マラウイの対台湾断交

マラウイの対台湾断交
─背景・経緯・結果─
川 島 真
(東京大学大学院総合文化研究科准教授)
【要約】
2007 年 12 月 28 日、マラウイは台湾と断交した(2008 年 1 月 14
日公表)。断交の誘因としては一般に中国側の準備した 60 億米ドル
が挙げられるが、それ以外の原因や経緯、断交後の状況については
不明な点が多い。そこで、本稿ではマラウイ政府高官へのインタビ
ュー調査や台湾、中国の文献資料などに基づき以下の諸点を明らか
にした。第一に、マラウイ側は 60 億ドルだけでなく、台湾承認が南
部アフリカの国際政治での孤立に結びつくと考えていたこと。第二
に、中国からマラウイへのアプローチが、ちょうど台湾でアフリカ
サミットが開催され、また国連総会で台湾加盟提案がなされていた
2007 年 9 月になされており、台湾の動きに対応したものである可能
性があること。第三に、中国からマラウイへの経済支援は台湾での
サミットでムタリカ大統領が述べたマラウイの新たな経済発展への
起爆剤になるものとして期待されたこと。第四に、中国との国交樹
立後、台湾の支援計画を引き継ぐ程度のことしか現段階ではおこな
っていないこと。
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第 37 巻 4 号
問題と研究
【キーワード】
マラウイ断交、台湾・アフリカサミット、南部アフリカ地域国際政
治、経済支援の継承、ムズズ中央病院
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2008 年 10.11.12 月号
一
マラウイの対台湾断交
はじめに
2007 年 12 月末、マラウイは台湾と断交した。その結果、中華民国
(以下、台湾と表記する)を承認している国は、ブルキナファソ、
サンタメ・プリンシペ、スワジランド、ガンビアの 4 ヶ国となった 1。
この 10 年、アフリカ諸国は相次いで台湾と断交して中華人民共和国
を承認している。南アフリカ(1998 年 1 月 1 日)、セネガル(2005
年 10 月 25 日)、チャド(2006 年 8 月 6 日)といった国々がその例で
ある。だが、マラウイがこれらの国と異なるのは、マラウイが資源
国であるチャドや主要国である南アフリカと異なり、またセネガル
のように戦略的な拠点となるような国とも異なり、資源が乏しく、
戦略的にもそれほど重要性があるわけでは無い内陸国であるという
点だ。また、台湾とマラウイの関係も良好であった。1966 年以来の
42 年間の友誼は確かに築かれており、農業分野と医療分野を中心に
支 援 が な さ れ て き た 。 北 部 の ム ズ ズ 中 央 病 院 ( Muzuzu Central
Hospital)は、マラウイの与党民主進歩党の基盤が南部にある中で、
この地域の基幹病院として成長し、両国の協力関係を示す事例とし
て知られている。屏東地区から派遣された医療チームをはじめ、台
湾からの医療団もこの病院を拠点として活動してきた 2。また、日本
をはじめ各ドナー諸国、あるいは北部で活動する NGO にとっても、
この病院は貴重な場であった。また、マラウイからの留学生も台湾
1
「邦交国」(台湾外交部ウェブサイト、http://www.mofa.gov.tw/webapp/ct.asp?xItem=
11624&CtNode=1143&mp=1)(以下、いずれも 2008 年 11 月 20 日アクセス)
。
2
財団法人屏東基督教医院を中心とした活動。非洲馬拉威医療グループと称された。
その活動は同院のウェブサイトに掲載されていが、断交後医療団隊も引き揚げたた
め 、 ウ ェ ブ サ イ ト か ら も 削 除 さ れ た 。( http://www.ptch.org.tw/_private/history/
historyindex.htm)
。
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を訪れ、屏東科学技術大学などで学んでいた。そうしたある意味で
地道な援助は内外から高い評価を得ていた。また、2007 年には北部
の高速道路や首都リロングウェにおける国会議事堂建設も援助案件
となっていた。
しかし、マラウイは台湾との断交を決断した。2008 年 1 月 14 日、
マラウイとの断交を公式に発表した台湾外交部の楊子葆政務次長は、
以下のように述べた 3。
中華民国(台湾)は、1966 年にマラウイと国交を樹立して以
来、マラウイの基本建設や国民生活の向上のための計画を積
極的に支援してきた。マラウイの歴代の政府や人民は両国の
邦誼や協力に対して十分に満足していた。だが、近年、中国
はわが邦交国に対して様々な工作をおこない、台湾とマラウ
イの関係についても何度もそれを破壊しようとしてきたが
成果が得られなかった。だが、昨年(2007 年)の後半になっ
て 60 億米ドルを使ってマラウイを誘惑したのである。我が
国は、台湾とマラウイの邦誼に鑑み、積極的に、かつ持続的
にマラウイ政府とコミュニケーションをとりながら、協力面
でも最大の誠意を見せた。しかし、それにも関らずマラウイ
側は我が国から離れていき、中国と示し合わせた上で、我が
国の元首が海外を訪問している時をねらって中国との国交
を樹立したのである。これこそ、我が国および台湾人民に対
する辱めであり、42 年間の友誼に応じたものでも、また民主
3
2008 年 1 月 14 日、「楊政務次長宣布我中止與馬拉威共和国外交関係記者会答詢紀要」
( 台 湾 外 交 部 ウ ェ ブ サ イ ト 、 http://www.mofa.gov.tw/webapp/ct.asp?xItem=28826&
ctNode=1099&mp=1)。
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マラウイの対台湾断交
国家の手法とも言えないものである。
このように、台湾外交部は、中国側の金銭による「誘惑」を断交
の理由として挙げていた。
では、マラウイから見た場合、なぜ台湾との断交を選択したので
あろうか。やはり金銭が大きいのであろうか。マラウイから見た中
国/台湾承認問題はいかに捉えられるのであろうか。この点につい
て、2008 年 3 月にマラウイや台湾で関係者へのインタビュー調査を
お こ な っ た 4。 そ こ に は 、 マ ラ ウ イ 政 府 の 閣 僚 ク ラ ス や 外 務 省 高 官 、
さらにはアメリカや中国、日本の関係者も含まれる。本稿では、文
献資料なども加えながら、マラウイから見た対台湾断交について叙
述してみたい。
この問題を解明することは、単に台湾とアフリカの関係だけでな
く、中国の対アフリカ外交のあり方を考える上で重要となろう。前
述のようにマラウイは資源や戦略性から見た場合、決して重要な国
とは言えない面があり、承認問題が依然として中国のアフリカ外交
において一定の位置を占めていると考えられるからである。台湾で
も厳震生教授をはじめ少なからぬアフリカ研究者がいるが、マラウ
4
調査の概要は以下のとおりである。台湾外交部(台北)におけるマラウイ大使館駐
在経験者へのインタビュー(2008 年 3 月 18 日)、マラウイにおけるインタビュー調
査(電話取材含む、2008 年 3 月 27-30 日、対象:マラウイ外務省関係者、マラウイ
政府元国務大臣、日本大使館関係者、JICA 関係者、アメリカ大使館関係者、中国大
使館関係者へのインタビュー、元中華民国大使館関係者、The Daily Times 関係者)
、
南アフリカにおけるインタビュー調査(2008 年 3 月 25-26 日、30-31 日、大学関
係者、中華民国代表処関係者、台湾系市議会議員、JICA 関係者、中国人街)など。
なお、本調査に当たっては台湾駐日経済文化代表処、台湾外交部、および東京大学
の遠藤貢教授の協力および駐マラウイ日本大使館の便宜供与を得た。また、JICA マ
ラウイ事務所からは関連新聞記事などの提供を受けた。記して謝辞を表したい。
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イの問題については専門的な論文はまだ公刊されていないようであ
る。
また、中国のアフリカ外交については、昨今、Alden(2007)、Manji
and Marks(2007)、le Pere and Shelton(2007)など、英語圏で多くの
研究が出され、アフリカの中国への関与に関する研究が本格的に始
められ、日本でも平野克已(2006)や中国の対外援助の制度研究や
資源外交をめぐる論考などが公刊されている。そこにおいては、軍
事援助やダルフールなどの国際政治的な論点、資源外交などの資源
分配をめぐる問題、アフリカの中国人などへの社会学的アプローチ、
さらには人権や貧困というアフリカにとっての根源問題に対する中
国の関与といったことが重要な論点として挙げられているが、伝統
的問題と言える承認問題は焦点となっていないように見受けられる。
また、方法論的にも、総じてアフリカ研究からのアプローチでは中
国側の史料が用いられず、また中国研究からのアプローチでは現地
調査がおこなわれないという傾向がある。そうした意味でも、本稿
は一定程度の貢献ができるであろう。
二
台湾・アフリカサミットとマラウイ
叙述を始めるに当たり、マラウイの位置について確認しておきた
い。前述のとおり、マラウイは内陸国であり、産業面ではタバコな
ど農業を主体とする農業国家である。資源はウランやレアメタルが
あるものの、埋蔵量は決して多くないと想定されている。南部アフ
リカ地域では南アフリカという大国があり、ザンビアが地域強国と
して影響力を有している。マラウイが中華民国と国交を締結したの
は 1966 年であるが、1964 年にフランスが中華人民共和国を承認した
のに伴い、フランスから独立したアフリカ諸国も北京を承認し始め
ていた。そのような中で、マラウイが中華民国と国交を締結し、以
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後も良好な関係を築いたのは、南部アフリカの国際政治において大
き な 影 響 力 を 有 す る 南 ア フ リ カ へ の 配 慮 と い う 面 が あ っ た と い う 5。
だが、その南アフリカは 1998 年に台湾と断交し、南部アフリカでは
スワジランドとマラウイを除く諸国が中華人民共和国と国交を結ん
だ。そうした意味では、マラウイの対台湾断交は時間の問題であっ
たと見ることもできる。だが、南アフリカの対台湾断交後 10 年を経
て、このタイミングで断交に踏み切った背景として、マラウイの閣
僚経験者や外務省幹部が口にしたのは、北東隣りのタンザニアは言
うに及ばず、西隣りの地域有力国ザンビア、そしてマラウイにとっ
てインド度への出口にあるモザンビークが中華人民共和国との良好
な関係を築き、多くの経済援助を得ている中で、小国で海を持たな
いマラウイだけが台湾を承認していことによって、地域的な国際政
治で孤立し、さらに経済援助を受けられないことで不利益を蒙って
いるのではないかという印象をマラウイの政府関係者が有していた
こ と で あ る 6。 マ ラ ウ イ に と っ て 経 済 面 は 確 か に 深 刻 な 問 題 で あ る 。
石油や資源価格の高騰によって、アフリカ経済は好況を呈してきた。
しかし、資源国でないマラウイは、その恩恵に浴していない。主力
産業のタバコ産業も低迷気味であった。そうした意味で、アフリカ
の経済発展の恩恵はアフリカに平等に与えられたものではなく、相
当に濃淡があるものである。台湾と国交を有している国には、その
恩恵に浴していない国も多く、そうした国々は条件やタイミングが
整えば、承認のスウィッチがなされる可能性があり、中華人民共和
5
2008 年 3 月 26 日、マラウイ政府元国務大臣への電話インタビュー(於:駐マラウイ
日本大使館)
。
6
2008 年 3 月 26 日、マラウイ政府元国務大臣への電話インタビュー(於:駐マラウイ
日本大使館)
、2007 年 3 月 27 日、マラウイ外務省高官へのインタビュー(於:マラ
ウイ外務省)
。
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国も常にアプローチを欠かしていないという 7。
だが、少なくとも台湾から見れば、国交締結国の中で、マラウイ
は最も関係が良好な国であったのではなかろうか。2006 年、国際連
合において、マラウイのムタリカ大統領は、国連への台湾の加盟を
推進すべく、人口寡少なモンテネグロが加盟できるというのに、台
湾を認めないのはナンセンスだと述べていた 8。相互訪問も頻繁にな
されており、2007 年 6 月には、ムタリカ大統領夫人の弔慰のため、
陳水扁総統は特使として蘇貞昌をマラウイに派遣した。また 7 月に
は、黄志芳外交部長一行がマラウイを訪問している 9。ムタリカ大統
領も、9 月上旬に台北で開催された第一回台湾・アフリカサミット
(Taiwan-Africa Heads of State Summit)に参加し、台北宣言に署名(9
月 9 日)した。この宣言には、陳水扁総統、ムタリカ大統領のほか、
スワジランド王国のムスワティ三世(H. M. King Mswati III)、ブルキ
ナファソのブレーズ・コンパオレ大統領(H. E. Blaise Compaoré)、
サントメ・プリンシペのフラディッケ・デ・メネゼス大統領(H. E.
Fradique Bandeira Melo de Menezes)、ガンビアのヤヤ・ジャメ大統領
(H. E. Dr. Alhaji Yayah A. J. J. Jammeh、実際には副大統領が列席)
らが署名した。この台北宣言は全部で 12 条から成り、サミットの総
括というべきものである。このサミットでは、グローバル化時代の
下で、台湾の経済発展を模範とするともに、医療や環境問題、ある
いはデジタル化、さらには貧困対策などについての支援をおこなう
ことが提唱され、行動綱領も定められていたが、基本的に国連ミレ
7
2008 年 3 月 31 日、中華民国在南アフリカ代表処関係者へのインタビュー(於:中華
民国在南アフリカ代表処)
。
8
Malawi dumps Taiwan, The Dairy Times, Jan.15, 2008.
9
「感覚像回家」
(『外交部通訊』26 巻 6 期、2007 年 9 月号)
、
(http://multilingual.mofa.
gov.tw/web/web_UTF-8/out/2606/report_2.htm)。
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ニアム宣言に則った支援をおこなおうとするものであった 10。台湾は、
むろん中国との承認をめぐる競争をおこなっていたであろうが、す
くなくとも援助の面では先進国としての標準を保とうとしていた。
この台北サミットで、ムタリカ大統領は承認変更をおこなうよう
な姿勢を見せていたのであろうか。表面的にはそのような予兆は見
当たらない。だが、結果から振り返った場合、マラウイ側から中華
民国に何のメッセージも伝えていなかったというわけではないのか
もしれない。ムタリカ大統領のサミットでの発言に求めることがで
きる。台北で、ムタリカ大統領は、1960 年代の農業支援にはじまる
台湾の多角的な支援に感謝しつつ、次のように述べた。
マラウイは現在、貧困からの脱出を断固としておこないつつ
ある。この点、我が国は台湾が小さな一歩から世界の主要な
貿易国となったことから示唆を受けている。私たちも、マラ
ウイが同じような成果を得ることができると信じている。ま
ず、国民や社会において、貧しいのは我が国そのものではな
くて国民の状態であるという信念が浸透しているというこ
とだ。我が国は、豊穣な土地、水力発電や灌漑のための河川、
漁業や養殖のための水質のいい湖、ツーリズム向けの山々、
牛・ヤギ・羊の大規模牧畜業に適した広大な斜面など、きわ
めて多くの自然資源を有している。マラウイは、こうした天
然資源を利用して新たな富を生み出し、それによってわが国
の経済の持続的な成長を実現し、国民を貧困の陥弄から救い
10
台北宣言は、台湾のアフリカ諸国への支援とともに、これら諸国が中華民国の国連
加 盟 な ど を 支 持 す る 内 容 と な っ て い た 。( 台 湾 外 交 部 ウ ェ ブ サ イ ト 、
http://www.mofa.gov.tw/webapp/lp.asp?CtNode=1288&CtUnit=302&BaseDSD=7&mp=1)。
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出そうとしている。私は、中華民国-台湾がこの発展のパー
トナーであると信じている。特に、私たちは台湾がこの私た
ちの発展のヴィジョンに即した支援計画を進めていくこと
を期待している 11。
この発言をいかに解釈すべきであろうか。ムタリカ大統領の発言
は、天然資源を利用した新たな富、そして国民を貧困から抜け出さ
せるための新たな発展ヴィジョンを想定しており、台湾がこの発展
ヴィジョンに応じた支援をしてくれるようにメッセージを発してい
るように見える。
このサミットの後、中華民国が対マラウイ支援を見直したのであ
ろうか。結果から見れば、台北でムタリカ大統領が台北宣言に署名
していたのは 9 月 9 日で、ザンビア東部で中国側からマラウイの閣
僚に国交樹立への打診がなされたのは 9 月 5 日であった。単純に考
えれば、ムタリカ大統領が台北で発言したときには、すでに中国か
らのメッセージを知っていたと考えられる。中国も、台北でのサミ
ットにあわせて後述のように国交樹立を大統領側近に打診したとも
想像される。あくまでも結果論だが、この台北サミット前後がマラ
ウイ側にとっては承認問題の決定過程で重要な時期だったと考えら
れる。
台湾側がマラウイへの支援を見直そうとする姿勢を示したのは、
公開されている資料によれば、2007 年 12 月である。台湾の張雲屏・
アフリカ局長がマラウイを訪問した際の感想として、以下のような
11
2007 年 9 月 9 日、「「第一屆臺非元首高峰会議」馬拉威共和国総統莫泰加閣下致詞稿
( 英 文 ) 」( 台 湾 外 交 部 ウ ェ ブ サ イ ト 、 http://www.mofa.gov.tw/webapp/ct.asp?xItem=
27034&ctNode=1288&mp=1)。
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マラウイの対台湾断交
ことが述べられている。
12 月に張アフリカ局長がマラウイを訪問した際にわかった
のは、台湾とマラウイ間の糧食増産やインフラ建設などの既
存の協力計画についてはすでに成果を挙げている。マラウイ
国民は基本的に十分に食べられるようになっているので、こ
れからは台湾の経験に則り、輸入代替・輸出促進と持続的発
展政策を遂行し始めなければならない。我々はこれまで同様
に開かれた態度でマラウイに接し、これまでの協力の政策を
見定め、協力の段階をランクアップさせる必要性を感じた 12。
結果論から見れば、9 月のムタリカ大統領発言から 3 カ月を経た
12 月末になって、局長が状況を把握したということになろうか。後
述のように、9 月に国連を場として中国からマラウイにアプローチが
かけられていたことは、台湾側も承知していた。また、後述のよう
に、中国が以前よりも強力にマラウイに接近していることも認識し
ていたという。いずれにしても、9 月から 12 月の僅か 3 ヶ月の間に、
マラウイは経済建設を理由にして中華人民共和国への接近を一気呵
成に進めていたのである。
三
中国・マラウイ国交樹立の経緯
中国からマラウイへのアプローチは、おそらくこれまでも幾度と
なくなされていたであろうが、2007 年末の台湾への断交に至る経緯
12
2008 年 1 月 14 日、「楊政務次長宣布我中止與馬拉威共和国外交関係記者会答詢紀要」
(台湾外交部ウェブサイト、外交部新聞説明会紀要、http://www.mofa.gov.tw/webapp/
ct.asp?xItem=28826&ctNode=1099&mp=1)
。
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について、関係者は 2007 年 9 月 5 日が起点であったと述べる。この
日、ザンビア東部のチェワ(Chewa)族の祭りであるグレ・ワムクル
(Gule Wamkulu)に、モザンビーク、ザンビア、マラウイの首脳が
集まったとき、駐ザンビア中国大使である李強民からマラウイ国務
大臣(大統領府議会担当大臣)のカツォンガ(Davis Chester Katsonga)
に将来の外交関係樹立について打診があり、両者で話しあったとい
う 13。
一方、9 月 18 日に開催される国連総会の場でも、中国の外相とマ
ラウイの閣僚が会談している。これは台湾当局も察知していた。周
知のとおり、この国連総会では台湾の国連加盟を求める国々から「安
全保障理事会が安保理暫定議事規則第 59・60 条および国連憲章第 4
条 に 従 っ て 、 台 湾 の 加 盟 申 請 案 を 処 理 す る よ う 求 め る 請 願 ( Urging
the Security Council to process Taiwan’s membership application
pursuant to rules 59 and 60 of the provisional rules of procedure of the
Security Council and Article 4 of the Charter of the United Nations)」
(A/62/193)の連署提案が提起されていた 14。この提案国の中に台北
のアフリカサミットに招かれた国々が含まれていた。マラウイもそ
の一つであった。この提案が国連で承認されることはないが、台北
でアフリカサミットが開催され、そして国連総会でこのような提案
がなされるタイミングで、中国からマラウイにアプローチがかけら
れていることは重要であろう。台湾外交部は、断交後に、「中国が比
13
2008 年 3 月 31 日、台湾在南アフリカ代表処関係者へのインタビュー(於:中華民国
在南アフリカ代表処)
。カツォンガは外務大臣、防衛大臣など要職を歴任していたが、
この大統領府議会担当大臣という職は対中交渉を担当するアドホックな職でであっ
た可能性がある(東京大学の遠藤貢教授のご教示による)
。そうした意味では、それ
以前からムタリカ政権は対中関係改善を準備していたということになる。
14
台湾外交部ウェブサイト(http://multilingual.mofa.gov.tw/web/un/doc/proposal_6_2.pdf)。
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マラウイの対台湾断交
較的強力に台湾とマラウイの友誼を破壊させようとしていることが
わかった」としている 15。こののち、マラウイ政府の四閣僚(産業、
貿易、運輸、外務)が中国を訪問したという 16。
この一連の経緯を見る限り、承認問題はムタリカ大統領周辺が主
導し、実質的にはカツォンガ大臣が実務をおこなったものと考えら
れる。マラウイ国内では 10 月にはすでに新聞で対中国交正常化が報
じられていたが 17、そこでは経済問題を重視するために中国を承認す
ることが強調された。それだけに、チャイナ・マネーへの期待が殊
更に高まっていくことになる。無論、台湾側もそれを食い止めよう
とした。駐マラウイ大使の莊訓鎧(James Chuang)は、台湾の国慶
節である 2007 年 10 月 10 日に、首都リロングウェの国会議事堂建設、
北部のカロンガ・ディティパ道路(Karonga-Chitipa Road)建設を 2、
3 年のうちに実現するよう努力することとともに、2008 年度に 800
セットのコンピュータ支援、水上警備艇や鉄道支援についても言及
していた 18。コンピュータ支援は、先の台北宣言でデジタル化が課題
とされていたことに対応していた。台湾側としてもできうる限りの
対抗策を練っていた、と見ることもできるだろう。しかし、たとえ
ば北部の道路建設は、台湾側の援助だけで実施されるわけではなく、
世界銀行からの支援も含まれていた。その世界銀行部分を中国の企
業が落札したために台湾からの援助が頓挫していたのだが、その点
15
2008 年 1 月 14 日、「楊政務次長宣布我中止與馬拉威共和国外交関係記者会答詢紀
要」、(台湾外交部ウェブサイト、外交部新聞説明会紀要、http://www.mofa.gov.tw/
webapp/ct.asp?xItem=28826&ctNode=1099&mp=1)
。
16
2008 年 3 月 26 日、マラウイ政府元国務大臣への電話インタビュー(於:駐マラウイ
日本大使館)
。
17
Admin, D. D. Phiri Column, Africa and China: Threats or opportunities?, The Nation, Oct.
19, 2007.
18
RoC vows to complete Karonga-Chitipa Road, The Nation, Oct. 11, 2007.
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問題と研究
をいかに調整するのかについて、報道レベルでは荘大使は述べてい
ないようであった。
2007 年 12 月、台湾外交部楊子葆次長(次官)およびアフリカ局長
の張雲屏がマラウイを訪問し、関係維持を図った。その際、マラウ
イ外務省は関係不変を強調していたが、実際には、月末には承認変
更のためにカツォンガ大臣らが中国入りしていた。マラウイ内部の
報道においても、マラウイが台湾と断交することは時間の問題であ
るとされ、中には信義を重んじて大統領を批判する言論もあったが、
総じて中国を承認することにともなう経済効果を期待する論調であ
った。
マラウイと台湾の断交が公表されたのは 2008 年 1 月 14 日である
が、実際には 2007 年 12 月 28 日にマラウイと中華人民共和国は国交
を樹立していた。北京で共同コミュニケに調印したのは、カツォン
ガ大臣と楊清篪外交部長であった 19。台湾では、マラウイと中国の国
交問題が緊迫していると感じられており、黄志芳外交部長がマラウ
イ訪問を目指したが、ムタリカ大統領は会見を事実上拒否した。そ
れに関する報道は、1 月 4 日に Bingu Snabs Taiwan Envoy として掲載
されていた 20。国交樹立は確定的と思われていた。
2008 年 1 月 14 日、中華人民共和国とマラウイが国交樹立を公表し
た。ここまで公表が送らされた理由は二つ考えられる。第一は、2008
年 1 月 12 日におこなわれた立法院委員選挙である。年末以来の対マ
ラウイ断交に関する報道、たとえば黄志芳外交部長がマラウイ大統
領から会見を断られて訪問を断念したことなどは、与党民進党にと
19
同席者は、バンダ大臣(Henry Chimunthu Banda,エネルギー・鉱山相)、リペンガ大臣
(Ken Lipenga 貿易・プライベートセクター発展相)、ムッサ大臣(Henry Mussa、運
輸・公共事業相)らであった。
20
Bingu Snubs Taiwan Envoy, The Nation, Jan. 4, 2008.
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マラウイの対台湾断交
ってマイナスに働いたであろう。第二は、1 月 11 日から陳水扁総統
が グアテマラ 共和国のアルバロ・コロン(Alvaro Colom)新大統領就
任式に出席すべく中米を訪問することになっていたのに合わせたと
可能性である 21。1 月 14 日に台湾外交部がおこなった会見では台湾
の元首の外遊に合わせたものだとしている 22。2007 年 9 月の中国か
らマラウイへのアプローチも、台湾でのアフリカサミットや国連で
の台湾加盟提案などに合わせたものであったから、後者と見ること
に妥当性があるとも考えられる。
1 月 14 日、中国とマラウイが国交樹立を宣言、マラウイ政府は台
湾に断交を通告した。そこで、両国間で「中華人民共和国とマラウ
イ共和国の外交関係樹立に関する共同コミュニケ」が締結されたの
は 2007 年 12 月 28 日だと公表された。マラウイ政府は「一つの中国」
を支持し、台湾との一切の公式な関係を断絶させた 23。マラウイ側は、
断交に際して経済文化関係を継続しておこなうための事務所開設を
検討しなかったという。アメリカや日本のようなモデルを採用しな
かったのは、実質的な経済交流などがほとんど見られないからであ
った 24。
21
前者の立場は、たとえば Govt orders Taiwan to pull down flag, The Daily times, Jan. 17,
2008.に見られ、後者の立場は、2008 年 1 月 14 日、「楊政務次長宣布我中止與馬拉威
共和国外交関係記者会答詢紀要」
(台湾外交部ウェブサイト、台湾外交部新聞説明会
紀要、http://www.mofa.gov.tw/webapp/ct.asp?xItem=28826&ctNode=1099&mp=1)に見ら
れる。
22
2008 年 1 月 14 日、「楊政務次長宣布我中止與馬拉威共和国外交関係記者会答詢紀要」
( 台 湾 外 交 部 ウ ェ ブ サ イ ト 、 http://www.mofa.gov.tw/webapp/ct.asp?xItem=28826&
ctNode=1099&mp=1)。
23
2008 年 1 月 14 日、「中国与馬拉維建立外交関係 在北京簽署联合公報」
(中央人民政
24
2007 年 3 月 27 日、マラウイ外務省高官へのインタビュー(於:マラウイ外務省)
。
府ウェブサイト、http://www.gov.cn/jrzg/2008-01/14/content_857775.htm)。
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第 37 巻 4 号
問題と研究
1 月 14 日夕方、台湾外交部の楊政務次長がマラウイ共和国との外
交関係の断絶、および一切の援助計画の停止を宣言した。冒頭に述
べたように、楊次長は、「マラウイ共和国は中国の威脅利誘(脅しな
がらおこなう利益誘導)」こそが断交の原因とし、具体的に 2007 年
後半に 60 億米ドルという金額を用いてマラウイを誘惑したと述べた。
確かにこの数字は、マラウイのメディアなどが報じていた数字であ
った。中国でも同日にプレスリリースがなされていた。
台湾の大使館は 1 ヶ月以内の退去を命じられた。また援助のため
の人員も同様に退去することになった。台湾のマラウイ大使館には 6
名、技術団、医療団などの人員が 14 名いた。台湾のマラウイ大使館
も閉鎖されることになったが、台湾で学ぶ留学生などは継続して学
ぶことが認められていた。この後、台湾の駐リロングウェ大使館職
員が財産の処理などを続けていたが、それは 3 月末まで継続した 25。
四
対台湾断交の果実
-「中国からの 60 億ドル」の真否-
これまで述べてきたように、中国側はおそらく台湾のアフリカサ
ミットや、国連での台湾加盟提案などに対する一種の対抗措置、あ
るいは警告としてマラウイに対して接近したように思われる。サミ
ットや国連での提案がなされた 2007 年 9 月から中国のアプローチが
始められたこと、陳水扁の外遊に合わせて公表されたことなどから、
それが類推できる。マラウイ側は大統領およびカツォンガ大臣が中
国との窓口になり、経済建設のための莫大な援助を求めて国交樹立
を求めたように見える。では、マラウイは台湾との断交後、それほ
25
2007 年 3 月 27 日、元駐マラウイ台湾大使館職員への電話インタビュー(於:JICA
所長公邸)。
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2008 年 10.11.12 月号
マラウイの対台湾断交
どの果実を得ることができたのであろうか。
2008 年 1 月 14 日、マラウイの首都リロングウェでも、バンダ(Joyce
Banda)外務大臣が中国との国交樹立を宣言した。外務省はこの承認
変更を主導したわけではなかったが、この承認変更をプレスなどに
発表し、説明するのは外務省であった。バンダ外相は、台湾との関
係は誠実なものであったとしながらも、中国とは「より多くを得ら
れる」関係を築きたいと述べた。経済重視とともに述べられたのは、
マラウイの周辺国であるモザンビーク、タンザニア、ジンバブエ、
ザンビア、南アフリカはもとより、アフリカの 53 カ国のうち 4 カ国
を除いて全てが中国を承認していることを挙げた。南部アフリカ、
あるいはアフリカにおいて、中国を承認していないことを理由に孤
立することへの焦りが強調されたのである。このほか、台湾の援助
プロジェクトである、首都リロングウェの国会議事堂建設、北部の
カロンガ・ディティパ道路などは影響を受けないとした。外相は明
言を避けたが、他の高官によって中国がこれらを継承することが明
らかにされていた。そして、60 億ドルという援助額についても外相
は明言を避けた 26。
マラウイのメディアの中には、対台湾断交を非難するものもあっ
た。The Daily Times 紙は、「中華人民共和国は、明らかに、その大量
生産型産業で産み出された廉価な商品の市場を探しているのだ。そ
の廉価な商品は、多くの場合低品質だが、マラウイ内部の製造業と
利害衝突をおこし、マラウイの労働者の雇用を奪う可能性がある」
などと警鐘をならした 27。だが、他方でカリアティ情報相などは、「台
湾が 42 年間でおこなった我が国への支援を、中国は最長でも 10 年
26
Malawi dumps Taiwan, The Dairy Times, Jan.15, 2008.
27
Let’s learn from neighbours on Mainland China, The Dairy Times, Jan. 15, 2008.
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第 37 巻 4 号
問題と研究
でおこなうだろう」などとし、さらに中華民国が北部のカロンガ・
ディティパ道路建設に真剣ではなかったと非難した 28。
2008 年 1 月 25 日から中国国家主席代表、外交部部長助理である翟
隽がマラウイを訪問し、26 日に大使館が開設された。すると、中国
からの支援についての情報がメディアをにぎわすようになる。当時
はカツォンガ大臣が海外に居り、中国からの裏金疑惑などがあった
ことなどから、ムッサ運輸・公共事業大臣やカリアティ情報大臣が
中国からの援助について情報を漏らす存在になっていた。ムッサ大
臣は、国会議事堂建設計画(40 億クワッチャ程度)が始まり 2008
年 11 月には新議事堂が完成するとの話、また懸案の北部のカロン
ガ・ディティパ道路建設事業(全長 107 キロ、70 億クワッチャ相当)
については中国が SADC 諸国から建設業者を募り台湾が予定してい
た工期 4 年の半分の 2 年で完成させるとの話をメディアに述べた。
この二事業ともに台湾がおこなっていたものだった。ムッサ大臣の
話を中国大使館も否定せず、カロンガ・ディティパ道路をザンビア
国 境 ま で 延 長 す る と し て い た 29。 こ の ほ か に も 、 メ デ ィ ア で は シ ー
レ・ザンベジ(Shire-Zambezi)水路計画、衛生医療、教育、農業方
面での支援があると報じられた 30。これらの報道は、台湾との断交の
果実として、ムタリカ政権への支持へとつながるものであったろう。
そのムタリカ大統領自身が台湾との断交について明確に述べたの
は 2 月初旬であった。中国との国交樹立について、大統領は①中国
承認が世界的趨勢、②かつてバンダ大統領(Kamuzu Banda)の台湾
承認理由だった「反共」が現在は適用できないこと、③中国が世界
28
Kaliati hits at Taiwan government, The Dairy Times, Jan. 21, 2008.
29
Parliament ready by November, The Dairy Times, Jan. 22, 2008.
30
Malawi to open embassy in China next month, The Guardian, Jan. 29, 2008.
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マラウイの対台湾断交
経済の主要国でありその工業製品が世界中に拡がっていること、④
国会議事堂や北部道路建設はじめ多くの経済支援を中国が約束した
こと、などを挙げた。大統領は、これらのほかにも、国際会議場、
スタジアム、五つ星ホテルなどといった支援計画があるとも述べた 31。
会議場やスタジアムは、中国がアフリカ各地に建設しているもので
あった。
しかし、中国からの援助は 1 月から 3 月の間、具体化しなかった。
途中、The Guardian 紙が、中国がマラウイにタバコ工場を設立する
というニュースを流した程度であった 32。だが、2008 年 3 月 24 日か
ら一週間、ムタリカ大統領がバンダ外務大臣以下、経済関連の閣僚
を連れて訪中するとマラウイへの支援が具体化することになった。
胡錦濤国家主席は、マラウイへの総合的な支援を約束し、「中国・マ
ラウイ貿易、投資、技術協力協定」、「経済技術協力協定」、「中国政
府のマラウイ政府に対する特殊優待関税待遇付与に関する交換公
文」などに署名し 33、ムタリカ大統領は経済効果とともに貧困対策に
つながることを強調し、バンダ外相は中国企業の対マラウイ投資促
進につながると述べた 34。また、懸案であった北部のカロンガ・ディ
ティパ道路建設事業について協定が結ばれたとマラウイ各紙が報じ
た 35。だが、これらの協定の内容は公表されていない。いわば秘密協
定なのである。
また、ムタリカ大統領と温家宝総理との会談で、大統領は「経済
31
Bingu speaks on China, The Guardian, Feb. 5, 2008.
32
China to Open Tobacco Factories, The Guardian, March 17-18, 2008.
33
Malawi, Beijing to sign 6 agreements, The Daily Times, Mar 28, 2008.Govt to sign six packs
with China, The Nation, Mar 25, 2008.
34
Malawi, Beijing to sign 6 agreements, The Nation, Mar 25, 2008.
35
Malawi China sign KARONGA/Chitipa road agreement, The Dairy Times, Mar 27, 2008.
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第 37 巻 4 号
問題と研究
貿易、科学技術、医療、人文、社会発展などの各領域における相互
協力を加速し、中国企業がマラウイに投資興業し、マラウイの経済
建 設 に 参 加 し 支 持 す る こ と を 歓 迎 す る 」 と 述 べ る と と も に 36、 2010
年の上海博覧会へ参加するとした。温総理も、中国・アフリカ協力
フォーラムへの参加を促した。このようにして中国とマラウイの関
係の基礎が形成された。また 3 月 26 日には北京でマラウイ大使館の
開館式がおこなわれた 37。
興味深いのは、ムタリカ大統領が北京を離れて四川、深圳、上海
を回ったことである。大統領は各地方政府とも経済支援の可能性を
話し合った。四川では、農産加工品、水資源の開発利用、水利事業、
鉱産資源開発、冶金について議論し 38、深圳では出身地のマラウイ南
部の湖畔の小都市を国際貿易港にしたいと希望を述べ、さらに金融
サービス業について学んで国際投資を引き付けたいとした。上海で
は上海万博への参加を表明している。これらについてはマラウイ国
内でも報道され、チャイナ・マネーへの期待はいっそう高まった。
また、大統領の帰国後、与党民進党の代表団が訪中し、多くの援助
情報が流れた。
しかし、中国からマラウイへの支援が迅速に進行することはなか
った。最初の駐マラウイ中国大使である林松添が赴任したのも、5
月になってからであった 39。実際、中国側はマラウイ側の経済支援に
36
中央人民政府ウェブサイト(http://www.gov.cn/ldhd/2008-03/26/content_929595.htm)。
37
「馬拉維駐華大使館在京開館 杨洁篪主持開館儀式」(中央人民政府ウェブサイト、
http://www.gov.cn/jrzg/2008-03/26/content_929487.htm)。
38
蒋 巨 峰 省 長 会 見 馬 拉 維 共 和 国 総 統 穆 塔 里 卡 ( 四 川 大 政 網 、 http://sc.dzw.
gov.cn/show_doc.asp?id=15084)。
39
2008 年 5 月 24 日 、「 馬 拉 維 総 統 表 示 願 與 中 国 加 強 合 作 」( 新 華 網 、
http://news.sina.com.hk/cgi-bin/nw/show.cgi/106/1/1/748298/1.html)。
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2008 年 10.11.12 月号
マラウイの対台湾断交
関する中国への過度の期待には辟易としていたようであった。3 月に
は、マラウイの中国大使館の樊貴金・臨時代理大使による「乞食」
発言問題が発生していた。この問題は、The Nation 紙の記者が「リ
ロングェに開設された中国大使館には、あまりに多くの個人、政府
の各部局、非政府組織(NGO)の人々が物乞いのための容器を持っ
て群がっていると、樊貴金・臨時代理大使が不平をもらした」と報
じたことに始まる 40。このような言葉を使ったのかどうかについては
疑わしいが 41、中国大使館がマラウイ国内の援助への期待に辟易とし
ていたことを物語るエピソードではあろう。
中国からの具体的な支援の第一は、2008 年 5 月 13 日から中国商務
部副部長・高虎城率いる経済訪問団 46 人がマラウイを訪問した際に
なされた 42、「中国―マラウイ間の工業、貿易および投資協力におけ
る了解事項に関する備忘録」と、210 億クワッチャ相当のタバコ買い
付けを約束したことであろう 43。6 月 30 日、中国側は医療隊 7 名(医
師 6 名、通訳1名)をマラウイに派遣した 44。彼らは、台湾が設立し
て医療援助の拠点としていたマラウイ北部のムズズ中央病院に勤務
することとなっていた 45。7 月初旬、中国人医師のマラウイ到着がメ
40
China fed up with beggars, The Nation, Mar 7, 2008.
41
2008 年 3 月 26 日、中国大使館関係者へのインタビュー(於:日本大使館)
、27 日、
42
Visit of a Chinese Delegation to Malawi, Press Release, Ministry of Industry & Trade, May
メディア関係者へのインタビュー(於:リロングウェ市内)
。
11, 2008.
43
「 中 馬 関 係 概 況 」( 中 華 人 民 共 和 国 駐 マ ラ ウ イ 大 使 館 ウ ェ ブ サ イ ト 、
http://mw.china-embassy.org/chn/sbgx/t509829.htm)、Chine to buy K2.1 bn Worth MW
tobacco, The Guardian, May 16-18, 2008.
44
「 中 馬 関 係 概 況 」( 中 華 人 民 共 和 国 駐 マ ラ ウ イ 大 使 館 ウ ェ ブ サ イ ト 、
http://mw.china-embassy.org/chn/sbgx/t509829.htm)。
45
拙稿「マラウイ 中国資金の魅力」
(『讀賣新聞』2008 年 5 月 5 日)。
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第 37 巻 4 号
問題と研究
ディアで報道された 46。しかし、この医療支援は台湾のようにはいか
なかった。それは英語の問題であった。マラウイのメディアは、中
国人医師の英語能力が低く、現地スタッフとも患者ともコミュニケ
ーションがとれないので、英語の学習が求められると報じられたの
であった 47。
ムズズの中央病院とともに台湾側がおこなおうとしていた二つの
主要事業、北部のカロンガ・ディティパ道路建設事業と国会議事堂
建設については 9 月に入ってから漸く具体化した。9 月 5 日、コンサ
ルタント事業をおこなう北京建設設計研究院がこの両事業について
マラウイ運輸省と協定を締結 48、雇用者については中国人労働者を帯
同することなく、現地で 200-300 人を雇用すると林大使が述べた 49。
北京建設設計研究院のコンサルタント結果は商務部に報告され、10
月 17 日に承認された 50。
このほか、中国はマラウイに 25 名の国費留学生枠を用意し、2008
年には 100 名近い官僚、専門家、技術者、メディア関係者などを招
へいした。林大使は、与党民進党やメディアとの関係を維持しつつ、
大統領の出身地である南部への教育支援のための視察などをおこな
っていた。マラウイの中国人は 700 人まで増加し、両国の貿易額は
3400 万米ドルと前年比で 93%の伸びを見せ、中国の輸入額は 300 万
米ドルと 1316%の伸びを記録した。
46
Chinese medical specialists arrive, The Guardian, July 2-3, 2008.
47
The communication breakdown at Muzuzu Hospital, The Daily Times, Aug 13, 2008.
48
「中国拟援建馬拉維卡隆加-奇提帕公路項目設計合同及議会大厦項目設計建議合同簽
字 儀 式 在 馬 挙 行 」( 中 華 人 民 共 和 国 駐 マ ラ ウ イ 大 使 館 ウ ェ ブ サ イ ト 、
http://mw.china-embassy.org/chn/sghdhzxxx/t511642.htm)。
49
Parliament ready 2011, The Guardian, Sep 9, 2008.
50
「商務部対外援助項目招標委員会 2008 年第 34 次例会」
(中華人民共和国商務部ウェ
ブサイト、http://yws.mofcom.gov.cn/aarticle/o/r/200810/20081005853556.html)。
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2008 年 10.11.12 月号
マラウイの対台湾断交
このように 2008 年の後半までの間に、中国からの一連の経済支援
の姿が一定程度見えてきた。マラウイには、台湾断交にともなう果
実はどの程度もたらされたであろうか。現在のところ、中国は台湾
がのこしたプロジェクトを引き継ぐことを完了したにとどまってい
る。北部の道路と議事堂、そして医療支援拠点であるムズズの病院、
そして教育支援のいずれもが台湾のおこなっていたものである。上
回っていることがあるとすれば、タバコの買い付けだけであろう。
しかし、派遣された医療チームの英語能力の問題など、台湾からの
引き継ぎについて疑義が呈されている。それだけに、中国との国交
樹立に伴って期待された「速効性」の経済効果は見られていない。
五
おわりに
本稿では、マラウイと台湾の断交の背景、経緯、そして断交後の
マラウイと中国関係を検討した。その結果、次のようなことがいえ
るであろう。第一に、マラウイ側としては、60 億米ドルと言われた
経済援助とともに、南部アフリカやアフリカの国際政治において、
台湾承認を理由に孤立したくない、ということがあった。これはマ
ラウイのような資源の多くない内陸国には切実な問題であった。第
二に、大統領の訪中直後に民主進歩党の幹部が訪中し、またいくつ
かの援助が南部に向かうなど、中国との国交樹立がムタリカ大統領
および現政権維持のために働く可能性が指摘できる。チャイナ・マ
ネーを利用した公共事業が展開されれば、2009 年の選挙にも影響し
よう。南部の地盤を固めるだけでなく、北部道路やムズズ中央病院
の支援などを通じた北部への民主進歩党の進出も視野に入っている
のかもしれない。この第一と第二の論点は、いずれもアフリカ側か
ら見た中国の存在価値、あるいは利用価値とでもいうべきものであ
る。アフリカでの調査において、アフリカにとって中国が必要であ
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第 37 巻 4 号
問題と研究
るので主体的に関係を築いているのであり、必ずしも中国側が主体
的に、一方的にアフリカに入り込んでいるというロジックで説明さ
れているわけではなかったことが印象的であった。
第三に、マラウイと台湾との断交を中国がこの時期に仕掛けたの
は、2007 年 9 月の台北のアフリカサミットと、マラウイなどのアフ
リカ 5 ヶ国が加わっておこなった台湾の国連加盟提案などに対応し
た動きであった可能性が高い。中国の駐ザンビア大使がマラウイ側
に打診したのは、台北のサミットの直前であった。これは台湾の外
交政策が中国のアフリカ政策に依然として連動している可能性を示
唆している。なお、台湾側もザンビア大統領選における外交活動が
中国を刺激したという観点もある。そうした意味では、馬英九政権
の「外交収兵」は承認問題にとって肯定的な影響を与えることにな
ろう。
第四に、マラウイから台湾側にメッセージが発せられていたとも
考えられるし、また台湾側も中国からマラウイへのアプローチを把
握していたようである。台湾の駐マラウイ大使や台湾外交部は確か
にマラウイ政府に働きかけた。しかし、効果があったとは言えない。
第四に、中国からマラウイに対する経済支援は、マラウイの期待と
は裏腹に台湾の引き継ぎにとどまっている段階にある。今後増加し
ていく可能性はあるが、少なくとも速効性のある大型の経済支援は
なされなかった。マラウイには十分な資源があるわけでも、また中
国商品の大市場として期待できるわけでもない。従って、承認変更
の果実は台湾からの支援の引き継ぎにとどまり、あとは民間からの
投資などを斡旋するといった程度にとどまろう。ムッサ大臣などは
頻繁に中国に赴いて、投資取り付けのための「営業活動」をおこな
っている。
中国は OECD 加盟国ではなく、DAC の諸規定の拘束を受けない。
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2008 年 10.11.12 月号
マラウイの対台湾断交
それだけに援助において自由が利く面がある。だが、昨今、援助の
制度化を図ろうとする面がある。マラウインの首都リロングウェの
援助国の大使らから構成されるドナー・グループ(1 ヶ月に一度会合)
は、中国側の参加を求めていた。中国側も「このグループに加わる
ことが中国に得なのかどうかわからない。オブザーバーとしての参
加は検討する」などと応じている 51。マラウイへの支援を見ても、北
部道路建設などについては、情報を公開しつつ、制度に則っておこ
なわれている。日本をはじめとする DAC 諸国も、アフリカの中国へ
の関与についてさまざまな意味での情報公開や規範化をともなうこ
とにコミットすべきであろう。他方、中国が商務部対外援助司の管
轄する部分だけを対外援助と称し、その部分だけを制度化し、情報
公開する可能性もあり、その場合には透明度が一部でだけ上がり、
全体像が把握しにくくなることになる。また、マラウイへの支援を
新たな制度に乗せてしまった結果、従来のような迅速さでは援助を
実施できないとも予想される。それで果たして 2009 年の選挙に間に
合うのかは不明である。
いずれにせよ、中国へのアフリカへの関与はさまざまな観点から
論じられるが、マラウイの事例は承認問題が依然として重要な要素
として存在していることを示している。台湾と国交のあるアフリカ
の四つの国にも、このマラウイと同様の現象が生じる可能性はある。
しかし、マラウイ側の期待通りに中国の援助が進まなければ、また
新たな展開が発生する可能性もあろう。アフリカと中国の関係は依
然として流動的な面を多く孕んでいる。
51
2008 年 3 月 26 日、駐マラウイ中国大使館関係者へのインタビュー(於:日本大使
館)
、駐マラウイアメリカ大使館関係者へのインタビュー(於:駐マラウイアメリカ
大使館)
。
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問題と研究
〈参考文献〉
( 1)著作等
Chris Alden (2007), China in Africa, Zed Books, London & New York.
Froze Manji and Stephan Marks eds. (2007), African Perspective on China in Africa, Fahamu,
Cape town, Nairobi and Oxford.
Garth le Pere and Garth Shelton (2007), China, Africa and South Africa: South-South
Co-operation in a Global Area, Institute for Global Dialogue, Midrand, South Africa.
( 2)新聞資料〔新聞記事名は省略〕
The Times(マラウイ)
The Dairy Times(マラウイ)
The Gurdian(マラウイ)
『讀賣新聞』(日本)
( 3)ウェブサイト〔引用した資料名は省略〕
中華人民共和国商務部ウェブサイト
中華人民共和国駐マラウイ大使館ウェブサイト
中央人民政府ウェブサイト
台湾外交部ウェブサイト
新華網
四川大政網
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