大気圧固体プローブ法を用いた質量分析による油剤の判別

群馬県立産業技術センター研究報告(2010)
大気圧固体プローブ法を用いた質量分析による油剤の判別
和田智史・河合貴士・高橋仁恵*・宮下喜好**
Discrimination of Oil by Mass Spectrometry with Atmospheric Solids Analysis Probe
Satoshi WADA, Takahito KAWAI, Hitoe TAKAHASHI and Kiyoshi MIYASHITA
大気圧固体プローブイオン化法および飛行時間型質量分析法により、鉱物油、合成油、植物油に対
して、クロマトグラフ分析を用いない簡便で精密な油剤判別分析法の検討を試みた。その結果、各油
剤の判別を簡便に行うことができ、植物油の原料由来の特定も可能になりうることが解った。
キーワード:油剤、質量分析、大気圧固体プローブ、定性分析
We examined simple and refined method which can discriminate mineral oil, synthetic oil, and vegetable oil
by Atmospheric Solids Analysis Probe and Time of Flight Mass Spectrometry without Chromatography. As a
result, it is found that oil can be simply discriminated and raw materials of vegetable oil can be identified with
the method.
Keyword:oil solution, mass spectrometry, ASAP, qualitative analysis
1
まえがき
ASAP は、揮発性または半揮発性の有機化合物
を、最高 500℃まで加熱できる窒素脱溶媒ガスで
工業部材の多くは、加工時の潤滑性付与および
製品性能付与のために各種油剤が用いられてい
気化させた後、コロナ放電によりイオン化させる
手法である(図1)。これに飛行時間型質量分析
る。また、油剤は工業部材の表面汚染や異物の原
計を組み合わせることにより、イオン化物の精密
因ともなり、油剤の適切な判別分析が重要となっ
てきている。さらに、食用油として用いられてい
質量情報を得ることができ、各イオン化物の精密
質量分離と分子組成式決定が容易となる。
る植物油は、グリセリドを主成分とするが原料毎
に組成が異なることも考えられ、植物油の適切な
判別法も有用な分析法と言える。
油剤の分析としては、主として赤外分光分析、
ガスクロマトグラフ(GC)およびガスクロマトグ
ラフ質量分析(GCMS)が用いられている。しか
しながら、前者は官能基情報を得るのみで分子量
情報に乏しく、混合試料では精密な油剤分析は困
難である。後者は混合試料の分離分析が可能であ
るが、グリセリンエステルからなる脂質などの難
揮発性物質の分析は困難である。
本研究では、大気圧固体プローブ(ASAP:
Atmospheric Solids Analysis Probe)によるイオン化
加熱窒素ガス
ガラス製キャピラリ
MS検出器へ
Max 500℃
+
+ + ++
コロナ放電
図1.ASAP によるイオン化の仕組み
1,2)
法 および飛行時間型質量分析
(TOFMS:Time Of
Flight Mass Spectrometry)法により、GCMS 法で
は検出が困難な各種油剤に対して、クロマトグラ
フ分析を用いない簡便で精密な油剤判別分析法
の検討を試みた。
材料技術係
*バイオ・食品係 **研究調整官
また、従来のイオン化法ではイオン化が困難で
あった炭化水素化合物が ASAP 法によりイオン化
できることが報告されている 3)。さらに、ガスク
ロマトグラフ質量分析法では検出が困難なポリ
図2.ロータリーポンプオイルから得られた精密質量スペクトル
マー中のオリゴマーの検出も部分的に可能であ
る。2)
メチレン(CH2)であり、鉱物油の主たる化学組
成である炭化水素化合物の基本単位である。全て
本研究では、ASAP-TOFMS を用いて炭化水素
の鉱物油から、メチレン数の異なる多様な質量数
化合物などの情報から油分の判別がどの程度可
能であるかを検討した結果について報告する。
分布が共通してみられ、鉱物油に特徴的な質量ス
ペクトルと言える。ASAP イオン化法では全ての
高分子量側炭化水素化合物をイオン化している
2
方 法
とは言い難いが、質量スペクトル分布を解析する
ことにより鉱物油の判別も可能になりうる。
2.1 試料
3.2 植物油
鉱物油(真空ポンプ油、コンプレッサー油)4
種類、合成油(グリース)7 種類、植物油(サラ
植物油 3 種類から、ジグリセリド・トリグリセ
リド由来と思われる質量スペクトルが検出され
ダ油、オリーブオイル、ごま油)3 種類を用意し
た(図3)。また、ごま油からはセサミン由来と
た。
2.2 分析条件
思われる質量スペクトルが検出された(図4)。
さらに、オリーブオイル、ごま油におけるオレイ
分析には飛行時間型質量分析装置 LCT Premier
XE(Waters 社製)を用いた。
試料導入およびイオン化は ASAP 法で、ポジテ
ィブモード、乾燥ガス流量は 500 L / hr、測定質量
範囲は m/z = 100-1000 で測定した。
質量の校正にはギ酸ナトリウム溶液(2-プロパ
ノール / 水(90 / 10)9 mL+10%ギ酸水溶液 0.5
mL+0.1 M NaOH 水溶液 0.5 mL)を用い、測定中
の質量補正には Leucine Enkephalin 溶液(500 pg /
μL)を用いた。解析にはデータ解析ソフトウェ
ア MassLynx(Waters 社製)を用いた。
3
結 果 と 考 察
3.1 鉱物油
分析を実施した鉱物油 4 種類からは、各試料と
もに、m/z = 14 間隔の連続した質量スペクトルが
広質量数範囲に渡って検出された(図2)。
m/z = 14 間隔の質量数は、その精密質量数から
図3.植物油から得られた精密質量スペクトル
(m/z = 450-1000 の拡大図)
図4.植物油から得られた精密質量スペクト
図5.植物油から得られた精密質量スペクトル
ル(m/z = 360 付近の拡大図)
(m/z = 280 付近の拡大図)
5
ン酸とリノール酸由来の質量スペクトルの強度
まとめ
比は、食品成分表に記載された各成分の含有比率
に近いことが確認された(図5)。
ジグリセリド、トリグリセリド由来の質量スペ
ASAP-TOF-MS 分析法による油分の判別では、
対照となる試料がない場合でも、鉱物油と植物油
クトルは、植物油に共通してみられ、植物油であ
および合成油の判別は可能であることがわかっ
ることを示す特徴であると言える。
植物油はそれぞれ原材料となる植物が異なる
た。さらに、植物油どうしであっても主要成分の
質量スペクトル比および特有成分の確認により、
ため、その原材料に特徴的な成分の有無を確認す
簡便に判別できる場合もあることが解った。
ることによって種類を絞り込める可能性が示唆
された。また、オレイン酸とリノール酸の含量の
対照となる試料があれば検出された質量スペ
クトルと比較することで、異同判別が可能となり
比率が質量スペクトルの強度比と相関しており、
うるから、データベース構築が有用となる。
質量スペクトルから植物油の種類を絞り込める
可能性も示唆された。しかしながら、サラダ油の
ような混合植物油もあり、未知の植物油への適応
に対しては注意が必要である。
3.3 合成油
グリース 7 種類から検出された質量スペクトル
引 用 文 献
1) http://www.asap-ms.com/4.html
2) Atmospheric solids analysis probe: a rapid
ionization technique for small molecule drugs,
Petucci, C.; Diffendal, J., J Mass Spectrom. 2008
は、試料毎にそれぞれ異なる特徴であった。また、
鉱物油から検出された m/z = 14 間隔の連続した質
Nov;43(11):1565-8.
量スペクトルおよび植物油から検出されたジグ
する国際会議」兼「第 15 回高分子分析討論会」
リセリド・トリグリセリド由来の質量スペクトル
は、合成油からは検出されなかった。
予稿集, Ⅳ-16
このため、合成油は、鉱物油および植物油の質
3)
「高分子分析及びキャラクタリゼーションに関
謝
辞
量スペクトルとは異なり、また異種の合成油とも
質量スペクトルが明確に異なることから、合成油
本研究で行った大気圧固体プローブイオン化
飛行時間型質量分析は、財団法人 JKA による平成
の判別は容易である。また、合成油と鉱物油もし
21年度機械工業振興補助事業により群馬県立
くは植物油との混合油の判別も容易であると言
える。
産業技術センターに導入された大気圧直接イオ
ン化質量分析装置により行いました。