Ⅴ 高次脳機能

Ⅴ
高次脳機能
1
記憶・見当識
2
注意
3
失語
4
失認
5
失行・遂行機能障害
1 記憶・見当識
記憶について
記憶の種類・過程
記憶の分類の一例を示しておきます。
記憶は時間の要素から、短い順に感覚記憶・短期記憶・中期記憶・長期記憶に分類され、長期記
憶は言葉にできる陳述記憶と、言葉にできない非陳述記憶に分かれます。陳述記憶は意味記憶とエ
ピソード記憶に分類され、非陳述記憶はプライミングと手続き記憶に分類されます。
記憶
忘れにくい
記憶
長期記憶
(1ヶ月以上)
非陳述記憶
(言葉にできない)
中期記憶
短期記憶
感覚記憶
(1∼2秒)
(体で覚えた記憶)
プライミング
(1ヶ月)
(数秒)
手続き記憶
(○○らしさ)
陳述記憶
(言葉にできる)
意味記憶
(言葉などの意味の記憶)
エピソード記憶
(いわゆる記憶)
回想記憶
(過去の事項)
展望記憶
(将来の事項)
忘れやすい
手続き記憶、いわゆる体で覚えた記憶は、最も忘れにくいものです。体で覚えた記憶(手続き記憶)のう
ち、特に忘れにくいものの一つに、咀嚼・嚥下(生命維持に非常に重要)が挙げられます。
陳述記憶のうち、エピソード記憶は、私たちがいわゆる記憶としてイメージしているもので、
「昨日、何
を食べた」
「小学校のころ、何をして遊んだ」などのように、言葉や文章にできる記憶のことです。
エピソード記憶のうち、過去の記憶は「回想記憶」と呼ばれています。将来に関する記憶、例えば「来週
の月曜日に友だちと映画を見に行く」などは「展望記憶」と呼ばれています。展望記憶には、時間をベース
にする展望記憶(例:3時になったらお茶を飲む)と事象をベースにする展望記憶(例:散歩の後にお茶を
飲む)の2つがあります。
記憶の過程は、新しいことを覚える「記銘」
、覚えたことを保ち続ける「保持」覚えたことを思い出す「再
成」に分けることができます。
記憶とケア
疾患や個人の特性により、低下する記憶の種類が異なるので、どの記憶が低下しているか、どの
記憶が将来低下するかを把握・予測して、対応することが大切です。
一般的に、エピソード記憶が最初に低下しやすく、手続き記憶は最後まで残りやすいので、認知
症予防ではエピソード記憶を活用し、中重度認知症では手続き記憶を活用します。 90
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記憶低下への対応
認知症予防はエピソード記憶、
進行時は手続き記憶 個々の症状に合わせた対応
散歩の後に
昔取った杵柄で
お茶を勧める
雑巾を縫う
事象ベースの展望記憶が低下している人には、会話
の中で「○○の後に△△しましょう」など、事象に
伴う展望記憶を刺激する会話内容にするなど、個々
の状態に合わせて、きめ細やかに対応します。
認知症予防では、最初に失いやすいエピソード記憶
を刺激することで機能の低下を防ぎ、ある程度、認
知症が進行した中重度の認知症者には、手続き記憶
である「なじみの活動」を実施するなど、病期・症
状に応じた対応をします。
見当識について
見当識とは、
「今何時か」「自分がどこにいるか」など、日時や場所などの基本的な状況把握をす
る能力のことで、「時の見当識」「場所の見当識」「人の見当識」があります。
アルツハイマー型認知症。(AD)では、初期に「時の見当識」が低下し、次いで「場所の見当識」
、
その後は「人の見当識」が障害されるのが一般的です。
見当識の種類
時の見当識
場所の見当識
人の見当識
ポイント
1)記憶には、エピソード記憶・手続き記憶、回想記憶・展望記憶などがある。
2)エピソード記憶、展望記憶が最初に障害されるのが一般的。
3)見当識には、時の見当識、場所の見当識、人の見当識があり、AD ではこの順に低下しやすい。
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2 注意
注意について
注意の機能
注意とは、特定の事象に気を向ける、気を付ける心的活動のことです。
注意には、ある特定のものに注意を集中する「注意の集中機能」、あるものから他のものに注意
を移す「注意の転換機能」、あるものに注意を向け続ける「注意の持続機能」、一度に 2 つ以上の
ものに注意を向ける「注意の分配機能」
、これらの機能を総合的に調整する「注意の総合調整機能」
があります。
注意の各機能を働かせるためには、一定以上の意識レベルが保たれている必要があります。
注意
総合調節機能
集中
転換
持続
分配
アルツハイマー型認知症では、
「注意の分配機能」が低下しやすいことが分かっています。
そのため、一度に 2 つの課題を遂行することが苦手になります。
アルツハイマー型認知症の症状として、歩きながらしゃべることが苦手になり、質問すると歩み
が止まってしまう現象( stop walking when talking )が有名です。
注意分配のテスト
注意の分配機能は、さまざまな活動・行為実行時に必要になる機能です。そのため、ADL、IADL
を観察することで評価は可能です。次ページに、
一般的によく使用される評価を紹介しておきます。
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① TMT- A、B(Trail Making Test A、B)
数字を順に線で結ぶテスト。数字とひらがなを交互に順番通りに線で結ぶテスト
② かな拾いテスト
ひらがなで書かれた文章を読み、内容を把握しながら母音をチェックするテスト
③ Stroop Test(ストループテスト)
さまざまな色で書かれた色の漢字(緑・青など)の色を素早く答えるテスト
④ PASAT( Paced Auditory Serial Addition Task)
連続して読み上げられる1桁の数字を、先に述べられた数字に順次暗算で足していくテスト
① TMT- A、B
①
②かな拾いテスト
③ Stroop Test
PASAT
⑥
⑧
⑤
③
④
②
①
う
④
い
②
⑦
え
あ
③
感覚と注意・記憶
人により、感覚ごとの注意の分配機能や記憶の機能低下の度合いが異なります。
より細やかなケアのために、感覚ごとの注意・記憶の評価、対応を進めましょう。
視覚の注意の分配
聴覚の注意の分配
触覚の注意の分配
左右の手の両方に気を配り、どち
らが動いたかを答えます。
3 人が同時に言った単語を聞き分
けます。
目を閉じて、同時に触った部位が
1 点か 2 点かを答えます。
ポイント
1)注意には「集中」
「持続」
「転換」「分配」「総合調整」の機能がある。
2)アルツハイマー型認知症で最初に障害されやすいのは、注意の分配。
3)注意・記憶には、視覚の注意・記憶、聴覚の注意・記憶など感覚別の要素もある。
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3 失語
失語症について
失語症とは、末梢の発声器官(声帯、舌など)の奇形や麻痺によるものではなく、大脳の言語中
枢などの損傷による言語障害のことです。
大脳言語中枢
右脳・左脳の働き
左脳
脳の機能的な違い
・言語
・計算
・理論脳
言語中枢(左脳側面)
右脳
・空間認知
・絵
・言葉
・芸術脳
ブローカ野
前
ウェルニッケ野
後
失語症の分類
失語症は、見る・聞くが主に障害される「感覚性失語」と、言う・書くが主に障害される「運動
性失語」に大別できます。
感覚性失語は、言葉は流暢でも、相手の言っていることや、書いてあることが理解できないタイ
プの失語症です。
運動性失語は、相手の言っていることや書いてあることは理解できても、言葉がうまく出なかっ
たり、書けなかったりするタイプの失語症です。
さらに感覚性失語は、「超皮質性感覚失語」と「ウェルニッケ失語」などに分類され、運動性失
語は「超皮質性運動性失語」や「ブローカー失語」などに分類されます。
すべての機能が障害されている失語を「全失語」と呼びます。
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失語症の分類
① 超皮質性感覚失語
③ 超皮質性運動失語
⑤ 全失語
② ウェルニッケ失語
④ ブローカー失語
⑥ 健忘失語
⑦ 伝導失語
失語症の専門用語
①「錯語」 間違った単語を言う・書くことで、字性錯語と語性錯語がある。
・字性錯語 … 1つの文字が間違う (例)タバコ⇒タビコ、みかん⇒みろん
・語性錯語 … 単語そのものを間違う (例)タバコ⇒とけい、みかん⇒カバン
②「保続」 同じ言葉、音を継続して言うこと (例)「たったったったっ…」
③「語健忘・失名詞失語」 物の名前を思い出せないこと
(例)みかん⇒「丸くて、オレンジ色で、食べられて、えーっと…」
言語の 4 要素
言語には、①口(言う・読む) ②目(見る・読む) ③手(書く) ④耳(聞く)の 4 つの要素
が関与します。大切なのは、それぞれの機能がどの程度障害され、どの程度能力が残っているのか
をきちんと把握し、対応していくことです。
この際、各因子の相互関係(目⇒口[音読する]、耳⇒口[聞いて答える、復唱]など)に注目
することが大切です。これらの情報をもとに、ケアの提供、リハビリプログラムの提供をします。
言語に関与する4要素
口(言う、読む)
目(見る、読む)
手(書く)
耳(聞く)
ポイント
1)失語症は、大脳の言語中枢の損傷で起きる言語障害。
2)失語症には、
感覚性失語(ウェルニッケ失語ほか)と運動性失語(ブローカー失語ほか)
などがある。
3)口(言う)
、目(読む)
、
手(書く)、耳(聞く)の各要素の残存能力を把握することが大事。
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4 失認
失認とは
失認とは、視覚、触覚などの感覚機能は正常(ほぼ正常)にもかかわらず、大脳皮質の障害によっ
て、対象物が正しく認識されない状態をいいます。
具体的には、
「視覚失認」「触覚失認」
「聴覚失認」
「身体失認」「病態失認」などがあります。
失認の分類
失認の分類を以下に示します。
●視覚失認
見えてはいるが、それが何か分からない、または無視してしまう状態で、片側
の映像だけまったく認識することのできない「半側空間失認(半側空間無視)
」
(次ページ参照)や、よく知っている人の顔を見ても誰だか分からない「相貌
失認」などがある。
●触覚失認
物に触れて、その物の大きさや形状は分かるが、触ることによって「その物が
何なのか」というように物品自体を認知することができない状態のこと。
●聴覚失認
聴覚には異常がないのに、聞いた音の認知や識別ができない状態のこと。
●身体失認
自分自身の身体像(イメージ)が歪んだり、体の一部を自分のものでないよう
に思っていたりすること。
●病態失認
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自分の病状に気付かず、病状について否認したり、無視したりする状態のこと。
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半側失認(半側無視)とは
失認の症状の中でも、視覚失認・身体失認は臨床上「左半側」に現れることが多く、それを左半
側失認(無視)と呼びます。実生活では以下のような現れ方をします。
・食事の際、皿の左半分を食べ残す
・歩いていて左側の壁にぶつかる
・ベッドと車イスの移乗の際に、左側のブレーキをかけることやフットプレートを上げること
を忘れる
・常に顔が右に向いている など
また、ぬり絵などに色を塗ってもらうことで、その症状を伺うことも可能です。
左半側失認には、左半側空間失認(無視)と左半側身体失認(無視)があります。
左半側空間失認の症状例
下図のように、「絵を綺麗に塗ってください」 と指示した場合、左が見えないのではなく、概念
での「左」を無視してしまいます。
結果
結果
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左半側空間失認の評価
左半側空間失認の評価には、線分末梢テスト、線二等分テスト、ぬり絵テスト、時計描写テスト
など、さまざまなものが考案されています。以下に、評価方法とその結果を挙げておきます。
評価方法と結果
線分抹消テスト
紙に書いた線分を一つ 右側のみを抹消。
ひとつ消していく検査。
ぬり絵テスト
1つの絵をきれいに塗
る検査。
右側のみ着色。
図形模写テスト
用紙に書かれたイラス
トを模写する検査。
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右側のみ模写。
線二等分テスト
紙に書いた線分の中央
に印をつける検査。
左側を無視するため右
側に片寄っている。
時計描写テスト
白紙に「10 時 10 分」を指した丸い時計を描写す
る検査。
立体模写テスト
用紙に書かれた立体的
なイラストを模写する
検査。
立体の構成が歪む。
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左半側失認のリハビリ
左半側失認のリハビリ例を以下に挙げておきます。
① 包括的視覚走査訓練
左側を見るように刺激を出す、目印を付けるなどといった訓練です。実施の際には、個人の
レベルに合わせた課題を設定する、右側の刺激物を除去する、すぐに探索をやめない工夫、幅
広い課題で繰り返すなどの工夫が必要です。
② Spatiomotor cueing
左上肢を左空間内で動かす練習をします。
③ 体幹を左へ旋回させてさまざまな作業活動をします。
④ 一側性の感覚刺激(後頸部筋へ振動刺激、前庭刺激)をします。
⑤ プリズム順応(右10度ずれて見えるプリズムを着用して物を取る・指すなどのトレーニングを
します)
⑥ 右側からの刺激を減らします(簡素な環境、右半分がサングラスの眼鏡、目隠しなど)
左半側失認のリハビリケア例
左への荷重
左を下にして側臥位になったり、
左臀部にタオルを入れた座位をと
る(写真は左臀部にタオルを入れ
た座位の状態)。
体幹を回旋させる
左回旋での机作業。
線を目印に歩行
床に左にカーブした線を引き、そ
の上を歩行する。
ポイント
1)失認とは、感覚は正常だが、大脳の障害により対象が正しく認識されない状態を言う。
2)失認には、
「視覚失認」
「触覚失認」「聴覚失認」「身体失認」「病態失認」などがある。
3)臨床上多い左半側失認は、
「左側」を無視もしくは認識できない症状。
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5 失行・遂行機能障害
失行とは
失行とは、関節可動域や筋力などの運動機能レベルから判断すると、
「その活動・行為ができる
はずなのに、大脳皮質の障害により、活動・行為がうまくできなくなった状態」を指します。
失行には、以下のような種類があります。
① 構成失行 ……… パズルの模倣など立体構成がうまくできない。空間的操作の障害。
② 観念運動失行 … 自動運動は可能だが意図的運動が困難、単一物品の使用が困難。
③ 観念失行 ……… お茶を入れる、歯を磨くなどで、個々の動作は可能だが、一連の動作が困難と
なる。
④ 着衣失行 ……… 手足の動きに問題があるわけではないが、服を着ることができない。
⑤ 歩行失行 ……… 麻痺などがあるわけでもないのに、歩くことができない。
⑥ その他
① 構成失行
パズルができない。
④ 着衣失行
服を持っているが、どう着たらい
いのか分からない。
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② 観念運動失行
無意識だと食べられる。
意識すると箸が使えない。
⑤ 歩行失行
③ 観念失行
急須にふたをしたまま、ポットか
らお湯を入れようとする。
⑥ その他・他人の手症候群
座位でのボールけりはできるのに、 自分の意志とは関係なく、勝手に
立ったままだと床に吸着したよう 左手が動く。
に足が出ない。
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遂行機能障害とは
遂行機能と遂行機能障害
遂行機能とは、目的を持った一連の活動を有効に行うのに
遂行機能の過程
必要な機能で、右記の4つの要素からなります。
遂行機能障害とは、右記の要素のいずれか、もしくはすべ
てが障害された状態で、以下のような症状が出現します。
① 目的設定 ③ 計画実行 ② 計画立案 ④ 効率性・効果検討
① 行動開始困難 …………… ある目的を持った行動を開始することが困難
② 活動・認知の転換困難 … ある行動から他の行動へ移ることが困難
③ 活動維持困難 …………… すぐに活動をやめてしまう
④ 活動中止困難 …………… 同じ行動をずっとし続ける
⑤ 脱抑制 …………………… 我慢が利かない
⑥ 修正困難 ………………… 間違っていると分かっていても直せない
⑦ その他
遂行機能障害のリハビリ
効果的なリハビリは将来の課題となっています。現在は、以下のような方法が提唱されています。
遂行機能障害のリハビリ
● 問題解決訓練 …「問題を分析し、解決の方法を見つけて工程を分割化、誤りの検出と是正」
を練習する
● 自己教示法 …… 目標、実行手順、実際の行動を言葉で言う → 内言語化する
● ゴールマネジメント訓練 (GMT)
現況評価とゴールへの意識付け、ゴール設定、ショートステップ化、ゴール・
短期ゴールの把握、実行、チェック
● 機能適応法 …… 目標課題を練習する
● 環境調整 ……… 障害物・阻害物の除去 ほか
ポイント
1)失行は、大脳皮質の障害により、動作・活動・行為が困難になる症状。
2)失行には、構成失行、観念運動失行、観念失行、着衣失行、歩行失行などがある。
3)遂行機能障害とは、目的を持った一連の行動が合目的的に行えない状態。
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