エルサレムへの帰還 - LCJE日本支部

ニュース
ローザンヌ・ユダヤ人伝道協議会 日本支部発行
206
2016.12
一部 ¥
2016.12.01発行
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P2 5
CFJミニストリーズ
エフライム・ゴールドシュタイン
巻頭言
P6
シオンとの架け橋
スシータ訪問を前にして
石井田 直二
P7
LCJEコ・ワーカー
田中 嘉世
P8
アルコ・イリスミニストリーズ 代表 筆者は、イスラエルへと旅立つ直前に本文を書いている。
今回は、過去、訪れたことのない町や遺跡を訪ねる。そ
のひとつが、スシータ ( ギリシャ語ではヒッポス ) である。
同地は、ティベリアの対岸、つまり、ガリラヤ湖東岸のほ
ぼ中央に位置する。それは、イエスが「さあ、向こう岸へ
渡ろう」と言われたゲラサ人 ( ガダラ人 ) の地、あるいは、
同地付近である。
マタイ 8 章 23 節から 24 節には、次のように記されて
いる。イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。
すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。
ところが、イエスは眠っておられた。
大暴風と訳されたギリシャ語は、seismos である。そ
れは、震動を意味する。従って、イエスとその弟子たちを
襲った大暴風は、大地の揺れを伴うものだったのかもしれ
ない。彼らは、そのような経験の後、豚が飼われていたデ
カポリスの地に到着した。デカポリスとは、10 の町という
意味を持つ、ギリシャの植民地であった。つまり、同地に
は、ギリシャの文化、風習、そして宗教などの影響が色濃
く見られた。ギリシャ神話に登場する神々の中で唯一、震
動および豚と関係を持つ神がいる。その名は、デメテルで
ある。デメテルは、大地の神、すなわち農業神である。そ
して、デメテルの聖獣が豚である。
また、特筆すべきギリシャの風習のひとつに、墓参りが
ある。日本テレビ系列の「なんでもワールドランキング ネ
プ&イモトの世界番付」なる番組によれば、ギリシャ人が
1 年間に墓参りに行く数は、11.1 回で、世界一位である。
したがって、ゲラサ人も頻繁に墓参りをしていたはずだ。
さて、マルコ 5 章 1 節から 5 節を引用させて頂く。
こうして彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。イ
エスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた
人が墓場から出て来て、イエスを迎えた。この人は墓場に
住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼を
早川 衛
巻頭言のつづき
お知らせ
事務局より
つないでおくことができなかった。彼はたびたび足かせや
鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまっ
たからで、だれにも彼を押さえるだけの力がなかったので
ある。それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石
で自分のからだを傷つけていた。
上述のとおり、ギリシャ人は、墓参りを、すなわち祖先崇
拝を好む国民である。従って、汚れた霊につかれ、墓場に
住みついていたゲラサ人の男と祖先崇拝との関連性につい
て、何等かの考察が加えられる必要があるものと思料する。
更に、マルコ 5 章 9 節から 10 節には、次のように記さ
れている。それで、
「おまえの名は何か」とお尋ねになると、
「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」と言っ
た。そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくだ
さいと懇願した。
悪霊は「この男から追い出さないでください」ではなく、
「この地方から追い出さないでください」と言った。これは、
悪霊が同地方全体に関わっていたことを意味する。
そして、マルコ 5 章 11 節から 13 節を見てみよう。次の
ように書かれている。ところで、そこの山腹に、豚の大群
が飼ってあった。彼らはイエスに願って言った。
「私たちを
豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。
」イエスが
それを許されたので、汚れた霊どもは出て行って、豚に乗
り移った。すると、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけ
を駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまった。
上述のとおり、豚は、デメテルと深い関係を持つ動物で
ある。豚をとおして、偶像礼拝が行われていた。従って、
多くの豚が死んだことによって、イエスが非難されるべき
ではない。イエスは、豚をとおして霊的な束縛を受けてい
たゲラサ人を解放しようとしたはずである。
さて、この出来事の後、何が起こったのか。マルコ 5 章
………………………………………………… 8 Pへ続く▶
No.206 LCJE 日本支部発行
1
……… エ ル サ レ ム へ の 帰 還 ………
CFJ ミニストリーズ 国際ディレクター
エフライム・ゴールドシュタイン博士 翻訳 : 佐野 剛史
(本稿は 2015 年の LCJE エルサレム会議で提出された論文の翻訳です。紙面の都合で訳注などは割愛して
います。全文は LCJE 日本支部のホームページでご覧ください。)
ユダヤ人のイスラエルの地への帰還は、聖書の歴史とユダヤ民族のターニングポイ
ントとなった。二千年にもわたる離散の後に起きたユダヤ人国家の再興は、20 世紀
と 21 世紀の歴史を揺るがした大事件である。エルサレムが世界中で知られているの
は、そこに住んでいる人々だけではなく、その町が象徴しているものを人々が知って
いるためである。
19 世紀後半に始まるユダヤ人のシオンへの帰還は、歴史の空白の中で突如起こっ
たことではなく、いくつもの歴史的な出来事が重なった結果だった。その一つに、中
東とヨーロッパの政治的なバランスに変化が生じたことがある。また、当時、ヨーロッ
パのクリスチャンの間で霊的覚醒運動が起こり、リバイバルが起きていたことも一つ
の要因である。さらに、若い世代のユダヤ人の間で恐れと不安が広がり、将来的にユ
ダヤ人が安心して暮らせる場所はエレツ・イスラエル(イスラエルの地)しかないと
いう意識が高まっていたこともあった。そして、20 世紀には、第一次・第二次世界大戦、ホロコースト、ソビエト
連邦の興亡といった天地を揺るがすような出来事があった。
◉シオンへの帰還を予告した聖書箇所
メシアニック・ジューの解釈では、エゼキエル 36 章
と 37 章 は段階的に成就する。まず、ユダヤ民族の物
理的な復興が成り、イスラエルの地に帰還する。そして、
次の段階で干からびた骨に「霊(ルアフ)」が吹き込まれ
る(エゼキエル 37:14)。
ユダヤ民族の復興は、古くから2段階で起こると考え
られてきた。ユダヤ人の物理的な帰還、そして霊的な回
復という2段階である。この2つは別々の出来事だが、
関連している。そのようにユダヤ人は段階的にシオンに
帰還すると理解していたラビに、ツヴィ・ヒルシュ・カリ
シャーがいる。
ツヴィ・ヒルシュ・カリシャーは 1793 年にポーランド
のポーゼンに生まれたラビで、黎明期のシオニズム運動
を支持した数少ない正統派のラビだった。カリシャーは
1892 年刊の著書『シオンを探し求めて』で、ユダヤ人の
シオンへの帰還は段階的に起こると記している。
われわれはイスラエルの贖いを願い求めているが、そ
れは突如、
奇跡的に成るものではない。ほむべき御名、
全能なる方が、いと高き所から突如降りて来て、その
民に「さあ行け」と命じる、そのようなことは起きない。
神がメシアを一瞬のうちに天から地上に送ることもな
い。……神のしもべ、預言者たちによって約束されて
いた、喜びの時と奇跡はすべて成就する。しかし、あ
わてふためく必要はない。イスラエルの贖いはゆっく
2 LCJE 日本支部発行 No.206
りと近づいて、解放の光は徐々に輝き出すからである。
ユダヤ民族のイスラエルの地への帰還は、19 世紀の
主流派ラビが予期していたようなやり方では起こらな
かった。帰還は、イスラエルの聖なる方が、静かに、注
意深く見守る中で、世俗派ユダヤ人の手によって押し進
められることになった。
◉歴史の潮流の変化とシオニズム運動の興隆
フランス 革 命とそ れに 続くナポレオンの 聖 地 遠 征
(1798 年)は、ユダヤ人にとっても、福音的クリスチャ
ンにとっても大事件だった。シオニズム運動が誕生する
までの一連の出来事を記した著書で、アリー・モーゲン
スターンはフランス革命とナポレオンの聖地遠征が与え
た影響の大きさを以下のように記している。
ナポレオンの聖地遠征とその影響を見ると、イスラエ
ルが贖われる際にクリスチャンが果たすとミドラッシュ
(口伝律法)が告げていた内容と驚くほど一致してい
た。また、プロテスタント国家のイギリスでも、ナポ
レオンの聖地遠征が刺激となってイスラエルの聖地帰
還をめぐる神学的議論がさかんになっていた。
パレスチナで次々に起こる出来事を見て、聖書的視点
で物事を見る人々は変化の兆しを感じ取り、事態の推移
を注視するようになっていた。彼らにとって、こうした出
来事は終わりの時代の到来を告げ知らせるしるしだった。
聖書学者のルイス・ゴールドバーグ博士は、ユダヤ人
のイスラエルの地への帰還はオスマン・トルコ帝国内で
起こっていた歴史的変化が複雑に絡み合って実現したも
のだと見ている。
神の働きというと、メシアが来る、イスラエルが 1 日
で民族的回心をするといった大きな出来事の単位でし
か考えられない信者が多い。……しかし神の摂理は、
人類の歴史を通して静かに進行する。その一例が、メ
シアがだれかも知らない、メシアの存在も信じない不
信仰な人々によって建国された現代イスラエルである。
オスマン・トルコ帝国に変化の波が押し寄せ、中東に
新しい時代がやって来ようとしていた。16 世紀以降、オ
スマン・トルコ帝国は一枚岩で不動の支配を確立してい
た。ところが、19 世紀初頭になると支配力を徐々に失
い始め、ヨーロッパ諸国が地中海地方の支配権をめぐっ
て競い合うようになっていた。
状況の変化に伴って、オスマン・トルコ帝国はパレスチ
ナに対する支配をゆるめ始めた。1800 年代には貿易や
宗教的巡礼の門戸をロシア、ドイツ、イギリス、アメリカ
に開いた。初期のシオニストが登場する 19 世紀後半に
もなると、パレスチナの土地を高額で払い下げるように
もなった。
シオニスト運動が興ると、ユダヤ人知識階級と福音派
クリスチャンの間に奇妙な協力関係が生まれた。初期の
シオニズム指導者とクリスチャン・シオニスト(当時はま
だそういう呼称はなかったが)の間には、連絡窓口も設
けられた。
この一風変わった同盟関係の実例を、ウィリアム・E・
ブラックストーン(1841 〜 1935)の生涯に見ることが
できる。ブラックストーンはシカゴの実業家で、バイオ
ラ大学の初代学部長を務め、シカゴ・ヘブル・ミッショ
ン(現ライフ・イン・メサイア・インターナショナル)を
創立するなど、さまざまな業績を残した人物である。彼
はユダヤ人のために当時のベンジャミン・ハリソン米大
統領に嘆願し、ユダヤ人がイスラエルに帰還できるよう
に働きかけた。
「ブラックストーンの覚書は、テオドール・
ヘルツルによるユダヤ国家設立運動よりも古く、史上初
の試みであった」
◉欧米のキリスト教の変化
ユダヤ人のイスラエル帰還運動が始まる前に、北ヨー
ロッパではリバイバルが起こっていた。19 世紀のプロテ
スタント諸派の中では宣教に対する関心が高まっており、
その中には中東に対する宣教も含まれていた。特にイギ
リスとドイツのプロテスタントは、中東の宣教を重視し
始めていた。宣教拠点がパレスチナ、エジプト、シリア、
レバノンに築かれ、そうした国では宣教師の姿を見るこ
とは日常の風景となっていた。こうした宣教運動のうね
りやパレスチナ宣教に対する意識の高まりについて、カ
イ・ハンセンやケビン・クロムビー、ツビ・サダン、ゲル
ション・ニレルといった人々はその様子を詳細に記録して
いる。こうした研究結果や記録は、季刊誌『ミシュカン』
への寄稿や、書籍、過去の LCJE 会議に提出された論
文として発表されている。また、各種宣教団体や教団も、
この時代の活動について事細かに記録している。
この時代に活躍した宣教師たち、ジョン・ニコライソン、
ジョセフ・ウルフ、マイケル・アレキサンダー司教(イスラ
エルで初めて司祭に任命されたユダヤ人)、メルキオール・
チョウディ、アブラハム・オクゼレット、サムエル・ゴバッ
ト、ベン・ツィオン・フリーランダーなどの働きについても、
詳しい資料が残っている。この時代(1825 〜 1910)の
宣教師が経験した苦難は筆舌に尽くし難く、それによっ
て病に倒れ、若くして亡くなる者も多かった。こうした苦
難の中にあっても、宣教師たちはパレスチナと中東地域
において生きたキリストの証しを立てることに成功した。
1880 年代にイスラエルに移住したユダヤ人移民たちは、
こうした宣教師に迎え入れられ、生活に必要な支援を受
け取っていた。
1882 年にロシアで起こったポグロム(ユダヤ人虐殺)
を逃れてイスラエルにたどり着いたユダヤ人難民も、こう
した宣教師たちに暖かく迎え入れられ、支援物資を受
け取った。ヤロン・ペリーとエリザベス・ヨディムは、19
世紀にイギリス人がイスラエルで行ったユダヤ人伝道の
歴史を著書『19 世紀のパレスチナにおける英国人のユダ
ヤ人宣教』の中で記し、宣教団体が果たした役割につい
て次のように記している。
宣教師たちは、ユダヤ人が抱える物質的、霊的な必要
に対してすぐに行動を起こした。移民してきたユダヤ
人の方も出身国で宣教師の働きをよく知っており、歓
迎ムードの中で受け入れられた。
ユダヤ人宣教団体は、第一次・第二 次帰還運 動(ア
リヤー)の前にすでにイスラエルの地に根を下ろし、活
発に働いていた。ジョン・ニコレイソンがクライスト・
チャーチ(中東最古の教会で 1849 年に完成)の建設を
始め、アレキサンダー司教(1799 〜 1845)が 聖職者
按手を受けた頃は、100 年以内にイスラエルで大きな変
化が起きるとは思われていなかった時代である。その後、
1948 年までにユダヤ人の人口は 60 万人に膨れ上がるこ
とになる。クライスト・チャーチが建てられた時代から
現代イスラエルが建国されるまでに、メシアニック会衆、
教育、医療、宣教団体のためのインフラが宣教団体やキ
リスト教諸教派の手によって築かれていった。
ユダヤ人社会から非難されてきた「宣教団体」だが、
この決定的に重要な時期に、宣教団体は絶妙のタイミ
No.206 LCJE 日本支部発行
3
……… エ ル サ レ ム へ の 帰 還 ………
ングでイスラエルで活動を始め、ユダヤ人難民の必要を
満たした。当時のイシューブ(イスラエル建国前のパレス
チナにおけるユダヤ人共同体)では、移民の必要を満た
すことはできなかった。また、世界のユダヤ人共同体全
体としても、パレスチナのユダヤ人を支援する体制はまだ
整っていなかった。
※
◉イスラエル帰還と「イェシュ」 に対する
ユダヤ人の見方
1800 年代に誕生したシオニズム運動は、一般に世俗
派ユダヤ人の運動だと見られている。正統派ユダヤ人の
圧倒的大多数は、ユダヤ人をシオンに導いて行くのはメ
シアだと考えていたからである。
しかし例外的に、影響力を持つラビの中にもシオニス
ト運動を好意的にとらえ、そこに神の御手が働いている
と考えた人々がいた。その中でもよく知られているのが、
ツビ・ヒルシュ・カリシャーとアブラハム・クックという
ラビである。
運動の初期から 1948 年のイスラエル建国まで、シオ
ニズム運動を牽引してきたのは世俗的ユダヤ人だった。
この運動を引っ張ってきたのは教養のあるユダヤ人の学
者や作家たちで、シオンに帰還したいという思いをユダ
ヤ人の心に燃え立たせることができる愛国者たちだった。
そういった指導者には、テオドア・ヘルツル、マックス・
ノルダウ、アハッド・ハアム、モーゼス・メンデルスゾーン、
レオン・ピンスカー、モーゼス・ヘス、ウラジミール・ジャ
ボチンスキー、デイビッド・ベングリオンといった人々が
いた。
シオニストの指導者は世俗派の人々や正統派ではない
人々が多かったが、シオンを恋い慕う人々の霊的な願い
に鈍感だったわけではない。指導者の多くは、イスラエ
ルに帰還しようという訴えに霊的な要素や表現を組み込
もうとした。
そうした表現の中に、イエス(イェシュ)を正真正銘
のユダヤ人としてとらえ直そうという試みがあった。イエ
スは、あわれみの心と信仰にあふれ、イスラエルの幸せ
を願う人物として描かれた。そのような作家や芸術家に
とって、イエスは新しい時代のユダヤ人を代表する人物
だった。
ヨーロッパで起きたユダヤ人解放以降、ユダヤ人のイェ
シュアに対するとらえ方は変化してきた。ツビ・サダン
によると、イエスを再評価しようとする動きは、ユダヤ人
解放の長いプロセスの中で起こってきたものだという 。
その博士論文の中でサダンは、初期のシオニストたちが
イェシュアをどのように文章で表現しようとしたかを詳
※ ここで「イェシュ(Yeshu)」という名を使っているのは、当
時の人々がイェシュアのことをヘブル語で呼ぶ時は「イェシュ」
と読んでいたのと一貫性を保つためである。英語で書く時は「イ
エス(Jesus)」としていた。当時の人々の大半は、
「イェシュ」
を見下すような意味合いで使っていたわけではなかった。
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細に分析している。
「イェシュ」についてオープンに語り合おうという初期
シオニストの態度は、古くから続くユダヤ的伝統と決別
する大胆な動きだった。初期の近代ヘブル語文学では、
ヨセフ・クラウスナー、アハロン・アブラハム・カバック
といった人々が、それまでと違ってイェシュをあわれみ深
い方として描いた。イスラエル国歌の「ハティクバ」を作
曲したナフタリ・インベルもイェシュについての文章を残
しており、1880 年代にイスラエルでクリスチャンと良い
出会いがあったことにも触れている。
イスラエルに移住してきたばかりのインベルは、初期
のクリスチャン・シオニストであるオリファント夫妻と懇
意になった。オリファント一家はオシフィヤという町に住
んでいて、1882 年から 1888 年までインベルはそこで行
政補佐官をしていた。インベルは自分のことをクリスチャ
ンとは決して言わなかったが、オリファント夫妻の信仰
から多大な影響を受けていた。生涯にわたってインベル
の友であったイスラエル・ザングウィルによると、インベ
ルは晩年にキリスト教に回心したという。
イスラエル人がイェシュアをどう見ていたかがわかる貴
重な資料に、ネタ・スタール著
『他者と兄弟』がある。スター
ルは、
20 世紀に活躍した作家、
芸術家がイェシュアをテー
マに手がけた作品を調べ上げ、著書にまとめている(こ
の本は英語とヘブル語で出版されている)。
著書の中でスタールは、近代ヘブル文学の中でイェシュ
に対するとらえ方がどのように変化していったのかを注
意深く追っている。シオニストの思想家や作家たちがイェ
シュから受けたインスピレーションをスタールは次のよ
うに記している。
一方、シオニストの思想家や著作家にとって、イエス
という人物はさらに複雑な組み合わせを象徴してい
た。イエスは、ユダヤ人を東方に戻して移住させよう
という試みと、西洋の文化的影響を保とうというシオ
ニストの思いを象徴していた。1882 年から 1948 年
にかけてパレスチナの地で生まれたヘブル文学では、
イスラエルの地の土着文化に根ざしつつも、西洋の価
値観や理想に基づいた新しい文学を作り出そうと意
識的な努力が払われていた。
アヴィグドール・シャナン編纂によるヘブル語の著書
『ユ
ダヤ人の目から見たイエス』は、中世から近代にかけて
登場した著名なユダヤ人思想家のイエスに対する見方を
紹介している。 その中で、近代のイスラエル人作家が持っ
ていた独特なイエス観が紹介されている。
その中でも特に目を引くのが、アハロン・アブラハム・
カバックの書いた『狭き道』で描かれているイエス観で
ある 。この本の中には、園で思索にふけり、自分自身
を贖いだそうとするイェシュが登場する。
イェシュは言った。「だれでも、善人になりたい、だれ
よりも善人になりたいと思うものだ……聖なる方は被
造物に、この善を慕う思いを与えられた。ただ、近頃
は善が見当たらないのだよ」
イスラエルの建国やホローコスト以前のイスラエル文
学や芸術では、イェシュは人間的で同情心にあふれる方
として描かれている。そこには明らかに、イェシュアを自
分たちユダヤ人の一人として描こうとしていた姿勢が見て
取れる。しかし、ホロコースト以後のユダヤ、イスラエル
文学および芸術では、どのような意味合いであれ、イェ
シュアを取り上げた作品がほとんどなくなってしまった。
ここで認識すべき点は、芸術や文学で表現されたユダ
ヤ人のイェシュアに対する見方を見れば、今よりもずっと
良い時代があったということである。ホロコースト以前
の時代では、世俗派のイスラエル人指導者はイェシュア
について今よりも健全で、オープンな考え方をしていた。
今日では、イェシュアに対する態度はよそよそしく、イェ
シュアをイスラエル社会でどう位置づけるかということに
ついて無関心である。
◉考察
ユダヤ民族のイスラエルの地への帰還は、神の御手に
よって注意深く導かれた数々の歴史的事件と、聖書の約
束と預言の成就によって実現した。1800 年台の中頃か
ら 1948 年のイスラエル建国まで続く激動の時代を観察
すると、次のようなことがわかる。
第一に、1860 年から 1948 年にかけて起きたさまざ
まな歴史的事件を目の当たりにしたユダヤ人移民と福音
派クリスチャンは、そうした出来事を世界の終わりの前
兆だととらえた。二つの世界大戦、ホロコースト、そし
て現代イスラエルの奇跡的な建国を経験すれば、終わり
の時代が来たと思っても不思議ではない。確かに激動の
時代だった。しかし、イェシュアの再臨は今すぐにでも
起こると思っていた人々の期待は外れた。
現在も、世界中で起こっている出来事を見て「終わり
の時代」が来たと叫ぶ人が多くなってきている。しかし、
慎重に、よく観察して、われわれが生きている時代を見
分ける必要がある。
第二に、ユダヤ人のエルサレム帰還は歴史的空白の中
で起こったことではない。離散していたユダヤ人の帰還
は、パレスチナでアラブ人が増加するのと時を同じくして
起きた。この二つの共同体は、同じ土地、同じ条件の下
で並行して拡大していったのである。
不幸なことは、できたばかりのアラブ人信者の共同体
とユダヤ人信者の共同体の間にほとんど交流がなかった
ことである。それぞれの共同体に影響力を持っていた宣
教団体や教団は、この2つの共同体を一緒にしようとは
しなかった。重点はそれぞれの共同体を成長させること
に置かれた。それは、同質の人々が集まる教会が成長す
るというほぼ確立された宣教理論に基づいていた。アラ
ブ人はアラブ人教会で成長し、ユダヤ人はユダヤ人の共同
体で成長すればいいという考え方である。ただ、ユダヤ
人とアラブ人社会の間にあった猜疑心や緊張関係を考え
れば、この分離によって誕生したばかりのメシアニック・
ジュー共同体に安定性がもたらされたとも言える。
その後の世代のアラブ人、ユダヤ人福音派も、互いの
共同体の間に架け橋を築こうとしなかった。いつの時代
も注目すべき例外はあるのだが、後々まで影響を残すと
ころまではいかなかった。
しかし近年では、アラブ人信者とユダヤ人信者の間で
交わりや一致が生まれてきている。これは目を見張る事
実であり、奇跡的でもある。われわれの世代には、アラ
ブ人とユダヤ人の一致によってメシアであるイェシュアを
証しするという機会が与えられている。われわれの霊的
な祖先もこの働きを誇りに思ってくれるだろう。
第三に、イスラエル建国前のユダヤ人とアラブ人の教会
は宣教団体や教団によって建てられたものであることを覚
えておく必要がある。その当時はイスラエル人によって建
てられた本格的なメシアニック会衆はなかった。当時の
会衆の施設は外国の資金によって建設され、そうした施
設や資産の多くは今も外国の団体の所有になっている。
われわれが敬愛するメシアニック・ジューの先駆者た
ちの中には、外国資金に頼らないという原則をよく心得
ていた人々がいる。そうした人々は「建物を建てれば人
は来る」という原則に従わなかった。そうした人々は、
ビジョンや希望がなかったので大規模な施設や大きなプ
ロジェクトに投資しなかったのではない。むしろ、自分
たちでまかなえる範囲でやっていくという実際的な知恵
を持っていたのである。1920 年から 1960 年台にかけ
ては経済状況が厳しかったので、当時の人は節約とはど
ういうものかをよく知っていた。そこには初期のイスラ
エル国家に満ちていた独立独歩の気概があった。われ
われも、自分たちがまかなえる範囲で、外国の資金に頼
らずにイスラエル人信者の共同体を築いていくことを学
ぶ必要がある。
イスラエルの開拓者や、初期の頃に帰還してイェシュ
アを宣べ伝えた忠実な信者たちは、信じられないような
苦難や、世界を揺るがす大事件を経験した。しかしそう
した障害を乗り越えて、信者たちはイェシュアの福音を
携えて前進を続けたのである。
われわれも今苦難に直面している。手から鋤を離さず、
もたらされる収穫、約束の地に住むアブラハムの子孫と
いう収穫に目をとめなくてはならない。
私の今の世代に対する望みと祈りは、パウロの次の言
葉に要約されている。
「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時
期が来て、刈り取ることになります」
(ガラテヤ6: 9)
No.206 LCJE 日本支部発行
5
十二小預言書に学ぶ(10)ハガイ書
荒れ果てた主の家を再建するように励ました預言者
シオンとの架け橋 石井田 直二
ハガイ書はユダヤ人たちに宮の再建を強く勧め、励ます内容です。この預言に励まされて人々が建てた神殿
(第二神殿)を、イエスは「私の父の家」
(ルカ 2:49、ヨハネ 2:16)と呼びました。神は手で作った神殿の
内にはお住まいになりませんが、それでも神殿は重要な御業の舞台なのです。
◉ 4 ヶ月足らずの間に行われた預言
ハガイ書は非常に正確な日付から始まっており、ダリヨ
ス王の 2 年の 6月1日から9月24日までの記録が日を追っ
て綴られています。その時に中断していた第二神殿の建
設工事のことが語られていて、その工事を進めるようにと、
ハガイは呼びかけます。
注目すべき箇所は 2:4 以下ですが、ここには主が御業
によって宮の建設を助けるという約束があります。そして
2:6 では「いま一度、わたしは天と、地と、海と、かわい
た地を震う」と約束されるのです。それは、ハガイ書の
中でただ一か所、新約聖書に引用された言葉で、ヘブル
書 12:26 に登場します。ところが、ヘブル書の記者は、こ
の預言がまだ成就していないものと考え、終末時代に成
就すると見ているのです。
続くハガイ 2:7 では、主が万国民を震われると、財宝
がエルサレムの主の宮に満ちると預言されています。この
預言が第二神殿時代に成就したとは思えません。似た預
言は、イザヤ 60:11 などにも見られ、エルサレムに諸国
の富が運ばれて来て、町の門がたえず開くようになると記
されています。どうやら、ハガイとイザヤは同じ幻を見せ
られているようなのですが、これは明らかに終末に成就
する預言です。
ハガイは彼の時代に再建される神殿の栄光と、それか
ら数千年後に訪れる再臨のメシア時代の栄光を同時に垣
間見せられているのです。
◉停滞していた宮の再建工事
ハガイ書の時代背景は、エズラ記の初めの方の並行
記事に書かれています。クロス王からの帰還命令を受け、
宮の再建の許可を得たゼルバベルたちは、資材も資金も
与えられて約束の地に帰るのです。しかし、様々な妨害が
入り、そのまま工事は中断して数十年の長い年月が流れ
てしまいました。聖書全体を鳥瞰すれば、20 年程度の期
間など、ほんの一瞬のようなものですが、短い人間の一
生に比べると、それは過酷な状況でした。
工事現場はきっと荒れ果て、子供たちの遊び場と化し
ていたかもしれません。工事が止まってから生まれた人々
は、それが工事現場であることさえ、知らなかったので
はないでしょうか。二十年も経てば、工事の主力となる若
い人々は、みんな約束の地で育った若者たち。着工当時
の人々の熱気(エズラ 3:10-13)を知らない世代でした。
「神殿の再建」など、たぶん「老人のたわごと」だと考え
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ていたであろう若者たちに「神殿を再建せよ」と語りかけ、
励ましたのが、預言者ハガイやゼカリヤだったのです。
自分たちが立派な家に住んでいるのに、主の家の再建
工事を放置しているという指摘から、ハガイ書は始まりま
す。そして、
再建工事を進めるなら、
大いに祝福を与えると、
神は約束されるのです。そしてこの書の最後は、ゼルバベ
ルを「印章のようにする」という言葉で終わっています。
彼の作るもの全てに神の名が刻印されるという意味です。
彼はすでにその使命を数十年前に受けていましたが、そ
れをあきらめて、忘れかけていました。ハガイはそれを「思
い出せ」と呼びかけたのです。
神殿も幕屋も、本当に神が住まれる場所ではありませ
ん。そこに「神の名」が置かれるにすぎないのです。です
から、神殿を過大評価して偶像にするのは行き過ぎです
が、それでも神は、その名を置く場、その名を担う人々を
必要とされていました。それは、約 500 年後にイエス・
キリストによる世界の贖いの業が行われる重要な舞台だっ
たからです。
ハガイは、世界の贖いに向けた壮大な計画のために、
この宮が用いられると示唆し、ゼルバベルたちを励ましま
した。
◉今の時代とハガイの時代
最初は熱く燃えていた運動でも、年月と共に沈静化し、
次の世代は目標を見失ってしまいがち。人間は年月の荒
波には弱いのです。イスラエルでも、最後の建国の父だっ
たペレス氏が世を去り、メシアニック運動も初期の指導者
から次世代の指導者へと運動が引き継がれつつあります。
日本の教会でも、次世代にビジョンを受け継いで行くの
は簡単なことではありません。そしてLCJE日本支部も
また、創立 20 年を過ぎ、新しい世代の人々へのビジョン
継承が急務となっています。
そんな時「勇気を出せ」と語りかけたハガイの言葉は、
今の私たちに対する言葉でもあります。昔の熱心を忘れ、
意気消沈しかけていたヘブル人たちを励ますために手紙
を書いたヘブル書の記者が、ハガイ書の言葉を引用した
のは、状況がその時代にぴったりだったからです。神が天
と地とを震わせる時代は、ハガイ書の時代よりも、ヘブ
ル書の時代よりも、さらに私たちの目の前に迫っています。
再臨の兆候が強まり、時が迫っている中、私たちも勇気を
出し、期待を持って若い人々を励まして行こうではありま
せんか。
杉原千畝 記念館訪問
田中 嘉世
LCJE コ・ワーカー 2016 年10 月 15
映像が終わって、記念館の許可をいただき、皆でヘブ
日に京阪グレース・
ライ語と日本語で「ハティクバ」
「バルーハバー」
「主に感
チャペル 教 会から
謝せよ」を讃美し、イスラエルの救いのために心を合わ
杉原千畝記念館訪
せて祈りました。記念館にはカウナス領事館の杉原千畝
問ツアーが 行われ
の部屋を再現し、彼が発行したビザ(レプリカ)の展示
ました。 そ れに参
もありました。
加させていただき、長年の願いであった杉原千畝記念館
悲しいことに、杉原千畝が退去して後、リトアニアに
へ初めて行きました。
残されたユダヤ人約 20 万人が殺害されました。ホロコー
ストで迫害され殺されていった 600 万人のユダヤ人の内
8 時半に教会を出発し、途中の道の駅半布里の郷で昼
150 万人は 15 歳以下の子どもでした。
食をとりました。バスツアーも楽しみながら、2 時過ぎ
に杉原千畝記念館に到着しました。
杉原千畝(1900 年~ 1986 年)
杉原千畝記念館に入館して最初にビザを発給すること
になった経緯を 18 分の映像で観ました。
彼は第二次世界大戦中(1939 年)リトアニア国カウナ
スに日本領事館の開設を命じられ、領事代理として働き
ます。当時、リトアニアには日本人は一人もいません。カ
ウナスで杉原千畝はソ連からの情報を集めることを命じ
られていました。
1940 年 7 月、ナチスの迫害から逃れる唯一の方法と
ホロコーストは日本人には関係がないと思われがちで
して多くのユダヤ人が日本通過ビザを求めてカウナス日本
すが、これは人間の罪がサタンと手を組んで起ったこと
領事館に押し寄せました。領事館には日本政府から発給
です。私たちは、ホロコーストがキリスト教国で起ったこ
条件を満たしていない者にビザを発給しないように指示
とを深く心にとめなくてはならないと思います。そして、
されていました。彼は悩み、熟慮して、最終的には発給
サタンと出を組めば誰でもヒトラーに成り得たと考えて
の決心をしました。後に「私はついに、人道、博愛精神
います。
第一という結論を得た。
」と語っています。彼はカウナス
の領事館を閉めるまで、2,139 通のビザを発給しました。
ユダヤ人は、
「施された好意は 5000 年忘れない」と
そのビザで 6000 人のユダヤ人の命が救われたのです。
言います。杉原千畝さん、素晴らしい決断を、ありがと
うございます。日本人としてとても嬉しく思います。
帰り道、バスの中から満月に近い美しい月が見えまし
よう、報いを求めぬよう」という父の教えが影響してい
た。明後日から仮庵の祭りが始まることを思い出しまし
たようです。杉原千畝の始めて見る 70 歳くらいの写真
た。この祭りの間、イスラエルが神様から守られますよ
が映り、感慨ひとしおでした。
うにと、祈らずにはおられませんでした。
C
D
」
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No.206 LCJE 日本支部発行
7
……………▶ 1Pからの続き
17 節には、次のように記されている。すると、彼らはイエ
スに、この地方から離れてくださるよう願った。これは、
イエスの奇跡を目撃したにも拘わらず、ゲラサ地方の全て
の人が、イエスに対し同じ考え方や意見を抱いたというこ
とである。
どうすれば、そのようなことが起こるのであろうか。同
一地域の人々が、同じ偶像神に仕え、祖先崇拝をするなら
ば、全員が、同じ考え方や意見を持つのである。なぜなら、
日本においても同じ偶像神が崇められ、祖先崇拝が行なわ
れている。そして、殆ど全ての日本人は、同じような考え
方を持っているからだ。かつてゲラサ人の地で起こったこと
と、現在の日本にあることは類似している。ヒッポスの地
に立つ時、筆者は、このことを覚え、日本の霊的覚醒のた
めにも執り成し祈ることになるだろう。
LCJE日本支部事務局レター L C J E は、ユダヤ人伝道団体の情報交換ネットワークです。加盟しているユダヤ人伝道団体それ
ぞれの立場・活動を尊重して、機関紙などに情報を掲載しています。しかし特定の立場・教理などを、
L C J E として支持するものではありません。読者におかれましては、個々の見識によって提供され
る情報を判断してくださいますよう、お願いいたします。
グローバル ギャザリング 2016 の祝福
「その日、エッサイの根は、国々
の民の旗として立ち、国々は彼を求
主の軍隊として現れるのを見ています。
「主はご自身の軍勢の先頭に立って声をあげられる。その隊
め、彼のいこう所は 栄 光に輝く。
」
の数は非常に多く、主の命令を行う者は力強い。
」
— イザヤ書 11:10
ヨエル 2:11
「御 名を掲げ、御 顔を慕い求め、
主の臨在が留まるための栄光の安
今、世界で、多くの国々が集められ、民族、世代が一致し
息の場を備えよ。」という主の要請
て共に集うということが起こっています。私たち主の民は、ヨ
に従って、2016 年 11 月 7 日― 11 日、エルサレムに多くの国々
ハネの福音書 17:20-23 に描かれているキリストの願いであ
からグローバル(地球規模)の家族として集まりました。
る一致の成就を求め、お互いの違いを脇に置いているのです。
主からすでに語られているように、2016 年は主の御身体
詳しい様子は、
にとって、とても大きな変化の最終ステージであると言われ
https://youtu.be/8KQGBLljHFA?t=3773
ています。歴史的な中で分裂があったにもかかわらず、主は、
でご覧ください。
主の家族(主の身体)が一致をもって集まる時として主の家
族を呼ばれています。キリストの身体が一つの家族として、
「見張り番」についてはこちらで検索=>
http://www.watchmen.org/ja/who-we-are-ja/
2016/2017年度祈祷会予定
12月
9日
10日
場 所
大阪(6:30より)
東京(1:30より)
2017/1月
11日
12日
2月
10日
11日
会 場
北浜スクエア(VIP関西センター8F)
御茶ノ水クリスチャンセンター 8F 811号室
【大阪祈り会にご参加される方へ】 祈り会の曜日が第二木曜日から、第二金曜日へ変更となり、会場は8Fを継続してお借りすることになりました。
【東京祈り会にご参加される方へ】ご注意ください。通常祈り会の会場は、811号室ですが、変更される場合がります。
階下の掲示板をご覧になってご参加ください。
LCJE日本支部2016年10月度会計
収入・献金
支出・現金
科
目
金 額
科
献
金
143,500
事
大阪祈り会席上献金
38,855
費
10,082
50,120
郵
費
43,300
郵便振替手数料
3,650
182,355
送
費
7,750
賃 借 ・ 管 理 費
21,600
高熱費・共益費
7,904
交
7,000
信
通
り
旅
会
経
師
謝
引
残
合
費
費
4,000
礼
30,000
計
185,406
高
-3,051
134,132 翌 月 へ の 繰 越
131,081
差
前月よりの繰越
務
通
講
計
金 額
NEWSレター製作費
祈
合
目
8 LCJE 日本支部発行 No.206
事務局よりのお知らせ
私たちは皆様からのご意見、ご感想、また記事の御投稿
をお待ちしています。インターネットでも、ワード文書、手書
きのメモでも様式は自由で、いずれも大歓迎です。文字数は
一件 2000 文字くらいでお願いいたします。封書の場合は
事 務 所まで、E メール は [email protected]
宛、FAX は 072-867-6721 まで宜しくお願い致します。
編集後記
2016 年の仕上げの時です。時の迫りくる世界状況に主
イエスがベツレヘムで人となり誕生くださったことに感謝
の時を持たせていただきましょう。今年一年間の感謝を味
わい、迎える 2017 年もさらなる緊張感をもって祈ってま
いりたいと思います。イスラエルに平和が主にあってもたら
されます様に。一人でも多くのユダヤ人が救われます様に。
LCJE 事務局長 高瀬真理