確立期 - 豊岡市

豊岡市発掘2 0年を振り返る
Ⅲ,豊岡発掘第Ⅲ期(体制確立期 昭和51年度∼昭和54年度)
豊岡発掘第Ⅲ期を体制確立期と規定し、昭和 5 1年から 5 4年までを区分することにします。いわば、豊
岡市における発掘調査体制の確立時期にあたり、但馬の各町へも援助できる体制を整えつつあった時期
といえます。
オ,昭和51年度
◆高屋窯跡外形実測調査
【調査開始】昭和51年7月
【調査担当】瀬戸谷晧
【主要成果】民間の研究者らからの要請もあり、市教委で保存を前提とした調査が企画された。そのた
めの事前の一調査として外形測量調査を実施することとした。
次年度以降に予定の本格調査に備えた測量作業ができたこと、 2 5㎝コンターによる測量で、きれいに
微地形が測量できた。
【文献等】瀬戸谷,山口「但馬・高屋古窯」(『豊岡市文化財調査報告書 1 1』,『豊岡市立郷土資料館調査
報告書11』
1981)
◆森尾古墳実測調査(第1次)
【調査開始】昭和51年8月
【調査担当】瀬戸谷晧,武庫川女子大学考古学研究会有志
【主要成果】豊岡市指定史跡として、指定の価値があるかどうか、史跡としてどの程度残存しているか
など、指定を前提とした測量調査を実施した。方形を呈するかのように観察されるが、内部構造の実態
は現状では不明。
【文献等】瀬戸谷晧ほか「北浦古墳群」(『豊岡中核工業団地内埋蔵文化財発掘調査報告1』
1980)
◆関西電力送電線新設にかかる分布調査 豊岡西部地域
【調査開始】昭和51年7月以降随時
【調査担当】瀬戸谷晧,和田長治
【主要成果】特に九日市上町,岩井,宮井,栃江地区などで多くの古墳が新たに確認された。
小規模古墳の調査例が増加した。また、すべての古墳について、工法等の変更で保存措置を講じてい
ただいた点など、遺跡の扱いとしては特記できる。
【文献等】なし
◆立石森尾豊岡工場公園予定地分布調査
【調査開始】昭和51年9月
【調査担当】瀬戸谷晧
【主要成果】豊岡工場公園(工業団地)予定地選定のため、立石,森尾両地区の分布調査を実施した。
以前の三江地区でも埋蔵文化財の新規発見が多く、早めの対応を要請していたところである。豊岡市域
でよく見られる小規模古墳が新たにかなりの数発見された。
【文献等】瀬戸谷晧ほか「北浦古墳群」(『豊岡中核工業団地内埋蔵文化財発掘調査報告1』
1980)
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とよおか発掘情報 第5号
◆森尾古墳実測調査(第2次)
【調査開始】昭和52年3月
【調査担当】瀬戸谷晧,武庫川女子大学考古学研究会有志
【主要成果】豊岡市指定史跡として、指定の価値があるかどうか、史跡としてどの程度残存しているか
など、指定を前提とした測量調査を実施した。方形を呈するかのように観察される。
【文献等】瀬戸谷晧ほか「北浦古墳群」(『豊岡中核工業団地内埋蔵文化財発掘調査報告2』
1980)
カ,昭和52年度
◆立石森尾豊岡工場公園予定地分布調査
【調査開始】昭和52年随時
【調査担当】瀬戸谷晧
【主要成果】豊岡工場公園(工業団地)予定地選定のため、立石,森尾両地区の分布調査を実施した。
以前の三江地区でも埋蔵文化財の新規発見が多く、早めの対応を要請していたところである。今年度も
引き続き実施した。
【文献等】瀬戸谷晧ほか「北浦古墳群」(『豊岡中核工業団地内埋蔵文化財発掘調査報告2』
1980)
◆立石豊岡工場公園予定地確認調査
【調査開始】昭和52年5月
【調査担当】瀬戸谷晧
【主要成果】豊岡工場公園(工業団地)予定地選定のため、立石地区でとりあえず確認調査を実施する
ものとし、3基をその対象とした。調査の結果、基本的に6世紀代の木棺直葬墳の調査であったこと、
円墳に「造り出し」が附属する特異な形態の古墳が含まれていること、大刀など鉄製遺物が豊富であっ
たこと、土師器転用枕の発見と但馬で初の確認例となったことなどの諸点が重要なことと指摘されよう。
【文献等】瀬戸谷晧「立石古墳群発掘調査報告」(『兵庫県埋蔵文化財調査集報4』
1979)
◆日撫178号バイパス新設に伴う発掘調査
立石106号墳埋葬施設と土器枕
土師器転用土器枕は、但馬の発掘調査で最初に確認された 上から見たところ
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豊岡市発掘2 0年を振り返る
【調査開始】昭和52年6月
【調査担当】兵庫県教委
【主要成果】国道1 7 8号線のバイパス新設工事に伴い、事前の発掘調査が県教委の手で実施された。木棺
を直葬した構造の小円墳のようで、須恵器坏を遺体の枕に転用していたケースも認められた。須恵器転
用枕の但馬最初の検出例となった。
【文献等】なし
◆正法寺七ツ塚古墳群発掘調査
【調査開始】昭和52年7月
【調査担当】瀬戸谷晧
【主要成果】民間の土取り工事および跡地の宅地開発に伴い、事前の発掘調査を実施した。原因者と契
約書を交わし、負担をお願いして調査したものである。
計4基の調査で、初期群集墳とでもいうべき中期から後期初頭の古墳の実態を解明したこと、石棺と
木棺が同一古墳群中で認められたこと、但馬で古式の須恵器がみつかったことなどが指摘・注目されよ
う。
【文献等】瀬戸谷晧「七ツ塚古墳群」(『豊岡市文化財調査報告書7』,『豊岡市立郷土資料館調査報告書
7』
1977)
◆村岡町福西砦跡確認調査,大野古墳確認調査
【調査開始】昭和52年9月以降
【調査担当】瀬戸谷晧ほか
【主要成果】福西砦跡は、県立村岡高校の新築移転のための事前確認調査として実施。その後、県教委
と村岡町教委により全面調査が展開される。下の大野古墳と同様、町教育委員会からの派遣依頼に応じ
て調査に参加したものである。
大野古墳は、同町大野の民家裏で小規模工事の最中に新規発見された円墳である。発掘調査のあと、
現状のまま保存。
とくに、福西砦跡の調査は、但馬で最初の本格的山城調査の例となったこと、大野古墳は副葬品の多
いかった点などが注目できる。
【文献等】なし
◆田鶴野,三江地区分布調査事業
【調査開始】昭和53年3月から随時
【調査担当】和田長治
【主要成果】市単独事業として、今後数年にわたって実施する埋蔵文化財の基礎的分布調査。多くの遺
跡の存在が明らかにされ、その後の保護行政の基礎資料となる。
【文献等】「豊岡市埋蔵文化財分布地図および地名表」(『豊岡市文化財調査報告書 20』,『豊岡市立郷土資
料館調査報告書20』
1989)
キ,昭和53年度
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とよおか発掘情報 第5号
◆下陰古墳群発掘調査
【調査開始】昭和53年4月
【調査担当】瀬戸谷晧
【主要成果】豊岡卸センターが造成販売した下陰団地の法面崩落に伴う整備工事で、数基の古墳が破壊
されることになるため、発掘調査やむなしの結論に達した。
発掘調査によって、小円墳の実態解明に役だったこと、いずれも6世紀前半代の古墳の群であること
が判明した。
【文献等】瀬戸谷晧「兵庫県豊岡市下陰古墳群」(『豊岡市文化財調査報告書8』,『豊岡市立郷土資料館
調査報告書8』
1978)
◆田結風谷古墳測量調査
【調査開始】昭和54年3月
【調査担当】瀬戸谷晧,武庫川女子大学考古学研究会有志
【主要成果】豊岡市内で最大規模の同古墳につき、市指定史跡として適切か、また市史に詳細を掲載す
るための事業として実施。市内最大の横穴式石室古墳であることが判明、市指定史跡として、保護,活
用を図ることが期待される。
【文献等】瀬戸谷晧「考古学からみた豊岡」(『豊岡市史上巻』
1981)
◆高屋窯跡確認調査
【調査開始】昭和54年3月
【調査担当】瀬戸谷晧,山口久喜
【主要成果】江戸時代の天保期の磁器窯として、市内では比較的知られた存在の同遺跡は、市内在住の
研究者から調査と保存策について市教委に検討するよう要請のあったところであるが、昨年の事前測量
調査に続いて、本年度発掘を伴う確認調査を実施するところとなった。
豊岡市で最初の国庫補助事業として実施した。天保期の磁器製作のための、5連房式登り窯の実態が
解明でき、良好な残存状況を示すため、地下に埋め戻して保存するものとした。
【文献等】瀬戸谷晧,山口久喜「但馬・高屋古窯」(『豊岡市文化財調査報告書1 1』,『豊岡市立郷土資料
館調査報告書11』
1981)
◆三江,新田,神美地区分布調査事業
【調査開始】昭和54年3月から随時
【調査担当】和田長治
【主要成果】市単独事業として、今後数年にわたって実施する埋蔵文化財の基礎的分布調査。多くの遺
跡の存在が明らかにされ、その後の保護行政の基礎資料となる。
【文献等】「豊岡市埋蔵文化財分布地図および地名表」(『豊岡市文化財調査報告書 20』,『豊岡市立郷土資
料館調査報告書20』
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1989)
豊岡市発掘2 0年を振り返る
ク,昭和54年度
◆北浦古墳群発掘調査
【調査開始】昭和54年7月
【調査担当】瀬戸谷晧
【主要成果】豊岡中核工業団地造成工事に先立って、森尾地区の字北浦で発掘調査を実施することにな
った。今回は、そのうちの9号墳から1 9号地点までを対象に実施した。当初、古墳と認定していなかっ
たものの、調査によって古墳であることが判明したものが多い。
それだけ、本古墳群が急傾斜地に造られたことを示しており、 1 8号墳は鏡と土師器転用枕、刀子のみ
を有するものであったが地域首長墓らしいこと、おおむね5世紀代に始まり、6世紀前半代に終わる古
墳群らしいことなどが明らかとなった。
【文献等】瀬戸谷晧ほか「北浦古墳群」(『豊岡中核工業団地内埋蔵文化財発掘調査報告2』
1980)
北浦18号墳埋葬施設
◆福田亀ケ崎古墳群分布調査
【調査開始】昭和54年7月
【調査担当】瀬戸谷晧
【主要成果】豊岡市の不燃物処理施設の造成に伴う周辺開発で、当該地が工事で破壊されることとなっ
たため、事前に分布調査を実施したものである。
中世山城に伴う堀切が存在すること、古墳が、少なくとも5基程度は存在するらしいことが明らかに
できた。
【文献等】瀬戸谷晧ほか「亀ケ崎遺跡群」(『豊岡市文化財調査報告書 1 2』,『豊岡市立郷土資料館調査報
告書12』
1982)
◆神美,八条南部地区分布調査事業
【調査開始】昭和55年3月から随時
【調査担当】和田長治
【主要成果】市単独事業として、数年にわたって実施する埋蔵文化財の基礎的分布調査。多くの遺跡の
存在が明らかにされ、その後の保護行政の基礎資料となる。
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とよおか発掘情報 第5号
【文献等】「豊岡市埋蔵文化財分布地図および地名表」(『豊岡市文化財調査報告書 20』,『豊岡市立郷土資
料館調査報告書20』
1989)
◆豊岡中核工業団地予定地内分布調査事業
【調査開始】昭和55年3月から随時
【調査担当】瀬戸谷晧,和田長治
【主要成果】今後に予想される同事業によって、どの程度の埋蔵文化財が用地内に含まれるのか検証す
るため、また発掘経費積算のために再度詳細な分布状況を把握する必要が生じたため。
【文献等】瀬戸谷晧ほか「北浦古墳群」(『豊岡中核工業団地内埋蔵文化財発掘調査報告2』
1980)
◆六方,中佐地区ほ場整備にかかる分布調査事業
【調査開始】昭和55年3月から随時
【調査担当】和田長治
【主要成果】駄坂地区で弥生前期の土器片等を採集し、当該時期の遺跡が六方川底に存在することが判
明。
【文献等】「豊岡市埋蔵文化財分布地図および地名表」(『豊岡市文化財調査報告書 20』,『豊岡市立郷土資
料館調査報告書20』
1989)
工業団地予定地内および周辺地域の遺跡分布
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