地方政治のなかの政党

地方政治のなかの政党
地方政治のなかの政党
永山 茂樹
1 現代政党論の課題
(1)ほんとうに「政党は不可欠の要素」なのか
「憲法は政党について規定するところがなく、これに特別の地位を与え
てはいないのであるが、憲法の定める議会制民主主義は政党を無視しては
到底その円滑な運用を期待することはできないのであるから、憲法は、政
党の存在を当然に予定しているものというべきであり、政党は議会制民主
主義を支える不可欠の要素なのである。
」八幡製鉄政治献金事件で、最高
裁判所はこのように判示した(最大判 1970 年6月 24 日)。
もしこの判決がいうように「
(日本国)憲法は政党について規定してい
ないが、その存在を予定していた」とすれば、政党の存在を積極的に否定
する国家行為は、憲法と議会制民主主義に反するという議論を立てること
が可能だろう。また政党の存在を積極的に肯定する国家行為は、ドイツの
ように政党の憲法的編入にいたった国家との違いをわきまえる限りで、憲
法に反しないという議論を導くことも可能かもしれない。
公式的な政党論の多くは、この命題に直接的または間接的に立脚しなが
ら構成されている。しかしこの判決には、もともといくつかの限定的な意
味合いもあったはずである1)。
第1にこの議論の射程は、中央レベルにおける民主主義にしぼられてい
た。
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東海法科大学院論集 第6号(2016 年3月)
議会制民主主義における政党の機能について、政治学は、およそ3つに
整理する。それは①国民のあいだにある多様な意見や要求を吸い上げ、政
治の場面に伝える代表機能、②自己の政策を訴えたり、政治に関する情報
を伝達するなどして、国民の政治意識形成を促進する社会教育的機能、③
公選職に候補者を立て当選させることで、政治上のポストを補充する政治
的補充機能、である2)。
しかし政党は、地方レベルの議会制民主主義で、中央レベルの議会制民
主主義と同じ機能①~③(もちろん「国民」を「住民」に置きかえたうえで、
のことだが)をもつのか。政党は地方における民主主義にとって不可欠な
存在だといえるのか。そして法はこのことにどう対応するべきなのか。そ
れについて、この判決がなにかを述べたわけではない。またこれについて
十分に網羅的で説得的な議論があるわけでもない。
「地方自治における政
党それ自体の位置づけや機能を論じた研究は、比較的少ない」と評された
40 年前の状況3)は、基本的に今もかわっていない。
第2にこの議論は、もっぱら代表制民主主義という枠組みのみを前提に
して構成されていた。いいかえれば、
「政党を欠いた民主主義」一般では
なく「政党を欠いた代表制民主主義」などありえないということだろう。
そのことはわかる。では代表制ではなく直接制に基づいた政治のなかで、
政党はどういう機能をはたすのか。
それは、
代表制におけるそれとは異なっ
ているとみるのが自然である。だがこれもあまり整理されているわけでは
ない。
この判決と政党論の前提にもともとこういう限定があったことは、さほ
ど不思議なことではない。それについては、わたしたちのイメージする近
代政党が誕生した歴史的背景と関連づけて説明できる。まず近代政党が発
1)この判決にある限定的意味合いとしては、もう1点、企業の政治献金を無制限に承認した
のではなく「
(政党)の健全な発展に協力する」ことを期待したということがある。最高裁は、
政党の不健全な発展につながるような政治献金までも企業の「人権」として承認したわけで
はない。
2)たとえば岡沢憲芙『政党』
(東京大学出版会、1988 年)10 頁以下。憲法の分野では芹沢斉「政
党」樋口陽一編『講座憲法学5』(岩波書店、1994 年)128 頁以下。
3)新川達郎「地方自治における政党」飯坂良明ほか『政党とデモクラシー』
(学陽書房、1987 年)
262 頁。
22
地方政治のなかの政党
展し始めたとき、舞台となったのは、政治的・経済的・文化的にナショナ
ルな統合が完了しつつあった近代国民国家であった。したがって近代政党
も、
もっぱら国(中央政府)に集中された公権力と関係を強く結ぶ、ナショ
ナルな性格が色濃かった。
近代政党の発展はまた、議会中心主義の最盛期ともかさなる。このこと
もわたしたちの政党論の基本的姿勢を決めるうえで強く影響したのだろ
う。議会中心主義は、議会以外の機関を国家権力の実質的決定過程から排
除するが、排除されるのは「主権者」国民とても例外ではない。直接制的
な仕組み、たとえば国民投票による法律制定・改廃や、国民による公務員
の選定罷免権は、法的に具体化されず、あるいは具体化されたとしてもき
わめて例外的な場面に限って発動されるべきものとされたからである。
「イギリス議会は、女を男にし、男を女にする以外のすべてをなしうる」
とあるスイス人が述べたころ、イギリスではトーリー・ホイッグの二大政
党が確立していく。またフランスで
「結社の自由法」が制定され、
(サルトー
リの表現にならえば)国家による「政党の敵視」から「政党の無視」への
転換が約束されたのは、フランス議会万能主義の時代、第三共和制中期の
1901 年のことであった。
こうしたことがあって、これまでの政党論は、暗黙のうちに中央政治・
代表制のなかで機能する近代政党を対象にしてきた。つまり「政党を欠い
た民主主義は成り立ちえない」というよく知られた命題は、中央政治・代
表制指向の産物であったといえるだろう。
(2)分化と統合のなかの政党
では政党論は今後もこういう指向性を維持できるのか。それは問題があ
る。
中央集権国家から地方分権国家へという権力分化は、多くの現代国家・
地域でみられる潮流である。
中央政府が占めてきた権限や財のいくらかは、
やがて地方政府に移転していくのだろう。そういう流れを踏まえながら、
国家の内側で複数に仕切られた狭い政治空間において、誰がどのように政
23
東海法科大学院論集 第6号(2016 年3月)
治権力を行使するかということは、法学の重要な検討課題になっている。
さらに政党は、国民国家の細分化や解体に積極的に関与することすらあ
る。スコットランドにおけるスコットランド独立党、スペインにおけるバ
スク民族主義党、イタリアにおける北部同盟、ベルギーにおける新フラン
デレン同盟など、いま欧州各地でおきている分離・独立運動は、それぞれ
の地域に拠点をもつ固有の政党を中心にして展開することが少なくない。
ところでこのことと一見まったく逆のことなのだが、つぎの点も考えて
おきたい。経済・政治の「グローバル化」にともなって、政治空間が国境
を越えて広がっていく。ナショナルに形成されナショナルに活動してきた
政党は、グローバル化に対応できるのだろうかということである。
これにたいする一つの回答は、ナショナルな政党が、一般にナショナル
な行政組織に帰属するとされる外交権を経由せず、直接に国際政治に関
わっていく道である。またもう一つの回答は、
「国境の内側の政党」から
「国境を越えた政党」
(transnational party)へ、政党みずからが組織と機能
を変容させる道である。
たとえば欧州議会をみよう。そこでは、EU 議会政党に関する法制度が
整えられている。欧州基本権条約(2000 年)Ⅱ 12 条2項は「EU レベル
における政党は、EU の諸市民が政治的意思を表明することに貢献する」
と規定する。またリスボン条約
(2008 年)
10 条4項は「EU レベルの政党は、
欧州の政治的自覚(European political awareness)の形成と、EU の諸市民
の意思の表明に貢献する」
、同 224 条は「EU 議会と理事会は、規定の定
めるところ、立法手続に従いながら、本条約 10 条4項と、またとくにそ
の財政に関する規定で参照される EU レベルの政党に関する規制を定めな
ければならない」と規定する4)。
欧州議会における会派は欧州議会規則(32 条2項「会派は少なくとも
4)近年の欧州議会選挙では、失業問題や移民問題を受け、欧州統合に消極的な極右政党や EU
からの離脱を主張する政党が議席を増やす傾向がある(たとえば 2014 年選挙ではフランス
=国民戦線 FN、イギリス独立党 UKIP、デンマーク=国民党 DF、ギリシャ=急進左派連合
SYRIZA、ドイツ=ドイツのための選択肢 AfD など)。EU 統合のための制度がかえって EU
の再分化を促進するきかっけとして機能している。五島昭「欧州極右政党の進出とその背景」
NUCB Journal of economics and information science49 巻2号 179 頁以下も参照。
24
地方政治のなかの政党
4分の1の加盟国で選ばれた議員から構成されなければならない。会派を
形成するのに必要な最小議員数は 25 名である。
」、同条4項「議員は複数
の会派に属することはできない」など)の定める要件にしたがって形成さ
れる。現在(2016 年1月)
、国境をまたぐかたちで8会派がある(欧州人
民党グループ EPP、欧州議会社会民主主義進歩同盟グループ S&D、欧州
保守改革 ECR、欧州リベラル民主主義同盟 ALDE、欧州左派・北欧緑の
党左派同盟 GUE-NGL、緑の党・欧州自由同盟 Greens-EFA、欧州自由と
直接民主制グループ EFDD、諸国家と自由の欧州 ENF)
。
理念上では統合された政治的共同体を支えるはずの欧州市民に期待され
た「政治的自覚」と、分化を志向する諸市民・民族の現実の「意思」は対
立し、リスボン条約の予定した調和的関係からはまったくはずれた事態に
いたっている。そのことは、統合と分化という正反対の機能をもつ EU レ
ベルの政党、というかたちで顕在化している。
国境を越えた政党政治という動きは、アジアでもみられる。たとえば
2000 年以来隔年で開催されるアジア政党国際会議(ICAPP)では、経済
的統合が模索されるアジアで、政党間の国境を越えた協同の問題が議論の
俎上にのぼるようになっている。
「アジアにおける多様なイデオロギーを
もった政党間の交流と協同を促進し、地域における諸民族と諸国間の相互
理解と信頼を高め、政党というユニークな役割と経路を通して地域的な協
同を促進し、また地域における持続的平和と共有された繁栄のための環境
を創造する」ことを目的とする ICAPP(同憲章1条)は、重要な課題を
もはや一国単独では解決できない時代を反映したものといえよう。そして
これらの問題は「外交権の担い手は誰か」という文脈、そして「国際的な
公共圏が創造されようとしているとき、非政府組織である政党はどういう
機能をもつか」という文脈において検討する必要がある5)。
いずれにせよ政治空間と権力の分化・統合というまったく逆方向の、し
5)政党の国際化はたとえば岡沢憲芙『政党』
(東京大学出版会、1988 年)212 頁以下、児玉昌己『欧
州議会と欧州統合』
(成文堂、2004 年)。グローバル化へ適用できていないのではないかとい
う指摘は Jan Aart Scholte (2008) “Political parties and global democracy”. In Katarina Sehm-Patomäki
and Marko Ulvila (Eds.) Global Political Parties.
25
東海法科大学院論集 第6号(2016 年3月)
かも同時に進行している大きな変動(主権国家の揺らぎ)を、これからの
政党論は無視するわけにいかないのである。
(3)直接化のなかの政党
現代国家では、政党が高度に組織化され(政党の階統化・官僚化)
、国
会議員は「程度の差こそあれ、自己の会派の[意思]決定によって拘束さ
れている」
(ライプホルツ)
。これは行政府・執行府と立法府(とくにその
なかの多数派)
との同質化・なれあい化をもたらすことも多い。結果として、
両者間に求められた抑制・均衡の関係は形骸化し、古典的な権力分立の理
念から逸脱した政治状況が常態化しがちである。なぜなら行政・執行府の
意思も、立法府の意思も、いずれも、あらかじめ政権政党の内部で処理さ
4 4 4 4 4 4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
れた政治的決定のアウトプットにすぎないからである。このことは、日本
でも政党国家現象の名で指摘されてきたところである6)。
この政党国家「現象」にある意味で適合しているのが、政党国家的代表
「論」である。それは、現代社会にあって政党の媒介によってのみ議員は
実質的に国民の代表となりうるとするものであるという「そうである論」、
あるいはそれを前提にした「あるべき論」である。たとえば手島孝はこう
述べた。
「今日の政党は、選挙に際して、また議会内外における不断の活動を通
じて、単に政府への伝声管としてのみならず、むしろ主体的に国民の政治
的意思を形成するという現代国家に不可欠の統合機能を営んでいる。
(中
略)国家の意思の決定は政党の圧倒的影響の下に行われ、その民主的正当
性は、政党の介在によってはじめて供給される。」7)
しかしかりに「そうである論」として成り立つとしても、ただちに「あ
るべき論」として受け容れるわけにはいかない。政党が国家意思形成にお
6)手島孝はこの変容を、「積極国家(および、それと起源を同じくする政党国家)の出現・展
開とともに、三権[立法・行政・司法のこと:引用者]の分離・抑制・均衡よりは、むしろ
それら相互の階序的癒着・苟合のフレームへと歪曲されてゆく」と記述した。
『行政国家の法理』
(学陽書房、1976 年)76 頁。
7)手島孝『憲法学の開拓線―政党=行政国家の法理を求めて―』(三省堂、1985 年)9頁。
26
地方政治のなかの政党
いて独占的地位を占めるなか、反対に主権者はそこから疎外されがちだか
らである。
そこで政党という仕組み自体に早々と見切りをつけ、ゆるやかなネット
ワーク型の政治的組織へと移行することも提唱される8)。だがこのような
逆の意味の「あるべき論」にも問題があるだろう。国家権力の側が権力組
織を維持するのにたいして、被治者側が抵抗の拠点となる組織を一方的に
自主解体してしまうことを意味するからである。ナチス・ドイツや大政翼
賛会の例をひくまでもなく、政党抜きの民主主義が憲法秩序の維持との関
係でどのような結果をもたらすかを慎重に検討しないまま、わたしたちが
冒険的に選ぶ道ではない9)。
そうすると必要なのは、現代政党の過度の階統化・官僚化を解きほぐし、
民意を政治に反映させる「直接の媒介項」
(!)へと政党を鍛えあげるこ
とではないだろうか。このパラドキシカルな作業過程において、主権原理
や代表制原理を展開させるための具体的な制度を慎重に(しかし大胆に)
考察することが欠かせない。
こういった問題意識が皆無であった、
というわけではない。たとえば「ナ
シオン政党(ナシオン主権・純粋代表制に適合する政党)
」/「プープル
政党(プープル主権・半代表制や直接制に適合する政党)
」という理念型
を立て、具体的な姿を模索する作業である。この切り口で、憲法学の立場
から議論を展開してきたのが杉原泰雄である 10)。その政党論は、半代表
制下で選挙公約の意味を格上げすること、
「自由委任の原則」を制限的に
解することで、国民代表を主権者の統制下に置こうという実践的関心に基
づいていた。したがって、プープル政党の姿も、「代表」制との関わりで
検討されることになった。反面で、半直接制・直接制における政党の理念
的な姿は、その国家構想のなかでもいまだ明瞭にあらわれていない 11)。
8)吉田敏「ネットワーク型政党めざせ」日本経済新聞電子版 2011 年2月8日、住沢博紀「地
域政党と移行期の民主主義」政策科学 11 巻3号 24 頁など。
9)増田正は、地方政治における脱政党によって「より狭い関心しか持たない……非妥協的な
政治家が多数選出されるだけ」になるおそれを指摘する。
「地方議会改革の理論的視座」地域
政策研究8巻2号 91 頁。
27
東海法科大学院論集 第6号(2016 年3月)
直接制の下で主権者は権力をみずから行使する。そこで措定された主権
者とは、理念的には原子化された近代的個人である。としても実際には、
個人で組織された政治集団のことも考える必要がある。直接制下の政党論
は、同時に、憲法政治の担い手論でもある。
(4)政党論の2つの課題
総じて現代政党論は、これまで前提とされてきた命題の限界を意識しな
がら、枠組みを再構築することを迫られているようにおもわれる。ここま
での議論を整理すると、第1に地方政治における政党の問題を、中央政治
における政党の問題と関連づけることである。その際に、
a.中央政治における政党
b.地方政治における政党
c.中央・地方関係における政党
d.自治体間関係(たとえば市町村と都道府県との関係)における政党
の4領域に分けることが考えられる。
第2に、もともと代表制の下で発展した近代政党が、半直接制・直接制
の下で活動することの可能性や意味について考えることである。その際に、
x.代表制における政党
y.半直接制・直接制における政党(代表制+αの政党)
10)政党と主権論の関連に言及したものとして以下の議論。純粋代表制段階下の政党の問題は、
杉原泰雄『国民主権の史的展開』(岩波書店、1985 年)205 頁、半代表段階下の政党の問題は、
同 210 ~ 211 頁、半直接制段階下の政党の問題は、同 297 ~ 298 頁、人民主権と政党の問題
は、同 324 頁で言及。また辻村みよ子『憲法(第2版)』(日本評論社、2004 年)406 頁以下は、
人民主権と適合した政党論の方向性を慎重に論じる。この辻村の議論は以下の論述と関わっ
て重要であるので、該当箇所を引用する。「もっとも、すでに述べた『半代表制』論をもとに
今日の政党の意義を問題にする場合には、政党の公約を媒介として人民に対する議員の従属
性を確保するような、現代的な命令的委任としての民意実現システムを構想することも一定
の有効性をもちうるといえる(杉原泰雄『憲法Ⅱ』
(有斐閣、1989 年)169 頁)。ただしその
ような政党の公約を媒介とした民意実現システムを導入するには、その前提として、現行選
挙制度のような名簿式比例代表制のもとで、選挙公約として有権者に提示した内容に忠実に
政策が遂行されなければならない。この点では、後述の議員の党籍変更問題、政党の公約違
反などは、有権者の信任に反するものとしてその政治的責任が厳しく問われる必要があると
いえよう。」なお辻村は同書第3版(2008 年)で「現実にはこのような条件が容易にみたされ
るとは思われないのが日本の現状であり」(381 頁)と、論調を若干改めているが、その基本
的な問題意識は一貫している。
11)永山茂樹「政党による党員の除名の法的効果」東亜法学論叢1号 47 頁以下。
28
地方政治のなかの政党
の2領域に分けて考える必要がある。
とくに日本国憲法のなかで政党を考えるとき、この2つの視点はいずれ
も切り離すことができないだろう。なぜなら憲法は、中央政治の場合以上
に地方政治の場合に、国民・住民の多様な参政権の行使(直接制の道筋も
含め)を許容・要請したと考えられるからである。また地方自治法には、
多くの直接制的規定が定められている。これも2つの視点を同時におさえ
た議論が必要であることの根拠である。地方分権化における直接制の問題
を重視しながら政党論を構築することは、憲法解釈からも正当化される。
2 地方における政党の機能
(1)地方議会における政党の情況
つぎにあげる表1は都道府県議会、表2は市町村議会議員について、そ
れぞれの議員が立候補時に所属した政党を調査した総務省『地方公共団体
の議会の議員及び長の所属党派別人員調』
(各年版)の結果をまとめたも
のである。これをもとに地方議会における政党化の情況をみておこう。
ここから、次のようにこの 10 年間の全国的な情況を把握することがで
きる。
第1に、都道府県議会では政党所属議員が圧倒的に多いのにたいして、
市町村議会では無所属議員が圧倒的に多い。とくに市町村議会議員におけ
る自民・民主の数値の低さがめだつ。
第2に、無所属議員の割合は、都道府県議会・市町村議会いずれにおい
ても、つねに漸減傾向にある。
第3に、政党別にみると、主要な国政政党が占める割合の総計には、め
だった変動がない。唯一の大きな変動は、2008 年をさかいに民主党に所
属する都道府県議会議員の割合が急増したことである。
以上のことから、地方議会では「ゆるやかな国政政党への系列化」がみ
られるといえる 12)。
29
東海法科大学院論集 第6号(2016 年3月)
表1 都道府県議員の所属政党(数字は%)
H26.12
H25.12
H24.12
H23.12
H22.12
H21.12
H20.12
H19.12
H18.12
H17.12
H16.12
H15.12
自民
47.7
46.7
46.2
46.6
47.3
47.2
47.7
47.5
48.1
48.9
49.8
49.6
民主
14.8
15.1
16.5
16.7
16.5
15.8
15.1
15.0
9.1
9.0
8.1
8.0
公明
7.9
7.9
7.8
7.7
7.7
7.7
7.6
7.6
7.4
7.3
7.2
7.2
維新
0.1
みんな
0.1
1.6
1.7
共産
4.3
4.3
3.9
3.9
4.3
4.2
4.4
4.3
4.5
4.4
4.5
4.5
社民
1.6
1.7
1.6
1.5
2.1
2.2
2.1
2.1
2.7
2.7
2.6
2.6
生活
社民
0.9
0.9
1.0
1.0
1.2
1.1
1.1
1.1
1.2
1.1
1.0
1.0
生活
自由
0.4
0.8
0.8
0.8
0.9
諸派
6.6
6.5
4.5
4.1
1.7
1.7
1.7
1.7
2.1
2.0
2.1
2.1
無所属
17.0
17.9
17.5
17.8
20.3
21.2
21.4
21.8
25.5
24.9
24.8
25.1
諸派
1.7
1.9
1.0
0.9
0.7
0.6
0.6
0.6
0.6
0.6
0.5
0.5
無所属
71.5
71.6
71.8
72.0
72.6
73.1
73.7
74.1
76.4
78.1
80.3
80.7
表2 市町村議員の所属政党(数字は%)
H26.12
H25.12
H24.12
H23.12
H22.12
H21.12
H20.12
H19.12
H18.12
H17.12
H16.12
H15.12
自民
5.7
5.5
5.2
5.3
5.2
5.2
5.2
5.2
4.7
4.3
3.7
3.7
民主
2.9
3.0
3.2
3.4
3.4
3.2
2.9
2.8
2.0
1.7
1.4
1.3
公明
8.8
8.7
8.6
8.5
8.4
8.2
8.0
7.8
7.2
6.7
5.8
5.6
維新
0.1
みんな
0.7
0.7
共産
8.3
8.2
8.3
8.3
8.6
8.5
8.4
8.3
7.9
7.6
7.1
7.1
自由
0.1
0.1
0.1
では地方分権化や直接制のことを考えようとするとき、政党についてど
ういう議論ができるのか。ここでは、地方政治における「公約および党議
拘束の問題」の問題にしぼり検討しよう。
12)地方議会の構成を、村上弘『日本の地方自治と都市政策―ドイツ ・ スイスとの比較―』(法
律文化社、2003 年)49 頁以下はこうまとめる。「都道府県議会では、自民党は平均で議席の
48%を占める。無所属議員を除くと、岩手以外のすべての都道府県で第1党である。2位の
政党との差も北海道、東京、神奈川、京都、大阪、兵庫などで2倍程度、その他の県ではもっ
と大きい」
「政令指定都市では多党化がみられ、自民の議席率は平均 30%になるが、仙台以外
のすべての市で自民が第1党である」
「市議会では多数の無所属議員に混じって、各政党が数
議席ずつを得るという構成が一般的である。ただし、大都市圏では無所属の割合は下がる」。
30
地方政治のなかの政党
(2)公約および党議拘束の問題について
半代表制の下で、有権者は議員にたいする事実上の拘束力を行使する。
その際、有権者と議員とのあいだには、古典的な自由委任の関係はもはや
成立しない。また社会学的代表制の下で、議会と有権者の構成はできるだ
け近似的なものとなり、議会は「有権者集団の縮図」となることが求めら
れている。ここにさらに「政党中心の選挙」がかみ合ったとき、選挙公約
と党議の拘束力は、代表制原理の現代的展開を促進することとなるだろう
といわれる 13)。
拘束力が実効性をもつことで、
〈主権者-政党-国会議員〉の命令関係、
いいかえれば「政党を媒介にした半代表制」の成立が期待される。これは
加藤一彦の表現を借用すれば
「国民と政党との関係を責任性で捉えること」
であり、「政党は包括的に政治権力行使者―政党が選挙を通じて政治権
力の獲得を目指す自発的結社であるならば―である以上、その政治権力
行使について政党は国民について責任を負う存在なのである」14)。ではこ
ういう教科書的図式は、日本国憲法とのあいだで整合的だろうか。そのこ
とを確認したい。
第1に、日本国憲法は「自由委任の原則」
(命令的委任の禁止の原則)
を明示的に規定した条項をもたない。憲法 43 条1項「全国民を代表する」
の項は、それを示した規定とも解釈されることがあるが、地方議員には、
43 条1項に該当する条項はない。
第2に、不逮捕特権(憲法 50 条)と免責特権(51 条)は、国会議員に
たいする「自由委任の原則」を定めたと解されている。だが地方議員には
該当する条項はない。判決例もこれら憲法の特権条項を地方議員に適用す
ることについて消極的であった。たとえば最大判 1967 年5月 24 日は、地
13)吉田栄司「政党」『講座現代の法3』
(岩波書店、1997 年)276 頁は「有権者団の多様な意
思の分布が複数政党の多数少数関係として議席分布に反映される選挙制度が要請され、各政
党の政策綱領や選挙公約に即した各政党所属議員の活動、したがって一定の党議拘束が要請
されることになる。党議拘束こそ、意思の媒介を担保するものだからである」とする。
14)加藤一彦『政党の憲法理論』(有信堂、2003 年)144 頁。
31
東海法科大学院論集 第6号(2016 年3月)
方議会議員の発言は憲法上の免責特権が保障されていないと、また大津地
判 1963 年2月 12 日は、地方議会議員には不逮捕特権および発言表決の免
責特権が及ばないと判示した。1991 年3月1日の岩手靖国訴訟控訴審判
決も「普通地方公共団体の議会の議員には、国会議員のように憲法 51 条
が規定する『両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、
院外で責任を問はれない。
』とのいわゆる発言、表決の免責特権は付与さ
れておらず、議員は憲法及び法令を誠実に遵守して、職務を遂行すべき義
務を負っているのである。したがって、議会内における議員の発言及び表
決が憲法及び法令の明文の規定に反することはもとより許されないという
べきである。
」として、この点を確認する。
第3に、憲法前文は、国民が「正当に選挙された国会における代表者を
通じて」行動することを規定する。しかしこのような間接制の採用を示唆
する規定は、地方政治については置かれていない。このことも、有権者の
意思が地方議会・議員に優越することを保障したものと解することができ
る。
第4に、結社が内部統制権を行使することは、21 条「結社の自由」で
保障される。政党も結社の一つであるから、所属議員を党議等によって拘
束し、議会内活動を統制することも、その効果が一般社会における権利義
務関係に直接かつ重大な影響をもたらさない限り容認され、原則として司
法審査は及ばないと、一般に考えられている。日本共産党袴田事件で最高
裁は「政党の結社としての自主性にかんがみると、政党の内部的自律権に
属する行為は、法律に特別の定めのない限り尊重すべきであるから、政党
が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否に
ついては、原則として自律的な解決に委ねるのを相当とし、したがって、
政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内
部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばないというべき」とし
ている(三小判 1988 年 12 月 20 日)
。これは中央政治レベルの事案だった
が、
(もっぱら 21 条の結社の自由一般論として判断されていることからす
ると、)地方政治レベルでも基本的に同様の結論を導くことができるだろ
32
地方政治のなかの政党
う。
こうして〈有権者-政党-地方議員〉の関係について、憲法の基本姿勢
がおよそみえてくる。政党は地方政治の場で、有権者と議員との関係が半
代表・社会学的代表制に適合したものとなるよう、有権者にたいして選挙
公約や党規約を提示する。また所属議員にたいして選挙公約や規約に反し
ない内容で拘束力を行使する。憲法はこういう関係を少なくとも否定はし
ていない。
(3)公約および党議拘束の限界論
他方で、このような規律権の強化には一定の限界がある。
第1に、政党の規律権は自己目的的に正当化されたり行使されるのでは
ない。政党の規律権は、他の結社と違い、議員と有権者との関係を強化す
る「手段」という機能的特質をもつ。その点からすると、規約や選挙公約
は、①有権者の投票や議員の政治活動の指針となる程度に、また②有権者
が議員の政治活動を評価する程度に、具体的で明瞭である必要がある。そ
うでなければ、これは、階統化・官僚化した政党の排他的な政治支配を追
認するだけのことになってしまうだろう。
第2に上で述べた規律権の機能的特質からすると、党規約や公約と結び
つかない事項で行使される規律権と、党規約や公約と結びつく事項で行使
される規律権とは区別するべきだということになる。その場合、正当性の
強い順に、
党規約や公約と結びつく事項での規律権
>党規約や公約と結びつかない事項での規律権
=一般の結社の規律権
とならべることができる。これは規律権の限界を考える基準ともなる。
第3に党規約や選挙公約は、自律的な結社である政党が任意につくる。
その内容や形式に公権力が一律の基準を課せば、政党の自律性を侵害し、
社会に存在する多様な意思を政治の場に表出させるという政党本来の機能
を損なうおそれがある。
「規律権を行使しない政党」「憲法の求める価値と
33
東海法科大学院論集 第6号(2016 年3月)
異なる価値(たとえ反・平和主義的あるいは反・地方自治的なものであれ)
の実現を求める政党」を、有権者の選択肢から事前に排除する合理性はな
い。このことは「戦う民主制」と関連して政党法問題のなかで論じられて
きたことである 15)。
なお地方議会では議員にたいして政党(会派)は党議拘束をかけるべき
ではない、という議論がある 16)。それは地方議会で議員間の建設的な話
し合いが難しくなる、あるいは党議の縛りが強すぎる、という問題意識に
基づくようである。議会を実質的な討議の場として再生させたいという目
的意識には共有できるところもあるが、そのための手段としてはどうか。
もし政党が所属議員を規律する権限を否定されたら、有権者は「選挙が終
われば奴隷になる」。そういう先祖帰りの危険はないのだろうか。地方議
会が抱える諸問題を改善するには、議会と有権者との関係をあいまい化さ
せる以外の方法を追求するべきだろう。
第4に「政党中心選挙」についての評価問題である。たとえばポスター
に政党名を掲げ選挙を行う地域もあれば、昔からの屋号を掲げる地域もあ
るように、選挙の政党化には地域間の温度差がある。また現行地方選挙は
政党単位の名簿式投票を採用していない。政党による選挙運動や政治活動
を予定した規定は公選法にあるが、そのことは政党に所属しない候補者と
のあいだの差別的取扱いを正当化するものではない。したがって政党中心
選挙とは法ではなく事実の次元にとどまる。
第5に党規約や選挙公約を基準に、議員活動を過度に拘束することの弊
15)上脇博之『政党国家論と憲法学』(信山社、1999 年)410 頁以下。
16)会派の拘束力については消極的な議論が多い。たとえば野村稔『地方議会への 26 の処方箋』
(ぎょうせい、2002 年)139 頁は、「これからは住民意思が多様化するので、同じ会派の議員
でも見解の分かれることが多くなろう。会派内で十分論議し合意を得ることが求められるが、
同時に案件によっては会派のしめつけ、拘束力を緩和し、議員の自主性を尊重する必要がある。
これは我が国の国民性から難しい問題であり、今後の課題といえる」と述べる。しかし会派
内の充実した議論は、むしろ会派決定の拘束力に正当性を与えるのではないか。ほかに田村
明『自治体学入門』(岩波書店、2000 年)150 頁も「自治体の場合には、国政と違って政党に
拘束されずに、もっと自由度のある議員行動が中心でよいはずだ。問題が個別具体的だから、
観念的な政党の論理を持ち込むことは、イデオロギー的になりすぎて、地域の具体的な問題
に対応できなくなる。同じ党でも中央政党とは別に、自治体議員の論理で賛成・反対が行わ
れても不思議ではない。自治体の政党では、議員の議会活動への統制は緩やかなものにして
おくべきだろう。
」とする。
34
地方政治のなかの政党
害も考慮しておきたい。議員活動の硬直化によって、流動する住民の現実
の意思は疎外されかねない。この硬直性をときほぐすには、住民による地
方議会の解散請求権を発動させるために、
現行地方自治法の定めた要件(自
治法 76 条)を緩和することが考えられる。
そして第6に、党規約や選挙公約に反する行為の責任追及、「誰が誰の」
責任を追及するか、
主体に分けて論じることが適切だろう。具体的には「有
権者が政党を」
「有権者が議員を」
「政党が議員を」という場合である。「(司
法権を含む)公権力が政党・議員を」という追及は、それ自体不適切であ
ろう。
それぞれの責任追及のあり方と効果については、詳細を展開する準備が
ない。ただここまで述べてきたことから、中央政治において「有権者が政
党を」「有権者が議員を」追及する場合より、地方政治において「有権者
が政党を」「有権者が議員を」追及する場合の方に、より強い効果を認め
てよいといえるだろう。
以上よりわたしは、
地方政治における政党を、
〈主権者-政党-地方議員〉
という図式に位置づけることは十分に可能であると考える。だとしても規
律権行使には上記諸点のような限界もある。したがって図式を現実に適用
するには、一定の限界がともなうことも認めざるをえない。
3 地方会派と地方政党
地方政治では、有権者と政党を直接に結ぶことで半代表化を促進する法
制度は発達していない。しかしすでに議会内部において、政党化が進行し
ている。本章ではこのことを明らかにする。
(1)地方議会の会派
議会内の政治単位である会派は、
つぎのように定義される。「……『会派』
とは、志を同じくする議員の集合体であって、議会内において政治的に競
合し、活動を強化し政治的な支配力を得ようとするものをいう。……会派
35
東海法科大学院論集 第6号(2016 年3月)
の結成には通常なん人以上の議員がなければならない旨の基準が内部的に
定められるが、会派の本質から2人以上の議員がなければならない。」17)。
東京地判(2000 年 10 月 30 日)もまた、会派について「政治的信条等を
同じくする議員の任意の同志的集合体をいうものと解される」とし、会派
の定義と存在を承認する。さらに「その結成、解消は、各議員の自由意思、
会派の自治にゆだねられているものであ」るとし、結成・解消における自
律的性質に言及する。
中央政治レベルにおける会派の誕生は、日本では帝国議会の時代にさか
のぼることができる。
「議院法は、
政党又は会派の存在については規定せず、
むしろ政党又は会派が議院の運営を左右することを警戒し、それを防止し
ようとする意図を持って部属の制度を設けたが、政党・会派の存在は無視
し得ないものであった」18)。慣行に基づきながら、会派制度は徐々に定着
していく。そして戦後 1946 年、国会法 46 条の委員会の配分に関する規定
を制定するなかで、
「各派の所屬議員數の比率により」という文言によって、
会派は明示的に位置づけられるにいたった。
地方議会における会派の位置づけは、1991 年地方自治法改正にともな
い議院運営委員会(議運)が設置されたことが大きな転機になったといわ
れる 19)。このことを機に、議運が会派折衝の場として機能することが法
的に承認された。現在では法的にもまた実際にも、議運は「議会運営全般
にわたる広範な役割を担い、会期の決定、代表質問の調整、その他の運営
について会派が折衝を行う場となっている」20)。もっとも議運に加わるに
は最低議員数を満たすことが求められる例もある。その結果、議運から排
除される少数会派の存在も問題として指摘されていた。
17)西村弘一『地方議会―会議の理論と実際―』(学陽書房、1981 年)416 ~ 417 頁。
18)田中嘉彦「帝国議会の貴族院―大日本帝国憲法下の二院制の構造と機能―」レファレンス
2010 年1号 58 頁。また村瀬信一『帝国議会―〈戦前民主主義〉の 57 年―』
(講談社、2015 年)
52 頁、白井誠『国会法』(信山社、2013 年)10 頁以下を参照。
19)議運が自治法によって法制化された背景については廣瀬和彦の講演録「議院運営委員会の権
限と役割」
(2015 年2月3日)[http://www.hyogo-town-councils.jp/asset/00032/PDF/kouenroku/
H26.2.3giun.pdf]によった。
20)大森彌『分権改革と地方議会』(ぎょうせい、2003 年)123 頁。議運の運用については前掲・
野村稔『地方議会への 26 の処方箋』36 頁以下。
36
地方政治のなかの政党
このように会派単位で議会内諸決定が行われることは、議事運営の合理
化という実際上の要請から、また社会学的代表制との関係からも正当化さ
れるだろう。東京地判(1995 年9月 20 日)は、「地方議会の議員がこの
ような『会派』を結成し、会派を通じてその議会活動等を行うことは、議
会制民主主義の下において、適切かつ有意義なものということができる」
と判示して、会派単位での議会運営を議会制民主主義の関係から正当化し
ている。ただ会派が議会内人事で事実上の決定権を有することは、以前か
ら裁判例も承認していたことである。
たとえば議長、副議長等の選任に先だち、あらかじめ会派内で決定を行
うについて、そこで金品等が授受されることは贈収賄罪を構成するのかが
問われる事案がある。最高裁(一小決 1985 年6月 11 日)は「市議会内会
派に所属する議員が、市議会議長選挙における投票につき同会派所属の議
員を拘束する趣旨で、同会派として同選挙において投票すべき者を選出す
る行為は、市議会議員の職務に密接な関係のある行為というべきである」
とし、会派決定を議員職務に密接な関係のある行為だと認定し、贈収賄罪
の成立を認めた。同決定における谷口補足意見は「議会における議長選出
行為は形骸化し、議会内において多数を占める会派内における議長候補者
の選衡・選出行為こそが議長選出行為の要となるもの」と踏み込み、多数
派の決定が事実上、議会決定になることを認定した。事実上の決定権の所
在と法律上の決定権の所在の違いは紙一重である(積極例として、東京地
判 1967 年6月 30 日、浦和地判 1994 年 12 月 20 日、浦和地判 1994 年9月
5日など。なお消極例として福井地判 1968 年 11 月 12 日 21))
。
21)
「……党内で副議長候補者を選定する行為は、政党がその内部で、本会議に提出すべき議案
を調査選定し、あるいは既に提案された議案について審議するなどの行為と本質的に異ると
ころはなく、議会における立法活動の準備行為として、広く政党の自由に委ねられるべき性
質のものである。このような行為の報酬に対して刑罰をもつて臨むことは、結局政党内部の
自由な活動に制約を加え、ひいては議会制民主政治の根本を危うくするおそれがあるもので
あつて、これによつて生ずる損失は、右報酬の授受を一挙に禁圧することのできないことに
よつて生ずる損失に比べて、遥かに大きいものと考える。もとより、このような準備行為に
金員がつきまとう病弊が規制されなければならないのは当然であるが、そのような規制は刑
罰の力によつてではなく、政党の自律、そして究極的には選挙民の投票による批判の力にま
たなければならないのである。それゆえ、法的にみると、本件金員授受の対象となつた党内
投票は、本会議での議決権行使の準備行為ではあるが、いまだ議員の職務行為と密接な関連
性を有するものではない、と解するのが相当である。」
37
東海法科大学院論集 第6号(2016 年3月)
(2)会派に関する法制度
会派活動を実質的に保障するために、自治体から会派にたいして物質的
援助が行われることもある。
かつては「事実上の組織に対しては、制度上の公費の支出は認められな
いのが通例であり、議員の費用弁償もこのような見解から支給できないも
のと解されている」
(行政実例 1952 年4月 24 日)とされ、このような支
出の合法性に疑念の余地もあった。しかし昭和 30 年代になると、政務調
査費制度は各自治体にひろまったといわれる。判決例も、会派にたいする
政務調査費支出を容認するにいたる。
たとえば神戸地判(1991 年 11 月 25 日)は、
「交付を受けるのは議員の
活動母体である各会派であり、その結果、会派の市政に関する調査研究が
活発になり、議会の権限行使が有効適切に行われることが期待でき、ひい
ては市政全体の適切な運営も期待でき」
、制度の趣旨、交付の対象と効果
の点で国会会派にたいする立法事務費とかわるところはなく「公益性があ
る」と認めた(東京地判 1995 年1月 26 日も同旨)
。また東京地判(1996
年7月9日)は、一人会派にたいする支出も、会派への支出と同視できる
と判示している。
ただし政務調査費は法令上の根拠のない支出であり、地方自治法 232 条
の2が定める補助金として処理されていた。そのため長の広範な裁量に委
ねられたり、使途等が不透明だという批判を受けていた。そこで 2000 年
地方自治法改正にともない「条例の定めるところにより、その議会の議員
の調査研究に資するため必要な経費の一部として、その議会における会派
又は議員に対し、政務調査費を交付することができる」
(地方自治法 100
条 13 項)と、法律・条例に根拠を有する制度に改められた 22)。政務調査
費の額は自治体ごとに異なるが、2005 年調査によれば、都道府県では議
員1人当たり月 30 ~ 60 万円が支出されていた 23)。
22)制度上の問題は宮沢昭夫『政務調査費―その使用実態と問題点―』(公人の友社、2005 年)。
38
地方政治のなかの政党
この政務調査費は、さらに 2012 年の地方自治法改正によって政務活動
費と改称された。この改称(と「調査」以外の活動の公認)にともない、
あらたに支出の透明性確保が課題となったが、新設された自治法 100 条
16 項は「議長は、第 14 項の政務活動費については、その使途の透明性の
確保に努めるものとする」と定めることになった 24)。
この政務活動費の交付先をみると、都道府県では、会派のみに交付され
るのが 14 都県、議員のみに交付されるのは9県、会派と議員に交付され
るのは 20 道府県、その他(会派または無所属に交付など)が4県である。
また市町村では、会派のみに交付されるのは 360 市町村、議員のみに交付
されるのが 251 市町村、介護予備議員に交付されるのが 174 市町村、その
他が 104 市町村である 25)。ここでも地方議会の政党化を指摘することが
できるだろう。
さらに会派には、控え室の使用権が認められることもある。東京地判
(1995 年9月 20 日)は「議員が会派を通じて議会活動等を行っているこ
とに鑑みれば、……議会棟内での議会活動の拠点となる議員控室を会派ご
とにまとまったものとして設けることは、議員の議会活動の便宜の面から
も必要かつ効率的であるといえる」とする。また「議員控室を会派ごとに
設ける場合には、各会派間の実質的平等を図るためにも、その所属議員数
に応じた面積の議員控室を各会派に配分するのが公平妥当な方法である」
として、議員数に比例する控え室面積の使用を是認している。
このように、地方議会の合理化が進むなかで、①会派の存在と自律性が
裁判で認められ、②議会内活動の場である議運が法制化され、③会派が、
議会内人事における事実上の決定権をもつことが裁判で認められ、④会派
単位の政務調査費支出が、民主主義と地方自治法を根拠に正当化され、さ
23)数字は全国市民オンブズマン連絡会議「都道府県・政令市政務調査費調査」(2005 年8月
10 日)による[http://www.ombudsman.jp/data/seimu20050401.pdf]。そのほか原田光隆「政務
調査費制度の概要と近年の動向」調査と情報 608 号。政務活動費については全国市民オンブ
ズマン連絡会議の「2015 年度政務活動費アンケート調査」[http://www.ombudsman.jp/taikai/
seimu150904-1.pdf]も。
24)政務調査費から政務活動費への改称とその実質的意味は勢籏了三『地方議会の政務活動費』
(学陽書房、2015 年)7頁以下。
25)総務省平成 26 年4月1日調べ。
39
東海法科大学院論集 第6号(2016 年3月)
らに⑤会派比例で控え室面積を決めることが判決で妥当と認定される、な
どといった例をみてきた。
他方、会派と議会外有権者との関わりの例としては、議会候補者や現職
議員らがつくる公約(議員・会派マニフェスト)をあげることができる 26)。
ただしマニフェストの作成は会派等の自主性に委ねられ、有権者がそれを
検証する機会が公的に保障されたわけではない。こういったことからする
と、これをもってただちに、半代表制の発展につながるとまで楽観視はで
きない。もちろん将来的には〈主権者-政党-議員〉が連続する可能性は
否定できないが、現状では、主権者が議員や政党(会派)にたいし十分な
拘束力を行使する制度は整っていない。
(3)おわりに――地域政党という選択肢
地方政治のアクターとして、地域政党(local party)が論じられること
がある 27)。ナショナルな政党の地方下部組織と異なり、中央政治で対応
する政治集団をもたなかったり、親和的でナショナルな政党があるとして
も両者の関係は対等だったりする政治集団をいう。東京の「生活者ネット
ワーク」
、大阪の「維新の会」
、名古屋の「減税日本」をはじめとして、地
域政党の実践例は全国でみられる。以下、本稿の関連で2点述べよう。
第1に地域政党論は、地方政治におけるナショナルな政党の限界を踏ま
えたものであるはずだ。しかしわたしはここまで、政党を、地方政治のな
かで積極的に位置づけ、その機能を積極的に論じてきた。その立場からす
ると、ナショナルな政党が地方でどういった活動をするか(それはすでに
指摘したように、分化と統合化、直接化への寄与度が問題となる)は、い
26)ローカル・マニフェストについては西尾勝・神野直彦『自治体デモクラシー改革』(ぎょう
せい、2005 年)165 頁以下。会派・議員マニフェストについては早稲田パブリック・マネジ
メント3号 47 頁以下。
27)地域政党に関しては角一典「日本の地域政治における『新しい政治』」北海道大学文学部紀
要 48 巻2号。地域政党当事者の著述としては村上祥栄『地域政党』(光村推古書院、2013 年)。
また「地域政党サミット」[http://local-party-summit.jp/]、生活者ネットワーク[http://www.
seikatsusha.me/process]などのサイトを参考にした。なお地域政党サミットの参加政党はつぎ
の6党である。①かしま志民党(鹿嶋市)、②神戸志民等(神戸市)、③自由を守る会(東京都)、
④地域政党京都党(京都市)、⑤地域政党ふくちやま(福知山市)、⑥リベラル保守の会(小
金井市)
。
40
地方政治のなかの政党
まだ未解明のところがある。ナショナルな政党をとりまく環境を改善する
などして、地方政治のなかでナショナルな政党の機能を充実させることが
当面の方策のようにもおもわれる。
地方-中央の動態的関係に着目すれば、
なおさらである。
「なぜローカルでなければいけないのか」ということは
よくわからない。
第2に地域政党論には、構造改革との関係で、大別して2つの流れがあ
る。一方は、構造改革で生じた社会的貧困問題を、住民自治の立場から批
判・克服することを目的に据え、そのための運動体として提唱する場合で
ある。これを「下からの地域政党」論とする。他方、ナショナルな政党と
密接な関係にある既存の地域利益集団をいったんは解体し、福祉・教育の
切り捨てを推進し、中央政治の矛盾にとっての受け皿、「ものわかりのよ
い地方政治」の主体として提唱する場合である。これを「上からの地域政
党」論とする。
地域政党論には、明らかに2つの流れが混在している 28)。その意味で、
地域政党論とのつきあい方は慎重であるべきだと考えている。
(ながやま・しげき 本学法科大学院教授)
28)地域におけるポピュリズム政党の危険性について植松健一「地方の民主主義を脅かすもの
―プレビシット型首長とポピュリズム型翼賛地域政党―」議会と自治体 162 号 40 頁以下、村
上弘「維新の党―右派ポピュリズムはリベラルを超えるか―」藤井・村上・森編『大都市自
治を問う―大阪・橋下市政の検証―』(学芸出版社、2015 年)。
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