2013 年度 短期留学プログラム帰国報告書(タンザニア)

2013 年度
短期留学プログラム帰国報告書(タンザニア)
応用生物科学部・醸造科学科・3 年 07110162
渡邉 英梨香
私がこのプログラムに参加しようと思った目的は大きく分けて二つあった。
一つはタンザニアのインフラ整備、特に上下水道の整備状況や需要について見て感じる
こと、二つ目はタンザニア(アフリカ)の文化や歴史・生活に触れることの二点である。
前者は現在 学科で学んでいる微生物やその微生物による排水処理技術を用いて、将来
途上国のインフラ整備に携わりたいという考えからである。後者については、第一の目的
に書いたようにインフラの整っていなそうなアフリカ地域の国とは将来携わるであろうし、
普段学ぶ機会のないアフリカという地域や、歴史や生活という視点からその国を見るとい
うことについて学ぶ機会にしたいと考えたためである。
今回の活動から気付いたことを述べる。
まず農業について述べると、栽培されている農作物は食糧となるコメ、麦、メイズ(ト
ウモロコシ属)、キャッサバ(イモノキ属)や、麻製品の原料であるサイザルアサばかりで
はないことに気が付いた。時期的に枯れてはいたが、一面のヒマワリ畑が道中や訪問先の
施設内にあり、Sunflower Oil 用に栽培されていた。また農業と言えるかはわからないが、
家具や木炭を作るために木を伐採する一方で、新たに植樹も行われていた。
売られている野菜を見ても Famer’s market で売られていた野菜はサニーレタスやラッ
キョウのような葉菜、ニンジン、大根といった根菜、ズッキーニやトマト、玉ねぎ、バオ
バブの実、ヤシの実 などバラエティ豊かであったが、道中で売られているものはヤシの実
やトマトが圧倒的に多かった。作物の栽培条件やその環境の管理コスト、運輸手段の有無、
取れ高などが関係しているのだろうか。
タンザニアの農業大学では農作物の収量についての研究が主なようで、食品加工や微生
物についての研究はまだ進んでいないようであった。
第二に食事について述べる。野菜はホテル等でしか出ず、キャベツの千切りとズッキー
ニ、パプリカの酢の物(?)や軽く炒めたニンジン、インゲン、カリフラワーなどが用意さ
れている。このようなホテルでは数種類の(ショート)パスタやお米(白米やピラウ)、パン
やチャパティが出てくるが、路面に面したお店で店外に机といすを並べて食べた時の食事
には東アフリカの郷土飯であるウガリ(メイズやキャッサバを粉状にしたものに水を加え
練ったもの、現地での主食)を出してもらえた。ウガリの味はほぼ無味だが、熱々の状態
で塩とマトンと食べると止まらなくなるぐらい美味しい。ひき肉をスパイスやピーマンと
炒め、小麦粉の生地で巻き 油で揚げたものも美味しかった。豚肉が出た記憶はない。
プログラム中にとった食事に共通していたのは、牛乳は生乳ではなく、卵の黄身はほぼ
白か灰色であり、頼んだチキンは骨ばかりということだった。黄身の色に関しては鶏のエ
サにカロテノイド系の色素を含んでいないかまたはその割合が低いためという理由だ。
(バ
スの中から見た限り、鶏はそこら辺の草をついばんでいた。
)身の少ないチキンは、日本の
ブロイラーのように品種改良されていないためらしい。
学科柄、私が一番興味を惹かれたはやはり酒類であった。滞在中に飲んだビールだけで
も Safari, Tusker, CASTLE(LITE),KILIMANJARO, SERENGETI, Windhoek と実に種
類が豊富で、それぞれが異なる香りや苦味、後味、喉ごし、重みを持っていた。中でも一
番癖がなく軽い KILIMANJARO は日本人には飲みやすいと思われる。タンザニアにおけ
る商品の成分表示の決まりはわからないが、100%malt と書かれた NDOVU は麦の味がし
っかりとしていて美味しかった。このように豊富な種類かつ高いクオリティーのビールは
ドイツからの植民地時代が大きく影響していると考えられる。ほかにもワインや Konyagi
という様々な果実の蒸留酒(水割りがおすすめ)も美味しく、いずれのお酒にしても日本人
同士やタンザニア人とのコミュニケーションツールになったのは確かである。
またサイザルアサはリュウゼツランという植物の一種で、サイザルアサと同じリュウゼツ
ラン属の Agave Tequilana はテキーラの原料として利用されている。よって、サイザルア
サによってテキーラも作れるのではないか、と考えていたが、テキーラには特定の品種・
地域から作られたもののみをテキーラとする、という決まりがあった。今後 Agave
sisalana から酒造可能かを調べていきたい。
第三には、私が持っていた途上国=貧困という印象について述べたい。私は去年、フィ
リピンでボランティアに参加した。メインは児童養護施設での建設作業であったが、様々
な生活レベルの状況を見る機会もあった。その時に見たフィリピンの貧困問題と比べると、
タンザニアには(商売用なのか自給用なのかは判断できないが)至る所に大なり小なり農
地があり、食べるものに困っている印象を受けなかった。フィリピンでは自由に農作をし
ていい場所どころか、住む場所すら違法居住という問題があった。
見かけた子どもも大人も皆が、家事なり農作なり売り子でもドライバーでも何かしらの
仕事をしていた。世界銀行が支援している道路整備で働く現地の人を見かけることもあっ
た。
また、着ている服もボロボロではないし、学生服はどの地域で見ても清潔にされており
一番上等な服のようであった。
ほかの途上国は 先進国の轍を辿ろうとして国内での差が広がってしまうように見える
が、タンザニアは政策として農業を押し、サポートすることで国民一人ひとりの能力を発
揮する場を広げたように見受けられ、一般的な「途上国」とは異なった印象を受けた。毎
日停電が起きたり、大都市ダルエスサラームでさえ給水が不足していたり、インフラの面
では発展途上かもしれない。が、俗にいう途上国ではなく、国を支えている経済の内訳か
らすると新しいタイプの、原始的ではあるが土地と共存し、生活が成り立っている国、と
いうように見えた。
ただ、今回の活動範囲や交流した人を考慮すると、ごく一部の面に特に富裕層にしか触
れていないと思う。私が見た通りのままがタンザニアという国、ましてアフリカという地
域ではないはず。なので こういった国へ行く際は、分布的に、日本人が行かないような場
所へも足を伸ばし その国の様々な姿を見たいと感じた。
最後に、以上三つ分野とは別に気付いたことを挙げる。
スワヒリ語の挨拶や簡単な会話を覚えて行ったところ、レストランの店員さんや道ゆく
人とのコミュニケーションやそのきっかけ作りになった。また『指さし会話帳』のコピー
を持っていたので、それを現地の人に見せると最終的には囲まれ質問攻めにあった。やは
り現地の言葉を話すことは、こちらから触れあいたい、という意思表示として捉えてもら
える。
『タンザニア 100 の素顔』を持参することで いま目にしたものと先生方からの話とを
照らし合わせることができ、理解を深めるのに役立った。
都市郊外の町を見るとレンガ造りの家が目立った。このレンガを作る(焼く)ために使
うチャコールを作るための森林伐採が大きな問題となっていることを初めて知った。
トイレに注目すると、どこのトイレも水洗用のタンクがついていた。しかし手洗い場も
含め、水が出るかは別問題であった。ダルエスサラームにある JICA オフィスやレストラ
ン、Ngorongoro 自然保護区等の外国人が多く利用する場所のトイレはとてもきれいで嫌
なにおいもなく、トイレットペーパーが流せるほどの水量が出る。街中の飲食店や宿泊し
たドミトリーのトイレはそれほどの水量が一度に出ないのでトイレットペーパーを直接流
さずに専用のごみ箱に捨てていた。
(ごみ箱が設置されているかどうかも、ティッシュを流
せるだけの整備がされているかの目安となった。)水が全く出ないトイレにはどこからか汲
んできたバケツと柄杓があり、それで流し込んだ。もちろん手を洗う水も出ないのでウエ
ットティッシュや除菌ジェルが活躍した。
冒頭の参加目的で述べたように、私は将来 水道の整備に関わり、衛生環境を改善させる
ことを通じて人の役に立ちたいと考えている。他人の生活環境を変えるからには、その援
助が自己満足の押し付けにならないためにも相手の正確な需要を認識することが必要とな
る。その需要を感じることを目的の一つとしてタンザニアへ行った私が見たトイレ事情で
は、現地の人はトイレットペーパーを使わないので丈夫な下水道管の整備は急を要さない
ように思えた。が、観光客の外国人とはトイレットペーパーをシェアした場面もあり、も
し使用したそれをごみ箱へ別に捨てるという気付きがなければ いずれ下水道管は詰まっ
てしまう。トイレットペーパーが詰まる詰まらないの話だけでなく、現在
タンザニアで
はザンジバルも含め 十分な汚水処理がされていない。汚水の大部分は極めて少ない水源の
河川や湖、海へ垂れ流しにされている。ここから感染症の蔓延や、水産物の汚染へとつな
がり 最悪、日本で起きた水俣病のような公害病が発症するかもしれない。そこで やはり
このような可能性を含む地域の水道環境を整えたい、防げることを防ぐことで多くの人に
生きてほしい、そう思った。
また、JICA のオフィスで支援内容を聞いた際、下水処理施設は給水施設よりも施工や
管理のコスト、環境負荷が大きいためにタンザニアでの下水処理施設の支援には携わって
おらず、より別の国の大きなドナーが支援していることを知った。よって海外支援への参
加を考えるとき JICA だけでなく、他の国のドナーについても視野に入れて考えていこう
と学んだ。
この 14 日間を通した自己評価は、6∼7 割ほど達成されたと言える。水環境については
積極的に観察や考察をすることができ、特に JICA にて塩谷さんとの質疑応答から得たも
のは大きく、進路やアプローチ方法を考えるにあたって非常に参考にさせてもらえるもの
であった。ただ、タンザニアについて知るという目的においては 得た内容よりも、学び方
が重要であった、と帰国後に気付いた。自分一人が見たり感じたりしたことをソレとする
のではなく、もっ
っと現地スタ
タッフや出会
会った人との
の交流を通じ
じ、直接話を
を聞くという
う方法
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日本では初対
対面の人とも
もよく話すこ
ことができる
るのに、英語
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ヒリ語もあまり喋れない、
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チャーで意見
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状況は違うか
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たところで…と考えすぎて
て、とりあえ
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みる!
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ってしまった
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今後
後は 環境の
の変化に弱い
い体調にも懲
懲りず、いろん
んな国を自分
分の目で見に
に行こう、そして
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感じた現地や
や一緒に行く
く仲間とコミ
ミュニケーシ
ション不足を
を解消できる
るように、あ
あまり
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えすぎず、最低
低限 英語は
は聞き取れる
るように勉強し
しよう、と決
決めた。自分
分の興味のあ
あるこ
とに対
に対して掘り下
り下げて調べる
る姿勢は持続
続していく。
。
最後
後に、こちら
らからの様々
々な要望に嫌
嫌な顔一つせ
せずいつも柔
柔軟に対応し
してくれたル
ルタト
ーラ先
ラ先生、秘書の
のピーター、
、いつも一緒
緒にいてくれ
れたダニエル
ル、多くの移
移動を安全に
に運行
してくれたハジさ
さん、みなさ
さんのおかげ
げでたくさん
んのものを見
見ることがで
でき、ホスピ
ピタリ
ティー
ィーなども学ぶ
ぶことができ
きたこと と
とても感謝し
しています。そして引率の
そ
の林田先生、
、三井
先生、
、9 人のメン
ンバー、新た
たな知識や刺
刺激を与えて
てもらい、私
私が体調を崩
崩した時にも
も支え
ても
もらい、本当に
にお世話にな
なりました。
。ありがとう
うございます
す。そして、
、このような
な充実
した経
経験をする機
機会を与えて
て頂いたこと
とに心から感
感謝します。
。