三瀬・三日月・富士編

今回は第 42 作・ぼくの伯父さんのロケ地の旅を紹介する。
取材したのは、2008 年 11 月 4 日である。
この作は、寅さんの恋の話というよりも、甥の満男(吉岡秀隆)の泉(後藤久美子)へ
の恋物語が中心となっている。
満男は浪人中の身。ある日高校の後輩・及川泉より手紙をもらい無性に会いたくなる。
その後結局家を飛び出して、西に向かってバイクで旅に出る。
先ずは、名古屋の泉の母親(夏木マリ)に会うが、泉は九州の叔母(壇ふみ)の家に住
んでいることを知らされ、その足で一気に九州まで走っていく。
九州に入り、山間の道をコーナリングしていくと丁度ここで転倒してしまう。それが、
ここ国道 263 号の三瀬峠である。福岡から峠を越え、下りに入って第 11 カーブの標識のあ
るところである。
実は、小生もこの道路はよく通るところ。並行してトンネルのバイパス(有料道路)が
できているが、ワインディングを楽しむためにあえてこの旧道を走るバイク乗りは多い。
転倒直後、親切なおじさんライダー(笹野高史)が現れて助けてもらう。その後、二人
はこのログハウス風の喫茶店・モクモクハウスに入る。
そして、満男は丁度この席でおじさんに傷の手当てをしてもらい、さらに食事をおごっ
てもらう。
その時食べていたのが、このカレーライス。
小生も満男と同じ席で食べてみたのであった。そして女性のオーナーが当時の取材の様
子を教えてくれた。
その後、満男はこの親切なおじさんから言われるままに一緒にホテルに泊まる。
そして、満男が寝こんでいると、“ミツオさん・・・”と、化粧をしたおじさんが迫って
くる。満男はあわててホテルを退散する。
それにしても、笹野高史(釣りバカ日誌ではスーさんのドライバー、また、現在の大河
ドラマでは秀吉役など)が、ここでもいい味わいの演技をこなしていた。
その後、舞台は三日月町の嘉瀬川のほとりにある、この千代雀酒造の界隈になる。
同じ場所でアングルを右に変えるとこのようになる。満男が何度もバイクで走るところ
である。
川の土手のすぐ下に、この山王神社がある。満男はここでバイクを止め、地元の人に泉
が住んでいる叔母さんの家を訪ねる。
そして、鳥居の先に少し進み、左に折れてバイクを丁度この付近に止める。
右の建物が当時と同じである。ただ当時は白壁であったが、今ではこのように板の壁に
なっていた。
アングルを変えるとこのようになる。満男はバイクを降り、この右の門柱に奥村という
表札で、そこに“及川泉”の名前があることを確認する。
すると、また画面は上の写真のアングルに戻り、向こうの電柱のところに泉が学校から
友とともに帰ってくる。ここで満男と泉が再会するのである。そして先ほどの嘉瀬川の土
手で夕暮れを過ごす。
その後、満男は近くのゑびす旅館というところに相部屋で泊まることになる。そこでな
んと、寅さんとばったり会ってしまう。
そして、翌日、寅さんと二人でまたこの家に訪れ、じいさんや叔母さんにすっかり気に
入られ、泊まってしまう。
さらに翌日、寅さんはじいさんたちとともに古湯温泉に行く。
一方、満男と泉の二人は、泉の母が生まれたここ富士町(現在は佐賀市)東畑瀬地区を
訪れる。その入り口であるこの畑瀬橋を手前から向こうに渡っていく。
小生も是非この橋を渡ってみたかった。しかし一般の人はもう渡ることはできない。
上の写真はかなりズームアップしている。ズームを引くとこのようになり、この写真の
中央のやや左の小さい橋が畑瀬橋である。
この地域は当時と風景が大きく変わっている。辺りはこのようにコンクリート工場の一
大プラントと化していた。
もう、下の方には降りて行けず、はるか上にできた道路から写した写真である。
畑瀬橋から少し下流に向かうと、このような風景になっている。
実は、この 42 作がこの佐賀で撮影されたのは訳があった。この東畑瀬地区の子供が、山
田洋次監督宛に、“私たちの地区はダムで沈むので、是非、沈む前に撮影に来て欲しい”と
のお願いをしたらしいのである。この陳情を受けて、この第 42 作・ぼくのおじさんは作ら
れたという。
この“鉄馬がゆく~寅さんを訪ねて~”の企画がもう少し早ければ、その当時の風景を
取材できたのに・・・。
そして、映画でのあのようにきれいな風景がなくなり、畑瀬橋を含めて全てダムの底に
沈んでいくのはとても残念に思う。