労 働 と 健 康 第40号 1980.6.1発行 大阪労働者の生命と健康を守る実行委貞会 勝利への長い道の少 だとれず、全身せわる一と筋肉がポ′リ.ンポイ.リンと音 がします。 高 宮 久 代 (二)入社より発病まで (住家海上火災捧険(株)) ●、 昭和3‘4年入社と同画こ元文タイピストとして、 自動車をはじめ各保険の (⊥)私は認定ぎれ、職場に戻った 特約書とあらゆるものをタイプしてきました。仕 私は、・18年前陀邦文タイプで発病、以来病苦 と人権侵害との闘ぃでした、それが18年振りK 事はらねに追われ、締切前後は残業が続き、毎日 斎藤、松尾、渡辺弁護士をはじめ顎腕雁病者の会 昼の1時間を除いて1日中打ちっばをしで20年 の方々皆さんのど支援のお蔭で業務上認定されす のベテラ千の人が30分で仕上げるのを20分で ぐ会社と 処理しをければをらなぃ程でした。一日が終ると とが出来ました。発病以来今日まで背中はもちろ ぐった少し、2年目位から脱がだるく」背中がし んのこと頭から足の先まで全身に広がる激痛に頭 めつけられるようになカせした。私にはタイプの がぐらぐらし道路も歩くことが出来ず狂ってしま 打ちすぎからきて止ることがすぐにわか力ました うのではをぃか、また真夏に囲も吹h七h夜hの が、当時、背中の痛みが「頸腕障害」の病状であ に全身がジ■リジリと痛んだカ、人混みの中に入る ることが社内で知らされておらず、「もしや、結 と酸素が欠乏した金魚のエうにアップアップと苦 核にをったのでは…」と不安に思ぃつつも、会社 しくをった少しました。頸腕障害と診断された職 の健康診断や町医者からは夜にも云われませんで 業病を「わがせまからきた病気」という会社や病 した。痛さと仕事のきつさから上司にタイプの休 人である私を第1組合員(全損保)とぃう理由で 憩時間を認めてほしぃと訴えました。1日15分 数十人で「バカヤロウ」、「会社をやめろ」「気 の休憩時間が認められたのは訴え続けてから半年 狂ぃ」とつるし上げたゎこずぃたゎの毎日が続き 以上もたってからでした(他の課のタイピストは 地獄のエうでした。それが昨年の12月3日エカ 休憩時間が認められていた。) 2年8サ月振ゎに職場復帰し、半日のリハビリ勤 (三)雁病者続出 務をしてお力ます。会社は、職場の人達を会議室 37年、会社は新しぃビルに移転〔新住友ビル) に集めて「行政から業務上認定が出され会社も公 それに各課のタイピスト16名は、6坪程のガラ 傷扱ぃをすることにをカせした。職場の皆さんの ス張力に集められました。 理解と協力をお願ぃしたhし、又、暖かく迎えて 6坪程度のガラスの部屋で16名が一斎にタイプ ほしい」と紹介しました。組.合分裂以来14年間 原動力ナタイプを打ち出すと想像も出来をhエう せっとうを扱ぃを受けずに来ただけに夢をみてぃ 夜全属音が小さな部屋にこだまし、まるで機関銃 るのではをぃかと何度も自分の手をひね力ました。 を打ってぃるかのエうでした。ガラスの外では管 18年間の会社生活があせゎに厳しかったせぃか 理職が作業進行を監視してお力、仕事の忙しさと 発病以来全身の痛みがとれるものをらどんを一こと 冷暖房、換気の不備さから私の体は一層頭がガン でもしたぃと頑張ってきましたが全身の痛みが未 ガンと重く、朝起きるのがつらくイライラがとれ ー1− 恵山毎日でした。この間タイピストの中から9名 精神的凌圧迫を加え退職に追ぃこんでいくという が今でぃう顎腕障害の病状を訴え40年よ少1− 会社の意図で決行されたものです。このことは、 2年で12名のタイピストがさまざま恵理由で退 すでに裁判所や地方労働委員会で明らかにされて 職しせした。この中には退職してから病状が悪化 ぃせす。これに加え組.合三役の解雇、組合員への し、再就職も出来夜h、茶腕ももて夜ぃと泣ぃた 遠隔地への配転が行宏われせした。 人達が何人かぃせした。 私に対しても、「不当解雇撤回」のプレートを事 (四)組合の分裂と会社の人権侵害 務服につけて入ろうとすると、一カ所以外の出入 昭和40年エカ、職場の同僚らの依頼で私は分 口全部に鍵をかけ、唯一の出入口に各課の課長以 会(全損保住友海上支部大阪分会)の婦人部長と 下十数人の男子社員が立ちふさがカ、「きさまら 濠カ、職場の改善要求にとカくんでhました。41 わ/そん恵ものつける凌/はずせえ/」「事務服 年の年末不幸にも会社によって組合が分裂させられ は会社のものだ、勝手浸ことする夜あ/」とロビ るという状況に濠少ました。当時、私の職場でも ー中響きわたる大声でののしカロをわ宏わ夜とふ 多数の人が全損保に止どせることを表明してぃせ るわせて追いかけてきせす。又長ぃ間たずさわっ したが、部課長が連日一人一人を喫茶店に呼び出 てきた邦文タイプからいき夜力外ずし「明日から し「全損保に残れば首を切られるぞ」「差別され 事務にかわれ」とぃわれ、全く経験の浸い職場に るぞ」とおどし、多くの人を切ゎくずしせした。 配転させ、一切仕事もくれずトイレに行く時間を その結果、全国に3.000人もぃた全損保住友海 はかられました。机をものさしでビシッビシッた 上支部は1ケ月もたたぬ引こ50数名にまでな力 たき200人位の人が聞こえる大声で「きさせわ ました。私も、この50数名の一員として全損嘩 どこへ行っていたんだ/どこから月給もらってい にふみとどせカせした。会社は、全損保にふみと るんだ/きさまの仕事はじっとすわってぃるのが どまった組合員に対し、はげしぃ差別と圧迫を加 仕事恵んだ/」とののしられ、ボールペンやメモ えせした。例をとカせすと、課員全員で行ってい 用紙せでとカ上げられせした。有給休暇の申請を る栽陸会の旅行、食事ハイキング、慶弔の儀礼、 出すと、その都度課長、係長が「どうぃう.理由で その仲間から外ずされてしせう、お祝いや香典に 休むのか、泥棒にぃくために休むのか」としっこ も入れてもらえ食ぃ、会社の運動会にも参加を認 くきぃたゎ、昼休み各々出入口に鍵をかけ正面入 めず、当日は受付にガードマンを配置して参加を 口に全社員300人位をピケをはカ私達が入ろう 拒否、体育や文化のクラブも排除されてしまう。 とすると入るのを阻止し、耳の蓼膜が破れんばか 業務上必要夜回覧も見せてくれをかったゎ、課の カの大声でつばを一杯とばし、「帰れ/帰れ/」 打合会にも「一人留守番をしてくれ」と言って参 とシュプレヒエールと怒号で「入る夜■/外で言っ 加させず、職場の同僚と話をさせず「全損保に残 てたことをもう一度言ってみろ/」「バカヤロ列 ってぃる組合員と挨拶するを歯をみせて笑うを」、 「会社を中傷非諌する夜」「これでも女かあ/」 、昇給やボーナスも最低ランクに落すとぃう差別と とこづぃたゎ事務服をひっばったゎ……。この様 村八分でした。これらの手段は、全損保組合員に 貴人権侵害が毎日約3年続き、村八分と差別は10 −2− 長い間私の労災申請、補償要求に反対する人も一 年間続けられせした。あせカの恐ろしさに胸のは 部あゎせした。しかし、健康夜体をとカ戻し長く ク裂けそう夜毎日でした。 ついに44年10月29日、会社のつるしあげ 働き続けるためにも業務上を明確にし企業責任を で私は手足に激痛がおそい動け浸く夜力倒れてし 追求するしか通が凌いと53年10月労災申請に せしへせした。会社はあわてて住友病院にかつぎこ ふみきカせした。54年3月、業務上決定が大阪 みせした。診断は「神経の緊張からくる末梢神経 中央監督署から出されせした。 炎」と言われせした。それ以来背中が一層痛み吐 (七)会社に要求書提出 直ちに、患者会、民法協の弁護士と相談した結 き気と頭痛で異様宏全身の痛みがとれず、やむ浸 く時間内通院を申し入れると、会社は「君の病気 果、54年4月会社へ要求書を内容証明で送カせ ばわがませからきた病気だから行く浸ら時間外に した。2日後会社側弁護士よカ「慰謝料以外はほ 行け/」といわれ時間外に通院をしてお力せした。 ぼ太人の要求を認めてもレハハ、交渉に入力たい」 会社はその後も私が病人であるにも拘わらずつる と申し入れてき、その後会社側人事部メンバー弁 し上げを止めようとはしませんでした。 護士4名と太人側、太人と斉藤(弁)松尾(弁) (五)堺営業所(現、堺支社)への配 渡辺(弁)、書家村民を交渉メンバーとし、交渉 が続けられ、11月6日ほぼ本人の要求が全面的 転と病状悪化 47年1月私は結婚しせした。2カ月後、堺営 に認められ会社と協定を交わすことが出来せした。 業所への配転が命じられせした。この配転につい (別紙) て総務部長、業務部長に対し「頸腕障害で通院中 今、花形産業といわれ、学生の就職アンケートに であること、妊娠初期でつわ力もあゎ体を大切に もトップをしめている損保では企業間競争の激化 し浸ければ宏ら凌い、営業所の経験が全く浸い」 で、社員がノルマに追われ、成績が上らねば徹底 と配転撤回を幾度も申し入れぜしたが聞き入れら 的に追求される一方、少しのミスも許されず、先 れず、毎晩7−8時の残業が強いられ毎日戦場の 日、東京海上では9ケ月間に3名の自殺者が出る 様か忙しさでトイレに行く時間も凌い程で帰カの 等、ノイローゼ、内臓疾患と健康問題が深刻に浸 電車から降カると足が地についているのも解ら浸 っていせす。この成果が今病気で苦しんでいる人 い捏、体の痛みとで疲れきっていせした。首をさ の励みに浸ればと厭っています。 さえているのもつらく、53年3月に4ケ月の休 体の痛みが一日も早くとれ心から与える日を早く 業を余儀浸くされせした。4カ月後会社に出勤を 作ゎたいと頑張ってお力ぜす。有難うどざいせし 申し入れたところ、「完全に治るせで出勤しても た。 らっては困る」といわれせした。 協定書 (六)労災認定にふみきる 昭和54年11月6日 18年間の仕事の忙しさ、会社の人権侵害で、 高 宮 久 代 殿 私の体は全身がポロポロの状態で、このせせでは 住友海上火災保険株式会社 自分が廃人に浸ってしせうことは明らかでした。 取締役人事部長 丸 山 昭 −3− 昭和54年4月1日付貴書にエる要求に対して で主治医がその必要を認めた、通常妥当と考え は、今日に至るせで代理人弁護士間での折衝があ られる費用につぃて災害補償規程に基づぃて支 ゎせしたが、その結果、別紙のとお少回答いたし 払う。 せす。 3.身分、給与につぃて なお、会社とぃたしせLては、今画の労災認定に (1)昭和45年3月26日以降貴殿の本疾病に つぃては、異見があゎますが、行政庁の認定があ エる欠勤、遅参、早退につぃては、公傷病休 ったことを前提に、貴殿に就業規則を適用する他、 暇ないしそれに準じて取扱うこととし、これ 更に特別な配慮を加えたものであって、貴殿の健 に伴って過去に遡炉資埠、号数の見直しを行 康の早期回復を願辛、早期円満解決を願ったから なう。これにエ少貴殿の昭和54年度資椎・ であることを付言させてぃただきせす。 号数は、特に配慮し、G−7号とする。会社 は貴殿が本疾病につぃて休業補償を受けてい (別紙) 回 る問身分、給与につぃて公平に取扱う。 答 1.リハビリにつぃて (2)貴殿に既に支給した給与、賞与等と前記見 (1)貴殿の早期治癒・回復のため、会社は治療 直しにエる給与、賞与等との差額については のためのリハビリに協力することとし、その 昭和51年10月以降の分につぃて支払う。 ための出社の可否、時間、作業内容等につぃ て引 前記に基づく昭和54年10月迄の金森は ては、会社が、主治医の意見を基に、諸般の 次の通ゎである。 事情を勘案の上決定する。 ① 月例給与欠勤カット復元 877,080円 なお、出社時間につぃては原則として最低半 ① 賞与欠勤カット復元 2,857,870円 日とする。 ① 資椎号数見直しにエる調整 (2)貴殿は、3カ月に一度、会社産業医の診断 907,590円 を受けることとし、会社は産業医の意見を聴 取の上、必要事項につぃて主治医に伝える。 ④ 年度末賞与考課見直しにエる調整 178.350円 r3Jリハビリのための出社中は、公傷病休暇と 8,000円 ⑤ 見舞金規程上の差額 して取扱ぃ無給とする。 (4)リノ、どりのための出社の期間は、昭和54 合 計 4,828.890円 (他に昭和52,53年分所得税の再年末調 年9月1日以降通算3年間を目途とし、3年 経過後も平常勤務ができなぃ場合は、会社は 整にエる過納税還付額70.800円あゎ) 4.欠勤、休暇について 本人・主治医と協議しその後の取扱ぃにつぃ (1)昭和54年について、便宣、繰越休暇20 て検討する。 2.治療費につぃて 日間おエび定例休暇20日間を与える。 (2)昭和54年1月以降本疾病にエる欠勤は公 会社は、貴殿が今後負担するこの疾病の治療 傷病休暇として取扱ぃ、同じく遅参、早退に 費のうち、労災保険の給付を受けられなぃ費用 −4一 を短かくできないものかと思い、昭和49年6月 ついてもそれに準じて取拶う。 に大阪地裁に提訴しせした。国側証人も「清水さ 5_ その他 んを業務上と認めてほしかった」「仕事は忙しか (1)会社は、貴殿に労災保険、および、災害補 償規程では補嘆されなぃ経済的負担が生じて った」と証言し、弁護士もこれで勝てをかったお ぃることを認め、代理人弁護士問の折衝、合 かしぃとせで言われせしたが、夜にしろ裁判所を 意に基づき、これせでの治療費おエびその他 相手に裁判して勝ったことがあゎせせん。私の組 の費用をも含め、総額320万円を支払う。 合には法廷立会中に死亡した人の業務外は不当と (2)貴殿からの昭和54年4月1日付貴書記載 して最高裁まで闘った千々波訴訟があゎせすが、 の要求につぃては、この回答に貴殿が同意す 現場で亡くをられた人にこんを冷たい所が生きて ることにエ少全面的に解決したものとし、今 いる私に甘hハズはなかろう。最高裁で二度も業 後この要求について会社に対し、何らの要求 務外とされてぃるし、証書等では十分勝っている を行なわをいこと。 が、正直ぃって負けを覚悟せねば、と思ってぃせ した。内容に不満があると言ってもこれだけの判 以 上 決が出たのは、全面的に支援してくれた組合、傍 聴に資料づくゎに走力せわってくれた支える全会 長い間、支援して下さりあゎが 員、心エく証人にたってくれた同僚、全国の働く とうどざいましたおかげで勝利 仲間が支援してくれたからです。 することができました みなさん、ほんとうにありがとう。 勝てたのはみなさんのおかげです。 全司法柳 清 水 洋 子 判決内容を少し書きせすと、昭和42年当時は 主文を聞ぃた瞬間は、勝ったとぃう実感は沸い 一般事務従事者に頸肩腕障害が発症L一たことをう てきせせんでしたが、記者のインタビューを受け かがぃ知ることはできをいとして私の発症につい ているうちに私は勝ったんだ、うそじゃをいんだ ては、使用者としての責任をしとしをがら、発症 と心の底からふきだしてきてうれしくて涙がこぼ してからの安全配慮義務違反を認めています。最 れそうにをカせした。 高裁が切力札として摂してきた慶応大平林医師の 私が発病したのは昭弄口四十二年二月、以来申喜青 「三か月論」はとカ上げられていせせん。しかし 再審査裁判と今日せで十三年たちせしたが、この 身体の調子の悪さを上司に申告しなかったのは私 間、少しも苦しいと思ったことはありせせん。そ にも責あゎ、とされ又、現実には症状のでてぃる れは、すばらしい仲間がぃたからです。私はすこ 下肢症状は頸腕と関係なしとされてぃせす。 しおっちょこちょいで気がせわらをh所があるの 私の勝ったとぃうニュースをみて、実は私も頸 ですが、そんを私を、仲間は励せし、忠告し、引 腕で医者通ぃをしてい卑がどうしたら夜おるのか っばってくれせした。時間がかかゎすぎる認定手 おしえてほしぃと、電話をかけてこられた人がい 続(・発病九年目でやっと公務上もらった人がいる。) せした。 ー5− 私がやってきたことが他人の役にたてた/ 肉眼検査鱒、7ンプルやバイヤル瓶入力の注射 こん引こうれしいことけあゎせせん。 剤を、全数検査しせす。患者さんの静脈や筋肉に 国(最高裁)は、5月12日に不当にも控訴し 直接注射する製品ですから、⊥本の不良も許されません。 17〟7ンプルの場合、4本を左手にとカ、テー せした国が控訴したというニュースを闘ぃて、つ ブルの白紙の上で、7ンプルの先の検査をしせす。 らくて清水さんの顔がみれ浸いと言ってくれた職 場の仲間がぃせしたが、60才せであと20年、 次に、この4本の7ンブルを右手にとり丁度眼の 十分時間はあカせす。 前の100ワットの電球にかざして注射液の中の 60ミクロン以上の異物をチェックしせす。部屋 全国の働く仲間と共に闘ってぃくのですから、 全体は60ルクス以下の略さにして眼前だけ500 宏んにもこわぃものはあカせせん。 ルクスくらレルこせで明るくして、検査するのです。 これからもエろしく御支援くださレ㌔ 7ンブル1本につき13項目を1分間30本のノ ルマで石ひじを空中にあげて110分間連続して 四年闇の苦労実ってこ武田薬品 検査し、一日八時間作業しせした。 の富樫弘さん業務上認定を勝 作業をはじめて50分もすると、首がキーンと ちとる一 痛く表ゎ、目がポッとかすみせす。眼精疲労視力. 武田薬品研究所 西 田 陽 子 低下で診療所へぃく人、月一回あんて‖こ通う人、 肩こカで整形外科へぃく人、肩こカから歯がうい 四年前の五月、唐松がエうやく新芽をつけはじ めた八が岳のふもとの宿舎で「頚腕の頸て何のこ て職場を変わった人が検査員の中から出せした。 と?」と聞いて、「そん走ら私けぃわんやわ」と 同じ淀川区の日本シューリングで異物検査と包装 ぃったのが富樫さん(旧姓上村さん)でした。 職 害と在り、1974年業務上認定をとクせした。 場の仲間と連休と楽しんだ時でした。 それ以来四年、彼女は会社の執拗な妨害にめ け ず、家族、職場や地域の仲間、専門家、国会議員 AK検査機は、武田の開発した検査機です。一 の支援のもとに頑張カぬいて、ついにこの三月末 大阪、淀川労基署で腰痛、顎背痛症の業務上認 く少しせし車。 定 で、本格的に生産する前の試みの段階で、富樫さ を勝ちとカせした。 注射剤の異物検査で、腰痛、頸背 んは、もう一人の検査員と共に1974年から2 痛症に 年間この機械につきせした。二時間交代で、仕込 富樫さんは、中学を卒業した1963年の春、 武田薬品大阪工場へ入社Lせした。1973年 と取出し作業をしせす。仕込は、3分間を一単位 に 倒立板に入った800本の7ンブル(約5k9) 注射剤の異物検査部門( こで肉眼検査と「高速」自動7ンプル検査機( A 振力まわして、7ンブル頚部の液をとカ、高さ K検査機)の業務に従事してきせした。 一6− 85c苅の仕込台の上に並べます。高さ 35C彷の椅 多くの人に支えられて業務上認定 1976年春以来、富樫さんは業務上と認めて 子の前端佐坐って、800本のアンプルの量不足、 熔封不良等13項目を観察し膝前にある不良堆入 欲しいと組合を通じて会社へ要求しつづけまLた れへ、項目別陀分類します。良品を、機械におく しかし会社は業務上と認めず、半日欠勤の制度を れないよう仕込みます。足を前へ出せないので左 使って通院治療する富樫さんに制裁をほのめかし 右にそろえたゎひろげたゎと不安定充椅坐姿勢と 昇給を遅らせ、一時金も、有給休暇も半分鱒する 腰背部の屈曲作業(約2分)で、60ホーン以上 態度に出ました。 の騒音の充か冬は寒くL(しばしば・20℃以下)、 夏は300C近くで汗を流すきつい仕事です。 残念をことに組合もこれに同調しました。生産 王見場ではじめての認定闘争であったため運動の展 一方取出し作業は82cmの作業台上で左から右 へ締れる良品の7ノブルを、高さ55cmの椅子に 開が遅れて苦しみましたが、研究所の仲間の支援 坐って右手で寄せ合わせ右端で健に詰めます。足 を得て1978年12月淀川労基署へ申請しました。 はつま先だけしか床につかないので材料の一部に 武田薬品の職場活動家は研究所を中心に表示すよ 右足をひっかけた不安定、不自然姿勢で、1.10 よう夜労災・職業病へのとカくみをしてきました。 分間連続作業Lました。 松本問題は中心的にたたかった遠藤富雄さんを会 会社は、機械がいかに早く検査するかに力を注 社が不当にも解雇したので、解雇撤回の裁判 ぎましたが、新しい機械の導入にあたって、当然 開争にもとカくんでいます。しかし、富樫さん 夜すべき安全配慮義務を怠少、こん夜にもひどい を支援する運動はと少くみが遅れ、運動体が 作業を、富樫さん達にこなさせたのです。 作れず、主治医め黒岩、田尻両先生、職業病 富樫さんは肉眼検査で、首の痛み、肩こ如こ悩 センターの水野先生、大阪労.働者の生命と み、AK検査機についてからは作業中足のだるさ 健康を守る実行委大阪けいれん罷病者の会にたエ を自覚するエうに表ゎました。次第に、帰宅後も るとゎくみに在ったため、労災病院への受診命令 足がだるく立っておれないようにを少、立ちくら が出されるところまで追い込まれました。今年に み、胃炎を加わ力ました。 在ってエうやく支援する会が職場で発足し、全国 コンベア作葉に応援にいった1976年8月宋 33県760団体の署名を集め、また職場から労 脛の痛みで朝起き上れなくなりました。4月から肉眼 基署へ要望書を出し、交渉に参加してくれる人が 検査に戻り、5月頸背痛を訴えるようになりました。 増えました、東中光雄議員の国会での会社の姿 富樫さんの職場(製剤二課)は、従来注射剤の 勢追及、依田きく子府会議員の署交渉参加吉田先 主力工場でしたが、1975年の方針で、主工場 生の意見書の提出、駅頭門前でのビラ宣伝等と盛 でなくな少、人員も1/3に減らされ、係長も、 少上げ、暑交渉を積みかさねて勝利を手にするこ 「首を洗って待つ」状況でした。そん夜浸かで、 とができました。 1976年1月、労安法違反にエる酸欠死亡災害 職場復帰、職場改善、治療の補償等完全な補償 が起こ少、またバイヤル瓶が労働者の眼前で爆発 をめざしての課題が山積しています。ひと休みするこ したカ、出水事故等が相次ぎました。 となく、てれらにとりくもうと富樫さんは決意しています。 −7− 表1 武田薬品と日本シエーリングとの 勇気を持って〝職業病′′とたた 注射剤の異物検査業務の比較 かう (1mβ7ンプルの場合) ー私の体験よカー 園田競馬場、姫路競馬場勤務 武田薬品 会社名 日本シエーリング 西 山 文 恵 1974年 1976年 (ん発) (患者発) 〝競馬〝とぃえば、皆さんは、どんな印象をお 持ちでしょう? 検査本数 30本/分 8−9本/分 疾駆する競走馬の勇姿、スリルあるレース展開、 検査方法 肉眼でみる 拡大鏡で拡大し 迫力あるゴール寸前の追込み、それに大穴で儲け て肉眼でみる たこと……? 一連続作者の 110分 50一−60分 いやいやギャンブル公害に眉をひそめ、競馬廃止 (最長130効 時間 を唱える人も居られるでしょう。 ローフーシ′ヨ 無 有(包装業務と しかし競馬場で働く労働者のことは、あまカ御 ンの有無 1日交代) 存じでないと思います。 考 完全週休5日 第1、第3土曜 備 兵庫県にある園田競馬場と姫路競馬場は地方競 制 日は休日 馬として現在は兵庫県、尼崎市、姫路市が主催し 表2 この10年間の武田薬品大阪工場地区での その収益は、社会福祉への増進、医療の普及、教 主な労災・職業病 育文化の発展等の財源に、あてることとして開催 されています。 認定また H 病名または事故名 月日 職業性ペニシリン 松本洋治 私は、従事員として職を得て十一年、主に払戻 197310 窓口係として、的中券の支払い業務に従事してき 所 喘息 (死亡) ました。開催日に出勤し、一開催毎(六日間)に 19758 顎肩腕障害 主催者と労働契約を結ぶシステムとなっています。 工場 爆発 災上事故(作業員 吹き飛ぶ) 身分は日雇いです。 嵯峨山 昭和49年1月、園田競馬場で暴動事件が発生 197512 ますみ 所 しました、レース確定のミスから怒牒狂ったフア 米沢敬二 炎 酸欠による事故 所 地本 ンが暴徒と化して、次々と火を放ち、私達は火と 19761 工場 r死亡) 猛煙の中を逃げまどい、やっとの思ぃで入口へ出 佐々木 (重傷) た途端、待ち伏せていた暴徒に襲われ、持って逃 血清肝炎 嵯峨山 19761 膠原病 ますみ 岡野 研字訴 頸肩腕障害 上方 197712 万寿美 げた所持品は全部奪い取られ、靴も脱げ、その恐 所 1976 3 しさは、後日も夢で、うなされる日が続きました。 研究 所 しかし働かねばならぬ私達は、そんな自に会っ −8− ても、競馬が開催されることを願うのです。日雇 ってはなら ̄なぃ、ミスをすれば事故報告書、そし だから開催が貴ければ収入が得られ浸いからです。 て減給処分左どその時の状況にエって科せられま 暴動にエって周辺住民の競馬廃止運動の再燃を すが、最も恐れるのは、自分のミスにエって客を 恐れ世論や答申にエって廃場になるのでは夜いか 怒らせてしまった場合、たちまち人が集って来て …と不安を抱き夜がら働ぃてhます。 負けてぃる腹ぃせや群衆心男りこエって、小さな、 さわぎが大きく浸って暴動につをがる恐れがある その中にあって主催者の意識も、労働者の健康 管理、安全衛生等の認識は無く、労働者自体も変 ことです。 則勤務のため、この開催を辛抱すれば休日がある ミスをしては安らぬと極度に神経を緊張させな とぃう思いが、労働基準法も、安全衛生法も及ば がら迅速に手指を動かして券や札を数えます。そ 夜h社会を作勿上げて来たのだと思ぃます。 の券が機械化にエって、従来の券エカぶ厚くなっ そして昭和51年1月、園田競馬場で投票券が たものですから、指に力が必要と夜カ、帰宅後は 機械化され、それに伴h合理化が強行され、必然 サロン/てスを貼る日々が続きました。 ●●●●●●● 的に職業病の発生を見たものと考えられます。 やがて、宇はこわばカやしびれを覚えることが ●●●●■ 辛が痛ぃ、肩がこる、腰が痛レン‥と7チラコチ 多くなカ、仕事が忙しh日は指が大きく障れ、7 ラと治療に走力夜がら職業病とは気付かず、年の チラコチラと医院に診て貰いましたが一向に治ら せhだ…持病かも知れ夜h…と一人で悩み、誰か ず、中国針が効くと闘ぃて、中国針にも、出かけ が、あの薬が効ぃたと言えば、私も私もと買って ました。Lかし、朝は特にひどく、持った茶碗も たちまち大流行です。又、仕事が原因だと判って ポトリと落し、水道の栓をひねるのも苦痛となっ ぃても、賃金を貰ってぃるのだから…とあきら.め て来ました。丁度その項でした。 ムードがあって職業病の認識をど、ほど遠ぃもの (三)一同じ職場に同じ患者が一 でした。 同じ払戻の西井てるゑさんが 私も振返ってみると、あきらめムードは持ちま 「辛が硬直して動か夜h、電気が走るエう夜痛 せんでしたが、思しh病気とは気が付かず、良ぃ み、鉛を背負ったような背中、耳びれは流わ、仕 お医者さんに診て貰ったら、すぐ治るものだ… 事中に二功んだ硬貨もバラバラ落Lてしまう、辛が に考えてぃたと思ぃます。そして、日々の症状に 動かないのてトイレに行く時の情浸さは、恥しく 一喜一憂する毎日を長ぃ間、過してぃたものでした。 て人にも言え夜h、職業病だと思ぃます」と所属 する労働組合へ訴え出たのです。 (二) 仕事の内容は、的中券を支払う払戻係でした。 私達の組合は日雇婦人労働者八百名で組.織し上部 窓口へ客が差し出した馬券を、すばやく、年度、 団体にも加盟し、顧問に兵庫県会議員も居て、定 回、日、レース、組番、主催者名を確認しながら 期大会の議案書にも”機械化による職業病の闘ぃ〝 その枚数を数え、その配当金から支払うべき金額 が堂々と書かれてあゎ、西井さんは当然一諸に闘 を貸出して客に支払う仕事です。スピードを要求 ってくれるものと信じ切ってぃたのだと思ぃます。 され、支払ぃ金を間違っては在ら浸い、誤券を取 西井さんだけでなく皆もそう思ってぃたに違ぃあ −9− たいむね申出たところ、森本委員長は診断書を床 力ません。 へたたきつけ、「労基署へ行く浸ら勝手に行け」 しかし現実は、これも絵に書いた餅だと判る迄 の間、気の毒にも西井さんは、森本委員長に振力 と怒鳴カつけ、わめきちらしたのです。 廻されていたようでした。両手が硬直してしまっ 労務部長は〟組合を通さ浸ければ、どん夜話も聞 て一人で洋服のボタンもとめられ夜い西井さんは く訳には行かをい」と横を向き、森本委員長がた 欠勤せざるを得ませんでし舟、ところが組合から ゝき潰してくれるのを待って居ると云った形です。 西井さんは、奥野副委員長に助けられをがら、 呼び出され、執行委昌二名立ち会いのも.とで山本 労務部長に会いました。労務部長は「労働者は身 初めて尼崎労基署の門をくぐ力ました。山本労務 体の切々売カは当然だ。それで今まで賃金を得て 部長ほ先き廻少して尼崎労基署に連絡を取ってい いたのではをいか、辛が治ったと言ったら働いて たのでしょう。 酉井さんが申請したあと、すぐ、県の者二名が 貰う」と述べた。横から執行委員ほ西井さんを、 うをがし、「はしへ 手は給ゎました」と代j=こ答 来てそ えたという。西井さんはびっく少して立ち上カ、 か経過してから、電話で尼崎労基署よカ県が持ち 「レ、いえ私の手は治っていません」と叫びショッ 帰ったまゝだという事を開いた西井さんは激怒し クで涙をポロポロ流しをがら、帰宅したのです。 簡単に渡してしまった尼崎労基署の非を抗議した 今でも西井さんは述懐して話します、あの帰カ、 ところ、やっと西井さんの申請を受付けたという 私は死ぬことばか少考えた、電車の諒路が眼の前 ことでした。そのため西井さんが実際に提出した にあった。もう働けをい…私の手は一生治らをい 日よカ受付は、十日ばかカ遅くをっていました。 のだろうか、一生、一人で洋服も着られ安いのだ ろうか…もう少しで死ぬところだった…… (四) と、 西井さんの労基署申請の件は、労組内部で大変 それからの職場では、西井さんほ我がまま者だ 左洞を巻き起しました。租合点が最も動揺したの と蔭ロが流され、栽しかった友人も横を向き白眼 ほ、西井さんが労基署へ行ったため、大変なこと 視され西井さんに誰も電話もするを/女性ばかカ にをった、”競馬が廃止にをる〝とぃう噂でした、 の職場故に、生々しくすさまじいばかカの職場八 今から思えば笑止をことですが、当時は、皆、そ 分です。 れを信じたのです。それを裏書きするように森本 その中で唯一人、執行委員会の席上、奥野副委 委員長は臨時大会で演説したのです「西井さん一 員長だけが「職業病ほ闘うべきだ、西井さんを我 人の我億者のために、勝手に西井さんが労基署へ 億者だけで済ます訳には行かぬ払戻にほ手の痛み 行ったために競馬場が廃場に浸る恐れが出てきた を訴える者は他にも居る」と発言したため、森本 我々組合員八百名の死活問題である、又、副委員 委員長の激怒を買いそれからは、執行部の中で奥 長ともあろう者が、そうするように指導したのだり 野副委員長が職場八分に会うありさまでした。 と奥野副委員長を攻撃する内容でした。びっく少 西井さんは、もう一度、のぞみをかけて森本委 して組合員は怒巧ました。失業したらどうしてく れるのだ/西井さんや奥野副委員長は、何んとh 員長に会ぃ、診断書を提出して、労基署に申請し −10− う事をしてくれたんや/今から撤回して、すぐ前 た。一ケ月近く過ぎても何の連絡も浸いので労組 後策を取れ/臨時大会は大荒れに荒れました。 へ聞いて見ました。 無知夜組合員をあやつク、山本労務部長と森本 すぐ森本委員長に呼び出され、女医さんとの会 委員長はあとでにやっと笑ってぃたことでしょう。 話のぃきさつを、もう一度くわしく話せと言われ そして念を入れるように列席していた上部団体の て、女医さんが医者を紹介して下さるのを待って 全競労委員長(向日町競輪)は「払戻係から職業 いる事を、話しました。 病貴んて聞ぃたこと翠無い」と森本委員長を支持 森本委員長は、「主催者が聞きのがしたのか、 する発言をしました。 忘れているのかも知れんから、女医さんの居る神 こうして主催者と労働組合が手を結び職業病を 戸の結核予防センターへ行って、もう一度診察を ひたかくにする作戦は図に当カ〝労基署へ行って 受けるように・・・」と命じました、そして労組の執 はをらぬ′′と教え込むことに成功したようですが 行委員二名が同行して、女医さんに会いに行った 手の痛みに苦しむ者や、労働組合が常に//機械 のです。女医さんは、私の顔を見るをカ「覚えて 化による職業病の闘い〝を叫んでいるのに、現実 います、其の後如何ですか…」と言っただけで、 はどうしたのだ/との疑問を持つ一部の者が居た 横に居る男の人(医者?)を意識して口ごもるば ことを知っていたでしょうか。 か少。 しかし実際に、この西井さんの問題は手の痛み 又、同行した執行委員は、「払戻係から職業病 に苦しむ者にとって大変を打撃でした。 が出るはずがあゎませんこんを事を言うのは、こ もうどうしてよいのか判らをくを力ました。西 の人だけをんですよ」と言hました。 井さんのように悪党呼ばわカされたく安い……と 私は、悲しくをるばかカで、雰囲気に圧倒され、 思うの本心でした。でも手はボンボンに腫れて痛 何一つ舌づれをい自分に、情をh涙が出るばかカ んで、日常生活も思うように出来をくをってきた でした。そして医者を紹介して欲しければ主催者 のです、あせ力ました、休めば収入は無レ、……。 と労組で取勿決めた指定病院の県立塚口病院へ行 けと合ぜられました。 (五) その頃、職場で健康診断があゎました。私の手 自宅の高槻市から尼崎市にある県立塚口病院へ を診た女医さんが「けんしょう炎ですね、痛むで の通院は無理だ−と思いましたが、早速行くよう しょう」と言いました、私は治ら浸い手に悩んで に言われて私は「ノ\イ」と答えました。 いた時だけに、女医さんにすがゎたい気持で一杯 (六) に走力ました、一生懸命症状を訴え「私の家は高 県立塚口病院へ行くことに浸った前日、業務終 槻です。その方面でお医者さんを紹介して下さレ」 了後に払戻だけの臨時大会があゎました席上、奥 「判少ました、紹介しましょう」それから毎日、 野副委員長が職業病問題について話をされるとた 待ちました、職場での健康診断即ち主催者側の医 ちまち森本委員長はじめ執行委昌は罵声を飛ばし、 者だということ・・・・・・。たゝき潰されることも知ら 又も大混乱の臨時大会と夜力ました。 凌いで、無知夜私は、子供のように待ち続けまし そして奥野副委員長は、私の件を取上げ「西山 −11− 文恵さんが県立塚口病院へ行くと言ったことにつ 時大会で副委員長を解任されてしまったのです。 ぃて、本人の治療のことよわ同行者を誰にするか (七) …と執行委員会は、もめている情をい実情だ/」 そしてその五日後、尼崎労基署に申請してぃた と暴露されると、その時ヤジがとび 西井てるえさんは、競馬場の払戻係で初めて、業 「西山さんは払戻だから、仕事の内容を知ってぃ 務上の認定を受けました。その喜びは、涙、涙… る払戻の奥野副委員長が同行すべきだノ」そのヤ 迫害と職場八分の中で得た認定は、まさに暗夜の ジに対し、森本委員長は、「同行者は誰でもよぃ 一灯でした、テレビや新聞でも大きく報道されま 奥野副委員長に一諸に行って貰う/と怒鳴少返し した。西井さん認定の祝賀会と奥野元副委員長の ました。 労をねぎろう会が、同じ職場の者の発案で催され その舌の根も乾かぬ翌日、私は森本委昌長に組 ました。職場八分のはずであったのに集った者は 合事務所へ呼び出されました。 七十名を越えてぃました。その名も′′馬肉と姥桜〝 そして同行者を「森本委員長を取るか、奥野副委 をまじって〝さくら会〟と名付けられました0 員長を取るか、選べ/」と、つめ寄られて奥野は 〝馬肉〝にをる運命とたゝかって、勝った第一歩 主催者から、にらまれてぃる、そんを奥野と同行 を祝す旗上げでした。 すればあんたも一緒に、にらまれる、それでも良 しかし、主催者と労組は、又も反撃を加えて来 ぃのか./」と次々改められ、口では負けてしまう ま′した。国が認めても主催者は認めないと、西井 と思った私は、黙少こんでしまhました。 さんの認定後の雇用証明も拒否し、〝さくら会′′ に出席した者の大半を含めて、配転を職場で強行 そして女医さんの所へ同行した時の執行委昌の 「払戻から職業病が出るはずはあわ壬せん、こん したのです。 を事を言うのは、この人だけですよ」と言われた 当時、私は払戻の中でも取扱ぃ量の少h部署に移 時の情をさ、くやしさを思ぃ出してぃました。ど され、やっと職業病に対する理解を示してくれた れだけ沈黙してぃたか自分で覚えてぃません、そ と喜んだのも束の間でした。配転によって発売窓 して夢中で叫びました、「奥野副委員長に同行し 口係とを少、機械で打券し、発売するキーパンチ て貰ぃます./」途端に汗がふき出し、頭がクラク ャーに配転され重した。 ラとしました、あとで時計を見ると、何と一時間 最も悲惨を例は辛が痛ぃと訴え出て居た楠木由 三十分もせめられてぃたのです。主催者と手を組 美子さんは、〟 タオルをしぼる 〝〟 ひねる 〝〟重 んで絶大を勢力を誇る森本委員長をえらばず、職 hヤカンを持つ〝をどの雑務に配置され、配転後 業病と取組む奥野副委員長をえらんだことに、友 僅か二日間で痛みが全身に走わ、仕事が出来をぃ 人も、私の勇気にびっくわしてぃました。これが と労務部長に申し出ると「組合と協議して決めた 私の職業病とたたかう第一歩だったのです。 ことだから、組合に言ってくれ」と取少合わず、 しかし、森本委員長の攻撃は日毎に苛烈を極め、 欠勤せざるを得をくを力ました。頸肩腕障害の患 とうとう昭和5.2年11月禾、奥野副委員長は、 者が最も苦痛とする仕事へ配転する卑劣夜人事は 組織破療の罪を;阻合ニュースで発表された末、臨 人権上にも許されをhことだと思ぃます。 −12− る安んて自分でも不思議を位です。 私も又、配転後ニケ月経過、連休の続ぃた日は 競馬の売上げも大きく伸び多忙を極め、打券する 〟 さくら会〝の仲間も私の家族も、皆、励まして 手はしびれ、肩、頚と激痛を感じ、以前より症状 くれました。 私は、京都の職業病学校も職場の友人を誘って の範囲が大きくをって必死で苦痛とたたかぃまし 受講しました。そしてその学校で東近住先生の た。 講義の前、二十分位、時間を拝借して〟さくら会. (八) その頃、私達の仲間〟さくら会〝は、もっと職 の奥野さんに、今までの職場での取組みを発表し て貰いました。 業病の認定を深め勉強するために奥野元副委員長 を会長として、兵庫県職業病対策連絡会議に加盟 京都、高槻、そして兵庫県も、姫路まで及ぶ広 して、交流会をどに出席する活動を始めてお少ま 範囲夜行動範囲に、ヘリコブターが要るわよ‥・… した。その職対連のある、西診療所には、競馬場 と友人にびっく少されたゎ、又地域を越えた運動 の者が手の痛みを治療するため、二十名∼三十名 の一本糸が結ばれて私を励まして下さhました。 それだけに勝ち抜かねば夜らぬと痛む手に何度 と通院しています。 も決意を新たにする日々でした。 当時、職対連の事務局長であった高松聡氏は私 救済事業団の日笠氏がマイクロバスで京都を出 の自宅が高槻のため、通院しやすh京都の上京病 発、高槻市で二名、尼崎市で三名又、西宮市で三 院の日笠康徳氏宛紹介状を書いて下さいました。 私が今日も安心して治療を受けることが出来る 名と〟 さくら会,の仲間を次々と乗せて姫路市へ ように浸ったのは、そのお蔭だと感謝しています。 と走少、姫路労基署で早期認定交渉を一諸に行っ 昭和53年6月、上京病院の姫野先生に診ていた て下さったこと等、今思い出しても有難くて涙が だいてよ少、私が職業病であるとの確信をますま こぼれます。 す深めておりました。 私も私一人の問題で浸く職場全体の問題として取 一方、卑劣を配転で欠勤せざるを得をく浸った 組み職場改善へと働きかけ、健康で働ける健全貴 楠木由美子さんは、兵庫職対連と〟 亨くら会〝の 職場を夢みて、勇気を持つことの大事さを考えま 支援を得て、姫路労基署に申請し、認定闘争中で した。 患者は身体の苦しみだけでも、大変ですでもせ あゎました。 私も楠木さんに続いて労基署申請を決意しまし めて知識だけでも健全をものを…と皆さんとの交 た。私は欠勤しをぃで頑張って、療養給付の請求 流の中から又、先生方の講義の中から、学べる有 を上京病院を通じて出して頂くことにを少ました。 難さも知力ました。 私と楠木さんは、直前の事業所が、姫路競馬場 (九) のため、姫路の労基署へ申請しをければをら凌い 昭和54年2月、楠木由美子さんは、姫路労基 のです。 署よカ顎肩腕障害に加えて腰痛までも業務上の認 私の場合、出勤しているだけに、職場での風当 定を受けました。〟辛が痛い.と訴え出た楠木さ カは覚悟の上。弱かった私が、こん引こ勇気があ んに、タオルしぼカから重hヤカンまで持たせて ー18− 病状を悪化させ、欠勤後は、杖をつぃてやっとの は雲泥の差だ。職業病で苦しむ人達に、この私の 思ぃで歩ぃてぃた楠木さんは、認定しとの言葉に 体験記が少しでも役立ってくれる部分があったら 号泣して喜びました。 私は幸せです。 「労働組合の森本委員長と、労務部長の山本を殺 して私も死ぬ」と一時期は、病気の苦しさから錯 乱状啓を思わせる言葉で動揺してぃた楠木さんも 住友生命の「頸腕障害_」労災 今では治療に専念しをがら職場の改善は、労働者 認定闘争をふカかえって の認識の改善からだとしみじみ話をされます。 (−)は じ め に 昭和54年6月、私も姫路労基署よわ業務上の 認定を受けました。嬉しかった。職場で皆から さる4月、つぃに5名の申請者全員が相つぃで 「業務上」の認定をかちと力ました。 「よかったね」と言われてハツとしました。最初 の西井さんが認定を受けた頃は、皆ヒソヒソコソ 78年8月申請以来、1年8カ月日の決定です コソだったのに今の私は、肩をたゝぃてよかった 申請者は勿論、私達職場の労働者も「業務上疾病」 と言ってくれるのです。 であることに確信をもってきたが通常6カ月前後 眼には見え食ぃけれど職場での苦しh闘ぃの中 で決定されてきた中でこれほど長い時間が費やさ から、意識の改善が少しづゝ行われて来たのでし れるとは思ってぃませんでした。それだけに全員 ょうか。 「業務上」の認定とをった喜び以上に今後あらた に展開するであろう闘ぃはまさにこれからとの思 主催者と労働組合の森本委員長の大きを態度は 相変らずだけれど、労基局の指導によって、一部 ぃを弾めてし(ます。 ですが、休憩室も出来まL_,た。今まで休憩室どこ (二)これまでの認定闘争の取り組み 72年2月、宮崎さんの申請時よカ①申請者を ろか、定められた休憩もあゎません。現在も私は 定められた休憩の無h部署で働いてぃます。 先頭に「患者会」を中心に取少組みをすすめてき 労組も色々理由をつけて一年半以上も改選されず た。①労組へは発病及び労災申請にかかわる諸要 一般の社会から見ればまだまだ立遅れの感はあ力 求をその都度もちこみ、支援を求め続けてきたこ ますが、三名の認定患者が出たことで職場改善も と、③監督署と対立するので浸く、署は何を知わ 少しづつ進行することでしょう。私は思ぃます。 たhのかどうすれば調査がスムースに進むか等積 勇気を持って認定闘争に立ち向って本当によかっ 極的に協力してきた、(少生保産業内の経験交流や た、その勇気が又病気と闘う力につをがって私は 地域の運動へ参加、′特に「大阪労働者の生命と健 その上労働者仲間の連帯感も得た。上京病院、そ 康を守る実行委員会」や「大阪頸腕雁病者の会」 して救済事業団けぃわん友の会、その他、あらゆ をどから大きを支援があった。⑤「職業病一泊学 ● る人達の知己を得て助けられた、そして病気の苦 校」や「全国職業病交流集会」への参加を通じて しみの中から、健康で働くことのすばらしさも知 多くの闘ぃの経験を学んできた等でしたが今回は った、一人で悩み、一人で苦しんでぃた頃の私と 企業が「全員業務上」と認め左ぃとぃう極めて強 ー14− ㊤ 新聞「赤旗」が6回取卓上げ掲載した。その 硬宏姿勢に出て来た為今迄どお力では解決出来な かった。 結果、全国で働く住友生命の労働者や多くの頸 (三)今回の認定闘争の特徴点 腕患者から大きを反響があった。・ ⑳ 地域の労組や労働者が要請′、ガキや占ラ撒き ①すでに4名の認定患者を出し、業務起因性が 明確であるにもかかわらず、何の反省もをく、力 に協力した等、運動の拡まゎと世論の高ま少が で押し通そうとする会社の非常識を態度です。 3月禾に決定を出させる力にをった。 の 79年2月、会社は「5名全員業務外と考え (四)認定後の会社の対応 1.万全を期して完壁にやってぃるので頸腕障害 てぃる。違う結果が出た場合は裁判で争う」と 天満監督署長に直接圧力をかけてぃる。 の発生はあカえをレ㌔ その結果、79年3月にはほぼ決定が出せる状 ④ 執務環境(照明、換気、温度、湿度)に充 態にをっていたが、監督署は「59通達」に基 分配慮してぃる。 ㊤ 定期健診や特別健診等、完全に実施してぃ づく厳重、厳密を再調査をはじめ、申請以後1 年8ケ月の長期に及んだ。 る。 0 端末操作の1日当カの時間制限、継続時問 (ら 申請者のうち4名は職場で働きをがらの申請 のため「申請者と昼食を一諸にするを」「企業 制限等実施してぃる。 2.労基署の態度に不自然さがある。 破壊者」「転勤」「鮨内尾行」「残業や退職強 8)基本的な資料を申請後1年6ケ月経った80 要」等々申請者に直接イヤガラセや圧迫を加え 年2月に請求された。 て来た。 ㊥ 最後の資料提出から1ケ月日のスピード決 0「組合活動への参加」「身体がしんどくて残 定である。 業をし浸かった」こと等へ人事部長名の「厳重 0 実態調査(立入カ)を実施するよう労基署 注意文」で処分する等々又申請者に対しても、 に希望していたが実施され浸かった。 「万一業務上と認定されれば裁判をも含む何等 かの対処をする」等会社は申請者に対決する姿 ㊤ 労基署の関係者全員(3名)の更送 勢に出てぃる。 ㊨ 認定通知が会社にされなかった。 ②会社の不当で非常識を態度を社会的に明らか ()認定理由の説明がをh にし、地域的夜闘ぃを拡げた。 3.以上の理由から認定そのものに疑問を持って ⑦ 天満監督署へ早期に設定するよう、5,500 ぃる。 枚の要請ハガキを集中した(79年1月−2.月) 4・労基署から責任ある説明(認定理由)がをぃ (9 2回にわたカ患者ぃじめ実態や会社の不当性 かぎカ、本認定に対応して動くことは極めて難 をビラにして本社間辺で撒ぃた。(二種 2万 かしぃ。 枚)(79年2月3日) 等々の不当を態度を取力今だに、休業補償請求 0 2月には住友系争議団の仲間が独自でビラを 書(8号)や治療費請求書(7号)等の押印を拒 つく少自分達で撒ぃてくれた(22,000枚) み、労使間に結ばれた「業務上災害規程」の適用 −15− をしぶる等、今宏お申請者と対決する姿勢でかま 善及び補償、(2)症状にみあった訓練的就労の推進 えてぃる。私達は会社のこのようを態度を絶対に 嘲様々を圧迫、差別の中止、(4)予防への要求実現 許す事は出来左レ㌔ をど多くの課題があゎます。 私達は認定闘争とぃう1つの峰をこえた現在、 (五)闘いの成果と教訓 第1に全員「業務上」をかちとったことで企業 多くのど支援の力でかちとった「業務上」の認定 責任を社会的に明確にさせた。第2に「業務上の をテコに健康で働きやすh職場づくゎの活動を一 認定は「安心して治療L一日も早く完治」への要 層つよめてぃきたぃと思ぃます。 求及び予防対策等、実現へ大きく推進する力に浸 (食お\経過等につぃては〝第13回職業病一泊 った。第3に認定患者が9名に夜少、会社のすゝ 学校の討議資料に掲載してお力ます。) めて来た「合理化」と労働環境、安全対策、及び 報 告 労務対策等の重大を問題点が更に明確にをった。 第4にこの闘ぃを通して、職場の中に生命と健康 4月12日−13日アンケートか を守る運動の必要性が広まカ、今後、健康で働き らみた第13回労災・職業病一泊 やすh職場づくカの運動を1歩すすめる力にをっ 学校 一泊学校実行委具会 た事であ力ます。 ′沖縄を含め22都府県から351名が参加し、 また教訓とすべき点は①正当を要求を貫きたゝ かえば必ずかちとることが出来るとぃう確信を一 事実上、関西一泊学校としての規模と内容を示し 層強めた。②健康と働く権利を守る闘い及び認定 ました。 闘争の意義と位置づけをしっかゎ持ち確信にして 第一日日は、基調報告「80年代の労災、職業 行く事の大切さ。③健康で働く事は労働者の「基 病運動の課題と展望」のあと、春山明氏(総評幹 本的要求」との立場で広く職場内外の労働者の中 事)の特別記念講演「労災法制度の全面改変のね に訴え、運動の輪を広げることの重要性。④1つ らぃと背景」が行われ、夕食後は五分科会でそれ 1つの取組みの到達点をみん宏で確認しあぃ力を ぞれ次のよう夜基調講演にもとずぃて熱心を討論 あわせれば「企業破壊者論」をどの様々を攻撃も が行われました。基調講演は、「私たちの健康は はねかえせるとぃうことです。 どうをってぃるのか一喝代の疲労と疾病」(久留 (六)認定後のとり くみ 米医大 前田勝義先生)「治療と職場復帰につぃ 職場では業界のはげしぃ市場競争を背景にます て」(上京病院 三宅成恒先生)「職業病の企業 ますきびしぃ「合理化」が推進されてお力、その 責任一労災裁判の成果と補償」(神戸藤原精吾弁 必然的夜結果として円勤、外勤を含め全職階層労働 護士)「予防と協約につぃて」(日刊工業新聞、 者の中に様々夜健康破壊と労働強化の実態が進行 村上剛志氏)「患者会・地域組織と労働組合」 (朝日新聞労組 鳥居都民氏)で、そのあとは自 してぃます。 主交流。第2日目は朝から分科会を細分化して分 私達は当面、患者の立場に立った会社の責任あ 散会、午後2時よ少全体会議をもち、4時過ぎ閉 る対処を要求する。具体的には、(1)労働条件の改 −16一 校しました。をお、労災法改悪、労基法改悪、健 てぃたと思う。けいわんの治療や予防のために 康保健法改悪の各反対決議(別紙)を採決しまし 交流がいかに大切であるかがよくわかった。 4.全体の感想 た。各地域で要請行動と宣伝活動をお願ぃします。 昨年にくらべ朝昼食がよかった。会場への交 今年の一泊学校の特徴を7ンケートの結果から 通の便がよかった、内容がこくて勉強に浸った。 みてみましょう。 (第13画一泊学校7ンケートよぅ) 2∼3年前にくらべてよくなった、関西に労災 1.春山講演につぃて 職業病闘争のセンターのようなものができてぃ 労災法改悪をめぐる情勢について総合的で、 ることに心強く思った(徳島の人)。よかった 経過がよくわかカ明快でわかカヤすかった。 元気がでた(和歌山よぅの参加者全部)「現地 80年代初めにふさわしh特別講演であっ・た。 ニュース」がよかった。今までのうちで一番よ 独占のねらぃがよくわかった。すごくためにを かった。労災・職業病にとぅくんでぃる労働組 った復習します。バッグンに頭がすっき少した。 合の交流がこの学校で是非必要であると思った。 時間が短かった、もっとききたかったし討議も 闘ってぃる労働組合がもっとつっこんで交流し したかった。情勢にぴったカあった話でした。 浸ければなら夜ぃと思った。 5.要 望 ぃつも近視眼的になカがち恵ものの見方がずっ とひろがって確信がもてた。 休憩時間をもっととって欲しh。椅子がほし 患者にかけられている攻撃が労働者全体のぃき ぃ。つくえがほしレ㌔昨年のように疾病相談室 る権利にかけられてぃる攻撃であることがよく を設けて欲しい。また相談にのって下さレ㌔労 わかった。 災・職業病110番をおぃて欲しh。(問題が ぃっぱいあって学校だけでは間に合わ貴いのて〕 2.参加して 以下、7ンケートのぃくつかをなすのまゝ紹介し ほやっとだが問題意識がわぃた。4月に医療 ます。 機関に就職したが、ここ忙きて自分の仕事の意 0 昨日、今日の交流、学習を武器にあせらず、 味がよくわかった。労災は肉体労働者だけの 一歩一歩健康をとぅもどすために自分自身と、 問題と思ってぃたがそうでないことがよく 職場、地域の健康づくカにとぅくんでぃきたぃ わかった(患者の母)。若い患者の熱心な と思ぃます(婦人、患者) とぅくみ忙感動した(老裁判原告)。この 0 今年はじめて参加しました。労働組合の代表 経験を多くの学生仲間忙ひろめたい、元気 で、患者ではあ力ませんが、これからの組合活 がでた0(医学生)まよってぃたが参加し 動の「健康と権利を守る」闘ぃを進めて行くう てよかて、た。 をで、非常に参考になる沢山のことを学びまし 3.分散会について た。(男子組合代表) 小人数でゆっくカ話し合えてよかった。討議 0 初めて徳島から参加し、各府県各地の経験を がよく深めらゎた。ゆっくカ話できてまとまっ 学び、自分の地元で運動を進めていく上で確信 −17− 菅もちました。(男子・患者) 男 0 認定、補償を闘うためにはまず家族の理解と 女 宮 城 職種別 1 産業別 郵政 10 銀行 13 電々 19 生保 11 協力が必要と思い夫をつれて参加したが、夫は 石 川 4 勉強に在った又参加したいとぃってぃます。 神奈川 1 全司法 5 商社 9 愛 知 1 6 全労働 6 2 0 ア中経から参加された人と交流してあらためて 東 京 4 1 専 売 3 民商 1 この闘ぃの重要性を理解しました。米軍基地と 静 岡 4 8 KDD 2 電機 いう日本の法律や基準の及ばなぃところで多く 京 都48 の被災者の出てぃること、被災者と労働組合の 大 阪69 印刷出版1.8 農村労連 3 力で、本土恵みの労働条件に近づいてきたとい 兵庫32 交通運輸14 (婦人・患者) 40 13 18. 民間保育32 化学 者 うことをきき、闘ぃ浸くして安全浸しとぃうこ 奈良3 とを再認識した次第です。 弄口歌山 5 1一地方公務42 広 島 1 保母16 そ実現できるものである。労働組合があっても 鳥 取 1 調 理 4 団体役員 2 生合と健康の問題を取カあげなぃどころか、患 滋 賀 1 者に圧力をかけてぃる夜ど非階級的夜組合の支 三 重 1 4 証券 3 その他 18 配してぃるところからの参加が多かった。生命 福岡7 8 損保 3仁取材 と健康を守る活動に一定程度とカくんでぃるか 熊本l とカくめる組合が集って、つっこんだ交流、討 長崎2 議をし浸ければ浸ら夜ぃと思う(労組委員長) 徳島5 1l醜 5 6 昌 0 予防協約と 0 私たち医学生は、医学教育の浸かで働く人々 の疾病についてはとんど教えられ夜レ㌔ したが 香川1 って、職業病につぃて知らなぃ医者が養成され ロ 高 知 3 2 合計 351名 てぃる。そのため、一泊学校に参加して得た経 験をぜひ多くの学生に知らせ、今後も労災、職 業病についての認識を深めたぃと思っている。 (医学生) 参加者のうちわけ 宮城、福岡、高知、三重、兵庫、大阪、 広島、長崎、石川、和歌山、徳島、奈良、徳島 奈良、東京、鳥取、静岡、神奈川、愛知、熊本 滋賀、沖縄、香川、計22都道府県から −18− その他22 林業 一 8 1 る。労働安全衛生法に基づく予防規則 まず、職場環境の点検が問題とな を不幸にさせないこ上が一番肝心なの 求し、運動し、改善しなければ片手落 は守られているか。組合の点検活動は い、その改善に取り組んでいくことが ちといえる。補償の取り組みほ、同時 行われているか。環境測定はどうか。 残業時間を規制したり、休憩時間の にはきわめて重要である。 安衛妻具合に目を向けよう ヽヽヽヽヽ ロロ も予防活動の出発点である。 安全衛生︵職業病︶協定はあくまで に予防の取り組みを予定するものであ 組合の改善要求はどうか、など職場環 拡大、有給休暇などの休日増、完全週 十二日、十三日と二日周にわたって だ﹂と主張した。 り、予防の取り組みが十分行われなけ 虜一つを取っても問題は多い。組合要 休二日制の実現など、労働者が健康で 職場環境対策をキメ細かく 必要である。 れば補償を勝ち取っても問題解決には 求として漠然と﹁職場環境の改善をは 働き続けられる労働条件実現に常に努 は電々公社、郵政、民間保育所、印 行われた予防活動分科会︵分散会︶で 労働条件の改善は職業病予防のため ならない。 かれ﹂などと出す例もあるがこれは、 に通じる。この意味で、朝日新聞労組 力することがいのちと健康を守ること □□ ﹁賃上げをせよ﹂という要求と同じで 具体的な予防活動の進め方についてお 刷、化学工場、自治体職場の担当者が 具体的進展はみられない。 が腰痛闘争を磯に時短闘争を展開、三 また、健康診断についてはどうか。 である。 勤一休体制を実現させたことは教訓的 ら安全衛生委員会の意義が話題となっ とくに、労働組合活動との関わりか 合った。 互いに問題提起をしながら熱心に話し のアンケート 健康実態調査 以上のような、職場環境の測定、点 検、改善、健康診断とアフターケア はどこでも実 施されている ー、労働条件の改善などは極めて息が た。安全衛生委員を経験したことのあ が、その結果 る老も、〝単に会社の恒例行事的に安 ていた〟たために委員会の意義を十分 長く、根気のいる活動である。その意 認識せずに、会社から発表される健診 の検討を行っ こうした予防活動を板気よく進めて 全パトに参加したり、委員会に出席し いくためには、安全衛生委員会の見直 きない性格を持っている。 は会社に虻か とや、逆に安衛委員会は″労災隠し″ 結果データも〝ボンヤリ″見ていたこ 味で、予防の取り組みはつけ刃ではで せっきりでは しや、労働組合としての活動のあり ているか。会 ないか。﹁会 方、会社の安全衛生管理体制について 社の健康診断 社の健診は信 の点検も必要である。 果について組 目、全体の結 関や健診項 ない。健診機 何一つ解決し いるだけでは などと言って はなく、予防が先で労働者とその家族 まで補償する義務がある。補償が先で 場合、当然、労働者が健康をとり戻す その義務を怠り、職業病を発生させた 策を講じなければならない。よしんば に働かせる義務があり、.そのための施 協定の際﹁企業は本来、労働者を安全 日刊工業新聞労組は四十八年の労災 ︵労働安全衛生広報m267︶よ少 た。 よらなければならない、と確認され 的、身近なところから根気強い活動に た。そして〝予防″は一つ一つ現実 して有効であることなどが話し合われ 動〟に会社や労組を動かしていく場と も、活用のしかたによっては〃予防活 にしかならないと決めつけていた老 用できない﹂ 合ほ注意を払 19 一口に〝予防活動″といってもその 分野は広範囲にわたる。 職業病の、予防、こそ最重点と再確認した第13回労災職業病1泊学校 □□ 増える労組の参加 さる四月十二、十三日に京都二足都 旅行会館で〝第十三回労災職業病一泊 学校″が開催された。同集会は関西地 域を中心に全国の職業病患者、労働組 合の安全衛生担当者を集めて年一回行 われる〝学習会″。今年は〝春闘″の 最中に開催されたが福岡︵一五名︶や 静岡︵一二名︶など二一都道府県から 進む労組 −1﹁安全衛生予防協約﹂実現 在七三〇名︶ I第十三回労災職業病一泊学校・− 防協約および補償協約の統一要求を行 □□ 三四〇名が参加した。参加者の産業別 職種別傾向をみると、保健医療︵五二 った合化労連・化学一般関西地方本部 学労組︵小宮希士書記長︶では補供協 約は一〇年前から締結してきたが、安 をまとめてあらたに締結している︵一 全衛生予防協約として個々の予防協約 入∼一九貢参照︶。この協約は〝統一 予防協約″に〝労働者の義務″の一項 の点は、新田ゼラチン、米山化学も同 目を盛り込むことで成立している 職業病の 様の修正が行われている。 ように進めていったらよいか、日刊工 業労組村上氏の基調講演から紹介して みる。 □□ 〝予防〟あっての〝補償〟 〝カケ声〟倒れに終って小藩ようだ。 重視されてきているが﹂現実ほま妻 ⊥ 眉近、職業病闘争の中で〝予防″が の労働組合は、昨年末に労働安全衛生 防″活動は難しい課題である。 い。その点で労働組合にとって〃予 組みが十分でないとその土台も作れな 予防の闘いは、補償や職場復帰の叔り に関する予防協約および労働災害企業 合化労連・化学一般・・関西地方本部 1合化・関西地本− 三労組が予防協約締結 の大東化学労組の事例報告が行われ 七年前に労災協定 □□ た。 名︶、地方公務員︵四二名︶、民間保 ︵二九名︶などの他、金融、化学関係 育所︵三二名︶、電々公社、郵政関係 など広範囲の産業﹂職種にわたってい る。また、数年前までは、患者を中心 1日刊工業労組− 照︶ とした個人参加が多かったが、労働組 ︵二〇∼二一貫参 年前の四十八年に締結されている。四 求書に基づし各労組の会社との交渉の の統一要求を出した。この統一要 補償に関する協約 る人達が増えてきている。そのため 十年に腰痛が問題となり、四十五年に 日刊工業新聞労組の労災協定は、七 か、問題意識も従来の〃労災補償−認 職業病患者が発生すると労組は、治 組が要求︶、現在までに大東化学、米 療や休業補償など労災認定、補償の取 結果︵予防協約二八、補償協約三四単 山化学、新田ゼラチンの三労組が協約 し、当時同労組は一割の少数組合だっ たが、職場の改善要求と補償要求を出 は鉛中毒、頸腕障害と職業病が発生 し、アンケート、職場点検、自主検診 定″に終止する方向から . 〝 労 災 ・ 職 業 て、予防活動を積極的に進めていこう を締結した。 ここでは、労働災害・職業病の予防 労使関係の正常化の一貫として四十八 障害七名を労災認定させると同時に、 を行い、鉛中毒九名、腰痛五名、頸腕 れ、本格的な労災・職業病予防のため する取り組みは労災補償に重点が置か 従来の労働観合の労災・職業病に対 明し、改善しなければ再び患者が出る の原因となる労働条件や職場環境を究 年に労災協定を結んだ。また、職業病 なかった。 の〝協約″を締結する労組は極めて少 ことは明らか。補併だけでなく、病気 で小休止してしまう。.しかし、職業病 のための活動についての分科会から紹 ての組織統︻を図ってきている.。︵現 対策を進めることにより労働組合とし 場環境の改善に目を向け、点検し、要 を発生させた原因である労働条件や職 問題に早くから取り組んできた日刊工 今回、活動の経験を報告した大東化 業新聞労組と昨年秋繭で安全衛生の予 〝予防活動″については、安全衛生 介する。 り組みを行うが、認定を勝ちとること とする動きが強まってきている。 病の予防″活動こそ最重点なのだとし 合の安全衛生活動の一貫として参加す 一編集部− − 20 腰部の筋肉が大きな力を出すと、腰仙椎椎間板 く文献紹介〉 の圧迫が大きくなる。40才以下の年令の男の 物品取扱いと腰痛 腰椎の軟骨組_織が微小夜骨折を起こし始めるの Don B。Cha王王in(西山勝夫) は、約725k9(300∼869k9以上)と推 定される。女のばあh、それよぅ約17%低山 1.物品取扱いの負担 椎間板に障害なければそれがヘルニアを起こす 作業者の腰部に加わる緊張は、取扱う物の重 さと取扱ぃ方によってこと浸る。手やからだで ことは夜ぃが、軟骨組_織終板は弱ってくる。と 重ぃものを支えると、からだのいくつかの関節 くに以前の圧迫のときの微小骨折や傷あとがあ が回転したカねじれを起したカする。そのとき れば非常に粥川、椎間板の変性をも来すことに 筋肉や関節に過大な力がかゝることが少浸くな 在ると思われる。つまカ、くカかえし物を持ち ぃ。たとえば、肘の関節につぃてぃる主夜屈筋 上げてぃると、軟骨組織終板や背索下の骨の微 である上腕二頭筋や上腕筋は、手にかゝる負荷 小骨折が起きる可能性があカ、それが椎間板に の7倍以上もの力を出さねば在ら夜レ㌔(図1) 作用して、圧迫に耐えうる力を退化させる。そ すをわち、20k9の物をほぼ肩の高さの棚の臭 の結果、椎間板のせんh輪がふくらむかこわれ から両手で持ちあげようとすると、伸ばしてい て、周囲の神経根を圧迫する。 る肘の屈筋は292k9の力を出さねば浸ら夜レ㌔ この一定期間の反復負担による椎間板起因性 それでも筋肉は収縮する時の方が力が強ぃので の腰痛が、すべての慢性腰痛の70∼80%を 可能である。しかし、もちろん何画もやると疲 占めるとLr>う医師もぃる(RoWe,Morris) れるし、また関節をぃためることになる。また、 その結果、椎間板の変性や椎間挟小化、骨増殖 このとき肩の画転力や屈筋の力が大きく走力、 夜ども起こカうる。重筋労働者には、こういう 前者は734k9・C皿近くで、女なら90%が、 人が座位労働者の1.5倍ぃるとぃう報告もある。 男でも40%がこの姿勢でこれだけの力が出せ このように考えると、腰痛は最初に発生した 夜レ㌔ 肩関節は、屈曲や外旋のばあい、大きh ときの状況だけで判断してはぃけかへ 事実「 力に耐えられ夜レ㌔ 突きさすよう夜痛み」から始まるケースは少浸 このよう夜姿勢での取扱し(は、挟h倉庫やス く、症状はこわばカから鈍痛へ、さらにたえが ペースに多くの機械や製品が収納されてぃると たぃ苦痛へとゆっくカ進む方が多い。だから、 きによくあるものである∩ 訴え発生時の状況だけで判断してはぃけなレ㌔ また、腰仙椎関節もこのときねじれ、15′) 物品取扱ぃにさぃし重要浸ことは、rl)個々の Sl間の椎間板に1200k9・c皿以上の回転力 姿勢がぃかに腰部の緊張に関係するかであカ、 がかゝる。(図2)これは両膝の間に40k9の 物品をもち上げるまえに荷物の重心をできるだ 物をかかえたときと同じ力である。腰部の背骨 けからだに引きよせること。荷物が床にあると は、モチのよう夜椎間板で結ばれた連接棒であ きはしやがみ、両膝の間に入れてもちあげるこ るが、その下部に最大の弱点がある。 と(そうすれば背中がほぼまっすぐにできる) −21− 従って荷物も膝1こ入る程度に小さいこと、(2)荷 したカ、ほうカ上げたゎされた荷物をとらえよ 物が大きいとき:腰部の回転力は大きく、圧迫 うとするときの動作が腰部の障害を引き起こす。 力と筋力を増大する。足を少しまげ背中をまる だから、物品取力扱いは、ゆっくカと慎重にす め、荷物におおぃかぶさるようにして持つと、 るよう教育するべきである。荷物にたぃして、 しゃがみ姿勢よカ年迫力が約1/3ほど少なく 足をどうそろえ、手でどう握るかは十分気をつ てすむ。(図3)しゃがんで大きぃものをもつ けねばならなレ㌔ と、その他脱が水平に伸びてぃるので肩での大 2.腰痛と物品取扱い作業 きい回転力が必要と夜カ、もち上げが大変であ 腰痛の医療補償請求が全体に占める割合は、 る。それをカバーするため体を前に倒すと、背 15%(7メリカ全産業)から30%(スエー 椎の負担が大き’く、椎間板内に不均一な圧迫が デンのある産業)までいろいろである。その発 起こる。このようを背部の過度の屈曲は腰の下 生率がとくに急増していることは、たとえばウ 部をいためて危険である。 インスコンシソ州の統計で7.7%(1938) から19,1%(1965)にふえたことでも 次に、片手で持つよう夜非対称のもちあげは 腰椎を側屈するだけで浸く、背椎を前攣し、そ 分る。英国の1968年の労働日損失は3800 の部分の回転を生じる。実験的研究(Ear 万日といわれ、スエーデンでは200万労働日 fan)では、椎間板のせんh輪が腰椎のひね とみてぃる。7メリカのある大電子製造業の一 如こたいする涙力抵抗の40∼50%を受け持 年間の報告によると、腰痛1件あたカ労働日損 つ構造とをってお守、椎間板が変性すると、こ 失は平均4日であったが、バラツキが大かった。 腰痛の10%は休業が必要をほど重症であっ の涙力抵抗も正常の強さの半分以下に低下する。 さらに背部衝組織への負荷は、背椎を支えてぃ た。よカ重症夜腰痛についてのケース当力平均 る多くの筋肉のうちの特定なものだけを集中的 損失時間は、ワシントン州労働産業省では平均 に緊張させる。だから、からだの片方で荷を持 125日以上であった。また、Eastman ち上げることは避けねばなら夜レ㌔ このようを kodak社の全昌の腰痛による平均損失時間は もち上げについて基準が確立されてぃをいこと 呼吸器疾患に次いで多く、患者が重労働につい は問題である。 ているときは非常に長引いてぃた。 また、Park によると、6.5−23k9の荷 また、オンクリオ州の腰痛補償の分析によると、 物を床から運搬するときの持ちあげは、約100 労災補償にもちこまれるよう夜ケースは30労 ミリ秒かけてぃるが、静的負荷にくらベ15∼ 働日以上の損失に在るだろうとぃうことである。 20%多い加速度効果をひきおこす。このよう それにかゝら夜ぃものには2∼4日の休業、夜 に早h動作に在ると、脊椎を支える多くの筋肉 hし10日の損失をどが多く含まれてぃた。全 を協調させるため、神経緊張が強くなる。筋電 米の「職業と病院」活動委昌会で分類した194 図研究(Donisb ら)によると、腰部筋の協 の病気のうちで腰痛は入院日数の順位では11 調阻害が筋疲労をおこすとぃってぃる。また落 番目で13の州で第1位を占めていた。 ー22一 Nachemsonは、世界中の人の70∼80% 97.5%に通用できる持ち上げ能力予測グラフ が一生のうちある時期には、しどとにさしつか と比戟した(筋力、平衡能力、好ましい姿勢、 える程度の腰痛にかかるとみている。この腰痛 腰椎の力についての生体力学的モデルが作られ は労働年令(20−55才)に大ていかゝ少、 からだの前で両手で大きい荷物をゆっくクとか 20∼30才で初発することが最も多い。また、 ゝえあげることを前提としている。)荷物の重 腰痛は再発することが多く、もっとも多いのは さと位置がこのグ≠フの値に近ければ、非常に 3カ月∼3年どとに起こるケースである。 強くて大きい人だけがその荷を扱えることがわ Nachemsonは、腰痛のくbかえしは40才 かる。各戟務忙つレ咤の持ち却プ弓鍍評価(もSR)は その職務でもちあげられる重さ 代が一番多いと云っている。事実、腰痛は長い 経過でみ浸ければ在らず、ふつう5年間は注意 大きいか強い人で持ち上げ位置での持ち上げ 強さの予測値 を必要とするといわれている。 であらわすことができる。(0は持ち上げ宏1ハ だから腰痛は労働者にとってつきものであゎ とくに若ぃ人々をおそh、再発さす。症状の起 とき、1.0は非常に強い人しか持ち上げられな 打方はさまざまで、作業との起因性の確定は非 い)。 LSRが0.5以上の大きい強度の必要在職務 常に難しh。腰痛を「負傷」と医学的には言え 夜hのである。Roweほ、腰痛患者の4%しか や小さい強度を必要とする多数の職務(男女と 外傷性のものは診浸かったと言ってぃる。 も)につぃての評価の結果、婦人だけに浸され Snookらは、ケースを過去にさかのほってみ る職務では0.6以上の強度の必要夜ケースはほ ても、特別在原因を見出せなかったと述べてい とんどみられ浸かった。 る。今壬では労働を重労働、中労働、軽労働と 各織務別の腰痛発症率の調査から、(1)腰痛の 区別して、カロリー消費だけで判定し、わるい 平均発症率と各職務のL SRとの間には強い正 姿勢で2∼3回10∼20k9のものを運ぶよう 相関がみらゎた。(図4)中等摩の強さでは潜 なものは軽労働としていた。Chaffin らは 在的な有害性があるように思われたが、L SR 大規模な電子部品の製造5工場で、各工場にい O.8以上は男たけであった。また中等度から重 る1人の常勘医と技師によって、411人の男 度の緊張(0.2<LSR<0.8)の職務にある 女の1.03の職務を対象に卜、約1年間の受診 女は、軽い緊張の女にくらべてずっと強健であ 17430人(毎週25のしどとに関係ある腰 ることが認めLれた。さらに、職務中と職務外 痛発生)を分析した。 で起った腰痛のどちらにも同一夜傾向がみられ 103の職務の身体的緊張の評価は、(1)IE た。結局、約16k9以上の荷物をからだに近づ と職務分類の記蒔から、手で行う物品取研いの けるか、9k9の荷物をからだから50∼75cm 職務につぃて行わわた。物の重さと作業者の平 前方で持ち上げることが、ある人々には潜在的 衡点(前部足部)から物までの距離を、持ち上 に有害であることが明らかに在った。 げの始めと終ゎで評価した。これは労働人口の (2)職務における最大LSRでのもちあげ頻度 −23− が腰痛発症率と統計的に関連づけられた。最高 採用前に腰部のⅩ線をとカ、起立弛緩背柱 強度を必要とするもち上げが1日当カ50回以 から適性を判定しようという試みがよく浸さ 下のとき、中ぐらい(50−150回)よ力も れてきたが、その妥当性は疫学的に立証され 有害という結果が出たが、(図5)150回以 てい夜レ㌔ Ⅹ線ばくろを減らそうというよ論 上に売るともっとも危険が高い。後者の結果は もあゎ、適性検査には不適であろう。 川緊張の強い事態が比較的多い頻度、(ロ)筋疲労 (2)健康歴、病歴 の一層の潜在、H各持ち上げ時の整合のとかな 腰部の健康歴と腰部機能の評価が役立つこ い筋活動の組み合わせから説明できる。 とは、再発が多いことからも明らかである。 Chaffin の1年間調査では、腰痛を過去 しかし、頻度で夜ぜ腰痛が多しハかは説明しに くレ㌧ 二おそらく、この職務をしている人はもち に起こした人の発症ははじめての発症の3倍 上げに適合してい浸いのに、「しょっ中では浸 あった。しかし、採用前に問診しても、たし いのだから」「軽労働だから」という理由でや か夜資料がえられるかは分ら夜レ㌔ 制 脊柱前轡l」定 らされているからであろう。また、この結果は、 Tichauer が開発した方法で、対象者 訓練や熟練のかくとくには、毎日ある回数くゎ かえす必要のあることを示している。臨時的夜 にさまざまの時間に荷物をかかえさせ、脊柱 持ち上げ作業も、もっと重視されねば在らをレ㌔ の位置をみる装置で測定する。背部の弱いも 以上のことから、(A約16k9の荷物を1コ持 のは脊柱の形に変化がおこる。この方法はも ち上げると、L5′\ノSlの椎間板上に300k9 っと検討の必要がある。 をか夜カニヌた力を引きおこす。これはすでに 〔4)身長、体重 変性を起こした椎間板には有害である。(B)未熟 肥満とやせ、皆の高低と直接腰痛は関係は 練夜やゎ方で反覆されると、非整合的夜筋収縮 安いが、非常に長身の人は腕も長く、物をも と、その結果として起る関連組織への反生埋的 ちあげたゎ運んだ少するのに負荷が大きいだ 負荷と過緊張がかこる。とくに体からは浸して ろうし、作業台が低いとからだを前傾し静的 水平に腕をのばして荷をもちあげると、16kg 緊張は大きく在る。しかし逆に遠くにある物 以下でも有害である。ということが云える。 に手を届かすためには、わるい姿勢をとら浸 くてもよい。だから統計的に長低での差は浸 ふつう、何でも浸いとやっている物品取扱は いが、個別に作業配置するときは長低の配慮 潜在的に有害夜のである。 が必要である。そういう意味では、ある範囲 3.腰痛の個人差 の体格の人々をそろえた方がよいが、職務の 同じしどとをしても、腰痛をおこす人とおこ さ凌い人がある。職掛こつけるとき、腰痛にか 再設言十ができる在らからだに合ったしどとが ゝカやすい人とかかゎにくい人とみれけること できるよう努力するべきである。 ができる方法はそれほど明確に浸ってい夜レ㌔ (5j 弓重度テスト ーつの方法は、その職場の最大持ちあげ重 (1)腰部Ⅹ藤 一24− 量に等しいだけ鉛の玉を入れた運搬箱を持ち それほど緊張の高く浸い人に比べて、腰痛を 上げさせ、らくらくと持ち上げられたらその 発生しやすいのでは浸しハか。Chaffin の 職務につかせるという方法である。(図6) 研動こよると、(イ)JSR≒0.5の集団は強度 これはよいとは云え浸い。潜在的左危険も分 能力の半分以下の低いレベルの緊張、つまカ ら夜レ㌔他の方法は、ねた姿勢から手をつか LSRが0∼0.3を要する人々、(ロ)JSRが ずに起き上がれる人は起き上がれ浸い人よク 0.5∼1二0の穏当左緊張の集団で、もっとも 腰痛にかかゎにくいというもので、腰痛者の 頻繁に中∼重の持ち上げを要する人々、レうJ 50%は1回の起き上が力もでき浸いが、起 SR>1.0で中∼重の持ち上げを要するが、 き上がれた集団では12%だけが腰痛を訴え 職務に要する強度にひとしい持上げ強度を示 たというのである。Chaffin、前述のLS さ浸いつまカ緊張の非常に穿い人々、の三つ Rを用いて、4−P O人の人々に5画4秒間の に分け必要強度につぃて行け浸い人や、過緊 等長性の持上げテストを最高のLSRを示す 張の人はその他の3倍の腰痛発症率を明らか 職務要素のばあいに示された位置に手をおか にし_た。このことから強度テストは健康診断 せて行表わせた。 にも応用できるだろう。 さらに、前足首から50cm、床面から50 4.まとめ 手による物品取扱いによる腰痛は、数も多く cm上に辛がある基準状態でやると、女は男の 約58%の平均強度を示した。女の最頻値12 また重症例を起こすことから重要である。一番 k9は男のし6k9にくらべて66%である。 大切夜のは予防である。労働者の70∼80% Troupらは64%と云っている。Snook は一回は必ず腰痛でしどとができ浸い経験をも らは57%といっている。また、この研究での値は英 ってし(る。そして若h労働者が多く、しばしば 国のデ」タ(70%)よカ低かった。Brownは「あら 再発しているため、事業者はいっも関心をもた ゆる項目におVYて、女は同じ体格の男の筋的能力の ねば浸ら夜レ㌔発症要因は明確で浸いことが多 60%ぐらVl」と述べている。Chaffinは前述 く、研究も必要である。 のように16件/1000人・週の腰痛発生 生体力学的には、力学的緊張のレベルが、ち を見たが、その職務において持ち上げられる ょうど中程度の荷物のとき多いとぃうことが明 重量とその職務の就労者の平均強度の比(= らかに浸った。また、「安全夜」もちあげ姿勢 職務強度比率JSR)で職務による労働者の が容易に確定でき夜いことである。個人差も大 強暦「負荷」を評価した。LSRが0.5以下 きい、一般には、もちあげるまえに荷物をから の職場では、その数倍の力をもつ人々が多く だにできるだけ近づけることで、荷物が小さけ 中∼大の強さの織場では、そ力にスレスレの れば足の間に入れて、からだをまっすぐにして 人が多いとぃうことに在る。中には、それに しやがみ姿勢からもち上げるべきである。両足 及ばな山人も雇用されてぃる。それに達しょ の間に入ら夜レ可倭ど大きぃときは、足をできる うと「過緊張」をする人々は、能力に比べて だけ荷物に近づけ、しゃがむのでは浸く前屈し −25− 図2 種々の重量の荷を持ち上げた時にL5∼Sl てもちあげるべきである。また体側や非対称のも ちあげは前方での対称的もちあげよ少も有害で の椎間板に作用する圧迫力の予測値 ある。荷物をすばやくぐぃともちあげることは ゆっくゎきちんともちあげるよカずっと有害で ある。 からだに密着した,16k9のもちあげでも、腰 痛発生率は倍加し、36k9以上のもちあげ者の 発症率は座芋の人の8倍にもなった。さらに、 めったにかつぐことがな山方が一日の頻度が中 位のときよ力も一そら有害であることが分った。 このことは職務の評価や計画、配置に重要なこ とである。 職場の生体力学的評価と、個人の評価との両 方を十分考えれば、腰痛予防の効果があらわれ るだろう。個人の評価では健康歴や、もちあげ 強度の能力テストが有効のように思われる。 ※ この文献はCarlZen2 編著の〝occu− pationalMedicine 〝(Year Book MedicalPublishers)に掲載され た論文の一部であゎ、著者はミシガン大学の Industrialand Occupa tional Engineering の教授である。 図1 てこがぃかに肩、肘、腰仙部の関節 に作用するかを示す例 三角筋の前頭部 L5−Slめ椎間板 の中心 −26− (負荷)13.‘k9 「r l.】3伯○ 持.机9 183・3kg L5−Slの圧迫 278・5kq 図3 二つの異在る持ち上げ姿勢と関連した腰部の圧迫を(負荷の位置がくるぶしの前 38cmで床面から38cmの高さにあb)13.6Kpの静的負荷の場合につLnて示す。 図5 LSRの型の持ち上げの回数別にみた 図4 平均腰部障害発生率と持ち上げ力量要件 別の職務との関係 平均腰部障害発生率 l ︵当廻Y0001︶掛胡蝶湘盤孟恕 (総計) 腰 部 障 害 発生率 I (1000人週比) I l−I● ll・l●● lll−lノI lll● ト・l l・l・l・l 吼タ、.qg 卵メェ 職務の持ち上げ力量評価 LSRでの持ち上げ回数(持ち上げ数/目) −27− 図6 職務の条件と牲務の際の位置での力量テスト装置の配置の比較 職務において必要とされる最大持ち上げ力量の位置 上述の職務条件を再現するためにつくられた 医療部門の力量テスト条件 こと。 あなたの作芳姿勢はよいですか? ある特定の部位の筋肉のみの持続的活動が少 夜hこと。 作業姿勢の良い悪いの基本的めやす (4)目との関係 (作業姿勢の悪レ、例を図1,図2に示す。) 帳簿等や作業状況が容易にみられること。 (1)手足の血のめぐぅ 帳簿等が最も見やすい高さ、距離にあること 必要に応じて、できるだけ容易に血液分布が 行夜われ,ること。 (図3) 主要夜視線と水平とのなす角度は、椅子座位 手の作業点の位置が心臓ゐ高きょ、ヵ高すぎた で32∼4ぜの間、立位で23∼370 の間に ゎ低すぎたゎし夜いこと。 (2)呼吸の阻害や腹部の圧迫を起こさ夜いこと あること。 (5)身体各部位の動くはんいとの関係 ほ)筋肉の活動 作業の種類によ一,て、手、上肢、下肢、上半 体全体の筋肉の総括動量ができるだけ少夜い −28− 身夜どの各部位の活動が必要であるが、各部位 の正常夜可動範囲は限られている。各部位の運 動の中心(関節夜ど)の位置が適当で自由に動 かせること。 一般に、腕を下げ、直角に肘を曲げた場合人 間は、体の前方でその両手に最高の技能と最大 の力を発揮できる。 (6)体がねじれたゎ、左右が同じで左い姿勢が左 hこと。 囲 身体の重心との関係 (引 立位よカ椅坐位が基本とをっていること。 (9)その他無理を感じる姿勢の左いこと。 〔図1−1〕 高さ74Cmの事務机上タイプ作業を示す。肘 の高さより手の甲の方が高くなり、現 鳳 晩 背部の筋肉及び手指を動かす筋肉等に格 別な緊張を要する。 〔図1−2〕 高さ74c爪の事務机で椅子をいっぱいに高く 調節したタイプ作業を示す。足がよ和こつかす 〔図1−3〕 宙に浮き不安定な姿勢になり、頸、風 脆 背部の筋肉の祭張は依然と解決せず、腰部ま 事務机の脚を切って、高さ6700にした机上 セ負担がかかっている。 でのタイプ作業を示す。 図1・英文タイプ作業姿勢の例(怒りの腕、外銀遠 大阪支部第三分会1971より) −29− R製薬分包機作業の合理化と作業姿勢の変化 S34.に分包機が入るまでは薬包(粉薬)を手作業でつくって いたが分包機導入当初は1台に3人つぃていたが S35.からは1台に2人 占∇ S37.からは2台に3人と走力、左図のよう夜作業仕組と浸った。 作業内容(座位)の概要 ④02台分の薬包紙を密着し夜ぃようばらして2台分の機械にセッ トする。 撃 02台の機械につぃて後の機械の動きは鏡でみ夜がら、不良品の 抜取。整理、粉末薬の量の調節を行夜う。 (①明視距離からはずれてぃる。①鏡像をみ浸ければ浸ら夜h。 (D体を涙ら浸ければをら夜h) ⑧0分包先折の不良品の選別して良品と入れかえ、24包にしてと カ2つに割って重ね効能書と共にポリチューブに押し込みポリ チューブのチャックをしめ検量器にかける (←は機械で送られる薬包の流れ) 明視の距畢 臣 象 ︵S︶ 5ク イ♂ J♂ ∼β /β 奥 行/〃∩) 【静かう下した星置碩の軌道の良きが∼♂r仇の場合 ∫JO?β イ0占β/αフ プ切プ東光 ノα材 賭 康 化ノ) 図3−2 作業面の傾斜と明視の距離 図3−1 明視領域(倉田正一) (大島正光) Aは近距離視力と照度との関係を示す直線 Bは明視し夜がら対象物を近づけた場合得 られる最短距離、直線AとBにはさまれた 領域を明視領域という。 −30− β高2 作業面の高さ A 椅子座位での作業面高(図4,図5) 非常に細か夜、器用さを要する作業では肘高 よクやや高く、力を入れ夜けかばをら凌い手作 業では肘高よクやや低くするのがよい。 B 立位での作業面高(図6) 〔1)肘高さとの関係だけで浸く、作業内容との 関連で考えられをければ在ら夜レ㌔ また、作 業用材料、道具、容器夜どのもっている高さ も考慮され夜ければをら夜レ㌔ (2)背中に負担がかから安いようにするために は、作業台に肘をのせるのがよい。とくに細 か夜作業では肘をのせるのが楽であるから、 作業台の高さは肘高よ力も上にすべきである。 作業台が冷たいか閲すぎるときはカバーをつ ける。 嘲 力の要る作業では、作業面の高さは肘高よ 力もか夜史低くした方がよい。力のあまクい ら凌い手先の作業の場合は、以上の中間にあ 図5 検査作業のレイアウト、コンベヤ上の部品 たる。 タイプ机 を検査し欠陥品を隙取る。光は点成の位相の 異なる三木のけい光灯から、散光ガラス板を 通じて出てくるので明るい作業面が広く在る 光源はスクリーンでさえぎられ、眩輝を減少 させるので、又陥品等を最も容易に認めるこ とができる 。コンベヤーの下の空間は十分ひ ろく適切夜高さの足置き台がある。細かい作 業に通した肘の位置がとられてぃる。(グラ ンジャン) 図4 座位事務作業の机の高さの推奨値(グランジヤカ ー31− 図6・ 立位の仕事にお ける机の高さの推 奨値(水平方向の 0一線は,平均値 男子で104cm,女 子で98cmの肘高 男 子 女 子 に当たる) 細かな仕事 軽い仕事 (クランジャン) 力の要る仕事 資 料 作業域の条件 あなたはよいイスに座ってい喧すか? (1)解剖学的、機能的夜身体計測値が作業域決定 (グランジャンによる) の基礎である。 (2)手作業の場合、最大作業域は、上体をまげ凌 1.すべての作業イスは高さが自由に調節される い状態で、手で物を握れる腕の動作半径と走る。 もので浸けわば安ら夜レ㌔ 垂直面では肩の水平面から200 までの高さに 作業イスは38∼54c皿の範囲で自由に上下 水平面では肘から30∼35cm、肩関節から、 できるものにする。高いイスのときは、もっと 40∼55c皿までから内に帳簿等をおくこと。 範囲を大きくする必要がある。そのとき、足が 廟 通常の手作業は、上肘全体の運動によって行 ブラブラに走らぬよう、足のうらは床や足台に 表われるので浸く、上腕はそのまゝで、前腕か しっかゎつかねばいけ夜レ㌔ ら先だけの動作によって行夜われるべきである。 これは正常(浸いし通常)作業域とよばれる。 腕一ばい伸ばして指先でしどとをすることの浸 いよう。 (4)正常作業域であっても、その中での占める位 置によって、指の器用さや負担(上肢だけで浸 く頸や目夜どの負担も)の大きさがかわるので さらに考慮し浸ければ安ら夜レ㌔ Cm (5)作業城内に、作業に必要夜上肢の自由夜動作 2.作業イスはその下端によい足台のついたもこ を妨げるものがあっては在ら夜レ㌔ で安定し浸ければ在ら夜レ㌔ イスは図のように5つの車をもって回転でき るものがよい。脊柱を可動するためには、5点 が円を浸し、その直径は40∼45cmが適当で ある。脊柱が長ぃ人のイスは、直径はもっと大 きし今方がよい。 一32− 5.座っている座面から垂直に48∼50cm の高い背もたれで、少し凸面に妄った腰部 パッドと 3.作業イスは、からだとくに腕を動かしやすい 、胸部の高さでわずかに凹状のも のがよい。 座面のクッションと背もたれのクッショ もので浸ければ浸ら夜レ㌔ ンはうすいものでよい(身体が少ししか沈 まをいもの)。クッションのうえにはカバ ーをつける。 4・座面は、できるだけまっすぐの姿勢の座位の 保持を保障するものでをければをら浸い。座面 の広さは40∼45c皿、深さは38∼44cm。 l −33− l 座面は平面またはわずか凹状のものがよい。 6.図のよう麦作業イスのと華は」腰の支えは構 38cm、高さ3dcmとする。水平面に牽く曲が る。 新刊 働く人々の病気 ラマケツイーニ(松藤元訳) 北大図書刊行会 7.背の低い人や、特別の姿勢をとるときの足の 2500えん ラマッツイーニの名は、関西の労働者浸ら耳に した人は少夜く浸いだろう。今から280年まえ ふみ台を設けると効果がある。 にイタリアで刊行き九たこの本は、「安全大学」 のテキスートの第1巻に収められて、毎年の受講生 を感動させているし、また職業病の学習会でも現 場で労働者の夜やみ、苦しみから出奏する見本と していつもと少あげられているからである。たと えば、すでに字を書くしどとの労働者の頸腕にっ いてと少あげ、その原因が手をいつも常に動かし 8.作業机、イス、足台の寸法を示した。イスの ていること、姿勢が拘束されていること、誤少が 高さ一机の上線の距離が26∼30cmがよい。 浸いようたえず緊張させられてぃること、の三つ イスの高さは足支えの浸い調節でき浸いものの としていること夜どは、現在の臨床医の水準をこ ときは38∼40cm、足支えのある調節でき夜 えているといってもよいだろう。このよう夜本を いもののときは45−48cm 買えるように左ったことはうれしい。50種以上 のしどとにつぃて述べられているので、どのよう 在職種の人にも参考に走るだろらし、第一このよ min.17 う夜間題のみつめ方が勉強に浸る。(P) l 了〒車」」− 4 5 −さ4▼− 労働衛生行政30年史 80年代の労災職業病運動の課題と展望 労働省安全衛生部編 第13回労災職業病一泊学校 中央労働災害防止協会 800えん 3500えん 立派夜装てぃの本であるが、昭粛]20年代 今年の一泊学校レジメ集ではあるが、これだけ でも一冊のテキストに在るよう編集されてぃる。 30年代、40年代、、50年代と分けて、労 163ページのぶあつh本である。 働衛生に関係する法規や労働省関係の運動、 施設につぃての紹介が述べられてぃる。しか とくに、近畿地方ゐ各府県、各職域の活動報告 が大半を占めてお力、その生々しh実践とかちと し、「昭和36年から頸肩腕症候群39年か った成果数々は目を見はるものがある。読めば何 ら「白ろう病」が発生し」夜どと、事実とは かは必ず役に立つ本としておすすめする。 異った記述である。つまカ労働省としてとカ あげ(ざるをえ浸かっ)た時点から発生した (R) としてぃ とぃうのも全く誤ってぃる。このように、こ 職業性腰痛 の本は労働省の認識を知る点で興味はあるが 青山英康、明石謙 編 歴史とぃえるものでは夜レ㌔ (S) 労働基準調査会 2800えん 職場における腰痛の予防から治療、職場復帰ま 大阪のはたらく婦人 でとうたった本であるがⅠ腰痛問題の背景、Ⅲ職 大阪地方春闘共闘会議 業起因性、Ⅲ瞑痛検診、Ⅳ腰痛対策(予防、治療 認定)、†対策事例につぃて述べらわてぃる。 総評大阪地評婦人協覇会が、労基法改悪の 「労働態様と腰痛」には、具体的事例から「過労 動き(労基法研究会答申夜ど)にたぃして、 性腰痛」の概念が述べられてぃる。「合理化」に 「婦人労働者の労働と生活実態につぃてのア 伴う作葉態様の変化と腰痛との関係につぃての分 ンケート」調査を実施した。対象者19411. 析が全体をとおして十分で浸く、また現実に再発 人で現場(機械、電気、化学夜ど)、縫製、 をくゎかえし凌がらがまんして働かざるをえ夜h 金融、事務、パンチャー・タイピスト、旅行 状況につぃての指摘が不足してぃるように思われ 販売、競艇、キャディ、給食調理、ウエイト る。組合夜どで一冊もっておきたぃ本。(Q) レス、清掃、セールス、美容、交換、看護婦 保母、教師、車掌、ヘルパ⊥ 、▼専門職、パー ト夜どを網羅してぃる点が注目される。若干 の分析や解説が付けられてぃるが、これだけ に終るのは惜しh。93ページ 。大阪市北区 天神橋3−9−27大阪総評婦人部に問合せ のこと。 ー35− (T↓) チエンソーなどの工具使用による振動病対 て発病しました。 0 どんな症状でしたか。 策の現状と医療 昭和45年頃から肩こカが始まカ52年には首 京都府 振動病シリーズ6 の痛み、めまい、肩のしびゎ、箸でつまんだもの を落す。背中に電気の走るような痛み、イライラ 振動病にたぃし、地方自治体のうち最初にとカ くんだ京都府が、毎年発行してぃる啓蒙用パンフ 物忘れなどです。/、りをしては仕事、ハリをして 今年のものは、振動病の発生と病像の実態に焦点 は仕事とくカ返してお守ました。民医連旭診療所 をあわせて作られてお力、とくに保健医療関係者 で頸腕といわかてはじめて職業病だと知力ましたh や学生にむぃてぃる。注文は京都民医連事務局杉 o 申請はどん夜風に? 山さんへ。 (U) 病院のケースワーカーや日生の患者会、そのつ 夜がカから大阪の日生の人にも会ぃ指導を受けま くインタビュー〉 した。 「日生高知」の森本政子さん 医証で難行し、細川先生の意見書をいたゞぃた を訪ねて ゎ大阪から仲間達に二度も来てぃたゞぃて意見書 ききて 森 田 サト工 の作力走おしをどやカ、労働省も入って「外」決 定も出されそうな状況をくつがえすことができま 森本政子1.950年生、日本生命高知支社勤 務昭和53年頸腕にカ病、53年5月申請、54 した。 年10月「高知労基署で業務上認定」高知市のア 決定2ケ月前に地域で「すすめる会・」を結成、 約200名が結集してくれました。参加は医療労 パートに独力住ぃ。 今回は四国ではじめて業務上認定をとったこの 働者、地銀連、労金、金融労働者、交通、振動病 人です。インタービューの場所は労災一泊学校の の仲間達でした。それら全体の力で「上」がとれ 会場。すさまじh闘士/と思ぃきや、現れたのは たと思ぃます。 今回も優しレり臣姉さん、筆者はぃつも「この人が 0 現在どんな仕事についてぃますか、また会社 の態度は、 …‥」とおどろきます。 療養出社を3月から始め現在3時間出勤してい 0 四国ではじめての業務上だそうですネ ます。予定では9月から全日勤務しをければなら ハイ、本当に嬉しぃです。「生保」の仲間、地 域の仲間、また細川先生をはじめ医師、医療従事 なぃので、復帰訓練の勉強をしに一泊学校へ参加 者など、多くの人達に支えらわての勝利でした。 しました。現在作業は規程の差替え夜ど華し(仕事 あゎがとうどざhました。 です。 会社は申請したとき「申請しなくても補償して 0 どんな仕事から発病しましたか。 一股事務です。ポ⊥ルペン複写、ソロバン、 オン やる、誰も職業病だとは思ってぃなぃ」などと攻 撃し、いなかにいる両栽に「申請をやめさせるよう ンライン端末機操作、カード抜きをど10年やっ ー36− ()は人数を示す。 に」と電話した力ました。 1.年令別 けれども療養出社するように左ってから朝礼で 紹介してくれました。職場復帰訓練も弾力的に実態 20−29才 畑 30−39才(2・5) に応じてやってくれると思ぃます。補償された■も 40一−4■9才(115r)50−59才(80 のは賃金のカット分と医療費です。 60−69才(18)・50才以上が41%、 0 申請にふみ切らせに動機は? 次の世代をに夜う20才台は3人しかh夜レ㌔ 昭和52年12月、連日多忙を始め残業が続き 2二 山林労働年数 ましたが欠員に見合う要員はふやされませんでし 1・−5年(2)6・−10年(2)11・−1.5(8)16一− た。そん夜浸かで会社の板ばさみになった上司が 20年(29)21−25年(34)26年以 自殺するという事件があゎまし_た。職場には肩こ 上(168)新しく山に入ってきた(lo年以 力もたくさんいます。こん浸ことを許してぃては 内)ものも4人である。 自分自身も駄目になると思ぃました。けれども、 3.主にする作業 伐木(32)伐出材(159)造林(21) ぃざ申請と在ると不安が山のようにあって、ため らってhました。そん左とき日生の患者会の仲間 4.勤務先 と出合ぃ励まされ、勇気を持つことができたから 森林組合(4)会社(21)個人経営(2‘05) です。 一人親方(12)85%ほ個人経営に属してぃ 0 一番苦しかったことは? る。 会社からの電話におどろぃて出て来た両者から 5.生活の根拠 「会社を相手どって争うことはやめよ」と言わか 村内(222)村外(20) た時。でも「上」をとった時一緒に喜んでくれま 6_ 通勤の方法 単車(71.) 自動車(127)マイクロバ した。 ス(23)山泊泊(21)単車がヘリ(29堵) 車がふえた(52%) 7.通勤時間(徒歩も含む) 30分未満(27)30分∼1時間未満(91) 奈良県十津川村山林労働の実態 1時間以上(124)自宅から現場までの道は 山 崎正和 (労働者) とお心㌔ 山また山であるb 奈良県吉野郡十津川村の山林労働者の労働時間 8.雇用先の変化 稼動日数、賃金、振動障害等につぃて1978年 最近は殆んど変ら凌い(103)毎年のよう −1979年1年間で調査した結果であゎ、村内 に変る(71)年に何回も変る(41) に在住する山林労働者は550−600名程度と 9.兼業につぃて 推定出来る。調査人昌は242名、平均年令47.8 農業(5)土建婆への雇用(33)其ノ他 才であゎ、最低年令21才、最高は69才である。 (21)浸し(183) −37− 1台(48)2台(93)3台(55)4台 l▼0.雇用形琴 (23)5台以上(18.) 草野雇り(2.6)有期雇小(57)日雇い (15_9.)身今は不安定である。 19.∃喝在使用中のチ土ンノーの種類 スチール(l.62・)共立(37)マツカラ 11.賃金形態 固定・日給(58)出来高給(.革1)固定出 ー(14)ベッカー(4)ヨンザレット(2レ\スク 来給併用(103)l/3はまだ純すい出来 バーナ(2) 20.現在使用中の刈払機の種類 高給である9 ト2:年間稼働日数 共立(7川l崎(5)三菱(4)日研〔2) 100∼1.50未満(13)150・−20 21.工具の所持亭こついて 0日二禾滞(l.て0)200−250日未満 個人持(200)事業主持(19)其の他 (41)250日以上(18)雨の多い地域 (共用)(23)個人持ちが80%以上であ だが150日以上働ぃてい・る。 る。 13.年間収入 22.事業主持の工具の使用法 100∼199万円(227)2q O∼ 共用(19)個人専用(0) 299万円(1.3)300万以上(2) 23_ 工具の使用で交替制は 夜し(103) 随時交替(139) 重労働に比して収入は少h 24.振動工具を使用する季節は 14.針年前の賃金と現在の賃金とのアップ差 季節に関係夜し(242) (1日当) 500円(187)1000円(34) きびしぃ寒さの冬も使用してぃる。 25.振動工具の年間使用日数は 2▼0 15・振動工具の使用につぃて (チエンノー) 60日未満(6)90日未満(37)120日 全く使わ夜h(0)時々使う(78)良く使 う(164)病人は多りが依然としてチエン 未満(45)150日未満r61)150日 ソ「を使用してぃろ。 以上(92)刈払機では180以上(21) 16J振動工具使用経験年数 26.1日の労働借間(昼食時問を除く) 7時間未満(11.)8時間未満(118) l−2年(4)3、γ5年(・21)6−84群42) 9∼13年(126)1.4年以上(54)振 8時間以上(113) 27.3G以下のチエンノーを使用するよう指導 動病が社会的問題に浸ってからチエンノーを 号れてぃることにつぃて 握ってぃる。 知ってぃる(242) 知ら夜h(0) 1・7.振動工具の使ぃ始めの年令 2∩−29才(36)30∼39才(114) 40∼49才(75)50∼59才(17) 労働者、労働組合、労基局の長年のとクくみ のあるところ 1.8.振動工具の購入台数(チエこ/ノー、刈払機) 28.チエンノーの使用時問につぃて指導さかて −38− 36.振動障害は全身に異常が覗かると思ぃますか。 レ1ることにつぃて 現われる(194) 現われ左h(48.) 知ってぃる(242)知ら浸い(0) 労働者は手だけの病気で左いことをからだ 29 チエンノーや刈払機の使用時間を測ったこ で知ってぃる。 とがあ力ますか。 37.振動障害と思われる症状があ力ますか。 ある(0) 夜い(242) ある(159) 夜h(83) 30.振動工具の使用時問について(チエンソー 有症者は65%に及んでぃる。 刈払機)1日当カ 38.症状のおきる季節は(1人が複数答えてぃ 2時間以内(12)2∼3時間(29)3∼ 4時間(54)4時間以上(149) る。 2暗闇以上が95%もある。4時間以上が (しびれ痛み)春(113)夏(23)秋 (78)冬(159) 62%以上 (ぃらいら頭痛)春(40)夏(27)秋 31.1日の燃料消費量は 2ゼ(12)3ゼ(3114ゼ(90) (31)冬(54) 4ぞ以上(1.08)ほとんど燃料のきれるま (蒼白発作)春(22)夏(5)秋(1.3) 冬(57) で連続して使用してぃる 32.伐木作芋で支障木簡去の補助者は 症状は冬∼春に多h いる(0) い浸い(221) 39.症状のおきる時期は(1人が複数答えてい 33.作業障害木(下茸木夜ど)除去は る。) チエンソー(72)ナク等の手工具とチエ (しびれ痛み早朝(24)洗面時(57)カ ンソーの併用(155)チエンノー連続が長 ートバイ乗車中(63)作業中(51) ぃD 其ノ他(作業後)(159) 34.枝払呵ま (ぃらぃら頭痛)早朝(11)作業中(40) 太い枝,チエンソー(221)手工具(0) 其の他(作業後)57 細h枝(183)ナク等の手工具〔38) (蒼白発作)早朝(5)洗面時㈲オートバイ乗車 チエンノー連続が長ぃ 中(27)作業中(29)其の他〔体が 35一 機械の整備につぃて(チエンソー 刈払機) 寒く感じる時)(37) エヤークリーナーの清掃と毎日 やる(129) 40.症状のおきる画数は やら夜い(113) (しびれ痛み)毎日(67)月に数回(84) スパーークプラグの清掃を毎週 やる(12) 年に数回(8) やら夜い(232) 〔いらぃら頭痛)毎日(11)月に数画(24) 電気系統(ポイント)清掃を毎月 やる(0) 年に数回(59) やら浸い(242) (蒼白発作)毎日(0)月に数回(37) 管理不十分。 年に数回(57) −39− 50.融資制度を利用について 41.振動病の健康診断ほ 受けた(138)受け夜h(104) 利用している。(7)利用してい浸い(235) 奈良県の検診が開始されて6年に浸るが… 51.働け浸く浸るまで山林労働を続けますか。 続ける(242) 続け左い(0) 42.何画受診しましたか。その時の管理区分は 1回(……;2回(……。3画i…… 52.条件のよい仕事があれば転職しますか。 転職する(58.) 転職し夜h(18.4) 53.今後の林業に不安を感じますか。 感じる(2.42) 感じ浸い(0) 4回(……5回i…… (付) 山林労働から建設労働に転職した理由、 労働条件、賃金等につぃて調査したもので A:異常なし B:要注意 C:悪医療 43.3G以上のチエンソーで使用時問を守れば 対象者は36人である。 1.転職した理由は 振動病の発病ほ 山仕事がをいから(24) 雇用が安定して をる〔74) 浸ら左h(166) ぃるから(12) 使用時間が長ければ「なる」と30%が答 2.建設作要に従事した期間は えている。 6ケ月・−1年r3Jl∼2年(9)2年以上(2.4) 44.振動病に浸るとわよってぃても振動機具の 3.1ケ月の稼動日数は 使用を続ける(242)止める(0) 16∼20日(5)21・−25日(24) 「続けざるをえ亮1ハ」のがホンネ 45.今後の林業はチエンソーや刈払機がをけれ 25日以上け) 4.1日の賃金は ば成力立た左h(242)成力立つ(0) 46.振動機具を使わず生活出来れば機具の使用 6000∼7000円(25) は使用する(101)使用し夜h(14) 7000∼8000円(11) 5.労働条件はどちらがよいと思ぃますか。 分ら左h(127) 山林労働〔0.)建設労働(36) 47.安衛法の改正にとも 6.山仕事があれば山林労働に戻力ますか。 教育は 戻る(2) 戻ら凌い(34) 受けた(242) 受けてい夜h(0) 48.チエンソーの特別教育は事業主、労働者の 何れに課せられた制度か 事業主(55) 労働者(18.7) 49.3G以下のチエンノーを購入するのに融資 制度があるのを 知ってぃる(26)知ら宏1ハ(216) −40− 労働と健康No.40(隔月刊) (会員に限り配布) 1980年6月1日発行 発行人 大阪労働者の生命と健康を守る実行委鼻会 住 所 〒554 大阪市此花区西九条4−8−17 (移転) TEL(06)46卜6416 ㊦振込番号 大阪69015
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