杉山孝博氏が説く 認知症高齢者の記憶障害8法則と介護の原則

杉山孝博氏が説く 認知症高齢者の記憶障害8法則と介護の原則
わたしたちのやりたいケア 介護の知識 50
杉山孝博氏が説く 認知症高齢者の記憶障害8法則と介護の原則
杉山孝博氏(1)は、認知症高齢者の記憶障害の特徴には、以下の8
(1)「杉山孝博氏」
つの法則性があり、そのことを踏まえた介護の原則があると説いてい
>>> 川崎幸(さいわい)
ます。
クリニック院長。1947
これら法則は、利用者の状態を家族に説明するときに使います。家
年愛知県生まれ。東京大
族からの利用者の行動障害について相談されたとき、「それは認知症
学医学部付属病院で内
の方の特徴なのですよ」と、この法則を引き合いに出して説明します。
科研修後、地域の第一線
在宅サービスのケアマネージャーには、必須の知識です。
病院で患者・家族ととも
施設では、リーダークラスがスタッフに利用者の状態を説明した
につくる地域医療に取
り、カンファレンスに用いたりします。
り組もうと考えて、
1975 年川崎幸病院に
・第1法則「記憶障害に関する法則」
内科医として勤務。以
・第2法則「症状の出現強度に関する法則」
来、内科の診療と、在宅
・第3法則「自己有利の法則」
医療に取り組んできた。
・第4法則「まだら症状の法則」
1987 年より川崎幸病
・第5法則「感情残像の法則」
院副院長に就任。1998
・第6法則「こだわりの法則」
年 9 月川崎幸病院の外
・第7法則「認知症症状の了解可能性に関する法則」
来部門を独立させて川
・第8法則「衰弱の進行に関する法則」
崎幸クリニックが設立
され院長に就任、現在に
Ⅰ.第1法則「記憶障害に関する法則」
至る。訪問対象の患者は
現在約 140 名。
記憶障害は、認知症の最も基本的な症状です。すべての認知症
の方にその症状が出現します。
記憶障害のない人は、体験が記憶として残るため、体験=真実
として理解されます。
一方、認知症のある方は、記憶障害のために真実ではないこと
が、日常的に起こっているような状態となります。
認知症高齢者の記憶障害の特徴には以下の3つがあります。
1981 年から、公益社
団法人認知症の人と家
族の会(旧呆け老人をか
かえる家族の会)の活動
に参加。全国本部の副代
表理事、神奈川県支部代
表。公益社団法人日本認
知症グループホーム協
会顧問。公益社団法人さ
わやか福祉財団(堀田力
理事長)評議員。
著書は、「認知症・アル
ツハイマー病
早期発
見と介護のポイント」
(PHP 研究所)、「介護
職・家族のためのターミ
全国高齢者ケア研究会
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杉山孝博氏が説く 認知症高齢者の記憶障害8法則と介護の原則
① 記銘力の低下
ナルケア入門」(雲母書
房)、
「杉山孝博 Dr の『認
体験したこと(話したこと、行ったこと、聞いたことなど)をすぐ
知症の理解と援助』」
(ク
に思い出す力を『記銘力』といいますが、認知症が進行すると、ま
リエイツかもがわ)、杉
ず記銘力から低下していきます。
山孝博監修「家族が認知
認知症の方は、同じことを繰り返し話したりすることがあります。
症になったとき本当に
これは、そのたびに忘れてしまい、いつも初めてのつもりで話す
役立つ本」
(洋泉社)
、杉
ためです。何度も同じ話を聞いているスタッフは、
「さっきも言いま
山孝博監修「よくわかる
したが・・・」と言ってしまいがちになります。繰り返す話題は、
認知症ケア
相手にとって「大切なこと」
、「相手に強く伝えたいこと」と感じて
になる知恵と工夫」(主
いる内容であると考えられます。
婦の友社)、杉山孝博監
丁寧に話を聞くことが大切です。
介護が楽
修「こころライブラリー
イラスト版
認知症の
人のつらい気持ちがわ
② 全体記憶の障害
かる本」
(講談社)
、杉山
孝博編「認知症・アルツ
食べたことなど、体験したこと全体を忘れてしまうことを言いま
ハーマー病 介護・ケア
す。認知症でなくとも、細かなことはほとんど忘れてしまうのは、
に役立つ実例集」(主婦
ごく自然なことです。
の友社)、
「痴呆性老人の
認知症の方は、細かな記憶だけでなく、できごと全体の記憶を忘
れてしまいます。
地域ケア」(医学書院、
編著)など多数。
食べたばかりなのに、
「食事を食べていない」と話すのは、このこ
とが考えられます。
「今、食べたばかりですと」というのは相手に不満が残ります。
「今、用意していますので、少々お待ち下さい」と話したり、持病
に差し支えなければ、軽食やおやつなどを食べて頂くのもよいです。
参考文献
「認知症の9大法則」
③ 記憶の逆行性喪失(ぎゃっこうせいそうしつ)
記憶の逆行性喪失とは、現在から過去にさかのぼって忘れていく
特徴をいいます。認知症の人の世界観を理解するためには不可欠な
法則です。
施設で暮らす利用者が、「仕事に行かなきゃ」とか、「子供が家で
お腹をすかせている」と話すのは、自分の年齢が 30~50 年前に記
憶がさかのぼっていると考えられます。
「仕事なんてしていませんよ」や、
「子供はもう成人ですよ」と話
しても、本人は納得しません。
「お茶を飲んでから行きませんか」や、
「今日は遅いので、明日、家までお送りしますよ」など、話を受容
し、一呼吸おけるようにします。そうするうちに、記銘力の低下の
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特徴で、帰ろうと思ったことを忘れてしまいます。
「どうしても今、帰りたい」と外に出ようとされる場合は、無理
に引き止めず、少し散歩をしたり、
「家に連絡しておくので、自分の
仕事がひと段落したら、(家まで)送らせてください」と話し、安心
していただくのもよいでしょう。
記憶の逆行性喪失が進行すると、結婚したことも忘れることもあ
り、子供が会いに来ても。
「子供はいない」と話すこともあります。
実際の妻が、目の前に居ても、歳の離れた若いスタッフを「自分
の妻」と話す場合も、記憶の逆行性喪失で説明ができます。
記憶を無理に呼び戻そうとすると、逆に混乱を招き、
「自分をだま
そうとしているのでは」と、敵意を持つことがあります。
相手の世界観を理解し、相手の「時代」に合わせた対応をとるこ
とが大切です。
Ⅱ.第2法則「症状の出現強度に関する法則」
これは認知症の周辺症状がより身近な人に対して強く出るとい
う法則です。
在宅で献身的に介護してくれる嫁などに対し、認知症の方が「お
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金を盗んだ」などと、強く責めることがあります。
「症状の出現強度に関する法則(認知症の周辺症状がより身近な
人に対して強く出る)」を理解していないと「一生懸命介護してい
るのに、感謝されるどころか、ひどい反応をする」と、在宅で支
える家族や施設で働くスタッフはつらい気持ちになります。
このような特徴がある認知症高齢者でも、外では受け答えがし
っかりとできることがあり、身近な人へのひどい対応と外部の人
へのしっかりとした対応のギャップが介護者を苦しめます。
私たちは、人付き合いをするとき、多少の感情の変化があって
も、他者との関係性を考え、感情をコントロールします。ところ
が、家族にはどうでしょうか?不快な気持ちや怒りの感情があれ
ば、その気持ちをぶつけることがままあると思います。信頼して
いるからこそ、身近な存在だからこそ、感情をストレートにぶつ
けられるのではないでしょうか。認知症のある人もない人も、同
じ立場であると理解できます。
「感情をぶつけてくれる関係こそ、
信頼関係の証」といえ、そのことを理解して初めて、相手にも優
しくなれるのではないでしょうか。
一人のスタッフに対し、この法則が強く出る場合は、スタッフ
のユニット移動を考えます。その場合には、移動するスタッフに
は、
「症状の出現強度に関する法則」をきちんと説明します。
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Ⅲ.第3法則「自己有利の法則」
これは、
「自分にとって不利なことは認めない」という法則です。
自分でものを終い込んでわからなくなった後、介護者が見つける
と、
「自分は入れていない」
、
「誰かが勝手に片づけた」などという
ことがあります。
介護者は、
「人のせいにする、自分勝手な人」と思うかもしれま
せん。これは、本能的に自分を守ろうとする防衛機制(自分が傷つ
かないように守る)や、自己保存(自分らしさを保とうとする)のメ
カニズムが働くためです。
人は誰でも、自分の能力の低下を認めようとしない傾向を持っ
ており、認知症の高齢者も同様です。
高齢者は、加齢による脳の器質的な衰退により、知的機能が低
下するため、本能的な行動がより強く表れやすくなります。
「自己有利の法則」を理解していると、無意味なやり取りや、
本人の人格を傷つけるようなことがなくなり、混乱を早めに収拾
することができます。
本人の言葉だけで判断せず、その言動の背景を理解し、否定せ
ず、尊厳を守ることが大切です。
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Ⅳ.第4法則「まだらぼけの法則」
認知症高齢者は、周辺症状が現れても、異常な行動ばかりする
わけではありません。
必ず、正常な部分とそうでない部分とが交じり合って存在して
いるというのが、
「まだらぼけの法則」です。
私たちの常識的な判断では、非常に難しいことや複雑なことが
できる人は、ほかのこともすべて出来ると思い込んでいます。
認知症の世界では、事情はまったく違っています。複雑な質問
に答えられることもあれば、ごく簡単な質問に答えられないこと
もあります。つい先ほどあった出来事は鮮明に覚えていても、今
の季節が「分からない」ということはよくあることです。
認知症の症状は均一ではなく、
「まだら」です。まだらの世界も
認知症の方の特徴的な世界と考え、柔軟な対応をとることが大切
です。
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Ⅴ.第5法則「感情残像の法則」
認知症の方は、第一法則の記憶障害に関する法則が示すように、
自分が話したり、聞いたり、行動したりしたことは、すぐに忘れ
てしまいます。
しかし、感情の世界はしっかりと残っていて、その時に抱いた
感情は、相当の時間続きます。このことを、
「感情残像の法則」と
いいます。
認知症になり、理解力が低下したり、記憶力が低下すると、覚
えてもらうために必死になり、何度も教えたり、つい言葉に力が
入り、大きな声で話したりしがちになります。
このような関わり方は、認知症の方に、
「うるさい人」、
「嫌なこ
とをいう人」
、「怖い人」ととらえてしまいます。自分のことを気
遣ってくれる人とは思ってもらえません。
認知症の方が生きている世界は、記憶などの知的能力の低下に
より、理解よりも感情が優位になる世界と考えても過言でがあり
ません。認知症の方は、感情を研ぎ澄まして、生きざるを得ない
世界の中にかれているのかもしれません。
私たちは、その人が穏やかな気持ちになれるように、共感の気
持ちで接することが必要となります。説得よりも共感が大切です。
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感情は悪い感情ばかりではなく、よい感情も残ります。自分を
認めてくれて優しくしてくれる相手には、相手も穏やかに接して
くれるようになります。
「この人がいると、安心だな」、
「あえて嬉
しい」
、そんな風にご利用者に思って暮らして頂けるようなスタッ
フになりたいですね。
Ⅵ.第6法則「こだわりの法則」
この法則は、
「ある一つのことだけに集中すると、そこから抜け
出せない。周囲が説明したり、説得をしようとすればするほど、
こだわり続ける」という特徴を表したものです。
帰宅願望があり、
「帰りたい」と言い続ける方がいます。スタッ
フが止めようとすればするほど、
「今すぐ帰る」と、強く言うこと
があります。
このような時は、相手の気持ちを理解し、そのことを肯定する
対応をすることが必要です。
帰りたい人に「帰れない」と言っても、納得するはずがありま
せん。帰りたい人に対しては、
「帰れる」ことを受け止め、帰れる
安心感を持っていただくことが必要です。
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杉山孝博氏が説く 認知症高齢者の記憶障害8法則と介護の原則
この場合では、
「○○さんの家まで、車で送らせて下さい。一つ
用を済ませてくるので 30 分ほどお待ちいただけますか?」と伝
えると、
「30 分くらいなら待ってもいいかな?」と少し気持ちを
落ち着かせて頂くことができます。
私たちは、こだわり続ける方に対し、時としてその場しのぎの
対応や、虚偽の言葉で納得をしてもらおうと対応することがあり
ます。相手にウソをつくようで、どこか後ろめたさを感じること
もあると思います。
こだわり続ける気持ちを理解して、軽くするためにはどうした
ら一番良いのか?という観点から考えて対応することも必要で
す。
Ⅶ.第7法則「ボケ症状の了解可能性に関する法則」
これは、老年期の知的機能低下の特徴や、第1~6法則でまと
めたような認知症の特徴を考えると、症状のほとんどは、
「その人
の立場になって考えてみれば、十分に理解できるものである」と
いうものです。
夜間、不眠の方がいます。夜中になると、目をさまし、家族や
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近しい人の名前を呼ぶことがあります。
どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。認知症の方に
必ず出現するといわれる、中核症状のなかに、記憶障害や時間や
場所がわからなくなる、見当識障害があります。
今寝ていた場所がどこで、なぜここにいるのかが分からなくな
ります。自分で来たのか、連れてこられたのさえわからず、不安
に襲われます。そうしたときに、一番頼りにしている人や助けて
くれそうな人の名前を呼ぶのです。自由に歩ける方であれば探し
回ると思います。
私たちも、もし目が覚めた時、全く知らない場所にいたら、驚
くと思います。軽いパニックになるかもしれません。
自分の居場所として理解しやすいよう、馴染みのものを身近に
置いたり、家族の写真を置いたりと不安感や恐怖感を緩和してあ
げることがケアのポイントとなります。
認知症の方の行動のほとんどには必ず理由があり、認知症の特
徴を踏まえると、さまざまなケアのヒントが見えてきます。
大切なのは、その人の立場になり、不安感や恐怖感を緩和して
あげることです。
認知症の方には、夜間せん妄という周辺症状が出ることがあり
ます。認知症の中核症状である「記憶障害や見当識障害」により、
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杉山孝博氏が説く 認知症高齢者の記憶障害8法則と介護の原則
今いる場所や時間、この場所に来た経緯などがわかならいために、
急な恐怖感に襲われることにより起こると考えられます。
私たちが、認知症高齢者と同じ境遇だったらどうでしょうか?
全く知らない場所で、部屋は真っ暗で、いくら考えてもこの場
所にいる理由がわからなかったら、どんな風に感じるでしょう
か?「なぜ、ここに居るのだろう」
、「自分は置き去りにされたの
では?」
、
「誰かに誘拐され、閉じ込められているのでは?」など、
さまざまな憶測が浮かび、大変な恐怖に襲われるかもしれません。
歩くことが出来れば、出口を探し誰かに助けを求めるでしょう。
認知症の症状は、その人の立場になって考えてみれば、十分に
理解できると考えられるのです。
Ⅷ.第8法則「衰弱の進行に関する法則」
認知症の人の老化のスピードは、認知症になっていない人に比
べ、老化のスピードが2~3倍であるという法則です。
認知症介護研究研修東京センター長の長谷川和夫氏が、認知症
のない高齢者と、認知症のある高齢者の死亡率を調査した結果、
認知症のない高齢者の4年後の死亡率が 28.4%だったのに対し、
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認知症のある高齢者の発症4年後の死亡率は、83.2%と約3倍の
死亡率だったということです。
老化のスピードが3倍になると考えることができます。2年経
てば6歳年をとるということです。
「私たちの目の前にいる認知症高齢者は、見てあげられる時間
はとても短い」のです。
限られたかけがいのない時間を大切にしていきたいですね。
Ⅸ.介護の原則
「認知症高齢者が形成している世界を理解し、大切する。その
世界と現実のギャップを感じさせないようにする」という介護の
原則です。介護者はお年寄りの言葉や感情をまず受け入れて。そ
の方の世界観に合わせた対応をとることが大切です。
感情残像の法則でもあるように、いったん抱いた感情は残像の
ように残ります。
自分は周りから認められている、ここは安心して住めるところ
と感じていただけるよう、よい感情を持ってもらうことが介護の
ポイントになります。
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