第 回IPPNW世界大会(バーゼル大会)開催される

( )
年(平成
年) 月
日
広島県医師会速報(第
号)
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
「第 回IPPNW世界大会(バーゼル大会)開催される」
前 編 ―
年後の第
回世界大会の広島開催が決定―
広島県医師会常任理事 I
PPNW国際副評議員 柳 田 実 郎
第 回I
PPNW(I
nt
er
nat
i
onalPhysi
ci
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ort
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event
i
onofNucl
earWar
:核戦争防止
国際医師会議)世界大会が、 月 日晶から 日掌までの 日間、スイス支部の主催により、
バーゼル大学で「核兵器廃絶:未来のために」と題して盛大に開催された。 ヵ国から
名の医学生を含む 名余りが参加し、エフゲニー・チャゾフ共同創始者の講演や、バーナー
ド・ラウン共同創始者のネット中継によるスピーチもあり、 ヵ国の駐スイス大使の講演な
ど、内容に富む報告と熱心な討議が行われた。北アジア地域からも、KAWPP(北朝鮮支部)
、
MPPNW(モンゴル支部)の参加があり、J
PPNW(日本支部)からも、学生 名を含む 名
(うち広島から 名)が参加した。
今回の大会に先立って、J
PPNW は次回の第 回 I
PPNW 世界大会の広島開催に立候補して
いたが、 日の理事会で承認され、 日の国際評議員会で決定された。会期は、
年 月
日晶~ 日掌であり(学生会議は同月 日昌~ 日昭)、
年の第 回世界大会(広島・
長崎大会)と同様に、広島国際会議場を主会場とすることとなっている。
会議は、本年 月にニューヨークで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議や、
I
PPNW のメインテーマである I
CAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などを中心に、核保有
国における核軍縮、核兵器を持とうとしている国々、ヨーロッパ非核兵器地帯の可能性、大
気圏核実験が残した放射能汚染など、幅広い問題について発表・討論が行われた。
今大会には碓井 J
PPNW 支部長(北アジア地域代表副会長)の参加がかなわなかったため、
全体会議では、松村誠支部長代理が、秋葉広島市長のメッセージを読み上げた。北アジア地
域会議では、碓井支部長が引き続き北アジア地域代表副会長に推薦され、国際評議員会で承
認された。
大会期間中には、KAWPPと J
PPNW との会談も行われ、本年実現しなかった広島県医師
会による北朝鮮被爆者健診を、状況が許せば来春にも行いたい旨合意された。
また、被爆の惨状や放射線の後障害に関する 枚余りのポスターによる被爆展を行い、ア
ニメ・ジュノーの上映も行われた。
月 日昌と 日昭の両日には学生会議が行われ、J
PPNW の学生も積極的に参加した。
本編では、 月 日と 日について報告する。
空路バーゼルへ
J
PPNWからの参加者のうち、 月 日昌と
日昭の学生会議に参加するため早く出発した
学生 名を除く大部分の参加者が 日に成田を
発ち、パリ経由でバーゼル空港に到着した。
ネット上の週間予報では、この日は雨がちで最
高気温 ℃とのことであったが、実際は良く晴
れていて、翌 日の最高気温は ℃であった。
バーゼルは、ドイツとフランスの国境に接し
ており、街の中央をライン河が流れる。人口は
万人余りで、スイスの大半を占めるドイツ語
圏に属し、主要産業はノバルティス(チバ+サ
ンド)やホフマン・ラ・ロッシュなどの製薬
メーカーである。トラム(路面電車)やバスな
どの公共交通機関が発達しており、自転車の利
用者も多く、車が少ない印象の、閑静でエコロ
ジカルな街である。
また、大会会場のバーゼル大学は、
年開
学というスイス最古の大学の一つであり、卒業
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
広島県医師会速報(第
生に心理学者のユングがおり、ニーチェ、ベル
ヌーイ、ヤスパースなど、聞き覚えのある教授
陣が名を連ねていた。今大会期間中は、バーゼ
ル SBB(スイス国営鉄道)駅近くのホテルか
ら、トラムを乗り継いで、バーゼル大学との間
を毎日往復した。ちなみに、ドイツから乗り入
れの列車は SBB駅に着くが、フランス駅はバー
ゼル市内の別の場所にある。
ところで、バーゼル空港に着いた直後、小さ
なハプニングが起こった。航空券の手配などを
依頼した旅行代理店の話では、現地駐在員がバ
スをチャーターして空港まで出迎えているはず
であった。しかしながら、出口でいくら待って
も日本人らしい人はやってこず、 名以上が長
い間待ちぼうけを食らった。しばらくして、く
だんの駐在員と電話連絡が取れ、あちらも出口
の前で長時間待っているという。よく聞いてみ
ると、われわれが待っていたのはフランス側の
出口であって、スイス入国用の出口は別にある
ことが判明した。狭い通路を通ってスイス側出
口にでると、駐在員が待っていた。
実はバーゼル空港は、フランスのミュルーズ
市にあり、スイス国境からは 灼離れている。
ドイツのフライブルク市にも近く、ユーロエア
ポートと呼ばれており、別名がバーゼル・ミュ
ルーズ・フライブルク空港なのである。しかし
ながら、EUとスイスとの間に協定があるため、
国境の通過は自由であった。
号)
年(平成
年) 月
日( )
理事会(第 回)
:旧役員による理事会
午前 時から旧理事(out
goi
ngboar
dmem
be
r
)による理事会(I
PPNW の執行部)が行わ
れ、オブザーバー参加をした。I
PPNW の役員
の任期は、共同会長を含め、世界大会から次の
世界大会までの 年間を 期とし、連続では
期 年までと定款で定められている。すなわち、
役員の約半数は、この日で任期切れとなるので
ある。
まず、ビョーン・ヒルト理事会議長(ノル
ウェー支部)とアイラ・ヘルファンド財務担当
理事(米国支部)から、
会計年度(
年
月~
年 月)の会計報告が行われた。
「収入は約 万ドル( 千万円弱)と往時の 分
の 程度に減少しており、相変わらずの緊縮財
政ではあるが、スイス支部やドイツ支部など複
数の支部からの寄付もあり、何とか小額の赤字
で済んだと報告され、承認された。ちなみに、
往時には 人いて、 年前の大会の時にも 人
いた本部職員が、現在は 人にまで減っていた。
また本部オフィスも、賃貸料削減のため、狭い
ところに引っ越していた。
次に、定款で年 回以上と定められている本
部理事会を、年 回以上に変更したりなどの、
定款改正が提案され、承認された。
旧理事会
バーゼル大学外観
月
日㈭
月 日は、学生会議 日目が行われ、大会
前会議として「ウラン採掘と先住民」ならびに
「PTSD(心的外傷後ストレス障害)
」の つの
セッションが同時並行で終日行われていたが、
さらに大会前の理事会と国際評議員会も開催さ
れ、理事会・国際評議員会に参加した。
支部の加入と廃止
続いて、新たな支部の候補として、イラン支
部の代表がスピーチを行い、新支部として承認
された。定款によりイラン支部は、ひとまず暫
定的な支部(候補)となり、次回の世界大会で
正式に支部として認められる(a
f
f
i
l
i
a
t
i
o
n)こと
になる。
さらに、過去数年にわたって活動実績がなく
本部会費も納入していない支部の廃止(di
s
af
( )
年(平成
年) 月
日
広島県医師会速報(第
f
i
l
i
a
t
i
o
n)について討議された。I
PPNW には現
在 の支部があるが、そのうち 支部が休眠状
態とされており、北アジア地域では韓国支部が
これに入っている。これらの支部の内、定款に
よってコスタリカ、ルーマニア、ウルグアイの
支部が、支部廃止の候補とされていた。コス
タリカは世界で唯一軍隊を持たない国であり、
その存在意義から片岡勝子 J
PPNW 事務総長も
反対意見を述べ、他の ヵ国についても反対意
見がでた。しかしながら、大会前よりこの支部
廃止に強く反対していたアントニオ・ジャーキ
ン・ラテンアメリカ地域代表副会長(ニカラグ
ア支部)が、この理事会に間に合わず、強い反
対意見が出なかったため、議決により過半数で
支部の廃止が承認された。
韓国支部に対しては、J
PPNW は何度も世界
大会への参加や本部会費納入について要望して
きたが、今のところ音沙汰がない。しかしなが
ら、別の団体などを探してでも、活動的な韓国
支部にしないと、いずれ支部廃止の憂き目に会
い、北アジア地域は 支部減ることになる。中
国支部も活動が低下しており、あまりに支部数
が 減 る と、東 南 ア ジ ア・パ シ フ ィ ッ ク 地 域
(フィリピン、マレーシア、オーストラリア、
ニュージーランド)か南アジア地域(インド、
パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、ネ
パール)に合併(吸収)されることになる可能
性もあり、真摯に受け止めるべき問題である。
次期世界大会の広島開催を承認
次にヒルト議長から、
年の次期世界大会
開催に J
PPNW が立候補している旨の説明があ
り、これを受けて、今大会に参加がかなわな
かった碓井支部長による「広島は
年の世界
大会の開催地に立候補する。
年に広島・長
崎で行われた第 回世界大会からすでに 年以
上が経過し、オバマ大統領の登場などで核兵器
廃絶の気運も高まっている時に、再び広島に集
結して核兵器廃絶について討論することは、大
変意義深いと考える。会場は第 回大会と同じ
広島国際会議場、会期は
年 月 日~ 日
を考えている」という立候補の趣意書(別掲 )
を松村先生が代読し、満場の拍手で承認された。
この次期世界大会の開催については、他に立
候補はなかったが、それには裏話があった。す
なわち、今回の第 回世界大会開催がスイス支
部に決定された前回大会の折、ロシア支部も立
候補して敗れた経緯があった。ゆえに、ロシア
号)
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
支部の指導者のセルゲイ・コレスニコフ共同会
長と旧知の仲である碓井支部長が、
「次回の大会
は広島でさせて欲しい」と根回しを行い、
「ロシ
ア支部は広島開催を支持する」との言質を、コ
レスニコフ共同会長から取り付けていたのであ
る。またこれには、前回大会でコレスニコフ氏
が共同会長に選ばれた際、
「I
PPNW の創設当初
の理念に立ち戻って、ロシアの代表を共同会長
に加えるべきだ」という J
PPNW の応援演説の
記憶が、功を奏したのかもしれない。
活動報告
次に活動報告が行われた。まず、イメ・ジョ
ン共同会長(ナイジェリア支部)から、小型武
器に関するプログラム「予防を目指して」につ
いて、広報用のビデオ「一発の銃弾の物語」や
キャッチフレーズ「銃は健康に悪い」などを用
いた活動と、資金集めの困難さについて報告が
あり、数名の理事から意見が述べられた後、バ
プー・タイパレ共同会長(フィンランド支部)
から、
「WHOとの連携が密になって、さらに有
意義になっている」との追加発言があった。
次に、ウェンジン・タオ学生代表(スウェー
デン支部)から、学生会議の報告として、各地
域の学生の活動や、NWI
P(Nucl
earWeapon
I
nher
i
t
ancePr
ogr
am:核兵器という負の遺産
を受け継いだ若者としてなすべき活動)や Ta
r
ge
tX(広場や道路に大きなXを書き、ここに原
爆が落とされたらどうなるか?と通行人にたず
ねるという活動)などについて説明があり、学
生会議で問題となった「学生がメディカルス
クールを卒業しても、学生部会への所属や学生
代表を継続できるように、定款を変えて欲しい」
という要望が述べられた。これに対してヒルト
議長から、国際評議員会で議決されれば、次の
世界大会から定款の変更が発効するとの説明が
あった。
続 い て テ ィ ル マ ン・ラ フ 全 地 域 代 表 理 事
(オーストラリア支部)から、I
PPNW のメイン
テーマである I
CAN(核兵器廃絶国際キャン
ペーン)の進捗状況について、NWC(核兵器禁
止条約)の提案が NPT(核不拡散条約)再検討
会議に対して強い影響力を発揮したことや、赤
十字国際委員会との協力体制などについて報告
があった。
以上の議事が終了の後、今回で任期満了とな
るイメ・ジョン共同会長から、これまでの協力
に対する感謝の言葉があり、ヒルト議長から理
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
広島県医師会速報(第
事会を代表して 年間の労に対するお礼が述べ
られ、満場の拍手が鳴り止まなかった。
月では学生会議ができない
昼休憩の時間帯に、ロビーを歩き回っている
と、広島の学生さんたちに呼び止められた。
「
年の広島大会は 月になる」との情報が、
タオ学生代表から速やかに学生会議に伝えられ
たらしく、
「 月は、実習や試験が多く、どこの
国の学生も参加しにくい」と、会期に関する強
い反対意見がもたらされた。タオ代表に直接話
をしたが、やはり同じ答えであった。
現在I
PPNWは、次の世代である医学生の活動
を、最重要事項の一つに据えている。ゆえに急
遽、広島県医師会に連絡を取り、世界中の医学
生が夏休みとなる 月後半~ 月末の間で会場
が確保できないかの検討を依頼した。
国際評議員会(第
回)
午後 時 分から、本会議前の国際評議員会
(I
PPNWの議決機関)が開催され、調漸国際評
議員(長崎県支部)とともに出席した。
最初に、ハーマン・スパニヤード国際評議員
会議長(オランダ支部)から、開会の挨拶が述
べられ、各議題が提案され議事に入った。
まず、ヘルファンド理事から、
会計年度
の収支報告が、理事会と同様に行われ、承認さ
れた。
次に、イランの代表が新支部としての抱負と
活動計画について述べ、I
PPNW への加入が承
認された。
続いてヒルト理事会議長から、 支部の廃止
について提案がなされた。しかしながら、国際
評議員会には間に合ったジャーキン・ラテンア
メリカ代表副会長から、
「それでなくても支部の
少ないラテンアメリカからコスタリカ支部とウ
ルグアイ支部を廃止すると、ますます萎縮して
しまう」との反対意見が述べられ、ルーマニア
についても反対意見が出された。支部の廃止は
重要案件であるため、国際評議員会で 分の
以上の賛成がなければ成立しない。結局 分の
の賛成が得られず、理事会での承認事項は国
際評議員会で否決された。
引き続きラフ理事とジョン・ロレッツ本部プ
ログラム部長から、
「I
CAN はヘルシンキ大会の
時に I
PPNW のプロジェクトになり、核兵器廃
絶は緊急で必須で実現可能であるとの考えの下、
号)
年(平成
年) 月
日( )
『ゼロが唯一の選択』をキャッチフレーズに進
めている」などの報告があった。
次に、ジョン共同会長、ロバート・ムトン
ガ・ザンビア支部長とマリア・ヴァレンティ本
部プログラム担当から、
「予防を目指して」につ
いて報告された。
続いて、タオ学生代表とアギエノ・エハシ学
生代表(ナイジェリア支部)から、各地域の学
生の活動について報告があった。
引き続き、マリア・カッツ女史(英国支部)
が「医療:紛争と生存」という本を示しながら、
英国支部の活動について報告した。
会長選挙など
次は会長選挙となった。現在の 名の共同会
長のうち、ジョン共同会長は 期 年過ぎたた
め任期満了となり、代わりにムトンガ支部長が
立候補していた。また、タイパレ共同会長とコ
レスニコフ共同会長は 期目のため、引き続き
立候補していた。
まず会長の人数を、 人、 人、 人から選
ぶことに関して、 人と 人を支持する意見が
それぞれ述べられた後投票となった。結局 名
の共同会長と決まったため、 名の候補者が自
動的に当選となった。 名とは、西・東・南の
各代表を意味する。
続いて、ジタ・マコイ・ハンガリー支部長か
らプログラム委員会の報告があった後、ヘル
ムート・レーラー国際評議員(ドイツ支部)か
ら決議案作成委員会の報告があり、本会議前の
国際評議員会は終了した。
学生会議とバイク・ツアー
ところで、 日昌と 日昭には、同じバーゼ
ル大学で学生会議が行われ、I
PPNW のメン
バーがアドバイザーを務めながら、学生中心で
全体会議やワークショップが行われた。 ヵ国
から約
名の学生が集まり、J
PPNW からは、
広島 名と長崎 名の合計 名が参加し、積極
的に討論を行った。この詳細については、後日
学生代表から当速報に報告がなされるので、お
待ちいただきたい。
なお、学生会議に先立って、アレックス・
ローゼン元学生代表やドイツ学生を中心とする
名が、ジュッセルドルフ(ドイツ)からバー
ゼルまでの
キロをバイク(自転車)で走り、
道すがら「核兵器をなくそう」と訴えるバイ
( )
年(平成
年) 月
日
広島県医師会速報(第
ク・ツアーを行っていた。
このバイク・ツアーは、ヨーロッパでの世界
大会などでは毎回行われてきたイベントである。
茅野龍馬前北アジア地域学生代表は、
「 年後の
広島大会では、長崎から広島までのバイク・ツ
アーを企画したい」と、後日筆者に希望を語っ
た。是非とも実現したいイベントではあるが、
月末という猛暑の季節であり、日本、インド、
アフリカの学生ならまだしも、ヨーロッパやア
メリカの学生が、本年なみの猛暑に出くわすと、
死人が出るかもしれない。途中は船にしたらど
うか?などの案も、学生たちの中から聞かれた。
号)
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
れていないようにも思われる。J
PPNW は、こ
の科学的な側面を周知する努力を続けており、
ちなみに前回のインド大会では、鎌田七男広島
原爆被爆者援護事業団理事長による OneDay
I
nHi
r
os
hi
ma(「広島のおばあちゃん」の英訳
本)の図表を使わせていただいた。
被爆ポスター展
日の終日、筆者が松村先生、片岡先生、向
井みどり広島県医師会事務局長とともに理事会
と国際評議員会に出ている間に、県医師会事務
局の坂口晃治課長と上河内和子さんは、被爆ポ
スター展とアニメ・ジュノー上映の準備に大わ
らわであった。
被爆写真展(ポスター展)は、世界大会や地
域会議で繰り返し行ってきた。毎回展示内容を
変えるように努力しているが、今回は 群のポ
スターを展示した。一つは、広島平和記念資料
館/平和文化センターによる 枚の被爆展用ポ
スターで、主として被爆の惨状や非人道性を訴
えることが目的であった。
もう一つは、放射線影響研究所(放影研)に
よる原爆放射線障害に関する研究成果のまとめ
(人体への放射線後障害が主)である「放影研要
覧(日本語・英語併記)」の抜粋であった。本来
PDFファイルである同要覧の中から、必要な
図表を選択し、児玉和紀放影研主任研究員にお
願いして、図表から日本語を抜いていただき、
英文の本文はスキャナーで取り込んで修正し、
枚のポスターにまとめ、大久保利晃放影研理
事長に確認いただいたものを印刷した。 I
PPNW は本来、「被爆の現実を最も知る医師
が、その知識を政治家や一般市民に知らしめる
ことで、核戦争を防止し、核兵器を廃絶しよう」
という団体であり、被爆直後の惨状のみならず、
発癌や白血病などをはじめとする急性・慢性の
放射線障害についても、深く知らなければなら
ないと考える。しかしながら現実は、被爆の非
人道性というと、被爆直後の廃墟となった広
島・長崎の光景など、大量殺戮兵器としての情
緒的な側面が強調され、他の兵器と根本的に異
なる放射線被曝に関する科学的な側面が省みら
ポスター展会場
インド人は油断ならない
ところで、大会会場はバーゼル大学の校舎の
一つが使われ、 階(日本の 階)には広いロ
ビーと千人くらい収容可能な講堂が、 階(日
本の 階)以上には各々 余りの教室があり、
ロビーが受付と昼食会場に、講堂が全体会議に、
階の教室が学生会議とワークショップに使わ
れていた。
この 階の教室の一つがJ
PPNWに割り当てら
れており、外の廊下には、ポスター展示用の大
きく分厚いパネル 数枚とそれを立てるための
金属の枠(脚)が同数分置かれていた。教室で
あるため、室内には多数の机や椅子が並んでお
り、これがまた重い。坂口・上河内の両職員は、
まず教室から全ての机と椅子を廊下に運び出し、
重いパネルを立てて金属の枠を取り付けるとい
う力仕事を続けていた。
するとそこにインド人(坂口課長いわく:正
しくはインド支部の会員)がやってきて、
「これ
は何か?」と聞いてくる。やむなく上河内さん
が展示の内容などを説明し、坂口課長がひとり
で力仕事をするというはめになった。それでも
何とかパネルはできあがり、ポスターを貼って
いると、またインド人がやってきて、ここは自
分たちの部屋だと主張する。
近くに大会運営の事務局スタッフがいないた
め、何とか探し出して聞いてみると、J
PPNW
用の部屋は、今セットアップした 階の教室か
ら、少し広めの 階の教室に変更したとのこと
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
広島県医師会速報(第
であった。やむなく部屋替えとなるも、組み立
てたパネルは大きく重いため、 階には運べな
い。パネルからポスターをはがし、折角組み立
てたパネルをインド人に譲り、 階の教室に移
動し、机と椅子を運び出し、パネルを組み立て、
ポスターを貼り、アニメ上映の観客用の椅子を
部屋の中央に並べ…と同じことを繰り返してい
た。するとまたインド人がやってきて、ポス
ターの内容を説明せよと邪魔をする。
さらに悪いことには、ネットであらかじめ調
べた時点での天気予報では、当日は雨が勝ちで
気温 ℃ のはずであったのが、実際は快晴で
℃とスイス並みには猛暑日であり、教室には
エアコンはなく窓も開かないという過酷な状況
であった。両名とも心身ともに疲労困憊し、後
日坂口課長のいわく「インド人は油断ならな
い」。はたしてこの教訓は、 年後の広島大会に
役立つのであろうか??
ドイツ語圏でのジュノー博士
すでにご存知と思う(願っている)が、被爆
直後の広島の恩人故マルセル・ジュノー博士の
功績については、広島県医師会が中心となって、
年にジュノー顕彰碑を建て、
年から毎
年ジュノー記念祭を行っている。ジュノーさん
は、赤十字国際委員会(I
CRC)による海外派遣
や麻酔医としての修練目的のロンドン留学の期
間を除き、その一生をジュネーブ周辺のフラン
ス語圏で過ごした方である。
しかしながら、ここバーゼルはドイツ語圏で
あり、ジュネーブとは別の国と言っても過言で
はない。日本人的には、バーゼル人がジュノー
さんのことを知っているのは、広島人が独眼竜
正宗を知っているのと同じように思えるが、実
際はジュネーブで比較的知られた人も、バーゼ
ルではまったく知られていなかったようであっ
た。
しかしながら、本年 月のニューヨークでの
NPT 再検討会議に先立って、ジャコブ・ケレン
バーガー I
CRC委員長が行った核兵器廃絶のス
ピーチの冒頭に、「ドクター・マルセル・ジュ
ノーが世界で初めて発したヒロシマの惨状に関
する証言」に言及したことで、ジュノーさんに
ついて世界的に注目されてきたこともあり、こ
こバーゼルでも同様と思われる。
モーストの会(津谷静子理事長)により制作
され、広島市医師会も協賛している、アニメ・
ジュノーの上映は、 階の部屋という、人の出
号)
年(平成
年) 月
日( )
入りのやや少ない場所であったにもかかわらず、
多くの観客によって観賞されたとのことであっ
た。もちろん同時に、被爆ポスター展も観てい
ただいたわけである。これには、 階や 階の
あちこちに宣伝のビラを貼り、ポスター・パネ
ルのうちの 枚を廊下に出して、通行人を部屋
に誘導するように仕向けた、坂口・上河内両職
員の努力の賜物とも思える。漁業に例えれば
「定置網」か?
アニメジュノー上映
バーゼル市主催のレセプションと夕食会
午後 時 分からは、バーゼル歴史博物館
で、バーゼル市主催のレセプションが行われた。
I
PPNW スイス支部理事でもある、グイ・モー
リン・バーゼル・カントン(州/県)知事、ク
ラウディオ・クニュスリ・スイス支部長、アン
ディー・ニーデッカー・大会実行委員長が、そ
れぞれ歓迎の辞やスイス国やスイス支部の活動
についてスピーチを行った。
その後、ライン河に浮かぶ船上レストラン・
シッフに移動し、夕食会が行われた。フェリー
くらいの大きさの舟の甲板がレストランとなっ
ており、学生を含む
名余りが夕食を楽しん
だ。
各国から参加の旧知のメンバーと立ち話をし
て回りながら、この日で学生会議が終了した広
島・長崎の学生さんたちに、ねぎらいの言葉を
かけて回っていた。長崎の茅野君(今年 月卒
業し、現在は研修医)を探していると、他の学
生さんから、
「茅野さんは、経由地のデュッセル
ドルフのホテルに携帯を忘れ、今取りに行って
いる」とのことであった。国が違うとはいえ、
広島から大阪に行く程度の感覚ではある。後日
茅 野 君 本 人 に 確 認 し た と こ ろ、携 帯 は 無 事
デュッセルドルフのホテルで受け取ったとのこ
とであった。めでたしめでたし。
( )
年(平成
年) 月
月
日
広島県医師会速報(第
日㈮
全体会議Ⅰ
午前 時 分から歓迎の挨拶が行われた。ク
ニュスリ・スイス支部長が、マルセル・ジュ
ノー博士の証言に触れながら開会の辞を述べ、
アントニオ・ロプリエノ・バーゼル大学長を紹
介した。これを受けて、ロプリエノ学長が、
「バーゼル大学は開学
年というスイスで最も
歴史のある大学である。核廃絶は、教育・研究
の面からも、大学同士が連帯することが必要で
あり、スイス支部も全力を尽くす」と挨拶した。
午前 時 分から、ハラルド・ミューラー・
フランクフルト平和研究所事務局長が、
「核廃絶
運動は前進し続けなければならない」と前置き
し、同氏の司会で、全体会議I
「核兵器廃絶の歴
史と I
PPNW-スイスと国連の活動」が行われ
た。
ま ず、歴 史 学 者 の ロ ー レ ン ス・ウ ィ ッ ト
ナー・アルバニー大学(ニューヨーク)教授
が、
「軍縮活動家がどのように世界を核戦争から
守ったか」と題して、核兵器の歴史と反核 NGO
の成長に伴う核軍縮の進展について述べた。氏
は、「冷戦中の種々の反核運動の中で、
年
にI
PPNW が誕生し、
年にノーベル平和賞
を受賞した」と I
PPNW の歴史を手始めに、地
元のジャーナリストで被爆後のヒロシマに貢献
したノーマン・カズンズ氏や、アインシュタイ
ンをはじめとする科学者たちの反核運動を例に
挙げ、CTBT(包括的核実験禁止条約)やゴル
バチョフとレーガンによる核ミサイル削減条約
などについて述べ、
「人類が生き延びるための唯
一の処方は核兵器廃絶である」と締めくくった。
次に、I
CRCのクリスティン・ベーリ副委員
長が、「核兵器廃絶:人道上の緊急不可避事項」
と題してスピーチを行った。氏は、「人々を苦
しみから守るのが赤十字の役目である」と切り
出し、世界で初めてヒロシマの惨状を世界にア
ピールしたマルセル・ジュノーの証言について
述べた。国際人道法の問題点について触れなが
ら、核兵器の完全な廃絶が緊急で必須であると
いうケレンバーガー I
CRC委員長のスピーチに
言及し、I
CRCと I
PPNW の協力関係について
希望を述べた。
続いて、セルジオ・デュアルテ国連軍縮代表
(ニューヨーク)が、「NPT 再検討会議の良か
らぬ結果:国連と核軍縮の見通し」と題して、
核兵器数の削減についてその歴史を順を追って
号)
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
縷々説明した後、今回のNPT再検討会議の結果
を、
「最終文書に漕ぎ着けたことは前進と見るべ
きではあるが、期限の設定がないなど評価でき
ない面が多く、期待はずれであった」と結論付
けた。
ここで松村先生が、「ドクター・マルセル・
ジ ュ ノ ー を 紹 介 し て く れ て あ り が と う。
J
PPNW は次回の世界大会の広島開催に立候補
している」と前置きし、「
年までの核廃絶
と、同年の広島でのオリンピックが、ともに実
現するのが夢である」という秋葉忠利広島市長
のメッセージ(別掲 )を代読した。
次に、平和市長会議のメンバーでもあるモー
リン・バーゼル・カントン知事が、平和市長会
議の活動について述べながら、スイスにおける
「
プロジェクト」について言及した。
続いて、アンネマリー・カルミーレイ・スイ
ス外務大臣が、「軍縮の未来:スイスの見通し」
と題して講演を行った。女史は、非核兵器国で
あるスイスとしての核軍縮に対する取り組みに
触れ、米ロ核兵器削減条約や NPT の進展への
期待を述べた。戦争被害者に対する国際人道法
であるジュネーブ協定に言及しながら、
「核兵器
の脅威が存在する。核兵器は非倫理的であり、
テロリストによる使用の危険もある。医者とし
て病気を予防するためには、喫煙者を禁煙させ
ることが必須のように、解決策は核兵器の廃絶
しかない。核兵器のない世界を目指そう」と締
めくくった。
最後に司会のミューラー氏が、本大会での予
定演者で参加不能となったバレリー・ロシュチ
ニン・ロシア大使からのメッセージを読み上げ、
会は終了した。
全体会議Ⅱ
時 分からは、コレスニコフ共同会長とタ
オ学生代表の司会で、全体会議I
I
「核兵器国の
声と責任」が行われた。
最初に、チャゾフ共同創始者が、「黙ってい
ては、核軍縮は進まない」という、ラウン共同
創始者の言葉を引用しながら、核軍縮とI
PPNW
の歴史について述べ、
「ますます多くの国が、核
兵器を持ちつつある。核不拡散を進展させ、子
どもたちに核のない世界を」と結び、スタン
ディング・オベーションで降壇した。
次に、ロシンスキー・ロシア軍縮大使が、米
ロ核軍縮の交渉相手であるローラ・ケネディー
米国軍縮大使について触れながら、
「より安全で
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
広島県医師会速報(第
より健康的な世界を創るため、ロシアは議会や
国を挙げて取り組んでいる」と結んだ。
続いて、ケネディー米国軍縮大使が、「オバ
マ大統領のプラハ・アジェンダに関する考察」
と題してスピーチを行った。女史は、昨年 月
のオバマ発言に触れながら、米ロの新たな核兵
器削減条約(START)について、核査察によ
り核兵器数のチェックを ヶ月毎に行い、透明
性を上げることなど、START や との違い
を強調した。また、
「米ロ間の条約の意味のみで
なく、NPT への働きかけを強め、CTBT や
FMCT(兵器級核分裂物質生産禁止条約:カッ
トオフ条約)の批准を進める。現在、米国の電
力の %が、核兵器からとれたウランで賄われ
ている」と述べ、I
MS(国際的モニタリング・
システム)などにより、数を指定しながら核兵
器の貯蔵量を %減らすという新たな戦略につ
いても言及した。
最後に、 年前のインド大会で「銃による暴
力」に関する全体会議のスピーカーであった
ヴィノード・サイガル・元インド陸軍大将が、
「国の利益は、しばしば地球の利益と一致しな
い。国連安保理事会の委員ですら、各国の代表
でしかなく、地球の代表はいない」とインド大
会と同様の持論を述べながら、インドとパキス
タンの核武装の経緯について説明し、インド・
パキスタンの和解の道程について述べ、会は終
了した。
号)
年(平成
年) 月
日( )
筆者や松村先生から説明し、KAWPP側からは
今後の健診の時期について質問があり、松村先
生から、
「状況が良くなれば、早ければ来年の春
にでも実現したいと考えている」という碓井会
長の意向を伝えた。
ところで、お気づきの方がいる(相当の通で
すね)かもしれないが、北朝鮮支部は、昨年ま
では KANPP(Ko
r
e
a
nAnt
i
-NukePe
a
c
ePhy
s
i
c
i
a
ns
)と名乗っていたが、本年度になったあ
たりのメールから、何の前ぶれもなく KAWPP
(Kor
eanAnt
i
-WarPeacePhys
i
ci
ans
)に変
わっていた。日本的にいえば、
「反核」から「反
戦」に変わったことになり、対象の範囲が広
がったことになる。今回の会談では、「何故
だ?」とは聞いてはいないが、
「反核」という言
葉を使いにくいお家の事情があるのかもしれな
い。
北朝鮮との会談
北朝鮮支部(KAWPP)代表と 広島県医師会との会談
全体会議I
I
が終了と同時に、北朝鮮支部の参
加者と松村先生ならびに事務局とともに、予約
しておいたビクトリア・ホテルに移動し、北朝
鮮支部代表と広島県医師会との会談を行った。
今回の北朝鮮支部からの参加者は、パク・サン
ボク KAWPP副委員長(朝鮮赤十字病院長)、
カン・ムンリョル KAWPP 事務局長、リュ
ウ・キョンイル朝鮮中央平和委員会事務局長、
キム・ジョンフン KAWPP医学生代表の 名で
あった。このうちリュウ氏とキム氏は、北朝鮮
領事館に寄った後に、遅れてやってきた。
会談は、昼食を取りながらの和やかなもので
あったが、もっぱら、本年 月に予定されてい
た広島県医師会の北朝鮮被爆者健診とブック
フェアへの医学書の出展がともに中止になった
ことに関するものであった。
「朝鮮半島の政治情
勢が悪いため実現困難であった」ことについて、
全体会議Ⅲ
昼食時間をはさんで、午後 時 分からは、
ジョン前共同会長とヴァレンティ本部プログラ
ム担当の司会で、全体会議I
I
I
「暴力の防止およ
び健康と発展の促進―医学的かつ倫理的な緊急
不可避事項/I
PPNW のプログラム『予防を目
指して』」が行われ、「gunvi
ol
enc
e(銃による
暴力)」を中心にスピーチされた。
まず、WHO本部(ジュネーブ)暴力・障害
予防部門のキディス・バルトロメオ担当から、
「暴力の予防、健康そして発展:WHOの見通
し」と題した講演があった。すなわち、
「アフリ
カをはじめとする発展途上国での死因は、 に
エイズ、 に結核、 に暴力である。暴力によ
る障害や死亡については、直接の出費もさるこ
とながら、医療費や精神的ケアにかかるコスト
も膨大である。また家庭内暴力は、貧困と深く
関係しており、アルコールもその一因となって
( )
年(平成
年) 月
日
広島県医師会速報(第
いる」と、暴力問題の全般にわたって説明し、
問題提起を行った。
続いて 名のスピーカーが、別々の国や地域
での小型武器による暴力とその予防対策につい
て述べた。
ムトンガ新共同会長はザンビアについて、
ジャン・フロモウ・グエッラ・メキシコ支部長
はメキシコや中米について、状況報告を行った。
ニディア・ロドリゲス・エクアドル代表はエ
クアドルや南米について報告し、
「一発の銃弾の
物語」のビデオを流した。
オガベ・オナジ新学生代表とホムスク・ス
オーメン氏(いずれもナイジェリア支部)はナ
イジェリアでの活動について、
「地域の発展や教
育を通して暴力の予防を進めているが、メディ
ア、特にラジオの影響力が最も強く、ポップ・
ミュージックの合間にピース・ミュージックを
流したりしている」などと述べた。
チュダマニ・ギリ氏(ネパール支部学生)は
ネパールの内戦について、クリス・ベーム氏
(英国支部)はアフリカ全般について、それぞれ
解説した。
アンドゥルー・ウィニントン氏(ニュージー
ランド支部)は、「パプア・ニューギニアでは、
部族間抗争のため、銃の障害による手術が増加
している」と述べ、セバスチャン・テーラー氏
(ジュネーブ:武器暴力への活動)は、「武器暴
力と発展に関するジュネーブ宣言」について述
べた。
最後に、ラウン共同創設者(米国支部)が
ネット中継で出演することになっていた。しか
しながら、ネット中継がなかなかつながらず、
しばらくしてやっと始まった。ラウン共同創設
者は、チャゾフ共同創設者とともにI
PPNWを設
立した当時の思い出話をはじめ、冷戦時代から
昨今までの核問題とNGOの対応などについて述
べられたものの、途中で音が出なくなり、画像
のみの尻切れトンボとなった。画面上のラウン
先生は、少し太られたのか?やや浮腫気味なの
か?といった風貌ではあるものの、お元気そう
であった。
号)
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
近のエビデンスと新たなトピック」
「原子力発電
所周辺での小児癌の増加」
「イランの核情勢の段
階的縮小」
「地球規模の保健衛生の監視―健康を
守る権利に根ざした発展の理論的選択」「核ル
ネッサンスは核兵器のない世界と共存できない」
「気候変動への戦いにおける医師の役割の確立」
が 会場に分かれて行われ、日本支部主催の
「広島・長崎における原爆の健康影響―最近のエ
ビデンスと新たなトピック」に参加した。
まず司会の片岡先生が、原爆投下後の惨状に
ついて、パワーポイントで示しながら、順次説
明した。
次に朝長万佐男長崎県支部長(日本赤十字社
長崎原爆病院長)が、やはりパワーポイント画
像を使って講演を行った。まず長崎被爆の状況
を示し、
「長崎に落とされた原爆の中のプルトニ
ウムは、 手あったものの大きさは小さいボー
ル(直径 センチ)くらいであり、そんな小さ
なものが メガトン以上もの破壊力を持ち、
数万人の人を殺戮した」と述べた後、原爆被爆
による白血病と染色体異常の話に移り、
「近年被
爆者の中に、MDS(骨髄異形成症候群:前白血
病の一種)が増加する傾向にあり、放射線被曝
による s
t
em c
el
l
(骨髄幹細胞)のDNA障害が
終生続き、その上に新たなDNA変異が積み重
なってこのような悪性疾患が現れるものと考え
られる」と締めくくった。
続いて、鎌田七男広島原爆被爆者援護事業団
理事長の講演となったが、鎌田先生がご都合に
より参加できず、代わりに朝長先生がパワーポ
イントを使って講演した。原爆被曝者の放射線
被爆線量については、直接の被爆線量は爆心地
からの距離と遮蔽物の状況などで、大まかに推
定できるが、中性子の照射を受けた地面などが
放つ二次放射線による被曝や、放射性降下物
(黒い雨など)による被曝については評価が困難
なため、爆心地からの距離だけが重視されてき
ワークショップ
午後 時 分からは、ワークショップ 、
「核兵器禁止条約への政治的働きかけ」「核兵器
への対決:オバマと米国の教訓」
「I
PPNW と武
器暴力と発展に関するジュネーブ宣言:誓約の
機会」
「広島・長崎における原爆の健康影響―最
J
PPNW主催のワークショップに聞き入る聴衆
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
広島県医師会速報(第
た経緯があった。これに対して鎌田先生は、
「被
爆早期の入市被爆者の中に、白血病の増加が認
められ、 / > / > / の順に早く入っ
た人ほど多くの白血病を発症している」と入市
被爆の重大さを説明していた。
引き続き松村先生が、
年広島で行われた
被爆 周年記念I
PPNW北アジア地域会議で発
表・展示した「 枚の死亡診断書」について述
べた。これは、被爆当時、安佐郡伴村(現在の
広島市安佐南区沼田町伴)で開業の故伴冬樹医
師が、被爆直後の 月 日から 月 日までの
間に看取った被爆者 名の死亡診断書であり、
その診断名の変遷が、原爆という未知の爆弾に
よる症状に翻弄された当時の医師の苦悩を物語
る、大変貴重な資料であった。
講演の後に、それぞれの演者に質問が寄せら
れ、日本支部主催のワークショップは終了した。
号)
年(平成
年) 月
日(
)
地球規模の気温低下が起こり、農業が壊滅し膨
大な餓死者が出る」など、総説を述べた。
続いて共同司会者のヘルファンド理事が、
「南
アジアで局地的核戦争が起き、 メガトンの水
爆が使われれば、 ~ 日で気温は .℃ 下が
り、降雨量が ~ %減る。農業生産が致命的
打撃を受け、 千万人が死亡する。オゾン層も
破壊され、紫外線の増加が放射能汚染とともに、
癌を増加させる。これらの数字は、大規模火山
の爆発の影響から計算されたものであり、もし
メガトンなら 年後には気温が ~ ℃ 下
がる」などと、具体的な例について説明した。
次に、フロアから追加発言が続き、その中で
グ ン ナ ー・ウ ェ ス ト バ ー グ 元 共 同 会 長(ス
ウェーデン支部)は、
「メガトンとは Te
r
a
gr
a
m
(テラグラム: 兆グラム)とも表現される」と
述べながら、
「核戦争による飢饉」の重要性につ
いて、複数の論文からの引用を用いて説明した。
その後質疑応答がなされ、本ワークショップ
は終了した。
I
PPNWと平和市長会議による 公開イベント
J
PPNW主催のワークショップで講演中の松村誠先生
ワークショップ
午後 時からは、ワークショップ 、「局地
的核戦争による地球規模の結末」
「オバマ政権の
立場と PSR(米国支部)の反応」「有効性の倍
加と永続可能なネットワークの構築:暴力の予
防の研究・教育・プログラム作成における保健
衛生機関や非医療 NGO との活動」
「世界の核爆
弾の犠牲者」
「都市環境における放射線核種の汚
染による致死的結末」「メディアと原子炉事故」
「保健衛生の専門家への平和教育の促進」
「昆虫
への低レベル人工的放射線の影響」
「環境危機と
戦争の危険性-第 の視点」が 会場に分かれ
て行われ、「局地的核戦争による地球規模の結
末」に参加した。
まず共同司会者のロレッツ本部プログラム部
長が、I
PPNW のメインテーマである I
CAN の
一部でもある「核戦争による飢饉」について
「メガトン級以下の核爆発でも、速やかで長引く
午後 時 分からは、
「限られた地域的核戦争
の気候への影響とその結末/主な標的は都市」
と題して、I
PPNWと平和市長会議の共催で公開
イベントが、ニーデッカー大会実行委員長の司
会で行われた。
まず、アンドレアス・フィッシュリン地球シ
ステム環境学研究所(チューリッヒ)教授が
「気候変動と人類へのインパクト」と題して講演
を行った。教授は、
年のノーベル平和賞受
賞機関I
PCC(気候変動に関する政府間パネル)
の報告書作成をしばしば行ってきた気候変動に
関する第一人者である。教授は、空気中の CO2
が現在の / ~ / であった氷河期の絵と現
在の写真を交互に示しながら、I
PCCの活動と業
績について説明した。「空気中の CO2はどこに
行く?海に %、土地に %」などと述べなが
ら、
「温暖化の影響は画一的には分布しない。雨
量は高緯度で増え、低緯度で減る。季節による
雨量の分布が変化し、気温も上昇し、エコ・シ
ステムも働かなくなる」と続け、農業生産量の
減少、海面上昇による海岸線の変化、健康への
影響などについて、順を追って解説した。
次にヘルファンド理事が、
「核兵器の今日的危
険性:南アジアの核戦争」と題し、先ほどの
ワークショップと同じパワーポイントを使っ
(
)
年(平成
年) 月
日
広島県医師会速報(第
て、同内容の講演を行った。
最後にアーロン・トヴィッシュ平和市長会議
ビジョン担当部長が、「核軍縮への勢いづ
けの創造」と題し、「『核兵器のない世界』が目
標であり、NWC(核兵器禁止条約)が必須であ
る。平和市長会議は、
ビジョンの実現のた
め に、
年 のNPT再 検 討 会 議 に 向 け、
I
PPNWと共働していく」などと述べた。
質疑応答の後、公開イベントは終了した。
I
PPNW公式ディナー
午後 時 分からは、平和市長会議の代表や
来賓を交えたI
PPNW公式ディナーが、レストラ
ン・サフラン・ツンフトで行われた(
「ツンフ
ト」は英語の「ギルド」の意)。
ここにおいて、日本支部で最も活躍したのが、
向井事務局長であった。すなわち、次回の広島
大会に備え、ディナーの会場や会の流れ、料理
の内容と値踏みなどなど、もちろんディナーの
みならず大会全般について、事務局担当者の人
数・配置、設備や部屋の広さなど、大会の企
(別掲
号)
昭和
年
月
日 第
種郵便物承認
画・運営に関する情報を事細かに集めていた。
ところで、向井局長が驚いたことといえば、
「会
場に着くなり、各人がてんでバラバラに飲食を
始める。開始時刻前でも関係ない。全員の飲食
がしばらく続いた後で、大会会長や来賓などの
スピーチが始まる。その後は、喋りたい人が勝
手に壇上に上がって思い思いのスピーチをする」
ということであった。
この食事会の形式や流れについては、これま
での世界大会では毎度のことであり、I
PPNW 以外の会でもほぼ同様であり、I
PPNW 的には
当たり前のことではあった。しかしながら、初
参加の向井局長にとっては、始まりの挨拶が済
んで乾杯となるまで飲食の開始を待つという、
日本の様式との違いは晴天の霹靂であったらし
い。次回の広島大会でも、参加者に飲食を待た
せることは不可能と思われ、この例にならわざ
るを得ない。日本人が他の国に比べ、単に、礼
儀正しいだけなのかもしれないが、向井局長に
とっては大変有意義なディナーとなったようで
あった。
後編に続く
)
年IPPNW世界大会開催趣意書(概略)
IPPNW日本支部は
年に第9回世界大会を開催した。それからほぼ2
0年が経過
し、核兵器廃絶を取り巻く世界的情勢はここ数年で急速に変化しており、オバマ大統領
の登場、バンキムン国連事務総長の核兵器禁止条約を含む五項目提案、赤十字国際委員
会ケレンバーガー総裁の核兵器禁止条約を支持する声明、20
1
0
年NPT再検討会議で核
兵器禁止条約に向けての取り組みの合意など、核兵器廃絶への機運がこれまでになく高
まっている。そういった新しい状況の中、今一度、世界唯一の被爆国日本の広島市で、
まさに2
0
年前3
0
0
0
名のI
PPNW会員が集った広島国際会議場においてIPPNW世界大会
を開催し、IPPNW会員の皆様に核兵器の悲惨さと非人道性を再確認していただくと
ともに、広島の次世代も核兵器廃絶を目指し熱心に取り組んでいる様子を目にしていた
だくことは核兵器廃絶へ向けさらに力強い一歩を進めるためにも非常に有意義と考える。
昭和
年
(別掲
月
日 第
種郵便物承認
広島県医師会速報(第
号)
年(平成
年) 月
日(
)
広島市長メッセージ
スイス、バーゼルにて開催される「第
回IPPNW世界大会」にメッセージを送らせて
いただくことを誠に光栄に思う。この非常に重要な会議に是非参加したいと希望していた。
年前、被爆者は原爆の非人道性そして「この世の終わり」を経験した。それ以降、被爆
者は「他の誰も自分たちと同じ目にあってはならない」と主張してきた。
今年
月にニューヨークで開催されたNPT再検討会議において、そのメッセージが人々
の指針となり影響力を与えていることが明らかになった。最終文書では核兵器廃絶を目指す
全会一致の意思が示され、いかなる核兵器も使用されれば壊滅的な被害をもたらすことが強
調された。また、市民社会が価値ある貢献を行っていること、核兵器廃絶のための時間的枠
組みの策定を大多数が支持していることについて述べられ、核兵器禁止条約または新たな法
的枠組みが必要であると強調された。
核兵器を早急に廃絶しなくてはならないという思いは世界中の人々の心に浸透しており、
圧倒的多数の声は国際社会において変化をもたらすための強大な力となりつつある。この課
題を成し遂げるため、今われわれはできる限りの取り組みを行わなくてはならない。
先の
核廃絶広島会議は核兵器廃絶という課題に貢献した。声明文では課題を成し遂げ
るための
つの重要な点を明らかにしている。まず一つは、反核兵器勢力のみならず、気候
変動、人道法、世界経済危機などに関連する団体を含めた市民社会の結束と協調を更に強固
なものとすること。二つ目は、核兵器のない世界を実現するため、政府の真の指導力を引き
だすことである。
声明文は、一点目についてIPPNWとICANの価値ある貢献を認め、二点目について
は「核兵器禁止条約交渉開始を促す特別核軍縮会議の
年開催」を提案している。これは
各国政府が取り組もうとしている課題であるが、市民社会からの後押しも必要である。皆さ
ま方が
年の主要目標の一つとして「特別核軍縮会議」を挙げることを強く希望する。
年までに核兵器を廃絶するという大きな目標を達成するため、われわれは強大な世界
的気運を巻き起こさなくてはならない。各地域で国に強く働きかけ、核兵器廃絶に必要な政
治的意思を創出しなくてはならない。このような中、「第
回IPPNW世界大会」は核兵
器のない未来について話し合う素晴らしい機会となる。よって、私は皆さま方の献身と努力
に深く敬意を表する。
全世界の核兵器を廃絶することは、人類の偉大な功績となるであろう。この功績を祝うた
め、広島市は
年オリンピック開催の実現可能性について検討しており、これを「平和の
祭典」としたいと考えている。皆さま方の支援により、核兵器廃絶と広島オリンピックとい
う
つの夢をこの
私は「第
年間で実現したいと心から願っている。
回I
PPNW世界大会」において得られる成果が、国際社会に影響を及ぼし、力強
く統合された運動につながっていくであろうことを確信している。
広島市長 秋 葉 忠 利 (原文:英語、翻訳:広島県医師会事務局)
)