翻訳の学び方

翻訳の学び方
成瀬由紀雄
2006 年3月
成瀬由紀雄
翻訳の学び方
目次
<第一回講義>
1.講義の内容について
・
「読む」とはなにか ・翻訳の可能性について ・日本語の世界について ・産業翻
訳の世界について
2.日本語のテキストを読む
・一番大事なところを見つける ・レイアウトの重要 ・思考のつながり ・漢字か
ひらがなか ・フォーマルかカジュアルか ・統一ルールのない日本語表記
3.人がわかりあうということ
・言葉によるコミュニケーションとは ・言葉と思考の可能性について ・翻訳とは
何か ・ことばは普遍的か ・職人かエンジニアか ・日本語の世界
<第二回講義>
・さまざまな日本語を読む ・手で写すということ ・魅力的な文章とは ・英語の
バリエーションを読む ・実務としての翻訳 ・翻訳業界について
<資料編>
2
翻訳の学び方
<第一回講義>
1.講義の内容について
皆さん、こんにちは。これから2回にわたり4時間ぐらい、おつきあいをしていただき
ます。
「読む」とはなにか
まず、皆さんに書いていただいた文章をそれぞれに読み上げてもらいます。
「読む」とい
うと、目で読むことだけを考えているひとが多いんですが、読むという作業には、目で読
むだけではなく、声を出して読むという側面があります。
「耳で読む」と、わたしはいいま
すけれども。それからもうひとつは「手で読む」こと、つまり書き写すんです。つまり読
むという作業は、自分の持っている五感をすべて使い切ることです。読むという行為は限
界がない、こうやってあらゆる手段を使って繰り返し読むことが、じつは翻訳の第一歩だ
と思います。そこを理解しなければ、次のステップにはいけません。まず自分の文章を声
を出して読むという行為を体験してみたいと思います。それから、ほかの方が読んでいる
のを耳で聞くという体験もしてみましょう。
翻訳の可能性について
二番目は、皆さんにテーマとして書いてもらった「翻訳の可能性」についての話をしま
す。Translatability という概念です。いま世界では「翻訳学」
(Translation Studies)とい
うひとつの学問分野が出来上がっています。この学問分野はとても新しいもので、1980 年
代ぐらいにそのかたちができてきました。いまではヨーロッパの大学を中心に数多くの講
座があります。日本ではまだ大学に講座はないようで、まだ認知度が低い状況です。その
なかのひとつの研究課題としてこの Translatability があるのですが、ここでは、そのさわ
りのお話をしたいと思います。
日本語の世界について
3 番目に、日本語の世界についてお話をします。皆さんは、英語の世界についてはかなり
勉強をされてきていると思います。英語の文法というものも学習して、また辞書も頻繁に
使っている。けれども、日本語の文法というものを学校できっちりと習ったという方は、
かなり少ないんじゃないでしょうか。もちろん日本語にも国文法と呼ばれるものがあるん
ですが、あれは日本語の文法としては正しくないと一部の学者が主張しているほどです。
3
翻訳の学び方
そのかわりに日本語文法というかたちで、かなり進んだ研究がされています。その理由は
というと、これも 1980 年代からなんですが、日本にどんどん外国人が入ってくるようにな
った。そこで彼らに日本語を教えなくてはならなくなりました。そのために日本語教育と
いうものが盛んになりました。そのときにまずは伝統的な国文法を使って教えたんですが、
どうもうまくいかなかったんですね。そこで日本語の教師のひとたちが中心となって、外
国人にもわかりやすい日本語の教え方、文法を考えようということで、日本語に構造に対
する新しいアプローチが始まったわけです。それがいま日本語文法というかたちになって
います。そういうことで日本語は、われわれが 50 年前に考えていたものと様変わりの研究
が進んでいるということです。これについてもほんのさわりだけご紹介します。
産業翻訳の世界について
最後に、産業翻訳の世界についてお話します。ここで皆さんは産業翻訳者 3 人に会うわ
けですが、ではいま、日本にはどのぐらいの数の産業翻訳者がいるんでしょうか。これは
統計がないんです。収入についても統計がない。では翻訳会社はいくつあるか。これも統
計がない。そうしたなかで、どういうふうに翻訳者なるものが暮らしているのかを知りた
いですね。これをお話したいと思います。
皆さんにこの 2 回の講義でなにを身につけていただきたいかというと、とくに翻訳力を
上げてもらおうとは思っていません。まあ実際、それは無理です。実力養成は準備科、基
礎科の目標になります。ここはあくまでイントロダクションの場ですね。ですから、まず
皆さんには翻訳という営みの全体像がみえるようになってほしいと思っています。
2.日本語のテキストを読む
お配りしたなかに皆さんの原稿がありますので、まずそれぞれに読みあげていきましょ
う。他の人は、それを聞いていてください。
「聞く」といいますが、これは「読む」という
行為ですよ。同じことです。そして頭を働かせてください。
一番大事なところを見つける
聞くにあたってのヒントをいいます。そのテキストの結論はどれですか。つまり、どの
文章が一番大事なところなのか、そしてそれがどこにでてくるのか、それを見つけてくだ
さい。また、そこにそれぞれの人がその結論に向かってどのようなアプローチをしている
のか、それも考えてください。音楽と一緒ですね。主旋律をどこに出すかということです。
ゆっくりと出してくるのもあれば、
「運命」のように最初から出してくるのもある。それぞ
4
翻訳の学び方
れですね。
さて、ではやりましょう。ではAさんからお願いします。
(読み上げる)
翻訳はどこまで可能か
翻訳とはある言語を、単に他言語に置き換える作業ではなく、それの意図すること
を正確に100%再現することであると考える。
従って翻訳にあたっては、まず原文を良く読み、噛み砕き、言わんとすることを十
分に把握し、理解することが第一の必須事項である。このためには、原文の背景にあ
る文化、慣習、現在の状況、環境などの理解、知識、洞察力などが不可欠となる。
原文の理解には,高い語学力が必要なのはいうまでもない。そして、その内容
を的確な他言語に置き換え、読みやすく表現するための幅広い語彙、そして、理
解しやすい平易な文章にする力が必要不可欠であることは言をまたない。
また、通常使用しない専門的な、耳慣れない用語、あるいは業界用語に遭遇し
た際に、効率良くその言語を調べ、理解し翻訳する能力も要求される。
翻訳が完了した後、さらに翻訳文を読み直し、推敲し、もれや誤訳が無いか、
全体の流れが無理なく自然で読みやすい文章であるかを、読む人の立場にたち最
終的に確認し翻訳を完成させる。
上記の能力を備えた翻訳者が、上記の方法で翻訳を行い完成させれば、ほぼ9
8%以上の完全とも言える翻訳が可能であると信ずる。
しかし、これから翻訳を学ぼうとする自分にとって以上の能力を身につけるこ
とは、至難の技のように思われ、どのようにしてこれらの技術を身につけるのか
途方にくれる思いである。一方、翻訳者となる方法は、着実に一歩一歩力をつけ
てゆくことであり、すべては、自分の努力にかかっていることを考えるとファイ
トが湧いてくる。
また、多くの翻訳を手がけ経験を積んでゆく過程で一つ一つ身につけてゆくこ
とで目標の98%完全な翻訳が可能になるのではないかと思う。
今回の「翻訳入門」コースで学ぶことにより、何らかの手がかりを得られると
信ずる。以上
Aさんはまず最初に翻訳の定義をしていますね。それからもう少し細かい翻訳について
の論を展開しながら、真ん中の「上記の能力を備えた翻訳者が、上記の方法で翻訳を行い
完成させれば、ほぼ98%以上の完全とも言える翻訳が可能であると信ずる」
、ここがAさ
んの主張ですね。98%の、つまりほぼ完全に近い翻訳というのは可能だ、というのがAさ
んの主張になっています。そのあとに個人的な感想が入ってきますね。そういうテキスト
の構造体をしています。主張は真ん中にありますが、最後にもう一度繰り返しています。
5
翻訳の学び方
さて皆さんの様子をみていると、聞いているんですか、読んでいるんですか。聞きなが
ら読んでいる――なるほど。 読むという行為を突き詰めると、そこらへんを意図的にやっ
たほうがいいと思います。たとえば、聞きながら読むというかたちでやるのもいいし、何
人分かについては目をつぶってみてはどうですか。つまりそのときは耳だけで聞いてみる。
すると、そのときの印象はどうですか。
目にいい文章、耳にいい文章
いい文章、悪い文章といったときに、目で読んでいいか悪いかということもありますが、
耳で聞いていいか悪いかということもある。そういったことを意図的にやってみるという
のも面白い訓練だと思います。そうすると今度は目で読むときに、なぜここで漢字を使っ
ているんだろう、なぜここに読点があるんだろう、なぜここに段落があるんだろう、とい
うことに注意が向きはじめます。たとえばAさんの文章は段落が非常に多い。なぜ段落が
多いんだろう、そういうことを考える。ではこの段落をとるとこの文章はもっとよくなる
のか、それとも悪くなるのか。そういうことを考える。読むというのはそういうところま
でを含むんですね。
次はBさん、お願いします。
(読み上げる)
「翻訳はどこまで可能か」
『翻訳は原文を裏切る事である。
』とも言われるが、必ずしもそうである必要はない。
原文とその作者の趣旨に添って、可能な限り原文に近く翻訳することは不可能ではな
いと考える。その為には、原文の意味を忠実に、そして作者の意図を十分に理解する
必要がある。従って、翻訳者の原文に対する解釈が非常に重要な位置を占めると思わ
れる。
では、翻訳者が自身の解釈を交えて原文を翻訳した場合、原文と比較してそれは翻
訳になるのであろうか。あるいは、原文を離れて翻訳が一人歩きをする事になるので
あろうか。原文と作者の関係を良く理解している場合には、行間にある雰囲気をも翻
訳することは、読み手がその原文を解釈する為に役立つ事もあろう。しかし、それが
程度を超えてしまうと、原文の翻訳ではなくなり、独立した一つの文章となってしま
う。それでは、全て直訳で良いのだろうかという疑問も残る。原文の意味を忠実に直
訳した場合、不自然な文章になる場合が多々ある。また反対に、自然な文章の流れに
固執して意訳すると、原文の持つ独自の雰囲気が損なわれてしまうことになる。従っ
て、原文と翻訳者の解釈との微妙かつ絶妙なバランスが、翻訳がどこまで可能である
かを左右するのではないだろうか。
また、翻訳を翻訳たらしめるには、やはり、原文を忠実に理解することが、翻訳を
する為の正しい解釈に繋がると考えられる。原文を十分に理解することにより、翻訳
6
翻訳の学び方
者の解釈と原文とのバランスが翻訳文の中できちんと生かされるであろう。そして、
翻訳が翻訳文である為に重要な事は、原文の持つ独自性を壊さないように翻訳する事
である。まず原文があってこそ翻訳が生まれる。原文に添った解釈から翻訳をすると
いうことである。つまり、
『翻訳がどこまで可能であるか』という事は、すなわち、あ
くまでも『原文を超えない所まで』ということになるのではないだろうか。
Bさんの主張は最初の「原文とその作者の趣旨に添って、可能な限り原文に近く翻訳す
ることは不可能ではないと考える」に出ています。そして最後の部分「
『翻訳がどこまで可
能であるか』という事は、すなわち、あくまでも『原文を超えない所まで』ということに
なるのではないだろうか」で繰り返しになっています。そのあいだにさまざまな論を展開
しているというのが、Bさんのテキストの組み立てですね。
話し言葉と書き言葉
面白いのは「であろう」
「であろうか」という言葉づかいをしているところです。これは
なぜかというと、書き言葉を意識したからですね。ですから、読み上げる際には少し違和
感があったかと思います。
「翻訳を翻訳たらしめるには」という表現もあります。これも書
き言葉を意識したんですね。書き言葉を意識するという特徴がここに典型的に出ています。
このように書き言葉を意識すべきかどうか、それもよい文章とは何かを考える際のひと
つのポイントになると思います。個人的にいえば、わたしは書き言葉をあまり意識する必
要はないと思います。読み上げていい文章が書き言葉としてもよい文章だと考えています。
もちろんこれとは別の意見のひともいますよ。
それからまったく別の点を指摘しておきますが、「思われる」「考えられる」という表現
がここに出てきますが、これは英語の「受身」ではありません。よくこれを受身なので曖
昧だという人がいますが、そうではありません。これは新しい日本語文法の話になります
が、日本語の「れる」
「られる」は英語の受身形とはかなり異なるものであることを覚えて
おいてください。
それではCさん、お願いします。
(読み上げる)
「翻訳はどこまで可能か」
翻訳とは、ある言語で書かれた内容(以下、原文)をそのままでは理解できない人たち
(以下、受信側)が理解できるようにする作業である。そして、この橋渡し的役割の限界
は、原文の内容とは異なってしまう可能性を持つことだろうか。しかし、このプロセ
スがあるからこそ新しい価値を提供できる可能性もまたあるのである。
原文どおりに「言葉を当てはめ」ようとすると、対応する言葉がない場合がありう
る。それは、各言語が土地や歴史と深く関係するものであり、全く違う背景の下で培
7
翻訳の学び方
われた別の言語同士が一対一に対応するとは限らないからである。これは単語レベル
から表現方法・ものの捉え方に至るまで、全てにおいて言えることであり、このこと
が翻訳の限界の一つとなり得る。つまり、受信側にない表現や単語をすでにあるもの
を駆使して説明すると、限りなく等しい意味であっても伝えきれない場合も考えられ
るのである。
上記のような場合を含めて、原文どおりにただ「言葉を当てはめる」だけでは受信
側にうまく伝わらないこともあるため、翻訳の段階である程度の「言い換え」が必要
となる場合がある。
「言葉を当てはめる」ということが「直訳」とすると、「言い換え」
とは「特有の言い回しや表現を含めて原文の内容を理解し、受信側が理解できる表現
で原文を再現すること」だろうか。原文の内容が欠けることなく、また原文にない新
たな情報を初めから存在していたかのように付加することなく、試行錯誤する必要が
あるだろう。しかし、これは原文が一度解釈されることを意味し、このことも翻訳の
限界の一つとなり得ると考えるのである。ここでの解釈を間違うと、再現されたもの
は原文とは大きく異なってしまうからである。
しかし、上記のような限界はあるものの、再現されたものが受信側に受け入れられ
れば、原文以上に影響力を持つ場合もある。そのため、翻訳ステップの出来次第で、
受信側にはそれまで存在しなかった単語や表現が生み出され、それらが新しく定着し
ていく可能性もあるのだ。
Cさんの主張は「新しい価値を提供できる可能性もまたある」というところですね。こ
れは前のお二人とは違う新しい視点です。翻訳というものを“限界”からみるのではなく、
“可能性”からみています。限界を認識しつつも、しかも翻訳という営みに新しい可能性
をみる、つまり原文を超える可能性がある、という主張です。それが最初に主張されて、
最後のパラグラフでもう一度繰り返されています。そういうテキスト構造ですね。
読点の使い方
Cさんのテキストの特徴のひとつは、読点の使い方がうまいところですね。皆さんも参
考にされるとよいと思います。読点の使い方は、文章を書き慣れているか、書き慣れてい
ないかの大きな判断材料になります。原則的なことをいうと、読点を多すぎる人はやはり
書き慣れていないということですね。読点とは息継ぎなんです。意味の区切りという意味
もあるんですが、それ以上に息継ぎの意味が大きい。読点が多いというのは、つまりは息
切れしているということなんです。なぜかというと、じつはものを書いているときという
のは、緊張してほとんど息を詰めているんですね。だからそのうちにハーっとなって、て
ん、と打っちゃう。面白いものです。だから長い文章を書いていると、だんだんと読点の
数が多くなったりします。このぐらい読点を少なく書けるというのは、Cさんはかなり書
き慣れているのかなという気がしました。
8
翻訳の学び方
ではDさん、お願いします。
(読み上げる)
翻訳はどこまで可能か。
(質問の意味が少し不明でしたが、どこまで可能か、という
意味を原文にどこまで忠実に訳することができるかというように理解をしてまとめま
した)
。
一口に翻訳と言っても、翻訳をするもとになる文章には話す言葉と同様に、さまざ
まな種類があるが、大きく分けて、物の取扱い説明書、契約書、新聞雑誌等の記事、
政治、経済関連文書等のノンフィクションの分類に属するものと、小説を代表するフ
ィクションの分野の二種類ということになる。翻訳する場合に翻訳者による影響が大
きいのはフィクションでは当然のことだが、ノンフィクションにおいても例えばエッ
セイや雑誌記事であっても、それを書いている人間の意向が内容に含まれて要る場合、
翻訳という作業における翻訳者の影響が多かれ少なかれでてくるのは同じである。世
の中には何百という種類の言語があるということだが、どの国の人間であれ、生活の
営みというものは基本的にさほど違いがあるわけではなく、よって書かれている文章
もどの分野においても、国や言語によって大きな違いというものはないはずだと考え
る。
ここでは「翻訳」ということで文章を別の言語に置き換えるという作業だけに焦点
をあわせるが、その国一つ一つの文化というものが、ものの言い方や書き方に大きな
影響を与えていることは決して忘れてはいけない大きな要素である。要するに、別の
言葉をもつ国の考え方やものの言い回しなど(すなわち文化ということになるが)を
どこまで理解しているか、ということが、別の言葉に置き換える場合、限りなく原文
に近い翻訳をするための大きな手がかりになると考えている。
中学生になって、初めて英語を習い始めたころだったと思うが、駅の階段で英語と
日本語の二つの言葉で書かれたサインに目がとまったことがあった。日本語では「右
側通行をお願いいたします」と書かれてあったものが、英語では「Keep right」とのみ
書かれており、
「そんな簡単な書き方になるのか」と妙に感心した記憶がある。考えて
みれば、このような簡単な標示のようなものであっても、ここには日本独特の丁寧な
言い回しと、英米系の簡潔なものの言いようとの文化的違いが現れている一つの例に
なる。
どこまで翻訳は可能か。同じ人間が日々の生活の上で似たようなことをただ単に違
う言葉で発しているだけであるはずだから、限りなく近い翻訳は基本的には可能だと
思う。ただ、どのような文章であってもその言葉を持つ文化のエッセンスを加えるか
どうかがしっくりいくためのキーになるのではないか。そして忘れてはいけないのは、
どの国の言葉であっても言葉はどんどん変化していく、ということであると思う。そ
9
翻訳の学び方
こに生きている人間のその時々の感覚が、話し言葉だけではなく、書き言葉をも変え
ていくので、そのような文章を、またさらに翻訳する言語サイドの感覚にも合わせて
いくことが原文に近い翻訳を可能にするために大切だと考えている。以上
どうですか、だんだんと読めてきましたか、皆さん。Dさんの主張は最後のほうですね。
「同じ人間が日々の生活の上で似たようなことをただ単に違う言葉で発しているだけであ
るはずだから、限りなく近い翻訳は基本的には可能だ」が主張ですね。最初、翻訳の説明
から入ります。ですからDさんのやりかたは徐々に盛り上げていくタイプです。Dさんも
読点をうまく使っていると思います。それからこれはDさんの特徴ですが、一文が長いで
すね。「~だが」「~なので」「~だから」といった表現をかなり多く使っているからです。
これは句点で切ることもできるところです。
「~だ。だから」というかたちです。息の長い
文章です。こういう文章もありますし、短い文章を積み重ねる、新聞のような文章もあり
ます。どちらがいいということではなく、どちらも文章です。
レイアウトの重要性
レイアウトの重要性
それからレイアウトについていいますが、Dさんのテキストは行間が1行空きで、それ
で一行に 40 字ぐらい入っているんです。そのために全体が非常に詰まった感じがします。
この「詰まった感じ」というのは、2つの意味があります。
「非常に密な」というプラスの
イメージと、逆に「読みにくい」というマイナスのイマージです。読んでもらおうと思う
と、行間をもう少し広げて一行の文字数をもう少し少なくすると読みやすくなると思いま
す。たったそれだけのことなんですが、それでとても読みやすくなる。レイアウトは理解
に大きな影響を与えます。このことは覚えておいたほうがいいと思います。
次はEさんですね、お願いします。
(読み上げる)
翻訳はどこまで可能か
地球全体のグローバル化が叫ばれる今日、私達を取り巻く生活環境も一昔前とは異
ってきている。今ではちょっとした規模の書店であれば、多種多様な外国語書籍も簡
単に購入する事が出来る。原書は勿論、その和訳も書店に所狭しと並べられており、
ロングセラー小説などは、時代の流れてと共に複数の翻訳家に訳され、それぞれが読
者に愛読されている。
数多くの翻訳家に今も尚、訳され続けている私の愛読書に、L.M.モンゴメリーの「赤
毛のアン」がある。
「赤毛のアン」の訳と言えば、村岡花子氏が真っ先に思い浮かぶ。
本の舞台であるプリンス・エドワード島(P.E.I)や、カナダと言う国、文化にも非常
に興味を持ったのを覚えている。ところが、この「赤毛のアン」に原書を通して巡り
会えた日本人の数は少ないと考えられる。原書の美しい風景描写、魅力的なセリフま
10
翻訳の学び方
わしが忠実に和訳されているか、文化、言葉の異なる国で書かれた小説を、日本人に
しかない思考回路のもと違和感なく訳す事で、翻訳が単なる言葉の移し替え作業の域
を超え、異文化への架け橋になり、
「赤毛のアン」が日本中の人々に愛読されるまでに
なったと思う。多くの日本人観光客が日々カナダを訪れ、国内では P.E.I.や「赤毛のア
ン」に関する協会、団体、愛好会等が数多く存在する事を考えると、村岡氏は単なる
翻訳家ではなく、異文化コミュニケーターの代表者と言える。つまり、翻訳を単なる
翻訳で終わらせない、その「作業」に奥深さを持たせるのは、翻訳家次第ではないか
と思う。
翻訳=言語変換と言うと、
「言葉を扱う」イメージが強いかと思うが、前述の村岡
氏の「赤毛のアン」にある様に、翻訳は言葉の表面をなぞるだけではなく、自身の仕
事への取り組み方で、翻訳の幅が狭くも広くもなるものだと思う。翻訳作業には探究
心が欠かせない。原書を忠実に訳す為の探究心、翻訳作業そのものを向上させる為の
探究心など、探究心にも色々あるが、その探究心が翻訳の可能性を無限にする。翻訳
の可能性は自ら切り開くものであると考える。以上
Eさんの主張も「翻訳のもつ新たな可能性」というものですね。異文化コミュニケーシ
ョンがテーマの中心となっています。具体例が出てきていますが、このように具体例を出
すというのもよくやる方法です。流れとしては徐々に結論に向かって流れていくという構
成をしています。
思考のつながり
ただ最後のパラグラフは少し疲れたかなという感がありまして、思考がジャンプしてい
ます。うまくつながらないんですね。こういう「思考のジャンプ感」というのは、あまり
つくらないほうがいい。
「トピック・ストリングス」という用語があります。トピックがス
トリングス、つまり糸のようにつながってくれないと駄目なんです。途中で違うトピック
が入ってくると、人間は思考が混乱してしまう、糸がまぎれてしまうんですね。ただし文
学なんかはそれを意図的に使います。糸を4本ぐらい同時に流しておく、物語を4つ同時
に流しておくんですね。そういうふうな文章もありますが、ただそれはきわめて芸術的な
ものですから、普通の文章ではそうしたことはしないほうがいい。やはり糸は一本がいい
のです。とくにこういった論文はそうです。
漢字かひらがなか
ひとつ新たなことをいえば、表記のことです。漢字か、それともひらがなか、これを考
えると面白い。3行目に「出来る」とありますが、これをなぜ漢字にするのか。
「勿論」と
あるが、これをなぜ漢字にするのか。
「今も尚」の「尚」も漢字になっていますね。これを
11
翻訳の学び方
漢字にするかしないかの意識です。もちろん(勿論)
、してもいいんですよ。でもその際に
は、なぜ漢字にしたのかという理屈付けがあったほうがいいですね。個人的には、わたし
は原則的に和語は漢字にしないほうがいいと思っています。
「できる」などの和語系はなる
べく漢字にせずに、漢語系、つまり音訓でいえば音読みのほうは漢字を使う。そうすると
読みやすくなると思います。たとえば「購入する事」とありますが、わたしだったら「購
入すること」とひらがなにします。なぜかというと漢字には複数の読み方がある。それな
のに、わざわざ漢字にする必要性がどこにあるのか、ということです。ただし偉そうにみ
せたいようなときには、わざと漢字を使います。お役所に出すときとかですね。しかしこ
のごろはお役所もかなりくだけてきていて、漢字を少なくしても大丈夫です。たとえばい
まの経済白書などは漢字がかなり少なくなっている。逆に一般の人たちの書くものに漢字
がやたらと多くなっている。なぜかというと、みんなワープロを使うからですね。この 20
年ぐらいで日本語のテキストには圧倒的に漢字が増えました。若い人たちほど漢字を使い
たがるようです。これはひとつはワープロのせいだと思います。
このEさんのテキストは、この主題に関してとてもよく考えた跡がみえます。よく考え
た「跡がみえる」といいましたが、じつはそういったものは、みえてくるものなんですね。
たとえば授業で皆さんから出していただいた訳文をみていると、何時間ぐらいかけたかと
か、どのくらいわかっているかとかはすぐにわかりますよ。ええ、わかるものなんです。
ではFさん、お願いします。
(読み上げる)
「翻訳はどこまで可能か」
どんな文章においても、完璧な翻訳というものは存在しない。しかし、
「限りなく
完璧に近い」翻訳をすることはできる。翻訳はどこまで可能なのか、自分の体験をも
とに考えてみたい。
私はアメリカに滞在した経験がある。渡米してすぐは英語の文章を聞くと日本語
に訳して理解し、自分の言いたいことは日本語から英語に変えるという作業を常に頭
の中で行っていた。だが、だんだん慣れるにつれて、頭の中に「英語で考えるモード」
ができてきた。つまり、英語は英語のまま理解し、そのまま英語で返答できるように
なったのだ。これは、英語だけを使って暮らすにはとても便利で楽な方法だった。し
かし、その方法を身につけるようになって考えたことがある。それは、完璧な翻訳な
どできないのではないか、ということだ。これは二つのできごとがきっかけになって
いる。
一つ目のきっかけは、高校の壁に貼ってあった、松尾芭蕉か誰かの俳句を英訳し
たポスターだ。五七五などであるはずもなく、まるで違う作品のようになっていた。
横に並んだ日本語の俳句と比べて、果たしてこれは「英語版」俳句といえるのだろう
か、考えてしまった。確かに意味は伝わっているかもしれないが、もとのことばから
12
翻訳の学び方
にじみ出ている背景や雰囲気はまったく異なったものになってしまうからだ。
また、テレビでなにかの授賞式を字幕つきで放送していたときにも、同じような
違和感を感じた。司会の人がアメリカの会社の商品名を使ったジョークを言っていた
のだが、字幕では固有名詞を出さずに訳されていた。その商品のことを知っているア
メリカ人にとっては面白いジョークだったかもしれないが、知らない人にはいまいち
理解できなかったと思う。たとえ商品名を出したとしても、おかしくもなんともなか
っただろう。
このようなきっかけがあり、完璧な翻訳など到底できないのではないかと考えるよ
うになった。いくら一語一語ていねいに訳していったとしても、すべてが伝わるわけ
ではない。背景がわからないと理解できないこともある。かといって、余計な説明を
入れても俳句の美しさは崩れてしまうし、ジョークの面白みは薄れてしまうだけだ。
完璧に翻訳できないものをどんなふうに訳し、伝えればいいのか。それが翻訳をす
る者の腕の見せどころだと思う。極端な逐語訳だと、訳した文章がことばとして成り
立たなくなってしまうかもしれない。まったくの意訳だと、本文とかけ離れてしまう
可能性もある。両者のあいだでうまくバランスを取り、より完璧な翻訳に近づけてい
くことで、
「限りなく完璧に近い」翻訳ができるのではないだろうか。
Fさんのテキストの特徴は、話し言葉に近いということですね。たとえば、真ん中あた
りの「果たしてこれは「英語版」俳句といえるのだろうか、考えてしまった」などですね。
それから「知らない人にはいまいち理解できなかったと思う」
、これなんかも話し言葉系で
すね。話し言葉系で書いているものですから、単語の選び方がかなり和語系、つまりやわ
らかい言葉で書いています。他の何人かの書き言葉で書いた人のものとは対照的なものと
なっています。何回もいいますが、これはいい悪いじゃないですよ。そういうものだとい
う特徴です。
フォーマルかカジュアルか
さらに思考の方法が、どちらかといえば自分に引き寄せて自分の体験に沿ってものを考
えるという特徴があります。ただそのために主張のコアというものが少しぶれている気が
します。いま思考の最中という感じがしますね。基本的には最初の「しかし、
「限りなく完
璧に近い」翻訳をすることはできる」というのが主張でしょうが、その主張が真ん中で少
しブレながら、また戻っていくというテキスト構造になっています。
こういう文章を、わたしは好きです。でも、産業翻訳としては、これはちょっと問題が
ある。そこを覚えておけばいいですね。産業翻訳というのは、どちらかといえばフォーマ
ルスーツを着た世界です。あんまり、Tシャツとジーンズ姿は向かないんですね。
ようするに、かちっとしたスーツもラフなジーンズも両方とも着こなせればいいのだと
思います。産業翻訳者のなかには、フォーマルスーツしかもっていないような人もいます。
13
翻訳の学び方
そういう人に対しては、もう少し遊んだら、とも思いますね。ただ、もしFさんが産業翻
訳者を目指すとすれば、もう少しかちっとした文体をもつことも必要ですね。
ではGさん、お願いします。
(読み上げる)
「翻訳はどこまで可能か」
100%の理解を目指してはいるけれど、意訳をしたところで文化・歴史・背景の
異なる国の人の言葉が表現したいものを完全に理解するというのは無理であると考え
ます。
翻訳というのは、異なる国の言葉を異なる国の言語に直して、その国の人間に理解
させようとするので、平たく言えば、勿論、
“これは林檎です。
”や、
“これはあなたの
ペンですか?”というものは意訳することなく、ほぼ100%翻訳できるといえると
思います。が、人間の想像力が生み出す文章というのは、そう単純なものではありま
せん。読者、或いは聴衆に最も訴えたいある事柄を印象付けるために、他の言葉を用
いて、または遠回りして説明したり、歴史的見地から何か具体例を挙げ、更なる理解
を期待したりと、ダイレクトに意見するよりも効果がある場合もあるものです。但し、
これは例えば通常の文章に対しての意見です。
では、他に最も困難を極めると思われるものとして挙げられるものは何か、と聞か
れれば、やはり日本の俳句である気がしてならないのです。意味は伝えられても日本
で長く生活をしていないと、このよさは伝わりませんし、日本語の響きの美しさの話
にまで発展してしまい、翻訳の域を逸脱してしまうと思いますが。
しかし、これを本業としている人々がおそらく感じているであろうことをあえて言
うならば、この困難さこそ翻訳の醍醐味であり、いつまでも続くかもしれない、しか
し答えはすぐに出ないとも限らないものだからこそ、克服しようとチャレンジし続け
られるのでないかと思います。
読んでもうお気づきでしょうが、Gさんのテキストは話し言葉調ですね。結論は「100%
伝えるのは無理である」
、これが最初に出ています。それからその理由を示して、それから
具体例を示して、最後に個人的感想を述べる、というパターンです。話し言葉調ですから、
当然「ですます」体を選んだのだと思います。
統一ルールのない日本語表記
統一ルールのない日本語表記
今までいってきたことでいえば、どこで漢字を使い、どこでひらがなと使うかというこ
とがありますね。またダブルクオーテーションを使っています。これも表記法ということ
になりますが、日本語でダブルクォーテーションを使うということはあまりありません。
どちらかというと括弧を使ってください。いまではダブルクオーテーションマークもかな
14
翻訳の学び方
り使うようになりましたが、それでも全体的には少ないですね。たとえばですが、クオー
テーションマークは縦書きにすると使えなくなるんですよ。そういうこともあるので、基
本的には括弧のほうがいいと思います。
表記法に関しては、日本語にはまだ統一されたルールというものが、じつはありません。
新聞社とか通信社とか出版社とかが、それぞれにルールを決めています。たとえば共同通
信という日本中にニュースを配っている通信社は「共同通信記者ハンドブック」というル
ールブックを持っています。これが新聞記者のあいだでのデファクトなスタンダードにな
っています。ただし、新聞記者のあいだの、ですよ。いっぽう出版系では、講談社には講
談社の、その他の出版社にはそれなりのルールブックがあって、それぞれにかなり中身が
違います。
ほかの方の書いたテキストを聞いていてどう感じましたか。これも読む方法のひとつで
すね。あらゆる方面から丁寧に読んでいく、それが大事なことだと思います。
2.人がわかりあうということ
ここからは講義に入ります。ここで翻訳の可能性を考えようとする場合、まずその前に
考えなければならないことがあると思います。つまり、人と人とのコミュニケーションそ
のものの可能性です。
<板書>
翻訳の可能性(Translatability)について
人と人の言葉によるコミュニケーションそのものの可能性について
言葉によるコミュニケーションとは
翻訳を考える前に、まずわたしたちは、言葉を通じての人と人とのコミュニケーション
の可能性を考えていかなければなりません。翻訳というものは「日本語と英語という言葉
の体系が違うなかで、はたして人は通じあえるのかどうか」
、それがテーマなんですが、し
かし考えみれば、同じ日本語を使っていても人は通じあえるのかということを、まず考え
なければならないのではないでしょうか。
いま、私はこうやって皆さんに向かって話している。わたしは、皆さんに私の考えを通
じさせるつもりで話しているんですが、100%はおそらく通じていないですね。皆さんにも
15
翻訳の学び方
「わかってもらえない」と思うときが、きっとあると思います。あるいは「あの人のいう
ことはわからない」
「言葉としてはわかるが、いったい何をいっているのかわからない」と
いうこともあるでしょう。そもそも言葉ではこれは伝わらないんだ、と思うときはありま
せんか。この気持ちは言葉には乗せられないと思うときですね。こんなときには「とても
言葉では言い尽くせません」という“言葉”で表現します。こうして人と人とのコミュニ
ケーションは言葉を通じてでは 100%は無理なのではないか、という考え方がでてきます。
翻訳となると、それはなにしろ書き言葉ですから、さらにその限界がみえてくる。
言葉と思考の可能性について
さらにいえば、考えてみると自分は自分で考えていることを本当にわかっているんだろ
うか、というところまでさかのぼることができます。
<板書>
翻訳の可能性(Translatability)について
人と人の言葉によるコミュニケーションそのものの可能性について
言葉と思考の可能性について
私がいましゃべっていることは、私がいま考えていることをすべて言葉に乗せきれてい
るのだろうか、ということです。これはコミュニケーション以前の問題ですね。自分が自
分であること、つまりそこの可能性さえも疑うことができるのです。こうしてさかのぼっ
てしまえば、自分って一体なんだろうというところまでいってしまいますね。しかしそれ
を突き詰めて考えるのは、哲学の教室の仕事です。ここは翻訳の教室ですから、それはし
ませんが、しかし翻訳の可能性を考える際には、少なくともそうしたことまで視野に入れ
ておくべきだと、わたしは思います。
翻訳とは何か
では翻訳というものは、一体どうやってやるべきなのでしょうか。たとえば、こういう
考えがあります。
16
翻訳の学び方
<板書>
ことば(英語)の
..
意味
ことば(日本語)
..
の意味
翻訳
ここにテキストというものがあって、そこには「意味」が詰まっている。ただし、それ
は英語である。それを同じ「意味」の詰まった日本語のテキストへと置き換える。つまり、
単語には「意味」がある、
「Desk」には Desk の意味がある、だからそれを「机」と置き換
える。同じように「Chair」は「椅子」と置き換える。これが翻訳だ、という考え方ですね。
こういうふうなことばの「置き換え型」の考え方、これを翻訳だと考える人がいますが、
(板書のうえに×をつける)
、これは絶対だめです。
<板書>
ことば(英語)の
..
意味
ことば(日本語)
..
の意味
翻訳
これは翻訳ではありません。なぜかというと、ここには“人間”が抜けている。言葉と
いうものを、人間から切り離してなにかの実体にようにみるという考え方は、だめです。
言葉は、人間が発するものです。だからまず、人間がいるんです。ところがここには、人
間がいない。
まず、人間を出しましょう。人間のかわりに “心”ということでもいいです。
17
翻訳の学び方
<板書>
作者
人(心)A
テキストXa
テキストXa
テキストXa
(英語)
読者/翻訳者
人(心)B
読む
→意味をつ
くりだす
まず原作者を、
「人(心)A」としましょう。この人が、なにかものを考えて、「テキス
トX」をつくります。この人は、たまたま母語が英語なんですね。だからテキストは、英
語でつくります。
ただしこのテキストは「Xa」であり、じつはこの「Xa」の向こうには、
「Xb」
「Xc」
「X
d」……という無数の別バージョンがあるはずです。皆さんが書いたものでも、何回も書き
直しましたよね。皆さんが出してくれたのは、その最終バージョンでしょう。それが「Xa」
です。
さてそれを、読者である「人B」が読みます。我々がいま考察しているこの場合、この
読者は「翻訳者」でもあります。つまり翻訳者とは、まず第一に読者なんです。
、
では「読む」とはなんでしょうか。読むとは、この原作テキストに詰まった「意味を取
、、、、、、
、、
、、、
り出してくる」ということではないんですね。読むというのは、みずから「意味をつくり
、、、、、
だしていく」ことなんです。このテキストのなかには、なにか「人A」のいいたいことが
入っているんですが、しかし「読む」といった瞬間、それは「人B」の話になります。そ
こから何を読み取るのか、何を汲み取るのか、それはすべてこの「人B」にかかっている。
なによりも、
「人B」の問題なんです。
そして「人B」がテキスト「Xa」を読んで自分なりに意味をつくりだした結果、彼はた
またま翻訳者ですから、つぎに、テキスト「Ya」をつくります。この人は、たまたま日本
人なんですね。ですから、読者として読む際にはすべて英語で理解しているんですが、作
者として書く際には今度は日本語で表現します。ここが大事です。翻訳者とはつまり、読
者としてはあくまで英語の人間、そして作者としてはあくまで日本語の人間なんです。
18
翻訳の学び方
<板書>
作者
人(心)A
読み手/作者
↓
翻訳者
テキストXa
テキストXa
テキストXa
(英語)
人(心)B
読む
→意味をつ
くりだす
(英語)
書く
→意味を
つくりだす
(日本語)
テキストXa
テキストXa
テキストYa
(日本語)
もちろんこれにも「Yb」
「Yc」……と、無数の別バージョンがあります。
そして、翻訳者という名の読者/作者がつくったこのテキスト「Ya」を、今度は純粋な
「読者」である「人C」が読むんです。
19
翻訳の学び方
<板書>
作者
人(心)A
読者/作者
↓
翻訳者
テキストXa
テキストXa
テキストXa
(英語)
人(心)B
読む
→意味を
つ くり だす
(英語)
書く
→意味を
つ くり だす
(日本語)
テキストXa
テキストXa
テキストYa
(日本語)
読者
人(心)B
読む
→意味を
つ くり だす
(日本語)
これが、翻訳です。そこには、3人の「人間」がつねにからんでいます。そしてそのそ
れぞれが与えれらたテキストから「意味」をつくりだすことで、お互いにコミュニケーシ
ョンをするのです。
つまり翻訳者とは何かというと、それは読者であり、かつ作者である存在です。このA
という人物の心を自分の心のなかに自分なりに再構成して、そして今度は自分の心の表現
として紡ぎだし、最終読者であるCにそれを伝えていく、そういう存在です。このように
して、作者の心、読者の心、この2つの心をなんとかつなごうとする人、それが翻訳者で
す。
この考え方からいえば、翻訳というものは、翻訳をする人の数だけあることになる。た
とえば『不思議の国のアリス』というルイス・キャロルという人がつくったテキストがあ
ります。それを読み手が読み、そしてその心を感じる。感じて新しいテキストにする。そ
のとき、一人一人のテキストはそれぞれに違うはずです。実際、いまアリスは三桁もの翻
20
翻訳の学び方
訳が出ているそうです。
つまり、これが正解だというものは、翻訳にはない、だから面白い、そして怖いのです。
ことばは普遍的か
もう少し広いことを述べておきます。人間と言葉との関係を考える際の2つの基本的な
考え方をご紹介します。
<板書>
サピア=ウォーフの仮説 → 「心」は「言葉」に縛られる。
チョムスキーの仮説
→ 「心」が「言葉」を生み出す。
ひとつは「サピア=ウォーフの仮説」とよばれるものです。サピアとウォーフは学者の
名前です。この 2 人の学者がこういう仮説を唱えました。人間の思考というのは、じつは
それぞれの言語によって規定されているのではないか、と。つまり、わたしたちが日本語
、、、
を使って思考しているのではなくて、日本語がわたしたちを思考させているのではないか、
ということです。
たとえば、世界中の言語のなかで、虹の色数に対する識別数は、二色から八色まで分か
れる。虹を二色でしか表すことのできない言語があるいっぽうで、八色で表す言語もある。
そうすると、二色で表す言語の人の虹の見え方と、八色で表す言語の人の虹の見え方は違
うんじゃないか、という考え方です。それからエスキモーは雪を数十種類に言い方で分け
るそうですが、日本人は魚をじつに細かく分けますね。日本語と英語でも、日本語では「米」
と「稲」は違います。わたしたちは稲は食べないが、米は食べる。英語にはこうした区別
はない。そのかわりに、わたしたちは子どもと大人の羊は分けない。指にしても、日本語
は五本ともに平等ですが、英語では親指だけが別格です。
そういうふうに、じつはわたしたちは、それぞれが持っている母語の枠組みのなかでし
かものを考えられないのではないか、という発想です。このようにわたしたちの生きてい
る世界は「母語の世界」である、というのが、このサピア・ウォーフの考え方です。
とすると、いったい翻訳という行為は、どうなるのか。これは、本質的にできない、と
いうことになります。
それに対して、チョムスキーという学者がこんなことをいっています。人間には頭のな
かに言語に関するDNAがある――まあDNAという具体的なものではないんですが――
つまり言語能力を“生得”的に持っている、という言い方をするんです。わたしたちがな
ぜ言葉を使えるかというと、ちょうど本能によって立ち上がるように、言語を自然と覚え
ていくものである。とすると、そこには人類共通の言葉の本能というものがあるはずであ
21
翻訳の学び方
る。そして、それはある普遍的な構造を持っているはずであり、それを生成文法とよぼう
と、チョムスキーはいいます。
そうすると、人類はそれぞれの言葉を使っているのではなくて、ある共通の構造、メタ
言語をもっている。それを、いろいろなかたちにして出しているにすぎない。
すると、翻訳は本質的に可能ですね。なにしろ根っこが一緒なんですから。ですから、
日本語と英語も、さかのぼって根っこにいけば同じものになる。翻訳という行為は、その
ルートを見つける行為、ということになります。
この2つの考え方が両極のものとしてあります。そして、どちらにも支持するひともい
れば、支持しないひともいます。では、わたしはどう思うかというと、わたしは、まあこ
こらへん(真ん中から少しサピアより)ですかね。こっち(生成文法)ではないです。言
葉が普遍といわれてもどうも信じられないですね、そういわれてもなあ、という感じがし
ます。
でも、サピア・ウォーフの仮説のように、なにもかもが母語に縛られているといわれる
と、たしかにある程度の影響はあるんでしょうが、全部が全部といわれると、それもどう
かな、と思います。そんなふうに、
“弱い”サピア・ウォーフの仮説を支持するという学者
たちもいまして、この人たちが認知言語学という学派をつくっています。わたしはいま、
ある程度ですが、この立場を支持しているところです1。
翻訳にからめていえば、チョムスキーの仮説を支持している人々が何をしてきたかとい
うと、これはもうおわかりのことだと思います。コンピュータ翻訳のプログラムをつくっ
ているのです。当然ですね、そういう普遍規則があると信じているんだから。これが 1970
年代からの機械翻訳論のひとつの理論基盤となってきました2。
これができるといいですね。翻訳者も通訳者もなにもかもすべていらなくなります。こ
んな翻訳講座もいらないですね。わたしが若い頃、1970 年代には本当にそういわれていま
した。21 世紀には翻訳業というものはなくなると、みんなが真面目にいっていました。わ
たしも若かったので、そうだな、翻訳業みたいな先のない商売をやっていては駄目だな、
と本気で思った覚えがあります。
といっても、翻訳なんかできっこない、という考え方には組しないですね。なぜかとい
うと、現実にできていますからね。もちろん 100%ではないかも知れませんが、でもじゃあ
翻訳は全部うそだといわれてしまうと、これは立つ瀬がないです。ある程度はできている
と、わたしは思っているんです。つまりコミュニケーションはとれているはず、というこ
とです。
たしかに、通じないよなあ、と思うこともあります。でも、これは日本人同士でもあり
ますからね。そこを一緒くたにしないほうがいいんじゃないか、というのがわたしの考え
です。
1
2
ただし翻訳論に言語学をむやみと持ち込むことは、わたしは反対です。
いまはコーパスを利用した方法がコンピュータ翻訳では主流となっています。
22
翻訳の学び方
職人かエンジニアか
まあ翻訳者というのは、ダンサーとか役者とかに近い商売なんですよ。それに、ちょっ
と伝統芸能的なところもあります。だからできれば、誰かお師匠さんにつくというのはい
いかも知れない。
それだから、大量生産の効かないところがある。大量生産が効くのは、機械翻訳の世界
ですね。わたしは「翻訳エンジニアの世界」とよんでいます。そこを目指す人たちもいま
す。
「安い、うまい、速い」がいいいらしいです。とてもエンジニア的な発想ですね。なん
か吉野家みたいだ。でもまあ、とにかく効率的にやりたい、ということなんでしょう。気
持ちは、わかります。
でも、わたしは職人ですから、
「効率」という言葉が大嫌いなんです。職人が効率を考え
たらそこでおしまい、とも考えています。翻訳なんて、たかが文字のかたまりじゃないで
すか。キーボードのうえに猫をのせても、文字なんか出てきますよ。いい加減にやろうと
思えば、限りなくいい加減にできます。
この前ですが、NHKの「プロフェッショナル」という番組で、日本有数のケーキ職人
の方のドキュメントをやっていました。その方は「当たり前のことを積み重ねると、特別
になる」という言い方をするんですよ。その人も何も特別なことはしていないんですね。
“秘
伝”みたいなことは何もないんです。でも、ひとつひとつのプロセスを 100%完璧にこなし
て、それをしっかりと積み重ねていくと、どこにもない特別な素晴らしいケーキになる、
とおっしゃるわけです。わたしはその言葉に、とても感銘を受けました
当たり前のことを、手を抜かないで積み重ねればいいんです。効率を考えるとか、楽を
しようとか、思った瞬間に、職人は終わりですよ。どこの世界の一緒だなあと思います。
たぶん、洋服の世界も同じですよね。型紙つくって適当にやれば洋服になるんですよね、
たぶん。そうすると、スーツなんかも 9,800 円かなんかで買えるわけです。でも、仕立て
に出すと 20 万ぐらいはかかります。同じかたちをしているようにみえるじゃないですか。
でも、もちろん違うんですね。
この仕立てのスーツが、職人の世界です。違いは、着ればわかりますよ。みているだけ
ではわからないけど。着てみると、こんなに違うのか!と思います。どんな職人の世界で
も同じでしょうが、遠くからみているだけではなかなかわからない。でも、触れてみたり
使ってみたりすると、歴然と差がでます。
皆さんは、できれば職人の世界から入ったほうがいいと思います。効率の世界から入っ
てしまうと、職人の世界には絶対にこれないんですね。汚れてしまう、とわたしははっき
りというんだけれど。できれば、アルマーニやコム・デ・ギャルソンになりたいですよね。
まあ、いつもこんなことをいいながら、なかなか、自分自身もよい職人になれないんです
が。でも、まだまだ時間はあると、思うようにしています。
23
翻訳の学び方
日本語の世界
それでは今日の授業の最後のトピックとして、日本語の世界についてお話をします。
わたしが翻訳の道になぜ入ったかというと、わたしは言葉が大好きで、言葉の世界で生
きていこうと 20 代の後半に決めました。海外には、ほとんどいったことがないんです。飛
行機は嫌いだし、海外って、温泉と日本酒がないしね。
20 代になって、たまたま英語に出会って、それから日本語との対応を考えはじめました。
それまでは英語のことなんか考えたこともありませんでした。子どもの頃はまわりの外人
といえばモルモン教のお兄さんしかいませんでしたから、まったくの別世界でしたけれど
も、それでも日本語のほうは好きでした。皆さんも同じだと思いますが、詩を読んだり、
小説を読んだりしながら暮らしていました。
中学の頃は、ちょうどビートルズがやってきた頃ですが、なんだか騒がしい音楽だなと
しか思わなかったし、翻訳小説を読んでも、ひどい日本語だな、としか思いませんでした。
なにしろ、まともな感情移入ができないんですね。まわりのみんなは『星の王子様』とか
がいいというんだけれども、いったいどこがいいのかな、という感じでした。ですから、
これまで翻訳小説は、ほとんど読んでいません。20 代後半からは原語で英語の小説を読む
ようになって、面白くなりました。こんなこといっちゃまずいんですが、やっぱり文学作
品というのは原語で読むのがいいなと思っています。
そうやって、これまで日本語の世界と英語の世界のことを考えてきたわけですが、最初
にそういったことを考えたのは、中学の英語の授業で英文法を教わったときだったと思い
ます。
たとえばですが、先生がまず黒板に I play tennis.という文章を書く。そして「これは『わ
たしはテニスをします』という意味です。I が主語で Subject といいます。play が動詞で
Verb といいます。tennis が目的語で Object といいます」という。そして、いわなくてもい
いのに、
「この“~は”が主語に対応して、
“~を”が目的語に対応して、
“~する”が動詞
に対応します」というわけです。まあ、実際には細かいところは違うんだろうけれど、ま
あ、だいたいこんな感じです。
それから、つぎに黒板に I like Tokyo.と書き、そしてその下に「私は東京が好きです」と
日本語訳をつける。そうすると、これが前の説明とあわないんですね。なにしろ目的語に
は対応するのは「~が」だし、動詞に対応するのは「~です」なんだから。そこで、なん
で?ということになる。これが最初の疑問でした。わたしはとても理屈っぽい子どもだっ
たので、これにはとてもひっかかりました。じつは、いまでもひっかかっています。
さて文法とは何かといえば、それは「語と語のあいだを関係づける機能」と考えればい
い3。そうした観点から英語と日本語を考えると、2つの言語には根本的に違うところがあ
ります。たとえば英語の場合、語と語の関係で最も重要なのは、語順なんですね。前にく
3
実際はこれは文法の一部にすぎませんが、ここではそれでよしとします。
24
翻訳の学び方
るか後ろにくるか、これが英語の文法の基本中の基本です。なぜこんなふうになったかと
いうと、これは英語の歴史的な変化のせいです。大昔の英語は、動詞が最後にきてもよか
った。格変化もしっかりしていた。ところが現代の英語は、語尾の格変化をほぼすべてな
くしてしまったために、語順に頼らざるを得なくなったのです。そしてその黄金律が、S
VOです。
<板書>
S+V+O ← 英語の黄金率
では、日本語のほうはどうかというと、これにはさまざまな意見がありますが、次のお
ようなかたちと捉えることが、日本語文法の世界ではかなり一般的です。
<板書>
補語
補語
述語
補語
補語
つまり、日本語というのは「述語」中心なんです。ここでいうと、
「します」
「好きです」
のところです。この最後の部分が、日本語の基本形なんです。どういうことかというと、
つまりこれだけでも日本語になるということです。
(I like Tokyo.から I と Tokyo を消す)
これでは、英語になりません。当たり前のようですが、大事なことです。ところが、日本
語の場合は「好きです」だけでいいんです。たとえば皆さんが「英語はお好きですか」と
きかれると「好きです」と答えればいい。それを「わたしはそれが好きです」とはいいま
せんね。つまり日本語とは「述語にいくつかの補語のついたもの」なんです。補語とは「あ
ってもなくてもいいもの」ということです。ここに日英の大きな違いがある。
25
翻訳の学び方
もうひとつの違いは、日本語は「省略の言語」であるということです。たとえばわたし
は皆さんに向かって「質問はありますか」といえばいいのであって、
「あなたがたは質問は
ありますか」という必要はなにもない。ここにはすでにわたしたちに共通の言葉の「場」
があります。だからこの場で了解したことを、わざわざ繰り返して言うことはない。日本
語は、みんなでわかっていることは、どんどん省きます。
ところが、英語は簡単には要素を省略することがでません。だから代名詞が必要となり
ます。英語を習いはじめの中学生に Do you like football?ときくと、Yes, I like.と答えます。
代名詞の it がないんですね。日本語だといらないもんね。
日本語のように省略のできる言語を学者たちは「ハイコンテクスト」言語と呼んでいま
す。文脈に強く依存するという意味ですが、しかしこれは「文脈」ではなく「場」という
ほうが正しいと思います。つまり日本語では「場違い」が一番困るんですね。ところが英
語はきわめて「ローコンテクスト」な言語です。文脈にあまり依存しない。ここが日英の
大きな違いのひとつだと思います。
とすると、翻訳ではなにが起こるか。ローコンテクストな英語をそのままハイコンテク
ストな日本語に換えようとすると、いらないことがいっぱい入ってくる。たとえば代名詞、
こういったものはいらない。
もうひとつの違い。皆さんのなかで、英語は論理的だが日本語は論理的でないという、
きわめて非論理的な意見をきいたことがある方もいると思います。日本語で考えると論理
的でなくなるので英語で考えるようになどという、考えられないようなたわごとをいう先
生がいたりもします。そんなはずがない。
英語はSVOだといいました。SとOとのあいだにVという関係があるという「二項対
立」構造が、英語の基本のかたちです。それに対して日本語の基本のかたちは、
「トピック
=コメント」構造です。つまり2つのものを対比させてその関係を表すことよりも――そ
れもできますが――いま何について話そうしているのかをまず提示して、つぎにその内容
に関する情報を提示する、こういうかたちに向いている言語なんです。
ではなぜ、トピック=コメントに日本語は向いているののか。それは格助詞の「は」が
あるからです。この「は」は、トピックを表す助詞です。日本語では「お昼は何にします
か」ときかれると、たとえば「ぼくはうなぎです、さかなはいやです」と答えることがで
きる。これを英語にすると非論理的だとある学者がいったものだから、有名な論争になっ
た。でも、これは決しておかしくありませんね。なんのまぎれもなくコミュニケーション
がとれている。
それから、ダイエットしたいときに誰かがアドバイスで「こんにゃくはやせますよ」と
いうとする。もちろんこんにゃく自身がやせるわけではありませんが、これも決しておか
しくない。
これらの「は」は、トピックを表す語です。
「ぼく」についていえば「うなぎを食べたい」
のです。
「さかな」についていえば「
(ぼくは)食べたくない」のです。
26
翻訳の学び方
つぎに、気持ちがかわって、
「いや、やはり天丼かな」といったとする。ここにはもう「ぼ
くは」がないですね。省略されているんです。これがあるとおかしいですね。
「ぼくはうな
ぎですね、いや、ぼくはやはり天丼かな」というと、少しおかしく感じる。なにがおかし
いかというと、
「場」を無視しているからです。これは、日本語をはじめて学習する留学生
たちがよくやる間違いです。
「わたしは経済学を習いたいです。わたしは物理学もやりたい
です。わたしはできれば数学も少し勉強したいです。わたしは……」というわけです。主
語の I を繰り返しているんですね。で、日本語の先生から「
『わたしは』は一度いえばいい
のです。いや、場合によってはいわなくてもいいのです」と教えられます。日本語では「経
済学を勉強したいです」といえば、それだけでわかるからです。しかし英語では I と必ずい
わなければなりません4。
この2つだけをとってみても、英語と日本語ではかなり大きな違いがあるということが
わかります。ですから、たんなる英文和訳ではだめなんです。英文和訳をやっているかぎ
り、この壁は越えられない。もっと根源にもどって、こういった「ものの考え方」や「言
語構造」の違いにまで戻って、処理をしなければなりません。
ところが、皆さんのいまの頭のなかは、残念ながら――海外で教育を受けたひとがいる
とすれば別ですが――日本の国内で教育を受けると、
「英文和訳の世界」になっていること
がとても多いんです。それをいかに乗り越えるか、それがこの翻訳講座の目標のひとつで
す。たとえば基礎科では、この日本語の世界と英語の世界の違いをもっと詳細にみていき
ます。
さらに日本語で考えなくてはならないのは中国語との関係ですね。つまり漢字です。い
まの日本語は、数千年も前から話されている純粋な「和語」と、1500 年ぐらい前から入っ
てきた「漢語」つまり中国語とが混在するかたちで、できてきます。わたしたち日本人は、
ずっと和語と漢語(中国語)の両方で、ものを考えてきたんですね。さらに 150 年ぐらい
前に、漢語のふりをした「西欧語」が入ってきました。だから、いまの日本語は「三重言
語」なんです。とてもやっかいな、でも面白い言語だと思います。この話題に関する詳し
いことは、ここでの話ではなく、準備科、基礎科での話になります。
ではこれで第一回講義を終わります。
これはあくまで原則です。さまざまな例外がありますが、ここでは取り上げないことにし
ます。
4
27
翻訳の学び方
<第二回講義>
前回の授業プランでお知らせしたとおり、今回の授業では前半は「文章のわかりやすさ」
についてお話をします。後半に関しては、産業翻訳者についてお話をします。
皆さんから出していただいた宿題がありますので、それをお返しします。返却のあいだ
には、他の方のものに目を通しておいてください。
(各人に添削を返却しながら、問題点を
説明)
さて宿題をやってみていかがでしたか。一番大事なことは、この3つのテキスト[資料
3を参照]には同じことが書いてあるということです。同じ意味になっていない人がいま
す。それから4という日本語があります[資料3の訳文4を参照]
。この4はなにかという
ことですが、この話をあとでしたいと思います。
さまざまな日本語を読む
その前に、まず日本語のほうにいきましょう。課題の1のほうですね。皆さんに読んで
もらったものです。さまざまな意見が出ました。全部読ましてもらいました。なかなか面
白いと思います。好き嫌いも、ある程度のバリエーションはあるんですけれども、だいた
い決まっているようですね。まず、種明かしをしていきましょう。
まず読んでもらいましょう。この前にいったように、文章を読むといった際に3つの方
法があります。ひとつは目で読む。つぎに耳で読む、つまり音読する。そして手で読む。
この3つがあるわけです。翻訳の場合は、手で読むところまでをいつもお勧めしています。
この手で読む作業をすると、かなり違います。手はもっとも能動的です。
「手は第二の脳で
ある」という、カントですか、そういう言葉があるらしいです。手で読むと、それまでわ
からなかったさまざまことがわかってきます。文章をうまくなりたいひとにいつも薦める
ことは、自分が好きなものを手で写してくださいということです。自分が書きたいな、と
いう文章がありますね、それを写すんです。一番いいのは、タイプアウトではなく手で写
す。万年筆とかでね。鉛筆でやると、肩ががちがちになりますから。いまはいい万年筆や
サインペンが安い値段で出ていますので、それを使えばよいと思います。まあしかし、そ
れはかなり疲れる作業ですから、タイプアウトでもかまわないと思います。いずれにして
も、自分がこれだと思う文章はぜひ写してみてください。
たとえばお勧めは、日本の小説の原点である『坊ちゃん』です。あれはほぼ 100 年前に
出た小説ですが、いまでも古くない。それよりも前の小説は古く感じます。つまり『坊ち
ゃん』で現在の文体がある程度決まってしまったといえます。その意味ではひとつのマイ
ルストンになる小説です。それに短いしね。漱石のなかのものでも非常に読みやすいもの
でもあると思います。
28
翻訳の学び方
質問:何回も、何回も、写すんですか。
手で写すということ
たとえばですが、今日私がここにもってきたのは、谷崎純一郎の『文章読本』ですが、
これをわたしはもう数十回は読んでいます。それでもときどき、部分部分ですが、
(手で)
写しています。読むたびに、あたらしい発見がありますね。じつは昨日もこの授業の準備
のために読んでみたんですけれども、なんだ、わたしのいっていることって、全部ここに
書いてあるじゃないか、と改めて思いました。なあんだ、何も新しいことをいっていない
んだ、と。ちょっとショックでしたが、でも、当たり前ですね。わたしが谷崎を超えられ
るはずがないですから。当たり前のことですが、でも十回、二十回と読んだあとでないと
わからないんですね。そんなものだと思います。
この谷崎の『文章読本』は、文章関連の本としてはわたしの一押しの本ですが、しかし
文章というのはあくまで好みですから、それぞれの好みで読めばいいんじゃないでしょう
か。わたしなんかはいま自分の文体ではないもの、たとえば吉本ばなななんかを写してい
ます。
『キッチン』なんかを写しましたが、面白いですねえ。すごくいい文章ですね。とて
も繊細でいい文章だと思います。中国で大人気なんですってね。村上春樹と吉本ばななが
日本文学の代表格らしいです。村上についてはこのあと出てくるんですけれども。
まあしかし、できれば古典がいいんじゃないかと思います。皆さんは、えっ、というか
も知れませんが、志賀直哉の『城崎にて』とかはお勧めです。がっちりした文章で教科書
的ですけれども、現代日本語のいわば骨格なんですね、あれが。そういうものを写すとい
うのは、やってみて損はないと思います。
英語も同じことです。英語を勉強したいと思ったら、まず英語を写してください。繰り
返してです。繰り返しというものが、ものごとを習得するための最大の武器なんですね。
声を出して何回も読む、手で何回も写す、これを繰り返すしかありません。たとえば、な
んで言語を覚えるかといったら、それは繰り返しで覚えるんですね。たとえば、と、いま
わたしは「たとえば」といって皆さんがそれをわかるのは、皆さんがこの言葉をもう何十
万回と聞いてきているからです。これは、わたしだけがいっているんじゃなくて、脳神経
科学の人たちもいっています。繰り返すことで脳内のニューロンがつながるらしいね。だ
から、とにかくぜひ、繰り返し読んでください。
ということで、ここではとりあえず声を出して読んでみましょう。じゃあ、一番からで
す。
(読む)
[1]
久しぶり!!元気?私のほうは学校始まっちゃったけど、そんなに忙しくないよ☆バ
イトしてた居酒屋がつぶれちゃってさ^^; いいとこないかな??ところで、ゴールデン
ウィークの土曜に同窓会しない?みんなとしばらく会ってないし、短大行った子なん
29
翻訳の学び方
て卒業しちゃって普段会えないし(/_;) 場所はまだ決めてないけど、昔バイトしてた
居酒屋なら安くしてくれるかも(^_^) 決めたら連絡するね!!これメルアド知ってる
人だけに送るから、メアド知ってたら他の人にも知らせといてくれないかなあ☆彡そ
う言えば、先生元気かな??
いま読んでいただいたんですが、読んでいない部分がありますね。絵文字の部分ですね。
これは読めないですね。これは、皆さんが答えているように、大学生のメールです。ある
本から、とってきました。ただ、これを紹介するのは4回目なんですが、以前に「先生、
これはちがいます」といったひとがいました。
「いまの女子大生は、先生元気かな、なんて
絶対メールで打ちません。だから、これはウソです」と、そのひとがいうと、みんなが、
そうだそうだ、といいはじめて、これはその本の著者である大学の先生がでっち上げたも
のじゃないか、ニセモノじゃないかという話になりました。これには、わたしもびっくり
しました。そうなんでしょうか。
では2番をお願いします。
(読む)
[2]
この度は私共 NTS の工事によりご迷惑をおかけします。工事は六月二三日より二週間
を予定しております。期間中は申し訳ございませんが迂回路を御使用していただくよ
う御願いします。工事はお客様が私共のサービスを気持ちよくお使いいただくために
是非必要なものですので宜しく御理解下さいますよう御願い申し上げます。
これもある本からとったものです。これは工事会社の現場のひとが書いたものだと思い
ます。ま、よくあるパターンかも知れません。皆さんのコメントからみると、あまり評判
がよくないですね。
じゃあ、3番です。
(読む)
[3]
新春の候、ますますご清栄のことと存じます。四月になって年度も改まり、新しい方々
も入会されて、皆様と一緒に歌うことがいっそう楽しく感じられるこの頃です。また、
このたびは私のような物がいきなり会計係という大役をいただき、私には役不足では
ないかと不安に感じております。微力ながらも皆様のお役に立てればと思いますので、
よろしくお願い致します。
さて、皆様既にご承知のように、当会では四月と十月に会費を徴収しております。何
かと出費の多い次期ではございますが、皆様とご一緒にコーラスを楽しんでいくためにも、
やはりそれなりの出費が必要となってまいります。恐縮ではございますが、次回の練
習の際に徴収させていただきたいと存じますので、ご用意いただければ幸いです。
30
翻訳の学び方
これもあまり評判がよくなかった文章ですが、ある本からとってきました。書き手は 60
代の市民コーラスの会員さんです。はじめてワープロを打つという設定だったと思います。
打ち間違いもありますし、こんなところで「役不足」といわれても困りますしね。さまざ
まな間違いがあります。そういうものです。ただ、わたしはこれ、けっこう好きなんです
よ、気持ちが出ていて。えっ、ていわれますが、わたしはこういう気持ちの出ている文章、
嫌いじゃないんです。
では、次です。
(読む)
[4]
大都市の環境問題で重要なのは、水質汚濁、大気汚染、騒音問題、ゴミ処理などであ
る。大気汚染は、自動車やトラックからの排気ガスだけでなく、工場から出される煤
煙も原因になっているのである。バブル以降は自動車からの排ガスの割合が増えてい
ることは、付録として最後に付けたデータからもわかることである。
水質汚染は、高度成長期より工場排水が改善され、下水道の普及も急ピッチで進めら
れてきたとは言え、湖沼では毎年アオコの発生が伝えられているのである。琵琶湖の
アオコの発生についてデータは、付録のデータとして示しておきます。
その他、ヒートアイランド現象も近年注目されている。気温が三〇度を超える時間数
を調査したところ、約二〇年間で、東京、名古屋で二倍、仙台では三倍に増えている
事が判明した。青山教授がおっしゃるように、まさに日本の大都市は亜熱帯になった
のである。
この文章の書き手については、これまでの4回のなかで、誰も正解がありませんでした。
この文章の書き手は、南米からの日本の大学院への留学生なんです。わからないですよね。
しかし、そういわれると、ああっ、というところがあります。日本人だと、まずはしない
ような間違いがありますね。このレベルの文章が、ひょっとすると、わたしたちの書く英
語に近いのかも知れません。わたしたちといっても、いろいろとレベルがありますが。と
にかくちゃんと通じる、でもちょっとなんかおかしいかな、という感じです。わたしたち
にとってもこのレベルの英語を書ければ、まあOKなんじゃないでしょうか。われわれが
向こうの大学院にいって勉強するには、十分だと思いますよ。来日しておそらくそれほど
年月もたっていないだろうに、これだけのものを書けるのはたいしたものですね。
では次をお願いします。
(読む)
[5]
一般生活において通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によっ
て教えられ、また私にとって恐れの原因であり対象であったもののすべてが、それ自
31
翻訳の学び方
体では善でも悪でもなく、ただ心がそれによって動かされた限りにおいてのみ善ある
いは悪を含むことを知った時、私はついに決心した。我々のあずかり得る真の善で、
他のすべてを捨ててただそれのみによって心が動かされるような或るものが存在しな
いかどうか、いやむしろ、一たびそれを発見し獲得した上は、不断最高の喜びを永遠
に享受できるような或るものが存在しないかどうかを探求してみようと。
これも評判の悪かった文章ですね。これはスピノザという哲学者の『知性改善論』とい
うものの翻訳文です。原文はラテン語です。スピノザは世界でもきわめて有名な哲学者の
ひとりです。いま読み上げていただきましたが、いい文章ですね。なんて、わたしは評価
するんですけれど、だめでしょうか。
では次、いきましょう。
(読む)
[6]
申立人によると、商務省は、ハイニックス社に関する信用供与の指示を個別に分析す
るという過ちを犯しており、ハイニックス社は、法的権限や判例あるいは他の法的支
援の全く無い有力な証拠および主張を無視している。申立人は、関税法によれば、政
府が「
(利益を生む)資金面での貢献を民間団体に委託もしくは指示している」場合に
は、それが補助金とみなされると主張する。関税法の制定過程では、商務省に対し「委
託もしくは指示」という語は広く解すよう指示している(理事会は、補助金の間接的
な供与が CVC 法施行の有害な抜け道となるのを避けるため、
「委託もしくは指示」と
いう語は広義に解釈されるべきだとしている)
。
これも評判の悪かったものです。これは、実は産業翻訳コースのテキストを、ある生徒
さんが訳したものです。基礎科です。これこそ、翻訳文ですね。何をいっているかがわか
る人は、このなかにはまずいないと思います。じつは誤訳がかなりあるんですが、でも、
誤訳があるということさえわからないですね。そういう文章だと思います。なんか、とに
かく、偉そうでしょ。
では、次です。
(読む)
[7]
デフレによる景気下押し圧力を引き続き伴いながら、2001 年は景気が悪化した。企業
部門は、景気の悪化に対応して、様々な分野で調整を行うことになった。企業収益が
大幅な減少を示したが、在庫調整を進めたことは、循環的な景気底入れのための条件
を整えることとなった。しかし、他方、バランスシート調整、資本ストック調整、賃
金・雇用調整を進めたことは、景気を下押しする要因となった。バランスシート等の
調整は、中長期的な成長基盤を強化するのに必要であるが、デフレが調整を困難にし
32
翻訳の学び方
ているなかで、将来における展望がみえにくい状況にある。
これは政府の月例経済報告です。まさに官庁の文章ですね。しかし見てください。あま
りそれほど漢字が多くないということに、気づきませんか。思っているほどは、多くない。
「~しているなかで」とか「~こと」とかは、ひらがなを使っています。いまの官公庁の
文章は、こうした漢字をむやみと使わない文が多くなっています。しかしそれにしても、
そっけない文章ですね。事実を淡々と述べているというかたちです。
では、次です。
(読む)
[8]
日本銀行は29日から金融システム安定化の一環として、民間銀行の保有する株の買
い取りを始めた。買い取りの対象は保有株式が中核的自己資本の範囲を超える大手行
や地方銀行。初日はりそなグループや中央三井信託銀行など数行が数十億円規模で買
い取りを要請した模様だ。03年9月までに1行あたり5000億円を上限に、総額
2兆円をめどに買い取る計画。ただ、どれだけ活用されるかは未知数だ。日銀への株
売却に「難色を示す取引企業も少なくない」
(大手行幹部)
。
これはもう、みてのとおりの新聞文体です。体言止めや「~た」止めで、すぐにわかり
ます。朝日新聞の経済面です。
では、次です。
(読む)
[9]
このようにシェル・スクリプトは、UNIX や MS-DOS のように、コマンド・ラインか
ら文字列として命令を与えられる OS でよく利用されてきました。GUI を利用した初期
の Windows では、MS-DOS プロンプトでバッチ・ファイルを実行できても、Windows
専用のシェル・スクリプトが提供されていませんでした。ところが、COM という形態
でシステム・コールや、さまざまなプログラムの機能が呼び出せるようになったため、
Windows 98 以降から WSH と呼ばれるシェル・スクリプトが新たに提供されるように
なりました。WSH では、Visual Basic のサブセットである VBS を使って処理の手順を
記述するようになっています。
これは「ウィンドウズはなぜ動くか」というコンピュータ専門書です。よくある、コン
ピュータの解説本ですね。わたしは、この文章はとてもよくまとまっているいい文章だと
思うんです。この人はテクニカルライターとしては日本で第一級の人だと思います。ただ、
なにが書いてあるかわからない、という人も多いでしょうね。こうした文章ではやはり専
門的な知識のあるなしが問題になってきます。
33
翻訳の学び方
では、次です。
(読む)
[10]
FASB は、種々の金融手段およびオフバランスシート金融が開発され、取引されている
のに対応し、また、将来起きると思われる他の問題を解決する助けになる広範な基準
を設定することを期待して、1986 年に、これに関する問題を議題に加えた。しかし、
金融手段をどのように認識し、測定するかは複雑であり、最終結論にいたるまでには
相当の時間を要するため、暫定的処措置として、金融に関する情報の開示の改善が必
要であると決定し、1990 年に FASB 基準書第 105 号「オフバランスシート・リスクの
ある金融手段および信用リスクの集中した金融手段に関する情報の開示」
(FAS107 に
より一部修正)を、また、1991 年に基準書第 107 号「金融手段の適正価額に関する開
示」(FAS112 により一部修正)を公表した(FAS105 第 1,2,5 項、FAS107 第 1,2 項)
。
これはある監査法人が出している監査に関する専門書からの抜粋です。さまざまな監査
規則のうちのひとつを解説しているところです。翻訳ではないんですが、まあ、長ったら
しい文章ですね。これも評判の悪い文章でした。わたしはこの文章が一番きらいです。わ
たしはこの分野が専門なものですから、何が書いてあるかはわかりますが、それにしても
じつにばかばかしい文章です。はるかに簡単に書けますよ。日本語力がないうえに、人に
わかってほしいという熱意が欠けているとしか、いいようがありません。こんなものより
も、最初の市民コーラスの会計係の人の文章のほうがよっぽどいいです。
では、次です。
(読む)
[11]
2年間の講師経験からいえることは、当講座の受講生の多くが翻訳への強い勉学意欲
を持ち、また講座終了後もその勉学意欲を失っていないということである。ところが
基礎科や本科を一度終了してしまうと、意欲はあるにもかかわらず彼らが翻訳の勉強
を続ける場がなくなってしまう。これをサイマル側からみれば、せっかくの潜在顧客
をみすみす取り逃がしていることになる。
今回の OB 会の設立案はこの両者のすれ違いを埋める一方策として考えられた。OB 会
の設立により OB は翻訳に対する興味を持続でき、また懇親会等を通じての人的ネット
ワークづくりにも役立つ。サイマル側としては OB 等へのマーケティング活動が可能と
なり、その他のシナジー効果も期待できる。会の設立にはすでに一部 OB から期待の声
が寄せられている。ぜひ実現させたい。
これはわたしが二年前にサイマルに出した要望書です。おかげさまで皆さんからの評判
もよく、ありがとうございました。ひとから誉められるのは、うれしいものです。でも、
34
翻訳の学び方
まだ実現していないんですよね。
次、12 にいきましょう。
(読む)
[12]
四月六日に緑から手紙が来た。四月十日に科目登録があるから、その日に大学の中庭
で待ちあわせて一緒にお昼ごはんを食べないかと彼女は書いていた。返事はうんと遅
らせてやったけれど、これでおあいこだから仲直りしましょう。だってあなたに会え
ないのはやはりさびしいもの、と緑の手紙には書いてあった。
これ、わかるひと、いますか。はいそうです、『ノルウェイの森』
、村上春樹です。意見
は、まっぷたつに分かれました。なんだこれは、という人と、これは好きですという人で
す。面白いですね。
はい、次です。
(読む)
[13]
専門家に伺ったところでは、動物の雄が配偶者を選ぶ基準は、まず雌として生活力旺
盛なこと、次に繁殖力、そして子育てが上手なことだという。人間からみて、あら可
愛いいわね、などというのは、彼らの目には入っていないらしい。雌が雄を選ぶ基準
は、まず強いこと。おしっこ臭い匂いを発散させ、好色であることだという。
これも、ある程度意見が分かれましたが、いいという人のほうが多かったようです。こ
れは、向田邦子です。
じゃあ、次です。
(読む)
[14]
図 1-1 を見てください。企業は資金を調達し、人材を雇い、設備や原材料を購入し、
生産活動を行います。企業は、人材に対して人件費、設備や原材料に対して原材料費
などを支払います。もちろん、資金提供者にも費用が支払われます。この費用を資金
資金
コストといいます。
企業が生産活動によって生み出した商品やサービスは、販売され、
コスト
企業の収益(売上)になります。
これは『コーポレートファイナンス』という題名のちくま新書からの抜粋です。もとも
とは、おそらく著者の大学の先生がどこかでプレゼンテーションした資料じゃないかと思
います。
以上です。いかがでしたか、皆さんの予想と合致していますか。
35
翻訳の学び方
「わかりやすい」文章とは
さて皆さんには、このなかからベスト3、ワースト3を選んでもらったんですが、じゃ
あ、なぜそれらを「いい」
「悪い」として選んだんでしょうか。
「いい」
「悪い」という言い
方は、とても曖昧ですね。いいにはいいの、悪いには悪いの、理由があるはずです。それ
をここで確認しておきましょう。
じつは、皆さんに訳してもらった3つの英文は、ここからとりました。William の“Style”
という本です。この本はいま準備科で使っているんですが、ひとことでいえば、英語の「文
章読本」です。ですから今日は、日本語と英語の両方の文章読本をご紹介したということ
になります。
この本が分析していることは、文章の“Clarity”と“Grace”は一体なにで決まるのか、
ということです。つまり文章の「わかりやすさ」と「魅力」の源泉とはなにか、というこ
とです。
文章というのは、わかりやすくて魅力的なものがいいんですね。資料をみてください[資
料5を参照]
。これはわたしがいつもいっている、よい産業翻訳の条件です。
(テキストを
読み上げる)
第一に、正確であること。誤訳がないことは翻訳において最も基本的な条件です。
これは当たり前のことですね。
第二に、わかりやすいこと。ただしこれは、やさしい語彙や構文を使うということ
ではありません。よく吟味され整理された翻訳は、使用されている語彙や文体がどん
なに高度なものであろうとも、きわめて理解しやすいものです。
これが Clarity にあたります。
第三に、言葉として魅力的であること。たとえ正確でありわかりやすくとも、読み
手を惹きつけるなにかを持たないかぎり、その翻訳はよいものとはいえません。
そうでしょ? つまらないものなんか、読みたくないでしょ? たとえ、あんな監査法人
が出すものでもね。つまらないものは、やはり読みたくないものです。コンピュータのマ
ニュアル本でも、やはり、つまらないものは読みたくない。人間はね、魅力のある文章し
か、読みたくないんです。
そして最後に――実はこれが最も重要なのですが――お客様のニーズにあわせるこ
と。お客様のそれぞれのニーズを的確に汲み取り、それを可能なかぎり満たすことが
36
翻訳の学び方
求められます。
産業翻訳ですから、これが一番大事です。つまり、すべては読み手次第ということです
ね。読み手が変われば、求められるものも変わってくるということです。
このなかの第二と第三、これが、今日ここでこれから考えることです。つまり「わかり
やすい」こと、そして「魅力的である」ことです。
まず逆から、考えてみましょう。なぜ、
「わかりにくい」のでしょうか。今日読んだなか
でも、わかりにくい文章がいっぱいありました。それらが、なぜわかりにくいのか。
その理由を3つ、この本は挙げています。ひとつが、あまりにも抽象的であったり複雑
であったりすることです。
<板書>
<なぜわかりにくいか>
1.あまりにも抽象的/複雑
たとえばこのなかでは、スピノザの哲学のものなどはそうかも知れません。それからハ
イニックスがどうのこうのとか、これも複雑ですね。中身がどうのこうのというよりも、
文自体があまりに複雑で、わかりやすいとはいえないですね。
二番目は(板書)筋道が通っていない、あるトピックから突然別のトピックに飛んでし
まう、読んでいて何かゴツゴツする、流れが悪い。論理的にもどうも理屈があわない。こ
ういうものはわかりにくいと思います。
<板書>
<なぜわかりにくいか>
1.あまりにも抽象的/複雑
2.筋道が通っていない/流れが悪い
たとえば 1 番なんかは、論理がもう飛んだり跳ねたりですね。あれは簡単な内容ですか
ら、あれでもわかるわけですが、少し複雑な話題になると、ああいう書き方ではわかりま
せん。やはり、ちゃんと筋道を追って順序だてることが必要です。
情報というのは、知っていることから知らないことへというのが基本なんですよ。言葉
というのは、音楽といっしょで、時間にそったものです。前から後ろへしか流れないわけ
37
翻訳の学び方
です。だから、まずは読者が知っていることをいって、それから知らないことをいう。こ
うした情報の流れが大事です。
ところで英文和訳をすると、こうした流れがちょんぎれてしまう。だからわかりにくく
なるんです。たとえば関係代名詞の that 節以下のというのは、じつはだいたいにおいて新
情報なんです。それを英文和訳の場合は、無条件に前に持ってきてしまうわけだから、そ
れだけで新情報を旧情報のまえに持ってきてしまうことになる。そうすると流れが悪くな
り、わかりにくくなります。
さて、3つめです。
<板書>
<なぜわかりにくいか>
1.まりにも抽象的/複雑
2.筋道が通っていない/流れが悪い
3.あまりにも専門的すぎる
内容があまりにも専門的すぎるときです。たとえば「シェルスクリプト」といわれても、
わからないですよね。専門的すぎます。つまりこれは言語の問題ではなく、知識の問題で
して、知識がないと読めないということです。
この本によると、
「わかりにくい」ということには、大きくいってこの3つの理由があり
ます。ということは、逆にいえば、この3つを気をつければ、
「わかりやすい」文章になる
ということです。あまりにも抽象的とか複雑なものにしないということ、筋道は通すとい
うこと、それから、なるべく専門的な言葉は使わないで誰にでもわかる言葉を使う。そう
すると、その文はわかりやすくなるのです。
わたしの文章とか新聞記者の文章とかを誉めてくれたひとが多いんですが、では、なぜ
わたしの文章や新聞記者の文章がわかりやすいかというと、そういうことなんですね。ま
ず、あまり抽象的、複雑にはしていない。それから、筋道はやはり通しています。それか
ら、あまりにも専門的な言葉遣いはなるべく避けている。だから皆さんが読んで、
「わかる」
という感じがするのではないでしょうか。
魅力的な文章とは
さてこんどは、
「文章は魅力的でなければいけない」の部分です。これも、逆からいきま
しょう。つまり、なぜ魅力的でないのか、です。これにはさまざまな考え方があると思い
ますが、これからお話する3つの条件は、わたしが考えたことです。
38
翻訳の学び方
<板書>
<なぜ魅力的でないか>
1.言葉が借り物/オリジナリティがない
まず第一になによりも、言葉が借り物の感じがするのは魅力的でない、とわたしは思い
ます。たとえば、監査法人のテキストがありましたね。あれを書いたのは、あの監査法人
の公認会計士だと思いますが、あんなことは誰でもいうんですよ。なんかのタネ本を読ん
で、それを写しているのがみえみえです。そこにはオリジナリティがまったくない5。自分
の言葉では、まったくない。自分の言葉でなく借りものの言葉でしゃべられることほど、
いやなことはないですね。
言葉とは心を映し出すものですから、いつでも自分の言葉で話したいものです。たとえ
外から入ってきた知識でも、一度自分の心にしっかりと根付かせて、そして自分の言葉で
話すことが不可欠です。そう思いませんか。そうでないと、言葉に魅力なんか出るはずが
ありません。
じつは、翻訳文にはこの欠点がいつもつきまといます。翻訳文というものは基本的にひ
との文章に連動するわけですから、そうした危険性とはつねに隣りあわせだということを
翻訳者は決して忘れてはいけません。
<板書>
<なぜ魅力的でないか>
1.言葉が借り物/オリジナリティがない
2.表現が単調/下手
2 番目の要素ですが、やはり表現の問題が大きいと、わたしは思います。たとえば、英語
の2番目の文章ですが、単調でしょ?
In 1861, Czar Alexander II emancipated the Russian serfs. Many of them chose to
live on agricultural communes. There they thought they could cooperate with one
another in agricultural production. They could also create a stable social structure. The
leaders of some of these communes tried to equalize the peasants economically and
こういうと「ああいった類のものには、オリジナリティは発揮しようがありません」とい
う反論が必ず出ます。本当にそうでしょうか。
5
39
翻訳の学び方
socially. As one strategy, they tried to impose on all a low economic status that reduced
them to near-poverty. However, the communes failed to equalize them socially because
even serfs had made important social distinctions among themselves for centuries.
とても魅力的とは、いえない。それから、とにかく文章が下手だ、ぎこちないという人
がいます。そうした場合も、やはり魅力を損なうと思います。魅力的にするには、豊かな
表現力が必要なんですね。
3 番目です。
<板書>
<なぜ魅力的でないか>
1.言葉が借り物/オリジナリティがない
2.表現が単調/下手
3.内容がつまらない/興味がない
文章の内容に興味がなければ、そのひとにとっては、やはり魅力的ではないですね。つ
まらない、と感じるんじゃないでしょうか。たとえオリジナティがあって表現の上手な文
章があっても、読者の興味がそこになければ、やはり駄目でしょう。魅力的ではない。た
とえば、哲学の文章がありました。わたしは大好きですが、でも哲学に興味がなければ、
あんなもの、誰も読まないですね。
この3つの要素が文章を魅力的にするのではないかと、わたしは思います。とすると、
魅力的な文章を書こうとすると、自分の言葉で、豊かな表現で、興味深い内容で、という
3つの要素がなければなりません。
たとえば、小説の場合などは、小説を読む人に対してそうした魅力を最優先して伝えて
いるわけです。村上春樹の『ノルウェイの森』ですが、あの文体は、おそらく駄目な人は
駄目なんです。それなのに村上春樹がなぜあのように書くかというと、駄目な人は読まな
いでいい、ということです。なにしろあれは小説ですから、10 人のうち一人に読んでもら
えればいいんです。そのくらいの気持ちで書くわけです。いっぽう向田邦子の文章は支持
が多かったですね。なぜかというと、あれは週刊誌のエッセイなので、最初からターゲッ
トが広いんです。もし向田邦子が別のターゲットを設定したら、別の文体を使うと思いま
すよ。村上春樹のエッセイを読まれたことがあるかと思いますが、あれはもっと広いター
ゲットを設定しているので、ほんとうに読みやすいですよね。小説とは全然違います。わ
たしの友達にも、村上春樹のエッセイは好きだが、小説は駄目だという人がいます。それ
は村上春樹が読者ターゲットを変えて書いているからですね。
ここまで述べてきたような要素が、文書をわかりやすくし、魅力的にするためのポイン
40
翻訳の学び方
、、、、
トではないかと、わたしは思っています。もちろん、わたしは、ですよ。
こういうことを知ったうえで、もう一度読んでみればいいんじゃないでしょうか。そう
すると、わたしとの感覚のずれ、みんなとの感覚のずれ、みたいなもの、つまり自分自身
の言葉に対する感覚というものがみえてくる。そうすると、今後は、自分がものを書くと
きに、そういったことを気をつけていくようになる。そこがポイントだと思います。
質問:翻訳の原文自体がわかりにくいときがありますが、そんなときも、わかりやすい文
章に訳すべきなんでしょうか。
グッドクエスチョンですね。それをこのあとにやろうと思っていますが、結論をいってし
まえば、わたしは絶対そうすべきだと思っています。
質問:原文で読んでつまらないと思っても、魅力的にしようとするんですか。
はい。いや、そうしないといけないと、わたしは思っています。つまり、つまらない原文
だからつまらなく訳すんですかと、そういうことですね、いまいっているのは。つまらな
い原文はつまらなく訳す、そんなことやって、面白いですか、まず人間として。
質問:それって、意訳にならないんですか。
まず、わたしは意訳とか直訳とか、そんなことは気にしないというのが、持論なものです
から。人間から人間、心から心ですから。下手くそに書いた文章がありますね。でもそれ
は、その人の心が「下手くそ」なわけじゃないわけですよ。たまたま、その人が表現下手
なのかも知れないでしょう。そうした表現をつくったわけだけれど、その裏には、別の表
現がいっぱい隠れているわけです。そのうちのひとつが表面に出ているだけです。それに
忠実に写すことに、なんの意味があるのかと思いますね。
ただその人の心が貧しければ、それ以上のことはなかなか写らないですよね。それは翻
訳の限界です。当たり前ですね。翻訳の一番いい例というのは、たとえば「歎異抄」だと
思うんですよ。あれは、親鸞自身が書いているんではないですね。あれは唯園という弟子
が書いたものです。だから、あれは翻訳ですね。親鸞の心を唯園が写したわけです。でも
その心が親鸞のものだから、あれほど素晴らしいものになるわけで、あれが親鸞のもので
なければ、まったく別のものになります。そこが翻訳の限界だと思います。翻訳はその原
文の心以上のものは出せない。もしも出るとしたら、それは翻訳者の自分の考えになっち
ゃうからね。ただし表現というのはその人の一部にすぎませんから、なにも下手くそな表
現だからといって、むやみに下手くそに写す必要は、わたしはないと思う。
というよりも、そもそも、なぜそんなバカげたことをしなければならないんでしょうか。
41
翻訳の学び方
もっといいものができるのに、わざわざ下手なものをつくる必要なんか、なにもないじゃ
ないですか。どこか、おかしくありませんか、わざわざそんなことするなんて。とにかく、
いやでしょ? わたしは自分が表現する人間として、そんなことは絶対にいやだけども。自
分が下手だと思うものを、人に読ませるんですか? 自分がいやだと思っているもの、です
よ。うーん、考え方かも知れませんが、わたしにはできないですね。やるかぎりは 100%の
ものを出したいですね。
あのね、翻訳ってね、原文の相手に「惚れる」ことなんですよ。原文を、もらうでしょ。
それが、自分の恋人なんです。惚れっぽいんです、翻訳者って。役者と一緒です。どんな
台本でもいいんです。惚れなきゃ、仕事できないですよ。この人の一番いいところを出し
てやろう、そう思わなきゃ、こんな仕事やってられませんよ。その人の一番いい姿を出し
てあげる、それが俺の役目だ、と思うんですね。
そりゃ、ひどい文章もありますよ。書いてあることも「どうかなあ、どう考えても間違
っているよなあ」ということもあります。それはあるけれども、でも女房役ですからね、
連れ添って、とにかくその人の一番いいところを出してあげたいですよ。人間ですから魅
力もあれば欠点もありますよね。そのなかで、一番いいところを出してあげたい、という
のがわたしの考えです。だから、面白いんじゃないかなあ。そういうふうに思ってますけ
どね。
もともと「人間対人間」の話ですからね。悪いものは悪いものなりに、ということなる
と「言葉対言葉」の話になっちゃいます。そこには愛情というものが感じられないじゃな
い。仕事は愛情だからね。ものを売るのも一緒でしょ。ものだって、愛情を込めて売りた
いじゃない。ものを売るときに、販売の人が「いや、これってあまりよくないですよ」っ
ていって、売りますか。そうじゃないでしょ。自分の会社のつくったものには、どんなも
のでも、愛情がありますよ。愛情をもって売るから、販売が成立するんじゃないですか。
人間のやることですから欠点もあるけども、でも愛情をもって売るわけでしょ。だから翻
訳者も販売員も、なにも変わらないですよ。と、わたしは思います。
面白いから、同じ質問を名島さんと河原さんにもしてみればいいかも知れない。ちがう
答えが返ってくるかもしれません。それぞれに正しいと思いますよ。いい質問ですね。
英語のバリエーションを読む
では、英語のほうにいきましょう。やり方は同じです。まず英語を読みましょう。まず
一番です。
(読む)
1.
After Czar Alexander II’s emancipation of the Russian serfs in 1861, many now-free
peasants chose to live on a commune for purposes of cooperation in agricultural
production as well as for social stability. Despite some communes’ attempts at
42
翻訳の学び方
economic and social equalization through the strategy of imposing a low economic
status on the peasants, which resulted in their reduction to near-poverty, a
centuries-long history of important social distinctions even among serfs prevented
social equalization.
今度は、わたしの訳したものを読んでみてください。
(読む)
1.
1861 年の皇帝アレクサンドル2世によるロシア農奴解放の後に自由となった農民の多
くは、農業生産での協働および社会的安定のために共同体での居住を選択した。農民
に対する貧困化戦略による経済社会的平等化への共同体による各種試行――これが彼
らを半困窮状態に陥らせることとなった――にも関わらず、農奴間にさえ存する重要
な社会的差別化の数世紀にわたる歴史が社会的平等を阻害したのである。
まさにこれは魅力のない文章ですね。何が悪いか。抽象的、複雑、流れも悪い、それか
ら、むやみに専門的な語彙を使っているし、それに、言葉がどこか借り物の感じがしませ
んか。表現も、あまりうまいとはいえない。この文章は、ぱっと読んで面白いと思えるも
のではないと思います。
では 2 番の英語を読んでください。
(読む)
2.
In 1861, Czar Alexander II emancipated the Russian serfs. Many of them chose to live
on agricultural communes. There they thought they could cooperate with one another in
agricultural production. They could also create a stable social structure. The leaders of
some of these communes tried to equalize the peasants economically and socially. As
one strategy, they tried to impose on all a low economic status that reduced them to
near-poverty. However, the communes failed to equalize them socially because even
serfs had made important social distinctions among themselves for centuries.
次は日本語のほうをお願いします。
(読む)
2.
1861 年、皇帝アレクサンドル2世はロシア農奴を解放した。その多くは農業共同体に
住むことを選んだ。そこで彼らは農業生産でお互いに協力できると考えた。また彼ら
は安定した社会構造をつくることができた。こうした共同体の指導者のなかには農民
を経済的および社会的に平等にしようとするものがいた。ひとつの戦略としてそれら
43
翻訳の学び方
指導者たちは農民全員に対して彼らを貧困に近いところにまで引き下げる低い経済的
地位を課した。しかしそうした共同体は農民を平等化することに失敗した。なぜなら
農奴でさえ数世紀にわたって彼ら自身のあいだで重要な社会的差別を作り上げていた
からである。
これが、二つめです。どうでしょうか。内容的には少しつかめるかな。それにしても文
体は単調ですね。あまり、いい文章とは思えない。しかし1に比べると、複雑さはかなり
なくなっています。流れはよくはないけれども、筋道が通っていないということは、ない
ですね。その意味で、わかりやすさという点では1よりもよい。
じゃあ、3の英語にいきましょう。
(読む)
3.
After the Russian serfs were emancipated by Czar Alexander II in 1861, many chose to
live on agricultural communes, hoping they could cooperate in working the land and
establish a stable social structure. At first, those who led some of the communes tried to
equalize the new peasants socially and economically by imposing on them all a low
economic status, a strategy that reduced them to near-poverty. But the communes
failed to equalize them socially because for centuries the serfs had observed among
themselves important social distinctions.
ありがとうございます。じゃあ、日本語のほうをお願いします。
(読む)
3.
1861 年に皇帝アレクサンドル2世によって解放されたのち、ロシアの農奴の多くは農
業共同体に住むことを選んだ。耕作での協働作業と安定した社会組織が得られること
を願ったからである。当初、いくつかの共同体の指導者たちは、新農民たち全員に低
い経済的地位を課すことで、彼らを社会的、経済的に平等にしようと試みた。これは
彼らを貧困寸前にまで陥らせた戦略であった。しかしこれらの共同体は新農民たちを
社会的に平等にすることはできなかった。数世紀にわたり農奴たちはみずからのなか
に大きな社会的差別構造を保持してきていたからである。
いかがですか。1に比べると、かなりスムーズになってきましたね。日本語として推敲
ができているという感じがします。
では次に、4の日本語を読んでみてください。
(読む)
4.
44
翻訳の学び方
1861 年、皇帝アレクサンドル2世によって解放されたロシアの農奴の多くは農業共同
体での居住を選択した。耕作における協働作業と安定した社会組織の獲得を願ったか
らである。当初、共同体の指導者のなかには新農民すべてに劣悪な経済的地位を課す
ことで社会的かつ経済的な平等を実現しようとするものもいた――そうした政策が結
局のところ農民たちを貧困寸前にまで追い込むことになったのだが。だがそれにも関
わらず、こうした共同体は新農民間における社会的平等をついに実現することはでき
なかった。なぜなら長い歴史を通じて農奴たちはみずからのなかにさえ根深い社会的
差別構造を構築していたからである。
どうですか、この4が、一番いいとは思いませんか。読みやすさと魅力に、このなかで
は優れているのではないかと思います。この4は、3を基準にして1あたりを加えて推敲
をしているということです。
ここで気づくことは、1、2、3、4と、全部同じことをいっているということです。
この文章は、じつはこの本のなかにある例のひとつなんです。1 番は、あるアメリカの大学
の一年生が最初に書いた文章です。それをこの先生が――Williams さんは英語の先生でも
あるものですから――2に書き直させたんです。つまり学生のセカンドエディションなん
です。そしてさらに推敲して学生が出してきたのが、3の文章です。
だから英語としてみて、1から2、2から3と、推敲が重ねられているんですね。では、
なぜ、1から2、2から3なのでしょうか。これについては、この本のなかに書いてある
んですが、これは準備科のほうで半年かけてやります。しかし英語でみてもわかると思う
んですが、3が一番いいですね。
質問:みんな同じ人が書いているんですか。
そうです、大学の一年生ですね。最初は、1しか書けないわけです。アメリカ人だって、
そうなんです。それを、訓練を積んでいくことで、3まで書けるようになる。学校の先生
の指導を受けながら、ここまで書けるようになるということです。英語としてみても、3
ぐらいの英語が書けると、胸を張れるんじゃないですか。
さて翻訳にいきましょう。わたしはまあ4が一番いいと思うんですが、問題は1みたい
な英語が出てきたときに、はたして4のように訳していいのか、ということです。そうい
うことでしょ。皆さん、1みたいに訳しますか? どうですか、やりますか? やろうと思
えば4みたいにできるんですよ。でも原文が1みたいだから、1みたいな訳文にするんで
しょうか。
難しいところですね、といいましたが、わたしにとっては、なにも難しくない。わたし
は、4みたいに訳します。だって、これが彼のいいたいことだから。それに、読み手に対
して1みたいに訳したら失礼ですよ。こんなんじゃ、わからないと思います。それに、も
45
翻訳の学び方
し興味があれば、1と4を比べてみてください。そんなには離れていないです。決して不
自然ではない。この英語を書いた人がいいたいこと以上のことは、いっていないと思いま
す。
英語を翻訳することのひとつの方法は、こういうやり方です。つまり、最初から日本語
に向かうんじゃない。できれば、その英語を別のもっといい英語にパラフレーズしてみる。
つまり、1を3にするんです。もしこれができるようになったら、翻訳力は確実に上がり
ます。つまり、翻訳力とは言葉の力すべてだということであり、翻訳力が上がるというこ
とは、英語の力も上がるということです。全部が根っこではつながっているということで
す。ですから、日英をやれば英日もうまくなります。当たり前です。
質問:とすると、1の文章は長いから日本語でも長くする必要がある、ということではな
いんですか。
1の英文が長いから日本語も長くするということは、間違いだと思います。関係ありま
せん。長さを写す必要は何もない。
質問:ほどよい長さでこなれていればよいということですか。
全然かまわないと思います。長い文章だから悪いということではありません。この本で
も同じことをいっています。長いから悪い、のではないんです。わかりにくいから悪い、
ということです。短くてもわかりにくい文章もありますし、長くてもわかりわすい文章も
あります。
いま「文」の話をしましたね。でも「Sentence」と「文」は違いますからね。いや、だ
から、英語の「Sentence」と日本語の「文」というものは違うものなんです。なぜそれを
わざわざ対応させるんですか。対応させる必要はありません。えっ?と思っている人がい
るかも知れませんが、よく考えてください。なぜ、対応させるんですか。そもそも、読点
と Comma は違うものですよ、句点と Period も、違うものです。対応させる必要は、あり
ません。たとえば、Comma+関係代名詞の場合、その多くは Comma のところは句点で問
題ありません。
質問:ということは、2 番は短い文章で書かれていますね。わたしには読みやすかったんで
すけれども。それをひとつにつなげても、それでも意味をなすんですか。
それもひとつの手です。この2番はなにを意識してつくったかというと、新聞文体なん
ですよ。新聞というのは、短い文章を積み重ねるという手法を使うんですね。それがわか
りやすいというのが、彼らの発想です。たしかに、わかりやすいな、と思う人もいるかも
46
翻訳の学び方
知れません。でも、わたしなんかは、こういう単調な文章は駄目ですね。新聞をよく読ん
でみてください。かなり単調ですよ。それでもいいんです。それもひとつのやり方ですね。
ただ Grace という観点からいえば、あまり Graceful ではないような気がします。この文章
はね、少し Graceful にしたい。だから、4がいいと思います。
いまなにをいっているかといえば、文章にはさまざまなバリエーションがあるというこ
とですね。ただしひとついいたいのは、日本語の「文」というものと英語の「Sentence」
というものをイコールで考えないでほしいんです。少なくとも「ニアリー・イコール」に
すぎない。
つねに言葉の側からではなく、人間の側からみてほしいんです。
「チャンク」という言葉
を聞いたことがありますか。結局は、思考のかたまりなんですよ。
「チャンキング」という
ことを、通訳のトレーニングではよくやります。意味の切れ目のところにスラッシュを入
れていくんです。そしてその意味のかたまりの切れ目までくると、そこまでを先に訳して
しまう。
そのときには、Period も Comma も関係はありません。そのときには、単位としてはチ
ャンクが単位になるわけです。そういう考えもあるんです。ふたつの文章なんて、簡単に
ひとつにできますよ。その反対も同じです。ですから、Sentence、文の長さなどというも
のに、あまり囚われる必要はないんです。
質問:でも、たとえば文学で長い文を訳すときは、これはどうするんですか。
文学に関しては、ここでは何もいえません。文学を訳すということに関しては、わたし
は本当に難しいと思っているんです。たとえば、ジョイスの『ユリシーズ』がありますね。
著名な英文学者の方々が訳していますが、私も読みましたが、どうもさっぱりわからない。
文学の翻訳は、本当にすごく難しいと思います。
それからたとえばサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』という小説がありますね。
わたしは若い頃に原文で読んでみて、すごく感銘を受けたんです。なんでこれほど自分に
“くる”んだろう、と思った覚えがあります。わたしは英語のネイティブでもなんでもな
い。それが、あの“Catcher in the Rye”という、あの原文を読んで、ものすごく感動した
んですよ。
べつに筋なんかたいしたことはないですよね、あの小説は。それでも、ただ感動する。
それが、文学というものですよね。あまりに感動したものだから、じゃあ日本語でも読ん
でみようということで、翻訳本を買ったんです。それで 10 ページほど読んで「なんだ、こ
りゃ」という感じでした。わたしの持っている“Catcher in the Rye”のイメージとはまっ
たく違うものなんです。いい悪い、じゃない。とにかく、まったく違うものでした。違う
作品なんです。そしてわたしにとってその日本語の作品はまったく魅力がなかったんです。
今回、村上春樹の『キャチャー・イン・ザ・ライ』が出ました。読んでみたんですが、
47
翻訳の学び方
わたしは村上春樹の『キャチャー・イン・ザ・ライ』は好きなんです。でも、それは村上
春樹の『キャチャー・イン・ザ・ライ』であって、若い頃の読んだサリンジャーの“Catcher
in the Rye”ではないですね。
「好き」という観点が違うんです。でも、村上春樹が訳すん
だったら、こうするしかないんだろうな、とも思いました。
、、、
もちろん、これはわたしの考えですよ。文学を訳すということはどういうことなのか、
ということは、いつも考えます。だって、文学っていうのは言葉の芸術じゃないですか。
それをどうやって訳すんでしょうか。詩になると、もうお手上げですよね。音の感覚なん
て訳せるわけがない。なにも文学の翻訳を否定しているんじゃないですよ。違うものとし
てあるんじゃないかなあと、わたしはそう思いますけどね。このなかに「いや、それは違
います」というひと、いますか?
質問:1から3まで、それぞれ違う訳が出ていて、それでも4が一番いいとなると、じゃ
あ1から3までの訳は、翻訳じゃないんですか。
1から3は、今回のために皆さんの例としてわざとつくったもので、実際に翻訳をする
ときには、1から3までの日本語はわたしからは出ないです。わたしのやり方というのは、
まず何回も何回も原文を読んで、最初は日本語は絶対につくらないんですよ。とにかく、
つくらないんです。あたまのなかでずっと、もやもやと、させておくんです。そうすると、
いつか固まってくるんです。そこらへんは、自分でもなんだかよくわからないんですが。
質問:原文をとにかく何回も読むんですか?
そうです、原文を何回も読むんです。もやもやしたものが固まるまでは、書かないよう
にしているんです。するとなんか、だんだん日本語になってくるんですよ。読むときは、
英語の世界で読んでいるんです。だって、英語だからね。そのときは、すべて頭のなかは
英語なんです。だから私は英語の人間なんです。英語でものを考えているし、あらゆるも
のを英語で感じようとしているわけです。
で、そういう自分がいるでしょ。それを、日本語というもうひとつの世界にいる自分に
写すわけ。そのときにどうやってジャンプしているのかっていうのが、自分でもよくわか
らない。なんか、もやもやしているうちに、だんだん日本語ができてくるんです。
で、そうしたひとつの方法が、おそらく1から3に英文を置き換えているんじゃないか
なあ、という気がする。この頃は少しですが、そんな感じがします。1を読みながら3み
たいな英語を頭のなかでつくっているのかも知れません。
でもまあ、本当のところは、よくわからないんです。
質問:1はSVOにまとめてかっこよくしようとしているようですし、2は新聞のように
48
翻訳の学び方
歯切れよく、3はコロンなんかを使って技巧的にしようとしていると思うんです。ところ
がいまの話だと、パラフレーズして訳してしまうということですよね。そうすると、それ
ぞれの文章の特徴が写せないんじゃないでしょうか。それでいいんでしょうか。
わたしはそれでいいと思っています6。でも何回もいいますが、ほかの人はそれじゃよく
ない、というかも知れない。1は1みたいな特徴をいかして訳すべきだし、2は2みたい
な特徴をいかして訳すべきだという人も多いことでしょう。でも、わたしは1や2はいい
文章じゃないと思っているし、いい文章じゃないものをそのまま訳すことはしたくないと
思っているんです。じつはこれは飛鳥の時代に日本人が異文化に出会ってからの千数百年
にわたる日本文化の最大の課題であり、とても大きな話なんですが、そういうことをかな
り考えた結論として、そういう原文べったりのやり方はやめようよ、というのが、いまの
私の意見なんです。
ただね、気持ちはよくわかります。そういわれてもなあ、そんなことをして本当にいい
のかな、ということですよね。それにこんなことをいう人は、あまりに世の中にいないし。
翻訳者のなかでも、わたしは異端です。ほとんどの翻訳者は、こんなことはいわないと思
いますよ。
質問:魅力的なものにするべきだということですが、でも、お客さんから一番のように訳
してほしいと要請があったときは、どうするんですか。
実務としての翻訳
いい質問ですね。ようするに、産業翻訳における実務の話ですよね。さてここまでは翻
訳の話でしたが、ここから先は実務、つまりビジネスの話です。
産業翻訳の心得ということで、これまで4つの要素を挙げました。正確で、わかりやす
くて、魅力的で、そしてなによりも大事なのはお客様のニーズを満たすことだ、と。
で、この4つめのことですね。結論からいうと、わたしは英文和訳もガンガンしてきま
した。(1番みたいに訳すんですか)そう、だってお金になるもの(笑)。それにお客のニ
ーズも満たすから。
たとえば、わたしは会計が専門のひとつなんですが、会計関係の翻訳についてはほぼ英
文和訳にしないと向こうが許さないことが多い。ですから、そのときは日本語じゃないよ
ここは授業での説明がかなり舌足らずになってしまいました。わたしは、文章のもってい
る個性や特徴を写さなくていいといっているのでは、決してありません。軽やかな文章は
軽やかに、かっちりした文章はかっちりしたものに訳すべきだと思います。ただ、下手な
ものを下手に訳す必要は決してないということです。ここでの1から3までは同じ学生が
書いたものであり、推敲の結果として3が一番よいものになっていることが明らかなので、
こういった話をしているのです。
6
49
翻訳の学び方
うな日本語を書きますよ。
ビジネスということになると、最後はそこに行き着きます。食べ物と一緒ですよ。すご
い高級フランス料理を出して、お客から「おーい、醤油くれ!」といわれたら、どうしま
すか。(笑)いや、本当にどうしますか、冗談抜きで。同じことですよね。
「味の素、もっ
てこい」っていわれたら、どうしますか。それを考えればいいですよね。わたしは、若い
頃は、醤油や味の素を出していましたよ。
言葉なんて、そういうところがあるんです。わからないやつには、わからないんです。
皆さんが思っている以上に、この業界は「わからないやつら」が多いんです。だいたいど
この業界でもそんなものですよ。でもね、逆をいうと、
「わかる人間」もいるんです。わた
しなんかも長くやっていると、わたしの文章をすごく気に入って注文をくれる人がいるん
です。そういうお客が増えてくると、これはハッピーですね。すごくハッピーだと思いま
す。こちらもやりがいがあるし、そういった人たちは、こちらが少しでも手を抜くと「何
かありましたか」なんて、いってくる。そうしたいいお客さんと出会ったときは、すごく
幸せです。
でも、そうしたところにいくところまでが大変でしょう。そこにいくまでは、現実問題
として、かなりの泥をかぶらなくちゃ。それは、どんな商売でも一緒ですよ。要するに、
ドサまわりですよ。酔っ払い相手に、歌を歌うんですよ。
「おーい、ねえちゃん、服ぬげー」
とか、いわれながらね。
仕事って、そんなもんだよね。個人的にいえば、駆け出しの頃は仕方がないと思います。
でもね、そこで汚れてはだめ。そこで芯まで汚れてしまったら終わりです。でも、汚れる
人も多いんですよ。それで、食えちゃうから。ピアノ弾きだったら、ちょっと技術があれ
ばクラブの伴奏で食えちゃうんです。
でも、そうなったら終わりですね。だから、いまここでこんな話をしているのは、そう
なっちゃだめ、という話なんです。本科ぐらいにいくと、他の翻訳会社のトライアルを受
けたらガンガン通っちゃうんですね。そんなときには、もしヘンなところの場合には「汚
れるからやめたほうがいい」というアドバイスを送ることもある。翻訳を見る目のない連
中と仕事をしていると、おかしくなりますからね。
仕事というのは、いい仲間と出会って、いいお客さんと出会うことがいちばん大事です。
そのためには、こっちが誠実にならないと駄目ですけれど。仕事は自分だけでするもので
はないから、いいお客さんと出会うということは、本当にすごく大事ですね。そうしたい
いお客さんというのは、必ずいますから。たとえば企業のなかには、すごい人がいるもの
なんです。
あとは、相性ですね。自分の文章が好きな人もいるし、あなたの文章はいいと思うけれ
ども私には合いませんねと、はっきり言う人もいる。それで、いいんじゃないですか。
だから、最初は汚れてもいいけれど、できるだけ早くそこから抜けだすこと。そして、
いいお客さんと出会うことですね。いいお客が、わたしたちを育ててくれるんです。
50
翻訳の学び方
翻訳業界について
じゃあ、最後に業界の話をしましょう。さて翻訳業界です。まず、産業翻訳のマーケッ
ト規模ですが、あまりにも小さいので、計りようもないほどです。英会話なんかは巨大マ
ーケットですが、それに比べると、吹けば飛ぶような規模です。産業翻訳という業界なん
かないんだ、ようするにIT翻訳ならばIT業界にいるひとが翻訳をしている、金融翻訳
なら金融業界にいるひとが翻訳をしている、という意見をいうひともいますね。
クライアントは、ほとんどが大企業です。それもソニーや松下なんかの巨大多国籍企業
です。それから官庁や外資系ですね。当たり前ですが、国際業務と向き合っているところ
です。そして翻訳会社のほうは零細です。翻訳には機械翻訳と人間翻訳があるんですが、
いまは翻訳支援ソフトを使ってのジョブが多くなっています。それは翻訳オペレーターと
呼ぶべき仕事で、本当の翻訳ではないので、やらないことをお勧めします。
一部ですが、人間翻訳も残っています。これは手作業、職人の世界です。そうした翻訳
者が何人いるかは、どうもよくわかりません。翻訳をする場所は、どこででもできるんで
すが、やはり東京に集まっているようです。
皆さんが一番気になるのは、どうやったら翻訳者になれるのか、ということですね。た
いへん申し訳ないが、こういったところから翻訳者になった人はきわめて少ない。ほとん
どは、ビジネスからの転進組です。だから翻訳業界なんかないっていわれるんですよ。医
者崩れとか、弁護士崩れとか、システムエンジニア崩れとか、みんな“崩れて”翻訳者に
なるというのが、パターンですね。でも最近はこういった講座からも翻訳者が出はじめて
います。ちなみに、サイマルインターの場合は、この講座出身者が5名、サイマル・イン
ターの翻訳部で働いています。3年間で 5 人です。ほかの翻訳会社から受注しているひと
も数人います。もとの職場からのコネクションがなくて産業翻訳者になるということはか
なり難しいことなので、かなりいい線いっているのではないかと思っているんです。これ
からももっと出せるのではないかと思っています。
ただ、一年でとんとん、というのは無理ですね。ゼロからの人は、準備科をやって、基
礎科にいって、基礎科を2回ぐらいしないと、どうも駄目みたいですね。本科ではトライ
アルがあるんですが、それを1回、2回受けて、といったペースで、まあ早くで2年ぐら
いかかるのかなあというのが、実感です。ただ、2年やればスタートラインにつけるんだ
なあ、という実感もあります。どんな職業も一緒ですね。やはり2、3年はかかります。
参入はそういう方法のほかに、やはりコネですね。皆さんの親戚に大会社の社長がいる
と強いですよ。オーディションという道もあります。
翻訳者に必要な能力ですけど、ここにこんなことを書いていますが[資料7を参照]
、一
言いいたいのは、こんなことは関係なく大事なのは、絶対なるんだ!という気持ちが大き
いということです。エージェントは、前にいったように、いい加減なところもあります。
サイマルは、しっかりしています。この業界のなかで一番しっかりしているところのひと
51
翻訳の学び方
つだと思います。
最後に皆さんへのメッセージですが、これだけは読み上げておきます。
(読み上げる)
...
まず、自分が本当に産業翻訳者になりたいのかどうかを、もう一度しっかりと考えて
みてください。どんな職業でも同じですが、一人前になるには膨大な時間とエネルギ
ーとコストがかかります。そうした膨大な時間とエネルギーとコストのことを考える
と、産業翻訳者というキャリアを選ぶことは、それほど有利なものではありません。
経済的なことだけを考えれば、もっと有利なキャリアパスが数多くあります。乱暴な
比喩でいえば、産業翻訳者などという職業は、ステージダンサーに近いキャリアパス
かも知れません。それでも、やはり産業翻訳者になりたいと思う人がいれば、スター
トラインに立てばよいでしょう。
冷静に考えたほうがいいと思います。膨大な時間とコストとエネルギーがかかります。
簡単なものじゃないです。でも、それでもというなら、面白い商売ですから、目指せばよ
いと思います。まあ、役者やステージダンサーに近いですね。体を使う代わりに、ちょっ
と頭を使っているという感じですか。
わたしは、ここを「アクターズスタジオ」みたいな場所にしたいんですよ。皆さんが夢
を持ってここに入ってきて、そうすると素晴らしい先輩に出会えて、きっちりとした指導
を受けることもできる、そして夢をかなえるチャンスも得られる、そういう場所にしたい
んです。それがわたしの夢です。まだまだ、時間はかかりそうですけれど。
さあ、これで終わりです。また機会があったら、お会いしましょう。どうもありがとう
ござました。
52
翻訳の学び方
<資料編>
[資料1]
英語から日本語へ
ではなく
英語の世界から日本語の世界へ
英語の世界と日本語の世界
1.
The window was broken.
2.
The dog swam across the river.
3.
It chaired the desk. / It desked the chair.
(参考)
1.
愛犬に死なれてしまった。
2.
できたひとから帰ってよろしい。
3.
北海道は去年いったところです。
翻訳者となるためには
•
まず読むこと。翻訳者の仕事の大半は読むことです。書くことではありません。
•
つぎに自分の頭で考えること。自分のものがあってこそ他人のものを扱うことができ
ます。
•
そして書くこと。まずは自分の文章を書くことからスタートすること。翻訳はその後
です。
翻訳でもっとも大事なものはこころです。こころのこもっていない翻訳は翻訳ではありま
せん。技術は不可欠ですがすべてではありません。よい翻訳とはすぐれた技術をベースと
しつつ、こころが十分に感じとれる翻訳のことです。
53
翻訳の学び方
[資料2]
よい文章とはなにか
<さまざまな文章>
[1]
久しぶり!!元気?私のほうは学校始まっちゃったけど、そんなに忙しくないよ☆バイトしてた
居酒屋がつぶれちゃってさ^^; いいとこないかな??ところで、ゴールデンウィークの土曜に同
窓会しない?みんなとしばらく会ってないし、短大行った子なんて卒業しちゃって普段会えない
し(/_;) 場所はまだ決めてないけど、昔バイトしてた居酒屋なら安くしてくれるかも(^_^) 決
めたら連絡するね!!これメルアド知ってる人だけに送るから、メアド知ってたら他の人にも知
らせといてくれないかなあ☆彡そう言えば、先生元気かな??
[2]
この度は私共 NTS の工事によりご迷惑をおかけします。工事は六月二三日より二週間を予定し
ております。期間中は申し訳ございませんが迂回路を御使用していただくよう御願いします。工
事はお客様が私共のサービスを気持ちよくお使いいただくために是非必要なものですので宜し
く御理解下さいますよう御願い申し上げます。
[3]
新春の候、ますますご清栄のことと存じます。四月になって年度も改まり、新しい方々も入会さ
れて、皆様と一緒に歌うことがいっそう楽しく感じられるこの頃です。また、このたびは私のよ
うな物がいきなり会計係という大役をいただき、私には役不足ではないかと不安に感じておりま
す。微力ながらも皆様のお役に立てればと思いますので、よろしくお願い致します。
さて、皆様既にご承知のように、当会では四月と十月に会費を徴収しております。何かと出費の
多い次期ではございますが、皆様とご一緒にコーラスを楽しんでいくためにも、やはりそれなりの出
費が必要となってまいります。恐縮ではございますが、次回の練習の際に徴収させていただきた
いと存じますので、ご用意いただければ幸いです。
[4]
大都市の環境問題で重要なのは、水質汚濁、大気汚染、騒音問題、ゴミ処理などである。大気汚
染は、自動車やトラックからの排気ガスだけでなく、工場から出される煤煙も原因になっている
のである。バブル以降は自動車からの排ガスの割合が増えていることは、付録として最後に付け
たデータからもわかることである。
水質汚染は、高度成長期より工場排水が改善され、下水道の普及も急ピッチで進められてきたと
54
翻訳の学び方
は言え、湖沼では毎年アオコの発生が伝えられているのである。琵琶湖のアオコの発生について
データは、付録のデータとして示しておきます。
その他、ヒートアイランド現象も近年注目されている。気温が三〇度を超える時間数を調査した
ところ、約二〇年間で、東京、名古屋で二倍、仙台では三倍に増えている事が判明した。青山教
授がおっしゃるように、まさに日本の大都市は亜熱帯になったのである。
[5]
一般生活において通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えら
れ、また私にとって恐れの原因であり対象であったもののすべてが、それ自体では善でも悪でも
なく、ただ心がそれによって動かされた限りにおいてのみ善あるいは悪を含むことを知った時、
私はついに決心した。我々のあずかり得る真の善で、他のすべてを捨ててただそれのみによって
心が動かされるような或るものが存在しないかどうか、いやむしろ、一たびそれを発見し獲得し
た上は、不断最高の喜びを永遠に享受できるような或るものが存在しないかどうかを探求してみ
ようと。
[6]
申立人によると、商務省は、ハイニックス社に関する信用供与の指示を個別に分析するという過
ちを犯しており、ハイニックス社は、法的権限や判例あるいは他の法的支援の全く無い有力な証
拠および主張を無視している。申立人は、関税法によれば、政府が「(利益を生む)資金面での
貢献を民間団体に委託もしくは指示している」場合には、それが補助金とみなされると主張する。
関税法の制定過程では、商務省に対し「委託もしくは指示」という語は広く解すよう指示してい
る(理事会は、補助金の間接的な供与が CVC 法施行の有害な抜け道となるのを避けるため、
「委
託もしくは指示」という語は広義に解釈されるべきだとしている)。
[7]
デフレによる景気下押し圧力を引き続き伴いながら、2001 年は景気が悪化した。企業部門は、
景気の悪化に対応して、様々な分野で調整を行うことになった。企業収益が大幅な減少を示した
が、在庫調整を進めたことは、循環的な景気底入れのための条件を整えることとなった。しかし、
他方、バランスシート調整、資本ストック調整、賃金・雇用調整を進めたことは、景気を下押し
する要因となった。バランスシート等の調整は、中長期的な成長基盤を強化するのに必要である
が、デフレが調整を困難にしているなかで、将来における展望がみえにくい状況にある。
[8]
日本銀行は29日から金融システム安定化の一環として、民間銀行の保有する株の買い取りを始
めた。買い取りの対象は保有株式が中核的自己資本の範囲を超える大手行や地方銀行。初日はり
そなグループや中央三井信託銀行など数行が数十億円規模で買い取りを要請した模様だ。03年
55
翻訳の学び方
9月までに1行あたり5000億円を上限に、総額2兆円をめどに買い取る計画。ただ、どれだ
け活用されるかは未知数だ。日銀への株売却に「難色を示す取引企業も少なくない」
(大手行幹
部)
。
[9]
このようにシェル・スクリプトは、UNIX や MS-DOS のように、コマンド・ラインから文字列
として命令を与えられる OS でよく利用されてきました。GUI を利用した初期の Windows では、
MS-DOS プロンプトでバッチ・ファイルを実行できても、Windows 専用のシェル・スクリプト
が提供されていませんでした。ところが、COM という形態でシステム・コールや、さまざまな
プログラムの機能が呼び出せるようになったため、Windows 98 以降から WSH と呼ばれるシェ
ル・スクリプトが新たに提供されるようになりました。WSH では、Visual Basic のサブセットで
ある VBS を使って処理の手順を記述するようになっています。
[10]
FASB は、種々の金融手段およびオフバランスシート金融が開発され、取引されているのに対応
し、また、将来起きると思われる他の問題を解決する助けになる広範な基準を設定することを期
待して、1986 年に、これに関する問題を議題に加えた。しかし、金融手段をどのように認識し、
測定するかは複雑であり、最終結論にいたるまでには相当の時間を要するため、暫定的処措置と
して、金融に関する情報の開示の改善が必要であると決定し、1990 年に FASB 基準書第 105 号
「オフバランスシート・リスクのある金融手段および信用リスクの集中した金融手段に関する情
報の開示」
(FAS107 により一部修正)を、また、1991 年に基準書第 107 号「金融手段の適正価
額に関する開示」(FAS112 により一部修正)を公表した(FAS105 第 1,2,5 項、FAS107 第 1,2 項)。
[11]
2年間の講師経験からいえることは、当講座の受講生の多くが翻訳への強い勉学意欲を持ち、ま
た講座終了後もその勉学意欲を失っていないということである。ところが基礎科や本科を一度終
了してしまうと、意欲はあるにもかかわらず彼らが翻訳の勉強を続ける場がなくなってしまう。
これをサイマル側からみれば、せっかくの潜在顧客をみすみす取り逃がしていることになる。
今回の OB 会の設立案はこの両者のすれ違いを埋める一方策として考えられた。OB 会の設立に
より OB は翻訳に対する興味を持続でき、また懇親会等を通じての人的ネットワークづくりにも
役立つ。サイマル側としては OB 等へのマーケティング活動が可能となり、その他のシナジー効
果も期待できる。会の設立にはすでに一部 OB から期待の声が寄せられている。ぜひ実現させた
い。
[12]
56
翻訳の学び方
四月六日に緑から手紙が来た。四月十日に科目登録があるから、その日に大学の中庭で待ちあわ
せて一緒にお昼ごはんを食べないかと彼女は書いていた。返事はうんと遅らせてやったけれど、
これでおあいこだから仲直りしましょう。だってあなたに会えないのはやはりさびしいもの、と
緑の手紙には書いてあった。
[13]
専門家に伺ったところでは、動物の雄が配偶者を選ぶ基準は、まず雌として生活力旺盛なこと、
次に繁殖力、そして子育てが上手なことだという。人間からみて、あら可愛いいわね、などとい
うのは、彼らの目には入っていないらしい。雌が雄を選ぶ基準は、まず強いこと。おしっこ臭い
匂いを発散させ、好色であることだという。
[14]
図 1-1 を見てください。企業は資金を調達し、人材を雇い、設備や原材料を購入し、生産活動
を行います。企業は、人材に対して人件費、設備や原材料に対して原材料費などを支払います。
もちろん、資金提供者にも費用が支払われます。この費用を資金コスト
資金コストといいます。企業が生産
資金コスト
活動によって生み出した商品やサービスは、販売され、企業の収益(売上)になります。
<設問>
問1:それぞれの書き手は誰ですか(想像で)
問2:それぞれの特徴を挙げてください(できるかぎり)
問3:それぞれの問題点を挙げてください(できるかぎり)
問4:このほかにどのようなタイプの日本語がありますか(できるかぎり)
問5:好きな順に序列をつけてください(あくまで自分の感覚で)
57
翻訳の学び方
[資料3]
<英語のバリエーションをよむ>
1.
After Czar Alexander II’s emancipation of the Russian serfs in 1861, many
now-free peasants chose to live on a commune for purposes of cooperation in
agricultural production as well as for social stability. Despite some
communes’ attempts at economic and social equalization through the
strategy of imposing a low economic status on the peasants, which resulted
in their reduction to near-poverty, a centuries-long history of important
social distinctions even among serfs prevented social equalization.
2.
In 1861, Czar Alexander II emancipated the Russian serfs. Many of them
chose to live on agricultural communes. There they thought they could
cooperate with one another in agricultural production. They could also create
a stable social structure. The leaders of some of these communes tried to
equalize the peasants economically and socially. As one strategy, they tried to
impose on all a low economic status that reduced them to near-poverty.
However, the communes failed to equalize them socially because even serfs
had made important social distinctions among themselves for centuries.
3.
After the Russian serfs were emancipated by Czar Alexander II in 1861, many chose to
live on agricultural communes, hoping they could cooperate in working the land and
establish a stable social structure. At first, those who led some of the communes tried to
equalize the new peasants socially and economically by imposing on them all a low
economic status, a strategy that reduced them to near-poverty. But the communes failed
to equalize them socially because for centuries the serfs had observed among
themselves important social distinctions.
問:うえの1から3をそれぞれに翻訳してください。
58
翻訳の学び方
1.
1861 年の皇帝アレクサンドル2世によるロシア農奴解放の後に自由となった農民の多くは、
農業生産での協働および社会的安定のために共同体での居住を選択した。農民に対する貧
困化戦略による経済社会的平等化への共同体による各種試行――これが彼らを半困窮状態
に陥らせることとなった――にも関わらず、農奴間にさえ存する重要な社会的差別化の数
世紀にわたる歴史が社会的平等を阻害したのである。
2.
1861 年、皇帝アレクサンドル2世はロシア農奴を解放した。その多くは農業共同体に住む
ことを選んだ。そこで彼らは農業生産でお互いに協力できると考えた。また彼らは安定し
た社会構造をつくることができた。こうした共同体の指導者のなかには農民を経済的およ
び社会的に平等にしようとするものがいた。ひとつの戦略としてそれら指導者たちは農民
全員に対して彼らを貧困に近いところにまで引き下げる低い経済的地位を課した。しかし
そうした共同体は農民を平等化することに失敗した。なぜなら農奴でさえ数世紀にわたっ
て彼ら自身のあいだで重要な社会的差別を作り上げていたからである。
3.
1861 年に皇帝アレクサンドル2世によって解放されたのち、ロシアの農奴の多くは農業共
同体に住むことを選んだ。耕作での協働作業と安定した社会組織が得られることを願った
からである。当初、いくつかの共同体の指導者たちは、新農民たち全員に低い経済的地位
を課すことで、彼らを社会的、経済的に平等にしようと試みた。これは彼らを貧困寸前に
まで陥らせた戦略であった。しかしこれらの共同体は新農民たちを社会的に平等にするこ
とはできなかった。数世紀にわたり農奴たちはみずからのなかに大きな社会的差別構造を
保持してきていたからである。
4.
1861 年、皇帝アレクサンドル2世によって解放されたロシアの農奴の多くは農業共同体で
の居住を選択した。耕作における協働作業と安定した社会組織の獲得を願ったからである。
当初、共同体の指導者のなかには新農民すべてに劣悪な経済的地位を課すことで社会的か
つ経済的な平等を実現しようとするものもいた――そうした政策が結局のところ農民たち
を貧困寸前にまで追い込むことになったのだが。だがそれにも関わらず、こうした共同体
は新農民間における社会的平等をついに実現することはできなかった。なぜなら長い歴史
を通じて農奴たちはみずからのなかにさえ根深い社会的差別構造を構築していたからであ
る。
59
翻訳の学び方
[資料4]
<漢語の世界と和語の世界>
•
近年、金融機関の機能不全により貨幣の流通が阻害される傾向が顕著に認められる。
•
このところ、銀行のしくじりのせいでお金のめぐりがずいぶんわるいようだ。
<明治の漢字訳外来語>
明治のはじめ、西欧の文化を学ぶ必要に迫られて、おびただしい漢字訳外来語が生れた。
英学者に漢学の素養が深かったこともあって、いまから考えても実に巧妙だと思う訳語が
すくなくない。中国へ輸出したものもあるくらいである。しかし、何といっても人工的訳
語である。それで外国の文物は移入できるものと思いこんでいたのはおかしなことだ。
外国語のうち訳語がつくられたのはほとんどが名詞であった。動詞などは新たに訳語を
つくらなくてもよいときめたわけでもあるまいが、とにかく、名詞や術語だけの生硬な訳
語によってヨーロッパ文化をすくい取ろうとした。これでは目の荒いザルで水を汲むよう
なものだということに気づくには近代日本は忙しすぎたのである。文化摂取も実は要する
に、言語の問題であった。
それは翻訳書を見るとよくわかる。ことに学術書の訳書は申し合わせたように日本語と
して悪文で、原著より難解だが、これは訳者だけの責任ではない。翻訳に使える日本語の
きめが荒いから原文の密な組織をすくうことができないのである。
また、訳語の多くが人造語であるから、歴史の浅いうちは、無機的でニュアンスに欠け
る。切っても血の出る言葉ではない。そういう言葉で表現される翻訳文化はいつまでたっ
ても蓄積しないから、伝統が生れにくく、つねに新しい流行を追っていなければならない
ことになる。
名詞概念の訳語化で手いっぱいであったから、新しい知的表現にはどういう文章法が必
要かなどということは問題にもならなかった。おかげで、みんな文章を書くのにひどく苦
労しているのである。
――外山滋比古「日本語の論理」
(中公文庫pp110-111)
<時制は神の視点/アスペクトは虫の視点>
まず厳密にいうと、日本語の時制は現在のみで過去も未来もない。(略)
日本語の「た」は、過去を表すのではない。話者が、ある事柄が成立した、と主観的に判
断した時に「た」を使うのだ。テンス(時制)的には、実はどこの時点でも使えるのであ
る。話者はこれまで通り、どこにでも動いていける「虫の視線」で、状況の中にいる。そ
れは「神の視線」からみた過去/現在/未来とは、部分的に似ている要素はあっても、本
60
翻訳の学び方
質的に異なるものである。
結論を言えば、日本語ではテンスよりもアスペクト中心の表現をする。アスペクトを借り
て、テンスを間に合わせている、と言ってもいい。学校文法はアスペクトをテンスと「解
釈」
、あるいは「誤解」しているのだ。
(略)
日本語の場合はアスペクトをまず「食べる/食べた」と二大区別し、さらにそこから補助
動詞を使って「食べている/食べておく/食べてしまう/食べていく/食べて来る」など、
ニュアンスをさらに細かく分けていく。これらはひとつとしてテンス(時制)ではない。
――金谷武洋(
「英語にも主語はなかった」講談社選書メチエp88)
(参考図書あれこれ)
<英語>
英文法を考える (池上嘉彦、ちくま学芸文庫)
英文法を知ってますか (渡部昇一、文春文庫)
<翻訳>
翻訳とはなにか (柳父章、法政大学出版局)
英語の発想 (安西徹雄、ちくま学芸文庫)
<日本語>
日本語の特質 (金田一春彦、NHK 出版)
日本語は進化する (加賀野井秀一、NHK 出版)
61
翻訳の学び方
[資料5]
<産業翻訳者の仕事とは>
原文を読む――英語とはなにか
文章を書く――日本語とはなにか
背景を知る――専門知識とはなにか
作者の分身として――創作と翻訳のちがい
職業としての翻訳――生活の糧、社会的役割、そして自己満足
<よい産業翻訳の条件>
第一に、正確であること。誤訳がないことは翻訳において最も基本的な
条件です。
第二に、わかりやすいこと。ただしこれは、やさしい語彙や構文を使う
ということではありません。よく吟味され整理された翻訳は、使用されて
いる語彙や文体がどんなに高度なものであろうとも、きわめて理解しやす
いものです。
第三に、言葉として魅力的であること。たとえ正確でありわかりやすく
とも、読み手を惹きつけるなにかを持たないかぎり、その翻訳はよいもの
とはいえません。
そして最後に――実はこれが最も重要なのですが――お客様のニーズに
あわせること。お客様のそれぞれのニーズを的確に汲み取り、それを可能
なかぎり満たすことが求められます。
62
翻訳の学び方
[資料6]
<産業翻訳の世界>
1 産業翻訳とは
1-1 産業翻訳マーケット
1-1-1 マーケット規模
あまりにも小規模なため、統計がなく不明。おそらく 300~500 億円
程度か。ちなみに英会話・語学学校マーケットは 6700 億円(矢野経
済研究所資料より)
「そもそも翻訳業界などという業界は存在しないという説がある。
たとえば、IT 翻訳は IT 業界の一部で、特許翻訳は特許業界の一部だ
と考えた方が自然だ。翻訳業界の実在を示す根拠として業界団体が
存在するが、それは翻訳業界という括り方が都合の良い人達による
創作という見方もできる。
」
1-1-2 マーケット構成
需要者は主に大企業および官公庁だが、供給サイドは主に零細業者
および個人という特異な構成をもつ。
1-1-3 市場特性
人間翻訳では Economy of Scale がほとんどきかない。機械翻訳は現
実には利用不可能。マニュアルなどの分野では翻訳支援ソフトの発
展によって Economy of Scale が生じつつある。ミュージシャン(音
楽業界)や役者(演劇業界)の世界に近いともいえる。
1-2 産業翻訳者の実際
1-2-1 翻訳者の人数
これもあまりにも小規模なため、統計がなく不明。産業翻訳のみで
生計をたてている自営業者は、300~500 億円という産業規模からみ
ても、おそらく数千人程度か。
1-2-2 市場参入の方法
ビジネスマンや研究者からの転身組が主。したがって、まったく社
会経験のない産業翻訳者はほとんど存在しないと思われる。参入の
きっかけは元の職種からのコネクションによる受注、紹介による受
注が主で、オーディションなどによる受注はいまだきわめて稀。
1-2-3 収入
トップ翻訳者で年 1000~1500 万程度か(ただし特許翻訳など一部の
63
翻訳の学び方
領域は別)
。
1-2-4 必要な資質・能力
基本的に、あらゆるビジネスマンと同じ。
豊かな人間性、卓越した専門力、広範な経験と知識、確実さ・緻密
さ、そして強い精神力と体力。
● 豊かな人間性:エージェントやクライアントに満足を与えるため
に必要不可欠。人を思いやる気持→「何にお困りですか」が、す
べてのビジネスの基本。
● 卓越した専門力:日本語文章力、英語理解力、専門知識の3つを
兼ね備えることが重要。また翻訳技術のエッセンスも習得してお
かなければならない。
● 広範な経験と知識:ビジネス経験、翻訳経験ともにはあればある
ほどよい。また専門・一般知識も、幅広ければ広いほどよい。
● 確実さ・緻密さ:つねに合格点をとれる確実さ、ミスをしない緻
密はプロとして不可欠。
● 強い精神力と体力:これはもう、いわずもがな。
1-3 翻訳エージェントの実際
1-3‐1 翻訳エージェントの数、規模
数百社程度か。規模はスタッフ数名、クライアント企業 10 社以下、
売上高 1 億以下という零細企業が多い。常駐翻訳者がいるケースは
稀。総合的な企業は少なく、ほとんどが分野別にすみ分けている。
1-3‐2 翻訳エージェントの役割
顧客の発掘と管理、商品(翻訳)の品質管理、仕入先(翻訳者)の
発掘と管理。商品が情報であり、一品生産であることを除けば、通
常の商社などと機能はほぼ同じ。
2 産業翻訳の実際
2-1 実際のジョブ・フロー
引合い(顧客からエージェント)→見積(エージェントから顧客)
→発注(客からエ)→受注・翻訳依頼(エから翻訳者)→応諾・翻
訳(翻訳者)→納品(翻からエ)→チェック・リライト(エ)→翻
訳納品(エから顧)→チェック・受納(顧)→請求(
(エから顧)→
支払い(顧)
2-2 抱える問題
64
翻訳の学び方
顧客サイド:よいエージェント(安くてうまい)がみつからない。
納期をもっと短くしてほしい。
エージェントサイド:よい顧客がみつからない(翻訳に理解がない)
。
よい翻訳者(安くてうまい)が見つからない。チェック・リライト
に労力がかかる。
翻訳者サイド:全体の流れがみえない。最終プロダクトがみえない。
納期が短い。翻訳料が低い。
65
翻訳の学び方
[資料7]
サイマル・アカデミー 産業翻訳コースについて
サイマル・アカデミー翻訳者養成(産業翻訳・英日)コースの特長
本コースは、サイマル・インターナショナル翻訳部の仕事を依頼できるハイレベルの産
業翻訳者の養成を目的として、2002 年秋に設立されました。本コース設立の背景には、近
年の英日産業翻訳ビジネスにおける内容の多様化・高度化が挙げられます。近年、産業翻
訳者には、卓越した言語能力に加えて、より深い専門知識、IT 技術を駆使した高いリサー
チ能力が強く求められるようになってきました。しかしこうした新しい時代のニーズに的
確に対応できる産業翻訳者の数は現在のところきわめて限られているのが実情です。そこ
で新たに優秀な産業翻訳者を養成することにより、受注量が増えているサイマル・インタ
ーナショナルの翻訳ジョブに対応するとともに、ひいては日本の産業界の発展にも寄与し
ようという狙いがあります。
本コースの特長としては、
「翻訳者養成コース(産業翻訳英日)案内」の「3.本コース
の特長」に挙げられているとおりですのでどうぞご参照ください。
そのなかでも本コースでは特に「産業翻訳者とはビジネスマンである」という観点を重
視し、
「ビジネスコミュニケーション力」の養成に力を注いでいます。産業翻訳者の希望者
には「ビジネスマインド」が欠けているケースが多くみられます。産業翻訳者とは翻訳プ
ロジェクトを行うビジネスチームの 1 メンバーであることを自覚することがとても重要で
す。英語や言葉が得意なだけでは産業翻訳者には向いていません。
いわゆる「翻訳力」といったものは不可欠ではありますが、産業翻訳者に必要な能力の
すべてではありません。チームのメンバーとして当該翻訳プロジェクトにいかに貢献でき
るかが、産業翻訳者にはつねに問われるわけです。こうしたビジネスマンとしてのマイン
ドセットを身につけることが本コースの重要な目標のひとつとなっています。
基礎科、本科それぞれの授業内容や特長、違いについて
本科と基礎科では、レベルが異なるほかに、授業の進め方自体が異なります。
基礎科では、講師の講義と課題に関するディスカッションが中心になります。一方、本
科では講師の講義は基本的に行われず、ケース・スタディ形式の学習が中心となります。
たとえば、ある課題を「仮想ジョブ」としてそれぞれの受講生、または受講生グループに
「発注」し、それを仕上げて「納品」するというものです。その際に、受講生はケースに
よって単なる翻訳者としてだけではなく、翻訳者グループリーダー、翻訳コーディネータ
ー、エディターなどの役割をも課られます。こうして、翻訳ビジネス全体に精通するプロ
フェッショナルとしての能力を高めていくことになります。このケーススタディプロジェ
クトのあいだには、授業中だけではなくメーリングリストを使って受講生間のディスカッ
ションが毎日のように行われます。まさに本物のジョブそのままのプロセスを体験するこ
66
翻訳の学び方
とになります。
また本科ではサイマル・インターナショナル翻訳部の協同のもとに、
「トライアル・ジョ
ブ」の機会が与えられます。これはサイマル・インターナショナルが本科受講生にジョブ
を依頼するというものです。もちろん本当のジョブではありませんが、その依頼システム
や交渉などは、すべて本当のジョブと同じやり方です。受講生はこれを受けることもでき
ますし、断ることも可能です。受講生から期日に納品された翻訳は、サイマル・インター
ナショナルのほうで詳細にチェックされ、レベル判定やコメントとともに、受講生へと返
却されます。受講生は実際の翻訳ジョブとはどのようなものかを、まさに肌で感じ取るこ
とができるとともに、みずからの実力を客観的に把握することができます。
プロの産業翻訳者に求められる資質
これはあくまで私個人の意見として聞いてください。まず、プロ産業翻訳者に求められ
る「能力」となると、サイマル・アカデミーのパンフレットにあるように、語学力、幅広
い教養、優れた文章力といったことになるのでしょう。これらは、訓練でなんとかなる(か
も知れない)部分ですね。
一方で、プロ産業翻訳者に求められる「資質」としては、豊かな感受性、高い知的能力、
頑健な体、強い意志といったところでしょうか。でも、これでは他の仕事でも同じですね。
結局はどの仕事でも求められる「資質」はだいたい一緒なのかも知れません。翻訳者とし
てそれにあえて付け加えるなら、言葉への情熱といったところかも知れません。しかし、
こんな「資質」をすべて兼ね備えている翻訳者なんか、本当にいるんでしょうか。1 つや2
つ、なくったって、なんとかなるような気がします。
これから産業翻訳の勉強を始める方へのメッセージ
...
まず、自分が本当に産業翻訳者になりたいのかどうかを、もう一度しっかりと考えてみ
てください。どんな職業でも同じですが、一人前になるには膨大な時間とエネルギーとコ
ストがかかります。そうした膨大な時間とエネルギーとコストのことを考えると、産業翻
訳者というキャリアを選ぶことは、それほど有利なものではありません。経済的なことだ
けを考えれば、もっと有利なキャリアパスが数多くあります。乱暴な比喩でいえば、産業
翻訳者などという職業は、ステージダンサーに近いキャリアパスかも知れません。それで
も、やはり産業翻訳者になりたいと思う人がいれば、スタートラインに立てばよいでしょ
う。
67
翻訳の学び方
[資料8]
翻訳はどこまで可能か
翻訳とはある言語を、単に他言語に置き換える作業ではなく、それの意図する
ことを正確に100%再現することであると考える。
従って翻訳にあたっては、まず原文を良く読み、噛み砕き、言わんとすること
を十分に把握し、理解することが第一の必須事項である。このためには、原文
の背景にある文化、慣習、現在の状況、環境などの理解、知識、洞察力などが
不可欠となる。
原文の理解には,高い語学力が必要なのはいうまでもない。そして、その内容
を的確な他言語に置き換え、読みやすく表現するための幅広い語彙、そして、
理解しやすい平易な文章にする力が必要不可欠であることは言をまたない。
また、通常使用しない専門的な、耳慣れない用語、あるいは業界用語に遭遇し
た際に、効率良くその言語を調べ、理解し翻訳する能力も要求される。
翻訳が完了した後、さらに翻訳文を読み直し、推敲し、もれや誤訳が無いか、
全体の流れが無理なく自然で読みやすい文章であるかを、読む人の立場にたち
最終的に確認し翻訳を完成させる。
上記の能力を備えた翻訳者が、上記の方法で翻訳を行い完成させれば、ほぼ9
8%以上の完全とも言える翻訳が可能であると信ずる。
しかし、これから翻訳を学ぼうとする自分にとって以上の能力を身につけるこ
とは、至難の技のように思われ、どのようにしてこれらの技術を身につけるの
か途方にくれる思いである。一方、翻訳者となる方法は、着実に一歩一歩力を
つけてゆくことであり、すべては、自分の努力にかかっていることを考えると
ファイトが湧いてくる。
68
翻訳の学び方
また、多くの翻訳を手がけ経験を積んでゆく過程で一つ一つ身につけてゆくこ
とで目標の98%完全な翻訳が可能になるのではないかと思う。
今回の「翻訳入門」コースで学ぶことにより、何らかの手がかりを得られると
信ずる。
以上
69
翻訳の学び方
「翻訳はどこまで可能か」
『翻訳は原文を裏切る事である。
』とも言われるが、必ずしもそうである必要はない。原文
とその作者の趣旨に添って、可能な限り原文に近く翻訳することは不可能ではないと考え
る。その為には、原文の意味を忠実に、そして作者の意図を十分に理解する必要がある。
従って、翻訳者の原文に対する解釈が非常に重要な位置を占めると思われる。
では、翻訳者が自身の解釈を交えて原文を翻訳した場合、原文と比較してそれは翻訳にな
るのであろうか。あるいは、原文を離れて翻訳が一人歩きをする事になるのであろうか。
原文と作者の関係を良く理解している場合には、行間にある雰囲気をも翻訳することは、
読み手がその原文を解釈する為に役立つ事もあろう。しかし、それが程度を超えてしまう
と、原文の翻訳ではなくなり、独立した一つの文章となってしまう。それでは、全て直訳
で良いのだろうかという疑問も残る。原文の意味を忠実に直訳した場合、不自然な文章に
なる場合が多々ある。また反対に、自然な文章の流れに固執して意訳すると、原文の持つ
独自の雰囲気が損なわれてしまうことになる。従って、原文と翻訳者の解釈との微妙かつ
絶妙なバランスが、翻訳がどこまで可能であるかを左右するのではないだろうか。
また、翻訳を翻訳たらしめるには、やはり、原文を忠実に理解することが、翻訳をする為
の正しい解釈に繋がると考えられる。原文を十分に理解することにより、翻訳者の解釈と
原文とのバランスが翻訳文の中できちんと生かされるであろう。そして、翻訳が翻訳文で
ある為に重要な事は、原文の持つ独自性を壊さないように翻訳する事である。まず原文が
あってこそ翻訳が生まれる。原文に添った解釈から翻訳をするということである。つまり、
『翻訳がどこまで可能であるか』という事は、すなわち、あくまでも『原文を超えない所
まで』ということになるのではないだろうか。
70
翻訳の学び方
「翻訳はどこまで可能か」
翻訳とは、ある言語で書かれた内容(以下、原文)をそのままでは理解できない人たち(以
下、受信側)が理解できるようにする作業である。そして、この橋渡し的役割の限界は、原
文の内容とは異なってしまう可能性を持つことだろうか。しかし、このプロセスがあるか
らこそ新しい価値を提供できる可能性もまたあるのである。
原文どおりに「言葉を当てはめ」ようとすると、対応する言葉がない場合がありうる。
それは、各言語が土地や歴史と深く関係するものであり、全く違う背景の下で培われた別
の言語同士が一対一に対応するとは限らないからである。これは単語レベルから表現方
法・ものの捉え方に至るまで、全てにおいて言えることであり、このことが翻訳の限界の
一つとなり得る。つまり、受信側にない表現や単語をすでにあるものを駆使して説明する
と、限りなく等しい意味であっても伝えきれない場合も考えられるのである。
上記のような場合を含めて、原文どおりにただ「言葉を当てはめる」だけでは受信側
にうまく伝わらないこともあるため、翻訳の段階である程度の「言い換え」が必要となる
場合がある。
「言葉を当てはめる」ということが「直訳」とすると、「言い換え」とは「特有
の言い回しや表現を含めて原文の内容を理解し、受信側が理解できる表現で原文を再現す
ること」だろうか。原文の内容が欠けることなく、また原文にない新たな情報を初めから
存在していたかのように付加することなく、試行錯誤する必要があるだろう。しかし、こ
れは原文が一度解釈されることを意味し、このことも翻訳の限界の一つとなり得ると考え
るのである。ここでの解釈を間違うと、再現されたものは原文とは大きく異なってしまう
からである。
しかし、上記のような限界はあるものの、再現されたものが受信側に受け入れられれ
ば、原文以上に影響力を持つ場合もある。そのため、翻訳ステップの出来次第で、受信側
にはそれまで存在しなかった単語や表現が生み出され、それらが新しく定着していく可能
71
翻訳の学び方
性もあるのだ。
72
翻訳の学び方
翻訳はどこまで可能か。
(質問の意味が少し不明でしたが、どこまで可能か、という意味を
原文にどこまで忠実に訳することができるかというように理解をしてまとめました)
。
一口に翻訳と言っても、翻訳をするもとになる文章には話す言葉と同様に、さまざまな種
類があるが、大きく分けて、物の取扱い説明書、契約書、新聞雑誌等の記事、政治、経済
関連文書等のノンフィクションの分類に属するものと、小説を代表するフィクションの分
野の二種類ということになる。翻訳する場合に翻訳者による影響が大きいのはフィクショ
ンでは当然のことだが、ノンフィクションにおいても例えばエッセイや雑誌記事であって
も、それを書いている人間の意向が内容に含まれて要る場合、翻訳という作業における翻
訳者の影響が多かれ少なかれでてくるのは同じである。世の中には何百という種類の言語
があるということだが、どの国の人間であれ、生活の営みというものは基本的にさほど違
いがあるわけではなく、よって書かれている文章もどの分野においても、国や言語によっ
て大きな違いというものはないはずだと考える。
ここでは「翻訳」ということで文章を別の言語に置き換えるという作業だけに焦点をあわ
せるが、その国一つ一つの文化というものが、ものの言い方や書き方に大きな影響を与え
ていることは決して忘れてはいけない大きな要素である。要するに、別の言葉をもつ国の
考え方やものの言い回しなど(すなわち文化ということになるが)をどこまで理解してい
るか、ということが、別の言葉に置き換える場合、限りなく原文に近い翻訳をするための
大きな手がかりになると考えている。
中学生になって、初めて英語を習い始めたころだったと思うが、駅の階段で英語と日本語
の二つの言葉で書かれたサインに目がとまったことがあった。日本語では「右側通行をお
願いいたします」と書かれてあったものが、英語では「Keep right」とのみ書かれており、
「そんな簡単な書き方になるのか」と妙に感心した記憶がある。考えてみれば、このよう
な簡単な標示のようなものであっても、ここには日本独特の丁寧な言い回しと、英米系の
簡潔なものの言いようとの文化的違いが現れている一つの例になる。
どこまで翻訳は可能か。同じ人間が日々の生活の上で似たようなことをただ単に違う言葉
で発しているだけであるはずだから、限りなく近い翻訳は基本的には可能だと思う。ただ、
どのような文章であってもその言葉を持つ文化のエッセンスを加えるかどうかがしっくり
いくためのキーになるのではないか。そして忘れてはいけないのは、どの国の言葉であっ
ても言葉はどんどん変化していく、ということであると思う。そこに生きている人間のそ
の時々の感覚が、話し言葉だけではなく、書き言葉をも変えていくので、そのような文章
73
翻訳の学び方
を、またさらに翻訳する言語サイドの感覚にも合わせていくことが原文に近い翻訳を可能
にするために大切だと考えている。
以上
74
翻訳の学び方
翻訳はどこまで可能か
地球全体のグローバル化が叫ばれる今日、私達を取り巻く生活環境も一昔前とは異ってき
ている。今ではちょっとした規模の書店であれば、多種多様な外国語書籍も簡単に購入す
る事が出来る。原書は勿論、その和訳も書店に所狭しと並べられており、ロングセラー小
説などは、時代の流れてと共に複数の翻訳家に訳され、それぞれが読者に愛読されている。
数多くの翻訳家に今も尚、訳され続けている私の愛読書に、L.M.モンゴメリーの「赤毛
のアン」がある。
「赤毛のアン」の訳と言えば、村岡花子氏が真っ先に思い浮かぶ。本の舞
台であるプリンス・エドワード島(P.E.I)や、カナダと言う国、文化にも非常に興味を持
ったのを覚えている。ところが、この「赤毛のアン」に原書を通して巡り会えた日本人の
数は少ないと考えられる。原書の美しい風景描写、魅力的なセリフまわしが忠実に和訳さ
れているか、文化、言葉の異なる国で書かれた小説を、日本人にしかない思考回路のもと
違和感なく訳す事で、翻訳が単なる言葉の移し替え作業の域を超え、異文化への架け橋に
なり、
「赤毛のアン」が日本中の人々に愛読されるまでになったと思う。多くの日本人観光
客が日々カナダを訪れ、国内では P.E.I.や「赤毛のアン」に関する協会、団体、愛好会等が
数多く存在する事を考えると、村岡氏は単なる翻訳家ではなく、異文化コミュニケーター
の代表者と言える。つまり、翻訳を単なる翻訳で終わらせない、その「作業」に奥深さを
持たせるのは、翻訳家次第ではないかと思う。
翻訳=言語変換と言うと、
「言葉を扱う」イメージが強いかと思うが、前述の村岡氏の「赤
毛のアン」にある様に、翻訳は言葉の表面をなぞるだけではなく、自身の仕事への取り組
み方で、翻訳の幅が狭くも広くもなるものだと思う。翻訳作業には探究心が欠かせない。
原書を忠実に訳す為の探究心、翻訳作業そのものを向上させる為の探究心など、探究心に
も色々あるが、その探究心が翻訳の可能性を無限にする。翻訳の可能性は自ら切り開くも
のであると考える。
以上
75
翻訳の学び方
「翻訳はどこまで可能か」
どんな文章においても、完璧な翻訳というものは存在しない。しかし、
「限りなく完璧に
近い」翻訳をすることはできる。翻訳はどこまで可能なのか、自分の体験をもとに考えて
みたい。
私はアメリカに滞在した経験がある。渡米してすぐは英語の文章を聞くと日本語に訳し
て理解し、自分の言いたいことは日本語から英語に変えるという作業を常に頭の中で行っ
ていた。だが、だんだん慣れるにつれて、頭の中に「英語で考えるモード」ができてきた。
つまり、英語は英語のまま理解し、そのまま英語で返答できるようになったのだ。これは、
英語だけを使って暮らすにはとても便利で楽な方法だった。しかし、その方法を身につけ
るようになって考えたことがある。それは、完璧な翻訳などできないのではないか、とい
うことだ。これは二つのできごとがきっかけになっている。
一つ目のきっかけは、高校の壁に貼ってあった、松尾芭蕉か誰かの俳句を英訳したポス
ターだ。五七五などであるはずもなく、まるで違う作品のようになっていた。横に並んだ
日本語の俳句と比べて、果たしてこれは「英語版」俳句といえるのだろうか、考えてしま
った。確かに意味は伝わっているかもしれないが、もとのことばからにじみ出ている背景
や雰囲気はまったく異なったものになってしまうからだ。
また、テレビでなにかの授賞式を字幕つきで放送していたときにも、同じような違和感
を感じた。司会の人がアメリカの会社の商品名を使ったジョークを言っていたのだが、字
幕では固有名詞を出さずに訳されていた。その商品のことを知っているアメリカ人にとっ
ては面白いジョークだったかもしれないが、知らない人にはいまいち理解できなかったと
思う。たとえ商品名を出したとしても、おかしくもなんともなかっただろう。
このようなきっかけがあり、完璧な翻訳など到底できないのではないかと考えるように
なった。いくら一語一語ていねいに訳していったとしても、すべてが伝わるわけではない。
76
翻訳の学び方
背景がわからないと理解できないこともある。かといって、余計な説明を入れても俳句の
美しさは崩れてしまうし、ジョークの面白みは薄れてしまうだけだ。
完璧に翻訳できないものをどんなふうに訳し、伝えればいいのか。それが翻訳をする者
の腕の見せどころだと思う。極端な逐語訳だと、訳した文章がことばとして成り立たなく
なってしまうかもしれない。まったくの意訳だと、本文とかけ離れてしまう可能性もある。
両者のあいだでうまくバランスを取り、より完璧な翻訳に近づけていくことで、
「限りなく
完璧に近い」翻訳ができるのではないだろうか。
77
翻訳の学び方
「翻訳はどこまで可能か」
100%の理解を目指してはいるけれど、意訳をしたところで文化・歴史・背景の異な
る国の人の言葉が表現したいものを完全に理解するというのは無理であると考えます。
翻訳というのは、異なる国の言葉を異なる国の言語に直して、その国の人間に理解させよ
うとするので、平たく言えば、勿論、
“これは林檎です。
”や、
“これはあなたのペンですか?”
というものは意訳することなく、ほぼ100%翻訳できるといえると思います。が、人間
の想像力が生み出す文章というのは、そう単純なものではありません。読者、或いは聴衆
に最も訴えたいある事柄を印象付けるために、他の言葉を用いて、または遠回りして説明
したり、歴史的見地から何か具体例を挙げ、更なる理解を期待したりと、ダイレクトに意
見するよりも効果がある場合もあるものです。但し、これは例えば通常の文章に対しての
意見です。
では、他に最も困難を極めると思われるものとして挙げられるものは何か、と聞かれれ
ば、やはり日本の俳句である気がしてならないのです。意味は伝えられても日本で長く生
活をしていないと、このよさは伝わりませんし、日本語の響きの美しさの話にまで発展し
てしまい、翻訳の域を逸脱してしまうと思いますが。
しかし、これを本業としている人々がおそらく感じているであろうことをあえて言うな
らば、この困難さこそ翻訳の醍醐味であり、いつまでも続くかもしれない、しかし答えは
すぐに出ないとも限らないものだからこそ、克服しようとチャレンジし続けられるのでな
いかと思います。
78
翻訳の学び方
「翻訳はどこまで可能か」
翻訳というプロセスについてまず考えると、そこには二つの段階がありそれぞれに課題が
あります。第一にどこまで原文を忠実に理解できるか、第二に理解したことをどこまで訳
文に反映できるかということです。
第一の課題である「原文の理解」ですが、理解するためには内容の基礎的背景の知識や原
文に書かれていることの知識が必要です。テクニカルな話題なら製品知識、時事問題やエ
ンターテイメントでは文化・歴史・政治経済など多岐にわたることが考えられます。文面
には現れない作者の意図を理解することも重要で、言葉の微妙なニュアンスや論理の展開
を読むことが要求されます。また言葉の使い方には作者の個性や言葉の概念に対する個人
的な認識も反映されているので、場合によっては作者本人に方向性を確認しながら判断し
なくてはなりません。
第二の課題である「訳出」に必要なものは、原文の概念を最も忠実に体現する言葉と文章
スタイルの組み合わせを選び、適切に運用していく力であると思われます。原文の内容や
レベルによって、訳出言語の成り立ちにまでさかのぼるほどの言葉に対する深い理解と、
その言語を使用する社会や人々の知識、文章の作成力・構成力が求められます。
これらのプロセスから、つまり翻訳とは、原文の内容を一度概念に戻し、その概念を異な
る言語で表現するプロセスであると言えます。
改めて翻訳はどこまで可能かを考えてみると、翻訳者に十分な力量があり、作業時間や表
現方法などの物理的制限がなく、かつ内容について原文の作成者とも討議できる環境にあ
79
翻訳の学び方
るならば、理論的には 100%に近い翻訳が可能かもしれません。ただ現実問題として、言葉
は変化しつづける生き物であるがゆえに、100%の翻訳は実在しないと思われます。
80
翻訳の学び方
「翻訳はどこまで可能か」
翻訳について学んでみたい、いつも頭の片隅にはそういった願望があったが、
今まで翻訳という作業について深く考えてみたことがあっただろうか。翻訳に
ついてイロハも学んだことがない私に「翻訳の可能性」について論じることが
できるかどうかと不安にかられ、翻訳技術について書かれた指南書を数冊購入
し、それらにざっと目を通してみるところから始めた。それらを読み進むにつ
れて、「なぜ翻訳を学びたいのか」という疑問に自ら向き合うことにもなった。
結論から言えば、翻訳には無限の可能性があるのではないだろうかと思う。そ
れが理想論ではあると自覚はしているが、翻訳業務に対する私の正直な感想で
ある。
文化的背景が異なれば、あるひとつの事象を表現することわざも、全く違っ
た言い回しで表現される。その点で映画の字幕などは、文字数も限られたなか
でその場面の様子を的確に簡潔に伝えなければならないし、非常に大変な作業
なのではないだろうかと思う。数年前、知人が管理していた占星術のウェブサ
イトで、週刊占いの英日翻訳のアルバイトをさせてもらったことがあるが、占
星術師が書いた原文を理解しやすい日本語へと変換することの困難さを多少で
はあるが身をもって体験した。短い期間ではあったがその作業を通して、明確
な翻訳をするためにはその対象の分野について必要最低限の知識が要求される
のだということを痛感し、また自分自身の英語力はもちろんのこと、日本語力
の貧弱さにも幻滅した。当初は週ごとに天体チャートを送ってもらい、さらに
占星術書を2冊ほど使って、占星術を学びながら翻訳作業を進めるような状態
で、最初は間違いだらけで差し戻される事も多かった。
私が体験した翻訳作業は、「翻訳」と胸を張って言えるほど高度な内容もの
ではなかったが、それでも、読み手に違和感を感じさせることなく正確な翻訳
をするために、翻訳者には外国語力、知識、調査能力、日本語力など多岐にわ
たる素養が必要とされるのだと気が付き、漠然としたとした恐怖を感じた。そ
れは今でも消えることはない。職業として産業翻訳、文芸翻訳に従事するとも
なれば、必要とされる知識や教養も膨大になるだろうし、質の高い素養が要求
されるであろう。考えれば考えるほど、翻訳に対する恐怖心は増すばかりで、
果たして本当に無限の可能性が存在するのかと不安になるが、非常に困難な作
業であっても、翻訳者の努力次第で、未知の可能性を開拓していくことは可能
なのではないかと信じたい。
私自身が翻訳技術について学びたいと思った根底には「総合的に英語力を高
めたい」という願望がある。他言語を母国語へ、母国語を他言語へと翻訳する
という訓練を受け、習得し、研鑽を積むことによって、新たな知識や教養を蓄
81
翻訳の学び方
積することができるのではないだろうかという希望も抱いている。技術を習得
していく過程において得た知識や教養をいずれは社会に還元し、世の中の役に
立てることが出来るようになれば幸いに思う。
82
翻訳の学び方
83