北ベトナムベトナム出張記 計量国際会議に出席して 2,002 年 11 月 モンゴル標準計量庁 植田正紀 <出発前日> 11 月 8 日(金)午前中にモンゴル標準計量庁のフレルスク長官と、カウンターパートのゾリゴー課長 を交えて、ベトナム出張の打合せを行った。 私は長官とハノイのアジア太平洋計量計画(APMP)会議に出席し、次の週にホーチミン市で開かれる アジア太平洋法定計量会議には長官とゾリゴー課長が出席することになっている。 当庁の長官は 47 歳、気鋭のエリート官僚で庁内だけでなく、中央官庁にも強い影響力を持っている。 午後、預けてあったパスポートを受取るために JICA 事務所に行った。JICA には 1 ヶ月ほど前に任国 外出張の申請書を出して、承認を得ている。これにより、北京やハノイの JICA 事務所が安全等の支援 をしてくれることになっており、事故があれば労災の適用も受けられる。 夕方旅行荷物を詰め込んだあとフラワーホテルに行き、富士(和風レストラン)で食事をしたあと、関 所でビールを飲んだ。 関所というのは私と同じ職場で働いていた先輩の吉武さんが命名したホテル内のカフェのことで、この 前を通る時は素通りしてはいけない、必ず役人に挨拶をすること、という意味で付けられたものである。 前役人のオヤンガー嬢は韓国へ出稼ぎに行き、代わって、サラという若い女性が働いている。 吉武さんと言えば、半年ほど前に日本に帰国し、神奈川県二宮町の町長選挙に立候補している。選挙は 今月の 17 日である。 <北京に向けて> ベトナムへの直行便は無いため、往復とも北京で一泊することになっている。 9 日朝 8 時 15 分にバツーリ部長が迎えに来てくれた。土曜日なので、彼が自分の車で空港まで送って くれることになっている。 空港には 9 時前に着いたが、長官はなかなか現れず、9 時 40 分頃になってやっと到着した。出がけに 友人が来て、旅の安全を祈って酒を飲んでいたので遅くなったとの事である。 北京は雪もなく、ウランバートルに比べるとずっと暖かい。-5 ℃位だという。 北京空港と都心の間には高速道路ができていて、30 分くらいで天安門広場近くの京倫飯店に到着した。 このホテルは日本航空の系列で、宿泊料は朝食付きで 1 泊 120 ドルだから結構高い。なぜこんなホテル を予約したのかと思ったら、モンゴル人は公用パスポートを見せると 50 ドルで泊まれるのだそうだ。 モンゴル人は公用バスポートを持っているとビザなしで中国やベトナムに入国できる。私も公用パスポ ートを持っていると言ったが、日本の公用パスポートは駄目だと言われた。結局中国の往復のビザが 90 1 ドル(促進手数料を含む) 、ベトナムのビザが 30 ドルで、合計 120 ドルを要した。 北京の JICA 事務所の杉崎さんという女性に電話したら、このホテルの近くに住んでいるので何時でも 伺いますとのことだった。土曜日なので JICA 事務所は休みである。 <ハノイに向けて> 10 日朝、杉崎さんに電話したら 10 時頃京倫ホテルに来てくれた。ホテル内の喫茶店でコーヒーを飲み ながら北京の事情、モンゴルの事情などを話し合った。 真冬の服装から夏の服装に着替えて、12 時前にホテルをチェックアウトし、北京空港に向かった。 ベトナムへの乗客は 30~40 人程で機内は空いていたが、そのうち約 10 人は中国人の団体客だった。隣 に座った中国人の女性が英字新聞を読んでいたので話しかけてみたら、一行も APMP 会議に出席する 代表団だと言うので驚いた。機内で名刺交換を行ったが、彼女は中国計量研究所の李宇紅高級工程師、 彼女の隣の男性は団長の施昌彦総工程師であった。 <ハノイ到着> 夕方ハノイ空港に到着した。ベトナム計量研究所の人達が迎えに来てくれていた。 気温は+30 度位だろうか、非常に蒸し暑い。 20 時半頃都心部の Hoa Binh ホテルに到着した。このホテルはベトナム側で紹介してくれたホテルの 中で一番安いホテルだったが、建物は古いけれども部屋やサービスはそれ程悪くはない。他にもインド 代表、フィリピン代表などが宿泊している。 ホテルのカフェから出てきたチャーミングな女性が、カフェは 24 時まで開いているので来てください と英語で話しけてきた。是非行ってみようと思う。 Hoa Binh ホテル 2 <国際会議> Hoa Binh ホテルから 1km 程離れた所にある Melia Hanoi ホテルにて 11 日 9 時から会議が始まった。 このホテルは数年前に建てられたそうだが、我々のホテルとは大違いで、大きくて豪華である。20 人以 上の日本代表団はこのホテルに泊まっている。やはり金持ちの国は違う。 長官は TCQS(品質技術会議)に出席し、私は TCEM(電磁気技術会議)に出席した。 午後も TCEM のワークショップに出席した。 夜は TCEM 出席者 27 名全員が郊外にある民 族料理店に、ベトナムの電気標準研究室の人 達から招待された。都心から北西へ 1 時間半 ほど行った所で、遠いけれども有名な場所な のでベトナムの伝統的な食事や雰囲気を是非 味わってもらいたいとのことだった。 甕から細い竹のチューブで飲むドブロクのよ うな酒や、猪の肉など変わった飲食物が次々 と出された。あまり食指は動かなかったが、 ベトナム側としては最大限のもてなしのよう だった。 バスで隣に座った人はニュージーランドの計 量研究所の技術者で、私もニュージーランド については国際交流のお手伝いをしたり、ホ Melia Hanoi ホテル ームステーを引受けたり、通訳として訪問し たこともあるので、色々と話がはずんだ。 途上国支援(DEC)会議 3 12 日の午前中は DEC(途上国支援)会議に長官と出席した。議長は日本の産業技術計量研究所の瀬田 室長だったので助かった。彼とは、私が日本に一時帰国したとき筑波の計量研究所で会っている。 私はモンゴルを代表してモンゴル国の実情と要求事項のプレゼンテーションを行った。これが今回の会 議出席の最重要課題だったので、無事役目を果たしてほっとした。 初めて出席したモンゴルに対して、ベトナム、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、ド イツなどの出席者が暖かいエールを送ってくれた。 午後は TCEM のグループに戻って、市内にあるベトナム計量研究所(VMI)の見学に行った。VMI は モンゴルの標準計量庁より少し規模が大きい程度で、モンゴル同様、古いロシア製の計器がたくさん置 いてあった。 ベトナムの人達はモンゴル人同様、一見まじめそうだが気さくで鷹揚なところがあり、見学はそこそこ に終えて、研究所内で茶菓の御馳走になりながら冗談を言ったり、各国の食べ物の話をしたりして過ご した。 夜は長官と一緒に、ホアンキエム湖畔の野外レストランで食事をした。魚介類の料理で非常においしか ったが、長官は苦手のようだった。 ハノイは夜になっても暑い。街は雑然としていて、フィリピンやタイなどの雰囲気とよく似ている。 長官がホテルのサウナとマッサージが非常に良いと言うので、ホテルに帰ってきてから試しに行ってき た。サウナは日本のように乾燥したものでなく、蒸気を充満させたものだった。蒸気の量は自分で調節 できる。1 時間ほどマッサージをしてもらって体が軽くなった。これで 6 ドルだから、ウランバートル のフラワーホテルの大浴場より安い。 <市内観光> 13 日の午前中はシンポジュームに全員参加した。パリの国際度量衡局理事や日本、ドイツ、ベトナムの 計量技術者達のプレゼンテーションと討論が行われた。 午後は VMI の見学になっていたが、昨日見学したばかりなので単独に市内観光をすることにした。 ホテルの受付でガイドを頼んだら、英語を話す車付きのガイドを呼んでくれた。 ホアンキエム湖、大教会、文廟(孔子のゆかりのある学問所)、タイ湖、大劇場などを見物した。ホー チミン廟とホーチミンの家は広大な敷地内にあり、ベトナム戦争が終わった後にロシアがプレゼントし たものだという。戦争中にホーチミンが寝泊りしながら指揮をとったという簡素な建物も残されている。 ガイドの料金は 15 ドルだったが、親切な運転手だったので 5 万ドンのチップを渡した。 ハノイ市内の道路はオートバイで埋め尽くされている感がある。ホンダ、ヤマハ、スズキなど日本製が 多いが、中国製のものも走っている。車はオートバイに対してクラクションを鳴らし続けるが、オート バイは平然と車の前を走っている。 街角の至る所で、オートバイが客引きの声をかけてくる。JICA 事務所に電話したとき、オートバイは 4 危ないのでタクシーを利用するよう注意を受けたが、Hoa Binh ホテルと Melia Hanoi ホテルの間で何 回かオートバイの荷台に乗った。 <歓迎パーティー> 夜はベトナム側の招待によるパーティーが Melia Hanoi ホテルで開かれた。 200 名近く出席したと思 う。 各国別に歌や踊りを披露することになり、モンゴルの順番のとき長官が歌を歌い、私は歌に合わ せて日本の郡上踊りを踊った。モンゴルの民族舞踊と思われたようだった。 私は胸に”MONGOL”と書いたタグ を付けているので、大体はモンゴル 人と思われていたが、時々困ったこ ともある。馬に乗れるかとか、モン ゴル料理についての質問は何とかな るとしても、ロシア語が話せるかと か、大学は何処を出たとか聞かれる と返答に困り、実は日本人だと白状 することになる。 ベトナムの古い人達はロシア語を話 すので、長官は水を得た魚のように 「ハラショー」とか言いながらロシ ア語でまくしたてていた。 長官は ベトナムの少女達による歓迎の民族舞踊 ロシアで教育を受けているのでロシ ア語はペラペラだけど、英語はあま り得意ではない。 長官と私がモンゴル語でなく英語で話しているのを聞いて不思議がっている人もい た。 私のモンゴル語はお粗末で、ほとんど役に立たない。 ホテルに帰ってからカフェで長官とビールを飲んだ。 モンゴルと北朝鮮は APMP 会議に初めて出席したため、本会議で挨拶のスピーチをするよう、今井議 長から言われている。スピーチの案文を作るよう長官から頼まれたが、酔っ払ったので、翌朝考えるこ とにした。 <本会議> 今日 14 日と明日 15 日の二日間に亘って APMP の本会議が開かれ、アジア太平洋地域の約 20 ヶ国の代 表が出席する。 早朝、スピーチの案文を作り、朝食のとき長官に見せた。 ”under this circumstance” とは何だというので、”under this situation” というような意味だと言った ら、circumstance は発音しにくいので、situation にする等と言っていた。大丈夫かなと心配になる。 5 APMP の議長国は日本であり、本会議は産業技術総合研究所の今井議長、瀬田幹事、臼田幹事、本間幹 事のリードで進められた。別に日本代表として同研究所の小野博士が出席している。 長官がモンゴル代表の席に座り、私はオブザーバの席に座った。 議長の挨拶等が終わって、議事に入る前にモンゴルと北朝鮮代表の挨拶が求められた。 我が長官のスピーチは、堂々として、なかなかの出来であった。 夜は APMP 事務局主催のパーティーが開かれた。半数くらいの参加者はシンポジュームが終わった後 に帰国しており、今日のパーティーは昨夜の半分の 100 名ほどであった。 既に多くの人々は知り合い になっているので、非常に和やかな雰囲気でパーティーは進行した。 筑波の飯塚元研究所長、今井議長 など重要人物とも話をする機会 がもてた。飯塚博士に私がかつて 電源開発㈱にいたと言うと、博士 も銀座の電発本社の場所にあっ た通産省工業品検査所で仕事を したことがあると言っていた。こ の人は APMP の設立と運営に多 大な功績があったそうで、日本の 資金による APMP 飯塚賞という のが創設されている。 今回第一 回目として、筑波の女性計量研究 者と韓国の若手男性研究者が表 彰された。 本会議で演説するフレルスク長官 北朝鮮の代表に、日本で問題になっている拉致問題について知っているかどうか聞いてみようかと思っ たが、聞かなくて良かったと後で思った。筑波の計量研究所員に聞いた話では、モンゴルや北朝鮮のよ うな貧乏国には事務局から一人分の旅費が支給されているが、北朝鮮は飛行機でなく汽車を利用して旅 費を浮かせ、計量技術者と監視役の公安関係者の二人が来ているらしいとの事だった。 日本は APMP に対する最大の支援国で全体の費用の約 70%を拠出しているという。 本会議の議事が遅れているということで、二日目の会議は 30 分早く始められた。10 時までは非公開会 議であり、各国代表者のみが出席することになっていたが、事務局の本間さんに頼んで私も特別に出席 させてもらった。会議は延々と続き、 かなりくたびれたが午後になると順調に進み、 15 時前に閉会した。 会議の主題は、アジア太平洋地域の計量技術の向上、世界貿易機構(WTO)から求められている世界 計量相互協定促進等であった。計量技術が世界貿易の発展に深く関わっていることを認識した。 6 今回計量関係の国際会議に初めて出席したが、私がかつて関わった国際電気標準会議(IEC)などと違 い、非常に特殊な人々による、特殊な会議であることがわかった。 まず、出席者のほぼ 100%が国家 計量研究所の専門家達である。 私もモンゴルの国立計量研究機関に所属している。大学や製造メーカ の人はいない。出席者のほとんどはドクターであり、日本の産業技術総合研究所の人達もほぼ全員がド クターであった。 英語の上手な人が多いのにも感心した。 多くの研究者はアメリカの計量研究所で研 修を受けた経験があるのと、計量という閉じた世界の中で国際間の交流が頻繁に行われているためだと 思う。計量の世界だけで通じる特殊な略語が山ほどあり、何の注釈もなく当然のように使われている。 本会議の議事次第を見ただけでも、NMI, BIPM, OIML, MRI, NMIJ, NIST, APLMF, CIPM, CGPM 等々いくらでもある。私は、にわか計量士なのでこの略語の洪水には当惑した。 ホテルに帰ったあと、JICA ベトナム事務所を訪問した。久米さんという若い職員が対応してくれ、ベ トナムの事情など色々話を聞くことができた。 JICA の近くにダイユーホテルという日系の大きなホ テルがあったので、様子を見に行ったついでにお土産を少し買ってきた。 <観光旅行> 今日 16 日はベトナム側がお膳立てしてくれた、ハロン湾 の観光旅行の日である。ハノイの北部 180k m程の中国との国境に近い所で、大小 2,000 の島や奇岩の林立する海の景勝地ということである。 大型バスに 40 人程が乗って出かけた。片道3時間以上の長旅である。 バスの中で、今回会議のベトナム側最高責任者である、Van Director の隣に座ったが、面白い民話を聞 かせてくれた。 昔神様が人間、水牛、犬、猿を呼んで、お前達の寿命をそれぞれ 30 年とするが良いか言ったが、人間は 30 年では不足だと答え、水牛はこんな重労働を 30 年も続けたくない、10 年で十分だと答えたそうだ。神様は 水牛の残りの 20 年を人間に与えようと言った。次に犬にと猿に訊くと、犬は家の番ばかり 30 年もやりたく ない、猿もこんなしわくちゃの顔を曝して 30 年も生きたくない、10 年で十分とそれぞれ答えたという。人 間は 20 年ずつ貰い、90 歳まで生きられることになったが、恋をしたり、結婚をしたりして楽しく生きるの は最初の 30 年だけで、その後の 20 年は家族や子供のために水牛のように働き、働けなくなったその後の 20 年は犬のように家の番をさせられ、最後の 20 年は猿のような顔を曝して生きなければならない運命になった ということである。 ハロン湾の港には大小の観光船が無数に並ん でいた。石灰岩が波に洗われてできた無数の小 島や奇岩が屹立しており、陸中松島のスケール を大きくたような風景である。遠くの島々は靄 に霞んで一体いくつあるのか検討がつかない。 遊覧船で島々の間を巡り、またある島に上陸し て巨大な鍾乳洞も見物した。 船を景勝地に留 め、イケスからすくったばかりの新鮮な魚の料 理を食べた。 長官は蟹が苦手だというので、 美しいハロン湾(Web サイトより) 7 大きな蟹を二人分食べることができた。 帰りの船上で戯れに駄作を捻ってみた。外国なので季語などはいい加減である。 ・ 北越に異人集いて島巡り ・ 朝靄に奇岩むせぶやハロン湾 ・ 鐘乳とは石のミルクと申しけり ・ 凪ぎし海に奇岩の影を重ねけり ハロン湾の風景 ハノイに帰ってきたのは19時頃だっ たが、そのあと VMI の招待による晩餐 会が街の中の大きなレストランで開か れた。すっかり馴染みになった参加者達 が最後の別れを惜しみながら食事を楽 しんだ。 旅行と晩餐会を含めて 30 ドルだったの で信じられないくらい安い。 ホテルに帰ってから長官とカフェでビ ールを飲んで、ベトナム最後の夜を過ご した。 今回は長官が勘定を払ってくれ た。 最後の晩餐会でのフレルスク長官 <再び北京へ> 17 日朝 7 時半にチェックアウトし、長官の見送りを受けてハノイ空港に向かった。長官は午後の便で ホーチミン市に移動することになっている。 ハノイ空港はウランバートル空港を少し大きくしたくらいの小規模空港で、迷うようなことはない。中 8 国の代表団と一緒に北京に向かった。 北京には予定どおり、15 時に到着した。個人タクシーに乗ると、空港からホテルまで 450 元だったが、 通常のタクシー代の3倍もとられたことが後でわかった。 JICA 北京事務所の杉崎さんに電話したら、JICA の坂本さんという若い男性が相手をしてくれることに なった。丁度 JICA の PR のための展示会が天安門広場の近くのショッピングモールの中で行われてい たので見学した。JICA の藤谷(Fujiya)副所長が当番で出ていたので挨拶を交わした。 その後、タクシーで天安門広場の周辺を見物してから、高層ビルのレストランで夜景を観ながら夕食を ご馳走になった。 北京には 10 年以上前に仕事で何度か来たことがあるが、街には高層ビルが林立して、イルミネーショ ンも華やかになり、当時と較べると見違えるほどの変貌ぶりである。 18 日午前中少し時間があったので近くの市場に行き、フード付きのコートを買ったが、値切るのを忘れ たので高いものについた。北京では損ばかりしている。トランンジットで滞在しただけの北京で 600 ド ル以上使う羽目になった。 11 時半に京倫飯店をチェックアウトし、タクシーで空港に行った。 <ウランバートル帰着> ウランバートルには予定どおり 17 時前に到着した。機内放送によると気温は-15℃とのことである。 空港にはゾラ、ウレー、アノーの 3 人の女性達が迎えに来てくれていた。 今日、シニア海外ボランティアの歓迎会があることをすっかり忘れていたが、ゾラさんが覚えていて教 えてくれた。アパートに着いて荷物をほどいてから、フラワーホテルのレストランで開かれる歓迎会に 出席した。 我々のときは二人でモンゴルに着任したが、今回は新たに 15 人のシニア海外ボランティアが着任して いる。 JICA の職員に昨日行われた吉武さんの選挙結果を聞いたら、残念ながら現職の候補者に敗れたとのこ とだった。選挙運動の期間が短かったので無理もないと思う。吉武さんは北米やヨーロッパで東芝の現 地法人の立上げと経営を 20 年近くもやってきたという大変な国際人で、選挙でも国際派を売り物にし て戦うとのことだが、私はその事を逆に危惧していた。 日本には「平家、海軍、国際派」という言葉があり、この三つは華やかで、かっこいいけれども、平家 は田舎者の源氏に敗れ、海軍と国際派は野暮な陸軍と国内派に押さえられて、うだつが上がらないとい う伝統がある。私の以前いた会社でも、海外で苦労して働いて、評価が上がったという人はほとんどい なかった。 パーティーは 21 時前に終わり、久し振りにアパートに帰ってくつろいだ。 9 <APMP 会議が終わって> 今回のアジア太平洋計量計画(APMP)会議は第 18 回目であったが、モンゴルは初めてこの会議に出 席した。 議長国が日本であることもあって、出席に際して私に協力するよう要請されたものである。 私は電気規格に関する国際会議の対応は長くやったが、計量技術という特殊な世界の国際会議対応は初 めてであり、出発まではかなり不安であった。しかし、筑波の関係者の協力もあって、何とか役割を果 たすことができて、結果的には参加して非常に良かったと思っている。 私の出張費用は約 2,500 ドルほどだったが、100%私が負担した。しかし、後に長官が私への叙勲の申 請をしてくれたため、帰国前に異例の受賞が決まり、JICA にとっても名誉なことであり、私自身にと っても 2,500 ドルには変えられない貴重な経験となった。 モンゴル政府から授与された勲章 10
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