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大阪讃岐うどんと味覚の場所性

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K O T
No.30
2012
O
W
A
R
I
特集 1
『新しい空港経営の可能性
LCCの求める空港とは』
を発刊するにあたって
野村宗訓
特集 2
自著を語る
─ 3 月の新刊から
関西学院大学出版会
KWANSEI GAKUIN UNIVERSITY PRESS
通 天 閣
──新・日本資本主義発達史
酒井隆史
通天閣がこの世にあらわれてから今年で百年になる。といっても、現在の通天閣
は戦後に再建された二代目なので、初代から数えて百年というのが正確である。初
代通天閣の誕生から百年ということは、新世界も百歳を迎えるということである。
新世界は、オープン当時は、興行街とそれにくわえて「ルナパーク」なるいまでい
うテーマパークの走りをそろえた、最先端の夢の町であった。というか、そのよう
新世界と通天閣の誕生日は、一九一二年の七月一日である。なんでもないようだ
コトワリ
もくじ
No. 30
巻頭エッセイ
2012
酒井隆史
通天閣 ──新・日本資本主義発達史
特集
『新しい空港経営の可能性
野村宗訓
LCCの求める空港とは』
を発刊するにあたって
—2—
に宣伝された。
が、実のところ、この日付は意味深である。一九一二年七月一日は元号でいうと明
治四十五年である。ところが、オープンして一カ月もたたない七月三十日に明治天
皇が死去し、元号も大正になる。まさに新世界と通天閣は明治という時代の幕引
明治天皇の死去とそれにつづくさまざまな規制、そして厳粛ムードは、オープン
き、大正という時代の幕開け、これら二つの時間の狭間に生まれているのだ。
したばかりの新世界にとっては不運であった。当初はにぎわった人出も途絶え、新
世界と経営母体(大阪土地建物会社、以下大土地)は、いきなり苦境にたつことに
なる。元兇はそれだけではなく、目玉のルナパークであるが、夢の世界というには
ズッコケ感も強かったようで、当時の新聞記事などにはその板につかないハイカラ
ぶりがしばしば揶揄されもしている。窮境脱却のために大土地経営陣は四苦八苦す
2
4
1
るのであるが、窮地を救ったのが、法の隙間を縫ってすすめられた新世界の花街化
新連載 世界から
大いなる怒りの年
第
─
自著を語る
保育支援の試み
【家(イエ)と私】
連載 差異の詞典
営業部だより
海老坂武
晃
山口知子
荻野
鳥羽美鈴
谷村宏子
北原鉄也
佐藤保久
保険料自由化に学ぶ金融風土変革のあり方
金融自由化と金融経済教育
近刊ピックアップ
室田保夫
月の新刊から
3
音楽療法の視点に立った
多様性のなかのフランス語
NATOの東方拡大
エスニシティを問い直す
近代日本の光と影
特集
回
であり、決定的であったのは、一九一六(大正五)年に突如として認可のおりた、
新世界より南わずか二百メートルほどの位置にあらわれた飛田遊廓であった。その
新・日本資本主義発達史』(青土社)では、
結果、新世界はテーマパークを基軸とした健全娯楽の世界から、なんとも猥雑な町
─
昨年末に上梓した拙著『通天閣
へと変貌することになる。
このプロセスをすこし詳しく調べてみた。新聞記事からみえてきたのは、そもそ
も、当時は一部では悪名もはせていた投機家でもあった大土地創始者たちが、新世
界オープン以前からのちに遊廓指定地となる広大な土地を買い占め、遊廓設置にむ
けて懸命の運動をおこなっていたことであり、健全娯楽の場を条件に経営をゆだね
られた新世界自身も当初より花街化のもくろみをもっていたことである(後者につ
長町スラムから釜ヶ崎へ
─
いては、戦前に編集された大土地による新世界史ですでにふれられている)。
─
資本家たちの投機的野心、地方政界中央政界との癒着、交通網の発達、そしてめ
まぐるしく変容するその周辺の姿とひとの流れ
の目もくらむような衝突のうちに、この新世界の
はじまりはある。その渦巻きに分け入って目をこ
らすと、日本資本主義というものの歴史の一断面
が浮き彫りになり、さらには、いまだ奇妙で世に
さかい・たかし)
も魅力的な町である新世界界隈の秘密の一端がみ
(大阪府立大学
えるような気がするのである。
—3—
6
12 11 10 8
13
14
15
16
1
2
特
集
1
『新しい空港経営の可能性
LCCの求める空港とは』を発刊するにあたって
むねのり
イマークという新規事業者が札幌、福岡
をベースとして運航を開始しました。そ
の後も、スカイネットアジア(現ソラシ
ド エ ア )、 フ ジ ド リ ー ム エ ア ラ イ ン ズ な
どの参入者が出現したおかげで、利用者
の選択肢は増えています。しかし、飛行
機本体の購入や発着枠(スロット)の獲
得、機体整備に伴う契約など、克服すべ
き課題が多く、必ずしも順調な経営が継
安チケットで顧客をつかんだロー・コス
も、航空事業の自由化は急速に進み、格
和が推進されました。規制産業のなかで
で、経済活性化を目的に民営化と規制緩
政権とアメリカのレーガン政権のもと
一九八〇年代にイギリスのサッチャー
わが国でも、大手の航空会社であるJ
るのかというのが本書の問題意識です。
の自由化について、どのように分析でき
と 表 裏 一 体 の 関 係 に あ る「 港 」( 空 港 )
くなっています。「空」(航空)の自由化
業界のダイナミックな性格はますます強
併再編成が避けられない状況です。航空
め、世界的なアライアンス(提携)や合
港の経営は苦境に立たされています。民
路線を減便している影響により、地方空
営破綻に陥った後、子会社も含め、地方
者には不公平感が残ります。JALが経
の路線だけに集中すると、地方部の利用
くれそうです。ただ、それが都市圏発着
を満たす格安料金のフライトを増やして
航空自由化がようやく利用者のニーズ
Cを別会社として設立しました。
ファンドと協力して、ピーチというLC
の むら
野村 宗訓
続できているわけではありません。その
ト・キャリア(LCC)が躍進したこと
ALとANAに対抗して、割安料金で利
—4—
関西学院大学産業研究所所長
はよく知られています。その一方で、同
用者を獲得しようとしてエアドゥやスカ
ような中で、ANAが昨年、香港の投資
時多発テロやリーマン・ショックの影響
関西学院大学経済学部教授
によって、航空会社の業績が悪化したた
四六判並製 124 頁
定価 1365 円(税込)
カンダリー空港を拠点としているので、
リスでは、LCCが地方空港や郊外のセ
営化・規制緩和の先駆的な国であるイギ
かが関心事となっています。
と同様に、大きな経済効果をもたらすの
とって、アジア・オープンスカイが欧州
営を分析対象としてきたグラハム先生に
らも、この統合は注目されています。
で初めて複数空港の一括運営となる点か
らの空港の活性化に寄与しています。
ンエアーをはじめ、多数のLCCがそれ
二地点で結ぶイージージェットやライア
が多くなっています。欧州全域の都市を
立当初に、民間企業の創意工夫が発揮で
んだ赤字企業となってしまいました。設
一兆三千億円にも及ぶ累積債務を抱えこ
し た が、 建 設 費 が か さ ん だ 結 果、
にも珍しい海上空港としてオープンしま
一九九四年に、関西国際空港は世界的
LCC、空港経営についても詳しく論じ
伸也氏から、アジアのオープンスカイと
済学の研究者である東京工業大学の花岡
て説明してもらいました。また、交通経
頭と既存キャリアとしての対応策につい
務取締役である篠辺修氏に、LCCの台
すので、本書ではANAのサイドから専
新設されるピーチが関空を拠点にしま
乗降客数はむしろ増加傾向にあるところ
二〇〇九年秋にイギリスの空港実態調
決が長期化するだけに、新しい空港経営
査に出向いた時に、空港経営の研究で著
によって成長を支える必要があります。
東日本大震災以降、日本経済が著しく
“Managing が改善する見込みは立ちませんでした。
L C C が 定 着 す れ ば、 都 市 圏 の み な ら
てもらっています。
そこで、政府は黒字経営を続ける伊丹空
ず、地方空港でも観光や外国人労働者と
きるようにという政策的な意図から、株
港 と の 経 営 統 合 を 実 現 す る た め に、 昨
いう潜在的需要を大きく伸ばすことが期
名なウェストミンスター大学のアン・グ
年、 法 律 改 正 を 行 い ま し た。 新 た に ス
待されています。近い将来、アジア広域
冷え込んでいます。エネルギー問題の解
と い う 著 書 で す が、 二 〇 〇 八
Airports”
年には三版まで重ねています。ヒアリン
タートする関空会社は政府の傘下に置か
経済圏で旅行や留学、就活や出張が気軽
式会社という形態がとられましたが、経
グ時に意見交換したことを契機として、
れるものの、空港経営の運営権について
にできる時代になると信じています。
済状況は悪化するばかりで、関空の経営
昨年と一昨年の二度にわたって、関西学
は 民 間 企 業 に 譲 渡 す る「 コ ン セ ッ シ ョ
ラハム氏にヒアリングする機会を持つこ
院大学産業研究所の主催する講演会や
ン」という方式が採用されます。わが国
と が で き ま し た。 彼 女 の 代 表 作 は、
ワークショップに参加してもらいまし
二〇〇一年に刊行された
た。イギリスのみならず、世界の空港経
—5—
新
連
載
世界 から
回
界的に大いなる怒りの年だった、と言いたい。
二〇一一年はどういう年だったか。私は、世
しろ」と沖縄知事に言うべきだ、といった発言
基地の移設について「お金がほしいならサイン
縄人はゆすりの名人だ」、日本の政府は普天間
拠せよ」とニューヨークの証券取引所を取り囲
はなかったか。そして九月、「ウォール街を占
かったからだ。これでは謝罪を要求するどころ
は発言の事実の有無の確認さえしようとしな
たいして日本政府は当初何もしなかった、枝野
ない私がなぜ怒ったか。第一に、メアの発言に
沖縄人が怒るのは当然だろう。だが沖縄人で
をしていることをつかんだからだ。
チュニジア、エジプト、リビヤ、そしていま
イエーメン、シリア。「アラブの春」と呼ばれ
んだデモ隊を動かしたもの、それはわずか一%
る一連の民衆蜂起、その根底にあるのは怒りで
の人間が国の富の三〇%以上を占めてしまうと
ではない。
第二に、いわゆる全国紙がこのニュースをご
いう、不正な社会体制への怒りではなかったか。
く、日本の政府にも向けられていることをきち
く小さくしか載せなかったからだ。また、沖縄
人ごとではない。この国においても久びさに
んと伝えなかったからだ。「なぜ大使を呼びつ
人の怒りがメア個人にたいするものだけではな
私自身も怒っていた。テレビを見ては怒り、
けない」と沖縄の新聞の社説が書いているとき
若者が数多く結集した九月十一日の反原発集
新聞を見ては怒りだ。血圧上昇を心配しながら
会、彼らを動かしたのも怒りだったはずだ。
の怒りだ。
そして原発事故だ。メア発言問題はその中にう
三月十二日、紙面は一変した。東北大震災、
ずもれてしまったが、私の怒りは続いている。
に、全国紙の社説は鈍感なことを書いている。
間、沖縄の二紙、沖縄タイムスと琉球新報は毎
なぜなら、〈辺境〉に危険を押しつけて、それ
まずは「メア発言」だ。三月、私は那覇に滞
朝、その一面全体で怒っていた(共に夕刊はな
在 し て い た。 三 月 七 日 か ら 十 一 日 ま で の 五 日
い)。元沖縄総領事だったケビン・メアが「沖
—6—
第
海老坂武
大いなる怒りの年
1
を金で支払うという構図は、沖縄の基地も各地
集会に参加するためだ。
投じたフランツ・ファノンの没後五〇周年国際
地震と津波による被害、そこには人災の要素
そういう私自身にたいしても腹を立てていたの
かった私(たち)のことを語った。そう、私は
危惧を覚えながらも何も言わず、何もしてこな
のマフィアどもについて語り、同時に、原発に
そこで私は原発事故について語り、政官財学
の原発もまったく同じであり、それを知りなが
ら今の政府はまたまた同じことをやろうとして
も 少 な か ら ず あ る だ ろ う。 そ う で あ る が ゆ え
いるからだ。
に、親しい人を失って怒りに震えている人もい
だ。いまファノンを読むとは彼の怒りをわがも
私は〈学〉のはしくれであるがゆえに、何より
かにされていったあの政官財学の癒着の構造。
るサルコジは原発維持を訴えて巻き返そうとし
だ。減原発へ向かうオランドに対し、劣勢にあ
最大の論点は五十八基ある原発をどうするか
現大統領サルコジと社会党のオランドの闘い。
今年五月フランスは大統領選挙をむかえる。
のにすることだ、とも。
るだろう。
他方、原発事故は一〇〇%人災である。これ
も学者たちのひどさに腹を立てる。そもそも国
を怒らずにいられようか。とりわけ刻々と明ら
立大学への企業の寄付などは禁止すべきものな
ている。
(えびさか・たけし)
たのではないのか。怒り。
題はあるのか。原発事故など実は存在しなかっ
それに対して、この国の選挙の争点に原発問
のだ。でなければ大学が企業の下請け工場とな
り、教授という手配師どもの巣窟となることは
こうした怒りをかかえて私は、昨年十二月、
明白だ。
カリブ海のマルチニック島に向かった。この島
に生まれ、精神科医となり、やがてフランス人
でありながらアルジェリア解放闘争の側に身を
—7—
特集2
自著を語る
慈善・博愛・社会事業をよむ
──3月の新刊から
近代日本の光と影
むろ た やす お
代とは何か」「近代化とは何か」、こうし
た問いが僕らのその時代の共通認識では
なかったか。大学院に入り社会福祉の歴
史研究を始めたのは、当時のこうした時
代背景が生み出した結果かもしれない。
タ イ ト ル の「 光 」 へ の 関 心 よ り、「 影 」
の部分が気がかりであった。その「影」
を 作 っ て い る の は「 光 」 で あ り、 そ の
のなせる業でしかない。当時のその時代
「光」はまさに近代国家形成という時代
る夢、明るさのようなものが存在し、右
を受けない人々に対して、社会や心ある
レーズを入れたが、近代の「光」の恩恵
善・ 博 愛・ 社 会 事 業 を よ む 」 と い う フ
生は大方において貧しかった。入学当時
た。今のような便利な社会ではなく、学
生 活 は「 政 治 の 季 節 」 そ の も の で あ っ
塊 の 世 代 」「 全 共 闘 世 代 」 で あ り、 大 学
済 発 展 と 人 間 の 幸 福 と い っ た 課 題、「 近
題、様々な社会問題が顕現していた。経
な 公 害、 都 市 に は 空 気 汚 染 や 下 水 の 問
高度成長の歪は水俣病に代表されるよう
明るく輝く「光」としての近代、だが
点や視野は初めから明確ではなく、論文
の違和感もあり、もちろん、こうした視
改良を研究することは当時の歴史学から
もってみていこうと考えた。慈善や社会
その実態をなるべく活字化された言説で
—8—
室田保夫
今回、関学出版会から『近代日本の光
肩上がりの社会は経済の謳歌であった。
関西学院大学人間福祉学部教授
と影』という著を出版することとなった
しかし、そこに素直に溶け込めず、それ
一 方、 こ の 著 の サ ブ タ イ ト ル に「 慈
を知りたいがゆえの視座でもあった。
が、この表題には小生の研究の歴史、想
への違和感も抱いていた。
の明治一〇〇年の節目には、未来に対す
人々はいかなる対応をしていったのか。
い出がある。小生は戦後のいわゆる「団
A5 判上製 472 頁
定価 7350 円(税込)
され、論文集的なものでありながら思わ
うした視点が潜在的にあったと思い知ら
ものを纏めて上梓しようとしたとき、こ
うに思う。しかし、今回これまで書いた
執筆のために新聞や雑誌を読んでいたよ
ばいけない対象ではないのか。
る本当の姿であり、我々が直視しなけれ
の 実 態、「 影 」 の 部 分 こ そ、 人 々 の 生 き
直視する。この透谷が指弾した近代日本
近代日本に生きた民衆の不可視の領域を
見る事、豈に偶然の観念ならんや」と、
に月に腐敗し、病衰し、困弊するの状を
や娼婦や貧者ら光の「影」の存在に、行
団体に拍手を送った。それは病者や囚人
る。戦前において人々はこのキリスト教
者山室軍平と『ときのこゑ』を論じてい
たとえば第三章第一節は救世軍の指導
る。
三郎らの社会事業家、博愛家の群像であ
ども医薬を買ふの余銭なし、共に侶に死
る能はず、出でゝ其の日の職業を務むれ
きや、母病めるに児は家にありて看護す
なくして路傍に彷徨する者の数、算ふ可
少女頬に紅ゐなく、幼少の児童手に読本
ん為めに供ふるの肉幾片かある、妙齢の
かある、彼等が帰り来れる主人公を慰め
れるに暖かき火を圍みて顔色ある者幾家
て家々の実情を看視せよ、天寒むく雪降
む」という論文を書き、その中で「行い
一 八 九 〇 年 代 に「 慈 善 事 業 の 進 歩 を 望
次、山室軍平、渋沢栄一、小橋勝之助・
い る の が、 原 胤 昭、 留 岡 幸 助、 石 井 十
く。この著でスペースをとって言及して
いった新しい生業の名称が生まれてい
してくる。同時に慈善家、社会事業家と
軍、そうした結社、団体が組織され登場
会や博愛社、孤児教育会、人道社、救世
りする。そしてその支援団体として同情
院、遊廓、監獄、慈善病院等々であった
り、 あ る い は 孤 児 院、 貧 困 家 庭、 養 育
少年、貧しい病人や障害児・者であった
場する。囚人、孤児、棄児、娼婦、非行
かくしてこの著には様々な「影」が登
解いていただきたい。
う一つの側面があったことを、是非よみ
多々あると思われるが、近代日本にはも
いるところが多い。読みづらいところも
るので、実証性を重んじ史料に語らせて
る多くの日本人がいたのである。
の同情と憐憫とその行動、それに共感す
いる。浅薄な文明への批判と弱い人々へ
黒」が存在すると指弾した精神に通じて
ト リ ア 朝 の 足 元、 ロ ン ド ン に こ そ「 暗
設者のウィリアム・ブースが英国ヴィク
の心からの拍手であった。その精神は創
動でもって律儀に支援していったことへ
「 序 」 で も 紹 介 し た が、 北 村 透 谷 は
を待ちつ、若くは自らを殺しつ、死を招
実之助兄弟、林歌子、鈴木文治、小林参
—9—
ぬ副産物を得たとでも称しておこう。
き、社会は其の表面が日に月に粉飾せら
この著は研究書のスタイルをとってい
れ壮麗に赴くに関せず、裡面に於いて日
3月の新刊から
特集 2 自著を語る
や ま ぐち と も こ
関西学院大学社会部非常勤講師
山口知 子
理論と変容
エスニシティを問いなおす
手勝流の議論を展開するよりほかにな
権威もない。誰もが同じ土俵に立ち、無
者が集う場所である。ここでは特定分野
こ の 間 に、「 多 文 化 主 義 」 の 盛 衰 が あ
い。戸惑うこともぶつかり合うことも少
の流儀は通用しないし、皆が寄って立つ
り、「 ト ラ ン ス ナ シ ョ ナ リ ズ ム 」 な る 新
なくないが、そうしたやりとりを通じて
開していた感なきにしもあらず、なので
た な 用 語 が 生 ま れ、「 人 種 」 概 念 の 再 評
初めて、弱点も可能性も含めた各自の研
ある。
価が行われ、昨今では日本独特の「多文
ヘゲモニー
化共生」なる言葉もキーワードと化して
究のありのままの姿が見えてくる。
本書は、エスニシティという誰もが無
いる。学問研究の世界にも常に覇権をめ
視して通ることはできなかった概念を、
ことである」というクリシェを、愚直に
後、言語・文化・宗教等々さまざまな次 「他者を知ることはよりよく自己を知る
会」のように学際的な場では如実に明ら
ン 研 究 会 」 は、 社 会 学、 歴 史 学、 人 類
れない。本書を生んだ「マイグレーショ
ことが、ひとつのきっかけになるかもし
— 10 —
ぐる闘争があるわけだが、用いる概念・
元での他者と、より深く幅広く関わるこ
実践しようとする試みである。
今一度振り返って問いなおすとともに、
潮流となって学問世界を席巻したのは、
となしには存続しえない。周囲に横溢す
用語が何であれ、何を問題としているか
しばらく前のことである。もちろん地域
る他者とよりよい関係を築くには、どう
に大きな違いはない。私たちの社会は今
によって始まりの時期もピークも微妙に
「エスニシティ」という概念が大きな
異なり、日本では欧米に比して十年ほど
すればよいか。
かになるのだが、分野によってその概念
学、地理学、文学等々多様な分野の研究
私たち自身が他者と積極的に交流する
は遅れをとっていたように思う。また本
の理解も解釈も相当に開きがあった。端
書 の 執 筆 母 体「 マ イ グ レ ー シ ョ ン 研 究
的に言うなら、てんでに勝手な議論を展
A5 判並製
270 頁
定価 2730 円(税込)
あきら
中・東欧の平和と民主主義
NATOの東方拡大
おぎ の
分断を名実ともに終わらせる歴史的な意
は、中・東欧の民主主義、多様な価値観
た民主的な政軍関係と国際平和への貢献
本書を書き上げた頃、深刻化するヨー
であった。
にもとづく市民社会の成熟にとって重要
義が存在したのである。
しかしながら、中・東欧はNATO加
盟により国内における民主的な政軍関係
の確立に加え、同盟の責務を履行するこ
ロッパの財政不安の影響が中・東欧にも
晃
波及した。とりわけ、ハンガリーでは経
荻野
とで国際社会の平和と安定に寄与するこ
とを迫られた。実際、冷戦後のNATO
長崎県立大学国際情報学部教授
の検証にとどまらず、今後の同地域の民
A5 判上製
212 頁
定価 3360 円(税込)
— 11 —
主主義を考えるうえでも一助となること
済的な苦境の中で、一九八九年以降に形
本書では、NATOの東方拡大が中・
を願っている。
成されてきた民主主義の制度そのものが
東欧の平和と民主主義にいかなる影響を
は外的脅威からの共同防衛から「域外」
冷戦の終結をもたらした一九八九年の
及ぼしてきたのか検証した。とくに、冷
本書のタイトルになった北大西洋条約
東欧における体制転換から、すでに四半
戦の終結後にNATO加盟をめざした動
危機に瀕している。本書における問題提
世紀近くが経過した。中・東欧の国々の
機から加盟後に残された課題、紛争地域
における任務へと役割を変化させた。そ
多くは基本的人権の尊重や法の支配など
におけるNATOの任務への参加を、筆
機 構( N A T O ) の 東 方 拡 大 と は、
政治的な民主化、経済的には市場経済へ
者が長く研究の対象としてきたハンガ
起が、冷戦後の中・東欧の安全保障政策
の移行を推進して、NATO、ヨーロッ
リ ー を 分 析 の 中 心 に す え て、 ポ ー ラ ン
して、新加盟国もコソヴォやアフガニス
パ連合(EU)加盟を実現させた。とり
ド、チェコ、スロヴァキアとの比較の視
一九九九年三月のポーランド、チェコ、
わけ、体制転換から十年を経た一九九九
点をまじえて考察した。NATOが求め
タンでの復興支援の任務に参加した。
年のNATO拡大には、中・東欧地域の
ハンガリーへの第一次拡大を意味する。
安全保障のみならず、ヨーロッパの東西
3月の新刊から
特集 2 自著を語る
と
ば
み すず
関西学院大学社会学部助教
鳥羽美鈴
フランコフォニーについて考える
多様性のなかのフランス語
コフォニー・サミット加盟諸国・地域と
め 七 十 五 メ ン バ ー を 数 え る。 フ ラ ン コ
二〇一一年八月現在、オブザーバーを含
を 廃 し た と こ ろ に 成 立 す る「 フ ラ ン コ
スのフランス語」のヘゲモニー(覇権)
触れながら、フランス共和国や「フラン
ランス語を取り巻く世界の多言語状況に
本書は、かかる問題意識に基づき、フ
的多様性が見過ごされてきた。
フォニー国際組織の設立を記念して、日
フォニー」という概念を提示し、その周
そ の 政 府 に よ っ て 構 成 さ れ る が、
本でも二〇〇三年三月以降、例年同時期
なお、カバー写真の選択や配置にも気
知を図ろうとするものである。
を遣い、ここにも多くのメッセージを込
にフランコフォニー・フェスティバルが
ンなどのフランス語圏諸国・地域の文化
めたつもりであるが、読者がこれらを眺
開催され、ケベック、ハイチ、カメルー
に 触 れ る 機 会 が あ る。 し か し、 フ ェ ス
め な が ら、 著 者 と と も に フ ラ ン コ フ ォ
と「フランスのフランス語」に重点を置
喜びはない。
ニーについて考えて下さればこれに勝る
ティバルの趣旨のみならず開催自体、広
また、フランス語教材やフランス語に
く知られているとは言い難い。
いてきたため、多くの人々はフランス語
— 12 —
本書は、日本人研究者による、おそら
く初のフランコフォニー研究書であると
コ フ ォ ニ ー( francophonie
)」 は、 一 般
に「フランス語圏」と翻訳され、言語共
から先に挙げたようなフランス語圏諸
自負しているが、副題に掲げた「フラン
同体の一つと捉えられる。しかし、実際
国・地域ではなくフランス共和国を連想
関わる研究は、これまでフランス共和国
の「フランコフォニー」はその枠組みに
する。このようにしてフランス語そのも
は収まらない広義なものである。
大 文 字 の F に 始 ま る「 フ ラ ン コ フ ォ
ランス語が使用される社会の言語・文化
のの多様性や、フランス共和国はじめフ
ニ ー( Francophonie
)」 は、 特 に「 フ ラ
ンコフォニー国際組織」を指す。フラン
A5 判上製
240 頁
定価 3570 円(税込)
「 感 じ た こ と、 考 え た こ と な ど を 音 や 動
幼 稚 園 教 育 要 領 の 領 域「 表 現 」 に は
行動の変容を数値化することで個々の発
発達プロセススケール」を作成し、音楽
いだろうか。さらに「乳幼児音楽行動の
つ力を有効に活用することが可能ではな
た。保育においてもこのような音楽のも
きなどで表現する」と記され、保育では
達を知る指標としたが、改善の余地を残
指摘されている。
実践記録の分析と新たな提案
音楽に至る様々な音体験をする。一方、
している。
音楽療法の視点に立った
保育支援の試み
たにむらひろ こ
音楽を治療的手段として使用する音楽療
谷村宏子
法では、演奏や歌唱に至る以前の課題と
本書は、音楽療法の考え方と方法を活
他者とコミュニケーションをとることを
して、音楽を媒介とした表現方法により
育者のかかわり方の観点から提案したも
環境設定、楽器や歌唱曲の選択方法、保
における音楽活動の配慮事項について、
本書は、これらの結果と考察から保育
関西学院大学教育学部准教授
かしつつ自閉症児に対応する保育の可能
大切にしている。このような視点は保育
のである。今後、保育に活かせる音楽療
性とその具体的なあり方を、筆者自身の
にも活かされ、また支援にもつながると
支援を自閉症児に行いながらクラス活動
あることが挙げられる。保育者は個別の
なこだわりにより他者との交流が困難で
コミュニケーション能力の未発達、強固
といわれている。その理由として多動、
者にとっては自閉症児への対応が難しい
いろいろな発達障害がある中で、保育
療的機能を有することが明らかになっ
分類することで、音楽にはさまざまな治
の発達臨床の見解における音楽の機能に
を考察した。また、音楽行動を音楽療法
テージ別に分類し対象児の心理的な変化
楽 行 動 の 変 容 が み ら れ た。 そ れ ら を ス
曲やかかわり方により対象児に様々な音
た実践では、音楽療法の視点に立った選
筆者が四歳男児を対象に幼稚園で行っ
必要であると考えている。
— 13 —
実践例の報告、考察、および反省を通し
考える。
を行うことになるが、十分な配慮ができ
A5 判上製
206 頁
定価 2940 円(税込)
法の視点をさらに詳細に捉え直すことが
て提示したものである。
ない場合には二次障害に繋がる可能性も
3月の新刊から
特集 2 自著を語る
近 刊 ピ ッ ク ア ッ プ
金融自由化と
金融経済教育
流通科学大学総合政策学部教授
佐藤保久
さ とうやすひさ
保険料自由化に学ぶ金融風土変革のあり方
世 の 中 に は、「 え っ、 な ぜ 」 と 素 朴 な
ぜか。
金融トラブルが発生しているのは、な
経過しているにも関わらず、今もって
成されていたのである。
結果、わが国には、固有の金融風土が醸
九〇年代まで実体的監督主義を徹底した
す な わ ち、 監 督 当 局 が 明 治 維 新 以 来
で 自 由 化 に 踏 み 切 っ た こ と、 換 言 す れ
革することなく、外圧に押し切られる形
本書では、当局が固有の金融風土を変
こうした疑問が浮かぶこと自体、金融
自由化がわが国に定着していない証左で
本書では、疑問を少しでも解消するべ
あろう。
ば、こうした行政手法そのものが、国民
を変革し、金融自由化を国民一人ひとり
各層に金融自由化が定着しない最大の原
のメリットに変えていくための喫緊の政
く、生損保両業界における保険料自由化
金融風土とは、国民一人ひとりが、金
策的課題として、国民各層に対する金融
因と指摘する。同時に、早急に金融風土
融取引あるいは金融機関に対して抱いて
をケーススタディし、その結果導出され
いる思い・思い込みであり、以下三点を
た金融風土という概念に注目した。
問がすぐに浮かんでくる。
経済教育の充実を提言している。
— 14 —
疑問を持つことが多い。わが国金融自由
●なぜ、金融機関の業績が好調に推移し
重要な構成要素と位置付けた。
化の過程を振り返ってみても、以下の疑
ていた八〇年代ではなく、業績に陰り
●金融や経済は、どうも難しくて、よく
理解できない。
が見えてきた九〇年代半ばに「日本版
で金融機関を選択しても何の問題もな
●商品内容が同一だから、人間関係重視
ビッグバン」に踏み切ったのか。
下にありながら、生損保両業界で、保
金融機関が倒産する筈がない。
●大 蔵 省 が 毎 年 決 算 承 認 し て い る か ら、
い。
●なぜ、同じ大蔵省銀行局保険部の監督
険料自由化が開始されるのに、四十年
弱の差があるのか。
●「 日 本 版 ビ ッ グ バ ン 」 か ら 十 五 年 余 が
A5 判並製
192 頁
定価 1890 円(税込)
▼営業部だより▲
【好評既刊】
宍戸栄徳
加藤進弘[編著]
甲斐良隆
三〇二頁 定価二七三〇円
編・集・後・記
昨年の十二月、本出版会の理事長だった山本栄一さんが亡くなら
れた。恒例になった夏の編集会議の合宿にも元気な姿を見せられた
のに、あまりにもはやばやとあちらの世界に旅立たれてしまった。
賑やかで、おしゃべりが好きだった方だけに、突然その声が聞けな
くなったことがなかなか信じられない。三田や有馬からの帰り道で
何度か車に同乗させていただいた時も、ハンドルを握りながらの口
A5並製
石原俊彦 [編著]
『地方自治体業務改善』
A5並製
『心とお金を繋ぐ地域金融』
復興経済の原理及若干問題』
【三・四月の新刊】
『 復刻版
三四二頁 定価三九九〇円
福田徳三[著]
山中茂樹 井上琢智[編]
A5上製
舌 は 片 時 も や む こ と が な か っ た。 次 か ら 次 へ と 繰 り 出 さ れ る 話 題
一八二頁 定価二一〇〇円
は、神さまから政治へ、本の話から泥臭い世俗の人間模様の末端へ
〈非売品・ご自由にお持ち下さい〉
『 西洋中世盛期の皇帝権と法王権』
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〒 662 — 0891
兵庫県西宮市上ケ原一番町 1—155
TEL 0798—53—7002
FAX 0798—53—9592
http://www.kwansei.ac.jp/press/
[email protected]
と行きつ戻りつしたが、どの話題にも飾らない庶民感覚と好奇心と
サービス精神がみなぎっていた。
山本さんを囲むぼくたちは脱線に
次ぐ脱線に大笑いしながら、根っ
からの楽天主義とユーモアにどれ
ほど励まされたかわからない。本
をこよなく愛し、出版会の行く末
をいつも気にかけておられた山本
さん、あちらでも良い本、面白い
本を読んで下さい。(和)
— 15 —
『VBMにおける業績評価の
財務業績効果に関する研究』
二六二頁 定価三九九〇円
事 業 単 位 の 価 値 創 造 と 利 益 管 理・
原価管理の関係性
徳崎 進[著]
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『 ドゴールの核政策と同盟戦略』
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同盟と自立の狭間で
山本健太郎[著]
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廣田佳彦[著]
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関西学院大学出版会
二五六頁 定価四二〇〇円
定価九四五円
上野永子[著]
定価八四〇円
定価二七三〇円
コトワリ No. 30 2012 年 3 月発行
A5上製
『関西私鉄文化を考える』
一〇四頁 三宅正弘 島村恭則 難波功士
山口 覚 金 明秀[編]
A5並製
KGりぶれっと
安田 傑
八八頁 田中善大
『心理科学の射程』
寺尾将彦
A5並製
二一二頁
Translations of A Midsummer Night's Dream
B5並製
[著]
DANIEL GALLIMORE
A Study of Prosody in Four Japanese
『 SOUNDING LIKE SHAKESPEARE
』
(英文) 『教育方法の本質』
29
30
際し、今まで生活してきたO市のイエを
埋まっていた。しかし、大学への進学に
会があった。その濃密な世界にすっぽり
ど 分 担 )、 夫 婦 と 子 ど も 四 人 で 構 成 さ れ
末子が住むM市の実家(現在でも家事な
り )、 家 族 と 多 く の 時 間 を 過 ご し た 妻 と
う。 母 が 住 む O 市 の 実 家( 家 系、 里 帰
私 に と っ て、 イ エ は 重 層 的 な の だ ろ
北原鉄也
「 家( イ エ )」 と い う テ ー マ を 与 え ら
当然のように離れ、その後そこで住むこ
【家
(イエ)
と私】
れ、感傷的に「私のイエは?」と考えた。
となくきている。
大学生の三男と大阪のイエに住む。今、
数十キロ離れたO市のイエ、私の母が現
ただし、一家六人揃うのはお盆で、百
ン(住所地)だ。こうなったのは私の大
一人と生活し仕事に通う大阪のマンショ
る 家 族( 共 同 体、 経 済 的 単 位 )、 子 ど も
私は兵庫県に所在する大学に勤務し、
いつものように車で高速を利用し、数百
在住み、私が少年時代を過ごしたいわゆ
学進学や数度の転勤を契機にしており、
キロ離れたM市にある、有職の妻と一番
カーステからたまたま井上陽水の「少
家族のようだ。
市の自宅だが、より正確には妻子六人の
京で遊学中。イエを実感するのはこのM
だ。長男は就職し隣県に住み、次男は東
下の四男が住むイエに向かっているの
少年時代に住んだイエが立ち現れたよう
域のしきたり、相互扶助などが現出し、
宅で行った。そこでは、お寺の関係、地
が急逝、私が喪主となり、葬儀をその自
イエを継ぐことを信じている。最近、父
の 実 家 に 集 ま る )。 母 は 長 男 の 私 が そ の
る実家である(ちなみに正月は通常、妻
ためて感じている。
(き
たはら・てつや)
かせているとハンドルを握りながらあら
が、希薄であれイエの感覚が私を落ち着
に耐える、あるいは楽しむことも一つだ
くなっている。イエから切れて浮遊感覚
「夏まつり」の胸の高鳴りを感じられな
る。「 少 年 時 代 」 の 濃 密 な イ エ を 去 り、
域社会との関係もまた、希薄となってい
— 16 —
それが成り立つのは自動車の普及や高速
道路の整備、公共交通機関の発達などに
年時代」、「夏まつり」が流れてきた。確
な気もした。
ただ、それらイエはかなり希薄だ。地
よる。イエは社会と絡み合い、多様だ。
かに、少年時代にはイエがあり、地域社
連載 30
K O T
No.31
2012
O
W
A
R
I
特集 1
文化遺産を活かした
まちづくり
山 泰幸
特集 2
関西学院大学心理学研究室 80 年史
─今田恵の定礎に立って─
(1923〜2003)
今田 寛
関西学院大学出版会
KWANSEI GAKUIN UNIVERSITY PRESS
大阪讃岐うどんと味覚の場所性
増田 聡
香川で修行を積んだ店主が二〇〇三年に開店した大阪のうどん店「釜たけ」(難
波、梅田)は、一大ブームとなっている「大阪讃岐うどん」の火付け役である。柔
らかくダシが絡みやすい伝統的な大阪うどんを駆逐する勢いで、讃岐風のコシが強
いうどんに(讃岐のイリコダシではなく)関西風の合わせダシを用いる大阪讃岐う
コトワリ
もくじ
No. 31
2012
—2—
どんは、「釜たけ」が積極的に研修生を受け入れたこともあり、多数の店を関西一
円に出現させることになった。「釜たけ」は大阪を訪れる海外観光客にも大人気で
連日長蛇の列だ。中国や韓国向けの旅行ガイドブックにもこの店は紹介されている
ときく。
フード・ツーリズムの対象としての「大阪を代表するうどん」の座を、いまや大
阪讃岐うどんが占めている。このことはうどんにとって、あるいは郷土料理におい
元来うどんは郷土色の濃い食物だった。そば・うどんの研究家、藤村和夫によれ
て「味覚の場所性」とは何か、という問いに私を差し向ける。
巻頭エッセイ
ば日本で栽培される小麦は、同じ品種であっても栽培地域によってその性質が異
なってくるという。東日本ではタンパク質の含有率が高くなり(うどんは堅くな
大阪讃岐うどんと味覚の場所性
増田 聡
り)、西にいくほどそれは低くなる(うどんは柔らかくなる)。西日本で伝統的に柔
らかいうどんが好まれてきた背景である。
2
だが、地域固有の風土が他と違う固有の食生活や味覚を育む、という(われわれ
が観光を行う動機ともなる)通念は、物流の高度化や地域文化の均質化に伴い必ず
しも妥当なものではなくなりつつある。「B級グルメで街おこし」という試みがど
こか作り物めいてくるのもそのためだ。「味覚の場所性」の仮構性が常態となった
今、場所のイメージと味覚の固有性の関係は流動化しつつあるように思える。うど
んに関していうならばその味覚の場所性は香川や大阪という地域にではなく、「釜
たけ」のような「店の固有性」と結びついたものとなりつつあるのではないだろう
特集
第
回
山 泰幸
年史
海老坂武
文化遺産を活かしたまちづくり
連載 世界から
特集
今田 寛
80
井上久夫
高村 茂
目撃者の記憶想起を促す心理学的テクニック』
ますだ・さとし) 【「家」と「異文化人」】
連載 差異の詞典
営業部だより
─
『認知面接
新刊ピックアップ
関西学院大学心理学研究室
か。「讃岐うどん」のイメージに誘われ香川に行きさえすれば例外なくどこでもう
の誘惑ではあるのだが。
(大阪市立大学
に警戒してきた罠、対象への知的接近がその感性的耽溺の前に屈してしまういつも
もいいではないか、という気分にさせられる。もっともそれは大衆文化研究者が常
ん」を食して回っていると、讃岐だの大阪だのといったカテゴリー分類などどうで
食感と芳醇なダシでうどんの官能性を堪能させる。これら「今の大阪のうまいうど
の」(西田辺)では、讃岐うどん系のコシとは微妙だが決定的に異なる伸びやかな
明感は香川には見出し難い独特の美質を伴うし、「つきろう」(北加賀屋)や「ゆき
括れない多様性を露にする。「踊るうどん」(滝井、梅田)の冷やの柔軟な弾力と透
実際、現在の大阪のうどんブームは「大阪で讃岐風が流行している」の一言では
まいうどんが喰えるというわけではないのと同じように、「大阪うどん」のイメー
4
─今田恵の定礎に立って─(1923〜2003)
2
ジも今まさに組み替えのただ中にあるのかもしれない。
8
10
14
15
16
—3—
1
2
特
集
1
よしゆき
文化遺産を活かした
まちづくり
やま
山 泰幸
関西学院大学人間福祉学部教授
一〇〇〇年も前の大むかし、とても小
さ な 楠 が 吉 野 川 の ほ と り に 流 れ 着 い た。
それを村人が植えたところ、だんだんと
こんな見事な大きな楠に成長したとい
う。今でこそ吉野川は、この地区の北側
を流れているが、昔は川の流れが今とは
違って、この辺りを流れていた。だから
「そらから流れてきた」とは、「上流か
地名も古川となったらしい。
ら流れてきた」という意味を表す地元の
言葉である。しかし、圧倒的なスケール
の 楠 の 雄 姿 を 仰 ぐ と、「 そ ら か ら 」 と い
う言葉通り、はるか一〇〇〇年ものむか
しに本当に天空から地上に降りてきたの
で は な い か、 と 想 像 を 逞 し く し た く な
—4—
近年、文化遺産と現代社会の関係を問う研
究が増えている。関西学院大学出版会では、
文化遺産を活かしたまちづくりの事例をまと
めた書を出版にむけ企画進行中である。この
*
著者であり民俗学が専門の山泰幸氏に、文化
遺産を活かす新しい視点について聞いた。
*
る。大クスは、まるで世界中の神話に描
*
かれてきた「世界樹」と呼ばれる聖なる
*
ある(写真1)。
*
*
大樹のように、そこに存在しているので
「 大 む か し に、 そ ら か ら 流 れ て 来 た ん
大 ク ス 保 存 会 の 長 老 は、「 こ ん な 話 を
でよ」
しても信じないかもしれないが」と前置
きをしながら、言い伝えを紹介してくれ
た。
写真 1
る、水と緑に恵まれた町である。国指定
ま れ、 町 の 中 央 を 吉 野 川 が 東 西 に 流 れ
のほぼ真ん中に位置し、急峻な山々に挟
部に位置する三好郡東みよし町は、四国
四国三郎吉野川。その上流、徳島県西
るのである。
りと、何日も前から計画し準備をしてい
物を考えたり、ビンゴゲームを用意した
カラオケや阿波踊り、紙芝居などの出し
を 作 る の も 若 手 会 の 仕 事 で あ る。 ま た、
ションにも豊かさを与えていることを喜
地域での日頃の人間関係やコミュニケー
た 付 き 合 い は、 祭 り の と き だ け で な く、
語ってくれた。さらに、こうして生まれ
れるようになっていると、うれしそうに
す。フライドポテトを揚げたり、カキ氷
は、 す べ て を 若 手 会 の メ ン バ ー が こ な
も 一 部 入 れ て い る が、 ほ と ん ど の 屋 台
きまわっている。屋台には外からの業者
物を売る屋台を設置したりと、忙しく動
建設したり、提灯をぶら下げたり、飲食
をしていたときだった。演芸用の舞台を
集まって、朝から「大楠まつり」の準備
住民組織である古川若手会のメンバーが
ど大クス公園の広場で、地元古川地区の
私が初めて大クスを見たのは、ちょう
区に聳え立っている。
の町のほぼ中央、吉野川の南岸、古川地
特別天然記念物「加茂の大クス」は、こ
制されることなく、祭りの準備をしてく
で祭りの実行委員会を組織して、誰に強
うになった。今では若い連中が自分たち
話をするんだと、若手会に入ってくるよ
今度は自分たちが地元の子どもたちの世
頃 子 ど も だ っ た 人 た ち が 大 き く な っ て、
た。これが毎年恒例の行事となり、その
りをしたらどうだろうということになっ
立派な大クスがあるのだから、ここで祭
始まりで、地域にはせっかくこのような
に何かできないかと考えて集まったのが
になるという。地元の子どもたちのため
していた。祭りを始めてもう二〇年以上
眺めながら、缶コーヒーを片手に談笑を
手会の年長者たちが祭りの準備の様子を
大クスの大きな枝が作る木陰には、若
照)。
ワーク入門』ミネルヴァ書房二〇一二参
幸・足立重和編『現代文化のフィールド
ぜ 行 わ れ る よ う に な っ た の か?」 山 泰
る( 詳 細 は、「 祭 り ― 大 楠 ま つ り は、 な
事なコミュニティが生まれているのであ
す、大クスを地域のシンボルとして、見
顔が見えて、出会えば自然と挨拶を交わ
さな子どもからお年寄りまで、お互いの
いるわけではない。にもかかわらず、小
決して古くからの住民だけで構成されて
に な っ て 移 り 住 ん で き た 新 住 民 も 多 い。
*
*
*
古川地区は町の中心に近く、また近年
を作ったり、お餅を焼いたり、焼きソバ
んでおられた。
を炒めたり。子どものオモチャに水風船
—5—
こ と に 興 味 を も っ た か ら で あ る。 つ ま
地域コミュニティがうまく回転している
然 記 念 物「 加 茂 の 大 ク ス 」 を め ぐ っ て、
行っている。その理由は、国指定特別天
町 で、 こ こ 数 年、 ま ち づ く り の 調 査 を
前置きが長くなったが、筆者は、この
の声もきかれる。
自分たちの責務であると述べる地元住民
クスを保護し、子孫に伝えていくことが
護を優先しなければならない」とし、大
な け れ ば、 飲 食 店 も な い。「 観 光 よ り 保
い。大クスの周囲にはお土産物の売店も
は、 決 し て 観 光 客 誘 致 に 積 極 的 で は な
し か し、 大 ク ス の 地 元、 古 川 地 区 で
ことである。その当時の事情は、およそ
対策が行われるようになったのは戦後の
はない。必要性を認識されて手厚く保護
るようになったのは、それほど古い話で
ルとして意識的に大切にされ、保護され
じつは、大クスが、地元住民のシンボ
スは、地元住民の生活環境と切り離すこ
り、文化遺産を活かしたまちづくりの好
現在、年間一四〇〇人ほどの観光客が訪
あ り、 そ の 雄 姿 が 見 事 で あ る こ と か ら、
る。大クスは、国指定特別天然記念物で
果に対する期待には非常に高いものがあ
としては、観光資源としてその経済的効
ら、取り立てて顕著な地域資源のない町
う「 国 宝 」 級 の 文 化 遺 産 で あ る こ と か
場合もまた、国指定特別天然記念物とい
を 目 的 と し て い る。「 加 茂 の 大 ク ス 」 の
光資源化することで、地域経済の活性化
場合、その多くは、地域の文化遺産を観
文化遺産を活かしたまちづくりという
のは、地元古川地区の住民である。大ク
境のなかで直接的な関わりを持っている
である。大クスの場合であれば、生活環
て の 側 面 で あ る。 い わ ば「 内 向 け の 顔 」
もう一つは、地域住民の生活環境とし
れるのは、この側面ということができる。
ば「外向けの顔」である。観光資源化さ
い換えれば、文化遺産の対外的な、いわ
域を超えた価値を帯びる側面である。言
されたがゆえに、そのランクに応じて地
摘できる。一つは、制度的な価値を付与
文化遺産には二つの側面があることが指
ま ち づ く り と い う 観 点 か ら 見 た 場 合、
地 域 の シ ン ボ ル で あ る「 加 茂 の 大 ク ス 」
護 に 対 す る 強 い 意 識 が 生 ま れ る こ と で、
ることによって、その反作用として、保
「枯れかける」という危機的状況が生じ
り や 清 掃 を 行 っ て い る と い う。 つ ま り
会員となり、大クスの保存のために草取
古川地区の全世帯(現在約一一〇戸)が
そ こ で 昭 和 五 三 年 頃 に 保 存 会 を 設 立 し、
り、 枯 れ る 一 歩 前 ま で な っ て し ま っ た。
に衰弱し、現在の枝の三分の一程度とな
をたくさん撒いたところ、大クスが次第
代、 収 穫 高 を 上 げ よ う と 農 薬( 除 草 剤 )
次 の 通 り で あ る。 終 戦 後 の 食 糧 難 の 時
とのできないシンボルなのである。
例と思われたからである。
れている。
—6—
中から湧き出てくる実感に基づくものな
いうだけではない。むしろ、住民生活の
部から価値づけされた文化遺産だからと
の意味合いは、特別天然記念物という外
になったのである 。ここでのシンボル
くいってもやがてブームが去り、後には
んどの場合は、うまくいかないか、うま
数少ないケースを取り上げており、ほと
しかし、それらは観光資源化が成功した
テ ィ テ ィ の 形 成 を 評 価 す る な ど で あ る。
地域の人々の主体性や、新たなアイデン
り、こうした関係を通じてそれに関わる
して地域で大切に守ることによって、地
うに、文化遺産には、地域のシンボルと
いるという認識が示されている。このよ
のコミュニティを守ることにつながって
ではなく、大クスを守ることが自分たち
ている。ここには、大クスを活用するの
結ばれまして活動をしています」と述べ
もちろんこれはすべての文化遺産に当
のである。
一方、私が注目したいのは、後者の側
とで、はじめて地域コミュニティにとっ
められている。こうした働きを備えるこ
成し、維持、再生産するような働きが秘
域の人間関係を築き、コミュニティを形
会における文化遺産について考える場合
面である。日本の国土の七〇%以上を中
て意味のある観光資源化の道も開かれる
荒廃だけが残ることが多い。
には、このように生活環境としての側面
山間地域が占めており、そのほとんどが
てはまるわけではない。しかし、地域社
にも注意を払う必要がある。
と思われるのである。
*
り、 あ る い は 文 化 遺 産 を 介 し て 生 ま れ
化による経済活性化の文脈でとらえた
の側面に着目する。たとえば、観光資源
うのは、非常に人を引きつける力があり
に、頑張っています。加茂の大クスとい
れている大クスを後世に残したいため
活を、一〇〇〇年以上昔から見守ってく
大 ク ス 保 存 会 の 会 長 は、「 私 た ち の 生
えている。
夫を整理し、一冊にまとめてみたいと考
てくる。近いうちに、これらの知恵や工
生み出され、試みられていることが見え
まちづくりの知恵や工夫が、全国各地で
遺産をめぐって、じつに多様で魅力的な
以上のような観点から見たとき、文化
観光とは無縁の、急速な人口減少に悩む
*
ては、文化遺産が持ち得る意味もまた異
地域だからである。そうした地域におい
*
さて、文化遺産を活かしたまちづくり
る、観光客と地域との関係を捉えて、そ
まして、大クスを中心とした大きな絆に
なってくると考えるからだ。
れ を 単 な る 経 済 的 関 係 と は 見 な さ ず に、
を考える場合、しばしば研究者は、前者
人間的な関係を築く機会として評価した
—7—
連
載
世界 から
第
回
海老坂武
バダンテールを法務大臣に任命、彼の大
テランは選ばれるとすぐに人権派弁護士
目玉公約が死刑制度の廃止だった。ミッ
ばれた。ミッテランである。そのときの
とで、社会党の候補が初めて大統領に選
一九八一年、フランス第五共和制のも
言葉をにごすようになったのだ。
な い こ と を 見 こ し て、 彼 は 選 挙 の 終 盤、
圧倒的多数が「減原発」というわけでも
党内の原発ロビーの圧力があり、世論の
た。ところがそうはならなかった。社会
あるはずだった。私もそれを期待してい
ジの原発推進策に対しての「減原発」で
かわりに彼が持ち出した目玉公約は富
活躍で四ヶ月後には死刑廃止法案は議会
裕税である。年間収入が一〇〇万ユーロ
を通過した。その翌日、リベラシオン紙
れば数千人というこの高額所得者に対す
が「ムッシュー・ド・パリ(世襲の死刑
る厳しい課税公約が受けに受けた。オラ
七五%の税をかけるというもの。数にす
度の廃止は在位十四年間のミッテランの
ンド支持派はもちろん、サルコジ派にも
(約一億─一億一千万円)を越える分に
残したほとんど唯一の功績であろう。な
中道派にも、極右の支持者にも多くの賛
執行人のこと)失業!」と見出しに掲げ
にしろ世論の六〇%以上が死刑に賛成し
たことを私は鮮明に覚えている。死刑制
ていたときにこの公約を掲げたところが
同者が出たのである。
想どおり社会党の候補オランドが現職の
それから三十余年、この五月六日、予
て き た「 金 持 の 味 方 」 と、「 金 持 嫌 い 」
せびらかし、実際に金持優遇策を実施し
士)から財をなし、金持であることを見
は、 金 持 た ち と の 付 き 合 い( 企 業 弁 護
そもそもサルコジ対オランドの戦い
評価されてよい。政治の決断とはこうい
サルコジを破って大統領に選ばれた。彼
うことである。
の目玉公約は何だったか。それはサルコ
—8—
2
作ったというほどの簡素な生活をしてき
バ イ に 乗 り、 オ ー ダ ー 服 は 昨 年 初 め て
を公言し、借家で何年も暮らし、オート
されていなかった。
立の五十周年にあたることがここには記
る。ただ、二〇一二年がアルジェリア独
FLNという文字は久しぶりに目にす
れたのである。
らノーベル賞(一九五七年)作家が生ま
ドは高級官僚、一介の弁護士だったサル
つ持っている。経歴からいってもオラン
り、彼は今でも相続した別荘を南仏に二
医者の息子であったオランドの方がまさ
もっとも、親からの遺産という点では
ラブの春〉もこの国では権力をゆるがす
後、 F L N は 常 に 権 力 の 座 に あ る。〈 ア
に、 一 九 六 二 年 に 独 立 を 達 成、 こ れ 以
はテロがあり内部粛清があった)の後
Nは七年間にわたる壮絶な闘争(そこに
る。ヴェトナムとアルジェリアだ。FL
族解放闘争をおこなっていた国が二つあ
一九六〇年代、大国を相手に自力で民
あいだ、他の多くのフランス知識人がこ
できる。カミュは、アルジェリア戦争の
ある。
のなかった父親の足跡を尋ね歩く物語で
た。若くして戦死し、カミュが知ること
で、 未 完 で は あ る が 数 年 後 に 出 版 さ れ
残 さ れ て い た の が 遺 稿『 最 初 の 人 間 』
る途中、事故で死亡した。その車の中に
りの南仏ルールマランから車でパリに帰
カミュは一九六〇年、手に入れたばか
た「金持の敵」との争い、という側面が
コジよりもエリートであることに間違い
ことはなかった。
あった。
はない。結局は同じ穴のむじなではない
アの土地に生まれたアルベール・カミュ
来年、二〇一三年は、このアルジェリ
のか、こういう声が少なからず起こって
守り続けた。なぜカミュは発言をしない
の植民地戦争を批判していた中で沈黙を
と同時に、弁明の書として読むことも
か、という声があがってくる根拠もその
あたりにある。
の生誕百年にあたる。彼の父親はフラン
た 植 民 者、 第 一 次 大 戦 で 戦 死 し て い る。
監 督 )、 日 本 で も 年 末 に は 上 映 さ れ る は
*
母親はスペインからやってきた植民者の
ずだ。母親との再会の場面がいい。
*
五月十二日、日本の新聞の小さな片隅
娘、 聴 覚 障 害 者 で あ る 上 に 字 が 読 め な
*
いたのである。
に、前日のアルジェリア下院の選挙の結
かった。本が一冊もないこの母子家庭か
その映画ができ(ジャンニ・アメリオ
スのアルザス地方からこの地にやってき
果、連立与党を組む民族解放戦線(FL
(えびさか・たけし)
N ) が 大 勝 し た と い う 記 事 を 発 見 し た。
—9—
特集2
関西学院大学
心理学研究室 年史
いま だ
ひろし
寛
(1923〜200 )
─今田恵 の 定 礎 に 立 っ て ─
*
文学部心理学科時代を経て、二〇〇三年
校時代、旧制大学時代、戦後の新制大学
の設立年とした。
一九二三年をもって本学の心理学研究室
と の 立 場 に 立 ち、 そ の 条 件 を 満 た し た
なかったが、古いことを知る人間が少な
ら、これまで年史編纂に向けての動きは
書である。これだけ長い歴史をもちなが
八十年間、その歴史をまとめたものが本
日本の心理学の歩みが少しでも見えれば
理学研究室を具体例として、世界の中の
ことを心がけた。つまり関西学院大学心
るよう、一段高い視点に立ってまとめる
らば日本の心理学界に多少とも寄与でき
き、仲間内の書物とせず、できることな
第二に、本書を一大学一研究室の内向
に文学部改組によって心理学科が総合心
くなる中で、この機に研究室の歴史を書
と願った。また関西学院という教育機関
理科学科という名称に改められるまでの
き残しておかなければ、今後の年史発刊
の中で息づいてきた姿も大切にした。つ
まり関西学院大学心理学研究室という
は不可能になるだろうと考え、本八十年
編纂にあたって幾つかの方針を立てた。
切にした。したがって一般の年史に比べ
“ 図 柄 ” を 支 え て い る 背 景(“ 地 ”) を 大
史の編纂となった。
第一に、関西学院の心理学研究室の設
ると、個人の思い出の文章は、一部の例
立年を一九二三年とした。実は研究室創
始者の今田恵が、東京帝国大学で心理学
挙に終わらすことなく、関西学院大学心
*
る教員として母校に呼び戻されたのは
理学研究室を導いてきた思想・哲学の流
*
一九二二年のことである。しかし研究室
れと、そのもとで展開された諸活動の関
第三は、本書を単なる歴史的事実の列
関西学院の心理学研究室は、わが国の
の誕生は、基本的な実験機器が整い心理
外を除いて少なくなった。
私学で最初の、そして国公立を含めても
学実験室が設立された時をもってすべし
を修め、関西学院初の心理学を専門とす
三番目に古い心理学研究室として
─
関西学院大学名誉教授
今田
3
一九二三年に創設された。以後、専門学
— 10 —
80
今 秋 刊 行 予 定 の『 関 西 学 院 大 学 心 理 学 研
究 室 年 史 』 は、 貴 重 な 資 料 と 写 真 を 豊 富
に 用 い、 関 西 学 院 の み な ら ず 日 本 の 心 理 学
研究の歴史を記すものとして位置づけられ
ている。その編纂方針と概要とは
80
は、“ 太 平 洋 戦 争 以 前 は ド イ ツ、 戦 後 は
わ た っ て い る。 実 は、 わ が 国 の 心 理 学
創設者・今田恵についての記述が詳細に
に、思想の流れの源となった、研究室の
た め に、 本 書 の 副 題 も 示 し て い る よ う
係が明らかになるように心がけた。その
も で き る だ け 掲 載 す る よ う に し た。
恐れがあるので大切にし、歴史的な写真
年までの記録は、このままでは散逸する
後期でも戦後間もない頃を含む一九七二
平洋戦争にいたるまでの戦前期、また戦
い時代に重きを置くことにした。特に太
顧するのではなく、どちらかといえば古
収めた第
年)の貴重な手記を中心として、これを
を受賞した大谷晃一氏(学部卒一九四六
で、幅広い文筆活動によって大阪芸術賞
し て、 元 朝 日 新 聞 大 阪 本 社 学 芸 部 次 長
記によって紹介することにした。結果と
生あるいは聴講生として生きた三人の手
章は、一大学一心理学研究室
アメリカ”という歩みを辿ったのである
戦 前・ 戦 後 を 通 し て、 ウ ィ リ ア ム・
が、 本 学 の 心 理 学 の み は 誕 生 当 初 よ り、
弥正の退職によって、研究室の創始者・
理由がある。第一は、一九七二年の古武
一九七二年を区切りとしたのには二つの
粋も掲載したので、終戦直後の関西学院
今田恵の日記「為万世開太平」からの抜
また同章には、終戦の日より書き始めた
を 超 え た 価 値 を も つ 章 に な っ た と 思 う。
そ し て 最 後 に、 卒 業 論 文、 修 士 論 文、
ジェームズを祖とするアメリカ機能主義
博士論文の本書での扱いについてであ
大学の学校再開に至る様子や当時の世相
からである。第二は、一九六〇年代後半
る。旧制大学法文学部文学科心理学専攻
今田恵と、その最初の弟子で戦後の研究
第四に、前記二点をあわせて、とかく
の世界的反体制運動の結果、心理学の世
第一期生が卒業した一九三七年三月か
心理学の伝統を守り続けた稀有の“ぶれ
東京中心、国立大学中心の傾向が強いな
界にも価値観の大きな変化があり、この
ら、二〇〇三年三月に文学部心理学科を
を知ることができる。
かで、関西の一私学の心理学研究室が生
頃を境にその変化が心理学研究室の教
室 活 動 を 牽 引 し て き た 古 武 に よ る、 今
き・歩んできた姿を書き残しておきたい
育・研究体制にも反映されるようになっ
田・古武時代がこの年でもって終わった
と考えた。関西の一私学の心意気を感じ
卒業した通算六三期生までの心理学専攻
のない”存在なのである。
てもらえればと願っている。
たからである。
記の理由で二〇〇三年までの八十年間と
研究室の様子については、その時代を学
そして第六に、太平洋戦争中の心理学
る。そのため、卒業論文は太平洋戦争直
の学部卒業生数合計は二〇六五名に上
第五に、本書でカバーする時代を、前
したが、そのすべての時代を満遍なく回
— 11 —
4
後の何点かを除き、取り上げることは不
可能と判断した。一方この間の修士学位
取得者に関しては、一九七二年までの修
了 者 に つ い て は 本 文 中 に 題 目 と 名 前 を、
それ以後の者については取得者の名前を
掲載し、論文名は付録に掲載することに
した。なお博士論文についてはすべての
以上の方針に基づいて、執筆には関西
情報を本文に掲載することにした。
学院大学文学部心理学科、同大学院を卒
業し、卒業後も定年退職にいたるまで教
員として心理学研究室の教育と研究に当
たった宮田洋(学部卒一九五三年)と今
章は、戦後のそれぞれの
田 寛( 同 一 九 五 七 年 ) の 二 名 が 中 心 と
なった。
章と第
7
以下が本書の構成である。
第
章は、教育・研究以外の戦
時期の教育・研究の記録であり、かなり
学術性の高い固い記述が多くなってい
る。一方第
後の研究室の生き生きとした多方面の活
8
5
関西学院大学心理学研究室 80 年史
─今田恵の定礎に立って─
(1923 〜 2003)
序
章
第1部
前史・専門学校時代・旧制大学時代
1889 〜 1948 年、明治 22 〜昭和 23 年
第1章
第2章
第3章
前史:心理学研究室開設まで(1889 〜 1923 年、明治 22 〜大正 12 年)
専門学校時代(1923 〜 1934 年、大正 12 〜昭和 9 年)
旧制大学時代(1934 〜 1948 年、昭和 9 〜 23 年)
第4章
手記に見る太平洋戦争中・終戦直後の心理学研究室
第2部
新制大学時代
1948 〜 2003 年、昭和 23 〜平成 15 年
第5章
第6章
第7章
第8章
文学部心理学科時代(前期)(1948 〜 1972 年、昭和 23 〜 47 年)
前後期をつなぐ:行動主義から認知主義へ
文学部心理学科時代(後期)(1972 〜 2003 年、昭和 47 〜平成 15 年)
(1948 〜 2003 年、
昭和 23 〜平成 15 年)
学科教育・研究以外の研究室の諸活動
あとがき 〜現状の紹介を兼ねて〜
引用・参考文献
関西学院大学心理学研究室年表(1888 〜 2003)
付録
1.
2.
3.
4.
太平洋戦争後、1971 年度までの非常勤講師および担当科目一覧
2002 年度までに交付された文部省(文部科学省)科学研究費補助金
2002 年度までの修士論文一覧
関西学院大学心理学学士会会報 No.1(1960 年 10 月発行)
— 12 —
一部を紹介する。写真1は、ドイツのチ
明を通して心理学研究室誕生時の様子の
以下、古い写真を二枚掲載し、その説
た章である。
動を、教員篇、卒業生篇に分けてまとめ
形の歴史的建造物である。
一九一七年築の現キャンパス最古の八角
部 を な し て い る。 ヴ ォ ー リ ズ 設 計、
こに戻り、今日も拡大された研究室の一
一九五六年以後は再び心理学研究室はそ
れ、 し ば ら く 幼 稚 園 と し て 使 わ れ た 後、
本書は「皆で作った 年史」なのである。
感 謝 を 申 し 上 げ た い。 そ の 意 味 も 含 め、
になったことも、これを記し、心からの
窓会)の多数の方々の寄付によって可能
西学院大学心理学学士会(心理学科の同
た。感謝したい。また本書の刊行が、関
本書には、この他にも多数の貴重な歴
ンメルマン社からの心理学実験機器一式
の今田宛の送り状である。送り状の右肩
史的な資料が含まれており、そのいくつ
— 13 —
かには本学の学院史編纂室の協力を得
写真 2
には、「 30. August 1923
」と発送日が記
されているので、これが本学心理学実験
はハミル館二階に設け
写真 1
室の出生証明書といえる。おそ
らくこれほどはっきりとした出
生証明書をもっている心理学研
写真
究室は他に例がないであろう。
するにあたり神戸から移築さ
西学院が現在の西宮上ケ原移転
五郎である。実はハミル館は関
田恵、左後は私設助手の前田貞
一九二六年であり、右後ろが今
子 を 示 し て い る。 撮 影 時 期 は
られた最初の心理学実験室の様
2
80
新刊ピックアップ
目撃者の記憶想起を促す
心理学的テクニック
認知面接
─
接を詳細に調査して、この認知面接を開
現場で行われている数多くの捜査員の面
験室での基礎実験を重ね、さらに実際の
果的な目撃者面接の開発依頼を受け、実
る認知心理学者であり、捜査機関から効
なく、幅広い読者層に応用可能な情報が
査に従事する捜査員や法曹関係者だけで
を学ぶことができる。そのため、犯罪捜
における対人コミュニケーションの基本
引き出すというだけでなく、社会心理学
究されており、単に目撃証言を効果的に
のマニュアルとして世界の多くの捜査員
版されたこの原著は、今もなお認知面接
際の捜査に導入しており、二十年前に出
理学的基盤に大きく貢献してきた心理学
検査担当者として輩出し、日本警察の心
生を全国の科学捜査研究所のポリグラフ
学名誉教授の宮田洋先生は、多くの卒業
本書の監訳者をお願いした関西学院大
本書を通じて提供されるであろう。
に熟読されている。一方、日本では認知
者である。宮田洋先生の監訳によって完
現在、海外の多くの国が認知面接を実
面接の存在は、あまり知られておらず、
ロナルド・フィッシャー/エドワード・ガイゼルマン[著]
─目撃者の記憶想起を促す心理学的テクニック
A5並製
二九六頁 定価二七三〇円(税込)
宮田 洋[監訳] 高村 茂 他[訳]
— 14 —
発した。
現在、取調べなどの捜査面接の高度化が
しげる
成した本書が、日本の犯罪捜査において
たかむら
新たな心理学の応用分野が展開する契機
茂
日本の捜査機関において検討されている
となれば、これに勝る喜びはない。
高村
が、日本の捜査員が科学的な方法に基づ
いて目撃者の記憶を引き出す技術を学ぶ
『 認知面接 』
徳島県警察本部科学捜査研究所
本書は一九九二年に出版されたロナル
には、この本はまたとない良書といえる
ド・フィッシャーとエドワード・ガイゼル
また、認知面接の手法そのものは、最
本来の犯罪捜査以外の幅広い分野でも研
近はマーケティングや栄養学の調査など
マン共著『 Memory-enhancing techniques であろう。
for investigative interviewing: The
』の全訳である。原著
cognitive interview
者の二人は、アメリカの大学で教鞭を執
最 新 刊
【五・六月の新刊】
『関西私鉄文化を考える』
【好評既刊】
▼営業部だより▲
『認知面接』
金 明秀 三宅正弘 島村恭則
難波功士 山口 覚[編]
目撃者の記憶想起を促す心理学的テクニック
ロ ナ ル ド・ フ ィ ッ シ ャ ー / エ ド ワ ー ド・ ガ
定価九四五円
A5並製
『金融自由化と金融経済教育』
一〇四頁 イゼルマン[著] 宮田 洋[監訳]
A5並製 二九六頁 定価二七三〇円
(内容紹介・本誌 頁をご覧ください)
編・集・後・記
『クレズマーの文化史』(黒田晴之著・人文書院)では、東欧に発
したひとつの民族音楽の伝統が、時代の変転の中で途切れそうにな
りながら国境を越え、担い手が移住した先々で生き残っていくさま
が追われる。このささやかな音楽は、離散や亡命を強いられた東欧
ユダヤ人たちによって異国で細々と受け継がれていくのだが、それ
は風に吹き飛ばされて日陰や片隅に辛うじて生き延びる天地を見出
す「草の実」や「胞子」にたとえられる。作曲家の名とも結びつか
ず、人づてに伝えられていった音楽を語るのに、これほどふさわし
生を作り出すかもしれないし、あ
い比喩を知らない。「草の実」や「胞子」はうまくいけば小さな群
るいは踏みつけられて人知れず消
えてしまうかもしれない。偶然と
運不運に左右されるのはクレズ
マー音楽に限らず、つつましく伝
— 15 —
保険料自由化に学ぶ金融風土変革
のあり方
佐藤保久[著]
一九〇頁 定価一八九〇円
上野永子[著]
定価八四〇円
えられてきたものがかかえ持つ宿
命だろう。書物も、あるいはこと
ばもまた。(和)
〈非売品・ご自由にお持ち下さい〉
関西学院大学総合政策学部教育研究叢書
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安田 傑
二五六頁 定価四二〇〇円
〒 662 — 0891
兵庫県西宮市上ケ原一番町 1—155
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http://www.kwansei.ac.jp/press/
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人・社会・自然のための情報とメディア』
KGりぶれっと
田中善大
『心理科学の射程』
寺尾将彦
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八八頁 ハインリヒ四世をめぐって
『 西洋中世盛期の皇帝権と法王権』
ハ イ ン リ ヒ 三 世・ グ レ ゴ リ ウ ス 七 世・
A5上製
井上雅夫[著]
※価格はすべて税込表示です。
関西学院大学出版会
『
二七〇頁 定価二五二〇円
窪田 誠[編]
発行:関西学院大学総合政策学部
A5並製
KGりぶれっと
改訂版』
一六四頁 定価一一五五円
『 基礎演習ハンドブック 改訂新版』
さぁ、大学での学びをはじめよう!
関西学院大学総合政策学部[編]
A5並製
『 国際連合の基礎知識
四九八頁 定
価二七三〇円
コトワリ No. 31 2012 年 6 月発行
3
国際連合広報局[著]八森 充[訳]
発行:関西学院大学総合政策学部
A5変形並製
30
14
31
つ け、 近 寄 っ て き て 一 言、
“ ………?”
コンサート会場ロビーで彼女は小生を見
浮かんできた。その中の一つが「家」で
考えてみた。思い当たることがいくつか
慣の違いを懸命に説明し、何とか小生の
異なった文化を背負いながら一緒に生活
兄と小生が昭和生れである。それぞれが
育った。父が明治生れ、母が大正生れ、
【
「家」
と
「異文化人」
】
あった。
振舞いの真意を理解してもらうことがで
小生は、年齢差の大きな家族のなかで
このとき初めて、前日の照れ隠しが如何
き た。 こ の 時 か ら、「 異 文 化 」 と い う こ
に彼女を傷つけたかを知った。文化、習
大学四年生のときのことである。所属
していたのである。異文化人同士が一つ
井上久夫
クラブの仲間と共にポルトガルを訪れる
とばを意識するようになった。
屋根の下で毎日顔を合わせているのだか
機会を得た。様々な国の学生たちが集ま
した。しかし、小生はそれを避けるよう
ハグとキスで感謝の気持ちを伝えようと
冊をカフェテリアで手渡した。彼女は、
て数日後、日本から持ってきた土産の短
る。リスボン大学の女子学生と知り合っ
る合唱祭へクラブとして招かれたのであ
それは、予想以上に、異国の人々と豊か
で、不思議に思ったことが一つあった。
の海外生活を振り返ってみた。そのなか
験をすることができた。帰国後、一年間
人々との出会いを通して、すばらしい体
アメリカへ留学する機会を得た。様々な
それから二十年余りが経ったときに、
る。 (
関西学院大学 いのうえ・ひさお)
交流の場」であったことだけは確かであ
「 家 族 は み ん な 異 文 化 人、 家 庭 は 異 文 化
き た と い っ て よ か ろ う。 私 に と っ て、
しながら、外国で豊かな異文化交流がで
で育ったからこそ、失敗と修復を繰り返
流を行っていたのである。このような家
— 16 —
ら、相手が育った文化、習慣を少しずつ
理解し合っていかなければ、暮らしは成
にしてその場を立ち去った。照れと時代
な交流ができたことだった。その理由を
考えてみれば、小生は毎日、異文化交
り立たない。
がそうさせたのである。あくる日の夜、
連載 31
K O T
No.32
2012
O
W
A
R
I
インタビュー(前編)
京都の町家を再生する
李 建志
齋藤由紀
関西学院大学出版会
KWANSEI GAKUIN UNIVERSITY PRESS
を融合の意味で訳そう、
Trans
は学範でどうでしょうか? という提案
Discipline
サトウタツヤ
Trans Pacific
学術用語をどう訳すか、は難しい問題だ。ストレス、リスク、カタカナ語で定着
する語もあるのだから、放っておけばいいという話も成り立つ。
今、 Trans
と い う 接 頭 辞 が 気 に な っ て い る。 た と え ば T P P は
多かった。トラパは超個心理学と訳されたりしていた。だが、超はふさわしくない
コトワリ
もくじ
No. 32
巻頭エッセイ
2012
を融合の意味で訳そう、
Trans
サトウタツヤ
は学範でどうでしょうか?
Discipline
という提案
—2—
。心理学には Trans Personal Psychology
があり、これはトランスパー
Partnership
ソ ナ ル 心 理 学( ト ラ パ )。 管 見 の 限 り で は、 trans
は超越とか超と訳されることが
と愚考する。
この他、トランス・オーシャンがあったり、学問の世界ではトランス・ディシプ
リ ン な ど と い う 語 が あ る。 ト ラ ン ス・ デ ィ シ プ リ ン、 な ど 一 般 の 人 が 理 解 で き る
か、極めて疑問だ。訳語を考えていくべきだろう(なお恍惚状態に近い意味のトラ
ンスは trance
で違う言葉)。
筆者は心理学者として法や医療との融合領域を研究してきたこともあり、トラン
ス・ディシプリンを「学融」と訳そうと提案してきた。これは、 trans
を融合の意
味に解釈しようということだが、「 intra」「 inter」「 trans」という三つの接頭辞を
体系的に理解しようという目論見もある。これらは「内」「間もしくは際」「融」と
理 解 で き る。 intra-national inter-national trans-national
と 並 べ る と、 そ の 訳 は
国 内、 国 際、 と な り、 最 後 に は 訳 が 無 い。 国 融 で 悪 く な い の で は な い か。「 inter-
2
回
前代未聞の出会い
連載 世界から
第
回
牧草地の記憶
連載 ドイツ庭ものがたり
第
営業部だより 田村和彦
海老坂武
李 建志
齋藤由紀
【怒りとイデオロギー】 高原基彰
連載 差異の詞典
4
」 を 相 互 作 用 と 訳 す と「 trans-action
」という語との違いが分からなかった
action
が、
を「 際・ 間 」 で、
を「 融 」 と い う 意 味 で 理 解 す れ ば、 二 つ の 語 の
inter
trans
意 味 は 理 解 し や す く な る。 イ ン タ ビ ュ ー は interview
で あ る か ら、 intra-view
と
の間においてみると inter-view
は内─視点でも融─視点でもなく、間─
trans-view
視点なのである。面接とは言い得て妙な訳である。
最後に、トランス・ディシプリン。ディシプリンを学範と訳そうということが前
インタビュー(前編)
提にある。そして、 intra-discipline inter-discipline trans-discipline
を学粋─学際
─学融と訳すなら、これら三つの学者のモード(様式)がよく理解できるし、学際
は 難 し く、 学 融 は さ ら に 難 し い こ と も 実 感 で き る( 拙 著『 学 融 と モ ー ド 論 の 心 理
京都の町家を再生する
さとう・たつや)
学』二〇一二年新曜社刊で学融の理論と実践について披露したので参照されたい)。
新しい訳語を提唱すると勝手なことを言って混乱させるな、と言われたりする
が、カタカナ語で通すのは学者の傲慢でもあるように思える。カタカナ語は元の洋
にしあまね
語が分かっている人には便利であるが、生活語にはなりにくい。日本で学術用語の
文社会系学者が引き継いでいくべきだと思う。
翻訳の礎を築いたのは明治期の啓蒙学者・西周である。こうした努力は、個々の人
西周と言えば induction
を帰納、 deduction
を演繹と訳した人。 abduction
は訳し
ていない。なぜか? 西周が活躍した時期にはパースが提唱した abduction
は存在
しなかったからである。西周ならカタカナ語にはしなかっただろう。何にしただろ
(立命館大学
うか、ヒントは糸偏にあるはず。帰納の納も演繹の繹も糸に纏わる単語だからだ。
想像してみると楽しい。
—3—
6
10
15
16
3
12
連
載
世界 から
回
すこし遅れて、昨年の暮れに出たフランス
題で翻訳されたのはいいが、一冊一〇五〇円
二人の寄り添った姿が大写しに写っていた。
は男、どう見ても八十代以上の老人で、その
ページではっと息をのんだ。一人は女、一人
である。
「世界人権宣言」の起草にかかわった外交官
参 加 し た 若 者 で あ る。 戦 後 は 一 九 四 八 年 の
ドゴールの呼び声にこたえてレジスタンスに
そ も そ も エ セ ル と は 何 者 か。 一 九 四 〇 年、
とは何だ、と私は憤っている)。
女の顔には見覚えがある。ジャンヌ・モロー
の週刊誌をぱらぱらめくっていたとき、ある
だ。そうかこれがかの大女優の現在の姿か、
事は二人の対談で、その題名は「ジャンヌと
刻んでいるしかめつらの老人は誰か。この記
では男は誰か。顔にしわをさざ波のように
た 理 念、〈 公 〉 の 利 益 を〈 私 〉 の 利 益 に 優 先
ランス社会が、レジスタンスの中から生まれ
ら来ているのか。それはサルコジ政権下のフ
にして怒りの書を書いた。その怒りはどこか
送っていたかというと左にあらず、九十五歳
そのエセルが、二〇一一年、静かな余生を
ステファン」となっている。対談のイントロ
としばし感慨にふけった。
の 部 分 を 読 ん で、 ス テ フ ァ ン が、 ス テ フ ァ
させるという理念を踏みにじっている、とい
金融市場の専制によって平和がおびやかさ
の跋扈とともに、金権全能の時代となった、
うところから来ている。経済的リベラリズム
ン・エセルであることがわかった。
ステファン・エセル。この名前は昨年、フ
─
れ、民主主義が空洞化している、この現状が
ランス中をかけめぐった。彼の書いた本
、 一 冊 わ ず か 一 ユ ー ロ( 約 九 〇
─
に共感していたのだが、不思議に思ったのは
私もこの小冊子をすでに読んでいて、大い
エセルの怒りの源になっている。
本といってもわずか二〇頁足らずの小冊子な
のだが
─一〇〇円)の本『憤れ!』がフランスでな
んと百万部売れたのだ。また二十四カ国で翻
訳されている(日本でも『怒れ!憤れ!』の
—4—
第
海老坂武
前代未聞の出会い
3
この二人の組み合わせである。あまりにも意
さて、私にわからなかったのは「二人を遠
結末を迎える。ジュールとの間には娘がいる。
くから近づけた」というイントロの一句。こ
外なのだ。対談のイントロの部分を読むとさ
らにわからなくなる。こう書いてあるのだ。
れは何か。
〈三四三人宣言〉に署名し、ずっと反逆者で
ル・ オ プ セ ル ヴ ァ ト ゥ ー ル 誌 で 五 十 年 前、
それがエセルだったのだ。映画の中の母と現
て、この女性に実は娘ではなく息子がいた。
子なのだ。つまりカトリーヌにはモデルがい
なんとエセルは映画の主人公カトリーヌの息
疑問は対談を読んでいくうちに氷解した。
「一九六二年、『ジュールとジム』は二人を
ある。世界的ベストセラー作家、不断の怒れ
実の息子の五十年後の出会い、たしかにこれ
遠くから近づけた。大女優の方は、ヌーヴェ
〈三四三人宣言〉とは、妊娠中絶の合法化
る人との前代未聞の出会い」
こと、ここにボーヴォワールその他三四三人
ヌがジムを道づれにして自殺をするが、二人
エール・ロシェその人で、映画ではカトリー
ちなみにジムとは原作を書いたアンリ =ピ
は前代未聞の出会いである。
の有名な女性が署名したことで知られる歴史
とも実は死ななかったとのこと。またエセル
を求めた宣言「私は中絶したことがある」の
的 な 文 書。『 ジ ュ ー ル と ジ ム 』( 昔 の 題 名 は
は母親の恋人であったこのロシェともよく
(えびさか・たけし)
会っていたとのことである。
『 突 然 炎 の ご と く 』) は フ ラ ン ソ ワ・ ト リ ュ
物語をごく簡単に紹介すればこうだ。カト
フォーの傑作として知られている。
リーヌ(これをジャンヌ・モローが演じる)
は奔放な女性で、夫のドイツ人のジュールを
愛し、夫の友人のフランス人のジムを愛し、
二人に愛されているのだが、最後に悲劇的な
—5—
連 載
田村和彦
ドイツ庭ものがたり
ヴ イ ー ゼ
牧草地の記憶
もっと驚いたのは、このことを知るのと前後して読んだ和辻
哲郎の『風土』で、ヴィーゼがヨーロッパ的風土の本質をなすも
のとされていたことだ。この本には「三つの類型」という章が
あって、モンスーン、砂漠と並んで「牧場」が登場する。ただし
ていない」という。
「『 まき』は『馬城』であって、牛込、馬籠など
回
世に 「モーツァルトの子守唄」として知られるフリース作曲
と 同 じ く、 家 畜 を 囲 い 置 く と こ ろ で あ る。 し か る に Wiese
は
家畜の飼料たる草を生育せしめる土地であり、さらに一般的に
第
の子守唄は「 ねむれ良い子よ、庭や牧場に、鳥も羊も、みんな
和辻氏は「牧場」という語を「 Wiese
とか meadow
とかの訳語」
だとことわって使ってはいるものの、「 この訳語は全然あたっ
ねむれば……」と歌い出される。この慰みに満ちた緩やかな三
きしたうえで和辻氏はヴィーゼを手がかりにヨーロッパの風土
はヴィーゼにあたる言葉も、そのものも存在しない。そう前置
のように家畜
Wiese
の飼養との密接な関連を意味してはいない」。要するに日本に
は草原である。がまた草原という日本語は
まき ば
拍子の歌を子供の頃から何度耳にし、口ずさんだかわからない
ところだろうかと、そのたびに想像をふくらませたものだ。こ
が、堀内敬三の訳詞で 「牧場」とされる場所はいったいどんな
の子は庭や牧場で眠ってしまうのだろうか。その揺りかごは牧
和辻氏は夏の乾燥と冬の湿潤という気候条件のもとで育つ牧
と文化の特徴を解明し、壮大な比較文明論を展開するのである。
「牧場」がもとのドイツ語の歌詞(F・W・ゴッター作)では
場の柵越しに馬や羊たちに見守られているのだろうか、と。
ねして 庭
/ も草地もひっそりと)となっている。子供は庭や牧
場で眠っていたわけではないのだ。それにヴィーゼは馬や羊が
契機が欠けている。そして自然が暴威を振るわないところでは
然を相手にするヨーロッパの農業労働には自然との戦いという
であることを知ったのはずっと後になってからである。 草地に、人間に抗わず、人間が管理しやすい 「従順な自然」の
Wiese
ヴイーゼ
「 庭 や 牧 場 に 」 に 続 く と こ ろ は、 原 詩 で は es ruhn Schäfchen 象徴を見ようとする。ヴィーゼは現実の植生から離れて「牧場
的なもの」へと拡大され、ヨーロッパの人間の活動と文化のい
(羊と鳥はねん
und Vögelein / Garten und Wiese verstummt
くつもの重要な特性がそこから解明される。いわく、従順な自
飼われる場所ではなく、牧草地を意味するらしい。
—6—
12
いだすことができる。ヨーロッパの合理主義も自然科学も、「牧
自然は合理的な姿に己れを表し、人はそこから容易に規則を見
した草地が保たれるのである。
の丈で定期的に刈ることで、新しい成長が促され、常に青々と
て枯れ、土地は荒地となる。放牧に任せず、伸びた牧草を一定
ら六回の刈り取りが行われる。こうして、農耕や牧畜の目的で
て異なるが、腰の丈まで草が育つと初夏から秋にかけて二回か
蒔くことで維持されるものだ。生育後も、高度や気象条件によっ
自然に育つものではなく、土地を耕し、灌漑し、施肥し、種を
中心とするからだ。確かにそれは従順に見える。ただし牧草は
うに柔らかい草の上に裸で横たわることができるのも、冬草を
を可能にしているという指摘は植生学的にも正しい。絨毯のよ
と冬の湿潤が、夏草である雑草の繁茂を防いで、牧草地の叢生
考えていたものとはだいぶ違うこともわかってきた。夏の乾燥
ただ、現実のヴィーゼを知るようになると、それが和辻氏の
定められ、定期的に行われる草刈りや乾草作りは村をあげての
他の動物が入らないように柵で仕切られた草地では利用方法が
牧草地も村落が共同で管理する一種の入会地であった。家畜や
が開放耕地制と呼ばれる共同耕作によって運営されていたが、
草地が共同利用地であったことも重要である。三圃制そのもの
のための乾草を生産する草地がヴィーゼなのである。さらに牧
飼料を与えて育てなければならない。飼料を確保し、特に冬期
ら秋にかけては休閑地で放牧されるものの、草のない冬の間は
を深く耕すために牛や馬を飼育する必要が生じた。家畜は春か
一巡させる三圃式へと十三世紀ごろに変わるが、その際、畑地
圃式から、夏作物用の耕地、冬作物用の耕地、休耕地を三年で
による。すなわち、ヨーロッパでは、耕作と休耕を繰り返す二
和辻氏は触れていないが、牧草地が広まったのは農法の変化
場的風土の産物」なのである。今読めば、この考え方はあまり
にも西欧中心主義的だとすぐ気づくが、読んだ当時は「従順な
養生された豊かな緑地ができあがる。丈の高い草が定期的に刈
「七月」と題されたブリューゲルの絵はそうした村落総出の乾
共同作業であった。
自然」というものがあることにひたすら驚いた。
られて日光が下まで届くので、そこには牧草のほか、ハーブや
である。放牧を行えば、家畜が好む牧草はまず食いつくされ、
そのためだ。もうひとつ大事なのはそれが放牧地ではないこと
景では若い娘たちがレーキを携え、木陰では農夫が草刈り用の
乾草を集めたり、荷車にうずたかく積み上げたりしている。前
草の収穫を描いている。谷あいの牧草地には村人が散らばり、
いりあい
野の花が混じって育つ。「花いっぱいのヴィーゼ」 というのも
雑草だけが残る。短いままになった牧草は深い根が育たずやが
—7—
に耽る人間たちの魂をめ
巨大な乾草の山の上で享楽
た三幅画がある。そこでは
満載した荷車を中心に据え
ニムス・ボッスにも乾草を
掲出しなかったが、ヒエロ
祝祭でもあった。ここでは
の 収 穫 は 年 中 行 事 で あ り、
を運ぶ一行だろうか。乾草
は農作業後の宴のごちそう
大鎌を研ぐ。右に向かうの
らす場所でもある。
親しみに満ちた美しい場所であるばかりか、人間に恵みをもた
い姿を取りもどす(「泉のほとりのガチョウ番」)。ヴィーゼは
ら出た草地の池で顔を洗うと姥皮が落ち、もとのお姫様の美し
の手で醜いガチョウ番に変えられた娘は、月明かりの中、森か
場所」で、その先にはパンで一杯の竈がある。あるいは、魔女
く。そこは「 お日さまに照らされてたくさんの花が咲き乱れる
飛びこんだ娘は、気がつくと地面の下にあるきれいな草原に着
眠ってしまう。「ホレばあさん」 では、母親に叱られて井戸に
だ狼は、腹いっぱいになると「木の下の青々とした草地に出て」
母ヤギの留守に仔ヤギを騙して七匹のうち六匹までを呑みこん
れる場所でもある。だれもが知る 「狼と七匹の仔ヤギ」では、
産性の高い、牧草より栄養価の高い飼料作物を栽培する輪栽式
失う。農業史によれば、十八世紀まで続いた三圃制は、より生
もちろん、牧草地は農業のさらなる発展に伴ってその機能を
ヴイーゼ
ぐって、天使と悪魔が争っ
う考えると、ボッスではもっとも有名な「悦楽の園」で、何百
の段階へと徐々に移行する。この段階では開放耕地も牧草地も
ている。乾草の山は豊穣と現世的快楽を象徴するのである。そ
という裸の男女が動物たちを交えて奇怪な逸楽を繰り広げる水
魔物が跳梁する森( あるいは冥界)とのつなぎ目となる中間領
リムの場合特徴的なのは、牧草地が人間の住む世界と、動物や
れは変化から立ち遅れたり、大農法が及ばない地帯( たとえば
多くの地域で農業的な基盤を失っていたとみてよい。今ではそ
を余儀なくされる。産業革命の始まるころにはすでに牧草地は
である)、共同管理によって結びついていた村落共同体も解体
必要とされず、耕地は集合され私有化され( これが「囲い込み」
辺の鮮やかな緑の台地もヴィーゼに見えてくる。
域をなすことで、そこは人ばかりでなく動物や妖精や魔女、こ
グリムの『昔話集』にもたくさんのヴィーゼが登場する。グ
びとたちが行き来する場所であり、同時に森や冥界の脅威が薄
—8—
乾草の収穫(7 月) 1565 年
ブリューゲル
だからといって、牧草地や乾草の山が人々の記憶からすっか
た遊び場は当初はシュレーバー・ヴィーゼと呼ばれていた。ま
が後のシュレーバー・ガルテンの元とされるが、遊具の置かれ
鍛練のために適切な遊び場を設けるというものもあった。それ
り失われてしまったわけではない。ドイツでは十九世紀以降、
ず子供たちが遊ぶ草地があり、それを囲むように花壇や菜園が
アルプスの山麓)で辛うじて維持されているにすぎない。
農業とは無縁の都市の内部にもたくさんのヴィーゼが保養目的
設けられ、やがて「庭」と呼ばれるものに成長したのである。
もある。特にモネはノルマンディー地方ジヴェルニーの農地に
ゴッホら十九世紀末の画家たちが好んで取りあげたモチーフで
ブ リ ュ ー ゲ ル や ボ ッ ス の 描 い た 乾 草 の 山 は ミ レ ー、 モ ネ、
ガルテン
で設けられた。それは単なる緑地や芝生とは異なり、公園の中
せる花の咲き乱れる草地で、家畜はいないが定期的な草刈りで
置かれた草の山の絵を二十五枚以上残している。ちなみに、日
で木々に囲まれた一角に設けられた、かつての牧草地を彷彿さ
維 持 さ れ る。 ミ ュ ン ヘ ン の 秋 の 名 物 の 大 農 業 祭 オ ク ト ー バ ー
れているが、かなりのもの
本語ではこれらの作品にはすべて「積みわら」と標題がつけら
のようである。そこからは
景の中に兀然と居すわる巨
こつ
大な草の山は、近代的社会
とも、農の効率化とも無縁
な地層から生い育ったもの
大地の記憶というべきもの
いる。( たむら・かずひこ)
—9—
フェストが開かれるのもテレージエン・ヴィーゼである。
十九世紀の中ごろから流行した自然療法には乾草風呂という
1874 年
える。彼らの描く、田園風
秋、積みわら
が、確かに顔をのぞかせて
が乾草の山であるように見
ものもある。もとはチロル地方にあった伝統的な療法で、適度
に湿らせた乾草の中に裸で埋もれて、発酵熱で発汗と新陳代謝
を促す。日本の砂風呂やおが屑風呂に近いが、ハーブや野の花
が混じった香り高い「新鮮な」乾草は、とりわけ癒し効果があ
るとされ、現代のクアハウスやウェルネス施設でも処方されて
いる。牧草の記憶をよみがえらせるためのもっとも直接的な方
ヴィーゼを意識的に教育の中に取り入れようとする動きも
法といえるだろう。
あった。十九世紀の半ばに、都市生活によって不自然に歪んだ
青少年の体を矯正するために生活改革を提唱した医師で教育家
のD・M・シュレーバー博士の提案の中には、児童たちの身体
ミレー
インタビュー(前編)
けん じ
京都の町家を再生する
り
李 建志
き
関西学院大学社会学部教授
さいとう ゆ
齋藤由紀
英語教員(英語教育・観光学)
─
京町家を再生して住むという選択の後には
制度的な問題と戦う日々が待っていた
。
三年にわたる経験から見えてきた日本のまち
づくりが抱える問題と、その解決方法を探る
─
『京都の町家を再生する
家づくりから見
えてくる日本の文化破壊と文化継承』(仮)は、
関西学院大学出版会から来春に刊行の予定で
ある。著者であり、ご夫婦でもある李建志氏
と齋藤由紀氏のお二人に、その一部と再生し
た町家に住むことの魅力について聞いた。
ム女子大学に三年、そのあと広島女子大
韓国に長くいました。京都のノートルダ
李
私は東京で生まれ育ち、留学期間は
まず自己紹介をお願いします。
ら江戸っ子」と言われますが、これはう
李
のはわからないです。
ますので、私たちもどこが田の字という
齋藤
の田の字の形になっています。
京都の町家に住んでみたいという気持
る。自分の名前すら忘れるのが江戸っ子
地ですから、いろんなところから人が来
そだと思っています。江戸は当時の新開
余談ですが、よく「神田に三代いた
人によってもっと狭く捉えたりし
に七年半いて、また関西に帰ってきたの
─
です。
ちはずっと心の中にぼんやりとあり、今
で、三代前の祖先がどこで生まれたか覚
回こういう話になりました。
えているような野暮天が江戸っ子のわけ
私は伏見で育ちました。伏見は不
齋藤
がない。江戸生まれ、あるいは江戸育ち
す。この「三代云々」はおそらく京都や大
思議なところで休みの日に出かけるのに
阪の町衆から来たのではないでしょうか。
なら、江戸っ子の資格があると思うので
す。「 京 都 へ 」 と い う と 私 の イ メ ー ジ で
齋藤
とか「伏見へ」と答えるようなところで
は四条河原町あたりを指す言葉です。私
ですが、伏見は大きな農村のような、外
「 今 日 は ど ち ら へ 」 と 聞 く と「 京 都 へ 」
にとって京都の田の字地区は、長い間の
北は丸太町から南は五条まで、西は堀川
李
─
人によって少しずつ違うのですが、
田の字地区とはどこのことですか。
今でも「東京の人」と言われます。
私は伏見で生まれたのにもかかわらず、
ろがあります。父は深川の出身なので、
から来た人をすぐには受け入れないとこ
田の字地区は都会で新しい物好き
あこがれの地区でした。
から東は河原町まででしょうか。田んぼ
— 10 —
す。私たちのところは下京区の格致学区
タ ー」 は 京 町 家 を 残 す 運 動 を し て い ま
李
作り直さなければいけない家って一体何
と 言 わ れ て い ま す。 た っ た 三、四 十 年 で
が建てた家はもう建て直さないと限界だ
せん。日本の古い家は百年もつのに、父
らなかったし、あまり良い印象がありま
ました。化学物質のせいか私は咳が止ま
家に建て替えたのです。冬は家中結露し
齋藤 「今まで町家は百年建ってきたん
かっても仕方ないと思っていました。
一棟分、あるいはそれを超える金額がか
ようと思ったのです。そのためには新築
すから。だから古い形できっちり仕上げ
らっしゃる街・生活におじゃまするので
かなと思うのです。古くから暮らしてい
田の字地区には京町家が多くある
といって、町家が多く古くから暮らして
だよ。手入れしたらこれからだって百年
齋藤
京都には生まれてから死ぬまで自
活動の重点地区の一つになっています。
言い方で、本当は「町家」と言うそうで
のです。町家という言い方も実は新しい
それでふと見ると京都の町家があった
には古びた良さがある。住み続けること
なっていくと思うのです。ところが町家
時 が 一 番 良 く て、 あ と は ど ん ど ん 悪 く
た。今の建物の多くは、おそらく建った
また住み続けられる」と主人は言いまし
京 都 市 の「 景 観・ ま ち づ く り セ ン
のですか。
いる人のまちで、下町っぽい場所です。
なのだと思うのです。
─
ここは「景観・まちづくりセンター」の
分の小学校の学区から出ない人も多いの
す。「 農 家 」 に 対 す る「 町 家 」 で す。 京
でより良くなっていくものではないのか
まちや
です。それも京都の特徴で、もともと町
い。これは本当に見事です。それで町家
都 の 町 家 は 柱 が 細 く、 か わ り に 梁 が 太
ちようか
を中心に小学校が始まったそうです。町
はり
別運動会や町ごとの地蔵盆が大切にされ
翻って、私は東京出身で「李」という名
ヨ ー ロ ッ パ で 築 百 年 は 当 た り 前 で す。
石造りということもあるでしょうが
なと思いました。
たくさんあるのですが、どこかアレンジ
前でわかるとおり日本国籍ではなく、韓
李
に住めたら最高だと思ったのです。
ていて、町という単位が住民のコミュニ
自慢のようで、私はそれは嫌でした。原
国籍で韓国のことを研究しているのです
芸術家や作家による京町家再生の本は
型通り再生するほうがきれいだし、まち
が、韓国社会は古いものはすぐに壊すと
ティの中で今も生きているのです。
のためになると思いました。私たちは外
なぜ京町家を再生して住もうと思
李
から入れていただくという気持ちが必要
もともと私の実家は戦前からあった
われたのですか。
木造住宅で今思えば良い家でした。それ
─
を高度経済成長期に父がコンクリートの
— 11 —
の知っている蔵のある大きな町家が、こ
で潰されていたこともあります。私たち
て見に行ったら、目の前でショベルカー
はたぶん町家だ」という広告が出て慌て
か 把 握 で き る よ う に な り ま し た。「 こ れ
たちもどの地域にどのくらい町家がある
はありません。
金額がかかる。普通の人ができることで
ます。でもそんなことをしたら、すごい
同様の基礎を作って乗せることをしてい
してクレーンで家を持ち上げ、下に新築
幡廣信さんは、いったん壁も屋根も落と
関東の古民家再生の第一人者である降
がんばってくれてコンクリートで下を固
この基礎をなんとかしようと工務店が
の数カ月間で三棟も更地になってしまい
ました。
ますから、さわり方も全然変わってきま
今たまたま僕のところにいるのだと思い
経ったものだからあと百年伝えるのだ、
つ と き の 手 つ き も 変 わ り ま し た。 百 年
いう方向にあります。最近、古い物を持
るように思えます。しかし本当は地震の
ないと地震が来たら家がひどいことにな
た。それは基礎がないことです。基礎が
家には弱点があることがわかってきまし
くらい読みました。すると日本の古い民
李
のような工事をされたのですか。
は買ったときすでに「おくどさん」がな
いたから暖かかったのです。私たちの家
齋藤
を入れられるだけ入れました。
天井の薄さです。ですからここに断熱材
す。
に石を固定し、その上に家が建っていま
めました。コンクリートを一面敷いた上
すよね。でも京都では毎年千何百棟の町
ときには潰すつもりの家なのです。石を
かったので、かわりに薪ストーブを入れ
町 家 再 生 に あ た っ て、 具 体 的 に ど
家 が 潰 さ れ て い ま す。 単 純 計 算 で あ と
置いた上に木の柱を乗せ、家の重みだけ
て 暖 を と る こ と に し ま し た。 そ の た め
─
三十年でゼロになります。大きな町家は
で建っている。地震がきたら家のまま倒
「 通 り 庭 」 と い う 土 間 を 残 し ま し た。 私
まず古民家再生の本を中心に八十冊
土地が広いので壊してマンションにする
れて、太い柱と梁の間に空間ができて助
昔は「おくどさん」で火を焚いて
もう一つの弱点は寒いことです。壁と
のです。相続権者が複数いるとお金で分
かる。
町家を探して歩いているなかで私
けるからということもあります。
齋藤
— 12 —
李
急きょ土間も残すことにしました。
て、そのまま洗うこともできる。それで
い。 外 か ら 土 の つ い た 野 菜 を 持 っ て き
る も の で す。 土 間 な ら 気 に し な く て い
ちなのだと言われたのです。台所は汚れ
古い家に住んでいる方から、土間が値打
それが工事が始まる直前、土間のある
不安だったのです。
ラットにしたいと考えていました。正直
は最初それに抵抗があり、床を上げてフ
てしまえとなったのだと思うのです。
たこともあり、家も壊して新しい家にし
くなった。ちょうど高度経済成長期だっ
と思うのです。でもそれによって家が寒
のです。その究極がシステムキッチンだ
ませんが、昔は電機製品で幸せになった
テレビが薄型になっても誰も幸せになり
げで食中毒が減ったと言われています。
増えたと言われています。冷蔵庫のおか
濯機のおかげで女性の睡眠時間が一時間
います。洗濯機も冷蔵庫も必要です。洗
から解放する運動だったと私は評価して
ンが入ってきました。これは女性を労働
す。もしあれを捨てていたら、今のサイ
のを使ったのでサイズが全部合っていま
齋藤
す。
ので、ずいぶん軽くなっていると思いま
替えて防水マットをして瓦屋根を乗せた
れを全部降ろしたのです。木も一部張り
の板の上に土を乗せているのですが、こ
です。昔の屋根は雨漏りしないように木
ています。ただ昔ほど重いものではない
は張り替えましたが普通の瓦屋根を乗せ
た以外、構造は全部残しています。屋根
中というわけにはいかないではないです
です。くみ取ったものを運ぶのに、家の
一つは奥のトイレが当時はくみ取りなの
間は残そうと。おのずと他の構造も全部
と冷たい風が流れてきます。ですから土
合理的にできていて、夏に打ち水をする
す。デッキブラシで洗えるのですから。
し か し、 実 は 土 間 が 一 番 清 潔 な の で
あと、建具はもとの家にあったも
火事になりにくいようにです。薪を床上
か。明治初期までは農家の人がし尿を買
土間には二つ意味があって、一つは
で焚くわけにはいかないですから。もう
いに来ていました。今はそれもできなく
残すことになりました。
なっていますが、基礎に近いものを作っ
断熱材を入れ、床も書類には布基礎と
なって下水にするしかなくなりトイレが
戦後一九六〇年代にはシステムキッチ
水洗に変わっていきます。
— 13 —
ように説得する、あるいは予算をもっと
うと思うのなら、まず銀行にお金を出す
の町家、あるいは町家のまち並みを残そ
「景観・まちづくりセンター」にも問
大きくさいてバックアップする。さらに
て売る人が増えるのです。
題があります。京都の町家を残す人に対
固定資産税や相続税、住民税についても
ズのものを削ったりと大変な工事になっ
して資金を配っているのですが、原資を
たと思います。建具をほとんど全部残し
て、昔の人たちが持っていた知恵をその
切り崩して使い続けているので、もう原
資 が あ り ま せ ん。 い ま 審 査 が 通 っ て も
売らざるを得なくなると思うのです。
齋藤
優遇するくらいのことはしないと。
町家再生をしようとしたとき制度
まま継承できたのは良かったです。
三十万円くらいしかもらえない。さらに
─
的な問題が立ちはだかってきたというこ
何か運用が恣意的なのです。
大きな町家は財産を分けるときに
とですが、どんな苦労があったのですか。
す。もう一つは隣家とつながっていない
歩道もある。京都では極めて広いほうで
のです。離合できて二車線あり、さらに
路が京都では珍しく幅十一メートルある
くつか条件がありました。一つは前面道
いです。私たちに融資が通ったのにはい
てくれないことでした。ほとんど門前払
だ ろ う と 思 い ま す。「 作 事 組 か。 僕 ら に
が、しかしこれでは庶民に行き渡らない
私はこの人たちを高く評価するのです
ります。作事組の仕事は確かに立派で、
坪の家の再生をここに頼むと数千万かか
がやると高くなるのです。たとえば二十
継承していこうというグループで、彼ら
工の人たちの中で、町家の建築や技術を
作事組というのがあります。京都の大
先、作事組も先細るのではないでしょう
承も上手くいかない。おそらくこれから
行も融資してくれない。おかげで技術継
けれど、事実上支援になっていない。銀
再生するぞ支援するぞと言ってはいる
きな町家だからこそできることです。
に工夫を加えています。しかしこれも大
園祭のときに家の中を公開するなど存続
では、大学や行政の力を借りながら、祇
杉本家や小島家といった大きな町家
ことです。京都の町家は長屋が多いので
は 無 理 だ 」「 や は り 町 家 は 滅 び て い く も
李
すが、ここは独立していました。上物は
か。そうなったら今度こそ危機です。町
一番大きかったのは銀行が相手にし
私たちが資金を出す、土地もいくらまで
のなのだ」と、むしろそちらに加速する
家を残そうにも技術を継承した人がいな
李
出 す と、 ぎ り ぎ り ま で 交 渉 し て 審 査 が
の で す。 笛 吹 け ど 踊 ら ず と は こ の こ と
いのですから。
(後編へ続く)
通ったのです。上物の修理だったら自己
で、もし京都市が本当に観光資源として
資金でするしかありません。だから壊し
— 14 —
▼営業部だより▲
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人・社会・自然のための情報とメディア』
関西学院大学総合政策学部教育研究叢書
『
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窪田 誠[編]
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【好評既刊】
編・集・後・記
かんな
京都の町を歩いていたら、古着屋の店先に鉋が二挺並んで売られ
て い る の に 出 く わ し た。 古 着 と 大 工 道 具 と い う 取 り あ わ せ も 奇 妙
使いこまれたものでもないが、木の台は普通目にするものよりずい
だったが、その形にひかれて手に取った。それほど古いものでも、
ぶん厚く、ずっしりと手おもりがする。鋼から打ち出した分厚い刃
『認知面接』
目撃者の記憶想起を促す心理学的テクニック
椅子や本棚を仕上げた。鰹節削り器にも薄っぺらな鉋が逆さまにつ
の授業ではこの刃を研ぐ練習をしたし、実際にそれを使って自作の
をなでていると、いろいろなことを思い出した。中学校の技術家庭
もまだ減っていない。硬い樫の木でできた、心地よく滑らかな台木
ロ ナ ル ド・ フ ィ ッ シ ャ ー / エ ド ワ ー ド・ ガ
二九六頁 定価二七三〇円
イゼルマン[著] 宮田 洋[監訳]
A5並製
改訂版』
けられていた。分厚い台の鉋がど
んな用途に使われたのかはわから
ない。恐らくぼくが使うことはあ
るまい。よほど買って帰ろうかと
思ったが、無用の長物がまたひと
つ机の周りで場を占める光景を思
い 浮 か べ る う ち に、 伸 び た 手 は
引っこんでしまった。(和)
— 15 —
国際連合広報局[著]八森 充[訳]
価格未定
〈非売品・ご自由にお持ち下さい〉
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六一二頁 〒 662 — 0891
兵庫県西宮市上ケ原一番町 1—155
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九〇頁 『 関西学院大学心理学研究室
1923〜2003)今田恵の定礎に立って
四〇〇頁 定価四二〇〇円
一二〇頁 予価一〇五〇円
関西学院大学産業研究所[編]
A5並製
※価格はすべて税込表示です。
コトワリ No. 32 2012 年 9 月発行
3
関西学院大学心理学研究室 年史編集委員会[編]
(
80
『 関西と中国東北地方との経済
交流を考える』
A5上製函入
80
く 関 係 の な い 演 説 や ビ ラ ま き を 始 め た。
コールに包まれるようになった。最大規
思い思いのプラカードや歌に彩られてい
模となった銀座でのデモで、隣を歩いて
を「左翼に利する」と解釈した保守系の
六月一五日、続いて六月二九日に、反
い た、 団 塊 よ り 少 し 下 く ら い の 女 性 に
団体やメディアは「原発賛成」を掲げる
原発デモの規模が万単位にまで拡大し
「 あ の 掛 け 声 イ ヤ で し ょ?
【怒りとイデオロギー】
た。デモの参加人数は、世界中どこでも
た デ モ が、 い つ し か 古 臭 い シ ュ プ レ ヒ
東日本大震災発生当時の関東以東で
発表者の立場によって大きく異なるもの
ようになった。
は、 連 日 報 じ ら れ る 福 島 第 一 原 発 の
い頃イヤだったのよね」と話しかけられ
高原基彰
ニュースに、人々がみなかじりついてい
で、 そ れ ら の 中 間 程 度 と 考 え る し か な
私たちも若
た。情報公開の遅れから、放射性物質へ
イデオロギー的党派性は、左右いずれ
い。しかし熱心な賛同者は、マスコミが
識した、というのが多数派の人々の現状
成・反対の二元論では済まないことを認
よ う に な り、 原 発 問 題 の 複 雑 性 と、 賛
に、 ツ イ ッ タ ー な ど で 識 者 や 芸 能 人 に
の反原発感情を持っていた。しかし次第
もに、旧国鉄労組や種々の「○○派」の
る。数を重ね、規模が拡大していくとと
だ、二〇〇三年の反イラク戦争デモであ
思 い 出 す の は、 私 も 何 度 も 足 を 運 ん
私は思う。
も、この多数派の静かな怒りの行先だと
だ ろ う。 真 に 注 目 す べ き は、 デ モ よ り
— 16 —
たのが印象的だった。
にしても、運動のポテンシャルを下げる
だ け で あ る。 一 年 以 上 が 経 過 す る 中 で、
の恐怖感が煽られ、猛烈な政府とマスコ
嘘つきだと決めつけることを自己目的化
様々な立場から冷静な議論が発信される
ミへの怒りや不信感が拡大した。
「原発推進派」というレッテルを貼って
姿が目立つようになり、イラク戦争と全
たかはら・もとあき)
誹 謗 中 傷 す る な ど、 非 生 産 的 な「 運 動 」
(関西学院大学
も目立ち始めた。他方で、こうした状況
震災から間もない頃、誰もが何がしか
している。
連載 32
K O T
No.33
2012
O
W
A
R
I
インタビュー(後編)
京都の町家を再生する
李 建志
齋藤由紀
関西学院大学出版会
KWANSEI GAKUIN UNIVERSITY PRESS
三人、四人、五人が寄れば……
下山 晃
小 学 校 低 学 年 の こ ろ で あ っ た か、 兄 弟 喧 嘩 を し た お り に「 三 人 寄 れ ば 文 殊 の 智
慧」の話を聞き、「兄弟は仲良くせなイカン」と厳しく諭された。即座に「あほが
三人寄ってもか?」と思い、「大人が偉そうにいうことは、あんまり、アテにはな
れへんやん」と感じた。それに第一、文殊さんなるモノがいったい何者で、どんな
ばか大将』(原題
ばっか
智慧をお備えなのか、幼いぼくには全くわからなかった。それからしばらくして、
大将だぁ〜」という素っ頓狂な主題歌ではじまる『
「ウッヒッハ〜へんちくりん、へんちくりんのドンピカドン、ぼっくらは
The Three
)というテレビドラマが放映されはじめた。毎週三人寄って、まことにア
Stooges
ホなことばかりしている。「大人はアテにならん、アテになんかするとアホになる
かも」という感触は、すぐに確信となった。
それからまたしばらくして、毛利元就の「三本の矢」のたとえ話を聞いた。しか
しそのころは歌謡曲「御三家」はともかく、「三本」だとか「三人組」と聞いて頭
に浮かぶのは、かしまし娘やてんぷくトリオ、レッツゴー三匹といったコメディア
そこであるとき「いったい何人寄るのがイチバンなのか?」などと考えることに
ン。やっぱり、文殊さんや元就公のお智慧には全然むすびつかなかった。
なった。一人か二人はわりと肌にあうけれど、「三銃士」「三羽烏」や「四天王」は
どこか縁遠い、雲上の存在という気がしてシックリはこない。(ただし、「海軍三羽
コトワリ
もくじ
No. 33 2012
巻頭エッセイ
齋藤由紀
李 建志
下山 晃
三人、四人、五人が寄れば……
インタビュー(後編)
京都の町家を再生する
—2—
3
烏」と称された井上成美・元海軍大将については、ごく最近、大きな関心アリ)。
2
4
3
「四人組」「五人組」はネガティヴに過ぎる。六つ子が主役の漫画が人気であった
が、何しろタイトルが『おそ松くん』であったから、智慧者になりたいぼくとして
─
第
回
海老坂武
今月の新刊
※連載「ドイツ庭ものがたり」
はお休みします。
朴 勝俊
田村和彦
松木真一
月の新刊
小池洋次
知の仕掛け人』
─
連載 世界から
権力と金 自著を語る①
は全然おもしろくもない。七福神は、何ともめでたいのでOK(後年、ぼくは自著
で商業神としての七福神の歴史を書くことになった)。『七人の侍』は評判よいけ
『グローバル
自著を語る②
ど、世代が異なるせいもあって、それほどわくわく、というわけでもない。野球と
『サイボーグ009』の九人チームがイチバンに近い、といえるが、十人以上とな
ると、「十二使徒」とか「十三仏」とか、智慧の乏しいぼくにはわけがわからなく
なってくる。一挙に「万国の労働者は団結!」「世界は一家、人類みな兄弟!」と
『解釈学的神学の現在』
までなると、あまりに壮大すぎてますますわけがわからないが、「イマジン」はレ
ノンが暗殺されたとたんに、なぜかよくわかった。
バックミラー
右 の よ う な こ と を 思 い 出 さ せ た の は、 実 は、 身 内 の フ ィ ア ン セ が 被 っ た 列 車 事
故。身内も、そのフィアンセも関西学院大学軽音楽部の出身である。事故でフィア
移民の港ハンブルク
ンセが植物人間状態になったという知らせがネット経由で広まると、OB、OGも
含めて七十人、八十人というメンバーが集まり「復活プロジェクト」を直ちに開始。
営業部だより
千羽以上の千羽鶴はもちろんのこと、オリジナルの応援歌をつくってくれたり大学
に集結して iPad
で病室にライブ演奏中継をしてくれたり。岡山の救急病棟入院時に
も遠方から入れかわり立ちかわり誰かがお見舞いへ。そのおかげもあって、
「まずは
連載 差異の詞典
(大阪商業大学 しもやま・あきら)
【怒りと若者】 絶対助からない」と診断されていたフィアンセは奇跡に奇跡を重ねてどうにか回復。
「 三 人 寄 れ ば 文 殊 の 恵 み 」「 七 十 人、 八 十 人 寄 れ ば、 文 殊 と 仏 と イ エ ス と ア ッ
ラー、地蔵、観音、七福神……そして学友の恵み」があることを、強く実感してい
る今日このごろである。
—3—
8
10
12
14
15
16
4
1
インタビュー(後編)
けん じ
京都の町家を再生する
り
李 建志
き
関西学院大学社会学部教授
さいとう ゆ
齋藤由紀
英語教員(英語教育・観光学)
─
京町家を再生して住むという選択の後には
。
制度的な問題と戦う日々が待っていた
三年にわたる経験から見えてきた日本のまち
づくりが抱える問題と、その解決方法を探る
─
『京都の町家を再生する
家づくりから見
えてくる日本の文化破壊と文化継承』(仮)は、
関西学院大学出版会から二〇一三年刊行予定
である。著者であり、ご夫婦でもある李建志
氏と齋藤由紀氏のお二人に、その一部と再生
した町家に住むことの魅力について聞いた。
今回の京町家再生工事ではどんな
つしにかい
逃れるためといわれ、厨子二階といいま
したのですが、一流の大工さんが来てく
李
られていて、たとえばアルミサッシの窓
るはずです。長い間にいろいろ変にいじ
く明治期に建てられ、築百年は経ってい
なっていくのです。私たちの家はおそら
す。明治後期から大正にかけて総二階に
れました。目をキラキラさせて「久し振
が入ってカーテンレールが付いていたの
ことがあったのですか。
─
りにこんないい木を触らせてもらった」
を外し、虫籠窓(壁に格子状の穴をあけ
今回、私はかなり頑張ってお金を出
「ここまで古いものを再生した家はない」
て窓にしたもの)を再生したのです。
はり捨てることに慣れているのですね。
と、全部残すつもりでした。けれどもや
きて、いいオブジェになるかもしれない
機質な木と言うこともできます。長所が
す。暴れないことは便利ですが、逆に無
らいするうちにねじれることもありま
暴れない木です。たしかに木は三十年く
李
さいましたね。
大工さんも楽しんで作業してくだ
むしこまど
と言ってもらいました。電線を木造部分
齋藤
工事の途中いつの間にか無くなっ
弱点であったりする。京都の町家も同じ
がいし
というのがあるでしょう。三十余り出て
と絶縁するために陶器でつくられた碍子
てしまいました。ささいなものではあり
ことで、それなら弱点はカバーしつつ長
集成材は八十パーセントまで乾いた
ますが、私たちが残してほしいと言った
齋藤
私たちの家は二階の天井がつぶれた
のに無くなったものがいくつかあります。
李
所を伸ばせば良い。
興住宅地と変わらなくなってきました。
京都はこの二十年で急速に、普通の新
よ う に 低 く な っ て い ま す。「 あ れ は 二 階
ではなく物置です」という体裁にして
“町人が武士を見下ろさず”の禁制から
—4—
齋藤
動かないとできないことです。
できると思います。ただしこれは行政が
本家屋の良いところを併せ持ったものが
うものです。これなら現代家屋と古い日
ころに移築し、町家分譲住宅を作るとい
礎をやり直してから土地が余っていると
私が考えているのは、町家を解体し、基
回潰れたら燃やすわけにもいかない。全
ないのです。新建材やサイディングも一
さっちもいかない。これは基礎だけでは
ず つ 作 業 し て い る の で す が、 に っ ち も
するのにボランティアの男性たちが少し
てねじ曲がっているのです。これを撤去
ンクリートからネジのようなものが伸び
いるのが恐ろしかったのです。基礎のコ
とですが、家が産業廃棄物の山になって
島にも行ってきました。そこで感じたこ
然と思われてまた苦しくなっていくとい
ダンピングして売る。すると安いのは当
て林を放置すると山が荒れてしまうので
に値段が下がっています。だからといっ
ています。京都の北山杉も売れないため
くありますが、いまその林が危機に瀕し
りができないのか。東北はいい材木が多
言いますが、もっと木材を信じた家づく
んなで気付いていくときだと思います。
いうものは大切なのだということに、み
までは探せない材料もありますし、そう
まったらもう二度と建てられません。い
二 軒 は 助 か っ た と 思 い ま す。 壊 し て し
本の村というか、まちが作れないかと思
なところに住むだけではなく、新しい日
屋を作れないでしょうか。単に人が安全
んとしながら、あえて古い工法で日本家
高台に移転するのであれば、基礎はきち
東北で再びまちづくりをする、あるいは
したものだと言われています。ですから
日本の産業廃棄物の大半が家屋を廃棄
す。なぜ剛に対して剛で向かおうとする
の津波が来たら今度は陸側が湖になりま
ルまで耐えられたとして、二十メートル
画があるとか。それでたとえ十八メート
の津波でも防げるような防波堤を作る計
て驚いたのですが、東日本大震災のとき
あるべきでしょう。この間ニュースで見
も風景としても再生しようという運動が
して林を再生して、日本家屋を技術的に
その木を国が買い上げてもいい。そう
木材は百年を超えて粘りが強くなると
見て、町家を壊す方向で考えていたのを
う悪循環で、それは東北も同じです。
さえできるかもしれないでしょう。
思いとどまられた方がありました。私た
部、産業廃棄物です。
震災後の東北のまちづくりとリンクする
うのです。日本にはまだ技術を継承して
うちでオープンハウスをしたのを
ちが町家の再生をしたので、少なくとも
ということですが。
いる大工さんもいます。新しい観光名所
私は大学のボランティア活動で岩手
先 生 が 体 験 さ れ た 京 町 家 再 生 は、
李
─
県に行きましたし、個人的に宮城にも福
—5—
のでしょう。いまだからこそ古いものに
対する見直しが必要で、だからこそ見え
てくるものもあるでしょう。
隣近所の人との関係もそうです。いつ
の間にか角掃きしてくれているし、ごみ
の出し方も教えてくれて、変な人が来な
いように誰かが見ていてくれている。私
廊下も畳にしたのですが、廊下畳は本当
梅雨も快適でした。木や漆喰が自
に良かったと思っています。
齋藤
動的に水分を吸収するといいますが、外
が土砂降りでも家に帰ってきたらじめじ
めした感じを受けなかったです。いよい
よ京都の油照りの夏を迎えて……。
齋藤
たぶん土間があるからだと思うのです。
家に入る瞬間ひんやりするのです。
齋藤
李
試しに掘ってみたところ、出ない可能性
たちの家の前の持ち主に「この辺はみな
知り合いだから、鍵は閉めなくても大丈
もあると言われてあきらめたのです。
ば出るらしいのですが、そんな深いとこ
李
いう一九八六年公開のスタジオジブリに
きることもあります。
『柳川掘割物語』と
李
にはクーラーをまだ一度も入れてません。
涼しいですね。ふだん生活しているとき
庭に水を撒くことで風が通るので
夫」と言われました。たぶん日本社会は
私たちの家にも井戸があったので
昔、みなそうだったと思うのです。
が、日本中にそういう日本家屋がありま
ろの水を取って大丈夫なのかと心配にな
よる実写映画があり、バブルの最中にバ
煩わしい付き合いがあって初めてで
す。これを私は残したいのです。きっと
ります。五メートル掘れば水が出た京都
ブルに背くような内容なのですが、私は
てしまえ。新しいものを作れ」というと
三十メートルぐらいボーリングすれ
後で良かったと思うはずです。東北も京
というのは昔の話です。つまり地中がス
宮崎駿が作った映画の中で、これが最高
京都の町家ばかり注目されがちです
都もリンクしてまちづくりをすべきで
最 後 に、 再 生 さ れ た 京 町 家 に 住 ん
でみての感想をお聞かせ下さい。
きに、柳川はいかにしてまちを守ったの
─
カスカになっているのではないでしょうか。
す。京都にもいつかは地震が来るのです
李
から。環境破壊といえば京都も深刻で、
京都は琵琶湖と同じくらいの量の地下水
木だから温もりがあって暖かいのです。
傑作だと思っています。あの「川は埋め
があったはずですが、いま井戸が枯れて
冬に結露しないのが良かったです。
います。
—6—
李 建志
するのです。そのかわり水が汚れるのを
延々と続けなければならないと彼が証明
分だけ地盤沈下し、また埋め直すことを
そしてそれは正解だった。埋めたらその
るのを、ひっくり返して白紙に戻した。
り、地元の建築会社などが大喜びしてい
ど掘割を埋める、助成金が下りると決ま
紙を書くのもおっくうな人でした。けれ
係長であった主人公は、書類どころか手
追ったドキュメンタリーです。役所の一
か、古い水との付き合いを残したのかを
す。少し前の生活に回帰するというか、
苦労したら、火に対する感謝が生まれま
一時間半も悪戦苦闘しました。これだけ
たと思ったらシュンと小さくなったり、
で真剣に頑張って、やっと火が起ってき
齋藤
法ならそれほどお金もかかりません。
李
ちだすと本当に清潔でとても便利ですね。
ずいぶん不安だったのですが、実際に立
齋藤
像できるようになりました。
説を読んでいて、その生活がある程度想
年代や一九六〇年代の家だって一九九〇
町家にかぎったことじゃない。一九七〇
ない。やろうと思えばできるはずです。
代に戻すぐらいのことでたいした話では
く、じいさん、あるいは曾じいさんの時
く特殊な一時期だったのです。父ではな
というのは、長い日本の歴史の中ではご
とをやり過ぎた。全部壊して新しくする
いう流れは都会から起こるのですね。
いるのです。これは逆に最先端で、こう
李
見直してみたらどうかなと思います。
薪ストーブを入れるという僕らの方
それに比べたら土間との付き合いなん
は意外と安いですからね。その分をエク
し、これも再生すればいい。リフォーム
年代の家に比べたら柱は太くて立派だ
私の父の世代が、古いものを捨てるこ
か小さなものです。面倒だと思う人はや
ステリアやインテリアにかけることもで
薪を焚くのも楽しいですよ。二人
時代に逆行するという意識を持って
洗わなければならず、煩わしい。しかし
めたほうがいい。たまに靴を土間のどこ
きる。古いものを大切にするという気持
(了)
—7—
私も、土間の台所は経験がなくて
だからこそ得られる豊かなものがある。
か で ぬ い で 忘 れ て、「 な ん で な い の だ 」
さえできると私は思います。 廃棄物を一〇分の一ぐらいに減らすこと
ちをみんなで持つことができれば、産業
とイラッとすることはありますよ。でも
それが日本の古い家だったのだろうなと
思うのです。いま江戸時代のことを書い
た歴史書や当時の読本、明治のころの小
齋藤由紀
新
連
連
載
載
世界 から
回
海老坂武
消えたのか消されたのか。それともどこか
渉すべてに関与したのが、フランス語を自在
〈お買物〉をしたという。そしてそうした交
男の名前はバシル・サレフ。一般にはほと
いたが、カダフィはそれを拒否、十月二十日
出国させるという「穏便な」解決をねらって
サルコジは最後までカダフィをリビヤから
にあやつるサレフだった。
に拉致されたのか。今年の五月、大統領選挙
のまっ最中に姿を消した男の話がフランスの
んど知られていない。しかし、あのリビヤの
なんと彼はパリに亡命していたのである。
最後を迎えた。ではサレフはどうなったか。
新聞を賑わわせている。
独裁者カダフィの側近中の側近、しかも財布
ンス内務省の中心部にいた誰かが飛行機を手
やってリビヤを脱出したのか。おそらくフラ
最後までカダフィに忠実だったサレフがどう
のヒモを握っている男としてフランスの政財
周知のようにリビヤはパンナム機爆破
界では相当の顔だった。
(一九八八年)を企てたとして「テロリスト
配して救い出したのだ。
く巨額の金を隠匿していた。銀行口座の多く
リビヤの独裁者はあらゆる国の独裁者と同じ
な ぜ 彼 を 救 い 出 し た か。 ま ず は 金 で あ る。
国家」と指名された。以後カダフィは国際的
に し た の が フ ラ ン ス で あ り、 サ ル コ ジ で あ
は押さえられたが、隠し金は他にいくらもあ
に孤立する。孤立を逃れようとして彼が頼り
る。 二 〇 〇 七 年 の 大 統 領 選 挙 で は、 な ん と
るはずだ。それを握っているのがサレフとい
ついで秘密である。もしも彼がリビヤの新
五千万ユーロ(約五〇億円)をサルコジ陣営
政府につかまって裁判にかけられたらどうな
うわけだ。
サルコジ当選後、カダフィはパリに迎えら
るか。サルコジ政権にとって、サレフとは金
に注ぎ込んでいたという(この報道について
れ、エア・バス、ヘリコプター、船舶、ミサ
は係争中)。
イルなど総額一〇〇億ユーロ(約一兆円)の
—8—
第
権力と金
4
箱をかかえている危険人物に見えたとしても
庫の鍵を握っているだけでなく、パンドラの
は地方自治体の長を兼ねることができるの
ろ約一六五〇万円となる。そしてフランスで
は ど れ く ら い か ご 存 知 か。 な ん と 年 に 約
ところで、永田町に巣食うあの面々の歳費
の特典がつくがこれは省略する。
られている。これに、鉄道の無料パスその他
で、その報酬は議員歳費の一五〇%まで認め
十一月現在、サレフの行方は依然として不
不思議ではない。
明。アフリカのどこかの国に連れ出されたと
の説もある。いずれにせよまだ死体となって
現われてもいない。
そして総理大臣となると年歳費は五一四一万
通費だと付け加えると四二〇〇万を越える。
二二〇〇万円。これにやれ調査費だ、文書交
なったオランド、自分のことを「普通の」大
円という数字が出されている。彼らは世界一
ノ ル マ ル
統領と名付けている。そこで「普通」とは何
高給取りの公務員なのだ。「ジャパン・アズ・
が、議員歳費の三割カットを公約にかかげて
ムの母胎である。みんなの党、維新の会だけ
しかし、政治家の特典、腐敗はポピュリス
ある。特権が宿るのはどこの国でもそうだが
いるのは偶然ではない。そもそも歳費という
—9—
さてそのサルコジの後を受けて大統領に
かについて喧喧諤諤の議論が始まるのだが、
1!」
これはさておく。
「正義と平等」はオランドの公約中の公約、
国会と官庁とである。まず彼は大臣の給与の
用語自体が特権的ではないか。使って当然の
(えびさか・たけし)
めるところから始めたらどうか。
費用ということなのだから。これを給与と改
三〇%をカットした。ついで国会議員と高級
して約一八〇〇万円。議員の歳費は今のとこ
同額で、三〇%減で一四九一〇ユーロ。年に
ちなみにフランスの大統領と首相の歳費は
アンデムニテ
官僚の特権を縮少しようとしている。
そこで彼がまず手をつけたのが特権の是正で
no
自著を語る ①
─
今月の新刊
もう一つの国際関係論
グローバル
知の仕掛け人
こ いけひろつぐ
小池洋次
関西学院大学総合政策学部教授
本書は、自分のアイデアと行動力で世
ある。取材するうちに、彼らの知的活動
た取材旅行で出会った人々がほとんどで
び回る時期が長かった。十六人はそうし
筆者はジャーナリストとして世界を飛
いる。
貧困問題の解決などを目指し飛び回って
を務めた後、自ら財団を設立し、世界の
を与えている。クリントン氏は米大統領
さを訴え、米国を始め各国の政策に影響
十六人は皆、エネルギッシュで、そし
に強い刺激を受け、もっと深く知りたい
を 思 い 浮 か べ る 人 が い る か も し れ な い。
であろう。この言葉で、哲学者や思想家
富んでいる。だが、一方で、共通する部
掛け人たちは皆、個性が強く、独自性に
分け、その資質や行動原理を探った。仕
本書では、十六人を四つのグループに
て確信に満ちていた。
筆者は、世界に大きなインパクトを与え
分も少なくない。各章末では、グループ
「 知 の 仕 掛 け 人 」 は、 耳 慣 れ な い 言 葉
と思った。それが本書執筆の動機である。
るような発想を持ち、目標の実現を目指
が思いつかないような小口・無担保融資
例えば、ユヌス氏はこれまでの銀行家
章から、何がしかのヒントを得ていただ
人ひとりから、そして各章末の解説や終
分析と解説を試みた。仕掛け人たちの一
終章では、仕掛け人について総括的な
ごとの仕掛人の特質を解説している。
という意味で
─
取り上げた人物は計十六人。その中に
を最貧層に供与し、そうしたマイクロ・
ければ、筆者にとってこれ以上の喜びは
して努力し続けた人
はノーベル平和賞を受賞したムハマド・
フ ァ イ ナ ン ス は 世 界 の モ デ ル に な っ た。
この言葉を使っている。
ユ ヌ ス 氏 の よ う な 社 会 起 業 家 も い れ ば、
ナイ氏は、軍事力や経済力という「ハー
界に大きな影響を与えた人物の秘密に迫
ジョセフ・ナイ・ハーバード大教授のよ
る試みである。
うな学者や、ビル・クリントン氏のよう
ない。
は、アイデアを生み出す力、そしてそれ
本書を書き終えて、いま改めて思うの
ド パ ワ ー」 に 対 し、「 ソ フ ト パ ワ ー」 と
ど、「 人 か ら 魅 力 を 持 た れ る 力 」 の 大 事
いう考え方を提示し、文化力や教育力な
な政治家もいる。
条件と言えば、必ず、筆者が会い話を
聞いた人物に限ったことである。
— 10 —
会、そして国家のあり方を左右しかねな
せる力の重要性である。それは個人や社
を実現すべく行動に移し、さらに持続さ
また、世界大の活動でなくても、地域や
る「 知 の 仕 掛 け 人 」 の 一 部 に す ぎ な い。
る。もちろん、彼らは世界で活動を続け
人」も多いだろう。本書を参考に読者一
社会で様々な挑戦を試みる「知の仕掛け
知性だけでは不十分だ。だが、それを
人ひとりが「知の仕掛け人」を発掘して
い。
伴わない行動も無意味であり、時に無謀
最後に日本へのメッセージを書いてお
いただきたいとも思う。
動であろう。いわば行動的知性、あるい
きたい。実は、この点が筆者の最も訴え
となる。必要なのは知性に支えられた行
は、知性的行動が世の中に大きな、そし
たかったことである。
を与えることも念頭に置いていたのであ
た。自らの知性と行動が国際関係に影響
十 六 人 は 皆、 世 界 を 視 野 に 入 れ て い
栄を図る道であろう。日本のグローバル
こそが、日本が世界に貢献し、自らの繁
その実現のために行動を持続する。それ
結 果 と し て の ア イ デ ア を 世 界 に 発 信 し、
も大切な「資産」である。知的な作業の
最 新
!
刊 !
クラウス・シュワブ(世界経済フォーラム代表)
著者自らが迫る、十六人の仕掛け人たち
ムハマド・ユヌス(グラミン銀行創設者)
ビル・ドレイトン(アショカ代表)
オード・ドゥ・チュアン(女性フォーラム創設者)
ジョセフ・ナイ(ハーバード大学教授)
ロビン・ニブレット(英チャタム・ハウス所長)
ジョン・ブランデル(英経済問題研究所の前所長)
エッカード・サイエ(ケンブリッジ・クレアホール前学長)
フレッド・バーグステン(米国際経済研究所長)
トミー・コー(シンガポール国立大学政策研究所長)
モイセス・ナイム(米外交誌『フォーリン・ポリシー』前編集長)
ジョン・チップマン(英国際戦略研究所長)
ジェフリー・サックス(米コロンビア大学地球研究所長)
レスター・ブラウン(米アースポリシー研究所長)
緒方貞子(元国連難民高等弁務官)
ビル・クリントン(第四二代米国大統領)
— 11 —
て効果的なインパクトを与えるというこ
る。本書の副題を「もう一つの国際関係
な立ち位置を考えたとき、そうした努力
資源もない島国において、人材こそ最
論」としたのは、十六人を通じて、人物
はますます重要になっている。
とである。
像とともに彼らが影響を与えようとした
者は固く信じている。
出すべきだし、また、そうできると、筆
日本はグローバルな知の仕掛け人を輩
国際関係についても、ある程度理解を深
めていただけると思ったからである。
前述のように、十六人は筆者が国際報
道に携わるなかで、出会った人たちであ
四六判並製 280 頁
定価 1995 円(税込)
自著を語る ②
─
1月の新刊
解釈学的神学の
現在
社会史的解釈、心理学的解釈など様ざま
精神的状況ということから言えば、ある
で あ る。 解 釈 学 的 神 学 も そ の 一 つ と し
意味で「人間が壊れる」時代(第1章)
在するものであるが、これとは異なり解
ことばの出来事の神学へと展開し、さら
であり、人間の精神的崩壊として人間存
釈学的神学はヨーロッパを中心に、福音
に今日のユンゲルやダルフェルトらに見
在の崩壊の危機といった深刻な状況の中
て、現代における聖書解釈に文字通り一
られるような、この方向の一層の徹底に
にあり、今までよりも一層虚無的な状況
つの貢献を果たしている。一つではある
おいて神学的思索を深めまた進展させた
と現実のうちにある、と思われるからで
主義神学の内部にとりわけ二十世紀半ば
神学的立場であり、その影響力は当然の
が、しかしながら根本的に有意義な一つ
ことながらアメリカや日本など各国にま
ある。
以降次第に定着してきた一つの主要な立
で及んでいる。特に現代の精神的状況に
紀のヨーロッパに起こった無神論による
場 の こ と で あ る( 第 1 章 )。 そ れ は、 ブ
とって、この神学の持つ意義は大きくま
ニヒリズムの影(ヴァイシェデル)とと
というのも、現代(特に今の時代)は
本書は、キリスト教神学の研究を始め
た顕著である、と認識せざるを得ない。
もに、特に現代の素晴らしい驚異的な科
である、というのが本書の主張である。
て以来、現在に至るまでの諸研鑽・諸研
もっとも、現代における聖書特に新約
学技術の進歩発展の裏側に顕わな、人の
ルトマンの非神話化による実存論的解釈
究に一貫している自身の解釈学的神学の
聖書のテキストの正しい理解、解釈とい
生命と生存を脅かしあるいは犠牲にする
以後、エーべリンクやフックスらによる
問題意識と立場を公けに著そうと企図し
う解釈学的試みは従来、ガダマー、バル
深 刻 な 事 態 の う ち に、 宗 教 ど う し の 衝
まつ き しんいち
本書において解釈学的神学は、いわゆ
ト、ブルトマン、いわゆる(旧約新約統
松木真一
る神学的解釈学とは区別して考えられて
一としての)聖書神学、言語学的分析、
たものにほかならない。
関西学院大学理工学部教授(宗教主事)
いる。神学的解釈学はキリスト教の内と
現代のそうした虚無的状況は、十九世
外における多様なヴァージョンの中に所
— 12 —
い た 過 激 な テ ロ・ 暴 動・ 紛 争・ 戦 争 と
経済・利権などと複雑に絡み合い結びつ
突・対立のもたらす民族・国家・政治・
ものとなるために、また理解可能である
のうちに生きている現代人に理解可能な
の際、ほかならぬこの虚無的状況と現実
を新たに「解釈」することを目指す。そ
想、無神論、また自然科学、科学思想、
いった繰り返される虚しい事態のうち
諸宗教思想、あるいは自然神学などとの
た め に、 ま さ に 現 代 の 哲 学 や 倫 理、 思
事件、陰湿な犯罪、現代人の抱える根深
に、昨今の連続して多発する凶悪な殺人
い心の病、精神的内面的不安定・行き詰
対論の地平で新しく解釈し直すことを目
数篇の釈義的解釈学的考察などの諸論文
についての解釈学的検討などの諸
Paul
考察を含め、パウロのテキストをめぐる
!
二〇一三年一月刊行!
めぐって
章
節 の「 十 字 架 に つ け ら れ た
『曙光』アフォリズム
ガラテヤ人への手紙
絶対無と神
(イエス・キリスト)
」の解釈
章
の解釈学的検討
The New Perspective on Paul
他。
章 節─
節の釈義
節b─ 節の釈義的解釈
ローマ人への手紙
的解釈学的考察
パウロの「唯一神」理解
学的考察を中心に
─
コリント人への第一の手紙
パウロにおける悪と罪
節におけるパウロ批判を
世紀半ば以降における解釈学的神学の展開
◆ 内 容 ◆
解釈学的神学の現在
─
─
ニーチェとパウロ
20
─
14
関わりの中で、つまりそれらとの対話・
な事態、さらに自然の脅威・災害による
本書は以上のような見地から、ニーチェ
指す、そのような神学にほかならない。
的に継承展開しつつ、時代状況の変化に
を通して、解釈学的神学の特に現代にお
— 13 —
68
1
7
まり・崩壊、自殺者の急増といった深刻
人 命 と 人 生 の 犠 牲・ 喪 失 な ど と い っ た
とパウロの関係、絶対無と神の関係、新し
新しく対応する努力を今日に至るまで重
ける必要性と重要性を主張する。そうし
The New Perspective on
ね て き た。 そ れ は 今 日 に お い て は、 今
た必要性と重要性をひとりでも多くの読
いパウロ 解 釈
言ったこのような人間の内面や存在の崩
者と共有できることを願いつつ……。
6
21
4
暗々としたつらい虚しい現実のうちに顕
わである。
解釈学的神学はもとより、ブルトマン
壊的危機、そこに顕わな一層深刻な虚無
A5 判上製 168 頁
定価 2940 円(税込)
の実存論的解釈の提唱以来、これを批判
的状況と現実に直面して、またそうした
場にあって聖書特に新約聖書のテキスト
8
3
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5
6
7
バックミラー
移民の港ハンブルク
田村和彦
代から徐々に低下し、一八九〇年代には外国、主に東欧からの移
民が国内からの移民を上回り、大半を外国人が占めるようにな
ポ
グ
ロ
ム
る。 背 景 に は ロ シ ア を は じ め と す る 東 欧 地 域 で の 度 重 な る
ドイツ経由で新天地を目指す。押し寄せる移民の輸送のためにハ
ポーランドをはじめ、旧ハプスブルク帝国や遠くはギリシャから
ユダヤ人迫害がある。迫害を恐れたユダヤ人たちは、ロシア領
パーグとロイドはベルリンからハンブルクもしくはブレーメン行
下積み時代のビートルズがドイツのハンブルクに何度も渡って
彼らの出身地リヴァプールとハンブルクにはもう一つのつながり
出稼ぎのような演奏活動をしていたことはよく知られているが、
は「途中ドイツに一歩も足を下ろすことなく」移民港に着くこと
きの鉄道直行便を用意した。これに乗ればアメリカ移民希望者
ができる。もちろん、切符は鉄道運賃と途中の宿泊代、アメリカ
がある。アメリカへの移民港としてのそれである。十九世紀中ご
市を経てのべ五百万人以上の移民が新世界に向けて旅立った。当
埠頭」と名付けられた移民専用埠頭が設けられ、ここの集団宿泊
への船賃もコミである。一九〇〇年、ハンブルク港には「アメリカ
ろから第一次大戦の始まる一九一四年までに、このハンザ同盟都
初は、ハンブルクからリヴァプールに渡り、そこからアメリカに
グ
所で移民たちはコレラをはじめとする伝染病の検査のため、乗船
ー
行くルートが一般的だったが、一八四七年にはアメリカへの直行
パ
便が始まる。この直 行便を運航したのがHAPAG(ハンブル
前に約二週間にわたって留めおかれた。彼らにとってハンブルク
ハ
ク・アメリカ貨物運輸会社)である。それ以前にアメリカ移民
は通過地でしかなかったのである。
一八五〇年から一九三四年までにハンブルク経由で移民した乗客
通過点なりの貢献もある。ハンブルクの国立文書館は現在、
の出発地として著名だったブレーメンと競うようにハパーグは
アメリカ移民の数を増やし、ブレーメンの北ドイツ・ロイド社
のデータをインターネット上で順次公開している。 Link to your
(一八五七年設立)と並んでアメリカ移民を一手に引き受ける移
民業者として一躍ヨーロッパ中に名を轟かす。ハンブルク経由の
(関西学院大学 たむら・かずひこ)
移民数はすでに五十年代にブレーメンを抜く。
と名付けられたこのプロジェクトそのものが、海に向かっ
Roots
て開かれたこの都市の開放性を示すように思われる。
ハンブルクからのアメリカ移民の特色はその構成と移動方法に
ある。渡航者のうちドイツ国内出身者が占める割合は一八七〇年
— 14 —
▼営業部だより▲
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関西学院大学産業研究所/産経新聞大阪本社[編]
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編・集・後・記
先日、久しぶりに店先で紅玉というリンゴを目にした。いまどき
でまわっているデリシャスやフジといった品種に比べれば小ぶりだ
が、名前どおりの深い紅色にまず目を奪われ、ついでその強い酸味
が口の中によみがえってきた。子どもの頃はリンゴといえばたいて
い紅玉か国光で、故郷の信州では近所の果樹園から安く大量に買っ
て寒さよけに木箱のもみ殻の中に保管されるこの果実が冬の間のお
やつがわりだった。もみ殻の中に手を突っこんで、丸い実を探りあ
てたときの安心感、拭った程度で皮もむかずに、甘酸っぱい実にか
— 15 —
A5上製
チリの詩人パブロ・ネルーダに
〈非売品・ご自由にお持ち下さい〉
ぶりついたときの満足感をいまだに思い出す。
リンゴに寄せた頌歌(オード)が
あ る。「 お お、 り ん ご よ( ……)
お前の丸い無垢にかじりつくとき
/ぼくらはしばし/乳飲み子の状
〒 662 — 0891
兵庫県西宮市上ケ原一番町 1—155
TEL 0798—53—7002
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松木真一[著]
『 Simulation Analysis of Urban
』〈英文〉
Economy
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平松 燈[著]
A5上製
【近刊】 ※タイトルは仮題
態 に 帰 る 」。 ネ ル ー ダ に と っ て リ
ンゴは原初の豊穣に結びつく民衆
的かつ民主的な果実である。それ
を味わうには丸ごとかぶりつくし
かない。だが悲しいかな、一つの
リンゴが挑発するこの行為にいど
む歯と顎に自信がない。(和)
関西学院大学出版会
『解釈学的神学の現在』
A5上製 一六八頁 定価二九四〇円
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フォトボイスによる戦争被害の語り継ぎ
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方面委員制度との関わりを中心として
『林市蔵の研究』
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内山衛次[著]
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コトワリ No. 33 2012 年 12 月発行
10
12
【怒りと若者】
朴 勝俊
ようだ。
者はほとんどいない、というのが悩みの
者や、子を持つお母さんたちであり、若
支援するボランティアに参加する学生は
心であることを意味しない。東北地方を
もちろん、これは若者が一般的に無関
解決したいという想いで関西学院大学を
は、途上国の子どもたちの貧困を本当に
選んだという受験者も少なくない。それ
多 い し、 A O 入 試 や 推 薦 入 試 の 面 接 で
発に限らなくてもよい。他にも彼らに関
はすばらしいことだ。ただ、自然の災厄
もちろん、若者が原発に賛成というな
いまの若者が「怒る」ということはあ
わる問題はたくさんある。不況等による
らそれはそれでよいし、怒りの対象は原
るのだろうか(ただし、ここでは若者を
雇 用 不 安 は 真 っ 先 に 若 者 に 降 り か か る。
に苦しむ人々や、貧困国の不遇な人々に
十八歳から二十九歳までの男女、怒りを
もに組織し、現在では政治にも参加しよ
立ち上げ講演会や脱原発デモを仲間とと
原発震災をきっかけに目覚め、NGOを
ではぎりぎり若者に入らない)は昨年の
「義憤」と定義している)。妻(右の定義
なことかと、怒りの声が燃え上がっても
には選挙権さえない。なんとアンフェア
ら以下の世代だ。しかるに、二十歳未満
ようなことがあれば、戦場に行くのは彼
が、隣国との緊張が仮に戦争に発展する
されるのは彼らだ。考えたくないことだ
そのうえ巨額の政府赤字のツケを背負わ
必要ではなかろうか。
な い だ ろ う が、 そ れ を 教 育 す る こ と が、
が無ければ始まらない。容易なことでは
言 わ れ る。 し か し そ れ 以 前 に「 熱 い 心 」
題について「冷静な議論」が必要とよく
(関西学院大学
パク・スンジュン)
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対する厚い共感に比べれば、国内で力を
持 っ た 人 や 組 織 が も た ら す「 人 災 」( 私
た ち が 防 ぐ べ き も の ) に 対 す る 憤 り は、
若者よりも上の世代の方がはるかに強い
うとしている。だが、東京電力が起こし
よさそうなものだ。
原発の是非をはじめ、国内の様々な問
た事故や、今夏の大飯原発の再稼働に怒
ようだ。
り、共に活動してくれるのは元気な高齢
連載 33
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