多文化社会の課題と挑戦 インターカルチュラリズムの可能性

国際シンポジウム「多文化社会の課題と挑戦
─インターカルチュラリズムの可能性」
飯笹佐代子
青山学院大学国際交流共同研究センターでは昨年12月9日、同大学内にて標記シンポジ
ウムを開催した。グローバルな人の移動が活発化する現代、多様な文化や価値観が平和的
に共存する社会をいかに構築していくのかという課題が、いっそう緊要性を増してきてい
る。日本でも「多文化共生」というスローガンのもとで、さまざまな取り組みが試みられ
ている。本シンポジウムでは、文化間の相互交流や対話を積極的に奨励することを通じて、
多文化社会の調和と活力を創出することを目指す「インターカルチュラリズム」という考
え方に着目しながら、カナダやドイツ、オーストラリア、日本の経験から、多文化社会の
課題と挑戦について議論を行った(シンポジウムの概要については本誌131頁の活動報告
を参照されたい)。
本誌には、海外からの3名の招聘者、カナダのジェラール・ブシャール・ケベック大学シ
クチミ校教授、ドイツのガブリエーレ・フォークト・ハンブルグ大学教授、オーストラリア
のアニータ・ハリス・モナシュ大学准教授による各報告と、それらを踏まえて寄稿いただい
た小倉和夫・青山学院大学特別招聘教授による論考を掲載している。なおフォークト氏と
ハリス氏の両論文は、シンポジウムのセッション1「多文化社会の現状と展望─マルチカル
チュラリズム批判を超えて」における報告をもとに、あらたに寄稿いただいたものである。
ブシャール氏による基調講演はフランス語で行われたため、本誌には日本語の翻訳を飯
笹の文責において編集したものを掲載している。母語がフランス語であることからもわか
るように、ブシャール氏はカナダのフランス語圏であるケベック州の出身である。カナダ
の多文化主義といえば、これまで英語圏の事例が注目されることが圧倒的に多く、ケベッ
クの取り組みは日本ではそれほど知られていない。その意味でも、ケベックからの基調講
演者もケベックの経験も、日本のオーディエンスには新鮮に映ったと思われる。
ブシャール氏はケベックシティのラヴァル大学大学院で社会学修士号を、フランスのパ
リ大学(ナンテール校)で歴史学博士号を取得し、またハーバード大学等で客員教授を務
めるなど、海外での研究経験も豊富である。近年は、
「インターカルチュラリズム」の代表
的な論者として、研究と実践の両面において国際的に活躍している。2011年5月にモント
リオールで開催された「国際シンポジウム インターカルチュラリズム:ケベック・欧州
対話」を主宰したのも、ブシャール氏である。最新の研究書としては、2012年11月に、
『イ
飯笹佐代子、青山学院大学国際交流共同研究センター客員研究員
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ン タ ー カ ル チ ュ ラ リ ズ ム、 ケ ベ ッ ク の 視 点 か ら(L’interculturalisme. Un point de vue
québécois)
』を上梓したところである。
ケベック州のインターカルチュラリズムに関する政策提言にも熱心に取り組んでおり、
州政府の「文化的差異に係る調整の実践に関する諮問委員会」の共同委員長を、もう一人
のケベック州出身で多文化主義の世界的な論客、チャールズ・テイラー氏とともに務めた
ことで知られている。この諮問委員会は、マイノリティの宗教的、文化的な習慣をどこま
で受け入れるかをめぐって数年前に大きな論争が起こった際に、当時のシャレ州首相に
よって発足され、精力的な調査を踏まえて2008年に報告書をとりまとめた。
『未来の構築─
─和解のとき(Fonder l’avenir: Le temps de la conciliation)』と題するこの報告書(1)が、ケ
ベック州のみならず諸外国からも注目されているのは、その内容に、ブシャール氏とテイ
ラー氏という二大碩学のそれぞれの多元主義思想が調和しつつ息づいているからではない
だろうか。
ところで、本誌のブシャール講演にも言及されている「アコモデーション(調整)」につ
いて、日本では馴染みのない語であるため、若干の説明をしておきたい。「アコモデーショ
ン」
(accommodements raisonnables と、形容詞が付くこともある)」とは、マイノリティ
の文化的、宗教的な要求に対して、差異を尊重しつつ、当事者とホスト社会の双方が節度
ある歩み寄りをしながら解決を目指すことである。たとえば、人前で肌を見せることを禁
じられているイスラーム信者の女子生徒が体育の授業に出たがらない場合は、規定の体操
服を強要するのではなく、肌を覆うことのできる服装の着用を容認して授業参加を促す。
あるいは、職場で宗教的祭日のために休暇を取ることや、病院で最期が近づいた入院患者
のベッドをメッカの方角に向けたいとする希望なども、調整を図り、支障のない限り認め
ようとすることである。
「アコモデーション」(accommodements raisonnables)は、本来、法的な概念であり、
労働の分野において、規範を厳格に適用することによって、かえって平等の権利を侵害す
るような差別が生じた場合、それを解消するために調整が図られたことに由来している。
そして近年では、法的な狭義の意味を超えて、上述のように宗教的、文化的な多様性に関
わる、あらゆる調整を意味する表現として使われるようになっている。多文化社会では今
後、ますます重要な概念となるだろう。
紙幅の都合により、本シンポジウムのすべての報告を本誌に収録することはできなかっ
たが、ブシャール氏の講演、フォークト氏、ハリス氏、小倉氏の各論考から、多文化社会
の最前線の動向を理解する上で、また日本の今後のあり方を考える上で、有益な示唆をく
みとっていただければ幸いである。
1)
日本語訳も刊行されている。ジェラール・ブシャール、チャールズ・テイラー編『多文化社会ケベッ
クの挑戦──文化的差異に関する調和の実践 ブシャール=テイラー報告』明石書店、2011年。
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