都筑直仁/現役ジャズ研副委員長・Tb - 東海大学JAZZ研究会OB会

MONK
Vol 4
東海大学 JAZZ 研究会 OB 会機関誌
2003/08/30 発行
都筑直仁/現役ジャズ研副委員長・Tb
2003 年 8 月 16 日午後 3 時 25 分。
今年も例年と同じようにスウィングビーツの演奏が山野のステージで繰り広げました。
結果的には 40Band 中 38 位・・・ しかし、自分達がステージで楽しんだ大きさはそれ以上のものでした。
このステージに辿り着くまでに様々な苦労や喜びを経て作り上げた 2 曲だからです。
先ずは、テープ審査を通過する為に苦心しました。
今年から山野ビックバンドは出場バンドを 40 バンドに限定するために「昨年度の大会で 30 位以下のバンドは
テープ審査を行い、10 バンドを選考する」というもの。
残念ながら昨年度 30 位以下だった為、4 月上旬に「Stella By StarLight」をコムスクウェアで録音。
そして選考の結果、見事に本選への出場を掴み取りました。
しかし、本選への出場権を得たものの、「学生以外はステージに上がれない、当日は学生証の提示をする」という
新たな規定により Drs.二宮聡が本番に出られなくなったり、Sax パートは全員、まだ BigBand に入りたての一年生
だったりと・・・ 例年には無い苦労も経てきた。
だけど、メンバーが固定し次第、皆が一丸となって 8 月 16 日を目標に 2 曲を仕上げました。
1 曲目は Jaco Pastorius の「Three views of a secret」。アレンジは長年山野ビックバンドコンテストの審査員の
内堀勝氏。2曲目はジャズ研究会の OB である江上友彦さんのオリジナルである「自由な鳶」。
この曲は爽快なリズムに無駄な音を極力省いたアレンジになっており、審査員にも「さわやかな曲である」と
評価されました。
実際に結果は満足できるものでは無く、審査員に指摘された
「楽器をもっと吹き込むこと。つまり基礎練習をしっかりやる。」ということは最もな話であり。これからの課題である。次ぎのス
テージである新潟での営業に向けてこれからもやらなければいけないことは沢山あります。
しかし、この山野で得た経験と楽しさは何事にも変え難いものとなったことを胸に入れて、これからも自分達なりの
音楽を作り上げていきたいです。
最後に私達の練習を見てくださった OB の塩川さん!ありがとうございました!
1
田島憲一/24 期・Dr,Perc.
出会い
僕がJAZZと出会ってから今年で 22 年目になります。 高校2年生だった僕は、ブラスバンドに入っていて、ティンパニーを
メインにラテンパーカッションなど打楽器全般を担当していました。 演奏曲の中にはクラシックやブラスバンド専用の曲の他、
「茶色の小瓶」や「ムーンライト・セレナーデ」とか古典的なJAZZムード音楽からQ・ジョーンズの「愛のコリーダ」、S・ワンダー
の「恋するデューク」なんて曲まで節操なく様々な音楽と親しんでいました。 そんな僕の音楽環境に殴り込みをかけてきたが
M・デイビスの「Kind OF BLUE」でした。 (クラシックでは)輝く天上から降り注ぐような高らかな音だと思っていたTpが、何とも
切なく泣いている、当時受けた衝撃は今でも耳の奥の奥の奥の....方に残って居ます。(その後、聞いた「Bitches Brew」に
は完全にノックアウトされました。)
いざ!ジャズ研に!!
ジャズと出会ってからは、いろいろと聞きまくりました。 しかし、当時はお金のない高校生のこと、もっぱらFM番組のエア
チェック(死語?)でした。 たしか、NHKFMで児山紀芳氏がモントルーJFの紹介をしていたり、タモリの不定期番組「ジャズ
特選」なんかをよく聞いていました。 そして、ますます JAZZ に魅せられた僕は晴れて大学生(一浪)となり、春のケヤキ通りで
勧誘をする他サークルのかわいいお姉様方の誘いにも負けずジャズ研へと一直線に向かったのでありました。
酒の洗礼
学生になって大手を振って出来ることは未成年なのに酒が飲めること(?)です。 ジャズ研に入って1週間がたった頃、午後
になってから部室に行くと誰もいません。 仕方がないのでドラム叩いたり、ブラブラしたりしていると、一人の先輩がテクテク
やって来て、こんな会話を交わしました。
先輩「よお、何してんの?」
ボク「ええ、もう授業が終わったんで....(練習でも)」
先輩「よし、じゃあ飲みに行こうぜ」
ボク「えっ俺、金持ってないっすよ!」
先輩「俺だって持ってねーよ!!」
それから、夕方まで軍資金が現れるのを待って、みんなで飲みに行きました。
これが最初のクレージーツアーです。 覚えてますか?宗田さん!
C年バンド結成
ジャズ研にもすっかり慣れた夏の終わり、当時の委員長でありました金渕先輩(el-b)から突然「おまえらだけでバンド組ん
で学祭に出ろ!」と言われて新入生だけのC年バンドが結成されました。 入部当時はもう少し居たメンバーも、その時は既に
クインテット....ts 青木、tp 能勢、gt 麻生、b 竹下(その後退部)、dr 田島というメンツでした。
最初の建学祭では、準備→呼び込み→演奏→呼び込み→飲み会の場所取り→飲み会→飲み会2....といったスケジュ
ールが毎日続き、正直、何を演奏したのか僕自身は全く覚えていません。 ただ、冷たい大根おろし吹きすさぶ、野音の焼き
鳥屋(体育会系サークル経営!)や大根駅前の飲み屋(C年の定位置は下駄箱前でしたが、お金を払った覚えはありません、
OB諸氏のおごりでした、ごちそうさまです:秘密ですが利益が出たことも....)でOBの方々のパワーに圧倒された事をよく
覚えています。
次ページへ …
2
バイトで金持ち、全部レコードに!
大学生になるとアルバイトが出来る!バイトすれば金が貯まる!!金が貯まればレコードが欲しくなる!!! というわけ
で、年に2、3回行われていた協助会の中古レコード市には毎日、朝、昼、夕、足を運び、BLUENOTE はもちろん、Impulse!、
Atlantic、ECM など何でも買っちゃいました。(法外な破格値で、中には転売する先輩も) 当時は、フリージャズ、特に「アート・
アンサンブル・オブ・シカゴ」に入れ込んでまして、今でもレスター・ボウイ(合掌....)の大ファンです。
これだけは自ら暴露?!
3年になったとき、僕はどういう訳か委員長になってしまった。 その年の建学祭、水上ステージで文連加盟音楽サークル
による夢の競演?!が行われた。 毎年はサークルごとの演奏のみだったのが、委員長らで協議して1曲だけみんなで合奏
しよう!ということになった。 合奏曲は「The Chicken」、管弦研のバイオリニストがファンキーな(?)ソロを弾きまくったのを覚
えている人も少なくないはずです。 これは、Good! では、暴露話は....その時を前後して、ギター研から借りたコンガと
ボンゴが未だに部室にあるはずです。(あるのかなぁ?)
さらに、学外コンサートでは、ライブハウスまで楽器を運搬する際に誰かの下手くそな運転によって運搬車がガードレール
に激突、原レンタカーから借りた小型トラックの左前が破損! ロードマネージャーを買って出た我が友、能勢君がアクシデン
トに巻き込まれる波乱に!!後日、車を返却する際には自腹で補修キットを買って原レンの親父に笑って許して貰ったという
逸話もあります。 えっ誰が運転してたかって? そりゃ、僕ですョ、ボク!(p.s.ハンドルシフトなんて大っ嫌い!)
建学祭の花火が中止!JAZZ 研も思い出の中に....
大学最後の年、有終の美を飾るはずの建学祭では、なんと天皇陛下が危篤状態なので花火自粛となり大ショック(自らテン
ションを上げるはめに=保安の学生と喧嘩、幸い大事には至らず)、迎えた春には時代も昭和から平成へと代わり、僕ら 24 期
の学生もそれぞれ社会に出て行きました。 ジャズ研での思い出は、建学祭のほか、合宿(安西さん、初ドライブで大雪!逆ハ
ンドルに拍手喝采!&4年生は居ない居ないばぁ作戦?)や学内外コンサート(2&6号館にて栄さんの友人(女性)が幽霊を見
る?!)、春の勧誘(JAZZ 研暗黒時代、誰も入らない?!)、それから文連長屋での焚き火(学祭の看板が行き着く先)の夕べ、
JAZZ 談義に花を咲かせた日々です。 そうそう、それから豆鉄砲(先輩方には LoftJ.J.も懐かしいのでは?)は外せません、沢
山お世話になっていますから....。
何だか、ほとんど JAZZ の話は書かなかった様ですが、僕の JAZZ 研ヒストリーはこんなものでしょうか? 大御所の先輩
諸氏が沢山いらっしゃる中、私のような若輩者が2番手を引き受けることになるとは....大先輩の JAZZ 研秘話など、これか
らも楽しいヒストリーが続くと思いワクワクしています。 皆さん!記憶の泉をしっかり整理しておいてくださいね!!
p.s.僕のテーマ曲と飲み会&合宿での行為については、あえて触れませんでした。いずれ誰かが暴露してくれる事
でしょう。
3
MYコレクション
鎌倉俊哉/20期・Bs,Ts
ジャズ研OB会ホームページでは某管理人の甘い誘いに乗っかって、ちゃっかり自分の楽器の写真をアップさせて頂いており
ます20期の鎌倉と申します。先日開かれたOB総会でのOBビッグバンドでは サックスを180本持っている と紹介されまし
たが、正しくは サックス・フルート・クラ等を合わせて180本位 です。何れにせよ結構な数である事は間違いなく、何でこんな
事になってしまったのか、その経緯を辿りながら簡単に書いてみたいと思います。
私の吹奏楽器人生は小学校時代のリコーダーからスタートしました。その後、中学のブラバンでは何故か男子は全員トランペ
ットという事で、そのまま3年間ペットを吹いてましたが、ハイノートが全く出せなかった事や、リコーダーの様に両手の指を使う
楽器、加えるならば複雑な作りの楽器により魅力を感じ、高校のブラバンでは迷わずサックスへの移籍を希望し、私のサック
ス人生が始まりました。
それから約25数年、何故ここまで楽器が好きになったのかという根底を考えると、楽器を吹く事の楽しさが一番根底にあるの
は確かなのですが、それとは別に家業である製造業の中で育った影響からか、楽器を 物 としてみた場合の物作りの技術や、
思想、設計手法などを楽器を通して知る事が出来るという事も大きい理由だと思います。もともとゴチャゴチャした複雑な物が
好きでしたし、そういう構造の方が他と差別化しやすいのは確かです。
大学卒業後、仕事の関係で渡米し約10年向こうにいましたが、その間は全くといって良い程楽器は吹きませんでしたが、そ
れまで見た事も聞いた事もない楽器の種類の多さと、その手頃な価格に驚かされ、どんどんと楽器が増えていったという訳で
す。
最近は良く雑誌等で、C管のC-メロディーに関する記事を目にする事がありますが、サックスには、C管ソプラノや、F管、ソプ
ラニッシモ(Bb管で、ソプラノのオクターブ上)から、コントラベースまであり、又メーカーも、セルマーはもとより、コーン、ブッシ
ャー、キング、マーチン、ホルトン、L&H、ウォーリッツァー、キールワース(カイルベルス)、グラフトン、アドルフ・サックス、べ
ッソン、ヨーク、オルシー、SML、マリゴー、コーラート、カリソン等々、サックスを作っていたメーカーは、調べただけでも100
社近くありました。
サックスの歴史は、未だ200年に満たない非常に若い楽器ですが、その構造や発展の可能性を秘めている事から、非常に
沢山の試みがなされ製品化されてきました。イノベイティブなのか、ノベルティーなのか、はたまたジャンクなのかは解りませ
んが、本当に色々な物が作られた様です。あのセルマーでさえ、きちんと商品として生き残れなかった試作品まがいの品物も
かなり作っています。Mk.6のカーブドソプラノは2本のみ作られたらしいですし、最近ではオクターブキーが3つ付いたSA80シ
リーズ2を出してました。これからも、色々なメーカーから色々な製品が出される事でしょう。最近のヒット商品はヤマハの82Z
のノーラッカー仕様だそうで、半年以上もバックオーダーがあるそうです。この不景気にすごい事です。
大学時代には、サックス3本とフルート、ピッコロ、クラ(クラは正二君に貰った)の計5本しかなかったのに、いつの間にか増え
に増え、今では3箇所に分けて保存するほどになってしまいました。元祖アドルフサックスが製造した物から、それこそおもち
ゃの延長上にある様な楽器まで色々と集めてきました。これからも少しずつ、OB会HPに写真をUPして頂ければと思います。
お忙しい中、最後までお付き合い頂き有難うございました。なんだかちっとも表題の ビンテージサックス に関して書いていな
いんですが、紙面(?)の都合でとりあえずは終わりにします。次回、機会があれば ビンテージサックスを買う方法 、 ビンテ
ージサックスの相場 、 とっても悲しい日本人
等々の題目で追記したいと思います。
4
OBビッグレポート
山下欣也/23期・Dr
皆様、寒い夏をいかがお過ごしですか?皆様の夢と希望は元気ですか?
私、山下欽也(23期、ドラムス)は、6月に入籍しまして、遂に妻帯者となりました。
そして、8月23日から夏休み兼、新婚旅行の名目で沖縄へと行って参ります。
青い空と海にかこまれ、泡盛を飲んで過ごす2週間、星空もきれいなんだろーな、きっと。
やっぱり、同じ泡盛でも沖縄で飲むと何か違うんだろうな、メキシコで飲むテキーラみたいな、、、
三線の音もきっと違うはず。
OB ビッグバンドでも、"April in Paris"というのを演奏したけど、
4月と言わずパリに行った事ないから、わからないなー、と思いながらドラムを叩いてた、
そういう感じにこだわるのは、変ですかー?
曲名が"April in Tokyo"だったりすると曲への感情移入がぐっと増して、良い演奏になる気がする。
ちょっとマジに語ると、いつ演奏しても、すごくフレッシュなのは、
1人1人に人生(Blues)みたいなものを感じる時。
曲や楽器、しいては Jazz に皆それぞれの思い出や思い入れがあって(年令も随分違うしね)、
心の Soul の様な所に最初に憑り付かれたカッコよさや、あこがれの「タネ」があって、
それが音を出しているのを、ふっとした瞬間に感じた時。
「このオヤジやるなっ!」とか思いながらぐっと熱いドラムを叩きたくなる訳です。
うまい、へたで語ったり音を出したりするのは、つまらないから、やはり Soulful な感じが好きだ。
私の場合、楽譜と私の Soul がなかなか一致しないのが、問題ですね。
爺ちゃんギター、お父ちゃんサックス、やっぱり何かが違う。
私もやっと妻を持ってちょっと変わったかな、と思ったりする。
結婚間近のトロンボーン頑張って下さい!
現在、取り組んでいる曲が、「水祭り」。これがまた、どんな祭りなのかは不明。
フランス語のタイトルがついているから、どうやらフランスの祭りの様です。
ワインを飲みながら愛を語る、という事かな?てな事を考えつつ、
先月(7月)は差し入れの枝豆をほおばり(おいしかった)練習していたのであります。
皆さん、のんびり、かつ Soulful で頑張りましょう。
楽器の音がちょっと よたってる 位が、またかっこいい。
まだ参加した事の無い方々も、是非遊びに来て下さい。
それでは、また。高田馬場で会いましょう。
5
OB アマバンレポート
梶田博美/10 期・Dr
今から3じゅうン年前高輪の短期大学部を卒業し、平塚の4年制の3学年に編入してジャズ研に入部した私は、
だからジャズ研8期の諸先輩方と同じ学年で52歳です。細かい事は置いときまして、短大の頃はジャズ研がなく軽音楽部に
所属しておりました。その頃はフォーク、ロック、クロスオーバー(死語かな)、ボサノバ、何でも聞きましたし楽しみました。そし
てジャズ研に入ってから本格的に4ビートを聞くようになりましたが、私はやはり耳あたりの良いクロスオーバーが好きで、CTI
系を好んで聞いていました。ちなみにアイドルはジャックディジョネットでした。
最近(でもないけど88年)ではキースジャレットのスティルライブが好きです。昔のCTIでは16ビートをゴリゴリやっているのが
好きでした。モッチ論ビリーコブハム、スティーヴガッドは座右の音です。(座右の銘は、棚からぼた餅、楽あれば楽あり、漁夫
の利等 色々有りますが。まエ二ウェイ)
諸先輩方の影響もあり卒業後も就職せずバンドで飯を食うようになりました。卒業後10年程、コンボ、ソウルバンド、歌伴、歌
謡コーラス何でもやりました。今から考えるとフリーターの走りですね。結婚を機にサラリーマンになって現在に至ります。もう一
生タイコはたたかないだろうと、楽器も処分してまじめにサラリーマンをやっていた今から10年程前、犀 いっ、いや妻の友達
のご主人から連絡が有ってバンドをやってみようということになりました。ジミヘンドリックス、エリッククラプトン、ステッペンウ
ルフとか昔聞いたなあ、の世界で結構楽しめました。しかし練習は貸しスタジオで、メンバーの住んでいるところが遠くてなかな
かスケジュールが合わなかったり、発表の場も無いこともあって半年ほどで自然消滅でした。やはりバンドをやる以上は人に
聞いてもらいたいし、自己顕示欲を満足させないと欲求不満になります。あとあまりお金がかかるようでも家族の理解は得ら
れません。
しばらくの間、音無しくしていましたが去年の 2 月頃、4 リズム、2 ボーカルのソウル、オールディーズを主体としたバンドからド
ラムが辞めるのでやってみませんか?と話がありました。勿論二つ返事で引き受けました。練習場所はリーダーの会社の倉庫
みたいなところで、楽器がすべてあり私の家からも近くロケーションは最高です。でもメンバーチェンジだったのでレパートリー
をコピーして曲に慣れるまで大変でした。年3,4回のライブハウス出演、ナントカコンサートでの演奏、暮はパーティーとか、ボ
ランティアの仕事もあり、これをこなしつつ練習も、となるとほとんどの日曜日がつぶれる事もありました。皆サラリーマンなの
で、家族サービスを犠牲にしなくてはならず大変です。と その時いつもやらせて頂いているライブハウスが消防法の関係で閉
店してしまい、それに伴いバンドも現在は休止中です。
ちなみにバンド名はG2(じーつー)で、爺爺の意味だそうです。平均約51歳、レパートリー約30曲、皆昔プロだった人ばかり
なのでとてもいい音出しています。とても楽しいバンドです。
「What A Diff rence a Day Makes」などは Esther Phillips のバー
ジョンで男が歌っています。
また、忙しいと言いつつ、もう一つのバンドにも所属しています。ベースがバンマスで、ギター、キーボード、ドラムの4リズム、
男性ヴォーカルとバンマスの娘さんの2ヴォーカルという編成です。私がメンバーになるまではドラムは V-DRUM(デジタルドラ
ム)を使って打ち込みでやっていたそうです。打ち込みではライブはきつい、ということでしょう。実際に使わせてもらいましたが、
音はうまくセッティングすれば十分実用になるほどすばらしいのですがパッド(センサー)の感触に慣れるまで大変そうです。ま
た打ち込みでは人が間違えても、あわせてくれません。所詮リズムボックスです。
バンマスの自宅に全ての楽器がセッティングされ、デジタル録音機器もあってちょっとしたスタジオです。その場で演奏した音
がすぐCDで持って帰ることが出来ます。もうカセットテープの時代は終わったかな。しばらくオーディオの世界から遠ざかって
いた間に世界は変っていました。娘さんのレパートリーをコピーするのも打ち込みが多く、この歳で打ち込みドラムのコピーす
るとは思ってもいませんでした。でもあたらし物好きの私にとって全てが興味の対象となり、また新しい仲間とも知り合える事が
できて楽しい時間を過ごしています。
アマチュアバンドとしては、のんびり楽しくやろうよ、が大切なのですが、バンド、自分のレベルアップに欠かせない個人練習の
時間との折り合いをどうつけるのか、メンバーどうしの相互理解も大事だと思います。
以上、つらつらとしたためるつもりが、だらだらと書き連ねまして何をいいたかったかも解らなくなってきましたので、
乱文、乱筆を詫びつつ全段直結差動型真空管アンプ方面へ失礼致します。
6
OB プロレポート
山口新語/30期・Dr
ジャズ研 OB の皆様こんにちは。
30 期ドラムの山口新語と申します。
投稿できることに大変感謝しております。
今回は私のジャズ研時代〜現在について書きたいと思います。
私は1991年に東海大学に入学し、以前から憧れていたジャズをやりたいと思い、
迷わずジャズ研究会部室を訪ねました。
先輩方は生意気だった私をあたたかく迎えてくださり、その日のうちに「セッションやろうぜ」っということになりました(当時セッ
ションっという意味もわかりませんでしたが)。
さっそく「もっとスイングしなきゃ!」等ご指導頂いたことを覚えています。
入学2年目の冬、ふと「プロになりたい」と思い、自分の中でなにかが変わった感触がありました。
その後しばらくして既に活躍されていた西尾健一さん(26期/TP)がいろいろアドバイスをしてくださり、メンバーとして共演の
機会までつくって頂きました。
演奏後、その日の録音をききながら相手を良く聴くこと、相手の間をつかうこと、場面を変えること等貴重な意見を聞かせてく
れました。
そのとき教わったことが現在の基礎となっています。大変感謝しています。
その後、思うところあって一度就職し、就職後も週1ペースで演奏活動をしていましたが約2年後、「もっと音楽をやりたい」とい
う気持ちが押さえられなくなり、ドラム中心の生活をするべく、以前からお世話になっていた広瀬麻美(vo)さんの紹介で故大
野三平(p)さんに弟子入りすることになりました。 さっそく電話したところ「まあ、とりあえず、スネアとハイハットもってこい!そ
れからだ!」っと言われ、さっそく会いに行き、奇跡的に弟子入りすることができました(ほとんど無理やり押し掛け状態です
が)。 態度や考え方等大切なことをたくさん教わりました。
次第にジャズフェスティバルや、コンサート、ポップス等いろんなバンドで演奏する機会に恵まれ、サイドメンとして数々のレコ
ーディング、ツアーにも参加することができました。
同時に少し調子にのって暴走してしまい、自分勝手になったこともありました。
この時期に学んだこともたくさんあったと思います。
今ではそれまでの反省を克服しつつ、より自由に表現していくために試行錯誤しながら日々研究しています。
そして、聴いている方々に楽しんでいただけたらと思います。
現在は主に都内近郊のライブを中心に活動しています。詳細は私のHP
(http://www4.ocn.ne.jp/˜baku/)でスケジュールを公開しております。
ぜひ一度遊びにいらしてください。
また年末にはサックスレーベルから私の初リーダーアルバムがリリース予定です。
メンバーは粟澤博幸(G)高梨道生(B)の両氏です。
最後に今回投稿を依頼してくださったOB会事務局の方々、読んでくださった方々皆様に感謝いたします。今後ともよろしくお
ねがいします。
7
OB会事務局
*東海大学JAZZ研究会OB会機関紙「MONK」は年4回(2,5,8,11月)の発行予定です。
この機関紙はメールアドレスのある方にはMM(メールマガジン)として、
NETを利用されていない方には封書にてお送りいたしております。
*2003年度の中間会計報告を掲載いたしました、ご査証ください。
*2003年度のOB会費を納入されていない方は、お早めに下記口座へお振込みをお願いいたします。
(年会費は¥2,000です)
みずほ銀行白金支店(044) 普通 1462395 東海大学JAZZ研究会OB会事務局 加藤英雄
*前号から連載が開始された「私のジャズ研ヒストリー」、今回は24期/田島憲一氏のヒストリーです。
*8月16日(土)に開催された「山野ビッグバンドコンテスト」、今回の順位は40位中、38位だったそうです。
やはり応援がたりなかったようです、来年は是非応援に駆けつけましょう。
*OB会では、現役ジャズ研夏季合宿へむけてビール券(¥10,000)を差し入れました。
*今年の建学祭は11月1日(土)から4日(火)まで催されます。
久しぶりの学内で、現役ジャズ研の熱い演奏をお楽しみください。
*OBビッグの練習は毎月最終日曜日、都内高田馬場にありますライブスポットにて行っています、
参加ご希望の方は事務局までご連絡ください。
ちなみに9月は29日(日)です、ベイシー、エリントンのスコアも続々集まってきています。
すでに来年のOB総会へ向けての練習スケジュールが組まれつつあります、すぐに参加してください。
*OB会事務局では皆様のご意見、ご感想、レポートをお待ちしております。
アマチュアバンドやプロバンドでご活躍の方は是非ともご一報ください。
また、今号から始まりました「MYコレクション」コーナーにも是非ご投稿ください。
下記事務局宛にメール、FAX、封書にてお寄せください。
*住所、メールアドレス等の連絡先を変更された方は至急事務局までご連絡ください。
東海大学JAZZ研究会OB会事務局
東京都目黒区目黒3−3−18 モウリアートワークススタジオ内
FAX 03−5704−0880
OB会ホームページアドレス
http://jazz-ken.hp.infoseek.co.jp/
8