テロリズムの越境拡散と安全保障の公共政策

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テロリズムの越境拡散と安全保障の公共政策
加 藤
朗
▍ 要 約
新しい戦争」であるテロには 3 つの越境性がある。第 1 は航空機の発達,国境管理,国境線
の変化に伴う越境性。第 2 はメディアの発達やインターネット革命による物理的空間と心理的空
間の境界を越える越境性。第 3 はグローバル権力圏とグローバル親密圏双方の圏域を越え,両者
を架橋するグローバル公共圏へ越境する越境性。
こうした越境するテロに対応するために,越境するガバナンスに基づく安全保障が必要不可欠
である。それには 2 つある。1 つは国家安全保障として,国家中心の多国間協調ガバナンスに基
づくテロ対策。具体的にはテロの 3 つの越境性に即して国境管理の強化,メディアの管理そして
国際法および国内法の法整備を多国間が協力して実施する。今 1 つは人間の安全保障として,国
家のみならず非国家主体も含めた類的存在としての人間中心の多主体間協調ガバナンスに基づく
テロ対策。国家や地域を超えてグローバル社会に拡大するグローバル公共圏の非市民的公共圏の
サバルタンと市民的公共圏の市民との間の人間の発展格差の解消をめざす。具体的には国家に代
わる主権主体が国家間の古典的国際法に代わるコスモポリタン法を制定して国家の軍隊や警察に
代わる武装民間組織が法を執行する。このテロ対策が実現するにはなお年月を要するが,現実に
はその萌芽は国連の権威化,国際刑事裁判所の設置,民間軍事会社の出現等に垣間見ることがで
きる。
キーワード:グローバル公共圏,民間軍事会社,新しい戦争,コスモポリタン法,人間の安全保
障
別である。このようにあまりにテロの意味合いが
複雑多岐にわたるが故に,本論ではテロの定義の
はじめに
迷路にさまようことは避けたい。とはいえテロと
は何か,道標を明らかにせずに議論を進めること
はできない。そこで本論で扱うテロは「新しい戦
争」が対象とするテロと定義しておく。
本論の目的は,越境するガバナンスの視点から
そもそも「新しい戦争」とは,狭義には 9 11
テロリズム(以下,テロと略)の越境拡散に対す
同時多発テロ以後にわかに人口に膾炙した「対テ
る安全保障の公共政策を考察することにある。
ロ戦争」のことをいう。対テロ戦争が対象とする
本論に入る前に,テロの問題を扱う際に常に議
テロとは,アルカイダのようなテロ組織が使嗾す
論となる問題について若干付言しておきたい。そ
るグローバル・テロ,アフガニスタンの旧勢力タ
れはテロとは何か,というテロの定義をめぐる問
リバンが実行するアフガニスタンのテロ,イラク
題である。テロは戦争か犯罪か。テロは物理的暴
のシーア派とスンニ派双方の民兵組織や国外イス
力か心理的暴力か。テロは自由を求める解放の戦
ラム過激派が関与していると思われるイラクのテ
いか社会紊乱の叛乱か。テロを定義する者の思想, ロそしてパレスチナ,レバノン等でのイスラム原
宗教,国,地域,時代などによって定義は千差万
42
理主義勢力によるパレスチナのテロなどである。
特集:越境するガバナンスと公共政策
他方広義にはユーゴスラビア紛争,アフガニス
の越境拡散を促す主な要因には 2 つある。第 1 に
タン紛争,チェチェン紛争,ソマリア紛争など主
ヒト,モノの地理的移動手段としての航空機の発
に冷戦後に多発した破綻国家における地域紛争を
達。第 2 にヒト,モノの移動を管理する国境管理
いう。こうした地域紛争は冷戦時代には低強度紛
をめぐる変化,すなわち国境管理能力の低下や破
争 ( LIC : Low
綻あるいは国境管理の簡素化や廃止,そして国境
Intensity Conflict )( 加 藤
1993)と呼ばれたり,冷戦後はカルドーの「組織
線そのものの変化,消失などである。
的暴力」(Kaldor 1999)あるいはネグリとハー
1.1.1. 航空機の発達
トの「〈帝国〉内内戦」(Hardt and Negri 2004)
と呼ばれる紛争である。
テロの越境拡散を促した,つまりテロリストの
越境移動を容易にした最大の要因は航空機の発達
狭義の「対テロ戦争」や広義の地域紛争の共通
である。船による海上交通では月単位,列車,車
の特徴は,少なくとも紛争主体の一方が非国家主
などの陸上交通では日単位の移動時間がかかって
体で,自爆,誘拐,破壊工作などが主な戦術であ
いたのが,航空機による航空交通では時間単位で
る。そして何よりも重要な特徴は,その越境性に
ヒト,モノの移動が可能となった。特に 1969 年
ある。本論では,狭義,広義の冷戦後の「新しい
にジャンボ・ジェット機が登場し大量輸送が可能
戦争」としてのテロに焦点をあて,その特徴であ
になると,特権階級の乗り物であった航空交通が
る越境性について分析し,特にグローバル・ガバ
一般大衆にも利用可能になった。テロリストも,
ナンスの視点から公共政策としての対テロ安全保
その恩恵を被り,たやすく国境を越えることがで
障政策を考察する。
きるようになった⑴。
航空機の発達はテロリストの移動,集結,人的
ネットワーク形成を容易にし,テロ組織の越境性
1. テロの越境拡散とは何か
を高めただけではない。テロリストに航空機その
ものをテロの舞台とする機会を与えることで,テ
ロ行為の越境性をも高めたのである。そのテロ行
為とは,いわゆるハイジャックである。
新しい戦争」が対象とするテロには 3 つの越
境性がある。
第 1,国境を越える(trans border)という意
味での越境性。
そもそも航空機は,航空機が所属する国家の最
も脆弱な「移動する国土」である。そしてこの
「移動する国土」には多くの場合,国籍の異なる
乗客が搭乗している。またこの「移動する国土」
第 2,物理的空間(physical space)と心理的
は着陸した外国では治外法権の対象となる。した
空 間 ( psychological space ) の 境 界 を 越 え る
がって「移動する国土」がハイジャックによって
(trans space)という意味での越境性。
第 3 , グ ロ ー バ ル 権 力 圏 ( global power
占拠されれば,それだけで事件はたちどころに多
数の国家が関わる越境的な国際問題となる。
sphere)とグローバル親密圏(global intimate
まず,事件そのものに第一義的責任を負うのは
sphere)双方の境界を越え(trans sphere),両
航空機が所属する国家である。直接事件の解決に
者を架橋するグローバル公共圏へ越境するという
あたるのはハイジャック機が着陸した国である。
意味での越境性。
さらにハイジャック犯を受け入れ彼らの逃亡先と
以下,この 3 つの越境性を備えるテロがどのよ
うに越境拡散していったかを明らかにする。
なる国,さらに乗客が帰属する国家などを含めれ
ば,ハイジャックは数カ国以上の国が直接,間接
に関わる国際的な事件となる。越境性を特徴の 1
1.1. 国境を越える越境拡散
つとする国際テロの始まりが 1968 年 7 月の PLO
国境を越えて拡散する,つまり地理的な意味で
によるイスラエル航空機ハイジャック事件とされ
のテロの越境拡散である。この場合,国境を越え
るのは(加藤 2002)まさに航空機という「移動
て地理的に拡散するのはテロリストであり,テロ
する国土」が生み出したハイジャックの越境性の
事件そのものが世界各地に拡散する。テロリスト
故である。
43
加藤:テロリズムの越境拡散と安全保障の公共政策
1.1.2. 国境管理,国境線の変化
の中で政治的,経済的に破綻する国家が増えた。
冷戦が終り,ソ連陣営が支援していたテロ・ネ
破綻国家には事実上国境管理能力はなく,テロリ
ットワークは,1998 年 4 月に西独赤軍が解散を
ストの往来は放任状態にある。例えば 1979 年か
表明したように,ソ連の崩壊とともに消え去った。 ら内戦が続くアフガニスタンには 80 年代から国
代わってイスラム・テロリストが国境を越えて拡
境管理の甘さをついて多数のアラブ人がイスラム
散し,ネットワークを形成し始めた。その背景に
義勇兵としてアフガニスタンに入国した。88 年
は冷戦終焉後の国境管理や国境線の変化がある。
のソ連撤退以降も内戦が継続し,その混乱に乗じ
国境管理が甘くなったり,場合によっては実施さ
てオサマ・ビン・ラディンがアフガニスタンのタ
れなくなった。また国境線そのものが変更あるい
リバン政権に取り入ってアフガンに基地(アル・
は消失したのである。これまでテロリストの物理
カイダ)を作った。
的移動を抑制していた国境の垣根が低くなると,
また旧共産圏地域のソ連やユーゴスラビアなど
テロリストは国境を越えて自由に移動できるよう
では国家の分離,独立をめぐって地域紛争が勃発
になった。その結果,アルカイダが関与している
し一時期国境管理能力が低下した。ロシアからの
と 疑 わ れ て い る 93 年 2 月 の ニ ュ ー ヨ ー ク の
分離独立をめざすチェチェン紛争ではアフガニス
WTC(世界貿易センタービル)爆破テロ,98 年
タンから移動してきたアラブ・アフガンズ(アラ
8 月のケニアのナイロビ,タンザニアのダルエス
ブ出身で 1980 年代にイスラム義勇兵としてアフ
サラームにある米大使館爆破事件のように,テロ
ガニスタンにわたり反ソ・ゲリラ闘争を闘った兵
事件そのものもまた国境を越え,地域を問わず発
士たち)が多数参加しているといわれる。ユーゴ
生するようになったのである。
スラビアの内戦にも,アフガニスタンから新たな
国境管理や国境線に変化が起こった背景には次
のような事情がある。
戦場を求めて移動した多くのアラブ・アフガンズ
が参加した(Kohlmann 2004;藤原 2001)。ま
第 1 に自由主義経済の世界化である。冷戦が終
たコソボ紛争では社会主義政権が崩壊し,一時期
わり世界中が自由主義経済で統一されると,経済
無政府状況に陥った隣国のアルバニアから多数の
の自由化とともに人々の往来にも一層拍車がかか
武器がコソボに密輸出されたといわれる。
った。人的交流が増加したために多くの国で入出
仮に破綻国家でなくてもパキスタン北西部辺境
国の手続きを簡素化した。典型的な例は EU であ
州のように中央政府の支配が十分に及ばない部族
る。経済共同体として統合した EU は域内のヒト
地域を抱える国家もある。現在のアフガニスタン
やモノの流れを自由にするために域内諸国間では
やイラクもパキスタン同様に,新政権のみならず
従来のような国境管理を廃止した(福井 2006)⑵。 駐留する米国をはじめ諸外国軍にも全土を支配す
EU のように経済的に発展していくには,人的
交流を活発化させる必要がある。とりわけ労働力
る能力はなく,国境管理は事実上破綻しておりテ
ロリストの往来は野放し状態にある。
不足に悩む先進国では労働力の移入は国家発展に
は避けて通れない。他方,経済の低迷や破綻に苦
1.2. 物理空間から心理空間への越境拡散
しむ多くの発展途上国からは移民や経済難民とし
テロは物理的暴力であると同時に心理的暴力で
て先進国に多数の人々が流入する。その結果,多
もある。物理空間における存在論的暴力とでもい
くのヒトの移動に紛れてテロリストも容易に出入
うべき物理的暴力が,個々人の心理空間における
国できるようになり,テロが越境拡散した⑶。ま
認識論的暴力とでもいうべき心理的暴力に転換さ
た先進国での社会的差別や経済的苦境に苦しむ移
れた時,テロは有限の物理的暴力から無限の心理
民,難民の中からテロリストに共鳴する者が出,
的暴力あるいは心的外傷(トラウマ)となって一
テロリストが越境拡散する受け皿となった⑷。
人ひとりの心理的空間の中で永遠に恐怖心を煽り
第 2 に破綻国家や地域紛争の増加である。冷戦
立てる。この物理空間から心理空間へのテロの暴
の終焉とともにこれまで米ソの支援を受けていた
力の越境がテロの第 2 の越境性である。
発展途上国が見捨てられ,たとえばアフガニスタ
1.2.1. テロとメディア
ン,ソマリア,スーダンなど自由主義経済の荒波
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物理的暴力が心理的暴力に変容し,物理空間か
特集:越境するガバナンスと公共政策
ら個々人の心理空間に越境していくためにはメデ
たからである。
ィア(媒体)が必要である。なぜなら物理的暴力
まずテレビが変換する視聴覚情報の質,量とも
は音声や文字などの言語,絵,画像などの視聴覚
にテレビはそれまでのメディアとは比較にならな
情報に変換され,変換された情報が拡散し,個々
いくらい優れている。書籍,新聞,ラジオは人間
人の心理空間に越境していくからである。第 1 の
が音声言語や文字言語に変換しなければならず,
越境性では航空機が国境を越えてテロリストを世
その伝える人間の能力やメディアの情報記録,伝
界に拡散させる手段であったが,第 2 の越境性で
達容量に左右されて質,量ともに限界がある。一
はいわゆるメディアが物理空間のテロの暴力を個
方テレビは視聴覚情報を撮影者がファインダーか
々人の心理空間に越境させる手段(メディア)と
ら覗いた状況をほぼそのまま伝達できる。
なっている。
何よりもテレビが旧来のメディアに比べて優れ
テロの暴力を物理空間から心理空間に越境させ
ているのは,その視覚情報の伝達能力である。伝
るメディアの能力は,第 1 に物理的暴力を情報に
達の速度では本が月単位,新聞が日単位に比べ,
変換する能力,第 2 に変換した情報を伝達する能
テレビ中継は情報の発信と受信はほぼ同時である。
力,そして第 3 に伝達された情報を記録する能力
また伝達の範囲も桁違いに広い。宇宙中継により
にある。
世界中の何億,何十億もの人々に情報を伝達する
第 1 の能力は,テロについていかに多くの情報
ことが可能になった⑸。
を,いかに詳細に視聴覚情報に変換するかという
一方で記録という点でテレビは書籍,新聞には
情報変換の質,量に関わる能力,すなわちテロの
劣っていた。たしかに 1970 年代後半からビデ
暴力が物理空間から心理空間に越境する越境性で
オ・レコーダーが大衆化し画像が記録されるよう
ある。
にはなったが,ビデオ・テープの記録容量には限
第 2 の能力は,変換した視聴覚情報をいかに速
界があった。また 80 年代に入りビデオ・カメラ
く,多くの人に伝えることができるかという情報
が一般に普及し始めると,自爆犯が決行前に決意
伝達の速度,広域性に関わる能力,すなわちテロ
表明を録画し,それを放送局が放映するという新
の拡散性である。
手の手法が現れた。メディアがテロの方法を変え
第 3 の能力は,伝達された視聴覚情報をいかに
たのである。メディアとテロの密接な関係を示す
多量に,長期にわたって,誰もが利用可能な形で
一例である。
記録できるかという情報記録の保存性,利用可能
1.2.2. インターネット革命
性に関わる能力,すなわちテロの持続性である。
1990 年代になると情報の変換,伝達,記録に
テロの暴力について多くの情報を正確に,速く,
おいて従来のメディアとは全く異なる革命的なメ
多数の人に伝え,なおかつ情報を繰り返し再生す
ディアが登場する。インターネットである。イン
ることで,心理的暴力としてテロを長期にわたっ
ターネットにより世界中のコンピュータが連接さ
て人々の心理空間に刻み続けることができる。
れ,そこに物理空間とも心理空間とも異なる電脳
これら 3 つの能力からメディアを見た場合,テ
空間が形成された。物理空間におけるテロの物理
ロはメディアの発展によって 3 つの時代に区分で
的暴力は,一旦インターネットの電脳空間の仮想
きる。まず,テレビによる宇宙中継が本格化する
現実の暴力へと変容し,そして仮想現実から一人
1960 年代以前の古典テロの時代。次に 60 年代か
ひとりの心理空間に心理的暴力として越境拡散す
らインターネットが出現する 90 年代までの現代
るようになった。
(モダン)テロの時代。そして,それ以降の脱現
代(ボスト・モダン)テロの時代である。
インターネットは前述のメディアの能力すなわ
ち暴力を情報に変換する能力,変換した情報を伝
テレビの出現とその後の宇宙中継技術の開発は, 達する能力,そして伝達された情報を記録する能
ジャンボ機の出現に匹敵するような影響をテロの
力のいずれにおいても革命的な変化をメディアに
越境性に与えた。テレビの宇宙中継は情報の変換, もたらし,テロの越境性を飛躍的に高めた。
伝達の能力においてそれまでの書籍,新聞,ラジ
第 1 に暴力を情報に変換する能力である。旧来
オ,映画などのメディアを圧倒する能力を発揮し
のメディアは物理空間の暴力をメディアが視聴覚
45
加藤:テロリズムの越境拡散と安全保障の公共政策
情報に変換するだけであった。インターネットも
存されたビデオも記録として残るとはいえ,テロ
情報変換という点だけからみれば,他のメディア
に関して言えばその情報量はネットの足元にも及
同様に視聴覚情報に変換するだけである。しかし, ばないほどわずかである。
インターネットが他のメディアと決定的に違うの
加えて電脳空間では情報は単に記録として残る
は情報を伝達するだけの単なるメディアではなく, だけでなく,その記録を元にさらに新たな情報が
情報を発信するメディアだ,ということにある。
次々と創り出され,情報が情報を生み出し,膨大
これまでの新聞,ラジオ,テレビなど多数の人
な情報が蓄積されていく。こうした情報の拡大連
々に情報を発信するマスメディアは国家や大企業
鎖が新たなテロリストを生み新たなテロを惹起す
が独占し,個人が多数の人々に向けて情報を発信
るなど,テロの拡散性を飛躍的に高めている。
することはきわめて困難であった。しかし,イン
ターネットはコンピュータさえあれば,たとえ個
人であっても,新聞やテレビ,ラジオなどのマス
1.3. グローバル権力圏とグローバル親密圏との
越境性
メディアに劣らぬ数の人々に向けて情報を発信で
テロ(厳密には脱国家テロ[trans national
きる。マスメディアとしてのインターネットの特
terrorism ] あ る い は 国 際 テ ロ [ international
徴がテロの拡散性を著しく高めることになった。
terrorism])は犯罪なのか,戦争なのか。これ
インターネットのこの特徴を活用すれば,いかな
は,冒頭で述べたようにテロの定義の問題である
るテロ組織でもアルカイダのようにインターネッ
ばかりか,テロ対策を考える際に必ず論議となる
トを通じて自らの主張を全世界に発表し,時には
問題である。この問題への回答がテロの第 3 の越
テロを予告して人々に恐怖を与え,そして仲間を
境性すなわちテロがなぜグローバル権力圏および
も勧誘できる。つまり電脳空間の創り出す仮想現
グローバル親密圏に越境拡散するかを説明する。
実の世界を第 2 の活動の場とすることができるの
1.3.1. 戦争か犯罪か
である⑹。
テロを犯罪とみなそうとしても,そう簡単なこ
第 2 に転換した情報を伝達する能力として,イ
とではない。というのも 9 11 同時多発テロをみ
ンターネットでは情報の発信だけでなく情報の受
ても明らかだが,テロの破壊力が時には軍隊の武
信も非常に容易になり,飛躍的に情報の伝達能力
力行使に匹敵し,その国内外の政治への影響力も
が高まった。インターネットはコンピュータが接
戦争に匹敵する場合もあるからだ。テロリストが
続されている限りいつでも,世界中のどこでも,
核兵器を入手すれば,テロリストは国家の軍隊と
誰であれ必要な情報にアクセスできる。またイン
対等以上に戦うことができる⑻。核兵器でなくて
ターネットの電脳空間は,国境や言語の障壁が現
も,状況次第では自爆テロだけでも超大国を敗北
実空間のそれに比べて著しく低く,グローバルな
に追い込むことができる⑼。また冒頭でも述べた
世界となっている。電脳空間には国境は事実上な
が,犯罪どころか,かつてはテロを植民地解放闘
いに等しく,情報は国境を越えて全世界に伝達さ
争の一貫とみなし,今でも抑圧された者の正当な
れる。たしかに中国のように一部の国ではインタ
闘いであると正当化する者も多い。
ーネットを検閲し,情報の流入に障壁を設けて管
ではテロは犯罪ではなく戦争とみなすことはで
理している国もあるが,これまでの新聞,テレビ
きるだろうか。しかし,それもむずかしい。なぜ
などに比べて,情報管理は困難である⑺。
ならアルカイダの例をみても明らかだが,テロ組
第 3 に受信し,保存できる情報の量は飛躍的に
織は国家に属する軍隊でもなければテロリストは
増加している。そのことがテロの拡散性や持続性
兵士でもないからだ。軍隊や兵士あるいは国際法
を一層高めている。というのもインターネットに
上それらに準ずると認められた団体や構成員以外
一度アップロードされた情報は誰かが受信し保存
の組織および個人による暴力行使は,一般には犯
すれば,情報を保存したコンピュータがインター
罪でしかない。だからといって上述のように簡単
ネットに接続されている限り永続的に電脳空間に
に犯罪ともみなせない。
記録として残る。図書館やアーカイブに所蔵され
何故このような犯罪と戦争の堂々巡りが起こる
た本,新聞,映画フィルム,あるいは放送局に保
のか。何故テロのような二面性を持つ暴力が存在
46
特集:越境するガバナンスと公共政策
するのか。その最大の理由は近代主権国民国家の
化の結果,各国の市民的公共圏が相互に連接して
機能不全にともなうグローバル社会(ショー
グローバルな市民的公共圏(ウォルツァー
1997)における公共圏すなわちグローバル公共圏
2001;橘 2006)が形成されていったのである。
の出現にある。
1.3.2. グローバル公共圏
他方,主権国家の対内安全保障に対する機能不
全は,冷戦時代に顕著になった。たとえば冷戦時
元来主権国家は自然状態における暴力を一元的
代には米ソ対立に巻き込まれて内戦が勃発し,政
に管理する制度としてホッブズが理論的基礎を与
権の弱体化,崩壊によって国民の安全を保障でき
えた(Hobbes 1996)。すなわち主権国家は自然
なくなった国家が第 3 世界を中心に続出した。中
状態における暴力を国家の公的暴力と「私」の私
東では 1970 年代にレバノンが無政府状況に陥り,
的暴力に分離した。そして,国内の「私」による
多くのテロ組織が拠点を置いて国際テロを実行し
暴力は私的暴力すなわち犯罪として,国家の公的
た。冷戦後にはアフガニスタンのように米ソの支
暴力である警察力によって取り締まる。他方,国
援がなくなって経済的に破綻したり,あるいはル
外からの他国による暴力すなわち戦争には国家が
ワンダ,スーダンのように民族,宗教紛争の勃発
やはり国家の公的暴力である軍事力で対処する。
などで破綻する国家も増えた。
このように近代主権国家が安全保障共同体として,
また破綻国家でなくてもリオデジャネイロ,ジ
その対内,対外安全保障の機能が十分に機能して
ャカルタ,マニラなど多くの国が貧富の格差の拡
いる間は,越境テロあるいは国際テロといった問
大から大都市周辺に極端に治安の悪化したスラム
題は起きない。全てのテロは国家が「私」による
を抱えている。こうして前述のグローバル市民的
犯罪か他国による戦争として区分し対応できるか
公共圏とは全く逆の,自然状態とでも言うべき無
らである。
政府状況に陥った破綻国家や大都市のスラムなど
しかし,主権国家の安全保障機能が衰えてくる
の,いわば非市民的公共圏が相互に連接してグロ
と,主権国家が対応できない個人や組織などの私
ーバルな非市民的公共圏が形成されていったので
的暴力が国内から浸出し,また国外から侵入して
ある。
くる。そしてこれらの暴力の中に公的暴力とも私
市民的であれ非市民的であれ,このグローバル
的暴力とも判断できない,また司法の壁や軍事力
公共圏の発展は情報,通信,交通の発達の賜物で
の不足の故に対処できない 9 11 同時多発テロの
ある。かつての市民的公共空間は市民が集う現実
ようなテロがまじるのである。つまり戦争とも犯
的空間としてのカフェであったが,現代のカフェ
罪とも区別のできない暴力が存在する場として,
は航空機を利用して世界中の人々が集う各国の広
国家による暴力の一元的管理が及ばない,グロー
場や通り,大学のキャンパス,会議場などである。
バルな社会的空間が国内公共空間と連接する形で
またかつては書籍や新聞などが仮想現実としての
出現したのである。それがグローバル公共圏であ
市民的公共空間をつくりだしたが,現在は全世界
る。
に張りめぐらされたインターネットが電脳空間に
主権国家の対外安全保障に対する機能不全は,
仮想現実のグローバル公共圏をつくりだしている
第 1 次,第 2 次の両世界大戦で顕著になった。国
(花田 1996;1999)。グローバル公共圏は,「教養
民に多数の犠牲を強いた両大戦で国民の安全を保
と財産が入場基準となる」(ハーバーマス 2004)
障するはずの国家が国民の安全を必ずしも保障で
かつての「文芸的」な市民的公共圏とは異なり,
きないことが明らかになった。さらに戦後の核ミ
市民,ネティズン(ネット上の市民)のみならず,
サイルの登場が主権国家の機能不全を決定的にし
国境を越えて越境拡散する犯罪者,テロリストあ
た。核ミサイルの前にはいかなる大国といえども
るいは電脳空間のハッカーなど,市民とはみなさ
多数の国民の犠牲は避けられない。こうした核に
れない人々⑽も含め誰もが集うことのできるアナ
対する脅威が世界中の人々に国境を越えて人類と
ーキーな脱市民的公共空間である。
しての自覚を植えつけた。そして各国で反核の市
このグローバル公共圏の出現とともに,グロー
民運動が高まり,さらに国境を越えて世界各国の
バルに新たに 2 つの圏域が姿を現しつつある。そ
反核市民運動が連帯した。市民運動のグローバル
の 2 つの圏域とはグローバル権力圏とグローバル
47
加藤:テロリズムの越境拡散と安全保障の公共政策
親密圏である。グローバル公共圏は,これら 2 つ
の圏域を媒介する,言い換えるなら 2 つの圏域を
架橋する圏域となっている。そしてこれら 3 つの
圏域から成るのがグローバル社会である。
2. 公共政策としての安全保障
国内においては,私的領域としての家族や私的
サークル,宗教グループなどの親密圏と公的領域
としての政府や公的諸機関などの権力圏を媒介す
前節で明らかにしたように,テロは 3 つの越境
る形で公共圏が成立している。国内公共圏が上記
性を持っている。まず国境を越えるという意味で
のような事情から脆弱化した国境という殻を押し
の越境性,次に物理的空間と心理的空間の境界を
破ってグローバル社会にグローバル公共圏が形成
越えるという意味での越境性,最後にグローバル
された時,同様に親密圏,権力圏が国内からグロ
権力圏とグローバル親密圏の境界を越えるという
ーバル社会にせりだしてグローバル親密圏とグロ
意味での越境性である。では,このような越境性
ーバル権力圏が出現した。ここで言うグローバル
を持ち,グローバル公共圏における暴力としての
親密圏とは民族共同体や宗教共同体のようなゲマ
テロに誰がどのように対処するのか。
インシャフトの圏域⑾である。他方グローバル権
越境するガバナンスの主体⒀から見るとテロへ
力圏とは諸国家が協調と対立の中でグローバルに
の対処には 2 つの方法がある。1 つは機能不全に
権力を構成するゲゼルシャフトの圏域⑿である。
陥った国家の安全保障機能を回復し,国家中心の
この 2 つの圏域を架橋する形でグローバル公共圏
多国間協調ガバナンスによる対処。今 1 つは機能
が成立している。
不全に陥った国家に代わる新たな脱国家安全保障
政府による暴力の一元的管理下にある国内公共
体制の構築を目指し,非国家主体中心の多主体間
圏とは異なり,グローバル公共圏には暴力を一元
協調ガバナンスによる対処である。このいずれか
的に管理する国内政府のような単一権力主体は存
の方法によってテロの越境拡散を阻止,防止する
在しない。テロはこの一元的な暴力管理体制のな
のである。
いグローバル公共圏における暴力である。暴力を
前者の多国間協調ガバナンスは,グローバルな
私的,公的に分ける単一権力主体の存在しないグ
権力を主要国家で分有する上からの統治の意味合
ローバル公共圏の暴力であるが故にテロはグロー
いが強いガバナンスである。1 国が権力を独占し
バル権力圏の暴力である戦争でもなければ,グロ
た場合,グローバル社会は国家中心的帝国⒁とな
ーバル親密圏における犯罪でもないのである。
る。他方,後者の多主体間協調ガバナンスは,グ
逆にテロが戦争とも犯罪とも見えるのは,グロ
ローバル権力圏の主体とグローバル公共圏の非国
ーバル公共圏がグローバル親密圏,グローバル権
家主体が協働する統治かつ自治すなわち共治(納
力圏の双方への越境性があるが故に,権力圏にお
家 1997)のガバナンスとなり,新たな主権形態
ける戦争とも親密圏における犯罪とも見えるし,
としてのネグリとハートの〈帝国〉が誕生する
反対にいずれとも判断ができないが故に戦争でも
(Hardt and Negri 2001)。さらに協働が進むに
犯罪でもないと見えるのである。つまりこのテロ
つれ国家は主権が相対化され解体する一方,非国
の曖昧性こそテロの越境拡散性の原因であると同
家主体も国家の相対化とともに相対化され最後に
時に,グローバル公共圏の存在を証明するもので
は国家主体と非国家主体が融合した時,グローバ
ある。言い換えるならこのグローバル公共圏とい
ル社会は〈帝国〉を越えて政府無き社会秩序のあ
う場こそがテロに政治的,法的な曖昧さをもたら
るグローバル社会すなわち,筆者の言葉でいうネ
し,越境性,拡散性を与えているのである。
ット中心的帝国となる。
2.1. 多国間協調ガバナンスによる国家安全保障
としてのテロ対策
テロを管理する最も手っとり早い方法は個々の
国家の安全保障機能を回復し多国間協調の下で,
48
特集:越境するガバナンスと公共政策
テロが国外,心理的空間そしてグローバル公共圏
民であれ一元的に情報を管理する多国間制度ある
に越境拡散するのを封じ込めることである。
いは 1 国による独占体制ができあがる可能性は強
2.1.1. 国境管理の強化
い⒃。なぜなら膨大な個人の情報の収集によって
テロの第 1 の越境性に即して言えば,国家安全
はじめてその収集情報の中から一握りのテロリス
保障機能の回復とはテロの国内外への越境を阻止
トを探し出すことができるからである。もし個人
するために個々の国家の国境管理能力を強化し,
情報が国家を越えて共有されるようになれば,一
同時に越境するテロリストを監視するために多国
体誰が,どのように世界中のパスポート所持者の
間の協調体制を強化することである。
情報を管理するのか,ここに越境するガバナンス
前述したようにテロの越境性が高くなった背景
の問題が生まれる。
には,まず越境の物理的手段となる航空交通の発
空港での国境管理だけではなく,陸,海の国境
達がある。そこで空港における入国管理の厳格化
管理の徹底化もテロの越境を阻止する上で重要で
がテロの越境防止の第一歩となる。とはいえ入国
ある。ただ陸,海の国境管理は空に比べて非常に
管理を厳格化し,ヒトの流入を制限すれば事足れ
困難である。超大国アメリカでさえ陸続きの隣国
りというわけにはいかない。前述したように,市
メキシコからの不法移民の取締りに手を焼いてい
場主義経済の世界化にともなうヒト,モノの流通
る。海上における国境管理も陸と同様にむずかし
の拡大や先進国における労働力不足,人材不足等, い。海上保安庁や海上自衛隊による警備が強固だ
「良き市民」を入国させることが各国の経済発展
と思われていた日本でさえも北朝鮮からの不法入
に必要不可欠だからである。つまり一方で国境管
国を易々と許し,拉致事件が起きた。ましてや数
理を強化してテロリストの入国を阻止し,他方で
多くの島を抱えるインドネシア,フィリピンなど
は国境管理を緩和して観光,労働,留学などを目
の東南アジア諸国は,とりわけ領海警備が困難で,
的とする「良き市民」をなるべく多く入国させる
海賊の横行(佐藤 2005)を許しテロリストの越
という相矛盾する,選抜的国境管理をしなければ
境を容易にしている(竹田 2006)。これに対し,
ならない。
各国は多国間協調に基づく PSI(Proilferation
現在この矛盾を解決する 1 つの方法として,
IC パスポートがある。それは,偽造防止のため
Security Initiative:拡散に関する安全保障構
想)で対抗しようとしている。
に指紋や人相などの生体情報を含めさまざまな個
アメリカや日本のように国境管理機能が高い国
人情報を記憶させた IC チップを貼りつけたパス
家でも国境管理がむずかしいのに,ましてや破綻
ポートである。現在日本を含め多くの国がパスポ
国家には国境管理能力はほとんどない。アルカイ
ートの IC 化を進めている⒂ 。ただし,IC パスポ
ダは破綻国家の国境管理能力の低さに付け入って
ートが効果をあげるには IC パスポートの規格の
スーダン,アフガニスタンなどを活動拠点にして
統一,情報の共有等多国間の協力体制が必須であ
きた。現在では事実上の陸封国家で治安悪化のた
る。
め国境管理が行われていないイラクや,パキスタ
しかし,国家の安全保障機能を強化する IC パ
ン政府の統治が及ばない西部辺境州に隣接するア
スポートには個人情報の管理という問題がある。
フガニスタンでは,テロリストが自由に入出国を
パスポートを使用すると渡航者が出国した国と入
繰り返している。こうした事態を防ぐには,破綻
国した国にパスポート所持者の個人情報が残る。
国家に代わって隣接諸国家が破綻国家からの難民
これらの個人情報は現在個々の国家が個別に保有
の入国管理を強化するか,破綻国家に代わって国
している。上記のように個別に国家が保有してい
連や地域機構などの多国間協調による国境管理を
るだけではテロリストの行動を追跡するには必ず
実施するなど,陸路によるテロの越境拡散を防止
しも十分ではない。テロリストが入出国した関係
する多国間協調体制が必要となる。また海上では
国全てが情報を共有することではじめて迅速な行
大量破壊兵器やミサイル等の拡散を阻止する多国
動追跡が可能となる。
間による PSI の活動(Valencia 2005)を,海上
渡航者の数が増え IC パスポートが普及すれば, におけるテロの越境拡散阻止に向けより一層強化
やがては IC パスポート所持者ならどこの国の国
していく必要があろう。
49
加藤:テロリズムの越境拡散と安全保障の公共政策
こうした国境管理の強化は,ホームランド・セ
ている⒆。
キュリティ政策の下に入国管理を徹底化したアメ
第 2 の国家によるマスメディアに対する報道管
リカや実際にパレスチナ自治区との境界線に塀を
制は,中国やイスラム諸国など非民主主義国家で
建設しているイスラエルのようにゲーティッド・
現在も行われている。しかし,仮にテロ対策とい
カントリー(gated country:要塞国家)化を促
えども,いやしくも民主主義を標榜する国家がマ
進する。それは,富裕層が住む街の周囲をフェン
スコミ報道の統制や管理に直接,表立って手を染
スで囲い部外者の訪問を監視するゲーティッド・
めることはあまりない。というのも言論の自由こ
コミュニティー(要塞都市)のグローバル化であ
そが自由民主主義体制の根幹を成す原則であり,
る。ゲーティッド・コミュニティーが貧富の格差
民主主義を守るためにテロと闘っている以上,国
の象徴であるように,ゲーティッド・カントリー
家がその原則を曲げてマスメディアの報道の自由
は国家間の格差を拡大,固定化し,かえってテロ
を奪うことは,かえってテロに敗北することを意
の温床を外部に増やす恐れがある。全ての安全対
味するからである。ただし,国家がテロリストの
策に内在する矛盾だが,安全策を講ずれば講ずる
プロパガンダに対抗するために自らに都合のよい
ほど,その安全策に内在する矛盾や安全策に対抗
報道や宣伝など世論操作をすることは昔から積極
する方法が模索され,かえって安全が低下すると
的に行われている。たとえばアメリカ政府は,中
いうセキュリティー・ジレンマが働く。国境管理
東の衛星テレビ放送「アルジャジーラ」に対抗す
もそのセキュリティー・ジレンマから逃れられな
るために 2004 年に新設された衛星テレビ放送局
い。
2.1.2. メディアの管理
物理空間での国境管理を強化すれば,必然的に
「アルフーラ」を支援し「広報外交」を展開して
いる⒇。
第 3 の国家によるインターネットの監視は近年
心理空間や電脳空間にテロは越境しようとする⒄。 にわかに増大してきた。インターネットは当初も
メディアを利用した宣伝である。このテロの第 2
ともと国家があまり介入してこなかった。しかし,
の越境を阻止しようとすれば国家は情報収集,監
インターネットの利用者の急増,ビジネスへの利
視などの機能を強化し越境の手段となるインター
用そして何よりも安全保障上の配慮(土屋 2007
ネットを含め全てのメディアを管理しなければな
a;b)から国家がインターネットに積極的に介
らない。
入するようになった。特に 9 11 同時多発テロで
メディアの管理には 3 つある。第 1 は郵便,電
犯人たちがホテルやレンタカーの予約,航空券の
話,ファックス,E メールなどの通信の傍受。第
手配,仲間との連絡などインターネットを活用し
2 は新聞,テレビ,ラジオなどマス・メディアに
たことを受けて,米国をはじめ多くの国が積極的
対する報道管制。第 3 はインターネットの監視で
にインターネットに介入する姿勢を見せている。
ある。
しかし,前述したように,国家が新聞やテレビ
第 1 の国家による通信傍受は以前から少なから
を検閲するようにインターネット上の言論,情報
ぬ国が国家情報機関によって実施している(北岡
を監視することは膨大な情報量やネットの仕組み
2006)。たとえばアメリカでは 9 11 同時多発テロ
を考えれば技術的に困難である。中国が実施して
を受けて⒅新設された国家情報長官の指揮の下,
いるようにインターネット検索で「天安門事件」
CIA(中央情報局),DIA(国防情報局)など 15
「法輪功」など特定の検索語でウェブコンテンツ
の情報機関がいわゆる「アメリカ愛国法」などの
が検索できないようにしたとしても ,「天安門
法律にもとづき盗聴,通信傍受,通信記録の入手
事件」に関連する検索語に置き換えて検索すれば
などの諜報活動を実施している。またグローバル
検索は可能になる。検索語ではなくて内容や曖昧
な多国間体制通信傍受体制としてエシュロン(山
語の検索などの技術が確立されれば検閲は可能に
本 2003)がある。アメリカを中心にイギリス,
なるかもしれない。しかし,これまでのコンピュ
カナダ,オーストラリア,ニュージーランドの英
ータの発達の歴史を見ると規制に対しては必ずそ
語圏 5 カ国が参加し,インターネット,電話,フ
れに対抗する技術的手段が編み出され,いたちご
ァックスなど主に通信傍受を行っていると噂され
っことなっている。現在のところ国家が技術的に
50
特集:越境するガバナンスと公共政策
優位に立っているように見えても,明日にはその
機能を強化することである(坂本 2004)。
技術優位はひっくりかえる可能性は高い。量より
前者のテロの犯罪化には「autdedere aut judi-
も質が優先する 情報技術分野で国家が必ずしも
care 原則を基礎とする条約上の措置」に基づく
技術的優位を独占するとは限らず,その意味で国
国際,国内法上の法整備が欠かせない。具体的に
家によるインターネットの監視は技術的に困難で
はテロを各国の国内における犯罪とみなし,テロ
ある。
事件の発生国が犯人を訴追するか,あるいは関係
技術的のみならず政治的にも国家が単独であれ
メディアの管理を強化することは言論,報道の自
国に犯人を引き渡すことができるよう,多国間条
約に基づき国内法を整備することである。
由などの基本的人権に抵触する場合が多く簡単に
また各国の国内裁判所だけでなく,将来的には
はできない。ましてや,テロ対策とはいえ,多国
国際刑事裁判所など国際的な刑事裁判制度の充実
間で協調してメディアを管理することは非常に困
を図り,テロを国際刑事裁判の対象犯罪となるよ
難である。なぜなら基本的人権を犯し民主主義を
う条約や国際法を整備し テロの関係国すべてが
否定しかねない報道管制やインターネット監視に
関与できる国際司法制度の確立が必要である。
複数の国が簡単に意見の一致をみることはむずか
他方,以上の法的措置によっても対処できない
しいからである。それに加えて,何よりも情報は
テロは戦争化する。つまり国内で犯罪化できない,
国家の安全保障の根幹をなすものであり,国益の
犯人が逮捕できないなど,関係国がテロに対処で
観点から簡単に他国と情報を共有できないからで
きない場合には ,攻撃を受けた国が自衛権を発
ある。そのため,国家が国家安全保障機能を回復
動してテロリストとの関係が明白な国家に対して
したとしても,一国であれ多国であれ,メディア
単独で反撃を加える,あるいは国連安保理がテロ
の管理を通じてテロの心理的空間への越境拡散を
を国連憲章に基づき加盟国への武力攻撃と認定し
防止することは困難である。むしろ心理的空間に
て,集団安全保障体制の一貫として対処する。
越境したテロに対抗するために国家が心理的空間
1986 年のアメリカのリビア爆撃(加藤 1993)が
でテロと対抗するための宣伝戦をしかけるほうが
前者の例であり,2001 年のアフガニスタン攻撃
合理的であろう。
が後者の例である。
2.1.3. テロの犯罪化,戦争化
テロに対する軍事行動には法的,政治的,軍事
テロの第 3 の越境拡散性を防止するには,犯罪
的に問題がある。法的にはテロと武力行使対象国
とも戦争ともつかない暴力としてのテロを現前さ
家との関係を反駁の余地のないほどに明白にしな
せるグローバル公共圏を縮小することである。そ
ければならない。政治的には国際情勢や国内世論
れには暴力を排他的に独占するという国家の本質
の反対などの政治的理由から必ずしもテロを理由
に立ち返って国家の安全保障機能を回復し,グロ
に国家に武力行使ができるわけではない。また軍
ーバル公共圏を国内の私的暴力の領域と国家間の
事的にもテロに対して軍事力がはたして有効なの
公的暴力の領域に閉じ込めることである。つまり
かという問題がある。リビア爆撃でこうした問題
安全保障面でグローバル公共圏をグローバル社会
はすでに明らかになっていたが(加藤 1993),今
から排除するのである。その上でテロを,まず国
またアフガニスタンでも同様の問題,とりわけ軍
内における私的暴力として各国が国内法で犯罪と
事面での実効性の問題が蒸し返されている。
して対処する。次に各国の国内法で犯罪化できな
以上,本項では国家の安全保障機能を回復し,
いテロは国家間の公的暴力すなわち戦争として対
その上で多国間協調にもとづく越境ガバナンスを
処するのである。
構築することがテロの越境拡散を防止する早道で
具体的には多国間ガバナンスの視点から言えば, あることを明らかにした。とはいえテロの 3 つの
テロを犯罪化するにはテロを取り締まる条約を締
越境性に対する個々の対処について,上記のよう
結して国際法化し,条約に基づき国内法を整備す
にそれぞれに問題があり,一見すると国家が国家
る。同時に多国間で協力して警察,裁判所等の国
安全保障機能を回復し多国間で協調してテロに対
内ばかりか国際的な法執行機関を強化すること。
処することが最も手っとり早いテロ対処法のよう
他方テロを戦争化するには国連の対テロ安全保障
に見えるが,実際には必ずしも十分にテロに対処
51
加藤:テロリズムの越境拡散と安全保障の公共政策
することはできない。というのも個々の国家が安
国家主体中心の多主体間協調ガバナンスによる脱
全保障機能を回復することと,多国間協調とは必
国家安全保障すなわち人間の安全保障 に基づく
ずしも合致しないからである。個々の国家が安全
テロ対策について考えてみたい。
保障機能を回復しようとすれば,それはむしろ個
2.2.1. 人間の安全保障による人間の発展格差の解消
々の国家が国益を優先して単独行動主義に走りや
グローバル公共圏におけるテロの越境拡散は,
すくなり,かえって多国間協調を困難にするから
具体的にはグローバル公共圏の非市民的公共圏か
である。
ら市民的公共圏へのマルチチュードの移動ととも
それは 9 11 後のアメリカの単独行動主義を見
に起こる。破綻国家や発展途上国あるいは先進国
れば一目瞭然である。たとえば国境管理では入国
におけるスラムなどの非市民的公共圏から先進国
を厳密にし,ゲーティッド・カントリー化する。
や大都会中心部の市民的公共圏にマルチチュード
諜報活動では情報の独占を目論む。そして軍事で
が移動するとき,テロリストもまたそれに紛れて
は自国の国益を優先して単独行動に走る。一見,
移動する。このマルチチュードの移動で問われて
多国間協調を求めているように見えながらイラク
いるのは,単に国境管理や監視カメラによる住民
戦争でもわかるように,帝国に擬されるほどに米
管理などの問題ではない。問題の核心は市民的公
国は単独行動主義を追求していった。米国だけで
共圏と非市民的公共圏の格差にある。
はない。国家安全保障機能を回復しつつあるロシ
グローバル市民的公共圏に属する人々のほとん
ア,現在国家安全保障を強化しつつある中国,そ
どは欧米先進国の市民であり,また発展途上国に
して EU の安全保障を追求しつつあるフランス,
おいては「知識と財産」を持つ特権階級に属する
ドイツなども単独行動主義の兆候を見せつつある。 人々である。他方グローバル非市民的公共圏に属
それは,単に米国の単独行動主義への反発だけか
する人々の多くは非西欧の発展途上国や破綻国家
らではない。むしろこれまでの米国との協調関係
のサバルタン(スビヴァク 1998)であり,また
よりも,冷戦後の混乱の中からテロ対処を名目に
先進国においては「知識も財産」もない社会から
自国の国家安全保障機能を回復,強化することに
疎外された移民,貧民,犯罪者などの非市民であ
安全保障上の力点を置くようになったからである。 る。グローバル市民的公共圏は経済的にも比較的
皮肉にも国家がテロに対処しようとすれば,テ
に豊かで,したがって教養もある市民によって秩
ロに対する各国の立場の違いもあり,結局は単独
序が保たれた市民社会である。また彼らの安全は
行動主義にならざるを得ない。むしろ単独行動主
国家や社会だけでなく,財産がある場合には保険
化による対処が相応しい。
に加入したり,警備員を雇うなど個人的に自らの
つまりグローバル公共圏を「帝国」内の国内公共
生命や財産を保障できる。他方,グローバル非市
圏に変えて,テロを「帝国」内の犯罪あるいは内
民的公共圏の人々は教育や労働の機会も奪われ,
戦とし,「帝国」内で処理するのである。米国の
貧困と無秩序のいわば自然状態に置かれたまま,
単独行動主義の動きはまさにそうした米国の「帝
個人的にはもちろん国家でさえ彼らの安全を保障
国」化の象徴である。皮肉にもテロが「帝国」化
できない。この格差がある限り,非市民的公共圏
を促進しているのである。
に属する非市民は生命の保障や「財産と教養」を
義を徹底し,「帝国
結局のところ,国家安全保障の観点からテロ対
求めて市民的公共圏に入場しようと希求し,それ
策を行おうすれば,多国間協調に基づく多国間ガ
にともなってルサンチマンを抱くテロリストが市
バナンスにはこれまで見てきたように多くの困難
民的公共圏に越境拡散する。
がつきまとう。
では,テロが非市民的公共圏から市民的公共圏
に越境拡散するのを防ぐにはどうすればよいのか。
2.2. 多主体間協調による脱国家安全保障として
のテロ対策
グローバル公共圏における市民的公共圏と非市
民的公共圏の問題は先進国と途上国だけでなく各
次に国家の安全保障機能の回復ではなく,むし
国の国内における都市部と農村部,都市の中心と
ろ安全保障面で機能不全に陥った国家に代わる,
スラムなど市民的公共圏に暮らす市民と非市民的
あるいは国家の安全保障機能を補完する新たな非
公共圏に暮らすサバルタンとの人間の発展格差
52
特集:越境するガバナンスと公共政策
の問題である。この人間の発展格差の解消(セン
とはいえ NGO をはじめわれわれはなぜ人間の
1999)こそ人間の安全保障の最大の課題である。
発展格差の解消に取り組まなければならないのか。
この人間の発展格差を解消するには,2 つの方
ここに発展格差の責任は誰にあるのか,という問
法がある。1 つは発展途上国や農村部,スラムな
題が生ずる。人間は皆平等であり,人権は等しく
どの非市民的公共圏の経済的開発を進めて非市民
擁護されなければならず,テロの温床を除去する
的公共圏を市民的公共圏に作り替え,サバルタン
ためにも眼前にある発展格差の是正,解消は喫緊
に市民となる機会を作る。今 1 つは,非市民的公
の課題である。しかし,現実に NGO や個人がで
共圏のサバルタンが先進国や大都市,発展地域な
きることには限界がある。この限界を決めるのが,
ど市民的公共圏に「入場」することを認め,市民
発展格差に対する責任の所在の問題である。
となる機会を与える。いずれの方法においても問
全ては個人の責任という個人責任論から,全て
題は,非市民的公共圏のサバルタンが少なくとも
は共同体の責任という共同体の責任論までさまざ
市民社会の一員となるべく,自立した善き市民に
まである(カー 1995:第 9 章;ホフマン 1985)。
なることを求められることにある。
また共同体の責任論も,個人が属しているグロー
この問題はさらに 2 つの難題をわれわれにつき
バル親密圏の家族,民族共同体,宗教共同体が負
つける。1 つは,市民とは誰のことか,市民社会
うのか,それともグローバル権力圏の諸国家が負
とは何か(ウォルツァー 2001:第 1 部),である。 うのか,あるいはグローバル公共圏に属する全て
今 1 つは,どうすれば善き市民となり市民社会が
の成員の責任なのか,あるいは市民的公共圏に属
形成できるのか。
する市民の責任なのか。
前者の問題は,主題から逸れるので,簡単に要
ここでは人間の発展格差の責任の由来の 1 つが
点だけを指摘しておきたい。それは,市民も市民
20 世紀における西洋の三大トラウマ(ハーバー
社会の概念もいずれも近代ヨーロッパに誕生した
マス他 2004:12 頁)の 1 つである植民地主義に
概念だということである。つまりギリシア・ロー
対する西洋先進国側の「良心の疚しさ」と被植民
マのヘレニズム文明とユダヤ教・キリスト教のヘ
地国の「ルサンチマン」にあることを指摘してお
ブライ文明の融合の中から生まれた西洋文明に固
きたい(ニーチェ 2003)。NGO の多くは欧米先
有の啓蒙主義の概念である。はたしてこの市民や
進国の市民的公共圏に属する市民による活動であ
市民社会概念が文明を越えて普遍性を持つ概念と
り,彼らの多くは意識する,しないにかかわらず,
なるかどうかはいまだに不明である。普遍性があ
植民地主義に対する良心の疚しさを感じている。
るなら,自立した善き市民は教育によって生み出
NGO 活動を通じた旧植民地国への無償の奉仕が
すことができるだろう。しかし,普遍性がなく単
良心の疚しさを少しでも和らげてくれるのである。
にヨーロッパ固有の思想にしかすぎないなら,他
だからこそ,西洋諸国が植民地化し現在もなお市
の文明から受け入れられず,場合によっては自立
民的公共圏になれない国家や地域に暮らす人々に
した善き市民は,堕落した悪しき不信心者とみな
責任を感ずるのであろう。
されるかもしれない 。
他方,植民地側の良心の疚しさは被植民地側の
前者の問題が解決したとしても,後者の問題が
ルサンチマンと正比例の関係にある。植民地側の
残る。具体的にどうやって市民を養成し市民社会
市民が良心の疚しさを強く感ずれば感ずるほど,
を形成するのか。国内の人間の発展格差の解消は
それに正比例して被植民地側の非市民のルサンチ
基本的には政府の役割である。しかし,破綻国家
マンも強くなる。逆にルサンチマンが強くなれば
や発展途上国など政府にその役割が担えない国家
なるほど,それに正比例して良心の疚しさも強く
や地域では代わってグローバル公共圏で活動する
なる。このルサンチマンこそが 9 11 同時多発テ
NGO がその任にあたっている。医療,教育,福
ロのような植民地側へのテロとなって間歇的に噴
祉,人権など世界中の NGO が取り組んでいる人
出するのである(加藤 2005)。テロが激しければ
間の発展格差の解消は,突き詰めれば市民の養成
激しいほど,一層植民地側の市民は良心の疚しさ
であり市民社会の形成であり,そして市民的公共
を感じ,NGO の活動もまた活発になるのである。
圏の拡大である。
その意味で NGO とテロリストとは良心の疚しさ
53
加藤:テロリズムの越境拡散と安全保障の公共政策
とルサンチマンの相互連関の中で奇妙な愛憎関係
置き換え権力と融合することで成立した主権国家
にあるといってよいだろう。
の解体であり,新たな主権主体誕生の第一歩であ
2.2.2. 多主体間協調ガバナンスの萌芽
る。
人間の発展格差は一朝一夕で解消できるわけで
第 2 は , 国 際 法 に 代 わ る 「 万 民 の 法 」( The
はない。国家や NGO が格差の解消に向けて努力
Law of Peoples )( ロ ー ル ズ 2006 ) あ る い は
を続けている間にも,ルサンチマンがテロとなっ
「コスモポリタン法」(カルドー 2003:第 6 章)
て噴出する。ではこうしたグローバル公共圏にお
の制定である。それをコスモポリタン法とよぶか
ける暴力に,誰が,どのように対処すればよいの
どうかは別にして,カントが構想した世界市民法
だろうか。
のように,国家ではなく個人が法の対象となるよ
多国間ガバナンスではテロを犯罪化するにせよ
うな国内法を超えた国際法がすでに制定されてい
戦争化するにせよ国家がテロに対処する。では多
る。たとえば国際人道法や国際人権法などである。
主体間ガバナンスでもやはり国家がテロに対処す
さらにこうした国際法に対処するために欧州人権
ることになるのだろうか。結論から言えば,第 1
裁判所,国際刑事裁判所などの裁判所も設置され
に国家に代わる主権主体が,第 2 に国家間の古典
ている。
的国際法に代わるコスモポリタン法を制定して,
ただし,このコスモポリタン法も西洋キリスト
第 3 に国家の軍隊や警察に代わる武装民間組織が
教文明の価値観に基づいており,はたして,他の
法を執行し,テロに対処するのである 。
文明の価値観との共約性があるかどうかは疑わし
たしかにこの多主体間ガバナンスによる対処は
い。たとえばイスラム法がはたしてコスモポリタ
現実性を欠いているように見える。しかし,実際
ン法とどの程度共約性があるのか,タリバーンや
には上述の 3 つの場面ですでにその萌芽を見るこ
アルカイダらイスラム原理主義者の言動を見ると,
とができる。
その執行はむずかしいといわざるを得ない。
第 1 は,国家に代わる主権主体の登場である。
第 3 は,国家の軍隊や警察に代わる武装民間組
国家に代わる主権主体は,上述したように,主権
織による法の執行である。市民的公共圏に暮らす
が相対化され最後には消滅する主権国家と,主権
市民の多くは国家の警察や軍隊だけでなく,財産
国家同様に相対化される非国家主体が協働する新
のある人々はさらに民間の警備会社に安全を保障
たな主権形態となる。その主権主体がどのように
してもらっている。また破綻国家や貧困地域など
構築されるのかは主題から逸れるので,ここでは
非市民的公共圏では警察や軍隊に代わって民兵組
新たな主権主体を胚胎していると思われる現象を
織が人々の安全を保障する場合がある。
指摘するにとどめる。
最近では PMC(Private Military Company)
それは国連による主権国家の相対化である。た
と呼ばれる民間軍事会社が軍隊や警察に代わって
とえば湾岸戦争以降武力行使に関して米国は一貫
非市民的公共圏における暴力を管理するようにな
して国連の決議を求めた。湾岸戦争で米国は安保
ってきた(Singer 2004)。実際,アフガニスタン
理決議 678 号に基づき武力を行使した。アフガニ
戦争,イラク戦争ではアメリカをはじめ各国の軍
スタン戦争でも前述のように安保理決議 1368 号
隊はもはや PMC の手助け無しには戦闘さえでき
および自衛権に基づいて武力行使を正当化してい
ない状況にある。また国連や NGO,さらにマ
る。イラク戦争でも強引に安保理決議に基づき武
ス・メディアもこうした民間の軍事会社の手を借
力行使の正当化を試みている。米国が国連に武力
りなければ平和構築活動や戦場での取材活動がで
行使の正当性を求めることなど 1986 年のリビア
きない。
爆撃の際にはなかった。国際社会において国連が
問題は民間武装組織を一体だれが監督するのか
国家の武力行使の正当性を付与する権威となりつ
ということにある。たとえば通常の警備会社は国
つある。このことは暴力の一元的管理を行う権力
内法にしたがい,他方民兵組織は誰からも監督は
と,それに正当性を付与する権威とが主権国家に
受けない。問題は PMC である。現在のところ
おいて分離しつつあることを意味する 。それは
PMC は,通常の警備会社同様に活動する国家の
教会の宗教的権威を否定し,世俗の政治的権威に
国内法や本社を登記した国家の国内法にしたがっ
54
特集:越境するガバナンスと公共政策
ている。しかし,司法制度が不十分で法執行機能
も弱い国家は民兵組織同様に PMC を監督できな
い。また PMC はグローバル企業であり,本社所
在地の国内法で十分に監督できない場合も多い。
そこで国家に代わって国連が PMC を国連の軍
隊や警察として一元的に管理,監督すればよいの
ではないか。現在国連は世界の NGO のセンター
の役割をはたしつつある。同様に武装 NGO とし
て PMC を国連が管理することを考えてもよいの
ではないか。
以上のように,実はすでに多主体間ガバナンス
の萌芽は見られるのである。問題はこうした動き
をどのようにより効果的に現実化していくかであ
る。
おわりに
最後に,多国間ガバナンスそして多主体間ガバ
ナンスのいずれにせよ,国連,国家,そして非国
家主体など越境するガバナンスに関わる全ての主
体が民主主義的手続きの下でガバナンスを実施し,
テロに対処しなければならない。なぜなら最も非
民主主義的なテロに対抗するには,迂遠なようで
はあるが最も民主主義的な手続きを踏んで対処す
る以外にないからである。視点を変えれば,越境
するテロが越境するガバナンスを生み,越境する
ガバナンスがグローバル・デモクラシーを育むの
である。
9 11 同時多発テロがグローバル・デモクラシ
ーへの第一歩となれば,三千人もの犠牲者の霊も
きっと救われることであろう。
[注]
⑴ 1970 年代に日本赤軍や西独赤軍など日本や
欧州の過激派が中東,アフリカ,北朝鮮など海
外に拠点を求めることが可能になった理由の 1
つは,航空交通の大衆化にある。その結果,日
本赤軍,西独赤軍,直接行動,赤い旅団,IRA,
ブラック・パンサーなど日本や欧米の過激派組
織と PLO や PFLP などのパレスチナ解放組織
との人的交流が促進され,いわゆる世界規模の
越境的なテロ・ネットワークが形成された。
ただし EU は,2004 年 3 月のマドリード列
車爆破事件を受けて,欧州対外国境管理協力庁
(FRONTEX : European Agency for the Management of Operational Cooperation at the
External Borders)を 2005 年に設置し,EU
域外からの入域を厳重に管理するようになった。
⑶ 例えば日本でもアルカイダのメンバーとみな
されたアルジェリア系フランス人のリオネル・
デュモンが,2002 年から 03 年にかけて偽造パ
スポートで日本に入国し,あわせて 9 カ月間に
わたって新潟でパキスタン人やロシア人ととも
に中古車の輸出業に携わっていた。彼はフラン
ス国内でアルカイダとの関係が噂された「ルー
ベ団」のメンバーといわれる。また 1996 年か
ら 97 年にかけてフランスとボスニア・ヘルツ
ェゴビナで殺人事件を起こし国際手配を受けて
いた。
⑷ 2005 年 7 月のロンドン地下鉄爆破テロの犯
人の内 2 人は,イギリスで生まれ育ったパキス
タン系,ジャマイカ系移民の二世であった。他
の犯人もソマリア,エリトリア,エチオピアの
東アフリカからの移民であった。
⑸ こうしたテレビの特性を活かしたテロの典型
が,スペクタクル・テロの嚆矢となった 1970
年 9 月の PFLP(パレスチナ解放人民戦線)に
よる「欧州一斉蜂起」作戦である。同作戦で
PFLP は 4 機の旅客機を同時にハイジャックし,
ヨルダンとエジプトで乗員,乗客を降ろした後,
ハイジャック機を全て爆破した。爆破の模様は
テレビで全世界に配信された。72 年 9 月には
ミュンヘン・オリンピックで「黒い 9 月」がイ
スラエルの選手村を襲撃する事件を起こし,そ
の模様はやはりテレビで全世界に中継された。
またハイジャックが起きるたびに,その模様は
テレビで全世界に中継され,人々は恐怖を共有
するようになった。テレビがあってはじめてテ
ロの暴力は圧倒的な情報の質,量をもった視覚
情報として,事件と同時並行的に全世界に伝え
ることができるようになった。
⑹ かつて PLO は自らの存在を世界に知らせ,
自らの主張を人々に理解してもらう手段の 1 つ
としてハイジャック闘争を行った。またテロ予
告は新聞,ラジオ,テレビなどのマスメディア
に委ねるしかなかった。仲間をリクルートする
にはオルグの要員を派遣しなければならなかっ
た。たとえば日本赤軍は来日した PFLP のメン
バーによってオルグされた。しかし,インター
ネットでは,そのようなオルグ活動はまったく
不要である。全てはインターネットを利用する
ことで可能になった。インターネットが現実空
間に加えてテロリストにまさに「セカンドライ
⑵
55
加藤:テロリズムの越境拡散と安全保障の公共政策
フ」である第 2 の活動の場を与えたのである。
新聞やテレビと違ってインターネット上で流
通する情報量は比較にならないくらい膨大であ
り,日々,その量は増大している。こうした現
状を考えれば,いかに国家が情報の検閲,管理,
統制を試みようとも,成果を挙げるのは困難で
あろう。
⑻ 核テロリストと米ソ核超大国との対決のモチ
ーフは『沈黙の艦隊』ですでに漫画化されてい
る。核テロは現在はマンガの世界のできごとだ
が,旧ソ連の KGB のスーツケース型核爆弾か
ソ連解体時に行方不明になったといわれるだけ
に,現実の出来事となる可能性は否定できない。
⑼ 1983 年 10 月のベイルート米海兵隊司令部へ
のトラックによる自爆テロで米海兵隊は 241 人
の死者を出した。このテロ事件がきっかけとな
って米軍はレバノンから撤退を余儀なくされ,
アメリカの中東政策は頓挫した。また最近
(2007 年 8 月現在)では米軍を中心とするイラ
ク復興が自爆テロで先行き不透明である。
⑽ そして現実空間,仮想空間も含めグローバル
公共圏はネグリとハートの言葉を借りれば〈帝
国〉であり,そしてそこに集う市民であれ非市
民であれ,いわば脱市民ともいうべき彼らこそ
マルチチュードと言えるだろう。水嶋一憲他訳
(2003),『帝国:グローバル化の世界秩序とマ
ルチチュード』以文社。
⑾ グローバル親密圏における私人の暴力は基本
的には共同体が属する国家が犯罪として処理す
る犯罪の圏域である。
⑿ グローバル権力圏における国家の暴力は国家
が外交交渉や武力行使によって処理する国家間
戦争の圏域である。
⒀ 越境するガバナンスすなわちグローバル・ガ
バナンスの主体はだれかという問題については,
以下の論考を参照。渡辺昭夫・土山實男
(2001),「序章 グローバル・ガヴァナンス」
渡辺昭夫・土山實男編『グローバル・ガヴァナ
ンス』東京大学出版会。
⒁ 主権形態の変更を伴わず,グローバルに権力
を独占する主権国民国家をここでは国家中心的
帝国と呼ぶ。
⒂ 日本では 2005 年から e パスポートと称して,
外務省を中心に法務省,経済産業省などがパス
ポートの IC 化の実証実験を進め,2006 年 3 月
からは本格導入された。詳しくは外務省ホーム
ページを参照。たとえば EU でも不法移民対策
として生体情報を取り入れ,各国と連携しなが
らパスポートの管理を強化している。詳しくは
「EU の移民政策」『europe』(2006 年秋号)。
⒃ 技術的には簡単である。各国の個人情報デー
⑺
56
タを収めたコンピュータ同士をネットで結べば
よい。
⒄ 9 11 同時多発テロ後,アルカイダのザルカ
ウィがアルジャジーラやインターネットを通じ
て,犯行予告や反米宣伝するようになったのは,
物理的空間でのテロが困難になった代わりに宣
伝によってテロの恐怖を増幅させようとしてい
るからと考えられる。
⒅ 2004 年に情報改革とテロ予防法(The Intelligence Reform and Terrorism Prevention
Act of 2004)により国家安全保障法が改正さ
れ,国家情報長官が新設された。
⒆ 通信傍受が実際にどのように行われ,どの程
度の効果を発揮しているかはほとんど不明であ
る。事件を未然に防止した時や,内部告発など
で活動の実態を例外的に一部垣間見ることがあ
るが,普段どのような活動が行われているかは
ほとんど不明である。
⒇ 米国の広報外交の一環として連邦政府の独立
機 関 , 放 送 理 事 会 ( BBG : Broadcasting
Board of Governors)が 2004 年にアルジャジ
ーラに対抗するために「アルフーラ」を立ち上
げた。しかし,当初から,米政府の対外宣伝臭
が強くあまり人気が無い。「米国:対イスラム
広報外交成果無し 米の正しさ強調で」『毎日新
聞』2004 年 8 月 21 日。
2006 年 1 月にグーグルは中国政府の検閲要
請を受け入れ,一部の検索語で検索できないよ
うにした。また中国政府は「チベット」,「台湾
独立」など特定の言葉が含まれているウェブコ
ンテンツを自動的に判別し,検索できないよう
にブロックしているともいわれている。http:
//hotwired goo ne jp
国家が千人,一万人と多数のサイバー・ポリ
スやサイバー・ソルジャーを揃えても,たった
一人の天才的ハッカーに対抗できないことが起
こるのが質が何よりも優先する情報技術の特性
である。
国際刑事裁判所に関するローマ規定」第 2
部第 5 条「裁判所の管轄権の範囲内にある犯
罪」として⒜集団殺害犯罪,⒝人道に対する犯
罪,⒞戦争犯罪,⒟侵略犯罪がある。しかし,
テロリズムは,定義に関して意見の一致をみて
いないために,対象犯罪となっていない(日本
外務省ホームページ)。
イスラム法のように近代法と体系が異なった
り,テロに対する考え方が異なるためにテロを
犯罪と認定できない,あるいは破綻国家のよう
に司法執行能力がない国がある。
2001 年 10 月のアフガニスタン攻撃について
安保理決議 1368 号は「国連憲章の原則と目的
特集:越境するガバナンスと公共政策
を再確認し」,また「国連憲章に則った個別も
しくは集団的自衛の固有の権利を認識する」と
して,国連憲章の目的を再確認すると同時に,
個別,集団の自衛権に基づきアフガニスタンへ
の武力攻撃を容認した。
帝国」とは,近代主権国民国家が世界化し
た単一主権による世界大の政治共同体のことを
いう。本稿ではネグリとハートの〈帝国〉や前
述のネット中心的帝国との違いを明確にするた
めに国家中心的帝国と呼んでおく。
本稿でいう,人間の安全保障とは,グローバ
ル公共圏における脱市民(マルチチュード)の
安全保障のことをいう。ホッブズは自然状態に
おける個々の人間の安全を保障する,すなわち
「人間の安全保障」(particular security)(永
井道雄の訳。永井道雄責任編集(1979),『ホッ
ブズ』世界の名著,中央公論社)として国家を
創造した。したがってホッブズの人間の安全保
障の主体は国家であり,客体となる人間は
「particular」とあるように個的存在としての
人間である。他方グローバル公共圏における人
間の安全保障(human security)の人間は類
的存在としての人間すなわち脱市民でありマル
チチュードとしての人間である。
先進国と発展途上国における国家間の発展格
差とは異なる。
啓蒙主義揺籃の地フランスにおける公教育機
関でのイスラム女子生徒の「スカーフ」着用禁
止問題はまさに市民の世俗性概念と宗教の対立
問題を如実に示している。内藤正典・阪口正三
郎編著(2007),『神の法 vs 人の法』日本評
論社。
筆者は『現代戦争論』の終章で,ほぼ同様の
アイデアをすでに提示しておいた。地球市民意
識に基づく多主体間協調ガバナンスの地球統治
機構により,テロを含む紛争管理を地域警察軍
が行うのである。同様の構想は,カルドーもコ
スモポリタン・アプローチとして提案している。
ただし,国連の権威の源泉は何かという問題
は鋭く問われなければならない。
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