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松本市文化財調査 報告
No.146
長野県松本市
Z∬ 」
Fθ びBARA
―松本第 一 高等学校校舎建替 に伴 う緊急発掘調査 報告書 一
2θ θθ.3
松本市教育委員会
例
1
2
曰
本書 は、松本市浅間温泉 に所在す る大車
甫原遺跡第 809次 調査 の緊急発掘調査報告書 である。
本調査 は学校法人外語学園による開発事業 に伴 う緊急発掘調査であり、学校法人外語学園より松本市 が委託 を受け、
松本市教育委員会 が発掘調査 を実施、本書 の作成 を行 ったものである。
3 本書 の執筆 ・編集 は、 I:事 務局、その他 を田多井用章 が行 った。
4
本書 で使用 した遺構 の略称 は以下 の通 りである。
竪穴住居址→住 、土坑 →土、 ビ ッ ト→ P
ヽ
5
土器 ・陶器 の種別 については、図中土師器 は断面 白抜 き、須恵器 ・灰釉陶器 は断面塗 りつぶ しとした。また、土師
器 の うち黒色土器 については網 ロ トー ンで表現 した。 なお、図の番号に添 えた ローマ字記号 は、Sが 須恵器、NSが 軟
質須恵器、Kが 灰釉陶器 を表わす。
6 図中で用 いた方位記号 は全て磁北 を用いている。
7 本書 の記述 で用 いた時期区分や遺構 ・遺物 の分類、用語 などの多 くは下記文献 に拠 っている。
(古 墳時代 )
松本市教育委員会
(奈 良 ・平安時代 )
1994
『松本市出川南遺跡 Ⅳ・平田里古墳群
(財 )長 野県埋蔵文化財 センター
8
一緊急発掘調査報告書 一』
1990『 中央 自動車道長野線埋蔵文化財発掘調査報告書 4 -松 本市内その 1-総 論編』
本調査 で得 られた出土遺物及び調査 の記録類 は松本市教育委員会 が保管 し、松本市立考古博物館
野県松本市 中山 3738… l TEL0263‐ 86-4710 FAX 0263… 86¨ 9189)に 収蔵 されている:
今回の調査地点
塩倉池
天神 ノ木
跡
古
墳
44松 岡
45水 汲 4号
46水 汲 3号
47水 汲 2号
48水 汲 1号
49桜 ヶ丘
50大 屋敷 1号
51大 屋敷 2号
52妙 義山 2号
53妙 義山 1号
54妙 義山3号
55国 司塚
56〃 ヒ
山園
イ
57御 母家 2号
58御 母家 1号
59藤 井 2号
60藤 井 1号
61惣 社車塚
62県 塚 1号
63針 塚
64古 宮
浴響
22大 輔原
23大 村新切古窯址
2
24大 村古屋敷
3 岡田松岡
25大 村前田
4 杵坂
26大 村立石
5 松岡七 日市場 27塚 田
6 水汲西原
28横 田
7 土田
29横 田古屋敷
8 笠原
30惣 社
9 トウコン原
31宮 ゴヒ
10狐 塚
32下 原
11旧 射的場西
33新 井
12本 郷小学校敷地 34四 ツ谷
13′ 鳥居前
35県 町
14高 田
36藤 井山田
15大 音寺
37藤 井
16芝 田
38堀 ノ内
17柳 田
39兎 川寺
18新 湯南裏
40針 塚
19真 観寺
41荒 町
20飯 治洞
42北 小松
21大 村
43薄 町
遺
1
第 1図 調査地点 と周辺の遺跡
(〒 390… 0823
長
1日
調査 に至 る経過
大輔原遺跡 は、松本市街地北部、南浅間に位置 す る。平成 9年 、学校法人外語学園による松本第一 高等学校 の校舎建
替が計画 され、埋蔵文化財 の有無 につ き照会があった。開発予定地 は大輔原遺跡 内 に位置 していたため、埋蔵文化財 の
保護 について協議 を行 い、建替 を行 う3棟 それぞれにつ き試掘調査 を実施 し、埋蔵文化財 が確認 された場合 は発掘調査
を実施 す ることとした。平成 9年 度 は西側 の2棟 分 を、平成 10年 度 に東側 の 1棟 分 を対象 とし、いずれ も試掘調査の結
果埋蔵文化財 が確認 されたため、緊急発掘調査 を実施 して記録保存 を図ることとなった。
発掘調査 の実施 にあたっては、学校法人外語学 園より松本市 が委託 を受 け、市教育委員会が発掘調査 ・整理及び調査
報告書 の刊行等 の業務 を行 うこととし、委託契約が締結 された。平成
9010年 度 は現場発掘調査及び整理作業 を行 い、
平成 11年 度 に整理作業 と本報告書 の刊行 を行 った。
2日
調査体制
調 査 団長
調
査
員
松本市教育長 守屋立秋 (∼ H10.6.30)、 舟田智理 (7.1∼ 10.15)、 竹淵公章 (11.1∼
澤柳秀利、田多井用章、今村克、村田昇司、荒木龍、百瀬秀俊
佐 々木明、松尾明恵
協
力
者
青木雅志、浅井信興、浅輪敬二 、荒井留美子、五十嵐周子、入山正男、今井太成、大 月八十喜、岡村行
調査担当者
)
夫、上條道代、久保田登子、塩原忍、鷲見昇司、田中一雄、鶴川登、 中上昇一、中村恵子 、中山自子、
原智之、福島勝、藤井源吾、藤井道明、布野行雄、布山洋、待井敏夫、宮 田美智子、百瀬二三子、百瀬
二三子、矢崎寛子 、渡辺順子
事 務
局
<平 成 9年 度 >
木下雅文 (文 化課長 )、 熊谷康治 (文 化課長補佐 )、 村田正幸 (文 化財担当係長 )、 田多井用章、近藤潔、川上真澄
<平 成 10年 度 >
木下雅文 (文 化課長 )、 熊谷康治 (文 化課長補佐 )、 村田正幸 (文 化財担当係長 )、 久保田剛、近藤潔、上條 まゆみ
<平 成 11年 度 >
木下雅文 (文 化課長 )、 熊谷康治 (文 化課長補佐 )、 松井敬治 (文 化課長補佐 )、 久保田剛、武井義正、酒井 まゆみ
8次 B
第 2図 調 査範 囲
-3-
大輔原遺跡 は松本市街 地北部 に位置 し、周辺 は住宅・店舗等 が近年盛 んに建設 され、市街化 が著 しい。周辺 の遺跡分布
島羽川 と、東西 に流れ る薄川 の両岸 に数多くの
は第 1図 に示 した。遺跡 の年代 は多岐 にわたるが、市街 を南北 に流れ る女″
鳥羽川右岸 の岡田地区
島羽川左岸 の大輔原遺跡 を含む一群 、女′
遺跡 が存在す る。これ ら遺跡 を遺跡群 としてとらえると、女′
∼
の遺跡群 、さらに薄川両岸 の遺跡群 の3つ に分類 できよう。大輔原遺跡 は古墳時代 平安時代 を中心 としており、これ ら遺
跡群 においてもこの時期 の集落分布 が密 に確認 され ている。薄川右岸 の遺跡群 は現在 の惣社・里山辺地区に該 当 し、この
うち惣社地区はその地名 から信濃国府推定地 の有力候補 の一つとされてきたё現在 までのところこれ を裏付 けるような資料
は得 られてはいないが、これ までの発掘調査 から、この地区一帯 に奈良 ∼平安時代 の集落 が展開す ることが明らかにされて
い る。岡田地区において も、岡田松岡遺跡 など大規模 な集落 が調査 され ている。これ ら集落 の背後 には、西側 の北部古窯
址群 など生産 遺跡 も控 えている。大輔原遺跡周辺 では、大村遺跡・大輔原遺跡 で数多くの住居址 が確認 され てお り、両遺
跡 は現在別個 の遺跡 としているが、当時 は一連の集落であったものだろう。
大輔原遺跡近隣 の遺跡 について古墳時代以降 にしぼって概観す ると、古墳時代 では、後期 を中心 とした遺構 の分布 が大
輔原遺跡・高田遺跡 で確認 されている。高田遺跡 では古墳時代末 の大型 の掘立柱建物址 (2間 ×3間 (5m× 9m)以 上、柱
穴 は lm四 方以上 の方形 )が あり、注 目され る。古墳 では県宝 の金 鋼製冠 を出土 した桜 ヶ丘古墳 をはじめ、妙義山古墳 や、
実態 が不明 だが大屋敷 102号 古墳、国司塚古墳 がある。奈良 0平 安時代 は遺構 の最 も多い時期 で、大村遺跡 では73軒 の住
居址 が確認 されているほか、大輔原遺跡 でもこの時期 が 中心 となる。また、集落 の東側 の妙義山麓 には、大村新切古窯址 が
あり、2基 の窯址 から瓦 が出土 しており、注 目され る。大輔原遺跡 の今回の調査地点周辺・大村遺跡 では平安時代前期 まで
が 中心 となり、それ以降 は別 の地点 に集落 が展開す るようで ある。これ までの発掘調査成果 の 中で注 目すべ き点 として、ま
ず大村遺跡 での古瓦 の 出土 がある。大村遺跡 は古瓦 の 出土す る遺跡 として以前 から注 目され、いわゆる大村廃寺 の存在 が
推定 され ていたが、これ までの発掘調査 では寺院址 に関す るような遺構 は確認 されていない。しかし、平安時代前期 の住居
址覆土 中及 び床面 から古瓦 がまとまって 出土す る事例 がいくつか確認 されてお り、当時近在 に瓦 を用 いた建物 があった可
能性 が高 い。一方、柳田遺跡 では大型 の掘立柱建物 址 (3間 ×4間 (7。 5m× 10m)以 上、柱穴 は 1.2m四 方以上 の方形 )が
確認 され、市内でも最大級 の規模 のもので ある。残念 ながら調査範囲が狭 く、集落 とのかかわり等 については明らかにでき
なかったが、通常 の集落 の ものとは明 らかに異 なる規模 の建物 址 の存在 は注 目され る。また、大輔原遺跡第 2次 調査地点
(今 回の調査地点 の東隣 )で は円面硯の出土・古式 の灰釉陶器 の 出土 が見 られ たほか、大村遺跡 では青鋼製帯金具 2点 (丸
輌・銘尾 )が 出土 している。
以上 の ように、これ までの調査成果から、大輔原遺跡 と近隣 の遺跡 は、奈良・平安時代 に大規模 な集落 を営 んでいたこと
が確認 でき、さらに遺構・遺物 にやや特殊 な一面 を見 いだす ことも可能 である。
今回の調査 では、工 事 により遺跡 が破壊 され るおそれ のある建物建設部分 を調査対象 としたが、校舎建設工事 を一部並
行 して実施 したため、調査 できなかった部分 もある。校舎 は3棟 建替 のため、工事 の実施 に合わせ 、平成 9年 度 に2棟 を、平
成 10年 度 に残 りの1棟 をそれぞれ調査 した。調査 にあたっては、重機 により遺構検 出面 までの表 土除去 を行 った後、人力
により検 出・遺構掘 り下 げを行 い、調査終了後重機 による埋 め戻 しを行 った。遺構 などの測量記録 は、磁北方向 に沿 って任
意 の 3m方 眼 を設定 して行 った。調査区の基本的 な土層構成 は、表 土下 に暗褐色土層 が堆積 し、その下 に黄褐色 の地 山が
ある。暗褐色土層 中には遺物 が含 まれており、遺構 はこの土層 中から堀 り込 まれていると思われ る。検 出面 は黄褐色 地山
上面 もしくは暗褐色土層 中に設定 した。
調査 の実施期間・面積・検 出遺構・出土遺物 の概要 は下記 のとおりである。なお、本報告書 では、平成 5年 度 に松本第一
高等学校体育館建設 に伴 って実施 した第 4次 調査 についても紹介 を行 う。
離
8次 A地 区 平成 9年 10月 28日 ∼ 11月 12日
8次 B地 区 平成 9年 12月 2日 ∼ 12月 12日
9次
平成 10年 8月 6日 ∼8月 13日
醐
192ビ
竪穴住 居址
ピッ ト
棟基
脚
竪穴住居址 8棟
土坑
6基
ピッ ト
278ビ
77基
1棟
建物 址
溝
1条
竪穴住居址 2棟
土坑
23基
290コピ
ピッ ト
39基
溝
1条
-4-
土器 ・陶器 (土 師器 ・須恵器 ・灰釉陶器 )
土器 ・陶器 (土 師器 ・須恵器 0灰 釉陶器 )
金属器 (鉄 器 ・青銅器 )
石器
土器 ・陶器 (土 師器 ・須恵器 ・灰釉陶器 )
鉄器
_ NSO
NSO _
―
S9
―
S18
︱I W
_ N9
_ NSO
第 3図
調査地区遺構配置
-5-
° 建50Y
I?
│
E18
i。
¥
Pθ ′
れ伽理
11± 11,土
±
ざ
0
︱I W
│
VV1 8
│
E9
0
第 4図
調査地区遺構配置 (2)
-6-
10m
1日
竪穴住 居址
竪穴住居址 │ま 合計 24軒 を確認した。ここでは時期 ごとに遺構 のあり方 を概観する。
(1)古 墳時代後期の住 居址
11039040住 が該当 し、後期でも後半、出川南第 3∼ 4段 階 (7世 紀後半 )で ある。主軸はほぼ東西南北方向。住居址 め全
体 の形態 のわかる11住 は隅丸長方形 n長 辺は 6mを 超 える。カマドが確認 できたのは 11039住 で、ともに西壁 に設けられる。
11住 は遺存状態 が良好 であった。カマドは石組 で、袖石・支脚石 が残存 し、火床 は顕著 に赤化。柱穴 は4基 確認 できた。カ
マド西側 には貯蔵穴 があり、周清 が北壁 から東壁および南壁 にかけて見 られ た。遺物 はカマド周辺 を中心 にまとまって出±。
カマドの火床付近 にはほぼ完形 の甕 が2個 体横位 に出土 しており、意図的に置 かれ たもので あろう。
39住 のカマドの周辺 には袖石 と思われる石 が出土 しており、廃絶時 に抜 き取 られたもので あろう。火床 は赤化 していた。柱
穴 は確認 できなかった。周満 は東壁 にそって確認 できた。遺物 は南西隅 にまとまって出土 した。
(2)奈 良・平安時代の住居址
①l∼ 2期 (7世 紀末∼ 8世 紀初 )の 住居址
12013014017035038043044住 が該当し、全て隅丸方形を呈し、一辺 4m前 後のものが多い。カマドが確認できたもの
では、12住 が東壁 に設けられているほかは全て西側 にある。
12住 は、カマド周辺から袖石 と思われる礫 が出土 しており、廃絶時に破壊されたものであろう。火床は赤化している。柱穴 は
東側に2基 確認 できた。遺物 はカマド周辺を中心に出土している。
13住 は、残存状態 が良好で、袖石・支脚石が確認できた。火床 は顕著 に赤化する。柱穴 が4基 とも確認できた。遺物 は床面
付近から比較的多く出土 しており、把手付中空円面硯が床面 から出土 している。
14住 は 15住 に貼られてカマドは確認できなかった。柱穴 は4基 が確認でき、周満 が壁沿 いを巡っている。
17住 のカマドは、西壁南寄りにあり、他 と異 なる。火床 は顕著 に赤化 しているが、袖 は破壊され、抜 き取られた袖石 と思われ
る礫 がカマド北側 に分布。柱穴は確認できなかったが、周溝 がみられた。遺物 はカマド周辺から出土 した。
38住 のカマドは詳細 が不明だが、火床は発達せず、袖石等も残存 しない。柱穴 は確認できなかったが、カマド脇に貯蔵穴が
見られ、周満が壁沿 いに巡 る。遺物 はそれほど多くないが、カマドの火床部分を中心に出土 している。
②3∼ 5期 (8世 紀前半∼ 9世 紀初 )の 住居址
36・ 37住 が該当。ともに出土遺物 が少なく
、時期を特定できないが、36住 の方 が若千さかのぼる可能性がある。36住 は平面
・柱穴等はともに確認できなかった。
形 が不明だが、37住 は隅丸方形を呈し、一辺 は4m前 後である。カマド
③6期 (9世 紀前半)の 住居址
8018・ 32住 が該当し、8住 は5期 にさかのぼる可能性がある。32住 が隅丸長方形を呈するが、
他 は隅丸方形。14住 は一辺
が6m前 後 と大型 であるが、その他 は3.5γ 4m前 後である。カマドは14住 では確認できなかったが、8住 が西壁 に、18032住 は
東壁 に設けられていた。32住 は東壁でも北寄りに設けられており、他 とやや異 なる。
8住 のカマドは破壊されており、袖石等 はなかったが、その抜取穴 が確認できた。火床は顕著に赤化。柱穴 は西側のピット2
基が相当す るものか。周清 は北壁 ∼西壁北半にかけて確認できた。遺物 はカマドを中心に散漫 に出土 している。
18住 は 17住 を貼っているが、現場調査時に切り合 いの新古を逆 に判断 して掘削 してしまったため、18住 の詳細 は明らかに
できなかった。カマドは廃絶時に破壊 されており、袖石 は残存 していなかったが、火床は顕著に赤化。
32住 のカマドは、廃絶時に破壊 されたものか、袖石 がカマド内から出土 している。火床 は赤化 していた。柱穴・周溝等 は確認
できなかった。遺物 は東半部から多くが出土 している。
④7期 (9世 紀中頃)の 住居址
9015019住 が該当する。隅丸方形か隅丸長方形を呈し、一辺 は3.4∼ 4。 5m。 カマドは 15住 が西壁、19住 は東壁。
9住 は西壁 に張出部があり、火床等 は確認できなかったが、カマドである可能性がある。柱穴・周清等は確認できなかった。
遺物 は多くないが、北壁寄りからややまとまって出土 している。
15住 カマドは石組が良好に残存 し、袖石および天丼石、支脚石 が確認できた。火床は顕著に赤化。柱穴等 は確認できなか
った。住居址床面中央 から多数の礫 が出土 し、廃絶時 に廃棄 されたものか。遺物 はカマド周辺を中心に出土さ
19住 はカマド火床 に相当すると思われる焼土の分布 が見られたが、袖石等は残存 していなかった。柱穴・周満等 は確認で
きなかった。遺物 は床面を中心として多く出土 している。
⑤8期 (9世 紀後半)の 住居址
10016・
34047048住 が該当する。10住 が隅丸長方形 のほかはいずれも隅丸方形 で、一辺は3.3∼ 4m前 後である。カマ
ドは34住 が西壁南寄りであった他 は全て東壁に設けられている。
│
10住 カマドは破壊されており、袖石等 は確認できなかったが、
顕著 に赤化 した火床上から土師器甕 が出土 している。柱穴・
-7-
第 1表
住居址 一覧表
雛
雪品 W
隅丸方形
隅丸長方形
356X348X24
372X372X36
392X336X24
309建 を切 る
―
W
石組
西壁
古墳後期
10住 、3清 に貼 られ る
N-95°
420X404X28
1∼ 2期
444X440X36
17.4
E
N-100° ―
石組粘土
東壁
1∼ 2期
1建 に切 られ る
隅丸長方形
640X620X44
35。 9
N-3°
6期
Pを 切 る
隅丸長方形
452X424X32
15.8
N‐ 89°
‐
W
石組
西壁
7期
14住 を切 る
(13。 0)
N-97°
―
E
東壁
8期
19住 を切 る 区域外 にかかる
18.9
N‐ 89°
」
Ⅵr
粘土
西壁
1∼ 2期
5建 を切 る
東壁北隅
6期
7期
6期
17住 を切 る
16住 に切 られ る 区域外 にかかる
撹舌L、 トレンチに切 られ る
西壁南寄り
8期
流路 を切 る 区域外 にかかる
3土 を切る 41住 を貼 る P30に 切られる 撹
隅丸方形 か
隅丸長方形
隅丸長方形
(376)× 356× 22
448X440X40
440X 〈320〉 X32
〈2.5〉
(388)× 340× 18
(12.1)
372X328X32
10。
6
‐
E
E
N-89° ‐
E
N‐ 102° ―
E
N-111° ‐
欠番
隅丸方形
f400)× 380× 16
隅丸方形
372X312X18
388X 〈164〉 X26
(10.4)
N-6°
〈2.9〉
E
N‐ 6° ―
392X352X32
(12.0)
N-0°
隅丸方形
480X444X30
(20。 0)
N‐ 90°
Lw
西壁
隅丸方形
448X440X28
(18.1)
N-82°
―
W
西壁
不明
欠番
欠番
688× く232〉 × 28
〈15.8〉
N‐ 20°
‐
E
不明
〈280〉 X 〈180〉
〈88〉 X 〈80〉
45
46
47
48
‐
W
N‐ 54°
37
38
東壁
東壁
(12.3)
不明
X20
X26
隅丸方形
328× (328)× 36
364× (360)× 12
‐
E
1∼ 2期
西壁
3∼ 5期
3∼ 5期
15住 、4011012建 に切 られる
12建 に切 られる
18住 に切 られる
舌Lに あう
65066に 切 られ る 区域外 にかかる
43044住 、16溝 を切 る Pに 切 られる 区域
P64・
外 にかかる
撹舌Lに あう
42住 を切 る 17建 、P42077に 切 られ る 区
古墳後期
域外 にかかる
古墳後期 接嗜Lに あう
1∼ 2期
37住 に切 られ る 区域外 にかか る 撹舌Lに あ
く2.7〉
1∼ 3期
〈0.5〉
1∼ 2期
37住 に切 られ る 区域外 にかかる
8期
8期
区域外 にかかる
区域外 にかかる
欠番
欠番
第 2表
10住 に貝
占られる
9011イ 主を貝
占る
東壁
36
(8.3)
E
N-102° ‐
11.5)
N‐ 120°
東壁
東壁
―
E
つ
土坑一覧表
不明
隅丸長方形
不明
く104〉 X104X44
64× 32× 16
区域外 にかかる
不整形
楕円形
楕円形
80Xく 48〉
29土 を切 る 区域外 にかかる
楕円形
X12
〈64〉 X 〈60〉
楕円形
88X76X24
方形
80× 72× 8
X14
不明
88× 〈70〉 × 20
楕円形
不整形
円形
円形
28土 に切 られ る 区域外 にかかる
円形
20
284X180X16
円形
区域外 にかかる
区域外 にかかる 撹乱 にあう
隅丸長方形
楕円形
不整形
第 3表
轟 Ⅷ
儲
珊
隅丸長方形 か く292〉 × 50× 28
152× 80× 14
楕円形
Na
6期
7期
8期
E
N-101° ―
隅丸方形
轟
西壁
西壁
東壁
N-85°
14.5
隅丸方形
32
33
34
‐
W
―
W
E
N… 94° ―
N… 88°
636X556X36
鵬
響
黎
35住 に切 られ る
21
22
23
24
25
74× 52× 26
116X108X6
42X36X12
64X54X12
64X36X10
68X44X12
区域外 にかかる
7溝 を切 る
楕 円形
隅丸長方形
楕 円形
楕円形
円形
隅丸長方形
楕円形
100X79X12
区域外 にかかる
56× 38× 16
188× 88× 12
52× 36× 17
P21037038に 切 られる
46X44X24
44X36X6
36X32X14
56X40X20
36X32X12
20土 を切 る
90X46X12
40X36X28
104X60X14
円形
52X36X22
40X34X6
不整形
40× 22× 8
円形
円形
60× 40× 8
56× 46× 8
鮎
72X54X16
44X40X16
47住 に切 られ る
48住 に切 られ る
金属器 一覧表
綱
剛
軸
釘
11住
刀子
11住
13住
11住
32住
32住
34住
鋤。
鍬
刀子
刀子
釘
刀子
頭部・脚部欠損
身部
208.3
21。 9
片耳部先端 ・刃先 一部欠損。全長 1)4cm、 横幅 18.8cm。 袋部 は図面手前側 が膨 らむ。
茎尻 ・切先欠損。両関。 Ⅱ類
茎尻わずかに欠損。両関。 Ⅱ類
脚部欠損
頭部 。
身部
-8-
第 4表
掘立柱建物址一覧表
2間 ×2間
―
E
2間 × 2間
32.1
N-6°
352X424
lW
N-23°
544X616
(15.0)
336X420
N‐ 0°
2間 ×2間
N-5°
‐
E
(9.8)
N-1°
―
E
<8.3>
N‐ 2°
‐
E
―
W
(10.3)
N‐ 4°
(10。
N-2°
296X336
2間 ×2間
272X380
2間 ×2間 か
280X360
2間 ×2(1)間
292X352
‐
E
2間 ×2間
1)
284X352
‐
E
1間 × 1間
8.3
N-3° ‐
E
<4。
7>
不
明
―
W
(12.1)
256X320
1間 × 1間 以上
212´ -220
3間 以上か
2間 ×2間
332X372
桁行
梁間
桁行
梁間
桁行
梁間
桁行
梁間
桁行
行間
桁梁
<6.5>
N‐ 9°
2間 ×2間
140∼
124∼
136∼
132∼
176∼
116∼
160∼
124∼
164∼
132∼
296∼
252∼
200∼
216∼
184(162)
172(148)
248(192)
144(138)
184(180)
180(148)
188(174)
164(144)
184(174)
152(142)
324
272
228
224
円形
円形
円 0楕 円
形
円 。方形
円形
円形
円形
円形
円形
円形
円形
180∼ 220(200)
円形
164× 172(168)
144× 172(158)
円形
48´ -56
14´ -36
36∼ 72
20-44
44´ -76
12-28
28∼ 52
12∼ 34
48-82
4∼ 16
28-44
6∼ 28
7基
φ12´-20
7基
φ8∼ 12
40-54
6基
12-16
φ 16-28
24´ V100
12´ -30
42-84
4´
-42
40-54
4∼ 16
36∼ 52
2
基3
(9。 9)
N… 7°
312X420
192∼ 232(212)
160∼ 180(170)
200∼ 402(301)
260∼ 288(274)
204∼ 220(212)
136∼ 180(158)
192∼ 236(214)
152∼ 212(182)
2
2
基 1基 1
13.5
桁行
梁間
桁行
梁間
桁行
梁間
桁行
梁間
剛
6基 1
4
基1
14.4
2間 ×2間
行間
桁梁
長方形
側柱式
―
E
N‐ 3°
榊
雖
柵
行間行間
桁梁桁梁
明明
不不
長方形
側柱式
長方形か
側柱式か
長方形か
側柱式
長方形
側柱式
長方形
側柱式
長方形
総柱式
長方形
側柱式
長方形か
不 明
珈
径 深 径 深 径 深 径 深 径 深 径 深 径 深 径 深 径 深 径 深 径 深 径 深 径 深
形式形式形式
方柱方柱方柱
長総長側長総
轟轟 吻
6基
φ16-32
4基
φ12-24
脚
13住 を切 る
2建 と切 りあう
1建 と切 りあう
8住 に切 られ る 撹乱 にあ う
14住 を切 る
17住 に切 られる
区域外 にかかる
10建 と切 りあう 区域外にか
かる
8・
9住 に切 られ る
7建 と切 りあう
24´ V48
14住 を切 る 区域外にかかる
24´ -40
14015住 を切 る 区域外 にか
38-40
36´ -60
24´ -36
かる
7基
φ16´ -36
39042住 を切 る
周満等 は確認 できなかった。覆土 中からはカマド南側 を中心 とした住居址南半 から廃棄 され たと思われる礫 が出土 している。
遺物 はカマド周辺 からまとまって出土 している。
16住 も10住 同様 、カマドは破壊 されており、火床 を確認 したのみで あった。覆土 中からは廃棄 されたと思われる礫 の分布 が
見 られた。柱穴・周清等 は確認 できなかった。遺物 はカマド周辺 および南壁付近 から出土 している。
34住 は、西壁 の張 出部分 がカマドに相 当するものと思われるが、破壊 されたためか、袖石・火床等 は確認 できなかった。
遺
物 はカマド周辺 から多く出土 している。
48住 は床面近 くまで撹乱 が及 んでおり、遺存状態 は悪 かった。カマドは火床 が確認 できたのみで ある。遺物 は力●ド周辺 か
らまとまって 出土 しており、量 も上L較 的多い。
2.掘 立柱建 物址
掘立柱建物址は合計 13棟 を確認できた。このうち2040508010・ 12建 については平面形がいびつであったり、柱穴の規
模 がそろっていないことなどから、建物址ではない可能性 がある。これらを除いた7棟 のうち、柱穴配置 が明確 であるのは 1・
309建 の3棟 で、これらはいずれも2間 ×2間 の総柱式建物で、面積は 10∼ 15ピ である。この3棟 は主軸 がほぼ南北方向で
そろっており、規模も類似 している。607011建 は柱穴配置・規模 が明確ではないが、いずれも側柱式建物で、607建 は2間 ×
2間 以上、11は 1間 ×1間 以上の規模である。これら建物址からは遺物 がほとんど出土 していないが、他遺構との切り いから
合
建 1は 3期 以降、建 3は 5期 以前、建 4は 7期 以降、建 5は 3期 以降、建 9は 5期 以前、建 11は 7期 以降、建 12は 8期 以降、建
17は 1期 以降に位置づけられる。なお、調査 日程の都合上、建物址 ピッ トを完掘 していないもの もある。
3.土 坑・ ビッ ト
総計 35基 を検 出 した。大半が円形 0楕 円形 のもので ある。遺物 の出土 はほとんど見られなかった。帰属時期 は不明だが、大
半 は他 の遺構 と同じ古墳時代後期 ∼平安時代前期 に位置 づ けられるものと推浪Iさ れる。
(1)古 墳時代後期の土器
今回の調査で出土 した該期土器群 は、古墳時代後期 でも後半、出川南第 3∼ 4段 階 のもので、11039040047住 出土土器
群 が該 当 し、中でも11住 出土土器群 は良好 な資料である。
11住 出土土器群 (31∼ 57)は 、
土師器が主体でこれに若干め須恵器が伴う。図示したものの殆どは男マド からまとま
っ
周辺
て出土している。土師器では食器として不・高不が、煮炊き具として甕 0甑・小型甕が、貯蔵具として大型壺がある。不はその形
-9-
のの 3種 がある。高不
態 から単純 に内湾す るものと、内湾 しつつ口縁部 がやや外反 し、内面 に稜 を持 つ もの、日縁部 が開くも
ている。器形
も不部形態 は不 と同様 の器形 で、不の後 2者 を外部 として持つ ものがある。甕 は外面 がナデ調整 のものが卓越 し
は立上
る。
りと天
不蓋
は胴 があまり張 らず、胴部最大径 が中位 にある。須恵器不 は返 りを持つが立上 りは比較的長 く、内傾す
39住 出土
井部 の境界 に鈍 い稜 が見 られる。以上 から、本址出土土器群 は出川南遺跡第 3段 階 に位置 づ けることができよう。
土器群 (231∼ 241)も 11住 と同様 の特徴 を持 ち、同時期 のものと考 えられる。
・
40住 出土 土器群 (242∼ 250)は 図示 できた個体数 が少 ないが、土師器 に甕、須恵器 に蓋不・不蓋 高不 が見 られる。須恵
しい様相 を
へ
器蓋不 は口縁部 の立上 りが短 く内傾す るもの、また不蓋 は立上 りから天丼部 緩 やかに移行するもので、ともに新
る
いが
、日縁部 は短 く強く外反す 。須恵器不
示す。高不 は不部が単純 に内湾す る形態 のものである。土師器甕 は全体が窺 えな
蓋・蓋不 の形態 から、出川南第 4段 階 に位置 しよう。
(2)奈 良 0平 安時代 の土器
① l∼ 2期 の土器
12・ 13・
14017035・ 38043044住 が該 当。
12住 出土土器群 (90∼ 93)に は、須恵器蓋、土師器甕・小型甕 がある。土師器甕 は長胴 で、日縁部 が長 く直線的 に開くもの。
須恵器蓋 は口縁端部がく字 に屈曲す るもので、これよりは時期が下 り、混 入であろう。
13住 出土土器群 (75∼ 89)は 、食器 に土師器不・須恵器 不A・ 不 B・ 不Dが 、煮炊 き具 に土師器甕 Aが 、貯蔵具 に須恵器小型
壺 がある。完形 の把手付 中空円面硯 も出土 している。土師器甕 Aの 形態 から、2期 あたりに位置 づ けられよう。
14住 出土土器群 (108∼ 118)は 、食器 に土師器不 A、 須恵器 不 A・ 高不 が、煮炊 き具 に土師器甕 Aが 、貯蔵具 に須恵器甕 が
ある。1080109は 他 よりも時期 が下 るもので、出土地点等 から本来 は15住 に帰属す るものか。土師器甕 Aは 口縁部 の外反 が
強 い形態。1∼ 2期 に位置づ けられよう。
17住 出土 土器群 (72∼ 74)は 、出土量 が少 なく、器種構成 の全体 を窺 えないが、食器 に須恵器不 A・ 不B・ 不蓋 B、 煮炊 き具
に土師器甕 Bが ある。須恵器不Aは 底部 ヘラ切 りの後ナデ調整。不蓋 は口縁端部が断面三 角形 に折れ曲 がる。土師器甕 は長
胴 で、口縁部 が強 く外反す る。1∼ 2期 に位置 づ けられよう。
35住 出土 土器群 (211∼ 217)に は、食器 に須恵器不A・ 不 B・ 蓋 、貯蔵具 に須恵器長頸壺 、煮炊 き具 に土 師器甕 がある。点
数 が少 なく、全体 の構成 を窺 えないが、1期 あたりに位置 づ けられよう。
点数 が少 なく詳細 が不明 だが、38住 出土土器群 (204∼ 210)044住 出土土器群 (251∼ 254)は 1∼ 2期 に、43住 出土土器
群 (276∼ 279)は 1∼ 3期 にそれぞれ位置づ けられよう。
② 3∼ 5期 の土器
・
・
36037住 出土 土器群 が該 当。37住 出土土器群 (220∼ 230)は 、食器 として不 B・ 不蓋 B、 貯蔵具 に短頸 壷 長頸壺 甕 があ
る。不Bは 、体部 が稜 をなして立上 り、高台 が八の字 またはまっすぐにおりる形態 のもの、蓋は口縁部 がく字 に折れ曲 がるもの。
∼
づ
形態上 の特徴 から、4∼ 5期 に帰属す る。36住 出土 土器群 (218・ 219)も 須恵器不BO不 蓋 Bの 形態 から、3期 5期 に位置
けられよう。
③6期 の土器
18032住 出土土器群 が該当。
黒色土器AttAが 、煮沸具 に小型甕Dが 、貯蔵具 に長頸壺がある。須
恵器不Aの 外傾指数 は83∼ 97で 、外面のロクロロが強く残 る。食器の主体を須恵器 が占めている。
32住 出土土器群 (174∼ 186)は 、食器 に須恵器不AOB、 黒色土器AttAが 、煮炊 き具 に甕B、 小型甕Dが、貯蔵具 に須恵器
軟質須恵器は見られない。ttBtま 口縁部の
長頸壺A、 平瓶がある。食器の主体を占める須恵器不Aは 外傾指数が79∼ 99で 、
18住 出土土器群 (63∼ 71)は 、食器 に須恵器不A・
B、
外反 が強 く、器壁 は非常に薄 いものである。
この他 、 8住 出土土器群 (58∼ 62)も 5∼ 6期 あたりに位置づ けられよう。
④7期 の土器
9015019住 が該当。
9住 出土土器群 (1∼ 10)は 、食器 に土師器不D、 黒色土器AttA・ 皿B、 須恵器不A・ B、 灰釉陶器椀 が、煮炊 き具 に小型甕
Dが ある。図示 できたものは食器 に偏っているが、黒色土器Aが 多く見 られ皿Bが あること、須恵器不Aの 外傾指数 がいずれも
7期 の様相を示 している。灰釉陶器椀の 9は ハケ塗り施釉で、高台断面形態 が平行四辺形 など、黒笹 14
100を 超えているなど、
、
号窯式期 に位置づけられ、この年代観 とも矛盾 しない。なお 1に は墨書がある。
Dが、貯蔵具 に須恵
A・
に土
小型甕
き
A、
師器甕
15住 出土土器群 (119∼ 139)は 、食器 に黒色土器AttA、 須恵器不 煮炊 具
こ
器長頸壺 がある。食器 には須恵器不A・ 黒色土器AttAが 共 にあり、須恵器不Aの 外傾指数 がいずれも100を 超 えている と
から、7期 の様相を示 しているものと思われる。
0皿 が、
煮炊 き具 に小型甕Dが、貯蔵具 に須恵器甕
19住 出土土器群 (94∼ 107)は 、食器 に須恵器不A、 黒色土器AttA・ 椀
長頸壺 がある。食器 は黒色土器Aが 圧倒的に多く、灰釉陶器 は見られない。1点 のみの須恵器不Aは 外傾指数 が 100で 、見込
みが残った形態をとる。器種構成の全体 が窺えないが、7期 あたりに帰属するものであろう。
0
-10-
⑤8期 の土器
10016034047・ 48住 が該 当。
10住 出土土器群 (11∼ 30)は 、食器 に土師器不A、 須恵器高不、黒色土器 AttA・ 椀・皿 Bが 、煮炊 き具 に甕 B。 小型甕 Dが 、
貯蔵具 に須恵器長頸壺 Aが ある。土器群 の特徴 として食器 が黒色土器 Aに 占められ、須恵器 の不 が伴 わないこと、土師器甕
Bの 口縁部が長 く直線的 に立 ち上 がりが外反せ ず、口縁部 のヨコナデがハ ケメ調整 の上 にまで及んで いることが挙げられる。
灰釉陶器 が見 られないものの、8期 の様相 を示 していよう。
16住 出土土器群 (140∼ 173)は 、食器 に須恵器不B、 黒色土器AttA・ 椀・皿 B、 黒色土器 B耳 皿 、灰釉陶器椀 が、煮炊 き具
に土 師器甕 B・ 小型甕 D OttB、 貯蔵具 に須恵器甕、灰釉陶器小型壺 がある。食器 は黒色土器不 A・ 椀・灰釉陶器椀 に占めら
れている。灰釉陶器椀 はいずれも三 日月形 の高台を持 ち、器壁 が薄 く、施釉 はハ ケ塗 りによる。土師器甕 Bは 口縁部 が直線的
に長 く立 ち、端部 を面取 りす る特徴 を持 つ。
34住 出土土器群 (187∼ 2o3)は 、食器 に須恵器不A、 黒色土器不A・ 椀、灰釉陶器椀 Aが 、煮炊 き具 に甕 B・ 小型甕 DO円 筒
形土器 が、
、貯蔵具 に須恵器短頸壺 0甕 Dが ある。黒色土器 AttAが 食器 の主体 を占める。須恵器不Aは 器壁 が薄 く、ロクロロ
が顕著 である。土 師器甕 Dは 口縁部 が長く立上 り、口縁部 のヨコナデが屈曲部 の下 まで施 されている。
47住 出土土器群 (255∼ 275)は 2時 期 に分 けることがで き、2つ の遺構 を判別できず に1つ の住居址 として掘削 してしまった
可能性 が高 い。時期 の古 い一群 には須恵器不 B・ 蓋 B、 土 師器甕 がある。ttBは 稜 をなして直立 に近 く立 ち上 がり、高台はや
や外側 に開く形態 をとる。ttBは 直線的 に広 がり、口縁端部 が断面三 角形 でやや外側 に開く。こうした特徴 から1期 ∼ 3期 あた
りに位置づ けられようか。時期 の新 しい一群 は食器 に軟質須恵器不A、 黒色土器不 Aが 、煮炊 き具 に土師器甕 Bが ある。食器
の主体が黒色土器 AttAに 占められ、これに若干 の軟質須恵器 が伴 う点、および土師器甕 Bの 形態 から、8期 に位置 づ けられ
る一群 であろう。
48住 出土土器群 (287∼ 300)は 、食器 が黒色土器 に占められ、不A・ 椀 がある。煮炊 き具 は甕 B・ 小型甕 Dが あるが、甕 Bは
口縁 部 のナデが屈 曲部 より下まで及び、ハ ケメがナデ消 される。
(3)金 属器
8点 を図示。釘・刀子・鋤 または鍬及 び青鋼製巡方が見 られる。鋤 または鍬 は片耳部を欠くが、ほぼ完形 で U字 形 のもの。巡
方は約半分 を欠くが、腐食 はそれほど進んでおらず、残存状態 は良好 である。透 かしの部分、実測図向かって右下隅はわず か
に残存 しており、図上復元 が可能 で、2.6cm× 3。 lcmと なる。おそらく方形 で長方形 の透 かしが入 るもので あろう。表面 に鍍金
や漆塗 りの痕跡 は確認 できない。裏金具 は残存 していないが、裏面 には鋲留 め痕 が確認 できる。青銅製帯金具 は、隣接する
大輔原遺跡 2次 調査地点でも丸輌・銘尾 が出土 している。
(4)文 字関係資料
墨書土器 として 1が 、円面硯 に690890131が ある。1は 文字 が判別 できない。69は 8住 出土。圏台部 の小片 で、長方形 の
透 かしを持 つ もの。89は 13住 出土。完形 で、不状 の硯台 の上面 を粘土板 で遮蔽 して硯部 とし、これに把手部分 を貼 り付 けた
もので、貼 り付 けの際 のナデが接合部付近に見られる。把手部分 は当初 は中空 ではなかったもののようで、硯部に貼付 け後、
えぐり取 るようにして把手部 のくぼみ部分 を作 り、硯部へ穿孔 しているようである。自然釉 が一 部 に付着 しており、硯面 には重焼
痕 が残 る。硯面 は 中央 に向かってわずかにくぼむ。滑沢 があるが、使用 によるものというよりはむしろ自然釉 が薄 く付着 したも
ののように思 われ、明瞭な使用痕・墨痕 は認 められない。類例 は岡田町遺跡・塩辛遺跡 にあり、本例 は市内で 3例 目である。
ただ、岡田町遺跡のものに比 べ ると作 りが全体 に粗雑 な印象 を受ける。131は 15住 出土。約 1/2が 残存する。圏台部 の透 か
しは4単 位。硯面 に明瞭な使用痕・墨痕 は認められない。
脚
今回報告 した大輔原遺跡 の調査 により、古墳時代後期 ∼平安時代前期 にかけての集落 を明らかにすることができた。第 Ⅱ
章 で述 べ たように、大輔原遺跡 は大村遺跡 など近隣 の遺跡 とともに、一つの大 きな遺跡群 を形成 しており、該期 に規模 の大 き
な集落が存在 したで あろうと思われる。そうした中にあって、今回の調査で集落 の一端 を垣間見 ることができたことは大きな成
果 である。加 えて、3点 出土 した円面硯 (う ち 1点 は相手付 中空円面硯 )・ 古式の灰釉陶器・青鋼製巡方など、注 目すべ き遺物
が出土 した。先述 のように、大輔原遺跡 の近隣では、古瓦の出土 (大 村遺跡 )、 大型 の掘立柱建物址 の存在 (柳 田遺跡・高田
遺跡 )な どもみられる。今回の調査成果 を合わせると、該期集落 が往時 にあって通常では見 られないような性格 を持っていた
可能性 が指摘できよう。平安時代 には松本平 に信濃国府 が存在 したとされ、これまで先学 により様 々な推定 がなされ ている。
そうした中にあって、今回の調査地点は国府推定地 の有力候補 である惣社地区に近 く、当時どのような役害Jを 担っていた集落
であったのか、注 目されるところである。これまでの発掘調査結果等 を再度整理 し、大輔原遺跡 とその近隣 の遺跡 を遺跡群 と
してとらえ、奈良 ∼平安時代 の集落 の実態 を明らかにしてゆく必要 があるものと思われる。
-11-
r一
σ一
HHHHHHH=νr
﹂RH
︲
m
、
3
r 一6
0
m 8
4・
C一
-12-
2m
o
∩
ヽ
r 一 メ 一
A 一
C 一
検 出遺構 (1)
第 5図
三F
I
A
(黄 色土 粒少量泥 入 )
I:暗 褐 色 土
Ⅱ :暗 黄褐 色土 (黒 褐 色 土塊 多量混 入 )
︱阻=ν
︱刊︱
、=︱
︱
m
m r 一
σ一
ヽ
R=
︲︲︲︲︲︱︱I 釧F
ヽ︱︲︲
C一
A 一
(黒 褐色 土塊混 入 )
I:暗 褐 色 土
三
C
C′
C
師
▲
︲ m
︱
m
測 r
編
r
一
σ
一
8住
Ⅱ :暗 褐 色 土
12住
10住
カ マ ド周 辺 の 出土状況
亀Ⅷ
11住
I:暗 褐 色土
Ⅱ :暗 褐 色土 (黄 褐 色土 塊 多量 混 入 )
σ一
C一
‐
‐
Ⅲ :暗 赤 褐色 土 (焼 土 )
0
第 6図
検 出遺構 (2)
-13-
2m
︱ヽ、
=MNHHHHH=HHHHHHHHHHHHHH=﹂
ハ
︲A
日o
卜
一
∞
Φ︰
I:暗 褐 色土
(小 礫混 入 )
Ⅱ :暗 褐 色土 (黄 褐色土 粒 混 入 )
16住
`
≧
こ
´
-634.70m
========二
暗褐色土
(小 礫混入)
ml
・
63450m
I:暗 褐色 土 (褐 色 土粒 少量混 入 )
Ⅱ :暗 褐 色土 (焼 土 混 入 )
0
第 7図
検 出遺構 (3)
-14-
2m
司
︵V
17住
∩
A
ml
ml
│
A′
…
c
C′
32住
32f■
63670m
∫
橘
っ
熔 GQ
1
Ⅱ
0
澤 > H
r y一
一D 一
ml
出土状況
ぽ
︱︱
︱︲
︱だ
LコWNH=︱
m
ヽ
A
A
喘 饉
ザノOs貌
│
Ⅲ
C
I:暗 褐色土 (拳 大 の 礫 混 入 )
Ⅱ :暗 茶 褐 色土
Ⅳ :暗 茶褐色土 (黄 褐 色土粒 混 入 )
V:暗 茶褐 色土 (焼 土粒 ・炭 化物 混 入 )
皿 :黒 褐色 土 (小 礫 混 入 )
Ⅵ :暗 茶褐 色土 (焼 土 多量混 入 )
I:暗 茶褐色 土
(焼 土粒 ・炭 化物 粒 混 入 、粘 質 )
Ⅱ :暗 黄褐色 土 (粘 質 )
0
第 8図
検 出遺構 (4)
-15-
2m
I:暗 茶褐色 土
Ⅱ :焼 土
ヽO
H
﹂n H = H = = = H H = = リ ー
H
m m
ヽ
日o∞Φ∞0
く r く
、
一
40f■
OI
B 一
A 一
A′
636.90m
==登I ==コ
錢 互 ≡ フ
Ⅱ
B′
I:暗 褐 色土 (黄 色 土粒 混 入 、粘 質 )
Ⅱ :黒 褐 色土 (黄 色 土 粒混 入 、粘 質 )
皿 :暗 茶褐 色土
636.80m
暗褐色土
(粘 質)
0
第 9図
検 出遺構 (5)
-16-
2m
431主
A 一
B 一
富 F H
◎
才
A一
B一
ヒ=J罵 70m
I
r一
ヽ日νlllヽィー=P
m
ヽ
38f■
Ⅱ
I:暗 茶褐色土
Ⅱ :暗 茶褐色土
(炭 化物微量混入、粘質)
I:暗 褐色土 (炭 化物 粒 。焼土粒 混 入 )
Ⅱ :焼 土
皿 :暗 褐色土 (炭 化物 粒 。焼 土粒混 入 )
Ⅵ :暗 褐色 土 (炭 化物 粒混 入 )
Ⅶ :暗 褐色 土 (炭 化物 ・焼土 。骨 片混入 )
Ⅳ :黒 褐 色土
Ⅷ :黒 褐 色土 (炭 化物 微 量混 入 )
V:焼 土
34f■
瓦 480m
Ⅱ
I:暗 褐色土
Ⅱ :暗 褐色土
(炭 化物少量混入)
(焼 土 ・炭化物多量混入)
o
第 10図
検 出遺構 (6)
-17-
2m
47住
出土状況
。
。
│ル
`〇
二
Ⅲ
旦
I
Ⅱ
三
Ⅲ
C
I:暗 褐色土
C′
(粘 質 )
Ⅱ :暗 褐色土
Ⅲ :暗 褐色土 (砂 質 )
Ⅳ :焼 土
建
′
土
土◎ ◎-0◎
建1
B一
I
◎
″
丁
`
ゝ
√
′
r一
A一
・ ◎――◎―-0二
`
3
634.70m
、
√
C
C′
司
「
0
第 11図
検 出遺構 (7)
-18-
2m
建
2
r 一 ◎ ◎
ユ◎
σ一
r
.
A一
¨
r一
B一
σ一
O
m
三
建 12
63470m
◎ -1
ID―――――◎
_て 、下――
o
第 12図
検 出遺構 (8)
-19-
2m
σ一
r一
r
一
、
-20-
r 一
r 一
”
検 出遺構 (9)
│`
c′
c l曖
│ヽ
◎︱ ◎︱︱ふ蜃
︲
B 一
4∞ m
一
B一
ml
︱ ◎
︲③ l
断 B一
ノLII岸ヽ︱︱潮Ⅵ
︲ ︲ 淵 1
ゴ 到 ︱ ︱ l q
し戸 “
¬
∪
「
r一
○
◎︱トー∩▼
│
¬
第 13図
1"
O―
一
2m
J
丁 可
卜可
「
0
建 17
建 11
A′
A
A
m
ヽ
ハ
︲⑤ l
マ〆︲︲
生O― θ
634.80m
63710m
± 25(Ⅳ
± 24(Ⅳ )
±
± 26(Ⅳ )
)
±2
1
-[三
±
4
一《
:⊃
]―
± 28(Ⅳ )± 29(Ⅳ )
± 27(Ⅳ )
3
±
│一
I
飛
≡
ョ
_636.80m
7636.90m
I:黒 褐色土
暗褐色土
-636.90m
Ⅱ :茶 褐色土
±7
±6
±5
-
′
-(
―
⊃
一 (CA一
636.90m
暗 茶褐色 土
I
Ⅱ
―
―
_635。
-636.70m
10m
黒褐色土
Ⅲ
I:黒 褐色土
Ⅲ :暗 褐色土
Ⅱ :暗 褐色土
黒褐色土
±8
± 10
±9
)一
-⊂ ⊃
I
I
_635.20m
635.10m
Ⅱ :暗 褐色土
I:暗 褐色土
彎
_63520m
_635.20m
Ⅱ :暗 黄褐色土
± 14
± 13
丁
-0-
Ⅱ
Ⅱ
I:黒 褐色土
一(⊂⊃
メー
-⊂ ⊃ 一
暗褐色土
黒褐色土
-635.20m
± 15
± 16
-◎
一に
洲一
―
OI―
_
I
635.20m
へ
Ⅱ
I:暗 褐 色土
-◎
―
/
一
I:黒 褐色土
v636.10m
Ⅱ :暗 褐色土
黒褐色土
Ⅱ :暗 灰褐 色土
±
18
± 19
―
-《う\
一
一
-2-
―
I
―
635.40m
ー
≡≡声ミ≡≡≡ア
=蓬
Ⅱ
Ⅱ
Ⅲ
I:暗 褐色土 Ⅱ :暗 褐色土 皿 :褐 色土
_
I
_
635.20m
`∈
黒褐色土
-635.30m
」二24
」二25
」二26
一 《)\ ―
―◎ 一
Ⅱ
I:暗 褐色土
Ⅱ :暗 褐色土
¨
L締
1耐:黒 Ⅱ
色
:暗
Ⅱ
」128
褐色土
Ⅲ
褐色土
」二29
ヽ
一
一◎ ヽ
一
_
634.90m
63530m
635.30m
Ⅱ
I:黒 褐色土
J123
〇
-63520m
黒褐色土
I
」二22
」二20 0 21
―
_
± 17
v636.10m
-635.30m
暗褐色土
て
「
I:黒 褐色土 Ⅱ :暗 褐色土
黒褐 色土
一
I
30m
± 12
± 11
Ⅱ :暗 黄褐色土
-635.30m
黒褐色土
黒褐色土
I:暗 褐色土
-634.70m
暗褐色土
Ⅱ :暗 褐色土
0
第 14図
検 出遺構 (10)
-21-
2m
9住 (1∼ 10)
K
10住 (11∼ 30)
│:!:::::::│:::!:::│:::::!:│:::「
│:::│::タ
ヽ
26S
10cm
第 15図
出土土器 (1)
-22-
可
11住 (31∼ 57)
‖:義 :ノ
31S
3X
1///凶
r
H
ぃ
=
H
ぃ
酬
戸
ヽ
▼ 幽
第 16図
出土土器 (2)
-23-
Щ
蟄
==―
︲
︲
︲
鰐
︱︲
︱
/び ヽ乞
ブ
」
¬ 」
︱ と
笏
ア軍
ア
「 7丁
二
1/
顆
=二
│´
鱚
Ψ
8住 (58∼ 62)
171主
(72-74)
72S
3S
│
5%
第 17図
出土土器 (3)
-24-
13{t ?s-
89)
80S
81S
82S
8
s
9S
12住 (90∼ 93)
19住 (94∼ 107)
‖華諺
¬
S
95S
:::::::::::塁
ン
::i:i::::::::::::::::::::::::::「
:
::::::::::::::::::::::::::::::::::
:│:::::::::::::::::::│::::::::!;
一
一一
一
一一一一一一一一一
一一一一一一一一一一一
一一一一一一一一一一一
一
5
第 18図
出土土器 (4)
-25-
14住 (108∼ 118)
115S
11lS
1昴
1掲 S
15住 (119∼ 139)
1∬
1パ
2S
`
く
こ こ 三 二 [二:二 万 ζ ls
8S
139
0
9S
第 19図
出土土器 (5)
-26-
10cm
16住 (140∼ 173)
\
\
て
/1狙 s
こ
I韓 │■
lII:/
:‖ 葺:リ グ
1::IIξ Fラ ζlK
9 1︲
ノ
5
″
・
︲
︱′
・
′
川/
悧︲︲
=Ⅷ洲川引︲
.
日川月=
日=U
︲︲
〓
一
一
一
4
:::::::::::::::ン
矢て
て:T====可 IIII二 夏百万
子LK
鱚
‖
Ⅲ
ヽ
.
第 20図
出土土器 (6)
-27-
鋪
l174-団
s
4S
\
│
8S
∠
S
341主
(187-203)
7195
==葺
■彰
:::::::::::::::::::::::::::ジ
::::::::::::::::諺
江
・
・
9
・
38住 (204∼ 210)
4S
2嘔
第 21図
出土土器 (7)
-28-
35住 (211∼ 217)
ノ ゝ
21lS
2昴
36住 (218∼ 219)
2"S
"∬
8S
2Z
2“
/219S
2S 7S
―
229S
223S
224S
///ノ
39住 (231∼ 241)
1
︱︱′︱︱︱︱︱
晨
″
=ⅣⅣ
︱
︲
り
ヽ
″
″
″
″
\il{
h編舅洲
\ \l
第 22図
出土土器 (8)
-29-
///ノ
40住 (242∼ 250)
8
244S `
要
5S 46
44住 (251∼ 254)
S
sk
\
二器
=二=4/1
47住 (255∼ 275)
6S
lS
259S
/夕
`
│
「
゛
耐
ヽ
像、=〃れ
43住 (276∼ 279)
)/κ )「
5土 (283∼ 285)
ヨ′
276S\ 上 ロ ジ
278S
`
″
ヽ
______上 _ニ ヨ
璽
││「 283S
ン
284S
│′ 727%
77S`
溝 7(280∼ 282)
2∞ S
8蟷
3土
眠い
︲
〔
め
5
7
2
-30-
︲
︱
︱
︱
︲
出土土器 (9)
(ズ
︲ ︲
ぃぃ︲=︲月
=
ぃぃ
/
第 23図
蝙飩
/
気巫
48住 (287∼ 300)
I=:=11lI:χ
:::::1:]::::::::::::::::::ノ
5S
―
296S
8A区 検 出面 (301∼ 302)
饉磋饂亦―
第 24図
出土土器 (10)
々=H︱ 四 = ︱ 日 日
︲
︲
III%〕 二
6
“
3
4
I⊂
饗更箋 三Z15
“
一
│
0
10cm
第 25図
出土金属器
-31-
大輔原遺跡緊急発掘調査報告書抄録
ながのけんまつ もとしたいほ うば らいせ き
長野県松本市大輔原遺跡
松本市文化財調査報告
No.146
田多井用章
松本市教育委員会
〒390-0873 長野県松本市丸の内 3番 7号
(記 録
。資料保管 :松 本市立考古博物館 ・〒390… 0823 松本市中山 3738…
1・ TEL0263-86-4710)
平成 12(2000)年 3月 24日
19971028´ ―
な ほ,お
大輔原
長野県
松本市
192
19971112
36度
15分
10秒
20202
浅間温泉
137度
59分
20秒
19971202∼
278
19971212
19980806´ ―
松本第一高等学校校舎建
替に伴う緊急発掘調査
290
19980813
大輔原
集落跡
古墳 ∼平安
竪穴住居址
建物址
溝
土坑
ピッ ト
12棟
5棟
2条
65基
53基
土器・陶器
(土 師器・須恵器・灰釉陶器 )
古墳時代後期 ∼平安時代
金属器 (鉄 器 。
青銅器)
前期 の集落址 を確認 した
石器
松本市文化財調査報告 No.146
長野県松本市
大 輔 原 遺 跡
一松本第一高等学校校舎建替 に伴う緊急発掘調査報告書 一
発行 日 平成 12年 3月 24日
発行者
松本市教育委員会
〒=390‐ 0873
長野 県松 本市丸 の 内 3番 7号
印
刷
株 式会社
綜 合 印刷