“ホロコースト” と “パレスチナ問題” ̶預言者的ユダヤ人から - J

生活大学研究 Vol. 1 45∼53(2015)
原著論文
“ホロコースト” と “パレスチナ問題”
̶預言者的ユダヤ人から見る
「ユダヤ人として生きる基準」̶
二井彬緒 1
(1 東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論分野
「人間の安全保障」プログラム修士課程)
(原稿受付 2015 年 9 月 11 日;原稿受理 2015 年 10 月 1 日)
The Holocaust Cast in the Palestinian Conflict
̶The Principle to Live as a Jewish through the Eyes of Jewish Critics̶
akio Futai1
1 Graduate
Student, Graduate Program on Human Seculity, The University of Tokyo
「ユダヤ人問題」は終わっていない.これはアウシュヴィッツをはじめとしたナチス・ドイツに
よる「絶滅強制収容所」の解放以降も,「ユダヤ人 DP(Displaced Person)問題」や「ユダヤ難民」
と名前を変えて続いている問題である.これらの延長に存在するもの,それがパレスチナ問題であ
る.この複雑な紛争を語る時,ユダヤ人問題は切っても切れない存在だ.ホロコーストとパレスチ
ナ問題という異なる歴史上の二点はこのようにして一本の線の上に位置づけることができる.これ
らの問題を並行して考えることは,ユダヤ人社会の意識の違いを見る糸口にもなる.仮にホロコー
ストをより普遍的な歴史的事象と捉えた時—つまりユダヤ人以外の民族にも起こり得る歴史的出来
事であると考える場合—パレスチナ問題はホロコーストを生き抜いたユダヤ人にとってイスラエル
国家という存在の根本を揺るがす問題にもなる.
本誌のこの論文は,卒業論文「“ホロコースト” と “パレスチナ問題”—ユダヤ人として生きる基
準—」の内容をすべて掲載するのではなく,その一部である E・ヴィーゼルを中心に,サラ・ロイ,
イラン・パペのユダヤ人社会における立ち位置とホロコーストに関する考え,また,彼ら「預言者
的ユダヤ人」がユダヤ人社会に果たす役割を中心に論じていく.
KeyWords:ホロコースト/ショアー,ユダヤ難民,Human Security,記憶
1.
卒業論文要約
卒業論文はホロコーストとパレスチナ問題,二つの問題に対し,ユダヤ系知識人はどう考えるか,E・ヴィーゼル
を中心的な題材として取り上げ,その思想を比較したものである.比較したのはヴィーゼル,H・アーレント,イス
ラエル右派(ジャボティンスキー,ベングリオン,ベギン),M・ブーバー,イラン・パペ,サラ・ロイである.
これらのユダヤ系知識人らを比較する上で三つの問題を取り上げた.まず,パレスチナ問題はホロコーストの歴史
的な繰り返しであるか否か.考察の結果,ホロコーストは繰り返される歴史だと認識していたのはホロコーストを若
くして経験した人,また親の世代が経験している人々だった.次に,ホロコースト以後の世界でユダヤ人が「ユダヤ
人として生きる」とはどういう意味を持つのか.その回答として,「多元性を生きる」ことであると考察した.この
点ではユダヤ人自体の多元性,イスラエル社会の多文化性を主に問題とした.世界中に離散し,それぞれの文化・慣
習を築いてきたユダヤ人によるイスラエル社会は高度多文化社会であり,意見は一枚岩ではない.さらに,そうした
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多文化社会は大量虐殺 genocide を引き起こしやすい.そのため,イスラエルにいる少数派のパレスチナ人たちは,多
数派によって排除されやすい.多数派が寛容さを示さなければ,状況としてパレスチナ問題が大量虐殺に発展する可
能性は高い.最後に,ヴィーゼルはユダヤ人としてどのように生きているのか.ヴィーゼルはホロコーストのような
大量虐殺は繰り返すとしながら,パレスチナ問題のみをその例外として扱っている.それはイスラエルを理想化して
いることが原因だ.一方で,彼はイスラエル国家によるパレスチナ人抑圧をよくは思っておらず,この二律背反に苦
しんでいる.そうした非難もあるがホロコーストの歴史を描くのは,彼がホロコーストを「記憶する義務」を背負っ
て生きているためである.以上が卒業論文の要約である.
ホロコーストとパレスチナ問題
2.
2.1
ホロコースト
「ホロコースト」という語は,シンボル化しつつある.この語から大体の人々はナチスが犯した大量虐殺を思い浮
かべる.だが,ユダヤ人にとってこの言葉はそういった一義的なものではない.「ホロコースト」はそもそもユダヤ
教の宗教用語である 1.ナチスにより「ユダヤ人問題の最終解決」として行われたユダヤ人に対する大量虐殺のこと
を「ホロコースト」と呼び始めたのはヴィーゼルだとされている 2.つまり,一部のユダヤ人たちは,宗教的な意味
と社会現象的な意味合いを混合して「ホロコースト」という語を使用している.まず,宗教的な専門用語としての
「ホロコースト」について説明する.ホロコーストとは,もとはユダヤ教で神への供物の方法の一種で「燔祭(丸焼
き〔ヘ〕ˈōlāh, ʼiššēh, kālīl,〔ギ〕holakaútōma3)」を意味する.
次に社会的意味の「ホロコースト」は 1940 年代に起こったナチスによるユダヤ人迫害を指す.このホロコースト
によるユダヤ人のみの犠牲者数は約 600 万人に上る.さらにロマ人や政治犯,同性愛者,障がい者も犠牲になった.
ユダヤ人迫害について言えば,主に収容所での非人道的行為をホロコーストと呼ぶ.それには,焼却炉の存在が大き
いと考えられる.ガス室で殺害された大勢の人々は焼却炉で生きたまま殺された.絶滅収容所に行くことや「選別」
は焼却炉に行くことを意味した.確かに,焼却炉で犠牲になった人々は人間の「燔祭」と重ならなくはない.非同化
主義の家庭や環境で育ったユダヤ人や敬虔なユダヤ教徒は,多くの人々の魂が「焼」かれることで失われていく様子
は「ホロコースト」を連想した 4.
この収容所での非人道的行為を「ホロコースト」と呼び始めたヴィーゼルは,後にこの呼び方を否定し,ホロコー
ストのことを「《出来事》」と呼ぶようになった 5.また,研究者や世間でも「ホロコースト」の聖書上の意味に配慮
し,「ショア(ヘブライ語で「災厄,絶滅」の意)」と呼ぶ傾向が強まっている 6.だが,たとえナチスによる強制収
容所をはじめとしたユダヤ人への迫害が「ホロコースト」と呼ばれなくなったとしても,ユダヤ人たちの意識の中に
はユダヤ教の教えと強制収容所という歴史を並行して考える傾向がある.あらためて整理すると本稿で扱うホロコー
ストとは,後者の「ナチスによる収容所での非人道的行為」である.
2.2
パレスチナ問題
パレスチナ問題とは,ユダヤ人とパレスチナ人による国家主権や民族自決権をめぐる紛争である.パレスチナ/イ
スラエルの土地へのユダヤ人移民推計の記録は 1882 年から始まり 7,最初のユダヤ人入植村ができたのは 1878 年であ
る 8.この波を受け,国際社会ではフサイン=マクマホン協定(1915),サイクス=ピコ協定(1916),バルフォア宣
言(1917)などでユダヤ人のパレスチナ復帰が中東問題の一つとして取り沙汰された 9.1922 年にイギリスのパレス
チナ委任統治が国際連盟で認められた.同時にパレスチナの地ではユダヤ人とアラブ人が衝突を繰り返し,イギリス
はその調停に走ることとなる.
1940 年代,ナチスによるホロコーストを受け,国際社会はユダヤ人問題と相対する必要性に迫られた.第二次世
界大戦が終結し,1947 年,国際連合はパレスチナ分割案(決議 181)を提案する.これをアラブ国家は拒否,それを
受け 1948 年 5 月,ユダヤ人移民たちは一方的にイスラエル建国宣言を行い,国際社会はそれを承認した.同時にパレ
スチナ住民追放は激化した.これを受けパレスチナ人の移動が激しくなり,難民が発生した.イスラエルの領土内に
留まったパレスチナ人たちはガザ地区・西岸地区に避難し,こうしたパレスチナ難民の総計は約 350 万人とされてい
る 10.ガザ地区・西岸地区でもイスラエルによる占領体制が続いており,分離壁が建設され,内外への自由通行は禁
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“ホロコースト” と “パレスチナ問題”
止されている.また,現在のイスラエルは領土獲得よりもパレスチナに関する責任の放棄を優先し,パレスチナ自治
区の孤立化を進めている.だが,分離壁によって交通を制限され,経済を切り離されたパレスチナ人たちの生活水準
は低下の一途をたどっている 11.
こうした状況の中,両民族の和平への道が開かれた時期もあったが,オスロ合意,キャンプ・デーヴィッド交渉,
第二次インティファーダ(2000 年 9 月)を経て,イスラエル社会は Pa(パレスチナ暫定自治政府)を正当な交渉相手
として認めなくなり,占領政策などによって紛争を無理やりに封じ込める路線に転向した 12.こういったイスラエル
の占領に抵抗するため,テロやその他の犯罪が一部のパレスチナ人によってなされ,それに対しイスラエルは圧倒的
な武力行使でパレスチナ人を鎮圧している.最近の例としては,2014 年の 6∼8 月にかけて行われたイスラエルによ
るガザ地区の爆撃が挙げられる.現在では iCC(国際刑事裁判所)が Pa をオブザーバー国家として認定し,イスラ
エルによる軍事行為や入植活動についての調査を行っている.
パレスチナ問題はユダヤ人問題,シオニズム,イスラエルなどユダヤ人側の諸問題が合わさった複合的な紛争であ
り,さらには iS(「イスラム国」)の台頭なども含む中東地域の問題とも複雑に絡み合っており,実際的な和平調停の
実現には至っていない,現代国際社会が抱える解決しがたい紛争案件の一つである 13.
2.3
ホロコーストとパレスチナ問題の連続性
このように,ホロコーストとパレスチナ問題の歴史を並べてみると,これら二つの出来事の間には一本の線を引
くことができる.欧米を中心に「ユダヤ人問題」は何世紀も連綿と続く問題だった.シェイクスピア作『ヴェニスの
商人』のシャイロックの役柄からも読み取れるように,ユダヤ人は欧米社会の「異物」として扱われ,ときにはゲッ
トーによって隔離された.
だが,後になってフランス人権宣言によりユダヤ人のゲットー解放が叫ばれ,ユダヤ人にも人権が認められる代わ
りに同化政策を押し進められ同化ユダヤ人(同化主義)が誕生した.「異物としてのユダヤ人」のイデオロギー(反
ユダヤ主義)が政治の表層に噴出したのがホロコーストであり,ナチスの「ユダヤ人問題の最終解決」によって世界
中のユダヤ人たちは再び「離散の民」としての移動を強いられた.そして,移動しなかった者たちはホロコーストの
犠牲者となり,収容所のガス室・焼却炉にて殺害された.
一方で移動した人びとが目指したのはイスラエルであり,イスラエルという「ユダヤ人国家」(民族国家)が建国
されれば,再びホロコーストのような惨事に遭うことはない,という考えがユダヤ人の間で一般的なものとなった.
そのため 1946 年のイスラエル建国という「歴史」を肯定するためにホロコーストという「歴史」が語られることは
少なくない.それ故にホロコーストとパレスチナ問題はきっても切り離せない連結を持つ「歴史」同士なのである.
イスラエルの建国の背景にホロコーストによって多くのユダヤ人が犠牲になったという同情・後ろめたさを欧米
諸国を中心とした国際社会が持っていたことは否めない.そうした時,まさにパレスチナ人は離散民にして難民(流
浪民)となったユダヤ人たちによって(国内避)難民となったのである.では,現代で活躍するユダヤ系知識人はこ
の二つの「歴史」の連続性をいかに考えるか,ヴィーゼルを中心にパペ,ロイといった「預言者的ユダヤ人」3 人の
考えを見ていきたい.
預言者的ユダヤ人の登場
3.
3.1
ユダヤ社会の内在的批判者たち
自己嫌悪的ユダヤ人 Self-Hating Jew と言われる人々がいる.もとはと言えばこれは,自らのユダヤのルーツを隠す
同化主義ユダヤ人を指す言葉だった.だが現在,この言葉は「イスラエル批判を行うユダヤ人を非難する言葉 14」と
して捉えられている.ユダヤ人によるイスラエルへの非難は「民族の裏切り者 15」と指差されることを如実に表した
言葉であろう.同時に近年,ポスト・シオニズムという潮流が産声を上げた.これは,シオニズム思想やイスラエル
による政策に対し,批判と疑念を投げかける議論の場,現象のことを指す 16.特に 1980 年代からはアカデミックな
分野でもこの現象が見られ,
「新しい歴史家 New Historian17」などと呼ばれる研究者が次々と登場した.こうした人々
を歴史修正主義,敗北主義とする批判もあるが,ここ近年ではイスラエル国内,あるいはユダヤ人が「(ユダヤ人国
家としての)イスラエル」を批判的に見る動きが盛んになってきている.
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さらに,70∼90 年代に至るまで,アメリカを中心にホロコーストを題材とする文学・映画,それに対する批評な
どが盛んに発表された.その例がクロード・ランズマン監督の映画『ショアー』に関するショシャナ・フェルマンの
「ショアー」論や,ゴールドハーゲン論争,スピルバーグ監督による映画『シンドラーのリスト』などである.また
ここに見られる新しい傾向は,ホロコースト第二世代(ホロコーストに関わる両親の下に 1945 年以降に生まれた者)
による活躍である.第二世代による新しい「歴史」の見方が提示されるとともに,イスラエルに対する批判的意見も
増えていった.
こうしたイスラエル批判を行うユダヤ人たちは,旧約聖書における預言者たちに重なって見える.預言者の役目
は神の教えの観点からの祖国(イスラエル王国)に対する批判であり,預言者とはイスラエル,あるいはユダヤ人社
会の方向性に対する「異議申し立て」の精神を持つ人びとなのだ.ここから名前を取って,新しい歴史家らをはじめ
とするイスラエルに対する批判を活発に行っている近年のユダヤ系知識人を預言者的ユダヤ人と呼ぶこととする.預
言者的ユダヤ人の特徴として,ホロコーストを若いうちに経験し現代まで活躍している者,あるいは第二世代である
ことが目立つ.前者の代表格がエリ・ヴィーゼルである.後者の例としては歴史学者イラン・パペや経済学者サラ・
ロイなどが挙げられる.本稿ではこの三人を扱うことにする.
3.2
3.2.1
ホロコースト後の世界で
エリ・ヴィーゼル
エリ・ヴィーゼル Elie Wiesl(1928–)はルーマニア・シゲットのシュテットル(ユダヤ人共同体)に生まれ
た.1944 年のナチス・ドイツのルーマニア侵攻まで彼はそこで育った.強制連行後,彼はアウシュヴィッツなど計
三つの強制収容所に移送され,父母妹を失った.収容所解放後はフランスに渡り,文筆活動を始める.1956 年にア
メリカに渡った.処女作の『夜』“La Nuit” 18(1958)にはモーリヤックが序文を寄せ,今日では世界中で読まれるホ
ロコースト文学の一つとなっている.人権活動家としても知られ,ノーベル平和賞を受賞(1986),そこからエリ・
ヴィーゼル・ヒューマニティ財団 The Elie Wiesel Foundation For Humanity19 を立ち上げ,人権活動を続けている.
ヴィーゼルは思春期を収容所で過ごし,父母妹,そして故郷のシュテットルをホロコーストによって喪失した.こ
の経験は彼の思想の中核に位置しており,『夜』をはじめとする彼によるホロコースト文学にはそれがよく表されて
いる.ヴィーゼルはホロコーストを「〈記憶〉する義務」を死者たちに対して負っているため,文学作品によってホ
ロコーストを表現している.自分たちのことを語ることもできず,生きていた証拠でさえ抹殺されたホロコーストの
死者の代わりに〈歴史〉を〈証言〉し,他の生存者にも〈証言〉することを訴え,また後世の世代にも〈歴史〉を考
えることをヴィーゼルは訴えている.彼自身,「書く」,あるいは行動によって証言を行い,世界で進むホロコースト
の〈忘却〉と闘っているが,彼は他の思想家らと同様にホロコーストの表象不可能性を認識している.しかし,証言
をやめればたちまち〈忘却〉は蔓延し,戦時中世界がユダヤ人に対してそうであったように,人々は他者の存在に対
して〈無関心〉になる.次世代が戦争や虐殺のない世界であることを望むなら,「〈記憶〉する義務」を全うしなけれ
ばならない.これがヴィーゼルの第一信条なのだ.
一方,パレスチナ問題をめぐってヴィーゼルの立場に対する非難は多く交わされている.それはヴィーゼルのイス
ラエル支持の姿勢のためである.ヴィーゼルは「イスラエル愛着」なるものを持っており,それはいわばイスラエル
に対する強い「理想」である.ヴィーゼルは敬虔なユダヤ教徒の家庭でハシッドとして育ち,幼少より篤い信仰心を
持ってきた.そのためにヴィーゼルが「イスラエル」と口にする時,二種類の意味の「イスラエル」が存在する.一
方は極端な「理想主義的な愛」によって語られる概念上の祖国であり,もう一方は実際に存在しているイスラエル国
家である.この二つのイスラエルはヴィーゼルにとって同一でない.実際のイスラエル国家はヴィーゼルの理想イス
ラエルに逆行している点があり,その理由は第一にイスラエル国内におけるホロコースト生存者に対する偏見がある
こと,第二にパレスチナ問題の存在である.ヴィーゼルはイスラエル国家の存在自体は肯定しており,それ故イスラ
エルを擁護する発言も多い.彼は思春期を強制収容所で過ごし,反ユダヤ主義の恐ろしさと根深さを痛切なほどに認
識している.だからこそ「ユダヤ人のためのユダヤ人の安全保障を守る国家」を欲する.それはイスラエルが自国の
国家の安全保障を優先することを意味する.
だが,パレスチナ問題についても一義的にイスラエルに肩入れするわけではなく,ヴィーゼル自身はパレスチナ人
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“ホロコースト” と “パレスチナ問題”
への特定的な憎悪感情を持っておらず,彼らが民族自決権を持つことに賛成している 20.また,ヴィーゼルはイスラ
エルによるパレスチナへの抑圧も認識しており,一部のイスラエル兵の非人道的な行為を強く嫌悪している.「イス
ラエルを支持してはいるが,イスラエルのパレスチナに対する姿勢を完全に肯定はできない」,彼が苦しむのはこの
懸隔である.こうした曖昧な考えのためにヴィーゼルは「イスラエル支持者」,「意見を濁し逃げる無責任」,あるい
はイスラエル人から「決してイスラエルに移住はしない日和見」と非難されている.非難すべての根本,ヴィーゼル
の曖昧な思想の原因には,イスラエル愛着があるのだ.
そうした中,近年の歴史修正主義(歴史否定論)者たちの台頭に大きな懸念を感じ,一種の異民族恐怖(排除)
xenophobia はユダヤ人以外の少数民族にまでその矛先は拡大しつつある 21,これらはすべて〈無関心〉が生んだ結果
であるとヴィーゼルは言う.ヴィーゼルは世界の無関心と闘い,ホロコーストの記憶を伝えつづける決意をもって活
動を続けている.
3.2.2
イラン・パペ,サラ・ロイ
イラン・パペ iran Pappe(1954–)はイスラエル生まれの歴史学者で,現在はイギリス・エクセター大教授である.
「新しい歴史家」の一人で,イスラエルの入植の歴史などを正しく公示し,パレスチナの歴史をイスラエル国内でよ
り議論し,従来のイスラエル史にパレスチナ–人の視線や歴史を含むべきとする.サラ・ロイ Sara Roy(1955–)はア
メリカ生まれのユダヤ人でパレスチナに関する政治経済学者である.イスラエルによるガザ地区占領問題における正
確なデータ分析とその研究で知られており,イスラエルの政治に対し厳しい姿勢を持つ.父母共に強制収容所の生存
者で,父親はヘウムノ絶滅強制収容所の生き残りであるため,親の故郷ポーランドのシュテットルの話を聞いて育
ち,ホロコーストの事情にも精通している.
パペとロイは研究分野が違うにもかかわらず,思想が非常に近似している.第一にイスラエルへの批判精神であ
る.両者とも研究で指摘しているのはガザ地区の悲惨な実情であり,イスラエルの政治体制を批判する内容だ.
第二に,二人は「ジュダイズム」「ユダヤ教的価値観」の指摘がとても似ている.ロイは寛容と共生というユダヤ
教の倫理(ジュダイズムの実践)について語っている.ロイの両親は戦後,ホロコーストでの経験から多元社会アメ
リカで生きることを決意した 22.彼らはホロコーストの記憶を自らの生活につなぎ止めつつ多元社会で寛容を生きる
ことを娘にも引き継がせた.そのためロイのアイデンティティにホロコーストという歴史の影響は大きく影響してい
る.彼女のように生存者の第二世代のアイデンティティにホロコーストが強く影響することは,作家エヴァ・ホフマ
ンも指摘している.
また,ユダヤ教では倫理的諸原則を守ることが生活の中心であり,それにより民族自体の生死が分かれると考え
られていた 23.そのためジュダイズムは,国境線に従属せず,それを超越する価値や信念に関係性を与えるものであ
り,「誤った方向に行ってしまった世界を立て直すために異論を唱えるということの倫理性と重要性 24」にその核心
がある.ロイはパレスチナ問題こそ,ユダヤ人が異議申し立てを行うべきだと主張している.ジュダイズムに加え
て,ロイは知人である E・サイードから影響を受けた人文主義的行為についても触れている.
『抑圧する者と抑圧される者が同じ一つの歴史に属する』ことを可能にするオルターナティヴを探究すること.
このこと自体は,批判という行為にもとづいており,それは『まずなによりも理解という行為,自覚という得意
な能力』とエドワード(サイード)が呼ぶもの,つまり『共感を寄せること』や内的緊張関係に対し敏感である
ことも含む『人文主義的行為』のことなのです 25.
あるものに対する批判的姿勢は上で述べたジュダイズムとも重なる.ホロコーストとパレスチナ問題の歴史性は
対等なものではないにしても,ホロコーストを他民族の歴史にも普遍化することは人文主義的行為であると同時に,
ジュダイズムが本来持っている〈記憶〉する強さ(自省,批判的吟味,哲学的探究 26)が発揮される機会になりう
る.ロイは異議申し立てと〈記憶〉する強さの欠如が現在の悲惨な状況を生んでいるともしている 27.これはヴィー
ゼルの「〈記憶〉する義務」とも合致する.ロイの研究対象がパレスチナであることも,この人文主義的行為の実践
の延長にあるのだ.
パペはロイが言う「ジュダイズム」と同様のことを「ユダヤ教価値観」として触れている.彼はユダヤ教とシオニ
ズムは同一ではないとした上で,以下のようなことを言っている.
49
生活大学研究 Vol. 1 (2015)
ユダヤ人として私は,イスラエルの振る舞いのなかに,ユダヤ的なものはごくわずかしかないと考えています.
入植したり,人びとを追放したり,占領を行うことが,ユダヤ的な伝承あるいは道徳観に根ざすものとは思えま
せん.ですからイスラエルが『ユダヤ国家』
(Jewish State)であるとは考えていません.多くの『ユダヤ人の国
家』(State of Jews)だとは思いますが,ユダヤ国家ではないのです.私にとってのユダヤ国家は,イスラエルが
しているような振る舞いをすることはないものです 28.
(=Jew同様のことを別の場面でも指摘しており 29,パペはユダヤ人や自身の中に「ユダヤ的な伝承あるいは道徳観」
ish)の存在を認めていることが分かる.それに対しロイはユダヤ教価値観の核心には「寛容 tolerance」があり,これ
こそユダヤ人を「ユダヤ人たらしめる特徴 30」であるとしている.「寛容」とは他者の受容を意味し,多元社会で寛
容を真に実践することこそユダヤ教倫理の実践であるとロイは言う.「寛容」さは,ユダヤ人が世界で迫害,抑圧さ
れる中で身に付けた特徴であるのに対し,パレスチナ人を排除する今のイスラエル社会には存在していないとしてい
る.そのようなイスラエルの態度に対して,徐々にイスラエルを支持していたアメリカのユダヤ人の姿勢も批判的な
ものに変化していることを指摘する.
このように,両者とも研究の下地にある自身の思想にはジュダイズム,ユダヤ教的価値観が根ざしているのであ
る.パペとロイのように第二世代の研究者がパレスチナを対象に活動をし,研究姿勢が似通っていることは,現代に
至ってホロコーストとパレスチナ問題の歴史的連続性に注目するユダヤ系の学者やジャーナリストが世に多く出てき
たことの好例であろう.二つの歴史を並行して考えている者は,同時に自らのアイデンティティとしてユダヤ的倫理
観を問い直している.こうしたことから長年交わされてきたホロコーストに関する議論をユダヤ人がより客観的,批
判的に見るようになってきたことが分かる.
預言者的ユダヤ人の存在が意味するもの
3.2.3
「ユダヤ人である」こと,つまり「ユダヤ人として生きる」ことは,ユダヤ人にとって「多元社会を生きていかな
くてはならない」ことを意味する.これはユダヤ人というルーツを持つ一人ひとりのアイデンティティの問題でもあ
る.ユダヤ人はイスラエルにいるとしても他の場所に居るとしても少数民族として,あるいはパーリアとして,自分
が持つ文化とは異なる環境の中で暮らしていかねばならない.
ユダヤ人がいれば必然的にその場所は多元的,多文化社会になる.そうとすれば,イスラエルが目指し,同時に
パペが非難するような「ユダヤ人だけの一元的な国を目指すイスラエル」の存在は,ユダヤ人として生きていく上で
の,自身が多元的な存在であるというアイデンティティへの矛盾(自己嫌悪)にもつながりうる.こうした「多元社
会を生きてなくてはならない」ことを,ヴィーゼルやパペ,ロイらユダヤ人たちは自身のアイデンティティの一側面
として受容している.多元社会という環境を受け入れる,それは他者に寛容であることを意味し,それはユダヤ教価
値観を実践することである.
他者に対し寛容であることや,自分や自分の祖先が被ったことの他者への連鎖を許さないことといったユダヤ教
価値観は,一般的な道徳や倫理とそう変わらないと感じるかもしれない.預言者的ユダヤ人はそれをユダヤ教が培っ
てきた環境から学んだのである.人が育ち,生活する環境は人のアイデンティティに影響を与える.ヴィーゼルらが
言う「ユダヤ人らしい」「寛容」や「ユダヤ教的」な〈記憶〉,そして異議申し立ての精神とは,ユダヤ教が迫害や差
別を受けながらもある場所で多元性を意識しつつ他者と共生する中で培ってきた環境から身に付いたものだと考えら
れる.
ユダヤ人が持つユダヤ性とは,この環境によって育まれる価値観とも言い得る.同化主義やイスラエルや他の地域
でのユダヤ教の世俗化が進む中,ユダヤ教価値観は忘れ去られる傾向にあるが,ユダヤ人は多元的な存在でありつつ
それを受け止めて歴史や他者との向き合い方,伝統を持つ環境から身につけることができるのである.
預言者的ユダヤ人はこうしたユダヤ人の典型であり,彼らはユダヤ教価値観を自身のアイデンティティの一つと
して包摂している.そのために,記憶する義務と寛容の実践から歴史の連続性を重要視する.そうすることで預言
者的ユダヤ人はホロコーストの〈記憶〉や〈証言〉によって生産された「知」を,パレスチナ問題などを抱えるホロ
コースト以後の現代社会へ還元する役割を持っているのである.
50
“ホロコースト” と “パレスチナ問題”
4.
結
論
ホロコーストは連合国による収容所解放で終わったのでは断じてない.被収容者たちの苦難は収容所の鉄条網か
ら出た以降も続いていた.彼らは「被収容者」ではなくなったが,戦後は今で言う難民,正しく言えば「ユダヤ人
DP(ユダヤ難民)」となったのである.ナチスによって人権・市民権や財産を完全に奪われたユダヤ難民は文字通り
一文無しで諸権利を持たないマイナスの状態からの「再起」という重荷を課せられた.さらに元被収容者は長く非人
間的状況下に置かれたために異常行動をとる者も多く,精神的トラウマを抱え本来であれば治療が必要な者も多かっ
た.また再定住先の選択肢も少なく,欧米地域に移住を申請するには時間と労力を要した 31.連合国は彼らを保護こ
そはしたものの,彼らに人間が持つべき「保障」を正しく与えたとは言い難い.
一方でイスラエルに向かったユダヤ難民たちの運命も悲惨であった.国連パレスチナ分割案後も続いた周辺の中
東諸国やパレスチナとユダヤ人の間の紛争には,移住して間もない,訓練も充分に受けていないホロコーストの生存
者らが徴兵された 32.ユダヤ人にとっては誰しも「イスラエル」という言葉は特別な意味を持つ.約束の地であった
はずの「イスラエル国家」は,ヴィーゼルが持つようなイスラエル愛着,またパペやロイが言うようなジュダイズム
に当てはまるような場所にはならなかった.
ホロコーストの生存者である第一世代(特に収容所を出た時点で成人していた者)は,収容所を出てからも「諸権
利を持つ権利」を奪われた状態,つまり無権利者 33 として現代の難民が象徴するような剥き出しの生(アガンベン)
の状態だった.戦後のユダヤ難民は現在の難民問題の先駆的存在であったのだ.解放の時点で幼かったヴィーゼルは
慈善団体に引き取られたものの,無国籍者のまま成人したためアメリカで国籍を取るまでは第一世代と同じような苦
しみの道を辿っている.
そうした第一世代の元で育ったのがロイのような第二世代である.第二世代の特徴は,第一世代が語った〈記憶〉
を自らの経験ではなく他者の声として客観性を持ちつつ社会に還元することができる点にある.ロイがホロコースト
を経験した両親から学んだジュダイズムを心に刻みつつ,パレスチナの研究をしてイスラエルを批判するように,ホ
ロコーストから生まれた「知」を社会的な「知」に自然に織り込むのである.同じように自身も第二世代でありイス
ラエルには厳しい批判を行っている E・ホフマンは以下のように指摘している.
大量殺戮のあとの世代は,蝶つがいの世代だ.過去が歴史かあるいは神話に変貌を遂げていくその境目に立って
いる.過去への忠誠が非常に強い第二世代の時代は,歴史的な経験が固定化した解釈や集団的意識というものに
変化してしまう危険をあわせもっている.しかしその幕間の時期こそ,歴史をあらゆる複雑な関係性や道徳的な
観点から考察できる機会でもある 34.
ホフマンの記述からも分かるように,ホロコーストを直接・間接的に経験し,パレスチナ問題といった現代の問題
に直面する預言者的ユダヤ人たちは,ホロコーストが残した悲痛な〈記憶〉から新しい「知」を発見・伝達し,現代
の政治的な側面も含む問題に還元する役割を果たしているのである.また,彼らが主張するジュダイズムといった倫
理観は,ユダヤ教という枠組みを越え人類に共通する真理でもある.特にヴィーゼルのことを言えば,人文主義の実
践はホロコースト文学など,抑圧された者の声から他者の苦しみを理解し,「〈記憶〉する義務」を共に担うところか
ら始まるのである.
注
1
旧約・新約聖書大事典編集委員会,『旧約・新約聖書大事典』,教文館,1989 年,353 頁.
2
宮田光雄,『ホロコースト〈以後〉を生きる—宗教間対話と政治的紛争のはざまで』,岩波書店,2009 年,vi 頁.
3
旧約・新約聖書大事典編集委員会,前掲書 353–354 頁.
4
宮田光雄,前掲書 131 頁.
5
例として,エリ・ヴィーゼル,
『そしてすべての川は海へ—20 世紀ユダヤ人の肖像』上,村上光彦訳,朝日新聞社,1995 年 a,
303 頁.
6
宮田光雄,前掲書 viii 頁.
7
立山良司,『揺れるユダヤ人国家—ポスト・シオニズム』,文藝春秋,2000 年,36 頁.
8
イラン・パペ(語り),『イラン・パペ,パレスチナを語る—「民族浄化」から「橋渡しのナラティヴ」へ』,ミーダーン〈パレス
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生活大学研究 Vol. 1 (2015)
チナ・対話のための広場〉編訳,柘植書房新社,2008 年,279 頁.
9
10
11
同上 279–282 頁.
立山良司,2000 年,210 頁.
ジャン–クリストフ・ヴィクトル,『地図で読む世界情勢情報革命と新しい国境』,鳥取絹子訳,河出書房新社,2012 年,13–16
頁.
12
立山良司,『エリア・スタディーズ 104 イスラエルを知るための 60 章』,明石書店,2012 年,320 頁.
13
ジャン–クリストフ・ヴィクトル,前掲書 13–16 頁.
14
イラン・パペ,前掲書 260 頁.
15
イラン・パペ,同上.
16
立山良司,2000 年,22 頁.
17
同上 22 頁.
イラン・パペ,前掲書 13 頁.
18
エリ・ヴィーゼル,『夜』,村上光彦訳,みすず書房,1967 年.
19
“The Elie Wiesel Foundation for Humanity”,http://www.eliewieselfoundation.org/eliewiesel.aspx,2015/01/20 確認.
20
エリ・ヴィーゼル,1999 年 a,302 頁.
21
同上,211 頁.
22
サラ・ロイ,前掲書 240 頁.
23
同上 207 頁.
24
同上 175 頁.
25
同上 171 頁.
26
同上 198 頁.
27
同上 272 頁.
28
イラン・パペ,前掲書 146 頁.
29
同上 263 頁.
30
サラ・ロイ,前掲書 239 頁.
31
野村真里,『ホロコースト後のユダヤ人—約束の土地は何処か』,世界思想社,2012 年,53–56, 59–60 頁.
32
同上 128 頁.
33
市野川容孝・小森陽一,『難民(思考のフロンティア)』,岩波書店,2007 年,43 頁.
34
エヴァ・ホフマン,『記憶を和解のために—第二世代に託されたホロコーストの遺産』,早川敦子訳,みすず書房,2011 年,210
頁.
参考文献
市野川容孝・小森陽一,『難民(思考のフロンティア)』,岩波書店,2007 年.
ヴィーゼル,エリ,『夜』,村上光彦訳,みすず書房,1967 年
——『そしてすべての川は海へ—20 世紀ユダヤ人の肖像』上巻,村上光彦訳,朝日新聞社,1995 年 a.
——『そしてすべての川は海へ—20 世紀ユダヤ人の肖像』下巻,村上光彦訳,朝日新聞社,1995 年 b.
——『しかし海は満ちることなく—20 世紀ユダヤ人の肖像 ii』上巻,村上光彦・平野新介訳,朝日新聞社,1999 年 a.
——『しかし海は満ちることなく—20 世紀ユダヤ人の肖像 ii』下巻,村上光彦・平野新介訳,朝日新聞社,1999 年 b.
ヴィクトル,ジャン–クリストフ,『地図で読む世界情勢情報革命と新しい国境』,鳥取絹子訳,河出書房新社,2012
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年.
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