5月号(PDF:7.0MB)

4&5
Apr. & May. 2009
Vol.33 / No.4 & 5
視点:華人の動向に注目
特集:華人の動向
海外生活便り:シンガポール・モザンビーク
支部通信:台湾・ベトナム
駐在員特別レポート:北京
駐在員通信:シンガポール
特集
華人の動向
執行 大輔[海外建設協会]
【視点】華人の動向に注目 ...................................................................................... 1
岩崎 育夫[拓殖大学]
東南アジアにおける華人企業の動向 .................................................................... 2
古田 茂美[香港貿易発展局]
海外華人経済と中国大陸経済の接近と融合の時代到来─反転し始めた歴史 ... 6
石里 宏 齋藤 美穂子[三菱総合研究所] 転換期にある華人企業──東南アジアの事例を中心に ........................................... 10
会員各社の「東南アジアにおける華人の動向──それに係わるプロジェクトの動向」
山田 正孝[間組]
マレーシアにおける華人企業の動向 .....................................................................15
海外生活便り
新保 治男[東急建設]
【シンガポール】知られているシンガポール・知られざるシンガポール.............. 19
影澤 龍男[鴻池組]
【モザンビーク】
モザンビーク共和国ザンベジア州およびテテ州地方道路橋梁建設計画にて ... 22
支部通信
石塚 一郎[鹿島建設]
【台湾】
新幹線と地下鉄の開業による台湾高雄の交通利便性の向上について............. 25
奥村 知央[大林組]
【ベトナム】ベトナムは花盛り................................................................................. 28
駐在員特別レポート
保田 道雄[前駐在員]
【北京】
「中国・ベトナム経済開発2回廊・1ベルト」計画(後編)
──中国の環北部湾経済圏に係るベトナムへの布石 .........................................................31
駐在員通信
福岡 規行[駐在員]
【シンガポール】最近の華人の動向 .................................................................... 37
海外受注実績 ..................................................................................................................................................................................... 41
主要会議・行事・内外の出来事............................................................................................................................................................ 43
海外建設協会の主な活動 ................................................................................................................................................................... 44
編集後記 ........................................................................................................................................................................................... 44
華人の動向に注目
執行 大輔
(社)
海外建設協会 常務理事
今まさに、華人の動向が注目されている。昨年後半からの世界金融危
華人の動向
特集
機が荒れ狂う今日この頃、私はふと 1997 年に起きた「アジア通貨危機」
のことを思い浮かべた。程度、内容の差はあるものの、世界を震撼させ
たことは同様であった。そして私が想起したのは、危機の真只中に投げ
出された華人、それも東南アジアの華人であり、その危機を乗り越えた
回復力のたくましさであった。
華人とは言うまでもなく、母国の中国以外に居住する中国原籍の一世
(華僑)
、現地国籍の二世、三世などを総称して言っているが、彼らの行
動如何で東南アジアの政治、
経済が大きく動かされてきた。華人企業は、
クローニズム(血縁、地縁、業縁)、フェース・トゥ・フェース、家族経営、
商業・金融・サービスなどに偏った事業展開、資金の短期回収などを特
徴としているが、
今では二世、
三世の時代に移行してきていることもあっ
「ア
て、事業分野も拡がり、グローバル・スタンダードに適応しながら、
ジア的価値」を守るという、
プラグマティズムを根底とする「ハイブリッ
ド経営」を行ってきている。
アジア危機の中で彼らは、コア事業への資産集中を徹底したうえで、
輸出への転換、外国資本との連携強化を推進してきた。そのスピードの
速さは、やはり伝統的価値観である、オーナーシップとしての「大胆さ、
機動性、トップダウン」といった経営スタイルであり、世代交代からく
るグローバル化の発想であった。迅速に危機に対応し、素早い身のかわ
し方は、彼らの生き方をまざまざと見せつけられる思いがした。これか
らは、彼ら華人と上手に連携して、協調、協力していかなければならな
いと感じたものである。そうすることによって、日本企業はさらなる躍
進が期待できるのではないか。その意味で、華人が今回の不況をどのよ
うに克服していくのか、そのタイミング、内容などの動向から目が離せ
ない。翻って、わが会員企業は、華人の影響力が強いアジア、特に東南
アジアでの経験と実績が豊富であり、
現在も着実に実力を発揮している。
この不況下、世界各地で工事中断、発注中止、無期延期などが現実化し
ている中、会員企業として改めて「アジアへの回帰」
、いや「アジアへ
の進化」を考えてみてはどうだろうか。そのためにもう一度「華人」を
深く理解し、近い将来の中国の膨大な市場を見据える視点を養う必要が
あるのではないだろうか。
2009-4&5
1
東南アジアにおける華人企業の動向
岩崎 育夫
拓殖大学 国際学部 教授
はじめに
企業グループ化と多国籍企業化
東南アジア諸国は 1980 年代に目覚ましい経済発
華人企業の特徴としていくつか挙げられるが、ひ
展を遂げ、その開発を担ったひとつが華人企業であ
とつが企業グループ化である。これは香港企業にも
る。小論は、中国人移民が興し、東南アジア企業経
言えることで、有力企業で、最初にビジネスを始め
済の担い手へと成長して、日系企業のパートナーで
た業種分野に留まっている企業は例外的でしかな
もライバルでもある華人企業に焦点を当て、いくつ
い。ある分野で基礎を築き、次々と異なる分野に投
かの特徴と東南アジア 5 カ国の代表的企業グループ
資するのが一般的パターンになっている。多様な分
の概要と戦略を概観する。
野に拡がる企業グループは、
「コングロマリット型」
と呼ばれるが、これは戦前期日本の財閥や、韓国の
I 東南アジア華人企業の特徴
三星グループなどチェボルと呼ばれる企業グループ
企業経済に占める比率
の構造とまったく同じである。
東南アジア諸国で活動する企業には、華人企業の
もうひとつが多国籍企業化である。インドネシア
他に、民族系企業(たとえば、マレーシアのマレー人企業)、
を代表する企業グループのサリムは、 1980 年代に
政府系企業、それに外資系企業が主なものである。
なると華人経済圏のシンガポールと香港への投資を
下の表はインドネシア、マレーシア、シンガポール、
端緒に、アメリカ、オランダ、フィリピン、タイ、
タイ、フィリピン 5 カ国の売上高上位企業で見た、
中国、ヨーロッパ諸国と世界各地に投資して多国籍
それぞれの比率である。1990 年前後の数字なので
企業となった。多国籍企業化は、アジア諸国の経済
少し古いが、基本的構図に大きな変化はない。イン
緊密化が進んだ 1980 年代以降に多い。
ドネシアは政府系企業、シンガポールは外資系企業
この後、II で取り上げる 5 つの企業は、すべて国
のシェアが大きい特殊性があるが、華人企業は各国
内で巨大企業グループを形成する多国籍企業に属す
とも約 25∼ 30%ほどのシェアを占めている。
るが、これは規模の経済の追求や、あらゆるビジネ
ス機会を捉える華人企業特有の行動様式に原因があ
る。これに加えて、国内市場で巨大政府系企業や外
資系企業と厳しい競争に晒されているため、多様な
分野や海外に投資して、リスク分散を図りながら利
東南アジア5カ国の華人企業の比率
(売上高/単位:%)
政府系企業
インドネシア
(1993年)
67.1
マレーシア (1993年)
48.0
シンガポール
(1986年)
12.2
タイ
(1988年)
13.2
フィリピン
(1988年)
31.4
民族系企業
22.6
(マレー系)
7.8
(王室系)
16.9
(スペイン系)
華人企業
外資系企業
29.8
3.1
25.3
4.1
24.0
63.8
31.3
45.6
22.2
29.5
注:マレーシアは、クアラルンプール証券取引所上位20社。
出所:岩崎育夫『華人資本の政治経済学』東洋経済新報社1997年より。
2
特集 華人の動向
益を求める行動様式も一因に挙げられる。
「ファミリービジネス」
世界的に有名な華人企業のイメージとして「ファ
ミリービジネス」がある。これは創業者の家族や一
族メンバーがグループ中核企業の株式を所有し、経
営陣に名前を連ねる現象のことである。異郷の地で
家族や一族以外に頼れる者がいなかった戦前期や独
立直後の時代に始まったものだが、大企業に成長し
とにある。しかし、東南アジア諸国の民主化が進む
た現在でもこの特徴が色濃く残っている。
たとえば、
と、
政治癒着に対する国民の眼が一段と厳しくなり、
戦前期にクエック 4 兄弟が興し、シンガポールとマ
政治に依存して商売をする時代は終えたし、多くの
レーシアに拡がるホンリョン・グループの場合、シ
華人企業もコーポレート・ガバナンスを順守する企
ンガポール・グループ企業の持ち株会社のホンリョ
業経営に努めている。
ン・ホールディングス社を兄弟 3 人の一族が、マレー
シア・グループを他の兄弟の一族が所有する体制を
II 東南アジア諸国の主要華人企業の動向
維持している。
東南アジア諸国は経済発展したとはいえ、まだま
とはいえ、世代交代が進んだ現在は、一族の第 2・
だ開発と発展の余地があるし、市場としても魅力的
第 3 世代の間に欧米の大学で経営学を習得する者が
な国が少なくない。たとえば、都市ではショッピン
増えて、専門経営者化が起こっている。また、一部
グセンター、オフィスビル、都市交通など近代イン
の企業ながら、中核企業を一族メンバーが所有し、
フラ整備が、地方では基本的な社会インフラ整備が
経営を一族外の専門経営者に任せる、所有と経営の
課題だし、各国政府も自国の特性を活かした産業構
分離ケースも増えている。
造のあり方を模索している。主要 5 カ国の代表的華
人企業の概要と戦略がどのようなものか、簡単に見
政治との関係
てみよう。
もうひとつの有名なイメージが「政治癒着」で、
華人企業には有力政治家との特別関係をテコに商売
インドネシア:サリム・グループ
を発展させた例が少なくない。インドネシアのスハ
インドネシアの華人企業は 1997 年のアジア経済
ルト元大統領とサリム・グループの癒着はとりわけ
危機で大打撃を蒙ったが、現在はそれから立ち直り
有名だが、タイ(軍人)、マレーシア、フィリピンで
つつある。代表的企業は、スドノ・サリムがスハル
も同様である(唯一の例外は、政府が企業に清廉さを求めるシ
ト時代に築いたもので、発展の基礎は 1960 年代の
ンガポール)
。1990 年代初めシンガポールとインドネ
丁子貿易と製粉業にあった。その後、アグリ・ビジ
シア政府共同で「成長の 3 角地帯」プロジェクトが
ネス、食品加工、建設資材、自動車、通信システム、
スタートし、目玉はインドネシアのバタム島にシン
銀行・金融、不動産、工業団地開発、流通と、それ
ガポール並の工業団地を建設することに置かれた。
こそあらゆる産業分野に拡がった。アジアや世界各
この工業団地建設に参加したのは、シンガポール側
地への投資も積極的に行われ、1980 年代末には東
は政府系建設会社、
インドネシア側はサリム・グルー
南アジア最大の華人企業グループとなった。しかし
プであった。
1998 年にスハルトが退陣すると、巨額負債を抱え
構造的ともいえる政治癒着の原因は、独立直後、
た銀行など金融部門が崩壊し、国内事業が大幅に縮
移民集団でも少数派集団でもある華人は政治社会的
小したし、
多くの海外事業も撤退を余儀なくされた。
立場が不安定だったため、有力政治家に保護を求め
近年のインドネシアは、表面的には政治癒着が容
たこと、政治家も華人企業を私的蓄財に利用したこ
認される時代を卒業し、2009 年 7 月実施予定の大
2009-4&5
3
統領選挙では、汚職撲滅や経済安定を掲げる現職ユ
らが復活する可能性がある。2007 年には地域間格
ドヨノが、1 期目の実績を評価されて再選される可
差の解消を目指す大規模地域開発がスタートした
能性が高く、政治依存タイプの企業家を取り巻く環
し、シンガポール政府の協力を得て、ジョホール州
境は厳しい。現在サリムはシンガポールに住み、グ
の総合的開発を行う
「イスカンダル開発区」
プロジェ
ループ経営は三男アントニーに継承された。アント
クトも日程に上っている。また、2008 年総選挙で
ニーは国内では食品業(インドフード社)を軸にした事
与党連合が歴史的敗北を喫した一因が、ブミプトラ
業再建を進めているが、
海外事業にも意欲的で、
フィ
政策にあると考えられ、マレー人政治家の間で同政
リピンで電話通信会社、2007 年にはインド・コル
策の見直しが言及されている。これら一連の動きは
カタで 40 億ドル規模の大規模インフラ開発投資を
華人企業にとり望ましい環境と言えるもので、
今後、
している。アントニーの戦略は、透明度の高い合理
さまざまな分野で華人企業の動きが活発化すること
的経営を進めながら、国内外で父親時代の巨大企業
が予想される。
グループを復活することにあるようである。
シンガポール:ホンリョン・グループ
マレーシア:ゲンティン・グループ
シンガポールの有力企業は OCBC 銀行グループ
マレーシアでは 1970 年代以降、政府が土着民族
など金融部門に多いが、
製造業基盤型のホンリョン・
のマレー人企業家を育成する「ブミプトラ政策」が
グループは特異な存在である。グループの基礎は、
採用され、華人は不利な立場に置かれている。それ
1950 年代末に始まったシンガポール工業化に、日
にもかかわらず華人企業の活動は活発で、代表的企
系企業との合弁でセメント産業に参入したことで築
業にホンリョン・グループがあるが、ゲンティン・
かれた。その後、パイプ管、コンクリート、ドラム
グループもそのひとつである。これはリム・ゴート
缶などにも事業を拡大し、1970 年代には貿易、ホ
ンが一代で築いたもので、1950 年代に公共建設事
テル、不動産、金融などさまざまな分野に投資して
業に参入して基礎を築き、
その後、
錫鉱山、
ゴム、
パー
巨大企業グループとなった。1990 年代にはシンガ
ム・オイルなどマレーシアの代表的一次産品事業に
ポール企業売上高上位 100 社に 10 社超のグループ
も拡がった。中核事業は、有力マレー人政治家を後
企業がランクされている。
ろ盾に、1970 年初めクアラルンプール郊外のゲン
現在、グループ経営はクエック・レンベンをリー
ティン高原に開発したカジノやホテルなど娯楽事業
ダーに一族の第 2・第 3 世代の手に移り、不動産開
(リゾート・ワールド社)にある。現在グループ企業の経
発、ホテル、金融サービス、貿易・製造業が主要部
営は息子のリム・コクタイに継承され、グループ企
門となっているが、シンガポールが都市社会なこと
業の株式時価総額は 116 億ドルである。
もあり不動産開発(シティー・ディベロップメント社)に戦
マレーシアでは、マハティール時代の大規模国土
略的重点が置かれている。ホンリョン・グループは、
開発構想が、後任のアブドラ時代に財政再建を理由
新規事業や新興市場への参入にきわめて積極的で、
に一部が中止されたが、4 月に新首相に就任したラ
その際日本など優れた外国企業との合弁事業方式が
ザクはマハティールと政治的立場が近いので、それ
特徴のひとつになっているが、これは今後も続くと
4
特集 華人の動向
思われる。
(兄弟 3 人)であり、中でもエドアルド・コファンコ・
グループが注目に値する。発展の基礎は、マルコス
タイ:CPグループ
時代のココナツ関連事業(プランテーション、搾油、加工
タイの有力企業には、銀行部門を軸にしたバン
など)にあり、その後、保険、海運、セメントなど
コク銀行グループ、不動産開発に特化するバンコ
に事業が拡大された。さらに、スペイン系財閥が所
ク・ランド・グループもあるが、最大のものが CP
有する巨大ビール会社のサンミゲル社を買収してグ
(チャロン・ポカパーン)グループである。出発点はエク
ループ中核事業のひとつとした(現在、フィリピン政府
チョー・チアラワーノンが始めた農事関連産業で、
や日本のキリンビールも同社株式を所有)
。エドアルドがマ
その後、農畜、農業化学、水産、オートバイ、石油
ルコスとの特別関係を利用して商売を発展させたた
化学、貿易、不動産、通信など多様な分野に投資さ
め、マルコス退陣後は国外追放になったが、その後
れた。1980 年代には中国で国内事業とは無関連の
復権した。当選しなかったが 1992 年大統領選に出
分野に巨額投資を行い、タイ最大の多国籍企業と
馬して一定の票を集めたし、アキノ元大統領が一族
なった。2006 年のグループ売上高は 140 億ドル、
のホセ・コファンコ・グループ出身であるなど、一
従業員総数は約 25 万人である。ただ、投資が多角
族は政治との関わりが深い。
的とはいえアグリ・ビジネス(CP フィードミル社)と通
近年、グループ事業の大規模再編が行われ、中核
信事業(テレコム・アジア社)がグループ売上高の大半
事業のビールに加えて、フィリピンの有望産業であ
を占めている。
る鉱業、電力事業、インフラ開発に新規参入する体
近年のタイ政治は大混乱が続いている。2001 年
制がつくられた。新事業の行方は不透明だが、既存
に就任し「CEO 型首相」を掲げたタクシンは、強
事業を守ることにこだわる華人企業の中で、これは
権的手法を駆使して大規模国土開発と農民支援策を
きわめて野心的意欲的な戦略と言える。
実施して一定の成果を挙げたが、タクシンの手法に
反発する軍や都市中間層の批判を招き、2007 年秋
展望
にクーデターで首相の座を追われた。現在、タク
民族系企業の台頭や外資系企業の大量進出が著し
シンは海外亡命中だし、国内では親タクシン派と
いとはいえ、華人企業が東南アジア諸国の代表的企
反タクシン派の抗争が激化して、国際空港封鎖や
業である構図が大きく変化することはないであろ
ASEAN 首相会議中止など、経済や企業活動に甚大
う。また、国内では「大企業」だが、国際的には技
な影響が出ている。しかし CP グループの軸足は海
術力や競争力に劣る「中堅企業」なため、あらゆる
外市場にもあるので、グループ全体として見ると大
機会(業種と地域)を捉えて事業を拡大する行動様式
きな影響はなさそうである。
も変わらないであろう。今後も、政治と適当な距離
を保ちつつも、自国やアジア諸国の経済開発の方向
フィリピン:エドアルド・コファンコ・グループ
性を見極めて、国内市場と海外市場に幅広く活動の
フィリピンの有力企業にはスペイン系もあるが、
場を求める戦略が続くと思われる。
代表的華人企業がコファンコ一族の 3 つのグループ
2009-4&5
5
海外華人経済と中国大陸経済の接近と融合の時代到来
反転し始めた歴史
古田 茂美
香港貿易発展局 日本首席代表・国際関係学博士
1. イントロ
によって把握します。ミクロの特徴を理解した上
2008 年、中国域内総生産がドイツを抜いて世界
で、それが拡大した時、マクロ経済構造としてどの
第 3 位の経済規模を達成したニュースが世界を駆け
ような形状に展開したのかをさらに見ていきます。
巡りました。米国発世界経済恐慌の中、既に中国が
最後に過去からの投影を未来に照射する時、華人と
いち早く経済危機を脱出したとの情報も出始めてい
中国が同化融合に向かい、中華経済圏なる世界が登
ます。多くの学者が、経済危機後には戦後米国が果
場する予測ができることを述べます。中国変貌は歴
たした市場アブゾーバント的機能を、中国が取って
史上の大事件であり、確立された社会科学の方法を
替わる予言をしています。Pax China という言葉も
持って認識し、予測することが肝要です。本論では
出始めましたが、それを支える 3 つの根拠として、
とりわけ歴史学の方法を駆使して本事件を識別しま
1)資本勘定が未開放な中国は、世界恐慌の影響を
すが、それがビジネス利益獲得にも非常に有益だと
それほど受けなかった。
経験知から考えるためであります。
2)加熱する高成長がインフレとマイナス成長を懸
念させていたが、経済危機が効果的に成長を緩
慢化し、中国にとっては経済構造調整の時間稼
ぎができた。
3)経済成長モデルは資源輸入可能な輸出代替産業
国家経済から、有限な資源を自国保有する大国
経済へと大きなシフトを切った。
が挙げられています。中国の大変化が誘発するアジ
2. 中国経済発展と華人経済関与の背景
歴史の不連続を起こす一瞬というものが時どき起
こります。1951 年の共産党による中国の社会主義
化がそれです。一瞬にして社会経済の有様が不連続
を起こし、人びとの生活は大きく変化しました。
1978 年の改革開放はそれの裏返しの不連続で
した。
アや世界経済へのインパクトは計り知れないものが
人びとの生活は大きく変わることとなります。裏
あります。中国の変貌をどのように把握するかで各
返しという意味は、
今になって気が付くことですが、
国が中国市場から獲得でき得る利益が大きく左右さ
この改革開放は単なる市場化誘発の不連続のみなら
れることでしょう。
ず、中国が過去へ反転するスタートを切った不連続
中国の変貌を日本にとっても有益化する上で、香
でもあるという意味です。中国は 4 つの経済特区を
港や台湾、東南アジア等の南方華人経済視点から捉
開放し、さらに 14 沿岸都市開放、海南島開放を経
える方法は無駄ではありません。北京からのみ把握
て、上海浦東開発、汎珠江デルタ等の広域経済圏設
する北方経済視点に多面的視座を与え、より立体的
置、雁行形態論的発展論といったかたちで展開発展
に中国を把握することができます。本文の構成です
してきました。この中国の 30 年間の新制度導入や
が、まずは、中国を把握する上で華人視座を持つこ
経済発展の短い歴史を、華人南方視点から眺めてみ
との重要性を、過去の中国発展に関与した華人経済
るときわめて立体的局面が見えてきます。つまり北
の事実を見ることによって理解します。次に、常に
京の政策以外にそれを背後から後押しした華人経済
中国変貌の実験場所として活用される香港という装
の姿が見えてきます。
置のアナトミー的解明を、華人経営を透視すること
6
特集 華人の動向
1978 年の中国共産党三中全会で改革開放政策が
決定した直後に鄧小平が行ったことは、戦前の中華
港・マカオ・広東の自由合作化構想」です。これが
民国で大活躍していた華人民族資本のひとつである
何を意味するか、2003 年に始まった汎珠江デルタ
栄家の後継者である栄毅仁氏を復活させたことで
等の広域経済圏構想が前提となっています。雁行形
す。この事件はその後の中国発展に大きな影響を与
態論という、かつて日本が生み出した経済思想が、
えます。
中国広域経済圏構想に取り入れられました。先頭を
戦前、製粉、紡績紡織などで一大コングロマリッ
飛ぶ雁から後続する雁の群れがひとつの集団を形成
トを築いた栄家は台湾や香港に逃れますが、大陸に
した時、域内での経済効用が最大化するという理論
ひとり残った同家の末裔栄毅仁氏は、文化大革命で
です。実現するためには、
反右派闘争の波に呑まれ辛酸を舐めます。しかし復
1)経済が隣接していること。
活後、鄧小平に中国経済再発展の方法を諮問された
2)経済段階が違うこと。
彼は、香港の親戚から意見書を入手、鄧小平に渡し
3)集団域内の生産要素が自由化されていること。
たと言われますが、そこで提案されていたのがまさ
この 3 つが条件だと言われます。その 3)を実現
に、香港対岸の深圳鎮に華僑工業区を建設すること
するため、中国は汎珠江デルタ内の人、モノ、カ
でした。直後に立案されるのが対香港・台湾同胞へ
ネの規制緩和と自由化を加速化させています。香
の加工貿易投資制度です。この制度の発展と共に膨
港・マカオ・広東自由合作化構想の真の意図は、自
大な華人資本が原材料や資部材、生産・経営ノウハ
由化による雁行形態論の理論実証であり、それに
ウと共に中国に流入します。広東省が上海を抜いて
よってこの拡大経済圏内に共同市場を形成、高い効
工業生産高で中国 1 位になるという事件が起きて中
用を実現し大規模経済圏を創造することなのです。
国全土を驚かせるのも時間の問題でした。華人経済
ここでは香港という華人経済と広東という中国経済
と中国が合体する歴史的なこの一瞬は後の中国の劇
の融合・同化がいよいよ実験化の域に入ってきま
的発展を既に保障するものだったと言えます(図 1)。
した。2008 年初頭には「香港・深圳メガロポリス
30 年近く経った現在、華人と中国の一体化の進
都市形成構想」も発表されました。2009 年 1 月に
展を強く感じさせる事件が多く発生していますが、
は、なんとそれを超える珠江デルタメガロポリス構
そのひとつが、2008 年 3 月国務院で発表された「香
想(珠三角州都会圏構想)も出てきました。そこには香
港がすっぽり入り同域内 GDP が 2020 年には東京、
ニューヨーク、ロンドンを超える予測までされてい
図1
中国と華人ネットワーク合体の一瞬
(栄毅仁の回想録
『栄家の血脈』
王曙光著)
(旧資本家)を動員し、中
• 1979年1月、鄧小平が「全国商工連盟」
党11期三中全会で改革開放決定)
。
国をどうするか諮問
(1978年秋、
•「栄毅仁」の在港親類智 (ジーチン)から提案。
• 内地に華僑投資工業区を設立。
• 具体的には広東省宝安県深 鎮。その後珠海、汕頭、厦門の4都
ます。
さらに台湾です。2008 年 7 月 4 日にはまたもや
重大な不連続事件が起きました。それが三通です。
これを待つまでもなく福建省では、
「海峡両岸経
市に設置。
済圏構想」ができ上がり、台湾と福建を包含する広
すべき」と鄧小平に注進(回想録)
。
域経済圏建設に向けて稼動していました。三通に
(広東省梅県出身)
「中国復活に華人ネットワークを活用
•「葉剣英」
•「華人ネットワーク」と中国が繋がる歴史的接点。
よってそれが一挙に加速化される公算です。さらに
2009-4&5
7
興味深いことは、香港と福建が一体化する構想で、
る華人財閥もいます。かような華人経営の特徴を知
当地では「閩港経済合作圏」と呼ばれて推進されて
ることで結果的には中国市場攻略のヒントを得るこ
いることです。これにより香港、福建、台湾が拡大
とになります。
三角州を形成して繋がることになります。これに広
東が加わることでさらに経済が拡大していくシナリ
4. 華人経済インフラの構造的特徴
オです。このように中国においては背後にあった華
華人経営のミクロ特徴中、事業ポートフォリオの
人経済の存在がきわめて整合性よく機能し、中国経
性格は興味を呼びます。改革開放から 30 年間に香
済の加速度的発展を後押しした事実が窺えるのです。
港という世界華人ネットワークの総コントロール装
置を通じて大陸に向かった海外直接投資額は累計で
3. 華人経営の特徴
5 千億ドルを超え、香港を通じた投資額は中国各都
中国の変貌の一端を担った華人経済。それは華人
市域内外シェアでもダントツにトップで、すべての
経営というミクロ組織体の集合体です。そのアナト
都市で 30%から 70%を占めています。製造業投資
ミー的特徴を捉えずしてマクロ機能を認識すること
が主流ではありながら、実は投資案件のトップが不
はできません。近視眼的に明らかになっている華人
動産やインフラ開発で住宅、商業施設、都市開発、
経営の特徴は、資金調達上の自己資本比率が格段に
港湾、空港、鉄道、高速道路、橋梁、発電所といっ
高いといった性格以外に、バラバラ事業を投資的視
た社会資本がきわめて大きな存在を占めています。
座で管理する多角経営と技術志向の製造業に特化す
そして対中外資投資で築かれた全中国の社会固定資
る非多角経営が並存し、かつまた所有は排他的な同
本の 47%までもが香港資本関連だという統計があり
族か世襲制で経営は国際的な人事活用、といった排
ます(図 2)。
他性と開放性の両輪を備えていることです。きわめ
て興味深い要素をふんだんに包含しており、米国と
華人財閥の特異な事業ポートフォリオに不動産、
インフラ開発が顕著な理由は歴史にその原因を探る
日本を足して割ったような第 3 の経営体とも言えま
しょうか。さらに、クワンシー(「関係」)という、人
と人の排他的かつ私的な繋がりが、資金や土地に匹
敵するほど重要な経営資産として機能し、それが中
国大陸に広範に注入されています。中国社会におい
てもクワンシー資産は必須であり、それを保有する
図2 拡大した香港の在中社会資本
中国進出日系企業数:2 万社
対中投資累積額
約 5 百億米ドル
中国進出香港企業数:12 万社
対中投資累積額
約 5 千億米ドル(世界 1 位)
華人経営は、外資企業の合間をぬって中国で高い利
ホンダ 日産
資金と考え、11 年目から莫大なリターンを獲得す
出所:tdctrade.com
特集 華人の動向
GM
上海
も言えません。10 年の損失は中国への寄付金か投
8
天津
VW
2005 年末
在中外資による
社会固定資本のうち
香港資本シェア
案件数:45.9%
総額:41.7%
短期利益志向が得意な一方、必ずしも短期ばかりと
長春
トヨタ
武漢
益を挙げています。深い人的繋がりの有無が経営を
左右するといっても過言ではありません。一般的に
VW
日産
ホンダ
広州
トヨタ
注:香 港・中 国・日本 間の
投資フロー、資源フロー、
モノ、カネ、人フロー
ことができます。明末清初以降、中国江南地域に宗
ジア華人共同市場」の出現です。これは中国大陸と
族経済と呼ばれる郷里空間を基盤とした高度な経済
東南アジアをひとつの経済圏と見立てる大掛かりな
社会圏が発祥してきます。最も著名なものに、現在
ものです。一国両制が消滅する 2047 年頃の中国の
広州日産が立地する同市北部の花都にかつて存在し
GDP は、60∼ 70 兆ドルに達すると HSBC が推定
た 40 万人の自治都市がありますが、それは清朝行
しています。
世界はがらりと変わっているでしょう。
政地図にも載らない独立地域でした。宗族経済は地
日本も新たな世界への調整が急務となってきたと思
縁血縁という華人ネットワークの根源的繋がりから
います。
成り立ち、都市基盤整備はすべて構成員、とりわけ
郷紳豪族等の寄付や慈善事業として社会資本インフ
図3
ラが建設されていました。現在、香港やシンガポー
ルといった東南アジア華人経済に顕著な BOT 形式
と呼ばれる民間によるインフラ整備は歴史的背景の
上に蓄積したものです。この伝統は今でも営々と続
き、政府負担が比較的小さくてすむのもそのせいと
言えます。この精神は中国各地にもおよび華人によ
るインフラ開発もたいへん膨大な規模に上ってい
ます(図 3、4)。
5. 華人・中国融合で起こる中華経済社会の未来
2008 年 12 月に香港と中国大陸間で「試点」と呼
ばれる実験区域で人民元による貿易決済が認可さ
れました。今回の試点地域は香港/広東・華東地
区、および広西チワン族自治区/ ASEAN 諸国間
で、今年中には実現するはずです。香港/中国以外
に ASEAN/中国間で人民元決済実現となると、い
よいよ華人と中国の融合具体化の到来といえるで
しょう。台湾もそう遠くないでしょう。その暁は香
港、台湾、東南アジアの変化ではなく、中国の華人
接近であり中華への回帰であると言えます。過去の
香港資本によるインフラ整備機能
(上海)
李嘉誠(長江実業):
上海徐匯華爾
登商場1、2、3期
上海梅龍鎮
上海浦東花木区
上海北京路西張家宅
呉光正(合徳豊):
大上海時代廣場
(北京、武漢、大連にも)
上海匯龍城
上海静安花園
上海九州大厦
上海合徳豊廣場
郭炳湘(新鴻基地産):
上海中環廣場
虹橋上海新城市廣場
鄭裕 (新世界集団)
新世界廣場
グループ会社:久光百貨店
李兆基(恒基兆業地産):
不夜城廣場
恒昌花園徐匯区
静安区延安西路
徐匯区宛平南路
静安区南京西路
港匯廣場徐匯区
閘北区恒豊路
羅瑞康(瑞安):新天地
その他上海開発を手がける
香港財閥系グループ
林百欣(麗新)、陳啓宗(恒隆)、
羅鷹石(鷹君)、利氏家族(希慎)
図4
香港資本による在中インフラ整備機能
(広東、
江南地区)
1. 胡応湘(合和実業):広深高速公路、沙角発電
:武漢長江二橋、珠江発電、恵深高速公路、
2. 鄭裕 (新世界集団)
恵澳高速公路、武漢空港公路
3. 李嘉誠(長江実業):汕頭海湾大橋(2,500m)、汕頭電力、珠
海電力、深汕高速公路東段(140km)
4. 呉光正(合徳豊):武漢コンテナ港、武昌漢口軽便鉄道、武漢
空港物流中心、寧波北侖コンテナ港、四川ケーブルTV
5. 李兆基(恒基兆業地産):北京恒基中心、広州各種地産
中華と違って、IT 通信や科学技術の進んだ洗練さ
6. 霍英東(霍英東集団):南沙経済開発区、南沙コンテナ港、虎
れた中華となりましょう。1980 年代に、既に華南
7. 郭炳湘(新鴻基地産): 北京王府井新東安市場、広州東安
経済圏の到来をはっきり予測した、香港大学名誉教
授エドワード・チェン博士の今ひとつの予測は「ア
門大橋、番禺大橋、番禺港、倉庫ターミナル
8. その他多勢の香港財閥:林百欣(麗新)、陳氏(恒隆)、羅鷹石
(鷹君)、羅旭瑞(百利保)、利氏(希慎)、その他
2009-4&5
9
転換期にある華人企業
東南アジアの事例を中心に
石里 宏(シニアコンサルタント) 齋藤 美穂子(研究員)
(株)
三菱総合研究所 海外事業研究センター
東南アジアは中国と地理的に近いこともあり、歴
東南アジアでは、国によって異なる対華人政策が
史的に多くの中国人の移住先となってきた。海外に
採られてきた。タイやフィリピンでは華人の自国民
在住している中国人を指す言葉として、
「華僑」や
化を奨励する同化政策を採用しており、タイでは住
「華人」が用いられているが、厳密な定義は存在せ
民権を取得するためにタイ語の名前を持つことを義
ず、中国国籍を有し中国国外で生活している人びと
務付けるなど、積極的に同化を推進してきた。フィ
を「華僑」と呼び、移住先の国籍を有している中国
リピンにおいても現地住民との結婚を通じて華人の
人を「華人」と呼ぶことが一般的である。本稿では、
同化が進んできた。他方、インドネシアやマレーシ
東南アジア諸国の経済に深く根付いている華人企業
アでは、華人の政治的、経済的影響力を最小化する
の動向について述べる。
ために華人の行動を規制する政策が歴史的に採用さ
れてきた。特にインドネシアでは漢字の使用が禁止
されたり、中国語学校が閉鎖されるなど、長年にわ
1. 東南アジアにおける華人
全世界の中国系人口(華僑・華人)は約 4,000 万人と
たり華人に対する差別政策が顕著であった。各国政
言われており、その約 8 割が東南アジアにおいて生
府による対華人政策の違いは、マレーシアやインド
活していると考えられている。東南アジア諸国連合
ネシアの旧宗主国である英国やオランダが円滑に植
(ASEAN)加盟国における華人の分布状況を見ると、
民地統治を行うため、植民地の住民を分断させるよ
インドネシア、タイ、マレーシアが最も多く、そ
うな分離政策を取った名残と考えられている。近年
れぞれインドネシア約 756 万人、タイ約 700 万人、
では、中国との経済関係が深まる中、中国系マレー
マレーシア約 618 万人となっている 1。他方、人口
シア人やインドネシア人が中国との架け橋としての
比で見ると、シンガポールの全人口に占める華人の
役割を担うことが期待されており、各国においてそ
割合は 6 割以上と ASEAN 諸国の中で最も高く、社
の存在感を増してきている。
会の大部分を中国系人口が構成している。インドネ
シアは、中国系人口自体は多いものの、全人口に占
2. 東南アジアにおける華人企業の動向
める割合は 3%程度と低い。
1)伝統的な華人企業経営の特徴
東南アジアにおける華人企業の典型的な企業経営
の特徴として、家族経営と多角経営の 2 点を挙げる
表1 ASEAN諸国における華人人口
(2005年)
華人人口
(単位:人)
国名
全人口
(単位:人)
人口比
ことができる。前者は中小企業や大企業を問わず、
インドネシア
7,566,200
219,142,000
3.45%
タイ
7,053,240
64,994,000
10.85%
ほとんどの華人企業に見られ、後者は主に大企業グ
ループに見られる傾向である。
マレーシア
6,187,400
26,207,000
23.61%
シンガポール
2,684,900
4,296,000
62.50%
ベトナム
1,263,570
83,156,000
1.52%
フィリピン
1,146,250
84,241,000
1.36%
家族経営の主な特徴は、企業の経営権と所有権を
ミャンマー
1,101,314
56,003,000
1.97%
カンボジア
同一のオーナーが有している点である。オーナーが
343,855
13,872,000
2.48%
ラオス
185,765
5,904,000
3.15%
社長を兼任し、家族のメンバーが重要なポストにつ
出所:台湾中華民国僑務委員会(OCAC)
、ASEAN事務局統計より作成。
10
特集 華人の動向
❶華人企業の家族経営の特徴
いて経営に参加することは多くの華人企業に共通し
ている。華人企業グループの場合、オーナーの家族
また、マレーシアの郭氏兄弟有限公司やタイの正大
が持ち株会社を通じてグループを支配していること
集団(シャロエンポカパン・グループ)のように、アグリ
が一般的である。
ビジネスからエネルギー、国際貿易まであらゆる分
このような特徴はすべての華人系中小企業に見ら
野に参入している華人企業グループもある。
れるが、インドネシアの林紹良一族が所有する三林
集団(サリム・グループ)、黄奕聡一族の金光集団(シナル・
アジア金融危機以降の華人企業の動向
2)
マス・グループ)
、李文正一族の力宝集団(リッポー・グルー
1997∼ 98 年のアジア金融危機をきっかけに、伝
プ)
、マレーシアの林梧桐一族の雲頂集団、郭鶴年
統的な華人企業の経営にいささか変化が見られるよ
一族の郭氏兄弟有限公司、タイの謝易初一族の正大
うになった。このような変化は、家族経営に対する
集団、鄭午楼一族の京華銀行、フィリピンの陳永裁
近代的な経営理念の導入及び既存の多角経営に対す
一族の陳永裁財団、鄭周敏一族のアジア世界(国際)
る選択と集中を通じた調整という 2 点に反映されて
集団などは典型的な家族経営グループの例である。
いる。また、中国の WTO 加盟を背景に、中国と
❷華人企業グループの多角経営の特徴
の経済関係を強化する傾向も見られる。
近年、華人企業の経営の多角化が進んでおり、華
❶家族経営に対する近代的な経営理念の導入
人企業グループのほとんどが複数分野の経営に乗り
タイの鄭午楼が所有・経営している京華銀行集団
出している。これには、創業者のカリスマ性と決断
は、東南アジア金融危機までの長い間、借款供与の
力により素早く意思決定が行われ、新事業への進出
対象を主に一族の親戚や友人に限定していたが、金
がたやすいという背景がある。
融危機を背景に、
回収不能の不良債権が山積となり、
表 2 に見るように、前述した華人企業グループは
政府の買収と救済に頼ることとなった。このような
すべて不動産及び金融業を経営しているが、アグリ
教訓から、一部の華人企業は従来の血縁・友情重視
ビジネスや養殖業、
ホテル業に進出したものも多い。
の経営方針から経済原則を重視した経営方針への転
表2 東南アジア主要華人企業グループ
グループ名
三林集団
(Salim Group)
創業者
林紹良
(1915年∼)
所在国
インドネシア
経営分野
工業、不動産、金融、ホテル
金光集団
(Sinar Mas Group)
黄奕聡
(1923年∼)
インドネシア
不動産、電機・電器製造、製紙、洗剤、ベンチャーキャピタル投資
力宝集団
(Lippo Group)
李文正
(1929年∼)
インドネシア
金融
(銀行・保険・証券)
、エネルギー・交通インフラ、観光施設、不動産
雲頂集団
(Genting Group)
林梧桐
(1918∼2007年) マレーシア
建設、カジノ、観光施設、海運、プランテーション、発電所、製紙
郭鶴年
(1923年∼)
マレーシア
サトウキビプランテーション、製糖、製粉、動物飼養、石油・鉱産開発、金
融、ホテル、不動産、国際貿易、海運、出版
林金煌
(1951年∼)
マレーシア
家具、鋼材、不動産、金融
タイ
農産物加工、養殖、肉類加工、水産、石油化学、電気通信、自動車製造、
不動産、小売、国際貿易
郭氏兄弟有限公司
(Kuok Brothers Sdn Bhd)
双木有限公司集団
正大集団
謝易初
(Charoen Pokapang Group)
京華銀行集団
鄭午楼
(1913年∼)
タイ
金融、不動産、商業、教育
陳永裁財団
陳永裁
フィリピン
タバコ、飼料、養豚、金融、ホテル、航空、不動産
アジア世界
(国際)集団
鄭周敏
フィリピン
金融、土地開発、不動産、商業、工業、養殖、観光
出典:各種中国語新聞記事より作成。
2009-4&5
11
換の必要性を痛感し、銀行経営における近代的な経
営理念を導入し始めた。
タイの正大集団の謝国民総裁が打ち出した対策
は、非主流分野の二輪車、石油化学、小売、通信な
もっとも、所有者と経営者の一体化を特徴とする
どの業務からの撤退と、主流分野である農産物加工
家族経営を短期間に近代的な経営体制に変更するこ
業務の強化である。具体的には、中国で生産拠点を
とは困難であり、現時点では、多くの華人企業では
設置した「易初二輪車」
、
「易初通用機器」
、
「洛陽易
所有者と経営者の分離が実現していないが、従来の
、
「湛江徳利氏器」
、
「上海ビール」などの
初二輪車」
閉鎖的な経営スタイルを徐々に変え、他企業との提
生産企業の株式を売却すると同時に、長い間赤字を
携や合弁事業の設立を前向きに推進する動きが強
続けた「亜太石化」という傘下企業の生産拠点を閉
まっている。
鎖した。
また、アジア金融危機以降、華人企業間の提携や
一方、インドネシアの三林集団は、その海外本部
華人商会などの組織の設立などが新しい動きとして
である香港第一太平集団を通じて、1997 年末から
注目されており、2000 年にタイで設立された華人
多くの不良債権を売却、処理すると共に、インドネ
青年商会はその一例である。同商会の李桂雄会長に
シア国内のインドフードなどを買収し、グループの
よると、商会設立の趣旨は、会員のタイ社会への融
純資産の総額を以前の 21 億ドルから 30 億ドルへと
合、華人社会における優秀な人材の育成、会員間の
大幅に増加させた。
助け合い、そしてビジネスチャンスの拡大と有効活
用にある。
さらに、マレーシアの郭氏兄弟有限公司もグルー
プ内の資産再編の一環として、その傘下のシャング
こうした華人企業間の提携のみならず、東南アジ
リラ・アジア公司にシンガポール、マレーシア、タ
ア地域における地域連合の動きにも華人企業の姿が
イに上場したシャングリラ・ホテルの株式を買収さ
見られる。タイ南部地域とインドネシアのスマトラ
せ、グループ内のすべてのホテル業務を同社に集中
北部アチェ地域及びマレーシアの一部を含めたいわ
し、これにより、同社を 36 のホテルを擁する地域
ゆる「北部成長デルタ」
、タイの北部、ラオスの西部、
的な大手ホテルグループに築き上げた。
ミャンマーの東部と中国の雲南省を含めたいわゆる
「黄金四角区」
、及びタイ、中国、ラオス、ミャンマー、
カンボジア、ベトナムからなる「メコン川流域協力
区」などへの華人企業の積極的な参入が指摘されて
3. 主要各国における華人企業の状況
インドネシアの華人企業
1)
インドネシアで影響力のある有名な華人企業は、
いる 。
表 2 に示した 3 つの企業グループに加え、蔡道行一
❷既存ビジネス分野に対する選択と集中の調整
族の塩倉集団(タバコなど)、林文光一族の金鋒集団(不
2
東南アジア金融危機の勃発がこれまで多角経営を
動産、金融、飲食)
、黄維源一族の与針集団(金融、建設、
進めてきた華人企業グループに大きなダメージを与
通信)
、林天宝一族のサンブナ集団(タバコなど)、彭雲
えたことから、多くの華人企業グループが不良債権
鵬一族のバリト太平洋集団(建設、不動産など)が挙げ
の処理や赤字分野、成長が見込めない分野からの撤
られる。これらのグループの創業者のほとんどは中
退などの対策を講じている。
国福建省からの移民であり、その多くは第 2 世代へ
12
特集 華人の動向
の権力移行を達成している。たとえば、三林集団
歳という高齢で亡くなる 4 年前の 2003 年にビジネ
では、アジア金融危機の発生前から創業者の林紹
ス業界から引退し、グループの支配権を息子の林国
良(Soedono Salim)が総裁のポストを息子の Anthony
泰に引き渡している。
Salim に継承させた。同様に、金光集団においても
一方、郭氏兄弟有限公司の郭鶴年も祖先は福建
創業者の黄奕聡から息子の黄志源へ総裁のポストが
省からの移民であったが、本人は 1923 年にマレー
移譲された。
シアに生まれた。24 歳の時、最初の会社を設立し、
インドネシアでは、華人企業がインドネシア経
貿易や海運のブローカー業務と雑貨業を経営した
済の 80%を支配していると言われることがあるが、
が、その後兄弟と共同出資して郭氏兄弟有限公司を
中国廈門大学南洋研究所の蔡仁龍教授は、インドネ
創設し、経営分野を米、小麦粉、豆、砂糖などに拡
シア国内における華人大企業経営者(オーナー)は約
大、1959 年に国内最初の製糖工場を設置した。
170 人、中型華人企業経営者は約 5,000 人であり、
1970 年代初頭には、当時の国際砂糖市場の 10%
インドネシア経済社会における重要な存在となって
のシェアを獲得し、
「アジアの砂糖王」と呼ばれる
いることは間違いないが、一般的な認識で言われて
までに成長した。同時に、郭氏はシンガポールにお
いるほどの影響力は持っていないと指摘している。
けるシャングリラ・ホテルの設立を皮切りに、国際
蔡教授は、インドネシアの経済の 50%は国有企
ホテル業界に進出し、マレーシア、タイ、香港、フィ
業によって占められており、残りの 50%から外資
ジー、韓国、フィリピン、中国に相次いでシャング
や農業分野などを除くと、私営企業が占める割合は
リラ・ホテルを設立、
「シャングリラ」を国際的に
23%程度、そのうち華人企業が占める割合は 10%
認知度の高いホテル・ブランドに育て上げ、本人も
程度であり、経済の大半を占める規模ではないと主
東南アジアの
「ホテル王」
と呼ばれるようになった。
張している。
林梧桐や郭鶴年のような伝統的な華人家族企業創
業者よりほぼ一世代若く、近年ビジネス業界で注目
マレーシアの華人企業
2)
マレーシアの主要華人企業の創業者も、福建省出
を集めている中堅のマレーシア華人企業家もいる。
その例として挙げられるのは双木有限公司集団の
身または福建省からの移民の子孫であることが多い。
林金煌総裁である。林氏は 1951 年にマレーシアで
前述した雲頂集団の林梧桐は 1918 年に福建省に
生まれた福建省移民の子孫であり、19 歳で家具屋
生まれ、19 歳の時にマレーシアに移住、建設関係
の経営を始め、26 歳の時、弾力マットの製造会社
の仕事や屑鉄の収集、行商などを行い、その後 20
を立ち上げた。1990 年代の前半に一旦ステンレス
年間のうちに、マレーシア全土の大規模な建設事業
鋼材・鋼管製造分野にも進出したが、その優れた洞
などで富を蓄えていった。1969 年にはマレーシア
察力により、アジア金融危機の直前にこの分野から
政府から唯一のカジノ営業許可を与えられ、東南ア
の撤退を決断し、現在、主に弾力マットと電器の製
ジアにおける先駆的な実業家となり、2006 年度の
造及び金融と不動産分野へ経営資源を集中してい
Forbes による世界長者番付発表では、総合第 92 位
る。林氏は中国に進出し、天津と上海において弾力
にランクされた。林梧桐は 2007 年 10 月 23 日に 90
マットの合弁生産を行うと同時に、江蘇省江陰市の
2009-4&5
13
経済顧問を務めている。一世代前の華人家族企業と
れ以来、謝氏は、農産物加工、養殖、肉類加工、水
比較し、林氏の企業グループの取締役会には家族メ
産、石油化学、電気通信、自動車製造(二輪車を含む)、
ンバーのほか、国家投資会社の代表やハイレベルの
不動産、小売、国際貿易など幅広い分野に進出し、
教育を受けた優秀な経営人材が多く起用され、近代
1990 年代後半の金融危機勃発直前の傘下企業は
的な経営管理制度が導入されていることからも異色
400 社以上に達した。ところが、その後発生した金
の存在となっている。
融危機に大きなダメージを受けた結果、謝氏は多く
の分野からの撤退を余儀なくされ、本業のアグリビ
タイの華人企業
3)
ジネスへの回帰という戦略転換を決断した。
同時に、
福建省生まれまたは福建省からの移民の子孫であ
謝氏は他の華人企業との戦略的な提携関係の構築を
るインドネシアやマレーシアの華人企業の創業者と
図った。すなわち、本業回帰の力点は潜在力の大き
異なり、タイの華人企業の創業者は主に広東省の汕
い中国のアグリビジネス市場に置くべきであり、こ
頭(スワートー)地域(または潮汕地域)の出身者または汕
の市場のさらなる開拓を実現するためには、正大集
頭移民の子孫が多い。そのため、タイの華人社会、
団 1 社の力では足りないという判断から、謝氏はタ
とりわけビジネス業界では汕頭系華人企業が支配的
イ華人企業 10 社との提携により中国市場に共同で
となっており、現在でも汕頭語が華人企業間のやり
投資を進めようとしているところである。
取りにおいて重要な役割を果たしている。
歴史的に華人に対して差別的な政策が実施されて
以上、主要各国における華人企業の現状に対する
きたインドネシアやマレーシアと比べ、華人に対
考察から、華人企業の多くが依然として伝統的な家
してはるかに寛容的であったタイの経済社会にお
族経営のパターンに固執しながらも、世代交代を背
ける華人企業の地位は一段と高いと言える。ある
景に近代的な経営理念を徐々に導入し始めているこ
日本の研究者によると、1996 年の東南アジア各国
と、金融危機の衝撃により従来の多角経営から選択
時価総額上位 30 社の上場企業のうち、タイ企業は
と集中の経営戦略への転換が進行していることを明
7 社あり、そのうち華人企業 3 社の時価総額は合計
らかにした。また、中国の持続的な経済成長に伴う
222.51 億ドルであった 。これに対し、タイ政府と
中国市場の拡大に鑑みて、華人企業は中国との文化
皇室が支配していたその他 4 社の上場企業の時価総
的な繋がりを利用し、中国ビジネスへの参入を強化
額は 217.98 億ドルに留まったことから、ある一時
しようとする動きも見られる。今後の華人企業の動
点では華人資本の総額が政府と皇室の資本総額を上
向を把握するためには、これら 3 つの傾向に注目す
回ったことが明らかになっている。
る必要がある。
3
タイにおける華人企業グループの中で、タイと中
国の両国においてプレゼンスが高いのは、謝国民が
総裁を務める正大集団である。同グループの創業者
は汕頭から移住した謝易初であり、その四男の謝国
民が総裁の座に就いたのは 1968 年の頃である。そ
14
特集 華人の動向
1 台湾中華民国僑務委員会(OCAC)統計。
「タイにおける華人の経済状況と
2 朱芳(中国広東省曁南大学経済学院)
その発展趨勢」
(http://yunnan.stis.cn/html/xnjw/dmkjjj/20041101/
277207.html)。
(上)
(中国語雑誌『南洋
3 岩崎育夫『東南アジアの華人資本と国民経済』
資料訳叢』1999年第1期より)
。
マレーシアにおける華人企業の動向
山田 正孝
(株)
間組 マレーシア営業所 所長
マレーシアの華人
マレーシアは多民族、イスラム教を国教とする立
華人企業
東南アジアにおける華僑・華人の活躍はきら星の
憲君主制の国家です。2008 年時点の総人口は 2,700
ごとく輝いています。裸一貫で小さな商売を始め、
万人を数え、人種構成はマレー系 62%、中国系
その才覚と人間関係を生かして、一代でコングロマ
23%、インド系 7%、その他 8%となっています。
リットを形成していくサクセスストーリーは、経済
アジア通貨危機後の 1998 年を除き、過去 20 年
間、経済は安定的に成長しており、経済の優等生と
の評価を受けています。
マレーシアの経済発展に大きな貢献をもたらし
的な閉塞感に満ちた今日において、まるで夢物語の
ようです。
マレーシアを起点あるいは拠点に今も繁栄する華
人企業として、
クォックブラザーズ(砂糖、小麦、ホテル)、
たのは華人であると言われています。もともとイギ
ゲンティン(カジノ)、ホンリョン(製造、金融)、パブリッ
リスの植民地時代に錫鉱山、ゴム園の開発に多くの
ベルジャヤ(不動産)、
ライオン(鉄鋼)、
ク・バンク(金融)、
労働力が必要とされたことから、中国人労働者が流
YTL(発電、セメント)が挙げられます。いずれも創業
入してきました。その後 20 世紀前半の中国の混乱
者あるいはその後継者が 2008 年 Forbes のマレーシ
期に本国から脱出した人びとが移住してきました。
ア長者番付の上位にランキングされています。特徴
この時期の中国人移民を一般に華僑と呼び、現在居
として、創業時の商売に留まらず、蓄積した資本を
住国に国籍を持つ中国系の人たちを華人と呼んで
不動産、金融等に投資し、ビジネスを多角化してい
います。
くことが挙げられます。物づくりを重視し、技術革
マレーシアが独立した 1957 年時点ではマレー系
と中国系の人口は拮抗しており、経済を握った中国
系と、相対的に怠惰と言われるマレー系の間に所得
格差が生じ、後の人種間紛争に繋がりました。
新を通じてマーケットのシェアを大きくしていく日
本企業とは対極にあるように感じられます。
今日、企業の拡大に伴って、華人企業の構造も変
わりつつあります。大きなビジネスへの参入は大き
独立当初民族融和を唱えていたマレーシア政府
な資金を必要としますので、多くの企業は株式を上
も、1970 年にマレー人を支援・優遇するブミプト
場することにより市場から資金調達を行っていま
ラ政策を打ち出し、今日に至るまで国政の根本施策
す。そこでマレー資本、特に政府系投資会社や年金
としています。
基金からの投資を受け入れ、マレー人との共存が図
いろいろな場面でブミプトラ政策を意識せざるを
られているかたちになっています。また華人企業に
得ないマレーシアの華人たちですが、実際にはとて
おける実質的な経営権は、欧米等の大学で経営学
も闊達で、ハンディキャップを気にしている様子は
や金融を学んだ 2 代目に移っており、株式上場した
ありません。逆にこの制度があるが故に、マレーシ
ホールディング会社の傘下に、多角化の中で生まれ
アにおける華人の存在が保証されているのだとも言
たいくつかの専門企業がぶら下がるといった企業構
えます。ブミプトラ政策と折り合いをつけ、創意工
造が一般的になっています。しかし企業の近代性と
夫を凝らして努力する華人ビジネスマンの姿は評価
いう仮面の下では、華人の世界的なネットワークに
に値するものです。
よる情報の収集により、一国のリスクを分散する華
2009-4&5
15
僑の危機管理は今も厳然として受け継がれているよ
うに感じます。
いう彼らの自負が前提にあったように思います。
株式市場一部に上場している建設会社を見てみま
すと、2007 年売上高トップ 10 のうち 6 社が華人系
企業です。
華人の建設業者
建設業に目を向けると華人企業の勃興は 1970 年
売上高を単純に現在の為替レートで換算しますと
代に遡ると考えられます。もともと家族あるいは
さほど大きくないようにも見えますが、日本とマ
同郷人同士で零細な土建業を営んでいたものが、
レーシアの経済規模(日本は GDP 比較でマレーシアの 30 倍
1970 年代に始まった政府の道路・ダム等の社会資
超)を考慮すれば、当国においてはいずれも大企業
本の整備を通して、国家発展の一翼を担う産業とし
です。
て成長を始めました。もちろんその当時は技術力に
乏しかったため、大型の国際入札案件においては、
日本企業をはじめとする外国企業への労務提供が中
多角経営
華人企業の特徴として第一に挙げられるのは、経
営の多角化ということです。極端な例が華人系最
心でした。
1976 年に発表された第 3 次マレーシアプランで
大手である YTL Corp です。2007 年の総売上高に
は道路、港湾、空港、電力、上水道、住宅の整備に
対する建設の比率は 2.6% しかありません。同社の
重点が置かれ、1980 年頃には活発化した民間部門
主力事業は発電(対総売上高比 63.2%)、セメント製造・
の開発や設備投資とも相俟って市場の拡大と共に
販売(同 19.7%)であり、その意味ではもはやコント
成長を遂げました。1983 年に華人系の建設会社で
ラクターではありません。マレーシアの市場規模と
構成されていた Master Builders Association がイ
1980 年代のリセッションを通じ、建設だけでは食
ホープカ第 20 回大会のホストをクアラルンプール
べていけないという危機感が経営者を上流のビジネ
で立派に務めたのも、もはや下請けに甘んじないと
スに向かわせたのではないか、と思います。現在同
社は上記事業の他に、首都の中心部に大型の商業施
設やファイブスターのホテルを所有し、またクアラ
2007年売上高トップ10の上場建設会社
順位
会社名
(◎が華人系)
ルンプール国際空港とクアラルンプール中央駅を結
1位
UEM World Bhd
6,978.67
2位
YTL Corporation Bhd ◎
ぶ専用電車のコンセッションを得て、安定した経営
6,015.38
3位
WCT Bhd ◎
2,781.38
を行っています。
4位
UEM Builders Bhd
2,440.50
5 位の IJM Corp も多角化が進んでいる企業で
5位
IJM Corporation Bhd ◎
2,311.23
6位
Sunway Holdings Bhd ◎
1,896.54
す。建設、不動産、建設資材の製造、プランテー
7位
Gamuda Bhd ◎
1,516.36
8位
Ranhill Bhd
1,470.41
と標榜し、建設の総売上高に対する比率は 39%と
9位
Muhhibbah Engineering
(M)Bhd ◎
1,411.53
なっています。この会社は 26 年前の 1983 年、当
10位
Malaysian Resources
Corporation Bhd
903.70
時建設市場を席巻していた外国の建設会社に対抗し
出展:Stock Performance Guide Malaysia
16
売上高
(単位:百万リンギ)
特集 華人の動向
ション、コンセッション、投資の 6 分野を主力事業
て、現地の 3 社が合併して誕生した会社ですが、四
半世紀の間に企業買収を繰り返し、現在のビジネ
額はその約半分、全体受注額から見ると 3 分の 1 を
スを構成するに至りました。昨年は同規模の Road
占めたことになります。原因は中東における爆発的
Builder を買収し、2008 年の総売上高は 4,637.20
な建設ブームです。売上 3 位の WCT は、2008 年
百万リンギと前年度のほぼ 2 倍となり、UEM に続
において総売上の 59%を湾岸諸国における建設が
く 2 番手の会社になりました。収益的には、2008
占めました。華人系企業が中東やインドに進出する
年は資材の高騰により建設部門の収益率が落ちる
に当たっては、華人が同じ国民として、マレー人(モ
中、プランテーションが稼ぎ頭となり、多角化が奏
スリム)やインド人のコネクションを上手に利用して
効しました。
いるようです。
その他の華人系企業においては、総売上に対する
マレーシアの華人企業の興味深い点を挙げるなら
建設の比率は概ね 6 割から 8 割といったところです
ば、過去の少数の例外を除いて、本土中国での受注
が、不動産開発をはじめ、水道事業や有料道路のコ
が少ないことです。中国人に対する華人の感情は、
ンセッションに事業を拡大して、安定的な収益構造
日本人として理解が難しいところですが、現在のマ
を求めていく傾向は同じで、大きな国内建設市場を
レーシア華人にとって、中国は旅行するところであ
持つ日本の建設業者とは違った方向に進んでいます。
り、もはや錦を飾る故郷ではないと考えられます。
また英国の契約制度に慣れたマレーシアの華人は
海外進出
中国人とのビジネスは難しいとも言っています。
国内市場規模の限界は海外に活路を見出すとい
う方向にも繋がっています。下の表は 2003 年から
今後の展望
2007 年までのマレーシアの建設会社の海外受注額
2008 年各社のアニュアルレポートを見ますと、
を集計したものです。
海外工事を主体とした手持ち工事量が潤沢にあり、
数字にはマレー系の建設会社の受注額も含まれて
2009 年の業況見通しは安定的と予想しています。
いますが、
同じ傾向が華人企業にも当てはまります。
しかしながら米国のサブプライムショックを契機
これを見ると 2005 年から飛躍的に受注が拡大して
にした世界不況は、ここマレーシアにおいてもその
います。2006 年に至ってはマレーシア国内の総受
実体経済に重くのしかかっています。またマレーシ
注額が 58,955.65 百万リンギでしたので、海外受注
アの華人企業が足を踏み込んだ中東のインフラ、不
動産開発は急激な減速を迎えています。
マレーシア建設業者の海外受注額
(単位:百万リンギ)
ASEAN
2006年
2007年
今後、華人系企業の成長戦略は、進出国企業との
2003年
2004年
2005年
233.99
127.52
217.30
4,401.30
607.76
提携により自国で学習したコンセッション事業を海
インド
659.14
202.37
3,036.98
1,575.92
2,820.00
外に展開することにあるように予想します。マレー
中東
629.28
506.44
4,865.18 22,653.43
8,905.62
アフリカ
173.83
2,007.00
1,004.02
0.00
0.00
シアは英連邦の一角をなす国家で、歴史的に道路、
その他
2,037.74
43.48
448.13
1,368.42
2,091.56
水道、発電等のインフラ事業を民間が担う英国型の
合計
3,733.98
2,886.81
9,571.61 29,999.07 14,424.94
ビジネスモデルを踏襲しています。既に IJM はイ
出展:Construction Statistical Bulletin, Construction Industry
Development Board
ンドで有料道路のコンセッションを、Gamuda は
2009-4&5
17
ベトナムで住宅開発を、Muhibbah はカンボジアで
シアの華人は、経済の波を乗り越えてビジネスを発
空港運営を開始しています。その語学能力と民族的
展させていくものと思われます。
な歴史から国境を越えることに抵抗の少ないマレー
18
特集 華人の動向
海外生活便り
知られているシンガポール・
知られざるシンガポール
新保 治男
東急建設
(株)国際部 シンガポール事務所
“衣食環境”を見ても◎で、よく言われる海外駐在員赴
任地人気のベスト5の常連国です。 治安(犯罪発生率は日
1. 知られているシンガポール
本より低い)・教育(小中高日本人学校+インターナショナルス
シンガポール基礎知識
1)
クールが充実、ただし大学は3校のみ)・医療(日本人クリニッ
国名:シンガポール共和国
クも多数あり最新設備の公私大型病院も完備)・交通(鉄道・バ
略史:1959年英国より自治権獲得、1963年マレー連邦
スの公共施設が安くて充実、タクシーは初乗り190円で市内何処
加盟、1965年独立
でも拾える)・通信(最新高速ITインフラが完備)とも政府の
面積:約700km (東京23区とほぼ同じ)
生活環境への対応が迅速・的確で生活をしていて「何か
総 人 口 : 約 4 8 4 万人(シンガポール人・316万人、
不安」を感じることはほとんどありません。
2
永住権保有者・48万人、非居住者・120万人、2008年6月現在)
シンガポールは政府・治安当局の「規制」
「罰金」での
政体:立憲共和制
管理国家という声を聞くことがありますが、在星 12 年
元首:大統領
のあいだ仕事・家族からのプレッシャーはあっても、生
議会:一院制(84議席)
活環境で利便さは感じてもプレッシャーを感じたことは
政府:首相リー・シェンロン
ほとんどありません。
人口対比民族別比率:中国人・ 7 5 %、マレー人・
14%、インド人・9%、その他・2%
国語:マレー語、公用語:英語・中国語・マレー語・タ
ミール語
2. 知られざるシンガポール
シンガポール基礎知識
1)
面積:
1997年の国土面積は約648km2、ということは国土面
シンガポール生活事情
2)
積が10年間で約1割(渋谷区面積の約3.5倍)も増えており
衣:
今後も埋め立て工事を推進していく国家政策を前面に出
BSワールド・ウェザー・リポートでもご承知のとおり
しています。シンガポールは毎年増殖しています。
天候は1年を通じて最高気温32∼34℃、最低気温23∼
人口:
25℃、毎日、天気予報は「晴れところにより雨」で雨
1990年には総人口305万人(シンガポール人・262万人、
が降った地域が“ところ”になります。よって生活衣料
永住権保有者・11万人、非居住者・22万人)で20年のあいだ
費は低値安定です。
にシンガポール人が20%以上増加しているのは驚きで
食:
す。その大部分の増加は永住権保有者のシンガポール国
俗に言う「グルメ天国」でグレード順に キャンティー
籍取得です。2008年統計では総人口の3人にひとりは
ン(公共建物に併設のストール型、古い連続型低層住宅に併設の
シンガポール人ではありません。
ショップハウス型)→ フードコート(ショッピングモール等に
元首:
併設のストール型)→ レストランとなり何処でもリーズナ
現大統領は第 6 代 S.R. ナザン大統領、よって“シンガ
ブルな価格で美味しいものが食べられます。もちろん、
ポール建国の祖”リー・クヮンユー元首相ももちろん元
多民族国家ゆえあらゆる種類のレストランがピンからキ
首ではありませんでした。
リまで勢ぞろいです。ただご時勢か、情報誌によると高
議会・政府:
級料理レストランへ行く日本人が激減とか……。
一院制で議会議席は84議席、現在の議席配分は与党・
住:
人民行動党(PAP)82議席、野党・民主同盟1議席、労
2009-4&5
19
働党1議席で与党が98%を占める自由民主主義の国の中
(GDP)は3万4,153米ドルでアジア1位、ちなみに日
でも例のない“完全安定内政”が建国以来40年以上も
本は3万4,023米ドルでした。さすがなところは、た
継続しています。
だちにリー・クヮンユー顧問相が、ひとり当たり国
ちなみに 2008 年大統領の年俸は 387 万シンガポール
民総生産の押上げは国民の35%を占めるシンガポー
ドル(約 2 億 7 千万円)、首相、376 万シンガポールドル(2
ル人以外の特に高収入外国人によるところが大きい
億 6 千万)
でシンガポール首相の年俸が米国大統領の 5 倍、
とメッセージを出したことです(IMF・2007年調査)。
日本首相の 8 倍と報じられ話題になりました。
国語:英語でなくてマレー語、よって“国歌はマレー
語”です。
*2008年コンテナ貨物取扱量世界1位、2位上海、3位
香港(シートレード・2008年調査)。
*刑罰:特に麻薬使用・所持は厳しく規制しており種類
及び所持量によって厳罰が処されます。アヘンは15g
2)シンガポール生活事情
以上の“所持で死刑”です。また禁固・罰金に合わ
食:「グルメ天国」の由縁は
せて“鞭打ち刑”があります。ただしご安心くださ
*公共建物(URA・HDP所有)に入っているフードコー
い、女性及び50歳以上の男性には適用されません。
トのストール販売の食物・飲物には「国の販売上限
価格」がありません。ちなみにヌードルは内容によ
シンガポールは小さな国ですが、活力・躍動感を感じ
り3∼3.50ドル以下、コーヒーは70℃以下で販売しな
る国です。100 年に一度と言われている金融・経済危機
ければなりません。建設市場の入札同様“安値”を
にも、リー・シェンロン首相率いる政府が、今年 1 月に
求めた激戦・過当競争が繰り広げられています。
(緊急追加予算 205
5 項目からなる「元気回復パッケージ」
*面目躍如、「世界トップ100レストラン2007」に3軒
億シンガポールドル)の施行を直ちに実施し、経済成長・
ものレストランが選ばれました。残念ながら日本か
企業業績へのインパクトを最小限に止めようと努力して
らは0軒でした(英国雑誌Restaurant・2007年調査)。
います。そして首相公式メッセージにて国民にその必要
住・その他:ご参考まで
性・緊急性・詳細を分かりやすく説明し、国・政府だけ
*携帯電話所有率130%は世界一(ニールセン社・2008年
の対応ではこの危機を短期間に乗り切ることができない
調査)。
*企業が投資したい国は中国・米国・インドの大国につ
ぎ世界4位(KPMG/2008年10月調査)。
こと、少なからず国民生活にマイナス・インパクトが生
じることなどを明快に説明しています。
とは言えすべてが順風満帆なわけではなく、多国籍・
*世界汚職度調査世界4位・アジア1位、ちなみに日本は
多言語・多宗教・多文化そして国際競争に負けないため
世界18位・アジア3位(汚職監視団体TI・2008年調査)。
に推進している人口増加政策により生じてきた国籍者数・
*国際会議開催地ランク世界1位、アジアで開催された
非国籍者数のアンバランス、また小国がために受けやす
国際会議の23%がシンガポールで開催されました(国
い海外経済動向のインパクト等にどう対応していくのか、
際団体連合UIA/2007年度調査)。
今後とも政府がリーダーシップとアクションを迅速かつ
*街頭デモを2008年8月に初めて一部を許可、自由民
明快に示し「企業人として仕事を続けていける国、国の
主主義の集団意思表示の根幹とも言うべき集会・デ
発展を今後も期待できる国」
となることを願っています。
モが去年までできませんでした(街頭での5人以上の政治
集会・デモを警察許可制として事実上禁止していた)。
* 2007 年シンガポール名目ひとり当たり国民総生産
20
海外生活便り
3. シンガポール建設市場について
最後になりますが、
「シンガポール建設市場」につい
て現況と今後について触れたいと思います。
17 億∼ 19 億シンガポールドル(約 25%増)としています
2006 年から経済成長の伸びに後押しされ、建設市場
が、民間工事需要は 5 億∼ 9 億シンガポールドルと前年
も活況を呈してきました。 2006 年後半には最初のカジ
比 65%の大幅な減少の予想となっています。また向こ
ノ案件が動き出し、翌年第 2 カジノ開発業者が決定し、
う 2、3 年の建設需要は 2009 年と同等との見解を示し
併せて多数の新規大型ショッピングモール、既存商業施
ています。今後の建設市場推移は過去に受注した大型案
設・ホテルの大規模改修工事と建設投資市場は、年々
件が 2010 年半ばまで継続することから、他産業に比較
加熱気味となり、2007 年には過去最高の年間 23.5 億シ
し急激な落ち込みは避けられるのではと見られています。
ンガポールドル(約 1 兆 9,000 億円)、さらに昨年はリーマ
シンガポールの建設市場(受注高)は日系ゼネコンに
ン・ショックの 9 月以降やや失速しましたが、それでも
とって非常に重要な市場であり、2003 年度米国に受注
34.6 億シンガポールドル(約 2 兆 600 億円)と過去最高を
高を越されるまでは 10 年間以上最高受注高を継続して
更新する受注金額となりました。
きた歴史があります。過去 3 年を見ても 2006 年度 1,500
2005 年の年間受注額 11.4 億シンガポールドルが 2 年
億円(4 位)、2007 年度 3,450 億(1 位)、2008 年度 2,320
後の 2007 年には 2 倍、3 年後には 3 倍以上と本来市場
億円と日系ゼネコンにとって主要な建設市場でありま
許容範囲をはるかに超えた伸びとなったことが、慢性的
す。またシンガポール建設市場にとっても日系ゼネコン
な建設エンジニア・労働力不足(基本的に海外労働力に依存)
は貴重な市場牽引者であり、信頼されるパートナーであ
に拍車をかけ、給料・人件費がこれも想像を絶する高騰
ると確信しています。
を招き、建設コスト上昇・プロジェクト利益を圧迫する
今後共シンガポール建設市場でわれわれ日系ゼネコン
結果となりました。2、3 年内に受注量を 2 倍、3 倍にで
がよき競争相手となり、相互信頼のもとさらなる建設市
きるゼネコン・サブコンは限定されているにもかかわら
場の向上・発展に少しでも寄与できればと願っています。
ず市場投資が先行したこと、そんな中で起きた 2007 年
2 月の「インドネシア砂禁輸政策」でシンガポール国内
まとめとして、天然資源がなく内需産業も政府アク
での「砂」確保が完全にできなくなり、監督官庁主導で
ション・プランに後押しされているとは言え、限定的な
調整に入ったにもかかわらず 3 月にはコンクリート価格
環境の中、金融・バイオテクノ・流通・空港ハブ計画を
が 3 倍以上、左官用砂価格も 3 倍となったことは建設エ
推進しながら去年は F1 を誘致、今年からはカジノを含
ンジニア・労働力不足と共にシンガポール建設市場・組
めたレジャー・教育メディアハブの展開を計画実施して
織基盤の問題点を浮き彫りにして、将来の健全市場構築
います。10 年、20 年先を見据えシンガポールの新たな
への警鐘になったのではないかと考えています。
国際的価値を見つけ、さらに高めようとする国の姿勢は
もちろん、未曾有の経済危機の中、シンガポール建設
市場も昨年末以来大きな停滞が見られています。 シン
厳しさを増す国際競争の中で、将来きっと確固たる位置
を確保する国になると確信しています。
ガポール政府建設庁は 2009 年建設需要を前年比 30%前
22 年間を超える海外勤務の中でその半分以上を過ご
後減の 22 億∼ 28 億シンガポールドルと予想し、政府政
したシンガポールが、今後ますます魅力のある国に発展
策で公共工事の前倒しにして前年を超える公共工事需要
することを期待しています。
2009-4&5
21
海外生活便り
モザンビーク共和国ザンベ
ジア州およびテテ州地方道
路橋梁建設計画にて
影澤 龍男
(株)
鴻池組 工事事務所長
❷リクンゴⅢ橋(架け替え):橋長80.70m、4径間連続
PC桁橋、RC杭
1. はじめに
モザンビーク共和国はアフリカ南部に位置し、周囲を
❸クアクアⅠ橋(架け替え):橋長110.9m、5径間連続
PC桁橋、RC杭
タンザニア、マラウイ、ザンビア、ジンバブエ、スワジ
テテ州1橋
ランドおよび南アフリカの諸国と国境を接しており、国
❹シュエザ橋(新規建設)
:橋長110.9m、5径間連続PC
土面積 79.9 万 km2 で亜熱帯から熱帯地帯に位置する。
桁橋、RC杭
気温は 10 月から 4 月にかけて高く(22∼ 38℃)、5 月から
ザンベジア州のリクンゴⅡ橋、Ⅲ橋については比較的
9 月は過ごしやすい(13∼ 30℃)。公用語はポルトガル語、
道路事情のよい場所(州都キリマネより 100km)にあるが、
人口は 2004 年統計で 1,896 万人と増加してきており、
電気、水道はなく、ベースキャンプ内に宿舎を建設して
経済は内戦後の混乱期を克服、2000∼ 04 年の経済成長
施工管理に当たっている。また、同州のクアクアⅠ橋は
率は年平均で 9.3%と、順調な成長を示している。
キリマネより 207km、モペイアという町にあり、電気、
水道、携帯電話も通話可能という今工事現場の中では唯
2. モザンビークの歴史
一普通の生活ができる場所にあるが、国道からモペイア
1498 年ポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰
を越えてこの地に到達したのをきっかけに、16 世紀初
頭よりポルトガルの植民が始まり 17 世紀半ばには植民
地支配が確立、ポルトガル領東アフリカの首都は現在
国の北部にあるモザンビーク島に置かれた。第二次世
界大戦の後、アフリカ諸国がヨーロッパ諸国からの植
民地独立の波に乗り 1975 年 6 月 25 日モザンビーク解
放戦線(FRELIMO)により完全独立を果たした。独立後
FRELIMO はマルクス主義路線を推進するも 1982 年、
反政府組織モザンビーク民族抵抗運動(RENAMO)と政
府軍による内戦が勃発、内戦が長期化する中、1989 年、
政府は社会主義体制の放棄を決定、1992 年に国連の和
平協定のもと、内戦が終結、現在に至る。われわれのプ
ロジェクトはこの長い内戦で破壊され、さらに維持管理
欠如のため、その機能が損なわれた橋梁の架け替え工事
である。
3. プロジェクトの概要と工事場所の環境
本プロジェクトの工事概要は以下のとおりである。
ザンベジア州3橋
❶リクンゴⅡ橋(一部架け替え)
:橋長50.25m、2径間連
続PC桁橋、リバース杭
22
海外生活便り
図1
を結ぶ 50km が地道であり、雨期のアクセスには不安が
事協力会社でソフトボール大会を行うなど、日本人同士
ある。ここでは市内の建物を改修、事務所兼宿舎として
の交流も盛んだったという記憶がある。
しかしマルハが撤退した現在、以前の活気はなく、も
施工管理を行っている。
ザンベジア州 3 橋に比べ、とにかくタフな環境がテ
ともと港が河川内にあるため、水深が浅く海老漁の小型
テ州にあるシュエザ橋の現場で、州都であるテテから
漁船ならともかく大型の貨物船やコンテナ船の入船は不
154km、そのうち現場までの 87km は未舗装の山道で
可能、物資の輸送もほとんどが陸上輸送となっている。
谷筋を通過するため、雨期の通行は 4WD のみ、その
今後海老に代わる産業がこの地に発達するならともか
4WD ですら増水時は通行不可となる。もちろん、電気、
く、国道から 37km 離れたキリマネは今後インフラ整備
水道もなく、電話も繋がらない。われわれ職員だけでは
の上で厳しい状況に置かれるのではと考える。さて、海
なく協力業者も含めてベースキャンプ内に宿舎、事務所
の近いキリマネでの食生活はわれわれ日本人にとって特
を新規に建設、井戸を掘り、発電機を使用して生活して
に不便を感じることはなく、11 月頃から出回るパイナッ
いる。その他、プロジェクトの統括管理事務所、宿舎を
プルや四季を通して格安で購入できるハマグリなど、な
キリマネに設置、工事全体を管理している。テテとキリ
かなか日本では味わえないものもある。また、野菜類も
マネ間の直線距離は 415km 程度であるが、連絡車では
雨期前数カ月を除き、種類こそ豊富ではないが何かしら
乾期 677km(11 時間)、雨期 950km(15 時間)と片道だけ
出回っている。
で丸 1 日を要し、現場間移動となると最短でも途中 1 泊
は必要となり、管理するという意味でこの距離は非常に
不便が多く、苦労を強いられている。
5. シュエザ橋現場での生活
シュエザ橋建設現場のある村は何もない山村、食材や
飲み水、日用品などの調達はテテまで連絡車を走らせて
調達する。協力業者も含めるとその食材量は半端ではな
4. キリマネ市
この地では以前日本のマルハが現地政府とエフリペル
く、乾期は 3.5 時間、雨期になると状況により 6 時間以
という合弁会社を立ち上げ、海老漁を行い、主に日本や
上かかる道を往復しなければならず、この仕事が本工事
ヨーロッパなどに輸出を行っていた。
その関係もあって、
よりも大事だといっても過言ではない。また、雨期明け
過去日本の無償工事で浮き桟橋やドライドックの建設(2
2∼ 6 月頃はハマダラ蚊が多くマラリアに罹る危険性が
件とも当社施工)を行っている。最盛期の 1990 年代後半
あり、
その上強い毒を持った蛇も潜んでいる。そのため、
にはかなりの日本人がキリマネに住んでおり、私が以前
現地には看護師を常駐させ、緊急管理体制も万全に、工
赴任していた 1999 年には日本人関係者対南アフリカ工
事に臨んでいる。
ドライドック(キリマネ市、当社施工)
。
浮き桟橋(キリマネ市、当社施工)
。
荒れた市内道路(キリマネ市)
。
2009-4&5
23
もかくも長丁場、とにかく工事を無事故かつ予定通りに
6. おわりに
工期 34 カ月のうち現在 14 カ月が経過、シュエザ橋が
完成する今年 10 月以降はザンベジア州側 3 橋の工事に
終わらせ、皆元気で帰国することができるよう今後も精
一杯努力したい。
集中できることから管理がかなり楽になると考える。と
市場のハマグリ、
これだけあって20MT
(70円)
程度。
24
海外生活便り
建設中のシュエザ橋(上部工施工中)
。
シュエザ橋現場での安全大会。
支部通信
新幹線と地下鉄の開業に
よる台湾高雄の交通利便
性の向上について
石塚 一郎
鹿島建設
(株)海外支店台湾高雄地下鉄出張所 所長
当建設工事には、複数の日系建設会社が関わり、台湾
の建設会社と JV を組んで工事が進められた。当事業は、
1. はじめに
高雄は、台湾南西部に位置する台湾第二の都市、人口
当初欧州システムで計画が進められていたが、途中で日
本の新幹線システムに変更されるなど、
紆余曲折があり、
約 151 万人、台湾屈指の大工業地帯であり、世界有数
工事の一部に着工遅延等の影響があった。このため、台
の港湾都市でもある。私は、地下鉄工事のため 2002 年
湾人と日本人が一丸となって昼夜兼行の突貫工事等によ
1 月に高雄に着任し、7 年あまり在住している。その間、
り工程促進し、工事完工、開業を達成した。新幹線シス
2007 年 3 月に台北から高雄左営までを結ぶ台湾新幹線
テムについて、車両技術には日本の新幹線技術が初めて
が開業、2008 年 3 月に高雄南北を結ぶレッドライン(紅
海外で導入されたが、分岐システムはドイツ製、列車無
線)が開業、2008 年 9 月に高雄東西を結ぶオレンジライ
線システムはフランス製となり、
欧日混在となっている。
ン(橘線)が開業したために、高雄の交通利便性は飛躍的
開業後約2 年を経て、現在、1 日平均乗客数は約 8 万
に向上した。以下に台湾新幹線と高雄地下鉄の建設、運
人である。
営事情と、開業による交通利便性向上について、実体験
も踏まえて紹介する。
3. 高雄地下鉄の建設、運営事情について
高雄地下鉄は、高雄市における初めての地下鉄建設事
2. 台湾新幹線の建設、運営事情について
業で、南北を結ぶレッドライン約 28km と、東西を結ぶ
台湾新幹線は、台湾における初めての新幹線建設事業
オレンジライン約 14km の 2 線で構成される。建設工事
で、台北から高雄まで 345km を最短 90 分で結ぶ。建
は、2001 年に着工、レッドラインは 2008 年 3 月 9 日に
設工事は、1999 年に着工、2007 年 3 月 2 日に台北から
開業、オレンジラインは 2008 年 9 月 14 日に開業し、全
高雄左営までの開業を達成した。
線開業を達成した。
当建設事業は、BOT(Build Operate Transfer)方式で実
当建設事業も、台湾新幹線事業と同様の BOT 方式で
施され、事業主体である台湾高速鉄路公司が建設と運営
実施され、事業主体である高雄捷運公司が建設と運営を
を行う民間事業であり、将来台湾中央政府に移管される
行う民間事業であり、将来台湾中央政府に移管される予
予定である。
定である。
新幹線燕巣操車場。
地下鉄美麗島駅掘削状況。
2009-4&5
25
当建設工事にも、複数の日系建設会社が関わり、台湾
空港から台北松山空港までの飛行機を利用していたもの
の建設会社と JV を組んで工事が進められ、日本の技術
が、2007 年 3 月に新幹線が開業したので、新幹線利用
も多々採用された。シールドトンネル構築には、複数の
に完全に切り替わった。 航空に比べて新幹線の利点は
日系企業のシールド機が採用された。鹿島 JV が施工し
数々ある。新幹線は、早朝 6 時 30 分左営発から夜 10 時
たレッドラインとオレンジラインの 2 線が交差するター
10 分頃台北発まで便があり、飛行機よりも利用時間帯
ミナル駅「美麗島駅」の土留め工法には、日本の LNG
が長く、便数も多い。出発、到着の時間も新幹線の方が
地下タンク工事などで実績の多い円形連続壁工法(内径
正確である。飛行機は、
飛行中の揺れがしばしばあるが、
140m、連壁厚 1.8m、深さ 60m)が採用され、円形地下駅が
それに比べ新幹線は揺れがほとんど感じられず、車中で
構築された。
「美麗島駅」のプラットホーム、コンコー
書類確認等の簡易業務も容易であり、
仮眠も快適である。
ス等の建築内装の意匠設計は、日本の高松伸建築設計事
携帯電話について、飛行機は当然使用不可であるが、新
務所によるものである。
幹線は使用可能であり、緊急時等の連絡の便がある。左
高雄は、亜熱帯気候のため毎日猛暑が続く上、都市中
営から台北の自由席料金は 1,385 台湾ドルであり、飛行
心部であるため交通量が多いなど厳しい作業条件であっ
機との差はほとんどない。
たが、台湾人と日本人が一丸となって、奮闘努力をした
開業後約 2 年を経て、新幹線利用客は毎年増加してい
結果、完工、開業を達成した。
るように私には見えるが、今のところ日本の新幹線のよ
全線開業後約半年を経て、現在、1 日平均乗客数は約
12 万人である。
うに自由席満席、立ち乗りの状況はまずない。これは、
一般台湾国民の多くが依然、新幹線料金の約 3 分の 1 と
安価な長距離バス等を利用しているためであろう。しか
4. 新幹線と地下鉄の開業による高雄の
交通利便性向上について
し、新幹線の所要時間は、長距離バスの約 3 分の 1 と圧
倒的に短く、便利さは明白なので、料金の見直し等によ
上述のように私は、2002 年 1 月から 7 年あまり高雄
り、利用客は今後まだまだ伸びると思う。
に在住しているので、新幹線と地下鉄の両事業の開業後
2008 年 3 月に高雄地下鉄レッドラインが開業後、当
の状況を実体験している。
時、地下鉄中央公園駅付近の私の事務所から新幹線左営
まず、高雄から台北までの出張について、以前は高雄
駅までの移動は、従来の乗用車利用ではなく、地下鉄も
地下鉄美麗島駅地上完成状況。
26
支部通信
利用客で賑わう地下鉄美麗島駅地下1階コンコース。
利用するようになった。実は、乗用車の方が時間短縮に
自家用車がなく、時間はかかるものの、安全、環境等も
なることがあるが、地下鉄は乗用車よりも安全で環境に
考慮した地下鉄通勤に満足しているが、高雄市内中心部
やさしく、料金も 30 台湾ドルと安価なので、できるだ
に住む同僚は、短い通勤時間を重視し、自家用車あるい
け地下鉄を利用するようにした。
はバイクにより通勤している。また、同僚は「地下鉄は
2008 年 9 月にオレンジラインが開業後、補修工事、
高い」とも言っている。
検収等の管理をしている状況で、2009 年 2 月に私は従
全線開業後約半年を経て、地下鉄は多くの市民に利用
来の中央公園駅付近の現場事務所から高雄市北方の楠
され始めているが、今のところラッシュ時でも東京の地
梓にある JV パートナー栄民工程の事務所に引越しをし
下鉄のような混み具合はない。これは、
従来の自家用車、
た。このため私は、地下鉄、市バス利用による通勤を始
バイク通勤者にとって、料金のわりに時間短縮等の便が
めた。私の宿舎から徒歩 15 分の高雄駅から楠梓付近ま
あまりないためのようである。乗用車、バイクよりも地
では、公共交通として台湾鉄道と地下鉄がある。両方の
下鉄が安全で環境にやさしいことは明らかなので、料金
時刻表を比較したところ地下鉄の便数が圧倒的に多いの
の見直し等により、利用客の増加は可能と思う。
で、地下鉄利用を決定した。後勁駅あるいは都会公園駅
まで約 25 分地下鉄に乗り、そこからは市バスに約 5 分
5. おわりに
乗り、徒歩約 5 分で事務所に到着する。したがって、片
新幹線と地下鉄の開業により、高雄の交通の便は飛躍
道約 50 分の通勤時間となった。料金は地下鉄 40 台湾ド
的に向上したと思う。今後の台湾、高雄のさらなる発展
ル。市バスは初乗り 12 台湾ドル、地下鉄と市バス共通
を祈る。また、自分が従事した地下鉄工事の完成後の運
電子カードを使用する場合、地下鉄下車後の市バス乗車
用状況を実体験することもでき、地下鉄工事を通して台
は割引があり現在は 6 台湾ドルである。もし、自家用車
湾人と多くの技術、文化の交流もできてよかったと思っ
があり、高雄市内中心部から北へ向かう無料の高速道路
ている。この場を借りて、お世話になった多くの方々に
を利用すれば、私の宿舎から楠梓事務所の所要時間は
心から謝意を申し上げたい。
約 25 分で、地下鉄通勤の所要時間の半分である。私は、
2009-4&5
27
支部通信
ベトナムは花盛り
奥村 知央
(株)
大林組 ハノイ事務所 所長
うな気持ちになる。とにかく、火炎樹はそういった、郷
愁を呼ぶ樹だそうだ。
日本の桜のように新しい出発の花、
別れの花というイメージがある。
1. 開花の季節
久しぶりに 3 月末から 1 週間、満開の桜を見る期待に
一方、バンラン「Bang Lang」は「友情の木」と呼ば
胸を膨らませながら、一時帰国した。しかし、残念なが
れていて植物の名前になっている。街路樹に多く使われ
らこの時期日本は例年にない低温で、開花が 1 週間遅れ、
ていて、一斉に咲き出すと、町の大通りは紫色(ラベンダー
6分咲きの桜しか見ることができなかった。海外生活が
に近い色)に染まる。ベトナムでは紫色は、終始変わらな
長いと、年を重ねるごとに日本の桜に心を惹かれる。な
い堅固な心の象徴。とりわけバンランのバンは「朋友」
んといっても、富士山を背景にした満開の桜風景が最高
という意味がある。この花は筆者の事務所の 3 階の窓か
である。
ら手が届く所で咲き、毎年開化の時期には筆者も浮き立
ベトナム人はたいへん花好きで、毎日朝早くから町の
つ気分になる。
ハノイでいちばん好きな時期と花である。
あちこちの路上で花市が開かれる。彼らに
「日本を訪れ、
ちなみに、火炎樹はアフリカのマダガスカル原産、バ
いちばん何をしたいですか」と聞くと、多くの人が「桜
ンランは中国雲南省原産、どちらも元もとベトナムに
見物」と答える。ひょっとすると花見の宴会かもしれな
あったものではなくて、仏領インドシナ時代に持ち込ま
いが。しかし、残念ながら、ベトナムでは桜の花は開か
れたものらしい。そう考えると、なんだかフランスの香
ない。冬の気温が十分に低くなく、花のつぼみがぎゅっ
りを感じる。
と縮まないため、開花しないと聞いた覚えがある。
その代わり、ベトナムでは5、6 月は赤い火炎樹「Hoa
Phuong」と紫のバンラン「Bang Lang」がひときわ色
2. 日越戦略的パートナーシップ
ベトナムのノウン・ヌック・マイン共産党書記長が、
麻生太郎首相の招待で桜の花咲く 4 月 19 日から 4 日間
濃く、桜のように一斉に開花する。
火炎樹「Hoa Phuong」は真っ赤な花で、樹冠が包ま
れると花がまさに炎のごとく咲き誇り、樹木が燃え上が
るように見える。例年 5、6 月頃が満開の時期である。
日本を訪問した。その間、天皇陛下にも会うなど、両国
の友好関係を再確認した。
両国の関係を、貿易、投資などの面から大まかに見て
この時期、学校は学年末(5 月下旬に卒業式、入学式は 9 月初
みると、以下の通りである。
旬に行われる)で、子どもたちは、火炎樹の花が咲き始め
1)日越の貿易高は昨年度1.55兆円に達し、ベトナムに
ると、うきうきしてくる。日本では、山桜の咲く頃が卒
業式で、桜が山を染め始めると、春めいた、浮き立つよ
花市。
28
バンラン。
支部通信
とって日本は第2の貿易国。
2)日本からベトナムへの直接投資は、過去約1,000案
火炎樹。
件。累計投資金額は、1.7兆円に及ぶ。投資高では
の、ベトナム政府は 6.5%という比較的高い数字を目標
世界第3位である。
としている。懸念されたインフレも 2008 年後半から沈
3)日本のベトナムへのODAは世界最大。1992年から
静化している。また、為替については、輸出を推進する
再開され2007年までで1.3兆円に及んだ。これはベ
ために通貨ベトナム・ドン安に誘導している。ベトナム
トナムにプレッジされた全体の30%に当たる。
経済は他のアジア諸国に比して底固いものがある。
4)日本のベトナムへの観光客数は第5位に位置し、こ
れは全体の観光客数の10%に当たる。昨年度は40
4. ベトナムの可能性
さらに、ベトナムは、以下の点を見ても、将来性豊か
万人が訪れ、一昨年より13万人の増加。
上記のように、過去のベトナム戦争のイメージから脱
な若い国と言うことができよう。
却して、今や貿易、投資、援助、観光など多方面で、日
1)安定した政治体制と安全な社会
本のきわめて重要な相手国と変わりつつある。
2)儒教に基づいた思考方法と宗教
3)豊富な労働力と比較的低廉な労働賃金
国民の平均年齢が若く、30 歳以下が人口の 55%以上
3. ベトナム経済の現状
1997 年に通貨危機に襲われたアジアの国々は景気の
を占める。賃金は近隣諸国より相対的に低い水準にあり
後退を余儀なくされたが、ベトナムは、さほど大きな影
ながら、中国やインドに比べ識字率の高い、優秀で手先
響を受けなかった。しかし、2008 年の後半には米国発
が器用な人材が多い。
の金融危機に端を発した景気の後退に見舞われた。株価
4)豊かな資源
や不動産価格が暴落して、資産価値の目減りに直面した
石炭、石油をはじめ、金、銀、銅、錫などの金属鉱物、
人たちは、株や不動産に資金を回す余裕がなくなった。
農水産物、林業資源も豊富。資源利用のインフラも着々
その結果、株式相場の下落が続き、ホーチミン証券取
と進み、本年 2 月には、ベトナム初となる石油精製所が
引所が算出する VN 指数は、最近になり 2008 年の最安
稼働を開始した。
値を下回った。2007 年 3 月の最高値からは 76% の下落
5)持続的な高成長
となった。また、不動産市場もハノイ・ホーチミン市内
過去 4 年間の経済成長率は年平均 7.6%。低所得国か
では約 50∼ 60%の下落率である。そして、実体経済も
ら中所得国への変貌を目指しており、持続的な成長が期
やや後退を見せ、GDP は 2007 年の 8.4% から 2008 年
待できる。
は 6.23%に下がった。
6)グローバル化
そうした中で、2009 年も景気後退は予想されるもの
2007 年に WTO(世界貿易機構)に正式に加盟。国際的
な市場経済貿易国として、経済のグローバル化に努めて
おり、海外からの投資も増加している。
ベトナムのGDP Growth
(単位:%)
2008 2007 2006 2005 2004 2003 2002 2001 2000 1999
6.5
8.4
8.2
7.5
7.7
7.25
4.4
7.1
6.75
マレー
シア
タイ
中国
1,040
8,141
4,115
3,315
インドネ
フィリピン
シア
2,246
5. 結び
ベトナム経済は好調で、満開の桜のように、ベトナム
Blooming(花盛り)の昨今である。大都市ではスクラッ
(nominal)
(2008年)
GDP
per Capital IMF
ベトナム
4.8
1,886
UNIT:USD
プ・アンド・ビルドで、町のあちこちで古い建物(個人
インド
住宅、事務所)の建て替えが行われている。また、郊外で
1,016
は住宅開発が活発に行われている。特に個人住宅の建て
2009-4&5
29
替え工事は市内、市外地を問わず活発であり、これは国
「50 年前の日本、敗戦の傷跡から立ち直り、高度経済
民の貯蓄が増えた証しである。人びとの購買意欲も旺盛
成長路線をひた走った。ひいては世界第二の経済大国に
で、大型スーパーではレジで長い行列が見受けられる。
押し上げた原動力はなんだったのか。未来への希望か、
現時点でのベトナム人の暮らしぶりは「世界同時不況
明日は今日よりきっと良くなると信じた勤勉さ、ひたむ
はどこ吹く風」気分である。富裕層が増え、ハノイ市内
きさか。成熟社会を迎えた今の日本が忘れた熱気があっ
ではベントレー、
ポルシェ、
ハマー等の高級車が目に付く。
(日本経済新聞 2009 年 4 月 11 日の春秋コ
たような気がする」
現在の人口は 8,600 万人であるが、2024 年には 1 億
人になると予想される。
桜は散り始めがいちばん美しいというが、今のところ
ラムより)
。まったく同感である。
成熟社会を迎えた日本が忘れてしまった熱気が、今の
ベトナム国民には溢れているように思う。その熱気に、
ベトナム経済は失速する兆候は見られない。ひょっとす
何か、ベトナムの大きな可能性を実感し、そして筆者の
ると、両国の人口が逆転した頃には、ベトナム経済はか
若き日の熱気を思い出し、それに対する郷愁の念にから
なり日本に接近しているかもしれない。日本の新聞に今
れる今日この頃である。
のベトナムのことが書かれている。
30
支部通信
「中国・ベトナム経済開発
2 回廊・1 ベルト」計画(後編)
中国の環北部湾経済圏に係るベトナムへの布石
6. ベトナム側の開発状況
「1. 設計図面、2. 用地買収計画の策定、3. 工事発注業
1994 年に中国政府はベトナム政府との間で「CBTA
務のサポート」が含まれており、2009 年 1 月に開始さ
(Cross − Border Transport Agreement:相互交通協定)を締結
れ、暫定的な実施予定期限としてハノイ−ランソン間が
し、その後、ADB による枠組みの中で本協定は上記
2011 年、ハロン−モンカイ間は 2012 年と記されてい
GMS の開発ルートの一部として、その扱いが再認識さ
る(次頁の表 4)。
れていた。しかしながら、締結後 14 年経過しているが、
ベトナム側ドンダンに建設が予定されていると聞いて
相互交通協定は実質的に展開されているとは言い難い。
いる新しいトラックターミナルについては、JETRO ハ
一方、2006∼ 2010 年の 5 カ年社会開発の中で、国境
ノイ事務所を通じて、交通運輸省計画投資局外国投資課
近くの地域開発は優先順位の高いものとの位置付けはさ
の課長に確認してもらったが、
「承知していない」との
れている。
インフラの開発進捗度は高いとは言い難いが、
回答であったと聞いている。
その中でも次頁の表 3 は、2007 年 4 月 11 日に公表され
また上記報告書の中には、2008 年 3 月に中国、ベト
たベトナム側首相承認決定 412/ QD-Ttg 号によるプ
ナム両国の次官クラスがハノイ−ランソン、友誼関の国
ロジェクトリストである。
境における通関方法、輸送関係者のビザの発給、トラン
その中でも、高速道路のラオカイ−ハノイ間について
ジットに対する検査体制、
国境通過車両に対する適格性、
は ADB の資金で近々工事が始まることが予想される。
商業相互通行権、道路標識を含む合意が批准待ちの状態
5 工区に分けて発注される予定であるが、中国、韓国、
であると報告されており、将来的には南寧−ハノイ間回
ベトナムを含む建設会社が入札へ参加することが予想さ
廊に広げる考えであることも記述されている。この批准
れている。また、同区間の鉄道についてはとりあえず、
時期は、既に本稿で触れたように、友誼関の手前にある
部分的な複線化工事が行われると聞く。なお、OCR と
新しいトラックターミナルの開始時期とも関連している
は Ordinary Credit の略である。
と思われる。
表 3 のプロジェクトに関し、
「2006 − 2010 年の外国
(1290/ QD-Ttg)の決定が 2007 年 9 月 26
投資誘致計画」
8. 2020年以降の中国にとってのベトナム北部物流動向
日に公表され、鉄道プロジェクトの❶および高速道路の
鉄道輸送に関して言えば、現在、友誼関(ドンダン)−
❷および❹およびハノイ−ランソン間については交通運
ハノイ近郊(嘉林:ハノイまで 5km)間は幅の広い中国軌道
輸省計画局が、外国投資の誘致に対し、責任があるとし
と狭いベトナム軌道の二重軌道になっていることを広西
ている。すなわち、外国からの融資に対し、首相が許可
自治区招商促進局に確認した。これはベトナム戦争期間
を与えているという意味である。もちろん状況としては
中の物資輸送を目的として、改造されたものである。し
中国資本が入ることを意味している。
たがって、中国の客車と貨車はハノイまで走行可能で
あるが、ベトナムの
7. 今後の実施予定
客車と貨車は、広西
2008 年 12 月 12 日、アジア開発銀行とベトナム高
側には入れない。将
速道路公団(VEC)はハノイ−ランソン間、ハロン−モ
来は、ラオカイ−ハ
ンカイ間を含むルートの高速道路化に関し、設計まで
イフォン間を含む、
ADB が技術支援を行う旨の合意書を発表した。またそ
友誼関−ハノイ間は
れに先立ち、2008 年 10 月に発表された ADB の報告
幅の広い中国軌道の
書の中に記されている ADB の業務対象範囲の中には
1,435mm へ 改 修 さ
ベトナム・ランソン付近の二重軌道線路。
2009-4&5
31
れることが「2007 年∼ 2010 年のベトナム鉄道会社の開
港湾施設があるハイフォンまでが、中国仕様の軌道にな
発計画」に対する 2007 年 5 月 16 日の 621/ QD-Ttg 号
り、中国からの輸出入の物流が主軸になると思われる。
のベトナム側の首相承認により明らかになっている。
なお、ハノイ−ランソン間の高速鉄道化およびハイフォ
ン−モンカイ間までの鉄道については、ベトナム政府は
友誼関−ハノイ間は 2010 年以降、従来のベトナム仕
承認を与えていない。
様の客車、貨車は走行できず、ハノイからは中国仕様の
車両を利用し、旅客、貨物を運ぶことになる。ハノイ
高速道路輸送については、表 4 でも明らかのように中
の集積地としての意味は明確になるであろうが、ハノ
国資金による拠出プロジェクトが実施されよう。なおハ
イ以外からの貨物を中国側に輸送する場合は、ハノイ
ノイ−ハロン間については、日本の ODA により 10 号
で Trans-Shipment のコストがかかることになる。さら
線、5 号線、18A 号線が整備されたが、BOT で高速道
に長期的に見ると 2020 年以降は、鉄道輸送だけを見る
路を建設するとの検討が中国の G-Tek により行われて
と GMS 北ルート( 昆明−ラオカイ−ハノイ−ハイフォン)で、
いる。予算は 9.4 億ドルと聞く。また、ハロン−モンカ
イ間も中国が資金を付ける予定であり、両国のこの「環
北部湾経済圏」の開発のためのインフラ整備計画に対す
表3 プロジェクト一覧
予定実施期間
予定予算
(百万ドル)
❶ラオカイ−ハノイ−ハイ
フォン
2020年以降
9,760
中国ODA
❷ドンダ ン−ハノイ (改善)
2010年以降
100
中国ODA
❶ラオカイ−ハノイ
2007∼12年
653
ODA+OCR
+国予算
❷ハノイ−ハイフォン
2008年着工
938
❸バックニン−ランソン
2010年着工
1,400
中国ODAか
❹ハロン−モンカイ
2010年着工
850
中国ODAか
プロジェクトリスト
る協力姿勢が明確に打ち出されている。
資金
鉄道
9. 優先課題
以上「中国・ベトナム経済開発 2 回廊、1 ベルト」の
現状を説明し、陸上輸送から見た「環北部湾経済圏」の
高速道路
将来展望を行ってきたが、地域内の早期に、かつ効率的
な輸送を確保するため、以下の解決策の実施が優先的に
必要であろう。特に ADB の既添付資料が表しているよ
うに通関にかかる時間、費用の占める割合が大きく、そ
BOT
の改善が与える影響度は大きく、優先度も高いと思慮す
る次第である。今年、2009 年には中国 ASEAN の FTA
BOT
表4 プロジェクト実施予定
Item
2010年
2011年
2012年
2013年
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
ハノイ−ランソン高速道路計画
融資手続
監理コンサルの選定
用地買収
建設
ハロン−モンカイ高速道路計画
融資手続
監理コンサルの選定
用地買収
建設
出典:2008年10月 ADB, Project No. 41414, Report and Recommendation of the President to the Board of Directorsより抜粋。
32
駐在員特別レポート
規定ではベトナムの半分以上の関税品目の税率が 5%以
添付書類:
下となる。
これにより両国間の物流の増加は必至であり、
❶GMS東回廊区間別1分当たりの走行距離表
今後 10 年にかけてベトナム北部一帯は、中国資本によ
❷GMS東回廊(中国側、ベトナム側)
り交通インフラ建設が加速されることになろう。
❶友誼関付近のトラックターミナルの使用開始
❷CBTAによる国境通過車両の管理体制の構築
❸カンファ−モンカイ間の道路補修及び新設道路建設
の早期実施
参考資料
❶JETROハノイ作成 GMS東回廊輸送ルート計画調査
❷上記添付の質問、回答表
❸広西北部湾経済区発展計画
」
❹JETRO「中国経済(2008年7月号)
❺ADB Project Number 41414, Report and Recommendation
of President to the Board of Directors, October 2008
❺The Socialist Republic of Vietnam, e five-Year Socio-
❹カンファ付近の跨線橋の建設
(保田道雄 前北京駐在員)
Economic Development Plan 2006-2010, July 2006
GMS東回廊区間別1分あたりの距離走行表
1)以下の移動時間は、小休止及び撮影のための停車時間は除く。
2)移動距離は、使用した移動車両(セダン)の走行メーターによる。
3)南寧→友誼関は2008年11月15日(晴)に走行。
4)南寧→ハノイ間は2009年1月13日(晴)、14日(晴)に走行。
5)ハノイ→ランソン間は1月15日(晴)に走行。
6)制限速度は乗用車を想定。市街地では別の速度制限あり。
区 間
南寧→東興Gate
中国
(南寧→モンカイ)
166.3km
移動時間
1分あたり移動距離
150分
1.1km
1
南寧→黄屋屯
85.3km
55分
1.55km
2
南寧→友誼関
196km
170分
1.15km
3
防城市→江山
Mong Cai→Ha Noi
ベトナム
(モンカイ→ハノイ)
移動距離
16km
15分
1.06km
325km
365分
0.89km
1
Mong Cai→Ha Long
165km
197分
0.84km
2
Ha Long→Ha Noi
160km
168分
0.95km
178km
177分
1.00km
ベトナム
(ハノイ→ランソン) Ha Noi→Dong Dang
0.5km
1km
1.5km
作成日:2009年1月22日
JETRO北京事務所 建設産業部
2009-4&5
33
GMS 東回廊(ベトナム側)❶
Mong Cai→Ha Coi
(18A)
1級国道
道路名称
Ha Coi→Dam Ha
一級国道
(18A)
Dam Ha→Tien Yen
一般国道
(18A)
道路仕様
浸透式アスファルト舗装道路
浸透式アスファルト舗装道路
浸透式アスファルト舗装道路
車線数
(片側)
1車線
1車線
1車線
道程距離
バス
2,158km→2,191km
2,191km→2,217km
2,217km→2,240km
21台
7台
6台
(21台)
商業車両
(重車両も含む) 23台
対面通行車両
道路状況
(21台)
27台
(11台)
29台
一般
4台
2台
13台
照明
なし
なし
なし
標識
なし
なし
なし
地勢
丘陵地帯
田園および丘陵地帯
田園および丘陵地帯
工事
あり
補修個所多数あり
補修個所多数あり
Island現象状況
多数見受けられる
補修個所多数あり
なし
中央分離帯
なし
なし
速度制限
なし
ー
ー
7時25分→7時50分
ー
所要時間
6時30分→7時25分
7時50分→8時10分
備考
標識か最大積載量が20t。路肩、切り回し工事 丘陵地帯はトラックスピードはデットスロー。途中、 曲がりくねった勾配のある道路で路面状況も悪
あり。かなり曲がりくねった道路で路面状況も悪 止まった輸送トラックも見受けられる。対面通行 い。TienYenで20分の小休止。8時30分より走
車両計測時間は15分。曲がりくねった勾配がある 行開始。対面通行車両計測時間は20分。
い。対面通行車両計測時間は20分。
道路で路面状況も悪い。
留意点:速度制限は乗用車に適用される速度(ただし、市街地は除く)
GMS 東回廊(ベトナム側)❷
Tien Yen→Mong Dung
一般国道
(18A)
道路名称
Mong Dung →Cua Ong
Cua Ong→Cam Pha
一般国道
(18A)
一般国道
(18A)
道路仕様
浸透式アスファルト舗装道路
浸透式アスファルト舗装道路
アスファルト舗装道路
車線数
(片側)
1車線
1車線
2車線
道程距離
2,240km→2,276km
2,276km→2,292km
2,292Km→2,300km
17台
2台
迂回路
(4km)のため計測せず
(1台)
6台
同上
同上
バス
(11台)
商業車両
(重車両も含む) 28台
対面通行車両
道路状況
一般
8台
3台
照明
なし
なし
なし
標識
速度標識が少ない
速度標識が少ない
あり
地勢
田園および丘陵地帯
市街地含む
市街地
工事
なし
なし
なし
Island現象状況
なし
一部Island現象があり
なし
中央分離帯
なし
なし
なし
速度制限
60km/Hr.
60Km/Hr.
60km/Hr.
所要時間
8時30分→9時20分
9時20分→9時35分
9時35分→9時53分
備考
Tien Yenまでの道路状況よりはよい。ただし、
積載重量制限が15∼30tと場所により異なる。
2,261km地 点 がBache橋 で 最 大 積 載 重 量 が
30t。車両数測定は20分。移動停止時間は5分。
Mong Dung 市街地で工事状況。2,287km付
近で道路状況が悪い。積載重量制限が18t。
Isaland現象の箇所には水が溜まっている。車両
数測定は5分。移動停止時間は5分。
当日朝から走行した道路の中では、いちばん良
好な路面状態。
2,296kmの地点で鉄道踏切のために渋滞。迂
回路をとる。通常10分位の渋滞。
留意点:速度制限は乗用車に適用される速度(ただし、市街地は除く)
GMS 東回廊(ベトナム側)❸
Cam Pha→Ha Long
Ha Long→Tuan Chau島
Tuan Chau島→国道10号線交差地点
道路名称
(18A)
1級国道
(18A)
1級国道
道路仕様
アスファルト舗装
アスファルト舗装
アスファルト舗装
車線数
(片側)
(側道あり)
2車線
(側道あり)
2車線
(側道あり)幅:5m
1車線
道程距離
バス
対面通行車両
道路状況
2,300km→2,323km
2,323km→2,342km
2,342km→2,370km
40台
N/A
15台
同上
(11台)
41台
商業車両
(重車両も含む) 51台
(10台)
一般
65台
同上
40台
照明
あり
あり
市街地を除きなし
あり
標識
あり
あり
地勢
市街地
市街地および周辺
市街地及び周辺
工事
なし
なし
なし
Island現象状況
なし
なし
なし
中央分離帯
市街地内はあり
あり
なし
速度制限
60km/Hr.
80km/Hr.
60km/Hr.
9時53分→10時17分
10時17分→10時40分
10時40分→11時20分
所要時間
輸送車両が利用するCam.Thach 通りを走行。対 10時33分にバイチャイ橋を通過。市街地を抜け、 Uong Biには照明灯が設置されている。対面通
面通行車両の計測時間は15分。
行車両の計測時間は10分。
Tuan Chau島付近よりは1車線。
備考
留意点:速度制限は乗用車に適用される速度(ただし、市街地は除く)
34
(18A)
1級国道
駐在員特別レポート
GMS 東回廊(ベトナム側)❹
10号線交差地点→5号線交差地点
5号線交差地点→ハノイ5号線始点
道路名称
国道10号線
国道5号線
道路仕様
アスファルト舗装
アスファルト舗装
車線数
(片側)
(側道あり)
幅:5m
1車線
(側道あり)
2車線
道程距離
2,370km→2,396km
2,396km→2,483km
10台
16台
バス
対面通行車両
道路状況
(25台)
商業車両
(重車両も含む) 52台
(67台)
146台
一般
7台
38台
照明
なし
あり
あり
標識
速度標識が少ない
地勢
市街地周辺
市街地周辺
工事
なし
あり
Island現象状況
なし
なし
中央分離帯
なし
あり
60km/Hr.
60km/Hr.
所要時間
11時20分→11時45分
11時45分→13時05分
備考
Gia橋の通過は11時30分。キエン橋の通過が11 5号線を右折。工事個所は当時から品質が問題
時40分。対面通行車両の計測時間は20分。
になっていた工区。下り車線に停車中の長距離ト
ラックがある
(夜間走行を目的とした時間調整の
ため)
。
速度制限
留意点:速度制限は乗用車に適用される速度(ただし、市街地は除く)
GMS 東回廊(ベトナム側)❺
国道5号線始点→Nhu Gu Yet橋
道路名称
国道5号線→国道1A号線
Nhu Gu Yet橋→Huong Son橋
国道1A号線
Huong Son橋→Chi Lang
国道1A号線
道路仕様
アスファルト舗装
アスファルト舗装
アスファルト舗装
車線数
(片側)
(側道あり)
1車線/2車線
(側道あり)
1車線
(側道あり)
1車線
道程距離
バス
対面通行車両
道路状況
8,631km→8,666km
8,666km→8,695km
8,695km→8,730km
11台
5台
7台
(12台)
商業車両
(重車両も含む) 31台
(12台)
38台
(3台)
22台
30台
7台
一般
28台
照明
あり
道路交差部分以外はなし
なし
標識
あり
あり
あり
地勢
市街地周辺および平坦地
市街地周辺および平坦地
周辺は山岳地および村落
工事
なし
なし
なし
Island現象状況
なし
なし
なし
中央分離帯
あり
なし
なし
速度制限
80km/Hr.
60km/Hr.
60km/Hr.
所要時間
6時25分→7時00分
7時00分→7時30分
7時30分→8時05分
備考
(8,670km/7時03分)交差点
タインチ橋から1A号線に入る。Phu Dong橋か Bach Zanに入る。
ら1車線が8,641kmまで続く。他は2車線走行。 の付近は2車線。途中鉄道線路と平行して走行。
8,644kmでBc Ninhに入る。対面通行車両数の 対面通行車両数の計測は15分。途中5分の停車。
計測は10分。
周辺が山岳地。手前にGateあり。
(8,702km/7
時40分)総じてなだらかな勾配およびがとってあ
り、カーブも走行しやすい。対面通行車両数の
計測は15分。
留意点:速度制限は乗用車に適用される速度(ただし、市街地は除く)
GMS 東回廊(ベトナム側)❻
ChiLang→LangSon入口
LangSon入口→友誼関国境
DongDang市街地→DongDang国境
道路名称
国道1A号線
国道4A号線
国道4A号線
道路仕様
アスファルト舗装
アスファルト舗装
アスファルト舗装
車線数
(片側)
(側道あり)
1車線
1車線
1車線
道程距離
8,730km→8,772km
8,772km→8,792km
8,790km→8,809km
8台
15台
N/A
商業車両
(重車両も含む) 28台
(3台)
(13台)
43台
N/A
一般
23台
16台
N/A
照明
なし
LangSon市街地はあり。
なし
なし
バス
対面通行車両
道路状況
標識
あり
あり
地勢
周辺は山岳地および村落
市街地近郊
市街地および周辺山岳地帯
工事
なし
なし
なし
Island現象状況
なし
なし
なし
中央分離帯
なし
なし
なし
速度制限
80km/Hr.(村落地区は50Km)
50km/Hr.
50km/Hr.
所要時間
8時05分→9時00分
9時00分→9時30分
10時05分→10時25分
備考
一部鉄道線路と平行して走行。車両数の計測は 友誼関の手前にトラックターミナルあるが、ほと Dong Dangの市街地を抜け、山岳方面に走行。
15分。ランソン入口手前1kmでLa Duong方面へ んどはDong Dangに輸送ルートが流れる。途中、 トラックGateは友誼関の裏側に当たる。輸送ト
の鉄道線路を横断。鉄道本線は中国国境へ通じ 国境手前の2kmの踏切前でDong Dangへの道 ラックは通常、朝到着すると午前中にはGateを
る。停車時間は18分。
と別れる。
通過し、中国側のターミナルへ。
留意点:速度制限は乗用車に適用される速度(ただし、市街地は除く)
2009-4&5
35
GMS 東回廊(中国側)❶
友誼関←南寧
南寧→黄屋屯
黄屋屯→防城市収費所
道路名称
南友高速道路
南北高速道路
欽防高速道路
コンクリート舗装
道路仕様
アスファルト舗装
コンクリート舗装
車線数
(片側)
(側道あり)
2車線
(側道あり)
3車線
(側道あり)
2車線
道程距離
196km
23.7km→109km
109km→134km
バス
対面通行車両
道路状況
対面通行車両が若干あり。
28台
4台
商業車両
(重車両も含む) 同上
50台
17台
一般
同上
115台
22台
照明
なし
なし
なし
標識
制限速度の表示が少ない
制限速度の表示が少ない
加重積載の注意看板
地勢
友誼関付近以外は平坦地
丘陵地帯が多い
丘陵地帯が多い
なし
工事
なし
所処に補修個所あり
Island現象状況
なし
なし
なし
中央分離帯
あり
あり
あり
80Km/Hr.
120km/Hr.
100km/Hr.
7時40分→10時30分
12時00分→13時00分
13時00分→13時10分
速度制限
所要時間
(以下同 対面通行車両計測は5分間。
所要時間は一般車両で友誼関手前16kmの凭祥 道程距離は使用車両の距離メータによる
じ)
。 対面車両計測は20分間。移動停止時間は
まで約2時間30分。
5分。
備考
留意点:速度制限は乗用車に適用される速度(ただし、市街地は除く)
GMS 東回廊(中国側)❷
坊城収費所→坊城市
道路名称
坊城収費所−坊城市間道路
坊城市→江山
江山→東興市国境
坊城市−江山間道路
江山−東興市間道路
アスファルト一般道路
道路仕様
アスファルト舗装一般道路
(一部砂利)
アスファルト舗装2級一般道路
車線数
(片側)
(市街地は2∼3車線)
1車線
1車線
(側道あり)
2車線
道程距離
134km→143km
143km→159km
159km→190km
対向車は少ない
6台
7台
21台
17台
バス
対面通行車両
道路状況
商業車両
(重車両も含む) 同上
一般
同上
20台
19台
照明
なし
なし
なし
標識
なし
速度標識が少ない
速度標識が少ない
地勢
平坦地
(周りは開発地域)
丘陵地帯
丘陵、平坦地地帯
なし
工事
周囲以外なし、補修個所あり
なし
Island現象状況
なし
あり
なし
中央分離帯
なし
なし
あり
30Km/Hr.(市内)
70Km/Hr.
80Km/Hr.
所要時間
13時10分→13時30分
13時30分→13時50分
13時55分→15時00分
備考
市のGateが2カ所ある。市から欽防高速道路に 市から江山への道路は一部Island現象に近い状 途中トラックターミナルに立ち寄る。対面通行車
至る道路の周辺は開発地区である。
況が見られる。台数計測時間は20分。制限速度 両の台数計測時間は10分。トラックターミナル及
は70km/Hr. であるが、道路の状態はその速度 びその他での立ち寄り所要時間は20分。
で継続走行は不可。停止時間は5分。
速度制限
留意点:速度制限は乗用車に適用される速度(ただし、市街地は除く)
36
駐在員特別レポート
最近の華人の動向
華僑・華人の定義
プ」と呼ばれるコミュニティが自然にできてきたと言わ
われわれが普段使用している「華僑」という言葉であ
れている。
るが、実際に「華僑」という言葉の定義を正確に述べら
今回のテーマとしては「最近の華人の動向」ではある
れる人は何人いるだろうか ? 筆者もこのレポートを
が、具体的に特定の人物、企業の動きについて深く掘り
書き始めるまではよく分かっておらず、
「華僑」と「華人」
下げていくのは困難であるため、今回はシンガポールを
を混同していたのが実際のところであり、われわれ日本
中心に活動している主な華人系企業の紹介と、最近の動
人にとっては、
「華僑」と「華人」を一括りにしているの
向について広く浅く述べさせていただきたい。
が一般的ではないだろうか。
参考文献によれば、
「華僑」とは「中国、台湾、香港、
シンガポールの華人企業
マカオ以外の国家・地域に移住しながらも中華人民共和
現在、筆者が勤務しているシンガポールは既にご承知
国の国籍を持つ漢民族」を示す呼称であると言われてお
の通り、華人が人口全体の約 75% を占めており、世界
り、一方で、移住先の国籍を取得している者が「華人」
でも有数の「華人国家」として知られている。しかしな
と呼ばれているらしい。
がら「華人国家」であるシンガポールの「華人企業」と
また華人自体も、出身地域別に広東人、福建人、海南
いうものについてスポットを当てれば、
「華人企業」の
人、客家人、潮州人及びその他地域に分類されているが、
割合は人口割合のほどではなく、政府系企業、外資系企
ほとんどは下図(図 1)の通り、中国南東部からの移民で
業、華人系企業がそれぞれ 3 分の 1 ずつを占めていると
あり、現在の広東省、福建省、および海南島からの出身
言われている。
者であると言われている。ちなみに潮州人の出身地と言
えば広東省の汕頭周辺である。
また当初中国からやってきた際、話す方言によりグ
ループが分類されていたことから、自然と「方言グルー
シンガポールでは華人企業が金融、貿易、不動産、ホ
テルなどのサービス業を営んでいるケースが多い一方
で、製造業は主に外資系企業、インフラ事業については、
ほとんどが政府系企業によって運営されているのも、シ
ンガポールの特徴のひとつである。
図1 華人の出身地
しかしながら、政府系企業や外資系企業が金融、不動
産等のサービス業を営んでいないかといえばそうではな
く、
これらの企業も不動産、
金融業等幅広く活動している。
また、これら華人企業は、中核となる親会社があり、
親会社の支配下にある主要な子会社、子会社の支配下に
ある系列会社という企業グループが構成されていること
が特徴であり、こういった背景にはシンガポールの国土
が狭く、国内の市場規模が小さいため、元もとの企業規
模が小さくても多角経営の方向に進まざるを得なかった
ことが理由として挙げられている。
以下は、シンガポールにおける主要な華人系企業グ
ループの概要である。
2009-4&5
37
◆ Far East Organization
不動産、ホテルを中心に活動しているシンガポール有
数のデベロッパーのひとつである。
◆ OUB(Overseas Union Bank:華聯銀行)
上記ふたつの銀行と並び、シンガポール有数の民間銀
行のひとつであり、銀行、金融業、ホテル、保険業、不
動産業を多角的に経営している。国内有数のデベロッ
◆ Goodwood
パーのひとつである OUE(Overseas Union Enterprise)の
シ ン ガ ポ ー ル の 一 流 ホ テ ル の ひ と つ で あ る
親会社であったが、2006 年に OUE の株の 50% 以上を
Goodwood Park Hotel のオーナー企業であり、不動産
インドネシアの華人系企業グループの Lippo(力宝)に売
業の Central Properties はグループ企業である。
却している。
◆ Hong Leong Singapore
また米誌「Forbes」によると、シンガポールの上記の
シンガポールにおける最大の華人企業グループのうち
代表的な華人系グループ企業のオーナー、代表者、家族
のひとつであり、主に金融、不動産、ホテル業をはじめ、
等がシンガポールの富豪トップ 10 にも名を連ねている。
保険、製造業等も含め多角的に活動している。
また、シンガポールでは他国からの華人系グループ企
シンガポール有数のデベロッパーのひとつである
業による開発も活発に行われており、代表的なところで
CDL(City Development Ltd.)、コンクリートサプライヤー
はマレーシアの Genting(雲頂)、YTL(楊忠礼)、インド
である Island Concrete も同グループの傘下である。
ネシアの Lippo(力宝)、香港の Cheung Kong(長江実業)、
ちなみに筆者が現在所属している JETRO Singapore
も Hong Leong Holdings 所有のビルに事務所を構えて
Wheelock(会徳豊)をはじめ、多数の海外華人系企業グ
ループが活躍している。
いる。
過去数年間の華人系企業発注案件
◆ UOB(United Overseas Bank:大華銀行)
今回、華人企業の最近の動向を述べるにあたり、建設
シンガポール国内で有数の銀行であり、銀行の他、金
業と密接な関係のある不動産事業の中でも、住宅及び商
融、不動産、ホテル、保険等幅広く活動している。シン
業施設についてスポットを当てたいと思う。以下の表は
ガポールのデベロッパーのひとつである UOL(United
2004 年以降の民間工事発注金額の推移であるが、2006
Overseas Land)も同グループの傘下である。
年以降の建設ブームによる住宅、商業施設の発注額の伸
またシンガポールとマレーシアの証券取引所に上場
し、
シンガポール初の上場企業となったと言われている。
びが顕著に見てとれる。
こういった民間の住宅、商業施設の発注者として、華
◆ OCBC(Overseas Chinese Banking Corp:華僑銀行)
OCBC は、1919 年 に 創 設 さ れ た 当 時 の 華 僑 銀 行
(OCB:Overseas Chinese Bank)が他のふたつの銀行と合
併して設立されたものである。
前述の UOB と同様に、シンガポール国内で有数の銀
行であり、主要な事業としては銀行、金融業、貿易業、
保険業界の他、不動産業にも進出している。
過去5年間の民間工事発注額推移
(単位:10億シンガポールドル)
2004
2005
2006
2007
2008
2009
住宅
2.6
2.6
4.1
5.6
6.5
21.4
商業施設
1.0
0.9
2.3
5.1
8.1
17.4
産業施設
1.0
2.7
5.4
6.8
3.7
19.6
土木
0.8
0.7
0.8
0.9
0.8
4.0
その他
0.3
0.5
0.5
0.4
1.0
2.7
合計
5.7
7.4
13.1
18.8
20.1
65.1
資料元:シンガポール建設庁
38
駐在員通信
人企業を含む多数のデベロッパーが名を連ねており、建
住宅の取引きユニット数の推移である。
設ブームの象徴であるカジノを含む総合リゾートのうち
不動産取引きされた転売ユニット数は 2006 年の第 3
のひとつであるセントーサ・リゾートワールドも、
マレー
四半期から徐々に上がり始め、2007 年の第 2 四半期ま
シアの華人系企業 Genting による開発案件である。
で急激な上昇を示し、その後減少傾向に転じているが、
以下に華人企業発注(一部出資含む)による代表的な案
件を以下に示す。
これらの取引きにはデベロッパーだけでなく投資目的で
住宅を購入した個人オーナーによる転売も含まれている。
特に新規案件の完成前転売などについては、ユニット
◆ 住宅
販売の広告が出ると、ほぼ同時に売り切れ、さらに購入
・マリーナベイ・レジデンス
者が次の購入者を探すといった手法があちらこちらで行
・ワン・シェントン
われ、数週間の間に倍の値段が付いていたなどという話
・セントーサ・コーブ
もちらほら聞いていたものである。
・セント・レジス(ホテル、住宅)
・シルヴァーシー
・シービュー
・ワン・ノース・レジデンス
実際に真偽のほどは分からないが、それほどまでに不
動産の取引きは活性化していたのである。
転売に関わっていた華人系の個人オーナーの占める比
率がどの程度かを示す具体的な資料はないものの、シン
ガポール国民の75% が華人系であることを考慮すれば、
◆ 商業施設
転売で動いた華人資金は相当の金額であったと思われる。
・セントーサ島リゾートワールド
・マリーナベイ金融センター
・オーバーシーズ・ユニオン再開発工事
・メリタス・マンダリンホテル改装工事
最近の動き、
今後の予想
最近の開発に関するニュースとしては、いくつかのプ
ロジェクトが先送りになったり、不動産取引きが契約直
前に解除となった結果、購入予定者が違約金を支払った
また建設ブームの際の特徴として、開発案件だけでな
く、住宅をはじめとした不動産の転売も活発に行われて
過去3年間の民間住宅の取引きユニット数
民間住宅新築ユニット数
いたことが挙げられる。以下の表は、過去 3 年間の民間
金融センターの現在の状況。
完成
ユニット
未完成
ユニット
小計
民間住宅転売ユニット数
完成
ユニット
未完成
ユニット
小計
合計
1Q 2006
159
1,699
1,858
2,467
127
2,594
2Q 2006
158
2,369
2,527
3,088
152
3,240
4,452
5,767
3Q 2006
218
2,133
2,351
3,078
321
3,399
5,750
4Q 2006
249
4,162
4,114
4,064
598
4,662
9,073
1Q 2007
218
4,565
4,783
4,653
766
5,419
10,202
2Q 2007
309
4,820
5,129
7,776
1,892
9,668
14,797
10,240
3Q 2007
83
3,367
3,450
5,255
1,535
6,790
4Q 2007
52
1,397
1,449
3,296
670
3,966
5,415
1Q 2008
32
730
762
3,233
412
2,645
3,047
2Q 2008
108
1,417
1,525
2,292
521
2,813
4,338
3Q 2008
106
1,452
1,558
2,211
492
2,703
4,261
4Q 2008
12
404
419
965
203
1,168
1,587
資料元:シンガポール土地再開発庁
2009-4&5
39
等の話題が多く、残念ながら昨年のリーマン・ショック以
降、
大型開発案件等についての明るい話題はあまりない。
衆志向に変化していくかもしれない。
今後の華人系も含めたデベロッパーの動きについての
しかしながら、シンガポール国内の不動産価格の下落
予測であるが、価格の下落した住宅を先物買いし、価格
(中心部でピーク時から 30∼ 40% 程度下落)を背景に、投機目
が再度上昇するのを待つのか、大衆用住宅の開発に進む
的で複数の住宅を購入する投資家も市場に戻ってくるの
のか、また開発以外の事業にシフトし、機を見て大型開
ではないかとの見方も、最近になって強まってきている
発案件に投資するのか、
実際のところは何とも言えない。
ようである。
また最近の民間の不動産売買は高級市場向けの取引き
数は大きく減少しているものの、大衆向けの集合住宅
は人気で、今年に入ってからの第 1 四半期の売買件数は
既に昨年 1 年間の実績の 60% 以上の水準に達しており、
不動産の取引き対象となる案件が変化してきており、今
後の開発案件のタイプも都心部・高級志向から郊外・大
40
駐在員通信
いずれにせよ開発ブームに沸いた昨年前半までとは違
い、今後しばらくの推移は、デベロッパー次第と言って
よいのではないだろうか。
(福岡規行 シンガポール駐在員)
参考文献:
アジア華人企業グループの実力(ダイヤモンド社)
シンガポールの華人社会について(シンガポール商工会議所)
海外受注実績
1-1. 月別の海外工事受注実績〈中間集計値〉
2008年度
月
4
5
6
7
8
9
10
11
12
1
2
3
累計
件数
受注額
(単位:百万円)
2007年度
件数
受注額
伸び率
(%)
*受注額に
よる
本邦法人
29
22,565
34
18,165
24.2%
現地法人
105
73,593
100
71,694
2.6%
計
134
96,158
134
89,859
7.0%
本邦法人
22
12,094
46
118,626
-89.8%
現地法人
119
95,033
89
70,080
35.6%
計
141
107,127
135
188,706
-43.2%
2-1. 地域別海外工事受注実績〈中間集計値〉
地域別
アジア
件数
受注額
伸び率
(%)
*受注額に
構成比
(%) よる
346
260,836
24.3%
402
487,002
29.0%
894
321,168
30.0%
963
374,583
22.3%
-14.3%
1,240
582,004
54.3%
1,365
861,585
51.3%
-32.4%
本邦法人
40
253,924
23.7%
41
472,665
28.1%
-46.3%
現地法人
0
0
0.0%
0
0
0.0%
0.0%
計
40
253,924
23.7%
41
472,665
28.1%
-46.3%
-7.9%
-46.4%
本邦法人
48
42,340
59
64,818
-34.7%
本邦法人
21
10,733
1.0%
16
11,653
0.7%
現地法人
115
36,011
128
59,720
-39.7%
アフリカ 現地法人
0
0
0.0%
0
0
0.0%
0.0%
計
163
78,351
187
124,538
-37.1%
21
10,733
1.0%
16
11,653
0.7%
-7.9%
本邦法人
35
27,292
28
63,790
-57.2%
現地法人
94
23,344
96
52,350
-55.4%
計
計
北米
本邦法人
37
22,400
2.1%
19
24,085
1.4%
-7.0%
現地法人
127
127,199
11.9%
155
203,260
12.1%
-37.4%
-34.2%
129
50,636
124
116,140
-56.4%
計
164
149,599
14.0%
174
227,345
13.5%
本邦法人
31
43,394
48
122,821
-64.7%
本邦法人
19
12,063
1.1%
33
9,735
0.6%
23.9%
現地法人
97
57,770
87
32,452
78.0%
現地法人
19
2,712
0.3%
38
10,354
0.6%
-73.8%
-26.5%
中南米
計
128
101,164
135
155,273
-34.8%
計
38
14,775
1.4%
71
20,089
1.2%
本邦法人
64
110,287
67
42,195
161.4%
本邦法人
0
0
0.0%
0
0
0.0%
0.0%
現地法人
125
40,943
102
48,556
-15.7%
現地法人
47
19,871
1.9%
50
12,235
0.7%
62.4%
計
189
151,230
169
90,751
66.6%
計
47
19,871
1.9%
50
12,235
0.7%
62.4%
本邦法人
29
120,247
31
99,152
21.3%
本邦法人
5
3,716
0.3%
30
9,024
0.5%
-58.8%
現地法人
67
26,439
2.5%
76
57,085
3.4%
-53.7%
計
72
30,155
2.8%
106
66,109
3.9%
-54.4%
12.8%
現地法人
92
40,702
86
37,835
7.6%
計
121
160,949
117
136,987
17.5%
本邦法人
29
9,706
38
41,023
-76.3%
現地法人
60
24,436
98
54,360
-55.0%
計
89
34,142
136
95,383
-64.2%
本邦法人
64
114,920
51
39,139
193.6%
現地法人
134
60,699
108
63,199
-4.0%
計
198
175,619
159
102,338
71.6%
本邦法人
20
20,054
50
60,394
-66.8%
現地法人
66
13,666
133
43,128
-68.3%
計
86
33,720
183
103,522
-67.4%
本邦法人
33
17,262
33
18,294
-5.6%
現地法人
39
6,129
61
60,887
-89.9%
計
72
23,391
94
79,181
-70.5%
本邦法人
95
34,347
106
335,356
-89.8%
現地法人
110
25,258
194
63,256
-60.1%
計
205
59,605
300
398,612
-85.0%
本邦法人
499
574,508
591
1,023,773
-43.9%
欧州
東欧
大洋州
その他
累計
本邦法人
31
10,836
1.0%
50
9,609
0.6%
現地法人
2
195
0.0%
0
0
0.0%
̶
計
33
11,031
1.0%
50
9,609
0.6%
14.8%
-43.9%
本邦法人
499
574,508
53.6%
591
1,023,773
60.9%
現地法人
1,156
497,584
46.4%
1,282
657,517
39.1%
-24.3%
総合計
1,655
1,072,092
100.0%
1,873
1,681,290
100.0%
-36.2%
(単位:百万円)
2-2. 地域別海外工事受注実績
2009年度
地域別
アジア
中東
件数
2008年度
構成比
(%) 件数
受注額
受注額
伸び率
(%)
*受注額に
構成比
(%) よる
本邦法人
25
9,317
36.0%
19
16,153
16.8%
現地法人
61
9,216
35.7%
81
51,619
53.7%
-82.1%
計
86
18,533
71.7%
100
67,772
70.5%
-72.7%
本邦法人
3
2,633
10.2%
0
0
0.0%
現地法人
0
0
0.0%
0
0
0.0%
計
3
2,633
10.2%
0
0
0.0%
-42.3%
̶
0.0%
̶
現地法人
1,156
497,584
1,282
657,517
-24.3%
本邦法人
1
713
2.8%
3
2,095
2.2%
総合計
1,655
1,072,092
1,873
1,681,290
-36.2%
アフリカ 現地法人
0
0
0.0%
0
0
0.0%
0.0%
1
713
2.8%
3
2,095
2.2%
-66.0%
(単位:百万円)
1-2. 月別の海外工事受注実績
2009年度
月
累計
構成比
(%) 件数
受注額
本邦法人
計
4
2007年度
現地法人
計
中東
(単位:百万円)
2008年度
件数
受注額
2008年度
件数
受注額
伸び率
(%)
*受注額に
よる
本邦法人
35
13,039
29
22,565
-42.2%
現地法人
72
12,809
105
73,593
-82.6%
北米
中南米
-66.0%
̶
本邦法人
1
23
0.1%
0
0
0.0%
現地法人
6
3,341
12.9%
11
17,486
18.2%
-80.9%
-80.8%
計
7
3,364
13.0%
11
17,486
18.2%
本邦法人
1
30
0.1%
0
0
0.0%
現地法人
0
0
0.0%
4
922
1.0%
-100.0%
-96.7%
̶
計
107
25,848
134
96,158
-73.1%
計
1
30
0.1%
4
922
1.0%
本邦法人
35
13,039
29
22,565
-42.2%
本邦法人
0
0
0.0%
0
0
0.0%
0.0%
現地法人
72
12,809
105
73,593
-82.6%
現地法人
4
224
0.9%
5
2,496
2.6%
-91.0%
総合計
107
25,848
134
96,158
-73.1%
-91.0%
欧州
東欧
大洋州
その他
累計
計
4
224
0.9%
5
2,496
2.6%
本邦法人
0
0
0.0%
0
0
0.0%
0.0%
現地法人
1
28
0.1%
4
1,070
1.1%
-97.4%
計
1
28
0.1%
4
1,070
1.1%
-97.4%
本邦法人
4
323
1.2%
7
4,317
4.5%
-92.5%
現地法人
0
0
0.0%
0
0
0.0%
0.0%
計
4
323
1.2%
7
4,317
4.5%
-92.5%
本邦法人
35
13,039
50.4%
29
22,565
23.5%
-42.2%
現地法人
72
12,809
49.6%
105
73,593
76.5%
-82.6%
総合計
107
25,848
100.0%
134
96,158
100.0%
-73.1%
2009-4&5
41
3. 本邦・現法主要工事〈10億円以上〉
〈3月受注分〉
国 名
中国
(単位:百万円)
件 名
P社 事務所ビル追加工事
契約金額
会社名
1,386
大成建設
竹中工務店
中国
上海万博日本館
2,378
中国
U社上海第3工場 第1期工事
3,200
鹿島建設
香港
ストーンカッターズ斜張橋工事
(設計変更)
2,196
前田建設工業
フィリピン
(追加)
地方開発緊急橋梁建設工事PC-3
2,667
東洋建設
フィリピン
地方開発緊急橋梁建設工事 パッケージⅢ追加工事
1,833
飛島建設
ベトナム
橋梁建設工事その3
8,358
東急建設
シンガポール
パターソンヒルコンドミニアムデベロップメント 設計変更
1,025
大林組
シンガポール
M社追加工事
1,251
清水建設
ブルネイ
公安庁本部ビル建設工事
2,114
飛島建設
インドネシア
K社追加工事
1,028
清水建設
米国
B学校K1プロジェクト
1,990
鹿島建設
米国
K教会Phase2
1,150
鹿島建設
米国
P社ヴィレッジ躯体
1,090
鹿島建設
ハンガリー
I社テクニカルセンター新築工事
1,035
土屋組
(単位:百万円)
〈4月受注分〉
国 名
中国
件 名
契約金額
T社 部品倉庫1期
1,556
会社名
竹中工務店
タジキスタン
クルガンチュベ・ドウスティ間 道路改修計画
2,408
大日本土木
タジキスタン
ドゥスティ∼ニジノピシャンジ間 道路整備工事
(第2期)
1,197
NIPPOコーポレーション
アラブ首長国連邦
F社 土木工事
2,379
フジタ
米国
リハビリ施設
1,410
鹿島建設
米国
タンパコンテナターミナル建屋 Phase1
1,600
鹿島建設
42
海外受注実績
主要会議・行事・内外の出来事
とき
主要会議・行事
ところ
(月)カイロ
3月2日
エジプト環境会議
(水)
∼ バングラディシュ
4日
(土)
7日
(アジア・西大平洋建設業協
第37回IFAWPCA
会国際連盟)
大会
(金) 長野・サンパルテ山王
6日
(火) OCAJI
10日
(火)
∼ ネパール・カトマンズ
10日
(日)
15日
海外建設工事の基礎知識セミナー
第11回月例セミナー「海外における危機管理」
建設産業ノウハウ移転セミナー
(木) OCAJI
12日
海外建設工事の基礎知識セミナー
(月) OCAJI
16日
第6回外国人研修・技能実習制度活用委員会
(火)
・ OCAJI
17日
(水)
18日
(木) OCAJI
19日
OCAJI
プロジェクトマネージャー養成講座
第2回中東研究会
第2回中国研究会
(木) OCAJI
23日
第2回インド研究会
(木) OCAJI
26日
第2回調査研究委員会
OCAJI
第2回国際協力委員会
OCAJI
第6回総務委員会運営部会
(金) OCAJI
27日
第2回研修委員会
OCAJI
第2回総務委員会
(月) OCAJI
30日
第3回広報委員会
(水) OCAJI
4月15日
第1回無償研究会
(木) OCAJI
16日
第1回有償研究会
(火) OCAJI
21日
(木) OCAJI
23日
OCAJI
第1回月例セミナー
「
(10年の計)で取り組むべき海外展開」
第1回国際協力委員会
第1回海建塾
(金) OCAJI
24日
第1回調査研究委員会
(月) OCAJI
27日
第1回研修委員会
OCAJI
(火) OCAJI
28日
第1回総務委員会運営部会
第1回総務委員会
内外の出来事
・ 財務省が1月の国際収支速報を発表。経常収支は13年ぶ
りの赤字で、
赤字額は1,728億円
(3月9日)
・ 日経平均株価がバブル経済崩壊後の最安値を更新。終
値は7,086円03銭に
(9日)
・ 内閣府が1月の機械受注を発表。船舶・電力を除く民需
は7,183億円で前月比3.2%減。前月割れは4カ月連続
(11日)
・ 20カ国・地域
(G20)財務省・中央銀行総裁会議が「成長
が回復するまであらゆる必要な行動を取る用意がある」
と
の共同声明を採択して閉幕
(14日)
・ 世界銀行が経済見通しを発表。2009年の世界全体の実
質成長率がマイナス1.7%まで落ち込むと予測
(31日)
(短観)
を発表。大企
・ 日銀が3月の企業短期経済観測調査
業製造業の景況感を示す業況判断指数
(DI)
が1974年5
月の統計開始以来、過去最悪に
(4月1月)
・ 日米欧に新興国を加えた20カ国・地域
(G20)首脳会合
(金融サミット)
が首脳宣言を採択し、閉幕。10年の世界
経済成長率を2%に回復させることで一致
(2日)
・ 欧州中央銀行がユーロ圏の政策金利を0.25%に引き下げ
ると決定。8日から1.25%に
(2日)
・ 政府・与党が追加の経済対策を決定。財政支出は15兆
4,000億円、事業規模は56兆8,000億円で、いずれも過
去最大
(10日)
・ 日銀が3月の国内企業物価指数を発表。前年同月比で
2.2%下落し、6年10カ月ぶりの下げ幅(13日)
・ 政府が追加経済対策を裏付ける2009年度の補正予算案
を決定し、国会に提出。歳出規模は補正予算では過去最
大の13兆9,256億円
(27日)
・ 内閣府は2009年度の国内総生産
(GDP)
成長率見直しを
実質でマイナス3.3%に下方修正
(27日)
2009-4&5
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海外建設協会の主な活動
海外建設協会の主な活動
相談窓口では、東京および地方から 6 社 13 人の相談があ
り、セミナーでは、各々の会場で 30∼ 40 名の参加があり、
大変好評であった。
平成20年度「プロジェクトマネージャー養成講座」開催
当協会では、研修事業の一環として、海外建設活動が活発
化する中、会員企業および関係企業ともプロジェクトマネー
ジャーが不足してきているとの声が高まってきたことを受
けて、
「プロジェクトマネージャー養成講座」を去る 3 月 17、
18 日の 2 日間にわたって当協会会議室において開催した。
本講座は、海外においてプロジェクトマネージャーを経験
相談窓口で相談を受ける来訪者。
広島でのセミナー開催。
した会員の方を講師とし、各国の海外プロジェクトの具体的
な事例(経験)を元に、
「実戦に必要な知識とは」ということを
念頭に、プロジェクトマネージャーとしての留意すべき点
について、土木工事および建築工事のプロジェクトマネー
ジャーの立場からの講座で構成されている。
第 1 日目は当協会研修委員長による基調講演のあと、
「工事
遂行に際してのプロジェクトマネージャーの役割と任務」他
を実施し、第 2 日目は「海外での民間建築工事に従事して」他
を実施した。 また今回はじめて、コンサルタントの視点より
「Management of Contract Claims」をテーマに講義を行い、
会員および非会員合計 31 名の参加があり、
大変な好評を得た。
本講座の開催は、今回で 7 回目を数える。
平成20年度「国際建設市場対応人材育成支援事業」の実施
今当協会は、国土交通省から平成 20 年度の委託事業とし
て、新たに海外進出を目指す建設関連業者を対象に海外事業
に関する基礎知識の習得を目的とした「国際建設市場対応人
材育成支援事業」を受託し実施した。
本事業は、
「相談窓口の設置」と「セミナーの開催」のふた
社団法人 海外建設協会のホーム・ページ
(会員英文紹介コンテンツ新設)
について
当協会は、本年度の広報事業の一環として、当協会のホームページ
の充実を挙げ、特に、海外からのアクセスに十分対応することがで
きるよう、英文コンテンツの充実を図るため、広報企画部会におい
て検討を行ってまいりました。
この程、当協会のホームページに、英文による会員各社の紹介コン
テンツを掲載致しましたので、ご覧下さいますようご願い申し上
げます。なお、掲載場所は、当協会の英文ホームページの「About
OCAJI」の「Membership Roster」の「 Profile」です。
編集後記
東南アジアで建設ビジネスを展開する際に、得意先として
現地の公共工事発注機関、現地民間企業が考えられるが、と
りわけ当該国の華人(華僑)企業との関わり合いは、工事施
工段階においても重要な要素となる。たとえば、資金力、人
的ネットワーク、結束力、旺盛な戦略意欲、多彩なグループ
つの事業で構成されており、相談窓口については、毎週水曜
企業の編成などにおいて当該国の産業を支えており、また、
日の午後、当協会内に設置する窓口において、海外建設事業
これらの集団は大陸から移住した一世の、小さな商売からの
の経験を有する専門家や当協会委員会の委員等の相談員によ
「たたき上げ」により発展したものが殆どであり、見習うべ
り、海外進出を目指す建設関連企業からの各種の相談に対し
て、無料でアドバイスを行い、セミナーについては、海外建
設活動の現況、海外事務所の設置、海外建設工事から安全管
理、危機管理まで幅広いテーマによる「海外建設工事の基礎
知識セミナー」を名古屋、広島、長野および東京で開催し、
海外工事に関する理解の促進を図った。
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海外建設協会の主な活動
き点が多いと考える。この様な状況から、今回は、
「アジア
の華人」をテーマに、華人研究の専門家をはじめシンクタン
ク、関係機関、会員各位に、それぞれの視点で華人の動向と
展望、および各華人グループ企業の分析について寄稿いただ
いた。会員各社にとって、今後の華人とのパーナーシップに
おけるご参考となれば幸いです。 (OCAJI 編集室 K)
INFORMATION
「海外建設分野人材登録制度」
ご案内と登録募集
当協会は、海外建設分野において豊富な実務経験とノウハウを有する当協会会員会社の退職
者および退職予定者の方を対象とする「海外建設分野人材登制度」を創設いたしました。
本制度は、当協会会員企業の退職者等の再就職機会の拡大および当協会会員企業等の人材確
保の促進に資することを目的に、求職・求人データの登録および提供を行おうとするものです。
現在、会員の本社および海外部門の人事ご担当者を通じ、本制度を社内および OB 関係者に広
くご案内いただいており、随時、求職および求人の登録を受付けております。今後、多くのご
関係者の登録をお待ちしております。
本制度の内容および具体的な登録方法など詳細のお問い合わせと資料請求は、当協会事務局
あてにご連絡ください。
求人の照会、雇用の
交渉、紹介・斡旋の
協議の結果報告
求職者
会員企業の退職者及び
退職予定者
海外建設協会 事務局
人材データベース
求人の照会、雇用の交渉
求職の照会、雇用の交渉
求職の照会、雇用の
交渉、紹介・斡旋の
協議の結果報告
求人者
会員企業及び協会が設定した海外
建設関係公益法人の会員企業
社団法人 海外建設協会
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