日本近代小説における「身体」の受容と表現(黄禍論編) 講義:松本常彦

2011 年 7 月 1 日
知の加工学
日本近代小説における「身体」の受容と表現(黄禍論編)
講義:松本常彦先生
記録:賈寅鵬、于甲春
一、目次:
1、 題目についての解明
2、 本日の目的
3、 資料の解説
4、 ディスカッション及び質疑応答
二、授業の流れ
1、 題目についての解明
前回:日本はヌード(裸体)というものをどのような形で眼差して表現するのかにつ
いて論じた。
今回:黄禍論を題材として、日本近代小説における「身体」の受容と表現を論じる。
2、 本日の目的
黄禍論の流行は日本文学にいかに輸入され、そしてそれが文学のどのような背景にな
ったかということについて考えていきたい。
3、 資料の解説
◆はじめに
①黄禍論について:黄禍という項目は明治 43 年の辞典(『日本百科大辞典』第三巻、
1910 年 3 月(明治 43 年))の中にしか出ていなかった。
②黄禍の図について:ドイツ皇帝(ヴィルヘルム二世)
ヨーロッパ:
『黄禍論とは』
(ハインツ・ゴルヴイツアー著・瀬野文教訳 1999 年 8
月、草思社)
日本:
『黄禍物語』
(橋川文三、講談社文庫)
◆黄禍論紹介者としての森鴎外
森鴎外は黄禍論をいち早く日本に紹介した人物である。
・著作:
『人種哲学梗概』
(春陽堂、明治 36 年(1903 年)10 月)
『黄禍論梗概』
(春陽堂、明治 37 年(1904 年)5 月)
それぞれの書かれた時点と日露戦争とのつながりについて。
・新聞記事
森鴎外「黄禍(明治三十七年八月十七日於張家園子)」(『うた日記』明治 40 年 9 月、
春陽堂)
日露戦争の前後に、日本でも、ヨーロッパでも、黄禍論が非常に盛んになってきたと
いう背景の一つの表れである。
◆黄禍論的視線の内面化
アジア的な「身体」
:女は子供をたくさん生む機械、労働者の筋肉のような体
◆黄禍論的主体の反転
岡倉天心「日本の目覚め」
「東洋の目覚め」
◆現代進行の問題として・その文学的表現
欧米からの価値観は日本にどのように定着するのか、もしくは日本のものがそのまま
変わらないのかというのは問題になる。
◆黄禍論の行方・遠藤周作「黄色い人」を例に
個人的な問題ではなく、人種的な問題である。
作者たちは同じ時代ではないが、その作品の中に多かれ尐なかれ「黄禍」という暗流
が読み取れるであろう。
◆そして現在
ディスカッション
4、 ディスカッション及び質疑応答
質疑応答
◆ 森鴎外に関心をもつ理由について
中国は急激に成長しており、ヨーロッパにどのように関わっていたのかという関心を持
っている。中国がヨーロッパ的に産業化したら、大変恐ろしいことになるかもしれない。
*質疑応答については、主に現代版「黄禍論」についてディスカッションを行った。
1、80年代の東南アジアには、
「made in Japan」という風が吹き始めた。そういった例
から見ても、
「黄禍論」には恐怖(脅威の念)が伴っているのか。
松本先生:それについて、100年前にもあったということが分かる。黄色い肌の人に
聞いたら、差別があるということが存在していた。
松永先生:アメリカのトヨタ事件のようなことだと思われる。
松本先生:アジアのナイフだといわれる。ヨーロッパ人は日本や中国に対する恐怖があ
るということは分かっていた。新体制と繋がっていると思われる。
2、日本人のイメージについて、
「根付の国」というイメージは本当に存在していたか。そ
れについて、今の日本はそういうイメージがないのか。
松本先生:昔、日本人のイメージということに言及すれば、日本人の男、いわゆる
「Japanese mens’
」というイメージが存在していた。唇の厚さなどは高村光太郎が抱いて
いたのとほぼ同じマイナスのイメージがする。
3、「血液型」について、どのような体制で輸入されたのか。
松本先生:日本人は、
「血液型」にこだわりがある。「血」によっては分かるというのは
普通だと認識された。この問題について、いつから始まったのか。
大正時代(1910 年代)
、医療科学には輸血という方法が導入されると同時に、血液型の問
題が出できた。
松永先生:韓国で同姓結婚はできないということも似ているような問題だと考えられる。
4、他の国の黄禍論を扱った小説について
パールバック「大地」
その他:茶髪、若者の衣装、アンチェ-ジング、日本人は足が短いというイメージ、日
本人若者の眉などの問題を議論した。また、日本人の顔の表現をどういうふうに文学作品
に定着するのかについても尐し論じた。