調査対象となるのはその留学先が陸つづきの隣接都府県ではな
い場合である.すなわち,群馬県出身の生徒が埼玉県の高校へ留学するというケースはこの調査
では除外されている.ぞして,その結果をまとめたものが図1と図2である(『朝日新聞』
2005.10.20).
その他
21%
埼玉
福岡 3%
3%
大阪
50%
東京
3%
京都
4% 奈良
4% 神奈川
兵庫
6%
6%
出典:『朝日新聞』
(2005.10.20)をもとに筆者作成
図1
1996~2005 年における代表校の地域留学生の流出状況
- 53 -
高知
9%
香川
9%
その他
45%
山形
9%
青森
9%
大分
4%
宮城
宮崎 島根 5%
5% 5%
出典:『朝日新聞』
(2005.10.20)をもとに筆者作成
図2
1996~2005 年における代表校の地域留学生の流入状況
図1は流出状況を,図2は流入状況をあらわしている.調査の結果,野球留学生と判断された
選手の数は総計 916 人であった.留学選手の出自の大半が大阪府であり,次点の兵庫県を大きく
引き離していることが図1から,四国や東北への流入が目立つことが図2からそれぞれ読み取れ
る.
それでは,なぜ留学生には大阪府出身の生徒が多いのかという疑問であるが,その背景には高
校入学以前の段階における関西圏の生徒の野球技能の高さが関係しているのではないだろうか.
調査をおこなった高野連の分析としては,関西圏は少年硬式野球の活動に積極的であり,そうい
った団体側と高校側双方の人脈が反映している可能性が高いとしている.また,地元大阪府から
地方への留学を“甲子園出場の近道”ととらえている生徒もいる.生まれ故郷の大阪府から東北
の高校へ越境進学し,のちにプロ野球で活躍しているある選手によれば,野球の強豪校が多い地
元大阪府の高校で地方予選を勝ち抜くよりも東北の高校を選ぶことで相対的に甲子園出場の可
能性は高まるとしている(
『朝日新聞』2005.10.20)
.
2012 年の夏の甲子園大会においても同様のことがいえよう.実際,出場した全代表校の生徒
を考察すると野球留学生とおもわれる生徒は東北や四国を中心に多く見受けられた.特筆すべき
は香川県の代表校であり,同校は県内中学校出身の生徒が皆無であった.まさに,高校野球の地
域留学における究極のかたちといえよう(『週刊朝日増刊号
甲子園』 2012.8.15)
.
以上が野球留学の事例である.高校野球のみの地域留学に限定してみても,それが全国各地で
おこなわれていることが理解できよう.次に,野球留学との比較をおこなう意味で,高校野球以
外でのスポーツ,ならびに学術などにおける地域留学について述べていくものとする.
- 54 -
2-2. その他スポーツ,ならびに学術における地域留学
2-2-1. スポーツ留学の事例―相撲とバスケットボールの場合―
スポーツには様々なジャンルが存在する.それに比例し,全国の高校でいま現在おこなわれて
いるスポーツ留学は多種多様である.本節では,朝青龍明徳の相撲留学,田臥勇太のバスケット
ボール留学の例を参考にスポーツ留学について述べる.
まず,朝青龍についてであるが,彼は周知の通り日本人ではなく,モンゴル国籍である.ドル
ゴルスレン・ダグワドルジ,のちの朝青龍明徳は 1997 年9月6日,当時 16 歳の高校生として明
徳義塾高校に入学した.同年の6月にモンゴルの首都ウランバートルにておこなわれたモンゴル
相撲のセレクションでの優勝を契機に,のちの朝赤龍とともに選抜留学生として来日し,明徳義
塾高校にて相撲留学を経験した(朝青龍明徳 2006; 小松成美 2008).
また,彼の留学先である明徳義塾高校は全寮制の学校であり,相撲留学をはじめとしたスポー
ツ留学に積極的な姿勢をとっている.同校では大相撲の朝青龍,朝赤龍の他にもサッカーの三都
主アレサンドロ,女子ゴルフの横峰さくら,プロ野球の森岡良介,塩屋大輔,寺本四郎といった
著名なアスリートを輩出している(朝青龍明徳 2006)
.
次に,田臥勇太の事例についてみていこう.田臥は現在,プロバスケットボール選手として国
内リーグで活躍しており,過去には日本人選手として史上初めて NBA の試合に出場した経歴を持
つ選手である.
彼の出身は神奈川県であり,中学校までは同地で過ごしていた.そして,卒業後は秋田県の能
代工業高校へスポーツ留学し,寮生活を送っていた.彼は高校在籍時にインターハイ,国体,高
校バスケット選抜の全てにおいて3年連続優勝を果たし,高校9冠という偉業を達成している.
また,現役高校生として日本代表候補にも選出されるほどであった(増島みどり 2000; 加藤
2003; 小松成美 2008).
以上のように,本節では朝青龍の相撲留学,田臥勇太のバスケットボール留学の事例を取り上
げ紹介した.上述の事例以外にもスポーツ留学は全国各地の高校で盛んにおこなわれている.そ
れでは,次節においては,先に述べたようなスポーツ留学を除いた,その他の地域留学について
実例を取り上げながら述べていきたい.
2-2-2. 地域留学の実例―学業及び芸術の場合―
いままでの議論では高校野球をはじめとするスポーツ留学について述べたが,ここでは,スポ
ーツ留学以外の地域留学にはどのようなものがあるのか,実際の例を挙げて述べていくものとす
る.先述の通り,地域留学の目的は様々で,学業,芸術,スポーツなど多岐に渡る.その目的に
応じて,そういった分野に特化した高校へ進学している.本節では学業及び芸術の分野における
地域留学の事例を挙げていきたい.
学業においては,灘高校やラ・サール高校などの,高偏差値と呼ばれる難関私立高校へ県外生
- 55 -
が進学する例がある.このような学校は,日本有数の著名な「進学校」としてメディアでも取り
沙汰されており,広く一般に認知されている.高校卒業後,進路として高偏差値大学や医学部へ
の進学を希望している生徒が数多く進学しているのである.
芸術,特に音楽の分野においては,東京藝術大学音楽学部附属音楽高校や桐朋女子高校音楽科
iii
への地域留学がある.双方ともに東京都に位置する学校ではあるものの,名門音楽学校として,
他の地域から音楽を志す生徒が数多く進学している.また,音楽の世界における著名なアーティ
ストを卒業生として男女ともに多数輩出している.
また,音楽以外の芸術分野における生徒の越境入学では,宝塚音楽学校が目を引く存在といえ
よう.宝塚歌劇団は日本を代表する舞台芸術,パフォーマンスアート集団であり,宝塚音楽学校
はそのメンバーを構成するタカラジェンヌの養成に努めている.
厳密にいえば宝塚音楽学校は“高等学校”ではない.本稿では本来の主旨として,高校生徒に
おける地域留学に焦点を当て議論がおこなわれている.そのため,それに類しない宝塚音楽学校
を取り上げることは本来の主旨に反する.しかしながら,宝塚音楽学校への地域留学は先述のよ
うな事例と同等に語ることができるのではないだろうか.なぜなら,双方ともに義務教育終了後
の 15 歳の生徒がある目的のためにその学校へ越境入学を果たしているからである.宝塚音楽学
校の場合,15 歳の少女が舞台俳優を志し,その養成に取り組む学校へ進学しているのだ.よっ
て,例外的ではあるが,宝塚音楽学校もまた地域留学の舞台となっているといえよう.
以上が学業及び芸術における地域留学の代表的な事例である. 先に述べた高校野球をはじめ
とするスポーツ留学の事例もあわせて,いま現在日本では多種多様な地域留学がおこなわれてい
るのだ.しかしながら,日本高等学校体育連盟に加盟する高校野球を除いた競技スポーツの地域
留学,ならびに本節にて述べたような学業及び芸術を目的とした地域留学に対しては,ほとんど
批判の声を聞くことはない.なぜならば,それらについては制限する規定がないためである(竹
内,高橋 2006).次章では,この問題について議論を進めるとともに,野球留学批判をおこなう
理由の背景的要因について議論する.
3 野球留学をめぐる声
本章では実際の野球留学の是非に関する意見を取り上げ,それらに対し多角的なアプローチを
試みながら考察・分析する.第4章では本稿における結論部分を述べるが,本章での議論はそれ
に直結する題材となるものである.
また,本章においては学生野球憲章の条文,当事者である高校球児の意識,高校野球をめぐる
社会的共同体というに3つの問題について議論したい.それらは,本稿において野球留学,特に
野球留学批判を考える際に不可欠な要素となる.よって,野球留学の是非の背景に迫るものとし
て,そのプロセスは非常に重要なものである.
iii
桐朋女子高校は音楽科のみ男女共学である.
- 56 -
3-1. 野球留学が批判される要因とは
先にも述べたが,高校野球を除く他の競技スポーツ,ならびに学業及び芸術を目的とした地域
留学に対しては,批判の声はほとんどない.そもそも,それらについては制限する規定がないた
めである.つまり,野球留学を除く各分野での地域留学は,制限規則が存在しないため,それ自
体には妥当性があるという解釈ができよう.だが,野球留学においてはそうではない.学生野球
憲章の存在により,他の地域留学とは異なり,
「特待生」というものを基本的に禁じられている
からだ.それこそが野球留学批判の要因の1つとしてある.以下は学生野球憲章第 23 条からの
引用である.
部員は,野球部に現に在籍しているか否かを問わず,部員であることまたは学生野球を
行うことに対する援助,対価または試合や大会の成績によって得られる褒賞としての金品
を受け取ってはならない.ただし,日本学生野球協会が認めたものはこの限りではない.
(日
本高等学校野球連盟 2013)
憲章の内容文からは,高校野球においては基本的に経済的援助などを受けることは規制されて
いることが理解できる.他の地域留学では,高校野球のように規則として,特待生に対する制限
は存在しえないのである.すなわち,この考えのもとで野球留学は批判されているのではないだ
ろうか.高校野球では特待生を禁じているにもかかわらず,現状においては野球留学生の中にも
学費などが免除されている事例も報告されている.
しかしながら,これについては議論の余地を孕んでいる.つまり,引用文の最後には,例外が
あることを意味する文章が記載されており,野球特待生を絶対的に制限しているわけではないか
らだ.すなわち,学生野球憲章においては,入学金や寮費の免除,勧誘のための中学生宅への訪
問などはその理念に反するのではなかろうかという解釈は可能ではあるもの,非常に曖昧かつ不
透明であり,その判断は難しい.野球留学は学生野球憲章の理念に反する,とは一概にいい切る
ことはできないということだ.
いずれにせよ,野球留学批判の要因として,学生野球憲章の存在があるのは事実である.その
解釈に差異が生じているとしても,批判をおこなう人々がその根拠づけとして学生野球憲章が提
示されているからだ.本稿における地域留学の基本的な構造とは,親元を離れようとも,ある分
野に特化した高校へと進学し,その地で技能を高めようとするものである.そして,野球留学も
そういった構造に則している.だが,野球留学に限っては地元志向ではないことへの批判がしば
し取り上げられる.その理由として,前節でも触れたが,学生野球憲章の存在に要因があるよう
におもわれる.他の地域留学にはみられない留学への規制とも解釈できる条文の存在,これこそ
が野球留学が相対的に多く批判される理由といえよう.
3-2. 当事者意識の問題
先に述べたように,留学に対する意見に十分にアプローチするために,内部調査の問題につい
- 57 -
て整理したい.野球留学については,当事者である高校球児が実際にはこの問題に対してどのよ
うな考えを持っているのかというのは非常に重要な問題であろう.先行研究においても,野球留
学に対してアプローチする立場として高校球児という当事者の問題を掲げている.
ところが,先行研究では実際に彼らがどのような視点で,どう考えているのかが十分に語られ
ておらず,明確な高校球児の意識的メッセージは読み取れない.すなわち,これまでの先行研究
では当事者意識については非常に不透明な部分が大きかったといえる.野球留学に対して客観的
な視点,つまりは外部からの目で語られるのであれば,それとは逆に当事者である高校球児(内
部)から野球留学へのアプローチも不可欠かつ重要ではないだろうか.
3-2-1. 内部調査の実施
そこで,少しでも内部意識を明確化させるために,高校球児であった人々を対象にアンケート
調査をおこなった.外部から高校野球をみている人々ではなく,高校野球の当事者であった彼ら
が,野球留学について一体どのような意識を持っているのかを掘り起こす目的の調査である.そ
して,調査内容となる質問は以下のようにおこなわれた.
①年齢
②出身校は公立か私立か
③野球留学についてどうおもうか
④留学に適しているとおもわれる留学範囲
①の設定理由は,野球留学について年齢で意見に差異が生じるのか調査することを目的として
いる.②は①同様,野球留学への意識が,野球留学が積極的な印象がある私立と公立とでは差異
が生じるかどうかである.③は選択形式となっており,「積極的におこなうべき」
,「おこなわれ
ても構わない」,
「仕方がない」,
「やめるべき」
,「わからない」の中から選ぶものとなっている.
また,同時に選択した意見についての具体的理由も記述していただいた.この③が内部意識調査
の核心部分となる.④では「県(都道府)内」,
「日本国内」,
「制限なし(国外出身生徒と含む)
」
の中から妥当とおもわれる留学範囲を選択していただいた.以上の4点を踏まえた上で,内部意
識を明確化しようと試みた.
3-2-2. 調査結果からみえる内部意識
それでは,実際の調査結果からみえる内部意識について述べていきたい.計 61 人を対象に調
査は実施された.調査の結果,③における各選択肢を選んだ人の数はそれぞれ,
「積極的におこ
なうべき」が2人,
「おこなわれても構わない」が 25 人,
「仕方がない」が 22 人,
「やめるべき」
が 12 人,
「わからない」が0人であった.
「わからない」を選択した人が皆無であることは,当
事者みなが高校野球,野球留学についてなにかしらの意識を明確に有しているといえよう.各選
択肢を選んだ人の割合については図3をご覧いただきたい.
- 58 -
積極的におこなうべき(2人)
おこなわれても構わない(25人)
仕方がない(22人)
やめるべき(12人)
わからない(0人)
3%
0%
20%
41%
36%
アンケート調査をもとに筆者作成
図3 野球留学に対する内部意識の割合
対象の年齢は 17 歳から 55 歳であり,出身及びいま現在所属している高校については公立が
51 人,私立が 10 人ということであった.しかしながら,③に関しては各回答でそれぞれ半々に
分かれていた.そのため,世代や出身高校の違いで,野球留学における内部意識について差異は
生じるのか調査したく設定した①と②であるが,双方ともにあまり関連性を見出すことはできな
かったといえよう.
③についてであるが,それぞれの具体的理由の記述に目を向けると多種多様な反応がみられた.
具体例を挙げれば,次のようなものがあった.本音をいえば「やめるべき」を選択したいが,現
状から考えるに規制の仕様がないようにもおもわれるため「仕方がない」を選択したという記述
である.また,その他にも,指定された選択肢を選択する際,どれを選択しようか非常に迷った
という記述が複数あった.このことから,野球留学規制を望んでいるが現状からみてある種の諦
念を抱いている人の存在も内部意識の1つとしてあるといえよう.
野球留学は「積極的におこなうべき」,
「おこなわれても構わない」を選択した人の記述からは,
生徒の意志の尊重,高校生全体の野球技能の底上げ,一芸入試的な学業以外での生徒の教育評価
の必要性,特待生制度による野球留学生の家庭の経済的救済とういう側面などの意見がみられた.
記述内容からは様々な意見がうかがえたものの,現状の野球留学に対し許容している人々の割合
は全体の8割という結果であった.つまり,大半の当事者が野球留学や留学生に対して寛容的な
態度をとっていることが理解できる.
- 59 -
3-3. 高校野球と共同体
つづいて,先に述べた野球留学への考え,特にそれに対する批判への対応として,高校野球と
社会的共同体について考えたい.そもそも,なぜ高校野球と共同体の議論を本稿において重要な
タームと著者が位置づけているのかだが,それは野球留学批判にしばし見受けられる“地元志向”
の議論と密接にかかわっていると考えられるからである.のちの議論において野球留学批判を分
析していくが,その背景的なものとして高校野球と共同体の問題が関係しているとおもわれる.
3-3-1. 集合的沸騰について
さて,高校野球と共同体を考えていくにあたって,本節ではデュルケム社会学における「集合
的沸騰」の理論をモデルとして活用するものとする.集合的沸騰とは社会学者エミール・デュル
ケムが提唱した社会形相である.
簡潔に述べれば,集合的沸騰とは,人と人とが集団的共同体を形成したときに何らかのイシュ
ーをめぐってその集団が大いに盛り上がる,熱狂することである.デュルケムによれば,オース
トラリアの先住民アボリジニのトーテミズムの研究から集合的沸騰がみえてくるという.アボリ
ジニ社会において,諸個人が宗教的祭儀やコロボリーで一堂に集合したとき,その接近によりあ
る種の電力が放たれ「強烈な超興奮状態」がもたらされる.その結果,場合によっては日常の性
行動の規則が破られたりすることがあり,これこそが集合的沸騰である(デュルケム 1975)
.
つまり,デュルケムがイシューとしてしめしたのはトーミテズム,すなわち「宗教」であり,
オーストラリア先住民1人1人が集まった共同体においては,彼らは宗教というイシューをめぐ
ってエネルギーを爆発させ,その結果,人々は大いに盛り上がるというのである.デュルケム自
身は宗教を共同体における集合的沸騰のイシューとして述べているが,集合的沸騰と認識するこ
とのできる事例というのは,我々の社会において珍しくないものだといえるのではないだろうか.
3-3-2. スポーツをめぐる共同体形成の可能性
これについては,たとえば筆者の個人的な体験を取り上げることで集合的沸騰の具体的に述べ
ることができよう.その体験とは,筆者が所属する高崎経済大学内にておこなわれた,サッカー
ワールドカップのパブリックビューイングである.ちなみに,この事例における集合的沸騰のイ
シューとは「サッカー日本代表」であったといえる.2010 年に開催されたワールドカップ南ア
フリカ大会の日本代表戦において,大学側は7号館キャンパスの大教室を利してパブリックビュ
ーイングを企画し,筆者もこれに参加した.学生のみならず学外からの参加者もおり,大人数で
の興行となった.かつ,パブリックビューイング参加者の大半が見知らぬ人々という環境であっ
た.
そして,日本代表が勝利した瞬間,みな異様なまでに興奮し,喜びの感情を最大限にあらわし
ていた.筆者を含め,その場の多くの見知らぬ人と人とが歓喜の輪を形成していたのである.勝
- 60 -
利の余韻に浸りながら初対面の人々と歓喜しあうという状況であった.これは,パブリックビュ
ーイング参加者が日本代表にコミットした結果ゆえであると考えられる.見ず知らずの人と初め
て会った日にハイタッチを交わすなど,日常生活においては考えられないといえよう.しかしな
がら,集合的沸騰こそがそれを可能にしたのである.
また,先に述べたのはサッカーの事例であるが,同じ競技スポーツである高校野球の場合であ
っても同様のことがいえるのではないだろうか.なぜなら,サッカー日本代表にコミットするこ
とと地元代表校にコミットすることは構造的に類似しているからだ.つまり,前者はナショナリ
ズム,後者は愛郷心が軸となっているといえるのである.
実際,2012 年の夏の甲子園大会決勝において,青森県の代表校を応援するために地域の方々
が集合し,地元の代表校を応援するパブリックビューイングの様子がテレビで紹介されていた.
このことからも,高校野球においても,その代表校というイシューをめぐって集合的沸騰があら
われているのといえる.すなわち,デュルケムの指摘した宗教をめぐる共同体と集合的沸騰の議
論は,高校野球においても同様のことがいえるのであり,競技スポーツというのは,それを契機
とした集合的共同体形成,ならびにそれによる集合的沸騰の可能性を有しているのである.
3-3-3. 地域シンボル化される代表校
これまで,高校野球観戦と共同体について述べたが,注意していただきたいのは,高校野球を
観戦する人の全てが共同体を形成しているわけではないということである.そもそも,高校野球
を観戦する人々については次の3つの型に分類することができよう.まず,ただ単に“野球”の
試合を楽しもうという人,つづいて特定の選手に注目し観戦する人,そして,特定のチームを応
援することを目的に観戦する人である.この3つ目に述べた型の人々が高校野球における共同体
を形成の可能性を有している.
そして,本節においてこの先の議論としては,野球留学を否定する声を共同体の問題とからめ
て述べていく.先の議論では,高校野球の代表校というイシューをめぐる共同体形成について言
及した.これに対して,さらにいえば,野球留学批判をおこなう人々は「地縁」というイシュー
をめぐり共同体を形成しているとはいえないだろうか.なぜなら,彼らの主張の軸にあるのは,
なにより生徒の地域志向ということであるからだ.実際,内部調査において野球留学に否定的な
回答をした人々にもそういった意見が複数みられた.それでは,この議論を進めるにあたり,社
会学者の吉野耕作の議論をもとに考えてみたい.彼はみずからの著書において以下のような議論
をおこなっている.
超国家主義のイデオロギーを支えていた家族国家観は 1945 年の敗戦に伴い表舞台か
ら姿を消すが,「想像上の家族・親族」としてのネーションのイメージは人々の潜在意
識の中に生き残った.「日本人の血」という人種的メタファーは,こうした親族的内集
団メンタリティとその背景にある様々な社会的・文化的・宗教的な記憶を連鎖反応的に
呼び起こすシンボルであると言えよう.(吉野 2002:146-7)
- 61 -
つづけて吉野は次のように述べている.
「日本人の血」のメタファーは,族内婚または孤立的交配(breeding isolation)
によって成り立つ独自な集団の存在を前提としている.そして,この前提は「我々」
の仲間内で形成されてきたという感情を促進し,
「我々」と他者との心理的距離を保つ
働きをする.「日本人の血」というシンボルは,「我々」は特殊な歴史的形成過程の産
物であり,だからこそ特殊な資質を共有するようになったという感情を可能にする.
従って,「日本人の血」は遺伝的特徴を指し示すサインではなく,「彼ら」らしさに対
する「我々」らしさをめぐる心理的反応を鋳型にはめるために歴史的に醸造され社会
的・文化的に創造されたシンボルである.以上見たように,
「日本人の血」が醸し出す
シンボリックなイメージは「我々」感情を巧みに表現するため,非常に効果的なバウ
ンダリー・マーカーである.(吉野 2002:147)
吉野の議論の場合,「血縁」をめぐる共同体の問題について述べている.これは高校野球にお
ける地域志向型の共同体の問題と類似するものである.なぜなら,地域志向の背景には「地縁」
というイシューが密接にかかわっているからである.たとえば,青森県の代表校らしさ,香川県
の代表校らしさなどを求める心理的反応として,「地元出身の生徒」というのが高校野球の共同
体における社会的・文化的シンボルとなりえるということである.地縁というシンボルが共同体
によって消費され,“我々の代表校”というメッセージをより強調しているのだといえよう.
しかしながら,その考えの妥当性のもと,野球留学批判がおこなわれることが正しいというこ
とにはならない.その問題についてはつづく最終章にて述べていく.
4 野球留学の意義を考える
4-1. 野球留学の意義とは
野球留学批判において,高校生の本分と野球における勝利目的という双方のアンビバレンスな
関係性がしばし提起される.野球留学に積極的な高校は,全ては勝利目的のため高校生の本分で
ある学業はおろそかになっているという批判である.しかし,その議論は本当に妥当性を有して
いるのであろうかという疑念が残る.なぜなら,学業のみが学校教育の全て,生徒の評価基準の
全てでは決してないとおもわれるからだ.
他の地域留学同様,野球留学においては 15 歳の少年が親許を離れ,野球技能をより高め甲子
園大会を目指すために単身で高校生活を送るのである.勝利目的という揶揄を裏返せば,人間教
育の姿がみえてこよう.人によっては寮生活での他人との共同生活を強制される.そういった生
活が社会での他人との共生する能力を高めるはずであるし,すなわち人間形成にも大きく影響し
てくるといえる.すなわち,地域留学における単身での高校生活それ自体も1つの教育のかたち
であるとはいえないだろうか.
- 62 -
また,先の議論における内部意識の調査でも述べられていたが,本来生徒の本分と位置づけら
れている学業以外にも生徒を野球技能で評価することがあっても問題ないのではないか.これは
他の地域留学の事例と比較してもいえることである.
そして,なによりも優先されるべきは,生徒自身の留学を望む意志ではないだろうか.生徒が
なにを学ぼうとするのか,それをどこで学ぼうとするのかという意志決定の自由を第三者が制限
する規則の存在は妥当性に欠ける.野球留学はそれ自体,妥当性が欠落した機能では断じてない
といえよう.
以上のように,野球留学は生徒にとって意義あるものとして機能していることがわかるだろう.
批判ばかりが目立ち,十分にその意義が語られることのなかった野球留学だが,決して負の側面
だけではない.
4-2. 野球留学の妥当性と正当な評価
先の議論では,野球留学批判の背景にあるものを,共同体の問題や吉野による集団におけるシ
ンボルの議論を利して掘り起こしてきた.そこでみえたのは,野球留学批判の声をあげる人々は,
地縁をめぐる集団共同体を形成し,そこで代表校の選手との地縁に対して意識的もしくは無意識
的に安堵感をえているというものであった.つまり,地縁的つながりが皆無とおもわれる非地元
出身者である野球留学生に対して倫理的な不快感を覚えているのだといえる.
だが,地元出身ではない野球留学生であっても,その土地にコミットしようとしている事例が
ある.たとえば,ある私立高校ではまちづくり活動を通して,地域貢献を意識的におこなってい
る.花壇整備やクリーンアップ運動などを実施することで,少しでも地域にコミットしようとし
ているのだ.このことから,留学生が地域となんら関連性を有していない,とは考えられない.
留学生自身が地域となにかしらの関係性を築こうとしている事実の前では,留学生は地縁的つな
がりが一切ないという批判は妥当性に欠けるのではないだろうか.このように,野球留学を批判
し規制しようとする議論には,妥当とはいえない側面もいくつかある.また,他の地域留学との
比較をもってしても,高校野球だけが地域留学を抑制される議論は合理的ではないといえよう.
ところで,先の調査において,野球留学をおこなうことで必ずや地域全体の野球技能の底上げ
はなされていないという意見があった.確かに,それに対してはうなずける部分があろう.留学
をおこなっている学校,それ単位の実力は上昇したとしても,地域全体がそれに比例していると
いえるかどうかは,まだまだ議論の余地を孕んでいるからである.しかし,そういった学校に勝
利することを目標に掲げ,野球留学をある意味での“必要悪”ととらえている当事者の意見とい
うのも内部意識調査からうかがえた.また,そういった意見を含めて,野球留学及び留学生に対
して嫌悪感を抱き規制を乞う当事者の数は,実のところ少ないということが先の調査から判断で
きる.
以上を考えると,メディアなどで取り上げられるような,一方的ともいえる野球留学への否定
的なスタンスは,それ自体正当な評価とはいえない.他の地域留学同様,野球留学も意義のある
地域留学の1つとして,正当に評価されるべきではないだろうか.
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おわりに
以上述べてきたように,高校野球を考える上で野球留学を分析することは非常に重要なもので
ある.学生野球憲章はその見方によっては留学規制とも解釈できる内容であり,先の議論でも,
その存在により野球留学が一方的に槍玉とされることを述べた.確かに,それも要因としてある
だろう.しかし,先にも述べたようにその内容は非常に不透明であり,判断しにくいものとなっ
ている.これについては,この先更なる議論がおこなわれることを期待したい.また,他の地域
留学と比べ,野球留学が特に批判的意味合いを含めて注目され言及されているのは,ある意味で,
野球という競技スポーツの人気,関心の高さゆえといえるのかもしれない.
本稿では,野球留学の正体とその意義を明確にすることを目的に高校野球に対して多角的なア
プローチをおこなってきた.当事者である高校球児という内部の人々の意識調査をおこなったこ
とや,野球留学批判を愛郷心及びナショナリズム,社会学的共同体の議論とからめて考えること
で,高校野球をより深く掘り下げて考察することに繋がったのではないだろうか.本稿では詳し
く取り上げることのなかった部分も含めて,高校野球にはまだまだ議論がなされるべき点が複数
存在する.本稿での議論が,それらの議論になにかしら寄与することになるならば,著者として
は非常にうれしくおもう.
謝辞
本稿を執筆するにあたり,アンケート調査に回答してくださった方々をはじめ,数多くの方々
に助言・ご協力いただきました.この場にて御礼申し上げます.
文献
朝青龍明徳,2006,『一番,一番!真剣勝負』日本放送協会出版
Émile Durkheim,1912,Les formes élémentaires de la vie religeuse,P.U.F.(=1975,古
野清人訳『宗教生活の原初形態(上・下)
』岩波書店.
)
加藤廣志,2003,
『日本一勝ち続けた男の勝利哲学』幻冬舎
小松成美,2008,
『トップアスリート』扶桑社
増島みどり,2000,『醒めない夢――アスリート 70 人が語った魔法の言葉』ザ・マサダ
日本高等学校野球連盟,2013,
『日本学生野球憲章』日本高等学校野球連盟公式サイト(2013 年
1月 15 日取得,http://www.jhbf.or.jp/rule/charter/)
大澤真幸編,2007,『ナショナリズム論の名著 50』平凡社
清水諭,2002b,
『甲子園野球のアルケオロジー――スポーツの「物語」・メディア・身体文化』
新評論
竹内一郎・高橋義雄,2006b,「高校生球児の野球留学とキャリア形成の諸課題」
『生涯学習・キ
ャリア教育研究』(2):39-44
吉野耕作,2002a,
『文化ナショナリズムの社会学――現代日本のアイデンティティの行方』名古
屋大学出版会
- 64 -
農村における生き物との共存
―群馬県利根郡川場村の専業農家を例に―
小林 美樹
はじめに
「繭と生糸は日本一」と上毛かるたにあるように,群馬県ではかつて盛んに養蚕が行われてい
た.一面に広がる桑畑はかつての群馬県にとってなじみの深い風景であった.しかし,時代の流
れとともに養蚕は姿を消していった.いままで一般的な家庭でごく自然に共存していた存在がい
なくなるとはどのようなことなのか.また,実際,養蚕はどのように行われていたのか.本稿で
は群馬県利根郡川場村の専業農家への調査を中心に,民族誌,エスノグラフィー的な切り口で語
っていきたい.
第1章では民族誌を語る意義を,先行文献を挙げつつ述べた.本稿は極めて限定した範囲で調
査を行ったが,養蚕はかつて一般的に行われていたものであり,日本の多くの家庭にも通じるこ
とがあるといえる.また,過去に起こった限定された事象を取り上げることにより,そこから見
えるものが現代の社会や生活を見つめ直すきっかけになりうる可能性を述べた.
第2章では農村においての動物との共存を群馬県利根郡川場村のある農家を例に挙げ述べた.
この農家ではかつて多くの動物を飼育していたが,その理由が,タンパク源を得るため,農作業
をするうえでのパートナー,現金収入を得るための 3 点であることが明らかになった.また,
調査をしていく中でペットではない動物と共存する当時の農家の人々の姿が見えた.
第3章では養蚕の仕組みについて述べた.養蚕の変遷や蚕の飼育方法,蚕と桑の関係性を述べ
る中で,蚕は人間のために作られた動物であり,人間の手を借りなければ生きることができない
動物であることが明らかになった.また,主に明治期には蚕信仰が行われていたことも明らかに
なり,人間と蚕との深い関係性が明らかになった.
第4章では実際にどのように養蚕が行われていたのか,群馬県利根郡川場村の農家を例に述べ
ていった.家の中に蚕がいる生活とはどのようなものだったのか,また養蚕が衰退にいたるまで
の経緯やその時の農家の心情はどのようなものであったかを述べた.その結果,近い距離でとも
に生活していたにも関わらず,蚕に対しては非常に割り切った考え方をしていたことが明らかに
なった.これは調査を進める中で筆者が最も驚いた点であり,現代の社会生活の中でも通じるも
のがあるのではないかと考えた.
1 民族誌を語る意義
1-1.民族誌とは何か
民族誌(ethnography)とは文字どおり,民族(ethnos)について書かれたもの(graphy)
という意味である.もとは社会学や文化人類学において用いられる手法および文書のことで,写
- 65 -
真やスケッチなどの映像資料,さらにはメディア技術の発展を通して動画(フィルムやビデオ映
像)による映像記録などもこれに含まれる.調査方法としては主にインタビューや観察といった
手法がとられる.この際,調査対象の本音を引き出すことが重要で,それをいかに集められるか
が調査結果の質を左右する.また,何らかの仮説を立て,その仮説を検証していくのではなく,
新たな考え方や行動パターンを発見していくアプローチであることが民族誌の特徴である.ヨー
ロッパ人の世界進出が進むなかで異文化に関する知見が蓄えられて成立し,近年ではマーケティ
ングにおいてこの考え方が導入されつつある.
では,民族誌を語る意義とは何か.福田アジオ(2004)は著書iで以下のように語る.
歴史過程を現在の民族から把握し,その結果を通して現代生活を理解する(中略).それが,
これからの私たちの生活や社会を考えるのに大きく参考になり,また指針になる.(福田
2004:4)
本稿では,群馬県利根郡川場村のある専業農家の生活を,飼育されていた動物たちとの暮らし
ぶりに着目して記述する.飼育されていた動物のうち,特に生活に根付き人々の生活に深くかか
わっていた蚕について重点的に述べていく.また年代的には,養蚕が盛んに行われていた昭和初
期から昭和終盤を中心に取り上げる.このように極めて限定的な記述ではあるが,福田が語るよ
うに,過去に起こった事象を取り上げることにより,現代の社会や生活を見つめ直すきっかけに
なりうる可能性を本稿は持っているといえる.さらに,本稿が重点的に取り上げる養蚕は「繭と
生糸は日本一」と上毛かるたの一節にもあるように,かつて群馬県内で盛んに行われていた産業
である.そのため本稿と類似の出来事が昭和の終わりから平成にかけて多くの家庭で起こってい
たと考えられる.
1-2.先行研究より
民族誌の先行研究として,佐藤郁哉の「暴走族のエスノグラフィーii」を挙げる.本書は暴走
族の内部に入り込み,行動観察やアンケート,心理テスト等を行い調査した結果をまとめた文献
である.インタビュー調査からは,参加する若者が何を目的として暴走に参加するのかが書かれ
ており,いわゆる,
「低学歴」や当時(80年代)の「落ちこぼれが」その教育制度や社会シス
テムに異議を唱えて,暴走行為を行っているのではない事を表している.
また,本書の冒頭には以下のような説明が記述されている.
この本の題名にある「エスノグラフィー」という言葉は日本では「民族誌」と訳され,未
開民族や特定の地域社会などの文化や社会経済組織をはじめとする生活の諸様式について,
飯島康夫・池田哲夫・福田アジオ編,2004,
「新潟大学民俗学研究室 10 周年記念論文集
『環境・地域・心性――民俗学の可能性』 岩田書院 i
i
ii佐藤郁哉,1984,
「暴走族のエスノグラフィー――モードの叛乱と文化の呪縛」新曜社
- 66 -
フィールド調査を通じて組織的に描き出す方法およびその成果として書かれるモノグラフ
や報告をさす.本書は,暴走族という,現代の日本に生息する一部族についてのエスノグ
ラフィーである.(佐藤
1984:9)
本書の驚くべきところは,フィールド調査として佐藤が 1 年にわたって京都の右京連合とい
う暴走族に入り込んでいる点である.単に外から調べた成果ではなく,自らも暴走族の内部に入
り込んで中からの視点を持って調査分析した結果なのである.しかも,本著で「仲間(ツレ)とし
て扱ってくれた彼ら」と述べているように自然に溶け込んでいる.このように既存の数値だけで
はない生の声を集めたのが本書である.本稿もエスノグラフィー的な切り口から論を展開してい
きたい.
2 動物との共生―群馬県利根郡川場村の農家を例に―
2-1.自給自足の生活と動物の関係性
ここでは群馬県利根郡川場村に暮らすある専業農家を取り上げる.この家は代々続く専業農家
であり,現在は米やこんにゃく芋,トマト,きゅうり,なす,長ネギ等を作っている.川場村は
武尊山(ほたかやま)の南麓に位置する自然豊かな村で,村の総面積の 87%を森林が占め,高地
は僅か 7%の典型的な中山間地域である.豊かな自然に囲まれるその立地条件から村全体での農
業従事率は高い.「雪ほたか」という川場村独自のブランド米は「全国米・食味分析鑑定コンク
ールiii」にて連続金賞を受賞するなど高い評価を受けている.また,群馬県の多くの農村地帯で
そうだったように川場村でも過去には盛んに養蚕がおこなわれており,この家では昭和 56 年ま
で養蚕を行っていた.
この家では馬や鶏,豚やヤギ,犬,猫,蚕等多くの動物を飼育していた.これらの動物を飼育
していた理由は 3 つに大別することができる.1 つめはタンパク源を確保することだ.四方を山
に囲まれ,タンパク質を確保するのが立地的に難しい川場村では,豚やヤギ,鶏等の動物は貴重
なタンパク源であった.2 つめは農業をするうえでのパートナーとしての役割があった.機械化
が進んでいなかった時代,馬などの動物は効率的に農作業を進めるうえで大切なパートナーだっ
た.そのため特に馬は大切にされ,村で馬が産まれた際には近隣の住民がその家に集まりお祝い
をしたという.動物の役割としての 3 つめは,現金収入を得ることである.前述した動物の中
では蚕がこれにあたる.川場村では農家は自分の家の中で消費するために野菜を作っていた.そ
のため現金収入を得る術がほとんど無かった.しかしそこに養蚕が加わったことで現金獲得が可
能になったのである.
以上のことから農家が多くの動物を飼育していたのは,タンパク源を得るため,農作業をする
うえでのパートナー,現金収入を得るための 3 つの理由が挙げられる.
iii全国米・食味分析鑑定コンクール(ぜんこくこめ・しょくみぶんせきかんていコンクー
ル):1999 年より開始.食味鑑定委員会が主催する新米の味を鑑定する国際コンクール.
- 67 -
2-2.飼育環境
驚くべきことは動物たちを飼育していた場所である.図 1 のように,農作業のパートナーと
して特に大切にされていた馬は玄関で飼育されていた.室内で,しかも一家の顔ともいえる玄関
を入ってすぐの場所で飼育されていたのである.特に馬は働き手として家族のように大切にされ
ていたそうだ.そのあらわれとしての飼育場所であるのかもしれない.
また,蚕は台所,茶の間,二階等,家じゅうで飼われていた.蚕を飼育する部屋は,汚れがつ
かないように畳を取り除き床板の状態にしていた.そしてその上に桑を敷き詰め,蚕を放し飼い
状態で飼育していた.蚕のいる部屋からは蚕が桑の葉を食べる音が一日中聞こえていたという.
そのため家族は蚕が葉を食べる音を聞きながら眠りについた.また糞尿のにおいもしていた.し
かし,蚕は桑の上でしか行動しない習性をもつため,他の場所に移動することはなかった.その
ためとくに衛生上での問題はなかったようだ.しかし,蚕のいる部屋で人間が寝起きし食事を作
り食べていたことは,現代の私たちの生活からしてみると驚くべきことである.
これらのことから農家の暮らしは動物との距離が近いことがうかがえる.また,動物たちが家
族のように大切育てられていたことが飼育されていた場所からも分かる.
図 1 一階間取り図
筆者作成iv
2-3.ペットではない動物との共存
聞き取り調査をして筆者が一番衝撃をうけたことは,動物と非常に近い距離間の中で生活して
いるにもかかわらず,動物に対する気持ち(愛情)は薄いということである.調査をしたある農家
iv
その他の動物は野外で飼育されていた.
- 68 -
の男性(1932 年生まれ)に話を聞いた.この家では蚕は明治時代から飼育していたという.蚕は
この男性が生まれる前から家にいたのである.昭和 56 年にこの家では養蚕を終了させた.農具
の機械化に伴い,区画整備を行うため,桑畑をつぶさねばならなかったためである.養蚕を辞め
ざるを得なくなったときの心境を尋ねた.すると男性は蚕に対して「愛情は特になかった」と語
った.犬や猫といった動物とは違うにせよ,生まれる前からともに生活していた蚕に対しこのよ
うな感覚を持っていたことに筆者は衝撃を受けた.この発言にあるように,近しいところで生活
していたとしても動物は動物であるという割り切った考え方をしていたことがうかがえる.
内閣府による調査vでは,ペットを飼っている人において,もっとも多く飼われているのは「犬」
だった.58.6%の人が「犬を飼っている」と答えている.次いで飼育率は「猫」
「魚類」
「鳥類」
の順となっている.今調査は 2010 年 9 月 2 日から 12 日にかけて層化 2 段無作為抽出法によっ
て選ばれた 20 歳以上の男女 3000 人を対象に,
調査員による個別面接聴取法で行われたもので,
有効回答数は 1939 人.男女比は 877 対 1062.今調査でペットを飼っていると回答した人は 34.
3%.つまり,約三人に一人がペットを飼っているということになる.また「いぬのきもち」
「ね
このきもち」viという専門誌があるように,飼い主はペットの気持ちを知り,精神的な意味でも
近づきたいという傾向がある.
現代の私たちがペットに接するのとは違った感覚で動物接していたと述べた.この違いが顕著
に表れるのは動物の死である.ペットが死んだ時,多くの人は悲しみ,中には人間と同じように
亡骸を手厚く弔いペット専用の墓を建てる場合もある.
調査対象の群馬県川場村の農家では鶏やウサギ,豚等の家畜は肉にするために飼育していた.
この家の次男が小学生の頃,お小遣い稼ぎに豚を飼っていたというエピソードがある.少年は自
分で買った 3 頭の豚を大切に育てた.そしてとうとう豚を売らなければならなくなった時,ト
ラックで運ばれていく豚を見送り,しばらくして「今頃豚達はどうなっているかな」とつぶやい
たところ父親に「もう肉になっちまってらあ」と上州弁で返されたという.このエピソードから,
ペットとしてではなく家畜として飼われていた動物に対する気持ちの差異をうかがうことがで
きる.
3 養蚕のしくみ
3-1.養蚕の変遷
日本における養蚕の始まりは,弥生時代まで遡る.弥生前期の遺跡から絹が出土している.奈
良・平安時代には,全国的に絹が生産されるようになり,調として絹,絁(あしぎぬ)が納められ
ていることが確認できる.絹はそれ以降中世~近世に至るまで,貴族や武士などの上層階級の衣
服として利用されてきたが,生産量は少なかった.群馬県では江戸時代中期以降,農家の副業と
して養蚕・製糸・機織りが細々と行われていたことが,記録に残されている.
絹が一躍脚光を浴びるのは,幕末から明治にかけての時期である.横浜が開港され欧米と貿易
v
vi
内閣府が 2010 年 11 月 1 日に動物愛護に関する世論調査の結果を発表したもの
ともにベネッセが発行する会員制月刊雑誌
- 69 -
が始まると,生糸が重要な輸出品となったのである.このため,養蚕・製糸が盛んに行われるよ
うになった.しかし,この頃の養蚕は,飼育技術も未熟であり,なじみ深い桑畑の広がる景観が
見られるようになったのは明治 10 年代からであった.
明治中頃までは,蚕の卵(蚕種)は自然孵化していたため,養蚕は年 1 回,春蚕を行うだけであ
った.しかし,明治後期には蚕種を風穴(ふうけつ)で貯蔵することで,夏蚕・秋蚕が可能となっ
た.しかし,技術が未熟で飼育が難しかったために,夏秋蚕の生産量は少なく,
「夏秋蚕と味噌
汁はあたらない」と言われていた.また,蚕は当たり外れが多いことから「運虫(うんむし)」と
呼ばれ,養蚕農家の間では「けえこけえは,いっしょうけえこ」(蚕飼いは一生稽古)などといっ
た.
大正時代になると,原蚕種製造所が設立され,品種改良により一代交雑種が生産されるように
なった.この蚕は在来種よりも強健で,飼いやすくなった.こうした蚕種の改良により,年 3
回の飼育も一般化し,夏秋蚕の生産量も増加した.また,県立蚕糸学校,蚕業試験場などが設立
され,新しい養蚕技術の指導者(養蚕教師)も育成された.
太平洋戦争中と戦後は食料増産のため,一時養蚕は低迷したが,昭和 25 年頃から養蚕は再び
盛んに行われることになる.稚蚕飼育には土室育(群馬式稚蚕共同飼育)が開発され,枝ごと桑を
蚕に与える条桑育が普及した.昭和 30 年代後半から蚕病予防技術も進歩し,設備の整った稚蚕
共同飼育所が普及していった.上簇には条払い方式が用いられるようになり,年 4~6 回の多回
育が行われるようになり,回転まぶしも普及していった.こうした飼育技術の進歩により,昭和
40 年代には養蚕業のピークをむかえた.
しかし,化学繊維の発達や,安価な外国産に圧迫され,養蚕は現象の一途をたどることになる.
昭和 50 年代後半からは,人口飼育による稚蚕飼育や,機械化なども新たな試みも行われたもの
の,歯止めはかからなかった.
3-2.蚕の一生
蚕は鱗翅(りんし)目カイコガ科の昆虫で,正式にはカイコガと呼ばれる.その幼虫のことをカ
イコ(蚕)という.原産地は中国である.今から4000~5000年前から人間によって飼われ
ていたため,成虫になっても飛ぶことができず,口も退化して生殖行為しか行わないある意味家
畜化された昆虫といえよう.そのため人間の管理なくしては生育ができない.また,数え方は家
畜と同じく1頭,2 頭とする.
蚕の一生は約 50 日であり,卵→幼虫→さなぎ→成虫(蛾)と 4 回姿を変える完全変態昆虫であ
る.この過程で蚕の体重と体長は1万倍以上にもなる.卵から孵化した幼虫は,4 回脱皮して成
長する.脱皮の回数により1令~5令と呼ばれ,5令の蚕は,糸を吐いて 2 日かけて繭を作り
その中でさなぎになる.さなぎは 12 日ほどで成虫のカイコガとなる.成虫は500個ほどの卵
を産み,4~5日で一生を終える.養蚕とは卵を孵化させてから繭を作らせるまでの約 30 日間
である.絹織物一反(700グラム)を作るには,約2700頭の蚕が必要で,これは98キロの
桑の葉を食べて4900グラムの繭を作り,この繭から生糸900グラムを得ることが必要であ
- 70 -
る.
3-3.蚕の飼育方法
時代・地域によりさまざまな飼育方法があったが,ここでは一般的な昭和後期(戦後)の飼育方
法について述べる.養蚕では蚕の卵のことを「蚕種(種)」と呼ぶ.蚕種は蚕屋が製造しており,
「種紙(たねがみ)」というたくさんの卵が紙に貼りつけられた状態のものであった.卵は催青器
(さいせいき)の中で温度調節して孵化させるが,孵化する 3 日ほど前から卵が青味を帯びること
から,これを「催青」という.孵化した 1 令の蚕はケゴ(毛蚕・蟻蚕)といい,種紙から羽根ぼう
きで掃いて飼育箱などに移す作業を「掃き立て」という.稚蚕は病気になりやすく飼育が最も難
しいので,密閉されていて鐘だ措くと温度管理の行き届いた共同飼育所で飼育していた.1~2
令の蚕には桑の葉を細かく刻んで与える.
3 令になると,各農家へ配られて飼育されるようになる.これを「配蚕(はいさん)」という.
壮蚕は桑の枝ごとに与える条桑育(じょうそういく)で飼われる.食べる桑の量も増え,1 日 3 回
くらい桑を与える.脱皮する前には桑を食べなくなるが,この状態を「眠」と呼ぶ.この時には,
一時的に「桑くれ」作業が休めることから,
「ヤスミ」ともいう.
5 令になると猛烈に桑を食べる状態となり,1 日に3~5回「桑くれ」をしなければならず,
多忙をきわめる.この段階を「オオグワ」という.やがて蚕の体が黄色くなり透き通り熟蚕(ズ
ウ)と呼ばれる状態となる.
ズウになると繭を作るための蔟(まぶし)に移す.この段階を上簇(じょうぞく・オカイコアゲ)
という.ズウが繭を作り出すのは一斉であり,昼夜をも問わないので,オカイコアゲはたいへん
な重労働であった.蚕は約 2 日間休みなく口から糸を吐き続け繭を作る.糸の長さは 1500mほ
どになる.上簇から約 10 日ほどして,簇から繭を取り外す.これをマユカキという.マユカキ
の後,毛羽取機にかけて毛羽を取る.さらに,選別してくず繭などを取り除いたものが,出荷さ
れる繭となる.
また,蚕の天敵はネズミである.そのため養蚕をしている農家ではネズミ除けのために猫を飼
っている家が少なくなかった.その浸透ぶりは明治 28 年(1895 年)に書かれた『通俗実験蚕桑問
答談』の養蚕用具中に「牡猫一匹」とあるほどだ.しかし,猫は蚕の天敵であるネズミを追い払
う役目をするが,まれに蚕自体に被害を与えることもある.そこで猫絵が流行した.猫絵絵師と
して有名なのは新田家である.この家では 4 代にわたって猫絵を描き続けた.
3-4.蚕と桑
蚕は桑のみを食べて成長する.そのため養蚕を行ううえで桑は無くてはならないものであった.
桑には稲作と同じように早生・中手・晩生などがあり,気候風土に適した桑木が植えられていた.
平野部は低木仕立て,山間部は上州桑並木と呼ばれていたように高い木のような桑が育てられて
いた.
桑取りの際に歌われた桑取りの歌が日本各地で伝わっている.以下は明治 36 年(1903)年生ま
- 71 -
れの養蚕教師(群馬県伊勢崎市下連雀町)から聞いた桑摘み歌である.養蚕教師とは,養蚕飼育の
指導員の俗称で各地を巡回した.この歌は養蚕指導の途中,伊勢崎市内で耳にしたものだという.
①
新地島村,家つくりは良いが,釜のふた取りゃ鬼が出る
②
蚕仕上げて沼田の城下,連れて行くから辛抱しな
① 桑の中から小唄がもれる,小唄聞きたや顔見たや
② 新地島村屋へ遺産の二階,赤いタスキに玉揃い
③ 蚕仕上げてチョウとり終えて,明日は信州の南佐久
④ 上州剛士は狭いようで広い,雪の山ほど繭をつむ
⑤ 剛士島村蚕の本場,わしもゆきたや桑摘みに
⑥ 前は利根川,後ろは広瀬,わたしゃ桑摘み繭の玉
⑦ 春はせわしや蚕の世話よ,娘貸したり借されたり
③⑦⑨の歌詞は,樹海のごとく広がる桑畑の中で,赤いタスキをかけた乙女たちが唄をうたい
ながら桑摘みに精を出す光景が見えるようである.④の「与平さん」は,明治5(1872)年
に「養蚕新論」という実践養蚕書を著した田島与平を指すので,この唄は少なくとも明治初年ま
でさかのぼることができる.島村は蚕種地帯であり,⑤の桑摘み歌のように「チョウ」すなわち
蛾の交配もカイコビヨウ(蚕日雇)と呼ばれた養蚕労働者によって成り立っていた.特に若い女性
は視力がよく,蛾の雄雌鑑別に適していた.細かく根気のいる仕事には,女性の忍耐強さと細や
かさが必要であったといえよう.近年,群馬県川場村の「繭かき歌」が発掘されたが,簇から繭
を取り出す作業に合わせた素朴さが懐かしい歌である.他に「糸取り歌」
「機織り歌」などもあ
るが,自宅での作業であるために外で歌うことがなかったために広がることはなかったようであ
る.
また,桑の病害の種類は多く,多くはカビや細菌ウイルスなどの寄生によって起こる伝染病害
である.地域の土壌による病気もあり,甚大な被害もあった.さらに桑葉は霜や雹などの自然災
害によって甚大な被害に遭うことがある.蚕の飼料が断たれ,蚕を投機せざるを得ない事態に陥
ることが時々あった.人々は供養のために蚕影山大神の石碑などを建立して祀った.おもしろい
ことに,これらの石碑を建てた年代を調べてみると明治 10~30 年頃に集中している.年代が進
み科学が発達するにつれて蚕の品種改良がおこなわれ,人間にとって都合のいい蚕が作られるよ
うになった.そのため人々の意識は蚕を失ったとき,供養してあげようという信仰に近いものか
ら,またどうにかすればいいという道具的な意識に変わった.
3-5.蚕霊供養
養蚕は蚕という虫を飼育して繭を得ることを目的に行われるため,繭が大量に得られれば,そ
れだけ養蚕農家の収入は増える.繭は製糸業者の手で糸取りされ生糸になり,その生糸を使って
織物業者が織物にして蚕糸業は発展する.この過程の中で大量の蚕が犠牲になっていることは明
- 72 -
らかである.それは仏教の説く殺生戒を犯すことになり,昔から蚕の霊魂を供養する動きがあっ
た.
群馬県内では,昭和 12 年に碓氷室田工場が操業を開始し,翌 13~14 年に創業記念の祭りを
した際には工場の庭に「蚕霊供養碑」を建てた.さらに昭和 7 年度蚕業取締所境支所に「蚕霊
塔」が建てられた.同 32 年には伊勢崎市に移転,昭和 51 年前橋市の繭検定所(蚕糸技術センタ
ー)に移転したことも,蚕の霊を供養するものであった.群馬県金古の徳昌寺の墓地にある「蚕
霊魂供養碑」は昭和 12 年の建立で,上田蚕糸専門学校長塚長太郎(渋川市出身)の書による碑で
ある.
蚕は桑の葉だけを食べるので桑がなければ飼育できない.ところが,霜害,雹害という自然災
害が起きて桑が全滅し,蚕を処分しなければならないことがある.明治 20 年 5 月,榛名山東麓
の榛東村,箕郷村では 30cm 以上の大雹害のために桑が全滅し,飼育中の蚕を地中に埋めた.こ
うした悲劇を後世に伝えるために各地で供養の碑が建てられた.箕郷町柏木沢本田の「蚕霊大明
神碑」がよく知られている.
また,明治 26 年 5 月,碓氷・安中地方を中心に大霜害が起こった.見渡す限り青物なしとい
う惨状で村中で飼育中の蚕を集めて地中に埋めた.村々では供養碑を建て,蚕神の名を刻んだ.
松井田町では「蚕影大明神」と「絹笠大明神」の碑がある.安中には絹笠大明神と蚕神名のない
碑が建てられたが,今日ではどちらもキヌガササンの名前で呼ばれている.こうした供養の建立
には,養蚕を直接担当した主婦たちの強い意向が反映していたことを忘れてはいけない.
注目すべきことはこれらの蚕霊供養の考え方が明治期から昭和初期に集中していることだ.
「明治 30 年頃から人々の蚕に対する意識は変わった」と板橋春夫は自身の講演会 viiで語った.
「科学が発達すると信仰は廃れていく.養蚕技術が未熟で養蚕を成功させるのが難しかった明治
期には盛んに碑を建て蚕を祀るなど,人々は蚕を大切に扱ったが,養蚕技術が発達していくにつ
れ人々の意識も変化した.昭和にかけてからも碑は建てられたが実際の養蚕農家の蚕に対する考
え方はやはり明治期とは異なるものといえる.
」碑を建て,あつく供養するなどして人々から大
切にされていた蚕だが,その状況は科学技術の発展により変化していった.
4 暮らしの中の養蚕―群馬県の養蚕―
4-1.群馬県の養蚕事情
群馬県は古来養蚕業の盛んな土地であり,昭和 45 年度の統計による図 2 の通りである.桑畑
面積,養蚕戸数,掃き立て量,収蚕量ともに全て全国一位を誇っている.この表から明らかなよ
うに全国的にも群馬県の養蚕は重要な地位を占めていたことがわかる.なお,図 2 は昭和 45 年
度のものをあげたが,昭和 45 年度のみではなく過去 5 カ年の統計を見ても順位は変わらない.
群馬県では江戸時代中期以降,農家の副業として養蚕・製糸・機織りが行われていたことが記
vii
板橋春夫 2012 年 10 月 15 日 「平成 24 年度第 2 回経済学会学術講演会 『群馬の養蚕と暮
らし』」
- 73 -
録に残されている.しかし,その起源は明確ではない.記録によると,713(和銅 6)年に「相模,
常陸,上野,武蔵,下野.護国輸調.元来是布也.自今以後,絁布並進」とある.絁は粗悪な絹
のことと思われるので,この時代に絁を朝廷に貢進させており,すでに養蚕が行われていたこと
を示す.
出典:群馬の蚕糸業
図 2 全国と群馬県の養蚕業の比較(昭和 45 年度)
1548(天文 17)年には「にたやまつむき」とあり,桐生を中心とした仁田山絹が京都に商品と
して納められていることがわかる.技術的にも高度な紬を生産するようになっていることを示し
ており,桐生近郊が当時の群馬県の養蚕業の中心として栄えていた.1797(寛政 9)年に出された
吉田友直の養蚕書である「養蚕須知」には「我上毛の国は養蚕昔より多くして海内第一といへり」
「蚕を養ふ家は必ず蚕の利得を其家半年の取収にあつるといへり,故に蚕年々富る人は漸々と富
鐃になり,蚕年々凶るる家は次第に衰微になる.然れば民家の富も衰へも皆養蚕にある事なれば,
農家の人是を大切にすへきの第一の事なり」とあり,当時養蚕が農家の家計の中で大きな地位を
占めるほど盛んになっていたことがうかがえる.
農間稼業として養蚕がほとんどの村において行われていたことは,各村に残る村明細帳によっ
て知られる.担当するのはほとんどが女性であった.
「養蚕須加」に「蚕家の主人養法をしらず
して婦女子にのみ任せ養ふは,たとへ少し利得ありとも養わざるには大に劣りて大不仁なり」と
あることからこの時代から養蚕において女性が重要な役割を占めていたことがわかる.
養蚕業において契機となったのは 1859(安政 6)年の開港である.外国貿易の輸出品として生糸
が国内から集められ,生糸貿易が盛んに行われた.県内からも横浜に進出し,活躍した商人が多
い.加部安左衛門,上州屋平八,中居屋重兵平,穀屋清左衛門,藤屋藤三郎らが著名である.農
村の生糸を仲買人が村々をめぐって集め,それを横浜貿易商人が入手して輸出した.外国で大い
にもてはやされ,糸の値段も高騰し農村における養蚕業もさらに盛んに行われていった.生糸は
農家の副業として行われ,女子の仕事とされた.女子は自家製の繭をひいたり,他の家の手伝い
や出稼ぎをした.
前橋藩では自藩の主要産物である生糸を保護するため,明治 2 年に横浜に生糸直売所を開設
し,生糸輸出に力を入れた.また,明治 3 年には前橋の岩神村に機械製糸工場を設立した.イ
タリア製機械を 12 台購入し,スイス人ミュラーが指導にあたった.これは前橋藩士らの尽力に
よるものであり,日本で最初の機械製糸工場である.次いで明治 5 年に官営富岡製糸所が設立
- 74 -
された.農村においてもこれらの動きに刺激されて組合製糸を結成した.碓氷社,甘楽社,下仁
田社のいわゆる「南三社」がその代表的なものであった.組合製糸は各農家で座繰りによって生
産した生糸をひとつにまとめ,品質を統一して販売することが目的であった.組織としては,碓
井社の場合 100 名以上で 1 組合とし,大正 6 年が 180 組合と最も組合数の多い時期であった.
また,大正 3~5 年の第一次世界大戦により生糸輸出は途絶し,大正 12 年の関東大震災によ
り製糸家は次々に倒産し,各農家への繭代金支払いは不可能となり,養蚕農家救済の方策として
大正 15 年の通常県会で「養蚕家救済に関する建議所」を可決し,これを受けて昭和 2 年に群馬
社が設立された.群馬社は組合員の生産した繭を,最新式の機械設備により製糸し,販売するこ
とを目的とし,同時に農家に対しても蚕品種の統一,飼育方法の改善を指導した.
その後太平洋戦争に突入し,外国への輸出は途絶し,食料増産のため桑は引き抜かれていった.
戦後復帰したが一時ナイロン等の化学繊維におされつつも生活が豊かになるにしたがい絹本来
の美しさが見直され,生糸,絹の需要が増加し,生糸は国内生産の供給だけでは間に合わず,外
国からの輸入にも頼ることとなった.
そして昭和中期の養蚕農家の経営は,零細農家は次第に養蚕業からコンニャク,果実等の作物
に転作する一方,規模を拡大し安定した経営を営む農家とに両極端に分かれる結果となった.
このようにかつて群馬県では養蚕が盛んに行われ,明治~昭和の時代,農村の生活は養蚕と密
接に結びついていた.しかし,現在養蚕は衰退し,人々にとってなじみ深かった桑畑のある風景
もほとんど見られなくなり,ノスタルジーの中に消えていこうとしている.
4-2.家の中に蚕がいる生活
飼育に先立ち,蚕室や蚕具の準備がある.近くの川で蚕籠ほかの蚕具を洗ったが,これは籠洗
いと称した.かつては主屋を飼育空間とした.畳を上げて板の間にし,密閉飼育時代には新聞紙
で部屋の隙間を目張りした.蚕種が催青すると掃き立てになり,鷹の羽根で丁寧に掃き下ろす.
孵化したばかりの蚕に桑を細かく刻んで与えた.その後,蚕はシジ休み,タケ休み,フナ休み,
ニワ休みと 4 回の休みを繰り返すたびに脱皮をして成長する.この名称はそれぞれ獅子,竹,
船,庭であり,馬娘婚姻譚(ばじょうこんいんたん)を基にしている.飼育期間中,女性は「蚕が
始まると帯を解かない」といわれるように,多忙をきわめる.しかも蚕の成長に伴い蚕籠の枚数
も増加し,飼育空間が広がって家族の寝る場所も占領され,コノメ(蚕棚)の間に寝る状態を余儀
なくされた.
一軒の農家でも何千,何万頭もの蚕を飼育するため蚕が動き回る音や桑を食べる音が昼夜問わ
ず一日中聞こえていた.特に人が寝静まった夜は蚕が桑を食べる音がよく聞こえていたという.
川場村の農家の息子は「蚕が桑を食べる音を子守歌代わりにしていた」と語る.また蚕は生き物
なため,当然排泄もする.そのため排泄物のにおいもしていた.しかし,蚕は基本的に桑の上で
しか動き回らない習性を持つため,家の中で放し飼いにしても行動範囲は限定されていた.
調査をした群馬県利根郡川場村は 1 年を通して比較的気温は寒冷であり,
冬には雪が積もる.
その風土の中で温度調節を必要とする養蚕をいかに効率よく行うか,農家は日々試行錯誤してい
- 75 -
たという.3 章でも述べた通り,まさに「けえこけえは,いっしょうけえこ」(蚕飼いは一生稽
古)である.中には蚕を育てるために炭をおこして家が火事になった農家もいるほどだ.どうし
たらより良い蚕が作れるか,村の養蚕をしている農家を見て回り,どのような飼育方法をしてい
るかを見て回っていたという.
4-3.養蚕が衰退にいたるまでの経緯と農家の心境
川場村では昔より米の自給と養蚕による現金収入が大きかった.昭和 10 年にはじめてこんに
ゃくが統計の上に表れ,作付面積 12 反,収量 4800 石とある.昭和 34 年の川場村の三大農産物
として米 49111 千円,こんにゃく 42300 千円,養蚕 30951 千円であると記述されているところ
をみると昭和以前は現金収入の唯一の道であった.村の盆歌に「蚕上がれば沼田の町へ連れて行
くからしんぼしな」とうたわれていることからも非常に苦しい仕事でありながらもやらなければ
ならなかったことは現金収入の魅力であった.また,
京都府の農家 O 家の詳しい農業収益の表(図
3)があるが,これを見ても養蚕による収益が農家にとって大きかったことがわかる.
出典
日本蚕糸業発達とその基盤viii
図 3 京都府 O 家の農業粗収益(1928 年)
このようにかつて農家にとって養蚕は貴重な現金収入を得る手立てであったが,海外から安価
viii荒木幹雄,1996,
「日本蚕糸業発達とその基盤――養蚕農家経営」ミネルヴァ書房
- 76 -
360
な繊維や布の流入,コンニャク芋等他の現金収入を得る手立てができたことから養蚕は次第に衰
退していった.そんな中,川場村のこの農家では昭和 56 年まで養蚕が行われた.養蚕業を終了
したきっかけとなったのは,昭和 56 年から行われた土地改良事業である.この土地改良事業で
は農業の機械化にともない,田畑に機械が入りやすいようにするための区画整備が行われた.こ
れは川場村全体で行われ,3 年がかりで取り組まれた.これにより,広大な桑畑は範囲を縮小さ
れ,それに伴って養蚕も衰退に追い込まれた.それでも今から 10 年ほど前までは川場村でも 3
人養蚕をしている農家がいたが,現在は高齢のためやめてしまったようだ.
調査をした農家では明治時代から養蚕が行われていたため,この家の住人は生まれた時から蚕
がいる生活をしていたということになる.しかし蚕はどのような存在だったかという問いには
「現金収入源だった」という割り切った答えが返ってきた.養蚕についてどのような思いを持っ
ていたかという問いにも「この土地で現金収入を得るすべは養蚕しかないのだからやるしかな
い.
」という答えが返ってきた.こちらにも割り切った考えがうかがえる.
3章で述べた通り,明治30年以前は蚕影信仰等,蚕を神のように祀る動きが盛んに起こって
いた.しかし内部で聞き取りを進めていくうちに,この農家では蚕や養蚕に対して非常に割り切
った考え方をしていることが感じられた.蚕に対しては信仰や愛情という気持ちよりも生計を立
てる手段として接していたようだ.これは蚕信仰が厚かった明治 30 年より科学技術が進んでい
たことも関係するのではないかと筆者は考える.哺乳類と虫という違いはあるにせよ,ペットと
同じように室内で飼育し,人間と非常に近い距離にあった蚕に対してこのように割り切った考え
方をしていることは注目すべき点である.
これは,ともすると,現代の教師と生徒,上司と部下というような近しいところに居つつもあ
る意味割り切った関係と同様の関係性を持っているといえるのではないか.現代で私たちが家庭
で触れるのは家族,もしくはペットであり,いずれも愛情を持って接する相手である.かつて日
本の家庭でごく当たり前に存在していた蚕は現代ではほとんど存在しない.割り切って過ごさな
くてはならない相手が家庭から姿を消したのである.この過程で私たちは社会生活に必要な,割
り切った関係を築く機会を知らず知らずのうちに失っているのかもしれない.
おわりに
本稿では,農家における人間と生き物との共存を,群馬県利根郡川場村のある農家を例に民族
誌的な語り口で述べた.その中で,生き物と非常に近い距離間で生活しているにもかかわらず,
生き物に対して割り切った気持ちで接する農家の人々の姿がみえた.一軒の農家で何千,何万頭
も飼育されていた蚕がある時姿を消すということは大きな変化だったのではないだろうか.しか
し,その当事者である農家の対応は意外にも冷静で,こちらが肩透かしをくらう印象さえあった.
生き物とともに生きるということは,このようなことなのかもしれない.
蚕は何百年もの間,人間とともに生きてきた生き物である.生活空間を犠牲にしてまで飼育す
る人間,人間なしでは生きられない生物という二者の関係は特殊ともいえる.しかもそれは決し
て特殊な場所で築かれていたのではなく一般的な家庭の中に存在していたのである.
- 77 -
調査を進めていくうちに,今でも蚕を飼育している幼稚園や小学校があるという話を何度か耳
にした.実際,筆者の小学校でも教室の隅に小さな蔟を設置し,数匹の蚕を飼育していたことが
あった.さらに,群馬県吾妻郡中之条町の中心にある,中之条ふるさと交流センター「つむじ」
でも何匹かの蚕が飼育されていた.近年では家庭から完全に姿を消しつつある蚕であるが,学校
や地域の施設等で飼育されていることも多い.人間と蚕は何百年という長い時間をかけてこの関
係を築き上げてきた.この二者の関係を伝える場がこれからも残り続けることを願う.
文献
荒木幹雄,1996,『日本蚕糸業発達とその基盤――養蚕農家経営』ミネルヴァ書房
360
安中市ふるさと学習館,2004,『「養蚕の神々」――繭の郷に育まれた信仰』1-41
飯島康夫・池田哲夫・福田アジオ編,2004,
『新潟大学民俗学研究室 10 周年記念論文集
地域・心性――民俗学の可能性』 岩田書院 i
関東農政局群馬統計情報事務所編,1981,『第 28 次群馬農林水産統計年報』橋謄写堂
群馬県教育委員会,1971,『群馬県郷土民謡集』上毛新聞社
群馬県教育委員会事務局,1972,『群馬県の養蚕習俗』
群馬県農政部蚕糸課,1985,『群馬の蚕糸業
昭和 59 年度』
群馬県農政部蚕糸課,1986,『群馬の蚕糸業
昭和 60 年度』
佐藤郁哉,1984,『暴走族のエスノグラフィー――モードの叛乱と文化の呪縛』新曜社
和歌森太郎,1976,『民俗学の方法』朝倉書店
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環境・
フェアトレードにみる文化的価値の在り方
―持続可能性のある社会をめざして―
大山 明日香
はじめに
フェアトレードという言葉を日常生活の中で意識する機会はほとんどないに等しい.人
びとは,果たしてフェアトレードという言葉またはその意味するところについて理解して
いるだろうか.フェアトレードに対するこうした認識の低さは日本社会において顕著であ
ると感じる.また,フェアトレードを取り上げる際に経済的観点から語られることは多い
が,文化的側面から語られることは少ない.こうしたことは資本主義経済において経済的
価値が優位を保ち,文化的価値がある種ないがしろにされているともいえる.モノの価値
を経済的価値だけで測ることが必ずしも悪いとは言えないが,もっと多様な観点から捉え,
それに寛容であることがフェアトレードの意義を評価するためには必要と思われるし,そ
うした立場に立つことが持続可能性のある社会に繋がっていくのではないだろうか.
本論文では日本社会におけるフェアトレードの普及可能性について探ると共に,フェア
トレードにおける価値の在り方を特に文化的側面から考え,経済的価値と文化的価値の両
面からフェアトレードの在り方を再び問い直そうというものである.
1 フェアトレードとはなにか
1-1. フェアトレードの概要
フェアトレードとは,アジア・アフリカ・中南米といった貧困層の多い開発途上国の農
村地域などに仕事の機会を提供し,生産者と商品購入者・消費者が透明性の高い公正な取
引を行うための貿易システムである.これらの取引に非常に大きな役割を果たしているの
が,フェアトレード組織の存在である.途上国において新たに雇用創出と収入を生み出し,
また既にある産業で不公正な貿易構造によって買い叩かれている製品を適正価格で取引す
ることの手助けをおこなっている.これらの活動は各国に広がり,世界中で大きなネット
ワークを形成している.それぞれの組織でフェアトレードへのアプローチは異なり,独自
の基準をもって活動しているところも少なくはないが,その根幹にある考えについては大
きな差異はない.そこで,ここではフェアトレード組織の一つである WFTO の指針をもと
にフェアトレードについて考えていく.
WFTO(世界フェアトレード機関)は,途上国の立場の弱い人びとの自立と生活環境の
改善を目指す世界中の組織が,
1989 年に結成した連合体である.
欧米や日本の輸入団体と,
アジア,アフリカ,中南米の生産者団体の合計 75 ヶ国の約 450 団体が加盟し,情報を共有
しながら共にフェアトレードの普及を目指している.WFTO ではこれに加盟するフェアト
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レード団体が順守すべき指針を定めており,また加盟団体が基準を守り活動しているかを
モニタリングしている.またチェックを行った上でこの基準を守っている団体に対して,
フェアトレード団体としての認証を与えており,認証を受けた団体は,WFTO のロゴを使
用することができる仕組みとなっている.フェアトレードの 10 の指針(10 Principles of
Fair Trade)は以下の通りである.
①生産者に仕事の機会を提供する
②事業の透明性を保つ
③公正な取引を実践する
④生産者に公正な対価を支払う
⑤児童労働および強制労働を排除する
⑥差別をせず,男女平等と結社の自由を守る
⑦安全で健康的な労働条件を守る
⑧生産者のキャパシティ・ビルディングを支援する
⑨フェアトレードを推進する
⑩環境に配慮する
つまりフェアトレードは,発展途上国で作られた作物や製品を適正な価格で継続的に取
引することによって,生産者の持続的な生活向上を支える仕組みということである.ここ
で重要なのが,単に資金援助をするのではなく,地元の産業と公正な条件で貿易を行うこ
とで,その自立を支援しようという運動であるということだ.経済的弱者への支援という
と,チャリティーや慈善事業を思い浮かべがちであるが,これらは一時的な側面しかもた
ないものも多く,その時限りの支援で終わってしまうことがある.一時的な援助ではなく,
生産者にとって適正な条件で取引が行われることにより“持続的に”かつ“長期的に”生
活向上を支えていく事が出来るのである.生産者と地域が経済的・社会的に自立出来るよ
うに,彼ら自身で国際市場に関わっていくためのサポートが行われているという点にこそ
フェアトレードの利点はある.また,その地域の環境や生産者の権利を害さないという点
においても生産者を第一に考えた取引形態をとっていることがわかる.このことからも,
経済的,社会的,環境的問題のバランスを保ちつつ,先進国と途上国が共生してゆくため
の持続的なビジネスモデルであるということができる.また,こうした WFTO のような組
織の認証を受けていない団体による活動はフェアトレードといえないか,といえば必ずし
もそうとは限らない.認証を受けるにあたっては主に資金面において大きなハードルがあ
るため,全ての団体がこうした組織に加盟しているわけではない.しかしフェアトレード
においてなにより重要なことは,その理念や目的,基準をきちんとふまえ,それに沿って
活動することである.
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1-2. 歴史と変遷
こうしたフェアトレード運動の起こりは,1940 年代のアメリカにおいて NGO 団体が誕
生したところにまでさかのぼる.1950 年代には発展途上の国々が独立の兆しを見せ始め,
先進国間との間に経済的格差を指し示す「南北問題」が浮上してきた.1960 年代から 70
年代において,その活動はヨーロッパにまで広がりをみせる.経済的,社会的に立場の弱
い生産者に対して,通常の国際市場価格よりも高めに設定した価格で継続的に農作物や手
工芸品などを取引し,発展途上国の自立を促すという人道的側面が強いものであった.こ
の中で多くの生産者団体が生まれ,活動を活発化させていった.そして 1980 年から 90 年
代において通称 FINE iと呼ばれる組織が台頭し,これらはフェアトレードの国際基準の指
標としての役割を果たしている.
○世界の主なフェアトレード運動
アメリカのテン・サウザンド・ビレッジ(元セルフ・ヘルプ・クラフト)がプエルト
リコから刺繍製品の購入を始める.
イギリスのオックスファムショップが,中国の難民が作った手工芸品の販売
1950年代
を始める.
1958年 フェアトレードショップ第1号店がアメリカで開店する.
1964年 オックスファムGBが貿易会社“Oxfam Trading”を設立.
1967年 オランダの輸入団体“Fair Trade Organisatie”が設立される.
1969年 「ワールドショップ」第1号店がオランダで開店する.
途上国で,フェアトレード団体が設立.ペケルティ(インドネシア),ミンカ(ペ
1960年代
ルー)など.
オランダのFair Trade Organisatieによって,グアテマラの小規模生産者組
1973年 合より世界で初めて「フェア」にトレードされたコーヒー豆が輸入され,フェア
トレード運動が,手工芸品だけではなく食料品にも広がる.
1980年代 オランダの教会運営のNGOによって,フェアトレードラベルが考案される.
11のフェアトレード輸入業者をメンバーとするヨーロッパ・フェアトレード協会
1987年
(EFTA)が設立される.
オランダで「マックスハベラー」ラベルが開始される.1年間で,ラベル付き
1988年 コーヒーの市場シェアが約3%に到達.類似のラベル運動がドイツ(トランス
フェア),イギリス(フェアトレード財団),米国などで始まる.
国際フェアトレード連盟(IFAT)が設立.世界61カ国の270のフェアトレード
1989年
団体が加盟.
ヨーロッパ・ワールドショップ・ネットワーク(NEWS!)が設立される.フェアト
1994年
レード連盟(FTF)がワシントンD.C.で設立される.
1997年 国際フェアトレードラベル機構(FLO)が設立される.
FLO,IFAT,NEWS!,EFTAの4つの機関がそれぞれの頭文字をとって,
1998年 FINEという非公式なネットワークを形成,会合を開く.WTOの閣僚会議に
フェアトレード運動から代表を派遣 (※1).
1946年
i
国際フェアトレードラベル機構(FLO),国際フェアトレード連盟(IFAT),ヨーロッパ・
ワールドショップ・ネットワーク(NEWS!),ヨーロッパ・フェアトレード協会(EFTA)
のそれぞれの総称.
- 81 -
2001年
2004年
2005年
2009年
FINEが統一的なフェアトレードの定義に合意.国際フェアトレード連盟
(IFAT)の地域組織としてアジア・フェアトレード・フォーラム(AFTF)が設立.
それ以降,他の生産者地域的ネットワークがアフリカ,南アメリカでも形成
される.
ムンバイで開かれた世界社会フォーラムでIFATがフェアトレード団体マーク
の旗揚げを公表.FINEがブリュッセルに合同フェアトレード・アドボカシー・
オフィスを設立.
既存のフェアトレード基準,定義,手続きの調和・改善プロジェクト:品質管
理制度(Quality Management System)が開始される.
IFATがWFTO(World Fairtrade Organization)(※2) へと転換.
(※1)1999 年シアトル,2001 年ドーハ,2003 年カンクン,2005 年香港においてそれぞれ派
遣.
(※2)2012 年現在で,75 カ国 450 団体以上が加盟.
1-3. 一般的な貿易とフェアトレード
社会貢献的なことが取り上げられがちなフェアトレードであるが,生産者への支援を続
けていくためには,商品を売り続け,在庫を減らしていかなくていかなくてはならず,ビ
ジネスとしての側面も強い活動であるといえる.フェアトレード団体は,生産者の支援と
いうフェアトレードの性格上,一般のビジネス以上に多くのリスクや資金繰り等の問題に
ぶつかるといえよう.フェアトレード商品は小規模な施設での手作業が多いため,大量生
産が難しい.そのため売れ行きを推測しながら在庫の発注を行なわなければならない.そ
のため一歩間違えると,大量の不良在庫を抱える危険性をもはらんでいるのである.さら
に途上国の生産者の多くは注文を受けた商品を作るための材料を買う資金がないので,フ
ェアトレード団体は生産者に支払い金額の50%を前払いしなければならない.通常のビ
ジネスであれば,
「売れなくなった」という理由でもって生産者への注文を打ち切ることは
あり得る事態である.途上国においては,低賃金で長時間労働を続けさせられた挙句に,
こうした雇う側の都合で一方的に解雇されてしまう労働者が数多くいる.このような状況
を改善し,生産者の自立を持続的に支援することがフェアトレードにおける理念ともいう
べきものであるため,商品が売れないからといって,生産者との取引を取りやめるという
ことはできないわけである.
2 現状とその背景
2-1. 世界の現状
世界では特に欧米諸国においてフェアトレードの活動が盛んである.現在ではフェアト
レードが一般の生活における消費の選択肢になるまで拡大しているといえる.欧米でフェ
アトレードが躍進した背景には諸説あるが,キリスト教(信条,資金,市場),倫理的消費
者運動,植民地への父権主義,市民意識,生活協同組合の関与,企業の社会的責任が挙げ
られている.
- 82 -
2-2. 日本の現状
日本でのフェアトレード活動は 1980 年代に徐々に起こり始めた.まず主軸となっていた
のは,アメリカ大使館農産物貿易事務所(ATO)iiのような団体の存在であった.1990 年
代にはいくつもの団体が生まれ,日本各地でフェアトレードショップができた.2000 年に
は企業間での活動が活発になってくる.スターバックス,イオングループをはじめとして
株式会社良品計画による「無印良品」やボディショップといった大手企業などで継続的に
フェアトレード商品を展開する動きが見られるようになった.また 2000 年代後半になると,
一般社団法人チョコレボ・インターナショナル,フェアトレードタウン組織といった市民
団体も興隆をみせ,時代の流れとともにその様相は多様化をきわめている.
○日本の主なフェアトレード運動
1986年
1989年
1991年
1992年
1993年
1995年
1997年
第3世界ショップが日本で最初にフェアトレード事業を始める.当初はヨー
ロッパのフェアトレード商品を輸入.
オルタトレードジャパン設立.
グローバル・ヴィレッジ,環境保護と国際協力の民間団体として結成.1995
年1月にフェアトレードの輸入販売の事業部門を独立させ,「フェアトレード
カンパニー株式会社」を設立.
「ネパリ・バザーロ」(ネパリ・バザーロと市民団体ベルダレルネーヨ)活動
開始.
4月に日本最初のラベル商品が発売される.11月にトランスフェアジャパン
発足.2004年2月,法人化にともない名称をフェアトレード・ラベル・ジャパン
(FLO)とする.
「有限会社ぐらするーつ」が設立される.
ジェトロ池袋展示場にて,フェアトレードを広く知ってもらうための「草の根
貿易商談会」が開催される.共催は有限会社ぐらするーつ,財団法人対日
貿易投資交流促進協会(MIPRO).
3 「格差」の発生
こうした運動を通して,欧米や日本でもフェアトレード商品を取り扱う団体や店舗は
徐々に増えてきており,市場の拡大化が図られている.それでもこうした市場におけるフ
ェアトレードの認識,普及率はまだまだ少ないのが現状である.何故フェアトレードは我々
の社会において浸透していないのだろうか.ここでは,フェアトレードが浸透しない要因
として考えられることを二つの仮説を立てて考えていくことにする.
ii
米国農務省・海外農務局(USDA/FAS)の日本事務所として,アメリカの農産物貿易企
業及び貿易振興機関に市場調査と分析をもとにしたマーケティング・サービスを提供.日
本の食品産業界とのパイプラインとして,日本市場への輸出拡大に努めている.
- 83 -
3-1. 商品価値の矛盾
まず一つ目に挙げられるのが,商品価値の問題である.資本主義経済では大量生産型の
商品が数多く流通しており,これらは高い品質や均一性を維持している.そのため,品質
に対する消費者の目は一層厳しいものとなっている.安価で,それでいて品質の高いもの
に消費者の需要が高まるのは至極当然のことだ.つまり,我々消費者はそれがフェアトレ
ード製品であるなしに関わらず,商品そのものの質に価値を見出しているのだ.こうした
市場のニーズに合わせ,フェアトレード製品には同様に高い品質が求められてくるであろ
う.しかし一方で,フェアトレード製品は1章でも述べたように,途上国の小規模な施設
で生産されていることが多いため,設備等の点で劣る部分があり製造面においてある種の
限界が発生してしまう.また,技術力の面でも手作業の部分が多く,十分な指導を受けて
いないため,製品の出来にバラつきが生じる.こうした中でもフェアトレードにおいては
生産者にその製造過程で生じた人件費,材料費においても対等な対価が支払われている.
その分,
“フェアではない”取引の中で生産された製品と比較すると価格が高くなるのは必
然であるといえよう.価格が高くてもそれ相応の品質が保証されていれば一定層の需要は
見込めるが,ここではフェアトレードではない製品にくらべ価格が高い割に品質が劣る,
といった商品価値における負の矛盾が生まれてきてしまっているわけである.
さきの章で述べたように,欧米ではフェアトレードにおいての運動が日本に比べると広
く展開されてきたかもしれないが,社会への浸透率は十分とはいえない.もしフェアトレ
ードに対しての理解があった上でならば,選び取られるといったこともあるかもしれない.
だがそもそも理解が十分でなければ,多くの人々にとっては商品価値の低いものとしてし
か目に映らないわけである.もちろん,フェアトレード製品のすべてが低品質というわけ
ではなく,中にはフェアトレード組織の指導により品質改善に取り組んでいる生産者がい
ることも確かである.また,フェアトレードでいうところの低品質には,資本主義経済の
市場で流通しているような均一性のある商品にはない,特に雑貨類において,ハンドメイ
ド感の醸し出す商品の雰囲気に魅力を感じる購入者層も一定数はいる.反対に,食料品に
おいては低品質のものは敬遠されるといえよう.しかし,当然皆がこのように考えている
わけではない.高品質の製品を求める消費者がフェアトレード製品を手に取り,それらが
期待外れのものであった場合に「フェアトレード製品は値段の割に低品質である」といっ
たような,フェアトレード全体に対してのマイナスイメージを抱かせる恐れもあるのでは
ないだろうか.一旦人々の中に形成された価値観を覆すのは容易なことではない.つまり
ここで一番問題とされるのは,こうした経験が積み重なることによりその先にあるかもし
れない,フェアトレードの普及への可能性を狭めてしまうことにある,ということだ.
3-2. 生産と消費間の見えない「距離」
二つ目に挙げられる要因としては,生産者と消費者との「距離」の問題がある.ここで
- 84 -
いう距離とは生産地と消費地間の物理的距離をも指し示しているが,フェアトレードに限
っていえば,心理的な「距離」がより深く関係してくるのではと思われる.つまり,生産
と消費があまりに離れすぎてしまい,我々消費者が生産者や生産地の「環境」のことを考
えずとも済むようになってしまったことが,製品自体のもつ背景に対する無関心を生み出
してしまっているということだ.だが,こうした生産と消費間における隔たりはフェアト
レード以外の商品にも言えることではある.経済のグローバル化によって,いまや生産地
と消費地の差は大きく開いているのはもはや当たり前となっている.だがフェアトレード
の活動においては,あくまで生産者の暮らしや環境の支援が念頭にあってこそ商品取引が
成立している.活動に参入している多くの人々は少なからず,途上国の生産者の自立支援
や環境整備等に関心をもっているはずである.つまり,こうした無関心さは,同時にフェ
アトレードにおける理念への賛同や理解への大きな障害となってしまうのではないかと懸
念される.
では,生産と消費間の「距離」の差を埋めるにはどうするべきなのか.フェアトレード
組織・団体等がいくら取引の公正さや支援の必要性を訴えたところで,それだけではフェ
アトレードを広く社会に普及させることは難しいのではないだろうか.これまで見てきた
ように,フェアトレード製品は商品価値やその性質からしても,消費者にとっての魅力や
メリットにいまひとつ欠けるところがある.資本主義社会においては,消費者にとって何
かしらのメリットが存在しなければ現状,フェアトレードの普及は難しいということがい
えるだろう.つまり,消費者にとっての魅力的な価値の創造こそが,消費者がフェアトレ
ード商品を選択するということに繋がっていくのではないか.このことは前節の商品価値
にもいえることであり,それはつまるところ価格と品質の整合性である.
このようにフェアトレードの普及においてはさまざまな問題が存在しており,これらを
解決するのは容易なことではないだろう.特に商品価値の問題においては,資本主義経済
のメカニズムとは相反するものであり,普及に際しての大きな障害となっている.こうし
た社会においては,消費者にとってのメリットが明らかであることが普及に際しての大き
な要因となっていることがいえるだろう.
また,日本と欧米諸国の間ではフェアトレードの普及率での大きな格差が存在している.
次のグラフは FLO 認証のフェアトレード製品
iiiの国別の一人当たり年間消費額(単位:ユ
ーロ)の統計を示したものである.
このグラフから,他の先進諸国と比べると日本市場においていかにフェアトレード商品
が浸透していないかが理解できるだろう.これを受けて次章では日本のフェアトレード事
業の具体的な事例を紹介するとともに,それぞれ異なるアプローチから日本におけるフェ
アトレード普及の可能性について考えていく.
iii
ここでいうフェアトレード認証製品とは,FLO 国際フェアトレード基準を遵守している
と認められた製品を指す.
- 85 -
25
21.06
20
15
10
11.57
7.27 6.72 6.56 6.36
5
5.4 4.66
3.87 3.31 3.31
0
2.9 2.43 2.42
0.66 0.44 0.09 0.05
(出典)一般財団法人国際貿易投資研究所
図1 FLO 認証のフェアトレード製品の国別の一人当たり年間消費額(ユーロ)
4 市場の住み分け
4-1. 大衆社会に向けて―大手企業の参入―
まず 3-1 で示した商品価値の矛盾を解決する手立てとして,フェアトレードへの大手企業
の参入にその近道があるのではないだろうか.大手流通グループのイオングループでは
2002 年に顧客の声として「日常生活を国際貢献と結びつけるパイプ役になって欲しい」と
の要望が寄せられたことが始まりであるという.顧客を主役に,イオングループの実現で
きる国際貢献の形として取組んだものが「フェアトレード」であった.日々の生活と社会
貢献を結びつけるため,普段の買物を通して気軽に国際貢献に参加出来るとの謳いから,
2004 年にフェアトレード商品の販売が始まった.主に取り扱われている商品にはコーヒー
(豆)
,チョコレートなどがあり,イオングループが独自に企画・開発を行なっている「ト
ップバリュ」ブランドにおいて展開されている.
こうした大手企業のように大量注文が見込める会社にフェアトレード商品の売り込みを
おこなうことで,市場への大量流通を目指すということがフェアトレードの一つ形として
いうことができる.これは実際の社会の仕組みを変えることによってある一定の方向へ誘
導すること,つまりアーキテクチャによる制約である.この場合では,安くて品質の良い
商品を市場に流通させる仕組みや基盤をつくり,フェアトレードの普及を目指すというも
のだ.製品流通の仕組みそのものを変えることにより多くの人々にフェアトレード商品に
- 86 -
触れるきっかけを提供し,その活動における理解を示すための役割を果たす存在として,
社会に大きく貢献することが期待される.また,こうした独自の色を出すことは他の企業
との差別化を狙うことが出来る点で,企業にとってもメリットがあるといえるだろう.
4-2. コミュニケーション・ネットワークとして
さきほど述べたように大手企業のフェアトレードへの参入は宣伝効果も高く,社会に広
く影響を及ぼす可能性を秘めている.しかし,それはあくまでもフェアトレードという存
在を知るきっかけ的なものにすぎない.いくらフェアトレードに対する理解があったとし
ても,大手企業のような競争の激しいビジネス社会においては結局,どれだけ多くの顧客
により売れる商品を提供していけるかといったことが第一である.必然的に品質に対する
チェックも厳しいものとなり,売り場に並ぶ商品の種類にも限度がある.そこでより深く,
パーソナルな形での流通形態の提供の場として,特にフェアトレード製品を主軸として取
り扱っている小規模の店舗に注目したい.群馬県の中之沢美術館では,2002 年頃からフェ
アトレード商品を扱い始めた.この美術館では,ネパリ・バザーロ
iv,ピープル・ツリー
vといった二つのブランドからフェアトレード商品を卸しており,美術館の中の一角に併設
されたカフェで提供している.ここで取り扱っているフェアトレード製品はアクセサリー
や衣料品,小物等の雑貨類からコーヒー,チョコレート等の食料品までと幅広い.ここで
フェアトレードを取り扱うことのきっかけとしてはその理念や活動に賛同してとのことで
あるそうだ.また,この美術館を訪れる人は,フェアトレード商品を目的とする人,純粋
に美術館の見学目的の人とがいるという.つまりこの場においてはフェアトレードに何ら
かの関心を抱いてやってくる人もいれば,全くそれとは知らずに訪れる人との二種類がい
るのだ.これがもし,フェアトレード製品を全面的に押し出している店舗であれば,そこ
にやってくる顧客は当然フェアトレードに高い関心をもってやってくる人々ばかりである
といえる.ところが美術館という一見フェアトレードとはあまり関係がなさそうな場にフ
ェアトレードを取り入れることで,今までフェアトレードに特に関心を抱いていなかった
人々(この場合,美術館見学を目的としている人)に関心を持ってもらう機会を提供でき
る場となる,ということだ.
また,こうした場は同じ消費者同士で,お互いに共通の考え方をもつ者同士が集まり,
1992 年に市民団体,ベルダレルネーヨの活動から始まった組織.ネパールを中心とした
アジア諸国の,ハンディクラフト製品や食品の企画・開発を行い,継続的に輸入を続ける
ことによって,現地での就業の場の拡大を目指す.主に立場の弱い人々,女性,子どもの
自立を支援し,貧困の課題改善に取り組んでいる.
v 環境保護と途上国支援を目的としたビジネスの実践と普及を目指し,1991 年,代表サフ
ィア・ミニーを中心に設立された NGO グローバル・ヴィレッジのフェアトレード事業部門
から独立,1995 年に「フェアトレードカンパニー株式会社」として設立された.2000 年に
ブランド名を「ピープル・ツリー」とした.現在は,
「グローバル・ヴィレッジ」が環境問
題・国際協力推進のキャンペーンや情報発信を,
「ピープル・ツリー/フェアトレードカンパ
ニー株式会社」が商品の企画・輸入・販売を担う.
iv
- 87 -
語らい合うことのできる一つのコミュニティとしての機能をもつのではないだろうか.地
域の中のフェアトレードを取り扱う場に関心の高い人々が集まり,それぞれでこうしたネ
ットワークが形成されることは,地域主体の活動軸としての役割をも果たすことになると
考えられる.フェアトレードというものを通じて形成されるこうした交流や語り合いの場
の構築こそが,フェアトレードにおいての魅力的な付加価値としての意味を持つのではと
考える.
4-3. フェアトレード市場―ピープル・ツリーの顧客層から考える―
それでは,実際のフェアトレード市場の実情はどうなっているのだろうか.ここでは前
述の中之沢美術館での製品の仕入れ先の一つである,ピープル・ツリー(以下 PT と略称)
の店頭で実施されたアンケート
viの集計結果を分析し,フェアトレード市場においての特
徴から読み取れることを述べていく.以下はアンケートの調査内容(n=206)の一部要点を
まとめたものである.
○質問調査内容
1)性別,2)年齢,3)既婚または未婚か,4)子どもの有無,
5)PT 製品の購入頻度,
6)NGO グローバル・ヴィレッジのイベントへの参加の有無,
7)PT での取り扱いアイテムはすべてフェアトレード商品だと知っているか,
8)PT の製品がフェアトレード商品だと知ったきっかけ(複数回答)
,
9)PT の製品の購入理由(購入理由 1 位にあげられた割合)
,
10)今後,PT の製品に求めるもの(複数回答)
11)一年後にも PT の製品を購入していると思うか
また,上記の質問調査に対する結果を受けて特筆すべき点を次に記す.
・顧客の9割近くが女性.
・年代別での顧客では多い方から順に,30代で4割強,次点で18~24歳,25~2
9歳が共に2割である.
・未婚者が7割弱であり,また子どもの有無で“なし”と回答したのは8割強.
・NGOグローバル・ヴィレッジのイベント参加経験は9割強が“なし”と回答した.
・全体の8割が PT での取り扱い製品はフェアトレードによるものだと理解している.
2008 年ピープル・ツリー/グローバル・ヴィレッジのインターン生であった江原奈津美さ
ん(当時一橋大学大学院商学研究科在席)によって実施されたものである.2008 年 11 月
27 日~12 月 13 日の間,ピープル・ツリー自由が丘店及び表参道店において 6 回にわたり
計 206 名の顧客を対象とした.
vi
- 88 -
・購入理由として挙げられた意見では,途上国の環境・支援のためが全体の6割強,商品
の品質が良い・デザイン,味が好みとしたのが全体の5割近くを占めた.
・PT の今後に求める意見としても途上国の環境支援,品質に対する要望が多数を占めた.
また,より安価な商品を求める声は全体の2割弱と少数であった.
PT でフェアトレード商品を購入する顧客層において顕著であったのは,まず女性が圧倒
的に大多数を占める点だ.これは,フェアトレード商品に雑貨類や食品等女性が好む趣向
品が数多く展開されていることに起因すると思われる.商品を取り扱っている多くの店舗
はカフェや雑貨屋といった形をとることが圧倒的に多くなってくる.このことから,ここ
には既にジェンダー間での格差状況が作り出されていることは明白である.また前述で何
度か述べてきたように,フェアトレード製品は手作業での生産が多いことから,同じ製品
であっても商品自体にそれぞれの個性があるものも多く見受けられる.しかし,一部の人々
にとっては「味がある」
「一点物」としての価値を見いだすことが出来ることも確かだ.年
代別において若年層,特に家庭を持たない顧客の割合が多いことは,家庭を持つ者に比べ,
経済的余裕があることの現れであるととれる.多くの顧客は PT を通じて途上国の支援に携
わっているという意識を持っていたが,商品そのものに魅力を感じて購入する層が一定数
いることは興味深い.3章の商品価値の問題では価格に対する品質の矛盾を挙げたが,今
より安価な商品を求める声は全体の2割弱という結果を省みるに,ある程度の割り切りを
持って製品購入が行なわれている傾向があるのではないか.つまりここで重要なのは,そ
の商品がいかに自分たちにとって魅力的であるかといったことであり,製品の魅力次第で
はフェアトレード商品も多くの商品の中から選びとられる可能性を秘めているということ
である.
5 価値の多様性を求めて
これまでのフェアトレードにおいては途上国の人々の経済状況を改善するため,あくま
で生産者主体の経済システムとしての意味や意義が強調されてきた.そもそもフェアトレ
ード成立には,生産者と消費者間において不当な取引体制があったことが背景としてある
からである.その中でフェアトレードが経済に重きを置いて語られてきたことは当然であ
るといえる.しかしこうした経済的価値ばかりにとらわれることの偏重性は,あらゆる文
化性の存在を否定してしまうことになりかねない危険性をはらんでいる.文化はこうした
効率性重視の社会において,人々に心の豊かさというものを思い出させてくれる存在とな
るのではないか.我々は経済と文化というものをついつい切り離し,それぞれ全く別のも
のとして考えがちであるが,両者は決して独立したものでなくどこか一面において補完し
合っているのである.
またフェアトレード活動で会得したことや,人々との出会いを通じて形成されたコミュ
ニティは,その地域や人々が持つ一種の独自の文化としての基盤としての役割を果たすこ
- 89 -
とになり,その発展に一役買うことになるだろうと考えられる.フェアトレードというビ
ジネスを通して,異文化理解や途上国の人びとの生活や文化を尊重することはもちろん,
我々もまたフェアトレード製品を通じ,消費者間同士での交流をもって地域全体としての
盛り上がりを見せることはそれだけで大きな価値を持つことだろう.地域全体としてのフ
ェアトレード活動として,
「フェアトレードタウン」がその一つの形として注目を集めてい
る.フェアトレードタウン・ジャパン(FTTJ)viiはこの運動の普及を目指し活動している
団体である.この組織の元,日本各地でまちぐるみ,地域ぐるみでフェアトレードを推進
するフェアトレードタウン運動が活発に行なわれている.熊本県熊本市は日本で初のフェ
アトレードシティ
viiiの認証をうけた.
これはフェアトレード商品の入手が容易であること,
企業や組織による積極的な支援,地域の理解と協力の獲得,継続的なフェアトレード推進
活動を行っていることを数値化し認定される.熊本市以外でも,名古屋,札幌,逗子,宇
都宮などの都市でフェアトレードタウン運動が盛んに行われている.
おわりに
これまで述べてきたことからも,文化的価値と経済的価値の両立はフェアトレードにお
いて見直されるべき点であると感じる.だが,フェアトレード推進は必ずしもみなにとっ
てメリットがあるとは一概にはいえない.仮に海外からの製品流入が拡大し,その消費需
要が増大することは,既存の産業にもダメージを与えかねないことであるからだ.フェア
トレード市場と日本社会にある既存の産業との住み分けのバランスを考えていくこともこ
れからの課題であるだろう.
また,こうした文化的価値からの見直しの必要性はなにもフェアトレードだけにいえる
ことではない.これらの考え方は資本主義経済のもとで「価値」という視点において,な
いがしろにされがちである芸術・スポーツといった文化色の強い性質を持つ分野において
も応用していくことが可能なのではないか.経済効率性が重視されがちな社会において文
化を語ることの意義を,今一度見つめ直す必要があるのではないかと感じる.経済の発展
には必ず限界があり,永久的に発展し続けることはありえない.これからの社会の在り方
として求められるのは,一定の質を維持し続けることのできる形である.経済的・文化的
価値の両面から物事の価値を見いだすことは,持続性のある社会を築いていくためにはど
うすればいいか,という命題に対してのある一つの解答になっているのではないだろうか.
文献
WFTO(世界フェアトレード機関)
,2012,WFTO 公式ホームページ,(2012 年 12 月 17
2010 年 3 月,日本各地のフェアトレードタウン運動推進団体やフェアトレード団体の会
合を通し,日本におけるフェアトレードタウン運動のあり方を考えるものとして 2011 年 4
月に一般社団法人として設立された.
viii 官民協力のもとフェアトレード製品の推進を行っている都市に対し,英国の独立推進機
関「フェアトレード財団」から認証をうけた都市のことである.
vii
- 90 -
日取得,http://www.wfto.com/)
FLJ(特定非営利活動法人フェアトレード・ラベル・ジャパン),2012,FLJ 公式ホームペ
ージ(2012 年 12 月 17 日取得,http://www.fairtrade-jp.org/)
一般財団法人国際貿易投資研究所 ホームページ http://www.iti.or.jp/
フェアトレードカンパニー株式会社,2012,フェアトレードカンパニー株式会社ホームペ
ージ(2012 年 12 月 17 日取得,http://www.peopletree.co.jp/index.html)
国際貿易投資研究所,
「世界のフェアトレード市場 2007 年(FINE/DOWS)報告書概説―
急成長する世界のフェアトレード市場―」(2012 年 12 月 17 日取得,
http://www.iti.or.jp/kikan74/74nagasaka.pdf)
内閣府,2009,平成 19 年度国民生活選好度調査「近年の経済・社会システムの変化や価値
観の多様化に伴う国民の意識及び行動様式」
(2012 年 12 月 17 日取得,
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/senkoudo/h19/19senkou_04.pdf)
長坂寿久,2009,
『世界と日本のフェアトレード市場』明石書店.
長坂寿久,2008,
『日本のフェアトレード』明石書店.
トップバリュ,2012,トップバリュ公式ホームページ(2012 年 12 月 17 日取得,
http://www.topvalu.net/)
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『文化経済学のすすめ』丸善ライブラリー.
池上惇・植木浩・福原義春,1998,
『文化経済学』有斐閣ブックス
FTTJ(一般社団法人フェアトレードタウン・ジャパン),2012,FTTJ 公式ホームページ
(2012 年 12 月 17 日取得,http://www.fairtrade-town-japan.com/)
フェアトレードくまもとセンター,2012,フェアトレードくまもとセンター公式ホームペ
ージ(2012 年 12 月 17 日取得,http://www.fairtrade-kumamoto.com/
- 91 -
ご当地グルメの可能性
―パスタの街・高崎の挑戦―
高尾 亮
はじめに
本論文は,高崎市の活性化のために,パスタの街という地域ブランドをいかにして利活用すべ
きかを論じたものである.今や全国でご当地グルメのブームが起きているが,高崎にはこれとい
った目立ったご当地グルメが未だ見当たらない.高崎が古くから交通の要衝だったことや小麦文
化が根づいていることなどから考えれば,ご当地グルメを探そうと思えば,何かしら探せるはず
である.地域経済の活性化が叫ばれている昨今,比較的地理的にも財政的にも恵まれている高崎
市がご当地グルメを確立し大きなうねりを生み出せば,今まで以上の街の発展と経済効果が期待
できる.ご当地グルメの確立は高崎市にとって物的・人的な面で非常に大きなメリットがあると
考えられるからである.
ここで今回の論文では,高崎市におけるご当地グルメに近い存在として「高崎パスタ」を挙げ
てその可能性について論じていく.高崎パスタは高崎市民である著者にとっても非常になじみが
あり,今最も高崎の地域ブランドとしての可能性が高いと考えられるからである.本論文では高
崎パスタをご当地グルメとして確立していくための方策を論じていきたい.
1 ご当地グルメの概要
1-1.ご当地グルメとは
食の分野は,地域に目玉となる観光資源がなくとも,また伝統的な名産品や特産品がなくても,
普及品を使ってアイデア次第で全国ブランドとすることが可能である.その結果,地域に新たな
雇用が生まれるとともに,外部からの観光客の誘因効果もあり,地産地消や,交流人口の増加の
両面から地域活性化につながる.またメディアにも取り上げられやすく,地域イメージの向上に
も寄与すること等の効果をもたらすなどの利点も期待できる.さらに産業集積の少ない地域にお
いては,食料品製造業を中心とする食品関連産業のインパクトが大きくなっているが,この点か
らも食のブランド化による地域全体への波及効果は大きいといえる.
このように,食の分野はアイデアさえあれば少ない投資で成功する可能性を持っている.しか
し,地域ブランドである以上,地域の伝統や地理的要因と何ら関係ない商品を創造しても成功は
難しい.
「当該地域の人には当たり前でも,他の地域の人には新しく,思いがけない発想に支え
られた食文化」という点が差別化において重要であると思われる.一見奇想天外と思えるものも
あるが,地元の人にとって日常的で,全国的なブランドになることは全く考えていなかったよう
なものも存在する.その地域の伝統・こだわり・特徴をいかに見つけるか,それらをいかに食品
の付加価値とし,いかに地域外にアピールするかというアイデアが問われているといえる.
- 92 -
1-2.ご当地グルメの必要性
なぜご当地グルメなのか.地域活性化を考える上でそれを実行するための選択肢はいくつも考
えられる.ご当地グルメはその内の一つである.しかし,ご当地グルメが他の活性化策と決定的
に異なる部分は2つある.1つ目は低コストで実現可能というところ.2 つ目は市民が比較的関
わりやすいという点である.
現在どこの自治体も財政事情がよくないため,潤沢な支援が望めない状況にある.ご当地グル
メを確立するのには膨大な資金は必ずしも必要ではない.例えば「富士宮やきそば」で知られる
富士宮市は市民グループ「富士宮やきそば学会」が少ない資金の中ユニークな情報戦略によって
富士宮やきそばを全国有数のご当地グルメに仕立て上げた.また他のご当地グルメで知られる自
治体も市民が中心に推進活動しており,低予算で大きな経済効果が期待される.
つまりコスト面でも地域ブランド創出の観点からも,ご当地グルメが地域活性化にとって優位
な施策であることがわかる.
2 ご当地グルメと地域活性化
2-1. ご当地グルメの隆盛と変遷
ここでは,ご当地グルメの歴史についてふれることとする.なお,この節での記述は主にもり
(2009)に依拠している.
山賊焼き(塩尻市・松本市),つけナポリタン(富士市)
,シシリアンライス(佐賀市)
.これ
らの料理名は,最近の新聞記事で登場したご当地グルメの数々である.ご当地グルメによる地域
振興の歴史は古い.だが,近年その取り組みが一層盛んになったと伝えられるようになった.富
士宮やきそばなどの成功事例が知れ渡ったことが主にこの理由として考えられる.このような振
興に取り組む地域は,活動を通じて地域の個性を再確認できるようになる.
ご当地グルメとはどういう料理を指すのだろうか.そもそもその地域に根ざした名物の料理は,
昔から郷土料理と呼ばれていた.例えば,岩手県で言う「わんこそば」のような料理が挙げられ
る.これに対してご当地グルメとは,郷土料理と比較して歴史の浅い料理を指す.岩手県では,
戦前に生まれた「盛岡じゃじゃ麺」や戦後に生まれた「盛岡冷麺」がこれに相当する.
現在親しまれている「ご当地グルメ」という言葉の直接のルーツは,おそらくご当地ラーメン
にあるとされている.1970 年代以降,札幌ラーメンの知名度が上がったことによる,ラーメン
横町の観光地化や札幌系ラーメン店の全国展開などがその背景にあると考えられる.その後,博
多ラーメンや喜多方ラーメンなども有名になり,ご当地ラーメンの概念が浸透した.現在では東
京ラーメンや和歌山ラーメンなど,全国各地で独自のラーメンが定着している.
ご当地グルメの概念が確立したのは,フードテーマパークの登場以降のことである.1994 年,
横浜市に新横浜ラーメン博物館がオープン.また 2001 年には同市に横濱カレーミュージアムも
オープン(2007 年に閉館)
.全国各地の専門店を集めて人気となり,後にフードテーマパークと
総称されるようになった.新聞記事で「ご当地グルメ」の語が急増するのは 2000 年以降のこと
- 93 -
である.ちょうどこの時期に「同じ料理を軸に各地域の特性を比較して楽しむ文化」が成熟した.
そして,ご当地グルメは「富士宮やきそば」によって地域振興との結びつきを一層強めた.ま
ず 2000 年に,静岡県富士宮市の市民による有志が「富士宮やきそば学会」を設立.同会が積極
的に広報活動を行い,富士宮やきそばの知名度上昇に寄与した.そしてこのことがブランド化に
よる地域振興の成功例として有名になった.同学会の発表資料によれば,この振興手法による経
済効果は 2001 年からの 6 年間で 21 億 7000 万円にも及ぶという.
同様の成功例として「佐世保バーガー」も注目すべきだろう.長崎県佐世保市内の手作りバー
ガーが,観光資源として再認識されたのが 90 年代末のこと.2001 年には観光団体による広報
も本格化した.そして 2005 年に東京に専門店が登場して一気に知名度を上げた.近年は数ある
ご当地グルメの中でも,ご当地バーガーの増加ぶりが目立つ.例えば福井県坂井市三国町の三國
バーガーや,北海道石狩市のいしかりバーガーなど次々と新しいメニューが登場している.新聞
でご当地バーガー関連の記事が急増したのは 2007 年以降のことであるが,この傾向は現在も続
いている.
もちろん,他にもご当地グルメのジャンルは存在する.北海道札幌市のスープカレーや,神奈
川県横須賀市のよこすか海軍カレーなどの「ご当地カレー」.静岡県静岡市の静岡おでんや,兵
庫県姫路市の姫路おでんなどの「ご当地おでん」がそうだ.また特定ジャンルで括れないご当地
グルメもある.例えば埼玉県行田市のフライ(お好み焼きに似た軽食)や,新潟県のイタリアン
(洋風ソースがかかった“やきそば”)など,全国各地に多数存在している.
2-2. ご当地グルメと地域振興
では,先にあげたようなご当地グルメが主にどのような活動を通じて地域振興を行ってきたの
かについてみていきたい.ここでは,富士宮やきそばや佐世保バーガーなどの事例を引き合いに,
典型的な地域振興への展開を説明したい.
まず地域振興の出発点は「地元料理が持つ特色を自覚する」ことにある.そもそも地元料理は
「住民にとって当然の存在」なので特色が自覚できない.ところがあるタイミングで地元出身
者・観光客・マスコミなどによる指摘が行われる.例えば佐世保バーガーの場合,1999 年に横
須賀市で行われた交流物産会でハンバーガーの人気が高かったことが自覚のきっかけになった.
また富士宮やきそばの場合,同地がやきそば消費量が日本一であることに気付いたことがきっか
けである.
一方そのような料理がない(または気付かない)地域は「地域の食材」を活かした新料理を開発
する.個々の飲食店が独自に開発する場合と,地域が連携して開発する場合がある.例えば岩手
県岩手町では,地元飲食店などが参加する「岩手町ご当地グルメ研究会」が,今月焼きうどんの
開発試食会を実施.今後は店舗毎に新メニューを実際に提供することにしている.このような開
発手法では「ご当地〇〇の流行」という外的要因が大きな原動力として働く.
料理が定まると地域内の連携や基盤強化も本格的になる.例えば地域内で販促イベントを開催
したり,観光客向けマップやイメージキャラを作成したりし、これらはご当地ラーメンの手法を
- 94 -
踏襲したものである.例えば佐世保バーガーでは,佐世保観光情報センターがマップを配布.絵
本作家のやなせたかし氏によるイメージキャラ「佐世保バーガーボーイ」も登場させた.その一
方で料理の定義をしたり,商標を登録するなどの基盤強化も行う.富士宮やきそばも,前述した
学会の母体団体が商標を登録済みである.
そして近年は地域内だけなく地域同士の連携も盛んである.このうち最も興味深い動きが,複
数地域が参加するイベントである.その代表格は 2006 年から毎年開催されている「B-1 グラン
プリ」
(B は B 級グルメの意味)である.このイベントは各地の推進団体が共同で開催.来場者
に各地の料理を販売して投票により優勝料理を決定する.初年度からは二年連続で富士宮やきそ
ばが優勝.2008 年は厚木シロコロ・ホルモン(神奈川県厚木市)が優勝した.この種のイベン
トは,現在全国各地で開かれている.
活動の成果は,他地域における料理の浸透ぶりでも確認できる.例えばコンビニや食品メーカ
ーがご当地グルメを商品化したり,他地域に専門店が登場したりすると,その料理の浸透ぶりを
実感できる.例えば富士宮やきそばは,セブン-イレブンなどが商品化.佐世保バーガーも,各
地にこれを名乗る専門店が増えたi.他地域への波及はブランド管理上の課題を増やすことにな
るが,長い目で見れば地域に良い影響を及ぼすのである.
グルメに限らず,ご当地〇〇を名乗るフォーマットは多い.古くはご当地ソング,最近ではご
当地検定やご当地ヒーローなどの例がある.これらの流行は各地の住民に「個性の自覚(アイデ
ンティティ)」をもたらしたとも言える.もちろん,フォーマットの乱立がブランド戦略上のイ
ンパクトを貶める問題もある.だが振興の過程で得られた「個性の自覚」は,プロジェクトの成
否にかかわらず,数なからず地域に財産を残しているのではないだろうか.
2-3. 地域アイデンティティとご当地グルメ
では,ご当地グルメが地域住民の「個性の自覚」とどう関係しているのだろうか.ここでは,
住民の「個性の自覚」として地域アイデンティティの問題を取り上げご当地グルメとの関係につ
いて論じていく.
まず,アイデンティティとは,東京大学社会科学研究所の玄田有史(2012)によれば次のように
表わされる.
アイデンティティとは,他者との共感関係というシステムを通じて発見される,そ
れぞれの持つ「かけがえのなさ」である.地域の復興と再生にはローカルアイデンテ
ィティを再構築することが必要である.アイデンティティの本質は「非交換価値」で
ありそれは「かけがえのなさ」である.あらたな付加価値を生み出すイノベーション
は「非交換価値」から生まれる.このような「非交換価値」=「かけがえのないもの」
探しが地域の希望と新たな成長につながる.
地域の中にある「かけがえのない」存在について,あるものさがしをするところか
i
ただし同料理の認定制度は佐世保市内の店舗にだけ適用
- 95 -
ら地域の再生は始まり,地域イノベーションを生み出す.(玄田 2012:10)
このように「かけがえのなさ」から付加価値は生まれてくるが.ご当地グルメはここで言う,
「かけがえのなさ」を十分に持っていると言えるのではないか.例えば,
「富士宮やきそば」は
富士宮独特の特徴(麺の太さ・コシ)を持っており,他の地域の焼きそばとは異なった文化がある.
このように,その地域固有の食文化をとり入れており,他のどの地域とも替えることのできない
特徴を備えていることは,そこに十分に非交換価値を有していると言えるのではないだろうか.
そういった意味から考えてみても,ご当地〇〇と言われるものには少なからず「非交換価値」
的な面が存在することは確かである.さらに,そこから新しい付加価値を生み出す原動力になり
え,地域活性化の観点から見ても非常に優れているということが言える.つまり,ご当地グルメ
はブランドとして「かけがえのなさ」を十分に持ち,地域住民の「個性の自覚」を促すとともに,
それ自体が地域アイデンティティになり得るものであると言えるのではないだろうか.
2-4.地域ブランドの創出
では,ご当地グルメにおける地域ブランドを作り出すにはどのような仕組みが必要なのであろ
うか.ここでは,基本的なマーケティング理論を紹介したいと思う.
ある商品が認知され人々の意欲を導き出す過程に,マーケティング理論で言うところの 4P が
存在する.4 P とは以下のようなものである.
・製品(Product)=これが基礎となる.
・流通(Place)=消費者がその商品を手に入れたいと思ったときにアクセスする手段,場所があ
るということ.
・価格(Price)=その商品が消費者から見て,手ごろな価格で提供されているかどうか.
この 3P がそろっていなければ,商品としては売れない.ご当地グルメも例外ではない.しかし,
商品は何らかのかたちで発信されてこそ,より広い流通に乗ることができる.ご当地グルメは地
域に根があるからこそ,常にそれが問題となるのである.そこで最後の P,プロモーションが重
要になってくる.
・プロモーション(Promotion)=その商品の魅力を消費者にうまく伝え,販売促進を行うことに
よって,初めて消費者の購買行動につながる.
以上は,マーケティングの原則であるが,実際にはプロモーションが重要といっても,効果的
に行うのは簡単なことではない.
とくにご当地グルメを扱うのは,街の小さな個人商店だったり,零細企業だったりする.大企
業であれば,宣伝広告費を大量に投入してプロモーション活動ができるが,それほどの資金力は
ないのが現実である.しかし,費用をかけずにプロモーションができる余地は少なからず存在す
る.それは市民が主体となってこれを行うということである.市民の連携とネットワーク構築が
コスト面の問題を解決する有効な手段となりうるのである.
- 96 -
3 「高崎パスタ」の概要
3-1.高崎パスタの由来
さて,ここからは先ほど述べたポイントに踏まえ高崎パスタについて論じていく.
高崎市におけるパスタ文化は高崎市が所在する群馬県の気候と風土に大きく影響を受け誕生
した.群馬県は,日照時間全国 4 位の冬の晴天で,適度に乾燥し水はけの良い土壌が良質な小
麦を育てるため小麦生産量も全国 4 位iiであるなど小麦文化が古くから親しまれてきた.群馬県
では小麦による粉食が食卓の主役となっており,うどんはそのもっとも代表的なもので,総務省
の経済センサスによれば,平成 22 年の人口 10 万人当たりに占める,うどん・そば屋の店舗数
は香川県についで全国 2 位である.また,家計調査における平成 20~22 年平均の 1 世帯当たり
の生うどん・そばの年間支出金額は香川県についで全国 2 位で,小麦粉についても支出金額は
長野県についで全国 2 位iiiと,これらの数字からも慎ましやかに群馬県に小麦文化が根付いてい
ることがうかがえる。
高崎でパスタが根付いたきっかけは,請地町にイタリア料理店「シャンゴ」が開店した 1968
年にさかのぼる.当時,他に高崎市内でパスタ専門店を開いていたのは,同店以外で一軒だけで
あったといわれている.高崎のパスタは比較的量が多い.これは戦中戦後の食糧難を経験し「シ
ャンゴ」をオープンした故関崎省一郎氏が「美味しいものをたらふく食べてほしい」という切な
る願いを持っており,通常 1 人前 80~100gのところ,120~130gのスパゲッティを用いたの
がきっかけであった.そこから現在に受け継がれる高崎発の名メニューが生まれたのである.
とりわけ高崎にパスタ店がひしめく理由として考えられるのは,外食がそれほど一般的ではな
い時期に,「シャンゴ」が本店を広い駐車場を備えた郊外に移して営業したことが挙げられる.
のちに湧きあがった外食ブームを見越したかのように,その先駆けになったのである.そのシャ
ンゴにたくさんの人々が弟子入り,独立し,お互いをライバル視することで切磋琢磨し合い,そ
れが個々のお店のレベルアップにつながったと考えられる.黎明期の数店を第1世代として直弟
子の第2世代,孫弟子の第3世代,さらに現在では他地域,他業種から激戦地高崎に乗り込む第
4世代へと,このようにしてパスタがつなぐ食のにぎわいの輪は途切れることなく広がっている.
3-2.主なプロモーション活動
パスタの街・高崎を代表し,それを紹介していくイベントとして「キングオブパスタ」がある.
2011 年に 3 回目を迎え,参加店も 17 店に増加,来場者も 5500 人と過去最高を記録した.高崎
のパスタ文化を全国に向けて発信しようという中で始まったのがこの「キングオブパスタ」であ
る.小規模店舗にとっては,認知度アップに大きく貢献している.特に上位店は予約が殺到し連
日盛況であり,またイベント当日には会場近くの参加店以外の店舗も行列になるといった巻き込
み現象を引き起こしている.さらにライバル店同士が事前,当日に顔を合わせる機会が持てる,
ということは,パスタの周辺に関わる情報交換や彼らの結束に貢献しており,メディアからも注
22 年産作物統計
4位
ii農林水産省:平成
iii購入量は全国
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目され,TV では全国ネットで数件取り上げられているなど,高崎パスタのプロモーション企画
としては最大のものである.
4 「高崎パスタ」の問題点
4-1.地域おこしにおける社会的ネットワーク
地域ブランドの創出を円滑に行っていくためには市民の間におけるネットワークづくりが重
要である.このような地域づくりを軸としてつくられるネットワークはどのような特徴を備えて
いるのかを見てみる.
まず地域づくりでは,その活動における人づくり・組織づくりがボランタリーな人々の活動を
通じてネットワーク的に行われることが期待されている.しかもまたそのようなネットワーク的
つながりが,新しい人間関係を生んでネットワークをさらに広げていくことも期待され,このよ
うなネットワークの自己増殖的な拡大がまた,さらなる地域の活性化につながるとされる.地域
活性化という言葉はきわめて多様な意味で用いられているが,組織論的なネットワーク概念を引
用すれば,このような現象を踏まえると次のように言い表すことができよう.すなわち,
「成員
の新しい要素(=つまり人だけでなくモノや価値も含むもの)の持続的な取り入れにより,地域内
の成員の諸活動がたえず刺激され,地域内の人間関係が拡大・再編成されている状態」を,地域
が活性化された状態として定義することが可能である.
地域づくりの主体は,行政に主体性もあれば,民間の企業・団体が主体のもの,あるいは産官
民に学を加えた共同型など様々な様式が見られ,地域に関連した人たちの共同作業で遂行される
傾向も見られる.そのため,これらのセクターのネットワークの構築こそが地域活性化にとって
重要であり,またそれの核でもある.
高崎パスタに限定して言えば,それを振興する団体は以下に挙げられる.
高崎市職員による高崎パスタに関する政策研究を目的としている「パスタストリート研究会」
,
高崎ブランドのパスタを全国に発信しようと結成されたボランティアグループ「パスタの会」
,
また前述した高崎のパスタ専門店が一堂に会する「キングオブパスタ」の「キングオブパスタ実
行委員会」である.
おもにこれらの団体は市民が中心となって私的に結成されたものであるが,これらのネットワ
ークが先ほどの地域活性化の定義に示されたような「地域内の人間関係が拡大・再編成されてい
る状態」には未だ至っていないのが実情である.
では,このような事実を踏まえた上でどのようにより発展的なネットワークを構築していくか
について述べていきたい.
4-2.開放的・閉鎖的なネットワーク構造
地域では,人の出入りが頻繁に行われ,ときに閉鎖的な性質をもつ.ここでは,地域のネット
ワーク構造について山下祐介(1996)の定義を以下に引用する.
- 98 -
組織論的ネットワーク概念の重要なポイントの一つは,垂直型のハイアラーキー構
造に対する,水平型のネットワーク構造という対比である.理想論的ネットワーク論
を考える際の重要な点の第二は,ネットワーク外のメンバーヘの許容性,さらにいえ
ば組織の開放性にある.しかし,ここには組織論的ネットワーク概念のもつ混乱が存
在する.つまり閉鎖的なネットワークというものもありうるということである.もし
組織論の意味でのネットワークをネットワークという語で表そうとするならば,
「開放
的なネットワーク」という表現を用いるのが妥当であろう.これに対し,一般的なネ
ットワークの語に含まれる意味でのネットワークは「閉鎖的ネットワーク」というこ
とができよう.この「開放的」
「閉鎖的」の違いは結局のところ,ネットワーク内に含
まれる成員や資源の新しい要素の出入り可能性の違いを示しているわけであるから,
それぞれ「非限定的ネットワーク」「限定的ネットワーク」と呼んでもよいであろう.
(山下 1996:7)
ここでは,ネットワークの類型として,
「垂直的」・
「水平的」と「開放的」
・「閉鎖的」が挙げ
られている.しかし,地域活性化論との絡みで重要なのは,やはり「水平的」かつ「開放的」と
「水平的」かつ「閉鎖的」のネットワークの分析にあると思われるため,本稿では「垂直的」な
ネットワーク類型には言及せず,
「水平的」な類型にのみ言及することとする.また,
「開放的」・
「閉鎖的」な概念については,地域と外との境界線を軸に「開放的」
・
「閉鎖的」とする.つまり,
地域内での成員や資源の新しい要素の出入り可能性しかない場合「閉鎖的」とし,地域と外との
境界線をまたぐ形での成員や資源の新しい要素の出入り可能性がある場合「開放的」と定義する.
もちろん山下祐介(1996)のネットワーク構造では,「水平的」・「開放的」ネットワークの概念
が,地域活性化の目標概念となりうる点にそのもっとも大きな意義がある.
ここで,日本の場合,とくに大都市以外の地域では開放的ネットワークがきわめて乏しいこと,
かわりに垂直的であれ水平的であれ,(地域内)閉鎖的ネットワークがきわめて多く存在してい
るという事実である.開放的ネットワークの形は一つの目標とはなりうるが,地域社会の現状を
考えるなら,この水平的・開放的ネットワークを無から組み立てようという主張は現実味がない.
現に,「高崎パスタ」を取り巻く人々のネットワークは閉鎖的な関係性に基づいている.このこ
とから,逆に豊富に存在する(地域内)閉鎖的ネットワークが,地域の活性化に役立つかどうか
が問題とされねばならないだろう.
現状分析の切り口はとしては,第1に,地域の限定的な人間関係のネットワークのなかに,ど
のような形で水平的・開放的要素を取り入れていけるかという点.他方,第2に,地域内の閉鎖
的なネットワークそのものが地域活性化の資源となりえないのかについてである.せっかくの豊
富な地域内ネットワークを活かす手だてを考えない手はないからである.
また,水平的・開放的ネットワークについて論じても,さらに細かく類型していけば多彩なバ
リエーションに富んだものとなる.たとえば大本のネットワークから次から次へと拡大しつつけ
るもの,拡大はせず部分的にとどまるもの,また,ネットワークそのものが持続するもの,一時
- 99 -
的に終わってしまうもの,などの細かい類型に分けられる.
ここで,
「高崎パスタ」を考えたときもっとも必要になってくるのは,ネットワークが拡大し,
持続していくパターンであると考えられる.
では,
「高崎パスタ」をめぐるネットワークが次々に人から人へ外へと広がっていくようなも
のになるにはどのような仕掛けが必要なのだろうか.次章で述べていきたい.
5 行政と民間の相違
5-1.補助金制度
ご当地グルメに限らず,これまで行われてきた地域活性化のための地域づくりは,行政があら
ゆる公共サービスを担い,市民はサービスの受け手という形で展開してきた印象がある.しかし,
地方分権が進展する中,魅力あふれる地域を築くためには,地域の特性を生かした地域づくりや,
地域を知り,地域に愛着を持つ市民による地域づくりが求められている.このような背景には,
市民ニーズや価値観の多様化,複雑化が進む中,行政だけでは地域の課題にきめ細かく対応する
ことが困難になってきたことが挙げられる.市民による社会貢献活動への参加意欲が高まり,市
民,NPO,市民活動団体,事業者など多様な人々が主役となって,市民の間にも地域の様々な
課題を自発的な取り組みによって解決していこうという機運が広がりつつある.
ご当地グルメは,そもそも市民が中心となりまちおこしを進めるための材料として生み出され
たものという印象が強い.実際に,古くから親しまれている地域的 B 級グルメをご当地グルメ
化して他地域に発信していこうという取り組みを行っているのは,ボランティアをはじめとした
市民団体である.そういう意味では,市民が積極的に参加し市民が主体となって参加できるセク
ションであり,行政の堅いお役所仕事が中心では十分に達成することはあまり期待できないとい
うことも事実である.
しかし,ボランティアを含む市民団体だけが運営するのでは,資金という面からどうしても苦
戦を強いられざるを得ないのも事実である.実際にこの手の団体の,活動資金は寄付や会費など
に頼らざるを得なくなり,豊富で安定した財源は見込むことは難しいのである.
このような資金面での問題を解決するには,何かしらの経済的援助を受ける必要がある.特に
行政からの補助金という形での支援が不可欠となってくるであろう.ご当地グルメは民間が立ち
上げたものであっても行政の支援は重要である.ご当地グルメという地域活性化のための地域の
シンボルをつくり上げていくためには民間と行政それぞれが別々にアプローチするのではなく,
お互い協働していくことが求められるのではないだろうか.
その民間と行政の協働が実を結んだ一例として栃木県宇都宮市の「宇都宮餃子」の事例につい
てみていく.
5-2.「宇都宮餃子」に見る民間と行政の役割
その名をすでに全国に知られている「宇都宮餃子」であるが,その歴史が始まったのは,宇都
- 100 -
宮市の職員グループが市のPRのために一世帯当たりの年間餃子購入額がダントツの日本一 iv
を記録している点に着目した時である.これを契機に餃子専門店,中華料理店,行政,マスコミ
等を巻き込み,次のような取り組みが始まる.
それは,餃子マップの作成,
「宇都宮餃子」の本の出版,餃子駅弁の販売,餃子像の設置,
「宇
都宮餃子祭り」等のイベントの開催,観光バスによる「宇都宮餃子食べ歩きツアー」の誘致等を
実施したことである.とりわけ平成 5 年~6 年にかけてテレビ東京で放映された「おまかせ山田
商会・宇都宮餃子大作戦」の反響はその後の発展にはずみをつけた.
この間,組織的には平成 5 年に「宇都宮餃子会」が発足し,平成 10 年,14 年,17 年には各々
餃子直営店を出店した.また,平成 14 年には「宇都宮餃子」が商標登録される等,組織運営体
制が強化され,各種行事の実行と相まって,町おこしの中核的存在として今後益々の発展に弾み
をつけた.
宇都宮餃子のブランド力の特徴は,
「領域」と「共同の送り手」そして「強み」にある.
まず,まちの領域を,餃子という特産(食品)とはせず,店(交流産業)としたことが特筆す
べき点である.餃子は今や国民食で,全国どこでも,外でも家庭でも食べられる日常食である.
そんな成熟市場に,食品として参入しても勝ち目は薄い.そのことをきちんとと知っており,例
えば商標の管理=使用基準も,市内で営業している店か,販売する商品にしか使わせていない.
大消費地・東京ですら,宇都宮餃子は売らせないという卓越したマネジメントがある.
次に特筆すべき点が,行政の役割だ.地域のマネジメントには一定レベル以上の,送り手とし
ての自治体の役割があるが,行政の役割は裏方に徹するべきである.やはり公のセクターは,利
益の再配分と弱者救済が本分であって,総合的に平等を目指すのは行政職の性分であろう.そこ
には,強者への加担の理屈はない.今でこそ「選択と集中」は見出しとして計画書に載るようにな
ったが,いくら書いても実体としての動きはまずは無理であろう.まちの送り手は民間にゆだね,
その下地づくり,裏方,ばか者の発掘に行政は集中すべきなのである.
そして,宇都宮餃子にとって「競争共栄の原理」の発見は,非常に大きいものである.そもそも
地域とは,多様な主体の共同体である.そこでは共同体意識もさることながら,競争意識が人を
動かすことは,自明な事実であろう.オリンピックやワールドカップのチームスポーツに,それ
は見て取れる.外の敵との競争はもちろんだが,ルールを守りながらも,人よりも努力し打ち克
った者が賞賛されるというルールが内包されていなければ,人は動かない.ブランド・マネジメ
ントの要諦のひとつは,一貫性=統一感だが,地域ブランド・マネジメントにおいて,多様な主
体と一貫性をどのように理論的に習合させるか大きな課題であったが,「競争共栄の原理」を導入
することで見事に達成できたのである.宇都宮だけでなく全国の成功事例には,この競争と共栄
の原理が見て取れる.
官が掘り起こした地域資源を,民間が自覚的に担い,それを再び官が後押しする.それが,官
民一体となった宇都宮の地域づくりのかたちなのである.
iv
昭和 62 年~平成 16 年,平成 7 年は 2 位
- 101 -
5-3.行政の特定的支援の意義
ご当地グルメを考える上で,市民と行政の協働を効率的かつ円滑に行っていくことは以上事例
で示した通りである.しかし,行政側からの特定の民間団体への援助には大きな課題が存在する.
それは,行政が公平・中立というスタンスを基本としている点に原因がある.行政サービスは,
基本的に市民から税金を預かり,それによってサービスを提供している.もし,行政が広く市民
を対象とする行政サービスの場合は,公平・中立のスタンスから問題はない.
しかし,行政サービスが特定の民間団体に限られるような場合は,サービスの受益に対しての
公平性の問題が生じる.通常このような場合,使用料や手数料などで別途負担を求めて,負担額
が特定の受益者とそれ以外の市民の間で公平性が保たれているのかを考えるのが基本である.
しかし,行政サービスの中でも補助金の場合,民間団体がそれを受け取るかわりに別途負担を
負ったのでは,補助金自体がその役割を果たさず,補助金の意義そのものが薄らいでしまうので
ある.
ここで,近年行政の現場でも注目されてきた「選択と集中」というキーワードについて考えた
い.
杉尾正則(2008)によれば,近年行政において「選択と集中」が重視されている理由を以下に述
べている.
市町村は「均衡ある国土の発展」を御旗の印とした地方自治の時代ではなく,「自
己決定・自己責任」「自治体間競争」を前提とした地方分権の時代に置かれている.
分権時代の下,財政難に苦しむ市町村の多くでは,不況下での企業戦略と同様「選択
と集中」に類する自治体戦略(
「行政のスリム化」等)を余儀なくされている.しかし
ながら,市町村の至上命題は住民福祉の向上であるため,政策の択一的な選択は難し
い.つまり,市町村における選択と集中とは幅広い行政分野で一定の政策水準を保ち
ながらも,その時々において力を集中すべき政策を見定めていく戦略となる.(杉尾
2008:2)
つまり,近年自治体において重要となっているのは,状況に応じて必要な政策の使い分けを行
っていくということである.これは,行政のご当地グルメに関連する政策にも言えることであり,
「選択と集中」の論理に則って事をすすめていくことは,コストの面からも効率の面からも非常
に理に適っていると言える.
さて,「選択と集中」を適用して見た場合,ご当地グルメという存在は行政にとって力を注ぐ
べき対象であると考えられる.
その理由として挙げられるのが,第 1 にご当地グルメの公益性である.そもそもご当地グル
メに関連する民間団体は,その活動が地域活性化という側面も負っていることは多くの場合事実
である.つまりご当地グルメを引き受けている民間団体組織そのものが公的な色合いを帯びてい
ることが少なくないのである.このようなまちおこし的側面をもった民間団体を援助することは,
- 102 -
行政の基本スタンスである「公平・中立」に必ずしも矛盾しないと考えられるのである.
第 2 に,ご当地グルメの経済的効果が挙げられる.
「選択と集中」を適用するのは,多くの場
合,市民の生活の向上を目的としている.ご当地グルメはこの目的を達成することに十分貢献す
る可能性がある.ご当地グルメは,前述の全国各地の事例のようを見てもわかる通り,人とモノ
を動かす巨大な力を秘めている.ご当地グルメは比較的大きい経済効果が期待できるのである.
このように,ご当地グルメを行政が積極的に支援することは,
「選択と集中」の観点から見て
も奨励すべきであろう.行政の手厚い人的・経済的援助があるからこそ成功するのであるとも言
える.
おわりに
本論文では,高崎パスタを中心にご当地グルメの可能性について論じてきた.ご当地グルメは,
地域活性化にとって極めて重要であり,経済的効果を生み出すだけでなく,地域の「かけがえの
ない」存在となり住民にとってのアイデンティティとなりうること.さらに,市民を中心に関連
する各セクターを取り巻く巨大なネットワークをつくり出す可能性についても言及した.また,
運営組織が市民(民間)であるため財政的に厳しく,行政の支援の必要性も論じた.
本論文では,ご当地グルメを事例として選んだが,明らかになったのは地域づくりをすすめて
いく上で市民(民間)と行政の協働は必要不可欠であるということである.
これからの地域づくりは,身の回りの問題は,まず個人や家庭が解決にあたり,個人や家庭で
解決できない問題は地域で解決し,それができない場合は行政が解決するという考え方に基づき
行動することが必要である.この考え方のもと,市民には,自らの生活する地域をよりよいもの
とするため,自治活動やボランティア活動等に対する理解を深め,地域づくりに積極的に参画す
ることが期待される.このような地域社会に根ざしたネットワークを構築していくなら,より一
層地域づくりはより良い方向へ着実にすすんでいくであろう.また,市民が自主的に取り組む活
動の中には,行政の事業と重なり合う部分があり,市民と行政が連携・協力を行うことが重要で
ある.地域活性化を質の高いものにしていくため,市民と行政がそれぞれの知恵や発想を出し合
い,できることを考え,それぞれの役割分担のもとに行動することが求められている.
文献
玄田有史,2012,「“かけがえのなさ”が地域イノベーションの源泉」,日本経済研究センター
杉尾正則,2008,「市町村における政策研究機能の強化策~ 行政機関シンクタンクと実践コミ
ュニティーを連動させた政策研究機能の強化策~」,財団法人福岡県市町村研究所
――――,2005,
「市町村内シンクタンクを核とした政策創造」
『福岡県市町村研究所研究年報』
第 4 号,財団法人福岡県市町村研究所
関満博・古川一郎,2008,
『中小都市の「B 級グルメ」戦略―新たな価値の創造に挑む 10 地域』,
新評論
もり・ひろし,2009,
『「ご当地グルメ」~地域に「個性」を自覚させるツール』,日経 Biz アカ
- 103 -
デミー
山下祐介,1996,「社会的ネットワークと地域活性化」,首都大学東京,
repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/.../AA11349168_9_l171.pdf
渡邉英彦,2011,「B級ご当地グルメで500億円の町おこし―なぜ富士宮やきそばはB‐1グ
ランプリの覇者となりしか?」
,朝日新聞出版
- 104 -
日本におけるコーチング普及の可能性
―夫婦の問題を乗り越えるための新しいプロセス―
丸尾 美生
はじめに
コーチングという言葉を聞いたことがあるだろうか.コーチと聞くと,スポーツにおいて選手
にその技術などを訓練・指導する人を最初に思い浮かべる人が多いのではないだろうか.今回扱
うコーチングとは,様々な人間関係を構築していくことにより「良い関係」を作っていくことで
ある.本稿では夫婦を対象にコーチングというものが果たす役割や必要性について考察してい
く.
学生生活送っている上で,女性としての就職,結婚,出産について考える機会があった.今まで
男女の差をあまり実感せず,差別を受けることもなく生活してきたが,結婚後変化を強いられる
のは女性だけであるということを考えた.女性は結婚後苗字が変わり,子供を授かるときは身体
にも異変がある.仕事の内容や勤務形態が変わるのも女性だけというケースが殆どである.この
ような環境の中で少しでも楽しく,パートナーと仲良く生活していくためにはと考えた時に,コ
ーチングにたどり着き,深く知りたいと考えた.
また,離婚率が上昇している日本だが,日本の夫婦関係の背景に何があるのか気になった.また
地域や自治体は子供のための視点から夫婦関係がうまくいっているかどうかを調査する機会は
あるが,子供のいない夫婦には何の調査もしない.良い家庭は良い夫婦関係から成り立つと考え
る私は、コーチングが夫婦問題の減少に貢献できるシステムだと考えた.また,夫婦問題だけでな
く様々な悩みに適応できるコーチングが日本に普及していくべきだと考え,このテーマを選
んだ.
1 コーチングについて
1-1. コーチングとは
まず,コーチングとはどういうものか説明する.コーチングとは,コーチがシステムを構
成するメンバーと同時に関わり,自覚的で力強くそして意図的に「良い関係」を創り上げて
いくプロセスのことである.二人以上の人間によって成り立つ全ての関係性を対象にして
おり,会社や組織,家族や夫婦,親子や友人関係などが該当する.コーチが様々な視点から
「質問形式で投げかけるコミュニケーション」によって相手の心(思い・考え)の中から,一
人では気付かない,問題解決・目標達成・自己探求のための答えを一緒に探していくための
サポートシステムなのである.i
年 8 月 24 日に, ICA 国際コーチ協会認定 ポテンシャルコーチ
駒井宏美氏から口頭で教示を得た.
iこの点については,2012
- 105 -
1-1-1. 実施方法
コーチングでは,コーチとクライアントが1対1(複数の場合もある)で会話を行う.対面だけ
ではなく電話やスカイプで行なうこともある.終了する期間や1回あたりにかける時間はクライ
アントとコーチの約束によって様々である.コーチとただ単に話しをするだけであるが,様々な
視点から質問されるため,今まで考えたことのないことを考察するため新しい発見があり、コー
チが答えへと導いてくれるような感覚である.
1-1-2. カウンセリングとの違い
コーチングについて説明を受けるとだいたいの人がカウンセリングとどのような違いがあるの
かという疑問を抱く.似ているようではあるが,カウンセリングとコーチングにははっきりとし
た違いがある.カウンセリングとはその人の過去に焦点を当て,過去にさかのぼって問題を探る
ものである.言いかえればマイナスな気持ちを正常な状態に引っ張り上げるものである(-→0).
コーチングとは,目標となる未来を実現するにはどうしたら良いかを導き出すものである.言い
かえれば今ある状態からプラスになるよう後押しするものである(0→+).前向きな気持ちや,
今の状況を良くしていきたいという気持ちを持っている人にはコーチングは適しているのであ
る.しかし,今の自分を変える気がなく変わりたくないという人にはコーチングは適していない.
また,精神科に通っている人はコーチングを受けることができず,カウンセリングを受ける.人に
は独自の視点のパターンがあるため,コーチによって新しい視点から物事を見ることになるが,
人が自分の考え方や視点に介入することを許さない人がコーチングを受けても逆効果なのであ
る.ii
1-1-3. コーチングの資格について
コーチングの資格は公的なものではなく民間の資格になる.資格がなくてはプロになれないと
いう訳ではないが,この仕事ではあくまでスキルや信頼関係が大切なのだ.コーチングの勉強は
本や通信教育,専門学校など,いろいろな方法で学ぶことができる.平均的にはおよそ 1 年,早い
人では受講を始めて 3 カ月でクライアントを持つ例もある.今のところコーチングには国家資格
がないが,幾つかの教育機関から認定資格が発行されている.
生涯学習開発財団(財),一般社団法人日本コーチ連盟(JCK), 特定非営利活動法人日本コーチ教
会,以上が日本で発行している代表的な教育機関である.生涯学習開発財団(財)の認定資格は「認
定コーチ」
「認定プロフェッショナルコーチ」
「認定マスターコーチ」とオンラインによるプログ
この点については,2012 年 8 月 24 日に, ICA 国際コーチ協会認定 ポテンシャルコーチ
駒井宏美氏から口頭で教示を得た.
ii
- 106 -
ラムの過程と、経験によって 3 種類ある.一般社団法人日本コーチ連盟(JCK)では,「JCF 認定コ
ーチング・ファシリテータ」と「JCF 認定コーチ」の 2 種類の認定資格のほかに,「JCF 公認アカ
デミーコーチ」と「JCF 公認マスターコーチ」の 2 種類のコーチングインストラクターの認定資
格がある. 特定非営利活動法人日本コーチ教会では,「認定メディカルコーチ」の資格があり,
医療を対象としている.
国際的なコーチ資格は、国際コーチ連盟(ICF)やコーチ養成機関(CTI)などといった教育機関
がある.(CTI)はアメリカの養成機関で,この機関が発行するコーチング資格である.この資格を
とるまでの受講・試験内容などのプログラムはメンタルに強いものであり,自己啓発などのコー
チングを目指す人に向いているという特徴がある. また(ICF)はビジネスに強い養成プログラム
なので,人材開発,企業などでコーチングを目指す人に向いているという特徴がある.
一つ例を挙げると,国際コーチ協会(ICA)では,資格を取得する際に,初級・中級・上級とレベル
が分かれる.
表1
コーチングの資格別内容
クライアントの隠れた才能や資質を引き出し、人生に活かせるか
ポテンシャルコーチ
たちにするお手伝いができる。日常の問題や悩みをコーチング的
資格のレベル ★
に解決できる。仕事や日常に活かしていくだけでなく、副業とし
てコーチをする事もでき、関わる人の成長に大きく貢献できるレ
ベル。
ディライトマスターコーチ
社会の痛みに応えるだけのミッションと広い視野を持ち、クライ
資格のレベル ★★
アントの人生を大きく好転させる事ができる高度なレベルのコー
チングができるレベル。
グランドマスターコーチ
社会の痛みに応えるだけのミッションと広い視野を持ち、クライ
資格のレベル ★★★
アントの人生を大きく好転させる事ができる高度なレベルのコー
チングができるレベル。
日本での資格は民間の団体・学校などで発行されるもののみだが,コーチングのプロを目指すな
らば国際的に認定されている資格が良いものとする.iii
1-1-4. コーチングの値段
コーチングの資格についてレベルが分かれていることがわかったが,そうなると受講料はどう
変わってくるのかだろうか.
コーチングの相場はだいたい 10 日~二週間に一回のペースで受けるとすると月 30,000 円かかる.
iii
コーチングアカデミーweb ページ(http://www.coaching.co.jp/ack/index.html)を参照.
- 107 -
レベル別に見ていく.国際コーチ協会(ICA)を例に挙げると, 以下のようになる.
表2
ポテンシャルコーチ
コーチングの値段
パーソナル 3,000 円~10,000 円/時間
資格のレベル★
ディライトマスターコーチ
パーソナル 5,000 円~30,000 円/時間
資格のレベル★★
企業研修 10,000 円~50,000 円/時間
グランドマスターコーチ
パーソナル 10,000 円~50,000 円/時間
資格のレベル★★★
企業研修 30,000 円~80,000 円/時間
上で挙げた値段はあくまで相場であり,毎回このような値段がかかるわけではない.資格を取得
したばかりのコーチの中にはコーチング自体を広めるために無料でコーチングを行う人もい
る.1 回につき時間は関係なく 3,000 円で行なっているコーチもいる.しかし逆に相当のスキルを
身につけているコーチは 1 回につき 100,000 円で行なう人もいるという.値段が個人で大きく変
わってくるので,コーチの仕事を一本で行なっている人もいれば兼でコーチを行っている人もい
る.
予想以上の金額に驚き,コーチングの本質を疑うケースも多いだろうが,一回の受講で人生や考
え方が大きく変わるとすれば,決して高い買い物ではないという意見もある.
1-2. コーチングの歴史
コーチングとは一体どういうものなのかということが明らかになったところで,コーチングが
いつ頃からどのようにして日本に導入されてきたのかを,この節で説明する.
1-2-1. コーチングの発祥地
コーチングの発祥は約 20 年前のアメリカと言われている.90 年代初めからコーチングというも
のが認知され始めた. 90 年代半ばには,国際コーチ連盟(ICF)が設立され,現在は毎年北米でカ
ンファレンスが開催され,世界各国からコーチが集まる機会があるという.しかしコーチングと
いうものが認知されてからまだ間もなく,ごく最近のことであるため,歴史がはっきりとせず明
確になっていないのが現状である.発祥地はドイツだという主張もある.iv
1-2-2. 日本でのコーチング歴史
日本でのコーチングの歴史は第1期と第2期に分かれている.
初めて日本に入ってきたのは,約 10 年前である.海外では第 3 者にプライベートな話をするこ
iv
コーチング NAVI web ページ(http://coaching-navi.net/)を参照.
- 108 -
とに抵抗が少ないのか,認知度は高く評価もされている.海外の大きな企業ではコーチをつける
のが当たり前になっているほどだ.日本に入ってきたばかりのコーチングは,企業の利益に貢献
するもの,社員のスキルを向上させるものとして注目されていた.コーチングを受けて得られる
効果よりも,コーチングを扱う人間力が必要だったのだ.また,当時の日本の企業は社員のスキル
アップを目的としていたため,このような間違った意味で導入されていた.こうしてコーチング
は日本で間違った意味で使われ 10 年間近くもの間一人歩きをしていた.これまでが,日本でのコ
ーチングの歴史第 1 期である.
第 1 期での異なる意味のレッテルを乗り越え,やっと本意で使われる様になってきているのが
現在の状況である.これがコーチング第 2 期である.しかし本来のコーチングはまだまだ日本に
浸透しているとは言えない.知らない人が多い.本来のコーチングを広めようと,コーチ達が努力
しているところである.コーチングの資格を取得するための専門学校なども日本で創られ始め,
徐々に増えてきている.
1-3. コーチングの持つ日本での課題
こぅして日本に入ってきたコーチングだが,日本で普及していくことに対し課題を抱えている
と考える.コーチングの相場を見てわかる通り予想以上の金額に驚かれるケースもあれば,カウ
ンセリングとの違いを未だ理解されず偏見を持たれるケースもある.日本ではこれまで,自分が
抱えている問題や悩みを他人に話す機会が多くはなかった.身内の問題は身内で解決しろという
概念がどこかに存在していた.このような場所で,異文化であるコーチングを広めていくことは
容易ではない.コーチングの必要性を日本で理解してもらうために,一工夫した活動がコーチ達
に求められるだろう.
2 現代日本の夫婦関係の問題点
では実際に,コーチングがどのように作用していくのかを,夫婦問題を取り上げて説明する.
2-1. ディストレスvと結婚満足度
一つ目の問題としてディストレスと結婚満足度をとりあげる.日本における夫婦関係研究にお
いて,妻の結婚満足度が夫の結婚満足度より低いという結果がいくつかの研究で得られている.
このことから結婚が夫と妻それぞれに対して異なる意味合いを持つ可能性が考えられる.その原
因として結婚が夫と妻それぞれにもたらすディストレス度合いが異なる可能性があるため,毎日
の生活で個々人が経験するストレスという側面から考察した研究がある.vi
既婚者の男女と未婚者の男女に,日々感じているディストレス 11 項目の平均をとって「一般的
ディストレス度」という新しい変数を作成している.
具体的には「この 1 週間のあなたの身体や心の状態についてお聞きします。以下のような気分
v
ディストレスという言葉をストレスという意味で使用する.
vi土倉玲子,2001,「ディストレスと結婚満足度」
- 109 -
やことがらをどのくらい経験しましたか。
」という質問に関して,
(ア)ふだんはなんでもないことをわずらわしいと感じたこと,
(イ)家族や友達から励ましてもらっても気分が晴れないこと,
(ウ)憂鬱だと感じたこと,
(エ)他の人と同じ程度の能力があると思ったこと,
(オ)物事に集中できなかったこと,
(カ)食欲が落ちたこと,
(キ)何をするのも面倒だと感じたこと,
(ク)これから先のことについて積極的に考えたこと,
(ケ)何か恐ろしい気持ちがしたこと,
(コ)なかなか眠れなかったこと,
(サ)生活について不満なく過ごせたこと,
(シ)ふだんより口数が少なくなったこと,
(ス)一人ぼっちで寂しいと感じたこと,
(セ)「毎日が楽しい」と感じたこと,
(ソ)悲しいと感じたこと,
(タ)仕事が手につかったことの 11 項目をあげている.
さらにより具体的な家庭ディストレス 5 項目の平均をとって新しい変数「家庭関連ディストレ
ス度」を作成し,仕事関係ディストレス 2 項目の平均をとって新しい変数「職業関連ディストレ
ス度」を作成した.
具体的には家庭問題ディストレス度として,
(ア)子供のことで悩んだこと,
(イ)配偶者のことで悩んだこと,
(ウ)親・義理の親のことで悩んだこと,
(エ)「自分が家族に理解されていない」と感じたこと,
(オ)家庭内での自分の負担が大きすぎると感じたことの 5 項目があげられた.
また職業関連ディストレス度としては,
(カ)職場での仕事の負担が大きすぎると感じたこと,
(キ)職場や仕事上で「自分が理解されていない」と感じたことの 2 項目があげられている.
さらに結婚満足度として,「配偶者の家事への取り組み方についての満足度」,「配偶者の育児
や子どもとの関わりについての満足度」,「家計の分配・運営についての満足度」,「性生活につ
いての満足度」,「結婚生活全体についての満足度」の 5 項目の平均をとって「結婚満足度」と
して新しい変数を作成した.
結果を(1)~(6)に分けて説明する.
- 110 -
(1)既婚であることが一般的ディストレス度に与える影響について分析を行ったところ, 男
性に関してはディストレスと「未婚既婚の別」の間に有意な相関が認められたが,女性には有意
な相関は認められなかった.この結果は結婚が男性のディストレスに対してはプラスの方向に働
く一方,女性のディストレスに関しては有意な効果を持たない可能性を示唆している.
(2)夫と妻における結婚満足度平均の比較をしてみたところ, 既婚回答者全体を対象とした
分析で,妻の結婚満足度平均は夫の結婚満足度平均よりも有意に低いという結果が得られた.
(3)夫と妻における一般的ディストレス度平均の比較をしてみたところ,妻が感じている一般
的ディストレス度は,夫が感じている一般的ディストレス度よりも有意に高いという結果が得ら
れた.
(4)一般ディストレス度が結婚満足度に与えている影響について分析を行ったところ,夫の場
合にも妻の場合にも,一般的ディストレス度と結婚満足度との間には有意な負の相関が認められ
た.つまり一般的ディストレス度を強く感じている回答者ほど,結婚満足度は低い傾向が認めら
れた.
(5)家庭関連ディストレス度平均,及び職業関連ディストレス度平均が夫と妻との間で異なっ
ているかどうかについて検討を行ったところ,家庭関連ディストレス度に関しては,妻のディス
トレス度が夫のディストレス度よりも有意に高かった.そして職業関連ディストレス度について
は,夫のディストレス度が妻のディストレス度よりも有意に高かった.
(6)家庭関連ディストレス度及び職業関連ディストレス度が結婚満足度に与える影響などに
ついて分析を行ったところ,家庭関連ディストレス度も職業関連ディストレス度もそれぞれ結婚
満足度に対して影響を持つことが明らかにされた.
次に結婚満足度に対する影響力の相対的強さを調べるために,結婚満足度を従属変数とし,家
庭関連ディストレス度と職業関連ディストレス度を独立変数とする重回帰分析を行った.その結
果,結婚満足度に関しては,職業関連ディストレス度よりも家庭関連ディストレス度の大きいこ
とが示された.
この報告における分析からは,まず一般的ディストレスに関して,結婚が男性のディストレス
に対してプラスの方向,つまり一般的ディストレスを軽減する方向に働く一方,女性のディスト
レスに関しては有意な効果を持たない可能性が示唆された.そして一旦現実に結婚すると,結婚
満足度は妻の平均が夫の平均よりも有意に低く,またディストレスに関しては,家庭関連ディス
トレスに関しても一般的ディストレスに関しても,妻の感じているディストレスが,夫が感じて
いるディストレスよりも有意に高い傾向が示された.これらの傾向は,結婚がまだ男性にとって
有利なものであって,女性にとっては負担の多いものである可能性を示唆している(土倉玲子
2001).
ディストレスを生み出す具体的な家庭内要因について,より詳細な検討が望まれるが,家庭関
連ディストレス度の項目であげられた,子供のこと,配偶者のこと,親・義理の親のことなど,職場
でも家庭でも多くの人間関係の悩みを既婚女性は抱えているということになる.
- 111 -
2-2. 仕事と家事の二重負担
女性のディストレス度が高く,結婚満足度が低い原因の一つとして,仕事と家事の二重負担が
挙げられる.次にこの問題について触れてみる.
「夫は仕事、妻は家庭」という性別役割分業は,近代家族を特徴づける主要な性格の一つであ
る(落合,1994).家族史研究が明らかにしたところによると,この近代家族と呼ばれる家族モデ
ルは,日本では 19 世紀末から 20 世紀初頭に誕生し,その後大衆化して今日に至ったとされる(牟
田,1996).ところが近年においては女性の社会進出より,この分業体制は崩れつつある.総務庁の
「労働力調査」でも労働力人口に占める女性の割合は増加傾向にある.1999 年の段階で全体の 4
割を占めるに至っている.「仕事」の領域においては,性別役割分業が変化しているのだ.無論,
女性が進出している業種は偏っており,雇用形態も男性に比べてパートが多いことや,職場にお
けるグラスシーリングviiの問題などがあるために「仕事」の領域における男女の分業が完全に解
消されたとは言えないが,「夫は仕事、妻は家庭」という分業は変化しつつあると言えるだろう.
しかし性別役割分業のもう一つの領域である「家庭」内に目を向けると,女性の社会進出にも
関わらず,依然として家事・育児の大半を女性が担っている.社会生活基本調査によると,1 日あ
たりの夫の家事時間は平日で 9 分,休日でも 18 分であり,女性の 231 分,220 分と比較して大きく
隔たりがある上,夫の家事時間は妻の就労形態に関わらずほぼ一定である(総務庁,1996).女性
の社会進出がすすみつつある中で,家庭内の仕事は妻の役割であるという固定化した役割は依然
として残っている.
女性の社会進出が進んだことにより,従来考えられてきたような「男は仕事、女は家庭」とい
う性別役割分業は減少傾向にあるが,代わって「男は仕事、女は家庭と仕事」という新たな性別
役割分業が生じてきたと指摘されている.前者の性別役割分業は女性を家庭内に閉じ込め,社会
における女性の地位を低位で固定化させるという問題があるが,後者の性別役割分業は女性の社
会進出を認めてはいるものの別の問題を生じさせることになる.それが妻の仕事と家事の二重負
担である.日本よりも一足先に女性の社会進出を経験したアメリカにおいてはこの二重負担が大
きな問題になったという.日本においてもこの問題は強く指摘されるところであり,男女共同参
画の面からみて問題であるとみられている.後者の性別役割分業は,妻に二重の役割を担わせる
ことになるため,前者の性別役割分業よりも負担を強いることになると懸念されている(松田茂
樹 2001).
2-3. 現代日本夫婦関係の問題に対するコーチングの作用
この章であげてきた問題に対して,コーチングはどのように作用していくのであろうか.コー
チが実際に行う手順を,例を出して説明していく.
これから挙げる例は,結婚生活に対し不満を持つ妻をクライアントに迎える場合のコーチング
vii
女性がキャリアアップを目指す時,条件は整っているように見えて,その実を阻む見えな
い天井のことを言う.
- 112 -
内容である.ここで最初に理解をしておいて欲しいことは「コーチングは人を変えることはでき
ない.しかし自分を変えることはできる」ということである.自分の抱える問題を回避するために
自分が変わるのである.そのためのお手伝いをする役割を果たすのがコーチである.それでは順
を追って説明していく.
①
最初にコーチとクライアントが対話を行いながら,クライアントの抱えている問題を明確
にしていく.ここでいう問題は,クライアントが抱える一番高いストレスのことをいう.悩みや変
えたいことがありコーチングを行おうと思ったクライアントであっても,自分が今一番深く考え
ていることは何か,どういう自分になりたいかが明確になっていない人もいる.妻を勤めている
上で,普段から自分の気持ちを押し殺している女性が多いという.良き妻はこうでなければなら
ないという概念がクライアントに強く根付いており,不満や言いたいことがあってもなかなか外
に出せないことから,自分の気持ちを押し殺す結果になってしまう.しかし自分の中で作られた
概念があっても,結婚生活や夫に対し不満があり改善したいという気持ちが強く,コーチングを
受けたいと考えているクライアントが多い.その概念を切り崩しながら,クライアントのストレ
スに迫っていく.かかる時間はクライアントによって様々である.
②
次に,そのストレスをどうやったら軽減できるのかを対話しながら考えていく.ここでは
①の結果,「夫に家事を手伝ってもらえない」ということがクライアントの一番のストレスだっ
たと仮定する.そして次に,家事を夫に手伝ってもらうためにはどうしたらいいのを考えていく.
そこでコーチがクライアントに対し,家事の 1 つ 2 つ,「○○○だけは手伝って」と言ってみるの
はどうかと提案する.ここの○○○には大きな負担にならず夫にもできそうな家事を当てはめて
みる.例えば,洗い物や洗濯物,子供がいたら子供とお風呂に入ることを当てはめて夫に聞いてみ
る.これを夫が実行してくれるようになったとする.その時,妻が持つ夫への愛が 20%から 80%
へと回復した場合,それがクライアントの答えとなる.
③
しかし人によっては提案してみた家事を実行してくれる夫とそうでない夫がいる.この確
認までするのが,コーチングの仕事である.提案した家事を実行してくれなかった夫を持つクラ
イアントの場合,またしてもコーチが提案をする.②であげた家事よりも,更に簡単な家事をお願
いしてみるのである.例えば,お風呂からあがるときに,少しお風呂場をシャワーで流して欲しい
のだができるかと聞いてみる.この内容を夫が実行できた時,妻が持つ夫への愛 20%から 50%へ
と回復した場合,それがクライアントの答えとなる.こうして自分のパーセンテージが少しでも
あげられるような環境を探っていく.
だいたい①~③のような流れでコーチングを行っていくが,かかる時間も%の数字も人それぞ
れである.100%に少しでも近づくようにしていくのがコーチングである.このように,クライア
ントはコーチと約束事を決めていく.それは即ち自分との約束なのである.この約束事を決めな
がらなりたい自分へと近づいていく.コーチは提案を 1 割~2 割ほどしかしない.コーチはアドバ
イザーではないので,提案はしても決して答えは言わない.その提案を選択するかしないかもク
ライアント次第である.全てクライアントが決めていく結果になるシステムなのだ.
- 113 -
3 新たな問題点・産後クライシス
2 章でコーチングの,夫婦の抱える問題への対応をみてきたが,他の問題に対してはどうであ
ろうか.結婚満足度や仕事と家事の二重負担は以前から問題視されている夫婦関係である.比較
的新しく注目されている問題を通してみていく.
3-1. 新しい夫婦の危機,産後クライシス
NHK の朝の番組「あさイチ」という番組で「夫婦を壊す?!“産後クライシス”
」という題材
でとりあげられた問題がある.家族にとって幸せなイベントである出産だが,昨年ある民間の調
査機関がおよそ 300 人に行った調査で,「出産直後から妻の夫への愛情が急速に下がる」という
実態が明らかになった.また別の研究ではこの期間に生じた不仲はその後の夫婦関係に長く影響
するというデータもある.中には,長年連れ添ったにも関わらず,出産後わずか 1 年半で離婚に至
ってしまう夫婦もいるという.産後とは夫婦仲に大きな危機が訪れるタイミングだという.こう
した問題はこれまで「育児ノイローゼ」「産後ブルー」といった言葉で主に母親たちの問題であ
るように語られてきた.しかし番組ではこれを夫婦や社会の問題であると捉え,「産後クライシス」
と名付け紹介していた.
以下は民間の調査機関ベネッセ次世代育成研究所がおよそ 300 人を対象に行ったもので,妊娠
期,0 歳児期,1 歳児期,2 歳児期に「夫または妻を心から愛していると実感する」という夫婦の割
合を追跡調査したものである.
表3
夫(妻)への愛情を実感する数値
なぜこうした結果になるのか,またなぜ妻の方が著しい現象をみせるのか.お茶の水女子大学
- 114 -
の菅原ますみ教授らの研究によると,「夫からのねぎらい」
「夫の家事や育児への参加度」が強く
関係しているという.菅原教授は,妊娠時と子供が 1 歳の時期に共に「愛情が変わらない」と答え
ていた妻たちに注目し,調査した.その結果「夫はよく私の家事や子育てをねぎらってくれる」と
答えた妻の 47,1%が,また「家事・育児を助け合っている」と答えた妻の 41,2%が「夫と一緒
にいると本当に愛していると感じる」と答えている.しかしその一方で,ねぎらいが少ない場合は
わずか 10,2%,育児家事参加が低い場合は 20,5%までとどまった.これは,夫にねぎらいの気持
ちがあると育児参加につながり,また逆に育児参加することにより妻の大変さを実感しねぎらい
の気持ちが生まれ,妻も夫への愛情を感じる良いサイクルがあることを示している.これに対し
男性側が「家事や育児は女性がするのが当然」と思っている場合はねぎらいが低く,育児参加も
低いため妻の愛情が下がるという悪循環に陥ってしまうことが明らかになった.また,番組でお
よそ 1200 人にアンケートに答えてもらった結果,産後クライシスがあったという層の多くが「出
産後の夫の家事育児への非協力」を不満に思っているということが推察された.
また番組では,里帰りに意外な落とし穴があるといっていた.NPO 法人マドレボニータが都市
部周辺に住む 620 人を対象に行った調査では,およそ 57%が里帰りをしていた.しかし里帰りに
は「夫と一緒に子育てを0から始められず,父親としての自覚が生まれにくい」という落とし穴
があることが解かった.横浜創英大学の久保恭子教授が首都圏に住む 196 人の父親を対象にした
調査のデータからは「里帰りをすると夫が父親としての実感を抱きにくくなる」との傾向が浮か
び上がり,里帰りが男性の父性を阻害する恐れがある事を指摘している.番組では産前産後で 3
カ月里帰りをした女性が里帰り中の安心感と里帰り後の夫の非協力とのギャップに苦しみ,最終
的に夫より実家の方が頼りになると考え離婚してしまったケースをとりあげていた.産後クライ
シスがあることをあらかじめ知っておき,夫と対策をとれていれば違った結果になったかもしれ
ないと女性は話していた.また,この調査によると産後に離婚したいと思ったことがあるかとい
う質問に対し,はいと答えていた女性は全体の 52%を占めていた.viii
番組では産後クライシスを如何に克服するかということも紹介していた.内容は,「自分が何を
して欲しいかを言葉で伝える」
「家事協力してくれた夫をほめる」「家事をした場合に 6 割で OK
と考える」といったものだった.しかしこういった内容のものは,苦労して出産を経験した女性に
とって簡単にできることではない.産後の大変な状況の中,夫に気を遣いながら話し,褒める余裕
などないのではと考える.また,コーチングを利用した方が早く解決していくのではと考える.
3- 2. 産後クライシスの実態
前節で産後クライシスについて説明してきたが,この節では実際に産後クライシスに陥ってい
る妻の生の声に耳を傾けていく.群馬県桐生市で任意団体が経営している某読み聞かせ教室に通
う桐生市在住の産後間もないママ 12 人に,聞き込み調査を行った.その結果をもとに,産後クラ
イシスの実態に迫っていく. この節で産後クライシスについて少し深く見ていくが,あくまでコ
viii
夫婦を壊す?!“産後クライシス”NHK あさイチ web ページ
(http://www.nhk.or.jp/asaichi/2012/09/05/01.html)を参照.
- 115 -
ーチングの説明をしていく上での説明であるということを念頭において欲しい.
産後,夫をどのように感じるようになったかを調査している上で,いくつか設問を設け,その回
答結果から産後クライシスの状況に陥っているママ,または近い状況に陥っているママがこの小
人数の中にどれほどみられるのかをみていく.また,どのような理由からこのような結果を招い
てしまったのかを追求していく.設問を大まかに 5 つに分け,「産後夫の必要性が解からなくなっ
た」
「産後夫を嫌いになった」
「産後 SEX をしていない」
「産後本気で離婚を考えた」
「産後夫の家
族との関係が悪くなった」という内容の回答結果を以下の表4に作成した.年代の若い順に作成
してある.
表4 産後クライシスの要因の設問回答結果
だいたい
産後夫の必要
産後夫を
産後 SEX
産後夫の家族
産後本気
の年齢
性が解からな
嫌いにな
をしてい
との関係が悪
で離婚を
くなった
った
ない
くなった
考えた
A さん(仮称) 20 代前半
○
×
×
○
○
B さん(仮称) 20 代前半
○
○
×
○
○
C さん(仮称) 20 代前半
×
×
×
○
×
D さん(仮称) 20 代前半
○
×
×
○
○
E さん(仮称) 20 代後半
○
○
○
○
○
F さん(仮称) 20 代後半
○
×
×
○
×
G さん(仮称) 20 代後半
○
○
○
○
○
H さん(仮称) 30 代前半
○
○
○
○
×
I さん(仮称) 30 代前半
○
○
×
○
×
J さん(仮称) 30 代前半
×
×
×
○
×
K さん(仮称) 30 代後半
○
○
○
○
×
L さん(仮称) 30 代後半
×
×
○
○
×
大体の結果をまとめてみる.「産後夫の必要性が解からなくなった」という設問に対し,12 人
中 9 人が○と答えている.ほとんどの人が里帰りを経験し,里帰り中の安心感と里帰り後の夫の
非協力とのギャップに苦しんだという.あさイチでは,夫より実家の方が頼りになると考え離婚
に至ったというケースを取り上げていた.また,里帰りを経験していない人でも,子供に手いっぱ
いで,自分も産後の体調管理や睡眠不足に悩まされるにも関わらず夫の世話もしなければならな
い状況はとても辛く,子供が 2 人いるように感じたという.「産後夫を嫌いになった」という設問
に対しては,半数が○と答えている.この設問はつまり,産後夫へ愛を感じなくなってしまったと
いうことである.夫の必要性が解からなくなってしまったことから,この結果に繋がるのではと
考える.
- 116 -
「産後 SEX をしていない」という設問に対し,12 人中 5 人(約半数)が○と答えている.この
理由として,産後で疲れた身体のコンディションを性の方向へ向ける余裕がないという意見や,
夫を性の対象としてみることができないという意見があった.また,我が子のために自分の身体
は存在するため,夫のための身体ではないので夫に触られるのも嫌だという人もいた.
「産後夫の家族との関係が悪くなった」という設問はなんと全員が○と答えていた.出産前は
うまくいっていたという話もあったが,産後改めて夫や夫の家族は他人なのだと感じることが多
いという.F さん(仮称)は,出産前は姑との関係がうまくいっていたのだが,産後姑を見る目が
変わってしまい,子供を連れて会いに行くことに対し少し拒絶感を覚えたと言っていた.また,I
さん(仮称)は,姑が子供をお風呂に入れに来る度に,子供を取られてしまうのではないかという
恐怖感が芽生えてしまったという.この調査に協力してくれたほとんどの方が,産後から夫や夫
の家族に対し,特に気分を害す行為をされたわけではないが,気持ちが一方的に変化してしまっ
たと言っていた.B さん(仮称)は,「妊娠中は母と子がへその緒で繋がれていたが,出産により
離れ離れになってしまい,それに対し母が不安を抱くことによりマタニティーブルーという現象
が起こりやすい.その理由の一つとしてホルモンバランスが崩れ,女性ホルモンが活発化するこ
とがあげられる.自分以外の人に子供を抱かれるのが嫌だという気持ちは,子を守るための動物
の本能である.」という内容の話を産婦人科で聞いたという.産後子供を夫にも触られたくないと
いう気持ちがあり悩んでいたという B さんだったが,この話を聞き安心したそうだ.このような
ことから,夫や夫の家族との関係性が悪くなるという結果は極自然なことであるということが解
かる.
「産後本気で離婚を考えた」という設問に対し,12 人中 5 人(約半数)が○と答えている.こ
れまで見てきた結果から推測すると,理由は十分にある.夫に対する愛情を失い,夫を重荷に思い,
夫の家族との関係も悪化してしまっては,夫との生活に何のメリットも見出せなくなってしまう.
金銭面や子供の将来を考え,思いとどまっている状況という声が多かった.中には,金銭面や子供
の将来を考えても,夫と離れたいと考える声もあった.
調査の結果,12 人中 5 人(約半数)が,産後クライシスと思われる状況にあり,苦しんでいた.
産後クライシスは,最近注目され始めたため,新しく生まれた問題だと考える人も多いだろうが,
昔から存在するものであり夫婦にとって重大な問題であった.幸せしか待っていないと思ってい
た,こんなことで悩むなんて想像もしていなかったという話もあった.まさに予想外の落とし穴
である.このような状況で,テレビで紹介していた産後クライシスの克服方法を実践するのはと
ても難しく,ハードルの高いものだと考える.コーチングを利用すると更に短時間で改善できる
のではないだろうか.
3-3. 産後クライシスに対するコーチングの作用
では,産後クライシスに対し,コーチングはどのように作用していくのであろうか.3‐3 同様
例を出し,順を追って説明していく.
これから挙げる例は産後クライシスに陥っている妻をクライアントに迎えた場合のコーチン
- 117 -
グ内容である.
①まず,産後クライシスのもとは,「夫を許すことができない」という感情からきているという
ことを念頭に置いておく.そこでコーチングでは,この「許せない」という感情を続けてみてはど
うかという提案をする.コーチングではたいてい,未来を良い方向へ導くための提案をするが,こ
の場合あえて悪い方向への提案をする.それほど「許せない」という感情は複雑で難しいものが
あるということだ.この感情をクライアントに続けてもらい,続けていくとどうなるのかを想像
してもらう.この感情を続けていても自分にメリットはないということに自ら気付いてもらい,
自分を変えようと思う気持ちを持ってもらう.かかる時間はクライアントによって様々である.
②次に,自分を変えようと思う気持ちを持ったクライアントに対し,どうしていけば幸せを感
じることのできる自分になれるかを考えてもらう.一つの方法として,全神経で相手を見ずに,見
方を変えてみるのはどうかという提案をしてみる.例えば,夫自身ではなく,夫の家族が好きにな
れない場合,そこは考えないようにしてみる.または,夫は子供の夜泣きに付き合ってはくれない
が昼間は子供の面倒をみてくれる場合,夜泣きの件を考えないようにしてみる.つまり,見る必要
のないものを,あえて見る必要はないということである.こうして少しずつ自分の見方を変えて
いき,何が見えたか,相手の良いところを新しく発見できたかを考えてもらう.その時,少しでも
優しくなれる自分がいたら,それがクライアントの答えとなる.
③夫を許すことができずコーチングを受けていたあるクライアントは,コーチングを進めてい
る内に,愛しているから許せないのだということに気付いたという.言いかえれば「許せない」く
らい愛しているということである.愛しているから裏切られた分,許せないという気持ちが強く
なってしまうのだ.このことに気付いたクライアントは,「許せない」という感情が弱まり,夫を
愛する気持ちを思い出せたという.
④産後クライシスは,妻だけの努力で全て改善されるわけではなく,両方の歩み寄りが大切な
ため,夫も努力する心構えが必要である.夫とのコミュニケーションの時間を少しでも多く取る
ことが重要であり,夫が妻の話を聞くだけで改善されることもたくさんあるという.
3 章で紹介した形式とは少し異なるが,このようにして修復困難と思われるような夫婦の問題
も改善へと近づけていくのである.自分と向き合いながら行っていくため,無理をすることなく
自分のペースを保ちながら進めていくことができる.
夫婦間の問題に限らず,一人で考えても答えが見つからないこと,解からないことはたくさん
ある.悩みや問題を解決していくためには,今の自分を理解するためにも,自分のことを話せる相
手が必要なのだ.この相手が家族や友人だとすると,どうしても茶々が入ってしまい自分の意見
を見失ってしまう.自分の持つ悩みを仕方ないことで終わらせてしまうと,自分を制限しすぎ,そ
れが当たり前になってしまう.ただひたすら自分のことを話す場所,聞いてくれる場所,対話によ
って答えを導き出してくれるコーチが,誰しも必要なのである.
おわりに
本稿では,夫婦関係の問題を通しコーチングの中身を見てきた.夫婦の問題を調査している上
- 118 -
で,結婚とは女性が様々なことを学ぶ場であり,女性の努力によって家庭が守られていたことに
改めて気付かされた.そして結婚も離婚も女性次第なのではないかと考えた.しかし,結婚に対す
るデメリットは男性側にも存在する.本稿では妻が抱える女性目線での問題を取り上げてきたが,
夫を選んだのは他でもない妻自身である.妻に不満を持たれたまま生活しなければならない夫の
立場も大変なのではと考える.
コーチングは海外から入ってきた文化であるが,自己分析が苦手で悩みがあることが当たり前
で仕方ないことだと思っている日本人にとって,必要なプロセスである.「仕方ない」という感情
は自分を制限しすぎ人を鬱にまで追い込んでしまう.アメリカで起きた出来事は 20 年後日本で
起きると言われているが,鬱病が急増していたアメリカを救った一つのアイテムがコーチングだ
とするならば,日本でもコーチングが必要とされるべきである.自分を責めるのではなく,肯定し
てあげること,褒めてあげることはとても大切なことだということを,一人でも多くの日本人に
実感してほしい.コーチングがこれから日本で着実に普及していくことを望む.
謝辞
この論文を執筆するにあたり ICA 国際コーチ協会認定ポテンシャルコーチの駒井宏美氏よ
りコーチングに関する情報収集・聞き取り調査等で助言・ご協力いただきました.この場で
御礼申し上げます.
文献
夫婦を壊す?!“産後クライシス”NHK あさイチ web ページ
(http://www.nhk.or.jp/asaichi/2012/09/05/01.html)
コーチングアカデミーweb ページ(http://www.coaching.co.jp/ack/index.html)
松田茂樹,2001,「性別役割分業と新・性別分業――仕事と家事の二重負担」岩井紀子編『現
代日本の夫婦関係』日本家族社会学会・全国家族調査(NFR)研究会,38‐40.
土倉玲子,2001,「ディストレスと結婚満足度」岩井紀子編『現代日本の夫婦関係』日本家族
社会学会・全国家族調査(NFR)研究会,33‐38.
- 119 -
アイドルとファンの距離と関係についての考察
―ジャニーズファンの実態と搾取される地方組―
和田 瑞歩
はじめに
近年,アイドルブームに拍車がかかっており,現在も多くのアイドルが世に輩出されて
いる.そんなアイドルを応援するファン達は,他の俳優やアーティストのファンとは異な
った独自の雰囲気や行動をとっているように見られがちである.アイドルファンの特殊性
とは一体どこから生まれてくるのか.アイドルファンの特徴やコミュニティを通して,ア
イドルとファンとの関係性について考えていきたい.さらに,物理的な距離が示すファン
の熱狂度や企業の戦略についても言及したい.なお,本稿で主な対象となっているのはジ
ャニーズ事務所に所属しているアイドルを応援する「ジャニーズファン」である.
1 アイドル
1-1.「アイドル」というジャンル
そもそも「アイドル」とは一体何なのだろうか.世間で「アイドル」と呼ばれている者
たちが音楽業界のみならず,テレビ番組や舞台にとマルチに活躍している点を見ると,そ
の役割や意義はアーティストや俳優となんら変わりはないように感じる.1970 年代頃から
広く世間に認識され始めたといわれているこのアイドルというジャンルは,現在でも明確
な定義はなく,とても曖昧なものなのだ.しかしながら,自身のキャラクターや外見を重
視し,一貫してそのイメージを保ち続けようと努める傾向がアイドルと呼ばれている者た
ちには強く伺うことができる.これらのことから,根底として歌やダンス,演技などとい
った「パフォーマンス」を商品として扱い,対価を得るということが明確である者たちを
アーティストあるいは俳優と呼ぶ一方で,パフォーマンスを行う「本人達自身」が商品で
あると強く認識されているのが「アイドル」と呼ばれる者たちに共通して言えることでは
ないだろうか.したがって,本稿ではアイドルを「自らを商品として扱い,その価値を高
めるために他のパフォーマンスを行う者たち」と定義したい.
1-2.アイドルとファンの距離
太田(2011)は『アイドル進化論』において,時代の流れとともにアイドルとそれを応
援するファンとの距離が近づいていったと指摘している.それまでのアイドルはテレビと
いうメディアと不可分な存在であったため,アイドルとファンの間には明確な境界線があ
った.しかし,現在のようにコンサートやライブを重視するようになった過程の中で,ア
イドルとファンの境界線も曖昧になっていったとこの著書では論じられている.しかし,
- 120 -
果たして実際にアイドルとファンの距離は近くなったといえるのだろうか.次章からは年
齢や婚姻歴に比較的左右されず,アイドルして活動し続けることに成功している集団,ジ
ャニーズ事務所のアイドルたちを応援する女性ファンに焦点を当て,ファンの性質やコミ
ュニティの形成,実情を浮き彫りにすることで,実際にアイドルとファンと関係性は近づ
いているのか検討してみる.
また,前述したように今回は男性アイドルに対する女性ファンの行動や思考という点に
焦点を当て検討する,したがって,グラビアアイドルなどは対象としないため,本稿では
排除して考える.
2
アイドルファン
2-1.ジャニーズファンの分類と思考
対象となるアイドルを応援するかたちは様々であるが,いくつかの要因によって分類す
ることができる.そこで,ファンの心理や行動の特徴から筆者が独自にファンを大きく 4
つのタイプに分類した.
出典:筆者作成(2012)
図1
ジャニーズファンの形態i
2-1-1.茶の間型
その名の通り,主に家の中でファン活動を行う者たちを指す.テレビやラジオ,雑誌な
どの媒体を通して,対象となるアイドルの情報を得る.CD や DVD を購入して視聴する者
i
あくまで商品である「アイドル自身」を中心に考えた図である.したがって,例えばアイドルの歌う「曲」
が好きだとするならば,この図では「対象自身」に対する情や欲などからは弱いという見方になる.
- 121 -
もいるが,このタイプの中ではレンタルショップで借りる者も少なくない.また,コンサ
ートや舞台へ赴くといったことはないに等しい.熱狂度は4分類の中で一番低いとされる.
にわかファンと呼ばれる者たちがこの分類に多く該当する一方で,実際はコンサートや舞
台へ赴き,実物を前にしながら応援したいと思っていても,自分の趣味嗜好に充てるお金
が制限されている未成年者や,地理的な事情により労力や金銭面における負担を懸念した
結果,茶の間型に留まっている,いわゆる「地方組」と呼ばれるファンも多く存在してい
る.この地方組のような物理的距離のあるファンの活動とアイドルの関係性については第 4
章でさらに詳しく述べていく.
2-1-2.ノーマル型
一般的に広く認識されているファンの形態だ.実際にコンサートなどに足を運びながら
応援している者たちを指し,ジャニヲタ用語ではイッピ(一般ピープル)とも呼ばれてい
る.ほとんどのファンが擬似恋愛的な要素を含みながら応援しており,コンサートを「デ
ート」と呼ぶファンも少なくなく,その日に合わせてエステに行ったり,新しい服を新調
するなど本当のデートに行くような気持ちでコンサート当日を迎える.また,服装は対象
となるアイドルのイメージカラーを連想させるような色のアイテムを身につけることが多
い.しかしその一方で,多くのファンがコンサートを見にいくことを「参戦する」と表現
しているように,限られた時間の中でどれだけ担当iiの様々な面を見ることができるのか,
距離を縮めることができるのか(ファンサービスをもらえるのか)などといった自分と担
当が共有している時間を有意義なものにしたいという思いの強さから,コンサートは戦い
場とも認識されているのだ.
このタイプの中だけでも熱狂度には大きな開きがある.したがって,このタイプをさら
に「軽度」
「中度」
「重度」に細分化してみる.
(軽度)
茶の間型とさほど変わりはないが,コンサートやイベン卜に参戦するようになることで
対象となるアイドルに対する思いがより強くなる.公式で販売されているうちわのみを使
用し,一回でもコンサートに参戦することができれば満足する者たちを指す.
(中度)
CD や DVD が発売されると,初回盤や通常盤といった全てのタイプを購入したり,コン
サートは全ステージとはいかないまでも,複数公演参戦する.うちわが凝り始め,コンサ
ートで販売されてる公式のものだけではなく,自身で作成した専用のうちわを持参するよ
うになる.
ii
自分が一番力を入れて応援しているアイドルをジャニーズファンは「担当」と呼ぶ.
例)櫻井担
- 122 -
出典:応援うちわ専門店 Hand Made Shop“YOU”
図2 ファン自身が作成するうちわ(中度)
(重度)
重度になると,CD・DVD をはじめ,アイドル雑誌以外でも自分の応援しているアイド
ルが載っているありとあらゆるものを購入する.コンサートの全ステージに参戦したり,
「良席」とよばれるアリーナ席や最前列の席など対象となるアイドルとの距離が近い席以
外には興味がないといった者たちも増えてくる.コンサートの必須アイテムであるうちわ
にはアイドルに認識してもらうための工夫が施され,他のファンとの差別化・特別化を狙
っている.また自分が応援しているアイドルと同じアイドルを応援している人(同担)を
拒絶する「同担拒否」と「同担歓迎」の差がはっきりしてくる.
ノーマル型になると,地方組であっても遠征というかたちで労力や移動費を掛けながら
でもコンサートやその他のイベン卜に参加する者が出てくる.このタイプには比較的時間
にもお金にも余裕のある 20 代~30 代のファンが多くを占める.
出展:応援うちわ専門店 Hand Made Shop“YOU”
図3 ファンが作成するうちわ(重度)iii
iii
3左の「私を釣って」というメッセージは,趣味が釣りである嵐のリーダー大野智に釣りのパフォーマ
ンスをしてもらうために作られたものである.
- 123 -
2-1-3.親型
ノーマル型を経て行き着く一つのタイプが親型だ.対象となるアイドルを我が子を見守
るように応援する.自分だけのアイドルでいてくれることよりも,世の多くの人たちに自
分が応援しているアイドルを認識してもらったり,良さを知ってもらえることを望み,そ
のことに喜びや誇りを感じている.そのため,コンサートに参戦したい気持ちはあるが,
仮に抽選で落選してしまっても,自分以外のファンを楽しませているのであればそれでい
いとすぐに納得できる思考を持つ.したがって,このタイプには同担歓迎の者が多い.ま
た,アイドルには御法度とされている恋愛スキャンダルに対しても寛容である.
自身の生活スタイルの変化(結婚や子育て)によって以前よりファン活動に力を入れる
ことができなくなった主婦層や,応援しているアイドルがデビュー組であれば,対象がジ
ャニーズJr時代(デビュー前の時代)の頃から応援をしているような古参のファンがこ
のタイプには多い.
2-1-4.ストーカー型
ノーマル型を経て行き着くもう一つのタイプがストーカー型だ.親型とは対照的に対象
となるアイドルが自分だけの存在でいてほしいという思いが強く,それ故に自分と対象と
の距離が縮まるのであれば手段を選ばない.アイドルの自宅周辺をうろついたり,撮影の
邪魔をするほか,対象となるアイドルが学生ならば,在籍している学校に足を運ぶなどの
迷惑行為を行う者たちを指し,ジャニーズファンの中では「ヤラカシ」と呼ばれている.
対象の身に危険が及ぶ可能性もあり,ジャニーズ側からヤラカシに対する抗議文が出るな
ど異例の事態も起こった.いわゆる「本気愛」の人たちであるため,同担拒否がほとんど
であり,恋愛スキャンダルなどがあれば,その相手にも危害を及ぼそうとする.比較的年
齢層の低い者たちが多いと言われているが,中には 30 代以上の者もいて一概に限定するこ
とは難しい.
2-2.集団化するファン
初めは一人で対象となるアイドルを応援していても,ファンは次第に情報や気持ちを共
有する仲間を探し,友好関係を広めていく.そこでこの章ではファンのコミュニティ形成
の手段とその内容について詳しく述べていく.
2-2-1.ファンクラブの存在
ファンがまとまるといった意味でまずはじめに思い浮かぶのがファンクラブである.フ
ァンクラブに登録すると,優先的にチケットの申し込みができたり,対象となるアイドル
の最新情報を得ることができる.しかし,会員数によって各グループのファンの規模を知
- 124 -
ることはできるものの,ファンミーティングなども滅多に行わないジャニーズ事務所では
そこからファン同士がコミュニケーションをとり,繋がりを深めるといった展開を見せる
ことはあまりない.
2-2-2.ソーシャルネットワークを利用したつながり
そこで,多く利用されているのが Twitter をはじめとしたソーシャルネットワークである.
前章でも紹介したが,ジャニーズファンたちはそれぞれ自分が応援しているアイドルを「担
当」と名乗り,時には自分の代名詞のように使う.この担当制はコミュニティを形成させ
る場でも大きな役割を果たしている.
出典:Twitter
図4 Twitter 上の紹介文1
出典:Twitter
図5 Twitter 上の紹介文2
上の図は Twitter で使用されている自己紹介文の例である.この二つの例を分析すること
で,相手がどういった形態のファンであるのか多方予想することができる.
- 125 -
まず,図4の自己紹介文を見ていく.文の冒頭にある「いのひか世代」というのはアイ
ドルグループ「Hey!Say!JUMP」のメンバーである「伊野尾慧」
「八乙女光」の名から二文
字づつとり,彼らと同じ 1990 年生まれであるということを示している.したがって,この
表記から相手の年齢を知ることができる.このように自分が生まれた年を同い年のアイド
ルの名に当てはめて表記していることは多い.次に薮担 9 年目と表記されている.これは
表記の通り「薮宏太」というアイドルを応援し続けて(担当し続けて)9 年目になるという
ことで,にわかファンではないことが伺える.また,そのあとに「Ya/J.J」と表記されてい
る.これは Hey!Say!JUMP というグループとして CD デビューするまでの時期,いわゆる
Jr時代に彼らが活動していたユニット名「Ya-Ya-yah」と「J.J.Express」を省略したも
のである.このことから,このファンは応援しているアイドルのJr時代にも精通してい
るため,現在の活動だけではなく,過去(Jr時代)の活動や思い出話を語り合うことも
できるかもしれないということがわかる.続けて「やぶひか」という表現がある.これは
「薮宏太」と「八乙女光」という名から二文字づつとった表現であり,歌やダンスのシン
メトリーとなる二人がこういったかたちで表現されることが多い.このことからグループ
の中でもこの二人の組み合わせや掛け合いを好んでいるファンであるということがわかる.
そして最後に「同担大歓迎」という表記がある.この表記があることで,このファンとは
担当が同じであっても交流を持つことができるということがわかる.また,文章の中心と
なっているのは Hey!Say!JUMP のメンバーであるが,随所に「嵐」
「翔くん」
「山コンビ(櫻
井翔と大野智のコンビ)
」という表現が入っていることから,このファンは Hey!Say!JUMP
だけでなく櫻井翔を担当とした嵐も掛け持ちして応援している可能性が高いということが
わかる.以上のことに加え,コンサートに参戦する予定であることが表記されていること
から,図4の自己紹介文を作成したファンはノーマル型,もしくは親型であることが予想
される.
次に図5を分析してみる.図4と同じく,いのひか世代の薮宏太担当であることは文中
から読み取れる.加えて「本気愛」や「薮宏太専用 Juliet」といった表現をはじめ,同担や
掛け持ちを拒否していることから,担当に一途であり,独占欲が強いことがわかる.これ
らのことから図5の自己紹介を作成したファンはノーマル型の重度,もしくはストーカー
型の可能性が高いと予想することができる.
以上ように年齢や担当,好きなシンメトリーなどを自己紹介文から読み取り,同担や掛
け持ちに対してどういったスタンスでいるのかという点に注意しながら,ファン同士のコ
ミュニティーを広げていく.最近では「同担拒否の人を拒否します」などといった発言を
することで,事前に自分と合わないであろう人を敬遠する動きもある.
ファンが集団化することのメリットは先述した通り,情報の共有や気持ちの共有ができ
るといった点があるが,それに加えファン全体の質の向上という点でも大きな意味を持つ.
アイドルがどれだけ活躍の場を広げることができるかどうかはアイドル自身の頑張りはも
ちろんであるが,ファンも大きな要因となる.例えば,コンサートを開くにしてもマナー
- 126 -
が良いファンを持つアイドルは事務所をはじめ,会場を提供する側からの信用を得ること
ができるため,大きな会場であってもコンサートを開くことが可能になる.反対に,マナ
ーの悪いファンを持つアイドルは,周辺住民への考慮から会場を提供させてもらえないと
いう可能性があり,結果的にアイドルの活動の幅を狭めてしまうことになる.ファンの評
価が直接的にアイドル達自身の評価に繋がることもあるのだ.大きなキャパシティや長期
間でのコンサートが可能になれば,その分だけメディアに取り上げられ,活躍の場を広げ
ることができる.また,自分自身がコンサートに参戦できるチャンスも増えるかもしれな
い.ファンの行いが見返りとしてファン自身に返ってくるのだ.また,アイドル自身もそ
のことを自覚しているようで,アイドル雑誌などでもファンについて言及することがあり,
それがファン自身の戒めとなったり,これからの活動のモチベーションにもなっている.
集団内ではそういったファンの行動について考えたり,注意を呼びかけたりする動きが見
受けられ,ファンの意識や質の向上に一役買っているように感じる.
歌にドラマに映画にバラエティーに…ってなんでもできちゃう嵐は最強のアイドル!
嵐はこの何年か連続で国立競技場でライブをやってるけどさ.あそこは確か年に何組もラ
イブができる場所じゃないよね.でも,そんなところでやれちゃうのは嵐の活躍や知名度
はもちろん,ファンの力も大きいと思うんだ.嵐のファンなら近隣に迷惑を掛けない,会
場内でのルールや交通ルールも守れるって,信じてもらえてるからこそ実現してる国立競
技場ライブなんじゃないかな,って.そういうのって本当にいいよね,うらやましいし憧
れる.ボクたちが音楽や演技で楽しいことを発信して,ファンの人たちがさらに大きな活
躍の場を与えてくれる・・・.そんな関係をJUMPのファンのみんなとも築けたらいい
ね
3
(以下略)
2010 年「duet」10 月号
Hey!Say!JUMP
知念侑李のページ
比較事例の分析
3-1.昔のアイドルファン-80 年代アイドルを支えた親衛隊-
1970~80 年代のアイドルを応援する形として一際目立っていたのが「アイドル親衛隊」
と呼ばれる集団だ.アイドルの熱烈なファンが集まって,私的に応援活動・身辺警護をす
る組織であり,本義の親衛隊になぞらえて名前がつけられた.事務所公認の集団組織であ
り,公式なファンクラブに入会することが原則となっているが,そうでなくても親衛隊へ
の入隊は可能である.基本的にファンクラブを介して結成されている親衛隊ではあるが,
その立ち位置は「おっかけ」や「ファンクラブ」とはまた違うものという認識が集団内で
はされていたようだ.
この親衛隊には全ての集団を束ねる組織として親衛隊連合という組織があり,そこに所
属することで,初めて正式に親衛隊として認められる.全国各地に連合支部が存在してこ
とから,その規模はとても巨大なものであったことが伺える.活動内容としては,テレビ
- 127 -
局などの入り待ちや出待ちの際の警護や,歌の合間に掛け声をかけて応援する「コール」,
紙テープやペンライトを使っての演出などがある.警護については,事務所との連携がと
れており,スケジュールを事細かに教えられていたため,入り待ち出待ちの場所や時間を
親衛隊がしっかり把握することができていた.また,コールは親衛隊を象徴する重要な活
動の一つで,当時会場付近の公園などでは,親衛隊の集団が大きな声でコールの練習を行
っていた風景が頻繁に見られたという.紙テープを投げたり,ペンライトを振るタイミン
グついても厳しく指導され,統制行為=親衛隊のような印象を周りが持つ程であった.そ
ういった活動の積み重ねの中でファン同士のコミュニティの結束がなされたと考えられる.
この親衛隊という組織において筆者が一番興味を持った点は,活動の中で人数が少ない親
衛隊のところに別のアイドルの親衛隊が赴き,実際自分が応援していないアイドルのボデ
ィガードをするようなこともあったという点である.普通のファンであれば,自分の好き
なアイドルではない人を応援したり,体を張ってまで警護する気はなかなか起こらない.
ましてや自分が応援しているアイドルに対する熱狂度が高ければ高いほどその思いは強く,
興味のないアイドルに力を注ぐ時間があるのならば,好きなアイドルのために時間を費や
したいと思うのが当然の感情であろう.それでも親衛隊間でこういった行動が行われてい
たのには,同じアイドルを応援する者同士のつながりと同じくらい,あるいはそれ以上に
アイドルを応援している親衛隊という組織同士のつながりが強固であったためと考えられ
る.それが果たして純粋に好きなアイドルを応援したい者にとってよいものだったのかど
うかは疑問であるが,縦のつながりだけでなくアイドル同士の垣根を越えた大きな横のつ
ながりもあったのがこの親衛隊であったといえる.そういった自分の好きなように応援す
ることだけが活動内容ではないという点が,普通の追っかけやファンクラブのような集ま
りではないという認識を生み出していたのかもしれない.また,厳しく統制はされている
ものの,事務所にも公認されている組織の中で自分がアイドルを守っているのだという威
厳や誇りは大きかったようで,親衛隊ではない一般のファンを一喝し,寄せ付けない風潮
があったようだ.SNS など気軽にコミュニティを形成する手段がないだけではなく,一般
のファンは淘汰され,熱狂的なファンはどこまでも固くまとまっていったこの時代のアイ
ドルファンは,どういったスタンスでアイドルを応援するのか,その選択に悩んだ者も少
なくなかっただろう.
3-2.女性アイドルを応援する男性ファン-AKB48 を応援する人々-
AKB48 には「二本の柱の会」という公式のファンクラブが存在する.選抜総選挙をはじめ
とした各種イベントへの投票権やチケットの予約,オリジナルコンテンツの配信などが特
典となっているこのファンクラブの一番の特徴はその会費である.2006 年から昨年まで続
けてきた従来のファンクラブ「柱の会」は入会費 1000 円,年会費 4000 円と比較的他のフ
ァンクラブとも同じような価格であったが,2011 年に改めて発足されたこの公式ファンク
ラブは価格が改正され年会費が 480 円と前回より 88%も安くなっている.こういった小学
- 128 -
生のお小遣いでも容易に入会することができるような環境を整えることで,ファンクラブ
に対する垣根が低くなっている.
また,CD の購入によって参加できる握手会は一時的にでもアイドルに近づくことができ
る代表的なイベントとなっており,AKB48 の魅力の一つである.
現在大変人気があり,どの世代にも幅広く知名度がある彼女達であるための,その
ファン層も様々であるが,やはり一番多いのは男性ファンであろう.
彼らは彼女たちを擬似恋愛の対象としているのと同時に,自分がアイドルを育てていると
いうスタンスでいるように感じる.それは AKB48 が行うイベントが大きく影響していると
考えられる.彼女たちが行うイベントとして有名なもののひとつに「選抜総選挙」がある.
これは,イベント後に発売される次のシングル CD の選抜メンバー及びカップリング曲のメ
ンバーをファンの投票によって決定するイベントである.しかし,ここで発表される結果
は(順位)はそれにとどまらず,その年一年のアイドルの行く末を決定してしまう程の影
響力がある.この選挙の投票権はプロデューサーである秋元康氏いわく「AKB48 のファンで
あることを証明できるもの」についており,具体的にはこのイベント前に販売されるシン
グル CD の購入者や各ファンクラブ会員などに付与されている.この総選挙が普通の選挙と
違う点は,投票回数が一人一回と限定されていない点だ.お金さえ費やせば何回でも投票
可能である.したがって,自分の推しメンivがどれくらいの得票数を集めどういった順位に
つくことができるのかをファンが左右しているのだ.ファンという立場でありながらも,
応援しているアイドルの将来を決める権利を自分自身が持っているということが,自分が
見つけたアイドルを上位にさせてあげたい・有名にさせてあげたいという思いを強くさせ
るのではないだろうか.
ジャニーズファンにも,そういった「アイドルを育てる」という意識は存在する.特に
ジャニーズJr.のファンはあまりメディアへの露出が少ない時期の彼らを見つけ出し,
応援しつづけることで,自分たちが育てている・支えているという感覚を持つ.
しかしながら,異なる点もある.それはアイドルが次のステップに移行する際の反応だ.
ジャニーズファンは自分たちが応援してきたアイドルがデビューする(=Jr.を卒業する)
ことはそれだけよりメディアに取り上げられる可能性が増えることから,祝福すべきこと
として,応援にさらに熱が入るというのが一般的である.一方で AKB48 を応援しているフ
ァンたちの中には,自分が応援しているアイドルが成長し有名になることを望んでいなが
らも,グループを卒業し,アイドルが一人立ちすることをあまり歓迎していないように感
じる.それは AKB48 として活動しなくなることで,自分がこれまで持っていた「育てる」
というスタンスがなくなってしまうことや,握手会などを通してアイドルと直接触れ合え
ることができていた距離に慣れてしまったために,卒業後のアイドルとの距離が遠くなっ
てしまうことへの絶望感や恐れを少なからず抱いているからだと考えられる.また,ジャ
iv自分が一番力を入れて応援しているアイドルを
AKB48 のファンは「推しメン」と呼ぶ.
例)麻里子様推し
- 129 -
ニーズJr.にとっての一人立ちは比較的その道での安泰を意味するが,彼女たちとって
の一人立ちは決して成功が約束されているものではないということも原因のひとつであろ
う.ジャニーズファンと同様にアイドルに対する擬似恋愛のスタンスを持っている中で,
アイドルを育てているプロデューサーのスタンスも兼ね備えている男性ファンは複雑な心
境のなかで彼女らを応援し続けているのであろう.
3-3.同性を応援するファン―宝塚ファン―
では,応援する対象が異性ではなく同性だとどうだろうか.この節では宝塚歌劇団の団
員であるタカラジェンヌを応援しているファン達を事例として見ていく.
彼女らを応援しているファンたちは,世間から塚ファンと呼ばれ,その多くは同性であ
る女性が占めている.まずファン組織について見てみる.宝塚歌劇団にも「宝塚友の会」
と呼ばれる公式のファンクラブが存在する.会員である者のみが観劇できる日が設けられ
ているほか,チケットの購入権などがある.しかしながら,その倍率は非常に高く会員で
あっても入手困難であり,ほかに会員限定の特典も特にないため,友の会に入会しないと
いう選択をする塚ファンも多い.塚ファンにとってこのファンクラブはあまり重きを置か
れていないようだ.しかし,代わりに非公式のファンクラブというものが存在し,このフ
ァンクラブが劇団側・ファン側双方にとって大きな役割を果たしている.非公式のファン
クラブは組単位ではなく生徒v個人個人に対して作られ,その中でも上級生や人気の生徒を
応援する者たちが作る会費が必要なファンクラブと,下級生を応援する者たちが作る会費
不要のファンクラブの二種類がある.宝塚では有名な「花道」と呼ばれる人垣のガードも,
これらの会員が中心となって作っている.このファンクラブの面白い点は非公式のファン
クラブであるにも関わらず,劇団側から容認されていて,その活動の幅も広いということ
だ.ファンクラブには「お付きさん」と呼ばれる人物が存在し,その人がファンクラブを
牽引している.このファンクラブは私的な集団であるため,全てがボランティアであるが,
お付さんの役割は生徒の送り迎えや身の回りの世話,チケットの分配などファンの枠をは
るかに超えている.もちろん生徒との接触もあり,連絡先も把握している.一ファンが自
分の応援している人を最も近くでサポートしているのだ.
また,私設のファンクラブといえど,その規模は大きく,しっかりとした運営が成され
ている.会費だけではなく応援している生徒のオリジナルグッズを作成し,販売して得た
収益などでファンクラブを維持しているのだ.公式グッズ以外は販売することが禁止され
ているジャニーズ事務所に比べ,宝塚は以前から非公式のグッズを販売しており,ファン
もこういったグッズを買うことがごく当たり前のこととなっている.本来劇団側が行うべ
き事とも思われるような生徒のバックアップ等を非公式であるこのファンクラブが全面的
に行うことは,生徒のファンを増やす,延いては塚ファンを増やし多くの人に劇場に足を
運んでもらうということに一役買っており,その点で劇団にとっても重要な存在であるこ
v
宝塚歌劇団では団員のことを「生徒」と呼ぶ.
- 130 -
とに違いない.
また,ファンのコミュニティ形成においても,この非公式のファンクラブが果たす役割
は大きい.ジャニーズファンと同様に SNS を通してファン同士が交流を深めていくことも
あるそうだが,それに加えて「お茶会」で一緒になる人と仲良くなることが多いという.
このお茶会というのは,会費を必要とするファンクラブが開くイベン卜の一つである.生
徒とファンのオフの交流会のようなものであり,ホテルや会館などを貸切り,グッツの販
売や非公開映像の鑑賞をしたり,生徒自身がファンの前に登場して話をしたりする.普段
は舞台上でしか見られない生徒のオフの姿を見ることができるという点が最大の魅力ある
が,会員同士が話をすることのできる機会でもあり,生徒とファンの間だけでなくファン
同士を繋ぐ場にもなっている.
観劇スタイルはアイドルが行うコンサートとは異なるため,静かに観劇することがマナ
ーとなっている.しかしながら,応援している生徒のオリジナルグッズをファンクラブか
ら購入し,全体でそれを身に付け観劇するファンクラブもいるという点は,ジャニーズフ
ァンが応援しているアイドルのイメージカラーとなっている色を身に付けコンサートに参
戦するという行動と類似しており,自分が誰を応援しているのか生徒に明確に示そうと努
めていることが分かる.
ファンクラブ「全員」でグッズを身に付けるといった行動からも分かるように,塚ファ
ンは集団意識が強いように感じる.実際に塚ファンの女性に話を聞いたところ,ファンク
ラブは体育会系の部活動のようなもので,上下関係が厳しく,みんなで団結して生徒を応
援していこうというスタンスでいるようだ.そのため一度ファンクラブに入ると,同時に
他の生徒のファンクラブに入ることは禁止され,ファンクラブとの関わりが深くなれば深
くなるほど,応援したい生徒を変えたり辞めたりすることも難しくなってくる.反対にフ
ァンクラブに入っていないファンは生徒との距離は遠くとも,色んな生徒を応援できる.
ファンクラブという集団が時にファン個人の自由な活動を奪う可能性もあるのだ.
また,塚ファンは恋愛感情というより,生徒にはこの世のものではない超越的なものを
求めているようだ.例えば男役でいえば,背が高く美形で手足が長く少女漫画に出てきそ
うな体型をしており,大多数の女性が一度は憧れるような理想の男性像を担っている.現
実世界にはいないけれども,心の中で憧れている理想の男性像に近い生徒を目にすること
で,
「この男役の人と付き合いたい」というより「この男役のような男性が現実世界にいた
ら素敵だな」という思い持ちながら応援している.そのため生徒に対する嫉妬もなく,ど
んどん自分の好きな生徒さんを好きになってくれる人が増え,一緒に思いを分かち合いた
いという思いだけを持つようだ.加えて,コンサートではなく演劇であるため「私に手を
振って欲しい」という攻めの姿勢ではなく「今,視線をくれたに違いない」といった受身
の姿勢での応援スタイルであるという点も,自分ではない誰かが特別視されていると感じ
させないのかもしれない.
- 131 -
4
ファンの地域間格差
4-1.地方組の搾取
第 2 章でも触れたが,ファンの中にはファン活動に力を入れたくても,物理的距離によ
る弊害によってそれを実現することが困難な地方に在住するファン,いわゆる「地方組」
が存在する.前述までに紹介してきたアイドル達の活動拠点は主に東京都心である.その
ため必然的に番組協力であったり,握手会をはじめとした各イベントも都心で行われるこ
とがほとんどだ.また,関東限定で放送される番組などもあることから,地方組は実物が
見れないだけではなく,アイドルの姿や情報を得る機会も少ないのだ.
人気が出てくると,コンサートで全国の大都市を回ることもあるが,年に数回,あるいは
数年に一回程度である場合がほとんどであり,気軽に足を運ぶことができてしまう関東圏
のファンに比べるとやはり本物を目にする機会少ないということは否めない事実である.
また,自分が応援しているアイドルが全国規模のツアーを行えるほどの知名度や人気が
あるならば少しは望みがあるものの,まだそれにも及ばない場合などは,もはや思いを馳
せることしかできない.
もちろん,地方組のファンであっても,時間やお金に余裕がある者たちは,そういった
弊害に臆することなく都心に向かい,数々のイベン卜に参加するが,ほとんどの者たちは
頻繁にそういった行動を起こすことは難しいだろう.私自身,数年前までこの地方組と呼
ばれるであろう地域でファン活動を行っていたが,実物を見る機会が限られ,雑誌や CD・
DVD などでしか情報を得ることができない状況が続くと,自分の応援しているアイドルは
果たして本当に実在するのだろうかという錯覚に陥るほど,生身のアイドルに対する現実
味がなくなってしまうことがあった.
前述した通り,自分が応援している対象が異性である場合,大小はあるものの多くのフ
ァンが一種の擬似恋愛的な要素を含みながらファン活動を行っていると考えられる.そう
いった点を考えると,この地方組ファンとアイドル間の距離の遠さが,対象となるアイド
ルへの愛情を希薄にしてしまう要因になりうるのではないだろうか.以上のことから,フ
ァン活動において地方組は搾取され続けており,全てのファンのファン活動に対する欲求
が平等に満たされていない現状があるといえる.
では,事務所側はこの現状をどう考えているのだろうか.ジャニーズ事務所でいえば,
もしかしたらこの溝さえも事務所側の考えるある種のビジネスモデルなのではないかと筆
者は考える.地方組のファンたちは実物を見ることができない分,せめてそのアイドルに
関連したコンテンツを得ることで,情報や現実味が薄れてきているアイドルに対する思い
の穴を必死に埋めようとする.茶の間型やノーマル型の軽度には,レンタルショップで CD
を借りる者たちがいる一方で,コンサートには行けないが,その分 CD や DVD は全種類購
入したい・雑誌はチェックしておきたいと思うファンが存在するのもまた事実だ.近年で
はジャニーズ事務所のアイドルグループが行うコンサートのチケットが余るといったこと
は少なくなってきており,ほとんどが高い倍率の中での抽選となっている.そういった点
- 132 -
では,会場のキャパシティを満たせずチケットが売れ残るために収益が全く得られないと
いった問題は考えにくい.事務所はそれ以上に,CD や DVD の売上に重きを置いているよ
うに感じる.
「デビューから現在までのシングル CD が全て初登場1位」や「LIVE DVD の
売上が○○万枚」などの数字的な偉業は,収益はもちろんであるが,加えて世間に分かり
やすくアイドルの人気を表したりアピールすることができる.事務所側からすれば,コン
サートの会場が埋まる程度の知名度や人気にさえ至れば,ノーマル型の重度やそれがエス
カレートしたストーカー型のファンのような過度の熱狂的なファンが増え,アイドルの身
に危害が及ぶ可能性が高まるよりは,茶の間型やノーマル型軽度のように,コンテンツを
消費してくれるファンが多い事の方が都合がよいのではないだろうか.地方組が搾取され
ている結果となっている要因の一つには,アイドル自身の時間的あるいは体力的な面の考
慮という点ももちろん含まれているとは思うが,以上のように,あえてこの現状に留まら
せているようにも感じられる.
4-2.ご当地アイドルの登場
しかし,こういった地方に目を向けて登場したアイドルたちも存在する.
「ご当地アイド
ル」もその一つだろう.ご当地アイドルとは地方で活躍し,地方で消費されるアイドルで
あり,その土地に行くからこそ会える地域限定のアイドルである.一般的に地域のまちお
こし的要素が含まれていることが多い.このご当地アイドルは,果たして前述してきたよ
うなアイドルファンの搾取を緩和する打開策となりうるのだろうか.
筆者は現段階では困難であると考える.まず,前章までで紹介してきたような全国区の
アイドルとご当地アイドルを同じ括りにして考えてよいものなのかという点に疑問を感じ
る.ジャニーズファンを含め,全国区で活躍するアイドルファンのほとんどは,自分が応
援しているアイドルが全国的に知名度を上げ,有名な音楽番組への出演や全国放送で冠番
組を持つことに喜びを感じたり,そのことにアイドルの成長や応援の目的を見出している.
一方,ご当地アイドルは,その地域限定で活動し消費されることにこそ本来の意味を見出
しているのではないだろうか.AKB48 も秋葉原という一つの地域から出発してはいるが,
秋葉原は日本の中心部である東京の文化情報を発信する拠点となっている特別な土地であ
ることを忘れてはならない.また,専用の劇場が既に特設されていたり,プロデューサー
である秋元康氏をはじめ,振付師も一流の人たちが集まっているという状態はご当地アイ
ドルとしてはごく稀なことである.また,SKE48 など地方を拠点とした AKB48 の派生グ
ループも存在するが,AKB ブランドがあるということや地方に留まらず,全国放送のテレ
ビ番組にも頻繁に出演しているといった点を考えると,ご当地アイドルと呼ばれるものた
ちが地域で生産され地域で消費される限定的なものであるとするならば,上記のアイドル
たちはどれもご当地アイドルというジャンルを超えた存在であり,もはやご当地アイドル
というより全国区のアイドルであると考えるのが妥当だと感じる.よって,こういった特
殊な例のグループを除いて,ご当地アイドルというものを考えてみると,やはりアイドル
- 133 -
自身に求められている目的,そしてそれを応援するファンの目的も異なっているように感
じる.ジャニーズファンなど全国区で活躍しているアイドルを応援しているファンはあく
まで全国で戦えるアイドルを望んでいるのだ.したがって,ご当地アイドルにその欲求を
満たすことはできず,やはり地方組のファンにとって「偶像アイドル」は届き難い存在で
あり続けるのだ.
おわりに
ジャニーズファン,あるいは現在のアイドルファンは擬似恋愛を楽しんでいながらも,
どこか一線を引いてファン活動を行っていように感じた.コミュニティを形成する場でも
どちららかいえば同担歓迎が拡大し,同担拒否が敬遠される傾向が伺える.コミュニティ
を円滑に保持するために,それが例え見せかけであっても一定の距離を保つスタンスを念
頭に置きながら活動しているように思える.また,第 3 章で紹介した親衛隊や宝塚のお付
さんの警護やスケジュール管理など純粋なファンの活動とは思えない内容ながらも誇りを
もって活動している姿は,例えどんな形であってもアイドルのできるだけ近くに関わって
いたいという固執した印象を受けたが,現在のアイドルファンでそこまで目立つような行
動を起こしている者は本当にごく一部に留まっている.
また,握手会などを通して直接的な距離が近づいているように見えるかもしれないが,
その近さは一時的なものであり,その分だけ会えない時間や,触れ合える機会が失われた
時のアイドルとの距離がより遠いものに思えてしまうのではないかと感じる.
加えて第4章では,そういった直接的な距離の近づきさえも実感できない地方組が存在
しつづけていることを指摘した.以上の点を踏まえると一概にアイドルとファンとの距離
が近づいたとは言えないのではないかと感じた.
また,今回筆者はジャニーズファンという視点から地方組の搾取について論じたが,こ
のことは,アイドルという分野に留まらず,全ての芸術や文化活動において同様のことが
言える.
「本物」を見たり聴いたりすることは,それだけその人の感性や今後の考え方に大
きな影響を与えるものである.こういった面で地域間の格差が出てしまうことは,多くの
人の心の豊かさや,様々な可能性の芽を摘んでいるように感じ,残念でならない.そこの
溝をどう埋めていくのかが今後の芸術や文化活動を発展させるための大きな課題となるだ
ろう.
文献
境真良,2004,『アイドル産業―その経済特性と社会制度,分析と政策―』平成 15 年度
Project-P 研究論文
宮本直美,2011,
『宝塚ファンの社会学 スターは劇場の外で作られる』 青弓社
太田省一,2011,
『アイドル進化論 南沙織から初音ミク,AKB48 まで』 筑摩書房
篠原沙里,2003,
『スマップウォッチング アイドルで平成日本社会を読み解く』日経 BP
- 134 -
社
田中秀臣,2011,
『AKB48 の経済学』 朝日新聞出版
辻泉,2012,
『
「観察者化」するファン―流動社会への適応形態として―』 AD・STUDIES」
Vol.40
Spring 2012
ご当地アイドル応援サイト「Guchi」http://gachi.jp/
NAVER まとめ,2012,
「いまさら聞けない AKB48 選抜総選挙 投票の方法まとめ」
http://matome.naver.jp/odai/2133674034950122401
- 135 -
著作物と情報共有社会にみる所有意識
月井 菜緒
はじめに
デジタル機器やインターネットが普及したことにより,私たちは他人の著作物を利用す
る機会も発信する機会も増えた.より手軽に著作物を扱えるようになると共に,著作物に
対してのユーザーの意識も軽薄になった.そのため,著作権や著作人格権を侵害する行為
も多い.利用度に相反して著作物への理解は浅いままであり,新しい法制定に対してもユ
ーザーの理解が追いつかず,権利者側の言いなりになりがちではないだろうか.2012 年 10
月に違法ファイルダウンロードの厳罰化が施行されたことがその一つの例だろう.
インターネットで情報を共有することが当たり前のようになった今日の社会では,私た
ちがいかに著作権や著作人格権に触れているのか知ることが必須である.知らず知らずの
うちに権利を侵し,起訴されてしまう危険性があるからだ.本稿では,私たちがそのよう
な状況にあることについて説明すると共に,著作権に対し著作物を利用するユーザーの権
利も尊重されるべきであることを論じる.
また,この知的財産の所有をめぐる問題を基にして,そもそも私たちが主張する「所有」
の意識を検めていくことを目的とする.
1 日常に入り込む著作権
私たちは日常的に他人が著作権を持つ物を多く利用しているが,それは意識されている
だろうか.音楽,映画,漫画やテレビアニメなどでは近年注意喚起が行われているため意
識する人々が多いかもしれないが,それ以外ではどうだろうか.
どのようなものに著作権が付随しているのか,多くの人はその定義や目的の理解が曖昧
なまま利用していることと思われる.本章では,その著作権の目的や定義,また,いかに
私たちが著作物と密接に生活しているかを説明する.
1-1. 著作権の定義と目的
著作権とは,著作物を作り出した作者の権利を保護するものである.また,著作権とい
う言葉に代えられている中に「著作者人格権」
「著作隣接権」も含まれていることが多いが,
本論文では以降,
「著作権」
「著作者人格権」
「著作隣接権」と別個に表記し,それらをまと
めて記述する場合は「著作権等」と表記する.
それぞれの違いは次の通りである.
- 136 -
・著作権i
著作者が持つ著作物に対する経済的な利益を保護する権利
(他人へ譲渡可)
・著作者人格権ii
著作者が持つ著作物に対する人格的な利益を保護する権利
(他人へ譲渡不可)
・著作隣接権
著作物の伝達に重要な役割を果たしている実演家,レコード製
作者,放送事業者,有線放送事業者に認められた権利
そして,これらを定める著作権法の目的は著作者の権利の保護を図ることによって,文
化の発展に寄与することである.他者が作者に無断で作品をコピーして販売して利益を得
ることを禁じられなければ,作者の創作意欲を減退させ,文化の発展への阻害につながる.
その事態を防ぐために,著作権法は権利の保護が必要だとするのである.
1-2. 著作物の定義
今節では,私たちがどれほど日常的に自ら著作権を保持したり,他人の著作物を利用し
たりしているかを考えるために,著作権の発生する「著作物」の定義を整理する.そこで,
著作権法の条文をみると以下のように記されている.
著作物とは,思想または感情を創作的に表現したものであり,文芸,学術,美
術又は音楽の範囲に属するものを指す.
つまり,この定義に則れば,素人が撮った写真や幼児の落書きでも,著作物に該当する
と言えるのである.また,同じ知的財産権である特許権などと違い,申請しなくても生み
出された時点で著作権は発生する.これを考えれば,いかに私たちの周りに保護されるべ
き作品が多く存在しているか想像できる.
1-3. デジタル機器・インターネット普及による問題
私たちの周りには多くの著作物があるということを意識できたとして,次に問題になる
のは他人の著作権を侵す行動である.
デジタル機器やインターネットの普及は,ユーザーが安易に他者の著作物を複製・改変・
公衆送信をしてしまえる状況を生み出し,著作者や著作物の真偽性を損なう問題が多くな
っている.こうした問題は,著作者の経済的な利益を害していないとしても,次のように
著作者の人格的な権利を害するものになっている.
i
次の支分権の束.複製権,上映権,演奏権,公衆送信権,口述権,展示権,頒布権,譲渡
権,貸与権,翻訳権,翻案権,二次的著作物の利用に関する原著作者の権利.
ii 公表権,氏名表示権,同一性保持権.
- 137 -
・著作権者以外による公衆送信・二次配布…公表権を侵害
・著作物の改変…同一性保持権を侵害
・著作者を偽る行為…氏名表示権を侵害
このように,著作者に人格的な利益と経済的な利益をそれぞれ保護される権利があると
き,著作者の生活を保障するためには経済的な利益さえ守られればよいという見方もある.
しかし,著作物が著作者の意図と反した方法で使用されたとき,著作者の創作意欲を損な
わせ,文化的発展を阻害する恐れがあることにも留意しておきたい.
1-4. コピーライト主義・権利強化の波
1-3 のような著作権侵害の問題が現れたことを受けて,コピーライト主義という,著作権
等の権利を強化すべきだという考え方が強まった.また,環太平洋戦略的経済連携協定に
おける日米経済調和対話で,米国から挙がった著作権に関する要求も次のように著作権利
強化を求めるものであった.
・ ダウンロード違法化の全著作物への拡大
・ 非親告罪化
・ 真正品の並行輸入について著作権者にコントロール権を与えよ
・ 米国型のプロバイダーの義務と責任の導入
・ 保護期間の延長
・ 法定損害賠償の導入
・ デジタルロックの回避規制
福井健策(2011)は,これらの権利強化要求の項目について苦言を呈している.特に,「非親
告罪化」については,当の著作権者が処罰を望んでいないのに,国が処罰することの是非,
つまりは「著作権は誰のため・何のためにあるのか」という問いを挙げている.
2 権利侵害に至る意識
デジタル機器・インターネットの普及によって著作権を侵害する行動が多くみられるよ
うになったが,その原因は権利侵害行動が容易になったことだけはない.他の要因は大き
く二つに分けられる.一つは,1-1 や 1-2 で述べたような,著作物や著作権に対するユーザ
ーの理解が不足していることだ.もう一つは,現代における著作物の利用に対する意識が
変容していることが挙げられる.
2-1. 著作権法の理解不足
ユーザーが著作権法を十分に理解していないために起こる問題とはどういうことか.ま
- 138 -
ず,著作権がどういうものに当てはまるのかという知識の不足が権利侵害につながる場合
だ.そして次に,著作物と認識していてもその利用方法が権利の侵害にあたることを知ら
ない場合がある.
著作権等が意識されない主な対象は,多くの場合,対価を払わずに見聞きできるものだ.
例えば,本の表紙や,テレビ番組,コマーシャル,インターネット上の画像などである.
こうしたものは,コンテンツに対して対価を払うという,経済的な価値感覚が伴わないた
めに,同様に対価を求めず,経済的な利益を得ない用途に用いるのであれば違法性が無い
ように感じられてしまうのである.
しかし,実際はたとえ経済的な利益問題が関与していなくとも,著作物には著作者人格
権が付随しており,著作者には人格的な利益を保護される権利がある.よって,こういっ
た著作物を写真に撮って公衆送信することは,著作者の意を伴わない行為であり,著作者
人格権を侵害しているとみなされる場合があるため,ユーザーは注意が必要である.
次に,著作物の利用法に問題があることがわかっていない場合の権利侵害行動について
考える.この場合に多い問題は,著作権の制限規定iiiによってユーザーに許されている“私
的使用のため”の範囲を越えて複製を行うことである.
この“私的使用のため”とみなされる範囲は,次の表1に示すように,複製した物を使
用する人間が特定の少数であるか否かで分けられる.具体的には,家族内での使用のため
の複製,少数の仲間内での複製は自由であるが,インターネット上にアップロード(公衆
送信)して不特定多数の人々に配布するような行為は禁じられている.
表 1
私的使用のための複製とみなされる範囲
複製→譲渡相手
少数
多数
特定
可
不可
不特定
不可
不可
また,そのように違法にアップロードされた音楽・映像を,違法と知りながらダウンロ
ードする行為についても,2009 年の改正にて私的使用目的の複製の範囲外とされ,違法行
為である.さらに,私的使用が目的であってもコピーガードを外して著作物をコピーする
ことも違法行為である.
以上のように,ユーザーが著作物を自由に利用することができる範囲というのは個別の
厳格な規定が定められているのだが,一般的なユーザーがそれらの細かな規定を理解して
厳守しながら著作物を利用するのは難しいと思われる.
iii
著作権の及ぶ範囲を制限する規定.これにより,私的使用のための複製の他,適切な目
的・手法での引用や教育関係や文化施設での利用に関わる複製などに関しては自由に利用
できる.
- 139 -
2-2. 共有物として捉われる著作物
近年では,著作権に関しての規定を理解していても,それを無視して自らの目的や意志
に則して他者の著作物を自由に使用する人々が後を絶たない.そういった人々の行動が基
づく意識構造は大きく次の3つに分かれると考えられる.
① 著作者自ら公衆送信した以上,商用目的以外の著作物のフローをコントロールすること
は不可能であるという考え方.
② 経済的問題抜きなら,無断使用でも作品自体が出回ることで評価されるなどの利益は著
作者としても好都合であるという考え方.
③ 著作権侵害は親告罪であることから,著作権者に訴えられなければ罪にはならないとい
う考え方.
この3つの考え方のうち,近年の著作物の利用のされ方として特徴的なのは①の考え方
だ.インターネット・デジタル機器の普及によって,一度公衆送信された著作物は多くの
人々によって私的使用のための複製という形で一度保管される.その後,著作者が公開を
とりやめたとしても,すでに不特定多数の人々の手に渡っている著作物のコピーは,どこ
で複製・再送信されているかも,著作者の真偽性なども確認し難いのである.
そのようにして,多くの人々が複製を繰り返していった著作物は,もはや著作者の手か
ら離されてインターネット上で浮遊し続ける.具体例を挙げるならば,俗にいう「拾い画」
が典型である.拾い画とは,主に掲示板サイトなどに不特定多数の人々がインターネット
上の各所で複製保存した画像データをアップロードしたものを指す.人々は「拾い画」と
称して,自らが著作権等を持たない著作物を提供し合い,共有する.インターネット上に
ある著作物は,アップロードされた時点で社会全体が共有しているものとして扱われてい
る状況があるのである.
3 情報共有社会における著作物の利用
2-2 で述べたように,昨今の著作物に対するユーザーの意識は社会の共有物,言い換えれ
ば公有しているという意識が強まっている.そこで,その意識の変化が反映されている具
体的な事例を挙げていく.
3-1. 著作権フリーの取り組み
ITmedia(2011)によれば,漫画家の佐藤秀峰は自身の著作である『ブラックジャック
によろしく』について,自由に二次利用されることを許可した.これによって件の著作は
第三者が商用・非商用を問わず,作品を出版するのに用いたり,小説化や映画化などを無
料で自由に行ったりすることができるようになった.佐藤は「従来の著作権を振りかざし
て利益を得る方法は段々と古くなっていくはずです」と考えを述べており,この取り組み
- 140 -
で,自作を二次利用フリーとすることでどのように作品が拡散し,利用され,著者に利益
をもたらすのか,もたらさないのか,その調査をすることを狙ったという.
その結果,その著作『ブラックジャックによろしく』は 1 カ月には 50 件以上の二次利用
が行われ,100 万人超の新規読者を獲得し,有料配信している続編の売り上げも増加したと
いう.
これはあくまでも一つの成功例であり,すべての著作物をフリーにすることが著作者の
利益につながるということではない.しかし,佐藤が述べた通り,著作権を振りかざして
いくことも必ずしもより多くの利益につながるわけではない時代になっているということ
がわかる事例である.
3-2. カオス*ラウンジの事例
カオス*ラウンジは,インターネット/デジタル時代における新しい創作性,批評性が内
在していると考え,このようなプロセスから生まれる表現が独自の価値を持った「アート」
である,という信念のもとで作品発表を行う組織である.具体的には,インターネット上
に無料で公開されているイラストを複製利用し,次の図 1 に示したようなコラージュ作品
を作って展示する.
図 1 カオス*ラウンジ 2010 in 高橋コレクション日比谷の様子
(http://chaosxlounge.com/exhibition/ex_chaos2010intakahashi
より参照)
この活動内容に対して,多くの非難が寄せられたこともあり,カオス*ラウンジ代表の黒
瀬陽平は次のように述べている.
カオス*ラウンジの作品の一部の表現は,従来の著作権に関する通念に抵触す
- 141 -
るかもしれません.
しかし,インターネット上の表現をめぐり,二次創作や,パロディ・引用,フ
ェアユース(公正利用)
,クリエイティブ・コモンズ等のオープンライセンス等が
盛んに議論されていることからも明らかなとおり,従来の著作権の考え方が,必
ずしもインターネット/デジタル時代の創作活動の現状に適応しているとは言え
ない場面が多くあることもまた,明らかな事実です.
カオス*ラウンジ自体は,そのような著作権の議論をテーマとして活動する集団で
はありませんが,時にアートが時代に対する違和を表現するツールでもあったよ
うに,カオス*ラウンジの表現の一部にそのような違和があらわれることになった
としても,それは当然のなりゆきと言えるでしょう.
法的な視点からみても,著作権侵害は,原則として権利者から権利侵害の申告
があった場合に初めて問題になるものです.
(黒瀬陽平 2012)
そして,カオス*ラウンジは,この考えの下,次のようなポリシーに則して活動を行うと
している.
1.
権利者から著作権等の権利侵害の申告があった場合には,早急に専門家等に
侵害の有無を確認すること
2.
万一,侵害の事実が確認された場合には,権利者と話し合ったうえで,誠意
をもって対応すること
3.
権利者からの申告の窓口とする連絡先を設けること
このカオス*ラウンジの事例は,ユーザーの自由な著作物使用と,著作者から権利侵
害の申告をするという体制が見られ,ユーザーと著作者の距離感やグレーな範囲への
姿勢の参考となるものである.
3-3. 共有を求める社会
近年,多くの web ページにおいてあらゆる SNS でそのページを共有するためのリンクボ
タン(図1下部)が設置されるようになった.ニュース,ブログ,動画共有サイトなど,特
にコンテンツとして様々なページが独立している場合はそれぞれのページごとに共有ボタ
ンが設置されている.
従来ならば,web ページを他者に紹介する場合は自分で URL をコピー&ペーストして説
明を書き込むという手間が必要だった.しかし,共有リンクボタンは1クリックで該当 URL
と web ページタイトルなどテキストボックスに表示される.それらを確認後,送信ボタン
を押すだけで共有が可能なのだ.
- 142 -
こういったボタンが設置されるようになったのは,多くの SNSivやコンテンツ共有サイト
が流行しているためだ.例えば図1の下部に示した youtube のシェアボタンだけでも,10
種の web サービスと連携しているのだ.
図 2
youtube に表示されるシェアボタン(下部)
このような情報共有をメインコンテンツとしたサービスが続々と現れて,多くの人々が
利用している状況は社会がコンテンツの共有を求めているということを表している.自分
が感動したものを,自分だけの経験として終わらせるのではなく,他者に言葉ではなくそ
のものを伝えることで多くの人々と経験を共有したいと感じている人々が多くいるのであ
る.これは,他者と同じ経験をして同じ思考をするということではなく,お互いがどのよ
うなコンテンツを見てどのように感じているのかを表す行為であり,ある種の個人的なス
テータスとして活用している面がある.
4 著作物は誰のものか-所有とは何かここまで,著作権という知的財産の所有権に対し,ユーザー側が著作物を共有物と認識
することをめぐる情報社会の動向を描いてきた.その中で要点となるのは,財に対して人
が持つ所有の意識である.人がモノに対して所有するという権利を意識する根底を検めて
いくことで,著作物をめぐる権利問題の終着点へのヒントとしたい.
4-1. 所有の意味
池上惇・中谷武雄(2004)によれば,従来の市民生活では,占有と所有の権利と言えば,
物権を意味し,人生にとって,生活するとは,物権を活用して,生活に必要なものを入手
し,消費する活動を意味していたという.
市民の間で,所有といえば,モノを持つことだったのであり,
『知識や情報』を「占
有し所有する」などという考え方はほとんど見られなかったのだ.
ところが,著作権という言葉には,創造を行った著作者による「創造の成果の占有や所
ivソーシャルネットワーキングサイトの略称.日本では
- 143 -
Mixi や Facebook などが有名.
有」という考え方が含まれている.他人の書いた小説や詩や,演奏した音楽は,
「知的所有
者」の承諾を得なくては,利用できない.また,自分のホームページに書いた文章には,
執筆者の知的な所有権がある.これも,他人が勝手に引用して公表する権利はない.知的
所有権も,物権と同様に保護されているのだ.ここでは,『知識や情報』に対する独占的支
配権を「知的所有権」と呼んでいるのである.社会が発展するにつれて,所有権は,個人
の「モノ」への独占的支配権から,個人の「創造活動の成果」への独占的支配権へ,と重
点が変化する.
かつての時代には,モノを所有することが,その人格の自立の基礎であり,権威や権力
の基礎であったが,現代では,自立の基礎は,所得を獲得して,自立のきっかけを掴み,
モノをもつ権利だけでなくて,モノを活用して,自由に自分の人生をつくりあげる自由の
拡大が自立を支えたのである.
4-2. 知的所有がもたらすもの
従来,物的な所有が人間の権威の基礎となっていたのに対して,知的な所有は我々のパ
ーソナリティにいかに関与しているのだろうか.
レイチェル・ボッツマンとルー・ロジャース(Rachel Botsman and Roo Rogers 2010)
によれば,物理的なモノを私的所有と自己のアイデンティティの関係性は,根本から進化
しつつあるという.近年の私たちはモノ(それ自体)よりも,それによって満たされるニ
ーズや経験を求める傾向にあるのだ.所有するものが非物質化した形のないモノになって
いるため,所有のコンセプトも変化し,
「自分のモノ」と「他人のモノ」と「みんなのモノ」
の間が点線でつながるようになりつつある.こうした変化よって生まれる世界では,
「利用」
が「所有」に勝るのだというのである.
私たちが享受する自由の大部分は,
「モノを持つ権利」によって実現されてきたし,何を
するかによって自分のアイデンティティをつくりあげてきた.しかし,生まれた時からデ
ジタル世代の人々では,この自己と所有との強いつながりが壊れつつある.そしてパソコ
ンやスマートフォンなどさえ持っていれば他に何も必要としない,所有ではない新しいチ
ャネルを通して,していることや読んでいる本,趣味や所属するグループ,そして友人も
シェアしている.オンライン上の自分の「ブランド」が,
「自分がだれか」や「何が好きか」
を定義するようになると,実際に所有するよりも,利用していることやつながりがあるこ
とを見せる方が大切になる.今では,モノを買わなくても,自分のステータスや,グルー
プとのつながり,そして何に属しているかを周囲に見せることができる.モノによる自己
表現が時代遅れというわけではなく,私たちは,思い出の詰まったもの,たとえば結婚指
輪や,旅行中に作った詩,家族が受け継いできた宝物をこれからも大切に持ち続けるだろ
う.しかし,私たちは昔と比べはるかにモノにこだわらずに自分たちのニーズを満たし,
自分を表現するようになってきたということが明らかだ.
- 144 -
4-3. 所有のありか
所有することの意義やパーソナリティへの影響が,人々が所有を求める根源である
ことは共有であるものの,物的所有と知的所有で得られるそれはそれぞれ違っている.
しかし,人々が自身のあらゆる所有を裏付けるときに共通することが,自分の労力
をもとにする対価である.これについて,ルソーは次のように述べている.
「ある土地に囲いをして『これはおれのものだ』と言うことを思いつき,人々が
それを信ずるほど単純なのを見いだした最初の人間が,政治社会の真の設立者で
あった.杭を引き抜き,あるいは溝を埋めながら,
『こんな詐欺師の言うことを聞
くのは用心したまえ.産物が万人のものであり,土地が誰のものでもないという
ことを忘れるならば,君たちは破滅なのだ!』と同胞たちに向かって叫んだ人が
あったとしたら,その人はいかに多くの犯罪と戦争と殺人と,またいかに多くの
悲惨と恐怖とを,人類から取り除いてやれたことだろう」(ルソー 1996,152)
土地が誰のものでもなかったのと同じように,著作物などの知的財産のうまれる苗床と
なった文化の積み上げは,だれか一人のものではなかった.土地を囲い込んで所有するこ
とと,積み上げられてきた文化を受けて生み出した作品に,自分一人の権利を主張するこ
とは非常に近いものではないのだろうか.生み出した作品がより多くの文化が発展するた
めの肥やしになることを望める人々が増えることを望む.
おわりに
本稿で扱ってきた著作権法については,今現在もデジタル化の影響に対応すべく建設中
の段階であると思われる.保護強化型の波とユーザー志向型の波の打ち寄せ合う中で著作
権法の動向は揺れている.本稿を執筆中にも各所で著作権に関する様々な変化が起きてい
るため,本稿では取り上げきれない部分がある.
我々は一般ユーザーでも著作者でもある.それを自覚し,著作権法に対して正しい知識
を持ってその動向に注意しなければ,保護強化が強まって著作物の利用が難しくなってし
まったり,逆に,自らの著作物による利益を失う事態になってしまったりする.
しかし,ユーザーとしても著作者としても留意しておくべきなのは,著作物の生み出さ
れた苗床は完全に個人の所有するものではないということだ.もともと誰のものでも無か
った土地が所有されるようになった始まりが囲い込みによるものであったように,著作権
や他の所有権もほとんど囲い込みによる権利の主張が含まれているということを自覚すべ
きだ.
ここで,留意されたいのは,作品に対するすべての利権の放棄を望むということではな
い.もちろん,保護されなくてはならない権利範囲はある.しかし,デジタル化のすすん
だ時代ではその範囲が侵されているということを強調しすぎている,または,敏感になり
- 145 -
すぎているのではないかということなのだ.そういった他者の囲い込みによる所有意識を
見過ごさず,万人が個人の“所有”に固執して文化的な豊かさを失わず,時代に対応した
文化振興に目を向けることを願う.
文献
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――――,2010,
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「
『ブラックジャックによろしく』が 2 次利用フリーに 商用・非商用問
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.
ITmedia,,2012,
「
『ブラよろ』2 次利用フリーで「すごいことになった」
」 100 万人超の
読者獲得,
「紙のコミックスに匹敵」」
,ITmedia ニュース,(2012 年 11 月 12 日
取得,http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1210/18/news055.html)
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カヴァー・トゥエンティワン.
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社.
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生みだす新戦略』日本放送出版協会.
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――――,2011,
『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』人文書院.
- 146 -
ネタ化するサブカル評価
―評価プロセスに入り込む外部的要素―
三代澤 淳弘
はじめに
漫画やアニメ,ゲームといった所謂「オタク的」な文化は今や随分と発達している.ライト層
の拡大に応じて「オタク」の定義も裾野が広がっており,現代日本のメディア文化を語るうえで
の一つの大きなファクターとなっていることは間違いないだろう.そのような中で筆者には,現
代のオタク的文化におけるコンテンツへの「評価」は妥当性のあるものなのか,オタク達は何を
もってコンテンツを評価し愛好しているのか,といった疑問が生まれている.
テリー・イーグルトンによれば,18 世紀初頭のヨーロッパにおいて批評とは貴族階級によっ
て構成された体制や公共の場における芸術や文芸の提示に相対するものであった(イーグルトン
1988).身分や権力を振りかざす貴族階級に対し,コーヒーハウスやクラブ,
『スペクテイター』
等の刊行物といった独自の言論空間において普遍的な道徳,理性的な言説をもって対抗するため
に行われたのである.
このようにかつて批評という発信は社会的な意味を持つ行為として行われていたが,メディア
の発達により発信のハードルが大幅に低下した現代においてその意味合いはどうなっているの
だろうか.現代の消費から評価に至るまでのコンテンツ観賞の在り方を,中でもメディアの発達
による変化が著しいオタク的コンテンツの在り方を例に論じていく.
なお,所謂「批評」というと批評家など目の肥えているとされる人々の見地から作品の善し悪
しを品評するような行為が想起されるかもしれないが,本論においては現代の発信ハードルの大
幅な低下,後述する評価プロセスに入り込む外部的要因とその影響の存在から,素人の何気ない
無自覚なレスポンスまでも広く批評として捉え,主にそちらを対象として論じていく.
1 コンテンツ消費と交流
1-1. 現状と問題認識
現代はインターネットが普及した非常に便利な情報化社会である.その中ではメディアを利用
することで,誰でも手軽に様々なコンテンツを消費し,また発信することが可能である.そうし
てコンテンツ消費,発信のハードルが低下した現代においては,コンテンツに対する消費者から
のレスポンスもネット上の至る所で見ることができる.つまり,コンテンツは批評家や素人とい
った立場を問わず,常に誰からでも自由に批評され得る状況にある.そうしてできた玉石混交の
批評の蔓延という現状においては,消費者の反応が他の消費者や製作者に対しよりダイレクトな
ものとなっており,それはいわば「消費者の台頭」である.
そのような中でコンテンツは「正しく」評価されているのだろうか.メディアの発達はむしろ,
- 147 -
コンテンツから外部の要素が評価プロセスに入り込み批評を阻害する状況を作り出しているの
ではないだろうか.次節からは,オタク的コンテンツ消費の現状からその具体的な例としてまず
対人交流をあげて考察していく.
1-2. pixiv における「営業」
日常レベルのコミュニケーションの場においても,発信する評価へ交流関係が影響を及ぼすこ
とは珍しくないだろうが,ここではよりコンテンツに近しい,
「創作」の場での事例に着目する.
現代では創作者のプロとアマのボーダーレス化が進んでおり,そういった意味ではイラスト
SNS のようなサイトは創作の場として先進的な立ち位置にいるのかもしれない.しかしそのよ
うな創作の場においても評価プロセスに外部的要素が影響する事例が存在する.その一つとして
わかりやすいものがイラスト SNS の代表格である pixiv だ.ここでは様々な人々が創作物を投
稿,閲覧し,それを通じたコミュニケーションを行うこともできる.基本的なシステムは,ユー
ザーが投稿したイラストや小説を別のユーザーが閲覧し自由にレスポンスを行う,という簡単な
ものだ.作品へのレスポンス機能には評価,ブックマーク,コメント等があり,評価は匿名で 1
~10 の点数をつける機能,ブックマークは気に入った作品を自分のリストに記録する機能,コ
メントは文字通り作品に対し感想等のコメントを残す機能である(図 1).
出典:pixiv(2012)
図1
pixiv における作品ページ
また,個々の作品に対してではなく投稿者本人をお気に入りに登録する機能もある.採点とし
ての評価は匿名で行われるが,ブックマークやお気に入りは公開か非公開かを選べるため,公開
している場合は誰がそのレスポンスを行ったのかが投稿者にもわかるようになっている.また,
- 148 -
pixiv にはランキングが存在し,評価点やブックマーク数の情報を元にそれらの多い作品が順位
付けされ載せられる.つまり多少なりとも他者と競い序列をつける側面があるということである.
そこで発生するのが,このレスポンス機能を利用し他者との交流の中で高い評価を得ようとす
る,一部で「営業」と揶揄される行為だ.ブックマークやお気に入り登録は好印象のレスポンス
であり,高評価慣れしている上位層でも基本的には嬉しく感じられるものであると思われる.無
論,そういったレスポンスをしたからといってそれだけで相手からも「お返し」としてレスポン
スが返ってくるなどと短絡的にいい切ることはできないのだが,それを多かれ少なかれある程度
目的として交流を広く持とうとするユーザーは少なからず存在するといわれる.そうであるなら
ば,その儀礼的な交流という外部要素によって形成されるレスポンスの応酬は,コンテンツ評価
の在り方として正しいのだろうか.もちろん pixiv は作品を通した交流も楽しみの一つであるた
めそういった姿勢を一概に否定することはできないが,少なくともコンテンツ評価の観点からは,
他者との儀礼的な交流が評価に影響を与え得る一例としてあげることができるだろう.
2 共有文化の発達
2-1. コンテンツ消費における共有
現代におけるコンテンツ消費の大きな特徴の一つが,発達したメディアを利用した「消費経験
の共有」である.中でも twitter や2ちゃんねる,ニコニコ動画といった,現代のコンテンツフ
ァンにとって身近であろうサービスにおいてはそういった行為が頻繁に行われる.例えば,
twitter のタイムラインにリアルタイムで放送中の番組に関する呟きが,次から次へと並んでい
く光景を見たことがある人は少なくないであろう.また2ちゃんねるにおいては実況専用に掲示
板が存在し,やはりリアルタイムで放送中の番組に関するレスポンスが書き込まれたりする.ニ
コニコ動画も,投稿された動画にコメントを書き込むことによりコンテンツ消費を共有するとい
う側面が強調されている.
また実況系メディアのようにリアルタイムに消費経験を共有するものとは少し異なり,その実
況の結果や感想等を元にレスポンスを抽出し,それをまとめとして転載する「まとめブログ」と
呼ばれるサイトも存在する.リアルタイムの共有ではないため,これによって共有感覚を得られ
るのは基本的にコンテンツ視聴と同時にはならないと思われるが,実況による共有をまとめてい
る以上その性質は通じるものがある.
このように現代ではメディアを使用しコンテンツ消費を共有する例は多数存在し,実際にそれ
らを利用しながらコンテンツ消費を楽しむという行為は珍しいことではない.中には最早それが
常態化しているという人間も少なからず存在する.
消費経験の共有によって作品をより楽しむという行動自体は昔からあったものであろうが,イ
ンターネットメディアの発達によって誰でも手軽にスピーディかつ広範囲な情報発信が可能と
なっているという点において,これは現代における特徴的なコンテンツ消費の在り方といえるだ
ろう.
- 149 -
2-2. 共有イベント
コンテンツ消費の共有は現代ではメディアを通して行われるものが主であるが,それ自体を一
つのイベントとして仕立てあげてコンテンツを楽しむという形も存在する.インドの映画文化に
はマサラシステムという,観客が「参加する」観賞スタイルが存在する.これにおいて観客は単
に座って映画を観るのではなく,映画に合わせて拍手する,歓声をあげる,歌う,踊るといった
様々な行動を取り,果ては紙吹雪やクラッカーまで使用される.
現代日本におけるこのような共有イベントのわかりやすい例としてはアーティストのライブ
等があげられるだろう.しかし近年のオタク文化においては,日本では比較的共有による楽しみ
が抑圧されてきた映画のジャンルでも,インドのマサラシステムに近しいイベントが散見される
ようになっている.
例えば最近の劇場アニメにおいてしばしば行われる「絶叫上映」と呼ばれるイベントがそれで
ある.シアターを貸し切り状態にし,集まった人間が同じシアター内で自由に作品へのレスポン
スを声で発しながら楽しむ,というものである.つまるところ,「みんなで集まってわいわいが
やがやしながら作品を観て楽しもう」という企画だ.メディア上での共有やライブのような既存
の共有イベントに比べ,こちらはより消費を共有する側面が一義的に強調,目的化されている.
近年見られる日本の劇場アニメにおける絶叫上映イベントは,ある作品のファンの冗談半分の
着想から企画が進行し実現に至ったものが初出であるが,現在では他のアニメ映画においてもこ
ういった試みが行われるようになり,アニメの公式が自ら企画する例まで見られるようになった.
声でレスポンスを発信する絶叫上映とは異なり,文字で発信を行う形を公式にイベントとして
仕掛けた例も存在する.2012 年 2 月 25 日,ユナイテッド・シネマ豊洲にて劇場アニメ『イヴの
時間 劇場版』が映画館とニコニコ動画との連動企画として上映された.ニコニコ動画では「ニ
コニコ映画上映会」と称し,メディア上での映画の消費の共有が予てから行われていたが,この
イベントはそれを現実の劇場に集まって行ったものである.参加者は実際に劇場で映画を視聴す
るのだが,日本における通常のそれとは違い,その手元にはスクリーンと連動させたスマートフ
ォンやノートパソコンがあり,それらのデバイスを用いてニコニコ動画のようにリアルタイムで
コメントを書き込みながら映画を視聴する.連動させているスクリーンでは,フルスクリーン状
態で映画が上映されるのだがそこにはニコニコ動画の視聴画面のようにリアルタイムのコメン
トが流れていくのである.
これらのような視聴形態においては,コンテンツ消費が個人とコンテンツの二者だけでは完結
されず,むしろ間に他者との共有が入り込むことが大きな意味を持つ.ではその意味とはなんだ
ろうか,次節で解説していきたい.
2-3. メリットとデメリット
こういった共有を伴う消費には当然メリットが存在する.メリットとして第一にあげられるこ
とはやはり楽しさを増幅させる効果だろう.消費を共有する中ではそれに伴ってコミュニケーシ
ョンが発生する.好きなコンテンツに関して,消費の経験や感想を共有するといったコミュニケ
- 150 -
ーションを取ることは基本的に楽しいものであろう.メディアの発達した現代ではその楽しみを
より簡単に享受することができるのだ.消費の共有が行われる理由としてはこれが最も大きいの
ではないかと思われる.
次に,「知識・観点の補填」という面があげられる.様々な人間が消費を共有する中では,よ
りそのコンテンツに詳しい人が発信する情報によって即座に理解のレベルを高められたり,人そ
れぞれのコンテンツの見所や観点を知ることによって違った角度からコンテンツを視聴するこ
とができたりするのである.
また,その楽しみにおいては集う視聴者によってレスポンス内容も様々であるため,同じ作品
を複数回見てもまた違った楽しみを見出せるという可能性もある.そういった可変性も利点の一
つだろう.
こういった利点を見るに共有は,コンテンツ消費を楽しむ際のプロセスを拡大させることがで
きる,メディアの発達によりもたらされた消費の在り方の進化形といっても過言ではないだろう.
しかしこれらは今や相当に発達,浸透しており,その結果最早コンテンツの追加構成要素となっ
てコンテンツの評価プロセスにまで入り込んでしまっている場合がある.例えば経験を共有する
ことによって一旦は「面白い」と感じられたとして,そのコンテンツに対する評価は妥当性のあ
るものが生まれるのだろうか.むしろそういった,コンテンツ自身からは外部の要素が消費者に
与える影響は,評価を阻害し得るデメリットとしても捉えることができるのではないだろうか.
まず,
「楽しさの増幅」や「観点の補填」に対応する形で第一にあげたいものは「バイアス(=
偏り)形成の可能性」である.図 2 の画像はニコニコ動画での視聴における,アニメ『魔法少
女まどか☆マギカi』3 話のワンシーンである(図 2)
.
このシーンについたコメントを見てみると,中に「www」といったコメントが見てとれる.
これは笑いのレスポンスを表すネットスラングであり,このように w を並べて笑いを表すこと
を「草を生やす」といったように呼ぶ.実況等でも非常に多く使われるレスポンスであり,ニコ
ニコ動画視聴においては w の文字列で画面が埋め尽くされることすらある.
一方この図 2 内における劇中の展開は,シリアスな場面と判断できるにも関わらず,その内
容とレスポンスとには明らかな乖離が見られる.もちろん受け手がシーンをどのように解釈し発
信しようとも,それはその視聴者の自由な解釈に委ねられるべきである.しかしこういったレス
ポンスには強制的に笑いの文脈に落とし込もうとする意思が働き,それが更に要因となって益々
同じようなレスポンスを発生させていき,結果シーンを歪めてしまう可能性も含まれているのだ.
これはあくまでバイアス形成の一例にすぎないが,つまりは単純に他人のレスポンスに流される
可能性がある,ということである.尚まとめブログでは,まとめとして抽出するレスポンスはブ
ログ記事の作成者が自由に取捨選択できるうえ,悪質な場合では元のレスポンス自体に改編を加
えることもできるため,意図的に記事を編集して載せることができる.つまり編者の手で意図的
に,実際よりコンテンツが低評価を受けているように見せかけたネガティブな記事を載せること
もできるし,その逆もあり得るのだ.よってバイアス形成の可能性はリアルタイムの共有より遥
i
シャフト制作のテレビアニメ作品.2011 年 1 月より放送.
- 151 -
かに高いといえるだろう.
出典:ニコニコ動画(2012)
図2
ニコニコ動画における視聴画面
第二のメリットとしてあげた「知識・観点の補填」だが,そこにはネタバレの危険性が付きま
とう.先の展開をある程度予測させ得るレスポンスを見た場合,ゼロベースで視聴する場合と印
象が変わる可能性がある.
また,実況には単純に視聴の邪魔をするという側面もある.作品視聴と同時にメディアを使用
するのだから当然意識の配分が必要となってしまい,肝心のコンテンツ自体の内容を評価プロセ
スから遠ざけてしまうだろう.
これらデメリットはメリットの裏返しであるし,同一コンテンツの視聴経験回数,特に初見か
否かによって効果は変わってくる.共有型の視聴形態はそういった問題に対しあくまで自己責任
で行われるべきであるため,これらを理由に否定し切ることはできない.つまり,あくまでこう
いった面もある,というだけだ.しかし,視聴者がこういった消費形態がもたらす影響に無自覚
なまま,共有が評価プロセスに入り込んでいるとしたら,そこでは批評が正常に機能しなくなる
可能性がある.
3 不純な批評目的化
3-1. オタクと所属
今日使われる言葉として「クラスタ」というものがある.英語の「cluster」からくる言葉で
あり,日本語訳としては「房」
「集合」といった「数の集まり」を意味する.近年のメディア上
ではこの言葉がそういった「数の集まり」の意味合いから,似たような属性を持つ人々(例えば
特定の作品や事象が好きである人々やそれに関わっている人々)の集合を表す言葉として用いら
- 152 -
れている.こういった言葉がよく用いられることからも窺えるように,オタクには特定のコンテ
ンツを好きであったり,それに関わりを持っていたりすることをアイデンティティとし,そのコ
ンテンツに帰属する意識を持つ場合が多く,そういった情報はそのオタクの仮想現実上の「キャ
ラ」を形成する要素の一部となる.相原博之は「ぼくらが日々仮想現実空間で生きているのだと
すれば,ぼくらの存在は,否応なく『キャラ』でしかあり得ない」と述べている(相原 2007: 69-70).
コンテンツに対する愛好度が高ければ高いほどそのキャラは強固なものとなり,それに応じてコ
ンテンツへの帰属意識が生まれていくのである.
次節では,オタクの持つ自己顕示欲がコンテンツ評価を不純な目的化させる状況,そしてそれ
に帰属意識が関わっているということについて論じていく.
3-2. オタクと自己顕示欲
元々,オタクは自己顕示欲が強いなどといわれている.ネット上に何か写真をアップロードす
る際好きな作品のキャラグッズを一緒に写す,痛車に乗って市街を乗り回すといったような行動
は散見されており,確かにそういった背景にはコンテンツを通した自己顕示欲の発露の片鱗が表
れているように思える.また,岡田はオタクの特徴の一つとして「飽くなき向上心と自己顕示欲」
をあげている(岡田 1996 :33).オタクに見られる一部の傾向として,この自己顕示欲が評価プ
ロセスにおいて影響を及ぼす場合がある.
コンテンツ評価のプロセスにおいて自己顕示欲の発露が見られる例としてまずあげられるの
は「一方的な批評」である.ネット上においてしばしば行われる批評だが,メディア上において
その批評者は自らの立ち位置を明かす必要がない.自身の知識や経験,支持するものやそれとの
距離といった情報の公開レベルを自由に調整しながら対象のコンテンツを一方的に批評するこ
とが可能となる.記名性メディアでは言動やプロフィール情報である程度立ち位置は割れていく
ため,この特性は匿名性メディアでより色濃く表れる.当然その発言には責任も少ないため,実
質好き勝手に批判することも持ち上げることも可能なのである.そして無責任に投げ出されたレ
スポンスでさえ,評価に関わる外部的要素としてバイアス形成等の効果を発揮し得る.このよう
に,メディアによって現実の立場にとらわれずに自由な発言ができるということは,コンテンツ
評価の観点から見てもいうまでも無く利点であると同時に欠点でもある.
次に,3-1 で述べた帰属意識の存在から自己顕示に移るパターンがあげられる.一部のオタク
には,自覚の有無はさておき,帰属先のコンテンツの各種売り上げ成績やネット上での話題性等
からコンテンツの優位性,ひいてはその優位性のあるコンテンツに所属する自分をアピールした
がる傾向がある.時には自己顕示の手段とするため,これもまた自覚の有無を問わず,「勝ち馬
に乗りたい」心理でコンテンツを評価し帰属先を選択することすらあるのだ.またそういったオ
タクは,コンテンツ同士の「対立」を一消費者ながら勝手に見出し,自身の帰属先の優位性を多
分に主張したり他コンテンツを見下した発言をしたりすることもある.そこにおいて,批評の持
った社会的な意味合いは薄れてしまっている.
- 153 -
3-3. ネタ化とシニシズム的消費
コンテンツ消費の共有空間においては,2-3 の例でも見られるような笑いの文脈に落とし込む
類のレスポンスが非常に多く見られる.ただでさえ共有自体楽しさを増幅させる効果があるのだ,
草を生やすといったレスポンスは他者と盛りあがるうえでは非常にわかりやすくコンテンツ消
費を「面白く」することができるだろう.2-3 ではあくまでバイアス形成の一例としてあげたが,
この節ではその「笑い」のレスポンスにより着目しそれが行きついた先を考えたい.
2-3 であげたような事例において,コンテンツは共有によるコミュニケーションを得るための
「ネタ」としての意味合いが強くなる.コンテンツのネタ的側面が強調され,コンテンツが「ネ
タ化」した環境では,草を生やすような笑いのレスポンスが多くなったり,先述の消費の共有に
おいて盛り上がりやすいような,わかりやすいネタが仕込まれたコンテンツが注目を集めやすく
なったりする.またその「ネタ」の存在が一人歩きして,他作品でも積極的に使われたり,ネタ
は知っているが本元のコンテンツは把握していないといった消費者が発生したりする.コンテン
ツよりもネタ本位で消費が進むのだ.そしてこうした消費が行きついた先には,まるでネタとし
て盛り上がっている場面こそが作品の見所だと勘違いしているかのようにコンテンツを消費し
評価する視聴者まで存在し得るのである.ここに見受けられるのは,コンテンツそのものとは距
離を置き,最初から笑いの種として扱う,一種のシニシズム的な姿勢である.これは評価プロセ
スに外部的要素が入り込んでいることによる状況であるといえよう.
特に現代は,アニメは元よりコンテンツ全般における対価の意識が薄れ,フリーライドが横行
している時代である.それも手伝ってコンテンツが気軽なエンターテイメントとしてさえ機能し
ていればいいという意識が広まりコンテンツのネタ化に拍車をかけている.消費者からすればよ
り楽しくなる選択肢を選んでいるに過ぎず,そのことに何ら疑問を持つことは無いのかもしれな
いが,こういった形でシニシズム的消費が拡大すれば,それが自身の愛好するコンテンツの観賞
において発生したとき結果的に不快な思いをする可能性はあるだろう.
4 観賞の在り方と主体性
4-1. コミュニケーションの自己目的化
ここまでオタクコンテンツ消費に見られる消費の在り方の変化や,レスポンスを発信する際に
影響する外部的要素について述べてきた.その中ではコンテンツを観賞するという行為が消費者
とコンテンツという二つのファクターだけで完結するなどという考えは幻想であり,その間に
様々な要素が入り込んだ上で消費が行われていることがわかる.そしてその外部的要素の多くは
他者とのコミュニケーションによって形成され,共有の例などからわかるとおりそれが積極的に
求められてもいる.つまり,何をもってコンテンツを楽しむのかの比重において,それがポジテ
ィブなものにせよネガティブなものにせよ,消費に伴うコミュニケーションの比重が拡大してい
るということだ.シニシズム的な消費姿勢はその一つの表れである.
しかしこれは何も現代に限った話ではではない.例えば好きな作品について熱く語るといった
ようなコミュニケーションはいかにも「オタク的」であり,昔からそういったことも含めてコン
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テンツは楽しまれてきたであろう.つまりコンテンツには元々コミュニケーションツールとして
の側面があり,現状はメディアの発達によってそれが拡大,顕在化されてきた結果に過ぎないの
である.
しかしメディアの発達によって消費に伴うコミュニケーションの存在感が増した現状では,コ
ミュニケーションが自己目的化してしまう可能性も十分にある.コミュニケーションが自己目的
化している場合,これまで何度かふれたように,コンテンツはそういったコミュニケーションを
取るためのネタとしての側面が強調される.コミュニケーションの自己目的化はコンテンツのネ
タ化と同義といえるだろう.
これまでの事例からもわかるとおりコンテンツ外部の要素やそれによるネタ化は,コンテンツ
を評価する際のプロセスに入り込んで少なからぬ影響を与えている.そういった中で発信される
評価がメディア上に無数に発信され,更にそれがまた外部要素として影響を与えているのである.
4-2. 評価における主体性
評価に外部的要素が関わることを否定することは難しいだろう.2-3 で述べたようにそれはメ
リットにもなり得る.また,コンテンツの構成要素においてどこまでが外部的要素となるかは
個々人において多かれ少なかれ差異がある.そもそもコンテンツは所詮娯楽なのだから楽しみ方
など人それぞれであり,むしろ定義が定まらない「正当な評価」とやらを意識することこそデメ
リットになり得る.
そして何より,コミュニケーションを始めとする外部要素の影響の存在を否定することが難し
い最大の理由として,主体性の脆さがあげられる.斎藤俊則は次のように述べている.
また,そもそも主体性の大前提である「私」という人格の独立性の実感は,「私」ではない
他者との接触があるからこそ生ずる.これらの事実は,主体性とは外部からの影響の遮断によっ
てではなく,むしろ外部(すなわち社会を構成する他者)の影響を受け入れることによって個人
の意識に生ずる,ある種の「実感」であることを示している.
(斎藤 2010: 196).
つまり主体性とは元より他者との関わりがあってこそ生まれるものであり,その時点で他者の
影響を受けることからは逃れられないのである.
昔から消費にも評価にも,コンテンツそのものだけでなく「それにまつわる全て」が深く関わ
ってきている状況は当然のこととしてあるから,外部から何の影響も受け得ない「純粋な主体性」
が虚構性をはらむものであるならば,コンテンツ消費が,コンテンツと視聴者の二者の内面的な
対話だけで完結しているという考えは幻想である.それならば,外部的要素が評価プロセスに含
まれることは自然なことであり正しいも何もないのだろう.
だがしかし,だからといってそれらに対し無条件に容認する態度を取ってもよいのだろうか.
それに対し,評価プロセスにおいて外部情報に無防備であることの危険性が感じられる事例を最
後に取り上げていきたい.
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4-3. 情報共有化社会における批評とコンテンツ
前節では個人としての純粋な主体性の虚構性について述べ,コンテンツ外部の情報やコミュニ
ケーションに評価が影響を受けることは自然であることがわかった.では何故それを,現代のコ
ンテンツ観賞の在り方に対して評価プロセスに入り込む外部的要素として取り上げてきたか,そ
の背景には,近年見られるメディアを利用した情報発信への懐疑的な念を抱かせる事例の存在が
ある.
2012 年 1 月,あるアニメーション制作会社のウェブサイトにおいて,商品の通販ページのリ
ンクをクリックすると特定のアフィリエイトiiアカウントに繋がるという事態が発生した.当の
アフィリエイトブログ(まとめサイト)ではそれ以前から,同時期に放送されているアニメの中
でその制作会社のアニメに対しては持ち上げる記事が多く載せられ,一方他作品に対してはネガ
ティブキャンペーンのような記事が載せられるというパターンが少なからず見られていたこと
もあり,制作会社が建前上は個人運営であるはずのブログを利用して自社のステルスマーケティ
ングをしているのではないかとして騒動となった.また直近でも 12 月,ペニーオークションサ
イト「ワールドオークション」の経営者が詐欺容疑で逮捕されたことは記憶に新しい.この事件
では詐欺の手口が明かされる一方で,芸能人が知人からの依頼を受け買ってもいない商品を実際
に買ったかのようにブログで宣伝していた事実も明らかとなった.その他にも,ネット流行語大
賞 2012iiiでは「ステマiv」が金賞に選ばれた.
2012 年は年始,年末共にこのような「ステマ騒動」が発生し印象に残る一年であった.ステ
マという言葉自体は今やネット上で急速に普及しており,最早バズワード化しているといっても
過言ではない.そのため正当な口コミ等に対してすら安易な「ステマ認定」が横行し,そういっ
た面でもステマは批評が機能しない状況を作り出している.
ステマは主体性の脆さを突いた宣伝である.純粋な主体性が幻想であることはすでに述べたが,
だからといって思考停止し,自分の思考による評価判断に努めようとする姿勢すら無くしてしま
えばこういった事例に対し無防備になってしまう.それは例えばコンテンツ製作において,コン
テンツの内容自体は他作から切り貼りしてきたいわば「丸パクリ」のようなものでも,情報面に
着目し主体性の脆さを突いて巧妙に宣伝することによってコンテンツの評価を高めようとする
ことが可能ということになる.いくら外部的要素が関わるのが自然といっても流石にこういった
事例に対しては評価の正当性を疑わざるを得ないのではないだろうか.そして現実に,昔から「サ
クラ」としてあるようなこういった行為が,現代のメディア上でも当たり前のように存在し得る
ii広告形態の一種.ブログ等から企業サイトへリンクを張り,閲覧者がそのリンクを経由し
て商品を購入したりすると,ブログ等の運営者に対しリンク先の企業から報酬が支払われ
る.
iii ガジェット通信と niconico が共催した,ネットユーザーおよそ 9 万人へのアンケート調
査.
iv ステルスマーケティングの略.一般の消費者に対し宣伝と気付かれないように宣伝をす
る手法.“やらせ”
“サクラ”等を想像してもらえばわかりやすいだろう.
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ことは表沙汰となってきているのである.
しかしネット上の情報を個人だけで本当にステマかどうか判断するのは難しいであろうし,そ
もそもサクラなど昔から存在するものなのだから今更気にしないという人もいるだろう.また過
剰な警戒心を持てばそれはそれで,また違った形のバイアスとなる.結局はこういった事例に対
しても個々人の判断に委ねるしかないのであろう.
主体性は不完全なものであり常に他者と影響を与えあっているものである.だがだからこそオ
タク達にはコンテンツがネタ化する中でも,主体性の脆さそれ自体への自覚,そして自身の言動
がコンテンツ評価における外部要素になり得るということへの自覚をしっかりと持ったうえで
他者と関わり,コンテンツを評価していくことが求められるのではないだろうか.
おわりに
筆者は所謂オタク的な趣味の持ち主であるが,自身が最近オタク的コンテンツの消費活動をす
る中での実感として,コンテンツを観賞するという行為が表層的になっているように感じる.そ
してその中で,他者との一体感にすがるばかりで具体的な内容評価をしない(できない)
,コン
テンツを自己顕示に使う,ネタでしか知らないコンテンツに偏見的イメージを持つ,そんなオタ
ク達の言動を各所で目の当たりにしてきた.ライト層の裾野の広がりが進んでいる現状では仕方
のないことかもしれないが,それらがきっかけで現代のオタク的コンテンツの評価の在り方,果
てはコンテンツファンとしてのオタクの在り方にまで疑問を覚えたことで本論を執筆するに至
った.
しかし本文中でも述べたとおり,解釈や楽しみ方は人それぞれであるから,コンテンツ評価に
おいて「こうあるべきだ」などという提示はあまりすべきではない.よって結論としては主体性
の脆さや影響を自覚してもらいたいということに留めるが,個々の例示の中から筆者の持つ問題
意識をぼんやりとでも感じ取ってもらえれば幸いである.
余談ではあるが,筆者が批評に感じる意義の一つに「自分を知る」ということがある.つまり,
ある作品を観賞したとき,自身がどのような感情で満たされそこからどのような言葉が紡ぎ出さ
れるかを知ることによって自己を見つめ直すことに一つの意義があると感じるのだ.そうして,
作品批評を元に自分の主体性を模索してみるのも面白いのではないだろうか.
文献
相原博之,2007,『キャラ化するニッポン』株式会社講談社.
Eagleton, Terry, 1984, The Function of Criticism: from the Spectator to Post-Structuralism.
(テリー・イーグルトン,1988,大橋洋一訳『批評の機能――ポストモダンの地平』
紀伊國屋書店.
)
川合慧・斎藤俊則・中谷多哉子・木野泰伸・福島力洋,2010,
『情報の世界』放送大学教育振興
会.
岡田斗司夫,1996,『オタク学入門』株式会社太田出版.
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見巧者がつくる芸術
―映画振興における鑑賞者の役割―
209-275 中 祥宏
はじめに
音楽や小説などの芸術作品は誰の手によって創り上げられるのだろうか.多くの人が作曲家や
作家と答えるだろう.では我々が小説を手にしたとき,その本は作家が印刷,編集,販売まで全
て一人で行い,それを我々は読んでいるのだろうか.そうではなく,実際には印刷会社,編集者,
出版会社など多くの組織,人間が関わっている.芸術作品は単に芸術家の手によって生み出され
るのではなく,芸術家や作品を取り巻く関係者や鑑賞者によって形づくられているのだ.
1 アート・ワールド
1-1. ハワード・S・ベッカーの「アート・ワールド」
芸術作品の制作,芸術文化の育成の担い手は誰なのだろうか.芸術作品はアーティストと呼ば
れる人々のアイディアが具現化したものである.したがって,芸術家がなにか着想を得ないこと
には作品は生まれない.しかし彼らだけが芸術文化を発展させてきたのではない.アメリカの社
会学者のハワード・S・ベッカーは,芸術作品は単に芸術家の手によって生み出されるのではな
く,芸術家や作品を取り巻く,コレクター,キュレーター,編集者などによって形づくられてい
る「アート・ワールド」
(芸術界)によって生み出されるのだという.例えば,あるミュージシ
ャンが CD を制作し,作品の受け手に届けるには,まず楽器や記譜法が発明されていなければ
ならない.次に楽器を制作する者から機材を購入する必要がある.そして録音のための時間,場
所,設備が整っていてはじめて,CD という物理的な形態をとる.その後,広告・宣伝を行い認
知してもらい,様々な流通を経てようやく小売店で販売されるのだ.つまり,ある芸術家が思い
ついたアイディアが実行され,何らかの形態をとるためには,多くの人に依存する必要があるの
だ.
これは,舞台芸術や音楽などのパフォーミング・アートのみにいえることではない.詩作や絵
画芸術のような,多くの人の手を借りていないような芸術活動にもいえることだ.作家たちが使
うカンバスや筆記用具などの道具は彼ら自身が作ったわけではなく,製造業者に依存している.
さらに,作品の背景となるような伝統を作ったことに関しては,過去と現代の画家たちにも依存
している側面もある.よって,一見孤独にもみえる画家や文芸家も,別の場所や同じ時代に存在
していない人々の手を借りて芸術活動を行っているのである.
上記のとおり,芸術活動には特別な才能を持った個人の活動だけではなく,大量の数の人々の,
連携した行為が含まれている.
- 158 -
1-2. アート・ワールドの再定義
では,「アート・ワールド」はどのような人によって構成されているのだろうか.ハワード・
S・ベッカーは,編集者,印刷会社,レコード会社の者が該当するという.彼らの行動原理は,
芸術活動というよりも日々の生活のための労働と考えるのが妥当である.なぜなら作品の制作に
使用される道具を作る製造業者は,アーティストからの報酬がない限り,活動に関与しないから
だ.つまり,その作品に関与することで金銭を受け取る者によって,構成されているといえる.
しかし「アート・ワールド」は,利益を得られる関係者達だけで構成されるものなのだろうか.
ミュージシャンのライブを思い浮かべてほしい.ライブはミュージシャンやその関係者だけでは
成り立たない.観客の盛り上がりがあって初めて成功と呼べる.彼らの存在がアーティストに創
作意欲を喚起させ,優れた作品が生まれていくのだ.つまり,
「アート・ワールド」には物質的
な見返りを求めない鑑賞者も含まれているといえる.鑑賞者は作品の受け手であると同時に,芸
術作品の生産者でもあるのだ.次章からは鑑賞者がどのようなかたちで,芸術活動,芸術文化振
興に貢献しているのか述べる.
2 舞台は役者と見巧者の共同作業で作られる
ベッカーのアート・ワールドには,趣味として,あるいは余暇を利用して,芸術と接するよう
な鑑賞者は含まれていないようだ.つまり一般的な鑑賞者を,作品の最終消費者のように位置づ
けている.それはただ鑑賞料を払って芸術作品を受け取るだけの役割と捉えているともいえる.
しかし,いかなる鑑賞者であっても,アート・ワールドの領域に含まれるのである.鑑賞者の手
に渡って初めて完成する作品もあるのだ.
そこでこの章では,日本の伝統的な舞台芸術に焦点を当てて論じる.舞台などのパフォーミン
グ・アートは,アーティストと観客が同一の空間に存在しており,制作と鑑賞が同時進行で行わ
れているともいえる.よって,鑑賞という行為が制作に及ぼす効果を,明晰なものにできるだろ
う.
2-1. 芝居を盛り上げる大向こう
日本の伝統的な舞台芸術のひとつである歌舞伎において,大向こうと呼ばれる鑑賞者がいる.
彼らは役者が大きな見得したときなどに客席から大きな声をかける.そしてその掛け声は舞台を
盛り上げる効果音として働くのだ.ではこの大向こうと呼ばれる人々は何者なのだろうか.
大向こうとは,元々は向こう桟敷の総称である.歌舞伎座において 3 階の奥に仕切られた一幕
見の席がある.安価で舞台を一幕だけ見られるこの席には常連の芝居通が通う席として知られて
いた.それにより,役者や芝居の関係者から尊敬をこめて彼らのことを大向こうと呼ぶようにな
ったのだ.声掛けの内容は役者の屋号や異名,
「日本一」などの褒め言葉が一般的である.また,
大向こうは仕事としてではなく,無償の行為である.つまり,大向こうと呼ばれる観客は演技に
感動した場合や,役者への敬意から声掛けを行っているのだ.
演技の妨げにならない限り,客席から声をかけるのは自由であるので,大向こうに必要な資格
- 159 -
というものはない.しかし,芝居の途中に観客が大声をあげるということは妨害になる可能性が
あり,タイミングのずれたものは場をしらけさせ,役者のモチベーションを下げる.また,声掛
けの中には,チャリと呼ばれる笑いを取りに行くものがある.雰囲気を壊さない程度のものであ
れば,盛り上がる場合もあるが,舞台を壊す危険性もある.大向こうの声掛けにも上手い,下手
があるのだ.
では,タイミングや,声掛けの内容さえ合っていれば,大向こうといえるのだろうか.それだ
けでは不十分なのであろう.なぜなら,客席からの掛け声を好まない役者もいるからだ.あるい
は,観客にとっては声を掛けやすい間が,役者からはそこで声を掛けられると調子が狂うという
場合もある.つまり,演技の仕方や役者個人について知ることも重要なのである.したがって声
掛けには,妨害や自己満足にならないように技術と歌舞伎への理解が必要なのである.
以上のことから,大向こうにもルールとマナーがあり,客席から声を掛けることで場を盛り上
げるということは容易ではない.むしろ沈黙して鑑賞していた方が歌舞伎のためにも思える.し
かし,声掛けには舞台効果を高めるだけではなく,大向こうの存在があって成立するものもある
のだ.「お祭り」という演目では,冒頭で共演者たちが踊り,盛り上がったところで主演役者が
現れるというものだ.そこで,大向こうから「待ってました」と声が掛かる.それに対して役者
が「待っていたとはありがてぇ」と演技が続くのだ.そのため,この演目の上演が決まると役者
の方から掛け声を依頼される場合がある.よって,役者が観客に依存している面もあることから
大向こうの存在は必要なのである.
前述の通り,大向こうとは見返りのない行為である.さらに,効果的な声掛けを行うには足繁
く舞台に通い,歌舞伎への理解を深める必要もある.しかし,優れた声掛けは役者のモチベーシ
ョンを高め,舞台全体を盛り上げるのだ.また,演目の中には掛け声のなくてはならない作品も
存在する.したがって,観客の質が舞台芸術の良し悪しに強く影響する側面があり,大向こうと
いう鑑賞者は歌舞伎にはなくてはならない存在であるのだ.
2-2. 鑑賞者を育てる鑑賞者
前項で,大向こうの存在に焦点を当て,鑑賞者が舞台効果を高める役割を担っていることを示
した.しかし,鑑賞者が芸術に貢献する場面は舞台の上演中だけではないのだ.
見巧者には,他の観客を注意し,寄席の高座を,芸を演じやすい場に作りあげる.そのための
場づくりに協力する役割も担っていたのだ.芸人に野次を飛ばす客がいると,後で中入りiのと
きにその客にその客に「野暮だよ」などと注意していたのだ.つまり観客に寄席を見るマナーを
さりげなく教えていくのである.また,歌舞伎の世界では,大向こうによって組織された,大向
こうの会というものもある.この会は東京に弥生会,声友会,寿会の3ヶ所があり,大阪,九州,
名古屋に一つずつ存在する.もちろん会に所属しなくても,声掛けを行うことはできる.しかし
ギルドのように集団化することで,大向こうの技術の水準を維持するほか,大向こう同士が連絡
を取り合うことで,上演中に声がかからないという事態を防ぐことができるのだ.
i
休憩のこと
- 160 -
2-3. 芸術家を育てる鑑賞者
見巧者は鑑客に鑑賞のマナーを教え,次世代の見巧者を育て,さらには芸術家を育てる役割も
担っているのだ.見巧者は年間に数百回と寄席に足を運ぶので,演技の良し悪しを判別する確か
な批評眼を持つ.したがって芝居話などで仕方の悪い芸人がいると芝居に連れて行って,
「五代
目(松本幸四郎)はなあ,横を向いて鼻筋をしっかり客に見せながら,ぐっと見得を切る.この
にらんだ目に凄みがあるんだ.ここを取らなきゃぁ(真似ないと)芸にゃあならないよ」などと
演技関することを教えるのだ.同時に芸のついてきた若手には飯を食べさせる.芸人の腕が上が
ると席亭に「あいつ,近頃滅法上手くなったよ.そろそろ真打ち(トリの取れる芸人)にしてお
やりよ」と推薦してやる.席亭も常連客に強く言われると断ることができない.そして真打ちに
なると祝儀をやり,楽屋に届け物をしてやる.手妻ii師の藤山新太郎は手妻のはなしの中で若か
りし日を回想した文章の中で次のように述べている.
もっともそうした伝統は,私が二十代までの浅草寺にもあった.私や,当時漫才だったツー
ビートはよく浅草松竹演芸場に出演していた.演芸場がはねると,度々贔屓客に呼ばれてごち
そうになった.私もビートたけしさんも殆ど毎日のように常連に呼ばれていた.私らの舞台の
出来がいいときなどは,決まってお誘いがあって,飲み屋で,まるで我が子が出来のいい舞台
をしたかのように,廻りの客にその日の舞台を自慢するのであった.そうして常連客は全く見
返りを求めすに,純粋に若手の芸人に飲ませ,食事をごちそうしてくれた.思えば昭和四十年
代までは江戸の香りがかろうじて残っていたといえる.
このように,見巧者は芸術家に見返りを求めない.芸術,芸術家への純粋な敬意からこのよう
な行動をしていると考えられる.
鑑賞者は上記の通り,舞台の演出,鑑賞者の統制,芸術家の育成と様々な面で,芸術に貢献し
ている.したがって職業として芸術に関わっていないような一般的な鑑賞者も舞台芸術において
はアート・ワールドの構成員に含まれるといえる.
3
映画産業における鑑賞者の役割
前章では日本の伝統的な舞台芸術から,パフォーミング・アートにおいて鑑賞者が作品の制作,
芸術家の育成に貢献している側面があることを示した.確かに,アーティストと鑑賞者が同じ空
間に存在するライブなどにおいて観客の反応が大切であることは,当然のことように思える.し
かしこのことは,ライブや演劇に限らず,芸術活動全般にいえることなのだ.そこで,この章で
は舞台芸術とは反対の性質を持つ映画産業に焦点を当てる.そうすることで鑑賞者が,あらゆる
芸術活動に貢献するアート・ワールドの構成員であるということを示そう.
ii
日本独自の手品のこと
- 161 -
3-1. 舞台鑑賞と映画鑑賞の相違点
まず,はじめに映画産業を取り上げた理由を述べておく.映画の上映中は製作者と受け手であ
る鑑賞者が基本的には同一の空間,同じ時間に存在しないので,観客の反応はさして関係ない.
そして小説などのように,観客は頭を働かせて文章を読まなくても映像や音が流れこみ,ストー
リーを理解することができる.それらのことから,観客は受け身の状態で臨むことができるのだ.
別言すれば,観客がどのような態度で映画を観ようとも,映画の内容自体が変わることはない.
これは,大向こうからの掛け声を前提に上演される歌舞伎や,アンコールやコール&レスポンス
があるコンサートとは積極性という面で正反対のものである.したがって,このような特徴を持
ち,沈黙を要される映画というコンテンツにおいて,目の肥えた鑑賞者の意義,必要性を証明で
きたなら,それは芸術活動全般にいえるのではないだろうか.
3-2. 映画産業の現状
では,映画産業というコンテンツに対し,鑑賞者がいかなるかたちで貢献しているのだろう
か.また,目の肥えた鑑賞者が増えることで,どのような効果が期待できるだろうか.これら
の問いに答えるためには,映画産業の現状と課題を把握しておく必要があろう.
映画館の入場者数は,図 1 から分かるように 1958 年の 11 億 2700 万人をピークに,その後
は減少を続け,1990 年には,ピーク時の 10 分の 1 程度の 1 億 1950 万人に落ち込む.1960
年からの入場者数の急激な減少はテレビが普及したことが原因であると考えられる.この変化
に対し,映画界は抜本的な対策を講じず,入場料を引き上げることで収益を確保しようとした
ところ,値上げによって入場者数増々減るという悪循環に陥ってしまった.しかし,その後 2001
年から現在までは,1 億 6000 万人台を維持している.
- 162 -
次に興業収入をみてみよう.興行成績には 1999 年までは,配給収入が興行成績の統計に使
われていたが 2000 年からは欧米の基準に合わせて,入場料収入で表している.配給収入は入
場料収入を興行主と配給会社で分けたものであり,割合は会社によって異なるので興行成績を
正確に表すことが難しい.そこで,入場料に有料入場者数をかけることで算出される興行収入
で示すようになったと考えられる.
図 2 から見て取れるように,全体的には上昇傾向にあるといえる.2001 年には 2000 億円を
超え,2010 年には 2200 億円を記録した.その後は,ほぼ同水準で推移している.まとめると,
入場者数の減少は落ち着き,収益は確保できている.つまり,数字を見る限りは現在の映画産
業は悲観すべき状況ではないようだ.
とはいえ,ここ数年は安定した観客動員数と興行収入を維持し,一見なにも問題のないよう
に思える映画産業も,実際にはいくつもの課題を抱えている.まず,第一に海賊版,違法ダウ
ンロードにより,経済的な損失を被っていることだ.2009 年第 4 四半期から 2010 年第 3 四半
期にかけて行われた調査によると,映画産業が被った消費支出の直接損失は 235 億円である.
消費支出とは,映画館の興行収入,DVD の販売・レンタル,ビデオオンデマンド,映像のダ
ウンロードやストリーミングなどの小売金額を示したものだ.次に,大都市と地域において上
映環境に格差が生じていることである.地方では,観たい映画があったとしても,上映する映
画館がなく,諦めなくてはならないという事態が頻繁に起こっている.
第三に,製作される作品に偏りが生じていることだ.映画は作品の内容や出来により製作費
を回収できないといったリスクを抱えている.そのために一定の利益が見込める漫画や小説を
原作としたものや,人気ドラマやアニメの続編が製作される傾向が強くなっているのだ.この
ことのどういった点が問題なのだろうか.
知名度の高い漫画を実写化すれば,たとえその映画自体が駄作であっても,原作が好きな人
- 163 -
は観に来るだろう.それに対してオリジナル脚本や低予算で製作され,広告費をかけられない
作品は,いかに優れていたとしても,口コミなどで評判が拡がる前に公開終了となり,製作費
が回収できない可能性がある.
こうして,興行の側面を持つ映画産業は,作品の出来に関わらず一定の興行収入が期待でき
る人気の漫画やドラマを原作にした映画が製作されがちになる.反対に,知名度のないオリジ
ナル脚本の映画は敬遠されてしまう.その結果として上映作品の幅が狭くなり,偏りが生じる
可能性が生まれるのだ.
上映作品の種類が一様になるということは,たとえ興行の側面で成功していたとしても,芸術
の側面からみた場合は健全ではないだろう.多様な作品が生まれない環境では衰退していくだろ
う.ここで注意すべきことは,原作を意識して映画館に足を運ぶ観客はあくまで原作のファンで
あり,必ずしも映画ファンではないということだ.優れた鑑賞者が映画産業に貢献すると仮定し
た場合,芸術作品として映画を鑑賞する人々を蔑ろにした製作活動は,映画産業が抱える問題と
いえよう.
よって,違法ダウンロード,都市と地域における上映環境の格差,上映作品の偏り.この三点
が,現代の映画産業の主な解決すべき課題だろう.
3-3. 螺旋構造の製作
さて,前項で提示した課題に対して,映画における見巧者はどのようなかたちで解決に貢献し
ているのだろうか.熱心な映画ファンは作品の作り手に敬意を払う.それならば作品に対して相
応の対価を支払って鑑賞するはずである.つまり,映画における見巧者とは頻繁に映画館に行っ
て鑑賞しようとする人が挙げられる.一見当然のことのように思えるこの行為が,映画振興に繋
がるのだ.
映画産業には興行の側面がある.利益を出さなければ,次の作品を作ることができない.観客
が身銭を切って映画を観ることで,新たな作品の制作に必要な資金を得ることができるのだ.し
たがって,映画館で映画を観るという積極的な鑑賞者が増えることで,より多くの,そしてより
質の高い作品が生まれる可能性があるのだ.
映画館での興行が終了した後,作品は DVD やブルーレイディスクとして発売されたり,テレ
ビで再放送されたりと様々なメディアによって二次使用されている.2006 年の統計では,映画
のマルチユース市場は 5480 億円であり,第一次の映画興行収入が 2029 億円である.比較する
とその差は 2.7 倍になる.これからもマルチユース市場での利益の規模は拡大していくだろう.
しかし,すべての映画作品がレンタルやセル,ネットワーク配信などのマルチユース市場の恩
恵を与えられるわけではない.それは,知名度の低い作品はたとえ映画館での興行が高評価でも
レンタルビデオ店に置かれる数は極わずかであり,無名の俳優を起用した作品などもテレビで放
送される機会はドラマの続編として制作された作品や,有名な原作の作品に比べると,放送頻度
は下がるからだ.つまり,二次使用に向かない,いわゆるミニシアター系と呼ばれるような作品
はやはり興行収入頼みになるのである.
- 164 -
よって,多様な作品が生まれる環境を生成するには,習慣的に映画館に足を運び,有名無名,
あるいはジャンルにこだわらず,様々な作品を鑑賞する見巧者の存在が肝要なのだ.
目の肥えた鑑賞者が映画館へ足を運び鑑賞する.製作者は次回作の作成に必要な資金を得る.
また,低予算で作られ広報活動ができず認知されずに二次使用もされない作品も見巧者によって
価値を見出され,新たなアーティストが育っていくのにふさわしい土壌が形成されていくのだ.
映画の製作とは制作,配給,興行の流れで完結する円のようにみえる.しかし実際は,制作→配
給→興行→鑑賞→制作→配給→・・・と,映画が存在する限り永遠に続く螺旋構造になっている
のである.
鑑賞料を払って映画を見に行くという姿勢を持った鑑賞者が増えることで,違法ダウンロード
や海賊版による被害に歯止めがかかることは期待できる.しかし,そのような積極的な鑑賞者が
増えたとしても,周辺に映画館がなければ,映画文化を取り巻く環境は変わらない.多様な作品
を受け入れるシアターが必要なのだ.若手監督の作品やドキュメンタリー作品も公開する映画館
で見巧者は映画に対する理解をさらに深化させ,一般的な鑑賞者は目の肥えた鑑賞者へ成長して
いくのだ.では誰がその劇場を作るのか.それもまた,見巧者なのである.前章で,寄席に足を
運ぶ見巧者は,高座を芸の演じやすい場にする役割を持つことを示した.それは映画界において
も起きていることなのである.次章から,映画における見巧者が作り上げた映画館,映画祭から
映画振興に貢献した事例を取り上げる.
4章 見巧者がつくる映画文化
4-1. 深谷シネマとは
深谷シネマは 2002 年,埼玉県深谷市に設立されたコミュニティシネマである.文化会館で自
主上映会を行っていた NPO 法人「市民シアター・エフ」によって旧銀行を改装し,設立された.
市民シアター・エフの代表である竹石研二氏は,自身が 50 歳を迎えたことを機に勤めいてい
た生活協同組合を退職し,この組織を立ち上げた.周辺の地域の住民が,この映画館によって鑑
賞できる作品の種類が多様化したのだ.竹石氏は鑑賞者を育成する土壌を形成した見巧者である
といえよう.
旧銀行の改装工事の費用は国と県の補助金で賄ったものの,映写設備や備品は NPO が負担し
なければならなかった.市民シアター・エフはすでに借金があったので,改装工事と同時進行で,
「シネマ基金」を一口 1000 円で募った.その結果,地域住民や地元の企業から約 250 万円が集
まり,備品を調達することができたのだ.深谷シネマ設立されるまで,約 30 年間深谷市には映
画館がなかった.住民も身近に映画館が存在し,映画文化が根付くことを望んでいたのである.
また,埼玉県内の 7 割の市町村には映画館がない,そこで映画館のない地域で上映会をやる
ことで,より多くの住民が映画を身近なものにできるようになったのだ.また,この活動は上映
作品によって収支が増減することを回避し,経営を安定させる役割を持つ.
この他にも,映画の作り手と鑑賞者が交流できる機会を設けている.作り手は普段あまり聞く
ことができない観客の声を聞き,鑑賞者は作り手自身のことや,作品に対する思いを知り,映画
- 165 -
に対してより強い関心を持つだろう.
深谷シネマの活動はさらに拡大していく.深谷商工会議所との共催で「ふかや映画祭」の開催
に取り組んだ.上映作品は深谷に関わりのある映画が多い.映画祭はその後,インディースフィ
ルムフェスティバルを中心に回を重ねた.第 7 回目(2010 年)で上映された深谷出身の入江悠
監督による「SRサイタマノラッパー」は,日本映画監督協会新人賞を受賞.さらに韓国・ニュ
ーヨーク等の「映画祭」に招待され,世界デビューを果たした.
このようにたったひとりの見巧者の取り組みから始まったものが様々方面に広がり,映画界に
貢献したのである.
4-2. 高崎映画祭とシネマテークたかさき
高崎映画祭は 1987 年から群馬県高崎市で毎年 3 月下旬から 4 月上旬にかけて開催される映画
祭である.開催中に上映される作品数は約 60 作品で,ジャンルは邦画,洋画,若手監督の作品
特集作品など多様である.授賞式には作品賞や監督賞や主演男優賞,主演女優賞などを受賞した
監督や俳優が招かれ,授賞式のチケットは数時間で完売するほどの人気である.近年では上映会
場が映画館や文化会館に限らず,結婚式場,レストランなど多岐にわたり普段あまり劇場に足を
運ばない層も巻き込んだ大規模なものになっている.
この日本有数の映画祭となった高崎映画祭を立ち上げたのは,日本電電公社高崎支局(現 NTT
東日本高崎支局)に勤務していた茂木正男氏である.茂木氏は会社員としての業務をこなしなが
ら開催の運営に取り組んだのだ.本業を別に持ち,見返りを求めずに映画業界に貢献している点
で,氏も優れた鑑賞者といえるだろう.映画を興行としてではなく,芸術として見つめ,映画の
製作者と映画ファンのために尽力する姿は見巧者の精神が今もなお,残っていることの証明では
ないだろうか.
高崎映画祭は都市と地域の上映作品の格差を是正し,地域住民に多様な映画を観賞する機会を
与えた.しかしそれだけでは不十分である.それは映画祭によって,映画ファンが増加したとし
ても年間を通じて上映できる映画環境を整備しない限り,映画の文化は根付かない.それは大都
市では映画が次々と公開され,映画祭だけでは追いつくことができないからだ.そこで,高崎映
画祭が 18 回目を迎えた 2004 年,シネマテークたかさきの母体となる NPO 法人「たかさきコ
ミュニティシネマ」が設立される.その後,住民の寄付を中心に映画館設立資金が集められ,高
崎市にシネマテークたかさきというコミュニティシネマが誕生した.こうして,住民が自由に作
品を選択して観られる環境が整備されたのだ.
4-3. 見巧者に期待できる役割
この章では市民による映画文化の振興の事例を二つ取り上げた.見巧者よってコミュニティシ
ネマの設立や,地域の映画祭,製作者との交流が図れる場が整えられたことが分かった.地域の
映画環境を変えようとしている動きがこれほど活発なのだ.このほかにも民間の団体が多くの映
画講座などを開催している.地域にとって文化貢献度の高いものが民間の力によって行われてい
- 166 -
る.積極的な鑑賞者の力はこれほどまでに強大なのである.
5 章 どこで映画を観るか
前章では,二つのミニシアターの事例を通じて鑑賞者の役割,存在意義を述べた.しかし,ミ
ニシアターだけが映画を観ることができる場所というわけではない.シネマコンプレックス(以
下シネコン)インターネット配信など,現在映画を観る方法は実に様々である.媒体によって鑑
賞者の姿勢は変わっていくのだろうか.
5-1. 衰退するミニシアター
ミニシアターは規模の小さい映画館で,以前は興行の中心を担っていた.そして,規模の小さ
さゆえに,アウトサイダー的な作品やドキュメンタリーの上映など娯楽性の低い作品を上映する
こともできる.実際自主映画から有名になった映画監督も多く存在する.かつては日本の映画産
業の発展になくてはならない存在であった.しかし,人々の娯楽の多様化により,閉館が相次い
でいる.
自主制作映画やアート系の映画を上映することで芸術としての映画を守っている側面があっ
たが,難解である場合もあり「分かる人には分かる」というような排他的な側面もあった.その
結果,観客の層も固定化していて,ある種の閉塞感が生まれたこともミニシアターが衰退した要
因のひとつとも考えられる.
よってミニシアターの減少は単に適正規模に戻っただけなのではないか.しかし,深谷シネマ
とシネマテークたかさきのように,映画振興に貢献している側面があり,多様な作品を受け入れ
る懐の深さからも,映画界にとって,やはりなくてはならないものではないだろうか.
5-2. シネマコンプレックスの功罪
2011 年のスクリーン数は 3339 館であり,このうちシネコンが 2744 館である.これは全体の
83%にあたる数である.
シネコンは 2000 年頃から郊外のショッピングセンンターなどに急増した.買い物をするつい
でに映画を見に行くことができるため,住民と映画の距離を近いものにし,衰退気味であった映
画産業を盛り上げる功績を挙げた.しかし,人気作品を集中上映し,不人気だとすぐに公開を打
ち切る手法が定着した.その結果,映画製作は,テレビドラマの続編や,漫画原作としたものな
ど,公開前から一定の売り上げが予想できる作品に偏ったのだ.
しかし近年,シネコンにも新たな動きがある.かつては娯楽性が強いものが中心で喜怒哀楽を
強く感じられるような作品が上映されることが多かったが,ミニシアター系と呼ばれるような作
品も上映しているのだ.さらには,午前中に過去の名作映画を上映するなどコアな映画ファンの
獲得にも積極的である.
一時は衰退した映画産業が再び娯楽の中心のひとつに戻ってきた.その功労者はシネコンであ
る.しかし,映画製作に悪影響を与えてしまったのもシネコンであろう.そして現在の映画産業
- 167 -
が抱える問題を解決できる可能性を持つのは規模の大きいシネコンではないだろうか.
5-3. 興行収入を上回るレンタル市場
2006 年の映画興行収入は 2029 億円であり,レンタルの市場規模は 2436 億円で,映画興行収
入を上回っている.確かに,映画館で作品を観るよりも,レンタルのほうが手軽に,そして安価
で鑑賞することができる.しかし,映画館で作品を鑑賞するときは自宅で観ることとは違い,一
時停止も巻き戻しもできない.暗闇のなかで,集中できる場があってこそ,その作品の真の価値
を見出すことができるのではないか.
とはいえ,生まれる前に制作された作品や,周辺で公開されることがなかった作品を鑑賞する
ことができるのでやはり必要な媒体であろう.
おわりに
本稿では,アート・ワールドの再定義から行い,日本の伝統芸能から,庶民が芸術活動の一端
を担っている側面を見出し,メディア芸術である映画界にも,鑑賞者の質が作品の評価に強く影
響し,あらゆる芸術において鑑賞者の質の良し悪しが作品やアーティストに強い影響を与えると
いう結論にたどり着いた.
映画産業に限らず,現在多くの芸術が問題を抱えている.それらの問題を解決するにはどのよ
うな方法があるだろうか.違法ダウンロードを例に考えてみよう.法を厳重にすることで根絶で
きるだろうか.鑑賞方法が多岐にわたる現在では,違法と合法の区別は非常に難しく,形骸化す
る可能性がある.では供給する側が対策を講じればよいのだろうか.音楽業界 2002 年に違法コ
ピーの対策としてコピーコントロール CD(以下 CCCD)導入した.しかし,この CD は再生機
器に負担がかかるなど,コピーをしない善良なユーザーも被害を受けることがあった.そして
2013 年現在では CCCD は生産されていない.
国家や企業ではなく,芸術への敬意を持った鑑賞者こそが問題を解決する鍵になるのではない
だろうか.我々のような一般的な鑑賞者がアート・ワールドの構成員であるという自覚を持ち,
一人ひとりが芸術との向き合い方を考えるということが芸術文化を豊かにするのはないだろう
か.
文献
Becker Howard S. 1982『Art Worlds』University of California Press(=2006,後藤将之・永
岡達郎・趙楠訳『アート・ワールド部分訳』成城大学.)
アート・ワールド部分訳その 5 コミュニケーション紀要成城大学
代島治彦, 2011,『ミニシアター巡礼』大月書店
映画芸術編集部, 2010,『映画館のつくり方』AC Books
藤山新太郎, 2009,『手妻のはなし―失われた日本の奇術』新潮社
中村恵二・佐野陽子, 2012,『最新映画産業の動向とカラクリがよ~くわかる本』秀和システム
- 168 -
山川静夫,
2009,『大向こうの人々
歌舞伎座三階人情ばなし』講談社
深谷シネマ物語 http://tetetete.info/cinema_story.html
ほぼ日刊イトイ新聞-感動を掛け声にのせる,大向こうの堀越さん
http://www.1101.com/oomukou/index.html
一般社団法人日本映画製作連盟
http://www.eiren.org/
- 169 -
Ⅱ
第 8 期生 進級論文
- 170 -
中央行政主導の危険性
―地域 SNS に見る地方行政の役割―
堀込 翔平
はじめに
対象地域の現状に柔軟に対応できる地域おこしのツールである地域 SNS には,行政からも熱
い視線が集まった.北は北海道網走市から南は鹿児島県奄美市まで,様々な地方公共団体が独自
に地域 SNS を発足し,それぞれの自治体による行政サービスの提供や,観光情報などの広報活動,
住民同士の交流の場の提供など様々な試みを行ってきた.
しかし,このような行政による地域 SNS の運用事例は決して成功例ばかりではなく,地域 SNS
の運営主体の内訳をみても自治体の割合は 10%に満たない.さらには 2005 年に総務省が発足
した「ICT(Information and Communications Technology)iを活用した地域社会への住民参
画のあり方に関する研究会」の活動の一環として行われた東京都千代田区と新潟県長岡市におけ
る実証実験の結果も決して良い結果を得たと言えるものではなかった.
本論文では行政が運営する(あるいは目指した)地域 SNS を議論の主な対象とし,中央行政主
導による地域政策の危険性や問題点を述べた上で,今後の地域政策の在り方や課題について論じ
ていくこととする.
1 SNS の概要
1-1. 新時代のコミュニケーション・ツール
個人化社会 ,コミュニケーション能力の低下が問題視される現代において ,SNS(Social
Networking Service)iiの存在は無視できないものとなっている.新しいコミュニケーション・
ツールとして 2000 年代初頭のアメリカで誕生した SNS は,従来の電子メールやインターネット
掲示板にはない特色(綿密な相互性,より実生活に近い繋がり,現実世界では不可能だった交友の
拡大など)が注目され,瞬く間に世界中に浸透していった.日本にもその波は例外なく届き,日本
最大級の SNS として挙げられる mixi においては,2010 年 4 月の段階で有効 ID 数(利用ユーザ
ー数)が 2000 万人を突破するまでに至っている.加えて Twitter や facebook などの新興サイ
トの成長にも目を見張るものがある.
SNS の普及が進む中で,このツールを地域振興やまちおこしに利用しようという動きが 2005
年頃の日本において起こった.これが「地域 SNS」の始まりである.地域 SNS とは文字通りあ
る特定の地域に根差した SNS であり,その目的は利用者の住む地域に何らかの形で良い影響を
i
情報通信技術
コミュニティの形成やインターネット内での人々の繋がりを助長し,社会的ネットワーク
を構築するサイトの総称.
ii
- 171 -
与えていくという方向性においては一致しているものの,具体的な目標や活用方法は利用地域ご
とで異なる.つまりその地域に則した SNS の運用が図られるのである.
1-2. 二つ目の現実世界
手紙から電話,電話から e メールなど人々の情報伝達・コミュニケーションのツールは時代と
ともに日々進化し続けてきた.中でも 90 年代初頭頃からのコンピューターの一般化,誰にでも扱
いやすい OS(Windows95,Macintosh)の登場,通信回線費用が安価になったことなどによる一
般家庭へのインターネットの普及は,人々のコミュニケーションに革命的な変化をもたらした.
チャット機能や掲示板サイトの登場により,今まで自分と相手という2点間を結ぶだけに留まっ
ていた情報伝達は次第にその結ぶ地点を増大させ,通信回線の高速化・安定化を実現させ,たとえ
数千キロ離れている地点からの通信でさえもリアルタイム性を有するようになった.すなわちど
んなに物理的距離が離れている人,あるいは集団ともまるで今隣で話しているようなコミュニケ
ーションが可能になったのである.
インターネットの普及がさらに進んだ 2000 年代になると,携帯電話を始めとしたモバイル端末
による通信技術の進化が進み,この動向はさらに加速していくこととなる.今まで家庭単位だっ
た通信設備の保有が個人単位へと移行することで,人々のインターネット上での接触はより現実
世界のそれに近づくこととなった.さらにこの頃になると今までネックだった通信費用の定額化
が当たり前の時代となった為,通信の内容も普段の会話と大差のないものへと近づき,人々のコ
ミュニケーションはより 3 次元的で密接なものとなっていった.
SNS サイト Friendster がアメリカでサービスを開始したのは,上記のような動きが本格化し
ていく最中の 2002 年 3 月のことである.友達の輪が放射状(星型)に広がっていくことからこ
の名がつけられた Friendster は実名登録,友達リストの公開・閲覧,顔写真入りのプロフィールな
ど,SNS の特徴ともいえる機能を最初に導入したパイオニアといえるサイトであった.いわゆる
出会い系サイトとしての利用が主であったが,2006 年に SNS の仕組みに関する米国特許を取得
したことなどからやはり世界初の SNS と認識して良いだろう.公開当時爆発的な人気を誇った
Friendster を追随するように,この頃から世界各国で様々な SNS が誕生することとなる.
翌 2003
年にはビジネス面に特化した LinKedIn や音楽や動画などのエンターテイメントの共有を目的
とした Myspace が登場し,さらに 2004 年にはのちに世界中で大ブームを巻き起こすモンスター
サイトとなる Facebook(開発当時は The Facebook)が現 CEO マーク・ザッカ―バーグ氏の手
によって開発され,ハーバード大学内のコミュニティ・サイトとして運営が開始された.現在日
本生まれの SNS としてはユーザー数 1 位と 2 位を占めている mixi と GREE が登場したのもこ
の頃であった.mixi においては初期段階から取り入れられていたブログ機能や,友人のページを
閲覧した際にその記録が残る足跡機能などに多くの SNS ユーザーから関心が寄せられ,若年層
を中心に着実にユーザー数を獲得していった.現在では SNS 的機能を有するオンラインゲーム
も高い人気を誇っており,GREE やモバゲータウンなどのサイトはゲームによるコミュニケーシ
ョンを売りに活動を展開している.単一の機能に特化した SNS としては Twitter の存在を無視
- 172 -
することはできない.2006 年にサービスを開始した Twitter は 140 字以内のユーザーのつぶや
き(tweet)を公開し,閲覧やコメントのやりとりをするというシンプルな機能ながら,そのリア
ルタイム性の高さや,気兼ねのない独特の緩いつながり,フォロー機能などが人気を呼び,2012 年
の時点でユーザー数 5 億 2000 万人を誇る巨大サイトへと成長を遂げている.
現在世界シェアトップ 20 を占めている SNS サイトは以下の通りである.
表 1.
SNS 世界シェア
順位
サイト名
サービス開始
登録ユーザー数
開発国
1位
Facebook
2004 年
833,980,620
アメリカ
2位
Qzone
2005 年
563,000,000
中国
3位
Twittwer
2006 年
520,091,188
アメリカ
4位
Sina Weibo
2009 年
300,000,000
中国
5位
GREE
2004 年
190,000,000
日本
6位
B KOHTAKTE
2006 年
150,000,000
ロシア
7位
baboo
2006 年
140,563,467
ロシア
8位
renren
2005 年
137,000,000
中国
9位
Linked in
2003 年
135,000,000
アメリカ
10 位
Kaixin.com
2008 年
120,000,000
中国
11 位
Google+
2011 年
100,000,000
アメリカ
12 位
Odnoklassniki
2006 年
75,000,000
ロシア
13 位
orkut
2004 年
66,000,000
アメリカ
14 位
DeNA
2006 年
36,000,000
日本
15 位
myspace
2003 年
33,000,000
アメリカ
15 位
cyworld
2006 年
33,000,000
韓国
17 位
mixi
2004 年
26,230,000
日本
18 位
stubiVZ
2005 年
16,000,000
ドイツ
19 位
XING
2003 年
11,000,000
ドイツ
20 位
SKYROCK
2002 年
10,000,000
フランス
20 位
Spotify
2006 年
10,000,000
スウェーデン
出典:WEBtweet.info メジャーな SNS,ユーザー数調べ(2012)
この表からも読み取れるように,Facebook だけ見ても実に世界人口の約 10 人に 1 人が SNS
ユーザーであるということができ,SNS が新たなコミュニケーション・ツールとして浸透したこ
とに異論を唱えることはもはやできないだろう.
実名登録や招待制などの SNS 的機能の発達によりインターネットという2次元空間での人々
- 173 -
の3次元的接触が可能になると,既存の概念として存在していた「リアル(現実世界)
」と「ヴァ
ーチャル(仮想世界)」という構図はより曖昧なものとなり,もはや明確には分離できなくなった.
つまりパソコンの画面を通して見るインターネットの世界というように物質的な境界線は存在
するものの,そこで行われるコミュニケーションと現実世界で行われるコミュニケーションとの
実質的な差異がほとんどなくなり,インターネット上でやりとりされた内容はほぼ現実世界で行
われたそれと同様の意義を持つようになったということである.言うなれば二つ目の現実世界の
誕生である.
2 地域 SNS が目指したもの
2-1. 「地域 SNS」という考え方
1-2.では主に全世界にユーザーが存在するような比較的マクロな SNS の動向について説明し
たが,SNS の中には特定の地域やジャンルに興味のある,または関わりのある人のみで成り立つ
ミクロな SNS も存在する.ミクロな SNS の一つである地域 SNS は,ある特定の地域の情報を入
手・共有したり,その地域に関わりのある人たちの交流の場となったりする SNS のことを指す.
本項ではこのような一見変わった地域 SNS という存在について,下記の 5 つの視点から言及して
いくこととする.
①対象地域…地域 SNS の多くは市町村単位で立ち上げられているものであるが,関西地方や
東海地方など比較的広域な地域を対象とする SNS もある.対象地域の選択には自由度があり,
各サイトの設立目的によってその対象範囲は異なる.
②サイト設立者・運営者…これも各サイトによって様々である.先進的な地方自治体が公共サ
ービスとして運営しているケースや,個人が地元を知ってもらうために設立するケース,さらに
は企業が地域おこしに一役買うケースなど,サイトの設立者・運営者は多岐にわたる.
③提供している機能…他のマクロな SNS で利用できる SNS の基本的な機能(プロフィール,
ブログ機能,コミュニティ機能など)は,ほとんどの地域 SNS サイトでも利用できる.ただしコ
ミュニティ内で発言される話題やサイト自体が提供している情報の多くは,そのサイトの対象地
域に関連したものが多い.また,サイトの設立目的によって利用できる機能も変わってくる.
④ユーザー…地域 SNS サイトのユーザーはやはり対象となっている地域の出身者,または居
住者が多いが,ユーザーの出身地や居住地に規制をかけている(その地域に限定している)ケー
スはほとんどない.招待制を採用し,実際にそのサイトを利用しているユーザーからの招待(認
証)がないと利用登録できないサイトが多いが,基本的には対象地域に興味を持っている人であ
れば簡単に参加することができるスタンスをとっている.
⑤設立目的…サイトごとに異なる.主な設立目的には次のようなものがある.
- 174 -
自社の顧客との関係強化
自社のビジネスの一環
商店街や観光地の振興
地域経済振興
新たな地域メディアやアーカイブ作り
低い
地域外への地域情報発信
やや低い
地域内での地域情報の流通・蓄積・…
どちらでもない
サークル・市民活動の活性化
やや高い
市民の交流の促進
高い
不審者情報の共有など防犯活動の強化
防災・安全安心など住民自治の促進
行政への住民参画・意見募集
住民と行政の協働促進
0.0
20.0
40.0
60.0
80.0
出典:総務省・国際大学 GLOCOM「地域 SNS に関する調査研究」
(2010)
図 1. 地域 SNS 設立目的
このようにマクロな SNS と同様の機能を持ちながらその内容はローカルなもの,あるいは非
常に狭い範囲の話題に限定されているという一風変わった SNS が誕生した理由とは何だったの
であろうか.次項では地域 SNS の歴史的背景を中心に捉えながら,その現状までをたどっていく
こととする.
2-2. 導入から現状
地域 SNS のサイト数が急激に増加したのは 2006 年の始めのことである.後に日本初の地域
SNS と呼ばれることになるサイト「ごろっとやっちろ」が 2004 年 12 月に開設されてから,1 年
後の 2005 年 12 月までに開設された地域 SNS サイトはわずか十数サイトしかなかった.ところ
が翌 2006 年 2 月あたりから開設数は右肩上がりとなり,さらに 1 年後の 2007 年 1 月の時点でサ
イト数は 200 サイトを越えることとなった.その後も順調にサイトの増設は繰り返され,2010 年
には実に 500 サイトもの地域 SNS サイトが開設されている.
- 175 -
出典:総務省・国際大学 GLOCOM「地域 SNS に関する調査研究」
(平成 22 年)
図 2. 地域 SNS 開設数推移
この急激なサイト数の増加には 3 つの要因が存在すると筆者は考えている.
まず1つ目の要因は地方自治意識の高まりである.地域 SNS サイトの開設が始まる 2004 年
頃の日本は,平成の大合併に代表されるように地方自治への意識が高まっていく時期を迎えてい
た.その流れの中でも特に「地域社会の主役・運営の主体は住民である」という住民自治の考え
は重要視されており,行政と住民との意思疎通という課題が非常に注目されたのである.行政情
報を行政から住民へ一方通行に流すだけの従来のホームページとは違い,住民から行政への意見
や要望を発信できる双方向の情報交換ツールとして地域 SNS の役割は大きかった.そのため行
政が運営主体を務める地域 SNS の開設はこの頃のものが多い.
2つ目の要因は誰でも簡単に SNS サイトを設立することができるオープンソースプログラム
iii「OpenPNE(オープンピーネ)
」の登場である.OpenPNE
とは株式会社手嶋屋が開発した
SNS プログラムivである.このプログラムが登場するまでは個人が SNS サイトを立ち上げ,運営
することは非常に困難で面倒なものであった.なぜならばウェブページを作成する際にはプログ
ラミングなどの専門知識が必要であり,またその作成したウェブページをサーバーにアップし
日々管理・更新するなどの多大な労力が必要だったからである.しかし,手嶋屋が OpenPNE を
iii
ソフトウェア開発において設計図の役割を果たすソースコードを無償で公開し,誰もが改
良・配布を行うことができるプログラムのこと.
iv SNS サイトを立ち上げる際,型紙となるプログラム.
- 176 -
無料で提供するようになってからは,そのような労力や手間が解消され,SNS サイトの立ち上げ
はもはや人を選ぶ作業ではなくなっていった.一般人が気軽に SNS サイトを立ち上げ,運営でき
るようになった一方でアクティブに使用されることのないいわゆる形だけの張りぼてサイトが
乱立されたこともまた事実であるが,OpenPNE が地域 SNS サイトの隆盛に一役買ったことには
変わりはない.
3つ目にして筆者が最大の要因だと考えているのは総務省が行った実証実験である.地域
SNS がまだ一般化していなかった頃,ICT を利用して地域行政と住民との関係を強化する役割を
担っていたのは,全国の各自治体が設置した電子市民会議室であった.電子市民会議室の主な機
能は BBS(Black Board System)・電子掲示板であり,行政と住民との意思疎通の手段として活用
されていた.ところが総務省が設置した「ICT を活用した地域社会への住民参画のあり方に関
する研究会」の調査により,全国に設置されている電子市民会議室のほとんどが有効利用されて
いないことが判明したのである.第 1 回の研究会の報告によると BBS 上で活発な議論が行われ
ていたのは全国 733 自治体で設置されている電子市民会議室のうちわずか 4 自治体のものにす
ぎなかった.BBS 特有の匿名性を利用した「荒らし」vの問題や,統一的で画一された利用に関す
るルールが存在しなかったことなどが失敗を招いた原因であると考えられ,電子市民会議室の代
替システムの確立が希求されていた.そこで注目されたのが地域 SNS の存在である.八千代市
が当時すでに運営していた SNS サイト「ごろっとやっちろ」の成功を受け,総務省はそれに倣っ
た地域 SNS サイトの実証実験を新潟県長岡市と,東京都千代田区の二つの自治体において実施
した.具体的な実験結果は 3-2.において後述するが,この実証実験が地域 SNS という存在を全国
に知らしめ,ICT の利用に前衛的な自治体をはじめとした多くのサイト運営者の後押しをしたこ
とは明確な事実である.
2006 年から始まった言わば「地域 SNS ブーム」の波に乗り,様々な地域 SNS サイトが創設さ
れ運営されてきた.別途資料の表viは 2007 年に地方自治情報センターが発表したものを元に筆
者が作成したものであるが,表を見て分かるようにここに,挙げた全 202 サイトの内,実に 47 パー
セントにあたる 95 サイトが現在存在していないか,利用できない状態となっている(facebook
などの他サイトに移行したもの,一時停止状態のものを含む)
.実に半数近くのサイトが運営を続
けることができずに閉鎖されているのである.また,運営は継続されているものの最終更新日か
ら 1 カ月以上経過しているサイトや,頻繁に書き込み・閲覧を行ういわゆるアクティブ・ユーザ
ーが極端に少ないサイトも存在する.これらの事実を考慮して現在の地域 SNS の運用状況を評
価するとすれば,地域行政と住民との関係強化という当初総務省が目指した目標には遠く及んで
いないという他ないだろう.
v
掲示板が持つ匿名性を悪用し,掲示板内の議論とは関係のないことを書き込んだり,他人を
誹謗中傷したりする行為のこと.
vi 巻末別途資料,表3.参照
- 177 -
3 行政主導の地域 SNS
3-1. ごろっとやっちろ
急速に発展していく SNS という存在に行政が目を向けるまであまり多くの時間を要すること
はなかった.全ての地域 SNS の先駆けであり,自治体が運営する最初の地域 SNS である熊本県
八代市の「ごろっとやっちろ」が開設されたのは 2004 年 12 月のことである.開設から 3 年目
となる 2007 年の時点で有効 ID 数 3000 人突破を達成し,現在もユーザー数は日々増加している.
コミュニティへの書き込みや個人の日記の更新も活発で,BBS への書き込みも頻繁に行われてお
り,最終更新日は常にその当日の日付であるほどの盛り上がりを見せている.2.2 で示した他の地
域 SNS サイトの現状を踏まえれば,数少ない成功例であるということができる.
利用できる主な機能としては市のイベント情報をカレンダー形式で見ることができたり,災害
時にはユーザーの元へ各地の被害状況や避難場所の情報を送受信したり,「まちのわだい」とい
う食べ歩き情報などを掲載したコラムを掲載したりと,他の地域 SNS と変わらないサービスを
提供している.ではなぜごろっとやっちろは他の地域 SNS サービスから抜きんでる成功を収め
ることができたのだろうか.それは SNS 化当初の住民のニーズに的確に応えることができたか
らであると筆者は考える.
当時の八代市は同名の掲示板サイトを運営していたが,他の自治体の電子市民会議室と同様に
アクセス数・発言数の減少や経年によるマンネリ化という問題を抱えていた.そこで市はそれま
で混合で運営していた情報発信機能と,住民からの意見収集機能を市のホームページに集約し,
掲示板サイトとして運営していた「ごろっとやっちろ」を SNS サイトとして独立させる方針を
固めた.
「ごろっとやっちろ」の SNS 化に着手した八代市情報推進課の小林隆生氏は SNS 化の
目的について,「誰もが安心して書き込める『まち BBS』を作りたかった」と語っている.つま
り従来の「インターネットを通じて市民の意見を募る」という行政本位のコミュニティ・サイト
から,「市民の馴れ合いの場」viiという市民主体の SNS サイトへと変容を図ったのである.それ
を裏付けるように書き込みの中心は行政ではなくユーザーであり,コミュニティ内でのやりとり
の内容もプライベートや住民の生活に則したものがほとんどである.
行政からの情報というものをあえて前面に押し出すことなく,また住民同士の慣れ合いという
形をとることで行政が提供しているサービスに書き込むという敷居の高い行為をそう感じずに
済むようにしているのである.結果として地域と住民との関係を深め,日々新たなつながりを生
みだすまでに至っている.
2005 年,ITmedia ニュースの取材に対し,開発担当の小林氏はごろっとやっちろ開設の目
的についての質問に「市民の方々に“馴れ合って”もらいたいんです」と返答している.
vii
- 178 -
図 3.
ごろっとやっちろトップページ
3-2. 総務省の実証実験
2.2 で記したように電子市民会議室の代替機能として地域 SNS に白羽の矢を立てた総務省は,
「地域 SNS 等を活用した地域社会への住民参画に関する実証実験」を新潟県長岡市と東京都千
代田区の二つの地域において実施した.期間は 2005 年 12 月から 2006 年 2 月までの約 2 ヵ月
間で,長岡市の SNS「おこごなごーか」と千代田区の SNS「ちよっぴー」を運営するというもの
であった(実際の運営は長岡市…NPO 法人ながおか生活情報交流ねっと
千代田区…財団法人
まちみらい千代田が行った).なお,両サイトはごろっとやっちろと同じ SNS プログラムである
「open-gorotto」を元に作成されている.
- 179 -
実験で得られた主なデータは以下の通りである.
表 2. 実証実験結果
項目
①長岡市「おこごなごーか」 ②千代田区「ちよっぴー」
トップページアクセス数
63501(1041)
115169(1888)
登録者数
307
903
登録者平均年齢
36.3
38
日記アクセス件数
16430(269)
30789(505)
日記登録件数
549(9)
1068(17.5)
コミュニティアクセス件数
20192(331)
41379(678)
コミュニティ登録件数
1122(18.4)
2639(43.3)
アルバムアクセス件数
2228(37)
4554(75)
アルバム登録件数
549(9)
2691(44.1)
出典:地域 SNS 最前線
ソーシャル・ネットワーキング・サービス
Web2.0 時代のまちおこ
し実践ガイド
上記のデータを考察すると次のことがいえる.
まず「おこごなごーか」の事例であるが,ユーザー数,各機能のアクセス数・登録件数ともにご
ろっやっちろを始めとした他の地域 SNS に比べて少なく,あまりアクティブに利用されていた
とは言いにくい(利用者数でいえばごろっとやっちろ…当時 2000,ちよっぴー当時 900).2 ヵ月
間という短い期間で,さらに各自治体の人口にも開きがあるため一概には言うことができないか
もしれないが.ネット上という極めて多くの人間が利用する場に同時期に存在していたという条
件を考えれば,利用者は少ないと言わざるを得ない.
次に「ちよっぴー」の事例に関してであるが,数値だけを見れば同じ実験期間にも関わらず「お
こごなごーか」よりもはるかに良い結果を残すことができたということができるだろう.実験の
舞台が首都圏であることを考えれば SNS というツールに以前から親しんでいたユーザーもいる
だろうし,各家庭の通信機器保有台数もこちらの方が上であることを考えれば当然の結果かもし
れない.しかし,登録件数が多いため,それに伴ってあまり使われることなく放置されてしまった
コミュニティが数多く存在していたことなどが問題点として挙げることができる.
3-3. 行政と民意とのギャップ
総務省の実証実験において運営された「おこごなごーか」と「ちよっぴー」,そして八千代市
が運営する「ごろっとやちろ」は同じ SNS プログラム「open-gorotto」をベースに開設された
ことは前述の通りである.サイト内で利用できる機能や提供している行政サービスの内容にも大
きな差は存在しない.それでは両者の間には一体どんな違いが存在し,サイトの明暗を分けたの
だろうか.その最大の要因はサイト自体が自発的な誕生であったか,言いかえればその地域の住
- 180 -
民のニーズに応えられていたかという点であると筆者は考えている.
ごろっとやっちろの場合は「市民の慣れ合いの場」という住民のニーズが先に存在しており,
それに地域行政が応える形でサイト運営が開始された.つまり誕生すべき理由が存在していたか
らこそ運営が開始された地域 SNS だったのである.しかし,総務省の実証実験のために開設され
たおこごなごーかとちよっぴーの場合はそうではない.おこごなごーかには中越地震時の情報混
乱の反省を踏まえた災害用掲示板という大義名分が存在していたものの,地域住民もしくは長岡
市の自治体がそれを望んで始まった運営ではないのである.このように手段が先行して存在し,
目的が後付けになるケースが中央行政主導の政策においては多々見受けられる.このことは地域
の実情を把握しきれていないまま政策に踏み切った結果であり,そこには必ずと言っていいほど
行政側の考えと地域住民の民意との間にギャップが存在するのである.
4 今後求められる地域政策とは
「日本を一つに」,「心を一つに」,「地域間協力の推進」,これらの言葉は皆 2011 年 3 月 11
日に発生した東日本大震災に対する復興スローガンである.過剰なトップダウン方式によって推
し進められる中央行政主導の政策は確かに危険であるが,逆に中央行政の後押しが無ければ成し
得ない政策もあることを忘れてはならない.あのような未曾有の天災による被害から被災地が復
興するためには,地域という枠組みを超えた全国規模での協力体制は不可欠であり,これらのス
ローガンが生まれることは復興への士気を高めるためにも重要である.阪神淡路大震災のケース
でも,これらのスローガンの下に集った有志の援助活動や基金によって驚くべき速さで復興活動
が展開され,わずかな期間のうちにまちは元の姿を取り戻していった.
このように中央行政の確固たる指揮の下,統一的な活動が求められるケースがある一方で,対
象地域に則した柔軟な対応が不可欠なケースも同時に存在している.地域 SNS の事例もまさに
その一例であり,対象地域の実情を知ってこそ適切で本当に求められているサービスを提供でき
るツールであるということができる.
地方が本当に望んでいるもの(地方のニーズ)に敏感に反応し,対応できるのはやはりその地
方で暮らしている人間であり,その地方の行政活動を担っている地方自治体である.そのニーズ
を見つけ出し,それに対する応え方を追及していくこがこれからの地域行政に求められる力の一
つであると私は考える.
おわりに
江戸時代の目安箱のように市民の声を効率よく行政に届ける画期的な手段はないだろうか.そ
んな疑問に対する答えを求めているうちに見付けたのが地域 SNS というツールであった.一口
に地域 SNS と言ってもその運営方法や目的によって様々なサイトが作られ,またその一つ一つ
に様々なバックボーンが存在することが分かった.今回の論文では地域 SNS の中でも行政主導
により運営されているサイトに的を絞り,中央行政主導の是非という問題について言及した.調
査を進めた中でも仕組みをつくるための仕組みの重要さに気付けたということは大きな成果だ
- 181 -
ったといえる.筆者自身の身の回りの制度,あるいは条例などについてもそれらがどのような経
緯で定められたものなのか注意を配るようになったきっかけを与えてくれた執筆活動だった.
文献
庄司昌彦・三浦伸也・須子善彦・和崎宏,2007,『地域 SNS 最前線ソーシャル・ネットワーキン
グ・サービス Web2.0 時代のまちおこし実践ガイド』
津田大介,2012,『動員の革命』
WEBtweet.info,(http://www.webtweet.info/2012/04/21%e3%81%ae%e3%83%a1%e3%82%b8
%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%81%aasns%e3%80%81%e3%83%a6%e3%83%bc%e3%82%b6
%e3%83%bc%e6%95%b0%e8%aa%bf%e3%81%b9%ef%bc%882012%e5%b9%b4%e7%89%88
%ef%bc%89/)
国際大学 GLOCOM,(http://www.glocom.ac.jp/)
LASDEC,地方自治情報センター,(http://www.glocom.ac.jp/)
ごろっとやっちろ,( http://www.gorotto.com/)
ITmedia ニュース,2005 年 11 月 11 日掲載記
事,(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0511/11/news042.html)
- 182 -
参考資料
No. 自治体名
1 北海道
2 北海道
3 北海道
4 北海道
5 北海道
6 北海道
7 北海道
8 北海道
9 北海道
10 北海道
11 北海道
12 北海道
13 北海道
14 北海道
15 北海道
16 北海道
17 北海道
18 北海道
19 北海道
20 北海道
21 北海道
22 北海道
23 北海道
24 北海道
25 青森県
26 青森県
27 青森県
28 岩手県
29 宮城県
30 宮城県
31 秋田県
32 山形県
33 山形県
34 福島県
35 福島県
36 福島県
37 茨城県
38 茨城県
39 茨城県
40 栃木県
41 群馬県
42 群馬県
43 群馬県
44 埼玉県
45 埼玉県
46 埼玉県
47 埼玉県
48 埼玉県
49 埼玉県
50 埼玉県
51 埼玉県
52 千葉県
53 千葉県
54 千葉県
55 千葉県
56 千葉県
57 千葉県
58 千葉県
59 千葉県
60 東京都
サイト名
NaMaRa道産子SNS
北海道ドリーム・カフェSNS
north land
北海道SNS どっとねっと
札幌っ子 SNS
マイとかち SNS
むろらんSNS
苫トモ
きたみSNS
946.+
kushi.ro
084946.sns
旅なび!網走コミュニティ
流氷コミュニティ AERU
snsFurano
WAになってしべつSNS
ShutterBugSNS
稚内人SNS
旭川人SNS
帯広人SNS
北見人SNS
富良野・美瑛 SNS
小樽人SNS
函館人SNS
青森SNSコミュニティ
@ami'z
はちのへ地域SNS はちみーつ
ふぁにーねっと
仙台SNS
仙台人SNS
akitach SNS
まじゃーれLNS
SNSやまがた
sicon
SNS IWAKI
iwaxi(イワキシィ)
いばLucky!
茨城SNS
mini choco
tochigi-zine
Wind SNS
GuMiOn
まえばしSNS
SAITAMA SNS
サクセス - 埼玉地域限定SNS
埼玉フォーラムANNEX
SWAN NET
ASAKA.INFO
いやしの里
入間SNS コミュニTEA
ちちぶ市民ネットワークサービス
房州わんだぁらんど
あみっぴぃ
ちばうぇ~ぶSNS
千葉ニュータウンパーク
Kashiwa SNS
流山SNS
八千代ナビライフ
佐倉ラボ SNS
渋谷区SNS
表 3. 主な地域 SNS サイト一覧
運営主体
道産子SNS運営委員会/オフィス自由人
市民活動団体北海道ドリームプロジェクト(ボランティア)
不明
北海道開発協会開発調査総合研究所(財団法人)
札幌っ子運営事務局/オフィス自由人
個人
個人
個人
個人
個人
個人
釧路情報バラエティサイト084946.com(市民団体?)
網走市経済部観光室観光課
株式会社ノア
ふらのビズ
武井祐司(個人)
不明
オフィス自由人
オフィス自由人
オフィス自由人
オフィス自由人
オフィス自由人
オフィス自由人
オフィス自由人
青森コミュニティサイト
株式会社富士通東北システムズ
八戸市総務部情報システム課
ふぁにーねっと事務局(個人)
仙台地域SNS実験プロジェクト
リングファクトリー有限会社
不明
山形市市民活動支援センター内
株式会社スズキ通商
株式会社デザイニウム
個人
不明
個人
茨城ナビネット
不明
個人
群馬インターネット株式会社
不明
まえばし市民ネットワークシステム運営委員会
任意団体 埼玉企画
アイ・ロジック
埼玉フォーラム運営事務局
株式会社ライブログ
ASAKA.INFO運営事務局(個人)
智行.Net(個人)
コテカの会 ICT研究部会
秩父市
NPO南房総IT推進協議会
NPO法人TRYWARP
有限会社ジーウェイブ
千葉ニュータウンパーク運営事務局
株式会社オガコムジャパン
個人
個人
セブンリップルス(個人)
マリオネックス
- 183 -
特徴・特記事項
現在は存在しない
新サイトへ移行
2007年12月末で閉鎖
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
Facebookへ移行
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
コミュニティサイトfolomyへ移行
現在は存在しない
震災によりダウンしたまま
現在は存在しない
サーバーがダウン 復旧は未定
現在は存在しない
61 東京都
62 東京都
63 東京都
64 東京都
65 東京都
66 東京都
67 東京都
68 東京都
69 東京都
70 東京都
71 東京都
72 東京都
73 東京都
74 東京都
75 東京都
76 東京都
77 東京都
78 神奈川県
79 神奈川県
80 神奈川県
81 神奈川県
82 神奈川県
83 神奈川県
84 山梨県
85 山梨県
86 山梨県
87 新潟県
88 新潟県
89 長野県
90 長野県
91 長野県
92 長野県
93 富山県
94 富山県
95 石川県
96 福井県
97 福井県
福井県
98 東海地区
99 静岡県
100 静岡県
101 静岡県
102 静岡県
103 静岡県
104 静岡県
105 愛知県
106 愛知県
107 愛知県
108 愛知県
109 愛知県
110 愛知県
111 愛知県
112 愛知県
113 愛知県
114 岐阜県
115 岐阜県
116 岐阜県
117 三重県
118 三重県
119 三重県
120 三重県
Yebisy!
代官山JAM
カメレオン
ふちゅうじん
六本木貴族
シモフリ
表参道comnit
渋谷comnit
千石SNS
八王子SNS
Nikotama Social Network
hixi*net
赤坂見附SNS ミツキィ
杉並Socialnet
Xshibuya(クロスシブヤ)
せたがやつながり
ちよっピー
Bay Net
ジモトモ!都筑区
かわさき・ソーシャルネット
ソーシャルネット SHONAN
よりみち平塚
湘南Clip
JANNE(ジャンネ)
南アルプス市SNS
e-こうふ情報ネット
JCAN-上越コミュニティエリアネットワーク
おここなごーか
ながのなびSNS
N[エヌ]
須坂 de SNS
ハートフルネット都留
ユーコレ
Comfy
よってきまっし!
フーブス
Fukui Freaks!
OBAMAなう!
Opt_gate
SNS@Shizuoka
静岡の人SNS
静岡SNS
Fuji de Co. (ふじでこ)
大好きまきのはら
e-じゃん掛川
あいふれ
名古屋SNS
FurgleSNS
わいわい情報市場
Nagoya Club SNS
NNN-NET(愛知県中川SNS)
どすこいネット
一宮市民活動情報サイト
かめぞう
レッツぎふ
郡上市ネットワークサービス Gujo Pne
おおがき地域SNS
伊勢の国SNS
IGA Network Communications
Deaf Friends SNS
東紀州ほっとネットくまどこ
株式会社シャトーオフィス
株式会社ヒューベースi
株式会社カメレオン
株式会社Project yoshi
株式会社Project yoshi
株式会社Project yoshi
株式会社ラソナ コミュニティーマーケティング事業部
株式会社ラソナ コミュニティーマーケティング事業部
不明
八王子ドットネット
Nikotama Social Network運営事務局
光が丘ウォーカー(個人)
不明
ボランティア
広域渋谷圏クリエイターマッチング有限責任事業組合
世田谷生活向上委員会、有限会社OMOSLOW
財団法人まちみらい千代田
株式会社ライブログ
不明
社団法人川崎地方自治研究センター
個人
有限会社ビットシステム
株式会社カヤック
有限会社ティーアップ
個人
甲府市
株式会社ジェーミックス
NPO法人ながおか生活情報交流ねっと
個人
長野県地域SNS運営委員会
NPO法人 信州SOHO支援協議会
都留市まちずくり市民活動支援センター
株式会社トマック
不明
個人
OpenPNE
丹南ケーブルテレビ株式会社
小浜市
株式会社オアシス
個人
株式会社 豪コーポレーション
不明
GREENSING
協働推進市民フォーラムまきのはら情報グループ
掛川市
138ふぁいるず
不明
不明
JACCESS.net
個人
不明
東三河市民活動推進協議会
一宮市地域ふれあい課(地域自治・NPOグループ)
株式会社キャッチネットワーク
有限会社ネクステージ
(株)高鷲情報技術
NPO法人パソコンまるごとアシスト
STARBOARD有限会社
個人
不明
NPO法人東紀州ITコミュニティ
- 184 -
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
2012年4月21日閉鎖
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
2012年4月1日閉鎖
現在は存在しない
Facebookへ移行
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
サービス終了
現在は存在しない
現在は存在しない
サーバーダウン→閉鎖→mixiへ移行
121 三重県
122 関西地区
123 京都府
124 京都府
125 京都府
126 京都府
127 京都府
128 大阪府
129 大阪府
130 大阪府
131 大阪府
132 大阪府
133 大阪府
134 大阪府
135 大阪府
136 大阪府
137 兵庫県
138 兵庫県
139 兵庫県
140 兵庫県
141 兵庫県
142 兵庫県
143 兵庫県
144 兵庫県
145 滋賀県
146 和歌山県
147 和歌山県
148 山陰地区
149 岡山県
150 岡山県
151 広島県
152 広島県
153 広島県
154 山口県
155 山口県
156 山口県
157 山口県
158 山口県
159 徳島県
160 香川県
161 愛媛県
162 愛媛県
163 愛媛県
164 高知県
165 高知県
166 福岡県
167 福岡県
168 福岡県
169 福岡県
170 福岡県
171 福岡県
172 福岡県
173 佐賀県
174 佐賀県
175 佐賀県
176 佐賀県
177 佐賀県
178 佐賀県
179 佐賀県
180 長崎県
mie-SNS(仮称)
京阪SNS
こまち
マイ京都SNS
Ripple京都
緑人
お茶っ人
大阪SNS 〈Rz〉
JAM
なにわっこラボ Naniwa-collabo
南大阪SNS
なかもずSNS
北摂SNSfoxi
堺っ子SNS
アルバーダSNS
マチカネっ人
ひょこむ
ショコベ
CLOVER
Amayan
淡路っ子どっとこむ
西播磨特産館
せんぐりコム
@香美
シガスタイルコミュニティ
わかやまゲートタウンCircle
電子公民館
がいな山陰SNS
スタコミ
uno
ぴろねっと
スポット ひろしま
Bridge
おいでませ山口SNS
馬関っ子SNS
KAKEHASHI
島トモ
いわこみゅ
AWA-BEAT
ドコイコパーク
えひめネット
よらんかほい!
イマソウ
まるごと高知SNS
高知ネット
VARRY
Fukuoka Style
DOGENNE -sns筑後っ子SNS
ママすき
ちっごねっと
おおむたSNS
ひびのコミュニティ
SNS-佐賀
SNS-嬉野
SNS-鹿島
武雄-SNS
呼子ネットSNS
かたらし基山
長崎!長崎!
NPO法人みえIT市民会議
KT STUDIO
京都アイネット株式会社
不明
Ripple京都運営局(個人)
株式会社緑人
宇治市
不明
ストラテジックデザイン有限会社
くらっきーず
ナノティ株式会社
不明
不明
SAKAIKKO.COM(個人)
LIFIS PROJECT有限責任事業組合
豊中市情報政策室
NPO法人はりまスマートスクールプロジェクト
ショコベ有限責任事業組合
関西ブロードバンド株式会社
不明
有限会社ピーシーラボ
たつの市龍野商工会議所及び宍栗市山崎町商工会
篠山市
香美町
IST
合資会社アークトラスト
橋本市
有限会社日本開発
株式会社スタンダード
宇野電子町内会
株式会社ネクストビジョン
コラボネット スポットひろしま運営事務局
有限会社コネクト
e-web design studio
馬関っ子SNS運営事務局
周防大島ドットコム、周防大島町観光協会
きんさいネット
いわくにソーシャルネットワークサービス
有限会社アイコール
株式会社ドコイコ
えひめネットワークサービス
愛媛県四国中央市企画課広報広聴係
いまばりネット運営委員会
不明
個人
株式会社カプセルコーポレーション
TsukuruStyle
デザインオフィス”ファンカレック”
不明
株式会社エヌ・エル・エー ママすき編集部
筑後田園都市推進評議会
大牟田市
佐賀新聞社
パワーマスター
パワーマスター
パワーマスター
パワーマスター
有限会社城屋
CSO楽縁基山 かたらし基山運営事務局
個人
- 185 -
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
2011年7月31日サービス終了
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
統合後利用者によってドメインだけ再利用
ちっごねっとと統合→新サイト
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
181 長崎県
182 長崎県
183 長崎県
184 熊本県
185 熊本県
186 熊本県
187 大分県
188 大分県
189 大分県
190 宮崎県
191 宮崎県
192 宮崎県
193 宮崎県
194 宮崎県
195 鹿児島県
196 鹿児島県
197 鹿児島県
198 鹿児島県
199 鹿児島県
200 鹿児島県
201 鹿児島県
202 鹿児島県
203 鹿児島県
204 沖縄県
205 沖縄県
206 沖縄県
207 沖縄県
208 沖縄県
209 沖縄県
ナガツク
五島ウェブSNS
gotoかたらんねっと
光の玉手箱
ごろっとやっちろ
そーしゃるくま
SPALAND
かぼすフレンズ
だいきんりんSNS
のべおかん
みやざきSNS イイジ・・・ネット
HYUGA WAVEソーシャルネットワーク
えびティー
高鍋SNS
NikiNiki
かごとも
鹿児島みんなの広場SNS
薩摩おこじょカフェ
rafel~ラーフル~
カゴシマライフネットSNS
枕崎SNSあびしゃ~ネット
アマミーゴ!
ま~じんま
R-58
YUNTAKU
沖縄SNS
miyakojima SNS
e→moai
宮古島情報サイト あは~宮古島!
出典:財団法人
株式会社 ネットビジネスエージェント
個人
五島市
株式会社NTT西日本-中九州
八千代市
球磨村青年団
個人
Portal-works.com
NPO観光コアラ
個人
不明
有限会社ヤッシュ
宮崎公立大学
有限会社高鍋第一ホテル
鹿児島テレビ放送株式会社
合資会社コムネット
不明
薩摩おごじょネット
株式会社玉里自動車学校
カゴシマライフネット
なんさつONLINE
アマミックスWEB
奄美市
株式会社ファインズ・システムコンサルタント
Clickおきなわ
沖縄SNS事務局
個人
有限会社ファンタジスタ沖縄
有限会社ピーシーハウス
地方自治情報センター
2010年6月3日サービス終了
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
現在は存在しない
地域 SNS の活用状況などに関する調査報告(2007)
を加筆修正
- 186 -
キャラクターが変える広報
―SNS におけるキャラクターを用いた広報―
庄子 倫弘
はじめに
本稿では,SNS におけるキャラクターを用いた広報戦略・活動について論じていく.現在,
多様化する情報化社会の中で,企業や自治体は,情報の受け手である一般の人々に対して自身の
活動内容や商品情報をいかにして発信し認知させていくかが課題となっている.そのような事情
の中,多くの人々に情報を素早く発信することができ,広く認知してもらうことができるツール
として,企業や自治体は速報性と伝播性の強い「Twitter(ツイッター)」や「Facebook(フェ
イスブック)」をはじめとする「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」(以下「SNS」と
略す)を広報の手段として用い始めている.
そして,この SNS における広報戦略・活動に企業や自治体のマスコットなどの「キャラクタ
ー」が加わることにより,広報戦略・活動が一層強力なものになり,従来の広報のあり方を変え
ていく新たな広報戦略・活動の方法の 1 つとなりうるのではないかと筆者は考える.
しかし,先行研究において SNS などのソーシャルメディアiを用いての広報についての事例研
究はいくつか行われているものの,SNS 上でのキャラクターを用いた広報に焦点を当てた研究
はほとんど行われていないのが実情である.
そこで筆者は,SNS におけるキャラクターを用いた広報戦略・活動を詳しく研究していくに
あたって,SNS 上で展開されている広報戦略・活動をそれぞれの広報の目的や手法の違いなど
から 3 種類の類型に分類することができた.またその 3 類型化の妥当性についても検証してい
く.そして,3 類型化を用いてそれぞれの具体的な事例の研究を行っていき,SNS 上における
キャラクターを用いた広報戦略・活動がいったいどのような広報なのかを論じていく.
1 SNS におけるキャラクターを用いた広報の概要
1-1. SNS における広報
冒頭でも述べたが,本稿ではキャラクターを用いた広報,とりわけ SNS における広報戦略・
活動について限定して論じていく.SNS に限定する理由として,SNS の特徴については詳しく
は後述するが,近年 SNS は新しい広報戦略における 1 つのツールとして注目を集めており,多
くの企業や自治体が SNS 特有の速報性と伝播力を利用して情報発信・PR 活動を行っている.
筆者はこの SNS 特有の情報発信能力に注目した.SNS は今後の広報戦略・活動のあり方を大き
i
ソーシャルメディアとは,インターネットにおいて個人を主体にした情報発信を可能にするメ
ディアの総称.SNS や,ブログ,ソーシャル‐ブックマーク,口コミサイトなどが挙げられる.
(津田大介,2012,『動員の革命』参照)
- 187 -
く変えていくと考えるからである.また SNS に限定するということでより深く本稿における議
論,検討ができると考えるからである.
次に,津田大介(2012)によれば SNS とはソーシャルメディアの一分野であり,人と人との
つながりをサポートするコミュニティ型のウェブサイトである(津田
2012:25).代表的なも
のとしては,Twitter や Facebook が挙げられる.これら 2 つの共通する大きな特徴として,現
在自分の間近に起こっている出来事やニュースに対する自分の感想などを「ツイート」すること
によって情報を発信できるということである.リアルタイムの情報や今盛り上がっている話題つ
いても,
「リツイート」や「いいね!」機能によりフォロワーや友人に対して素早く情報を共有
することができる.
繰り返しになるが, 近年,この SNS が情報を発信するための新しい広報戦略・活動のツー
ルとして注目を集めており,既存のマスメディアである TV,新聞,ラジオなどに対して大きな
影響力を持ち始めている.企業からの新製品やサービス,政府からの発表などの情報を TV など
からではなく,Twitter をはじめとする SNS から知ることが多くなったと考える.
企業や自治体も積極的に SNS を導入し始めている例がある.2012 年 3 月に起きた東日本大
震災を契機に,被災地である東北地方をはじめ,Twitter を活用する自治体が増えている.経済
産業省によれば,全国の地方自治体の公式アカウント(教育機関を除く)は 9 月末現在で 621
に上る.震災前は 100 前後であったが,2011 年 6 月末には 216 と倍増し,その後も右肩上がり
に増えているii.
企業のほうにも目を向けたい.新聞社も積極的に Twitter を導入している.朝日新聞や毎日新
聞などはニュースを URL 付きでツイートし情報発信をしている.IT 企業であるソフトバンク
も複数の公式 Twitter アカウントを持っており,社長である孫正義も個人のアカウントをもって
いるなど積極的に広報・PR 活動を行っている.
以上のことをまとめて,SNS における広報戦略はいかに画期的であるのかというと,以前ま
では知人との間でのみ口コミなどの情報の流布が行われていたが,SNS の登場によって知人間
のみならず,物理的な壁を越えて不特定多数の人々とも情報の交換・共有ができるようになった
ことである.
1-2. キャラクターを用いた広報
前節では主に近年の SNS の特徴について論じてきた.この節では,広報戦略・活動に用いら
れる「キャラクター」について論じていきたい. 本稿冒頭でも述べたが,SNS における広報戦
略・活動に,
「キャラクター」という要素を付加することにより,一層強力な広報戦略・活動に
なると筆者は考えるからである.
広報戦略・活動においてキャラクターは主に,特定の製品や企業・地域イメージなどの PR 手
段として用いられる.例を挙げるのなら,プロ野球や J リーグのマスコットなどが存在する.
特に滋賀県彦根市のひこにゃんや熊本県のくまモンなどの「ゆるキャラ」の活躍がめざましい.
ii
2012.11.5 河北新報より引用
- 188 -
ゆるキャラとは,「ゆるいマスコットキャラクター」を略したものであり,ゆるキャラの命名者
であるみうらじゅん(2009)によれば,全国各地で開催される地方自治体主催のイベントや村
おこし,名産品などの PR のために作られたキャラクターのことである.特に着ぐるみとなった
キャラクターを指す(みうら
2009).
最近では,このゆるキャラをメインとするイベントが行われるようになってきており,ゆるキ
ャラ祭り実行委員会によれば 2012 年 10 月 20~21 日の 2 日間にわたって開催された全国各地
のゆるキャラが集まるイベント「ゆるキャラまつり in 彦根」では,経済波及効果が約 4 億 8 千
万円と算出され,過去最高を記録したと発表したiii.また,2010 年からはゆるキャラグランプ
リivなるイベントも開催され,ますます「ゆるキャラ」は熱を帯びている.
出典)群馬県公式サイト
出典)ひこにゃん公式サイト
図 1 群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」
図 2 全国各地のゆるキャラたち
現在,企業や自治体の情報発信者がこのゆるキャラやマスコットなどのキャラクターのアカウ
ントを設け Twitter や Facebook などの SNS を通して企業の製品情報や行政情報などを積極的
に発信しているのが特に目立っている.このキャラクターアカウントの特徴として,企業の製品
や地域の PR 情報だけではなく,情報発信者がそのキャラクター特有の発言をし,キャラクター
アカウントごとによって異なるが,SNS 上で一般ユーザーとの双方向的なやりとりを行ってい
るということが,特に注目すべき点であると考える.また,SNS にキャラクターアカウントを
設けキャラクターを前面に出すことによって注目を集め,そのキャラクターが属する自治体と企
業が連携・協力するなどの効果も見受けられる.
以上のように広報における SNS とキャラクターの組み合わせはいかに効果的であるかを論じ
iii
iv
2012.10.26「MSN 産経ニュース west」参照
ゆるキャラの人気を競うと同時にそのゆるキャラが属する地域を PR する大会.
- 189 -
た.ただ単にキャラクターだということを度外視し,キャラクターの情報がリツイート機能など
や口コミで広がっていく仕組みが SNS 上のキャラクターアカウントには存在すると考える.
1-3 キャラクターを用いる要因
1-1 では SNS における広報を,1-2 ではキャラクターを用いた広報戦略について論述してきた.
それでは何故広報戦略においてキャラクターが用いられてきたのであろうか.キャラクターは何
か特別な力を持っているのだろうか.この点について青木貞茂(2012)は次のように主張する.
結論から言うと,キャラクターが,無機質な組織や商品に対して楽しさや面白さといっ
た感情,精神性,物語性,ドラマ性を与えるメディアだからです. キャラクターは,ビジ
ネスを人間化,エンターテインメント化する要素の一つと言えるかもしれません.だから
こそ,キャラクター付きの商品が売れたり,広告コミュニケーションがうまくいくのでは
ないでしょうか(青木
2012).
このようにキャラクターを用いる要因として,広報戦略・活動においてキャラクターという要
素が企業や自治体の発信する情報に何らかの形で関わることで,その情報に人の興味を引き付け
るような面白さや物語性などが付加されるという点が挙げられる.そして,そのキャラクターの
要素が付加された情報が一般の多くの人々から注目を集めていき,その情報が Twitter をはじめ
とする SNS 上で口コミとして広まっていくのではないかと考える.
2 広報戦略の類型化
前章では主に SNS におけるキャラクターを用いた広報戦略の概要について論じてきた.
次に,
本章では SNS における広報戦略の類型化を行う.企業や自治体などが行っている広報戦略を,
それぞれの広報戦略の特徴の違いなどから,「キャラクター型」「情報発信型」「コミュニケーシ
ョン型」の 3 類型に分類できると筆者は考える.そしてその 3 類型の妥当性を確認するために,
広報論の観点から検証を行っていく.
2-1. キャラクター型
キャラクター型とは,主に自治体や企業の情報発信者がイメージキャラクターを用いて
Twitter や Facebook などの SNS を通して情報を発信する類型である.企業情報や行政情報,
地域の PR などの決まりきった情報だけではなく,キャラクター特有の発言もツイートし情報発
信する.また,キャラクターが前面に出ることによって,注目を集めやすいという特長がある.
しかし,情報発信者がキャラクターのイメージを損なう発言や過激な発言を発信してしまい,結
果として Twitter アカウントのネット炎上を招く可能性がある.ネット炎上とは,荻上チキによ
れば,ウェブ上の特定の対象に対して批判が殺到し,収まりがつかなること.例えば,ブログや
SNS の日記,掲示板などに対して批判のコメントが殺到し,運営者だけでは管理しきれない状
- 190 -
態になってしまった場合などが典型的なケース(荻上
2007:7)と説明している.
ここでいうキャラクター発信型においては,藤江俊彦(1995)が主張する広報/PR に関する専門
用語である「プロモーション(Promotion)」に適合すると筆者は考える.藤江が定義するプロモ
ーションとは次のような概念である.
プロモーション(Promotion)
特定の人物,製品,サービス,組織などについて人びとに関心を持たせ,刺激し,需要
を喚起するような比較的短期的なコミュニケーション活動,つまりイベントや販売促進.
(藤江
1995:39)
1-3 でも述べたが,広報戦略・活動においてキャラクターを用いる理由は,発信する情報に人
の興味を引き付けるような要素を付加し情報の受け手に対してより興味を持ってもらうことで
ある.つまり,受け手に対してその情報を注目するよう促しているのである.このようなことか
ら,キャラクター型には「プロモーション」が適合すると考える.
2-2. コミュニケーション型
コミュニケーション型とは,情報発信者が一方的な情報を発信するだけではなく,フォロワー
からの質問に答えたりするなど,双方向的やりとりを重視する類型である.そのため一般ユーザ
ーの意見等を聴くために,一般のユーザーをフォローする場合が多い. また,キャラクター型
と共通する点として,SNS 上での不適切な発言などによってネット炎上を起こす可能性も十分
考えられる.
コミュニケーション型においては,藤江(1995)が主張する「コーポレート・リレーションズ
(Corporate relations)」が適合すると筆者は考える.藤江が定義するコーポレート・リレーシ
ョンズとは次のような概念である.
コーポレート・リレーションズ(Corporate relations)
企業型の組織や集団あるいは個人とインタラクティブに相互交流し,よい関係を築いて
いくことで,PR の一部分と考えられる.
(藤江
1995:37)
先ほども述べたが,コミュニケーション型は Twitter などの SNS 上で,情報の受け手である
一般の人々とも質疑応答などで積極的に交流し,自身の知名度やイメージの向上につながるよう
努めていると考えられる.このようなことから,コミュニケーション型にはコーポレート・リレ
ーションズが適合すると考える.
2-3. 情報発信型
情報発信型とは,企業や自治体がただ伝えたい情報を発信する類型である.特徴として,基本
- 191 -
的に SNS 上では一般のユーザーとのやり取りなどはしない,一日におけるツイート数はそれほ
ど多くはないという点が挙げられる.また,キャラクター型と対照的に行政情報や企業情報をた
だ発信するだけなので,キャラクター型と違い基本的注目を集めにくく,ネット炎上はおこりに
くいということが考えられる.
ここでいう情報発信型においては,藤江(1995)が主張する「広告(Advertising)」が適合する
と筆者は考える.藤江が主張する広告とは次のような概念である.
広告(Advertising)
メッセージの発信者が費用を負担し,不特定の大衆(対象)に対してメディアを介して
訴求するコミュニケーション活動.
(藤江
1995:38)
ここまで見てきたとおり,広報戦略にはそれぞれの特徴の違いから 3 種類の類型に分けられ
る.また,3 類型は独立してはいるが,実際にはそれぞれ 3 類型全てに該当する広報戦略・活動
も多少は存在する場合もあることに留意されたい.
3 具体事例の研究
第 2 章で論じてきた広報戦略の類型化をもとに,本章では SNS の 1 つである Twitter に焦点
を当てた事例を用いて具体的な議論へと進めていきたい.3-1 ではキャラクター型を用いた事例
を,3-2 ではコミュニケーション型の事例を,3-3 では情報発信型の事例について取り上げてい
く.
3-1. 熊本県 くまモンの事例
まず,全国的知名度を獲得しつつある熊本県のイメージキャラクター,くまモンの生い立ちに
ついて説明する.熊本県は 2011 年の九州新幹線開業に向けて,主に熊本県の認知度が低い関西
地方を対象に熊本県のアピールを強化したい考えから,2010 年に「くまもとサプライズ」と称
した PR 活動を開始した.くまモンはその計画の PR キャラクターとして生み出されたものであ
る.
- 192 -
出典
図 3)
くまモン公式 Twitter アカウント
熊本県のマスコットキャラクター「くまモン」の公式 Twitter アカウント
熊本県は,広報戦略として,くまモンを熊本県内よりも先に関西地方で活動させた.これはま
ず初めに関西地方でブレイクさせて,熊本県に里帰りさせるという計画があったからである.熊
本県は,ただ単にくまモンを出かけさせ PR 活動をさせただけでは一般の人々の関心は集まらな
いと考えた.そこで広報戦略として,あえてくまモンがどのようなキャラクターなのかというこ
とを伏せて各地に出没させ,くまモンの公式サイトや Twitter で活動を紹介していった.また,
その活動が多くの人の注目を集めていき,くまモンと遭遇した人が写真や動画をブログや
Twitter 経由でネット上に投稿し,瞬く間にインターネット上で認知度を高めていった.次に熊
本県は,広報戦略の展開として,新聞や交通機関の広告などの各種メディアで展開していき,く
まモンの正体を徐々に明らかにしていった.同時にラジオやテレビにも出演しメディアミックス
による話題化を狙っていった(ふくおかフィナンシャルグループ,
『熊本県営業部長“くまモン”
誕生の歴史とこれまでの歩み~熊本県のブランド向上に向けた取り組み~』参照)
次に本題であるくまモンの SNS 上での広報活動ついて解説していく.熊本県はくまモンのイ
ンターネット上の公式サイトはもちろん,Twitter や Facebook などの SNS 上における広報活
動を積極的に展開している.また Twitter におけるフォロワー数は 100 万名以上に上る(12 年
12 月現在).Twitter 上で,くまモンは地域の PR 情報をただ発信するのではなく,キャラクタ
ー型の特徴である,キャラクター特有の発言も行っている.例えば発言の語尾に「~モン」や「~
くま」などを付けて情報発信する.また,くまモンアカウントの特徴として,くまモンが出演す
るイベントやくまモンが現在どこで何をしているのかということが,くまモンの画像が添付され
たツイート情報によってすぐに知ることができる.そして,くまモンアカウントは,一般の
Twitter ユーザーのアカウントを積極的にフォローすることや,一般ユーザーから質問などがあ
ればその質問に返信するなど,コミュニケーション型の特徴も持ち合わせている.
- 193 -
3-2. 事例の考察
このように,SNS 上におけるくまモンを用いた広報戦略は,広報戦略の類型化におけるキャ
ラクター型に十分に該当すると考えられる.また繰り返しになるが,くまモンアカウントにはコ
ミュニケーション型の類型に当てはまる特徴も併せ持つ.この 2 種類の要素を併せ持つことに
より,くまモンの SNS 上における広報戦略はより強力なものであるということがうかがえる.
さらに注目すべき点として,熊本県が行っているくまモンの SNS 上での広報戦略は,くまモ
ンを用いた広報戦略のほんの一部に過ぎずないということである.先ほど述べたような活動や
SNS 以外にも,くまモンを用いた様々な広報活動を行っている.熊本県の魅力を伝えるために,
くまモンが 1 万枚の名刺を配って熊本の魅力を関西地方で発信するという広報活動にも,ただ
名刺を配って終わらせるのではなく,人々の興味や関心を集めるようなストーリー仕立てのプロ
モーション活動として展開していく戦略を行っていった.
また,熊本県はさらにくまモンの認知度を高める試みとして,細かい条件などがあるものの,
民間企業などがくまモンのイラストを無償で利用できる取組みを開始させた. その結果,くま
モングッズやくまモンをパッケージに描いた商品が県内外で発売され,2011 年のくまモン関連
商品の売り上げは,25 億円を超えるという.
このように,熊本県は,ただ注目を集めるためだけにくまモンを作成したのではなく,しっか
りとした計画性を持ってキャラクターを作製し,それをわずかな回数だけではなく,長期的な視
野を持ち,徹底的にくまモンを広報活動に用いていったことが熊本県の広報戦略の成功要因であ
ったと考えられる.
3-3. 熊本県 熊本タクシーの事例
熊本タクシーは,熊本市を拠点とするタクシー会社である.その熊本タクシーは 2012 年 3 月
に Twitter を利用した情報発信活動を始めた.その Twitter アカウントから発信される情報は,
熊本タクシーの具体的な業務内容や情報発信者である営業担当の K・I 氏の個人的な考えなどで
ある.そして,この熊本タクシーの Twitter アカウントの一番の注目すべき点であるのが,K・
I 氏が発信する情報の内容である.その内容は主に,漫画やアニメ,TV ゲームにとても精通して
いるようなものなのである.漫画やアニメ以外にも,ネットスラングを用いたものや時事的な内
容を含むものまで多岐にわたっている.この一風変わったツイートが注目を集め,Twitter 上な
どで拡散され,熊本タクシーの認知度を広まっていった.そして,熊本タクシーは一般のユーザ
ーからフォローされた場合には,積極的にフォロー返しを行っていき,そのユーザーの人々と
Twitter 上で交流するなど双方向的なやりとりに重点を置いていることが見受けられる.
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出典
熊本タクシー公式 Twitter アカウント
図 4)熊本タクシー公式アカウント
また,熊本タクシーの Twitter における広報戦略の具体的な成果として,熊本タクシーとゲー
ムソフト開発会社であるコーエーテクモゲームズのゲームソフト「戦国無双」とタイアップしラ
ッピングタクシーを運行するという取組みが行われた.
この取組みの経緯としては,熊本タクシーに対してとある一般のフォロワーの「戦国無双タク
シーとか作れませんか」という要望を,コーエーテクモが反応する.
「武将ゆかりの地の企業様
でしたらぜひ」とコーエーテクモが発言し,それに熊本タクシーが応える形でタイアップが実現
した.このタイアップについて熊本タクシーは,「このタクシーを目的として他の都道府県から
観光をしに来たお客が,わざわざ熊本タクシーを選ぶようになった.また,このタイアップは,
大きな宣伝になり,若い世代の多くの方々が注目し名前を覚えてくれるようになってくれた」と
コメントした.
出典
2012.6.15 Yahoo!ニュース
図 5)熊本県の武将である加藤清正のラッピングタクー
- 195 -
3-4. 事例の考察
このようなタイアップが実現できたのも,もちろん熊本タクシーとコーエーテクモの協力によ
るものではあるが,熊本タクシーが普段から Twitter 上でユーモア溢れるツイートを発信しそれ
が人々に注目され,フォロワーの人々とも積極的にコミュニケーション活動を行っていき,企業
の公式アカウントと一般アカウントとの壁というものを取り払ったことが大きな要因ではない
かと考えられる.
さらに,この熊本タクシーの事例の特筆すべき点として,これまで固いイメージがあったキャ
ラクターを用いてない企業や自治体の Twitter 公式アカウントの常識を一気に覆したというこ
とである.キャラクターが用いられていない Twitter アカウントの場合には,その団体の情報発
信者の裁量で情報を発信する場合が多いと考えられる.そのため,その情報発信者は自身が所属
する団体のイメージを損なわないようにと,慎重になって決まりきったような情報しか流さなく
なってしまう傾向があると考えられる.しかし,熊本タクシーはこのような考えとは正反対な行
動を取り,企業自身のイメージを損なうかもしれないリスクを負って行った取組みは,これまで
にない画期的な広報戦略であるといえるだろう.
3-5. 青森県 青森県庁の事例
青森県庁は 2009 年 7 月に Twitter でアカウントを取得し,情報発信を行っている.発信する
情報の内容は主に,行政情報の見出しとその行政情報の内容が詳しく掲載されている県の HP に
リンクする短縮 URL というものである.そして青森県庁の Twitter アカウントの1番の注目すべ
き点として,一切他の Twitter アカウントをフォローしていないというところである.つまり一
方的に情報を発信しているだけなのである.このことから判断して青森県庁はただ情報発信をす
ることだけに特化しているといえる.
- 196 -
出典
青森県庁公式 Twitter アカウント
図 6)青森県庁公式 Twitter
3-6. 事例の考察
この青森県庁の事例から,青森県庁の Twitter アカウントは紙媒体である県の広報紙や PR 誌
などと同じような行政情報の発信ツールとして利用しているにすぎないということである.そし
て,青森県庁のような情報発信型は,第 2 章でもとりあげたが,キャラクター型やコミュニケ
ーション型と比較して,ただ県の HP に掲載されているような決まりきった情報を発信している
だけで,人々の興味をそそるようなツイートを一切発信していない.このことから,情報発信型
は他の 2 類型と比べ一般のユーザーからの注目を集めることが難しいのではと考える.
しかし,情報発信型にはとても重要な役割があると筆者は考える.1 章の 1-1 においてでも少
し述べたが,それは災害があった時の即時性の高い情報発信ツールとしての役割である.仮に地
震が起き,被災してしまった場合,被害状況や避難所の場所を知ることは命に係わることである.
そのような場合に,情報発信型のアカウントは被災者の命を助ける情報を適切に提供できるので
はないかと考える
以上のことをまとめると,青森県庁のようなただ決まりきった情報を発信する情報発信型は他
の広報戦略 2 類型に比べれば,一般のユーザーからの注目を集めることは難しいと考える.し
かし,震災などが発生した場合には,被災者などに対して適切な情報を発信できる即時性の高い
ツールとして役立つことが期待される.
4 発生する問題
ここまで,SNS 上における広報戦略の類型化,そしてその類型化を元にした具体的な事例の
研究について論じてきた.第 4 章では,SNS 上で展開される広報戦略・活動において発生して
- 197 -
しまった負の事例について論じていきたい.
4-1. 長万部町 まんべくんの事例
まんべくんは長万部町の公式イメージキャラクターである.2003 年に長万部町開礎 130 年記
念事業で公募し選ばれた準入選のキャラクターが元となっている.長万部の名産品がキャラクタ
ーに組み込まれており,髪はアイリスの花,耳はホタテ,体はカニという不思議な風貌である.
そしてまんべくんはその一見変わった風貌だけではなく,2010 年から開始した Twitter での自
由奔放な発言や毒舌で多くの人々から注目を集めており,町の人口約 6255 人を大きく上回る約
9 万以上のフォロワーがいた.また,このまんべくんの Twitter アカウントは長万部町の職員が
直接運営していたのではなく,まんべくんの管理を長万部町から委託されていた広告代理事業な
どを行っている株式会社エム社が運営していた.
出典 まんべくん Facebook
出典
図 7)長万部町のキャラクター「まんべくん」
ITmedia オルタナティブ・ブログ
図 8)まんべくんの公式 Twitter アカウント
問題が発生したのが,2011 年 8 月のことである. Twitter 上で,まんべくんが太平洋戦争に
関して,
「どう見ても日本の侵略戦争が全てのはじまりです.ありがとうございました.
」といっ
た内容の発言を複数ツイートした.このツイートに対して Twitter 上では,まんべくんに対して
多くの非難するツイートが寄せられ,結果として「炎上」を招いてしまった.また,長万部町に
も直接多くのメールや電話が相次ぎ,これを重く見た同町はまんべくんの Twitter アカウントを
運用しているエム社に対しキャラクター商標使用許諾を停止し,Twitter は中止させると発表し
た.また長万部町の公式 HP では謝罪のコメントが掲載され,エム社からもまんべくんの公式
HP で謝罪のコメントが掲載された.なお,2012 年 1 月にエム社によってまんべくんの Twitter
アカウントは復活している.
4-2. 事例の考察
この事例から分かることとしてまず挙げられるのが,炎上マーケティングである.炎上マーケ
- 198 -
ティングとは,ネット炎上を用いたマーケティング手法であり,ブログや SNS 上で意図的に批
判を集めるような発言し,注目を集めるという行為である.報発信元であるエム社は狙ってこの
ような炎上マーケティングを発生させたものと見受けられる.確かに,過激な発言で非難を浴び,
注目を集めたということだけに関していえば,まんべくんを利用した炎上マーケティングは成功
したといえるかもしれない.しかし,今回のまんべくんの事例に関して企業や自治体の広報コン
サルトを専門とする小田順子は次のように主張している.
ツイッターの運用を事業者に任せれば,爆発的な人気を呼ぶことができるかもしれない.
問題があれば,契約を解除してしまえばいい.しかし,自治体のその行為自体が批判の対
象となり,結果的にマイナスイメージだけが残る恐れもある(小田
2012)
確かに炎上マーケティングは多くの人々から注目を集めるための有効な手段の 1 つといえる
かもしれない.しかし,炎上マーケティングには,その宣伝行為自体が批判の対象になってしま
い,結果的にマイナスイメージだけが残ってしまうリスクが十分に考えられる.
そして,この事例からは,SNS 上におけるキャラクターを運用していくこと,とりわけキャ
ラクターのイメージ維持の難しさも見受けられる.2 章の 2-1 でも述べたが,キャラクター型の
広報戦略・活動の特徴としてキャラクター特有の発言を前面に出すことで,人々の興味を惹きつ
け注目を集めるという点がある.このまんべくんアカウントは,この炎上事件以前からたびたび
過激な発言を行っており,多くの一般ユーザーとも Twitter 上でコミュニケーションをとってい
た.そのような過激な発言やコミュニケーション活動を含め,まんべくんのキャラクターであり,
そこに人気があったと考えられる.しかし,今回の炎上事件のように,情報発信者がいくら普段
から過激な発言をまんべくんを通して発信しているといえ,キャラクターのイメージを損なう発
言,しかも戦争に関することをなんの脈絡もなくしてしまったことには,情報発信者の SNS を
利用して情報発信をすることへの配慮が欠けていたと言わざるを得ないだろう.情報発信者は,
戦争に関するツイートではまんべくんのイメージを壊すものではないと思っていたのかもしれ
ない.だが,多くの人々に反感を持たれてしまい,結果として炎上事件を招いてしまった.確か
にキャラクター特有の発言を積極的に押し出していくことは,その情報を発信する企業や自治体
が人々から注目を集めていくためには不可欠なことである.しかし,情報発信者がこのように配
慮に欠けており,企業や自治体を象徴するキャラクターのイメージを損なうような度が過ぎる発
言をしていては,その企業や自治体にとってマイナス効果になることは避けられないだろう.
4-3. 求められる広報のあり方
それでは SNS 上でキャラクターを用いて広報戦略・活動を安全に運用していくにはどのよう
なことが求められているのだろうか.今回のまんべくんの事例を受けて,企業のソーシャルメデ
ィア運用を専門とする福田浩至は企業が公式 Twitter アカウントを運営することに関して次の
ように主張している.
- 199 -
今日,多くの企業で Twitter の「公式アカウント」と称したアカウントが運営されていま
す.運用ポリシーに,「発言は,運用担当者の見解に過ぎず,会社の意見を表明しているも
のではありません」といった注釈を付けられることも珍しくありません.リスク管理の観点
から,免責事項を明記することは理解できます.「公式アカウント」と称されるアカウント
について,言葉の用法や運用基準として,世の中にオーソライズされた定義はありません.
しかし,読者からすれば,それと名乗るからには,少なくとも「組織の内部関係者が運営し
ているであろう」とイメージします.今回の件だけでなく,47ニュースの公式アカウント,
てくにゃんが閉鎖に追い込まれたvことも記憶に新しいところです.このアカウントでも,プ
ロフィールには「会社の公式な見解とは必ずしも一致するものではございませんのでご了承
下さい.」との記載がありました.
このように,公式アカウントを運営する以上,
・組織の内部関係者としてふさわしい(あるいは差し支えない)発言を求める運用ルールを
設け
・運用ルールを履行しているか否かを評価し,していない場合には指導する(あるいは運用
ルールを変更する)
責任は求められることを覚悟しなければなりません.
今回の一件で,その責任を自覚しないで,公式アカウントを運営することは,大変危険な
ことであることが明らかになりました.当然,コストも労力もかけずに,運営できる代物で
はありません(福田
2011)
福田は企業や自治体が SNS 上で公式アカウントを運用していくことについて,適切なルール
のもと公式アカウントを運用していくことが重要であると主張している.また,既にいくつか
の企業や自治体で,広報戦略・活動において Twitter をはじめとする SNS を利用することに関
する運用ルールやガイドラインを作成しているところもある.民間企業では朝日新聞社が,自
治体では東京都文京区や長崎県などが挙げられる.これらの運用ルールやガイドラインのいく
つか共通する事項として,情報発信の留意点や情報発信の意思決定,SNS がどのようなもので
あるかについての詳しい解説,広報活動に SNS を用いることの目的などが挙げられる.
そして,キャラクターを用いて広報活動を行っていくにあたり,キャラクターを運用していく
ことに一定の規定を設けることも,広報活動を円滑に行っていくためには不可欠なことであると
考えられる.第3章でも事例で取り扱った熊本県のくまもんは,
「熊本県キャラクターくまモン・
くまもとサプライズロゴの利用に関する規程」によって運用されている.この規定には,利用許
47 ニュース公式キャラクターである,てくにゃんの公式 Twitter アカウントが問題発言など
で非難を集め,Twitter 開始からわずか 1 か月でアカウントを閉鎖した事件(2011.7.11
「ITmedia オルタナティブ・ブログ」参照).
v
- 200 -
諾の制限というものがあり,キャラクターのイメージを損なうような行動した場合などには利用
を制限すると明記されている,また,くまモンのSNS上のアカウント運用から判断するに,く
まモンアカウントもこの利用規定の元,広報活動を行っていると考えられる.このような利用規
約のもとキャラクターを運用することができれば,キャラクターのイメージを損なわずに広報活
動を行うことができるといえよう.
以上のことから,企業や自治体が SNS 上におけるキャラクターを用いた広報戦略を行ってい
くにあたり,まず広報に SNS を利用することに関する運用ルールやガイドラインを作成し,尚
且つキャラクターを運用していくことにも適切な利用規約の元,広報にキャラクターを運用して
いくことがこの SNS におけるキャラクターを用いた広報に求められるのものではないかと考え
る.
おわりに
ここまで,SNS における広報とキャラクターを用いた広報についてそれぞれ論じてきた.次
に,SNS 上で展開される広報戦略・活動を 3 類型に分類することができた.イメージキャラク
ターを用いて情報発信をするキャラクター型,一般のユーザーとの双方向的なやりとりを重視す
るコミュニケーション型,伝えたい情報をただ発信し他のユーザーとのやりとりはほとんど行わ
ない情報発信型の 3 類型に分類することができ,それぞれの類型ごとの事例を考察した.だが,
本稿冒頭でも述べたが,この分野に焦点を当てた研究活動はあまり多くは行われておらず,本稿
における研究はやや裏付けを欠くものかもしれない.
しかし,速報性や伝播性が高く,不特定多数の人々とも情報の交換ができる Twitter や
Facebook などの「SNS」と人々を惹きつける要素を持ち合わせる「キャラクター」の組み合わ
せがいかに強力な広報戦略・活動になりうるかお分かりいただけたはずである.
また一方では,まんべくんの事例のように,運用方法を誤ってしまえば炎上事件を招くなど返
ってマイナスの効果を生じさせてしまうことも十分に考えられる.そのような事態を防いでいく
ためにも,適切な運用ルールを設けて広報活動を行っていくことが求められるだろう.ある決ま
った一定のルールの元,SNS 上の公式アカウントとキャラクターを適切に運用することができ
れば,この SNS におけるキャラクターを用いた広報戦略・活動は,今までの広報あり方を変え
る新たな広報戦略・活動の 1 つとなりうるのではないかと期待したい.
謝辞
本稿執筆にあたり,熊本タクシー営業担当 K・I 氏にはお忙しい中ヒアリング調査をご協力し
ていただきました.この場をお借りして感謝を申し上げます.
文献
津田大介,2012,『動員の革命 ソーシャルメディアは何を変えたのか』中央公論新社.
藤江俊彦,1995,『現代の広報‐戦略と実際』電通.
- 201 -
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河北新報 2012. 11. 5
小田順子,2011,『「ルール」の作成より「目的」の設定-「まんべくん」事件に学ぶ自治体のツ
イッター運用 』地方行政 第 10254 号
時事通信社.
ふくおかフィナンシャルグループ,2012,
『熊本県営業部長“くまモン”誕生の歴史とこれまで
の歩み~熊本県のブランド向上に向けた取り組み~ 』FFG MONTHLY SURVEY
Vol.54.
ニュース-ORICON STYLE-,2009 年 11 月 27 日,
『みうらじゅんインタビュー 最近俺自身が
ゆるキャラになってる?』
,
(2013 年 2 月 13 日取得,http://www.oricon.co.jp/news/special/71089/).
青木貞茂,2012,キャラクターはコミュニケーションに有効なのか,読売 AD リポート ojo(2012
年 12 月 13 日取得,
http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/tokusyu/20120405/201204toku6.html).
MSN 産経ニュース west,2012 年 10 月 26 日,『なんと 4 億 8 千万円!「ゆるキャラ祭り」の
経済効果過去最高』,
(2012 年 11 月 22 日取得,
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121026/wlf12102610220007-n1.htm ).
群馬県庁,
(2013 年 1 月 8 日取得,http://www.pref.gunma.jp/).
ひこにゃん公式サイト,
(2013 年 1 月 8 日取得 http://hikone-hikonyan.jp/weblog/).
くまモン公式 Twitter アカウント,(2013 年 1 月 9 日取得,
https://twitter.com/intent/user?screen_name=55_kumamon).
熊本タクシー公式 Twitter アカウント(2013 年 1 月 9 日取得,
https://twitter.com/kumamototaxi).
青森県庁公式 Twitter アカウント,(2013 年 1 月 8 日取得 https://twitter.com/AomoriPref).
Yahoo!ニュース,2012 年 6 月 15 日,『戦国無双 Chronicle 2nd』×熊本タクシー,
武将ゆかりの地でラッピングタクシーを運行,(2012 年 6 月 7 日取得,
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120615-00000025-isd-game).
福田浩至,2011,ソーシャルメディア公式アカウントの運用心得〜「まんべくん」Twitter 閉鎖
の教訓,ITmedia オルタナティブ・ブログ,(2013 年 1 月 3 日取得,
http://blogs.itmedia.co.jp/kojifukuda/2011/08/post-05d2.html).
福田浩至,2011 年 7 月 11 日,影響力のある社員を活かす,BBC のソーシャルメディア運用ガ
イダンス,ITmedia オルタナティブ・ブログ,(2013 年 1 月 3 日取得
http://blogs.itmedia.co.jp/kojifukuda/2011/07/bbc-ba61.html).
- 202 -
情報の海に沈む地域のメッセージ
―インターネット時代における地域広報―
笹川 諒平
はじめに
インターネット環境の拡大と検索エンジンの進歩に伴い,人々が享受することのできるメディ
アの数は増加の一途をたどり,我々は世界中に散らばる情報を迅速かつ容易に手に入れることが
出来るようになった.しかし,情報発信者の立場になると,地域における広報など,伝えたい情
報がかえって人々に届かなくなっているというデメリットを生み出すこととなった.本論文では,
我々がさらされている情報社会と,その中で埋もれつつある地域広報のこれからを論じていきた
いと思う.
1 インターネット社会における地域広報の矛盾―メッセージはなぜ伝わらな
いのか―
1-1. インターネットの普及は地方に何をもたらすのか
情報の送り手と受け手の境目がなくなり,誰もが情報発信をすることができる,いわゆる
web2.0 の時代が到来してから,インターネット上では巨大なサイトから個人で運営するサイト
まで多数のサイトが乱立し,人々がメディアからもたらされる情報量は拡大の一途をたどってい
る.それに乗じて,企業や各団体のように国や市町村などの各地方自治体もインターネット上の
ウェブサイトに広報の場を広げる傾向にある.情報発信できるメディアが限られている地方都市
にとってインターネットの普及は,メッセージを全国の人に届けることができるという点で追い
風である.しかし実際は,他の多くの情報に埋もれて人々に届いていないのが現状である.この
ような事態に陥ってしまった要因を 2 段階に分けて,次節以降で述べていきたいと思う.
1-2. メディアの変遷
地域メッセージが伝わらない要因の 1 段階目として,人々が享受するメディアスタイル
の変遷があげられる.Web2.0 以降,人々が享受するメディアにも変化が見られた.新聞や
テレビなどを主体とする「プッシュ・メディア」から,インターネットを媒体にした各種
サイトや SNS などが中心の「プル・メディア」に変化していったのである.プッシュ・メ
ディアとは,情報を発信する側(テレビ局や新聞社など)から積極的に情報を流して人々
に受け取ってもらうメディアスタイルを指し,情報の送り手と受け手の区分は比較的はっ
きりとしている.一方プル・メディアとは,情報の送り手と受け手の区分があいまいにな
り,情報の享受者が数多くのメディアの中から自分の求める事柄を選び出すメディアスタ
イルを指す(土橋 2011)
.このメディアスタイルの変遷によって,情報の受け手は,数あ
- 203 -
るメディアの中から自分の基準で情報コンテンツを選択し享受することが可能になった.
このメディアスタイルの変遷の背景には情報社会の拡大がある.米マイクロソフト社の
「Windows95」
,web ブラウザ「Internet Explorer」が登場した 1990 年代を皮切りに,今
まで一部の人が使用していたインターネットが一般人にも広く普及した.これにより,コ
ンピューターに精通する人の特権であった「膨大な情報の所有・閲覧と発信」という行為
を,誰もが行える時代になったのである.
1-3. 人々が行う“情報の選り好み”
地域メッセージが伝わらない要因の 2 段階目として,メディアスタイルの変遷によって
人々の情報享受の仕方に変化が起きたことがあげられる.プル・メディア化の進展によっ
て人々が主体的に情報の取捨選択をするようになったが,選ぶ情報の判断はその人の基準
によるところが大きい.また,インターネット上にあるすべての情報を確認することはと
てもできることではない.このような状況において,人々は,自分が共感できそうな意見
や自分の考えと会う意見を中心に選択してしまう.例えば,インターネットで調べ物をす
る際に探している事柄をキーワード検索にかけ,上がった数多くのサイトの中から上位数
サイトを閲覧するだけの人は少なくないだろう.また,SNS におけるフォロワーなどのリ
ンク設定は友人関係にある人のコミュニティや好みのアカウントにとどまる人は多い.こ
のように,選択する情報量の多さと自分から主体的に選択させるスタイルが,人々に「見
たいものしか見ない」選択をさせ,かえって情報の選択範囲を狭めているのである.この
現状について土橋は,
「今日のウェブは,それぞれの利用者の嗜好や関心に最適化された情
報を送り届ける技術を様々な形で実装している.逆に言えばそれは,あらかじめそれぞれ
の個人にカスタマイズされた情報を送り届けることで,その外部への関心を緩やかに遮断
するのである」と述べている.土橋はこの言葉を通して,人々の情報の取捨選択によって,
プッシュ・メディアの時代に起きていた“偶然の出会い”,つまり自分の選択基準以外の情
報を発見する機会がなくなってしまったことを示している(土橋 2011)
.
地域広報では,プル・メディア化がもたらす情報の選択が,インターネットにより多く
の人々の目に届くはずのメッセージを認識させにくくするという矛盾を課題として対処し
なくてはならない.
2 ネット環境の発展と検索エンジンの台頭
地域広報が伝わりにくくなった背景として,インターネットの普及があることを第 1 章
で述べたが,その要因として検索エンジンの発展が挙げられる.コンピューター操作の素
人であっても web サイトの閲覧を容易にしたという点で,検索エンジンの功績は大きい.
この章では,人々に使われる検索エンジンがどのような発展を遂げたのか,そしてそれら
が地域広報にもたらす問題点などを述べて行きたいと思う.
- 204 -
2-1. 初期インターネットの問題点
第 1 章でも言及したが,インターネットが一般家庭にも普及してきたのは 1990 年代半ば
である.初期のインターネットは,目的の web サイトを探すのが非常に難しかった.イン
ターネットのどこにどんな情報があるのかが不明瞭だったためである.インターネット利
用者と,web サイトの橋渡しとなる存在が求められた.それが検索エンジンである.人々
が普段使っている検索エンジンは,情報の取捨選択を人間の代わりに自動的に行い,世界
中の情報を自分の好みや求めている形に振り分けて提供するために様々なシステムを構築
した.検索エンジンがなければ,インターネットの普及は難しかっただろう.
2-2. Yahoo! の登場―ポータルサイト全盛期―
「Windows95」と「Internet Explorer」登場と同時期,「msn(Microsoft Network)
」
や「Excite」をはじめとする「ポータルサイト」と呼ばれる数々のインターネット検索サイ
トが作られたが,その中で最も広く普及したのが,アメリカ初の「Yahoo!」である.
Yahoo! は 1994 年,アメリカのスタンフォード大学の学生だったジェリー・ヤンとデビ
ット・ファイロによって作成された.当初は個人的なリンク集(ウェブディレクトリ)と
して作成されたがその後評判を呼び,1995 年に会社法人として本格的にサービスを開始し
た.検索エンジンとしてのタイプはディレクトリ(カテゴリ)型検索エンジンに分類され
る.ディレクトリ型とは,web 上のコンテンツの調査,キーワード分類やカテゴリ分けを
人為的に行ってサイト上に掲載したものである.利用者は自分の求めるカテゴリの中から
見たいサイトを検索し,閲覧することができる(神崎 西井共著 2004)
.当時,当時のイン
ターネット利用者は「web 上のどこにどのような情報があるのか知りたい」という意思が
あり,サイト運営者や企業には「自分の web サイトを広く知ってもらいたい」という意思
があった.Yahoo! は自身のサイト上にそのような意思を持つ企業のホームページを掲載す
ることで,サイト利用者がはじめに Yahoo! に接続し,そこから各々別のサイトにわたって
いくというスタイルを確立した.それにより,Yahoo! はインターネット利用者と web サイ
ト運営者との橋渡し的存在となり,ポータルサイトとしての圧倒的地位を確立していった.
2-3. Google の台頭
ディレクトリ型検索エンジンの代表的存在である Yahoo! とは違った検索スタイルを確
立した検索エンジンが Google である.
Google は,1998 年にスタンフォード大学の博士課程の学生だったラリー・ペイジとセル
ゲイ・ブリンによって開発され,その後会社として創業した.現在のインターネット検索
エンジンのトップシェアを誇る巨大検索エンジン会社である(神崎 西井共著 2004)
.
Google はキーワード型検索エンジンに分類される.キーワード型とは,目的のコンテン
ツのキーワードを入力してそこからヒットしたサイトをリストアップする手法だ.Google
以前のキーワード型検索エンジンで使用されたページアルゴリズムは,単にサイト内にど
- 205 -
れだけキーワードを多く含むかなどの不公正で正確性に乏しいものであった.Google では,
「ハイパーテキスト分析」と「ページ・ランク」という独自の 2 つの機能を用いてサイト
の優劣性を決めている.
「ハイパーテキスト分析」とは,HTML の内容や構成から,キーワ
ードの文字のサイズ,大きさ,ページタイトルか否かなど,検索されたキーワードがどれ
ほど重要な扱いを受けているかを分析するシステムで,従来のテキスト分析よりも総合的
にサイトにおけるキーワードの重要度合いを決定づける.そして,Google 独自であるのが
「ページ・ランク」と呼ばれるシステムだ.これは,web サイト同士の相互リンクの度合
いから優劣性を判断する仕組みで,web サイトのページに注目したとき,そのページにリ
ンクが張られているページをそのページへの「支持投票」とみなし,その「支持投票」の
総ポイントを計算するといったものである.リンク先のページの「支持投票」のポイント
は,そこにリンクがどれだけ張られているかによって決定される.つまり,よりリンクの
多いページは重要度が高いとみなし,重要度の高いページからリンクが張られているペー
ジもまた重要度が高いとみなされるようなシステムになっているのだ(神崎 西井共著
2004).このように,Google では独自のシステムによって,極力公正で正確な検索アルゴ
リズムの設計に努めている.
50
サイト A
サイト C
ランク:100
ランク:53
3
50
サイト B
サイト D
ランク:9
ランク:50
3
3
図 1 ページランク リンクとポイントの仕組み
出典:体系的に学ぶ 検索エンジンのしくみ
2-4. 検索エンジンがもたらす問題
前述してきたように,Yahoo! や Google をはじめとする検索エンジンの普及は,求める
コンテンツに対して返ってくる膨大なコンテンツを選別する技術の進歩とともに広まった
が,筆者は,検索エンジン自体がインターネット利用者に画一的な情報を与えている原因
になっていると推測している.ディレクトリ型検索エンジンにおいては,コンテンツの調
査やカテゴリ分けなどの作業が人為的に行われるために情報の変化や入れ替わりに乏しく,
- 206 -
また情報の総量自体がキーワード型に比べてはるかに少ないため,何度サイトを訪問して
も内容が変わらず新しい発見が少ないという問題点がある.一方,前述の Google における
ページアルゴリズムは,かつての検索エンジンと比べてはるかにフェアな判断基準を有す
る.しかし,人々が検索した結果ヒットした数多くのページの中で,ランキング下位に位
置するページに関心を寄せることは少ない.また,そういってページランキングの発達と
ともに SEM(サーチエンジンマーケティング)といった,検索エンジン上で上位に表示さ
せようとするマーケティング手法が生み出されることになり,いかにして web サイトを
人々の目に触れさせるかという技術と努力の需要が生み出された.地域広報においてもこ
の問題は例外ではないため,ホームページ制作者の技術次第で自治体のサイトの重要度が
決定づけられるというのが現状である.
3 インターネット時代における地域メッセージ
3-1. 前時代的な“お知らせ型広報”
第1章では,地域におけるメッセージが伝わりにくくなった背景について言及したが,この章
では,地域広報そのものの在り方について述べていく.現代の情報社会において,地域広報が人々
に浸透しなかった理由は,今までの広報のスタイルがインターネットの普及した現代に合ってな
かったからではないだろうか.かつての地域広報といえば,地域に関する情報をただ掲載する広
報誌に代表されるような「お知らせ型広報」である.広報誌や web サイトに載せられた自治体
側からの一方的なお知らせを,地域住民が「きっと読んでくれているはず」という考えのもとに
成り立っていた(電通 2005),いわば一方通行で流されるスタイルの広報である.だが,人々
が享受するメディアの数が増加した現代では,もはや何の目新しさのないそのスタイルは時代遅
れとなり,新しい情報を求める人々に取り残される結果となってしまったのではないだろうか.
これからの地域広報は,そのような前時代型のお知らせ型広報から脱却し,ほかのメディアを巻
き込んでの広報活動が必要になるだろう.
3-2. これからの広報には何が必要か
この節では,地域広報のこれからの在り方を3つの分類に分け,それぞれ事例を交えながら分
析していく.
広報や広告の世界に,「AIDMA(アイドマ)の法則」というものがある.これは人が情報を
得てからの態度変容のプロセスに注目するもので,
「Attention(注目)
」
「Interest(関心)」
「Desire
(欲求)
」「Memory(記憶)」「Action(行動)
」の頭文字をとったものである(電通 2005).筆
者はこの法則を地域広報に生かすことで,人々から認知・注目される広報を行うことが出来るの
ではないかと考える.インターネットの普及に伴うコンテンツの増加が著しい現代で地域広報が
効力を持つためには,いかにして人々に注目・記憶され,潜在的にコンテンツを認識させるかに
かかっている.ここでは,株式会社電通のソーシャルプロジェクト室が提唱する2つの未来型広
報のタイプである「対話型広報」と「話題喚起・運動型広報」に,新たに筆者が提唱する「コン
- 207 -
テンツ型広報」の3つの類型について述べていく.
3-2-1. 対話型広報―一方向から双方向へ―
電通が提唱した,これからの地域広報が変わるべきスタイルの1つが,対話型広報であ
る.これは今までの自治体による一方通行の情報発信から,自治体と住民による双方向の
コミュニケーションを主体としているスタイルだ.ネットワークの発達により,地方自治
体と地域住民はホームページ上で意見交換をすることが可能になった.その代表的な例が
SNS を用いた広報だ.Twitter や Facebook のような SNS を使うことの利点は,インター
ネット上での人々との対話が容易になることと,質問に早いレスポンスで返答できるとい
うことだ.SNS にアカウントを作成し,その SNS 上でイベント情報の発信や,利用者と対
話することを目的とする.だが,対話型広報に SNS を用いる点において1つの問題点があ
る.現在普及する SNS の多くが個人間や仲間内での交流という狭い範囲でのコミュニケー
ションを目的に使用されており,人々にアカウントを認知してもらえないという課題が浮
上する.これらを広報活動に活用するとなると,人々の関心を向ける工夫が必要になるだ
ろう.近年では,市町村そのもののアカウント以外にも,その地域の PR を担うような「ゆ
るキャラ」と呼ばれる地方独特のキャラクターをアカウントとして使用することで,人々
の注目を集める事例が増えている.この対話型広報を AIDMA の法則に当てはめると,以
下のようになる.
表1 対話型広報における AIDMA の法則の適応
Attention 注目
Interest 関心
SNS におけるアカウントの作成,または,アカウントにゆるキ
ャラの使用
Desire 欲求
アカウントと対話が可能であるということ
Memory 記憶
アカウントの認知
Action 行動
アカウントとの対話・コミュニケーション
(著者作成)
アカウントにゆるキャラを使用することで Attention(注目)Interest(関心)Memory(記
憶)をさせ,アカウント(キャラクター)との会話を楽しみたいという Desire(欲求)を
掻き立て,Action(行動)を起こさせるということが可能になる.
3-2-2. 話題喚起・運動型広報
電通が提唱するもう1つの広報スタイルが,話題喚起・運動型広報である.単なる広告
とは違った活動をして,人々の注目を集めるスタイルである.この広報において必要なの
- 208 -
が,カンフル剤としての新鮮な情報(ニュース)を定期的に提供することだ(電通 2005)
.
一過性のもので終わらないために常に何らかの行動を起こし,人々に飽きさせないように
する努力が必要だ.
このタイプの広報の例として,熊本県のマスコットキャラクターである「くまモン」が
挙げられる.くまモンは,2011 年の九州新幹線の全面開通に向けて関西地方の観光客を,
九州新幹線が通過する熊本県に呼び込むためのキャンペーンである「くまもとサプライズ」
運動の一環として生まれたキャラクターである.Twitter や Facebook などの SNS を用い
た PR 活動やテレビへの出演も積極的に行って全国的な知名度を獲得し,PR 効果は約 6 億
4 千万円にも上る.このくまモンの PR 方法として特筆すべきなのが,「大阪でくまモンを
探せ」というキャンペーンだ.くまモンが大阪出張中に失踪したという設定を作り,熊本
県知事がホームページ上で緊急記者会見を開き,Twitter での目撃情報の投稿を呼び掛けた
ものである(五十嵐 2012)
.大阪で発見した人が目撃情報を投稿するなど,リアルな情報
がネット上で拡散していった.この事例に AIDMA の法則を当てはめると以下のようにな
る.
表2 話題喚起・運動型広報(くまモンの事例)における AIDMA の法則の適応
Attention 注目
キャラクター性,参加型のキャンペーンをはじめとする PR 活動,
Interest 関心
各種 SNS の活用
Desire 欲求
キャンペーンへの参加を誘発
Memory 記憶
個性のあるキャラクター性による記憶
Action 行動
くまモンに関するキャンペーンへの参加
(著者作成)
「大阪でくまモンを探せ」キャンペーンをはじめとする奇抜な PR 活動や独特なキャラク
ター性によって人々に Attention(注目)Interest(関心)Memory(記憶)させ,人々に
活動に参加したいという Desire(欲求)を起こさせた.SNS における情報の拡散スピード
の速さを活用するとともに,情報の発信ツールを持つ人々の「自分たちもムーブメントに
参加したい」という潜在的な欲求をうまく活用した結果,抜群の知名度を獲得することに
なったのではないだろうか.
3-2-3. コンテンツ型広報
2012 年 3 月より,
「輪廻のラグランジェ」という TV アニメ作品が放送された.本作品は
千葉県鴨川市が舞台になっている.作品内では実在する風景をもとにした背景が使われて
おり,劇中にも千葉県鴨川市という土地名が実際に登場している.さらに同市においては
「輪廻のラグランジェ鴨川推進委員会」が発足された.同委員会は,市の商工会や観光協
- 209 -
会で構成され,鴨川市による全面的なバックアップで,TV アニメと連動した市の広報活動
が行われた.
2000 年代以降の TV アニメ作品の特徴として,実在する土地の風景をトレースした背景
を用いる手法がある.TV アニメに限らず,ドラマや小説などのフィクション作品において,
実際の地域を舞台とすることは多かったが,近年は作品内で使用された地域をアピールし,
その作品のファンに知ってもらおうとする動きが増加している.前述したように,電通は
これからの広報モデルとして,
「対話型広報」と「話題喚起・運動型広報」の2つの類型を
提唱したが,筆者はその中にもう1つ「コンテンツ型広報」を提案したいと思う.「コンテ
ンツ型広報」とは,地域を小説やドラマ,アニメなどの舞台として活用して名前を知って
もらうといった,地域単体でなくあるコンテンツに付随する形で行われる広報である.こ
の広報の特徴は,特定の作品のファンに知名度を広げることが出来るということだ.全国
規模で認知されるコンテンツと一緒に地域の名前・イメージが広がるとともに,その作品
のファン層がその作品の舞台を訪れるといった,いわゆる「聖地巡礼」の効果も期待でき
る.このコンテンツ型広報に AIDMA の法則を当てはめると,以下のようになる.
表3 コンテンツ型広報における AIDMA の法則の適応
Attention 注目
実在する地域が,作品の舞台となること
Interest 関心
Desire 欲求
作品の舞台となるまちに対する欲求
Memory 記憶
作品の記憶に伴う地域の認識
Action 行動
地域への聖地巡礼など
(著者作成)
「実在する地域が作品に登場するまちの舞台となっている」ということが人々に
Attention(注目)と Interest(関心)を持たせ,実際にその地域に行ってみたいという Desire
(欲求)を引き起こさせることになるのだ.そして他のコンテンツの普及とともに地域の
名前が広がっていくので,地域単体で PR 活動を行うよりも容易だという点が挙げられる.
しかし,このモデルは広報として留意すべき点がいくつか存在する.まず,作品の舞台に
なったとしても,地域単体では限られた効果しか上げられないということだ.ほかのコン
テンツに付随する形の広報なので,その宣伝効果は付随する作品の知名度に大きく依存す
る.そして,このモデルの主体はあくまでもコンテンツそのものであり,舞台となる地域
に注目が集まるかどうかは作品のファンの判断に左右されてしまうのである.活用するに
は,作品側と地域側の相互協力関係が求められる.
3-3. これからの地域広報に必要なこと
ここまでに,これからの地域広報を分類し,事例を交えながら分析してきたが,それら
- 210 -
の中に共通するポイントとして,地域広報を「人々に潜在的に認識させる」ということが
挙げられる.対話型広報での相互コミュニケーションや話題喚起型における絶え間ない広
報活動,コンテンツ型広報での地域の舞台化など,これらすべては,現代の人々が日常で
地域のコンテンツに遭遇する機会を増やすことにつながる.人々が能動的に情報を選択す
る状況の中で,筆者の主張である「潜在的に認識させる」ということは受動的な行為とと
らえられる.だが,プル・メディア化により失われてしまった受動的な情報の享受にこそ,
これからの地域広報の活路があるのではないだろうか.地自法自治体は,情報が氾濫する
社会のなかで,地域コンテンツを人々に認識させるために多角的な手法を模索する努力が
必要となってくるだろう.
おわりに
今回,筆者が「インターネット社会における地域広報の在り方」をテーマにしたのは,ネ
ット環境が普及した現代の人々の情報享受に疑問を持ったからである.インターネット社
会は,人々が好む情報を探し出すことに都合がいいが,当然のことだが,選ばれなかった
情報の中にも価値のあるものは数多く存在する.本論文では主に情報の発信者側の立場に
ついて言及してきたが,享受する側の人々においても,多様な意見を選び出す姿勢が求め
られているのではないだろうか.
文献
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探る』
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ヘッジ社会」の行方』
IT 用語辞典 「SEM」
(http://e-words.jp/w/SEM.html)
電通ソーシャルプロデュース局ソーシャルプロジェクト室,2005,『広報力が地域を変え
る!』
日経ビジネスオンライン:
『くまモンは私たちが育てました』
(http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121026/238634/?P=1)
PR コンサルタントのレポート・コラム:
『熊本県の「くまモン」に学ぶ,WEB とリアルの
連動プロモーション』
(http://blog.cd-j.net/staffblog/2012/10/web_4.html)
読売 AD リポート[オッホ]:
『メディア戦略とストーリー性で経済効果を高める「くまモン」』
(http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/tokusyu/20120405/201204toku4.html)
輪廻のラグランジェ公式サイト(http://lag-rin.com/)
プレスリリース:
「輪廻のラグランジェ推進委員会が発足」
(http://lag-rin.com/pdf/press_111118.pdf)
- 211 -
テレビがつくる「地域」
―放送から考える地域づくり―
要藤 貴幸
はじめに
筆者は富山県で生まれ育ってきた.大学入学を機会に群馬県に住むことになったのだが,帰省
などで富山県と群馬県を往復するうちにあることに気づいた.群馬県で視聴できるテレビで所謂
「ご当地 CM」が放送されていないのである.理由としては,群馬県で視聴できるテレビ局は U
局の群馬テレビを除けば全て本社を東京に置くキー局であるということにある.筆者はこの放送
がローカル局で構成される地域とキー局で構成される地域の文化的,政治的,経済的な違いに興
味を持ち,本論でも主にそうした観点から富山県,群馬県,東京都を具体例として挙げつつ比較
する.1 章では日本の放送局の概要と各都道府県の放送網の構成について,2 章ではローカル局
の有無による問題点,ローカル局の現状,3 章では実際に放送がもたらす実害の具体例,4 章で
簡潔なまとめと今後の展望を考察する.
1 「地方」と「中央」
1-1 日本の放送局
先述した放送局の分類としてはキー局,ローカル局,独立 UHF 放送局の 3 つがある.これとは
別に NHK や衛星放送,インターネットテレビなどがあるが,これらは完全に全国放送であるため,
この文章の中では扱わないものとする.日本の民間放送は木に例えることができ,まず木の幹と
して「日本テレビ」
「フジテレビ」
「TBS テレビ」
「テレビ朝日」
「テレビ東京」という 5 つの大き
なテレビ局が存在する.これらの局は全て東京都港区に存在し,これらの木からローカル局とい
う枝が生えている(それぞれの局が系列を作っている)と考えてよい.また,キー局とローカル局
の中間的立場の準キー局という放送局も存在する.これは大阪府大阪市に本社を置く放送局で,
主に関西地方のローカル局の親局として機能している.テレビで放送されている番組の大半は東
京で制作されているが,準キー局が親局をしている地域ではこの準キー局が制作した番組を放送
することも多い.各ローカル局は自主制作の番組以外に,幹であるキー局や準キー局からニュー
スや番組を買って放送している.
この大きな 5 つの系列に属さない地方局も存在し,それが独立 UHF 放送局と呼ばれている局で
ある.現在は UHF,VHF という電波帯を使用しなくなったため,全国独立放送協議会加盟局と呼
ぶのが正しいのだが,便宜上この文章内では「U 局」と称する.全国に 13 局存在し,関東地方,
近畿地方を中心に放送を行なっている.群馬県でキー局と NHK 以外に視聴可能なのがこのうちの
1 つである群馬テレビである.先述したキー局が作る系列に属していないため,ローカル局と違
- 212 -
って自由な番組編成が可能である.さらに,親局から番組の提供がほぼ無いため,必然的に自社
制作の番組の比率が高くなる.加盟局同士で番組の供給も行なっているが,群馬テレビも 3 割の
番組が自社制作と,U 局の中でも比率が高い.
1-2 各都道府県におけるチャンネル状況
(GIS ソフト,
「MANDARA」にて作成, データは 2012 年 12 月 10 日の Wikipedia より)
図 1 都道府県別 視聴可能なチャンネル数
- 213 -
表 1 都道府県別民放局の一覧
北海道
青森県
岩手県
宮城県
秋田県
山形県
福島県
茨城県
日本テレビ系列 テレビ朝日系列
TBS系列
テレビ東京系列 フジテレビ系列
札幌テレビ放送 北海道テレビ放送
北海道放送
テレビ北海道 北海道文化放送
青森放送
青森朝日放送
青森テレビ
岩手めんこいテレビ
テレビ岩手
岩手朝日テレビ IBC岩手放送
宮城テレビ放送
東日本放送
東北放送
仙台放送
秋田放送
秋田朝日放送
秋田テレビ
さくらんぼテレビジョン
山形放送
山形テレビ
テレビユー山形
福島中央テレビ
福島放送
テレビユー福島
福島テレビ
日本テレビ
テレビ朝日
TBSテレビ
テレビ東京
フジテレビジョン
独立局
栃木県
日本テレビ
テレビ朝日
TBSテレビ
テレビ東京
フジテレビジョン
とちぎテレビ
群馬県
日本テレビ
テレビ朝日
TBSテレビ
テレビ東京
フジテレビジョン
群馬テレビ
埼玉県
日本テレビ
テレビ朝日
TBSテレビ
テレビ東京
フジテレビジョン
テレビ埼玉
千葉県
日本テレビ
テレビ朝日
TBSテレビ
テレビ東京
フジテレビジョン 千葉テレビ放送
東京都
日本テレビ
テレビ朝日
TBSテレビ
テレビ東京
フジテレビジョン
東京MX
神奈川県
日本テレビ
テレビ朝日
TBSテレビ
テレビ東京
フジテレビジョン
テレビ神奈川
新潟県
富山県
石川県
福井県
山梨県
長野県
岐阜県
静岡県
愛知県
三重県
滋賀県
京都府
大阪府
兵庫県
奈良県
和歌山県
鳥取県
テレビ新潟放送網
新潟テレビ21
日本海テレビジョン放送
テレビ山梨
信越放送
中部日本放送
静岡放送
中部日本放送
中部日本放送
毎日放送
毎日放送
毎日放送
毎日放送
毎日放送
毎日放送
山陰放送
島根県
(日本海テレビジョン放送)
(山陰放送)
(西日本放送) (瀬戸内海放送)
広島テレビ放送 広島ホームテレビ
山口放送
山口朝日放送
四国放送
西日本放送
瀬戸内海放送
南海放送
愛媛朝日テレビ
高知放送
福岡放送
九州朝日放送
山陽放送
中国放送
テレビ山口
テレビせとうち
岡山放送
テレビ新広島
(山陽放送)
あいテレビ
テレビ高知
RKB毎日放送
(テレビせとうち)
(岡山放送)
テレビ愛媛
岡山県
広島県
山口県
徳島県
香川県
愛媛県
高知県
福岡県
佐賀県
長崎県
熊本県
大分県
宮崎県
鹿児島県
沖縄県
北日本放送
テレビ金沢
福井放送
山梨放送
テレビ信州
中京テレビ放送
静岡第一テレビ
中京テレビ放送
中京テレビ放送
読売テレビ放送
読売テレビ放送
読売テレビ放送
読売テレビ放送
読売テレビ放送
読売テレビ放送
新潟放送
新潟総合テレビ
富山テレビ放送
石川テレビ放送
チューリップテレビ
北陸朝日放送
北陸放送
福井テレビジョン放送
長野朝日放送
名古屋テレビ放送
静岡朝日テレビ
名古屋テレビ放送
名古屋テレビ放送
朝日放送
朝日放送
朝日放送
朝日放送
朝日放送
朝日放送
長崎国際テレビ
熊本県民テレビ
長崎文化放送
熊本朝日放送
大分朝日放送
鹿児島読売テレビ
鹿児島放送
琉球朝日放送
長崎放送
熊本放送
大分放送
宮崎放送
南日本放送
琉球放送
- 214 -
テレビ愛知
テレビ大阪
長野放送
東海テレビ放送
テレビ静岡
東海テレビ放送
東海テレビ放送
関西テレビ放送
びわ湖放送
関西テレビ放送
京都放送
関西テレビ放送
関西テレビ放送 サンテレビジョン
関西テレビ放送 テレビ和歌山
関西テレビ放送 奈良テレビ放送
(山陰中央テレビジョン放送)
山陰中央テレビジョン放送
高知さんさんテレビ
TVQ九州放送
テレビ西日本
サガテレビ
テレビ長崎
テレビ熊本
テレビ大分
テレビ宮崎
鹿児島テレビ放送
沖縄テレビ放送
掲載した図は,各都道府県における民放のチャンネルを地図に書きだしたものである.関東は
東京を中心に神奈川,埼玉,千葉,群馬,栃木,茨木と,キー局の放送地域であり,ローカル局
が存在しない.近畿も,大阪を中心に兵庫,京都,滋賀,奈良,和歌山が全て準キー局の放送範
囲である.中京地域も一部まとまって放送している地域がある.こうした地域ではほぼ 5 大キー
局の放送を視聴することが可能で,テレビからの情報には恵まれていると言える.少ない地域で
は徳島県,佐賀県の 1 局,山梨県,福井県,宮崎県の 2 局というチャンネル数である(NHK を除
く).富山県も U 局を持っていないため 3 局しかない.とは言っても,この数はその都道府県内
に放送局の本社がいくつあるかを示したものであり,佐賀県と福岡県,岡山県と香川県のような
地理的に近く,県の面積が狭いような地域ではチャンネルが共用であったり,面積の広い県など
では県の両端で視聴できる番組がまるで違うこともある.例を挙げるなら,富山県西端の高岡市
では隣県の北陸朝日放送が視聴可能であり,この表はあくまでも目安であると考えていただきた
い.
2 放送が視聴者にもたらすもの
2-1 地方在住者にとってのテレビとは
東京都で生活している人と地方で生活している人にとって,生活におけるテレビの存在感は大
きく違う.頻繁に交換される駅中の看板や電車内の広告,ビルの垂れ幕や街頭で配られるビラや
ティッシュなど,東京都内は街を歩くだけで面白そうな情報を数多く拾うことができる.片や車
社会の地方では,電車の広告を見るのは学生や高齢者が中心で,街の看板は何年たっても代わり
映えしない.都市部と比べて娯楽も少ない地方在住者にとってはテレビの視聴が娯楽の一部であ
り,情報を得るための大切なツールなのである.それ故,地方在住者はテレビに出演することは
すごいことだと思っている節がある.確かに,都内で生活していれば地方より遥かに頻繁にテレ
ビカメラを見る機会がある.インタビューされている人の後ろを歩いてテレビに出演するなどの
ことは都内で長く生活していればさほど珍しいことではない.地方ではそういった機会がほとん
ど無いため,テレビに出演する機会は貴重で,出演した際には近所や親戚に放送日時を知らせて
回るなど,都内在住の人々からすれば笑い話のようなことが日常である.このような例から,地
方在住者にとってテレビ放送の影響がいかに強いかがわかる.それ故にテレビ放送の内容をその
まま鵜呑みにしてしまう人々の割合が多いのもまた事実である.テレビの影響力が強く,昨今の
薄い地方紙では世論を操作するほどの力がないため,地方では世論の形成のされ方が歪であり,
テレビ放送の内容を疑うといった感覚が育つ余地が都市部と比べて薄いのである.都市部の住民
は地方在住者に比べて情報を得る機会が多様なため,テレビ放送だけを情報源にしがちな地方在
住者と比べると幾分懐疑的な見方をする傾向にある.
奇妙なのは群馬県のような「キー局が視聴できる地方」である.普段よく視聴するテレビでは
確かにたくさん人が映っているが,ローカル局の番組以上に地元が映らないのである.富山県の
例を示すと,日本テレビ系列の北日本放送(KNB)では夕方に「いっちゃん★KNB」という自社制作
のローカルワイド番組を放送している.KNB 所属のアナウンサーが富山県内のことについて話し
- 215 -
たり,取材をしたミニドキュメンタリーを放送したり,富山駅前に出張して道行く富山県民にイ
ンタビューをしたりしている.県内の他のローカル局も似たようなワイド番組を制作しており,
県民はこうした夕方の「地元番組」を視聴して県内のイベント情報やニュースを知り,その日の
家族団欒の話題とするのだ.しかし群馬県では夕方のワイドショーというと,キー局のものがそ
のまま放送されている.情報は東京のものが中心であり,群馬県内の新しいグルメスポット,ユ
ニークな人物や市町村の祭りなどを特集したコーナーはほぼ無いと言ってよい.群馬テレビでは
そうした情報番組も制作されているが,仮に 6 チャンネルを全て同じ時間視聴し,群馬テレビが
KNB,チューリップテレビ,BBT と同じ質の番組を作っていると仮定しても群馬県民が得る地元
の情報は富山県民の 6 分の 1 である.同様に県内企業の CM や市町村イベントの CM を視聴する時
間も少ない.ローカル局の放送が中心になっていない県では,テレビから得られる自身が住んで
いる地域の情報が少なく,地元愛や地域の企業への信頼が育ちにくいのではないかと考える.こ
れは個人によって違うので断定はできないが,少なくとも情報を得る下地に差があることは否定
できない.
2-2 ローカル局の経営状況
地元の住民から全幅の信頼を置かれるローカル局であるが,その経営状況は局によってまちま
ちである.ローカル局の収益も民放であるからには,番組の間に流す CM が中心である.ローカ
ル局で流れる CM には大きく分けて 3 種類ある.ネットタイム,ローカルタイム,スポットと呼
ばれ,それぞれ違う内容である.ネットタイムとはローカル局がキー局から番組を受け取った際
にセットで付いてくるスポンサーの CM である.この CM を流すとキー局からネット配分金という
お金がもらえ,営業に出歩く必要がないのでローカル局としては手間が省ける.局にもよるが,
収益の半分近くがこのネットタイムによるものであるという.実際,ネットタイムは人員や時間
をかけずに収益をあげられるため,ローカル局側としては最も効率の良い CM である.しかしキ
ー局から受け取った番組全てにスポンサーが付属しているということはなく,自社で営業をして
地元企業から CM を持ってくる必要がある場合もある.これがローカルタイムと呼ばれている CM
である.スポット CM とは,番組の途中ではなく,番組と番組の間に挿入されている CM のことで
ある.これもその局が独自に見つけてきたスポンサーである.また,自主制作番組のスポンサー
も言うまでもなく自社で営業をして見つけてきたスポンサーである.しかし自主制作番組の割合
が多い U 局と違って,ローカル局は自主制作番組の割合が最大の局でも 3 割に満たない.先述し
たが,ただ番組を受け取って放送するだけの「何もしない局が一番儲かる」という歪な経営方式
が確立しているため,将来放送局の再編に際して独立を求められた場合,ローカル局は窮地に立
たされることが懸念される.
地域貢献の点から考えると,もちろん地域の企業を地域住民にアピールできるローカルタイム
やスポットは多ければ多いほど地域にとっては地域経済を育てることができるので歓迎すべき
ことである.そういった面では自主制作番組の割合が多い群馬テレビなどの U 局の果たす役割は
大きい.しかし今まさにこの瞬間も各テレビ放送局の視聴率はインターネットやスマートフォン
- 216 -
端末の普及で少しずつ下がっているという状況の中で,放送局側としてはローカルタイムやスポ
ットのスポンサーを確保することも厳しく,利益を考えても積極的になりづらいというのが現状
である.
3 キー局が視聴できることは幸せか?
3-1 経済的な実害
先述したように,群馬県と富山県を比較してみると,群馬県民は地方在住者でありながらも明
らかに富山県民よりもテレビから地元情報を得ていないことがわかる.これを経済的な面から問
題を考察すると,群馬県内の企業や自治体がテレビという広告媒体を最大限に使えていないこと
が第一に挙げられる.富山県では立山科学グループや日本海味噌醤油株式会社の CM は県民なら
誰もが知っている.群馬県に本社を置く有名企業の中には全国 CM を展開している企業もあるが,
群馬県の「ご当地 CM」にあたるようなものは調査しても発見できなかった.ネットタイムに放
送される CM は大企業の最新の CM であるため,放送期間もさほど長くなく,よほど巧みに作らな
い限り視聴者の記憶に長く残らない.しかし,こうした地元企業の CM は同じ CM が十数年という
長いスパンで放送され続けるため,多少作りが稚拙で映像が古かったりしても視聴者が自然と商
品名や企業名を覚え,
「あの CM でお馴染みの○○」というように,地元住民に親しみを持って覚
えてもらえるのである.1 章でも述べたように地方におけるテレビの影響は強く,ローカル CM
を放送する地元企業は県内で絶大な信頼を得ている.自治体が運営する祭りなどのイベントなど
も同様で,これに限ってはキー局で群馬県内のイベント CM を放送することは皆無と言ってよい.
ローカル局は,CM の放送を介して地元の企業や自治体と良好な関係を結び,互いに協力し合う
ことで経済的により良い発展が望めるのである.
3-2 文化的な実害
富山県内のローカル局であるチューリップテレビ.この局が 2005 年から制作している「ゆる
ゆる富山遺産」という番組がある.女優の柴田理恵(富山市出身)とチューリップテレビのアナウ
ンサーが自分達で富山県内を歩きながら「後世に残すべき庶民レベルの遺産」を探すというバラ
エティ番組である.町中にある古い駄菓子屋,平均 77 歳のばっちゃま劇団,ブラジル人の手作
りチーズなど,県民も知らないような隠れた名所,団体,人物にスポットを当てた番組で,確か
に番組の雰囲気はゆるいのだが,文化的には大変価値のある番組であると筆者は思っている.番
組にしなければ「近所の何か」で終わっていたものを掘り出し,県内に知らしめたことでその文
化に興味を持つ人がいるかもしれないのである.たまにマイナーな観光スポットマニアの人が居
るが,その人が歩ける範囲にも限界がある.そうした人のためにテレビ局の力で「知る機会」を
提供するという行為は,その文化を広め,その文化からヒントを得た人が新しい文化を創造する
きっかけにもなるだろう.確かに越中おわら風の盆やこきりこ祭り,合掌造り集落なども大切だ
とは思うが,そうしたものは自治体が宣伝しているし,県の観光ホームページにも載っている.
ローカル局がすべきことはそんな県民や観光客なら誰でも知っているようなものを何度も県内
- 217 -
で放送するのではなく,こうした消えかけた文化や,新しく広がっていこうとする活動に光を当
てて守ってやることであると思う.高齢化が進む地方だからこそ,若者が何か新しいことを始め
ようと思えない田舎だからこそ,ローカル局の情報網が必要なのだ.
対して,キー局の番組が放送されている群馬県においてはもちろんそういった番組はキー局の
チャンネルでは放送されていない.富山県においてローカル局 3 社が競って制作している地域情
報番組は全て群馬テレビ 1 局が担っていることになり,競争も発生しない.お世辞にもそこまで
大規模なテレビ局ではない群馬テレビが競争も無い中では取材のきめ細かさや番組制作のクオ
リティを漸次的に上げていくことは難しい.ローカル局同士の競争が発生しない環境は,地域住
民にとって文化的にも損失のある状況であると筆者は考える.
3-3 政治的な実害
ローカル放送のニュースも,キー局が取材したものがほとんどである.その中で時々インタビ
ューの映像が出てくることがある.主に国の政策の是非を問うような質問が多い.そうしたイン
タビューはどこで行われているかと言えば,ほとんどが東京都内,それも新宿,新橋,銀座あた
りが多い.それをそのままローカル局で放送しているのである.当然,全国に「東京都心の意見」
が放送されていることになり,何度も書いているが地方はテレビの影響が強いため,それを鵜呑
みにする人も多いわけである.地方に関する政策に関しては,東京都民からすれば中央の金で田
舎を整備するなぞとんでもない話であり,同じく東京都に本社を置くキー局の人間にしても大半
が関東出身であり,良く思っていない傾向がある.そうして「編集された意見」を地方在住者が
鵜呑みにすると,なんと地方在住者が東京都民と同じ立場で地方政策を考えるという奇妙な現象
が発生する.そんな風潮が市町村議会,県議会に影響を与えないはずもなく,本当に地方の利益
を考えた政策の進行に支障をきたす場合があるのだ.群馬県内でも八ッ場ダムの政策などが中央
の意見に押されすぎではないかという意見があった.
2006 年,福岡県で飲酒運転をした公務員が市内在住の会社員の車に追突し,車が海に落ちて
同乗していた 3 歳児が死亡するという事件があった.
「公務員の不祥事」
「子供の死」という衝撃
的な内容から各種マスメディアがこぞって報道し,飲酒運転の罰則強化の発端になったとも言わ
れている痛ましい事件である.この時も街頭インタビューなどが行われたのだが,これも東京都
民の意見で「飲酒運転はよくない」で統一されていた.もちろん道徳的には正解なのだが,都心
と地方では少々事情が異なってくる.
地方は交通網が都心ほど整備されておらず,交通手段と言えば専ら自家用車である.富山県や
群馬県もよく「車社会」などと言われており,自家用車が重宝されている.東京ほど所得が多い
わけでもないからタクシーも頻繁には使用できないし,そもそも移動距離が長い.そんな地方で
もともと世界最高レベルに厳しい日本のアルコール検出基準値のままさらに罰則が強化された
とあってはおちおち仕事帰りに飲みにも行けない.日本には「赤提灯文化」と呼ばれる文化があ
る.仕事帰りに赤提灯の下がった居酒屋に仕事仲間と入り,酒を飲みながら愚痴を話し,楽しい
話もして,次の日の仕事も頑張る.これが日本人が昔から続けてきたストレス解消法であり,働
- 218 -
き詰めの日本人が外国人から「勤勉」という印象を持たれる所以なのである.この文化が無くな
ってしまえば働き盛りのサラリーマンのストレスは増える一方で,実際に近年の自殺率増加,う
つ病患者の増加の原因の一端はここにあるのではないかという説もある.さらに地域の飲食店の
収入は減り,地方経済は振るわない.そして各地の郷土料理は基本的に酒とともに食べる料理が
多く,食文化の衰退にも繋がる.
福島県において,この罰則強化が施行されてから夜間の逮捕が激減した例がある.しかし福島
県警としては検挙率を上げたいため,夜ではなく朝に取り締まりを行うことにした.そうすると
朝に自動車で出勤するサラリーマンの昨晩の自宅での晩酌の残り香にも反応してしまい,自宅で
すら飲酒ができないという異常な事態に陥った.先述したストレス増加にさらに拍車をかけるよ
うな出来事である.まさにこれが地方の事情を無視した文化破壊の政策の典型的な例であり,扇
動したのは紛れもなく中央のマスメディア,キー局である.
3-4 地域発情報が減っていく理由
ここまで触れなかったが,キー局,ローカル局,U 局以外にもケーブルテレビ局という局もあ
る.本来,放送電波が受信しづらい地域に有線で放送データを送信するための会社である.この
ケーブルテレビの大きな魅力のひとつとして,
「区域外再送信」という能力がある.これは本来
その放送のエリアに入っていない地域に自局で受信した放送を送信することである.これによっ
て,例えば A 系列のキー局放送が受信できない地域に隣県の A 系列の放送を送信することによっ
てその地域で視聴できるキー局の系列を増やすことができるというものである.チャンネルの数
が少ない地域ではこのサービスが重宝されていたのだが,アナログ放送からデジタル放送への転
換を機に,これが禁止されてしまった.被サービス地域にもとから存在するローカル局にとって
は迷惑なサービスだったうえに,送信側の放送局からしてもそもそも利益を考慮していなかった
送信がなくなるだけなので局側からすれば大きな問題ではない.しかし困るのはケーブルテレビ
局と被サービス地域だった住民である.ケーブルテレビ局側からすればセールスポイントを失う
形になり,住民側からすれば情報源が減るというデメリットがある.ケーブルテレビ局側は「区
域外再送信で地域の情報格差を埋めてきた」という大義があるわけだが,ケーブルテレビは加入
者のみしか視聴できないため,その大義が弱いと指摘されてしまったのである.コピーが容易な
デジタルデータの放送ということで,権利者団体が難色を示しているというのも大きな原因であ
る.アナログ放送からデジタル放送への転換で,地方在住者が得られる情報がより少なくなって
しまうという意外な弊害が発生してしまったのである.もちろん,この状況を改善すべく様々な
策は検討されている.デジタル放送の開始に伴い,総務省が衛星放送や IP 放送を利用して区域
外再送信をすることは違法ではないとする裁定を打ち出し,通信事業を行う企業が注目している.
しかし権利関係の問題は全て完全に解決しているとは言い難く,今後総務省,放送局,通信事業
者間での話し合いが進められることが期待されている.
- 219 -
4 キー局,ローカル局のこれから
アメリカ合衆国において,芸能の中心はロサンゼルスであり,経済の中心はニューヨークであ
り,政治の中心はワシントンである.かつての日本ではそれぞれに京都,大阪,東京が対応して
いたが,時代が進むにつれて全てが東京に一極集中してしまった.それがテレビの情報まで東京
が日本の中心であるかのように扱うものだから,地方民はたまったものではない.筆者はキー局
は東京から出ていくべきだと思っている.大阪,名古屋,福岡,広島,仙台などにキー局を分散
させ,それぞれ東北,関東,中部,近畿,中国・四国,九州ごとに各地域を中心とした情報から
構成された発信を行う.独自性のある地域情報の発信は東京発信の情報への対抗軸となり,地域
文化が押しつぶされるのを防ぎ,放送内容も地域ごとの利益を考えた議論が放送されることだろ
う.キー局ごとに政治,経済,芸能など得意分野を開拓してオリジナリティを持つことができれ
ば,かつての日本のように地域ごとの住み分けが可能になり,
「東京が日本の全て」という東京
至上主義を変える基軸になることもできるだろう.
ローカル局は,地域文化の創造が大きな役割である.ケーブルテレビ局と連携したり,IP 放
送などを利用すれば地域の情報を全国に発信していく力も得られるはずだ.めまぐるしく変わる
IT 技術やサービスの形態をいかに上手く利用できるかがローカル局自体の存在意義をキー局よ
りも顕著に左右することになる.
おわりに
インターネットやデジタル携帯端末の普及によって情報の国内地域間格差が少しずつ解消さ
れてきているとは言われるものの,地域情報の発信は弱く,テレビが担う役割はまだまだ大きい.
情報産業としてインターネットというメディアに対抗するのならば,今後はなおさら地域性,独
自性を持ったメディアであることが重要になってくると筆者は考えている.この文章を読んだ方
が,次の日からテレビ放送や CM を今までと違った視点からみられるようになれば,筆者も幸い
である.
文献
中野明, 2008, 『放送業界の動向とカラクリがよくわかる本』秀和システム.
西正, 2004, 『放送業界大再編』日刊工業新聞社.
和田秀樹, 2010, 『テレビの大罪』新潮社.
ITmedia, 2005, 『区域外再送信,いよいよ決着へ』
(http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0503/31/news044.html).
ITmedia, 2004, 『関西で火の手が上がった CATV の「区域外再送信」問題』
(http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0405/20/news018.html).
チューリップテレビ, 2006-2013, 『柴田理恵認定 ゆるゆる富山遺産』
- 220 -
(http://www.tulip-tv.co.jp/yuruyuru/index.html).
群馬テレビ(http://www.gtv.co.jp/).
日本の文化「居酒屋」(http://www.canin-bischeim.com/).
日本文化としての居酒屋(http://www.airapparent.net/sub/2.html).
- 221 -
インターミディアリーアイドル
―地域の媒介者としてのアイドル―
吉羽 侑稀
はじめに
近年,
「アイドル戦国時代」という言葉を目にする機会が増えた.アイドルの市場規模は
2010 年から 2011 年の間に 13.1%増加の 630 億円と大きく成長しており 2012 年では更に
大きな成長が予測されている(矢野経済研究所 2012)
.この「アイドル戦国時代」とも呼
ばれる現代のアイドルシーンの中で,地方を中心に活動するローカルアイドルと呼ばれる
アイドルたちが地元のアイドルファンだけではなく全国のアイドルファンから注目を集め
ている.地域に対しローカルアイドルはなにか効果をもたらすのか.本稿では地域とロー
カルアイドルの関わりについて社会的ネットワーク分析の視点から考察したい.
1 アイドル戦国時代と地方への注目
ネットワーク分析を始める前に近年のアイドルブームとローカルアイドルの現状につい
ての概要を説明する.
1-1.アイドル戦国時代
2010 年 5 月 30 日 NHK 総合「MUSIC JAPAN」にて「アイドル大集合 SP」が放送され
た.この番組には「アイドリング!!!」
,「AKB48」,「スマイレージ」,
「東京女子流」,
「バニ
ラビーンズ」
,
「モーニング娘。
」
,
「ももいろクローバー」の総勢 7 組,59 人が出演した.こ
れを機に「アイドル戦国時代」という言葉が頻繁にメディア,関係者,アイドルファンの
間で使われるようになった(岡島,岡田 2011)
.アイドル戦国時代とは「AKB48」ブレイ
ク以後のアイドルグループの増加を表した言葉である.アイドルグループの数が年々増加
していることは国内最大のアイドルイベント「Tokyo Idol Festival(通称 TIF)」の出演グ
ループ数の変化からもわかる(図1)
.
(TIF 公式サイトを参考に筆者作成)
図1
- 222 -
TIF 出演グループ数の変化
また近年の特徴として複数グループでライブを開催することやショッピングモールでの
イベントの増加が挙げられる(表1)
.
表 1 代表的な複数グループによるライブ(筆者作成)
ライブタイトル
概要
Tokyo Idol Festival
2010 年から毎年夏に 2 日間に渡り開催.日本最大のアイド
ルフェス.
(来場者数 25,000 人)
アイドル横丁祭
2011 年にはじまり過去 3 回開催.番外編として「アイドル
横丁夏まつり」,「アイドル横丁杯」なども開催された.(会
場規模 2,300 人など)
POP’n アイドル
2012 年 2 月,6 月に開催.主催はタワーレコード.
(会場規模 2,700 人)
日本縦断アイドル乱舞
2012 年 8 月全国 6 都市で開催.主催は HMV ローソン
(会場規模 1,500 人など)
IDOLNATION
avex の夏フェス“a-nation”の一環として 2012 年 8 月に開
催(会場規模 13,000 人)
LiVE GiRLPOP
2012 年 10 月に開催.主催はソニーグループが出版する女性
アーティストに特化した音楽雑誌「GiRLPOP」(会場規模
2,700 人)
指原莉乃プロデュースゆび
HKT48 指原莉乃ソロデビューシングルの発売記念イベント
祭り
として 2012 年 6 月に開催.(会場規模 13,000 人)
今回のアイドルブームの先駆けとなった「AKB48」やその関連グループiのファンも,お
目当てのアイドルを見るためにこのような複数グループが参加するライブに行き,今まで
応援していなかったアイドルに興味を持つ機会が増える.また,現在のアイドルシーンで
は週末や CD リリース日を中心に,数多くのアイドルの無料イベントが行われている.フ
ェスよりもさらにオープンな場であるショッピングモールなどでの無料イベントは既存の
アイドルファン以外のファンを獲得することが期待できる.
このように気軽にイベントに参加できる仕組みの成果もあり,アイドルファンの数は確
実に増加している.先述した TIF の来場者数は初開催の 2010 年では約 5,000 人であったの
に対し,3 回目の開催となった 2012 年では 5 倍の約 25,000 人とされている. こうしたア
イドルブームを利用し地元を活性化させようと全国にローカルアイドルと呼ばれるアイド
i
ここでの関連グループとは「AKB48」のメンバーの中から数名で構成される「渡り廊下
走り隊 7」などの派生ユニット,
「SKE48」など「AKB48」の姉妹グループと呼ばれるグル
ープを指す.
- 223 -
ルグループが急増している.
1-2.注目を集めるローカルアイドル
ローカルアイドルとは地元を本拠地として活動するアイドルのことであり,現在 150 組
以上ものグループが活動している.ローカルアイドルの元祖と呼ばれている「ココナッツ」
は「阿波パフォーマンスドール」を原型として 1995 年に結成.その後全国的にローカルア
イドルが現れはじめローカルアイドルブームが起こった.これは「MAX」,「SPEED」,
「ZONE」,
「Whiteberry」など地方出身の女性グループの活躍とモーニング娘.の台頭に
よる影響と思われる.この時にできたグループの多くは現在活動を休止しているが
Perfume や Negicco のように現在も活動しているグループも存在している.
90 年代後半からのローカルアイドルブームを第一次ローカルアイドルブームとすると,
現在はまさに第二次ローカルアイドルブームとも呼べるほどローカルアイドルが急増して
いる.第一次ローカルアイドルブームとの決定的な違いはインターネットの普及だろう.
前回のローカルアイドルブームではテレビや雑誌のようなメディアに取り上げられなけれ
ば世間はおろか,アイドルファンも知る術はなかった.だが今は地方にいながらにして全
国へ情報を発信することが容易となった.Twitter で拡散された情報は瞬く間に全国のアイ
ドルファンに届く.USTREAM でライブを配信すればファンは現地の雰囲気を自宅にいな
がら楽しむことができる.iTunes などの音楽配信サービスで楽曲を配信や通信販売を開始
すれば現地に行かなくても音源を入手することができる.
このように情報は物理的な距離を克服することに成功した.しかし実際に生のライブを
体験するとなると,ファンがアイドルの本拠地となる地方へ向かう,あるいはアイドルが
ファンのいるところに行きライブをすることが必須である.いくらインターネットで情報
発信をしたからといって,本拠地以外でのワンマンライブで十分な集客が見込めるわけで
はない.まずは本章の第1節で述べた,アイドルファンが気軽に行く事のできる複数グル
ープによるライブやオープンスペースでの無料ライブに出演することが有効であると思わ
れる.2011 年に設立されたタワーレコードのアイドル専門レーベル「T-Palette Records」
には複数のローカルアイドルグループが所属しておりこれらのグループは地元だけではな
く全国のタワーレコードの店舗で CD を販売することができ,CD のリリースに伴い関東で
イベントを行うことも増えている.例えば福岡県のローカルアイドル「LinQ」は前述の
「T-Palette Records」に所属しており,4th シングル「シアワセのエナジー」は福岡と東京
のタワーレコードを中心にリリースイベントを実施,見事にオリコン週間シングルチャー
トの 6 位を獲得し,都内での 1,000 人規模のワンマンライブするほどの集客力を身につけ
る程に至った.また本拠地となる福岡での定期ライブに足を運ぶ他県在住のファンも増え
ているという.
- 224 -
1-3.多様な活動形態
一口にローカルアイドルと言っても 150 組以上もあればその形態は千差万別である.
通常,アイドルの運営団体といえば芸能事務所である.しかしローカルアイドルに関して
はその限りではない.芸能事務所はもちろん,非芸能関連企業,公共団体,公益団体,NPO
など様々であり活動目的も異なる.活動目的として「アイドルの活動をして全国展開する
ことを目指す」
,
「地域や地域の名産などを PR する」
,
「商店街など特定の地域を元気にする」
などが挙げられる.しかし「アイドル活動をする中で地域の企業がスポンサーに付き企業
や商品の PR をする」
,
「地域おこしのイベントに呼ばれる」といった事例も多々あるため目
的によって分類することは困難である.以下では運営団体の種類別に分類しその傾向を分
析する.
①芸能関連型
地方の芸能事務所やアクターズスクールなど芸能と関わりの深い団体により運営,結
成される.運営団体としては一般的.必ずしも特定の地域や名産品などを PR するため
に結成されたグループというわけではないが,観光大使に任命されることや地方の企
業がスポンサーとなりその商品を PR する事例も多々存在する.
②非芸能関連企業型
芸能関連ではない一般の民間企業によって運営される.数としては少なく,デザイン
系の企業や人材派遣会社などが確認されている.ローカルアイドルを運営することで
本業とする企業活動の発展に繋がることを目的としている.
③公共団体,公益団体型
地域の活性化,人材の育成,名産品などの PR を主な目的とし,商工会議所の青年部な
どにより発足される.特定の名産品などの PR を目的とした場合はキャンペーンの終了
と共に活動終了することや,民間へアウトソーシングされることもある.
④NPO,ボランティア型
地域活性化を目的とした NPO やボランティア団体の活動の一つとしてアイドルを運
営する.
ローカルアイドルが活動する場としては専用劇場や地元のライブハウスでのライブ,商
店街のイベントスペースや喫茶店,寿司屋などの飲食店で定期的にライブ活動をするグル
ープも見られる.いずれのタイプにしても商工会や自治体の主催する地域おこしのイベン
トや県外での地域 PR イベントなどに参加することは多いため地域の活性化に一役買うと
思われる.
2 地域社会ネットワークとアイドル
第 1 章では近年のアイドルブームとインターネットの発達に伴うローカルアイドルの出
- 225 -
現と注目,そして様々な運営形態を持つことについて説明した.以上を踏まえ,その様々
な形態のローカルアイドルは地域のネットワークでどのような繋がりを持ち,どのような
役割を果すのか考察する.そのための手法として本稿では社会ネットワーク分析を用いる
ことにする.第2章の第1節では社会ネットワーク分析について説明する.
2-1.ネットワーク分析の指標
ネットワークとは人間関係,コンピュータの配線,企業間取引など様々な具体例を挙げ
ることができるが,安田雪によれば「複数の何らかの対象があり,その対象の一部または
全ての間に関係が存在している状態」のことを表す.ネットワーク分析とはこのようなネ
ットワークを点と線からなるグラフで表現することで,その位置特性を分析することであ
る(安田 2001).ネットワーク分析において点は「ノード」や「頂点」と呼ばれネットワ
ークの構成要素である行為者(アクター)を表し,線は「リンク」や「エッジ」,「紐帯」
と呼ばれノード同士の結合関係を表している.ネットワークに含まれるノードの数はネッ
トワークの大きさ,各ノードに接続しているリンクの数は「次数」と呼ばれ行為者の活動
量を表し,グラフ内のリンクの総数は行為者が形成するネットワーク全体の活動量を示し
ている.これの数値を用いてネットワークを分析することができる.
またメンバー外との結合に比べて互いに密に結びついたアクターの集合をクリークと呼
ぶ.金光淳はクリークについて以下の意味において重要であると指摘している.
①凝集的部分集合ii,集団の微細な「分裂」構造を見出すことによって,アクター間の
紛争発生の可能性を示唆する(金光 2004:90)
.
②凝集的部分集合に属するアクターは構造的な同質性が仮定されるので,同じような
社会行動を仮定できる(金光 2004:90)
.
本稿ではローカルアイドルが地域のネットワークでの位置特性を考察するためのネット
ワーク分析の方法として中心性を算出したい.ネットワークの中心性は行為者間に存在す
る関係パターンから測定される「どれだけネットワーク内の他者に大きな影響を与える行
為者であるか」の度合いである.中心性にはいくつかの指標がある.以下では本稿で使用
する中心性の指標について説明したい.
①次数中心性…次数が多いほど中心的であるという考え方.頂点 の次数中心性(
は以下の式により求められる.
( )=行為者 の次数,n=ネットワーク内のノードの総数
ii
ネットワーク内で特に互いに密に結びついている部分集合のこと
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( ))
②媒介中心性…行為者がどの程度ネットワーク内で人々の関係を媒介しているかの指標を
求め中心性を評価する考え方.頂点 の媒介中心性
( )は以下の式により求められる.
= を通るリンクの総数
= を除くノードの組み合わせの個数(n=ネットワーク内のノードの総数)
③近接中心性…行為者から行為者へ到達するまでに最短距離(通るリンクの数)により中
心性を評価するという考え方.各ノードからの距離が短いほど中心性は高くなり中心性が
高いほど他者へ影響を与えやすいノードである.近接中心性Cc vi はある行為者からネット
ワーク内すべての他者への最短距離を合計した値をネットワーク内の本人を除くすべての
行為者数で割ることで求められる.
( )
s(vi ) =行為者vi から他ノードまでの距離の総和
④ボナチッチ中心性…次数の高いノードとつながったノードについても高く評価する.ボ
ナチッチ中心性は以下の式で求められる.
A=隣接行列,λ=固有値
2-2.地域社会ネットワークにおける中心性―草津温泉の事例―
それでは前節で紹介した社会ネットワーク分析を草津温泉の事例を用い実際に活用した
い.草津温泉といえば群馬県が誇る名湯である.温泉の質の良さや新たなものへの取り組
む姿勢が高く評価され,2012 年に観光経済新聞社が主催した「にっぽんの温泉 100 選」で
1 位 を 獲 得 し 10 年 連 続 ナ ン バ ー ワ ン の 快 挙 を 成 し 遂 げ た (『 MSN 産 経 ニ ュ ー ス
2012.12.26』).このコンテストで評価された「新たなものへの取り組み」としては数多く
のイベントが開催されていることが挙げられる.草津温泉ではハイキングや湯の花採取,
キャンドルイベント,ジャズフェスティバルなどのイベントが頻繁に開催されており,客
数増加や宣伝の効果が認められている(長塩 2005)
.
草津温泉観光協会は伊香保温泉観光協会と共にご当地アイドル「湯けむり☆美少女」に
賛同することでさらなる集客を狙った.
「湯けむり☆美少女」は群馬県を PR するため 2012
年 10 月に結成したアイドルグループである.結成して間もないグループだが 2012 年 12
月に行われた「ご当地アイドル N0.1 決定戦『U.M.U AWARD2012』~日本全国アイドル
勢力図~」に出演した.惜しくも優勝は逃したものの,約 300 組の中から決勝大会に進ん
- 227 -
だのは 10 組だけであり,今後さらなる活躍が期待できるローカルアイドルグループと言え
るだろう.先述した運営団体による分類では「芸能関連型」に当たる.
本稿でのネットワーク分析ではアクターとして「ローカルアイドル(湯けむり☆美少女)
」
,
「観光協会」,
「ホテル」
,
「土産物屋」,「アイドルファン」,「メディア」,「ビジター」を想
定した.なおここでのメディアの定義としては新聞,雑誌,テレビ,ラジオなどのマスメ
ディアとする.ビジターはマスメディアから得た情報を利用し草津温泉に訪れ,宿泊し土
産物を購入する一般的な観光客を想定している.
(筆者作成)
図2 草津温泉のネットワーク図
このネットワークでは「アイドル」,「メディア」,「観光協会」,「旅館」,「土産物屋」の
間は密接につながっておりクリークを形成している.このネットワーク図をもとに各中心
性を演算すると以下の表のようになる.
表2 草津温泉のネットワークにおける中心性(筆者作成)
次数中心性
次数
媒介中心性
(標準化)
媒介数
近接中心性
(標準化)
近接性
ボナチッチ
(標準化)
中心性
アイドル
3
0.5
5
0.333
0.111
0.667
0.681
観光協会
4
0.667
2.5
0.167
0.125
0.75
0.923
旅館
2
0.333
0
0
0.091
0.545
0.612
- 228 -
土産物屋
2
0.333
0
0
0.091
0.545
0.612
ファン
1
0.167
0
0
0.071
0.429
0.217
メディア
5
0.833
7.5
0.5
0.143
0.857
1
ビジター
1
0.167
0
0
0.083
0.5
0.318
すべての中心性においてメディアが最大となった.メディアの次数中心性と媒介中心性
が高いことはメディアが扱う内容が多岐にわたり,その情報を享受する人も多いことを表
している.そもそもメディアの役割とは情報を広く大衆に伝達することであるため,次数
中心性や媒介中心性が高いことはある意味メディアが役割を果たす上で当然の結果といえ
るだろう.しかしメディアは温泉街を紹介することだけが仕事ではなくあらゆる物事を扱
い,広く世間に知らせることが仕事である.そのため特定の地域や温泉を専門に扱うメデ
ィアも存在はするが多くの繋がりを有している反面,一つ一つの繋がりは弱い可能性もあ
る.
メディアの近接中心性が高いということは各アクターから近い存在であるため影響を与
えやすいと言える.テレビや雑誌といったメディアは我々にとって身近な存在であり,メ
ディアから得た情報により行動的・思考的な影響を受けることは意識・無意識を含め多々
あるだろう.またメディアに次いで次数の高い観光協会と繋がりを有しているためボナチ
ッチ中心性も高く,様々な指標でメディアのネットワーク内での中心性が高いことがわか
る.
次数中心性,近接中心性,ボナチッチ中心性で 2 番目に大きな数値を記録した観光協会
は草津温泉で経営をしている旅館や土産物屋,飲食店などにより構成されており,草津の
観光事業の発展を目的とする組織である.主な事業内容としては観光案内,誘客宣伝,イ
ベントの主催,協賛,後援などである.宣伝では新聞,雑誌などの媒体を効率的に用い情
報提供を行うとともに,テレビ,雑誌取材には積極的に協力している(長塩 2005).湯け
むり☆美少女についても賛同という形で関わっている.やはり観光協会も多くのアクター
と関わっているのと同時に,各アクターに対して影響を与えやすい位置特性を有している.
またメディアやアイドルとの繋がりも有していることがボナチッチ中心性を高めている
媒介中心性ではアイドルが 2 番目に大きくなった.これは温泉に感心の無いファンに温
泉の PR をする機能があるからだろう.いくら温泉の質が良くても温泉に興味を持たない者
はメディアから情報を得ても受け流してしまうことがある.アイドルを活用することで,
まずはアイドルに興味を持ってもらうことが「湯けむり☆美少女」に期待される役割であ
る.
あくまでローカルアイドルへの感心のある筆者による調査であるためこの結果に偏差が
存在していることは事実である.とはいえ現在のアイドルブームの中でローカルアイドル
を目当てに地方を訪れるファンがいることも事実であり,湯けむり☆美少女にもその機能
は期待できるだろう.
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3 ローカルアイドルが媒介者であること
第 2 章では地域ネットワークにおける中心性を求めた.本稿で注目しているローカルア
イドルは媒介中心性においてネットワーク内で 2 番目に高い数値を示していた.媒介中心
性が高いということはネットワーク内での何かしらのやりとりに頻繁に関与していること
を表す.ローカルアイドルでは自らの情報と共に地域の情報を,アイドルファンを中心に
県外のアクターへ発信することがネットワークの中での役割である.つまり情報を享受す
る対象がアイドルファン中心になるとはいえ,これまでテレビや雑誌といったマスメディ
アが担っていた媒体としての役割をローカルアイドル自体も担うことになる.媒介は多様
なほど情報を多くの人々に届けることができる.
しかしローカルアイドルの中心性が高いことは果たして良いことなのだろうか.まず問
題としてあげられるのは筆者のようにローカルアイドルに注目しているアクターの興味を
惹くことはできるが,アイドルファンではないアクターの興味を惹くことが困難であるこ
と.また,アイドルの寿命は一般的に短く,前回のローカルアイドルブームで結成された
グループのほとんどが現在では解散しており,今回のアイドルブームでも既にいくつもの
アイドルグループが解散しているといった現状を見つめると,ローカルアイドルの中心性
が高いネットワークでも効果が薄いことや,ローカルアイドルというアクター自体が無く
なる可能性を孕んでいる.
草津温泉の場合はもともとの知名度・評価が共に高い温泉地である.また,メディアと
観光協会がネットワーク内で強力な中心性を有しており,「湯けむり☆美少女」が結成され
る以前から積極的にマスコミの取材に協力しており,イベントも盛んに行なっていること
や温泉自体の質が強みとなっている.「湯けむり☆美少女」に依存した PR をしているわけ
ではないため,仮に「湯けむり☆美少女」が何らかの理由で解散することになっても集客
が極端に落ち込む恐れは無いだろう.それでもネットワーク内での 2 番目に媒介中心生の
高いローカルアイドルというノードを失うということはローカルアイドル以外の他のノー
ドと直接繋がっていないノード,すなわち温泉地のクリークから外れているアイドルファ
ンはネットワークから切り離される恐れがある.
「出典:クロス・マーケティング」
図3 商品やサービスを実際に利用・購入する時に参考にしているメディア
- 230 -
アイドルファンがネットワークから切り離されることはアイドルファンが他のアイドル
ファンへ情報を伝達することによって期待できる更なる集客も逃すことにもなる.図 3 か
らわかるように若い世代ではインターネット掲示板やコミュニケーション系 SNS サイトを
参考にして商品やサービスの利用・購入する人が少なくない.これらはアイドルファン同
士の情報交換の場として活用されることが多く,既存のファンが発信した情報を参考にし
て新たなファンが生まれることも想定できる.
インターネットの普及により情報を発信することも受容することも容易となっている今
日,ローカルアイドルは地域の情報を伝達する媒介者としての機能を一層強めているとい
えるのではないだろうか.その中で集客力が強まった時に,ローカルアイドルの魅力,地
域の魅力それぞれを底上げすることで継続性のある集客を確立することが求められるだろ
う.
おわりに
現在活動しているローカルアイドルは筆者が把握しているだけでも 150 組以上ある.ま
た株式会社レゾリューションが運営するホームページ『Pigoo ご当地アイドル』には 2013
年 1 月現在 231 組ものローカルアイドルが掲載されている.この数には東京で活動するア
イドルを含んでいるのに対し,筆者は東京で活動するアイドルをローカルアイドルとして
カウントしていなかったため 2 つの数値には差異が生じているが,いずれにせよ多くのロ
ーカルアイドルが活動している.
第一次ローカルアイドルブームでは仲川秀樹は山形県で活動していたアイドルグループ
「SHIP」を対象にフィールドワークを実施しその意義を見出した(仲川 2005)
.しかし今
回のローカルアイドルブームではまだ実践的な調査が行われていないようである.
本稿で述べた理論のようにローカルアイドルを結成することで,地方への集客に繋がっ
たり,経済波及効果を生み出したりすることができるといえるのだろうか.実際のフィー
ルドワークを行なっておらず,また単一の事例しか取り上げることができなかった筆者に
は,ローカルアイドルが確実に効果を発揮断言することはできないが,それでもローカル
アイドルを活用した地方の PR 活動をやってみる価値はあるように思えた.
文献
矢野経済研究所,2012「
『オタク』市場に関する調査結果」(2012 年 12 月 28 日取得,
http://www.yano.co.jp/press/pdf/1002.pdf )
岡島紳士・岡田康宏,2011「グループアイドル進化論――『アイドル戦国時代』がやって
きた!」毎日コミュニケーションズ.
安田雪,2001,
「実践ネットワーク分析――関係を解く理論と技法」新曜社.
金光淳,2004,
「社会ネットワーク分析の基礎――社会関係資本論にむけて」勁草書房.
- 231 -
上毛新聞ニュース,2012 年 12 月 7 日,「『群馬の魅力全国に』ご当地アイドル『湯けむり
☆美少女』
」上毛新聞ニュース(2012 年 12 月 14 日取得,
http://www.jomo-news.co.jp/ns/1613548067294853/news.html ).
MSN 産経ニュース 2012 年 12 月 26 日,
「『にっぽんの温泉 100 選』草津,10 年連続トッ
プ新しさ探り 群馬」 (2012 年 12 月 28 日取得,
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121226/gnm12122602050000-n1.htm).
長塩英雄,2005,
『群馬県内温泉地,旅館協同組合の活性化対策の現状』平成 16 年度マス
ターセンター補助事業報告書,社団法人中小企業診断協会群馬県支部
(http://www.j-smeca.jp/attach/kenkyu/shibu/h16/gunma.pdf ).
クロス・マーケティング,2012,
「メディア接触に関する調査(年代別にみたメディアとの
関わり/意識の違い)」
仲川秀樹,2005,
「メディア文化の街とアイドル――酒田中町商店街『グリーン・ハウス』
『SHIP』から中心市街地活性化へ」学陽書房
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TCG による近世代間交流のすすめ
伊藤 拓哉
はじめに
昔からテーブルゲームとは社交の場であり,コミュニケーションツールとして重要な役割を果
たしてきた.しかし,そんな脈々と受け継がれてきた,将棋や囲碁,麻雀といったテーブルゲー
ムの多くは昨今衰退傾向にあり,若年層の新規獲得に難色を示している.そんな中,近年急速な
成長を遂げ,新たなテーブルゲーム,新たなコミュニケーションツールとして名乗りを上げたの
がトレーディングカードゲーム(以下 TCG)である.
本稿では,TCG の持つ機能とそれを取り巻く環境の特性を踏まえ,TCG の持つコミュニケー
ションツールとしての可能性,中でも特世代間交流を促進するツールとしての可能性に言及して
行きたいと思う.
1 世代間交流の沿革
1-1. 世代間交流の台頭
日本では,1960 年前後の高度経済成長期による産業構造の変化を契機に,自営業や家族従事
者が減少し被雇用者が増加する雇用形態の変化が起き,それに伴って核家族化や都市化と過疎化
が進行し,家族形態に大きな変容がもたらされた.このような動きは,地域社会における付き合
いの希薄化を招き,それまで地域社会の中で自然と行われてきた他の世代との交流を大きく減少
させることとなった.
こういった流れに加え,1980 年代に高齢化が社会問題と世間に認識され始めたこともあり,
1984 年に当時の文部省が開始した「高齢者の生きがい促進総合事業」内で「世代間交流事業」
が明記されたことを皮切りに,国や地方自治体によって対策が講じられ始めた.また,2000 年
代には少子化も深刻化し,2003 年に対策として打ち出された「少子化対策基本法」でも,地域
社会における子育て支援体制の整備を図るため講ずる必要のある施策のひとつとして,世代間交
流が明記されている.
1-2. 世代間交流の現状
このように,現代の日本の社会状況において再び価値を見出されることとなった世代間交流で
あるが,その際主体として語られるのはほとんどの場合が高齢者と児童である.確かに,核家族
化の進展を考慮するに,それ以前と比較して最も児童との交流機会の減少が見られたのは高齢者
であるだろう.
しかし,地域社会の崩壊という点においては,高齢者だけに限らず,青年や中高年,更には学
年を異にする児童同士においても同様の影響が見られたと考えられ,家庭外における世代間交流
- 233 -
の機会の減少に関しては全ての世代に見られたと言ってよいだろう.また,少子化の影響により,
1957 年時点では平均 3.60 人いたきょうだいが 2010 年には平均 1.96 人にまで落ち込んでおり,
家庭内においても高齢者とは異なった形で世代間交流の機会が減少しているi.
2 世代間交流の意義
1 章では,産業構造の変化を期に,幾分か程度に差異はあれど,高齢者とその他の世代の両者
に,世代間交流の機会の減少という同様の事態が見てとれたのにも関わらず,現在の世代間交流
の主流は高齢者と児童によるものであるという状況について解説してきた.
こういった背景から本稿では,児童と青年による世代間交流を中心とした,児童と高齢者以外
による世代間交流において着目したい.また,以後本稿では,こういった世代間交流を,児童と
高齢者による年齢のかけ離れた世代間交流と対比して,近い世代との世代間交流=「近世代間交
流」と表記していく.
2-1.高齢者との交流がもたらすもの
近世代間交流について触れる前に,現在の主流である高齢者と児童による世代間交流における
意義について述べておきたい.高齢者と児童による世代間交流について考えた際の利点として,
大きく以下の 3 つのことが挙げられる.
1 つ目に,高齢者の持つ知識・文化の伝承が挙げられる.当然のことではあるが,高齢者は,
児童が生まれる以前の時代を生きており,児童がし得なかった数多くの体験をしてきている.
例えば,戦争について言えば,実体験を伴った知識を持つ者は高齢者を除いて他にいない.戦
争についての知識自体は,高齢者を介さなくても書物等から得ることは可能であるが,戦争を歴
史の一部としてどこか他人事のようなものとして見るのではなく,一人の人間を通すことで身近
でよりリアルなものとして感じることができるようになる.
2 つ目に,高齢者の生きがい創出が挙げられる.日本のような高齢化が進む社会では,単に長
生きするだけでなく,人生をいかによりよいものにするかといった質の向上にも重きが置かれる
ようになった.そういった,生きがいの創出において大きな役割を果たすのが他者との関わりで
ある.
また,高齢期における家庭内での役割の喪失や退職等による社会的役割の喪失は,高齢者の生
きがいの喪失に繋がるとされ,新たな社会的役割を持つことも生きがいの創出において非常に重
要とされている.こういった点から,1 つ目で挙げた知識・文化の伝承のような高齢者と児童の
関わり方は,高齢者の生きがい創出においても有用な役割を果たすこととなる.
3 つ目に,児童の社会性の向上が挙げられる.成長過程に高齢者と接してきた学生と接してこ
なかった学生を対象とし,斉藤嘉孝が行ったアンケートでは,
「相手とすぐに打ち解けられる」
(63%:45%),
「表情などで思っていることがわかる」(79%:69%),
「相手の立場に立って行動する」
14 回出生動向基本調査」
(http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou14/doukou14.pdf)
i国立社会法人・人口問題研究所「第
- 234 -
(84%:74%)とソーシャルスキルについて多くの項目で高齢者と接してきた学生は,接してこなか
った学生よりも高い数値を示すという結果が出たii.
また,ある程度の多様性はあるだろうが,過ごしてきた環境や知的水準がさほど違わない同年
代との交流では,同質の人間同士での関係性の構築が起こりやすいのに対し,高齢者との交流で
はそういった条件が全く異なるため,同質の人間を見つけることが困難であり,相手が自分と違
った存在であるということを前提とした上で関係性の構築が行われる.こういった,異質なもの
を受け入れる感覚=ソーシャルインクルージョン(social inclusion)が育つということも考えら
れる.
2-2. 近世代間交流に期待されること
このような,高齢者との世代間交流による利点は,評価すべき素晴らしいものである.しかし,
高齢者との世代間交流が必ずしも期待通りに機能しない場合もあり,また,近世代間交流の方が
有用に機能し,必要とされる場面も存在する.
まず,知識・文化の伝承という点であるが,確かに,戦争は高齢者しか経験しておらず,実体
験を伴った知識として,児童に伝承することのできる者は他の世代には存在しない.しかし,こ
のことは青年にも同様のことが言える.
例えば,就職氷河期について言えば,バブル景気が崩壊し,その余韻も消え去った 1993 年以
降に就職活動を行った青年だけが経験し得たことであり,当然,高齢者からこの知識を児童に伝
承することは不可能である.このように,近世代間交流によってのみ伝承される知識も存在する.
さらに,例えば学校教育のように,高齢者も青年も含め全ての世代が経験したことであっても,
教育内容の増減や進学に伴う環境等時代毎に変化が見られる場合がある.従って,高齢者は,現
在の児童が解いている問題を習っていなかったり,異なった解法や回答を習っていたりする場合
があるのだ.このようなことは,学校教育以外にも見られることもあり,高齢者の持つ知識や考
え方が風化し,現代には適応できないということがある.このように,全ての世代が同様の経験
をしたことであっても,特に児童に対し具体的な助言を行うという状況下においては,近い世代
での知識や考え方の方が有用に働くこともある.
また,ソーシャルスキルの向上やソーシャルインクルージョンの生成といったような社会性の
育成を考えた場合,高齢者との交流だけでなく,より多くの世代との交流を持つことは有益なこ
とであり,そういった点からも近世代間交流は大きな意義を持つものだと言える.
2-3. TCG に見る世代間交流の場としての可能性
世代間交流を行うためには,当然そのための舞台が必要である.地域社会が崩壊した今,なか
なかそういった場が自然発生的に表れることはなく,現在主として行われている高齢者と児童に
よる世代間交流の場も,多くは国や自治体によって設けられている.しかし,そんな中で近世代
との交流の場になるに足る十分な素質を持った場が存在している.それが TCG である.
ii
斉藤嘉孝、2010、「子どもを伸ばす世代間交流」勉誠出版
- 235 -
3 TCG とは
本章では,TCG の持つ近世代との世代間交流を促進するツールとしての可能性について言及
する前に,TCG とはどういったものであるのか詳しく解説していく.
3-1. TCG の定義
TCG とは,各プレイヤーがデッキと呼ばれるルールに則して組み合わせたカードの束を持ち
寄り,2 人以上で対戦を行うゲームのことである.通常ひとつの TCG には何百種類という数の
カードが存在し,それぞれのカードには様々なイラストが描かれており,また,各々に能力値や
効果が与えられている.このことから,これらのカードを組み合わせて作るデッキは,非常にバ
リエーションに富んだものとなり,ゲームの楽しみ方にも多様性が生まれることとなる.
出典:遊戯王ゼアルオフィシャルカードゲーム
図1 トレーディングカード(遊戯王 OCG)
3-2.TCG の歴史
TCG の発祥とされるのは,1993 年 8 月にウィザーズ・オブ・ザ・コースト社からアメリカで
発売された「マジック:ザ・ギャザリング」である.このゲームは主に,ゲーム機やコンピュー
ター等を使わずに,紙や鉛筆,サイコロなどの道具を用い,人間同士の会話とルールブックに記
載されたルールに従って遊ぶテーブルトークロールプレイングのプレイヤー達を中心に瞬く間
に大ヒットとなった.
日本でも,翌 1994 年には同商品の輸入が開始され,テーブルゲーム愛好家という限られたユ
ーザー層の中ではありながらもアメリカと同様のブームを巻き起こした.その後,1996 年に任
天堂の「ポケットモンスター」を題材とした初の本格的な国産 TCG「ポケモンカードゲーム」
の発売されたこと,現在の TCG 市場で最も高いシェアを誇る「遊戯王オフィシャルカードゲー
ム」のモチーフとなった漫画「遊☆戯☆王」内で TCG を題材とした話が描かれ話題になったこ
- 236 -
とを契機に,本格的な普及を見せ始めることとなる.
現在では,玩具市場規模において電子ゲームに次ぐ 2 番目のシェアを有しており,その規模
も 2006 年からは年々増加し続け,2011 年には 1006 億円に上る成長を見せているiii.
3-3. TCG の特性
本節では,
“プレイヤー同士が空間を共有し対戦を行う”という共通の特徴を持つ,ポケッ
トモンスターivのようなインターネット回線を介さない対人対戦型の「TV ゲーム」
,囲碁や
将棋のような「ボードゲーム」,めんこやベーゴマのようなボードゲームを除いた対人対戦型
の「アナログ玩具」の 3 つの玩具と比較しながら,TCG に見られる 5 つの特性を挙げていく.
1 つ目に,
「構築性」が挙げられる.3-1 でも記載した通り,TCG は各プレイヤーが自分の
持つカードの中からルールに則して組み合わせたデッキと呼ばれるカードの束を用いてゲー
ムを行う.このことは,パーティ編成や装備,技などの構成を自由に行うことのできる「TV
ゲーム」からも同様に見てとれる.
2 つ目に,
「トレード」が挙げられる.多くの TCG では,主にランダムに選択された複数
枚のカードが一まとまりとなった,拡張パックというという販売形態が取られている.その
ため,必ずしも自分の欲しいカードが入手できるというわけではなく,また,1 つ目にも挙
げた「構築性」という特徴を持つことから,プレイヤーによって欲しいカードが異なるとい
う場合も多く,プレイヤー同士が合意の上でカードを交換するという行為が行わることとな
る.これは,データ上のキャラクターやアイテムなどの交換が行われる TV ゲームでも同様
のことが言える.
3 つ目に,
「ショップ」が挙げられる.TCG を専門に扱う店舗の多くは,低料金や店舗で
の商品購入を行うことにより使用することのできる専用のスペースを設けている.このよう
に TCG におけるショップは販売の場としてだけでなく,遊び場としての役割も果たしてい
る.TV ゲームやアナログ玩具におけるショップの多くは販売の場としての機能のみしか持
ち合わせておらず,教室やサロンのような実際にゲームをプレイすることのできる場が数多
く存在するボードゲームにのみ同様の特徴を見ることができる.
iii
社団法人日本玩具協会「日本国内の玩具市場規模」(http://www.toys.or.jp/)
株式会社ポケモンから発売されているロールプレイングゲームシリーズ。ポケットモンスタ
ーと呼ばれるキャラクターを採集、育成し対戦させるゲーム。通信によりプレイヤー同士で交換
や対戦も楽しむことができる。
iv
- 237 -
出典:C-labo-カードラボ-(www.c-labo.jp/)
図2
カードショップ
4 つ目に,
「大会」が挙げられる.TCG ではほとんどの場合,先に挙げたショップを主な
場として,メーカーが主催する公認大会やショップやプレイヤー自身が主催する非公認大会
といった大会が開催される.メーカー,ショップが主催するものであれば毎週定期的に行っ
ている場合が多く,開催頻度は非常に高いと言える.TV ゲーム,アナログ玩具ではこれほ
ど高頻度の大会が開かれているものはほとんどなく,TCG と同様に大会の主要な場となる遊
び場としてのショップが多く存在するボードゲームにのみ同様の特徴が見られる.
5 つ目に,
「年齢層」が挙げられる.多くの TCG は子供から大人まで非常に幅広い年齢層
に親しまれている.これは,比較的低年齢層のプレイヤーの占める割合が多いアナログ玩具
を除く TV ゲーム,ボードゲームにも同様のことが言える.
表1
TCG の特性の比較図
TCG
TV ゲーム
ボードゲーム
アナログ玩具
構築性
○
○
×
×
トレード
○
○
×
×
ショップ
○
×
○
×
大会
○
×
○
×
年齢層
○
○
○
×
出典:筆者作成(2013)
4 TCG が促す近世代間交流
本章では,3 章で解説した TCG の特性を用いて,なぜ TCG という場で近世代との世代間交
流が起こるのかということに言及していく.この際,大前提としてプレイヤーの年齢層が幅広い
ことがあることを念頭に置いて議論を進めていく.
- 238 -
4-1. TCG の備える機能による世代間交流の促進
対人対戦型であるということは,ゲームをプレイするための対戦相手が必要不可欠である.ま
た,拡張パックという販売形態により,プレイヤー間でのトレードが活発に行われる.これらに
よって,交流が促されることになるのは言うまでもないが,構築性という特性も特に近世代との
世代間交流を促す大きな要因の 1 つとなる.
TCG におけるデッキの構築は,ゲームの勝敗に大きく関わってくる要素であるため,プレイ
ヤーは必要なカードを投入し,不必要なカードを排除することによって,よりよいデッキを構築
しようとする.その際に,最も手っ取り早く確実な手段として,大会で成績を残したプレイヤー
の構築を真似る,参考にするという手法がある.しかし,このときに所持していないカードが必
要になった場合,大人であれば難なく購入できるものであっても,子供にとっては購入が難しい
ということも多々あり,金銭的な問題から子供がこの手法を取ることができないということも少
なくない.
そうなった場合,次によりよいデッキ構築を行うために考えられるのが他者に相談し,助言を
もらうことである.インターネット上には,そういった相談を行うためのサイトや掲示板が多数
存在するが,相談者がどのようなカードを所持しているかということについて当然知る由もない
ため,多くの場合基本的に全てのカードを所持しているという前提で助言が行われるため,他者
の構築を真似ることのできなかった子供にとって,これもまた取ることの難しい選択肢となる.
そうして,同年代の子供よりも知識が豊富であることが多い大人が相応しい相談相手として選択
され,交流が行われることになる.
4-2. TCG を取り巻く環境による世代間交流の促進
前節では,TCG 自体の備える機能による交流の促進について解説したが,本節では,TCG を
取り巻く環境によって促される交流について言及する.
まず,ショップの存在が挙げられる.3 章で述べたように TCG におけるショップには,ほと
んどの場合ゲームをプレイするための専用スペースが設けられており,販売の場としてだけでな
く,遊び場としての役割も果たしている.この専用スペースでは,客同士が互いに声をかけ合い
対戦を行うという光景が日常的に見られる.また,ここではゲームをプレイするだけでなく,
TCG に限らず,多岐に渡った内容の雑談が行われ,カフェテリア的な役割も果たしている.
次に,大会が挙げられる.専用スペースにおける客同士の対戦は,相手から声をかけられない
限り自ら声をかける能動性が必要となるが,中には知らない人や年齢層の違う人に声をかけるこ
とが躊躇われるプレイヤーもいる.また,複数人の仲間同士で来店し,仲間同士で対戦を行うと
いうプレイヤーも存在しる.それに対し,大会では参加者は基本的にランダムにマッチングされ
ることとなるため,そういったプレイヤーにもそれまで接することのなかったプレイヤーとの接
点を創出する機会を作り出す役割を果たしている.
- 239 -
4-3. 社会性育成の場としての適性
このように TCG には,児童と青年を中心とした幅広い年齢層のプレイヤーが存在し,そうい
った人々の交流を促すための有用な機能と整った環境が揃っている.
さらに,これらのことに加えてもう 1 点,TCG は世代間交流の場に相応しい重要な素質を持
ち合わせている.ショップでは,4-2 で述べたように大人が子供に構築を教えたり,よりよいプ
レイの仕方を教える姿が散見される.中には,大人が子供に自らの持つカードを無償で提供して
まで,赤の他人である子供のデッキの強化に協力する等ということもある.
これらのことは,何の強制力も働いておらず,大人側にとって何ら利点がないにも関わらず行
われている.このような,利益を考慮せず,自分の所属する共同体をよりよいものにしようとす
る空間は,世代間交流に期待される機能の一つである,社会性を育む場に適しているものである
と考えられる.
4-4. TCG における世代間交流の負の側面
ここまで TCG の世代間交流における利点を列挙してきたが,TCG における近世代間交流に
は,これらのような利点だけではなく,負の側面も存在する.代表的なものとしてシャークトレ
ードと呼ばれる行為がある.一般的にトレードとは,カードの能力や希少性,人気等を考慮した
上で価値が等しいと見なされたカードを交換が行われる.しかし,この際にカードの持つ価値を
偽り,相手を欺くことで意図的に不釣り合いなトレードが行わる場合がある.こういった事態を
回避し,適正なトレードを行うにはある程度のカードに対する知識が必要になるが,大人と比較
して知識が乏しいことが多い子供がこういった行為の対象になり易いといった問題も存在する.
しかし,こういった行為が行わおうとする者が存在するのと同時に,それを阻止しようとする
者が存在するのも事実であり,4-3 で述べたように,無償の互助関係が成り立ち易いショップに
おいては,阻止しようとする者が大多数を占める.そのことを除いても,TCG の世代間交流に
おける利点は無視できないものであり,負の側面のみによってその有用性や適性を否定すること
はできないだろう.
おわりに
本稿の執筆に至った動機となったのは,筆者が TCG をプレイしている上で見えた多くの特性
が交流を促すものであり,特に世代間交流においての可能性を秘めているように感じられたこと,
そして,実際に児童と青年をはじめとした世代間交流を幾度となく間の当たりにしてきたという
ことがある.今回の分析によって,その可能性は確信へと変貌を遂げた.現時点ではまだ,近世
代間交流の意義も TCG の世代間交流の場としての適性もほとんど目を向けられることはないが,
今後広く認知され,有効に活用されていくことを望む.
文献
草野篤子,2004,「インタージェネレーション―コミュニティを育てる世代間交流」
- 240 -
斎藤嘉孝,2010,「子どもを伸ばす世代間交流」
ホビージャパン,2011,「カードゲーマーVol.1」
健康長寿ネット(http://www.tyojyu.or.jp/hp/menu000000100/hpg000000002.htm)
- 241 -
ネット・レビューの秩序
―2010 年以降のネットコミュニティのあり方を考える―
小玉 悠太
はじめに
アニメ・漫画・文学・音楽・ゲームといった作品を需要する際,私達はどのような指標・基準
でコンテンツを選択しているだろうか.私は多くの場合 amazon.のような大手企業のカスタマー
レビューの評価や SNS などのような他者の作品に対する批評を見ることである程度の指標とし
ている.現在コンテンツの数,種類は膨大な量となり,その中から自分が面白いと思うもの,興味が
あるものを取捨選択するのは難しい.また,ランキングの形骸化,大手メディア広告の信用性の低
下など,コンテンツ情報の取捨選択の手段も陰りを見せ始めている.
そのなかにおいてネット・レビューはそうしたコンテンツを取り巻く社会変化の中で,新しい
情報の取捨選択手段としてその多くの需要に答えてきた.そしてネット・レビューはコンテンツ
の受給に応える情報媒体から,作品・コンテンツ自体に影響を及ぼす情報媒体へと変化し始めて
いる.カスタマーレビューで高評価を受けた作品や SNS や巨大掲示板で話題となった作品が大
ヒットするようになり,企業もネット・レビューを駆使した様々なマーケティング手法を取り入
れ始めた.ネット・レビューはまさにコンテンツにおける革新的な情報媒体なのである.
しかし,ネット・レビューは作品・コンテンツにとって有益な存在であるとは言い難い状況が
生まれてきた.SNS や巨大掲示板などのようなネットコミュニティでは作品を陥れるような批評
が横行し始め,ステルス・マーケティングや炎上マーケティングのような作品・コンテンツの意
向や指向性を度外視したマーケティング手法を取り始めるようになった.ネット・レビューによ
って悪影響を受けた作品・コンテンツは少なくないだろう.
本稿ではこのようなネット・レビューを巡る問題・弊害の根幹はどこにあるのかをネット・レ
ビューの推移から追っていくと共に,2 ちゃんねる・SNS・カスタマーレビューの 3 つのネット
コミュニティの形態から 10 年代前後のネット・レビューの限界を分析する.そしてその分析から
10 年代以降のネット・レビューに求められるものを「作品データベース」というネットコミュ
ニティの具体例を挙げながら論じ,ネット・レビューに求められる秩序とは何かを 10 年代以降の
ネットコミュニティのあり方と交えながら考察していきたい.
1 10 年代までにおけるコンテンツ産業のレビューの推移
1-1. 90 年代~10 年代までのネット・レビューの推移
私達はなぜここまでネット・レビューの評価に頼るようになったのだろうか.現代の日本にお
いて,広告がもはや消費者の心に響かないと言われている.その経緯を 90 年代から振り返ってい
こうと思う.私達を取り巻く商品・情報等の広告はバブル期にかけて大幅に増加した.「民間バス
- 242 -
からティッシュまで」と言われるほど様々な手段で広告を私達の目の行き届くほんのわずかな場
所に打ち出すようになった. アメリカでは一人あたりが一日になんらかの広告を見る回数は
3000~3500 ほどあると言われ,私達は否応なしに広告を目に触れるようになった.そのため,情報
が溢れ消費者が情報を処理しきれず辟易し,消費者が広告を処理し切れなくなるといった事態に
陥った.また 90 年代は同時並行で広告・メディアの信用低下が発生し,それらから発信される情
報よりもクチコミの情報の信憑性に頼るようになっていた.やがて広告は一つの情報の選択手段
として認知され,私達は自ら情報を取捨選択するようになった.マスメディアより,マイクロメデ
ィアの情報に価値を見出し始めたのだi.この頃からネット・レビューが誕生するための土台は完
成しつつあったのだが,90 年代のインターネットはまだ大衆的な情報交換ツールとして広まって
いなかった.1995 年には windows95 が登場したことでインターネットの一般化や,1999 年には i
モード・EZweb が開始されたものの,いまのようにネット定額料金は存在せず,あるとしても高額
な料金設定で一般家庭が気軽にインターネットを利用するという段階に至っていなかったので
ある.
しかし 00 年代に入るとこの問題はチープ革命iiによって解決され,インターネットの一般大衆
利用の大きな足がかりとなる.その革新の一端が web2.0 である.インターネットのブロードバン
ド化(2003 年サービス開始)により実現された.web2.0 とは,従来の情報発信が受信者から送信
者へという一方的な発信だったものから,ネットワーク上に存在する情報やソフトフェアといっ
た外部機能を参照することによって誰もが情報を発信することが可能となり,発信者から送信者
の関係を流動化させた web 関連技術とネットワークサービスの総称である.web2.0 によって私
達は SNS・巨大掲示板・ブログなどを趣味や気散じとして気軽にインターネットを利用できる
ようになった.また mobile2.0 の貢献も大きい.mobile2.0 とは携帯電話の技術向上によって発生
した web2.0 の一類であり,パケホーダイ(2004 年サービス開始)によって実現した.携帯電話で
もインターネットを気軽に利用することが可能となり,携帯電話でのみネットを利用する層が増
加したと言われている.
web2.0・mobile2.0 はクチコミという地域的・閉鎖的レビュー環境を世界的・広域的レビュー
環境へと昇華させた.SNS・巨大掲示板・ブログなどの登場が一般市民にレビューを交換する場
の提供を実現させた.また moblie2.0 は PC とは違い検索の精度が低いため,メール・SNS・ブロ
グなどによる独自のユーザー拡大が行われた.このことが SNS・ブログの拡大する要因となり,
自己発言を行う場の拡大をより一層広めることとなったのである.
1-2. web2.0 がもたらした批評の情報共有社会
web2.0 はこれまでの情報の送り手と受け手が固定化され,送り手から受け手への一方的な流れ
であった状態を,送り手と受け手が流動化し,誰もがインターネットを通して情報を発信するこ
i
詳しくは上原ほか編(2006)より参照のこと.
IT インフラの低価格化によってハード,ソフトやサービスが低価格で入手できるようになる社
会革新のこと.上原ほか編(2006:37)より参照.
ii
- 243 -
とを可能とさせた.このことによって,情報を共有するという今までとは全く異なった社会体制
をインターネットは実現させた.そこでは画像・動画・音楽・ゲームなど多岐に渡る情報の共有
を可能としたが,同時に批評の情報共有を可能とした.
いままでの批評はその分野について一家言のある学者や専門家が新聞・雑誌・テレビ等の媒体
を通してでしか発表することができず,世間に発表するにはある程度の地位と資金を必要とする
いわば特権階級のみに許された行為であった.それが web2.0 を端に発したネットワークの普及
とソフトウェアの向上によって状況は一変する.SNS・巨大掲示板・ブログなどの登場によって
一般市民も自分の考えをいつでも手軽に発信できる場を手に入れ,総表現社会を実現したのだ.
不特定多数の人々が批評を発信し,不特定多数の人々がその批評を受信するという批評の情報共
有社会を実現させたのである.
批評の情報共有は様々なネット・レビューの形態を生み出した.より有益で便利な情報を入手,
発信したいという機運の高まりから,アルファブロガー,アフェリエイトサイト・ブログのような
大型情報サイトを生み出した.また,mixi や twitter などの SNS ではクラスタと呼ばれる特定の
コンテンツを消費し,互いに感想や批評を言い合うという集団も形成されるようになる .また
amazon.カスタマーレビューのようなクチコミ・批評を,購買意欲を増幅させる装置の一つとし
てマーケティングの中に持ち込まれるようになった.
2 10 年代前後までのレビューの限界
web2.0 は私達に情報共有社会という新しい社会体制をもたらした.情報の共有化はより多く
の情報を協働し,様々な情報を相互利用することで不特定多数の人々が閲覧し,また発信するこ
とでその情報を深化させた.また批評の情報共有化は SNS・巨大掲示板・ブログなどのネット・
コミュニティツールの中で議論を深めることでその内容をより有益的に多様化させていった.し
かし情報共有化が必ずしも批評の有益性・正統性を高める方向に深化させいていったわけではな
かった.むしろ 10 年代までのネット・レビューの推移の中で様々な弊害や限界が見られるように
なった.本節では 3 つの具体例を挙げながら検証したい.
2-1. 巨大掲示板「2 ちゃんねる」に見る「匿名性」と「共同体空間」の弊害
2-1-1. 2 ちゃんねるの構造
2 ちゃんねるは言わずと知れた日本最大の巨大掲示板である.2000 年に西村博之氏によって開
設され,現在の利用人口は 1000 万人を超えると言われている.2 ちゃんねるは google や yahoo!
などのような巨大で膨大な情報を処理する検索ツールシステムが日本で一般化する以前から存
在し,情報交換ツールとして多くの日本人が利用してきた.2 ちゃんねるは日本のネットコミュニ
ティを構築する上で大きな役割を果たし,日本型ネットコミュニティと呼ばれる日本特有のコミ
ュニティ形態を作り上げた.ネットコミュニティを語る上で 2 ちゃんねるなしでは日本のネット
コミュニティの現状を語ることはできない.
- 244 -
2 ちゃんねるの大きな特徴はフロー(流動性)と匿名性である.2 ちゃんねるの掲示板の形式は
スレッドフロート式掲示板と呼ばれる.2 ちゃんねる内のそれぞれの掲示板はカテゴリと呼ばれ
る大きな分野単位で区切られており,そしてその中で分野ごとに板と呼ばれるジャンルに分けら
れている.2 ちゃんねる内には多くの板が存在し,その内容は「ハッキングから今晩のおかずまで」
というキャッチフレーズの通り驚くほど多岐に渡る.更に各板にはその分野に属する話題ごとに
細かく分けられたスレッドが存在し,掲示板への書き込みや閲覧はスレッド内で行われる.この
ように無数に分けられたスレッドの中から,自分の求めている情報があるスレッドを見つけ出す
のであるiii.
ここまではその他の掲示板とはさほど変わらない.濱野は 2 ちゃんねるの掲示板の最大の特徴
は「直近でなんらかの書き込みがあったスレッド」から順に整列されるということであると論じ
た.絶えず書き込みの状態がフロー(流動)するため,活発にコミュニケーションが行われている
スレッドは一覧の上に表示されやすくなり,ユーザーの目に止まりやすくなる.また dat 落ちとい
う一つのスレッドが 1000 以上の書き込みがされると自動的にそれ以上の書き込みができなくな
り,過去のログの参照もできなくなるシステムがある.この最大 1000 レスというスレッドの寿命
は,逆に盛り上がりや熱狂度を計測されるための指標としても使われる.いわゆる祭りと呼ばれ
る 2 ちゃんねるの現象はこのレス消費の速度が急速な状態であるということである.この指標に
よってスレッドが盛り上がっていて,有益な情報が集まるスレッドが存在するのかを確認するこ
とができるiv.このシステムがあったからこそ,検索ツールのない日本であっても,自分の求めてい
る情報を入手することを可能としたのである.
また,もう一つの大きな特徴は匿名性の掲示板であるということだ.各スレッドでは,匿名での
投稿が可能となっており,利用者が名前を入力しないで投稿を行うと板ごとに設定された仮の名
前が自動的につけられるようになっている.もちろんハンドルネームを設定することもできるが,
ほとんどの場合ユーザーはハンドルネームを設定せず「名無し」の状態で書き込むことが常識と
されている.日本ではネットコミュ二ティ内では本名を用いず,匿名もしくは本人とは特定され
ないようなハンドルネームを設定することが多い.この形式が日本型ネットコミュニティの特徴
の一つであると言われている.
2-1-2. 匿名性と 2 ちゃんねる的イデオロギー
フローと匿名性によって 2 ちゃんねるは有益な情報ツールとして日本に浸透し,多くの情報が
交換されることになる.しかしその二つの大きな特徴によって引き起こされる弊害も生まれてき
た.匿名性はメリットとして表現の場での自由な発言を可能とし,匿名によって立場・身分・信条
関係なく平等に発言する機会をもたらした.このことでネット・レビューは日本でここまで大き
な市民権を得てきたと言ってもよい.しかし匿名であるがゆえに,無責任な主張や作品を陥れる
iii
Wikipedia「2 ちゃんねる」より参照.
iv
詳しくは濱野(2008:81-84)より参照のこと.
- 245 -
ような発言をしようが過失に問われないという問題が発生してきた.また相手が特定の個人でな
いため,相手に対して高圧的な態度やシニシズム的・シニカル的な態度を取りやすいといった問
題が生じてきた.シニシズム的・シニカル的な態度は過剰な興奮・熱狂をもたらす.批評や議論の
交換であったはずがいつしか作品に対するアンチ/信者vの二極化構造という深い対立をもたら
し,議論というよりむしろレッテルの張りあいや水掛け論になることも多数見られる.
匿名性によるネットコミュニティの弊害は長年議論され続け,ネットコミュニティ内ではそれ
ぞれのコミュニティにおいて共通の課題である.しかしこれだけで日本的ネットコミュニティで
しばしば発生する弊害・限界を論じることはできない.2 ちゃんねるの問題を語る上で 2 ちゃん
ねる内の共同体空間にも目を向けなければならない.
前述したように,2 ちゃんねるには dat 落ちというシステムにより,過去のログが参照できなく
なることを説明した.しかし 2 ちゃんねるはそうした時限的なコミュニティツールであるにも関
わらず多くの AA(アスキーアート)やコピペなどのような定型文が存在する.それは何故かとい
うと,2 ちゃんねるのユーザーは,匿名の中でもコピペやまとめサイトといったもので 2 ちゃんね
るのレスを保存し,2 ちゃんねるの集合知の集積を協働して行っているのである.お互い顔を見せ
ず,本名さえ明かさない関係にも関わらずである.濱野は 2 ちゃんねるは巨大な「フロー空間=都
市」として捉えることができるとした.フロー(流動性)の空間において,2 ちゃんねるのユーザ
ーが 2 ちゃんねらーとしてふるまう,つまり 2 ちゃんねるという都市に住まう個人としての共同
意識が生まれているというのであるvi.その共同意識は内輪的共同体空間を作り上げ,2 ちゃんね
るの中で 2 ちゃんねらーのみにしか通じない 2 ちゃんねる的イデオロギーを構築するのである.
また濱野は 2 ちゃんねるという空間は単に自己目的的な「おしゃべり」をするには巨大すぎ
るため,そこでの空転しがちなコミュニケーションを可能な限り持続させるために定期的に「ネ
タ」を構築する「ネタ的コミュニケーション」が発生するとした vii.スレッドの中の発言を字義
通りに捉えるのではなく,2 ちゃんねらーの共同体の解釈でもってアイロニカルな「嗤い」viiiへ
と変換し,別の字義へと解釈するというものだ.つまり 2 ちゃんねらーにとってもはやコミュニケ
ーションの内容はさしたる重要性を持たず,いかに 2 ちゃんねらー同士の 2 ちゃんねる的イデオ
ロギーで持ってコミュニティが継続されているかということに重点が置かれるのである.
こうした 2 ちゃんねる的イデオロギーの中で作品が批評する場合,個人の批評が有益性・正統
性をいくら持っていようが,ネタ的コミュニケーションの中で解釈される場合がある.もしくは
自己の批評の自由意思とは関係なく,2 ちゃんねる内のスレッドのレスの進行の中で最も共同体
空間の中で盛り上がることのできる=祭りを引き起こすことのできるような文面を,2 ちゃんね
v
特定の作品・コンテンツに対し,信者は過度に称賛するもの,アンチは過度に非難するものの総
称.
vi 濱野(2008:94)より参照.
vii 濱野(2008:96)より参照.またネタ的コミュニケーションとは,コミュニケーションそのものの
テンプレートへの言及を重ねて行われる,すべてがネタであるかのように振る舞うコミュニケー
ションの形式(鈴木 2002)のこと.
viii アイロニー(皮肉)的な技法を用いた,相手を見下すような笑い.詳しくは北田(2005)を参
照のこと.
- 246 -
らーという共同体に所属する自己を演出しながら投稿するという流れが発生する.その結果とし
て 2 ちゃんねる内での批評はアイロニカルな「嗤い」を含んだシニカルな批評や,板によって作
品の評価が過度に高くなる,または低くなるといった現象が起こるのである.
2-2. SNS の中にあるムラ的共同体
2-2-1. SNS の特徴
SNS の特徴は「サイト内での友人,知人関係の構築(ネットワーキング)を目的に,プロフィー
ルや友人リストなどを登録,公開するネットコミュニティサイト」(濱野
2008:124)である.
広義としてはコメントやトラックバックなどのコミュニケーション手段を持つブログや 2 ちゃ
んねる等の巨大掲示板も SNS なのだが,区別しやすいように本節では濱野が論じた特徴として
定義する.日本では mixi がサービスを開始した(2004 年開設)ことを皮切りに,GREE・mabage
その後は Facebook・twitter などの世界的な SNS も日本で広がりを見せ,現代の日本のネットコ
ミュニティにおいて SNS は欠かせない存在となっている.
ブログや 2 ちゃんねる等の巨大掲示板と日本の SNS がそれらのネットコミュニティは異なっ
たコミュニティ形態が取られる場合が多い.それは日本の SNS の開設当初はそれらのネットコ
ミュニティと分断したコミュニティを形成することを目的としたからである.2000 年代前半の
ネットコミュニティはネットを利用していない人々から見れば「誹謗中傷」
「爆弾の作り方」
「犯
罪予告」
「ネット心中」といったダークでアンダーグラウンドなイメージと捉えられていた(濱
野
2008:128)ため,こうしたネットイデオロギーがはびこるコミュニティ集団と混在するこ
とを回避する手段として,あえて mixi は会員登録をしているユーザーから招待されることでし
かユーザーID を手に入れることができない招待制という形を取ったのである.そうすることで
その混在を防ごうとする社会要請が自然的に発生することとなった.そのため殊 2 ちゃんねると
SNS はそれぞれ異なったコミュニティ形態が発生することとなった.
SNS の大きな特徴は,人と人とのコミュニケーションツールである以上に,趣味・趣向・年齢・
性別・地域・出身地などのような自分と同じ属性を持つ同類や全く価値観の異なった人を発見し,
そのつながりから日常生活のコミュニティとは異なった新たなコミュニティを構築することが
できるコミュニティツールであるという特徴がある.膨大な情報が飛び交うネットワークの中で
自分の求めている属性の人物を探し出すことは難しい.SNS はそれをプロフィール機能,ユーザ
ー検索機能によって可能としている.SNS サイト内でプロフィール機能にあらかじめ自分の属性
を登録し,ユーザー検索機能で自分の好ましい属性を持つ人物を検索することによって自分の求
める属性を持った人物を発見することができるのである.この機能によってマイノリティや人口
の少ない作品・コンテンツを消費する人を手軽に発見し,新たにコミュニティを形成することを
可能とした.またクラスタと呼ばれる特定の興味・関心のある作品・コンテンツを享受する人々
の集団も登場し,様々な価値観を持つ人が作品・コンテンツに対する感想や批評を交換し合う場
を形成できるようになったのである.
- 247 -
2-2-2. 排他性の機能とムラ的共同体
しかし SNS の登場は真に自由な意見や批評の発言の場として発展したとは言えなかった.そ
こでは作品・コンテンツなどをよりよい方向性へと向かわせるような読解や議論の場へと発展さ
せるよりも,むしろ自己欲求・自己承認の強化や一方的な読解へと誘導される場合が多かっ
た.SNS は広域的なコミュニティツールであるにも関わらず,日本では閉鎖的なコミュニティツ
ールとして需要される場合が大半である.なぜこのような事態が発生するのか.それは SNS が持
つ排他性の機能による原因が挙げられる.
排他性の機能とはすなわちブロック機能,ロック(鍵)機能である.この2つの機能はスパムメ
ールや迷惑メール,ネットストーキングなどのような問題に対する自己防衛手段として構築され
た機能である.しかしこの機能は自己防衛以外の手段として使われるケースの方が多くなった.
それは自分と意見や議論のそりが合わない人,気に入らない人を自分のユーザーアカウントやコ
ミュニティから追い出すために利用されるケースだ.現実社会のコミュニティと違い,ブロック
機能,ロック(鍵)機能のボタンをクリックするだけで相手との一方的な隔絶が可能となる.広域
的で多様な人間関係が構築されるはずの SNS のネットコミュニティだが,排他性の機能は人と
のつながりをたやすく切り離し,自分以外の意見や批評を受け付けようとしない自分だけの牙城
を構築してしまったのである.
また日本のネットコミュニティにおいて特有なのはムラ的共同体のような日本でよく見られ
る排他的な共同体空間がコミュニティ内で発生することである.ムラ的共同体とは「ウチ」と「ソ
ト」の区別が重要とされ,基本的に「ソト」に対しては排他的な態度を取るが,個人としての独自
性,主体としての主体性を強く打ち出すと,もはや協調性を乱す協調性のない「ソト」のものと見
なされ,排除されるというものであるix.
ムラ的共同体は日本のネットコミュニティの随所に現れている.例えばクラスタ内で享受して
いる作品・コンテンツに対して否定的な読解をした場合,その読解が含蓄に富み一聴の価値があ
るような読解であったとしてもクラスタからブロック(追放)されることがある.これは「この
作品・コンテンツが好きで,他人と享受したい」という自己欲求・自己承認がコミュニティ内で
発生すれば良いというひとつの目的によって成立しているからだ.つまり肯定的読解をするもの
は「ウチ」のものだが,その批評が有益で公平であろうが否定的読解をすること事態が「ソト」
のものと認識されてしまうということである.この共同体空間が形成されてしまうと,少しでも
クラスタで享受される作品・コンテンツに対し否定的読解をした場合,ブロック(追放)されて
しまうためクラスタ内の望ましいコードに沿うようにして批評や賛同が行われるような事態が
発生する.このような共同体空間が,様々な価値観を持つ人が自由に新たなコミュニティを構築
できるはずであった SNS を排他的で閉鎖的なネットコミュニティに変化させてしまったのであ
る.
ix
DIAMOND online
2010.10 より参照.
- 248 -
2-3. カスタマーレビューによる情報発信者側からのレビューの操作
2-3-1. カスタマーレビューという新たな広報戦略
第1章でも言及したように,クチコミという地域的・閉鎖的レビューは web2.0 を堺に様々な情
報の共有化によって誰もがクチコミを交換できる世界的・広域的レビューへと昇華させることと
なった.web2.0 という IT 革命はクチコミという私達の最もオーソドックスで有力な情報源とし
て広く私達の日常生活に浸透した情報源を,情報共有化によってそれを可視化し,その情報を集
積し保存,さらには検索して閲覧することを可能とした.web2.0 によってクチコミはやがて影響
力を高め,その作品・コンテンツ自体にまで影響を及ぼすようになる.それは有力なクチコミ情報
を収集・発信する巨大情報サイト,アフェリエイトサイトの登場や,多くの読者を抱え,つぶやきの
ような発言でさえ大きな影響力を持つアルファブロガーが出現したことからも見て取れる.クチ
コミは既存メディアと同等それ以上の価値ある情報とされるようになり,オーソドックスな情報
交換手段でありながら革新的な情報交換手段として進化を遂げたのである.
また企業側からもクチコミを広報戦略の一つとして取り入れ始めるようになった.その先駆け
的な代表例が amazon.カスタマーレビュー(2002 年開設)である.カスタマーレビューとは商品・
サービスに関する意見や感想を,自由に消費者側から投稿し,公開できるようにしたシステムの
ことである.またその商品・サービスの評価を星1~5の5段階評価をし,カスタマーレビューを
投稿した人々の星の平均値を人目でわかるようにするシステムも存在する.カスタマーレビュー
が革新的あった点は その商品やサービスを実際に購入した人の声を直に見ることができるよう
にしたという点である.商品・サービスの善し悪しや使い勝手などを評価しているので,購入する
前に実際に購入した人の生の声を聞くことで購入して失敗した,想像したものではなかったとい
った事態を防ぐとこができるという点である.また評価を星という形で可視化しそれをランキン
グ形式で表示することで,何が良い商品で,何が注目されている商品なのかを一目で理解できる
ようになったのである.
そしてなにより情報の発信源が一般市民であるという点が大きい.いままでの広報戦略は新
聞・雑誌・テレビ・CM などのような一方的な情報提供者・利潤追求者側からの情報発信であっ
たため,情報の信頼性を問うことが困難であった.しかし実際に商品・サービスを購入し,情報発信
での利益を第一として考えない同じ視点からの生の声だからこそ,カスタマーレビューは新たな
広報戦略として成功したのである.カスタマーレビューのようなクチコミを利用した広報戦略は
amazon.のみでなく様々な企業・情報サイト・ブログ・掲示板・SNS 等へと波及し,またその情
報発信の手法も多様化した.このことによって,作品・コンテンツ自体への批評自体も広告戦略と
して利用されるようになった.
2-3-2. 新たな広報戦略がもたらした問題
カスタマーレビューの登場によってクチコミ・批評を利用した広報戦略は一般市民の声をより
- 249 -
強化し,市民権を持たせることができるようになった功績は大きい.しかし,こうしたクチコミ・批
評の広報戦略をより効果的に強力にしようと様々なマーケティング手法が考案され,中には法律
的・倫理的に悖るようなマーケティング手法も登場し始めた.
そのひとつがステルス・マーケティングである.ステルス・マーケティングとはあたかも客観
的な記事を装って企業や組織,発言力・影響力の強い人が消費者に広告だと察知されないように
広告宣伝をおこなう行為である.簡単に言ってしまえば「やらせ商法」だ.ネットではステルス・
マーケティングのことを「ステマ」と略されることが多く,2012 年ネット流行語大賞で金賞を受
賞している.さらにその年は食べログ,ペニーオークションでステルス・マーケティングが行われ
騒動となったため,ステルス・マーケティングの存在が世間一般に広く広がった年となっただろ
う.具体例として芸能人やアルファブロガーが特定の商品やコンテンツを絶賛する,カスタマー
レビューの星の評価の最大評価 5 を何十件も投稿してランキングの上位に掲載されるようにす
るなどが挙げられる.
ステルス・マーケティングの問題はその名の通り「実態が見えない」という点にある.この手
法はクチコミという利潤性を伴わず,公平的な視点から行われている信用材としての側面を逆手
に利用しているのだ.信頼性の置かれている情報源から虚偽の情報を見つけ出すことは難しい.
日本では 2011 年に消費者庁に不当表示と問題視され,ヨーロッパ等の IT 先進国でも対策が講じ
られている.
もうひとつ問題となっているマーケティング手法に炎上マーケティングという手法がある.何
らかの不祥事をきっかけに批判,誹謗中傷といったネガティブなコメントが管理側の対応の限度
超えて殺到し,過度の熱狂の状態を招くことをネット用語では炎上というが,この状態を自然発
生的にはなく情報発信者が広報戦略として能動的に発生させて注目を集めようとするマーケテ
ィング手法である.炎上のような状態を能動的に発生させるためにあえてバッシングを受けるよ
うな企画や発言を行い,コメント数・アクセス数を稼ぐという手法が取られる.つまりあえてネガ
ティブ・レビューのような批評を発生させるのだ.
この 2 つの手法はマーケティング手法としては成功なのかもしれない.しかしこの手法は簡単
に言ってしまえば批評を操作する行為である.作品・コンテンツを消費する際に起こるであろう
様々な読解やコードを無意識の内に発信者側の思惑に同調させ,コミュニティ全体の読解さえも
操作してしまうおそれがある.つまりイデオロギーを情報発信者側が事前に構築してしまうので
ある.作品・コンテンツが元々受けるべきであった批評を封じ込め,情報発信者が望む読解のみを
付与させる.それは私達の自由意思や主体性を奪い読解やコードの受信を強制的に誘導する行為
である.純粋な批評を妨害する行為である以上,この 2 つの手法によって生まれた批評は健全で平
等な批評とは言い難い.
3 10 年代以降のレビューに求められるもの
第 2 章で注目すべき論点は,私達が作品・コンテンツに対して批評を行う場合,個人の自由意思
のみで批評を行っているわけではないという点である.自らの批評を発信する場合,それは所属
- 250 -
する社会集団,コミュニティの中でのイデオロギーやコード,または時代潮流などのような外的
要因によって発信者はその論調や含意を変化させ,また批評の受け手もまた同様に外的要因によ
って批評の読解を変化させる場合があるのだ.これは集団主義にも似た日本的なコミュニティに
ネットコミュニティにも色濃く反映されている.2 ちゃんねるにおけるネタ的コミュニケーショ
ン,SNS における排他性の機能,ムラ的共同体,ステルス・マーケティングと炎上マーケティング
における批評の操作がそれに該当する.
私達は無意識の内に所属している集団やコミュニティの中で暗黙の慣習や信頼関係,立ち振る
舞いを構築している.自由に人々が行き来し,自由に発言することができる総表現社会を実現す
るはずであった日本のネットコミュニティは,やがてこうした排他的で閉鎖的なコミュニティ形
態を構築し,また企業の思うようにネット・レビューを操作されてしまっている.私達がインター
ネットという巨大なコミュニティ空間に所属する以上,コミュニティ内の雰囲気・慣習・風潮を
超えて批評を行うことは困難である.ネット・レビューの問題は個々のネットリテラシー能力を
向上させれば解決することのできる問題ではない.
3-1. ネットコミュニティの模索―「作品データベース」の例―
ネット・レビューの問題・弊害を克服するための具体例として,「作品データベース」の事例
を挙げ,他のネットコミュニティとの特異点を挙げながら,そのサイトが持つ特徴をアーキテク
チャという概念からネットコミュニティに求められるものとは何かを検証していこうと思う.
作品データベース(http://sakuhindb.com/)とは,アニメ・ゲーム・マンガ・文学・ドラマ・
映画・特撮といった幅広いコンテンツに関する様々な情報・評価・交流の場を提供しているログ
イン制の無料会員制サイトである.2005 年にサイトが開設され,現在のユーザー人口は 1 万人に
も及ぶ.このサイトにおいて特徴的なのは,ユーザーのことを「論客」と称し,作品データベース内
の活動を通して自らの「階位」と呼ばれるサイト内の論客としての順位を上げ,階位によって様々
な権限・特権が与えられるというものである.このシステムを「論客システム」と便宜の上で名
づけておこうと思う.
論客システムを簡単に説明すると大きく分けて 3 つの特徴がある.一つ目は論客として階位を
あげるための評価は評価作品数・コメント作品数・作品投票数・最近の存在感・掲示板の利用・
DB の構築活動などから算出される.具体的な算出方法は下記の図を参考.
論客ポイント決定方程式
論客ポイント = (
[評価ポイント]
評価作品数 x 600
+ コメント作品数 x 20 (幾つコメントを付けても1作品1回のみ算入)
+ 評価文字数 (コメントの文字数は入りません/1作品の上限1,000)
+ 評価推薦ポイント(250 ~ 12,000 )
- 251 -
+ 共感受け数 x 100
+ 作品投票数 x 50
+ 作品掲示板(無題系)利用板数 x 40
+ 作品掲示板(特定話題系)利用板数 x 40
+ ファン登録数 x 80
+ ファン掲示板利用板数 x 40
+ 論客者内推薦ポイント(2009/08/23時点で階位500位以内の人のみ実行可)
[DB 構築活動]
+ 作品情報作成数 x 1200(投稿、もしくは投票がある時) or 90
+ 作品情報更新数 x 50 (投稿、もしくは投票がある時) or 10
+ 承認作業 x 50 (投稿、もしくは投票がある時) or 10
+ 情報 DB 項目作成数 * 350
+ 情報 DB 項目更新数 * 50
+ 攻略情報 * 700
+ 攻略情報文字数(10,000ポイントまでは文字数、それ以上11万字までは1/10を文字数に掛けたポイント
* 最近の存在感 * 評価性向
ユーザー活動ポイントは、論客ポイントから評価推薦・論客推薦・共感ポイントを差し引いた数値
[評価推薦ポイントの詳細]
論客 A さんの B さんへの評価推薦ポイント:
1個目 12,000=12,000
2個目 12,000/(2*2-2*1.2)=7,500
3個目 12,000/(3*3-3*1.2)=2,222
4個目 12,000/(4*4-4*1.2)=1,071
5個目 12,000/(5*5-5*1.2)=632
6個目 12,000/(6*6-6*1.2)=417
7個目 12,000/(7*7-7*1.2)=296
8個目 250
以下ずっと250ポイント
非論客としての評価推薦は最初から250ポイントです。
[最近の存在感]
1ヶ月以内に作品コメント有り1.0
2ヶ月以内に作品コメント有り0.95
3ヶ月以内に作品コメント有り0.90
4ヶ月以内に作品コメント有り0.85
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5ヶ月以内に作品コメント有り0.80
6ヶ月以内に作品コメント有り0.75
7ヶ月以内に作品コメント有り0.70
8ヶ月以内に作品コメント有り0.65
9ヶ月以内に作品コメント有り0.60
10ヶ月以内に作品コメント有り0.55
11ヶ月より前に作品コメント有り0.5
但し、1ヶ月を30日として計算する
[評価性向]
通常: 1.0
悪いが良いの2-3
: 0.9
悪いが良いの3-4
: 0.8
悪いが良いの4-5
: 0.7
悪いが良いの5倍以上: 0.5
悪いと思う立場の評価はあっても良いと思う立場の評価がない: 0.1
[論客者内高評価計算式]
シードポイント: 1000+(論客順位投票人数-1)x10
個別のポイント: (31-順位) x シードポイント
例: 1人目が5位、2人目が10位、3人目が1位に投票していた時
1020*(31-5) + 1020*(31-10) + 1020*(31-1) = 26,520 + 21,420 + 30,600 = 78,540ポイント)
出典:作品データベース
端的に言ってしまえばたくさんの作品の評価や掲示板での活動をコンスタントに行わなけれ
ばならないということである.また文字数が多いほど点数が高く,評価推薦ポイントや共感受け
数が多く加算されるほど高得点となる.掲示板での活動も論客ポイントの対象である.加えて階
位が上がると個人のブログ,DB(データベース)をサイト内に作成する権限が与えられるが,DB
の構築活動も論客ポイントの獲得対象である.
二つ目は作品の評価の善し悪し・参考になる・共感できるなどの評価に対しての評価は基本的
に論客によって判断される.非論客からの評価推薦ポイントは論客ポイントの得点が低いため,
多くの場合は論客が他の論客のために評価を行うためだ.しかし評価する側も 評価性向の存在
から故意に「悪い」の評価をし続けると減点対象になるため注意が必要である.具体的な算出方
法は上記の図を参考のこと.
三つ目は作品の評価に著しく違反している場合には,利用権限の停止・全書き込み削除が行わ
- 253 -
れる.論客側から削除提案がされ,それが受け入れられた時に,違反ポイントが付くことがある.こ
の違反ポイントが累計で 3 ポイントを超えると即座に作品評価が不可能になる.特に悪質な場合
は 1,2 日で削除される場合もある.
3-2. 作品データベースの持つアーキテクチャ
作品データベースが他のネットコミュニティと特異な点を挙げる前に,まずアーキテクチャと
は何かを説明していく.簡単にまとめるならば,
「アーキテクチャ/環境管理型権力」という概念をいま一度要約しておけば,その要点とは,
①任意の行動の可能性を「物理的」に封じてしまうため,ルールや価値観を被規制者の側に内面
化させるプロセスを必要としない.
②その規制(者)の存在を気づかせることなく,非規制者が「無意識」のうちに規制をはたらき
かけることが可能.(濱野
2008:20)
という 2 点にまとめることができる.
具体例を上げるなら,ファミリーレストランの椅子の硬さや店内の BGM の大きさが挙げられる.
ファミリーレストランは椅子の硬さや BGM の大きさを調整することで,顧客の回転率をコント
ロールしている.つまり,顧客の店内に滞在する行動を物理的に抑制している.また,その抑制は顧
客自身が気づかないごくわずかな変化であり,無意識のうちに顧客を誘導するのだ.
アーキテクチャという用語は「人々に不自由感を与えることなく,設計者の思い通りに人々を操
作する統治技術」という意味で用いられるようになる」(鈴木
2009:111)と捉えるのが一番
適切であろう.
ではアーキテクチャの観点から論客システムを捉えたとき,どのような特異なルールや価値観
が形成されているのだろうか.それは論客同士の共同管理システムを階位という競争原理を持ち
込むことで無意識的に構築しているということである.階位を上げるためには前述したように論
客ポイントが必要である.しかし論客ポイントはただ自分の評価を発信すればよいというのもの
ではない.より多くの論客ポイントを獲得するためには評価推薦ポイント,共感受け数を獲得し
なければならない.つまり階位を上げるためには他の論客から目に留まり,評価に値する批評を
投稿する必要がある.これは同時に論客同士が作品の評価をお互いに評価し合うという信頼関係
や慣習がなければ論客ポイントを獲得できないということである.階位による競争原理は論客が
常に他の論客から評価されることを意識しながら批評を行わなければならないという物理的抑
制を発生させているのだ.このことは無責任な主張や作品を陥れるような発言を抑制することを
可能とし,さらにアーキテクチャの作用が作品の評価の数と質を維持し,また論客の活動によっ
て高純度のデータベースを作成することに繋がっているのである.
また論客はお互いに論客の評価に対する評価を行い,悪質な評価の場合は削除提案がなされる
ため,「不適切な評価または評価に対する論客の評価がなされた場合,その論客は論客ポイントが
獲得できず,また重度の場合には罰則や追放措置が課せられる」という論客同士の共同管理の構
造が構築される.この論客同士の共同管理システムによって形成されるコミュニティは,ある意
- 254 -
味ではムラ的共同体にも似た内輪的共同体という閉鎖的な共同体空間を構築する.しかしこの共
同体空間は 2 ちゃんねるのようなネタ的コミュニケーションに代表されるコミュニティ内の儀
式・慣習・お約束などの儀礼的コミュニケーションを構築するわけではない.論客同士の共同管
理システムは,暗黙のルールや慣習が,論客同士の評価を管理するという協働的なコミュニケー
ション形態を論客同士のコミュニティの中に潜在的に発生させ,内輪的共同体によって生まれる
ヒトとヒトとの共同意識を正のベクトルへと活用できるように誘導しているのだ.
3-3. 論客システムのデメリット
もちろん,論客システムにはいくつか問題点がある.作品データベースもコミュニティサイト
である以上回避することのできない問題がある.「コミュニティが成熟すると,『常連』が幅を利
かせるようになり,初心者が発言しづらくなる(濱野
2008:90)」という問題だ.論客同士が作
品の評価をお互いに評価し合うという信頼関係や慣習がなければ論客ポイントを獲得できない
と説明したが,暗黙の信頼関係や慣習が構築され,コミュニティ内の共同意識はより強固となる
一方で,コミュニティ内の信頼関係や慣習が強固になればなるほど,初心者にとってはコミュニ
ティに参加する敷居が高くなってしまうことに加え,常連-初心者という上下関係,従属関係を
発生させてしまう.その結果,参加する際にその敷居が障壁となってしまうケースがある.さらに,
ムラ的共同体のような内輪的共同体が作品データベース内のコミュニティにも構築されてしま
うため,第 2 章で論じたようにコミュニティの雰囲気に沿うようなコードでもって論客同士の評
価がなされ,作品を評価し合うというよりもむしろお互いの作品の評価に対する評価を互いに褒
め合うことや,初心者の論客が常連の論客の評価を一方的に褒めるという事態に陥りやすい.
また論客ポイントが客観的評価ではなく計算式で算出されるため,戦術・戦略などのようなゲ
ーム性が発生し,作品の評価よりもどうやってより多くの論客ポイントを獲得できるのかという
ことに重点が置かれる可能性もある.例えば,アクセス数が多いため作品推薦ポイント,共感受け
数を獲得しやすい人気作品・注目作品を中心に論客の評価に迎合しやすい評価を行うことや,常
連が結託して作品推薦ポイント・共感受け数を獲得するなどといった作品データベースの本旨と
は異なった評価がなされる可能性もある.
4
ネット・レビューの秩序とは
現在のネットコミュニティはいわば批評の無規制状態が発生しているといってよい.私達は総
表現社会を web2.0 によってもたらされた批評の情報共有化によって実現した.しかしそのこと
が作品・コンテンツに対する批評・読解を良い方向性へ向かわせる一方で,作品・コンテンツを
陥れるような批評や,コミュニティ内の読解やコードに任せてあえて負の読解やアイロニカルな
嗤いに変換し,刹那的な熱狂を楽しむといった事態も発生させてしまった.情報共有化は言い換
えるならば何気ない日常会話さえも情報資源として発信される社会を構築したということであ
る.私達の何気ない無責任な一言でさえもそれは情報としてネットワーク上に公開され,全世界
の人々がそれを閲覧することができる.情報共有社会は,私達により発言の責任を増大させる社
- 255 -
会構造を構築したといってよい.それが現実社会にさえ波及する影響力さえ持つ可能性があると
いう自覚を持つ人は少ない.
それは匿名だから悪質な批評であっても現実社会で責任に問われることはないからだという
見方もあるが,この問題はそれだけでは説明することはできない.第 3 章でも論じたように,個人
のネットリテラシー能力で解決することのできる問題ではない.集団やコミュニティの中で暗黙
の慣習や信頼関係,立ち振る舞いといった共同体空間の見えざる力によって,負の読解やアイロ
ニカルな嗤いを発生させるコミュニケーションへと転換されてしまうケースもある.個人からの
みでなく,コミュニティ全体から批評の無規制状態が発生してしまう以上,ネット・レビューにお
ける秩序を創造し,なんらかの規制装置のような存在を生み出す必要があるのだ.
しかし筆者はこの問題を法律のような罰則や規制を用いることで解決させようとは思わない.
なぜならば,web2.0 がもたらした情報共有社会は,1990 年代以前まではできなかった様々なコミ
ュニケーションを実現させたからだ.インターネットは私達に自分の考えをいつでも手軽に発信
できる場を与え,特権階級にしかできなった発信ツールを一般化させた.ネットコミュニティは
同類や異なった価値観を持つ人,マイノリティな存在や集団にコミュニティの場と発言権を与え,
場所や時間を跳躍して様々なコミュニケーション形態をもたらした.安易な規制を敢行した場合,
自由で多様な価値観が入り乱れるコミュニティを崩壊させ,一般市民の発言権を 1990 年代まで
に退行させてしまう事態になりかねない.また批評とは元来個人の権利と尊厳の象徴であり,時
には圧政や暴君に立ち向かう権利の一つであった.批評に対する規制は言論の自由を奪うだけで
なく,個人の権利と尊厳の剥奪になる危険性もあり得る.
筆者はこの規制装置をアーキテクチャによって構築できるのではないかと考えている.
第 3
章で述べた論客システムの注目すべき点は,批評者同士に協働的なコミュニケーションを構築す
ることを強制的に強いるのではなく,アーキテクチャによって批評者側の意識を無意識の内に協
働的なコミュニケーションへと誘導させ,規範や信頼関係を構築させるよう促している点である.
この機能がネット・レビューにおける秩序を創造できのではないだろうか.
しかし注意しなければならないのは,アーキテクチャが構築するネットコミュニティの秩序は
社会や経済にとって正しい規範や作法を利用者側へと無意識の内に誘導するような装置ではな
い.2 ちゃんねるはフロー(流動性)と匿名性というアーキテクチャによってネタ的コミュニケ
ーションという 2 ちゃんねらー同士のお約束的な作法を構築し,SNS は排他性の機能というアー
キテクチャによってムラ的共同体のような閉鎖的なコミュニティを構築するように,コミュニテ
ィの秩序を正す万能な規制装置ではない.アーキテクチャは設計者や支配者側,権威者が人々を
操作する統治装置でもある.使い方によってはステルス・マーケティングや炎上マーケティング
のように私達の自由意思や主体性を奪い,読解やコードの受信を強制的に操作することさえ可能
である.アーキテクチャは「権力」として私達の行動をコントロールすることが可能なのだ.アー
キテクチャには規制装置としてコミュニティの秩序を構築できる一方で,私達の自由意思をコン
トロールできる統治装置でもあるという二面性を孕んでいる.
アーキテクチャによってネット・レビューにおける秩序を創造することは,結果として私達の
- 256 -
主体性を無意識に統治し,操作しかねないというジレンマを抱えているように見える.しかしア
ーキテクチャはそのような権威主義的な装置というよりむしろガバナンス(共治,協働)の側面
が大きいのではないだろうか.私達はコミュニティに所属する個人であるが,コミュニティに従
属された存在ではない.特にネットコミュニティに所属する私達は主体性を持って集合した個人
なのである.視点を変えれば 2 ちゃんねるの ネタ的コミュニケーションは 2 ちゃんねらーが長年
培ってきた共同意識によって構築された規範であり,クラスタに代表されるような特定の主義,
趣向を分かち合うコミュニティ集団は,SNS を構築するアーキテクチャによってユーザー同士が
コミュニティを構築し,その中で独自の共同規範を作り上げているのだ.つまりアーキテクチャ
とはそのコミュニティと適切に関わっていくための知恵や作法を物理的規制によって私達に示
唆し,コミュニティの秩序を会得するプロセスを利用者側に無意識に内包させる機能を有してい
ると捉えることができる.
個人のネットリテラシー能力では解決できないネット・レビュー問題を,このアーキテクチャ
の機能によってネットコミュニティに秩序を創造する.集団やコミュニティの中で暗黙の慣習や
信頼関係,立ち振る舞いといった共同体空間の負の見えざる力に対し,アーキテクチャによって
集団,コミュニティ内の規範や信頼関係を構築するような正のベクトルへと働きかけることで対
抗する.この規範や信頼関係の構築こそが,ネット・レビューの秩序を創造する上で重要なファク
ターとなり得るのではないだろうか.
おわりに
本稿では繰り返し有益性・正統性を持つ批評,作品・コンテンツに対する正の読解・コードと
批評の正しいあり方を表現するための様々な語句を用いてきたが,その具体例を一切示していな
い.それは私はネット・レビューは 00 年代に発生した比較的新しい自己表現手段であり,批評者・
被批評者としての態度の規範や行動がまだ確立されていない以上明示はできないと考えている
からだ.批評者とはその発言に社会的責任を常に問われ続ける存在である.しかしネット・レビュ
ーは それを社会へ提供・還元するという社会的責任を個人に明確に問うことはないが,情報共有
社会というアーキテクチャによって私達の発言は無意識の内に社会的責任を問われることにな
ってしまったのである.私達は批評者・被批評者として身につけるべき規範を習得することを省
略して,いきなり弁論の場に立たされてしまったのではないだろうか.
その中でネット・レビューの規範や行動を論述するには批評やコミュニティのあり方をより研
究しなければならないが,まだ私の知識や見識ではその答えを出すことができない.そのため,本
稿において具体例を提示することをあえて避けたのである.
ネット・レビューの問題は常にネットコミュニティの中のモラルと権力の狭間で揺れていると
言って良い.しかし私達の客観的で論理的観点から正しい批判のあり方を考えた上で批評を投稿
するという私達のネットリテラシー能力によってこの問題が解決できるのが一番理想だと考え
ている.リベラルのような考え方だということは自覚しつつも,私は是非とも良心による秩序で
もってネット・レビューの秩序が保たれることを切に願っている.
- 257 -
文献
上原仁,保田隆明,藤代裕之,2006,『クチコミ 2.0』
wikipedia「2 ちゃんねる」
http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD
%E3%82%8B
濱野智史,2008,『アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』
鈴木謙介,2002,『暴走するインターネット』
北田暁大,2005,『嗤う日本の「ナショナリズム」
』
「DIAMOND online(2010.10.24)
『自己主張』で排除されてしまう―周りに『どう思われるか』
ばかり気にする『ムラ的共同体』」http://diamond.jp/articles/-/3684?page1
作品データベース
http://sakuhindb.com/
鈴木謙介,2009,『設計される意欲――自発性を引き出すアーキテクチャ』
- 258 -
記号としてのキャラクター
―私たちがキャラクターに求めたものとは―
阿部 裕美
はじめに
街を歩けばキャラクターグッズを目にしない日は無いほどに,キャラクターは私たちの生活に
ごく自然になじんでいる.例えば,自動車のコマーシャルへのアニメキャラクターの起用や,最
近では目薬とアニメキャラクターとのタイアップなどが挙げられる.一見,自動車とキャラクタ
ーというと何の関連性もないと思われるが,キャラクターを仲介させることで和やかなイメージ
を抱かせてくれる.そもそもキャラクターは漫画やアニメのストーリーの中に存在するものだ.
ストーリーはキャラクターにとって家のような存在だろう.しかし,家であるストーリーを離れ
てキャラクターのみが活躍していることが多い.その一つとして二次創作が挙げられるだろう.
本稿では二次創作の場におけるキャラクターに焦点を当て,人々はキャラクターに対して何を
求めているのかを考察していきたい.
1 原作からひとり歩きするキャラクター
1-1.二次創作とは
二次創作とは,オリジナルである創作物のストーリーや世界観,登場人物などの各種設定を
もとに,二次的に漫画や小説,イラストを創作することである.オリジナルの創作物と一言で言
っても二次創作の対象となるものは漫画や小説,イラスト以外にも映画やドラマなど非常に多岐
にわたっており,オリジナルの創作物をもとにつくられた二次創作物は同人活動を通して売買さ
れる.
同人活動とは,同好の仲間同士,もしくは個人が同人誌や同人ゲーム,同人音楽などの制作・
発行を自ら行うことであり,コミックマーケットがその代表的な存在である.コミックマーケッ
トは世界最大の同人誌展示即売会であり現在,毎年 8 月中旬と 12 月末の二回,東京国際展示場
をそれぞれ数日間貸し切って行われ,今年の 12 月末で 83 回目を迎えるという歴史を持つ.図 1
は毎年,年末に行われる冬コミへのサークルの参加推移を表したものである.表を見てもわかる
ようにコミックマーケットに参加するサークルの数は増加傾向にある.二次創作の創作活動とい
うと一般人によるものというイメージも強いが,最近ではプロの漫画家が自作の漫画の二次創作
を発表する例も珍しくはない.このように,二次創作は広い範囲において浸透している.
同人活動等を通して自身が手掛けた二次創作を販売していく動機は,
『それぞれのファン研究
(玉川,2009)』の調査結果によれば「多くの人と知り合いになれるから」,
「仲の良いスタッフと
一緒に活動できるから」,
「普段とは違ったことができるから」というように,人によって様々だ.
しかしそういった中で,
「このキャラクターが好きだから」という理由は多くの人に共通してい
- 259 -
るのではないだろうか.
40000
35000
30000
25000
20000
15000
10000
5000
0
1980
1985
1990
1995
2000
2005
2010
出典)http://www.comiket.co.jp/archives/Chronology.html
図 1 冬コミへのサークル参加推移
1-2.キャラクターの自律化
先ほど,二次創作に関して「オリジナルである創作物のストーリーや世界観,登場人物など
の各種設定をもとに,二次的に漫画や小説,イラストを創作すること」と述べた.しかし,同人
誌や同人ゲームにおいては全てではないが,原作と異なった設定や人間関係を与えられることも
多い.原作と異なった設定として例えば,
「学園パロディ」や「現代パロディ」が挙げられる.
また,人間関係に関しても敵対関係にあるキャラクター同士が同人誌では仲が良いという例も珍
しくはない.
このように,キャラクターがオリジナルの創作物の世界観などの各種設定から切り離されて一
人歩きしている現象が起こっている.つまり,物語ではなくキャラクターをはじめとする作品の
構成要素が消費の対象となっているのではないかと考えられる.東浩紀氏はこれを「データベー
ス消費」とした.
2 二次創作のジャンル別傾向分析
本章では,二次創作において代表的なジャンルであるボーイズラブ,ガールズラブ,ノーマ
ルラブ,ドリーム小説の4つに焦点を当て,それぞれの傾向を分析していきたい.以下,本文中
においてBL,GL,NL,夢小説と呼ぶことにする.
2-1.各ジャンルの概要
2-1-1.BLの概要
- 260 -
男性の同性愛を題材とした小説,漫画のジャンルを指す.二次創作において,原作における設
定を一部無視して恋愛関係に発展させることが多い.恋愛関係にある両者の間には積極的な方と
消極的な方が存在しており,それぞれ「攻め」,
「受け」と呼ばれる.BLは『耽美系』と呼ばれ
る作品を出生としており,シリアスなものが多かった.しかし,90 年代にその名を知られるよ
うになり,この頃に明るい学園ものが増えるようになった.「美形キャラクターをつくり出し,
恋愛させるBL」から「既存のキャラクターを恋愛させるヤオイ」がいつの間にか混同され,ひ
とつの体系となったことで「BL」という呼称で広く知られるようになる.
2-1-2.GLの概要
女性の同性愛を題材とした小説,漫画のジャンルを指す.一般的に百合と呼ばれることが多
い.前述のBLとは同性愛という点においては共通しているが,BLは恋愛感情が必要であるの
に対し,GLは必ずしも恋愛感情が必要なわけではないという点において異なっている.また,
BLには「攻め」と「受け」が明確であるのに対し,GLは両者の立場が曖昧であるという特徴
もある.
2-1-3.NLの概要
異性の恋愛を題材とした漫画,小説のジャンルを指す.同人界において同性同士のカップリ
ングが多いため,男女間の一般的な恋愛ものとして区別するために通常,ノーマルカップリング
(ノマカプ)と呼ばれる.
2-1-4.夢小説の概要
読者が名前を自由に設定して読むことの出来る小説のことである.ボーイズラブ,ガールズ
ラブ,ノーマルラブは,どれも作中に登場する人物同士の関係を描いているのに対し,夢小説は
読者自身がオリジナルキャラクターとして作中の登場人物と接触ができるという点において異
なっている.つまり,読み手が物語の登場人物として参加できるのだ.さらに,読み手が主人公
という設定である場合が多いというのも夢小説の大きな特徴である.作中のキャラクターとの異
性愛を扱ったものが主となっており,主人公である読み手の設定が男性である場合,
「男主」
,女
性である場合,
「女主」と呼ばれる.
また,夢小説の対象は漫画や夢小説に限らず,「生モノ」と呼ばれる音楽アーティストや芸能
人,スポーツ選手を題材としたものも存在しており,取り扱われる対象の幅が広いというのも特
徴である.
2-2.男女別に見るそれぞれの傾向
次に,各ジャンルにおける男女の消費の仕方の違いに焦点をあて,分析していくが,それにあ
たってBL,GL,NL,夢小説のジャンルごとに制作者の男女比を調査した.筆者が女性であ
- 261 -
るため男女比に偏差があること,また,傾向分析をする上で参考にした各ジャンルの作品は,二
次創作のものだけでなく商業誌を含んでいることも了承していただきたい.
表 1 各ジャンルにおける制作者の男女比率
BL
GL
NL
夢小説
計
男
16%
44%
34%
28%
30%
女
84%
56%
66%
72%
70%
(男女計:200 人)
2-2-1.幻想としてのBL,リアルとしてのBL
女性向けのBLは,商業誌においては同性に好かれる,または同性を好きになることに対する
悩みや葛藤を描いたものも見受けられるが,二次創作におけるBLには同性愛であることに対す
る葛藤や悩みは最初から無い,もしくは薄い場合が多い.また男性キャラクターの「女体化」や
細身で美形のキャラクターが登場することも多いためリアリティが希薄である.
一方,男性向けのBLは女性向けのものに比べて数自体が圧倒的に少ない.図 2 を見ても,
BLの男性作者が少ないことがわかる.男性向けのBLは薔薇族という男性向けゲイ雑誌が挙げ
られる.この雑誌には成人向け漫画が掲載されたほか,同性愛やエイズについて真剣に取り上げ
られるなど,現実と結びつけて同性愛を扱っていたことがうかがえる.薔薇族には山川純一をは
じめとする多くの作家が連載しており,登場人物も女性向けに登場する細身のキャラクターと比
べて筋肉質な体系であり,同性愛が現実味のある生々しい描写で描かれる.
2-2-2.幻想としてのGL,リアルとしてのGL
女性向けのGLは,異性愛が常識な感覚と分かっているうえで同性を好きになる少女(女性)の
葛藤や感情の揺らぎ,苦悩などといった生々しい感情をキャラクターの心理描写に焦点を当てな
がら展開しており,読者である女性がキャラクターの心情に共感しやすいものになっている.ま
た,最終的に片思いや悲恋のまま終わる場合もあるため,現実における同性愛のようで,リアリ
ティがある.
一方,男性向けのGLは登場するキャラクターが同性を好きであることに疑問を持っていない,
もしくは,悩みが薄い.同性を好きという悩みを最初からとりのぞくことで読みやすく,純粋に
“好き,嫌い”といった展開を楽しめるようになっている.
女性向けのGLはキャラクターが同性を好きになることに対して葛藤する姿や同性という壁
を乗り越えようと成長していく姿(精神面)に重点が置かれており,リアリティのあるシリアスな
展開となっているのに対し,男性向けのGLは同性が好きであるということへの悩みがないため,
リアリティが希薄である.また,図 2 を見てもわかるように,男性の割合は他のジャンルと比
- 262 -
較して極めて多い.
2-2-3.シリアスとコメディを描くNL
女性向けのNLは女性向けのGLと同様に,登場人物の心理描写が多く,精神面に比重が置か
れている.また,心理描写を重視したシリアスな作品や,コメディ要素を取り入れた作品など幅
が広い.
一方,男性向けのNLは男性向け登場人物の心理描写などの精神面ではなく,どちらかという
と身体的な接触に比重が置かれている.また,シリアスな作品というより,どちらかというとコ
メディ要素が強い.
図 2 を見ると,やはり女性と比べ,男性は少ないが,割合が 34%と男性の全体の割合よりも
僅かながら多いので,全体として見た場合,比較的男性の割合が多い方であるといえる.
2-2-4.理想を反映する夢小説
女性が書く(女性向け)夢小説は,名前変換の対象である「夢主」の性別の設定が男性の場合も
あるが,基本的に女性であることの方が多い.主人公がまわりのキャラクターから好意を持たれ
やすく,容姿端麗であるという設定が多いこと,パロディものなども多いことから現実離れして
いるという特徴がある.また,登場人物の心理描写に重点を置いたシリアスなものが多い.
一方,男性が書く(男性向け)夢小説はシリアスな作品よりもどちらかというとコメディものが多
いが,設定が現実離れしているという点において女性が書く夢小説と共通している.
3 人々はキャラクターをめぐって何を求めているのか
先ほど,各ジャンルの概要や男女による消費の違いについて分析した.本章では 2 章での内
容をもとに二次創作の消費者が求めているものを筆者なりに考察していきたい.
3-1.自己投影とリアリティの排除
まず,各ジャンルの中で BL とGLは同性愛を取り扱っているという点において共通している.
そして筆者が最も着目した共通点は男性向けのGLと女性向けの BL には現実のような生々し
さがない,つまりリアリティが希薄であるということである.男性向けのGLは女性向けのGL
のように失恋や悲恋で終わることはあまりなく,同性同士であるにも関わらず友人以上の関係に
なっても疑問を持つことが少ない.女性向けの BL に関しても,商業誌においてはキャラクター
が同性を好きになることに対する疑問を持つ場合もあるが二次創作において,キャラクターが同
性を好きになることに対する疑問や抵抗を持つことは少ない.さらに,キャラクターの「女体化」
など現実では有り得ないような展開へと物語が進んでいくこともしばしばである.
現実において同性愛は,異性愛と異なり,それ自体が避けることのできない強固な障害となっ
て存在しているため,この障害の時点で同性愛を成就させることは難しい.しかし,漫画や小説
- 263 -
などではその障害を越えた先の理想を実現することが可能であるという魅力がある.つまり,女
性が読むBLと男性が読むGLでは,はじめから現実における煩わしい障害が排除されているの
である.筆者はこれを「リアリティの排除」とした.
一方,女性が読むGL,男性が読むBLは,どこか現実味のある生々しさがある.読者や作者
が同性愛者でないにしても,その作品に登場するキャラクターの心情や生々しい心の葛藤を,同
じ性別であるからこそ,自分の経験と照らし合わせ共感することができる.そしてそのキャラク
ターの姿に自己投影することで改めて自分という存在を確認するのである.筆者はこれを「共感
から来る自己投影」とした.
自己投影をしているという点においては,夢小説にも当て嵌められると考えられる.何故なら
読者である自分自身が主人公として登場することが可能であるからだ.しかし,夢小説の場合は,
主人公(読者)のステータスが高い(成績優秀,容姿端麗など)ケースが多いこと,作中のキャ
ラクターに冒頭から好意を寄せられることが多いことから,現実世界の自分にシンパシーを感じ
るために自己投影しているというのではなく,小説の中の完璧な主人公に自己投影することで現
実世界では実現することができない理想を,あくまで小説の中で実現しようとしているのではな
いかと考えられる.筆者はこれを「理想を反映した自己投影」とした.
3-2.自己愛と理想の愛
3-1 で述べた「共感から来る自己投影」は,等身大の自分の姿とキャラクターの姿を重ね合わ
せて,自身の存在確認をしつつ自分自身に自信をつけ,自分を大切にしようとする自己愛からく
るものではないかと考えられる.
一方,「リアリティの排除」は,障害を越えた先の理想の愛を求めるために,現実世界におけ
る生々しい感情の揺らぎや同性愛であるということに対する世間からの偏見などの障害をなく
した結果だと考えられる.二次創作においてBLの制作者は女性が多く,GLの制作者には男性
が多いのも,女性は女性の汚い面をわかっているから,男性は男性の汚い面をわかっているから,
だからこそ自分と異なる異性の,しかも男同士,女同士という非現実的な恋愛を,第三者視点で
楽しもうとし,そこから理想的な愛を見出そうとしたのではないだろうか.
そして「理想を反映した自己投影」は自己愛,そして理想の愛の両方を追い求めた結果である
と考えられる.
二次創作の現場において人々はBL,GL,NLなど,キャラクターをめぐってさまざまな形
で愛を求めている.ではなぜ,わざわざ既存のキャラクターを用いるのだろうか.書店に行けば,
商業誌としてBLやGLは販売されているし,NLや夢小説が読みたいと思えば少女漫画や乙女
ゲームで事足りるはずである.それでもなお,既存のキャラクターで二次創作をする動機はひと
えにキャラクター愛からくるものではないだろうか.
このように,キャラクターをめぐって現実における煩わしさを排除した理想的な愛を求める人
もいれば,自己愛を求める人,そしてその両方を求める人もおり,人々は様々な形でキャラクタ
ーに愛を求めているのである.
- 264 -
おわりに
本稿では二次創作に焦点を当て,人々がキャラクターに何を求めているのかを筆者なりに考え
てきたが,人々はキャラクターに自分の理想や自分のありのままの姿を重ね合わせ愛という根本
的な欲望を求めているという結論に辿り着いた.
わたしたちの身の回りにキャラクターグッズがあふれ,今日もなお,多くの人々に親しまれて
いるのは「こうありたい自分の姿」や「ありのままの自分の姿」など自らのアイデンティティを
主張するための大切な記号となっているからではないだろうか.これからもキャラクターはわた
したちの生活に無くてはならない存在であり続けるだろう.
文献
相原博之,2007,『キャラ化するニッポン』講談社現代新書.
東浩紀,2001,『動物化するポストモダン
東浩紀,2007,『ゲーム的リアリズムの誕生
オタクから見た日本社会』講談社現代新書.
動物化するポストモダン 2』講談社現代新書.
玉川博章・名藤多香子・小林義寛・岡井崇之・東園子・辻泉,2007,『それぞれのファン研究』
風塵社.
コミックマーケット年表 HP(http://www.comiket.co.jp/archives/Chronology.html)
- 265 -
ボーカロイドが開く可能性の扉
―CGM サイトにみられる協力関係とセルフプロデュース能力―
石原 和樹
はじめに
コンピューター上で作業を行うことができる描画ソフトや制作支援ツールの登場は,イラスト
や動画制作など幅広い創作活動の分野で制作者の負担を軽減させ,個人のより積極的な創作活動
を展開させるひとつの活性剤となった.音楽分野においてもそれは例外ではなく,DTM 関連の
技術開発の発展は目覚しい.中でも 2004 年に製品が登場し,その後ネット上で大きなムーブメ
ントを起こした「VOCALOID(ボーカロイド)
」は非常に大きな存在感を示している.ボーカ
ロイドによって,音楽づくりのプロフェッショナルから,音楽知識のまったくない初心者まで楽
曲の制作に携わることができるようになり,各個人が自分だけの力で自由な制作活動を行える環
境が整ったのである.
しかし,音楽の制作する場面でこうした個人化を支援するような技術が現れた一方で,集団に
よる楽曲制作や他人と協力して制作する動きは変わらず,むしろ進んでいるようである.ボーカ
ロイドによって肉声による歌唱すら必要としなくなった DTM に,今なお協力して楽曲を作って
いくのはなぜなのか,
そしてそのなかで問われる力とは何なのか.そこにはボーカロイドが DTM
に与えた影響と,それを取り巻くインターネット環境の作用がみられる.それぞれがどのように
関係しているのかを検討しながら,この疑問について考察していきたい.
1 ボーカロイドのもたらした影響
1-1. ボーカロイドの概要と特性
DTM とはデスクトップミュージックの略称であり,パソコン上で電子機器を用いて作曲
や編曲される音楽,またはその活動のことを指す(アスキー・メディアワークス 2010).ボ
ーカロイドの登場はその DTM が大きく注目される一因となった.
『VOCALOID』はヤマハが開
発した合成音声技術であり,通常はそれをもとに作成された音声ソフトウェアのことを指す(ヤ
マハ 2013a).これはソフト内に音声ライブラリとして保存されている人間の声を,コンピュー
ター上で音声を合成させ,メロディーに合わせて歌唱させることができるツールである.声の設
定や調整を行うことにより,多様な声質を生み出すことができ,人間の歌声に近い滑らかな発声
や,反対に人間では歌うことが難しい音域・テンポの歌唱を可能としている.特殊な使用例とし
てはボーカロイドの声を伴奏楽器の一つとして楽曲に用いる例や,会話に使用される例など,単
なる歌唱にとどまらない活用も見られている.
ボーカロイドの特徴を挙げるうえで「初音ミク」の存在を欠かすことはできない.初音ミクは
ボーカロイドのブームの火付け役となった経緯があり,今日において社会的に最も高い知名度を
- 266 -
誇る製品である.その特徴的な要素は後に開発されていく新型ボーカロイドにも強く影響を与え
ている.
初音ミクの特徴として挙げられるのはまず,キャラクター性が与えられているという点である.
パッケージに『キャラクター・ボーカル・シリーズ』と明記されているように,単なる製品の名
称としてではなく,声の主が「初音ミク」という一人のキャラクターであることを意識させてい
る.音声ライブラリに声優を用いることで特徴的な声質を持たせるだけでなく,パッケージに記
載されたキャラクタービジュアルから,アニメ調で親しみやすい印象と,声だけの存在ではない
バーチャル・アイドル,美少女キャラクターとしての「初音ミク」という存在を視覚的に表して
いる(図 1).その姿や性能は,DTM を知らないネットユーザーの間にも興味を与え,製作者と
視聴者双方がポジティブに DTM に関わる動機を生み出している(後藤真孝 2012).
図 1「初音ミク」のパッケージイラスト(KEI 2006)とキャラクタービジュアル(クリ
プトン・フューチャー・メディア 2013)
もう一つの特徴は,ユーザーの多様なイメージを受容することによって,様々なアイドル像を
成立させている点である.初音ミクにはその特徴的な姿と声などの他には基本的な情報しか存在
せず,性格や好みなど背景となるような詳細な設定は存在しない.このことによって,制作者は
キャラクターのイメージを自由に膨らませ反映することができ,その結果,初音ミクは画一的な
アイデンティティに縛られない「多重人格的」な存在となるのである(高屋大拙 2009).そのた
め,初音ミクが登場した当初には初音ミク本来のキャラクター像が強く意識された楽曲が好んで
制作され,動画共有サイトなどに投稿されていた.しかし,その後には制作者が楽曲の物語に合
わせた新たな人格・個性を与えることで,初音ミクをストーリーの登場人物として扱ったり,イ
メージキャラクターとして使用したりする楽曲なども現れている.
この特徴によって,初音ミクは楽曲制作に限らずイラストや動画などの中でも変化が生じ,本
- 267 -
来のキャラクター像に影響を与えるばかりか,時に別のキャラクターとしての存在を生み出すこ
ともある.その例として挙がるのが「持ち物」と「派生キャラ」である.
前者は,
『VOCALOID2
初音ミクに「Ievan Polkka」を歌わせてみた』という動画内の初音
ミクがネギを振る映像から,初音ミクにネギを持たせたイラストや動画が次々と投稿されていく
うちに,本来何の関係も無かったネギが持ち物として定着した,という経緯が元となっている(聞
き専 2013).
後者は上述の動画の中でネギを振る初音ミクの姿が新たなキャラクター「はちゅねミク」とし
て認知されるようになったことが始まりである.
「はちゅねミク」は特徴的な要素こそ初音ミク
のものを持っているが,その体型や表情などは,極端にデフォルメされ本来の姿とは異なってい
る.後に初音ミクの開発・販売元のクリプトン・フューチャー・メディア(クリプトン)に公認
の二次創作品とされ,グッズ販売などが行われている.
2 つの例に共通することは,そのどちらもが元の動画の内容やイラストに対する n 次創作の拡
大によって定着したものであるという点である.それは後述する動画共有サイト「ニコニコ動画」
の特性と初音ミクに関する著作権が強く結び付いている.初音ミクから始まるボーカロイドのこ
うした特徴は,異なる分野で創作活動を行う人たちの間に接点を生み出し,DTM の範囲にとら
われない新たな創作活動の輪を築いたのである(ヤマハ 2013b).
1-2. 音楽制作と現実社会への影響
ボーカロイドの登場は DTM の人気を高め,注目されるようになった.それは単にキャラクタ
ービジュアルだけの問題ではなく,ボーカロイドによって様々な人たちが楽曲を制作することの
できる環境が生まれたこと,自分の好きな曲を思い通りに歌わせることができるようになったこ
とも大きな要因である.
楽曲に歌を挿入する作業は,誰かに歌ってもらうか自分で歌う必要があり,特に個人制作の多
い DTM にとっては負担のかかるものであった.しかしボーカロイドの登場によってその負担は
解消され,加えて制作関連ソフトの技術も進歩したことで,楽器の演奏技術などの必要性も少な
くなった.その結果,極端なところでは音楽理論などの学習をしていない人や楽譜が読めない人,
楽器の演奏できない人であっても,ソフトと操作技術さえあれば歌も含めた楽曲制作ができるよ
うになったのである.
この歌唱という行為の操作化・容易化は DTM の可能性を広げ,制作者の創作欲求を高めるこ
ととなり,ボーカロイドでなければ歌うことのできない歌い方,表現を用いた新たな音楽の形を
生み出している.そしてその重要な点は,他者と協力関係を結ばずとも,作詞・作曲から歌唱ま
での制作を完全に一人の手で行うことができる環境が整備されたということである.
従来の音楽市場などにみられる職業的な楽曲制作者,いわゆる作曲家とその楽曲の利用者との
関係は間接的なものであり,作曲家は歌手や音楽グループなどに楽曲を提供し,それが発表をさ
れてはじめて自身の評価を生み出している.しかし,提供した楽曲にはプロデューサーや編曲者,
歌い手などのイメージが間に入ることで,作曲家の本来意図していた楽曲のイメージやメッセー
- 268 -
ジ性などがゆがみ,伝わりにくくなってしまうことがある(図 2-1).その点において,ボーカ
ロイドによって歌われた楽曲は制作者と利用者の間に第三者を挟むことなく発表できるため,本
人の思い描くイメージを,できる限り完全な形で表現することができるようになった.また制作
者自身が楽曲の発表の主体になり,1つの楽曲に1人の作者というシンプルな構造になったこと
で,利用者との関係はより直接的になる.すると互いの距離が縮まり制作者の動きがクローズア
ップされ,制作者に対する評価も受けやすく,伝わりやすくなるのである.さらに,ボーカロイ
ドはその関係を一次的なものとして,そこから動画共有サイトを通じた n 次創作活動の連鎖が
広がっていく構造を築いている(図 2-2).
ボーカロイドを使用した楽曲の発表はインターネット上の動画共有サイトを主な場所として
おり,初音ミクのブームが起こったことで,ボーカロイドは創作活動におけるバーチャル・コミ
ュニティを確立した.そしてその楽曲がオリコンの上位に入るなど実際の音楽シーンや音楽業界
に影響を与えたことでボーカロイドは社会的な認知度を増し,コミュニティはリアルへと拡大し
ている.その一方で前述した「はちゅねミク」のようなキャラクターグッズの発売や書籍の発行
など活発なメディアミックスを進め,コンテンツ産業としての進出も図られている.また,近年
では国外向けボーカロイドが発売されたり,ボーカロイドのアメリカ向け市場開拓の計画が経済
産業省の計画支援に盛り込まれたりするなど,文化的コンテンツとしてのボーカロイドは多面的
かつ国際的な広がりをみせている(経済産業省商務情報政策局 2012a, 2012b).
提供依頼
楽曲制作者
(作曲家)
楽曲提供
編曲
音楽グループ
歌手
メッセージが
伝わりにくい 発表
(イメージ
の変容)
評価
評価が届きにくい
楽曲利用者
図 2-1 音楽業界にみられる楽曲制作者と利用者の関係(筆者作成)
- 269 -
許可申請
提供依頼
楽曲制作者
利用許可
楽曲提供
発表
評価
発表
評価
楽曲利用者
図 2-2 ボーカロイドがもたらす楽曲制作者と利用者の関係(筆者作成)
2 インターネットとボーカロイドの関係
2-1. 動画共有サイトの登場と役割
ボーカロイドの主な発表の場として動画共有サイトが役割を果たしていることは前章でも少
し触れている.では,それらが DTM やボーカロイドに具体的にはどのような関係を持ち,影響
を与えてきたのだろうか.本章では,インターネットと動画共有サイトの現状に触れながら,初
音ミクの登場以前からボーカロイドの楽曲投稿数が多く,最も関係の深いサイトであるニコニコ
動画について主に論じていく.
インターネットは,情報を最も迅速に世界中の人間に発信することができる場所である.発信
する機会は外部的な要因に左右されにくく,特別な器具や費用がかかることもないため,発信の
手軽さという点で創作活動のうえでのメリットがある.しかし,大量の情報が氾濫し日々増えて
いく環境でもあるため,コンテンツの寿命ともいえる情報の消費速度は速く,一度埋もれてしま
った場合に探し出すことは困難になる.つまり,ただコンテンツを発信してもそれが長期間にわ
たって評価されることは難しいのである.一方動画共有サイトは,情報量がある程度制限される
空間の中で,目的の動画を探して視聴することだけでなく,テレビにおけるザッピングのような
行為によってもコンテンツの寿命は延長されるため,人気のあるコンテンツが何年にもわたって
多くの人に再生され続けるだけでなく,埋もれていたコンテンツが突然人気を呼ぶこともある.
現在では企業や団体の中にも PR 活動の一環として動画を作成し投稿しているところがみられ,
- 270 -
音楽分野においても頻繁に活用されている.
ニコニコ動画はそれまでの動画共有サイトとは違い,画面上に動画の時間軸にそってユーザー
からの匿名のコメントを表示させ,疑似的なリアルタイム感覚を作り出すことが特徴である.こ
のコメント機能は単なるサービス的差異を生み出しているだけではなく,コミュニティの形成と
発展の役割を持っている.杉本誠司(2012)によればニコニコ動画のユーザーの構成要素は主
に,
① 動画を投稿するユーザー
② 投稿された動画を視聴しコメントを残すユーザー
③ 投稿された動画を視聴するだけのユーザー
の 3 つに区別でき,それぞれが1つのコンテンツに対して貢献を果たすとしている.本来の動
画共有サイトでみられるコンテンツの発信者と受信者は,1 対 1 の関係で成り立っているが,ニ
コニコ動画は再生数などの情報や流れるコメントによって,半強制的に他者と空間や意見の共有
をさせることで,視聴者が他の大勢の視聴者たちと一緒に動画を視聴していることを意識させら
れる.この体験の相互作用が価値観の交流を促し,コミュニティの形成につながっていくのであ
る(杉本 2009).
また,コメントは投稿者と視聴者の間の距離を近づけ,投稿者の創作意欲の上昇や視聴者のニ
ーズ把握,意見のフィードバックに役立っており,コンテンツの発信とその内容に対するコメン
トによる双方向的コミュニケーションが繰り返されることで,クリエーターやアーティストとの
人材の育成やコンテンツの付加価値の増幅を手伝う役割を果たしている.ニコニコ動画はコミュ
ニティとしての空間とコミュニケーションの方法を提供という役割から,楽曲の発表に適した環
境になっていることが分かるだろう.
これとは別に,ボーカロイドの知名度を上昇させ今日の人気につなげたのが,ニコニコ動画が
n 次創作の連鎖を生み出す場としての役割である.ニコニコ動画では,1 つのコンテンツに使わ
れたネタに対し,それを「素材」としてそのまま,あるいは改編して使用し自身の作品として発
表するという創作文化がある.そのため上述した「はちゅねミク」のような現象をはじめ,ボー
カロイドを素材とした動画が数多く作られ,楽曲に関しても「歌ってみた」
,
「踊ってみた」,
「描
いてみた」など楽曲制作とは別の創作分野で大量に使用されている.それらの分野でボーカロイ
ドが使用されるとそれぞれのユーザーのニーズに合った動画が生まれ,そこでまた新たなコミュ
ニティが形成される.この繰り返しが,ボーカロイド全体としてのコンテンツ拡大を加速させて
いるのである.
ボーカロイドを用いた楽曲において動画という形は,楽曲の歌詞を表示するだけではなく,楽
曲に PV として映像を付けることにも利用されている.これは制作者のもつ楽曲のイメージ,楽
曲におけるボーカロイドの役割・立場を視覚的に表現することができ,コンテンツとしての完成
度をより一層高めることにつながっている.映像を付けることは動画制作ソフトの充実や高い制
作技術を持つクリエーターの増加によって一般的なことになっており,中には映像芸術とも呼べ
るような,独創的あるいは個性的な映像を付けられることもある.PV は楽曲制作者自身が作成
- 271 -
する他に,ニコニコ動画では他者によって勝手に制作されることもあり,その性格があらわれて
いる.
しかし最近では,意図的に他者と協力することで楽曲自体の質だけでなくコンテンツ全体の質
を向上させる動きが高まっている.PV においても楽曲制作者が動画製作者と協同してコンテン
ツを制作するパターンが増えており,楽曲の作詞,作曲といった段階においてもみられることが
多い.その動きを進めているのは CGM 型と呼ばれるサイトの存在であり,特にボーカロイドと
の関係について「ピアプロ」というサイトの影響は大きい.次節ではそのピアプロのはたらきに
注目する.
2-2. CGM 型サイトとボーカロイド
CGM とは消費者生成型メディアと訳される,ユーザーが自分たちの手でコンテンツを生成し
消費していくメディアのことである(インセプト 2006)
.twitter などの SNS(ソーシャル・
ネットワーキング・サービス)サイトや,動画共有サイトも CGM 型サイトに含まれ,ニコニコ
動画でもみられたように1つのコンテンツに不特定多数の人が反応することによって,新たなコ
ンテンツの発生を促すはたらきがある.そのはたらきをボーカロイドや DTM に関わるクリエー
ターたちに生かすためにつくられた CGM サイトがピアプロである.
ピアプロはクリプトンによって設立されているが,その背景には初音ミクの急激な人気の上昇
などによる,ボーカロイドの二次創作とその著作権に対する質問の増加がある.ピアプロはそれ
らを明らかにしたうえで,クリエーターたちの二次創作活動と「協業」によるコンテンツ制作活
動を盛り上げようとする目的をもって設立されている(クリプトン 2013a)i.クリプトンは初
音ミク等の著作物およびピアプロ内の制作物に対して,「ピアプロ・キャラクター・ライセンス
(PCL)」と「ピアプロリンク」の制度を規定し,そのルール内での使用を許可している( クリ
プトン 2013b, 2013c)ii.これらの制度のもとでユーザーは幅広い範囲での合法的な創作活動
が可能となり,ボーカロイドの二次創作を活発にしている.
ピアプロではユーザーが自分で制作した楽曲やイラスト,テキストなどのコンテンツを投稿で
き,それらを他のユーザーは PCL に従い自分の作品に利用することができる.そのため現在で
も数多くのコンテンツが投稿されており,ニコニコ動画でもピアプロを活用して新たに作られた
コンテンツをみることができる.また,自分が制作を企画している内容に対してコラボレーショ
ンをもちかけることができる機能や,情報を交換するための掲示板などのシステムも用意されて
いる.
これらの機能の利点は,ニコニコ動画などでは実現しにくかったクリエーター同士の交流やコ
ミュニティの構築に役立つという点である.特に DTM では,ボーカロイドによって制作者人口
i
ii
クリプトン(2013a)は,クリエーターたちによる協同制作を協業と呼び,ピアプロに
よってその機会の提供と CGM の文化の成長を目指している.
クリプトン(2013b, 2013c)によれば,PCL は非営利で無償の二次創作におけるキャラ
クター利用を大幅に許可するものであり,ピアプロリンクは簡単な手続きで非営利有償
での利用を可能とする制度であることが示されている.
- 272 -
が増えたことで,制作に協力を必要とする人の数も増えている.ピアプロはそのような人たちに
対しサポーターとして機能することで,自発的な創作活動を可能にさせているのである.また,
制作に必要なコンテンツ同士が結びつき,それらを手軽に閲覧できる環境は,アイデアの源とな
り制作者のモチベーションを高めることにつながっている.そしてコラボや掲示板などの利用を
重ね,協業に積極的に関わっていくことで,自分のコンテンツに対する企画能力や権利責任への
意識,他者とのコミュニケーション能力の向上などといった,クリエーターの内面的な育成の役
割も担っているのである.
3 個人制作の限界とボーカロイドの可能性
3-1. 協同制作をするということ
ここまでのことをまとめてみると,ボーカロイドは DTM の機能に歌唱の容易化,操作化とい
う新たな機能をもたらした結果,楽曲制作のハードルダウンを促し,DTM に携わる人口を増や
した.また,制作のなかでの個人の活動範囲を広げ,制作者のより高いレベルの表現欲求を満た
すだけでなく,制作者と利用者の間にシンプルな関係を構築し,直接的な評価を受けることがで
きるようになった.加えてボーカロイドのキャラクター性は DTM に限らない多方面への創作活
動を喚起し,動画共有サイトやピアプロなどの CGM 型サイトの特性とあいまって,巨大なコン
テンツへと成長していったことが理解できた.
しかし,ボーカロイドを機能的な側面で考えるならば,ボーカロイドの登場は楽曲制作の個人
化を進めるためものではなかっただろうか.ボーカロイドのビジュアルは,製品としての人気を
呼ぶためもので,最初から二次創作活動を進めるために作られたものではない.これはピアプロ
の登場理由からも理解することができる(増田覚 2013)iii.では,なぜボーカロイドの楽曲に
おいて,協力して制作しようという考えが広まり,実際にそのような楽曲が数多く制作されてい
るのだろうか.それは動画共有サイトによる評価に対する欲求と,消費環境の影響が関係してい
ると考えられる.
動画共有サイトで制作者の多くは,趣味として自由な楽曲制作と発表を望む傍ら,より人気の
ある楽曲を制作しようという考えが生まれる.それはコンテンツにおける再生数,コメント数が
そのまま自分の楽曲への評価につながり,モチベーションとなるからである.人気のある楽曲の
中には,企業によってオムニバス形式のアルバムに収録され,音楽市場に流通されるケースがあ
る.そうしたアルバムのうちのほとんどの楽曲はニコニコ動画などで高い再生数が記録されてい
る楽曲であり,再生数が楽曲に対する一定の評価基準になっていることが分かる.そのためサイ
ト内の再生数ランキングやコメントなどから,ユーザーのニーズを把握し,人気の出そうな楽曲
を狙って制作する制作者も多いのである.しかし,ボーカロイドの楽曲はニコニコ動画内でも大
量の数であふれており,コンテンツの発生とその消費速度はすでに高速化している.そのなかで
iii
増田(2013)によると,初音ミクは当初 DTM 愛用者を対象とした位置づけで販売さ
れており,クリプトン代表取締役の伊藤博之も一般の人々が使うことを想定してい
なかったとする発言が示されている.
- 273 -
楽曲の人気を左右する要素は,コンテンツとしての完成度と魅力である.ユーザーは数あるコン
テンツのなかでより質の高いもの,興味の持てそうなものを探し出す.価値観の交流に大きな意
味を持つニコニコ動画では,それらの要素自体がネタとして盛り上がることもあるため特に重要
なものとなっている.
そして,動画共有サイトでは各楽曲がそれぞれ 1 つのコンテンツとして評価の対象となるた
め,たとえある制作者の 1 曲が高く評価されたとしても,その後に発表した楽曲,あるいはそ
れ以前も含めたすべての楽曲の評価につながるわけではない.制作者が優秀であると評価される
ためには楽曲そのものだけでなく,コンテンツ全体の質を維持しながら継続的に発表していく必
要がある.それは一人の力では難しい問題であり,楽曲制作,ボーカロイドの声の調整,イラス
ト,動画などそれぞれの幅広い知識と技術を持ち合わせていなければならない.さらに,その一
つ一つの作業はどれも時間のかかるものであるため,結果的に発表の頻度は遅くなり,消費の速
さに対応できなくなることもある.
これらの問題は制作者たちに自分自身の能力の限界を映し出すこととなり,その問題を乗り越
える手段として協力者に手伝ってもらうという考え方が生まれたのだと考えられる.この方法で
あれば,それぞれが自分の能力の最も生かせる部分に力を注ぐことで作業の効率性と完成度の向
上が期待できる.だからこそ,ピアプロはそのためのコミュニケーションの場所として利用され
続けているのではないだろうか.
また,協力して楽曲が作られるとき,制作者たちにとって,ボーカロイドはツールとして認識
され,制作の場面において歌わせることの娯楽的要素は排除されてしまう.伴奏に関しても打ち
込みによる音源ではなく,楽器を実際に演奏することでよりリアルな楽曲に仕上げ,差別化を図
るといった方法がとられることもあり,なかには演奏を依頼して制作された楽曲も多い.
こうした動きは,ボーカロイドの登場によって個人の自由で趣味的な制作が進んでいくとみら
れた DTM の方向性とはやはり異なっており,制作者自らがボーカロイドと DTM による自己表
現や創作の可能性を放棄しているともとらえられる.そこには楽曲制作が,動画共有サイトによ
って趣味の段階を超え,自分に評価をもたらす他者を目的した制作を促す環境の変化が起こって
きていることをうかがうことができる.
3-2.セルフプロデュース能力の必要性
ボーカロイドによって個人の可能性を最大限まで引き出せるようなった製作者たちは,自己の
能力に限界を感じてしまう.自分の楽曲に対する制作欲求が自分の能力の限界を超えた高いレベ
ルに到達し,また,周りもそれを望むようになったという DTM 全体のレベルの高まりがもたら
されたからである.その結果として他者との協力関係を築くことは,DTM の技術的進歩からは
想像しにくいことかもしれないが,決して進歩の流れにそぐわないことではない.そして,DTM
のレベルが高まったことで,その構造も商業的な分野に近づきつつあるのだとも考えられる.つ
まり,音楽業界での構造でも見られたような問題が起こりうるのである.特に,協力して制作す
ることが主流となってきている現在,自分とは違う考え方を持つ他者との関係の中で,自分の欲
- 274 -
求にかなった楽曲を制作していけるかという問題は現実的なものとなっている.高い評価を求め
つつ,そうした問題の解決のためにこれから制作者たちに必要となるのは,セルフプロデュース
能力である.プロデュースの対象は自分の楽曲のことを指すが,楽曲の制作や宣伝などの個人的
な作業に関することだけではなく,そのためにどのような人と協力関係を結ぶか,依頼をするの
かといった具体的な場面において楽曲制作者が主体となってコンテンツを制作していく能力の
ことである.
協力者の手を借りて評価の高い楽曲を作るためには,そのためにどういった素材が必要なのか
を考え,素材を捜し,場合によってはその楽曲のための素材を提供してもらうことを頼まなけれ
ばならない.そのとき自分の楽曲に対するビジョンと,何が必要かを計画する力やどのような素
材を提供してもらいたいのかを明確に提案できる力を身に付けることで,楽曲を自分の表現欲求
に近づけることはできるのである.こうした能力はピアプロなどの SNS サイトでの交流の積み
重ねで培うことができ,それはバーチャル・コミュニティだけで発揮されるものではなく,イベ
ントの参加などリアル・コミュニティでの,交友関係を築いていくためにも大切となる.そして
その時,互いをつなげるキーワードがボーカロイドなのである.
セルフプロデュース能力によって,個人のために開発されたボーカロイドは,コンテンツとし
ての発展とともに他者との関係をつなげ,個人の活動範囲を広げる力を持っていることがあらた
めてうかがい知ることができる.そして,その関係の中で生み出される楽曲は,個人の力では到
達することのできない素晴らしいコンテンツとして評価されるかもしれない.これもまた,ボー
カロイドが DTM にもたらした可能性の一つであるといえるだろう.
おわりに
楽曲制作者の中には,他人と協力せずとも一人で素晴らしい評価を得る人物は確かに存在する.
しかし,それは才能に恵まれたごく限られた人物であり,簡単に真似できるものではない.だか
らといって,協力して制作しなければ良いものが生まれないのかといったら,それも間違ってい
る.自分が今持っているセンスや才能をどう生かすかという工夫がうまくできていれば,少なか
らず評価は得られるからである.そして,他者との協同制作を楽しみとして活動している制作者
がいることも忘れてはならない.
第 3 章 1 節で,動画共有サイトによって楽曲制作は趣味の段階を超えた環境になりつつある
と述べた.筆者は,制作者たちが他者からの評価に対し,敏感になりすぎているのではないかと
感じている.もちろん,それは全ての制作者たちに当てはまることではないし,評価を求めるこ
とが悪いと述べたいのではない.だが評価のために楽曲を制作することは本末転倒のような気が
してならない.筆者自身も創作活動を趣味としているため,コンテンツ制作の苦労や高い評価を
受けたいという制作者たちの気持ちはよく理解できる.しかしもう一度,皆が個人の趣味と自己
満足によって成立する制作環境に戻ってみる意義はあるのではないだろうか.それは今日におけ
るボーカロイドの発展の流れとして,もはや不可能なことであるかもしれない.しかし自分ので
きる範囲での自己実現を目指すことの楽しさこそ,創作活動の醍醐味であり,ボーカロイドはそ
- 275 -
のことを教えてくれるツールであると筆者は思っている.
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- 277 -
クリエイティヴィティの源泉
―理想の創造の場としてのレーベル―
柴田 圭祐
はじめに
近年,音楽業界の弱体化が進行している.その背景には CD が売れなくなってしまったこと,
こうした音楽メディアの変化に大手メジャーレーベル,大手レコードショップ,雑誌媒体が対応
できず,業界全体がしぼんでしまったことにある.ポップ・ミュージックの世界においてはクラ
シックや伝統音楽のように国や地方公共団体からの援助などはほとんどない.自力での原状回復
しかない今,音楽を取り巻く環境は変化を始めている.一つは配信やライブ興行の売上の上昇,
そしてもう一つは youtube や Myspace,ニコニコ動画,Ustream など,音楽をより身近にで
きるネットツールの台頭である.これらは視聴者側にとっては勿論,発信する側が容易になった
ことが大きな利点になっている.音楽制作もボーカロイドの登場で,音楽の自主制作の取り組む
人もかなり増えており,デビューやヒットの足がかりになることも珍しくなくなった.このこと
から,様々な面で個人あるいは少数体制で自分達の手による音楽の制作,発信が主流になりつつ
ある.
これからの音楽シーンは大きな資本のあるメジャーレーベルではなく,一人一人が行動を起こ
し,同じコンセプトを持つ者同士が,インディーレーベルというコミュニティがクリエイティブ
な作品を生み,音楽シーンの活気が上がるのではないか.本稿では,音楽シーンのメジャー,イ
ンディー両形態の抱える問題,利点をまとめ,さらに組織行動学を参照に,学術的観点から小集
団iの文化的貢献,またはその他の分野への可能性を考えていきたい.
1.メジャー音楽業界,その問題点
1-1. 現在の音楽業界の構造
我々が CD を買ったり,ダウンロードするなどの手段で手に入れている音楽の大半はメジャーの
レコード会社からの流通によるものである.大企業による音楽の発信の仕組みはどのようになっ
ているのだろうか.本章では会社としての体系をもったメジャーレーベルの構造,利潤を得る手
段を示し,最終的には聴き手との間に生まれた問題点を明らかにしていく.
音楽業界は,レコード会社から始まり,出版社,流通会社,イベンタ―,テレビ,雑誌などの
メディア,著作権管理団体などが関わって世に出される.本章では実際に音楽制作を行うレコー
ド会社の組織に焦点を当てたい.会社によって名称や配置のされ方は異なっているが,レコード
会社の組織は4~5つの部署に分かれる.人事・経理・法務・総務などを統括する管理部,販売
i
本稿での小集団は、インディーレーベルを含むしっかりとした会社の体系をなしているわ
けではない、企画やプロデュースなど特定の分野に特化した集団を意味する.
- 278 -
促進・営業を行う営業部,宣伝を行う宣伝部,実際の音楽制作に関わる制作部が主である.中に
は自社に CD のプレス工場がある製造部を持つところもある.さらに詳しく,音楽の流通に関わ
る部門を見てみると,以下のように説明できる.
営業部:自分のテリトリー内の販売店をまわって注文をとってくる.事前に新譜の試聴会に参加
し,CD の内容,どのように売り出していくかを販売促進(営業の統括.営業の販売マニュアル
の作成・CD のリリース日の決定・初回生産枚数の決定を行う)からプレゼンを受ける.各店の
バイヤーにお店に何枚置いてほしいといった交渉をし,1枚でも多く受注してくれるようにする.
宣伝部:プロモーターと呼ばれる.消費者に CD がリリースされることを認知してもらうために
マスコミ関係者に紹介し,メディアを通じて PR をお願いする.紙媒体(新聞・雑誌)と電波媒
体(テレビ・ラジオ)のセクションに分かれ,担当者やプロデューサーに広告の掲載や,特集を
組んでくれるように各所をまわる.
制作部:プロデューサー,ディレクター,A&R と担当が分かれることが多いが,互いが仕事を
兼ねていることもあり,境界線ははっきりしない.プロデューサーとディレクターは社内の人間
であるとは限らず,会社からのオファーで引き受けることも多い.レコード会社と深く繋がって
いるのは A&R(アーティスト&レパートリー)であり,アーティストの新人発掘・契約・育成
ができる役職である.また,既にデビューしたアーティストの担当になって,レコード会社とア
ーティスト(事務所)の間に立って互いの方向性の調整を行う.仕事は全く異なるが,洋楽制作
担当の A&R は,日本における海外アーティストの作品管理,海外担当者とのやり取り,国内盤
を制作する際の帯の制作,ライナーノーツの発注など,発掘業務はほとんどない.
1-2. 著作権ビジネス
次に,作った作品がどのように会社,製作者に利益を与えているのかを説明していきたい.音
楽ビジネスは,著作権を中心とした権利のビジネスである.著作権を持つことによって自分達ア
ーティストとレコード会社が作り上げた大切な作品とその価値を守ることが出来る.まず1番に
著作権を持つのは勿論作詞者・作曲者である.しかし,メジャーの音楽業界では,同じく著作権
(著作隣接権)を持つ音楽出版社(雑誌の出版ではなく,曲や詞の管理を担当する会社であり,
メジャーのレコード会社と同じ系列に存在することがほとんどである)に渡し,それを今度は著
作権管理事業者である JASRAC に管理・委託して楽曲を使いたい媒体(CD を発売するレコー
ド会社も含まれる)に許可をだし,使用料をもらう.それが作詞者や作曲者に分配されることで,
著作権はアーティスト・関係者の収益の重要な一端を担う存在になっている.
1-3. CCCD とは
現在,音楽ビジネスにおける大きな障壁となっているのが違法コピーである.違法コピーはパ
- 279 -
ソコンが家庭への普及率が上がるとともに増加しており,およそ 10 年前から問題は業界に浸透
していた.大手レコード会社は消費者がコピーに手を出すことによって CD の売り上げが減少す
る原因になることを懸念し始めた.そこで登場したのが CCCD(コピーコントロール CD)であ
るが,これによりメジャーレコード会社・アーティスト・リスナーの三者間の信頼関係の揺らぎ,
大組織のクリエイティヴィティに対する視点に問題点が顕在化した.
CCCD は 2002 年に日本で初めて発売された,パソコンの CD-ROM ドライブから正常にデー
タが読み取れないようになった「CD に似た音楽ソフト」である.最も一般的な CCCD のコピ
ーを防ぐ仕組みは「カクタス・データ・シールド(以下,CDS)」という技術である.CDS の基
本的な仕組みは,TOC という CD のトラック数や演奏時間を管理するデータ領域の書き換えや,
C1,C2 エラーiiを混入させることで,パソコンの CD-ROM ドライブから正常にデータが読み取
れないようにすることである.なお,この C1,C2 エラーは通常の CD プレーヤーではエラー
信号を訂正してくれるので通常のように再生が可能である.つまり,パソコンでの使用に支障を
きたすように作られているのである.
しかし,CCCD は決定的な欠陥を抱えた問題のあるソフトであった.まず一つは,一般的な
音楽プレーヤーの中には CCCD が再生できない機種があることである.特に,ポータブル CD
プレーヤーやカーオーディオには移動時の振動による音飛びを防ぐ機能が搭載されており,これ
が CCCD と相性が悪いようで再生できない機種の割合が高い.それに留まらず,CDS は CD プ
レーヤーに負担をかけ,故障やプレーヤーの寿命を縮める可能性を持っている.
二つ目は,CCCD は CD の規格からは外れていることから,通常の CD のような再生に対す
る責任をメーカーが負っていないことである.そのため,本来 CD では絶対にやってはいけない
ことになっている TOC の書き換えが可能になっている.なぜ TOC を書き換えてはいけないの
かは,先程述べたように,パソコンのドライブは勿論,通常の CD プレーヤーでも再生できない
場合があるからである.CCCD は規格外のディスクなので,CD のように全てのプレーヤーで再
生を保障されているわけではない.要するに,再生できなくてもメーカーもレコード会社も責任
を持てない状況が生まれ,返品等の対応をしてくれない,ということである.実際に CCCD の
製品に付属している帯を見てみると,
「ポータブル,MP3 再生対応,CD-R/RW 再生対応,など
の CD プレーヤー,カーナビ,DVD,SACD,LD,ゲーム機などのプレーヤーなどでは再生に
不具合が生じる場合があります」という責任逃れのような注意書きがある.
1-4. 消費者,アーティストとの信頼関係の喪失
こうした CCCD の問題への対応によって,純粋にソフトを購入して音楽を楽しみたい,とい
う消費者の信頼を裏切る形となってしまった.違法コピーによる著作権の侵害を防ごうという考
えは理解できるが,最低限の保障体制をとらずに不良ソフトを堂々と売る行為は誰が見てもおか
しいと感じるものであるのは明らかである.
音楽 CD の再生において、訂正でき、音質に影響を与えないエラーを C1 エラー、訂正で
きないエラーを C2 エラーと言う.
ii
- 280 -
レコード会社と共に著作権を保有し,それらを守ってもらう立場にあるのが音源を制作するア
ーティストであるが,消費者同様に CCCD に疑問,反発意識を持つ人は多い.その最大の要因
となっているのが音質の悪さである.前述のように CDS は C1,C2 エラーを混入させることに
よってコピーを防いでいるが,このうち C2 エラーは音質に影響を与えるほどの致命的な読み込
みエラーを起こして,音質を劣化させてしまう.このことが要因で CCCD 反対の立場をとるア
ーティストが最も多くなっている.CCCD に反対するアーティストの中には,ブログなどで反
対の声明を発表し,レコード会社との協議を行った人もいる.しかし,アーティストの意向を無
視して CCCD での発売を強行されそうになり,独立を決断したりiii,内輪もめが発生して自由
に音楽活動が出来なくなるアーティストもいた.
CCCD 問題から,メジャーレーベルがアーティストの創造性の妨げとなっているものが,原
盤権の存在である.原盤権とは,レコード制作者に与えられる著作隣接権である.このレコード
制作者とは,レコーディング費用など CD を作る一連の作業でかかるコスト支払ったレコード会
社や音楽出版社である.つまり,原盤をどのように販売するかは原盤権所持者であるレコード制
作者が決めることができ,アーティストは口を出す権利がない.これにより,CCCD に反対の
立場を取りながらも,導入にやむを得ないと苦しい決断をするアーティストもいた.会社として
利益を効率よく出すため,また楽曲を守るためにも必要な権利であることは勿論だが,良い作品
を世に出そうとする気持ちを裏切ってしまった.これはレコード会社に限ったことではなく大き
な組織の中では,一個人の意志が尊重されない状態に陥りがちである.
2.インディーレーベルの影響力と将来
前章では大きな資本を持つメジャーレーベルについて良い影響力を与える組織とは何かとい
う観点から批判的に言及してきた.本章では,対極的立場にあるインディーレーベルを国内外か
ら事例を取り上げ,リスナーのクリエイティブに影響を与える要因と,今後インディーレーベル
が社会に影響を与える可能性を「ソーシャル・メディアの活用」を軸に論じたい.
2-1. 海外のインディーレーベルの事例~クリエイション~
クリエイション・レコーズは,1983 年にアラン・マッギーによって設立された.アラン自身
もバンドを組んでいたこと,プライマル・スクリームやジーザス&メリーチェインといった後に
ブレイクする有力なバンドと親交があったことから,彼らを始めとしてライド,ハウス・オブ・
ラブなどの実力のあるバンドをヒットさせていった.しかし,マイ・ブラッディ・ヴァレンタイ
ンのアルバム制作に 27 万ポンド(日本円で約 4600 万円)をつぎ込み,倒産の危機となる.そ
こでメジャーレーベルのソニーが資本に参加し,クリエイションは継続することとなった.その
後 93 年にオアシスと契約し,彼らは空前の大ヒットを記録し,バンドとクリエイションはブリ
ット・ポップと呼ばれるイギリス全土を巻き込むムーブメントの中心となった.しかし,選挙の
iii佐野元春がその代表例で、CCCD
で発売される前に原盤権をすべて買い取り、自主レーベ
ルから CD リリースした.
- 281 -
際に労働党の広告塔にされるなど,人気を政治に利用され,肥大化するオアシス人気は急速に下
降線をたどり,ブームが完全に過去のものとなった 1999 年にクリエイションは閉鎖されたiv.
常に安定したレーベル運営を行っていたわけではなく,人気が急激にしぼんでいったレーベル
であったが,大きなムーブメントを作ったことは事実である.クリエイションはどのような経営
の特徴を持っていたのであろうか.
クリエイションはメジャーレーベルの通常の契約のように,何枚のアルバムを何年間で発表す
る,といったように長期的な契約はしなかった.アーティストをスケジュールや時間の束縛から
解放し,マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのように制作費で破産寸前になるまでマッギーは資
金を出し続けた.レーベル経営者とアーティストの両サイドがビジネスよりも優先していい作品
を生み出そうという思いが一致し,信頼関係が生まれていった.
ドキュメンタリー映画『アップサイド・ダウン
クリエイションレコーズヒストリー』では,
アラン・マッギーを始め,クリエイションの社員全員がアーティストと同じように,
「何かを起
こしてやろう」または「何かが起きる気がする」という感覚を共有している場面がインタビュー
などから多く見受けられる.また,社員がアーティストと一緒にドラッグでハイな状態に陥り,
事務所としての機能を失うこともあった.決して認められるような行為ではないが,経営者とタ
レントが同じ気持ちを共有できる形態はメジャーレーベルには見られない組織の一つの理想で
ある.
2-2. 海外のインディーレーベルの事例~ファクトリー~
ファクトリー・レコードは 1978 年にマンチェスターで設立された.経営者のトニー・ウィル
ソンは地元のテレビ局で音楽番組の司会をしていたジャーナリストであった.ちょうどパンク・
ロックの波が押し寄せていた時期で,トニーはライブ・イベントを開催し,出演者のコンピレー
ションアルバムを自社レーベルから発売したのが始まりである.この中でも特にジョイ・ディヴ
ィジョンは若者からカリスマ的な人気を集めたが,アメリカツアー直前に,ボーカルのイアン・
カーティスが自殺してしまい,躍進を期待されたバンドは解散してしまう.しかし,残されたメ
ンバーはニュー・オーダーとして再スタートし,パンクとテクノを融合させたシングル「ブルー・
マンデー」で世界的な大ヒットを果たす.その後 1982 年,マンチェスターにクラブハウス「ハ
シエンダ」をオープンし,安い入場価格と刺激的な音楽で多くの若者の圧倒的な支持を得ること
に成功し,「マッドチェスター」と呼ばれるムーヴメントを引き起こした.しかし,赤字経営が
続いたこと,アーティストの自主性に任せ過ぎたためにレコードがリリースできないなどが原因
で 1992 年に倒産してしまうv.
iv
ダニー・オコナー監督,2011 映画『アップサイド・ダウン クリエイションレコーズ・
ストーリー』
、クリエイションとアラン・マッギーweb ページ
(www5f.biglobe.ne.jp/~letsrock/AlanMcGee.html)を参照.
v マイケル・ウィンターボトム監督,2002
『24 アワー・パーティー・ピープル』
CD ジャーナルレーベル研究 web ページ
(http://www.cdjournal.com/main/research/-/2301)を参照
- 282 -
クリエイション同様短命に終わってしまったレーベルであったがユニークな手法で若者に大
きな影響を与えることが出来た.まずは前述のハシエンダである.ウィルソンはアーティストを
「ソフト」とするなら,音楽を発信する「ハード」が必要であると考え,ハシエンダを作った.
ライブで観客が音楽を共有することによって,雑誌やネット,口コミよりもはるかに多くの刺激
を味わうことが出来,しかもそれを周りの観客と分かち合い,強力な連帯感が生まれると考えた
のである.
ファクトリーには初期からグラフィックデザイナーのピーター・サヴィルが参加しており,音
だけでなく,ビジュアル面も統一されていた.これにより,レーベルのイメージカラーが明確に
位置づけられることが出来た.カタログ番号は,リリースした作品に振られるものであるが,フ
ァクトリーは音楽作品以外にも番号を付けていった.ポスター,ハシエンダにいた猫,グッズ,
ファクトリー関連の著作物から内部問題からの訴訟,2007 年に亡くなったウィルソンの棺にま
で振られた.こうした特徴的なコンセプトを打ち出すことによって自分達のレーベルの色を出し
ていた.
ウィルソンはレコードの制作方針において,アーティストからの要求はほとんど聞き入れて言
うとおりにしていた.この点は,一般的なメジャーレーベルのやり方とは正反対である.ディレ
クターやマネージャーなど,アーティストに良い意味でも悪い意味でも口を出す立場の役職が多
く,それらがアーティストを苦しめる要因になることがしばしばある.音楽業界の仕組みに対し
てファクトリーの手法はアーティストからの信頼を得ていた.
2-3. 国内のインディーレーベルの事例~60~80 年代のレーベルブーム~
1960 年代半ばに,アメリカからフォークソングのムーブメントが日本にやってきた.フォー
ク歌手のなかには不満や反体制を掲げるメッセージ・ソングを歌う人が多く,過激な歌詞はラジ
オやテレビで放送禁止になるので,レコード会社から嫌われていた.しかし,1967 年にフォー
ク・クルセイダーズの「帰ってきたヨッパライ」のヒットを始めとして,アンダーグラウンドで
の支持は高まっていた.これをうけて,アート音楽出版という会社が「Underground Record
Club(URC)」というレーベルを立ち上げる.これは,テレビやラジオでは放送できないような
曲,政治的,反戦的な曲を隔月通信販売で頒布する会員制クラブであった.売れる曲ならなんで
も売るのではなく,自分達のレーベルで世の中に出したいものだけをレーベル側から提示するこ
とで,新しい価値観を享受することができ,「このレーベルには自分が聴きたい音楽がある」と
いうレーベルへの信頼,ブランド性が生まれる.
URC はその後,ビクターというメジャーレーベルから自分達の曲を編集盤として発売するな
ど,会社のカラーが曖昧になり,事業が縮小する.そして,URC の多くのアーティストはベル
ウッド・レコードに所属する.ベルウッドの最大の特徴は,キングレコードというメジャーレー
ベルの中にあったことである.インディーズがそのコミュニティの中で,メジャーとは違う領域
で活動するのではなく,メジャーレーベル内で自由にレコードを出していくことで流通経路が広
くなり,より多くの影響を与えていくことが可能になる.
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ベルウッドのような社内レーベルは 1970 年代以降増え始める.ポリドールから独立したキテ
ィレコードは,音楽だけに留まらず,映画監督の長谷川和彦,作家の村上龍が参加して,
『限り
なく透明に近いブルー』などの映画,『めぞん一刻』や『らんま 1/2』などのアニメを制作し,
多角的なメディア展開を行った.同時期に現れたアルファ・レコードは,販売,営業を持たない
制作,宣伝に特化したレーベルだった.販売を実際に行っていたのはビクターなどのメジャーレ
ーベルで,その後ワーナー,EMI,ソニーミュージックと何度か系列を変えたがその役割は変
わらず,制作,宣伝を自分達で行い流通関係はメジャーに委託した.
2-4. 国内のインディーレーベルの事例~渋谷系とトラットリア~
本節では,渋谷系という実際のムーブメントとレーベルの関係についての事例を挙げる.渋谷
系は 90 年代に入ったころから呼ばれるようになった名称である.80 年代以降 CD が普及し,古
いポップスや様々な音楽が CD で再発売され,タワーレコードなどの外資系の CD ショップはこ
ういった洋楽を多数発売した.これらのマニアックな音楽を好んで聴く,ヒットチャート上位の
音楽に満足できないマニアが増加し,フリッパーズギター,ピチカートファイブ,オリジナルラ
ブなど,80 年代のギターポップやネオアコースティック,60 年代~70 年代のソウル,ラウン
ジミュージックに影響を受けた日本のアーティストが現れ始めた.これらを HMV 渋谷店が専用
コーナーを作り,特集したことから発信源となりブームとなる.
渋谷系の中心となったのがトラットリア・レーベルである.主宰者は前述のフリッパーズギタ
ーで現在コーネリアスとして活動している小山田圭吾で,スタッフはレコード会社の社員,元音
楽誌の編集者,アート・ディレクターなどである.このレーベルの特色は,ファクトリー・レコ
ードと同様リリースする音源にメニュー番号を振り,音源だけでなく T シャツやカレンダーな
どのグッズ商品にも付けられていった.ジャケットやグッズのアートワークもレトロな英国の若
者文化を感じさせるもので統一させた.こうした音楽性とアートワークのコンセプトを統一させ,
当時日本中で流行していたイカ天バンドやビーイング系のアーティストにカウンター・カルチャ
ーとして真っ向から対立した存在として渋谷を中心とした特定のエリアで人気を博した.全国的
に 1 番売れていたアーティストを,
渋谷ではトラットリアの所属アーティストが上回っていた.
このレーベルが一つのムーブメントを日本で起こすことが出来たのは,時代に背いたコンセプ
トで,
「自分達が 1 番かっこいい」という独善性,排他性を限定的なエリアで発信したことであ
る.これは前述の海外のインディーレーベルにも一致する部分であると思う.国や文化が違って
いても人々が常に 1 番人気があって流行のものを欲しているわけではなく,マイノリティな趣
向でもそれを共振させる場所の存在を作っていくことで,文化的にも商業的にも成功する可能性
が十分にある.しかし,前節のレーベルブームにも共通,資本が大きなメジャー産業の力がどこ
かで必要になっていくようである.渋谷系も HMV やタワーレコードが大きな原動力となってい
るし,流通,販売,広報の力を持つ組織をいかにうまく利用していくかが,よりクリエイティブ
な作品を生み出す地盤を作る鍵となる.
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3.組織がクリエイティブであるために
これまでに,メジャーレーベル,インディーレーベルの仕組み,問題点を挙げてきた.前者は
キッチリとした企業・会社の体系をとっており,効率的に利益を出す仕組みが整っているが,そ
のシステムがアーティストの創造性や,相互の信頼関係の喪失につながっている.後者は,組織
力は弱く,利益よりも優れたアーティストの発掘や音楽を楽しもうとすることを重視しており,
結果多くのムーブメントを生み,音楽シーンに活力をもたらした.しかし,レーベルの永続性に
乏しく,ムーブメントと共に短命に終わることが多い.インディーレーベルのような音楽業界に
おける少数集団は組織として適切ではなく,ムーブメントは偶発的に発生したものであるのだろ
うか.本章では,組織行動学の観点から,よりよい活動が行うことのできる組織の要素をメジャ
ー・インディー両レーベルと照らし合わせ,最終的に小集団がクリエイティブを生み出すことに
特化した組織形態である可能性を検討していきたい.なお,本章で述べる学術はロレンスの『組
織行動のマネジメント』
(2009)に依拠している.
3-1. リーダーシップと信頼関係
アラン・マッギーやトニー・ウィルソンといったレーベルのリーダーは,契約を行う時点から
その後まで,アーティストを社員のような扱い方はしなかった.音楽を含めた芸能・エンターテ
イメント業界では,一般的にアーティスト,俳優,タレントは契約社員として活動していくが,
彼らはアーティストと作りたいものを作ろうというスタンスでリリースを手伝い,少数であって
も確実に聞く人に影響を与えた.このようにアーティスト,顧客の信頼を得る組織のトップはど
のようにして周囲からの信頼を集めたのであろうか.
リーダーシップに関する理論は数多く存在する.これまでリーダーと多くの人から認知されて
いる人のパーソナリティからリーダーとしての特性を見出す特性理論,リーダーと認知されるに
は一定の行動パターンの要素を満たさなくてはならない,という行動理論の二つを基本として
様々な理論があるが,会社の管理職としてのリーダーシップに向けられたものが多かった.本節
では「信頼」に観点を置いてマッギーらの行動と照らし合わせる.
組織における信頼関係には,抑止に基づく信頼,よく知ることに基づく信頼,同一化に基づく
信頼の三つのタイプがある.これらの信頼は,二人の当事者が新たな関係を構築していくと仮定
する.また,相手に早急に多くの情報を与えてしまうことは危険であると感じており,両者の関
係の継続性も不明瞭なものとする.
①抑止に基づく信頼…最も壊れやすい信頼関係である.これは,相手を裏切った際に受ける報復
に対するおそれに基づいている.つまり,自分は義務を果たさないことによる報復を恐れて行動
をとり,逆に相手が義務を果たさない場合は相手に罰を与えることが可能で,結果的に裏切られ
た時は実際に罰を与える,という状況で成立する.例えば新入社員と上司の関係は,義務を果た
せなかった場合に罰を与えることに基づいている.具体的に罰を与える関係は,これらは会社の
体系が強いメジャーレーベルでは少なからずみられ,過去のインディーレーベルではあまり見ら
れない.
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②よく知ることに基づく信頼…これまでのお互いのやり取りから相手がどのような行動をとる
かを予測できることに基づいた信頼である.こうした関係は,相手をよく理解し,相手の行動を
正確に予測するのに十分な情報が与えられている場合に成り立つ.マッギーもウィルソンも実際
にライブに足を運んで面白いバンドに声をかけていた.つまり経営者がアーティストの情報をよ
く理解しているため,レーベルとアーティストの信頼はこの関係が大きく作用していると言える.
ソニーや EMI、ユニヴァーサルなどのメジャーのレコード会社は、様々なグループの集合体で
あり、経営陣とアーティストは遠い距離がある.
③同一化に基づく信頼…当事者間に感情的なつながりがある場合,信頼関係は最高レベルに達す
る.一方が他方の代理を務めることが可能となり,他人とのやり取りにおいて相手の代役を務め
ることが出来ることが同一化に基づく信頼である.同一化の度合いが高まると,互いが同じよう
な考え方,感じ方をするようになる.長年連れ添ってきた仲の良い幸せな夫婦がいい例だが,イ
ンディーレーベルは短命に終わっている例が数多くみられる.確かにアーティストとレーベルの
信頼は生まれ,そこからクリエイティブな音楽が発信されるが,メジャーに行く,方向性の違い
により袂を分かつ,解散してしまうなど,同一化と言うまでは至っていない.メジャーレーベル
では,制作者や広報者,アーティストなどは完全に分業されていて互いの仕事の代理を務められ
るほどの信頼関係はほとんどない.
以上のことから,インディーレーベルは、強力な信頼関係を常に持つわけではないが,相互理
解から生まれる信頼は他の組織よりも強いことが分かる.
3-2. 組織文化
個人に様々な人格があるように,組織にも様々な性格(文化)があるので,頑固,保守的,親
しみやすい,革新的など,
「~な組織」というように特徴づけることができる.組織文化とは,
その構成員が共有する意味のシステムで,その組織と他の組織が区別される際に用いられる考え
方である.以下において,組織文化を形成する 7 つの主要特性と,各要素がインディーレーベ
ル(小集団)にどれほど組織文化の形成の可能性があるのかを検討する.
①革新及びリスク性向…組織の構成員が革新的で危険を恐れないことがどの程度奨励されてい
るか.
②細部に対する注意…細部に対してどの程度の精巧さ,分析,注意を示すことが期待されている
か.
③結果志向…結果に到達する方法やプロセスよりも,結果または成果そのものをどの程度重視し
ているか.
④従業員重視…組織内の従業員への影響が意思決定においてどの程度重視されているか.
⑤チーム重視…個人ではなくチームを中心とした職務の活動がどの程度体系化されているか.
⑥積極的な態度…安易な態度ではなく積極的で競争的な態度はどの程度か.
⑦安定性…成長よりは現状維持を重視する活動が組織の中ではどの程度強調されているか.
これらの特性により,構成員の自分の組織についての共通理解,組織の物事がどのように
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進められているか,組織の人々がどのように行動すべきかに関する基盤が示される.企業
向けの理論ではあるが,利益,結果を残すことを念頭に置かなければならない大集団に比
べ,やりたいことをリスクを気にせず行おうとする小集団に有利な要素と言えるのは①・
⑥が挙げられる.また,小規模なことによって,連帯感や組織全体に細かい配慮ができる
ので,②・⑤も小集団が持つ特性と言える.よって,小集団が健全な組織文化を形成する
可能性が高い.
3-3. 創造性の構成要素と組織の制約
意思決定者が必要なのは,様々な考えを組み合わせ独自の発想を加えていく創造性である.こ
こでいう創造性は,人が誰でも持っている潜在的な能力のことである.それを発揮するポイント
となる創造性の 3 つの構成要素モデルがある.
図1
創造性の 3 つの構成要素モデル
※脚注viをもとに筆者作成
専門能力…専門分野におけるあらゆる能力,知識,技能.作業で力を発揮する前提となる力.
創造的思考能力…普段見慣れている物を違った角度で見ることのできる能力.
内発的タスクモチベーション…対象が引きつけられる,ワクワクさせられる満足感がある,個人
的にやりがいがあるからこれに取り組みたいという気持ち.
しかし,意思決定をしている人のほとんどはこのように合理的モデルのような判断をしていな
い.たいていの場合,一番受け入れられそうな解決策を見出し,それで満足してしまう.複雑な
問題に直面した時,完全に合理性の条件をみたすような考え方を行うことは困難で,問題をわか
T.M.Amable,“Motivating Creativity in Organizations,”Calfornia Management
Review, Fall 1997 p.43.
vi
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りやすくしてから答えを出す.インディーレーベルのように会社としての能力をあまり持たない
集団は,元々合理性のある考え方を仕事に持ち込まない.自分達がやりたいことを重視し,活動
の中であり得る様々な制約をある程度回避できる.以下に,組織の制約となる項目を挙げ,いか
に一般的な会社体系をした組織が抱える制約が多いかを示す.
業績の評価…経営者,リーダーは意思決定の際,従業員が評価を受ける基準に大きな影響を受け
る.例えば,部門の長にマイナスの情報が入ったら正常に工場が稼働出来なくなるかもしれない
と考える時,情報を与えないように努力をする.
報酬体系…意思決定にあたって,自分がもらう報酬の点で好ましい選択をした方が有利だと考え
る.
公式の規定…あらゆる組織が規則,方針,手順といった公式の規定を設け,従業員の行動を標準
化することに努めている.意思決定のマニュアル化によって従業員個人が高い水準で業績を達成
することができる.したがって,意思決定者の選択肢は狭まり,制約を受ける.
組織体制が課す時間的な制約…予算を何時までに決める,報告書を何曜日に先方に提出する,と
いうように組織は意思決定の期限を設ける.期限は顧客の満足のために意思決定を次々と下すた
めに設けられ,時間的なプレッシャーがかかる.
こういった制約が組織を引き締める要因となり,より組織らしい組織が出来上がる.しかし,
こういった組織からは生まれ得ないクリエイティヴィティを創出出来る点において小集団は有
効であると考えられる.
おわりに
音楽のレーベルを企業向けの組織行動学を参考に,小集団が社会的にどれほど貢献できるか,
を本稿では考察してきた.3 章での調査からみて,本稿で紹介しているインディーレーベルは組
織行動学的には良好な組織とは一概には言えない.会社と言う形をきちんと取っていないため,
組織は長続きせず,運営し続けていくリスクが非常に高い.インディーレーベルを始めとする多
くの小集団は,マイノリティを対象にした商業的成功を見込んでいない創作物を作っているが,
広く知れ渡るものはごく少数で,それらの多くは忘れ去られてしまう.
しかし,小集団は創造性の構成の妨げになる制約が少ない(3 章より)ので,普通の企業には
ないようなクリエイティブな作品,アイデアを生みだす可能性を持っている.音楽を作るのはア
ーティストではあるが,活躍の場を作り,世の中に送り込む機会を適切に与えるレーベルこそが
クリエイティブの原動力になるのではないか.Twitter や Facebook が社会に浸透した今だから
こそ,ソーシャル・メディアを利用し,発信力を持った小集団が増えてくることで社会により刺
激を与える存在になることを期待したい.
文献
藤沢宏光編著,岩瀬恵美子,菅野聖,鈴木“キャシー”裕子執筆,
ンドブック』東洋経済新報社
- 288 -
2007『図解
音楽業界ハ
津田大介,
2004
『だれが「音楽」を殺すのか?』
津田大介,牧村憲一,
2010
翔泳社
『未来型音楽サバイバル論』
中央公論新社
スティーブン・P・ロレンス著,高木晴夫訳,2009 『組織行動のマネジメント』 ダイアモン
ド社
- 289 -
《執筆者一覧》
上原 広毅
太田 岳
大山 明日香
小林 美樹
高尾 亮
高橋 実希
月井 菜緒
中 祥宏
阿部
石原
伊藤
小玉
笹川
柴田
庄子
堀込
裕美
和樹
拓哉
悠太
諒平
圭祐
倫弘
翔平
前田 健太
丸尾 美生
三代澤 淳弘
和田 瑞歩
要藤
吉羽
貴幸
侑稀
友岡
邦之
調査報告書
地域文化政策研究 第 8 号
発行日
発行・編集者
発行所
2013 年 3 月 25 日
友岡 邦之
高崎経済大学地域政策学部友岡研究室
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