グローバリゼーションと経済・社会環境の変化

【報
告】⑶
グローバリゼーションと経済・社会環境の変化
鈴木弥生
1)
共同研究者:佐藤一彦
2)
Ⅰ 序章
1
研究の背景
グローバリゼーションの進展は、人々を取り巻く経済・社会環境、とりわけ、
「労働移動」
に大きな影響を及ぼしている。多国籍企業の生産力増強、国境を越えた生産や商品取引は
その一例であり、それらは、各国・地域を越えた国際的な労働移動へと拡大している。
国連開発計画(2010)は、こうした国際労働移動について、地球規模で取り組むべき課
題として重視している。中でも途上国から先進諸国へ移動した人々(推定700万人)は、移
動先でより良い機会を確保することもあるが、移動に伴うリスクの高さがあるということ
も指摘されている。移動先として急増しているのはアメリカ合衆国や湾岸諸国であるが、
それらの具体的な状況については必ずしも明らかにされてはいない。こうした背景から、
本研究では、グローバリゼーションの進展に伴う途上国からの国際労働移動に焦点をあて
る。
本研究計画申請当時、アメリカ合衆国については諸外国からの移住者が多くみられる
ニューヨーク市、湾岸諸国の中では、都市開発に伴い、国際労働移動者が多くみられるよ
うになったアラブ首長国連邦(United Arab Emirates)の一つ、ドゥバイ首長国(Emirates
of Dubai、以下、ドゥバイと称す)を研究対象地域(移動先)として選定していた。しかし、
2011年4月以降の研究代表者の異動が2010年度途中で明らかになったことから、ニュー
ヨーク市での調査及び経費執行は取りやめることにした。また、主な出身地域としては、
筆者らのこれまでの研究対象地域であるバングラデシュ人民共和国(People s Republic of
Bangladesh、以下、バングラデシュと称す)を選定している。
なお、本研究におけるドゥバイでの聞き取り調査及び現地での資料収集(2010年)は、
2010年度関東学院大学人間環境研究所助成によるものであり、バングラデシュでの研究蓄
積については、5度に及ぶ文部科学省科学研究費助成基盤研究
によるものである1。
1)元関東学院大学人間環境学部、現立教大学
2)元秋田桂城短期大学
1
①「バングラデシュへの援助と社会開発−識字への取り組みを中心として」
[1999‐2001年度]
、②「バングラデ
シュにおける子どもの労働とその対策に関する実態調査」
[2002‐2004]
、③「バングラデシュの農村における貧
困層への援助と社会開発−クミッラ県での実態調査」
[2005‐2007年度]
、④「バングラデシュの内発的発展−ク
ミッラ県ダウドゥカンディ郡での実態調査」
[2008‐2010年度]
、⑤「バングラデシュの貧困と国際労働移動に関
する実態調査」
[2011‐2013年度]
。
―77―
2010年度
2
研究プロジェクト報告抜粋
着想に至った背景
1971年のバングラデシュ独立以降、日米を始めとする先進諸国や国際機関は膨大な額の
援助によって現地の近代化を推進してきた。2007年まで6月までに供与された二国間援助
をみると、日米の総援助額は100億ドルにも達している2。
中でも、我々の研究対象地域であるクミッラ県には、東パキスタン時代の1960年代から
「コミラモデル」=緑の革命が導入され、いち早く近代農法が普及・拡大した。独立後に
は、首都ダカと港湾都市チッタゴンを結ぶハイウェー拡張工事と連動して、ダカとクミッ
ラ県を結ぶ「メグナ橋」
、「メグナ・グムティ橋」
(日本 ODA)が供与された。これら橋梁
の東側に位置するダウドゥカンディ郡には、1992年より「モデル農村開発計画」(日本
ODA)が導入され、農村の近代化がより促進されている。その成果は、乾季に限って多収
穫新品種ボロ稲の生産が増加したことである。それに伴い、一部の既得権益者は利益を得
ている。しかしながら、灌漑設備を使用する近代農法は、大量の用水、多くの化学肥料と
農薬を使用するため、農民にかなりのコスト負担がかかる。また、雨季に行われる在来種
米の作付面積は激減している。その影響を受け、多くの貧困層が雨季の農業労働者として
の雇用機会を失っている(鈴木・佐藤 2008)。
また、クミッラ県ダウドゥカンディ郡の中でも、我々が2000年から調査を継続している
同郡P村は、先進諸国主導による農村の近代化に伴い貧富格差が拡大傾向にある。とりわ
け、ハイウェー拡張工事によって土地を剥奪された貧困層は、その横の狭い空き地でスラ
ムを形成している。そして近年では、これらスラム居住者の中にも、雇用機会を求めて国
外に移動している貧困層がみられるようになってきた。
我々の調査の範囲ではあるが、2000年始めには、雇用機会の確保を目的としてマレーシ
アに滞在している貧困層がみられた。
その多くは、高利貸しからの借金や土地の売却によっ
て渡航費用を捻出していた。しかし、ブローカーによる現金剥奪や何ら現金収入を得られ
ずに帰国するといった問題が頻発していた。また、成人した子ども(男性)が在留期間超
過を理由に拘束されていることから心配が絶えないという貧困層(母子世帯)もみられた。
その後、受け入れ側の外国人労働者の入国制限及び雇用制限といった政策も重なり、当該
地域からマレーシアへの労働移動は激減していった。これに対して、近年増加傾向にある
2009年以降、現地 NGO の融資を活用して渡航費
のがドゥバイへの労働移動となっている。
用を捻出し、家族構成員をドゥバイに出稼ぎ(建設労働者)に出している貧困世帯もみら
れる。バングラデシュへの送金総額をみても、ドゥバイを擁するアラブ首長国連邦からの
送金額が増額している。
こうした背景から、我々は、これまでの研究対象地域であるバングラデシュからドゥバ
イへの国際労働移動に焦点をあて、その一端を明らかにすることを目的とする。
2
経費実績ベースで、その内訳は日本 ODA が68億5641万ドル、アメリカ ODA が35億5034万ドルとなっている
(Economic Relations Division, 2009, p.97 and p.113)
。
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2010年度
3
研究プロジェクト報告抜粋
研究方法
研究方法は、先行研究及びこれまでの研究内容の分析に加えて、ドゥバイでの資料収集
及び聞き取り調査による。なお、国際労働移動に関する聞き取り調査に際しては、当事者
の人権に十分配慮する必要がある。とりわけ、在留期間を超過している貧困層からの調査
には配慮を要する。そのため、被調査者が回答を拒んだり、躊躇ったりした際は、調査項
目に対して全回答を得ようとしないように努めた。こうした背景から、得られたデータに
も限界があるということをあらかじめ明記しておかなければならない。
4
用語の定義
「グローバリゼーション(globalization)」は、世界化、国際化を意味する用語であるが、
今日では、いくつかの先行研究がみられる。その代表的なものとして、西川(2003)は、
「国民国家の国境の垣根を低め、ボーダレスな市場経済、商品経済を世界に拡大していく
動き」を「物のグローバリゼーション」と称している。その影響については、特定地域に
経済を集中し、経済繁栄を引き起こすが、その反面、貧富、地域の格差といった「影の部
分」も伴うと分析している。また、人々の意識がせまい郷土、国家を超えて、世界に拡大
していく動きを「意識のグローバリゼーション」と称している。
Migrants(ここでは、移住者と訳しておく)については、World Bank(2011)によると
「国境を越えるか、あるいは、出自国内で他の地域に移動してこれまでの居住地を変更し
た人で、かつ1年以上移動先に居住している人」をさしている。この用語については、以
下のように大別されるであろう。一つは「国内移住者」である。もう一つは「国際移住者」
で、
「国境、もしくは、出自国の地域を越えて、出自国以外の国・地域に移動した人で、か
つ、居住地の変更や定住を目的としている。この場合、期限つき、もしくは、期限なしで、
少なくても1年以上、一定の場所に居住する」ことをいう。
以上から「国際労働移動」は、「労働を通して現金収入を得ることを目的として、国境、
もしくは、出自国の地域を越えて、出自国以外の国・地域に1年以上居住している、もし
くは、既に出自国以外の国・地域に移動していて1年以上移住することが明らかとなって
いる人」と暫定的に定義しておく。
Ⅱ
先行研究の見解
国際労働移動については、さまざまな先行研究がみられるが、否定的見解として森田
、肯定的見解としては Hassan(2008)がある。バングラデシュからの国際労働移動
(2004)
については、管見の限りでは、長谷・三宅(1993)、樋口・稲葉他(2004)、山本(文部科
学省委託研究プロジェクト:2007年度)である。これらの先行研究では、いずれも、日本
への労働移動に焦点をあてている(山本の研究では、一部韓国への移動に着目している)
。
そこでは、調査対象者の教育水準や日本語能力、日本での就業状況や帰国後の生活状態等
が詳細に描かれている。しかし、バングラデシュから日本へ移動できる人々は、一定以上
の層に属する人々である。
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2010年度
Ⅲ
研究プロジェクト報告抜粋
国際労働移動の概要
既存のデータを通してみると、国際移住者を送り出している上位10ヵ国・地域全てが途
上国であり、内9ヵ国が中所得国である。これに対して、国際移住者を受け入れている上
位10ヵ国・地域の中で内、8ヵ国は高所得国である。バングラデシュについてみると、低
所得国にあって国際移住者と送金が多くみられる。
Ⅳ
ドゥバイ首長国(アラブ首長国連邦)
1
アラブ首長国連邦概要
アラブ首長国連邦が独立したのは、はからずもバングラデシュ同様の1971年12月である。
同首長国は、本研究の対象地域としているドゥバイの他、首都アブダビ首長国(Emirates
of Abu Dhabi)
、
(以下、首長国と Emirates 略)
、シャルジャ(Sharjah)、アジュマン(Ajman)
、
ウンム・アル=カイワイン(Umm al-Quwain)
、ラース・アル=ハイマ(Ras al-Khaimah)、
フジャイラ(Fujairah)からなる連邦国である。石油埋蔵量は世界で第6位に位置している
が、その多くはアブダビが保有している。
2009年現在の人口は460万人、
そのうち国際移住者は329万3,
300人となっていることから、
全人口に占める国際移住者数の割合が7割にも達している。また、国際移住者に占める女
4%となっている World Bank(2011)。
性の割合は27.
2
ドゥバイ首長国概要
ドゥバイの人口構成(2008)をみると、総人口164万5973人のうち、女性382万843人、男
性126万3130人となっており、男性が3/4も占めていることが分かる(Government
of
DUBAI 2008 a, pp.1­3)
。これより、出稼ぎ労働者に男性が多く、しかも、それら男性は家
族構成員を出自国・地域に残して単身で働きにきているということが言えよう。また、日
中はドゥバイで労働しているものの、夜間の宿泊先(場所)がドゥバイの外となっている
493人にものぼる(Ibid., p. 2)
。
人々が805,
次に、ドゥバイの GDP(2008)について、石油部門と非石油部門別にみると、石油部門
1%にすぎない。これに対して、約4割弱を占めているのが卸売、
に占める割合は、僅か2.
小売・貿易、修理・メンテナンスサービスである(Government of DUBAI 2008 b, pp.1­
3)
。
3
ドゥバイ首長国での調査内容
(1)調査日程
2010年10月29日出国。翌10月30日ドゥバイ着。同年11月5日、ドゥバイより出国。翌11
月6日帰国。よって、調査期間は2010年10月30日∼11月5日までの7日間であった。
(2)調査方法
現地での資料収集及び国際労働移動者からの聞き取り調査による。また、労働内容や生
活状態に関する参与観察による。
(3)訪問機関・場所
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2010年度
研究プロジェクト報告抜粋
ドゥバイ統計センター、入国管理局、シェイク・ムハンマド・センター、モスク、ドゥ
バイ博物館、書店等
(4)聞き取り調査の方法
① 調査先
上記(3)の他、建設現場、ホテル、スーク、ホテルやモール内の各店舗とトイレ、
フード・コート等の他、バス、タクシー、地下鉄内
② 主な調査項目
ⅰ出身国・地域、ⅱ職業
(可能であれば、労働時間及び賃金)、ⅲ滞在年数、ⅳ国際労
働移動の目的、ⅴ資金の使途、ⅵ単身か家族同伴か、ⅶ可能であればドゥバイの印象
や生活状態
(5)被調査者数
被調査者総数は75人(女性28人、男性47人)で、各国・地域別の出身者数(女性・男性
の内訳)については、以下のとおりである。
① バングラデシュ
9人(女性2人、男性7人)
② インド
16人(女性1人、男性15人)
③ フィリッピン
15人(女性13人、男性2人)
④ パキスタン
9人(女性0人、男性9人)
⑤ ネパール
8人(女性4人、男性4人)
⑥ スリランカ
4人(女性3人、男性1人)
⑦ ケニア
3人(女性1人、男性2人)
⑧ ミャンマー
3人(女性1人、男性2人)
⑨ 中国
2人(女性1人、男性1人)
⑩ イラン
2人(女性0人、男性2人)
⑪ インドネシア
1人(男性)
⑫ シリア
1人(男性)
⑬ エチオピア
1人(女性)
⑭ ウクライナ
1人(女性)
なお、職種、国際労働移動の目的、賃金の使途等については、報告書参照。
Ⅴ
まとめ
本研究では、グローバリゼーションの進展に伴う途上国からの国際労働移動に焦点をあ
て、筆者らのこれまでの研究対象地域であるバングラデシュと当該地域からの移住者が増
加傾向にあるドゥバイで現地調査・研究を行った。ここでは、以下の諸点が明らかになっ
た。
第1に、外国人労働者とドゥバイの人々との間には、職種、賃金、住居、余暇時間等に
おいて隔たりがみられる。モール内での様子をみても、買物や食事に時間を費やしている
のはドゥバイの人々であり、店員や販売員、そして清掃労働を担っているのは途上国出身
の外国人労働者である。
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2010年度
研究プロジェクト報告抜粋
第2に、我々の調査の範囲内ではあるが、外国人労働者の中でも、出身国・地域ごとに、
専門職、熟練労働者、半熟練労働者、未熟練労働者等の比率の違いがみられた。例えば、
バングラデシュやネパールから移動してきた人々の中に、清掃労働者が多くみられた。と
りわけ、女性の職種に至っては、トイレ清掃労働者に限定されているといった現状がみて
とれた。
第3に、我々の調査から、途上国からの外国人労働者の殆どは、家族への送金を目的と
してドゥバイに移住しているということが明らかになった。また、高所得国と途上国の人々
を繋ぐ役割を担いながら、貧困層から現金を収奪している現地ブローカーの存在も見逃す
ことはできないであろう。こうした構造の中で、途上国から移住してきた労働者は、移住
先の社会構造の中では、最底辺におしこめられている。
今日、ドゥバイの風変わりな摩天楼が話題となり、より観光客をひきつけようと新たな
開発が計画されている。しかしながら、それらの開発を底辺から支え、低賃金・重労働を
担っている外国人労働者の存在は、今もってなおざりにされている。
引用及び主要参考文献 *一覧については、報告書を参照されたい
Economic Relations Division, Ministry of Finance, Flow of External Resources into Bangladesh, 2009.
Government of Dubai, Dubai Statistics Center, Population­Emirates of Dubai, 2008 a.
Government of Dubai, Dubai Statistics Center, Gross Domestic Product­Emirates of Dubai, 2008 b.
国連開発計画『人間開発報告書 2009:障壁を乗り越えて−人の移動と開発』
西川潤『グローバル化を超えて 脱成長期 日本の選択』日本経済新聞社、2011年
西川潤「今日のグローバリゼーション−その歴史と現状を俯瞰し将来像を探る−」
『福音と社会』第42巻第
、2003年8月、16−35頁
2号(通号209)
鈴木弥生・佐藤一彦「バングラデシュクミッラ県における貧困層の生活状態−モデル農村開発計画による
インパクト」
『社会福祉学』日本社会福祉学会、第49巻2号、2008年9月、135−149頁
World Bank, Migration and Remittance Factbook 2011, 2 nd Edition, 2011.
森田桐郎編著『国際労働移動と外国人労働者』同文舘、1994年
備考:本文は、関東学院大学人間環境研究所主催「コーヒー・アワー」
(2012年2月29日)
での報告内容「グローバリゼーションと経済・社会環境の変化」
(報告者:鈴木弥生)の一
部を抜粋したものである。
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