本誌 創 刊号 ︵ 平 成 元年 九 月 ︶ に私 佐賀方 は ﹁ 洋 画 家 多 々羅 義 雄 の こと﹂ を 書 。 いた 能 古 島 が生 んだ唯 一の本 格 的 、 洋 画家 であ り 能 苫 博 物 館 には そ の 。 遺 作 品 が多 数 収 蔵 さ れ て いる そ の多 々羅 の 人 最 初 の亜 半嶋 信 、 に つい て は も作 品 も今 日 ほ と んど知 ら れ て 。 い な い そ の名 は久 留 米 が生 ん だ 天 才 画家 青 木 繁 の評 伝 の最 終 部 に僅 か に出 て く る だ け であ る。 二年 前 か ら 筑 後 す な わち ︱︱ 明 治 四十 三年 ︵一九 、 、 一〇︶ 夏 面 を 放 浪 中 の青 木 繁 が佐 賀 県小 城 町 。 に われ た 鳴 を った の で 画 現 友 平 頼 。 あ る 平 嶋 は当 時 小 城 中 学 ︵ 現小城 。 高 校 ︶ の美 術 教 師 だ った 町 を 貫 流 す る祇 園 川沿 い の平 嶋 宅 にも 一時 滞 。 在 した 平 鳴 宅 には そ の時 二人 の同 居人 が 。 、 いた 一人 が十 六歳 の多 々羅少年 で 、 平嶋 の内 弟 子 と し て絵 を 学 び 上 京 し て の美 術 学 校 進 学 に備 え て いた。 そ の折 の青 木 と多 々羅 の交 渉 は創 刊 。 号 に紹介 した 口 万 も う 一人 は F 平 鳴 の姪 で十 ぁる 。 なかな 韓 八歳のツギで 像 れ 雀 綻 か は 歎 印 ヾ る 自 つけ 写真 が 、 平 一葉 平 嶋 家 。 に残宅 ている 、 たち ま ち青 木 は恋 し 関 東 に愛 人 福 、 田 た ね と 一子幸 彦 が お りな が ら ツ 、 ギ に求 婚 平 嶋 も断 わ りき れ ぬ状 況 。 であ った と ころが折 か ら青 木 は肺 結 核 が悪 、 、 化 喀 血 し 福 岡市 の九 大 病 院 の診 、 察 を 受 け 東 中 洲 にあ った松 浦 病 院 。 に入 院 し た 同 年 冬 、 ツギ が見 舞 っ 。 てお り相 愛 関 係 だ ったと推量 でき る 〒8 1 9 福 岡市西区能古5 2 2 2 6 ( 0 9 2 ) 8 8 3 2 8 8 7 館 物 博 古 能 発 行 財団法人亀陽文庫 平成 3年 10月31日 よ り だ 館 物 博 能 古 10号 (1)第 し か し翌 四十 四年 二月 、 青 木 は 二十 九 歳 に満 た ぬ無 念 の人 、 生 を 閉 じ て ツギ と の縁 談 も 。 消 滅 し てし ま った ツギ は平 嶋 の長 兄 の娘 で両 親 を失 い平 嶋 を親 代 わ りと し 、 て結 婚 に備 え て いた時 青 木 、 が現 わ れ た わ け で 青 木 の没 、 後 小 城 町 出 身 の弁 護 士 に嫁 し、 佐 賀 で幸 福 な家 庭 を 築 い 。 た わ 平 嶋 は小 城 に お け る青 木 の 奔放 な行状 の跡始末役 とな っ こま でが青 木 の評 伝 と 関 わ る部 分 で 。 ある も 不 同舎 に繁 々と出 入 り し て いた ら し く、 学 費 にゆと り の あ った平 嶋 は よく青 木 に金 や 。 だ が入 門 年 次 は定 か でな い 青 木 は明 治 三十 二年 入 門 一年 在 籍 、 翌年 。 東 京 美 術 学 校 選 科 に転 じ た 坂 本 は 、 明 治 三十 五年 青 木 の愛 人 福 田 た ね は三十 六 年 入 門 であ る。 坂 本 は後 年 、 平 嶋 の個 展 ︵ 後 述︶ のた め に寄 せ た文 に平 嶋 の こ 青 木 は東 京 美 術 学 校 入学 後 白 馬 会 展 に ﹁海 の幸 ﹂ を発 画材 を貸 し ていたと いう こと 。 であ る 目 を 見張 った こと だ ろう し、 ま た福 田 た ねと の人 目 を はば か ら ぬ恋 も 眼 。 前 にし た と思 わ れ る 明 治 三十 七 年 ︵一九 〇 四︶ 不同 舎 画 家 志 望 の多 々羅義 雄 が な は太 平 洋 美 術 学 校 と な り坂 本 も 平 嶋 も そ こ で学 んだ。 卒 業 後 平 嶋 は九 州 。 へ帰 り小 城 中 学 教 師 と な った 能 古 、 島 出身 ぜ小 城 の平 嶋 の門 を 叩 いた か 不 明確 、 だが 平 嶋 の郷 里 西 新 町 で多 々羅 家 の家 人 が そ の名 を 聞 いたと想 像 さ れ Z O。 、 平 嶋 は青 木 が来 る前 明 治 四十 三 、 年 春 福 岡市 で開 か れ た九 州 八 県 連 合 共 進 会 の絵 画 展 で最高 賞 を 獲 得 し 。 て いる 地 方 にお い ては並 み でな い 。 実 力 の持 ち 主 であ った 港」油彩 F12号 平嶋 信 「 た o 結 果 的 に青 木 の絶 筆 と な った ﹁朝 日﹂ を校 長 に頼 ん で小 城 中 学 に 、 購 入 し ても ら い そ の代 金 を 旅 館 代 。 な ど青 木 の借 金 返 済 に当 てた ﹁朝 日﹂ は今 日も 同校 の所 有 であ る。 こ 平 嶋 は青 木 繁 と そ の画 友 坂 本 繁 二 、 郎 よ り 三歳 上 明 治 十 二年 ︵一八 七 、 九︶十 二月 二十 五 日生 まれ 本籍 は福 。 岡 市 早 良 区 西 新 町 二八 二番地 であ る 、 中 学 修 猷 館 を 四年 修 了後 上 京 し 。 小 山 正 太 郎 の画 塾不同舎 に入門 した 表 す るな ど青 木 の活 躍 ぶ り に と を ﹁同 塾 の先 輩 ﹂ と 記 し て 。 いる 小 山 門 下 には修 猷 館 出 身 の吉 田博 が 、 、 お り 中 村 不 折 満 谷 国 四郎 と並 ん 。 で三羽烏 と呼ば れ ていた 吉 田を頼 っ 。 て の入 門 と 思 わ れ る ( (2) 平成 3年 10月31日 り よ だ 館 物 博 古 能 平鳴 信 「 柳川風景」 (1956年)油 彩 F8号 大 正 九 年 ︵一九 二〇︶ ご ろ小 城 中 を辞 し た平 嶋 は福 岡 市 に帰 り大 陸 渡 。 航 を 図 った 一度 中 国 を 巡 遊 の のち 、 、 家 族 と共 に大連 に移住 大 正 十 三年 ただ ち に画 塾 大 連 洋 画 研 究 所 を 設立 し た。 南 満 工業 専 門 学 校 な ど で教 鞭 も と り、 関東 州庁 の嘱 託 と し て教 科 。 書 づ く り にも 携 わ った 、 平 嶋 の二女 大 神敏 子 さん の話 では 大 連 では本 上 の美 術 展 に全 く出 品 せ 、 、 ず 専 ら満 州 国 展 に出 し 入 選 作 は 毎 年新 京 ︵ 長 春 ︶ な ど の会 場 で売 れ てし ま い自 宅 に戻 る こと はな か った と いう。 、 大 連 では有 力 画家 とし て尊敬 され 満 鉄 は スケ ッチ旅 行 のた め にと全 線 、 パ スを 提 供 ま た関 東 軍 は平 嶋 の制 、 作 上 の希 望 に応 え モデ ルと し て正 装 の兵 と看 護婦 を アト リ エに派 遣 し 。 た こと も あ る ﹁戦 傷 癒 え て﹂ と い う百 号 の作 品 が描 か れ た。 回復 し た 、 兵 士 を 前 戦 へ見 送 る看 護 婦 の絵 で 、 平 嶋 が描 いた唯 一の戦争画だ そう で 。 写真 だ け が残 って いる 大 連 洋 画 研 究 所 は戦 争 中 ま で盛 況 、 で 平 嶋 は正 規 の美 術 学 校 への昇 格 。 を 目 指 し準 備 を 進 め て いた 終 戦 で 、 そ の夢 は破 れ 大 連 時 代 の作 品 は ほ 、 と んど 明 と な った ま ま 昭和 行 方 不 、 福岡 ヘ 二十 二年 ︵一九 四七 ︶ 二月 。 、 引 揚 げ た そ の時 六 十 八 歳 故 国 で は無 名 同 然 、 そし て戦 後 の厳 し い生 、 絵 筆 を と り直 活 環境 の中 で再 出 発 。 す こと にな った 現 西 区 ︶ に住 早良 郡金武 村 金武 ︵ んだ平 嶋 は各 地 ヘスケ ッチ の足 を伸 。 、 ば し た 本 来 風 景 画家 で 大 連 時 代 も満 州 を歩 き 回 り何 百 点 も描 いた と 。 いう 新 作 が溜 ま り始 め ると 周 辺 か ら個 展 開 催 を勧 め る声 が高 ま った。 国 内 画 壇 と 没 交 渉 だ った平 嶋 だ が 。 、 若 子 の友 人 が いた 石 川寅 治 楢 原 、 。 健 三 小 杉 放 庵 ら であ る 石 川 は画 塾 不 同 舎 の先 輩 であ り小 杉 は同 輩 で 。 あ る 楢 原 は大 連 旅 行 で知 り合 い文 。 通 を 重 ね た 彼 ら と共 に多 々羅 義 雄 り 個 展 を 目 指 し て大 い に制 作 が弾 。 玉屋 個 展 は昭 和 三十 一年 ︵一九 五 六︶ 五月 十 一日か ら十 六 日ま で福 岡 玉 屋 。 七 階 ホ ー ル で開 か れ た 福 岡市 長 小 、 、 九大教 授牧 川鷹之 祐 両 画 友 は今 や国 内 画 壇 の巨 匠 に列 し 坂 本 繁 二郎 と小 杉 放 庵 が案 内 状 に 。 推 薦 文 を書 いた か つて の不 同 舎 の ﹁平 鳴 信 画 伯 喜 寿 記 念 洋 画 展 ﹂ と 銘 。 打 ち後 援 会 も組 織 され た 社 長 田 中 丸 善 八 ら が発 起 人 と な り 西春 雄 んだ も 旧師 の個 展 の計 画 を き い て激 励 の 。 、 手 紙 を 寄 せ た 昭 和 二十 八 九 年 ご ろ、 能 古 博 物 館 だ よ 10号 (3)第 れ か らも歩 み行 く 、 こう いう 人 が実 は珍 重 さ る べき であ る の でし ょう ﹂ と 書 い ている。 坂 本 は ﹁画 壇 的 表 面 には殆 ん ど無 関 係 に黙 々画 道 精 進 ⋮ ⋮生 涯 の沈 黙 会 場 には五十 号 の ﹁長 春 郊 外 ﹂ 以 、 、 下 西 公園 長 垂海岸 馬渡島 等 々 ス 、 、 ケ ッチ の旅 の成 果 二十余点 と 坂本 。 て いた を 破 って今 回 其 作 品 を 発 表 さ る ると 云 う ⋮ ⋮氏 の画 面 は素 直 ・純 真 ・自 、 、 然 ・必 然 そう 云 う よ さ が 見 る者 小 杉 の賛 後援 会 か な画 風 は人 々 の 鳴 の穏 や の絵 画 の 一端 を 物 語 る貴 重 な 品 々 で 。 、 、 あ る 私 は 多 々羅 義 雄 の縁 で 能 ず 他 の作 品 の行 方 を 探 す 手 が か り が 、 な いだ け に 十 余 点 の作 品 は平 嶋 信 。 勲 章 に輝 いた 平 嶋 は翌 三十 二年 二 、 、 月 西 日本 新 聞 に記事 が の った が 、 結 局 画 業 が特 に脚 光 を 浴 び る こと も な く、 そ の四月 十 六 日、 七 十 八歳 。 で を った 世 去 、 二男 ・ 今 日 城南区 田島 の平鳴家 ︵ 故 賢 二氏 宅 ︶ に十 余 点 の油 彩 が残 さ 。 れ ている 玉屋個展 に並 びきらなか っ 。 、 た作 品 であ ろう か 柳 川 背 振 な ど 各 地 風 景 があ リ スケ ッチ の旅 の範 囲 。 が し のば れ る 大 連 市 楓 町 の自 宅 付 、 近 の景 が 一点 戦 後 の自 画 像 が 一点 。 含 ま れ ている 、 いず れ も奇 を てら わ ぬ構 図 穏 や 、 、 か な 色 調 巧 ま ぬ詩 情 が あ ふ れ 心 。 静 か な 画 境 が思 わ れ る ま さ に精 進 。 で築 いた画 技 であ る 個 展 の売 れ先 リ ストが残 ってお ら 心 に優 し く響 いた 九州造形短期大学教授 ・美術評論家連 盟会員 ・当館専門委員 谷 田治達氏 ●筆者紹介 古 博 物 館 に 一度 並 べ ても ら え な いか と 思 う。 あ る いは多 々羅 の作 品 と共 に師 弟 展 も楽 し い の ではな いか。 実 。 現 を 切 望 し ている 、 隅 たが 平 階 時期だっ ぼ 晦 虚 韓 競 く 判 色が濃 静 まだ戦後 の尽 力 で 昨譲 助出 品作 を飽 かず 引 、 付 け 其喜 が並ん屯 同年 秋 ﹁こ の個 展 が 終 わ る と 父 は め っき り老 い て来 ま し た。 長 い人 生 の疲 労 が ど っと出 て来 た の でし ょう﹂ と大 。 神 敏 子 さ ん は言 う 、 画 友 坂 本 繁 二郎 は 文 化 。 の であ ろう び を し み透 る よう に与 え る であ ろ う ⋮ ⋮﹂ と 。 記し ている 小杉 も ﹁不 同 舎 画 み 森 荻 塾 の同 期 生 、 を数え ると 、 、 、 高村真 夫 、 青木繁 田恒 友 原守 衛 な す で に過 去 に入 り ま し た。 坂 本 。 、 老 平 嶋 老 と私 が残 って居 る お互 に手 を取 って生 き て いたな あ と 一笑 す ると ころ です ⋮ ⋮半 世 紀 以 上 の画 、 、 歴 芸 術 界 は いろいろ に変転す るが 、 、 わ が平 嶋 老 は右 を 見 ず 左 を 見 ず 、 静 か に独 自 精 進 の道 を 歩 み来 り こ 西南 学 院 大 学 文 学 部 ! 、 ク の合 間 を ぬ って能 古 島 に窯 を 構 え 記!代 ! 美 。 知 る こと が でき ま し た グ ル ー プ ワ ー ク で私 達 の班 は 五 が 、 そ の時 は ﹁観 卜を 作 成 し ま し た ケ浦 廻 船 の歴 史 に つい て の レ ポ ー 覧 者 向 け ﹂ と いう 、 o次 ページ の記事は 以上実習生 のグ ルー プ ワークの 一つを当誌 に掲載するにあた っ 。 て編集 しなおしたも のです 十三名 の皆 さんお疲 れさま でし た。今後 のご活躍を お祈 りし てい ます。 柳 尚輝 く ん 財 津 千 帆 さ ん 。佐 々木 宗 子 さ ん 川 崎 哉 子 さ ん ・井 原 理 子 さ ん 岩 津 直 子 さ ん 。境 陽 子 さ ん 松 井 清 子 さ ん ・日隈 友 紀 さ ん 田代 晶 子 さ ん 。槙 記 代 美 さ ん 岡 崎 淳 子 さ ん o井 手 朋 子 さ ん し た。 い る のだ と 思 い ま え でま と め ら れ て ず い分 検 討 し た う 今 ま で は気 づ か な 、 か った の です が 、 でも 割 と 難 し く く よ う にし ま し た。 のを 頭 に入 れ て書 芸 員 の心 得 や文 化 物 館 を 訪 れ るま で 、 で作 品 の収 集 や保 存 のため に細 やか な 注 意 を 払 って いる学 芸 員 の苦 労 を 分 を 実 際 目 で見 る こと が でき て感 激 し ま し た。 観 覧 者 の知 ら な いと ころ 蔵 庫 な ど展 覧 会 を支 え ている裏 の部 五 ケ浦 廻船 な ど に つい て何 も知 り ま 。 せ ん でし た 福 岡 は板 付 遺 跡 や太 宰 、 、 府 鴻 瞳 館 元 冦防 塁 な ど歴 史 的 に 、 重 要 で し か も 全 国 的 にも有 名 な史 。 跡 の多 い所 です し か し福 岡藩 のお 、 、 膝 元 で近 世 学 問 芸 術 産 業 が花 開 き、 それ が近 代 に影 響 し て いる こと 、 を 認 識 し ま だ ま だ福 岡 の歴 史 や文 化 を 勉 強 し な け れ ば な ら な いと思 い 。 まし た 、 、 ま た 福 岡市 美 術 館 を 見 学 し 収 亀 井 学 や能 古 焼 文 化 に つい ても学 ぶ こと が でき ま し 。 、 た 私 は 能古 博 い て学 ぶだ け でな く、 福 岡 の歴 史 や 財 の取 り扱 い に つ こ の実 習 で、 学 院 学 ! ! ! ! ! ! ! 樺 中 ﹃ 中 中 抑 ﹃ てお ら れ る神 田 さ ん の ﹁今 古 窯 ﹂ に も お邪 魔 し て、 実 際 にろく ろを 扱 わ せ て いた だ く と いう貴 重 な体 験 を し 。 ま し た 初 め てろく ろを扱 う私 達 に 神 田 さ ん は熱 心 に指 導 し てく だ さ い 。 まし た 悪 戦 苦 闘 し な が ら も何 と か 、 無 事 お茶 碗 ら しき も のを 仕 上 げ る こと が でき ま し た。 大 切 に使 お う と ︲ 。 思 って います 本館前 にて記念撮影 !境 陽 子 姪浜 から フ ェリーで十会 緑 に囲 まれた静 かな能古博 実 習 の内 容 は 物館 で私達 の実習 は始 まり ました。 主 に講 義 。 と グ ル ー プ ワ ー ク でし た 大 学 で は 聞 く こと が でき な 私 はグ ループ ワークを 通 し て能 古 島 の多 く の方 々と お知 り合 い にな る こと が でき ま し た。 ま た、 こ の実 習 で、 自 分 の生 活 を い よ う な 彫 刻 や 絵 の話 な ど い ろ い ろ な 分 野 にわ た って お も し ろ いお 話 を 聞 く こと 。 が でき ま し た グ ループ ワー 見 直 す機 会 を 与 え ら れ た よう な気 が し ま す。 あ り が と うご ざ いま し た。 各 班 の 成 果 ク では取 材 のた め に能 古 島 を 歩 い て ま わ り ま し た が、 た く さ ん の人 々が 親 切 に説 明 し てく だ さ り本 当 に助 か り ま し た。 私 達 の班 はグ ループ ワー グル ー プ ワー クの発表会 (4) 平成 3年 10月31日 よ だ 館 物 博 古 能 、 ﹃同九 日 晴 天 両 手 一同 六 ツ後 姪 、 、 、 浜 宿 出 立 同所 よ り乗 船 残 島 測 、 、 、 我 等 坂 部 は直 に︿ユ宿 企何く 今泉 、 、 尾 形 箱 田 ・佐 助 ・善 蔵 筑 前 国 早 、 良 郡 残 島 字 江 ノ国人 家 前 よ り初 め 、 右 山 に測 る 字 西浦 ・字 白 鳥 崎 ・字 カ ンタ ン鼻 ・字 荒噛 鼻にて両手合測、 、 一里五丁五十 一間五尺 永井 ・浜谷 ・ 、 保 木 ・善 七 残 島 字 江 ノ国人 家 前 よ り手 分 、 左 山 に測 り、 字 城 ケ崎 。字 、 北 浦 ・字 荒 崎 鼻 に て両手 合 測 一里 、 、 三 丁 五十 五 間 五 尺 五寸 残 島 一周 、 二里 九 丁 四十 七 間 四尺 五 寸 ﹄ ′ 、 っ 日 り た そ の で が 測 量 は極 め 帰 行 。 測 量 日記 の て正 確 であ った よう だ 測 量 の前 触 れ と 隊 員 の様 子 忠 敬 測 量隊 が文 化 六 年 九 州 測 量 、 を 実 施 す る にあ た り 測 量 予定 地 、 、 、 の各 宿 駅 村 の年 寄 名 主 組 頭 ら に、 次 のよ う な幕 府 御 誓 文 の写 夕籠是 牧 測Z 迄 兵 の れ こ 羅霧 ン ` で な さ われゥエ 夫 れ 物と :r岩 子 ﹃ 残 島 一周 二里 九 丁 四 十 七 間 四 尺 五 、 寸 ﹄ は現 在 の メ ート ル法 になおせば 。 約 八 ・九 キ ロメ ー ト ル 現在 は約 十 、 キ ロメー ト ルと さ れ て いる ため そ 。 の差 は約 一 ・八 キ ロメー ト ル 新 開 る こ と し を添 え て協 力 要 請 の先 触 を出 し 。 て いる 。人 足 八人 、 馬 七 疋 、 馬 持 運 搬 人 夫 若 干 を揃 え る こと 。各 庄 屋 は村 絵 図 を 持 って案 内 す く こ と ・測 量 器 具据 込 み地 を 用意 し てお 。 一行 十 八 人 の宿 は 余 り 分 散 し な い こル﹂ を 経 閣鍬戦 の他 ご馳 走 し てはな ら ぬ こと ・尚 、 こ の先 触 れ書 は、 順 送 り に 、 、 先 々 へ伝 達 肥後熊本 へ留置き 我 々が着 いた と き に返 す こと 、 天 草 史 料 によ ると 〓何の服装 、 。 は股 引 車牲 がけ であ った 、 、 酒 も飲 まず 夜 間 観 測 や 、 製 図 な どをす る の で 夜食 自 身 が こ の島 に来 た か ど う か は定 か 。 ではな い 能 図﹂ の模 写 が展 示 し てあ り ます の 。 で是 非 皆 さ んご 覧 いた だ き た い 、 最 後 に 伊 能 忠 敬 の測 量 隊 が能 古 、 島 に来 た こと は事 実 であ るが 忠 敬 参考文献 ﹃ 伊能忠敬測量日記﹄九州ふる さと文献刊行会 あ とがき 約 一八 〇年 前 の忠 敬 一行 と同 じ行 程 を 歩 い てたど り 。 感 動 し ま し た 館 内 に ﹁伊 を出 し ても食 べな か った が 。 菓 子 だ け は食 べた ② 十円力"経 二総 上に巨いて木子に C班 柳 ・井 手 ・財 津 ・日隈 ・松 井 ︵一九 九 一年 七 月 二十 一日︶ ・宿 賃 は定 額 を 払 う か ら 一汁 一菜 角生匁 ズ 浄卜本千セ株ク め にイこ象嫌 独の タ孫刊萌44r繁宗先法万 7断ィ ほレ ■。メJ欲の力″,刺にい もれ と t丁 〔。 才 ィ え湾さ の干 拓 によ って面 積 が増 し た こと を 。 、 考 え ると か な り正確 な数字 であ る 、 ま た 明 治 以降 ﹁伊 能 図﹂ に替 わ り 三角 測 量 によ って新 し い地 図 が完 、 。 成 さら にそ の後 空 中 写真 測 量 に 。 よ って日 島 の海 岸 線 を 測 量 す 本 列 、 ると意 外 にも ﹁ 伊 能 図﹂ の方 が 三 角 測 量 法 によ る地 図 よ り正 確 な 海 岸 。 線 を 描 き 出 し て いる 正 確 でき め細 やか な 測 量 によ って 精 密 な 日本 地 図 を 作 った伊 能 忠 敬 と 、 そ の 一行 が 約 百 八 十 年 前 に こ の能 、 古 島 に上 陸 し 測 量 し ていた事 実 を 。 知 ってほし い , テ ” 許 品 Lタ 依 ヽ 伝 半n方在退 付ぜ 以上 は伊 能 忠 敬 の ﹃測 量 日記﹄ か ら の抜 粋 であ る。 伊 能 忠 敬 一行 は能 。 古 島 を 測 量 し て いた の であ った 文 。 化 九 年 ︵一八 一二︶八月九 日 のこと 、 伊 能 忠 敬 一行 は こ の島 の測 量 を ′ , ど 島 魯 を :号 魯 旨 こギ,様: ◎竹死縁赫 り よ だ 館 物 博 古 能 10号 (5)第 平成 3年 10月31日 (6 原 題 ﹃真 翁 聞き が き ﹄ 実 効 良 否 が あ り事 業 者 のた め に短 長 。 期 選 択 を 認 め た制 度 であ る か ね て研 究 を つづ け た サ ケ缶 づ く り には、 漁 区 に多 額 の設 備 投 資 が必 。 要 にな る こ のた め漁 区 の長 期 契 約 は絶 対 であ る。 幸 い に今 年 か ら、 そ 。 の資 格 が でき て いる 、 二月 初 ウ ラジ オ スト ク で予 定 通 り長 期 租 借 の契 約 を 完 了。 帰 国 を 東 。 。 京 廻 り にし た 頭 山 満 先 生 は留 守 、 。 杉 山 茂 丸 さ ん は好 都 合 いき な り 。 樽 新 か ら 君 のサ ケを貰 った よ な か 。 、 な か のも んだ ね で驚 く そ こ で い 。 ま サケ缶 を 思 案 中 です と話 し た 。 それ な ら 三井 物産を使 う ことだ よ 。 、 。 今 夜 は泊 ま れ 明 日 紹 介 す る よ 新 会 三 缶 張 立 め 始 を徹 底 し て現場 指 導 を願 います く ず身 は決 し てまぜ な い こと これ 、と す る方 法 ︵ 蝋 付 式 と呼 び簡 易 な缶 詰 。 、 製 法 であ る︶ で お や りな さ い 、 ま た 製 品 は八 ダ ー ス ︵一ダ ー ス 、 十 二缶︶ を 一函 に こ の荷 ご し ら え は、 函 館 の三井 物 産 営 業 所 にお任 せ 。 下さい 、 サケ の経 験 はあ り ま せ んが マグ ロ缶 の輸 出 は相 当 に扱 いま し た。 要 は魚 肉 の切 り 口をキ レイ にす る こと。 、 缶 蓋 を取 ると中 身 の魚 肉 が 丸 太 を スパ ッと切 断 し良 材 の年 輪 が美 し く 。 見 え る よ う缶 丸 に合 わ せ て詰 め る 。 缶 ご と殺 菌 煮 沸 後 いま物 産 系 の南 陽 貿 易社 長 の檀 野 礼 、 助 氏 か ら 今 年 はも う現 地 据 付 け の 。 、 製 缶 機 は 間 に合 わな いと思 います 、 函 館 製 缶 に す ぐ発 註 し出 漁 前 に 。 本 年 使 用 の缶 を つく ら せ る 現地 で 、 、 中 身 を詰 め 合 わ せ 水 煮 と し 缶 蓋 、 を ロー ル締 め と ハング付 け さ ら に 、 通 気 孔 に ハンダ 、 。 杉 山 さ ん の話 は い つも 早 い 、 結 局 三井 物 産 の海 外 駐 在 が長 く 真 翁 銅 像 も のが た り 閃 。 大 正 三年 ︵1 9 1 4 ︶ ぼ く の オ パ ラ漁 区 は明 治 四十 一年 の日露 漁 業 、 協 約 発 効 か ら す でに露 領 漁 区 の租 。 借 契 約 六 年 の実 績 にな る 、 協 約 細 目 によ り漁 区 租 借 期 間 は 、 初 回 契 約 は必 ず 一年 二回 か ら 三年 、 租 借 が 可能 通算 六年 を 経 て長 期 五 、 。 年 を 認 め る 漁 区 にも地形など利便 り よ だ 館 物 博 古 能 。 熱 心 に話 さ れ た ま る で樽 新 さ んが、 新 巻 サ ケ の製 、 法 を ぼ く に命 じ ら れ たと 同 じ であ る。 食 品製 法 にも名 人 芸 に徹 す る こ と を 叩 き こま れ た思 い であ る。 、 今 年 の製 品 が良 け れ ば 以後 は物 。 産 が鉄 板 か ら機 械 ま でお世話 します 、 最 新 の製 缶 機 械 は 現 地 に自 家 発 電 。 が必 要 です 生 産 量 が設 備 投 資 と の 。 、 経 済 バ ラ ン スにな り ます ど う か し っか り気 を抜 かず におやりな さ い。 。 、 す べ て ぼ く に異 存 な い 檀 野 さ ん の豊 か な経 験 と熱 心 な 商 。 業 性 を う か が う こと が でき た 、 杉 山 さ ん の紹 介 も あ るが 信 頼 で き る人 と思 った。 即 日、杉山邸辞去 。 、 檀 野 さ んと は数 年 後 三井 物 産 によ る北 洋 漁 業 進 出 と、 サケ、 マス、 カ 、 ニ缶 詰 を ロンド ンなど ョー ロッパに 、 塩 蔵 品 は主 に上 海 大 連 港 か ら支 那 、 大 陸 に直 輸 出 さ れ る業績 を つくられ 、 再 会 の奇 縁 を得 るが こ の時 はお 互 。 い予 想 も でき な か った の であ る 、 さら 、 に驚 いた こと は 函 館 帰着 檀 野 さ ん の手 配 で缶 蓋 の ロー ル手 廻 し機 と蓋 材 、 これ に空 缶 発 註 を出 漁 に間 に合 わす指 示 が物 産 駐 在 社 員 の 。 、 小 林 君 か ら聞 か され た ま た 函館 。 製 缶 が 三井 系 であ る こともわか った 。 小 林 君 はな ん でも言 って下 さ い 一 、 。 、 生 懸 命 や り ます と ま る で ぼ く 。 の使 用 人 にな った態 度 であ る 、 。 空 缶 発 註 は 二十 万 缶 三月 末 完 。 納 さ せ ま す 支 払 いは漁 期 後 にし て 、 。 お り ます と いう き っと杉山 さんが ぼ く の退去 後 に檀 野 さ ん に気 く ば り さ れ たと 思 う。 いま 一つ、 驚 いた こ と は、 去 年 の大 阪 高 利 貸 し 一件 が、 す べ て杉 山 さ ん御 承知 であ った こと 。 、 、 であ る 思 う に 頼 光 の決 断 は ぼ く の こと を、 いろ い ろ手 を 廻 し 調査 、 す る中 で 杉 山 さ ん に伝 手 を 得 て聞 。 いた結 果 であ ろう と 思 う さ て、 前年 の好 漁 で、 ぼ く の所 持 、 金 は 一万 円余 初 め て銀 行 預 金 を残 し き 。 る の 出 て が で 漁 、 いよ いよ 自 前 の出 漁 一一 回目 を 四 。 月 初 め に出 航 乗 船 人 員 に ハンダ 職 。 人 二名 が加 わ った 函 館 製 缶 か ら 予 丸 筒 に底 板 だ け装 着 ︶ 定 通 り空 缶 ︵ 、 0 2万 缶 これ に蓋 装 着 の ロー ル締 め 。 機 と缶 蓋 の丸 型 薄 鉄 板 を 積 込 んだ 、 、 大 正 三年 の漁 獲 は まず平年並 み 、 、 初 の缶 詰 生 産 は 紅 六 十 銀 サケ 四 、 。 十 %割合 にした 中身 は 水講 で習 っ た手 法 で檀 野 さ ん指 示 通 り の切 り 回 。 に仕 上 げ た 缶 詰 生 産 量 千 五 百 函 。 八 ダ ー ス詰 ︶ 漁 獲 サケ の約 半 分 と ︵ 。 マス全 量 は従 来 の塩 仕 込 み にし た 、 新巻 サケ の 残 念 な が ら缶 詰 のた め の六 十 %高 値 で三井 物 産 か ら支 払 い 。 、 が あ った 十 二月 か ね て考 え て い 。 、 生 産 は手 不 足 で及ば ず と な った 。 ハンダ職 人 が手 不 足 であ る 、 頭 山 先 生 に サ ケ缶 三函 杉 山 さ ん 。 に二函 を 発 送 し た 全 函は空 ハ 缶入ι 。 、 幸 い三井 物 産 の品 評 は ま ず 良 、 出 漁 中 の六 月 オ ー スト ラ リ ア皇 、 太 子 暗 殺 によ る セルビ アと の戦争 が 、 両 国 に同 盟 と支 援 関 係 にあ る独 露 、 、 、 、 戦 争 と な り さ ら に仏 英 伊 米 、 が対 独 参 戦 これ に日英 同 盟 によ り 。 わ が国 ま で独 逸 に宣 戦 布 告 世 に い う第 一次 世 界 大 戦 であ る。 これ は サ 、 ケ缶 に軍 用需 要 が加 わ った と 予 定 内 産 業 にも 貢 献 す る事 業 規 模 にす る こと が痛 感 さ れ る。 、 現状 の北 洋 露 領 漁 業 は 契 約 漁 区 、 数 二三〇 事 業 者 九 十 三名 で事 業 規 、 模 は平 均 二 ・五漁 区 缶 詰 生 産 者 は 。 僅 か に八事 業 者 に過 ぎ な い 、 な お 露 領 漁 区 は予 定 区 三 一〇 に 。 、 未 契 約 漁 区 八 〇 これ は地 理的 地 、 形 等 の状 況 も あ る が そ の開発 利 用 。 工夫 を積 極 的 にす る必 要 が あ る 、 、 ぼ く自 身 漁 区 数 一 缶 詰 生 産 は 。 着 手 し たば か り であ る ⋮ ⋮ 資 本 な く、 全 く徒 手 空 拳 、 青 年 客 気 によ る 、 開 拓 精 神 で の出 発 であ るが ま ず は 。 零 細 事 業 な が ら成 功 し ている これ か ら自 己 実 験 によ る成 果 を 公 輸 出 に向 く缶 詰 生 産 で外 貨 獲 得 と 国 戦 中 の消 耗 経 済 によ る落 ち 込 みが続 。 い て いた わず か に北 洋 漁 業 の好 漁 、 場 を 得 た が そ の生 産 経 済 で全 国 を 。 、 潤 す ま で に至 ら ず 残 念 であ る 、 そ のた め には 従 来 の北 洋 漁 業 が 塩 蔵 本 位 の低 価 産 品 か ら ヨー ロ ッパ 不振 が つづ い て いた 日本 経 済 に活 況 。 を 呼 ぶ引 き金 にな った 日露 戦 争 は、 勝 利 を お さめ な が ら 。 先 輩 であ る これ に並 ぶ のが長 州 財 閥 の久 原 房 之 助 を 背 景 にし た 日魯 漁 、 。 業 が あ る 同 社 は 大 合 同 の核 と し 、 。 て ぼ く も 参 加 す る大 舞 台 にな る 、 世 界 大 戦 は 日露 戦 争 以後 と か く た会 社 設立 を ﹁ベ ー リ ング 漁 業 株 式 会 社 ・資 本 金 十 万 円 ・払 込 資 本 金 は 、 。 二万 五 千 円﹂ と し す べて完 了した 樽 新 さ ん の紹 介 で交 際 が始 ま った 、 平 塚 氏 か ら いず れ北 洋 漁 業 大 合 同 。 、 が実 現 す る 君 に ま と め役 にな っ 。 てほし いと要 望 さ れ た 人 に勧 め る 、 、 以上 は 自 ら実 行す る こと であ るが も う少 し漁 区拡 張 し た い。 来 年 は、 カ ムチ ャ ッカ半 島 の東 海 岸 ︵ベ ーリ ング 海 ︶ に漁 区 入札 の予 定 であ る。 、 そ のた め の社 名 であ る の で 暫 く期 、 。 間 を く れ と答 え た こ の平 塚 の義 兄 が、 堤 清 六 。 早 く 、 か ら漁 区 を拡 げ 現在 六 漁 区 でサ ケ のほか カ ニ漁 によ る缶 詰 生 産 でも大 り よ だ 館 物 博 古 能 10号 (7)第 、 開 的 にし 大 合 同 と新 規 参 入 の増 加 に め る自 信 と自 覚 を 得 た と思 う。 努 、 函 館 を 中 心 と す る ぼ く の世 間 評 。 を 小 林 青 年 が語 ってく れ た 、 、 曰 く 真 藤 網 元 は若 いが 北 洋 漁 、 業 以 前 は満 州 の義 賊 で ロシヤ通 の 外 交 官 川 上 俊 彦 にす す め ら れ て露 領 。 、 事 業 に進 出 ま た 玄 洋 社 の頭 山 満 、 。 が後 援 者 であ る と 、 川上 さん のこと以外 は 少 々間違 っ 、 て いるが あ え て弁 明 す る必 要 はな 。 、 い ただ 満 州 義 軍 が満 州義 賊 にさ 。 れ て いる のは苦 笑 す る ほか はな い でき れ ば賊 の字 だ け は除 き た いが こんな こと は釈 明 す ると、 な お悪 い と考 え た。 す べ て時 の流 れ に任 す。 、 ぼ く の事 務 所 に 頭 山 先 生 の ﹁運 と 辛 抱﹂ を掲 額 し て いる。 これ か らも 初 心 忘 れ ず にや る。 、 大 正 四年 東 海 岸 のナ ラ チ ェフ漁 、 。 区を入札 契約 を得 た 素 晴 らし い 。 漁 場 であ る いま ま で出 願 が な か っ 。 た のが 不 思議 と さ れ る こ の年 は、 北 洋 の当 り年 と さ れ て 。 。 いる ま さ にそ の通 り であ った オ パ ラ漁 区 も 昨 年 の四〇 %増 の成 。 果 であ る 缶 詰 は ハンダ職 人 を 四人 、 。 にし 三千 二百 函 を 造 った 同 業 者 、 。 で缶 詰 着 手 を考 え 視 察 が多 い 遠 、 、 慮 な く漁 区 を 開 放 し 自 由 に見 せ 。 質 問 には実 績 で答 え た 、 東 海 岸 の新 漁 区 は 初 漁 であ る が 。 オ パ ラ の倍 に近 い漁 獲 を あ げ た カ ム チ ャ ッカ州 の首 都 ペト ロパ ウ ブ スク、 前 面 が ア ワー チ ャ湾 、 な ん と な く福 岡 と博 多 湾 に似 た地 形 であ る。 新 漁 場 は、 こ の湾 か ら東 北 に百 、 粁 ナ ラチ ェフ川 の北 三粁 で東 面 が 。 ベ ーリ ング海 に沿 う 南 隣 に露 人 事 。 用漁 区 が 河 口 に近 く位 置 す る こう し た露 人 漁 区 は、 季 節 に サケ大 群 が 、 河 口を 塞 ぐ勢 い で寄 り つき 海 面 も 。 河 水 面 も盛 りあ げ る 露 人 漁 業 者 は 。 漁 獲 を 現地 渡 し で売 り た いと いう 来 年 か ら缶 詰 生 産 を す る の で考 え 。 、 ても よ いと答 え る ま た 来 年 は必 要 な雑 貨 な ど欲 し い物 を持 って来 る と言 う と喜 ん で品 目 を いう。 若 い娘 、 を 漁 場 に同行 し て いる の で化 粧 品 、 。 石 け んな ど も欲 し い と 、 新 漁 区 の裏 手 に 遠 く ナ ラ チ ェフ 湖 を水 源 にす る本 流 か ら の分 流 があ る。 川 幅 一五 メ ート ルに過ぎな いが、 これ にも サ ケ群 が押 し寄 せ る。 こ の 、 た め漁 区 の沿 海 漁 の外 に こ の川漁 は天与 と され る。 、 、 な お カ ムチ ャ ッカ挙 島東海岸 は オ パ ラ の西 海 岸 に比 べ気 候 的 に穏 や 。 か であ る これ が ベ ー リ ング 海 沿岸 。 漁 区 を 選 んだ大 き な事 由 であ る 本稿は次号 で完結します︶ ︵ ●筆者紹介 庄野寿人 働亀陽文庫理事長 明 介させていただきます め 曇韻鞍醒鰹圏鹸簿轟盟醒 く ◎ た く さ ん のお手 紙 を 頂 き ま し た の 、 す限りご紹 皿 で その中から紙面の許 。 年 ○ 毎 号 送 っていただ き あ り が と う ご 。 成 ざ ぃま す 今 号 も 楽 し く読 ま せ て い 。 平 た だ き ま し た 特 に安 陪 光 正 さ ん の 、 ﹃ 能 古 博 物 館 を訪 ね て﹄ を 読 み 小 、 生 ま たも や能 古 に行 き た い衝 動 に 。 駆 ら れ てし ま いま し た り 、 実 は昨 年 来 果 た し てな い約 束 の よ 一つが、 ヨ 緒 に能 古 に行 こう ﹂ と 。 いう愚 妻 と の約 束 であ り ます 小 生 だ が能 古 で触 れ る こと の でき た自 然 の 館 素 晴 ら し さ や、 素 朴 な人 間模 様 を話 す ゃ ぃな や愚 妻 は ﹁わ たし も 行 き た 物一 一 b 博 規 ぱ 由 岸 鋭 傍 鹿 州 静 加 脚 囃 触 ガ 鞠 、 。 古一能古知 らず と いう次第 であります 、 れ で 送 っていただ いた ﹃ 能古博 と そ ー ー ー r l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l H 同 ム コ 物 館 だ よ り﹄ を 読 んだ り地 図 で場 所 を確 か め た り し て行 け る 日を 待 ち 望 。 ん で いる様 子 です 能 古 の魅 力 と は何 でし ょう か? 能 。 古 は確 か に独 特 の雰囲気 があります 姪 浜 か ら フ ェリ ー に乗 ると き のあ 。 の ウキ ウキ し た気 分 ま る で子 供 に 。 一 戻 った よう な 気 持 ち にな り ます あ れ は い った いど う し てな の でし ょう 。 か そし て新 鮮 な サ ラダ を盛 り つけ た よう な能 古 が近 づ く に つれ、 果 て し な く遠 いと ころま で来 た よ う な錯 。 覚 を し ます 島 に着 く と対 岸 の喧 騒 か ら完 全 に遮 断 さ れ てい てタイ ム マ シ ンに乗 った よ う です。 、 小 生 にと って能 古 は アジ ー ル つ ま り避 難 場 所 のよ うな 気 が し ま す。 、 街 の生 活 に疲 れ たと き 能 古 にく れ 。 ば 不 思 議 と心 が和 みま す 名 も 知 ら 、 ぬ草 花 が ぐ んと近 く に感 じ ら れ ま トト ス 人 え びね︶ 俳 句 会 能 古 島 吟 行 化楡 草 ︵ が 脚蘇 水 選 檀 旧 居 島 に老 篭 時 く ば か り 和子 公恵 蘇水 老 鴛 にし ば し 思 索 の歩 を 止 め て 湧 く と 云 ふ 動 き の見 え て峰 雲 に しづ子 みち え 石 棺 の跡 を と ど め て蟻 の塔 登喜 子 松 蝉 と 万 葉 歌 碑 の中 に ゐ て 文 字 摺 の彩 よ き こと も 島 な ら ば とし子 和子 旧 居 は や蝉 し ぐ る る にま か せ あ り 樹 下 涼 し 万 葉 歌 碑 に石 棺 に 欠 け つづ く 石 棺 さ び し 風 の萩 朱実 於 能古 博物館 研修 室 順子 恵美 七 月 十 一日 檀 旧 居 徹 の匂 ひを 覗 き た る ふ み子 樹 下 涼 し防 人 歌 碑 に遠 潮 音 磯 の香 の 一歩 に島 の蝉 し ぐ れ 。 。 す 海 風 の囁 き声 が聞 こえ ま す 海 、 の色 も 姪 浜 か ら見 る のと は全 く違 。 います 能 古 は人 々を 暖 か く迎 え入 れ てく 。 、 れ ま す 玄 界 灘 の厳 し さと 自 然 の 限 りな い優 し さを 兼 ね備 え た島 だ と 。 、 思 いま す そ んな能 古 に 今 年 の夏 は愚 妻 と行 け そう です 。 小 郡 市 沢 田絢 夏 ○安陪 先生 の ﹁ 能古博物館を訪 ね て﹂ 、 、 を 読 み 酷 暑 続 き の中 一陣 の風 に 見 舞 わ れ た よ うな 爽 やか さを 覚 えま し た。 と申 し ま す のも、 私 も 犬 ︵ア フガ ン雌 三才 名 前 は リ ョウ︶ を飼 っ 。 、 ています も う家 族 の 一員 で リ ョ ウと は よく話 し、 私 共 の食 事 は イ ン スタ ント です ま せ ても リ ョウ には手 。 そんな有 を か け た も のを や り ます 様 です の で先 生 と フ ィル君 と の愛 と 信 頼 の関 係 が ぐ っと胸 にき て ベ ンを 。 執 り ま し た 能 古 探 訪 のご様 子 が眼 。 にう か び ます 福 岡 市 田上 紀 子 宿 岡市︼板木継生様 ・△ 戸祥 子様 ・ 速 水 忠 兵 衛 様 ︻粕 屋 郡 ︼ 鶴 田実 和 子 様 ︻甘 木 市 ︼ 田中 ト ク エ様 ︻山 田市 ︼ 藤 浦 と し 子様 ︻熊 本 県 ︼ 河 上 洋 子 様 ︻フラ ン ス︼ 原 新 五鼻係 ほか の皆 様 よ り お手 紙 を いた だ き 。 。 ま し た あ りが と うご ざ いま し た ○菰 田治 氏 よ り/ 西 村 天 囚 ・菰 口治 校注 ﹁ 九 州 の儒 者 た ち﹂ ①青 木 繁 樹 氏 よ り/ 青 木 繁 樹 著 ﹁あ の町 。こ の町歴 史 ・探 訪 ﹂ ○ 後 藤 新 治 氏 よ り/ E ・H ・ゴ ンブ リ ッチ著 ・下 村 耕 史 、 後 藤 新 治、 浦 上雅 司訳 ﹁ 芸 術 と進 歩 ﹂ ○ 米 倉 清 氏 よ り/ 草 文 書 林 ﹁紫 水 ﹂ 2 第 1号 ○ 神 奈 川大 学 日本 常 民 文 化 研 究 所 よ 3 ・4 り/ ﹁民 貝 マン スリ ー﹂第 2 2巻 8 ・9 ① 姪 浜 川柳 会 よ り/ 会 誌 8 8号 ○ 田部 光 子氏 よ り/ 瀬 木 慎 一著 ﹁ 美 術 経 済白書﹂ この場を借りてお礼申しあげます。 歩 く会 のシーズンです。海 と森 の能古を歩 いて ひと巡 り。爽やかな汗をかいたあとは楽 しい昼食 をはさんで充実 した講座。有意義な一 日に参加な さいませんか。 罐決 行 11月 9日 口 ・24日0・ 12月 8日 G) 醸参加費 会 員 800円 (同伴一名 まで) (食事付)_般 1,300円 (入館料含む) 醸申込み方法 各 回 5日 前 までに電話 にてお申込 み ください。a883-2881・ 7能 古博物館 「歩 く 会係」※詳細 はお気軽 にお尋ね下 さい。 ば 父娘 同 居 、 夫妻 平 戸 旅行 、 蓬 洲 と 号 し盛 ん に詩 作 を し て少 乗 に 添削 ︵ 詩 文 に手 直 しす る こと︶ を求 、 、 め な が ら 自 説 と理屈を主張 す るが 。 少 栗 はあ ま り取 り合 わ な い 、 次 弟 の鉄 次 郎 ︵ 後 の場洲︶十 四才 。 家 塾 で書 生 と机 を並 べ修業中 であ る 父 は じ め家 族 全 員 が 最 も 気 にか け 、 て いる のは 長 男 義 一郎 が十 二才 の 、 時 に左 足 骨 折 し そ の後 遺 症 で歩 行 。 に不自 由 が 見 ら れ る こと であ る そ れ でも 本 人 は父 の藩 公 務 に代 理 が許 さ れ る場 合 は健 気 に勤 め てお り、 こ 。 れ が少 乗 には痛 ま し く思 わ れ る 。 いま 父 は 四十 九 才 以 前 か ら五 十 少 乗 の弟 義 一郎 は十 七 才 に成 長 。 文 政 四年 ︵一八 二 十︶ 少 乗 は 結 。 婚 五 年 目 に入 る まだ 子 供 に恵 ま れ 。 、 な い ま わ りも本 人 たち も そ ろ そ 。 ろ気 を も む 頃 合 い であ る 夫 君 雷 首 と井 原 村 の新 居 生 活 が そ 、 のま ま つづ い てお り 夫 の医 業 も 亀 、 井 家 のか か わ り が多 く 少 乗 も 父 昭 陽 の著 述 助 手 と し て実 家 に泊 り こむ こと が多 い。 松 原 と 田園 を 縫 う平 坦 2 の な1 粁 行 程 であ るが夜 道 と も な れ 、 。 若 い両 人 にも 不安 が あ る 、 り よ だ 館 物 博 古 能 10号 (9)第 父昭陽病 む 、 才 で義 一郎 に家 督 を 継 が せ 隠 居 後 は家 塾 と著 述 に専 念 す ると いう 父 を 。 考 え ると少 乗 は切 な く な る も し も 、 義 一朗 の家 督 が 不 可 と な り 鉄 次 郎 相 続 にな れ ば 父 の隠 居 は 四年 先 にな る。 し か し 最 近 の父 は以 前 に増 し て 、 著 述 に励 み これ は少 乗 の資 料 照合 と稿 本 浄 書 を忙 し く し て いる。 、 二月 十 二 日 雷 首 夫 妻 は亀 井 家 に 。 移 り住 む こと にし た これ は前 々か ら話 し合 わ れ て いた よ う で ﹁空 石 日 、 記﹂ の記事 に昭 陽書 斎 の部 屋 替 え 、 、 本 箱 書 棚 の移 動 を 日記 にす る が 、 そ の事 情 の記 入 がな く いき な り次 。 の記 事 にな る 、 。 十 三 日 塾 は臨 時 休 講 、 早朝 儀 助 ︵ 飴 屋 と 呼 ぶ︶ が手 伝 。 い に走 り込 ん で曰く 源 吾 君 を 一走 り出 迎 え に行 き ます 、 と。 大 声 を発 し ご しら 、 り た。 は て 出 え 当 走 妻 弁 、 昭 陽自 身 の こと︶ は 山 人 ︵ 余 ︵ 少 、 栞婿 雷 首 山 人 の こと︶ 移 り来 る に 。 、 歓 迎 の儀 式 を 行 う べし 諸 子 御 参 、 会 を 願 う と次 第 を 書 き 塾 生 には士 。 内 書 生 の古 参 ︶ に托 す 義 一郎 填 ︵ にも 同 文 で近 隣 各 家 に廻 る。 、 次 で 士 張 と献 叔 ︵ 対 馬 藩 士 で肥 、 前 田代 領 の在 勤 ︶ を先 に 下 男 の弥 、 七 に弁 当 を担 わ せ これ に与 八 を 付 き 添 わ せ、 山 人 の引 越 し 一行 を途 中 。 に迎 え て昼 食 を さ せ る の であ る 。 、 幸 い に雨 が あ が り 晴 れ と な る 士 喚 ら は生 ノ松 原 で茶 店 を 借 り待 。 、 機 す る 献 叔 だ け は な お道 を先 に 、 進 み 朝 一番 に走 り出 た儀 助 が引 き 。 、 返 す の に出 会 う 儀 助 は いま源 吾 、 君 の行 列 は今 宿 に小 休 止 ま も な く こち ら に見 え ます と知 ら せ る。 献 叔 は、 ほど な く山 人 と移 転 荷 物 を 運 ぶ 、 一団 に接 近 し 出 迎 え の挨 拶 を 述 べ る。 用意 の茶 店 に 一行 を 案 内 し、 持 、 山 参 の弁 当 を 開 き 移 転 の宰 配者 ︵ 、 、 人 の兄︶ はじ め 玄 尚 敬蔵 道太襲 、 、 醤 油 屋 清 次 鍵 屋 只 七 碧 蝉 ら に中 。 、 食 を供 し た 頃 合 を 見 て 士 喚 だ け 、 が先 に出 て 百 道 ︵ 亀 井 家 の こと︶ 。 L 戻り昭 陽 に状 況 を 報 告 す る こ の士 張 によ る第 一報 で、 世 と宗 、 ︵ 少 乗 の二 三妹 ︶ と 末 弟 の修 三 郎 五才 ︶ が揃 って藤 崎 ︵亀 井 家 か ら ︵ 唐 津 街 道 を 西 に 一・五粁 の地 点 ︶ に 。 出迎 え る 、 やが て 第 二報 は藤 崎 か ら弥 七 が 。 走 り戻 って 一行 の進 行 を 伝 え る す ぐ義 一郎 と鉄 次 郎 が弥 七 に新 し い木 。 履 三足 を持 た せ途中 の出迎 え に向 う 註︶=この新しい木履 三足 は故事 によ ︵ るも のか、単 に移転先 に新しい履物 で 、 儀礼的な気くばりをさせたも のか 未 。 詳 である 、 や が て三報 が献 叔 によ って まも 。 な く 到 着 と伝 え る これ で妻 と少 乗 。 、 が門 に出 て待 つ ま た 塾 生 の士 喚 と亀 六 、 道 意 は、 玄 関 式 台 の両 側 に 。 、 二人 と 一人 に分 か れ て座 し 迎 える 、 昭 陽 の こと︶ は 玄 関 か ら つ 主公 ︵ 。 づ く奥 座 敷 に端 然 と座 し て待 つ 、 昭 陽 は 今 日 のす べ てが 己 れ の予 定 通 り に整 然 と 進 め ら れ た こと に深 。 い満 足 を得 て いたと 思 わ れ る ま も な く、 玄 関 に控 え て いた貞 助 、 内 書 生 ︶ が到 着 し た 山 人 を 案 内 ︵ 。 昭 陽 に対 面 着 座 さ せ る 、 正 堂 に 慰 斗 飽 を 昭 陽 が山 人 を 列 。 座 さ せ て供 え る 床 の掛 軸 は ﹁君 子 、 万 年 永 錫 詐 胤 ﹂ の八 字 一行 昭 陽書 。 、 。 であ る こ の 君 子 万年 ヽ 水錫 詐 胤 、 の句 は 中 国 古 典 の詩 経 。大 雅 篇 に 。 、 、 出 る 句 意 は 有 徳 の人 ﹁ 君子﹂ に 、 天 は万年 の寿 を 与 え 後 孫 に永 く幸 、 と る。 す 、 昭陽 を 及 ぼす 聖像 ︵ 孔 子 像 ︶ に香 を 焚 き は山 人 が わ が家 に入 る祝 福 を 祈 拝 す る。 次 い で山 人 も拝 し、 長 子 義 一郎 も拝 を 同 じ く さ せ た。 供 進 の神 酒 を 、 、 昭 陽 か ら山 人 次 に 祭 壇 か ら下 げ 列 席 す る書 生 達 にも 盃 を 廻 し な が ら 。 、 祝 詞 を 述 べさ せ 式 事 を 終 え た 聖 。 移 し共 用 す るな ど 日記 にし て いる 。 ヤ ンン ンンン ン ン ン ン ン ヽ 諸 ン ン 九 月 十 二 日 昭 陽 は組 頭 役 宅 に出 一 。 。 福 岡 市︶・天谷千香子② ・西鳴 洋子② ︵ 向 く 月 俸 券 の受 取 り であ る 昭 陽 岡部六弥大② ・笠井 徳三② ・坂田 泰溢② に藩 支 給 の扶 持 は十 五人 扶 持 ︵一人 鬼塚 義弘② ・村上 靖朝② ・片倉 静江② 、 扶 持 は 一日米 五 合 で計 算 さ れ る ︶ 喬2︶ 星野万里子② ・桑形シズ エ② ・速水忠丘 ② 日当 り七 升 五合 で、 そ の月 の実 日数 小日 一郎② ・亀井准輔2︶ ② ・三好 恭嗣② 、 大 の月 は 三 十 日 小 は 二 十 九 日 ︶ ︵ ・財 部 一雄 ② ・重松 義輝② 雪 吉 村 江 ② 。 分 を米 切 手 で支 給 これを 昭 陽 は月 ・田上 紀子② ・古野 開也② 橋 本 敏 夫 ② 。 、 俸 券 と呼 ぶ 最 近 は 義 一郎 が代 理 宅 碧 三 子 ② ・安松 勇 一② ・上回 良 一② 。 で熟 取 り に出 て いた こ の月 は昭 陽 高田 と 空一 ② ・近江 福雄② ・片岡洋 一O② 、 桑野 次男② ・山内重太郎② ・星野 金子② が出 頭 し受 給 を 得 ると 組 頭 衣 非 氏 。 石川 文 一② ・木戸 龍 一② ・中畑 孝信② に面 会 を願 う 要 件 は ﹃ 山 人 の平 戸 、 森藤 芳枝② ・全江たま子② ・中村 紀彦② 藩 生 月 島 の診 療 旅 行 に 同 人 妻 の少 栞 を 同 伴 す る た め の藩 許 ︵ 女 性 の藩 外 旅 行 は特 別 許 可 が 必 要 ︶ を 得 る﹄ 。 、 にあ った 証 明 を 得 て 当 夜 は両 人 。 のため家 族 全 員 で別宴 を 催 し た 、 、 九月十 三 日 山 人 は 毎年 平戸 藩 現代 の 生 月 島 ・益 富 家 の定 例 診 察 ︵ 、 定 期 検 診 と 保 健 薬 方 の調合 ︶ に 少 。 栗 同 伴 で出 発 し た 初 め て の夫 婦 旅 。 従 僕 の久 八 を 供 に 薬 籠 行 であ る 医 療 具 と薬 な ど を 入 れ る︶ と 少 栗 ︵ ら の着 替 え行 李 を両掛 け に担 わせる。 、 、 益 富 氏 は 西 海 捕 鯨 王 と呼 ば れ 祖 父南 冥 の師 であ る永 富 独 噺 庵 の医 、 、 術 信 頼 に始 ま り これを 南 冥 雷 首 。 に相 伝 す る ま た当 主 先 代 か ら代 々 の同 家 子 弟 は亀 井 塾 に就 学 が つづ く 。 祖 傑 学 の認識 者 であ った 今 年 の少 、 乗 同 行 は 前 年 の雷 首 出 張 に明 年 同 藤 拓 ・安 部 利 行 正 彦 ・久 保 喜 蔵 山 駿 一・石 橋 観 一 那 須 博 ・桃 崎 悦 子 ・江 島 寿 人 鬼 木 圭︻夫 二石下 須 美 子 と 口 長 秀 子 安 永 友 儀 ・土 屋 正 直 ・山 口 朱 美 磯 崎 啓 子 ・大 庭 祥 生 ・森 盲憂 ロ 森 岡 栄 ≧ 一角 健 市 ・織 田 喜 代 治 柴 野 美 智 恵 ・鹿 口 村 陽 子 ・斎 士 久 芳 幸 子 ・長 吉 田 澄 彰 ・鍋 池 田 邦 夫 ・野 間 フ キ ・浦 上 健 宮 崎 集 ・都 筑 久 馬 ・柳 山 美 多 恵 毛 義 勝 ・村 上 昭 子 板木 継生② ・吉原 湖水② ・和国 慎治② 池 上 澄 子 ・江 口 博 美 ・宮 崎 和 子 山 口 孝 一ム,村 嘉 代 子 ・安 藤 光 保 石橋七郎6︶ ② ・上 回 博 ・大 神 敏 子 横出 智 一② ・末松仙太郎② ・藤木 充子② 西 村 忠 行 ② と石重 二郎2︶ ② ・玉 置 貞 正 ② ② ・原 重則T︶ ② 西島道子2︶ ② ・宮 徹男2︶ 西川 真澄② ・岡本 金蔵② ・青柳 繁樹② ② 黒川 邦彦② 圭表原 ヨネ② ・片桐寛子2︶ 最 ルぶヤ容│ ヤ 驚 子 │ケ 章 ミ │ケ 十 1章 ク │ミ │々 ″ こ ク を ヽ │“ 疑 ケ ヽ ▲ (豊ケ ボ ヽ ヤ ク 京 ド │ヽ ヤ 々 ケ ミ ミ ケボ ││ミ 常 ル │ミ ヽ ″ 癌十 ヽ ヽ 夕ど '│ミ │ク よ ヽ │ヤ ″ ド ヽ ケ 督 驚 ル │ミ ヤ ク 公 十 ド 母 ク ヽ ヽ ヤ 結)ヽ ヽ ″ ヽ “ ク 本 ヽ ″ 容 ド ヽ ,│ヽ 影 ク ぶ ヽ 富 章 ク かヽ 1長″ 本 ヽ ヽ │“ ク 本 営 像 を書 斎 の厨 子 ︵ 仏像 な どを安 置 す る両 と び ら の ついた飾 り屋 形 ︶ に移 、 。 す こ の後 は 全 員 無 礼 講 の大 宴 会 と な り、 みな飲 み倒 れ て止 む、 と。 空 石 日記 ﹂ の原 以上 は昭 陽 手 記 ﹁ 、 漢 文 を そ のま ま訳したも のであ るが 。 や や滑 稽 に思 わ れ ると ころも あ る し か し昭 陽 が少 乗 と婿 の雷 首 山 人 を 同 居 家 族 と し て迎 え入 れ た自 身 の歓 、 喜 を 生 真 面 目 に 儀 式 に表 現 し た行 。 事 であ る 素 直 に昭 陽 の気 持 を 受 け 。 入 れ る こと にし た い 、 こ の日 の ﹁ 空 石 日記 ﹂ 記 事 は 平 日が 三∼ 五 行 、 ま れ に十 行 程 度 にす べ て簡 潔 にさ れ る の に二十 一行 と い う異 例 の長 文 であ る。 こ の頃 にな ると、 藩 の南 冥 処 罰 に よ る連 累 と し て亀 井 家 にも制 約 的 な 。 監 視 が次 第 に緩 和 し て いた これ は 、 昭 陽 によ る謹 直 と自 戒 儒 者 職 を 認 め ら れ ず 平 士 に組 替 え ら れ て課 さ れ る下 級 士 の勤 務 も よく 果 し、 所 属 の 。 城 代 組 々頭 衣 非 氏 に篤 い信頼を得 る これ ら が少 栗結 婚 と夫 雷 首 の家 族 、 士 籍 身 分 を 得 る︶ 承 認 な ど 衣 判 ︵ 。 非 組 頭 の計 ら いは既述 の通 り であ る 、 雷 首 は 生 地 井 原村 の好 音 亭 を 解 、 い て百 道 の亀 井 家 地 内 に移 築 夫 婦 。 、 の住 ま い にし た 父 昭 陽 は こ の好 、 音 亭 が気 に入 り 時 々己 れ の書 机 を 伊 奈 義 之 ・甲 本 総 太 ・渡 辺 俊 江 “ 序 洋 子 ・大 串 梓 ・林 十 九 楼 櫛田 正己② ・櫛回 猶子② ・酒井 俊寿② 青 木 良 之 助 ・安 武 一房 子 ・松 本 雄 一郎 西村 久夫② ・添田 耕造② ・結城慎也2︶ ② 粘 屋 郡︶・斎藤 良 一② ・神崎憲五郎② ︵ 古賀 謹 二② ・有吉林之助② ・佐々木 謙② 吉田案山子② ・平 岡 と f西 尾 弘 子 筑 紫 郡︶・荒井 昇② ・与那嶺利三郎② ︵ 川浪由紀子② ・原 富子② ・西 村 国 典 太 宇 府 市▼ 石田 秀利② ・中村ひろえ② ︵ 春 日 市︶・後 藤 和 子 大 西 一 即 子 ・︵ 筑 紫 野 市︶・横溝 清② ・脇出涌 一郎② ︵ 古 賀 清 子 品 田 静 子 ・田 中 和 子 大 野 城 市︶・伊藤 泰輔② ・田代 直輝② ︵ 轡'水 鰻観 をヽ 餓な 1餓痕 1轟 汽鶴浸1念 1簿 なや 岳爺ド ラ捻1彰 客 ヽ 響ね(観 │“ 盗1章 ケ 奈ミ 餞ケ な ぐ 鱗│ 山 口 県︶ 能小 本 県︶・浜北 哲郎② ・︵ ︵ 大 塚 博 久 ・平 野 尊 識 去大 阪 府︶ 小山富夫2︶ 滋 賀 県︶ ② ・大櫛孝太郎② ・︵ 小掘 定泰② ・︵ 愛 知 県︶。杉 浦 五 郎 賊子 庄 野 健 次 ▲神 奈 川 県▼ 中 野 口 白瀬 中 士 不 雄 ・︵ 北 九 州 市︶・平野 厳② 片桐 一 二郎② ・知 足 久 美 子 ・石 垣 善 治 ︵ 佐 賀 県︶・甲本 達也② ・掘 田 和 子 鞍 手 郡︶ ︵ 苅 田 町︶・木下 勤② 。︵ 久保田正夫② ・︵ 工治② 飯 塚 市︶・小山 一 浮 羽 郡︶ 久 留 米 市▼ 野田 正明② ・︵ ︵ 大 牟 田 市︶ ︵ 八 女 市︶・松延 茂② ・︵ “ 獄 村 魁② ・古 賀 義 朗 ・杉 原 守 曹中 日 英 寿 ・床 島 静 ・︵ 糸 島 郡︶ 由比 主 阜祐② 。︵ 柳 川 市︶・庄 野 陽 一 酒川カツヨ② ・具鳴 菊乃② ・宮崎 春夫② 井 手 大② ・井上 清2︶ ② ・日 中 ト ク エ 合不 像 市︶・大島 成晃② ・原 田 国 雄 木 村 秀 明 ・︵ 甘 木 市︶・佐野 至② 々韻ヽ キ襲パ母ケ ヤ 1釜 ヽ キ 奪│え 森1岳 念響 ミ韓ラ 終ヽ ヤ 谷▼釜ネ捜 ケ 本 彰ぶ ヽ 影 々 森 ド 窓ミ 章″ 念ド ン “ 念ド ヤ “ 塵 ド ヤ観ま1釜 )k館 京 “ 轄,“ 01“襲'“ 鏡】 平成 3年 10月31日 (10) り よ だ 館 物 博 古 能 。 伴 を 懇 望 さ れ て いた の であ る 、 少 茉 ら出 発 後 の十 五 日 昭 陽 は 日 、 。 記 に ﹁天 雨 而 凄 然 感 風寒﹂と記す 、 ︵ 天雨も のすごく 風 寒きを感ず︶ こ の夜 か ら昭 陽 は発 病 す る。 、 十 六 日 夜 の会 講 を病 のた め休 講 。 、 。 す る 翌 十 七 日 は朝 講 午 も 休 む 、 。 十 八 日 病 のた め全 体 講 昭 陽 は 。 終 夜 不 眠 に苦 悩 す る 、 、 十 九 日 大 い に発 汗 そ のた め か 。 、 。 熱 は下 る 不 眠 前 夜 の如 し き と 、 、 すず 二十 日 書 生 一同 大 鑢 を 見舞 い 。 にく れ る 隊 伍 会 ︵ 城 代 組 士 の班 編 、 。 成 昭 陽 は長 を勤 め る︶ 休 む 症 状 は熱 が つづ き ふ る いが止 ま ず 。 病 状 悪 化 し毎 夜 ふる いが甚 しくな る 医 師 は南 冥 に学 んだ生 民 ︵ 博多 に 、 開 業 ︶ で 長 く昭 陽 の主 治 医 的 存 在 。 で昭 陽 も 信 頼 生 民 は病 気 の主 因 を 。 確 認 でき な い で いる 、 、 ︵この間 日記記事あるも 省略する︶ 、 、 、 二十 八 日 夜 山 人 友 也 及久 七 。 、 。 生 月 ょ り帰 着 又 ふ る いが出 る 。 、 二十 九 日 生 民 来 診 日 々見 舞 客 。 が多 い 塾 は書 生 達 の総 意 で当 分 休 。 見舞者氏名 と見舞品目な 講 とす る ︵ ど日記記載あるも省略、昭陽病状経過の み掲記する︶ 。 、 、 三十 日 こ の日 夜 ふ る いやむ 、 、 十 月 一日 生 民 そ の助 手 大 生 と 。 り よ だ 館 物 博 古 互 い に朝 夕 交 替 で昭 陽病 床 に就 く 能 (11)第 10号 〓 ・ 鞄 ツク 薬 鵠 ヱ 拝 一■ 運 日 西 物 流 爛 。原 重 則︵ 福 岡︶ 一 計事 、 搬唯活動 鱒調陣誹却催事企画 に参加︶ ︵ 友 顛 議 塞 謎 寵 、 福 岡︶若 右 の会費受領 は そ の都度本誌 に盟 誤 佃 笠 組 ・笠 忠 夫︵ 。 福 岡︶十 以後会費相当期間を名簿 にします 博 多 ち く わ ・爛 色小嘉 ・松 尾 嘉 助︵ 音 ︵ 碑 鞠 輛珊訓型 ☆腿購純酌端 嘲 用腿 酬 帥 麒 縮 端 帥一〓 帥 静﹂ぜ 運十中 的 一中 韓 中 嘩一 。 次第 お送 りします 山 谷 運 送 伺 ・山 谷 悦 也︵ 東京︶, 堡 景 ② ② 姉的 呻中一 弟 的一 等 ∞一② ② 一中の ﹂中一 。 り とうござ いました。 東 京︶ 王男︵ 福 岡︶② 十 西村 俊隆︵ ② ・大里 由 一 下 さ い あ が ② ② 、 、 寛 ② ② 測 一 げ 鉛 調 嚇 棟 ω 銅 抽 陸 晰 端 崎 ギ 御 帳 軒 彼 詢 勤 離襲 静蜘 輸華 導 十 一 ② ②華 十 一 雀 官隔賛 会 △否貝 ︵ 個 人 ︶︼ 、 先号以後 ■白生︱三日 幸 ※新規 の御加入 ︵ 。 福岡︶ ②会費は御継続のしるしです 式 0 ク リ ー ン 開 発 ・野 田和 薦︵ 庁 ≡ 京 吉 葉 一 一 一 約 的 巾 陣 撲域酢 中 け 却 麹 端海 輸 四非 覗華 中 一韓 一 信 夜 は馴太 郎 ︵昭 陽 妹 婿 の山 口白 責 。 の長 男 で甥 に当 る 学 問 秀 才 で昭 陽 。 嘱望 の青 年 ︶ が看 護 に就 く 、 二 日 ふ る いな し拘 前 日か ら尿 量 。 。 を 計 る 前 日 四合 二勺 本 国四合 五 。 小 水 ① 升 ①合 勺 こ の尿 量 記録 は ﹁ 。 ① 勺 ﹂ と し て日記 の始 め に記 す 、 、 舎 一 四 五日の記事省略︶ 、 。 六 日 小 水 七 合 二勺 ふ る いや ま 、 。 ず 衰 弱 が進 む 、 、 少 乗次 妹 で 七 日 小水 九合 敬 ︵ 母実 家 の ﹁五島 屋 ﹂ 早 船 家 に嫁 ぐ︶ 。 見舞 い に来 る 、 。 八 日 小 水 一升 一合 四勺 。 、 九 日 小 水 一升 六 合 一勺 、 以後 十 二月 十 二 日ま で七 十 一日 、 間 日 々 の小 水 ︵ 尿︶ 量 記 録 つづ く 。 が十 一月 下 旬 か ら病 状 軽 快 に向 う 、 、 十 二月 五 日 周 易 朝 講 卒 業 以後 。 礼 記特 別 講 を始 め る 尿 一升 二合 、 地 引 き網 六 日 山 人 が鯛 を 獲 る ︵ 。 によ るか︶ 四 日 に妻 が 末 子 修 二 郎 と 浜 実 家 帰 り 二泊 し て帰 る。 姪 。 少 乗 同 居 で母 に余 暇が生 じ ている 。 尿 七 合 二勺 。 七 日尿 九 合 八勺 八 日尿 一升五句 、 、 九 日 朝 気 が 屈 し て いたが講 義 、 。 中 に頗 る快 にな る 中 食 後 に睡 眠 。 夜 間 に起 き 内 則 を 閲す 尿九合七句 。 少 乗 にも 父 の健 康 恢 復 が見 え る 以下次 号︶ ︵ 身│″ テ ラ■ヤ■│十 練ヽ デ│ム■│,│ラ (窓ヽ 本 年 八 月 三 日∼ 九 月 八 日 o東 京 都 板 橋 区 立 美 術 館 の開 催 ﹃江 戸 の関秀 、 、 画 家 展﹄ に 亀 井 少 栗 作 品 三点 が 、 作 家 六 十 一名 そ の作 品 一二 一点 の 、 。 中 でと く に高 評 を 得 た と 同 館 主 任 学 芸 員 安 村 敏 信 氏 の九 月 十 九 日来 。 、 館 によ る談 話 であ る 同 展 は 日本 、 経 済 新 聞 に同氏 の寄 稿 が掲 載 さ れ 、 全 国 に反 響 が あ り そ の中 で当 館 訪 、 間 の連 絡 と な って 当 方 も情 報 を 得 る好 機 会 と期 待 し ていた。 な お同 氏 は、 同 展 企 画 のた め資 料 収 集 中 に東 、 京 古 美 術 商 で ず いぶ んと 元 気 のよ 。 い菊 図 一幅 を 目 にし た 大 輪 の ヒ マ ワリを 思 わ せ る筆 勢 のよ い菊 花 で、 。 いう これ が氏 の少 茉作 品 に初 の出 。 会 い であ る 、 ﹁ 結 局 福 岡 市 博 物 館 で 二 点 の少 、 。 乗作 を 加 え 計 三点 を 展 示 し た 市 、 博 物 館 で 亀 陽 文 庫 の こと を 聞 いた 、 が ま だ少 乗作 品 に認識 が足 ら ず 会 期 には全 く アト のま つりと な る後 悔 。 を痛 感 し た ﹂ 当 館 で少 乗 自 題 画 か ら書 跡 、 写本 類 ま で展 開 し な が ら の 。 、 応 答 であ った 同 展 で 九 州 は亀 井 、 、 少 乗 が唯 一で 観 客 の注 目 を 集 め さ ら に女 流 ら し か ら ぬ活 達 な作 柄 が 、 。 好 評 にな ったと く りか え さ れ た ま た、 同 展 を 見 ら れ た埼 玉 県志 木 に最 も心 打 た れ 、 た とし て ﹁群 業 を 右 か ら左 斜 め下 に鋭 く横 切 る名 刀 一 、 閃 の冴 え 下方 玉蘭 、 細 香 ら と と も に漢 詩 人 と し て 登 載 総 数 約 五 千 のう ち女 流 は十 指 に 、 。 満 たな い 亀 井 少 栞 は そ の輝 け る 、 暁 天 の星 ⋮ ⋮﹂と 賞 賛 を よ せ ら れ 。 た 、 、 次 は 自 分 の こと にな るが 多 年 、 少 栗作 を 目 にし た せ いか 一つの馴 。 れ が生 じ ている 以上 の高 評 に目覚 。 め さ せ ら れ るも のが あ る 、 最近 わか って来 た こと を 述 べる と、 少 乗 は、 文 人 画 の要 件 であ る自 。 、 題 詩 に 同 一詩 が な いと いう事 実 と か く文 人 、 南 画 家 に は同 一詩 を重 。 複 し て使 う例 が見 ら れ る 多 作 で知 ら れ る 日田 の五 岳 作 に これ が多 い。 ま た、 自 題 の詩 作 が得 意 でな い直 、 耕 石 には南 画 の大 家 にさ れ な が 入 ら基 本 の学 力 不 足 のた め短 句 四字 程 。 度 を 冠 し た作 品 を多 く 見 受 け る これ に比 べ、 少 栗 は、季節、図柄 、 、 、 寓 意 を 自 在 に五 七 言 絶 旬 と し 同 。 一詩 を使 わ な い の であ る 、 、 因 み に 東 京 展 の菊 図 蘭 石 図 の 、 題 詩 の訓 読 を 付 し 図 録 写真 を掲 げ てお く ﹁ 菊 図﹂ 重 陽 いた ず ら に 永歎 す 病 み つか れ 菊 を 栽 ず の叢 か ら湾 曲 し て伸 び た 一葉 の 病 糠 不栽 菊 自 ら 一枝 を 画 き 看 る のみ 杯 を 杷 って返 杯 す る な し 重 陽徒 永 歎 自 画 一枝 看 把杯無所 酢 凛然 たる張 り打 ﹂ と 述 べら れ、 ﹁少 乗 は ﹃漢 文 、 学者総 覧﹄ に 蘭 石 図﹂ ﹁ 伊 昔 騒 人 胴 これ土民 文 人 の心 にと め る も の 、 満 庭 に奔 る 国 香 奔 満 庭 国 の香 秋 来 家 醸 美 秋 来 れ ば 家 に美 を 醸 す 花 畔 独 何 醒 花 の畔 独 り 何 ぞ 醒 す や 、 な お 東 都 女 流 展 の画 題 は 四君 子 、 、 、 、 ﹁梅 蘭 竹 菊 ﹂ 図 が多 く 三 二点 、 山 水 図 二 四 桜 花 七 で全 展 の半 数 を 、 占 め 次 で花 鳥 、 浮 世 絵 、 狩 野 派 等 。 は女 性 絵 師 、 文 人 と半 数 を 分 つ 巻頭文 では多 々羅義雄 の師平嶋信 に つ い て知 る ことが できた。平嶋 は青木繁と 親交 があ るなど美術史上 にも顔を出す人 。 であ る 彼 の遺族を通じ平嶋 ・多 々羅師 、 弟 のそ の素顔を垣間見 新鮮 な気持ち で 。 再び多 々羅常設展示室 に立 ってみた 写真 杉 山 謙 印 刷 タ イ ム社 印 刷 株 式 会 社 日‐ 1 12月 29占 ■1月2‐ ‐ │││││‐ ‐ 人 高 300円 1中 八館料 六 生200円‐ ││││ ⅢⅢ 能 古 博 物 毎 ギ案 内 !│■ │ 開‐館 9130ん 17:00(入 館16:30ま で) 休館日 毎 週月曜 │ │ │ │ │‐ │(月 確が切 白の場合は次の甲)│││ 冬 青 社 ﹂ 主宰 の坂 本 守 正 さ ん 市の ﹁ と いう方 か ら、 ﹁蘭 画 自 題 ﹂ 少 乗 作 福 岡市 博物館蔵 作 者 は亀 井 少 乗 と いう福 岡 の女 性 と 志 ド ト式 、 すょ ざ﹁ ド峯 i ■ す す i ヽ 一 ユ 一■十 少 乗 「菊 図J 墨 画 1168× 279 少 乗 「蘭石 図J 墨 画淡彩 1 2 1 5 ×5 0 8 (12) 平成 3年 10月31日 り よ だ 館 物 博 古 能
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