チューリッヒ留学 第一報 “突然の訪問者” チューリッヒ大学脳神経外科 大吉達樹 年 チューリッヒ⼤学脳神経外科に留学をしております。昨年、11⽉に留学先が決まり、留学準備を始め たので、ばたばたでした。はじめは⽶国カルフォルニア⼤学への留学を希望し、⼿紙のやり取りをして留学準備をしていましたが、そ 2009 4月より、スイス の頃、確か日本脳腫瘍の外科学会にチューリッヒ大学脳外科のBertalanffy教授が招待講演で来日されておりました。この時、 有⽥教授のご紹介でチューリッヒ⼤学へ留学が決まりました。 さて留学地がアメリカからヨーロッパへ、⾔語が英語からスイスドイツ 語へと⼤幅な変更となり、当時、病棟医⻑をしていた⾃分は留学準備の修正はほぼ不可能と考えていました。しかし、留学間際 になって、有⽥教授からかけられた⾔葉に救われました。“良い⾳楽と本物のオペラを⾒て、素晴らしい芸術に触れなさい。でも寂 しくなったら、論⽂でも書きなさい”・・・ ドイツ国鉄が誇るインターシティーエクスプレス(ICE) はスイスの空の⽞関⼝。チューリッヒ国際空港は今年ヨーロッパ チューリッヒ No.1の空港に選ばれ、非常に大きくてきれいな空港 です。スイスの首都はベルンだし、僕らはスイスと言えば国連欧州本部や国際赤十字本部があるジュネーブがすぐに思い浮かびま す。でもチューリッヒは人口は36万人でスイス最大の都市。ヨーロッパ宗教改革の発祥地であり、名門のチューリッヒ大学やアイン シュタインを育んだチューリッヒ連邦⼯科⼤学があって、若者が多くて賑わっています。チューリッヒへの⾏程はスムーズでしたが、⼤ きなスーツケース2つを引きずりながらの旅⾏は⼤変でした。3月下旬、東京(成田)から13時間のフライトでドイツ(フランクフ ルト)到着。フランクフルト中央駅近くのホテルに一泊し、翌日早朝にドイツ鉄道(DB)“ICE”を利⽤して、4時間でチューリッ ヒに到着しました。4月に入り最高気温は16度あり、私が考えていた以上に暖かい印象です。 荷物が重くて・・・フランクフルト中央駅 チューリッヒのリマト川にかかる橋 アパート契約、市⺠住所登録、銀⾏⼝座開設(UBS AG)、健康保険加入、プリペード 携帯購入、インターネット開設など慣れないスイスドイツ語を辞書とにらめっこしながら、ドイ ツ語は話せないので、英語で交渉しました。こちらにきて驚いたのは年配の⽅を除いて、英 語が通じるし、第2,3言語である英語が非常にうまいことです。 SWISSCOMで携帯を購入中。 Bertalanffy教授には4月最初の月曜日に手術室でお会いました。お互いにマスクをしていたので、来週、話そうといわれました。 cavernomaでした。Orbito-Zygomatic ap.で硬膜外に ant. clinoidal process 1 流暢な⽇本語で。教授の⼿術は最初に⾒たのが、いきなり、中脳の を削ってから、硬膜内操作をされていました。脳幹部病変でめったにないのかと同僚医師に聞いたら、 ⽉に4〜5例はあるといいますから、すごいです。実際に教授回診が毎週⽊曜⽇の朝にあって、脳外科病棟を回る機会がありま すが、ヨーロッパからいろいろな人種の患者が入院されており、いかに紹介患者がヨーロッパ中から集まっているか、すぐに感じられま した。教授は7カ国以上の⾔語を理解していて、患者と会話されている姿を⾒て、圧倒させられました。最初は奥様が⽇本⼈だ がら、流暢な⽇本語を話されると思っていました。 医 場ナースに脳外科専用ICU,脳外科専任のICUドクター と何から何まで脳外科専門にできています。私のいる脳外科の建物は産科婦⼈科と泌尿器科が⼊っている10階建てのビルで、 脳外科病棟は最上階から2つのフロアーを独占しています。ほとんどが個室で各部屋にはトイレとシャワー室、テレビに固定電話と ホテル並みです。眺めは最⾼でチューリッヒ湖と市街地が⾒渡せます。⼿術は⽉―⾦曜⽇まで毎⽇で、脊髄も含めて1⽇4件程 度の⼿術が⼊っています。最初の週は30代⼥性の左insulaのlow grade gliomaで覚醒手術でした。マインツ大学から、 Bertalanffy教授が引き抜いたProfessor Dr. Reisch(30歳代)が手術をしていました。木曜日にTransnasal TSSを⾒ ました。Dr. Bernays が⼿術をされていて、下垂体が専門で前任の⽶川教授時代からいる先⽣で年齢的には主任教授の次で す。その他の先生はすべて30代以下、若いメンバーで構成されています。Bertalanffy教授に なってから何人か移動されたようで す。普通に術中MRIを使い、透視装置は使わず、術中MRIとリンクしたナビを使用し、残存下垂体腺腫をcheckしていました。 脳外科手術室は3室で、すべて脳外科専用の手術室、麻酔 、術 座位によるTranscondyle approachによる手術(Foramen magnum meningioma) セセ 春祭 職 組合 ギ 祭 伝統 祭 計 聖堂 鐘 音 々 告げ 夏季 労働 終 春 意味 祭 hセ 鐘 音 Lu づけ 始 5? 5 歳 子供 ち 約 8 ⼈ほどの楽隊が街の中⼼を⾏進し、最終⽇はそれぞれ伝統のコスチュームを⾝にまとった 5 ほ 5 以上 騎士 ち ゆ 内 藁 雪 グ ゼ セ 広場へ向 の薪の⼭に⽴つベーグを 鐘 ゼ セ 燃 儀式 祭 む 4月には ク ロイテンというチューリッヒの りがありました。ツンフトとよばれる 人 ( ルド)の りにはじまったチューリヒ の りで、かつて時 がなく、大 の の が人 に時を ていた頃、 の 時間の わりが6時だったことから、 の到来を する りとして6時(Sec s クス)の の ( a tenロイテン)と名 られたのが、 まりのようです。 1 の た が 2000人と 00 3 00 人 どのツンフトと、3 0人 の た が っくりと市 をパレードしながら、 でつくった大きな だるま “ベー Boogg”が待 つ ク ロイテン かいます。そして、高さ13m 6時の ( ク ロイテン)とともに やす で りはクライマックスを かえます。 が可能な施設を教授が昨年末にビルの地下室を利⽤して⽤意して頂きました。留学⽣を含め、若いドク 使 顕微鏡 台 速 含 器具 揃 頂 年5⽉に u 渡 催 師 元F u 多 神経 執筆 呼 狭 屋 義実 頂 F u 代 恩師 8 歳超えていると思われますが、非常に知識が豊富で⼿先もほとんど振るえていないのには驚きました。 Cadaver dissection ターが 用できるように 2 に高 ドリルを めた手術 まで えて きました。そこで2009 Anatomical co rseが2日間に って開 されました。講 に reib rg大学脳外科教授で くの脳 外科の本を されている Seeger教授をお びし、 い部 でスライドの講 と 際にdissectionをして きました。Bertalanffy教授の reib rg時 の で、 0 目 突然 訪問 サ ズ 代目 Mh u zY 神経 け 知 2日 には“ の 者”による プライ がありました。チューリッヒ大学2 の脳外科教授の a m t Ga i asargil教 授が来られました。脳外科の で、 asargil教授を らない はま いないと思いますが、脳 外科にお る micros rgeryの 設者で の脳外科 に えた は えきれま 。Bertalanffy教授も来るのは らないと言ってい ました。チューリッヒに がまだあるらしく、たまたまSeeger教授が来ているの ってか、大学に ったのだと思いますが・・・この3人 asargil教授も 4 ですが、まだまだ 気で、トル ではまだマ イクロ手術をされているとのことです。す い 先生 Y 知 先生 ず u 創 彼 分野 与 功績 数 せん 家 知 寄 の顔合わせは貴重だと思い、記念写真をとらせていただきました。Y 8歳 ご ! 元 コ 右の写真の左からカイロ⼤学の留学⽣Islam Abouelfetoh先生、Seeger教授、Bertalanffy教授、 Yasargil教授、私、中国からの留学⽣Sun先生 こちらにきて、まだ2ケ⽉ですが、⽇本とヨーロッパの医療の違いを肌で感じている毎⽇です。 また貴重な体験をした際にはご報告したいと思います。 大吉達樹
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