コースの定理

法と経済学Ⅰ
林田
コースの定理と法
1.コースの定理
法と経済学Ⅰ
Coase
第6回
林田
Theorem
法と経済学の出発点であり中心となっている
それは、法律にどんな意味を持っているか
ロナルド・コース(R. Coase)はシカゴ大の名誉教授で、1991年のノーベル経済学賞
を受賞した経済学者
「社会的費用の問題」(1961)論文
もともと定理として意識して出されたのではなく、その後にシカゴの経済学者のG.ステ
ィグラーが定理として名付けた。
法律においては、唯一の定理で、引用頻度も高い。法律と経済・市場との位置関係や法律
の基本的なフレームワークを明らかにしてくれるはずだ。
2.取引費用 transaction costs
市場で売手と買手が出会うことに関連した費用で、取引費用*という。取引費用は、ほと
んどの取引について生じる。
しかし、取引費用の存在は、取引から得られるはずの
利益
を減少させる。だから、
取引費用が取引から生じる利益よりも大きい場合には、取引自体が起こらない。
取引費用の例
日常の買物をするときにも、車や株式を売買するときにも、はては気に入った結婚相手を
探すときでも存在している。
取引費用の性質
また、取引費用は、一般に当事者の数が多ければ多いほど高くなる。
例)集団での意
思決定
当事者の数が少なくても取引費用が高くなることがある。
・双方独占は、市場の供給側にも
需要側にも独占力が存在する場合である。
例)
労使間の団体交渉
離婚交渉中の夫婦など
問題
取引費用を探す
低いと思われるものから、挙げなさい。高くなるのはなぜか説明しなさい。
a. コンビニで飲料水を買う
b. 手頃なアパートを探す
c. 電車内で屈強な男の携帯電話を注意する
d. 結婚相手を探す
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e. 欠陥商品の被害のために集団訴訟を提起する
f. 隣家の犬の無駄吠えを交渉する
公害による大気汚染の例
「工場のばい煙によって近所の住民5人の洗濯物に被害が出ている。住民はそれぞれ$7
5の損害を受け、全体で$375の損害となる。ばい煙による損害は次の2つの方法のう
ちいずれかで防止することができる。ばい煙の防止装置を$150の費用で設置するか、
あるいは、住民一人あたり$50かかる1台の乾燥器を支給する。」
(A.M.ポリン
スキー・入門法と経済21頁以下(1986)
(話を簡単にするために、住民には財産上の損害以外は被らないものとする)
a. 取引費用がゼロであると仮定
b. 取引費用がゼロでないと仮定
また、つぎのように権利が割当てられている場合を仮定する
(i)工場に<汚染できる権利>
(ii)住民に<きれいな空気を享受する権利>
a. 取引費用がゼロであると仮定する
(i)工場に<汚染できる権利>が権利が割当てられている、
つまり法律や裁判所の判例で工
場に営業することが認められているときにはどうなるか。
被害者である住民の選択肢は、
①全体で$375の損害を被る
②$250で合計5台の乾燥器を買う
③$150で工場の防煙装置を買ってやる。
→
住民は、三つの選択肢の中で最も安価な方法である③の防煙装置を選ぶだろう。
(ii)住民に<きれいな空気を享受する権利>が割当てられているとき
工場の選択肢として
①汚染を続け、$375の賠償額を支払う
②防煙装置を$150で買い入れ設置する
③5台の乾燥器を住民に買ってやる。
→
このとき、工場は、最も安価に済む②防煙装置を設置する、を選ぶだろう
b. 取引コストが存在すると仮定
汚染によって広い範囲に被害が拡散している場合であるから、取引費用として、
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(1)イニシアチティヴを取ることに関連した費用
(2)すべての被害者を特定する費用
(3)被害者たちと伝達・連絡する費用
(4)汚染企業などにある申入れをなすことを彼らに十分に説得する費用
(5)提示され、受け入れ総額や各被害者の取り分について合意に達する費用
(6)交渉自体の費用
(7)成立した合意を実施する費用など
そこで、住民5名が連絡や集会して意思決定するのに各人に$60の取引費用がかかると
する。
(i)住民に<きれいな空気を享受する>権利があるとき
工場の選択肢は
①損害を支払う
②防止装置をつける
③5台の乾燥器を買う
→工場は、②防止装置を購入することを選択するだろう。いちばん安価だからである。
(ii)工場に<汚染する権利>があるとき、
住民の選択肢は、
①$75の被害を負担する(75x5=375)
②$50で乾燥器を買う(50x5=250)
③$150の防止装置を買うために$60の費用で集会を持つ(150+60x5= 450)
→住民側は、②の乾燥器を買うことになるだろう。というのは、③の防止装置を購入す
るために意思決定しなければならず、そのためには取引費用がかかり、これを考慮に入れ
ると③では全体で$450の費用がかかる。ところが、②の乾燥器を選択すれば、より安
価の$250(全体で)で済む。
しかし、この選択は効率的な結果とはならない。防止装置を購入する($150)よりも
高い費用をかけながら、煙害という汚染は防止されていないからである。
このように取引費用が存在する場合には、住民に<きれいな空気を享受する>権利を割
当てることは効率的である。
きれいな空気の権利が住民にあるときには、工場は住民と
は関係なく選択できるから、取引費用は影響を与えない。
ところが、工場に<汚染できる>権利を割当てることは効率的ではない。
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取引費用を避
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けるために効率的ではない選択枝を選ばざるをえないからである。
コースの定理
取引費用がゼロないしは低いときには、外部性ないしは経済的非効率性は、法律や法ルー
ルがいかなるものであれ、当事者間の取引や合意によって正される、というものである。
このように法によらなくても、任意の合意によっていくつかの外部性の問題が解決
されることを明らかにしたのである。
定理のもう一つの面は、取引費用が存在するときには、法ルールのもとで効率的な結果が
生じるとは限らないのであるが、このときには、取引費用を小さくする法ルールが選ばれ
る、というものである。
コースの定理
所得分配の面
上の例で、煙害防止の費用を工場か住民のいずれが出費・負担するかは、所得分配に
影響を与える。コースの定理は、資源配分について語りはするが、所得分配の問題には関
係していない。けれども誰が負担するかに関わりなく効率的な結果は達成されるというの
である。
コースの定理が法律に示唆するもの
1.法律やそのルールによらなくても効率的な結果や資源配分が達成されることがある
一般に何ごとにも法律によって介入するのが解決になるという考え方を改める必要
ある。
2.取引費用が大きい場合は市場がうまく機能しないから、司法や裁判制度は資源の効率
的な配分を達成するための一つの方法といえることである。ここに、コースの定理が法と
経済学に理論的な基礎づけを与えたのである(落合仁司「ロナルド・コースの可能と現実」
経セ1992年1月号58頁)。
コースの定理が示唆するもの
法は取引費用を低減させて交渉を促進すべきである
「規範的コース定理」:クーター=ユーレン
143頁
法は私的合意を妨げる障害を取り除くべきである
規範的ホッブスの定理」
私的合意が失敗したときに損害が最小になるように法を定めよ
コース以前では
ピグー税
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(行政)規制による解決
市場を通じた解決
アーサー・ピグー(1877−1959)
政府は負の外部性をもつ活動に課税し、正の外部性をもつ活動に補助を与えることによ
り。外部性を内部化することができる。
規制よりも小さい社会的費用で汚染を減少させることができる。
3.法のフレームワーク
1.国家は、二人以上の人や集団の利益が衝突しているときに、国家や社会がいずれの人
や集団の側の利益を是認するかを決定する必要がある。そこでは、争いある当事者のうち
どちらが勝ち残る権原(資格)を与えられるかが基本的な問題である。
2.つぎに国家が決定しなければならないのは、このような権原(エンタイトルメント)が
どのように保護されるべきか、そして個人がその権原を売買したり、取引できるかどうか
である。
権原は、3つルール、すなわち所有ルール、責任ルール、非譲渡(譲渡制限)ルール、に
よって保護されている
Calabresi & Melamed, Property Rules, Liability Rules, and Inalienability: One View
of the Cathedral, 85 Harv. L. Rev. 1089 (1972). 本論文の紹介、藤倉皓一郎・アメリ
カ法[1976-1]85 頁。
1. 所有ルール
所有ルールは、エンタイトルメントの保持者からそれを譲り受けたいと望む者が合意され
た値段で、任意の取引においてそれを買いとるというものである。
国家の関与が最も少なく、誰に最初のエンタイトルメントが与えられるかには関与がある
が、その価値や値段については当事者に委ねられている場合である。
経済学は盗みを肯定するか?
たとえば、Aが車を所有しているが、Bが、Aよりもこの車に高い価値があると考えて、
この車を欲しがるとする。
考えられるのは(i) BとAとが車の譲渡について交渉・取引する(ii)Bがこの車を奪う、
あるいは盗む
前者は、市場を通じた任意の取引であるし、後者は強制的な取引である。
経済的観点からは、ある資源をより価値のある使用へ向かわせるようなー任意であれ、強
制的なものであれー取引は望ましいといえるかも知れない。
したがって、車の社会的価値からみれば、Bによる前記の(a)(b)の「取引」は、いずれも
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より高い価値を生じるかぎり、その意味では望ましい取引といえそうである。
しかし、強制的な取引である(b)の場合に、Bは、車がAの手元にあるよりも自分のところ
でより高い価値を生じるから、自分に権原が認められるべきであると裁判所や社会を説得
することはできない。ここに所有ルールが働いているのである。
所有ルールは市場取引
取引費用が高ければ、より高い価値を生む使用へと向かわせる取引自体が起こりにくいか
らである。このため、所有ルールは、取引費用が高い場合には、効率的な結果を生まない
ことがある。
所有ルールでは、その救済方法は差止あるいは物権的請求権である。
2. 責任ルール
これは、客観的に定められた価値を支払うときは最初のエンタイトルメントを破壊しても、
そのエンタイトルメントは責任ルールによって保護されるというものである。
ある権利が責任ルールによって保護されている場合、ある者は、権原保持者の意思に関わ
らず、その価値を減少させることができるのである。
ただし、価値の減少した部分、つまり損害を事後的に賠償することが求められる。その価
値の減少の評価は、市場ではなく裁判所によって決められる。このように、責任ルールの
救済は損害賠償である。
3. 譲渡制限ルール
譲渡制限ルールは、エンタイトルメントの譲渡が制限されている場合のルールである。自
由な意思があるにも関わらず、その譲渡が制限されることがある。
・選挙権を譲渡することはできない
・自分の血液や臓器の移植
・代理母など
自己所有権
誰が私を所有するか
誰かの奴隷となる契約
R.ドウォーキン:
アガサとジョージ卿の例
なぜ反対する?
生命・身体は譲渡できない?!
モラル?
パターナリズム?
サーキット・レース、ボクシングなど格闘技は肯定されている!!
自己所有権
誰が私を所有するか
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代理母
なぜ反対する?
民§90
公序良俗違反
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林田
・生命・身体は譲渡できない?!
・モラル?
→産科婦人科学会や医師にモラルはあるの?
・パターナリズム?
所有権
所有権
の発生
〔設例〕
自然状態から文明社会へ
X と Y の2人だけから成る社会がある。ここは自然状態であるとする。
両人とも、小麦を栽培している、それぞれの生産量(kg)
互いに相手から2kgを
盗む (取る)
取ることの費用、防御費用……1kgのロス
所有権の発生
立憲的契約
ブキャナン
C:
(ホッブス的)自然状態
A:
文明化された社会
C
→
A
への移行の合意
X,Yともに良化している:
効率的
一種の社会契約:互いのものを尊重する
James Buchanan:
立憲的契約
constitutional contract
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