ユルゲン・ハーバーマス 『公共性の構造転換』 2004 年度 鎌田研究室 【著者紹介】 ハーバマス Jurgen Habermas 1929 - いわゆるフランクフルト学派第二世代の哲学者、社会学者。ボン大学のロータッカーの 下でシェリングに関する論文で博士号所得。1955年からフランクフルト社会研究所の 助手として、アドルノ及びホルクハイマーから大きな影響を受ける。1961年ハイデル ベルク大学教授。1964年よりフランクフルト大学教授となるが、1971年から81 年まで「科学技術化された世界における生活条件の研究」という長いタイトルのマックス・ プランク研究所の所長となる。1983年フランクフルト大学に復帰。94年定年退官。 彼を一躍有名にした『公共性の構造転換』 〔1962〕では、18世紀に置いて最初は芸術や 文学に関して、次には政治や社会について自由に議論戦わす場としての公共圏(公共性) が成立したプロセス及びそうした公共圏が現代にいたって萎縮し、形式民主主義に堕して しまった「構造転換」が描かれている。それ以降、多くの理論的改編をともないながらも 一貫して言語による合意の条件について考察が為されている。 60年代以降には社会科学が 実証主義 に堕したプロセスが、当時の学生氾濫を背景 に論じられた(『認識と関心』〔1968〕、『社会科学の論理』〔1967〕)。学問は認識の社会的 条件への反省を欠かすことは出来ず、「認識批判は社会理論としてのみ可能である」とされ ている。資本主義批判としての『晩期資本主義における政党制の危機』〔1973〕『歴史的唯 物論の再構成のために』 〔1976〕も脚光を浴びた。『認識と関心』ではフロイトを社会批判 の観点から読み直す作業も行われているが、この問題はやがて影を潜める。それは70年 代前半におけるいわゆる「言語論的転回」とも関連する。 -2- これ以降関心は、啓蒙と近代、その過程でのコミュニケーションの役割の分析に向かう。 それまでは戦後社会とそれを支える既存の学問への批判という点ではホルクハイマーやア ドルノ以上の激しさがあったが、戦後のデモクラシーの一定の成果を背景に、ウェーバー の近代化論、ピアジェの認知心理学、パーソンズの行為論、オースティン、サールの発話 行為論の統合による新たなデモクラシー論の構築に向かう。その成果が 1981 年の『コミュ ニケーション的行為の理論』である。近代における理性の分化は肯定的に評価され、近代 化に伴うシステムと生活世界の切断、システムの複雑な内部分化、「生活世界の合理化」、 それに伴うコミュニケーション的行為の解放が論じられている。同時にシステムによる「生 活世界の植民地化」に警鐘が鳴らされている。かつては批判と反省がテーマの中心であっ たとすれば、ここでは合理性の進化と規範性の拡大が希望の泉である。1992 年の『事実性 と妥当性』では、この関心を更に民主主義国家における法秩序の問題と関わらせ、憲法制 定権力を支えるコミュニケーション的権力という発想から民主主義においては個人権のラ ディカルな擁護が絶対的に優先すること、そのためには公共圏の議論が機能することが不 可欠であることが論じられている。 こうした主要著作以外にもハーバーマスは様々なエッセイや論文を通じて、ナチスを産 んだ伝統を乗り越え、ドイツの知的生活を西側民主主義の世界に接続させることにも大い に寄与した。性急なドイツ統一に反対したのも政治的自由の領域に政治以前のカテゴリー であるネーションが介入する事への懐疑からである。また 1950 年代後半の実証主義論争以 来、様々な激しい論争をしてきたが、とりわけ重要なものとしては、60年代後半の学生 達との論争、そしてナチスの過去の解釈を巡って為された86年の歴史家論争がある。ま た85年の『近代の哲学的ディスクルス』においては、フーコーやデリダの近代観に論争 を挑んだが、ドイツの特殊な観点から近代化の成果を強調しすぎたきらいがあり、他方で 脱構築や系譜学の観点から西欧近代に根本的懐疑を突きつけるフーコーやデリダとはかみ 合わず不毛に終わった感は否めない。(岩波思想辞典「ハーバーマスス」より引用) -3- 【読書案内解答】 【1】ハーバーマスはなぜ「公共性」をテーマにしているのでしょう?(1章1節) 【引用】 P,11 L1 「『公的』とか『公共性』とかいう言葉の使い方をみると、それには幾多の競合する 語義が含まれていることがわかる。」 P,12 後 L,4「もっとも、マス・メディアの分野では、公開性の語義も変化してきた。ほんらい 世論の昨日であった公開性は、いまや世論の注目をひきつけるものの属性になって いる。 」 P,13 後 L,5「ギリシャの円熟した都市国家では、自由な市民たちに共同な(koinon)国家(Polis) の生活圏は、各個人に固有な(idion)家(Oikos)の生活圏から劃然と区分されて いる。公的生活(bois politikos)は市民の広場(agora)で演ぜられ、決して地域 に結びついたのもではない。」 P,13 後 L,8「それは(公共生活の圏のこと)、同じころ商品取引と社会的労働の領域として独自 の法則に従って確立された『市民社会』に特有な圏なのである。」 P,14 後 L,1「その(ギリシャ的公共性のこと)の根底にあった社会的形成体は滅びたが、イデ オロギー的範型そのものは、幾多の世紀をこえてその連続性を----すなわち精神 史的連続性を----維持してきたのである。」 P,15 L,6 「その後この公共世界の社会的基礎は、約一世紀前から、またしても解体過程に入 ってきた。今日、公共世界の崩壊傾向は、まぎれもなく現れている。それの生活圏 が巨大になっていくにつれて、それの昨日はいよいよ無力になりつつある。それに しても、公共性は相変わらず、われわれの政治的秩序の組織原理であることに変わ りはない。」 【解答】 「今日、公共世界の崩壊傾向は、まぎれもなく現れている。(P,16)」と述べられているよう に、この著書におけるハーバマスの問題意識は、公共生活圏が崩壊傾向にあるという点で ある。公共性とは、もともとギリシャにおいて、市民たちの対等で自由な共同の場である ポリスをモデルとして受け継がれたものだ。ギリシャの都市国家では、私的生活圏である 「家」と公共生活圏である「国家」が明確に区別され、家は生命維持のための場であり、 国家は市民たちが対等に政治に参加できる場であった。このようなギリシャの都市国家に すでに存在していた公共性をもとに、イギリス、フランス、ドイツと順に公共性が誕生し ていったのである。しかし、ギリシャにおいては私的領域は経済のみが関わっていたのに 対して、政治的側面が関わるようになり、私的領域における自由が広がった。このように、 -4- 公共性の持つ意味が広がり、多義的になるにつれて、国家と社会とをつなぐ公共性の持つ 役割が変化していった。これが、公共性が崩壊傾向へ進んだ原因である。そして、ハーバ マスがこん公共性をテーマとして取り上げた理由は、 「それにしても、公共性は相変わらず、 われわれの政治的秩序の組織原理であることに変わりはない。(P15)」とあるように、 公共性が民主主義の組織原理であり、民主主義を形成する核であるために、公共性をもう 一度見直すことで、真の民主主義社会を再構築するためなのである。 【2】代表的具現の公共性とは何でしょうか?(1章2節、3節) <引用> P16L3「・・・むしろ古代的(近代的)なモデルによる公共世界と私生活圏との間の対立が中 世には存在しなかったことを、はしなくも証拠立てる結果になっている。 」 P16L10「・・・私人がいわばそこから公共世界の中へ立ち現れてくることができるような、私 法的に確定された身分というものは、存在していなかった。 」 P17L10「・・・個別(das Sundere)、保有分(die Freiung)は一般に領主制の、ひいては同時に 「公的なもの」の核心をなすものである。」 P17L 後 3「 『公衆的』という語が、一方では『共通のもの』 、すなわち『万人が(公共的に)立 ち入ることができる』ことを意味し、他方では、特別の権利すなわち領主権や一般に(公 けの)位階から閉めだされていることを意味する・・・」 P18L6「支配権の公的表現というものが存するからである。この表現的公共性は、公共生活圏 という一つの社会的領域として成立しているものではなく、むしろ(この用語を転用して よいなら)いわば社会的地位の徴表なのである。」 P18L8「領主の社会的地位はどの位階においても、それ自体としては、 『公的』と『私的』とい う基準からみて中性的なものであるが、この地位の保有者は、この地位を公的に表現する。 すなわち彼は、なんらかの程度において『高位』の権力を代表的に具現する者として姿を あらわし、これを表現する。」 <解答> 私たちは、 「共有」 (公的) ・ 「個別」の区別を、相反するものとしてとらえがちであるが、 中世ヨーロッパにおいては、「個別」は、同時に「公的なもの」を意味していた。中世にお いては、近代的な意味での公共生活圏と私生活圏の対立・分割は見られない。しかし、こ の著作の主題である「公共性」は存在していたのである。 君主などの高位の権力を持つ者達が、自己の権力を人々に表現する。君主たちは、支配 権・社会的地位といった権力の高さを具現する高位の者として、人々に何らかの代理とし -5- 「彼らの支配権を人民のためにではなく、 てではなく、自分の存在自身を表現するのである。 人民『の前で』具現するのである。」 (P19) 権威を具現することで権威となりうるのであ るため、彼らは宮廷や公の場のみならずとも、世俗の場においても君主として、貴族とし てそれにふさわしい礼儀に則って振舞うことが求められた。それは、位章・風貌・挙措・ 話法といったものであり、また当時権力の象徴であった教会では、ミサと聖書の読誦がラ テン語であるなど、一般民衆にとっては高貴と形容されうる存在様式であった。 国王、領主、神父、貴侯といった高い位の人々のみが、具現することを許され、それ以 外の人々はただの人民・私人として公共世界の中へ立ち入ることを許されてはいなかった。 このような代表的な具現の下で、人民は特定の地位をもたない排除された身分であるのと 同時に、代表的具現を公的たらしめる要因、すなわち公共性の構成員となる。こうして、 人民の前で具現する公的な側面と、私的な側面が混合している公共性−代表的具現の公共 性−が成り立っていたのである。 中世が後半になるにつれ、代表的具現の公共性もまた次第に変わっていく。君主、貴族 たちは具現する力を次第に失い、その具現性は公的な領域から私的なものへと変容し、上 流社会という生活圏を形作っていった。また宗教改革の影響により、宗教も以前の教会を 中心とした代表的具現性を私的なものへと変えていった。代表的具現の公共性は国王のも とにあつまり、より強大なものとなって「私事」(privatwesen)に対する「公権力」 (官僚制 や軍隊)が形成されていく。公権力の受け手として、「公衆」が形成される。これまでは、 宮廷や教会などで単なる「観衆」でしかなかった人民が、工業化の発展に伴い従来の私的 経済活動に代わって各家庭を超えたものに目を向けるようになり、「一般性」を形作ってい く。公権力と、それに対する公衆、一見どちらも「公的」と形容されるもののように思わ れるが、公衆の誕生とは「公共的意義を帯びてきた私有圏」の誕生を意味するのである。 こうして代表的具現の公共性が崩れ、近代的な文脈における私的生活圏と公共生活圏に別 れていくのである。 【3】文芸的公共性と政治的公共性を対比しつつ市民的公共性を説明して下さい。 ヒント:新聞、サロン、討議 (2章) 解答 17 世紀から 18 世紀にかけての宮廷文化の衰退とともに発展してきたのは都市における サロンや喫茶店であった。かつて宮殿で行われてきた貴族の社交とは違い、「サロンの中で は、知性はもはや庇護者への奉仕ではなくなり、 「意見」は経済的従属関係の拘束から解放」 -6- 1 されていたのである。そこでは、三つの特徴が挙げられる。それは社会的地位の平等性、 文化の商品転化とその討論可能性、そして公衆の非閉鎖性2である。 まず社会的地位の平等性とは、趣味や関心が各自異なっていたとしてもその討論が持続 的に行われるという点で平等性が形成された。そこでは社会的ヒエラルヒーや経済的従属 関係も無効とされ、 「単に人間的なもの」として意思疎通をはかるというものである。次に、 文化の商品転化とその討論可能性とは、かつて市民が問題としなかったものを問題として 取り上げるという意味がある。というのは、かつて宮廷的な文化として貴族や上流階級に 独占されていたものが料金を支払うことによって経験することができる文化へと変化した。 つまり文化が商品と成り代わったのである。その結果、その文化を体験する市民は自由に それについての感想や批判を明言し、討論することができるようになったのである。最後 の公衆の非閉鎖性とは、上で示した流れからも明らかなように、平等な市民が商品化され た文化を経験するには財産と教養さえあればその門戸は閉じられることはない。開かれた 施設であるサロンと喫茶店において経済や階級のしがらみのない自由な討論が可能になっ たのである。次にこのような特徴を音楽という具体例で見てみよう。 音楽はかつて教会や貴族のために捧げられており、それは「礼拝の敬虔さと厳粛さに 奉仕し、宮廷の祝賀会の壮重さに奉仕し、一般に晴れの儀式に輝きをそえるもの」3であっ た。宮廷社交界の衰退とともに社会に出てきた音楽は料金さえ払えば(文化の商品化)だ れでもたしなむことができた(地位の平等性と非閉鎖性) 。つまり、音楽は「愛好者の公衆 には、財産と教養さえあれば、だれでも加入することができた。芸術は、社会的具現の機 能から解除されて、自由な選好と移り替る好尚の対象」4となったのである。 このように、商品化された文化はその財産を所有する市民であればだれでも触れること ができるようになり、その個人がその芸術や文化に対して意見を持つことができるように なった。このようなサロンや喫茶店での芸術や文化に対する自由な論議や批評は、文芸的 公共性として狭義の社会圏を形成したのである。 このような公共施設への主体的な進出は私生活圏にはどのような影響があったのだろう か。文芸的公共性は私的領域である家族にも影響した。それは家における家族の交流の場 「私生活圏 である居間の縮小と、それに対比して拡大した応接間の出現である5。その結果、 と公共圏との間の境界線は、家のただ中を横切ることになる。私人たちは彼らの居間の親 1 2 3 4 5 『公共性の構造転換』p53 『公共性の構造転換』p56 『公共性の構造転換』p60 『公共性の構造転換』p60 『公共性の構造転換』p66 -7- 密性の中から、客間の公共性の中へ歩み出る」6ようになったのである。 このような私生活圏の内部では、人間としての「人間」と「財産主としての市民」とい う二つの異なる側面が相反並存している。人間としての人間とは著書の中の手紙の例から もわかるように感情をあらわにし、芸術や文化に通じる人間である。彼らが芸術や文化の 中に見たものは自己の投影であった。つまりこのような私生活圏の特に親密圏で行われて いた自己理解は公共の場へと移行されたのである。だからこそ、公衆が喫茶店やサロンに 足を運ぶ真の理由は芸術や文化を投影して自己を明らかにすることであった。そこには自 己を明らかとさせ、自分の位置を知るための鏡が存在するからである。だから「公衆の圏 は、広範な市民階級の層においては、小家族的親密圏の拡張として、且つ同時にその補完 として、発生した」7のである。そしてその帰結は、公共的空間において私的な問題を取り 扱うという現象であった。 このように発生した公共圏では、「財産主としての市民」としても社会での共同の利益を どのように保護するかという問題が議論された。この点はポリスにおける公共性との明確 な違いである。それは共同の利益の保護という政治的課題が「私的であることともに論争 的な性格をそなえている。公共性のギリシャ的モデルには、この二つの特徴が欠けている。」 8 なぜならポリスでは私的な問題は公的な領域に出ることはなく、また自国政府への反抗な どは決してなかったからである。 この「財産主としての市民」は、文芸的公共性を通して現政治体制への批評を行う。こ の論議は次第に普遍的な価値を帯びてくる。なぜなら文芸的公共性で示した特徴である平 等性や自由な議論によって公論は共通理解として公衆に浸透していったからである。つま り、政治に関する論議は私生活圏から文芸的公共性を経て、その内部から生まれたのであ る。これが政治的公共性となって政治への影響力を次第に強めていくのである。 【4】 「イデオロギーというのは、 そもそもこの時代以降によってはじめて存在する(p119)」 とはどういう事でしょうか?(3章) 【引用】 p13「公共生活の領域は、私生活の領域に対立している。」 p48「国家と社会の間の緊張場面で公共性がはっきりと政治的機能をひきうけるようになる前に、 小家族的な親密領域から起こった主体性は、いわばそれ自身の公衆ともいうべきものを形成する。 公権力の公共性が私人たちの政治的論議の的になり、それが結局は公権力から全く奪取されるよ 6 7 8 『公共性の構造転換』p66 『公共性の構造転換』p71 『公共性の構造転換』p73 -8- うになる前にも、公権力の公共性の傘の下で非政治的形態の公共性が形成される。」 p50 p110 p148「立法そのものは、 『理性から由来する人民の意志』を根拠にする。なぜなら法律は経済的 には、論議する公衆の『公共的合意』の中にその根源を持っているからである。それゆえにカン トは法律を、風俗習慣のように非人間的に妥当性を要求する私的自律から区別して、公共的法律 ともよんでいる。『ところで公共的法律とは、万人に法的に許されていること、許されていない こと、万人にとって規定する法律であって、それはすべての権利の出発点であり、何ぴとも侵害 し得ない公共的意志の作用である。そして全人民の意志(すなわち、万人が万人について、すな わち各人が自分自身について決議する意志)以外のいかなる意志も、この作用をおこないえな い』 。」 p149「カントは論議者相互の間の公共的合意に、実際的な心理裁決の機能を認めていた。『し てみれば、説得によるにせよ、真理と信ずることの試金石は、外面的にはそれを人に伝えて万人 の理性の合意が得られるとみなしうるかどうかという点にある』。ここでは、先見的意識の叡知 的統一に対応して、すべての経験的意識の、公共性の中で達成される合意があげられている。 」 p159「カントにおいて『公共の合意』 、ヘーゲルにおいて『公論』とよばれるものは、議論する 私人たちがつくる公衆の中で成立する意見である。『多数者の見解や思想の経験的普遍性』がそ こで表明されるのである。 」 p174「公衆の範囲は、はじめは非公式的に新聞や宣伝によって、拡大されていく。その社会的 閉鎖性が薄れるにつれて、公衆は社会の諸制度や比較的高い教養水準による連携も失っていく。 これまで私生活の圏内におさえこまれていた葛藤が、いまや公共性の中へ溢出してくる。市場の 自動調整からは満足を期待しえない集団的欲求は、国家の側からの統制を志向するようになる。 これらの諸要求を今や媒介せざるをえなくなった公共性は、暴力的対決という荒々しい形態をと った利害競争の場となる。 」 p208「『労働の世界』は―従業員や労働者の意識においても、もっと広汎は職権をもつ人々の意 識においても―私的領域と公的領域の間の独自の次元の圏として確立されるようになっている。 もちろんこの発展は、生産手段の所有者の自律を形式的に維持しながら、実質的にはその私的性 格を奪うという過程にももとづいている。」 【解答】 ハーバーマスの言う「イデオロギー」が現れる前、私的領域と公権力の領域の間には、 それぞれの領域を明確に分ける線引きがなされていた(p49 参照)。この線引きは社会と国 家の区別でもあった。私的領域(社会)と公権力(国家)の明確な区別の上には、双方を 結びつける役割を担っている場が存在していた。これが文芸的公共性と政治的公共性であ る。サロンやクラブ、新聞の創設により、私人が公衆として公共性について論じる機会が 充実していったことがこれらの公共性が構築された要因である。私人が集まってたわいも ない話をする合間の国家への要望や意見を述べる場が、公共性として成り立っていったの -9- だ。 また、私的領域(社会)私的領域(社会)においては家庭の成立、労働など公衆の私的 な生活が行われ、その中で完結していた。また、公権力においても、サロンや新聞などの 世論を立法時の証拠とするなど、公衆がいわば監査人の役目を果たすと共に、公衆の要望 に基づいた国家統制を行っていた。お互いを結びつける文芸的公共性・政治的公共性が機 能し、社会と国家はそれぞれに自律的また、対立的に存在していたのである。 【5】「公論」の変遷について、以下の括弧の中から1人ずつ計4名を 用いて説明して下さい。 {ホッブス、ロック、ルソー}{カント} {ヘーゲル、マルクス}{ミル、トックヴィル} (4章) 【引用】 p.130 l.7 「ホッブズが宗教的信念の価値を格下げにしたことは、実は私的信念一般の格上げに通ずるも のだったのである。」 p.131 l.5 「「意見の法」は、決して公論の法とは理解されていないのである。なぜなら、その「意見」 は公共の討論の中で成立するものではなく(それはむしろ、 「ひそかな沈黙の同意によって」その拘束力を えるのである)、またそれはなんらかの仕方で国家の法律に適用されるものでもない。なぜならそれは、 「法 律を作る権威のない私人たちの合意」にもとづくものだからである。」 p.132 l.9 「事実上は、その一年前に、ひとりの著者がはじめて「公論」という言葉を取り上げていた。 すなわちルソーが彼の有名な芸術学問論においてこの語を使っていたのである。彼はこの新しい合成語を、 まだ「意見」という語の古い意味で用いている。」 p.134 l.6 「論議する公衆の意見は、もはや単なる意見ではなく、単なる「傾向」から生ずるものではな く、むしろ「公共の事情」についての私的な反省とその公共的な討論とから発現するものなのである。」 p.138 l.2 「「一般意志」は、論議の合意よりも心胸の共鳴なのである。法律が土着の風土に適合してい るような社会こそ、もっともよく統治された社会である。」 p.143 l.9 「すなわち公論は、道徳の名において政治を理性化しようとするものなのである。」 p.145 l.1 「彼は「公開性」が法秩序の原理であるとともに、啓蒙の方法でもあるということを把握する。 」 p.146 l.7 「理性は「公的に語る資格を有しなければならない。なぜなら(さもないと)真理が明るみに 出なくなるからである」。」 p.148 l.18 「人民主権の原理は理性の公共的使用を前提条件としてのみ実現されうる」 p.159 l.12 「カントにおいて「公共の合意」、ヘーゲルにおいて「公論」とよばれるものは、論議する私 人たちがつくる公衆の中で成立する意見である。」 p.160 l.1 「すなわちヘーゲルは、「個々人が、一般の関心事について思い思いの判断、意見、方策を考 え表明できるという形式的な主観的自由は、公論とよばれる集合の中で現象する」と述べている。」 - 10 - p.160 l.18 「けれども、この欲求の体系の無政府的で且つ絶対的な性格を洞察するに及んで、ヘーゲル は公論を文字通りの理性とみなす自己理解の典拠たる自由主義の擬制を、決定的に破壊するようになるの である。」 p.163 l.14 「こうして公論は私見の圏内へ追いかえされる。」 p.166 l.13 「マルクスは公論を虚偽意識として弾劾する。」 p.176 l.1 「選挙制度改革は、一九世紀の主題である。それは公衆の拡張であり、もはや一八世紀にみら れたような、公開性の原理そのものではない。」 P.176 l.6 「なぜなら公衆の拡張にともなって公共性の圏内へ流れこんでくる敵対的利害関係は、和解さ れることなく、分裂した公論の中でそれぞれの代表を調達し、そしてそのつどの支配的見解という形で公 論を一種の強制権力に転化させるからである。 (かつては公論こそあらゆる種類の強制を、ただひとつ必然 的洞察による強制へ、解消するはずであったのに)。」 p.179 l.9 「政治的機能をもつ公共性は、もはや権力解消の理念をかかげず、むしろ権力配分という目的 に奉仕すべきである。こうして公論は、単なる暴力制御にすぎなくなる。」 p.180 l.4 「これによると、大衆の情念に感染した公論は、物質的に独立な市民たちの権威ある洞察によ って浄化される必要がある。新聞は啓蒙の要具であるが、これだけでは不十分である。」 p.182 l.8 「政府は市民たちから、思考することの負担と生活することの苦労をすっかり免除してやれな いものか、と考えている。」 【解答】 公論は、市民的公共性の自己理解をもたらす。しかし「公論」の理念は、めざしたよう には実現しなかった。ここではその公論の変遷を追うこととする。 イギリスの思想家であるホッブズそしてロックにとって、公論そのものはあまり重要で はなかった。というよりもむしろ、「公論」が公共性を帯びたものではなかったのである。 ホッブズは宗教的内乱の経験より、宗教を私事として「意見」の圏内へ落とし込んだ。さ らにはその中に、個人の判断にしか過ぎないとして、「良心」も「意見」の中へ組み込んで しまった。 (しかしこのことが逆に「私的信念一般の格上げに通ずるもの」9となったのであ 「意見 るが。)一方ロックは、 「美徳と道徳の基準」 (measure of virtue and vice)10として、 の法」 (Law of Opinion)を述べ、神の法そして国家の法と同格のものとして並べた。すな わち、人々の習慣は国家や教会の圧迫として行われる検閲よりも有効的なものだ、という のである。11しかしここで述べられている「意見の法」は、公共的な討論によって成立する ものではなかった。むしろそれは習慣あるいは常識として人々の間で共有されているもの 9 ユルゲン・ハーバマス『公共性の構造転換』細谷貞雄・山田正行訳 引用 10 『公共性の構造転換』p.130 l.16 引用 11 『公共性の構造転換』p.130-p.131 参照 - 11 - 未来社 p.130 l.8 であり、「法律を作る権威のない私人たち」12によって支えられているからである。 さて、同じ頃のフランスでは、「公論」という言葉を始めてルソーが取り上げた。しかし ここでもその意味は「意見」という形で使われていた。13そしてハーバマスはルソーの考え を《非公共的意見の民主主義》14として批判している。なぜか。ルソーの説く社会契約では、 人々は全ての諸権利を無条件に委譲することで、社会の「市民」としての地位を得る。そ してその全体としての「一般意志」によって保護されるというのである。ここでいう「一 般意志」は公共的な討論ではなく「心胸の共鳴」(すなわち習慣や風俗)であり、これらに よって法律が作られている社会をよく統治された社会であるとしている。15しかしルソーは あえて「公論」と述べた。ルソーが理想とする直接民主主義は、主権者の現実的具現を必 要とする。そのヒントを彼はギリシアのポリスから得ており、国の基盤として市民が集ま る「公共の広場」が必要であった。そこから彼は、「公共性」を付与したのである。 ドイツではカントによって「公論」という概念より先に、市民的公共性の理念が完成し た。カントは人々を啓蒙、すなわち未成年状態から解放させ、理性を公共的に用いること で理想の社会を作ろうとした。啓蒙された人々は、みずからの頭で考え、さらにその考え を公の場で発表する。すなわち「公開性」である。 しかしカントの意味する公衆は、「私有財産の所有者たちだけであ」16った。この点をヘ ーゲルとマルクスは批判している。すなわち、私有財産所有者のみが討論している利害関 心を普遍的なこととみなすことはできず、それは特殊な利害であるというのである。17そこ でヘーゲルはその解決策を身分議会の中に見出そうとした。18しかしマルクスは、ヘーゲル のこの解決を、個人の私生活圏を再び狭い範囲に押し戻すものであると考えた。そもそも マルクスは、市民的公共性そのものを破壊してしまった。そして彼は、社会主義の中に解 決を見るのである。 ミル、そしてトックヴィルの時代になると、 「大衆」が現れるようになった。すなわちそ れまでの公衆は社会的ヒエラルキーに拠っていたが、大衆となると「手工業労働階級や財 産と教育のない」19人々(すなわちカントによって私人たちの公衆から排除された人々)も 含まれることになる。選挙制の改正は公開性の原理ではなく、ただの公衆の拡大にすぎな い。それにともない公論も拡散していった。ゆえに、もともと「あらゆる種類の強制を、 ただひとつ必然的洞察による強制へ、解消するはずであった」20公論が、その「支配は凡庸 12 13 14 15 16 17 18 19 20 『公共性の構造転換』p.131 l.8 引用 『公共性の構造転換』p.132 参照 『公共性の構造転換』p.xxix 引用 『公共性の構造転換』p.138 参照 『公共性の構造転換』p.151 引用 『公共性の構造転換』p.161 参照 『公共性の構造転換』p.162 参照 『公共性の構造転換』p.175 引用 『公共性の構造転換』p.176 引用 - 12 - な多数者の支配という姿で現れる」21ことになったのである。この時点では、既に市民的公 共性は失われており、政治的公共性へと変わってしまった。そこでミルは、「代議制統治」 の理論を掲げる。既に公論は一つの統一された形にはなりえない。また、階級の水平化に よって有産階級、貴族などの区別がなくなってしまった。しかし公共性の原理を主張しよ うとするならば、大衆によって選ばれる代表者によって公衆を形成する必要がある、とい うのである。そしてミルは、この「代議制統治」に希望を抱くのである。同様にトックヴ ィルも、ミルの論に賛成を示す。22 【6】市民的公共性の崩壊について簡単にまとめて下さい。(5章) 市民的公共性の構造変化は、結果として、「公衆は、全く権力行使と権力均衡の過程の埒 外に立たされているので、公共性の原理によってこの過程を理性化するというようなこと は、保証はおろか要求さえされることもできない」23という事態をもたらす。かつては、公 衆として集まった私人たちが、公権力による既存の支配の原理に挑戦し批判するのが市民 的公共性における公論であった。 「生活の再生産を私的家権の枠外の公共的関心事へと引き 上げたのであるから、不断の行政的接触のおこなわれる地帯は、議論する公衆の批判を挑 発するという意味においても、ひとつの「批判的」な危険地帯となる」24。公権力の公的領 域と私人(民間)の私的領域の接点は緊張を孕み、それらを媒介するものが公共性である はずだった。この二つの領域の関係に変化が生じたのが19世紀最後の四半世紀である。 この時代、資本主義の発展によって自由主義の時代は終わりを告げ、資本の集中と大企 業による寡占が始まる。 「自由貿易」の名の下に、社会的権力は特定の私人に集中するので ある。 「市民社会は権力の面で中立化された圏」25であるはずなのに、実際には、社会は「単 21 22 23 24 25 『公共性の構造転換』p.176 引用 『公共性の構造転換』p.180 参照 ハーバーマス『公共性の構造転換』P236 ハーバーマス『公共性の構造転換』P36 ハーバーマス『公共性の構造転換』P200 - 13 - なる強制体系」だと言うことに誰しもが気づきだした。一方では、新たな市場獲得のため に強力な国家権力が求められるようになり、また一方では、経済的に弱い立場にある人々 が、市場において有利である人々に対して政治的手段で対抗しようとする。市民社会にお いて、公衆は集結し、公共性が国家機関として万人が参加できる制度となったからだ。こ れによって国家の側は「干渉主義」を強化する。これまで国家が果たしてきた役割であっ た警察、司法、租税政策あるいは軍事力による外交政策に加え、経済的に弱い立場にある 社会集団に対する保護、補償、調停、さらに中産階級育成計画など社会構造の計画的制御、 市場においては公共投資の規制や民間投資への影響力行使と総経済循環の統制と均衡保持 という新たに賦与された課題が持ち上がってくる。 このような国家の「干渉主義」あるいは「福祉国家」化のもとでは、私人たちの生活圏、 社会的領域にも変化が生じる。「干渉政策の保護下にある社会的領域は、ただ国家的規制下 にあるだけの私的領域からははっきり区別されなくてはならない」26。なぜなら、「私的生 産に公共的経費がともなうだけでなく、広汎な大衆の購買力がますにつれて、私的消費の 公共的経費も発生」27するからであり、そうである以上、私的領域は権力の側にとっても公 的重要性を持つことになる。「私的制度のものも、今や半ば公的な性格を帯びてくる」28と いうわけだ。私的生活圏は、公権力から独立したその自律の基盤を失うことになる。「国家 の社会化と社会の国家化」、その結果として新しく再政治化された圏は、「純粋に私的な圏 として理解することも、生粋の公共的な圏として理解することもできない」29。 社会と国家とが浸透し合うと、市民的公共性がその基盤を置いた小家族的生活圏におけ る再生産過程をも脅かされる。かつての私人たちは、彼らの職業と家族の中で私生活を営 26 27 28 29 ハーバーマス『公共性の構造転換』P204 ハーバーマス『公共性の構造転換』P203 ハーバーマス『公共性の構造転換』P204 ハーバーマス『公共性の構造転換』P207 - 14 - んでいた。生活の必要を私生活圏で引き受けることで、彼らはその自立性を保つことがで きた。ところが、「形式的に見れば企業は私的領域に属し、官庁は公的領域に属す」30とし ても、客観的には大経営下において施される労働者への身分保障、主観的には「勤務者」 として制度への拘束が労働の質を変化させる。 「生活の必要」のための労働は、私的生活圏 から公的な色合いを持つようになる。家庭は職業から解放された唯一の私生活の保留分と みなされ、肥大する公的領域(いまや新しい社会圏と呼ばねばならないが)に対して親密 圏(家庭の中の生活圏)はますます隅に追いやられる。しかし、事態はそれだけに留まら ないのだ。労働という私的領域の自立性を失った家庭は、 「資本形成の機能を失うとともに、 次第に養育と教育、保護と補導の基本的な伝統と人生案内の機能をも失うことになる」31。 もはや「私的な留保領域である家庭も、その地位の公的保障によって、或る意味で私的性 格を奪われる」ことにさえなる。家庭は労働に対する留保分として、 「所得とレジャーの消 費者、公的に保障された補償や生活補助の受給者」32という地位に貶められる。ハーバーマ スはこれを「小家族的消費共同体」33とまで言うのである。私人は公共的権威の影響に対し て、家庭ではレジャー場面の「個人」的役割という見せかけだけの親密性へと引きこもる が、「その内面性が実は(私有財産の処分権に基礎をおく自律をもち制度的に保証された) 内面性を奪われていくこと」(括弧内筆者補足。以下引用括弧内も同様)に気づかないのだ。 市民的公共性の原理とは、「(国家と社会という)二つの圏の分離を基盤としているが、 この原理的分離とは、はじめには、中世盛期の典型的支配形態の中で統合されていた、社 会的再生産と政治権力との連繁を分解することにほかならない」34。そして、「国家と社会 30 31 32 33 34 ハーバーマス『公共性の構造転換』P208 ハーバーマス『公共性の構造転換』P211 ハーバーマス『公共性の構造転換』同上 ハーバーマス『公共性の構造転換』同上 ハーバーマス『公共性の構造転換』P197 - 15 - の間の緊張関係」35においてその機能を発揮するのだ。しかし、この時代にみられたのは「社 会の国有化が進むとともに国家の社会化が貫徹するという弁証法」36であり、これが市民的 公共性の基礎であるべき国家と社会との分離を揺るがした。かつては国家と社会とを媒介 した市民的公共性。だが、その「媒介機能は公衆の手を離れ、たとえば団体のように私生 活圏から形成され、あるいは政党のように公共性の中から形成されてきて、今や国家装置 との共働の中で部内的に権力行使と権力均衡を運営する諸機関の手に渡ってゆく」37。公権 力に対する批判的監視としての公開性は、これらの機関がマスメディアを駆使して、制度 に隷属化された公衆の同意と信用を取り付けるために上から展開される(このことについ ては問七で述べられることになる) 。これらは、上で述べたように、資本主義の発達と資本 の増大・集中にともなって私的利害が公共性に侵入したことによるのだ。公権力と生活圏 との接点で展開されるのは、支配への批判的監視ではくて、私的な利益の取り合いである。 支配せず、ただ自立した公衆たちによって中立を原理とされてきた市民的公共性は、つい に権力を握る。公共性を国家機関として統制した選挙制度を責めるべきであろうか。ある いは、自由主義時代に公衆を集結させ万人が参加することができる基盤を作った市民的公 共性そのものが、すでにそう運命づけられていたのであろうか。いずれにせよ、公共性の 理念と普遍性は、イデオロギーに変貌した。もはや公衆は、公権力から与えられるままの 公開性を受け取るしかない。 【7】マスメディアが公論に与える影響について述べて下さい。(6章) 【出題者の考える重要ポイント】 ・ 35 36 37 元来のマスメディアは公論生成の補助的役割を果たしていた。 ハーバーマス『公共性の構造転換』同上 ハーバーマス『公共性の構造転換』P198 ハーバーマス『公共性の構造転換』P233 - 16 - ・ 私的利害が公共性へ転化されると、マスメディアは公共性の名で私的利害を広めた。 ・ 産業社会の発達と共にマスメディアは広告的性格を帯びるようになった。 ・ もはやそれは公論生成ではなく、世論を生成するだけである。 ・ 従ってマスメディアはハーバーマスの目指す理性主体同士の自由な討議を妨げている。 【解答】 ハーバーマスのマス・メディアに対する問題意識は以下の文を見れば明確に感じ取る事 が出来る。「それ以前には新聞は、公衆として集合する私人達の議論を仲介し助成すること が出来るだけであったのに、今や公衆の議論は逆にマスメディアによって初めて形成され ることになる38」。 今日我々を取り巻いているマスメディアとはもともと、情報伝達を主な目的とする新聞 から始まった。この新聞は公衆が文芸的あるいは政治的な議論を行うための補助的な役割 を果たすにすぎないものだった。なぜなら議論に必要な最新情報や、各立場に立った意見 を新聞が伝え、公衆がそれを参考にして批判的に公論を形成していたからだ。しかし、社 会圏の成立と共に事態は変化していく。「民間文筆家のジャーナリズムからマス・メディア の公共サービスに向かう途中で公共性の圏は私的利害の流入によって変化する。その際こ れらの私的利害はもはや決して直ちに公衆としての私人達の利害を代表するわけではない のに、公共圏内で特権的に堅持されることになる39」。とハーバーマスが述べているように、 国家権力(専制君主)との対立を忘れ、公的領域に私的利害を持ち込んだ民間マスメディ アは各自の私的利益に基づいて、公衆に対して訴えかけるようになる。そしてまた、それ はその頃急速に発展していた経済消費システムと相まって広告的性格を帯びてくる。それ をハーバーマスは次のような言葉で表現している。 「これまでの宣伝は大体に置いて広告手 段に限られていた。ところが、意見育成は促進や開発の手法を採って単なる広告の域を超 え出て行く。それはニュースを計画的に造成したり、人目をひく行事に便乗したりして「世 論」の形成過程に介入してくる40」。つまり、公論を生成するための一材料にすぎなかった マスメディアは、もはやこれなしには人々は意見を形成出来ない程までに下克上を果たし たのである。もうこの段階になってしまえば理性的討議などは忘却され、それは公論では なく単なる世論となる。ただ盲目的に合意させられ、公共性の名をかたる私的利害だけが 残る。 「虚構の公益という旗印の下で手の込んだ意見造形事業によって作り出された合意に 38 ハーバーマス 『公共性の構造転換』 細谷貞雄・山田正行訳、未来社、1994 年、 256 頁 39 ハーバーマス 『公共性の構造転換』 257 頁 40 ハーバーマス 『公共性の構造転換』 261 頁 - 17 - は、そもそも合理性の基準が書けている41」とハーバーマスが言うのはそのような理性的な 討議なしに、ただマスメディアによって何となく形成される形ばかりの消費的な公共性(世 論)に対しての怒りなのである。また彼が「公共性は『作り出される』必要がある。それ は自ずから『存在する』ものではない42」という時、いかに現代の公共性が、ただ一部の私 的利害に導かれた形式的なものであるかを暴露してくれる。 まとめると、本来自由で理性的な討議に基づいた公論を形成するために有効であったマ スメディアは、今は逆に私的関心に縛られただ大衆を扇動し世論を形成させる広告塔に堕 落し、逆に公衆を神話の世界に閉じこめてしまう存在となってしまったということである。 【8】現在の政治体制(議会や投票など)をハーバーマスはどう評価していますか? (6章、7章) 【出題者の考える重要ポイント】 ・ 私的利害が公共性の名をかたるようになった ・ もはや政治は理性ではなく、イメージに支配されている ・ 討議はなくなり、投票だけが政治的行為として残る ・ 感性的有権者は選挙マネージャーによってマーケティングされ公共性に取り込まれる ・ もはやこの民主主義は公共性という魂を失った形式民主主義と言わざるをえいない 【解答】 先の問題で述べたようにハーバーマスは本来、あるべき理性的討論ならびに合意に基づ く民主主義を破壊し、隠蔽する存在としてのマスメディアを徹底的に糾弾した。そして彼 はさらにその批判の矛先を現行の政治体制に向けていく。 「こうして民間団体は、事実上、市民社会的結社の制限を突き破っている。その公然た る目標は、多数個人の私的利害を協働の公益へ転化させ、団体の利害をある普遍的利害と してもっともらしく代表し堅持することにある43」。政治圏には以前のように私的利害から 自由な公衆が参加するのではなく、完全に利害関係にとらわれた私人達が参加する44。そう 41 42 43 44 ハーバーマス 『公共性の構造転換』 263 頁 ハーバーマス 『公共性の構造転換』 269 頁 ハーバーマス 『公共性の構造転換』 268 頁 ハンナ・アレントの言葉で言い換えるなら、労働と仕事から解放された人間のみが公的 - 18 - なると各人は自分の利害をいかに公共性にすり替えるかという事に専心するようになる。 例を考えると分かりやすいだろう。例えば(株)トヨタ自動車のエコカー「プリウス」には政 府(公的機関)から莫大な援助金が払われている。トヨタ自動車がハイブリット世界戦略 促進によって莫大な私的利益を得るにもかかわらず、この優遇制度によってプリウスはあ たかも普遍的公共善を為しているかのようである。しかし例えば(株)マツダが開発する水素 ローターリーや慶應義塾大学環境情報学部を中心に開発が進められる電気自動車という選 択肢も存在しており、技術的に見た場合それらの方がより環境に優しいとさえ言われてい る。にもかかわらずエコカー=ハイブリット車というようなイメージ(これはマスコミに よって助長される)が消費的公共性を獲得し他の選択肢を排除しているのだ。このような 例を見れば私的利害が消費的公共性にすりかえられるというハーバーマスの主張は理解で きよう。 さて、政治が完全に私人の利害関心の戦闘場になったことは分かったが、ハーバーマス の政治批判はこんなものでは終わらない。「公開性はその示威機能のために、批判的機能を 失う。論理さえもシンボルにすり替えられ、これに対してはもう論理によってではなく、 人物確認によって答えるより他はない45」と彼は続ける。彼が何を批判しているのかは現在 の選挙戦を考えればすぐに分かるだろう。候補者が繰り返すのはただの名前だけで、ただ のイメージである。有権者もまた、候補者の政策提言まで見ることなど殆ど無く、ただ握 手したからとか名前を知っているからというだけで投票する。先の参議院選挙では民主党 が躍進したが、それは政策内容どうのこうのではなく「不真面目な小泉」と「真面目で誠 実な岡田」というイメージの結果であった。このように政治は理性によってではなくもは や候補者の単なるイメージによって行われるようになった46。 このようなイメージによる民主主義に置いてはルソーらが展開した国家制度はまさに形 骸化されてしまう。なぜなら彼らが夢見た民主主義とは、 (理性を持った)万人による討議 の末に導き出された一般意志47に基づく支配である。ルソーらにとって投票とは「賛成討論 と反対討論との間で公開的に交わされた連続的な論争の最終的な行為48」であった。だが、 今や政治への参加は、討議ではなく一度きりの投票なのである。この投票に理性的根拠は 空間の活動に参加できたのが、近代社会になると仕事を併合した労働が公的空間を乗っ取 り、すべてを生命の必要に関連づけて社会を動かすようになったと言うことである。 45 ハーバーマス 『公共性の構造転換』 275 頁 46 ホルクハイマーとアドルノはこのような新たな理性の野蛮状態に対して、『啓蒙の弁証 法』の文化産業の章で痛烈な批判を展開している。彼らの念頭にはナチスに投票した大衆 への憤りがあったのだろう。 47 ルソーの政治理論の中心概念で、政治体を導く意志を意味する。ルソー 『社会契約論』 桑原武夫・前川貞次郎訳、岩波文庫、1954 年参考。 48 ハーバーマス 『公共性の構造転換』 281 頁 - 19 - なく、ただ単に候補者のイメージやその時の気分で行われるのである。なればこそ、この 投票という行為は現代社会における「消費」と同じ性質を帯びてくる。この政治領域に彷 徨う孤独な感性的消費者(有権者)は論理性を持っていない。「それにもかかわらず公論過 程に参加する資格の乏しいこれらの有権者層こそ、選挙マネージャーが目標とするグルー プなのである。どの政党も『まだ態度を決めていない』人々のプールから極力票をくみ上 げようと試みる。それも、啓蒙活動によってではなく、この社会層の中で特に広まってい る費政治的な消費者的態度への迎合によってである49」。感性的な行為(消費)は、文化産 業によって支配され、マーケティング50される。これと同様に今や有権者は選挙の参加資格 がただあるというだけで、選挙マネージャーによってマーケティングされる。選挙マネー ジャーが望むのは彼らの意見ではなく、形式としての彼らの投票なのである。 このような状況を見れば、現代の民主主義がいかに骨抜きにされているのかを伺い知る ことが出来たであろう。まとめとしてハーバーマスの以下の言葉を引用しておこう。「公共 性は、それ自身の理念によれば、その中で原理的に各人が同じ機会を持って各自の好みや 願望や主義を申告する権利を持ったと言うだけでは、民主主義の原理となったのではない。 この様なものはただの意見にすぎない。公共性はこれらの個人的意見が公衆の議論の中で 公共の意見、公論として成熟することが出来た限りでのみ実現され得たのである、51」。 さて、その後のハーバーマスの思想の軌跡について若干(膨大になるかも・・)の追記 をしておこうと思う。なぜならこの『公共性の構造転換』はハーバーマス初期の作品であ り、彼が次々と各界の巨匠達と論争をしては自己の思想を研磨していくのはこの後だから だ。 まずは、実証主義論争の頃のハーバーマスの思想を見てみよう。実証主義論争とは批判 理論のテオドール・アドルノと批判的合理主義のカール・ポパーとによって引き起こされ た社会科学の方法論的な論争であり、彼らは社会科学のあるべき姿を論じあった。ポパー は、科学的真理を科学者間の暫定的合意とみなし絶えず新たな真理を目指す科学的批判合 理主義の立場から、社会科学もこれに習う形で主観を一切排除して、暫定的合意としての 社会科学的真理を探求しなければならないと主張した。一方、マルクス左派の流れをくむ フランクフルト学派代表アドルノは、そのような主観を廃した社会科学を断固として拒否 49 ハーバーマス 『公共性の構造転換』 284 頁 このような支配の知としてのマーケティングや広告が大学で何の疑いもなく教えられ、 何の反省もなく繰り返されているのは由々しき問題である。ハーバーマスが痛烈に批判し ているのはまさにこのような知の暴力性であり、また知の隠蔽性なのである。 51 ハーバーマス 『公共性の構造転換』 288 頁 50 - 20 - する。アドルノは社会を一つの主体として学の対象とし、その社会自体がもつ方向性を問 題としなければならないと考える。つまり個人の認識(あるいはポパーの言う科学的真理) を方向付ける社会自体を問うこと無しに、それぞれの言明を真理として位置づける事は実 証主義への迎合であると彼は考えたのだ。さて、ハーバーマスはフランクフルト学派の陣 営からこの論争に参加した。彼はポパーが科学的言明を客観的に真理として棚上げするこ となく、研究者間の対話によって定めるとしたことを高く評価する。だがしかし、ハーバ ーマスはこのポパーが提出した研究者間の合意とは根本的に技術的関心52によって支配さ れているとする。すなわち、科学者達は仮説をうまく説明できるか否かという事にとらわ れてしまい、本来探求すべき社会真理へと到達することができないと彼は考えたのだった53。 ハーバーマスにとって敵視すべきは「抑圧された対話」である。すなわち技術にしろ、科 学にしろ、イデオロギーと化し自らの暴力を隠蔽し、理性化された個人を抑圧するものに 容赦するわけにはいかない。だからこそハーバーマスによれば社会科学は、民主主義の根 底たる理性者による対話を促すため、常に開かれたものでなければならないのである。 さて、続いてハーバーマス=ルーマン論争(システム論争)を見てみよう。ルーマンは アメリカの社会学者パーソンズの社会システム論をドイツに持ち帰り、自らの手で精密化 した社会システム論の巨人である。社会システム論とは、生物のように環境の中で自己保 存を行う自然制御システムとして社会を経験的な自然科学と同じような仕方で認識しよう とするものであり、このシステムの構成要素は機能主義54的側面から分析される。そしてル ーマンによれば社会システムを成り立たせているのは「意味」であるという。すなわちカ オス(複雑性)な世界に人間が「意味」を付与することによって社会システムが成り立っ ているというのだ。ではこの「意味」はいかにして形成されるのか。ルーマンは行為者の 主観から独立した「システム」によってと答える。ハーバーマスが攻撃を加えるのはまさ にこの点に対してであることはもう予想がつくであろう。つまりハーバーマスによれば意 味というものは、コミュニケーションによる対話という主観が入り交じった相互行為の形 式によって決定されるのである。ルーマンは意味を没主観的なシステムが規則的に作り出 すと考えたが、ハーバーマスによればそのように社会を没主観的な対話無き静的世界と捉 える事は、実証主義のもたらす暴力そのものであるのだった55。さて、このようにルーマン との論争を行ったハーバーマスであったが、この論争を通じて彼自身、思想的な大転回を 52 ハーバーマス 「認識と関心」 『イデオロギーとしての技術と科学』 長谷川宏訳、 平凡社、2000 年 参考。 53 この考え方はクーン『科学革命の構造』に登場するパラダイム理論に近いように感じら れる。 54 社会的な事象を他の事象や社会全体への貢献によって説明する立場。文化人類学ではマ リノフスキーやラドクリフ・ブラウンがこの立場を取っている。また社会学ではデュルケ ムにこのような発想がみられ、ジンメルの形式社会学ではよりその傾向が強い。 55 同様の批判が形式社会学者ジンメルにも多く寄せられている。 - 21 - 迎える。すなわち今までの超越論的反省社会哲学というマルクス主義的な枠から、脱却し 彼のオリジナルであるコミュニケーション理論へと向かうのである。つまりルーマンのシ ステム分析に変わるものをハーバーマスは提示する必要があったのである。そしてそれは、 ハーバーマスにおいてただ実証的に分析されるものではない、相互行為としてのコミュニ ケーションに他ならない。ではいかにこのコミュニケーションを取り扱っていけば良いの か。ハーバーマスはそのためにコミュニケーション的行為という概念を導入する。これは 自由で抑圧無き民主主義を成り立たせるための行為である。そしてこのコミュニケーショ ン的行為は真理性、正当性、真実性といった3つの妥当性を要求される。例を挙げてみよ う。鎌田ゼミにおいて私が「後期ウィトゲンシュタインをゼミでやろう」という時、1. 後期ウィトゲンシュタインの本が存在していて、実際にゼミで読むことが可能か?(真理 性) 2.ゼミで後期ウィトゲンシュタインを扱うのが妥当か?(正当性) 心から後期ウィトゲンシュタインをやろうと考えているか?(真実性) 3.国枝は という3つの問 題が生じる。ハーバーマスによればこの3つの領域の妥当性を持っている行為だけがコミ ュニケーション的行為と言うことになる。もし国枝にとってゼミ生を全員ウィトゲンシュ タイン教徒にすることが真の目的だったり、本当は存在しないのにその本を推薦していた りしたら、それは単なる戦略的行為であって、抑圧無き対話を成立させるためのコミュニ ケーション的行為ではないのである。従ってハーバーマスによれば社会科学は、自由で抑 圧無き理性社会を構成するために、コミュニケーション的行為の真理性、正当性、真実性 を常に探求していかねばならないのである。 そしてハーバーマスはさらに主著『コミュニケーション的行為の理論』の中で、このコ ミュニケーション理論の立場から合理性ならびに理性の意味の末直しを行う。ハーバーマ スによれば合理的(理性的)な態度とは、コミュニケーション的行為の真理性、正当性、 真実性といった3つの妥当性要求を常に他存在との対話によって批判的に見直していける ような状態である。これは独話的(モノローグ)な近代理性から対話的(ディアローグ) なコミュニケーション的合理性へのシフトであると言えよう。そしてこのような理性擁護 の立場からハーバーマスは、近代全体を否定しようとするポスト・モダンの思想家達と全 面戦争を開始する。論敵はハイデガー、ジャック・デリダ、ジョルジュ・バタイユ、ミッ シェル・フーコーらである。 ハイデガーはデカルト以降の近代哲学に対して、存在そのものを問うこと無しに存在者 を問うているとして、その態度が必然的に主観主義に陥り、意志の暴力性にとらわれるこ とを警告した。そして自己を世界内存在として了解することを提示した。だがハーバーマ スによればこのハイデガーの立場は、以前として独話的理性によって捕まえられているの である。すなわちハーバーマスは、ハイデガーが対象を支配する目的合理的な理性のみと 格闘しており、その哲学ではこの理性を担う主体とその客体としての対象しか考えられて いないと批判するのである。 - 22 - ハイデガーの後継者を名乗るデリダ56に対してもハーバーマスは同じように攻撃する。デ リダによれば近代の哲学はすべて同一性の原理に立脚した超越論的主観を前提としており、 それは現前としての声(音声、言語)を同一性でのみ捉える音声中心主義の中にあるとい う。これに対してデリダは現前の差異性に注目し、同一性原理によって築かれた超越論的 エクリチュール 主観を 文 章 中心主義のうちに脱構築せよとすすめる。だがハーバーマスからすればこの デリダの脱構築も、近代理性を一面的にしか据えることが出来ておらず、コミュニケーシ ョン的合理性を無視していると言うことになる。従ってデリダは理性を批判しつつも、ま た当の理性によって絡め取られてしまい結局神秘主義的思想に向かわざるをえないのだと ハーバーマスは結論づけるのである。 またバタイユは目的合理的な理性に導かれた近代人の生活にとって全く異質な美的経験 の力を借りて西欧的理性の宇宙を突き抜けて、近代という名の虜囚から脱出することを目 指す。ハーバーマスによればバタイユのような近代批判もまた、理性の自己否定を理性的 に論証しようとする矛盾から脱却できない。従ってバタイユは彼の近代批判の論証をその 理性破壊という結論と整合させられないのである。 最後にフーコーだが、彼は近代理性と権力との結びつきを暴露させた思想家である。す なわち近代理性がいかに狂気を世界から排除して、権力と結びついてきたが示され、近代 理性の持つ意志性(暴力性)が問題とされる57。ハーバーマスはフーコーが知の暴力性と隠 蔽性を詳細に調べ上げた点を高く評価するが、知が権力となる上でコミュニケーションが 要になっているということを忘れていると指摘する。すなわちコミュニケーション的行為 を支える妥当要請要求の普遍的な認識に裏付けられた権力とそうでない権力との間には本 質的な相違があるはずだが、フーコーはそのことを見ようとしない。こうして近代化と合 理化の一つの側面としての討論に基づくコミュニケーション的合理性の進展を無視するが 故に、フーコーは目的合理的な行為を目指す科学的・具術的な理性のみを理性と見なす立 場に特有の矛盾に陥ってしまう。すなわち彼は啓蒙主義の知の言説を批判する自らの考古 学の言説もまた権力への意志の一つの表れにすぎないと認めなければならないだけでなく、 自らの言説の真理性についての妥当性要求を撤回せねばならなくなる。 56 デリダによれば形而上学は〈現前の形而上学〉であり、何らかの現前する存在者であれ、 現前する意味であれ、また時間的現在であれ、一般に現前する〈同一者〉を根元的なもの と想定している。しかし、およそあらゆる〈同一者〉は、他者との差異においてのみ、ま た自己自身の反復においてのみ同一なものとして構成されるのであり、この差異と反復の 運動同一なものとして構成されるのであり、この差異と反復の運動、すなわち差延の運動 に権利上先立つ〈同一者〉は存在しない。主観性もまた、あらゆる客観性と同様、「差延の 一効果」であり、「差延のシステムのうちに書き込まれた一効果」である。差延はしたがっ て〈現前の形而上学〉が想定するいかなる根源よりも〈根元的〉な運動であるが、根源の 同一性とは差延の効果にすぎないのだから、差延の根源性とは根源の不在以外の何もので もない。(岩波思想辞典より抜粋) 57 この思想はエドワード・サイードにも受け継がれており、彼の主著『オリエンタリズム』 もまた客観的に見える知の中に潜んでいる「権力への意志」を明らかにしている。 - 23 - このようにハーバーマスは近代理性批判の思想家達と次々に対決しながら、理性が目指 したユートピアをコミュニケーション的合理性によって達成して行こうとするのである。 【9】今まで貴方がゼミで学んだ(読んだ)ものの中で好きな(印象に残っている) 言葉はなんですか? 【解答例】 「6.44 世界はどのようにあるか、と言うことが神秘的なのではない。 。(国枝1) 世界がある、ということが神秘的なのである58」 「すなわち啓蒙の自己崩壊に直面しては、思想はもはや時代精神の修正や方向に、どこま でもいい気でついて行くことをきっぱりと拒否せざるを得ない。世の風潮が否応なしに思 想が商品になり言語がその宣伝になるような状態に立ち至ったとすれば、この堕落過程の 行方を尋ねようとする試みは、この過程の世界史的帰結によって完全に息の根を止められ る前に、現行の言語上、思想上の諸要求に追従することを拒否しなければならないのだ59」 (国枝2) 「ファウスト: 俺は世界を駆け抜けた。 快楽だったらむんずと掴み つまらぬものは突っ放し 逃げたものは勝手にさせた。 熱望 成就 更にまた 望みを重ね 力でもって 我が人生を嵐と生きた。まずは勢いと力にまかせ いまでは分別 落ち着きを忘れない 地上のことはもう充分に知り尽くし 天上は所詮 われらが視線の届く場所ではない。 何たる馬鹿か しばたく眼を上へ向け 雲の上に人間めいた連中がいると妄想するとは! 地上に足を踏みしめ しっかりと見まわすのだ 力ある奴には この世界が語りかける。 58 59 ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論』 山元一郎訳、中央公論新社、2001 年、220 頁 ホルクハイマー・アドルノ 『啓蒙の弁証法』 徳永恂訳 岩波書店、1990 年、ⅹ頁 - 24 - 永遠の境を彷徨うなどは不要のこと この世界で認識したことならば この手でしっかり獲得できる! この地上の日々は そう暮らされねばならぬ 悪霊どもが現れても その道だけは違えるな。 自ら進む道にこそ苦痛を求め 幸せを探せ (国枝3) それが どの瞬間にも満足せぬものの生き方だ!60」 「魔術も古代文明も、伝統という観念から切り離して考えることができない。この伝統こ そは、われわれの住む現代社会より複雑なことが多い社会の中で、秘教的知恵の秘伝的授 受、もろもろの制度の秩序、集団の価値の序列、のみならず日常生活の細部にいたるまで、 その基盤をなしているのである。かくてひとびとは、これらの知識や術、社会機構などを、 現代の考え方に照らし合わせて理解することはできないということに気がついた。別種の 人間についての理解を深めるためには、われわれの頭を切り換え、論理の軸を変えねばな らない。彼ら魔術的人間も、われわれ同様の《進化》度に達していたが、ただ自然や、宇 宙との関係の仕方から起こってくる各種の問題に、われわれとはまったく違った答えを出 したのである。」『自然哲学再興ヘルメス哲学の秘法』(三木) 「7 語りえぬことについては、沈黙しなければならない61」。(樽井) 「1 。(芳野1) 世界とは、その場に起こることの全てである62」 「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人な を往生す、いかにいはんや善人をやと。この条、一旦そのいはれあるににたれども、本願 他力の意趣にそむけり。そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころか けたるあひだ、弥陀の本願あらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をた のみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にて も生死をはなるることあるべからざるをあはれみたまひて、願ををこしたまふ本意、悪人 成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。よて善人だに こそ往生すれ、まして悪人はと、おほせさふらひき63」。(芳野2) 60 61 62 63 ゲーテ 『ファウスト(下)』 柴田翔訳、講談社文芸文庫、2003 年、465-466 頁 ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論』 235 頁 ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論』 40 頁 唯円 『歎異抄』 岩波文庫、1931 年、45-46 頁 - 25 - 「自余の行をはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまうして地獄にもおちてさふらは ばこそ、すかされたてまつりてという後悔もさふらはめ、いづれの行もをよびがたき身な れば、とても地獄は一定すみかぞかし。」(『歎異抄』)(梶本) - 26 -
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