司祭のてがみ 2013 年 8 月 1 日 No.74 カトリック行橋小教区 : 主任司祭 さいご ベリオン・ルイ神父 きねん 最後にイエスは「わたしの記念としてこれ 感謝の祭儀の誕生と発展(2) おこな めい を 行 いなさい。」と命じました。 ★感謝の祭儀の誕生 はか ほうむ とも なぞ ─墓に 葬 られたイエスと共にその謎めい ことば どうさ ほうむ なん た言葉 と動作 が 葬 られたとしても何 の ふ し よ あ ぎ にちようび 不思議もありません。─ところが日曜日の はか から たし い 夜明けに墓が空であることを確かめ、生き で あ で し ておられるイエスに出会った弟子たちは、 ちち かみ お あ イエスは父なる神によって「起き上がらせ め ざ しん られ、目覚めさせられた」ことを信じて、 きょうどうたい たんじょう どうじ イエスの共 同 体 は誕 生 しました。同時に しんぴ きねん しき たんじょう その神秘を記念する「式」も 誕 生 しまし た。 せいれき きんようび ご ご じ 西暦30 年 4 月 7 日の金曜日午後3時エルサ みやこ そと レム、ユダヤの 都 の外にあるゴルゴタの おか よげんしゃ しょう 丘で「ガリラヤの預言者」と 称 されてい じゅうじか うえ な たナザレのイエスは十字架 の上 で亡 くな まえ ばん で し いっしょ りました。前の晩イエスは弟子たちと一緒 わか しょくじ さいご ばんさん にお別れの食事(最後の晩餐)をしました。 せき てがみ その席で、パウロの手紙(第 1 コリント ふくいんしょ 11 章 23~26)や福音書(マルコ、マタイ、 と いの ルカ)によれば、イエスはパンを取り、祈 とな さ で し わた りを唱え、パンを裂いて弟子たちに渡しな た がらおっしゃいました。「このパンを食べ からだ なさい。このパンはわたしの 体 である」 しゅ み さかずき と と。そしてぶどう酒に満たされた 杯 を取 の しゅ り、「飲みなさい。このぶどう酒はわたし ち あたら えいえん けいやく ち の血、新 しい永遠の契約の血である」と。 さ しき い ─もともと「パンを裂く式」と言われてい きねんしき しだい たこの記念式 は次第 に「エウカリスティ かんしゃ さい ぎ よ ア」(感謝の( 祭 )儀)と呼ばれるように なりました。 司祭のてがみ No,74-2 きょうかい かんしゃ さいぎ ち は みくに あつ あなたの 教 会 が地の果てから御国へと集 はってん ぜんのう ★感謝の祭儀の発展 しゅ められますように。…全能の主よ、わたし しもべ とお れいてき たちにあなたの 僕 イエスを通して霊的な た もの の もの えいえん いのち おく 食べ物と飲み物と永遠の 命 を贈りました。 なに かんしゃ わたしたちは何 よりもまずあなたに感謝 しゅ ひ あつ をささげます。─主の日ごとに集まってあ そな もの きよ つみ なたがたの供 え物 が清 くあるように罪 を こくはく あと のち せいおう さ かんしゃ 告白した後、パンを裂き、感謝をささげな さい」と。 きょうかい なか ご こうよう *後に西欧の 教 会 の中でラテン語が公用 ご 語 になったためエウカリスティアは「ミ よ サ」と呼 ばれるようになりました。(5,6 せ い き ごろ よ な しき さいご 世紀頃から)─その呼び名は式の最後の ことば か 言葉を借りたものです。「ITE . MISSA . EST」 (イテ・ミサ・エスト)「ミサ」は「ミッ どうし ゆらい つか つか ト」という動詞に由来し、 「遣わす」 「遣わ せいれき ねん ねん あいだ い か *西暦 100年 から 150年 の 間 に書 かれた じゅうに し と きょうくん なか 「ディダケ」 (十二使徒の 教 訓 )の中にそ つぎ い ふくいん の つた あか しょう。(福音を宣べ伝え、証しするため つか かんしゃ さいぎ つぎ に)遣わされています。」─感謝の祭儀の かんしゃ 「終わり」は、派遣の「始まり」です。 の「エウカリスティア」について次のこと しる み される」ことを意味しています。「行きま が記されています。「次のように感謝をさ お はけん はじ さかずき さげなさい。まず 杯 については『わたし ちち しもべ とうと たちの父よ、あなたの 僕 ダビデの 尊 いぶ き かんしゃ どうの木 についてあなたに感謝 をささげ き ます。あなたはそのぶどうの木をあなたの しもべ とお し 僕 イエスを通してわたしたちにお知らせ つぎ さ になりました。』…次に裂かれたパンにつ いのち ちしき いては『わたしたちの父よ 命 と知識につ かんしゃ いてあなたに感謝をささげます。あなたは しもべ とお それをあなたの 僕 イエスを通してわたし し さ たちにお知らせになりました。』…この裂 やまやま うえ ち むぎ かれたパンは山々 の上 で散 らされた麦 の つぶ あつ ひと だいに かいぎ とも ─第二 バチカン公会議 と共 にエウカリス かんしゃ さいぎ ことば ふたた さか ティア「感謝の祭儀」という言葉は 再 び盛 つか んに使われるようになりました。 粒 が集 められて一 つのパンになるように 〒824-0006 行橋市門樋町8ー5/TEL.0930-22-0805/FAX.22-0816/http://www.yukuhasi.catholic.ne.jp/ 司祭のてがみ No,74-3 みと ★現在の感謝の祭儀 かみ う だいに こう か い ぎ 第二バチカン公会議は典礼、特に「エウカ かんしゃ さいぎ リスティア」(感謝の祭儀)が教会の活動 ちょうてん ゆる いの もと を認め、神の赦しを祈り求めていました。 いずみ ていぎ の「 頂 点 」と「 泉 」であることを定義し てんれいけんしょう ています。(典礼 憲 章 ⑩) つ で し それを受 け継 いで、イエスの弟子 たちも さ しき はじ つみ こくはく かみ 「パンを裂く式」の始めに罪を告白し、神 ゆる いの はじ いじょう からの赦しを祈り始めました。(以上「デ さんしょう げんざい かいしん ぎ ィダケ」参 照 )それは現在の「回心の儀」 なのです。 かいどう ● かみ ことば りっぽう ろうどく 会堂 では「神 の言葉 」(律法 )が朗読 さ しへん うた かたち たも れ、詩編は歌われていました。その 形 を保 きょうどうたい おお へんか ちながら、イエスの共 同 体 は大きな変化 ことば をもたらしました。イエスの言葉も、いや、 じしん かみ ことば しん イエスご自身 が神 の言葉 であることを信 きょうかい し と とお の じていた 教 会 は、使徒たちを通して宣べ つた ことば みみ かたむ 伝えられてきたその「言葉」に耳を 傾 け しだい しゅ ひ た むいかかん しゅ ~「主の日」~他の六日間のためにある主 ひ しゅ しん ひとびと の日に主イエス・キリストを信じる人々は み しお しゅ よ 満ち潮のように主イエス・キリストに「呼 あつ きょうどうたい び集 められ」、「エクレシア」( 共 同 体 ・ きょうかい ひ しお し と はなし ぶんしょう ていました。次第に使徒たちの 話 は 文 章 かたち し と (メモ)の 形 でまとめられ、使徒たちが ぶんしょう ふくいんしょ いなくなってからその 文 章 は「福音書」 ろうどく となり、朗読されるようになりました。 はけん 教 会 )とされ、引き潮のように派遣され ます。 かんしゃ さいぎ しきしだい =「感謝の祭儀」の式次第を見るとわかる てんれい おお ふた ように、感謝の祭儀の典礼は大きく二つに わ だいいちぶ ことば てんれい 分かれています。第一部は「言葉の典礼」 よ だ い に ぶ かんしゃ てんれい よ と呼ばれ、第二部は「感謝の典礼」と呼ば れています。 ことば てんれい ●「言葉の典礼」 で し あんそく ユダヤ人だったイエスの弟子たちは、安息 び かいどう いの えいきょう う 日 の会堂 での祈 りの 影 響 を受 けながら じょじょ かみ ことば きょうかい ど う し ちゅうしん ことば こうかん し と ─さらに、教 会 同志、交換されていた使徒 てがみ さ しき とき たちの手紙などが「パンを裂く式」の時に よ あ げんざい つうじょう 徐々に「神の言葉」を 中 心 とした「言葉の 読み上げられていたため、現在の 通 常 の てんれい かたち かたち さだ 典礼」の 形 を定めました。 つみ ● たい いしき つよ ユダヤ人は罪 に対 する意識 が強 かった かいどう いの はじ さだ りっぽう きゅうやくせいしょ 形 は定まりました。─律法( 旧 約 聖書)、 じぶん つみ ため、会堂での祈りの始めに自分たちの罪 しへん てがみ しょう ふくいんしょ 詩編、手紙など、アレルヤ 唱 、福音書─ ことば てんれい れきし ふ かえ =「言葉の典礼」の歴史を振り返るとわか 〒824-0006 行橋市門樋町8ー5/TEL.0930-22-0805/FAX.22-0816/http://www.yukuhasi.catholic.ne.jp/ 司祭のてがみ No,74-4 かみ ことば の つた とき るように、神の言葉が宣べ伝えられる時、 ろうどく せいしょ てんれい (「朗読」だけではない) 「聖書と典礼」を め み みみ き ほう 目で見るよりも、耳で聞くことの方がはる のぞ かみ こえ いっそう かに望ましいことです。神の声は一層わた こころ ひび したちの 心 に響くはずです。 ちゅうしん かんしゃ てんれい ひじょう ゆた を 中 心 とした「感謝の典礼」は、非常に豊 かなものになりました。 しゅ ほうのう ぎょうれつ ふく ・パンとぶどう酒の「奉納」 ( 行 列 を含め て) さいご ばんさん ことば どうさ ・最後 の晩餐 でのイエスの言葉 と動作 、 じゅうじかじょう し ふっかつ ちゅうしん 十字架上 で の 死 と 復活 を 中 心 と し た ほうけんぶん 「奉献文」 せいたい ちゅうしん まじ ぎ ・「聖体」を 中 心 とした「交わりの儀」 かんしゃ さいぎ むす しゅくふく はけん ・感謝の祭儀を結ぶ「 祝 福 」と「派遣の ことば 言葉」。 とき とも かんしゃ さいぎ てんれい えん ところが、時と共に感謝の祭儀の典礼が演 げきか かざ そぼく ひと ぜいたく かたち かたち まず 劇化され、飾りが素朴な 形 から(貧しい ゆうふく ひと 人のため)贅沢な 形 まで(裕福な人のた かいきゅう わ せいかたい てんれい め) 階 級 に分かれ、聖歌隊が典礼をコン か かいしゅう かんきゃく サートに変え、会 衆 はもっぱら 観 客 にな ってしまいました。 かんしゃ さいぎ ほんらい い み もくてき うす 感謝の祭儀の本来の意味と目的が薄らぎ、 とく かいしゅう さんか おも かいかく ひつよう 特に 会 衆 の「参加」を重んじる改革は必要 になりました。 かんしゃ てんれい ●「感謝の典礼」 きょうかい たんじょう なが あいだしんじゃすう 教 会 が 誕 生 してから長い 間 信者数がそ おお はくがい れほど多 くなかったため~迫害 のせいも しんじゃ ひろ いえ も きょう あり~信者たちは広い家を持っていた 兄 だい ところ まち はず しず ところ あつ 弟の 所 や町の外れの静かな 所 に集まり、 しゅ かこ い み しょくたく 「主イエス・キリストを囲む」意味で 食 卓 かこ さき しょくじ わ あ を囲んでいました。先に食事を分かち合い、 ご さ しき おこな その後「パンを裂く式」を 行 っていたよ うです。 へいわ おとず せいき はじ しんじゃ ふ 平和が 訪 れ、(4世紀の初め)信者が増え せいどう た はってん とも ると聖堂が建てられました。その発展と共 ちほう てんれい かたち た よ う か に、地方によって典礼の 形 は多様化しま きねん げんざい かんしゃ さいぎ ねんまえ だいに *現在の感謝の祭儀は、50年前の第二バ こう か い ぎ てんれいさっしん チカン公会議の典礼刷新によるものにな りました。(続く) じかい かんしゃ さいぎ ちんもく 次回は(3)感謝の祭儀における「沈黙」 ぎょうれつ か よてい と「 行 列 」について書く予定です。 したが、いずれにしてもイエスの「記念」 〒824-0006 行橋市門樋町8ー5/TEL.0930-22-0805/FAX.22-0816/http://www.yukuhasi.catholic.ne.jp/
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