平成27年度福島市民憲章作文コンクール応募作品 【PDFファイル:1.35

 福島市民憲章作文コンクール作品集の
かわって行きたいという強い思いを感じさせてくれる作品が多かっ
たことです。
福島市民憲章は、市民全ての幸せと郷土福島の限りない発展を願
出品者の皆さんには、同年代の他の視点からの考えについても、
な姿勢を読み取ることができました。
発刊に寄せて
いながら、快適で明るく住みよいまちづくりを進めるためのよりど
是非とも一読していただければ幸いです。
現状に気づき、自分の考えを明確にして行動しようとする前向き
ころとして、昭和四十八年四月に制定されました。
くの市民の皆様方に理解していただき、市民憲章の精神が日常生活
の市民の皆様に浸透し、
﹁住んで良かったと、心から思える福島市﹂
本コンクールを契機として、市民憲章の存在価値が一人でも多く
1
﹁ 福 島 市 民 憲 章 作 文 コ ン ク ー ル ﹂ は、 こ の 市 民 憲 章 を 一 人 で も 多
やまちづくりに活かされるよう、その普及・啓発の一環として実施
結びに、本コンクールの審査にあたり、全面的にご協力いただき
となるよう、願っております。
作品の募集は、市内の中学一年生の皆さんに限定させていただき
ました福島市中学校長会及び関係各位に対しまして、心より御礼を
し、今年度で十一回目を数えることとなりました。
ましたが、百点を超える作品の応募がありました。このことは、本
申し上げ、あいさつといたします。
山 本 和 宏
福島市民憲章推進協議会会長
平成二十八年一月
コンクールの目的﹁市民憲章の普及・啓発活動﹂として、大きな成
果を得たコンクールであったと、自負しております。
さて、今回の入賞作品の出品傾向としては、市民憲章の五つの条
文全てに対し満遍なく行き渡っていましたが、特に印象的だったの
が、条文のひとつ﹁空も水もきれいな、みどりのまちをつくりましょ
う。﹂に視点を当て、笑顔あふれる住み良い街づくりに積極的にか
― ―
就任演説の一節です。
また、作品を読みながら、ある有名な言葉を思い浮かべました。
それは、J.F.ケネディの一九六一年に行われたアメリカ大統領
今年度﹁福島市民憲章作文コンクール﹂に市内の中学一年生から
これまで最多の一〇九点もの作品が寄せられました。
﹁国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あ
なたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。
﹂
内側で生きる当事者として
多くの作品が、福島市民憲章に触発され、福島市の人、自然、歴
史、文化、そして自分自身を見つめ直し、これからの福島市を考え
ていこうとしていました。大変嬉しく心強く感じました。と同時に、
ちになることができました。改めて、応募してくれた皆さんと、こ
市という共同体の一員として、何をすべきか、何ができるかを考え
この﹁国﹂を﹁福島市﹂や﹁地域﹂に、﹁問うて欲しい﹂を﹁問う﹂
に置き換えると、それは応募作品の内容になります。つまり、福島
中学一年生の純真でしなやかな心に触れることができ、新鮮な心持
のような文章を読む機会をいただいたことに感謝します。
表現していたのです。当事者意識をもって福島の復旧・復興の担い
手になる決意の表れでもありました。
2
震災や原発事故で多くのものを失い傷つきつつも、福島の自然の
素晴らしさ、地域で生まれ育った芸能や文化、生活する人々の息づ
かいやいたわり合いに、気づけたことを叙述した作品が多くありま
応募作品を読みながら、未来に向かってたくましく歩んでいこう
とする姿を想像するとともに、復興の中心は皆さんであり皆さんた
した。また、日常の些細な出来事や情景から、ともに生きる大人や
友人への感謝の気持ちと、これからの福島の可能性や進むべき方向
ちになら任せることができると頼もしく感じました。皆さんの思い
齋 藤 良 一
福島市民憲章推進協議会委員
福島地区中学校教育研究会国語部長
平成二十八年一月
ほしいと願っています。
を現実のものにするためにも、目標に向かってより一層学び続けて
を示してもくれていました。
このような作品を読みながら、市民憲章を知識として頭で理解す
るだけでなく、自分の問題として具体的事例を挙げながら理解して
いるかという点を重視して審査していることに気づきました。それ
は、市民憲章を外側からの表面的な理解で終わらせず、内側から生
き、感じ、考えることがより重要であると言ってもいいでしょうか。
結果的に、まず自分自身の問題としてどれだけ市民憲章を血肉して
いるかに重点を置くこととなりました。
― ―
◇ 金 賞
目 次
未来へつ な が る 福 島 の 自 然
◇ 銀 賞
あ り が と う
大事にし た い 地 域 の 文 化
福島市立信陵中学校
福島市立北信中学校
福島市立福島第二中学校
千 葉 悠 季 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
渡 邊 こ こ ろ ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
後 反 真 依 子 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
岩 崎 未 来 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
後 藤 健 太 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
安 孫 子 延 央 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
2
4
◇ 銅 賞
福島市立信陵中学校
福島市立松陵中学校
福島市立北信中学校
― ―
3
自然と一緒に
中学生の 力 で 市 民 憲 章 に 近 づ く 町 へ
音楽で笑 顔 あ ふ れ る 町 づ く り を
奈
緒 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
朋
実 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
海
里 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
紗
耶 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
美
友 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
真
斗 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
愛
花 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
萌
笑 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
み な み ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
大 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
美 月 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
1
藤
部
田
田
戸
津
宮
条
野
崎
崎
安
阿
鎌
⻆
宍
梅
梅
一
菅
岡
松
3
福島市立福島第三中学校
福島市立福島第三中学校
福島市立北信中学校
福島市立北信中学校
福島市立北信中学校
福島市立福島第二中学校
福島市立福島第三中学校
福島市立信陵中学校
福島市立北信中学校
福島市立西信中学校
福島市立大鳥中学校
6 5
7
8
◇ 佳 作
一人一人 の 行 動 力
協力し合って
桜公園に あ っ た
命を守る 福 島 市 へ
笑顔のあ ふ れ る 福 島 市 に
お も い や り
私の住む ま ち で で き る こ と
福島のこ れ か ら を
福島市民 の 将 来 性 を 住 宅 か ら 考 え る
きれいで 健 全 な 緑 あ ふ れ る 福 島 へ
次世代に 残 し た い 川
17 16 15 14 13 12 11 10 9
温
心
みんなで 守 ろ う 福 島 の 自 然
すべてが そ ろ う 福 島
福島の良 い と こ ろ 、 悪 い と こ ろ
福島市立福島第二中学校
福島市立福島第二中学校
福島市立福島第二中学校
福島市立福島第二中学校
福島市立福島第一中学校
い
市民憲章 の 活 用
福島市立福島第二中学校
か
よりよい 福 島 に す る た め に
親切な心 が あ ふ れ る 町 へ
空も水も繋ぐ
自然が多 い ま ち
福島市を よ り 良 い 場 所 に す る た め に
福島市立福島第三中学校
福島市立福島第三中学校
福島市立福島第三中学校
福島市立福島第二中学校
福島市立福島第二中学校
佐 々 木 楓 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
岡 部 真 林 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
木 下 渉 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
西 脇 空 也 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
野 田 朝 陽 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
松 浦 美 咲 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
吉 田 真 優 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
高 橋 優 実 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
豊 岡 桃 香 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
八 巻 心 優 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
円
梨
結
菜
香
子
衣
々美
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
希 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
起
暉
伸
亮
美麗
佐
藤
凜 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
多
勢
彩
加 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
成
田
寧
珠 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
服
部
尚
美 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
大
槻
吉
村
岩
野
斎 藤
藤
龍
藤
太
蒲
幸
城
裕
野
鈴
直
4
福島市立福島第二中学校
自然のた め の 行 動
福島市立福島第三中学校
福島市立福島第三中学校
福島市立福島第四中学校
佐 佐
菖
岩
菅
星 ― ―
﹃幸せ﹄と は 何 か
福島市民 憲 章 を 知 っ て ⋮
私が今で き る こ と
福島市立福島第三中学校
福島市立福島第三中学校
人に気配 り が で き る 人
福島市立福島第四中学校
﹃みどりの ま ち ﹄ に す る た め に
福島市民 憲 章 に つ い て 思 っ た こ と
親切で愛 情 あ ふ れ る 福 島 へ
福島市立福島第四中学校
福島市立福島第四中学校
これから も 平 和 な 福 島 に
福島市立福島第四中学校
境
福島市民 憲 章 に つ い て
福島市立福島第四中学校
環
市民と憲 章 の 関 わ り
福島市立福島第四中学校
の
福島市民憲章
福島市立福島第四中学校
市
これから の 福 島
41 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18
ゴ ミ と 行 動
福島市民憲章
福島市民 の 優 し い 心
僕 ら の 未 来
優しい心 を も つ 町 を つ く り ま し ょ う
住みよい ま ち に す る た め に
きれいな み ど り の ま ち
みんなが 安 全 で 健 康 に 過 ご せ る ま ち
いい所、 福 島 市
この町の 素 敵 な 文 化 と 教 育
福島って あ た た か い !
今を未来 に つ な げ て
市民憲章 に つ い て
親切心や 愛 情 か ら 生 ま れ る
私達にで き る こ と
福島市立蓬萊中学校
福島市立蓬萊中学校
福島市立渡利中学校
福島市立渡利中学校
福島市立渡利中学校
福島市立渡利中学校
福島市立渡利中学校
福島市立岳陽中学校
福島市立岳陽中学校
福島市立岳陽中学校
福島市立岳陽中学校
福島市立岳陽中学校
福島市立岳陽中学校
福島市立岳陽中学校
福島市立福島第四中学校
今から始 め る こ と
自分と五 つ の 憲 章
よりよい ま ち に す る た め に
豊 か な 町 へ
残そう輝 く 福 島 市
福島市民 憲 章 に つ い て
福島市立信陵中学校
福島市立信陵中学校
福島市立信陵中学校
福島市立信陵中学校
福島市立信陵中学校
福島市立信陵中学校
福島市立蓬萊中学校
福島市立蓬萊中学校
水のきれ い な 福 島 に し よ う
福島市立信陵中学校
﹃福島市民 憲 章 ﹄ に つ い て
心 の 片 隅 に
小 熊 桃 歌 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
木 須 五 月 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
5
髙 根 百 花 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
渡 辺 あ き ほ ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
國 井 朗 光 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
相 良 凜 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
太
夏
太
向
― ―
川 治 優 仁 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
黒 澤 晃 佑 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
河 野 美 怜 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
横 山 佳 観 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
渡 邊 遥 香 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
鈴 木 太 陽 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
佐 藤 樹 莉 杏 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
三 浦 美 月 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
佐 髙
丹
多 菜
源
和
奏
日
藤
亜
虹 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
橋
一
咲 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
野
ま ど か ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
田 風 花 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
遍 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
琉 美 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
二
瓶
青
木
根
津
三
浦
沖
野
首 藤
65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42
安全で健 康 な 町 づ く り
福島市民 憲 章 に つ い て 考 え た 事
幸せな福 島 に す る た め に
福島を今 ま で よ り よ り よ く す る た め に
知らない 人 で も あ い さ つ を で き る 町 に し よ う
大好きな 福 島 市
親切で愛 情 あ ふ れ る ま ち を 作 る に は
福島市民 憲 章 を 初 め て 知 っ て
あいさつ で 元 気 に な ろ う
福 島 の 自 然
親
みどりのまち 福島
心
福島はみ ど り の ま ち
親切で愛 情 あ る 福 島 つ く り
きれいな ま ち を つ く る た め に
心優しい 町 、 ふ く し ま を 目 指 し て
福島市民 憲 章 に つ い て
福島市民 憲 章 の 思 い と は
福島市立大鳥中学校
福島市立大鳥中学校
福島市立大鳥中学校
福島市立大鳥中学校
福島市立大鳥中学校
福島市立大鳥中学校
福島市立西信中学校
福島市立西信中学校
福島市立西信中学校
福島市立西信中学校
福島市立西信中学校
福島市立西信中学校
福島市立西信中学校
福島市立西信中学校
福島市立北信中学校
福島市立北信中学校
福島市立北信中学校
福島市立北信中学校
黒 津 集 斗 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
篠 原 彩 那 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
阿 部 ち な み ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
岸 波 真 由 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
加 藤 太 陽 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
遠 藤 梨 帆 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
二 瓶 翔 馬 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
三 瓶 幸 恵 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
前 野 綾 香 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
粟 野 日 菜 美 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
藤
田
野
海
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
月 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
海 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
可 奈 子 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
拓
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
佐
藤
里
咲 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
加
藤
颯
馬 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
加
藤
春
乃 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
中
村
魁
斗 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
粟
地
汐
音
扇
田
凜
塩
澤
陶
子
八
木
渚
月
山
下
茉
桜
藤
優
輝
齋
佐
蓬
丹
6
福島市立西信中学校
よりよい 福 島 市 を つ く る た め に
福島市立松陵中学校
福島市立松陵中学校
福島市立松陵中学校
福島市立松陵中学校
― ―
切
自分くら し よ り 厳 し い く ら し
思いやり と 笑 顔 で あ ふ れ る ま ち を つ く ろ う
福島市民 憲 章 を 守 る た め に は
お年寄りに親切で、たくさんの人と交流ができる
まちをつくりましょう
87 86 85 84 83 82 81 80 79 78 77 76 75 74 73 72 71 70 69 68 67 66
88
福島市は 親 切 な 心 と 愛 情 で あ ふ れ て る
住みよい ま ち づ く り の た め に
優しい心 と 誇 り を 持 っ て
福島市民 憲 章 を 知 っ て
美しいき れ い な 自 然 を 作 ろ う
みどりの 町 を 目 指 そ う
市民が安 全 で 健 康 に 暮 ら す た め に
すてきな 市 に 、 な る た め に
自然豊か な 町 に す る に は
福島市民 の 安 全 と 健 康
ふるさと を 考 え て
うつくし ま 福 島
福島市を よ り よ い 町 に す る た め に
日本にほ こ れ る 荒 川
あいさつ か ら 始 ま る ま ち づ く り
私の住ん で い る 町
市 民 の 幸 せ
福島をよ り 良 い 町 に
大好きな福島
福島に笑顔を
ふるさと福島
福島市立飯野中学校
福島市立飯野中学校
福島市立飯野中学校
福島市立飯野中学校
福島市立飯野中学校
福島市立飯野中学校
福島市立飯野中学校
福島市立飯野中学校
福島市立飯野中学校
福島市立飯野中学校
福島市立野田中学校
福島市立野田中学校
福島市立野田中学校
福島市立野田中学校
福島市立野田中学校
福島市立野田中学校
福島市立野田中学校
福島市立野田中学校
福島市立野田中学校
福島市立野田中学校
福島市立松陵中学校
菅 野 遥 奈 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
鈴 木 彩 加 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
7
寺 未 桜 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
渡 辺 怜 馬 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
丹 治 萌 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
穐 元 千 紗 叶 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
― ―
桑 折 隼 斗 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
赤 井 成 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
渡 辺 優 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
大 内 由 華 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
齋 藤 遥 奈 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
髙 橋 拳 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
伊 藤 優 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
髙 荒 愛 結 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
髙 橋 瑞 希 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
髙 橋 優 華 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
廣 野 恭 平 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
安 部 夢 彩 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
紺 野 永 莉 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
齋 藤 愛 莉 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
佐 藤 凜 花 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
109 108 107 106 105 104 103 102 101 100 99 98 97 96 95 94 93 92 91 90 89
けた、あの震災の日のことだ。今、僕の目
小雪が散らつき冷たい風が斜めから吹きつ
い出すことがある。それは春だというのに、
のだろうと思いながら、いつも決まって思
こんな街中に住みながら何て恵まれている
うに僕は福島の自然と共に生活している。
休めに来るので、それも楽しみだ。このよ
ベリアからはるばる飛んで来た白鳥が羽を
山を見ることもできる。来月には早くもシ
集合住宅の一角で、春にはピンク色の花見
窓を開けると初秋のさわやかな風が、僕
のほほをなでた。我が家は阿武隈川沿いの
季節の花を植えてくれた。少しでもみんな
してから町内会の人たちが、プランターに
何も悪いことはしていないのに。しばらく
ックを受けて言葉を失った。木々や草花は
は、あまりにも見慣れた景色との差にショ
から切り落とされてしまった。そのとき僕
はいだだけではなく、ほとんどの木が根元
二年近くたって、ようやく家の周辺も除
染作業が始まった。ところが公園では土を
ある。何て悲しいことだろう。
島の空気を吸うことさえ苦痛に感じたので
ない日々が続いた。それどころか、この福
ら生活はがらりと変わり外で自由に過ごせ
る大切な場所だった。ところが、あの日か
は地域の人々ともコミュニケーションを取
は仲間とサッカーなどしたりと、この公園
小さな子は楽しそうに家族と遊び、僕たち
い。
く福島の自然と共に、僕も成長して行きた
がそうである。四季折々の、この美しく輝
もある。福島の豊かな自然と、きれいな水
してくれるのだ。失って始めて気づくこと
がら通学している。自然は人の心を豊かに
雨ごとに秋の気配を感じるこの季節、僕
は緑地歩道の金木犀の甘い香りを楽しみな
受け継ぎ、しっかりと役目を果たさなけれ
になったら、恩返しのためにもその意志を
を込めてあいさつをしている。そして大人
ったときには、いつもありがとうの気持ち
ろうとした地元の人々を尊敬している。会
僕はあのとき、この町を自分たちの力で守
はみんなの笑顔と笑い声が聞こえている。
あれから四年半、春には一本だけ残され
た立派な桜はきれいに咲き、藤だなの下で
見せつけられた瞬間だった。
の前には澄んだ空気の向こうに遠くの山々
の安らぐ場所にしようと、がんばってくれ
金 賞
と、どこまでも続く青い空がくっきりと見
ていたのだった。何てありがたいことだろ
僕の家の近くには、あまり広くはないけ
れどきれいに整備された緑地公園がある。
え て い る。 な の に 原 発 事 故 が 起 き て か ら、
う。そのおかげで殺風景だった公園が、少
﹁未来へ つ な が る 福 島 の 自 然 ﹂
すべての物が灰色に見えていた。人間が便
しずつもとの姿を取り戻し、やがて気がつ
安孫子 延 央
福島市立福島第二中学校
利さを求めるあまりに、自ら招いた不幸な
くと草花も芽吹いていた。自然の力強さを
1
ばと思う。
のである。
― ―
なんてできなかった。それなのに、その友
で泣いている友達に対して声をかけること
てみると、私は自分の身を守ることに必死
けていた。今、その時のことを改めて考え
﹁大丈夫だよ。﹂
と泣き出してしまった友達に対して声をか
そんな中、ある一人の友達が
ラスの中には恐怖で泣き出す友達もいた。
くなってきた。当時私は小学二年生で、ク
れを感じ机の下に潜るとだんだん揺れが強
二時四十六分、あの時は五時間目の授業
が終わる時間だった。そんな時、小さな揺
憲章が実行された日だったと思う。
三月十一日、あの日は﹁親切で愛情あふ
れ る ま ち を つ く り ま し ょ う。﹂ と い う 市 民
段、 何 気 な く 使 っ て い る お 風 呂 や ト イ レ、
く、初めての水の使えない生活だった。普
時まで一度も水のことで困ったことが無
か国ぐらいしかないことが分かった。その
める国はとても少なく、調べてみると十五
日本のように蛇口から出た水をそのまま飲
﹁水を使って下さい。
﹂
と言ってくれた。
その時は知らなかったが、
な中、近所の家の人が
補うことができたが、水は無かった。そん
も止まった。電気は懐中電灯やろうそくで
両親が家に帰ってきて、電気が止まって
いることが分かった。そして次の日には水
なかったと思う。
で待っていたら、安心して待つことは出来
安心していられたのだ。もしも、自分の家
家の人の親切な心があったからこそ、私は
ことができた。改めて考えて見ると、隣の
の家には大人の方がいたため安心して待つ
で隣の家で、両親を待つことになった。隣
その日は集団下校をして家に帰った。家
には両親がいなかったため、帰ってくるま
う。
﹂と伝えたいと思う。
れからはお世話になった方々に﹁ありがと
に支えられて生きているということだ。こ
と思う。もう一つは普段の生活の中でも人
亡くなっているそうだ。水を自由に使える
られないため毎日、約四千九百人の子供が
だ。世界には水不足で不衛生な水しか与え
く暮らせるのは水や電気などが使えるから
この震災により学んだこともある。
例えば、
の故郷に戻れない人がたくさんいる。
でも、
そして、現在でも仮設住宅に暮らし、自分
東日本大震災はたくさんの人の命や家、
思い出など大切なものをたくさん奪った。
さが分かった。
震災により改めて、水が使えることの大切
ということは無かった。そして、東日本大
福島市立信陵中学校
岩 崎 未 来
ことに感謝し大切に使わなければならない
資源の大切さだ。私達が、いつも不自由な
の人の親切な心により、水が全く使えない
達は自分の事だけでなく相手のことも考え
洗面所もいつものように使えなくなり、と
銀 賞
て声をかけていて、その心遣いがすばらし
ても不便な暮らしだった。でも、近所の家
2
﹁ありが と う ﹂
く感じた。
― ―
ればいいのだろうと思った。だが、考えて
が頭に浮かんだが、文化を尊ぶとはどうす
ど、その他の憲章については具体的なこと
ることや思いやりを持って生活することな
ょう﹂というものだった。自然を大事にす
と文化を尊び希望に輝くまちをつくりまし
五つの市民憲章を見た時に僕が一番身近
な物としてとらえにくかったものは﹁教育
が高まって、楽しくて仕方がなかった。み
までの太鼓の競演をした時、僕は、気持ち
で歩いた時、そして、夜、小学生から大人
祈願をした後に演奏した時、町を太鼓屋台
い大太鼓を任されることになった。神社で
日は、小学生の男子では二人しかたたけな
手とされる紫色のはちまきを受け取り、当
ができない。去年は、二年目だったが、上
たたいた時のあの気持ちよさは忘れること
張、そして、当日、大勢の人の前で太鼓を
はちまきの色を発表されるときのあの緊
てきた。試験を受け、演奏する役割を表す
てリズムを覚えることができ、楽しくなっ
大学生、大人の人たちが優しく教えてくれ
イラしたこともあったが、若連の高校生や
に見せていくことだと思った。今年の太鼓
を競演すること。そして、その姿をみんな
域の人との関わりを大事にしながら、太鼓
としてできること、それは、例大祭で、地
いのだ。その中で、僕が、文化を尊ぶこと
であるように自分ができることをすればい
好きで、その地域がずっと住みやすい場所
のだと思う。今、自分が住んでいる地域を
﹁ 市 民 憲 章 ﹂ と 聞 く と、 か た く る し い も
ののようだが、難しくとらえることはない
めて思った。
えていくことがとても大事なのだとあらた
域の大切な文化としてこれからも残し、伝
く神社やお祭りに行っていたが、それを地
りなど有名なお祭りがある。今まで何気な
伝統的なわらじ祭りの他、飯坂のけんか祭
銀 賞
いるうちに、はっと思いついたことがある。
んなが一つになっている気持ちがした。
福島市立北信中学校
僕の住む瀬上町にある青柳神社では、毎
年十月十四日、十五日に例大祭が行われる。
ろうか。分からないと思っていたが、僕が
は、文化を尊ぶということなのではないだ
後 藤 健 太
そこでは、神社での奉納太鼓や、太鼓屋台
例大祭の太鼓を好きだと思い、やりたいと
3
﹁大事に し た い 地 域 の 文 化 ﹂
それは、僕が今、心待ちにしている青柳神
んばりたい。
で町を練り歩くパレード、夜には太鼓の競
思うことは地域の文化に関わっているとい
の練習もまもなく始まる。楽しく精一杯が
社の例大祭のことだった。
地 域 が 一 つ に な っ て、 昔 か ら 伝 え ら れ、
守られてきたものを受け継いでいく、これ
演が行われる。僕は、友達がやっていたこ
福 島 市 に は、 東 北 六 魂 祭 に も 出 場 し た、
うことだったのだと気づいた。
ともあり、五年生の時に太鼓の練習に初め
て参加した。始めはうまくできなくてイラ
― ―
実がなるのを見ると、とてもワクワクしま
はきれいな花が咲き、夏にはおいしそうな
やなしなどの果物畑もたくさんあり、春に
えば、私の家の周りには、田んぼや畑、桃
て、﹁また来よう。﹂と思うのです。
で、鈴虫の声をききながら眠ります。そし
しく感じられます。夜には満点の星空の下
です。外で食べる料理は、いつもよりおい
涼しげな木の木陰などが、とても心地良い
い、 や わ ら か な 風、 暑 い 日 差 し の 中 で も、
で散歩をしていると、山でしか感じられな
私は、毎年、山へキャンプに行っていま
す。自分達でテントを張って、大自然の中
えてくれます。自然がなくなったら、私達
ます。自然は、私達の生活にいろどりをそ
す。自然は、私達の食料を作り出してくれ
くては、人は生きていけないと私は考えま
高 速 道 路 は、 私 達 が 生 活 し て い く 中 で、
必要な物だと思います。しかし、自然がな
のではないでしょうか。
でお店が増え、さらに自然が減ってしまう
は増えてしまうのでしょうか。道路の発展
でしょうか。道路が完成したら、排気ガス
住む場所を失った虫たちは、どこへ行くの
どんな影響を及ぼすのか、
とても心配です。
気ガスが、周りの住人や、残された自然に、
した。私は、行き交うトラックから出る排
クなどが、毎日毎日行き交うようになりま
た。また、妹達の通学路は、工事のトラッ
周りの田んぼや畑がなくなってしまいまし
ところが、ここ数年、私の家の近くで高
速 道 路 の 工 事 が 続 い て い ま す。 こ の た め、
私達は生活しているのです。
す。 こ の よ う に、 素 晴 ら し い 自 然 の 中 で、
と、
﹁この寒さも悪くはないな。
﹂と思いま
大事だと思います。
がら、自然と一緒に歩んでいくことが私は
にとって便利なものを作りながらも、自然
と は、
﹁ 自 然 と の 共 存 ﹂ だ と 思 い ま す。 人
と思います。そして今、私たちに必要なこ
きれいなみどりのまち﹂は、守っていける
な い で し ょ う か。 そ う す れ ば、
﹁空も水も
それが集まって、大きな自然になるのでは
身近な自然を一人一人が少しずつ育めば、
とも自然であることに変わりないのです。
となるでしょう。自然は、どんなに小さく
消え去ってしまうのです。庭も味気ない庭
ば、 私 の 家 の 庭 の 自 然 は、 小 さ い け れ ど、
てしまえば楽なのですが、そうしてしまえ
話をしています。祖父は大変そうに、一生
えています。それらは全て、私の祖父が世
うか。私の家の庭には、草木がたくさん生
銅 賞
す。秋の鮮やかな田んぼの色は、太陽の光
の生活は、味気ない、まるでモノクロのよ
山の自然は素晴らしいですが、福島の町
にも、まだまだ自然があふれています。例
千 葉 悠 季
福島市立信陵中学校
﹁自然と 一 緒 に ﹂
を浴びて、とても美しいです。冬の寒さは
うなものになってしまうのではないでしょ
を壊しすぎず、調度良いバランスを保ちな
4
懸命手入れをしています。いっそ全部切っ
きびしいですが、真っ白な吾妻山を眺める
― ―
震災から四年が経ち、今年から土曜授業
が 始 ま り、 松 陵 中 の 生 徒 会 で は、﹁ 松 川 町
行こうと思っています。
の経験を生かして、福島の元気を発信して
の支援を受けたことに感謝して、今度はそ
ことを学びました。そして、たくさんの人々
私は、東日本大震災を経験し、水や電気
がない生活を体験し、その中で協力し合う
福島市立松陵中学校
近づく町へ﹂
多かった中学生に出来ることの案は﹁挨拶
した。全ての班での話し合いの結果、一番
は、掲示板を利用して町の人達にいろいろ
ぶことが出来ました。その中で、私の班で
っていたこと﹂など、たくさんのことを学
学生が考えるということを応援してくださ
ということ﹂
﹁地域の方が松川について中
とを考えてくださっている人がいるんだな
代 サ ミ ッ ト に 参 加 し て、
﹁こんなに町のこ
がった活動となりました。私は、この異世
名の方が参加してくださり、とても盛り上
島大学の学生、卒業生の先輩方など約五十
そ の 中 で 私 が 参 加 し た﹁ 異 世 代 サ ミ ッ
ト﹂では、松川町商工会や地域の方々、福
ることが出来ました。
れば良いと思います。
て、この輪が広がり、日本全国が元気にな
元気を発信して行きたいと思います。そし
なり、人々が元気になって、本当の福島の
ることで、福島県内の復興が進む第一歩と
自分たちの住む松川町を、
私達中学生が、
異世代で交流のある活気あふれる町に変え
るように努力して行きたいと思います。
の﹁挨拶﹂から始めて全ての項目に近づけ
望にみちたまちをつくるため、まずは基本
づける気がします。そして、松川町が市民
銅 賞
を変えるプロジェクト﹂をスタートし、土
で地域の人々を繋げ、元気にすること﹂で
渡 邊 こころ
憲章と同じく、平和で、さらに住みよく希
曜 授 業 の 中 で、 委 員 会 ご と に 企 画 を し て、
した。この交流活動は、松川町を良くする
このように挨拶を交わすことで市民憲章
の﹁親切で愛情あふれるまちをつくりまし
ために、土曜授業の中で、継続していく予
し、図書委員会は、幼稚園と保育園での絵
ょう﹂と﹁子どもからお年寄りまで安全で
5
﹁中学生 の 力 で 市 民 憲 章 に
地域交流活動を実施しました。
定です。
なイベントをお知らせするなどの案がでま
松陵サミットとして、生徒会本部は、地
域異世代交流を行い、体育委員会は、地域
本の読み聞かせでの交流をするなど、他に
健康なまちをつくりましょう﹂の項目に近
のお年寄りとのゲートボールによる交流を
も委員会ごとに有意義な活動をスタートす
― ―
いた私は、どんなことよりも音楽が大好き
音楽でした。小さい頃からピアノを習って
とても苦しいとき、私に元気をくれたのは
た。私も震災直後は祖父母の家にいました。
災の影響で心を痛めた人はたくさんいまし
ると被害は大きくありません。しかし、震
いる人がいます。福島市は他の地域に比べ
現在もまだ故郷に帰れず避難生活を送って
二〇一一年三月十一日の東日本大震災に
よ り、 私 た ち の 住 む 福 島 は 被 災 し ま し た。
の周辺には、音楽堂のような場所はありま
ところを見てみたいと思うけれど、私の家
ても笑顔になります。実際に演奏している
をひいたりすると、心がすっきりして、と
思います。私も、音楽を聞いたり、ピアノ
音楽を通して笑顔になれる機会は、震災
後だけに限らず、どんなときでも持てると
になっています。
楽堂での演奏を見ると、いつのまにか笑顔
機会が無かったけれど、ニュースなどで音
顔になっていたと思います。私は直接行く
います。演奏を聞き終わった人は誰もが笑
で、元気をもらった人はたくさんいると思
んの催しが行われました。このような催し
震災後、音楽堂では被災者を元気にする
ために﹁復興コンサート﹂と題し、たくさ
いきたいと思います。
これから福島市をもっと良くするため
に、音楽を通して笑顔あふれる町を築いて
して、みんなを笑顔にできると思います。
て、みんなが分かる曲を演奏すればいいと
私たちと同じくらいの年れいの人に向け
誰でも参加しやすい催しは、特に子供向
きのものを行えばいいと思います。
例えば、
らえたほうがいいと思います。
を増やして、幅広い世代の方に楽しんでも
アや遊ぶところが増えるよりも、音楽施設
でも、私たちの周りにコンビニエンススト
に感動を与えてくれました。
でした。現在も合唱部に所属しています。
と感じます。また、一つ一つの催しは、年
銅 賞
福島市には、音楽堂があります。この音
楽堂は福島市だけではなく、全国でも有名
れい層がせまく、どんな人でも楽しめるも
音 楽 施 設 を 増 や す こ と は、 土 地 や 費 用、
周りの住民のことなど、大変だと思います。
な音楽堂です。大ホールのステージ上空に
のが少ないと感じます。
﹁音楽で 笑 顔 あ ふ れ る 町 づ く り を ﹂
は大きなパイプオルガンがあります。また、
後 反 真依子
福島市立北信中学校
私がコンクールで歌ったとき、とても響い
このような問題点から、私はもっと音楽
施設を増やし、幅広い年れいで楽しめる催
6
思います。これなら、私でも、合唱を披露
て感動したことを覚えています。いろいろ
しがあればいいと思います。
せん。音楽堂も遠いため、行くのが大変だ
な場所から有名な演奏家が来て、聞いた人
― ―
佳 作
﹁一人一 人 の 行 動 力 ﹂
福島市立福島第三中学校
私は、福島市民憲章を初めて知りました。
五つの憲章は、市民が快適に暮らせるまち
魔にならないように端の方に寄りました。
﹁邪魔になっていますよ。
﹂
と、軽く注意をすると、そのグループは邪
す。一人一人がそのようになれば、この憲
ったことを行動にうつす行動力だと思いま
の心、勇気ある行動ももちろん、まずは思
た。
﹁ 仕 事 が 早 い な。
﹂ と 感 心 し て い る と、
をつくるためにとても大事なものだと思い
後方を歩いていた人達は、安堵の表情を浮
章も実現されて、福島市はとてもみりょく
が歩くスピードに合わせて歩いていまし
ました。五つの憲章の中で一番心に残った
かべ、それぞれのペースで歩いていきまし
的なまちになると思います。
その店長は操作を教えながらお会計をこな
の が、﹁ き ま り を 守 り、 力 を あ わ せ て 楽 し
た。その男性が発したのはたった一言だけ
た。ですが一人、白杖を持った盲目の女生
く働けるまちをつくりましょう。﹂です。
れました。思ったことをはっきり言う、そ
していました。その店長はお客にも店員の
その理由は、きまりを守らず自分勝手な
行動をする人をよく見かけるからです。そ
んな勇気ある行動は素晴らしいと思いまし
がいました。グループの一人が点字ブロッ
して今は自分勝手な行動をする人を見て
た。
ことも考えて行動していたので、改めて感
も、見て見ぬふりをしてしまいます。でも、
クの上を歩き、なかなか進まない理由もわ
この憲章を実現するには、そんなことをし
それから、ある飲食店で食事をし、お会
計の時に担当していた店員が、慣れていな
心しました。
ていてはだめです。ですから、一人一人が
いのかレジの操作に手こずっていました。
からず戸惑っていました。その様子に気付
思いやりの心を持つ、勇気を持って行動す
そのせいでレジには列ができてしまい、い
いた一人の男性が、
ることが大切だと思います。
に店長が来て、慣れた手つきでどんどんお
安 藤 奈 緒
この前歩いていると、道をふさぐように
歩いている四、五人のグループがいました。
会計をこなしていました。あっという間に
らいらしている人もいるようでした。そこ
7
﹁きまりを守り力をあわせて楽しく楽し
く働けるまち﹂を実現するには、思いやり
とても邪魔でしたが、そのグループの後方
最後に並んでいた私たちの番になりまし
でした。でも、大勢の人がその一言に救わ
に歩いていた人達は、何も言わずグループ
― ―
私 が 福 島 市 に 一 番 必 要 な の は、﹁ 子 ど も
からおとしよりまで安全で健康なまちをつ
父や、その他のお年寄りの人達も、安心し
と祖父が言っていました。これでは私の祖
とんどで、
そこでも実際に空き巣があった、
の家の近所は、一人暮らしのお年寄りがほ
で、家族でよく祖父の家へ行きます。祖父
スでよく目にします。私も祖父の家が心配
そして、最近は子供だけでなく、お年寄
りの家などを狙った犯行も、新聞やニュー
することができました。
当番で立っていてくれたので、とても安心
ったのですが、道の途中に、地域の方々が
﹁安心﹂
﹁安全﹂
﹁健康﹂を目指すなら、
人々
い し、 協 力 し 合 え る の も 人 し か い ま せ ん。
大事です。人を助けられるのは人しかいな
子供やお年寄り、その他の人達が安全で
健康な町をつくるには、やっぱり﹁人﹂が
す。
思うし、安心して健康に暮らせると思いま
りの方々も、もっと意識するようになると
たり、犯罪から身を守るためにどうすれば
は、地域の方々で協力して、自宅を訪問し
けにいけると思います。お年寄りを守るに
佳 作
くりましょう。﹂というものだと思います。
て生活することができません。しかも、一
が 協 力 す れ ば、﹁ 犯 罪 0 の ま ち ﹂ を 目 指 せ
阿 部 朋 実
福島市立福島第三中学校
﹁協力し 合 っ て ﹂
それには、理由があります。
人暮らしだと、万が一の事があって、助け
ると思いました。
の私は不安でいっぱいでした。特に、下校
れそうになったという事もあって、その頃
通っていた小学校の子が、車に連れていか
を掛けられるという事が起きました。私の
何度か、福島市内の小学生が、不審者に声
っ て、 そ れ も 覚 え ま し た。 そ し て 実 際 に、
で し た。﹁ い か の お す し ﹂ と い う 言 葉 も あ
﹁ も し 知 ら な い 人 に 声 を か け ら れ て も、
絶対に応えないこと﹂
見守っていれば、不審者も手が出せないと
子供達を犯罪から守るには、
地域の方々で、
士の協力や助け合いが必要だと思います。
う。
﹂ を 実 現 さ せ る に は、 や っ ぱ り、 人 同
私は、市民憲章の﹁子どもからおとしよ
りまで安全で健康なまちをつくりましょ
けるようになればいいな、
と思っています。
に行くより、安心して笑顔で祖父の家に行
のです。家族がそのような事を心配して家
8
良いかなどの会を積極的に開けば、お年寄
それは、私が小学生の頃に、いつも先生
方から言われていた言葉が、
を呼ぼうとしても、誰も気づいてくれない
の時は友達と帰っていたものの、登校時は
思うし、もしものことがあってもすぐに助
﹁一人で帰るのは避けること﹂
いつも一人で行っていたため、とても怖か
― ―
ぼくは、福島市民憲章と聞いて、どこか
で見たことがあると思った。たしか、桜公
ていて、ふと白い看板が目に入ったのだっ
花がいつごろ咲くのかなぁと、桜の木を見
そうだ。ぼくは木には興味がなくて、桜の
きだ。その木は、シダレカツラというのだ
っしょに見に行こうとさそわれて行ったと
に家の人が桜公園に珍しい木があるからい
くがこの看板に気づいたのは、今年の三月
今まであまり意識しなかったけれど、身
近な場所に福島市民憲章があったのだ。ぼ
くなってかなわない。そういうまちは安全
込んでしまったときだ。しばらく気分が悪
ったりしたタバコのけむりをいきなり吸い
歩きながらタバコを吸ったり、車の中で吸
それは、ぼくが自転車で登校中に、大人が
福島市は、たしかに空も水もきれいなま
ち だ け ど、 時 々 が っ か り す る こ と が あ る。
ているにちがいないとぼくは思っている。
さな取り組みだけど、みどりのまちを守っ
福島市立北信中学校
夫山も阿武隈川も大好きだ。市民憲章の一
できる小さなことから始めていけば、いつ
福島市民憲章を市民ひとりひとりに行き
わたらせなければならないと思う。自分が
鎌 田 海 里
つに﹁空も水もきれいなみどりのまちをつ
か大きな大きな力になると思う。
で健康なまちと言えないのではないかとぼ
会では定期的に美化作業を行っている。小
園の入り口にある看板だ。それで、桜公園
た。
佳 作
に行って確かめた。やっぱりあった。そこ
くは思う。
﹁桜公園 に あ っ た ﹂
には、
福島市民憲章のことを書いた看板に出会
っ て い た な ん て! な ん か 不 思 議 な 感 じ だ。
わたくしたちは、みどりにつつまれ
た信夫山と清い流れの阿武隈川をもつ
く り ま し ょ う。
﹂ と あ る け れ ど、 ぼ く は、
ぼくは福島市民憲章の前書きに出ている信
福島市民です。
この部分は﹁空も水もきれいなみどりのま
ケヤキの大木がひかげをつくってくれる
9
福島市民憲章
福島市は、地味豊かなしのぶの里に
古くから開けた人情の美しいまちで
ち を 大 切 に 守 り ま し ょ う。
﹂ということで
はないかと思う。
す。
わたくしたちは、平和で、さらに住
みよく希望にみちたまちをつくるため、
という前書きがあった。それと、市の木・
し、セミ取りなども楽しめる。そんな自然
春には、
桜公園にはたくさんの木がある。
桜の木の下で町内会の花見をする。
夏には、
ケヤキ、市の花・モモ、市の鳥・シジュウ
豊かな公園が草ぼうぼうになるから、町内
この市民憲章をさだめます。
カラの絵もかかれていた。
― ―
あと少し歩けば横断歩道があるにも関わら
で き な い の だ ろ う。﹂ と 思 っ て い ま し た。
ろ う。 ど う し て 子 供 が で き る こ と な の に、
私 は 今 ま で、 そ の よ う な 人 達 を、﹁ 悪 い
大人だな。どうしてそんなことをするのだ
た。
りがとび出してきて驚いたことがありまし
父の車に乗っていた時も、いきなりお年よ
私は今年に入って、お年よりが横断歩道
ではない、車がたくさん行き交う道路を普
福島市民の安全は、本当に守られている
のでしょうか。
ンチを増やすべきだと思います。
に、私はもっと横断歩道を増やしたり、ベ
代でも安心して暮らせる福島市にするため
ているような気がします。そのためどの世
りの安全よりも子供の安全の方が優先され
てきました。しかし今の福島市は、お年よ
人はいないかなど、注意して見るようにし
が車を運転している時も渡ろうとしている
このような人達を交通事故から守るため
にも、私は進んで祖父母に注意したり、母
から﹂ということです。
横断歩道まではとても行くことができない
のは、めんどうくさいからではなく疲れて
﹁多くの老人が道路を普通に渡ってしまう
私は、このようなことを見たり聞いたり
して確信を持ったことがあります。
それは、
すに座っているおばあさんがいました。
校途中には道ばたでとても疲れた様子でい
﹁散歩するのも疲れるんだよねぇ。
﹂
と言っているのを聞きました。そして、下
思います。
どから守ってあげられるようになりたいと
活躍して、地域医療で地域の人達を病気な
自分自身が貢献し、将来は、医療の分野で
い毎日がある福島市にするために、地域に
させるために、そして、安全で安心で楽し
が大人になってからは、人々の願いを実現
てくださった人達への恩返しだと思い、私
そのため﹁お年よりが増えて、たくさん
働 か な く て は い け な い な ん て、 迷 惑 だ。
﹂
ます。
くださった人達のおかげなのだと私は思い
のは、今の世代のためにがんばって働いて
います。しかし、
戦後七十年となった今年、
えているよりも、もっと難しいことだと思
最近は少子化が進み、私達、若者よりず
っと多いお年より達を支えていくのは、考
佳 作
ず、命がけで渡っていることが疑問でした。
通に歩いているところを何度も見ました。
⻆ 田 紗 耶
福島市立北信中学校
﹁命を守 る 福 島 市 へ ﹂
しかし、最近、そうではないということが
そうすれば、疲れた時にベンチで休むこ
とができ、渡りたい時にすぐそばに横断歩
なんて思わずに、平和な時代をつくり上げ
10
このような平和で、便利な世の中になった
分かりました。
いう気持ちになり、
事故も減ると思います。
道があれば、
﹁あそこまでがんばろう。
﹂と
この前、私の家の裏に引っ越してきたお
ばあさんが、母に、
― ―
佳 作
﹁笑顔の あ ふ れ る 福 島 市 に ﹂
福島市立北信中学校
宍 戸 美 友
福島市は笑顔がよく見られるまちだと思
います。ですが、たまには困り顔が見える
時もあり、それではとても残念だと思いま
す。そんな福島市が笑顔のあふれるところ
﹁ そ う で す よ。 そ の 女 の 人 は こ の 列 に 並
んでいたんです。それなのに、横から来た
ろに並ぶように言えば、普通に言うよりも
ずっと早く解決すると思うからです。
といった声が列全体からあがりました。横
﹁ 乗 る ん で し た ら、 先 頭 の 方 に 謝 っ て か
ら、一番後ろに並んで乗ってください。
﹂
ます。当たり前のことですが、それができ
くにならないか考えることが必要だと思い
うとしていることが他の人にとってめいわ
あなたが乗るのはおかしいです。
﹂
から来た人はしぶしぶ、という様子でした
ていない人がたくさんいて、めいわくに思
二つ目に、一人一人が、その場の状況を
見てどうするか考えること、これからしよ
が、女の人に一言
う人がたくさんいるからです。
ょうか。
が頭からはなれません。今後、こういった
女の人の困った顔や列の人の不満そうな顔
そこで事はおさまったので、ほっと胸を
な で お ろ し ま し た。 で す が、 そ の 時 見 た、
います。
福島市は笑顔のあふれるところになると思
だけではなく、
時には手助けをすることで、
することがいいと思います。マナーを守る
﹁ごめんなさい。
﹂
と言い、後ろに並びました。
この前、福島駅のバスプールであったこ
と で す。 時 刻 表 の 近 く で 並 ん で い た 列 の、
顔を見たくないなと思いました。
このことから、福島市をもっとよくする
ためには、他の人のことを考えながら行動
先頭にいた女の人が、バスにうばぐるまを
まず一つ目に、バスなどの列になる必要
がある場合には、先頭となるところに印と
11
になるように私達ができることはなんでし
乗せようとしていた、その時、列に並んで
そして、そんな顔がなくなるようにする
ためにどうすればいいのか考えてみまし
いなかったはずの人が横から来て
このままではいけないと思っていると、女
なるものがあるといいと思います。時刻表
た。
の人のすぐ後ろに並んでいた姉が、横から
の近くに自然と列ができていくのは良いこ
﹁どいて。﹂
というようなことを言いました。さすがに
来た人にこう言いました。
人もいるので、その人に印を示しながら後
とだと思いますが、列に並ばず横から来る
﹁それはおかしいんじゃないですか。﹂
それに続き、
― ―
持ちでいっぱいになった。朝の忙しい時間
てくれているんだと思ったらありがたい気
る中学生や小学生みんなに、毎朝声をかけ
ではなくなった。バラバラに横断歩道を渡
る。僕らは中学生になったので、集団登校
張 っ て ね。﹂ な ど い ろ い ろ 声 を か け て く れ
う。﹂﹁いってらっしゃい。﹂﹁今日も部活頑
と あ い さ つ す る と い つ も 笑 顔 で﹁ お は よ
歩道を渡る。僕が﹁おはようございます。﹂
いる。中学校になった今も、毎朝その横断
日も、必ず僕達が通るのを見守ってくれて
さんやお父さんが、雨の日も風の日も雪の
毎朝近所の民生委員さんや、旗当番のお母
に信号、横断歩道が三ヶ所あり、そこには
僕の住んでいる家から、僕の通っていた
小学校まで一キロぐらいだったが、その間
う。 そ の 人 達 は、
﹁福島市民憲章﹂を意識
他にも、僕達がみえていない所でだれか
のために何かをしている人が沢山いると思
かげで、きれいな街にしてもらっている。
らい、川のゴミを拾ってくれている人のお
た。旗ふりで、安全や元気な一日の元をも
色々な人達に守られているんだなと思っ
た旗ふりの人が立ってくれている。
僕達は、
中学校になって、学区が広がり、小学校
の学区をでても、大きな横断歩道には、ま
を見てとてもすごいと思いました。
もきれいにしようと一人で掃除している姿
葉やゴミを集めている。はらい川を少しで
たことはないが、その人は川に浮かぶ落ち
るといっても遊んでいる訳ではない。話し
に入っている人を見かける。川に入ってい
通学路には、横断歩道の手前に、はらい
川が流れている。そこは毎日ではないが川
で、きっと元気に一日をすごせるだろう。
声をかけてもらっている人達は僕と一緒
あちゃんにも声をかけていた。きっと毎朝
そこを通る大人の人やおじいちゃん、おば
しかもそれは、僕達にだけではなく、毎日
実行できるように頑張りたいです。
今までつくられてきた、福島の、思いや
り の 心 を 忘 れ ず、 自 分 が で き る 事 を 探 し、
いました。
この街は、とても﹁あたたかい﹂街だと思
なのかもしれない。そんな人達が沢山いる
めに、自分ができることを行っているだけ
いるだろう。みんな心から周りの人達のた
佳 作
に僕達が安全に学校に行けるように、毎日
している訳ではないだろう。知らない人も
福島市立福島第二中学校
梅 津 真 斗
12
﹁おもい や り ﹂
おきてくれて、優しい言葉をかけてくれる。
― ―
が多く、信号がありません。十字路やT字
まず、安全についてです。私の家は、大
きな街道の裏道にあります。そのため、家
いる事はないか、と考えてみました。
からです。そのために、私の地域で行って
む今、一番理想的で暮らしやすいと思える
健康なまち、というのは、少子高齢化が進
切な事だと思いました。なぜなら、安全で
全 で 健 康 な ま ち を つ く り ま し ょ う。﹂ が 大
ある憲章で﹁子どもからおとしよりまで安
りません。だから、見守り隊の活動が、も
は、地域の方全員が行っているわけではあ
状態が維持できると思います。しかしこれ
それから、見守り隊を毎日続けるお年寄り
話になり、
六年間無事故で通学できました。
際小学生の頃、見守り隊の方々に毎日お世
も安心して通学する事ができます。私も実
この事によって、小学生の子ども達はとて
りの方々が、
途中までついて来てくれます。
次に、健康と安全についてです。小学生
の 登 校 時、
﹁見守り隊﹂と呼ばれるお年寄
と思います。
私達の安全を守るためのとても良い試みだ
まえが変わると思います。
これらの対策は、
います。それに、運転手側も助かり、心が
し、子どもも車が来ている事が分かると思
いを認知できると、高齢の方も安心できる
安全運転をよびかける看板があります。互
歩行者や車が確認できるカーブミラーや、
住みよいまちにしていきたいです。
限らず、他の四つの市民憲章も視野に入れ、
んでいきたいです。また、この憲章一つに
一歩近づけるように、新しい活動に取り組
ど ん な さ さ い な 事 で も、
﹁理想のまち﹂に
る事は、まだまだたくさんあると思います。
し ょ う。﹂ と い う 憲 章 の 実 現 の た め に で き
からおとしよりまで安全なまちをつくりま
素 晴 ら し い と 思 い ま す。 し か し、
﹁子ども
佳 作
路は見通しが悪く、もし車が来た時に子ど
っと広まってほしいです。
福島市立福島第三中学校
梅 宮 愛 花
私は、福島市民憲章がある事は知ってい
ま し た が、 具 体 的 に ど ん な 物 が あ る の か、
というのはよく分かりませんでした。五つ
13
﹁私の住 む ま ち で で き る こ と ﹂
もが飛び出したり、車の音に気が付かない
健康維持の見守り隊などの行いは、どれも
の方々にとっても、生活習慣が整い、健康
高齢の方が止まらなかったりしたら危険で
私の住む地域で行っている事故防止の安
全策や、子どもの安全とお年寄りの方々の
そ れ を 防 ぐ た め に、 私 の 家 の 近 く に は、
す。
― ―
果樹園や田んぼ、たくさんの木や森がある、
福 島 は、 ビ ル の た く さ ん あ る 都 会 と 比 べ、
で東京にいて、父の転勤で福島に来ました。
ま ず 一 つ 目 は、﹁ 豊 か な 自 然 に 囲 ま れ て
る﹂ということです。私は四年くらい前ま
この二つについて考えようと思った理由
は、私の実体験からです。
した。
り ま し ょ う。﹂ の 二 つ に つ い て 考 え て み ま
う。﹂ と﹁ 親 切 で 愛 情 あ ふ れ る ま ち を つ く
今回私は、福島市民憲章の中から﹁空も
水もきれいなみどりのまちをつくりましょ
く福島のまちが自然豊かできれいでも、そ
これからしなくてはいけないことは、﹁ご
みのポイ捨て﹂をなくすことです。せっか
と続けていきたいことを考えてみました。
次に、福島をもっと良いまちにするため
にこれからしなくてはいけないこと、ずっ
うれしかったのを覚えています。
かけてくださる人がたくさんいて、とても
っ た り、
﹁来てくれたんだね﹂などと話し
にもかかわらず、毎回温かく迎えてくださ
でのことです。少ししか参加できていない
が空いている時に参加しているラジオ体操
いんだな、と思いました。その他には、私
て、このまちは心が優しく、親切な人が多
大人だけでなく、子どもも一緒に支えてい
号の時、車がきた時、障害物がある時など、
人を支えている人が多くいたことです。信
一番印象に残っているのは、目の不自由な
ました。
でも近づけるように私もがんばろうと思い
私 の こ れ か ら の 福 島 の 未 来 図 は、
﹁私た
ちも私たちの子どもも安心して楽しく暮ら
いまち、そんな福島が私は大好きです。
ているまちだということです。美しく優し
福島は自然豊かで人々の優しい心であふれ
福島市民憲章について考えてみて、あら
た め て か ん じ た こ と が あ り ま す。 そ れ は、
いました。
れからどんどん増えていけばいいな、と思
な人に優しく接することのできる人が、こ
でもあります。その存在を忘れないで色ん
﹁優しい
ず っ と 続 け て い き た い こ と は、
心を忘れない﹂ことです。優しい心は誰に
している人を何人も見かけました。中でも
自然豊かなまちでした。実っている果物も
の景色にポイ捨てされたゴミが入ってしま
佳 作
とてもおいしく、心がおだやかになれる風
うと、とても残念に見えてしまいます。き
福島市立信陵中学校
一 条 萌 笑
14
﹁福島の こ れ か ら を ﹂
景に囲まれている福島は、とても魅力的で
れいな福島で在り続けるためにも、ごみの
せるまち﹂です。このようなまちに、一歩
した。
た。
ポイ捨てをなくしていきたいと思いまし
もう一つは、﹁親切な人がたくさんいる﹂
ということです。私は以前、道案内などを
― ―
めの提案をさせていただきました。そして、
く設置の申し出など福島市のお年寄りのた
よる用水路への転落を未然に防ぐためのさ
が関わる庭の手入れのお願いや体の衰えに
にはお年よりの住居者が多いため、労働力
らった経験があります。その際、市営住宅
宅の環境改善﹂について案を提出させても
私は、小学校六年生の時に﹁福島市子ど
も 議 会 ﹂ に 参 加 さ せ て い た だ き、﹁ 市 営 住
考えたいと思います。
し ょ う。﹂ に つ い て 住 宅 環 境 に 目 を 向 け て
私は、福島市民憲章から﹁子どもからお
としよりまで安全で健康なまちをつくりま
寒いという住宅環境を改善し、大変な状況
いと思います。夏は極めて暑く冬は極めて
適しているのか改めて見直していってほし
住む仮設住宅も安全で健康なまちづくりに
また、子どもやお年寄りだけじゃなく今
でも故郷に帰れないまま避難している人が
と思います。
くることを目指す福島市になってほしいな
もからお年寄りまで安全で健康なまちをつ
もしれません。その先駆けとなるのが子ど
平均寿命世界第一位の日本を継続できるか
をヒモ解くヒントを見つけたり、現在男女
が徐々に増えていくと住宅から少子化問題
に連れて多くなっています。こういう住宅
た住宅環境の配備などが少子化が進む時代
床暖や、断熱材入りの壁など体に気を使っ
や手すり、体の弱いお年よりの家だったら
お年寄りのいる家では、玄関先のスロープ
い安全な生活を過ごす住宅環境を整える、
り入れ、IHという火を直接使うことのな
がいる家はLEDの広く温かい光を多く取
活していきたいと思います。
した。これからも憲章を思い出しながら生
ったし憲章をもっと広ませたいなと思いま
文を書いて、自分でも深く考えることがあ
最後に、私は今まで市民憲章なんて書い
てあっても気にも留めなかったのでこの作
がるのではないかなと思いました。
つ く り ま し ょ う。
﹂など他の憲章にもつな
守り、力をあわせて、楽しく働けるまちを
る ま ち を つ く り ま し ょ う。﹂ や﹁ き ま り を
ょう。
﹂だけではなく、
﹁親切で愛情あふれ
せ て 働 く と い う こ と は、 子
「 どもからおと
しよりまで安全で健康なまちをつくりまし
に対応する親切さや改善のために力をあわ
佳 作
福島市役所の役員さんがじん速に対応して
のなかでも、憲章を胸に考えていく必要が
福島市立北信中学校
住宅から考える﹂
菅 野 みなみ
15
﹁福島市 民 の 将 来 性 を
いただき、今ではきれいな庭とさくが存在
あるのではないかなと思います。
そして、何か申し出があった時にじん速
する住宅となりました。これを機に沢山の
住宅に目を向けてみますと、小さい子ども
― ―
周りにも木がたくさんあり、よく日陰で休
じます。僕が小さいころよく遊んだ公園の
た。こういうのを見ると緑が減ったなと感
建造物が増え、木が見えなくなってきまし
涼 し い 風 景 で し た。 で も 今 は 昔 と は 違 い、
が小さいころは、周りに木がたくさんあり、
りに建造物が増えたからだと思います。僕
れた感じがあります。そう思う理由が、周
今は、前とは比べて、緑のイメージが削ら
して、緑のイメージが強かったです。でも、
葉がしげっていたり、虫の声が聞こえたり
校 一 年 生 の こ ろ は、 木 が た く さ ん あ る 中、
僕が福島の風景や様子を想像すると、緑
がたくさんある福島が見えてきます。小学
ま す。 こ れ は 福 島 だ け で な く、 福 島 県 外、
たなければ、問題は一生解決しないと思い
ゴミはゴミ箱に捨てるという強い意志を持
な環境にはならないと思うし、
一人一人が、
にゴミを捨てたりしてしまうと、このよう
問題になっているのを耳にします。川や海
日本では、
環境汚染が大変深刻化しており、
んなに変わるのかと感じ、驚きました。今
のをよく見かけました。月日を経ると、こ
トボトルや空き缶などのゴミが捨ててある
ですが、前見た時と比べで汚れていてペッ
前友達と遊びに行ったとき、久々に見たの
た思い出があります。その川に、ついこの
生息していて、つりをする人も多々見られ
ります。すごくきれいなので魚もたくさん
また、木だけではなく川もそうです。僕
が小さいころ、泳いで遊んだ大きな川があ
だなと感じ、がっかりしました。
木が少なくなるとこんなに殺風景になるん
たのでショックでした。また、この公園も
るし、日陰で休んだ大きな木も切られてい
直、思い入れが強い場所でもあったのもあ
精一杯頑張りたいと思います。
が実現できます。頑張ってほしいし、僕も
実行する強い意志をもてば、よりよい福島
も含め、福島市民、県民一人一人が心がけ、
島、緑あふれる美しい福島を目指して、僕
このようなことを考えると、改めて昔と
変わったなと感じます。きれいで健全な福
て、実行してほしいと思います。
ら、今からでも一早く環境汚染の対策を立
もたちが住みよい街に実現できます。だか
も始めれば僕たちだけでなく、未来の子ど
の福島が見えてくると思います。今からで
街が実現できると思います。そして、この
増え、次第に環境が整い、きれいで健全な
境汚染に対する考えを持ってくれる人々が
その中で福島が一早く考え、実行すれば環
行しなければ、
何も始まらないと思います。
佳 作
んだり、すずんだりした思い出があります。
また国外でも同じことだと思います。一つ
岡 崎 大
福島市立西信中学校
緑あふれる福島へ﹂
﹁きれい で 健 全 な
でも、最近行ってみたら、木が伐採されて
一つの県、国が環境汚染について考え、実
16
考えも伝われば、僕のイメージしていた緑
おり、木の数が少なくなっていました。正
― ―
いなぁとか、あまり深く考えたことはあり
福島生まれ、福島育ちの私は、特別にこ
この空気がおいしいなぁとか、水がおいし
福島市立大鳥中学校
﹁次世代 に 残 し た い 川 ﹂
はひざ下で、少しずつ使いました。
の順番がまわってきた時には、湯船のお湯
多い中で、温泉に入れました。私たち家族
ラッキーなことに飯坂に住んでいるおか
げで、震災でおふろも不自由している人が
ればならなくなりました。
目に見えない放射線と、みんなが戦わなけ
ない日が続き、息をしても苦しくないのに
発の影響で、学校でも、家でも、窓を開け
だけど生活できました。けれど空気は、原
を配ったりゴミ拾いのボランティアがあっ
一位を守れるよう、川を汚さないように気
なに知ってもらい、十年、二十年先も全国
たくさんの人の努力で川がきれいに維持
されている事を知り、私も、この事をみん
事にありました。
を育み、良質な水質につながっていると記
国交省の河川整備に、愛護団体や、企業、
市による環境保全活動、川を大切にする心
イしたくなるほどうれしかったです。
佳 作
ませんでした。水と空気はただと思ってい
たら参加したいと思いました。
なしにすることが多かったけれど震災を体
松 崎 美 月
ました。
東京とか都会は、人口が多いので、車や
工場とかもたくさんあり、空気が悪かった
験し、当たり前なことをするのって大変だ
すっかり福島県人の私でも、地震があっ
て か ら は、
﹁福島は汚れた町﹂というイメ
17
食器洗い、
震災前は﹁も
朝夜の歯みがき、
ったいない﹂と言われても水道を出しっぱ
り、星も見えないんだろうな⋮⋮くらいは
なぁと思いながらも、もっと節水しなけれ
﹁荒川が五年連続で水質ランキング全国
一位﹂
最近、新聞やニュースで
ばいけないと強く思うようになりました。
何となく考えてました。
しかし、東日本大震災が起き、生まれて
はじめて、水のありがたさや、窓を開けれ
ば新鮮な空気があったことに感謝するよう
になりました。
給水車に並んだり、地下水の出る人からも
ージが強くなり、あぁそうなんだ⋮⋮と思
という発表がありました。
らったり、おふろの残り水を使い、トイレ
いこんでいたのに、このニュースはバンザ
水は、震災の時に、水道が止まり、どう
なってしまうのだろうとあせりましたが、
を流したりといろんな人の協力で、不自由
― ―
﹁福島の 良 い と こ ろ 、 悪 い と こ ろ ﹂
寄りだけでなく、私達も転びやすく危ない
歩きづらいことがあります。子どもやお年
次に、悪いところは、歩道が危ないこと
です。街を歩いていると、
よく段差があり、
くりましょう。
﹂に当てはまります。
も、
﹁空も水もきれいなみどりのまちをつ
憲章に対して、とても積極的だなと思った
が心にひびきました。そこで、福島がこの
康 な ま ち を つ く り ま し ょ う。﹂ と い う 憲 章
に、﹁ 子 ど も か ら お と し よ り ま で 安 全 で 健
すごくいいなと思いました。その中でも特
この憲章は、一つ一つが福島にぴったりで、
人や、障害のある人にも優しい道路になる
を設置するなど、工夫すれば、お年寄りの
点字ブロック、左側に車いす用の広い歩道
全に通れる道にできます。例えば、右側に
由な人にも点字ブロックを設置すれば、安
車いすの人がのびのび通れるし、目の不自
そこで私が提案するのは、歩道を今より
も 広 く す る こ と で す。 道 路 を 広 く す れ ば、
くなってしまいます。
道路にしても、目の不自由な人が歩きづら
と思います。だからといって、ただ平らな
いでしょうか。
になり、初めて復興したといえるのではな
この五つの憲章すべてを一人ひとりが達
成できたら、福島は震災前よりも良い福島
す。
って復興にたどりつくと私は信じていま
はまります。川の清そう活動に参加するの
福島市立福島第一中学校
このように、一見復興に関係がなさそう
でも、絶対にどこかでつながって、つなが
ところ︵良いところ︶と、もう少し工夫す
と思います。
佐々木 楓
る と い い な と 思 っ た と こ ろ︵ 悪 い と こ ろ ︶
ことで、他県の消費者の不安もぬぐえ、風
いう検査をこれからも積極的に行っていく
と〝健康〟を与えていると思います。こう
を し っ か り す る こ と で、 消 費 者 に〝 安 全 〟
まず良いところは、放射能の検査がてっ
底していることです。特に、食べ物の検査
あ ふ れ る ま ち を つ く り ま し ょ う。
﹂に当て
例えば、道で困っているおばあさんがい
たら、助けてあげる。これは﹁親切で愛情
ていくことだと思います。
んな小さなことでもいいから行動をおこし
きることは、この五つの憲章に向けて、ど
18
福島市民憲章があるということを、今回
のコンクールを通じて初めて知りました。
をそれぞれ私なりに考えてみました。
まだまだ福島は復興への道の途中で、課
題も山積みです。その中で一人ひとりがで
評被害もなくなると思います。
― ―
自然や風土、心豊かな福島市民を象徴する
てくれます。くだものの里として恵まれた
して市民の心を和ませ、希望と活力を与え
外を美しく彩るモモの花は信夫野の風物と
モモは、平成元年三月制定され春、市の郊
鳥としてふさわしいです。そして、市の花
また、福島市の良好な自然環境を象徴する
しやすく、広く市民に親しまれている鳥で
内に生息し、身近に見られ、他の鳥と識別
周年を記念し制定された。四季を通じて市
昭和六十二年三月に制定され市制施行八十
ジ ュ ウ カ ラ と い う 鳥 が い ま す。 こ の 鳥 は、
も生育しています。福島市を代表とするシ
ある自然豊かなところです。なので、動物
福島は、きれいな水が流れている阿武隈
川があり、ケヤキがあちらこちらに植えて
で安全で健康なまちだと思います。なぜな
最後に福島の人は、きまりを守り、力を
あわせていたり、子どもからおとしよりま
あり親切な人ばかりだなと思いました。 れます。そのような点で福島の人は愛情が
私の家にくだものなどをよくもってきてく
親切に教えてもらえるし、
近所の人たちは、
それに、福島の人は、親切で愛情あふれ
る人ばかりです。なぜなら、
道を聞いたら、
があり文化を知ることが出来ます。
つくったテストがあり、いろいろな博物館
私 達、 福 島 の 人 は、
教育と文化を大切
にしていると思います。学校では、福島で
で自然をつくっているのだと思います。
ます。このような市の木、市の花、市の鳥
む、県都の木としてふさわしいとされてい
まって、心豊かな市民性と郷土愛をはぐく
徴するもので、進展するまちづくりとあい
な樹勢と美しい樹枝は、伸びゆく福島を象
の 堂 々 と 根 を 張 り、 枝 を 繁 茂 さ れ る 旺 盛
の都市景観を特徴づけている。そして、そ
樹として多用され、緑豊かに発展する本市
て市民に親しまれ、近年は、街路樹・公園
福島は、すべてがそろう市。そして、私
の大好きな市、私の自まんな福島市です。
です。
多くいて元気に散歩している人が多いから
スで見ないからです。そして、お年よりが
ら、交通事故という言葉をあまり、ニュー
安心してくらせる町だと思います。なぜな
見られます。それに、福島の人は、健康で、
ているからです。これは、福島では、よく
ら、積極的に、若い人が持ってあげたりし
多く、おとしよりが重い荷物を持っていた
﹁すべて が そ ろ う 福 島 ﹂
のにふさわしいものです。市の木ケヤキは
ら、福島の人は、時間をきっちり守る人が
岡 部 真 林
19
福島市立福島第二中学校
平成元年三月制定し古くから屋敷林樹とし
― ―
﹁みんな で 守 ろ う 福 島 の 自 然 ﹂
福島市立福島第二中学校
木 下 渉
福島市民憲章の一つに﹁空も水もきれい
なまちをつくりましょう﹂というものがあ
くと思う。
水 質﹁ 日 本 一 ﹂ に 輝 い た 美 し い 川 で あ る。
うあたりまえのことを、一人一人が確実に
やはりゴミを捨てないことだ。
一つ目は、
自分で出したゴミは必ず持ち帰る。そうい
い。
﹁ 空 も 水 も き れ い な ま ち・ 福 島 ﹂ は、 ぼ
くたちの手で守っていかなければならな
今、福島市では除染のため次々と木が切
りたおされている。きれいな環境を取り戻
春には近くの公園の桜がきれいに咲き、多
やることが大切だと思う。そして、もしゴ
る。きれいなまちをつくることは、ぼくた
くの人が見物に来る。秋には川原で芋煮会
ミが捨てられていたら、自分から進んで拾
すためには仕方のないことだ。美しい自然
などが行われ、みんなが楽しめる場所にな
えるようになりたい。
ち市民の義務だと思う。一人一人が自然を
っている。
二つ目は、節水や節電などを常に心がけ
て、生活することだ。水を大切に使うこと
を守るために、
また木の苗を植えればいい。
夏休みのある日、ぼくは川原へ遊びに行
っ た。 そ こ で 目 に し た も の は、﹁ 日 本 一 ﹂
は、
汚れた水を出さないことにもつながる。
守るという意識をもつことで、何十年先も
の美しい川に捨てられた大量のゴミだっ
汚水が減れば、
川の水もきれいになるので、
ぼくたちが大人になるころには、木は大き
た。 そ の ゴ ミ は、 ペ ッ ト ボ ト ル や 空 き 缶、
ぼくは水を大切にしたい。また、節電は二
福島はきれいなまちであり続けられる。で
残飯などが分別されることなく、ダンボー
酸化炭素の排出量を減らすことができ、き
く成長して、きっと豊かな自然が広がって
ルの箱に入れられていた。周りにはカラス
れいな環境をつくることができる。
ぼくは、
は、ぼくにできることは一体何だろうか。
が群がり、残飯を食べ散らかしていた。ぼ
使わないコンセントを抜いたり、クーラー
いることだろう。
くはそれを見て、とてもイヤな気持ちにな
の温度を上げたりして、節電を心がけてい
20
ぼくたちが住んでいる福島市には、豊か
な自然がある。中でも、荒川は五年連続で
った。
人一人の心がけで福島の自然は守られてい
る。一人の力は小さいかもしれないが、一
﹁どうして自分達が出したゴミを持って
帰らないのだろう。﹂
― ―
ればならないと僕は思いました。自分のこ
ときこそ、人と人との関係を大切にしなけ
福島の人たちが持っていました。こういう
す。このときに、不安や問題をたくさんの
東日本大震災と原発事故が起きたときで
で す。 こ の 市 民 憲 章 が 分 か る の は、 ま ず、
切で愛情あふれるまちをつくりましょう。﹂
の 市 民 憲 章 で 心 に 残 っ た 市 民 憲 章 は、
﹁親
福島をつくっていけると思いました。五つ
憲章をたくさんの人が知れば、すばらしい
僕は、このコンクールで福島市民憲章が
あることを初めて分かりました。この市民
があると思います。でも、そこで市民憲章
た。なぜかというと、これからいろんな事
市民憲章を知らなければ損すると思いまし
よい福島になると思いました。ぼくはこの
らない人たちに知ってもらえれば、もっと
いました。だから、福島市民憲章をまだ知
二つに関して思ったことは、福島にはた
くさんのいい人がいるのがいいなと僕は思
力﹂することが大事だと思いました。
兄で助けに行きました。このことから﹁協
った車を周りの近所の人たちと、僕と父と
です。僕の家の前でも、何台か進めなくな
往生している車を何十台も助けていたそう
た部員たちが、迎えがくるまでの間、立ち
た、駅では、電車が止まって帰れなくなっ
の地域を回って雪かきをしていました。ま
ある高校の野球部では、数日間学校の周り
僕 も や ろ う と 思 い、 雪 か き を 始 め ま し た。
福島が大変なことになりました。
そのとき、
す。
を持つ人が増えすきなまちになると思いま
﹁ 親 切 で 愛 情 あ ふ れ る ま ち ﹂ を、 実 現 す
れば﹁助け合う﹂
﹁協力﹂する﹁温かい心﹂
気づけられるかもしれません。
困っている人などがいたら声をかけてほし
れ で 僕 は、 元 気 づ け ら れ ま し た。 だ か ら、
ったときなどに声をかけてくれました。そ
人にたくさん助けられてます。例えば、困
と 思 い ま し た。 僕 も、
﹁温かい心﹂を持つ
をすればどんなことでも、乗り越えられる
てば、どんなことでも、
﹁助け合う﹂
、
﹁協力﹂
と思いました。みんなが﹁温かい心﹂を持
人たちが﹁温かい心﹂を持っていくことだ
を実現させるためには、福島のたくさんの
れ る ま ち を つ く り ま し ょ う。﹂ と い う こ と
﹁温 か い 心 ﹂
としか考えずやっていても、なかなか復興
を知らない人がいて、自分かってなことを
西 脇 空 也
福島市立福島第二中学校
は進まないと考えました。だから、ここで
したら何にもよくなっていかないと思うか
21
いと思います。その一言が、僕のように元
は、﹁助け合う﹂ことが一番だと思いました。
です。
僕は、福島市民憲章の﹁親切で愛情あふ
らです。たくさんの人に知ってもらいたい
もう一つ分かることがあります。それは、
去年の二月のことです。福島で大雪が降り
ました。そのせいで、交通機関も悪くなり、
― ―
か活動をすればいいのではないか。と思い
す。そこで、この福島市民憲章をもとに何
ント等のアクションプランを計画していま
地域の課題を見つけ、解決するためのイベ
福島市チームに参加しています。そこでは、
僕は現在﹁OECD地方創生イノベーシ
ョンスクール2030﹂の東北クラスター
うか、と思います。
ると、これを今の福島市に活かせないだろ
うして作文を書くために、初めて読んでみ
しかし、ふだんはあまり興味がなく、さ
らさらっと見ているだけでした。でも、こ
があります。
僕のお父さんは、市役所で働いているの
で、﹁ 福 島 市 民 憲 章 ﹂ は た び た び 見 る こ と
す。僕は福島市の力を信じています。
れば、僕達にできないことはないと思いま
しれませんが、少しずつあきらめないでや
風評被害を解消する。いきなりは無理かも
巻き込みながら、
福島市内に人を呼びこむ。
それを行動に移すことが大事です。
次に、
福島市内の小学生、中学生、高校生なども
います。
全員で課題に立ち向かうことが重要だと思
な ど で す。 だ か ら 今 こ そ 市 民 が 協 力 し て、
があると思います。少子高齢化や風評被害
協力が必要です。今、福島市は様々な課題
とが重要です。外部に広めるには、内部の
最初に、市民のみなさんに憶えてもらうこ
僕もまだ完全には憶えていません。だから
﹁福島市民憲章﹂をたくさんの
ま ず は、
人に知ってもらうことからです。そういう
ぼ無いと思います。
全員で協力してすれば、出来ないことはほ
解消され、
もっと人が来るかもしれません。
ような町をつくれば、放射線のイメージが
僕の目標でもあります。
おとしよりまで安全で健康なまち﹂それが
をあわせて楽しく働けるまち。子どもから
切で愛情あふれるまち。きまりを守り、力
ち。教育と文化を尊び希望に輝くまち。親
生なども入れてほしいです。一緒に活動し
がいったような活動をするなら、僕達中学
てしまったかもしれません。でも、もし僕
結果です。少し﹁福島市民憲章﹂から外れ
﹁市民憲 章 の 活 用 ﹂
ました。例えば一番最初の﹁空も水もきれ
僕はここまでえらそうなことを言ってき
ました。これは僕の意見です。福島市がこ
野 田 朝 陽
福島市立福島第二中学校
い な み ど り の ま ち を つ く り ま し ょ う。﹂ 地
れからどうすれば良い町になるのか考えた
22
た い で す。
﹁空も水もきれいなみどりのま
域の人々や、もちろん僕達も協力してこの
― ―
健康面では、私の家族の具合が悪くなった
犯罪や事故などを、ニュースで目にしたり
心に残りました。なぜかと言うと、最近は
康 な ま ち を つ く り ま し ょ う。﹂ と い う の が
でも﹁子どもからおとしよりまで安全で健
憲章全て大切だと思いますが、私はその中
ても大切であると思いました。私は五つの
のか、将来の福島を築いていくうえで、と
人々とどう関わりどういう福島にしていく
と、福島市民がこれから土地、教育、文化、
たので福島市のホームページで調べてみる
私は福島市民憲章があるということを、
初めて知りました。詳しく知りたいと思っ
今まで苦手だった食べ物をよく食べるよう
なりました。そのおかげでもあり、祖父は
ようになり、家族と話し合うことが、多く
らです。それから祖父は食事に気をつける
塞になってしまい、原因が食生活だったか
ぜかと言うと、私の祖父は三年前に心筋梗
けると言ったら、食生活だと思います。な
す。特に私達の身近なことで気をつけてい
一人一人が健康でいるために、
二つ目は、
家族と話したりして意見交換をすることで
た。
意してあげなければいけないと思いまし
かなければならないし、周りにいる人も注
なっていたりしたら、自分自身でも気がつ
からもしも、お酒を飲んでいたり眠そうに
﹁少しルールを守らなくても大丈夫。
﹂
と言っている人もいるかもしれません。だ
かしたら、
特に事故は自転車や自動車が原因で、もし
周りにいる人が気づいてあげることです。
す。
そして笑顔あふれる福島にしていきたいで
私は、地元の福島の人全員が﹁人のこと
を思いやれる﹂
福島にしたいと思いました。
す。
から福島の市や町をどういうふうにしたら
ていけると良いなぁと思います。私もこれ
てくると思いますが、福島市民が助け合っ
た、よい市や町にするのに伴い問題も、で
ていけるのではないか、と思いました。ま
私は福島市民憲章の作文を書いて、福島
市民が繋がることで、よりよい市や町にし
ができるのだと思いました。
合いがあってこそ、自分自身を変えること
またこの二つのことから、人と人との支え
﹁よりよ い 福 島 に す る た め に ﹂
りしました。私はこのようなことを少しで
になりました。そしてご飯よりも野菜を多
松 浦 美 咲
福島市立福島第二中学校
も減らすためには人との関わりや交流、呼
くとるようにしました。これは家族や人と
23
良くなっていけるのか、考えていきたいで
びかけることが大切だと思いました。理由
の関わりがあったから、祖父も自分の食生
一つ目は、犯罪や事故を防止するために
活を見直すことができたのだと思います。
は二つあります。
― ―
思いました。
た。私もどんなに小さいことでもきまりを
ちというとまず自然をイメージしました。
一 つ 目 は、﹁ 空 も 水 も き れ い な み ど り の
まちをつくりましょう﹂です。みどりのま
とを深く考えてみました。
んなことをやっていけばいいのかというこ
りに五つの市民憲章はどういう意味で、ど
せる場所になるのでしょうか。私は自分な
くりをすれば、市民のみんなが笑顔で暮ら
うことに気がつきました。どのような街づ
と、幸せと市民憲章はつながりがあるとい
ことをしないで、協力して街の活性化に努
す。犯罪に手をのばしたり、人のいやがる
﹁ き ま り を 守 り、 力 を あ わ せ
四 つ 目 は、
て楽しく働けるまちをつくりましょう﹂で
います。
分かる、親切な人間になっていきたいと思
の人と交流を深め、優しさや人の気持ちが
と思いました。そのためには、様々な年代
声をかけられるようにしたいという意味だ
だれかが困ったとき知らない人でも気軽に
﹁親切で愛情あふれるまちを
三 つ 目 は、
つくりましょう﹂
です。お互いに助け合い、
文化に触れることが大事だと思います。
のためには熱心に勉学にはげみ、積極的に
したいということだと私は思いました。そ
の文化に親しみを持ち、未来を良いものに
意味は、教育に力を入れ、それぞれの地域
ったのではないでしょうか。
切さを知ってもらいたいです。そして、み
できるだけ多くの人に伝えて市民憲章の大
ない人はたくさんいると思います。
なので、
五つの市民憲章はどれも守らなくてはい
けないことだと考えました。ですが、知ら
のだと思いました。
ので私は安全と健康はなくてはならないも
事故にあったり食中毒になってしまった
ったらどうなるのでしょうか。例えば交通
要だと分かりましたが、もしも安全がなか
暮らしやすい街にするには安全と健康が必
﹁子どもからおとしよりまで
五 つ 目 は、
安全で健康なまちをつくりましょう﹂
です。
守り、協力していきたいと思います。
空や水がきれいか考えたことはなかったの
めるということを伝えたいのではないかと
﹁教育と文化を尊び希望にか
二 つ 目 は、
がやくまちをつくりましょう﹂です。この
ですが、空や水がきれいだと快適ですがす
考えました。一人ひとりが福島のことを常
﹁﹃幸せ﹄とは何か﹂
がしい気持ちになります。自然を大切にす
に意識して、だれもが楽しく暮らせるよう
います。福島市民憲章の内容を読んでみる
みなさんはどんなときに幸せを感じます
か。幸せを感じる瞬間は人それぞれだと思
吉 田 真 優
福島市立福島第二中学校
るならば、ごみを路上に捨てるなどの環境
な福島になっていければ良いなと思いまし
なさんも市民憲章があるという幸せが分か
24
ら、健康さえもなくなってしまいます。な
を破壊する行為は絶対にしてはいけないと
― ―
﹁福島市 を よ り 良 い 場 所 に
福島市立福島第二中学校
するために﹂
高 橋 優 実
私は、福島市が大好きです。果物が美味
しくて、自然がいっぱいで、ここに住んで
いう事については、福島市がもう出来てい
で愛情あふれるまちをつくりましょう﹂と
二つ目の﹁教育と文化を尊び希望に輝く
まちをつくりましょう﹂と三つ目の﹁親切
どり﹂が減ってきている気がしました。
ます。なので、
身近な場所から少しずつ
﹁み
てしまい、悲しい思いをした事を覚えてい
はその事により大好きな桜が見れなくなっ
と思います。
についてしっかり考えるという事が課題だ
た。そこから考えたのは、
﹁バリアフリー﹂
という事と関連を持たせて考えてみまし
そして、五つ目の﹁子どもからおとしよ
りまで安全で健康なまちをつくりましょ
た。
というきまりが守られていないと思いまし
口には、とても大きくきれいな桜の木があ
ました。私は二小出身です。二小の西昇降
身近な場所に植物があまり無いように感じ
は 少 な い と 思 い ま し た。 山 は あ り ま す が、
てもきれいだと思います。でも、﹁みどり﹂
いて考えてみました。福島市の空と水はと
まず一つ目の﹁空も水もきれいなみどり
のまちをつくりましょう﹂ということにつ
ことに気が付きました。
でも、この﹁福島市民憲章﹂を読んでみ
ると、まだ出来ていない事がいくつかある
す。
事があります。その事は競馬場に限った事
が一生懸命掃除をしている所を何度も見た
場で働いている人や近所に住んでいる人達
ています。ゴミが捨てられている所を競馬
やビニール袋など、たくさんのゴミが落ち
日になると、通学路にはタバコの吸いがら
が来てにぎわいます。その土日明けの月曜
もちろん、県外からもたくさんのお客さん
があります。そこには土日になると県内は
達の通っている二中のすぐ近くには競馬場
けてしまっているような気がしました。私
て は、
﹁きまりを守る﹂という事が少し欠
四つ目﹁きまりを守り、力をあわせて楽
しく働けるまちをつくりましょう﹂につい
なるといいなと思いました。
せで明るく暮らせるような場所に福島市が
題が全てクリアされ、市民の人達全員が幸
市の課題だと思いました。そして、この課
へのバリアフリー﹂が今の福島市民、福島
けないというあたり前のきまり﹂
﹁高齢者
私は﹁福島市民憲章﹂について考えた時、
﹁みどりを増やすこと﹂
﹁ゴミを捨ててはい
う ﹂ と い う 事 に つ い て は、
﹁少子高齢化﹂
る事なので、
これを継続していきたいです。
りました。しかし、その木は去年に道路を
ではありません。なので、ゴミを捨てない
25
いる人はみんな明るく優しい人ばかりで
広くするために切られてしまいました。私
― ―
木材にするために木をたくさん切っている
に自然とふれ合いたいです。それに最近は、
から早く放射線の影響がなくなって、自由
あまり山や森などには行けていません。だ
なりました。でも今は、原発事故の影響で
た。木が多いところに行くと、気持ち良く
私は自然が好きなので、山や森、海など
に行く時にはとても楽しみにしていまし
すごしやすい環境なのかと思いました。
れいなみどりのまちは自然が多くてとても
という文が目にとまりました。空も水もき
私は、福島市民憲章を見て﹁空も水もき
れ い な み ど り の ま ち を つ く り ま し ょ う。﹂
﹁空も水もきれいなみどりのまちをつくり
呼びかけをしていってほしいです。そして
す。だから、そのためにはたくさんの人に
もだんだんきれいになっていくと思いま
きることをしてもらえば、川の水や海の水
のもっとたくさんの人にも水をきれいにで
いけばいいなと思います。それに、私以外
にできることをして、水がきれいになって
きれいになっていくわけではないので、も
ようと思いました。でも、これだけで水が
ら、川や海をきれいに保つために気を付け
の水が必要になると聞いたからです。だか
を流してしまうと、魚が住むにはたくさん
を捨てずに持ちかえっています。水道に油
ます。また、山や川に行った時には、ゴミ
は油のついた物はふき取ってから洗ってい
私には、水をきれいにするために気を付
けていることがあります。例えば、水道で
す。
ることができるようにしたいです。
を見つけて、小さなことを少しでも実行す
た。そのためにもまずは自分にできること
島市に変わっていくのが楽しみになりまし
す。そして、みんなが住みやすい環境の福
しずつきれいになるようにしてほしいで
す。それが、これから自然が増えて水も少
が少なくなっています。それに、川や海な
豊 岡 桃 香
どの水も汚れているところがあると思いま
ので森の面積が減っていると聞きました。
ま し ょ う。
﹂という福島市民憲章にあった
﹁自然が 多 い ま ち ﹂
森がないと地球温暖化にも影響してしまう
ように、みどりが多く、水も空もきれない
福島市立福島第二中学校
ので、なるべく木を切る量を減らしてほし
福島市になっていけばいいなと思います。
今は、だんだん建物をたてるために自然
26
っと気を付けることがあると思います。私
いです。そして、自然の多いみどりのまち
がこれからも保っていってほしいと思いま
― ―
﹁空も水 も 繋 ぐ ﹂
ない。
﹂
していない県外産よりも、ずっと安全じゃ
すべて検査されているものなのよ?検査を
﹁﹃福島県産は危険﹄というイメージがつ
いてしまっているけど、
店頭に並ぶ商品は、
私にとってはとても身近な﹁復興﹂でした。
い と 言 わ れ ま し た。 小 さ な 事 だ け れ ど も、
れども、翌年は、業間も昼休みも遊んでよ
時は、﹁外で遊ぶな。
﹂と言われました。け
ました。当時に比べれば、様々な事が﹁復
部活動に行くとき、毎日何げなく見てい
た文字。そのときの私は、﹁福島市民憲章﹂
と、答えてくれました。確かにそうだと思
﹁空も水もきれいなみどりのまちをつく
り ま し ょ う。
﹂ と い う こ と は、 無 理 な 事 で
当 時 の 担 任 の 先 生 が、
﹁福島県産がやっぱ
がどれほど大事なものなのかを知りません
い、家に帰って母に話すと、
さな事でも積み重ねていけば、福島の復興
興﹂へと歩みを進めています。
でした。
﹁ 先 生 の 言 う 通 り だ よ。 放 射 線 の 検 査 を
しているのは、日本で福島だけだもの。
﹂
に繋がると思っているからです。
り 一 番 安 全 ね。
﹂ と 言 う の で す。 理 由 を 聞
国 語 の 授 業 で、﹁ 福 島 市 民 憲 章 ﹂ の 全 文
にしっかりと目を通しました。そして、多
と、先生と同じ意見でした。
いてみたら、
くの人に知ってもらいたいと思った文があ
あなたも一緒に繋げませんか?
﹁ 環 境 ﹂ も そ の 一 つ で す。 現 に、 福 島 市
内の私が通っていた小学校では、三年生の
り ま し た。 そ れ は、﹁ 空 も 水 も き れ い な み
私は今まで、県産のものよりも、県外産
の方がなんとなく良いような気がしていま
福島市立福島第三中学校
どりのまちをつくりましょう。﹂です。
かれると、うまく説明できないですが、悪
八 巻 心 優
なぜなら、原発事故の風評被害が、改善
されつつありますが、完全になくなったと
いイメージがありました。ですが、先生や
母の言葉で、悪いイメージが﹁良いイメー
27
しょうか?私は実現できると思います。小
は言い切れないからです。
ジ﹂に変わった、そんな経験をしました。
し た。
﹁ な ぜ そ う 思 っ て い た の か?﹂ と 聞
私が通っていた小学校は、自校給食でし
た。なので、給食に使用する食材はすべて、
くそう﹂と思って無くせるようなものでは
放射線の検査を毎回必ず行っていました。
ある日、県外産の食材から、基準値を超
える数値が出てしまい、予定していた料理
ないと思います。原発事故から五年が経ち
ですが、風評被害が思うように改善でき
て い な い の が 現 実 で す。 風 評 被 害 は、
﹁無
は、出せなくなってしまいました。すると、
― ―
気づいているのかいないのかは分からない
手すりにつかまり立っていました。みんな
前に電車に乗っていた時、腰の悪そうな
お年寄りのおばあさんがゆれる電車の中、
なので、一人一人がお互いの事を﹁思い
やる﹂ことが必要ではないかと思います。
なくなっていると感じたからです。
りしますが、若い人の人を思いやる心が少
です。理由は、最近、高齢化が進んでいた
切で愛情あふれるまちをつくりましょう。﹂
た。その中で、私がいいと思った憲章は、﹁親
さんの人に知ってもらいたいと思いまし
私は、福島の人達がいつも笑顔でいられ
る町づくりをするために、この憲章をたく
思 い ま す。 一 人 一 人 が お 互 い を 思 い や り、
る優しい心﹂を持てるようにすることだと
せるためには、みんなが﹁お互いを思いや
私は、五つの憲章の中の﹁親切で愛情あ
ふ れ る ま ち を つ く り ま し ょ う。
﹂を実現さ
もらえたなと思いました。
や、おばあちゃんに、最高の笑顔と元気を
でもあの時に、老人ホームにいるみなさま
るのは、
最初で最後になってしまいました。
ってしまい、おばあちゃんにおどりを見せ
した。その少し後におばあちゃんがなくな
て、みてくれていてすごくうれしくなりま
に、私のおばあちゃんやおじいちゃんがい
にしてくれる人がたくさんいました。そこ
くれたり、手拍子をしてくれたり楽しそう
じいさんやおばあさんは、一緒におどって
また、去年、私が小学一年生から続けて
いるチアで老人ホームに訪問しました。お
見て、優しい人だなと思いました。
をゆずってくれました。私はその女の人を
まちになっていくと思います。
もっと笑顔と元気な人がふえ、すばらしい
﹁親切で愛情あふれるまちをつ
憲 章 の、
く り ま し ょ う。
﹂ が 実 現 出 来 れ ば、 福 島 に
だと思います。
ってもらえるように生活していく事が大事
ょうか。なので、周りをよく見て、困って
しでも無くしてあげられるのではないでし
佐 藤 凜
いる人、元気のない人に元気と笑顔にもど
けど、だれも席をゆずろうとはしませんで
優しく声をかけてあげれば、つらい事があ
﹁親切な 心 が あ ふ れ る 町 へ ﹂
した。私は立っていたので席はゆずれませ
ったり苦しい事がある時に一緒にいて、そ
28
福島市立福島第三中学校
んでした。ですが、ずっと本を読んでいた
の人のつらかった事、苦しかった事を、少
届けられたので、とても良い経験をさせて
若い女の人が、おばあさんに気づいて、席
― ―
﹁自然の た め の 行 動 ﹂
福島市立福島第三中学校
で自然を守りたいと思いました。
然 を 守 り た い。
﹂ と 思 う だ け で な く、 行 動
ボトルなどを拾っていました。自分も﹁自
るように、やはり良い行動をすると、心が
しいなと思いました。この経験からもいえ
も自然を守る、心のきれいな人になってほ
ソーラーパネルが建てられていました。電
られていました。そしてその後、そこには
私の家の近くにはたくさんの山がありま
す。しかし、去年、ある山の半分の木が切
これを実現するには、一人一人の心の持
ち方で変わります。
ます。
人間が自然を守らなくてはいけないと思い
なぜなら、人が生活する中で、空も水も
み ど り も、 全 て を 破 壊 し て い る か ら で す。
社会で必要だと思いました。
五つの憲章の中で﹁空も水もきれいなみ
ど り の ま ち を つ く り ま し ょ う。﹂ が、 今 の
を持ち帰ってくれました。いやな顔をされ
いやな顔をしていたけれど、ちゃんとごみ
ごみを捨てるのを止めました。友達は少し
私が友達と遊んでいたとき、友達が道に
ごみを捨てようとしました。そのとき私が
分の心が磨かれていくかもしれません。
がついてもらえない人を気づいてあげるこ
い事に気づけるので、困っているけど、気
を拾います。その人は、だれも気づいてな
い行動は、
自分の心を磨くことができます。
現させるために大事だと思います。より良
な み ど り の ま ち を つ く り ま し ょ う。
﹂を実
す る 行 動 を 行 う こ と が、
﹁空も水もきれい
いくと思います。
然も人間も、笑って暮らせるまちになって
今の世界を﹁空も水もきれいなみどりの
ま ち。
﹂ に、 し て い く こ と が で き れ ば、 自
磨かれるんだと改めて感じました。
気の節約をしても、その影響で自然を壊す
た と き は 少 し 怖 か っ た で す。 で も、
﹁自分
自然を守るためには、ポイ捨てをしない
のは当たり前の事だとし、自然をより良く
のはだめだと思いました。
ったことも忘れて、うれしい気持ちでいっ
多 勢 彩 加
また、駅前に行ったとき、ビニール袋を
持って、ごみを拾っている人達がいました。
ぱいでした。でもその気持ちの中に、友達
とができます。その一つ一つの行動で、自
も 自 然 を 守 れ た。
﹂ と 思 っ た と き は、 怖 か
29
例えば、だれも気づいていない地面のごみ
その人達は、だれかがポイ捨てしたペット
― ―
ている現在、皆、困っている人を助けたり
んでいる人がいたり、高れい者が増えてき
理由があります。それは、今も震災で苦し
ましょう﹂が心にひびきました。それには
章の中で﹁親切で愛情あふれる町をつくり
私は、この作文を書く事になるまで福島
市民憲章を知りませんでした。私はその憲
祖母は、
ばさん手作りの漬け物が入っていました。
らってきてから祖母がふたを開けると、お
来ました。何か手に持ってきたのです。も
んなある日祖母の所にむかいのおばさんが
休日にその仮設住宅に行ったりします。そ
設 住 宅 に 住 ん で い ま す。 私 達 家 族 は 時 々、
しかし震災でそこには住めなくなり今は仮
母は震災前までは小高に住んでいました。
そして、震災で大きな被害を受けた人の
一人が身近にいます。それは祖母です。祖
かり感動しました。
違う所でも色々な人が助け合っていると分
が実際体験したような事が放送されていて
と思います。
小さな積み重ねがこの憲章だけでなくほ
かの憲章も、もっともっと良くなっていく
切に接する事ができたりすると思います。
ことでもっと色々な人に気持ちを考えて親
事です。その
﹁助け合い﹂
や
﹁お互いを知る﹂
をかけ合い交流していく事が大事だという
るには、お互いにそれぞれの事を知り、声
ちをつくりましょう﹂という憲章を良くす
私は、このような経験をして思った事が
あります。それは﹁親切で愛情あふれるま
になりました。
ちになったらいいなと思いとても良い経験
してたくさん交流していました。こんなま
﹁福島市 民 憲 章 を 知 っ て ⋮ ﹂
小さい子供にも優しく育ててあげる事が大
アパートに住んでいた下の階の人が食べ物
く大変でした。そんな中、私達家族と同じ
た。近くのコンビニに行っても食べ物がな
入れなくて、車の中で過ごす日もありまし
被害を受けました。私の家も数日間は家に
約四年前﹁東日本大震災﹂がおこりまし
た。津波がおきたり停電したり多くの人が
﹁もう一つちょうだい!。
﹂
と 言 い、 私 は そ の 味 に は ま っ て い ま し た。
するとすごくおいしくて、
﹁食べてみる?﹂
と 聞 か れ た の で、 私 も 一 つ も ら い ま し た。
ました。
た。その食べた顔は自然と笑顔になってい
成 田 寧 珠
を少し分けてくれてとても嬉しかったで
その他にも、部屋に招いたり、招かれたり
30
福島市立福島第三中学校
切だと思うからです。
﹁おいしそう。
﹂
と一言いい手づかみで一つ食べていまし
す。それから車に戻りテレビを見ると、私
― ―
ました。こんなところにこんなきれいな木
に、きれいな木や花が咲いているのが見え
春に母と、車で走っていると、原発事故
の影響で畑ができなくなってしまった畑
一人一人の気持ちが大切だと思います。
う か ら で す。 み ど り の ま ち を つ く る に は、
なぜなら、周りをきれいな環境にすれば、
心がやわらぎ、他の憲章にも後に続くと思
ょう。﹂です。
も水もきれいなみどりのまちをつくりまし
一 番 始 め に 実 現 し た い と 思 っ た の は、
﹁空
回 初 め て 知 り ま し た。 五 つ の 憲 章 の 中 で、
私は、快適で明るく住みよいまちづくり
を進めるための、福島市民憲章のことを今
福島市立福島第三中学校
﹁﹃みどりのまち﹄にするために﹂
は、すぐにできるものではなく、代々受け
すばらしい財産のような気がします。それ
す。 私 は こ の よ う な 心 こ そ、 福 島 の 持 つ、
さらにキラキラと輝かせてくれていきま
の 共 感 を 呼 ぶ の だ と 思 い ま す。
﹁花見山﹂
さいました。その美しい心がますます人々
人々の心を花木でいやされるようにして下
﹁ 花 見 山 ﹂ は、 花 木 農 家 の 方 が コ ツ コ ツ
と山を耕して、日本中で有名になった観光
しい模範だなと思いました。
見ると、気持ちがよくなりました。すばら
した。私は、道がきれいになっていくのを
片手にゴミやタバコを拾っているのを見ま
かし、ある朝、見守り隊の方が、ゴミ袋を
ぬふりをし、知らないふりをしました。し
少しいやな気持ちになりましたが、見て見
私は、小学生のとき、登校中にタバコや
ゴミが落ちているのを見かけました。私は
たいなと思いました。
どりのまち﹂にしていきましょう。
憲章の第一歩として﹁空も水もきれいなみ
が ん ば り た い と 思 い ま す。 協 力 し な が ら、
どを減らす努力が大切だと思います。私も
参加したり、一人一人ができるだけゴミな
を実現させるには、進んでボランティアに
同時に大切だと感じます。
﹁みどりのまち﹂
ま ち を つ く り ま し ょ う。
﹂を目指すことも
憲 章 の 中 に あ っ た、
﹁親切で愛情あふれる
うに協力したり、他人を思いやる気持ちが
と共に﹁花見山﹂の精神は自然の美しさを
必 要 だ と 思 い ま す。 そ の よ う な 意 味 で は、
や花が咲いているとは知らず、つい見入っ
つがれていくものだと思います。
31
服 部 尚 美
てしまいました。また、しぜんと笑顔にな
名所です。無料で、私達に公開して多くの
っていました。私は、大震災で、ショック
﹁空も水もきれいなみどりのまちをつく
りましょう﹂を達成するためには、このよ
を受けている方々にこんな気持ちをあたえ
― ―
した。私たちが安全に横断歩道を渡れるよ
ーを着ていて﹁見守り隊﹂と呼ばれていま
てくれました。その人たちは緑のジャンバ
をかけてくれる地域のおじさんが立ってい
﹁ お は よ う。﹂ や﹁ こ ん に ち は。﹂ な ど と 声
私は小学生の時、登校班の班長をしてい
ました。毎日朝と夕方に横断歩道を通ると
のか考えたいと思ったからです。
域などがあり、私たちにできることは何な
さんの交通事故、原発事故で汚染された地
う。﹂ が 心 に 残 り ま し た。 な ぜ な ら、 た く
よりまで安全で健康なまちをつくりましょ
私は初めて福島市民憲章があることを知
り、五つの憲章の中で﹁子どもからおとし
とができるのです。
ことを守るだけで自分の身を自分で守るこ
人についていかないことです。あたり前の
夜に子供だけで出掛けないことと知らない
のはどうすればよかったのかを考えると、
ました。事件に巻き込まれないようにする
れないと思うと、他人事ではないなと思い
島市に除染に来ていたそうで私は驚きまし
そして、今年の八月に大阪で中学一年生
が殺害された事件が起きました。犯人は福
的な生活に戻りつつあると思います。
です。少しずつではありますが、日々健康
に山車を引いて歩けるまで復興しているの
は小さな子供からお年よりまでがいっしょ
た。また、私の住んでいる地区のお祭りで
り、地域の運動会もできるようになりまし
た。小学校では外で運動ができるようにな
なったが四年経ち、前の姿に戻ってきまし
また、今年で東日本大震災から四年が経
ちました。震災後いろいろな行事が中止に
いと思います。
守りながら新たな福島を作り上げていきた
ってお年よりから引き継がれる伝統行事を
私たちは原発事故にも負けずこれからも
福島で生活していくという強い気持ちを持
いです。
自分が小学生やお年よりを見守っていきた
校していたように、今度は中学生になった
大 槻 円 香
ころは地域の大人達に見守られて学校に登
うに見守っていてくれ、私は六年間事故に
﹁私が今 で き る こ と ﹂
遭わず安全に登校することができたと思い
安全で健康な町をつくるのは一人一人が
周りに目をくばり、声をかけ合って築き上
32
福島市立福島第三中学校
ます。朝は車の量が多いので見守り隊の人
げていくことだと思います。私が小学生の
た。もしかしたら福島で起きていたかもし
がいてくれて本当によかったです。
― ―
つくりましょう﹂が一番目指すべきだと感
私は、よりよい福島をつくるために五つ
の憲章の中で﹁親切で愛情あふれるまちを
知ろうとするというのはとても難しいこと
良い気配りはできません。相手の気持ちを
く、相手の気持ちを分かろうとしなければ
また、いじめをなくすために、よりよい
福島をつくるために気配りをするのではな
います。
る人となり、それがまちとなっていくと思
なくなれば、一人一人が親切で愛情あふれ
がないまちとなるはずです。いじめなどが
学校が良くなり、やがて福島全体がいじめ
誇りにできる日が来ると思います。
されるような、そんなまちができ、それを
意 識 を し て い け ば、
﹁親切﹂
、
﹁愛情﹂のあ
体が百パーセントになるように一人一人が
きていなければ意味がありません。福島全
できていても、残りあと一パーセントがで
切だと思います。九十九パーセントの人が
﹁人に気 配 り が で き る 人 ﹂
じました。なぜなら、今学校のいじめなど
ですが、一人で居る人に、
村 梨 子
福島市立福島第三中学校
が原因で自殺をする人が増えていると感
でいじめていることと同じことになってし
じめをしていなくても周りで見ているだけ
も気づかえる心が大切だと思いました。い
を解決するにはやはり、相手の事をいつで
最近福島でも﹁いじめ﹂という言葉を耳
にするようになりました。いち早くいじめ
りができるということが必要です。
となると思います。
すれば福島も、
﹁親切で愛情あふれるまち﹂
けるということも大切だと思います。そう
れどただ見てあげるだけではなく、声をか
てあげることが一番大切だと思います。け
﹁親切で愛情あふれるまち﹂をつ
私 は、
くるためには、自分と同じように相手も見
﹁一緒に遊ぼう。
﹂
と声をかけるだけで良いと私は思います。
33
る本当のまちとして他の県民からお手本と
じ、それではよりよい福島ではないと思っ
﹁大丈夫?﹂
や、
たからです。いじめをなくすためには、お
まいます。いじめを見つけたらすぐ、周り
互いがお互いの事を見るつまり、人に気配
の人に相談して解決していかなければなり
さらに継続していくためには、一人一人
が意識し、継続するんだという気持ちが大
ません。そうすれば、その学級が良くなり、
― ―
どの生き物もいませんでした。
ミがたくさん捨てられて水がよごれ、魚な
トルなどのゴミや電化製品などの大きいゴ
所の川に遊びに行った時に、缶やペットボ
ま ず、﹁ 空 も 水 も き れ い な ま ち づ く り を
し ま し ょ う。﹂ と、 あ り ま す が、 以 前、 近
かりました。
ょ う。﹂ と い う 二 つ の 決 ま り が 特 に 気 に か
しよりまで安全で健康なまちをつくりまし
をつくりましょう。﹂と、﹁子どもからおと
し た。 わ た し は、﹁ 空 も 水 も き れ い な ま ち
福島市民憲章を読んで、この決まりはき
ちんと守られているのだろうか?と思いま
福島市立福島第四中学校
思ったこと﹂
分かりました。交通ルール無視は自転車だ
た。その後、左側通行を意識して走ってみ
た知り合いに注意されたことがありまし
たしも、右側通行をして、向かい側から来
うになりひやっとしたことがあります。わ
右側を通っている人がいて、正面衝突しそ
時などに自転車を使うのですが、その時に
決まりについてです。わたしは部活に行く
﹁子どもからおとしよりまで安全
次 に、
で 健 康 な ま ち を つ く り ま し ょ う。
﹂という
た。
あっても、これでは意味がないと思いまし
人が見て見ぬフリをしています。決まりが
が、それはほんの一握りです。ほとんどの
や、見つけたゴミを拾っている人もいます
に少しでもゴミを減らそうとしている人
川を作り上げたんだな、と思いました。現
う人々の行動の連鎖が、このゴミだらけの
る。それを見ても面倒だから放置するとい
しは思いました。面倒だからその辺に捨て
とが日常になっていることが問題だとわた
は思いました。
良くするためするべきことではないかと私
知った上で意識を高めることが、この市を
でした。
決まりを多くの人に知ってもらい、
作文を書くまで福島市民憲章を知りません
ことも大切だと思います。わたしも、この
こともありますが、決まりを知ってもらう
うとする意識を高めないといけないという
福島市民憲章が定めてあっても、守らな
ければ意味がありません。一人一人が守ろ
ての意識が低いことが分かります。
に決まりがあっても守らず、決まりに対し
ますし、事故にもつながります。このよう
う行為は、他の人にとても迷わくがかかり
す。決まりを知っているのに無視するとい
の、信号は誰でも知っていることのはずで
なかったなら次は気をつければいいもの
に通行していた人もいました。標識が見え
っていても、これが普通だと言わんばかり
ず、堂々と通行していたり、信号が赤にな
﹁福島市 民 憲 章 に つ い て
川が汚れ魚が住めないことも問題です
が、捨てている人がいても気にしない。捨
けに限られたことではありません。標識に
34
岩 野 結 衣
てられたゴミがあっても気にしない。魚が
車は通行禁止と描かれているにも関わら
ると、右側通行をしている人が多いことが
減っても自分たちには関係ない。というこ
― ―
﹁市 の 環 境 ﹂
福島市立福島第四中学校
斎 藤 菜々美
私は今、環境について気になっているこ
とがあります。それは、通路に無意識にゴ
がたくさん入っていたりと見てておどろく
かの国がゴミにうまっていたり、川にゴミ
の勉強もしてきたのですが、映像に、どこ
私は二年くらい前に北海道のサマーキャ
ンプに当たりました。そこで環境について
にしたいです。
て、絶対にゴミをそこら中に捨てないよう
今この文を書いてるとき思いました。
ます。しつこく言いまくるのはどうなのか
で、どうすればわかってくれるのかを考え
そうするとやはり空気が悪くなると思うの
のはきっと、地球全体をゴミだらけでうま
ずです。そういった人たちが捨てなくなる
です。そのだいたいの人が大人や高校生く
使いすぎには気をつけてほしいし、私も気
のですごく気になります。なので、洗剤の
ゴミのほかにも洗剤の使いすぎなのか、
川が泡だらけになっている国もあるらしい
じめて、どんどんほかの国に広がっていっ
いくのがいいと思います。自分の国からは
まず、私達の住むところからきれいにして
うことだと思います。そんな国にするには
らせないと反省しないと思います。ですが
ほどの映像をいくつも見ました。
環境の良いというのは、ゴミがおちてな
い、水がきれい、空気が気持ちいい、とい
らいの人というのにも気になります。
をつけたいです。
だりしてしまったら大変な事になってしま
にふんでしまったり、自転車でふんで転ん
たら、そのビンを歩いている人が気づかず
ゴミがビンだったりとかたい物だったとし
さんのゴミがおちてあります。もし、その
大丈夫とはあまり思わないで、ちょっとで
なので、ちょっとゴミを捨てたくらいなら
はなく、
逆に絶対なってしまうと思います。
になってしまうことは絶対ないということ
も臭いも悪く、とても過ごしにくい世の中
こういったちょっとしたことが地球の環
境を悪くしているはずです。見た目も空気
の文を書いて思いました。
い つ か、 ど こ に も ゴ ミ が お ち て い な い、
とても空気のいい福島県に住みたいと、こ
35
ミやあき缶、ビンなどを捨てる人達のこと
TVでは環境について気をつけるように
といったことは呼びかけているはずなの
います。
てほしいです。ですが、現実はきっと、一
たら最高だと思います。
そういった後のことを考えずに無意識に
道に捨てているのはどうなのかと思いま
度言ったくらいでは聞かずに何どもくり返
に、それを無視するかのように道にはたく
す。私はそういった大人にはならないよう
して捨ててしまう人たちがたくさんいるは
も捨ててしまったら環境が悪くなると思っ
に今から環境については自分に厳しくし
― ―
﹁親切で 愛 情 あ ふ れ る 福 島 へ ﹂
福島市立福島第四中学校
げることは、そんなに簡単にできることじ
ゃ あ り ま せ ん。 な ぜ な ら 僕 も そ う で す が、
親切にしてあげるとなるとまわりの目が気
になります。僕は、親切にしてあげること
はとても良いことだと思いますが、身のま
くてなっているわけではないので、差別は
が、不自由な所がある人はみんな、なりた
なつめたい目で見ている人を見かけます
由な人はよく見かけます。その時に、みん
の不自由な人、目の不自由な人、耳の不自
僕の家族には、足の不自由なおじがいま
す。僕のうちだけでは、ありませんが、足
ので、自然に笑顔になります。だから、み
てうれしくない人はいないと思います。な
良い気持ちになります。親切にしてもらっ
親切にしてあげると、助けてもらった方
はうれしいし、助けてあげた方も、とても
になったら、良いなあと思います。
は、みんなが、親切はして当然というよう
わりには、親切にするということがおかし
してほしくないです。なので、このテーマ
んな笑顔で笑顔あふれる楽しいまちになっ
佐 藤 龍 起
を選びました。
ます。
てる人もいます。僕はその人のように、こ
をしてしまいます。それでも、助けてあげ
こ れ る よ う に な っ て ほ し い で す。 な の で、
ます。ということは、
学校にこれない人も、
このように、親切にしてあげることによ
って、悲しい思いをする人は、減ると思い
たら、みんな楽しく生活をおくれると思い
まっている人がいたら助けてあげられる人
僕は、どんな人にも、どんな場面でも、親
36
いと思っている人もいました。なので、僕
僕は、こまっているお年よりなどを見か
けた時には、助けてあげようと思っていま
間になりたいです。
切にしてあげられる人になりたいです。
すが、実際、見かけた時は、見て見ぬふり
親 切 は、 人 に た い す る 愛 情 が な け れ ば、
できないと思います。でも、親切にしてあ
― ―
と思いました。幼い頃から言われ続けてい
内容を読んでみると、とても分かりやす
く、学校でも地域でも言われていることだ
みました。
てありました。そして、市民憲章を読んで
﹁重要な意味﹂﹁定めてあるおきて﹂と書い
章 ﹂ の 意 味 を 調 べ て み ま し た。 辞 書 に は、
と て も 難 し く、 堅 苦 し く 感 じ ま し た。﹁ 憲
ぼくは、この作文コンクールを通して﹁福
島市民憲章﹂を初めて知りました。初めは
福島市立福島第四中学校
﹁これか ら も 平 和 な 福 島 に ﹂
の尊さを改めて感じました。
されています。ぼくはテレビを見て、平和
今年は終戦七十年の節目の年です。テレ
ビでも戦争についての番組がたくさん放送
ればいけないよ﹂と。
でみんなが笑顔でいられる福島を作らなけ
の人は平和を守っていく義務がある。安全
と。 最 後 に 必 ず 話 を し た こ と。
﹁これから
いおじいちゃんが戦争から戻った日のこ
へ疎開した時のこと。終戦の日のこと。ひ
いちゃんを連れて、自分の実家がある山形
いた日のこと。当時六才だったぼくのおじ
たそうです。ひいおじいちゃんに赤紙が届
おばあちゃんから当時の話をよく聞かされ
さんしたそうです。ぼくのお母さんはひい
ちゃんは、戦争で苦しく悲しい経験をたく
つ、気丈な人だったそうです。ひいおばあ
いました。
ちゃんが残してくれた伝言を大切に考え、
次の世代へ引き継げるように、ひいおばあ
ことから始めよう﹂ぼく達の美しい福島を
感 じ 始 め ま し た。
﹁そうだぼくが今できる
何気なく過ごしてた事が、とてもうれしく
つけてね﹂
と声をかけてくれる人がいます。
ぼ く が 通 学 を す る 時﹁ お は よ う!﹂﹁ 気 を
が成り立っていることに気が付きました。
人達に見守られ、支えてもらいながら生活
家族が団らんできる、あたたかい家があ
ります。この便利で豊かな生活は、地域の
ます。
口をひねれば、いつもおいしい水が出てき
37
佐 藤 太 暉
る事だから、ぼくの心にまっすぐに入って
行動し安全で健康なまちをつくりたいと思
きたのだと思います。
と気付いたのです。
あたり前のように過ごしていた毎日は、
過去の悲しい戦争があって、今があるのだ
ぼくはこの憲章の中で﹁子どもからおと
しよりまで安全で健康なまちをつくりまし
けば、あたたかくておいしいごはんをお腹
ょう﹂に心ひかれました。
ぼくが産まれた時、当時九十二才のひい
おばあちゃんがいました。ひいおばあちゃ
いっぱい食べることができます。水道の蛇
ぼくは、何の不自由もなく暮らしていま
す。暑ければクーラーをかけ、おなかが空
んは明治生まれで、厳しい中に優しさを持
― ―
ます。
人たちからすれば希望もなにもないと思い
くなっていき、いままで文化を伝えてきた
い、そうなるとそういう文化はどんどんな
ていない、その文化を伝えていく人もいな
続いていくとは思いますが、あまり知られ
化などは、わらじ祭のように有名なものは
﹁教育と文化を尊び希望に輝くまちをつ
くりましょう﹂とありますがその土地の文
ゃないかと思います。
てありますが意識している人は少ないんじ
福島市民憲章は自然や教育や子ども、お
としよりを大事にしようということが書い
ちをつくりましょう﹂は達成できない。し
ミをポイ捨てる人も出てくると思います。
ます。祭の日などは屋台も出て食べ物のゴ
だからそうなる前に、福島市民憲章を大
勢の人に知ってもらうことが大事だと思い
のといっしょになってしまいます。
ましょう﹂も達成できなく、きまりがない
﹁空も水もきれいなみどりのまちをつくり
り﹁親切で愛情あふれるまちにしよう﹂も
に は な ら な く、 逆 に イ ラ イ ラ し て し ま い、
の迷惑になってしまい、楽しく働く気持ち
し、そうは思っていない人にとってはただ
以上がそう思うようになるかもしれない
人がたくさんでてきて、其の内百人中半分
などの感情がでてきて自分一人ならと思う
ていてもばれやしない。
﹂
﹁ あ、 だ れ か 一 人 あ ん な こ と し て い る、
ならこんなに人数がいるんだから自分がし
りを守らずにいると、
実行することが大事だと思います。
う気持ち、
それを考えだけで終わらせずに、
こにも負けないすばらしい市にしようと思
と思う気持ちを捨てて、本気で福島市をど
福島市民憲章は一人一人が、自分一人だ
けならこんな大勢いる内ではばれやしない
います。
ろな人に知ってもらえるんじゃないかと思
や図書館など勉強しにくる人が多い所にも
菖 蒲 幸 伸
こ れ で は、
﹁空も水もきれいなみどりのま
はっておくともっと福島市民憲章をいろい
﹁きまりを守り力をあわせ楽しく働ける
まちをつくりましょう﹂や﹁子どもからお
かし逆にこういう日には人も大勢集まると
﹁福島市 民 憲 章 に つ い て ﹂
としよりまで安全で健康なまちをつくりま
思います。大勢の人が集まるイベントかな
福島市立福島第四中学校
しょう﹂の場合たとえ百人いる内で九十九
にかで人目につく場所にはったり、博物館
38
子どもやおとしよりには生活がしづらくな
人がきまりを守ってもだれか一人でもきま
― ―
ま ず、 一 つ 目 は、﹁ 空 も 水 も き れ い な み
どりのまちをつくりましょう。﹂からです。
こうと思います。
との関わりについて自分の見解を書いてい
てきました。そこで、市民憲章と福島市民
になると意味もだんだん分かるようになっ
を持てませんでしたが、中学一年生ぐらい
ぱんに見ます。ぼくは、あまり憲章に興味
市民歌がひんぱんに聞くぐらい憲章もひん
市からのお知らせを放送するときに流れる
看板です。よく、コマーシャルなどで福島
れは、住んでいる福島市の市民憲章の紙や
学校や建物の中である物を見かけます。そ
ぼくは、市内に住む中学一年生です。普
通に毎日を過ごしていますが、よく市内の
思います。子ども達の学力の向上を目指し
をするようにしましたが、それは、良いと
﹁教育と文化を尊び希望にか
二 つ 目 は、
が や く ま ち を つ く り ま し ょ う。
﹂ で す。 福
れているのです。
ように市民は、毎日この福島市の自然にふ
わけですから、ハズレはありません。この
果物はまさにその自然の恵みを受けている
にもつながります。この福島の地で育った
いのです。自然という言葉は、特産の果物
妻山など山に囲まれた地形なので自然が多
解けのときに現れる雪うさぎが特徴的な吾
色々な花を咲かせる花見山、更に、春の雪
のシンボルである信夫山や毎年春に桜や
して使用されています。みどりは、福島市
工場もあるため、市内の川は貴重な水源と
河川じきで遊ぶ人がいますが川の近くには
水源があります。川では、釣りをする人や
隈川や荒川、松川、摺上川といった多くの
せます。水は、福島市内を流れている阿武
せる雲が空をおおったりして色々な顔を見
した。
ものだから、憲章を大切にしたいと思いま
自分の見解で見つけた市民と憲章との関
わりは、市民の生活や文化を通してできた
がされていてすごく感心しました。
すいようにしたりしているので色々な工夫
られています。手すりなどをつけて歩きや
でのバリアフリーの事業化がどんどん進め
いてです。最近、市内の公共施設や駅など
﹁子どもからおとしよりまで安
最 後 は、
全 で 健 康 な ま ち を つ く り ま し ょ う。
﹂につ
とても勉強になることだと思いました。
や実態、
性質について学べるということは、
り入れていることもすごく放射能の仕組み
いました。あと、最近、放射能の授業も取
う願いが込められていて、素晴らしいと思
て、福島市のために活やくしてほしいとい
もいいことだと思います。学力を身に付け
﹁市民と 憲 章 の 関 わ り ﹂
これは、福島市の自然を物語っていると思
て 授 業 日 数 を 増 や す と い う こ と は、 将 来、
岩 城 裕 亮
39
福島市立福島第四中学校
います。福島市の空は、春や夏になると青
社会へ出ていくときの事を考えると、とて
島市では全国と同じく今学期から土曜授業
空がとてもきれいで、冬になると雪を降ら
― ―
す。さらにクーラーや暖ぼう、車のエンジ
ため、多くの二酸化炭素が排出されていま
油の車を運転している人が多いです。その
段で売られているため、まだガソリンや軽
め、環境にやさしい車です。ですが高い値
カーは、二酸化炭素を空気中に出さないた
この憲章は守れていないと思います。
一つ目は、空も水もきれいな町をつくり
ましょう。という憲章です。今の状態だと
て考えてみました。
私は福島市民憲章のうち二つの憲章につい
福島市民憲章は、快適で明るく住みよい
町づくりを進めるためにつくられました。
も安心して車を運転できます。さらに、福
号だと分かれば止まります。だから運転手
する人はほとんどいません。ちゃんと赤信
つけました。ですが福島では、信号無視を
もちろん車にぶつかりそうな人を何人も見
が多く通る所でも平気で渡っていきます。
私は以前、大都会に行きました。そこで
は信号無視をする歩行者が多くいます。車
くらしていると私は思います。
う憲章です。福島の人々は、安全で健康に
二つ目の憲章は、子どもからお年寄りま
で安全で健康な町をつくりましょう。とい
思います。
ちんとゴミ箱に捨てるようになるといいと
見かけます。たばこのすいがらやゴミはき
や川、湖、海などにゴミを捨てていく人を
していきたいです。それから、たまに、池
な努力をして地球温暖化が進まないように
えめにし、植物を育てています。そのよう
人もいます。私はなるべくクーラーをひか
ずに空気中に二酸化炭素を多く出している
をしている人もいますが、今の状態も知ら
ます。
であればぜひ行動していけたらいいと思い
らいいと思います。そして分かっているの
の改善しなければならないことをきちんと
いけないこともたくさんあるわけです。そ
このように、福島は、きまりを守ったり、
親切な人が多くいますが、改善しなければ
いと思います。
ます。なので、あまり太っている人はいな
らに、進んで運動している人を多く見かけ
りませんが、野菜をしっかり食べます。さ
を配っています。そして、福島だけではあ
ことはいつもしています。いつも周りに気
私もすぐ後ろをむきどけてあげるくらいの
し た。 と て も か わ い そ う だ と 思 い ま し た。
も通れなくて困っている自転車の人がいま
気づきません。ですので、後ろでいつまで
﹁福島市 民 憲 章 ﹂
ンのかけっぱなしによって地球温暖化が進
島では、後ろで通れなくて困っている人に
菅 野 鈴美麗
まず、今はハイブリッドカーや色々な電
気自動車が売られています。ハイブリッド
40
福島市立福島第四中学校
んでいきます。そのため、今は空気は悪い
気 づ き、 よ け て く れ ま す が、 大 都 会 で は、
理解して、よりよい福島をつくっていけた
状態にあります。一生懸命がんばってエコ
― ―
外も行けないと楽しい事は一つもなく、行
じました。テレビをつけても全てニュース、
分からなかったのですが、恐怖はすごい感
た。僕は当時小学二年生で、あまり状況が
ないという不安と恐怖の生活をしていまし
まいました。食べ物も不十分で外にも出れ
の爆発事故により、放射能に汚染されてし
がおこり、さらに福島は第一原子力発電所
の広範囲に影響をおよぼした東日本大震災
﹁ゴゴゴゴゴ⋮﹂
二〇一一年三月十一日、東北、関東、中部
切で愛情あふれるまちをつくりましょう。﹂
福島市民憲章は五つあり、どれも大切な
ものばかりです。その中から特に僕は、﹁親
す。
から世界中に発信していこうと僕は思いま
やるのは難しいと思うので、まずは福島市
中になると思います。これを世界で同時に
や世界は誰もが安心、喜んで過ごせる世の
年齢関係なく意識していくとこの福島、い
っているときは助ける﹂という事を性別、
金 な ど に 積 極 的 に 参 加 し た り、
﹁誰かが困
するためには支援活動やボランティア、募
として注目されるようにしたいです。そう
の福島を協力・優しさがたくさんある場所
目されました。僕は放射能ではなくて、こ
福島は放射能がたくさんある場所として注
て協力してくれたということです。震災後
いうこと、つまりたくさんの人が力を貸し
心地良い場所にしたいです。
どをして、福島をもっともっと良くして居
僕 は こ の 福 島 が 大 好 き で す。 ど ん な 姿、
状況になっても大好きです。大好きだから
一つだと思います。
それが僕達、福島市民がやるべきの大きな
方 で 福 島 市 民 憲 章 を 守 り、 そ し て つ な ぐ。
バトンをつなぐ、などいろいろな方法、見
島の文化を伝統を引き継ぎ新たな世代へと
安心に歩く、移動できるまちをつくる、福
広くし、子どもからおとしよりまで安全で
く出さず、空気や水の汚染を防ぐ、歩道を
ていきたいと思います。ごみや をなるべ
他の四つの市民憲章も大事なので平等にし
僕は﹁親切で愛情あふれるまちをつくり
ましょう。
﹂に力をいれたいと思いますが、
信じています。
﹁これか ら の 福 島 ﹂
動が制限されている生活はいつまで続くだ
に力を入れてこれからの福島をつくりたい
星 直 希
たとえ小さな発信元だとしてもその運動
を認め、自分達も実施しようという周りの
こそ、きまりを守り、積極的に活動するな
41
福島市立福島第四中学校
ろうとずっと思っていました。
分は何もやっていないのに普通に戻ってき
人々の思いがあれば、福島は周りから認め
と思います。
て る と い う こ と は、 支 援 を し て く れ た り、
られ、良い意味での注目をあびると、僕は
四月の上旬にやっと学校に行けるように
なり、普段の生活に一歩近づけました。自
復旧作業をしてくれた人がたくさんいると
― ―
CO2
﹁私達に で き る こ と ﹂
福島市立福島第四中学校
すいまちです。それを、他県に住む方々に
みどりにあふれ、人もあたたかく、住みや
で も あ る よ う な 気 が し ま す。 元 々 福 島 は、
に汚染されたまちという悪いイメージが今
事だと思います。
るような町になれたら、とてもすばらしい
他県の方々にも行ってみたいなと、思われ
ばらしさ、自分達が、生まれ育った福島が
も知ってもらうために、これからの福島を
りました。今では、核家族が増え、お年寄
の班で名人に伝統文化などを学ぶ行事があ
に、一年生から六年生までの班を作り、そ
う﹂という行事があり、地域の色々な名人
の 出 身 の 小 学 校 で は、﹁ 地 域 の 名 人 に 学 ぼ
に 輝 く ま ち を つ く り ま し ょ う。﹂ で す。 私
思 っ た 憲 章 は、﹁ 教 育 と 文 化 を 尊 び、 希 望
だ と 知 り ま し た。 特 に、 す ば ら し い な と、
みちたまちをつくるために、作られたもの
島市民が、平和で、さらに住みよく希望に
は、昭和四十八年に制定されたもので、福
私は、福島市民憲章というものをこの課
題作文で初めて知りました。福島市民憲章
すが、協力し合うことにより、人とのつな
できなくなったりする事が多くあるようで
人とのつながりがうすくなって、
最近は、
ネット上のいじめなどにより、学校に登校
ます。
ジアップにもなるのじゃないかなと、思い
つもない大きな力となって、福島のイメー
れないけど、みんなで協力しあえば、とて
ぁと思います。一人では、小さな力かもし
島を盛りあげるような事ができたらいいな
る運動などをひろげ、若者を中心として福
作業や、花いっぱい運動として、花を植え
るために、各中学校で、通学路のクリーン
担っていく私達、若い力で、福島を元気で
りから伝統文化を教えてもらう機会が減っ
がりが大切だと感じる事ができるようにな
小 熊 桃 歌
ています。そんな中で、地域の方々に、色々
れば、ありあまったエネルギーをいい方向
では生きていけません。人と協力しあうす
42
みどり豊かな所、ぜひ行ってみたい所にす
な事を学ぶことは、とても良い経験になり
に向けられるように思います。人は、一人
福島は、今でも東日本大震災後、放射能
ました。
― ―
や障害者、妊婦さんへの﹁優先席﹂もあり
られました。バスや電車に乗るとお年より
も、あいさつは笑顔に明るくする、と教え
言﹂というものにものっています。部活で
員会の﹁岳陽中生の登下校マナーアップ宣
あいさつをしっかり行う、ごみが落ちて
いたら拾う、ということはモラルアップ委
親切心から生まれる事だと思うからです。
が必要だと思います。それは全て、愛情や
に、ゆずり合ったり、助け合ったりする事
いたら拾う事、お年よりや障害者さんなど
な ぜ な ら ば、 親 切 で 愛 情 あ ふ れ る 町 は、
あいさつをしっかり行う事、ごみが落ちて
す。
ちづくりを進めていくのが良いと思いま
郷土福島の限りない発展のためには、﹁親
切で愛情あふれる町をつくる﹂ことからま
福島市立岳陽中学校
﹁親切心 や 愛 情 か ら 生 ま れ る ﹂
ているので本来使うべき人が使えないので
字ブロックなどがありますが、私達が使っ
めのスロープ、目が不自由な人のための点
しかし、町へ出て歩くと助け合っている
人はあまり見かけません。足が悪い人のた
もうれしくなります。
も近所の方などに言って返されると、とて
拾うようにしようと思いました。あいさつ
がしい気持ちになり、ごみが落ちていたら
場に捨てました。そうすると何だかすがす
れていなかったので、引き返してごみ捨て
した。ごみが落ちていた場所からあまり離
え、
﹁悪い事をしてしまったな。
﹂と思いま
良いの?﹂という声が心のどこからか聞こ
へ 行 こ う と 思 い ま し た。 し か し、
﹁本当に
で、私は思わず顔をしかめ、そのまま学校
ベタベタしていて少し異臭も放っていたの
ているごみが目に入りました。そのごみは
す。以前、私が学校に行く時、自然と落ち
気持ちが先に来てしまい行動できないので
ます。はずかしいやめんどうくさいという
やろうと思ってもなかなか出来ないと思い
ち に な り ま す。 私 が 紹 介 し た 三 つ の 事 は、
っているのを目にすると、申し訳ない気持
くしていきたいと思います。
て行い郷土福島の限りない発展のためにつ
がっている内容のものもあるので、率先し
ていきたい事があります。今回の事とつな
す。また、他の市民憲章についても、やっ
さいという思いに負けないようにしたいで
たいと思います。はずかしさやめんどうく
席をゆずったりして不自由のないようにし
私はこれからも、あいさつやごみ拾いを
行っていき、お年よりや障害者さんなどに
たくないなと思うのです。
ます。その姿を見るとこんな大人にはなり
大人やあいさつをしても返さない大人もい
します。また、ぶつかってもあやまらない
上で駆けまわっている子供達を見かけたり
クの上に自転車を置いていたりスロープの
はないかと思います。例えば、点字ブロッ
43
木 須 五 月
ます。しかし、若い私達のような人がすわ
― ―
﹁市民憲 章 に つ い て ﹂
福島市立岳陽中学校
髙 根 百 花
と り が 交 通 ル ー ル を 意 識 し、 守 る こ と と、
常に自分の体調管理を怠らないことが大事
だと思いました。でも、この内容は自分一
人ではこなせません。だから、一人ひとり
が意識しなければならないと思います。私
も頑張って、福島市が安全で健康な市にな
協力し合い、公共の場では他人の事を考え
友達などの身近な人達に優しく接し、共に
り ま し ょ う。﹂ で す。 こ の 憲 章 は、 家 族 や
憲 章 は、﹁ 親 切 で 愛 情 あ ふ れ る ま ち を つ く
に気付きました。そして特に実行しやすい
ま ず は、 五 つ の 憲 章 に 目 を 通 し ま し た。
すると、すべて私が実行できるということ
そこで、福島市民としてしっかりと内容
を把握し、実行するべきだと思いました。
た。ですが特に関心はありませんでした。
の作文を書く上で内容を初めて知りまし
に変わるのでその分使う水が減り、水道使
した。それに、植物にやる水が米のとぎ汁
ました。確かに川も汚れずに済むと思いま
﹁ 米 の と ぎ 汁 を 流 さ ず、 庭 の 植 物 に あ げ
れ ば、 川 を 汚 さ ず に 済 む よ。
﹂ と、 言 わ れ
た。そこで、母に聞いてみると、
どうすれば良いか最初は分かりませんでし
水の川です。とても大事にしなければなら
く り ま し ょ う。
﹂ だ と 思 い ま す。 福 島 に 流
そして、福島市で最も大切だと思う憲章
は、
﹁空も水もきれいなみどりのまちをつ
るように、少しでも貢献したいです。
て 行 動 す れ ば 良 い と 思 い ま し た。 こ れ は、
用量も少なくなると思いました。
私は今まで﹁福島市民憲章﹂というもの
があるということは知っていましたが、こ
今すぐにでも実行しようと思いました。そ
な い と 思 い ま す。 大 事 に す る と い っ て も、
少しでも福島市が住みやすいまちになれ
ば良いと思います。
44
れる荒川は、水質が良く、とてもきれいな
し て、 も う 一 つ の 憲 章 は、﹁ 子 ど も か ら お
この様に私が実行できることが少しずつ
でも沢山あります。
としよりまで安全で健康なまちをつくりま
し ょ う。﹂ で す。 こ の 憲 章 は、 市 民 一 人 ひ
― ―
﹁今を未 来 に つ な げ て ﹂
福島市立岳陽中学校
島市民として非が少しでもあったのかもし
け何もせず何も言わなかった私たちにも福
ことをした人自身ですが、それを見逃し続
今まで考えていなかったことも見直して
みると自分自身にも非があり、身近なとこ
思います。
何かすることで市をもっと好きになれると
れません。
見た事もあります。タバコのポイ捨てでは
油のようなものが混ざっていたりしたのを
これだけを聞けば、良い所だと思うでし
ょう。しかし道にゴミが落ちてたり水路に
温泉もあるし、祭りも多いです。
林檎に梨⋮。日本で有名な品種もあります。
も現れます。そしてたくさんの果物。桃に
妻山。春になれば雪でできた種まきうさぎ
い魅力があります。観光地には花見山や吾
しい心があると、思います。私は信じてい
ると、思います。そして、それに応える優
ると、思います。福島市民はその勇気があ
身近な人からどんどん広めてくことができ
から、だれかになった人が、何人もいれば
なただってなれる。だれだってなれるんだ
い。そのだれかは、私だってなれるし、あ
勇気を出してみんなに伝えなくてはいけな
市民が協力しなくてはいけない。
だれかが、
けれど一部の人がやっても新たな福島市
の一歩になるには難しいです。
だからこそ、
ていけると、思います。
です。
めにもみんなの良い行動が伝染してほしい
ていきたいです。自分のためにも未来のた
気持ちや行動は、善悪にかかわらず伝染
していくと思うので、私はこれからも続け
います。
るものにしてゴミを減らそうと、心がけて
ルにも参加し、ボールペンなどをかえのあ
が、今では、学校などでやってるリサイク
減らそうとしていなかったりしていました
私は、いままで正直に言うとリサイクル
もあまりしてなかったし、紙を無駄使いし
ろにも隠れていることに気がつきます。
まだ火が消えてないものがありとても危険
ます。
そして、市民の心が一つになったとき新
たな福島市の一歩になると思うし、私は福
でも今の福島市の自然や良い所を大切に
し見直せば、きっともっとすてきな市にし
に感じるものもしばしば。そしてこれらに
島市をだれもが心地よいと感じる市にした
渡 辺 あきほ
気づいただれかが、ゴミ箱へ捨てに行くわ
私たちには、市を良くするために個人で
今すぐにだれでもできることもあります。
いです。
ていたり、かえのあるものを使わずゴミを
けでもありません。私もタバコの火などは
リサイクルや分別です。そのちょっとの手
45
福島市は、山に囲まれた自然にあふれる
所で、東京などビルが立ち並ぶ都会にはな
消してもゴミはそのままで、見逃してきま
なると、思います。そして福島市のために
間をかけるだけで、未来は少しずつ明るく
もちろん一番悪いのは、市を汚すような
した。
― ―
二つ目は、果物だけでなく、花もきれい
で多い、花の色あふれる福島だということ
なく、果物の宝庫だと思います。
です。僕は、この福島を、果物の王国では
や形、そして甘さも良く、とてもおいしい
育てています。また、量だけではなく、色
し、ぶどうなど、いろいろな種類の果物を
も﹂ですが、ももだけでなく、りんごやな
一つ目は、果物が豊富で、自然がいっぱ
いだということです。福島といったら﹁も
ころを伝えたいと思います。
く 住 ん で い る、﹁ 福 の 島、 福 島 ﹂ の 良 い と
ら、その例を三つあげるので、普段何気な
僕は、福島市は良いところや特徴が他の
ところに比べて、多いと思います。これか
住んでいる地区では、バレーボール大会を
番の特徴だと思っています。例えば、僕の
三 つ 目 は、 人 の や さ し さ で す。 福 島 は、
地域の人とのむすびつきが強く、近所の人
ください。
らです。ぜひ、みなさんも一度行ってみて
ミニ福島のようで、市民のいこいの場だか
る理由は、緑が多く、花がたくさんあって
もあります。僕が、四季の里をおすすめす
つくれます。また、市場などの交流ができ
の絵付け体験などができ、おもい出の品が
いって、ガラス製品をつくったり、こけし
る公園です。四季の里の中には、工芸館と
年にオープンし、今も、市民に親しみのあ
いての説明をします。四季の里は、平成七
ころです。それでは、少し、四季の里につ
運動公園の近くにある、四季の里というと
です。僕がおすすめするところは、あづま
いほど、福島市は花であふれていてきれい
もの木など、花のじゅうたんといっても良
います。
僕は、福島市がこのまま変わらず、やさ
しく、花も実もある福島がいちばんだと思
ことを証明しています。
ちが多いことが、福島市がとてもやさしい
いと家族のように言ってくれる近所の人た
いますとあいさつすると、いってらっしゃ
ます。また、朝登校する時におはようござ
﹁福島っ て あ た た か い ! ﹂
です。福島市一番の花の名所は花見山です
したり、バザーをしたりなど、地域との関
國 井 朗 光
福島市立岳陽中学校
が、その他にも、信夫山、弁天山、フルー
わりを深めようという取り組みを行ってい
たちと仲がいいことが、果物や花よりも一
46
る施設や、レストラン、子供が遊べる施設
ツラインの近くにはえているたくさんのも
― ―
﹁この町 の 素 敵 な 文 化 と 教 育 ﹂
福島市立岳陽中学校
相 良 凜
私 は、﹁ 教 育 と 文 化 を 尊 び 希 望 に 輝 く ま
ち を つ く り ま し ょ う。﹂ と い う 一 つ の 市 民
憲章がつくられ、それを行っているこのま
ちは、素敵だなと感じました。
きるのではないのかと私は考えました。
ると、そのような心配もなく通うことがで
んなで勉強したり、遊べる場ができるとす
くとしても少し不安になったりします。み
私は、中学生だけで入るのはどこまでな
のか正直分からず、MAXのアオウゼに行
です。
やコーナーを一つだけでもつくってほしい
福島市は素敵だと思います。
このように、たくさんの文化にふれるこ
と が で き、 教 育 に 力 を 入 れ て く れ て い る、
この他にもたくさんのきかくに参加しま
した。
星について詳しく学ぶことができました。
き に な り ま し た。 ま た、 星 座 な ど を 見 て、
ます。
私自身、もっと文化や教育にふれていき、
私の次の世代などに伝えていきたいと思い
不満な点だけではなく、こむこむで体験
したり見るなどしたことは、とても勉強に
なり心が豊かになりました。
を実行に移す、実行力も身につけていきた
また、ふれることによって、物事を深く
考えたりする、豊かな広い心を持ち、それ
まず、日本の伝統・文化を体験すること
のできた﹁茶道﹂と﹁かんながけ﹂です。
いと思い、将来の役に立てていき、私もい
うな立場になれたらいいなと思いました。
47
しかし、少し改善してほしいかなという
点もあります。
その理由の一つが、中学生向けへのしせ
つが無い事です。
かんながけでは、想像以上に難しく、大
変なんだなと実感することができました。
つかみんなに文化や教育を教えていけるよ
はないのがほとんどでした。
﹁文化﹂について学ぶ
こ の 二 つ に よ り、
ことができました。
茶道では、作法やマナー・茶を通して日
本の心と文化を学ぶことができました。
こむこむのワークショップを見てみる
と、﹁ 小 学 ○ 年 ∼ 中 学 ○ 年 ﹂ な ど と、 小 学
ほんとうに無いのか、けんさくしてみる
と有料であったりして気軽に通える場所で
生といっしょになってしまい、やってみた
どちらもきれいで美しく、土星がとても好
私 は、 こ の ワ ー ク シ ョ ッ プ に 参 加 し て、
土星や火星などの天体を見れたことです。
次に、貴重な体験ができ、詳しく学ぶこ
とのできた、天文学です。
かったことも気まずさやはずかしさであき
らめることが多かったです。
な の で、 こ む こ む の よ う に 気 軽 に 通 え、
中学生向けのようなコーナーがあるしせつ
― ―
ても、福島で大きな事件があったなんて聞
ないと思います。なぜなら、ニュースを見
僕は、福島市は、優しい市だと思います。
ニュースを見ても、福島は、犯罪などが少
ました。
だと思います。小学校でもくわしく学習し
す。果物といったら、やはり、福島市の桃
はないけれど、田畑や果樹園などが多いで
福島市は店などがすごく多いというわけで
そ れ は、 福 島 市 に ふ さ わ し い と 思 い ま す。
で す。 日 本 と い え ば 米 と い う 人 が い ま す。
はないけれど、緑に囲まれている街だから
僕は、福島市はいい所だと思っています。
なぜなら、福島市は、東京みたいに都会で
に来ることがあり、そのプロたちのを見る
国体記念体育館には、プロの人たちが試合
観客が座ることができる体育館です。
また、
ことになります。メインアリーナは、
広く、
が、メインアリーナよりサブアリーナのほ
つ、サブアリーナという体育館があります
うすべらない体育館です。そして、もう一
って大会の決勝戦などが行われて、けっこ
館があります。一つはメインアリーナとい
それに、国体記念体育館には、二つの体育
体をきたえる人もけっこういるそうです。
くて広くて、二階にはジムもあり、そこで
それだけではなく、国体記念体育館は大き
どいろいろなスポーツに使われています。
ルやバレーボール、バスケットボール、な
育館です。国体記念体育館は、フットボー
ーツ大会などに使われている、国体記念体
もう一つ、僕が福島市のいい所だと思う
場所があります。それは、いろいろなスポ
るほどのものは見たことはありません。
これらが、僕がいいと思っているところ
です。
は、国体記念体育館しかないと思います。
などいろいろな大会などが行われているの
ません。ですが、福島市でゆいいつ、プロ
らいぐちゃぐちゃだったので、よくわかり
ったのですが、サインがわからなくなるぐ
ます。僕は、すごく並んで、サインをもら
えるので、最後は、すごい行列になってい
わると最後に、プロの選手のサインをもら
ってすごく楽しいです。そして、試合が終
は、すごく参考になって、自分のプレーに
川 治 優 仁
もいかせるので、近くに、こんな場所があ
いたことがないからです。だから、福島市
こともできます。以前、ファイヤーボンズ
﹁いい所 、 福 島 市 ﹂
は、 す ご く 優 し い 市 だ と 思 い ま す。 以 前、
やサンフラワーズという、女子のプロ選手
48
福島市立岳陽中学校
店で万引きした人を見かけたときはありま
の試合を見に行きました。その人のプレー
うが狭く、観客席がないので、立って見る
したが、殺人や強盗など、人に迷惑がかか
― ―
﹁みんな が 安 全 で 健 康 に
福島市立岳陽中学校
過ごせるまち﹂
黒 澤 晃 佑
僕は、子どもからお年寄りまで事故や病
気の少ない、健康で安全なまちをつくりた
いです。
歩行者についてだが、必ず歩道側を歩く
ことと、安全のため五m 先を見て歩く等の
ルールを心がけてほしいです。
健康のためには、早ね早起き、バランス
よく食べる等をする。
福島市が安全で健康で、豊かなまちにな
ればいいと思います。
49
安全に過ごすためには、交通ルールを守
るということ、車の場合は、赤信号は止ま
り、黄色は注意して止まる。青信号は進む。
スピード違反はしない、無理な追い越しは
しない。
運転手には、横断歩道をゆっくり渡って
い る、 老 人 や 小 さ な 子 ど も に も 気 を 配 り、
親切な運転をしてほしいです。
自転車の場合、車道側通行を守る。自転
車運転をしながら、スマホいじりは絶対に
やってはいけない。スピードを出しすぎて、
急に止まれなくなり、特にお年寄り等に激
突してしまい、大きな事故につながる。こ
こは最も注意してもらいたい。
― ―
﹁きれい な み ど り の ま ち ﹂
福島市立渡利中学校
思います。落ちているゴミを見て、嫌な思
いをする人のほうが多いと思います。
風や雨などで、
また地上から出たゴミは、
いろいろな所に飛ばされたり、流されたり
します。近くにある阿武隈川は、雨が降っ
がいやだ。どうせだれも見ていないからい
捨てるのでしょうか。ゴミを持っているの
ます。捨てる人がいるからです。どうして
コの吸いがらや、あきカンなども落ちてい
ではありません。道路でも同じです。タバ
所でないといけないと思います。公園だけ
が使う所です。みんなが気持ちよく遊べる
気持ちになりました。公園などは、みんな
に手入れをしています。私はとても悲しい
こは地区のおじいさんが花を植えて、大切
ているのを見つけたことがありました。そ
べ終わったものや、お菓子の袋が捨てられ
れいに花が植えてあるところに、弁当の食
こ の 福 島 市 は 空、 水、 自 然 が き れ い な、
過ごしやすい町です。ですが、公園などき
ると思います。
利用できるからです。ただのゴミでなくな
てるようにしています。きちんと出せば再
私は外出したときに出たゴミは、分別で
きないゴミ箱のときは、家に持ち帰って捨
見えました。
源物として出せるものがほとんどのように
しまいます。捨てられたゴミを見ると、資
器に入っているので、ゴミがたくさん出て
私達が食べたりするものは、紙に包まれ
ていたり、袋に入っていたり、飲み物は容
楽しい気分にはならないと思います。
ゴミだらけだったからどう思うだろうか。
ら 海 に 続 い て い ま す。 海 に 遊 び に 行 っ て、
た後には、たくさんのゴミが流れていくの
いや。ゴミ箱まで捨てに行くのがめんどう
ゴミは、道路などではなくて、きちんと
ゴミ箱に捨ててほしいと思います。そして
河 野 美 怜
だ。そんなふうに思っているから、捨てて
みんながもっと気持ちよく住める所になる
といいと思います。
50
を見たことがあります。そのゴミは、川か
しまうのでしょうか。自分勝手な考えだと
― ―
人達との一体感や団結を感じることができ
ながら生活していくことで、親切心や地域
た。いつも周りのことへの気配りを心がけ
﹁住みよ い ま ち に す る た め に ﹂
に対する愛情を持つことができると思っ
大事にしていきたいと思う。
ちにしていくために地域の人達との交流を
た。そして、これからもさらに住みよいま
福島市立渡利中学校
横 山 佳 観
私は福島市民憲章というものを初めて知
った。その中の﹁親切で愛情あふれるまち
をつくりましょう﹂ということについて自
分の経験から思い起こしてみた。
51
それは、二〇一四年二月の豪雪災害の時
のことである。小学五年生だった私は降り
積もる雪を何度もかいたが夕方になっても
降り続き父の帰宅を雪をかきながら待って
いた。すると、父の車が自宅まであと少し
という所で立ち往生してしまった。私達が
除雪をするのに苦戦していると、近所の人
が一人二人と出てきて車を動かすのを手伝
ってくれた。その後も動けなくなった車が
家の周りでみられた。私も父や近所の人達
と一緒に車の周りの雪をかき、車を押して
動かすのを手伝った。
普段はあいさつ程度で、あまり交流のな
い人と一緒にこの活動をしたことで近所の
― ―
﹁優しい 心 を も つ 町 を
福島市立渡利中学校
つくりましょう﹂
渡 邊 遥 香
そう思っているから平気でごみをすてて
行くんです。
これが犯罪だと、どうなるでしょう。
自分だけならいいと思って犯罪に手を出
したら、そのうちに犯罪者の国になってし
まいます。
まいます。
あいさつをしない人が増えたら、そのう
ち今度は、あいさつをしない国になってし
最近は、あいさつをあまりしてくれない
人がいます。
なので、もっと優しさをもって人と接し
たらどうでしょう。
52
私からあいさつをしてもそのまま、す通
りして行ってしまいます。
このことには、関係ありませんがニュー
スでもたびたびゆうかい事件や殺人事件な
どがあります。
世の中、何もかもぶっそうで夜に一人で
出歩けば、だれかにねらわれたり変な人に
あとをつけられたりします。
万引き事件も悪い心がすることです。
人間は、悪い心も良い心も両方合わせて
人間です。
悪い心だけの人間はいない。
良い心だけの人間はいない。
川にごみをすてる人は自分だけごみをす
てたってだれにもめいわくはかからない。
― ―
﹁僕らの 未 来 ﹂
福島市立渡利中学校
鈴 木 太 陽
﹁ 〇・五 か ら 一・〇 マ イ ク ロ シ ー ベ ル ト の
放射線量があるので、一時間以内にして下
さい。﹂
だろうか。ほぼ毎日僕達の周りを放射能が
彷徨っている。そんな僕達の渡利の未来が
心配だ。
﹁僕達の出来る事は何だろう。
﹂
まだその答えは見つからないが、福島の
明るい未来のために力になりたいと思う。
53
先日、父と小鳥の森にザリガニ釣りに行
った時に、係員に言われた。
最近はあまり気にしていなかった放射線
量の事を言われ、ハッとした。
僕は福島市に住んでいる。近くにはあぶ
くま川が流れ、遠くには吾妻山が見える大
好きな街だ。
しかし、震災後には放射線量の問題で一
躍有名になり、全国放送のニュースにも何
度も取り上げられた。
そんな事も忘れかけていたこの頃だった
ので、小鳥の森の係員の話には驚きをかく
せなかった。
ここ数年は、大人達が線量を下げる為の
作業をしているが、本当に元の街に戻るの
― ―
﹁福島市 民 の 優 し い 心 ﹂
と、笑顔であいさつをしてくれます。です
どうしなのに、登校、下校する学生を見る
﹁いってらっしゃい。
﹂
と言ってくれた時です。全く知らない他人
らお年寄りまで、さらには自然にまで、い
憲章が守られるように、私自身が、子供か
に、そして、これからもずっと、福島市民
情が、何世代にも渡って受け継がれるよう
福島の市民は特別に意識をしなくても、こ
えてみました。そうして思い返してみると、
憲章を守れているのだろうか、と改めて考
した。なのでこれを機に、私達市民はこの
章についての話は聞いた事がありませんで
知りませんでしたし、地域の方からも、憲
は今まで、市民憲章なんてものがある事を
を感じました。
はこの時にも、福島市民の優しさに、驚き
うに声をかけてくれた事がありました。私
﹁大丈夫ですか?どうしたんですか?﹂
と、全く面識のない一人の女性が、心配そ
に座って休んでいると、
また、気温三十五度を超える夏の猛暑日
の事です。学校からの下校の途中で、日陰
つも親切に愛情を持って接する事を心がけ
島市民の優しい心と、人や自然に対する愛
福島市立渡利中学校
から私も、感謝の気持ちを込めて、
佐 藤 樹莉杏
ていこうと思いました。
の憲章が守れているのではないかな、と思
このような日常の中での様々な体験か
ら、私は、福島市民は市民憲章を意識せず
島の市民は暖かいな、と感じるのです。
﹁いってきます。
﹂
と返します。そんな朝のやり取りから、福
﹁ 福 島 市 民 憲 章 ﹂ と は、 平 和 で さ ら に 住
みよく、希望に満ちたまちをつくるために
い始めました。
るのです。そして私は、今まで健やかに成
54
定められた市民憲章の事です。ですが、私
生活のいたるところで自然に守れている
と 私 が 特 に 感 じ る の は、﹁ 親 切 で 愛 情 あ ふ
長してこれた事や、毎日豊かな気持ちで暮
持ちになりました。なので、私が感じた福
のおかげなのかな、と思い、感謝したい気
とも自然に守れているのではないかと思え
れ る ま ち を つ く り ま し ょ う。﹂ と い う 憲 章
らせる事が、周りの人々の優しさや暖かさ
例えば、朝、学校に行く途中、地域の方
です。
が
― ―
﹁福島市 民 憲 章 ﹂
福島市立蓬萊中学校
三 浦 美 月
私は、福島市民憲章の中で一番気になっ
た言葉は﹁子供からお年よりまで安全で健
かと思います。
も う ひ と つ は、 道 路 の 少 し の 段 差 で す。
この少しの段差でもお年よりにとってはと
ても危険で転倒してしまうときもあると思
います。このようなことを防ぐためにも段
差をなくしていけば、子供からお年よりま
で安全に過ごすことが出来るのではないか
と思いました。
さな子供やお年よりにとっては、とても大
私たちにとってはなんでもないことでも小
りきることが出来てるのかと考えました。
横断歩道では青から赤に変わる時間が本
当に小さな子供からお年よりまで安全に渡
選びました。
で安全で健康なまちをつくりましょう﹂を
の五つの憲章の中から﹁子供やお年よりま
すごく危険だと感じました。なので私はこ
曾祖母を見ていて横断歩道や少しの段差が
私には曾祖母がいます。曾祖母は足が悪
いのでつえをついて歩いています。そんな
民が快適で明るく住みやすい町にするため
﹁ 福 島 市 民 憲 章 ﹂ は 五 つ あ り ま す。 ど れ
もとても大切なことだと思います。福島市
す。
ももっと暮らしやすい町になると思いま
福島にはたくさんのお年よりが暮らして
います。そのため、私たち一人一人が思い
遊ぶことが出来ると思います。
子供たちも今よりもっと楽しく安全に外で
れるようになると思います。また、小さな
が増えてお年よりも健康に明るく生活が送
康なまちをつくりましょう﹂です。
変なことではないかと思いました。なので、
に必要なものだと思うので、
これからも
﹁福
います。
55
安全に過ごすことが出来たら外に出るこ
とが増えて地域の人たちともふれ合う機会
青の時間を長くしたりすればより安全に横
島市民憲章﹂のきまりを守っていこうと思
やりをもちみんなで協力していけば今より
断歩道を渡りきることが出来るのではない
― ―
﹁ゴミと 行 動 ﹂
福島市立蓬萊中学校
と、さけんでいます。でも、わたしもたま
にゴミを拾っています。その時は、とても
いいことをした気分になっています。
一方、わたしは、ゴミを捨てないように
しています。というより、その辺に、ゴミ
のマナーとして常識です。なので、テレビ
を捨てるということは、普通ありえないこ
わ た し は、 福 島 市 民 憲 章 と い う も の を、
初めて知りました。読んでみて、目標のよ
などでゴミを捨てる人を見ると、なんでこ
佐 藤 亜 虹
うなものなんだなぁと思いました。その中
んなことするのかなぁと思います。
それも、
わたしも、だれが口をつけたか分からない
ぁ と 思 い ま す。 で も、 だ れ も 拾 わ な い し、
カンも落ちています。それを見て、汚いな
します。少し中身の入ったペットボトルや
草のところに、かくすように落ちていたり
ミ を 見 つ け ま す。 ゴ ミ 箱 の 周 り で は な く、
る時などに、道のはしの方に落ちているゴ
て出かけている時や、自分で道を歩いてい
について考えました。わたしは、車に乗っ
人と人の助け合いで、できていると思いま
ことも必要だと思います。
福島市民憲章は、
が間違った行動をしたら、進んで注意する
してみるといいと思います。自分以外の人
ゴミ箱に捨てるという基本のことから見直
と思います。一人一人が意識して、ゴミは
を実行するには、一人一人の行動が大事だ
﹁ 一 空 も 水 も き れ い な み ど り の ま ち を
つくりましょう。
﹂
福島市民憲章の
若い人が多いので、小さいころから教えた
とだと思います。福島市、そして地球の人
の一つの、
りするのが大事だと思います。
ゴミを手でさわるのは、イヤだなぁと思い
す。
56
﹁ 一 空 も 水 も き れ い な み ど り の ま ち を
つくりましょう。﹂
ます。自分の心の中では、
﹁だれかこのゴミを拾ってください。﹂
― ―
以前のような、いえ、それ以上に住み良い
それ以外では、僕達が安全に登下校でき
るように、地域の人がボランティアでパト
未来へのバトンを次の世代へとつなぐこ
とが、僕達世代に課せられた使命なのです
ています。
﹁﹃福島市民憲章﹄について﹂
ロールをしてくださっています。そのおか
から。
の一つに職場体験というものがあります。
を教えていただきました。ふくしま夢事業
くさんあり、学校の勉強では学べないこと
小中学校では、あいさつ運動や、地域の
人に様々なことを教えていただく行事がた
をしています。
蓬 萊 町 で は、 各 町 内 会 で 公 園 の 清 掃 や、
資源回収を行っていて、きれいな町づくり
によく似ているということです。
憲章の内容を見た時に僕が思ったこと
は、僕の住む蓬萊町の町づくりの取り組み
いうことを知りました。
僕は、市民憲章の作文を書こうと思った
時に、初めて市民憲章というものがあると
東日本大震災以降、福島は様々な困難に
ぶつかってきました。今も解決できていな
めに必要なのではないでしょうか。
域、しいては明るい福島をつくっていくた
いった小さな一つ一つの活動が、明るい地
す。それぞれの活動は、けっして大きな活
蓬萊町に限らず、
こういった取り組みは、
福島市内の至る所で行われていると思いま
を交換しあいます。
いかを考え標語を書いてそれについて意見
す。この会では、蓬萊に住む全ての人が明
ま た、 幅 広 い 世 代 間 交 流 の 行 事 と し て、
明るい蓬萊を造る意見交換会をしていま
動ではないかもしれません。しかし、こう
明るい福島になると思います。
福島市立蓬萊中学校
げで、僕達は安心して学校生活を送ること
様々な職場で仕事をする上でのルールや、
い問題がたくさんあります。けれども、こ
ができています。
自分の仕事に対しての考えを学ぶために、
の﹁福島市民憲章﹂にかかげられているこ
髙 橋 一 咲
と て も 大 事 な 活 動 だ と 思 い ま す。 だ か ら、
と を、 僕 達 一 人 一 人 が 心 に と め て い け ば、
57
るい町づくりのために、どうしていけばい
来年の職場体験を今からとても楽しみにし
― ―
ぶ た め に も、 具 体 的 に は 分 か ら な い け ど、
まうのかなと、思います。また、文化を尊
かりしていないと、できない事になってし
思いました。でも今の子供達と大人がしっ
今の文化を受けつぐために必要なのかなと
は、今の子供がきちんとした大人になって、
学び希望に輝くまちをつくりましょう。と
のかなと思いました。次に、教育と文化を
空も水もきれいな所にしなくてはいけない
環境保全の事だと思いました。そのために、
の町をつくりましょう。という所は、多分、
きました。まず、空も水もきれいなみどり
うなっていくか、大事なものなんだと気付
私は、福島市民憲章の事は何も知りませ
んが、考えてみたら、福島市のこれからど
で健康なまちをつくりましょう、というの
した。次に子どもからおとしよりまで安全
ながら生活するという意味なのかと思いま
力をあわせというのは、色々な人と協力し
が 大 切 と い う 意 味 か と 思 い ま し た。 ま た、
また、きまりを守りというのは、学校や
社会でのたくさんのきまりごとを守ること
い事だと思います。
いうのは、ハラスメントやいじめなどがな
していないので分かりませんが、楽しくと
つくりましょう。というのは、まだ就職も
を守り、力をあわせて楽しく働けるまちを
な事なのかなと、思いました。次にきまり
う事か、良く分かりませんが、とても大切
﹁愛情あふれる﹂というところは、どうい
で も、 一 人 一 人 が 意 識 し、 行 動 す れ ば、
とても良いまちになると思いました。
また、
するのは、とても大変だと思いました。
思いましたが、一人一人が意識をして行動
みんなが親切な気持ちを持てばいいのかと
でした。理由は、﹁親切﹂
というところです。
ょう。というのは、私が一番心に残った文
と実感しました。
いてみて、全員がとても大事なことなんだ
最後に、福島市民憲章は、私が通う中学
校の昇降口にもかかげられていて、今まで
た。
の適度な運動も必要なのかなと思いまし
にも気を付けて、丈夫な体づくりや、毎日
﹁福島市 民 憲 章 に つ い て ﹂
文化を良く知ることも大切にする気持ちも
は、市民全員が事故などがなく、安全にと
丹 野 まどか
福島市立蓬萊中学校
な く て は い け な い の か と 思 い ま し た。 次
いう意味があると思います。そして、健康
58
は何も思わなかったけれど、この作文を書
に、親切で愛情あふれるまちをつくりまし
― ―
そんな自分勝手なことはやめてほしいと思
と思います。ゴミが落ちていると不快だし、
があっても﹁みどりのまち﹂にはならない
捨てがある限りはどんなにたくさんの植物
にうかんだからです。
コのすいがらが落ちた道路﹂が真っ先に頭
て﹁ゴミの散乱した近所の公園﹂や﹁タバ
と思いました。なぜなら、私がこれを知っ
くりましょう﹂というものができていない
響はあまり知りませんでした。調べてみる
ので知っていましたが、地球にあたえる影
た。地球温暖化はよく耳にする言葉だった
関係しているのではないかと私は考えまし
﹁空も水もきれいなみどりのまち﹂をつ
くることと﹁地球温暖化﹂をとめることは、
なると思います。
き 物 た ち も 増 え、
﹁水もきれいなまち﹂に
ではないかと思います。そうすれば川の生
のまま流さないなどのことをすればよいの
低限の量にすることや、汚れた水を川にそ
﹁ 水 の き れ い な ま ち ﹂ に つ い て は、 食 器
を洗うときに使う洗剤を使いすぎず必要最
たいです。
の温度が低すぎることがあるので気を付け
で一石二鳥です。私の家もたまにエアコン
設定温度を上げれば節電にもなるそうなの
空のきれいなまちにつながると思います。
上げるだけで、大気汚染を少しでも防げて
に悪影響がでます。だからその設定温度を
市﹂を残したいです。
しずつでも努力をして、未来に﹁輝く福島
にも役立つと思います。だから、今から少
もあり、
のちに﹁地球温暖化を止めること﹂
﹁空も水もきれいなまちをつくる﹂とは、
市民が住みよいまちをつくるということで
うだけでなく実行したいです。
と人まかせになってしまうので
﹁自分から﹂
こ と で す。 私 は﹁ だ れ か が や っ て く れ る ﹂
とは身近にたくさんあるし、どれも簡単な
力や努力が必要です。今、自分にできるこ
﹁空も水もきれいなみどりのまち﹂も﹁地
球温暖化﹂も実現するには市民みんなの協
した。
﹁残そう 輝 く 福 島 市 ﹂
います。
災 害、 さ ら に は 野 生 の 動 植 物 が 減 る な ど、
ま ず、﹁ み ど り の ま ち ﹂ に つ い て 考 え て
みました。私が頭にうかんだように、ポイ
福島市民憲章を初めて知ったとき、私達
には﹁空も水もきれいなみどりのまちをつ
多 田 風 花
福島市立信陵中学校
次に、空のきれいなまちについて考えま
した。例えば夏、たくさんの人がエアコン
たくさんの影響をもたらすことを知りまし
59
行動できるように心がけたいです。口で言
を使います。そのときの設定温度が低すぎ
た。予想以上の量だったのでとても驚きま
と、海面上昇や気温上昇、異常気象、自然
ると、エアコンの排気で大気汚染など環境
― ―
が少ないということです。ぼくたちが行っ
す。ただ一つだけ残念なのが、川で遊ぶ人
だなと思ったことを今でもよく覚えていま
たくさん泳いでいて、とってもきれいな川
した。ゴミはどこにも落ちていなく、魚も
すきとおっていて、川の底まで見えていま
びました。川はクリスタルのように透明に
一つ目は摺上川です。二年生のころ、家
族で摺上川ダムに行ったとき、摺上川で遊
場所があります。僕は三つ紹介します。
たった一つの福島市にはいろいろな施設や
世界に一つだけの福島市。どこを探して
も、福島市は一つしかありません。そして、
うめつくして、まるで海のようでした。
した夜の福島市上空を見れます。星が空を
ネタリウムでは、こむこむの屋上から撮影
プラネタリウムや常設展示室があり、プラ
三つ目は、こむこむです。福島駅の近く
にあり、
いろいろなイベントが行われます。
なというのがぼくの考えです。
思うので、もっと市街地にあればよかった
なれているため遠くていけない人もいると
動公園は吾妻の近くにあり、市街地からは
ればよかったなと思います。あづま総合運
所です。けど僕は、もっと市街地の方にあ
の森は、自然がたくさんあり、とてもいい
ヤンマがとんでいるのを見ました。トリム
園の中には小さな川があり、その上をオニ
で遊ぶことができ、とても楽しいです。公
ます。夏になると木陰ができて、涼しい中
園があり、森の中にたくさんの遊具があり
っています。近くにはトリムの森という公
ールや運動する施設があり、僕は何回も行
は思いました。
人のにぎわう豊かな町になってほしいと僕
市がずっと平和な町でいてほしい、そして
に ぎ わ う よ う に な る と 思 い ま す。 だ け ど、
うな施設が福島市にあれば、
市が活性化し、
って僕の思い出は一つ増えました。このよ
えて最高の景色でした。このホテルに泊ま
ランドパークも見えました。夜は星空が見
はどこまでも森が広がっていて、那須ハイ
ました。泊まった部屋は十四階で、窓から
はお城のように広く、きれいでびっくりし
ロで古い建物でした。しかし、ホテルの中
は外から見ると福島市にあるようなボロボ
行で栃木県に行きました。泊まったホテル
福島市にはありません。去年の夏、家族旅
人が来る施設がほかの町にはありますが、
郡山にはスペースパークなど、たくさんの
﹁豊かな 町 へ ﹂
た と き も、 七、 八 人 し か い ま せ ん で し た。
二 瓶 遍
60
福島市立信陵中学校
きれいな川だから、自然を汚さない程度に
福島市は静かで田舎みたいです。静かで
とてもいい所ですが、一つだけあったらい
観光客が来るような施設がなくても、福島
楽しく遊ぶ人達が増えたらいいなと思いま
いなと思うものがあります。それは、観光
二つ目は、あづま総合運動公園です。プ
ス ポ ッ ト で す。 い わ き に は ハ ワ イ ア ン ズ、
した。
― ―
一つ、自分のなかで考えてみたい事があっ
ど知らなかった。私はその憲章のなかから、
私はこの作文を書くまで、福島市民憲章
について、何も知らなかった。しいていう
実だ。
この町なみにすっかりなじんでいるのが事
だ。 正 直、 も と も と 住 ん で い た 所 よ り も、
にはたくさんの人がいて、とても楽しい所
の住んでいる笹谷地区は緑が多く、中学校
てから約四ヵ月たった頃にここに来た。私
私がこの町、福島市に来たのは実は産ま
れたときではない。正確にいうと、産まれ
福島市立信陵中学校
﹁よりよ い ま ち に す る た め に ﹂
力が必要だ。自分一人だけではなく、皆で
たくなる。それが人間だ。だからこそ、協
が人間だからだ。やるなといわれるとやり
きまり事を守ろうとしないのは、
しかし、
正直しょうがないと思う。なぜなら、それ
ースも少なくない。
事故になる可能性がある。最悪死に至るケ
まり事でも、ちゃんと守らなきゃ、大きな
というのが私の意見だ。そういう小さなき
早 め に 出 て、 ち ゃ ん と 待 て ば い い だ ろ う。
している事だろう。でも、それならもっと
分急いでいて、青信号まで待てなくてそう
供ではなく、私よりも年上な、大人だ。多
しれないが、信号無視だ。それも小さい子
れ、分かる事がある。とても小さい事かも
う人達だけではないという事が成長につ
ているんだと思う。でも、この町はそうい
その人達と力を合わせて、今こうして生き
達は皆思いやりがあり、
優しい人達だった。
⋮⋮様々な人達に出会ってきたが、その人
きた。学校の先生、クラスメイト、友だち
市民としての願いだ。
私はしたいな、と願う。それが私の、福島
お た が い に 助 け 合 い、 争 う こ と を や め、
いつも笑顔であふれる。そんな笹谷地区に、
いと思う。
現できると思う。その為にも、その人達が
ば、住んでいる人もほこりに思うまちを実
それらの事をまとめると、笹谷地区のみ
んなが福島市民憲章のきまりを守っていけ
思う。
わせて、よりよい町をつくっていきたいと
私はこの町を、笹谷地区を大変ほこりに
思っている。だから一層、みんなで力を合
は思う。
も苦しい思いをしなくてはいけないと、私
の一つでも、目標が達成せず、相手も自分
皆がきまり事を守らないと、福島市民憲章
も自分も傷ついてしまうから、
と。つまり、
ないと、事故が増え、争いも絶えず、相手
そらく私はこう思う。皆がきまり事を守ら
いけないか、それは私が知りたい。が、お
なら、小学生の時に少しみた位で、ほとん
61
青 木 菜琉美
た。それは、
力を合わせれば、よりよい町にできると思
しっかりと協力し合い、生活していけば良
﹁ き ま り を 守 り、 力 を あ わ せ て 楽 し く 働
けるまちをつくりましょう。﹂
そもそも、なぜきまり事を守らなくては
う。
私はこの町で、いろいろな人に出会って
という、福島市民憲章のなかの一つである。
― ―
るかというとそうでもなかった。皿を洗う
一つ目は、﹁空も水もきれいなまち﹂だが、
ぼくの地域は緑が多いがそれを維持してい
ぼくは、この五つの憲章を見て自分の生
活、自分の地域がどうか比べてみた。
下を走らないようにしている。でも、まだ
は気をつけたい。心がけているのは、ろう
﹁止まれ﹂を守らないことがあるのでそこ
﹁ き ま り を 守 り、 力 を あ わ せ
四 つ 目 は、
て楽しく働けるまち﹂だ。僕は、きまりを
してみようと思う。
たりない気がした。もっとすることを増や
スの中でできるだけ席を譲るなどまだ少し
とといえば、道行く人へのあいさつや、バ
のだが、ぼくが意識していつもしているこ
そこで僕のいつもの行動を振り返ってみた
くさん反省点はあるけれど、
少しずつ試し、
らは気をつけて行動できるなと思った。た
どんな内容か知るきっかけになり、これか
最後に、憲章と僕の生活を比べてみると
たくさん反省点があった。福島市の憲章が
ものだと思った。
事故を招いた人も被害者も本当に損しかな
そ う に な っ た 時 が あ る。 こ う い う 事 故 は、
も、不注意のまま歩道を進み、車にひかれ
れるとこういった事故に遭いやすい。ぼく
やはり、人はうかれたり、何かに気をとら
時の運転は気をつけないとと言っていた。
﹁自分と 五 つ の 憲 章 ﹂
時、洗剤などをたくさん使ってしまってい
まだ守れていない事が多いと思うので、ち
最終的には、市民の一人として自覚をもっ
たりすることが以前あった。勉強も文化も
地域のお祭りに参加するのを面倒だと思っ
二 つ 目 は、﹁ 教 育 と 文 化 を 尊 び 希 望 に 輝
くまち﹂だが、僕は授業を嫌だと思ったり、
ていたら、とつぜん横断歩道がないのに通
きた時、人が多いなあと思いながら外を見
っていたのだが、祭の会場の近くにやって
の日に、父と車でいろいろなところをまわ
根 津 源 太
福島市立信陵中学校
たり水を無駄に使っていた。これは、水の
ゃんとしていきたいと思う。
昔の人が作り後世へと伝え、広めてきたも
行人が道路をわたって来たのだ。
その時は、
い。安全は互いが注意して初めてつくれる
汚染につながるので自然環境にも悪いこと
て行動できるようになりたいと思います。
のなので無駄にしてはいけないと思う。だ
冷やっとした。父は、お祭りの時はうかれ
62
守れているだろうか。少し急いでいる時は
だと思った。
﹁子どもからおとしよりまで
五 つ 目 は、
安全で健康なまち﹂だ。ぼくが、以前、祭
から、勉強や文化的な行事に積極的に参加
が向いて事故に遭う人がいるからお祭りの
ているし、さらに花火があるから空に注意
三つ目は、﹁親切で愛情あふれるまち﹂だ。
しようと思う。
― ―
るべく使わず扇風機を使用すると熱電量が
量が少ないです。暑い日は、エアコンもな
もあまり走っておらず、二酸化炭素の排出
園、山などがあり川も綺麗だからです。車
それは緑が多いからです。田んぼ、畑、公
行くと、空気がとてもおいしいと感じます。
なりました。夏に母の実家、伊達の柱田に
まず、一つ目の﹁空も水もきれいなみど
りのまちをつくりましょう﹂について気に
たいと思います。
特に気になった、三つの憲章について述べ
つの目ざすべき目標があります。その中で
機会を得ました。これには、市民として五
﹁福
今回私は、この作文を書くにあたり、
島市民憲章﹂の存在について、初めて知る
最後に五つ目の﹁子どもからおとしより
まで安全で健康なまちをつくりましょう﹂
ふれるまち﹂になるはずです。
島 市 を 支 え る 力 と な れ ば、
﹁親切で愛情あ
た。このような親切な人が一人でも多く福
かげで、また運転ができるようになりまし
て来ました。たまたま良い人に拾われたお
お金も盗まれず、運転免許証も無事に戻っ
た。
本当に良かったと思っていたそうです。
たら交番に財布が届いたと電話がありまし
る の で す ご く 困 っ て い ま し た。 二・三 日 し
ています。車を運転することができなくな
した。財布の中には車の運転免許証が入っ
が自分の財布をどこかで落としてしまいま
もらったからです。なぜなら、その親せき
ました。私の親せきが見知らぬ人に助けて
次に、三つ目の﹁親切で愛情あふれるま
ちをつくりましょう﹂についても気になり
りのまち﹂だと感じたからです。
じように福島市も﹁空も水もきれいなみど
が良いと体にもいい影響をあたえます。同
びます。空気が澄んでいるからです。環境
です。
て、よりよいまちづくりに協力してほしい
﹁福島市民憲章﹂を知って
福 島 市 民 に、
もらい、一人一人が自分の出来る事を始め
防してほしいと思いました。
丈夫な体をつくるなどのことに心がけて予
を ほ ど よ く 取 る、 睡 眠 環 境 を 快 適 に 保 つ、
を上手に使う、水分をこまめに補給、塩分
健康の面では、今年は暑いので熱中症が
多発しています。予防としては、エアコン
心がけたいです。
場所に気を配り少しでも安全な町づくりに
険な所はまだまだありますが、いろいろな
麗に整備され、通りやすくなりました。危
とが見えてきます。今では、その段差は綺
になり考えるといろいろな見えなかったこ
けがになりそうな場所でした。気にしなけ
るとき、少しの段差でも足がつまづき、大
車では、危なく通りづらく、お年寄りが通
す。徒歩では、気にならない位でも、自転
﹁今から 始 め る こ と ﹂
違います。ひまわりが庭に植えてありまし
が気になりました。私の近くにある歩道に
三 浦 和 夏
福島市立信陵中学校
た。放射能を吸ってくれる性質がひまわり
かかった道との境目に段差があるからで
63
れば、見過ごしそうな所でもその人の立場
にはあるからです。夜は、星が綺麗に浮か
― ―
﹁ 福 島 市 民 は あ き ら め な け れ ば、 何 で も
できる。﹂と思いました。
ました。
て、再度水質日本一に返り咲くことができ
二〇一三年には、福島市民の頑張りによっ
で 第 一 位 の 水 質 を 誇 っ て い ま す。 さ ら に、
ら二〇〇七年にかけて四年連続東北地方
質日本一になりました。また二〇〇四年か
て、北海道の川など六つの河川と共に、水
は、 二 〇 〇 七 年 に 河 川 ラ ン キ ン グ に お い
されてしまってはダメです。ならばポイ捨
れたゴミを拾うことです。川辺にゴミをな
市民としてぜったいに許せないことです。
川から汚い川になってしまいます。これは
れが川に流れてしまえば、松川はきれいな
色々なゴミが、ポイ捨てされています。こ
ボトルや、タバコの吸いがらや紙くずなど
かし川辺を散歩すると、飲んだ後のペット
れいな透明な色をした川だと思います。し
僕の家の近くを流れる松川です。
そして、
僕が思うには、松川はとてもきれいで、き
番目を誇っています。
そして福島市の水道水は摺上川ダムから
来ています。摺上川ダムは東北で貯水量四
いです。
目に快挙を達成したのは、市民として嬉し
今春、通水九十周年を迎えました。この節
が世界に証明されました。また市の水道は
う。市民全員で取りくんでください。
の福島市の水で有り続けてほしいでしょ
でいかないとダメだと思います。今のまま
しないためには、市民全員で協力して、自
市民としてがっかりしてしまいます。そう
た。しかし逆に考えれば川が汚れて、米や
水がきれいでおいしいからだと思いまし
の米や野菜や果物がおいしいのは、福島の
しいという事が分かりました。そして福島
﹁水のき れ い な 福 島 に し よ う ﹂
そ し て み ん な が 毎 日 口 に す る、 福 島 市
の 水 道 水 で す。 福 島 市 の 水 道 水 は、 今 年
てする人をなくせば良いのです。例えば川
福 島 市 に は、 き れ い な 水 が 沢 山 あ り ま
す。例えば福島市を流れる荒川です。荒川
沖 野 奏 太
福島市立信陵中学校
二〇一五年に、国際的な品質評価機関モン
の前にポスターを貼ったり、ポイ捨てした
くすことができます。しかしまたポイ捨て
僕は、福島市の水が改めてきれいでおい
分から積極的に川辺の清掃活動に取りくん
64
野菜や果物の品質が下がってしまっては、
ドセレクションの金賞を獲得しました。原
人を見たら注意すれば良いと思います。
汚い川にしないためには、まずポイ捨てさ
発事故のイメージを払拭するためでもある
が、福島の水はきれいでおいしいという事
― ―
﹁市民全ての幸せ﹂と﹁福島の限りない発展﹂
の 目 標 が 福 島 市 民 憲 章 で す。 市 民 憲 章 は、
健 康 な ま ち を つ く り ま し ょ う。﹂ こ の 五 つ
ょう。﹂﹁子どもからおとしよりまで安全で
をあわせて楽しく働けるまちをつくりまし
ちをつくりましょう。﹂﹁きまりを守り、力
つくりましょう。﹂﹁親切で愛情あふれるま
う。﹂﹁教育と文化を尊び希望に輝くまちを
水もきれいなみどりのまちをつくりましょ
皆さんは福島市民憲章をご存知でしょう
か。 知 ら な い 方 も 多 い と 思 い ま す。﹁ 空 も
状況なのにも関わらず、店で働き、私たち
た頃、水をわけてもらいました。皆、同じ
水道が断水し、水を充分に確保できなかっ
私は福島市民の皆さんから、数えきれな
い ほ ど の 優 し さ を も ら い ま し た。 そ れ は、
もらいたいと思いました。
て、相手を思いやることを当たり前にして
私はその相手を思いやる心を大切に、そし
でしょうか。
忘れてはいませんでしょうか。
四年。私たちはその心をまだ持っているの
合う心を深く学んだと思います。あれから
二〇一一年三月十一日。私たちを襲った
東日本大震災。あの震災で、私たちは助け
しょう。
﹂です。その理由は次の通りです。
私がこの憲章の中で一番心に響いたの
は、
﹁親切で愛情あふれるまちをつくりま
人に知ってもらいたいと思いました。
思いました。それと同時に、もっと多くの
私たちで、福島の明るい未来を築きあげ
ていきましょう。
と思います。
しさで溢れ、さらに素晴らしい場所になる
の中の思いやりの心は、忘れずに持ち続け
でいいんです。でも、その片隅にある記憶
絶対に忘れないでくださいとは言いませ
苦しんでいる人がいます。
あの日のことを、
首 藤 日 向
てください。そうすることで福島市は、優
ん。ただ、心の片隅に置いてもらえるだけ
を願いながら、快適で明るく住みよいまち
に食料を提供してくれた方々。全ては思い
﹁心の片 隅 に ﹂
づくりを進めるためのよりどころとして制
出せません。でも、心がとてもあたたまっ
65
福島市立信陵中学校
定されたそうです。
震災の日、家族を失ってしまったり、住
む場所、ふるさとでさえも失ってしまった
たのは覚えています。
市出身の母にも聞きましたが、知らないよ
人もいます。そして、四年も経った今でも
私はこの作文を書くまで福島市民憲章が
あることを、全く知りませんでした。福島
うでした。この憲章はとても良いものだと
― ―
一人が良い大人になることだと思います。
らです。教育は、学力だけではなく、一人
び希望に輝く﹂が大切なことだと思ったか
文 を 選 ん だ か と 言 う と、﹁ 教 育 と 文 化 を 尊
一 つ 目 は、﹁ 教 育 と 文 化 を 尊 び 希 望 に 輝
くまちをつくりましょう﹂です。なぜこの
ました。
もっとも重要だなあと思うことが二つあり
しい福島市になると思いました。その中で、
この五つのことをすべて、行ったら素晴ら
みたらとても重要なことだと思いました。
りませんでしたが、この作文で深く考えて
僕は、この﹁福島市民憲章﹂を見たとき
はありますが、あまり深く考えたときはあ
最後にこの﹁福島市民憲章﹂を深く考え
てみたら一文一文に、福島市を良くしたい
には、すべてがつまっていると思います。
まちにつながると思います。だからこの文
も 協 力 す る、
﹁力をあわせる﹂ことが良い
ことの方が良いです。そのためには、まち
校 に 来 る と 言 う 意 味 で す。 大 人 の 場 合 は、
と思います。子どもで言う﹁働く﹂は、学
協力して、楽しく、学校生活を送ることだ
を 守 っ て、 力 を あ わ せ て 楽 し く 働 け る は、
するのかと言うと、きまりを守りは、校則
えることだと思います。なぜ子どもが関係
す。この言葉は、子どもから大人まで、言
﹁ き ま り を 守 り、 力 を あ わ せ
二 つ 目 は、
て楽しく働けるまちをつくりましょう﹂で
がけたいです。
消えないことだと思います。これからも心
作り、文化を守ると、福島の大切な文化は、
なると良いと思います。教育で良い大人を
の二つを、希望に輝かせられる、福島市に
会で、もっと大切にしようと思いました。
考えたときは、なかったのですが、この機
で す。 こ こ ま で、﹁ 福 島 市 民 憲 章 ﹂ を 深 く
と思うので、自転車を使うなどしてほしい
は 豊 か で す が、 自 動 車 な ど も 増 え て き て、
福島市は盆地で真ん中に信夫山もあり自然
は、 自 然 豊 か に し よ う と い う 思 い で す が、
たとえば
﹁空も水もきれいなみどりのまち﹂
少しずつ皆で心がけてほしいと思います。
﹁福島市 民 憲 章 の 思 い と は ﹂
文化は、この福島市が作りあげたことを守
と思うことがたくさんつまっていることを
黒 津 集 斗
福島市立北信中学校
ると同時に新しいこれまでにない文化を作
知りました。これ全てをできるとは限りま
66
空 は、
︵ 空 気 ︶ は、 き れ い に な っ て い な い
ること、この二つの教育と文化には、この
せんが、
福島市民の人々に知ってもらって、
いやいや仕事をやるよりは、楽しく働ける
ような大切なことがあると思いました。そ
― ―
気持ちも、変わってきているのだと思いま
ます。きっと、公園を利用している人々の
をしなくても、きれいな状態が保たれてい
てくれていたのですが、最近は、ゴミ拾い
前までは、地域清そうの他に、地域のお
じいさん、おばあさんたちもゴミ拾いをし
園がきれいになるのはうれしいです。
けではないのですが、そうじをする度に公
ずに行っています。ゴミがたくさんあるわ
そうがあります。私の家では、毎回かかさ
二つあります。なので、月に一回、地域清
ょう﹂です。私の地域には、大きな公園が
私は、この作文コンクールで、はじめて
﹁福島市民憲章﹂のことを知りました。
﹁空
ちになるといいなぁと思います。
康 な ま ち を つ く り ま し ょ う。
﹂のようなま
て、
﹁子どもからおとしよりまで安全で健
でも高くなるといいなぁと思います。そし
この行動で、事故が減ったわけではないの
る﹂
、
﹁ 夜 は 一 人 で 出 歩 か な い ﹂ な ど で す。
内容は﹁さぎに注意﹂や﹁交通ルールを守
が、班長は、よくやっています。ちらしの
私も毎回参加しているわけではないのです
﹁呼びかけ﹂や、
そこで、私の地域では、
﹁ちらし︵広告︶配り﹂などをしています。
で、広い年代の人々が集まります。
イオンは、小さい子どもからおとしよりま
人が集まる場所がたくさんあります。特に
プマート、イオンなど、毎日、たくさんの
す。私の地域には、ヨークベニマルやコー
﹁子どもからおとしよりまで
二 つ 目 は、
安 全 で 健 康 な ま ち を つ く り ま し ょ う。
﹂で
いなぁと思います。
そして、この憲章のようなまちになるとい
これからも忘れずにいたいと思いました。
の五つの憲章は、
とても大切なものなので、
安全で健康なまちをつくりましょう。
﹂、こ
りましょう。
﹂
﹁子どもからおとしよりまで
り、力をあわせて楽しく働けるまちをつく
篠 原 彩 那
私が実践している﹁福島市民憲章﹂は、﹁空
も水もきれいなみどりのまちをつくりまし
れるまちをつくりましょう。
﹂
﹁きまりを守
す。なので、最近の地域清そうは、ゴミ拾
も水もきれいな、みどりのまちをつくりま
﹁福島市 民 憲 章 に つ い て ﹂
いはしないで、草むしりだけをていねいに
しょう。
﹂
﹁教育と文化を尊び、希望に輝く
67
福島市立北信中学校
やっています。公園を利用してくれる人々
まちをつくりましょう。
﹂
﹁親切で愛情あふ
ですが、ちらしをもらった人の意識が少し
の考えが変わり、とてもうれしいです。
― ―
この作文を書くまで市民憲章があることを
りよくしようと制定されたものです。私は、
れるずっと前、昭和四十八年に福島市をよ
みなさんは、福島市が制定した市民憲章
を知っていますか。これは、私たちが生ま
﹁取りましょうか。
﹂
と声をかけてくれて、全員分の荷物を取っ
男性の方が、
そのときです。私の後ろに立っていた若い
届 く は ず も な く、 と て も 困 っ て い ま し た。
さい私には高いところにあるたなには手が
てて荷物を取ろうとしたのですが、背の小
たときには、最寄り駅の直前でした。あわ
ちは寝てしまいました。そして、もう起き
電車の時間がおくれてしまい、疲れた私た
た。その帰りのことです。その日は大雨で、
の年の離れた兄に会いに仙台へ行きまし
しょうか。
れば、福島市を誇りに思う人が増え、愛情
事です。これを市民全員ができるようにな
ろん、それを忘れずに続けていくことが大
っている人に一声かけてあげることはもち
たちにできることもたくさんあります。困
そして、私たちのふるさと福島市を、親
切で愛情あふれるまちにするために、自分
と感じています。
当たり前にできる人はすばらしい人なのだ
切に接すること﹂はとても大切で、それが
﹁心優しい町、ふくしまを目指して﹂
知 り ま せ ん で し た。﹁ 福 島 市 民 憲 章 ﹂ は、
てくれたのです。そのときは私も、
だ単に助けるのではなく、思いやりの心を
てば成り立つことだと思います。でも、た
市民の一人一人が人を想いやる気持ちを持
そ れ は、﹁ 親 切 で 愛 情 あ ふ れ る ま ち を つ
くりましょう。﹂というものです。これは、
﹁助けてくれた人には感謝しなきゃね。
﹂
と言っていました。
私と同じく、家族も、
れた方のことを、
帰って家族に話しました。
はとても嬉しかったのです。私は助けてく
阿 部 ちなみ
福島市立北信中学校
全部で五つあります。その中の一つについ
持ちながら行うということが大切なのでは
その体験があり、名前も知らない私を助け
こ の 体 験 を し た あ と か ら 私 は、
﹁人に親
68
あふれるすてきなまちになるのではないで
て、私なりに考えてみました。
﹁ありがとうございます。
﹂
としか言えませんでした。でも、心の中で
ないかと思います。私がこう思うようにな
てくれたお兄さんにはとても感謝していま
す。
ったのにも理由があります。
こ れ は、 私 が 助 け て も ら っ た 体 験 で す。
私は去年の夏、おばあちゃんと一緒に、私
― ―
福島市立北信中学校
﹁きれい な ま ち を つ く る た め に ﹂
す。
れからも福島に住み続ける権利もありま
たちには、福島を守る責任があります。こ
れからも大切にしようと思います。今の私
誇りに思います。私は、そんな福島を、こ
自分の好きなことも、必ず何かのための仕
というと、
難しく考えてしまいがちですが、
につながると思います。福島のための仕事
ではありませんが、今の努力は、絶対将来
事に就くことです。これは、今できること
るのに、それを汚すなんて、もったいない
思うからです。私は折角自然に恵まれてい
みは自分で始末することが当たり前だ、と
私は、道に平気でごみを捨てる人の気持
ちがよく分かりません。なぜかというとご
考えているでしょうか。
一人ひとりが皆、自然を大切にしよう、と
です。しかし、福島に住む三十万近くの人々
で暮らしていることは、とても幸せなこと
ります。私たちが、そんな自然豊かなまち
か ら 広 が れ ば、 三 十 万 人 な ん て 簡 単 で す。
これを、多くの人に知ってもらうのが二
つ目です。家族、親せき、友人など、そこ
も何かが変わるのではないでしょうか。
いと思います。そうすれば、ほんの少しで
のを一回で捨てたりしないように心がけた
シュをむだに多く使ったり、まだ使えるも
改善できることです。この他にも、ティッ
っ て き て し ま う こ と も あ り ま す。 そ れ は、
があります。部活の際、お弁当を残して帰
ごみを減らすことです。私は、
一つ目は、
よそってもらったご飯を残してしまうこと
いきます。
現のために必要なことを考えて、実行して
市民憲章とは、その土地の環境や遺産を
尊重し、それを受け継ごうという約束や願
私たちが未来につなぎます。
け ま せ ん。 こ の す ば ら し い 福 島 の 魅 力 を、
射線の問題などがありますが、私たちは負
て一番のまちです。今、原子力発電所の放
緑豊かな信夫山、
私たちの住む福島には、
きれいな水のある阿武隈川があり私にとっ
事です。私は、人々を笑顔にできる仕事が
したいです。そのためにも、今からいろん
岸 波 真 由
そこで私にできることを三つ考えまし
た。
と思います。
にしたいです。
福島市民全員がつながって、
いを表していると思います。私は、この実
なことに挑戦していきたいと思います。
私は、ビルが多く建つ都会は、楽しいこ
とばかりで、休日に行ってみたいと何度も
福島を守ろうとする社会を、今以上に実現
69
私たちのふるさと福島市には、緑につつ
まれた信夫山や、清い流れの阿武隈川があ
思います。しかし、住みたいとは思いませ
したいと思います。
そして三つ目は、福島のために働ける仕
そのためにも、人と人とのつながりを大事
ん。 私 は、 自 然 豊 か な こ の 福 島 に う ま れ、
福島で育ち、今福島で過ごしていることを
― ―
行きます。そのときの移動は、電車で行き
ぼくも、親切にされたことは、何回もあ
ります。夏休みや冬休みには、東京などに
出てくると思います。
いやりがあれば、親切にもなるし、愛情も
ことを思いやった方がいいと思います。思
こともあります。そこで、もう少し相手の
たことや、思いやりがなかったりでおきる
す。でも、あとから考えると、ちょっとし
たまに、けんかをしたりすることがありま
例えば、子供は、楽しく遊びます。ですが
もっとよくすることもできると思います。
は、 こ ん な 福 島 市 が 大 好 き で す。 で す が、
福 島 市 の 人 々 は、 す ご く 親 切 で 優 し く、
愛情がある、すばらしいところです。ぼく
福島市立西信中学校
﹁親切で 愛 情 あ る 福 島 つ く り ﹂
ります。ぼくは、この前空港公園でサッカ
友達から大切にされてると感じたことがあ
仲 よ く 楽 し く で き る と 思 い ま す。 ぼ く は、
ぼくは、福島を愛情あふれるところにし
たいです。福島の人々に、人を大切にして
いと心から思います。
そんな福島にいたいし、そんな福島にした
っといいところになると思います。
ぼくは、
ために、福島市民一人一人がそうしたらも
た。だから僕だけでなく、福島をよくする
合いにはもっと親切にしようと思いまし
にしていきたいと思います。そして、知り
ました。だから僕も、初対面の人にも親切
は、親切にしてもらえるうれしさがわかり
大事にしているんだなぁと思います。ぼく
そのことを考えると、人と人との関わりを
いにしか思っていませんでした。でも、今
ることを、
﹁ありがとうございます。
﹂くら
りました。そのときの僕は親切にしてくれ
り が と う ご ざ い ま す。
﹂という気持ちにな
は、初対面だったけど、すごく心から﹁あ
ぼくは、親切であって、仲良く楽しい福
島にしたいです。そして、愛情がある、優
愛情があるいいところになると思います。
ほ し い と 思 い ま す。 そ う す れ ば、 福 島 は、
ふうに人に対して、優しく大切にせっして
してほしいから、福島市民みんながこんな
と思います。このような気持ちをみんなに
した。人は、大切にされていたら、幸せだ
切にされていて、うれしい気持ちになりま
ったと思ったことです。僕はそのとき、大
たのが西信中サッカー部に入っていてよか
うれしかったです。そのとき、すごく思っ
のみんなから、はげましてもらってすごく
にもつらかったです。だけど、サッカー部
試合もでれませんでした。体にも精神てき
痛くてすごくつらかったです。サッカーの
70
加 藤 太 陽
ます。そこで、小学生の頃の僕に座席をゆ
ーの試合をやったとき、僕は風邪をひいて
しく大切な福島にしていきたいです。
ずってくれました。そのときは、つかれて
しまいました。すごく頭が痛くて、のども
ほしいと思います。愛情があればみんなが
いたので、すごく助かりました。その人と
― ―
ごくきれいな虹が見えるし、たまに、二重
全に作れるし、おいしくなります。みどり
した通り空気がきれいになれば、作物も安
あると空気がきれいになることをさっき話
るおかげだと思います。みどりがたくさん
また、福島では果物が有名です。おいし
い果物ができることもみどりがたくさんあ
私達人間にも、それは良い事です。
動物が住みやすくなることです。もちろん
ることで空気がおいしく、たくさんの虫や
たくさんあると思います。それは、木があ
ませんが、木が多くあることでメリットが
不便じゃないの?と思う方もいるかも知れ
がおいしげっていることです。木が多いと
私の住んでいる福島は、みどりがたくさ
んあります。例えば、木が多かったり、草
福島市立西信中学校
﹁福島は み ど り の ま ち ﹂
りするほど明るくて青く雲がほどよくあっ
です。例えば、晴れたときの空は、びっく
そして、もう一つ福島にはあります。そ
れは、空です。福島の空はとってもきれい
たくさんあります。
で夢が広がったりして、やはりメリットが
きて、理科が好きになるなど、川のおかげ
悪いとかかわいいとか自然に興味がわいて
て、良い経験になります。そこからきもち
たに見れない生物を見ることができるなん
かも知れませんが、子どもの頃から、めっ
い生物だからいやだ、なんて思う人がいる
た く さ ん い ま す。 こ れ も ま た、 き も ち 悪
なくて、きれいな川でしか見れない生物が
た。きれいな水なので、普通の川では見れ
備され日本で一番きれいな川となりまし
ていたようです。それが今は、きちんと整
も大きなはんらんを起こし、人々を困らせ
ていました。名前の通り、昔の荒川は何度
川があります。荒川は昔、暴れ川と呼ばれ
けたら、いいなぁと思います。
いなみどり・水・空を私達の力で守ってい
かしいと思うので、これからも福島のきれ
いなみどり・水・空を人の力で汚すのはお
がります。人の良いことにつながる、きれ
す。それは、環境汚せんということにつな
このように、福島のきれいなみどり・水・
空を人のせいで汚してしまうときもありま
空の色が変わってしまったりです。
とです。空の場合は、工場のけむりなどで、
ミを捨てたり、汚い水を流したり、するこ
ったりすることです。水の場合は、川にゴ
ミを植物の近くに捨てたり、むやみにちぎ
でも、そのきれいなみどり・水・空を汚
す人もいます。例えば、みどりの場合はゴ
虹が見えるときもあります。
がたくさんあれば、作物にも良いことがお
て、ずっと見てたいくらいきれいです。ま
福島は、みどりが多いだけではありませ
ん。水もきれいです。福島には、大きな荒
きると思うので、またまた、人間がうれし
た、雨上がりの時は、青い空をバックにす
71
遠 藤 梨 帆
いことになります。
― ―
ろう。︶
︵ こ れ か ら の 福 島、 ど う な っ て し ま う ん だ
福島県全体に広がりました。僕は、
り、原子力発電所が崩壊し、放射性物質が
二〇一一年三月十一日、東日本大震災によ
けが楽しめます。
夕方になると、燃えるように鮮やかな夕焼
小富士の自然がはっきりと見えます。また、
にそういうまちだと思います。この街に住
が お い し い。
﹂ と 言 い ま す が、 福 島 は ま さ
田 舎 に 旅 行 な ど を し て き た と き に、
﹁空気
で、とても空気が綺麗です。よく都会から
があります。そして、工場なども少ないの
福島は﹁みどりのまち﹂です。僕が住ん
でいる西信地区は、辺りを見回すと必ず緑
きれいな水のおかげかなと思います。
い し く 食 べ ら れ る の も、 祖 父 母 の 手 間 と、
家も、祖父母が野菜と米を育てていて、お
また、福島市は農業がさかんです。農作
物を育てるには、水は欠かせません。僕の
全の水を生み出します。
生まれません。福島市の自然が、安心・安
ます。豊かな自然が無ければ、綺麗な水は
流﹁荒川﹂を通り、僕たちのところに届き
次に、福島市の﹁水﹂です。何十年、何
百年と蓄えられた雪どけ水が、日本一の清
じます。
く見ている空ですが、とてもありがたく感
澄んだ空が戻ってきました。いつも何気な
みどりのまち﹂をつくっていくために。
福 島 の た め に。 そ う、
﹁空も水もきれいな
こ ん な に も 美 し い 自 然 な の だ か ら。 そ う、
っかりやっていこう、と改めて思いました。
福島の自然を、次の世代、次の世代へと
伝えていくために、僕達ができることをし
ん。
然を、地球を守っていかなければなりませ
一人一人が節水・節電などを心がけて、自
自然もなくなってしまうかもしれません。
と感じます。このままでは、福島の美しい
﹁地球温暖化﹂が進ん
今、 地 球 上 で は、
でいます。僕自身も、今年は気温がすごく
が守っていかなくてはならないものです。
二 瓶 翔 馬
僕 が 住 む 福 島 市 は、﹁ 空 も 水 も き れ い な
みどりのまち﹂です。
福 島 市 の﹁ 空 ﹂ は と て も 澄 ん で い ま す。
晴れていると、西信中からは、雄大な吾妻
ですが、前は、そう思えなくなりそうな
時もありました。そう、﹁原発事故﹂です。
高かったので、地球温暖化が進行している
と思いました。その時の空は、何だか澄ん
むことができて、幸せだなと思いました。
﹁みどりのまち 福島﹂
でいないように見えました。
空 も 水 も き れ い な み ど り の ま ち、 福 島。
これからの自然は、これからの未来、僕達
72
福島市立西信中学校
しかし、福島県、市の除染作業員の方々
の懸命な作業により、福島市にまた、青く
― ―
くれなかったら、話を聞くことはできなか
した。もし、相手の方が親切に声をかけて
れたので、ようやく話を聞くことができま
相手の方から、﹁どうしたの。﹂と聞いてく
なかなか声がかけられませんでした。でも、
を聞こうと思って、声をかけようとすると、
に話を聞くという学習がありましたが、話
生のときの学習で、農作業をしている人々
もよくできていると思います。私は、小学
ち を つ く り ま し ょ う。﹂ と い う 点 が、 と て
思 い ま す。 特 に、﹁ 親 切 で 愛 情 あ ふ れ る ま
私は、自分の住んでいる福島市について、
﹁福島市民憲章﹂のとおりになっていると
れていって、今ではもう、すっかりここで
が、その心の中の不安も、徐々に取り除か
不安で心の中がいっぱいになっていました
りの時は、慣れない土地での生活に対する
出ができました。最初、福島市に来たばか
けれど、小学校で、たくさんの友達や思い
コミュニケーション能力があまりなかった
ら え た の で、 と て も 安 心 し ま し た。 私 は、
があるときは親切に教えてくれたりしても
積極的に話かけてくれたり、分からない事
上手く話せなかったけど、みんなの方から
私は、始業式当日は、緊張して、みんなと
た中でも、
一番不安だったのは学校でした。
っ越してきました。いろいろな不安があっ
たが、震災があったため、急遽福島市に引
もともと、福島市外の住宅に住んでいまし
その他にも、小学校でも、たくさんの人
に 親 切 に し て も ら っ た と 思 い ま す。 私 は、
う経験をたくさんしてきたと思います。
知らない人にも親切にしてもらうなどとい
いと思います。
持って、たくさんの人に親切にしていきた
これからは、私がたくさんの人々にそう
されてきたように、私なりの﹁親切心﹂を
事だということが分かりました。
て、人に親切にしたりすることがとても大
ことなんて無かったのですが、福島市に来
とが無かったし、
﹁そうしよう。
﹂と思った
にしたりすることなんて、あんまりしたこ
らない人と話したり、知らない人に、親切
当に感謝しています。私は、今までは、知
います。だから、私は、福島市の人々に本
不安が、今、0に近いくらいまで減ったの
最初、来たばかりのときはあんなにあった
三 瓶 幸 恵
は、福島市の人々の親切心のおかげだと思
ったと思います。ほかにも、回覧板を回し
の生活にも慣れ、来たばかりのときは心か
心﹂
に、知らない人の家を訪ねたときも、飲み
らあふれそうなくらいあった不安も、0と
切
物をもらったり、道を歩いているとき、か
は言えませんが、今ではその不安も大分減
﹁親
ばんを落としてしまったときも、道を歩い
って、
0に近いくらいになったと思います。
73
福島市立西信中学校
て い た 人 が、 拾 う の を 手 伝 っ て く れ た り、
― ―
わるころになると日本列島に台風が上陸し
をたくさんもらえます。でも桃の季節が終
暑が続きます。その頃になると祖父から桃
昼間は屋内にいてもとけてしまうような猛
しい声が聞こえてきます。気温も上がって
るとそれまでの鳥のさえずりから蝉の騒々
日も長くなり暖かくなってきます。夏にな
吾妻山の雪うさぎが消えてゆき、だんだん
底から祝っているようでした。桜が咲くと
咲き、まるで春が来たことを桜たちが心の
ったことがあるのですが色とりどりの桜が
有名なのは花見山です。前に一度家族で行
それから少し遅れて桜が開花します。桜で
私の住んでいる福島県は、自然に恵まれ
桃 の 産 地 と し て 有 名 で す。 春 は 梅 が 咲 き、
制がかかっていて、現在は危険なので行け
レベル2火口周辺に入ってはいけないと規
一 つ は、 吾 妻 山 で す。 吾 妻 山 は 活 火 山 で、
る山はどのような山があるのでしょうか。
きりしています。では、福島市を囲んでい
福島市は、山に囲まれた盆地です。気候
の変化が激しく夏は暑い。冬は寒いとはっ
します。
校に行きます。冬はこたつでぬくぬく過ご
に弱いので厚着して、マフラーをまいて学
辺り一面銀世界になっています。私は寒さ
ます。空気も冷たくなって朝起きると外は
り夜はストーブをつけないととても寒くな
す。母も暖かい料理をつくることが多くな
では衣がえの季節になり、日も短くなりま
生き物達の姿を見かけなくなります。学校
たてずにおちていきます。外ではほとんど
には、外のもみじなどは紅葉した葉が音も
て、栗ご飯をもう一度食べたいなと思う頃
栗 は 甘 く と て も お い し い で す。 秋 は 短 く
の家では栗を買って栗ご飯をつくります。
なるとお店には、松茸や栗が店頭に並び私
ため日頃から自然を大切にしよう。
荒川などの川があります。この自然を守る
んの森林が広がり、豊かな山の恩恵を受け
かなければならないと思います。春夏秋冬
森林・生き物たちを私たちの手で守ってい
しまう可能性があるものです。だからこの
私たちの身近にあるものは将来なくなって
はどこにでもあるわけではありません。今、
の生き物がそこに住んでいます。でも自然
私たちの身のまわりには森林が広がり多く
できない生き物がたくさんすんでいます。
ショウウオなどあまり普段目にすることが
川はとてもすんでいてさまざまな生物サン
福島市は、自然を身近に感じることがで
きます。果物も野菜もとてもおいしく、荒
めることができます。
とても暗く雲さえなければ満天の星空を眺
たりしました。周りは、福島市内に比べて
﹁福島の 自 然 ﹂
たりすると蝉の鳴き声がしだいにやみ、夜
ないですが、規制になる前までは、珍しい
前 野 綾 香
74
福島市立西信中学校
は涼しくなって変わりにひぐらしの鳴き声
星などが通ると聞くと家族と展望台に行っ
の季節の変化が大きい福島市には、たくさ
を聞くと秋が来るんだと実感します。秋に
― ―
﹁あいさ つ で 元 気 に な ろ う ﹂
福島市立西信中学校
あいさつは相手がいるからできるので
す。一人では、あいさつはできません。
相手の目を見て、おたがいに気持ちの良
いあいさつをすること、一人一人がそんな
きまりを守り、
周りにいる相手と一緒に
﹁あ
﹁あいさつ運動﹂の当番は部活のメンバ
ーごとに決まります。私はバスケットボー
私の通っている中学校では、毎朝﹁あい
さつ運動﹂を行っています。
つをすることで、一日の始まりのスイッチ
﹁ あ い さ つ 運 動 ﹂ を 通 し て、 私 が 感 じ た
こ と は﹁ お は よ う ご ざ い ま す。
﹂のあいさ
ことに、つながっていると思います。
いさつ運動﹂をしていくことができれば、
ル部なので、女子メンバー全員で行ってい
が押されて、シャキッとした気持ちになれ
粟 野 日菜美
ます。
なという期待が持てます。
あいさつと聞いて、いつも笑顔で明るく
元気よく、
大きな声であいさつしてくれる、
るのと、今日も楽しく一日を過ごせそうだ
みんなで横一列に並び、登校してくるみん
近所の方の顔を思い出しました。そのあい
に対して気持ちの良いあいさつをしてみよ
うと思っています。笑顔で明るく元気よく
﹁ お は よ う ご ざ い ま す!﹂ と 言 っ て み る つ
もりです。
きっと元気を与えられると思います。今
から明日の朝が楽しみです。
たくさんの人に元気を与えられるよう
に、がんばっていきたいです。
75
みんなで力を合わせて楽しく過ごしていく
自分の当番の時は、いつもより早く学校
へ行きます。晴れている時は昇降口の前に、
なに﹁おはようございます!﹂と元気に声
さ つ は、 私 に 元 気 を く れ る あ い さ つ で す。
雨の日は昇降口に近い屋内で、メンバーの
かけしてあいさつ運動をしています。
努力していきたいと思います。
私も、
人に元気よくあいさつできるように、
元気にあいさつすることで、あいさつを
した相手からも元気よくあいさつを返して
﹁あいさつ運動﹂の輪を中
こ れ か ら は、
学校から、少しずつでも広げていけたら良
もらえると、とてもうれしい気持ちになり
ます。あいさつをしてくれた相手もきっと、
いなと思います。
まずは家の中から、一番身近にいる家族
私と同じ気持ちになってくれていると思い
ます。
― ―
沿いで、歩きながら川を見ていたそうです。
くれました。話によると、私の兄弟は、川
近所の人たちも、﹁良かったね。﹂と言って
たちでした。私はすごくうれしかったです。
した。それは、私の兄弟を連れた近所の人
しまいました。すると、誰かがやってきま
しました。私はもっともっと心配になって
しまいました。おばあちゃんが警察に通報
りました。でも、だんだん暗くなってきて
せん。私は、﹁お願い見つかって。﹂といの
なところを探しましたがやはり見つかりま
ました。道路の方や、家の裏など、いろん
や、男の子など、いろんな人が探してくれ
すると、いつの間にか、近所のおばあさん
や 家 族 で 探 し ま し た が、 見 つ か り ま せ ん。
私は、兄弟が迷子になってしまったこと
があります。おばあちゃんやおじいちゃん
福島市立西信中学校
﹁福島市 民 憲 章 を 初 め て 知 っ て ﹂
す る ん だ ろ う。
﹂と不思議に思っていまし
立ちました。前から﹁なぜポイ捨てなんて
です。これを聞いたとき、私はとても腹が
たり、あやうく失明するところだったそう
の空きかんはおばあちゃんの目の付近にあ
ず空きかんを捨ててしまったそうです。そ
人がいて、そのときおばあちゃんに気付か
私のおばあちゃんは、草刈りを朝早くに
やっています。そこでは空きかんを捨てる
す。
どれも大事ですが、これも大事だと思いま
ちをつくりましょう﹂
というのもあります。
﹁子供からおとしよりまで安全で健康なま
現できると思います。また、
憲章の中には、
い心を、一人一人が持ち続けていけば、実
私の兄弟を助けてくれた人々のような優し
あふれるまちをつくりましょう﹂は、今回
良かったです。憲章にもある﹁親切で愛情
た。何はともあれ、
兄弟が見つかったので、
る途中で兄弟が見つかったので大丈夫でし
いたそうです。警察への通報も、話してい
近所の人が入ってみると、中に私の兄弟が
いかが分からない場所だそうです。そこで
いて、中に入って見ないと誰がいるかいな
福島市民憲章は、みんなが守れば生活が
楽しくなるのかなと思います。
ます。
う﹂は、そういうことも守ることだと思い
よりまで安全で健康なまちをつくりましょ
だと思います。憲章の﹁子どもからおとし
め よ う。
﹂という気持ちを持たないとだめ
てしまいました。ポイ捨てをする人が﹁や
ためだけに、私のおばあちゃんがけがをし
の被害も加わらないのに。道ばたで捨てた
のうちでごみ箱に捨てれば、他の人には何
に、なぜ道ばたで捨てるのでしょう。自分
うちのごみ箱に捨てればいいだけの話なの
ます。ただ自分のうちに持ち帰り、自分の
たが、この話を聞いてもっと不思議に思い
76
佐 藤 里 咲
そこは背の高い竹が周りにたくさん生えて
― ―
二つ目は、あいさつをしっかりすること
です。相手から言われてあいさつをするの
ければいいまちにはならないと思います。
一つは困っている人がいたら手を取り合
う事です。困っている人がいてもたすけな
いいと僕は考えました。
のためには、次の五つの事をしていったら
僕は、この福島市が親切で愛情あふれる
まちになっていったらいいと思います。そ
福島市立西信中学校
作るには﹂
ほしいです。
たり、色々な検査ができる病院を増やして
路の段差をなくしたり、建物の中に手すり
四つ目は、小さい子やお年寄りや障害者
が住みやすい環境を作っていく事です。道
言葉で教えてあげたいです。
時でも、気持ちが伝わるように、丁ねいな
は良くない事だと思います。何か注意する
自分より下の人にも、乱暴な言葉を使うの
正しく接するのが基本だと思います。
でも、
います。先生や先輩そして町の人にも礼儀
必要です。この事はとても大切な事だと思
います。もちろんまちの人たちにも礼儀が
る事は人として、礼儀がなっていないと思
僕が考えた五つの事が実現できるよう
に、僕もできる事をがんばってやっていき
ひ遊びに来てほしいです。
くさんあるし、おいしい果物もあるのでぜ
それに気づくと思います。福島は自然がた
際 に 話 し 合 っ た り、 ふ れ 合 っ た り す れ ば、
るので、福島市以外の人が遊びに来て、実
で愛情があふれている人たちがたくさんい
いますが、今、住んでいる人たちは、親切
福島市が親切で愛情あふれるまちになる
には、工夫や努力がたくさん必要だとは思
ベントがあればいいと思います。
ではなく、自分から進んで言うのが親切で
時々、先生や先輩に対しての接し方が悪
い人がいます。先生や先輩にタメ口で接す
愛情あふれるまちになる大きな一歩だと僕
障害者の人の手伝いや、お年寄りの話し
相手になるボランティアの人も、もっと増
﹁親切で 愛 情 あ ふ れ る ま ち を
は思います。時々、あいさつをしてもあい
えればいいと思います。僕もそういう機会
77
加 藤 颯 馬
さつを返してくれない人がいます。あいさ
があれば、ぜひ参加したいです。
たいです。
つをするのは愛情表現の一つだと思いま
所や、色々な年の人が交流できる場所やイ
や障害者用のトイレや、スペースを増やし
す。
五つ目は、楽しい場所をもっとたくさん
作ってほしいです。雨の日でも楽しめる場
三つ目は、目上の人には敬語を使い、し
っかりとした態度で接する事です。
― ―
す。
だと思ったことは﹁親切で愛情あふれるま
内で、子供からお年寄りまでお金のあまり
思いました。けど、福島市はしっかり予算
だけど、福島市の予算は大丈夫なのかなと
驚きました。私達にとってはうれしい制度
は一割負担だということを聞いて、とても
切﹂にすることは、大事だと思います。
くない﹂
と思われてしまいます。
だから、﹁親
だれも助けなかったら﹁福島市民はやさし
めて福島市に来て困っている人がいても、
理由は、人が良くなくては、福島市の印
象も悪くなると思うからです。例えば、初
ちをつくりましょう。﹂です。
ない人でも病院に行けるようになっていま
私は、福島市が大好きです。この、私が
大 好 き な 福 島 市 は、
﹁福島市民憲章﹂があ
私は、福島市の病院は子供の医療費が無
料だと聞きました。それに加え、お年寄り
私は、福島市民憲章の中の二つについて
考えました。
す。そこが、福島市のすごいところだと思
る か ら こ そ、 良 い ま ち な の だ と 思 い ま す。
﹁大好き な 福 島 市 ﹂
そ の 一 つ が、﹁ 空 も 水 も き れ い な み ど り
の ま ち を つ く り ま し ょ う。﹂ で す。 私 の 町
います。
す。だから、福島市の川は、とてもきれい
がきれいということを聞いたことがありま
た。生き物が住んでいるということは、水
てみたら、おたまじゃくしが泳いでいまし
私は小学生の時に、親と荒川の近くで遊
んだことがあります。そこで、川をのぞい
で 書 い て あ る こ と が 多 い で す。 お そ ら く、
うけたのだと思います。それに、五・七・五
信号待ちの時に目に入るように、場所をも
が、 交 通 安 全 の 呼 び 掛 け で す。 お そ ら く、
れ幕があるのを見かけます。そのほとんど
です。私は、よく信号機の上の歩道橋に垂
加 藤 春 乃
福島市立西信中学校
には、荒川が流れています。荒川は、日本
ちにしていけたらいいと思います。
なんだなと思いました。
思います。このように、まちの安全を守る
私は、福島市が大好きです。
78
これからも、福島市民全員で、より良いま
一の清流になったことが何度もあります。
安 全 面 で も、 す ご い と こ ろ が あ り ま す。
それは、ポスターや垂れ幕などの取り組み
私は、福島市の空、川、みどりが大好き
なので、これからも自然を大切にしたいと
ためにさまざまな工夫をしていることが分
私が、この福島市民憲章を見て一番大切
かります。
覚えやすいようにリズム良く書いたのだと
思います。
もう一つは﹁子どもからおとしよりまで
安 全 で 健 康 な ま ち を つ く り ま し ょ う。﹂ で
― ―
す。だからそれをあいさつをしない人でも
まだまだ、だけど一生懸命がんばっていま
僕はそれにあこがれました。僕は今、中
学校で野球部をやっています。あいさつは
した。
大きな声ではきはきとあいさつをしていま
になって、スポーツ少年団とかの人たちが
﹁あいさつをしなさい﹂
っていつも言われていました。でも小学生
つもお母さんとかに
僕は小さいころには人みしりのあまりあ
いさつをすることができませんでした。い
福島市立大鳥中学校
できる町にしよう﹂
ゃえばいいことだからと思います。あと僕
った人にあいさつをいうのは簡単で言っち
したいと思います。あと難しいのがすれ違
は簡単なことだからあいさつをできる町に
し、これから人生はまだまだ長いと思うか
あいさつの心を忘れずにいきたいと思う
らだと思います。だから僕は野球部として
ことは恥ずかしいという心を持っているか
が良い町になると思います。だんだん大人
も、だんだん広まっていっていけば町全体
人に言ってくとすれば時間はかかるけれど
あいさつをして、言われた人がまた近くの
いさつをしていけば、その身近な人がまた
けど気持ちが良くなるので身近な人からあ
った人も言われた人もなんだか分からない
まず最初にやることは身近な人からあい
さつをしていけばみんな笑顔になるし、言
えたいと思います。
うと言う言葉を言いたいです。
としていこうと思い、あいさつとありがと
ていき、これからの長い人生を楽しいもの
は言えないと思うので、今後の生活を変え
考え方を変えないと心の底からありがとう
めに何かをやってもらっているという風に
﹁ありがとう﹂
を言うには照れくさいというのを自分のた
い言葉
﹁知らな い 人 で も あ い さ つ を
やってもらいたいと思います。僕が歩いて
が思っているのは、
中 村 魁 斗
いたりしてすれ違った人にあいさつをしな
ら、心の中に置いといておけば、あいさつ
照れくさくなっていて普段なかなか言えな
79
になるにつれてやらないしあいさつをする
い人もいます。僕はそれを
﹁ありがとう﹂
と言える人になりたいと思います。最近は
﹁変えたい﹂
と思いました。なのでそれをやる方法を考
― ―
﹁福島を 今 ま で よ り
福島市立大鳥中学校
よりよくするために﹂
粟 地 汐 音
私は、空も水もきれいなみどりなまちを
つくるためには一人一人が意識して生活し
な さ さ い な 事 で も、
﹁空も水もきれいなみ
行くときは車を使わないようになど一人一
私は、福島市民みんながゴミの事に気づ
いたらゴミ箱に捨てたり、近くのところに
ンクール﹂で改めて考えてみるとこのよう
どりのまち﹂をつくることに大切なことだ
までよりすばらしいまちになると思いまし
つくるように努めてほしいので、まずは私
人が﹁空も水もきれいなみどりのまち﹂を
いいと思います。これも、小学生の時に社
と思いました。
なぜ私がこう思ったかというと、誰か一
人が空も水もきれいにするためにたくさん
会の勉強で車の出す排気ガスは、空気をき
がこの事をあたり前にできるように頑張っ
の事を意識して生活をしていても他の人が
たなくするとならったので車はできる限り
﹁ゴミが捨て
私 の 担 任 の 先 生 の よ う に、
てあったら拾いゴミ箱にすてる﹂というこ
何も考えずに生活していればきれいなみど
使わない方がみどりのきれいなまちにでき
て習慣にできるようにしたいです。
りのまちはできないと思ったからです。ま
ると思いました。
とを福島市民みんなでやれば﹁空も水もき
ちのみんなで協力して﹁きれいなまち﹂に
れいなみどりのまち﹂をつくっていけると
し よ う と 努 力 す れ ば、﹁ き ま り を 守 り、 力
私は、この作文を書いていて自分の普段
の行動を考えてみると、ポイ捨てはしてい
最後にこの作文を通して一人一人が本当
にささいな事でも意識していけば福島は今
をあわせて楽しく働けるまち﹂にもできる
ませんが、近くのところに買い物に行く時
思いました。
と思いました。
でおくっていってもらってしまうので、ま
ていくことが大切だと思いました。
小学生の時、校外学習がありました。校
外学習の帰りに私の担任の先生がポイ捨て
ずは自分自身の普段の行動を見つめ直すこ
た。
してあったカンを拾い、学校のゴミ箱に捨
とが大切だということが大切だと思いまし
80
また、近くのスーパーなどに買い物に行
く時は車ではなく、自転車や徒歩で行けば
てました。この時はなんとも思っていなか
た。
や、いつもよりおそく起きてしまい母に車
ったけれど、今回の﹁福島市民憲章作文コ
― ―
す が、 悪 い と こ ろ は 全 く な い か と い う と、
福島は自然がいっぱいで桃やりんごな
ど、おいしい果物もたくさんあります。で
ば住みよい町になると思います。
登校中に、
とですが、身近なところから実行していけ
しお年寄りに席をゆずるのは勇気がいるこ
ます。知らない人とはあいさつをしづらい
て、思いやりの気持ちを持てば良いと思い
る人がいたら声をかけて助けてあげたりし
して、お年寄りに席をゆずったり困ってい
とのコミュニケーションが広がります。そ
は考えました。あいさつをすれば、人と人
がけたり思いやりの気持ちを持とう、と私
ばもっと良い福島になると考えました。
なると思います。それが、市民全体になれ
手も気持ち良くなりおたがいが良い関係に
したり思いやりの心を持って接すれば、相
ありません。なので、自分からあいさつを
と言っていた人がいたけど全員がそうでは
いさつをしてくれます。福島の人は冷たい
にしていきたいです。朝は、近所の人があ
川もとてもきれいなのでもっと幸せなまち
です。私は福島の果物が大好きです。山も
﹁幸せな 福 島 に す る た め に ﹂
そ う で は な い と 思 い ま す。 憲 章 を 知 っ て、
あいさつをされると今日もがんばろうと良
扇 田 凜
福島市立大鳥中学校
福島が今以上に良い町になるためにみんな
い気持ちになれるので、私も行動に移して
81
が協力してほしいです。
いきたいです。
﹁親切で愛情あふれるまち﹂はどの憲章
に も つ な が っ て い る と 感 じ ま す。 ま ず は、
憲章はきまりなので堅苦しい感じがしま
すが、きまりがなくなったら人々は好きほ
うだいやってしまってとても大変な事にな
一つを進めていこうと考えれば、もっと幸
知っていましたが、内容は知りませんでし
ると思います。私のふるさと、福島市はず
私 が 印 象 に 残 っ た 憲 章 は、﹁ 親 切 で 愛 情
あふれるまちをつくりましょう﹂です。ど
た。市民の半分以上は多分見てないでしょ
せな町になると思っています。
んなに良い景色や場所があっても、一人一
う。福島市民憲章を見たときいい憲章だな
っとすてきな町であって欲しいと思いま
人が思いやりの心がなければ、市民は幸せ
と 思 い ま し た。 こ れ を み ん な も っ と 知 っ
す。
な気持ちにはならないと思います。このま
て、この憲章を中心に生活していけば良い
福島の憲章を知っている人は、何人いる
でしょうか。私も最近までは憲章の存在は
ちづくりを進めるためには、あいさつを心
― ―
﹁福島市 民 憲 章 に つ い て 考 え た 事 ﹂
福島市立大鳥中学校
りをしてしまいました。なので特に、この
憲章をみんなに知ってもらえば、ごみのポ
イ捨ても減り、川もきれいになると思いま
す。
なぜなら、私はこの憲章の事は知ってい
たけど具体的なところまでは、知りません
私は福島市民憲章をもっと市民に、なじ
ませた方が良いと思います。
が消防車で熱中症予防の呼びかけをしてい
ました。三十度ごえの日は、必ず消防の人
年の夏は、すごく暑かったので、お年寄り
﹁子ども
逆 に 私 が 良 い と 思 っ た 憲 章 は、
からおとしよりまで安全で健康なまちをつ
でした。なのでもっと市民にこの憲章のこ
ました。そのおかげで、熱中症の人が大分
塩 澤 陶 子
とを広ませたら、もっと福島市が良くなる
減ったと思います。この憲章は守られてい
などの熱中症が増えているとニュースで見
ましょう﹂という文が守れていないことで
した。もっとみんなにこの憲章を知っても
私は、この憲章の作文を書いて、この憲
章のことを知らなかったけど、よく知れま
82
くりましょう﹂という最後の憲章です。今
と思います。
す。特に、水はきれいになっていないと思
らい、もっとよりよい福島市になって欲し
ると思いました。
います。
いと思いました。
次に私が思うことは、憲章の最初の所の、
﹁空も水もきれいなみどりのまちをつくり
なぜかというと、私の住んでいる飯坂地
区は、いくつもの川が流れています。私の
家 の 前 に は 小 川 が 流 れ て い て、 そ の 川 は、
ゴミがよく流れています。この前の川原に
もゴミが落ちています。袋や、空き缶が特
に多いです。誰も拾わず、私も見てみぬふ
― ―
﹁安全で 健 康 な 町 づ く り ﹂
福島市立大鳥中学校
八 木 渚 月
私は福島市民憲章の中でも、子どもから
おとしよりまで安全で健康なまちをつくり
ましょうというのを選びました。
その事故などをなくす解決策は、まず一
人一人の心がまえが最も大切だと思いま
たりすれば、
良い町になると私は思います。
者と自転車とのぶつかり事故などをなくし
時は、車はちゃんと待ってあげたり、歩行
それから、歩行者が横断歩道などをわたる
り、信号無視などせず、安全に運転する事。
例えば、車を運転している人が、互いに
ゆずり合い、ぶつかり事故などをなくした
と思っています。
どに生かされるよう、がんばっていきたい
より良くするためや、今後のまちづくりな
私たちのこの気持ちや、日ごろの生活の
中の行動、考えなどが、福島県をますます
の幸せと発展を願っています。
子どもからおとしよりまで安全で健康な
まちができることを期待し、福島県の市民
す。
車の安全運転を心がけたり、自転車に乗
る時は必ずヘルメットをかぶるように気を
83
なぜかというと、子どもからおとしより
まで安心して居られる福島県というのがみ
んなの幸せにつながると思ったからです。
すると思うので、気持ちの切り替えや、心
つけたり、追いこしはしないようにしたら
最近ニュースで怖い話題がたくさん出て
います。それで、安心して町を歩けなかっ
がまえをしっかりとすれば、安心して暮ら
快適で明るく住みよいまちづくりを進める
たり、交通事故などが増えていて、安全面
せる町になると思います。
良いと思います。
にも気をつけながら生活するという事が多
ために、安全で市民が住みやすい町からは
いので、気軽に町を歩ける安全な町になる
子どもからおとしよりまで安全な町づく
りというのは難しいけれど、
実現できたら、
じめれば、健康なまちになると思います。
と良いと思います。
事をさがして、小さなことからやっていけ
まずは、一人一人の気持ちが事故につな
がったり、逆に安全で健康な町になったり
私が考える安全で健康な町とは、交通事
故などがない、市民が安心して暮らせる町
たらなと思います。
すごく良いと思うので、なにか私にできる
です。
― ―
﹁よりよ い 福 島 市 を つ く る た め に ﹂
福島市立大鳥中学校
まで自分のことしか考えていなくて、周り
良かったと思います。それに、自分で何が
では気にしていないことでも周りの人から
できるのかを考えたことで私にもちゃんと
私は福島市民憲章のなかで二つのことに
ついて考えました。私が考えたのは﹁空も
したら嫌なこともあると思うのでそういう
の人に迷惑をかけたことがありました。な
水もきれいなみどりのまちをつくりましょ
小さなことから気をつけていきたいです。
できることがあるんだなと思いました。私
う﹂と﹁親切で愛情あふれるまちをつくり
二 つ 目 は、 挨 拶 を し っ か り す る こ と で す。
のでこの憲章について考えたことが三つあ
ましょう﹂についてです。
ではとても違うと思います。挨拶をすると
は福島市が大好きです。なので、その大好
ま ず、﹁ 空 も 水 も き れ い な み ど り の ま ち
をつくりましょう﹂について考えました。
された方も気持ちがいいし、した方も気持
ります。一つ目は、周りの人の迷惑になる
これについて私が考えたことは二つありま
ちがよくなるので愛情あふれる町をつくる
きな福島市を今よりもさらによりよくする
す。一つ目は、車に乗ることを少なくする
ためには挨拶が良いと考えました。三つ目
ことをしないことです。私はお店などで通
こ と で す。 私 は と き ど き 部 活 や 学 校 ま で、
は、感謝をすることです。何かをしてもら
ために、私はこれらのことに意識し、気を
車で送ってもらうことがあるので少しでも
ったら必ずありがとうと感謝することが大
路のところに立っていて邪魔になり周りの
歩いて車を使う機会を減らしたいです。二
事だと思います。それが知らない人でもち
山 下 茉 桜
つ 目 は、 食 べ 残 し を 少 な く す る こ と で す。
ゃんとお礼を言うことで愛情あふれるとい
つけていきたいと思いました。
食べ残しを流してしまうと水はとても汚れ
う部分に良いのではないかと考えました。
人に迷惑をかけたことがありました。自分
てしまうので食べ残しを減らし水が少しで
このことについて考えてみることができて
84
挨拶はとても大切で挨拶をするとしないの
も汚れないように気をつけたいです。
私は、今まで市民憲章を知らなかったし
考えてみたこともなかったけれど、今回は
次 に、﹁ 親 切 で 愛 情 あ ふ れ る ま ち を つ く
りましょう﹂について考えました。私は今
― ―
﹁自分く ら し よ り 厳 し い く ら し ﹂
福島市立松陵中学校
齋 藤 優 輝
ぼくは、福島については、とても豊かな
県だと思っています。でも福島以上に豊か
な外国はあまりありません。それは、今も、
主にアフリカの地方で争いがおきているか
85
らです。
アフリカの地方では、貧しいくらしをし
ている人が多いです。その人たちにとって
は、水の一滴も貴重な資源です。なので私
たちは水道の水を一滴もむだにすること
は、できないと思います。でも福島市には
空も水もきれいなみどりのまちをつくりま
しょう、という憲章やきまりを守り、力を
あわせて楽しく働けるまちをつくりましょ
う、という憲章があります。
なので、豊かな町をつくるためには、力
を合わせて楽しく働けるまちをつくりまし
ょうなどの福島市民憲章があるからぼく
は、平和で豊かな町だと思います。
― ―
りにつながります。
なに小さなささいなことでもいいので人の
最初はあいさつなどで多くの人とコミュ
ニケーションをとることが大切です。どん
ことを思ってあげられる人が多くなってほ
﹁思いや り と 笑 顔 で あ ふ れ る
福島市立松陵中学校
ちづくりの欠片になるからです。
しいです。それが確実に明るく住みよいま
まちをつくろう﹂
佐 藤 海 月
明るく住みよいまちづくりをするために
は僕はまずは思いやりと笑顔だと思ってい
ます。なぜならいくら環境などがよくても
笑顔も何もない暗いまちではまちとは言え
86
ないからです。
僕は一度このような経験があります。ラ
ンニングをしているときに重い家具を運ん
でいる人を手伝ったことがあります。手伝
い終わって僕が帰るときにその人が僕に一
言言ってくれました。
﹁ありがとう。﹂
この時、僕は本当にうれしかったです。心
がとても温かくなりました。そしてここに
住んでいるみなさんは愛であふれていると
思いました。このように手伝ってもらう側
もあげる側もどちらもうれしくなります。
これは確実に明るくて住みやすいまちづく
― ―
﹁福島市 民 憲 章 を 守 る た め に は ﹂
福島市立松陵中学校
いとテレビで聞いたことがあります。
ンがあるのにつけないで、死亡する方が多
な町、福島市をつくれると思います。
逆に親切にすれば、きまりを守って、安全
﹁親切﹂は、だれにでもできます。
離れない!﹂など、
工夫はしているものの、
たことがありました。
その他、﹁つけるまで、
⋮。
﹂ と 言 っ て い た の を、 ニ ュ ー ス で 聞 い
﹁ お じ い ち ゃ ん に﹃ エ ア コ ン つ け
前 に、
た ら?﹄ と 言 っ て も つ け な い で そ の ま ま
僕 も、 福 島 市 に 住 む 一 人 と し て、﹁ 福 島
市 民 憲 章 ﹂、 し っ か り 守 っ て、 ま ず は 身 近
思います。
もっと良い福島市に変えることができると
で、一人一人が優しければ、良い福島市を
それは、どうやって解決すべきなのでし
ょう。
僕は、この作文を書くまで、﹁市民憲章﹂
というものが、良く分かりませんでした。
死亡してしまう、
そこまでしてもダメなら、
な人に優しく接していきたいと思います。
例えば、電車に乗っているお年寄りがい
たら、席を譲るなど、小さいことでいいの
しかし、市民憲章の内容は、福島市民が
幸せに暮らすために大切だと強く感じまし
高齢者が利用出来る施設を増設し、サービ
蓬 田 拓 海
た。
死亡率が少なくなれば嬉しいです。
今までは、健康のことでしたが、次は安
全です。
市民憲章の中の﹁きまりを守り、
これは、
力をあわせて楽しく働けるまちをつくりま
しょう。
﹂も関係してくるのだと思います。
時々、殺人や強盗、事故といったことが
起きますが、それって、きまりを守ってい
る な ん て 言 え ま す か。 人 を 殺 す き ま り は、
戦争以外ありえないと、僕は思います。
力を合わせて、楽しくさせるには、そん
な こ と は し な い で、 人 を 殺 す の で は な く、
87
スをいつでも受けられるようにしていけば
市 民 憲 章 の 中 で も 僕 は、﹁ 子 ど も か ら お
としよりまで安全で健康なまちをつくりま
しょう。﹂に注目しました。
夏は熱中症で亡くなる高齢者が多いで
す。
死亡率を少なくさせるためには、やっぱ
り工夫です。
よく仮設住宅に住む人同志がお互い
﹁具合い悪ぐねーがい?﹂
と声をかけ、自ら見回りをしています。
一方、家で暮らす高齢者の場合、エアコ
それは、工夫と言えるのではないでしょ
うか。
― ―
ではないと思うのですが、人を思いやると
り人助けをしたことは無いので言える立場
だけでも良いと思います。私自身でもあま
道に迷っていた人がいた時は道案内をする
きるようにしたいです。
地域のイベントや行事には積極的に参加で
ようにできるように心がけたいです。
また、
するのは好きなのでお年寄りの人でも同じ
﹁お年寄 り に 親 切 で 、 た く さ ん の
いう親切な気持ちを忘れずにこのまちに住
んでほしいと思います。
人と交流ができるまちを
福島市立松陵中学校
つくりましょう﹂
て嬉しい気持ちになると思います。小さな
いことだと思うし、相手も親切にしてくれ
いのです。人に親切にするのは気持ちが良
に親切にするという行動があまり見られな
す。ですが、現実ではそういったお年寄り
行ってくれていたのを見たことがありま
ておばあちゃんが持っていた荷物を運んで
メで小さい子供が荷物を持ちますよと言っ
みなさんはお年寄りの人を一度でも助け
たことがあるでしょうか。私はテレビアニ
ます。
私はお年寄りに親切で、たくさんの人と
交流ができるまちをつくってほしいと思い
齢に関係なく交流をして人と接してふれあ
も大切になってくると思います。地域で年
高齢化社会が続いている中ですのでお年
寄りを大切にする、親切にするということ
す。
のイベントに参加できれば良いと思いま
は他にもたくさんあると思うのでたくさん
い出ができると思います。地域のイベント
イベントに参加することによって楽しい思
協力をしながら競い合っています。地域の
きると思います。私たちのまちには地区運
尊さを学んだり、たくさんの人と交流がで
交流についてですが、ボランティア活動
や地域のイベントに参加すると良いと思い
ことでも良いので親切にすると良いと思い
うことはこれから生きて行く中で必要にな
丹 野 可奈子
ます。例えばバスや電車の中でお年寄りの
っていくと思います。私は友達の手助けを
動会があり、各地域に分かれて地域の人と
88
ます。ボランティア活動に参加すれば人の
人が席に座れない時はゆずってあげたり、
― ―
﹁ふるさ と 福 島 ﹂
福島市立松陵中学校
の イ ベ ン ト に は、 色 々 な 色 の あ じ さ い が、
きれいに咲いているのが見れます。私の家
にもあじさいがあって、毎年あじさいの花
が咲く季節になると、二色の花が咲いてい
てとてもいやされます。土合山は、私の住
たりしました。下流は、あまりきれいでは
に、川に住んでいる虫や生き物を見に行っ
す。水原川は、私の家の近所なので夏休み
ま ず 一 つ 目 は、﹁ 水 ﹂ で す。 私 の 住 ん で
い る 町 に は、﹁ 水 原 川 ﹂ と い う 川 が あ り ま
ましょう。﹂です。理由は、二つあります。
市民憲章で私が一番印象に残ったのは、
﹁空も水もきれいなみどりのまちをつくり
も水もきれいなみどりのまちをつくりまし
てとても良かったです。憲章でもある、﹁空
いな水とみどりがある町に住むことができ
な町になればいいなと思います。私はきれ
今後も見物客がいっぱい集まってにぎやか
しつつ、毎年のあじさいを楽しみにしたい
っているようなので、地区の方々にも感謝
んでいる町のほこりです。土合山は、近く
ない川でしたが、虫や生き物がいっぱいい
ょう﹂が守れるように、私自身も、身近な
菅 野 遥 奈
ました。上流は、きれいな水が流れている
所から、行動していきたいです。
です。そして、
もっとあじさいを増やして、
89
の地区の町内会の方たちが管理してくださ
ので魚がいきいきと泳いでいました。下流
にも、きれいな川に住む生き物が住めるよ
う に、 汚 い 水 は、 流 さ な い よ う に し た り、
洗剤なども考えて使うようにしたいです。
二 つ 目 は、﹁ み ど り の ま ち ﹂ で す。 私 の
町 に は、﹁ 土 合 館 ﹂ と い う 山 が あ り ま す。
土 合 山 は、﹁ あ じ さ い 小 路 ﹂ と も 呼 ば れ て
いて、六月に開さいされる﹁あじさい小路﹂
― ―
わないように呼びかけをしていきたいで
たくさんいます。そんな人たちが被害に合
います。私達の周りには子供やお年寄りが
るためにはやっぱり呼びかけが大事だと思
くの危険があふれています。これを解決す
ど、私達が住んでいる福島市にもとても多
まず、安全面では子供をねらう不審者や
お年寄りをねらう振り込め詐欺の電話な
ることにしました。
で安全で健康な町づくりについて考えてみ
感じました。そこで、子供からお年寄りま
私は最近、市内の高齢化や子供の死亡事
故というニュースが多くなってきていると
鳴らしたり葉でボールを作ったり自然のも
お店に売られていますが、昔はほうずきを
て、今はおもちゃとしてつくられたものが
はこの昔遊びを教えてもらったことを通し
寄りと子供が触れ合うことができます。私
を築くことができます。それと同時にお年
子供へ教えることによって、昔遊びの伝統
ことがありました。昔遊びをお年寄りから
いころお年寄りに昔遊びを教えてもらった
最後の考えは、子供とお年寄りが触れ合
える場所を設けるということです。私が幼
いです。
ともあるそうなので油断せず持続してほし
でも、お年寄りでも生活習慣病にかかるこ
るときがあるので健康的だと思いました。
ヨガやゲートボールをしている姿を見かけ
り遊んでほしいと思いました。お年寄りは
ているそうです。だから外に出て思いっき
しまい生活習慣病になってしまう子が増え
はゲームやおかしなどで部屋にばかりいて
す。
島市を笑顔いっぱいの市にしていきたいで
自分ができることは積極的に取り組み、福
とても安全で安心でき、心身共に健康で
ある福島市を目指していきたいです。私も
す。
康でなくては笑顔はあふれないと思いま
たいです。私は、健康でなくてはならない
も目を向けてしっかり運動して体をきたえ
です。安全なだけではなく、人々の健康に
でも被害にあう人を減らせるようにしたい
地域の人や親せきの人にも呼びかけて少し
これからの福島市を笑顔であふれさせる
ために私自身も安全な福島市にするために
く心まで健康になってほしいと思います。
合うことによって笑顔が増え体だけではな
﹁福島に 笑 顔 を ﹂
す。この呼びかけによって福島市を今より
のを使って自分たちで作っていることなど
鈴 木 彩 加
福島市立野田中学校
さらに安全にしていきたいです。
今はなかなかこのような機会はないのです
90
のは体だけではないと思いました。心も健
次に健康面ですが、子供とお年寄りどち
らも運動を良くすることで体がきたえられ
が、近所の子供やお年寄りで集まり、触れ
たくさんのことを学ぶことができました。
るので健康的だと思います。今の子供たち
― ―
ことなどの中でおたがいに良いことを広め
で、交流を深め、それぞれの地区のすごい
住んでいる所以外のことはよく知らないの
いしい梨や桃がとれます。それぞれ自分の
とはありません。でも、他の地区よりもお
えてみました。笹木野にはあまり目立つこ
身近な小さなことから見つめなおすため
に私は自分の住んでいる笹木野について考
てもらいおいしい果物などを食べてもらえ
ら い、
﹁ ぜ ひ、 行 っ て み た い な ぁ﹂ と 思 っ
外のことでたくさん人々に興味を持っても
そして、この福島の良さを全国のたくさ
んの人々に知ってもらいたいです。原発以
願っています。
までもあたりまえであってほしいなと私は
てもおいしい水です。そういうことがいつ
寺 てきだらけの蛇口から出る水はとう明でと
て い け た ら い い な と 思 い ま し た。 そ し て、
たらうれしいなと思いました。
﹁大好き な 福 島 ﹂
私はこの作文を書こうとするまで﹁福島
市民憲章﹂とは何か、全く知りませんでし
小さい子供からお年よりまで笑顔で楽しめ
福島市立野田中学校
た。私も福島市民なんだと思うとはずかし
るような環境を作ることも必要だと思いま
私は、そんな果物がおいしくて、空も水
もきれいなみどりのまち、福島で成長する
未 桜
いことだと感じます。
した。
楽しく働くことができ、だれもが安全で健
﹁ 空 も 水 も き れ い で、 希 望 に か が や い て
いて、愛情があふれていて、力を合わせて
いうことも知りました。
だと感じていたことがあたりまえでないと
年前の地しんと原発事故以来、あたりまえ
さんあり、いつも﹁緑がきれいだな﹂と思
があります。梨畑や田畑、桃畑などがたく
また、登下校の時もまわりにたくさんの緑
を﹁青くてきれいな空だなぁ﹂と思います。
器を吹いている時、窓から見える空のこと
いうものがあります。私は今、部活動で楽
福島市民憲章に書かれていることの中
で、
﹁空も水もきれいなみどりのまち﹂と
私は、そんな福島が大好きです。
笑顔と希望にあふれていてほしいです。
これからも、今と変わらない福島であっ
て ほ し い と 思 い ま す。 ま た、 い つ ま で も、
91
内容としては全てがんばらなければなら
ないようなものではなく、普段の生活の中
康なまちをつくりましょう。﹂
父母の家の水道は、蛇口に水てきがたくさ
ことができて良かったと感じました。
もっともなことだと思いますが、現実は
とても難しいことを、これからどんな風に
んついています。つまり、それくらい夏で
で自然にできることだと思います。でも四
していけば、今までのような福島になれる
も水が冷たいということです。しかも、水
います。そして、私の家の水道や飯坂の祖
か、と考えるととても不安になります。
― ―
﹁福島を よ り 良 い 町 に ﹂
福島市立野田中学校
す。これは私の意見ですが、守られていな
私がなぜこの憲章にふれるかというと、
この憲章があまり守られていないからで
思います。
ょうという憲章についてもふれていこうと
じゃないかと思います。
めんなさい、ときちんと謝る事も大切なん
にしてもらったら、
ありがとうございます。
あふれる町になると思います。また、親切
に捨てる、絶対にポイ捨てをしないという
防ぐ方法はやはり一人一人がゴミをゴミ箱
きれいだとは言えません。このポイ捨てを
あります。このような事があっては福島が
どのポイ捨てを、私は何度か見かけた事が
まず、第一に考えられる原因の一つがポ
イ捨てです。ちょっとしたゴミやたばこな
ます。
たらもっと福島がきれいになるのかを考え
ではありません。そこで私はどのようにし
す。ですが、福島県の全てがきれいなわけ
私たちの住んでいる福島県は空も水もき
れいで、山に囲まれており風景もきれいで
いてふれていきます。
最後にもう一つだけ、親切で愛情あふれ
るまちをつくりましょう。という憲章につ
ら生活しましょう。
は間違った事をしていないかを確認しなが
す。自分は安全な事をしているのか、自分
注意をしながら生活をすればいいと思いま
を防ぐためには、
やはり一人一人が自覚し、
だ安全で健康なまちとは言えません。それ
そうになっていました。あれを見ては、ま
右側を走っていてお年よりの方にぶつかり
い た し、 自 転 車 に 乗 っ て い る 子 ど も 達 が、
私の通学路の道ぞいにある家のへいが、
何かがつっこんだようにボロボロになって
らは以上とさせていただきます。
ればならない所もあると思いますが、私か
思いました。ほかにも、もっと良くしなけ
分でも気をつけて生活しようとあらためて
た。私自身も、人の事ばかり言わずに、自
るまちをつくりましょう。にふれてみまし
をつくりましょう。と、親切で愛情あふれ
どもからおとしよりまで安全で健康なまち
などの感謝の言葉や、悪い事をしたら、ご
いこう景を見たこともあります。
意識を持たなければなりません。常に意識
渡 辺 怜 馬
を持って生活をすればポイ捨てなんかをし
これに関してはとても簡単です。この憲
章はもうみなさんが出来ている、あいさつ
92
さて、私は三つの憲章、空も水もきれい
なみどりのまちをつくりましょう。と、子
なくなると思います。
お互いとの親近感がわいて、とても愛情が
をするということです。あいさつをすれば
そしてもう一つ、私は、子どもからおと
しよりまで安全で健康なまちをつくりまし
― ―
﹁市民の 幸 せ ﹂
福島市立野田中学校
飛び出しなどの事故が増えているので少し
転 車 と の 事 故、 歩 行 者 と 自 転 車 と の 事 故、
次に、事故がない町になるといいと思い
ます。今は、車と歩行者との事故、車と自
と思いました。
り、事故もなくなり平和に暮らして行ける
がいつも気をつければ町にゴミもなくな
が気を付けなければいけません。一人一人
をする事が大切だと思います。しかし、ゴ
ミを捨てない。ゴミを見つけたら拾うなど
でも町にゴミを無くするためには、道にゴ
は町にゴミが無い方がいいと思いました。
しまったら大変だからです。なのでわたし
に気がつけずあやまって転んでけがをして
カンが落ちていたとします。歩行者はそれ
と、例えば、歩行者が道を歩いていてあき
ゴミが無かったら安心して暮らせると言う
例えば、町にゴミが無かったらみなさん
安心して暮らせると思いました。なぜ町に
か考えました。
わたしは、福島市のみなさんが幸せに暮
らせるようにするためにはどうすれば良い
て感じました。
して気をつけなければいけないとあらため
故が少しでも減るのならばわたしは、確認
左右を確認してから渡る事は、あたり前
の事かもしれませんが左右確認する事で事
につながると思いました。
右、左、左右を確認する事が事故を防ぐ事
自転車の方と同じく交差点で一度停まり
と思います。また、車の方も歩行者の方も
左右を確認してから渡るようにすればいい
自 転 車 の 方 は 交 差 点 で 一 度 停 ま り 右、 左、
ん幸せに暮らせると思います。事故を防ぐ
故がなくなれば、かなしむ事もなくみなさ
に は、 い ろ い ろ な 方 法 が あ る と 思 い ま す。
います。そのためには、みなさん一人一人
でも減ればいいと思っています。例えば最
ミを見つけても拾ってゴミを捨てると言う
悪、事故で人が亡くなってしまった場合そ
人 は 少 な い と 思 い ま す。 な の で わ た し は、
わたしは、みんさんが幸せに暮らせるよ
うになるためには、町にゴミなどが落ちて
丹 治 萌
一人一人がゴミを捨てないように気をつけ
いない事、事故がなくなる事が大切だと思
93
の家族はどれだけかなしむでしょうか。事
る事が一番大切だと思いました。
― ―
﹁私の住 ん で い る 町 ﹂
福島市立野田中学校
で私は﹁がんばろう、元気に過ごそう﹂と
い﹂など笑顔で元気にしゃべってくれるの
ばさんが﹁おはよう﹂や﹁いってらっしゃ
が、毎日中学校に行こうとすると近所のお
のためや福島のためにがんばりたいです。
あればボランティアとしてやり、みなさん
と良いのかなと思います。私も出来る事が
人一人が努力をして、福島のためにできる
いう気持ちにいつもさせてくれます。私は
自然や緑のために皆で力を合わせて出来る
ができました。私は福島のために、そして
る福島だということをあらためて知ること
も空気が良くて緑がキレイで、自慢ができ
良くないと思いましたが今となると、とて
放射能は体に良くないと聞き、私は自然が
ビックリしました。でも震災があったので
に来た時は、緑がキレイだし空気が良くて
林を見たことがなかったので三年生で福島
いです。私は東京にいたので緑の田畑や森
学校の前にある田畑の緑の葉がとてもきれ
森林がたくさんあり、そのなかでも私の中
私が住んでいる町には、すてきな自然が
たくさんあります。笹木野には緑の田畑や
私は、福島について考えてみると良い所
が多いことが分かりました。私はこの二つ
りたいです。
がんばろうという気持ちを忘れずにがんば
ができたのでどんどんしゃべって交流し、
れあい、話し合って楽しむことを知ること
私はこの地域、町に来てから色々な人とふ
れ る と、 う れ し い だ ろ う な と 思 い ま し た。
し、おもしろいので自分もそのように思わ
す。福島の方々は気軽にしゃべってくれる
んのように元気で笑顔を忘れずにしたいで
できると良いなと思います。私は、おばさ
のおばさん以外にも色々な方にあいさつが
に な り、
﹁おはようございます﹂など近所
近所のおばさんのおかげでがんばれるので
ことはないのかを考えて出来ることがあれ
の良い所以外もふり返りもっと良い所を見
穐 元 千紗叶
ばやりたいと思いました。
切な事を築いていけると良いと思うので一
ようと思いました。自然や親切さという大
94
私もあいさつをされる方ではなく、する方
次は地域のみなさんの親切さ、そして愛
情を持っている人が多いという事です。私
― ―
ない人も多いと思います。ですが、もしも
一つ目は、あいさつの大切さです。いつ
ものなにげないもので、大切とは思ってい
はいつもいくつかの事を考えています。
どの活動でよく見かけます。そんな時、僕
学校や駅などで、ポスターやちらし配りな
ら だ と 思 い ま す。 こ の よ う な 取 り く み は、
ちづくりをしようと考え、行動しているか
人一人が、少しでも親切で愛情あふれるま
さつが、毎日聞くことの要因、それは、一
ことがあるあいさつです。このようなあい
﹁ お は よ う ﹂﹁ 気 を 付 け て ね ﹂﹁ が ん ば っ
てね﹂僕が学校へ登下校する際に毎回聞く
今まで続けてこれなかったと思うからで
います。なぜかというと、そんな考えだと
せんが、そんな人はほんと一部だと僕は思
じゃないでしょうか。確かに自分だけのた
ったからこそ、一人一人が続けてこれたん
いと思います。ですが、この愛が今まであ
い い 事 だ。
﹂など思っている人も少なくな
三つ目は、なんといっても福島市への愛
で す。
﹁ そ ん な も の 関 係 な い。
﹂
﹁どうでも
切なんだと感じます。
るためにも、やはり人とのつながりは、大
てしまいます。こんなことがないようにす
も出歩くことのできないくらいまちになっ
このようなことでは、命の危険がありとて
人 と し て 助 け て く れ ず、 気 に も し ま せ ん。
りがなかったら、困っていたとしても誰一
のできる環境です。しかし、もしもつなが
二 つ 目 は、 人 と の つ な が り で す。 今 は、
どこへ行っても誰かに見ていてもらうこと
きましょう。
がら努力を続けていこうと思います。
ぜひ、
さつを誰よりも早くとどくように協力しな
もらえるように愛情がつまった笑顔であい
しい福島市をより良くしていこうと思って
その次の世代へと継いでいき、このすばら
あふれるまちづくり﹄を自分が次の世代、
こと、市民憲章の一つである﹃親切で愛情
この福島市を愛してもらうのはもちろんの
いさつをし、
僕のように多くのことを感じ、
桑 折 隼 斗
あいさつを通して福島市をより良くしてい
を感じているだけはやめ、今度は自分があ
あいさつがなかったら、とても静かで笑顔
す。どんなことでも、何か大切なものから
﹁あいさ つ か ら 始 ま る ま ち づ く り ﹂
も一つもないとても不安で悲しいまちにな
の愛があってこそではないかと僕は思いま
95
福島市立野田中学校
ってしまいます。あいさつがあるおかげで、
す。
いつもあいさつされるたびにこんなこと
めと考えてやっていた人もいるかもしれま
人と人とがつながりとても安心で楽しいま
ちになっているんだと感じます。
― ―
査地点を平均した値で評価したということ
おもな調査の内容は、生物化学的酸素要
求量の平均値を用い、河川ごとに全ての調
でした。
ると、全国百六十三河川のうち三河川だけ
いので、すごいことだと思いました。調べ
のは、つねに川がきれいではないととれな
一﹂にかがやきました。五年連続というも
荒川は、一級河川を対象にした、水質調
査 で、 五 年 連 続 で 水 質 ラ ン キ ン グ﹁ 日 本
です。
流れている河川の中の一つ、荒川について
いう内容を選び書きました。内容は、複数
ぼくは、福島市民憲章の﹁空も水もきれ
いなみどりのまちをつくりましょう。﹂と、
福島市立野田中学校
﹁日本に ほ こ れ る 荒 川 ﹂
で食糧を分け合うこともありました。
また、
でいいと思います。しん災のとき、みんな
るものではありません。いつでもおだやか
なで大切な川を守ろうという気持ちがなけ
福島の人もいい人だということも読み取
れるとぼくは感じました。なぜなら、みん
た。
は、荒川があるとじまんできると感じまし
の県などから思われていますが、福島市に
た。原発事故があり、放射能があると周り
も積もれば山となる﹂ほんとだと感じまし
を 結 び ま し た。 ぼ く は 思 い ま し た。
﹁ちり
ら続けられている住民の河川愛護活動が実
東日本大しん災と東京電力第一原発事故
発生もありたいへんでしたが、しん災前か
ずらしいということです。
に聞くと、すごくきれいな川に住むためめ
きるレベルと聞いておどろきました。父親
荒川の魚を調べると、八か所の調査地点
のうち七か所で、ヤマメやイワナが生息で
川だと改めて、感じました。
て生かしてください。
また、福島県の風評ひ害などのイメージ
を 少 な く す る チ ャ ン ス で も あ り ま す。﹁ 日
す。
荒川を観光の資源に生かせるよう、観光
課の方々ぜひがんばってほしいと思いま
して守っていきたいと思いました。
きかいがあれば、荒川の清そう活動に参加
水質につながっていると思います。ぼくも
これからも、地域の企業・団体、市によ
る環境保全活動も継続してほしいと思いま
ています。ぜひ食べてください。
と言われることが、喜びや生きがいになっ
しないとできません。そしてみんなに福島
本一﹂の荒川をぜひより良い観光の地とし
した。また、川を大切にする心が、良好な
の特産品を食べてほしい。それでおいしい
です。結果は、なんと水質分析の最小値と
寒暖の差がある所です。なので、にんたい
96
赤 井 成
なる〇・五ミリグラムになりました。ぼく
強いです。農産業は、暑さ、寒さをがまん
れ ば、
﹁日本一﹂というのはなかなかとれ
は、おどろきました。福島市にほこれる河
― ―
﹁福島市 を よ り よ い 町 に
福島市立野田中学校
するために﹂
箱に捨て、一人一人が気をつければ、福島
分の家に持ち帰り、きちんと分別してゴミ
良い所だと思います。
ちで、親切で愛情であふれていて、とても
問題点を少しずつ解決していけば、よりよ
市は、
もっときれいな町になると思います。
二つ目の﹁親切で愛情あふれるまちをつ
くりましょう﹂については、私が毎朝、学
いまちができると思います。これからもず
ポイ捨てをする人がいることや飼い主が
犬のフンをきちんと持って帰らないという
校に行く時におまわりさんや工事現場の人
っときれいな福島市であって欲しいです。
れしいので私は、知らない人でもすれちが
が﹁ お は よ う。 行 っ て ら っ し ゃ い。
﹂など
私は﹁空も水もきれいなみどりのまちを
つくりましょう﹂と﹁親切で愛情あふれる
ったら、なるべく自分から、
渡 辺 優
まちをつくりましょう﹂の二つのことにつ
あき缶、吸いガラなどが落ちていることが
くらいならいいや﹂と思う人がいてゴミや
し、私が公園や駅などに行くと﹁自分一人
をかく得出来たのだと私は思います。しか
環境が良く、おいしい水に恵まれ金賞受賞
賞を受賞しました。これは、福島市の自然
水が二〇一五年モンドセレクションで、金
一つ目の﹁空も水もきれいなみどりのま
ちをつくりましょう﹂については、福島の
あいさつをしてくれたり、子どもからおと
のように福島市は、知らない人でも笑顔で
﹁だいじょうぶですか?﹂
と聞いていたのを見たことがあります。こ
自転車から降りて、
また、おばあさんが何かにひっかかって
転んでしまい、
自転車で通りかかった人が、
らあいさつをするように心がけています。
さつが返ってきて、うれしいので、自分か
と笑顔であいさつをしてくれて、とてもう
いて考えました。
あります。また、歩いていると飼い主が犬
しよりまで親切で温かい心を持っている町
97
﹁おはようございます。
﹂
とあいさつをしています。そうするとあい
のフンを持ち帰らないことがあり、時々道
だと思います。
福島市は、空も水もきれいなみどりのま
路に犬のフンが落ちていることがありま
す。これからは、自分の出したゴミは、自
― ―
﹁うつく し ま 福 島 ﹂
福島市立野田中学校
大 内 由 華
私の住んでいる福島は、きれいがあふれ
ています。
という地道な努力をしていきたいです。
の題名にとてもふさわしい
﹁うつくしま福島﹂です。
こに生まれ育ったことに感謝し、市民憲章
福島はみんなが力を合わせて動かしてい
ます。
みんなが楽しく働くことができ、差別が
ないこの福島をずっと守り、さらにこれを
にあるように、環境を守り、人に優しく接
私は、この福島で生まれ育ったという事
を、とても誇りに思います。これからもこ
生かし、たくさんの人との交流も増やして
し、いつも朝早く起きて、健康活動にはげ
私が朝早くに学校に登校すると、通学路
を歩いているとき、元気のいいラジオ体操
いきたいです。
きれいな水でたくさんすくすくと育ってい
をしている声がどこからともなく聞こえて
んでいきたいです。
ます。私はその福島の自然がとても大好き
きます。私はそのときにいつも思います。
福島は、子どもからおとしよりまでみん
な健康で元気なまちです。
です。私は、これからもこの﹁うつくしま﹂
い人ばかりです。裏を返せば優しくない人
荷物を一緒に持ったりなど、とっても優し
る と 挨 拶 を 返 し て く れ ま す。 そ の 他 に も、
﹁うつくしま福島﹂です。
作文にもあるように、
ここまでたくさんの福島の事を話してき
ましたが、最後にもう一つあります。この
98
空は、絵の具で染めたように青で澄みき
っていて、水は透明感であふれ、みどりは
な福島の自然を守っていきたいです。
私も夏休みでもなるべく朝早く起きて、活
﹁みんなも健康で元気な体をつくるため
に 頑 張 っ て い る ん だ な ぁ。
﹂ と 思 い ま す。
福島は親切でたくさんの愛情であふれて
いるまちです。
なんていないということです。この親切で
最初に紹介したように、自然がうつくし
く、人の心がうつくしく、健康活動に積極
動したいです。
愛情あふれる福島を、さらによくできるよ
的に参加する人がたくさんいる福島は、こ
何かを落としたりするとすぐに拾って届
けてくれたり、知らない人でも、挨拶をす
うに、私も、困っている人がいたら助ける
― ―
﹁ふるさ と を 考 え て ﹂
福島市立野田中学校
また、福島のこれからを考えて、私が思
いうかべるのは、四年前の大震災と原発事
いこうと思います。
えるように、私にできることから実践して
です。それは、福島の発展に向けて努力し
故です。あの事故以来、福島は放射線量が
で す が、
﹁声をかけて良かった﹂と心から
福島で生活していく中で、私たちは何を
心がければ良いのでしょうか。
高いことで、
非難されることもありました。
ている人がいても、そのような考えがある
私は、この機会に初めて福島市民憲章に
ついて知り、これからの福島について考え
ですがそんなイメージを改善するために、
思いました。次に同じようなことがあった
ま し た。 こ の 五 つ の 憲 章 を 読 ん で み る と、
福島の復興に多くの人が関わっています。
と福島は良いまちへと変わらないと思うか
自分が体験したことを思い出し、心があた
私は全国の人に、安心して福島のおいしい
ときは迷わずに声をかけられるようにした
たかくなりました。
景色を観てほしいです。そう、福島市民の
らです。一人一人が少し考えることで、よ
去年の十二月ごろ、下校途中に前を歩い
ていたおじいさんが手袋を落としたことに
みんなが願っているはずです。
い で す。 こ の 経 験 か ら 私 は、
﹁人を思いや
気付きました。私はその時、﹁拾わなきゃ﹂
りよい福島を実現できるのです。
という気持ちの半面、﹁気付かないかな⋮﹂
私 が 普 段 生 活 し て い る 中 で、 福 島 に は、
あたたかいつながりがたくさん見られま
ること﹂はとても大切なことだと思いまし
とか﹁話しかけるのもこわいな⋮﹂という
す。おいしい食べ物や、美しい自然に恵ま
た。
気持ちがありました。私は勇気を出して、
たちが守り広げていくべきものだと思いま
齋 藤 遥 奈
﹁これ、落としましたよ。﹂
と声をかけました。するとおじいさんはニ
す。
れています。これが福島のよさであり、私
99
﹁福島はすばらしいまち﹂と言ってもら
えるように、そして私自身も胸を張って言
ッコリ笑って
私 は、 ゴ ミ の 放 置 や ポ イ 捨 て を、
﹁別に
い い や。
﹂という気持ちでしてほしくない
食べ物を食べてほしいです。福島の美しい
﹁ああ、ありがとう。﹂
と言ってくれました。とてもささいなこと
― ―
﹁福島市 民 の 安 全 と 健 康 ﹂
福島市立飯野中学校
せる工夫がいくつかあります。
らず、町の中にも市民が、健康安全に過ご
の行動だと思いました。そして、病院に限
いうことが、患者の安全、健康を守るため
転倒したりしないように歩くのを手伝うと
ブロックの上に物を置くことは、ないよう
人 に と っ て は、 と て も 不 便 だ と 思 う の で、
に物が置いてあるとブロックを使って歩く
ん。例えば点字ブロックは、ブロックの上
使えなくなったりしては意味がありませ
僕は、福島市民憲章作文コンクールがあ
ることを、国語の先生から聞いて初めて知
のブロックをたよりにして歩きますが、ブ
めにつくられたものです。不自由な人はこ
が憲章のことを理解し、生活に生かせれば
夫していることがわかりました。福島市民
福島市民憲章について考えてみて、
僕は、
町は市民が安全で健康に過ごせるように工
にしてもらいたいです。
りました。市民憲章の中でも僕は﹁子ども
ロックの上に自転車などの物があると、目
よいと思いました。
髙 橋 拳
からおとしよりまで安全で健康なまちをつ
や体が不自由な人にとっては、とても不便
一つ目は道の上にある点字ブロックで
す。点字ブロックは、目が不自由な人のた
く り ま し ょ う。﹂ と い う 憲 章 に つ い て 考 え
なので、ブロックの上には何も置かないよ
転倒したりしないように、トイレに一緒に
不自由な人は、看護師さんがサポートして、
た。他の患者も同じで、お年よりで、体が
に気をつかってくださったりしていまし
康を第一に考えてくださっていたり、体調
療することに関わった先生方が、自分の健
手術をする際には、担当の看護師さんや治
所で工夫がほどこされていることがわかり
このような点から、町全体は、市民が安
全で、健康に過ごせるように、町のいたる
音を聞いて道を横断することができます。
になっています。目が見えなくても、耳で
ないように青信号のときだけ音が出るよう
もし、赤信号でも横断歩道をわたろうとし
音の出る信号機です。これも、
二つ目は、
目が不自由な人のためにつくられていて、
100
てみようと思いました。
行き、患者をサポートしていました。病院
ました。ですが、安全、健康に過ごせてい
うにすることが必要です。
内の先生や看護師さんは、入院患者の健康
て も、 快 適 に 過 ご す た め の 物 が 壊 れ た り、
僕は、小学校高学年のとき、手術のため
医大に入院したことがあります。入院中や、
を朝と午後にチェックしたり、歩いていて
― ―
毎日心配していました。あの後原発事故で
いますが、四年前を思い出すと、こわくて
目となりました。今は、安心して生活して
きたいです。東日本大震災が起こって四年
それよりももっと多く木を自然に戻して行
なことを増やしていき、なくなった木の分
して行うことは良いと思います。このよう
木を植えることがあります。みんなで協力
かし、今はボランティアやイベントなどで
がなくなり地球温暖化につながります。し
す。このまま木を切り続けて行くと、自然
こは、みどりがなく、どこか寂しく見えま
伐採されている風景を時々見かけます。そ
ょう﹂です。外出しているとき、よく木が
私が福島市民憲章で心に残った文は、﹁空
も水もきれいなみどりのまちをつくりまし
ます。これからは、活気あふれるみどりが
し、自然も戻りきれいな県になったと思い
心配だったと思います。しかし今は、復興
原発事故やまた余震がくるんじゃないかと
光などで来る人は少なかったと思います。
他県の方々も四年前は、不安で、東北に観
の人々と協力したからこそだと思います。
して暮らしています。これは、周りの地域
地などを気にせずに、買うことができ安心
安心して食べることができます。食材も産
ました。今では、家で、育てた野菜も水も
って行き、外での活動もできるようになり
んでした。しかし、不安な生活が徐々に減
体育館でやり、あまり楽しいとは思えませ
遊んだり野外活動も減りました。
運動会は、
するようになりました。小学校でも、外で
も困難でした。心配で野菜の産地にも気に
と、すべて売り切れになっていて買うこと
でした。スーパーマーケットなどにも行く
不安で、安心して食べることができません
井戸の水だったので、汚染されていないか
も、野菜を育てていて水も水道水ではなく
のため大勢の人たちが困りました。私の家
力して過ごしたいです。
せるような町をつくれるようにみんなで協
思いました。そしてみんなが安心してくら
やしてみどりのきれいな町をつくりたいと
や花を植えたりして少しでも多く自然を増
ボランティアに参加したり、家の周りに木
した。だから、私も積極的に地域の行事や
考えて協力して生活していきたいと思いま
﹁自然豊 か な 町 に す る に は ﹂
放射能がもれ、海水が汚染され、周りの地
いっぱいの市になるよう、一人一人がよく
伊 藤 優
101
福島市立飯野中学校
域が帰るのに困難な地域になりました。そ
― ―
福島市立飯野中学校
﹁すてき な 市 に 、 な る た め に ﹂
ません。一人でも多く気づいてください。
も水もきれいなみどりのまち﹂は、つくれ
いです。それが分からなければ、この﹁空
いてない人に、もっと、もっと知ってほし
す。けれど、まだ自然のすばらしさに気づ
そんなすてきな市を目指し、これからも
がんばっていってほしいです。
になると思います。
らい美しくて、あったかくて、すてきな市
がなったらきっと、どの市にもまけないく
なことです。この五つの憲章のように福島
ン ク ー ル で は じ め て 知 り ま し た。 憲 章 は、
﹁ 福 島 市 民 憲 章 ﹂ を 知 ら な い 人 は、 多 い
のではないでしょうか。私も、この作文コ
した。私たちは、上を見れば、いつでも空
も見えない所があると聞いてびっくりしま
でしょうか。建物がならんでいる町は、空
髙 荒 愛 結
五 つ あ り、 中 で も 私 は、﹁ 空 も 水 も き れ い
が見えます。それがあたりまえです。けれ
私 が 住 ん で い る 飯 野 町 は、 川 も き れ い
で、木もたくさんあります。けれど、どう
なみどりのまちをつくりましょう﹂という
ど、そのことがあたりまえではなくなって
ぎ、すっきりします。自然には、きっとふ
んきこえてきて、つかれていた心もやすら
いで、心がおちつきます。虫の声もたくさ
くさんあり、川も流れていて、すごくきれ
たいです。
﹁空も水もきれいなみどり
な の で ぜ ひ、
のまちをつくりましょう﹂を知ってもらい
っと水を大切にしなければなりません。
ま た、 川 も 汚 染 さ れ、 魚 は い な く な り、
にごっている川のままでは、ダメです。も
102
のが、目にとまりました。
しぎな力があり、私たちを幸せにしてくれ
しまっている人がいるんです。
ると思います。自然を身近に感じることは
﹁福島市民憲章﹂を多く
そ の た め に も、
の人に知ってもらいたいです。このコンク
私は、小さいころからたまにキャンプを
しに行っています。キャンプ場は、木がた
大切だなと思いました。
ひ、増やしてほしいと思います。
﹁ 福 島 市 民 憲 章 ﹂ の 五 つ は、 ど れ も 大 切
ールのような、知ってもらえるきかいをぜ
﹁空も水もきれいなみどりのまちをつく
りましょう﹂は、すごくいいと思いました。
もうすでに、知っている人も多いと思いま
― ―
私は小さいころ道の段差につまずいて、転
け が を す る こ と は な い。﹂ と 思 い ま し た。
お と し よ り も、 小 さ な 子 ど も も、 転 ん で、
たところ、一つ目は、﹁段差を減らしたら、
ためにどんなことを、したらよいか、考え
福島市が﹁安全ではない﹂ということは
ありませんが、もっと安全に健康に暮らす
ことにしました。
ましょう﹂という憲章について考えてみる
おとしよりまで安全で健康なまちをつくり
私 は、﹁ 福 島 市 民 憲 章 ﹂ が あ る こ と を 初
めて知りました。その中でも﹁子どもから
なければ安全で健康なまちはつくれないと
今の中学生や学生がつぎつぎとやっていか
く っ た り し な け れ ば な り ま せ ん。 そ れ を、
子どもからおとしよりまで安全で健康な
まちにするために、改善したり、新しくつ
せると思います。
た親、散歩をする人など、みんな体を動か
を動かす公園ができれば、
肥満も改善され、
こで、もっとみんなが、のびのび遊べて体
のびのびと体を動かす必要があります。そ
り や す い の で、 肥 満 を 改 善 す る た め に は、
ュースを見ます。肥満はほかの病気にもな
福島県の子どもは今、肥満が多いというニ
﹁のびのびと遊べて体を動か
三 つ 目 は、
すことのできる公園をつくること﹂です。
ます。
ープをつくったら、安全に暮らせると思い
車いすに乗っている人は大変なので、スロ
こ と で す。 階 段 だ け だ と、 お と し よ り や、
いです。
るころには、もっといいまちができればい
んばろうと思いました。私たちが大人にな
をもっといいまちにできるように精一杯が
分のできることをコツコツとやって、まち
した。
﹁自分も福島市民だ。
﹂ということを
いろなことについて考えてみようと思いま
に、この憲章を、もっとよく知って、いろ
日 常 生 活 や、 ま ち が も っ と 良 く な る よ う
﹁市民が 安 全 で
んでしまったり、おとしよりがつまずくの
思います。だから、みんなで意見をだしあ
福島市立飯野中学校
髙 橋 瑞 希
私 は、 こ の﹁ 福 島 市 民 憲 章 ﹂ を 知 っ て、
忘れず、まちがもっとよくなるように、自
を見たことがあります。危険なので、その
って、福島市がもっといい市になればいい
103
健康に暮らすために﹂
段差を減らせば、転ばずにすごせると思い
と思います。
二 つ 目 は、﹁ ス ロ ー プ を つ く る ﹂ と い う
さらに、公園なので子どもといっしょに来
ます。
― ―
する時、道ばたにゴミが落ちているのを何
したりしてはいけません。私は学校に登校
震災だけではなく、福島のみどりを保つ
には道ばたにゴミを捨てたり、川の水を汚
い。このようなことを一人一人守っていけ
ちんとゴミ箱へ、道路や川にゴミを捨てな
心がけていかないといけません。ゴミはき
す。誰もが一人一人、みどりを保つために
最近の川は、
にごって茶色になっています。
度も見たことがあります。食べ物の袋やパ
ば、道路を汚したり川を汚したりすること
と、生えている雑草の量が多くなっている
ックが多く、道路が汚れてきたなくなって
が減ると思います。
と思いました。
福島県は四年前の東日本大震災で原発事
故がおきました。原子力発電所から、すご
しまいます。また、川にゴミを捨てる人も
私はこのようなことがあって、福島のみ
どりが少なくなってきているんだと思いま
い量の放射線が出て、福島県が汚染されま
います。川にゴミを捨てると、川全体が汚
これから、このようなことを心がけ、生
活すれば、きれいなみどりのまちをつくる
﹁みどり の 町 を 目 指 そ う ﹂
した。そのため、福島のみどりが汚れてし
れてしまいます。
震災があってから、外に出る人が減った
せ い か、 自 然 に 雑 草 が 増 え て い き ま し た。
で過ごしました。
た校庭でしたが、毎日休み時間も校舎の中
や木、虫など、楽しいことがたくさんあっ
始まり、遊べなくなりました。いろんな花
が、原発事故があってから、校庭の除染も
私はあの年、小学二年生でした。小学校
の校庭で毎日のびのびと、遊んでいました
らだと思います。誰だって、きたない川は
最近私はきれいな川をあまり見なくなり
ました。それは川を汚している人がいるか
めいわくをかけていることになります。
他の人も使っていると考えたら、他の人に
りません。みんなのものです。道路や川を
くなります。道路や川は一人のものではあ
なことをするだけで少しでも汚すことがな
なんて、とても簡単です。このような簡単
髙 橋 優 華
道には花といっしょに雑草が生えてきてい
とてもいやです。きれいな川の方が気持ち
104
福島市立飯野中学校
まったのです。また、川や海などにも放射
ました。雑草が生えていることは、おかし
が良いです。
普通だったら透明な川の水が、
ことができると思います。
線が入り、川・海も汚れてしまいました。
私はなぜ道路や川にゴミを捨てるのかな
と思いました。ゴミをゴミ箱に捨てること
い事ではありませんが、震災前から比べる
― ―
二つ目は、川を汚さないようにしたいか
らです。ぼくは、山木屋のころの水は、
もっと山に木を植えたいと思いました。
ばもっと緑が増えると思いました。
そこで、
と考えました。ぼくは、木を植えたりすれ
なあ。
﹂
にし、よりよい、環境を作っていきたいと
ことで、山木屋のような自然豊かな町にな
﹁山に木を植えて空気をきれい
ぼ く は、
にすること﹂と﹁川にすみを入れてきれい
ていきたいです。
から、川にすみを入れて、きれいな川にし
﹁美しい き れ い な 自 然 を 作 ろ う ﹂
廣 野 恭 平
﹁とてもつめたくて、おいしいなあ。
﹂
と思っていました。でも、現在、家の近く
思いました。
福島市立飯野中学校
ぼくが福島市民憲章で印象深かったこと
は、﹁ 空 も 水 も き れ い な み ど り の ま ち を つ
の川の水は、
とても汚いです。石などには、
ということです。ぼくは、山木屋は、ほと
﹁ な ぜ か、 山 木 屋 の 方 が 空 気 が お い し い
な。﹂
すると、ぼくが感じたことは、
区 域 に な っ て し ま い、 飯 野 町 に 来 ま し た。
災の原発事故の影きょうで、計画的ひなん
屋に住んでいました。でも、東日本大しん
ぼくは、小学校二年生まで、川俣町の山木
ろ う か と 思 い ま し た。 理 由 は、 テ レ ビ で、
に す る、
﹁ す み ﹂ を 川 に 入 れ て は、 ど う だ
しまいました。そこでぼくは、水をきれい
﹁ 洗 た く し て、 汚 れ た 水 が な が れ て る ん
じゃないかなあ。
﹂
とがあります。父に聞いてみると、
と雨が降っていないのに、にごっているこ
﹁なぜ今は、
水がとっても汚いのかなあ。
﹂
と思い考えました。ぼくがたまに川へ行く
ると思いました。これからは、自然を大切
な水にすること﹂を考えました。そうする
くりましょう﹂です。理由は二つあります。
れいとはいえません。ぼくは、
んどが自然にかこまれているから、空気が
サバイバル生活を見たときに、水をきれい
ぬるぬるしたものがついていてとても、き
一つ目は、空気がきれいになってほしい
からです。空気がきれいになるには、たく
とても、おいしいのかと思いました。ぼく
にして飲料水にするために、ろ過をしてい
105
さん、緑を増やすことが大切だと思います。
は、
て、すみが間にはいっていたからです。だ
と言っていました。ぼくは、びっくりして
﹁ じ ゃ あ、 ど う す れ ば、 緑 が 増 え る の か
― ―
﹁福島市 民 憲 章 を 知 っ て ﹂
福島市立飯野中学校
ていますし、とても感謝をしています。
を守ってくれていて、とてもすごいと思っ
だから、一日も早く、除せんをして、人が
い ま す が、 ま だ 帰 れ て い な い 人 達 が い て、
今では、少しずつではありますが、放射
能もうすまり、人も少しずつ戻ってきては
設置するなどの、おとしよりの安全や健康
このことは、老人ホームだけでなく、他
にも当たり前のようになっている場所があ
きれいな空気を吸えて、安全に過ごせるよ
例えば、小学校や中学校でも、階段にす
べり止めがついていたり、熱中症にならな
これからもこれらを混ぜた、福島市民憲
章を知らない人に知ってもらえたらな、と
まだ県外に避難をしている人達もいます。
ります。
私は、福島市民憲章の中で印象に残った
ものが二つあります。一つは﹁子どもから
いように扇風機、寒いときにストーブが設
思います。
安 部 夢 彩
おとしよりまで安全で健康なまちをつくり
置されます。そして、栄養のよい、給食が
だな、ということがわかりました。それで
んと一人一人の健康状態に合わせているの
ーが少し違うことがあって、それで、ちゃ
です。そのときに、他の人の食事とメニュ
きは、だいたい夕ご飯の時間帯に近いとき
の人達のおかげです。いつも、顔を出すと
母が元気に過ごせているのは、老人ホーム
ました。
夢だったらいいのに、と思って過ごしてい
っ て し ま い、 幼 か っ た 私 は、 何 も で き ず、
東 日 本 大 震 災 か ら、 四 年 が た ち ま し た。
この震災は私が、小学二年生のときに起こ
です。
﹁空も水も
二 つ 目 に 印 象 に 残 っ た の は、
きれいなみどりのまちをつくりましょう。﹂
うな日が来てほしいと思います。
ましょう。﹂です。
いて、栄養のバランスなども考えて作って
原子力発電所が、津波におそわれ、放射
能が出て、その近くの人達は、避難をして、
出ます。これらも、私達小・中学生の安全
で健康に過ごせる理由です。
いるのだからすごい、と思いました。そし
今も自分達の町や家に帰ることができてい
106
私には、老人ホームにいる祖母がいます。
中学生になってから、たまにしか顔を見れ
て、 歩 き や す い よ う に、 転 ば な い よ う に、
ません。
ていませんが、元気な様子でした。その祖
階段ではなく、スロープやエレベーターを
― ―
ま た 緑 と い う 色 は、 落 ち 着 く 色 な の で、
緑 が た く さ ん あ る と 心 が 落 ち 着 い て、﹁ 豊
いことだと思います。
みどりのあるまちをつくるのは、とてもい
空 気、 草、 花、 木 な ど の 自 然 を 大 切 に し、
なくなってしまいます。だから私は、空や
います。それが進むと人間は、地球に住め
地球温暖化などの環境破壊が問題になって
ましょう﹂です。今、世界中で大気汚染や
私が、この中で一番大切だと思う憲章は、
﹁空も水もきれいなみどりのまちをつくり
い、とてもうれしかったです。
私は、福島市民憲章を初めて知りました。
福島市にもこういうものがあるんだなと思
などの自然をこれからも、ずっと遠い先の
私たちの友達ともいえる、空や水、みどり
考えられます。それだけ私たちは、自然と
然を地元の産業に生かす工夫をしていると
の人々は、自然を大切にし、その大切な自
さらに、福島市は桃や林檎などの果物が
たくさんとれます。このことからも福島市
ブルの場合もそうだと考えます。
トだけでなく、普段身の回りで起こるトラ
大切だと思います。またこのことは、ネッ
ている現実に冷静な態度で向き合うことが
た人も、一度心を落ち着かせて、今起こっ
人も、トラブルを起こした人も巻き込まれ
だと思います。いじめた人もいじめられた
際に人に会って話をしたりすることも大切
自然を感じ、心を落ち着かせてみたり、実
いですが、そればかりではなく、外に出て
ちになります。私は、ネットをするのもい
と言われているようで、とても悲しい気持
いと思います。
ということに誇りを持ち、生活していきた
ます。これからも、自分が福島市民である
えることができて、とてもよかったと思い
島市民憲章を知って、いろいろなことを考
にがんばりたいです。また私は、今回、福
聞かせ、次の次の世代まで伝えられるよう
度は、自分の子供や孫、親戚などに話して
をはじめとした五つの憲章を心に刻み、今
きれいなみどりのまちをつくりましょう﹂
私は、福島市民憲章を初めて知りました
が、これを機に今回私が選んだ﹁空も水も
私たちが、他人を思いやる心が育ってない
かな優しい心﹂を育むことができると思い
未来で生きている人たちに届けるつもりで
﹁優しい 心 と 誇 り を 持 っ て ﹂
ます。最近は、ネットでのいじめやトラブ
大切に守り、みどりのまちをつくっていく
紺 野 永 莉
107
福島市立飯野中学校
ル、争いなどが多く、ニュースなどテレビ
とよいと思います。
共に生活してきたというわけです。
だから、
で も 見 か け る よ う に な り ま し た。 そ れ は、
― ―
ると、とても心がやすらぎ、気持ちがいい
緑に囲まれて育ちました。緑に囲まれてい
がとても緑豊かだからです。小さい頃から、
ょ う。﹂ に つ い て は、 私 が 住 ん で い る 地 域
も水もきれいなみどりのまちをつくりまし
まず、私がどうしてこの文章に心ひかれ
た の か を 説 明 し ま す。 一 つ 目 の 文 章、﹁ 空
の文章です。
れ る ま ち を つ く り ま し ょ う。﹂ と い う 二 つ
を つ く り ま し ょ う。﹂ と﹁ 親 切 で 愛 情 あ ふ
私が、この福島市民憲章の中で心に響い
た の は、﹁ 空 も 水 も き れ い な み ど り の ま ち
分かりました。
するために制定されたものだということが
し、説明を読むと、福島を住みよいまちに
私 は、﹁ 福 島 市 民 憲 章 ﹂ と 聞 い た と き、
この言葉の意味を知りませんでした。しか
福島市立飯野中学校
﹁住みよ い ま ち づ く り の た め に ﹂
だと感じました。このように一人一人が思
でも親切な心を持って行動することが大切
思うので、私は、どんなに小さなことから
心は人から人へとつながっていくものだと
あげたいと思います。このように、親切な
から、困っている人がもし、いたら助けて
私は、とても良い気持ちになりました。だ
ったと思います。そんな親切をしてもらい
るとうれしそうにしてくれていたので良か
精いっぱいでしたが、私達があいさつをす
持ちを込めて元気にあいさつをすることが
た。私は、その見守り隊の方々に感謝の気
雪が降っているときも来てくれていまし
が増えていることもあって、毎日毎日雨や
です。近年、小学生の登下校中の車の事故
に遭わないように見守っていてくれたこと
私が小学生の頃の登下校のときに交通事故
心に響いたのだと思います。
その親切とは、
てもらいとてもうれしかった経験から私の
については、私の住むまちの人に親切をし
切で愛情あふれるまちをつくりましょう。﹂
がると思ったからです。二つ目の文章、﹁親
豊かになれば、住みよいまちづくりにつな
と思います。だから、福島全体がもっと緑
す。
は、これからがんばっていきたいと思いま
が大切だと思うので、その一人目として私
このように、まち全体で一人一人がより
よいまちづくりのために意識していくこと
移せたらと思います。
今まで助けてくれた方々を思い出し行動に
ら動くのは難しいことです。
そんなときは、
二つ目は、困っている人がいたら助けて
あげることです。しかし、なかなか自分か
思います。
でもまちがきれいになっていったら良いと
たりすることです。このことにより、少し
一つ目は、まちのごみ拾いなどのボラン
ティアに参加したり、個人的にごみを拾っ
ます。
次に、よりよいまちをつくるために、私
が行動していこうと思うことは、二つあり
も良いまちになると思います。
うことで福島は親切や愛情があふれるとて
108
齋 藤 愛 莉
です。空気もおいしくて、住みよいまちだ
― ―
ます。
い時があるので、これからはいつも元気に
小さい子が、
お店の商品を落とした時に
﹁大
た り、 荷 物 を 持 っ て く れ た り し て い ま す。
お店の店員さんは、お歳寄りの人には聞
こえやすいように近くでゆっくりしゃべっ
けしに来てくださいます。
野菜や、買ってきた果物などを、おすそ分
れたらいいなと思います。
人達が増え、親切で愛情あふれる町をつく
あいさつをしてくれる人や止まっていて
くれる人達のような大人になり、そういう
頭を下げられるようにしたいです。
止まっていてくださった車には、しっか
りと止まり感謝の気持ちが伝わるように、
あいさつをしたいです。
毎日、登下校の時に﹁おはよう。﹂や﹁お
か え り。﹂ と 声 を か け て く だ さ る 人 達 が い
丈 夫 で す よ。
﹂と言って直してくれている
おばあちゃんの家に泊まっている時、近
所のおばちゃんが、自分の家で作っている
ます。だから、私も﹁おはようございます。﹂
のを見たことがあります。
﹁福島市 は 親 切 な 心 と
や﹁ た だ い ま。﹂ な ど と あ い さ つ を 返 し て
福島市立飯野中学校
ょうを守っているから、このような親切な
佐 藤 凜 花
横断歩道をわたる時に曲がる車が止まっ
ていてくださいます。だから、感謝の気持
ことや愛情のある行動はできているのかな
走っている車がおそい時に左側に寄ってく
を下げたりしてお礼をしてくれます。前を
ていると、すれ違う時に手をあげたり、頭
うなことをすれば、福島市は、親切な人と
すことが大切なのではないのかな、このよ
れたら、同じくらい、それ以上の愛情で返
必ずお礼をする、
親切なことをされたら、
あいさつなど愛情がこもっていることをさ
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愛情であふれてる﹂
います。
福島市民憲章にある、
このようなことは、
一、親切で愛情あふれるまちをつくりまし
ちをこめて、しっかりおじぎをしています。
ださったり、広い所で止まってくださった
愛情で、いっぱいになると思います。
と私は思います。
りして、私達を先に行かせてくださいます。
元気よくあいさつをしてくださる人に、
私は元気よくあいさつをすることができな
車に乗っている時に、狭い道で相手の車
が待っていてくださったり、私達が止まっ
私達が外で遊んでいる時に、近所のおじ
ちゃんがお菓子やアイスを持ってきてくれ
― ―