新エネルギー危機下の東アジア経済

新エネルギー危機下の東アジア経済
蔡 東 杰
(中興大学国際政治研究所教授・所長)
一
東アジアのエネルギ-問題と背景分析
1970 年代以降、石油などエネルギー価格は、国際経済や株式市場
に影響を与える最も重要な要因の一つとなっている。価格の急上昇
はしばしば経済秩序に衝撃を与えるし、代替エネルギー開発の遅れ
は、焦眉のあるいは未来の危機を意味することになる。
エネルギー問題に関する各専門家の論点は必ずしも一致しないが
1
、この種のテーマは多くの研究者の関心の的であり 2、中でもアジア
NIEs のような後発工業国家にとってはエネルギー不足や価格の高騰
は、発展の前途に暗雲をもたらすものとなる。
1
世界的なエネルギ-問題とその現状
化石燃料の供給が十分であると認識され、20 世紀以降世界経済が
1
ある人は逆の観点を持つ。たとえば David Smith, “Myths and Legends about High Oil
Prices,”(http://www.economicsuk.com/blog/00308.html)
2
Stephen Leeb and Donna Leeb, The Oil Factor: Protect Yourself and Profit from the Coming
Energy Crisis (New York : Warner Business Books, 2004); Stephen Leeb and Glen Strathy,
The Coming Economic Collapse (New York: Warner Business Books, 2006).
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問題と研究
第 37 巻 3 号
著しい発展を遂げたため 3、多くの人々の意識形態には“楽観的な進歩
主義”が定着した。しかし、一部の研究者が指摘しているように、2000
~2008 年には“世界的な石油生産のピーク”が出現したが 4、産油量の
減少に伴って今後の世界経済は不安定な局面へと入っていくであろ
う。エネルギー備蓄と生産・消費の間の矛盾は日を追って大きくな
り、エネルギー問題はどの国にとっても解決を迫られる重大な問題
となろう。
エネルギー問題の真相については諸説紛々の状況であるが、現状
は国際金融資本が石油の先物相場を操っているのが実態であり、そ
のため近い将来石油不足がより深刻になるとか、第 4 次オイル・シ
ョックが起こるとかいった議論まで行われている。諸説の背景にあ
るのは、石油価格が 1999 年の 1 バレル当たり平均 10 ドルから 2004
年には 50 ドルを超え、2007 年には 100 ドルの大台を突破していると
いう事実である。
もちろん、経済学者の一部には石油資源の枯渇はそれほど深刻な
問題ではないと考えている人もいる。なぜならば、エネルギーが不
足し、石油価格が高騰した場合、人々は代替燃料を開発するからで
ある 5。この種の論理は当然であり、代替燃料の開発も進められるで
あろうが、問題はエネルギー不足に直面した場合、本当に適切な対
3
Daniel Yergin, The Prize: The Epic Quest for Oil, Money and Power (New York: Free Press,
1993).
4
James H. Kunstler, The Long Emergency: Surviving the End of Oil, Climate Change, and
Other Converging Catastrophes of the Twenty_First Century (New York: Grove Press, 2006);
Kenneth S. Deffeyes, Hubber’s Peak: the Impending World Oil Shorting (Princeton:
Princeton University Press, 2001); A. A. Barlett, “Reflections on Sustainability, Population
Growth and the Environment,” Population and Enviroment, 16:1(1994), pp.5-35.
5
David Goodstein, Out of Gas: The End of the Age of Oil (New York: W. W. Norton & Co.,
2005).
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新エネルギー危機下の東アジア経済
2008 年 7.8.9 月号
応策が講じられるか、という点にある。
1973 年に第 1 次オイル・ショックが発生した時は、先進工業国の
生産能力は明らかに低下し、中でも米国の工業生産額は 14%も下が
ったし、日本のそれは 20%以上の下落となっている。また物価も急
上昇しており、米国の場合、9 月の物価指数は 1 月比 6%の上昇であ
ったし、株式市場も大暴落し、30 銘柄のダウ工業株平均指数の下落
幅は 11・4%と大きかった。翌 1974 年の各国の経済成長率も英国-
0.5%、米国-1.75%、日本-3.2%とマイナスに転じており、その影
響には計り知れないものがある。各国には大きな教訓となったが、
この体験が今後のエネルギー不足にどれほど役立つのかは未知数で
ある。
2
東アジアにおけるエネルギ-需給の現状
世界の石油輸入国を見ると、第 1 位の米国を除いて、第 2 位の日
本、4~6 位の韓国、中国、インドはいずれもアジア地域の国である。
中国は 2003 年には日本を抜いて世界第 2 位の石油消費国となった
が、米国の専門家は 2020 年には最大の石油消費国になると見ている。
米国エネルギー情報局の研究報告資料によれば、アジア地域のエ
ネルギー消費総量は、2001~2005 年の間に 1 日当たり 2,100 万バレ
ルから 3,800 万バレル(以下 B/D)に増加している 6。これは石油輸
出国機構(OPEC)のペルシャ湾地区の石油輸出総量を超えるもので
6
米国のエネルギー情報局の推計によれば、核エネルギー(原子力)発電は、石油に
代わる最大の代替エネルギーであり、アジア(日本を含まない)では、2005 年には
途上国の開発する電力の 96%を占めることになる。アジアはまた最大の天然ガス市
場でもあり、2003 年には世界の消費量の 67%を占めていた。IEA の World Energy
Outlook (2004)もほぼこれと同じ推計をしているが、アジアのエネルギー需要に関し
ては、2002 年の 2,120 万 B/D から 2030 年には 3,980 万 B/D になると予測している。
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あり、この新増加分の半分は中国とインドの消費量である。国際エ
ネルギー機関(IEA)の報告書(2007 年版)は、この点に特に注目
している 7。インドの原油需要量は 2004 年の 210 万 B/D から 2030 年
には 560B/D に増加するし、中国の場合は 2000~2003 年における世
界の原油需要増加分の 40%を占めている 8。
総じて言えば、東アジアにおけるエネルギー需要の急増はこの地
域の急速な経済成長と人口増加に起因する。近年、多くの国々の GDP
成長率が 8~10%の間にあるが、この高度成長を維持するためにもエ
ネルギー需要を減らすことはできない。結果として、東アジア地域
では石油の消費量が産出量を大幅に上回ることになる。東アジアに
おける石油の推計埋蔵量は全世界の約 3%に過ぎず、天然ガスを加え
ても 8%程度である。石炭の埋蔵量は 33%と唯一他地域より多いが、
石炭は CO2 の排出量を増加させるため、その消費量の増加はグロー
バルな地球温暖化防止政策とは相反することになる。
このため、一部の国々はここ数年来、核エネルギーによる発電量
の比率を引き上げる政策を明らかにしており、中でも中国、日本、
インド、および韓国が顕著である。世界核エネルギー協会(WNA)
のデータよれば、中国は 2007 年時点で 13 基の原子力発電設備があ
るが、新たに 50 基を増設することが検討されているという 9。
エネルギー不足という状況の中で注目されるのは、各国の省エネ
努力である。中国では代替エネルギー開発が進められているし、フ
ィリピンでは 2004 年から省エネ教育が展開され、政府は率先して自
7
IEA, World Energy Outlook 2007: China and India Insights (Paris: IEA, 2007).
8
Financial Times アジア版『亜州能源版図』
(台北:培生出版集団、2005 年)、34,39 ペ
ージ など。
9
「 亜 州 能 源 概 況 」『 国 際 能 源 網 』( 2008.2.2. 閲 覧 )、( http//www.in_en..com/article/
html/energy_200720070921125545.html)。
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動車用エネルギーを石油からパームオイルに代えつつある。また産
油国であるインドネシアでも、2005 年に TV の夜の放映時間を 4 時
間削減するという省エネ政策が行われている。
二
1
主な相互競合関係の発展
中国と日本-シベリアパイプラインと東シナ海油田-
中国が世界第 2 位の石油消費国であるのに対し、現在日本は最大
の液化天然ガスの輸入国である。経済成長を持続すると同時に東ア
ジアにおける主導的地位を競っている両国の動向には、国際社会か
らの注目が集まる 10。日本は 1979 年以降、7 回も「省エネ法」を改
正して省エネ能力を強化している。また、2002 年に採択された「エ
ネルギー政策基本法」で長期基本方針を示すとともに、海外供給源
の開拓にも積極的である 11。
一方、中国もエネルギー資源の開発には積極的であり、中でも隣
国ロシアとの協力を強化している。ロシアのシベリア資源開発政策
に対応して、1996 年には最初の中ロ相互協力を協議し、2001 年には
ロシアのアンガルスクから中国の大慶までの東シベリア原油パイプ
ライン(アンガルスク-大慶ライン)を敷設する計画が初歩的に承
認され、2003 年には日本もロシアとの間でエネルギー協力計画を調
印し開発支援を約束している。このため、東シベリアパイプライン
はナホトカまで延長されることとなり、このアンガルスク-ナホト
10
Nick Snow, “Surging Asia Demand Dominates World Energy Outlook,” Oil and Gas Journal,
Feb. 14 (2005), pp.25-26.
11
尚林「日本能源政策:演進與厚生」
『経済経緯』2006 年、第 5 期、51~53 ページ。
羅麗「日本能源政策動向及能源法研究」
『法学論壇』第 22 巻、2007 年第 1 期、136
~144 ページ。
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カラインが日中間の競合を引き起こすこととなった 12。
2004 年末、ロシアがタイシェト-ナホトカパイプライン計画を承
認したことにより、東シベリアパイプラインをめぐる日中間の争い
は一段落し、代わって東シナ海のガス油田が新たな争議の的となっ
ている 13。2004 年に日本の経済産業大臣が“中国が東シナ海の海底資
源を独占しようとしている”と非難してから、衝突が始まった。中国
側の基本的立場は“争いは棚上げして共同開発”であるが、日本側は
大陸棚の境界は主権問題であり、両国の協議を通じて画定すべきで
あり、必要であれば国際法廷で決着すべきである、と主張していた。
この問題に関しては日中間で 11 回の協議が行われたが 14、現在ま
でのところ日中中間線を定めることが協議されただけで、問題解決
に向けて実質的な進展は見られない。この間にも中国側は 2006 年に
は無関係な船の作業海域への進入を禁止する旨通告し、日本側は
2007 年に採択された「海洋基本法」で基本的権益の確保を目指して
いる。
日中両国間のエネルギー部門の競合が激しくなってきている中
で、2007 年には初めて大臣クラスのエネルギー政策に関する話し合
12
Paul Robert, “The Undeclared Oil War,” The Washington Post, June 28, 2004; Amitav
Acharya, “Will Asia’s Past be Its Future,” International Security, 28:3 (2003), p.152; 徐世剛
「従中俄石油管道項目、“安大線”的夭折看中日能源戦略競争」
『哈尓濱工業大学学報』
8 巻、2006 年第 1 期、34-35 ページ。
13
日中間の東シナ海における紛争は、1970 年代石油危機時の尖閣列島(釣魚台)問題、
1982 年の国連海洋法による経済水域の確定、2000 年以降のエネルギー危機の高まり
がその要因である。王珊「従東海油気田争端看日本対華能源政策」
『現代国際関係』
2005 年第 12 期、41-44 ページ。張李風「中日両国在能源領域的競争與合作」
『日本
学刊』2004 年第 6 期、111-125 ページ。
14
双方は過去において 11 回協議している(2004 年 10 月、05 年 5 月、9~10 月、06 年
3 月、5 月、7 月、07 年 3 月、5 月、6 月、9 月、11 月)。
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いが実施され、両国間のエネルギー領域における協力強化に関する
声明が出されている。日中双方のエネルギー関係企業が、電力、石
炭、石油・ガスおよび再生エネルギーの 4 分会で、エネルギー政策、
技術協力問題を検討することとなり、双方の企業・研究機関の間で
電力、石油・ガスなど 6 分野に関する協議が調印されている。
2
中国とロシア-天然ガスと発電を主とする協力項目-
1990 年代のエリツィン大統領時代に、エネルギーはロシアの経済
発展問題を解決すると同時に、外交関係を展開する上での重要な手
段となった 15。1992 年に「エネルギー政策基本構想」が採択された
のに続き、1995 年には「2010 年のエネルギー政策方針」と「エネル
ギー戦略基本原則」などの綱領を公布している。後任のプーチン大
統領もまた 2003 年に「2020 年のエネルギー戦略」を批准し、ロシア
におけるエネルギーの戦略的価値を高めている 16。
中ロでは 1996 年から正式にエネルギー分野での協力を推進し始
め、
「石油・天然ガス協力委員会」を設けている。両国間の関係は極
めて密接であり、協力領域は天然ガス、火力・水力発電、原子力設
備開発から資金・労務協力まで及んでいるが、中でも天然ガスパイ
プライン方面での協力は顕著であった 17。
日本がシベリア石油パイプライン計画に参入してからも、中ロ双
15
石油部門はロシアの工業生産額の 25~30%を占めており、そこからの税収は国家財
政収入の 25~40%を占める。また外貨収入でも 30~40%を占めている:Russian
Energy Strategy before 2020, (http//www.government. gov.ru)。
16
馮玉軍等「2020 年前俄羅斯能源戦略」
『国際石油経済』2003 年第 9 期、p38。鄭羽與、
龐昌偉『俄羅斯能源外交與中俄油気合作』
(世界経済出版社、2003 年)72 ページ。
17
戚文海『中俄能源合作戦略與対策』
(社会科学文献出版社、2006 年)367-369 ペー
ジ。
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問題と研究
第 37 巻 3 号
方の政治・外交関係は依然活発であったが、それでも相互のエネル
ギー協力プロジェクトはマイナスの影響を受けている。しかし、2006
年になると中ロ間では「ロシアの対中天然ガス供給覚書」「中ロ石油
合弁企業設立基本原則協議」「中ロパイプライン企業会議紀要」が調
印され、新たな協力が進みつつある。
現状ではロシアの対中天然ガス供給が注目されているが、将来的
には中国は原子力を代替エネルギーとする方針であるため、この方
面における中ロ間のエネルギー協力がより重要となろう。また、EU
がエネルギー政策を転換しつつあるため、ロシアのエネルギー関連
企業は中国や東アジア諸国を新しい業務展開の対象としつつある。
3
日本とロシア-ロシアのバランス外交下の曲折的発展-
上述の通り、日本はエネルギー政策を多元化しており、シベリア
原油もその標的の一つとなっている。日本が中ロのエネルギー協力
に介入して以来、日ロの経済関係は緊密化し、2 国間の貿易は 2002
年の 8 億ドルから 2003、2004 年にはそれぞれ 59 億ドル、88 億ドル
となり、2005 年には 100 億ドルの大台を突破している 18。
日ロ両国の貿易総額から見た場合、これらの数字は決して大きい
ものではないが、日ロ間の経済交流にはプラスの影響をもたらしつ
つある。日ロ両国は 1994 年に設置された「経済協力問題委員会」を
政府間のパイプ役としているが、エネルギー面での協力がその中心
となっている 19。東シベリアでは、日本はサハリンの石油開発、ヤク
18
李勇慧「俄日経貿関係與能源合作」
『俄羅斯中亜東欧市場』2006 年第 5 期、17-18
ページ。
19
日ロ関係は冷戦期における 1993 年の東京宣言以降交流が活発化した。1997 年には橋
本首相が、領土は交渉、政治は対話、経済は協力、文化は交流とする多元的外交政
策を示し、両国は所謂エリツィン-橋本計画に調印している。これは日本の東シベ
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新エネルギー危機下の東アジア経済
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ーツクの天然ガス・石炭探査および原子力発電所建設などのプロジ
ェクトへの投資を活発化させつつある。
このような経済協力とは別に、ロシアは日中双方に対してバラン
ス外交を展開しつつある。それは、日ロ間には依然として北方領土
問題があるし、現状の世界情勢の中では中国を戦略的パートナーと
認識せざるを得ないからである(ロ中貿易はロ日貿易の 2 倍もあ
る)
。また、アジア地域において日中が潜在的に覇権を争っているこ
ともロシアがバランス政策を採る一因でもある。ロシアのこのバラ
ンス政策は日ロ間の経済協力をやや緩慢なものにしているが、その
一方で、日本もロシア国内にある中国脅威論を利用することによっ
てロシアを抱え込むことが可能となっている。ロ・日・中間のこの
ような情勢がどうなるのかは、現状では知る由もない。
4
中国とインド-競合から協力へ-
上述のように、中国、日本、ロシア 3 国を中心とした東アジア諸
国では、エネルギーが各国関係を動かす一つの要因となっている
が、近年では発展著しいインドのエネルギー需要が急上昇してお
り、それが所謂“アジア・プレミアム”(割増価:Asian Premium)問
題を悪化させるばかりでなく 20、インドと中国という最も成長率の高
リアへの投資の拡大を強調したもので、翌年にはまずサハリン油田計画が決定して
いる。
20
所謂“アジア・プレミアム”(アジア割増価格)とは、歴史的に西側諸国の石油企業が
長期に中東石油をコントロールしてきた結果から生じるものである。政治的要因か
ら中東諸国は欧米の援助に依存して地域の安全を実現してきており、経済面でも欧
米とアジアでは中東原油への依存度が異なる。それが石油価格にも反映され、欧米
市場とアジア市場では価格差が存在することになる。たとえば、2003 年の場合、中
国が輸入した中東原油の価格は欧米のそれに比較し 1 バレル平均 2.56 ドルの“アジア
・プレミアム”があった。そのため中国は 5.4 億ドルを余分に支出している。
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問題と研究
第 37 巻 3 号
い国の間でのエネルギー争奪戦を惹起している 21。エネルギー需要の
増大によって 22、中印両国は競争を余儀なくされてきたが、それでも
2004 年以降は理性的な協力関係を築きつつある。
2004 年末には中印両国が 5.73 億ドルを共同出資して、カナダの石
油会社がシリアに保有する油田の株式 37%を購入している 23。また、
インドの国営 GAIL 石油と中国の中国石油化工総公司(SINOPEC)
は 2005 年から正式に事業協力を開始し、2006 年 1 月には中印政府が
「石油・天然ガス協力強化覚書」に調印している。この覚書に基づ
いて、2006 年 8 月には、中印共同で 8.5 億ドルを投入して、米国石
油会社の南米における生産ラインの株式の 50%を取得して合弁会社
を設立している。また同年 9 月にはイラン南部の Yadavaran 油田開発
に調印し、中国石油化工総公司が株式の 51%を、インドの国営石油
会社が 29%を取得している。これは双方にとって新しい協力方式で
ある。
インドのシン首相は、2008 年初めに中国を訪問し、中国との間で
「21 世紀における共同展望」に調印しているが、その中でもエネル
ギー部門での協力が重視されている。
21
(http//biz.com./05/0915/23/1TNSIKS00020QFA.html)。
22
IEA の推計によれば、中国の石油需要量は 2006 年の 710 万 B/D から 2030 年には 1,650
万 B/D となり、インドのそれは 260 万 B/D から 650 万 B/D になる。また 2007 年に
は中国は米国を抜いて世界最大の CO2 排出国となりインドは 2015 年には第 3 位の排
出 国 と な る 。( http://www.chemnet.com.tw./information/news_detail.asp?sno=59312&
ntable=TABLE7)
。
23
施互斯特瓦(セクストワ)
「中印能源合作代替競争」(人民ネット、2008.2.4 閲覧)、
(http://scitech.people.com.cn/BIG5/4877411.html)。
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5
中国と米国-多元的な外交パイプの構築-
米中間のエネルギー協力は、1984 年に始まっている。当時、米国
の 13 企業と中国海洋石油総公司(CNOOC)との間で 12 件の契約が
成立し、約 6 億ドルの投資がなされた。これは近海のガス田開発プ
ロジェクトであったが、その後も順調に進展している。
しかしながら、1990 年末から国際的にエネルギー問題が表面化し
てきた上に、米国では中国の勃興に対する脅威論が日増しに強くな
ってきたため、米中相互の信頼関係が後退し、対話の機会はなかな
か生じなかった。そのような中でも、エネルギーをテーマとしたも
のとしては、1998 年の「石油・天然ガス工業セミナー」(中国側参加
者 は 国 家 発 展 改 革 委 員 会 、 米 国 側 は エ ネ ル ギ ー 省 と 商 務 省 )、 2003
年からの「経済発展と改革フォーラム」(国家発展改革委、米国側は
議会代表、2006 年からは「戦略経済フォーラム」へ改組)、および
2005 年からの「エネルギー政策フォーラム」(国家発展改革委、米国
はエネルギー省)などがある 24。
これらはいずれも米中双方が同時参加する多角的なフォーラム形
式ではなかったが、エネルギー問題が中国と米国の双方にとって重
要な課題となっていることが理解できよう。米国は「京都議定書」
のような強い輿論を背景としたグローバルな環境保護規制に対して
は正面から対応しようとしないが、将来的には米国は中国を失面に
立たせることになろう。それは中国が米国を抜いて最大の CO 2 排出
国となるからであるが 25、そうなれば米中両国にとって新たな争点が
増えることなる。
24
査道炯「能源問題與中美関係」『国際経済評論』2007 年7~8 月号、137 ページ。
25
「 白 宮 : 美 国 厳 重 関 切 巴 里 島 気 候 変 遷 会 議 」『 奇 摩 新 聞 網 』( 2008.2.4. 閲 覧 )
(http://tw.news.yahoo.com./article/url/d/a/071216/19/q0v3.html)。
-65-
問題と研究
三
第 37 巻 3 号
多角的な協力関係
上記では 2 国間の衝突と協力関係を見てきたが、多角的な枠組み
の部分では協力関係の推進が試みられている。実際、2005 年 1 月に
はインドの主催で「アジア主要石油供給・消費国大臣級円卓会議」
が開催され、中国、日本、韓国、インドなどのアジアの主要石油消
費国や、サウジアラビア、クウェートなどの主要産油国が参加して
いるし、OPEC や IEA などの幹部クラスも出席している。また 2005
年 3 月にはロンドンで英国、米国、中国、インド、日本、韓国など
20 カ国のエネルギー関係省庁のトップが参加する円卓会議が開催さ
れているが、これらはいずれも国際社会がエネルギー問題を重視し
ていることの表れである。このような中で、東アジアでも以下のよ
うな多角的協力の動きが見られる。
1
中国・ロシア・インドのエネルギ-協力
2005 年には中国、ロシア、インドの 3 国の外相の初めての会談が
行われたが、必ずしも戦略的同盟関係が構築されたわけではなかっ
た 26。しかしながら、エネルギー関係における協力が各国共通の関心
事となったことは事実である。2007 年 10 月にハルビンで開催された
3 回目の外相会議では、エネルギー問題が議題となると同時に、共同
コミュニケの重点の一つともなった。
前述の通り、エネルギー外交は世界最大の天然ガス輸出国である
ロシアでは政策の重点であり、中国やインドはエネルギーが必要な
最大の新興工業国である。協議は最終的にまとめられなかったもの
26
Harsh V. Pant, “The Moscow­Beijing-Delhi Strategic Triangle: An Idea Whose Time May
Never Come,” Security Dialogue, 35:3 (2005), p.21.
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新エネルギー危機下の東アジア経済
2008 年 7.8.9 月号
の、3 国は協議を通じて悪性の競争を避けると同時に協力の強化が図
れたのである 27。
2
5 カ国によるエネルギ-会議の開催
中国の主導で、2006 年 12 月に北京で多角的エネルギー会議が開催
された。出席者は、中国の国家発展改革委員会主任を初め、インド
石油天然ガス省、日本経済産業省、韓国産業資源省および米国エネ
ルギー省のそれぞれトップであった。目的は、主要エネルギー消費
国が共同で相互の対話と協力を通じて、石油の節約、エネルギー効
率の向上や代替エネルギー開発の促進、石油への過度の依存の是
正、ならびにエネルギー面での技術協力や共同開発を促進すること
にあった。
今回の会議は次の 5 つのテーマから構成されていた。即ち、①エ
ネルギーの安全と石油備蓄戦略、②エネルギー構成の多様化と代替
エネルギー、③投資とエネルギー市場、④国際協力の主要課題と優
先領域、⑤省エネとエネルギー効率の向上--である。
会議終了時には 5 カ国連盟での共同声明が発表されたが、そこで
は石油・ガスの探査・開発と市場投資の奨励や石油備蓄戦略の強化
などが提起され、また同時に、国際社会による主要エネルギー施設
や石油・ガス輸送路の安全の確保が喚起されている 28。現状ではこの
種の会議の継続性の可能性については予測困難であるが、今回の会
議はエネルギー消費主要国の協力を高める面で重要な意義があっ
た。
27
インドは 2005 年の北アジア・中央アジア主要石油需給商談会以降、この地域とのエ
ネルギー関係の協力を強化しており、中国、インドとロシアは 2006 年商務関係者サ
ミットの開催を決めている。
28
(http://finance.sina.com.cn/g/20061216/20473171147.shtml)
。
-67-
問題と研究
四
第 37 巻 3 号
エネルギ-協力体制の発展
前節では東アジア各国の新エネルギー危機に対応する各種政策
を、2 国間あるいは多角的視点から紹介してきた。エネルギーは長期
的な経済発展に影響を与えるし、また国際的な紛争を引き起こす可
能性もある。これらの問題を解決する方策としては「制度化」が最
良と考えられるが、以下ではこの点についてもう少し説明してみた
い。
1
APEC 機構下のエネルギ-協議
アジア太平洋経済協議会(APEC)にはエネルギー作業部会(Energy
Working Group, EWG)があり 29、オーストラリアのキャンベラにある
秘書局では関係統計の分析研究を行っている 30。作業部会は毎年 2 回
開催され、エネルギー部長会議は 2000 年以来年 1 回開催されてい
る。関連作業の効率を向上させるため、日本は 1996 年 8 月にアジア
太平洋エネルギー研究センター(APERC)を設立している。設立の
目的は、エネルギー供給情勢や安定性などを分析し、会員各国のボ
ゴール精神に基づいたエネルギー投資を促進することにある。また
資 源 ・ エ ネ ル ギ ー 開 発 に お け る 協 力 を 促 進 す る た め 1996 年 に は
EWG の下に資源・エネルギー探査・開発専門グループを設け、民間
企業がより多くエネルギー活動に参入できるようにしている。EWG
はまた 1998 年 3 月には企業ネットワーク(EWG, Business Network,
29
APEC は 1989 年 11 月の創設以降相次いで 10 の専門部会(貿易、科学技術、エネル
ギー、通信、交通、観光、漁業、海洋資源保護、人材資源開発)と 2 つの特別ワー
キンググループ(経済発展、地域貿易自由化)を設けた。後者は後に貿易・投資委
員会と経済委員会に改組されている。
30
Stanislav Z. Zhiznin 著、強暁雲訳『国際能源政治與外交』
(華東師範大学出版社、2005
年)136 ページ。
-68-
新エネルギー危機下の東アジア経済
2008 年 7.8.9 月号
EBN)を設立し、民間企業と EWG との交流の促進を図っている 31。
石油価格の高騰と地球温暖化が深刻になるに伴い、エネルギーと
気候変動に関するテーマにはより多くの関心が集まるようになって
いる。このテーマは 2007 年の APEC 首脳会談でも主要課題の一つと
なり、エネルギーの安全対策、気候の変動とクリーンな発展に関す
る声明が出されている 32。
この年の会談ではダーウィン宣言が採択され、エネルギーの安全
と継続発展の保障、各国における短期的なエネルギー供給不足や供
給 停 止 の リ ス ク に 対 す る 緊 急 措 置 の 強 化 が 強 調 さ れ て い る 。 APEC
はまたこの宣言を通じて、石油市場における措置と貿易の促進、緊
急体制・措置の改善、石油データ共用の促進、ならびに輸送の効率
化や代替輸送燃料開発の促進などを奨励している。主催国であるオ
ー ス ト ラ リ ア は エ ネ ル ギ ー 技 術 ・ 情 報 交 換 ネ ッ ト ワ ー ク ( APEC
Network on Energy Technology and Information Exchange)構想を提起
しているが、これは APEC の情報・技術の交換を通じたクリーンな
発展能力を強化することを目的としたものである。
2
東北アジアのエネルギ-協力と制度化
国際的にエネルギー供給が緊迫化した中で、東アジアの主要国家
は高度成長を持続させるために、共通の難題解決に向けて協力を進
めている。たとえば、日本の中山太郎外相は、1991 年にアジア・エ
ネルギー共同体構想を提起し、ロシア、中国、日本、米国、韓国が
共同でシベリア油田を開発するとの目標を掲げた。しかし、1990 年
31
邱 瑞 焜 「 亜 太 経 済 合 作 能 源 工 作 組 十 年 回 顧 」『 能 源 報 道 』( 2008.2.227. 瀏 覧 )、
32
呉福成「能源與気候変遷」
(http://www.ctasc.tw/2007year/important_05.doc)。
(http://www.tier.org.tw//energymonthly/outdatecontent.asp?ReportIssue=9106&Page=36)
。
-69-
問題と研究
第 37 巻 3 号
代は各国が競争して自己の需要を満たす傾向にあった。各国の思考
が変わったのは、前述のアジア・プレミアムが顕在化してからであ
った 33。東北アジア諸国は、欧米とロシアがシベリア油田開発で合意
したことを憂慮していたのである 34。
このような状況下で、2002 年には日本が ASEAN 10 プラス 3 会議
において最初にエネルギー協力を提唱し、2003 年には韓国貿易協会
の金在哲会長がボアオ・アジアフォーラムの席上で、近隣国家間に
おけるエネルギー開発協力を提起している。それは共同研究計画の
推進、共同でのエネルギー備蓄庫の建設、買付、備蓄、流通の促進
などを通じてエネルギー危機への対応力を高めようというものであ
った 35。
2004 年の第 3 次アジア協力会議後の青島提言では、エネルギー開
発、パイプラインの敷設、輸送路の安全保障と価格の安定面での広
範な協力体制を進めることが決定された。同年に開催されたボアオ
・アジアフォーラムでは、“エネルギー:挑戦と協力”をテーマ とし
た討論が行われている。
2005 年 9 月、中韓日 3 国の主要石油会社が、韓国で「東北アジア
石油開発共同協議体制」の構築に関する討論を実施し、初歩的なコ
ンセンサスが得られている 36。エネルギー関連問題を根本的に解決す
33
Doh Hyun_Jae, “Energy Cooperation in Northeast Asia: Prospects and Challenges,” East
Asian Review, 15:3 (2003), pp.85-110.
34
EU は 2000 年にロシアとの長期エネルギー供給交渉をし、エネルギーに関する対話
システムを設けている。米国は 2002 年にロシアとの間で「2 国間新エネルギー共同
声明」を発表し、その後サハリン油田プロジェクトの 40%近い株式を取得している。
35
(http://www.hq.xinhuanet.com/boao/2003_11/03/content_1142049.htm)。
36
韓国、中国および日本など東北アジアの主要製油企業は、2003 年 11 月東京で開催さ
れた「東北アジアエネルギーセミナー」で、相互協力の強化に合意するとともに、
エネルギー交易所建設の可能性も討議している。
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新エネルギー危機下の東アジア経済
2008 年 7.8.9 月号
るための試みとして、2001 年に韓国で初めての東北アジアエネルギ
ー国際セミナーが開催され、ロシア、中国、日本、モンゴル、およ
び南北朝鮮が共同参加する東北アジアエネルギー共同体の設立が提
案された。その後日本と中国の専門家が多くの討論を重ねたが、こ
の地域には多くの政治的問題があるため 37、今日まで実質的な進展は
見られていない。
五
東アジアエネルギ-協力への挑戦と機会
東アジアではすでに述べた通り、経済発展の故に、産業部門や民
生部門におけるエネルギー需要が継続的に増大しており、需要量は
今後 20~30 年で 2 倍になると推計されている。しかし、世界のエネ
ルギー資源は有限であり、需要増がもたらす油価の高騰は、この地
域の発展の未来に影を落とすことになっている 38。前の節で幾度も触
れたように、このような展望が主要国間の競争を引き起こし、協力
関係を限定的なものとしているのである。
エネルギーをめぐる競合関係が生じたそもそもの原因は、冷戦時
代からのゼロ・サム的思考の遺物と伝統的な国際権力政治習慣の影
響であろう。各国は習慣的にまず“私利”(self-interest)の視点から問
題を解決しようとするし、また一部の国家間には摩擦が存在するわ
けであるから、短期間に信頼関係を構築できないというのは無視で
きない現実である。さらに、エネルギー危機はグローバルな問題で
37
たとえば日ロの北方領土問題、日韓の竹島(独島)紛争、北朝鮮の核問題、日中間
の東シナ海油田と歴史問題などがある。
38
ゴールドマン・サックスの Jeffery Carrie は次のように認識している。油価の高騰は
供給サイドの問題である。低価格期には投資効率が低かったため、主要産油国の設
備投資が不十分であり、その結果需要増加はすぐ油価の暴騰を引き起こす。
『亜州能
源図』24 ページ。
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問題と研究
第 37 巻 3 号
あり、地域的なものではない。そのため、欧米諸国などの域外勢力
の介入もあり、それが当然ながら問題をより複雑にしている 39。また
東アジア地域には核心となるリーダーの出現がないことも一因であ
ろう。
総じて言えば、現段階の東アジア地域にはエネルギー面での協力
関係を促進する上でまだ多くの障害が存在する。しかし、協力関係
構築が試みられていることも事実であり、この問題をいつまでも放
置しておくわけにはいかないのが現実である。以下では協力関係構
築のために、一種の段階的発展モデルを示してみたい。
①相互協力レベルの逐次引き上げ:現存の対話協調のメカニズムを
基礎に、実施の過程でその地位を段階的に政府間の政策レベルに
引き上げる。
②初歩的な協力計画の作成:価格協議や情報の共有を通じて、資金
を集中し共同探査やインフラ建設(パイプラインや輸送ルートの
安全保障)を計画する。
③政策を通じたコンセンサスの文書化:対話システムの中でより多
くの共通認識を形成する。東アジアの求めるレベルでの政策の実
際的な運用性が文書化されれば、それが各国政府に対する一定の
拘束力を持つことになる。
④共同備蓄制度の設立:東アジアでは現在各国がそれぞれのエネル
ギー備蓄制度を設けつつある。しかし、各国の能力には限界があ
るし、時間的にも危機の発生には対応できない。もし共同の備蓄
制度があれば各国は備蓄問題の解決が可能となるばかりでなく、
相互信頼醸成においても重要な指標となろう。
39
エネルギー競争には特に国際戦略が考慮される。T. S. Gopi Rethinaraj, “China’s Energy
and Regional Security,” Defense and Security Analysis, 19:4 (2003), p.385.
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新エネルギー危機下の東アジア経済
2008 年 7.8.9 月号
⑤ 地 域 的 な エ ネ ル ギ ー 制 度 の 設 立 : 最 終 目 標 は 体 制 ( regime)の推
進と建設であり、エネルギー共同体などもこの一つ。難度は極め
て高いが、各種問題の解決可能な最終形式である 40。
[付記]
本論文は 2008 年 3 月 27 日、28 日に開催された「第 35 回日台アジア
太平洋研究会議」で発表され、許可を得て弊誌に掲載されたもので
ある。
40
現状では欧州地域の発展が比較的成熟している。1951 年と 58 年には欧州石炭鉄鋼共
同体と欧州原子力共同体が発足し、2005 年 10 月には EU と東・南欧 9 カ国がエネル
ギー共同体条約に調印し、エネルギー市場の調整も始まっている。
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