細胞外記録法による神経活動の記録

「細胞外記録法による神経活動の記録」
伊藤 南(感覚認知情報研究部門)
視覚入力により与えられる外界の情報はまず網膜上に整然と並んだ光受容器、神経節細胞により神経活
動に変換され、網膜から外側膝状体を経て第一次視覚野へと送られる。第一次視覚野は大脳皮質視覚領に
おける最初のステップであり、ここからさらに視覚前野の様々な領域へ情報は送られていく。網膜に与えられ
る刺激は、網膜上の場所、そこに入射する光の波長及び強度、入射の時刻という4つのパラメーターで記述
することができる。一方、我々の視知覚は様々な属性、例えば色、形、動き、模様等を利用している。これら
の刺激属性は視覚神経系の処理により網膜画像から取り出された情報である。視知覚の神経メカニズムを
理解するとは、大脳皮質の視覚領野において視覚情報がどのようにして処理されていくのかを理解すること
であり、そのためには、ニューロン(神経細胞)間のネットワークの構築ならびにその構成要素である個々のニ
ューロンの神経活動、それらの振る舞いを明らかにしなければならない。ニューロンはシナプス電流として入
力を受け、発火活動を生じ、軸策突起を介してそれを次のニューロンへ出力する。ニューロンが情報を処理し
伝達する仕組みを明らかするための第一歩はまず発火活動のやり取りを丹念に調べることである。そのため
の基本的かつ有力な研究手法として、本コースでは細胞外記録により大脳皮質の視覚領野の単一ニューロ
ンの発火活動を記録しその性質を調べる方法を学ぶ。
1.金属製微小電極による細胞外記録
単一細胞からの細胞電位の記録法は(1)細胞内記録法、(2)パッチ電極記録法、(3)細胞外記録法、の
三つに大別される。(1)と(2)はガラス微小電極を細胞内に刺入するか細胞の表面にあてて記録を行うので
単一細胞からの記録としては明快である。膜電位を測定することができるが、電極自体が非常にもろいことと
脳組織のわずかな動きによって細胞膜を傷つけてしまうことが欠点である。一般に切片標本が用いられる。
丸ごとの動物(in vivo)の実験では長時間記録を続けるのはかなり難しい。(3)は金属電極の細い先端部分
を細胞の近傍に進めて、発火活動により細胞の周囲に生じる電場電位の変化を記録する。単一細胞記録と
多細胞記録(2~3細胞の神経活動が重畳している場合)の境界があいまいなことが欠点である。しかし電極
自体に強度があり、長時間の記録も可能であり、応用範囲が広い。また近年では複数の集団としてのニュー
ロンの発火活動を見るためにむしろ意図的に数個のニューロンの活動をまとめて記録したり、局所電場電位
(Local Field Poential)を記録することも行われている。視覚系の研究においては目から入る視覚刺激に対す
るニューロンの反応を調べるために in vivo で実験を行うことが多いので金属電極による細胞外記録はポピュ
ラーな手法である。
実験に最適な電極を得ることは電気生理実験の基本であり、従来は白金イリジウム、タングステン、エルジ
ロイ等の線材を使用して自作することが多かった。しかし、近年は良質の電極が比較的安価に入手できるよ
うになったことや、4~100チャンネルの複数同時記録用電極や長期間脳に留置するタイプの電極等自作す
るには手に余るような電極が市販されるようになり、電極を自作することが少なくなってきた。電極の善し悪し
は主として電極の形状と抵抗による。電極の周囲はガラスないしはパリレン等の樹脂により絶縁されている。
電極抵抗は先端部分の形状と先端部での絶縁の剥がし方により決まる。一般に先端部分が鋭利で電極抵
抗が高い電極は局所の電位変化を検出し小さなニューロンからの単一記録に適するとされる。しかし強度が
落ちるので電極を刺入する際には注意が必要である。細胞のごく近傍にまで電極先端が寄らないと細胞電
位が単離できないことから、電極を移動する際に神経経活動が突然あらわれて、またすぐに消えることが多く、
神経活動を単離しそれを長期間維持することが難しい。一方、先端部分が丸く電極抵抗が低い電極を使用
すると、電極の強度が増すので硬膜が肥厚しているような場合の刺入に適している。ある程度広範囲の神経
活動を記録できることから、電極を移動する際に細胞へ接近する様子が分かりやすく神経活動の単離が容
易になるという利点がある。また脳組織の微細な移動に対して比較的頑健であり、安定して単一細胞記録を
継続することができる。神経活動の低周波数成分をモニターすることにより、近傍の電場電位を手掛かりにニ
ューロンの探索が容易になるという利点もある。しかし小さなニューロンを単離することは難しい。従って記録
の目的に添うように最適の電極を選ぶことが肝要である。例えば記録部位を広く大雑把にマッピングして多く
のニューロンの平均的な特徴をつかみたければ、先端が太めの抵抗の低い電極でフィールドレスポンス(電
場電位)をとればよい。個々のニューロンの性質を調べるのであれば先端の鋭い抵抗の高い電極を使用して
単一細胞記録を行うことが望ましい。第一次視覚野の第3層の錐体細胞から記録するのであれば、抵抗が1
~3MΩである程度先端部分が鈍な(先端より125μmの部分で直径が25~35μmになるくらい(図 1)の
電極を使用すると長時間安定した記録が行いやすい。また第一次視覚野の一方第4層のように小さな細胞
が多いところから記録するのであれば電極の先端が特に鋭利なものを選ばなければならない。自作の場合
には電極を作成する際に微調整を行うが、市販の電極を使用する際にはまず条件に合う電極を探しだすこと
が肝要である。生産ロットによって条件が変わることがしばしばあるので注意する。自作するにせよ、購入す
るにせよ、大事なことは自分の実験目的に応じた最適の電極のイメージ、条件を早く見つけ出すことである。
先端の形状や電極抵抗により記録される細胞の種類が異なる可能性があるので、データ解析時にはっそうし
た電極の選択によるサンプリングバイアスの影響を考慮しなければならない。
電極抵抗の測定には専用の抵抗計を使用する。1kHzの微弱な交流電流を電極に流して抵抗を測定する。
電流により電極先端の絶縁皮膜が破壊されて抵抗が下がることがあるので、短時間で測定する。測定の際、
設置側に生理食塩水を使用することが多いので、抵抗を測定したあとは塩分が残らないように清潔な流水で
洗浄する。先端部分が鋭利なので収納には留意する。特に使用後の電極には動物の体液が付着しているの
で、針刺し事故を起こさないように密閉容器や試験管等に保持するのがよい。電極を長期間保存したり同じ
電極を再度利用する場合には、電極を刺入する前の電極の洗浄、消毒や保存中の酸化による電極抵抗の
変化や絶縁の劣化に留意する。
図1
白金イリジウム記録用電極の自作例
2 . 0 cm
5 .0 cm
直径100μmの白金イリジウム線
白金イリジウム用ガラス
白金イリジウム
直径30~35μm
1 2 5 μm
2.見学:覚醒サルの視覚皮質からの電気記録
視知覚の神経メカニズムを理解するためには、一つ一つのニューロンにおける神経活動とその性質をつま
びらかにすることが第一歩となる。視覚情報は網膜の光受容器(錐体細胞、桿体細胞)で神経活動に変換さ
れ、網膜の神経節細胞、外側膝状体を経て、大脳皮質の第一次視覚野へと送り込まれる。図2にマカクザル
の大脳を示す(上から順に外側面、内側面、溝の部分も含めて大脳表面をのばして表示したもの)。下図に
示すように、大脳皮質は解剖学的な差異、ニューロンの性質の差異、解剖学的な結合関係によりさらに小さ
な領野に分けられる。現在サルの視覚関連領域(図2、灰色で示す部分)だけでも30以上の領野が知られて
いる。第一次視覚野(図2、濃灰色で示す部分)は大脳皮質における視覚情報処理の最初のステップであり、
その後様々な領野を介しながら様々な視覚情報の解析がおこなわれて、最終的に物体や空間を認知するの
である。実験にはマウス、ネコ、サルなどが用いられるが、特にサルは大脳皮質の半分以上が何らかの視覚
情報の処理に関係しており、またヒトによく似た視覚機能を持つと考えられており、ヒトのモデル動物として視
知覚のメカニズムの生理学的研究を行うのに適しているとされる。近年では覚醒動物からの神経活動の記録
が広く行われるようになっているが、それ以前には麻酔下での記録実験が主な方法であった。麻酔下の視覚
系からの記録実験は(1)麻酔の状態をよくコントロールし動物の状態を良好に保つのに経験を必要とする、
(2)目の調節ができないのでコンタクトレンズ等により視覚刺激の像が網膜上でピントが合うようにしなけれ
ばならない、(3)シナプスを介するほど麻酔の影響が大きくなるので、神経応答を見る上で薬物の影響を考
慮しなければならない、(4)刺激に対して受動的な反応しか記録できない等のデメリットがある。一方これら
の問題をクリアできれば安定した記録を長時間続けることが可能である。条件さえよければ同一のニューロン
より1~6時間程度の記録は可能である。呼吸、血流、動物の動きなどに起因する脳組織の変動を最小限に
抑えることができるので、in vivo で細胞内記録を行う例さえある。従って、ニューロンの性質を詳細に調べる
には現在でも有用な方法であることにかわりはない。特に第一次視覚野を含む初期視覚野の研究において
は(1)介在するシナプスの数が少ない、(2)情報処理はニューロンの性質に主として依存し、決まった入力に
対しては決まった出力しかない(一種のフィルターのようなもの)と考えられてきた、などの理由から麻酔の影
響がそれほど問題視されることはなかった。しかし最近では修飾作用のようなダイナミックな性質や、注意や
認知との関係を問うような研究が増えてきており、初期視覚野の研究においても覚醒動物からの記録が要求
されるようになってきた。医療技術の発達により PET や MRI 等の非侵襲測定方法による神経活動の記録が
広く行われるようになってきたが、空間分解能や時間分解能の限界により個々の細胞レベルでの神経活動
の記録は無理である。脳内には痛覚器がないので適切な手段を用いれば覚醒状態でも動物に苦痛を与える
ことなく細胞外記録を行うことが可能である。さらに覚醒状態で課題を遂行中の動物における神経活動を調
べる方法が確立されるようになり、単にニューロンの性質を調べることから視知覚のプロセスとの関係を明ら
かにする道が開けてきた。
本コースでは実際に覚醒サルの視覚野の単一細胞から細胞外記録を行う様子を見学してもらう予定である。
実験方法は個々の研究内容に応じて千差万別なので、このテキストでは白金イリジウム電極による第一視
覚野、第二次視覚野からの記録法を中心にまとめたが、これはあくまで一つの例であると考えてほしい。当研
究室でもサルの様々な視覚関連領野から記録しているので実験方法の違いに注目しながら実際の実験の様
子を見学してもらいたい。
図2マカクザルの大脳皮質視覚領
Lateral(外側)
Central Sulcus
中心溝
Arcuate Sulcus
弓状溝
Intraparietal Sulcus
頭頂間溝
Dorsal(背側)
Principal Sulcus
主溝
Lunate Sulcus
月状溝
Posterior(後側)
Anterior(前側)
Orbitofrontal Sulcus
眼窩前頭溝
Lateral (Sylvian) Fissure
外側裂溝
Inferior Occipital Sulcus
下後頭溝
Posterior Middle Temporal Sulcus
後中側頭溝
Ventral(腹側)
Superior Temporal Sulcus
上側頭溝
Anterior Middle Temporal Sulcus
前中側頭溝
Medial(内側)
Rhinal Sulcus
嗅脳溝
Occipital Temporal Sulcus
後頭側頭溝
Calcarine Fissure
鳥距裂溝
Corpus Callosum
脳梁
Cingulate Sulcus
帯状溝
Parieto-Occipital Sulcus
頭頂後頭溝
Medial Parieto-Occipital Sulcus
頭頂後頭溝
Motor
VIP
V3
Somato-Sensory
Visual
Auditory
V4
MST
V1
TEO
TE
V2
MT
セットアップ
覚醒状態での電気記録には動物の訓練に使用するセットアップに記録系を加えて使用することが多い。
細胞外記録ではニューロン近傍の微弱な電位変化を記録し、生体増幅器で増幅し、フィルターにより不必要
な信号成分を除去し、主として電位変化の振幅をもとに発火活動を検出する。コンピューターの記憶容量の
増加にともない、記録した電位をA/D変換器によりデジタル化し、そのまま発火活動の検出解析やデータの
保存に供するようになってきている。またローカルネットワークを介して、数台のパソコンに実験の制御、デー
タの記録、刺激の表示等を分担させることが多い。セットアップは各研究者が実験に応じて最適のものを作り
上げていくので、いわゆるスタンダードな方法はない。ここでは本研究室で使用しているセットアップに即して
解説する(図3,4)。
A.モンキーチェア(中澤製作所)
実験中に動物の体を緩やかに拘束するためにアクリル製の箱型のモンキーチェアを使用する。動物は首
だけを出すようにしてチェア内に座り、必要であれば胴回りや腰のところに板をいれて自由に体の位置を変え
られないようにする。首輪を固定するか、肩が通らないように首を出す穴の大きさを調節して、動物がチェア
から出られないようにする。実験中はチェアごとシールドルーム内に固定する。
B.ヘッドホルダー
事前に頭部を固定する為の金具(ヘッドホルダー)を頭蓋骨上に金属ないしはセラミックス製のネジと歯科
用セメントで固定する。訓練、記録中には棒状の固定具をヘッドホルダーとチェアの双方に固定して、頭部を
安定させる。覚醒動物の場合、動物が動くことで力が加わるので、ネジの数を増やして頑丈に固定する。始め
のうちは動物が暴れるようであれば無理に固定せずに訓練を続け、徐々に慣れさせるようにする。訓練や記
録中にも随時MRI撮影を行うケースが増えてきている。その場合には金属製の部品を使用できないので、M
RI専用のポリサルフォン等の樹脂製ヘッドホルダーやセラミックス製ねじを使用する。
C.眼位測定装置
動物が注視しているかどうかをモニターするために眼球の向きを常時測定する必要がある。主として電磁
誘導式と赤外線式の2通りの測定法がある。前者は専用のステンレス線を直径 14mm 程度、3重のループ状
にして作ったアイコイルを手術によりあらかじめ眼球上(強膜と結膜の間)に埋め込み、頭部の周りに設置し
た磁場発生用コイルに電流を流してアイコイルに微弱な電流を発生させる。磁場の向きとループの向きにより
生じる電流の大きさが変わるので、x、y2方向の磁場を交互に発生させて生じる電流量をもとにループのすな
わち目の上下左右の傾きをモニターする。磁場発生コイル内ではほぼ均一な磁場がかけられているので頭
部の位置のずれにあまり影響されない。アイコイルを埋め込む手術が必要だが、一旦コイルが眼球上で安定
すると安定な記録が可能である。精度は信号のS/N比に依存し、高精度かつオンライン制御に適した計測
が可能である。後者は角膜表面に微弱な赤外線ビームをあててその反射光の向きから眼位を測定する方法、
ないしは反射率の違いを利用して画像解析で瞳孔部分を検出して眼位を解析する方法である。信号の精度
がやや落ちる、画像解析による遅延時間の発生、頭部の位置のずれに影響されやすく頻繁にキャリブレーシ
ョンを行うことが必要であることが欠点とされてきた。一方手術の必要がなく動物の負担を軽減できることが
大きな利点である。サルを用いた実験ではアイコイルを使用する方法が一般的であったが、近年赤外線式が
著しく改善されて利用されるようになってきた。本研究室では第一次視覚や第二次視覚野のように細胞の受
容野が小さな部位からの記録には電磁誘導式眼位測定装置(演算子工業)を、受容野が比較的大きなTEO
野やTE野からの記録には赤外線式眼位測定装置(ISCAN社)を利用している。現在使用している赤外線式
の測定装置の場合、空間分解能が0.1度弱で、16-32ミリ秒程度の解析時間遅れを伴うが、TEO野やTE
野からの記録では問題とならない。
D.電極ホルダー、マニピュレーター
一般的に覚醒実験ではエバーツ式といわれる小型軽量タイプの電極ホルダーが使用されてきたが、現在
では様々なタイプのものが開発使用されている。電極ホルダー(成茂科学)を頭蓋骨に取り付けた記録用チェ
ンバーに直接固定して、粗動部分により電極を記録部位の直上へ移動し、油圧式のマニピュレーターによる
微動で電極を刺入する。パルスモータで油圧部を駆動するタイプのマニピュレーターを使用すると数μm単位
でも電極を移動できるので便利である。まれに外部機器にマニピュレーターを取り付ける場合があるが、実験
中に電極が横方向に移動すると皮質を傷付けることになるので、頭部、マニピュレーターの双方を堅固に固
定できるような装置でなければならない。深部からの記録にあたっては電極の刺入位置を正確に決めるため
に、記録用チェンバーに格子上のグリッドをとりつけてガイドチューブをグリッドの穴に固定し、そのガイドチュ
ーブを通して電極を刺入する。
E.実験室のシールド
非常に微弱な電位変化を記録するので細胞外記録は電磁ノイズに非常に弱い。実験室内の機器、電灯、
電源ライン、さまざまな結線にはアース(接地)をとる。アースはいわゆる一点アースとしループを作らないよう
にすることが肝要である。動物はチェアごとシールドルーム内に固定し、外部からの電磁ノイズを遮蔽する。
特にコンピューター、ディスプレイ、蛍光灯および交流電源をもつ機器類は強力なノイズ源となるので、極力シ
ールドルームに入れない。シールドルームに入れざるをえない場合には、金属板や網線等で覆いを施しアー
スを取り、プレアンプなどの記録系から距離を置くようにする。シールドルーム内の照明は直流電源のものを
使用する。シールドルームのアース、シールドルーム内の機器類のアース、およびシールドルーム外の機器
につないだアース線はそれぞれ配電盤の接地端子(GND)に直接つなぐようにして、アース線を介したノイズ
の混入を防ぐ。細胞外記録では電位波形よりも活動の有無が主たる情報となるので、ノイズの周波数が神経
図 3 覚 醒 状 態 で の ユ ニ ッ ト レ コ ー デ ィ ン グ 実 験 セ ッ ト
シールドルーム
アイコイル出力
プレアンプ出力
レバー出力
プレアンプ
ヘッドホルダー
磁場発生用コイル
刺激呈示用CRT
ジュース
電磁弁
マ ニピュレーター
(パルスドライバー)
レバー
注視点
刺激
モンキーチェア
GND
活動の周波数成分と異なり、かつ周波数帯域が限定されたものであればバンドパスフィルター等を積極的に
利用することも可能である。たとえば電磁誘導式の眼位測定装置がそれにあたる。しかし、まずノイズの発生
を抑えることから始めるのが基本である。増幅器のプレアンプ部分はシールドルーム内に置くが、小型軽量で
あれば電極ホルダーやチェアに固定して使用する。プレアンプと電極をつなぐ部分が電磁ノイズを拾う場合に
はアルミフォイルや金網で周囲を囲むようにしてアースとする。手術の際にアース用の金属ビスを頭蓋骨を貫
通するように取り付けるが、骨成分がビスの周囲に再形成されてアースとして機能しなくなることが多いので、
その場合には銀線を側頭部分の筋肉の下側に差し込んでアースとする。外部からの音を遮断したい場合に
は防音性のあるシールドルームを使用し、内部に白色雑音を流す。
F. 報酬系と応答系
報酬にジュースを使用する場合には実験課題制御用のPCから信号を出力してリレーを駆動し電磁弁を開
放して報酬を与える。電磁弁の開閉に際しては音と電磁ノイズを生じるのでシールドルームの外部にとりつけ、
記録系からは離すようにする。報酬は各試行における活動電位のデータの取り込みが終了したあとで与える。
課題にレバー押しによる応答を採用した場合にはチェアの前部にレバーをとりつけ、制御用のPCにつないで
レバー押しの状態をモニターする。これらの入出力はPC1 につないだデジタル I/O パネルを介して行う。眼位
をモニターしている場合にはCRTディスプレイ上に呈示した標的への視線の移動(サッケード)により応答さ
せることも可である。ジュースを与えるチューブ類は定期的にアルコールや薄い消毒液により清掃、殺菌して
かびや雑菌の繁殖を防ぐ。
G. 生体用アンプ、フィルター
皮質内に刺入した金属電極の先端とチェンバー外に取り付けた不関電極との電位差を測定する。微弱な
電位変化(数100μV)を検出するために高ゲイン(10000倍)のアンプを使用する。アンプは電流の発生に
ともなう電圧降下を防ぐために、高入力インピーダンスを持ついわゆる生体増幅器を使用する。外部からの
電磁ノイズの重畳を防ぐために初段のオペアンプをプレアンプとして電極のすぐそばに置く。さらにノイズの影
響を極力減らすためにバンドパスフィルターを使用する(200~20kHz)。
H―J.コンピューター(PC1,PC2,PC3)
測定計の中枢には3台のデスクトップコンピュータをローカルネットワークでつないで使用している。本研究
室ではプログラムを随時改良していくための利便性と計測の時間精度を確保するために、自作のC++プロ
グラムをウィンドウズ98のDOSモードで運用している。しかし近年OSのヴァージョンアップに伴いインタータ
フェースボードのドライバーがウィンドウズベースでしか提供されないようになってきたので、今後はプログラ
ム自体もウィンドウズ上で運用せざるをえないと考えられる。CPU自体の性能が非常に向上してきてはいる
が、ウィンドウズの機能向上に伴いマルチタスク機能により測定プログラムが一時的に中断される可能性が
依然として存在するので、ウィンドウズの機能や同時に使用するプログラムを制限してなるべくCPUの負担を
軽くする。さらに独自にクロックを持つインターフェースボードを使用するなどの工夫が必要である。また市販
のプログラムにも優れたものが出てきており使用される機会が増えているが、その内容については十分に熟
知した上で使用することが大事である。
H.実験制御用コンピューター(PC1)
自作のコントロールプログラム(ボーランドC++で記述、DOS上で使用)により、刺激パラメーターの設定、
時間の調整を行う。眼位測定装置の出力信号をA/D変換器を介して取り込み、注視点を中心に 0.5~1.0 度
の大きさでウィンドウを設定して、注視状態をモニターする。注視状態により、課題の開始、中断を制御する。
弁別課題では注視点の移動により動物の反応の判定に利用する。デジタルI/Oパネルを介してレバー入力
の取り込みや報酬用の電磁弁の制御を行う。またローカルネットワークを介して刺激の呈示(PC2)やデータ
の取り込み(PC3)をコントロールする。
I.刺激呈示用コンピューター(PC2)
自作のコントロールプログラム(ボーランドC++で記述、Windows98 のDOSモードで使用)により、VSG
(グラフィックボード、ケンブリッジリサーチ社)による刺激の呈示を行う(120Hz、800x600ピクセルで使用)。
このグラフィックボードは独自のメモリーをもち、描画に時間がかかるのが欠点だが、一旦描画した画像の呈
示は非常に早く、120Hzの画面のリフレッシュごとにあわせて画像を入れ替えることが可能である。またボー
ド独自のクロックを持っており、刺激呈示が始まればそれ以降の時間経過を正確にコントロールすることがで
きる。刺激呈示用のCRTと目の距離が57cmの場合にはCRT画面上での1cmが視角での1度に相当する。
刺激の自由度が高いことから刺激呈示にはCRTディスプレイを使用することが多い。しかし万能ではないの
で実験目的とCRTディスプレイの限界とをよく勘考すべきである。例えばディスプレイ上の刺激を厳密に表現
すると離散的な光点の集合が走査線の走行によりフレームごとに次々と点滅するということなので、リフレッ
シュレートの低いディスプレイを使用すると見た目には連続した刺激であっても、神経活動が刺激の点滅に応
じて変動することがあるので注意が必要である。第一次視覚野や外側膝状体のニューロンの中には時間特
図4
実験システムの模式図
CPU2:視覚刺激呈示 CPU1:タスク制御 CPU3:データ記録、オンライン表示
CRT
CRT
CRT
PC2
PC1
PC 3
CRT:
ヒストグラム
オンラインモニター
オシロスコープ スピーカー
グラフィックボード
デジタルI/Oパネル
A/Dコンバーター
A/Dコンバーター
タスクコントロール
眼位のデータ 神経活動のデータ
D/Aコンバーター
眼位測定装置
帯域フィルター
アンプ
CRT
刺激呈示
報酬用電磁弁
アイコイル
赤外線カメラ
応答用レバー
プレアンプ
GND
金属電極
性の非常に良いものがあり、通常のCRTディスプレイではリフレッシュレートに同期して反応が増減すること
が知られているので要注意である。また刺激パラメーターを微細に調整しても実際にディスプレイに呈示され
る刺激に反映されないことにも注意すべきである。数度単位で刺激を回転させるような微細な描画の変更は
実際の刺激に反映されないし、刺激の移動速度が速すぎると刺激が移動するというよりはフレームごとにジャ
ンプする。また各色成分(RGB)の輝度調整は多くの場合で256階調(8bit)に制限されるので、やはり微細
な色の変更は実際の刺激に反映されないことがある。刺激パラメーターの高精度で変化させたり(因みにVS
Gの場合は輝度調整が12bit、4096階調である)、パラメーターの可動範囲を広くとる必要があるのであれ
ばスライドプロジェクターやガルバノメーターのようなアナログ機器による刺激呈示を考えるべきである。それ
とは別の問題として、近年CRTディスプレイの製造中止が相次ぎ入手が難しくなってきた。しかし液晶ディス
プレイでは残光が長いとか光量が不十分であるとかの問題があるので、代替機器の選定に当たっては実験
の障害にならないように慎重を期する必要がある。
J.データの取り込みおよびPSTH表示用コンピューター(PC3)
覚醒動物の実験ではアンプ出力(活動電位)、刺激パラメーター、PC2からの刺激呈示のタイミングを表示
する信号の他に、眼位測定装置の出力(眼位)、PC1からの眼位の判定結果を表示する信号も直接取り込
んで、同時に記録する。以前は神経活動の記録はウィンドウディスクリミネーターにより時間と電位により決ま
るウィンドウを設定して、ウィンドウを通過するような特定の形状をした活動電位を取り出し、パルス出力とし
てコンピューターに取り込ませていた。コンピューターの性能の向上とあわせて高速かつ大容量のメモリが安
価に入手できるようになったので、活動電位の波形をそのままデータとして残すことが多くなった。当研究室
のシステムではタスク制御用のPC1とは別のPC3に高速(1チャンネルあたり最大25kHz)のA/Dコンバー
ター(デイテル)を搭載して、自作のコントロールプログラム(ボーランドC++ビルダーで記述、Windows 98 上
で使用)で使用している。A/D変換にはCPUを介さずにA/Dボード側のクロックで自動的に変換とハードデ
ィスクへのデータの転送保存を行うタイプのA/Dボードを使用している。さらにアンプ出力(活動電位)の他
にPC1から課題をコントロール際の出力信号やPC2からの刺激呈示のタイミングを表示する信号を直接取り
込んで同時記録し、オフライン解析時に神経活動との時間関係を正確に再現できるようにしている。またデー
タが各PCに分散しないように、PC1で設定した刺激パラメーターをローカルネットワークを介して取得し、一
つのファイルに活動電位のデータと一括して保存するようにしている。実験中にパラメーターを決める際にオ
ンラインのPSTH表示(解析の項を参照)は欠かせないので、ウィンドウディスクリミネーターで行ったのと同
等の機能をソフトウェアで実現し、取り込んだデータによるPSTHならびに活動電位の波形を表示する。表示
はウィンドウズ98の2画面表示機能を利用して2台目のCRTディスプレイに表示する。
K.ローカルネットワーク
実験制御用コンピューターより他のコンピューターに数値データ、制御用のパラメーターを送ったり、刺激
と記録の同期をとったりする。自作の通信プロトコルによりパラレルI/Oによるデジタル通信を行う。
L.音響モニター、オシロスコープ
アンプ出力をそのまま音声信号としてあるいはオシロスコープに出力する。ニューロンを捜す際には電極の
近傍に位置するニューロン群の反応をオンラインで把握するのに重宝される。
M.モニター
後で述べるように訓練中のトラブルは訓練の成績に著しく悪影響を及ぼすので常時監視する必要がある。
図3にはないが、シールドルーム内にCCDカメラを設置し外部のディスプレイで訓練や記録中の動物の様子
を観察する。また刺激用CRTの画面を撮影するか、あるいは刺激の出力を二台目のモニターに分波出力し
て視覚刺激を常時確認するようにする。
行動課題
覚醒状態の動物からの記録するためには動物の行動を統制する必要がある。そのために動物をよく訓練
して課題を遂行させ、その間に記録を行う。当研究室で用いている課題は図5に示すように注視課題、弁別
課題および探索課題に大別される。
刺激に対する反応の性質を明らかにする際には、視野上の刺激位置を特定するために視線の向きを固定
することを目的として注視課題がよく用いられる。 動物は刺激用のスクリーンに呈示した注視点を一定時間
注視するか、注視点の変化(輝度、色、形などの変化)を検出する(検出課題ともいう)。検出課題の応答には
レバー押しを用いることが多い。注視時間を変化させることにより、動物が予測的に目を動かすことを防ぐ。
検出課題では注視点の変化を微弱にすることにより積極的な注視をうながすことができるので注視の精度が
よくなるが、課題としては格段に難しくなる。注視点を注視している間に刺激を呈示するので、動物にとって刺
激は課題遂行に無関係なものあるいは無視すべきものであるが、刺激自体は見えている(知覚されている)と
考える。実際に動物がどのように見ているのか分からないことが欠点であるが、訓練が比較的容易で数ヶ月
以内で済むので多用される。また正確な注視が期待できるので第一次視覚野のように受容野の小さな神経
細胞からの記録に適している。
知覚と神経活動の関係や能動的な活動が及ぼす影響を明らかにする為には弁別課題や探索課題が用い
図5 課題のデザイン(ディスプレイの表示)
注視課題(検出課題)
スクリーン
注視点
注視時間
刺激呈示
遅延時間
注視点の点滅
応答:レバー押し
刺激呈示
遅延時間
ターゲットの呈示
応答:視線の移動
弁別課題
注視時間
探索課題
注視時間
刺激呈示
応答:視線の移動
られる。弁別課題では2択問題とすることが多く、呈示された視覚刺激の輝度、傾き、形状等を識別し、一定
の遅延時間後に2つのターゲット刺激どちらかへ視線の移動させることで応答させる。図5中段の例では長短
刺激を区別する。長方形が縦長なら右ターゲットへ横長なら左ターゲットへ視線を移動すれば正解とするとし
て訓練する。もしレバー押しを用いるのであれば、長方形が縦長ならレバーを押し、横長なら押さずに注視を
続けさせるように訓練する。探索課題では複数の視覚刺激を呈示してその中からターゲット刺激を探させる。
図5下段の例では黒い三角形を捜してそちらへ視線を移動させれば正解、それ以外のディストラクターに視
線を移動するか注視を続ける時には不正解とする。刺激間の差が小さい程弁別は難しくなる。また事前にキ
ューを呈示して弁別や探索の対象を切り替えさせると(例えば三角形を捜すのか、あるいは黒い図形を捜す
のか)、同じ刺激を用いながら動物に注意を向ける対象を切り替えさせることができる。探索課題自体が難し
いので遅延時間を入れずに済ませることが多いが、正確な注視を要求する場合には注視課題の要素も含め
た課題のデザインにする。例えば動物が注視点を注視している間に一時的に弁別用の刺激を呈示し、注視
点が消失ないしは変化したら応答するように訓練する。もし刺激呈示中に視線が動くようであればその試行
は中断する。刺激呈示中に注視点が邪魔になるようであればその間注視点を消すことも可能である。
いずれの課題でも報酬や罰による動機付けを組み合わせることが多い。よく利用されるのが水やジュース
による報酬である。飼育ケージで摂水を制限し、課題に成功したら報酬として 0.05~0.10cc ほど与える。一方、
罰はペナルティというよりは、課題の成功、不成功を動物に対して明らかにする手段と考えた方がよい。不成
功を示す表示(バツマークの表示や画面の色を変える)を呈示する、試行間隔を延長する、ブザーを鳴らす等
で十分である。報酬や電磁弁の開放音の有無でも十分なサインとなることが多い。過度に動物にプレッシャ
ーをかけると、動物が課題解決法をまったく変更したり、課題そのものを放棄することがある。ネガティブな動
機付けは大変に強いので、一旦生じると元に戻すのに数日から数周間かかるので要注意である。また動物
がいったん十分な量の報酬を得ると課題を中断してしまうので、長時間課題を続けさせて記録するには工夫
が必要である。例えば数回成功試行が続けば報酬を与えるとか、始めは報酬の量を減らしておき成功試行
が続くと徐々に増やすとかして、動物のやる気を維持しつつも全体の報酬量を減らす。また一試行中に刺激
を複数回提示して実質の記録回数を増やすといったことを行う。もともと摂水量の多い動物を選ぶことも一つ
の方法である。また動物が好むジュースを選んだり、途中でジュースを変えることも効果がある。体重の変化、
排泄物の状態や動物の体調に注意し、過度に摂水しないようにする。通常10%程度体重が減少した状態で
実験を続ける。また休日を利用して週に一日は十分に摂水させることが倫理上および健康上から望ましい。
不足分の水を飼育ケージで与えると、課題を行わずに飼育ケージで水をもらおうとする。訓練や記録中は、
課題遂行により十分な水分を摂るようにすることが肝要である。
訓練
生き物を相手にしていることをもっとも痛感させられるのが訓練の過程である。サルは環境や行動パターン
の変化に非常に敏感なので急激な変化を避け、徐々に動物を慣れさせていくことが基本になる。またサルは
社会性に富む動物なので実験者と動物の関係をどのように築くかが実験成功の鍵となることが多い。日常の
接し方や動物の取り扱いにはくれぐれも神経を使う必要があり、また動物と人の上下関係をきちんと確立す
ることが求められる。本研究室では動物ごとに担当者を決め、常に同じ人間が日常のケア、訓練や実験の実
施に責任を持って行うようにしている。それぞれの動物が個性をもち、訓練の過程も臨機応変に対処すること
が必要である。熟練を要する部分が多いので最初は経験者と組んで作業を進め、実験者自身が経験を積む
ようにする。大まかな手順に沿って訓練方法を説明する。
A.実験中飼育するケージに動物を移動したら、飼育環境に慣れて落ち着くまで一ヶ月程度待つ。この間、担
当の実験者は頻繁に顔を見せて、実験者にも慣れさせるようにする。
B.首輪を取り付ける。動物が首輪に慣れて気にしなくなるまで待つ。
C.飼育室でケージからモンキーチェアへ移動する訓練をおこなう。最初はケタミン麻酔投与後にチェアに移
動し、麻酔が覚めたらチェアで果実やジュースを与えて動機付けをする。次にケタミンの量を徐々に減らしな
がら移動するようにする。首輪を鎖または保持棒で確保してから、両方の上腕、肘の部分をつかみ後ろ側か
ら羽交い締めにするようにして動物の体を確保してケージからチェアに移す。チェアの扉および首部分の固定
具をしっかりと止め動物が外へ出ないようにする。常に複数の人間で作業にあたる。最初は噛もうとしたり汚
物を振りまいて抵抗するので、動物を確保する人は白衣、エプロン、マスク、防止、革手袋、ブーツを着用して
備える。麻酔量が減るにつれて動物が力を出すようになるので、手を離さないように十分注意する。この作業
を繰り返すうちにサルは徐々に慣れてきておとなしくチェアに移動するようになる。麻酔なしで移動できるよう
になったら訓練を開始する。さらに訓練の進行とともに、チェアに移動して訓練に従事することで報酬がもらえ
ることが分かるとあとは自分でチェアに移動するようになる。ただし、この際も必ず首輪を鎖また保持棒で確
保する。訓練終了後のチェアからケージの移動も同じように行う。動物をケージから出す際にはかならず首輪
に保持棒または鎖をつなぎ、飼育室から出す際には必ず麻酔をかけるかチェアに入れて移動するようにして、
フリーな状態になる機会を絶対に作らないことが大原則である。
D.訓練を開始する。サルに行動を模倣させることは難しい。また強制しても抵抗するばかりで覚えない。むし
ろ偶発的な成功が続くことで新しい行動を繰り返すようになるので、課題のデザインにもそうした工夫が必要
である。訓練は簡単なものから始めて徐々に難しくしていくようにする。注視課題であれば、始めは偶発的に
ディスプレイの方に目線が向いただけでも成功にしておき、徐々に注視の正確さを求めるようにする。注視時
間も数10ミリ秒から始めて徐々に延長するようにしていく。日により、また一日の訓練過程のなかでも動物の
成績は変化する。成績に応じたパラメーター操作により課題の難易度を調節して、エラーが続かないように、
動物が課題を続けられるように注意することが必要である。パラメーターの変化は控えめ(だいたいパラメー
ター量の10%以内)にして、課題が変わったという印象を与えることなく難易度を変えていく。機械やコンピュ
ーターの側のトラブルや必要以上に課題が難しいために急にエラーが増えた場合にはネガティブな動機付け
になる可能性が高いので注意が必要である。報酬が得られない状態のままで課題を無理強いすると、課題を
行わなくなるので、課題遂行中も課題の成績の推移に常に注意することが大事である。また毎日の訓練課程
の中で、まず簡単なものから始めて難しい課題へ誘導することを繰り返すのも有効である。サルの場合は一
頭一頭の能力差が大きいので、一律に同じように訓練することは大変に難しい。実験者には個体それぞれの
個性を見極めて適切な訓練課題を与える能力が要求される。
E.通常正答率が80~90%を超えて安定するまで訓練を続け、その後に記録実験に移行する。しかしなが
ら、訓練中に動物が十分な成績を残していても、ちょっとした契機(例えば報酬のジュースが足りなかったとか、
プログラムミスにより課題に不具合が生じたとか、記録中にパラメーターの変更に手間取って課題が中断した
など)で動物が課題の解決法を変更することがあるので注意する。特に記録実験の為の刺激を呈示するよう
になると、始めは刺激呈示とともに刺激の方へ視線を移動することが多いので、刺激を呈示する試行の割合
を徐々に増やすようにして慣れさせる。またはじめは刺激を視野の周辺部に呈示して大きな視線の移動によ
り試行が中断することを動物に気付かせる。それから刺激の呈示位置を徐々に中心の方へと移動する。記
録中にも刺激セットの変更のたびに課題を中断することが多いので注意する。訓練を十分に繰り返して課題
に習熟させるとともに、記録中にも注視点のみの呈示による注視課題(キャッチトライアルという)を混ぜて注
視を促すようにして動物の行動が安定させる。
F.弁別課題や探索課題訓練の方法は基本的には注視課題の訓練方法と同じである。まず注視課題を覚え
させてから、徐々に弁別課題、探索課題へと移行する。正解刺激の呈示に対してレバー押しで応答させる場
合には、始めはほとんど正解刺激だけを呈示して、動物がとにかくレバーを押せば正解になるようなところか
ら始める。その後、徐々にディストラクター(不正解刺激)を呈示する試行を増やしていく。また初めは正解刺
激が他の刺激と明らかに異なるところから課題を始め、徐々に刺激の差を小さくしていく。視線の移動(サッケ
ード)によりターゲットを選択させる場合には、始めは正解のターゲットのみを呈示してそちらへ視線を動かせ
ば正解になるようなところから始め、徐々に正確な視線の移動や一定時間のターゲットの注視を求めるように
し、さらにディストラクター(不正解のターゲット刺激)を加えるようにする。探索課題でも同様である。注視課題
の訓練の項で述べたようにパラメーターの調整により徐々に課題の難易度を上げていくことがこつである。
G.一般に複雑な弁別課題や探索課題の訓練は長期にわたる傾向がある(数年に及ぶこともある)。動物に
よっては成績が落ちてもより単純な課題解決法をとったり、課題解決法をコロコロと変えるものがいる。そこで
安定して課題遂行が可能なように、記録を開始する前に動物を課題に十分に習熟させる必要がある。さらに
課題の中に行動を抑制することが含まれると訓練に時間がかかる場合が多い。電気記録のことを考えると刺
激呈示後ある一定の遅延時間の後で動物に応答させるような課題の設定が望ましいが、動物はすぐに応答
しようとするのでそれを抑えるように訓練しなければならない。同じく、動物は注意を向けるのと同時に視線を
刺激の方へ動かす傾向が強いので、初めは刺激を呈示すると直ちに視線を動かしてしまうことが多い。注視
点を注視しながら弁別のために刺激にも注意を向けることができるようになるには注視時間を徐々に伸ばす
ようにして長期間訓練を続ける必要がある。一方、課題が難しくなりすぎないように訓練の成績に応じて課題
のデザインをかえることも必要である。例えば刺激の提示位置が分かっている場合に視線の移動とは別に注
視位置が少しずつ刺激のほうへ偏ることがあるが、これを意識的に矯正させることは困難である。このような
場合にはいたずらに訓練を継続するよりも刺激位置をランダムに変えたり、ディストラクターを注視点の反対
側に配置するなど課題のデザインを工夫することで解決を図るようにする。また個体によってはどうしても成
績があがらない場合があるので、やはり実験目的を勘案しながら課題を調整することが必要である。また、長
期にわたる訓練の結果として訓練の習熟過程において知覚学習の作用が生じることが多いので、課題をデ
ザインするにあたってはそうした変化にも配慮することが必要である。当研究室でも様々な課題を利用して記
録しているので実験方法の違いに注目しながら実際の記録の様子を見学してもらいたい。動物が課題に習
熟したら電気記録を開始する。
手術および日常のケア
訓練の進行にともない、眼位を正確に測定する必要が生じる。麻酔下、無菌状態での手術により眼位測
定用のコイルを埋め込み、さらに頭部を固定する為のヘッドホルダー、記録用チェンバー、眼位測定用のコイ
ルのコネクターを頭蓋骨上に固定する。傷口が化膿しないように定期的に洗浄、消毒する。
A.訓練ないし記録中は摂水が制限されることで動物の体力が低下していることが多いので手術前一週間以
上は十分に栄養水分を与えて体力を回復させる。麻酔の影響により嘔吐して窒息するのを防ぐために手術
前日(12時間以上)は絶食させておく。
B.麻酔の導入。麻酔前投薬(アトロピン、0.06mg/kg),速効性の麻酔薬(塩酸ケタミン、7.5mg/kg)を筋注で投
与する。
C.下肢の毛をバリカンで刈り、ヒビテンアルコールで消毒してから静脈カテーテルを下肢静脈に確保する。カ
テーテルがはずれないようにバンドやテープ(シルキーポア)により固定し、膝を曲げることで血管がふさがれ
ないように副木により膝関節をまっすぐに固定する。実験中の水分、栄養補給にラクトース輸液を静脈カテー
テルを通して点滴する。この点滴にはカテーテル内に逆流した血液が凝固しないようにする意味もある。
D.頭部の手をバリカンで刈り、残った毛は除毛クリームで取り除く。
E. 手術中、動物の状態は体温、心電図、心拍数等によりモニターする。脳波をモニターする場合もある。麻
酔下では体温が下がるので、電気マットを敷くか、部屋の温度を高めに設定する。
F.麻酔はペントバルビツールを静脈カテーテルに取り付けた3方活栓より注入する。呼吸や心拍に注意して
麻酔導入時には体重 1kg あたり 20mg 注入する。以降は心拍や筋収縮を見ながら体重 1kg あたり 10mg ずつ
追加する。麻酔の効き具合は動物により異なるので初めは様子を見ながら少量の麻酔を投与し、過投与に
ならないように量を徐々に増やすようにするとよい。麻酔が深すぎると呼吸が抑制され、場合によっては呼吸
が止まることがあるので注意する。気道を確保するために気管カニュレを挿入することがあるが、かえって反
射性の呼吸抑制を起こして危険なので人工呼吸器が用意されてないときは避けた方がよい。
G.麻酔が十分に深くなり心拍が100前後まで低下し、筋肉が弛緩してきたら、実験台に動物を移動して脳
定位装置(成茂)で頭部を固定する。皮膚をつまんだ時に手足が動く場合はまだ麻酔が浅いので注意する。
特にイヤバーの使用は痛みを与えるので注意する。麻酔が不十分で動物が興奮して暴れるような場合には
以後麻酔がなかなか効かなくなるので、麻酔が十分に深くなるまでは安静にしておくこと。
H.頭皮および脳定位固定装置類をイソジン液、ヒビテンアルコール、アルコールにより消毒する。手術部位
以外には滅菌済みの手術布を覆い無菌の状態をつくる。手術者は爪を切り、手先をよく洗浄したのちマスク
および手術用のキャップを着用し、滅菌された手術着、手術用の手袋を着用して手術に望む。手術器具はあ
らかじめ酸化エチレンガスまたはオートクレーブにより滅菌する。滅菌できないものはヒビテンアルコール溶液
に浸して消毒する。術者は眼鏡またはバイザーを着用して出血時に血が顔にかからないように注意する。手
術に際しては必ず補助者と協力しておこない、術者は動物や滅菌されていない器具類に触れないようにする。
I.頭部を固定する為の金具(ヘッドホルダー)と記録用チェンバーを頭蓋骨上にTビスや金属ネジと歯科用セ
メントで固定する。記録部位の特定の為に訓練、記録中にもMRI撮影を予定している場合には、ヘッドホルダ
ー、チャンバー、ネジにはMRI撮影可能な材質(樹脂、セラミックス、チタン等の合金)のものを使用する。本
部門ではヘッドホルダー、チェンバーにはポリアセタール樹脂(デルリン)製のものを特注し、ビスは市販のM
RI用セラミックスネジ(トーマスレコーディング社)を利用している。ヘッドホルダーは通常は金属製の筒をかぶ
せて強度を補助して使用する。最初に頭頂部分の皮膚を正中線に沿って切開し、筋肉を左右にはがすように
して頭蓋骨の表面を露出させる。この際に正中線以外の部分の皮膚や筋肉を切ると出血して術後の回復が
遅れるので注意する。組織を切り取るのではなく左右に広げるようにするとよい。ヘッドホルダーを固定する
際に正中線上に垂直に固定するために脳定位固定装置用のマニピュレーターを用いる。あらかじめ MRIで
脳の断層撮影を行って記録部位の座標が求められている場合は、脳定位固定装置用のマニピュレーターを
用いて記録用チェンバーの位置を定めると、記録部位の誤りをへらすことができる。まずヘッドホルダーと記
録用チェンバーの位置を決めたらマークをつけ、電動ドリルで頭蓋骨を削ってTビスやねじ用の穴をあける。
ねじ穴を削る際には穴が太すぎるとネジが利かなくなり、細すぎてもとねじ込む際に骨に力が加わって骨組織
にダメージを与えるので注意する。硬度の高いドリル刃を用いて骨の底面までやや細めの穴を一気にまっす
ぐあけるようにし、ねじ込む際には無理なくねじ込むのがコツである。金属ねじをねじ込み過ぎると骨の内部
につきだして硬膜や皮質を傷つけるので、骨の厚みに留意してねじ込む深さを調節する。本部門では T ビス4
本をヘッドホルダーの周囲に固定し、チェンバー周囲の補強と回転方向への動きを抑えるように数本の5本
程度の金属ネジを固定している。Tビスを使用しない場合には金属プレートで補強しながら金属ネジを増やし
て頑丈に固定する。Tビスを使用しない場合やセラミックスビスを使用する場合には20~25本程度のネジを
ヘッドホルダーを中心に放射状に埋め込む。MRI撮影に際してはドリルの金属片やネジ穴内の出血が像の
ゆがみの原因となるので、ネジ穴をあけたあとに削り滓を残さないように特に注意する。本部門ではセラミック
スネジ専用の手動式ドリルを使用している。
J.最後に歯科用アクリルセメントでヘッドホルダーやチェンバーを固定する。セメントが浮き上がって隙間が
できると結合組織が増殖したり、血液やゴミがたまって細菌感染源となる。歯科用セメント自体は骨と癒着し
ないので、骨密着性の高いレジン(スーパーボンドC&B、サンメディカル社)を境界部分の骨の表面に薄く塗
ってからその上に歯科用セメントをのせる。まず骨表面をきれいにして乾燥させる。骨髄部分および頭蓋骨表
面からの出血は必ず止血する。組織片や血液は接着剤の邪魔になるので骨の表面に残らないようにする。
骨表面を0.3%次亜鉛素酸水溶液をしみこませた綿棒で30秒こすり、水溶液で洗浄する。10%クエン酸ナ
トリウム液をしみこませた綿棒で60秒こすり生理食塩水で洗浄する。時間をかけすぎると骨表面がもろくなる
ので注意する。モノマー液にキャタリスト液を混合し塗布する。モノマー液を含んだ専用の筆でポリマー粉を
取り、骨表面に塗布する。レジンが固まったら歯科用セメントを塗布する。溶剤液を含んだ筆でセメント粉をと
り少しずつ隙間なく塗布していく。セメントが重合する際に熱を発し、特に金属ねじを通して熱が皮質へ伝えら
れると皮質の細胞を壊してしまうので、セメントは少量ずつ時間をかけて塗布する。セメントが温かくなってき
たらぬらしたガーゼをあてて冷却しながら作業を進める。骨が露出したままになっているとその部分より感染
をおこすことがあるのでセメントで完全に覆うようにする。溶剤は皮膚を傷めるのでセメントが皮膚にかぶらな
いようにする。
K.電磁誘導式眼位測定装置により眼球の向きをモニターする場合はアイコイルを埋め込む。アイコイルの端
につけたコネクターは記録用チェンバーを邪魔しないようにヘッドホルダーの横にセメントで固める。角膜の周
りに添って結膜をメスで切り離し、コイルを強膜と結膜の間に挟むようにすると術後しばらくして結合組織によ
りコイルが眼球に癒着する。コイルの端を目尻のところから皮下を経て頭頂部のセメント部分へはわせてコネ
クターを取り付ける。皮下部分にワイヤーのためをつくり眼球を動かしたときにひっぱらないようにし、ワイヤ
ーが皮下からでる部分にはセメントがかぶさるようにしてサルが引っ張りだせないようにする。結膜を切開す
る際に組織を引きちぎってしまうと出血してあとで炎症をおこすので注意する。手術の際に眼筋や角膜に傷を
つけると注視の障害となるので注意する。
L.手術後 1 週間は抗生物質の投与を継続する(セファゾリン、10-20mg/kg、2回/日)。
通常一週間から10日ほどは回復期とし、十分に栄養、水分を摂らせる。手術直後は炎症をおこして顔が腫
れ上がったようになるが一週間ほどで元に戻る。手術中の出血により炎症がひどくなるので、手術中にまず
筋肉等を傷めて出血しないように注意することがこつである。出血は鉗子による圧迫止血と止血剤(ボスミン)
を併用して止血する。骨からの出血はドリルや鋭匙を用いて骨をつぶすようにして出血部をふさぐ。術後の炎
症がなかなか引かない場合は抗炎症剤を投与する。動物の体調の回復をみて、訓練や記録を再開する。
M.以後は定期的に、最低一週間に一回の割合で、皮膚の傷口のケアをおこなう。特に皮膚とセメントの境
界部分は清潔にして、セメントと頭蓋骨の間に感染が起きないように注意する。傷口を洗浄し、ヒビテングルコ
ネートまたはイソジンにより消毒する。また傷口付近の毛を常に刈るようにして、汚物が毛に固まらないように
する。抗生物質を使用する際は、耐性菌を作らないように期限を区切って(3日から7日)全量で使用する。ま
ず弱いものから使用して、症状が好転しない場合には変更する。本部門ではセフェム系としてセファメジン(セ
ファゾリン、第一世代)、パンスポリン(セフォチア、第二世代)、ロセフィン(セフトリアキソン、第三世代)、また
はペニシリン系としてペントフレックス(アンピシリン)、ペントシリン(ピペラシリン)等の薬剤を使用している。
N.記録直前になったら記録チェンバー内の頭蓋骨に穴をあける。麻酔下でトレパンまたはドリルを使用する。
ドリルの使用に際しては熱や振動により皮質を傷めることがあるので注意する。薄く骨を残しておいて最後に
鋭匙でそっとはぎ取るようにするとよい。作業中、硬膜や硬膜上の血管を傷を付けないように注意する。
O. 一旦チェンバー内で硬膜を露出させたら、記録の有無とは関係なく定期的に滅菌したヒビテングルコネー
トと生理食塩水により洗浄、消毒する。最低一週間に一回の割合でチェンバーの洗浄を行う。通常は記録前
後に洗浄、消毒すればよい。通常はモンキーチェアに座らせ、速効性の麻酔薬(塩酸ケタミン、7.5mg/kg)を
筋注し、頭部をヘッドホルダーで固定した状態でケアを行う。結合組織が肥厚してきたら、手術用双眼顕微鏡
下で先端がファインなピンセットを使って表層の結合組織をはがす。チェンバー内の細菌感染が疑われる場
合には抗生物質を溶かした生理食塩水で洗浄する。この時、てんかんの原因になるのでペニシリン系の抗生
物質は避ける。抗生物質(クロマイ軟膏)をチェンバー内に充填してプラスチック製の蓋をする。その後飼育用
ケージに動物を戻す。
細胞外記録
記録に際してはチェンバーの蓋を取り外して、内部をヒビテングルコネートと生理食塩水で消毒、洗浄する。
油圧式マニピュレーターを記録用チェンバー上に固定して、電極を硬膜越しに刺入する。硬膜上の結合組織
が発達してくると電極の刺入が困難になり、また刺入できても硬膜ごと皮質を押し込むことが多いので、結合
組織は日頃よりまめに取り除いておく。記録電極を刺入したあとチェンバー内にアガロースをいれて固めると
脳表面の動きを押さえることができ、長時間安定な記録が可能になる。チェンバーに充填する際に皮質をい
ためないように、融点の低いアガロースを使用し、充填時の温度を体温になるべく近づけるようにする。
電極をマニピュレーター先端の電極ホルダーに固定する。電極がその軸方向に沿って刺入されるように取
り付けの角度に留意する。電極が記録部位の直上に来るように粗動部分を使って移動したら、あとは油圧式
マニピュレーターにより電極を脳表面に垂直に刺入する。電極の移動は5〜30μmずつ小刻みに移動する。
刺激を呈示し音響モニターにより反応を見ながら刺入を続ける。ニューロンに遭遇するまではある程度早く大
きく動すと電極の移動に伴い脳を押し込むことを減らすことができる。ニューロンに遭遇したら小刻みに動かし
てユニットを単離する。その際に電極を移動することで大きなユニットを単離するよりは、ある程度時間をかけ
て数個のユニットのなかから一つのユニットが大きくなるのを待つ方が安定な記録を続け易い。待つ間に
様々な刺激を呈示して定性的な反応を調べて、その情報をもと刺激のセットを決めて定量的な測定を行うと
効率がよい。また第一次視覚野には機能的コラムが存在し、近傍に性質のよく似た細胞が存在するので、フ
ィールドレスポンス(多数のユニットの集合電位)や直前の記録を参考にすると最適の刺激を見つけやすい。
覚醒実験の場合、動物がおとなしく課題を遂行している間しか記録できないので、すばやく記録を済ませ
る工夫が必要である。すでに述べてきたように(1)課題の実行回数が増えるように動物を訓練する、(2)刺激
の呈示回数を増やすように課題を工夫する、(3)刺激セットの大きさを必要最小限にとどめる等の対策が必
要である。一つの刺激に対して 4~15試行ほど記録する。刺激の呈示の順番は擬似乱数により変化させる。
多数の刺激を使う実験の場合、1 日の記録では 1~2 個の神経細胞からしか記録できない。電極を視入する
ことによる皮質のダメージを勘案すれば毎回視入位置を変えることが理想であるが、同じ刺入位置で繰り返
し電極を刺入するのであれば徐々に深くすることにより常に新しい記録位置で記録するようにしてその影響を
少なくする。
記録終了後に再びチェンバー内をよく洗浄し、抗生物質(クロマイ軟膏)をチェンバー内に充填してプラス
チック製の蓋をする。その後飼育用ケージに動物を戻す。
記録部位の同定
実験中の記録部位の推定は、経験とニューロンの反応から判断することが多かった。最近ではあらかじめ
MRIで脳の断層撮影を行って動物ごとに脳地図を作製し、記録したい部位にあわせてチェンバーを取り付け、
電極刺入に用いるマニピュレーターの座標から電極の位置を推定することが行われる。しかしながら視覚野
の微小な領域にねらいを定めて記録するのであれば記録されたニューロンの反応をみながら微調整を行うこ
とが重要である。マニピュレーターには水平方向(縦、横)の位置を決めるための目盛りがついているので、
通常は電極の刺入位置を 0.5~1.0mm 間隔でずらしていき、ニューロンの反応の変化を調べることで記録部
位を推測する(マッピングという)。さらにチェンバーにグリッドと呼ばれる格子状に穴をあけたプレートを装着
し、電極をこの穴を通して刺入すると、より規則正しく位置を変えることができる。頭頂部分より電極を刺入し
て外側膝状体や側頭葉の腹側部分など脳の深い部分から記録する場合にはMRIで座標を求めることが威
力を発揮する。脳の深部で記録を行う場合には記録後、電極を浅い位置に移動してX線撮影を行い、MRIの
画像と比較して記録部位を評価することができる。X線撮影のために動物を移動する必要がある場合は電極
の振動などで記録部位を破壊しないように細心の注意が必要である。記録部位が定まったあとは、ガイドチュ
ーブと呼ばれるステンレス製のパイプを記録部位の直前まで刺入してこれをチェンバーやグリッドに固定して
おき、記録用電極はこのパイプを通して刺入するようにすると再現性の良い記録が可能になる。ガイドチュー
ブは毎日入れ直す場合もあるし、数週間留置しておく場合もある。深部で記録する際にはガイドチューブや記
録電極の根本の太い部分が脳の頭頂部分を破壊するので、運動野に障害がでないかどうか動物の行動に
注意することが必要である。またある程度太いガイドチューブであればMRI画像でも確認できるので電極の
刺入方向を同定するのに利用することも可能である。 大脳皮質は層構造をもち、例えばサルの視覚野では
6層の層構造をもっている。しばしば層の特定が問題となるが記録中は便宜的に記録トラックの脳表面から
の移動距離を目安にする。また自発発火頻度が高く刺激のオン・オフにあわせて一過性に強く反応する部分
が第4層の目安となる。
記録部位を正確に知るためには記録実験終了後に組織化学的検査を行う。深麻酔下で灌流固定を行い、
脳を取り出して厚さ50μmの切片状にしてスライドガラス上に固定し、目的に合った染色(ニッスル染色、チト
クロームオキシダーゼ染色、ミエリン染色など)を行い観察する。灌流固定の際に脳が収縮するので、脳表で
の記録位置を知りたければ記録部位の周囲に数カ所マークを付け、あとで刺入位置の地図より個々の電極
刺入位置を割り出すようにする。マークには記録に使用したマニピュレーターを用いて金属ピンを埋め込むか、
ローダミンビーズのように蛍光染料を微量注入する。さらに正確な記録位置の情報を必要とする場合には、
記録後電極に微弱な電流(電極側が負)を流して電極先端部分の組織を破壊し、グリア細胞の集積を実験後
の組織化学的検査により検査して位置を同定する。エルジロイ電極のように鉄分を含む電極を使用する場合
には、微弱な電流(電極側が正)を流して電極先端を溶かして、組織化学的検査の際に鉄分を染めるように
すると位置の同定が可能になる。
注意事項
1)近年、動物実験を取り巻く環境は大きく変化し、3Rの理念の遵守徹底が重視されるようになってきた。
Replacement(代替法の利用)、 Reduction(必要最小数の利用)、 Refinement(苦痛の軽減)について充分
に配慮した実験計画の立案、実験方法の採用、動物の取り扱いや飼育方法が求められている。本研究室で
行う実験研究は視知覚という認知活動の神経メカニズムを明らかにすることを目的としており、3Rに配慮し
つつなおサルのような高等動物を使用することがどうしても必要であると考えている。しかしながらこうした実
験研究に対して実験動物が払う犠牲もまた真実であり、一人一人がそのことを肝に銘じてもらいたい。また3
Rの理念を徹底することは、実験動物の取り扱いの観点からだけでなく、実験研究自体をより良いものにする
という面もあるので真摯な取り組みが求められる。
2)サルを使用するに際しては個人では対応できない要素が多いので注意する。実験を行う上での前提として
地元自治体の許認可を受ける等の法令の遵守や、我が国の法令や神経科学学会等のガイドラインにのっと
った大学や研究機関としての体制の整備が必須である。特に事故が起きた際の対処方などは研究機関とし
て十分な対応と事前の準備が必要である。
3)サルは実験動物であると共に猛獣であることを常に念頭に、日常から取り扱いに十分な配慮をしなければ
ならない。特にヒトとサルには共通の感染症が多数存在するので、ヒトからサルへ、サルからヒトへ感染する
危険を考慮し取り扱いには十分気をつけることが必要である。血液や体液に注意し、衣類、実験器具や装置
類、部屋の衛生管理には細心の注意を払うことが求められる。注射針や輸液の道具類は必ず使い捨てにし
て医療廃棄物として処理し、手術道具類も使用後はすぐに洗浄、滅菌を行う。日ごろよりマスク、白衣の着用
を励行する。動物の取り扱う際にはまず動物に傷つけられるような機会を作らないように自身の行動にも注
意する。実験ないし飼育区域と人が日常を過ごす区域を厳格に分け、その出入りに際しては手の消毒、衣服
の交換を徹底する。実験区域内での飲食は厳禁である。もし事故が起きた場合には、まず冷静に行動するこ
とが重要である。指導教官に連絡をして、かならず複数の人間で対処する。何よりも日頃から一人一人が法
令や学会のガイドラインに精通し、事故が起きた際の対処方などを意識して、自分の身は自分で守るように
する。
4)データを得ることが実験の主目的である以上、様々な犠牲を払って得たデータを保持し十分に活用するこ
とは実験をおこなうものとしての基本的なマナーであり、かつ義務である。これまで述べてきたように覚醒サル
を用いた訓練、記録実験は日々内容結果が変化していくので、後日経過がわかるように十分な記録を残すこ
とが重要である。データを整理、解析する際のみならず、後日予定外の解析を行う際や、実験内容を再検討
する際に対応できるようにする。また近年の状況としては、実験データそのもののデータベース化や、特許取
得や様々な疑義等における証拠保全の要請がとみに増している。一般的な注意点をごく簡単に述べる。①必
ず保存に適した実験ノートを作成し、訓練や記録実験の経過、実験結果を記す。これには改竄を防ぐという
意味もある。実験の計画や考察に関してもノートに残すのが基本である。②近年コンピューター上にファイル
を残すことでよしとする風潮があるが、保存するという意味では不適切である。また論文投稿後にファイルを
削除したケースなどは言語道断である。③実験機器やソフトウェアの変更は逐次記録に残す。特に覚醒サル
のトレーニングでは個体ごとに訓練の内容を変更したり、随時新しいことを取り入れていくことが多いので全
体の流れが分かるようにすることが肝要である。④コンピューター上のデータは必ずバックアップ用のコピー
を作成し、異なる場所に分散して保存する。本研究室では実験用コンピューターとは別にレイドにデータのコ
ピーを作成し、さらにCD、DVD等の媒体に別途保存するようにしている。
3.実習:麻酔下のサルの視覚皮質からの電気記録
前項で述べたように、実験の目的によっては麻酔実験を選択した方が適当な場合がある。本研究室でも、
サルの初期視覚野(第一次視覚野、第二次視覚野)において薬物の注入や逆相関法を利用してニューロン
の選択性形成のメカニズムを詳細に調べることを目的として麻酔実験を行っている。本コースでは実習として
麻酔下のサルの第一次視覚野からの記録に参加してもらい、ニューロンの基本的な性質を調べる方法を学
ぶ。本研究室ではあらかじめ記録用のチェンバーを頭蓋骨に固定しておき、十数時間にわたる電気記録を繰
り返えして行う、いわゆる亜急性実験と呼ばれるタイプの実験を行っている。実験方法の大部分は覚醒サル
のそれとかなり重複するので、ここでは麻酔実験に特有の部分にしぼって述べる。
麻酔方法は基本的にヒトのそれに準じる。単に「麻酔をかける」と言っても、そこには(1)意識の消失、(2)
鎮痛、(3)不動化、(4)有害反射の抑制といった作用が含まれる。近年、ヒトの麻酔用法においてはこれらの
諸要素を一つの麻酔薬で全てまかなうのではなく、それぞれに適した数種類の麻酔薬や麻酔法を併用する
バランス麻酔といわれる考え方が主流となっている。これは動物の麻酔実験においても同様である。通常は
ケタラールにより入眠させたのち、ペントバルビタール、プロポフォルなどの液状の麻酔薬を静脈カテーテル
より投与するかイソフルレンのようなガス麻酔により麻酔を維持する。鎮痛薬としてフェンタニル等を静脈カテ
ーテルより投与する。さらにギャラミン、臭化パンクロニウム等の筋弛緩薬により完全に不動化する。これらの
組み合わせにより充分な麻酔深度を得る。視覚生理実験の場合には筋弛緩薬の使用はさらに眼球の動きを
止めて視野を固定するという意味もある。一般に麻酔薬の量を増やすことで鎮痛、不動化の作用も呈するが、
薬物の副作用や術後の回復に時間がかかるなどの二次的な問題を引き起こすのでむしろ麻酔薬自体の量
は必要最小量にすることが望ましい。プロポフォルのように鎮痛薬との併用が条件となる場合があるので使
用法には注意が必要である。これらの薬物の組み合わせによる薬物の効果や人工呼吸のパラメーターは
個々の動物により異なるので、一般的な用量とは別に生体モニターのデータに留意して早く個々の動物にと
っての適正な用量を見いだすことが重要である。なお覚醒動物と異なり麻酔下の動物では、動物が示す反応
は著しく制限されるので記録中の動物の状態を適正に保ちかつ無用のダメージを与えない責任は実験者側
に一義的にある。その点を充分に配慮した実験手順が必要である。なお麻酔薬、鎮痛薬には使用、管理等
に法令上の制約があるものが多いので注意する。
セットアップ
細胞外記録のセットアップは前項、覚醒サルの視覚皮質からの電気記録とほぼ同様である。
A.酸素ガス、笑気ガス、ガス混合機
筋弛緩剤を併用する場合には酸素、笑気ガスを一定の割合で混合し、人工呼吸器により呼吸を維持する。
通常、酸素30%、笑気ガス70%とし、ガスの量は人工呼吸の換気量にあわせて調節する(不足分は空気で
補う)。人工呼吸開始直後などに血中の飽和酸素濃度が低い場合には、一時的に酸素50%、笑気ガス5
0%として様子を見る。
B.麻酔用気化器
イソフルレン、セボフレン等のガス麻酔は液体の状態で入手される。専用の気化器により一定の濃度で酸
素、笑気ガスの混合ガス中に気化させる。
C.人工呼吸器
本研究室では閉鎖式の人工呼吸器(NEMI Scientific 社)を使用している。CO2メーターにより呼気のエン
ドタイダル値が3.9%(3.5~4.0%)になるように一回の換気量を調節する。毎分25回、呼気と吸気の比
率は50%で固定している。人工呼吸器の排気は麻酔ガスを含むので必ず換気ダクトで室外へ排出する。
D.飽和酸素量(SpO2)モニター、CO2モニター、体温モニター、心拍モニター、脳波計
実験手順を参照のこと。
E.電気マット
体温計と連動して直腸温によりスイッチがオン・オフされる。設定は39度。
F.輸液ポンプ
筋弛緩剤や麻酔薬を下肢に確保した静脈カテーテルから一定の速度で輸液するのに使用する。通常の
補液であれば輸液バッグを吊して点滴するだけで十分である。
G.実験室のシールド
シールドに関しては前項で述べた通りであるが、麻酔実験では人工呼吸器や各種モニター類のようなノイ
ズ源をシールドルームに持ち込まざるを得ないケースが多い。当研究室では大きな金属性の実験台にアース
をとり、人工呼吸器やモニター類を実験台の下部に収容することでノイズを最小限に抑えるようにしている。
H.タンジェンシャルスクリーン
覚醒サルからの記録と異なり、麻酔下では目の向きをコントロールすることができない。CRTの直前に透
明のスクリーン(アクリル板)を立てて、紙を貼り、視野の中心(中心窩の投射部位)を紙上にプロットする。ハ
ンドプロジェクターや切り抜きを用いて定性的にニューロンの反応を調べた際にも、受容野の範囲を紙上にプ
ロットする。定量的な記録を開始する前に受容野がCRTのスクリーン中央に位置するようにCRTの位置を調
節し、CRTの位置を紙上にマークする。このようにタンジェンシャルスクリーン上でそれぞれの位置を記録す
ると相対的な位置関係が分かりやすい。刺激をCRTに呈示する際には紙を巻き上げればよい。
I.携帯型人工蘇生器、聴診器
麻酔薬や筋弛緩剤の作用下では、何らかの原因で呼吸が停止するような場合には致命的な結果に至る
可能性が高い。緊急時の備えとして携帯型人工蘇生器や聴診器を用意しておくことが望ましい。
J.眼底カメラ
当研究室では視野の位置を決める為に眼底カメラを利用している。 カメラの位置を調整して瞳孔の中心を
通し眼底の中心窩を見るようにして視線の軸を決める。視線方向に光線を投影して刺激呈示用のCRTディス
プレイないしタンジェンシャルスクリーン上における視野の中心位置を決める。
実験手順
A.事前の手術により、頭部を固定する為の金具(ヘッドホルダー)と記録用チェンバーを頭蓋骨上に金属ネ
ジと歯科用セメントで固定しておく。一般に記録するための頭蓋骨の切除は事前に記録用チェンバー内で行
い、実験しない間はチェンバーに蓋をしておく。
B.麻酔の影響により嘔吐して窒息しないように、前日より絶食させる(12~24時間)。
C.麻酔の導入。麻酔前投薬(アトロピン、0.06mg/kg),速効性の麻酔薬(塩酸ケタミン、7.5mg/kg)を筋注で投
与する。動物が入眠したらケージより実験室へ移動する。
D.開創器を用いて口を大きく開け、喉頭部分に局所麻酔薬(リドカイン)を噴霧し、気道が充分に弛緩してか
ら喉頭鏡を用いて目視下でカフ付き気管カニュレを気道に挿入する。気道の弛緩が不十分だと食道への誤
挿管の原因となるので麻酔の効き具合に注意する。挿入後、カニュレの開口部にガラス版を斜めに当て、呼
気により鏡面が曇ることを確認してから、カフをふくらませ、カニュレにつけた凧糸を首の周りにとめてカニュレ
が抜けないようにする。この段階で麻酔が浅いとカニュレ挿入時に激しく咳き込んで自発呼吸が止まる場合
があるので、麻酔が充分に深いことを確認して作業を開始する。必要ならば蘇生器のマスクを利用してイソフ
ルレンをかがせ、麻酔深度を確保する。食道への誤挿管は窒息する原因となるので必ず目視下で挿管する。
E.静脈カテーテル用留置針(トップ、ベニューラS、22G)で輸液用の静脈カテーテルを下肢静脈に確保する。
カテーテルがはずれないようにバンドやテープ(シルキーポア)により固定する。膝が曲がると血管がつぶれ
るので副木をあてて膝関節をまっすぐに固定する。実験中の水分、栄養補給にラクトース補液(または生理食
塩水、ブドウ糖補液)を少量ずつ点滴する。点滴が止まると逆流した血液が凝固してカテーテルをふさぐので
注意する。
F.実験台に動物を移動した後、ヘッドホルダーを用いて頭部を固定する。この際、動物はうつぶせ状態とな
るが、首に力がかからないよう、腹部を著しく圧迫しないように動物の姿勢に注意する。
G.笑気ガスにイソフルレン(3%)を混ぜて麻酔をかけ、人工呼吸(笑気ガス70%、酸素30%)
を開始する。麻酔が充分にきいていれば、特に筋弛緩剤を使用しなくても自発呼吸とぶつかることはない。気
管カニュレが深く入りすぎて一方の肺でしか換気できなくなると危険なので、左右の肺が均等に動くことを確
認する(ないしは聴診器を使用して確認する)。
H.チェンバー内部をヒビテングルコネートと生理食塩水で消毒、洗浄する。手術用双眼顕微鏡を使用して、
硬膜上に形成された結合組織を取り除く。硬膜上の結合組織が発達してくると電極の刺入が困難になり、ま
た刺入できても硬膜ごと皮質を押していることが多いので、結合組織は日頃よりこまめに取り除いておく。硬
膜の切開は雑菌による脳内感染の原因となるので極力避ける。虫ピンをマニピュレーターに取り付け、座標
を利用して硬膜に穴をあける。予め虫ピン先端に製図用インクを塗っておくとピンホールのマークになる。虫ピ
ンはあくまで硬膜を突き抜けるまでとし、皮質を傷つけないように留意する。次に記録用電極をマニピュレータ
ー先端の電極ホルダーに固定し、電極がピンホール直上に来るように粗動部分を使って移動し、油圧式マニ
ピュレーターにより記録電極をピンホールより刺入する。その後チェンバー内にアガーをいれて固めると脳表
面の動きが抑えられて安定な記録が可能になる。皮質をいためないようにアガーは39度前後で固まるものを
選び、固まる直前まで温度を下げてからアガーをチェンバー内にいれる。
I.一連の作業が終わったら、鎮痛剤(フェンタニル、6 μg/kg/hr)と筋弛緩剤(臭化パンクロニウム
0.2mg/kg/hr)を静脈カテーテルより投与する。以降、鎮痛剤と筋弛緩剤は断続的(通常一時間ごと)に静脈カ
テーテルより投与する。麻酔をイソフルレンからプロポフォルに切り替える。以後、輸液ポンプによりグルコー
ス補液とプロポフォル(2-4mg/kg/hr)を継続的に投与して麻酔を維持する。筋弛緩剤が作用している間およ
びプロポフォルを使用中は必ず鎮痛剤を投与すること。
J. 記録中は開瞼器により瞼を開けたままの状態にする。事前に角膜の曲率、屈折率を測定して適正なコン
タクトレンズを選んでおく。コンタクトレンズを装着して、角膜表面が乾くのを防ぐとともに視覚刺激が正しく眼
底に投影されるようにする。眼底カメラの軸を中心窩に合わせたのち、開口部に鏡をあてて照明光を軸上に
逆方向に投影し、スクリーン上に中心窩の位置(視野の中心に相当)をマークする。筋弛緩剤が不足すると眼
球が動くので、目の向きを時々確認する。実験中、入射光量と視野を一定に保つ為に散瞳剤(ミドリンP)を適
宜滴下して散瞳させ、直径 3mm の人工瞳孔を使用する。人工瞳孔付きのコンタクトレンズが入手できない場
合は、薄い金属版に直径 3mm 穴をあけ、コンタクトレンズの直前に置いて代用する。
K. 麻酔下の実験では動物の状態をいかに正常に保つかが課題となる。実験中は血中の飽和酸素濃度、呼
気の二酸化炭素濃度、体温、心電図、心拍数により動物の状態をモニターする。脳波をモニターする場合も
ある。モニター結果をもとに薬物の投与量や人工呼吸による換気量を調整する。心拍および脳波は麻酔状態
の目安となる。一般に心拍が下がり過ぎる、つまり麻酔が深すぎると神経活動が著しく低減して刺激に反応し
なくなるので注意する。また不整脈を惹起する場合があるのでECGの波形にも留意する。心拍数が下がり過
ぎた場合には麻酔を軽減して様子をみる。麻酔不動化状態では体温が下がるので、体温計と連動した電気
マットを敷いて体温が下がらないように保温する。特に麻酔薬や筋弛緩剤等の導入時には一時的に薬剤が
効き過ぎる状態となり体温が大きく低下する場合があるので注意する。電気マットだけではあまり効果がない
ようであれば動物の上にカバーをかけるか、室温を上げてからだ全体を暖めるようにする。CO2メーターによ
り呼気のエンドタイダル値が3.9%(3.5~4.0%)になるように一回の人工呼吸器の換気量を調節する。
飽和酸素濃度が97―100%に保たれることを確認する。動物が酸欠状態に陥るとまず飽和酸素濃度が低
下するので迅速に対処することが重要である。血中の飽和酸素濃度が95%以下になった場合にはプローブ
がはずれていないか、酸素ボンベが空になっていないか、人工呼吸器は正常に稼働しているか、チューブ等
にエア漏れがないか確認する。酸素ボンベが空の場合、笑気ガス100%で換気すると酸欠になるので、とり
あえず空気を換気させてその間にボンベの交換を行う。また人工呼吸開始前に自発呼吸が停止した場合に
もまず飽和酸素濃度が低下するので直ちに対処する。これらの生体モニターのデータを記録しておき、薬品
類の投与量や作業手順の修正に役立てる。
L. 電動マニピュレーターにより記録電極を小刻みに移動する。刺激を呈示し(第一次視覚野では目の前で
手を動かすだけでもかなり有効な刺激になる)音響モニターにより反応を見ながら刺入を続ける。ニューロン
に遭遇するまではある程度早く大きく動かした方が電極に伴い脳を押し込むことを避けることができる。我々
は早さが250pps(最大)、30μmステップの設定で使用している。ニューロンに遭遇したら小刻みに5〜10
μm動かしてユニットを単離する。その際に電極を移動することで大きなユニットを単離するよりは、ある程度
時間をかけて数個のユニットのなかから一つのユニットが大きくなるのを待った方が安定な記録を得易い。そ
の間に切り抜きや紙に描いた刺激を使って、定性的な反応を調べることができる。第一次視覚野には機能的
コラム(後述)が存在し、近傍に性質のよく似た細胞が存在するので、フィールドレスポンス(多数のユニットの
集合電位)や直前の記録を参考にすると最適の刺激(位置、傾きなど)を見つけやすい。
M.カーソルでCRT上の刺激(線、スポット)を動かして受容野の範囲を決め、刺激の呈示位置をきめる。第
一次視覚野のニューロンは受容野が小さいので刺激の位置には注意が必要である。CRT上に刺激を呈示し
て定量的な測定を行う。ちなみに角膜表面より114cmの位置にCRTを置くと、刺激の大きさはCRT上の2c
mが視覚度1度に相当する。
N.実験終了後、記録電極を除去し、チェンバー内を洗浄した後、抗生物質(クロマイP軟膏)を硬膜状に塗布
してチェンバーにプラスチック製の蓋をする。出血は結合組織の生成を促すのでこの時点でチェンバー内に
出血があれば必ず止血処理する。もしチェンバー内の結合組織を取り除く作業をするのであれば、イソフルレ
ン麻酔(3%)を使用する。
O.麻酔薬(プロポフォル)、鎮痛薬(フェンタニル)、筋弛緩剤(臭化パンクロニウム)の投与をとめて、代謝ま
たは排泄により薬剤の作用が自然消失するのを待つ。排泄を促す意味もあり、輸液ポンプを停止した後はラ
クトース補液(または生理食塩水、ブドウ糖補液)を少量ずつ点滴する。自発呼吸が回復する前に麻酔が醒
めるような場合にはイソフルレンまたはケタラールにより麻酔を維持して自発呼吸の回復を待つ。静脈カテー
テルをはずし、傷口抗生物質(クロマイP軟膏)を塗布してカット綿の上から絆創膏でとめる。自発呼吸が完全
に回復したあとで気管カニュレを抜管し、抗コリンエステラーゼ剤(メチル酸ネオスチグミン、0.1mg/kg、自発呼
吸の回復を促進する)を投与して、速やかに動物を飼育室に戻す。気管カニュレの抜管後に再び自発呼吸が
停止すると非常に危険なので、自発呼吸が数分以上継続し、自発呼吸による腹部や肺の動きが滑らかであ
り、飽和酸素濃度が低下しないことを必ず確認してから、抜管および抗コリンエステラーゼ剤の投与を行う。
P.実験後は動物の状態から判断して抗生物質を投与する(セファゾリンナトリウム、10-20mg/kg、2回/日)。
ただし連続投与は最長1週間とし、抗生物質を多用しないように留意すること。硬膜がある状態ではほぼ一
週間に一回の割合で記録を繰り返し行うことが可能である。それ以上間隔を短くすると動物の体調の回復が
間に合わないことが多いので注意を要する。記録の有無とは関係なく、チェンバー内で硬膜を露出させたら定
期的に滅菌したヒビテングルコネートと生理食塩水により洗浄、消毒する。最低一週間に一回の割合でチェン
バーの洗浄を行うことが望ましい。手当の間隔があくと体液や血のたまったところから結合組織が厚く形成さ
れまた雑菌の感染源となるので注意する。週一回の記録であれば記録の前に洗浄、消毒すればよい。結合
組織が肥厚してきたら、双眼鏡下でピンセットを使って表層の結合組織をはがす。チェンバー内の出血や膿を
放置すると脳表面を圧迫するので、その点からも長期間放置することは避ける。何らかの理由で硬膜を切開
した場合には、実験後に抗生物質を混合したアガーでチェンバーを充填して脳を保護し、予後の経過に十分
留意する。しかし、それでも脳皮質を直接圧迫したり感染を起こすリスクが非常に高いので、硬膜を切開する
事態は極力避けたいものである。
4. データ解析
ユニットの検出
細胞外記録により得られるニューロンの活動電位をユニットと呼ぶ。当研究室でもかつてはウィンドウディ
スクリミネーターにより発火活動の生起のタイミングを検出してデータとして保存したが、現在では記録した電
位をA/D変換後そのまま保存しておき、オフラインのソフトウェアを用いて特定の形状をした活動電位を検
出してユニットとしている。各研究者が必要に応じて C++ビルダーやマトラボをベースにして解析プログラムを
作成、使用している。 図6の例ではウィンドウディスクリミネーターを使用して行ったのと同様の処理を計算ソ
フト上で行っている。トリガーにより大まかに活動電位を取り出し、トリガーを超えた時点を中心にその前後数
ミリ秒を表示する。トリガーを超えた時点を起点に設定した2個のウィンドウを通る電位をユニットとし、トリガ
ーを超えた時点を活動電位の生起した時間とする。図6の例では大きい方の活動電位だけがユニットとして
検出される。単一細胞記録の目安としては(1)信号のS/N比が十分に確保されている、(2)記録される活
動の波形が一種類で再現性をもつ、(3)これと異なる波形のものが存在しても振幅が著しく異なるなどして区
別が容易である、(4)活動電位の不応期には次の活動電位が生じないことが挙げられる。
以上が基本であるが、最近ではそれ以外にも波形そのものをテンプレートマッチングしたり、波形の連続的
な変化をフォローしていく方法が開発されている。振幅以外の波形の様々な特徴を定量化してそれらの特徴
量がつくる多次元空間内でのクラスタ分けにより、同一電極の記録から複数の神経細胞の活動を仕分ける
方法(スパイクソーティング法)や、テトロードのような複数電極による同時記録からやはり多次元空間内での
クラスタ分けにより複数の神経細胞の活動を仕分ける方法も開発されている。市販のプログラムの普及によ
りスパイクソーティング法により多数のニューロンから同時に記録することが盛んになってきた。しかし、同時
に記録されるユニットの数が多い場合やそれらの発火頻度が高い場合には、活動電位の重複により活動電
位の波形に基づくソーティング法に限界が生じることを理解しないと、単一細胞記録としての価値が失われる
ことになるので注意したい。
発火頻度
細胞外記録ではニューロンと金属電極の位置関係によって同じニューロンから記録しても電位の振幅、波
形が必ずしも同一にはならない。そこでわれわれにとって有益な情報は発火活動の生起とその時間の情報で
ある。ある刺激を呈示した時に神経細胞の活動に変化が生じたかどうかを調べるために、ユニットが単位時
間あたりにどれくらい発生しているか(発火頻度と呼ぶ)、発火頻度が刺激に依存してどのように変化するか
を調べる。発火活動そのものには揺らぎが含まれるので、刺激呈示を複数回(通常4-20回)行い、平均の
発火頻度を使用する。また刺激呈示の順序による影響を取り除くために、刺激セット内で刺激呈示の順序を
ランダムに変化させる。図6は視野のある位置に刺激を呈示した際にサルの大脳皮質のひとつのニューロ
ンが示した神経活動をラスターグラムとPSTH(peri-stimulus-time-histogram)であらわしたものである。横軸
の下にひいた線は刺激の呈示期間を示す。図の例では刺激を10回呈示した結果を表している。上段のラス
ターグラムでは各線が個々のユニットの生じた時刻を表し、各刺激呈示ごとに表示されている。発火活動のタ
イミングは刺激呈示開始時間に合わせてある。下半分のヒストグラムは20msごとに区切って一回の刺激呈
示あたり平均いくつのユニッ
トが記録されたかを表している。ヒストグラム横のスケールは100発/秒の発火頻度を示している。図の例
では刺激呈示後50msほどしてから細胞が活動していることがわかる。PSTHより発火活動の強弱(頻度)、
刺激提示から反応が出るまでの時間(潜時)、反応の持続は一過性か連続性かなどの神経活動の特徴を見
ることができる。また最近は発火頻度を発火確率とする考え方から、ガウス関数を掛け合わせて滑らか確率
図6 ニューロン活動の検出(上)と
サル大脳皮質のニューロン活動の表示例(下)
第二ウィンドウ
mV
入力信号
(アンプ出力)
トリガー
第一ウィンドウ
-1
0
1
2 m sec
ラスター表示
150
spikes/sec
P S T H 表示
0
0
1sec
刺激提示期間
密度関数として表現することも行われている。ヒストグラム作成、平均発火頻度の計算、統計検定はオフライ
ンで別途作成した自作の解析用プログラムで行う(ボーランドC++ビルダーで記述)。
反応選択性
ニューロンが特定の属性(色、形、テクスチャ、大きさ、動き、両眼視差など)の情報を取り出すことに関係し
ているかどうかは、その細胞が対象となる属性のパラメーターに対して選択的な反応を示すかどうかよって調
べられる。例えばある細胞が二つの視覚刺激に対して全く同じ反応(反応が無い場合も含む)を示せば、この
細胞は二つの刺激を区別する情報を持っていないということになる。逆にある属性のパラメーターを変えた場
合に異なる応答を示す細胞は、この属性に関する情報を持っているということになる。そこで、ある属性のパ
ラメーターだけを変えた視覚刺激のセットを用意し、刺激呈示中のニューロンの平均発火頻度を比較してニュ
ーロンの刺激選択性(反応選択性)を調べることにより、そのニューロンが表現している刺激属性を明らかに
することができる。ただし不完全な刺激セットで調べれば、それによって明らかにされるニューロンの性質も不
完全なものとなるので、視覚刺激のセットの選定に際しては必要な情報が網羅されるように留意する。様々な
属性の組み合わせを網羅するように調べることは難しいので、通常は最適なパラメーターの組み合わせから
なる刺激を最初にもとめる。次にある属性のパラメーターを変化させてその属性についての選択性を調べる。
この時、実験で調べたい属性以外のパラメーターは最適のものを使用するようにする。覚醒実験では試行回
数が限られることから、一般に必要最小限の刺激セットを使用するのが望ましいとされる。しかし、これは反
応選択性を探るという点では非常にリスクが大きい。特に実験解析の際にニューロンを分類するような場合
には、刺激セットの選択に充分に留意する必要がある。
平均発火頻度から反応選択性を調べる解析手法が現在広く利用されている。これは発火活動の有無な
いしは強弱により視覚情報が表現されているのではないかと考えられてきたからである。しかし、解析方法は
視覚情報がどのように表現されているのか、視覚刺激のコード方法により決まるべきものである。近年、視覚
情報の表現方法に関して様々な可能性が指摘されるようになるにつれて解析方法も多様化している。例えば
反応の強弱ではなく、発火頻度の時間変化、つまりPSTHの形状に情報があるのではないかとする説があり、
PSTHの形状と刺激セット間の関係を調べるために主成分分析の手法が利用されている。また10~100ミ
リ秒の短い時間間隔ごとに発火頻度を計算し、反応選択性をもとめることで刺激呈示前後の反応選択性の
動的な変化を明らかにすることも行われている。細胞活動のデータを多数集めて、平均加算やベクトル加算
により細胞群としての性質を評価することもしばしば試みられる。単一または複数の電極により、複数の細胞
から同時に記録を行うことが行われるようになると、これらのニューロン間で反応選択性の比較や反応の相
関の有無が調べられるようになってきた。本稿では特段言及はしなかったが視覚情報の表現方法について
の理論的な研究も視知覚研究の重要な手段となっている。現在の状況は視覚情報の表現方法を明らかにす
るためには新たな実験データの解析手法を開発しなければならない、実験データの解析手法を開発するには
その前提となる視覚情報の表現方法そのものの研究が進んでなければならないという状態で手探り状態を
脱しているとはいえない。従って今後も解析方法はますます多様化していくと思われる。
データ解析の注意点
電気記録に限る話ではないが、実験データを解析する際のデータの変動の取り扱いには注意を要する。
生体データの場合、変動自体が意味を持ち、単なるノイズとして済ませることができない場合が多いので、デ
ータの再現性についてはよく吟味する必要がある。特に覚醒実験では試行数が限られる為に必要最小限の
データで済ませる、あるいはそれしかとれない場合が多い。単に統計検定の問題というだけではなく、実のと
ころデータがニューロンの性質をどれほど正確に反映しているのかどうかを常に頭の中で反芻する必要があ
る。また、個体差についても同様である。サルを用いた実験では個体間の差が大きいにもかかわらず実際に
実験で利用できる個体数に限りがある。現状では2~3頭の動物からの記録をもとにデータをまとめることが
多いが、はじめからデータの性質は同じであると決めつけないで、個体間の違いにも注意するべきである。個
体により課題内容が一部異なったり、課題が同じでも成績に差がある場合には、個体間の課題解決法の違
いがデータに反映されている可能性があるので要注意である。すでに訓練の項で指摘したように、訓練およ
び記録が長期にわたる場合は学習による課題成績やニューロンの性質への影響を考慮する必要がある。ま
た一回の記録セッションの中でも、動物の体調や動機、意欲が変化するので課題解決法が常に一定であると
は限らない。記録中の動物の行動によく注意することが必要である。特にエラーの仕方の変化に注意する必
要がある。また長期にわたる記録では、ニューロンの性質と動物の行動の関係が変化する可能性もあるので、
単純にデータをひとグループとしてひっくくる前に、そうした経時変化の影響を十分に検討する必要がある。
集団(ポピュレーション)としての性質を考えるとき、ニューロングループのデータの取り扱いにも注意が必要
である。1つのニューロンがある知覚の情報処理をすべてまかなうとは考えにくいし、そうした例はこれまで知
られていない。これまで紹介した電気記録法は基本的に個々のニューロンの活動を記録するものであるから、
これをどのようにニューロングループの表現としてとらえるかは大きな問題である。一般にグループ内での平
均をとることが多いが、これはあくまで観察する側の便宜であって、リアルな情報処理がどのようになっている
のかは別問題である。ベクトル加算によるニューロングループ全体としての情報表現の導出法なども提案さ
れているが、情報の脳内表現の話と同じく研究は発展途上にあると考えるのが妥当である。同様のことはサ
ンプリングの問題にもあてはまる。仮に知覚の情報処理の責任部位(脳の領野)が分かったとしてもその部位
に存在するすべてのニューロンから記録したり、すべてのニューロン間の結合を明らかにするのは現在の技
術では困難である。一般に課題遂行に関わるような反応を示しているニューロンを抜き出して1つのグループ
としてまとめて取り扱うことが多いのだが、こまかいことを言えばそれらのニューロンのうちどれが実際に課題
遂行に関与しているのかは結局分からないことが多い。従って、我々が記録するニューロンは実際に課題遂
行に関わるニューロンのごく一部でしかなく、そうしたデータから課題遂行における神経活動の全体像を明ら
かにすることはまことに困難な作業なのである。さらにネットワークとしての情報表現、情報処理のメカニズム
を明らかにすることはいっそう困難な課題であるといえる。近年、fMRI、LFP、光計測のような新しい記録方
法により脳の神経活動を領域単位でまとめてとらえようという研究が盛んになってきているが、これらは神経
ネットワークの働きをマクロな視点で明らかにする試みと考えることができよう。
5.電気記録と視知覚の接点
ここまでは神経細胞の性質を調べることに重点をおいて説明してきたが、ではこうして調べた神経細胞の
性質と視知覚の神経メカニズムとをどのように結びつけたらよいのであろうか。ニューロンがある特定の刺激
属性に対して選択性を持つというだけでそのニューロンがその刺激属性の知覚を担っていると考えるのは早
計である。ある特定の視覚情報(例えば刺激物体の輝度や傾きなど)に注目した時、それを知覚するための
神経メカニズムを理解するには、感覚器官より取り込まれた視覚情報がどのような経緯を経て必要な知覚情
報に変換され、認知、記憶、行動といったより高次の神経活動に提供されるのかを逐次明らかにしていかな
ければならない。サルから記録することの最大の利点は、単にその視知覚がヒトのそれとよく類似していると
いうことだけではなく、動物を訓練して弁別課題や探索課題を行わせることによりその知覚を評価できること
にある。直接動物に「刺激が見えたか?」、「刺激の区別はついたか?」と尋ねる訳にはいかないが、そうした
情報は検出課題や2択の弁別課題の成績からうかがうことができる。本コースにおいても心理物理学の実習
としてヒトの知覚を客観的に評価する方法を習うが、その手法は動物にも適用することができる。ある特定の
視覚情報に注目した時、その情報を用いないと解決できないような課題を動物に課すことにより、動物にとっ
ての刺激(視覚情報)の見えや刺激(視覚情報)に対する感度(検出閾値)を評価することができる。そこで初
めて動物がその視覚情報を利用する、つまり知覚できることが分かるのである。視知覚の神経メカニズムの
探索はここから始まるのである。
視知覚の神経メカニズムを探る
まず課題遂行と相関を持つニューロン(群)を特定しなければならない。同じ課題を遂行中に電気記録を
おこない、課題に使用する刺激に対して反応の強弱やパターンが刺激パラメーター対して選択性を示すニュ
ーロンあるいはニューロン群を捜す。そのようなニューロン(群)が見つかれば、次に神経活動の生起の時間
経過や活動量の変動が課題遂行と相関を持つかどうかを明らかにする。しかし電気記録のサンプリングには
限りがあるので、実際の手順としてはある特定の神経領域に注目してそこから記録されるニューロン(群)の
最適刺激をもとに課題を考案する、つまり注目すべき視覚情報をあとから決める場合が多い。また次節で紹
介するように、最近では課題遂行中の動物でfMRIを測定し、課題遂行に相関する神経活動の変化を脳の広
い範囲で探索することも行われている。
もし課題遂行と相関を持つニューロン(群)が特定できたとすると、ではどうしたらその神経活動と視知覚と
の直接的な因果関係を明らかにすることができるだろうか?あるニューロン(群)がある種の視知覚の情報処
理(色やモーションなど)の責任部位であると結論付ける為にはどういった条件をクリアすべきだろうか? こう
した問いかけに最初に取り組み、かつ最も成功した例が Newsome らによる一連の実験である。Newsome ら
は以下のような疑問に答えることでMT野の運動方向に選択的なニューロンの活動がドットパターンの運動
(方向)検出に直接関係することを示した。(1)ニューロン(群)はその課題遂行に充分な情報を表現している
のか、つまり充分な選択性を有するのか?(2)ニューロン(群)を薬物または外科的処置による破壊または一
時的に麻痺させることにより、視知覚が失われて課題遂行に障害がでるか?(3)ニューロン(群)の活動を操
作することにより視知覚およびそれよる課題遂行の成績が変化するか?例えば局所的に電気刺激を与えて
ニューロンを活動させた場合に、その活動は偽の情報として動物の課題遂行に反映されるのか?(4)ニュー
ロン(群)の活動の揺らぎに応じて動物の弁別が変化するか?
課題遂行に充分な情報を有するかどうかを比較する方法として有力視されているのが弁別閾値を個体レ
ベルとニューロンレベルで比較する方法である。動物の知覚を評価するために知覚確率曲線(Psychometric
function)がよく用いられる。課題の正答率(検出課題)ないし一方を選択する確率(2択の弁別課題)、つまり
コントロール刺激とテスト刺激とを見分ける確率と刺激の刺激パラメーターとの関係をシグモイド曲線で近似
し、曲線の傾きから弁別能(精度)をその位置から検出(弁別)閾値を表す。一方信号検出理論の考え方を用
いると、ニューロンの発火頻度の大小の分布から、ある試行でのニューロンの発火頻度から、その試行がコ
ントロール刺激とテスト刺激のどちらに対する反応であったかを確率で表すことができる。この確率をそのニュ
ーロンの課題の正答率とすると、知覚確率曲線のニューロン版とでも言うべき神経測定関数(Neurometric
function)を求めることができる。知覚確率曲線が個体レベルの弁別能を表わす一方、神経測定関数はニュ
ーロン1つ1つが持つ情報の弁別能を表し、この両者を比較することができる。知覚確率曲線を求めるには膨
大な試行数にもとづく弁別課題の成績が必要になる場合が多いので、記録実験とは別に数日から数週間に
わたる課題の成績をあわせて解析に用いることがしばしば行われる。この場合にはニューロン群全体の反応
選択性と動物による課題遂行の相関を間接的に見ることしかできない点がやや弱い。もし試行ごとに課題遂
行の成績と神経活動を対応づけて両者の関係を明らかにできるのであれば、より直接的な手がかりとなるだ
ろう。弁別が難しい場合には同じ刺激に対しても試行ごとに動物判断が分かれることがある。判定内容に基
づいて試行を2群に分けて、それぞれの発火頻度の分布を比較すると、動物の判定と発火頻度の大小の揺
らぎがどの程度相関するのかを評価する(choice probability)ことができる。もし相関が高ければこのニューロ
ンが課題遂行に関わることを強く指示するが、課題遂行における1つのニューロンの寄与分が小さい場合に
はこうした相関は必ずしも検出されるとは限らない。従って、(4)の問いはやや特殊なケースになる。
しかしながら Newsome らの成功には、MT野の特殊事情、つまりMT野が上記の様な実験解析に最適な条
件を兼ね備えていたことも見逃せない。彼らの実験ではノイズ(背後のランダムドットパターン)の多寡により
ニューロンの発火頻度が一意的に変化したので、ちょうど2択型の運動方向の検出の善し悪しと発火頻度の
変化を対応づけることができた。MT野のニューロンの80%以上がモーションの向きに選択性をもち、最適な
向きごとにニューロングループがコラム構造をとっている。そのため運動情報はMT野に収束しており、いわ
図7 Psychometric Function と Neurometric Function
閾値 傾き 検出閾値の変化
課題の正答率
2択問題の一方を選ぶ
確率
弁別能(検出精度)の変化
1.0
0.5
神経活動の確率分布に
よる
弁別結果
0.0
0%
1.0
2.0 0%
1.0
2.0 0%
1.0
2.0(%)
刺激パラメーター ( 輝度、ノイズの多寡など)
ば運動知覚の中枢のような存在であった。もし破壊実験や局所刺激に運動検出とは無関係のニューロンを
巻き込んだり、運動検出に関係するニューロンの一部分しか操作できなければ、動物の行動への影響ははっ
きりしなくなるだろう。この点、MT野では非特異的な影響を最小限に抑えつつ、効率的に破壊や局所刺激の
作用を調べることが可能であった。またグループでの情報処理に依存すれば依存するほど、個々のニューロ
ンが果たす寄与は小さくなり、ニューロン単位での記録実験では神経活動の違いが目に見える程ではなくな
る可能性が生じる。結果的に、MT野のニューロンの場合は比較的少数のニューロンが十分な情報を有し、
なおかつ運動方向の知覚に直接関与していたことになる。逆に、もし刺激特徴に対する選択性が同じニュー
ロン(グループ)が脳内に分散していたり、異なる選択性を持つニューロン(グループ)が混在するような場合
には、かりに因果関係が存在していたとしてもそれを実験結果として明瞭に示せないことが容易に想像できる。
つまりMT野のような好条件が常にそろうとは限らないのである。
視知覚の神経メカニズム研究のこれから
これまで述べたように視知覚の神経メカニズムを理解することは、神経活動と視知覚の直接的な因果関
係を明らかにすることまで考えると現状ではなかなか困難な研究テーマといえる。しかし我々は着実に一歩
一歩前進しなければならない。実験データの解析と解析手法の前提となる視覚情報の表現方法そのものの
研究は同時進行しており、視覚情報の表現方法についての理解が深まるにつれ、解析方法もますます多様
化していくであろうし、そしてその結果さらに視覚情報の表現方法についての理解が深まることが期待される。
また同一の視覚刺激に対して動物が異なる行動、判断を下す場合に注目すれば、各試行における個々の判
断の差は動物の内的な状態の違いによるものと考えることができる。内的な状態の違い、つまり神経活動の
違いを突き詰めていけば、単に視知覚の研究のみならず、記憶、注意、意欲といった認知過程の神経メカニ
ズムの研究への発展が期待される。また脳科学一般に共通することであるが、脳機能(臨床)、神経回路(解
剖学)、情報表現や計算論(理論的な研究)、神経システム構築(発達過程の研究)、分子メカニズムや分子
レベルでの操作(分子生理学、遺伝学)などなど、様々なレベルでの学際的な研究が視知覚研究に新たな知
見をもたらすことが期待される。視知覚の神経メカニズムの解明はいまだ端緒についたばかりなのである。本
コースが視知覚の神経メカニズムの研究にチャレンジするきっかけとなれば幸いである。