平成 19 年度成果報告書 エピジェネティクスに関する研究動向及び 産業応用への課題に関する調査 平成 20 年 2 月 独立行政法人 委託先 新エネルギー・産業技術総合開発機構 社団法人バイオ産業情報化コンソーシアム はじめに ヒトの設計図にあたる遺伝子の 30 億対からなる塩基配列情報を人類が手にしてから早 5 年が経過した。その間、塩基配列情報を利用した創薬等世界的に様々な取り組みがなされて いる。 しかし、4 種の塩基(G、A、T、C)の配列はあくまでも設計図であり、人体を構成する約 200 種類の細胞では、細胞ごとに使用する塩基配列情報は異なる。この塩基配列情報の仕分 けをし、目印として働くのがエピジェネティクスであり、エピジェネティクスは DNA のメチ ル化およびヒストンタンパク質の様々な修飾により制御される。 各遺伝子のエピジェネティック制御が環境や生活習慣で変化・劣化することが明らかにな っている。エピジェネティック制御を白紙に戻すことは再生や生殖に重要であり、エピジェ ネティック制御の劣化ががんをはじめとする疾患の発症に関わっている。今後は各種の疾患 の診断・治療、細胞の品質管理、化学物質の毒性予測、また、機能性食品の開発など、様々 な分野での産業応用が期待される。 米国 NIH(National Institutes of Health:国立衛生研究所)は、NIH 傘下の 6 研究所が 参加するエピジェネティクス研究に 2008 年から 5 年間で US$190 M を投資すると 2008 年 1 月に発表した。また、欧州でも FP6(Sixth Framework Programme:EU 研究・技術開発枠組み 計画 6)のもとで研究が進んでいる。エピジェネティクス研究に多大な貢献をした日本も、 ここで国家的な推進策を早急に講じない限り、この分野でも欧米の後塵を拝することは必至 である。 本調査は、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の調査研究として行われた。本 報告書では、産官学の委員からなる調査委員会での講師の講演・討議内容を記録し、それら をもとにエピジェネティクスの産業応用に向けた技術的課題を明らかにし、考察と提言を行 った。報告書が多くの方々に読まれ、我が国におけるライフサイエンス関連分野の施策に反 映されることを望みたい。 本調査研究の実施にあたり、牛島委員長をはじめ調査委員会委員、調査ワーキングメンバ ー、調査委員会で講演して頂いた講師、その他多くの方々から多大なご協力を頂いた。本誌 上を借りて厚く御礼申し上げます。 平成 20 年 2 月 社団法人バイオ産業情報化コンソーシアム 目 第1章 次 調査の概要 ................................................................. 1 1-1.目的 ....................................................................... 1 1-2.体制 ....................................................................... 2 第2章 エピジェネティクスの概要 ................................................... 5 2-1.エピジェネティクスの概念、定義 ............................................. 5 1)概念 ........................................................................ 5 2)定義 ........................................................................ 6 2-2.エピジェネティクスへの注目の背景 ........................................... 8 2-3.エピジェネティクスが関わる研究分野 ......................................... 9 2-4.主なエピジェネティクス研究 ................................................ 10 1)エピジェネティクスのプレイヤー ............................................. 10 2)エピジェネティクスに関連する生命現象分野の研究 ............................. 10 3)エピジェネティクスと疾患に関する研究 ....................................... 10 4)エピジェネティクス研究の国際的動向 ......................................... 11 2-5.エピジェネティクスの市場予測 .............................................. 12 1)市場動向・市場予測 .......................................................... 12 2)主要企業 ................................................................... 12 第3章 第 1 回調査委員会(エピジェネティクス一般) ................................ 13 3-1.議事次第 .................................................................. 13 3-2.発表記録 .................................................................. 14 1)エピジェネティクスと疾患 ................................................... 14 2)細胞・組織特異的 DNA メチル化プロフィール ................................... 21 3)エピジェネティクスとリプログラミング ....................................... 33 4)エピジェネティクスのケミカルバイオロジー ................................... 38 5)エピジェネティクス解析ツールについて ....................................... 48 6)エピジェネティクスと創薬・診断 ............................................. 52 3-3.議事録 .................................................................... 60 3-4.まとめ .................................................................... 68 第4章 第 2 回調査委員会(がん、創薬とエピジェネティクス) ........................ 70 4-1.議事次第 .................................................................. 70 4-2.発表記録 .................................................................. 71 1)エピジェネティクスによる医学・生命科学と産業の接点 ......................... 71 2)エピジェネティック治療の現状と課題 ......................................... 77 3)がんにおけるエピジェネティクス研究の新展開 ‐分子機構と臨床応用‐ ......... 81 4)エピジェネティクスを指標とする発がんリスク診断とがんの個性診断 ............. 92 5)立体構造からのアプローチ:エピジェネティクスの制御にむけて ................ 104 4-3.議事録 ................................................................... 110 4-4.まとめ ................................................................... 114 第5章 第 3 回調査委員会(がん以外の疾患、再生医療とエピジェネティクス) ......... 117 5-1.議事次第 ................................................................. 117 5-2.発表記録 ................................................................. 119 1)精神発達障害とエピジェネティクス .......................................... 119 2)ゲノム刷り込み異常とヒト疾患群 ............................................ 137 3)再生医療とエピジェネティクス産業の接点 .................................... 142 4)免疫の可塑性とエピジェネティクス .......................................... 148 5)リウマチ膠原病・アレルギー疾患および腎臓病におけるエピジェネティクス ...... 155 6)メタボリックシンドロームとエピジェネティクス .............................. 160 5-3.議事録 ................................................................... 171 5-4.まとめ ................................................................... 173 第6章 第 4 回調査委員会(エピジェネティクスの解析ツール、測定) ................. 175 6-1.議事次第 ................................................................. 175 6-2.発表記録 ................................................................. 176 1)DNA メチル化を検出するための化学反応 ....................................... 176 2)エピゲノム解析:手法とその応用 ............................................ 187 3)内視鏡の先端光診断技術の現状と将来 ........................................ 196 4)セミインタクト細胞可視化アッセイ .......................................... 205 6-3.議事録 ................................................................... 214 6-4.まとめ ................................................................... 218 第7章 第 5 回調査委員会(植物、クローンとエピジェネティクス) ................... 220 7-1.議事次第 ................................................................. 220 7-2.発表記録 ................................................................. 222 1)植物のエピジェネティクス .................................................. 222 2)哺乳類の核移植クローンとエピジェネティクス ................................ 227 7-3.議事録 ................................................................... 237 7-4.まとめ ................................................................... 245 第8章 エピジェネティクスの産業応用に向けた技術的課題 ........................... 247 第9章 まとめと提言 ............................................................. 252 第1章 調査の概要 1-1.目的 近年、DNA の塩基配列には変化を起こさないで、DNA のメチル化やヒストンのアセチル化等の化 学修飾によって遺伝子の発現を制御する「エピジェネティクス」が、発生・分化、がん化等を説 明するメカニズムの一つとして注目を集めている。 このような化学修飾は発生や分化を制御する基本的な仕組みで、細胞の記憶として働くことが 分かっている。胚発生、細胞分化、ゲノムインプリンティング、X 染色体不活性化に関わるとと もに、体細胞クローン作製時のゲノムリプログラミングにも重要である。また、発生後も、神経・ 免疫機能の制御に関わることが強く示唆されていると同時に、老化にも深く関わっている。更に、 生活習慣などの環境要因によるエピジェネティクスの異常は、発がんの原因となることが知られ、 神経変性疾患や自己免疫病など多数の病気の原因としても示唆されている。エピジェネティクス 調節機構の先天異常は、重大な神経・免疫異常を誘発する。 従って、エピジェネティクスの基本的な分子機構、異常の誘発機構、また、異常の標的遺伝子 の解明によってもたらされる新たな知見が、新たな作用メカニズムに基づく医薬品の開発や、疾 病の診断など、産業への応用に大きな影響を及ぼすことが見込まれている。世界的にも、ヒトゲ ノム解読後の重要な研究課題として位置づけられ、ゲノム全体に亘ってエピジィネティクスを調 べる研究や、疾患との関係を探る研究等が盛んに行われており、論文数も急激に増加している状 況にある。 本調査は、遺伝子の発現調節に関与し、発生・分化やがん化等のメカニズムの一つとして近年 注目されている「エピジェネティクス」について、その研究動向を明らかにし、産業応用のため の課題抽出を行うことによって、技術開発へのアプローチ方法を考察する。 1 1-2.体制 本調査を進めるにあたり、社団法人バイオ産業情報化コンソーシアム(JBIC)内に外部有識者 から構成される「調査委員会」を設置した。調査委員会では、調査の方向性、方針を決定し、各 領域におけるエピジェネティクスの専門家を委員会に招聘し、研究の現状、動向、課題、今後の 方向性、産業への応用について審議した。また、委員会の下に調査ワーキンググループを設置し、 委員会の記録、報告書の作成を行った。 研究体制スキーム NEDO 技術開発機構 戦略企画本部 調査委員会 調査ワーキンググループ (社)バイオ産業情報化コンソーシアム 調査委員会 (敬称略) 委員長 国立がんセンター研究所 委 員 東京大学大学院 委 員 国立遺伝学研究所 委 員 理化学研究所 委 員 オリンパス株式会社 委 員 日本化薬株式会社 発がん研究部 農学生命科学研究科 総合遺伝研究系 吉田化学遺伝学研究室 バイオ事業推進室 研究開発本部 2 牛島 俊和 塩田 邦郎 佐々木裕之 吉田 稔 牧野 徹 杉原 英光 調査ワーキンググループ (敬称略・企業名 50 音順) 味の素株式会社 ライフサイエンス研究所 栄養インキュベーション研究グループ 大橋 弘幸 アプライドバイオシステムズジャパン株式会社 オペレーションズ サイエンスセンター 有賀 博文 インテック・ウェブ・アンド・ゲノム・インフォマティクス株式会社 バイオインフォマティクス事業部 村元 浩 オリンパス株式会社 ライフサイエンスカンパニー バイオ事業推進室 マーケティング部 森本 伸彦 株式会社島津製作所 官庁大学本部 産学官プロジェクト推進室 濱崎 勇二 東レ株式会社 研究・開発企画部 曽根 三郎 株式会社日立製作所 中央研究所 ライフサイエンス研究センタ バイオシステム研究部 久野 範人 三菱化学メディエンス株式会社 事業開発本部 企画室 村瀬 淳子 社団法人バイオ産業情報化コンソーシアム 戦略企画本部 長張 健二 社団法人バイオ産業情報化コンソーシアム 戦略企画本部 清末 芳生 社団法人バイオ産業情報化コンソーシアム 長張 健二 社団法人バイオ産業情報化コンソーシアム 清末 芳生 社団法人バイオ産業情報化コンソーシアム 世良田多恵 CR 企画室 事務局 3 その他協力者(委員会での講演者) (敬称略・講演順) 熊本大学 発生医学研究センター 中尾 光善 小林 幸夫 豊田 実 病理部 金井 弥栄 ゲノム科学総合研究センター 梅原 崇史 国立がんセンター中央病院 札幌医科大学 再建医学部門 血液内科 第一内科 国立がんセンター研究所 理化学研究所 山梨大学大学院 医学工学総合研究部 佐賀大学医学部 分子生命科学講座 埼玉医科大学附属病院 東京医科歯科大学 理化学研究所 東京大学 分子遺伝学分野 英伸 生殖医療研究部 梅澤 明弘 生体応答学研究部門 生田 宏一 三村 俊英 小川 佳宏 岡本 晃充 油谷 浩幸 リウマチ膠原病科 難治疾患研究所 分子代謝医学分野 フロンティア研究システム 先端科学技術研究センター オリンパス株式会社 東京大学大学院 理化学研究所 研究開発センター 総合文化研究科 国立遺伝学研究所 久保田健夫 副島 国立成育医療センター研究所 京都大学ウイルス研究所 環境遺伝医学 研究開発本部 広域科学専攻 総合遺伝研究系育種遺伝研究部門 筑波研究所 バイオリソースセンター 4 長谷川 晃 村田 昌之 角谷 徹仁 小倉 淳郎 第2章 エピジェネティクスの概要 2-1.エピジェネティクスの概念、定義 1)概念 エピジェネティクスは、最近、医学・生物学の分野で定着し始めてきた言葉で、ヒトをはじめ とする真核生物のゲノムに記された遺伝情報の発現を制御する仕組みのことであり、様々な生命 現象に関係していることが明らかになり始めている。しかしながら、その意味と内容は十分に理 解されているとは言えず、エピジェネティクスはポストゲノム時代の重要な研究テーマと認識さ れている。 エピジェネティクス(epigenetics)という語は、英国の発生学者 Waddington によってつくら れたもので、発生学のエピジェネシス(epigenesis:後成)に由来している。 人間の体は約 200 種類、約 60 兆個の細胞でできているが、それらの細胞はもとをたどれば、1 個の細胞である受精卵から分裂してできたものである。受精卵が細胞分裂を繰り返して、様々な 機能を持つ細胞に分化し、それらが生体を構成する正しい場所に正しく配置されることで生体が 形作られている。精子や卵子などの配偶子や受精卵の中に生体の原型があるとする説を「前成説」 と呼んでいるが、これに対してエピジェネシス説は「後成説」と呼ばれ、発生の過程で単純な構 造から複雑な構造が形成されることを意味しており、現在ではエピジェネシス説が正しいという ことが理解されている。epi-はギリシャ語の「上」、「後」、「外」を意味する接頭語で、genesis は「創造」を表す語であるので、epigenesis とは「後からつくられる」という意味になる。 従って、エピジェネティクス(epigenetics)という語は、epigenesis に遺伝学(genetics) の要素を加味した発生機構学といった意味合いで使われるようになった。小説などではじめの章 を「プロローグ(序章)」と呼ぶのに対して、おわりの章を「エピローグ(終章)」と呼ぶことを 頭に入れておくと、この言葉は理解しやすい。 エピジエネティクスの語 Epigenesis = epi + genesis epi: 「上」「外」「後」を意味する接頭語 genesis: 「創造」を表す語 Epigenesis = 「後からつくられる」の意味 Epigenetics = epigenesisに関わる科学分野 日本語訳「後成遺伝学」 図 2-1.エピジェネティクスの語 エピジェネティクスの日本語訳はこれまでにいろいろな訳語をあてる試みがなされているが、 5 定着するには至っていない。比較的よく使われるようになっているのは、上述の語の由来に基づ く「後成遺伝学」であるが、無理に訳す必要はなく、 「エピジェネティクス」という語で理解した 方がよいとの意見もある。 2)定義 現在では、エピジェネティクスは「DNA の配列変化を伴わずに子孫や娘細胞に伝達される遺伝 子機能の変化と、この現象を探求する学問」として定義されている(Wu Ct. Morris JR: Gene, genetics, and epigenetics: a correspondence. Science 293, 1103-1105, 2001)。 日本では、2006 年 12 月に発起人が集まり、エピジェネティクス分野の研究交流を促進するこ とを目的として、日本エピジェネティクス研究会が設立された。 日本エピジェネティクス研究会の設立趣意書では、エピジェネティクスを以下のように基本認 識している。 ゲノムの持つ遺伝情報の発現が塩基配列と転写装置だけで制御されているわけではないことは 周知の事実です。生物は、ゲノム DNA とヒストンなどの蛋白質から構成されるクロマチンの化学 的、構造的な修飾による情報発現制御も受けています。このような制御は“エピジェネティク ス”とよばれ、発生の過程で確立され、その後は細胞の記憶として働くことが分かっています。 エピジェネティクスは胚発生、細胞分化、体細胞クローン、ゲノムインプリンティング、X 染色 体不活性化、神経機能、老化など、実にさまざまな生物現象と関わっており、がんや先天異常を はじめとする多数の病気の原因とも関係しています。 他方、『エピジェネティクスは大きく分けて、1942 年に Conrad Waddington が用いた、「形態形 成と分化を導く、細胞および細胞生産物の一連の相互作用」という定義と、1958 年に David Nanney が用いた、 「体細胞分裂と減数分裂において伝達されうる遺伝子機能の多様性のうち、DNA 配列の 違いによって説明できないものについての研究」という定義という、2 つの流れがある (http://square.umin.ac.jp/tadafumi/CSH2004R.htm)』とする考え方もあり、「エピジェネティ クスは発生生物学のかなり幅広い領域をカバーしており、セントラルドグマを基本とする遺伝学 以外がエピジェネティクス、というよりは、エピジェネティクスの一分野が遺伝学だと考えた方 が良いくらいである」との意見もある。 このように、エピジェネティクスは「遺伝子機能の多様性のうち、DNA 配列の違いによって説 明できないものについての研究」という立場をとる場合には、エピジェネティクスは、ゲノムに 書き込まれた遺伝情報を変更することなく、すなわち遺伝子の配列変化を起こさずに伝達される 遺伝の形式であり、個体発生や細胞分化の過程において、遺伝子発現を制御する現象の総称とし て考えられ、セントラルドグマとの関連は図 2-2 に示したように整理できる。 エピジェネティクスは、遺伝子の配列変化を起こさずに伝達される遺伝の形式で、個体発生や 細胞分化の過程において、遺伝子発現を制御する現象の総称である。分子遺伝学の中心教義とし て理解されているセントラルドグマは、これまでに生命現象の仕組みの基本とされてきた。しか しながら、エピジェネティクスの進展により、この基本は大きなパラダイムシフトの時代を迎え ている。 6 セントラルドグマとエピジェネティクス セントラルドグマ 染色体 DNA (ゲノム) ヒストン修飾: アセチル化、メチル化、 リン酸化、ユビキチン化 動く遺伝子:トランスポゾン、レトロポゾン DNAメチル化 オールタナティブ・スプライシング alternative splicing 転写 RNA編集(RNA editing) mRNA (トランスクリプトーム) RNA干渉(RNAi ) マイクロRNA(miRNA)翻訳阻害 翻訳 翻訳後修飾: リン酸化、糖鎖修飾他 タンパク質 (プロテオーム) プロテイン・スプライシング プロテイン・スプロセッシング 狭義のエピジェネティクス 図 2-2.セントラルドグマとエピジェネティクス 米国では、NIH が標準エピゲノムのカタログ解析を行っているが、NIH は、2007 年 5 月に早急 に取り組むべきテーマとしてエピジェノミクス(Epigenomics)をロードマップに組み入れた。 NIH の ロ ー ド マ ッ プ ( http://nihroadmap.nih.gov/roadmap15update.as, NIH Roadmap for Medical Research, Roadmap 1.5 Update)では、エピジェネティクスを以下のように解説してい る。 Epigenetics – Epigenetics is the study of stable genetic modifications that result in changes in gene expression and function without a corresponding alteration in DNA sequence. The epigenome is a catalog of the epigenetic modifications that occur in the genome. Epigenetic changes have been associated with disease, but further progress requires the development of better methods to detect the modifications and a clearer understanding of factors that drive these changes. NIH は、2008 年 1 月 22 付けのアナウンスで、エピジェノミクス研究に対して、新たに 5 年間で、 US$190 M の投資を行うと公表している。 本報告では、エピジェネティクスとは「DNA の配列変化を伴わずに子孫や娘細胞に伝達される 遺伝子機能の変化と、この現象を探求する学問」との理解のもとに、DNA 塩基のメチル化による 遺伝子発現の変化とヒストンの化学修飾による遺伝子発現の変化を対象とする。 7 2-2.エピジェネティクスへの注目の背景 ヒトゲノムの精密配列の解析に基づいた完全解読が、2003 年 4 月に国際ヒトゲノムプロジェク トによって宣言された。以降、ポストゲノムと呼ばれる時代に入っている。 「ポストゲノム」という言葉には、ヒトゲノム解析が終了した次の取り組みとして、解析結果 をいかにして利用していくかという視点によるゲノム解読成果の実践的応用という意味があり、 医療の分野だけにとどまらず、健康管理等の医療以外の分野でも成果を活用して行こうという動 きになっている。他方、 「ポストゲノム」という言葉には、別な、ゲノム DNA という分子による生 命現象のなぞの追求を、DNA から更に次の生命現象の分子的ステップに追求の視点を移して行こ うとする取り組みという概念もある。タンパク質に注目したプロテオーム、代謝産物に注目した メタボロームに関してはすでに動きが本格化しているが、最近にわかに、エピジェネティクスと いう分野が注目され始めている。 エピジェネティクスは、最近、医学・生物学の分野では定着し始めてきており、セントラルド グマ以外で、ヒトをはじめとする真核生物のゲノムに記された遺伝情報の発現を制御する仕組み として、様々な生命現象と関係していることが明らかになり始めている。エピジェネティクスが 関わる生命現象としては、発生、生殖、個体差・多様性、生物の進化、老化などがあげられるが、 エピジェネティクスが注目を集めている最大の理由は、エピジェネティクスが、がん、ある種の 遺伝病、精神疾患に深く関わっていることが次々と明らかにされたことである。更には、一般的 な疾患(common disease、生活習慣病)にも関連していると考えられるようになってきている。 そうした状況から、エピジェネティクスは、新たな検査、診断、治療といった展開が期待され ており、 「エピジェネティクス創薬」という新しい概念での医薬品開発への取り組みもすでに具体 化し始めている。 8 2-3.エピジェネティクスが関わる研究分野 エピジェネティクスは、遺伝情報の発現を制御する仕組みであり、活性クロマチンによる遺伝 情報発現、不活性クロマチンによる遺伝情報収納に関わっており、図 2-3 に示すように、様々な 生体内機能に関わっているために、多くの研究分野で注目されている。 エピジェネティクス 遺伝子発現の 制御 関わっている 生体内機能 活性クロマチン(遺伝子情報発現) 不活性クロマチン(遺伝子情報収納) 発生・分化の調節 リプログラミング 染色体構造の安定化 トランスポゾンの抑制 転写ノイズの抑制 遺伝子量の補填 研究分野 発生学 クローン動物 不妊・発生異常 個体差 多様性 種の分化 進化 再生医療 老化 がん 多因子性疾患 生活習慣病 遺伝病 先天異常 新しい診断法 新しい医薬品 新しい治療法 図 2-3.エピジェネティクスの生体内機能と様々な研究分野とのかかわり エピジェネティクスは、発生全般にかかわるもので、先に述べたギリシャ語の接頭語 epi が表 す意味からも考えられるように、遺伝子の配列変化を起こさずに伝達される遺伝の形式である。 哺乳類での成体核の卵への移植による発生の成功により、哺乳類の発生でも全ゲノムは維持され、 エピジェネティックな制御により遺伝子の発現が制御されていることが明らかになった。更に最 近の研究によりエピジェネティクスが発がんその他の慢性疾患と関連していることが示されてか ら興味をもたれている。 9 2-4.主なエピジェネティクス研究 1)エピジェネティクスのプレイヤー エピジェネティクスは、 「DNA 塩基配列の変化を伴わないで、子孫や娘細胞に伝達される遺伝子 発現機構と機能」に関する学問であり、基礎的には、エピジェネティクスを担うプレイヤーに関 する研究だといえる。 エピジェネティクスを担うプレイヤーとしては、DNA のメチル化に関わる酵素、メチル化 DNA に結合するタンパク質、ヒストンタンパク質などがある。そのほかにも、クロマチンや染色体の 本来の機能が発揮されるためには、non-coding RNA(非コード RNA:機能性 RNA)などにより、正 確なタイミングでクロマチンの構造変化を促す必要があり、そこにエピジェネティクス本来の可 塑性がある。従って、DNA、クロマチン、染色体というさまざまな視点から染色体のゲノム制御機 構を捉える必要がある。 2)エピジェネティクスに関連する生命現象分野の研究 多彩な細胞活動を展開するためには、エピジェネティクスが不可欠であり、また、細胞の多様 性のみならず、ある疾患のかかり易さ(易罹患性)などの個体差もエピジェネティックな現象に 起因すると考えられる。そして、その破綻は多くの疾病の原因ともなる。 エピジェネティクスの破綻がもたらす生命現象を図 2-4 にまとめる。 エピジェネティクスの破綻 発生プログラム の異常 発生異常 分化異常 奇形 流産 生命現象 一般 老化 疾患のかかり易さ(易罹患性) ゲノム不安定性 疾患 発がん 精神疾患 代謝異常 生活習慣病 図 2-4.エピジェネティクスの破綻がもたらす生命現象 3)エピジェネティクスと疾患に関する研究 エピジェネティクスが様々な生命現象と深く関わっているということは、その仕組みに異常が あると病気が起こる可能性を示している。近年になって、エピジェネティクな病気がいろいろと 見つかり、その診断・治療と創薬が注目されるようになってきている。 現在知られているエピジェネティクスとヒトの疾患や病態との関連を表 2-1 に示す。 10 表 2-1.エピジェネティクスとヒトの疾患・病態 エピジェネティクス ①DNA メチル化の システム ②エピジェネティクスに 制御される遺伝子 遺伝子/タンパク質 ヒト疾患・病態 MeCP の変異 Rett 症候群 MBD2 大腸癌抗原 MBD4 の変異 マイクロサテライト不安定の癌 Dnmt3b の変異 ICF 症候群 FMR-1 の不活性化 脆弱 X 精神遅滞 IGF2 の両アレル発現 Wilms 腫瘍 インプリンティング遺伝子不活性化 Prader-Will 及び Angelman 症候群 Beckwith-Wiedemann 症候群 癌抑制遺伝子の不活性化 多くの腫瘍 X 不活性化センターの不活性化 X 連鎖性遺伝子の機能的ダイソミー CBP の変異 Rubinstein-Taybi 症候群 p300 の変異 胃癌、大腸癌、悪性脳腫瘍 MOZ-CBP 転座融合 急性骨髄性白血病 MLL-CBP 転座融合 いくつかの白血病 ④ヒストンの修飾 ヒストン H3 のリン酸化障害 Coffin-Loery 症候群 ⑤クロマチン再構築 Mi2 皮膚筋炎の自己抗体の抗原 MTA1 癌の転移能 hSNF5 の変異 Rhabdoid 腫瘍 BRG1 の変異 腫瘍細胞 PML-RARαの転座融合 急性前骨髄性白血病 ③ヒストンアセチル化 酵素 システム ⑥細胞増殖分化因子 4)エピジェネティクス研究の国際的動向 エピジェネティクスに関する注目度が高まりを見せている中、国際的にも様々な国々が研究プ ロジェクトへの取り組みを開始している。 米国では、NIH からの資金を基に 2005 年にジョンズホプキンス大学がエピジェネティクス研究 センターを設立した。また、米国癌学会(American Association of Cancer Research)は Human Epigenome and Disease Project のタスクフォースを 2006 年に設置し、がんの治療と予防に焦点 をあてたエピジェネティクス研究を重要な課題としている。NIH は、2007 年からロードマップに エピジェネティクスを組み入れて推進を図っている。 欧州では、FP6 から 12.5 M ユーロのグラントを基に Epigenome Network of Excellence が 設立され、5 年間(2004 年~2009 年)にわたるエピジェネティクス研究が進められている。 11 2-5.エピジェネティクスの市場予測 1)市場動向・市場予測 米国の調査会社 BCC Research(70 New Canaan Ave., Newwalk, CT 06850, USA)が、2007 年 3 月に公表したエピジェネティクスの世界市場予測を図 2-5 に示す。 BCC の調査では、2005 年におけるエピジェネティクスの世界市場は US$ 161.8 M、2006 年は US$ 263.2 M であった。2007 年は US$ 385.2 M に到達し、2007 年から 2012 年にかけての年平均 成長率は 60.4%を予測している。なかでも、2012 年におけるエピジェネティクス関連の医薬品市 場は大きな割合を占めると予測される。 図 2-5.エピジェネティクスの市場予測 (BCC Research ウェブサイトより引用) http://www.bccresearch.com:80/RepTemplate.cfm?reportID=106&RepDet=HLT&cat=bio&target=r epdetail.cfm 2)主要企業 エピジェネティクス市場の主要企業としては、製薬ではメルク、シェーリング、診断ではアボ ット、ロシュ、研究ツールではアプライドバイオシステムズやアフィメトリクスが挙げられる。 12 第3章 第 1 回調査委員会(エピジェネティクス一般) 3-1.議事次第 第1回 エピジェネティクス調査委員会 議事次第 開催日時: 平成 19 年 10 月 10 日(水)13:30-17:30 開催場所: 産業技術総合研究所 臨海副都心センター 別館(バイオ IT 融合研究棟) 11 階 第 1 会議室 (東京都江東区青海 2-42) 議事次第: 1.はじめに (1)経済産業省、NEDO 挨拶 (2)委員長挨拶 (3)委員自己紹介 2.配布資料確認 3.事務局説明(調査委員会の進め方等) 4.エピジェネティクス研究開発動向等発表 (1)牛島委員長: エピジェネティクスと疾患 (2)塩田委員: 細胞・組織特異的 DNA メチル化プロフィール (3)佐々木委員: エピジェネティクスとリプログラミング (4)吉田委員: エピジェネティクスのケミカルバイオロジー (5)牧野委員: エピジェネテックス解析ツールについて (6)杉原委員: エピジェネティクスと創薬・診断 5.今後の進め方 (1)事務局説明(調査項目、今後の講師選定等) (2)協議 6.スケジュールの確認 7.その他 以上 13 3-2.発表記録 1)エピジェネティクスと疾患 講師: 国立がんセンター 発がん研究部 部長 牛島 俊和 氏 1.はじめに 本エピジェネティクス調査委員会の目的は、エピジェネティクスの研究動向を把握し、我が国が 優位性を発揮でき、かつ幅広い波及効果が期待できるエピジェネティクスにおける研究課題を検 討し、エピジェネティクスの産業応用の方策を考えることである。エピジェネティクスは今後の 成長分野であり、基礎研究(学問)と産業応用が近い分野なので、この NEDO のプロジェクトによ って来年度以降、実際に産業応用を目指したナショプロが始まることを期待する。 2.エピジェネティクスを取り巻く世界情勢 ある省庁機関からの依頼で発がん研究において各研究領域の研究論文数割合とそれぞれの動向調 査を行った。その結果、発がん要因の研究など論文数が減ってきている分野もあるが、エピジェ ネティクス分野は急激に増えている。発がん研究全体について、米国、ヨーロッパ、中国、韓国、 日本の論文割合を見ると、米国の一人勝ちの状況は変わらず、中国・韓国が台頭し、日本はじり じりと減少している。これは 1990 年代における日本の研究開発のやり方、ファンディングが有効 に機能していなかったことを示唆しているかもしれない。このまま進めば、今後基礎研究の先に 来る産業応用においても米国の一人勝ちになると推定され、大問題である(図 1)。 今後、基礎研究に於いて学術的成果をあげること、基礎研究を産業応用へ繋げて行くように着実 に実行することが大切であり、それによりこれまでの遅れは未だ挽回ができる。 発がん要因 60.00% 6 転写異常 50.00% 発がん感受性遺伝子 割合(%) 40.00% エピジェネティクス 5 化学発がん 20.00% 10.00% 発がん要因 発がん感受性遺伝子 4 1995-1999 0.00% 染色体不安定性 ウイルス発がん 化学発がん DNA損傷・修復・ミスマッチ ウイルス発がん 放射線発がん 3 放射線発がん がん関連遺伝子同定 炎症と発がん 炎症と発がん がん関連遺伝子同定 発がん要因 60.00% DNA損傷・修復・ミスマッチ 2 PubMed 30.00% 転写異常 染色体不安定性 エピジェネティクス 転写異常 30.00% 0.00% 染色体不安定性 DNA損傷・修復・ミスマッチ 0 1980 -89 1990 -99 化学発がん 20.00% 10.00% 2006-2007 1901 -79 発がん感受性遺伝子 40.00% エピジェネティクス 1 50.00% 2000 -07 がん関連遺伝子同定 図 1.発がん研究分野におけるエピジェネティクスと我が国の位置 14 ウイルス発がん 放射線発がん 炎症と発がん 米国では 2005 年から WG を立ち上げエピジェネティクスの調査をしてきた。2007 年に NIH が発表 したロードマップにはエピジェネティクスとマイクローブが収載されている。また、2007 年に発 表された「Request for application」で米国がエピジェネティクスの今後の重点項目として挙げ ているのは以下の 5 つである。 ① 標準的なエピジェネティクスは何かを調べる。 ② インフォマティクス産業において使いやすいデータベースセンターを作る。 ③ エピジェネティクス解析においてホールゲノム解析のようなテクノロジーを作る。特に in vivo、in situ でエピジェネティックの変化を調べるテクノロジーの開発が必要。 ④ 新しいエピジェネティック修飾を探索する。 ⑤ 病気へのエピジェネティクスの応用 RFP が出るのは 2008 年の秋。 病気の診断に特化したプロジェクトであれば、まだ日本は勝てると思われる。NEDO や JST は以前 からエピジェネティクスに注目しており、今後スケジュールを明確にすれば米国に勝てる分野も ある。 3.エピジェネティクスが関与する疾患について 1)エピジェネティクス変化の分類 エピジェネティックの修飾が異常になることによって病気につながる。異常と変化は紙一重だが、 どういう時に変化するか、異常になるかを整理すると以下の三つに分けられる。 ① プログラムされた生理的変化(発生分化) きちんとプログラムされたエピジェネティックの変化であるが、その異常は発生異常へつな がる。 ② プログラムでない生理的変化 分化した細胞でも環境因子に暴露されると、エピジェネティックの修飾(模様)が替わる。修 飾が変化すると、次に刺激が来た時に違う反応性が起こる。一旦生理的変化が起こるとそれ が記憶され、生態の環境への反応性が異なる。神経にエピジェネティックの変化が起こると 記憶という生理現象の変化や異常に繋がる。 ③ 疾患や加齢に伴う異常な変化 病気、加齢などのエピジェネティックな変化、感染やケミカルによって誘発される変化。慢 性炎症がその誘発に重要である。溜まったエピジェネティクスの変化によって、大事な遺伝 子の機能が喪失し細胞の機能が悪くなり、組織が働かなくなる。 異常な細胞がどんどん増殖するがんでは異常が見えやすく、解析がしやすいため早くから研 究対象となり学術的に進んだ。一方、増殖しない細胞で異常が起こった場合は解析が難しい。 しかしエピジェネティックな変化があることは分かって来ており、今後このような病気の解 析が行われ重要になってくると思われる。このようにエピジェネティクスを用いた標的と診 断治療は様々な応用可能性がある。 15 2)エピジェネティクスによって引き起こされる疾患の分類 生まれた時からエピジェネティクスに異常があることによる病気と、大人になる途中でエピジェ ネティクスの異常が生じる病気とに分けられる。また、エピジェネティック制御機構自体がおか しくなる病気と、個別の遺伝子がエピジェネティックな異常により不活化される病気とに分類さ れる。 例えば、がんは生後エピジェネティクスの異常が溜まって起こる病気で、エピジェネティクスの 異常ががん遺伝子やがん抑制遺伝子に起こることで引き起こされる。Rett 症候群などは生まれた 時からエピジェネティクスのマシナリーがおかしい場合に起こる疾患の例である。不妊などもエ ピジェネティクスが関与している。このようにエピジェネティクスが関係している疾患は四つに 分類できる。疾患を分類する必要性は、それぞれの場合で産業応用のマーケットや研究のアプロ ーチ、解析方法などが異なるためである。 がん以外のポリクローナルな疾患においてもエピジェネティクスの異常がある。生理的、病的な ポリクローナルな疾患の一つとして腸上皮化生がある。 4.エピジェネティクスを臨床応用するターゲット ターゲットとして診断、治療、予防の三つが重要である。診断には以下の三つの臨床応用がある。 ① がんの存在診断応用:異常を持つ細胞異常自体を検出する応用。非常に多数の論文が発表さ れており、現在臨床研究の段階である。 ② がんの性質診断応用:この分野では遺伝子発現プロファイル、プロテオームとの勝負となる ため、エピジェネティクスが優位なところはどのような場合かを考える必要がある。おおよ そ臨床研究の段階である ③ 発がんリスク評価診断に応用:この分野はまだ小さいが、今後伸びると予想される。がんだ けでなく様々な病気にも関係する。エピジェネティクスを用いた発症リスク診断をすること によって、その結果から各人の生活のスタイルを変える提案をするという大きな分野に繋が る可能性がある。Proof of Concept(POC)の段階である。 治療に於ける臨床応用としては、DNA 脱メチル化剤とヒストン修飾の調節がある。エピジェネテ ィクスはがん、病気に関わっているので予防にも有効である。予防は薬を飲むことだけでなく、 機能性食品など食品の分野でも応用可能である。実際,食品会社でも輸出まで考えて研究を行っ ているところもある。 性質診断における臨床応用の例に乳児の神経芽細胞腫がある。神経芽細胞腫では、DNA のメチル 化状態によって全く予後が異なる。メチル化の度合いが 100%に近い人は約 30 人。一方、ほとん どメチル化が無い又は低い人(0~10%)は 23 人。メチル化度合いの高い人はがんが進行、低い人は 退縮すると言うように、メチル化度合いにより予後が異なるとの研究結果を得ている。既存のマ ーカーの N-myc と比較してもより優位であるとのデータもある。DNA のメチル化度合いを調べて 低ければ進行しないため、無理な手術や不要な化学療法などの治療をしない。メチル化が高いと 16 積極的に治療をしなければならない。この疾患ではエピジェネティクスと疾患の性質、治療法と がダイレクトに結び付いており、エピジェネティクスを診断として使用できる良い例である。臨 床まで持って行きたい。今後このような研究が出る基盤を作る、すなわち個別の成果を直ぐ臨床 に持っていける基盤を作ることが必要である(図 2)。 äàóp Probability of survival (%) 30 20 10 0 0-10 -20 -30 -40 -50 -60 -70 -80 -90 QuickTimeý Dz êLí£ÉvÉçÉOÉâÉÄ Ç™Ç±ÇÃÉsÉNÉ`ÉÉǾå©ÇÈǞǽDžÇÕïKóvÇ-ÇÅB QuickTimeý Dz êLí£ÉvÉçÉOÉâÉÄ Ç™Ç±ÇÃÉsÉNÉ`ÉÉǾå©ÇÈǞǽDžÇÕïKóvÇ-ÇÅB PCDHB Methylation level (%) DNAÉÅÉ`ÉãâªÉåÉxÉã N- Low ë¼èk ? High myc High amplified methylation êiçs ? 1 37 30 72 All cases 100 Low methylation (N = 73) 80 60 40 High methylation (N = 67) 20 P < 10-3 H.R.= 22.1 0 -100 # of Cases 40 22.1 9.1 7.8 <10-3 <10-3 <10-3 16.8 13.1 7.0 <10-3 <10-3 <10-3 Stage 3 or 4 & N-myc amplification (-) Probability of survival (%) H.R. P 100 Low M (N = 21) 80 60 High M (N = 23) 40 20 0 P = 0.048 0 Total = 140 cases H.R.= 4.8 20 40 60 80 Months after initial diagnosis 図 2.神経芽細胞腫の予後診断と臨床的活用 リスク診断の例としてピロリ菌による胃粘膜での DNA メチル化異常誘発と発がんリスクがある。 胃の内視鏡検査を行って何らかの病変が疑われる場合、バイオプシー(生検)するが、その標本 を用いてメチル化を測定できる。まず、ピロリ菌が感染していればメチル化がたくさん有る、つ まりピロリ菌がメチル化を誘発することが分かっている。次に、がんが多い人の方が、がんが一 個の人や無い人よりもメチル化の度合いが高いことも分かっている。がんが見つかる前でメチル 化が高い人は、がんのリスクがあるとのリスク予測が可能となる(リスクマーカーとしての応用)。 現行では SNPs 解析による疾患リスク予測が主だが、これは一塩基多型によって発がん物質の代謝 活性化・解毒が異なるなど、個々の異常が起こりやすいかどうかが分かるものである。一方、エ ピジェネティクス解析は、これまでの人生で発がん因子にどれだけ暴露され、どれだけ細胞が痛 めつけられたかを見るものである。すなわちエピジェネティクスではゲノム年齢、ゲノムのダメ ージ、ゲノムのお疲れ具合を見て疾患の発症予測をするものであり、これまでのマーカーとは異 なる。例えば、胃がんの内視鏡治療後、がん周囲の胃粘膜のメチル化の高い人はそこからがんが 出る可能性があるが、低い人はたまたまここにがんが起こっただけで、年に 1 回の検査でよいな どの発症の予測が可能になることが期待できる(図 3)。 17 胃がん治療後のフォロー方針へ の応用例 胃粘膜FLNc メチル 化レベル (%) 20 16 12 P < 10 - 14 8 4 メチル化レベル測定 0 HP (-) (n = 56) =低 HP (+) (n = 98) 低頻度 フォロー 胃粘膜FLNc メチル 化レベル (%) P < 0.05 =高 7 P < 0.05 4 高頻度 フォロー 2 ・不要な通院や検査の負担の軽減効果 0 健常者 (n = 6) 単発 多発 胃がん 胃がん (n = 11) (n = 13) [Maekita, CCR, 2006; Nakajima, CEBP, 2006] 図 3.ピロリ菌による胃粘膜での DNA メチル化異常誘発と 発がんリスクマーカーとしての応用可能性 5.エピジェネティクスの解析技術 今後どんな解析技術が必要かについて説明 ① ゲノム網羅的なエピジェネティクス解析技術 既に Chip-on-chip、DNA メチル化アレイなど解析技術が進んでいるためアドバンテージを取 るのは難しい分野である。 ② 高精度な DNA メチル化定量解析技術 エピジェネティクス解析の中でもメチル化の測定は修飾としても DNA がケミカルとしても安 定であり、他のエピジェネティクスよりもがんなどで疾患診断マーカーとして有効である。 また、NIH の報告でもメチル化測定機器は入っていないことからねらい目の分野。疾患マー カーとして利用するためには、細胞 100 個のうち数個、さらには 1,000 個の内 10 個に起こる エピジェネティクス異常を正確に検出しなければならない。これら少ない異常な細胞をきち っと分かるようになることが必要である。 ③ in situ、in vivo でのエピジェネティク修飾解析 学術的には、同じ組織の中でも、幹細胞・前駆細胞・終末分化細胞のどの細胞でエピジェネ ティック変化が誘発されているのかは興味深い。また産業的には、近年、世界的に化学物質 のコントロールが厳しくなってきている。現在は、化学物質の危険性は突然変異を起こすか 18 どうかで見ているが、今後はエピジェネティック変化を誘発するかどうかを見ることも必要 になって行くと思われ、エピジェネティック異常の誘発能を正確に検出することが大切にな る。 6.波及性、競争力のある研究へ<エピジェネティクスの研究課題、技術課題> 今後日本が競争力を持つために推進が必要な研究課題は以下の通りである。 ① 技術開発 ゲノム網羅的なエピジェネティック解析技術の開発をこれから行うのは難しいと思われる。 少量の DNA メチル化異常を正確に定量可能にする技術は今後狙い目である。in situ でのエ ピジェネティック修飾解析技術開発は、NIH のプロポーザルにも含まれているため米国が先 行していると思われる。 ② 標準エピゲノムのカタログ解析 NIH のプロポーザルで推進しており米国が先行している。今後この分野の研究開発を行うと 二番手となることから、やるのであれば、材料と方法を選んでかなり強力に推進する必要が ある。やらないという判断もありうる。 ③ エピジェネティック活性物質の探索 エピジェネティクスのマシナリーに干渉する物質を探索することは実に重要である。化学物 質は特許性が高い。日本にはこれらを探索するノウハウが既に有り、化学会社や製薬会社に は大規模な化学物質のライブラリーが有る。アッセイ系が出てくれば、創薬、試薬開発にお いて大規模な波及効果が期待される。 ④ 個別研究 個別研究の中では、エピジェネティックな異常の誘発要因・誘発機構の研究、ゲノム刷り込 みの研究が、日本に競争力があり、NEDO のテーマに適すると思われる。 7.質疑応答 Q-1.ピロリ菌が感染すると胃の粘膜がメチル化されるメカニズムは既に分かっているのか? A-1.除菌をするとピロリ菌はいなくなるが、メチル化は暫くされたままである。従って、炎症 が重要である。更に、特定のサイトカイン量が減少するとメチル化も減少することから、特定の サイトカインが分泌されることによって DNA のメチル化が起こると推定される。 Q-2.DNA のメチル化が色々な疾患のマーカーになることは分かった。例えば胃の場合はバイオ プシー出来るが、神経芽細胞腫の場合はどうか? A-2.神経芽細胞腫では、手術の前にバイオプシーするのが通例であり、その標本で診断が可能 である。胃がんのようなリスク診断は、採血や日常的なスクリーニング検査で得られる材料で測 定できることが大事である。 Q-3.遺伝子疾患でその原因が分かっているものを紹介されたが、遺伝子の欠損がありながら発 症が遅れる、あるいはある世代、ある環境になってはじめて発症するなど、遺伝子の原因は分か 19 っているが病気の原因以外で発症メカニズムとしてのエピジェネティクスがあるのではないか? A-3.最も良い例は、ニュージーランドの胃がん家系に於ける CDH1 の生殖細胞突然変異である。 この場合、生殖細胞突然変異があると胃がんを発症するので遺伝子変異に原因があるが、健常な 方のアレルはエピジェネティックに不活化されており、その不活化が発症メカニズムに関与して いると考えられる。エピジェネティック異常を制御することで、突然変異があっても疾患をコン トロール出来る可能性がある。 20 2)細胞・組織特異的 DNA メチル化プロフィール 講師: 東京大学大学院 農学生命科学研究科 教授 塩田 邦郎 氏 ヒトやマウスなどの実験動物の全ゲノム塩基配列が決定され、生命科学研究はポストゲノム時代 に突入して久しい。今後の課題は、身体を構成するほぼ全ての細胞が、同じ DNA を持ちながら、 如何にして異なった形質を発揮し維持しているかを知ることである。 → スライド 1 1個の受精卵から数百種類の細胞で構成される個体が作られる 受精卵 内細胞塊 内細胞塊 Zygote 胚盤胞 Blastocyst Inner Inner cell cell mass mass (ICM) (ICM) ↓ ↓ 胚性幹細胞 胚性幹細胞 (ES (ES cells) cells) 栄養外胚葉 栄養膜細胞幹細胞 ↓ 栄養膜幹細胞 (TS cells) 始原生殖細胞 PGC 始原生殖細胞 PGC ↓ ↓ (EG (EGcells) cells) 体細胞 体細胞 神経細胞 神経細胞 肝細胞 肝細胞 など など Soma; Soma; Brain Brain Liver Liver etc. etc. 精子 精子 Sperm Sperm 受精卵 卵 卵 Zygote Oocyte Oocyte 1)受精から始まる哺乳類の個体発生では、連続的な細胞分裂、増殖、分化を繰り返し、最終的に 様々な形態や機能を有する 200 種類以上の細胞へと分化していく。DNA の塩基配列によってコー ドされた遺伝情報は、一部の例外はあるが、どの細胞でも同じである。そのため、受精卵から胎 仔発生を経て個体が誕生するまでには、それぞれの細胞に必要な遺伝子の発現をオンにし、不必 要な遺伝子の発現をオフにすることが必要となる。従来のパラダイムでは、遺伝子発現制御は細 胞や組織特異的な転写因子が主役であった。しかし、転写因子も遺伝子にコードされているから、 転写因子の転写因子、そのまた、転写因子と遡ると、ゲノムレベルで全く同じ情報だとすれば、 細胞・組織特異的な転写因子により、200 種類の細胞が生じると考えるには無理がある。 DNA のメチル化は哺乳類ゲノム DNA にみられる唯一の化学修飾である。一般に DNA のメチル化 により遺伝子は転写因子の有無に関わり無く不活性化する。ヒストン修飾によるクロマチン構造 の制御も、遺伝子の転写調節に働く。そして、DNA メチル化とヒストン修飾はお互いに依存して いることが知られており、エピジェネティクス修飾の主役である。実は、これから述べるように、 ゲノムレベルで、細胞の種類に依存したエピジェネティクス標識があるのである。遺伝子発現の 増減を決めるのは転写因子の働きであるが、遺伝子発現のオン・オフを決めるのは DNA メチル化 とヒストン修飾によるクロマチン構造であることになる。DNA メチル化は細胞世代を超えて継承 されるので、DNA メチル化は遺伝子発現の記憶装置とも考えられる。 21 → スライド 2 マウスOct-4 遺伝子 6.5日胚 受精卵 8細胞期 内細胞塊 ES細胞 8.5日胚 13.5日胚 エピブラスト 始原生殖 細胞 生殖細胞 胚盤胞 TS細胞 EG細胞 ・POU転写因子ファミリーのメンバー. ・上流はTATA配列を欠き、豊富なGC配列を有する (Okazawa, 1991). ・着床前胚、ES細胞で発現、胚体外組織やTS細胞では発現しない (Tanaka et al., 1998). ⇒着床前胚や内細胞塊の多分化能.に関与 (Martin et al., 1981; Nagy et al., 1990, Parmieri et al., 1994) 2)例として Oct4 遺伝子のエピジェネティクス制御を示す。Oct4 遺伝子は、哺乳類の POU 転写因 子ファミリーのひとつであり、全能性や多分化能のある細胞(着床前胚や ES 細胞)で発現してい ることから、細胞の多分化能の維持に重要な役割を果たしていると考えられている。 → スライド 3 マウス胚性幹(ES) 細胞と栄養膜幹(TS)細胞 ES 細胞 TS 細胞 x 2N 胚 Embryonic lineage ICM TS 細胞 Trophectoderm Extra-embryonic lineage TS cells differentiate only into the trophoblastic cells of the placenta in chimeras. Tanaka,S. et al., Science, 282, 2072 (1998) 3)栄養膜幹細胞(TS)細胞は胎盤細胞系列のみに分化し、決して体を作る細胞に分化しない。TS 細胞は ES 細胞とは明らかに異なった形質を示す。 22 → スライド 4 Oct4遺伝子のエピジェネティックス制御 Oct-4遺伝子発現 Ac ES cells Ac Ac + DNA低メチル化メチル化 ヒストンH3 高アセチル化 TS cells Ac ー (抑制されている) DNA 高メチル化 ヒストンH3 低アセチル化 4)Oct4 遺伝子の上流領域には、CpG 配列が多数存在しており、発現している胚性幹細胞では、こ れらの CpG は低メチル化状態である。それに対し、発現が厳しく抑制されている TS 細胞では、高 頻度にメチル化されている。細胞の種類に依存してメチル化される領域を細胞・組織特異的 DNA メ チル化領域(Tissue-dependent differentially methylated region:T-DMR)と呼んでいる。ま た、Oct4 遺伝子の T-DMR 領域では、ヒストンの脱アセチル化が見られ、クロマチン構造が凝縮し ていることが明らかになっている。このように、重要な転写因子そのものが、DNA メチル化とヒ ストン修飾により制御されている。そのため、ES 細胞では未分化状態の維持が細胞分裂後も形質 は維持され、逆に、他の細胞(TS 細胞や肝、腎などの体細胞)では Oct4 遺伝子の不活性化状態 が維持されている。他にも、Sry や Nanog など、哺乳類の発生に重要な転写因子が DNA メチル化 とヒストン修飾により制御されていることが明らかになっている。DNA メチル化とヒストン修飾 で制御されている遺伝子(群)には、CpG 配列の多寡によらず様々で、また、転写因子、細胞成 長因子、サイトカイン、受容体など、多岐にわたる。 → スライド 5 Oct4遺伝子の細胞特異的なDNAメチル化状況 他の細胞A:高メチル化 TS細胞:高メチル化 ES細胞:非メチル化 Ch.17 Ch.17 Ch.17 23 5)マウス Oct4 遺伝子は 17 番染色体に存在する。 → スライド 6 DNAメチル化プロフィール ゲノム領域 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ??? 数千? 細胞 a 組織 A細胞 b 細胞 c 細胞 d 細胞 e 組織 B 細胞 f 細胞 g 細胞のメチル化 プロフィール 組織のメチル化 プロフィール 個体のメチル化 プロフィール 細胞 x 非メチル化ゲノム領域 メチル化ゲノム領域 例 Oct4 DNAメチル化パターン 遺伝子 発現 TS細胞 OFF ES細胞 ON 非メチル化CpG メチル化CpG 6)先に示したように、ES 細胞や肝では DNA は非メチル化状態にあり、TS 細胞では高メチル化状 態にある。ゲノム上に散在する各遺伝子(Oct4 のように)はそれぞれ DNA メチル化パターンが存 在するが、その組み合わせは細胞の種類に特有である。この細胞種固有の DNA メチル化パターン の集合を「DNA メチル化プロフィール」と呼ぶ。では、他の遺伝子領域や他の細胞では、エピジ ェネティクス制御下にある遺伝子はどのくらいの数があるのか次のスライドで示す。 → スライド7 Tissue dependently and differentially methylated regions (T-DMR panel) Genes to Cells 2002 Shiota K. et al. 7)一挙に 1,500~2,000 箇所解析できる Restriction Landmark Genome Scanning(RLGS)により 10 種類の細胞のゲノムについて解析してみた結果である。10 種類の細胞あるいは組織のゲノム DNA を解析した結果、約 250T-DMR の存在が明らかになっている。ES 細胞や TS 細胞あるいは生殖 細胞(精子)はそれぞれの特有の DNA メチル化プロフィールを持つ。このように、細胞はその種 類により、メチル化・非メチル化領域が異なるのである。 24 こ こ で は 示 さ な い が 、 最 近 開 発 し た T-DMR profiling with Restriction-tag mediated Amplification (D-REAM)で数千箇所の T-DMR を有する遺伝子数千が存在することが、ヒト ES 細胞 を解析して明らかになっている(データは示さない、後述)。 → スライド 8 分化の分子基盤:ゲノムワイドDNAメチル化と脱メチル化 Methylation at 1, 5, 8, 9, 12, 14, 16, 18, 19, 20, 21, 23, 34, 37, 40, 43, 44, 46, 47, 49, 52, 57, 64, 68, 72, 73, 76, 78, 79, 81, 101,104,105,111,132,133,134,135,142, 149, 157,167,165,170,172,175,177,183,193,199, 200,202,212,213,222,223,224,227,231,232, 236, 237,239. 体細胞 73 11, 12, 14, 21, 57, 76, 84, 86, 93,101, 132,138,140,200,214,224,239. 35 Demethylation at 2, 3, 10, 36, 42, 59, 67, 71, 80, 88, 92,102,103,107,114,115,141,155,156,158, 160,161,163,166,167,174,195,197,198,216, 217,230,240,244,245. 39, 48, 50, 58, 63, 69,102,106,109,113, 114,128,152,155,159,162,186,238,240,242. 11, 21, 37, 47, 49, 53, 55, 60, 68, 84, 87, 93, 96,104,116,117,120,124,126,129, 131,132,133,137,138,142,144,145,146,147, 148,150,151,153,154,172,176,177,183,191, 192,193,196,200,201,202,203,212,223,224, 232,236,237,239,246. 7, 22, 37, 73, 84, 96,108,119,132,190, 191,196,203,232,246. 2, 3, 28, 39, 45, 48, 50, 51, 58, 74, 75, 92, 94, 98,102,103,112,121,122,155, 159,162,189,190,210,228,229,234,240,241, 242,243. ES 細胞 20 32 17 12, 14, 30, 31, 32, 33, 38, 42, 54, 56, 62, 65, 66, 77, 84, 86, 95,101,110,125, 128,132,136,141,143,168,171,173,178,179, 180,181,182,184,185,188,194,204,205,206, 207,208,209,211,213,214,215,220,221,225, 226,233. 56 TS 細胞 EG 細胞 52 26 3, 8, 20, 27, 29, 34, 39, 48, 50, 60, 74, 92, 98,100,126,133,169,177,202,210, 228,229,237,241,242,243. 15 15 生殖細胞 20, 23, 34, 48, 97,100,105,106,109,128, 139,152,186,235,238. 胎盤栄養膜細胞 8)幹細胞(ES 細胞、TS 細胞、EG 細胞)の DNA メチル化プロフィール(スライド7)を基にして、 分化前後のゲノムワイドの DNA メチル化の変化を描いたものである。例えば、TS 細胞の分化で約 250 箇所の T-DMR のうち、15T-DMR でメチル化が、また、15T-DMR で脱メチル化が起きていること がわかる。ES 細胞や EG 細胞でも同じように、分化に際してメチル化と脱メチル化の両方が起き ていることがわかる。ゲノムワイドにメチル化・脱メチル化が起き、複雑な DNA メチル化プロフ ィールが形成されるのである。 → スライド 9 ゲノムワイドDNAメチル化解析 •ゲノムDNAのメチル化状況に基づく細胞の同定方法 •MS-PCR 9)細胞が特有の DNA メチル化プロフィールを有することを利用して、細胞の同定が可能になり、 細胞系譜を辿れる。このデータは、約 200T-DMR の DNA を調べたものである。同じ種類の細胞は同 じ T-DMR プロフィールを示すし、異なった細胞間では異なったプロフィールを示すはずである。 25 例えば、ここで示すように、褐色脂肪細胞と白色脂肪細胞はきわめて似た DNA メチル化プロフィ ールを示す。一方、胎盤の栄養膜細胞の細胞系列、生殖細胞は、他の細胞群と DNA メチル化プロ フィールは大きく異なることがわかる。ゲノムさえあれば、細胞の正確な同定が可能になるので ある。 → スライド 10 エピジェネティック:ゲノム活動の記憶システム zDNAメチル化 zクロマチン構造 zゲノム情報:0、1 or 2 細胞分裂に伴い 受け継がれる情報 階層的な 遺伝子 発現制御 システム トランスクリプトーム 外部からの シグナル 細胞内の 状態 プロテオーム 表現形質に直接関与する遺伝子の発現 10)トランスクリプトーム情報が、不安定であること、発現している遺伝子と低発現遺伝子の差 が数十~数百(千)倍異なり、低発現遺伝子情報を取ることが困難な場合が多い。高発現遺伝子 シグナルで低発現シグナルが隠れて検出されない場合が生じる。一方、DNA メチル化情報はトラ ンスクリプトーム情報と異なり、母親・父親それぞれのアリルがメチル化・非メチル化によりサイ レントであるか否かを示す、0、1、2 のシグナルとして取り出すことが可能である。事実、T-DMR を有する遺伝子リストを眺めると、沢山の新規遺伝子が見つかってくるので、細胞の分化・未分化 や、次に記す疾病関連遺伝子の探索にも威力を発揮し、新たな診断方法の確立や創薬標的遺伝子 の探索にも役に立つ。 → スライド 11・12 体細胞核移植による幹細胞(ES細胞やTS細胞など)の生産 核移植によるES細胞(ntES)のDNA メチル化プロフィール解析 ntTS 細胞 ntES 細胞 Stem Cells, Wakayama et al., 2006 11・12)特に再生医療を前提として培養下で細胞を調製するとき、あるいは、核移植を含めて新 26 たな技術で作出するときに細胞の同定や正常性の評価が重要な課題となる。遺伝子発現は不安定 であること、さらに、限られた数のマーカー遺伝子だけでは細胞の正確な定義は困難である。DNA メチル化プロフィールは、細胞の正常性の評価に有用であることを、核移植により作出した ES 細 胞(ntES 細胞)解析で示した。 → スライド 13・14(データの掲載なし) ヒトES細胞のD-REAM解析 I データを示さない ヒトES細胞のD-REAM解析 II データを示さない 13・14)3 種類のヒト ES 細胞について D-REAM によりゲノムワイドメチル化解析すると、いずれ の細胞も極めて似た DNA メチル化プロフィールを有していることが分かった。D-REAM データで、 Oct-4 の遺伝子領域を拡大してみると、ES 細胞で特異的に脱メチル化している T-DMR が検出され ている。分化に伴い、多くの T-DMR でメチル化・脱メチル化が起こり、分化細胞の DNA メチル化 プロフィールが形成される様子も示されている。このように、D-REAM 法による、ヒト ES 細胞の T-DMR 解析から、DNA メチル化情報がヒト細胞の評価に有用であることが示されている。 → スライド 15 クローンマウスの胎盤組織像 15)DNA メチル化で制御される遺伝子領域は膨大で、発生や様々な機能に関係する領域を含む。 したがって、DNA メチル化異常が、細胞や組織の異常(形態・機能)の原因となると考えられる。 クローンマウス胎盤は細胞の構成とサイズに違いが見られる。次に示す例は、クローンマウスの 27 胎盤解析である。 → スライド 16 Tissue Tissue dependently dependently and and differentially differentially methylated methylated regions regions (T-DMR (T-DMR panel) panel) Genes to Cells 2002 Shiota K. et al. 16)体細胞核移植クローンマウス胎盤では、例外なく DNA メチル化異常が検出されている。同様 に、他の組織(皮膚、腎)でも、DNA メチル化異常が検出される。 → スライド 17 クローンウシ(胎生59日)のDNAメチル化解析 ゲノム 領域 胎膜 胎仔 J Reprod Dev : (2006) 17)この図は、発生初期の(胎生 59 日)ウシの DNA メチル化解析である。正常発生では様々な遺 伝子領域で DNA メチル化の書き換えが起きていることが明らかである。それに対して、体細胞核 移植によるクローンウシ胎仔組織では、大幅な DNA メチル化異常が見つかった。クローン動物で は、DNA メチル化変化が不十分であることが分かる。このクローン動物は胎生致死となり誕生に 至らないと思われる。受精に始まる個体の発生は、受精卵の DNA メチル化プロフィールが細胞の 分化に応じてダイナミックに変化し、各分化細胞・組織の DNA メチル化プロフィールを形成して いく過程でもある。発生途上に様々な原因で DNA メチル化プロフィール形成過程が乱されると、 奇形や様々な異常を誘発することを示唆している。 28 → スライド 18 細胞の分化に伴うエピジェネティック変化 正常 幹細胞 メチル化 ・ヒストン修飾 D N A メチル化 ・ヒストン修飾 D N A 前駆 細胞 最終分化 様々な細胞 異常 DNAメチル化・ヒストン修飾 異常細胞 18)先に述べたように、DNA メチル化とクロマチン構造変化によるエピジェネティクス系は、発 現が許される遺伝子(群)と厳しく抑制される遺伝子(群)を細胞世代を超えて記憶する機構で ある。分化した細胞ではメチル化プロフィールが維持され、細胞種に固有の遺伝子発現セットが 維持されることになる。したがって、いかなる原因であれ DNA メチル化状況が乱れると細胞のガ ン化を含め、様々な形質の異常に繋がる恐れが生じる。しかも、エピジェネティクス情報は細胞 分裂後も継承されるので、その異常は慢性的に持続する可能性が生じると考えられる。 → スライド 19 エピジェネティクス制御系 ヒストン・アセチル化 非コードRNA ヒストン・メチル化 DNAメチル化 情報 メチル基供与体 ⇒Sアデノシルメチオニン 補助因子 重金属(ニッケル、ヒ素) ---など., ホルモン サイトカイン 細胞成長因子 細胞外マトリクス 温度、酸素圧 ---など., 細胞・個体外からの化学的・物理的刺激 ・食品(栄養因子)・バランス ・薬物、添加物、環境汚染物質(化合物) ・ウイルス、細菌(叢)(微生物) ・ホルモン、成長因子、サイトカイン 体液(血清、脳脊髄液成分)など ヒストン・ADPリボシル 化 ヒストン・スモリル化 ヒストン・リン酸化 ヒストン・ユビキチン化 その他 DNAメチル転移酵素 メチルシトシン結合タンパク ヒストン修飾酵素 HDACs, Suv39, G9a ---など エピジェネティクス情報の変化 《正常:分化・発生・発育、加齢》 ↓ 《発病前》 ↓ 《疾病:慢性疾患、がん》 転写・翻訳 シグナル伝達 分子間相互作用 細胞内移動 ---など 19)エピジェネティクス制御系の全体像をスライド 19 に示した。シトシン残基へのメチル基の転 位反応は DNA メチル転移酵素によって行われる。DNA メチル化酵素活性には、非メチル化シトシ ンが新たにメチル化される de novo メチル化活性と、DNA 複製時に親鎖 DNA 上のメチル化パター ンを新生 DNA 鎖上に写し取る維持型メチル化活性が存在する。脱メチル化は、複製時に DNA メチ ル化維持が行われない消極的な脱メチル化と、積極的脱メチル化の両方の経路が考えられている 29 が、脱メチル化酵素は現在のところ発見されていない。クロマチン構造はヒストンの化学修飾(ア セチル化、メチル化、リン酸化など)により制御されている。ヒストンのアセチル化はクロマチ ン構造を緩ませ、脱アセチル化により凝縮する。また、ヒストンのメチル化(ヒストン H3 のリジ ン残基など)は、クロマチン構造の凝縮に働く。現在までの解析で、DNA メチル化はクロマチン構 造の変化を誘導し、その逆に、ヒストン修飾やクロマチン構造変化が、DNA メチル化状況の変化 をもたらすメカニズムも報告されている。DNA がメチル化された領域はクロマチン構造が凝縮し、 いわゆるヘテロクロマチンになり、DNA 非メチル化領域はクロマチン構造が緩んだユークロマチ ン構造をとることになる。したがって、DNA メチル化やヒストン修飾などのエピジェネティクス 制御に関わるメチル化シトシン結合タンパクをはじめとする様々な分子の転写、翻訳、分解、細 胞内移行や分子間の結合などの制御系が重要となる。また、S-アデノシル-L-メチオニンがメチル 基の供与体であるため、アミノ酸代謝経路を含めた、複数の経路でエピジェネティクス制御が成 り立っており、その異常を生む原因も多岐に渡ることになる。したがって、細胞外環境からの情 報伝達系や、栄養因子や物理的刺激を含む様々な要因が様々な経路で、エピジェネティクス状況 に影響を与えることが考えられる。 → スライド 20 エピジェネティクス制御相互依存 ヒストン・サブタイプ コアヒストン H2A,H2B, H3, H4 リンカーヒストン H1 DNA メチル化 非コードRNA ヒストンシャペロン 非ヒストン蛋白 ポリコム、など ヒストン修飾 アセチル化 メチル化 リン酸化 20)エピジェネティクス制御系として、他にヒストンサブタイプに依存した変化や、非ヒストン タンパクの関与、さらには、非コード RNA の関与が考えられる。ヌクレオソーム構造の変化には、 ヒストンシャペロンも重要となり、領域特異的メチル化・脱メチル化には、非ヒストンタンパク コンプレックスや非コード RNA が絡んでいる。 30 → スライド 21 エピジェネティクス情報 • 細胞の定義 細胞の種類で異なるゲノムレベルの情報 (現行の限られたマーカーによる評価では不十分) • 正常細胞と異常細胞の評価 慢性疾患の原因究明、創薬標的 (新たな分子病理学となる) • 細胞の経歴と可能性予測 細胞が受けたゲノム記憶(過去)と今後(未来)を予測 (新たな診断や予防を可能とする) • 胎児型と成体型遺伝子制御の区別 遺伝子ファミリー・メンバーの使い分けと異なった遺伝子発現制御 • 遺伝子のオン・オフのシグナル トランスクリプトームと関連するが異なる (すべての遺伝子がエピジェネティクス制御下にあるのではない) (遺伝子発現量はプロモーター・エンハンサー活性で決まる) • 安定で、変わり得る、ゲノム修飾情報 発生と分化の新たなパラダイム (多細胞生物の新たな生物学となる) 21) 以上、図に示したように、少なくとも DNA メチル化情報は細胞の定義や、正常と異常(病 気)の区別、あるは、胎児型と成人型の遺伝子発現の区別も可能となる。 → スライド 22 遺伝子塩基配列情報 メイン・スイッチ情報 エピジェネティクス DNA メチル化・クロマチン構造 エピジェノム解析 分化に伴い変化し固定化 ⇒ 変化・安定 【遺伝子発現記憶】 トランスクリプトーム解析 発現情報 (細胞により異なる) タンパク立体構造解析 糖鎖機能解析 急激に変化 mRNAs : cDNA解析 瞬時に変化 細胞の違いを反映 (体中の全細胞で同じ) 不変・安定 安定 DNA: ゲノムプロジェクトおよびSNPs 細胞分裂後も続く 個人の違い を反映 エピジェネティクス メタボローム解析 22)ゲノム DNA の遺伝子情報は塩基配列からなる一次情報で、そこから生物種や個体差を区別す ることは可能でも、細胞や組織の種類を規定することは不可能である。一方、タンパク質や mRNA 発現の情報が細胞や組織ごとに解析されてきたが、それらをゲノム DNA の情報とリンクさせるこ とはできなかった。エピジェネティクスは、個体の生涯を通じて安定したジェネティクス(ゲノ ム DNA 情報)と、瞬時に変化する RNA 発現情報との中間に位置する。DNA メチル化とヒストン修 飾を介したクロマチン構造変化がエピジェネティクス分子機構の中心である。エピジェネティク スは、ゲノムレベルと mRNA・タンパク質レベル情報を繋ぐことを可能とする研究領域である。 31 ゲノム上に膨大な数の DNA メチル化領域が散在していること、DNA がメチル化された遺伝子領域 はクロマチン凝縮を伴い遺伝子発現が厳しく抑制される不活性化領域となること、そして細胞の 種類によりゲノムの活性領域と不活性領域は異なっていることが明らかになってきた。マウス・ ヒトゲノムプロジェクト完了後、様々な生命科学分野でエピジェネティクス研究の重要性が認識 され、その研究は世界的に加速している。米国ではこの数年に新たな研究分野として、様々なエ ピジェネティクスの研究の国家予算が相次いで創設されている。エピジェネティクスは、ポスト ゲノム研究の新たなパラダイムで、病気の診断、創薬標的探索、再生医療、環境汚染物質リスク アセスメント、薬物・食品安全性評価など、21 世紀の生命科学領域の新たな基盤となることは間 違いない。 32 3)エピジェネティクスとリプログラミング 講師: 国立遺伝学研究所 総合遺伝研究系 人類遺伝研究部門 教授 佐々木 裕之 氏 1.エピジェネティクスとは ・ エピジェネティクスとは、本質的には DNA のメチル化およびヒストンタンパク質の様々な修飾 である ・ DNA の場合は一つのメチル化だけだが、ヒストンタンパク質の場合、ヒストン H3 の場合だけ でも、N 末端部分の様々なアミノ酸のアセチル化、メチル化、リン酸化等特異的な修飾があり、 それらが組み合わさってヒストンコードと言われる暗号を形成する。 ・ エピジェネティクスを簡単に理解する方法としては、以下の説明をしている。 → 我々は膨大な遺伝情報をゲノムの中に持っているが、細胞ごとに使う情報は異なる。我々の 体には 200 種類以上の細胞があり、例えて言えば、人の体は 200 以上の部署がある会社と考 えられる。 → 各部署には全て同じマニュアル(情報)が配られている。 → 部署毎にどの部分を使うかが異なっている。そういう時にマニュアルの自分の部署で使う部 分に目印(インデックス)のようなものをつけることがメチル化、アセチル化である。 → 遺伝情報を仕分けし、頻繁に使うものは机の上に置き、時々出して使う(誘導がかかる)遺 伝子は本棚に置き、トランスポゾンのように動きまわると困るものはキャビネットにしまい 込む。 2.クローン動物におけるエピジェネティクスとリプログラミングについて 受精 核移植 (クローン胚) 頻発異常 不完全なリプログラミング によるエピジェネティクス異常 正常な 次世代個体 生殖系列による正常な リプログラミング 図 1.核移植によるクローン動物作成 ・ 体細胞を移植したクローン胚では色々な異常が出てくる。 ・ クローンマウスがたまたま生き延びて次の世代に遺伝子情報を伝えた場合に、次世代では正常 な個体が生まれてくる。 33 ・ この事実から、クローン動物における異常はジェネティックではなくエピジェネティックとい える。 ・ 生殖細胞は、それを完全にリプログラムする能力を持っている。 3.多能性幹細胞のいくつかの作成方法 体細胞 体細胞 核移植 細胞融合 + ES細胞 除核未受精卵 多能性幹細胞 特定因子による誘導 Oct3/4, Sox2, c-Myc, Klf4 (+Nanog) 生殖細胞からの誘導 エピジェネティックな リプログラミング 体細胞 生殖幹細胞 図 2.生体からの多能性幹細胞の樹立 ・ リプログラミングは多能性幹細胞を作り出し、 さらにそれから様々な細胞を作り出すのに必要 である。 ・ 多能性幹細胞を作り出す方法を示す。まずは、除核した未受精卵に体細胞の核を移植すること で、体細胞由来のゲノムをもつ ES 細胞を作ることが可能である。 ・ それから ES 細胞と体細胞を細胞融合させることで、体細胞のゲノムがリプログラムされて多 能性をもつようになる。ということは ES 細胞の中には、リプログラミングする優性(ドミナ ント)な因子がある。 ・ 一方、京都大学の山中教授が示されたように体細胞に幾つかの特定因子を導入すると多能性を 持つ細胞を作りことができる。 ・ 具体的には、Oct3/4,Sox2,c-Myc,Klf4 の 4 つの特定因子を導入するとダイナミックなエピジ ェネティックなリプログラミングが起こる。 ・ 何がキーになって多能性を獲得しているのかを知るために研究が進められている。 4.多能性、リプログラミング、分化を理解するためにはどの様なエピジェネティクスの研究が必 要であるかについて述べたい。 ・ 高性能なシーケンサー等を使ってゲノムワイドなエピジェネティック変化の情報集積が必要 である ・ エピジェネティクスに関わる分子(様々な修飾酵素、誘導する因子、調節因子、読みとり装置) などのプレイヤーの全体像が分かっていないため、どんどん同定していくことが必要である。 ・ DNA のメチル化とヒストンの修飾はお互いに影響を与えあって、あるいはコンビになって色々 34 な機能を果たしているので、クロストーク・ネットワークの解明が重要な課題である。 5.エピジェネティクスの基本メカニズムに関する大きな謎 ・ 基礎研究の観点から非常に大きな謎がエピジェネティクスにはまだ 2 つ残っている。 ・ 修飾酵素がどのようにして標的になる遺伝子あるいはゲノム領域を見つけ、その部分に特異的 な修飾を入れるのかがよく分かっていない。少なくとも一部は配列特異的な転写因子で説明は つくが、全容は分かっていない。 ・ エピジェネティクスの大事な要素である伝達性について、DNA のメチル化の伝達機構は分かっ ているが、そのほかの修飾がどのようにして、クロマチン複製や細胞分裂を経て伝達されるの かよく分かっていない。 ・ こういう基礎的なことが理解されることが、医療応用・産業応用に重要である。 6.最近の話題 ・ 特定の遺伝子を silencing するのに small RNA を使える可能性がでてきた。 ・ siRNA、miRNA などが最近話題になっているが、生殖細胞には特有の PIWI pathway があり piRNA (piwi-interacting RNA)という small RNA がある。これは、タンパク質とくっついて標的と なる RNA を分解するが、同時に DNA のメチル化にも関わることがわかってきた。 ・ 米国の論文で、piRNA と相互作用する Mili というタンパク質の遺伝子をノックアウトすると、 トランスポゾンである L1 とか IAP が活性化されて、しかも脱メチル化されることが発見され た。 ・ このような仕組みを活用すれば、例えばガンで異常に活性化された遺伝子を人工的に抑える可 能性が考えられる。 ・ piRNA 経路による抑制なら、DNA メチル化を含む安定な制御抑制ができる可能性がある。 ・ ただし、今のところこの経路は生殖細胞でしか見つかっていので、メカニズムを解明して因子 を同定していかないとこれを使えることにはならない。 ・ 外から特定の遺伝子のプロモータ領域に対して siRNA を投入するとその遺伝子を抑制できる という報告もある。 ・ この場合、DNA のメチル化は起こらないけれど、ヒストン修飾による抑制が起こり、体細胞で も働くので、このツールは使えるかもしれない。 7.研究内容 ・ 私は主に哺乳類の発生と生殖細胞におけるエピジェネティクスの研究を行っている。 ・ エピジェネティクスは、配偶子形成、個体発生、リプログラミングのいずれにも重要である。 ・ DNA のメチル化酵素(Dnmt3a)を生殖細胞(卵子)の中で特異的にノックアウトした場合、卵 子はできるが、卵子の中のゲノムの DNA のメチル化がうまく確立していない。 ・ そういう DNA を持ったメスが妊娠すると必ず流産してしまう。つまり不育症(習慣性流産)の 表現型を示す。 ・ 一方オスのマウスで同じように Dnmt3a をノックアウトすると男性不妊(無精子症)の表現型 を示す。 35 ・ これらはノックアウトマウスなので遺伝的な異常であるが、さらに環境要因を含む様々なエピ ジェネティクス異常がヒトの不妊症や流産の原因になっている可能性がある。 ・ 東北大学の産婦人科の有馬准教授との共同研究において、 非常に精子が少ない乏精子症でイン プリント遺伝子といわれる一群の遺伝子のメチル化を調べてみるとかなりの頻度で異常が見 つかるので、将来の診断、治療の原因解明に結びついていく可能性がある。 ・ 不妊治療技術の高度化に伴うエピジェネティクス異常のリスクが増大している。 8.今後の研究内容 ・ こういうことを総合的に研究するために文科省の科研費(特定領域研究)で「生殖系列の世代 サイクルとエピゲノムネットワーク」を行う予定である。 ・ 研究項目としては、「生殖細胞の分化決定機構」 、「配偶子形成・減数分裂とエピゲノムネット ワーク」、「受精・初期胚におけるエピゲノム変化と発生能(リプログラミング) 」の3つを予 定している。 ・ 研究代表者 15 名、公募 20 名を予定している。 ・ 今年度は準備期間で、来年の 4 月から本格的に実施する予定である。 9.話題提供 ・ 胎児期のいろいろなイベントが成人病(大人になってからの病気)にも大事であるという、 「成 人病胎児期起源説」がある。 ・ 第二次世界大戦中、ドイツ占領下のオランダでおきたいわゆる Dutch famine と呼ばれる飢饉 で、妊娠の初期ないしは中期の母体が極端な低栄養だった場合の新生児は、成長後(30 年後) に肥満の発症率が高いことが疫学的研究で分かっている。 ・ 最近では動物実験のデータで、エピジェネティクスの関与を示唆する論文もでてきている。 ・ 日本は先進国で唯一赤ちゃんの出生時体重が低下しているが、その原因はこれまでの産婦人科 医の指導や、母親のダイエット熱と考えられる。 ・ 過度なダイエットは、子供の将来の健康に悪影響を及ぼす可能性がある。 10.まとめ ・ エピジェネティクスはがんのほか、健康な胎児の発生・生殖医療・再生医療・クローン技術な どに重要である。 ・ 核のリプログラミングに伴うエピジェネティクスの制御は特に大きな課題である。 ・ 環境によるエピジェネティクスの変化と疾患が今後の課題である。 ・ 基礎研究分野ではゲノムワイドな情報集積、関連因子の網羅的同定、標的特異性と伝達性のメ カニズム解析が重要である。 ・ 基礎研究と応用研究、網羅的研究と個別研究のバランスのよい推進が必要である。 ・ 医学研究の分野では解析対象となる臨床サンプルの集積も課題である。 → 実際にエピジェネティクな変化を捕まえようとするときに、病状は脳におこっていたり、脂 肪組織におこっていたり、様々な可能性がある。 → 一般の病理検査、生化学検査をするときでもその組織を調べないと分からない。 36 → DNA の場合は適当な組織を採ってきて調べれば、体細胞変異以外であれば突然変異が分かる。 → 今後は成人病、精神神経疾患など難しい病気にアプローチしようとすると臨床サンプルの収 集が大事な課題になる 11.質疑応答 Q-1.ES 細胞の中にリプログラミングする液性因子があるが、これと山中因子やほかのリプログ ラミング因子は同一と考えてよいか。 A-1.かなりの部分で重なっているが、違うファクターも必要になると思う。 Q-2.細胞融合の話で、ミトコンドリアは混在した状態で残るが問題ないか。 A-2.細胞融合は研究に使えると思うが、実用を考えると難しいのではないか。 Q-3.食事のエピジェネティクスに対する影響は大人でも大事だし、発生でも大事であるし、直 接エピジェネティクスの機構に作用する食事成分もあるでしょうし、エピジェネティクスの変化 が起こるプロセスに影響して最終的にはエピジェネティクスを通じて健康に影響してくる場合も ある。 A-3.リプログラミングといったときに、現象としてリプログラミングがあったとしても一つの 因子で全部が決まるものではない。また、ミトコンドリアに関して、コードしている遺伝子は 30 個だが合成するタンパク質は 500 以上ある。それはゲノムによって合成される。ゲノムが原因で おかしくなる。 37 4)エピジェネティクスのケミカルバイオロジー 講師: 理化学研究所中央研究所 主任研究員 吉田 稔 氏 ゲノム DNA のメチル化に代表される一般的なエピジェネティクスとはやや異なる立場、ケミカル バイオロジーの立場でエピジェネティクスの基礎と応用にどのような貢献できるかを考えていき たい。 1.創薬標的としてのヒストン修飾阻害剤 染色体で DNA と複合体を形成している蛋白であるクロマチンは、遺伝子の発現制御や遺伝子のオ 38 ンオフに関わっている。このクロマチン蛋白へのマーキング、アセチル化やメチル化は基本的に 化学修飾によりおこなわれている。 我々は 90 年に TSA(トリコスタチン A)を微生物の作る分化誘導物質として見出し、それがヒス トン脱アセチル化酵素(HDAC)を阻害することがわかった。その後さまざまな構造の異なる抗腫 瘍活性をもつ化合物も HDAC 阻害剤であることがわかり、クロマチンの基礎的な理解が進むと同時 に創薬にもつながってきた。 HDAC 活性の発見や初の特異的阻害剤の発見などはわが国で行われ、99 年の X 線結晶構造解析の基 礎研究のレベルまでは日米互角であった。ところがそれ以降の実際の医薬品開発競争では日本は 大きく遅れてしまった。これを反省したり追及したりするつもりはないが、エピジェネティクス 39 の基礎から応用をこれから研究するにあたっては過去に学ばなければならないのではないだろう か。 HDAC 以外にもクロマチン制御をおこなう酵素はあり、ヒストンメチル化酵素もその一例である。 我々はヒストンメチル化酵素の阻害剤として天然物から G9a や Suv39 などの酵素活性を阻害する 物質を ELISA によるハイスループットスクリーニングで発見している。 ヒストンの SUMO 化についてはセミインタクト細胞を使って阻害剤を探索し、活性物質を確認して いる。これらの物質は直接、創薬のためのリード化合物になるわけではないが、実際に低分子に よってアセチル化以外のエピジェネティクスに関わるヒストン修飾をコントロールすることが可 40 能であることを示しており、創薬への発展が期待できる。 。 エピジェネティックな反応は基本的には化学反応であるのでライブで見るのは難しい。しかし、 最近我々のグループでは FRET を使いヒストンアセチル化の状況を観察できるようになった。細胞 に TSA を加えると細胞の蛍光が青から赤に変化し、TSA を洗うと速やかに細胞が青に戻る。非常 に速やかなアセチル化反応と脱アセチル化反応がライブで観察できた。 NEDO のケモバイオプロジェクトではヒト cDNA を分裂酵母に導入して致死性のものを選抜し、こ の致死性を回復する物質のスクリーニングをおこなっている。この中で見出された致死性 cDNA に はクロマチン修飾に関わる遺伝子が非常に多いことがわかった。これらの遺伝子を用いてその致 死性を回復する物質を探索すれば、新たなエピジェネティクス制御物質が得られる可能性がある。 41 2.スプライシング阻害剤の発見:スプライシング因子とエピジェネティクス 次はフォワードケミカルジェネティクスについて話す。FR901464 という物質は当時の藤沢薬品工 業で発見された抗腫瘍活性物質である。この物質は転写活性に影響を与える、細胞周期を止める といった非常に HDAC 阻害剤と似た作用を示していた。ところが HDAC を阻害せず、新規の標的の 存在が示唆された。 FR を作用させると細胞からは p27 に加えて、p27*と名づけた分子量の小さい蛋白が発現するよう になることがわかった。 42 SSA(Spliceostatin A)をビオチン化し結合蛋白を分離してくると SF3b というスプライシングの 非常に重要なコンポーネントがターゲットであることがわかった。 SF3b とは、スプライソソームで形成される U2 snRNP の複合体をかたち作る蛋白である。 43 SSA は試験管内スプライシング反応を阻害した。また、SSA を作用させたときの p27 の mRNA を、 ノザン解析およびエクソン-イントロン間の RT-PCR で検出した。SSA を作用させないとイントロ ンを含む mRNA は一切合成されないが、SSA が作用すると p27 だけでなく、βチューブリンやβア クチンでも出来てはいけないイントロンを含む未成熟の mRNA が蓄積していることがわかった。 この p27*はスプライシングが阻害されて蓄積したメッセンジャーRNA 前駆体がそのまま翻訳され た、イントロン部分の配列をもち、第 2 エクソンが欠失した蛋白であることがわかった。 44 蛋白の発現はまずメッセンジャーRNA 前駆体が作られ、スプライシングにより成熟したメッセン ジャーRNA となり、細胞質に出て蛋白が合成されるといういわゆるセントラルドグマにしたがう。 ところがこの阻害剤はスプライシングを阻害するだけでなく未成熟のメッセンジャーを核外に出 させることでメッセンジャーRNA 前駆体の翻訳を引き起こすということがわかった。 45 このことから阻害剤のターゲットである SF3b が未成熟のメッセンジャーRNA を核外に出さない、 核内保持の作用ももつことがわかった。スプライシング阻害剤は HDAC 阻害剤と似て転写活性に非 常に強い影響を与える。何かエピジェネティックな作用がほかにも隠されているに違いないと思 われる。 3.応用から基礎へ:分裂酵母の細胞記憶 我々は摂取する食物や、曝露される化合物によりエピジェネティックな変化が起きることがある。 たとえば HDAC 阻害剤様の活性がネギ類に含まれる香味成分であるジアリルジスルフィドにもあ ることが知られている。このように細胞外の環境が遺伝子の配列の違いを持つことなく遺伝子発 現のパターンを変え、それが次世代に伝わっていく可能性があるのかどうかを酵母をモデル生物 に実験した。 46 TSA を酵母にかけて 48 時間培養し、その後 TSA を洗い流して再び 48 時間培養した。48 時間で酵 母は 16 世代ぐらい代わっている計算になる。薬剤処理の直後には 600 遺伝子で発現量の増加や減 少が起きていたが、薬剤を除いてさらに 48 時間培養した後にはそのような変化はほぼ収まってい た。ところが一群の遺伝子に関しては発現量が増えっぱなしになっていた。 これらの遺伝子は酵母の染色体のサブテロメア領域に集中してマップされており染色体上に明確 な境界線が見えた。すなわち特定の染色体の場所にある遺伝子の転写が活性化した状態が維持さ れていた。これは細胞が外的な要因によって遺伝子発現のパターンを変えて、世代を超えて伝え ていくメカニズムが実際存在していることを示している。 このような解析には化合物の添加、除去といった手法は非常に有効であると考えられる。遺伝学 は遺伝子をターゲットにするが、化学遺伝学で使う化合物は基本的に蛋白をターゲットにする。 やや我田引水になるが、遺伝子配列そのものを半永久的に変えてしまう遺伝学的アプローチに対 し、配列に影響を与えないで解析していくケミカルバイオロジーの手法はエピジェネティックな 変化を見ていくには一番適した方法ではないだろうか。 牛島委員長のコメント 細胞の記憶という重要で科学的に今注目されている分野である。大衆的に言うといったん太ると 太りやすくなるということがあって、科学の世界でも今年あたりからマウスで論文が出ていて、 そうなることに関わる分子がわかってくる。 47 5)エピジェネティクス解析ツールについて 講師: オリンパス株式会社 バイオ事業推進室 牧野 徹 氏 1.実験フォーマット エピジェネティクス研究(DNA メチル化解析)に利用されている主要解析ツールに関して報告し ます。解析手法は大別すると、①Bisulfite 法、②制限酵素法、③免疫沈降法に分類されます。 これら 3 種類の方法がどのような実験フォーマット及び検出手段を用いているかを概観して、そ れらの方法論の課題を分析して今後求められる新しい解析法について言及したい。 実験フォーマットは、①マイクロアレイ、②マイクロプレート、③電気泳動の 3 種類に分けられ る。マイクロアレイは網羅的解析を目的として Affymetrix 社のタイリングアレイが広く使われて いる。電気泳動はメチル化特異的 PCR を代表とする原理に対して用いられている。実験フォーマ ット自体に DNA メチル化解析特有なものはない。 2.検出方法 検出方法は、①蛍光強度の測定、②質量分析、③化学発光と他のゲノム解析手法と変わりはない。 3.DNA メチル化解析原理の使用率 解析原理のバリエーションは、他のゲノム解析(例えば SNP 解析)と比較すると非常に少ない。 シトシン 5 位がメチル基に置換されているか否かを判定する方法論はもっと多様性があっても良 いように思われる。現状は、①Bisulfite 法、②制限酵素法、③免疫沈降法だけである。中でも Bisulfite 法が主要な解析原理である。 4.検出手法の使用頻度 システム、測定装置、検出キットが販売されているか、受託解析サービスが行われているものを 集計した。グラフでも分かるように多くの系は蛍光強度の測定を採用している。 5.DNA メチル化解析ツールのまとめ スライド 2~5 の結果をまとめて図示した。実験室レベルでの解析ツールを除くと市販ベースでは 僅かに 6 種類が市場にでている。図 1 でも明らかなように、Bisulfite 法→固相系→蛍光強度測 定によるものが大半である。DNA メチル化解析ツールに関してはこれからの技術分野とも言える し、今後も大きな進展が期待できないとも言えるかもしれない。但し、エピジェネティクス研究 が世界的にも注目されてきたのが、2000 年くらいからだとすれば、新たな方法論が提案されて実 用化の期待が高まることでビジネスチャンスが見えて来ることによっては多様な解析ツールが開 発される可能性はあると考えられる。2001 年のデータではあるが、SNP 解析ツールの状況を図 2 に示す。 48 Reaction Principle Assay format. Detection method Name (organization) MassARRAY Hitach Bisulfite Fluorescence Pyrosequencing Biotage Sold-phase Mass spectroscopy Restriction Enzyme GeneChip® Tiling Array Affymetrix Solutionphase Immunoprecipitation mDIP Agilent Chemical luminescence Gel electrophoresis MIAMI Gunma Univ. Methylation Specific PCR MLPA MRC-Holland 図1 49 図2 50 6.DNA メチル化解析の課題 原理的な課題について、まとめた。 ① ② ③ Bisulfite 法 z 長時間の反応時間や、サンプルの非特異的切断の発生 z 微量試料の解析への対応 制限酵素法 z 不完全な酵素処理による未消化 DNA 断片の存在 z メチル化の可能性がある部位の限られた部分のみである z 制限酵素により認識可能な配列中の CpG 部位についてしか解析できない 免疫沈降法 z 非特異反応による DNA の共沈 いずれの原理においても、感度、特異性といった点が課題である。この点は、新しいツールの開 発過程において良くある現象である。先のスライドの場面でも言及したようにニーズとビジネス チャンスが見えてくれば、開発競争が生まれることによって解決できる課題であると考える。 7.国産技術として注目している MIAMI 法と免役沈降法を網羅的解析ツールであるアレイに適用し た例について説明する。 MIAMI 法は制限酵素による特異的切断とマイクロアレイを組み合わせた方式で、群馬大学で開発 された。網羅性はマクロアレイの分解能に依存している。 MeDIP 法は免疫沈降法とマイクロアレイを組み合わせた方式である。二つの方法は前処理法が異 なっているが実験フォーマットはマイクロアレイである。 8.まとめ 網羅的に DNA メチル化を解析する事は未だに必要であるし、解析する領域が絞られて来た時にも 必要性が低下するとは思われない。しかしながら、現在ゲノムワイドに解析できるアレイには国 産のものがない。このような状況は臨床目的などに DNA メチル化検査が利用される時に検査コス トの点で課題を残すことになる。SNP 検査は基本的に 1 回で済むが DNA メチル化検査では経時的 変化を追う事になるので深刻な状態になる可能性がある。 エピジェネティクス研究は、まだ日本が先端を走ることが可能な領域である。解析ツールもバリ エーションが少なく、性能的にも不十分な状況である。実用化を視野に入れた日本独自の解析ツ ールを開発できるチャンスはあるので、国としての後押しを是非期待したい。 51 6)エピジェネティクスと創薬・診断 講師: 日本化薬株式会社 研究開発本部 杉原 英光 氏 1.エピジェネティクスと疾患 ・ 多くの疾患では遺伝子の発現制御異常が原因で引き起こされる。 ・ エピジェネティクスの変異は、遺伝子の配列変異より起きやすいので、疾患の早期の診断マー カーになる可能性と早期治療のマーカーになる可能性が高い。 ・ 環境、行動、生理、病理変化によりエピジェヘティクスの変化は一生続くもので、その状態を モニターするデータベースの構築が重要である。 ・ エピジェネティクスの変異は、老化と関係する、がん、心血管疾患、2 型糖尿病等の疾患に関 係しているという報告が多数ある。特にがんの研究で多く報告されている。 2.エピジェネティクスと創薬 ・ 遺伝子変異と異なりエピジェネティクス変異は可逆的であるので、薬物等による制御できる可 能性がある。 ・ 疾患に関連する遺伝子、タンパク質の活性化、不活化するエピジェネティクスに作用する薬物 は、早期の治療に有用となる可能性が高い。 ・ エピジェネティクスを正常の状態(現段階の研究では定義されていない)に戻せば疾患が改善 される可能性が高くなる。 3.エピジェネティクスの動態と創薬診断の可能性 遺伝子の発現プログラムは、下記の主に 2 種類のエピジェネティクス機構により制御されている。 ① DNA のシトシン塩基のメチル化 ② クロマチン構造を決めるヒストンの修飾 現在、エピジェネティクスを標的とした薬剤は、これら修飾に関係する DNA メチル化酵素の 阻害剤とヒストン脱アセチル化酵素の阻害剤の 2 種類が開発されている。最近、miRNA(マイ クロ RNA)も遺伝子のサイレンシングを行いエピジェネティクスに関係している報告もある ので、今後創薬の対象となるであろう。 4. DNA メチル化反応 DNA のメチル化スライド 5 のようにシトシン塩基が酵素によりメチル化される。 5.DNA メチル化反応 生体内での DNA メチル化反応は、DNA メチル化を細胞分裂の際に維持する DNMT1 と新しくメチル 化する DNMT3 の 2 種類で行われている。現在標的としているのは、DNMT1 のほうである。 52 6.代表的メチル化阻害剤 代用的なメチル化阻害剤は、以下のようなものである。これらはメチル化を特異的に阻害するも のではなく、DNA 合成阻害剤のおまけとしてメチル化阻害が見出されたものです。 azacitidine Pfizer 発売済 骨髄異形成症候群 急性骨髄性白血病、固形癌 decitabine NCI 発売済 骨髄異形成症候群 急性骨髄性白血病 非小細胞肺癌、慢性骨髄性白血病、 鎌状赤血球貧血 固形癌 急性リンパ性白血病 神経芽細胞腫 EGX-30P EpiGenX 前臨床(中止) 癌 Phase II(中止) 頭頸部癌 Pharmaceuticals MG-98 MethylGene 腎細胞癌 骨髄異形成症候群、骨髄性白血病 前立腺癌 (明日の新薬 2007 年 10 月) 7.ヒストン脱アセチル化(HDAC)阻害剤 ヒストン脱アセチル化剤は、クロマチンの構造変化に対応している(下図)。開発中の阻害剤は多 数ある。 53 8. 開発中の HDAC 阻害剤で前臨床段階にあるもの CHR-2504 Chroma Therapeutics 前臨床 癌 JNJ-16241199 Johnson & Johnson 前臨床 癌 KD-5170 Kalypsys 前臨床 癌 LEO-08140 TopoTarget 前臨床 乾癬 MKC-1704 EntreMed 前臨床 癌 前臨床 肺 癌 、 結 腸 直 腸 癌 固 形 癌 、 血 液 腫 瘍 メ ラ ノ ー マ 、 前 立 腺 癌 リンパ腫 前臨床 癌 SNDX-275 バ イ エ 三井化学 ル YM-753 アステラス製薬 薬 品 9.開発中の阻害剤で P1 にあるもの chidamide Shenzhen Biosciences CRA-024781 Chipscreen Phase I 肺癌、結腸癌 Celera Phase I 癌 dacinostat Novartis Phase I 癌 sodium phenylbutyrate (Tikvah Therapeutics) Tikvah Therapeutics Phase I 脊 髄 性 筋 筋萎縮性側索硬化症 54 萎 縮 症 10.開発中の HDAC 阻害剤で P2 にあるもの belinostat MGCD-0103 romidepsin TopoTarget MethylGene アステラス製薬 Phase II Phase II Phase II 卵 巣 肝 細 胞 軟 組 織 肉 多 発 性 骨 髄 B 細 胞 リ ン パ 骨 髄 異 形 成 症 候 急 性 骨 髄 性 白 血 T 細 胞 リ ン パ 中 皮 乳 癌 、 前 立 腺 癌 、 肺 結腸直腸癌 癌 癌 腫 腫 腫 群 病 腫 腫 癌 骨髄異形成症候群、 急 性 骨 髄 性 白 血 慢 性 リ ン パ 性 白 血 B 細 胞 リ ン パ 膵 ホ ジ キ ン 固形癌 病 病 腫 癌 病 癌 腎 細 胞 癌 、 T 細 胞 リ 膵 多発性骨髄腫 癌 腫 癌 前 立 腺 ン パ 11.開発中の阻害剤で P3、上市したもの panobinostat lactate vorinostat Novartis Aton Pharma Phase III 発売済 55 固 形 癌 、 皮 膚 T 細 胞 リ ン パ 慢 性 骨 髄 性 白 血 多 発 性 骨 髄 皮 膚 T 細 胞 リ ン パ 固形癌 腫 病 腫 腫 癌 皮 膚 T 細 胞 リ ン パ 腫 頭 頸 部 癌 白血病、骨髄異形成症候群、多発性骨髄 腫 12.薬剤の開発研究状況 2005 年と少し古いが、米国でのがんトランスレーショナル研究で発表されたものを表に纏めた。 発表者 薬剤 Jean-Pierre Issa Decitabine 併用治療 開発状況 対象疾患 結果 無 第Ⅰ/Ⅱ相 骨髄異形成症候群 奏功率 85% 急性骨髄性白血病/骨髄異 全体奏功率 65% 形成症候群、急性骨髄性白 血病、慢性骨髄性白血病 Philip Koeffler SAHA 無 前臨床 マントル細胞リンパ腫 Cyclin D1 protein Reuben Lotan SAHA 無 前臨床 大腸癌細胞 15-Lipoxygenase-1 Michael Luebbert Decitabine ATRA 第Ⅱ相 急性骨髄性白血病 明確な奏功を示さない Selina Lugar Valproic acid 無 第Ⅰ相 骨髄異形成症候群 奏功率 29% Guido Marcucci Depsipeptide Decitabine 第Ⅰ相 急性骨髄性白血病、慢性白 分化、 遺伝子発現 (前 Ari Melnick N-CoR/BCL-6 Trichostatin A 前臨床 血病 臨床) 白血病 アポトーシス (HDAC 阻 peptide 害剤と併用で有効性あが る) Richard Decitabine Zebularine 前臨床 白 血 病 細 胞 , ス テ ー ジ IV Cytidine deaminase , 相 Momparler Ned Newman 5-Fluoro-2'-deox Tetrahydrouridin ycytidine 非小細胞肺癌 乗効果 第Ⅰ相 固形癌 奏功無 (cytidine deaminase 阻害剤) Jeffrey Petty Decitabine ATRA 前臨床 不死化気管支上皮細胞 レチノイン酸感受性回復 Richard Piekarz Depsipeptide Ontak 前臨床 T 細胞性白血病細胞 Ontak に対する感受性上 昇 ( interleukin-2-conju gated toxin) Roberto Pili MS-275 13-cis-Retinoic acid 前臨床 腎癌細胞と前立腺癌細胞 レチノイン酸感受性回復 (前臨床) SAHA Avastinanti 第Ⅰ/Ⅱ相 腎癌細胞 不明 第Ⅰ相 再発急性骨髄性細胞 最大耐量 10 mg/m2 で, 完 抗 VEGF 抗体 Edward Sausville MS-275 無 全寛解、部分奏功無 Max Sung Phenylbutyrate Indomethacin, 5-FU, 第Ⅰ相 大腸癌 IFN 副作用と中枢神経毒が見 られた 56 発表者 薬剤 併用治療 Susan Bates Depsipeptide 無 第Ⅱ相 皮膚T細胞性リンパ腫、抹消 17% 完全寛解, 33% 部分 T細胞性リンパ腫 奏功, 17% 安定, 25% 奏 功率 Kapil Bhalla LAQ-824 STI571 前臨床 慢性骨髄性白血病 LBH-589 17-Allyamino-17-de methoxygeldanamyci n(熱ショックタンパク 質p90阻害剤) Steven Brandt Depsipeptide 無 第Ⅱ相 難治性/再発 急性骨髄性白 持続性奏功無 血病 John Byrd Depsipeptide 無 第Ⅰ相 急性骨髄性白血病, 慢性リ 効果なし(13 mg/m2) ンパ球性白血病 Stanley Frankel SAHA 無 第Ⅱ相 皮膚T細胞性リンパ腫, びま 部分奏功率 95% (皮膚 ん性大細胞型B細胞リンパ T細胞性リンパ腫) 腫, 抹消T細胞性リンパ腫, 頭頸部癌r Guillermo Garcia-Manero SAHA 無 第Ⅰ相 急性リンパ性白血病、 急性 奏功率21% (急性骨髄性 骨髄性白血病, 慢性リンパ 白血病のみ) 性白血病、 慢性骨髄性白血 病, 骨髄異型性症候群 Valproic acid Decitabine 第Ⅰ相 難治性急性骨髄性白血病、 不明 慢性骨髄性白血病、 骨髄異 形成症候群 第Ⅱ相 難治性/再発 急性骨髄性白 完全寛解 22%、 血病/骨髄異形成症候群 H3/H4 アセチル化 Steven Gore Phenylbutyrate 5-Azacytidine Steven Grant NaB Perifosin SAHA Flavopiridol ( サイ ク リン依存性キナーゼ 阻害剤) SAHA Bortezomib 開発状況 対象疾患 結果 p21/p27 発現 第Ⅰ/Ⅱ相急性 急性骨髄性白血病/骨髄異 骨髄性白血病/ 形成症候群 骨髄異形成症候 群 奏功率 50% 前臨床 AKT/細胞外シグナル伝 達キナーゼ 白血病細胞 p21 発現 , nuclear factor-B 活性 (前臨床) 不明 13.がん診断とエピジェネティクス がんでは特定の遺伝子が過剰メチル化されている傾向がある。例えば、前立腺がんで GSTP1, RARâ, TIG1 and APC、非小細胞肺がんで p16,RASSF1A, FHIT, H-cadherin ,RARâ、乳がんで RARâ, p16, p14, RASSF1A, DAPK,GSTP1 が報告されている。 57 14.他の過剰にメチル化された遺伝子 hMLH1 DNA mismatch repair cyclin-dependent kinase genome instability, frameshift mutations p16INK4a inhibitor, cell cycle regulation MDM2 loss of cell cycle control loss of cell p14ARF inhibitor, cell cycle regulation cyclin cycle control loss of cell cycle control p15INK4b MGMT dependent kinase inhibitor, cell cycle mutations, chemosensitivity to alkylating GSTP1 regulation repair of alkylated DNA guanine drugs higher incidence of mutations loss of RARbeta residues biotransformation of electrophilic cell cycle control unknown loss of cell RASSF1A Rb substances retinoic acid receptor, cell cycle cycle control metastases metastases CDH1 CDH13 and growth control Ras effector homologue cell unknown loss of cellular growth control HIC1 APC cycle inhibitor cell adhesion cell adhesion resistance to apoptosis resistance to DAPK IGFBP3 transcription factor inhibitor of beta catenin apoptosis aberrant growth and ESR1 CHFR apoptosis growth factor signaling estrogen differentiation chromosome instability HSPA2 SOCS2 receptor, signal transduction mitotic stress unknown enhanced growth unknown enhanced PGR1 ATM checkpoint gene heat shock protein suppressor DNA damage unknown unknown FHIT of cytokine signaling unknown DNA damage laminin-5 response cell cycle control and apoptosis cell-basal membrane interaction 15.発現に関係する遺伝子でメチル化による調整が報告されているもの 発がんに関係するがん遺伝子、抑制遺伝子が多数報告されているので、今後これらの遺伝子を組 み合わせた診断キットが出る可能性がある。 58 16.エピジェネティクスと創薬課題 ・ エピジェネティクスに作用する薬物は、期待するエピジェネティカルの反応を示しているかを バリデートするシステムを開発する必要がある。 ・ エピジェネティクスの状態が、薬物に対する反応を決定する可能性の検討。 ・ 薬剤を投与したときのエピジェネティクス変化を研究する薬理エピジェネティクスが必要にな る。 17.化合物の構造 発表されている化合物の構造を以下に示す。 18.討議 ・ 特性の高いエピジェネティクスを調整する薬剤が必要である。現在使用されているメチル化酵 素阻害剤は、DNA 合成酵素の阻害剤として発見されたものでメチル化阻害はおまけであるので、 余計な副作用を持っている。 ・ HDAC 阻害剤は既存の制がん剤と作用機序が異なり骨髄抑制等の副作用がないので、相乗効果 が期待できるものになる可能性がある。 ・ 新しい創薬標的が見出された場合には、既存の薬剤の効果を検討すべきである。この方向で、 既存の薬剤を評価しようという提案もある。既に PK,PD が分かっているのでうまく当たれば使 いやすいであろう。 59 3-3.議事録 第1回 エピジェネティクス調査委員会 議事録 開催日時: 平成 19 年 10 月 10 日(水)13:30-17:30 開催場所: 産業技術総合研究所 臨海副都心センター 別館(バイオ IT 融合研究棟)11 階 第 1 会議室 (東京都江東区青海 2-42) 出席者: 牛島委員長(国立がんセンター)、塩田委員(東大)、 佐々木委員(国立遺伝学研究所)、吉田委員(理化学研究所)、 牧野委員(オリンパス株)、杉原委員(日本化薬株) 事務局:古川・山崎(NEDO)、長張・清末・世良田(JBIC) オブザーバー:荒田課長補佐(経済産業省)、他 1. 計 40 名 はじめに 委員会を開催するにあたり、経済産業省生物化学産業課 荒田課長補佐、NEDO 古川主査、牛島委 員長から下記の挨拶があった。 ・ 荒田課長補佐(経済産業省): エピジェネティクスが疾患のメカニズムの解明、薬、健康食品、医療、健康の分野で重要になっ てくるのではないかと考え、先生方からお話を色々と聞いているところである。それらを具体的 にどの様なアプローチで解明していくか、もしくは解析技術・手法を開発していくか、どの様な アプローチで産業化に応用していくのか、どこがリミットになっているか等、調査委員会の中で 共に勉強させて頂き、今後の施策の参考にさせて頂きたい。 ・ 古川主査(NEDO): プロジェクトが立ち上がるかどうかはまだ評価出来ないが、是非何かまとめていきたい。しかし、 その場合、軽々に産業化というところだけではなく、基礎的なところもカバーしながら出口も考 えてバランスを図りながらやっていくべきと考えている。 ・ 牛島委員長 本調査委員会の目的は、エピジェネティクスの研究動向を把握し、我が国が優位性を発揮でき、 かつ幅広い波及効果が期待できるエピジェネティクスにおける研究課題を検討し、エピジェネテ ィクスの産業応用の方策を考えることである。エピジェネティクスは今後の成長分野であり、基 礎研究(学問)と産業応用が近い分野なので、この NEDO 委員会によって来年度以降、実際に産業 応用を目指したナショプロが始まることを期待する。 60 その後、調査委員・調査研究員(WG メンバー)名簿をもとに各委員から自己紹介があった。 2. 事務局説明 事務局から調査委員会の進め方等について以下の説明がなされた。 (1) 調査委員会 調査委員会は合計 5 回を予定している。第 2 回目は国立ガンセンター、第 3 回以降は NEDO 川崎で 行う。委員会は牛島委員長をはじめとして合計 6 人の委員からなる。事務局として、古川氏・山 崎氏(NEDO)、長張・清末・世良田 (JBIC)が加わる。他に、WG(ワーキング)メンバーの参加と興味 を持っている企業等からのオブザーバー参加をお願いしている。委員会では、研究動向調査、産 業応用のための課題抽出が大きなミッションになる。エピジェネティクス解析は、基礎研究分野、 医療分野/健康管理分野等の産業への展開が想定できる。 (2) 調査 WG(ワーキング) 調査 WG のミッションは、調査委員会が専門家による調査、審議、指導であるのに対して、実行部 隊としての報告書の作成である。各委員の発表内容は WG のメンバーが全て議事録を作成するので、 是非発表される先生方はご協力頂きたい。報告書は 2008 年 2 月 29 日までに提出することが義務 付けられている。 (3) 調査フロー 基本的には調査委員会での調査、審議がキイになる。これを補完する意味合いで調査 WG が委員会 での内容をバックアップする形で実調査を行う。 3. エピジェネティクス研究開発動向等発表 6 人の委員から各専門領域におけるエピジェネティクス研究開発動向等が発表された(20 分/人)。 各委員のタイトルは下記の通り。発表内容の詳細は別途記録。 (1) 牛島委員長: エピジェネティクスと疾患 (2) 塩田委員: 細胞・組織特異的 DNA メチル化プロフィール (3) 佐々木委員: エピジェネティクスとリプログラミング (4) 吉田委員: エピジェネティクスのケミカルバイオロジー (5) 牧野委員: エピジェネテックス解析ツールについて (6) 杉原委員: エピジェネティクスと創薬・診断 4. 今後の進め方等についての討議 (1) エピジェネティクス関連分野 関連分野として以下が各委員から提案された。 疾患(がん、生活習慣病、神経疾患(統合失調症、自閉症))、医薬品の開発(創薬)、疾患の予防、 診断、再生医療、生殖、発生、クローニング、畜産、食品(機能性食品)、記憶、加齢、老化、健 61 康被害物質、バイオインフォマティクス、Non-coding RNA、ショウジョウバエ、計測法(MRI、PET) (2) 診断での利用について エピジェネティクスを利用した診断について牛島委員長から以下が紹介された。 診断を三つに分類することができ、各診断領域でのエピジェネティクスの得失は下記の通りであ る。 ・ がんがあるかないかの診断、病気かどうかの診断(存在診断) がんの存在診断では、がんの特異的変化を検出するので、突然変異でもメチル化でも良く、存在 を鋭敏に検出できるかどうかが勝負である。DNA のメチル化は、検出し易いテクノロジーとして、 また、異常をもつがんの頻度が高いという優位性がある。一方で、血清・血漿を用いる場合、分 泌タンパク等と比べると劣る。 ・ 病気になりやすいかどうかの診断(リスク診断) SNP 解析、DNA 発現のマイクロアレイによる診断等に比べてエピジェネティクスが独壇場とは言わ ないまでもかなり強いところである。何故ならば、エピゲノムはゲノムの疲労度を反映している ので、何回細胞が分裂したとか、この遺伝子を使いすぎたとか、有害物質に暴露されたとかがエ ピジェネティックな変化としてゲノムに刻まれている。細胞のゲノムがどれだけ疲れているかを 見ることがエピジェネティクスの非常に得意とするところで、表現型としては異常が出ない状態 でもエピジェネティックな異常が検出できる。 ・ どういう病気か、同じがんでも進行するタイプなのか、この薬が効くかどうかの診断(性質診 断) 発現プロファイルとかプロテオームとかなり勝負になってきてこれらの方が良い場合も多いが、 エピジェネティクスの方が良い場合もある。 (3) 組織の入手可能性(availability) 以下の意見、見解が紹介された。 ・ 大腸がんのリスク診断の場合は内視鏡で、肝がんのリスク診断の場合はバイオプシーで組織 を採るので問題は余り生じない。しかし、がん以外の疾患の場合は材料の availability が大問題 になる。神経疾患を予測するために脳のバイオプシーを行うことは出来ない。しかし、諦めた訳 ではなく、エピジェネティクス異常の仕組みがある程度分かって来ていて、少なくとも転写が下 がることがメチル化のトリッガーになることがわかってきている。そうすると転写の低下を起こ す刺激が脳の細胞の転写に変化を起こすかもしれないが、骨髄の細胞にも同時に転写の変化を起 こしていれば、末梢血の DNA メチル化変化を活用して他の組織での変化を推定できる可能性もな くはない。まずは、疾患部位の細胞での異常を明らかにし、その異常をマーカーになる細胞で測 定するような診断システムが出来れば素晴らしい。 ・ 胃の場合は必ずしもがんでなくても、慢性胃炎、潰瘍であってもバイオプシーをする。そう 62 いう中からリスク診断に役立てることが出来ると思われる。材料の availability から言うとアレ ルギーとか、少なくとも自己免疫疾患ではエピジェネティクスが起きることが分かっているので 血液あるいは骨髄では将来性が高いと思われる。 ・ 脳での異常を骨髄の末梢血で調べることが出来る可能性がある。やってみなければ分からな いと言った段階であるが、調べて見る価値はある。 ・ 病理組織学的にまだ異常がない段階でもゲノムは疲れているので、例えば、特定の遺伝子が メチル化されるのは実際のデータとしてある。組織学的には異常がなく他のマーカーにも異常が なくても、エピゲノムは変わっているという状態はある。 (4) 検出感度 以下の意見、見解が紹介された。 ・ バイオプシーで採れる組織量は少ないが、胃がんの場合は他の方法と比べて十分競争出来る 程度にリスク診断ができる。ゲノムの疲労で将来の疾患が起きるが、疲労度がエピゲノムの変化 として容易に検出できるのだと思う。ただ、胃がんのリスクが高いと分かっても、どういう胃が んが出てくるかとか、絶対出るかどうかは分からない。その場合は、存在診断をきちんとやり、 がん特異的な異常をきちんと高感度に検出する必要がある。 (5) 診断の信頼性 以下の意見、見解が紹介された。 ・ 胃がんの場合、胃の萎縮を内視鏡で見て、胃の粘膜がどれ位荒廃しているかを見るのが一つ のリスク判断である。また、血清中のペプシノーゲンを測っても萎縮の程度が分かる。これらの 臨床で既に使われているリスクマーカーと胃粘膜細胞の DNA のメチル化とは相関している。しか し、萎縮の程度が全く同じでも DNA のメチル化が進んでいればやはり胃がんになりそうだと言う 観察結果は出ている。従って、様々なリスクファクターが同じでもゲノムの疲労度をエピゲノム の変化で見ると、将来がんになるかどうかがより正確に分かる。それを本当に臨床で実用化する ためには、最初にまず判定しておいて後で本当にがんが出たかどうかの前向き研究をしなければ ならない。同じようなことを考えている施設は世界に数箇所存在する。日本はこの分野でかなり アドバンテージがある。何故ならば日本には胃がんに興味を持つ人、胃がんの人が多いからであ る。胃がんはエピジェネティクスの非常に大きなターゲットである。 ・ エピゲノムの変化でリスク診断が可能かどうかは、恐らく臓器毎に異なる。胃がんの場合、 非常に強力なリスクファクターはヘリコバクターピロリ菌感染で、ヘリコバクターピロリ菌感染 は DNA のメチル化異常を強烈に誘発する。しかし、他のがんでは、エピジェネティクスの関与が 大きいか小さいは異なる。 63 ・ 肝臓がんの非がん部に肝硬変が大抵存在するが、肝硬変の時点から特定の遺伝子及び繰り返 し配列の過剰メチル化が起きていることが分かっている。肝臓がんのリスクがない肝臓として大 腸がんが肝臓に転移した場合の肝臓を解析すると、DNA メチル化は極めて少なく、肝臓がんの非 がん部の方が圧倒的に DNA メチル化は多い。症例数が限られてしまうが、それははっきりとデー タに出ている。 ・ 今まで出来なかったことに対して、果たして何が出来るかとの視点がまず必要である。サン プリングは確かに非常に厳しいと思うが、今までの血液中のマーカーと病気の発症機構が色々リ ンクしてくると更に検査の精度が上がっていく方向性を作れる。 (6) 解析機器、その他について 以下の意見、見解が紹介された。 in situ 解析でもエピジェネティクス修飾があれば良いが、光学顕微鏡だけではなくバイオ ・ ロジーの工夫と両方あいまって可能性が出てくる。それに関する深い討議の機会を設けるかはデ ィスカッションが必要である。 ・ 今使われている 5-Aza シチジン等はもともと DNA 合成阻害剤として使われ、後に DNA メチル 基転移酵素の阻害剤として使われている。どっちの効果を見ているかは実は分かりにくいところ がある。 ・ 細胞の中で見ると、DNMT1 をノックアウトしても決して DNA のメチル化がゼロにはならない。 一方、組換えタンパクを作って in vitro の酵素実験で DNA のメチル化解析を他の要素がない状態 で見た場合には起こらない。細胞の中では 1 だけが働いているのではなく、1 と 3a 等いくつかの 組み合わせになって働いている。必ずしも 1 あるいは 2 がなくなると全部死んでしまうことはな い。 ・ 特異的なインヒビターがあると、逆に、ある現象、病気、遺伝子領域が分かってくるという フェーズがある。初期の HDAC 阻害剤は DNA 合成阻害剤として捉えられてきたが、DNMT1 はそうで はない。メチル化阻害剤を使って、メチル化がどうなっているかを全く見ないで、効く効かない を見るアプローチがある。 (7) 事務局説明 事務局として以下の意見、見解が紹介された。 ・ ターミノロジーについて ターミノロジーがまだはっきりしていない、もちろん定義もそうである。エピジェネティクスの 言葉が主導しているが、エピゲノミクスと言う概念がある。これは、ファーマコゲノミクスとフ ァーマコジェネティクスとの関係に似ている。ファーマコジェネティクスは古くからあった言葉 64 であるが、この二つのターミノロジーを巡って FDA や NIH が各々意見書を出すことによって混乱 をきたしたが、言葉の概念的にはファーマコゲノミクスの方が大きく、ファーマコジェネティク スはその言葉の定義の内側に入り、ファーマコジェネティクスはファーマコカイネティクスとフ ァーマコダイナミクスと定義づけられた。エピジェネティクスの言葉もいずれ世界的に概念の統 合がされると思う。 ・ 保存サンプルの利用について 患者さんのがん組織のストックを使ってエピジェネティクスの研究を進める場合、保存している 間の変異 (メチレーション) の問題と倫理問題が生じる。倫理問題では、倫理指針のインフォー ムドコンセントの対象にエピジェネティクスが入るかどうかの問題がある。対象になると過去の 保存されているサンプルを使用することは出来なくなる。新たにポピュレーションスタディを行 うと、多大な年月と費用を要するので、研究を進める方法論自身をどの様に考えていくかが重要 なファクターになる。 ・ バイオマーカーとしての DNA メチル化プロファイル バイオマーカーとしての DNA メチル化プロファイルはあくまでもプロファイルなのでモレキュラ マーカーの様にはっきりと分かっているものではない。多分 IT ソルーションでバックアップし ないと実施できないだろう。バイオマーカーとして、つまり社会の中で検査、診断に普及して行 く全体のプロセスとして社会的に認証を得ていく可能性があるかどうかについて議論して行く必 要があると思う。 (8) 今後の講師選定等 第 2 回は中尾、豊田、金井、梅原各先生にご講演頂くが、がんと言う視点で見た時に、追加すべ き先生があれば推薦して欲しいとの委員長の要望に対して、造血器腫瘍、特に AML(急性骨髄性白 血病)に対するインヒビターで効果がある、造血器腫瘍は比較的サンプルを採りやすいので造血器 腫瘍の先生を加えてはどうかとの意見が出された。 また、下記の意見、見解が牛島委員長から紹介された。 ・ 臨床でエピジェネティクスを深く理解している先生は日本には余りいない。国立がんセンタ ー中央病院の小林幸夫先生が 5-Aza の治験も考えている。 鳥飼勝行 (横浜市立大医学部附属市民 総合医療センター)先生もやっているが、エピジェネティクスの薬を作ると言うよりも今まで抗が ん剤を試してきた延長線上で一つ試してみと言う位置づけに近い。臨床の先生がどの様に考えて やっているかと言う意味で参考になる。 ・ 我々が意外に知らない考え方やロジックが動いているかもしれない。薬の使い方の話になる と、薬が効く患者に使うことが必要になるが、例えば、ハーセプチンの場合、Her2 の増幅がない 乳がんの患者にハーセプチンを使っても効くわけがないのであって、エピジェネティクスはその 関与がある患者さんに適切に使うところまで臨床治験の方々も考えて欲しい。NEDO の TR などで もそういうことをやって頂いたほうが良いかも知れない。 65 ・ 次回の講師については、第 3 回、4 回は全くオープンで、第 5 回ではある程度、委員とかオ ブザーバーでコンセンサスなり提言なりに持っていきたい。第 3 回、4 回で疾患、エピジェネテ ィクスの基本的なマシナリーと言うことで、田嶋先生、眞貝先生、岡野先生、生田先生、ゲノム 解析で油谷先生の名前があがっている。鈴木先生は豊田先生と重複するので省きたい。人でも良 いが、こういう分野で議論を深めた方が良い言うところがあればお願いしたい。 上記に対して以下の意見、見解が述べられた。 ・ 議論の関係で診断だけがクローズアップされている感じがするが、診断だけをクローズアッ プすることはない。エピジェネティクスのメカニズムでよく分かっていないところがあるので、 むしろそこをきちんと見ていく必要がある。そこから診断が出てきて、色々なところへ出口が出 てくるのではないかと思う。エピゲノミクスは一つの切り口であって、エピゲノムだけを見るの ではなくて、今までに貯まってきた色々な知見と融合しなければならない。 ・ エピジェネティクスの重要性が分かって色々な事象が出てきているけど、実際に何故とか、 どこでとかの研究を進める上では、研究ツールがまだまだ不足している状態だと思う。必要な技 術がおぼろげに分かってきたところで、それに類する技術を持っている人を連れてこないと、新 しいコンセプトで解決する技術を持っている人を連れてこられないと思う。エピジェネティクス に使えそうな技術というところで評価して、自分が持っている技術と相手の技術をマッチングさ せるための議論が必要である。そのために、2 回、3 回のところで色々な研究の現状とかその分野 でのホットなトピックスを話してもらうと良い。 ・ まだエピジェネティクスではどんどんデータが出ている状況なので、エピジェネティクスと して基本的なこととして何が分かってきているかを明らかにする回も是非設けたい。エピジェネ ティクスをやっていない人の技術をコンバインすることでブレークスルーが出来るかもしれない。 ・ NIH ロードマップの中でデータベースについて話があった。インフォマティクスの関係でお 話できる先生をお願いしたい。 ・ Small RNA とエピジェネティクスの関係、small RNA の検出技術でもお願いしたい。 ・ ショウジョウバエにまで拡げてよいか? ・ 調査委員会の基本は遠い目で産業応用である。 ・ 例えば、捉えるエネルギーとして光以外で各社色々な技術を持っているので、逆にこんなも のを測りたいと言う要望があればオリンパス、日立、島津さんで講師を人選することが出来る。 ・ 島津さんの脳の表層のイメージング、精神疾患の場合バイオプシーは難しいとの話があった が、別のエネルギーを使った、分子イメージング(MRI)、PET 等もある。 66 以上の意見を踏まえて、委員長と事務局と相談し、講師候補のたたき台を作って次回で紹介する ことにした。 5. スケジュールの確認 資料 5 によりスケジュールを確認した。 67 3-4.まとめ 1) エピジェネティクスと疾患 ① エピジェネティクスによって引き起こされる疾患 ‐ 生まれた時からの異常(発生分化時に起こったもの)と、大人になる過程で起こる異常(環 境因子による生理的変化、病気、加齢等による)に大別される。 ‐ 更に、ピジェネティクスの制御システムの異常と、ある遺伝子の活性化や不活化の機序にエ ピジェネティクスが関係しているものの異常に分類される。 ② エピジェネティクスの産業応用 ‐ 診断分野: がんの存在診断、性質診断、リスク診断など ‐ 治療分野: DNA 脱メチル化剤、ヒストン修飾干渉剤などの薬剤による治療 ‐ 予防分野: 薬のみならず食品などによる予防 ‐ 解析技術分野: ゲノム網羅的な解析技術、高精度な DNA メチル化定量解析技術、in situ、 in vivo での修飾解析技術などの提供 今後の課題 z 高精度なメチル化定量解析技術の開発 z 正常なエピジェネティクスとは何かの明確化 z エピジェネティクス活性物質の探索 z エピジェネティクス異常を誘発する要因、機序に関する個別研究 など 2) 細胞・組織特異的 DNA メチル化プロフィール ‐ 細胞の定義、正常細胞と異常細胞の評価、細胞の経歴と可能性の予測、胎児型と成人型遺伝 子の制御の区別、遺伝子の on、off のシグナル、ゲノム修飾情報などが明らかとなる。 今後の課題 z ゲノム網羅的な解析による各細胞や組織における正常、異常のデータベ-ス化 z エピジェネティクス制御因子、エピジェネティクスが影響を及ぼしている遺伝子の同定 3) エピジェネティクスとリプログラミング ‐ DNA のメチル化やヒストンのアセチル化、メチル化等により分化した細胞も、リプログラミ ングすることで再び多能性を持つことができる。 ‐ ES 細胞や生殖細胞等は分化した細胞をリプログラミングする優勢な因子を持っている。 今後の課題 z ゲノム網羅的なエピジェネティック変化の情報集積やエピジェネティクスのクロストーク・ ネットワーク解析によるリプログラミングの機序、関与するプレイヤーの解明 68 4)エピジェネティクスのケミカルバイオロジー ‐ エピジェネティクスは遺伝子の on、off を酵素反応によって司っており、これらの酵素反応 を制御する低分子化合物は DNA のメチル化やヒストン修飾を制御でき、低分子化合物は創薬 のターゲットともなり得る。 ‐ これらの低分子化合物を用いれば、エピジェネティクスによる変化が次世代に伝達される機 構など、メカニズムの解明にも繋がる。 今後の課題 z エピジェネティクスを対象とした創薬のターゲットとなる低分子化合物のスクリーニングや メカニズム解明などの基礎研究は米国などに比べて引けを取らないが、化合物の創薬への応 用開発が遅れている。 5)エピジェネティクス解析ツールについて ‐ 市販されている機器の解析原理: Bisulfite 法、制限酵素法、免疫沈降法 (エピジェネティクス解析は DNA のメチル化解析がメイン) ‐ 解析方法: マイクロアレイ、マイクロプレート、電気泳動 ‐ 検出方法: 蛍光強度測定、化学発光測定、質量分析 等 今後の課題 z 高感度化、高精度化によるシングルセルの解析やゲノム中の特定の遺伝子の特異的領域のメ チル化を検出する機器の開発 z 分子イメージングのエピジェネティクス解析への応用 z 蛍光を増強するプローブの開発(この分野の開発主体は蛍光試薬) 6)エピジェネティクスと創薬 ‐ エピジェネティックな変化は、遺伝子配列変化の前に起こり、その変化は可逆的であるため、 薬剤による制御が可能で、創薬のターゲットとなり得る。 ‐ 疾患関連遺伝子や蛋白質の活性化、不活化に関与する化合物は早期治療の薬剤となる。 今後の課題 z 薬剤を投与した時にエピジェネティクスな変化を見るためのスクリーニング系の開発 z 薬理エピジェネティクス解析法の確立 69 第4章 第 2 回調査委員会(がん、創薬とエピジェネティクス) 4-1.議事次第 第2回 エピジェネティクス調査委員会 議事次第 開催日時: 平成 19 年 11 月 14 日(水)13:30-18:00 開催場所: 国立がんセンター研究所 1 階 セミナールーム 議事次第: 1. はじめに ・ 第 1 回委員会議事録の確認 ・ 配布資料確認 2. 第 3 回以降の方向性について 3. エピジェネティクス研究開発動向等発表 (1) エピジェネティクスによる医学・生命科学と産業の接点 熊本大学発生医学研究センター 再建医学部門器官制御分野(大学院医学教育部) (2) 血液内科 氏 医長 小林 幸夫 氏 講師 豊田 実 氏 エピジェネティクスを指標とする発がんリスク診断とがんの個性診断 国立がんセンター研究所 (5) 光善 がんにおけるエピジェネティクス研究の新展開‐分子機構と臨床応用‐ 札幌医科大学内科学第一講座 (4) 中尾 エピジェネティック治療の現状と課題 国立がんセンター中央病院 (3) 教授 病理部 部長 金井 弥栄 氏 立体構造からのアプローチ:エピジェネティクスの制御にむけて 理化学研究所 ゲノム科学総合研究センター タンパク質基盤研究グループ 上級研究員 梅原 崇史 氏 4. 質疑応答、まとめ ・ 5. 第 3 回以降の講師について その他 ・ スケジュールの確認 以上 70 4-2.発表記録 1)エピジェネティクスによる医学・生命科学と産業の接点 講師: 熊本大学発生医学研究センター 教授 中尾 光善 氏 1.はじめに エピジェネティクスに関する我々の研究成果に基づき、基礎研究とその応用としての産業化とい う観点から今回の講演を行う。 エピジェネティックな生命現象の基本的な概念として、ひとつの個体内では、多種多様に分化し た体細胞、未分化な幹細胞、異常な場合のがん細胞などは基本的に同一のゲノムを有しているが、 その形態や機能は驚くほどに異なっている。同じゲノムに存在する遺伝子発現のパターンが違う のである。発生の過程を見ると、受精卵が増殖分化することでさまざまな細胞・組織・器官、そ して個体を形成する。個体は時間とともに成長し、そして老化し、時にはがんのような病気を患 う。がんや組織の損傷が起こったとしても、医療や自然に元通りに再生されることがある。また、 個体は次の世代に生殖細胞を介してゲノム情報を伝えるという遺伝という現象がある。これらは すべて、同じゲノムをもつ細胞が質的に異なる細胞に変化するエピジェネティックな生命現象で あると考えられる。 エピジェネティックな生命現象 発生 細胞増殖・分化 組織・器官形成 受精卵 遺伝 再生 がん 生活習慣病 老化 細胞の個性は、エピジェネティクス機構によるゲノム上の遺伝子の選択的活用機構による遺伝子 発現パターンで決まる。通常、分化した細胞群では、全ての遺伝子の 30%程度が発現しているの みであり、残りの発現しない遺伝子は選択的に抑制されている。このような遺伝情報の制御は、 以下に述べるエピジェネティクス機構によってなされており、国際的にエピジェネティクス研究 においてそのメカニズムの解明が重要な研究課題となっている。発生・再生、がんなどの病気、 老化、遺伝という重要な生命現象を解明し、医学的な産業応用を切り開く契機になるからである。 71 2.エピジェネティクスの制御システム エピジェネティックスの制御システムについては、2000 年頃から現在に至るまで、新しい分子や 複合体の発見が相次いでなされている。かなり多様な要素から構成される複雑なシステムではあ るが、大きく 4 つのグループに分けて考えることができる。すなわち、DNA メチル化とその認識 に関わる因子群、クロマチン形成と変換に関わる因子群、ヒストンなどのタンパク質の翻訳後修 飾に関わる因子群、遺伝子の転写調節に関わる因子群が含まれる。これらの因子群が有機的に連 携することで、遺伝情報の制御およびエピジェネティックな生命現象を司る細胞制御がなりたっ ている。 エピジェネティクスの制御シス テム メディエーター PM Lボ ディ S S アセチル化・ 脱アセチル化 酵素 転写調節因子 リン酸化・ 脱リン酸化 酵素 ポリ(ADPリボー ス) ポリメラーゼ S Pol II 基本 転写因子 SUMO化・ 脱SUMO化 酵素 Ac Ac P Ub インス レーター DNAメチル化 酵素 クロ マチン リモデリング因 子 DNA修復・ 組 換え因子 P Ub ユビ キチン化・ 脱ユ ビキチン化 酵素 mH mH タンパク 質 メチル化 ・ 脱メチル化酵 素 RB mC ヌクレオソーム アセ ンブリー因子 mC 機 能的 R NA リン カーヒストン メ チル化DNA結合 タ ンパク質 ヘテ ロクロマチン タンパク質 HMG タン パク質 ポ リコーム・ ト ライソラックス 複合体 ? ? ? ? DNAメチル化 クロマチン タンパク質の修飾 転写調節因子 R NA プ ロセ シン グ因 子 エピジェネティクス機構 による遺伝情報制御 ① DNA メチル化:DNA のメチル化は、正常細胞では外来 DNA、X 染色体の不活性化、クロマチン構 造の変化などに関係する。一方、がん細胞では DNA のメチル化は、がん抑制遺伝子の不活性化、 ゲノム全体の低メチル化、遺伝子の突然変異の三つの変化に関係する。しかし DNA メチル化だ けで働いているわけではなく、メチル化 DNA 結合タンパク質が認識することで遺伝子抑制とク ロマチン形成を行う。 ② メチル化 DNA 結合タンパク質:メチル化 DNA に特異的にタンパク質が結合して、転写不活性な クロマチンを形成する。我々が見出したメチル化 DNA 結合タンパク質 MBD1 はヒストン脱アセ チル化酵素とヒストンメチル化酵素(SETDB1-MCAF1)をリクルートする。その他、クロマチン 構造に関わる因子として、ヘテロクロマチンタンパク質、HMG タンパク質、ヒストンおよびリ ンカーヒストン等が知られている。MCAF1 が広くがん細胞で高発現する広域腫瘍マーカーとし て注目される。 ③ High Mobility Group A(HMGA)タンパク質:細胞のがん化で高発現する HMGA タンパク質が悪 性形質(転移・浸潤)に関わることに注目している。本因子は非ヒストン性の構造的クロマチ ン因子と呼ばれて、HMGA1 および HMGA2 の 2 種類が知られている。HMGA1 は未分化細胞に広く 高発現し、HMGA2 は間葉系未分化細胞に高発現する特徴がある。細胞分化で発現が抑制される 72 が、がん細胞で再発現し、種々の腫瘍組織で遺伝子転座等の変化が認められている。HMGA タ ンパク質を用いた新しいがん診断と治療薬の開発が注目される。 High Mobility Group A (HMGA)タンパク質 ATフ ック I II III 酸性 ア ミノ 酸領 域 HMGA1 107 HMGA2 109 非ヒストン性の構造的クロマチン因子 HMGA1 胎 生 期の 発現 ノックア ウトマウス 過剰 発 現 マウス 腫 瘍と の 関連性 HMGA2 全 胚 葉の 未分 化細 胞で高発 現 間 葉 系の 未分 化細 胞で高発 現 糖 尿 病、心肥 大 造 血 系悪 性腫 瘍(リ ンパ 腫、白血 病) 脂 肪 組織 の低 形成 p igmy p he notyp e 副 腎 髄質 、膵 ラ氏島 細胞 の過 形成 下 垂 体腺 腫、リンパ 腫 副 腎 髄質 、膵 ラ氏島 細胞 の過 形成 下 垂 体腺 腫、リン パ腫 gi ant ph en otype 癌 細胞 (甲状 腺癌 、乳 癌 、リン パ腫 、膵 癌、胃癌 、 結 直 腸癌 など )で発現 浸 潤 ・転移 の悪 性度 に関与 癌 細 胞で 発現 脂 肪 腫、横紋 筋腫 で遺伝 子転 座 細 胞 増殖 に関与 ④ クロマチンインスレーター(ゲノムの境界):ヒトを含む哺乳類のゲノムには 3 万個程度の遺 伝子が存在するが、それらはすべて無意味に散在しているのではなく、ある特定の遺伝子群は 共通の制御機構により発現調節を受ける“染色体ドメイン”を形成して存在する。この機能ド メインの境界はインスレーター配列によって規定され、ドメイン内の遺伝子が周りの影響を受 けず独立に遺伝子発現制御がなされるようになっている。 エンハンサーとプロモーターの間に インスレーターが存在する場合は、 そのエンハンサーはプロモーターを活性化することはない。 これをエンハンサー遮断効果と呼ぶ。またヘテロクロマチン領域の境界にあるインスレーター は、ヘテロクロマチンの拡大を防ぐバリヤー効果を示す。インスレーターは発生・分化、がん 化などエピジェネティックな生命現象における個々の遺伝子の独立した制御を行う重要な役 割を果たしている。インスレーターを用いた治療・産業用のベクター開発が注目される。 インスレーターの2つの活性 クロマチンインスレーター(境界) プロモーター エンハンサー エンハンサー (A) エンハンサー遮断効果 エンハンサー遮断活性 インスレーター インスレーター エン ハ ンサー やプ ロモーター を直接 に阻害 しな い (B) バリアー効果 位置効果の防御活性 不活性クロマチン 不活性クロマチン こ れらの効果の一方または両方をも つゲノム 配列をインスレーター呼ぶ 73 3.細胞核構造とその機能 細胞核内にはさまざまな核内構造が存在し、高度に区画化されている。染色体は転写活性や細胞 環境に応じて核内の特定の場に配置され、世代を超えて継承される。核内構造体の同定が進み、 その構成タンパク質や複合体解析から、転写調節における役割が明らかとなってきた。これによ りクロマチン構造よりもさらに高次元レベルでの核内構造による転写制御機構の存在することが 証明されてきている。いくつかの核内構造体タンパク質の変異はヒト疾患・病態をもたらし、そ の分子機構が注目されている。 エピジェネティクス制御システムの因子群は、基本的に細胞核内に位置している。ヘテロクロマ チン部とユークロマチン部からなる染色体テリトリー、染色体間スペースとして、PML ボディー、 カハールボディー、核スペックル(クロマチン間顆粒群)などが知られている。現在未知の核内 構造体も数多く存在するものと推測されている。がん、神経疾患、感染症、発生異常、早老症で は、細胞核構造の変化を認めるとともに、核構造タンパク質をコードする遺伝子に変異が認めら れている。細胞核構造は疾患の診断や予後判定に新たな道を開くものである。 細胞核構造 カハー ルボディ ク ロマチン間領域 PMLボ ディ ー 染色 体 テリ トリ ー ジ ェム (ヘ テロクロマチン部) (ユ ークロマチン部) 核スペッ クル (クロマ チン 間顆粒群) 核マ トリクス 核膜 核 ラミナ 核 膜孔 複合 体 Sam68 傍 核小体コンパートメ ント (PN C) 核 小体 セント ロソー ム がん、神経筋疾患、感染症、発生異常、早老症と関連 4.PML タンパク質と核内ボディー形成 転写調節センターである PML ボディーの中核を占める PML タンパク質は RING、B1、B2、Coiled-coil の各ドメインから成り立つ。このタンパクは以下のような機能を有することが明らかになってい る。 ① 急性前骨髄性白血病のがん抑制タンパク質である ② 細胞応答(ウイルス、インターフェロン、重金属、ストレス)に関わる ③ 細胞の増殖分化、アポトーシスに関与する ④ PML ボディーの形成(PML タンパク質の SUMO 修飾)で特徴づけられる ⑤ いくつかの白血病・固形腫瘍で PML ボディーの低形成が認められる 74 PML ボディーを用いた新しいがん診断と治療薬の選択法が注目される。 PMLタンパク質 RING B1 B2 Coiled-coil 633 ?急性前骨髄性白血病の癌抑制タンパク質 ?細胞応答 (ウイルス、インターフェロン、重金属、ストレス) ?細胞の増殖分化、アポトーシスに関与 ?PMLボディーの形成 (PMLタンパク質のSUMO修飾) ?白血病・固形腫瘍でPMLボディーの低形成 p53 CBP Pol II Daxx S S PML S SRF RB HDAC PMLボディー (転写調節センター) S: SUMO, 他は転写調節因子 5.細胞レベルから個体レベルのエピジェネティクス これまでは主に細胞レベルのエピジェネティクスの変化について解説したが、エピジェネティク ス変化は個体レベルで起こるものである。一卵性双生児の大規模スタディーで示されるように、 出生後に生じる個体差(古くは体質と呼ばれるもの)の違いは、環境によるエピジェネティクス の変化によってもたらされる。 エピジェネティクスの特徴は、正常から異常まで連続的であることである。例えば、30 才代以前 は個人差(体質)を作る時期であり、病気の予防が重要な時期である。40 才代には、エピジェネ ティクな異常が検出可能となり、病気の早期診断が可能な時期となる。50 才代以降は、エピジェ ネティクスの変化が顕著になり、疾患発生および治療を要する時期となる。エピジェネティクス 検査は、疾患の予防、診断、治療・予後判定に有用である。 6.エピジェネティクス医科学 現在の医学・生命科学は、専門化・細分化されることで深化してきたが、これからの医学・生命 科学を推進するためには、その統合的な理解が必要であると考えられる。発生・再生、がんなど の疾患・病態、遺伝などのエピジェネティックな生命現象を共通の観点から考察することが必要 であり、エピジェネティクスはその共通基盤となり得る。ゲノム上の選択的な遺伝情報活用の基 本原理、生命現象(生理と病態)のメカニズムの解明、ヒト疾患の診断・治療の新規技術の開発 が主なポイントであり、これからの若手研究者育成にも重要な内容である。エピジェネティクス 医科学は新しい共通学問領域として注目される。 7.エピジェネティクス研究の解析技術 エピジェネティクスの重要性が明らかになるにつれて、解析する技術も飛躍的に進歩してきてい 75 る。Bisulfite によるシトシン変換法、クロマチン免疫沈降法(ChIP)、クロマチン免疫沈降法と アレイ技術を組み合わせて、特定なクロマチン因子が結合するゲノム上の位置、DNA メチル化お よびヒストン修飾状態を明らかにする方法(ChIP-on-chip)が開発されており、今後、より一層 の発展が期待される。Chromosome conformation capture (3C) による三次元クロマチン解析、 3C on Chip (4C)という時空間クロマチン解析も考案されている。細胞核内構造について、核内分 子の可視化による計測やモデル化も可能になってきている。エピジェネティクス解析技術の開発 が医学・生命科学の推進のために有用である。 8.質疑応答 Q-1.CTCF インスレーター結合タンパク質について、 ケミカルにより阻害することはありえるか? A-1.候補物質はありえる。 Q-2.MCAF1 はどのタイプのがんに関与するのか?また診断への応用はあるのか? A-2.進行がんとともに、前がん病変も対象となり得る。早期診断に役立つ可能性がある。 Q-3.HMGA の解析系はがん治療剤のスクリーニングに使えるか? A-3.HMGA の解析系をスクリーニングのアッセイ系に用いることが可能である。 Q-4.MCAF1、HMGA はクロマチン因子のどのレベルの変化か?それは原因なのか結果なのか? A-4.転写レベルがアップしている変化である。 Q-5.インスレーターについて、核膜孔との関連は? A-5.強くは関連していないと思われる。 Q-6.c-fos 遺伝子の発現のタイミングが変わることの意味は? A-6.PML ボディーに関係していると考えられ、細胞応答の感受性と考えられる。 Q-7.PML ボディー周辺は転写レベルが高いが、c-fos 以外にも発現に影響する遺伝子は? A-7.HLA 遺伝子座である。 Q-8.細胞核構造の解明がエピジェネティクスの総合的理解につながると考えられるか? A-8.エピジェネティクスと細胞核構造は密接に関連している。 Q-9.細胞核構造の三次元解析はどの程度まで明らかになっているのか? A-9.まだ十分なレベルではない。エピジェネティクス研究の産業化への契機になりうる。細胞 核内の可視化は重要であり、新たなイメージング技術の開発が鍵になる。 76 2)エピジェネティック治療の現状と課題 講師: 国立がんセンター中央病院 血液内科 医長 小林 幸夫 氏 1.はじめに 血液内科は、サンブルとしての血液を入手できる利点があり、エピジェネティクスを標的とした 薬剤の臨床開発にも携わっている。 2.Epigenetics を標的とした薬剤 エピジェネティクスを標的とした薬剤としては、以下が知られている。 ① ヒストン脱アセチル化阻害剤 SAHA(Vorinostat) ② DNA メチル化阻害剤 5-azacytidine Decitabine エピジェネティクスを標的とした治療は、薬剤の合成としては、1960 年代のものも存在している が、1980 年代に分化誘導療法として細胞株で検討された。その後、分子基盤が解明され、再度脚 光を浴びた治療法である。 3.SAHA(suberoylanilide hydroxamic acid) ・ DMSO などの毒性化合物を改良したもので、trichostatin がマザー化合物である。 ・ 皮膚 T 細胞性リンパ腫の適用で、それまでに薬がなかったことから、2006 年に FDA の承認を 取得している。 ・ 米国ではメルク社が販売しており、日本では萬有製薬が第 1 相試験を終了させている。 ・ 経口薬であり、比較的使い易い薬である。HDAC-like protein への結合によるヒストン脱ア セチル化の阻害が作用機序である。 ・ 第 1 相の毒性試験は、用量増量試験として、以下の 4 レベルに設定され、14 日間連続投与、 7 日間休薬、3 週 1 サイクルのプロトコールで行われた。 レベル 1 100mg×2 レベル 2 200mg×2 レベル 3 300mg×2 レベル 4 400mg×2 ・ 試験を止める基準としての DLT(Dose Limiting Toxicity)は、何が副作用なのかを予測し て、あらかじめ以下のように決められていた。 5 日間以上の grade4 好中球減少 Grade3 以上の「好中球減少を伴う感染」 輸血が必要な grade3 以上の血小板減少 Grade4 以上の血小板減少 77 治療に反応しない grade3 以上の食欲不振、悪心、嘔吐、疲労 上記以外の grade3 以上の非血液毒性 毒性により 14 日以上服薬不能 ・ 用量の決定は、以下のように行われた。 MTD(Maximal tolerated dose):1 コースにおける DLT が 3 例中 3 例、または、6 例中 3 例に出現 したレベル。MTD が出現した 1 つ下のレベルで用量を設定する。 MAD(Maximal acceptable dose):800mg まで試験を行っても MTD が決定しない。 ・ 実際の試験結果 血液毒性(すべてのコース) 事象 total Grade3/4 貧血 7 白血球減少 6 血小板減少 5 2 好中球減少 4 3 非血液毒性(すべてのコース) 事象 total Grade3 食欲不振 7 1 高血糖 7 下痢 6 嘔気 6 低カリウム血症 6 タンパク尿 6 1 結果 1例 1 サイクル中に PD のため、評価不能 9例 評価可能 ・ レベル 2 で、1/6 例で grade3 の食欲不振、低カリウム血症 ・ 海外では 300mg は MTD 以上との結果が確認されたので、200mg が MTD との設定を反映させて、プロトコールをレベル 1 と 2 とのみに変更 ・ MTD まで到達していない段階で MAD として 200mg ゆっくりと効いてくるという印象で、投薬を止めると急に悪くなる。 効果 奏効率 40%(4 例) 2CRu+1PR(濾胞性リンパ腫) 1CRu(マントル細胞腫) 78 奏効期間 1 例で 6 ヶ月(濾胞性リンパ腫) ヒストン H3 アセチル化 200mg 群で 1.8 倍 4.Decitabine と 5-azacytidine 1) 概要 ・ 共に低メチル化を誘導する薬剤 ・ 1960 年代に代謝拮抗剤として合成されたものの 1 つである。 ・ Decitabine と 5-azacytidine では、多少特異性に違いがある。Decitabine は DNA に特 異的であるのに対して、5-azacytidine は、DNA だけでなく RNA にも取り込まれる。 ・ Decitabine と 5-azacytidine は、多少作用点が異なっている。共に tumor suppressor gene に作用して、メチル化を解除する。 2) 5-azacytidine の承認 ・ 5-azacytidine は血中で代謝され、DNA、RNA に取り込まれる。 ・ 5-azacytidine(Vidaza)は、これまで有効な薬がなかったが、2004 年に、MDS RA(輸血 が必要)、RAEB、RAEB in T、CMMoL を対象疾患として、2004 年に FDA にで承認された。 ・ 米国ではベンチャー企業の Pharmion 社が販売しており、日本では日本新薬が開発してい る。 ・ FDA の承認のもととなった米国で CALGB での比較試験では、CR(完全寛解)7%、有効 ・ (PR=Partial Response)16%、改善 37%で、60%に有効であった。 ・ 欧州での比較試験は、200 例の大規模で行われており、結果は今度の米国の学会で発表さ れる予定である。 3) Decitabine の承認 ・ MDS で 2006 年に承認された。点滴静注剤である。 ・ 米国では、MGI Pharma 社が販売しており、日本ではヤンセン(J&J)が開発している。 ・ FDA 承認のもとになった米国での比較試験の結果では、全奏効率(CR+PR)17%、奏効ま での期間 93 日(55 日~272 年月日)、奏効期間 288 日(116 日~388 日)であった。 4) 日本での Decitabine と 5-azacytidine ・ 5-azacytidine は、2007 年 11 月、フェーズ 1 開始 ・ Decitabine は、2007 年時点でフェーズ 1 の計画を検討中 ・ いずれも未承認薬使用問題検討会議で早期開発が望ましい等の検討結果が得られており、 数例の臨床試験での承認になる見込みで、薬物動態と毒性評価のみになるものと予想さ れる。 5.薬剤開発の問題点 ・ 診断法と新薬開発は一体である。 [実例] PML-RARA ベサノイド Ph グリベック CD20 リツキサン EGF 変異 イレッサ T3151Ph MK457 79 ・ Epigenetics を標的とする薬剤に関しても、何が効いているのかを知ることは重要であり、 薬の開発だけでなく、一体となった診断法の開発も必要である。 ・ 新検査法の導入遅滞は、保険採用分での需要減少、保険外(検査センター)での需要減少も あり、日本の課題である。更に、費用負担の問題も課題となっている。 ・ 検査試薬の保険承認では、日米の違いが大きく、米国では、薬剤と検査薬が同時に許可され る例も出現している。このままでは、日本はますます置いてきぼりになる懸念がある。 6.質疑応答 Q-1.臨床試験の時に血液は保存しておられると思うが、骨髄も保存しているのか? A-1.骨髄も可能であれば採りたいと思っている。MDS の場合は、分化誘導で細胞の形態が変わ ってくるので、何が起こって、何が変わったのかを知る上で必要であると考えている。ただ、実 際にやるには課題があり、検討中である。 Q-2.診断法と医薬品開発の一体化は重要な問題だと思うが、エピジェネティクスの場合、どん な疾患に効くかの POC がなかなかとれない。何故 MDS を最初にやったのか情報があるか? A-2.代謝拮抗剤として開発された歴史があるので、ある程度効くことは分かっていた。ゆっく りと効いてくるので固形がんに使う場合は再発予防薬的な使い方になるのではないか。 Q-3.脱メチル化剤の場合は、単独よりも何かとの併用の方が良いものと思うが? A-3.併用療法としての上乗せ効果については考えている。 Q-4.エピジェネティクス・ドラッグを疾患の予防に使うという考え方もあるものと思うが、毒 性の点で問題があるか? A-4.普通の抗がん剤に比べて著しい副作用もなく、比較的使い易い薬であり、飲み薬として使 えるかどうかが課題であろう。 Q-5.効くメカニズムは、サイレンシングを外すことだと考えてよいか? A-5.当初はそう考えられていたが、必ずしもそうではないということが分かってきた。 Q-6.臨床医から見た将来の展望は?エピジェネティクスの情報が細分化されて行くと、狙い撃 ちできるようになるのか? A-6.実際何が効くかは知りたいところである。抗がん剤の多くは患者に効かず毒物になるケー スも多い、将来的には、検査方法も一緒に開発し、薬を開発する側が取り組んでいくべき課題で あろう。 Q-7.既知の経路を介さないエピジェネティクス・ポイントのようなものがあるのか? A-7.ゲノムワイドに見るとトランスクリプトームで見ているのはごく一部の世界のように思わ れる。 80 3)がんにおけるエピジェネティクス研究の新展開 講師: 札幌医科大学内科学第一講座 講師 豊田 ‐分子機構と臨床応用‐ 実 氏 1.はじめに 大腸がんに関しては、15~20 年前には、ジェネティックな異常の蓄積により引き起こるとされ てきたが、これは限られた遺伝子に言えることで、全てのフェノタイプについて説明をするため には不十分であった。このため、この 10 年くらいでエピジェネティックな解析が進められてきて いる。このようにがんのエピジェネティクス研究はかなりの部分で進んできたが、まだまだ解決 すべき問題点が残されている。そのなかから、以下の 4 つのテーマを念頭に述べる。 ・ DNA メチル化により不活化される遺伝子のがん化における役割 ・ DNA メチル化により不活化される遺伝子の総数や個々の症例におけるメチル化のプロファイ ル(ゲノムワイドな解析法を用いて) ・ 異常メチル化がおこる分子機構 ・ 診断・治療などの臨床応用における最新の展開 2.エピジェネティックな異常のがん化における役割 がんと DNA のメチル化の関連が最初に明らかになったのは、家族性がんの抑制遺伝子が、散発 性がんでは遺伝子変異ではなくメチル化により不活化されているというものであった。次に、Cell Cycle チェックポイントやアポトーシスといったような、がんで変異の無い遺伝子がメチル化し ているものであった。また、われわれは APC, Wnt が不活化されているにもかかわらず、Wnt シグ ナルを負に調節している SFRP がメチル化により不活化すると、Wnt が活性化してがんに至るとい う経路を報告してきた(図 1)。さらに、大腸がんでは、βカテニン、APC の変異は Wnt 経路や TCF/ βカテニンの活性化を誘導するが、既にこれらの遺伝子に変異のあるがん細胞に対して、外から Wnt の阻害剤(この場合 SFRP)処理を行った場合、Wnt の活性が抑制された。このように、エピ ジェネティックな変異によりもたらされる異常はその正常化により遺伝子変異のある細胞であっ てもフェノタイプを戻すことに有効であるということが示された。 図1 81 エピジェネティック異常とジェネティック異常を統合して考えると、おそらくがんにおいて APC、 βカテニン、K-ras で遺伝子変異が起こるとすぐに(急に)がんになるのではなく、なにかしら のチェックポイントが働いて細胞ががんにならないように排除している仕組みがあると考えられ る。最近では、加齢や環境による発ガン物質の暴露で APC や K-ras(チェックポイントの部分) を負に制御しているような遺伝子が幅広くメチル化している粘膜で遺伝子変異が起こると、細胞 死にならずにがん化していると考えられている(図 2)。 図2 特に p53 はヒトではがんにおいて最も高頻度で遺伝的変異が起きている遺伝子である。この p53 のゲノムワイドなアプローチを平成 10 年~15 年の NEDO のプロジェクト「ヒトゲノム上の p53 の 標的遺伝子を全て明らかにする」で解析を行った。その結果、約 400 万の標的遺伝子(1 つ/1k b)の候補が挙がり、さらにマウスとの比較ゲノム解析により実際に働いている遺伝子を見出し た。このデータベースを用いて、メチル化で不活化されることの既に分かっている遺伝子との比 較を行うと、メチル化の標的遺伝子と p53 の標的遺伝子が実に良くオーバーラップすることがわ かった。例えば、DFNA5 は本来 p53、p63、p73 で誘導される遺伝子であるが、メチル化により p53、 p63、p73 が不活化されると発現が抑制される。メチル化阻害剤(脱メチル化剤)処理によりメチ ル化を外すことにより発現が高くなる結果が得られた(図 3)。 図3 82 これは、p53 が正常であれば本来発現誘導がかかる遺伝子がメチル化により発現抑制がかかる ということを示している。この場合、ジェネティックな異常は無いので、エピジェネティックな 異常ががん化にかかわるという、がん化とエピジェネティックな異常の関係を表す重要な例とい える。また、p53 遺伝子に異常が無くメチル化で機能が失われているため、メチル化阻害剤で回 復が可能である。ゲノミックな変異だけにとらわれることなくエピジェネティックな変異を併せ て見る必要性が示唆される。 消化器がんのシグナル経路とエピジェネティック異常に関して図 4 に示した。WNT や ras 経路 のように負の制御を行う遺伝子のメチル化、p53 より下流が正常でも、その上流のメチル化によ り機能しなくなる経路や炎症を介したがん化で重要とされる NF-kB を負に制御する CHFR 因子など がみられる。 図4 3.エピゲノム解析から明らかとなったメチル化異常(大規模解析) DNA のメチル化の網羅的解析法として、がん細胞を用いてメチル化阻害剤(脱メチル化剤)と ヒストン脱アセチル化阻害剤(TSA)処理を行い、発現誘導された遺伝子をマイクロアレイで検出 する方法が採用されている。過去に、10,000 遺伝子に対して 74 遺伝子を吊り上げたが、この方 法の問題点は、両方の阻害剤のうちどちらが有効なのかが不明瞭であるということである。この 点を踏まえて絞り込み作業を行うと最終的には 12 遺伝子となった。また、近年では 40,000 スポ ット(約 30,000 遺伝子)というマイクロアレイを用いて解析を行うことが可能となってきており、 脱メチル化処理のみで上昇し、ヒストンのアセチル化処理では上昇しない遺伝子のスポットを囲 い込むことにより(図 5 の円内)、より効率的に DNA メチル化で制御されている遺伝子を見つける ことができる。この結果、標的となる遺伝子はゲノム全体で千~数千と考えられた。13,000 遺伝 子の全ての Exon に関してその遺伝子変異をダイレクトシーケンスで決定した結果が報告されて いるが、これによると 1 つのがん細胞で平均してがんに意味のある遺伝子変異は約 11 個であるよ うである。これに対し、DNA のメチル化は前述のように 100 倍程度の異常を示している点からも、 がんにおけるエピジェネティック変異の重要性が伺える。さらに、ジェネティックな変異ががん に重要である遺伝子をいくつかピックアップして、その遺伝子のエピジェネティック変異(DNA 83 のメチル化)を調べたところ、遺伝子変異は約 10%にすぎず、エピジェネティック変異が 90%を 占めた(図 6)。これは、がんにとってジェネティックな変異による不活化よりもエピジェネティ ックな変異により不活化される方が重要なファクターであることを強く示唆している。 図5 図6 それぞれのがんのプロファイルに関して述べると、最近ではマイクロアレイ、超高速大規模シ ーケンサーの活用によりエピジェノミック変異の網羅的解析がスムースに行われるようになって きた。これらのデータを活用して解析を行うと、CIMP(CpG Island Methylatior Phenotype)陽 性のがんと CIMP 陰性のがんとのおおきく 2 つに分けることができた(図 7)。 図7 また、MSI(Micro Satellite Instability)を考慮すると、hMLH1(ミスマッチ修復酵素)がメ チル化していると CIMP+陽性、hMLH1 が非メチル化だと CIMP-陰性のカテゴリーにきれいに分類さ れた。候補の遺伝子を選ぶ時には、正常細胞でメチル化する(加齢に伴うメチル化など)遺伝子 をマーカーとすると差が出にくくなるので要注意である。がん特異的な遺伝子のみをマーカーと して選択すべきである。 84 散発性大腸がんにおける MSI は CIMP を介して hMLH1 がメチル化してがん化するケースが約 76%、 遺伝子変異によるがん化するケースは 24%という結果も出ており、この点からもがんでは、遺伝 子変異よりもエピジェネティックな変異が重要なファクターであると考えられる。このような考 察が次々に発表され、2006 年には Weisenberger らが新しいマーカーセットを用いることで CIMP を効率よく見つけることができると報告した。繰り返し述べるが、このような解析を行う上で重 要なファクターの一つは、加齢など(例えば高血圧)に伴う正常細胞のメチル化を起こす遺伝子 をマーカーとして選択しないところにある。がん特異的な遺伝子にしぼって選択する必要がある。 ここに、がん特異的遺伝子を選択し、アンスーパバイズド(ヒエラルキア)クラスタリングに よる解析を行った結果を示すが、大腸がんでは 3 つのパタンに分かれることがわかる(図 8)。 図8 ①CIMP 陽性 High であり BRAF、MSI が遺伝的変異を示し、マーカーとなるがん特異的遺伝子の 大部分でメチル化する群、②CIMP 陽性 Low であり K-ras で遺伝子変異が見られるが、マーカーの がん特異的遺伝子ではメチル化がばらばらに見られる群、③CHIMP 陰性であり p53 では遺伝子変 異が見られ、マーカーのがん特異的遺伝子ではほとんどメチル化が見られない群。このような群 に分かれる結果を前にして、今後、発生の経路(起源)を明確にし(おそらくがんのもととなる 幹細胞そのものが 3 つの群で異なる由来のものではないかと推測)、CIMP の有無によるクラスタ リングがどのように診断・治療に応用できるかのストラテジーを確立する必要がある。また、胃 がんに関しては米国ではほとんど解析が進められていない。胃がんのケースでは CIMP 陽性 High の約半数で EBV の陽性という特徴が見られ、EBV 感染を介したがんが DNA のメチル化に関係して いることを示唆するものの、胃がんでは K-ras、BRAF の遺伝子変異はほとんど無く、CIMP 陽性 Low ではメチル化がぱらぱらとなり、大腸のケースほどきちんとした群を形成しなかった。この点で は今後更に解析を進めたい。 z 前がん病変におけるエピジェネティックな異常 CIMP-H(High)胃がんと臨床病理学的因子との多変量解析では、発生部位と組織型と pTNM ステー ジに関連があるといえる。そこで、この炎症タイプの皺襞肥大型胃炎での CDH1 遺伝子のメチル化 85 のレベルとその密度を解析したところ、H.pylori 陰性ではほとんどメチル化のサイトは無いが、 H.pylori 陽性では端のほうからメチル化が連続して起こっているクローンがいくつか見られ、皺 襞肥大群ではほとんどの CpG island がメチル化されたクローンが複数観察された(図 9)。また、 皺襞肥大群では、80%以上の CpG 配列にメチル化を認める細胞数の割合が著しく増加した。 図9 このように、胃炎の進展によるメチル化の蓄積を模式図にすると以下のようになる。通常では ほとんどメチル化サイトが無いが、H.pylori の感染により徐々にメチル化が進展し、皺襞肥大型 胃炎の段階ではほぼ全てのサイトでのメチル化が起こって転写が止まる(図 10)。このモデルを 考えると、メチル化の進展具合で H.pylori の除菌が有効なのか除菌はもちろんであるがむしろ綿 密なフォローアップが必要なのかといった判断基準になりうる。 図 10 4.エピジェネティックな異常の診断・治療への応用 DNA のメチル化を手術材料からでなく調べる機会としては、内視鏡によるバイオプシー(生検) というのが現状であるが、どの場所を採取したかによるばらつきの発生や、アスピリン等を服用 86 している高齢者では出血し易いケースがあるなど問題も多く挙げられる。胃の粘液層中には DNA を含む層があり、胃の洗浄液(胃液ではない:胃液では pH が低く核酸が分解し易い)から DNA を 採取してメチル化の解析に用いる方法を開発し(図 11)、現在特許申請中である。この方法を用 いてがん患者のがん部と非がん部と胃洗浄液と健常人の正常部分と胃洗浄液での MINT25 遺伝子 のメチル化を指標として解析を行い良い結果を得た。高い感度と特異度でメチル化を検出するこ とで、がんの診断に使用可能ではないかと考える(図 12) 。 図 11 図 12 また、2000 年には DNA のメチル化を指標として抗がん剤の感受性を予測する報告があった。こ れは、MGMT(DNA 修復酵素)遺伝子がメチル化するとアルキル化剤に対する感受性が高くなる(こ の遺伝子がメチル化している脳腫瘍細胞には効果がある)という報告である。CHFR 遺伝子は微小 管に傷があると G2→M を止めるというチェックポイント遺伝子であるので、微小管阻害剤を用い ると G2 で Cell Cycle を止めるが、CHFR がメチル化を受けるとこのチェックポイント機能が効か なくなり、微小管阻害剤処理により Cell Cycle が M 期へと進み、細胞死に至る(図 13)。このメチル化により微小管阻害剤の 感受性の変化は、CHFR 遺伝子のメチル化 が docetaxel(商品名タキソテール)を 含むタキサン系薬剤の感受性のマーカー となりうることを示している。その後も 同様の報告が、子宮頸がん、子宮体がん、 肺がんでなされている。 図 13 z 機能性 RNA と DNA のメチル化 miRNA、RNAi のシステムはヒストンのアセチル化、DNA のメチル化に影響がありそうだというこ 87 とで現在ヒト以外の生物(特に植物)で注目されている。一方、DNA のメチル化が機能性 RNA(今 回は miRNA)のサイレンシングに関与しているという観点から報告する。大腸がんの細胞株にメ チル化阻害剤(脱メチル化剤)を用いて遺伝子スクリーニングを行った。miRNA マイクロアレイ では感度の問題があるので、RNA 抽出後、TaqMan® PCR 法を用いて広いダイナミックレンジで解析 を行った(図 14)。 図 14 その結果として、150 の miRNA 中 37 の miRNA を見出し、さらに CpG island が転写領域に関係 している miRNA をピックアップしてメチル化の解析を行った。これらの結果より DNA のメチル化 は CpG リッチな部分で起こり、DNA のメチル化が機能性 RNA または miRNA のサイレンシングに影 響を与えていることが示唆された。また、mir-34b/c、BTG4 の CpG island に大腸がんの臨床例 123 例中 114 例(約 90%)でメチル化が見られたことから診断マーカーになりうると考えられる。こ の mir-34b/c についての実験例を挙げ、がんにおける miRNA のエピジェネティックな異常を以下 のように図示する(図 15)。 図 15 miRNA を介するがん化のモデルとして 2 つの経路を提唱。一つは、DNA のメチル化により miRNA の発現が抑制されるとターゲットのがん遺伝子のサイレンシングも抑制されて発現が上昇する。 88 もう一つのモデルは、DNA の脱メチル化により miRNA の発現が上昇し、ターゲットのがん抑制遺 伝子のサイレンシングが起こり、翻訳が抑制されるというものである。このように、今までは脱 メチル化により発現の上昇する遺伝子に注目してきたが、miRNA を介した系では逆に発現の抑制 のみられる遺伝子にも注目する必要がでてきた。 z RNAi システムと DNA のメチル化 Dicer を介した small RNA が DNA のメチル化を誘発しているという報告が植物でなされている。 哺乳類では RITS complex は見つかっておらず、かわりにマウスでは piRNA(piwi-interacting RNA) が DNA のメチル化に関与しているとの報告があるが、いまのところがんに関して RNAi システムが DNA のメチル化に関与するというエビデンスは得られていない。ヒトのがんにおける遺伝子サイ レンシングに RNAi は関与するのであろうか、ということで、DICER ノックアウト株を作出し、SFRP (がん抑制遺伝子)の発現回復実験を行った。SFRP1 と SFRP2 では脱メチル化により発現が回復 したが、SFRP4 では DICER をノックアウトしただけで発現が回復した (脱メチル化は関係なく)(図 16)。 図 16 これは、SFRP4 が DNA のメチル化のみで制御されているのではないことを示唆する。また、DICER ノックアウトの状態でさらに脱メチル化処理を行うと、強烈に脱メチル化が起こった。このこと から、DICER でプロセスされる何らかの機能性 RNA が DNA メチル化のメンテナンスに重要である ことが示唆された。そこで、DICER ノックアウト細胞株で発現の変化している遺伝子で miRNA の 発現解析、DNA メチル化の解析を行ったところ、かなりの遺伝子で DICER ノックアウトのみで発 現が上昇していることが分かった。また、いくつかの遺伝子では SFRP4 と同様にプラス脱メチル 化処理によりさらに発現が上昇し、RNAi システムと DNA のメチル化が協調して作用していると思 われる遺伝子の一群が示された。 DNA メチル化が機能性 RNA 特に miRNA のサイレンシングに影響するような DNA のメチル化が RNA を制御するシステム、逆に RNAi により RNA から DNA のメチル化を制御するシステム、ヒストンの 89 メチル化が EZH2 (ヒストンメチル化酵素)ががんで高発現することでサイレンシングされる(DNA のメチル化を介さずにヒストンのメチル化で制御される)因子を見出しており(図 17)、今後研 究の進む分野であると考えられる。 図 17 5.質疑応答 Q-1.DICER のノックアウトに関して? A-1.完全にノックアウトせずに、ヘリカーゼドメインを除いたハイポモルフィックなものであ る Q-2.DICER のノックアウトで発現の上昇する SFRP4 に関して、マッピングされるスモール RNA は存在するのか? A-2.データベースで見ると、転写開始点前後に、センス、アンチセンスの短い RNA がマップさ れる。これらは miRNA ではないと考えられるが 20-30bp でサイレンシングに関与していると思わ れる。また、DICER ノックアウトでプロセスされないスモール RNA もあると思われるので、大規 模高速シーケンサーでの解析に興味がある。 Q-3.DICER ノックアウトで発現の上昇する遺伝子はがん特異的な遺伝子のみなのか? A-3.わからない Q-4.脱メチル化(メチル化阻害剤)処理による脱メチル化はきれいに起こる? A-4.論文ではきれいな結果をお見せしているのですが、実際には 1/5 くらいはうまくいかない ケースがある。 Q-5.脱メチル化(メチル化阻害剤)と脱アセチル化阻害剤の併用により効果の上がるものはあ ったのか? A-5.長時間、高濃度処理は細胞に別の影響を与えることが分かっているので、低濃度メチル化 阻害剤処理と短時間 TSA 処理を行うプロトコルで良く誘導されるので使用している。 90 どの条件が最適なのかということになると、実際のところ悩ましいところである。 Q-6.CIMP によるクラスタリングで 3 群に分かれるのは幹細胞の由来が異なるからという理解で 良いのか? A-6.内因的なクロマチンの構造と外因的な環境の差が反映されている。つまり、クロマチンの open や close といった細胞核の状況の違いによるメチル化の難易の差と H.pylori 感染など環境 の影響により異なると考えられる。 Q-7.胃の洗浄液を用いた DNA のメチル化解析法は他の臓器でも可能なのか? A-7.大腸でしたら便や腸液、膵臓の膵液、胆嚢でしたら胆汁などでも可能と考えられる。感度 の向上が必須だが、患者の負担を減らすといった意味でも有用である。 Q-8.DICER ノックアウトにより脱メチル化が起こるようだが、複製依存的にメチル化が下がる のか? A-8.脱メチル化は複製依存的だと思われます。実際に脱メチル化には長時間を要する。一時的 に DICER を RNAi により機能を抑制しても脱メチル化は起こらない。 91 4)エピジェネティクスを指標とする発がんリスク診断とがんの個性診断 講師: 国立がんセンター研究所 病理部 部長 金井 弥栄 氏 1.はじめに 国立がんセンター研究所病理部と国立がんセンター中央病院を併任しており、生検あるいは手 術材料の病理診断にも従事しています。診断業務の中で得た着想を基に診療に還元できる研究を 行いたいと考えています。 2.がん抑制遺伝子 E-カドヘリンのメチル化 私たちは、1995 年に E-カドヘリンがん抑制遺伝子が、がん細胞で DNA のメチル化によって不活 化される可能性を初めて証明しました。当時、DNA メチル化で不活化されるがん抑制遺伝子とし て Rb 遺伝子と VHL 遺伝子のみが知られている程度で、エピジェネティクスがまだ注目されていま せんでしたが、以後、一貫して、ヒトのがん DNA メチル化に取り組んできました。 私たちがエピジェネティクスに着目したことの根拠は、がんの本態を知って発がんの予防を目 指すためには、多段階発がん過程の早期の事象を理解することが必要と考えたからです。 図 1.がん抑制遺伝子 E-カドヘリンの DNA メチル化 3.肝細胞がんと DNA メチル化 例えばこれは、肝細胞がんの結節内結節病変の切除標本ですが、肉眼的に比較的境界が不明瞭 な外側の結節は、carcinoma in situ に相当し、門脈域の構造を残している早期の肝細胞がんで す。この早期の肝細胞がんの内側に、既存の構造を破壊するような進行肝細胞がんが出現してき ています。この結節内結節病変の肉眼像は、早期肝細胞がんの中に、グロースアドバンテージを 持つ高分化肝細胞がんのサブクローンが生じて、次に高分化肝細胞がんの中に、更にグロースア 92 ドバンテージを持つ中分化肝細胞がんのサブクローンが生じる、というふうにして悪性進展して いく過程を想起させます。 図 2.肝細胞がんの多段階発生 このような肝細胞がんの切除標本を多段階発がん過程の良いモデルとあると考えて、ジェネテ ィックな異常の代表として、βカテニンの遺伝子変異の例を提示致します。 結節内結節病変の内の進行肝細胞がんの成分においてのみ、エクソン 3 の点突然変異が検出さ れています。βカテニンタンパクはやはり進行肝細胞がん成分のみにおいて、細胞質あるいは核 への蓄積が顕著です。即ち、本症例においては、βカテニンの遺伝子変異は、早期肝細胞がんか ら進行肝細胞がんへと進展する時点で起こった事象だということが分かりました。 このようにしてジェネティックな異常の解析を積み重ねましたが多段階発がん過程の早期、特 に肝細胞がんに対する前がん状態と考えられる慢性肝炎あるいは肝硬変症の時点での異常を容易 には検出しえませんでした。ところが悪性度の高い肝細胞がんに高頻度に認められる第 16 染色体 のヘテロ接合性喪失に先行して、第 16 染色体における DNA メチル化の状態は、慢性肝炎ないし肝 硬変症の段階で、高頻度に変化していました。 DNA メチル化の亢進の頻度は早期肝細胞がんに比して進行肝細胞がんおいて有意に高く、DNA メ チル化亢進の頻度と肝細胞がんの組織学的な異型度は有意に相関しました。前がん段階から DNA メチル化の変化を伴う症例は速やかに進行して悪性度の高いがんになる可能性があると初めて考 えました。そして第 16 染色体の DNA メチル化亢進の好発部位には、先に述べました E-カドヘリ ンがん抑制遺伝子が位置しています。in vivo においても、プロモーター領域の DNA メチル化と E-カドヘリンの発現低下との間に有意な相関がありました。慢性肝炎ないし肝硬変症の段階にお ける、プロモーター領域の DNA メチル化の少なくとも一部は、E-カドヘリン発現の heterogeneity に寄与している可能性があると考えました。 93 図 3.前がん状態における DNA メチル化 またヒトの主要なメチルトランスフェラーゼである、DNMT1 のメッセンジャーRNA 発現は正常肝 組織に比して慢性肝炎ないし肝硬変症の段階で既に有意に亢進していました。 図 4.肝発がん過程における DNMT1 の発現 DNMT1 のタンパク発現亢進と肝細胞がんの分化度や門脈浸襲の有無の間には有意な相関がある ことが分かりました。更に無再発生存率が DNMT1 のタンパク発現亢進を示す肝細胞がん症例にお いて、有意に低いことも確認しています。 4.胃がんにおける DNMT1 の発現 肝細胞がんはウイルスの持続感染を背景とするがんの代表的な例ですが、肝以外の臓器に目を 転じると胃がんの解析において、豊田先生の話にもありましたが、EB ウイルス感染のある全ての 症例において、DNMT1 のタンパク発現亢進を認め、EB ウイルス感染と C 型 CpG アイランドにおけ 94 る DNA メチル化の顕著な蓄積との間に、有意な相関があることが分かりました。 5.膵がんにおける DNMT1 の発現 またウイルスの関与は欠いておりますが、膵がんもしばしば慢性膵炎に引き続いて発生します。 末梢膵がん上皮における DNMT1 のタンパク発現は遷延する慢性炎症の存在を示唆するリンパ球浸 潤や腺房の萎縮を伴う時、既に有意に亢進していました。DNMT1 のタンパク発現は、前がん病変 PanINs から浸潤性膵管がんへと段階的に亢進し、膵がんの浸潤性増殖と有意に相関し、膵がん患 者の予後不良因子となりました。がんの発生母地となる微小な末梢膵管上皮そのものをマイクロ ダイゼクションして、がん関連遺伝子の DNA メチル化の状態を評価しました。多段階発がん過程 の進展に伴って、がん関連遺伝子の DNA メチル化が蓄積していることが分かりました。更に DNMT1 のタンパク発現レベルとがん関連遺伝子の DNA メチル化の蓄積との間に、有意な相関があり、DNA メチルトランスフェラーゼ等の異常が DNA メチル化の異常を惹起しているという可能性がこのよ うな病変の現場においても確認されました。 図 5.膵臓がんにおける DNA メチル化と予後 6.肺がんにおける DNA メチル化 ウイルスの持続性感染や慢性炎症以外の発がんの背景要因として喫煙に着目致しました。がん 抑制遺伝子の Hypermethylated-in-Cancer-1(HIC-1)遺伝子が同定された、D17S5 ローカスにお ける DNA メチル化の亢進は、肺がんに対する前駆細胞を含む可能性がある肺がん症例より得られ た非がん肺組織において既に認められ、喫煙歴や胸膜への炭粉沈着の有無と有意に相関しました。 7.DNA メチル化異常は優れた診断指標となりうる 以上のように、DNA メチル化異常は諸臓器の前がん状態において概して高い頻度で認められる ので、発がんリスク診断の良い指標となる可能性があります。特にウイルスの持続感染や慢性炎 症、喫煙などを背景とし、予防的介入の余地のある前がん段階に特に寄与することから、DNA メ 95 チル化異常を指標とする発がんリスク診断を多段階発がん過程の進展の阻止に結びつける、と言 うことが望まれます。そして DNA メチル化プロファイルを指標として適応となる患者群を選定す ることによって DNA メチルトランスフェラーゼ等の DNA メチル化制御タンパクを標的としていわ ばテーラーメードの発がん予防を行う、と言うことが期待されます。 さらに近年、DNA メチル化プロファイルには臓器特異性あるいは組織特異性があると言うこと が認識されるようなりました。そこで当該臓器の正常組織において、DNA メチル化から厳格に保 護されているような染色体部位を選んで解析することにより、比較的低い侵襲で採取することが できる血清検体や細胞診検体、ならびに微小な生検検体においても DNA メチル化異常を極めて高 い感度で検出できる事が期待されます。即ち、DNA メチル化異常は、未だ病変が小さな段階のが んの血清診断など、がんの早期診断の指標となりうると期待されます。更に、DNA メチル化異常 は諸臓器のがんの臨床病理学的な悪性度や症例の予後とも良く相関致しますので、がんの病態診 断や予後予測の指標ともなりうると考えられます。 8.臨床応用への展望 このように、DNA メチル化異常は発がんのリスク診断やがんの早期診断、個性診断の指標とし て優れていると考えられるのに、臨床応用には未だ遠いと言うのが現状であります。これは、従 来のがんにおける DNA メチル化研究が、例えば特定のがん関連遺伝子における DNA メチル化の状 態の解析等に力を注いでいて、実用に耐えるような診断指標の同定に至っていないためであると 考えられます。 近年、アレイ技術も大変進歩致しましたので、系統的に蒐集された極めて多数の臨床検体にお けるゲノム網羅的な解析を展開すればテーラーメードの発がんの予防、あるいはがんの治療を目 指した診断指標も同定しうるようになったと考えられます。まずは DNA メチル化診断ミニチップ のような診断薬の開発を端緒として、検診や臨床の現場に橋渡しするのに適した好機と考えてい ます。 9.BAC アレイを基盤とするメチル化 CpG アイランド増幅法 そこで、BAC アレイを基盤とするメチル化 CpG アイランド増幅法、BAMCA 法を用いた DNA メチル 化状態のゲノム網羅的な解析の結果の例を提示致します。本研究においては、全染色体上に分布 する約 4,500 個の BAC クローンをプローブとして搭載したホールゲノムアレイ 4,500 を用います。 DNA メチル化によって不活化されるがん関連遺伝子の同定のためにはプロモーター領域を濃縮し て搭載したアレイを用いるのが効率的ではありますが、遺伝子の不活化に直接関与しない領域の DNA メチル化状態こそがん化に先んじて変化するので、発がんのリスク診断の良い指標となる可 能性があります。また、染色体不安定性に先行して DNA メチル化状態が変化する領域も、プロモ ーター領域に限局していません。そこで本研究ではこのような BAC アレイを用い、プロモーター 領域以外の非コード領域も含めて DNA メチル化状態をゲノム網羅的に解析することを目指しまし た。 96 図 6.BAC アレイを基盤とするメチル化 CpG アイランド増幅法 10.腎がんにおける DNA メチル化異常のゲノム網羅的解析 腎臓における BAMCA 法の結果でありますが、横軸に BAC クローンの番号、縦軸に蛍光強度の比 を示した散布図の例を提示しております。非腎細胞がん症例より得られた正常腎組織においては、 少数の BAC クローンにおいて個体差や加齢に基づくとみられるバラツキが見られました。これに 対し、通常型腎細胞がん症例より得られた組織学的に特記すべき所見を示さない非がん腎組織に おいては、正常腎組織に認められた個体差や加齢の範囲を超えて、既に多数の BAC クローンにお いて DNA メチル化の減弱あるいは亢進が認められました。通常型腎細胞がん組織においては DNA メチル化の減弱あるいは亢進を認める BAC クローンの数が更に増加し、DNA メチル化の減弱ある いは亢進の程度も更に亢進しました。 図 7.非がん腎組織ならびに腎細胞がんにおける DNA メチル化 このようにゲノム規模の DNA メチル化の変化が、通常型腎細胞がん組織より得られた組織学的 97 に特記すべき所見を示さない非がん腎組織において、既に起こっていることが分かりました。ゲ ノム規模の DNA メチル化の変化に着目して、正常腎組織と通常型腎細胞がん症例より得られた非 がん腎組織を組織学的に特記すべき所見を示さないのにも関わらず区別できたことから、DNA メ チル化の観点からは通常型腎細胞がん症例より得られた組織学的に特記すべき所見を示さない非 がん腎組織は既に前がん状態にあると考えられました。ウイルスの持続感染や慢性炎症等の明確 な背景を伴わず組織学的にも認識しがたいことから、従来腎における前がん状態は、ほとんど議 論されませんでした。DNA メチル化に着目すると、前がん状態がほとんど議論されてこなかった 腎臓においてすら、前がん状態の存在を認識しうることは注目されます。 そこで、通常型腎細胞がん症例より得られた組織学的に特記すべき所見を示さない非がん腎組 織において、蛍光強度の比の実測値を用いて unsupervised の階層的クラスタリングを施行致しま した。非がん腎組織Nにおける DNA メチル化状態に基づいて 51 症例がこのように 2 群に分けられ ました。非がん腎組織Nにおける DNA メチル化状態に基づくという意味で ANM 群と BNM 群と称し ます。 非がん腎組織Nにおける DNA メチル化状態に基づく群分けと、その症例に生じた通常型腎細胞 がんの肉眼型、静脈侵襲の有無、腎静脈本幹腫瘍栓の有無、診断時の病期との間に有意な相関が あることが分かりました。こちらは非がん腎組織の因子で、こちらは通常型腎細胞がんの因子で す。BNM 群に、より悪性度の高いがんを認める。即ち、前がん状態における DNA メチル化プロフ ァイルは、その症例に生じた通常型腎細胞がんの悪性度を規定する。即ち、DNA メチル化異常を 伴う前がん状態から、より悪性度の高いがんを生じる可能性があると考えられました。 図 8.非がん腎組織の DNA メチル化状態に基づくクラスタリング 非がん腎組織Nにおける DNA メチル化状態に基づく群分けと症例の予後との間に、有意な相関 があることが分かりました。BNM 群は ANM 群に比して有意に予後不良であり、前がん状態におけ る DNA メチル化プロファイルが症例の予後すら規定する可能性があると考えられました。 続いて蛍光強度の比の実測値を用いて、通常型腎細胞がんTにおける DNA メチル化状態に基づ いて T において unsupervised の階層的クラスタリングを行いました。T における DNA メチル化状 98 態に基づき、51 症例はこのように 2 群に分かれました。通常型腎細胞がん T における DNA メチル 化状態に基づくという意味で、ATM 群と BTM 群と称します。 通常型腎細胞がん T における DNA メチル化状態に基づく群分けと静脈侵襲の有無、腎静脈本幹 腫瘍栓の有無、診断時の病期との間に有意な相関があることが分かりました。今度は両方とも通 常型腎細胞がんの因子です。BTM 群に、より悪性度の高いがんを認める、即ち、DNA メチル化プロ ファイルがそのがんの悪性度を規定する DNA メチル化異常ががんの悪性進展に寄与する可能性が あると考えられました。 通常型腎細胞がん T における、DNA メチル化状態に基づく群分けと症例の予後との間に有意な 相関があることが分かりました。腎細胞がんは比較的若年にも発症して、腎摘除術によって根治 する場合が多い反面、腎静脈に大きな腫瘍栓を形成し、早期に遠隔転移を来す症例群もあり両者 の臨床経過には大きな差異があります。根治が見込まれる症例においては全身 CT 検査等の経過観 察を密には行わず、再発の可能性が高い症例には密に経過観察を行って、再発を早期に発見し免 疫療法等を追加することによって予後が改善できる可能性があります。しかしながら組織学的に は予後予測が必ずしも容易でないので、DNA メチル化プロファイルを指標とする予後予測が臨床 的に有用である可能性があります。 階層的クラスタリングのままでは、予後予測のための診断基準とはしにくいので、ウィルコク ソン検定を行い、BTM 群を ATM 群から最も良く区別できる BAC クローンを抽出して蛍光強度の比 の実測値を確認しました。4 つの BAC クローンについて ATM 群と BTM 群の散布図を提示しており ます。BTM 群を見分けるのに、感度、特異度、共に 100%となるように、予後診断のための閾値を 設定できることがわかりました。腎摘除術標本を用いる場合、十分量の良質な核酸を抽出するこ とも可能で、技術的にも実現の可能性が高いと考えられました。 図 9.DNA メチル化状態を指標とする腎がんの予後診断の可能性 ところで、非がん腎組織 N における DNA メチル化状態に基づく BNM 群は、通常型腎細胞がん T における DNA メチル化状態に基づく BTM 群に、完全に包含されることが分かりました。ウィルコ クソン検定等によって、前がん状態における DNA メチル化プロファイルは通常型腎細胞がんにそ 99 のまま受け継がれて、通常型腎細胞がんの悪性度を高めている可能性があると考えられました。 本知見は、前がん状態における DNA メチル化プロファイルを指標として、将来悪性度の高いがん を生ずるリスク診断を行うことの妥当性を示唆していると考えられます。 11.肝細胞がんにおける DNA メチル化異常のゲノム網羅的解析 現在、ウイルス性の肝炎は社会的にも大変関心を集めておりますが、正常肝組織を前がん状態 にある慢性肝炎ないし肝硬変症を呈する非がん肝組織と区別するのに有用な BAC クローンをウィ ルコクソン検定によって抽出致しました。 更に、前がん状態において既におこり肝細胞がんに至るまで受け継がれるような DNA メチル化 の変化を示す BAC クローンにおいて、スポットランキング法を施行し、正常と前がん状態を区別 したとき、誤りの確率が最も低くなると予測された上位 64 クローンを用いて階層的クラスタリン グを行ったところ、正常肝組織と肝細胞がん症例より得られた慢性肝炎ないし肝硬変症を呈する 非がん肝組織を、一例の誤りもなく区別することができました。このような DNA メチル化プロフ ァイルが、慢性肝炎ないし肝硬変症によって長く経過観察された後に、実際に肝細胞がんを発症 した症例の前がん段階での生検標本に検出され、肝細胞がんを発症しなかった患者には検出され ないことを確認して、発がんリスク診断指標としての有用性を証明したいと考えております。慢 性肝障害の段階での肝生検標本における発がんリスク診断のための DNA メチル化診断ミニチップ 等を作製したいと考えております。 図 10.DNA メチル化状態に基づく肝がんリスク診断の可能性 他方で、unsupervised で階層的クラスタリングを行うと、肝細胞がん検体はこのように大きく 2 群に分かれました。この 2 群は DNA メチル化異常を来す、異なる分子経路にそれぞれ対応して いる可能性があると考え、両群の症例に共通して認められる DNA メチルトランスフェラーゼ等の 異常の探索を予定しております。それぞれの DNA メチルトランスフェラーゼ等が、生検手術検体 においてこのような DNA メチル化プロファイルを示す患者を適応群とする発がんの予防やがんの 治療の標的候補分子となるといった展開が期待されます。 100 12.がんにおける DNA メチル化研究の新局面 以上のように DNA メチル化異常を指標とする発がんリスク診断、がんの早期診断、個性診断の 実用化が近いと考えて解析を進めております。適切な診断指標を同定するためには極めて多数の 臨床検体を収集しうる当施設のようなところで検体の臨床病理学的な特性を熟知した上で、解析 対象を選択することが肝要であると考えられます。しかしながら、適切な診断指標が一旦設定さ れた後は、安定的な臨床検査として運用できるように感度、特異度、共に優れた検出技術の革新 等、関連の企業にも参画して頂きたい点が多々生じるものと推測されます。更に諸臓器において がんの DNA メチル化プロファイルを規定する分子機構を知ることによって、テーラーメードの発 がんの予防あるいはがんの治療へ結びつくということを期待し、従来のヒトのがんにおける DNA メチル化研究の成果を臨床に橋渡しするのに適切な時期を迎えたと考えております。 図 11.まとめ 13.質疑応答 今まで分からなかったことが、エピジェネティクスで分かるようになった事例が、今、腎臓がん で非常にきれいに出されていました。見た目は全く変わらないが、エピゲノムの疲れが溜まって いると腎臓がんが出てくる。これは全く今まで他の分野では分からなかったことであり、一つ大 きな新知見であると思います。恐らく、他の疾患でも同様の事象が存在すると推測され、大きな 新規の研究分野であると思います。 Q-1.胃粘膜などは、比較的全体が均一な組織なので、胃粘膜表面からサンプルを採取しても均 一のデータが得られると思われるが、腎臓組織のような場合には複雑な構造をもっており、腎臓 組織内のどの部分を比較するかで大きく異なった結果が得られるように思われるが。 A-1.腎がんで摘出した腎臓組織から正常部分を採取する場合、がん組織を含まないようにでき るだけ離れた部分を採取しているが、それでも統計に耐えうる結果が得られてきているので、恐 らく、腎臓全体で DNA メチル化状態の変化が来ているのではないか。しかし通常型腎細胞がんは 近位尿細管を母地にしているので、正常組織検体はできるだけ近位尿細管を含む皮質から採取す るようにはしている。 101 Q-2.DNMT1 と予後との関係で興味深いご報告をされておられましたが、がんになるとなぜ DNMT1 が過剰に発現してくるのか、このメカニズムについてはどのような可能性があるでしょうか。 A-2.例えば、炎症に関連して発生するがんについては IL6 シグナルの下流で DNMT1 の発現が上 がってくるとか、EB ウイルスの LMP-1 の発現亢進をさせると DNMT1 の発現が上昇すること等が、 幾つかの in vitro のモデル系で提唱されているので、ヒトの発がん過程でも、それぞれの発がん 要因に応じて個別に類似の現象が起きているのかもしれない。他方で、DNMT1 は通常維持メチル トランスフェラーゼと考えられているので、DNMT1 の発現が上がっても必ずしも局所的な DNA メ チル化亢進にならないとの推測が成り立つかもしれない。 但し、DNMT1 も過剰発現させれば de novo のメチル化が起きるという in vitro の実験系があるので、DNMT1 によって de novo メチル化が惹 起される可能性を考慮しうる。まだ塩基配列特異性を何が決めているのかも明らかにされていな いが、がんで DNMT1 を特定の塩基配列にリクルートする機構が存在する可能性も否定できない。 Q-3.タンパク質がコードされていない部分でのハイポメチレーションについてはどのように考 えればよいのでしょうか。 A-3.例えば、DNMT1 と競合して PCNA に結合する p21 が不活化してしまうと、S 期の早期に複製 され通常 p21 が保護している領域の DNA メチル化が起こり、DNMT1 が枯渇するので後から複製さ れる領域がハイポメチレーションになるなどの不均等分布という現象で説明することができるか もしれない。いずれにしろ、DNA メチル化亢進が顕著な症例と DNA メチル化減弱が顕著な症例は 同一ではないし、相互に exclusive でもない。 Q-4.診断法との関わりになるが、前がん症状で周りの組織が徐々に変化を起こしていくと言う ことは、がんの幹細胞という考え方とは合わないように思われるがいかがでしょうか。 A-4.がんの幹細胞ができる更にその前に DNA メチル化異常が起こり、DNA メチル化異常を伴う 幹細胞からの増殖により DNA メチル化異常ががん組織でより顕在化するという考えも成り立つか もしれない。がん性幹細胞の概念と多段階発がん過程における段階的な DNA メチル化異常の蓄積 は矛盾しないと思われる。 Q-5.どちらかというと周りのメチル化のトーンが徐々に変わってきていると考えればよいのか。 A-5.メチル化のトーン徐々に変わってくる中でがんの幹細胞としての形質が確立されてくるの かもしれません。 Q-6.BAC クローンアレイを用いたメチル化の比較は、個々の遺伝子の比較なのか個々の症例の 比較なのか。 A-6.51 症例それぞれにおいて 4,361 個の BAC クローンについて蛍光強度比の実測値を得て、バ イオインフォマティクス処理ののち個々の症例間で DNA プロファイルを比較している。 Q-7.前がん状態では、組織学的な変化は全くないにも関わらず、メチル化の変化が既に起こっ ており、それが予後と大きな相関があるということ、更にがんの組織像に大差がなくても予後に 差がある症例については DNA メチル化とその予後に大きな相関がある、という理解で良いか。 102 A-7.そのとおりです。1 症例の中の組織像の heterogeneity が非常に大きいが、これを無視で きるほど DNA メチル化が予後と相関するという場合もあります。 Q-8.予後というのは、この場合転移と考えて良いか。 A-8.腎がんの場合には腎臓を摘出してしまい、腎がんは局所再発することはまれであるので、 基本的には転移再発と考えられる。 Q-9.そうすると、この場合、メチル化は遠隔転移を規定していると考えて良いか。 A-9.手術後、血液中に潜んでいたがん細胞が DNA メチル化異常を伴っていると生き延びやすい とか、遠隔臓器で生着しやすい性質を持っているのかもしれない。 Q-10.肝臓がんについても腎がん同様に解析されて、重要なクローンを決めていった、と言うこ とで良いか。 A-10.そうです。興味深いことに、腎がんの場合には、4,361 個のクローン全てを用いて比較し ても、自然ときちんと分類されたが、肝がんの場合には重要なクローンを抽出して 64 個まで絞り 込んだ段階で初めてきれいに分類されるなど、臓器によっていろいろ違いがある。 Q-11.前がん状態で既に DNA メチル化に変化があること言うことは、見かけ上健常と思われても、 既に DNA メチル化状態では発症に向けた大きな変化が来ていると言うことですね。 A-11.見かけ上健康に見える人でも、既に DNA メチル化で変化が来ており、がんを発症した後、 その予後まで、がんの前段階の DNA メチル化で運命づけられているというストーリーが少なくと も腎臓の場合には発がん要因が少ないこともあり、良く成り立っているということです。 Q-12.生検すれば調べられると考えて良いのか。 A-12.そのとおりだが、検診で腎生検するのは非現実的である。また腎盂に浸潤する腎がんがな い限り、尿検体に腎細胞が落ちてくることはほとんどない。よって、腎がんの発がんリスク診断 については検体採取の問題がある。DNA メチル化を指標として発がんリスク評価することの妥当 性をきれいに示すようなデータが腎で得られたことを根拠にして、肝に解析を展開したが、慢性 肝障害の段階で少なからず生検が施行される肝のような臓器では、DNA メチル化を指標とする発 がんリスク診断の実用化の可能性が大いに期待できる。 103 5)立体構造からのアプローチ:エピジェネティクスの制御にむけて 講師: 理化学研究所 ゲノム科学総合研究センター タンパク質基盤研究グループ 上級研究員 梅原 崇史 氏 タンパク質の構造解析の観点から、エピジェネティクスの制御について考えてみたい。 エピジェネティクスにおける情報は大きく 2 つに分けられ、1)DNA の CpG 部分にメチル化によっ て書き込まれる情報と、2)ヒストン N 末端のリジン、アルギニン残基等に対してアセチル化、メ チル化等により書き込まれる情報がある(図 1)。この際、特にヒストン H3、H4 のどこにアセチ ル化やメチル化が書き込まれるかが情報になっている。例えば、H3-K4 のメチル化は遺伝子発現 の活性化の情報であり、H3-K9 や H3-K27 のメチル化は不活性化の情報である(図 1)。こういった 情報がどこに書き込まれて、どのように制御されているのかを明らかにすることが、エピジェネ ティクスを考える上で非常に重要である。 図 1.エピジェネティクスにおける DNA 以外の標的:ヒストン ヒストンの化学修飾と DNA のメチル化は、ともに様々な疾病に関与している。ヒストンの化学 修飾による制御の例としては、遺伝的な疾患や、がんにおけるヒストンアセチル化酵素の関与、 老化における ClassIII ヒストン脱アセチル化酵素の関与等があげられる。 今回、エピジェネティクス創薬分野においてどういう分野がよく研究されているかを明らかに するため、キーワードを(epigenetics or epigenetic or histone) and (therapy or drug)とし て文献データベース(ISI)を調べた。これまでの研究としては、圧倒的にヒストン脱アセチル化 酵素(HDAC)に関わる研究が進んでいることがわかる。ヒストンをキーワードに入れているので、 DNA のメチル化よりヒストンにバイアスがかかっていると思われるが、これまでのエピジェネテ ィクス創薬研究では、ヒストン脱アセチル化酵素に関するものが突出して多いことがわかった。 104 ヒストン脱アセチル化酵素に関わる研究が進んでいる理由としては、1)研究の歴史が非常に長 い。すなわち、1996 年のヒストンアセチル化酵素、脱アセチル化酵素がクロマチン修飾に関与す るという報告以前から、ヒストンアセチル化阻害剤(Butyrate や Trichostatin A)の研究が進ん でいた。2)ヒストン脱アセチル化酵素と阻害剤の共結晶の構造解析が進んでいること、等が挙げ られる。 SAHA はすでに FDA 承認され投与可能であるが、SAHA のほうが構造の似た TSA に比べリガンド効 率が低いことが構造解析から示された。構造的観点から見ると TSA の方が阻害機構が優れている が、創薬的観点から見ると SAHA の方が優っていた。従って、単純に構造解析だけから最良の阻害 剤を設計できるわけではなく、代謝等も考える必要がある(図 2)。 図 2.創薬ターゲットとしてのヒストン脱アセチル化酵素 HDAC 阻害剤については、SAHA のほかにも Phase I、II に入っているものがある。HDAC の名前 の由来はヒストンを基質とする脱アセチル化酵素であるが、実際の基質としては、p53 を始めと する DNA 結合因子等にも作用することがわかってきており、制御する反応も多岐にわたる。 ヒストンに対するエピジェネティクス制御因子としては、 HDAC の研究で得られた知見以外にも、 ヒストンにおいてアセチル化、メチル化を書き込む酵素や、それを認識する因子(アセチル化で は Bromodomain、メチル化では Chromodomain 等)が明らかとなってきている。Gcn5 がヒストンの アセチル化修飾を書き込むことが明らかとなったのが 1996 年で、同じ年に脱アセチル化酵素 Rpd3 も明らかとなり、ヒストンアセチル化酵素を発見した Dr. Allis たちが 2000 年にヒストンコード 仮説を提示した。この仮説は現在ではほぼ受け入れられているが、ヒストン脱メチル化酵素だけ は長い間不明であり、ようやく 3 年前に同定された。HDAC の研究を踏まえれば、ヒストン脱メチ ル化酵素や Bromodomain や Chromodomain 等も構造解析に基づいた創薬ターゲットになるのではな いかと考えている。 ヒストンメチル化の特徴は、1)アセチル化とは異なり、リジン以外にアルギニンも修飾され、 リジンの場合は、mono-、di-、tri-修飾が、アルギニンの場合は mono-と 2 種の di-修飾がある。 105 2)アセチル化の場合は基本的には転写活性化であるが、メチル化の場合、H3-K4 メチル化は転写 活性化で H3-K9 メチル化は抑制化のように、メチル化される残基によって機能が全く異なってお り、しかもメチル化の度合いにより制御レベルが変化するということが制御のポイントである。 ヒストンにメチル化を書き込む酵素は数多く知られている。2000 年に見つかっており、構造も わかっている。従来のメチル化酵素よりもβシートの数が少なく短いが、基本的には AdoMet を基 質としてメチル基を転移する点は従来のメチル化酵素と同じである。ヒストンメチル化酵素を制 御する化合物についてはほとんど文献がないが、2005 年に Nature Chem. Biol.に発表された化合 物 chaetocin の報告がある。この阻害剤は、ショウジョウバエの SU(VAR)3-9 や G9a といった H3-K9 メチルトランスフェラーゼに効く。ただし、この化合物自体がヒストンのアセチル化された基質 に似ていることもあり、HDAC を阻害している可能性もある。このように、ヒストンメチル化酵素 に対する阻害剤のリード候補も見つかっている。 ヒストンメチル化を認識するドメインには、大きくわけて Chromodomain と PHD ドメインがある。 Chromodomain の場合、抑制化マークである H3-K9/K27 のトリメチル化を認識する因子(HP1、Pc) と活性化マークの H3-K4 を認識する因子(CHD1)では、同じ Chromodomain でも認識機構が全く異 なっている(図 3)。一方、PHD ドメインもヒストンのメチル化を認識することが最近わかってき た。同じ Chromodomain 間で機能が異なる場合の類似性に比べ、同じトリメチル H3-K4 を認識する Chromodomain と PHD ドメイン間のほうが表面構造の類似性が高い。ドメインの折り畳み構造とし ては違っていても、表面の形を変えることで、同じエピジェネティック情報を認識するものがあ る。 図 3.ヒストンのメチル化認識の特徴 これに対し、同じ PHD ドメインの名前を持つものの、メチル化されていない H3-K4 を認識する 別の PHD ドメインがあることが最近わかった。ヒストンに対するメチル化では、メチル化の情報 はしっかり Chromodomain や PHD ドメインに認識されるが、メチル化されていない状態も重要な情 報として認識されている(図 3)。まとめると、Chromodomain や PHD ドメインが必ずしもヒストン 106 のメチル化を認識するわけではなく、構造を決定し、機能との照らし合わせをしない限り、個々 のドメインの機能はわからない。ヒストンのメチル化を認識できるタイプの Chromodomain や PHD ドメインに対しては、低分子化合物でメチル化認識を阻害できる可能性がある。しかし構造ポケ ットが少し浅いので、これまでのところそのような阻害剤は報告されていない。 ヒストンのメチル化を消す酵素については、長い間見つかっていなかったが、2004 年に LSD1 が、2005 年には Jumonji 型がヒストン脱メチル化酵素として見つかった。LSD1 型は分裂酵母以上 に存在し、ヒトでは 2 種類存在する。LSD1 型の特徴は、Tri-メチルリジンは脱メチル化できず、 単体だと H3-K4 の活性化メチル基を脱メチルし、転写活性化を抑える。神経系遺伝子発現だけで なく、p53 の脱メチル化による転写抑制や、前立腺がんで LSD1 と共局在しているアンドロゲン受 容体による脱メチル化の特異性変換も知られており、がんとも関連していることから創薬ターゲ ットとして興味深い。 もう一つのヒストン脱メチル化酵素である Jumonji 型については、マウスの神経管発生時に変 異があると十文字に亀裂が入る原因遺伝子として最初は発見されたが、ヒストン脱メチル化酵素 であることが最近わかった。Jumonji 型は、LSD1 型とは異なり、Tri-メチルリジンも脱メチル化 できる。ヒトでは約 15 種存在し、酵素活性があるものだけで 10 種以上は確認されており、その サブタイプにより脱メチル化する残基の特異性が異なっている。最近、リジンだけでなくアルギ ニンの脱メチル化も可能なことがわかった。Jumonji 型による H3-K4 の脱メチル化異常と精神遅 延が相関していることなどもわかり、Jumonji 型についても盛んに研究が行われている。 LSD1 に関しては、モノアミンオキシダーゼ阻害剤である Tranylcypromine という抗うつ剤(GSK 製品;Parnate、副作用が強いため国内未承認)が阻害剤として働く。IC50 が 2μM と強く、脱ア セチル化には作用せず、脱メチル化に特異的に作用する。我々の研究で、Tranylcypromine と LSD1 の複合体の高分解能構造解析により、この阻害剤が、LSD1 の活性中心に存在する FAD に対して、 1)5 員環での共有結合と、2)N5 での共有結合の混合体によって LSD1 を阻害していることが考え られた。現在、モノアミンオキシダーゼとの構造比較を通して、LSD1 脱メチル化酵素に対する特 異的な阻害剤の開発を目指している。 ヒストン脱メチル化酵素 LSD1 をはじめとするクロマチンリモデリング因子には、SWIRM ドメイ ンが付随するタンパク質がある。この SWIRM ドメインの機能は不明であり、ドメインとしての相 同性も低い。そこで構造解析を行い、SWIRM ドメインの機能理解を目指した。SWIRM ドメインは構 造的に 3 タイプ(LSD1、Swi3&MYSM1, Ade2)にわけられ、機能的には DNA 結合能を持つもの(Ada2, Swi3)とそうでないもの(LSD1, MYSM1)があることがわかった(図 4)。Swi3 と MYSM1 の SWIRM ドメインは構造的に類似しているにもかかわらず、DNA 結合能は異なる。これは、DNA 結合へリッ クスに存在する 2 箇所のアミノ酸相違に由来していると結論づけられた。一連の解析でわかった ことは、機能を明らかにするためには構造をしっかり解かないといけないということである。Swi3 と MYSM1 の SWIRM ドメインのように、 進化系統樹的には同じものに分類していいほど似ていても、 機能的には DNA に結合出来るものと出来ないものがある。従って、構造と機能の照らし合わせを 確実に行う必要がある。同じドメインの名前がついていれば同じ機能、という訳ではないので、 個別の構造をよく見ないと機能はわからない。 107 図 4.SWIRM ドメインの構造と機能 SWIRM ドメインをまとめると、DNA 結合型の Ada2 や Swi3 の SWIRM は、ヌクレオソーム DNA に結 合してヒストンの修飾やヌクレオソームの解離を助けるドメインと考えられた。DNA 非結合型の LSD1 では、ヒストンテイルと結合するための溝を形成していることがわかった。創薬ターゲット とするには、この溝はやや浅く、広い。唯一機能がわかっていなかった MYSM1 は、構造的な特徴 からヒストンの脱ユビキチン化反応に関与すると予想したが、実際に MYSM1 がヒストン H2A に対 する脱ユビキチン化酵素であることが最近報告された。 エピジェネティクス創薬について、構造的な観点から現状と課題をまとめた。 ・ 今年までに、エピジェネティクスに関連する酵素や因子、およびそれらの構造情報は、かなり 解明されてきている。 ・ 構造解析の技術的な問題は克服されてきているが、情報や研究の厚みでは米国がリードしてい る。 今後は、ヌクレオソームレベルでの機構解明が必要であり、難しい複合体の再構成等を行う必 要がある。化合物に関しては、ヒストン脱アセチル化酵素の阻害剤については産業化に至ってい るが、それ以外のエピジェネティクス制御因子に対してはまだ基礎研究の段階にあると思われる。 構造的な化合物開発の観点から見てもまだまだ改良の余地がある。そのため、既存の化合物を in silico 探索する方法以外にも、リガンド効率が高いフラグメント基盤化合物探索などを進めてい る。 質疑応答: Q-1.構造がわかるとそこに入ってくる化合物をデザインできる時間経過はどのようなものか? A-1.感触的には数ヶ月あればよい。5~600 万位の既存化合物をコンピュータ上で処理して結合 するかどうか調べ、実際に候補となる化合物を購入して活性を調べている。しかし、そうやって ヒットしたものもあるが、予想したところとは違うところに結合して活性のあるものが同定され たりするので、探索技術の段階でもまだまだ検討が必要である。また、機能的な面から化合物を 108 探索し、結晶構造解析により阻害を確認する、といった方法も必要である。 Q-2.Tranylcypromine は 2μM で阻害活性があり、有効濃度は比較的低い。がんに対する効果だ けでなく、主作用のほうでも同様なことが起きているのか? A-2.抗うつの主作用としての効果があるかもしれないと考えている。どちらが主作用かはわか らない。LSD1 が神経系の遺伝子発現抑制に効いていて、その結果として抗うつ作用を持っている のが主作用であるとは否定できない状況である。 Q-3.研究の進め方として、現状、単一タンパクに対する阻害で設計しているが、今後はコンプ レックスで進めるとすると、単一の場合とは違った形での制御が可能となるのか? A-3.そう考えている。LSD1 の場合、相互作用が変わると脱メチル化の特異性が変わると考えら れている。構造的に見ても LSD1 の酵素活性中心はポケットが広く、特異性を変える余地がある。 Q-4.単独では作用しないが、コンプレックスだと作用するような場合があるとすると、細胞や 組織特異的なエピジェネティックな制御が化合物により可能になるか? A-4.そのように考えている。実際に、LSD1 は単独では H3-K4 の脱メチル化に働くが、アンドロ ゲン受容体との結合によって H3-K9 の脱メチル化に特異性を変えることが報告されている。前立 腺がんなどへの特異的な制御が可能と考えている。 Q-5.創薬リードの最適化の時に構造情報は重要であるが、それがない時に in silico でスクリ ーニングするのはどれほど有効か?酵素の場合、阻害剤は開発しやすいが、アセチル化酵素のブ ロモドメイン、PHD ドメインとも構造ポケットが浅そうだが? A-5.in silico で化合物スクリーニングをしたが、得られた候補は、分子量が 350 ぐらいで少 し大きかった。分子量 100-200 程度の低分子でリガンド効率が高いものを探し、骨格となるフラ グメントを見つけて、後から修飾するようなアプローチも進めている。上市されるものは分子量 が 300 程度に下がっているので、そこではじかれないような分子量に抑えておく必要がある。TSA と SAHA のように、in vitro では TSA のほうがきれいに入っていてリガンド効率が高いが、SAHA のようにぴったり入っていなくても効くものがある。ブロモドメインに関しては、今回お話しし た PHD ドメインよりも構造ポケットが深く、阻害剤の設計に適している。 Q-6.ポケットの深さの違いで、タンパク-タンパク相互作用の強度は違うのか? A-6.結合の強度はポケットの深さではなく水素結合の数に依存する。Tri-メチル化を認識する PHD ドメインのように、ポケットが浅くても水素結合の数が多ければ結合強度は強い。 109 4-3.議事録 第2回 エピジェネティクス調査委員会 議事録 開催日時: 平成 19 年 11 月 14 日(水)13:30-18:00 開催場所: 国立がんセンター研究所 1 階 出席者: 牛島委員長(国立がんセンター)、塩田委員(東大)、佐々木委員(国立 セミナールーム(東京都中央区築地) 遺伝学研究所)、吉田委員(理化学研究所)、牧野委員(オリンパス株) 、 杉原委員(日本化薬株) 事務局:山崎(NEDO)、長張・清末・世良田(JBIC) オブザーバー:荒田課長補佐(経済産業省)、他 計 46 名 1.はじめに 第 1 回調査委員会議事録が事務局から紹介され了承された。配布資料の確認がなされた。 2.第 3 回以降の方向性について 事務局から調査委員会実施予定、目的、委員会の構成メンバー、調査フロー、調査研究体制、実 施計画書に記載した調査項目等について説明がなされた。また、エピジェネティクス技術のマッ プを委員会活動の一環として作成したい旨が述べられ、たたき台として現在の事務局案(エピジ ェネティクス解析とその産業利用の想定)が紹介された。 3.エピジェネティクス研究開発動向等発表 外部講師 5 人から各専門領域におけるエピジェネティクス研究開発動向等が発表された(35 分/ 人)。発表タイトルと講師名は下記の通り。発表内容の詳細は別途記録。 (1) エピジェネティクスによる医学・生命科学と産業の接点 熊本大学発生医学研究センター 再建医学部門器官制御分野(大学院医学教育部)教授 (2) 血液内科 小林 幸夫 氏 講師 豊田 実 氏 エピジェネティクスを指標とする発がんリスク診断とがんの個性診断 国立がんセンター研究所 (5) 医長 がんにおけるエピジェネティクス研究の新展開-分子機構と臨床応用札幌医科大学内科学第一講座 (4) 光善 エピジェネティック治療の現状と課題 国立がんセンター中央病院 (3) 中尾 病理部 部長 金井 弥栄 氏 立体構造からのアプローチ:エピジェネティクスの制御にむけて 理化学研究所 ゲノム科学総合研究センター タンパク質基盤研究グループ 上級研究員 110 梅原 崇史 氏 氏 4.今後の進め方等 今後の調査委員会の進め方、フォーカスすべき点、問題点等を明らかにするために討議が行われ た。討議内容は以下の通り。 (1)エピジェネティクスの応用可能性 ① 予防分野 ・ 予防では、食品、生活スタイルの改善、健康管理等が大きな出口になると思う。 ・ 予防分野では、薬に特異性と言わないまでもかなりの選択性、どの細胞、どの遺伝子で効き やすいという特徴を出せる可能性がある。 ・ 予防という点を考えると強いばかりが良いのではなく、マイルドに抑えてくれる、もしくは エピジェネティクスの異常が新しく起こるところを抑えてくれる、そういう物質も必要かも 知れない。そういうものは構造解析から出てくるだろうし、アッセイ系によるスクリーニン グでも出てくるかもしれない。 ② 診断分野 ・ エピジェネティクスによって初めて可能になるのはがんのリスク診断である。リスク診断す る時の材料の availability の問題があるが、疾患臓器のバイオプシーではなく末血あるい は皮膚でも診断可能になるかも知れない。がんの存在診断、病態診断も可能である。 ・ 網羅的にスキャンニングをすれば様々な病態の診断も可能になると思う。 ・ 個別の遺伝子とかがんに関係するゲノム領域の網羅的な解析、またはそれから出てくるパタ ーンの解析が必要である。また、それらを見つけるためのゲノム網羅的な解析機器が必要で ある。世界的にはマイクロアレイがたくさん出ている。 ・ サンプルの availability と微量化の問題が重要である。比較的がんはやりやすいターゲット だと思うが、克服されるべきところである。 ③ 治療・創薬分野 ・ エピジェネティクスを利用しようとすると特異性をどのようにして出すかが悩みの種になる。 細胞によって、エピジェネティクス機構におけるコンプレックスが異なるであろう。そうす ると、化合物の選び方で、エピジェネティクスを攻めているのだけど、細胞、組織の特異性 を持たせることが出来るのではないか。 ・ 日本はまだまだ創薬に関する整備が足りないので、出来るだけパブリックに使えるような化 合物ライブラリーが必要である。 ④ その他の分野 ・ がんになる前の全体のトーンの話になると、必ずしも一個の細胞がオリジンではなくて部位 全体ががんになってきている状態がある。その場合、食事、環境が大きく関与していると考 えられ、それらを正面から捉えることも必要である。機能性食品もがん予防の観点から重要 なポイントであると考えられる。 ・ エピジェネティクスにおいて核の中がどうなっているかが非常に大事なところで、今までは 111 余りにたくさんのことが有りすぎて何も分からなかったことがようやく少しずつ分かってき た。 ・ エピジェネティクスが遺伝子発現を基本にするとなると、世界的にもやられていないところ は遺伝子からタンパク質が発現してくるところ全ての過程の可視化である。この過程を見ら れれば正常な細胞の状態の時、あるいは growth factor の刺激が加わった時、遺伝子発現が 実際に核内で起こっているところの解析が可能になる。世界的にも挑戦されていると思う。 診断目的でも DNA になった時に微量で正確に定量可能な機器開発が必要である。 ・ ゲノムワイドな網羅的なチップの方は世界に既にあるとしても、今取れているデータは、PCR ベースで取れる、取れないの問題が起きていて、実際問題としてはどこまで使えるかという ところが問題になっている。そうするとチップに載せる前のサンプル処理の部分でもまだま だ検討すべきステップがあると思う。細胞の核の中での部分についてはまだまだ調べる余地 がある。エピジェネティクスをやっている専門家でなくても、技術主体の内容をどこかで勉 強出来ればと思う。診断もしくは新しいターゲット探しで機械/機器が必要である。 ⑤ 問題点、その他 構造解析からの特異的化合物のアプローチとハイスループットで多くアッセイしていくアプロー チではどちらも重要であるが、我が国は、発酵的生産物の解析とともに構造の方も頑張っていて どちらにも強みを発揮出来る。 (2)第 3 回以降のテーマ、講師 第 3 回以降のテーマ、講師について事務局から報告された。 ① 第3回 第 3 回のテーマはがん以外の疾患と再生医療とし、講師については以下で内定している。 ・ 国立成育医療センター研究所 生殖医療 部長 梅澤 明弘 氏 ・ 山梨大学大学院 医学工学総合研究部 環境遺伝医学講座 精神神経障害 教授 久保田健夫 氏 ・ 京都大学 ウイルス研究所 生体防御研究分野 教授 生田 宏一 氏 ・ 佐賀大学 医学部医学科 基礎医学系 教授 副島 英伸 氏 ・ 東京医科歯科大学難治疾患研究所 准教授 亀井 康富 氏 または、 ・ 早稲田大学 総合研究機構 胎生期エピジェネティクス制御研究所 客員教授 福岡秀興 氏 ② 第 4 回、5 回 第 4 回のテーマは食品、老化、分析としているが、具体的な講師の名前は挙がっていない。第 5 回はテーマも未定なので、テーマ、講師で候補を出して欲しいとの事務局に要請に対して以下の 講師が推薦され意見が述べられた。 z 東大工学部 鈴木 勉 准教授 NEDO の機能性 RNA プロジェクトで質量分析によるツール開発を進めている。メチル化等も分かる レベルの非常に高精度の解析をされている。 112 z 東京医科歯科大学 稲澤 譲治 教授 ・ 金井先生のアレイの話の中でも紹介されたが東京医科歯科大学の稲澤譲治教授は NEDO のプロ ジェクトにも参加しており、エピジェネティクスの話を聞いたこともある。診断の観点から 稲澤先生の話を聞くのはどうか? ・ 稲澤譲治教授の話しだと疾患という面ではどうしても今日の話とかなりオーバーラップして しまう。機器という面では良いのかも知れないが、金井先生の話で大体カバー出来ていると 思う。 z 理化学研究所 小倉 氏 クローン関係に詳しい方では最適である。 z 国立遺伝学研究所 角谷徹二 氏 植物のエピジェネティクス関係では最適である。植物は生物学という意味でも大事だし、植物の 品種改良のような実用的な意味でも重要と思われる。 z 東京大学 大学院 総合文化研究科 村田 昌之 教授 以前、NEDO プロジェクトで細胞の立体構造を日本独特のセミインタクトのアプローチで解析して いた。 その他の意見 ・ がん以外の疾患がエピジェネティクスの大きな重要な領域と思っている。NIH のロードマッ プでもがんだけではなく疾患、アンチエイジングという枠で捉えているので、向こうにない こっちで持っている良いところで進めた方が良いと思う。 ・ 予防・診断・治療の観点で牛島委員長が取りまとめられているが、予防の観点、診断の観点 で話せる人はいないか? ・ わりと疾患に偏っているふうにも見えるので、余り枠を拡げすぎるのもどうかと思うが、例 えば、植物、酵母、クローン動物も含めた動物関係で何名か入ってもらうのも良いのではな いかと思う。 ・ マップを作るところに時間がかかるので、5 回目はまとめ中心で講師の数は絞られてしまう。 1~2 名が適当と考えられる。 ・ 第 4 回に関しては、牛島委員長と事務局が相談して、次回提案することになった。 (3)エピジェネティクス技術マップ 現在のエピジェネティクス技術マップは非常にプロトタイプなので資料を参考にして、追加、修 正が必要であれば事務局から電子情報を送りたい。一回ごとにブラッシュアップし最終的に十分 価値のあるものに仕上げたいとの希望が事務局から述べられた。 5.スケジュールの確認 資料 4 によりスケジュールを確認した。 113 4-4.まとめ 1)エピジェネティクスによる医学・生命科学と産業の接点 MBD1 タンパクによるヒストン脱アセチル化酵素とメチル化酵素のリクルートは遺伝子サイ レンシングのメカニズムのひとつである。リクルートされる MCF1 タンパクは様々ながん細胞 で発現しており広域腫瘍マーカーとして注目される。さらに、非ヒストン性の構造的クロマチ ン因子 HMGA タンパクの発現量はがん細胞の悪性度を測る指標として注目される。これらタン パクと同様に、クロマチン構造による遺伝子発現制御において区切りの役割を果たしているク ロマチンインスレーター配列は遺伝子制御の治療・産業用のベクター開発に役立つと考えられ る。エピジェネティックな制御は基本的に細胞の核内で行われており、それら因子は構造体を なして存在している。PML ボディーは転写調節センターであるがいくつかの白血病や固形腫瘍 で低形成が認められる。 今後の課題 z クロマチンインスレーター配列は遺伝子制御の治療・産業用のベクター開発に役立つと考え られる。DNA やヒストンのメチル化に関わるタンパクや核内の特徴的な構造の検出をすれば がん診断や治療薬選択に役立つ情報が得られる可能性がある。 2)エピジェネティック治療の現状と課題 エピジェネティクスを標的とした治験中の薬剤は、近年その機序が明らかになったもので古 くは 60 年代に開発されたものもある。ヒストン脱アセチル化阻害剤(SAHA)と DNA メチル化 阻害剤(5-azacytidine, Decitabine)が FDA で承認済みで、さらには適応が血液疾患である ことが特徴といえる。SAHA は米国で多い皮膚 T 細胞性リンパ腫に 2006 年 FDA 承認を受けてい る。日本の治験では濾胞性リンパ腫やマントル細胞種で効いた患者もおり、感覚的にはゆっく りと効いてくる薬である。血液毒性やその他の毒性が出て経口服用をやめれば症状は悪化する。 5-azacytidine は骨髄異形成症候群(MDS)の複数疾患に対して承認されている。Decitabine も MDS を対象に承認され、完全寛解+有効率は 17%であった。ともに日本ではフェーズ 1 が計 画されている。 今後の課題 z エピジェネティック薬は米国が先行している。効果がゆっくりなエピジェネティック薬は診 断法と新薬開発は一体であるべきで、米国と同様に日本でも検査薬も同時に認可されるよう な制度上の裏づけが必要である。 3)がんにおけるエピジェネティクス研究の新展開 -分子機構と臨床応用- 消化器がんでは細胞増殖におけるチェックポイント機能の喪失ががん化につながっている と考えられる。大腸がん培養細胞 RKO をメチル化阻害剤 5-aza-dC で処理したあと p53 遺伝子 と p53 関連タンパク遺伝子を導入するとそれらの発現が強く誘導された。これはメチル化阻害 剤処理した細胞で p53 の標的遺伝子にメチル化低下がおき、p53 標的配列がアクセス可能にな 114 り p53 の転写が活性化したと考えられた。次に遺伝子上流の CpG アイランドと呼ばれる領域の メチル化状態の表現型 CIMP(CpG Island Methylator Phenotype)を調べた。老化に従い進む 遺伝子のメチル化の影響を除いて大腸がんの CIMP を患者間で比較すると同じがんでも 3 グル ープに分けることができた。胃がんの前がん状態といえる皺襞肥大型胃炎組織の CDH1 遺伝子 のメチル化状態を調べたところ、正常組織、ピロリ菌感染組織よりも多くの割合の細胞でメチ ル化が検出された。 今後の課題 z 消化器系のがんでは DNA のメチル化が予防、診断や予後の予測に役立つ可能性がある。メチ ル化検出には多くの細胞が必要になるが、内視鏡検査時の胃洗浄液から細胞を回収するなど 低侵襲の手法の開発が待たれる。 4)エピジェネティクスを指標とする発がんリスク診断とがんの個性診断 肝細胞がん、胃がん、膵がん、肺がんのそれぞれで DNA メチル基転移酵素 DNMT1 の発現が亢 進したり、特定遺伝子にメチル化蓄積することが示された。このメチル化を網羅的に調べる方 法 BAMCA 法を使い腎がんと肝細胞がんでのメチル化を調べた。腎臓は胃などと違い前がん状態 が知られていない臓器である。非腎細胞がん症例からの正常腎組織では個体差や老化によるメ チル化が見られる程度だが、腎細胞がん組織から得られた非がん組織にはそのメチル化よりも 有意にメチル化が進んだ遺伝子が見つかった。これは前がん状態の現れであると考えられ、さ らに肉眼型、静脈侵襲の有無などの詳細な進行度とメチル化の関係を解析すると、メチル化が 悪性度、予後診断の指標となりうることがわかった。肝細胞がんについては正常肝組織と前が ん状態にある慢性肝炎ないし肝硬変症を呈する非がん肝組織と区別することができるかを検 討し、クラスタリングで選抜したクローンを指標に実際のサンプルを区別することができた。 今後の課題 z DNA メチル化検出では感度、特異度に優れた検出技術の革新が必要。前がん状態にあるとき からメチル化は亢進し、そのプロファイルは臓器特異性、組織特異性を持っているのでリス ク診断、早期診断、個性診断に役立つ可能性があり、診断法の開発が期待される。 5)立体構造からのアプローチ:エピジェネティクスの制御に向けて エピジェネティック修飾は DNA の CpG のメチル化と、ヒストンのメチル化、アセチル化に分 けることができ、この修飾酵素がどのようにヒストンと結合しアセチル化やメチル化するのか を構造的に明らかにし、それに合う化合物を設計することで反応制御ができるようになる。タ ンパクが他の物質と結合する 3 次構造を「ドメイン」といい特有の構造がいくつもわかってい る。このドメインとしてアセチル化酵素では Bromodomain が知られており、メチル化酵素では Chromodomain や PHD ドメインが知られている。ヒストン脱メチル化酵素は長い間見つかってい なかったが 2004 年に LSD1 が、2005 年には Jumonji が見つかっている。LSD1 には SWIRM ドメ インがあり日本で機能解析をおこなった。 115 今後の課題 z 創薬ターゲットとなるエピジェネティックスに関わるタンパクはまだ完全に解明されていな い。構造解析における機能情報や研究層の厚みでは米国がリードしている。実際の核内での 薬剤ターゲットを検討するために、ヌクレオソーム複合体の再構成技術が必要である。 116 第5章 第 3 回調査委員会(がん以外の疾患、再生医療とエピジェネテ ィクス) 5-1.議事次第 第3回 エピジェネティクス調査委員会 議事次第 開催日時: 平成 19 年 12 月 12 日(水)13:30-17:30 開催場所: NEDO 1901 会議室(川崎市幸区大宮町 1310 番 ミューザ川崎 19 階) 議事次第: 1. はじめに ・ 第 2 回委員会議事録の確認 ・ 配布資料確認 ・ 第 4 回以降の方向性について 2. エピジェネティクス研究開発動向等発表 (1) 「精神発達障害とエピジェネティクス」 山梨大学大学院 教授 久保田 医学工学総合研究部 健夫 環境遺伝医学講座 氏 (2) 「ゲノム刷り込み異常とヒト疾患群」 佐賀大学医学部 教授 副島 英伸 分子生命科学講座 分子遺伝学分野 氏 (3) 「再生医療とエピジェネティクス」 国立成育医療センター研究所 生殖医療研究部長 梅澤 明弘 氏 (4) 「免疫の可塑性とエピジェネティクス」 京都大学ウイルス研究所 教授 生田 宏一 生体応答学研究部門 生体防御研究分野 氏 (5) 「リウマチ膠原病・アレルギー疾患および腎臓病におけるエピジェネティクス」 埼玉医科大学附属病院 リウマチ膠原病科 117 教授 三村 俊英 氏 (6) 「メタボリックシンドロームとエピジェネティクス」 東京医科歯科大学 難治疾患研究所 教授 氏 小川 佳宏 分子代謝医学分野 3. 質疑応答、まとめ 4. その他 ・ スケジュールの確認 以上 118 5-2.発表記録 1)精神発達障害とエピジェネティクス 講師: 山梨大学大学院 教授 久保田 医学工学総合研究部 健夫 環境遺伝医学講座 氏 1.はじめに 私はエピジェネティクス研究を行っている小児科医である。以前は、先天的にエピジェネティク スに異常のあるものに携わってきたが、現在、後天的にエピジェネティクス異常を起こしてくる ような子供の病気(精神発達障害)を対象に研究を行っている。 エピジェネティクスに係わる病気としてがんが有名であるが、それ以外の疾患にもエピジェネテ ィックの概念を適用しようという動きがある。神経疾患は、長年原因が不明で、近年のゲノムプ ロジェクトで解明された疾患分野であるが、精神疾患や精神発達障害は今でも原因が不明な最後 に残された砦といわれている。そこで、精神疾患や精神発達障害に対しエピジェネティクスの立 場からアプローチしようという動きがでてきた。本日は、 「エピジェネティクスと精神発達障害」 というタイトルでお話ししたい。後天性要因すなわち環境がエピジェネティクスを介して遺伝子 にどのような影響を与えているかについても興味を持っており、この点についても触れようと思 う。 遺伝子の異常というと普通は構造の異常、すなわち遺伝子変異と理解されているが、機能の異常 もまた遺伝子異常ということができる。そのメカニズムとして「遺伝子のプロモータの不活化」 がある。これは、 「メチル化」ということが起こって、不活化されるメカニズムである。これを「エ ピジェネティクス異常」と呼んでいる。 遺伝子異常 構造異常 変異 欠失 X C ACGT→ACCT 重複 転座 機能異常 不活化 エピジェネティクス異常 機能の異常、具体的に言えばプロモータがメチル化されてオフになる。これはがんでよく見られ るが、もうひとつ、正常ではオフでなければならないものが間違ってオンになってしまっている。 出来てくるタンパク質は正常ではあるけれども間違った時期や間違った場所(臓器)で発現する、 これもまたエピジェネティクス病ということがいえる。精神発達障害で最近知られてきているの 119 はこの異常なオンの方で、こちらのメカニズムも重要だと思っている。 機能異常 Gene 蛋白質 off Gene できない 異常な Gene on 時期や場所がまちがっている ↓ 精神神経疾患 エピジェネティクス病 さらに詳細に遺伝子の模式図で示す。 (1)まず転写因子が結合して発現している。 (2)ついでプロモータ領域がメチル化され、 (3)あ る種のタンパク質が結合し、さらには他のタンパク質あるいは染色体がリクルートされて凝集し、 (4)最終的に転写因子が結合できなくなり発現パターンがオフになる。 エピジェネティクス(詳細) Step 1 DNAのメチル化 Step 2 蛋白質の結合 Step 3 染色体の凝集 Step 4 遺伝子のOFF これらのそれぞれのステップに対応する分子が欠損するという先天異常が近年リストアップされ てきた。例えば最初のステップである DNA のメチル化。すなわちメチル化させる酵素に異常が起 きた場合 ICF 症候群という非常に稀な病気が起こる。 120 エピジェネティックな精神発達障害疾患 Step 1 DNAのメチル化 DNMT3B ICF 症候群 Step 2 蛋白質の結合 MeCP2 Rett 症候群 Step 3 染色体の凝集 ATRX CBP RST2 NSD1 ATR-X 症候群 Rubinstein-Taybi 症候群 Coffin-Lowry 症候群 Sotos 症候群 Step 4 遺伝子のOFF SNRPN UBE3A Prader-Willi 症候群 Angelman 症候群 Abnormal X-inactivation これはメチル化酵素の遺伝子変化によるもので、特徴的な顔つきを持つのであるが、本来メチル 化されて安定化している染色体領域がメチル化酵素の欠損により脱メチル化されて脆弱になって 伸びてたり、ちぎれてお互いにくっつきあったりして花びら状になる。ICF 症候群では、このよ うな染色体所見が認められる。臨床的に重要な点は免疫不全を起こすことであるが、この脱メチ ル化と免疫不全の関係は完全にはまだ解明されていない。こういった脱メチル化の経過による先 天異常が存在する。 ICF 症候群 免疫不全 低メチル化による染色体脆弱 DMNT3B酵素変異 DMNT3B酵素変異 Shirohzu, Sasaki. Am J Med Genet 2002;Kubota, Sasaki, Am J Med Genet 2004 このほかの例で、遺伝子のエピジェネティックのパターンというものが正常なパターンが形成さ れて来るべきものが、先天的に異なるパターンで生まれてきてしまう。そのような疾患にゲノム 刷込み疾患というものがある。 そのひとつである肥満の病気、これには 2 つの遺伝的タイプがある。ひとつは染色体の欠失、も うひとつはきわめて稀なことであるが、一対の染色体がいずれも母方から来てしまうものである。 これら 2 つのタイプに共通しているものは、父由来の染色体のある場所がないことである。具体 的には物理的に欠落しているか、存在はするが母由来になっていて機能的に父由来でなくなって いる。共通して何が起こっているか、というところから発見されたのが、父由来でのみ働く遺伝 子、すなわちゲノム刷込み遺伝子である。 121 ゲノム刷込み疾患 70% プラダー ウィリ 症候群 30% 父方 染色体欠失 母方 片親性ダイソミー 共通の異常は? 父方染色体の一部の(物理的、機能的)喪失 父由来でのみ働く遺伝子 Kubota et al., Am J Med Genet 1996 ゲノム刷込みの異常はヒトで最初に見いだされたエピジェネティクス異常で、がんに先駆けて、 先天異常で発見された。父方が発現していて母方が発現していなかった片親の刷込みパターンが プロモーター(遺伝子のスイッチ)のメチル化であるということがわかり、メチル化に基づいた 遺伝子診断法がちょうど 10 年前に確立した。 母方刷込み(抑制)メカニズム ゲノム刷込み 通 常 遺伝子スイッチDNAのメチル化 最初に判明したエピジェネティクス病は精神発達障害疾患であった Kubota et al., Nat Genet 1997 先ほどの例は遺伝子レベルでの不活化であったが、染色体レベルで不活化されることも起こる。 これは X 染色体、性染色体で起こる現象で、X 染色体の不活化と呼ばれている。 X染色体不活化 ゲノム刷込み X不活化 122 男性が XY、女性が XX ということで、Y 染色体は小さいので女性のほうが染色体量が多い、このア ンバランスを制するということで女性では X 染色体の一方は不活化されている。つまり、ここに 乗っている遺伝子は殆ど抑制されている。機能的に 2 本が 1 本になって男性の場合との均衡を保 っているわけである。 X染色体不活化 女 男 男 X染色体不活化 女 XY XX XY XX X=1 X=2 X=1 X=2→1 男女差の補正 X 染色体が多い方はまれにいるわけであるが、3 本ある人はそのうちの 2 本は不活化されていて、 4 本ある人は 3 本不活化されている。このように 1 本のみが活性化されていて、他のものは本来 不活化されないといけないわけであるが、不活化が起きないとどういうことになるのかというと 重篤な精神障害になる。ターナー女性という比較的患者さんの多い先天的な染色体の異常の方が ある。これは X 染色体が 1 本しかないという方であるがこれらの人は精神発達、つまり知能は正 常である。ところが、仮に小さくても X 染色体がもう 1 本存在してそれが活性を持ってしまった 場合、つまり X 不活化がおきないと、重篤な精神発達障害を引き起こす。このようなことから、 エピジェネティックな遺伝子の調節というのは、精神発達に影響を与える重要なメカニズムとい える。 X染色体不活化解析 ターナー女性 環状X不活化異常症候群 正常X 環状X 不活化 X 活性X 1本のみ活性化 正常な精神発達 正常 X 不活化 X 母 活性 X 2本とも活性化 重度の精神発達障害 Kubota et al. Cytogenet Genome Res 2002 先ほどの表の 2 番目にあるメチル化された DNA に結合するタンパク質の異常によって生ずる自閉 症疾患がある。これを Rett 症候群という。 この病気の男性は生まれてこれなくて、女性だけがなる X 連鎖優性遺伝病といわれる疾患の 1 つ である。X 染色体上にある MeCP2 遺伝子の変異で起こるものであるということがわかっている。 生まれてまもなくから乳児期にかけては正常であるが、それ以降になると発症する。特有の手も み動作が特徴である。また自閉症や、てんかん発作、ふらつき歩行などの種々の精神神経症状を 123 発する状態を引き起こす。頻度は 1 万人に一人ぐらいである。発達障害を生じさせる疾患に中で は比較的有名な病気である。 Rett 症候群 男性は致死;患者は女性のみ(X連鎖優性遺伝病) 原因はX染色体上のMECP2遺伝子変異 経過 -乳児期は正常に経過するが、 -幼児期以降に症状が出現 特徴的な手もみ動作、自閉症、てんかん発作、ふらつき歩行 この MeCP2 の遺伝子が作るタンパク質は神経細胞で発現していてある種の遺伝子のプロモータに 結合しその発現を抑制するということがわかっている。したがってこの蛋白質に異常があると発 現抑制が起きなくなり、異常発現が起こるということがこの病気の発生メカニズムではないかと 思われている。この仮説を証明すべく、具体的に MeCP2 蛋白質の抑制に関係していそうな遺伝子 を探してみた。具体的には、エピジェネティックな MeCP2 の抑制を受けるような領域を見出し、 そこに存在する遺伝子を調べると、神経に関係していそうな遺伝子は数個あった。そのうちのい くつかは、MeCP2 蛋白質が結合し、メチル化されていて、MeCP2 を過剰状態にすると発現が抑制さ れ、過少状態にすると発現が上がることがわかった。 MeCP2 MeCP2蛋白質の働き MeCP2 神経細胞 MeCP2 染色体ヒストン蛋白質 DNA メチル基 レット症候群の脳では... 変異MeCP2 異常な発現解除 つまり MeCP2 が多いと発現を抑制し、少ないと発現抑制が解除される。すなわち MeCP2 により調 節を受ける遺伝子ではないかと思われる遺伝子を見出した。これらはいずれもシナプスの形成性 に関わる重要な分子をコードしている遺伝子であった。 124 MeCP2が多い MeCP2が少ない CH3 CH3 発現抑制 発現解除 MeCP2 MeCP2によって調節をうける遺伝子 最近、自閉症が神経の細胞のつなぎ目であるシナプスに関わる遺伝子の異常によるとする考え方 が登場してきた。従って、これらの遺伝子がシナプスに関わりうることから、これらの遺伝子は、 本症の多彩な症状のうち、自閉症状に関わる遺伝子の可能性がある。 ま と め 3つの標的遺伝子は「シナプス形成重要分子」 (シナプスの受容体の輸送蛋白質、神経細胞接着因子) 自閉症は「シナプス異常症」 3つの標的遺伝子は自閉症病態に関わる遺伝子 (Soutome, Kubota, 投稿中) 話は変わるが、先天性の精神発達障害は文字通り生まれながらの異常で、生まれた赤ちゃんの時 から異常がわかって痙攣とか知能障害があるということである。ゲノムプロジェクトの恩恵を受 けて、このような先天性の病気についてはその遺伝子がわかってきた。一方、生まれてからしば らく正常であったがあとで異常を呈する病気の方が、最初が正常であっただけに、ご両親の悲し みもひとしおであるとベテラン医師はいう。しかし、このような後天性と思われる発達障害では、 残念なことに、先天性発達障害ほど原因が判明していない。したがって、これからの課題は、後 天的に発症してくる発達障害疾患の解明ということができる。 125 精神発達障害の医療現場より 1.先天性の精神発達障害 ・うまれながらの異常 ・原因はかなり判明(単一遺伝子変異) 2.後天性の精神発達障害 ・生後しばらく正常に経過してから発症 「だから親の悲しみもひとしお(あるベテラン医師)」 ・原因は判明していないものが多い これからの課題:後天性の発達障害疾患の解明 後天性といえば、環境因子の関わりも考慮する必要がある。医学部では、たいてい最初に「病気 というものは遺伝子と環境の両方が関係する」という講義がなされる。環境でほとんど決まるも のは外傷や感染症であり、遺伝で決まるものにまれな先天代謝異常症がある。ただ、殆どの病気、 特に生活習慣病などメジャーな病気では、遺伝子と環境の両方が関係している。 疾患の要因 先天代謝異常症 生活習慣病(現在病) 遺伝子 がん, 高血圧, 糖尿病 精神疾患 外傷・感染症 環境 ただ、遺伝子と環境の関係、遺伝子に影響を与える環境要因は実はよくわかっていない。例えば、 放射線が DNA を損傷するということはわかっているが、ヒトの体には DNA 傷害を修復する機構が 備わっているので、DNA の異常(変異)が残ってしまう確率は極めて低い。また、環境要因がど のようなメカニズムで遺伝子に影響を及ぼすのかというこもよくわかっていない。ただ最近、環 境の要因と遺伝子の異常を介在するメカニズムとして、エピジェネティクスが注目されてきてい る。 エピジェネティクスはオンからオフへの一方通行ではなく、可逆性をもち、個体発生期やがん化 の際に大きく変化することがわかっている。これは、先天的に遺伝子異常があり、ある種のタン パク質をうまれつき作れないという体質をもつ不可逆的な先天異常症とは異なる。エピジェネテ ィクス病は可逆性を利用した治療の可能性を秘めた疾患群といえる。エピジェネティクス変化が 126 環境で変化するということは、逆に治療でもとに戻せるということである。 エピジェネティクス CH3 OFF ON 1.個体発生や癌化の際に大きく変化 2.その変化は可逆性(先天異常性疾患と異なる) 環境要因で後天的に変化? 治療でもどせる? 環境要因による後天的な遺伝子変化は植物でよく知られていて、環境でメチル化が変わる。そし て一旦変わったメチル化が子孫にも伝達されるということが植物ではわかっている。 最近の、ヒトでも、環境によってメチル化が変わることを示唆することが報告された。すなわち、 一卵性双生児の間で、遺伝子 DNA 配列には違いがないが、その上に乗っている DNA メチル化のパ ターンは異なることが明らかにされた。しかも、その違いは年齢とともに大きくなることから、 環境による変化であることが示唆された。 ヒトでも後天性変化 一卵性双生児(DNA配列同一)の間でも、 メチル化には違いが生ずる PNAS 2005 またラットにおいて、脳遺伝子のメチル化が環境ストレスで変化するとの報告もなされた。具体 的には、誕生直後に可愛がられた子供のラットと世話されなかった子供のラットを比較すると、 ストレス耐性遺伝子において、世話をされないほうは遺伝子発現がオフになってしまっていた。 そのメカニズムがプロモーターのメチル化であったということが発表された。すなわち、可愛が られればこの遺伝子が脳で発現し、精神状態は安定しストレスに強くなる。かまってもらえない と転写因子の結合部位がメチル化修飾されて、その結果、発現がオフになり、ストレスに弱い仔 となることが報告された。 127 脳で後天性変化 乳児期に母親に可愛がってもらえた 子ラット 乳児期に母親に世話されなかった 子ラット 神経栄養因子 遺伝子 遺伝子 グルココルチコイド受容体(GR)遺伝子 Nat Neurosci 2004 ・可愛がられれば この遺伝子は脳で発現し、精神状態は安定し、精神的ストレスに強くなる. ・かまってもらえないと 栄養因子結合部位は生後まもなく修飾され、結果、精神的ストレスに弱くなる. このような DNA のメチル化の基盤には栄養素がある。もともと DNA のメチル化というのは葉酸が 代謝され、メチル基が作られて、DNA に供与されることで生ずるものである。 栄養(メチル化基質)で後天性変化 ビタミンB6,B12 葉酸 メチオニン S-アデノシルメチオニン メチル基(CH DNA 3 ) メチル化DNA Annu Rev Ntr 2002 このようなメチル化のもととなる栄養素(基質)を妊娠マウスに投与すると、例えば皮膚の色素 遺伝子の例では、この遺伝子のメチル化を様々に変え、その結果、それぞれの仔の皮膚の色が DNA のメチル化の程度に応じて違ってくるといったことや、ゲノム刷り込みの状態を変えうることが 報告されている。 128 栄養(メチル化基質)で後天性変化 メチル化基質 新生仔 メチル化 軽度 中等度 妊娠中 高度 メチル化の程度(皮膚の色)が変化 FASBJ 1998; Mol Cell Biol 2003 メチル化基質 Igf2 離乳期 ゲノム刷込みが変化 Hum Mol Genet 2006 一方ヒトではどうかというと、このようなメチル化栄養基質が経験的に自閉症治療に用いられて きた経緯がある。このような報告は, 1970 年代からあり、髄液や血中の葉酸が低下している子供 に与えると神経症状を中心に症状が改善するということが、大人の精神疾患に対する投与例とと もに、報告されてきた。 メチル化栄養基質と自閉症 髄液や血清中のメチル化基質低下を認めた自閉症患者に対して 1. 自閉症患者(脆弱X症候群など)に有効 Rimland, J Child Neurol 1988 2.MECP2変異のない自閉症患者に有効 3ヶ月で髄液中の葉酸正常化し、1年後末梢運動障害が軽減 Moretti et al., Neurology 2005 髄液中の葉酸正常化し、痙攣・歩行・姿勢・動作が改善 Ramaekers et al., Neuropediatrics 2002 3.葉酸代謝異常疾患(Aicardi-Goutieres症候群)に有効 髄液中の葉酸正常化、痙攣と脳波所見が改善 Blau et al., Neurology 2003 4.自閉症患者(生後1.5-3歳 正常発達)に有効 葉酸投与で血中SAMが正常化、臨床的に改善 James et al., Am J Clin Nutr 2004 先ほどの Rett 症候群では遺伝子の発現を抑えるタンパク質の異常で遺伝子が過剰発現すること が自閉症の病態であると考えた。そうすると、メチル化基質投与が有効であった自閉症児では、 抑制タンパク質の異常ではなく、標的となる遺伝子のメチル化の低下の方があって(メチル化 DNA 結合抑制タンパク質が結合できず同じような過剰発現病態が作られているのではないか、さらに いうとメチル化基質でこの低メチル状態が改善するので過剰発現が是正されていたのではないか と推測できるように思う。 もしこの仮説がはっきりすれば、標的遺伝子のメチル化状態を把握することで、適確な葉酸自閉 症治療ができるようになるのではないかと思っている。 129 自閉症とメチル化基質治療(仮説) 自閉症とメチル化基質(仮説) 正常児 Rett 自閉症 1/10,000人 (A genetic-causing autistic disease) 1/150 (An environment-causing autistic disease) MeCP2 変異 MeCP2 自閉的傾向 症状改善 葉酸 Hypomethylation CH3 CH3 低メチル化 OFF 標的遺伝子の過剰発現 正常メチル化 標的遺伝子がメチル化治療の指標に… 標的遺伝子の過剰発現 以上述べてきたように、先天的疾患の原因として明らかにされてきたエピジェネティクスは、近 年、ストレスや栄養素等で変化するとの知見から、後天性疾患にも関わりうる可能性が示唆され 始めた。 エピジェネティクス:概念は遺伝から環境へ 遺伝(先天)性変化 環境 (後天)性変化 1. メチル化異常(ICF症候群) 精神ストレス 葉酸投与 2. ゲノム刷込み異常(プラダーウィリ症候群) 3. X染色体不活化異常 廃用性ストレス 4. メチル化結合蛋白質異常(Rett 症候群) 最近、胎児環境におけるエピジェネティクスがトピックスになっている。最近の日本では産婦人 科医の指導等もあってダイエットする妊婦が増えてきている。そうするとおなかの赤ちゃんの栄 養状態が悪い。意外なことに最近 20 年間は、生まれてきた子供の出生体重が減少の一途を辿って いる。このときに、まだ仮説であるが、エネルギーを貯めるための倹約遺伝子がエピジェネティ クス的にオンになってしまう。そうすると、正常な妊婦から生まれてきた栄養状態の良好な胎児 環境で育った子供は現代の過栄養状況に適応できるが、倹約遺伝子がオンになってしまった低栄 養胎児環境育ちの子供は、エネルギーを生後も貯め込む体質のため、栄養豊かな現代で育つと肥 満になってしまうといわれている。疫学的にはそれが証明され、ここのオン、オフのメカニズム はエピジェネティクスではないかということが動物実験などで少しずつわかってきている。同時 にこのように栄養状態が悪かったときに精神疾患も多いという疫学データもある。動物実験で、 先の自閉症疾患の MeCP2 の発現低下というのも今年(2007 年)の学会で発表された。 130 胎児環境とエピジェネティクス 適 応 胎内の栄養状態良好 (倹約遺伝子OFF) 正常妊婦 体型良好 生後の 栄養状態良好 不適応 胎内の栄養状態不良 (倹約遺伝子ON) 過度にダイエットした妊婦 肥 満 精神疾患 (Mecp2発現低下) Gluckman and Hanson, et al. Proc Biol Sci, 2005 以上お話ししてきたようにエピジェネティクス異常はヒトのさまざまな時期に効いてきて、さま ざまな疾患発症の素地をつくる。発生期に異常が起きると先天的異常症(ゲノム刷り込み異常な ど)、壮年期の慢性炎症による異常ではがんになる。以下は仮説であるが、幼児期の精神ストレス で精神発達障害が、成年期の運動ストレスで筋肉の障害が、また胎生期の低栄養状態で生活習慣 病や精神発達障害が発症する、という仮説がたてられる。先天的な MeCP2 遺伝子変異で自閉症疾 患の Rett 症候群が、胎生期環境の異常で MeCP2 の発現低下、生後の栄養環境でその標的遺伝子の メチル化異常、といったように MeCP2 という一つの分子でもさまざまに疾患に関っている可能性 がある。 エピジェネティクス:概念は遺伝から環境へ 発生期 胎生期 人工授精・ 体細胞クローン 幼少期 低栄養状態 精神ストレス 成年期 壮年期 運動ストレス 慢性炎症 エピジェネティクスな障害 先天異常症 MECP2 が ん ・ゲノム刷込み疾患 ・X染色体不活化異常症 ・Rett 症候群 発現低下? ・固形腫瘍 ・白血病 MeCP2 標的異常? MECP2変異 筋肉障害 生活習慣病 ・肥 満 ・メタボリック症候群 精神発達障害・ 精神障害 ・筋遺伝子のメチル化変化 ・脳遺伝子のメチル化変化 点線は仮説 最後に、本日の委員会の目的であるエピジェネティクスの産業応用に関して、どのようなものが 望まれているかということを、医学、医療への応用面でお話しする。まず疾患の診断分野では、 病態把握機器の開発がある。ベッドサイドでの DNA メチル化定量装置とか、あるいはメチル化基 質濃度の測定装置の開発が必要と考えている。もしこれらの測定が簡単に出来れば、精神発達障 害につながるストレス判定、運動療法の効果や寝たきり状態の判定などにも使えるのではないか と考える。次に疾患の治療に関して、エピジェネティクス病の新薬の開発があると思う。現状の メチル化栄養素よりも優れた、よりよい効果を持つ薬物のようなものが発達障害児に使えるので 131 はないか、すでにロイコボリンという還元型葉酸は大腸がんで保険適用をとっていると聞いてい るが、その枠を広げ、よりよい薬の開発が切望されるであろう。究極的には、エピジェネティク ス病治療薬として、葉酸のように遺伝子ゲノム全般のメチル化に作用するのではなく、特定の遺 伝子だけに作用する薬、siRNA にその可能性があるともいわれているが、すなわち遺伝子特異的 メチル化剤の開発が望まれる。 産業応用への課題 1.エピジェネティクス病の病態把握機器の開発 ○ ベッドサイドで使えるDNAメチル化定量装置 ○ 血中・組織中(指先など)メチル化基質濃度測定装置 対象物質:5-methyltetrahydrofolate(5-MTHF), S-adenosylmethionine(SAM) (応用例) 発達障害児の診断や治療判定、ストレス判定(運動療法効果、寝たきり状態) 2.エピジェネティクス病の新薬の開発 ○ 優れたDNAメチル化効果をもつ薬剤 (応用例) 発達障害児(大腸がんでは既に保険適用)への治療 *究極の薬剤は、遺伝子特異的メチル化薬(siRNA?) 質疑応答 Q-1.葉酸は非常に興味深いが葉酸以外にも口から入れて細胞のメチル化の状態を変えるような ものはあるか。またそれをスクリーニングする仕組みあるいはマーカーといったものはあるか。 A-1.すでに使われている薬として葉酸以外では S-アデノシルメチオニンがより特異的な薬とし て実際臨床論文でもでている。ただ殆ど同じ代謝経路であるので発想は同じこと。これらをスク リーニングする方法は、今すぐには思いつかない。 Q-2.先ほどでてきた MeCP2 の標的遺伝子は自閉症の治療マーカーとなりうるか。 A―2.培養細胞において、メチル化基質の投与で DNA のメチル化が強化されるかどうかを見てい る。それがひとつの実験系になると思っている。しかし、最大の問題はこういった神経疾患は脳 細胞や神経細胞は分裂しないので分裂しない脳細胞において本当に付加されうるか、といった点 も考えていかなければならない。治ったという事実はあるが、メカニズム的にはまだ詰めるとこ ろがある。従って、分裂しない細胞においても DNA をメチル化できる薬物が望まれる。 Q-3.個別の遺伝子が問題になっているのかゲノム全体のメチル化が問題になっているのか。お そらく疾患ごとに違うのだろうけれども、さきほどの自閉症に関して特異的な遺伝子に作用して いるのか、これらが多数の遺伝子に関与しているのか。 A-3.自閉症に関しては全体なのか個別の遺伝子に作用しているのか区別できていない。 Q-4.それを明確化するストラテジーというのはあるのか。 A-4.今のところ神経疾患は単一遺伝子が多かっただけに、こういった精神発達障害疾患も少数 132 の遺伝子が係わっていると思っている研究者が多く、他の関係ない遺伝子のメチル化も見るとい うことがあまりなかった。実際に自閉症に関わるエピジェネティクス遺伝子は 1 つや 2 つではな いと考えているが、治療の指標となる代表的な遺伝子を見つけていくことが必要と思う。 Q-5.メチル化が個々か全体かということでは考えが複雑になってくるが、先生の発表にあった ベッドサイドでのメチル化の測定装置はどちらを想定しているか。 A-5.疾患によって違うと思うが、ここでは個別のメチル化を見られればよいと思っている。 Q-6.疾患がハイポメチレーションで起こっている疾患を紹介頂いたが、精神疾患でハイパーメ チレーションで起きている精神疾患はないのか。 A-6.子育てラットの例はハイパーメチレーションである。精神疾患でも両方ある。 Q-7.診断するときに、あるいは動物実験でハイパーメチレーションを解析する手段はあるか。 A-7.全ゲノム的にはマイクロアレイがある。臨床材料あるいは動物材料を使って個々の遺伝子 の、どの遺伝子のメチル化が普通に比べて高くなっているか、低くなっているかということで候 補遺伝子アプローチというのが今までに行われている。 Q-8.各遺伝子領域について疾患に対応してここはどうかと細かくみていく必要はあるか。 A-8.あると思う。 Q-9.精神疾患の例としてトリプレット病があるのでは A-9.ご指摘の通りである。単一遺伝子性で自閉症を来しうる疾患で一番歴史のあるのが、今日 話した Rett 症候群とは別に、X 染色体上の遺伝子の病気として脆弱 X 精神遅滞症候群というのが ある。これも比較的頻度の高い先天異常症である。プロモータ領域の DNA が異常に伸長する。伸 長の理由は繰り返し領域の数の増加なのだが、増加するとメチル化を受けてしまう。プロモータ 領域なのでその遺伝子がオフになる、ということが生ずる。CCG という配列の伸長なので、伸長 後 CG がリッチな領域が形成され、ハイパーメチレーションを生ずる。すなわち DNA の構造異常を スタート地点にしてエピジェネティクス異常が生ずる疾患である。 Q-10.S-アデノシルメチオニン(SAM)の欠乏が発症と関係しているかもしれないという話があ りましたがどういう疾患でしょうか。 A-10.自閉症である。Rett 症候群に臨床的には似ているが MeCP2 には異常を認めない患者で血 中や髄液中の SAM が低下しているという報告がある。このような低下の是正がメチル化基質の投 与でなされたと推測されるが、そのターゲットが DNA だけではなくて、アミノ酸とかカテコール アミンなどの可能性もある。この点はまだクリアになっていない。 Q-11.神経系のお話をされるのは久保田先生だけと思うので質問するが、今日は精神発達障害と いうことで話をされたが、例えば統合失調症とかその他の疾患の動向を簡単に説明してほしい。 A-11.患者の数としては自閉症よりも成人の精神疾患のほうがさらに多いと思うが、先ほどの葉 133 酸治療は最初どういう発想でスタートしているのかというと、大人の精神疾患患者への治療から であった。精神疾患は診断基準がクリアではないところ、つまり具体的、客観的マーカーがクリ アではないというところから、研究が遅れているところがある。メカニズムとして脳で何が起こ っているかわかっていないという意味では最も解明が遅れている分野である。これまではある遺 伝子の異常ではないかということで DNA の変化を中心に、盛んに調べられてきたが、あまり決定 的な知見がないということがあって後天的な要因も関係しているという発想からエピジェネティ クスの研究をやっている方が増えているのだと思う。葉酸の話ばかりで恐縮であるが、第二次世 界大戦の飢餓のときにお腹にいた赤ちゃんが後に成人病になるという報告があったが、同時にヨ ーロッパあるいは中国からは精神障害、統合失調症の患者がその世代に多かったという疫学調査 がある。胎児期の栄養不足というのは葉酸不足という側面もあった。この発想から葉酸を投与し て、葉酸あるいは SAM の効果というものがいわれている。ただ葉酸が精神薬としての万能薬にな るわけではない。葉酸が効く、効かないは別にして、環境要因による脳におけるエピジェネティ クスの変化というものが精神疾患一般に起こっている可能性がある。 Q-12.いまのところ、可能性があるという程度のものか。 A-12.いくつか発表があるが可能性というところに留まっている。 Q-13.その場合にネックになっているのが脳とか神経系の細胞の種類の複雑さがあると思われる のだが。たとえばパーキンソン氏病のエピジェネティクスをやろうと思ったらきちっと黒質細胞 だけを集めてこなければならない。そこまでやってエピジェネティクス解析をやっている人はい るのか。 A-13.そこまで厳密にやった人はいないし、ヒトの脳を対象になかなか解析できないといったこ とがある。精神疾患、脳の疾患の遅れた要因は、がんだと罹患した人の細胞を取ってくればいい のであるが、脳だと現実に生きている人から取ることは不可能であり、また、動物モデルもマウ スで自閉症や分裂症を見るというのもなかなか難しい。実験上の問題がある。今できているのは 亡くなってからの脳なので、自閉症だと小さいころ、若いころはそうだった、だけれども何十年 もたって長生きは普通しますから、その脳をみて、ここが普通の人と違うといっても決定的かど うかはわからないという材料の問題がある。ただ最近は遺伝子の改変動物などが進んできて、神 経疾患も動物モデルが出来てきている。そうすれば個別の細胞を採ってくるということもできる。 Q-14.亡くなってからのアプローチが必要だということであるが、その前に、ヒストンは難しい かもしれないが、DNA のメチル化はケミカルに安定であって、あまり死後の経過時間が問題にな らないとか、発現で見ようとすると発現がものすごく上がっている細胞があるとそれに引きずら れてしまうけれども、DNA のメチル化は個数に反映するので問題にならないとかそのあたりに着 目されている人はいるか。 A-14.勉強不足でわからない。精神疾患はがんよりも遅れていると思うが、今後はその発想で脳 の解析をやっていきたい。 Q-15.今、統合失調症とかうつ病が増えている。そのような病気において、発達してしまった脳 134 と発達期にある脳とではエピジェネティクスでどういう違いがあるか。 A-15.大人の精神疾患でも元々の要因は若年の時期にあるということをよく聞く。それが正しい とすると、小児の自閉症と成人の精神疾患とでは発症時期は違うが、エピジェネティックな発症 メカニズムはそんなに違わないという可能性もある。発症してくる時期が早いか遅いかというこ とだけで、両者は一連の流れの疾患ということが言えるかもしれない、つまるところ原因となり、 キーとなっている遺伝子がもしかして類似しているかもしれないと思う。がんのように出来上が ったパターンから後天的に変化してしまったのか、出来上がりつつあるときに、自閉症はそうだ と思うが、おかしくなってそういう風になるのか。しかし、まだこの考え方を支持するほどの知 見がないのでわからない。ただ1ついえることは、精神疾患では、生まれた時に決定的にある分 子が欠けていることによる脳の形の異常や脳形成上の異常ではなくて、微妙な調節の異常に起因 している可能性が高い。もしそうであれば、そういった調節のところに関るメカニズムとしてエ ピジェネティクスが関係していると思う。 Q-16.統合失調症なんかの数は昔からあまり変わらないような気がするが、うつ病は近年急に増 えたような気がする。診断法が進んだのかもしれないが。あと PTSD みたいなものもある。大人に なって完全に固まっているのに急にショックなどを受けてかかるようなものもある。 A-16.イミプラミンという精神疾患の薬(抗うつ剤)があって、それがエピジェネティックな効 果で脳の異常を治しているということが動物実験で行われたことがある。この論文は去年発表さ れた。この薬は何を治しているかというと、BDNF という遺伝子のエピジェネティックな異常抑制 を解除しているという。このことから、逆に、精神ストレスが BDNF 遺伝子(先ほどの子育てラッ トの場合はグルココルチコイド受容体遺伝子)のエピジェネティクスを変えてしまう、すなわち 後天的なエピジェネティクス変化がうつ病を発生させているということは十分ありえると思う。 このようなエピジェネティクス変化は一つだけではなくて多数に生じているかもしれないが、調 べられたのはまだ先ほどの BDNF 遺伝子である。そして、イミプラミンという抗うつ剤が治したの は DNA 修飾(メチル化)ではなくヒストン修飾だけであるということから、DNA 修飾まで治せな いので、発現抑制状態を完全に解除できていないため、薬を切ることができないという発表であ った。ある種の脳の遺伝子にエピジェネティックな変化を生じさせてしまう環境要因。これが現 代では広まっている。これがいま、うつ病が増えている理由かもしれない。 Q-17.自閉症でシナプスの可塑性の異常があるといわれた。改めて、シナプスの可塑性あるいは シナプスの意義なりといった時に何がメカニズムで、根本で動いているのかということを考えた ときにエピジェネティクスを考えなければいけないか。 A-17.その通りと思う。 Q-18.大人になる前の脳、それから大人になってからの脳のシナプスをどう維持したり変えたり しているかはこういった病気をきっかけにわかってくるように思うが。 A-18.自閉症の研究としてエピジェネティクスばかりをお話ししたが、シナプスを作り上げてい くネットワークを作るさまざまな分子がきちんと働いて神経細胞と神経細胞が接合しネットワー ク、すなわちシナプス形成がなされる。このような分子をコードする遺伝子の変異も自閉症の原 135 因となることが最近わかってきた。それが自閉症へのなりやすさ、多型、感受性となっている。 ただ同じような病態が先天的な遺伝子変異だけでなく、後天的なエピジェネティクス変化でもお こり得る可能性がある。そうだとすると、後天的な自閉症の発症時期が遅いもの、それが成人の 精神疾患と考えることもできる。 Q-19.一個一個の神経レベルでのエピジェネティクスがしっかりわかればそういうところも追求 しやすいですよね。 Q-19.その通りです。 Q-20.エピジェネティックな変化は遺伝子を使っていないと起こってくるという側面もあるので、 使い方が悪いと一旦へんな変化が起こるとそれが固定化してくるということが脳でも十分考えう ると思う。ただやっぱり研究技術がまだ追いついていないのではないかというのが共通の認識で すね。 A-20.(技術開発は)なかなか難しいが、その通りだと思う。 136 2)ゲノム刷り込み異常とヒト疾患群 講師: 佐賀大学医学部 分子生命科学講座 分子遺伝学分野 教授 副島 英伸 氏 1.はじめに ・ 「ゲノム刷り込み異常と疾患群」というテーマでお話しする。 ・ ゲノム刷り込みについては前演者の佐々木先生から十分に説明があったが、刷り込みの概念 についてはおさらいの意味で話し、ヒトにおける刷り込み関連疾患について話す。 ・ 更に、現在抱えている問題点と、今後どう展開すればよいかという点を、私見を交えて話す。 2.ゲノム刷り込みの概念 ・ ヒトの染色体は、女性 46 本(XX)、男性 46 本(XY)で、両親それぞれから 23 本ずつ受け継 いでいる。 「ゲノム刷り込み」とは、両親から受け継いだ一対の遺伝子のうち、どちらか一方 の遺伝子が発現し、他方は発現しないエピジェネティックな現象である。こうした遺伝子は、 ヒトでは 100~200 位はあると言われている。 ・ ゲノム刷り込みに異常が起こると以下のような疾患になることがある。これらについては後 ほど話しをする。 Prader-Willi 症候群 Angelman 症候群 Bckwith-Wiedemann 症候群 Silver-Russell 症候群 偽性副甲状腺機能低下症 新生児一過性糖尿病 胞状奇胎 がん ・ ゲノム刷り込み領域はゲノム中に散在しており、いくつかのクラスターを作っていて、それ ぞれのクラスターにクラスター全体を調節する刷り込み調節領域を有している。 ・ 受精した胚盤胞は二倍体で生育し体細胞系列の細胞となるが、生殖細胞系列の始原生殖細胞 から配偶子が形成される過程で、刷り込みが消去され新たに刷り込みマークが付けられ、次 の世代に受け継がれていく(図 1)。 ・ 刷り込み遺伝子は生体全体で均一ではなく、組織特異的で、発育特異的である。我々のマウ スでの実験では、脳の組織だけで特異的に発現する刷り込み遺伝子が確認されている。更に この遺伝子は子宮内にいる時は雌雄の由来が等しく発現しているが、生まれて 2 週間から 4 週間が経過して成長すると一方の親のアリルだけが発現し、他方の親のアリルは発現しなく なる。 137 図 1.ゲノム刷り込みの消去と獲得 受精 卵 刷り込みマークの獲得 精子 配偶子形成過程 雌 雄 胚盤胞 刷り込みの消去 始原生殖細胞 生殖細胞系列 着床 胎児 体細胞系列 3.ゲノム刷り込み関連疾患 ・ ゲノム刷り込み異常の疾患について: 1)胞状奇胎 ・ 妊婦の妊娠絨毛がぶどう房状に腫大して子宮膣に充満する疾患で、自然妊娠の中の異常であ る。 ・ 雄核発生するので、父由来のゲノムのみで発生する。 ・ 父性発現刷り込み遺伝子の発現が 2 倍に増加し、母性発現刷り込み遺伝子の発現は消失する ので母性発現する遺伝子は働いていない。 ・ 全ゲノムで刷り込み異常が生じると、受精はするが個体は発生しない。 2)Bckwith-Wiedemann 症候群(BWS)(副島教授の研究室で主に研究されている疾患) ・ ヒト 11p15.5 ゲノム刷り込み領域の 2 ヶ所のドメイン(KIP2/LIT1 刷り込みドメインと IGF2 /H19 刷り込みドメイン)で生じる。 ・ 臨床症状は、三主徴として巨舌、過成長、臍ヘルニアが挙げられ、その他の症状には低血糖、 片側肥大、耳の奇形がある。 ・ 7.5~10%の高頻度で、腎臓のウィルムス腫瘍、肝臓の肝芽細胞腫、副腎腫瘍、横紋筋肉腫な どの胎児性腫瘍が発生する。 ・ KIP2/LIT1 刷り込みドメインでは、母由来の遺伝子では LIT1 のプロモーター領域がメチル 化しており、父由来ではメチル化していない。その結果、細胞増殖を抑制する KIP2 遺伝子が 138 母由来では発現し、父由来では発現していない。BWS の患者では母由来の LIT1 プロモーター 領域が脱メチル化してしまい、メチル化と遺伝子発現のパターンは父親と同じになり、結果 として細胞増殖抑制遺伝子による抑制が効かなくなり、細胞がどんどん増殖して疾患を引き 起こす。 ・ 一方、IGF2/H19 刷り込みドメインでは、逆に母由来で非メチル化、父由来でメチル化とい う状態になっている。それにより、母由来では H19 遺伝子が発現するが、父由来では発現せ ず、細胞を増殖させる因子である IGH2 は父由来でのみ発現することになる。BWS やウィルム ス腫瘍では、母由来で高メチル化が起こり、父由来と同じパターンになり、IGF2 が両方のア リルから発現することになって、異常増殖を引き起こす。 3)Silver-Russell 症候群(SRS) ・ 低メチル化に起因する疾患である。 ・ 主な症状としては、子宮内発育遅延、低身長、身体左右非対称、性発育の異常などがある。 ・ SRS では、父由来の染色体 H19-DMR 領域で低メチル化を示すようになることで、IGF2 が発現 できなくなり、結果的に増殖ができなくなる。 4) Prader-Willi 症候群(PWS)と Angelman 症候群(AS) ・ 共にヒト 15q11-q13 の刷り込み領域で生じる。 ・ PWS は父由来 15q11-q13 の欠失により、 父性発現遺伝子の異常で発症し、AS は母由来 15q11-q13 の欠失により、母性発現遺伝子の異常で発症する。染色体の同じ場所であるのに、由来によ って全く異なる疾患が発症する例である。 ・ 主な症状は、PWS では新生児期から乳児期における著明な筋緊張低下、皮膚の色素低形成、 性器形成不全、幼児期から始まる過食・肥満、精神遅滞等であり、AS では重度精神遅滞、難 治性てんかん、失調歩行、笑い発作等である。 4.刷り込み関連疾患と生殖補助医療 ・ 最新のトピックスとして生殖医療と刷り込み関連疾患の関係が挙げられている。 ・ 生殖補助医療には、人工的に試験管の中で受精させる体外受精(IVF)と、卵の中に針を入れ て直接精子を注入する顕微受精(ICSI)がある。 ・ 生殖補助医療出産児においては、BWS や AS が発症する頻度が、正常出産児より高いという報 告がある。英国、米国、フランス等の例では、正常妊娠に比べて 2~3 倍程度言われている。 その原因として生殖医療では脱メチル化が起こる頻度が高いのではないかと考えられている。 5.刷り込み関連疾患でみられる分子遺伝学的異常 ・ 刷り込み関連疾患でみられる分子遺伝学的異常としては、以下のようなものがある。 染色体構造異常:欠失、転座等 片親性ダイソミー:一方の親のみの遺伝子セットが 2 つある 刷り込み遺伝子の変異:メチル化異常(imprinting defect)-脱メチル化・高メチル化・低 メチル化がある 139 6.これからのゲノム刷り込み研究 1)基礎研究 ・ 組織別、発育段階別の全ゲノムを対象とした刷り込み遺伝子・座位の同定と表現型の解析 ・ 刷り込みの確立・維持の分子機機構:DNA メチル化酵素、ヒストン修飾酵素とコファクター、 Non-coding RNA、small RNA ・ 刷り込みと核のリプログラミングの関係 ・ エピジェネティックな多型の同定と疾患との関連性:メチル化の個人差、刷り込みの個人差 2) 臨床研究 ・ 刷り込み疾患の診断・治療・予防:エピジェネティクな診断マーカー、エピジェネティクを 利用した治療法(エピジェネティクスを人為的に変更する等) ・ 生殖医療と刷り込み疾患:リスク判定、培養条件等の技術改善、不妊治療への応用(精子に おけるメチル化が原因している場合など) 7.質疑応答 Q-1.タイムスケールとして研究で示されたそれぞれの項目はいつ頃実現するのか? A-1.かなり技術的には難しいので、革新的なブレークスルーが必要だと思う。時間がかかるの ではないか。 Q-2.エピジェネティクス解析について、遺伝子におけるゲノム解析による、自費でのリスク診 断への利用のようなビジネスモデルが想定されるのか? A-2.個人的には、診療として、医療上必要な場合に行うべきだと考えている。 Q-3.生殖医療の場合、リスク判定はどうやってやるのか? A-3.倫理的な問題はあるが、例えば受精後に培養して卵割後、1 個だけ採ってやるとかが考え られるが、その場合でも、その 1 個がエピジェネティクでも残りの細胞と同じなのかといった問 題は起こる。 Q-4.生殖医療における技術改善とは具体的には何を示しているのか? A-4.ICSI、IVF の培養に関する技術、例えば培養液の調製の仕方、培養の時間等を色々と変え ることでエピジェネティックに安定な条件を見出すことを意味している。 Q-5.そうした ICSI や IVF の研究はマウスでやるか、ヒトでやるのか? A-5.ヒトでやるのは倫理的な問題があるので、マウスできちんとやって、それからヒトへの応 用を考えるべきであろう。 Q-6.人工受精においては、一般的に、脱メチル化の方向に行くのか、高メチル化の方向に行く のか? 140 A-6.人工受精で疾患発症の頻度が高くなると言われているのは BWS と AS だけであり共に脱メチ ル化である。一方、高メチル化で発症するのは SRS 等であるが、今のところ人工受精での増加傾 向は見られていない。 Q-7.1 個の細胞を採って来て、それを取り扱えるようにする技術は、今はできていない。そう した、細胞の取り扱い技術もエピジェネティクス分野の研究においては必要となるのか? A-7.in situ、in vivo でのエピジェネティクス解析技術の進歩は重要である。それに先立って、 情報の整理も必要である。 Q-8.生殖医療でエピジェネティックな異常の発生が多いということについて、厚生労働省等に より日本でのサーベイをやっているのか? A-8.日本ではやられていないし、まだ報告もないが、今後の課題であろう。日本では、生殖医 療で生まれる子供が毎年 1 万 2 千人にもなっており、50 人に 1 人の割合になっているので、産業 化している生殖補助医療の検証は必要である。 Q-9.組織特異的なエピジェネティクスは、インプリンティング遺伝子に限らず他の疾患でもあ るのではないか? A-9.何を見たらよいかと、検出技術等が課題であろう。 141 3)再生医療とエピジェネティクス産業の接点 講師: 国立成育医療センター研究所 生殖医療研究部長 梅澤 明弘 氏 1.はじめに エピジェネティクス産業の出口を再生医療とするときの具体的なアプローチについて 2 点提案 したい。第1点はエピジェネティクス修飾剤の開発、第 2 点はドナー細胞の規格化である。 第 1 点のエピジェネティクス修飾剤の具体的なものとしては、分化誘導剤と脱分化誘導剤が挙 げられ、分化誘導剤としては 5-アザシチジンのような脱メチル化剤を考えている。5-アザシチジ ンは、米国では、Phamion 社が骨髄異形性症候群の治療薬として販売しており、私も分化誘導剤 として使用している。これとは逆に脱分化誘導剤、同様にエピジェネティクスを変化させるクロ マチン修飾剤があります。例えば、京大山中教授の iPS 細胞作成で使用されたがん遺伝子 c-myc,Klf-4 は、細胞ががん化する可能性が考えられるので、それに代わる低分子の修飾剤を得 るのはどうかという提案です。 第 2 点は移植のドナー細胞の規格化です。具体的には T-DMR (Tissue-dependent, Differentially Methylated Region)を短時間で検証するソフトを開発し、それによりドナー細胞の分化形質の担 保が出来ないかということ。更に、産業化している移植医療の安全性を担保するためにドナー細 胞の腫瘍化可能性を、がん遺伝子 p16、RB 等の遺伝子のエピジェネティックな変化を網羅的に解 析し、形質転換可能性の Cut off 値を設定し、移植可能性を担保出来ないかということです。 2.再生医療について 肝臓が再生することは、 「プロメテウスは、ゼウスによりカウカソス山の山頂に縛り付けられ毎 日その肝臓をハゲタカに食われていたが夜中に再生した」という神話が示すようにギリシャ神話 の昔から分かっていました。更にアルコール性肝硬変の患者の肝臓でも、粒粒の再生部分が観察 され、肝臓の再生が行われることがわかります。また、成育医療センターでは年間 25 例肝臓移植 142 が行われますが、残された部分、移植された部分が元の大きさに戻ります。即ち肝臓は再生する ということです。しかし、一方心臓は再生しませんので、心筋梗塞を起こすと心筋細胞が死滅す るのみであります。実際どの程度再生医療が進んでいるかというのが次のスライドです。 幹細胞の分化能力と治療対象 ドーパミン産生 神経細胞 幹細胞 ES細胞 iPS細胞 間葉系幹細胞 パーキンソン病 心筋細胞 心筋梗塞 膵臓β細胞 糖尿病 血管内皮細胞 動脈硬化症 骨細胞 骨欠損・骨粗しょう症 血液細胞 白血病・輸血 皮膚細胞 火傷等による皮膚欠損 角膜細胞 角膜疲弊症 スティーブンスジョンソン症候群 成育医療センターは、爪の先から月経血までヒトの各種組織の体細胞の供給源、バンクとして 機能しています。研究用の細胞は理研(筑波)より、医療・産業界用のものは医薬基盤研から入 手可能です。これらのチップ情報は、NCBI の GEO に寄託してある。そのほかに誰が何処でも使用 できる universal 細胞として、ES 細胞、iPS 細胞、精巣細胞があります。本当に同じ特徴を有し ているかは不明です。 再生医療の例として Duchenne 型筋ジストロフィーの治療について解説する。幼少期に発症し、 進行性の筋萎縮による筋力低下が起こり、多くは 20 歳代に心不全、呼吸不全で死亡する。筋ジス トロフィーの中で最も頻度が高いx連鎖劣性遺伝性疾患で、男児の 3,500 人に一人が発症する。 原因は Dystrophin の異常で骨格筋での Dystrophin の欠損が起きることです。我々の携わる再生 治療では、月経血からの細胞(脱落してきた子宮内膜細胞)に DNA メチル化阻害剤である 5-アザ シチジンを用いて骨格筋細胞に分化させています。 この DNA メチル化阻害剤である 5-アザシチジンは、骨髄異形成症候群に対する適応で世界で始 めて FDA に承認された薬で、症状を改善し、輸血の必要性をなくし、白血病の発現を遅延させま した。2004 年7月の米国発売以来医療機関に広く受け入れられ、2004 年度の売上高は 100 億円程 度になっています。その作用メカニズムは DNA のメチル化を阻害することで遺伝子の配列を変化 させることなく、クロマチン構造を変化させ遺伝子の発現を変化させ、腫瘍性増殖を抑制するこ とです。また、5-アザシチジンの誘導体である 5-aza-2’-deoxycytidine(Decitabine)も、ハ イリスクの患者に 5-アザシチヂン以上の有効性が期待されています。 骨髄異形成症候群とは、白血病に移行する前の前白血病のことで、元都知事の青島幸男氏が亡 143 くなられました。この病気で使用されている 5-アザシチジンを再生医療で使用できないかと言う ことです。下図に見られるように、ヒトの月経血を用いモデルマウスで移植した細胞の 10%程度 で Dystrophin 発現陽性になります。 ヒトDystrophin陽性細胞 Human dystrophin-positive myotubes Mol Biol Cell, 2007 移植後3週、6週齢 将来問題になる可能性があるのは、抗がん剤である 5-アザシチジンを使用していることで、特 に、がん専門の先生方が問題にするかもしれません。ここで使用している月経血とは、螺旋動脈 が痙攣し虚血により月経 1 日目に落下してきた子宮内膜の細胞で、とても良く増殖します。 医療の現場ではどうかと言うと、細胞医療と再生医療の現状で、難治性の心不全の患者 8 例に、 国立循環器病センターで骨髄の間葉系細胞を打ち込んでいます。実際に移植した細胞が心筋にな った事実は無いのですが、確実に効果が出ています。実際にはカテーテルを用いて心筋組織に 10 の 9 乗の細胞を打ち込みました。 ここで言いたい事は、再生医療でメチル化阻害剤を分化誘導剤として用いることができるかど うかということです。その一方、がんのリスクと同じリスクもあります。さて、間葉系の細胞で ある月経血と同じ間葉系の細胞にがん遺伝子 c-Myc、Klf4 を用いて万能細胞である iPS 細胞を作 成しています。しかし、これらがん遺伝子を用いることは難しいと思われるので、代わりに脱分 化誘導剤として、クロマチン修飾剤を使用することが出来るかということです。言い換えると、 エピジェネティック修飾剤の in vivo スクリーニング系ができるかどうかということです。 細胞分化とエピジェネティクスの関係を簡単に説明します。発生が進むと細胞は多分化能を失 っていき、ある限られた細胞にしか分化できなくなる。多分化能を有する細胞からある系統にし か分化できない細胞への移行は、細胞の潜在性の消失または遺伝子発現の制限にほかならない。 細胞特異的な遺伝子の発現は、細胞特異的な転写因子による転写活性と細胞特異的なゲノムのメ チル化による転写抑制があり、どちらの影響がより強いかは細胞ごと及び遺伝子ごとに異なる。 144 組織幹細胞の分化における制限はゲノムのメチル化にあり、その構造を意識し改変することが再 生医療における細胞転換のきっかけとなる。 このような科学的な根拠を基盤として、既に動き出している再生医療において、委員である塩 田先生が精力的に研究している T-DMR を用いて細胞の規格化をしたい。組織の細胞は培養すると メチル化が固定します。変な話ですが、メチル化の状態が分化状態に反映するのではなく、分化 状態がメチル化の状態に反映するわけです。このメチル化の状態を検査し分化形質を担保できる かどうかということです。言い換えると、細胞を心臓に移植する前に、この細胞が骨に分化しな いことを担保するような判別式ができないかと言うことです。判別式が出来、更に、エピジェネ ティクス検査、メチル化検査を一日で出来る機械が出来れば、移植前にドナー細胞の移植可能性 の検討が可能になります。もう一つは、がん遺伝子のプロモーター領域を網羅的に解析して、判 別式を作成し、移植するドナー細胞の腫瘍化の可能性の Cut off 値を決めようと言うものです。 再生医療はがんと比べると研究費が少ないが、再生医療は NEDO の動向調査に見られるようにか なりの規模で進展しています。 そこで、GeneChip 解析の Affymetrix 社のビジネスモデルを参考に、細胞の初期状態、有用細 胞のスクリーニング、発がん関連遺伝子解析により安全性を検証するエピジェネティクス産業を 興そうというのが今回の提案です。まず始めに、どんな稚拙なものでもいいから、プラットフォ ームを上市しデファクトスタンダードを作ろうというものです。何故かというと、はじめにデー タを取ると、後で比較するためにはプラットフォームの変更ができなくなるので、どんな稚拙な ものでもデファクトスタンダードを創ろうと言うことです。例えば我々の仕事でも骨髄で得られ たデータを月経血で取る時も同じプラットフォームを使用しています。だから、エピジェネティ クス産業のデファクトスタンダードを早く作り、新産業を興そうというのが私の提案です。 治療薬関係では、エーザイがデシタビンを開発している MGI ファーマを買収し、Phamion 社が サリドマイドとその誘導体を開発、販売している Cell gene に買収されました。 145 3.質疑応答 Q-1.分化の方向で、子宮内膜だと心筋で、月経血だと筋肉で、組織により決まっているのです か? A-1.どちらも筋肉になりやすい。心筋になる場合には胎児心筋のフィーダ細胞を用いています。 全ゲノムのメチル化を解除するような 5-アザシチジンを細胞にかけると、月経血は骨格筋になり ます。心筋をフィーダにして、月経血に 5-アザシチジンをかけると心筋になります。間葉系細胞 は、間充織を生める細胞として十羽一絡げに間葉細胞と言われているが、上皮細胞と同じように 組織により、その初期値が異なるということです。そして、この大きな差を際立たせるのに 5-ア ザシチジンは有用です。がんでも、5-アザシチジンの脱メチル化する遺伝子に順番があることが 分かってきました。エピジェネティク修飾が何処まで行われているかが色々あるということです ね。 Q-2.再生医療はがんと比較すると今は小さいけれども、うまくいきだせば増えてくると考えて いますか。 A-2.再生医療は、がんのような蓄積型の病気には効果がありませんが、細胞、組織が壊れてい く変性疾患には有用な治療法です。再生医療は、心臓疾患、糖尿病のような一般的な疾患でどの ようになるかは、期待されているものの現時点ではどのように発展するかについては分かりませ ん。壊れるということでは、機能が低下して壊れるというのと、細胞がいきなり壊れていくとい う 2 通りあると思いますが、機能が低下して壊れていくほうにエピジェネティクスが関係してい ると思います。 Q-3.環境で病気になりやすい人なりにくい人が、SNP 等で調べられていますが、細胞の規格化 にはどうでしょうか? A-3.細胞の規格化には SNP はまったく無効だと思います。再生医療の規格化にはエピジェネテ ィクスしかないということです。 Q-4.規格化に関しては、1 点ががんで、すぐに実施しなければいけないのが、移植する細胞が 骨になるかならないかを 1 日で決めるということですが、in vitro で細胞を取り扱っていると、 正常でもなくがんでもないといったことが心配になりませんか? A-4.とっても心配です。先ほどの 5-アザシチジンでも心配です。自分で 5-アザシチジンをかけ ておいて検証しろというのも変ですが、そういうことです。かけるのにエピジェネティクスの修 飾剤も欲しいし、同時にそれが安全であるとの保証をエピジェネティクスの解析から検証して欲 しいわけです。 Q-5.先ほどの dystrophin の実験では月経血の 10%の細胞で発現していますが、実際に治療に使 用するとなると、どれくらいの細胞が必要になりますか? A-5.心筋と呼吸に関する筋肉が必要なのでかなりの量が必要になります。実際カナダでは両親 の骨格筋を移植していますが、とても足りません。現在可能であろうと考えているのが、月経血、 胎盤のバンクか、ユニバーサルセルである ES か、iPS、精子から取ってくる細胞になるのではな 146 いかと考えています。言い換えると死ぬべき細胞であるが大量にあるもの、または、不死の細胞 ということになります。 Q-6.女性は助かりますよね? A-6.そうです。そして女性の細胞を用いて子供も救えるというわけです。今までメディカルウ エイストといわれていた月経血、胎盤をきちっとした規格でバンク化する必要があるということ です。 Q-7.再生医療的に分化するか、しないか色々やってみて調べていくアプローチと、エピジェネ ティクスを調べて、こうすれば分化するはずだというアプローチとどちらが有効と考えますか? A-7.どちらも有効だと考えます。後のほうはやったことがありません。実際にやってみてうま くいくかどうか研究しているのが再生医療の研究者です。 Q-8.iPS 細胞のエピジェネティクスも研究したほうがよいと考えますか? A-8.山中教授がエピジェネティクスと次世代シークエンサーにより全配列解析すると昨日の分 子生物学会・生化学会で発表していました。 147 4)免疫の可塑性とエピジェネティクス 講師: 京都大学ウイルス研究所 教授 生田 宏一 生体応答学研究部門 生体防御研究分野 氏 1.Th1 細胞と Th2 細胞の分化 免疫系でエピジェネティクス研究について話題提供する。 免疫学では世代を経て作用をする本来のエピジェネティクスという観点で対象となる現象はな い。むしろ一個体の中で幹細胞からいろいろな細胞に分化していく、あるいは分化した細胞が特 異的な遺伝子を発現誘導する過程でエピジェネティックな現象が多々見られる。そういった観点 での研究が進んでいる分野だと思われる。 ご存知のように免疫系を担う細胞の 中で T 細胞が非常に重要な役割を果たし ている。T 細胞にはヘルパーT 細胞とキ ラーT 細胞があり、その中でヘルパーT 細胞の系統は胸腺の中で T 細胞になった 後、Th0 というナイーブ T 細胞として末 梢に分布している。その後、抗原(微生 物)と出会って活性化されると細胞間の 図1 対話を促すタンパク質であるサイトカ Th1 細胞と Th2 細胞の分化 インの IL-12、IL-4 あるいは細胞内の転 写因子である T-bet、GATA-3 が発現して Th1 や Th2 へと次第に特化していく(図 1)。これをポーラライゼーションと呼んでいる。その過 程でここで動くサイトカインや転写因子が相手側の系統に移行することを相互に抑制(mutual inhibition)していることがよく知られている。Th1 はその後末梢では細胞性免疫で中心的な役 割を果たし、Th2 は液性免疫、抗体産生を誘導する働きをする。一度ポーラライズしてしまうと その性質はなかなか変わらない。そういった意味で特定の形質を細胞分裂が起こった後も受け継 いでいく現象である。 特に Th2 の場合には IL-4、5、13 とい ったサイトカインを産生するのが特徴 である。この 3 つのサイトカインの遺伝 子はほぼ同じ場所(図 2)に存在してお り、この 3 つの間に Rad50 とか Kif3a と いった免疫系とは全然関係ない遺伝子 が散在している構成になっている。千葉 大学の山下先生が明らかにされた一例 だが IL-13、4 の上流に GATA-3 が結合す 図 2 遺伝子の位置関係 るモチーフ(配列)が保存されていて、 Th2 に特徴的な転写因子の GATA-3 が結 148 合することでヒストンのアセチル化が拡がっ ていく、あるいはインタージェニックな転写が 拡がっていくことを明らかにされている。世界 中の多くの研究室がこのローカスを解析して おり、ここに紹介した以外のこともたくさん知 られている。 その中でこの遺伝子座が核の中で 3 次元構 造を含めてどういう形になっているか解析が 進んでいる。クロマチン コンフォーメーショ ン キャプチャー(3C)法があり、クロマチン 図3 上の二つの離れた場所が核内でどれくらいの 3C 法で推定された立体構造 距離にあるのか知ることができる。3 つのサイ トカインの遺伝子座は比較的近く、2 つの関係ない遺伝子座は離れた位置にあるらしいことがわ かった。そのため図 3 のようなループを形成していると考えられる。だから、特定の遺伝子の発 現誘導は二次元的なクロマチン上の修飾だけではなく三次元的な動態がどうなっているかが重要 なファクターだと思う。 2.記憶 T 細胞の維持 ナイーブ T 細胞が Th1、Th2 に分化することを示したが、これらは抗原と出会ったあと大部分は いわゆるエフェクターT 細胞として機能を発揮して死んでいくが一部の細胞は記憶 T 細胞として 体内に長く、人の場合は一生生き残る細胞となる。記憶 T 細胞は体内で時間が経つと減ればじわ じわとその分増えて維持されているわけだが、何十年にも渡って維持される点は非常に面白い現 象である。活性化状態にある遺伝子鎖を維持するものとして Trithorax あるいは抑制された状態 に維持するために Polycomb 複合体がある。そのなかで活性状態を維持する Trithorax グループに MLL というタンパクがあり、これはヒストン 3 番目 K4 をメチル化する活性をもつ。 これも千葉大学の山下先生の仕事だ が、GATA-3 が Th2 のマスター転写因子で あるように、Trithorax の MLL という転 写因子が GATA-3 ローカスおよび Th2 サ イトカインの遺伝子鎖にリクルートさ れている(図 4)。MLL のノックアウトマ ウスを調べると記憶 Th2 細胞の維持に障 害が出ることが知られている。MLL が GATA-3 やサイトカイン遺伝子鎖に結合 して記憶細胞を維持するのに関わって 図4 いることが推定されるという結論を得 MLL による記憶 T 細胞の維持 ておられる。これが引き金になってヒス トンのアセチル化やインタージェニックな転写が非常に長期にわたって維持されていることが示 唆される。 149 3.制御性 T 細胞の分化と機能 次に、非常に話題になっている制御性 T 細胞(Treg)の分化と機能について話す。制御性 T 細 胞とは自己免疫応答を普段から抑制している細胞である。制御性 T 細胞は胸腺の中で自己と比較 的強く反応してしまう細胞がやがて Treg となる。それ以外にナイーブ T 細胞からもインビトロ等、 TGF-β あるいはレチノイン酸で Treg を誘導することができる。 幾種類かある Treg 共通に言えることは FoxP3 という転写因子が非常に重要な働 きをしていることである。FoxP3 の遺伝子 に変異が入ってしまった病気には人では IPEX 症候群、マウスでは Scurfy mouse というものになる。これらでは T 細胞の 抑えが効かなくなるためにさまざまなア レルギー疾患、自己免疫疾患、炎症疾患 を起こして死んでしまう。最近、制御性 T 図5 HDAC 阻害剤による制御性 T 細胞の制御 細胞に関して HDAC 阻害剤をマウスに投与 すると制御性 T 細胞の割合が増えてきた ことが報告されている。色々調べられた結果はマスター転写因子、マスターではないという議論 も起きているが、FoxP3 がアセチル化を受けると DNA 結合能が上がりその結果 IL2 の転写誘導を 抑える、すなわち活性が高くなる(図 5)。HAT が関わるが逆の作用をする HDAC9 があり、HDAC 阻 害剤は HDAC9 を抑え制御性 T 細胞の数を増やしている。HDAC インヒビターと mTOR インヒビター のラパマイシンを併用すると心臓のアログラフト等の移植片の生存が非常に良くなったという報 告がある。 4.V(D)J 組換えの制御 話は末梢から元の方へ戻る。リンパ球は骨髄の中にある造血幹細胞からリンパ球の前駆細胞を 経て B 細胞 T 細胞、T 細胞の場合は αβ 型、γδ 型の T 細胞に分化する(図 6)。 リンパ球の初期分化の特徴はそれぞれの 細胞が少しずつ違った抗原受容体(レセ プター)を細胞表面に発現することであ る。最終的にはそれを使って外から侵入 して来た病原体を認識する。利根川進先 生のノーベル賞受賞の課題であるが、抗 原受容体が発現するまでには、DNA 上で離 れた部品の遺伝子が VDJ 組み換えにより 図 6 リンパ球の分化とサイトカイン 完成した遺伝子になりその過程で多様な レセプターが生み出される。沢山の部品をランダムに組み立てるのだが、実際にはランダムでは なくて段階的に細胞系列特異的に制御されている。B 細胞では免疫グロブリンでしか組み換えが おこらないし、最初に H 鎖が組み換えられて、次に L 鎖の組み換えが秩序だって起きる。 150 この組み換えを担う酵素として RAG1、RAG2 という DNA を切断する酵素が知られているが、共通 の酵素を使ってステージの異なる、異なるクロマチンの組み換えが起こされることは不思議な現 象だった。それを説明するモデルにアクセスビリティモデルがある。違うのは酵素ではなく組み 換えを受ける DNA であって、クロマチンの状態により開いたアクセスできるところで組み換えが おき、閉じたところでは起きないことが提唱され、やがて証明されてきている。開いたクロマチ ンの特徴としてジャームライン転写、あるいはヒストンアセチル化がある。閉じた側のメルクマ ールとして DNA のメチル化が知られている。 私たちの研究でリンパ球の初期に働 く IL7 レセプターの機能を解析するた めに IL7 レセプターノックアウトマウ スを作製した。そのマウスでは T 細胞 の抗原受容体の中で γ 遺伝子の DNA 組 み換えだけが特異的に障害されている ことを見出し(図 7)、原因はヒストン のアセチル化が低下していることだと わかった。コントロールマウスとノッ クアウトマウスの違いを図にまとめた。 図 7 ノックアウトマウスでの VJ 組み換え コ ン ト ロ ー ル マ ウ ス で は T cell Receptor γ 鎖(TCRγ)のヒストンが アセチル化されていて転写も起きてい る。ノックアウトマウスではそれが低 下している。ヒストンのアセチル化が 低下していることが影響している。図 はノックアウトマウスでは Jγ および エンハンサーのアセチル化レベルがコ ントロールに比べて低下していること を示している(図 8)。 図8 ノックアウトマウスでのヒストンアセチル化の低下 私たちは IL-7 レセプターによって活 性化された転写因子 Stat5 が γ 鎖の遺 伝子鎖に結合して、さらに転写のコア クティベーターをリクルートする。コ アクティベーターは HAT なので周辺の クロマチンをアセチル化しそれが引き 金となってクロマチンのリモデリング が惹起され開いた状態になる。DNA 転写 装置や組み換え装置がアクセスできる 開いたクロマチンに誘導されることを 提唱した。実際ここで HDAC インヒビタ 図9 ーを投与すると組み換えを起こさなか HDAC 阻害剤による組み換え再開 151 ったところが組み換えを起こすことを観察している。 γδ 型 T 細胞は胎生期から成体にかけてそれぞれ特徴ある抗原受容体を発現した細胞が順番に 分化していくことが知られている。その順番は J 遺伝子から離れていく順番で、γδ 型 T 細胞の 分化は実は DNA 上での組み換えに依存していることがわかっている。私たちと大阪府立母子保健 総合医療センター研究所の縣先生との共同研究で、胎児期から成体になるにしたがって 4 つ並ん でいる部位のうち胎児期に特徴的な部位が脱アセチル化し閉じてしまい成体になると離れたとこ ろにつながっていくことにより、次第に異なる VDJ 組み換えがおきた細胞が生まれてくることが わかった。 実際に HDAC インヒビターを加えると成体の幹細胞から胎児型の Vγ3、4 といった遺伝子と組み 換えが起きた細胞が得られる(図 9)。γδT 細胞の分化はクロマチンの状態と DNA 組み換えが密 接に関連していて人為的にコントロールできる面白い系である。VDJ 組み換えで世界中で非常に 面白い研究がなされている。 β 鎖遺伝子は 200kb 以上の大きい遺伝子なので異なった場所に 3D-FISH を行うことができる。時々この順番とは異なる順番にある像が見られる事がある。核内 でループ構造を作っていて離れた部位と DJ が近づくことで組み換えが誘導されることが推定さ れる。このルーピング以外に核膜の近くにあるのかあるいは中の方に移ってきたのかのサブヌク レアリロケーション、あるいは(2 遺伝子の物理)距離が長いと(プローブの輝点が)離れて見 えるのに、近寄ってくるローカスコントラクションといった手法でも解析されている。 5.造血幹細胞の自己再生 造血幹細胞は自己再生能とあらゆる細胞に分化できる 2 つの特徴ある性質をもつ。造血幹細胞の 自己再性能について研究がなされている。幹細胞は胎児期からネオネイタル、アダルトの幹細胞 にやがて変わっていく。自己再生に必要なファクターとして新生児期に Bmi-1 という Polycomb 複 合体の一員が、p16 の発現のコントロールに関わっているとされているが、いかにセルフリニュ ーアルに関与しているかは細かいことはわかっていない(図 10)。 図 10 造血幹細胞の自己再生と老化 152 6. まとめ、基礎研究が求めるツール 以上の研究の話題提供は終わり、提 案というよりこういうことができれば、 皆さんに開発していただければ現場の 研究者はうれしいというものを示した い(図 11)。免疫学は感染、自己免疫疾 患、腫瘍、移植片拒絶といった、臨床 医学のあらゆる科に横断的に関係して いる幅広い分野である。それぞれの分 野で既知の手法があり解析されている。 図 11 免疫学におけるエピジェネティクス研究の しかし、我々が日々研究する中で限界 に感じることにはスタティック(静的) 展望 な状態は 2 次元的な情報、3 次元的な情 報であれ調べることはできる。ところが多次元の情報を統合するような技術やダイナミック(動 的)に調べる方法がこれからは求められているのではないだろうか。あと、先ほども出ていたが 特定の細胞、特定のローカスで選択的にクロマチンの状態を変えていくような低分子化合物がで きれば有難いし、そういった選択的に変える研究手段があればいいと思う。現在の技術ではハー ドルが高いができれば革新的な方法だろう。 7.質疑応答 Q-1.実用的な意味を考えたとき免疫が関わっていてなかなかうまくいっていないことが結構あ る。NEDO へは色々な提案があり、たとえばがんのワクチン、免疫療法などが提案されるがなかな か効かないという話がある。今はやっているインフルエンザでもワクチンを打っても効果が出る までに数週間かかってしまう。あるいは、はしかやポリオなどのワクチンを昔打っていても効果 が低下してしまう。ぼやっとした話だがそれらの解決策を考えたとき、先生の話が今後の展開に どう関わるか見通しはありますか? A-1.非常に難しい質問だと思います。たとえば記憶 T 細胞や記憶 B 細胞をいかに維持し続ける か?具体的な答えは用意できないがこの観点で解決できるだろう。いっぽう VDJ 組み換えは非可 逆的な変化で、ランダムにありとあらゆる可能性を作り出して後で害のあるものを除いて残りを 使って敵と戦うシステムである。VDJ 組み換えを人為的にコントロールするというより、できた ものをいかにうまく維持したり広げたりすることを考えるような受身的な、一見いい加減なやり 方のほうがうまくいくのではないかと感じます。ちゃんとした答えになっていませんが。 Q-2.はしかにかかると一生かからなくなるということは記憶 T-cell、B-cell ができることによ るものでしょうか? A-2.そうだと思う。 Q-3.記憶が弱まるというのは、記憶 B-cell T-cell がなくなるのか?エピジェネティックな修 飾が壊れるのでしょうか? 153 A-3.それは非常に面白い Question だと思います。記憶細胞は長生きすると言われているがやが ては少しずつ死んでいく。同じ刺激が入ると活性化されて増え戻ることがある。しかし、何も刺 激がなく長期にわたったとき記憶細胞を維持するいわゆるホメオスタティック・イクスパンジョ ンという、じわじわと細胞が増殖するメカニズムがある。それには IL-7 や他のサイトカインが関 わっていることが知られている。記憶 T 細胞がどうなっていくかを調べるには、はしかならはし かに対する記憶 T 細胞を経時的に追う必要がある。そういう研究は進みつつあるがエピジェネテ ィックスという観点で若い記憶細胞、年取った記憶細胞で違いがないかどうか研究されてはいな いと思う。機能がエピジェネティカルに低下していっている可能性もあると思います。 Q-4.先生の紹介された分子の多くは Trithorax にしても Gap-Stat 系にしてもある意味どこの細 胞にでもある一般的なものだが、向かっている先が免疫に絡む遺伝子になっている。特に組み換 えに関してはそうなっている。そのときに例えば腸管だと組み換えが IL15 で起きて、胸腺だと IL2 でおきる。そうすると細胞が分化するとき一般的な因子を使う。そうなるといやでも組み換 えが起きないといけないようなクロマチン変化がついでにおきている。あるいは細胞が起きるこ ととそれが切り離せないことになっているかと想像しながら伺った。General を使って Specific を説明するにはどうもそうするしかない。 A-4.Stat5 に関しては結合場所が頻繁にあるのは γ の遺伝子鎖だけで関係はクリアだと思われ る。結合部位がいくつかあってどの部位を使うのかということに関しては、ひとつだけ転写因子 E2A がアダルトタイプの V2 の組み換えを起こすのに必要なのがノックアウトマウスの解析でわか っている。だけども順番にどうなっていくのか、何かやはりスペシフィックな要因もあるはずだ が、おそらく転写因子だがそれを支えるメカニズムはわかっていない状況です。 Q-5.少なくとも食べ物の中あるいは血液中の成分によってシグナル系を含めて変わっていき、T 細胞が胸腺型と腸管型に変わっていく、そういうバランスが変わっていくことがあるのではない かと思われるが? A-5.非常に面白いアイデアだと思います。たとえば組み換えではないが、腸管における樹状細 胞でレチノイン酸が作られて腸管へのリンパ球のホーミングがコントロールされているというこ とが最近報告されている。先生がおっしゃったような可能性はあると思います。 食品の短鎖脂肪酸の中で HDAC 活性を持っているものもあるそうです。 154 5)リウマチ膠原病・アレルギー疾患および腎臓病におけるエピジェネティクス 講師: 埼玉医科大学附属病院 リウマチ膠原病科 教授 三村 俊英 氏 1.関節リウマチ(RA)の背景 日本の患者数はおよそ 75 万人。RA は関節の滑膜が自動的に増殖することによって起こり、関 節の炎症、変形を引き起こす。全身の関節に起こり得る。未だ RA の原因は不明。一旦発病すると 進行性で、かつ完治する可能性が極めて低い。発症率には人種間に差が無く、アメリカの患者数 は 200 万人。RA の病態に TNFαが関与していることが明らかになっており、その治療には TNF 阻 害薬が有効である。この生物製剤の使用により関節破壊が抑制され明らかに症状の改善が認めら れるが、使用を中止すると炎症が再燃して来る。そのため患者がドラッグフリーになることはほ とんど無い。また全患者に有効なわけではなく、途中で無効になることも少なく無い。 RA 由来滑膜線維芽細胞は増殖能が高く、in vitro において長期間継代を続けても、増殖能・サ イトカイン産生能が極めて高く維持される。 関節リウマチの病態におけるTNFの役割 Lymph. transmembrane TNF-α matureDC Actv. Mφ TNF-β TNF-α hepatocytes T IL-12 B Lymphotoxin-α IL-1 IL-6 IL-17 Vascular endothelial cells Osteoclasts Chondrocytes Synovial cells 2.全身性エリテマトーデス(SLE)の背景 日本の患者数はおよそ 7 万人。全身性の疾患で、腎臓、肝臓、肺の出血、中枢神経障害、筋肉、 心臓など多くの臓器が障害される慢性の持続的疾患であり原因は不明である。免疫抑制剤や副腎 皮質ステロイド薬に反応するが、症状が改善したり、悪化したり活動性に波がある。しかし薬を 継続しないと症状が再燃する。自然寛解はしない。発症には自己抗体が重要であることが明らか になっている。自己抗体が疾患発症数年以上前から発現しているとの報告も有る。一卵性双生児 の片方が発病した場合、もう片方が発症する割合は約 3 割であることから、遺伝的要因もあるが、 それ以外の要因も大きい。 155 3.RA、SLE とエピジェネティクスとの関係 RA、SLE に関連するエピジェネティクスの現象として以下の報告がある。 ・ 通常女性は片方のx染色体がメチル化されているため、メチル化された x 染色体上に有る T 細胞の CD40LG(B 細胞の活性化に関係する)遺伝子はサイレントになっているが、SLE 患者 では脱メチル化されており、遺伝子発現して CD40LG 量が増えている。また、SLE では T 細胞 の DNA 全体で脱メチル化されていることが示されている。 ・ 薬剤のプロカインアミドやヒドララジンなどは薬剤誘発ループス(薬剤で誘発される SLE に 似た症状の病気)を引き起こすが、これらの薬剤は T 細胞のメチル化を抑制することが知ら れており、SLE 患者での知見と一致する。 ・ SLE 患者の単球では TNFαローカスのヒストンが高度にアセチル化されており、TNFαが患者 の末梢血に多い。 ・ 動物モデルでは SLE モデルマウスで HDAC 阻害剤の全身投与で症状が改善する。 ・ RA モデルマウスでも HDAC 阻害剤を関節内投与すると関節炎が抑制される。 ・ 軟骨細胞の MMP(タンパク分解酵素)は細胞外基質を破壊することによって、骨、軟骨を破壊 するが、HDAC 阻害剤はこの遺伝子発現を抑制し、軟骨破壊が阻止される。 ・ RA 患者の滑膜細胞と変形性関節症(OA)患者の滑膜細胞、正常人の滑膜細胞のDNAメチル 化状態を調べると、RA の人では低メチル化な領域が多く、MMP-13 のプロモーター領域も脱 メチル化されている。 ・ 強力な抗原提示細胞である樹状細胞(DC)は感染症や悪性腫瘍などで生体を守る必要がある ときには、T 細胞に抗原を提示し、T 細胞を活性化して免疫系を調節する機能を有している。 自己免疫疾患や移植、腫瘍において治療目的に免疫系の調節を行うために、DC を修飾するこ とが最近のトピックスとなっている。HDAC 阻害薬を正常人の末梢血由来 DC に加えると、通 常の成熟した DC よりも、貪食能が強くなり、未熟なタイプの DC の性質を示し、制御性 T 細 胞の機能をより高める可能性がある。すなわち、DC の成熟にヒストンメチル化、アセチル化 が重要であることを示している。 HDAC阻害剤添加により骨髄細胞由来樹状 細胞の成熟化は変化し未熟樹状細胞様の機 能を獲得するーサイトカイン産生の変化 156 4.アレルギー疾患の背景 日本の喘息患者はおよそ 235 万人、罹患患者数が年々増加している。喘息による死者は減少し ているものの、年間 3~4 千人が死亡している。気管支喘息は原因不明であるが、その病態は気管 支の好酸球性慢性炎症で、気道過敏状態は喘息の症状が無い時にも存在している。一旦罹患する と完治は非常に困難。ステロイドなどの治療によって気道の炎症は抑制されるが、治療中止によ って再燃する。 5.喘息とエピジェネティクスの関係 気道細胞の HDAC 活性と HAT 活性のバランスを調べた場合、正常人では HDAC 活性優位であるが、 喘息患者や喫煙者では HAT 活性優位となっている。同じ喘息患者でも、ステロイド薬を使用して いる場合は使用していない場合よりも HDAC 活性が高くなっている。 実際、テオフィリンは HDAC の発現と活性を増強する効果があることが示された。低容量のテオ フィリンを投与すると HDAC 活性が高まる。すなわち HDAC 活性と HAT 活性のバランス状態を考え ると、正常な場合は HDAC に傾き、気管支喘息の場合は HAT に傾いている。このバランスをステロ イド投与によって HDAC 側に変えることで症状をコントロールしている。しかし、薬の投与を止め るとバランスが HAT 側に傾き再燃すると考えられる。 The epigenetic imbalance between HAT and HDAC in pathogenesis of bronchial asthma HDAC HAT Normal Glucocorticoid HAT HAT HDAC HDAC Theophylline Bronchial Asthma 6.腎臓病の背景 慢性腎臓病(CKD)の患者数は 480 万人、実際に透析を行っている患者は少ないが、毎年 3 万 6 千人が透析に移行している。 7.腎臓障害とエピジェネティクス 腎臓では糸球体でアルブミンより分子量の大きいタンパク質はトラップされる。また、尿細管 では水分や小さなタンパク質などが吸収され、不要なものは分泌される。クレアチニンは筋の代 謝産物で、腎臓で再吸収や分泌されたりしないので糸球体のろ過能力、すなわち腎臓機能の状態 を示すと考えられている。腎臓疾患の種類に関わらず、腎臓の機能が低下すると 1/血清クレアチ ニン濃度をある期間を見ていくと同一直線上を段々低下し、血清クレアチニン濃度がおよそ 157 8mg/dl になると透析に移行することが知られている。腎臓疾患でエピジェネティクスが関与して いるかどうかは未だ不明であるが、RA や SLE、アレルギー疾患と同様、腎臓病の臨床的特徴が原 因不明で完治困難であること、また腎障害が一旦進行し機能低下すると改善しないことから、エ ピジェネティクスの関与が推測される。現在までに示されている報告例としては、腎臓病の動物 モデル治療において HDAC 阻害薬を使用したものがあるが、エピジェネティクスの解析は未だ進ん でいないのが現状である。 進行性腎障害において血清クレアチニ ン値(Cr)は進行性に上昇する 1/Cr 1.0 - 糖尿病性腎症 慢性糸球体腎炎 良性腎硬化症(高血圧性) 免疫学的疾患に伴う腎障害(SLE、血管炎など) 尿細管間質性腎障害 透析 0.1 0 Time 8.まとめ 臨床分野におけるエピジェネティクス領域の意義は、RA の TNFα阻害剤のように、どのような 人に有効なのか分からないものを、エピジェネティクスを解析することによって、その異常の程 度で有効な人を選別したり、稀に完治する人がいるがそのような人を識別することができるなど、 予後を予測し治療法を決めることに利用できれば価値がある。TNFα阻害剤などは病態の表面、炎 症に近い部分を抑えているだけであり、病態の深遠な部分には作用していない。そのため、中止 すれば症状が悪化する。動物モデルの結果などから推察すると、エピジェネティクス解析で真の 病態を明らかにすることが可能であると思われる。また、現在は動物モデルの関節に直接 HDAC 阻 害剤を投与しているが、ある種の細胞特異的な治療法もエピジェネティクス解析により可能にな ってくると思われる。 9.質疑応答 Q-1.一度進行すると元に戻らないというのはエピジェネティクスの特徴が出ていると感じられ た。TNFα阻害剤の投与のタイミングは日本とアメリカとで違うのか? A-1.100%安全な薬ではない。TNF 受容体の融合タンパクで死亡者が出たとの報告があったが、 どのような治療をしても死亡者はいる。問題なのはその数がこの薬を使用しても十分には改善し ていない点で治療としては不十分であると言わざると得ない。そのため日本では抗リウマチ薬を 試して改善されない場合に生物製剤を使用することになっている。一方、アメリカでは関節リウ マチ発症後の早い内に、破壊を防ぐために積極的に生物製剤を使用する傾向がある。 158 このように高価な薬、危険な可能性のある薬の適用症例が新たに診断できるだけでもエピジェネ ティクスの効果がある。 Q-2.紹介された疾患の共通項は原因不明と言うことと、不可逆的に進行することなどである。 気管支喘息薬のテオフィリンは古くから処方されているが、最近 HDAC 活性を増強する作用を持っ ていることが明らかとなり、またバルプロ酸なども中枢神経系の治療薬として使われているが、 HDAC 活性を持つことが分かってきた。このように病気の原因も薬効のメカニズムも分からない場 合でも投与することで効果があれば、今後のエピジェネティクス解析でそのメカニズムが分かっ てくるのではないか? A-2.そのような例は今後増えると思われる。薬剤が SLE に似た症状を起こすことが古くから知 られていたが、最近エピジェネティクスが関与していることが推定されている。 Q-3.気管支喘息において、HDAC と HAT のバランスが作用しているのは T 細胞か? A-3.既知なのは肺の組織や気管支上皮細胞など限られた場所である。 Q-4.RA に関しては現在いろいろな免疫抑制剤で臨床試験をやっている。今後有効な薬剤も増え てくるのではないか? A-4.免疫抑制剤では炎症を抑えるが関節破壊は十分には抑制しない。また、原因治療にはなら ないし完治しない。 Q-5.多型解析から HLA 型が予後に関係しているような報告がある。 A-5.一部には関係するが、それだけでは全ての関節リウマチ患者の病態を説明できず、むしろ それ以外の要因の方が重要である。 159 6)メタボリックシンドロームとエピジェネティクス 講師: 東京医科歯科大学 難治疾患研究所 分子代謝医学分野 教授 小川 佳宏 氏 1.はじめに ・ 平成 19 年 5 月 9 日の日経新聞によると、メタボリックシンドロームについて、成人の有病者 が日本では 1,300 万人と推計される。 ・ メタボリックシンドロームは、心筋梗塞、脳卒中のような動脈硬化性疾患の危険因子として重 要であると位置づけられている。 ・ メタボリックシンドロームは、過栄養や運動不足を背景とする心血管病(動脈硬化性疾患)の 予防医学のために確立された概念である。環境要因の関与が少なからずあるのでエピジェネテ ィクスが関係すると考えられている。 ・ 実際的には、肥満(内臓脂肪型肥満)があると高血圧、糖尿病、高脂血症が同一の個人に発症 しやすく、最終的には動脈硬化を引き起こす。このスキームがメタボリックシンドロームの中 心的なものである。 ・ メタボリックシンドロームは多因子疾患で遺伝素因と環境素因が重要であるが、 この両方をつ なぐものとしてエピジェネティクスが存在すると考えられる。 2.遺伝素因によるメタボリックシンドローム 1)単一遺伝子変異により発症する先天性肥満症 ・ 私たちは脂肪組織から分泌されるホルモンであるレプチンの研究を進めてきた。 ・ これは、非常に重要なホルモンであり、食欲を減らしてエネルギーの代謝を促進させ、体重を 減少させる。 ・ このレプチンという遺伝子がひとつ欠損するだけで肥満を発症することが英国のグループか ら報告されている。 ・ すなわち肥満あるいはメタボリックシンドロームは単一遺伝子の変異によっても起こりえる。 2)倹約遺伝子仮説 ・ しかしながら、最近なぜ急に肥満やメタボリックシンドロームが増加してきたかは、実は単一 の遺伝子異常だけでは説明がつかない。 ・ 我々の先祖は長い期間飢餓に直面して生きてきたため、飢餓に有利な体質、遺伝子の変異を蓄 積して現在飽食の時代を迎えている。 ・ 狩猟・採集社会は我々の先祖が生きてきた時代で、この時期に生き抜くためには最終的余剰エ ネルギーを蓄積できる遺伝子素因というものが必要となり、これは倹約遺伝子と呼ばれる。 ・ 現在はこの倹約遺伝子多型が裏目に出て、むしろ肥満になり糖尿病等の生活習慣病を発症しや すくなった。 ・ 大事なことは、日本人は倹約遺伝子多型(SNPs)が多いと言われており欧米人と同じような生 活習慣をするだけで日本人はより生活習慣病が発症しやすいと考えられている。 160 3)肥満関連遺伝子 ・ 単一遺伝子変異により発症する先天性肥満症の原因遺伝子は先ほどのレプチンも含めて複数 のものが知られている。 ・ 多くの関連 SNPs が同定されており、β3 アドレナリン受容体遺伝子、UCP ファミリー遺伝子、 PPARγ遺伝子などが有力なものとして注目されている。 4)β3 アドレナリン受容体遺伝子多型 ・ 日本人の場合、β3 アドレナリン受容体の遺伝子多型である Arg/Arg と Trp/Arg が全人口の約 40%存在している。 ・ この多型の場合、基礎代謝が低くて痩せにくいことが分かってきている。 3.環境要因によるメタボリックシンドローム 1)Leslie P. Kozak 氏の論文の紹介 ・ 遺伝的背景が同一である C57BL/6 マウスを高脂肪食負荷(低脂肪食―高脂肪食―低脂肪食―高 脂肪食の形)で交互に飼育したところ、太りやすいマウス(High gainer)と太りにくいマウ ス(Low gainer)で図 1 のように変化があることが報告された。 ・ このマウスは遺伝的背景が同一であるため、遺伝子変異を伴わないいわゆるエピジェネティッ クな制御があるのだろうと思われる。 ・ 特に High gainer の脂肪組織では太る前の段階でインプリンティング遺伝子の Peg1/Mest の発 現が増加している。 ・ 遺伝子の発現パターンの変化により「高脂肪食負荷で将来太るかもしれない(Foreshadow)」 ということを予測できるかも知れない。 PLoS Genetics 2:e81, 2006 遺伝的背景が同一である C57BL6 マウ スの う ちに 高 脂 肪食負荷により太りやすい個 体(High gainer)と太りにくい 個体(Low gainer)がある→塩 基配列の変化以外にエピジェ ネティックな制御がある。 太りやすい個体の脂肪組織ではインプリンティング遺伝子Peg1/Mestの発現が増加 図 1.Foreshadow 161 2)肥満の脂肪組織と Peg1/Mest に関する知見 ・ 高脂肪食を 10 週間負荷した肥満の脂肪組織では、Peg1/Mest の遺伝子発現が増加している。 ・ しかも脂肪組織特異的に Mest の遺伝子を発現させると図 2 のように脂肪細胞が大きくなって 肥満に相当する状況が誘導された。 ・ 肥満の脂肪組織において増加する Peg1あるいは Mest というものが、実際どこのアレルから 発現しているかを研究した結果、Paternal アレルがそのまま保持されている。 ・ この脂肪組織で発現しているインプリンティング遺伝子自体のアレリズムの変化はなかった。 ・ 発生の段階で良く知られているこのようなインプリンティング遺伝子が生活習慣病の発症に 関係する可能性がある。 炭水化物食 4W 10W 高脂肪食 4W 10W Mest 28S 脂肪組織重量(g) 肥満の脂肪組織とPeg/Mestに関する知見 0.7 0.6 0.5 0.4 0.3 0.2 0.1 0 炭水化物食 高脂肪食 4W 10W 4W 10W 脂肪組織特異的 に Peg/Mest を 過 剰 発 現 す る ト ラン スジェニックマウス では脂肪細胞の肥 大化が認められる M. Takahashi et al. Am. J. Physiol. 288:E117-E124, 2005 肥満の脂肪組織におけるPeg1/Mest遺伝子発現はPaternalアレル由来である Y. Kamei et al. FEBS Lett. 581:91-96, 2007 図 2.肥満の脂肪組織と Peg1/Mest に関する知見 3)第 2 次世界大戦末期のオランダにおける飢饉 (Dutch Famine) ・ ナチスドイツによる出入港禁止措置によりオランダの一部の地域では戦争の最後の段階で非 常に厳しい食糧難に陥った。 ・ この飢饉を経験した母親の出生児は大人になってから肥満やメタボリックシンドロームを発 症しやすかったという結果がある。 4)“Developmental Origins of Health and Disease” ・ 実際小さく生まれた子供程、心血管病での死亡率が増加する。 ・ 従って実際妊娠しているお母さんの食事、すなわちその影響を受ける胎児にとっては、その段 階での食事内容が将来の動脈硬化性疾患、メタボリックシンドロームに関係する可能性がある。 ・ 胎生期あるいは周産期の段階に色々な環境の影響を受けることによって将来の疾患発症がプ ログラミングされる。 ・ 40 歳、50 歳で生活習慣病が発症しているが実際は胎生期あるいは新生児期の環境要因が極め 162 て重要である。 5)日本における低出生体重児の増加について ・ 日本は、先進国中において低出生体重児率が非常に高いとされている。 ・ 低出生体重児が増えているのは、若い女性が医師による行き過ぎた体重管理に過敏に反応して ダイエットをしてしまうこと、喫煙率が上昇していること、晩婚・晩産化などがあげられる。 ・ 少子高齢化を迎えるわが国においてメタボリックシンドロームの発症予防の観点で低出生体 重児の増加は非常に大きな問題である。 6)低出生体重と生活習慣病・動脈硬化性疾患との関連 ・ 栄養状態が悪い、あるいは子宮の中にいる間に環境変化が起こると肝臓、膵臓、骨格筋、視床 下部・下垂体系、腎臓、血管、心臓などメタボリックシンドロームに関係する全ての臓器にお いて様々な変化をもたらす可能性がある。 ・ メタボリックシンドロームに関係する糖尿病、高血圧、高脂血症そういうものが最終的に動脈 硬化につながる。 7)子宮内胎仔発育不全(IUGR)ラットの内臓脂肪型肥満 ・ 子宮内胎児発育不全(IUGR)で蛋白質制限モデルであるラットは、生まれた後、特に内臓脂肪 型肥満を発症しやすい。 ・ このラットの脂肪組織の中では、脂肪細胞の増殖・分化、脂質合成に関係する酵素が増加し、 血管新生を促進し、血管新生を抑制する因子が減少する。 ・ 脂肪組織が増加しやすいような、体脂肪量が多くなりやすいような遺伝子の変化が、子宮内の 胎児の発育段階での栄養操作で起こる。 子宮内胎仔発育不全(IUGR) ラットの 内臓脂肪型肥満 ラット蛋白制限 モデル(20%→8%) ラット脂肪組織(130日齢) 体重変化(-) 内臓脂肪重量↑ 脂肪細胞径変化(-) DNAマイクロアレイ解析 ・脂肪細胞増殖・分化↑ 脂質合成酵素↑ ・血管新生促進因子↑ 血管新生抑制因子↓ H. Guan et al. Am. J. Physiol. 288:E663-E673, 2005 図 3.IUGR ラットの内臓脂肪型肥満 163 8)子宮内胎仔発育不全(IUGR) ラットにおける膵β細胞数減少と肥満・耐糖能異常 ・ 子宮動脈を結紮したラットのモデルでは、仔が子宮内胎仔発育不全(IUGR)で産まれる。 ・ 細胞で染めてあるのが膵臓のランゲルハンス島で、染まっていない中央の部分にβ細胞が豊富 に存在する。 ・ しかし、普通のラットに比べて明らかにβ細胞の量が少なくなっている。 ・ このため最終的に肥満や糖尿病が発症しやすくなる。 子宮内胎仔発育不全(IUGR) ラットにおける 膵β細胞数減少と肥満・耐糖能異常 ラット子宮動脈結紮モデル 3ヶ月齢においてIUGR群に肥満、高血糖 β細胞量↓、Pdx-1(β細胞の増殖・分化に関与する転写因子)の発現↓ GLP-1アナログExendin-4を出生後6日間投与により回復する Diabetes 52:734-740, 2003 図 4.IUGR ラットにおける膵β細胞数減少と肥満・耐糖能異常 9)子宮内胎仔発育不全(IUGR)ラットの肝臓における遺伝子発現とメチル化 ・ 肝臓に関してこの蛋白質制限モデルを使うと PPARαとか GR 遺伝子のメチル化に変化が生じて、 肝臓の病態を引き起こす可能性がある。 ・ どれほど意味があるか不明だが、Dmnt1 の遺伝子発現が減少する。 ・ 妊娠中に葉酸を補充しておくとこれらの変化が改善するデータがあるため、DNA のメチル化が 何らかの形で関与する可能性がある。 164 子宮内胎仔発育不全(IUGR) ラットの 肝臓における遺伝子発現とメチル化 ラット蛋白制限モデル Dmnt1遺伝子発現 IUGR群では離乳後の肝臓においてGRとPPARαのメチル化減少に 伴って遺伝子発現の亢進が認められ、同時にDmnt1遺伝子発現が 減少する。妊娠中に葉酸を補充するとこれらの変化が起こらない K.A. Lillycrop et al. J. Nutr. 135:1382-1386, 2005 K.A. Lillycrop et al. BMJ 97:1064-1073, 2007 図 5. IUGR ラットの肝臓における遺伝子発現とメチル化 10)子宮内胎仔発育不全(IUGR)と腎糸球体数減少 ・ 腎臓に関しては、腎臓糸球体数の減少が IUGR の場合に起こる。 ・ これはヒトの疫学的調査であり、実際にラットの子宮動脈結紮モデルでは腎臓において、様々 な遺伝子の変化が起こることが一部の研究者から報告されている。 子宮内胎仔発育不全(IUGR)と腎糸球体数減少 ヒト剖検検体の腎臓の糸球体数と出生体重の相関関係 出生体重が小さいほど、糸球 体の数が少ない傾向がある M.D. Hugason et al. Kidney Int. 63:2113-2122, 2003 ラット子宮動脈結紮モデル(妊娠19日目) Dmnt1遺伝子発現↓ p53プロモーターのメチル化↓ p53発現増加およびリン酸化亢進 腎臓アポトーシス↑ (カスパーゼ活性↑、Bax/Bcl2↑、TUNEL染色陽性 ↑) 腎糸球体数の減少(8割弱) T. D. Pham et al. Am. J. Physiol. 285: R962-R970, 2003 図 6.IUGR ラットと腎糸球体数減少 165 11)子宮内胎仔発育遅延(IUGR)モデルマウス ・ 下図は、右側が新生仔の正常マウスで体重は約 1g で左側が母親の 30%カロリー制限したマウ スで体重は約 0.9g である。 ・ 生まれた後まったく同じように里親に育てさせて飼育し、 生後 8 週齢より高脂肪食にて飼育し た。 ・ 結果として小さく生まれたマウスが高脂肪食によりより太った。 ・ このメカニズムは新生仔期の段階でレプチン分泌異常が起こって視床下部ニューロン発育障 害が起こると考えられる。 ・ これが視床下部の構造変化を引き起こして最終的に肥満、 メタボリックシンドロームを起こし やすくなる。 ・ これは、まったく遺伝子操作を加えてないため、 エピジェネティクスが関与する可能性が高い。 ・ レプチンは体重が多くなると血中濃度が上昇することは良く知られている ・ 生まれたての新生仔期の段階に注目すると、レプチンは体重の増加とは全く関係なく一過性に 増加するレプチンサージ現象が報告されている。 ・ IUGR のマウスではレプチンサージの調節障害が認められ、これが視床下部のニューロンの発 育障害をもたらされる。 ・ 以上より、最終的には肥満・メタボリックシンドロームが生じるではないかと考えられる。 Role of premature leptin surge in obesity resulting from intrauterine undernutrition Cell Metabolism 1:371-378, 2005. 子宮内胎児発育遅延(IUGR) モデルマウス 新生仔期レプチン分泌異常 視床下部ニューロン発育異常 レプチン 抵抗性 エネルギー 調節障害 肥満・メタボリックシンローム 遺伝子変異を伴わない メタボリックシンドロームの成因 図 7.IUGR モデルマウス 12)子宮内胎仔発育不全(IUGR)ラットにおける新生仔期のレプチン投与の効果 ・ 新生仔期にレプチンを投与すると、 高脂肪食負荷によって後で起こってくる肥満というものを 是正する、正常化すると報告されている。 ・ すなわち新生仔期にレプチンを投与して脳内の非常に可塑性の高いニューロンに作用すると 脳の中で変化が起こってこういった将来の肥満というものが抑制できる可能性がある。 166 ・ 同じように新生仔期にレプチンを投与すると成獣になってから、メタボリックシンドロームに 関係する遺伝子が後になってから発現のパターンが変化する。 ・ これが特に胎仔期の栄養環境によって異なってくると分かってきている。 ・ レプチンというものが、 あくまでも生まれてから後の新生仔期の段階で非常に重要ではないか と思われる。 子宮内胎仔発育不全(IUGR) ラットにおける 新生仔期のレプチン投与の効果 UN-veh UN-Lep AD-veh AD-Lep IUGRラット( 30%摂餌量制限) 新生仔期(3-13日齢)のレプチン投与 により、高脂肪食負荷により誘導され る肥満が正常化する。体脂肪量と摂 餌量、血中インスリンやレプチンが正 常化し、低下する運動量も回復する。 M. H. Vickers et al. Endocrinology 146:4211-4216, 2005 新生仔期のレプチン投与( 3-10日齢)が成獣 期(170日齢)の肝臓における11βHSD、PPARα、 GRの遺伝子発現とメチル化を検討。胎仔期の 栄養環境(AD or UN)により異なる。 P.D. Gluckman et al. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 104:12796-12800, 2007 図 8.IUGR ラットにおける新生仔期のレプチン投与の効果 13)受精時のメチル基供与体制限による肥満、インスリン抵抗性、高血圧 ・ 肥満やメタボリックシンドロームにアプローチするためにメチル化というものを促進するよ うなエサをヒツジに食べさせる。 ・ メチル基の供与体である葉酸、ビタミン B6、ビタミン B12、メチオニン等を食べさせたときに 肥満やメタボリックシンドロームに対する影響が最近報告された(2007 年 12 月) 。 ・ メチル基供与体というものをわずかに減じたエサを使ったメチオニン不足のヒツジを使った 場合、妊娠率や体重に影響がなかった。 ・ これらの動物では特に雄性において肥満、インスリン抵抗性、高血圧が観察された。 ・ 従って受精の前後のメチル基供与体の軽度な制限が、何らかの形でエピジェネティクスの作用 が働いて将来のメタボリックシンドロームの発症に関係する可能性がある。 167 受精時のメチル基供与体制限による 肥満、インスリン抵抗性、高血圧 ヒツジ受精時のメチル基供与体制限モデル 受精の8週間前から6日後までメチル期供与体 (VB12、葉酸、メチオニン)をわずかに減じた餌に より飼育したメチオニン不足(MD)群と普通餌群 の母ヒツジに人工受精して、6日目の受精卵を普 通餌の代理母に移植、出産、養育させた。妊娠率 や出産仔の体重には影響なかった。 成獣期(22ヶ月)では(特に♂において) MD群は 肥満、インスリン抵抗性、高血圧を呈す 体重と体脂肪量:♂MD群>普通餌群(♀同様の 傾向)。 インスリン抵抗性:♂MD群>普通餌群 血圧:♂MD群>普通餌群(♀有意差なし)(図上) AIIによる昇圧反応:MD群>普通餌群(図下) K. D. Sinclair et al. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 104:19351-19356, 2007 図 9.受精時のメチル基供与体制限による肥満、インスリン抵抗性、高血圧 4.まとめ 1)倹約遺伝子説と倹約表現型説 ・ 倹約遺伝子説は世代を超えて、我々の先祖が進化していく過程で遺伝子の変異というものを蓄 積してなるべく生存できるように、飢餓に耐えうるように、飢餓に対する抵抗性を獲得するプ ロセスだった。飽食の時代を迎えて、それが裏目に出ている。 ・ IUGR に関しては、胎生期の低栄養、倹約表現型であり遺伝子の変化を伴うものではない。生 後にエネルギーをためやすくするような表現型を獲得し、 成人期の生活習慣の乱れにより生活 習慣病をより高頻度に発症する。 ・ この二つは明らかに異なり一世代限りかトランスジェネレーショナルかどうかはわからない が、後者にはエピジェネティクスが強く関係している可能性がある。 2)遺伝素因と環境素因とエピジェネティクス ・ 以上より、遺伝素因、環境素因の二つの中でエピジェネティクスが存在するのは間違いない。 ・ 肥満体質あるいはメタボリックシンドロームに対する疾患感受性を決める一つの要因として 遺伝子変異も重要である。 ・ また単一遺伝子の変異によっても肥満は起こりえる。 ・ 環境因子(エピジェネティクス)として胎生期低栄養にはエピジェネティクスが関連しており、 我々の生前、 あるいは生直後において肥満体質の少なくとも一部が決定されている可能性があ る。 3)低出生体重(妊娠母体の栄養不足)とダイエット/リバウンドとメタボリックストレス ・ 低出生体重児以外にも極端なダイエットとリバウンドあるいはメタボリックストレス(様々な 168 代謝のストレス)によるメタボリックシンドロームの発症にもエピジェネティクスの機序が関 与する可能性がある。 ・ この中でエピゲノム変化は多くの遺伝子発現調節に関連すると考えられるが、これ自体が直接 メタボリックシンドロームをもたらすとともに器質的変化を生じる可能性がある。 ・ このような観点からも肥満やメタボリックシンドロームに関して産業面でどれだけのインパ クトがあるか考える必要がある。 ・ そもそもメタボリックシンドロームは動脈硬化の予防医学の観点からきているので、まずそれ を予知することが極めて重要でありそのために診断技術の確立が重要である。 ・ エピジェネティクスの制御によりメタボリックシンドロームを発症しやすい体質、疾患感受性 を予防・制御するためには、環境因子として食品、食育が重要である。 ・ 発症後には、 創薬のターゲットとしてどのように関与していくかを今後考えていく必要がある。 5.質疑応答 Q-1.Peg1/Mest の話で、アレリックな型は変化せずに遺伝子発現が変化したのはエピジェネテ ィクスが関係しているか? A-1.メチル化は検討したが明らかな差はなかった。肥満のプロセスで変化しているよりはむし ろ通常の転写因子と DNA 上の配列の相互作用による変化と考えている。ヒストンの修飾も詳しく 調べていない。 Q-2.Peg1/Mest 以外の遺伝子ではエピジェネティクスが関わっているのかもしれないのでは? A-2.インプリティング遺伝子約 30 個に関しては、肥満のときに脂肪組織で Peg1/Mest は最も多 く増えており、それ以外はあまり増えていなかった。 Q-3.胎生期あるいは新生期の問題で、あとで肥満になっていく場合、どこの細胞、どこの組織 をターゲットと考えればいいのか? A-3.メタボリックシンドロームのスキーム自身は脂肪組織を上において考えているが色々な説 がある。IUGR のモデルの場合おそらく全ての臓器が全身の全てのメカニズムを使って飢餓をメモ リー(造語:メタボリックメモリー)し、色々な臓器で飢餓等のストレスに対する防御反応とし て確立することが、倹約表現型説の実態と考えている。全ての細胞で起こっており上下関係は特 に初期の段階ではあまりないと考える。ただ、臓器によってどのフェーズが重要なのかについて 時期特異性があり得るので、その意味で上下関係はあるかもしれない。 Q-4.視床下部の問題、β細胞の数の問題だったり、とするとそれが起きているのはもっと前の 段階ではないか。症状がないが胎生期、生まれて直ぐのセットの部分でと考えたときにやはり、 ターゲットは何処の細胞なのか。 A-4.もしかしたら中枢が最初で二次的変化が色々な臓器で起こって、また中枢にフィードバッ クがかかってと考えられるが、前後関係ははっきりしていない。 Q-5.例えばそれを診断に使う、エピジェネティクスの素因があるかを診ていくとしたら何処を 169 診るかに絡んでくるのではないか A-5.メタボリックシンドロームは全身の臓器が関係するため、尿とか血液をみてもどこを反映 しているか分からないかもしれないし、もし白血球のようなものがマーカーとして反映している のであればいいのだが、その辺りまだまだ研究を進める必要がある。 エピジェネティクの変化や細胞の変化は胎生期にダイナミックに起こり、新生期にも続いて、子 供の頃にも少しは起こりうるが、胎生期の影響は極めて見やすいので見えているが人間の生活を 考えると子供の頃の影響も積み重なっていくのはもちろんあるわけで動物の数を増やせば、人間 であれば数万の単位で研究を進めれば見えてくるのではないか。 170 5-3.議事録 第3回 エピジェネティクス調査委員会 議事録 開催日時: 平成 19 年 12 月 12 日(水)13:30-17:30 開催場所: NEDO 1901 会議室(川崎市幸区大宮町 1310 番 ミューザ川崎 19 階) 出席者: 牛島委員長(国立がんセンター)、塩田委員(東大)、佐々木委員(国立遺伝学 研究所)、牧野委員(オリンパス株) 、杉原委員(日本化薬株) 事務局:山崎(NEDO)、長張・清末・世良田(JBIC) オブザーバー:多喜田部長(NEDO)、他 計 44 名 1.はじめに ・第 2 回調査委員会議事録が事務局から紹介され了承された。 ・事務局から第 4 回以降の調査委員会実施予定、調査委員会の目的、構成メンバー、調査フロー、 調査研究体制、実施計画書に記載した調査項目等について説明された。第 4 回(1 月 16 日)はエ ピジェネティクス解析技法をテーマとして 4 人の講師(理化学研究所 岡本晃充氏、東京大学 油 谷浩幸氏、オリンパス株 長谷川晃氏、東京大学 村田昌之氏)が決まっているが、最後になる第 5 回はテーマ、講師とも未定であると報告された。 ・多喜田 NEDO バイオテクノロジー・医療技術開発部長から以下の内容の挨拶があった。 エピジェネティクスがサイエンスとして大分成熟してきたという感じである。今後産業技術とし てどの程度の活用度があるかで牛島先生に委員長をお願いして調査委員会を開催している。NEDO は独立行政法人になってから非常に機動的に予算が組める体制になっているので、当然経済産業 省との協調が必要であるが、是非、今後の非常に重要な分野であるエピジェネティクスで産業競 争力強化のための良いテーマの構築といった観点でご議論頂ければと思っている。 2.エピジェネティクス研究開発動向等発表 がん以外の疾患と再生医療をテーマとして外部講師 6 人から各専門領域におけるエピジェネティ クス研究開発動向等が発表された(30 分/人)。発表タイトルと講師名は下記の通り(発表内容の 詳細は別途記録)。 (1) 精神発達障害とエピジェネティクス 山梨大学大学院 医学工学総合研究部 環境遺伝医学講座 教授 久保田健夫 氏 (2) ゲノム刷り込み異常とヒト疾患群 佐賀大学 医学部分子生命科学講座 分子遺伝学分野 教授 副島英伸 氏 (3) 再生医療とエピジェネティクス 国立成育医療センター研究所 生殖医療研究部長 梅澤明弘 氏 171 (4) 免疫の可塑性とエピジェネティクス 京都大学 ウイルス研究所 生体応答学研究部門 生体防御研究分野 教授 生田宏一 氏 (5) リウマチ膠原病・アレルギー疾患および腎臓病におけるエピジェネティクス 埼玉医科大学附属病院 リウマチ膠原病科 教授 三村俊英 氏 (6) メタボリックシンドロームとエピジェネティクス 東京医科歯科大学 難治疾患研究所分子代謝医学分野 教授 小川佳宏 氏 3.今後の進め方等 牛島委員長から下記が発言された。 ・次回(第 4 回)のテクノロジーの枠で候補者がいれば推薦をお願いする。また、推薦は後日で も受け付けるので牛島委員長または事務局に連絡頂きたい。 ・第 5 回は、クローン、植物をテーマとして幅広く押さえたいと思っており、具体的には遺伝研 角谷先生と理研小倉先生を考えている。他に多少の枠があるので候補者がいれば推薦して欲しい。 ・調査委員会ではエピジェネティクス技術マップを作っていきたいと思っているので個別にご連 絡頂ければと思っている。 4.スケジュールの確認 資料 4 により今後のスケジュールを確認した。次回(第 4 回)調査委員会は 1 月 16 日午後 NEDO で開催される。 5.その他 最後に NEDO 多喜田部長から以下の内容の発言があった。 3 回目に初めて出席したが大変面白く、非常に勉強になった。技術マップ等を考えるのも良いが、 エピジェネティクスの勉強に参加して頂いて、良いアイデアを出してもらうことが重要であると 思う。調査委員会の中で何か知恵になるディスカッションが出来ればと思っている。第 4 回、5 回の講師に関しては、NEDO としてもサーベイする。 172 5-4.まとめ 1)精神疾患 幾つかの先天的精神疾患はメチル化調節の異常によることが解ってきた。加えて、生まれたば かりでは正常だが、成長するにしたがって異常を呈する後天的な発達障害疾患にもエピジェネ ティクスが関与することが解ってきた。このことは、不可逆的な先天性疾患とは異なり、エピ ジェネティクス病は可逆性を利用した治療の可能性を秘めた疾患であり、エピジェネティクス 変化がストレスや栄養素等など、環境で変化するということは逆に治療で元に戻せる可能性を 秘めていることを示している。 今後の課題 z 今後、先ず、疾患の診断のためにベッドサイドでの DNA メチル化定量装置とか、メチル化基 質濃度測定装置などの開発が必要である。これらの活用により精神発達障害につながるスト レス判定、運動療法の効果などの判定にも活用でき、メチル化調節などの新薬の開発にもつ ながる。 z 近年、うつ病が増えているが、環境要因とエピジェネティクスとの関係からのアプローチも 期待される。 2)発生 人の染色体は、女性 46 本(XX)、男性 46 本(XY)で両親からそれぞれ 23 本ずつ受け継いでい る。この両親から受け継いだ一対の遺伝子のうち、どちらか一方の遺伝子が発現し、他方は発 現しないように制御されている。このことを「ゲノム刷り込み」と言い、エピジェネティクな 現象である。近年、生殖補助医療出産児においては、「ゲノム刷り込み」異常に伴う疾患が発 症する頻度が、正常出産児より高いという報告があり、その原因として、生殖医療では脱メチ ル化が起こる頻度が高いのではないかと考えられている。 今後の課題 z 体外受精は増加傾向にあり、エピジェネティクス変化の生殖発生に及ぼす影響について早急 な検証が必要である。 3)再生医療 再生医療の分野では、ES 細胞や iPS 細胞から臓器を再生させる試みが始まっている。いわゆる 幹細胞と呼ばれる細胞から、各臓器への分化には細胞特異的な転写因子による転写活性と細胞 特異的なゲノムのメチル化などのエピジェネティクスな調節がされていることが知られてい る。DNA メチル化阻害剤である 5-アザシチジンなどは、実際に骨髄異形成症候群の治療薬とし て臨床現場でも使われている。 今後の課題 z 今後、再生医療分野では、細胞の分化などを調節するエピジェネティクス修飾剤の開発や、 173 再生医療に用いる細胞のエピジェネティクス的な規格化が重要な点となる。 4)免疫疾患 ① リンパ球の分化の過程では、例えば、細胞を特徴付ける各種のサイトカインの産生や、抗原受 容体の組換えが起きてくる。これらの遺伝子は一次構造上バラバラに存在していていることか ら、別々に調節されているよう思われるが、クロマチンによる立体的な構造維持により、実は 三次元的には極めて近傍に存在し、クロマチン構造を調節しているヒストンのアセチル化など の調節因子によって調節されていることが明らかになってきている。 ② 幾つかのリウマチ膠原病やアレルギー疾患でも、DNA のメチル化が病態の発現に関与している ことが解ってきている。 今後の課題 z 今後、エピジェネティクス解析で真の病態を明らかにすることによってこれらの疾患の根本 的な治療法を見出すことができるかもしれない。 5)メタボリックシンドローム(代謝性疾患) メタボリックシンドロームは多因子性疾患で遺伝素因に加え、過栄養や運動不足などの環境因 子が重要であることから、この両者をつなぐものとして、エピジェネティクスが深く関与して いると考えられている。例えば、飢餓を経験した母親から生まれた子供は大人になると肥満や メタボリックシンドロームを発症しやすいなど、母親の生活習慣などが子供の体質に影響をお よぼすことがわかってきており、これらの点にエピジェネティクスが深く関与していると考え られている。 今後の課題 z メタボリックシンドロームは動脈硬化の予防医学の観点からきているので、今後、まずそれ を予知することが極めて重要であり、そのために診断技術の確立が重要である。そして、こ のエピジェネティクスの制御によってどのような体質がメタボリックシンドロームを発症し やすいのか、どのように予防するのか、食事はどのようなものが良いのか、検討すべき課題 である。 174 第6章 第 4 回調査委員会(エピジェネティクスの解析ツール、測定) 6-1.議事次第 第4回 エピジェネティクス調査委員会 議事次第 開催日時: 平成 20 年 1 月 16 日(水)13:30-17:30 開催場所: NEDO 1901 会議室 (川崎市幸区大宮町 1310 番 ミューザ川崎セントラルタワー19 階) 議事次第: 1.はじめに ・ 第 3 回委員会議事録の確認 ・ 配布資料確認 ・ 第 5 回の方向性について 2.エピジェネティクス研究開発動向等発表 (1)「DNA メチル化を検出するための化学反応の紹介」 理化学研究所 フロンティア研究システム 独立主幹研究員 岡本 晃充 岡本独立主幹研究ユニット 氏 (2)「エピゲノム解析:手法とその応用」 東京大学 先端科学技術研究センター 教授 油谷 浩幸 氏 (3)「内視鏡の先端光診断技術の現状と将来」 オリンパス株式会社 研究開発本部 研究開発センター 基礎技術部分子診断技術グループ グループリーダー 長谷川 晃 氏 (4) 「セミインタクト細胞可視化アッセイ:新しいエピジェネティクス研究システムへの可能性」 東京大学大学院 広域科学専攻 総合文化研究科 生命環境科学系 教授 村田 3.質疑応答、まとめ 4.成果報告書の作成について 5.その他 ・ スケジュールの確認 175 昌之 氏 6-2.発表記録 1)DNA メチル化を検出するための化学反応 講師: 理化学研究所 フロンティア研究システム 独立主幹研究員 岡本 晃充 氏 1.化学的メチル化解析法の紹介 ・ 本日は、DNA メチル化を検出するための化学反応について紹介する。 1) メチル化解析の方法 ・ 解析のターゲットはメチルシトシン(5-Methylcytosine)であり、メチルシトシンとシトシン を区別することが重要である。化学反応としてはチャレンジングな課題であり、たとえば分子 認識を用いてメチル基を検出するのは容易ではないので、化学的に面白い研究対象である。 ・ メチル化の解析法としては、大きくは 3 つの方法論に分けられる。 ① メチル基を 1 つの突起物として捉えて、メチル基があるかないかにより、それが邪魔に なるかどうかを分子認識によって捉えるのが 1 つの方法である ② そのメチル基は反応性がもともと低いが、それでも化学反応させてメチル基があるかな いかを検出するのが 2 つ目の方法である。 ③ 3 つ目は、メチル基が付加している C-C 二重結合の反応性の違いを使う方法である。 NH2 NH2 Me N N O O N 5-Methylcytosine N Cytosine 図 1.メチルシトシンとシトシン 2) 従来の方法 (1)制限酵素法: ・ メチル基があるかないかを化学的方法で調べるのはたいへん難しいので、制限酵素を使う方法 が用いられてきた。分子構造で見てもメチル基が付加しているかどうかの識別は難しいが、酵 素だとこれを認識できる。 ・ この方法だと、大量のサンプルが必要で、膨大な電気泳動解析の切断断片データが出てくるの で、どう解析するかは課題となる。 (2)亜硫酸水素塩(Bisulfite)法: 176 ・ 制限酵素法は課題が多いので、最近良く使われているのが亜硫酸水素塩法(Bisulfite assay) である。 ・ この方法は、メチル基が付加している C-C 二重結合の反応性の違いを使う方法であり、シト シンへの亜硫酸水素塩の付加反応により、シトシンはウラシルに変換されるが、メチルシトシ ンはそのままであることを利用する。 ・ この反応では PCR が利用できるので、サンプルは少量で済む。 制限酵素法 メチル化 - DNA切断酵素を使用 (メチルシトシンでは切断されにくい) - 解析可能な配列が制限される - 電気泳動解析(膨大な切断断片データ) - 多量のゲノムサンプル要 非メチル化 亜硫酸水素塩法 - シトシンへの亜硫酸水素塩の付加反応 - シトシンはウラシルへ変換される - メチルシトシンはそのまま - MSP法(メチル化特異的増幅法) 図 2.制限酵素法と亜硫酸水素塩法 ・ この方法は 1970 年に、岡山大学におられた早津彦哉教授らのグループによって見つけられた 反応であるが、もともとは核酸塩基もしくはヌクレオチドでの塩基選択的な反応として研究さ れた。従って、DNA に対する方法として開発されたものではない。DNA のメチル化解析に使う 流れは、その後に海外の研究者らによって確立された。 C-selective deamination with bisulfite salt PCR using a set of primers specific for the converted sequence original C T after PCR, original M C after PCR AGMGTCCTAAMGACTCATA Bisulfite AGCGTCCTAACGACTCATA PCR AGMGTUUTAAMGAUTUATA AGCGTTTTAACGATTTATA NH2 NH2 N N HSO3 O - pH 5 O N HO3S N NH O HO3S N O pH >13 NH2 Me N N O O HSO3 O slow - Me NH NH N O N O (Hayatsu, 1970) 図 3.Bisulfite 法 177 ・ Bisulfite 法には、以下に示すようないろいろな問題もあった。私たちは、なぜそのような問 題点が生じるのか速度論的に検討し、Bisulfite 法によって生じる DNA 分解のメカニズムにつ いて 2007 年に発表した。反応試薬存在下 16 時間の加熱によって 99.9%の DNA(100 塩基長の 場合)に損傷が生じる。 【Bisulfite 法の問題点】 ¾ 反応時間が長い Deamination with bisulfite salt NH2 O NaHSO3 N N NH NaOH 50 ˚C, 16 h O N O 図 4.Bisulfite 法の問題点としての反応時間の長さ ¾ ゲノムサンプルの 99.9%以上で、副反応による分解が起こる。 ¾ 人によって結果が違ったりするのでハイレベルなトレーニングが必要 ¾ ハイスループット・スクリーニングが困難 ¾ 定量解析における信頼性が低い。 NH2 N N NH2 O N kCS -2 -1 O 1.6 ×10 s HO3S NH kCH O N -4 O -1 2.5 ×10 s HO3S kUD O N NH kUS -2 -1 4.1 ×10-6 s-1 O O Depyrimidination O OH O O P kTD O N 0.8 ×10 s 2.4 ×10-6 s-1 O- O O NH kTS NH 0.9 ×10-4 s-1 N HO3S O N O Bioorg. Med. Chem. Lett. 2007, 17, 1912-1915. 図 5.Bisulfite 法の副反応としての DNA の分解 178 3) その他の化学的方法 (1)京都大学田邉博士、西本教授らの方法: ・ DNA の中にナフトキノン誘導体を付けておいて、これに対する光照射によってメチルシトシン から水素原子を引き抜く。この反応によってホルミルシトシンが生じ、アルカリ処理で切断し た後、インベーダー法によって解析する。 ・ 光反応を使うが、波長の短い光であり、DNA の損傷が起こることや反応の収率が低いという問 題点がある。 H-abstraction from methyl group Tanabe & Nishimoto 2007 DNA O NH2 O OH O DNA N N H N O O O NH2 "Naphthoquinone" 312 nm hν pH = 7 N DNA CHO N O N DNA - Photooxidation at the methyl group of methylcytosine - Low yield and many side reactions 図 6.最近発表された京都大学田邉博士、西本教授らの方法 (2)Carell 教授らの方法: ・ メチルシトシンを過ヨウ素酸ナトリウムで処理することによって、水酸化または臭素化する方 法であり、論文を見る限りはきれいな方法である。ただし、反応生成物の解析手法に乏しい。 ・ 反応後はアルカリ処理してゲル電気泳動等で解析する。 Oxidative degradation of pyrimidine NH2 Carell 2007 N O N DNA NH2 NaIO4 LiBr pH = 5 X N O X N DNA X = Br or OH - Methylcytosine-selective reaction - Necessary to decompose the DNA stand by alkaline treatment 図 7.最近発表された Carell 教授らの方法 179 2.われわれの研究成果の例 1) 反応の原理 ・ われわれの開発した方法も Bisulfite 法と同様に、メチル基が付いている C-C 二重結合に対 する反応性の違いを利用するものである。 ・ シトシンとメチル化シトシンの二重結合は、二置換オレフィンと三置換で酸化反応の反応性が 異なることは教科書的にも知られている。 ・ 反応のスキームを以下に示す。この反応は、ノーベル賞学者 Sharpless 教授が開発した不斉ジ ヒドロキシル化反応の方法を安定に錯体が取れる方法へ実験試薬の組み合わせを改良してい る。 H2N H2N N O N K2OsO4 K3Fe(CN)6 O Bipyridine Tris-HCl (pH 7.7) N M N O O Os O O N N 図 8.反応のスキーム 2) 反応の実施例 ・ この試薬を用いた反応の実施例を以下に示す。 ・ 二本鎖になっていないメチルシトシンにだけニックが入る。シトシンとメチルシトシンで 400 倍以上の反応の差があるので、反応時間と温度をコントロールすれば完全に区別ができる。 ・ ただし、この反応はチミンとも反応するので、チミンとメチルシトシンを区別する必要性はあ る。 NH2 Me N N O O P O O N OO Os N OO O O 5’-AAAAAAG[C/M]GAAAAAA-3’ (+ 5’-TTTTTTCGCTTTTTT-3’) NH Me 2 N N O O O HO OH Os HO OH O 2 ss ds C M C M N O O Os O N O Fe3+,BPy Methylcytosine in a single-stranded DNA was oxidized. k(M) = 1.11 × 10-2 s-1 k(C) = 2.51 × 10-5 s-1 Condition: 100 mM Tris-HCl (pH 7.7) 5 mM K2 OsO4 , 100 mM bipyridine, 10% MeCN at 0 ˚C incubated for 5 min. For cleavage, hot piperidine (at 90 ˚C, 20 min) Reaction Reaction rate: rate: TT >> M M >> >> C C >> G,A G,A Org. Biomol. Chem. 2006, 1638-1640. 図 9.Osmium complexation 法の実施例 180 3) 特定のターゲットでの反応 ・ ガイド DNA を作って利用すると、1 塩基だけはみ出した部分(1 塩基バルジ構造)では反応す るが、二本鎖領域では反応しないので、特定のターゲットでだけ反応を引き起こすことができ る。 Use of a one-base bulge structure The target base is forced out of a duplex using a “guide DNA”. Full G+A C M Guide1 Guide2 C M C M Target 2 Target 1 p53 exon 8 codons 264-275 Target 1 Target 2 p53 5'-TACTGGGAXGGAACAGCTTTGAGGTGXGTGTTTGT-3' Condition: 5 mM K2OsO4 , 100 mM K3Fe(CN)6, 100 mM bipyridine, 100 mM Tris-HCl (pH 7.7), 1 mM EDTA, 10% MeCN at 0 ˚C for 5 min. Full-matched 3'-ATGACCCTGCCTTGTCGAAACTCCACGCACAAACA-5' Guide1 3'-ATGACCCT_CCTTGTCGAAACTCCACGCACAAACA-5' Guide2 3'-ATGACCCTGCCTTGTCGAAACTCCAC_CACAAACA-5' X = M or C 図 10.特定のターゲットの検出 4) ミスマッチ DNA を使った例 ・ 3)と同様にミスマッチ DNA を利用することもできる。 DNA1(N) 5'-32P-AAAAGAANGAGAAAA-3' DNA1'(N') 3'-TTTTCTTN'CTCTTTT-5' Lanes H H N H N H N 1 H or Me 3 2 N A G C 6 ds N' N 5 4 ss G+A M C M C M N N N N A O C/M N Condition: 100 mM Tris-HCl (pH 7.7) 5 mM K2 OsO4 , 100 mM bipyridine, 10% MeCN at 0 ˚C incubated for 5 min. For cleavage, hot piperidine (at 90 ˚C, 20 min) J. Am. Chem. Soc. 2007, 129, 14511-14517. 図 11.ミスマッチ DNA の利用 181 5) 得られる錯体化合物 ・ メチルシトシンに対して生成した錯体は、加熱条件でも比較的長時間安定に存在できる。この 錯体の構造は、比較的単結晶構造が得られやすい下図のヌクレオシド構造へ分解して X 線結晶 構造解析を行い確認された。 Pyrimidine Glycol-Osmate-Bipyridine Ternary Complex 5R,6S / 5S,6R = 4 : 1 X-ray NH Me 2 N O O N Os O N O O N DNA O O Me O O N O O Os N O O DNA 5R NH 6S N O HO Enzymatic digestion Acidic hydrolysis O OH Org. Biomol. Chem. 2008, 6, 269-271. 図 12.得られる錯体化合物 6) 簡便な検出系の開発 (1)蛍光消光: ・ 錯体は、蛍光色素プロダンの蛍光を消光した。したがって標的のシトシンのそばにプロダンを 置くようなプローブを設計することによって、 メチルシトシン上に形成された錯体を蛍光消光 によって検出することができる。 (2)リガンドの改良: ・ 配位子であるビピリジンに修飾を付ける。この場合、パラ位に置換基を付けるのが錯体形成を 阻害しないことが分かった。伸ばした側鎖の末端にアミノ基を付けておき、更にシグナルを出 すものをカルボン酸を介して導入する。 ・ 例えば、錯体形成を介してメチルシトシンに色素が付けられるが、シトシンには錯体を形成し ないのでこの色素は付かない。 ・ 酸化還元系の物質を導入すれば、電気シグナルとして検出ができる。 ・ 錯体形成した後に S1 ヌクレアーゼで処理して不必要な一本鎖領域を削ると、調べたい領域の みを残すことができる。錯体に対してビオチン-アビジン結合でペルオキシダーゼを付け、そ の酵素反応を利用して生じた不溶性物質の吸着を金基板上で Nyquist plot により解析する方 法もできる。 182 Design of a label-attachable ligand 図 13.リガンドの改良 (3)新しいリガンドのデザイン: ・ リガンドに DNA を付けることで、よりシンプルな系にできるものと考えた。 ・ 錯体を使って DNA と DNA の間をクロスリンクさせると配位選択性が出せ、少量の DNA でも解析 が可能になる。 ・ 図のようにビピリジンの位置を固定すると同時にミスマッチ塩基対を作ってやると、目的とす るところでしか反応はしない。 ・ そうしたリガンドの化学合成にデザインは比較的簡単である。 5' G G C Probe H N HN N B N 3' C Target DNA C G N N O K2OsO4 K3Fe(CN)6 H 2N N M N C T G 3' 5' Me N O 3' C Interstrand Crosslink G G C H N G C HN N N O H2N N N O G A C 5' O O N N C T G 3' Me N Os N O O N G A C 5' J. Am. Chem. Soc. 2007, 129, 14511-14517. 図 14.新しいリガンドのデザイン 183 (4)モデル実験: ・ 新しいリガンドによる RB でのモデル実験の例を以下に示す。 RB1 exon8 59639-59731 59695/6 59683/4 5'-CC ACTTTTACAG AAACAGCTGT TATACCCATT AATGGTTCAC CTN1GAACACC CAGGN2GAGGT CAGAACAGGA GTGCACGGAT AGCAAAACAA C-3' B B B B 3'-GG TGAAAATGTC TTTGTCGACA ATATGGGTAA TTACCAAGTG GAGN1TTGTGG GTCCGN2TCCA GTCTTGTCCT CACGTGCCTA TCGTTTTGTT G-5' RB1(59683/4): N1 = M, N2 = C; RB1(59695/6): N1 = C, N2 = M Osmium Complexation Target duplex (100 nM) probe “duplex” (100 nM) in 50 mM Tris-HCl (pH = 7.7), 0.5 mM EDTA, 100 mM K3[Fe(CN)6], 1 M NaCl 95 ˚C, 5 min → 0 ˚C (denaturation) 25 mM K2OsO4 55 ˚C, 1 h ↓ Filtration for deionization ↓ Quantitative PCR Primer mix (10 μ M), dNTP mix (2.5 mM) TaKaRa Ex Taq, SYBR I, Reaction buffer 95 ˚C, 5 s → 60 ˚C, 10 s → 72 ˚C, 15 s × 50 cycles J. Am. Chem. Soc. 2007, 129, 14511-14517. 図 15.がん抑制遺伝子 RB1領域でのモデル実験の例 (5)マウスゲノム DNA でのメチル化解析例: ・ マウスゲノム DNA でのメチル化解析例を以下に示す。 ・ マウスでは、臓器によってメチル化率が異なる。上述の方法を用いてどの程度メチル化されて いるかを解析することができる。 ・ Bisulfite 法の結果とはほぼ同じであった。 Mouse genome cagacacggaacatgagccaagagccctactccacgcggaggtggaaagtcctaccaagtccctgagctgatgtcccctctcgcactgcaggcctgggcaTGTGTTTCAGCTTCCAGTCGAGCA TCACGGTAGTGGGCTTGTA TTTTGTCCGCCGGCGGCCGCTA GCCAA TGCACTGGCCTCCA TGGGACTCTCCA TGGGCGTCACCCTCTGGCCA C TGCTGGCCCGA TA TCTTCTGGAAACCCTGGGCTGGAGGGGCGCCTTCCTCA TCTTCGGTGGCA TCTTACTCCACTGTTGTGTA TGTGGAGCCTT GCTGA GGCCTGTTGCCACCAACGAGGTCCCCGAGCCCAAAGAGGA TCCCCTTCTA CCTCCCAAGA TACCTA CACGCAGCTGCCTGGCAA CA TGT GTCTCAACCA TTCGGTA CCACCTGGCCTTTGACA TCCTTCGGCA CAATA TGGGCTTCTGCA TA TA CGTCACGGGCGTGACGTGGA TGAACCTGG GTTTTGCACTGCCA CA TA TCTTCCTAGTGCCGTACGCTA TGCA TCA TGGGGTGGA CGA CTA TTGGGCAGCCA TGCTCA TGTCCA TTGTTGGCTTC TGCAACA TCTTCTTA CGGCCAA TGGCAGGGCTGCTGCTGGCA GGCAGGAAGAGCTTGGCTGCCTA CCGGAAGTA CCTGTTTGCTGTGGCGA TC CTCA TCAACGGGCtcaccaatctaatatgcacggtgtcagccgacttccgggtgctcctgggctattgcctggtgtacagcctgtccatgtgtggagttgggatcctcgtctt (gifted from Prof. H. Nagase, Nihon Univ.) Os crosslink Bisulfite-mass spec. #115,285,676 #115,285,805 #115,285,676 #115,285,805 1 Testis 8 (7) 4 (4) 24 8 2 Kidney 96 (5) 91 (5) 93 83 3 Spleen 91 (8) 95 (15) 97 100 4 Liver 95 (4) 69 (5) 95 45 (%) J. Am. Chem. Soc. 2007, 129, 14511-14517. 図 16.マウスゲノム DNA でのメチル化解析例 184 (6)ICON 法: ・ 私たちの方法は ICON 法と名付けているが、以下に示すような長所がある。 新規メチル化検出法 -ICON法- の長所 ICON = Interstrand Crosslink by Osmium complexation with Nucleic acids (核酸とのオスミウム錯体形成反応による鎖間結合) ・長いDNA配列の中の1個の調べたいシトシンに絞ってメチル化の有無を調べられる ・ゲノムサンプルの不規則切断による損傷がない Reaction rate: T > M >> C > G,A ・微量ゲノムサンプルでの解析が容易 ・各シトシンでのメチル化量を速やかに定量できる ・メチル化の有無を区別するための反応時間を大幅短縮 図 17.ICON 法の長所 3.まとめ ・ オスミウム錯体形成反応を用いた方法の特長を以下にまとめる。 H2N N O M H2N N K2OsO4 N K3Fe(CN)6 O Bipyridine Tris-HCl (pH 7.7) N O O Os O O N N Reaction rate: T > M >> C > G,A 短時間の反応(5分~1時間) ICONプローブを使えば高い選択性 サンプルの分解・副反応が無い さまざまな使い方の可能性(自動化を含めて) 図 18.オスミウム錯体形成反応を用いた方法の特長 4.質疑応答 Q-1.電極の方法では、どの位のコピー数が検出できるのか? A-1.まだはっきりとは分からないが、電極や装置の質にもよるが、現在のところ高濃度でない と難しいのではないか。 Q-2.錯体を MS で解析する方法は PCR 部分での定量性が問題かもしれないとの話であったが、そ のことについての将来をどう考えているのか? A-2.MS の方法は、シトシンとメチルシトシンで明確な差が出る。さらに、MS ではっきり出るよ うな分子を付けるアイデアがあれば、もっときれいな解析ができるのではないか。 185 Q-3.先生の方法は配列が分かっている時には威力を発揮する方法であるが、もっと早い時期に それぞれの CG がどうであるかを、それぞれで見ることはできないのか? A-3.シーケンシングを使わずに解析ができると良い。発想の転換が必要かもしれない。 Q-4.シングルセルで、in vivo の状況で見ることができるようになるか? A-4.もしかしたら可能かもしれない。その場合には、二本鎖 DNA だとネックになりそうなので、 ヒストンから離してやる必要があるように思う。 Q-5.DNA のメチル化がどこの細胞で起こっているかを知ることは重要であるが、その可能性は? A-5.生きた細胞では困難だが、固定した細胞に対しては可能性がある。今後考えて行きたい。 Q-6.検出がネックで、コピー数が少ないと検出は難しいのか? A-6.蛍光色素の検出が課題であり、蛍光の増幅等の技術の導入が必要かもしれない。定量 PCR を用いた方法では、PCR の能力に応じて少量からの検出が可能。 Q-7.ハイスループット解析法の課題は? A-7.容器によっては非特異的吸着が問題になり、その解消は必要だと考えている。定量的な数 値はまだ出していない。 186 2)エピゲノム解析:手法とその応用 講師: 東京大学 先端科学技術研究センター 教授 油谷 浩幸 氏 1.はじめに 体のなかにはたくさんの細胞タイプ(200 種ぐらい)が存在し、それぞれが違うメモリを持って いるが、それはヒストンもしくは DNA レベルでのエピゲノム修飾によるものである。また、最近 ホットな話題のリプログラミングが起きてくるとますますエピゲノム解析の重要性は増してくる。 DNA メチル化の検出に際しての問題は、メチル化状態を維持したままメチル化 DNA を増幅できる のは細胞だけであって、in vitro では出来ないことである。 ハイスループット解析では、メチル化シトシンに対する抗体を用いてバイアスなく捕捉し、タイ リングアレイで検出している。ICON 法でも抗体の代わりに錯体でキャプチャーできればそちらが 低コストでよい。ミディアムスループットの検出法としては質量分析を用いる MassArray (Sequenom)や、マイクロアレイを利用する方法がある。最近では、Bisulfite 処理した DNA を 高速シーケンサで大規模・高速にシーケンスする方法も使用され始めており、このような方法も 視野に入れておく必要ある。シーケンシングコストが US$100,000 から US$1,000 になればシー ケンシング法は無視できなくなる。 2.メチル化検出法 メチル化検出法としては、制限酵素に基づく方法とアフィニティで捕捉するバイアスの少ない方 法があり、後者の開発をここ数年行ってきた。 187 メチル化が機能的にどういう意味があるかを調べる方法として、アザシチジン処理して、発現量 が回復する遺伝子を解析する方法がある。この解析により、メチル化が遺伝子の発現調節に関与 していたことが判明し、そのメチル化が重要であることが推測される。 ゲノムワイドなメチル化検出には、メチル化シトシンに特異的な抗体でメチル化 DNA 断片をキャ プチャーする方法が用いられている。これに加え最近では、MBD(メチル化結合ドメイン)を持っ たタンパク質を使ってキャプチャーする方法も研究室レベルでは使われている。 キャプチャー後の解析には、1 アレイあたり数百万プローブを貼り付けた全ゲノム配列に対する タイリングアレイを使用する。現行、Affymetrix は数 M プローブ、ニンブルジェン(現 Roche) が 2M、アジレントが 1M でますます高密度化している。 DNA 抽出後、抗体付ビーズでキャプチャーし、その DNA を増幅して断片化する。ハイブリダイゼ ーション反応は効率を上げるためにオーバーナイトで行い、ハイブリ後、スキャナーでシグナル の検出をする。問題は、1 回の実験操作に 1μg程度のゲノム DNA を必要とすることである。再現 性等の向上のためには同じ操作を並行して行い、最低限 2 回繰り返すと、少なくとも 4 回の実験、 すなわち 4μgのゲノム DNA が必要である。 得られたタイリングアレイのスキャッタープロットから、ほとんどのプローブシグナルは変化し ていないが、統計処理をすることによりメチル化された領域が見出される。メチル化の判定とし ては、500bp ぐらいの領域に存在する各プローブ(15 個程度)について、DIP 検体とコントロー ル検体の間でランキングをつけ有意差を検定する。図には、がん抑制遺伝子 P16 遺伝子のプロモ ーター領域のメチル化を示す。 マイクロアレイによる解析結果の信頼性を検討するためには、MSP、Bisulfite 処理後シーケンス、 あるいは質量分析によって検証する。 188 実際に Bisulfite 処理後シーケンスで検証してみると、P 値が 10-2 であれば、ほぼ完全にメチル 化されていることが示された。メチル化陽性領域については特異性高く検出できている。しかし ながら、もともとの CpG 含量が少ない場合にキャプチャー効率が悪いためにうまく検出しづらい といった欠点である。 PCR よりも定量的な検出として、MALDI-TOF(MassARRAY)を使う検出法がある。Bisulfite 後、PCR 増幅する。U(T)cleavage により短くした断片の 1 箇所の塩基配列の違いによる分子量差(A と G の違いである 16Da)により異なるピークとなって検出できる。メチル化が 50%の場合には、同じ 程度のピーク高さを持つ二個のピークが検出される。このように CpG のある短い断片ごとにメチ ル化を定量的に評価できる。 この方法を使い、CFHR 遺伝子のメチル化について Duplicate で調べると定量性は良好であり、大 腸がん細胞株である HCT116,DLD1 では 100%メチル化が、SW480 では 1%として検出された。スト ランドを置換しながらゲノムを増幅する酵素 Phi29 ポリメラーゼの場合、メチル基は残っていな いのでこれをネガティブコントロールに、一方、ゲノム DNA を SssI Methylase で処理した場合に は、ほぼ 100%メチル化されるので、これをポジティブコントロールとして Mass 解析を行った。 MeDIP-Chip で検出されたメチル化領域を MassARRAY で検証すると、確かに P 値が 10-2 以上だと、 ほぼ 100%メチル化しているが、半分ぐらいのメチル化も検出されている。一方、CpG の数が少な い領域では割合高くメチル化されていても MeDIP-Chip では検出が難しい傾向がある。 メチル化された DNA を抗体でキャプチャーしたものを直接シーケンスする方法が Sanger Centre などで行われている。ゲノムのリピート部分、レトロウイルスが組み込まれた部分などは殆どメ チル化されているため、メチル化されている箇所はたくさんある。こういった領域のメチル化を 189 含めて、シーケンシングによって統計的に有意な頻度で濃縮された領域を検出するためには、3G 位のシーケンスが必要で、Illumina で 3 回ぐらいシーケンスを行うとすると現在 200 万円程度の コストがかかる。だとすれば、マイクロアレイ法のほうがまだコスト的には優れている。 下等生物であれば、Bisulfite 処理後シーケンスするという方法がある。しかし、塩基が置換さ れてしまうため、例えば CpG が不完全にメチル化されているような場合、元の塩基配列のどの領 域に一致しているのかの判定が難しくなる。最近の次世代シーケンサーは確かに大きなポテンシ ャルを有するが、既法との比較検討が必要である。 CpG アイランドが遺伝子発現調節に重要であることは知られているが、このような絞った領域(数 千から一万程度)のメチル化アッセイとして、メチル化特異的 PCR と SNP Chip アッセイと同様な GoldenGate アッセイ(Illumina)を組み合わせた解析法がある。Bisulfite 処理により G と A の違 いを作り出し、これを Methylation 特異的な伸長・結合反応と PCR 増幅、ビーズによるキャプチ ャーにより検出する方法である。現状 1,536 種までは 1 枚のアレイで解析できる。ビーズに固定 された合成 DNA はバーコード検出により同定し、U/U、C/U、C/C を蛍光色素の違いにより識別す る。 現在、SNP 解析チップは Affymetrix、Illumina ともに 1 度に百万 SNP を計測可能であるが、 GoldenGate は数千のプラットフォームである。まだ商品になっていないが Infinium Assay を利 用して、1 塩基伸長の際に T or C どちらが入るかをマイクロアレイ化して解析する方法である。 GoldenGate assay ではゲノム DNA 全体の増幅をしなくても良いので、パラフィン包埋組織からの DNA のように壊れた短いものでも解析可能である。網羅的解析にはμgオーダーでの whole ゲノ ムの増幅が必要である。 原理的には Bisulfite 処理後に MSP を行い SNP chip で検出する。しかし、 MSP のプライマー設計はうまくいかない場合も多く、CpG が多い領域の解析は難しいが、いずれ、 2 万数千箇所の CpG を解析できるアレイが将来商品化されるであろう。 190 がんリスク判定、診断に使用できる、血中メチル化 DNA など、メチル化マーカーの応用は期待さ れてきているが、これまでにがん特異的メチル化について網羅的に調べた報告は少なく、人間の 主要な細胞タイプごとに網羅的に検討すべきである。特異的に出てくるマ−カーを感度良く測定す ることが出来れば、こういった診断が現実的になると思われる。 実際に大腸がん細胞株 MeDIP でスクリーニングした結果で、がん細胞で顕著にメチル化されてい ることが知られている SFRP 遺伝子ファミリーのプロモーター領域がメチル化されているのが良 くわかると同時にマイクロアレイにより発現解析した結果とあわせると、正常粘膜組織で発現量 が高い遺伝子発現が抑制されていることが示されている。メチル化されて発現抑制されることで がん化が促進されると考えられている。 SFRP1 の発現は、脱メチル化剤の 5-Aza と HDAC 阻害剤である TSA でのアセチル化により、相乗的 に発現増強されることから、メチル化が SFRP1 の発現抑制に関与していることがわかる。このよ うなマーカー遺伝子をこれまでは発現解析だけで探索してきたが、メチル化の情報を組みあわせ ることで、より確実な情報とすることが出来る。 そこで、メチル化されている領域が転写開始点両側 1kb 内でかつ Aza/TSA 処理により 2 倍以上発 現が上昇し、正常大腸組織では発現しているが大腸がん組織では発現が下がっている、といった いくつかの条件を設けて、ヒト全遺伝子(Refseq)2 万数千を解析すると、メチル化されていた ものが 3,680 個、そのうちサイレンスされた(=Aza/TSA 処理で発現が回復した)遺伝子が 552 個見出された。 ここまでをまとめると、 1)網羅的解析によるマーカー探索に関しては、タイリングアレイを使ってメチル化シトシン抗体 でキャプチャーしたものを解析することで、かなり検出は可能である。ただ、抗体キャプチャ ーの効率はまだまだ改善の余地があり、また、先の発表にあったようなケミカルな方法でキャ 191 プチャーできれば、より高効率化が可能になるかもしれない。 2)臨床検体、微量検体の解析に関しては、現行の MeDIP 解析には DNA が 4μg 程度必要である。 この量を減らすためにはキャプチャー効率を上げる必要がある。 3)高速 DNA シーケンサに関しては、MeDIP との組み合わせでは、MeDIP の濃縮がメチル化領域に ついて 10 倍必要で、そうなれば 3G 程度の配列解析で行えるであろう。現状 3G の配列を読む には 2~3 百万円かかるのでまだコスト的には問題がある。Bisulfite 処理により、メチル化の 度合いが不完全だった場合には、ゲノムサイズが小さな生物では可能かもしれないが、アライ ンメントが困難である。 3.DNA メチル化とヒストンアセチル化 次に、ヒストンのアセチル化と DNA メチル化を同じ大腸がん細胞株でタイリングアレイを用いて 解析したところ、HOXA クラスター領域(およそ 100kb の領域に HoxA1 から A13 までの遺伝子が 10kb あたり 1 個ある gene rich な領域)では DNA メチル化の低い領域ではヒストン H3、H4 がアセチル 化されており染色体が活性化されている。DNA メチル化とヒストンアセチル化は共局在していな い。 クロマチンの解析は、結合蛋白やヒストン修飾に対する抗体で免疫沈降した DNA を PCR,タイリン グアレイあるいは、シーケンシングで解析する。さらに、クロマチンの高次構造、染色体上で 100kb から 1Mb ほど離れている領域の相互作用を解析することは今後の課題である。 Broad Institute が行った、マウス ES 細胞と NPC(神経前駆)細胞の ChlP-seq(ChiP-Solexa)の結 果と我々の ChlP-chip の結果を示す。ES 細胞から NPC に分化すると、活性化マークである K4me3 と不活性化マークである K27me3 が共存しているような領域が消失する。このように、細胞の記憶 とも言えるヒストン修飾が数日間の in vitro の細胞培養により変化することがわかる。また、 ChlP-seq の結果は、ChlP-chip で得られた結果とほぼ同様のデータであった。ヒストン修飾解析 の場合には、DNA のメチル化解析ほど陽性領域が多くはないと考えられるので、ChlP-seq は現状 でもコスト的に十分許容範囲と考えられ、今後は ChlP-chip に置き換わっていく可能性がある。 192 ヒストン修飾をゲノムワイドに解析した結果、低遺伝子密度の領域(遺伝子砂漠)では、K9 の不 活性メチル化が多数存在しており、ヘテロクロマチン化されている。一方、高遺伝子密度領域で は K9 のメチル化はほとんど見られない。このようにヒストンの修飾は染色体の中で非常にダイナ ミックに変わっている。こういった違いは、染色体によっても、また細胞によっても異なる。 ヒストンのアセチル化に関しても、転写開始点のやや内側にピークが位置する。プロモーターに 関してもイントロンに入った領域の修飾を解析することが必要である。H3K4 の Di,Tri メチル化 の解析より、ポリメラーゼが結合する領域にはヒストンが存在しないためシグナルが低いことが 示された。 ES 細胞形成の際にはそれまでのメチル化情報が消去され新たに情報が書き込まれる。 このような情報の刷り込みは、例えば、ES から内胚葉、中胚葉、外胚葉それぞれに分化する際に 異なっている。in vitro ではあるが、外胚葉、中内胚葉、中胚葉、内胚葉に分画類できる。例え ば、Nanog の分化特異的な発現様式や、Pax6 の神経特異的な発現様式から、分画の妥当性が確認 できる。 このような特異的発現に関与する DNA のメチル化は、親からのインプリンティング遺伝子のメチ ル化をコントロールにして解析すると、細胞が運命づけられるに従って、新たにメチル化が増加 していくことが捉えられた。 193 HoxA 遺伝子領域のヒストン修飾をみると、未分化 ES 細胞では活性 K4me3 と不活性 K27me3 の両方 が共存するビバレントな状態であるが、NPC に分化すると HoxA 前半は K4me3 で活性化、後半は K27me3 による不活性化というように変化する。 両方の状態になりえるというビバレントな状態の例の一つとして、Protocadherin 遺伝子がある。 発現する Protocadherin 分子は神経細胞毎に異なるが、これは a1 から c5 の第 1 エキソンの選択 により多様性を生み出している。そのため、分化により 1 個以外は不要となるため、分化後はほ とんどすべてのエキソンがメチル化されてしまう。一方、ES の状態では、この領域は K4、K27 が 共存したビバレントな状態で、いつでも分化できる状態であることがわかる。これより、極めて 短い期間にダイナミックな変化が起こっているといえる。 最後に、ヒストンアセチル化だけでなくメチル化、リン酸化も含めたクロマチン修飾酵素は有望 な創薬標的であること、また、患者の層別化(個別化医療)に向けたエピジェネティック情報の 利用への期待がある。ES 細胞のメチル化を解析するとやはり少しおかしなものも見つかることも あるので、ES 細胞、iPS 細胞の品質管理にエピゲノム情報は今後必須になると思われる。 4.質疑応答 Q-1.モデル系(培養細胞等)でなければ解析が困難ではないか?解析にはどの程度のサンプル 量が必要か? A-1.DNA メチル化もヒストン修飾解析も、かなりサンプル量が必要。検出しやすいものは可能 だが、低メチル化領域など、検出が難しいものもある。 Q-2.遺伝子のプロモータ以外の制御領域(例えばエンハンサー領域)でのエピジェネティック な修飾、制御はどうなっているのか? 194 A-2.そういった領域にもヒストン修飾などが見られる。エストロジェン受容体遺伝子のように 離れたところの領域が制御しているような場合には関係しているかもしれない。 Q-3.網羅的エピゲノム解析で日本が世界に勝つには? A-3.解析の特異性や感度を上げる、うまく既存技術を組み合わせるといったことで日本人のも のづくりの緻密さを生かし、スピード感をもってデバイス等を作っていくといった体制作りが必 要。デバイスとコンテンツ両方があれば強力。 Q-4.K9me3 が抗体で検出されにくい。抗体の改良なども必要でないか。 A-4.K9 の抗体は良くないものが多い。 Q-5.MeDIP で出てくるデータを使ってマーカ探索するのに、発現解析以外に組合せられるもの はないか? A-5.機能を阻害し異なる状態(phenotype が異なる)とすることができるような阻害剤等の開 発、利用が有効。Epigenotype を変えた実験動物を作ることは難しいのが問題。 195 3)内視鏡の先端光診断技術の現状と将来 講師: オリンパス株式会社 研究開発本部 研究開発センター 基礎技術部分子診断技術グループ グループリーダー 長谷川 晃 氏 1.はじめに 内視鏡は、診断技術の向上とともに、内視鏡に具備された鉗子チャンネルを通した様々な処置 具の開発により、治療手技も飛躍的に普及・発展してきている。 1980 年代に内視鏡的粘膜切除術(EMR)が登場し、内視鏡による早期胃がんの治療が盛んに行 われ、患者さんに負担の少ない手技として現在も普及してきている。一方で、内視鏡的粘膜切除 術(EMR)は使用する処置具の制約上、2cm 以下の粘膜層にとどまる早期がん組織の切除が対象と なる。これに対して、2cm を超える早期がんを治療できないか、という医学的ニーズにより 2000 年頃から、より広範囲の早期がんを一括切除する「ESD」が行われるようにもなってきた。2006 年 4 月の診療報酬改定では、「早期悪性腫瘍粘膜下層剥離術」が「ESD」の手技料として保険点数 化され、今後更なる手技普及が期待される。 優れた治療法を生み出す優れた診断法開発は、社会からの要請は極めて大きいと考える。 本報告では、内視鏡下がん診断への適用が可能と考えられる光を利用した検出技術、それもイ メージングを意識しての例を紹介するとともに、現状実用化された診断技術を説明し次世代内視 鏡の研究例として分子イメージングを取り上げる。そしてさらにその先を行く技術として予防や リスク診断につながると期待される、「エピジェネティクス」を素人ながらも考察したい。 2.検出技術現状報告 光領域の診断への利用は、大きく体外からの診断と内視鏡に代表される生体内からの診断技術 に分けられる。ここでは主に内視鏡への適用が考えられる技術について取り上げる。生体は光を 散乱、吸収する性質を持っている事から、PET や MRI 等の様に体外から生体を診断するよりも、 内視鏡等を通じて生体内での活用が効果的である。 表 1 に内視鏡への適用が考えられる、光を利用した主な診断技術を挙げる。がんは早期発見、 早期治療さえすれば、完治する可能性が高い。世界では光散乱や OCT、共焦点顕微鏡、スペクト ロスコピー、二光子吸収顕微鏡などが開発され、医用光学を利用した新しい診断装置の研究開発 が活発化している。医用光学において利用される光現象は蛍光、燐光、ラマン散乱、光吸収、光 散乱、屈折などであり、これらの現象は生体組織の状態と強く関連している。 表 1 はあくまでも内視鏡的な観点から行った一覧表であるが、ここからも推察される様に1つ の光診断手法だけではすべてを満たすことはできないと考えられる。たとえば、内視鏡は一般に 広い視野を持ち、まずはその広い視野から確実に怪しい領域を検出できる事が望まれる。例えば、 内視鏡下での拡大観察は腫瘍を疑う怪しいところが広角な領域(広い視野範囲)のもとで判って からその威力や有効性が出てくる。どこを見るべきか、見ているのかが必要で、やはり全体も見 る必要がある。すなわち、効果的な手法の組み合わせも必要となってくる。 弊社では、表 1 中の自家蛍光法や狭帯域光法を中心に商品化がなされ、好評を得ている。その 原理は弊社 HP を参照されたい 2)。例えば狭帯域光法と呼ばれる NBI は,生体組織の観察に用いる 196 分光特性の最適化により,消化器粘膜表面の血管や粘膜微細模様を強調して観察できる技術であ る。がん細胞の増殖には多くの栄養分が必要となるため病変部には新たな血管が構築される。病 変の進行度合いによって微細血管の太さや密度,走行パターン等に変化が現れたり,ピットパタ ーンと呼ばれる粘膜表面の腺管構造に異常が現れたりする。通常の内視鏡では観察しにくいこれ らの状態を NBI では明瞭に観察することができる。 他領域は主要な研究施設が基礎的な機序から研究を続け臨床応用を目指している状態ともいえ 非常に期待がされている状況にある。 ここで述べておきたいのは、これまで実用的に商品化された手法は、光の吸収、散乱や自家蛍 光をうまく利用し、病変部の形態の変化を鋭敏に捉え、画像強調をした画像をお医者様へ提示す る事で診断が行われるというのが今現在の状況である。この状況を否定するのではなく、これま での形態的な診断に組み合わせ、分子レベルの診断が可能となる事が次世代の技術開発であると 私は考えている。 表 1.内視鏡への適用が考えられる、光を利用した主な診断技術 技術分類(↓) 検出する生体の変化 取得できる情報の 検出手法評価 (→) 生体深さ 分子 細胞 組織 レベル レベル レベル 特徴、装置構成例 (2mm レベルの情 何を検出するのか? 等 報が得られれば深 層)、視野 拡大内視鏡観察 ○ ○ 表層 光学法 撮像素子に対して拡大像を投影し観 察する。色素を表面にかけることも行 われている。組織/細胞の形態観察。 拡大内視鏡観察共 ○ 対象外 焦点法 狭帯域光法 ○ ○ (NBI) 表層~ 共焦点顕微鏡の技術を内視鏡へ応用 数 100μ程度 したもの。細胞の形態観察。 表層 血液の吸収波長帯を狭帯域な照明光 広視野化可能 で観察する。毛細血管集積度、血管走 行を観察。 自家蛍光法 ○ 表層~深層 青色波長帯の励起で生体の NADH、コラー 広視野 ゲン等の自家蛍光を検出する。粘膜の 肥厚、血流による自家蛍光変化を観察 していると言われている。 近赤外分光法 ○ 波長 1μm程度 ~深層 酸素飽和度(Hb,HbO 変化)等、吸収 広視野化可能 スペクトルから成分分析。酸素飽和度 の違いによる各種診断を行う。 赤外分光法 ○ 対象外 対象外 表層 分子振動における赤外領域での吸収 スペクトルの検出。 OCT ○ ~深層 赤外低コヒーレンスヘテロダイン干渉技術で 2mm 程度までの断層像を Z 分解能 10 数μm で検出。 197 ラマン散乱 ○ 対象外 対象外 表層 分子振動等による散乱光の波長の変 化を計測。正常・異常をラマンスペクトルピ ークずれで検出。 2 光子励起法 △~○ ○ 表 層 ~ 500 μ 程 度 フェムト秒赤外励起の蛍光検出。小動物基 といわれている 礎研究では不可欠の観察手法となっ ている。 可視散乱分光法 ○ ○ 表層 細胞核形状変化による散乱波長周期 変化等を検出し、細胞核の大きさを得 る。 光造影剤 ○ ○ ○ 蛍光プローブ法 表層~深層(利用 各種の光診断手法との組み合わせも 波長による) 可能。病態に関連する分子、酵素等を 蛍光プローブの利用により蛍光信号 広視野化可能 として検出する。 デリバリー等の課題が多い。 3.分子イメージングとその要素(蛍光プローブ) 上記表 1 からも推察される事として臨床医療側からのニーズに基づいて上記の様な技術の組み 合わせの最適化をはかる取り組みは重要である。超早期診断・治療では何が求められるかを予防 ~治療(フォロー)まで含めて検討し、各々でシステムの最適化、組み合わせの最適化を図ると いう取り組みである。例えばスクリーニングであれば 簡便、コストが最優先であり、性能的に は特異度よりも感度を優先させる必要があると考えられる(存在診断)。またスクリーニングによ りがんのハイリスク群とされた方にはより精密な診断が求められるであろう(病態診断あるいは 質的診断)。 最近では特定の遺伝子が作り出すタンパク質や、がんの持つさまざまな変化(ある物質の正常 部位との濃度差、がん細胞に集積しやすい特徴。あるいは初期のがん細胞の酸素消費は著しく、 活性酸素の生成が正常細胞に比較して昂進しているとの報告や、またがん細胞への薬物の透過性 も比較的高まっている事が知られている)を関知できるプローブとこれを標識する色素でもって 光らせる事で、それらの存在を特定したり定量化する造影剤(蛍光プローブ)が細胞実験や、小 動物実験用に実用化されている。3) 4) これから分子イメージングとして述べる領域はその意味を狭く捉え、利用される領域をあらか じめ蛍光プローブという分子センサーを生体に導入し、疾患に関連する分子と反応する事で蛍光 という光の信号に変化させ、内視鏡で可視化する技術領域で話を進める。 表 1 では蛍光プローブを利用するとあたかも理想の診断ができるかのように思われがちである が、単一の化合物(蛍光プローブ)でがんを極めて高い特異性をもって認識し、検出することは、 現在のところ極めて困難といわれている。 表 2 に弊社が調査した、現在研究されている腫瘍やがんに関連する蛍光プローブ一覧表とその 目標分子を載せる。あくまでも一部にすぎないが、実際にこういった試薬の研究開発が世界中で 積極的に行われている。生体で利用するには課題も多い。蛍光プローブにも光学的性能にも増し て生体での動態に関する課題があるし、検出するための技術開発が非常に重要になる。 198 この分子イメージングという領域は対象とする疾患をしっかり設定し、医学・工学・薬学による 戦略立案と密な協業が必要とされる所以である。 他の分子イメージングモダリティー(PET や MRI 等)と比べると、有機色素プローブでは、各 種酵素の活性状態や特定のイオン濃度などを反映したプローブが開発され、高い選択性をもった イメージングが可能である事。および光(蛍光)を利用する事から、複数分子を(蛍光波長を変 える事で比較的簡単に)同時検出が可能である事が特徴である。 表 2.蛍光プローブの標的分子一覧 開発段階 研究施設/研究者 標的分子 基礎研究 (培養細胞) カテプシン B VisEn MMPs インテグリン ανβ3 カテプシン D MGH: Dr Weissleider AnnexinV Caspase-10 Caspase-3 葉酸塩エステル Stanford 大 受容体 パパインファミリー (カテプシン B,L など) エステラーゼ系 東大: NO 系 長野研 活性酸素系 Zn 系 オンコリスバイオフ ァーマ テロメラーゼ 199 動物実験 性能確認 毒性試験等 Medac 社(ドイツ) PhotoCure 社 (ノルウェー) 5-ALA 等の前駆体投与 →プロトポルフィリンⅨ 4.技術開発紹介(分子イメージング) さて、ここで光を使った内視鏡診断技術開発の一つの可能性(方向性)として弊社の取り組み である分光内視鏡について報告する。本件は独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構 「ナノ医療デバイス開発プロジェクト」の一環として 2004 年 8 月に採択され、2007 年 3 月まで 助成を受けた開発成果である 5)。 当社が構想したのは、スクリーニングによりがんのハイリスク群とされた方に対する精密な内 視鏡診断技術である。がんの持つさまざまな変化を光として捉え、組み合わせによって、がんを 特徴付けられないかというものである。表 1 の中でいえば、蛍光という手法を用い自家蛍光法や 蛍光プローブを利用し、分光機能を有する内視鏡によって視覚的とらえ診断機能を得ようとの試 みである。蛍光プローブの臨床応用を想定したプロジェクトとしては世界でもまだ例が無かった ため試行錯誤の連続であった。臨床研究手前までの検討を医工薬連携体制で実施できた事も成功 した大きな理由である。 (1) 北海道大学 電子科学研究所 田村 守教授 (2) 東京大学 大学院薬学系研究科 長野 哲雄教授 (3) 京都府立医科大学 大学院医学研究科 高松 哲郎教授 今回は、弊社が分担した分光内視鏡のみを説明する。 1)内視鏡の構成 内視鏡はいまやほとんどが先端に撮像素子を配置するビデオ内視鏡である。構成は図 1 の様に なっており、光源側での分光は比較的容易に行う事ができる。しかし、検出側でのさまざまな波 長帯による分光はきわめて難しい。そこで、研究用途での利用も考慮し、内視鏡先端で自由に分 光ができる機能を持つ超小型な分光素子開発に着手した。 〔光源光学系〕 〔スコープ光学系〕 〔生体〕 検出器(受光部) 〔モニター〕〔プロセッサ〕 図 1.ビデオ内視鏡構成図 200 現在、分光素子としては、バンドパスフィルター、プリズム、グレーティングなど様々なもの がある。しかし、 (a) 複数の蛍光波長帯を分光・検出する事が可能(分光精度) (b) 分光イメージングが可能(空間分解能) (c) 内視鏡に実装可能(な大きさ(小型化)) を満足し自由に分光できる素子は難しい。この仕様をなんとか実用的に満足する可能性がある分 光手法として、当社は基本構成として、限界まで小型化を実現た上で内視鏡先端に配置する高感 度固体撮像素子を CCD 前に配置しようと試みた。 ファブリーペロー型チューナブルフィルターは、光の干渉を利用し、CCD に入射する光の透過 波長を任意に設定することが可能である。これは、反射コートを施した 2 枚のフィルタを高精度 に配置し、フィルタ間の距離(光路差)を制御することで実現した。 図 2.「小型分光素子」の原理 上記の小型分光素子は外径φ7mm以下まで小型化が成功し(図 3 参照)、先端部外径 10mm の ビデオ内視鏡に組み込む事ができた(図 4 参照)。この分光内視鏡は通常観察(白色光)に加え、 青色光を照射して生体に含まれるコラーゲンなどの蛍光物質からの自家蛍光を捉え、腫瘍性病変 と正常粘膜を異なる色調で強調表示する自家蛍光観察機能を搭載。さらに、腫瘍やがんに関連す る分子を検出するために、600~800nm の波長帯域で 10nm 以下の高分解能で走査検出する事を可 能としており、複数波長の蛍光プローブを選択的に検出したり、分光的に走査する事で微弱な蛍 光プローブや自家蛍光成分を分離する事が可能である。 201 図 3.小型分光素子 図 4.分光内視鏡先端部 2)分子イメージング今後の展望 光を利用する特徴のひとつには高選択性・特異性がある。またその代表的な例として蛍光プロ ーブを利用した分子イメージングの内視鏡応用を紹介した。これまで基礎研究用途中心であった 蛍光プローブが臨床用途に最適化されていくものと期待している。 蛍光プローブは単独でひとつのセンサーであり、そのセンサーで(蛍光プローブ)で検出可能 となった分子を内視鏡で検出する 2 段階の検出方式である。検出側は蛍光プローブの特徴をよく 把握したうえで、その性能を生かす検出技術開発を行い診断に生かす事が非常に重要である。今 後はより撮像側の高感度化や蛍光量の定量的検出性を増す技術の取り組みが重要と考えている。 5.エピジェネティクスへの期待と課題 さて、現状実用化された診断技術を説明し次世代内視鏡の研究例として分子イメージングを取 り上げ説明してきた。そしてさらにその先を行く技術として予防やリスク診断につながると期待 される、「エピジェネティクス」を本領域は完全に素人ながらも考察した。 これまで述べた様に形態的な変化については解像力はもとより、生体の光特性をうまく利用する 事でより鋭敏に様々な特徴を捉える事ができる様になってきている。 202 また、さらには分子レベルの変化を捉える試みが臨床応用される一歩手前まできている。 現実に分子イメージングは現行検診治療プロセスでの課題を解決する方向に向かって各国でコ ンソーシアムがたちあがってきている(大腸がんが中心) 。 しかし分子イメージングを臨床応用する場合でも存在診断、病態診断(質的な診断)がまずそ の活用先としてあげられ、リスク診断はかなり難しいと考えられている。 203 課題;リスク診断という期待は大きいものの in vivo で検出する手法があるのか? 詳しい事がわからないため、ここでは疑問だけを提示した。 是非サジェスチョンを頂き検討させて頂きたい領域です。 参考文献 1) 「癌の自然史、現代病理学大系 9c 腫瘍 III(中山書店)」 藤田晢也著 2) http://tsugino-hikari.com/opto03/04.html 3) “生体可視化プローブの理論的開発と生体への応用研究” 長野 哲雄, 平成 15 年度上原賞受賞者講演録, 26-50 (2004) 4) Scaling down imaging: molecular mapping of cancer in mice. Weissleder R.Nat Rev Cancer. 2002 Jan;2(1):11-8. 204 4)セミインタクト細胞可視化アッセイ 講師: 東京大学大学院 総合文化研究科 広域科学専攻 生命環境科学系 教授 村田 昌之 氏 1.はじめに 普段から「見て、触って、知る、そして役立てる」を念頭に研究を進めてきた。今回 NEDO のプ ロジェクトにより研究を進めてきたセミインタクト細胞をエピジェネティクス研究に役立ててい ただければということで、基礎から応用までをいくつかの実験例を示しながらお話させていただ く。セミインタクト細胞の概要と可能性を知っていただき、実際にどのようにエピジェネティク ス研究に組み込めるのかをご検討いただければと考えている。 2.セミインタクト細胞とは 今回紹介するセミインタクト細胞とは、図 1 に示すように、連鎖球菌の酵素感受性毒素である SLO(streptolysin O)を 4℃で形質膜のコレステロールに作用させた後、30℃以上の高温にさら すことにより直径約 40μm の穴を開け、形質膜を部分的に透過性にした細胞である。これにより オルガネラや細胞骨格を保持したまま、ATP や GTP を含む細胞質を流出入させることができるた め、様々な条件の細胞質、リコンビナントタンパク質、抗体や small RNA などを添加し、細胞質 依存的な細胞内現象(転写、翻訳、輸送、分解などの単一細胞内ネットワーク)の可視化・再構 成を通した解析が可能となる。基本は正常細胞と異常(病態)細胞の細胞質に含まれる因子の違 いを生化学的・分子生物学的に研究するための実験系として用いるが、開けた穴を埋め戻す(再 封入する:resealing)ことにより形質転換(広義で iPS 細胞を含む)の研究を目的とした実験系 としても利用可能(40%~50%で増殖能を示す)で、もちろんエピジェネティクスの研究にも利 用可能であると考えられる。加えて、セミインタクト細胞アッセイを支える技術として生きたま まオルガネラ等の観察を可能とするための蛍光標識技術、光学顕微鏡をベースにした観察装置や 画像解析ソフトウェアが必要となる。 図1 205 3.セミインタクト細胞の特長 このように確立したセミインタクト細胞を用いて、それぞれ生命現象の“時間的依存性”、“場 所依存性”、 “細胞質依存性”に注目した研究を行うことができる(図 2、3、4)。いくつかの具体 例を挙げて説明する。 図2 図3 図4 1)生命現象の時間的依存性 細胞周期にともなうオルガネラの分解・再構築を考えた時に、細胞周期の各フェーズにおける 比較は時間依存的といえる。ターゲットとするフェーズの間隔を短くすることで生命現象の中間 状態の検出が可能となり、時間依存的な動態の連続的観察が実現する。例えば、間期から M 期に かけてミトコンドリアやゴルジ体のダイナミックな集積・分配が観察できるが、どのように制御 されているのだろうかという疑問が浮かぶ。また、ER(小胞体)は間期においては三叉構造を再 構成しながら ER ネットワークを維持形成しているが、M 期には一時的に部分切断が起こりネット ワークの連続性が消失することが観察できる。そこで、セミインタクト細胞を用いて間期と M 期 における ER の形態変化の制御機構の解析を行った実験例を示しながらセミインタクト細胞アッ セイの特長を述べる。 基本:細胞質の入れ替えによる比較観察が可能 セミインタクト細胞に間期細胞細胞質+ATP を入れた場合、三叉の ER ネットワーク構造が維持 されたが、替わりに M 期細胞細胞質+ATP を入れた場合には、ER ネットワークの部分的切断が観察 された。これにより、間期細胞細胞質には ER ネットワークを維持する機構、M 期細胞細胞質には ER ネットワークの部分的切断を制御する機構が存在することが示された(図 5) 。 図5 206 ① 細胞質から特定タンパク質の免疫除去、細胞質へのリコンビナントタンパク質の添加が可能 kinase の阻害剤である BL(ブチルラクトン)を添加した M 期細胞細胞質の導入、Cdc2 kinase の 免疫除去済みM期細胞細胞質の導入と免疫除去した上で cdc2 kinase+cyclinB を添加したケース における比較観察により、M 期細胞細胞質の cdc2 kinase の活性化が ER ネットワーク分解を誘起 することが示唆された(図 6)。 図6 ② 抗体や dominant negative タンパク質を添加して機能阻害実験を行うことが可能 膜構造の融合による再構築には文献的に NSF 系、p97/p47 系が知られているが、これらの系にタ ーゲットを絞ってセミインタクト細胞を用いて観察を行った。間期細胞細胞質に抗 NSF 抗体や抗 p47 抗体を添加した場合、ER ネットワークは維持できないことが示された。また、M 期の細胞質 を洗い流してから NEM(N-ethylmaleimide)処理した間期細胞細胞質を入れてコントロールとし、 これらに NSF と SNAPs を添加、p97/p47 を添加、NSF/SNAPs/p94/p47 を添加したケースで ER ネッ トワークの再構築の有無を観察した。この結果、細胞分裂後の娘細胞内の ER ネットワークの再構 築(形成)には、NSF 系、p97/p47 系の 2 種の融合タンパク質複合体が関与していることが示唆さ れた(図 7)。また、この添加実験により必要な因子が正しい順番で作用することが ER ネットワ ークの再構築に必要であることが明らかとなった(図 8)。これらの実験結果より、セミインタク ト細胞にはさらに次の 2 つの特長が付け加えられる。 図7 図8 ③ 巨大タンパク質複合体(約 900kDa)を導入できる(通過可能で活性を示す) ④ 反応の素過程解析に優れている(作用機序) 207 2)生命現象の場所依存性 疾患・病態に依存して変化するタンパク質輸送の制御系に注目し、セミインタクト細胞を用い て各オルガネラ間(小胞体→ゴルジ体、ゴルジ体→細胞膜、ゴルジ体→エンドソーム、エンドサ イトーシス)などでのタンパク質輸送ネットワークの解明を目的に可視化・再構成を行い、正常 細胞の場合と病態細胞での挙動の違いを観察した。セミインタクト細胞による可視化・再構成は タンパク質輸送のネットワーク構築のような場所依存的に執り行われる生命現象の解明のための 実験系として適していることが示された。特に余分な蛍光色素を洗い流すことが可能なセミイン タクト細胞を用いたアッセイ系ではバックグラウンドの蛍光の低い SN 比の良いターゲットの蛍 光を観察することが可能となり、蛍光標識の可視化に優れた威力を発揮する。実際に大阪大学・ 理化学研究所・東京大学との共同研究により、EGF(リガンド)とその受容体との結合による受容 体細胞質領域のリン酸化(受容体活性化)の 1 分子観察と解析にセミインタクト細胞が用いられ ている。タイムシリーズを取れば受容体 1 分子レベルでの活性化状態のキネティックスも解析す ることが可能である。 3)生命現象の細胞質依存性 疾患関連タンパク質をターゲットとしてそれぞれ健常人の細胞質と患者の細胞質をもつセミイ ンタクト細胞アッセイ系では、異なるターゲットタンパク質の挙動(核、核膜、細胞質などへの 局在)を示すことが考えられる。このような標識タンパク質の細胞内「ターゲッティング」アッ セイ系の構築がセミインタクト細胞の利用により可能となっている。 例)高効率無細胞翻訳系タンパク質(本実験では細胞内脂肪滴の形成・退縮を担うタンパク質: ADRP と PerilipineA)に蛍光色素を付け、各種細胞質とともに脂肪細胞のセミインタクト細胞に 導入した。通常両タンパク質の局在は脂肪滴の表面に高いアフィニティを示す結果となったが、 糖尿病のモデルマウスの細胞質とともに導入した場合 ADRP タンパク質は脂肪滴表面に集積しな かった(図 9)。また、ストレスがかかると ATF4 タンパク質(小胞体分子シャペロン遺伝子の転 写誘導因子)が合成され核へと移行するというアッセイ系を用いると、ストレスのかかった細胞 質を導入すると ATF4-GFP が核に集積し蛍光を発し、ストレスのかかっていない細胞質では ATF4 の合成が起こらないために核での蛍光は観察されない(図 10)。つまり、細胞のストレス応答を、 ストレス負荷細胞から調製した細胞質依存的に可視化・再構成できた。注目すべきはこのセミイ ンタクト細胞アッセイ系では細胞膜に穴が開いているにもかかわらず、50kDa 程度の転写因子が 細胞質で合成されて核まで輸送されるという系が再構築されたという点である(おそらく輸送に 関しては細胞骨格がらみの制御系が関連していると考える)。また、このアッセイを用いることに よりどのような細胞質因子が ATF4 の翻訳や核への移行などに必要であるかということが生化学 的に解析できる。以上のように、このようなセミインタクト細胞アッセイ系を用いることにより、 ストレスのかかった細胞質の診断、ストレスの種類の同定が可能となる。 図9 208 図 10 4)エピジェネティクスとセミインタクト細胞 セミインタクト細胞は、 「染色体が正常」、 「大量に生産できる」、 「ウイルスを使用しない」とい う特長を持つ。SLO の細胞毒性が挙げられるが、現在では遺伝子改変を行った分解性の SLO も生 産可能であるため、セミインタクト細胞+エピジェネティックな制御をになう細胞質+リコンビナ ントタンパク質→iPS 様の万能細胞樹立のバックグランドとしては申し分ないと考える。写真を 示さないが、ES 細胞の細胞質を別の細胞の細胞質と入れ替えたところ高い増殖能を示した。この 実験においてまだエピジェネティックな解析は行っていないが制御系を観察するには良い材料で ある。 例)細胞質依存的な MeCP2 タンパク質の挙動をセミインタクト細胞アッセイ系にて観察した。マ 209 ウスの表皮系細胞株を用いてセミインタクト細胞とし、様々な細胞質を導入して MeCP2(methyl CpG・binding protein)-GFP 発現の可視化・解析を行った。その結果、正常脂肪細胞の細胞質 を用いたコントロールでは GFP の蛍光は核マトリクスの中に広く分布しているのに対し、糖尿病 モデルマウスの脂肪細胞細胞質を導入した場合、核マトリクスの中心付近の GFP 分布は消失し、 核膜の一部もしくは CpG アイランドと思われる部分に観察できた。また、ストレスをかけた細胞 の細胞質の場合には糖尿病モデルマウスのケースと似た局在を示した。可視化するターゲットを ヒストンタンパク質(H2A)とした場合、タンパク質の局在パターンに大きな差異を観察できなか ったので、MeCP2 ターゲットの実験系の結果はエピジェネティックな制御との関連が示唆される が、まだまだ十分な実験と考察が必要な段階である。このように、エピジェネティック制御に関 連する因子の蛍光標識プローブ化ができれば、それらの制御機構の解析が可能となり、セミイン タクト細胞アッセイ系はそのツールとして役立つのではないかと考えている(図 11)。 図 11 4.セミインタクト細胞アッセイの基本戦略 以上述べてきたことを総括する。ある疾患などのターゲットを決め、正常細胞と疾患細胞の遺 伝子発現変動解析・タンパク質発現変動解析を通してターゲットとなる遺伝子または遺伝子産物 (タンパク質、mRNA など)を絞り、目的に合わせて導入のための調製(細胞質の調製、抗体作成、 無細胞翻訳系による(標識)タンパク質調製、siRNA などのプローブ調製)を行う。転写・翻訳・ 輸送・分解などの素過程をセミインタクト細胞により単一細胞内で可視化・再構成し、変動遺伝 子、変動遺伝子産物との関連を解析する(図 12)。 図 12 210 5.セミインタクト細胞アッセイ系のハイスループット化 さらに大量解析を可能とするためにハイスループット化に取り組み、以下のような成果をあげ ている。 ① セミインタクト細胞チップの作成・アッセイ自動化装置の開発 現在、容量に応じた 2 種(48wells or 12wells)のチップを選択可能で、細胞の分注、細胞 の培養・増殖、生細胞アレイチップ作成、セミインタクト細胞チップ作成とアッセイ構築を 自動で行うことができる装置の開発。 ② ネットワーク解析に使用するチップ可視化システム構築 セミインタクト細胞アッセイ自動化装置で作成されたセミインタクト細胞チップを「共焦点 レーザー顕微鏡:高解像度(油浸:X100 or X60)だが時間を要する」もしくは「In Cell Analyzer:短時間に多点観察できるが、解像度は低い(X40)」へ移動(将来的にはこの作業 も自動化、現在は手動)し画像解析を行うシステムの開発。 6.現在目指していること セミインタクト細胞再封入技術と DNA メチル化制御等の核エピジェネティックス変換技術の確 立を行い、これらの技術を用いて ES 細胞の細胞質をヒト体細胞に導入し、核移植や細胞融合では ない方法で体細胞核をリプログラミングし、胚性幹細胞と同等の多分化能を持つ細胞を創成する。 具体的には、DNA 脱メチル化活性化因子を含む細胞質、リコンビナントタンパク質を含む転写因 子をセミインタクト細胞に導入して再封入・培養することにより体細胞の万能性幹細胞化と特定 の組織・器官の分化誘導を目指している(図 13、共同研究開始)。 図 13 211 7.質疑応答 Q-1.セミインタクト細胞を作成する時に使用する SLO は細胞内のゴルジ体などのコレステロー ルには作用しないのか? A-1.4℃で処理を行うと細胞表面にのみ作用し、その後洗浄するのでオルガネラへの影響は無し。 Q-2.セミインタクト細胞作成の自動化効率は? A-2.セミインタクト細胞となったかどうかの判断は細胞膜の穴の有無により確認できる。だい たい 70~80%の効率で作成できる(剥離・浮遊細胞)。クローンをとってから一気に実験を行う と条件がそろい均一度が高くなる。また、再封入化は 40~50%の効率。 Q-3.細胞に入れた因子はどの程度核に移行するのか? A-3.転写因子の多くは添加した細胞質依存的にほぼ全て核へ移行。セミインタクト細胞は最初 核移行の実験系として確立された。細胞質がある場合は細胞質依存。mRNA は核内へ入らない。短 いオリゴ(miRNA、siRNA など)は核内へ入る。プラスミドは核膜まで。 Q-4.MeCP2 を観察した糖尿病マウスのスライドの Fig.は核のイメージなのか? A-4.はい。 Q-5.細胞質内の因子が MeCp2 の局在を変えているのか? A-5.おそらくそのように思う。メチル化との関連は調べていないのでわからない。再封入して 1 時間後の結果なのでそれほど大きな変化は起こっていないと思われる。再封入してしばらく培 養したものを調べる必要がある。 212 Q-6.核移行は細胞質依存か? A-6.はい。 Q-7.転写因子を添加している実験系だが、導入した細胞質そのものに(転写因子を含む)核タン パク質が含まれていることは無いのか? A-7.含まれていると考えます(色々なものを含んでいる)。逆に言えば、ターゲットのタンパク を発現させた状態の細胞から細胞質を調製し、そのままセミインタクト細胞に導入するアッセイ を行うこともできます。 Q-8.再封入した時の細胞の生存率は? A-8.細胞質依存で変わります。 Q-9.ES 細胞の細胞質を導入して増殖が早くなった細胞は形態的には変化しているのか? A-9.ES 細胞的には見えるが、他の方法(例えば、単一細胞の遺伝子発現の網羅的解析など)に よる細胞の形質転換の同定が必要である。ES 細胞質を入れ替えたリシールされたセミインタクト 細胞はセルソーターで解析する別のポピュレーションとして分類される。 Q-10.核マトリクスに関してご興味は? A-10.興味がある。細胞質依存的に MeCP2-GFP が核の中心くらいのところから抜けていくように 形態的観察ができる、核内のこうした物質の変動の観察・解析にはセミインタクト細胞は適して いると思われる。核内はバックグラウンドが低く観察がし易いので、1 分子検出のような 3 次元 画像構築の必要の無い染色体レベルの観察に適していると考える。核と細胞質の移行を研究する アッセイ系の構築にはセミインタクト細胞は適していると考えています。 Q-11.ヒストンアセチル検出用プローブを所有しているので、お使いになりませんか?ES 細胞 のヒストンのアセチル化レベルを可視化できるのでは? Q-11.歓迎です。蛍光標識プローブさえあれば、それを用いた様々な可視化アッセイができるこ とがセミインタクト細胞アッセイの特長の一つです。 213 6-3.議事録 第4回 エピジェネティクス調査委員会 議事録 開催日時: 平成 19 年 1 月 16 日(水)13:30-17:30 開催場所: NEDO 1901 会議室(川崎市幸区大宮町 1310 番 ミューザ川崎 19 階) 出席者: 牛島委員長(国立がんセンター)、塩田委員(東大)、佐々木委員(国立遺伝学 研究所)、吉田委員(理化学研究所) 、杉原委員(日本化薬株) 事務局:山崎(NEDO)、長張・清末・世良田(JBIC) オブザーバー:荒田課長補佐(経済産業省)、多喜田部長(NEDO) 、他 計 39 名 1. はじめに ・ 第 3 回調査委員会議事録が事務局から紹介され了承された。 ・ 調査委員会の目的、構成メンバー、調査フロー、調査研究体制、調査項目、さらに NEDO に提 出する成果報告書の内容について事務局から説明された。調査委員会として最後になる第 5 回(1 月 30 日)では「植物のエピジェネティクス」で角谷徹仁氏(国立遺伝学研究所 育種遺伝研究部 門 教授)、「哺乳類の核移植クローンとエピジェネティクス」で小倉淳郎氏(理化学研究所 バ イオリソースセンター 遺伝工学基盤技術室長)を講師として予定している。 2. エピジェネティクス研究開発動向等発表 解析ツール、測定をテーマとして講師 4 人から各専門領域における研究開発動向、エピジェネテ ィクス研究への展開等が発表された(40 分/人)。発表タイトルと講師名は下記の通り(発表内容 の詳細は別途記録)。 (1) DNA メチル化を検出するための化学反応の紹介 理化学研究所 フロンティア研究システム 岡本独立主幹研究ユニット 独立主幹研究員 岡本晃充 氏 (2) エピゲノム解析:手法とその応用 東京大学 先端科学技術研究センター 教授 油谷浩幸 氏 (3) 内視鏡の先端光診断技術の現状と将来 オリンパス株 研究開発センター 研究開発本部 基礎技術部分子診断技術グループ グループリーダー 長谷川晃 氏 (4) セミインタクト細胞可視化アッセイ: 新しいエピジェネティクス研究システムへの可能性 東京大学大学院 総合文化研究科 広域科学専攻 生命環境科学系 教授 村田昌之 氏 214 3. 質疑応答、まとめ ・ 牛島委員長から、最後になる次回第 5 回調査委員会では、植物、クローンとエピジェネティ クスについて講演を予定しているが、その他、講師の推薦があれば事務局に連絡して欲しいとの 発言があつた。 ・ 成果報告書の第 8 章エピジェネティクスの産業応用に向けた技術的課題について、資料 2 の 11 ページに基づき牛島委員長から以下の説明があった。 (1)エピジェネティック異常の関与が知られる疾患(がん) がんにエピジェネティクスが関与していることは間違えがない。がんの種類によって関与の 程度は異なるが、エピジェネティクスが遺伝子の変異である genetics より重要な場合があ る。診断のマーケットとしては、リスク診断、存在診断、病態診断がある。リスク診断にお いてはエピジェネティクスは非常に有用で、胃がんでは実用化が近い。ただ、欧米では胃が んはなくなる傾向であるが、中国、アジアではまだシビアな問題であり、期待される。存在 診断・病態診断に関しては、既存の方法・遺伝子発現解析・プロテオームと比べても有用性 がある場合もある。総合的に○とした。 (2)エピジェネティック異常の関与が疑われる疾患 がん以外の疾患である免疫系疾患、後天的神経系疾患、糖尿病等の生活習慣病ではエピジェ ネティクスが本当に原因として関係しているかは現時点では分からない。しかし、それが明 らかになれば患者の人数も多いし、予防的価値も大きいので将来性、重要性は◎にした。 (3)エピジェネティック異常の誘発要因 疾患予防という観点、特に、機能性食品の開発やライフスタイルの提案という点で重要であ ると思っている。機能性食品を研究開発されている方がいればコメントをお願いしたい。 (4)化学物質安全性評価・試験系へのエピジェネティクス導入 化学物質のコントロールの側面からエピジェネティクスが重要だとのディスカッションが 何回かされた。現在は突然変異を起こす、起こさないで安全性の in vitro 試験を行ってい るが、in vitro 試験では突然変異を起こさないが、in vivo ではがんを形成したり、色々な 毒性を出す物質が多数ある。それらはホルモン系に作用したり細胞増殖を誘発すると推定さ れているが、エピジェネティクスの作用で毒性を出している可能性は十分にある。特に奇形 を起こす teratogen ではその可能性が高い。胎児暴露の問題、幼少時に暴露すると大人にな って悪影響が出るという現象は、遺伝子スイッチの異常によるのでエピジェネティクスが関 係していると思われる。非常に重要な分野であるがアプローチ方法が見えていないので距離 感は○にして、重要性は◎にした。 (5)再生医療、細胞治療、細胞バンク分野への導入 細胞のアイデンティテイ、細胞の安定性でエピジェネティクスがパワーを発揮すると思われ 215 る。 細胞の種類、性質でエピジェネティクスのプロファイル技術は実用化段階に達しているので、 やればかなりの成果が出ると予想される。 また、日本独自の iPS(万能)細胞とコンバインすれば成果はすぐ出ると思ったので距離感 は◎、しかし、どこまで行くかの応用面に依存するので将来性・重要性は○にした。 (6)検査・診断の機器・システム開発 診断を目的にした場合のエピジェネティクスでは、どこを見れば病気になり易いか、悪くな るか、良くなるかのコンテンツは別途見つかってくる。臨床に使う場合は、とにかく精度良 く、再現性があり、安いことが必要である。また、出来れば外国の特許を侵害しない方が良 いので、岡本先生の技術は非常に有望性が高いと思う。その他、酵素の改良等で PCR を根本 的に改良する等、意欲的な試みがなされても良いと思う。それが診断を目的にした場合に要 求されるスペックである。それに対してゲノム網羅的な解析では、とにかく沢山見れること が大事で、数字自体はある程度ぶれても良いが、網羅性が高いことが必要である。今日、油 谷先生からも要求基準の話があった。 (7)農業・畜産分野 農業、畜産分野は、私は不得意な分野であるが、応用性があると思う。次回の角谷先生の専 門は少し違うが、植物という点でお話頂けると思う。 ・ このように産業応用に向けた技術的課題を俯瞰して、もし不足の分野があれば是非指摘して 欲しい。 ・ 牛島委員長の説明に対して塩田委員から以下の発言があった。 化学物質は、見方によっては安全性に関係し、病気との関係になると場合によっては創薬にも関 係する。化学物質の項目をもっと増やすか、別項目を立てる必要があると思う。農業の分野は次 回の演者の内容になるが食品と非常に絡む。食品として何が良くて悪いかは化合物の問題にもな る、これについても触れて欲しい。 ・ 牛島委員長の説明に対して荒田課長補佐(経済産業省)から以下の発言があった。 専門的なところは良く分からないところがあるので報告書をまとめる時のお願いがある。資料 2、 11 ページは非常に良くまとまっている。検査、解析、機器の部分であるが、もしプロジェクト化 する場合、各省が予算要求する時に他省との切り分けがポイントで、研究を進めて行くための基 盤的な技術、ツールの提供が文部科学省と比べた時の経済産業省の特徴としてオリジナリティを 出せる部分である。 診断目的か、網羅的解析か、網羅的解析をやってある程度マーカーの候補が出てきた時に検証の ために使うものなのかで研究のフェーズで求められる機器のスペックは異なると思う。先生方が 研究をされていてどういう課題があり、こういう利用をする際にこういうクリアーすべき課題が 216 あり、それに対して現状の技術、今後想定される技術がどういうポテンシャルを持っているか等、 役人にも分かり易いまとめ方をして頂けると有り難い。 ・ 荒田氏に対して牛島委員長から以下の発言があった。 役所のみならず研究者も常に考えていなければならないことがある。株価が低下し、日本の力が だんだん弱くなっていくことに対して研究者も貢献したいと思っていて、SWOT 解析等が必要であ る。研究者のコミュニティもだんだんそのような意識を持ち始めている。勿論科学的に正しい基 盤があって応用が成り立つので、バランスをとってやって行きたい。 オブザーバーの方もエピジェネティクスに対する期待、知見をお持ちだと思うが、なかなか聞く 機会をもてなかったので WG のミーティング時に事務局にまとめてもらうことをお願いしている。 委員、エピジェネティクス学会に対する要望なりコメントを出してもらいたい。企業のニーズと エピジェネティクス研究者が持っている興味、技術がマッチするところがあれば、考えて行きた い。企業のニーズを聞けば、実はそんなことは簡単に出来るといったケースもあるのではないか と思う。是非意見を交換していきたい。 4.スケジュールの確認 資料 5 により今後のスケジュールを確認した。次回(第 5 回)調査委員会は 1 月 30 日午後 NEDO で開催される。他に、WG が 1 月 24 日、2 月 7 日、2 月 25 日に開催される予定。 217 6-4.まとめ 1)化学的メチル化検出技術 現在 DNA メチル化検出に最もよく利用されている Bisulfite 法には、i)反応時間の長さ、ii) 副反応による分解、iii)実験手技の熟練を要する、iv)ハイスループット解析・定量解析が困 難、といった課題がある。これらの課題を解決できる方法として、Osmium Complexation 法を 改良した安定錯体形成によるメチル化検出法(ICON 法)を開発した。 これまでに、ICON 法を用いて特定位置のメチル化の検出に成功し、また簡便な検出が可能と なるリガンドデザインを検討している。マウスゲノム DNA を用いた ICON 法による DNA メチル 化解析のモデル実験では、Bisulfite 法を用いた場合とほぼ同程度の結果が得られている。現 在、定量精度の向上やハイスループット化に向けた取り組みを行っている。 今後の課題 z Bisulfite 処理を含む定量的 MSP(methylation specific PCR)法など特許問題回避の関係か ら、日本発のメチル化検出技術開発は、エピジェネティクスの産業化に向けて極めて重要で あり、ICON 法を含めた新規技術の開発は必須である。 2)エピゲノム解析法 ゲノムワイドな DNA メチル化検出法には、i)メチル化感受性制限酵素を利用する方法と、 ii)Affinity capture による方法が主に用いられている。メチル化 DNA 免疫沈降法(MeDIP)と タイリングアレイを用いた MeDIP-chip 法はゲノムワイドな解析に有効であり、Bisulfite sequencing 法や MALDI-TOF 法と比較して遜色ないレベルである。 また、最近開発された大規模高速シーケンサーを用いて、キャプチャーした DNA を直接解析 する方法は、高スループットではあるが高コストであり、また配列アライメントにおける課題 も予想され、今後の改良・改善を待つ必要がある。 クロマチンにおけるヒストン修飾の検出には、クロマチン免疫沈降(ChlP)が用いられてい るが、細胞の発生・分化に伴い、DNA メチル化だけでなく、ヒストンのアセチル化、メチル化 もドラスティックに変化することが明らかとなった。この結果、ES 細胞や iPS 細胞の品質管理 にはゲノム及びエピゲノム変異のモニタリングが必要であることが分かった。 今後の課題 z 網羅的解析によるマーカー探索、検査・診断のための臨床検体、微量検体の解析のいずれに 関しても、抗体のキャプチャー率の改善、もしくは抗体によらない高効率のキャプチャー法 の開発が望まれる。また、ヒストンの修飾の様にクロマチンの修飾酵素は有望な創薬標的で あり、これら DNA のメチル化、ヒストン修飾といったエピジェネティック情報の個別化医療 への利用に期待がかかる。 3)先端光診断技術 内視鏡を用いた光診断技術として、組織の自家発光変化を検出する方法や分光特性の最適化 218 により血管等を強調して観察出来る狭帯域光法がこれまでに開発され、実用化されている。こ れらの形態的な診断法に組み合わせて、分子レベルでの診断が可能となる次世代内視鏡診断技 術として期待される、蛍光プローブを用いた分子イメージング技術の開発に取り組んでいる。 これまでに、内視鏡先端で自由に分光が出来る超小型分光素子(外形φ7mm 以下)の開発に 成功、将来的には、内視鏡による分子イメージング技術の発がんリスク診断への利用を考えて いる。 今後の課題 z 本技術のリスク診断利用に向けた課題を洗い出すとともに、エピジェネティック解析への適 用を検討していく予定である。 4)新規エピジェネティクス解析システム セミインタクト細胞可視化アッセイシステムは、細胞内現象の「時間的依存性」、 「場所依存 性」、 「細胞質依存性」を解析することが出来るシステムである。既に“セミインタクト細胞ア ッセイ自動化装置”を開発し、ハイスループット化や手技に頼らない高い再現性を実現してい る。これまでに、エピジェネティック制御に関与する MeCP2(methyl CpG binding protein 2) の挙動をセミインタクト細胞系で解析し、正常脂肪細胞と糖尿病マウス由来脂肪細胞の細胞質 依存的に MeCP2 の分布(局在)が異なるという、エピジェネティック制御の関与を示唆する結 果を得た。 今後の課題 z 種々のエピジェネティック制御関連因子を蛍光標識プローブ化することが出来れば、エピジ ェネティック制御機構の解析にセミインタクト細胞系が有効なツールとして役立つことが期 待できる。さらに、これらの知見を使用して体細胞の万能性幹細胞化と特定組織・器官への 分化誘導を目指している。 219 第7章 第 5 回調査委員会(植物、クローンとエピジェネティクス) 7-1.議事次第 第5回 エピジェネティクス調査委員会 議事次第 開催日時: 平成 20 年 1 月 30 日(水) 14:00-17:30 開催場所: NEDO 1901 会議室 (川崎市幸区大宮町 1310 番 ミューザ川崎 19 階) 議事次第: 1. はじめに ・ 第 4 回委員会議事録の確認 ・ 配布資料確認 2. エピジェネティクス研究開発動向等発表 (1)「植物のエピジェネティクス」 国立遺伝学研究所 総合遺伝研究系 育種遺伝研究部門 教授 角谷 徹仁 氏 (2)「哺乳類の核移植クローンとエピジェネティクス」 理化学研究所 バイオリソースセンター 遺伝工学基盤技術室 室長 小倉 淳郎 氏 3. 質疑応答、発表まとめ 4.各章まとめ報告 (1) 成果報告書の目次 (2) 第 3 章 (第 1 回委員会) (3) 第 4 章 (第 2 回委員会) (4) 第 5 章 (第 3 回委員会) (5) 第 6 章 (第 4 回委員会) 5.産業界(オブザーバー)からのコメント等の紹介 6.エピジェネティクスの産業応用に向けた技術的課題について 7.考察と提言 (1) 委員会のまとめ (2) 産業界としての意見 220 (3) 技術的課題(含:産業界) 8. その他 221 7-2.発表記録 1)植物のエピジェネティクス 講師: 国立遺伝学研究所 総合遺伝研究系 育種遺伝研究部門 教授 角谷 徹仁 氏 1.はじめに エピジェネティックな修飾は染色体上に目印をつけることによって、個体発生や染色体の挙動 に影響を及ぼす。目印には、DNA 上のシトシンのメチル化やヒストンの修飾がある。例えば、ヒ ストン 3 の 9 番目のリジンがメチル化されると、恒常的にヘテロクロマチンが凝集し続け、常に 眠っている配列となる。また、ヒストン 3 の 27 番目のリジンがメチル化すると、組織特異的な遺 伝子発現をするなどが知られている。 エピジェネティクスに関する植物の特徴は、以下のとおりである。 ① 多様なエピジェネティックの目印を持つこと。脊椎動物と同様にシトシンのメチル化機構を 持っているのは、酵母や線虫などの遺伝学モデル生物の中で植物だけである(図 1)。 ② エピジェネティックな変異体が扱い易く、遺伝学の材料に適していること。植物は動物と違 ってエピジェネティクスに異常が起こっても、表現型が変わる(性質が変わる)だけで生存 可能、次世代も得られる。 ③ エピジェネティクスを農作物などの育種へ、応用が可能であること。これまで行われてきた 農作物の育種の中には、エピジェネティックな状態が変わっているものがあり、エピジェネ ティクスの研究は育種応用への理解になる。 植物は多くのエピジェネティックな目印を持つ RNAi H3mK9 H3mK27 mC ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ × C.elegans ○ ○ ○ × シロイヌナズナ ○ ○ ○ ○ S.pombe ○ ○ × × × × × × 脊椎動物 ショウジョウバエ S.cerevisiae 図1 222 2.角谷研の研究内容、成果 角谷研ではシロイヌナズナを用いて DNA のメチル化の機能や制御機構を明らかにしている。 植物の DNA のメチル化を制御する遺伝子は、マウスにも存在する維持型メチル化酵素と、de novo のメチル化酵素。前者は片方の遺伝子がメチル化されているところをメチル化する酵素で、メチ ル化のパターンを維持する。後者はメチル化されていないところを新たにメチル化する酵素。メ チル化されていないところをメチル化することにより、新たなメチル化パターンを作り出す。こ れらの酵素は他の生物と同様、構造や機能ともに保存されている。その他、DNA メチル化酵素 (DMT1:CG の配列をメチル化する酵素)や、それ以外の配列をメチル化するクロモメチレースⅢ も持っている。 角谷研の研究成果 ① ゲノム DNA の低メチル化を引き起こす DDM1 変異体を遺伝解析した結果、低メチル化状態ではト ランスポゾン(CACTA1)がジャンプし、挿入突然変異が起こっていた。このトランスポゾンは、 野生型では飛ばないことから、DNA のメチル化がトランスポゾンの抑制に働いていることが示さ れた。 また、変異体では遺伝子発現の変化も認められた。FWA 遺伝子は野生型ではインプリント遺伝 子で、胚乳で発現するが、変異体では野生型で発現していない組織に発現していた。すなわち、 DNA のメチル化によって、組織特異的発現がコントロールされ、発現場所が保証されている(図 2)。 Jump of an endogenous transposon, CACTA1. Its immobilization depends on DNA methylation. (Miura et al 2001) (Kato et al 2003) Late flowering phenotype was due to ectopic expression of an imprinted gene FWA. (Soppe et al 2000, Kinoshita et al 2004) DNA低メチル化 世代を超えて伝わるエピジェネティックな変異 図2 角谷研の研究成果 ② 機能喪失型のエピジェネティック変異である BONSAI の解析をしたところ、原因遺伝子は 223 Anaphase Promoting Complex 13(APC13)遺伝子で、細胞周期の metaphase(中期)から anaphase (後期)へ移行するのに必要な遺伝子だった。この遺伝子の塩基配列に違いは無いが、遺伝子発 現が抑制されており、この形質は次世代に遺伝していた(図 3)。 ddm1 で誘発される機能喪失型エピジェネティック変異BONSAI (Saze & Kakutani 2007 EMBO J) 連鎖解析と発現解析で原因遺伝子を同定した。 細胞周期制御因子APC13類似の蛋白質をコードしていた。 発現低下がエピジェネティックに遺伝する。 WT bns ddm1 BONSAI ACT2 ACT2 (RT-) 図3 この現象を解明するため、BONSAI のエピジェネティックな状態に影響を与える変異体、すなわ ちメチル化が入った変異型をスクリーニングした。得られた変異体を調べたところ、原因は IBM1 (Increasing BONSAI Methylation 1)だった。その解析から、IBM1 の表現型は Non-CG サイトの メチル化の上昇であることがわかった。また、IBM1 遺伝子の持つ jumonji-domain は一般に H3K9 メチル基を取る活性を持つこと、シロイヌナズナでは H3K9 のメチル化が non-CG サイトのメチル 化に必要であるこから、IBM1 では H3K9 のメチル化を脱メチル化できないために、H3K9 がメチル 化しており、そのために non-CG サイトのメチル化が上昇し、BONSAI 遺伝子の non-CG サイトがメ チル化、発現が抑制されていたと推察される。このことはヒストン H3K9 メチル化酵素遺伝子や非 CG メチル化酵素遺伝子 CMT3 との遺伝的相互作用からも示された。 3.エピジェネティクスの応用 ① 倍数体化(核小体優性) 植物ではパン小麦やナタネのように、複数のゲノムが同居した倍数体化植物がある。倍数体で はゲノムの遺伝的相互作用、エピジェネティック相互作用が起きており、ナタネでは片方のゲノ ム rDNA 転写因子領域が発現していない(核小体優性)。核小体優性には DNA メチル化とヒストン 修飾が関与している。TSA などの薬剤処理をすると、メチル化、ヒストン修飾が変化し、核小体 優性が解除されることがわかっている。 人工的な倍数化を解析することで、エピジェネティックな因子が明らかになってきている。例 えば、シロイヌナズナの 4 倍体は同じゲノムが倍になっている倍数体で、n=2 の野生型と交配し 224 て得られる 3 倍体は、正逆交配で種子の大きさの表現型が変化する。これは Parental Conflict 仮説で説明できる。すなわち、父親にとっては種子は大きくなることが有利なのに対して、母親 はそれと反対の応答をする。それぞれが一群の遺伝子をインプリンティングで発現抑制すること で種子の発生に影響を及ぼしている。 ② 春化 春に咲く花は冬の低温を受ける必要がある。植物では発芽直後に受けた低温処理を覚えている。 これはヒストン 3 が低温で脱アセチル化し、9 番目と 27 番目のリジンのメチル化がおこり、遺伝 子発現が抑制されて、花が咲くかどうか決まる。このメチル化は夏を越えるとリセットされるが、 これはヒストン脱メチル化酵素、すなわちヒストン 4 を脱メチル化する酵素による(図 4)。これ らは発生のコントロールとは異なり、環境因子の影響がエピジェネティック的に記憶されている。 この情報は 1 年ごとにリセットされる。一方、DNA メチル化の伴う遺伝子発現の変化は、しばし ば次世代に遺伝する。 Sung & Amasino (2004) 図4 4.質疑応答 Q-1.植物は動物と異なり、エピジェネティックな変異を受けても形質が変化するだけで、致死 とはならないことから、エピジェネティクスに関与する化合物のスクリーニングに植物を使える のではないか? A-1.これまでそのようなことを考えたことは無かったが、十分有り得る。 Q-2.エピジェンティックな変化は遺伝子変異を伴わないので、形質転換体と同じ形質を示すエ ピジェネティック変化を選抜すると、組換え体でない同じ形質を持つ作物が得られるのではない 225 か? A-2.それは可能である。実際、外来の 2 本鎖 DNA を導入すると、de novo のメチル化が起こり、 配列特異的にゲノムにメチル化が入る。外来の DNA を交配で除去しても、メチル化は残り遺伝す るので、組換え体ではないが、同じ形質を示す。 Q-3.春化現象で FLC の変異は部位特異的なのか? A-3.春化のマシナリーは他のところには働いていないと思われるが、それによって生じたヒス トン 3 の 27 番目のリジンのメチル基を認識するポリコームは、FLC 以外の部分も認識している事 が知られており、複数の遺伝子に影響しうる。しかし、現時点では 2 例しか分かっていない。そ れ以外にも影響し得るかどうか知るためには、ゲノムワイドな解析が有効と考える。 226 2)哺乳類の核移植クローンとエピジェネティクス 講師: 理化学研究所 バイオリソースセンター 遺伝工学基盤技術室 室長 小倉 淳郎 氏 1.はじめに 核移植研究が始まったころにはエピジェネティクスの概念はなかったが、核移植をサイエンス するにはエピジェネティクスは避けては通れない。 2.体細胞クローンの技術開発の現状 ・ 核移植開発の歴史を見てみると、約 10 年前に生まれた “ドリー”という一匹のクローン羊 が大きな影響を与えた。核移植を取り巻く現象の科学的基盤が明確にならないまま、核移植 の技術開発は進んだ。 ・ クローン個体の作出法は二種類ある。主に一卵性双生児に至る割球分断クローンと核移植ク ローンである。核移植クローンには実は三種類ある。ドナー核が受精卵によるものか、体細 胞由来のものかによって全く異なる結果になる(図 1)。 クローン個体作出法 体細胞クローンだけではない 割球分断クローン (主に一卵性双生児) 受精卵核移植クローン (数に限界) 核移植クローン 胎仔細胞 体細胞核移植クローン ドナー核 成体細胞 生殖細胞核移植クローン (始原生殖細胞、精原細胞) 図1 ・ 受精卵核移植クローンの例を示す(図 2)。 受精卵核移植クローン (着床前の割球を用いる) 核移植 卵子核(染色体)除去 個体へ発生 ドナー受精卵 レシピエント卵子 1細胞期受精卵 → 1細胞期受精卵 (1983年 マウス) (McGrath and Solter) 8細胞期受精卵 → 未受精卵子 (1986年 ヒツジ) (Willadsen) 胚盤胞(内部細胞塊)→ 未受精卵子(1989年 ヒツジ) (Smith and Wilmut) 図2 227 ・ 20 年以上前から主に羊を対象として作出が試みられた。当時はエピジェネティクスの概念は 全くなかった。一方、体細胞核移植クローンは約 10 年前から作出が試みられ先ず羊で成功し た。一年遅れでマウスにおいても体細胞核移植クローンの作出が行われ、これを契機として 核移植クローンとエピジェネティクスが繋がった(図 3)。 体細胞核移植クローン 卵子核(染色体)除去 核移植 個体へ発生 ドナー体細胞 レシピエント卵子 分化胚由来の株化細胞 → 未受精卵子 (1996年 ヒツジ) (Campbell ら) 成体乳腺由来細胞 → 未受精卵子 (1997年 ヒツジ) (Willmut ら) 成体卵丘細胞 → 未受精卵子 (1998年 マウス) (Wakayama ら) 図3 ・ マウスの体細胞核移植クローンの方法を示す(図 4) 。卵子から除核し、体細胞を注入する。 染色体が凝集し卵子が活性化される。そして培養された胚を、母体に移植することによって クローン産子を得る。 マウスの体細胞核移植クローンの方法 除核 核移植 (卵子の染色体除去) (体細胞核の注入) 染色体凝集 卵子活性化 クローン産子 胚移植 胚培養 図4 ・ これまでに 13 種類以上の動物で体細胞クローン個体の作出に成功しているが、横展開してい るも研究の深まりは無かった。動物種は増えたが 10 年前から、体細胞クローンの成功率は胚 移植あたり 1-5%程度と低率に止まっている。これはドナー細胞の違い、受精卵に比べて体 細胞からクローンを作出する難しさを物語っている。ドナー細胞の性質の差が反映している (図 5)。 228 受精卵クローンと体細胞クローンは、結果が全く異なる 体外胚操作後のウシ胎仔生存率 体外受精 受精卵クローン 胎仔細胞の体細胞クローン 成体細胞の体細胞クローン Heyman et al., Biol. Reprod. 2002 妊娠後期でのウシ胎仔死亡率 体外受精由来:0% 受精卵クローン:4.3% 体細胞クローン(胎仔細胞):33.3% 体細胞クローン(成体細胞):43.7% ※体細胞クローンは、単なる操作の難しさではなく、ドナー細胞の性質が問題 図5 ・ さらに生まれた体細胞クローン動物には多くの異常表現型が認められる。まるで“病気のデ パート”と形容できる(図 6)。 生まれた体細胞クローン動物の異常表現型 ウシ ヒツジ ヤギ 過大仔、糖尿病、高血圧、細菌・ウイルス感染、奇形、 胸腺・リンパ節萎縮、胎盤過形成、臍帯ヘルニア、呼 吸不全、肺炎、心臓奇形、肝臓線維症、貧血、骨粗鬆 (そしょう)症、関節奇形、内出血 ブタ マウス 図6 ・ また個体発生だけでなく長期的にもクローンの影響が残る。即ちマウスの寿命は 2-3 年であ るが、免疫能低下と肺炎により早期に死亡する(図 7)。 個体発生だけでなく、長期的にもクローンの影響が残る クローンマウスの生存曲線(免疫能低下と肺炎を伴う早期死亡) a 1.0 (6/7) .8 survival (4/6) .6 .4 clone control (spermatid injection) .2 (2/12) control (natural mating) 0 0 100 200 300 400 500 600 700 800 900 age (d) Ogonuki et al., Nat. Genet. 2002 229 図7 3.体細胞クローンのエピジェネティクス研究 ・ 体細胞の核移植クローンの作出はなかなか難しいことを述べてきたが、次にエピジェネティ クスとの観点から解説したい。 ・ 体細胞クローンは「ドナー体細胞 DNA の塩基配列の変化を伴わずに初期胚あるいは産仔を作 出する」ものであり、エピジェネティクスの研究材料として非常に魅力的である。 ・ ここで今話題の iPS との違いを指摘したい。即ち iPS 細胞(ES 細胞も)では多能性の獲得ま でであり、体細胞クローンは全能性を獲得する(即ち初期化する)点が大きく異なる。核移 植クローンは全能性ゲノムを誘導する唯一の実験系であり、ここに核移植クローン研究の意 義があることを強調したい(図 8)。 体細胞クローンは、 非常に魅力的な 「ドナー体細胞DNAの塩基配列の変化を伴わずに= エピジェネティクスの 初期胚あるいは産子を作出する」 研究材料 多能性獲得(ES細胞などの状態) 受精 初期化(全能性獲得) 体細胞クローン 初期化: ドナー核ゲノムの状態が受精時の状態に戻り、全能性を獲得す ること。(注:多能性ではない) 核移植クローンは、全能性ゲノムを誘導する唯一の実験系 図8 ・ 研究材料に適した動物種はなにか?羊、ヤギ、牛など家畜は安定してクローンが生まれるも 出生時の異常が多い。一方、実験動物のマウス、ウサギ、サルはクローンが生まれにくい欠 点がある。しかしマウスはゲノム情報が豊富であること、解析方法が充実していること、染 色体異常が少ないことからクローンのエピジェネティクス解析に最適である(図 9)。したが って先ずマウスで基本情報を集め、次に各種動物の発生学的特徴に応じた技術開発を行うの が得策である。 マウスが最も適した研究材料になる 再現性高い 出産時の異常が多い ゲノム情報が豊富 解析方法が充実 染色体異常少ない マウス クローンのエピ ジェネティクス解 析に最適 1993 ウシ、ヒツジ、ヤギ サル ブタ 基本的発生工学 技術が難しい 胚発生が非常に悪い ウサギ ドナー染色体の 動態異常による 異数性が多い 胚発生は良い ※ネコ、ウマ、ラット、イヌはまだ情報が少ない 図9 230 ・ マウス体細胞クローンのエピジェネティクス研究の現状は断片的であり全体像がつかめてい ない。即ち核移植クローンの胚はメチル化度が高いことは確認されているが、その意義の解 明には至っていない。 ・ 体細胞クローンを用いたエピジェネティクス研究の意義は次の 2 点に整理される。 即ち①エピジェネティクス学術研究のためのユニークなモデルとして、また②クローン技術 の改善のための研究に役立つ(図 10)。 もう少し整理して.. 体細胞クローンを用いたエピジェネティクス研究の意義 1.エピジェネティクス学術研究のためのユニークなモデル ・ 全能性獲得、脱分化 ・ ゲノム刷込み、X染色体不活化などのエピジェネティクス制御 ・ 生殖細胞ゲノムの特性解析 ・ 胎盤発生 2.クローン技術の改善のための研究(主に「異常」と「初期化」を解析) エピジェネティクス解析 クローンの改善 多様かつ実用的応用 現在は試行錯誤 将来は研究成果をもとに技術的ブレークスルーへ 図 10 ・ エピジェネティクス研究から体細胞クローン効率改善のためには 3 つの方向性がある(図 11)。 その中で再構築胚への TSA(脱アセチル化酵素阻害剤:HDAC)処理法が卵丘細胞クローンが 胚移植あたり最も改善する。(0.3%→6.5%) エピジェネティクス研究からクローン技術開発へ 体細胞クローン効率改善のための3つの方向性 現在 1.試行錯誤的にドナーおよび再構築胚ゲノムのエピジェネティクス状態を変更する 2.卵細胞質内ゲノム初期化機構と因子を同定 3.生殖細胞ゲノムの特性を解析し、体細胞ゲノムを近づける 現在明らかに効果が認められているのは、胚への DMSO と trichostatin A (TSA) 処理 図 11 231 ・ エピジェネティクス研究からクローン技術のブレークスルーには 3 つの方向性がある(図 12)。 ・ 体細胞核移植クローンの効率を上げるにはどうしたらよいか?主な初期化過程の更なる効率 化・正確化を図ることと、体細胞ゲノムを生殖細胞ゲノムに模倣させることである(図 13)。 エピジェネティクス研究からクローン技術のブレークスルーへ 体細胞クローン効率改善のための3つの方向性 現在 1.試行錯誤的にドナーおよび再構築胚ゲノムのエピジェネティクス状態を変更する 2.卵細胞質内ゲノム初期化機構と因子を同定(カエルを用いた研究が先行) 将来 (初期化する側の研究) 3.生殖細胞ゲノムの特性を解析し、体細胞ゲノムを近づける (初期化される側の研究) 種間差を越えて、哺乳類全般に応用できることが期待される。 図 12 では、体細胞核移植クローンの効率を上げるには どうしたらよいか 生殖細胞における 初期化の準備 個体発生 2.体細胞ゲノムを生殖細胞 ゲノム型に模倣させる 胚発生 体細胞 =(配偶子ゲノムの初期化) 受精 核移植 生殖細胞 受精(前後)に おける初期化 1.このメジャーの初期化過程を さらに効率化・正確化する ※これらの研究の成果はあらゆる核移植クローンの 応用領域の発展につながる 図 13 ・ まとめとして 4 点指摘しておく(図 14)。 「2)体細胞クローンのエピジェネティクス研究」のまとめ 1.極めて興味深いエピジェネティクス研究の対象であり、かつ応用も幅広い。 そして、全能性ゲノムを獲得する唯一の実験系である 2.マウスを用いた詳細なエピジェネティクス研究が先導し、他の動物種におい て発生工学技術開発とエピジェネティクス解析が並行して進展することが有効で あると思われる 3.しかし、まだ核移植クローンにおけるエピジェネティクス研究は、その材料 入手が限定されること、真に核移植クローンの現象を見ることが難しいことなど から、研究の多くは descriptive な段階にあり、今後の充実した研究の発展が望ま れる 4.クローンの効率改善には、現在の試行錯誤的な繰り返しから、将来は初期化 機構および生殖細胞のエピジェネティクス研究成果をもとにした理論的な技術開 発が期待される 図 14 232 4.体細胞クローンに期待されること(応用) ・ 効率も悪く、異常も多い体細胞クローン研究を続ける理由はなにか? 核移植クローンに期 待される応用成果は医学、生物学、産業に及ぶ。その期待される成果を図 15 にまとめた。 優良形質家畜の増産 生物製剤の生産(乳、尿) 産業 野生動物・絶滅動物 のクローン 生物学 ペットのクローン作出 組織再生 (ES 細胞) 医学 エピジェネティクス研究 臓器移植用動物作出 ジーンターゲティング 動物の作出 (ブタ) 核移植クローンに期待されること 図 15 ・ 産業的応用には①優良形質家畜の増産、②生物製剤の生産(乳、尿中)、ペットのクローン作 出が上げられる。畜産における応用は肉牛、競走馬などで行われている。競走馬における健 康問題はない。肉牛については安全性の担保が完全ではないので、体細胞クローン牛は市場 には出ていない。解決法は「クローンの次世代の表現型は正常になる」点にあると考えてい る。 ・ 有用物質生産における活用について、日本ではトランスジェニックヤギにピロリ菌抑制乳や ヒト血清タンパクを作らせることに成功しているとの報告がある。 ・ ペットについては端折るが、韓国での実績が先行している。最初のイヌクローンは韓国で成 された。 (Nature、2005) その後ネコクローンも再現性を持って作出されている。 (Nature、 2002) ・ 産業への応用をまとめると、①優良形質家畜の増産は種家畜の継代に有望であること。②生 物製剤の生産は実用化されている。③ペットのクローン作出は将来性がある。 ・ 医学領域での応用は再生医療への応用が先ず上げられる。その1つは核移植療法である(図 16)。韓国での捏造事件など不幸な過程はへたものの、米国では着々と再生医療用にヒトクロ ーン胚と ES 細胞の作出に成功している。 ・ ヒト iPS 細胞の発表が 2007 年 11 月にあり、ヒト核移植クローン研究の方向性が懸念される が、文部科学省の人クローン胚研究利用作業部会が 2007 年 12 月に「ほかに治療法がない難 病等に対する再生医療の研究の選択肢の一つとしてヒト核移植クローン胚を作成・利用する ことは、現時点においても十分な科学的合理性がある」との見解を発表している(図 17)。 233 再生医療への応用 (核移植以外の方法等は、 次の中辻先生の講演へ) 患者 患者由来 体細胞 体細胞の核移植 将来の再生医療技術 の1つ : 核移植療法 患者由来 ヒトES 細胞作出 マウスのモデルでは成功している 例: Rag2免疫不全の治療 Cell 109:17-27, 2002. ES細胞 自己と認識される 組織・臓器作出 図 16 3) ヒト iPS 細胞の発表 (2007年11月) 日本におけるヒト核移植クローン研究の方向性は? 人クローン胚の研究目的の作成・利用のあり方について」 (第一次報告)の取りまとめにあたって(見解) 平成19年12月 人クローン胚研究利用作業部会 この取りまとめの中では言及できなかったが、先般、ヒトiPS細胞の樹立が成功し たとの発表があった。これは、未受精卵や受精胚を用いずに拒絶反応のない再生医療を 実現する可能性が期待される画期的な成果であると考えられるが、現時点では、遺伝子 導入の方法等安全上の課題があるなど、基礎的研究の段階のものである。 一方、クローン胚に由来するES細胞は、基本的には受精胚に由来するES細胞と同 等の機能を有すると考えられているため、すでにこれらの研究により蓄積されている多 くの科学的知見が活用されるものと考えられる。 従って、他に治療法がない難病等に対する再生医療の研究の選択肢の一つとして人ク ローン胚を作成・利用することは、現時点においても十分な科学的合理性があるととも に、総合科学技術会議の意見で指摘されているように、より早期に患者に治療法を提供 する可能性を考慮すると、現段階でも十分な社会的妥当性があるものと考えられる。 図 17 ・ 課題としてはサルを含めた動物における核移植由来の ES 細胞研究をさらに進める必要があ る。 ・ 次の期待は臓器移植用動物作出(ブタ)である。現在研究は進行中であり、移植臓器作出用 のノックアウトブタが作出されている。加えてヒト補体制御因子を高発現するトランスジェ ニックブタも核移植で作出され、この 2 種類の組合せで臓器移植用ブタが作出されることが 期待されている。この辺りの応用は今後も注目される。 ・ 生物学領域で体細胞クローン技術に期待されるのは、ジーンターゲッティング実験動物作出 である。マウス以外の動物では、体細胞クローンがジーンターゲッティング実験動物を作り 出す唯一の技術になる可能性がある。 ・ 最後にクローン研究は日本が世界一のレベルにあることを認識して欲しい(図 18)。 ・ まとめとして体細胞クローンの技術開発と安全性確立のためには、動物のクローン研究、特 にエピジェネティクス研究が重要であることを強調したい(図 19)。 234 現在までに体細胞クローンを行ってきた国内機関 (一部類推) クローン産子の作出 ウシ ブタ ヤギ マウス 42機関(495頭) 7機関(153頭) 1機関(9頭) 10機関(> 500頭) ウシ(1998) 角田 加藤 谷 ブタ(2000) 大西 クローン胚の作出 サル ラット イヌ・ネコ 約5機関 約10機関 約5機関 柳町 マウス(1998) 若山 黎明期より現在まで我が国のクローン研究は世界随一のレベルにある 図 18 産業 医学 生物学 利益還元 (健康・治療) 社会 体細胞クローンの技術開発 と 安全性 コンセンサス 理解 動物のクローン研究、特に エピジェネティクス研究の継続 情報 公開・発信 大学教育 図 19 5.質疑応答 Q-1.TSA 処理でクローン作出効率が上がる点について、近交系ではだめで、F1 ならよい理由は? A-1.近交系でも有効との報告もあり、未だ定まっていない。 Q-2.それは特定の近交系なら有効ということか? A-2.B6 や C6/129 などメジャーな近交系では効いたということである。リプログラミングの手 助けがポイント。 Q-3.胚になってからの初期化がポイントで、ドナー細胞に前処理をすると効かなくなるのか? A-3.そのとおりで、ドナー細胞を処理しても効かない。再構築した胚の初期発生では HDAC 阻害 剤が働く。 235 Q-4.胚の 2 細胞期で遺伝子発現がおこり、その時点で HDAC1 が重要であるのは何故か? A-4.それはよく質問されるトリッキーな点である。TSA は両刃の剣であり、卵子の胚性遺伝子 活性化の直前まで TSA がクローン胚の発生を促進するが、その後は抑制する。 Q-5.クローン牛、種牛作出など品種改良については既に実用化のレベルに達していると思う。 従来法では 10 年のタームだったものがクローン牛では 1 年タームとなり 10 倍の効率化。社会の 要請としては脂肪の少ない肉質を作出することも可能ではないか? A-5.そのとおり。 Q-6.inbred(近交系)での結果を示されたが、地球上殆どが hybrid(雑種)であるので病気の 解析などでは F1 の hybrid での検証が必要ではないか? A-6.マウスのジェネティックな多様性は限られているので、この問題ではマウスから一旦離れ る必要がある。 Q-7.iPS と核移植の比較であるが、将来的に卵を使わない核移植はありえないか? A-7.卵は初期化のために使うので卵子以外は考えられない。 Q-8.ミニブタの話を最近聞かないが、もう実用化されたからか? A-8.論文などは出さず研究を続けている。長嶋先生などは企業とタイアップして進めている。 Q-9.クローン動物は病気のデパートであるというのはあまり知られていない。再生医療を考え る場合クローン動物の品質管理が重要であると思うが? A-9.あくまでもマウスの場合であるが、受精卵由来 ES 細胞と核移植由来 ES 細胞は、遺伝的な 背景が同じ限りは、エピジェネティックに同等であると報告されている。 236 7-3.議事録 第5回 エピジェネティクス調査委員会 議事録 開催日時: 平成 20 年 1 月 30 日(水)14:00-17:30 開催場所: NEDO 1901 会議室(川崎市幸区大宮町 1310 番 ミューザ川崎 19 階) 出席者: 牛島委員長(国立がんセンター)、塩田委員(東大)、佐々木委員(国立遺伝学 研究所)、吉田委員(理化学研究所) 、牧野委員(オリンパス株)、杉原委員 (日本化薬株) 事務局:山崎(NEDO)、長張・清末・世良田(JBIC) オブザーバー:荒田課長補佐(経済産業省)、多喜田部長(NEDO) 、他 計 35 名 1.はじめに ・ 第 4 回調査委員会議事録が事務局から紹介され了承された。 ・ 配布資料を確認した。 2.エピジェネティクス研究開発動向等発表 植物、クローンとエピジェネティクスをテーマとして外部講師 2 人からエピジェネティクス研究 開発動向等が発表された(40 分/人)。発表タイトルと講師名は下記の通り(発表内容の詳細は別 途記録)。 (1)「植物のエピジェネティクス」 国立遺伝学研究所 総合遺伝研究系 育種遺伝研究部門 教授 角谷 徹仁 氏 (2)「哺乳類の核移植クローンとエピジェネティクス」 理化学研究所 バイオリソースセンター 遺伝工学基盤技術室 室長 小倉 淳郎 氏 3.成果報告書の各章まとめ報告 成果報告書では、第 2 章でエピジェネティクスの概要を紹介し、第 3 章~第 7 章は調査委員会ご との報告として、各章の最後にまとめを記載したいと事務局から説明された。第 2 章の担当者か ら 2 章の概略と、第 3 章~第 7 章の担当者から各章のまとめの内容(今後の課題)について下記 の報告があった。 (1)第 2 章(エピジェネティクスの概要) 担当者:清末氏(JBIC) エピジェネティクスの概要として、エピジェネティクス研究の国際的プロジェクト動向、2008 年 1 月 22 日に発表された NIH の New Initiative in Epigenomics の概要、エピジェネティクスの市 場予測等を掲載する予定。 237 (2)第 3 章(第 1 回委員会:エピジェネティクス一般)担当者:村瀬氏(三菱化学メディエンス) 今後の課題として下記を記載する。 ・ 高精度なメチル化定量解析技術の開発 ・ 正常なエピジェネティクスとは何かの明確化 ・ エピジェネティクス活性物質の探索 ・ エピジェネティクス異常を誘発する要因、機序に関する個別研究 ・ ゲノム網羅的なエピジェネティック変化の情報集積やエピジェネティクスのクロストーク・ ネットワーク解析によるリプログラミングの機序、関与するプレイヤーの解明 ・ 低分子化合物のエピジェネティクス創薬への応用開発の推進 ・ 高感度化、高精度化によるシングルセルの解析やゲノム中の特定の遺伝子の特異的領域のメ チル化を検出する機器の開発 ・ 分子イメージングのエピジェネティクス解析への応用 ・ 蛍光を増強するプローブの開発 ・ 薬剤を投与した時にエピジェネティクスな変化を見るためのスクリーニング系の開発 ・ 薬理エピジェネティクス解析法の確立 (3)第 4 章(第 2 回委員会:がん、創薬とエピジェネティクス) 担当者:森本氏(オリンパス) ・ DNA メチル化検出では感度、特異性に優れた検出技術の革新が必要である。タンパク質の検 出においても、定量、イメージングのための試薬技術が必要である。内視鏡洗浄液中の DNA のメチル化解析は胃がんの診断に使える可能性がある。 ・ エピジェネティック薬は米国が先行しているが適応対象は血液疾患が中心で限定的である。 診断法と新薬開発は一体であるべきで、米国と同様に日本でも検査薬も同時に認可されるよ うな制度上の動機付けが必要である。 ・ 創薬ターゲットとなりうるエピジェネティックに関わるタンパク質はまだ完全に解明されて いない。実際の核内での薬剤ターゲットを検討するために、ヌクレオソーム複合体の再構成 技術が必要である。 (4)第 5 章(第 3 回委員会:がん以外の疾患、ならびに再生医療とエピジェネティクス) 担当者:曽根氏(東レ) ・ 精神疾患の診断のためにベッドサイドでの DNA メチル化定量装置、メチル化基質濃度測定装 置等の開発が必要である。これらは精神発達障害につながるストレス判定、運動療法の効果 などの判定にも活用でき、メチル化調節などの新薬の開発にもつながる。 ・ 精神疾患については、近年、うつ病が増えており、環境要因とエピジェネティクスとの関係 からのアプローチも必要。 ・ 体外受精は増加傾向にあり、エピジェネティクス変化の生殖発生に及ぼす影響について早急 な検証が必要である。 ・ 今後、再生医療分野では、細胞の分化などを調節するエピジェネティクス修飾剤の開発や、 再生医療に用いる細胞のエピジェネティクス的な規格化が重要な点となる。 238 ・ 免疫疾患については、今後、エピジェネティクス解析で真の病態を明らかにすることによっ てこれらの疾患の根本的な治療法を見出すことができるかもしれない。 ・ メタボリックシンドロームは動脈硬化の予防医学の観点から、まずそれを予知することが極 めて重要であり、そのために診断技術の確立が重要である。そして、このエピジェネティク スの制御によってどのような体質がメタボリックシンドロームを発症しやすいのか、どのよ うに予防するのか、食事はどのようなものが良いのかが検討すべき課題である。 (5)第 6 章(第 4 回委員会:エピジェネティクスの解析ツール、測定) 担当者:有賀氏(アプライドバイオシステム) ・ Bisulfite 処理を含む定量的 MSP(methylation specific PCR)法など特許問題回避の関係か ら、日本発のメチル化検出技術開発はエピジェネティクスの産業化に向けて極めて重要であ り、ICON 法を含めた新規技術の開発は必須である。 ・ 網羅的解析によるマーカー探索、検査・診断のための臨床検体、微量検体の解析のいずれに 関しても、抗体のキャプチャー率の改善、もしくは抗体に依らない高効率のキャプチャー法 の開発が望まれる。また、ヒストンの修飾の様にクロマチンの修飾酵素は有望な創薬標的で あり、これら DNA のメチル化、ヒストン修飾といったエピジェネティック情報の個別化医療 への利用に期待がかかる。 ・ 種々のエピジェネティック制御関連因子を蛍光標識プローブ化することが出来れば、エピジ ェネティック制御機構の解析にセミインタクト細胞系が有効なツールとして役立つことが期 待できる。 4.産業界(オブザーバー)からコメント等の紹介 コメントはオブザーバー登録した企業の方から取得したが、あくまでも個人の意見であり会社の 考えではないとの断りのうえ、資料 4 を用いてコメント等(製薬会社:2、測定会社:1、検査会 社:1、ツール会社:1、化学会社:1)が事務局から紹介された。全体的にエピジェネティクス技 術の近い将来での産業化については厳しい見方が多かった。また、プロジェクト化においては、 エピジェネティクスの中で分野を絞って計画・立案すべきとの意見があった。 5.エピジェネティクスの産業応用に向けた技術的課題について 調査委員会出席者に対して技術的課題に対するアンケート調査を行った。アンケートはエピジェ ネティクスに関連する項目に対して、 「実用化に向けた距離感」、 「将来性、重要性」、 「国際競争力」、 「国家的支援の必要性」を◎、○、△で答えるもので、項目の追加があれば記載できるものとし た。得られたアンケート結果は、成果報告書第 9 章の考察と提言に反映させたいと事務局から説 明された。 6.その他 エピジェネティクス調査委員会の終了にあたり、各委員、関係諸氏から以下のコメントが述べら れた。 239 z 多喜田部長(NEDO) 実際にプロジェクトをどうするかを考えなくてはいけないが、プロジェクトにするとなると、緻 密な検討がいると思っている。直感的には、がん・再生医療分野への応用が非常に強いと思って いる。既存の診断技術あるいは色々な解析、例えば発現解析、多型、がんの診断だとがんがある かないかの診断、また実際に傷ついた細胞ががん細胞になるのか、その細胞に転移の可能性があ るのか、あるいは薬剤耐性等、診断といってもどこにエピジェネティクスを使えるかが問題にな る。多分、血液 DNA でのがん診断は無理だと思う。どの辺に限界があるのか、あるいは他のツー ルでの結果との相関との有意性等プラスになるものをつめて行かなければならない。 幸いにして NEDO プロジェクトでは色々なテーマが動いているのでそことの協力もできるのでは ないかと考えている。特に、最近 iPS 細胞でも天然物化合物でうまくいくのではということで協 力しながらやっていこうとしているので、多分、ああいう中でも再生医療の良い細胞の系があれ ばエピジェネティクスを解消するという表現系があれば そういったものでスクリーニングする ことが出来ると予想している。 再生医療で一番関心のあるのは細胞の選別で、出来れば intact のままで選別してそれが実際に使 えるところまで行く必要がある。エピジェネティクスで本当にうまく行くのか、アカデミックな 意味での機構の解明は分析に使えることはあるが、実用技術としてエピジェネティクスの計測で インタクトのまま次のステップに使えるか? どのようにプロジェクト化すれば産業技術と結び つくような話になるのかと思っている。 予算要求は荒田氏が色々と考えなくてはいけないと思うが、また、色々とご相談させて頂いてプ ロジェクトの形としてどのような話になるのか、緻密な話は今後報告書が提出されてから出てく るのではないかと思う。 z 荒田課長補佐(経済産業省) プロジェクトにするかしないか、NEDO 多喜田部長と色々相談させて頂ければと思うが、印象とし て、直接的にすぐ薬になるとか、診断の手段になるとかはもしかするとまだ遠いかも知れないと 思っていて、企業の方からも何人かそういった意見があったと思うが、どちらかというとがんの 発生のメカニズム、がんのステムセルの話しとか、もしくは分化誘導、発生、リプログラミング とか、そういう機構を解明するための基盤技術の開発とか、加えて非常に key となるところのメ カニズムの解明、そういう段階なのかという印象を受けた。 経産省の中で、例えば診断であれば既存の技術と比べてどういう優位性があるのかとか、そうい ったところはきちんと精査しなければいけないと思っている。将来的な分野の重要性を考えると、 ここではっきり言えることではないが、個人的な感想としては基盤技術ということで、即産業応 用への出口ということでなくてもよいのではないかと思っている。 240 z 牛島委員長 幅広い波及効果をもつ基盤技術であることは極めて重要である。また、アカデミアが国民の期待 に応えようとどこまで真剣に考えているかも実は大事であって、 「一部の分野では研究費に見合う 成果が出ているのか」と科学技術予算に対する批判も出てきている。エピジェネティクス分野に は、過剰な期待をあおることなく、データを出して成果に結びつける意志と能力は持つ研究者が 多いので、そういう意味でも良いと思っている。 私が司会しているとどうしてもがんの診断・治療の話になって恐縮であるが、他のどんな方法よ りもエピジェネティクスの有用性が高いという領域が出てきている。例えば、赤ちゃんのがんで ある神経芽細胞腫では、消えてなくなるタイプか、どんどん悪くなっていって赤ちゃんを殺して しまうタイプなのかの判別には、DNA のメチル化を測ることが他のどんな検査方法に比べても優 れている。しかし、マーケットは極めて小さく、今現在世界に出て行くことは出来ない状態であ る。 また、ゲノムの引っ掻きキズとしてエピジェネティックな異常が溜まってきて、疾患を発症する というのは、これからの大きな分野である。今までのライフスタイルを反映したエピジェネティ ック異常を定量して疾患発症リスクを見るのも、恐らく 5 年程度で臨床研究が行われる分野に入 ってくると思う。ただ、それが売れる状態になるかどうかは他の方法との優劣をみたり、様々な 認可条件をクリアしたりしなくてはならず、確かに距離はあるのではと思う。 薬、化合物では相当色々なものが出てきている。遺伝子に対する特異性はないが、ゲノム全体に ついてエピジェネティックな状態を変える薬剤は臨床治験の段階である。しかも、特異性がまっ たくないかというと、実は、転写、ヒストン修飾、DNA のメチル化の組み合わせは遺伝子毎に相 当に異なるので、その組み合わせをマークにしてある程度特異性が出てくることも分かりつつあ る。実際に臨床的に有効性が示されている疾患もあり、創薬ターゲットとしても十分行けるだろ うと考えている。我が国からの具体的な成果をあげるためにはヒストンの構造、活性等に詳しい 研究者がいて良いアッセイ系をどんどん作って熱心な製薬企業の方と組んでスクリーニングをや っていくことが必要だと思う。一方で、遺伝子領域の特異性をもって、エピジェネティック修飾 を変える方法は王道ではあるが、まだまだ基礎研究が必要な段階である。 エピジェネティック異常ががんのみならず色々な疾患の発症に関与すると思われるが、それがは っきりしてくると、エピジェネティック異常の発生を抑える食品やライフスタイルの提案が出来 るようになってくると思う。例えば、食品では、ピロリ菌がいても DNA メチル化の誘発を抑えれ ば胃がんが抑制出来ると期待できる。前立腺肥大、前立腺がんでは DNA のメチル化異常がある。 ホルモンバランスが悪くても、エピジェネティクス異常を抑えてやれば前立腺がんは出てこない ということになる可能性も十分にある。このあたりに既に着目している食品会社もあると聞いて いる。 241 z 塩田委員 エピジェネティクスが色々な生物学に関与している。そうするとすぐ文部科学省的になってしま うが、エピジェネティクスは足腰のところにすごく効いてくると思う。その中で例えばがんの診 断の中で一つ成果を出す。それが役にたてば他を全部支えられるというと必ずしもそうではなく て、別のこともやらなければならない。ある意味では問題が大きすぎて、そのために見えにくく なっていて、そのために距離感があるというのですが、実はその距離はすごく近いものが沢山並 んでいるという印象を持つ。それは、会社として考える時でもまだ手を出し難く、しかし、基礎 の方ではある程度方向付けが出来る。その間が国家プロジェクトに近く、皆がノミネート出来る ことになる。余りにも問題が大きすぎるという印象を持つ。 z 牧野委員 経済産業省のプロジェクトなので産業化を考えなくてはいけない。オブザーバーの方から事業規 模感と言うことでまだその時期ではないといった発言があった。確かにもっともであるが、面白 い話がある。内視鏡的な手術は現在非常にポピュラーになっており、全体の医療の規模、需要が かなり大きくなっている。ところが最初の内視鏡的手術の取掛かりは非常に小さかった。多分、 胆のうの手術で、米国のドクターがどこかのベンチャーと銃を作って最初に成功し、それから一 気に拡がった。こんな簡単なことで出来ると言うことでそれから技術的開発がどんどん進んでい って裾野が広がって今のような状態を作ったと聞いている。 牛島委員長が第1回の調査委員会で紹介された、 「神経芽細胞種ではエピジェネティクスの変化が 他のあらゆる方法より確かである。しかし、そのマーケットサイズは小さい」に私は逆に魅力を 感じた。個人的な見解であるが、小さいところから始めたい。エピジェネティクスな診断解析が なんらかの疾患の早期発見、確定診断につながる。一つでも出来上がり、採算性は悪くてもそれ があればどんどん目の前にある色々なものが現実化して行く。実用化され産業が拡がっていくと いう印象を持っている。一つでも確からしいものがあれば、それをプロジェクト化すればそこに は色々な技術的課題があり、意外と今見えてなくても産業化はそう遠くないのではと思う。楽天 的かもしれないが講師の方の話を聞いてその印象を強くした。 z 多喜田部長(NEDO) 先ほどの発言で誤解を招いているとまずいので補足したい。産業技術をやらなくてはいけないと いうことですが、我々がやっているプロジェクト、例えば、機能性 RNA、糖鎖では即実用化には ならない。非常に産業技術に役立つ有効な技術ということで基本的にはサイエンスをやっている。 ただプロジェクトにした時に金の問題と実際にどんな研究が出来るかの筋道が非常に重要になる。 例えば、7, 8 年前に始めたシステムバイオロジーがあるが、結局始めてみるとパラメーターが足 りないことになってメタボロームのデータを蓄積しなれければならなくなり、何をやっているか よく分からなくなったことがある。そういう意味で研究のツールがちゃんとあって、それを発展 させる筋道があるという分野であって、かつ長期でよいから産業技術として波及効果がある研究 をやらなければいけない。がんがやりやすいと直感的に思うのは、がん細胞が実際にあって研究 242 が出来る。そういうのが研究のツールとしてやり易い。 先ほど出たが、食品の話になると、どんな実験系を持ってきたらプロジェクトを組めるかという ところで、まだちょっと思い至らない。可能性があるかも知れないが緻密に考えなければいけな い。 z 牛島委員長 NEDO のプロジェクトは幅広い波及効果が一番重要なポイントであろうと、多喜田部長と話すたび に感じた。企業はまだまだリスクを取れないけれども、国であれば可能で、相当な確率で大きな 波及効果が出る、そういうことを考えて行きたい。今日の春化の話にしても植物には良いツール があるから見事にエピジェネティック変化の役割が観察できるが、多分同じ原理は哺乳類でも働 いている場合があると信じている。解析が現実に可能な分野をフラッグシップとして成果を世の 中に示しつつ、波及効果が出るようなことが出来ればと考えている。 診断機器では強い日本の会社が何社かあるので、世界に売れる機械を作れる可能性がある。良い コンテンツが出来れば良いハードとセットにしてやって行けるチャンスはある。 z 吉田委員 私も、今皆様が言われたことに非常に近い意見を持っている。治療ということになると、脱アセ チル化、ゲノムのメチル化のインヒビターが有効であって、それがゲノム創薬に近い、あるいは 創薬に行っている例がある。しかし、未だ余りロジカルではなく、まだメカニズムがよく分から ないが偶然効いている。創薬では POC を非常に大事にするので何故効くのかが分からないと本当 の意味での参入、理解というのはまだ難しい。 やはり基礎研究を積まないと、何故、薬で全体を変えているはずなのに特定の遺伝子のエピジェ ネティクスだけが表現型として出てくるかは分からない。診断に関していうとかなり色々なもの が出てきていて、後は技術という感じがする。 植物は特殊で世代を超えてエピジェネティクスが伝わって表現形質が出る。そうすると本当にエ ピジェネティクスを育種として利用出来る可能性がある。RNAi を使って特定の遺伝子領域の DNA メチル化を制御できるかも知れない。これはものすごい技術になる可能性がある。そこら辺の展 望はどうか、既に大分やられているのか? z 角谷講師 かなりの可能性があるが、まだ、ごくごく新しい分野である。 z 吉田委員 そういう意味ではものすごいポテンシャルで、植物はエピジェネティクスの表現系が出やすいの で大きな可能性があると思う。 243 z 佐々木委員 角谷先生の話しを聞いていてエピジェネティクスで全くあたらしいものを作り出す可能性がまだ まだあるのではとあらためて思った。 7.今後の予定等 事務局から以下が報告された。 ・ 本日の調査委員会を含めて合計 202 人の参加を得た。皆様に感謝したい。 ・ 調査報告書は 2 月末までに CD で NEDO に提出する。 ・ 2 月 7 日と 25 日に成果報告書作成のための WG を開催する。 ・ 現時点で成果報告書は合計 100MB 近くになるので、NEDO に提出する前に CD にて各委員に送 付して内容について了解を得たい。 ・ 講演記録は WG メンバーが作成して、講師に送付し、内容について了解を得ているので、その まま報告書に掲載される。 ・ 報告書は 5 月か 6 月に NEDO から公開される予定である。 244 7-4.まとめ 1)植物のエピジェネティクス ① 植物のエピジェネティックな目印 ・ 植物は多くのエピジェネティックな目印を持つが、エピジェネティックな変化に対しては寛容 であり、突然変異体が生存可能で、子孫も作れる。 ・ クロマチン再構成因子、DNA 低メチル化突然変異等は、様々な発生異常を誘発する。 ② 植物のエピジェネティックな現象 植物のエピジェネティックな現象としては以下が知られている。 1.倍数体化:複数のゲノムの同居 2.インプリンティングと種子発生 3.春化:低温の記憶 4.世代を超えたエピジェネティックな遺伝 今後の課題 ・ 植物はエピジェネティクスの基礎研究の材料に適している。 ・ 植物のエピジェネティクスは応用の幅が広い。 2)哺乳類の核移植クローンとエピジェネティクス ① 体細胞クローンの技術開発 ・ クローン個体作成法には、「割球分割クローン」と「核移植クローン」があり、核移植クロー ンとしては「受精卵核移植クローン」と「体細胞核移植クローン」がある。 ・ これまでに 13 種類以上の動物で体細胞クローン個体の作出に成功している。 ・ 受精卵核移植クローンと体細胞核移植クローンでは、胎仔生存率等の結果が全く異なる。 ② 体細胞クローンのエピジェネティクス研究 ・ 体細胞クローンは、ドナー体細胞 DNA の塩基配列の変化を伴わずに初期胚、産子を作出する。 ・ 研究材料としては、ゲノム機能が豊富で、解析方法が充実しており、染色体異常が少ない「マ ウス」が最も適している。 ・ 体細胞クローンは、エピジェネティクス学術研究のためのユニークなモデルであり、クローン 技術改善のための研究としても重要である。 ③体細胞クローンに期待されること ・ 体細胞クローンは、様々な分野で、苦労・リスク以上の成果が期待される。 ・ 産業:優良形質家畜の増産、生物製剤の生産、ペットクローンの作出 ・ 医学:組織再生、臓器移植用動物作出 ・ 生物学:野生動物・絶滅動物のクローン、エピジェネティック研究、ジーンターゲッティング 動物の作出 245 今後の課題 ・ ジーンターゲッティング動物作出技術の開発によるマウス以外の動物での体細胞クローン作 出 ・ 動物のクローン研究におけるエピジェネティクス研究の継続により、技術を開発し、安全性を 確立させて、健康・治療分野に利益還元する。 246 第8章 エピジェネティクスの産業応用に向けた技術的課題 エピジェネティクスの産業応用に向けた技術的課題を、調査委員会及び事務局でリストアップ した課題をベースとして、第 5 回エピジェネティクス調査委員会、第 6 回エピジェネティクス調 査ワーキンググループ会議にて討議した。その結果、技術的課題は表 8-1 に示した 7 つの学術・ 応用領域に集約され、実用化に向けた距離と将来的な重要性は以下の様に考えられた。 1.実用化に向けた距離 実用化への距離が比較的近いと考えられている課題として、「1.がんの予防・診断・治療への 応用」領域の 3 つ、すなわち「個別がんでのエピジェネティック異常の解明」、 「診断(がんのリ スク、がんの存在、がんの性質)への応用」、「エピジェネティック修飾分子を標的とする活性物 質探索」が挙げられた。 また、がん領域以外では、「5.再生医療・細胞治療・細胞バンク」領域での「クローン、iPS 細胞、ES 細胞、再生臓器等における細胞の評価・タイピングへの応用」、 「6.検査・診断の機器・ システム開発」領域での「研究を進める上での技術・ツール(シングルセルの単離・分析等) 」 、 「研 究用ゲノム網羅的エピジェネティック修飾解析装置の開発」が実用化への距離が比較的近いと考 えられた。 2.将来性・重要性 将来性・重要性が高い課題として挙げられたのは、以下の領域・課題であった。 「1.がんの予防・診断・治療への応用」 ・ 個別がんでのエピジェネティック異常の解明 ・ 診断(がんのリスク、がんの存在、がんの性質)への応用 ・ 個別遺伝子のエピジェネティック異常を標的とした治療の開発 「2.がん以外の後天性疾患におけるエピジェネティック異常の解明」 ・ がん以外の後天性疾患(免疫系疾患、神経系疾患、糖尿病等の生活習慣病)へのエピジ ェネティック異常の関与の有無の解明 「3.エピジェネティック異常の誘発要因」 ・ エピジェネティック異常を誘発する要因・生活習慣の究明 ・ 機能性食品など、エピジェネティック異常予防法の開発 「4.化学物質安全性評価・試験系」 ・ 環境や化学物質のエピジェネティック異常誘発能の検出系開発 「6.検査・診断の機器・システム開発」 ・ 研究を進める上での技術・ツール(シングルセルの単離・分析等) ・ 診断用高感度・高精度エピジェネティック修飾検出装置の開発 ・ エピゲノムデータベース構築 「7.農業・畜産・食品」 ・ 機能性食品など、エピジェネティック異常予防法の開発(再掲) 247 表 8-1.技術的課題の集約結果 実用化へ 課 題 国家的 将来性 国際 重要性 競争力 向けた 支援の 距離 必要性 1.がんの予防・診断・治療への応用 個別がんでのエピジェネティック異常の解明 ◎ ◎ ○ ○ 診断(がんのリスク、がんの存在、がんの性質)への応用 ◎ ◎ ◎ ◎ エピジェネティック修飾分子を標的とする活性物質探索 ◎ ○ ○ ◎ 個別遺伝子のエピジェネティック異常を標的とした治療の開発 △ ◎ ○ ○ △ ◎ ○ ◎ △ ○ ○ ○ エピジェネティック異常を誘発する要因・生活習慣の究明 ○ ◎ ○ ◎ 機能性食品など、エピジェネティック異常予防法の開発 ○ ◎ ○ ◎ 環境や化学物質のエピジェネティック異常誘発能の検出系開発 ○ ◎ ○ ○ 胎児暴露におけるエピジェネティック異常誘発効果の解析 △ ○ ○ ○ ◎ ○ ◎ ◎ エピジェネティック修飾の誘導による細胞の分化制御 △ ○ ○ ○ 個別遺伝子のエピジェネティック制御による分化制御 △ ○ ○ ○ 研究を進める上での技術・ツール(シングルセルの単離・分析等) ◎ ◎ ◎ ◎ 診断用高感度・高精度エピジェネティック修飾検出装置の開発 △ ◎ ○ ◎ 研究用ゲノム網羅的エピジェネティック修飾解析装置の開発 ◎ △ △ ○ △ ○ ○ ○ 組織・個体レベルでのエピジェネティック修飾解析法 ○ ○ ○ ◎ エピゲノムデータベース構築 △ ◎ △ ○ エピジェネティック変異の導入による品種改良 △ ○ ○ ○ 機能性食品など、エピジェネティック異常予防法の開発(再掲) ○ ◎ ○ ◎ 2.がん以外の後天性疾患におけるエピジェネティック異常の解明 がん以外の後天性疾患(免疫系疾患、神経系疾患、糖尿病等の生活習慣 病)へのエピジェネティック異常の関与の有無の解明 エピジェネティック異常の診断への応用 3.エピジェネティック異常の誘発要因 4.化学物質安全性評価・試験系 5.再生医療・細胞治療・細胞バンク クローン、iPS 細胞、ES 細胞、再生臓器等における細胞の評価・タイピ ングへの応用 6.検査・診断の機器・システム開発 細胞レベルでのエピジェネティック修飾動態解析法 (イメージングを含む) 7.農業・畜産・食品 248 3.国際競争力 現時点において国際競争力があると考えられている課題は少なく、 「診断(がんのリスク、がん の存在、がんの性質)への応用」、 「クローン、iPS 細胞、ES 細胞、再生臓器等における細胞の評 価・タイピングへの応用」、「研究を進める上での技術・ツール(シングルセルの単離・分析等)」 の 3 課題であったが、表 8-1 に挙げた課題の多くは、今後、国際競争力の強化が必要だと考えら れる。 4.国家的支援必要性 国家的支援の必要性が高い課題として挙げられたのは、以下の領域・課題であった。 「1.がんの予防・診断・治療への応用」 ・ 診断(がんのリスク、がんの存在、がんの性質)への応用 (既に競争力があり、将来性・重要性も高い) ・ エピジェネティック修飾分子を標的とする活性物質探索 (大規模な取り組みにより成果が出やすい) 「2.がん以外の後天性疾患におけるエピジェネティック異常の解明」 ・ がん以外の後天性疾患(免疫系疾患、神経系疾患、糖尿病等の生活習慣病)へのエピジ ェネティック異常の関与の有無の解明 (非常に大きな波及的効果があるが、リスクをとる必要性がある) 「3.エピジェネティック異常の誘発要因」 ・ エピジェネティック異常を誘発する要因・生活習慣の究明 (国民的な関心が高く、健康な長寿社会に重要) ・ 機能性食品など、エピジェネティック異常予防法の開発 (同上) 「5.再生医療、細胞治療、細胞バンク」 ・ クローン、iPS 細胞、ES 細胞、再生臓器等における細胞の評価・タイピングへの応用 (再生医療の基盤的技術になりうる) 「6.検査・診断の機器・システム開発」 ・ 研究を進める上での技術・ツール(シングルセルの単離・分析等) (エピジェネティクス以外のバイオテクノロジーへも波及効果がある) ・ 診断用高感度・高精度エピジェネティック修飾検出装置の開発 (エピジェネティクスの医療応用が進み需要拡大が見込め、かつ、我が国の機器開発能 力が発揮される) ・ 組織・個体レベルでのエピジェネティック修飾解析法 (学術的にブレークスルーをもたらす解析法になりうる) 「7.農業・畜産・食品」 ・ 機能性食品など、エピジェネティック異常予防法の開発(再掲) 249 5.考察 「実用化に向けた距離」、「将来性・重要性」、「国際競争力」及び「国家的支援の必要性」の 4 項目の集約結果を参考として、経済産業省/NEDO による国家的支援が必要な課題として、以下の 4 つを挙げることができる。 1) 個別がんでのエピジェネティック異常を解明することに基づいて、がんのリスク、存在、 性質の診断技術を開発し、がんを対象としたエピジェネティクス創薬に向けたターゲッ ト探索に取り組む。 2) がん以外の後天性疾患(免疫系疾患、神経系疾患、糖尿病等の生活習慣病)へのエピジ ェネティック異常の関与の有無を解明する。 3) クローン、iPS 細胞、ES 細胞、再生臓器等における細胞の評価・タイピング・プロファ イリングにエピジェネティクスを応用する研究開発を推進する。 4) エピジェネティクス分野での研究を進める上での技術・ツールの開発を促進し、診断目的 の高感度・高精度検出装置の開発に取り組む。 6.エピジェネティクス技術マップ エピジェネティクスの産業応用に向けた技術的課題の検討に際して、エピジェネティック分野 全体を俯瞰し、全体像の中で課題を検討することを目的としてエピジェネティクス技術マップが 作成されたので、以下に添付する。 250 251 関わっている生体機能 2.ヒストン修飾 ・アセチル化 ・メチル化 ・リン酸化 ・ユビキチン化 ・ポリAD-リボシル化 計測法 アレイ 質量分析 抗体 PCR 試料採取・調製法 組織・細胞採取、単離 組織検査 分子イメージング 検査・診断の機器・システム開発 研究を進める上での技術・ツールの開発 【網羅的解析】 DNAメチル化プロファイリング 【個別解析】 DNAメチル化解析 ヒストン修飾解析 クロマチン構造解析 エピジェネティクス解析 【分子レベル】 転写の制御・抑制・調節 トランスポゾンの制御 遺伝子量の補填 【個体・細胞レベル】 発生・分化の調節 リプログラミング がん等の疾患 染色体領域の形成(インシュレーション) 染色体構造の安定化 non-coding RNA 不活性クロマチン (遺伝子情報収納) エピジェネティクス変異 1.DNAメチル化 研究目的の高感度・高精度検出装置 研究目的のゲノム網羅的解析装置 細胞レベルでのエピジェネティック修飾動態解析法 組織・個体レベルでのエピジェネティック修飾動態解析法 エピゲノムデータベース構築 解 析 技 術 研 究 要 素 遺伝子発現の制御 活性クロマチン (遺伝子情報発現) エピジェネティクス制御系 健 康 管 理 短 期 的 成 果 疾患発症前モニタリング 未病状態の把握 健康診断 疾患予防バイオマーカー探索 ストレス評価系 化学物質安全性評価 DNAメチル化の解除 ヒストン修飾の解除 エピジェネティクス創薬 エピジェネティクス毒性 のスクリーニング エピジェネティクス診断 細胞の経歴と可能性予測 遺伝子の発現制御解明 疾患の治療 がん 生活習慣病 神経疾患 統合失調症 自閉症 免疫疾患 機能性食品開発 ストレス対策製品 予防 健診 がんにおけるエピジェネティクス 変異の関与、メカニズム解明 がん リスク診断 存在診断 性質診断 疾患原因の究明 エピジェネティック異常の解明 エピジェネティック異常の関与の有無解明 産 業 化 に 向 け た 展 開 化学物質安全性評価 新規創薬ターゲット創出 新規抗がん剤 個の医療 オーダーメイド医療 テーラーメイド医療 個別化医療 【社会的背景】 第三次対がん10カ年総合戦略 がん対策基本法 ターゲットバリデーション 再生医療、細胞治療、細胞バンク クローン、iPS細胞、ES細胞、再生臓器 →細胞の評価・タイピング・プロファイリング →エピジェネティック変化に基づく分化制御 創薬ターゲット探索、創薬におけるモデル系 創薬における安全性、バリデーョン 新規治療法 個別化健康管理 農業分野 ・品種改良 ・生産管理・制御 畜産、食品(機能性食品) 健康被害物質 酵母、ショウジョウバエ、植物 医 療 応用分野 医療分野 ・新しい診断法 ・新しい医薬品 ・再生医療等の品質管理→クローン、iPS細胞、ES細胞、再生臓器 →エピジェネティック変化に基づく分化制御 健康管理分野 ・新規食品 ・新たな健康管理指標 01/24/2008 再生医科学/再生医療 加齢、老化、アンチエイジング、記憶 がん、多因子性疾患、生活習慣病 遺伝病、先天性異常 発生学、クローン動物、 生殖、不妊・発生異常 個体差、多様性 種の分化、生物進化 研究対象分野 エピジェネティクス技術マップ エピジェネティクス調査委員会事務局 第9章 まとめと提言 調査委員会での合計 23 人の講師による講演内容から、エピジェネティクスは様々な生物種にお いて、発生・分化・生殖などの生理的現象及びがんを始めとする各種の疾患に、幅広く関係して いることが明らかになった。即ち、エピジェネティクスはゲノムに次ぐ生命の基本的な仕組みで あり、その制御及び異常発生の機構の解明の必要性が広範な領域で認められた。 一方で、第 8 章で記したように、 「個別がんでのエピジェネティック異常の解明」、 「診断(がん のリスク、がんの存在、がんの性質)への応用」、「エピジェネティック修飾分子を標的とする活 性物質探索」 、「クローン、iPS 細胞、ES 細胞、再生臓器等における細胞の評価・タイピングへの 応用」、 「研究を進める上での技術・ツール(シングルセルの単離・分析等)」 、 「研究用ゲノム網羅 的エピジェネティック修飾解析装置の開発」など、実用化までの距離が近い分野も多かった。 また、リスクを取った研究を行うことで、「免疫系疾患・神経系疾患・生活習慣病への応用」、 「化学物質安全性評価・試験系」、「食品による健康改善」等、幅広い疾患分野、化学物質管理分 野、農業・畜産・食品分野にも展開が可能であり、その潜在的な重要性は計り知れない。新たな 応用分野が開拓される可能性もあり、現時点で研究の出口である利用分野を限定するのは危険で ある。 折しも、米国・欧州もエピジェネティクス制御機構の解明をライフサイエンス分野における今 後の重要な研究課題としている。我が国はこれまでエピジェネティクス分野で十分な競争力を発 揮してきており、エピジェネティック異常発生機構の解明など、競争力があり、かつ、大きな波 及効果が見込める分野を中心に据えた研究開発プロジェクトの立ち上げを早急に図るべきである。 エピジェネティクスに関る研究の流れ、利用分野等を図 9-1 に示した。 252 環境(外的要因) 生命体 生命体 生命体 生命体 栄養性因子、化学物質、 ストレス、疲労、医薬品等 正常 エピジェネティクス異常 研究開発項目 基礎研究 技術・ツール開発 エピジェネティクス 異常の機構解明 研究を進める上での 技術・ツール開発 利用分野 がんをはじめと する疾病の予 防、診断、治療 再生医療 食品 化学物質安全性 植物 評価・試験系 動物 波及効果 ・安全なクローンの 提供(iPS細胞等) ・予防医薬の推進 ・環境や化学 物質の評価 ・新規診断法の提供 ・新規診断機器の開発 食品の ・創薬支援 ・新規機能性開発 ・新規安全性評価法開発 図 9-1 253 ・耐病性、機能性植物の 育種、作出 ・優良形質家畜の作出
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