ハーレーダビッドソンとルイ・ヴィトンのブランドマーケティング

駒澤大学 小林ゼミ 2008 年度 卒業論文
ハーレーダビッドソンとルイ・ヴィトンのブランドマーケティング
― ブランドとその価値の向上―
辻本
聡1
1 序論
2 ブランド
2.1 ブランドとは
2.2 ブランドの持つコンセプトの意義
3 ハーレーダビッドソン・ジャパン
3.1 国内オートバイ市場
3.2 ハーレーダビッドソン・ジャパン(HDJ)のブランドマーケティング
3.3 近年のオートバイ業界とハーレーダビッドソン・ジャパン
4 ルイ・ヴィトンジャパン
4.1 国内のインポートブランド業界
4.2 ルイ・ヴィトン ジャパン(LVJ)のブランドマーケティング
4.3 世界のブランドビジネスの現状
5 結論
文献一覧
1 序 論
「ブランド」という言葉を聞くと、ルイ・ヴィトンや、エルメス、シャネルといった海外の高級ブラ
ンドのことをイメージする人が多いだろうが、もちろんこうした海外のプレステージ 2 の高いブランド
だけがいわゆる「ブランド」ではない。あらゆる企業や商品、サービスもブランドたりうる。今や身の
回りにある商品をみれば、ブランドでないもの方が見つけにくい。
ブランドはすべての企業にとって貴重な財産であり、近年では、さまざまな企業が自社のブランド構
築に躍起になっている。しかし、いわゆる高級ブランドといわれるものと、身の回りにあるその他のブ
ランドには、明らかに大きな差異がある。品質的にはその他の商品にも同程度かそれ以上のものがある
にもかかわらず、高級ブランドの商品はそのブランドが付けられているだけで、その他の商品の何倍、
何十倍もの価格が付けられ、そしてそれが売れているのである。その理由はいったい何なのか。
第 2 章でまず「ブランド」とは何か、ブランドの意義について述べ、第 3 章では国内オートバイ市場の
変遷について説明した後、ハーレーダビッドソン・ジャパンのブランドマーケティングについて述べる。
そして、第 4 章で国内のインポートブランド市場の変遷について説明し、ルイ・ヴィトンジャパンのブ
ランドマーケティングについて述べた後、結論として、ブランド価値の維持、向上の方法について考察
1
2
つじもと そう 駒澤大学経済学部経済学科 4 年 EK5042
英語で威信、信望という意味。マーケティング用語では、購入者の社会的地位の高さを証明すると認められるような、
高価な商品をプレステージ商品と呼ぶ。
ブランドマーケティング(辻本)
していきたい。
2 ブランド
2.1 ブランドとは
英語のブランドという言葉の語源は、自分の牛と他人の牛を区別するために、牛のお尻に押した焼印
にあるという説がある。一方、フランス語でブランドに相当する言葉である la griffe(ラ・グリーフ)
は鹿が爪で引っ掻いた痕という意味だ。所有権を主張して人工的に熱い焼印を押すブランドと、人工的
ではなく自然の中でできたグリーフでは、概念が少しばかり違うように思う。ブランドはある技術を駆
使すれば短時間に作り出すことができるが、グリーフは長い時間をかけて醸成されるというイメージだ
とするならば、一般に日本で成功しているブランドが圧倒的に欧米のブランドなのは偶然ではないだろ
う。伝統や文化というものが日本人にとって憧れやプレステージに直結した概念なので、マーケティン
グ上も有利なのである。
しかし、歴史があるだけではブランドにはなれない。忘れてはならないもう 1 つの要素は、
「有名で
ある」ということ。100 年以上続いた老舗でも、ミラノの裏通りの靴屋はブランドではない。一方、80
年代初頭に革製品のみを取り扱う 1 店舗を経営していたミウッチャ・プラダは、ポコノというナイロン
素材のバッグを作り出してから「プラダ」の名前は世界中の人が知るところとなり、スーパーブランド
にのし上がった。コカ・コーラという会社の資産価値が 50 億ドルだとしても、商標の価値は 100 倍以
上と見積もられる。どんなに良い品質の商品であっても、万人が知らないものに対して、人は二の足を
踏むし、品質についても警戒する。逆に有名になってブランドの仲間入りをすると、多くの人に使われ
るようになるから、消費者は安心して金を払うのである。
さらに、山田敦郎氏は著書『ブランド力』の中で、
「歴史があること(伝説性)」
「有名であること(広
知性)」に加えて、「卓抜性」「独創性」を、ブランドの 4 つの条件として挙げている。最初の 2 つは先
にも述べたものと近い。伝説性(legend)とは、
「なるほど」とひざを打つような物語や、
「知らなかっ
た」と驚かされる神話性などのバックグラウンドのこと。広知性(well-known)とは、広告を連打して
知名度を上げるのではなく、広く認知されているという事実のことである。卓抜性(excellence)とは、
比類なき品質へのこだわりであり、良いものだけを届けようとする良心。あるいは、頑固一徹な職人気
質に裏付けられた「手作り」、ないしは「手作り」的な「作り込み」の精神のこと。独創性(uniqueness)
とは、他と意図的に差別化するのではなく、他を意識せず飄々と我が道を行く姿勢のことである 3 。
2.2 ブランドの持つコンセプトの意義
ブランドの構築で最も大切なものは、ブランド名やそのロゴやデザインではなく、コンセプトである。
ルイ・ヴィトンやエルメス、ラルフ・ローレンの綴りをどれだけの人が正確に書けるだろうか。しかも、
エルメスはアメリカに行けば「ハーミース」と発音されるし、アウディはフランスでは「ローディー」
となる。さらに、ナイキのロゴマークは、懸賞金 35 ドルで学生が描いたものなのである。
それに比べて、ブランドの持つコンセプトは、ブランドが生きるための心臓と言っていい。コンセプ
トこそ、デザイン、商品企画、店舗、販売、広告、宣伝などマーケティングに必要な要素の根幹である。
目まぐるしく変わるデザイン、カラー、シルエットに対して、ブランドの持つコンセプトはおいそれと
3
山田敦郎+グラムコ・ブランドマーク研究班『ブランド力』中央公論新社、2002 年。289、425、426 頁
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ブランドマーケティング(辻本)
は変化しない。ブランドが消費者に与える安心感の秘密の一つがこのコンセプトなのである。
コンセプトをつくろうとするとき、商品のような具体物から入らず、まずその性格や方針を決める。
またコンセプトは目に見えないが「江戸の昔より代々職人により受け継がれてきた技により、最高品質
の銘木を使って一点一点手仕事によってつくられる逸品」という具合に言葉で表せなければならない。
これがどんな商品を指しているかは別として、商品のコンセプトは大まかに理解できるだろう。また、
コンセプトは、市場におけるポジショニング(位置づけ)を同時に表す必要がある。高額で高級なのか、
中級品でリーズナブルなのか、安価でもそこそこの品質なのか、またはマスで売られているものなのか、
ある程度希少性を持っているのか。ブランドのポジショニングがぶれると、消費者から優柔不断とみら
れブランド価値が下がってしまう。このとき重要なのは具体的に誰に売りたいかをあまり考えないこと
である。日本の現代社会では年収 200 万円の人も 2000 万円の人も同じブランドのバッグを持っている。
日本ではいわゆる社会階層が喪失してしまっているのだ。さらに最近では同じ富裕層でも、土地や株な
どの蓄財があるストック型と、給与所得や自分の事業益があるフロー型に分別できる。また、親と同居
あるいは二世帯住宅に住む中堅サラリーマンのように、本来の富裕層ではないが、ストック型とフロー
型の両面を享受している人たちは可処分所得が高い。これに従って、それぞれ細分化された消費者のた
めに、商品開発やコンセプトの訴求は非常に困難である。そのため具体的にだれに売りたいかではなく、
イメージ上のポジショニングだけを重視する。次にコンセプトの色、感触、温度などを決める。これは
具体的なものではなく、そのブランドから感じることのできるフィーリングである。
大事なのは企業自身がどんなコンセプトにしたいのかで、顧客のことを考えるのは実際に店で商品を
販売する時で構わない。まずはブランドの主義主張をコンセプトに反映させる努力をしなければ、市場
からすぐに亜流のレッテルを貼られてしまう。
以上、ブランドと、ブランドのコンセプトの意義について説明した。しかし、ブランドは大金をもた
らしてくれる半面、取扱いを間違えると、ちょっとしたミスであっという間にイメージが失墜する、実
に脆弱なものでもある。例として三菱自動車、雪印乳業、不二家、記憶に新しいものでは船場吉兆や赤
福などを挙げればわかりやすい。なかでも深刻なのは、1~2 年製品の売り上げが落ちるだけでなく、ブ
ランドの資産価値が下がることである。そうなれば「倒産」ということにもなりうるのである。
そこで、以下からは、すでに存在するブランドの製品の販売を専門に行い、大きな成功を収めている
二つの事例を述べて、ブランド価値を維持し、もしくは向上させていくにはどうしたらよいのかを考え
ていこうと思う。
3 ハーレーダビッドソン・ジャパン
3.1 国内オートバイ市場
2007 年における二輪車の国内出荷台数は約 69 万 5,000 台で、ピーク時(1982 年)の約 329 万台か
ら 4 分の 1 以下になっている。
日本では終戦と同時に自動車の製造が禁止されたため、製造が許可されていた自転車に飛行機のエン
ジンを改良して取り付け、できたのが原動機付き自転車である。その後 2 輪車の製造も許可され、1950
年代の前半からオートバイの時代が始まる。しかし、経済成長を背景に急成長した自動車にオートバイ
は追い越され、自動車産業は 80 年には生産台数 1000 万台を超え、アメリカを抜いて世界一になった。
オートバイ市場拡大のきっかけは 73 年、79 年の 2 度にわたるオイルショックで、
『日経流通新聞』
(現
3
ブランドマーケティング(辻本)
在は『日経 MJ』)の「ヒット商品番付」で 76 年に「50cc バイク」、77 年に「女性用バイク」がランク
されている。デザイン性や低価格、オイルショック後の省エネの風潮が後押した。
その後、88 年にメーカーの自主規制(750cc 以上の大排気量のオートバイ生産禁止)の解除、大型オ
ートバイの免許制度の緩和(大型自動二輪免許は 75 年より運転免許試験場での技能試験または自動二
輪中型限定免許からの限定解除審査の合格者のみに交付されたが、その合格者数は全受験者の一割未満
ともいわれる難関であった。しかし、海外のメーカーから「輸入バイクが売れないのは、日本の免許制
度に原因がある」(=非関税障壁)と圧力がかかり、96 年に大型自動二輪車免許創設により自動車教習
所での免許取得制度が確立された)などにより、大型オートバイの市場が広がった。
日本のオートバイは先進国であるヨーロッパ、アメリカを初め、世界のオートバイ市場を席巻した。
しかし、後発であった日本のオートバイ・メーカーが、その技術の優秀さをもって世界を制覇したのは
90 年代初頭までである。長い間トップの生産台数を誇っていた日本だが、94 年にはその席を中国に譲
る。時代とともに、かつて隆盛を極めたヨーロッパ勢は衰退し、日本のオートバイ・メーカーが一時代
を築いたが、90 年代後半になると、日本に代わって中国・インドをはじめとするアジア、中南米諸国が
生産台数を伸ばしている。多くの産業分野で見られる生産基地の後退がオートバイ産業にも起きた。ア
ジア勢の技術革新により、不動の地位にあった日本のオートバイの立場も変わらざるを得なくなった。
また国内のオートバイ業界は、ホンダとヤマハが「HY 戦争」という乱売合戦を演じて以来、体力戦
を戦ってきた。その間オートバイ市場は縮小し続けている。それは日本のオートバイの商品力が劣って
いたためではない。日本市場での競争の商品分野が、主として低価格のスクーターであり、メーカーと
しては輸出市場のほうにウェイトを置いていたからである。国内では価格競争で利幅は小さい。
加えて、日本のオートバイ業界は、メーカーの意思が末端まで通りにくい構造のまま放置されていた。
ちょうど国内では電気機器、加工食品など消費財の生産と流通に関して、各消費財メーカーと流通業界
が再編にしのぎを削っていた時期に、メーカーが海外に目を向けていたため、結果としてオートバイ業
界は、時代に取り残されていたのである。
日本のオートバイ・メーカーはこれまで、自転車店にオートバイを預け、売れたら代金を回収すると
いう商習慣に従ってきた。販売店にとっては売れなくても痛手にはならないので販売に力は入らない。
その後、買い取り制になったが、多くの販売店が複数のメーカー製品の併売店であったうえ、いつ売れ
るかわからない商品を抱えるわけにはいかず、仕入れを控えるようになる。さらにオートバイの整備が
国から認定された工場でなければできないと規制を受けるようになり、市場は縮小した。オートバイと
いう商品は自動車と違って、売った後の修理や整備が必要であるため技術を持たない町の自転車店はオ
ートバイを扱わなくなったからだ。
また、50cc のバイク、スクーターがブームを迎えた 1970 年代後半から 80 年代前半にかけて繰り広
げられたメーカー4 社(ホンダ、カワサキ、スズキ、ヤマハ)による熾烈なシェア合戦は、販売店と消
費者に値下げ競争体質を植え付けてしまった。販売店間の競争は、もっぱら価格で客を奪い合っている
のが現状である。
この業界の中で、ハーレーダビッドソン・ジャパン(HDJ)は設立以来右肩上がりの実績を上げ、市
場全体の不振が目立ち始めた最近 10 年間、逆に伸び方が目立つ。ハーレーダビッドソンの登録台数は、
1982 年の 1,099 台から 2002 年には 10,869 台、2007 年では 14,967 台で、751cc 以上の大型車では 31.9%
のシェアである。2007 年では、ホンダが約 7,000 台、ヤマハ、カワサキが 6,000 台、スズキは 5,000
台であるのを見れば、群を抜いている。251cc 以上の市場でも 15~16%のシェアで、業界第 3 位前後に
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ブランドマーケティング(辻本)
相当する販売台数である。
3.2 ハーレーダビッドソン・ジャパン(HDJ)のブランドマーケティング
ハーレーダビッドソン・ジャパンのブランドマーケティングの柱は、大きく三つに分けられる。一つ
目は価格政策、二つ目は販売網の形成、そして三つ目がライフスタイル・マーケティングである。
まず HDJ の価格政策について述べる。ハーレーのオートバイの平均価格は 230 万~240 万円で、国
産車の場合、競合クラスである大型車の中心価格帯が 100 万円前後なので、2 倍以上の価格差である。
それにもかかわらずバブル崩壊、長期化するデフレ経済の中で、しかも国内のオートバイ市場が縮小し
続けている一方で、ハーレーの販売台数は伸び続けている。
前節でも述べたように、国内のオートバイ・メーカーは値下げ競争の体力戦を戦っている。中小企業
である HDJ は、ホンダやヤマハといった大企業とは体力的に大きな差があり、同じ戦い方をしても敵
わない。また値下げで一時的に売り上げを伸ばしても、「価格の魅力は価格で奪われる」のである。そ
こで、価格で売るのではなく「価値」で売るのだと、HDJ の奥井敏文社長は言う。
奥井社長は「高価格の理由」を有形価値と無形価値に分けて説明する。有形価値とは、ハーレーの本
体そのものを中心に、約 3 万点に及ぶ部品、アクセサリーなどの商品価値に加え、資産価値としては、
中古車価格、ヴィンテージ価格を挙げる。無形価値は、各種のショーやイベント、ユーザーへ流す情報、
アフターサービスに加え、後述する HOG 組織などのシステム・プログラム価値、プレステージ、CS(顧
客満足)など、メーカーと販売店と顧客が密接に結び合う一体感、いわゆるファミリー意識を持つという
精神的な価値を指す。奥井社長が一番重視しているのがこの点で、この一体感が決定的な差別化になり
うると判断している。したがって、このファミリー意識の強化のために様々なプログラムを企画する。
販売店を個別に訪問することを含めて、絶えずこの一体感をリフレッシュしておくことが、市場での値
下げ、値崩れを防ぐ重要な対策になっている。一か所でも値崩れするとハーレー全体の価値がなくなっ
てしまうのである。
そこで、二つ目の販売網の形成が重要になる。奥井社長は、目指すべきは顧客との心の通った「絆」
の構築であるべきだといい、これを「ディライトフル・リレーションシップ」と表現する。顧客との間
にディライトフル(楽しく、愉快)な、つまり感動的で楽しい関係を構築していくという意味だ。良好
な「絆」づくりのためには、顧客視点に立った上でなさなければならないことが多く、作らなければな
らないシステムやプログラムも多いが、ディライトフルな関係は顧客との長期に及ぶ関係を可能にする
し、いったん構築できれば双方に利益と満足をもたらす。
しかし、顧客との「絆」はメーカーとの間にだけ構築されてすむものではない。顧客との接点である
流通チャネルとの「絆」がなければならず、「絆」の関係は少なくとも顧客・メーカー・チャネルの三
者における相互関係でなければ意味の薄いものになる。販売店やメーカーの動きに客も参加することに
よりコミュニティを形成し、そのコミュニティの中で会社や商品の持つ歴史や文化、伝統、ライフスタ
イルを共有することができる。
奥井社長が入社当時の 1990 年初頭、オートバイ業界では一つの販売店において複数のメーカーの商
品の併売が一般的で、その習慣は今もなくなったわけではない。そのため、メーカーの立場が弱く、販
売店の店頭や売り方に特定のメーカーの施策が強く導入されておらず、販売店に対するコンサルティン
グや改善指導などに関して、特定のメーカーのマーケティング政策の浸透が図られているようなことは
多くはなかった。HDJも例外ではなく、ディーラーチャネルの秩序はなかったという。HDJとディーラ
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ブランドマーケティング(辻本)
ーの間に契約書がなく、販売契約も形式がばらばらで、ユーザーの把握もできていなかった。奥井社長
はこのディーラーシステムを再編し、現在ではHDJの下にHDJと契約関係で結ばれた正規販売店が 75
社、130 拠点、その下にLTR 4 ショップ(旧販売協力店)が 36 社、36 拠点という組織図になっている。
この 2 つの下に認定Tステージディーラーが 24 社、26 拠点ある。以上合わせて 135 社、192 拠点が正
規販売網のすべてである(08 年 8 月現在)。
販売網の要は正規販売店で、その正規販売店には資金力を含めてある程度の体力がなければならない
し、一定水準以上の販売台数も求められているが、奥井社長がハーレーの販売店契約を結ぶとき最も評
価するのは、店の規模ではなく「親父の考え方」だという。標語的にいえば「ディーラーには顧客と
HDJ の共存関係を求める。喜びを与え、労を惜しまず、変革を恐れない姿勢が不可欠」ということだ
が、つまりは、奥井社長と考え方が同調するか否かで決めるのである。100%他人資本の販売店で、店
舗への投資もそれぞれの販売店が行うほどの他人依存のチャネルがハーレーの販売の最前線になって
いるため、販売店とのつながりが精神的な結びつきと呼べるほどまで高揚しなければ、リーダーたる
HDJ の足場は危ういものになってしまう。奥井社長は HDJ と販売網店のことをファミリーと呼び、奥
井社長の販売店に対するすべての働きかけは、このクローズドのファミリーをいかに強固な組織にきた
え上げるかを狙った対策である。会議や FAX、時には奥井社長自ら直接販売店に出向き、意志の共有を
図った。特に会議は多く、奥井社長のスケジュールの 4 割は会議だという。
そのファミリーの「戸籍」とも言えるのが、毎年 2 回発行される『ディーラー・ガイドブック』であ
る。全国の正規販売店を、全社全店、全従業員を名前、写真入りで掲載している。また、ディーラーの
従業員の誕生日か結婚記念日には、HDJ からグリーティングカードと花が贈られ、それぞれの会社を
対象に月間新記録、年間新記録の表彰も行われる。強いファミリー意識と言うのは強いブランドの企業
関係者に共通した気持ちの有り様である。ファミリー意識が生まれる条件は、それらのブランドが何を
目指しているかが、目に見える形で確立され、彼らにはっきり意識されていることである。そこに「自
分はそのブランドを形成する一員である」という共通の仲間意識が生まれる。
店頭・店舗の改善はこの『ディーラー・ガイドブック』の発行が拠り所となっている。このガイドブ
ックは本来は客に対して、販売店の現況などの情報を紹介するために作られたものだが、副次的効果と
して、HDJ ファミリーの姿をファミリーの構成員にも知らせるうえで有効で、この冊子によって自店
の変化、他店の変化をメンバーお互いが自分の目で確認できるのである。他店が立派に変貌していく中
で、自店の停滞感を感じて自社の改装を行うなど、メーカーが先に立って改装の投資をリードするより、
立派になった他店の姿を客観的に見せられて自発的に決断するほうがよほど速いし、効果も出やすい。
顧客にとって、ショッピングは本来楽しいものである。とりわけハーレーのように「いつかは乗って
みたい」と思われている商品では、なおさらである。したがって、後に述べるように、サービス・レジ
ャー産業に属する商品であるハーレーの購入に関して、奥井社長はリテールセールス(小売り)とエン
ターテインメントの合成語して「リテールテインメント」と呼ぶ店頭環境を目指している。「油まみれ
の看板のペンキすら剥がれている古い店頭で 200 万円のハーレーを買う気にはなかなかなれません。女
性ライダーならなおさらのことと思います」とは奥井社長の言である。
このように、ファミリーのだれから見てもオープンに、それぞれの販売店が満足できるような施策を
ハード、ソフトともに打つことを、奥井社長は「『見せる化』販売店満足(ディーラー・サティスファ
4
アメリカのハーレーダビッドソン社でよく使われる言い方で、Live to Ride(乗るために生きる)、Ride to Live(生
きるために乗る)による。
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ブランドマーケティング(辻本)
クション、DS)経営」と呼ぶ。HDJ の正規販売網店の総数は、全国のオートバイ販売店の総数のほん
の一握りにすぎないが、これらの店で 751cc 以上の市場で 30%超のシェアを実現し、平均売上高は一
軒当たり約 5.5 憶円と全国平均を大きく上回る。
最後にライフスタイル・マーケティングについて説明する。ハーレーのオートバイはアメリカでの誕
生当初から、近距離をちょっとした荷物や少数の人を運ぶことを狙って開発された商品ではなかった。
ハーレーを選択する消費者の購買目的は、実用性を第一目的として選択することはほとんどなく、主と
して自分の趣味であったり、楽しみのためであったり、自らのステータスや生き方を表す自己表現の一
つの手段というところにある。こうするとハーレーを他のオートバイと同様に輸送手段として定義する
のは困難になる。そこで奥井社長は、ハーレーのオートバイをサービス・レジャー産業というジャンル
に属する商品として定義しなおした。
サービス・レジャー産業としてのハーレーの新たなる需要を創造し、すでにオーナーになっている顧
客に対しても満足できるように展開する HDJ のマーケティングを、イベントなどの活動やクラブ組織
を通じて人と人の「絆」を大切に育てる「ライフスタイル・マーケティング」と HDJ では呼んでいる。
ハーレーのオーナーのほとんどが、自分のライフスタイルに適合するハーレーの文化的意味や価値が、
主たる購買目的であれば、顧客の価値観や生活基準に対してハーレーの世界と文化的価値を具象化し、
提案していくことが HDJ にとって重要になる。一方で、ハーレーをコアとする楽しみ方は顧客の数だ
け多様で、人によって受け取り方も違うため、多様な顧客に対して、共通性が高く、体系化されたシス
テムや、プログラムを用意する必要がある。そのために生まれたのが「ハーレー・10 の楽しみ」である。
①乗る楽しみ、②出会う楽しみ、③装う楽しみ、④創る楽しみ、⑤愛でる楽しみ、⑥知る楽しみ、⑦選
ぶ楽しみ、⑧競う楽しみ、⑨海外交流の楽しみ、⑩満足。これをもとに様々なプログラムやシステムが
体系化されていく。中でもハーレーは、ハーレーをコアとしたライフスタイルの姿をより現実的に、具
現化して提供するイベントを重視している。日常のマーケティング活動の補助的活動や補助的効果を期
待してイベントを催す企業は多いが、HDJ のように「イベント・マーケティング」と呼べるほど、イ
ベントをマーケティングの重要な柱として位置付けている企業は少ないだろう。毎年行われる富士ブル
ースカイヘブン、長崎ハーレーフェスティバルといった大型イベントから、販売店単位の創業祭まで、
多様なイベントが開催される。ハーレーの歴史や伝統、文化をビジュアル化することにより、感動経験
を提供する。これがイベント・マーケティングの狙いである。HDJ では「モノ」を売るために「コト」
を売ることからスタートする。また、HDJ が設立された 1989 年以降の、ハーレーの顧客と購入台数に
関しての分析の結果、顧客数で上位 20%を占めた顧客が、この 19 年間に購入した台数は、個人オーナ
ーで抽出すると全販売台数に対してわずか 32.7%だった。ハーレーは趣向性が強く、何台ものハーレー
を一人で所有している顧客の存在がよく話題となるが、基本的には一人につき一台の購入者が多数を占
めているそうだ。奥井社長は既存顧客との関係を維持することも大切だが、たとえ高コストであったと
しても新規顧客の開拓に努めなければ、企業として沈没してしまう恐れがあるという。
いわゆるパワーブランドと言われるブランドは、その商品を愛してやまないロイヤリティの高い顧客
に支えられているだけに、年月を経るにつれて、顧客が高齢化していくというエイジング現象の生じる
ことが宿命であるとされている。とりわけオートバイに関しては、このエイジングが際立って現れる可
能性があり、特にハーレーは「中高年の乗り物」というイメージを持つ人が多いだろう。しかし、現実
には HDJ にエイジングは起こってはいない。データを取り出した 1992 年以降、ユーザーの平均年齢は
37 歳前後を維持しており、目立った老化は見られない。年齢構成も「10 代、20 代」30%、
「30 代」30%、
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ブランドマーケティング(辻本)
「40 代」25%、「50 代以上」15%という比率はほとんど変わらない。また、新規ユーザー比率は 1992
年以降、80%前後を維持し、女性ユーザー比率も 10 年ほど前までは 1~2%にとどまっていたものが、
現在では 7~8%と 6 倍に増えている。
イベントによる感動体験が、新規需要を喚起すると同時に、既存のオーナーにも満足を感じさせる。
また、既存顧客を組織化するためのハーレー・オーナーズ・グループ(HOG)の存在も無視できない。
これはハーレー本社が正式に認めた、全世界に 100 万人超、日本に現在 3.5 万人の会員を有する世界最
大のオートバイライダーの組織である。全国にある約 130 社の正規販売網店には、HOG の細胞拠点と
して、チャプター(支部)が設立されている。そこでは個別に、あるいは他チャプターと交流しての多
様なツーリングやラリー、チャリティーといった中小規模のイベントや活動が開催されており、その数
は合計すれば年間で 1000 回を超えるという。
結果として、ハーレーを中心としたコミュニティが生まれる。HDJ の目指す「ハーレー・コミュニ
ティ」づくり。本来はアメリカのハーレーダビッドソン社においても経営の原点のひとつである。
このコミュニティを作り上げるプロセスとして、感動体験をいくつも提供し、積み重ねていく CS 運動
がある。実際に購入する以前のイベントやショーから、購入後のアフターサービス、仲間づくりに至る
まで顧客に不満を抱かせてはならないからだ。ブランドに対する思い入れが強烈な分、不満も増幅され
るのである。
3.3 近年のオートバイ業界とハーレーダビッドソン・ジャパン
しかし、ここに至ってオートバイ業界も動き始めている。2001 年 8 月、2 輪車業界第 3 位のスズキと
第 4 位の川崎重工が業務提携を発表した。内容は、大型オートバイの一部機種や大型スクーターなどで、
相互製品供給や共同開発、部品の共同購入などである。この動きに先行する形でホンダとヤマハは、配
送拠点から販売店までの製品輸送を共同で行うという物流面での業務提携を結んでいる。
販売体制の見直しも進み始めた。ホンダは販売店取引の基準(ショールームがあり、入りやすいか、
買いやすい仕組みがあるかなど)の見直し、ドリーム店の充実へ動き、2000 年秋からは販売店段階の
中古車在庫を検索するシステムを導入している。ヤマハは、排気量 125cc 以上の 2 輪車を扱う 1500 店
を、技術力と顧客満足(CS)基準で選別する。さらに国内販売店 4500 店を結ぶオンラインシステムを
構築して受発注業務の効率化を目指すなど、各社とも販売店体制の再編とネット時代への対応を進めて
いる。
業界ではオートバイ文化を育てようという気運も高まっている。2000 年から 8 月 19 日のバイクの日
を中心として、7~9 月を「バイク月間」と位置付け、4 大メーカーと関連団体が共同で、各地でイベン
トを開催している。右肩上がりの経済が終わったという経済環境の変化を踏まえ、日本のオートバイ市
場も生き残りにハンドルを切り始めた。
一方、奥井社長マーケティングは極めて直接的で大組織には向かない。このシステムの欠点は非常に
コストがかかり、労働力の投入が必要なことである。奥井社長自身も、従業員でいえば 300~500 人、
ディーラーでいえば 200~300 社、またニッチな高額商品であるため、販売台数もどんなに頑張っても
5 万台売れるようにはなるとは思えない、と言う。
さらに 2008 年 8 月 27 日に、現 HDJ 奥井社長が年内に退任し、ゼネラルマネージャー福森豊樹が、
翌年 1 月 1 日付で社長に昇格することが発表された。奥井社長は代表権のない相談役に退く。福森は伊
藤忠商事の自動車輸出部門から、2000 年 10 月に HDJ に入社し、その後ゼネラルマネージャーとなっ
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ブランドマーケティング(辻本)
た。彼の経営手腕は未知数で、奥井社長の手法を踏襲するのか、それとは異なる存在感を見せつけるの
かはわからないが、他企業が業界の危機に気付き、その対策に乗り出し始めたいま、これとどう対して
いくのか、これからが問題である。
4 ルイ・ヴィトンジャパン
4.1 国内のインポートブランド業界
敗戦後、百貨店の多くは進駐軍に接収され、PX(Post Exchange 進駐軍関係者向けの購買部)にな
り、それとは別に、民間の外国人が利用する OSS(Overseas Store)も開設された。これらで買い物が
できるのは一部の人間にすぎなかったが、品物はこっそりと闇市に流れた。また 1950 年に勃発した朝
鮮戦争による特需で、日本の産業界は活気を取り戻しつつあり、景気の上昇とともにアメリカ製品を購
入する日本人は着実に増えていった。しかし中心はあくまでアメリカのブランドで、アメリカ以外の国
のブランド品を調達することは、ごく限られた高所得者層を除いて、当時はまず不可能であった。
1950 年代も後半に入るとアメリカ一辺倒の時代に変化の兆しが見えはじめる。ディオールの秋冬コレ
クションが 53 年に開催されたのをきっかけに、パリのファッションが日本に紹介されるようになり、
大丸、高島屋、松坂屋、伊勢丹、西武が次々とパリのオートクチュール(高級仕立て服)店と特約関係
を結んだ。各百貨店ではイタリアンフェア、スウェーデンフェア、デンマークフェア、フランスフェア
など、輸入品フェアが次々と開催され、ヨーロッパの製品は少しずつ日本人の間に浸透していった。
1961 年に池田内閣が貿易為替自由化の促進を決定し、舶来品の輸入を積極的に進めた結果、舶来品の
購入層が一部の富裕層から一般の大衆へと、裾野が大きく広がるようになる。高度経済成長を背景にし
た海外旅行ブームも大衆化を促進した。1964 年の海外渡航自由化、71 年の固定相場制から変動相場制
への移行による円高、72 年のドルの持ち出し自由化が海外旅行客の増加を後押しした。外貨減らしを進
める政府の方針が、日本人の海外ショッピング熱をさらに煽ったのである。さらに並行輸入も解禁にな
り、輸入総代理店を通さずに誰でも自由に外国製品を輸入できるようになった。こうして、ブランド品
は街にあふれ、一気に大衆化した。ライセンスブランドが人気を得たのもこのころだ。ライセンスブラ
ンドとは、ブランド本社(ライセンサー)からブランドの名前を使う権利を買った企業(ライセンシー)
が、自社企画生産の商品にブランド名を付けて製品化したものをいい、70 年代に入ると、アパレルメー
カーや生活雑貨メーカー、家電品メーカーなど多彩な業種がこぞって海外ブランドとライセンス契約を
結び、ありとあらゆる商品にブランドのロゴが付けられた。このライセンスブランドの増加は、日本人
とブランドとの距離感を縮め、ブランドの大衆化のきっかけを作りだすことになるが、反面過剰なライ
センスの拡大で、ブランド価値やイメージを下げてしまったブランドが続出した。
1980 年代後半にはバブル経済に支えられ、海外ブランドは第二次ブームを迎えた。85 年のプラザ合
意は急激な円高をもたらし、バブル経済と重なって、国内外でブランド品の売れ行きは伸びた。
その後バブルが崩壊してブームに翳りが生まれるが、90 年代の半ばから海外ブランドは、伝統のある
定番品を守るだけのビジネスから脱し、流行に敏感な女性向けのファッションに力を入れ、トレンドを
投影した新しいラインを次々に発表した。ファッショナブルなバリエーションが増えたことでファッシ
ョン誌の紙面への登場頻度が急増し、若い世代を取り込みながら第三次のブランドブームが起こった。
また、このころからブランド側に、ブランド価値を下げかねないライセンスものを毛嫌いする風潮が現
れ、日本でのライセンス契約を打ち切り、日本法人を設立するブランドが相次いだ。バブル崩壊の影響
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ブランドマーケティング(辻本)
で 90 年をピークに減少傾向にあった小売市場は、96 年には約1兆 9,000 億円という過去最高の数字を
示す。そのブームが沈静化すると、インポートブランド市場は再び減少傾向に転じ、現在では、市場規
模は 1 兆 3,000 億円あたりをうろうろとしている。
ルイ・ヴィトンは 1969 年に日本に進出しているが、78 年に日本支店を立ち上げ、81 年にはルイ・ヴ
ィトン ジャパン(LVJ)を設立した。LVJ の売り上げは 1987 年の 119 億円から、2006 年には 1596
億円となっている。ルイ・ヴィトンの日本での売上は、世界の約 3 分の 1 を占め、並行輸入品や、日本
人による海外での購入を加えた「日本人マーケット」が全体に占める割合は、6~7 割ともいわれている。
1 ブランドの売り上げは 500 億円が上限とされるファッション業界にあって、ルイ・ヴィトンジャパン
は 2000 年に 1000 億円を突破し、その後も売り上げは伸び続けている。2 位以下のブランドとは差が開
くばかりで、2 位のエルメスの売り上げはルイ・ヴィトンの半分以下にすぎない。
4.2 ルイ・ヴィトン ジャパン(LVJ)のブランドマーケティング
ルイ・ヴィトン ジャパンのブランドマーケティングについては、価格決定、店舗づくり、そしてクレ
ディビリティ(信用性)の構築に分けて説明していきたい。
LVJ の価格決定プロセスは、パリ本店の値段にプラスするのは運賃と関税だけ、原則として年に一回、
円とフレンチフラン(現在はユーロ)の為替変動に従って価格を見直し、必要があれば改定するという
ものである。これは LVJ 設立当初から一貫して行われてきたプロセスで、これによりフランス本社との
内外価格差は 2.5 倍から 2 倍にまで下がり、中期的には 1.8 倍、長期的には 1.4 倍を目標に値下げが行
われた。この数値はすでに達成されており LVJ は現在もこの数値を維持している。高級ブランド品であ
れば高くて当然、むしろ高いからこそ価値があるとされていた時代に、この値下げ政策に対しては業界
内では危険視する声が多かったようである。ブランド品の値下げは「売れていないからだ」という憶測
を生む。イメージダウンは高級ブランドにとって致命傷につながるため、業界関係者だけでなく、社内
からも反対の声は上がったという。しかし、値下げは大方の予想に反した結果となった。価格が手頃に
なったことから、売れ行きは前年比の 2 倍の勢いで伸び、ヴィトンブームという社会現象を生み出した
のである。
この値下げが可能だった理由は LVJ のビジネスモデルにある。ルイ・ヴィトンは 1969 年に日本に進
出しているが、このときはインポーター(ファッションの専門商社)を通して、現地の三井物産を仲介
に商品が日本に送られるという流通経路だった。間に中間業者が入るため、マージンの上乗せで国内価
格は高く設定されていたが、並行輸入業者が内外価格差に目をつけ、利ザヤを稼ぐために、本国でルイ・
ヴィトン製品を買いあさり、高い値段で販売し始めたのである。そのため、国内では店によって値段が
違う上に、本国との販売価格差は 3~4 倍にも達していた。ここにメスを入れ、商社や輸入業者を排除
し、製造から販売、アフターケアまでをすべて直営で管理し、適正な価格で商品を供給すべし、という
のが秦郷次郎の意見であった。彼は当時、日本市場の現状と可能性について、仏ルイ・ヴィトン本社か
ら調査を依頼されていたニューヨークの大手会計事務所の東京事務所のパートナーであり、その後ル
イ・ヴィトン ジャパンの社長、および LVJ グループの社長を務めることになる(現在はルイ・ヴィト
ン マルティエ社取締役特別顧問)。中間業者を廃せば、流通コストを抑え販売価格も下げられる。適正
な価格を実現すれば、並行輸入業者のうまみも減るのである。しかし、適正な価格を実現したら、あと
は一切値引きも、バーゲンもしない。値引きの横行はブランド価値を損なってしまうのである。
次に、製品の製造ではなく、その販売を担うLVJにとって、何よりも重要なのが店舗づくりである。
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ブランドマーケティング(辻本)
LVJ設立当時の日本で、百貨店に出店していた高級ブランド店の多くは平場にショーケースを並べて商
品を売っていた。そうした売り場が当時は当たり前だったが、秦前社長は、「ブランドの真の価値を理
解してもらうには、その歴史や伝統、固有の技術、美意識を消費者に伝えることが大切で、店はそれを
表現する最適な場になりうる」として店舗づくりに力を入れた。78 年に日本支店開設と同時にオープン
した五店舗では店に入ってまず目のつく場所に、大きなLVのロゴとアンティークトランク、創業者であ
るルイ・ヴィトン氏のポートレートを必ず飾った。当時の店は百貨店内の 20~30 坪程度の小さなスペ
ースではあったが、ルイ・ヴィトン原点ともいえるハードトランクはすべてのサイズのものが用意され
た。いずれも消費者に言葉で説明しなくても、店に足を踏み入れた瞬間にブランドの本質を感じてもら
えるようにしたかったからだという。その後百貨店内のショップで 120~150 坪、グローバルストア(プ
レタポルテ 5 、靴の導入に伴い登場した店)で 180~300 坪と店舗面積は拡大するが、この考え方はその
後も一貫して継承されている。
店舗づくりへのこだわりは建築にも表れており、1998 年に登場したグローバルストアという新コンセ
プトの大型店では、内装のデザインに建築家のピーター・マリノ氏を起用し、大阪・心斎橋に続いて日
本で二店目となる名古屋のグローバルストアには、日本で初めての独立路面店ということもあり、建物
全体のデザイン・コンペティションが実施された。採用されたのは青木淳氏で、外壁はガラスと壁の二
重になっていて、その両方にルイ・ヴィトンのトランクの柄であるダミエ(市松模様)のパターンが施
されたデザインとなっている。その後彼は 2002 年に完成した表参道ビルもデザインしており、その「ト
ランクをランダムに積み重ねる」というコンセプトのビルは、2004 年に商業ビルとしては初めて、建
築業界で権威のある「第 45 回建築業協会賞」を受賞した。
また、ルイ・ヴィトン ジャパンは販売力を強化すべく、百貨店からの派遣販売員を断り、LVJ の正
社員を増やしている。一般に百貨店の中に設けられた店に立つ販売員は、百貨店の社員もいれば、メー
カーから送り込まれる派遣社員もいる。ルイ・ヴィトンの場合も同様だったが、1999 年から全店舗直
営化プロジェクトをスタートさせ、百貨店の販売員をすべてルイ・ヴィトン側の従業員に切り替え始め
た。2000 年 2 月の正社員数 800 人が、3 年後には 1700 人に増加した。教育内容も、入社時研修、半年
後のフォローアップ研修、2 年目のフロントコンサルタント研修、3 年目以降のパリ研修と段階的なプ
ログラムを実施している。「言われたから会社に来ている人と、来たかったから来た人とでは、モチベ
ーション(やる気)が全然、違います」と秦前社長は言う。
最後に、クレディビリティの構築について代表的なのが「信頼構築広告」と呼ばれる広告である。ハ
ードトランクを使った三部作は、日本経済新聞に全面広告として出された。この広告はルイ・ヴィトン
のサービスに対するこだわり、サービスも製品の一部であることを訴えるもので、メッセージはそれぞ
れ、①ルイ・ヴィトンは、直ります、②堅牢な約束、③イニシャルひとつにも、である。
「ルイ・ヴィトンは、直ります」は、ひとつのトランクに使われている部品をすべて並べて見せるこ
とで、リペア・サービスの存在、ルイ・ヴィトンの製品は長く使いつづけられるということを訴えてい
る。「堅牢な約束」は、購入されたトランクごとに世界に一つだけのキーを渡し、それを登録するサー
ビスを行っていることを知らせることで、顧客との信頼関係を約束するものである。「イニシャルひと
つにも」では、イニシャルのペインティング・サービスをアピールし、顧客一人ひとりのニーズに対応
5
フランス語で既製服という意味。日本語では高級既製服と訳されることが多い。それまでは、コンフェクションやレデ
ィ・メイドと呼ばれていたが、大量生産された粗悪な安物というニュアンスを持っていたため、それらと区別するため
に造られた言葉。
11
ブランドマーケティング(辻本)
するという宣言をしている。
LVJ は日本に最初の店舗がオープンして間もなく、国内でも修理ができる体制づくりに着手した。そ
れまで顧客の間では、
「ルイ・ヴィトンは壊れない」という評判があった。
「壊れにくい」ではなく「壊
れない」である。これは非常に良い評判ではあるが、もし壊れてしまえば、すぐに不満へとつながって
しまう。ブランドにとって、顧客の期待は決して裏切ってはならないものなのである。そこで、リペア・
サービスを充実させ、この評判を「丈夫だが使いつづければいつかは壊れる。しかし修理することでい
つまでも使える」と変えようとしたのである。国内で優秀な職人を探し、パリで研修を受けさせ、必要
な部品はすべてパリから取り寄せた。新製品が出た場合には、発売前の開発段階から修理の方法や部品
についても準備する。それらのリペア・サービスは、売り上げ増に伴い規模が大きくなり、1993 年に
は世界に先駆けて、店舗とは別にリペア専門のサービスセンターを設けるまでになった。
ルイ・ヴィトンのハードトランクには、初代ルイ・ヴィトンが考案した、個人専用の特製防犯錠前(ボ
アティエ)が付いている。1890 年に特許を得たこの錠前システムは、堅牢な 5 枚の錠羽(現在では 6
枚羽)が錠部分に内蔵されている。さらに、複数のトランクを所有する顧客には、一本の鍵ですべての
トランクの開け閉めができるように鍵番号を統一することができ、その鍵番号は、ルイ・ヴィトンの顧
客台帳に永久に登録される。この顧客台帳によると、1883 年(明治 16 年)1 月 30 日に、明治維新の
元勲、土佐出身の後藤象二郎が 110cm の大型トランクを購入したことが記録されている。
また、LVJ社員向けのメッセージとして「サービスの神話化」が掲げられ、現行のサービスを見直し
今後のサービスを話し合うサービス・コミッティーの設置、一般客を装った外部調査員による臨店調査、
ルイ・ヴィトンに関するあらゆる問い合わせの窓口となる「カスタマーインフォメーションサービス」
(CIS)の設置など、次々と新しい施策が打ち出されていった。2002 年に、表参道店のオープンに際し
導入されたのが「コンシェルジュ 6 サービス」である。店内での接客応対から、ホテルやレストランの
予約、タクシーやハイヤーの手配、観劇の案内、近隣の買い物場所の紹介など、ホテルのコンシェルジ
ュ並みのサービスが行われている。秦前社長は「お客様一人ひとりの満足が積み重なり、それがブラン
ドへの評価につながり、ひいてはブランドの価値を決めていくわけですから、サービスの向上には、こ
れでよいという終点はないと思います」という。
4.3 世界のブランドビジネスの現状
現在、世界のブランドビジネスは、同業他社の買収・防衛などの買収合戦や、合従連衝を重ね、ブラ
ンド・コングロマリットによる規模の拡大と数社による寡占・集約状態にある。代表的なものを挙げる
と、モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH)、リシュモン・グループ、グッチ・グループ、プラダ・
グループ、そしてそれらに属さないその他の独立系メゾンである。LVMH はルイ・ヴィトン、モエ・ヘ
ネシー、クリスチャン・ディオールなど 50 あまりものブランドを傘下に持つ。グループ売上高は 2006
年度で 153 億 600 万ユーロ(約 2 兆 4500 億円、2006 年度末換算レート 1 ユーロ=約 160 円使用)の
規模である。リシュモン・グループはカルティエ、ヴァン・クリーフ&アーペル、ピアジュなどのジュ
エリー、クロエ、ダンヒル、などのファッションブランドを有する。グループ売上高は 2006 年度で 48
億 2700 万ユーロ(約 7700 億円、同)の規模である。グッチ・グループにはグッチをはじめ、イヴ・
サンローラン・リヴ・ゴーシュ、アレキサンダー・マックイーン、セルジオ・ロッシなどのラグジュア
6
フランス語で、集合住宅(アパルトマン)の管理人という程度の意味だが、そこから解釈を広げ、ホテルの宿泊客のあ
らゆる要望、案内に対応する「総合世話係」というような職務を担う人の職名として使われている。
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ブランドマーケティング(辻本)
リーブランドがひしめく。売上高は 2006 年で 35 億 6800 万ユーロ(5700 億円、同)である。プラダ・
グループは、プラダがヘルムート・ラング、ジル・サンダー、チャーチ、フェンディ(LVMH と共同出
資)などを買収して拡大してきた。近年は苦戦しており負債の肥大化が顕著なため、フェンディ株の
LVMH への売却、ジル・サンダー株のイギリス投資会社への売却に続いて、ヘルムート・ラングの商標
権も日本のリンク・セオリー・ホールディングスに売却した。これらコングロマリットを形成する大手
グループに対し、昔からのファミリー・ビジネスを展開しているのがエルメスやシャネル、ジョルジオ・
アルマーニ、フェラガモ、ブルガリなどである。その他多くの中小ブランドはどこかのグループに参加
するか、巨大グループ相手に挑んで閉店するかの二択を迫られたのである。
LVMH のとる戦略は、ブランドを買収し、そのブランドの成長・発展を図り、グループの利益を蓄え、
その蓄積された利益をベースに財務の安定を保ちながら、さらなる企業買収によってグループを一層強
固なものにしようとするものである。しかし、買収そのものは投資会社などでも可能だが、買収したブ
ランドの価値を高め、あるいはスターと呼べるまでに成長させることは簡単なことではない。CEO の
ベルナール・アルノーは「スター・ブランド」の条件としてタイムレス(時代を超えて通用する)とモ
ダンの両立を挙げている。この二つは明らかに矛盾しており両立は困難だが、LVMH はこの矛盾を的確
なデザイナーに交代していくことよってマネジメントしている。さらに、デザイナー交代時は移行期と
いうことでブランクに近い状態になるが、この時期を資本力とグループ力で支えることができるのも
LVMH の強みである。ポートフォリオにより、比較的リスクが少なく利益が大きい、アルコール類の利
益で埋めることにより、ブランドを支えることができる。
規模が大きいということは、ブランド価値のコントロールにもメリットがある。中小ブランドが、ラ
イセンス契約による巨額のロイヤリティに依存した経営をやめ、生産・流通・販売のすべてを自前で整
えるのは非常に困難である。こうした場合、資金とグループ力で長期的にブランド維持をバックアップ
できるのが LVMH の強みである。ライセンスを切り、それぞれのブランドが自前で運営するために必
要なサポートを行い、長期的なブランド価値を増大させるのである。
しかし、LVMH に買収されたあと、ブランドの持ち味が失われてしまったり、買収したのはいいが、
収益性が低いと簡単に売りに出されてしまったりするなど、問題も出てきている。ブランドビジネスは
今、実際にモノの売り買いをしない、客の顔も見たことがない、規模の拡大を追求する合理的な経営者
によって左右されているのである。また、こういった LVMH の経営はベルナール・アルノー個人のセ
ンスによるところが大きく、グループの求心力が働くカリスマのある後継者をみつけ、スムーズに交代
することができるのかが課題となるだろう。
5 結 論
以上、ブランドについての意義と、その販売の仕方を HDJ と LVJ という 2 つの例をあげて説明した。
HDJ のブランドマーケティングの柱は、価格政策、販売網の形成、ライフスタイル・マーケティング
の 3 つである。価格政策は競合他社との価格競争をせず、商品自体の価値で勝負すること。販売網の形
成は販売店のおやじと従業員を抱き込み、一体感のある販売網を形成し、価格の維持と店舗の改善を図
ること。ライフスタイル・マーケティングは、ハーレーをサービス・レジャー産業と定義し直し、イベ
ントを中心にコトをしかけて、顧客にライフスタイルの提案をすることである。
LVJ の柱は価格決定、店舗づくり、クレディビリティの構築の 3 つである。価格決定は内外価格差の
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ブランドマーケティング(辻本)
縮小と価格維持をストイックに行うことで、並行輸入の発生を抑え、ブランドをコントロールすること。
店舗づくりは内装と建物にこだわり、さらに販売員の質も上げることで、店内に一体感のある雰囲気を
持たせ、ブランド価値の向上に努めること。クレディビリティの構築は「サービスの神話化」を掲げ、
リペア・サービスの充実や、コンシェルジュの設置などにより顧客の信頼を得ることである。
ブランドの販売方法の例として、この HDJ と LVJ というまったく異なる 2 つの会社を挙げた理由は、
どちらも海外ブランドの製品の販売を専門にしており、その製品が初めから強い商品力を持っているた
め、ブランド価値を維持、向上させていくための販売方法を説明するのに都合がよかったということだ
が、そのどちらも顧客との直接の接点である店舗づくりと販売員の育成を重視していることがわかるだ
ろう。店舗は内装や建物、雰囲気によって、そのブランドのコンセプトやイメージ、背景、物語性など
を、言葉を使わずに直接、顧客の五感に訴えることができる。
また、「売り子」という言葉にも表れるように販売員は軽視されがちだが、店舗で直接に客と接する
販売員がプライドを持って働いていれば、それはそのまま客に伝わり、ひいてはブランド価値の向上に
もつながる。ブランドロイヤリティは何も顧客のことだけではなく、そのブランドを売る販売員や、そ
れ以外の従業員にも必要なものなのである。高橋克典氏は著書『ブランドビジネス 成功と失敗を分け
たもの』で、ブランドビジネスを成功させるには、販売員に販売以外の知識、たとえばデザインコンセ
プト、生産背景、物流のシステム、広報活動の戦略、そして企業のビジョンに至るまでの情報を与える
ことが大事だとしている 7 。これにより末端の販売員と本部との一体感が醸成され、会社経営への参加
意識も生まれるうえ、自分が重要なポジションについているという意識を販売員に与えればプライドと
責任を持たせることができるのである。
そして、価格もブランドを管理する上で重要である。高価格なものをいかに売るか。過度の値引きは
そのブランドの価値を損なってしまう。そこで HDJ ではライフスタイル、LVJ ではクレディビリティ
というそれぞれ独自の付加価値を顧客に提示することによって、顧客に高価格の理由を説明する。この
価格が商品の価値からみて適正であると納得できれば、値引きをせずとも客は商品を買っていくのであ
る。
よく言われるように、これからの日本はこれまでのように、ただ品質の良いものを安く売っているだ
けで生き残っていけるような時代ではなくなってきた。先述したように中国やインドを筆頭にアジア勢
の技術力が向上し、日本製品の優位性が失われつつあるうえに、価格では完全に負けてしまっているの
である。そのため付加価値のあるものづくりの必要性が叫ばれているが、それでも日本の企業の多くは
シェア競争や価格競争に自ら飛び込んでいく。確かに、日本の得意分野であるエレクトロニクスや電機
製品は技術進歩が激しく、じっくりとブランドを醸成するのは難しい。さらに今回述べた方法は HDJ
のように比較的規模の小さい企業だからできたことで、大企業がそのまま行おうとすると非常にコスト
がかかり、行うのならば LVJ グループのような高い収益を上げる必要がある。
しかし、パソコンの Mac や、携帯音楽プレーヤーの iPod などで有名なアップル社のように、ブラン
ディングが難しいとされるエレクトロニクス、電機製品の分野にあっても、ブランディングに積極的で、
しかも成功している例もあり、これは日本の企業にとっても決して不可能なことではないはずである。
いずれにせよ、従来通りのビジネスに安穏と居座るだけでは、企業はこれから生き残っていけないのは
確かである。HDJ の奥井社長は元トヨタの社員で体制の異なるオートバイ業界からすれば異分子であ
ったし、LVJ の秦前社長は元会計士でファッション業界には門外漢だった。しかしだからこそ従来の考
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高橋克典『ブランドビジネス 成功と失敗を分けたもの』中央公論新社、2007 年。127、128 頁
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ブランドマーケティング(辻本)
え方にとらわれず、新しい施策を次々と打つことができたのだ。本論で述べてきた方法がそのまま使え
るとは限らないが、このブランドマーケティングという考え方は、これからの企業の在り方を考えるた
めの重要な手がかりの 1 つにはなるだろう。
文献一覧
1.
2.
石井淳蔵『ブランド 価値の創造』岩波書店、1999 年。
奥井俊史『巨像に勝ったハーレーダビッドソン ジャパンの信念』丸善株式会社、2008 年。
3.
高橋克典『ブランドビジネス 成功と失敗を分けたもの』中央公論新社、2007 年。
4.
長沢伸也『ブランド帝国の素顔 LVMH モエ ヘネシー・ルイ・ヴィトン』日本経済新聞社、2002
年。
5.
長沢伸也編『ルイ・ヴィトンの法則』東洋経済新報社、2007 年。
6.
博報堂ブランドデザイン『ブランドらしさのつくり方―五感ブランディングの実践―』ダイヤモン
ド社、2006 年
7.
秦郷次郎『私的ブランド論 ルイ・ヴィトンと出会って』日本経済新聞社、2006 年。
8.
9.
10.
11.
12.
牧田正一路『ハーレーダビッドソン ライフスタイル・マーケティング』東洋経済新報社、2003 年。
水口健治『なぜハーレーだけが売れるのか』日本経済新聞出版社、2008 年。
三田村蕗子『ブランドビジネス』平凡社、2004 年。
山田敦郎+グラムコ・ブランドマーク研究班『ブランド力』中央公論新社、2002 年。
DVD『ハーレー・ダビッドソン-100 年目の進化-』角川書店、2003 年。
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