www.samukawajinjya.jp 第 507 号 平成29年1月1日 S A G A M I Contents 特 年年祭歳 年 年頭のご挨拶 集 29 立春の前日である2月3日㈮、邪気災厄を祓い開運招福を願う「節 分祭」が斎行され、古式に則り、追儺神事が執り行われた後、特設櫓 上より豆撒きを行います。 この神事に奉仕される年男・年女の皆様を下記により募集致します。 〔要 項〕 2月3日㈮ 午前11時 (町内在住の方) 午後2時 (町外在住の方) ■初 穂 料 金1万円 ■申 込 神社窓口へ直接お申込みください ■〆 切 1月25日㈬ ■日 時 高座氏子総代会主催 月 日 0時 1 6時 時 20 〃 2 日 時 時・ 10 3日 8時 日 月 3日 時 月 10 日 日 〃 13 20 17 10 分 月次祭 時 祈年祭並田打舞神事 時 安藤由勝大人命 伊集院直彦大人命 他命等慰霊祭 時 末社御祖神社 春季霊祭並合祀祭 14 時 宮山役員改選奉告祭 日 8時 30 〃 月 1日・ 20 3 毎 寒川神社総務課 ☎0467 (75)0004㈹ 日 1 時 お申込み・お問合せ 11 8 14 項〕 3月5日㈰〜3月7日㈫ ■募集定員 120名 ■参 加 費 47,000円 (交通費・宿泊費・食事代・神宮神楽料含む) ※宿泊の同部屋希望は追加料金あり ■〆 切 1月30日㈪ ※定員に達し次第〆切 ■日 10 ︵1月1日除く︶ ※入苑券を持参の上ご来苑ください。 えん 石舞台にて神楽舞と雅楽の奉奏を開催いたします。期日は決まり次第神社ホームページへ掲示します。 しん 茶屋「和楽亭」 にて抹茶と和菓子をお楽しみ頂けます。 (500円より思し召し) やま 神苑内 では たけ 春の息吹を感じる神苑で大神さまとのご神縁を深めましょう 〔要 11 1 八方除祭 引続き 元旦祈祷祭 歳旦祭 引続き 末社歳旦祭 追儺祭 元始祭 武佐弓祭 時 節分祭 紀元祭並顕彰奉告祭 顕彰式 かん 神嶽山神苑 3 月1 日㈬より開苑予定 ※例年3月上旬が見頃です。 毎年多くの氏子崇敬者のご参 加を頂き実施しております伊勢参宮 旅行は本年で41回目を迎えます。 清き川の流れと、緑深き静寂の 森。 「日本人の心のふるさと」伊勢 神宮で、 その荘厳な空気を五感で 体験してみませんか? 本年は、伊勢神宮の御祭神・天 照大神の親神様をお祀りする多賀 大社(滋賀県) と学問の神様・北野 天満宮(京都市) をお参りします。 皆様お誘い合わせの上、 ご参加 ください。 2 〃 第41回伊勢参宮旅行のご案内 【神苑に春の訪れを告げる白梅】 祭 典 と行 事 のご 案 内 2 4 平成 祈年祭・田打舞神事 6 社頭動静 28 8 迎春神話ねぶた紹 介 49 9 新嘗祭奉納者芳名 10 平成 年篤志奉納者芳名 第 回菊花展・写真展入賞者芳名 NY見聞録 ︱ お正月特別編 ︱ 八方除解説 クローズアップ 13 12 11 真珠湾 記念式典出席 鈴の音通信 14 金華山黄金山神社 例祭参列 寒川俳壇・相模詠草・人事 16 15 青少年だより・神社の素朴なぎもん 病院だより 17 節分祭のご案内 平成 平 成 年 丁酉歳の新 春を迎え︑謹ん で聖寿の万歳と御皇室の弥栄を言祝ぎ︑ 国 家の隆 昌︑世 界の恒 久 平 和を衷心よ り祈念申し上げます︒ 昨 年は︑4月に九 州・熊 本を震 度7 の大地震が襲い︑熊本城をはじめ各地に 甚 大な被 害をもたらしました︒当 神 社 では︑本年で発生より6年となる東日本 大震災と併せて︑九州・熊本地方の一日 も早い復 興を祈り﹁とどけ鈴の音ガンバ レ! 東 北 負けるな! 九州・熊 本﹂と のスローガンを掲げ︑社 頭での募 金 活 動 を実 施し︑広 くご参 拝の皆 様よりご協 力を頂いております︒皆 様の温かいお気 持ちに︑改めて御礼申し上げますと共に︑ 引き続きご協力を頂きますようお願い申 し上げます︒ さて︑当神社の例祭前日に行われてお ります﹁流 鏑 馬 神 事﹂は︑鎌 倉 時 代よ り氏子が奉仕する形で伝えられてきまし た︒しかしながら︑急 激 な 生 活 様 式の 変 化の中で︑次 第に継 続が困 難となり︑ 昭 和 年に﹁武 田 流﹂による奉 納 とい 宮司 利根 康教 年頭のご挨拶 年 29 50 相模國一之宮 寒川神社 一馬 名誉宮司 多田 康教 宮 司 利根 亮 禰 宜 石腰 前島 正 〃 鈴木 康宏 〃 義行 権 禰 宜 西井 大関光佐雄 〃 石黒 彦 〃 川見 順春 〃 水谷 智賢 〃 井上 浩之 〃 長倉 基博 〃 田中 義宣 〃 坂本 晋一 〃 小嶋 大介 〃 丹下 英紀 〃 長谷川 潤 〃 櫻井 貴基 〃 野村 尚広 〃 田中 喜隆 〃 伊藤 龍哉 〃 中西 正史 〃 高畠 弘 〃 小野 俊之 〃 山田 栄 〃 國廣 弘 〃 水谷 也 〃 國生 隆也 〃 立岩 秀夫 〃 犬上 亙佑 〃 小澤 佳次 〃 湯田 敬介 〃 田村 拓之 〃 小松 義麿 〃 松橋 嶺行 〃 香田 俊介 〃 加藤 千理 〃 三浦 彩夏 〃 僚也 主 典 今野 中村 陽宏 〃 江沢 恵 〃 加藤 芳朗 〃 植松 敏光 〃 敬紀 出 仕 鯉登 内田 暢彦 井出 貴史 〃 祭祀職員 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 用 務 録 主 参 巫 50 嘱 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 20 女 秋元茉莉子 鶴田 麻樹 佐藤 真帆 岡田 美保 鈴木 風音 岡本 光代 牧野 紗那 石塚 千尋 鈴木 奈々 関 美月 里美 事 山口 松本みな子 渡部 尚美 恵 事 間山 森 好子 大谷 薫 岩永 亮一 斎藤 千明 伊藤 綾子 谷澤紗也佳 東 智香 町田れいか 佐原 慧 博 事 辻井 大山みなみ 山縣 祐子 山本 沙紀 高橋 寿枝 員 小野寺美夫 託 田邊あけみ 堀口 邦人 田路 晴子 鈴木 正明 長澤 秀雄 加藤 利幸 渡邉 寿夫 小泉 幸造 藤野 尚則 山崎 義雄 倉持 伸夫 浅原 寛 柳川 久義 田上 寛子 只木 勝 髙野 清昭 橋本 信弘 繁田 哲郎 森山 晃 笠間 啓二 濱田 建二 嘱 〃 〃 託 殿 長 井上 総合企画室室長 井 出 経理課主任 田 中 総務課主任 木 村 予約課主任 澤 田 管理課主任 武 井 経 理 課 伊藤 総 務 課 横川 鈴木 直人 史 祥代 浩之 貴史 幸子 禎成 聖次 達哉 澄子 結 公子 看 護 師 大久保めぐみ 布施 麗子 下村 時子 桂川ゆかり 戸室千恵美 村山 直子 臼木真理子 水村 礼子 吉田ひとみ 山口 愛弓 澤井麻依子 大木 優香 千葉 明美 菅原 征子 磯村 和子 滝上ふき子 増田 和貴 鈴木まゆみ 岩崎あゆみ 田中佐百合 藤澤ゆかり 小林 玲子 髙岩 愛 中嶋 瑞穂 大野 雅史 宮川万里子 松本真由美 大場ひろみ 藤木由実子 大村 憲司 伊藤 由美 大中ひとみ 日浅 朋子 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 放射線技師 放射線係長 佐々木崇広 長谷川郷子 塚越 未香 岡村千恵子 若野 真紀 新久保良美 谷田 和子 野田 知会 宮川 啓子 根岸 浩子 伊藤 茜 益子美智子 福田由紀子 宇戸由美子 中嶋 甲子 里吉 恵太 五十嵐明子 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 裕之 病 院 長 鳴海 啓司 副病院長 栗田 尾崎 政則 〃 総看護師長 安 藤 る り 子 副総看護師長 北 村 香 津 美 佳史 医 局 長 木勢 医 師 大上麻由里 車田 知之 〃 原 正 〃 城倉 雅次 〃 伊東 功 〃 相原 康之 〃 千代倉吉宏 〃 劉 孟娟 〃 大樹 診療技術部長 福 富 薬 剤 師 小池ちひろ 川﨑万里奈 〃 長谷川陽一 〃 文子 看護師長 酒井 菊野 朝子 〃 主任看護師 菊 池 み の り 佐藤 明美 〃 小山みゆき 〃 福永三智子 〃 葉美 看 護 師 北川 荻野 香世 〃 礒﨑由香子 〃 渡辺 明奈 〃 大津いずみ 〃 西原 由夏 〃 志沢 静香 小泉 勝美 寒川神社 寒川病院 予 約 課 寒川神社 参集殿 皆川 鈴木 藤田 う形 式で復 興 致しました︒昨 年︑復 興 る所存でございます︒ から 年 という 大きな節 目を迎え︑各 お正 月に自 宅にしめ飾りをつけ︑家 族 種 記 念 事 業を実 施し︑先 人たちの尽 力 そろって初 詣に行くのも我が国の大 切な に敬 意を表すると共に︑伝 統を次 世 代 ﹁伝 統﹂です︒その伝 統にも先 人たちの に継 承する難しさと重 要 性を痛 感 致し 思いが込められていることを感じて頂きな ました︒ がら︑是 非ご家 族そろって神 門の神 話ね 伝 統を 継 承 するためには︑全てを 維 ぶたをくぐりご参 拝ください︒皆 様にと 持し続けることが最も重要であると思わ りまして︑更なる繁栄の年となられます れがちですが︑果たしてそうでしょうか︒ ことを祈念申し上げ︑年頭のご挨拶に代 何かを維 持し続けるには︑ともすれば何 えさせて頂きます︒ かを絶えず 変 化させていかなくてはなら ないように感じます︒時 代に即して柔 軟 に物 事を捉え︑変 化させるべきところを 変 化させてきたからこそ︑伝 統は今もな お生き続け継 承されていくのであり︑こ れは神 道で重 要といわれている﹁不 易 流 行﹂の精神に通じていくのです︒ 本 年は︑当 神 社の御 社 殿 竣 功より 年︑菊 花・写 真 展が 回を迎えます︒ また︑再 来 年には相 模 薪 能が 回を迎 えます︒先 人たちの確かな轍を︑次 世 代に確かに受け渡すため︑﹁変 化﹂を恐 れず︑伝 統の継 承に引 続き邁 進して参 50 頌春 宗教法人 正勝 寒川神社 総代長 谷澤 康教 代表役員宮司 利根 誠 土屋みどり 高橋 義治 代 古谷 村上 西山 原 加藤 山田 谷亀 鈴木 酒井 井出 戸田 小林 井手 宮澤 杉本 総 福岡 責任役員 一三 啓介 隆一 學 亮 文夫 康明 貞夫 善三 賢三 春吉 昭 隆義 元久 〃 居宅支援事業所 居宅支援事業所主任 通 所リハビリテーション 通所リハビリテーション主任 施設ケアマネージャー 明雄 苑 長 神代 事 務 長 渡邊マツ子 雪子 師 長 渡辺 恭士 支援相談科科長 長 塚 誠 管理課主任 鈴 木 会 計 課 佐藤友紀子 杉崎 伸代 管理栄養士 石 井 麻 由 美 礼子 薬 剤 師 坂倉 亜樹 理学療法科主任 筒 井 浩美 看護主任 田口 和美 看護職員 山浦 湯山 洋子 〃 小林 和歌 〃 若松真奈美 〃 広兼 絹枝 〃 川尻佐美子 〃 介護科主任 田 口 真 由 美 薫 介護職員 冨田 寺田利恵子 〃 福田久美子 〃 近田 典子 〃 金子 和世 〃 武田 佳子 〃 平野 智弘 〃 安田 孝子 〃 阿部 珠美 〃 堀口 亮 〃 内山 直美 〃 廣田 実香 〃 玉岡 信 〃 藤木 美希 〃 小野瀨裕美 〃 鈴木 博恵 〃 三上 優衣 〃 鈴木加奈美 〃 大沢いちこ 〃 大山 瀧子 渡辺 裕子 石井眞左子 〃 中村智真子 日田 旭 天笠 勉 寒川神社 神恵苑 介護老人保健施設 〃 看 護 師 丘志 大佑 成二 京子 正明 昌代 光 裕太 充 一浩 充 晃 睦明 孝 孝幸 副総代長 問 入澤 中島 前田 松本 顧 与 小林 山田 根本 山上 藤田 田中 参 髙橋 金子 横溝 市川 リハビリテーション主任 康仁 放射線技師 藤 井 内野 木実 〃 小掠 萌 〃 検査主任 小関恵利子 知佳 検査技師 髙橋 高橋 直子 〃 佐藤 敏枝 〃 菱沼 美紀 〃 相原 忠洋 智美 理学療法士 齋 藤 池澤 由花 〃 佐野 圭一 〃 荒木 祐二 〃 西村 美奈 〃 山本 燎 〃 優子 地域連携係長 島 村 地域連携主任 大 林 由 美 子 美和 地域連携 千葉 彩香 視能訓練士 坂 口 松井 康広 〃 診療情報管理士 山 本 美 恵 子 弘子 看護補助者 臼 井 木村 馨 〃 角田 聡子 〃 金井眞由美 〃 節也 健康管理部長 能 條 志朗 会計課長 新倉 晋作 健康管理係長 森 下 直哉 医事係長 稲垣 康之 健康管理主任 滝 澤 医事主任 久保友歌里 文子 会計主任 小島 健康管理主任 鳥 居 真 奈 美 事 務 員 三枝ちひろ 椎野 恵子 〃 太田 静花 〃 内田 桂太 〃 岩舘 美和 〃 大嶋 康伸 〃 稲田 玲子 〃 照沼 勝也 〃 高平 雅典 〃 中曽根岩子 〃 松本 由美 池田志美子 石井 美佐 石川 理加 さむかわ訪問看護ステーション 管 理 者 看 護 師 〃 〃 2 3 29 41 祈年祭・田打舞神事 た うち し ん じ 黒面の福太郎が稲作行事を狂言風に演 事は全国でも見受けられ︑静岡県三島 神 社では︑一年を通じ農 業・ 稲 作に じる﹁お田打ち神事﹂と呼ばれる同様の 市の三嶋大社においては︑白面の穂長と 関 わる祭 典が多い中︑ 祈 年 祭はまさに 神事が行われています︒ 日 本人の 原 点 祭﹂ は︑春の耕作開始にあたり︑一年間の 農 作 業の始まりを告げる重 要な祭 典と 17 祈年祭と新嘗祭 五穀豊穣を祈るとともに︑国家の安泰を して位 置づけられています︒遠い昔から 毎年2月 日に斎行されている﹁祈年 祈る祭典であり︑伊勢の神宮をはじめ全 農 業を基 盤として生 活をしてきた私た 田 打 舞の 変 遷 国の神社で大祭として執り行われていま ち日本 人にとって﹁ 原 点﹂ともいえる祭 村の旧 社 人によって奉 仕されてきました す︒豊作に感謝する秋の﹁新嘗祭﹂と対 稲 作は日本 人の原 点であり﹁和を尊 が︑明治維新後にほどなく中絶し︑その 寒川神社の﹁田打舞﹂は古くから田端 旧暦2月4日に行われていましたが︑改 ぶ﹂﹁相互扶助﹂﹁勤勉﹂﹁正直﹂など日本 後 末 裔により祭 典 用の古 面が当 神 社に 典なのです︒ 暦に伴い現在の2月 日斎行となりまし 人の気質を表し︑道徳心や規範意識に 年に再興されたものの︑同 27 17 をなす祭典といわれ︑明治の改暦前には た︒ しかしながら︑斎行日については全国 明治 年に再興されるに至 奉納されています︒ に再び中絶︑大正 も関わる日本の文化そのものです︒農耕 豊 作 を 祈ることは国 家 安 泰・万 民 息 りました︒ しかしながら︑このときには既 で統一はされておらず︑気温が低い地域で ます︒ 一方︑宮中の賢所においても祭典が 災を 祈ることに外 なりません︒ したがっ に旧来のものとは形態が変わっており︑わ 21 年 行われ︑天皇陛下が御親拝︵天皇陛下が て︑祈年祭は長らく国家規模で行われ ずかに﹃寒川神社志﹄所載﹁寒川古式祭 が生活の全てともいえる時代にあっては︑ 御自ら拝礼されること︶ になられます︒ ていた背 景があり︑現 在にあっても宮 中 記﹂に神楽歌等が記載されているに過ぎ 12 は3月以降に斎行されている神社もあり 祈年祭は﹁としごいのまつり﹂とも呼ば をはじめ全国の神社で厳粛に行われてい ませんでした︒ かしこどころ れ︑ ﹁とし=稲の美称﹂︑ ﹁こい=祈り﹂ を指 るのです︒ そこで︑古来より続く伝統ある神事の 復 興をと願い︑田遊び・田楽 研 究に実 すとされ︑米をはじめとする五穀の豊か な稔りを祈ることを意 味しています︒豊 作を祈る祭典と豊 作に感 謝する祭 典が 績のある国立文 化 財 研 究 所をはじめ多 くの有識者にご協力頂き︑2年半の歳月 予祝神事 また当神社においては︑祭典の中で宮 を経て︑古式床しい姿が蘇りました︒時に こくじょう 年から社人﹁小菅家﹂ が 12 ともに﹁大祭﹂で奉仕されていることを鑑 司の祝詞奏上の後﹁田打舞﹂と称する︑ 平成3年のことでした︒ みると︑稲作の周期こそが日本人の一年で 種蒔きから収穫までの一連の農作業を表 あるとも考えられます︒ 前号で解説した︑秋の ﹁新嘗祭﹂ の斎 現した素朴な神楽が特殊神事として奉 舞人は大正 行日は︑現 在では勤 労 感 謝の日として はくじょう 務めるようになり︑現在は黒尉を奉仕し 二百三百はの、 稲をもって、試し取りにしたれば、千石ばかりとったの、万石ば かりとったの、 いふにひけば、 食の山。 酒に造れば、 泉となる 汲めども汲めども 尽きもせず。 青字…翁謡 黒字…地謡 万歳楽や 赤字…翁謡・地謡 万歳楽や。 納されています︒ いな むら 稲叢 23 年 相模なる、相模一の宮の、ふもとなる産子は。 綾の錦なる、手こそしないたり、おやれおふ手は、しないたりな、 いつもより、今年は、福太郎がててこそ嬉しげんなる、ふぜい して、天竺を照らしたもう、腰のほどにしわ寄せて、せじやうの、 中のまろかっては、所神々にまいらする、ニ鎌かっては、田の 神にまいらする、三鎌四鎌刈ったれば、二百三百はとったの。 国民の祝日になっていますが︑昭和 いね かり 稲刈 ています︒白尉は当神社の神職が奉仕し 相模なる、寒川大明神の御前の姫小松。 松もひりやうめく、殿もひりやうめくと、三度ちばうち、歌って 田をば、ソンブリヒルリと、植え申したりな。 相模なる、相模早乙女が。 これ、さっとまいりて、歌おろいた、次第は、面白くもおんろいた、 ととなかくな、おれかちちか、チョンボッタなんぼぼかり、チョン ボッタ、だんごなかう、チョンボッタ、よ吉よ吉、だいじもない、 孫をもけて抱こうな、ひこもうけて、抱こうなと、歌をばうちうたっ て、田をばゾンブリ、ユルリと、植え申したりな。 これは一種の ﹁田遊び﹂ であり︑稲作のあ うえ の設 定以来 固 定日の祝日として最も長 た 田植 ており︑秋の豊作を祈り御神前で披露さ 5 おめしの上手は、こざらめしかあしからざくし、ゆらりとかつぎ、め がまをかまへ、つっ立ち上がり、エイヤ、エイヤと割ったるは、こ れ今日の米割りのところなり、さて菜汁にとりては、後ろの山の筍、 前山の蕨は、さて又なますにとりては、大果報のあんじょう、おう わらさないし、はらぶもあう圓増のうむ、桧のまな板三十三枚、 パラリと敷き、祝いの包丁皆で撫で、スイスワリ、スイスワリと、 おろしされてござる。さて、その中に、さるお早乙女のおしゃるこ とには、身は七月半におなりなさる。葱なます食いたいとおしゃる。 作りしんぜてござれば、更に八十サラ・サラサラと蒔いてござる。 日に夕酒朝酒三十杯参るなり、我腹をば、穀作りのかめと思し召 せ。タウリと打ち上げ、中のまちを、 トウドリ、こてらんの、めでたさ。 らましを予め模擬的に一通り演じ︑順調 クラクッと蒔いたる種なれば、アザアザあざみの如し、ホキ ホキ箒の如し、ククウクッと、掃いて候。 さて、そのうち、背の高いが金持ち、背の低いが銭持ち。二 分が八勺、大分が八勺、はつくの数が、八十人、あいてうたい、 ぴたりとなり、あきないとっためでたさ。 ま い ひる ゐ く親しまれている点からも︑稲作が日本 の りと 祝詞 う ち 昼飯 れています︒ 食山のこしよりも、福の水サッとかけ、ユラリサクリと福種 蒔くな。 まいてやその後、おん内へ参りて、蒔くべき種あり、をいでの宝に、 弓持ち槍持ち兜持ち、まこうな。納戸へ参りて、蒔くべき種あり、 十二のそでぎぬ、重ねぎぬ、まこうな。お庭へ参りて、蒔くべき 種あり、めかまとをかまへ、 さんぜんめりたて、こぶたもち、まこうな。 みやまへ参りて、蒔くべき種あり。千びき万びき、かいたてなら べたる、こまのもののはやわざに、早々とまこうな。女と申すは、 正月が参れば、殿ごに甘えて、銭をも乞い取り、金をも乞い取り、 数えたってみたれば、五鍬がかを油、三鍬が白もの、おん揉み 合わせて、トロリ解け合およ、けはひしてその後、寄り合い友達、 ころうをつこうよ、よくすめころうよ、鷹狩りするとも、尻ばしふり なよ、ひとの夫とるなよ。蒔いてやその後、みの口米をば、何 石搗いたよ、千石搗いたよ。こがねのいかけへ、ザラザラ移して。 一番に田の神に、二番に所神へ、三番に寒川大明神へ供する。 くうしゃめおさめて、明のかたから、 まこうな。子供等米かめ・かめ・ かめ米をもかむべし、鳥をも追うべし。 さ い 田打舞神事 に稲が育つように祈願する ﹁予祝神事﹂ で たね まき 種蒔 た あると考えられます︒ このような予 祝 行 春の鍬そいが、打つからものよし、打ったる田はくれくれ、 掻いたる田はみちみち、みちみちが上には、なに草なし。 あの山に候を、この山に候を、しろがねでうらにばとこ、こがね 草が菜の花、いっさい草よし草、あしゆらなるらと、苗代の四 つのすみに、たかだかと下ろいて、下ろし置いた所へ、草敷き の上手が、あれやぼにこれやぼ、きぶちにきとろく、むなご太 郎めが、一のせんに参りて、こむらごのたすきを、かいから括っ てうん出し、かい結んでうんだし、だいだいとうんだいた。朝日 の方へさし向き、めんどり羽もしっとり、おんどり羽もしっとり、 しっ とりしっとりと、しいて取る所を、一丈や五尺の、ならしの竿をっ とり、所まてうに、世の中を平らに、まっ平らに直して。 やあらやあら今日かい、よう今日かいな。 今朝の苗の取りよさ、今朝の苗を取りあげて、なきのはにやと すへ、ひるすすきよしのはに、ちょうどやどりきたりな。 チョチョラ、チョと、参って。 一万五千ちょうの苗を、たった一時に取り上げ、後ろキッと見 てあれば、ひるまのおおみずや、うるちひろめて十万石、粟ふ えるというて三万石、こなたのごふだいじんのうち。 人にとって如 何に重 要なものであるかが しろ 草敷・代ならし 苗ほめ 窺えます︒ めでたしや、めでたしや。参りたるついでに、国々のみそかち。 かづいてらしとことこ、かこすきの出雲の国、かこすきの出雲の あらくわを、千具万具、ちよふして春の日のながき、鍬がらさい てをめさるる。めなが口の鍬をば、をさきさげてきつげ、をさき ながの鍬をば、めさきさげてきつげ、きつつげ比べて、調子やハッ パ、ハッパ、ハッパ合わせて、千人のお百姓、万人のけんぞくに、 一勺づつたまわる。桜田をのぼりに、柳町をくだりに、難波の 小池の水を引き、鍬入りの田もみんなめでたく候を、明のかた へさしむき、一鍬チョウと打って、さんぶとおこいて、鼻にキット おしあて、かこんでみたれば、いつもたいせつの銭がみの香りと、 金がみの香りがハッパほんかり、ハッパとめでたし。三鍬・四 鍬うなへば、たいと宝とびしゃもんこぶくが、ただこの身内へ、 つとよつとよと、つとらつとらと打ったり、重ね鍬と打ったり。 ね ん 祈年祭 なえ 田打 くざ じき き 特集 田打舞神事 神楽歌 4 社頭動静 寒 川さん 神嘗奉祝祭 伊 の 鈴 の音 ね 鈴の音を﹁祈り﹂の象徴ととらえ︑当神社の折々の出来事を ※ その音に乗せて皆様にお伝えするという意味を込めました︒ 教養研修会 末社宮山神社神幸祭 社務所新館改築工事竣功祭 相模國式内社の会総会 ・ ・ 日 日 日 日 回菊花・写真展 迎春神話ねぶた設置 煤拂祭 奉納米献上神宮参拝 宮山神輿愛好会 新嘗祭 奉納餅つき大会 宮山神輿愛好会 神宮大麻暦頒布始奉告祭 相模湘南支部 相模湘南支部教養研修会 第 明治祭 職員防災訓練 さざれ石奉納除幕式並清祓式 第1期工事竣功清祓式 馬場西側玉垣改修工事 神嘗奉祝祭 人形感謝祭 2日 〜 3日 月 1日 〃 日 日 日 3日 月 1日 祭典・行事のご報告 社で斎 行される恒 例 祭 典のう ち最も重儀とされる﹁三大祭﹂ の一つ︑新嘗祭が役員・総代・ 氏 子 崇敬 者 多数 参 列のもと厳 粛に斎 行 されました︒この祭典は︑春の祈年祭と 対をなす秋の豊かな稔りに感謝申し上げ る祭典といわれています︒ 昨 年は8 月の記 録 的 な 猛 暑に加 え︑ 9月には長 雨に伴う日照 不 足と︑作 物 には非常に過酷な天候が続きました︒し かし︑そんな天候を物ともせず︑田は黄 金 色に輝 き︑ 豊かな 稔りの秋を迎える 神 新嘗祭 年 恒 例 となっております︑県 神 社 庁 相 模 湘 南 支 部 主 催の 教 養 研 修 会 が開 催 され︑管 内 神 職を中心に総 勢 名が受 講しまし た︒ 本 年は︑神 社 本 庁より講 師をお招き し﹁神 社の危 機 管 理﹂というテーマで︑ 実務面でのお話を詳しくご講演頂きまし た︒ さまざまなことが目まぐるしく変化す る現 代において︑神 社といえども﹁危 機 管 理﹂は重 要な課 題であり︑非 常に有 意義な研修となりました︒ 毎 国歌﹁君が代﹂の歌詞にも登場する︑ 日 本 国 とその国 民が共に栄 えることを 願った慶 賀の石を︑ご参 拝の折に是 非ご 覧ください︒ 明治祭 神宮大麻暦頒布始奉告祭 化の日として広く国 民に親し まれている 月3日は︑近 代 日本の建 国 発 展にご尽 力なさ れ︑今日の我が国の礎を築かれた明治天 皇の御生誕の日です︒ この日︑明治天皇の聖徳大業を仰ぎ︑ 皇 室の弥 栄と国 家 国 民の繁 栄を祈り︑ 日本の文 化・産 業の更なる発 展と永 遠 の平 和を願う明 治 祭が厳 粛に斎 行され ました︒ 文 さざれ石奉納除幕式並清祓式 境 内の国 旗 掲 揚 塔の脇に﹁さざ れ石﹂が奉 納され︑除 幕 式と 清祓式が行われました︒ 横浜貨物綜合㈱佐藤俊哉様よりご奉 納 頂きましたこの石は︑岐 阜 県 伊 吹 山 せっ か い し つ で産 出されたもので︑学 名を﹁石 灰 質 かく れ き がん 角礫岩﹂といい︑石灰岩が雨水により溶 解され︑その粘着性の強い乳状液が小石 を凝 結しながら途 方もない年 月をかけて 巨岩化した天然記念物です︒ 県 神 社 庁 相 模 湘 南 支 部の神 宮 大 麻 暦 頒 布 始 奉 告 祭が管 内 神 社 宮 司 参 列のもと 月 日に斎行されました︒ 神 宮 大 麻は天 照 大 神の神 札のことを いい︑新たな年も健やかに生 活が営める よう氏神様の神札と共に神棚にお祀りす るお札です︒ 新しい神宮大麻をお受け頂き︑清々し い新年をお迎えください︒ 境内整備事業 進む 月 に 竣 功 し ま し た︒こ 年より行われていた社務所新館 社務所新館改築 平成 改築工事が昨年 の建物には複数の部署の事務室等が設け られ一層の業務の効率化が図られます︒ 馬場西側玉垣改修 月に第1 境内馬場西側にある玉垣の老朽化に伴 う 改 修 工 事 が 進 め ら れ︑昨 年 今後は第2期工事が進められます︒ 期工事が竣功しました︒ 社務所玄関前石張 よ り 安 全 か つ 清 々 し く ご 参 拝 頂 く た め︑ 日 月 3日 日 社務所玄関前石張工事 日 〃 天長祭 神徳感謝祭 師走大祓式並除夜祭 竣功清祓式 日 日 〃 日は除く︶ 20 社務所玄関前の石張工事を行いました︒ 11 53 毎月1日・ 日 月次祭 ︵9月 20 27 6 7 15 23 23 10 17 21 11 11 13 23 14 20 49 10 10 31 10 11 10 12 12 11 馬場西側玉垣 社務所前石張 ❺ 勢の神宮において斎行される年 間一五〇〇にも 及ぶ祭 典の中 で︑最も重儀とされるのが﹁神 嘗 祭﹂です︒その年に収 穫された新 穀 を天照大神に捧げ︑その恵みに感謝する 祭典で︑神宮では︑この祭典に合わせ御 装束・祭器具が一新されます︒ 年に一度斎行される﹁式年遷宮﹂は 大 規 模 な 神 嘗 祭であるとも 考 えられ︑ 式年遷宮後最初の神嘗祭を特に﹁大神 嘗祭﹂ともいいます︒ 月 日には皇 大 神 宮︵内 宮︶にお いて︑天 皇 陛 下が遣わされた勅 使により 奉 幣が行 われ︑同日天 皇 陛 下には皇 居 神 嘉 殿にて皇 大 神 宮を御 遙 拝になられ ます︒ このような︑日本人の生活の根源とも いえる重 要な祭 典が斎 行される当日に︑ 当神社でも神嘗奉祝祭を斎行し︑神宮 を遙拝致しました︒ 10 11 社務所新館 11 ❷ ❶ [写真]①職員防災訓練 ②教養研修会 ③七五三の一場面 ④新嘗祭「豊栄の舞」 ⑤早すぎる初雪 ❸ 17 ことができました︒ 祭 典 当 日には︑近 隣の生 産 者 より︑ 丹精込めて作られた新米・野菜など様々 なものが奉納︵奉納者の御芳名は9ペー ジに記 載︶され︑神の御 恵に感 謝 申 し 上げると共に︑皇 室の御 安 泰と氏 子 崇 敬者の更なる弥栄が祈念されました︒ 祭典終了後には︑参集殿において記念 式典が開催され︑一年間の篤志奉納者と 第 回 菊 花・写 真 展に入 賞された方々 ︵御 芳 名は ・ ページに記 載︶を表 彰 し︑奉納された白酒にて直会が執り行わ れました︒ ❹ 20 10 49 青 弥 孝 市 葉 初 穂 米 ・ 魚 酒・餅・野菜 果物・卵・花 菓 子 等 田 木 ㈱アサヒファーマシー 相 青 ㈱ 一之宮薬局 アースワタナベ 渡邉 廣 石 井 明 彦 石 井 高 明 井 出 茂 樹 入 澤 一 三 宇田川 良 一 梅 崎 里 子 梅 崎 豊 大 川 哲 平 ㈱ カ ナ リ ヤ 神奈川県神道青年会 金 子 昭 金 子 悦 夫 金 子 幸 一 金 子 信 夫 金 子 昌 裕 金 子 菊 治 ㈲カネヤ商会 平田 登 山 トミ子 地 園 芸 喜久屋酒店 北 岡 本 店 村 敏 之 田 隆 田 知 一 田 登 澤 酒 造 ㈱ 工房えむま 亀 菊 ㈲ ㈱ 北 栗 栗 栗 熊 ㈱ 神 弘 隆 英 敏 社 髙 志 夫 行 ㈱ 晃 和ディスプレイ 掛 菅 菅 菅 泉 寒 川 駅 前クリニック 腰 小 小 小 小 神 話「 稲 羽 の 素菟」 茅ヶ崎漁業協同組合 ボーイスカウト寒川第二団 露 木 生 花 中沢運輸㈱ 中沢 邦彦 中 島 啓 介 日 本 精 麦 ㈱ 根 岸 茂 和 萩 原 けい子 眼龍子事務所 藤 井 喜代治 ㈱ 藤 又 福 岡 貞 夫 豊 月 堂 堀 米 惠 子 前 田 隆 一 松 本 學 萬蔵丸 今澤 政雄 丸 福 ㈱ 水 谷 稔 皆 川 憲 治 皆 川 清 藏 皆 川 米 男 宮山神輿愛好会 巳芳商事㈱ 新美 公祥 百 崎 製 菓 ㈱ 谷 澤 正 勝 横 溝 隆 義 𠮷 川 精 二 ― ヤソガミ この話は﹃古事記﹄にある神話の中で も非 常によく知られており︑一般 的には ﹁因幡の白兎﹂と標記されますが︑古事 記では ﹁稲羽之素菟﹂ と記されています︒ 因幡は現在の鳥取県の東部を指しま すが︑古事記には﹁稲羽=因幡﹂との記 述は見られません︒ ﹁イナバ﹂は稲の置き 場を指すとも考えられ︑日本各地にその 地名が残っています︒ しかし︑大国主命の 話の前後で素戔嗚尊が登場し︑素戔嗚 尊が出雲にいたこと︑また大国主命が出 雲大社の御祭神であることを考えると︑ 話の展開としては隣の﹁因幡﹂であると 考えるのが自然であるとされています︒ ﹁素菟﹂は一般的には﹁白いウサギ﹂と解 されていますが︑こちらも色についての記 述は古事記には見られません︒ この神話では﹁蒲﹂が薬草として登場 することから︑我が国 最 古の薬について の記 述であるとの見 方 もあります︒実 際に現 代でも火傷などの外用 薬として ﹁蒲黄︵ホオウ︶﹂と呼ばれるガマ科の花 粉を粉末にした漢方が存在します︒ ﹁人を騙せば︑やがて自分も騙され痛 い目に合う﹂﹁不遇の中でも真面目でい れば報われる﹂という教訓を説くこの神 話︒ 人間は間違いを犯し︑ついつい人を傷つ けてしまう︒ それは人間である以上仕方 のないこと︒ それを人 間らしい神 様の反 潔 神話ねぶた神門飾る ※三が日は終夜点灯 ▲北村蓮明作「稲羽の素菟」2月3日まで夜間(日没〜22時)点灯 ―あ ら す じ オオナムヂノカミ 大穴牟遅神のたくさんの兄たち︵八十神︶は︑ ヤガミヒメ 稲羽︵因幡︶ の八上姫という非常に美しい姫に求 婚するため︑全員で稲羽へ向かい︑末っ子であっ た大 穴 牟 遅 神は兄たちの荷 物 持ちをさせられ 途中︑皮をはがされ真っ赤になっている兎と ることとなった︒ 出会った︒ 助けを求める兎に対し﹁海水につかっ ぐに治る﹂ と八十神たちは教え︑その場を去って た後︑風がよく吹く高い岩の上で寝ていればす 兎は言われた通りにするが︑当然ながら傷が 行った︒ 癒えるわけもなく︑一層の痛みにもがき苦しん しばらくして荷物持ちとして遅れて歩いてい でいた︒ た大穴牟遅神が兎の横を通りかかり︑泣き叫ん でいた兎に声をかけると﹁罰が当たった﹂と言う ので訳をきいた︒ その兎はもともと大海原に浮 広がる 大 地への憧れを 日々抱いていたという︒ かぶ小さな島で暮らしていたが︑海の向こうに ワ ニ 日々海を渡る方法を考えていたが︑兎はその方 法を思いつく︒ それは和邇︵サメ︶を騙して利用 する方法であった︒ ﹁兎と和邇の数くらべ﹂をし ようと持ち出し︑島から岬まで和邇を並ばせ︑ その背中の上を数えるふりをして渡ったのであ る︒ しかし︑喜びの余りあと一歩のところで︑数 くらべが嘘であったことを口走ってしまい︑激怒 した和 邇に皮をはがされてしまったのである︒ 痛みにもがき苦しんでいるところへ︑ 八十神たち が通りかかり嘘の治療法を教えられ騙されたの であった︒ スサノオノミコト 面教師的な一面を描き︑我々に説いている 神話といえます︒ さがみ農業協同組合 金 子 良 幸 金 子 悦 夫 金 子 幸 一 金 子 昭 金 子 一 男 金 子 隆 夫 金 子 武 金 子 隆 次 ㈱金子建材土木 金子 一茂 亀 山 良 夫 河 江 義 行 神 崎 相 一 木 内 和 美 木 内 敏 幸 木 内 和 彦 木 内 孝 隆 木 内 国 彦 菊 地 由 宜 北 村 宏 保 北 村 工 務 店 北 村 茂 北 村 昌 徳 木 村 孝 行 木 村 昭 夫 木 村 愼 次 楠 谷 稔 栗 田 馨 栗 田 登 栗 田 知 一 栗 田 務 栗 田 隆 小 泉 正 彦 小 菅 繁 男 小 菅 千 鳥 小 菅 隆 志 後 藤 進 齋 藤 雅 俊 齋 藤 博 一 齋 藤 寛 悟 代表理事組合長 大川 良一 さがみ農業協同組合 鈴木 寒川地区運営委員長 寒川支店 さがみ農業協同組合 受賞歴 平成21・25・27年 ねぶた大賞(最優秀賞) 数々の賞を13年連続受賞中 倉見支店 さがみ農業協同組合 寒川営農経済センター さがみ農業協同組合 佐 藤 凉 栄 佐 藤 哲 佐 藤 幸 雄 佐 藤 昭 宏 佐 藤 好 夫 佐 藤 朝 一 佐 藤 勲 ㈱さんこうどう 川上 彰久 椎 野 喜 市 下里自動車㈱ 下里 勝二 杉 崎 孝 行 杉 崎 保 明 杉 山 光 弘 鈴 木 敏 之 鈴 木 猪太郎 鈴 木 忠 鈴 木 正 浩 鈴 木 一 實 鈴 木 豊 曽 根 利 昭 髙 瀬 龍太郎 髙 橋 恵 一 髙 橋 常 次 髙 橋 清 髙 橋 咲 道 竹 内 良 晴 露 木 武 光 戸 塚 恵 治 常 盤 榮 一 内 藤 英 敏 中 嶋 康 雄 ㈱中島鉄工所 長 澤 弘 光 根 岸 和 子 能 條 隆 野 地 浩 一 長谷川 明 夫 日 尾 政 喜 廣 田 一 夫 深 瀬 正 美 福 岡 誠 藤 井 明 男 井 澤 谷 山 田 水 澤 澤 留 留 川 川 川 川 堀 田 田 澤 溝 溝 澤 田 田 薫 靖 典 喜 洋 大 二 隆 一 行 正 伸 喜 廣 司 清 一 豊 正 清 藏 米 男 憲 治 欽 一 和 彦 一 美 八千雄 匡 弘 正 勝 貞 義 隆 義 清 二 信 雄 博 國 善 治 政 一 文 亮 ︵順不同・敬称略︶ 藤 藤 古 古 前 舛 三 三 三 三 皆 皆 皆 皆 三 村 村 森 谷 横 横 吉 𠮷 吉 脇 脇 脇 昭和23年…青森市に生まれる 昭和33年…町内ねぶたを作り始める 昭和37年…師匠 北川啓三に弟子入り 昭和40年…兄弟三人で初めて大型ねぶたを制作 以後、小型ねぶたの制作に専念し修行 昭和53年…兄と共に大型ねぶたの制作を再開 以後、二人三脚で数多くのねぶたを制作 平成10年…独立 現 在…大型3台制作 平成26年より寒川神社のねぶたを制作 それを聞いた大穴牟遅神は﹁川の水で体を洗 適切な治療法を教えた︒ すると兎の傷は癒えて い︑蒲の穂をとってその粉を体につける﹂という 感謝した兎は﹁八十神たちは決して八上姫を いった︒ 妻にすることはできない︒ 八上 姫が夫に選ぶの 八上姫のもとへ到着した八十神たちは競って はあなたでしょう﹂ と予言する︒ 求婚するが︑ 八上姫は ﹁夫になる命は心の中です 存在のお方で︑その命と結ばれよととつぜん言 でに決めている︒ あなた方の中で一番目立たない 霊が聞こえた﹂と言い出す︒ その命というのが︑ オオクニヌシノミコト 荷物持ちとして兄たちに連れてこられた大穴牟 遅神だったのである︒ アシハラノナカツクニ 後に︑大穴牟遅神は大国主命として素戔嗚尊 の跡を継ぎ︑葦原中津国を治める神となり︑豊 かな国土を造るために尽力された︒ 孝 善 久 弥 市 昇 茂 雄 駿 義 道 忠 治 明 彦 高 明 喜代治 良 行 鉄 男 宏 平 忠 雄 久 雄 明 昇 幹 雄 明 澄 雄 太 一 一 浩 勉 隆 男 忠 市 健 一 郁 雄 隆 一 良 一 辰 男 芳 徳 壽 一 孝 男 雄 好 男 治 昭 一 夫 昭 男 靜 輝 正 信 章 宏 隆 孝 光 忠 初 穂 米 ︵ 一 升 袋 ︶ 相 田 相 原 青 木 青 木 天 利 安 藤 興 安 伊 澤 石 井 石 井 石 黒 石 黒 石 黒 石 黒 石 黒 石 黒 石 黒 石 塚 市 川 市 川 市 川 市 川 井 出 井 出 井 上 井 上 井 上 入 澤 入 澤 宇田川 宇田川 内 田 大 川 大久保 大久保 小 島 小 島 小 島 小 嶋 小 嶋 小 川 小 澤 大 谷 大 柳 北村蓮明 ねぶた師 うさぎ し ろ ば ㈲寒川建材 西山 正彦 寒川神社 神一会 さがみや菓舗 ㈲サダコ美容室 シャトレーゼ 湘南さむかわ店 新明和工業㈱ 杉 﨑 秀 男 ㈱ 空 晴 大黒屋 野中 正博 橋 恵 一 橋 昭 夫 山 庸 道 髙 髙 龍 平成29年丁酉歳 迎春神話ねぶた い な 8 9 新嘗祭奉納者芳名 平成28年 第 平成 浄 浄 絵 ︵敬称略︶ 長 澤 八 重 髙 屋 順 子 鈴 木 竹 柏 浄 髙 橋 範 子 加 藤 ︵順不同・敬称略︶ 財 古文書 年篤 志 奉 納 者 芳 名 財 財 画 回 菊花展入賞者 太管の部 金 賞 銀 賞 銅 賞 寒川町観光協会賞 湘南信用金庫寒川支店賞 三昭グループ中華一番/嵐坊賞 FM横浜賞 ジェイコム湘南賞 入 選 清田 美躬 長澤 弘光 八木 邦久 小相澤賢治 天利 勇 藤間 浩 阿諏訪 豊 小室 久次 柿澤 昌明 入 選 首藤 明 清田 美躬 内藤 俊雄 菅 利/鴨志田信子 笠間 潔/菅 利 藤好 清晴/清田 美躬 米山 晃 清田 美躬/長澤 弘光 小峰 勝子 鴨志田信子 伊藤 勉 関場 清 安西 昭夫 だるまの部 金 賞 銀 賞 銅 賞 入 選 〃 〃 〃 七本立の部 審査長賞 寒川ライオンズクラブ会長賞 湘南信用金庫寒川支店賞 読売神奈川広告社賞 入 選 なお正月気分はありません。更に国内でも何時間も時 吉和 正夫 2日からは平日で普通に出勤する人も多く、日本のよう 遠藤 高橋 も申し訳ない気持ちになりました。 審 査 長 副審査長 その様子を見たりしながら新しい年を迎えます。ただ翌 三橋 太一 ︵順不同・敬称略︶ よりどころにもなっていたようで、それを聞いてありがたく 宮 司 賞 厚物の部﹁新太平の銀峰﹂ 菊奉献者 が行われるので、友人とその行事に参加したりテレビで 間管の部 金 賞 小林 昇 銀 賞 水島 進 渡辺 要治 銅 賞 さがみ農協寒川地区賞 上原 茂雄 横浜銀行茅ヶ崎支店賞 玉尾 功 渡辺 要治 三井住友銀行藤沢法人営業部賞 三昭グループ中華一番/嵐坊賞 小室 久次 阿諏訪 豊 FM横浜賞 テレビ神奈川賞 玉尾 功 ジェイコム湘南賞 小峯 貞 小相澤賢治 〃 NACK5賞 松原不二男 後藤 勤 テレビ埼玉賞 入 選 三橋 重夫/大貫 明 小さな事務所の神棚でしたが、こちらの人々の心の 安西 昭夫 日には中心部のタイムズスクエアでカウントダウンイベント 神社本庁統理賞 細管の部﹁天女の名所﹂ でもお正月等にここを訪ねてくる人が絶えず、「もう神道 阿諏訪 豊 関場 清 須川 光雄 福岡 堅 笠原 敏男 梶 俊一 田中 昇 水島 進 宗像 洋 柳澤 芳夫 スマスの装飾が始まりますが、日本と違い街はクリスマス 天利 勇︵寒 川 町︶/藤好 清晴︵寒 川 町︶ 山崎 武︵藤 沢 市︶/柳澤 芳夫︵藤 沢 市︶ 落合 好文︵藤 沢 市︶/佐野 晴子︵座 間 市︶ 佐野 多昭︵座 間 市︶/田戸 一雄︵座 間 市︶ 渡邊 昭義︵座 間 市︶/八木 邦久︵座 間 市︶ 上原 茂雄︵伊勢原市︶/森井 渡︵伊勢原市︶ 多田 雅利︵伊勢原市︶/田中 昇︵伊勢原市︶ 平川 光則︵伊勢原市︶/小川 敏幸︵平 塚 市︶ 進︵平 塚 市︶ 小峯 貞雄︵平 塚 市︶/大出 渡辺 要治︵平 塚 市︶/二宮 和昭︵平 塚 市︶ 笠間 潔︵綾 瀬 市︶/五十嵐良男︵綾 瀬 市︶ 柴田 精一︵綾 瀬 市︶/大塚 外雄︵綾 瀬 市︶ 田中 博司︵綾 瀬 市︶/土屋 和民︵綾 瀬 市︶ 藤岡 清久︵綾 瀬 市︶/福島 忠志︵綾 瀬 市︶ 関場 清︵大 和 市︶/山口 勝巳︵大 和 市︶ 君子︵大 和 市︶ 伊藤 政三︵大 和 市︶/沖 吉田 利雄︵大 和 市︶/金子サチ子︵大 和 市︶ 金子 静夫︵大 和 市︶/狩戸 国義︵大 和 市︶ 利︵大 和 市︶ 小久保貞夫︵大 和 市︶/菅 前田 晃︵大 和 市︶/足立 武夫︵大 和 市︶ 進︵大 和 市︶ 大野 常俊︵大 和 市︶/竹内 矢後てるみ︵大 和 市︶/矢野 幸次︵大 和 市︶ 矢野 洋子︵大 和 市︶/小松原郁夫︵茅ケ崎市︶ 杉本 修︵茅ケ崎市︶/菅野 仁蔵︵茅ケ崎市︶ 石原 達男︵茅ケ崎市︶/大内喜一郎︵茅ケ崎市︶ 所を通りかかると、旧知のドアマンに声を掛けられ、今 長澤 弘光 菅 利 松原不二男 田島喜久馬/首藤 明 尾上喜代司/菅 利 藤好 清晴/尾上喜代司 NYでも感謝祭が終わった頃から街の至る所でクリ 岩本 茂 さがみ農協寒川地区賞 寒川ライオンズクラブ会長賞 笠間 潔 伊藤 勉 横浜銀行茅ヶ崎支店賞 三井住友銀行藤沢法人営業部賞 岡田 秀麿 読売神奈川広告社賞 内藤 俊雄 柳澤 芳夫 三昭グループ中華一番/嵐坊賞 熊澤酒造賞 秋山 美好 三橋 太一 ニッポン放送賞 〃 秋山 美好 〃 関場 清 水島 進 エフエム東京賞 FM横浜賞 山田 輝夫 岩本 茂 ジェイコム湘南賞 〃 岩本 茂 〃 梶 俊一 半谷 昭雄 テレビ埼玉賞 〃 鴨志田信子 鈴木 良雄 山梨放送賞 テレビ山梨賞 米山 晃 入選 三橋 太一/梶 堯子 土屋 和民/小峰 勝子 〃 〃 鴨志田信子/三浦 勝衛 田中 昇 〃 事務所はタイムズス 細管の部 金 賞 銀 賞 銅 賞 日本郵便㈱寒川郵便局長賞 三昭グループ中華一番/嵐坊賞 熊澤酒造賞 テレビ神奈川賞 ジェイコム湘南賞 NACK5賞 入 選 福助の部 金 賞 銀 賞 銅 賞 入 選 〃 〃 ただ、私 がいた 厚走の部 小峰 岡田 玉尾 清田 大貫 安西 関場 原 名近い来訪者がありました。 NYの人々には「事務所 勝子 秀麿 功 美躬 久男 昭夫 清 則夫 金 賞 銀 賞 銅 賞 寒川町議会議長賞 寒川ロータリークラブ会長賞 読売神奈川広告社賞 三昭グループ中華一番/嵐坊賞 入 選 イベントの紙 吹 雪を 土屋 和民 梶 俊一 内藤 俊雄 伊藤 勉 日から新年にかけて 厚物の部 金 賞 銀 賞 銅 賞 寒川町長賞 ▲事務所での初詣風景 開 放していたため、 田島喜久馬︵茅ケ崎市︶/渡辺 三郎︵茅ケ崎市︶ 八田 信義︵茅ケ崎市︶/野村 守永︵茅ケ崎市︶ 和田 英行︵茅ケ崎市︶/屋城善二郎︵海老名市︶ 鴨志田信子︵海老名市︶/佐藤 誠一︵海老名市︶ 佐藤 和史︵海老名市︶/三村 芳弘︵海老名市︶ 西海 祥浩︵海老名市︶/池田 哲男︵海老名市︶ 内藤 俊雄︵海老名市︶/髙津 有ニ︵海老名市︶ 原 則夫︵秦 野 市︶ ︵敬称略︶ 伊奈喜久雄 実情です。 28 回 写真展入賞者 審 査 長 下川 勝利 市川 正則 清水 進 古郡 和敏 埜村 秀 栁 盛康 坂井 清八 原田 力 小菅 利夫 大坪 政文 内田 賢智 杉崎 信行 伊藤と志子 水野 武 荒井 三郎 堀米 和夫 永沼 鉄男 末次とし子 加藤 典夫 岡崎 倫枝 末次 巌 鎗田 秀夫 柳川 武春 熊澤 康正 矢内 良一 小澤 倶治 荻原 勇一 鈴木 生子 猿渡 政吾 池田 康夫 大貫 毅 三山 静雄 大木伊都子 中村 成信 髙橋由美子 和田 輝夫 鈴木 清美 横田 美彦 下里 勝二 安藤 榮治 木村 哲雄 石井 吉雄 松山 進 中田 達男 蛭田 俊雄 《次回》ニューヨークの在留邦人と日系宗教の関係を紹介します 差があるので国中が一体となって新年をお祝いする習 との話を聞きました。 クリスマス自体は家族とゆっくり過ごすものの、大晦 オフィスはないんだよ」というと悲しそうな顔で帰っていく の装いのまま新年を迎えます。 余談ながら、昨年出張でNYに赴いた際に旧事務 れています。 気分を味わえた」と喜んでもらえました。 からクリスマス後の新年までがホリデーシーズンと呼ば の神棚ながらもお参りができ、少しでも日本のお正月の アメリカでは毎年11月最終週に感謝祭があり、そこ 服に付けたままの人々が訪ねて来るなど、三が日で400 ニューヨークのお正月 クエアに近く、大晦 見聞録 第 宮司賞 神社本庁統理賞 神事の裏側にある瞬間に着眼した点が素晴らし く、それを実現するための的確な撮影ポジショ ンの選択等、撮影技術も随所に盛り込まれ、テー マとテクニックが一体となった作品です。 撮影者と被写体との間に写真テクニックを超越 した良いコミュニケーションが感じられ、それ により堅苦しさのない和やかな雰囲気に満ち溢 れた作品に仕上がっています。 中 西 正 史 寒川神社 権禰宜 「お迎えの時」 「初宮参りの佳き日」 10 11 金 賞 銀 賞 銀 賞 銅 賞 銅 賞 銅 賞 寒川町長賞 寒川町議会議長賞 茅ヶ崎市長賞 寒川町教育長賞 日本郵便㈱寒川郵便局長賞 寒川町観光協会賞 寒川ロータリークラブ会長賞 寒川ライオンズクラブ会長賞 〃 横浜銀行寒川支店賞 〃 三昭ツーリスト賞 〃 〃 〃 〃 読売神奈川広告社賞 〃 ニッポン放送賞 〃 エフエム東京賞 テレビ神奈川賞 〃 ジェイコム湘南賞 〃 〃 FMヨコハマ賞 〃 テレビ埼玉賞 〃 〃 NACK5賞 山梨放送賞 テレビ山梨賞 田中写真賞 〃 〃 慣には 乏しいのが 広く親しまれ栽培されている 人気品種で、見本になるよう な 盆 用 仕 立 て で 申 し 分 な く、 花芯のまとまり・色、三花揃っ た花容が素晴らしい花です。 盆用仕立ても素晴らしく、葉 巻等もなく、輪径・花弁の伸び・ 花 芯・段 咲 き・玉 巻 き・花 芯 周りの特有の色等見事な出来 栄えでした。 49 49 鬼門と裏鬼門 古来より日本では︑鬼門 ︵北東︶ は鬼が出入りする不吉な方角とされ︑様々な災いが起こると忌み嫌われてきました︒ 同様に︑鬼門の正反対にあたる南西の方角 ︵裏鬼門︶ についても︑注意すべきものとして扱われてきました︒ 四神相応の 地として︑地相的に最もふさわしいとされた京の都 ﹁平安京﹂ では︑政治的・宗教的に最適な場所にするため︑徹底した それでは︑寒川神社はどうでしょうか︒当神社は江戸︵東京︶から見て南西︵坤︶の地に鎮座しており︑江戸︵現在の皇 鬼門・裏鬼門対策がなされたといわれており︑ 如何に ﹁方角﹂ を重要視していたかが窺えます︒ 居︶の裏鬼門にあたります︒また︑通常社殿は南向き︑もしくは東向きに建立されるのですが︑当神社は南西を向いて います︒ そのため︑古くより関八州の守護神として︑また江戸の裏鬼門をお守りする神社として崇敬され︑とりわけ八方除・ 平成 年丁酉歳 昭和55年生 方位除の神様として信仰されてきました︒ 昭和59年生 方位学と八方除 平成 人が行動する際︑その行動には必ず ﹁方向 ︵方位︶ ﹂ が伴います︒ これに対して︑目には見えない何かが作用し︑法則性が 昭和56年生 昭和60年生 ﹁方位学﹂ です︒ この方位学の研究こそが八方除と大きく関わっているのです︒ あるのではないか そ …れを研究したのが 人はそれぞれの生年月日により﹁星回り﹂が異なる上に︑時々により良い方角︵吉方︶と悪い方角︵凶方︶が発生しま 昭和57年生 還 ※暦や古希・喜寿なども厄年と考え られている場合もありますが︑右記以外 の年齢の方は当神社では﹁八方除﹂の御 祈願をお受け頂いております︒ [写真] ①アリゾナメモリアル ②式典で挨拶される田中総長 ③アリゾナメモリアル内での式典 ④クリッパーズメモリアル ⑤愛媛丸慰霊碑 ⑥ハワイ金刀比羅神社・太宰府天満宮 す︒人によって全く異なる方角の良し悪しをその都度見極め︑失敗の恐れの少ない方角を選択し︑健康で幸せな人生 後厄 平成10年生 昭和61年生 を過ごす一助とすることが最も理想であります︒しかし︑慌ただしい現代においては︑たとえ住居・方角・運勢の良 本厄 平成11年生 女 し悪しを判断できたとしても︑仕事や学校の都合が優先され︑なかなか思い通りにいかないのが現実であり︑支配さ 前厄 平成12年生 29 4 年生 昭和50年生 昭和31年生 米軍基地内に設けられた記念碑前での慰霊や現地の神社参拝など殊の れている法則に則って生活するのは不可能に近いといえます︒ 界平和と、人類の幸福を実現するため…今この瞬間をどのように生きるべきか 12 13 ※ 5 年生 昭和51年生 昭和32年生 典や慰霊行事に参加できたことは非常に感慨深いものがありました。 唯一無二の御神徳 開催され、世界連邦日本宗教委員会ハワイ平和祈念使節団の一員として、会 平成 6 年生 昭和52年生 昭和33年生 訪問など日米関係において歴史的な一歩を踏み出したといえる今、こうした式 〝転ばぬ先の杖〟として大難は小難に︑小難は無難に そこで︑ 州パールハーバーにてアメリカ合衆国海兵隊主催の平和を祈る記念式典が 後厄 G7伊勢志摩サミット後のオバマ大統領の広島訪問、安倍首相の真珠湾 過ごせるよう︑また悪い﹁気﹂をできる限り和らげ︑良い﹁気﹂を あの真珠湾攻撃から75年。去る平成28年12月7日、アメリカ合衆国ハワイ 本厄 前厄 年齢 性 別 (かぞえ年) 平成 25歳 42歳 61歳 男 19歳 33歳 37歳 恒久平和の実現に邁進することの重要性を痛感する旅となりました。 【 宮司談】 ❺ 《方 位 吉凶 早 見 表 》 《厄年一覧表》 を考え続けることが大切でしょう」 と挨拶されました。 呼び込み︑日々穏やかに過ごせるように神様に祈るのが﹁八方 されており、式典では田中総長が日本の宗教者を代表して登壇され「真の世 除﹂です︒ 会のパールハーバー訪問は、昭和57年より毎年恒例の慰霊行事として実施 ﹁八方除﹂は︑地相・家相・方位・日柄などに起因する全ての 約70名と共にこの式典に出席させて頂きました。今回で35回目を迎えた委員 悪事災難を取り除き︑福徳円満をもたらすとともに︑如何なる ― 世界の平和を祈念して ― 年齢 性 別 (かぞえ年) ❻ 外貴重な経験を通じて 「今ある当たり前の平和」 に感謝すると共に、一日も早い ※横浜貿易新聞…現 神奈川新聞 明治41年12月29日号「横浜貿易新聞」に当神 社の「八方除」の記事が掲載され「古来有名なる 八方除の神札を授与せらるる…多数の人参詣し て…」 との記述があり、100年以上前から当神社 の八方除の信仰が根付いていたことが窺えます。 長である田中恆清神社本庁総長をはじめ日本各地のさまざまな宗教関係者 状況にあっても積極的に生きていけるように導く寒川大明神 ❶ 八方除 真珠湾 ❹ ❸ ❷ の唯一無二の御神徳なのです︒ 記念式典出席 寒川神社の 75th Anniversary National Pearl Harbor Remembrance Day Commemoration クローズアップ 東日本大震災から6年 うそ寒や駅に手配の顔写真 義理二ツ果たして急ぐ夕時雨 小春日や次々伝染る大あくび 杭を打つ事で始まる冬囲い 古書店の隣は質屋一葉忌 一葉忌不足の二円切手貼る 子沢山昔は多く一葉忌 躓きて敷石叱る懐手 新蕎麦や挽きたて打ちたて茹であがる 猿渡 吉岡 菅沼うめの 竹村真砂美 根岸 岩田美代子 石原美枝子 宮入 倉谷 飛石 つ つる 君子 弥生 公一 徳光 保幸 つぢ 楽天 詠 草 金華山黄金山神社 奥海宮司 ご参拝 野辺の小草の自ずから決めしこの里に雑草の生を歩みつづけぬ 山口 土屋トミ子 宇田川時子 道子 宮治友美枝 事 茜 萌 ︿神恵苑﹀ 介護福祉士 竹内 清忠 〃 溝江 美雅 願いに依り職を免ずる 平成二十八年十二月三十一日 看護師 奥野 道子 願いに依り職を免ずる 平成二十八年十二月三十一日 看護師 中嶋 甲子 規則に依り定年退職とする 平成二十八年十一月三十日 ︿寒川病院﹀ 看護師 古屋 郁子 規則に依り定年退職とする 看護師 森川 春華 願いに依り職を免ずる 平成二十八年十月三十一日 ◆退 職 ︿寒川神社﹀ 主 事 関 良子 願いに依り職を免ずる 平成二十八年十一月三十日 ︿さむかわ訪問看護ステーション﹀ 看護師 高橋 義治 さむかわ訪問看護 ステーション勤務を命ずる 平成二十八年十一月一日 ◆採 用 ︿寒川病院﹀ 看護師 伊藤 診療放射線技師 小掠 寒川病院勤務を命ずる 平成二十八年十二月一日 人 当 神 社では今 後も出 来 得る限りの 支援を行ってまいります︒ 引 き 続 き︑皆 様のご協 力 をお願い 申し上げます︒ ― 神 社は古 来より︑地 域の中で︑地 域の方々に支えられて発 展してきまし た︒人々にとって神 社は﹁心のよりど ころ﹂であり︑地 域での生 活の中 心 ともいえる存 在でした︒ 大 震 災による 被 害は大きな打 撃であったに違いあり ませんが︑今 ︑金 華 山 黄 金 山 神 社は 地 域の人々はもとより日本 中の方から 支えられながら復 興に向けて一歩 ずつ 歩みを続けています︒そこに﹁ 神 社と 人とのあるべき姿﹂をみたような気が します︒ なお︑今 回 も 寒 川 神 社にご参 拝の 皆 様からの義 捐 金を同 社にお届けさせ て頂 きました︒ご協 力 頂 きました皆 様に衷心より御礼申し上げます︒ 被 災 地へ ﹁ 祈 り ﹂ を こ めて とどけ ﹁ 鈴の音 ﹂ 稲穂たれ取り入れ時と稲刈機︑袋まんぱい笑顔で仕事 山根喜美代 よ 曼珠沙華彼岸を告げる赤い花まるくほほえみ仏の姿 文子 あら くさ 悲しみを抱えながらの八十六歳迎えし今日もしつかりと地に立つ 亀山 慧 み あまりにも澄みたる富 士に見 惚れいて無心となりぬ今 朝のいっとき 安藤 幸子 店頭に﹁平種なし﹂とう柿並び十月一日秋の始まる 川島惠美子 ま 音のなく靜かに散る寂しさに雨の合間に秋を愛しむ つ 平澤まさえ ながら 残り糸寄せ集めつつベスト編む夜長独り居物思わせる 徳江 芳子 幸子 道の辺の露草葉かげに空蝉一つ生れし命の何処に鳴くや 岡元 照世 くっきりと上弦の月暗やみに照りかがやける黄金の色 老令をいとわず参加のサークルに日々生き生きを心に置きて 杉本 ひと 独楽・こま・コマと書きて決めむ今 日 一 日本 読み独り楽しむことを 田 存へて生ある朝の静かなり亡夫の育てし庭芝を刈る 相 模 この度︑昨 年9 月 日に斎 行され た同 社の例 祭に当 神 社より利 根 宮 司 と 職 員が参 列 致 しましたので︑ご紹 介します︒ 数日前まで台 風の影 響で不 安 定な 天 候が続いていましたが︑当日は汗ば むほどの陽気に包まれました︒本年の 例 大 祭は震 災 後 最 多となる参 列 者を お迎えになったとのことで︑境内は大い に賑 わい︑職 員の方々も﹁この忙しさ は嬉 しい悲 鳴︑感 無 量 だ﹂とお話 し されていました︒ 数年ぶりの訪問となりましたが︑震 災で倒 壊した鳥 居・灯 籠が修 復され るなど復 興の兆しがみえる一方で︑未 だ手つかずの部分も見受けられ︑震災 の爪 痕は至る所に残されていました︒ そんな 中でも︑着 実 な 復 興の歩みを 肌で感じることができ感 慨 深いものが ありました︒ 一歩 ずつ歩 む 復 興への道のり ― 金華山黄金山神社 例祭参列 未 曾 有の大 災 害となった東日本 大 震災から︑まもなく6年を迎えます︒ 当 神 社では︑震 源 地に最 も近い離 島に鎮座する金華山黄金山神社︵宮 城 県 石 巻 市︶への支 援 活 動を震 災 発 生当初より続けてまいりました︒ 俳 壇 冬うらら花いちもんめの声がする 伊藤 寒 川 凩や路地を転がるポリバケツ 芹澤 槿花 吊鐘の下で木枯渦巻けり 菅沼 ひ 重ね着の手間のかかりぬ厠かな 松本美智子 節子 家古ふ言うこときかぬ冬障子 金子 ふところで 母の便り幾度も読む夜長かな 四ツ車梢月 う 落葉飛ぶ教室の声つつ抜けに 原野 こがらし 主人なき屋敷は柿の当たり年 25 14 15 ▲利根宮司と金華山黄金山神社・奥海宮司 10月27日、金華山黄金山 神社の奥海宮司様が当神社 をご参拝されました。 参拝後は神嶽山神苑をご 散策され、和やかなひと時 をお過ごし頂きました。 ▲震災直後の灯籠㊤と修復された灯籠㊦ 鈴の音通信 ノロ ウ イル ス 腸 炎 宗教法人 寒川神社 寒川病院 青少年だより 木勢佳史 医局長 少年館 しめ縄飾り作り 寒くなり宴会も多い季節になってき ました︒ 新年の神さまをお迎えするための準備として、少年館の館生たちは、家に 飾るしめ飾りを毎年自分たちで作っています。 平成28年最後の少年館の行事ともあり、とても賑やかで和やかな中、普段 見せないような真剣な顔つきで親子で協力しながら作業に励んでいました。 神さまのもとで学び、日々感性を養う館生たち。神さまをお迎えするとい う、日本人としての心をまた一つ教わるとともに、新たな1年の家族の幸せ を祈る行事となりました。 ノロウイルスは牡蠣に含まれることが いくらい水分摂取が必要です︒ 多いので生ガキを食すのを抑えるよう た︒しかし︑同 様の二 枚 貝であるア に以前 薦められていたこともありまし この時 期になると流 行するのがイン は予 防にワクチンがあり︑最 近では抗 まれることがわかっています︒生ガキを カガイやアサリ︑ホタテ貝にも多く含 食べたら必ずノロウイルス腸炎になると は限りませんが︑流行している時期に フルエンザと腸炎です︒インフルエンザに 炎は特効薬もなく厄介です︒ ウイルス薬もありますが︑ウイルス性腸 中でも最 近 流 行しているのに︑ノロ 72 ウイルス腸炎があります︒非常にわず 12 生貝を食べるのは非常に勇気の要るこ たりすることでウイルスを不 活 化でき もっと頻度の高い感染経路として人 ます︒ から人への感染があります︒ノロウイル 潜伏期を経て︑嘔吐︑下痢︑腹痛︑ とです︒但しこれらの貝も煮たり焼い かなウイルス量で 時間から 時間の 発 熱などの症 状をきたします︒胃が 痛いし︑嘔 吐するので︑最 初は急 性 胃 炎と勘 違いすることもありますが︑ そのうち下 痢を起こします︒下 痢が 家庭内感染︑社内感染を起こしやす に高 濃 度のウイルスが含 まれていて︑ ひどく︑嘔 吐 をするようになると︑ ス腸 炎の人の吐 物や下 痢 便には非 常 薬を飲んでもそれを嘔 吐し︑水 分 摂 はノロウイルスになった人の下着︑風呂︑ いことでも知られています︒家庭内で 取を充分にはできないのに︑嘔吐と下 痢で身 体 中の水 分がどんどん失われ 食器などにも注意が必要です︒感染 者が出たら︑他の人への感染源になら ないように︑学 校へ行くのを止める︑ 会社出勤を止める事が薦められます︒ また流 行 時には頻 回によく手を洗う ノロウイルスにはアルコールは効き目が 事が必要です︒ と思われる部位を︑市販の次亜塩素 ありませんので︑感 染 者が接 触した 酸ナトリウムで拭き取るのが効果的で す︒ま た 睡 眠 不 足︑過 度 の 疲 労︑ 寒冷︑偏った栄養状態はウイルスに対 する抵 抗 力を弱くしますので︑避け るようにしたいものです︒ ますので脱 水になり︑危 険な状 態に なります︒そうなると︑もう家 庭で は治 療できなくなりますので︑病 院 に来ていただき点 滴で水 分を充 分 補 うとともに︑胃 腸をあまり刺 激しな いように禁食にすることで腹痛も抑え 痛とともに排 便の回 数を増やすかも られます︒水分や食物を摂ると︑腹 知れませんが︑水 分を摂 取できる間 は︑下 痢で失われる水 分 量に負けな 病院 だより 初宮詣 今年は酉年。館生にとって大きく羽ばたける1年になりますように。 動 静 10月 16日 11月 6日 12月 じん じゃ 神社の BS寒川第2団神饌田稲刈り(CS・BS・VS・RS) 寒川LC 県道・町道花壇植栽奉仕(BS) 13日 さむかわまちぐるみ美化運動(BS・少年館) 27日 親子でフィッシング&クッキング(CS) 〃 文化祭(少年館) 2日〜4日 台湾スカウト交流下見受入れ 18日 月の輪スカウト歓迎ハイク(BS) 21日 終業式(少年館) 25日 しめ縄飾り作り(少年館) スカウト 募集中! 小学2年生以上の男女 問合せ…寒川神社少年館 そ ぼ く 素朴 なぎもん !? 神社についてのなかなか聞けない素 朴な疑問に、毎号少しずつお答えし ていきます。できるだけ簡単な言葉 でお答えしますので、ぜひお子さん と一緒にお読みください。 古来より伝わる人生儀礼で 神様の御守護により子供が 無事誕生したことの御礼と 今後の健やかな成長を祈 願する儀式であり、出生児 の初めての神社参拝のこと。 結婚式・披露宴・初宮詣・七五三詣・ 成人式・還暦式など各種お祝いのご会食 参拝会食・忘年会・新年会・歓送迎会 同窓会・創業記念など各種のご宴会 ご予約・お問合せは 〒253-0106 高座郡寒川町宮山3835-1 ☎0467-75-5555 FAX 0467-75-5556 http://www.sansyuden.jp 17 お守りをたくさん持っても 神様はけんかしないの? 御朱印って何? 神 社 や お 寺 に 参 拝した「 証 明 」として、 専 用 の 帳 面 に 神 社 名 お守りは、 神 様 のご利 益を授 かるために持 つものです。 お札も ( 寺 院 名 ) や 参 拝 日 な どを 書 い て もら い 、 印 を 押 し た も の を 同じ意 味を持っていますが、 お札 は神 棚 に祀 るものなので、 毎 「 御 朱 印 」といいます。 日 持ち歩くわけにはいきませんよね?そこで、 身 近 に持ってもら もともとは、 お 経 を書 き写 してお 寺 に 納 める「 納 経 」の 証 とし うものが「お守り」です。 て頂くものでした。 今 でも実 際に納 経しないと御 朱 印 が 頂 けな 今 回 の質 問ですが、結 論を先にいうと、たくさんお守りを持って いお寺 もあるとか…。 いるというだけで神 様 がけんかすることはありません。 ただ、た 時 代も変 わって、 現 在では主 に参 拝 の 証 ・記 念として授 与され くさん持つときには気を付けてほしいことがあります。 ており、そのデザインもいろいろなものがあります。 社 寺によっ それは、 常 に「感 謝 」の気 持 ちを忘 れないことです。 お守りを て個 性 が あるので、 いろいろな所 を参 拝して集 めている方 も多 たくさん持ったとしても一 体一 体に心 から感 謝していれば神 様は くなってきました。 けんかしません。 それは人 間でも同じです。 お願 い事 ばかりで でも、 御 朱 印はあくまで「 参 拝 の 証 」です。 スタンプラリーの 感 謝がないと、嫌な気 持ちになってしまいます。 ように集 めることに意 味 があるのではありません。 お守りを持 つときには、お願いする気 持ちよりも、 感 謝する気 持 きちんと本 殿 前 でお 参 りをしてから「 御 朱 印 」をもらう。 そう ちの方 が大 切なのです。 いう気 持 ちで集 めた御 朱 印は、きっと最 高の宝 物になりますよ。 16 圏央道 駅 ↑倉見 平成 29 年 寒川町年末年始交通対策協議会 茅 ヶ 崎 警 察 署 寒川神社初詣交通規制図 寒川北インター 入口交差点 河西 工業 凡 中里交差点 例 車両通行止区域 寒川北 車両通行禁止区域 (路線バスを除く) 一方通行 宮山駅 車両通行止 宮山駅前 車両進入禁止 馬場交差点 相模川 相鉄海老名方面バス発着所 民間有料駐車場 無料駐車場 参集殿 規 健康センター前交差点 端午橋 神奈中 茅ケ崎・本厚木方面 バス発着所 指定方向外進行禁止 信 号 寒川神社 寒川 大橋 企業庁水道局 消防署 寒川総合 体育館 通行止め 塚市 いこいの 広場入口 交差点 わい わい市 寒川 病院 神川 橋 寒川 郵便局前 交差点 寒川小学校裏 交差点 さむかわ 中央公園 時 間 12月31日 22:00 1月3日 17:00 弥 生 「3月」 如 月 「2月」 睦 月 「1月」 ※ただし、ピンク点線 の区域( )は 12 月 31 日 22:00 〜1 月 1 日 17:00 1 月 2 日・1 月 3 日 10:00〜17:00 とします。 寒川小学校 さむかわ 中央公園 交差点 寒川町 役場 寒川町役場前 交差点 寒川総合 図書館 タクシー発着所 制 〜 根岸交差点 川 尻 久 目 初詣には︑バス・電車・タクシーをご利用下さい︒ 海老名市↑ 川との ふれあい 公園 ←平 田中恆清 ﹃木 札﹄ 【題字】神社本庁 総長 月次祭に 【表紙写真説明】 大倉陽月氏が描く、新年初詣ポスター ご参列された方などに お頒けする木札です 祝 祭 日には 国 旗 を 掲 げましょう 大門踏切前 交差点 岡田西 交差点 寒川跨道橋 交差点 N 寒川中学校 寒川中学校 入口交差点 寒川駅北口 交差点 岡田交差点 寒川駅 → 駅 崎 ケ 茅 ↓茅ケ崎 寒川神社付近は、道路が大変混雑します 公共交通機関をご利用下さい 規制区域内での自転車通行は、ご遠慮下さい 編集 後記 ﹁ 七五三 ﹂ の交 換はお済ですか? ﹁ 七 五 三の交 換?﹂と 不 思 議に思 われる 方 も 多いと 思います ︒少 し 意 地 悪 な 質 問で したが︑この ﹁ 七五三 ﹂ は ﹁シチゴサン﹂と読む のではなく﹁シメ﹂と読みます ︒そう﹁しめ縄 ﹂ のことです ︒ 所:株式会社 さんこうどう ︵亙︶ 刷 http://www.samukawajinjya.jp 天の岩 戸 神 話で︑天 照 大 神 様が二 度とお 編集責任者:野村 尚広 印 隠れにならないよう 張られたのが﹁しめ縄 ﹂ 話: 0 4 6 7( 7 5 )0 0 0 4 ㈹ から7 本 ・5 本 ・3 本の藁の束が下げられ 電 の始まりとされ︑この時に張られた縄には右 〒253 - 0195 神奈川県高座郡寒川町宮山3916 神 話の時 代から連 綿と続く︑我が国の伝 発 行 所:寒川神社社務所 たといいます ︒ 平成2 9 年1月1日 統 ︒﹁ 七五三 縄 ﹂と書くとちょっとお洒 落じゃ 第507号 ないですか? 次号『相模508号』は 4月1日㈯に発行します
© Copyright 2024 Paperzz