砂漠を貫く路

砂漠 を貫く路
砂漠公路 を越える
文、写真 = 田崎基
イラスト = 柏倉陽介
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田崎 基 (20)/隊長、渉外
法学部自治行政学科 3年
:常になにか話している。が、人の話はあ
まり聞いてない傍若無人男。数年前から脳
幹に砂丘の砂がこびり付いている。
(少しは
寒いとトコ行けよ)
飯倉 剛 (19)/記録、会計
法学部法律学科 1年
:冷静かつ沈着な判断を常に下す。が、身
体は見た目よりもデリケート。彼が一皮む
けるところを垣間みてしまった気がする。
柏倉 陽介 (19)/ 食料
法学部法律学科 1年
:激烈的かつ究極的なメンド臭がり。しか
し、彼のひたむきなまでの努力が俺達の食
生活を支えた。少しは今回の活動で強く
なったか。
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佐久間 拓也 (19)/装備
法学部自治行政学科 1年
:隊員の中では一番のマッスル野郎、そし
て自信家。しかし、やばい状況になると意
外に弱かったりする。
羽山 広美 (18)/ 医療
法学部法律学科 1年
:隊員の中で唯一女の子で女子部員ホープ。
なぜか、昔の田舎の小学生のようにビデオ
カメラに写りたがらないシャイガール。
目的
砂漠の中、人力だけを主要な動力源としてい
る自転車を用い、ある一定の距離を走る。そのこ
とで、永遠のテーマである「冒険とは」に一歩近
づく。
また、メンバーの中心が新入生であるため、そ
の活動において海外であることから留意しなけ
ればならないこと、少人数での活動の繰り広げ
方、を知ってもらう。自転車を用いるためそのメ
ンテナンス等を含めたノウハウを手に入れる。
「近くて遠い国」中国の”文化”と”人”にふ
れる。そのことで自分の器をでかくする。
自力でたどり着き、360度砂丘地平線の大地を
踏みしめ、日常では味わえない感動を5人そ
ろって味わう。そのことで、自分の存在と格好良
さを再確認する。
そして、泣く。
フィールドの選択理由
通称、「砂漠公路」そのフィールドは一本の
まっすぐなアスファルトでできた道だ。この道
は砂漠の真ん中に発見された油田のオイルを運
輸するために造られた。その性格から英語では
「オイルロード」呼ばれている。
石油を運ぶための道を自転車で走る。その着
眼点のおもしろさがこのフィールドを選択した
理由だ。
期間 7月30日∼10月1日(64日間)
アドベンチャークラブの中でも比較的長期の
活動期間である二ヶ月間となった訳だが、メン
バー5人の内4人は一年生であったため私は出来
るだけ確実に活動を成功させたかった。つまり、
日程的余裕が無くなることによって活動を中止
するということを避けたかったのである。また、
日程的な余裕は活動自体を楽しめる要因の一つ
となりうる。つまり、
「じゃあ今日は天気もいい
し、砂丘でも歩きにいって写真でも撮ってくる
か」などということになるのである。そういった
心の余裕が欲しかった。
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漢字文化であるため、一つの漢字に対して一つ
の意味があるので筆談ではお互い通じ合うこと
が可能なようだ。だが、日本の漢字とはまた異な
り簡略化されていて筆談では少々の知識が必要
なようだ。
新彊ウイグル自治区の概要
新彊ウイグル自治区は中国の西北部にあり、
東はモンゴルと、北はロシアと、西はカザフスタ
中国の概要
ン、キルギスタン、タジキスタン等と、西南はア
日本の西方、東シナ海を隔てアジア大陸東南
フガニスタン、パキスタン、インド等の八つの
部にある隣国。日本は古くから遣隋使・遣唐使な
国々と隣接している。国境線は5400kmで中国陸
どによって文化の影響を受けた。人口は世界最
地国境線の25%を占めている。また、南はチベッ
大で約 12 億人という。大陸の面積は東西約
トに、東南部は中国の青海省と甘粛省につな
5000km・南北約5500kmの960万平方kmにおよ
がっている。新彊の全面積は155万平方kmで、中
ぶ。
国面積の6分の1に当たる。ちなみに日本の4
政治体制は中国共産党が事実上独裁を続けて
倍以上の広さだ。新彊の地形は高原、平原、砂漠、
いる。最近では、経済開放政策を推し進め、市場
盆地と4つの部分に分かれていて、3本の山脈
経済を取り入れ近代化を急いでいる。また、世界
がある。その3本の山脈はアルタイ山脈、天山(タ
最大の300万人という中国人民解放軍を持ち、核
ギリタグ)山脈、コンロン山脈だ。アルタイ山脈
兵器を持つ軍事大国である。
は新彊の西北から東南と、新彊とモンゴルの国
地理は中国全体としては平野というイメージ
境を走り、天山山脈はウイグル語で「タギリタ
があるが、平野部の割合は以外に少なく、赤茶け
グ」と言う。意味は神様(アラ様)の山と言う意
た禿げ山や黄土高原、そして砂漠と高山地帯が
味で、東西方向の何本もある山からできて、全長
国土の大半を占めている。豊かな森林地帯は少
さは1700km、南北の幅は300km に達している。
なく、国土全体の約 10%程度といわれる。古代
西部はタジキスタン国内にあり、新彊にある部
にはほぼ全土を森林が覆っていたようだが文明
分の高さは西から東に低くなっている。平均の
の発展とともに伐採が進み乾燥地帯や半砂漠の
高さは3000∼5000m。天山山脈の主峰となるト
地域が増えたといわれている。西域には世界第2
ムル峰はアクスの北にあり、高さは7435m。天山
位の面積を誇るタクラマカン砂漠がある。
(ちな
山脈により、新彊は北新彊と南新彊と二つに分
みに第1位はアフリカ大陸南部に広がるサハラ
かれている。北新彊と南新彊とでは地形、気候、
砂漠)
文化、経済風習等各面で色々違う所があり、南の
気候は一般に、北方と南方で異なる。北方では
コンロン山脈は世界最大の高原―チベット青海
夏暑く、冬寒い傾向にある。また、南方では比較
高原の北縁で、西はカラコルム、東はアルチン
的日本に近いといわれている。また、地方都市に
山、一番西はパミール高原とつながっている。平
限らず大都市ではいつも埃や塵が舞っていて、 均高さは5000メートル以上で、一番高い山が新
埃っぽいが、これは西方の乾燥地帯から砂塵(黄
彊とインドの国境にあるチョゴリ峰で高さは
土)が吹くためと、近年では工場の排気ガスによ
8611m、パミール高原に万年雪の山がある。
る大気汚染のためである。
新彊には二つの大きな盆地があり、その一つ
言語についてであるが、普通中国だから中国
は、アルタイ山脈と天山山脈に挟まれたシュン
語だ、といわれるが、基本的に中国では統一した
ガル盆地。この盆地には砂漠とゴビと両方ある。
共通言語がない。
(そんなもんあるのは日本ぐら
しかしここの砂漠の砂が大体硬くなっていて余
い)つまり、北京語・上海語といったように文法
り移動しない。雨や雪の後草が生え、牧場となっ
等も異なり発音ではほとんど通じない。しかし、 ている。盆地西に新彊の有名な石油産地―カラ
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マイ(黒い油と言う意味)がある。もう一つの盆
地は天山山脈、コンロン山脈、パーミル高原等に
囲まれているタリム盆地で、面積が53万平方km。
中にタクラマカン砂漠がある。タクラマカン砂
漠はアフリカのサハラ砂漠の次ぎ、世界第二の
砂漠で、流動性砂丘。昔は死の地区と言われた
が、今は石油の発見により、各国の専門家や技術
者がここに集まり、石油開発にあたっている。コ
ルラ、クチャ、アクス、カシュガル、ホータン等
の都市やシルクロードで有名な場所がこの盆地
の周囲に散らばっている。この二つの大きな盆
地以外も沢山の盆地があるが、最も有名なのは
トルファン盆地。この盆地は天山山脈の南にあ
り、暑いのと低いのが中国第一だ。盆地の面積は
5万平方キロメートルで、その中の8%の海抜が
マイナス。一番低い場所はアイチン湖で、海抜は
マイナス154メートル。世界でも中近東の死海に
次ぐ第二の低い所だ。夏は暑く、雨が少なく、最
高気温は41.71度の全国記録を出し、7月頃の平
均気温は 32.7 度あまりと言うことだが、真昼の
砂の上なら60度から70度、時にはもっとあがる
場合もある。
新彊は大陸の真ん中で、海から大分離れてい
る。北の北極海、東の太平洋、西の大西洋、南の
インド洋には非常に遠い。この特殊な地理的位
置は新彊の気候に大きな影響を与えている。新
彊は広いので、各方向から
の影響は各自違う。新彊で
は梅雨も台風もない。年降
水量が北彊では 200ミリ前
後、南彊では雨が少なく50
ミリ前後、平均年降水量の
最大値が日本の最小値より
も少ない。反面蒸発量が非
常に高く、年蒸発量が平均
2500ミリ前後。乾燥してい
るのでからっとしている。
新彊の気候は内陸性の温帯
乾燥気候で、夏は暑く、冬
は寒い。冬は、アルタイ山
脈のふもとでマイナス49.8
度の最低気温の記録もあ
る。しかし、最近新彊の冬
も地球温暖化により、以前
よりずいぶん暖かくなっている。
新彊はウイグル族を主とする多民族の地域で、
主な民族はウイグル、漢、カザフ、回、モンゴル、
キルギス、ウズベク、タジク、満、シボ、タタル、
ダフル、ロシヤなど13の民族。漢民族以外の民
族が中国では少数民族と言われる。1993 年の統
計では新彊の人口は1600万人で、中に漢民族以
外の民族の人口は998万人(およそ全人口の62
%)。ウイグル民族は新彊の主体の民族で、人口
は700万人以上に達し、新彊人口のおよそ 47%
を占めている。中国でも3番目の人口が多い民族
だ。ウイグルは昔から農業を主としている民族
で、一部分は商売や手工業や牧畜などを営んで
いる。近年、新彊の紡績や石油工業の発展に伴っ
て、工業の分野で活躍する人も多くなって来て
いる。ウイグル族はイスラム教を信仰し、民族独
自の言葉、文字がある。文字はアラビア文字に似
ている(右から左に向かって横に書く)。言葉は
トルコ系でアルタイ語系に属する。文法構造、言
葉のつなぎなど日本語に似ている所がありる。
最近、新彊の交通機関が段々良くなり、昔のシル
クロード遺跡、仏教遺跡そして新彊独特の習慣、
風俗など観光に来る外国人観光客も年々、増え
ている。中でも日本人の観光客が一番多い。
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プレ合宿の報告書作
り。コピーをとるの
にコンビニのコピー
機を占領する。大量
の紙に囲まれて大
変。作業はこのまま
夜を徹して行われ
た。その後にもコ
ピーの作業は続く。
京
成スカイライナーに乗り、窓の外をボ
ヤーっと眺める。
「あー、日本に帰って
きたのだな。」とそこで実感した。
車内を見るとポツポツと手持ちぶさたな乗客
がいる。その中に僕らのことをチラチラと見る
乗客がいる。そのことは僕にとって少しうれし
いことで、できれば、一言二言、質問してほしい
のだ。
「何が入ってるんですか。」その質問は、実
に当然なのだ。僕らの持っている荷物は通常で
はちょっと考えられないほど大きく、それでい
て、重そうなのに全然持ちやすそうではなく、し
かも、僕のはかなり汚いのだ。僕は当たり前顔で
「自転車です」と答える。そして次には、
「どこか
行ってたんですか。」などと聞いてもらえれば、
僕は十分満足なのだ。「いやあ 。」などと、少し
照れくさそうな装いをして「中国なんですよ」な
どと答える。それから僕は、何時間でも話してい
られるだろう。しかし、実際は、訝しげな目で見
られるだけなのだが。
界第2位という響きと、ど真ん中を突っ切ってい
るということだった。こいつはチャリで走らな
いわけにはいかん。楽観的速攻即決型思考の僕
は、もう行くと決めていた。
そして、いつものようにアドベンチャークラ
ブ(以下アドベン)部室前でつぶやいた。
「中国
行こうっかなあ」なんて、まるで「京都でも行こ
うかな」といった調子で。すると、女子部員ホー
プの羽山が「中国ですか、いいですねえ」と僕の
つぶやきに反応してきた。
(僕の場合、つぶやき
といっても声が大きく威圧的であるため、僕の
つぶやきをつぶやきとして無視できる部員は上
級者である。)僕の方としては、一年生だし、女
の子だし、女の子だし、一年生だし、とエンドレ
スな自問自答型錯綜的思考を繰り返したが、楽
観的速攻即決型思考の僕は「よっしゃああ、隊員
ひとり決定!」とはしゃいだ。
「じゃあ、今日にで
もオウチに帰って、おかあチャンを説得してき
なさい。」と話を急いだ。
気が付くと、僕の周りには4人の1年生しかい
砂漠マニアの僕は、97年の夏にサハラ砂漠か
なかった。またしても、僕は2年生アドベン部員
ら帰国後、今度はどこにしよっかなと、
「月刊砂
からの人望の薄さを再確認したのだった。
漠マニア」
(そんなものはない)を愛読していた。 計画段階から僕の先走りが目立った(ような
そこには世界第2 位の砂漠タクラマカン砂漠も、 気がする。)まあいいいってことよ。って、僕は
もちろんチェックが入っていた。`96年にその
ガサガサと1年生隊員たちをせき立て、ワシワシ
タクラマカン砂漠のど真ん中に油田が発掘され
と計画を煮詰めていった。1年生隊員達は4人し
てそいつを運搬するための道路が出来上がった
てパスポートを取りに走るという状態だったの
ということだった。僕がブルッちまったのは世
だ。そんなことはどーでもいいやとガシガシと
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いざ、中国へ。搭乗
時間が迫る。無事に
自転車を持ち込める
のか。この後柏倉の
スプレー缶がエック
ス線検査に引っかか
り、持ち込めないと
言われたが、他のメ
ンバーは大丈夫だっ
た。
計画を突き立てていった。
「なんといってもタクラマカン砂漠なんだし、真
ん中に道が通ったってことは道の周りは砂丘だ
しそいつはやっぱり、すごいことだなあ、すごい
とこ行くんだからすごい計画立てなきゃなあ、
うん、うん、なるほど最高気温は50度にもなる
のか、なに、夜はマイナス近くになってしまうわ
けなんだな」といろいろと本屋や図書館やネッ
トを駆け回った。
そこで、心配になったのが1年生隊員達の基礎
体力だった。ここでは、肉体と精神を合わせて体
力と呼ぼうか。そこで、プレ合宿を二つ企画し
た。とにかく1日で走れるだけ走る合宿。これは
横浜から我が部活ゆかりの地、水上までの200km
を1日で走る合宿。それと少し荷物を持って緩急
のある道を走る合宿。これは、三浦半島一周を二
日で走るという合宿だ。この二つの合宿は隊員
達の志気をあげたばかりでなく、チャリンコロ
ングツアラーとしての筋肉の使い方、消費する
糖分などを十分知ることが出来たのではないだ
ろうか。
かくして僕は不条理なほどの罵声や激をとば
しつつ準備を進めた。そして、とうとう出発当日
になった。初海外の1年生隊員4人と共に成田空
港へと向かった。僕は、今回の旅で、海外は3回
目、ちょうど1年前のエジプト行が僕にとって初
海外だったのだ。その時の様子を僕はこのよう
に日記に記していた。
そして、やっと着きました。といっても空港。
しかし、僕は既に「むむ、海外旅行とはなんてす
さまじいものなんだ。ふむふむ、なるほど、これ
が成田なわけだな。おーなんか、大きなお犬様が
いらっしゃる。うー、これは、羽田とはちょっと
雰囲気が違うぞな。そうかそうかあれが例の麻
薬とかが透けて見える箱なのか、そうなのか、ワ
シの鞄なんかもあの箱に通すぞな」などと、錯綜
に、錯綜を繰り返し訳の分からぬことを呟いて
しまうのであった。
当時、隊長は3年の小島氏。僕が、このような
錯綜を繰り広げていたことなど気づきもしな
かっただろう。しかし、今回は僕が隊長の3年生。
まさに「ゆく川の流れは絶えずして」である。4
人の隊員は少しの動揺もなく飛行機に乗り込む
こととなった。飛行機はイラン航空。やはり、僕
たちは標準的貧乏学生らしい物に乗ることにな
るのだ。 ジェットストリームに漂い、約5時間で北京空
港についた。降りるとすぐに、長い間並ばされ、
激烈的不機嫌風をガツガツ吹かした入国審査官
に怠慢的業務を受け、中国入国の洗礼を受ける
こととなったのだ。そこからが、僕たちとしては
非常に緊張する瞬間なのであった。なぜなら、中
国という国は数年前まで、外国人の自転車での
旅行を禁止していて、三年前の話では空港から
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自転車を持ち出すことすら出来なかったという
てやってきた。この時ばかりは、
「おおお我が後
情報を日本でキャッチしていたからである。し
輩よ。よくやった。ほめてつかわす。」といった
かし、結局ここまで来てしまった理由には、中国
感じで、感動の再会をしてしまったのだ。といっ
側の大使館や観光局に問い合わせても、禁止さ
てもまだ北京の空港なのである。後で聞くと、
れているということがはっきりと言われること 「なんだこれは?」(英語)と聞かれ
は無かったからである。しかも、ターンテーブル 「自転車です。」(日本語)と答え
か ら 荷 物 を 取 っ た あ と ほ と ん ど の 場 合 ノ ー 「は?何と言ったのかな?」(英語)
チェックだという情報もあり、また空港の構造 「うるせーなー俺あっち行きてええんだよ∼」
上そんなところに厳重なゲートがあるとはどこ (日本語)
にも記載されていなかったのである。こういっ
となんとか、言語不通状態を作り出し、混雑に
た理由を味方に恐る恐る最後の関門に近づいて
流されるようにこっちまで来たと言うことで
いった。僕はポールポジションでゲートを通過。 あった。ここらへんが、ガイジンの強みであり、
素知らぬ顔をして鼻歌を歌いながら係員の前を
狡さである。
通り過ぎてやった。その後、次々に4人が通過し
とりあえず市内に移動するべく僕だけタク
ようとした。が、しかし僕の背後で何やらもめて
シー乗り場へと身軽に動く。こういったとき、人
いる様子。僕は「ううううう、早くもやばいので
数が多いと海外旅行は強い。つまり他の隊員に
は、なんか、言葉でも分からんフリしてこっちま
荷物の見張りを頼むことが出来るのだ。しかし、
できてくれえ」とお祈りしてしまった。ところ
実は困ったのは、その人数の多さであった。なぜ
が、そんな僕のお祈りがどこかの神に聞き入れ
なら、僕らは5人、1台の車では乗り切れないの
られたか、彼らはさっそうと自転車の箱をおし
である。ただでさえ大きな荷物があるのに。そこ
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京ではチープでナイスなホテルをファインドア
ウトすることができず、僕らにとってはベリー
ハイコストなホテルにステイすることとなった。
しかし、このホテル、ポジションがベリーナイス
で少しアウトサイドロードに入ると結構チープ
な飯屋があり、しかも天安門広場や故宮も近く
にあり、つまり北京のメインな場所にあるの
だった。そんなわけで渉外役である隊長田崎つ
まり僕はしょっぱなから貧乏学生の隊員達に金
銭的大打撃を与えてしまうこととなった。なに
はともあれ、自転車を持ち込めたこともあって
安心しきって、日本を出国した疲れを癒すべく
だらだらと惰眠を貪った。
数日後、そろそろ列車のチケットを入手しよ
うと、僕らはのそのそと冬眠から目覚めた熊の
ように緩慢な歩調で北京西駅へむかった。やは
り、異国にやってくると生活そのものが疲れる
ので、どうも動きが緩慢になる。中国西の辺境新
彊ウイグル自治区のトルファンまでのチケット
は日本円で6000円程度、なにしろ列車で三泊四
日の旅である。しかも、寝台は約15000円もして
しまうので、僕らはまたしても平均的貧乏学生
らしく最安価の「硬座」と呼ばれる座席のチケッ
トを購入した。ホテルに戻り、自転車を輪行バッ
で、普通のタクシーをあきらめハイエースクラ
クに移す。ようやく北京脱出である。
スのバンに狙いを定め、交渉にあたった。結局少
朝早く起き、早めに北京西駅に向かう。5時間
しボラれたようであったが初海外の1年生と初っ
ほど駅で待ちぼうけると、僕らはワシワシと硬
ぱなから別の車でバラバラになることを考えれ
座の車両に乗り込んだ。瞬間、きっと隊員全員が
ば、
「まあ良かった」とみんなの前で言い訳る。こ
同じ事を感じたに違いない。「あっこれが中国
のくらいは、入国してすぐには、よくあるロス
だ。してやれれた」と。この”硬座”こいつはつ
だ。と自分をなぐさめ責任回避をはかる。
まり漢字から推測できるが、まあ硬い座席であ
しかし、ロスはそれだけではすまなかった。基
る。背もたれが90度にきわめて近く。しかも、一
本的に北京は中国全体と比較して宿泊費が高い。 番安価であるため、失礼ではあるが裕福な中国
ドミトリーのホテルも北京には一軒しかない。 人は乗っていない。外国人旅行者などはほとん
ドミトリーとは僕らのような平均的貧乏旅行者
ど皆無。それ故、埃っぽく、周囲の中国人はうる
の間ではごく一般的な宿の部屋で、まあ簡単に
さくて寝るに寝れないのである。基本的に中国
言ってしまえば「相部屋」である。
「ドミ部屋」な
人は声がでかい。
「どーでもいいこと」を熱血的
どと言ったりもする。しかし、日本のそれとは異
爆発的ブチキレ的に怒鳴り語る。ひ弱な日本人
なって、四人のドミとか大きいところでは数十
的日本人の僕らは、彼らの情熱的会話に「ううう
人という単位で相部屋なのである。無論「素泊ま
なにやら、やっちゃイケンことをワシはやって
り」である。宿屋のおやじが夜な夜なギターを弾
もーたー、しかし、なにをこの人怒っとんのかわ
き、みんなで歌うといったお節介な日本のユー
からーん。どしょお」ってことになってしまうの
スホステルとは違ってほとんど宿屋のおやじに
だ。しかし実際には「おい、中国語しゃべれんエ
は相手にされないのが一般的。そんなわけで、北
セ中国人、このピーナッツ食べへんか?」なんて
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安宿で惰眠を貪る。柏倉は眠り
が浅い。その上、旅の間中、慢
性的な下痢に悩まされて、さん
ざん苦しむ。
言ってたりするのである。
「ううううう、この列
車に僕たち三泊四日も乗るんだね。乗っていく
わけなんだね。」と、早くも衰弱加減。そうこう
しているうちに列車は北京駅を出発していた。
その後三日間、中国人の質問攻めと寝るトコな
いもん状態に陥り、激烈的不眠状態で飯倉氏は
体調を壊してしまった。列車を降りる頃にはト
イレで嘔吐を続けた。
トルファン賓館恐怖の肝試しツアー
朝靄の中、列車はトルファン駅のホームに滑
り込んだ。降りる駅だ。平らなところでずっと寝
れなかったせいで体中肩こりだ。隊員からは「早
く横になりてーよー」という声が聞こえる。
トルファン駅はトルファン市街からどういう
わけか60Kmほど離れている。ここから自転車
での走行を開始する予定だ。久しぶりに、輪行
バックを開ける。どうやら、みんなの自転車はな
んとか跨って走っていけそうな具合である。と
ころが、三泊四日の過酷な硬座の旅のせいで飯
倉氏が心身ともにへたりきっていて、食べたも
のをほとんど戻してしまう状態、そのうえ微熱
状態。1人だけバスで行くという事も可能だが自
転車というものは組み立ててないと、即座に放
棄したくなるほど重たく持ちにくいものなので
ある。ってことで、隊長田崎つまり僕の判断で60
Kmくらい走れるってことにしたのである。実
際、飯倉は辛かったろうが、バスで移動した方が
きっと辛かったはずだと、ここでも言い訳てお
く。なんとか走りきり、トルファン市外に着くこ
とが出来た。
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ここトルファンは、天山山脈の麓、世界で一番
海から遠い場所にある盆地、トルファン盆地の
真ん中にあり、バザールやロバタクシーといっ
た、いかにもオアシスの町といった感じだ。おま
けに町自体は小さく、住んでいる人々も、ずいぶ
んと素朴。元・明の時代には火州と称されてい
て、40度以上になる日が年間40日もあり、地表
温度は70度を超える。`75年には49.6度という
最高気温を記録した。ここがタクラマカン砂漠
行の始まりの町トルファンだ。市街地に近づく
とすぐにめぼしいホテルを探しにかかる。基本
的に狙っているのは、最安価クラスのホテルだ。
とりあえず、緑州賓館(オアシスホテル)に決定。
ドミ部屋だ。街に着くと、まずホテル、次にはメ
シだ。ってことでメシを食いにいく。ここは、も
うウイグル自治区なのでウイグル料理屋ばかり
だ。ウイグルの宗教はイスラム。だから、豚や牛
の肉は食べない。町は羊肉独特の匂いが満ちて
いる。中国にいるという感覚がなくなってくる。
次の日、宿の奴がやってきて
「明日出てってくれ」と言いだした。
「なんで?」ときくと
「団体の予約が入っている」という。
まったくやれやれだよ。ってことで再び宿を
探すことに。中国には、各都市に、交通賓館とい
うやつがあって、大抵町で一番安い。そのことに
気が付くのはもう少し後になるのだが。ってこ
とでトルファン交通賓館に宿を移すことになっ
た。まあしかたない。
しかし、トルファン交通賓館は奇妙だった。ど
うも、病院だったような感じなのだ。鎖でぐるぐ
グロッキー飯倉の横で、満面の
笑みの柏倉。とってもうれしそ
う。飯倉はこの時「コイツいつ
か殺してやる」と、堅く心に誓
うのであった。
る巻きになっている鉄格子の扉がありその先に
数分後彼らは戻ってきた。しかも大笑いで。彼
は下る階段があるのだが、他の階段で下の階の
らいわく、果敢にも佐久間はひとりで”大”をす
その場所に行っても登る階段がないのだ。しか
るべく真っ暗なトイレに進入していったという。
も、病院ベットだけ整然と30ぐらいある部屋な
数十秒後、彼はのそのそと暗闇から姿を現し、こ
のに誰も泊まってなくてその部屋はなぜか廊下
う言ったという。
「ウンコ踏んだあああ」もはや
とはガラス張りで見通せるようになっていて、 半泣き状態。その夜、隊員は吹き続けることと
宿泊する部屋としてはどうもおかしいのだ。と
なった。かくして数週間、マッスル佐久間拓也は
にかく気味が悪いのである。2泊ほどした後、僕 「うんタク」と呼ばれることになった。まあ当然
はそのことを隊員に話すと
のことである。
「そーですよね、なんなんですかね、あの鎖でグ
次の日、体調のかんばしくない飯倉を宿に残
ルグル巻きになった鉄格子の先にある階段、あ
し、
「月曜日は市場へ出かけ∼」と市場へ出かけ
れなんか下の階から行けないようになってるん
た。そろそろ、ふざけあってないで本格的に出発
ですよ」と気づいていた。
の準備をしなくてはならない段階になってきた
「だろ?なんか気味悪いよな、
絶対ココ病院だった
のだ。食料担当の柏倉の本領発揮である。市場
んだよ。しかも、たぶん精神病院だよ。間違い
は、想像していたよりもずいぶんと活気があり、
ねーよ。だってさ、おかしーよ、部屋のくせにガ
品物も十分そろっていた。卵や野菜、果物、乾麺、
ラス張りって、そんなんねーよ普通。」なんて夜
缶詰などなど保存食も比較的充実していた。残
な夜な話していた。すると、その夜中、隊員の
念なのがチョコレートがあまり売ってなかった
マッスル佐久間が
のである。チョコレートは最高なのである。なん
「ねえ、柏倉∼トイレ行かねえ∼?(福島弁)」と柏
か、あたま悪そうだが、自転車で長時間走ると走
倉をさそった。
ると、
「ハンガーノック」という現象が起きるこ
「いーよ(否定)俺さっき行ったから」ココのト
とがある。長時間の運動によって体内の糖分が
イレは夜になると電気がつかないので真っ暗に
失われ過ぎると、脳に供給すべき糖分が足りな
なってしまう。恐さ28倍なのだ。
くなる。すると、完全に足りなくなる前に身体が
「いージャン、いっしょ、いこーよ」完全にビッ
自動的に運動を中止してしまうことがある。つ
てる佐久間は執拗に柏倉を誘う。
まり、本能的に脳に供給する糖分を身体が守ろ
「分かったよ、じゃあ3人で行こーよ」と、たぶ
うとするのである。これは、自転車に限らず、長
ん行きたかったのに行けなかった飯倉が持ちか
時間運動し続けると起こる現象で、とっても怖
ける。こーして3人は”トルファン賓館恐怖の肝
い現象なのである。だが、特に自転車の場合、走
試しツアー”を敢行したのであった。
り出すと、1時間半から2時間くらいは走り続け
-17-
初の走行での休息 ちょっとした休息でも
人だかりができてしま
う。どうやら見かけな
い旅行者なのだろう。
当たり前か。
ることが出来てしまうので、起こりやすいので
飯倉が回復するのを待って、出発することに
ある。あーこわ。しかし、ばたっと倒れたあと、 その夜決めた。
死んでしまうわけではなく、眠ってしまって
ほっとくと、また目覚めるようであるが、本当に
出発の朝、隊員全員がどことなく緊張してい
危険な状態になることもあるという。ってこと
る様子だった。それもそのはず、中国に入ってこ
で、一般的にチャリダーは自転車に乗ると、飴や
れからロングツールが始まるのである。すでに、
お菓子を食べるお子ちゃま体質になるのである。 僕は、ドラクエかFFの勇者のように「そう、
そこで、チョコレートがとってもいいのである。 数々の勇者達がここから、同じように旅立って
特にナッツが入っているやつとかはカロリーも
いったのだ」なんてナレーションとともに荘厳
とれるし、空腹感も癒されて最高なのだ。しか
なBGMが耳元で鳴り響き、気分は冒険野郎に
し、おいしくて食べやすいチョコレートは中国
なっていた。
ではあまり売ってなくて苦労した。結局この市 「おしゃ!じゃあ行くぞ!今日最後まで気を引き締
場では、ピーナッツと乾麺、だしのもと(みたい
めてがんばっていきまっしょい」と隊員達に激
なやつ)、しょうゆ、などを買った。
を飛ばしスタートを切った。町を抜けるまでは、
宿を出るときにヘタってる飯倉が「桃が食べ
佐久間をマッパー(先頭を走って道案内を兼ね
たい」と言っていたので、桃を探したが、売って
る人)にして走り始めた。が、2度も道を間違え
なかったので、バナナを買っていくことにした。 た。自転車ってものは一度間違えると20キロと
飯倉が
いった単位で道を間違えてしまうのである。結
「桃って言ったじゃねーか!おい!誰がどー見ても
局、トルファンの町を本格的に旅立ったのは 10
これバナナだろ!こら!聞ーてんのか!おら!ばかや
時頃、一見そんなにロスに見えないが起床は日
ろーてめー!人がうなって寝てるってのに、なん
の出前、走り始めたのは7時である。トルファン
で?どーして?いやがらせ?ふざけんな!なんでバナ
の町を出てから1時間ほどするとどうも雲行きが
ナ買ってくんだよ、ばかやろー」って怒って、バ
怪しくなってきた。風が冷たく強くなっていく。
ナナ投げつけられたら、こわいねって言いなが
3時間もすると土砂降りになってしまった。雨の
ら宿へと帰った。ところが、飯倉は、そんなこと
中を走るのは気持ちいい。まるで、小学生の時、
を言えるはずもなく、グダーっとおでこに冷え
わざわざ雨の降っている日にサッカーや野球を
ピタ(おでこに貼る湿布)貼って寝てしまってい
やるように。
た。
少し走ると、小さな町が見えてきた。あまり雨
-18-
天山山脈前 一晩だけ
泊まった茶屋を出発。
「また来る!」と大きな
声で叫ぶ。一晩だけ
だったのになぜか心も
どかしい。
に降られて風邪をひいては計画全体にひびいて
しまう。昼食ついでに休憩をとることにした。昼
食が終わっても雨は止まなかった。飯を食った
ら何やら眠気が襲ってきた。う∼ん三時間ぐら
い寝ただろうか、僕は1 年生たちに囲まれ「雨、
止みましたよ」と起こされてしまった。
表に出ると、光柱が空から溢れていた。今にも
何かがこぼれ落ちてくるかのような。なにが落
ちてくるだろう、それはきっとあの光柱の真下
に行かなきゃわからんな、と僕たちは水たまり
のある雨上がりの大地をひた走った。
やがて、日が暮れ、その日は茶屋の軒先で寝か
してもらうことにした。このあたりはトルファ
ンからも離れていて、いってみれば田舎だ。茶屋
の人たちも、やってくるウイグル人たちも中国
人たちも皆素朴そのもの、旅行者もめったに来
ないのできっと物珍しくもあるのだろう。行く
手に徐々に山脈が迫っている。
トルファンを出てまだ70キロだ。
天山山脈現る!!
いい人ってことはよくわかってる、けど完全に
は信用できない。すこし切ない瞬間だ。
隊員を起こして支度をしながら茶屋の人に朝
飯を注文する。野宿すると朝飯を作らなきゃい
けないから出発の時間がどうしても遅くなって
しまう。ウイグル族のメシは皿に乗ったうどん
のようなものに別の椀に野菜の炒めものが付い
てくる。これが「ラグメン」と呼ばれるもの。野
菜の炒めものは羊の肉とトマト、セロリ、ピーマ
ン、それに香辛料が入っている。ポイントはいか
に羊肉の臭みを取り除くかである。へたくそな
店に入ると羊臭くて食えたものではないのだ。
ガツっとうまいラグメンを喰いあげると僕らは
自転車に跨った。後ろを向くと茶屋の人たちが
皆してこっちを向いて見送ってくれている。
たった1 日の宿だったのになんだかとても暖か
かったなとすこしじんわりしてしまった。しか
し、僕はまたしても荘厳なBGMのもと果敢な
冒険野郎と化し旅立つのだった。
やがて、徐々に徐々に道に勾配が付いてくる。
朝、起きると他の隊員はまだ寝ていた。テント
誰もがそのことに気づきたくなかった。しかし、
も作らず、茶屋の軒先で寝かせてもらったのだ。 事実は1つで、「平らだった道は、徐々に上り坂
その宿の人たちはとても気持ちの良い人たちで
になっている」ということだっだ。夕暮れになる
海外にしてはすっかり安心してしまった。とは
頃には辺りは切り立った鹿も登らぬ岩肌だった。
いっても大事なものは全部ハラに巻いているか、 しかも、どうも雲行きが怪しくなり始め、やがて
バックに入れて枕にしている。既にこうしなく
降り始めた。僕らは道の路肩に野宿るほかな
ては安眠できなくなっている自分に気づいた。 かった。その日は、乾麺にそれっぽいつゆを作っ
-19-
天山山脈、そこは心臓破
りの峠だ。三日間、常に6
∼8%の激烈的勾配が俺達
の体を絞る。(左)切り立っ
た崖で視界が狭い。(右上)
圧倒される。道路の幅半
分が地滑りを起こしたら
しく、谷へ消えていたり
するので肝を冷やす。
仰ぎ見ても山頂は遙かに
遠い。今日も一日登り続
けるのかと思う。この後
一泊してやっと峠を抜け
きった。
(天山山脈山中)
て食って、やることもないので早々に寝た。
川ができていた。いろいろ話し合った結果乗っ
朝になる。雨露が少し残っていたが雨は止ん
たまま川を渡ることになった。みんな無事渡り
でいた。その日もずっと登り続けた。そして、ま
終えると安堵とその見たこともない不条理な光
た寝る。次の日も、また次の日も。結局、全部で
景にハラを抱えて笑った。
3日間も峠の中にいた。峠の中を必死に登り続け
ずっと登ったので、ずーっと下れるのかと
た。この辺りは年間平均降水量が数ミリなのに、 思っていたが、またしても天山山脈はあなどれ
異常気象のせいで連日1日のうち数時間はスコー
ない。実はトルファンは海抜0メートル以下の地
ルのような雨が降る。走るのを中断してタープ
であり、次の都市コルラは地図の等高線を見る
(簡易テントと言っていいだろうか。屋根だけし
限り海抜800メートルはアリそう。つまり、登っ
かないテント)で雨をしのぐ。どんどん体温が奪
たら登りっぱなしで下れないという、存在する
われてめちゃめちゃ寒い。峠の川は氾濫。アス 「坂」の中でもっともタチの悪い「坂」なのだっ
ファルトの道を半分流してしまっているところ
た。しかし、いくらタチの悪い坂もやがて終わり
もあった。この時、アベレージはすくなくとも
が来る。気がつくと、はるか眼下には、山岳地帯
10Kmを切っていた。勾配は5%∼10%、やっぱ
に囲まれた大都市コルラの町が霞んで見えた。
り噂には聞いていたけど甘くない。そこが、天山
公安野郎現る!!
山脈だったのだ。
やがて、勾配が緩くなってくると、今度は道に
ここコルラはモンゴル自治州の州都だ。しか
-20-
し、モンゴル民族は市の中心地では人口の0.7%
を占めるのみで大多数は天山の草原に暮らして
いるという。町中もモンゴル民族らしい衣装や
建物はほとんど見られない。商店や食堂なども
モンゴル語よりかウイグル語のほうが主だ。中
国の自治区は基本的に過去には一国として独立
していたので、新彊ウイグル自治区ではウイグ
ル人がいまもその昔からの生活様式で暮らして
いる。が、町の中心地は漢民族による都市政策で
近代的な町づくりが行われていて、バスやタク
シーなども頻繁に往来する。一方ウイグル人達
の町なみはほとんどアスファルトによる舗装は
されておらず、煉瓦を敷き詰めたような地面で
建物は土壁で芯に木材を使っているようだ。地
震大国日本の国民としてはそら恐ろしい建物で
ある。そして、もっともその特徴となるのはその
町なみの全体的な作り方である。基本的に大き
な職人街と呼ばれる商店が並ぶ大きな通りがあ
りその周辺に羊特有の匂いをたっぷりそよがせ
た飯屋が並んでいる。しかし、その横道に入り込
むとそこからが本当のウイグル人の街なみが堪
能できるのである。その横道はまさに迷路のよ
うになっていて、突然行き止まりになるかと思
えば、ぐんぐん突き進んで気が付くとひょこっ
と自分の宿の裏道の出てしまうというなんとも
散歩するには最高の場所で極めて異国情緒たっ
ぷりの町なみなのだ。しかも、ウイグル人は皆人
なつっこく「やあ、こんにちは、今日はとっても
いい天気だね!僕の天気も最高潮さ!」などと満面
の笑みで近づき「ちょっとさ∼僕外人だから君
の家興味あるんだよね。ちこっと見せてくんな
い?」なんて言いながら扉を叩くと必ずといって
いいほど、向こうも同じ様な満面の笑みで招き
入れてくれるのだ。
-21-
飯を食う。一日の至福の時だ。食料隊
長は隊員の目をいっぱいに意識する。
誰もがうまい飯を食いたい。
米を炊く。経験のある隊長の仕事だ。米
の炊き加減でその日の晩餐の評価が決
まる。緊張する瞬間だ。
その朝10時頃、コルラに到着した次の日だっ
そう言って、パスポートを持ったまま部屋を出
たせいでぐっすり眠りこけていた。が、激しい扉
て行こうとする。パスポートから離れることを
を叩く音で叩き起こされた。
「うるさいな∼、ま
恐れた僕は、
た宿のおばちゃんがなんか言いにきたのか∼寝 「ちょっ!ちょっ!ちょっと、待ってくれ僕達は外
かせてくれよ∼眠たいよ∼」とかぶつぶつ愚痴
国人だから、パスポートから離れることはすご
りながら扉に向かいあけると、そこには僕らが
く心配だし、それは困る。だから、必ず公安局に
最高潮に恐れていた「公安野郎」が立っていた。 行くからパスポートだけは返してくれないか」
35才ぐらいだろうか、知的な顔をしているが、ど
と言うと
ことなく怒らせたらやばそうな感じのする男で、 「いいか!もう一度しか言わない。
君達は中国の法
ガタイは柔道体型で表情から感情が伺えない日
律を犯したのだ。裁かなくてはいけない。だか
本人のそれと同じ様な感じのする奴だった。
ら、公安局まで来なさい。」
「英語がしゃべれるか?」とまず尋ねてきた。
公安野郎の凄味に負けた僕らは
「少ししゃべれるけどなにか用か?」
「解ったから怒らないでくれ、パスポートから離
「なかに入っていいか?」
れるのは怖いから、今すぐ用意するから一緒に
「身分証を見せてくれ」
行こう。」
公安野郎は少しの動揺も見せず、身分証を見 「構わないが、私は車で来てるから自転車でつい
せながら入ってきた。そして、突然
てきなさい。」
「君達は罪を犯した。われわれは裁かなければな 「じゃあ、ゆっくり走ってくれ。いっしょうけん
らない。コルラ市の公安局に来てくれ」
めいついていくから。」
「君はなにものだい?」
「よし行こう。」
「私はコルラ市の公安局の外事課のものだ。君達
表に出ると「公安」ときちんとペイントされた
のパスポートを見せてくれ。」
軽のバンが止まっていた。
「うううう∼やっぱり
僕はかなり動揺しつつ、パスポートを相手の
本物の公安か∼ううう∼ワシらの旅もここまで
身分証と交換でよく見た。しかし、よく見たとこ
か∼うううなんとかならんものか∼」と困惑無
ろで分かるはずもなく、一方防戦である。彼は全
回答状態に陥りつつ公安局までいつにない最悪
員分のパスを確認した後、さっそうと立ち上が
のツーリングをした。
り
車は入り口のところで少し挨拶するとなんの
「いいか!君達は中国の法律を犯したのだ。
裁かな
問題もなく公安局の敷地内の進入していった。
くてはいけない。だから、公安局まで来なさい。」 そこで本格的に本物の公安員だということが判
-22-
砂漠の朝はひどく寒い。今日の走行に
備え朝飯をむさぼる。外で食えば何で
もうまいなんて嘘だ。
今夜の晩飯は、米と真空パックの肉に
のりたま。それにコーンスープだ。
明した。通された部屋は案の定「外事課」であっ 「まあそーですね、大変だったです。」
た。中国の公安局のうち、外人と関わりのあるの
そして、彼は、ぶつくさ独り言を言いつつ、な
は外事課ぐらいである。公安野郎で英語がしゃ
にやらむちゃむちゃ僕らの興味をそそる書類を
べれるのはこの外事課の奴だけだ。基本的に外
作成していった。一息つくと彼はいつもの計り
事課はビザの延長や外人の盗難被害とかそう
知れない表情にかわり、僕を呼んだ。
いった外人の問題を処理する機関である。当然、 「君は中国語が少しでも読めるか?」
僕らも現地で自転車で走っていることを何か注 「ほんの少しなら」
意されることになれば外事課であろうと思って 「では、今から説明するから間違っていることが
いたがこうも早くばれてしまうとは思わなかっ
ないか確認してくれ。」と彼は淡々とさっき僕ら
た。やるせない気持ちのまま担当の外事課公安
が白状した事実をその形式に則った方法で書か
野郎を5人そろって寝ぼけ眼で待っていた。やが
れた中国語の文章を英語に訳して読み上げ間
て、どういう状況になっているのか考える力が
違っていないか確かめていった。確認が終わる
極めて低下して、いわゆる放心状態なってきた
と、彼はたくさんその書類に判子を押していっ
ころ、外事課公安野郎がやってきた。
た。そして、再度全体をゆっくり確認すると、彼
「では、とりあえず、君たちは5日前どこで寝ま
はおもむろに立ち上がり、そのまま待つように
したか?宿の名前で構いません。」
僕らに告げ部屋を出ていった。
「表で寝ました。」
次に戻ってきたとき彼は小さなレシートを5枚
「野宿ってことかな?」
持っていただけだった。
「そーです。野宿ってことです。」
「君達の罰が決まった。ひとり500元の罰金だ。だ
「では、4日前はどこに泊まりましたか?」
けど、いま私の上司が席をはずしていて判子が
「表で寝ました。」
もらえないから飯でも喰ってきなさい。」僕らを
「・・・」
安心させるためか、少しにこにこして彼は言っ
「では」
た。
「いや、ずっと野宿です。しかも移動はトルファ 「ちょっと待ってよ!どーゆー理由で罰金なのか説
ンから全部自転車です。」
明してくれよ!よくわかんねーよ!」一人500元っ
「・・・」
てことは日本円で1万ぐらいはする。正当な納得
「いや∼それは大変だったねえ。あそこの峠を自
のいく理由が欲しかった。
転車で超えたのかね。」
「中国は外国人が自転車で長距離を移動するのは
-23-
法律で禁止されているんだよ。第一危険じゃな
いか。虎だっているし、虎に喰われちまうぞ。」僕
らのことを嘲笑うかのように彼は言った。
「じゃあ、
僕らはこれからどーすればいいの?とい
うかどーいうことができるの?」薮蛇にならぬよ
う注意して僕は言った。
「自転車は市街地で乗るぶんには問題がないから
これからはバスで旅を続けなさい。よくバスの
上に荷物を乗っけてるでしょ。あんな感じで旅
を続けていいんだよ。」
「えっ!じゃあ、
宿までさっき乗ってきたチャリで
帰っていいの?そんでもって観光とかにチャリを
使うのはOKなの?」
「そーいうことだな。大丈夫だ。」
このことは、日本で調べていたものとはまっ
たく違った判決で少々驚愕を隠せずにいた。も
しかすると乗ってきた自転車をそのまま没収!っ
てことにもなってしまうのではないか、とまで
考えていたからだ。
そーして僕らは適当に飯を済まして時間を潰
し、公安局にもどり、一人500元という大枚を収
めまた。これからどーしようという錯綜の中で、
たくさんの樹形図が頭の中で描かれるが、疲労
の中に情報が埋没していきもはや脳の中で情報
を処理するスピードが追いつかなくなっていき、
キャパを越えた。トロトロと目ぼけ眼で宿に戻
ると勝手に時間は過ぎ、夜になった。今日起こっ
た出来事の重大さに触れぬようとりあえず寝た。
やはり、この「とりあえず寝る」は状況を分かり
易くする上で僕にとってかなり重要なようだ。
次の朝、チキンな僕らは結局バスで移動するこ
とにした。自転車からバスに乗り換えるので、今
までより町から町への移動が格段に速くなるこ
とに気づき、必然的に町にいられる時間が増え
る。ってことで、2日ほど、タルタルと怠惰な生
活を楽しみ、ショッピングをして、うまい中華を
-24-
たらふく喰った。またしても飯倉が体調を壊し
グロッキー状態なっていたので体調が戻るのを
待つため、全員に「まーゆっくりいきますか」と
いった雰囲気が充ち、それまでの緊張が若干ほ
ぐれた。
次の町に移動するべく、バスのチケットを入
手し組み立てた自転車も分解して輪行袋に詰め
た。そして自転車は、この世で一位二位を争う勢
いで「持ちにくい物体」へと変化した。
コルラの次はクチャに行くことにした。理由
はバスで1泊2日で行けるからだ。バスの上に自
転車を担ぎ上げバスに乗り込んだ。バスが走り
出すとなんだか突然ものすごく空しい気持ちに
なった。あまりにバスが速かったせいだろうか。
坂だろうが、沼地だろうが砂利道だろうがバス
はガンガン進み続ける。川から山へ、山から草原
地帯へとすさまじい勢いで景色は変化していっ
た。そのことになんだかとっても空しい気持ち
になってしまった。やっぱり、どんなに辛くても
自転車で走るためにここまで来た訳だから自転
車で走りたかった。それでも、バスは食事の時間
以外夜も昼もかまわず狂ったように走り続けた。
寝台バスにあらぬ期待
夕方、バスはクチャの町に滑り込んだ。霧雨が
降っていて空気が湿って重たい。重たく感じた
のは、自分の体の方だろうか。
ここクチャは他のシルクロードの町と同じで、
はっきりと二つの地域に分かれている。古くか
らあるウイグル人たちの住む旧市街と、役所や
主要な交通機関が集まる新市街。トルファンと
カシュガルという大きな観光オアシス都市に挟
まれていて、観光客は極めて少ない。霧雨の中、
うんざりするぐらいの肩こりと、ウイグル語の
喧騒に苛まれつつ、その町でもっとも安価な宿
を迅速に見つけだし、人数分の部屋を取った。
先に入っていった飯倉がなにやら宿のおば
たかのように重たい自転車を担ぎ颯爽と部屋へ
ちゃん(中国語でシャオジュエ)と口論してい
入っていった。それでも、宿のおばちゃんはなん
る。会計・記録役である飯倉が常に宿の勘定を賄
くせを受付にカマしつつ消えていった。僕らは
う。数日分まとめて飯倉にみんなが支払うこと
重い腰を上げ、ロビーから部屋へと手分けして
になっている。飯倉に話を聞くと、宿のおばちゃ
荷物を運び込んだ。表はまだ3時くらいなのに雨
んにデポジットを証明する紙を渡したはいいが、 が降っているせいで薄暗かった。
宿のおばちゃんが返してくれないという。飯倉
は普段は温厚だが白黒はっきりさせる男だ。さ
十時頃だったろうか、同じ部屋の柏倉をたた
すがの飯倉も疲労と中国人の喧騒でいかげんキ
き起こしカシュガルまでのバスチケットを手に
レた。僕が階段を登っていくと、階上から
入れようとバスターミナルへと向かった。ダイ
「ピャオ返せって言ってんだよ!!ピャオ!ピャオだ
ヤを見ると、次に行こうと考えているカシュガ
よ!!」飯倉が叫ぶ。「ピャオ」は中国語でチケッ
ルまではどうやら二泊三日もかかりそうである。
トを意味する言葉。ここでは、デポジットを証明
いままでは、日本にもよくあるごく普通の観光
する紙を言っている。と思われる。しかも日本語
バス風のもの(実際にはシートもガタガタで今
と中国語の混じった言語で。そーすると向こう
にも壊れそうな状態のものばかりで、すれ違う
はウイグル語で
バスも寝ころんでいたり、タイヤが取れていた
「!@#%$#%%#!!!!@#$@
りフロントガラスがバリバリに
@!!!」怒っているのは大変よく
ヒビが入っていたり、日本では
分かる罵声を飯倉に浴びせてい
当然整備不良で免停もののバス)
る。横でビデオを撮影していた
でここまでやってきた。が、さ
柏倉はちゃかして
すがに二泊三日をあのバスで移
「ピオーピオー!ピャオ返せ∼」
動するのはあの身体全体を包む
とか言って飯倉の日中言語に
倦怠感や激烈的肩こり、バス特
チャチを入れている。
有の息苦しさを想像するだけで
「ふざけんなよ!!柏倉!!煽るな
も吐き気がする。しかし、中国
よ!!話がややこしくなるからビ
には寝台バスという不思議なも
デオ撮るのやめろ!!」矛先が食
のがあり、いままでもすれ違っ
料担当の柏倉に向かった。そう
たり、バスターミナルで見かけ
言って賢い飯倉は話の通じない
ていた。柏倉が実はこの寝台バ
宿のおばちゃんをほっといて受
スに非常に乗ってみたかったら
付の中国人に話を付けに行った。くっついてき
しく、
た宿のおばちゃんは受付の中国人にどうやら叱 「田崎さん!!田崎さん!!田崎さん!!あれ見てくださ
られているようだ。しかし、宿のおばちゃんはそ
いよ!!たぶんあれ寝台バスっすよ!!あれなら二泊
んなことでは屈しなかった。今度は受付の中国
三日もなんとかなるんじゃないですかね」
人と口論を始めた。飯倉はその横で
「う∼んん、でもな∼高いしな∼」普通バスの値
「どーでもいいから俺達のピャオ(票)返してく
段と比べると二割五分増しぐらいのその値段に
れよ!!」とおかしな言語で叫ぶ。辺りの宿泊客や
僕が渋っていると、寝台バスに過剰にあらぬ期
他のシャオジュエは騒然。僕らは疲れ切って飯
待していたと思われる柏倉は
倉に加勢する気力も無く傍観。しかし、柏倉だけ 「いやでも、あれですよ∼、二泊三日ですよ。ま
はご機嫌でビデオを回し続け、ビデオに向かっ
たほら、飯倉が体調壊してもあれですし、だって
て
寝っころがって行けるんですよ∼いいじゃない
「エキサイティング!!」などと満面の笑みだ。
ですか∼寝台バスにしましょうよー」と北京か
ようやく治まりかけ、飯倉にデポジットを証
らの堅く背もたれが垂直の「硬座」で三泊四日の
明する紙が受付の中国人から手渡されると、十
移動の時、飯倉がヘタレた時のことを持ち出し
分に内容を確認し、飯倉は満足し何事もなかっ
執拗に寝台バスをせがむ。
-25-
「ううう∼ん、だってさーお前が一番お金ないん
じゃん!俺はさ∼、まだ金あるけどさ∼」
「いいじゃないですか∼少しくらい贅沢したっ
て、なんとかなりますよあとで切りつめれば」
「わかった!わかった!わかった!うんじゃ寝台バス
にするか!うんじゃチケット買おーぜ」あからさ
まにどーしても寝台バスに乗りたがっている柏
倉に負け、僕は寝台バスで西の辺境カシュガル
までの道を行くことにした。窓口に行きその旨
を伝えるとなにやらわけのわからんことを言わ
れた。どうやら、カシュガルまでの寝台バスは明
日出発らしい。
次の日一般的日本人的日本人の僕らはバスの
出発の時間より30 分ほど早めに荷物を用意し、
発着場所にスタンバった。しかし、いっこうにバ
スはやってこない。僕らは中国に入国して以来、
こういった仕打ちを受け続けていた。宿に泊ま
るにも、メシを食うに
も、手紙を出すにも、バ
バナひとふさ買うにもで
ある。ポレポレの国エジ
プトに一ヶ月行ったこと
があったが、ほとんどそ
れと同じ、もしくはそれ
以上だ。しかし、もはや
怒る気力も無く、ただ
ボーゼンと袋に包まれた
自転車に囲まれバスを待
つのだった。
やがて、時間は過ぎそれらしきバスがターミ
ナルの中にトコトコやってきた。係りの人に聞
くと「あれだ」と言う。いつものようにバスの上
に自転車を担ぎ上げバスに乗り込もうとした。
瞬間!鼻をつんざくあの臭い。そう、もはや他の
形容は思いつかない。まさに足の臭いに他なら
ない。強いて語るならば、足の親指の爪の脇の得
体の知れない「爪くそ」の臭いである。そして、
フロントガラスにはヒビが。マットレス(もはや
固形化している)には一面にわけのわからぬ粒
子が確認される。言わずと知れたことだが極め
て埃っぽい。
僕らはそいつの最後尾の一階部分を陣取った。
最後尾の一階部分と言ったが、構造を説明する
と入り口から入るとまず二手に分かれる。つま
り、両サイドの窓際にずらっと二段ベットが並
-26-
んでいて、真ん中にまた二段ベットが並んでい
る。真ん中を二段ベットで隔てられているため
入り口を入ると廊下が二本あるような感じにな
る。進んでいくと突き当たり、上下に五人づつ寝
れるようになっている。ここの下段を陣取った
という訳である。
徐々に乗客が増え、最後には満席となった。動
き出すと、どうやら最後尾は足臭を含んだそよ
風が我々のもとへとやってくる。もはや抵抗す
る術もなくその不愉快極まりない空気の中、時
間が過ぎるのをただ待つのみである。
三回燃えるような夕日を見て、四回爆発する
日の出を見た。ようやく中国西の辺境新彊ウイ
グル自治区のそのまた西の辺境カシュガルに着
こうとしていた。身体の重要な器官をどこかお
かしくしてしまったのだろうか。この極めて苦
痛な時間がもう少し続けばいいのにと、ふとそ
う思った。足伸ばして五
人そろって怠惰なトド
のようになっているこ
の状態がなんだか無性
におかしく感じてどー
しょうもなく、もう少し
この不思議な状態が続
いたら、と思ってしまっ
たのだ。
やがて、砂漠を抜け、
巨大なオアシス都市に
バスは入り込んでいった。町の中心部に近づき、
中層ビルが建ち並び、喧騒が僕らを包み、バスは
カシュガルのターミナルに着いた。
ウイグルの家におじゃまします
カシュガルでは僕らにとって、重要な仕事が
あった。ビザの延長である。日本で入手できる中
国のビザは一ヶ月まで。正確には30日間。カシュ
ガルに到着した時点で既に入国から 26 日間が
経っていた。ビザの延長ができる町は限られて
いるのでここで延長手続きをしておかないと機
会を逃すことになってしまう。いわゆる不法滞
在である。、一回の延長で30日間の延長しか認め
られず、しかも入国してから一回しか延長手続
きは認められていない。つまり、ぎりぎりまで延
長手続きを待たなければならないのである。と
うことで、またもや僕らはカシュガルの街でダ
ラダラと時間が過ぎるのをただひたすら待ち続
数元を払って、なんとか事を治めたという。それ
けた。街を歩き、ショッピングをして、うまい飯
だけでも、かなり間抜けな出来事だがそれだけ
を食い、僕らと同じ様なガイジンと話し、多くの
では、柏倉のお間抜け物語は終わらなかったの
人と出会うのだった。
である。それから、宿へ戻るべく、二人は緩慢に
ウイグル自治区のオアシス都市では、バザー
歩きつづけていた。すると、なにやらおかしな臭
ルと呼ばれるものがあり、日曜バザールともな
いがしてきたと、飯倉は思った。そして、
ると遠くの農村から作物をロバに乗せた人々が 「あ∼!お前!柏倉!なんかお前!けむり出てんぞ!」
集まり野菜や果物を売り、町の職人はここぞと
と立ち止まり飯倉は言った。
ばかりに腕を振るった芸術品とも言える品々を 「え?うわ!うわ!うわ∼!熱!アチ!アチ!うわ∼」
もは
売りさばく。町はいっそう活気づき、人々は笑
や、煙は炎に変わっていった。
い、語らい、酒をのむ。その喧騒に誘われように 「お前!燃えてんぞ!消せ!消せ!消せ!」と飯倉。
街に飛び出していった。そして、夕方宿に戻ると 「うわ!うわ!アチ!アチ!」柏倉は飛び跳ね、ケツの
夜遅くまで語るともなく話し続けてしまうの
辺りを叩き慌てまくった。かくして、柏倉の短パ
だった。次の日は昼頃起きだし、また街へ。
ンはおかしな所に変な穴があき、非常に風通し
いつものように、宿のベットでゴロゴロして
の良い短パンに変わったのだった。
いると、騒々しく柏倉
と飯倉が笑いながら部
やがて、ビザを延長
屋に戻ってきた。
するべく僕らは公安局
「なになに?」と僕。
に向かった。もはや言
「いや∼柏倉がまたやっ
わずと知れたことだが
てくれましたよ!」と腹
長らく公安局内で待た
から沸き起こる笑いを
され続け、ようやく延
抑え、飯倉は話した
長手続きが終わった。
がっている。
帰りに 5 人そろって
「どーしたのよ?二人と
ウイグルの街をわざわ
も楽しそうに∼。どっ
ざ遠回りして、フラつ
かで金でも拾ったか?」
いた。すると、気のよさ
「ちょっと待てよ!言う
そうなウイグル人女性
なよ∼!」と柏倉。
がニコニコしてこちらを見ているので、激烈的
「いいじゃねえかよ∼田崎さん聞いてくださいよ
友好派の僕はそれを上回るニコニコ顔で接近し、
∼」
こんにちはと言い、お家を見せて欲しいとジェ
飯倉が言うには、カシュガルの街をいつもの
スチャーで言った。すると、ニコニコしながら彼
ようにフラフラと飯を食いがてら柏倉と歩いて
女は家の扉を開けてくれたのだ。中にはいると、
いたのだ。カシュガルはポイ捨て禁止らしく、街
15、6才だろうか。かわいらしい若い女の子が7
のあちこちに目付が座っていたりする。しかし、 ∼8人ミシンを使って洋裁をしていた。そこで僕
傍若無人的怠惰行為を行う柏倉は無謀にも吸っ
は
ていたタバコを不用意に道ばたに捨てたのであ 「お∼い柏倉∼!縫ってもらえよ∼お前のお間抜け
る。それをたまたま見ていた目付野郎が、
短パン」と持ちかけると
「君!タバコ捨てちゃだめじゃないか!罰金だよ!」 「いいっすよ!いいっすよ!」と恥ずかしそうに拒
と声をかけてきた。
んでいる。穴のあいた短パンをはき続けている
「判ったよ!拾えばいいんだろ!」と自分の捨てた
ことの方が恥ずかしいことだと思うのだが。
タバコをまたもや不用意にポッケに入れたのだ。 「言いじゃん、ちょうどミシンあるんだしさ∼、
しかし、
ちょっと裏行って、脱いでこいよ!」と再度ア
「いや!君は捨てたのだから罰金だ!」と執拗に罰
タック!
金を支払わせようとする。そこで渋々柏倉は十 「そうっすか?じゃあ、はい、行って来ます。」と
-27-
茶屋の軒先で寝かせてもらっ
た。寝袋の温もりがたまらなく
心地良い。現地の子供たちとも
仲良くなった。
雨が降り、テントを立てる。二つ
のテントをタープでつなぎ、一
段落。とりあえず、メシだ!
雨が上がった。ずっと休んでいたいが、長く休めば休むほど走り始めが辛くなることは俺達は
よく知っている。
言って、裏の方に行って脱いできた。それを、そ
の家のおかーさんらしき人に渡し、説明すると、
快く縫ってくれた。しかも、わざわざあて布まで
して。そして、丁寧にウイグル語で「ありがとう
ございます。」と叫び、宿に戻った。
ふざけあっているうちに、時は9月に変わろう
としていた。結局、8日間もカシュガルに滞在し
てしまった。明日、次の街に行こうと決めた夜、
僕らは重要な決定を下した。それは、次の街「ヤ
ルカンド」から試しに自転車で走ってみよう!そ
れで公安から何も注意を受けなかったら、本来
の目的である「タクラマカン砂漠」を自転車で縦
断しようと。さすがに、外事課のあるカシュガル
から走り出すのは危険が多すぎるので、極めて
マイナーな町ヤルカンドから少し走ることにし
たのである。
そして、郷愁にかられて
カシュガルからヤルカンドまではバスで半日
で着く。やってきてみると実に小さな街で、街の
隅から隅まで徒歩で歩いても半日ほどしかかか
らなそうである。街は、実に発展途上といった感
じで、漢民族地域が町の中心部をつくり、そこか
らアスファルトの道を広げウイグル人の街並み
-28-
へと広がりつつ浸食しようとしているさまが、
手に取るように分かった。漢民族の街並みとウ
イグル人の街並みがはっきりと分かれているの
は今までのオアシス都市と全く同様である。
朝、腕時計のアラームで目覚めた。表はまだ暗
いのにバスが動き始める音が聞こえる。バスの
発着ターミナルの隣に建っている宿に泊まって
いるのだ。ヤルカンドについてから早くも2日が
経っていた。いつものように全くもって意味の
ない惰眠を貪っていたのである。昨日の出来事
が思い出され、早くも気合いが入り始めている
自分に気づいた。昨日、僕はその日が在京連絡の
日だということをつい忘れそうになっていた。
在京連絡とは僕らが出国する前、アドベンで合
同部会なるものを開き、部員が全員集まり、その
夏にやる活動を発表し期間と日程を合わせて、
在京連絡の日を決め国際電話を通じて安否を確
認するというものである。これまでも、数回にわ
たり主要な都市でうち合わせどおり連絡をして
きたのである。まあ、隊長である僕の重要なお仕
事の一つである。
同室の柏倉が、ベットに寝っころがって計画
書をペラペラとめくっていた。そして、突然
「あっ!今日在京連絡の日ですよ!」
「あっ!そ∼だ∼。近くに電話あったけ∼?」
「いや∼見覚えないっすね」
「いいや、まだ、時間大丈夫だから探してかけて
くるわ」
中国と日本との時差を少し気にして僕はそう
言って部屋を出た。隣の部屋の羽山を誘い、表に
出ると、メラメラと太陽が「おりゃ!夏だ!」と街
中に怒鳴りつけていた。当然、僕らもそのあから
さまな夏に怒鳴られつつ、街の中心部に向かっ
た。外国から日本への国際電話はたいてい高級
ホテルなんかでかけられる。ようやく、それらし
きホテルを発見し受付にその旨を伝える。高級
ホテルでは必ず英語が話せる受付がいる。この
ヘンが僕らの泊まっているホテルとの違いであ
る。無論、僕らの泊まっているような安宿では国
際電話などはかけられるはずもない。電話があ
るかどうかもあやしいところである。
注意しながら番号を回した。長い間待たされ
るのは国際電話だからだ。中国から日本へは交
換手なしで直通で繋がる。
「もしもし」アドベンの先輩である中田氏の声が
遠くで聞こえる。僕は、必要以上に大きな声で
「あ∼タクラマカン隊です。田崎です。いま、ヤ!
ル!カ!ン!ド!という町にいます。五人ともみんな
元気です。砂漠公路に入ってしまうので、次にか
けられるのは、9月17日になると思います。3日
以上遅れた場合、何かが起こったという可能性
も、あり得ると考えてください。では!」30秒で
収まったな。と、いつものように最小限のことを
伝えた。しかし、中田氏はもどかしそうに
「あのさ∼、なんかさ∼飯倉のおかーさんがね、
息子から連絡がないって大学に電話しちゃった
みたいでさ∼」
もはや電話を切るモーションに入りかけてい
た僕は「ギクッ」っとして
「は?」遙か遠くで僕の間抜けな「は?」が聞こえ
てくる。
「だからさ∼飯倉に自分ンち電話するように伝え
て」
「あっ!はい!伝えておきます。」
そう答えて、なんだか、状況がよく理解できな
いまま、とりあえず電話を切った。羽山に今の電
話の内容を説明すると、
「なんか、飯倉は金ないから家に電話しないっ
て、カシュガルで言ってましたよ」と羽山。
「なんだ?つまり飯倉が家に連絡してないってこと
か?でもな∼おかしーな∼。あっ!そ∼か。あいつ
-29-
金ないって言って電話してないのか∼」
だぜ!まあ、
それで俺達は長生きしちゃうけどね、
とトロい頭でようやっと羽山の言っているこ
しかも連絡なかってみろよ。俺だったらやばい
とを理解した。そう言いながら焦った僕は、自分
ね、マジ夜寝らんないね。
」最近ようやく、親の
の自宅の番号を注意して回した。すると、僕の母
気持ちが心から理解できるようになってきた僕
親の所にも大学から電話があったらしく、僕の
は思っていることを飯倉にぶつけた。いや、正確
母は「8月27日にウチの息子から連絡があってみ
には、親の気持ちが解るのではなく、自分に息子
んな元気だと言っていた」と大学職員に伝えた
ができたときのことを、たまに考えたりするよ
ということだっだ。そこでようやく僕は日本で
うになったということだ。
起こっている状況が理解できた。
「いや!なんだかんだ言ったって、
親の気持ちは親
「神奈川大の学生、タクラマカン砂漠で無謀な
にならなきゃ絶対に解らないですね!」
冒険旅行!!大学側の社会的責任を問う!」なんて
なんだか、大学に入学した時の自分によく似
新聞の見出しを頭にちらつかせつつ、足早に宿
ているな、とその時思った。
まで戻った。僕は飯倉のいる部屋に入るなり、 「いやさ、でもさ、部長の大橋も大学に行って学
「おい!今すぐ家に電話してこい!」と少々キレ気
生課にいろいろ説明してるみたいだしさ、在京
味をかもしつつ怒鳴りつけた。ポカーンとして
に迷惑かけてるのは事実なんだから・・・金なん
いる飯倉に状況を説明すると、より明らかな事
てどーにでもなるじゃん!俺が貸したっていいん
実が判明した。事実はこうだ飯倉は、出国前に家
だしさ∼」
の人に計画書を渡した。が、在京連絡のことに関 「解りました。とりあえず、電話してきます。」そ
して何も説明しなかった。家の人は受け取って
う言って、不服ながらも柏倉と一緒に電話をし
中身を見ると日程の所に「:在京連絡日」とある。 に行った。
途中までは飯倉も在京連絡日と同じ日に家にも
大学に入学した頃の僕は自分にすごく自信が
連絡を入れていたが、旅の中盤になり懐が心細
あって「俺が本気になったらなんだってできる
くなったきた。そこで、ばかにならない国際電話
ぜ!」と少なからず思っていた。僕は今でもそう
料金を切りつめようと、カシュガルで家に電話
考えるようにしている。なにか困難があったり
をしなかったのだ。家の人は、これは大変!在京
するといつも「俺ならやれる!俺ならやれる!」な
連絡の日に息子から連絡がない。二日経っても
どと独り言を言ってたりするのだ。しかし、今考
三日経っても連絡がない。そこで、どうしようも
えるとアドベンチャークラブに入ってから、そ
なくなって、息子から連絡が途絶えたと大学に
の確固たる自信がついたような気がする。爆発
電話してしまった。ということだったのだ。しか
的発想から、数々の企画をたて、ちょっと考えた
し飯倉は
だけでは無理そうなことを、綿密な計画と巧み
「だって、金ないんすもーん。」なんて言ってほと
な技術、良質な肉体と精神、そして熱き仲間と共
んど反省の色がない。
にやり遂げてしまうのだ。そう、「俺ならやれ
「とにかくさ∼日本では結構大変なことになって
る!」は「あんなことができたんだからこんな事
るはずなんだよ!親はさ∼、なんだかんだ言っ
ぐらい俺ならやれる!」なのである。
たって、俺達が考えているよりも数百倍は息子
戻ってくると、飯倉は少し丸くなっていた。た
のこと心配してるはずだぜ!だって、考えてみろ
ぶん、両親に「心配したのよ!」って言われたの
よ。もしさ∼自分に息子ができて、なんかワケの
だろう。その夜、ウイグル飯の好きな飯倉とは別
ワカランとこに2ヶ月も行っちゃってさ∼。それ
に 4 人でヤルカンド最後の晩飯を食いに行った。
だけでも、かなり俺達が親の寿命吸い取ってん
他の4人はウイグル飯に飽きていて中華料理を食
-30-
べるようなっていたのだ。食料担当の柏倉はみ 「はい、できるだけがんばってきます!」何度とな
んなの注文を集め、食堂のおやじに伝える役も
く交わされた会話だった。しかし、その先輩は
担うことになっていた。しかし、またもやボール
違った。
ペンを忘れたようだ。僕は柏倉にボールペンを 「お前しかいねえんだからな!お前がしっかりしな
貸してやった。その時点で僕の怒りゲージは
くちゃだめなんだぞ!」そう言われたのをはっき
レッドゾーンに入り込もうとしていた。そして、 りと思い出したのだった。
なんと飯を食い終わると、柏倉はそのボールペ
僕は、ヤルカンドなんていう日本から遠く離
ンをなくしてしまったのだ。僕の怒りゲージは
れた、こんなホテルの表の階段で、みじめにも
突然出力を失ったかのようにシューンとゼロに 「お前がしっかりしなくちゃだめなんだぞ!」
って
なった。僕は、明日出発という緊張感と、飯倉電
頭をこずかれてしまったのだ。そして、また「う
話事件に疲れ切っていた矢先だったので、怒る
ううう、俺って弱えええなあ。
」なんて、もとに
気力もなくただボーゼンと宿への道を歩いた。 戻ってしまいかけた。しかし、
「お前がしっかり
ボールペンをなくしたことなどどーでもいいこ
しなくちゃだめなんだぞ!」って繰り返してるう
となのだ。ただ、そーいう緊張感の無さがただた
ち僕はパチンと弾かれたようにいろんなことが
まらなく心配になったのだ。どーしてなくして
はっきりと整理できたのだった。そう、出発の空
しまうのだろう?そーやって、もっと大事な食料
港のあの時の携帯電話は、隊員全員に回ってい
とか水とかもどっかに忘れてきてしまうのでは
た。たぶん、その先輩は5人全員に「お前がしっ
ないか?明日からまた走り出すというのに。そん
かりしなくちゃだめなんだぞ!」って言ったん
な心配がダーっと僕の頭の中を駆けめぐった。 じゃないかって。そして、5人がそれぞれ、今を
宿に戻ると、柏倉は明日の準備に追われ必死に
一生懸命しっかり頑張っているのだと。
なってパッキングを始めた。僕は一人で「ちょっ
僕は水を買って宿に戻った。部屋に入ると、柏
と、水買ってくるわ」と言い残し部屋を出た。表
倉はまだパッキングに悪戦苦闘していた。
に出ると、昼間の喧騒やあからさまな夏の太陽
ヘッドランプが幌を舞う
はなく、ひんやりと少し肌寒い空気が漂ってい
た。宿の前の階段に腰を下ろすと、なんだか無性
自転車に跨り、オアシス特有の防風林の並木
に泣けてしまった。
「うううう、俺って弱えええ
道を軽快に進む。空気が乾燥しているため気温
なあ。」そう思ってしまったのだ。他の隊員が全
は高いがすこぶる気持ちがいい。追い風の時だ
員一年生だということを改めてそこで認識した
け僕らに風が止む。風を味方に付けたとき、僕ら
のだった。そして、計画段階のことや去年のサハ
はまるで自分達が風になったかのような感覚に
ラのことやインドのこと、新入部員だった頃の
なる。林道は、ロバが荷を引き、バスは爆走し、
自分のことやもっとずっと前のことまで、自分
子供は水を汲みに。僕らはそこをチャリで駆け
の歴史が頭の中でクルクルと回った。そう、つま
抜ける。
り郷愁にかられたのだ。
橋を渡るとき公安が橋のたもとに立っていた。
そして、最後に出発の空港のことを思い出し
僕は全員に
たのだった。見送りの一人の携帯に電話をくれ 「ニコニコしろー!」と叫んだ。そして、ウイグル
た、ある先輩の言葉を
語で
「あ∼どうも、田崎です。」
「こんにちは!」と満面の笑みをたずさえ叫んだ。
「お前、隊長だよな∼がんばってな!」空港のアナ
そして、忠実な橋守の横をすり抜けた。彼も珍し
ウンスでよく声が聞き取れない。
い旅人にぎこちない笑みを送ってくれた。
-31-
防風林の間からの木漏
れ日が、心地よい風が、
俺達を包む。村が近く
にあるということがと
ても心強い。ポプラ並
木の中での一時の休
息。時たま前を通過し
ていくロバ車がのどか
だ。
そこで確信した。そして、それはやがて信念に
しかし、次の日の朝になると気分は実に清々
変わっていった。
「絶対、砂漠公路を走破してや
しかった。10 時頃起きて朝飯前に洗濯をしてカ
る!タクラマカン砂漠を縦断してやる!」と。
キンと晴れた青空の下に下着やタオルが整然と
昼過ぎ、道を行く人々が徐々に増え、商店や飯
並ぶのを確認すると、満足してたらふくうまい
屋を見かけるようになり、道が幾本にもわかれ、 中華を食いに行った。なんだか冗談のように回
町が近いことを僕らに知らせた。そこが「叶城」 復したので「むむ!やはり僕はただ者ではない!」
という町だ。叶城は古城や古墓といったいわゆ
などといらん理解をしておいた。その夜、なにや
る「みどころ」がないため、日本で売ってるガイ
ら隣の部屋にニューカマー来て騒がしく荷物を
ドブックには載っていない。当然、観光客はほぼ
運び込んでいた。彼らが、僕らのタクラマカン縦
皆無。
「みどころ」のない街には普通の観光客は
断計画の重要な鍵を握っているニューカマーだ
寄りつかないのだ。手頃な宿を見つけ、荷物を運
とはこのとき誰一人として気づきはしなかった
び込んだ。
であろう。
朝起きると非常に体調がかんばしくない。身
もちろん、激烈的友好派の僕は次の朝ニコニ
体全体の筋肉が弛緩しているような感じだった。 コ顔で挨拶に行った。すると、なんと!英語が
僕はその旨を医療担当の羽山に伝えた。その朝
しゃべれるではないか!久しぶりの英語がしゃべ
は、叶城を出発するはずの朝だったのだ。熱を測
れる中国人に僕はいろいろと砂漠公路(タクラ
ると37度もある。こりゃやばいと臭い毛布にく
マカン砂漠縦断ルート)の情報を仕入れようと
るまりひたすら寝続けた。夜中起きると、激烈的
話しかけていった。
頭痛が僕の頭の中で「痛てええ」と叫んでいる。 「何処から来たんですか?」とりあえず、自己紹介
しかも熱が38度に上がっているではないか!うう
を兼ねての導入を計る。
う。僕はサハラの時もこんなやばい状況になっ 「チベットから来たんですよ。仕事で。」
たことがあるが、こんな時、やめればいいのに日 「へえ∼僕たちは日本の学生で僕は法律を学んで
本のことばかり考えてしまうのである。うまい
ます。私の名前は田崎と申します。あなたのお名
みそ汁のことや梅干しのことなんかを考えてし
前は何とおしゃるのですか」と学生という肩書
まうのである。しかも、大学の単位のことなんを
きを持ちだし、信用させようと頑張る。
考えてしまうから手に負えない。しかし、やっぱ 「立平(リーピン)と申します。」
り最終的には両親の顔が浮かんでしまうものな 「チベットから何処に行くんですか?」
のだ。
「いや∼仕事が終わったんで、北京に戻るんで
-32-
す。」
「へえ∼何のお仕事ですか?」
「地質の調査です。」
「こっから、北京に車で帰るんですか?」
「うん、大変だけどね、機材とか送るときちんと
あまり送られてこないから、積んで走ちゃった
ほうが速いし確実なんだよね」
「それで、じゃあ、北京に帰るんだったら、この
道で行くんでしょ」と僕は地図を持っていき砂
漠公路を指した。
「そうだね、そー行こうと思ってる」
「僕たちさ∼実はさ∼ここの道、自転車で走って
縦断しようと思ってんだよね、どーかな?やっぱ
り検問とかあるのかな?」本格的に情報収集をす
るべく本題に入り、地図を指で示す。
「は?」こいつは何を言ってるの?といったキョト
ン顔である。
「いやね、だからね、砂漠公路を自転車で走って
縦断しよう思って、ここまで来たんだよね。うん
でこの辺どーなのかな?やっぱり検問とかあるの
かな?」
「はっははは!この道はまたの名を“death road”っ
ていうんだぜ!」
「え?じゃあ自転車では入れないってこと?」
「いや∼分からないけど、入り口の所で交通警察
が車の整備検査をしてるぜ」
「マジ!それは公安?」公安恐怖症の僕らはまずそ
のことが気になった。しかし
「いや、同じ様な制服を着てて君たちには同じよ
うに見えるかも知れないが、別物だよ」
「じゃあ、何の問題もなく、入って行けるってこ
とですか?」
「いや∼たぶん倫理的に行くな!って言われるん
じゃないかな?たぶんだよ!たぶん!」彼はたぶん
を強調して言った。
むむ!こうなると、砂漠公路入り口のところで
交通警察野郎に止められてしまう可能性があ
るってことじゃないか!と一緒に交渉していた飯
倉と話し合った。ってことは彼らの車に乗っ
かって検問通過しちまえばばれないってこと
じゃないっすか?なんて悪代官と越後屋のように
悪巧みをした。なんだか僕らがペラペラ英語を
しゃべれるような感じだが実はそんなことはな
く、一生懸命旅行英語で飯倉と二人して「あれ?
検問ってなんていうんだっけ?」
「ゲートでいいん
じゃね?」なんて言いながらなのである。そして、
-33-
大理石を採石する労働者の宿舎にて、休息。
峠、スコールをタープで凌ぐ。めちゃ寒い。
夕方、砂丘は刻々と変化する。
-34-
とうとう僕らは切り出した。
「あのさ∼君たちの車に僕らを乗っけて、検問の
向こう側で降ろしてくれないかな?」
「むむ!それは無理だよ!分からないけど、ばれた
ら犯罪になるかもしれなしね」
「いや∼そこをなんとか、お願いします!」
「じゃあ、ちょっと仲間と相談してみるよ」そう
いって、とりあえず、それぞれの部屋に戻った。
僕らは5人でいろいろ仕入れた情報と乗っけても
らうことについて相談した。
「やっぱり、あれかな、少しお金積むか?」
「そうですね、向こうの運転手は結構雇われ風の
人だったし、バス料金だと思えばそれくらい
払ってもいいよな」などと謝礼として金を積む
話をした。そして、数時間して再度彼らの部屋の
扉を叩いたのだった。そして、謝礼の話をする
と、ゴネていたリーピン(たぶん相手チームの
リーダー)は周りの仲間にそれを伝え、なんとか
承知させたようだ。
「よし!判った!乗っけていってやろう!でもね君た
ちかなり危険だということを承知ししてもらわ
ないと困るな。当然、責任なんか取れないし」
「判ってます!ありがとうございます!砂漠の技術
や道具は揃えて来てるから大丈夫だと思います!」
「あとね途中検問があるかも知れないから、も
し、途中の検問で僕らが罰金取られたら、君たち
払ってね。うんでもって、その赤いそろいの T
シャツは止めてね!それでもいい?それからこのこ
とがばれるとまずいことになるかも知れないか
ら、領収書や契約書は作れないから完全な口約
束のみになっちゃうけどいいかな?」と検問を抜
けるための注意を数々言い、最終的に謝礼の金
額がバス料金程度だったため何とか砂漠公路
(タクラマカン砂漠縦断ルート)を走破したかっ
た僕らは「うんうん、大丈夫。それでOK!」とそ
の後、出発の時間や細かい打ち合わせをした。
出発の前夜暗闇の中、僕らはトラックに自転
車を積み込むのだった。ヘッドランプの灯りが
トラックの幌を舞い、極めて危険な悪いことを
やっている気分になり、「ふふふッしてやった
り!」とそのおかしげな光景に腹の底から湧き出
る笑いをこらえられずに5人して吹いてしまうの
だった。
必殺!寝たフリ作戦
ボロトラックは砂嵐の中を80km/hでスッとば
して行った。ホータン(和田)で昼食を取り、そ
のまま、砂漠公路入り口の町、
“ニヤ”
(民豊)ま
で走り続けた。ニヤに着くともう日は暮れたい
た。僕らは、明日から砂漠公路に入るってこと
で、ボーっとしてしまうほどの緊張感に包まれ
ていた。柏倉は食料担当であるため、夜のニヤの
街を駆け回りみんなの分の食料を買い込んでき
た。一週間分ほどの全食料をベットの上に広げ
ると、一畳分のベットの上は十分に埋まった。
「じゃあ、いまから言うものを一人づつ取って
いってください!」と柏倉がみんなに配給した。
「え∼これも∼やだーめっちゃ重て∼よ∼」と僕
はひとり愚痴りつつ、食料をパッキングして
いった。
「これくらい必要だと思ったんですよ!いいじゃな
いですか!」とみんなに言い訳ている。
「だってさ∼こんなにピーナッツいらねーだろ
∼」
「そーだよ!いくらなんでもこんなにピーナッツい
らねーよ」と愚痴る隊員が増えてくる。
「え?そーですか?」といつもの調子でとぼける柏
倉。
「だから言ったじゃね∼か∼こんなにいらね∼っ
て(福島弁)第一、米も買いすぎなんだよ!」と
一緒に買いに行った佐久間がピーナッツを抱え
て言っている。
「いや!これは非常食のつもりなんですよ!」
「え?だってさっき昼飯だって言ってたじゃん」
と
僕が言うと
「いいっすよ!じゃあ俺が全部持ちますよ!」と柏
倉が開き直りに転じた。
「いや∼そんなこといってんじゃあねえけどさ
∼」と全員、苦笑いを浮かべつつパッキングを進
めていった。
詰め終わると、その恐ろしいまでの荷物の量
に、もはや笑うしかなかった。何と言っても量と
いうか重さが異常なのだ。とりあえず水だけで
一人20リットルだ。単純に考えても、20っキロ!
それにもろもろの食料にテントや寝袋、防寒具
などを含めると、どー考えても一人50キロはあ
る。ザックで背負って歩けるのは、体重の半分が
やっとだ。つまり、30キロぐらいだろうか。さ
すが、自転車。人力ツールの王様だ!ベットの周
りを自分の荷物で囲み、ひとまず寝ころんだ。と
うとう明日、砂漠公路に入るのだなと、改めて考
え直した。無事に走りきれるといいなと心から
そう思った。
「よし!みんなでお祈りしよーぜ」
と僕は寝支度を
している隊員にいった。
「では、胸に手をあてて、目をつぶって∼、はい!
そのまま、今一番、自分のことを大切に考えてく
れてる人のことを考えて下さい。いい?そして、
その人にニコッっと笑って、無事に走りきれる
ようお願いして下さい。」静かな時間が流れ、僕
は、両親にニコッっと笑ってお願いした。無事に
縦断できますように!と。
「よっしゃ!これで、なんとかなるだろう」と勝手
な解釈をして、
「うんじゃ、俺寝るわ」と毛布を
かぶって寝転がった。安宿にしては太陽のいい
匂いがする毛布だ。当然、ソッコーで寝つけるは
ずもなく、時間はただ僕の錯綜のために費やさ
れていった。
ジトジトする汗が額の脇をツツツと流れ、一
層鼓動が激しくなる。狭苦しい車内をタバコと
砂とガソリンの臭いが満たし、そこにギラつく
太陽光が容赦なく降り注いでいる。逃亡者のよ
うな僕らは、検問のまっただ中、必死に激しい鼓
動を押さえ“寝たフリ大作戦”を敢行していた。
万が一話しかけられた場合、答えられない僕た
ちは即、不審者になってしまう。そこで、昨晩み
-35-
んなで話し、
「寝たフリ大作戦しかない!」という
二台の車は軽快に走り出し、
結果に落ち着いたのだった。窮屈な車内で、隣の 「再見(ツァイチェン)!!」
羽山の鼓動が聞こえてきそうだ。聞こえてくる
僕は大きく飛び上がり、手を振る。
のは自分の鼓動だろうか。
「再見(ツァイチェン)!!」
運転手が、免許証や車検証のようなものをた
相手も窓から手を振り、叫んでくれた。さよな
くさん見せて、テールランプなどを交通警察野
らを意味する中国語だが漢字を見ると何ともい
郎が確認している。足音が近づく度、身体が強ば
い言葉だ。
り、「ワタクシ!寝させていただいて居ります!
ほどなく、車は美しい曲線を描く地平線に消
従って、声は掛けないでください!」と足を揃え
えていった。取り残されたような感じの僕らは、
て敬礼したくなってしまう。人影が見えなく
自転車を迅速に組み上げると、荷物を載せ、ブ
なったので、ウッすらと目を開けると、そんなこ
レーキやペダルの感触を試し、異常な荷物の重
とは気にも止めていない交通警察野郎が気まま
さを再確認するのだった。柏倉などは、荷物が重
にギターを抱えて音符を紡いでいるではないか!
すぎるため一人で自転車を立てることができず、
バタン!という扉を勢いよく閉める音と共に砂
悪戦苦闘。
埃を巻き上げ、トラックは走り出した。数秒後、 「だからさ∼こう、こんなかんじで、膝を入れて、
狭いトラックの中は、歓声とワケの分からぬ叫
こうさ∼やるんだよ」と僕が教えに行くと、まる
び声でいっぱいになっ
で自転車は僕を嘲笑う
た。
かのようにコテンと
「うおおおお∼うきい
ひっくり返ってしまっ
い!!I GOT IT!」
た。
「やった!やった!やった!
「あれ∼?じゃあ、ちょっ
やったよ∼!!」とびっく
と手伝って。」と早くも
りマークで埋め尽くされ
疲れ始めている柏倉を
た。
促しやっとこ二人で立
しかし、その数分後僕ら
てることができたの
は逆に、もう、後戻りは
だった。大量の荷物を積
できない!という現実に
んで走ったことの少な
気づいたのだった。
い4人の隊員達はフラフ
トラックはゆっくり
ラしながら何とかその
と、路肩に走り込み、運転手は「ここで、いいか?」 感触に慣れようと、グルグル辺りを回っていた。
と中国語で僕らに言った。彼は、中国語しかしゃ
本当に極限まで自転車に荷物を積むとペダルに
べれない。たぶん、他の調査員とは違って、雇わ
力を入れた瞬間、グニャっとフレームがねじれ
れた人だろう。リーピンは彼に僕らの渡した謝
る感覚が体感できるのだ。しかし、一時間も走る
礼を全部渡すんじゃないかなって、そう思った。 と慣れるものである。おかしなことに、ずーっと
後ろから、リーピン達のJEEP CHEROKY が
荷物を積んで走っていて、ある日散歩でも行く
やって来た。調査員の人たちと握手を交わし、 かと空身の自転車に乗ると、逆にフラフラして
リーピンの連絡先を聞いた。名刺を見ると、
“博
しまうものなのだ。
士”
“中国科学院地理研究所”とある。むむ!彼は 「このためにここまでがんばって来たからね!う
超エリートの学術屋さんではないか!そうかそう
ん!やっちゃうよ俺は!」と僕は柏倉に、柏倉はみ
かそんな人がこんな悪いことやっていいのか?ま
んなに「がんばって行きましょう!ね!ね!がんば
あいいか。
るぞー!」などと古典的な気合いを入れている。
「ありがとう!」と心から感謝を述べると、
飯倉は冷静に「本番ですね!やっちゃいましょう」
「ここから先500km は何もないぜ!がんばれよ!」 と静かに自分に気合いを入れている。僕らを囲
気持ちのいい笑顔でリーピンはそう言った。
むその圧倒的な光景に否が応でも気合いが入っ
乗ってきたトラックから自転車を降ろすと、 てしまうのである。
-36-
ガガーンと360度砂丘地平線が僕らを包んだ。
「うおおおお!!!これだ!これだ!これだ!これだ∼」
と今までに感じたこともないほどの熱気の中、
ペダルを踏み、風をかきわけ、アスファルトの一
本の道を突き進んでいった。もはや、そこには僕
ら5人と一本の真っ直ぐな道と、むせかえるよう
な熱い大気と一面に広がる「砂の海」しかなかっ
た。突然、なぜか僕はここに来て、サハラの時を
思いだし、
「帰ってきた」と感じたのだった。とっ
ても不思議な感覚だったが、「帰ってきた」と
思ったのだ。ううう!なんて熱いんだ!熱すぎる
ぜ!砂漠!まるで俺達のようではないか!今までの
数々の困難がここにつながっていたなんて思い
もしなかったぜ!すごすぎるぜ!と一人後ろから他
の4人の背中を見つめ、
「お前らこの光景どー思
う?すげーよな!」
と語ってしまった。そして、延々
と同じ光景の中を飽き
ることもなく、ペダル
を踏み続けたのだっ
た。
やがて、太陽が傾き
「砂の海」が刻々と姿
を変え、黄色からもっ
と濃い色になり、ベー
ジュへと変色していっ
た。まだ、太陽が完全
に沈む前であるが、晩
飯の用意やテントを
張ったりしなくてはと思い、早めに場所を決め
た。ちょうど、道がゆるやかなカーブを描いてい
るところで、車からも見えにくくなっていそう
な所である。その夜は、米を炊き魚の缶詰で早々
に寝た。久しぶりの走行ということで、ウン拓こ
とマッスル佐久間が少々疲れているようだった
が、僕の自転車が故障していたので、装備担当の
佐久間に修理を教えるという名目で、ここはこ
うやるんだよ、いい?ほらやってみ、とかなんと
かいって、お願いしてしまった。
そうこうしているうち、あたりは漆黒の闇に
なり。気温は急激に下がっていった。僕らは、温
かいジャスミンティーを飲み、たわいもない話
しに笑うのだった。
必殺!表で寝ちゃう大作戦
砂漠公路に入ってもう3日目になっていた。モ
ゾモゾと動き、寝袋の中で自分が覚醒していく
のを待っていると、ハラハラと顔に何かが落ち
てくる。そーだ!昨日は、表で寝たのだ。むむ!そ
うかこの顔に落ちてくる何かは寝袋の上に積
もっている砂だな。と寝袋の中に砂が侵入する
のをなんとか防ごうと頑張るが、動けば動くほ
ど、ズザーっと流れ込んでくる。うりゃ!っと一
気に起きあがって周りを見回すと、僕の身体が4/
1 ほど砂に埋まっているではないか!ううさすが
タクラマカン砂漠、あなどれないぜ!と感心して
いると、向こうの方で同じように表で寝ていた
柏倉が「うわ∼なんだこれ?うわ∼」と僕と同じ
ような状況にハマッているようだ。フフっとほ
くそ笑んでおいて、
「お∼い、みんな起きろ∼」と
声をかけた。そして、僕
はそそくさと前の晩か
らスタンバッておいた
米を用意し、火器に火
をつけ、米炊きに取り
かかる。寝袋から出な
いでなんとか朝一番で
米を炊く方法を考え、
出た結果がこれだ。必
殺!“表で寝ちゃう大作
戦”である。
「柏倉∼こっち来て、朝
飯の用意しよ∼ぜ∼」と焦らせた。
「スナスナですよ∼」と砂野郎の連続攻撃に打ち
ひしがれた飯倉が徐々に覚醒しつつ、テントか
ら寝ぼけ眼で這い出てきた。
「なに?テントの中もスナスナなの?」と僕。
「そうですよ∼もうだめっすよ∼。」と飯倉。
「仕方ねえな、砂と共存するのだよ!それが砂漠の
民の定めなのじゃ!」と突然ババさまになり気持
ちの良い朝が来たことを、佐久間と羽山に向
かって叫ぶ。
「いや∼昨日の晩の風はすごかったな∼」などと
言いつつ米の鍋にフォークを当てて沸騰の度合
いを調べる。
「でもやっぱ、あれっすよね、夜中気温が下がる
頃になるとほんと気持ちいいですよね」と柏倉。
「いや∼俺も昨日、最初は風が強かったから、テ
ントの中にいたんだけどさ∼、10 時頃風がおさ
-37-
ババーン!
そこは一本の道とむせ返るよう
な熱い大気。
一面に広がる砂の海。
そして、僕たちしかいないのだ。
東西を二分する南北を貫く一本
の道。
空と砂と路。それだけの世界。
うねる砂丘の稜線が空を切り取
り、天と地を分ける。
それはあたかも、とてつもなく
巨大な蛇が横たわっているよう
だった。
以前、インドの世界観に、自分の
尾をくわえる大蛇が空を支えて
いる寓意画を見たことがあった。
今思い出すと、この砂漠にその
発想の原点を見た気がする。
世界がシンプルだと、全てが象
徴的に見えてくる物だ。
他はどうであれ、ここではそう
見える。
この漠々たる空間にはそうさせ
る力が、ある。
まったんで表に出て、寝たんだよね、そしたらこ
れだろ∼、こえーよな∼」
「そ∼ですね。実はかなり怖いですよね。あ∼み
んなコッヘル出して∼」と柏倉がテントを畳ん
でいる他の3人に声をかける。僕は柏倉にフォー
クを渡して、
「どー思う?」と食料担当の柏倉に米
の炊き方を教えようとしてみた。
「うんんんん」鍋にフォークを当てて目をつぶ
り、眉間にしわを寄せている。
「どーよ、どんな調子?」
「いや、もういいんじゃないですか?」
「何言ってんだよ∼まだ沸騰してゴトゴトいって
んだろ∼」
「え∼そうですか?」
「うんとさ∼こうさ∼指先に神経を集中させて、
-38-
米の話を聞いてやるのさ!うんでさ∼」と米炊き
将軍の僕はウンチクを食料長柏倉にタラタラと
説明した。そうこうしているうち、テントも畳み
終わり、荷物も整理が終わったようだ。ちょうど
米が炊けたので、5人で米鍋を囲み、由緒正しき
砂漠の朝食を楽しむのだった。
そして、既に日課のようになった自転車での
走行を始めるのだった。砂漠公路入り口でリー
ピンは「ここから先500kmはなにもないぜ!」と
言っていた。しかし、そこから10分ほど走ると
ポツンと小さな茶屋を見つけた。ちょうど、ひど
く風が吹き始めたので、茶屋のおやじに「今日、
風は止むか?」と訊ねると、
「いや、今日は、止ま
ないね」と本物の砂漠の民の目で僕らに言った。
そこで、なにも急ぐことはない、ゆっくり行け
ばいい。在京連絡の日までまだ10日以上あるし、
茶屋にいる分には食料も水も減ることはないし、
まあ、
「風が吹いたらお休みで!」ってことで歌で
も歌いつつ休もうではないかと、隊員と話しそ
こで一泊する事にした。
で、たぶんここのことであろうと当たりを付け
ていたのである。しかし、万が一何にもなく、た
だただ広大な砂の海がそこに広がっているかも
知れないと考え、完全無補給でも走り切ること
ができるよう、その分の食料や水も用意してあ
る。中国ではこの“万が一”がよくある国だと言
もはや、朝起きて走り出すのは日課である。さ
われているので、万全を期して砂漠公路に臨ん
て今日も走りますか、ときまじめな職人のよう
だのだ。
に黙々と自転車に荷物をくくり付け走り出す。 遠くの方になにやら小さなホッ建て小屋が見
今日中に砂漠公路の中間地点に着けそうな距離
えた。近づくにつれて、徐々にはっきり見えてく
がメーターに示されている。中国に入国してか
る。ポツンとほとんど砂漠色と同化したその建
らバスターミナルの売店で購入した地図による
物が砂漠公路中間地点にあると思われる石油プ
と、砂漠公路の中間地点にどうやら、小さな町が
ラントであろうか。それにしてはあまりに貧弱
ありそうなのである。日本で仕入れた情報でも
だ。
砂漠のど真ん中に石油プラントがあるはずなの 「ここかな∼?ここが塔中(タリム4号)かな∼?」
-39-
追い風の時だけ俺達に風
が止む。風を味方に付けた
とき、俺達は風になる。(砂
漠公路約 300km)
波打つ砂。(左)
360度見渡す限りに広がっ
た不毛の大地。過去の文明
は見る影もない。何処まで
も続く砂丘。「タクラマカ
ン」まさに死の海だ。
-40-
か?
「じゃあさ、向こっかわに見えるとこまで行った
ら、休もっか?」
「はい。そうしましょう!」少し元気そうに答えて
くれたので、僕は安心した。突然フラフラっと路
肩に突っ込んだら、骨折ぐらい簡単にしてしま
うスピードが出ているのだ。これだけ異常な荷
物を積んでいると、下りになると、30km/h ぐら
い簡単に出てしまう。ガシガシ漕ぎまくると
60km/h は出すことが可能。ヘタすると死んでし
まうスピードだ。
遠くに見えた茶屋に着いた。早速、地図を持っ
て柏倉が客にいろいろ聞き始める。他の隊員は
席に着き、茶やクッキーをすすりつつ、日陰のあ
りがたみを心底感じるのだった。
「え∼とですね!どうやら、塔中(タリム4号)は
もうすこし先だと思います。」と戻ってきた柏
倉。
「え∼ホント?」と訝しげに僕が聞くと、
「ホントっすよ!ウイグル人と中国人が言ってるこ
と違うんですけど・・・要約すると∼たぶんそー
いうことになるんです。」と柏倉。
「そっか∼まあとりあえずここで少し休もう!」
と
僕。
「それにしても、あいつら、言ってること全員違
うんですよ!」と道を尋ねるのに苦戦した柏倉が
天井を見上げ愚痴る。
「だよな∼、でもさ∼向こうも旅人のためになろ
と隊員全員のとりあえずの共通目標になってい
うと一生懸命なんだよ!たぶん。もしかしたら、
る塔中(僕らは“トウチュウ”と呼んでいた。)か
知らないかもしれね∼よな?でもさ、やっぱそー
どうか叫んでみた。
いう気持ちを大切にできるぐらいの気持ちの余
「いや∼街なんじゃないですか?」と飯倉。
裕が旅人には必要なんだよ、たぶん。」
「あれかな!?ほら!もっと向こうに見えんじゃん!」 「そんなもんですかね∼」と柏倉。
と柏倉。
「そーだよ。たぶん、逆にそういうもどかしさを
「あ∼?ああ!ああ!あれね!」目を細め、遙か前方を
楽しめるぐらいじゃなきゃ!一流の冒険旅人
見据えると、同じような建物が見取れる。
(ボウケンリョジン)とは言わねえんだよ!」と
「うん!うん!じゃあ、あそこまでとりあえず行っ
アドベン的旅の本当の楽しみ方をウンチクった。
てみっか!」と“とりあえず派”の僕はみんなに
それから、ボーッと日陰を流れる冷たい風を感
叫んだ。
じ、なんでこんなにアチーんだよ!まったく!
「は∼い」と力無げに羽山が言っている。
と決めた時間が来るのを待った。大抵20分以上
「大丈夫?やばかったら早く言えよ!」と爆発的灼
休むと、逆に次に走り始めたとき辛くなってし
熱大地の上で果敢にペダルを踏み続ける女羽山
まうのだ。だから、休み始めてすぐに何時までこ
を少し気にかけ僕は叫んだ。
こで休憩!と決めてしまうのだ。あ∼もう時間
「だいじょーぶで∼す。」と羽山。そこからなぜ
だ。
か、なんの感情も読みとれない。本当に大丈夫 「よし、じゃあ、そろそろ行くか!」と他の隊員
-41-
とうとうたどり着いた
砂漠公路。誰もが密か
な野心を燃やしてい
る。すべてが熱すぎる。
(砂漠公路約400km)
を促した。
「は∼い!」と全員元気に立ち上がった。
「やっぱさ∼塔中(タリム4号)の街はコーラと
か売ってんのかな?」と飯倉。
「いいな∼飲みて∼!そーいうこと言うなよ!飲
みたくなるんだから!いいな∼コーラ下痢するま
で飲みて∼」と柏倉。
「あれだよ!コーラは文明の証だよ!」と僕も柏
倉につられ間抜けなことを言ってしまった。
「あ∼コーラじゃなくても、スプライトとかでも
この際いいよ!下痢するまで飲みて∼よ∼」
「だって、お前飲まなくたって下痢してんじゃ
ん!」と中国に入国してからずーっと下痢して
る柏倉に僕が言うと、
「いいんですよ!それに輪をかけた下痢をコーラ
飲みまくってするんすよ!」とムキになって柏倉
が言う。
「そんなこと言ってる前に今の下痢直せよ!下痢野
郎のくせに!」と厳しい飯倉の納得できる意見。
「うるせ∼な∼。コントロールできるもんならし
てるよ!」
「だって、お前『俺は腹をいたわるんじゃなくて、
鍛えることにしたんだ!』なんていってたじゃな
いか!」とあいかわらず厳しい飯倉。
「もういいよ!」
と口喧嘩に負けたガキのようにう
なだれて、柏倉は黙々と砂に埋まった自転車を
道に運んでいった。
-42-
塔中咬傷大事件
「お∼い!なにか見えるか∼」
と僕はちょっと小高
い丘の上に上がっている佐久間に向かって叫ん
だ。
「ちょっと、待って下さい(福島弁)」注意深く小
型の双眼鏡を覗いている。そして、トコトコ丘か
ら降りてきて、
「向こうの方にですね、送電線のようなものがた
くさん見えます。」と佐久間は東の空を指した。
「うんうん、それで?塔中はここよりも先?」それ
らしき小屋がいくつかあったため、とりあえず
ここまで来たが、いっきに下りになりそうなの
で、間違っていると、また下った道を登って戻っ
てこなくてはいけなくなってしまうので、ここ
より先に塔中があるのか、小高い丘に登って先
を見ようとしたのだ。
「いや、どーやら、ここの、地図の点はただの道
の分岐を示しているものらしく、町ではないと
思われるので、さっき見かけた少し大きな茶屋
まで戻った方がいいと思います。」と一生懸命分
析した結果を僕に伝えた。
「なるほど∼ううんん∼じゃあ!戻るか!それでい
い?」と他の隊員に向かって叫ぶと、
「は∼いそれでいいです。」と素直に答えた。5台
の自転車がゆっくりと転回していく。
「やだな∼この先におっきな町があったら∼、僕
の責任だもんな∼」と目が一番良いというそれ
だけの理由で責任を押し付けられそうな佐久間
笑みがこぼれる。日程
の余裕が俺達の唯一の
味方だったのかも知れ
ない。初の海外。そこ
に何を見つけるのか。
(砂漠公路70km)
が一人愚痴っている。
カッ!カッ!カッ!と僕の気配に少なからず気
「そーだな∼全部!お前の責任だな!コーラとか
づいているのだろうか、なかなか出ていこうと
売ってたりしてな∼柏倉泣くんじゃね∼」と僕
しない。しかも、僕らの荷物にシャブリついて楽
は佐久間に追い打ちをかけた。
しんでいるようだ。やがて、飽きたのかバカ犬の
「うんなこと言わないで下さいよ。」と佐久間。
危険なうめきは消え、出ていった。しかし、塔中
「さっきさ∼緑がたくさんあったところがいいな
咬傷事件はまだ始りだったのだ。
∼」といくつかあった茶屋のなかで一番いいと 「お∼い誰か起きてる?」
と非常に静かな声で僕は
ころを狙う。
呼びかけた。しかし、反応はない。僕はいつにな
「お花が見える所!」
柏倉がうれしそうに言ってい
く迅速に寝袋から這い出ると、電気をつけて扉
る。
に突進!即座にバタン!と閉めると、音を聞き
「いいねええ!花を愛でようではないか!」と飯倉。 つけたバカ犬は実に俊敏に僕らの部屋に走り込
5 台の自転車は、フラフラと頼りない感じで、 んできた。タッチの差で、先に扉を閉めると内側
砂漠公路に入ってから初めて、後退するのだっ
に荷物を積み上げた。そこで物音に気づいた佐
た。太陽はうっすらとかかる雲に阻まれ、乱反射
久間が加勢してきた。すると、獰猛的バカ派の犬
を起こし空全体を不気味な雰囲気にしていた。 はまたもや人間様相手に威嚇を試み、危険なう
日本を出国してから、すでに43日が経っていた。 めきをひたすら続け、扉の向こう側に突進し、ド
カッ!カッ!カッ!ガツッ!と果敢に木の扉に
「 う ぐ る ぐ る る る ! う う う う ぐ る る る る ! 」 アタックを続けている。
カッ!カッ!っと足下で危険な生命体のうめき 「うわ∼メチャこえ∼!」と言いつつ振り返ると
が聞こえる。覚醒するまで、大した時間はかから
飯倉と柏倉は悠長に眠りこけている。ううう!お
なかった。うううまさしく獰猛な犬と思わるる
前らの命を救ったのは俺様だからな!と思いつつ、
生命体。それもバカで極めて大きいヤツ!かす
危険なバカ犬の次の行動を待っていると、茶屋
かにでも動きを察知されたら、必ずや即座に食
のおばちゃんが気づいたらしく、
い殺されると本能的に感じた僕は寝袋の中、ま 「$@%^&!!$!!」とおばちゃんの怒鳴り
たもや必殺!“寝たフリ大作戦”を敢行した。ど
声と共に、なにやら棒でひっぱたく音が聞こえ
うやら他の隊員はそんなことをするまでもなく、 る。
熟睡状態であるようだ。
「おおお!なんとか助かった!」と安堵している
「うぐるぐるぐるるるるる!うる!」カッ!
と、おばちゃんが部屋にやって来て、なにやら、
-43-
部屋に入ってきた佐久間はう
つ伏せになりでかいヅータイ
して震えている。部屋の中は、
不謹慎にも爆笑の渦!
「だから、言ったんだよ!また来
るにキマってんじゃん!」と
僕。
「うううう僕は死ぬんだ!こんな
砂漠のど真ん中で、死んでし
まうんだ!おかさ∼ん!」と泣き
叫び、ケツの辺りを押さえて
いる。聞くと、正面から迫るバ
カ犬に対し、佐久間は愚かに
もまず最初に股間を守るべく、
申し訳なさそうにしている。その場はなんとか
ナニを手で隠し、横に逃げようと試みた。しか
治まったので、さて、寝るかと扉を閉めて荷物を
し、俊敏なバカ犬にそんな緩慢な動きで逃げお
積み上げ、電気を消して寝袋に戻った。が、佐久
うせるはずもなく、バカ犬はここぞとばかりに
間が寝袋に入ろうとせずボーッとしている。
佐久間の背後に回り込み、ケツに食いついたの
「どーしたの?」と僕。
だ。
「いや、ションベンしたいな∼と思って・・・」 「なんで、そんな局面で股間に手が行くんだよ!う
「何言ってんだよ!どー考えてもやばいだろ∼せ
わはっはっ!バカだな∼とりあえず普通ソッコー
めてもう少し待ってからにしたら?」と僕。しか
全力疾走だろ!どー考えても!」相変わらず、部屋
し、相当我慢していたらしく、
中大爆笑だ。
「いや、大丈夫でしょう」と早くも荷物をどけ始 「あ∼!僕は死ぬんだ∼!」ともはや口答えする気
めている。眠かった僕は、まあいいかと放ってお
力もなく泣き叫んでいる。
くと、数秒後、表で「あ!あ∼来た∼」と泣きそ 「お前やっぱ、ナニを使うことしか考えてねえん
うな声と共にバカ犬が再来する俊敏で獰猛なあ
だよ!この!スケベ野郎め!」と飯倉。
の駆足が部屋のすぐ目の前に寄ってきた。
「ああ∼ん!おか∼さ∼ん最後に会いたかったよ
「ガウッ!ガウッ!ガウッ!タッ!」
∼」と相変わらずワケの分からぬことを泣き叫
「ウワッ!ウワッ!ウワッ!うおおお!チョッ!
び続けている。
待ッ!」と慌てふためき鳴きそ
「うわ!お前!狂犬病だ!近寄るなよ
うな奇声が聞こえる。次の瞬間
∼」と柏倉が追い打ちをかけ
「あ∼ん!咬まれた∼」の奇声。
る。
もはや僕は寝袋から出る余裕
「ああああ∼狂犬病で死ぬんだ
もなく、佐久間はバカ犬の餌食
∼!」となにを言っても、もう変
となったようだ。部屋の中では
わらない佐久間は“もう死ぬ”
その奇声に気づいた飯倉と柏倉
状態。
が大笑い!そのでかいヅータイの
「じゃあ、まあ、消毒でもしてや
佐久間が慌てふためくフリを想
れよ!羽山ちゃん!」と僕。
像すると笑いが止まらない。し
「ううう、ついでに傷口吸ってく
かし、おばちゃんも救世主のよ
れ∼」とか言っている。
うに再度到来!なんとか佐久間は
「そーいうこと言ってるからそー
逃げることができたようだ。
いうことになるんだよ!もう一
「わ∼ん、咬まれたよ∼おあかさ
度食われてこい!」と飯倉。これ
∼ん!咬まれた∼」と言いながら
が決め手になり、佐久間は完全
-44-
察知し、臨戦態勢を取るや否や
バカでかい犬が走り寄ってきた!
逃げれば咬まれると思った飯倉
は無抵抗主義を決め込むも、バ
カ犬には通じるはずもなく向こ
うはかなりヤル気!仕方がないの
で逃げ回る。
「助けて∼ウワ∼」と飯倉パニく
る。履いていたサンダルはすぐ
に脱げてしまった。パニくりな
がらも一直線に走れば追いつか
れると、フェイントをかけて弧
を描き走り回る。同じ所をグル
にううううもういいや僕は死ぬんだ状態に陥り、 グルと裸足で。たまに犬の足が当たり、スピード
もやは誰一人として彼を救うことはできないの
が上がる。100m10秒台。そうしている内に、悲
だった。
鳴を聞きつけた家の人が助けてくれたという。
「表にさ∼ジープが止まってたからさ∼、明日に
飯倉は一息ついてまた用をたすも、その足は震
なって熱が出てたらそいつでウルムチまで運ん
えが止まらなかった。そして部屋に戻り、自分の
でもらうってことで、
今日はとりあえず寝るべ!」 悲鳴でみんな起きているだろうと、きっと慰め
と僕は寝袋に入り込んだ。
てくれるだろうと思っていたのに、みんなイビ
「あっ!羽山ちゃ∼ん二時間か一時間置きに熱測っ
キをかいて寝ていやがる!飯倉はちょっと激怒!気
てやってよ。もし、狂犬病だったらソッコーで熱
配に起きた柏倉に事の次第を話し、大変だった
が出るはずだから、お願いね。とりあえず明日
ことをアピールしてまた寝たという。
は、休養日だな!じゃ!お休み!」
そして数時間後、佐久間拓也咬傷事件は漆黒
「はああい、じゃあ、熱、測っときます。お休み
の闇の中、起きたのだった。
なさ∼い」 すぐに、佐久間は寝付いたようだ。次の朝起き
前の晩から頼んでおいたラグメンを食い込み、
ると、当然ではあるがきちんと佐久間は生きて
さっそうと愛車と共に砂漠公路に立ちはだかる。
いた。
いつになく身体の底から沸き上がる力を感じる。
朝食の時、飯倉が「お前らさ∼俺の言うこと聞か 「よっしゃ!もう半分まで来てるんだから、
つまり
ね∼からそーいうことになるんだよ!」
あと半分ってことだ!」なんて当たり前のことを
「えっ!なにか言ったの?」と僕。
叫び気合いをいれる。
飯倉は佐久間拓也咬傷事件の
数時間前に飯倉剛咬傷未遂事件
を起こしていたのだ。彼曰く状
況はこうだ。
夜中、飯倉は佐久間と同じよ
うにションベんをしたくなり、
一人起きあがりトイレに行った
という。と言っても、この砂漠
の真ん中にトイレなどあるはず
もない。いつものように茶屋の
脇へ行き用をたしていたところ、
右手に広がる砂漠の稜線上に黒
い影を発見!本能的に嫌な予感を
-45-
美しい砂漠が僕らのテ
ン場を包む。地平線は
遙か向こうだ。
砂に霞んで太陽がただ
の電球の様に見える日
もあった。日の当たら
なかった日の夜は冷え
る。地熱の温度が下が
るからだ。砂漠で凍え
る時もある。
「じゃあ行きましょうか。」と柏倉。背後には茶屋
の人たちが並んで見送ってくれている。その中
にはクソガキのアルバートもいる。3、4 才だろ
うか。超クソガキアルバートには、滞在中(と
いっても3日間)いろいろと困らされたのだ。ヤ
ツはタイヤに釘を刺したり、帽子を隠したり、カ
メラを盗んだり、そこで僕らがお仕置きすると
最終手段として砂をかけてくるのだ。ヤツは僕
らのヤナことを全て知り尽くしているのだ。
そんな、クソガキもニコニコ顔でこちらを見
て手を振ってくれている。
「アルバート!!」
呼ぶとかわいらしい顔をして、テクテクこち
らに歩いてくる。
「ホシ!」ウイグル語でさよならを言うと、彼も小
さな声で「ホシ!」
握手を交わし、自転車を進ませた。100mほど
進んで振り返ると、まだ、こちらを見据えてい
る。
数日前、戻ってきた坂を一気に駆け上がり、丘
の頂上まで漕ぎ続けると、眼前にはただただ静
かに広がる砂の海が広がっていた。振り向くと、
もう茶屋は見えなくなっていた。なんだか、数日
前のことがずいぶん昔のことに思えた。
そして、季節は冬になる
また、日が暮れ始めた。ロケーションの良さそ
うな所を選び、荷物をバラす。もう3年ぐらい毎
日走り続けているような気がしてくる。5人で手
-46-
分けして、少し軽くなった荷物を運ぶ。道から見
えないくらい離れたところにテントを張りたい
ので、80mぐらい荷物をバケツリレーする。徐々
に太陽が鋭く傾き、一日の内で一番砂丘が美し
い時間になる。刻々と変化する砂丘はあまりに
流動的すぎて、適当な形容は浮かばない。まる
で、生きているようだ。この砂丘の地下深くには
大量の石油が埋まっているという。その量は推
定でアメリカの3倍。そのほかにも、未曾有の天
然資源が見つかる可能性を秘めているという。
今も、砂漠はじっくりと拡大を続けている。飲み
込まれた大都市が数々見つかっているという。
過去に繁栄した古代都市はいまも砂漠の下に
眠っているという。
“タクラマカン”は中国語の
訳で「一度足を踏み入れたら、二度と戻れない」
と訳されるが、ウイグル語では、
「かつての故郷」
の意味だと説明されているという。果たして、ど
ちらだろう。今も広がり続ける砂漠。僕は、汚れ
た大地を浄化する「腐海」に近いのではないかと
思った。あのナウシカの「腐海」だ。僕はこの不
毛の大地に寝て、飯を食い、仲間と笑い、そう
思った。やがて、人間は長い年月をかけ、緑の大
地を食い尽くし、自らの繁栄を砂漠に飲み込ま
れるのではないかと。ゆっくりと、ゆっくりと時
間は流れていくのだと。そう思った。太陽が波打
つ地平線に完全に沈み込んだ。熱波のような大
気が徐々に冷えていくが、大地は頑なにその温
度を保とうとしている。
飯を作る前にまずかわいた身体をいやすため、
寝袋からでないで何とか米を
炊く方法!
米の炊き方にうるさい隊長田
崎氏。柏倉の今日の炊き具合
は果たしていかがな物か?米
炊き将軍は満足するのか?芯
だらけの米なんてもう勘弁ッ
す。せめてパエリア位にして
もらはないと。米のアルデン
テも悪くはないです。 茶を入れる。腹は減っているが、至福の時間だ。 ていたが、それにしても、今朝は異常に気温が低
ボーッと沈んでいく太陽とその滑らかな曲線を
い。なんとか、勢いだけで肩まで寝袋の外に身体
眺めていると、5人して哲学するフリをしてしま
を出すが、うまく脳が機能しない。そのままの状
うのだ。気持ちのいい風が吹き、テントを揺ら
態で、パブロフの犬のように米炊き将軍の僕は
す。暗くなりきらないうちに飯を炊き、晩飯を済
米鍋をたぐりよせ米を炊き始める。今日はなん
ます。ゴロンと薄いマットの上に身体を投げ出
とか、“硝塘”という町まで着きたいところだ。
し、また茶を入れる。ゆっくりと音のない世界が 「お∼い朝だぞ∼」と目覚めの良いとうちゃんの
辺りを包み込む。やがて、空を見上げると地平線
ように他の隊員に声をかける。
からシュワッっと広がる星空が僕らの上に覆い 「はあ・・・もう朝か」とテントの中から誰かの
かぶさるのだった。それは、本当に見たこともな
声がする。疲れが取れ切れていないのだろう。当
いほどの星の数で、仰向けに寝ころんで、寝袋か
然のことだ。こんな過酷な環境の中で一日中、自
ら顔だけ出してみると、まるで自分が宇宙に
転車で走り続け、今日でもう3 日も連続で野宿
漂っているかのような感覚になった。そして、次
だ。2 日ほど前から気温差が一気に広がったし、
の瞬間「あー地球が宇宙に漂っている」というこ
隊員の体力もそろそろ限界かもしれない。
とをはっきりと体感してしまったのだ。
徐々に辺りが明るくなってきた。が、一向に気
「あー!流れ星!」と僕の横に同じように寝ころん
温は上がる気配を見せない。米鍋から真っ白な
でいた飯倉が言った。
蒸気があがり、小気味良いおとが聞こえてくる。
「おお!たぶん同じの見たぞ!」と僕。
一人また一人と用をたしに、砂丘の向こう側に
「あ!また!」
「あ!また飛んだ!」と飯倉。本当にピュ
消えていく。もはや、同じ方向に行ってしまうよ
ン!ピュン!と数十分のうちに何個も飛ぶのだ。そ
うな素人チックなことは誰もやらない。男ども
の夜は、18個まで数えていたが、いつのまにか
はすぐ近くで用をたしているようだが、女羽山
寝てしまった。
は遙か遠くの方まで行っているようだ。一回
「いってきま∼す」といって、行ってしまうと、な
顔が凍り付くように冷たい。寒さで起きてし
かなか帰ってこない。羽山が行った時は、他のヤ
まった。ゴソゴソと寝袋の口を広げ外を見ると、 ツが行ったときと違って、帰ってくるまで自分
まだ薄暗い。時間を見ると、8時だ。緯度の関係
は行けない。ううう先に行かれた!なんて事が
か季節の関係か9時ぐらいにならないと太陽は昇
あったりもするのだ。個人個人、朝の日課を済ま
らない。しかし、もう起きる時間だ。2日ほど前
せ、コッヘルを持って集まる。いつものように、
から比較的いつもより気温が低いなーとは思っ
僕は非常に緊張して、炊きあがった米をほんの
-47-
記録はテープレコー
ダーを用いる。休息の
時、記録係は記録に余
念がない。その言葉の
一つ一つに何が残せた
のだろう。走りきるこ
とでそれらは一つにつ
ながる。
少しすくって、口に持っていった。が・・・やっ
てしまった。
「あ∼やってもーたー。ごめん!!なにも言わない
でくれ!」
「どうしたんですか?・・・あっ!」と柏倉。
「なんか、どーしてか、はあ・・・失敗してしもー
たーごめん!」僕は、ひたすら謝った。米の炊き
具合で、その日の食事の評価は決まると考えて
いい。米炊き将軍の僕はそれくらいのことは
重々承知している。やわらかいならまだしも、
やってしまったのだ!堅いのだ!こわいのだ!芯が
残ってアルデンテなのだ!うううこんな疲れてい
るときこそ、うまい飯を食わせてやりたかった
のに、僕は残っている疲労に追い打ちをかけて
しまったのだ。はっきりいって、その朝の飯は食
えたモノではないほどまずかった。それなのに!
それなのに!
彼らは「いけますよ!食えますよ!」「みそ汁か
けちゃえば、ぜんぜんいけます!」なんて言って、
うううう泣かせるではないか!ありがとう!こんな
まずい飯をそんな笑顔で食ってくれるなんて。
ぼちぼち食えない飯を食い上げ、早々に荷物
をまとめ始める。また、道端まで荷物を運び、自
転車にくくりつける。すでに、簡単に一人で自転
車を立てることができるほど軽い。ただ単に食
料や水が減っただけであろうか。砂漠公路に
入ってからの一週間あまりで筋肉が付いたせい
であろうか。どちらにしろ、なにかものすごいも
-48-
のを手に入れたことに間違いはないようだ。
荷物をくくり付けていると、遙か向こうから
何度か見かけた僕らの宿敵!公安野郎のSURF が
接近!さっそうと3人ほど降りてきた。そして、
「君たちはここで何をしているんだい?」ギクっと
した。たくみな英語だったのだ。
「いや、旅行だ。」冷や冷やしつつ当たり障りのな
い回答を即座に述べる。
「ここで、野宿したのか?」
「はあ・・・」
彼らはなにやら、苦笑いをしながらお互いに
小さな声で言葉を交わしている。むむ!これはか
なりやばいのでは!と思っていると、
「じゃ!」といってもと来た道をユーターンして
戻っていった。
そして、僕は「おい!やばいだろ!いまの?どー
考えてもやばいだろ?」と答えを求めた。
すると「ユーターンして戻って行ったっての
がかなりやばいですね」と柏倉。そう、まったく
もってそのことがやばいのだ。
「どーしようか?」
「いや!でもあとちょっとですよね!もしかしたら、
今日つけるかもしれないし。」と飯倉。
「って言ったって戻るワケにいかないんじゃない
んですか?」と佐久間。
「そーだよな!400kmも戻るわけ行かないか。しか
もこんなトコじゃ∼隠れるワケにもいかないし
な!」と僕。
砂の海に圧倒されて哲学する一
年生四人。(左)おいおい、お前ら
頭ン中に砂入っちゃたんじゃな
いのって感じで、違った一面を
見せたりもするのでした。一体、
お互いになにを考えているのや
ら。
20Lの水にガソリン、テント、食
料、寝袋、その他いろいろ。(右)
一度倒れたら一人じゃ起こせな
い。飯倉のチャリは倒れてから
起こすときに、荷物の重みで後
輪が曲がってしまった。
「じゃあ、行きましょう」
標識が見える。徐々に近づき、はっきりと内容が
見えてくる。あれ?そこに書いてあったのは“砂
石碑には砂漠公路 0km の文字
漠公路200m”の文字だ!そのことを理解するまで
もう、どれだけ走っただろう。あれから、公
少し時間が必要だった。自転車は勝手に坂をす
安野郎の車は見かけない。昼食のための休憩の
ごいスピードで下り続けていく。あっ!左手に石
時でもそれぞれの隊員に色濃く疲れの表情が見
碑が!内容は見取れない。先に行ってしまった 4
られる。太陽が頭上に昇り、ギラツく太陽光を
人に叫ぶ!
放ってはいるが一向に気温は上がらない。5人と 「ちょっと!マッター!」4 人がブレーキをかけ、
も防寒着を上下とも着たままだ。いままでは、走
こっちに戻ってくる。僕は、
り始め、時間が経ち太陽が昇り、気温が上がると 「おい!あれ見ろよ!」と石碑を指す!自転車で数
「アチー」などといって脱いでいたが、この気温
メートル漕いで戻る。
ではいくら走っても気温があまりに低いため、 石碑には“塔里木砂漠石油公路0km”の文字!そ
身体が暖まらない。
う!突然でよく意味が理解できなかったが、ここ
ぐぐーっときつい坂が迫り、低いギアでゆっ
ら砂漠公路を造り始めたのだ。僕たちは造り終
くりと登っていく。頂上まで着くと、ダダーっと
わった所から走り始めたのだ。
広がる大地にいままで見たことない近代的な建
ボーッっと、果てしなく静かな時間がゆっく
物がぽつぽつと立ち並んでいる。
りと流れれいった。それぞれが、それぞれの辛
「おー!あれが硝塘か!」
かったこと、笑ったことを、思い出しているよう
「そうだ!たぶんそうだ!」
だった。もしかすると、思い出していたのは僕だ
「よっしゅあああ!ゆっくりうまいラグメンでも食
けかも知れないが、本当にその時、いろんな事を
おーぜ!」
思い返したのだった。
と急な坂を勢いよく下っていく。近代的な道路
しかし、軽薄的楽観主義の5人が集まっている
-49-
ゴールの石碑。
「砂漠公
路0km」の文字が刻ま
れている。恐ろしく静
かな感動が、俺達の体
を包み込む。
俺達の旅はここで一応
の終わりを迎える。そ
の場所で、何を見つめ、
何を考え、何を見つけ
るのか。
(砂漠公路基点)
ため、そんな時間もそう長くは続きはしなかっ
た。
「やっと着きましたね!写真取りましょう!写真取
りましょう!」と実にうれしそうな柏倉。
「じゃあさ!ビデオセッティングしよーぜ!」と煽
られるように僕も感傷の渦から這い出て、ビデ
オをセッティングしはじめた。
「じゃあ∼まずこういうときは、
あれだ!田崎さん
を胴上げだ!」なんて佐久間が言って。
「もうちょっと右!そうそうそうストップ!」と僕
はカメラを覗き、石碑と5人がファインダーに収
まるよう位置を合わせた。
「わーい、わーい」と間抜けに飛び上がり、僕は、
冬になってしまった渇いた大気の中、フワっと
宙に舞ったのだった。
あとがき
この後、僕ら5人は公安からの追跡から逃れる
べく(追跡されていたかどうか定かではない)一
気に、バスで22時間かけ、大都市ウルムチに向
かったのだった。その後、5人は自由行動を取る
ことにした。佐久間と羽山は二人で北京に、柏倉
と飯倉はカザフ民族の住む山間の村落に、僕は
一人、敦煌に向かった。さすがに、二ヶ月近く生
活を共にした4人と別れるとき、なんだかとって
も不思議な気分になった。気の合う友達が転校
してしまうようなそんな感じだ。実は心配で仕
方ないのか、本当は自分が一人になりたかった
-50-
のかどっちだったのだろう。でも二ヶ月でいろ
んな事を知ったはずだから、なんとか無事で
やってくれるだろうと思った。
無事、北京で出会えたときは、少し実は恥ずか
しかったような気がする。
僕は、敦煌で一人で楽しく観光を楽しんだ。宿
から自転車で鳴砂山という有名な観光名所に
行って、パラグライダーを大枚をはたいてやっ
たり、
(大枚といっても、それは僕らにとっての
大枚である。)日本でも有名な莫高窟(モーガー
クゥ)に行ったり。と、もはや普通の観光客と
なった。
計画段階から、僕が主導権を握って進めた企
画だった(ような気がする)が、やはり5人じゃ
なきゃできなかったと思うのだ。この計画が成
功したことによって、自分にそれなりの自信を
持つことができるようになったし、アドベン
チャークラブ自体にも大きなターニングポイン
トとなる事を期待している。しかし、最近思うの
は、
「日本だって捨てたもんじゃないぜ!」ってこ
とである。 最後に、さらなるアドベンチャークラブと神
奈川大学の発展と地球が美しいままであり続け
ることを願って、とりあえず終わらせたいと思
う。
柏倉!羽山!飯倉!佐久間!お前達は本当に最高
だったよ。
タサキと Dr. リーピンのメール
タクラマカン砂漠縦断を実質的に可能とさせて
くれた北京のDr.リーピンへ先日、下記のメール
を送ったのさ
Dear It is parson that came true our dreams
Do you remember us?
We are bicycle tourist at such time.
And We got it,We cought go through that `death
road` you said.
I am captain in our team.
I hard to study,work and play now to find out myself.
There is I understood thing at this summer action.
It is `earth is ours`.
This things is that earth is humans and We can go to
all over the world .
SO.........I WAITE FOR YOUR RETURN MAIL.
Sub chief of ADVENTURE CLUB in kanagawauniv
return mall` s Per is 100%
TASAKI MOTOI
MAIL:[email protected]
:[email protected]
TEL:0081-45-435-2597(until p.m.12:00)
ADRESS:2-28-22,Fujizuka,K ouhokuku,Yokohama,Kanagawa-ken,Japan!!
そして、すばらしいことに返信のメールが届い
たのさ
Dear Tasaki and members in your team,
I am very glad to receive your message from
Japan,also I express my great congratulations to
you,though this is a little late to it. Your are brave
boys and girl,when I am as young as you,I dream to
travel all over the world by bicycle. Unfortunately,it
was just a dream due to many many problems. So,I
am indeed glad to hear your successful rsult. In fact,I
am always worrying about your safety,as that is truly
"SEA OF DEAD". Now,I think I can release a little
for that. I hope that you got many things from that
travel,got the knowledge,train the body and spirit
-51-
ウイグルの人達はみな人なつっ
こい。あふれる笑顔が温かく優
しい。子供達は写真が大好き。老
人達のしわは培ってきた人生の
表情だ。
砂漠の真ん中の宿屋の婆ちゃんと息子さん。
(右)僕らは犬に襲われたときこの人達に助けら
れた。犬の飼い主もこの人達なんだけどね。こ
このラグメン・カバブーは美味しかった。不意
にあの味を思い出す時がある。
いつかまた食べ
たい。部屋の中の数字は今でも謎だ。
and so on. I am a young scientist of Geography,I
also got what I need in this expedition,and hope
make result in the future.
Zhu Liping
@Beijing,China
バスの中であったじいさん。(右)窓を開けてな
いと落ち着かないらしい。
僕らは窓から入って
くる砂ぼこりに辟易した。
田崎氏が被っている
のは民族帽のドッパ。じいさん、いつまでも元
気でね。
internationals now.
I hope coming the day that world doesn't have the
border.
So,world is us,earth is us,world is being without war.
I love humanbeing,Because I hate war.
I am to much thinking for me today.
そして、僕(タサキ)はこう書いたのさ
Dear Dr.ZHU Liping!!
I am glad to get your mail that is hot and kind.
And I just did read your mail.
So,I felt that you are who is seeking dream forever.
I think that "dream is all" for mankind, that reason
why mankind of a living is love.
I strongly felt your love for us at that time.
Because,I am seeking truly dream and love forever
too.
And I felt that the world is becoming for
internationals.
The most important problem of the world is
-52-
カシュガルの日曜バザールで
会ったウイグルのじいさん。(左)
ウイグルの人は皆、陽気で気さ
くな人柄という印象を受けた。
屈託のない笑顔がその証拠とい
うところ。彼らにはとても親切
にされた。ありがとう。
Ummmm
DAY.
I HOPE YOU HAVE GOOD
えーと、リーピンさんは、誰?ってことだけど縦
断ルート前の安宿で出会った中国人で、英語が
話せるという中国ではかなりの知識人なのさ。
結局、縦断ルートの入り口の所に検問があるっ
て教えてくれて、しかも、僕らはズーズーしくも
彼らの車に乗せてもらい、その検問を越えた。1
0キロぐらいのところで降ろしてもらって、そ
こから自転車を組み立てて走り出したのさ。つ
まり、彼なしでは僕らの最終的な計画であった
タクラマカン砂漠縦断はできなかったことにな
るのだ。
記録・会計報告(注の無い金額は全て1人当たりの額である) 文責 飯倉
※砂漠公路走破後・ウルムチ以降は含まない。 1元=17円相当
走行記録
日付
走行区間
8/8
トルファン駅∼トルファン
8/12 トルファン∼アブドウォ-の家
8/13 アブドウォ-の家∼峠
8/14 峠途中∼大理石鉱
8/15 大理石鉱∼食堂前
8/16 食堂前∼コルラ
9/4
ヤルカンド∼叶城
9/8
砂漠公路∼砂漠公路起点
9/9
〃
9/10
〃
9/11
〃
9/15
〃
9/16
〃
9/17
〃
走行距離(km)
54.00㎞
72.08
45.43
30.29
128.96
103.13
66.66
53.10
78.70
2.02
80.40
104.63
80.79
37.15
走行時間
3:06:28
4:18:08
4:03:13
2:50:10
6:50:39
5:10:09
3:24:51
3:20:02
3:47:17
0:08:00
4:00:41
5:36:19
3:42:28
2:19:26
平均時速(km/h)
17.63
17.24
11.27
12.11
19.83
20.22
20.54
16.59
22.67
25.25
20.08
19.51
23.60
16.94
走行距離総計937.34km
全走行時間52:37:51
全体平均時速18.82km
-53-
宿泊記録
宿泊費
宿 クレストウッドホテル
オアシスホテル
交通賓館トルファン
交通賓館コルラ
交通賓館クチャ
天南飯店カシュガル
交通賓館ヤルカンド
登山賓館叶城
ニヤのホテル
砂漠公路中の茶屋
塔中の茶屋
博格達賓館ウルムチ
交通費
列車
宿代(1人)
宿泊期間
総宿泊費
140元七月三十日∼八月五日 六泊七日
4200元
22
八月八日∼八月九日
一泊二日
110
14
八月九日∼八月十二日 三泊四日
210
10
八月十六日∼八月二十日 四泊五日
200
30
八月二十日∼八月二四日 四泊五日
600
10
八月二五日∼八月三一日 六泊七日
300
60∼40
九月一日∼九月四日
三泊四日
720
25
九月四日∼九月七日
三泊四日
375
50
九月七日∼九月八日
一泊二日
250
5
九月十日∼九月十一日 一泊二日
25
7
九月十一日∼九月十五日 四泊五日
140
45
九月十九日∼九月二二日 三泊四日
675
総宿泊数39泊40日
宿泊費総計7805元(約132,685円 1人当たり約26,537円)
航空諸費
成田∼北京 間往復 約65000円位
成田空港使用料 約2500円位
北京国際空港使用料 90元(約1530円)
越境費
ビザ代 9000円
ビザ延長費 125元(約2125円)
-54-
バス
タクシー
ロバ車
北京西駅∼トルファン
超過料金
コルラ∼クチャ
クチャ∼カシュガル
カシュガル∼ヤルカンド
北京国際空港∼ホテル
ホテル∼北京西駅
カシュガル散策
354元(約6018円) 往復708元(約12036円)
80元(約1360円) 往復160元(約2720円)
24.6元(約448.8円)
23.2元(約394.4円)
13.7元(保険1元含む)(約232.9円)
80元(約1360円)
40元(約680円)
1.16元(約19.72円)
食費(エリア別一日当たり)
北京
5.225元(約88.825円)※記録ではこうなるが、実際15元を越えたはず。
列車内
10.54元(約179.18円)
新彊
10.50元(約178.5円)
砂漠内
17,5元(約297.5円)
※全員が同じ物を食べていたわけではないので、比較はできない。間食は含まない。
その他
駐輪代
10元(約170円)
在京連絡費 56元(約952円)
罰金 500元(約8500円)
賄賂 160元(約2720円)
上記総出費8098.225元(約137669.825円)
この旅にかけた隊員1人当たりの費用は、50万円程である。内自転車10万・装備10万・航空券、入
国費用10万、活動費20万といった割合である。上記総出費に疑問を抱く隊員もいるだろうが、別に
虚偽は無い。
-55-
タクラマカン報告書 - 食料編
食料尽きたら俺が食料!
買い出し
中
国の第一食はホテル横の寂れた料理屋だっ
た。北京に到着し、夕方遅くまで忙しかっ
た僕らは機内食から後、何も口にしていなかっ
た。
大きな円卓に座り、とりあえず無難なものを
と、
「花生米炒、5。
」と言った。
「酒は?」
「要らな
い。」
「それだけ?」
「うん。」すると、中国人の何
人かが笑い、小柄なウエイトレスの女の子は怪
訝な面持ちで厨房に消えた。僕は料理が来るま
での間、<厨房で料理に睡眠薬を混ぜながら、人
身売買組織に電話を掛けているシェフ>や<注
文をとりながら僕に惚れてしまったウエイトレ
スに苦笑いの僕>等の夢想妄想に耽っていた。
そして、5分程して大皿が運ばれてきた。円卓の
中心に、ゴトンと置かれた品を見て呆気にとら
れた。大皿に山盛りのピーナッツだった。3秒の
間をおいて、僕以外の4人が爆笑する。持ってき
たウエイトレスも爆笑する。独り、笑いに乗り遅
れた僕はただ首を傾げるしかなかった。
それからは、田崎さんの注文マニュアル(身振
り手振り、効果音、厨房に入り模索、他の客の料
理を指す、念力)を参考に注文した。
走行日のエサは、数十キロおきに現れる茶屋
でのラグメン。休日は、各自が腹の空いたら空い
ただけ、好きな物を好きなだけ喰った。
-56-
賑やかな市場の喧噪、新鮮で色鮮やかな食材、
そして怪しい五人組。市場はきちんと区画整理
され、米、肉、野菜、果物、調味料、缶詰など日
本で想像していたものとは違って、殆どすべて
揃っていた。オアシスは水に満ち溢れ、そこに住
む大勢の人々の穏やかな物豊かな生活があった。
天山越えに備えて、行動食(ピーナッツ、キャラ
メル、ビスケット)、主食(炭水化物になる物、ザー
サイ、ニンニク)、他(塩、砂糖、中国醤油)等を揃
えた。
天山の自炊
すぐ右手に聳える恐竜に似た岩山の真下、落
石に怯えながらの一夜が明けた。大雨と雷鳴は
止み、爽快な青空が広がっていた。フラフラと出
発の準備を整え、朝食を作り始めた。鍋に水を張
り、面の束を入れ、鳥殻スープっぽい粉末をガ
サッと入れ、醤油を適当にドバッと入れて、熱し
た。暫くして、蓋を開ける。みんなの憤怒の表情
が頭によぎる。
砂漠公路直前
オアシスの豊かな市場を知った僕は、それ以
前に比べて幾らか楽観的になっていた。砂漠公
路の突入前に必ずホータンという大きな街を通
過する。そして、ホータンなら十分な食料を確保
できるだろうと考えていた。だが、ホータンより
も少し前の叶城という町で、今回の砂漠公路縦
断成功を導いた鍵とも言うべき立平博士との出
会いが待っていた。そして、交渉の末に砂漠公路
入り口の検問を通過するための車のチャーター
が成功したのだが、計画の大幅な変更を余儀な
くされた。そして、僕は青くなった。
なぜなら、その大幅な変更が僕にとって、かな
色の砂漠化してくるスピードに焦りだけが先行
り都合の悪い状況を招いたからだ。
する。
立平らは、僅か一日で砂漠公路直前の小さな
四苦八苦して、ようやく考えがまとまって後
町ニヤを目指し、ホータンには昼食の30分しか
は揺れる車内から外を努めて凝視してた。
留まらない。その上、ニヤには夕方遅くに到着
問題はニヤに到着する時間だ。途中、砂丘がすで
し、次の日の早朝に砂漠公路に向かう。その日程
に見えていることに気付いた。遠くの方に、視界
の中で、熱砂を生きて脱出できるに充分な食料
の端から端まで広がっていた。あれがタクラマ
を確保しなければならない。日本での事を思い
カン砂漠なのか、その一端なのか知れない。
出した。役割分担を決めた日、
「俺、あんな所に行こうとしてたの?マジで?馬鹿
「食料係ですか?いいですよ、ハイ。」
「食料尽きた
じゃねえ?。」
ら、お前が食料な。な?。
」
「あっはっはっはっ。」 身が震えた。
僕は確か笑っていた。そして、砂漠手前になっ
外国人、ジグザグ走る
て、
「面倒なことになった・・な。
」と思っている
と、田崎さんが、
「おうい、柏倉、食料頼んだよ。」 ニヤの町に着いたのは、陽も沈んだあとだっ
と言う。正直、
「砂漠はまだまだ先だし・・。あ、 た。ホテルに着いて直ぐに、
「買い物行ってきま
飯倉、ペプシ買いに行こうぜ。・・・ぺ、ペ、ペッ
す。」と町に出た。右も左も分からない小さな町。
プシ。なんつって。寒い?ネ、寒い?。
」ってな調
一体、何処が店の通りなのかさえ見当がつかな
子でいたのだ。突然の無理難題に、僕はとにかく
い。一緒に佐久間が来てくれた。それだけで頼も
ビビッた。
しい。僕らは、町に出た。そして、運良く店の多
そして、直ぐに朝になりニヤへと出発。
「ああ
い通りに出くわした。店の灯りを頼りに後は手
ああああああああああ∼・・どうしよ。どうし
分けをして買い込むだけだ。しかし、店のなんと
よ。・・そ、そうだ、意識を宇宙に飛ばしてしま
少ないことか。しばらくして、米15キロと八宝
おう・・か、火星だ。火星には、二酸化炭素がた
粥の缶詰20缶を手に入れ、佐久間は一度ホテル
くさんあって、広大な砂漠っぽいのが・・・さ、 に帰る。しかし、まだまだ何も足りない状態だ。
砂漠・・うああああああはああああああ。」そう
あちこちに出入りして探した。暗い通りを右か
こうしている内に、車は走り出した。
ら左、その逆とジグザグ走る外国人程薄気味の
小一時間程走ると、景色は突然に荒野へと変
悪いものはない。息を切らして店にはいっては、
わった。「そうだ。月に意識を飛ばそう。
「ヨウマ、ヨウマ、
(あるのか)」を繰り返して、今
・・・・・・・やっぱり、砂漠だああああああっ。」 度は店を走り去る。
窓の外を眺める。
「べちゃ・・。
」時々、前の座席
その途中、停電が起きた時には実際泣きたく
の運転手の吐き出した痰が飛んでくる。
なった。 「何なんだよ。っきしょう。」
「ヨウマ?メイヨー(無い)?ウエイシェマ∼∼∼(な
とりあえず、食料品を紙にまとめなければなら
んでよ∼∼∼∼)。
」
なかった。しかし、検問があったし、酷い悪路だ
兎に角、走った。そして、何とか様になるくら
しで思考が上手くまとまらない。それなのに、景
いの食料を掻き集めた。400 元分の食料を抱え
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タクラマカン報告書 - 食 料 編
食料尽きたら俺が食料!
て、フラフラと帰ろうとする。そして、トドメを
刺された。
「ホテル・・・何処よ・・迷った。」
砂漠公路の食料
・チョコレートバー(一人、2∼3本)
・塩(500グラム)
・砂糖(500グラム)
・ピーナッツ(500グラムを15袋)
・ザーサイ(20袋)
・米(15キロ)
・クッキー(500グラムを15袋)
・飴、キャラメル(1キロ)
・八宝粥(500グラムを36缶)
・レトルト牛肉(25袋)
・魚缶(3缶)
砂漠公路へ
「やっちまったなー。」「やっちまいました
ねー。」砂漠のド真ん中に蒼い絨毯を転がした様
な、真っ直ぐに延びる砂漠公路。女性のくびれを
連想させる砂丘の、果てしのない光景。地球では
ない、可笑しい空間。
「ううううっ、眩暈がっ。
」
と感覚器官の狂ったまま、光の中を走る。
ホントウニトンデモナイトコニキテシマッタ、
と斜め前方に居る竜巻を眺めながら、ぼんやり
と思った。
まるで、文明を嘲笑うかの如くウイグルの中
心へ居座る怪物、タクラマカン砂漠。そう簡単に
は通してくれそうにない。
そして、ずいぶん走った。幾つ砂丘の山を越え
ただろう。砂丘の頂上まで登るたびに背筋の寒
くなる砂の海が眼前に広がる。だが、しかし、楽
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しいじゃないか。冒険している真っ最中だっ
つーの、こんちくちょう、こんちくちょう、あり
がとう。
「茶屋だ。」突然、飯倉が叫んだ。確かに、何か
ある。「いくぞ。」と田崎さんが叫び
下り坂を飛ばした。
「コーラ、コーラ、コーラ、コーラ、コーラ、コー
ラ、コーラ、コーラ、コーラ、コーラ、コーラ、
コーラ、コーラ、コーラ、コーラ、コーラ、コー
ラ 、 コ ー ラ 、 コ ー ラ 、コ ー ラ 、 コ ー ラ 、
コーーーーーラーーーー、って何でザクロ
ジュースしか無いねーーん。」
辿り着いたのは、貧相な掘っ立て小屋だった。
しかし、冷蔵庫があり厨房もある。よく見なくて
も、そこは人間が暮らすには充分だった。小屋付
近には3∼4羽の鶏が居て、裏
からは発電機の稼働音が聞こえてくる。話を聞
く限りでは、数十キロおきに似たような茶屋が
あるらしい。ペンペン草もはえない死の道と聞
いていた分、少し安心した。
晩御飯
およそ80キロ前後走って、一日の走行が終わ
る。走行が終われば、砂丘によって死角になるよ
うな場所に自転車と荷物を移動させ、テン場を
作る。テントを風よけにしながら次は料理だ。
まずは、鍋で茶をつくることから始める(一人、
3∼4杯分)。そして、次は白米だ。鍋に付着した
茶葉を拭き取り、米を1キロ入れて水を張る(米
は水の節約のため、研がない)。米を炊いている
間はお茶を啜る。米が炊かれる直前に鍋にレト
ルト牛肉をパックされたまま、放り込む(五香と
いう甘しょっぱいタレの味)。それも終わると各
自のコッヘルでみそ汁を作る。日本から持って
きた粉末スープを入れ、3分も熱せば沸騰する。
ここまでの準備をしている間、誰かが魚缶を開
けてくれている。
白飯と味噌汁、牛肉に魚缶、ザーサイができる
と後はかきいれるだけだ。とにかく、用意できる
範囲内でかなり美味しい晩御飯を食べていた。
朝飯は、昨日の米の残りにガバガバ水を足し、お
粥にする。ザーサイや魚缶がおかず。そして、最
後には必ずお茶を飲む。な、な、な、何と鍋の掃
除にもなるのだ。一つの火器、一つの鍋でここま
で合理的に使うのだ。
僕は、平たいナンにシシカバブーをばらにし
て挟んで、羊のスープと食べるのが好きだった。
砂漠公路の茶屋は、寝泊まりできれば食事も
出され、大量のミネラル水が売っていた。
5 泊6 日の砂漠の滞在が 10 日近くになったのも、
茶屋のおかげだ。
年齢を忘れ、砂漠で遊んだ。今、思い出すだけ
でも表情が弛緩してくる。
砂漠公路、脱出
ゴールは突然、やってきた。砂漠公路0 キロ、
という石碑が現れたのだ。肖塔という町
昼食
に着いたのだ。一見、ゴーストタウンに思えた町
走行の中間休みに昼食だ。喉はカラカラで、頭
にはちゃんと人も居て、僕らは工場に働く人の
はフラフラ。水分、塩分、糖分のすみやかな補給
寝泊まりしている宿舎に泊まらせてもらうこと
を目指す。やはり、それに八宝粥を選んで正解
にした。
だった。甘く、トロトロしていて
その町には工場しか無く、つまり工場自体に
喉を通りやすい。粥は消化も良い。
肖塔という名が付けられたのだろう。アメリカ
に匹敵する石油埋蔵量の可能性をもった、タク
茶屋の食事
ラマカン油田。工場に働く人々に、活気があっ
とりあえず、ここでぼくらの主食ラグ面とナ
た。
ンとシシカバブーの説明をしよう。
荷物をばらしてみると、結局3分の1くらい食
ラグ面とは簡単に言うと、回教風のうどんで
料が余っていた。10数キログラム余計
ある。羊肉とトマト、ピーマン、セロリ、にスパ
に積んでいたのだ。しかし、そのくらいが適当
イシーな香辛料を加えて炒めた肉野菜炒めと太
だ。一応、僕は生きている。それが成功を
く強烈なコシをもつ面が、別々の皿で出てくる。 物語っている。
かなり辛く、しかし、それを抑えてもらうと今度
楽しかった。紫煙をくゆらせながら、苦笑いす
は羊臭くて食べられない。それは、羊肉の串焼き
る。僕も、砂漠回帰性症候群にかかってしまった
のシシカバブーも同じで香辛料を抑えると食が
のかは、分からない。しかし、一生とれそうもな
進まない。だが、慣れてしまえば中華より美味し
い砂が脳裏にこびりついてしまったのは確かだ。
いと、飯倉が言っていた。ナンはパンにイースト
の無いのを想像してほしい。
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