青春に乾杯! ブラームス・ヴェルディ・シュトラウス・ベートーヴェン ● 2005年 度 基 礎 ゼミ・レクチャーコンサート・オーケストラ・オペラ参 考 資 料 展 新 入 生 基 礎 ゼ ミ・レ ク チ ャ ー コ ン サ ー ト・オ ー ケ ス ト ラ・オ ペ ラ 編 で は 、 「 青 春 に 乾 杯 ! 」 と 題 し て 4 人 の 作 品 、 ブ ラ ー ム ス 《 大 学 祝 典 序 曲 》、 ヴ ェ ル デ ィ《 椿 姫 》乾 杯 の 歌 、シ ュ ト ラ ウ ス《 こ う も り 》ニ 幕 フ ィ ナ ー レ、ベートーヴェン《交響曲第 7 番》を取り上げます。 図 書 館 で は 演 奏 曲 の 楽 譜 、 CD、 映 像 資 料 と と も に 、 関 係 図 書 の 中 か ら 若 い 頃 の 肖 像 、自 筆 譜 な ど を 選 ん で 展 示 し ま す 。音 楽 室 で 見 な れ た 顔 と 違 う 作 曲 家 の 肖 像 を ご ら ん く だ さ い 。あ わ せ て 、エ ピ ソ ー ド を 交 え て 紹介します。 contents ブラームス●2 ヴェルディ●5 シュトラウス●8 ベ ー ト ー ヴ ェ ン ● 11 企 画 :樋 口 眞 規 子 1 Johannes Brahms ヨハネス・ブラームス 1833 年 5 月 7 日ハンブルク生∼1897 年 4 月 3 日ウィーン没 ドイツの作曲家 ◆楽 曲 解 説 ◆ 《 大 学 祝 典 序 曲 》 Akademische Festouvertüre : op. 80 作 曲 年 :1880 年 初 演 :1881 年 1 月 4 日 、 ブレスラウ、ブラームス自 身 の指 揮 による 初 版 :ベルリン ジムロック社 1881 年 1879 年 3 月 11 日 、ブレスラウ*大 学 から名 誉 博 士 の称 号 を送 られたブラームスは、称 号 を 受 け る に あた り 、 古 く から の 友 人 で ブ レ ス ラ ウの管 弦 楽 協 会 の 指 揮 者 で ある ベルン ハ ル ト・ シ ョ ル ツ ( 1835-1916 ) に 謝 意 を ど う 表 し た も の か と 相 談 し た 。 シ ョ ル ツ の 提 案 を 受 け 、 翌 1880 年 の夏 、大 学 へのお礼 と喜 びの感 情 を込 めて作 曲 されたのがこの《大 学 祝 典 序 曲 》。 ブラームスが若 いときに好 んだという《ラコッツィ行 進 曲 》からヒントを得 たとされる冒 頭 部 に 始 ま り 、 4 つ の 学 生 歌 《 わ れ ら は 立 派 な 校 舎 を 建 て た 》 Wir hatten gebauet ein stattliches Haus 、 《 国 の 親 父 》 Landesvater 、 《 新 入 生 の 歌 ( 狐 の 歌 ) 》 Das Fuchslied 、《喜 びの歌 》 Gaudeamus をポプリ風 に用 いた快 活 な楽 曲 で、ブラームス自 身 、 (いくぶん軽 んじて)「スッペ風 の序 曲 」「スッペ風 の接 続 曲 」と呼 んでいる。初 演 は、1880 年 12 月 6 日 にベルリンのホッホシューレで行 われた試 演 を経 て、1881 年 1 月 4 日 、ブレスラ ウのコンツェルトハウスでの管 弦 楽 協 会 第 6 回 予 約 演 奏 会 でブラームス自 身 の指 揮 により 行 われた。 *ブレスラウ:現 ポーランドのヴロツラフ ●『 ブ ラ ー ム ス 』 ( 作 曲 家 別 名 曲 解 説 ラ イ ブ ラ リ ー 7 ) p . 9 7 - 1 0 2 <請 求 記 号 ● C 5 7 - 9 8 0 > ●『管 弦 楽 曲 Ⅱ』(最 新 名 曲 解 説 全 集 5)p. 98-102<請 求 記 号 ●C31-277> ◆肖 像 画 ◆ 1853 年 秋 ● 20 才 の 肖 像 ブラームスが、デュッセルドルフのローベルト・シューマン家 を初 めて 訪 問 した折 に、シューマンが J.J.B.ローレンスに描 かせた鉛 筆 による スケッチ。ブラームスの才 能 に感 銘 を受 けたR.シューマンは『新 音 楽 時 報 』 Neue Zeitschrift für Musik ( 10 月 28 日 付 )に「新 しい 道 」 Neue Bahnen と題 するエッセイを発 表 し、若 き才 能 を世 に知 ら しめた。 「われわれには、ヨハネスが黙 りがちなのが不 思 議 に思 われた。彼 はほとんど口 をきかないし、 きいてもききとれないほど低 い声 である。彼 には彼 だけの秘 密 の世 界 があるのかもしれない。 彼 はすべての美 しいものに熱 中 して、心 のなかだけでそのものと生 きている」 ● C. シ ュー マ ン の 日 記 よ り 原 田 光 子 『 ク ララ ・ シ ュー マ ン : 真 実 な る 女 性 』 p .1 7 9 ( ダ ヴ ィ ッ ド 社 、 1 9 7 0 ) <請 求 記 号 ●C60-466> 2 1884 年 頃 ● 50 才 を す ぎ た 頃 の 肖 像 フランクフルトにて。大 学 祝 典 序 曲 を完 成 させたのは、これより 4 年 程 前 の 1880 年 、47才 のとき。 ● M i c h a e l Mu s g r a v e : A B r a h m s r e a d e r . N e w H a v e n , C T : Y a l e Un i v e r s i t y P r e s s , c2000 <請 求 記 号 ●J90-643> ◆展 示 資 料 ◆ ●ブラームス旧 全 集 第 3巻 オーケストラのための序 曲 と変 奏 曲 ヴィースバーデン ブライトコップ・ウント・ヘルテル社 [1926] <請 求 記 号 ●A0-372> ●初 版 スコアのタイトル・ページ ベルリン ジムロック社 1881 Kurt Hofmann: Die Erstdrucke der Werke von Johannes Brahms. Tut zing : H. Schneider, 1975 <請 求 記 号 ●A25-657> ●学 生 歌 Allgemeines deutsches Kommersbuch フリードリッヒ・ジルヒャー/フリードリッヒ・エルク編 バーデン シャウエンブルク社 1925 <請 求 記 号 ●F3-829> 「今 日 我 々が入 手 することのできる「学 生 歌 集 」の多 くには、ハード・カバーの表 紙 の四 隅 に裏 表 合 わせて八 つ、Biernagel と呼 ばれる、ビール樽 を作 る際 に使 われた止 め鋲 が打 ち込 められている。…(中 略 )…この Biernagel のおかげで歌 集 が7㎜ほど宴 会 机 か ら浮 き上 がって置 かれることとなり、ビールが机 の上 にこぼれた場 合 液 体 はこの隙 間 を 通 り抜 け、歌 集 本 は「ビールの洗 礼 」を受 けずにすむようになっている」 ●R.ラング、長 友 雅 美 『ドイツ学 生 歌 の世 界 :その言 語 文 化 史 的 断 面 』シンフォニア、1999 p. 48 <請 求 記 号 ●C64-144> ●作 中 に用 いられた学 生 歌 《 我 ら は 立 派 な 校 舎 を 建 て た 》 “Wir hatten gebauet ein stattliches Haus” 1819 年 のイェーナ大 学 の学 生 組 合 の解 散 のときにアウグスト・フォン・ビンツァーがテ ュービンゲン地 方 の民 謡 に歌 詞 をつけたもの。 《 ラ ン デ ス フ ァ ー タ ー ( 御 国 の 父 )》 “Landesvater” 《ランデスファーター》とは、歌 唱 とともに剣 に帽 子 を突 き刺 して国 家 と学 生 組 合 に忠 誠 を誓 う儀 式 を指 す。歌 詞 は 1782 年 に A.ニーマンによって書 かれた。旋 律 は、3 部 分 からなり、導 入 部 はヘッセン地 方 の民 謡 で 18 世 紀 の伝 承 歌 と言 われる。 《 狐 の 歌 ( 新 入 生 の 歌 )》 “Das Fuchslied” デンマークの詩 人 L.ホルベルク(1684-1754)の書 いた喜 劇 『あの山 のジェッペあるい は人 が変 わった農 夫 』の中 で歌 われた歌 の歌 詞 からの翻 案 、1808 年 に E.T.H.メルツ ァ ー に よ っ て 書 か れ た 草 稿 に み ら れ る 詩 な ど を 元 に 、 《 農 夫 が 森 へ 行 っ た 》 Es ging ein Bauer ins Holz な ど の 民 謡 に 歌 詞 付 け し た も と 言 わ れ て い る 。 ま た 、 冒 頭 部 は 「 新 入 生 ( 狐 ) の 騎 行 」の 情 景 描 写 で 、 大 学 で勉 強 を 希 望 す る 若 者 が馬 で 目 的 の学 徒 へ到 着 する様 を描 いている。 3 《 ガ ウ デ ア ム ス ( 楽 し く 歌 え )》 “Gaudeamus” 1717 年 に、詩 人 G.Ch.ギュンター(1695-1723)がラテン語 から 《兄 弟 たちよ愉 快 にア レ》Bruder lasst uns lustig sein と題 してドイツ語 に焼 くし,さらに 1781 年 、C.W.キントレ ーベン(1748-1785)の編 纂 した最 初 の本 格 的 な『学 生 歌 集 』 Studentenlieder に掲 載 されたものが、現 在 まで歌 い継 がれる形 となった。 ●関 連 作 品 《悲劇的序曲》 Tragische Ouverture : op. 81 作 曲 年 :1880 年 初 演 :1880 年 12 月 26 日 、ウィーン 初 版 :ベルリン ジムロック社 1881 年 《大 学 祝 典 序 曲 》とともに、1880 年 の夏 に避 暑 地 バート・イシュルで作 曲 された序 曲 。ブ ラームスは、友 人 フリッツ・ジムロック宛 の手 紙 (9 月 6 日 )に「非 常 に楽 しい《大 学 祝 典 序 曲 》のあとで、《悲 劇 的 序 曲 》も書 かずにはいられなかった」と書 いている。初 演 は、《大 学 祝 典 序 曲 》とともに行 われたベルリンのホッホシューレでの試 演 (1880 年 12 月 6 日 )を経 て、その年 の 1880 年 12 月 26 日 、ウィーンのムジークフェライン大 ホールでハンス・リヒタ ーの指 揮 で行 われた。 ●ベルリン ジムロック社 [19--]<請 求 記 号 ●E9-884> ● ラ イ プ チ ッ ヒ V E B ブ ラ イ ト コ プ フ ・ ウ ン ト ・ ヘ ル テル 社 1 9 7 6 <請 求 記 号 ●E12-512> ●ヴィスバーデン ブライトコブフ・ウント・ヘルテル社 1997 <請 求 記 号 ●E13-592> ◆その他 ◆ ●ブレスラウ大学 絵 葉 書 に描 かれたブレスラウ大 学 。第 一 次 世 界 大 戦 以 前 の情 景 。 ●自 筆 譜 のファクシミル 《 ド イ ツ ・ レ ク イ エ ム 》 作 品 45 ( 185 7-1868) 第 5 曲 「汝 らは今 、悲 しみの中 に」の冒 頭 部 分 ウィーン楽 友 協 会 所 蔵 《ドイツ・レクイエム》は、ルター訳 の新 旧 聖 書 によるドイツ語 の歌 詞 を用 いた演 奏 会 用 レ クイエム。1856 年 の R.シューマンの死 に対 する冥 福 の祈 りが、この曲 の成 立 動 機 の一 つといわれている。約 10 年 をかけて作 曲 された後 、1867 年 12 月 1 日 に始 めの 3 曲 を 初 演 、全 7 曲 の初 演 は、1869 年 2 月 18 日 ライプツィヒのゲヴァントハウスで C.ライネッ ケの指 揮 によって行 われた。 ●『ブラームス』(作 曲 家 別 名 曲 解 説 ライブラリー7)p. 376-387 ●Siegfried Kross : Johannes Brahms BandⅠ. Bonn Bouvier 1977<請 求 記 号 ●J86-853> 参考資料 『ブラームス』 (作 曲 家 別 名 曲 解 説 ライブラリー; 7) 音 楽 之 友 社 , 1993 <請 求 記 号 ●C57-980> 『管 弦 楽 曲 Ⅱ』(最 新 名 曲 解 説 全 集 5)音 楽 之 友 社 1980 <請 求 記 号 ●C31-277> R.ラング、長 友 雅 美 『ドイツ学 生 歌 の世 界 :その言 語 文 化 史 的 断 面 』シンフォニア、1999 <請 求 記 号 ●C64-144> 4 Giuseppe Verdi ジュゼッペ・ヴェルディ 1813 年 10 月 9 日レ・ロンコレ・ディ・ブッセート生∼1901 年 1 月 27 日ミラノ没 イタリアの作曲家 ◆楽 曲 解 説 ◆ 《 椿 姫 》 La traviata 乾 杯 の 歌 Libiamo ne lieti calici 作 曲 年 :1853 年 初 演 :1853 年 3 月 6 日 、 ヴェネィア、フェニーチェ歌 劇 場 台 本 :フランチ ェスコ・ピアーヴェ 原 作 :アレクサンドル・デュマ・フィス ア レ ク サ ン ド ル ・ デ ュ マ ・ フ ィ ス の 実 体 験 を 基 に し た 小 説 『 椿 姫 』 ( 1848 ) を 脚 色 し た 同 名 の戯 曲 (1852)を原 作 とする 3 幕 のオペラ。マリー・デュプレシ(1824-1847)という実 在 の女 性 がモデルとなっている。ヴェルディは、このオペラを(1850 年 代 当 時 の)現 代 を扱 った物 語 として計 画 し、題 名 も La traviata 《道 を踏 みはずした女 》とあえて改 題 してい る。フェニーチェ歌 劇 場 での初 演 は、歌 手 達 の歌 唱 が不 評 をかうなどいくつかの理 由 で 失 敗 に終 わったが、手 直 しの後 1854 年 5 月 6 日 ヴェネツィアのサン・ベネデット座 での 再 演 は大 成 功 を収 めた。 「乾 杯 の歌 」は、第 一 幕 、主 人 公 ヴィオレッタの邸 で開 かれた宴 会 で、ヴィオレッタとそ の恋 人 となるアルフレード、および合 唱 で華 やかに歌 われる。 ●『歌 劇 Ⅱ』(最 新 名 曲 解 説 全 集 19)p. 192-202<請 求 記 号 ●C30-458> ●『椿 姫 』(名 作 オペラブックス2)<請 求 記 号 ●C44-004> ◆肖 像 画 ◆ お そ ら く 1836 年 ● 23 才 の 肖 像 ステファーノ・バレッツィ画 木 炭 、パステル 16×21.5 cm. ブッセート市 所 蔵 。 最 初 の妻 マルゲリータ・バレッツィとの結 婚 当 時 の肖 像 と思 われる。 描 いたのはマルゲリータのおじステファーノ。 1832 年 に発 行 されたパスポートに記 述 されたヴェルディの容 貌 :「身 長 高 く、 豊 かな栗 色 の髪 の毛 、 広 い額 、灰 色 の眼 、黒 い眉 毛 、小 さな口 、黒 っぽい髭 、 細 長 い顎 、痩 せた顔 つき、蒼 白 な顔 色 」 ア ル ド ・ オ ー ベ ル ドル フ ェ ル 編 著 『 ヴ ェ ル デ ィ : 書 簡 に よ る 自 伝 』 p . 1 8 カ ワ イ 出 版 , 2 0 0 1 <請 求 記 号 ●C65-641> ● Giuseppe Verdi. Colorno : Edizioni "Una citta costruisce una mostra" 1985<請 求 記 号 ●C19-636> 1853 年 ● 40 才 の 肖 像 パルマ国 立 ヴェルディ研 究 所 所 蔵 オペラ《椿 姫 》の初 演 は、この年 の 3 月 6 日 (ベネツィア、フェニーチェ歌 劇 場 ) ● V e r d i n e l le im m a g i n i . [ M i la n o ] : G a r z a n t i , [ 1 9 4 1 ] < 請 求 記 号 ● C 4 0 - 7 0 6 > 5 ●初 演 劇 場 ヴェネツィア フェニーチェ歌 劇 場 (1792 年 開 設 ) Museo Teatrale alla Scala 所 蔵 ゴンドラに乗 って劇 場 に到 着 する観 客 たち。2 度 の火 災 の被 害 にあいながら不 死 鳥 (フ ェニーチェ)の如 く甦 える歴 史 を持 つ。1996 年 1 月 29 日 、わずかに外 壁 を残 すばかりの 大 火 災 の後 、2003 年 12 月 14 日 、8 年 ぶりに再 建 されたのは記 憶 に新 しい。 ●William Weaver: Verdi. [London] Thames & Hudson, [1977?] <請 求 記 号 ●C27-034> ●場 面 写 真 (絵 葉 書 ?) 第 1 幕 第 1場 「乾 杯 の歌 」ヴィオレッタの家 での宴 第 2 幕 第 6 場 「私 を愛 してね、アルフレード、私 が貴 方 を愛 しているくらい…」ヴィオ レッタ、アルフレードのもとから走 り去 る 第 2 幕 第 1場 「アルフレード、この手 紙 が貴 方 のお手 元 に着 くときには…」ヴィオレッタ からの別 れの手 紙 を読 むアルフレード 第 3 幕 終 景 「おお、なんという悲 しみだ!」アルフレードやジェルモンらに見 守 られなが ら息 を引 き取 るヴィオレッタ ●Giuseppe Verdi. Colorno : Edizioni "Una citta costruisce una mostra", 1985 <請 求 記 号 ●C19-636> ●初 演 ポスター 初 演 時 の劇 場 ポスター ヴェネツィア フェニーチェ歌 劇 場 (1853 年 3 月 6 日 ) ●William Weaver:Verdi. [London] Thames & Hudson, [1977?] <請 求 記 号 ●C27-034> ● モデル肖 像 画 椿 姫 のモデル マリー・デユプレシ Marie Duplessis (1824-1847) 美 貌 と魅 力 で多 くの男 性 をひきつけたパリの高 級 娼 婦 。一 時 期 親 密 な関 係 にあったア レクサンドル・デュマ・フィスの書 いた小 説 『椿 を持 つ女 』、およびそれを脚 色 した戯 曲 『椿 姫 』のモデル。肺 結 核 のため、わずか 23 才 の若 さで亡 くなった。その墓 は、今 も、 パリのペール・ラシェーズ墓 地 にある。 「彼 女 は漆 黒 の髪 とバラのような輝 かしい肌 を持 ったすんなり と背 の高 い人 だった。こじんまりとした顔 にエナメルのように輝 く 瞳 は日 本 人 のように切 れ長 だったが、いきいきと生 気 にあふれ ていた。唇 はさくらんぼを思 わせ、歯 はこの世 のものとも思 えな いほど美 しかった。彼 女 の姿 はマイセン焼 きの陶 器 の像 を思 わせた。」(デュマが 1867 年 出 版 された戯 曲 全 集 に書 いた序 文 より) ●アッティラ・チャンパイ,ディートマル・ホラント編 『椿 姫 / ヴェルディ』 (名 作 オペラブックス ; 2) 音 楽 之 友 社 , 1987 <請 求 記 号 ●C44-004> 6 ◆展 示 資 料 ◆ ● ヴェルディ全 集 《乾 杯 の歌 》の冒 頭 部 分 シリーズ 1 オペラ 第 19 巻 《La Traviata》 シカゴ シカゴ大 学 出 版 19 97 < 請 求 記 号 ● A 1 1 - 0 7 4 > ● 自 筆 譜 ファクシミル 《乾 杯 の歌 》の構 想 が書 かれたスケッチ 《La Traviata》 Parma : Ministero per I beni e le attivita culturali, Comitato nazionale per le celebrazioni Verdiana, c2000 < 請 求 記 号 ● H 3 9 - 8 0 5 f > このスケッチが書 かれた年 代 はまだ確 定 していないが、ピアーヴェがリブレットの作 成 に 取 り掛 かる前 の(おそらく)1852 年 11 月 と思 われる。 ●原 作 アレクサンドル・デュマ・フィス『椿姫』 吉 村 正 一 郎 訳 /岩 波 文 庫 1935 <請 求 記 号 ● J 1 0 - 8 9 6 > 新 庄 嘉 章 訳 /新 潮 文 庫 1 950 < 請 求 記 号 ● J 9 9 - 6 8 5 > 朝 比 奈 弘 治 訳 /新 書 館 1998 < 請 求 記 号 ● J 9 9 - 6 8 3 > ●リブレット(台 本 ) 海 老 澤 敏 訳 /音 楽 之 友 社 1966 < 請 求 記 号 ● X 0 - 3 9 7 > 坂 本 鉄 男 訳 /音 楽 之 友 社 2004 < 請 求 記 号 ● X 0 - 9 2 5 > ●解 説 アッティラ・チャンパイ、ディートマル・ホランド編 『椿 姫 』(名 作 オペラ ブックス2)音 楽 之 友 社 1987 <請 求 記 号 ●C44-004> ●漫 画 里 中 真 智 子 『 椿 姫 』 (漫 画 名 作 オペラ3) 中 央 公 論 新 社 2004 <請 求 記 号 ● J 1 0 1 - 3 0 4 > 帆 苅 雅 宏 『椿 姫 』 (まんがオペラ・シリーズ5) 音 楽 之 友 社 1984 < 請 求 記 号 ● C 6 3 - 5 7 3 > ●公 演 プログラム 新 国 立 劇 場 : 2002 年 9 月 5-15 日 新 国 立 劇 場 運 営 財 団 2002 < 請 求 記 号 ● J 9 7 - 3 8 3 > 新 国 立 劇 場 :2004 年 11 月 22 日-12 月 4 日 新 国 立 劇 場 運 営 財 団 2004 < 請 求 記 号 ● J 1 0 3 - 8 1 2 > ●関 連 文 献 アウラ・マーニャ訳 『椿 姫 』( イタリアオペラ歌 曲 徹 底 解 剖 専 門 誌 1) アウラ・マーニャ 1985 <請 求 記 号 ●C9-645> 永 竹 由 幸 『 椿 姫 とは誰 か オペラでたどる高 級 娼 婦 の文 化 史 』(丸 善 ブックス) 丸 善 2001 <請 求 記 号 ●C65-554> 参考資料 W i l l i a m W e a v e r : V e r d i : a do c u m e n t a r y s t u d y 。 [ L o n d o n ] T h a m e s & H u d s o n , [ 1 9 7 7 ?] < 請 求 記 号 ● C27-034> ア ル ド ・ オ ー ベ ル ドル フ ェ ル 編 著 『 ヴ ェ ル デ ィ : 書 簡 に よ る 自 伝 』 カ ワ イ 出 版 , 2 0 0 1 < 請 求 記 号 ● C 6 5 - 6 4 1 > 7 Johann Strauss ヨハン・シュトラウス 1825 年 10 月 25 日ウィーン生∼1899 年 6 月 3 日ウィーン没 オーストリアの作曲家 ◆楽 曲 解 説 ◆ 《 こ う も り 》 Die Fledermaus 作 曲 年 1874 年 台本 カール・ハフナー、リヒャルト・ジュネー 初演 1874 年 4 月 5 日 、 ウィーン、アン・デア・ウィーン劇 場 台 本 フランチェスコ・ピアーヴェ 原作 アンリ・メイヤック、リュドヴィク・アレヴィ ( ロ デ リ ヒ・ ベ ン デ ィ ッ ク スの 喜 劇 『 牢 獄 』 ( 1 8 5 1 ) に 基 づ く ) 《インディゴと盗 賊 達 》(1871)、《ローマの謝 肉 祭 》(1873)に続 くヨハン・シュトラウス二 世 のオペレッタ第 3作 。美 しいワルツやポルカにのって、大 晦 日 の舞 踏 会 を舞 台 に享 楽 的 で風 刺 の 利 いた物 語 が 繰 り 広 げら れる。 内 容 が大 晦 日 の 晩 の 話 で あることからド イツ語 圏 では年 末 恒 例 の出 し物 となっている。また、ヨーロッパのカトリック圏 では、12 月 31 日 は サ ン・ シルベ ス ト ロ の 祝 日 。 真 夜 中 の 零 時 の 鐘 が 鳴 る と 同 時 に シ ャ ン パ ン を 開 け 大 騒 ぎになる風 習 がある。 第 2 幕 フィナ ーレ の 場 面 は 、オルロ フス キー公 爵 の 舞 踏 会 に 集 う 人 々 に よって華 や か に 繰 り広 げられる。バレエ場 面 では、シュトラウスの他 の作 品 を置 き換 えて演 奏 することも多 く、よく知 られるのは《電 光 と雷 鳴 》(作 品 324)。 ●『歌 劇 Ⅱ』(最 新 名 曲 解 説 全 集 19)p. 22-31<請 求 記 号 ●C30-458> ●『オペレッタ名 作 百 科 』永 竹 由 幸 著 p. 48-51<請 求 記 号 ●X-081/O> ◆肖 像 画 ◆ 1843 年 ● 18 才 の 肖 像 J.Diez による鉛 筆 画 父 シ ュ ト ラ ウ ス は 、 息 子 が 音 楽 家 に な る の は 反 対 で あ っ た が 、 1844 年 10 月 、シュトラウス二 世 はウィーン郊 外 のカジノ・ドームマイヤーで デビュー、たちまち父 を凌 ぐ人 気 を博 するようになる。 ヨハン・シュトラウスといえば豊 かなひげをたくわえた肖 像 画 でお馴 染 みであるが、最 初 の 肖 像 画 であるこの絵 には、ひげのない初 々しい姿 が描 かれている。 1874 年 ● 49 才 の 肖 像 《こうもり》初 演 時 の頃 の頬 ひげをたくわえた J.シュトラウス。 1873 年 から 1874 年 の年 末 年 始 にかけての 6 週 間 で《こうもり》を 完 成 させたシュトラウスは、4 月 5 日 のアン・デア・ウィーン劇 場 で の初 演 を見 届 けると、イタリアへの演 奏 旅 行 へ旅 立 った。 ● W i l h e l m S i n ko v i c z , H e r w i g K n a u s . : J o h a n n S t r a u s s <請 求 記 号 ●J90-000> Wie n : H o l zh a u s e n , 1 9 9 9 8 ●自 筆 譜 ファクシミル 第 2 幕 フィナーレの終 結 部 ヨハン・シュトラウス新 全 集 シリーズ 1.2 第 3 巻 《こうもり》 口 絵 ウィーン シュトラウス・エディション < 請 求 記 号 ● A 1 1 - 4 9 0 > ●初 演 ポスター 初 演 時 の劇 場 ポスター 1874 年 4 月 5 日 アン・デア・ウィーン劇 場 ● M a r c e l P r a w y : J o h a n n S t ra u s s . W i e n : Ue b e r r e u t e r , c 1 9 9 1 < 請 求 記 号 ● C 5 5 - 9 7 4 > ●初 演 劇 場 アン・デア・ウィーン劇 場 (1888 年 )。 左 側 に見 える建 物 がアン・デア・ウィーン劇 場 (1801 年 開 設 )。右 手 に見 える橋 はシカネー ダー橋 。『こうもり』をはじめシュトラウスのオペレッタはこの劇 場 で初 演 された。 ● O s w a l d P a n a g l , F r i t z S c h we i g e r : D i e F l e de r m a u s . Wien : Bohlau, c1999 <請 求 記 号 ●J97-268> ●初 演 の出 演 者 1.オルロフスキー公 爵 に扮 するイルマ・ニッティンガー 2.典 獄 長 フランクに扮 するカール・アドルフ・フリーゼ(左 )とフロッシュに扮 する アルフレード・シュライバー(右 ) ● M a r c e l P r a w y : J o h a n n S t ra u s s . W i e n : U e b e r r e u te r , c 1 9 9 1 < 請 求 記 号 ● C 5 5 - 9 7 4 > ◆展 示 資 料 ●ヨハン・シュトラウス全 集 ヨハン・シュトラウス新 全 集 シリーズ 1.2 第 3 巻 《こうもり》 オペレッタ全 3幕 ウィーン シュトラウス・エディション < 請 求 記 号 ● A 1 1 - 4 9 0 > ●《こうもり》のモティーフから生 み出 された 6 曲 の舞 踏 曲 (そのうち5曲 ) 《 こ う も り ポ ル カ 》 Fledermaus-Polka < 請 求 記 号 ● H 4 0 - 9 9 6 > フランス風 ポルカ 作 品 362 1873 年 オペレッタに先 立 つ 1874 年 2 月 10 日 に披 露 された。オペレッタへの期 待 を繋 ぐべく《こ うもり》の様 々な部 分 が用 いられている。 《 こ う も り カ ド リ ー ユ 》 Fledermaus-Quadrille < 請 求 記 号 ● H 3 7 - 6 1 8 > 作 品 363 1874 年 オルロフスキー公 爵 のク プレ「 喜 んで人 を招 待 し よう」 を始 めとして、オペレッタ中 の旋 律 がふんだんに用 いられている。 《 チ ク ・ タ ク 》 Tik-tak < 請 求 記 号 ● H 2 2 - 3 6 7 > 急 速 ポルカ 作 品 365 1874 年 第 2 幕 のロザリンデとアイゼンシュタインの「時 計 の二 重 唱 」から主 要 モティーフはとられ ているが、その他 にも様 々な旋 律 が巧 みにちりばめれている。 9 《 仲 良 し ワ ル ツ 》 Du und Du < 請 求 記 号 ● H 3 9 - 8 7 5 > 作 品 367 1874 年 第 2 幕 フィナーレで宴 に集 う人 々の歌 う「何 とすばらしい宴 」から始 まるワルツ。このワルツ の性 格 は、登 場 人 物 の 1 人 ファルケ博 士 の述 べる「さあ、みなさん、お互 いに親 しく呼 び 合 おう」に表 わされている。 《 忘 れ ら れ る 人 は 幸 せ ! 》 Glücklich ist, wer vergisst! < 請 求 記 号 ● H 3 7 - 3 3 0 > ポルカ・マズルカ 作 品 368 第 1 幕 のフィナーレをモティーフとして始 まるこの曲 は、おそらく《こうもり》のために書 かれ たと思 われるけれど使 われることのなかったメロディーによって幕 を閉 じる。 ●関 連 楽 譜 《 電 光 と 雷 鳴 》 Unter Donner und Blitz ポルカ 作 品 324 1868 年 <請 求 記 号 ●H38-252> 芸 術 家 協 会 「ヘルペルス(宵 の明 星 )」の舞 踏 会 のために作 曲 された。オペレッタ《こうもり》 の第 2幕 フィナーレでよく演 奏 されることでお馴 染 みのポルカ。 展 示 資 料 は、金 管 五 重 奏 に編 曲 された楽 譜 。 参 考 ● 『 ヨ ハ ン ・ シ ュ ト ラ ウ ス Ⅱ 管 弦 楽 曲 完 全 全 集 』 曲 目 解 説 ( M a r c o P o lo , 1 9 9 9 ) < 請 求 記 号 ● X D 4 2 0 8 9 > ●原 作 Le réveillon (Theatre / Henri Meilhac & Ludov ic Halévy (Paris : Calmann-Levy , 1955)所 収 <請 求 記 号 ●J52-993> ロデリヒ・ベンディックスの喜 劇 『 牢 獄 』(1851)に基 づいて、アンリ・メイヤックとリュドヴィク・ア レヴィが 1872 年 に改 作 。 Réveillon とはクリスマス・イヴの仮 装 舞 踏 会 、または大 晦 日 の 晩 餐 会 を意 味 する。 ●リブレット(台 本 ) ドイツ語 版 シュツットガルト レクラム 1965 英語版 <請 求 記 号 ●X0-542> ジョン・モーティマー訳 ロンドン ヴァイキング 1989 < 請 求 記 号 ● X 0 - 7 8 0 > フランス語 版 [Marseille] : Opera de Marseille et Actes sud c1994 < 請 求 記 号 ● X 0 - 8 3 6 > ●公 演 プログラム 新 国 立 劇 場 :1999 年 4 月 21-25 日 新 国 立 劇 場 運 営 財 団 1999 <請 求 記 号 ● C 6 3 - 8 0 7 > ●カレンダー E r i c h W . E n ge l : J o h a n n S t r a u s s u n d s e in e Z e i t W ie n E.M. Engel, [1911?]) <請 求 記 号 ●C5-207> ヨハン・シュトラウス父 子 や一 族 の生 涯 を、写 真 、絵 画 、楽 譜 、等 々、366 枚 の図 版 で 年 代 順 に描 く日 めくりカレンダー 参考資料 『歌 劇 Ⅱ』(最 新 名 曲 解 説 全 集 19)音 楽 之 友 社 1980<請 求 記 号 ●C30-458> 『オペレッタ名 作 百 科 』永 竹 由 幸 著 音 楽 之 友 社 1999<請 求 記 号 ●X-081/O> F r a n z M a i l e r : J o h a n n S t r a u s s . W i e n ; P ic h le r , c 1 9 9 9 <請 求 記 号 ● J 9 2 - 3 5 8 > 10 Ludwig van Beethoven ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770 年 12 月 17 日ボン生∼1827 年 3 月 26 日ウィーン没 ドイツの作曲家 ◆楽 曲 解 説 ◆ 《交響曲 第 7 番 作 品 92 イ 長 調 》 Symphonies, no. 7, op. 92, A major 作 曲 年 :1811 年 ∼1812 年 初 演 :1813 年 12 月 8 日 、ウィーン大 学 講 堂 にて、ベートーヴェン自 身 の指 揮 による 初 版 :ウィーン シュタイナー社 1816 年 第 5、6番 交 響 曲 を特 徴 付 ける「動 機 労 作 」による性 格 的 統 一 に変 わり、第 7番 は、「リズ ム」を楽 章 全 体 に展 開 することで構 築 されている。ヴァーグナーが「舞 踏 の神 化 」 Apotheose des Tanzes と評 したことはよく知 られる。また、この作 品 は、1813 年 12 月 8 日 、ハーナウ戦 役 傷 病 兵 のための救 援 資 金 調 達 事 前 演 奏 会 で初 演 されたが、その 4 日 後 の 12 月 12 日 、翌 年 の 2 月 27 日 にも再 演 されたうえ、1816 年 に初 版 が出 版 された際 には、スコア、パート譜 に加 えて、6 種 類 もの編 曲 版 の楽 譜 が同 時 にが出 版 されるという好 評 を得 た。 同 時 期 に作 曲 されて対 照 的 な性 格 を持 つ第 5 番 と第 6 番 の交 響 曲 がそう言 われるように、 リズムと運 動 性 を追 及 した第 7 番 と軽 快 で優 美 な音 楽 が展 開 される第 8 番 もまた双 生 児 で あるとも言 われる。 ●『ベートーヴェン全 集 3:人 生 と芸 術 1800-1827』p. 62-69 抜 粋 <請 求 記 号 ●C62-422> ●『交 響 曲 Ⅰ』(最 新 名 曲 解 説 全 集 1)p. 289-293 <請 求 記 号 ●C39-219> ●『ベートーヴェン事 典 』p. 72-80 <請 求 記 号 ●C65-428> ◆肖 像 画 ◆ 1786 年 ● 16 才 の 肖 像 ( 宮 廷 楽 士 姿 ) ヨーゼフ・ネーゼン作 シルエット 当 時 、ベートーヴェンはボン=ケルン選 帝 侯 の宮 廷 楽 士 (第 2 ヴァイオリ ン)だった。この絵 は、ベートーヴェンの友 人 である F.G.ヴェーゲラーと弟 子 F. リ ー ス に よ る Biographische Notizen über L.v. Beethoven (1838)の口 絵 として掲 載 された。 ● F r a n z G e r h a r d , W e g e le r . F e r d i n a n d R i e s : B i o g r a p h i s c h e N o t i z e n ü b e r L u d w i g v a n B e e t h o v e n . New York G.Olms 1972<請 求 記 号 ●C38-611> 1812 年 ● 42 才 の 肖 像 フランツ・クラインによるブロンズの胸 像 (再 鋳 造 ) ボン・ベートーヴェン=ハウス 所 蔵 。ウィーンのシュトライヒャー・ピアノ工 房 のホールを飾 る胸 像 として作 られ た。 ● R i c h a r d P e tz o l d t : Lu d w i g v a n B e e t h o v e n . L e i p z i g : D e u ts c h e r Ve r l a g f ü r M u s i k , [ 1 9 7 0 ] <請 求 記 号 ●C7-873> 11 ◆展 示 資 料 ◆ ウィーン ハスリンガー社 , [1831] 初 版 (ウィーン シュタイナー社 、1816 年 )の第 2 版 スコア <請 求 記 号 ●M2-269(S12-107) > ウィーン シュタイナー社 , [1816] 初 版 スコアと同 時 に出 版 された弦 楽 五 重 奏 用 編 曲 (パート譜 ) <請 求 記 号 ●M2-269 (S12-113) > ウィーン シュタイナー社 , [1816] 初 版 スコアと同 時 に出 版 された A.ディアベリによるピアノ連 弾 用 編 曲 <請 求 記 号 ●M2-270 (S12-115) > ●自 筆 譜 のファクシミル 《交響曲第 7 番》 第 2 楽 章 、アレグレットの第 72 小 節 から第 80 小 節 まで <請 求 記 号 ●C18-563> ● R o b e r t B o r y :L u d w i g v a n B e e t h o v e n : h i s l i f e a n d w o r k i n p i c t u r e s . L o n d o n : T h a m e s & H u d s o n , [ 1 9 6 6 ] <請 求 記 号 ●C3-351> 参考資料 『ベートーヴェン全 集 3:人 生 と芸 術 1800-1827』 講 談 社 1997<請 求 記 号 ●C62-422> 『交 響 曲 Ⅰ』(最 新 名 曲 解 説 全 集 1) 音 楽 之 友 社 1979<請 求 記 号 ●C39-219> 『ベートーヴェン事 典 』東 京 書 籍 1999<請 求 記 号 ●C65-428> 12 図 書 館 展 示 ● 2005.4.5- ブラームス・ヴェルディ・シュトラウス・ベートーヴェン 青 春 に乾 杯 ! 国 立 音 楽 大 学 附 属 図 書 館 ● 2 0 0 5 . 4 .1 1 編 集 ●広 報 委 員 会 (染 谷 周 子 ・髙 田 涼 子 ) 13
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