From rhythmic gymnastics to dance, Batsheva Ensemble member

国際交流基金 The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Artist Interview
2013.11.8
アーティスト・インタビュー
From rhythmic gymnastics to dance,
Batsheva Ensemble member, Mariko Kakizaki
新体操からダンスへ
バットシェバ・アンサンブルの柿崎麻莉子
Profile
柿崎麻莉子(かきざき・まりこ)
1988 年、 香 川 県 生 ま れ。 幼 少 期よ り 新 体
操とバレエに励む。筑波大学入学後コンテ
ン ポ ラ リ ー ダ ン ス と 出 会 う。 平 原 慎 太 郎、
Carmen werner、山田せつ子等の作品に出
演。2011 年、韓国国際ダンスフェスティバ
ル(KDMC) に て 金 賞 受 賞。2012/2013
season Batsheva Dance Company
ensemble dancer。瞬 project メンバー。
イスラエルを代表するコンテンポラリーダンスのバットシェバ舞踊団。2012 年か
らその若手カンパニーであるバットシェバ・アンサンブルで活躍しているのが新体
操出身の柿崎麻莉子だ。筑波大学でダンスをはじめ、同舞踊団芸術監督のオハッド・
ナハリンが開発した身体メソッド GAGA との出会いで開眼したチャレンジャーの素
顔とは?
聞き手:石井達朗[舞踊評論家]
■
新体操とダンス
──柿崎さんは難関を突破して、世界的に高い評価を得ているバットシェバ舞踊団
の若手カンパニー、バットシェバ・アンサンブルで活躍されています。出身は新体
操だそうですね。
生まれは香川県三木町という高松の東にある小さい町で、母親が新体操の先生を
やっていて、私も小学 3 年生くらいから高校 3 年まで続けました。踊ることは小さ
い時から好きだったようで、新体操をやる前から、毎日母親の CD をかけて踊って
いたそうです。
ただ新体操とダンスは、近いように見えて全然違う。評価のポイントも新体操は
「足
が 180 度開いたら何点、バランスで何秒止まったら何点」というもので、身体の使
い方が全く違う。高校の新体操の全国大会では、審査員に「上位に入りたかったら、
踊るのではなく技術や技を追求しなさい」と言われました。それで興味が薄れてい
た頃、大阪でシルヴィ・ギエムの『ボレロ』を見たんです。小学 6 年生の頃からバ
レエも少し習ってはいましたが、ギエムは自分が知っているバレエとは全然違う感
じがした。ダンスのことはよくわかっていませんでしたが、とにかく踊りをやりた
くて筑波大学に入りました。
筑波大に舞踊科はなかったので、専攻したのは体育専門学群マネジメント専攻で
す。そこには 3 人の舞踊の先生(平山素子・村田芳子・寺山由美)がいましたが、もっ
たいないことに大学でダンスのことをあまり勉強した記憶がないんです。一応、ダ
ンス部に入り、全日本大学ダンスフェスティバルには毎年出ていたものの情熱をも
てなくて。大学 1 年の時に足の靱帯を切ったりしたこともあり、ダンスから遠ざかっ
て遊び呆けていました。でも 2 年になる時、自分は本当にダンスをやりたいのかを
確認しようと思い、夏休みにニューヨークへ行きました。ネットで「いまニューヨー
クが熱い!」とあったのを鵜呑みにしたのが間違いでしたね(笑)
。一通り有名なス
タジオには行きましたが、特に得るものはなく帰ってきました。
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新体操からダンスへ
バットシェバ・アンサンブルの柿崎麻莉子
──その頃、ダンサーで振付家の平原慎太郎さんと出会ったのですね。
2年生の秋でしたが、平原さんが関東学生舞踊連盟(関東の大学のダンス部の連
盟)にダンサーが 20 人くらい出演する作品を振り付けることになり、参加者を募集
していたので応募しました。平原さんがちょうど Noism を辞めたばかりの頃でした。
15 分ぐらいの作品で、他の人はすごく格好良く踊っているのに、私だけずっと、端っ
この目立たない床の上で横になってクネクネしているだけ(笑)。でも振付家のアイ
バットシェバ・アンサンブル
『HOME ALONE』
(2013)
Photos: Zohar Ralt
デアや考え方に身近に接して、どうやってダンスが出来ていくのかを見るのがすご
く楽しかった。平原さんというダンサーを通して、やっとダンスに本格的な興味が
沸き始めました。その公演を 1 月に終えた後、4 月には平原さんがゲストで呼ばれ
ている別の作品に全く経験のない私を推薦してくださって、出演しました。
──平原さんが柿崎さんに興味を持ったのは、バレエやモダンダンスのクセがなく、
しかも身体が良く利く点に可能性を感じたのかもしれませんね。韓国のコンペティ
ションに出たのもその頃ですか。
はい。4 年生で卒業が視野に入ってきてもダンスを続けたいと思い、作品を作っ
たりしていました。でも卒業する決心がつかなくてもう 1 年いることにして、4 月
に東京へ引っ越したんです。そのとき平原さんが韓国国際ダンスフェスティバル
(KDMC)の情報を持ってきてくれ、「絶対やりたい!」と言ったら振り付けてくれ
ました。2011 年 6 月が本番でした。
この大会では、新作の 5 分間の振付作品を 2 作と、大会当日に渡されるムーブメ
ントを使って参加ダンサーが作る小作品の計 3 作品で、トーナメント形式で競いま
した。準々決勝で用意していた作品 A を、準決勝で同じく作品 B を、決勝で現地で
渡された作品と A か B どちらかの作品との 2 作品を決勝で踊ります。それでダンサー
へのゴールドアワードと、振付家賞を受賞しました。
──ネットで観ましたが、すごく印象的な作品でした。身体の部分部分を独立して
シェイクするような感じで。5 分という時間のわりには豊富なパフォーマンスでした。
最初の 3 分ぐらいは一番奥にとどまって、それから徐々にフォーエイトぐらいの
ムーブメントで、揺れながら奥から前に向かって歩くというシンプルな作品です。
実はこのコンペティションに参加した時期に身近な人が亡くなったのですが、そ
れでも出ようと決めました。キャリアの上で受賞は大きな実績になりましたが、私
にとってはあの状況で踊ることを選んだことが、今でもダンスを続けている大きな
契機になっています。
──ご自身でも作品を作るようになられましたね。翌年の 2012 年 6 月にセッショ
ンハウスの「ダンス花」シリーズの一環で上演された『Vergiss mein nicht!』を拝
見しました。他の人の作品と比べても、柿崎さんの作品はすごく印象に残りました。
うらぶれたキャバレーみたいな感じで、演劇的な要素がありつつも身体的な要素を
良く使っていました。
ドイツ語で「私を忘れないで」という意味で、夏に作った作品の再演です。少女
のまま部屋に取り残された、という設定でしたが、再演時には自分の考え方も変わっ
ていて、同じイメージで踊るのはちょっと難しかった。この作品をもう一度踊ると
したら何ができるか、自分の持つ身体性をどう生かせるか……自分の成長と共に作
品との係わり方も変わってくることを実感しました。
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GAGA、バットシェバ舞踊団との出会い
──その時にはもうバットシェバ・アンサンブルのオーディションを受けていた?
はい。話は前後しますが、3 年生の春、2010 年 4 月に彩の国さいたま芸術劇場
でバットシェバ舞踊団の『MAX』を観て、初めて心の底から「面白いダンスを観た!」
と思えた。とはいえバットシェバ舞踊団について何も知らなかったので(笑)
、調べ
てみたら芸術監督のオハッド・ナハリンが開発した独自の身体メソッド「GAGA」
というものがあるらしい。しかもイスラエル本国で受けられる「GAGA インテンシブ」
があるというのを知り、その年の夏に行きました。
── GAGA から入ったんですか。よくイスラエルまで行きましたね。
何かツテがあるわけではないので、個人で格安チケットを手配して、安い宿を取っ
て、2 週間ダンス三昧でした。毎日、朝は GAGA のクラスがあり、昼からレパート
リーがありました。参加人数が多かったので 4 グループに分かれて、それぞれバッ
トシェバのダンサーから教わりました。レパートリーはグループによって内容が違っ
ていて、私は『アラブライン』という一列に並んで一人ずつ踊るものや、
『カムヨッ
ト』という作品をやりました。とにかく一日中ダンスができることがすごく楽しかっ
たですね。
──私も一般人用の「GAGA ピープル」を受けたことがあります。ダンサー用の
「GAGA ダンサー」はまた違うでしょうが、一般用は、動きの形や技術的なことを指
導するのではなく、参加者に自分の中から動きが出てくるようにファシリテートす
る感じですよね。バレエのようにテクニック中心のダンス出身ではなかった柿崎さ
んには、逆に GAGA の方が馴染みやすかったということでしょうか。
そうかもしれません。ちなみに、今カンパニーでテクニックのクラスとして
GAGA をやっていますが、それはインテンシブでやった「GAGA ダンサー」と同じ
なのですが、1 年間毎日やったことでメソッドに対する私の理解が深まったように
思います。
インテンシブでは、イマジネーションを使って、30 人なら 30 人のグループが同
じ方向に昇華されていく一体感と、身体が自由になる感覚を楽しみます。それらは
GAGA の 1 歩目の鍵ですが、カンパニークラスとしてやっている GAGA では、そ
の奥に進んで、テクニックとして身体の骨や皮膚を動かす時の違いを意識していき
ます。
「全身の風通しを良くして様々なテクスチャーを入れてみるトレーニング」と
しての GAGA です。
今、舞台に立っていて、自分の身体が GAGA によって鍛えられているなあと実感
することが度々あります。それと「今日はちょっと左の足がいつもと雰囲気が違う」
と感じたら、GAGA を使って自分で身体のメンテナンスもしています。
ダンサーのやる GAGA はそれぞれ個性があって面白いですが、やはり一番面白い
のは、オハッドの GAGA です。考案した本人だけに、今でもどんどん進化していて、
新しいことにチャレンジしているんです。
──イマジネーションで身体を動かすメソッドは GAGA 以外にも色々あります。他
とは何が違うのでしょうか。
初めてインテンシブを受けた時の「自分の身体を愛して、自分の身体をもっと大
切に、愛しいものとして扱ってください」という言葉がすごく印象に残っていて、
それが GAGA の哲学に通じていると思っています。
イマジネーションでやっていくと、意識が身体の内側に向かっていく傾向にあり
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ます。でも GAGA ではイマジネーションをきっかけにして「自分の身体がどう反応
するかを認識すること」が大事になります。
何かを想像する時、人は目が下を向いたり、上を向いたり、閉じたりしますよね。
でも GAGA ではそれらは禁止。鏡も使わない。自分を外から見ない。空間を一緒にシェ
アしている他の参加者を意識しながら、身体の外側を認識させるようにします。リー
ダーの指示も基本は全員に対して言っているのですが、ある人の動きの質が変化し
た瞬間を捉えて「いま変わったの、わかる?」と、違いを自覚させます。自分の身
体のクセが、イメージによって変化することを意識することが大事になります。
カンパニーの GAGA には、パッセやタンジュといったバレエの動きもありますが、
そういう時でも、自分の身体がまだ知らないやり方を探っていきます。例えば「筋
肉を固めて足を上げてみて」とか、「筋肉に引っ張られて足が持ち上がるのを意識し
てみて」という時と、
「骨が動くから足が動く」
「足の下側の皮膚が伸びていくから
動く」というのでは、動き方がまったく違ってくる。そうした違いをどんどん発見し、
意識して、
「自分が普段、身体をどう使っているのか?」ということを見直していく
ことが重要になります。
──暗黒舞踏の場合は、言葉で動きをものすごく緊張させることによって身体のフォ
ルムを作っていく。GAGA では、自分自身を開放し、自分の身体をいつも柔らかく
しながら動きを発見していく感じがしますね。
はい。無意識にロックされている部分を開けていって、いろんな方向にいろんな
エネルギーが出ていくのを促すようなテクニックだと思います。
去年の冬に、山田せつ子さんの作品に出演させていただいたのですが、すごくお
もしろい経験でした。山田さんはコンテンポラリーダンスですが、舞踏がベースと
いうこともあって、
「タイミングが来るまで嘘の動きはしない」という方なんです。
動きでやろうとすると、
「それ、やることになっているからやってるでしょ?」とす
ぐにバレてしまう。そういう「身体は物体だけど、そこに宿る嘘のないムーブメン
トの瞬間がある」という感覚は、バットシェバの『Sadeh21』を初めて見た時の感
覚と通底する部分があるんじゃないかと思っています。
オーディション
──さて、
そういう GAGA 体験を経て、バットシェバ・アンサンブルを受けようと思っ
た?
GAGA が楽しく、テルアビブという街もすごく心地よくて、ここにならしばらく
住めるなあと思いました。インテンシブを受けた時、オハッドに「アンサンブルに
入りたいんだけど」と聞いたら、「オーディションに受かれば入れるよ」と。この時
はダンスを始めてまだ 1 年でしたけど(笑)、時期が来たら受けに来ようと思いまし
た。
──しかしバットシェバ舞踊団のオーディションとなると、世界中から応募がある
狭き門です。どのように行われましたか。
とにかく応募人数が多いので、まずイスラエルのダンサーだけで 2、3 回国内予選
があり、その合格者と外国ダンサーとでオーディションがあります。オーディショ
ンの内容は、バットシェバの作品の短いムーブメントをその場で習い、5 人ぐらい
のチームでどんどんやっていきます。その後に音楽をかけっぱなしにしてインプロ
ビゼーション。ムーブメントとインプロをミックスして見ていく感じです。
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20 ~ 25 人が最終オーディションに残り、与えられた振付とインプロを少人数で
順番にやっていきます。最後はみんなで半円になって、オハッドとバットシェバの
リハーサルディレクターたちが並んだ前で、DJ が音楽をかけ、一人ずつインプロビ
ゼーションをやりました。いつ入ってもいいし、いつ出てもいい。私はそれが楽しかっ
たですね(笑)。最終的に採用されたのは、外国人が 3 人、イスラエル人は新人 3 人、
研修生から 2 人でした。現在 14 人のダンサーと 4 人の研修生がいます。今年のア
ンサンブルは 4 人だけ外国人で(スペイン 2 人、アメリカ人 1 人、私)
、他の 10 人
はイスラエル人です。
──超エリートですね。10 年ほど前は稲尾芳文・島崎麻美・大野千里といった人た
ちがバットシェバ舞踊団で活躍し、いまでは中村恵理さんがいますが、アンサンブ
ルに日本人が入るのは久々ですよ。
イスラエル人は子どもの頃からバットシェバを目指していますから、外から来た
ダンサー、特に私みたいなのは、本当に異物(笑)。何をやっても全然見た目が違う。
初めはそれでいいのか疑問でしたが、もちろんオハッドだってそれを承知で採用し
ているのだから、異物は異物としての役目があると思っています。カンパニーで恵
理さんを見ていても、日本人特有の湿っぽさというか、独特な雰囲気が魅力的です
から。
──アンサンブルの日常はどのようなもので、どんな活動をしていますか。
通常のリハーサルの日は、朝の 10 時から 1 時間半のクラス、11 時半~ 2 時ま
で午前のリハーサル、2 ~ 3 時は休憩、3 時~ 5 時半に次のリハーサルがあります。
スケジュールは月によっていろいろですが、ツアーのないときは学校パフォーマン
スをしながら、オハッドや元バットシェバのハウス・コレオグラファーだったシャ
ロン・エイアールの作品リハーサルをしています。今年の 3 月、4 月はホフェッシュ・
シェクターというイギリスの振付家、ダニエル・アガミというアメリカの振付家の
作品をリハーサルしました。両方とも元バットシェバです。その他に、アンサンブ
ルのダンサーが自分でクリエイションをする『HOME ALONE』という企画があって、
私もそれで作品を作りました。
イスラエルでのダンス
──イスラエルでの生活はもう 1 年になります。イスラエルでダンス生活を送って、
日本との違いを感じますか。
日本は「人間として頭で考えて、それが動きになる」という感じでしたが、イス
ラエルはもっと「心が身体にある」感じです。身体のグルーブ感やリズム感が、そ
のまま観客に訴えるものになっている。客の反応を見ても裏の背景やストーリー、
チャレンジとかで見ているというより、純粋に楽しんでいます。
──彼らは自分の意見をハッキリ主張するし、身体性を前面に出します。男性が 3 年、
女性も 2 年の兵役があるという、身体的に緊張状態に置かれて暮らしているところ
からダンスも生まれている感じがします。柿崎さんのように「東洋の平和な国から
来た若い女性」にとって、全く違う環境のイスラエルをどう思われましたか。
カルチャーショックはありました。2012 年の 11 月、1 カ月間のイギリスツアー
で 18 公演やりましたが、全部の回で何らかのボイコット運動がありました。外で叫
ぶだけではなく、上演中も客席で誰かが叫びだしたり、舞台に駆け上がってこよう
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としたり。もちろんパレスチナ問題は知っていますし、テルアビブには防空壕があり、
毎朝ニュースで今日は何人兵隊が亡くなったと流れています。しかし、抗議する人
たちの声を直接聞くのは初体験でしたからショックでした。
新体操からダンスへ
バットシェバ・アンサンブルの柿崎麻莉子
──公演直前にガザ地域に攻撃があり、反対運動が盛り上がっていた時期でした。
そういう事態に直面して、どう感じましたか。
私は日本でのダンサー活動は少ないですが、それでも社会との関係が見えないな
と思っていました。ダンスがニュースになることはほとんどないし、政治にもそん
なに関係していない。打っても響かないところにもどかしさを感じていました。で
もイスラエルでは逆に、アートは政治とは別のところでやっているはずなのに、ど
うしてもイスラエルの代表として政治に絡め取られてしまうのが現状です。ダンサー
仲間でも軍隊に行っている若い子もたくさんいます。朝、電話で「今日はパレスチ
ナ自治区に入っていくんだ」と話し、夜はまた電話で「今日は無事だった」という
日常。テルアビブにロケット弾が落ちたからと心配して、本番直前に家族へ電話を
したり。そういう姿を見てショックを受けた部分があります。
──バットシェバの活動ですごく良いなと思うことのひとつが、アンサンブルが小
学校や中学校を回って公演を行っていることです。イスラエルの子どもたちは、小
さい頃から自分の国を代表する舞踊団のコンテンポラリーダンスに接している。ダ
ンスというものがすごく身近にあります。
そうですね。街を歩いていても「バットシェバのダンサーでしょ?」と声をかけ
られたり、バットシェバを見た話を楽しそうにしてくれたりします。
イスラエルの人々にとっては、ダンスだけではなく音楽や演劇もすごく身近な存
在です。国から各学校にバットシェバ、インバル・ピント、演劇、音楽……といっ
た団体のリストが配られて、そのカンパニーを呼ぶための費用も明記されているそ
うです。
私たちは平均で週に 2 回は学校を回っていますが、去年は 3 回だけアラブ系の学
校でもパフォーマンスをしました。もちろん生徒は楽しく見てくれました。面白かっ
たのは先生の反応で、肌の露出が多い女性は見てはいけないので初めは下を向いて
いるものの、
最後のほうは前を見て笑っていました。アンサンブルの若いダンサーも、
初めてアラブ系の学校に行って、
「あの子たち全然良い子じゃん」
「初めてアラブ系
の人とこんなに近くで喋ったよ」とか、反応も新鮮でした。
──柿崎さんの今の気持ちとしては、これからもしばらくアンサンブルで活躍して、
ゆくゆくはカンパニーのメンバーになって、ずっとやっていこうという気持ちです
か。
基本的にアンサンブルは 2 年か 3 年で終わりますが、私は1年目ですでにお腹いっ
ぱい(笑)
。でも 2 年はやろうと思っています。アンサンブルからカンパニーに行け
る人数は限られていて、カンパニーのダンサーに欠員ができたときにアンサンブル
から補充するだけなので、年に 1 人とか・・・。バットシェバ舞踊団はオハッド・
ナハリンの作品がほとんどですし、今は、もう少し様々な振付家と出会ってみたい
という気持ちがあります。
──ご自分の作品ももっと作って日本で公演してほしいですね。
2014 年にイスラエル人のダンサーと共に日本で公演することを企画中です。ただ
私自身の本質はダンサーで、作品をつくる人ではないのかなと。ただ人との出会いで、
新しい動きやイメージが湧くので、そういうときには作りたくなります。ダンサー
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新体操からダンスへ
バットシェバ・アンサンブルの柿崎麻莉子
としての自分を信じて動きを作っているので、ダンサーとして気持ちがついていか
ないものはやりません。その人の身体を見て、「この人はこういう風に動いたら面白
いな」と思える動きをどんどんお願いする感じです。
──柿崎さんのように、日本でとても盛んな新体操や、あるいは別の非ダンス的な
身体の鍛え方をした人の中から、ダンスに興味を持つ人がもっと出てきてもいいの
ではないかと思います。
新体操をやってきた人でダンスに興味をもっている人は少なくないと思います。
ただ新体操は「これができたら高得点」という基準が明確に決まっているので、身
体に刻み込まれたその基準から離れて自由に表現するダンスにシフトするのは簡単
ではありません。私も最初は、ジャンプが高い、ターンもきれいと、
「すごい!」と
は言ってくれるのですが、
「それはダンスじゃないよね」と言われて混乱しました。
それで、最初、自分で作品をつくる時は新体操的な動きを封印して、できるだけ足
を上げない、ジャンプをしない作品にしました。
でも、そうした時期に出会った人々から、幸運にも身体能力をアピールするよう
なものとは違う作品の作り方を学ぶことができました。平原さんからは、佇み方や
歩き方、支点の作り方、空間の意識の仕方を学びました。ほかにも元ブッパタール
舞踊団のジャン・サスポータスさん、スペインの振付家カルメン・ワーナーさんと
いった、
「身体を意識しつつ、シアターの方向からダンスに入っていく人」にたくさ
ん出会えた。そして「新体操のテクニックを使わなくても、おもしろい踊りを作れる」
と実感できたことは、すごく大きかったです。
でも今はバットシェバの振付を踊らなくちゃいけない。他のダンサーたちはすご
く足も上がるし、ジャンプも高いし、こちらも封印などとは言っていられない。い
くらバットシェバのダンサーの身体能力が高いと言っても、新体操で鍛えてきた
私にはかなわないんです。彼らが勢い余ってしまうところも私はピタッと止まれ
るし、足を高い位置でピタッとキープすることもできる。だから私が何かすると、
「オーッ」って観客が喜ぶし、そういう身体を振付家が使いたいと言ってくれたりす
る。自分ではずっと弱点だと思って日本では封印していた新体操が、今イスラエル
で喜ばれ、受け入れられている。以前のような「ダンス以外の身体性を使うことへ
の恐れ」は段々なくなりつつあります。そうして「新体操の技術が踊りからさほど
分断されたものではなく、踊りの一部として繋がっていく感じ」がやっと出てきた。
そうなったのは GAGA に助けられた部分もあると思います。
──その結果、自分としてどのような特徴がでてきたと思いますか。
私の身体は手がちょっと長くて、肩がよく動き、関節が全部柔らかい。さっきも
言いましたがバランス感覚が優れてもいます。日本にいた時は、その身体が、足は
足として、胴は胴としてあって、それが繋がって動いているという感じでした。し
かし今は、
「足は足じゃなくてもいい」というか、足も手も同じような意識、同じよ
うな感覚として使っていけるんじゃないかと思っています。そんな風に意識が変わっ
てから、映像で見ても動き方がハッキリと変わったのがわかります。
バットシェバ・アンサンブルでの経験は、「ひとつの技術やスタイルを身につけた」
というのではなく、こわばっていた私の気持ちと身体が解放されていく1年間だっ
たかもしれません。
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