帰国報告 平成23年度末帰国 元パリ日本人学校 札幌市立西宮の沢小学校 教諭 上田 隆之 2 00 9 年4 月~ 201 2年 3月 迄、フ ラン ス共和 国内 、パ リ日本 人学 校へ3 年間 派遣 された 概 要について、以下の通り報告致します。 1 フランス 共和国 、 パリ 市 、 パリ 市郊外 モンテイニー 市概要 フランス共和国(以下フランス)は、世界一観光客を集 め、芸術・文化・食・また自然において、世界から一目置 かれ、また世界中の人々の憧れを集める国である。人気の 観光地には、西部には牡蠣・塩の名産地であるブルターニ ュ地方、モンサンミシェルで有名なノルマンディー地方、 東部にはアルプス山脈のふもとシャモニーやエビアン、南 部には世界的な人気を誇る、ニース・モナコ・カンヌから アルル・エクスアンプロバンスにかけた地中海沿岸などが あるが、やはり芸術の都パリは中でも世界一の観光客から の人気を誇る街である。 パ リ市 は 、フ ラン ス最大 の都 市で あり、 同国 の政治 、経 済、 文化な どの 中心で ある 。ま た、ニ ュ ー ヨ ーク 、 ロン ドン 、東京 など と並 ぶ世界 トッ プクラ スの 世界 都市で もあ る。パ リ盆 地の ほぼ中 央 に 位 置し 、 市内 をセ ーヌ川 が貫 く。 この川 の中 州であ るシ テ島 を中心 に発 達した 。行 政上 では、 1 コ ミ ュー ン 単独 で県 を構成 する 特別 市であ り、 ルーヴ ル美 術館 を含む 1区 を中心 に、 時計 回りに 2 0 の行 政区 が並ぶ 。北緯 49度とやや 高緯度に位 置するが、温 か い北 大西 洋海流 と偏西 風によって一 年を通して 比較的温暖と な って おり 、西岸 海洋性 気候の代表的 な都市であ る。市域は城 郭都市時代の城壁跡に造られた環状高速道路の内側の市街地 ( 面 積 は 8 6 . 9 9 平 方 ㎞ )、 お よ び 、 そ の 外 側 西 部 の ブ ロ ー ニ ュの 森と 外側東 部のヴ ァンセンヌの 森を併せた 形となってお り 、 面 積 は 1 0 5 . 4 平 方 km 。 市 域 人 口 は 1 9 5 0 年 代 の 約 2 90 万人 を絶頂 に減少 し続けたが、 ここ数年は 微増傾向に転 じ てお り、 200 7年現 在で217万 人である。 1960年代 以降 、旧植民地であったアフリカ中部・北部やインドシナ半島 、 更 に近 年は 中近東 や東欧 、中国などか らの移民も 増え、パリジ ャ ン・ パリ ジェン ヌも多 民族・多人種 化している 。ルーブル・ オ ル セー 美 術館 をは じめと した 、世 界的有 名な 絵や像 があ る美 術館。 オペ ラ座・ ノー トル ダム大 聖 堂 を はじ め とし た、 歴史的 建造 物群 。そし て、 エッフ ェル 塔・ シャン ゼリ ゼ通り ・凱 旋門 等、パ リ を象徴する場所には、多くの観光客でごった返している。 こ のよ う な、 パリ 市の面 積は 前述 の通り 、札 幌市の 中央 区と 白石区 を足 した程 度し かな く、非 常 にコンパクトである。そのため、人口増に伴い、1970年 代初頭より国の政策として、パリ市近郊に計画的に街づくり を行った。その中の一つに、パリ市より南西約25キロにモ ンチニー市があり、そこに現在パリ日本人学校がある。歴史 あるフランスの中では異色な非常に近代的な街である。モン チ ニ ー 市 は 中 で も 、「 教 育 」 を 中 心 に 作 ら れ た 街 で あ り 、 大 学・高校等も整備されており、落ち着いた環境である。近く には、ベルサイユ宮殿のあるベルサイユ市、レオナールフジ タのアトリエのあるエソンヌまでも市道で20分程度で行く ことができ、芸術・文化に触れる機会も多い。 -1- 2 日仏文化学院 パリ 日本人学校概要 日仏文化学院パリ日本人学校は、文部省の認定校とし て、日本国の学校教育法及び関係法規に従って、初等・ 中等普通教育を実施することを目的としている 。さらに 、 日本とフランス共和国間の文化・教育交流を図り、相互 理解を深めあう教育活動にも重点を置いた教育活動を展 開している。 1973年10月に、在仏日本人の増加により、日本 の子女教育機会を確実に行うために、日本人会、日本企 業を中心として設立された。当初は、パリ市内のエッフ ェル塔近くにある 、トロカデロに校舎を構えた 。しかし 、 校舎は非常に狭く、体育の授業は体育館の1/4程度し ( パリ 日本人学校 旧 トロカデロ 校舎 ) か な い中 庭 で、 また 近隣住 民か ら苦 情を受 けな いため に静 かに 行う等 の制 約があ った 。教 室も、 学 年 に よっ て は、 地下 室のよ うな とこ ろで行 わな くては いけ ない 学年も あり 、兼ね てか ら移 転の動 き が あ った 。 その 後、 平成に 入り パリ 市南西 約2 5キロ にあ る、 モンチ ニー 市に候 補の 土地 を見つ け る 。 一番 の 決め 手は 、子ど もた ちが のびの び遊 ぶこと がで きる 校庭が ある こと、 であ った 。その た め 、 地価 の 高い パリ 市は候 補か らは ずれ、 バス 通学と いう 制約 がつく が、 モンチ ニー 市に 移転が 決 まった。 その後、平成10年前後をピークに児童数・生徒数は 増加を続け、最大400名程度に膨らんでゆくが、その 後は企業撤退、景気後退の影響も受け、減少に転じてゆ く。現在は、全校児童・生徒200名、小1~中3まで 各1学級、授業料・交通費合わせて、約5万~6万円程 度である。 《 教員配置 》 現在は、教頭・校長を除き、派遣教員11名おり、そ れぞれ教務主任、中学部主任、担任という形で仕事を分 担している 。主に 、派遣校種により配属が決定されるが 、 近 年は経験に かかわらず、 所有免許に よって配置さ れる ( パ リ 日本人学校 サンカンタン 校舎 ) 傾向が多い。中には、小1担任の後に、中学部担任とい うケースも散見された。学年1担任であるので、全ての 学 年 にか か わる 仕事 は一人 で行 うこ とにな る。 そこに は、 もち ろんよ さも あるが 、文 化の 違う都 道 府 県 から 派 遣さ れて いる先 生の もと では、 若干 の学年 間の ズレ も生じ る。 そこで 、小 さな 学校で も あるので、放課後に毎日ミーティングを行い、子どもたちの情報を共有した。 《児童・生徒像》 主 に、 大 企業 に所 属する 家庭 の子 息が多 く、 約3~ 5年 で帰 国され る家 庭が多 い。 中に は、他 国 へ の 転勤 が ある 家庭 もある が、 子ど もの多 くは 中学も しく は高 校受験 を機 に、母 親と 帰国 する場 合 が 多 い。 そ のた め、 教育に 対す る意 識が子 ども ・保護 者と もに 高く、 学校 に求め るレ ベル も高い 。 基 本 は文 部 科学 省に 準拠し なが らも 、発展 的学 習を行 った り、 模擬面 接指 導を小 学校 から 行った り し て いる 。 子ど もた ちは、 非常 に素 直で前 向き であり 、志 が高 い子が 揃っ ている 。そ のた め、札 幌 では考えられないレベルの学級構成になることが多い。 《 職務内容 》 主 に、 日 本国 内の 学校で ある 仕事 に関し ては 、ほぼ 全て ある 。小学 校で あれば 、運 動会 ・学習 発 表 会 、中 学 部で あれ ば、球 技大 会、 生徒会 役員 選挙、 中間 期末 テスト 等、 日本同 様に 行っ ている 。 特 に 行事 は 、日 本で はない 中で 日本 と同様 に行 う難し さが ある 。これ らに 加え、 以下 の点 がパリ 日 本人学校特有の仕事である。 ・教材教具については全て教員個人で購入→後に精算 事 務の 職 員は 3人 いるが 、学 校会 計、通 訳、 バス等 の仕 事を 行って いる ため、 その 他の 仕事は 教 員が行う。画用紙等から教材園の植物まで、教員自ら手に入れる。 -2- ・子どもたちの昼食管理 基本的には弁当であるが、無い子は弁当屋に10時までに発注を行う。 ・バスの登下校に合わせた授業運営 高 速道 路 がし ばし ば渋滞 する 。ま た、バ ス会 社も日 本の よう に時間 に的 確では なく 、し ばしば ト ラ ブ ルに も なる 。そ の際に 確実 に対 応する ため にも、 子ど もた ちがバ スに 乗る7 :2 0に は全職 員 が出勤しているようにしている。 ・フランス語・英会話・音楽の先生との折衝 以 上の 先 生は 、現 地採用 もし くは 現地の 会社 からの 派遣 の先 生で、 時に は外国 語で 話を したり 、 授業に対する文化の差を埋める努力も必要になる。 ・小中連携関連 中 学部 生 徒会 、部 活から 縦割 り集 会企画 等で 折衝を 行っ たり 、実際 に子 どもた ちに かか わった り する機会があった。 ・補修校指導 フ ラン ス 国内 には 17の 補修 校が 各地に ある 。それ らの 補修 校は、 主に 保護者 が中 心と なって 運 営 を 行っ て おり 、実 際の指 導法 につ いてや 指導 につい ての 悩み 等を聞 きな がら、 日本 人学 校の先 生 方 が 指導 や 模範 授業 を行う 場が 、年 に2度 ほど ある。 また 、年 に1度 日本 人学校 が主 催と なった 作 文コンクールを行い 、それぞれの補修校の子どもたちが書いた作文を全職員で批評を行う場もある 。 ・日本人学校祭り運営 こ の祭 り は、 現地 在住日 本人 も楽 しみに して おり、 子ど もた ちの指 導か ら、出 展会 社と の折衝 、 現地校への案内等、非常に手間隙がかかる。 ・修学旅行、社会見学等の開発から下見まで 日本とは違い、言葉・文化も違うため、非常に苦労を要する。 ・マスコミ、大使館、海外子女教育財団対応 等々… 以上が主に日本の仕事に加えて、力を要する部分である。 《 パリ 日本人学校 の 特色 》 芸術・文化の都パリ近郊にある本校では、非常に有意義な学習活動ができた。 ・遠足 遠 足は 、 ベル サイ ユ宮殿 内に ある 庭園で 行っ た。世 界遺 産内 で全学 年縦 割りで オリ エン テーリ ン グを行い、非常に有意義な体験ができた。 ・スキー学習(中学部) ア ルプ ス 山脈 にて 、4泊 5日 の合 宿で行 う。 スキー に慣 れて いない 本州 の子ど もた ちも 、初心 者 プログラムの中で、安心して活動に取り組むことができた。 ・社会見学 小1~3年までは、生活科の栗拾いから動物園見学、 現地スーパーマーケット見学等、日本同様に行えた。 小4以降は以下の通り、パリの特性を活かした社会見 学ができた。 小 4 … 現 地 消 防 署 見 学 、 オ ル セ ー 美 術 館 ( 模 写 )、 下 水 道施設見学 小5…ルノー工場見学 、オランジュリー美術館( 模写 )、 NHK ヨーロッパ総局見学 小6…ポンピドゥー美術館( 指導員解説 )、国連 UNESCO 本部、ロダン美術館、国立博物館見学 中 学 部 … オ ー ベ ル シ ュ ル オ ワ ー ズ ( ゴ ッ ホ 終 焉 の 地 )、 ジ ベ ル ニ ー ( モ ネ : 睡 蓮 の 池 )、 バ ル ビ ゾ ン (落穂拾い)の現地写生会 ルーブル美術館見 学(指導員解説) 現地邦人会社(大企業) での1日職場体験 私個 人的 には、 UNESCO 本部 の見学が子ど もたちにと っても私にと っても非常 に有意義なも のに な っ た。 実 際に 働か れてい る日 本人 の方か ら、 世界遺 産セ ンタ ー長の 話ま で聞け たこ とは 、教科 書 -3- に は 書か れ てい ない 、素晴 らし さ、 難しさ を学 ぶこと がで きた 。また 、現 地美術 館で は、 自由に 写 生 が でき 、 本物 を見 ながら 、ま た中 学部は その 場所に 行き なが ら模写 がで きる素 晴ら しさ は、何 物 にも変え難い有意義な時間となった。 ・現地校との交流 基本的には年に1度 、モンチニー市にある現地小中学校と交流をもち 、お互い行き来をしている 。 招待する際には 、(日本のよさを伝えつつ、現地のみんなも楽しめるもの)ということを基本的に、 各学年の児童・生徒の発達段階に応じたプログラムを考え 、もてなしている 。また 、その会に向け 、 フランス語の学習を高めていき、簡単な挨拶やコミュニケーションができるようにしてゆく。 小学部低学年 主におにごっこやドッジボール、日本の手遊び等で遊ぶ。 小学部高学年 主に、日本の遊び(けんだま、こま)や習字を教えてかかわり合いをもつ。 中学部 スポーツや演劇を通して、日本の文化を伝える努力をする。 逆に招待される場では 、相手の先生が簡単なゲーム( ミュージックゲーム 、ダンシングゲーム等 ) を 構 成し も てな して くれる 。給 食も 一緒に 食べ るが、 フラ ンス 式で前 菜・ 主食・ デザ ート の順で 出 て く る。 こ れら を通 し、本 や言 葉で は感じ るこ とがで きな い、 肌でフ ラン スを体 感で き、 この上 な い現地理解学習になっている。 ・体験学習(修学旅行) 日 本の 小 学校 では 、宿泊 を伴 う体 験的修 学的 活動は 、各 学年 ・学級 経営 の中で も、 非常 に重要 な も の であ り 、子 ども 達にと って も、 学級の 団結 力を高 めた り、 自立を 促し たりな ど、 教育 課程の 中 で も 非常 に 有意 なも のとし て位 置づ けられ てお り、各 都道 府県 におか れて も大切 にさ れて いる活 動 で あ る。 フ ラン スで も、同 様な 位置 づけで ある 。私が 行っ た年 は更新 年で あり、 新し い場 所を開 拓 し た 。そ の 際に まと めた文 書に は、 日本と の違 いやフ ラン ス文 化につ いて も触れ た。 せっ かくの 機 会であるので、以下一部抜粋し掲載させていただく。 文部科学省提出文書 現地理解報告書 より 今回 、3 度に 渡 り東 仏シ ャン パー ニ ュ 地方に あ る 、現地 体験 的学習 が十 分に で き る宿 泊施設周 辺(フ ラ ンス 一の 人 造湖 周 辺) の下 見 、活 動 に 参加 す る こ と がで き た。 今回 は、 そ れらを通 じて感 じた日 仏に おけ る 考え 方 ・位置 づけ ・シ ステ ム の違 いをまと め、 昨年度報 告にあ った 授業実践等 の違いとも絡め て 考察してみたい。 ① 指導 ・ 管理 の 役割 今回最も驚いた点である。今回の宿泊施設には、フラ ンスの現地校の子ども達も2校ほど来ていた。そのうち1 校は、教員が来ていなかった。またもう1校も、先生は 別宿舎で食事時にはワインを飲んでいた。 フランスで体験学習を行う際には、間に教育連盟とい う公的な機関が仲介を行う。その際、出発のバス乗車 時から帰校時まで の責任を一切が教育連盟が負うシステ ム に な って いる 。そ の 為、現 地校 の子ども達は 、バスに 乗車してからは、教員が一切付かず、宿舎ではアニマ ターと呼ばれる指導担当者が一切の責任を負い、起床 から就寝までの子ども達の指導・管理を行い、活動につ いては担当インストラクターが指導を行う。 今回、私たちは教務主任以下3名で 5・6年で48名を引率し、事前に 役割分担等を行い、日本同様に 引 率 準備 を行 っ た 。し かし、 我 々に も アニ マ タ ー が 2 名付 き 、全 て の管 理 を行う と 言 われ た 。こちら とし ては、食事のこと、自由時間の際の管理等、気を遣う場面が多かったが、その際にも先生は一切気にし -4- な いでくれと 言われた。ただ 、こちらにも教育的意義、これだけは やらせてあげたいこと等を夜一緒にミ ーティングをし、共通理解を図り、コミュニケーションはしっかりととることができた。 フランスでは、責任の所在がはっきりしており、逆に私たち教員が指示をしてケガをした場合の保障な ど に 、 と て も 気 を 遣 っ て い た 。 ま た 、 ア ニ マ タ ー に は 、 公 的 な 試 験 を通 過 した もの し か な れ な い の で 、 ある 程度の管理・指導に ついては 問題ないが、日本側から見れば 、若干高圧的・いい加減な部分も目 立った。その隙間を埋める役割は私たち教員側が行った。 そ の 地を 知っ て いる ア ニ マ ター ・ イ ンス トラ クタ ー が 全て の安 全を保 障す る こと、 前回 報告 書に もあ っ た と おり 、 教師は 教 科指導 のみの プロ とい うは っ きり と した役 割分 担は 、あ る 意味い いシ ステ ム であ る と 思 う が、 児 童理 解に 長け た 担任 教諭が 主に 引 率指 導を行う 日本 の良さ も、 今回の 3泊 4日 の引 率で 感じ ることも多かった。 ② 日本 の 良 さ 2度目の下見時に 、現地の子達が宿舎に 泊まっていた 。 その際、部屋を見学させてもらったが、荷物は散乱、部 屋から出た後、シーツを廊下への置き方はぐちゃぐちゃに 置かれていた。そして、その後の部屋の中も整理整頓は なされていなかった。 日本ではこのような場面では 、 ( 使う前よりきれいにする ) 等の考え方で、整理整頓も体験学習の指導の一環として 位置づけ られている。部屋から出る、荷物を移動する 等の 指導は、基本アニマターさ んが行ったが、整理整頓については担任の方から指導を行った。現地アニマ ターはそんな必要は無いと言ったが 、 シーツをたたむ 、 部屋を整理する等はしっかりと行う事ができた 。 宿舎から出る際、掃除を担当している人、シー ツを管理している人、副館長さんから 、「オー プンして から1 0年間、 子ども達がこのようにき れいに 使用したこと はな かった。 とても素晴ら しいことだ 。」とお褒 めの言葉を頂いた。 フランスは、世界的な歴史的遺産、美術工芸品が多く、世界一外国から観光客が来る国である。しか し、 きれ いな 町並み の影に は 、多 くの落 書きやゴ ミのポイ捨て 、電車内の汚 さが近隣 諸国と比 べても一 際目立つ。昨年度報告にも記した が、フランスは道徳教育というものが学校教育では皆無な部分が、こ のような形になって表れていると思うが 、その一端がこのシーツや部屋の片付けにも表れていると感じた 。 ③ 施設 の 充実 と 宿泊的行事 のあり 方 今 回 の 施 設 周辺 で は 、 ヨ ッ ト ・ カヌ ー ・ オ リ エン テ ー リ ング ・ 自 転 車 ・ 植 物観 察 ・ハ イ キン グ・ 歴 史 探索・美術館等、非常に充実していた 。昨年度利用した施設(今年度は管理者の権利譲渡の為使用で き ず )、 中 学 部 が 利用 し た 施 設 、 そ し て本 校近 隣 に あ る 体験 学 習受 け 入 れ施 設を見 て も、 どこ も多 岐に わ たり 体験・研修が十分に できる。日本では 、その土地にあっ たメインな活動1~2 種類・その他、とい う感じでは あるが、体験的活動に十分に 浸ることができるという点では、フランスの方が非常に優れてい る 。また 、日本で小6では 、修学旅行で名勝地等を巡るが 、 こちらでは同じ場所に4年近く連続で通い 、同じ体験を行い 、 深めるということを大切にし、人間力を高めるということに 重きをおいている、と聞いた。 話はそれるが、日本人の旅行者は観光地へ行っても、 少 し 見 学 した らす ぐ に 次の 観 光地 へ 移 動す る 方 が 多い 。 し か し 、フ ラ ン ス人 の バカ ンス で は 、同 じ 場 所 に 1 ~ 2 週 間滞 在し、その地でできる経験をどっぷりゆっくり行うことに重 きを置いており 、日本の旅行者を見て何を理解できるのか 、 とよく言っている。 宿泊的行事 のあり方からも、各国のもつ文化、考え方が 見えてくる感じがした。 以 上、 体 験的 宿泊 的学習 一つ とっ ても、 日仏 間で多 くの 違い を感じ た。 そして 、そ れら を注視 す ると、両国の国民性、考え方も裏から見えてきた。 -5- 《 私 が 過 ごした 3 年間 : 仕事編 》 3 4歳 で 赴任 し、 まだ若 手の つも りで赴 任し たが、 実際 に赴 任する と同 年代が 多く 、先 輩に頼 る と い う 雰 囲 気 で は な く 、 ま た 人 数 も 少 な い の で ( 日 本 の 学 校 の 約 7 割 )、 年 次 に 関 係 な く み ん な が 即戦力として動かなくてはいけなかった。 各年度で苦労したことは、以下の通りだ。 ○ 1 年目 ( 小学部 3 年 2 組担任 ) ・各都道府県の授業や教育に対する考え方の違いに慣れる こと。 ・いきなり運動会担当になる。6月の運動会当日に向け、 着任後すぐに準備にとりかかる。 ・子どもたちの家族との距離感の近さ。基本的に生活空間 が同じであること。 ・同様に、教員間家族との距離感の近さ。配偶者同士の仲 も非常に重要であるということ。 ・保護者の教育に対する意識の高さ。また、教員に対する 本音の評価の共有度の高さ。 ・ 大 きな 行 事、 小さ な行事 にか かわ らず、 デー タが全 く残 って いない 中で の仕事 (基 本引 き継が な いという伝統があった )。 ○ 2 年目 ( 小学部 5 年 1 組担任 : 小学部主任 ) ・学年主任経験無く、小学部主任になる難しさ。年上や年 次が上の先生に対する配慮。 ・大きな行事、小さな行事にかかわらず、データを引き継 ぐベース作り、意識作り。 ・年次にかかわらず風通しを良くするために、毎日放課後 ミーティングを設ける。 ・運営委員会で、学校づくりの中心となって動いていく難 しさ。 ・新学習指導要領に向けての授業構成変更と、海外特有の 問題( 日本語に触れる機会 )を解決するための折衷案作り 。 ・体験学習、社会見学の新規開拓。 ・初の単一学級担任として、全てを受けもつ大変さ(自由さの方が大きかったが )。 ○ 3 年目 ( 小学部 6 年 1 組担任 : 小学部主任 ) ・昨年度まで敷いていた5・4制(小6から中学部の教諭が 教科担任制で教える)から、6・3制に変えた初年度の6年 担任としての責任。 ・東京を中心とした、有名私立校受験対策。 ・自由に年度に関係なくざっくばらんに話し合える雰囲気作 り。 ・「 全 て を 知 っ て い なく て は い け な い 」 とい う 3 年 目 と し て 小 学部主任としての立場、次年度以降に確実に遺していく意識。 ・中学部との連携強化。 以 上、 通 常の 30 台半ば では 経験 できな い重 要な役 割や 責任 をもっ ての 仕事は 、当 時は 非常に 大 変 で あっ た が、 今と なって は全 ての 経験が 糧に なって いる 感は ある。 ただ 、その 際現 地採 用で2 0 年近く日本人学校に勤務されている先生がおっしゃっていた言葉が印象的であった。 『 も う何 年 も多 くの 先生を 見て いる けれど 、北 海道か ら来 られ る先生 のレ ベルは みん な高 い。だ か ら自信をもって仕事してくださいね』 今年度派遣される先生方は、意識を高くもって、そして自信をもって赴任されてください。 -6- 3 現地 での 暮 らし 《食事》 他国に比べ、比較的日本人も多く、また中国・韓国人も多 いため、日本人街・中華街がパリ市内にある。日本と比べる と、日本食材店は約3倍、韓国食材店で約2倍、中華街で約 1.2倍といった価格で、欲しい食材が手に入る。基本的に は、お金を出せばどんなものでも手に入った。しかし、買出 しにも時間がかかるので、月に1回米等を買出しに行き、あ とは近所のスーパーで買ったものを調理した。最初は苦労し たが、慣れれば全く問題はなく、昼は弁当だが妻が努力して くれたため、日本と同様に食べることができた。 ちなみに、パン・ワインの味は日本で味わう以上に美味しかった。 《生活:フランス人》 現 地 は 、 基 本 的 に 日 曜 日 は 交 通 機 関 ( こ れ も か な り 減 る )、 観 光 地 付 近 以 外 、 ス ー パ ー か ら 飲 食 店 ま で ほ ぼ 休 み に な る 。 ま た 、 し ば し ば ス ト も 行 わ れ 、 美 術 館 か ら 交 通 機 関 ( 通 学 バ ス 会 社 含 )、 公 的 機関 ま で休 みに なるこ とも 多い 。フラ ンス 人は、 世界 で一 番有給 休暇 を消化 (約 38 日)し 、 休 み に対 す る意 識が 非常に 高い 。そ のため 、仕 事に対 する 意識 は上流 階級 は日本 とほ ぼ変 わらな い が、一般人は基本的に日本より低い。 比較的親日的で、3年間生活をしている中で、差別を 受けたと感じることは1度だけだった(中国人と間違わ れ た ら し い が )。 フ ラ ン ス 人 は 、『 世 界 で 最 も 日 本 文 化 に 対しお金を使う国』である。象徴的な出来事として2つ あげられる。1つは、年に1度、きたえーるの2倍ほど ある会場で開催される、ジャパンエキスポの盛り上がり である。フランスで人気のアニメ・マンガのコーナーは もちろん、将棋・柔道・たこ焼き・ニコニコ動画等の日 本文化コーナーまで、立錐の余地が無いくらい人が集ま っていた。もう一つは、東日本大震災が起きた際の出来 事 で ある 。 私は 、近 所の方 々に とて も心配 され た。ま た、 モン チニー 市で もすぐ に募 金の 動きが あ り 、 日本 人 学校 にも フラン ス各 地か ら折鶴 や色 紙等が 送ら れて くるな ど、 とても 心配 して いる気 持 ち が 伝わ っ てき た。 一見、 プラ イド が高そ うで 、とっ つき にく いイメ ージ がある フラ ンス 人では あ るが、心の底は非常に温かい人が多かった。 《生活:日本人》 現 在、 フ ラン ス国 内に約 3万 人、 パリ市 (近 郊含) に約 2万 人在住 して いる。 近年 、フ ランス 国 内 の 失業 率 上昇 と海 外移民 増加 から 、居住 権を 得るこ とが 年々 難しく なっ ており 、ま たフ ランス 国 内 の 海外 企 業の 法人 税率を 上げ る政 策施行 や不 況から 企業 の撤 退が相 次ぎ 、その 数は 減少 してい る と 言 われ て いる 。日 本人の 在住 者は 大きく 2つ に分け るこ とが できる 。1 つは企 業等 から の転勤 者 ・家族、1つは国際結婚による在住である。 私 たち 派 遣教 員家 族は、 日本 人学 校に通 う家 庭と同 じく 約3 年間の 赴任 なので 、基 本的 に生活 空 間 が 同じ に なる 。日 本以上 に児 童・ 生徒の 家庭 と距離 が近 く、 便利な 面が あるが 、そ の辺 が一番 苦 労 し た点 で もあ る。 ある教 員の 家族 には、 学校 の先生 の噂 が耳 に入っ たり 、逆に 成績 のこ とや学 校 内 の 裏事 情 等に つい て聞き 出そ うと する家 庭も あった 。ま た、 距離感 の保 ち方を 誤り 、家 庭間の 問 題 が こじ れ たこ とに より、 仕事 がし にくく なっ ていた 教員 家庭 もあっ た。 ある一 定の 距離 を保ち つ つ 、 上手 に やっ てい く難し さを 、特 にどの 配偶 者も強 く感 じて いたよ うだ 。ちな みに 、私 の家庭 は 本 校 に関 係 の無 い家 庭や、 国際 結婚 された 家庭 、現地 人家 庭、 教員家 庭を 中心に 仲良 くさ せてい た だ き 、大 き なト ラブ ルはな かっ た。 赴任の 3年 間を、 充実 した 生活に する ために 、結 構大 切なこ と であると思う。 -7- 《子育て・教育》 フランスは先進国の中で唯一、人口が増加している。そ れは 、子育てについて非常に優しい国であることが大きい 。 基本的に、託児所から大学まで、基本は全てが無料。3人 以上子どもがいれば 、税金の大幅優遇や交通機関の半額等 、 様々な恩恵が受けられる。街の中でも、子どもの割合は日 本以上に感じる。我が家の息子(3歳)は現地幼稚園に通 ったが、基本的に徒歩10分以内に公的幼稚園があるよう になっているので、非常に通いやすく、指導内容も日本以 上に決め細やかな部分もあった。 現地小学校は 、公立8割・私立2割といった感じである 。 担 任 の先 生 は、 授業 しか教 えず 、休 み時間 や給 食時間 は別 の職 員が対 応す る。ま た、 パー トの先 生 も 多 く 、 月 ・ 火 と 木 ・ 金 ・ 土 で 担 任 が 変 わ る ク ラ ス も 珍 し く な い ( 水 ・ 日 は 休 み )。 そ の た め 、 い わゆる(いじめ)の指導が徹底できずに、苦しんでいるこの割合は、日本以上であると思う。 《リフレッシュ》 異 国で の 生活 は、 少なか らず スト レスが かか る。特 に、 子育 て、病 院や 役所等 、現 地の 慣習に 習 っ て 生活 を 合わ せな くては いけ ない 配偶者 はス トレス がか かる 。家族 サー ビスは 、日 本以 上に大 切 で あ る。 幸 いパ リは 、見所 がた くさ んあり 、余 裕があ る際 には 観光で きた 。また 、パ リ日 本人学 校 で は 、普 段 の土 日は 泊を伴 う旅 行は 禁止さ れて いるが 、夏 休み ・冬休 み等 には、 年休 を使 っての 旅 行 は 認め ら れて いる 。多く の教 員家 庭は、 そこ で家族 サー ビス を兼ね て車 等で、 近隣 諸国 に旅行 に 出かけていた。この辺は、ヨーロッパ派遣の良さである。 最後に 間 違え な く、 今回 派遣教 員を 希望 したこ とは 、教員 とし ても 、私個 人の 人生に とっ ても プラス に な っ たと 言 えま す。 日本で 先生 を続 けてい たら 、決し てす るこ とのな かっ た苦労 や悩 みも たくさ ん あったが、それら全てが自分を育ててくれたと思うし、いい経験になっていると言える。 こ れら の 経験 を、 目の前 の子 ども たちに 伝え ていく 使命 が自 分にあ ると 思って いる 。そ の方法 に ついては、これからも学んでいきたいと思うし、この先も視野を広くもっていたいと思う。 最後まで目を通していただき、ありがとうございました。 以上、報告でした。 -8-
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