Lesson7 ノラはネバダ州のリノ市にある空港を見て驚いた。ノラは

Lesson7
ノラはネバダ州のリノ市にある空港を見て驚いた。ノラはオハイオ州のクリープ
ランド市の小さな郊外で育ち、それまでアメリカ西部に行ったことがなかった。空
港は、あちこちで数台のスロットマシンが、りんりん、がちゃんがちゃんと鳴る音
の他に、スペイン語や日本語やドイツ語で話す人達でいっぱいだった。「ノラ、ノ
ラ!」とジーン叔母さんが呼んだ。「西部へようこそ」と叔母さんはノラを抱擁し
ながら大きな声で言った。
「ここはいつもこんなにうるさくて明るいの?」と、点滅する明かりと騒音にい
まだにやや驚嘆しながらノラは ねた。「ネバダ州だけだね。」と叔母は答え、ノ
ラを出口に引き連れて行き、旅行者とスロットマシンの騒音から引き離した。「み
んなここにはギャンブルをしに来るの。山の方に行くまで待ってね。」
二人が叔母のピックアップに乗り込んだ時、ノラは、空気がとても乾燥してい
て、日差しが特別に強いのを、顔に感じた。「これを飲むのよ。」と叔母はボトル
に入った水をノラに手渡しながら言った。「ここは砂漠で、そしてあなたが慣れて
いる高度よりも高い場所なの。水を飲むと楽になるから。」
ノラはトラックからリノ市の繁華街の大きなカジノをいくつか見る事が出来た。
道は車で混雑し、空気は熱とスモッグで重苦しかった。店はどれもノラが住んでい
る地域にある店とほとんど同じだった。乾燥した空気と山々以外、ノラはこの待ち
とホームタウンの区別をつけることができなかった。
しかし車がシエラネバダ山脈に上がっていき、州境を越えてカリフォルニアに入
るとノラはすぐに空気が涼しく感じられるようになった。ノラの叔母のジーンは北
カリフォルニアに住んでいて、ハイキングやキャンピング用品を売っている店を
持っている。叔母さんは三つの国定森林の近くに住んでいる。間もなく二人は丘の
斜面が松の木で覆われた小さな谷に入った。ノラは木の匂いを嗅ぐ事ができた。ノ
ラは深く息を吸い込んだ。「ここは綺麗だね、ジーン叔母さん。」と、光景に驚嘆
しながらノラは言った。「こんな所に住んでいたら私は街に行きたくなるだろう
な。」
「時々は行く必要があるのよ。」と叔母は答えた。「この町は小さくて孤立して
いるの。時々はリノへ行って食料や日用品を買いに行かなきゃならないの。それに
自分の店の宣伝もリノでたくさんやっているし。」
ジーンの店は戸外の娯楽を求めて山にやってくる観光客に依存していた。何年も
の間ジーンが住んでいる地域の経済は林業を基盤に置いていたが、環境問題や木材
の値段が下降し続けたせいで地域の木材会社がいくつか閉鎖に追い込まれた。しか
し、野外活動の人気が上がり、観光客をその地域に引き寄せた。ハイキング、釣
り、キャンプにやってくる観光客がその地域社会に金を持ってきた。
「観光客が来る事に憤慨している住民がここにはまだたくさんにるの。」とジー
ンは言った。「どうして?」とノラは ねた。「ここの自然はすごいよ。最高!地
域の経済に絶対に良いはずだよ。」ジーンは説明した。「観光客が来すぎると、
もっと道路が出来て、開発が進むだろうとみんな心配しているの。多くの人達を惹
きつけて手つかずの自然の規模が小さくなり始めるね。」ノラは人が大勢いて、カ
ジノのあるリノ市のことを思い出した。たくさんの人達がリノに滞在していて美し
い山々を楽しまないなんて残念だね。でもそのおかげで山は開発されないし手を加
えられないのよね。でも生き延びていかなくてはならないので、それには観光が有
望なのよね。」と微笑みながらジーン叔母さんは答えた。
Lesson8
音楽は我々の生活に大きな影響を及ぼす。特に若者は彼らが好きな種類の音楽に
影響を受けるようである。あるいはおそらく若者の興味が彼らが好む音楽を決めて
いるのかもしれない。流行中の、トップ40に入っている曲や、ラジオでよく流され
ているような音楽を好む人達がいる。そういう音楽はロック、ラップ、ヒップ・
ホップ、リズム・アンド・ブルースのように多くの種類に分類される。ラジオでは
普通流されない音楽を好んで聞く人達がいる。パンク、スカー、ゴシックのような
音楽を演奏するバンドは、より人気のあるバンドほどお金は稼がないが、自分たち
を「アングラ」のアーティストと呼んでいる。彼らは人気のある歌手やバンドを
「堕落している」と非難する事がよくある。別の言い方をすると、彼らは、自分た
ちがやっている音楽が、金 けのために音楽業界の標準に合わせない、あるいは巨
大な聴衆の音楽の好みに迎合しないので、より優れていると信じている。
音楽の好みは衣服に表れる事がある。例えばパンクが好きな人達はまた明るい髪
の毛にしたり、頭を剃ったり、ピアスをしたり、タトゥーをしていることがある。
パンクが好きな人達はまたスケボーや、スノボー、ツーリングのような「普通では
ない」スポーツを好んでやることがある。
ラップが好きな若者は幅の広いバギーパンツをはいたり、首に金のチェーンをた
くさん巻いたり、ベースボールキャップを後ろ向きにかぶったりしていることがあ
る。ゴシック音楽のファンは好みの歌手のまねをして黒の衣服を着たり、顔を白く
塗り口紅をさしたりするようなことをよくする。
ミュージックビデオの人気上昇は音楽とファッションの繋がりを助長した。今や
ファッションは好みのミュージシャンの演奏を簡単に見る事ができる。そして、
ファッション業界は人気ミュージシャンのような格好をしたいというファンの欲求
で金 けをしてきた。親や社会に反抗するために特殊な格好をしているという若者
がいるが、若者はただ好きなミュージシャンの模倣をしているのだと考える人達が
いる。
アメリカのポップスについて重大な質問が問いかけられている。例えば、ラッ
プ・ミュージシャンが彼らの音楽の中で女性を侮辱したり、暴力を奨励したりする
ことがよくある。ラップのファンもまた女性を侮辱したり、暴力的な行為をしてい
るのだろうか?ゴシックやパンクで暴力に関する曲を歌うと聞いている人達の暴力
制を刺激するのだろうか。?うならば、大人は若者が聞く音楽を検閲しなければな
らないのだろうか。昨今の音楽業界が若者の服装に多大な影響を与えている事は疑
いがない。だが、若者の行動にも影響を与えているのだろうか。
明らかに音楽は若者のアイデンティティーの発達に非常に重要である。年をとる
につれても10代の頃のや10代前半に聞いた音楽を聴き続けるという事が調査で明
らかになっている。おそらく青春時代を振り返り、かつての幸せと好きな音楽を結
びつけるのだろう。理由は何であっても、音楽はこれからもずっとアイデンティ
ティーや考え方の確率に役立ち、個人の趣味を反映するであろう。
Lesson9
商業、伝達、検索のツールであるインターネットは多くの人々の日々の生活の重
要な部分になった。インターネットは多くの分野において、学習と発見の可能性を
秘めていることを証明した。インターネットが約束する知識と商品への即座のアク
セスは社会問題に対して大きなインパクトを持ちうるが、我々の生活スタイルと価
値観に与える影響も無視できない。
政治家はさらにコンピュータを学校に入れて、学生をワールド・ワイド・ウェブ
(www)を繋ぐと確約しているが、子供達の不適切なサイトへのアクセスを制限する
伝案作成中でもある。多くの利用者が「インフォメーション・ハイウェイ」へのア
クセスを喜んでいる一方、まったく同数の利用者が、子供達をいやな、そして不道
徳な考え方や映像にアクセスできることを憂慮している。ポルノを掲載しているサ
イトが、そのあらわな映像のゆえにメデイァの中心で最大の関心を集めている事が
多いが、ほかにも同様に憂慮すべきサイトが数多くある。白人至上主義者や他のヘ
イト・グループが、見た目には通常のサイト上で彼らの暴力性や極端な偏見を包み
隠す場合がよくある。一見素朴で情報を載せたサイトが実際は人種や政治に関して
破壊的な思想を含んでいる場合がある。過去においてこのような思想は小さなグ
ループ内で限られていたが、今はインターネットが家庭に運び込んでいる。
人々が理解していない場合が多いのは、インターネットで情報にアクセスできる
ということはまた多くの機関が人々にアクセスできることでもあるということだ。
多くのネット会社はウェッブ・ページ上で宣伝のスペースを売るだけで経営の経費
をまかなうことができる。ハイパーリンクはサイトのスポンサーにすぐに繋いでく
れるが、望むサイトを見つける前に宣伝者のサイトを訪れなければならないかもし
れない。さらに、あなたが訪れるネット上の会社はあなたのコンピュータと接続し
てネット上のあなたの動きを検索できる。あなたの生活にまつわる情報を収集して
ダウンロードすることによって、これらの会社はあなたに商品を売るためのより手
の込んだ戦略を作れるのだ。多くの人達が、これらの会社が我々の習慣を詳し過ぎ
るくらいに調べてプライバシーを侵害していると心配している。
アイディアや情報が自由にそして容易に公表されることは、インターネット上の
サイトを巡る時に我々は気をつけなければならないということを意味する。他のメ
ディアについても同様であるが、利用者は情報の正確さだけでなくサイトを運営し
ている機関の動機ー政治的であるか、売りこみが目的であるか、あるいは個人的な
好奇心からかいずれかーをも考慮しないといけない。これはネット上の情報の量が
膨大である事を考えると困難なことである。
インターネットが本当に誰にも入手できるものであるかということいついても問
題が残る。最近コンピュータの値段が下がったが、一台購入してインターネットに
接続するのは依然として多くの人達の資力を超えている。さらにテクノロジーの絶
え間ない進歩は、利用者がコンピュータを絶えずアップグレードする必要があると
いうことを意味する。今は機能していることが3年あるいはそれ以下で古くなって
使えないかもしれないのである。テクノロジーに遅れないようにするには金がかか
るし、また恐くもある。コンピュータを使用しないで育った人にとって新しいテク
ノロジーは学習するには複雑で難しいものである。インターネットがアイディアへ
の平等なアクセスを人々に提供するのに非常に重要であるのが分かったが、多くの
人達が依然として新しい情報文化から除外され、手段を奪われたままである。