ブランド論の代替的視座と マーケティング戦略への示唆

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★
論文
ブランド論の代替的視座と
マーケティング戦略への示唆
笊 ――― はじめに 本稿における問題意識とその背景
笆 ――― 歴史にみる伝統的なブランド論とブランドの中核機能
笳 ――― マーケティング行動主体の多様化と伝統的なブランド論の限界
笘 ――― メーカーの情報・知識と流通企業の情報・知識の特性
笙 ――― 流通企業のマーケティング行動特性と「インテグリティ問題」
笞 ――― 小結 個別文化生成過程としてのマーケティング観に向けて
東 伸一
種々の取引における契約の不完備性を低減な
● 青山学院大学 経営学部 准教授
いし克服し,買い手の選択行為を助成する機
能であるととらえることができる。その意味
笊――― はじめに 本稿における問題
意識とその背景
では,個々の消費者とブランドの売り手との
間の個別の取引次元・コミュニケーション次
元がその分析単位になるともいえる。
本稿は,マーケティング活動における取引
一方,本稿で検討をおこなってゆく「ブラ
過程とコミュニケーションの相互作用プロセ
ンド」概念は,(結果として)そうした知覚符
スの中に見出される文化生成側面に焦点をあ
号機能を果たすことはもちろんであるが,売
て,そのなかでもとりわけブランドの果たす
り手と(多段階からなる多数の)買い手との
役割について,ひとつの代替的な視点 ― 個
間,さらには買い手,とくに最終消費者同士
別文化形成機能としてのブランド観 ― を提
の間で直接的・間接的に形成される横のつな
示し,その概念形成の背景にかんする端緒的
がりの中で展開される(しばしば間接的な)
な考察をおこなうことを目的とする。
相互作用を通じてブランドの中に蓄積され,
マーケティング論における伝統的なブラン
埋め込まれてゆく「象徴(シンボル)」を基軸
ド概念ないしブランド化の基本論理の視座か
に生成する個別文化のコミュニティとしての
ら眺めると,ブランドの中核的な機能目的の
市場型関係性空間 1)におけるコミュニケーシ
ひとつは「知覚符号」化にある。簡単にいえ
ョンに根ざしたものである。換言すると,取
ば,ブランド化の対象となる製品・サービス
引とコミュニケーションのプロセスに内在す
の複層的な品質属性次元を標的市場細分の消
る文化生成のエージェントとしてのブランド
費者が知覚する欲求(理想点)と効果的に結
の視座ということになる。
びつけるための意図的で計画的な「目印」づ
このような形でのブランド論へのアプロー
くりである。これは,個人としての消費者
チは,伝統的なブランド論のロジックとは若
(買い手)が購買選択をおこなう状況において,
干異なる接近方法をとる。確立した強力な
売り手が選択のキュー(手がかり)を提供し,
(目印としての)ブランドが有する構成要素を
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ブランド論の代替的視座とマーケティング戦略への示唆
分解・還元し,それらに共通する「ブランド
たがって,企業がそのマーケティング活動を
要素」の諸特徴にみられる一定のパターンの
通じて,固有の市場(細分)に物流と情報流
適用を「強いブランドづくり」の定式として
の双方で効果的に到達し,そこに競争相手の
普遍化しようとする要素還元主義的な立場が
影響から隔離された個別市場を創造するため
伝統的なブランド論が展開する論理のひとつ
には,個としての消費者の購買選択行動だけ
のあり方だとしよう。一方,ここで考察する
でなく,それらがいかにして集団化し,どの
ブランドへの接近方法は,そのような「結果
ような意味が生活世界の中に新たに埋め込ま
論(あと付け)」の要素還元による静態的論理
れてゆくのかについての知識が不可欠となる。
ではなく,象徴(シンボル)を媒介して個別
ここでもうひとつ注意しておきたいのは次
の文化が生成する(あるいは,個別文化を通
の点である。伝統的なブランド論における知
して,市場型関係性空間固有の「準集合財
覚符号化を経由したブランド化への道のりは,
[quasi-collective goods]」 としてのブランド
マーケティング活動のはたらきかけの対象と
2)
の象徴性(シンボル)が生成する「プロセス」
なる市場細分(群)の構造や構成についての
ないし「システム」の動態そのものに目を向
事前のデータ収集と分析,あるいはそれらの
け,文化生成プロセスとしてマーケティング
創造的な解釈に基づいて計画的に設計された
過程を理解しようとするアプローチである。
マーケティング活動要素を目的実現のための
ここでの主たる関心の対象は,ブランドと個
実施システムに落とし込む一連のプロセスに
別の消費者との間の特定状況の下での購買選
特徴づけられる。組織内部で意思決定される
択過程ではなく,個々の消費者の選択行動,
マーケティング戦略計画と市場でのその実施
さらには商品の使用場面の集積が,集団現象
過程における相互作用の結果としてもたらさ
として昇華する,つまり文化として自己組織
れるマーケティング成果とをできる限り近似
化してゆくプロセスにある。換言すると,消
的な関係へと導いたり,操作したりしようと
費者行動論における主要視座となる「個人と
するリニアな性格を有する。
しての消費者の心理的プロセスによる選択行
他方,個別文化生成プロセスになぞらえら
動」の側面よりも,むしろ,それら個人の選
れるブランド観では,市場の中に形成される
択行動が自己組織的に生活世界の中で集団化
関係性空間の参加者によって共有・共創され
する過程の重要性に主眼を置いているという
る「準集合財」としての象徴資本が取引を介
ことである。それは,市場化された製品に事
した能動的なコミュニケーション投資を通じ
前に付与された(ビルトインされた)商品価
て意味構築される性格を色濃くする。そこで
値が日常生活の中でより具体的に最終使用者
のマーケティング行動の主体となる企業とそ
のコミュニティの中で有意味化される社会的
れを取り巻くステイクホルダーの相互行為の
プロセスないし文化普及プロセスへの着目と
形態は,各主体による関係性参加に対する能
もいえる。マーケティングによる市場概念は,
動性・主体性がゆえに,自ずと協調化・協働
(企業と常軌的な取引関係におかれる)比較的
化してゆく性質をもつ。マーケティングによ
同質的な顧客の集合としてあらわされる。し
る市場創造の理念型は常軌的な取引とコミュ
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ニケーションを包摂する市場(個別市場)で
つづいて,それらのマーケティング行動の
あり,この概念自体が関係性であるともいえ
調整様式にみられる一定の支配的パターンは,
よう。ただし,マーケティング活動によって
一面においては企業(群)の短期的なマーケ
指向される関係性は,あくまでも市場システ
ティング行動目的の実現に大きな貢献を果た
ムの中に構築される関係性である。その意味
しているといえるが,長期的な観点からとら
では,関係性への参加とそこからの退出は,
えると,それらが「市場型関係性」に根ざし
程度の差こそあれ,買い手による随意の意思
た有効な市場づくりに向けたはたらきかけで
決定が可能である。したがって,買い手が売
あるとはいえない場合もあることを問題提起
り手との関係,さらには買い手同士の関係の
しておこう。マーケティング行動の時間的広
中に長期にわたって身を置くということは,
がりを考えた時に,短期目的と長期目的との
関係に対する能動的な態度ないしコミットメ
間にこうした齟齬が発生する背後には,消費
ント意図が作用していると考えられよう。
の多様化の三つの次元(時間的多様化,消費
しかしながら,そのような相互作用図式の
者内多様化,消費者間多様化)や社会的に拡
もとで展開されるマーケティング行動は,シ
散する「情報量」の増大といった,生産と消
ステムとしての運動目的そのものや目的実現
費,そしてそれらを橋渡しする流通をめぐる
のための変数設定,情報処理の様式などとい
タスク環境の変化がもたらす「幻想」や「表
う観点からは,上述の操作型のマーケティン
層的な現実」による影響が作用していること
グ枠組み と比較した場合,より非構造的で
が想定される。
3)
曖昧なものとならざるを得ない。伝統的なブ
この齟齬の発生原理の理解は,「システムと
ランド論のロジックと比較すると,行動成果
してのファッション」の概念を援用・導入す
の操作性が低く,短期的な成果実現という観
ることで説明が可能となる側面をもつ。なぜ
点からは,非合理的かつ不確実性の高い行動
なら,マーケティングの行動システムとファ
システムであるともいえるだろう。
ッション・システムとの間には,両者の運動
このような問題意識に鑑み,本論文では,ま
システムの目的において,ある種の共通性を
ず,マーケティング生成期までさかのぼり,伝
見いだせるだけでなく,システム目的に対す
統的なブランド論の図式およびマーケティン
る解釈がおこなわれる際にも類似した形態で
グ空間の特性を概観するとともに,現代にお
の誤解が発生しがちであるからだ。両システ
けるその顕在的・潜在的な陥穽についての指
ムが共有する運動目的とは,常軌的・継続的
摘を試みる。ここでは,マーケティングの登場
に取引される普遍性をもった商品ないし取引
から現代にいたるまでの「マーケティング主
を核にして生成・展開する関係性の発見であ
体」― どのような機関がマーケティング行
る。マーケティングの行動システムは,主に
動システムのなかの主要行為主体であるのか
その行動主体と顧客によって構成される個別
― の変遷過程や,マクロな課業環境変化の
市場のコミュニティを形成することを目的と
連続に対する企業組織(群)のマーケティン
するが,より社会的な性格をもったファッシ
グ対応の調整様式が議論の主たる対象となる。
ョン・システムでは,社会的に流通する商品
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に対する集団的選択プロセスのフィルターを
インフラが導入されることで,それまでは各
透過して,時間・空間の制約を超えて受容さ
地域市場の商人たちの間で個別に用いられて
れる商品との邂逅に向けた探索が,しばしば
いた商取引用語が電信メッセージの文字数・
蕩尽の連続という副産物を伴いながらおこな
桁数制約を克服するために全国的に統一され
われる。そして,マーケティング・システム
るなど,広い地理的範囲に及ぶ取引活動にお
とファッション・システムの両者は,文化生
いて,大量の情報を正確かつ迅速に伝達する
成行為の連鎖としてとらえることができる。
ことができるようになった。こうした交通・
このような視座から,上述のマーケティング
通信のインフラ拡充による物流・情報流の円
目的の齟齬問題を紐解くことで,先述したブ
滑化は,消費財の大量生産のための設備投資
ランドの第二の側面である,個別文化生成機
をおこない,階層型組織と複数の事業部から
能への接近が図られるとともに,マーケティ
なる近代的な組織をもった大規模メーカーが
ング戦略にかんする若干の示唆を得ることが
全国市場に向けた大量販売を目指すきっかけ
できるだろう。
を与えたといってもよいだろう。
つぎに挙げられるのが,大衆への大量情報
笆――― 歴史にみる伝統的なブランド
論とブランドの中核機能
伝達を可能とする情報媒体の発展とそれらを
支援する基礎技術の充実である。初期のマー
ケティングの時代には,新聞や雑誌などのい
19 世紀の終わり頃から 20 世紀の初頭にか
わゆる紙媒体によるマス・メディアの発達が
けてのアメリカで近代的なマーケティング概
見られたが,それらが普及するためには大量
念の登場をうながした課業条件の変化には,
印刷に適した製紙法や印刷技術の改善を欠か
いくつかの重要な構成要素を挙げることがで
すことができなかったし,掲載する情報と媒
きる。そのうちのひとつが,交通・通信の基
体自体の伝達・輸送の手段としての交通・通
盤の発達である。従来は,気候条件や季節要
信基盤の拡充が必要であった。マス・メディ
因の影響を受けやすく,動力源も未発達な輸
アはのちにラジオ,テレビを加えたマス四媒
送モードが主流であったため,市場は地域市
体に展開してゆくことになるが,マス媒体の
場の範囲に限定されがちであったが,鉄道網
登場がマーケティングの歴史上で果たした重
が国内の主要地点を包含するようになると,
要な役割のひとつは,広告=情報による絶え
大量の商品だけでなく人間の移動も地域市場
間なき欲求の創造と生活世界のイメージの形
の制約を超えるようになり,やがて全国規模
成助成とその伝達であった。以下に述べる,
の市場(全国市場)が成立することになった。
購買力と購買選択の自由をもった個人として
鉄道による物流・輸送水準の向上に加え,通
の消費者を主体化させるための切り札である
信インフラの充実が加速したことで,効率
「消費欲求」を喚起すること,あるいは行き先
的・効果的な物流を支援するための情報流の
の定まらない抽象的な欲望を具体的な対象を
質・量両面での飛躍的進歩がみられたのであ
もった欲求へと転換してゆくことが,その役
る。具体的には,全国的に標準化された通信
割として期待されていたのである。いわば,
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マーケティングとは,このように社会的な望
とくに,非物理的品質(数値や文字などに
ましさを前提に,生活世界の中で潜在化して
よる客観的な説明の困難な製品機能・属性)
いる(明確な目的のないという意味での)欲
あるいは非機能的価値にかかわる消費欲求が
望を(具体的な対象や目的を備えた)欲求へ
消費文化の進展とともに高まりをみせるにつ
と変容させることで,仮需を実需に転換する
れて,同種カテゴリの商品に対する多様な,
働きを果たしているのである 。企業がその
異なった需要(異質需要)が生まれたり,同
本質的な事業目的である存続(going concern)
種の欲求を充足する手段の多様化が起こった
を実現・維持するためにマーケティング活動
りするようになってくる。近代的なマーケテ
4)
を遂行するプロセスでは,欲望を欲求へと昇
ィングの思考が前提とする,市場細分化
華させ,製品使用の普及によって生活世界に
(Market Segmentation)とそれに基づいた標
新たな意味構築がなされることが目指される 5)。
的市場(Target Market Segment)の設定は,
マーケティングの登場をうながした主要因
企業がいかに創造的かつ明確に,ある特定の
の三つ目は,漸進的な消費社会の成立とその
製品カテゴリでの消費者の異質需要を類型的
発展・成熟である。いかに,全国を結ぶ物流
にとらえ,自らの組織のもつ経営資源・能力
網や情報網が充実し,マス・メディアが発達
に照らし合わせながら標的とした市場細分に
していたとしても,大量生産された商品が矢
向けて開発された製品・サービスを通じて能
継ぎ早に大量消費される循環が成立するため
動的にはたらきかけてゆくかに関することで
には,ある程度,消費が主体化するための条
ある。ただし,より高次で,より構想力の高
件が揃っていなければならない。つまり,消
い市場細分化を起点とした市場創造活動が展
費行為が家計の必需的消費欲求によって拘束
開されるためには,消費の高度化・高級化が
される水準が低下し,購買力,消費選択の自
不可欠となる。その意味では,消費社会の発
由,そして消費欲求を有する消費者が,
「個人」
展経路の中で顕著になった「消費の非合理化」
として消費を通じた快楽や娯楽を追い求める
傾向が強まるにしたがって,近代的なマーケ
―快楽原則に従った消費を展開する―状況な
ティングの発想による「非合理的な消費に対
くしては,大量生産・大量消費のシステムは
する合理的な操作と適合」への可能性が広げ
部分的にしか成立しえない。また,そのよう
られていったといえる。つまり,消費の主体
な裁量性が高く,快楽指向の強い消費が繰り
化が進むにつれて同種製品(カテゴリ)に対
広げられ,
「買えば買うほど,また欲しくなる」
する欲求が分化し,より明確な市場細分の類
消費様式が性別や年齢,階級,職業,地域な
型化をおこないやすい製品市場群が出現した
どの相違を超えて広く受容された文化となっ
ことから,標的市場細分における消費者欲求
た社会―消費社会―では,消費は,もはや機
への適合性の高い製品による市場創造機会が
能的な目的を達成するための「手段」である
拡大したということである。
だけではなく,それ自体が社会的な意味や文
さらに,ある製品カテゴリにおける生産・
化的な記号を帯びた行為になったり,快楽や
流通技術・プロセスが高度に安定化・効率化
レジャーとして機能したりするようになる。
した状況を想定すれば,消費者による特定製
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品に対する選好を最終的に規定する要因は,
レベルで少なくとも納得行動として,理想的
購買対象となる製品のもつ属性のうち,非物
には満足行動として特定の製品を購買するこ
理的品質属性や非機能的価値に依存しがちに
と,すなわち自らの選択行動の不完備契約性
なる。なぜなら,多くの買い手の間で相当の
をできる限り完全に克服することを助成する
知覚共通性の見出される垂直的な製品属性の
知覚符号としてブランドは機能する。ここで,
みに依存した差異化や価格を主要な手段とし
消費者は自らの選択行動の結果の不確実性が
た競争は,生産サイドの全般的な高度化によ
低減されることに対して,多少の超過費用を
って次第に同質化し,大きな意味を持たなく
支払うことをいとわない。また,この製品を
なるという条件がここではしばしば成立し得
取り扱う販売業者も,消費者がそのような知
るからである。したがって,「モダン」な−
覚イメージを抱く製品を優先して品揃えし,
完全情報の獲得と処理による − 経済合理的
この製品への特別な販売促進をおこなったり,
な選択行動を消費者が自らに期待することは
メーカーのブランド化イメージを維持するた
一層困難となる。仮に,より完全情報に近似
めの高価格での販売をおこなったりする。販
した情報に消費者が接近することができたと
売業者にとってはブランド化した人気銘柄商
しても,そのことは時に契約の不完備性を一
品を高価格で大量に販売することによる収益
層高める結果を招くかもしれない。現実の取
機会が期待されるばかりでなく,メーカーか
引過程における「情報量」は経済学で想定さ
らのさまざまな支援を受けることもできる。
れるような「行動結果の不確実性を低減する」
さらには,この製品を製造するメーカーは,
役割のみを果たすだけではない。時に情報は
消費者に対して,そして取引先販売業者に対
不正確であったり,攪乱的であったりする性
しての不完備契約克服機能を提供する代わり
質を多分に含んでいるからである。このよう
に,このブランドの製品を市場価格より高い
な,意識するか否かにかかわらず,誰もが日
価格で販売し,なおかつ販売業者が流通段階
常生活の世界で直面している選択行動におけ
でも極端な値引き販売をおこなわないため,
る契約の不完備性を克服する機能をマーケテ
結果として消費者と取引先業者の満足にもと
ィング,そしてそのうちの(知覚符号として
づいた特別利潤を実現できる機会を見いだす
の)ブランドは,提供しているといえよう。
ことができる。こうした性格を内包している
現実の生活世界における消費者は,自らが
のが,近代的なマーケティング思考が発展す
日々選択する無数の製品カテゴリの商品につ
る中で定着していったブランドの論理であり,
いて,その垂直・水平的な品質属性にかんす
現在のブランド論の根幹を成しているといっ
る完全な情報を手にすることができない。た
てよいだろう。
とえそれらを手にしたところで合理的な選択
笳――― マーケティング行動主体の多様
化と伝統的なブランド論の限界
行動をおこなうことは,消費者自身の時間
的・情報処理能力的制約上,困難であろう。
このような限定合理性状況のもと,消費者が,
現代のブランド論の中核概念は,上記のよ
その垂直的・水平的製品属性について,知覚
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うな歴史的過程の中で形成されてきたもので
し,全国規模の広告や営業部隊による販売促
あり,そのロジックは極めて明快なものであ
進活動を展開するなど,販売業者の顧客誘引
る。つまり,メーカーが(1)消費者の主観的
力を高めるための諸資源を有している図式を
な知覚の観点(異質需要の観点)から,標的
指す。このような販売経路の垂直的構造は,
となる市場細分の消費者の欲求に垂直的・水
現在では多くの場合,当てはまらない,ない
平的な製品属性の両面において適合した特異
し非現実化していることが多いだろう。チェ
商品を開発し,(2)それら差別化された商品
ーン・オペレーションをおこなう大規模小売
のブランド化を通して非価格競争による競争
企業は,かつて各業界の主要メーカーが組織
を展開し,(3)それを支援するための流通段
化を試みてきた中小販売業者とは異なる性格
階(卸売と小売からなる販売経路)を組織化
をもつ。これら大規模小売企業の店舗は大き
してゆく という図式に集約することができ
な売場面積をもち,その品揃えの幅と奥行き
る。ここでのマーケティング行動主体となっ
は,しばしばフルライン化しているメーカー
ている特定のメーカーの行動目的は,とりも
であっても対抗しうるものではない。そのよ
なおさず自らの特別利益の実現ではあるが,
うな広く深い「実物展示(実物の商品が展示
上述の通り,目標達成のためには標的市場の
されていること)」は,特定メーカーの広告な
消費者の消費者満足が不可欠なだけでなく,
どを通じた情報伝達よりもはるかに豊かな情
流通段階を構成する販売業者による特別な販
報と使用体験を提供することができるため,
売促進努力や(ブランド・イメージを強化す
メーカーによる広告効果が低減されることに
るための)高価格の維持を獲得するための誘
なる。また,小売店舗の売場では,同一カテ
因の提供が必要である。そこで,消費者満足
ゴリの単一(ブランド)製品群を組み合わせ
のための,そして流通業者の協力を得るため
て多製品化した品揃えが形成されるだけでな
の最も重要な資源のひとつとして機能するの
く,異なるカテゴリの製品同士が融合され,
が,ブランドによる不完備契約克服性である。
生活世界の中での多様な消費・使用の形態を
しかしながら,このような伝統的な形態のブ
提案することもできる。
ランド論のあり方は,一部の有力メーカーの
さらに,大規模小売企業は,チェーン本部
例を除いては,長期にわたってある種の転換
を通じた一括購買をおこなうことが多いため,
期に置かれているといってよいだろう。ふた
その購買力は大きく,大規模メーカーであっ
つの理由から考えてみよう。
ても特定の大規模チェーン小売企業にその販
ひとつには,伝統的なブランド論の枠組み
売数量・販売金額の大きな部分を依存するこ
が最も有効に機能すると考えられるのは,大
とになる。また,一部のチェーン・ストアの
規模なメーカーが中小の販売業者と対峙して
本部は,自店舗に向けた太い調達・供給経路
いる状況である。つまり,メーカーが販売業
を組織化しているだけでなく,自社のチェー
者と比較した場合において,圧倒的な事業規
ン・オペレーションの範囲外にある小売商に
模,製品知識・技術・ノウハウ,そしてフル
対する卸売機能を遂行している。多製品によ
ライン化した製品系列とそのブランドを保有
って構成され,一定の地理的範囲に限定され
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る地域市場が鎖状に連結した小売市場の特性
状況が発生しやすくなる。
に鑑みたこのような施策は,チェーン・オペ
さらには,小売企業において,PB の開発を
レーションを展開する小売企業の調達・供給
基軸とした小売ミックス[Retail Mix]とそ
活動における更なる規模の経済および範囲の
れを支援するバックヤードのシステム(商品
経済の実現に資する役割を果たしているとい
調達経路の組織化=最終製品の製造業者だけ
えよう。こうした大規模小売企業の側では特
でなく,原材料の生産者(原始供給者)をも
定メーカーへの仕入れ依存度が低下するため,
包含する,生産段階と卸売段階のネットワー
メーカーに対する取引交渉力は一層強いもの
ク化)によって構成されるサプライチェーン
となる。小売企業のもつ購買支配力の増大は,
の構築を通じた小売事業ブランド化が起こっ
取引価格引き下げ,数量割引,物流経費など
ている場合には,消費者のロイヤルティ(忠
の負担や販促援助金などのメーカーへの要求
誠:Loyalty)は,特定のメーカーによるブラ
といった形態で表面化し,その結果としてメ
ンドを対象とするのではなく,特定の小売店
ーカーによるブランド化シナリオの中核をな
舗へと向かうベクトルとなる傾向を示す場合
す,「流通段階での価格の安定」という前提条
がある。あるいは,特定の店舗を含む地域な
件が崩壊する。また,大規模小売企業は,そ
いし商業実績がその選好・忠誠対象となるこ
の収益実現過程でメーカーとは異なる指向を
ともある。このように,かつての大規模メー
示す。メーカーは,自らが展開する製品系列
カーを主体としたマーケティング行動システ
を収益単位とするが,大規模な小売企業はそ
ムが,流通企業,とりわけ大規模小売企業を
れとは異なる集計単位をもつ。たとえば,消
中心としたものに代替されるようになったこ
費者の買い物バスケットの中身全体であった
とで,伝統的なブランド論によるブランド化
り,棚(シェルフ)であったり,部門であっ
の論理の一部が限界に直面することになった
たりという具合である。したがって,大規模
のである。もちろん,伝統的なブランド論の
小売企業にとっては,有名な人気ブランドの
枠組みは,小売企業によるマーケティングに
商品を特売の目玉(ロス・リーダー)として
も応用可能なものであり,その位置づけは今
値引き販売した上で,同じ棚(あるいは部門)
後も主要なものであり続けることが予想され
の(プライベート・ブランド[Private Brand
る。
: PB]商品も含む)他の商品群によって収益
ただし,流通企業によるマーケティング行
のバランスをある程度の品揃えの範囲におい
動が,ここで挙げる(伝統的なブランド論の
て 確 保 す る こ と が 可 能 と な る 。そのため,
限界をもたらした)もうひとつの理由として
個別メーカーによるブランド化シナリオのう
の「消費多様化」7)という構造の下で繰り広げ
ちの,「高品質―高価格,高価格―高品質」か
られることで生起する問題が,不完備契約克
らなる知覚連想効果の創造に向けた努力も,
服性を起点とする伝統的ブランド論にかわる
ここで障壁に直面するのである。これらによ
代替的な視座を一部に導入することをせまっ
って,メーカーがブランド化を試みようとす
ていることも指摘しておく必要があるだろう。
る製品が,容易にコモディティ化してしまう
伝統的なブランド論のロジックが有効に機
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能しにくい状況を生み出している二つ目の要
じ製品カテゴリの)商品に対する選好が相違
因として,消費多様化について考察を試みる。
する程度あるいは頻度が増加することを示す。
消費多様化は大まかには三つの次元において
ただし,「個性化」といっても,個々の消費者
進行している。 図表− 1 に示す内容とあわせ
間の個性化の程度は,多様な嗜好のニュアン
て以下,簡単にその要点を確認しておきたい。
スに対応するための「外面的個性」― 所
まず,消費者内の多様化とは,ひとりの消
有・使用する財の入れ替えによって容易に更
費者が同時期に購入するブランドやテイスト
新することのできる表層的なレベルの個性次
の種類が増え,それに伴って購入する品目数
元 ― の上での微細な差異化や商品の SKU
が増加する形での多様化を指す。これを伝統
(Stock Keeping Unit : 最小在庫単位 = 同一商
的ブランド論による不完備契約克服性との関
品の色やサイズなどのヴァリエーション)展
係でとらえると,どのようなことがいえるだ
開の充実による「自然的個性」の面での個性
ろうか。消費者による自らの選択行動の不確
化にとどまっている場合がほとんどである。
実性低減行為は,特定のブランドが提供する
ここでいう「自然的個性」とは,人間が生ま
不完備契約克服効果だけでなく,この文脈に
れながらにして備えた,あるいは成長の過程
おいては,消費者自身が同一カテゴリの製品
で備わるようになった身体的特徴のことであ
で複数のブランド群を同時所有することを通
り,具体的には身体のつくりや顔の造作やそ
じた不完備契約克服効果によっても補完され
れらのバランスなどを含んでいる。その一方
ていることを指摘できよう。このことは,特
で,個人がその成長の過程での自己との対話
定ブランドによる不完備契約克服機能がもた
や社会集団の中での相互作用などを通して,
らすことを期待される顧客との長期的関係性
一定の長期的な時間の広がりの中で構築し,
の生成機会を減少させることになろう。
身体化する観念や意味世界に根ざした意味で
二番目の次元は消費者間の消費多様化であ
の個性(「内面的個性」)を考えた場合の「消
る。これは消費の「個性化」 という言葉でも
費の個性化」は潜在化しているといえる。伝
置き換えられるが,消費者同士の間での(同
統的な不完備契約克服型の操作的マーケティ
■図表―― 1
ングの枠組みでは,ブランドの主たる役割は
8)
「目印」の提供にとどまることが多いため,こ
消費多様化の 3 つの次元
の水準に所在する個性の次元へのはたらきか
けをおこなうことが困難だからである。
消費多様化の三番目の次元は,消費の短サ
イクル化と呼ぶべき,時間軸の上での消費の
多様化である。これは,消費者が(ある製品
カテゴリの)特定ブランドの製品を再購買し
続ける期間が短くなったり,あるいは短いサ
イクルで異なるブランドの同一カテゴリ製品
を買い替えたり,買い増したりする頻度が高
出所:田村,1989 に一部加筆
● JAPAN MARKETING JOURNAL 114
マーケティングジャーナル Vol.29 No.2(2009)
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ブランド論の代替的視座とマーケティング戦略への示唆
まったりすることを指し示している。
じた直接的な接点をもつ小売企業に固有のも
これらの次元において広がりをみせる消費
のであり,この情報こそが,小売業がおこな
多様化現象であるが,ここでの三つの次元を
う品揃え活動の「サービス」としての価値を
大まかに合成し,企業のマーケティング行動
生み出しているといえよう。また,日々検証
への影響の観点から考察すると,次のように
される購買時点情報が,小売企業の品揃えの
整理することができるだろう。消費の多様化
短期的な視点からの調整や改善,効率化など
とは,ある製品カテゴリの購買を考えたとき,
を支援する役割を果たしている。一見すると,
ひとりの消費者の消費内容について,
「通時的」
まさに,消費多様化の三次元への対応にとっ
にも「共時的」にも特定のブランドが果たす
て不可欠な情報である。衣料品分野において
不完備契約克服性による一貫性がもたらされ
専門店小売企業が調達経路を組織化したり,
ることを困難にするとともに,微細な差異化
アパレル製造卸企業が販売経路を垂直的に組
による「共時的」選択肢多様化欲求が,競争
織化したりして,「SPA 形態」9)と俗称される
の地平を短期的なものへと制限してゆく性格
形態をとる企業が顕著になっていることも,
をもつ。この点について,次節以降では,衣
購買時点情報の消費多様化への対応上の重要
料品の事例などをもとに検討してゆきたい。
性を示唆しているといってよいだろう。
一方,メーカーに固有の情報・知識とは,
笘――― メーカーの情報・知識と流通
企業の情報・知識の特性
どのようなものであろうか。 図表― 2 にも挙
げられているように,メーカーが所有するタ
イプの情報・知識は,小売企業のそれとは対
上述のような性格に特徴づけられる消費多
照的に,局所的かつ長期的な指向に基づいた
様化状況のもとでマーケティング行動を展開
ものである。前述のとおり,個別メーカーが
するためには,第一に,短期的に変化・多様
展開する製品系列は,大規模小売企業の品揃
化する消費を把握し,迅速かつ柔軟に対応す
■図表―― 2
るための能力や情報・知識が要求される。こ
メーカーに固有の情報・知識と小売企業に固有の情報・知識
れらの情報や知識の収集・蓄積にあたって,
最もこの種の資源に近接したポジションにお
かれているのが小売企業である。小売企業は,
自店舗が立地する地域市場の消費者の日々の
買い物行動の観察と買い物内容のデータ蓄積
を通じた多製品の組合せ様式にかんする購買
時点情報を流通業者固有の資源として所有す
る。購買時点情報は,(程度の差こそあれ,限
定した製品系列しか提供できない)個別メー
カーの立場と比較した場合,広く,深い品揃
えを形成し,商圏の消費者との取引過程を通
上原,1996 に加筆して作成
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マーケティングジャーナル Vol.29 No.2(2009)
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★
論文
えと比べると,はるかに限定的な規模しかも
づけられるが,それらは相互に排他性をもつ
たない。しかしながら,(マーケティングの発
ものではない。むしろ,小売企業とメーカー
展史からもわかるように)メーカーは,特定
双方の特異資源としての情報や知識が適切な
製品カテゴリの製品開発やそれに先駆けた調
関係性の上で効果的に組み合わされることで,
査にあたって,それらの個別カテゴリの特定
組織間の結合利益が発生し,個別企業による
製品が生活世界の中のどのような場面で,ど
マーケティングでは実現しえない成果を達成
のように使用されるのかについての専門的な
することができるケースを想定することがで
消費知識(「非購買時点情報」)を収集・分析
きる。いわゆる,ネットワーク様式による組
するとともに,長期的な観点からの要素技術
織間のパートナーシップを通じた市場調整メ
や生産(プロセス)技術,品質管理ノウハウ
カニズムの考え方である。ただし,この概念
の開発や外部からの取り込みをおこなってい
を現実のマーケティング行動の枠組みに取り
る。このように考えると,メーカーに固有の
入れるためには,いくつかの大きな障壁が存
情報・知識は,適用可能範囲は限定的である
在する。そのうち最も主要なものが,「通時
ものの,きわめて長期的な指向をもち,その
的」・「共時的」側面の両面における強い多
技術的知識を基盤にした,より大きな構想へ
様化・短サイクル化の圧力を伴った消費多様
の発展性や創発性を秘めたものである。たと
化の三次元のもとでの「インテグリティ
えば,複数事業を展開し,それらを分社化せ
[integrity]」問題である。
ず,巨大な研究開発機能拠点を一元的に維持
インテグリティとは,簡単にいえば「まと
しているメーカーの間では要素技術の事業部
まりのよさ」のことである。マーケティング
間での共有化が促進されたり,自社の消費財
活動の上でのインテグリティには,複数の分
開発のために生み出された技術を異業種のメ
析単位が存在するが,ここでは,「プロセス」
ーカーや PB 商品を販売する流通企業に対し
のまとまりのよさと「製品(ないしサービス)」
て提供したりすることによって,伝統的なメ
のまとまりのよさという観点から考えてゆき
ーカーと流通企業の関係とは異なるマーケテ
たい。プロセス・インテグリティは,複数の
ィング図式のもと,メーカー固有の情報・知
組織によって構成されるネットワークによる
識ストックの効果的活用が図られている。
マーケティング活動,とりわけサプライチェ
ーン機能および機関の編成様式に関するもの
笙――― 流通企業のマーケティング行動
特性と
「インテグリティ問題」
であり,そのマーケティング目的との適合性
はマーケティング成果に影響を与える。一方,
製品インテグリティとは,製品そのもののま
このように流通企業が主体となったマーケ
とまりのよしあしの水準のことである。たと
ティング活動を支える情報・知識と(原材料
えば,ファッション製品でいえば,「色」,「シ
製造業者 = 原始供給者と二次製品メーカー双
ルエット・形状」・「(編地・織地などの)風
方を含む)メーカーが実践するマーケティン
合いや肌ざわり」,「スタイルやトータル・ル
グを稼働する情報・知識は異なる性格に特徴
ック」のバランスのとれた構成が,インテグ
● JAPAN MARKETING JOURNAL 114
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ブランド論の代替的視座とマーケティング戦略への示唆
リティの高い製品の条件となる。また,プロ
ができなくなる」ということであったそうだ。
セス・インテグリティと製品インテグリティ
ファッション産業を例に取ってみると,こ
は相互に独立しているのではなく,前者の水
うした傾向は顕著である。調達経路ないし販
準が高くなれば,後者の水準も同様に向上す
売経路の垂直的機能編成を市場対応の上で重
るという図式が一般にはあてはまると考えら
視する小売企業や製造卸企業の多くは,プロ
れる。
セス・インテグリティの起点―消費者欲求に
短サイクル圧力と外面的多様化圧力に特徴
呼応した製品形態と生産数量の意思決定点―
づけられる消費多様化構造のもとで,なぜ
を,(商社による危険負担機能や生産管理機能
「インテグリティ問題」が発生するかというと,
を活用しながら)汎用性の高い生地の事前大
この構造が小売企業に特徴的なマーケティン
量調達・備蓄や生産能力の事前確保に依拠し
グ行動様式とあいまって,インテグリティ実
て設定している傾向が強い。あるいは,生産
現水準に大きな制約をもたらすからである。
段階の数が少ない,つまりは取引の段階数の
前述のとおり,小売企業固有のマーケティン
少ないニット(編み物)製の商品を品揃えの
グ情報・知識は,特定地域市場とその集計を
核として設定することで,需要変化への反応
単位とした購買時点での消費者による生活世
を高める(リードタイムを短縮する)と同時
界の意味構築に関する全体的な領域をカバー
に,流通危険負担の程度を低減しようとする
している点に特徴づけられるが,その時間的
取り組みをおこなっていることも指摘されよ
広がりは短期指向であり,なおかつ極めて検
う。こうした理由から,低度の危険負担によ
証的で現実的な性格をもつ。つまり,店頭に
って,売れ筋の「シルエット・形状」や「ス
おける現実=実需の変化に対する「適合」な
タイル/トータル・ルック」を備えた「マイナ
いし「微調整」を短期的に繰り返してゆくこ
ー・チェンジ型」の新商品を矢継ぎ早に投入
とが重視される傾向がある。したがって,プ
することが助成される。つまり,まとまりの
ロセス・インテグリティと製品インテグリテ
よいプロセスを通じて,まとまりのよい製品
ィも,その範囲内での最適点において求めら
を開発・生産し,販売することができている
れる傾向がみられる。その結果,短期的なマ
ということになる。ただし,ここでの「イン
ーケティング目的の実現は促進されるが,一
テグリティ」は,繰り返しになるが,ある程
方で長期的なマーケティング構想力が不在と
度の達成水準にとどまっていることを指摘す
なってしまう現象が起こりがちになる。象徴
る必要がある。
的なエピソードは,テキスタイル・デザイナ
この図式を 図表― 3 を用いて,企業の情報
ーの皆川明氏の経験である。皆川氏は,アパ
処理活動の観点から考えてみよう。ここでは,
レル製造卸企業へのテキスタイル素材販売を
大きく分けると二種類の情報が取り扱われて
試みた際に,あることを理由に取引交渉の段
いる。ひとつは構造的情報であり,もうひと
階で販売経路の開拓をあきらめざるを得なか
つは非構造的情報である。構造的情報とは,
ったという。その理由は単純で,「生地づくり
小売企業のマーケティングの文脈でとらえれ
に時間をかけていたら,市場への機動的対応
ば,たとえば商品分類ごとの売上高推移など
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★
論文
■図表―― 3
情報の類型と戦略的な情報処理の枠組み
出所:上原,2008 に一部加筆
現在の,または進行中の環境構造の推定値と
て環境(構造)を大きく変える規定因となり
することができる。この推定構造とかい離し
うる情報を,マーケティング行動システムの
た出来事が発生しない限りは,情報処理は常
うちの知覚機能へと取り込んでゆくのが,こ
にルーティン化の枠組みでおこなわれ,効率
のレベルでの情報処理の特徴である。いわば,
的なものとなる。万が一,構造と大きくズレ
将来おこりうる環境変化への創造的な適応準
のある現象が観察された場合には,その見極
備ということになる。
めが必要となるが,的確な見極めがおこなわ
本稿の議論において検討の対象としている
れた際には,それが創発や構想のひらめきの
衣料品分野での小売企業や製造卸企業による
源泉となることもある。一方の非構造的情報
マーケティング活動は,この枠組みに示され
は,ランダムに変動し,傾向を把握しにくい
るような戦略的な情報の類型化およびその処
攪乱的情報と,はっきりとはしていないが将
理をともなっているかというと,上述の通り,
来の大きな環境(構造)変化の兆しを示す兆
これに該当しない場合がほとんどである。攪
候的情報に区分される。業務的情報処理のレ
乱的情報や兆候的情報の峻別とそれらのマー
ベルでは,ルーティン活動の効率化がおこな
ケティング行動システムへの取り込みに注力
われる。管理的情報処理の段階では,ルーテ
することは,定常化(ルーティン)活動とし
ィン活動の基盤となる推定構造を逸脱した例
ての短期的な「中程度インテグリティ」によ
外的事例への個別対応がおこなわれる。その
る市場対応の編成様式にも支障をきたすから
中で,事故として判断されるものとそれ以外
である。
の兆候をもつものとに峻別され,後者であっ
このように,理念型としてのネットワーク
た場合には,さらに高次の戦略的情報処理レ
様式による結合利潤の増大機会は,三つの次
ベルでの対応がおこなわれる。現在の推定構
元から構成される消費多様化のもとでの小売
造の中での影響は微細であるが将来にわたっ
企業によるマーケティング行動の中では,捨
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ブランド論の代替的視座とマーケティング戦略への示唆
象されがちになっていることが指摘される。
ブランド論のベースとなるブランド機能―不
ネットワーク様式の採用は,小売企業のマー
完備契約克服性―が,現実の取引過程の中で
ケティング行動システムと(原始供給者を含
有効に作用しない場面が顕著になってきてい
む)メーカーのそれが結合的に機能すること
ることである。一方,このような状況のもと
を意味する。マーケティング行動主体となる
で繰り広げられる企業のマーケティング活動
ファッション小売企業にとっては,メーカー
は,その短期指向に特徴づけられる。これに
のもつ長期指向の専門的情報・知識・技術を
は,「SPA」と俗称される小売企業やアパレル
自らのマーケティング資源と結合させること
製造卸企業の多くが,小売段階に固有の情
の潜在的な効果は長期的な市場創造の観点か
報・知識を活用しようと試みていることが,
らは魅力的であるかもしれない。しかしなが
ひとつの理由として挙げられる。いまひとつ
ら,現実の市場の構造をなす消費多様化によ
の理由は,次の通りである。これら流通企業
る短サイクル変化・商品ヴァラエティ圧力の
にとって,製品メーカー,さらには原始供給
もと,あえて長期指向のネットワーク型市場
者(原材料メーカー)との連携を深め,長期
創造を図ることは,目の前に広がる市場機会
指向の市場創造を試みることは,自ら目の前
を(一時的にではあるが)自ら放棄すること
の短期的な市場機会を放棄し,負担すべき市
であるともいえるし,自らが負担しなければ
場危険を大きくしてしまう結果につながりか
ならない市場危険を増大させることにもなる
ねないというリスクをはらんでいることであ
かもしれない。それだけでなく,小売企業各
る。こうした,マーケティング主体としての
社は,事業としての本質目的である存続を維
小売企業が直面する「ジレンマ」が,伝統的
持するために,マーケティング行動成果のよ
なブランド機能である「不完備契約克服性」
り達成しやすい目的を設定する意思決定をお
の効果が希薄になりつつある取引文脈におい
こなうことが顕著である。こうした板挟みと
て,ブランド機能のもう一つの顔である「個
も類似した状況が,小売企業のマーケティン
別文化の生成」に挑戦することを阻んでいる
グ行動を短期指向へと向かわせ,「不完備契約
面をもっているのである。
克服性」が機能しえない状況において,第二
このような図式は,システムとしてのファ
のブランド機能としての「個別文化の形成」
ッションの運動に対する解釈論と類似してい
に踏み込むことを躊躇させている面もあるの
るかもしれない。一見すると,ファッショ
ではないだろうか。
ン・システムは,資源の浪費を運動目的とし
た「消尽」の体系であるかのイメージが強い。
笞――― 小結 個別文化生成過程として
のマーケティング観に向けて
しかし,ファッション・システムの真の目的
とは,時代や空間を超越して受容される「普
遍性」をもった「スタイル[style]」あるい
複層的な消費多様化が前提となった現代の
は「クラシック[classic]」を集団的選択プロ
マーケティング環境において,ひとつの特徴
セスのテイストのコミュニティの中に見いだ
的な現象として認識される事実は,伝統的な
すことである。つまり,つぎつぎと現れては
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★
論文
消え,消えては現れる無数のファッション
テムへのとり込みがうながされることで新た
[fashion]やファド[fad]のそれぞれが相対
な製品カテゴリが生み出され,それがさらな
的な競争にさらされることで,はじめて普遍
るブランド文化のコミュニティの強化に発展
的な象徴(シンボル)を備えたスタイルが昇
してゆく過程を想定すれば,フリーライダー
華することが可能になるのである。そして,
は組織的な性格をもつ個別文化空間に兆候的
象徴性を獲得したスタイル,あるいはスタイ
な情報をもたらす役割を演じるものの,その
ルから生成した象徴性は,個別文化の中心機
構成比が高まりすぎると個別文化の象徴性は
能を果たしながら,売り手と買い手との間,
機能し得なくなる。つまり,関係性に参加し,
さらには買い手同士の間にブランドのコミュ
そこでの経済的・精神的コミットメントを通
ニティを構築してゆくのである。
した共有価値を作り出そうという,売り手と
ブランドが起点となって形成される個別市
買い手による,あるいは買い手同士(と売り
場の市場型関係性は,もちろん純粋な意味で
手),さらには(メーカーとしての)売り手と
の(階層と指令に基づいた)組織ではないの
(小売業者・卸売業者である)販売業者,(消
で,顧客が売り手との取引を拒否すれば,た
費者としての)買い手の間による,文化の象
だちに関係性から退出・離脱することができ
徴を基軸とした相互作用が長期継続すること
るし,あらたにこの空間への参加を希望する
ではじめて,個別文化による準公共財として
消費者がいれば,取引過程を通じて簡単に関
のブランドの象徴効果が,市場型関係性参加
係性の中に入ることができる。また,売り手
者にとって利用可能な共有価値として実現す
も,関係性によって期待した取引成果が得ら
ることを指摘する必要がある。こうした一見
れない場合には,そこから退出することが可
すると「消尽」ないし「蕩尽」の言葉に示さ
能である。このような市場でもなければ,組
れるような,「資源の無駄遣い」に類するコミ
織でもない関係性空間であっても,それが買
ュニケーションを文化の共有プロセスの中で
い手と売り手,買い手と買い手を結びつける
展開してゆく形態をとる「ブランド化」は,
強力な象徴としての個別文化を生成する場合
一面において,個人の内面,つまり「内面的
においては,ある種のインナーサークルの
個性」に対してのはたらきかけを起点とした
「集合財[collective goods]」でもあるかのご
プロセスであるため,伝統的なブランド論の
とく,ブランドの象徴効果を通じて,さまざ
中核機能である「不完備契約克服性」のみで
まな機能や効用が参加者に対して提供される
は接近することのできない,消費者の意味世
ようになる。原則としては,(売り手も買い手
界との邂逅を示唆している。内面的個性への
も)その効用や便益にただ乗りすることも可
はたらきかけを通じたマーケティング行動,
能である。しかしながら,売り手と買い手の
そしてブランド・アプローチを採用するため
双方が精神的にも経済的にも相互にコミット
には,個別文化生成の担い手としての売り手
しあうことで,ブランドによる個別文化の象
とその内部組織においても,自らの内面的個
徴性が生成し,ブランドによる個別文化が創
性をその行動の中心概念として据えてゆく必
発への気づきとそのマーケティング行動シス
要があることはいうまでもない。こうした形
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ブランド論の代替的視座とマーケティング戦略への示唆
らえられがちである。O’
Mally らは,対人関係にア
ナロジー化される関係性概念がマーケティングに
おいて成立可能な状況は,もっぱら産業財の取引
過程あるいは売り手と買い手のコンタクトが濃密
なサービス財のそれに限定されると主張し,消費
財一般では対人関係のような関係性が構築される
ことは難しいとしている。上原(2008)は,市場
型関係性概念を提示する中で,マーケティング活
動を通して生成する常軌的取引よる市場は,一方
では経済的交換に特有の目的合理的性格を有する
が,他方では社会的・人間的な満足化指向に特徴
づけられることを示唆している。
2)ここでいう集合財[collective goods]とは,ある
集団が構成される際の集団目的を想定している 。
この集団の成員にとって,集団目的は公共財
[public goods]にあたる。つまり,集団内の誰が
それを消費しても同集団内の他の個人がそれを利
用できなくなることのない性格をもった財として
とらえられる。したがって,公共財の非排除性・
非競合性の性質から,集合財は,「それを購入しな
いあるいはそれに対して支払わない人といえども,
その財の分け前から排除されることはない,ある
いは妨げられない」(森脇,2000) 。本論文では,
ブランドの果たす準集合財的な役割に着目してい
る。Veloutsou(2008)は,ブランド(化した製品)
を基軸とする関係性空間を①ブランド(化した製
品)と個別の顧客との関係次元 ②そのブランド
(化した製品)の顧客同士の関係次元(ブランド・
コミュニティの次元) から考察している。とりわ
け後者の視点からはブランドの「所有権」にかん
する示唆が与えられている。特定ブランドの商標
権を保有し,ブランド製品の開発・生産・販売な
どをおこなう売り手よりも,買い手が(自己)組
織化したブランド・コミュニティの方が,ブラン
ドの意味構築において大きな影響力をもつ場合が
あることが指摘される。このような事例からもわ
かるように,
(少なくとも精神的な側面においては)
ブランドを所有し,その意味や価値を形成するの
は売り手だけでなく,買い手も含む当該ブランド
のステイクホルダー全般であるといえよう。ただ
し,Veloutsou(2008)も指摘するように,ブラン
ドを中心に展開する関係性の果たす集合財的役割
は,あらゆる製品ないし市場(細分)の文脈にお
いて無条件に生成するのではなく,とりわけ需要
の価格弾力性の低い高関与製品のうち,消費者同
士の頻繁な相互作用がおこなわれる場合に特に顕
著であると考えられる。
3)操作型マーケティング概念の詳細については,上
態による市場調整機構のあり方は,市場の
「ジレンマ」のはざまで,個別文化形成型の市
場創造活動に踏み出すことのできない企業が,
長期的な視点からのマーケティング戦略を構
想する際のひとつの指針になるのではないだ
ろうか。また,そのような長期指向の個別文
化生成プロセスとしてのマーケティング行動
に臨むためには,長期的な視点からの費用投
資を継続してゆくことを避けることはできな
い。したがって,そのための「基礎体力」と
しての収益性・安全性・効率性をもった組織
作りを一方で進めることが不可欠となる。さ
らには,創意をとり込む組織とはどのような
属性に特徴づけられるかについての概念化が
求められる。
謝辞 本稿の議論の主要課題の多くは,明治大学
グローバル・ビジネス研究科教授 上原征彦氏
との共同研究によるものである。ここに謝意
を表したい。
注
1)本 稿 で 用 い て い る 市 場 型 関 係 性 概 念 は , 上 原
(2008)による「マーケティングは,・・・市場に
関係性を貫き通すものであり,言いかえれば,ゲ
ゼルシャフトとしての市場に,ゲマインシャフト
的性格をもつ関係性を開システムとして埋め込も
うとするものである。」という考え方に依拠してい
る。O’
Malley ら(2008)は,マーケティング概念
そのものが関係性の構築である点を強調したうえ
で,マーケティング論において一般化した関係性
概念の内的矛盾に関する指摘をおこなっている 。
企業によるマーケティング活動の成果は取引の成
立とその常軌化,つまり経済的交換関係にその本
質を見出すことができるが,マーケティング領域
による関係性概念の定義は,しばしば対人関係
(Interpersonal Relationship)の構図に過度になぞ
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★
論文
原(1999)を参照されたい。本論で展開している
ブランド概念との関係では,「選択助成機能」は操
作型マーケティングに,「個別文化形成機能」は協
働型マーケティングに主に対応していると整理す
ることができるが,双方は相互に機能的に重複し,
補完し合う関係になりうる点を指摘しておく。
4)黒石(2009)は,欲求(needs)を生理的要請にも
とづく(人間の死活にかかわる)基本的必需性
(vital necessity)の充足行為―モノの効用(useful
use)を獲得・利用しようとするはたらき―である
として解釈する一方,欲望(desire)は象徴(symbol)のように生きる上で必ずしも必要でないもの
を求めるはたらき―自由な行為,恣意的な行為,
理由のない行為―にあたると整理している。この
定義にしたがうと,具体的な欠乏動機によって生
成する欲求は,それが充足されるとともに均衡に
到達することになり,閉鎖・平衡系としてとらえ
られる。古典的ミクロ経済学の効用理論は,この
欲求のレベルまでの説明力をもつ。これに対して,
付加動機(過剰)を源泉とする欲望は,それがい
ったん快楽へと散逸しても付加動機によって無限
に生起するため,系が均衡に達することのない開
放・非平衡系として解釈することができる。マー
ケティングのダイナミズムと,この後者の系との
関連は石井(1999)などで議論されてきた。本稿
において強調しておきたい点は,マーケティング
による市場創造は,ここでの何れの系と関連して
いる場合も,仮需をつくり,それを実需に転換す
ること ― 取引の成立 ― さらにはその常軌化を
目的のひとつとしていることである。
5)消費社会(理)論(CCT: Consumer Culture Theory)の視座からは,以下のような知見が示されて
いる。企業と消費者との間に展開される一連のマ
ーケティング相互作用過程では,消費者がみずか
らの文化的資源を投入しておこなう消費行為を通
じて希求する「プロジェクト」の実現過程におい
て,特異な役割地位を獲得することが企業の競争
における重要資源であると認識される。ここでい
う消費の「プロジェクト」とは,①消費行為を通
じてみずからのアイデンティティや自己イメージ
を形成する自己言及的な次元 と ②消費行為を
通じて生起したり,再構築されたりする共同体感
覚や統合感覚,連帯感覚の次元 によって構成さ
れる。多数の製品の複合使用によって構築される
生活世界における消費の意味や価値は,各消費者
が有する経済的資源,社会的資源,観念的資源な
どを配分しながら,売り手が提供する有形・無形
の「プロジェクト」資源と相互作用したり,買い
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手同士が交流したりすることによって生み出され
るという解釈がなされている。換言すると売り手
― とくに多製品の品揃えを地域市場で提供する
小売業者―と買い手との協働の構図としてのマー
ケティング過程が想定されていることが,この視
点のひとつの特徴である。これらの知見は,Ratneshwar ら (2000)や Firat=Venkatesh (1995)
に詳しい。
6)プライベート・ブランド(PB)の導入は,必ずし
も流通企業の収益性向上にとって有効であるとは
限らない。PB 商品の品揃えは複数の次元における
意思決定をともなう。商品そのものにかんしては,
PB の開発範囲が単一製品であるのか,品揃え全体
にわたるのか,PB 商品の品質・価格帯は何かなど
についての意思決定が求められる。さらに,流通
経路構造の側面に着目すると,特定製品カテゴリ
におけるメーカーの競争状況,それらメーカーの
設備稼働状況や平均費用構造,当該流通企業およ
びその地域市場における競争相手とそれらメーカ
ーとの間の(潜在)取引関係,さらには小売市場
における競争状況などの諸変数が,メーカーによ
る流通企業に対する PB 商品供給に対する誘因,お
よび流通企業による PB 商品の品揃え提供とその際
の調達経路構築の際の動機付けや選好基準に影響
を与えるとともに,両者における PB 商品取り扱い
による成果を規定すると考えられる。
7)消費多様化概念については,田村(1989,1996)に
よる分析・見解をもとにここでの考察をおこなっ
ている。
8)個性の構成次元 ― 自然的個性,外面的個性,
内面的個性 ― の分類方法については,間々田
(2000, 2005, 2007)に依拠している。
9)SPA : Specialty Store Retailer of Private Label
Apparel という表現は,1986 年に The Gap の創業
者のひとり,ドナルド・フィッシャー(Donald
Fisher)が,プライベート・ブランドの商品のみ
を取り扱い,生産から小売までを一貫して(直接
的・間接的に)管理することを目指していた同社
の小売事業システムを説明する際に用いたもので
ある。日本では,当時の繊研新聞記者の山崎氏が
この表現の中の頭文字の 3 つをとり紙面で SPA と
して紹介して以降,製造小売業全般を指し示す用
語としても普及している。この意味においての
SPA という略語は日本以外では用いられない。厳
密にいえば,SPA とは,生産,卸売,小売段階の
うち,小売を含むいずれか二つ以上の段階におけ
る活動を統合的に遂行する形態をとる企業体のこ
とを指していることになる。しかしながら,そも
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ブランド論の代替的視座とマーケティング戦略への示唆
そも流通機能は商業者のみの特権的活動ではなく,
歴史的・社会的・技術的環境によってその遂行機
関が商業者以外の主体ともなりうる。このような
流通機能の機関代替性,さらには流通経路におけ
る機能編成形態が多岐に及ぶことを勘案すると ,
ひとくちに SPA という言葉でくくることは必ずし
も実態を反映しているとはいえないだろう。
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青山学院大学経営学部マーケティング学科/経営学
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リオット・ワット大学経営大学院博士後期課程修了。
流通科学大学附属流通科学研究所専任講師,青山学
院大学経営学部専任講師を経て,現職。専門はマク
ロ・マーケティング。
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マーケティングジャーナル Vol.29 No.2(2009)
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