170 海外だより 第 28回国際臨床神経生理学学会 柿木隆介 麗しのエジンバラへ み まさに英国を縦断する。 鉄道は城の真下の谷に っ 第 28回国際臨床神経生理学学会は 2006年 9月 10 て 設されており ちょうど エジンバラ城を見上げ 日から 14日まで 英国スコットランドのエジンバラで るような 囲気でエジンバラ駅に到着する。この時点 開催された。エジンバラはヨーロッパで最も優美な都 で既に気 は中世スコットランドである。 市の 1つと言われるスコットランドの古都で 都市全 学 会 体が世界遺産として登録されている。エジンバラは 会場のエジンバラ国際会議場は街の中心に程近くて 1707年にイングランドと統合されるまでの間 スコッ 利であり トランドの首都として スコットランドの文化の中心 ほとんどの参加者は徒歩で会場に通って いたと思う。参加者数は約 1,200名で(主催者側の発 地を担っていた。町の中心の小高い丘にはエジンバラ 表) これまでの学会とほぼ同様の規模だったと思う。 城が 学会は効率よくプログラムされ 朝 8時からの Break- ち 石畳とレンガ作りの 物が 中世の 囲気 をそのまま残している。ハリーポッターの世界がその fast session で始まり まま再現されているかのような錯覚さえ覚えるほどで テライトシンポジウムが開催される日は午後 8時半ま ある(写真 1)。 で)ぎっしりの充実したプログラムであった(写真 2)。 列車でロンドンから行く場合には キングスクロス 駅(ここもハリーポッターではおなじみ)から乗り込 写真 今回のプログラムの特徴は「臨床中心」の より鮮明になったことであり カールトンヒルから見たエジンバラ城と街なみ 自然科学研究機構生理学研究所 受付日:2007年 1月 1日 採択日 2007年 4月 23日 夕方は午後 6時 15 まで(サ え方が シンポジウムやワーク 171 写真 ポスター会場にて ショップのタイトルも病名や病態が 写真 われているもの が多かった。以前の本学会は基礎研究の要素もかなり 反映されており タイトルも VEP SEP Reflex と Banquet の あった Royal M useum of Scotland で 撮影 スコットランドの民族衣装を着ている学会主要メンバー (写 真 は 宇 川 先 生 よ り 提 供 い た だ い た)。左 か ら 3人 目 が President の Dr.Cole 4人目が主要組織委員の Dr.M urray 5人目が Program Committee Chair の Dr. M ills。 いったものが多かったような記憶がある。これは企業 (特に製薬会社)からの寄付金を得るための方策でも いた(patter-reversal VEP で有名な Halliday博士の あったと思われるが 逆に Ph.D.研究者の参加がこれ 研究室)。当時 病院の臨床神経生理検査室で研究をし までに比べて少なかった印象が否めなかった。 ておられたのが Program Committte Chair の Mills Social program の目玉としては ICCN Tourna- 教授と組織委員会の主要メンバーである Murray博 ment があげられる。これはいかにも Program Com- 士で(写真 3) 皆未だ若くて mittee Chair の M ills 教授のセンスによるもので したり研究に関する discussion などをしていた。いわ 国の代表が 脳波 筋電図などの臨床神経生理学の問 題やエジンバラに関する雑学を競い合うもので は結構高度で の池田先生 各 ば戦友みたいなもので 互いの研究の被験者を 久しぶりの再会でもすぐに打 問題 ち解けることができた。久しぶりに聞く独特な発音と 我々日本代表 A B の 2チーム(京大 イントネーションの Queen s English には初めはとま 産業医大の赤 先生 東大の寺尾先生 名大の宝珠山先生といった優秀な若手中心で 産業医大の辻先生 それに 東大の宇川先生や僕などのオジサ どったが すぐに適応できたのはやはり若い時の記憶 が今でも鮮明に残っているからだろうと思う。 名誉なこととしては 若手研究者に授与される Bra- ン組も加わっての構成だった)も結構苦労した。結局 izer Award を日本人としては初めて三澤園子先生(千 優勝はオランダチームで発表された時は大喜びであっ 葉大学神経内科)が受賞された事だと思う(Altered た。ただ やはり欧 Nodal Persistent Na Currents in Human Diabetic 州在住の人には常識的な事項でも我々にはあまりなじ Nerves Estimated by Latent Addition)。受賞講演も みの無い問題も多かったと思う(やはり言い訳です 立派なものであり ね)。 として誇りに思える瞬間であった。 少し言い訳をさせていただくと 僕自身は Breakfast session(Update on Evoked Potentials and Fields)と シンポジウム(Pain syn- 聴衆の評価も非常に高く 日本人 少しは文句も 今回の学会は会場もちょうど良いサイズで運営も素 drome:オーガナイザーは Mauguiere 教授)での発 晴らしく 主催者たちは「大成功」だと自画自賛して 表の 2つを行った。僕は 1983∼1985年にロンドンの おられたが Queen Square にある National Hospital に留学して ず問題となったのは参加費の高さであった。事前登録 やはり物事に完璧なものなどは無い。先 臨床神経生理学 172 でも 8万円以上であり 日本人でさえかなり二の足を 通の や財政的サポートなどを 35巻 4号 慮して会場を神 踏む額であった。また Banquet が約 1万 5千円とい 戸国際会議場に決め うのも高すぎた。Ph.D.の方々や学生さんにはちょっ を作成し とつらい出費だったと思う。また つけた。シンガポールは学術的にはほとんど実績のな 前述したように臨 数十ページにおよぶ開催申請書 何とかシンガポールと一騎打ちにまでこぎ 床偏重のプログラムにも違和感を持つ参加者も多かっ い国であるため 当初は楽勝かと思っていた。しかし ただろう。 国際学会の誘致を国策として進めているシンガポール もう 1点は speaker の英国偏重傾向で(speaker 全 の事前運動はすさまじく また既に 2回も本学会を開 員が英国人というセッションさえあった) これは主催 催した経験のある日本に比べ 国の特権といってしまえば身も蓋もないが でしかも国際観光都市であるシンガポールを推す声が 僕の友人 初めての土地での開催 のイタリア人研究者などは真剣に怒っていた。また 大きいことをエジンバラに到着してから初めて知った 日 本 人 の symposium や workshop で の speaker も 次第だった。さらに日本はホテル代も含めてとにかく 僕の理解している範囲では 物価の高い国 先生 柴崎先生 梶先生 宇川 平田先生(阪大脳外科)と僕の 5名だけであり という潜入概念が強い事もマイナス材 料だった。柴崎先生を初めとする主要メンバーで作戦 free oral communication の speaker も少なかった。 を練りなおし 学会誌である Clinical Neurophysiologyの掲載論文 で泊まる場合)は欧米に比べてむしろ安いくらいであ 数ではイタリアと日本は米国に次いで多い事を る事 などを強調することとし 本番での 10 間のプ と える かなりバイアスがかかっているとクレームをつけ られても仕方が無いと思われる。 学会最終日の 大の関心事は レゼンを何とかこなし 投票結果を待つこととなった。 結果は 44票対 31票で何とか勝つ事ができた。学会員 年の神戸での学会にむけて 毎回 昨今の日本のホテル代(特にシングル 会(General Assembly)の最 数の多い日本には 4票があり ExCo のメンバーであ る梶先生の票も入れて 5票 シンガポールは 1票だか 次回の国際学会開催地の投票による決 ら 当事国以外の票数は 39対 30となる。5名がシンガ 定である。1年近く前から 開催申請書(かなり詳細な ポールに流れていれば負けていたわけで やはり辛勝 計画書で相当の だったといわざるをえないだろう。嬉しいというより 量である)を作成して IFCN に送 り IFCN が有資格国として認めた国が この場でプレ も「ほっとした」という感じであった。 ゼンを行い その後投票となる。2年以上も前の理事会 で日本の立候補の話が出た時には 僕は個人的には財 これから 4年間で準備をしていくことになる。会場 の い方 財政面 プログラムの組み方など 国際学 政上の問題を大変心配し一貫して強い反対の立場を 会の開催というのは本当に一大行事である。柴崎会長 取ってきた経緯がある。しかし 梶事務 会で正式に立候補が決まった後は 生が会長候補であることもあり 理事会及び評議委員 恩師である柴崎先 準備の中心的な役割 を果たしてきた(第 2次世界大戦の時の山本五十六さ んのような心境であった)。 長の御指導のもとで なしていかねばならないし 粛々と各自の仕事をこ 会員の皆さんの御理解と 御協力を平に御願いする次第である。 2006年 12月 28日
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