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最も心に残った
N響コンサート&
ソリスト2012 �
1997年に「N響ベスト・コンサート」として始まって以来、今回で16 回目を迎
える「最も心に残ったN響コンサート & ソリスト」
。2012 年 1月〜 12月に行
われた定期公演を、会場や放送でお聴きになったみなさまに投票をお願いし、
450を超える票が集まりました。みなさまの「感動の結晶」はどのように順位
に反映されているでしょうか。投票にご参加いただいたみなさま、ご協力あり
がとうございました。
2012 年 12 月Cプロ、NHKホール
Program
�
最も心に残ったN響コンサート2012
第1位 12 月Cプロ 第1743 回|12 月 7、8 日
B
シャルル・デュトワ(指揮)
ルイ・ロルティ(ピアノ)
ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」
リスト/ピアノ協奏曲 第 2 番 イ長調
レ スピーギ/交響詩「ローマの祭り」
「ローマの噴水」
「ローマの松」
⃝ 3 曲全部すごくあっという間に感じてし
まう演奏ですごく楽しかったです。「ローマ
三部作」では、最初のファンファーレから
最後の 1 音まで胸をどきどきさせながら聴
いていて心に残りました。トロンボーンの
ソロも良かったです。
(虎熊歩)
⃝毎年 12 月のデュトワ来演を楽しみにして
いる者として、得意のレスピーギを心行く
まで堪能致しました。多彩な音色を操るデ
ュトワはコンサートを見せる達人です。
(小澤雄一)
⃝陰影と色彩に富む「ローマ三部作」を心
から楽しめた。デュトワ指揮による 12 月公
演は全てはずれがない。来年も楽しみにし
ています。
(大塚賢一郎)
⃝まさに王者のような演奏、デュトワ氏の
フランス・エスプリの空気を 100%味わった。
(柳下宣昭)
⃝レスピーギの「ローマ三部作」に、ベル
リオーズ、リストの協奏曲と盛りだくさん
のプログラム。デュトワの鮮やかな指揮に
N響が色彩感あふれる響きで応え大満足の
演奏会だった。
(磯浩一郎)
最も心に残ったN響コンサート 2012
2位
10月Cプロ 第 1737 回|10月 19、20日
ロリン・マゼール(指揮)
ワーグナー(マゼール編)/
言葉のない「指環」〜ニーベルングの指環 管弦楽曲集
⃝壮大なワーグナーの楽劇を 2 時間弱で聞
けるなんて夢のようでした。しかも楽劇の
味わいは全く損なわれておらず凝縮された
濃い中身でした。編曲者マゼールさん自身
の指揮と緊張感あふれるN響の熱演にも体
が熱くなりました。
(豊島立)
⃝マゼールさんの若々しさに先ず感動しま
した。外見もその音楽も。大学オケでワー
グナーを演奏したときのワクワク感を思
い出させてくれたことに、深く感謝します。
ジークフリート=永遠の若さです。
(鈴木勉)
第
⃝一瞬一瞬が充実した時間でした。濃縮さ
れた《指輪》の世界にどっぷりつかること
ができました。マゼールさんのまるで始め
から単一曲のような自然な編曲はすばらし
いと思った。
(平田重敏)
⃝ロリン・マゼール氏の編曲による《リン
グ》全 4 夜分の楽劇を 75 分に凝縮して一気
に聴かせてしまう執念には脱帽! ワーグ
ナー音楽の妙薬に酔い痴れました。
(田中忠仁)
3位
12月Aプロ 第 1742 回|12月 1、2 日
シャルル・デュトワ(指揮)
アンナ・クリスティ、ディアナ・アクセンティ、
エドガラス・モントヴィダス、
デーヴィッド・ウィルソン・ジョンソン、
青山 貴、ジョナサン・レマル、
エロディ・メシェン、村上公太、畠山 茂、
エレーヌ・エブラール、天羽明惠、二期会合唱団、NHK東京児童合唱団
ストラヴィンスキー/歌劇「夜鳴きうぐいす」
(演奏会形式)
ラヴェル/歌劇「こどもと魔法」
(演奏会形式)
⃝オペラの演奏会形式という事で音以外の
パフォーマンスは殆ど行われていない筈な
のに、デュトワが指揮すると舞台がそこに
あるように感じられます。オケも軽妙洒脱
で素晴らしかったです。
(永冨晃)
⃝アンナ・クリスティさんの素敵な声、歌手
のみなさんの楽しいパフォーマンスが素晴
らしかったです。N響の演奏会形式の歌劇
はとても好きです。
(夫馬音彦)
⃝《ワルキューレ》もすばらしかったが、
マイナーな曲でソリストも多く合唱も伴う
このようなハードルの高い演目を演奏して
くれたことが非常にうれしい。演奏も完璧
であった。これからもコンサートスタイル
のオペラを積極的に取り上げてほしい。
(井上考)
Philharmony April 2013
第
�
�
最も心に残ったN響コンサート 2012
Program
第
4 位 12 月Bプロ 第 1744 回| 12 月 12、13 日
シャルル・デュトワ(指揮)
B
*
柿堺 香(尺八)
*
中村鶴城(琵琶)
ヴァディム・レーピン(ヴァイオリン)
*
武満 徹/ノヴェンバー・ステップス(1967)
シベリウス/ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品 47
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」
⃝ド定番と言えばそれまでですが、武満も
《春の祭典》も、デュトワさんの指揮とN
響とのコンビネーションの粋を感じる名演
でした。今年のザルツブルクに期待が高ま
ります。且つレーピンさんのソロには驚愕。
感嘆の一夜でした。
(平井成)
第
⃝後半の《春の祭典》では、デュトワの力
強いタクトに応じて抜群の機動力を発揮し、
異教徒たちの野生的な熱狂を見事に描き出
したN響。N響が名誉音楽監督デュトワと
共に新たな一歩を踏み出した記念碑的演奏
となったと思う。
(平井夕記子)
5 位 10 月Bプロ 第 1738 回| 10 月 24、25 日
ロリン・マゼール(指揮)
ダニエル・オッテンザマー(クラリネット)
モーツァルト/交響曲 第 38 番 ニ長調 K.504「プラハ」
ウェーバー/クラリネット協奏曲 第 2 番 変ホ長調 作品 74
ラヴェル/スペイン狂詩曲
ラヴェル/ボレロ
⃝ 《 ボレロ 》 の各奏者のソロを楽しめました。
最後のクライマックスでそれまでのテンポ
から急激に変えるマゼール節が印象的でし
た。多彩なプログラムも演奏も素晴らしか
った。
(平川一喜)
⃝作曲家の持ち味を十分に堪能できる選曲
をサントリーホールで聴くこの贅沢。マゼ
ール氏のタクトの妙、ソリストのテクニッ
クと美しい音色、N響の調和したオーケス
トレーション。まさに「名曲コンサート」
でした。
(岡部高明)
第 6 位 11月 Aプロ 11 月 10、11 日
エド・デ・ワールト(指揮)
堀 正文(ヴァイオリン)*、エヴァ・マリア・ウェス
トブレーク(ジークリンデ)、フランク・ファン・ア
ーケン(ジークムント)、エリック・ハルフヴァルソ
ン(フンディング)
武満徹/遠い呼び声の彼方へ! *
ライナー・キュッヒル(ヴァイオリン)
チャイコフスキー/組曲第 3 番
グラズノフ/ヴァイオリン協奏曲
ラデク・バボラーク(ホルン)
武満徹/ノ スタルジア〜アンドレイ・タルコフ
スキーの追憶に *
ワーグナー/楽劇「ワルキューレ」第 1 幕
(演奏会形式)
リムスキー・コルサコフ/組 曲「サルタン皇帝の
物語」
グリエール/ホルン協奏曲
チャイコフスキー/交響曲第 4 番
第 7 位 9 月 Aプロ 9 月 15、16 日
アンドレ・プレヴィン(指揮)
第 10 位 9 月 Cプロ 9 月 21、22 日
レナード・スラットキン(指揮)
マーラー/交響曲第 9 番
第 8 位 10月 Aプロ 10 月 13、14 日
ロリン・マゼール(指揮)
第 9 位 6月 Aプロ 6 月 9、10 日
ウラディーミル・アシュケナージ(指揮)
リャードフ/ 8 つのロシア民謡
ショスタコーヴィチ/交 響曲 第 7 番「レニング
ラード」
最も心に残ったソリスト2012
第1位
ラデク・バボラーク
(ホルン)
6月Aプロ 第 1730 回|6月 9、10日
グリエール/ホルン協奏曲 変ロ長調 作品 91(1950)
⃝ホルンの演奏を趣味としている者として,
まさに神様のような存在です。大好きなグ
リエールの協奏曲を生の演奏で聴くことが
でき,感動のあまり涙を流してしまいまし
た。最高の時間と空間に身を置けて本当に
幸せでした。
(西東宏章)
⃝世 界 最 高 の と い う 言 葉 に 違 わ ぬ 美 し く
堂々とした響きは今でも耳に残っています。
このような演奏があるから、ついついコン
サート会場に足を運んでしまいます。
(橋本道成)
第2 位
第3位
⃝とてもうっとりする美しいホルンの音色
⃝神技的な演奏! 是非機会があったらま でした。難しい曲だと思うのに、軽やかに
た 聴 き た い ソ リ ス ト の 1 人 で す。 ブ ラ ボ 吹いていたことが印象的でした。
ー!!
(川瀬友季子) (甘利尚美)
デニス・マツーエフ(ピアノ)
2 月 C プロ 第 1722 回| 2 月 17、18 日
チャイコフスキー/
ピアノ協奏曲 第 1 番 変ロ短調 作品 23
第4位
ヴァディム・レーピン(ヴァイオリン)
12 月 B プロ 第 1744 回| 12 月 12、13 日
シベリウス/
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品 47
ダニエル・オッテンザマー(クラリネット)
10 月 B プロ 第 1738 回| 10 月 24、25 日
ウェーバー/
クラリネット協奏曲 第 2 番 変ホ長調 作品 74
第5位
ジャニーヌ・ヤンセン(ヴァイオリン)
11 月 B プロ 第 1741 回| 11 月 21、22 日
ブルッフ/
ヴァイオリン協奏曲 第 1 番 ト短調 作品 26
Philharmony April 2013
�
Program
投票を通じて寄せられたみなさまの声
B
⃝ 80 歳を超えてなおお元気なマゼールさん ⃝ 10 月Aプロ、グラズノフの《ヴァイオリ
のお姿を拝見出来たことが一番印象的でした。 ン協奏曲》はキュッヒルさんの温和な人柄が
(小林誠博) 伝わってくるような名演奏でした。心にしみ
込んでくるようなキュッヒルさんのヴァイオ
⃝中国公演の演奏をテレビで拝見しましたが、 リンの音色……終演時「ホッ」とため息が出
とても素晴らしい演奏でした。音楽に国境は ました。
(山越章弘)
ないと感じました。
(勝俣陸)
⃝ 9 月Aプロで初めてマーラーをコンサート
⃝デュトワさんのコンサートは、曲によって で聞きましたが、緊張して微動だにできませ
本当に同じオーケストラ? と思うくらい音 んでした。演奏が終わり緊張がとけた直後の
も響きも変容していくので、いつもとても楽 感動の涙は忘れられません。 (山下直弥)
しみです。そしてなにより、マエストロの音
楽性に溶け込み、N響とわかる音を奏でるオ ⃝ 12 月Aプロの 2 つの小オペラ。オケに混
ーケストラの皆さんに感服です。私にとって ざったNHK東京児童合唱団の子供たちの歌
は、どのコンサートもすばらしい経験です。 声はとても良いです。昨年の《一千人の交響
(嶋田亜人) 曲》でも聞かせていただきましたが、デュト
ワさんのプログラムは大きな編成でいつも楽
⃝ザルツブルク音楽祭への参加おめでとう しみにしています。
(川合繁夫)
ございます。私もN響の演奏会を聞きに行
き始めて 40 年以上が経ちました。最近では ⃝いつもいい演奏を提供していただいてあり
若い人が加わりました。よりいっそう、演 がたく思っています。月 1 回の心のオアシス
奏に磨きが掛かったと思います。これから になっています。
(宮脇弘樹)
もN響の音を大切にして、伝統を守ってい
って下さい。
(岡田佳之) ⃝ 2 013 年 5 月Bプロのタン・ドゥン、楽し
みです。定期公演のプログラムとは思えない
⃝パーヴォ・ヤルヴィを首席指揮者に迎える ような内容で、まさにマニアックな日と言え
選択をしたN響に拍手! 以前N響を振った ます。現代作品の演奏には技術はもちろん表
コンサートは全プログラムを聴いたが、N響 現力が要求されるので、N響で聞くのが最良
との相性も良く、どれもが刺激的で素晴らし です。現代曲も時々プログラムにいれてくだ
かった。彼が音楽監督になればいいなと思っ さい。
(渡部晃男)
ていたが、まさか実現するとは! 彼なら良
いソリスト(例えばヒラリー・ハーン)など ⃝毎回Cプロへお邪魔しております。N響なら
もたくさん呼べると思う。これから、どんな ではの演奏を聞かせて頂き、勇気・感動・情熱
名演を聴かせてくれるのか、今から楽しみで を頂いております。選曲等には大変なご苦労
ならない。
(八巻啓介) があるかと思いますが、引き続き時代の流れ
に乗った作品とN響ならではでこだわりのある
選曲を楽しみにしております。 (小林一夫)
招聘してほしい指揮者 ベスト5
招聘してほしいソリスト ベスト 5
1 ロリン・マゼール
2 ヘルベルト・ブロムシュテット
3 シャルル・デュトワ
エサ・ペッカ・サロネン
4 クリスティアン・ティーレマン
5 グスターボ・ドゥダメル
1 マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)
2 アンネ・ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
3 内田光子(ピアノ)
4 レイフ・オヴェ・アンスネス(ピアノ)
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)
5 五嶋みどり(ヴァイオリン)
Philharmony April 2013
©Sian Richards
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O
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t
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P
今月のマエストロ
ピーター・ウンジャン
ヴァイオリニストから指揮者へ─
満を持してのN響初登場
文
満津岡信育
Program
今月のマエストロ
B ピ ーター・ウンジャン
筆者の場合、ピーター・ウンジャ
院の学生オーケストラでは、コンサ
ンが実際に指揮をしている姿に接し
ートマスターを務めたということだ。
たことがない点は、初めにお断りし
東京クヮルテットで活躍したウンジ
ておいた方がよいだろう(パソコン
ャンは、指の故障でヴァイオリニス
の画面上などで、映像を拝見したこ
トとしてのキャリアを断念すること
とはありますが)。もっとも、彼に
になるのだが、音楽に対する彼の思
関しては、東京クヮルテットで第1
いは、指揮者になるという道を通じ
ヴァイオリン奏者を務めていた時代
て、見事に花開くことになる。1995
に、演奏会やディスクを通じて、そ
年にニューヨークのカラムーア国際
の実力とセンスのほどは、承知して
音楽祭で正式にデビューした後、順
いるつもりである。
調にキャリアを伸ばし、2004 年には、
思い返してみれば、世界的な弦楽
財政的に困難な状況にあったトロン
四重奏団のメンバーから、指揮者に
ト交響楽団の音楽監督に就任。指揮
なった人物には、ルドルフ・バルシ
者としてだけではなく、音楽監督と
ャイやヴァーツラフ・ノイマンがい
して、オーケストラの運営・財政面
るとはいえ、前者はモスクワ音楽院
でもリーダーシップを発揮して、楽
四重奏団(のちのボロディン四重奏
団を見事に再生させることに成功し
団)、後者は最初期のスメタナ四重
たのである。
奏団に数年在籍しただけであり、世
ウンジャンの場合、その来歴から
界の第一線で活躍していた団体で、
もおわかりいただけるように、弦楽
14 年ものあいだ、第 1 ヴァイオリ
セクションを鮮やかに統率する術を
ン奏者を務めていたというわけでは
身に付けているのが強みである。ま
ない。また、シャーンドル・ヴェー
た、東京クヮルテットという団体が、
グ、ゲルハルト・ボッセ、ギュンタ
第 1 ヴァイオリンが引っ張っていく
ー・ピヒラーといったヴァイオリン
オールド・スタイルのアンサンブル
奏者の場合、ウィーン古典派あたり
とは一線を画し、すばらしいバラン
をメインに、室内管弦楽団などを指
ス感覚を備え、揺るぎのない構成感
揮していたというイメージが強い。
とリズム感を備えていたことを思い
経営難のトロント響を
再生させた見事な統率力
カナダのトロントで生まれたウン
ジャンは、フィルハーモニア管弦楽
起こせば、その音楽づくりの方向性
もおわかりいただけるに違いない。
センスに富んだ
指揮者としての手腕
団の名コンサートマスターとして名
ウンジャンとトロント交響楽団の
を馳せたパリキアンに師事した後、
コンビは、現時点ではディスクこそ
ジュリアード音楽院で学び、同音楽
出していないが、オーケストラの
が、指揮者として踏み出すにあたっ
Store」から、ライヴ音源をダウン
て、カラヤン、そしてプレヴィンと
ロードして購入することができる。
いう、NHK交響楽団とは縁の深
しかも、その曲目たるや、ブルック
い 2 人の指揮者が、鍵を握ってい
ナーの《交響曲第 4 番「ロマンテ
たのが興味深い。カラヤンに関して
ィック」
》
、マーラーの《交響曲第 4
は、1976 年にジュリアード音楽院
番》
、ヴォーン・ウィリアムズの《交
で学生を相手に、指揮法のマスター
響曲第 4 番》と《第 5 番》
、ショス
クラスを行ったとき、学生オーケス
タコーヴィチの《交響曲第 7 番「レ
トラのコンサートマスターだったウ
ニングラード」
》と《第 11 番「1905
ンジャンを促して指揮をさせたこと
年」
》
、ホルストの組曲《惑星》など、
があったということだ。2 フィート
大曲がずらりと並んでいるのが印象
向こうに立つカラヤンが放つ魔力を
的だ。そうした録音を耳にすれば、
感じながら、無我夢中でブラームス
ウンジャンが、大編成のアンサンブ
の《交響曲第 1 番》からのある楽章
ルをきちんと整えながら、かっちり
を振ったウンジャンに対して、帝王
と音楽をつくり上げていくセンスに
は、
「君の両腕は、すばらしいエネ
富んでいることが実感できることだ
ルギーを持っているね」と告げたと
ろう。楽曲が発する大音量や深々と
のこと。一方のプレヴィンは、ウン
おぼ
した響きに溺れることなく、引き締
まったテンポ感とバランス感覚を発
揮する一方で、弦楽セクションのフ
レージングにきめ細やかに配慮して
いる点も好ましい。そして、音楽の
流れに即して、華やかにクライマッ
クスを形成していくなど、吹っ切れ
た演奏を繰り広げている場面もあり、
ジャンを自宅に呼んで、指揮につい
てあれこれと語り、指揮者として立
とうとしていたヴァイオリニストは、
その話に大いに触発された経験があ
るということだ。
時を経て真価が認められた
2 曲の演奏に期待
ひとことでまとめてしまえば、指揮
今回、NHK交響楽団に初登場す
者として、じつにいい仕事をしてい
るウンジャンが指揮する演目は、シ
るのが特徴だ。2012/2013 年シーズ
ョスタコーヴィチの《ヴァイオリン
ンからは、イギリスのロイヤル・ス
協奏曲第 1 番》(独奏はムローヴァ)
コティッシュ・ナショナル管弦楽団
とラフマニノフの《交響曲第 2 番》
の音楽監督にも就任するなど、その
である。ショスタコーヴィチの名作
手腕のほどが、認められていること
は、初演者のオイストラフやコーガ
が納得できるだろう。
ンといった旧ソヴィエト連邦の名手
ウンジャンは、正式に指揮法をみ
たちこそ手がけていたものの、世界
っちりと学んだわけではないようだ
中のヴァイオリニストが取り上げる
Philharmony April 2013
ホームページ内の「TSO Live Music
Program
今月のマエストロ
B ピ ーター・ウンジャン
一般的なレパートリーになるまでに
ートホールの演目として定着するま
は、少し時間がかかった作品である。
でには、やはり長い歳月を要した楽
その演奏史のなかで、ムローヴァが
曲である。上辺の旋律線を小ぎれい
1988 年にプレヴィンと共演した録
に歌い上げるだけでは、聴き手に感
音は、画期的な意味を持っていただ
銘を与えることができない大曲だけ
けに、それから四半世紀を経て、彼
に、ピーター・ウンジャンの指揮者
女がどのようなアプローチを繰り広
としての手腕が問われるのは必至で
げるのか興味津々である。ラフマニ
ある。もちろん、自信があるからこ
ノフの《交響曲第 2 番》も、長年に
その選曲であろう。大いに期待した
わたってカットされて演奏されるな
い。
ど、その真価が認められて、コンサ
(まつおか・のぶやす 音楽評論家)
プロフィール
1955 年にカナダのトロントで生
している。その後、指揮者として順
まれたピーター・ウンジャンは、イ
調にキャリアをのばし、コロラド交
ギリスでパリキアンにヴァイオリン
響楽団の首席客演指揮者やデトロイ
を師事。ロンドンの王立音楽大学に
ト交響楽団の首席客演指揮者を歴任
進んだ後、ジュリアード音楽院では、 した。
ガラミアン、ディレイ、パールマン
2004 年には、財政上の困難を抱
のもとで研鑽を積んだ。ヴァイオリ
えていたトロント交響楽団の音楽監
ン奏者として活動を始めたウンジャ
督に就任。最初のシーズンの奮闘
ンの名は、日本の音楽ファンにとっ
ぶりを収めたドキュメンタリー映
ては、1981 年から 14 年間にわたっ
画『9 月の 5 日間、オーケストラの
て務めた東京クヮルテットの第 1 ヴ
再生』が評判になるなど、指揮者と
ァイオリン奏者として鮮やかに記憶
しての音楽性のみならず、音楽監督
されていることだろう。
としての手腕も高く評価されている。
指の故障で東京クヮルテットを退
2012/2013 シーズンからは、ロイヤ
団したウンジャンは、1995 年にニ
ル・スコティッシュ・ナショナル管弦
ューヨークのカラムーア国際音楽
祭で正式に指揮者としてデビュー。
1998 年から 2003 年までアムステル
ダム・シンフォニエッタの音楽監督
を務め、この 1998 年には、かつて
ソリストとして共演したトロント交
響楽団にも指揮者として客演を果た
楽団の音楽監督にも就任。すでに
数々の大作を、さまざまなオーケス
トラと手掛けているウンジャンだけ
に、NHK交響楽団との初共演にも、
大いに期待したいところである。 (満津岡信育)
Philharmony April 2013
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k
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c
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B
n
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©Sheila Rock
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今月のマエストロ
セミョーン・ビシュコフ
骨太な音楽に加わった
豊かな生命感
文
相場ひろ
Program
今月のマエストロ
セミョーン・ビシュコフの名前が
我々の耳に入ってくるようになった
のは、1980 年代半ばのことだった
ように記憶する。今彼の経歴をひも
B セ ミョーン・ビシュコフ
あつ
しかし、若さゆえに可能な、怖い
もの知らずともいえる自己の演奏ス
タイルに、ビシュコフ自身は満足し
ていなかったにちがいない。1989
とけば、当時はソ連政府当局との軋
年にパリ管弦楽団に音楽監督のポス
轢からビシュコフがやむなく出国を
トを得てパリに生活の拠点を移すの
選び、アメリカに居を定めて本格的
と前後して、彼は輝かしいレコーデ
な指揮活動を開始した頃で、既にベ
ィング・キャリアを継続するよりも、
ルリン・フィルハーモニー管弦楽団
より地道で腰の据わった活動を優先
やウィーン・フィルハーモニー管弦
するようになり、彼の音楽も上滑り
楽団、コンセルトヘボウ管弦楽団な
することのない、成熟したものへと
ど、ヨーロッパの名門オーケストラ
徐々に変貌を遂げていった。
れき
に次々と客演し、西側世界の注目を
一身に集め始めていた様子が、日本
も
す
パリ管との幸福な 8 年
にまで漏れ伝わってきたのであった。
筆者は 1990 年代初頭、ビシュコ
この頃のビシュコフの演奏スタイ
フがパリ管を振った演奏会をいくつ
ルは、そうしたオーケストラとの共
か聴くことができた。音楽監督就任
演で録音された数々のディスクにし
間もない頃の彼は、パリ管から重心
のぶことができる。そこに聴かれる
の低い、ずっしりとした響きを引き
彼は、曲想をざっくりと大づかみに
出すことに心を砕くあまり、小回り
把握し、思い切りのよい表情付けに
の利かない鈍重な音楽を聴かせるこ
よって大きな起伏を与えつつ、停滞
ともないではなかった。しかし、わ
きょうじん
を許さない強靭な推進力によってひ
ずか 1、2 年ほどのうちに、ビシュ
た押しに音楽を前進させていて、柄
コフとオーケストラとのコミュニケ
の大きい音の流れが独自の魅力を発
ーションは大きく改善したようで、
揮していた。その潑剌とした、勢い
彼らの共演からは強引な音運びが影
のある音楽作りは、彼より一世代上
を潜め、より自然で、大らかな息遣
にあたるズービン・メータやクラウ
いが聴かれるようになった。それは
ディオ・アバドといった指揮者たち
我々が観光絵葉書的なパリのイメー
が、若くしてデビューし、たちまち
ジから想像しがちな、こ洒落たたた
にして聴衆の心をわしづかみにして
ずまいやデリケートな陰影の描き方
一挙にスターダムを駆け上っていっ
とはほど遠かったものの、たくまし
た頃を思わせるものがあり、聴き手
さと懐の深さを併せ持つものだった。
の多くはビシュコフの活躍に、将来
当初ミスマッチとすら評する者もい
の指揮界をリードする大スターの出
た指揮者とオーケストラの組み合わ
現を見ていたことと思う。
せは、両者に成熟と、幅広いレパー
はつらつ
タイルは、従来のビシュコフがみせ
こととなる。1998 年まで続いた両
た骨太な音楽の進め方に適切な陰影
者のコラボレーションは、特に最後
を刻み込んで、含蓄の深い、それで
期において、非常に幸福なものであ
いてくどくどしくならずに豊かな生
ったといわれている。
命感を通わせるものへと変貌させる
結果となった。
ドイツでみせた更なる柔軟性
そしてイギリスへ
また長い伝統を誇る歌劇場の指揮
者を務めたことで、彼はオペラの経
1997 年、ビシュコフのキャリア
験もしっかりと身につけた。特にド
は転機を迎える。ケルン放送交響楽
レスデン国立歌劇場が得意としてき
団の首席指揮者に任命されたのだ
たリヒャルト・シュトラウスやワー
った。彼は 2010 年までこの座にあ
グナーの作品への適応には目覚まし
り、かつその間にはザクセン州立歌
いものがあり、いくつかの公演は絶
劇場(旧ドレスデン国立歌劇場)の
賛を受けて録音にすら至っている。
首席指揮者も務めている。活動の中
1980 年代、あるいはパリでの 1990
心をフランスからドイツに移した上
年代には考えられなかった領域での
で、性格の大きく異なる楽団を相手
活躍は、研究熱心な彼が自らの成長
とすることになった訳だが、研究熱
のために精進を怠らず、常に進歩を
心で常に情熱を持って職務に取り組
し続けていた証しといえる。
むビシュコフは、この環境の変化を
これら 2 つの輝かしいポストを経
自らのための好機とした。具体的に
て後、2012 年にはイギリスのBB
は、2 つのオーケストラが持つゲル
C交響楽団に新設される「ギュンタ
どんよく
マン系のレパートリーの伝統を貪欲
に吸収し、それらの音楽のスタイル
について多くを彼らから学んだのだ。
ケルン放送響との共演もまた、今
日いくつかのディスクによって聴く
ことができるが、それらはデビュー
当初の録音とは全く異なる指揮者の
姿勢を感じさせるものとなっている。
ロシア系の指揮者らしい豪快なオー
ー・ヴァント・コンダクティング・チ
ェア」へのビシュコフの就任が決ま
った。フランスで、ドイツで積み重
ねた新しい経験を土台に、これから
さらにどのような変化と成熟をみせ
るのか、今後が楽しみである。
回想のプログラムと
夫妻での初演作をN響と共に
ケストラの鳴らし方や重い粘りは大
今回のNHK交響楽団との共演で
きく後退し、楽譜を隅々まで風通し
は、ヴェルディの《レクイエム》と
よく、丁寧に音にしつつ、端正な歌
ベルリオーズの《幻想交響曲》、及
い回しを徹底して音楽を清々しく、
びスイス生まれの作曲家リシャー
かつ伸びやかに歌わせていくそのス
ル・デュビュニョンの作品を取り上
すがすが
Philharmony April 2013
トリーをこなせる柔軟性をもたらす
Program
今月のマエストロ
B セ ミョーン・ビシュコフ
げる。ヴェルディの《レクイエム》
フィールド》は 2011 年に初演され
は歌劇場での経験を積んだビシュコ
た 2 台のピアノと管弦楽のための協
フが近年得意とする曲目で、既に録
奏曲で、もちろんビシュコフとラベ
音もなされた他、各地の演奏会で好
ック姉妹が初演を果たし、各地で上
評を博している。他方ベルリオーズ
演を重ねている作品である。ラベッ
の《幻想交響曲》はパリ管時代に幾
ク姉妹の一人、マリエルはビシュコ
度も取り上げて自家薬籠中のものと
フ夫人でもあり、夫妻の共演が日本
した作品で、今回のプログラムは奇
でかなったことも喜ばしい。見かけ
しくも、彼自身のこれまでの歩みを
以上に盛りだくさんの、興味尽きな
回想し、その実りの豊かさを披露す
いプログラムが実現したというべき
るものとなった。
だろう。
(あいば・ひろ 音楽ライター)
また、デュビュニョンの《バトル
プロフィール
1952 年、レニングラード(現サ
ンクトペテルブルク)に生まれたセ
ミョーン・ビシュコフは、同地の音
楽院で名教師として知られたイリ
ヤ・ムーシンに学んだ。1973 年にラ
フマニノフ指揮者コンクールで優勝
して、ソ連での活躍を期待されたも
のの、やがてアメリカ合衆国に渡
り、1983 年には同国の市民権を取
得して、活動の拠点を西側世界に移
す。1980 年代にはグランド・ラピッ
ズ交響楽団(ミシガン州)の音楽監
督及びバッファロー・フィルハーモ
ニー管弦楽団の音楽監督を歴任して
脚光を浴びることとなり、ニューヨ
ーク・フィルハーモニック、ベルリ
ン・フィルハーモニー管弦楽団、コ
ンセルトヘボウ管弦楽団に招かれて
一躍その名を国際的に知らしめた。
1989 年から 1998 年まではパリ管
弦楽団の音楽監督を務めると同時に、
フィレンツェ五月音楽祭やサンクト
ペテルブルク交響楽団の首席客演指
揮者にも就任する。1997 年にはケ
ルン放送交響楽団の首席指揮者とな
り、2010 年までその地位にあった。
また 1990 年代以降は歌劇場にも積
極的に進出し、ドレスデン国立歌劇
場をはじめ、コヴェント・ガーデン
王立歌劇場、メトロポリタン歌劇場、
ウィーン国立歌劇場などで、ヴェル
ディ、ワーグナーからショスタコー
ヴィチまで幅広いレパートリーを手
がけ、好評を得ている。
2011 年に急逝した指揮者、ヤコ
ブ・クライツベルクは彼の弟にあた
る。
N H K 交 響 楽 団 と は、2010 年 2
月に初共演を果たした。
(相場ひろ)
ウッチェロ作『サン・ロマーノの戦い』
デュビュニョンにインスピレーションを与えた絵画
文|パー・ランバーグ
今月のBプログラムで日本初演されるリシャール・デュビュニョン(1968 〜)
の《2 台のピアノと 2 つのオーケストラのための協奏曲「バトルフィールド」》
はウッチェロ作の絵画『サン・ロマーノの戦い』に着想を得た作品です。デュ
ビュニョンにインスピレーションを与えた絵画について、ロンドン・ナショナ
ル・ギャラリーの学芸員パー・ランバーグ氏に寄稿いただきました。(N響ホー
ムページにも掲載されています)
パオロ・ウッチェロ作『サン・ロマーノの戦 い』
(ロンドン ナショナル・ギャラリー蔵)
Philharmony April 2013
� 特別寄稿
Program
B
パオロ・ウッチェロ作『サン・ロマーノの戦 い』
(フィレンツェ ウフィツィ美術館蔵)
パオロ・ウッチェロ作『サン・ロマーノの戦 い』
(パリ ルーヴル 美術館蔵)
の愛情を素直に表現したあだ名であ
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
ったという(ウッチェロとはイタ
のパオロ・ウッチェロ作『サン・ロマ
リア語で鳥を意味する)。彼は、ミ
ーノの戦い』は、同主題の 3 枚シ
ケランジェロが『天国への門』と
リーズ絵画の 1 枚である。他 2 枚は、
命名したフィレンツェのサンタ・マ
パリのルーヴル美術館とフィレンツ
リア・デル・フィオーレ大聖堂の洗礼
ェのウフィツィ美術館所蔵である。
堂のブロンズ扉で最も良く知られる
サン・ロマーノの戦いとは、フィ
彫刻家のロレンツォ・ギベルティの
レンツェ戦争のうちの、ルッカ及び
もとで腕を磨いた。ヴェネツィアで
その連合国であるジェノヴァ、ミラ
わずかな期間サン・マルコ大聖堂の
ノ、シエナに対抗して起こった戦い
モザイク製作に協力をした後は、も
を 指 す。1432 年 6 月 1 日 に フ ィ レ
っぱらフィレンツェのみで活動し、
ンツェ軍とシエナ軍がアルノ渓谷で
1475 年に同地で亡くなる。
戦闘を行う。勝利したフィレンツェ
軍の大将はニッコロ・ダ・トレンティ
ーノであった。対するシエナ軍はフ
絵画の特徴と構図
ウッチェロの『サン・ロマーノの
ィレンツェから離脱したばかりのベ
戦い』は、強調された華麗な色彩の
ルナルディーノ・デラ・カルダに率い
後期ゴシック様式の伝統と、初期ル
られていた。ニッコロはフィレンツ
ネサンスに確立された線遠近法の新
ェ軍から引き離されるような局面が
たな挑戦が見事に融合されている。
あったものの、ついには勝利をおさ
戦う騎士たちの無秩序な平面を描
め、翌年には和解が成立し、ニッコ
くのではなく、パオロ・ウッチェロ
ロは英雄と見なされた。彼はその後
は入念に構図に秩序を与えている。
も戦地に立ったが、ほどなくしてミ
フィレンツェ軍は、槍騎兵は進行
ラノで捕虜の身で亡くなった。彼の
を止め、左から右へと突撃している
亡骸はフィレンツェに返還され、画
ところである。白地に赤十字を備え
家のアンドレア・デル・カスターニョ
たフィレンツェ共和国の軍旗によっ
が彼に敬意を表して騎馬像を描いた
て彼らであるとわかる。ロンドンの
大聖堂に埋葬された。
作品の主役ニッコロ・ダ・トレンティ
ーノは、指揮棒で軍を導き、精巧に
作者、ウッチェロとは
装飾のされた白馬に乗って描かれて
サン・ロマーノの戦いを描いた 3
いる。彼の兜は、彼の背後で馬に乗
作品は、パオロ・ウッチェロにより
っている従者が携えているが、彼自
1435 年から 1460 年の間のどこかで
身はダマスク織の見事な帽子を被っ
完成した。ジョルジョ・ヴァザーリ
ている。
によれば、彼の苗字は、画家の鳥へ
シエナ兵は、右手の灰色がかった
Philharmony April 2013
絵画の背景
Program
ウッチェロ作『サン・ロマーノの戦い』
白馬にまたがり 3 方向からの攻撃を
かわしている。折れた槍の断片が巧
妙な格子状のパターンをなし、遠近
上に配されている。
放後の財産管理責任を担った行政官
たちの面前に現れ、これらの絵画は
かつて、自分の父親の持ち物であっ
たと陳述したと、文書には記録され
B
左には、徹底した短縮法で描かれ
ている。彼は、父親からこれらを相
た甲冑兵が奇妙な薄紅色の地面に倒
続し、ミラノでメディチ家の財務窓
れている。戦闘場面は並外れて華麗
口であった彼の兄アンドレアと共に
に描かれる。騎士全員が戦闘用の全
3 点の絵画を一緒に所有していたと
身甲冑を身につけているものの、馬
主張した。偉大なるロレンツォはそ
上試合やパレード用の甲冑の色調を
れらの絵画を所有したいと熱望し、
帯びている。
アンドレアを説得して自分に委ねさ
風景は、オレンジの樹、バラ、そ
せたのだとも明言した。しかし、ダ
してザクロの樹など平和的な背景に
ミアノは彼の分け前を断り、これら
配され、タペストリーやフレスコ画
の絵画をサンタ・マリア・ア・クィン
のような装飾効果が生まれている。
トの家族が所有する田舎家からフィ
バラは 6 月を暗示しているのであろ
レンツェの彼自身の邸宅へと運び込
う。オレンジの樹には花が咲き、果
んだ。そしてここから、ダミアノの
実も実っている。
願いに反して、ロレンツォによって
かつちゆうへい
絵画の所有の変遷
1492 年には、パオロ・ウッチェロ
の 3 作品は、偉大なる君主と呼ば
れたロレンツォの死後に編集された
メディチ家の財産目録の中に記録さ
れている。長い間、これらの作品は、
ロレンツォ自身によって依頼された
ものと考えられていたが、近年発見
されたばかりの文書は、3 作品の初
期の歴史はもっと驚くべきものであ
ったことを示している。
メディチ家がフィレンツェから追
放された直後、ダミアノ・バルトリ
ニ・サリンベーニなる人物が、1495
年 6 月 30 日にメディチ家の国外追
送り込まれた木工職人のフランツィ
オーネが、力ずくでこれらの作品群
を持ち去ったのだ。3 作品は、大公
爵コレクションとしてウフィツィ宮
に入るまで、メディチ家の所有とさ
れていたのである。
うち 2 枚の作品がついに売りに出
されたのは、19 世紀になってのこ
とである。ロンドンの作品は、1857
年に初代ナショナル・ギャラリーの
館長であるチャールズ・イーストレ
イク卿が手に入れたものである。
(Per Rumberg /ナショナル・ギャラ
リー・イタリア絵画部門学芸員)
Assistant Curator of Italian Paintings
National Gallery
A
第 1751 回 NHKホール
4/13[土]開演 6:00pm
4/14[日]開演 3:00pm
[指揮]
1751st Subscription Concert / NHK Hall
13th(Sat.)Apr, 6:00pm
14th(Sun.)Apr, 3:00pm
ピーター・ウンジャン
[conductor] Peter Oundjian
[ヴァイオリン]
[violin]
[コンサートマスター]
[concertmaster]
ヴィクトリア・ムローヴァ
篠崎史紀
Viktoria Mullova
Fuminori Shinozaki
ショスタコーヴィチ
Dmitry Shostakovich (1906-1975)
ヴァイオリン協奏曲 第 1 番 イ短調
Violin Concerto No.1 a minor op.77
作品 77(36’)
Ⅰノクターン:モデラート
Ⅱスケルツォ:アレグロ
Ⅲパッサカリア:アンダンテ
Ⅳブルレスカ:アレグロ・コン・ブリオ
ⅠNocturne: Moderato
ⅡScherzo: Allegro
ⅢPassacaglia: Andante
ⅣBurlesca: Allegro con brio
休憩 Intermission
ラフマニノフ
交響曲 第 2 番 ホ短調 作品 27(60’)
Sergei Rakhmaninov (1873-1943)
Symphony No.2 e minor op.27
Ⅰラルゴ―アレグロ・モデラート
Ⅱアレグロ・モルト
Ⅲアダージョ
Ⅳアレグロ・ヴィヴァーチェ
ⅠLargo – Allegro moderato
ⅡAllegro molto
ⅢAdagio
ⅣAllegro vivace
Philharmony April 2013
Program
Soloist
Program
B
A
©Nick White
ヴァイオリン
ヴィクトリア・ムローヴァ
Viktoria Mullova
現代を代表するヴァイオリニストの
ポップスの演奏にも取り組む。
一人であるヴィクトリア・ムローヴァは、
今回のNHK交響楽団との初共演には、
モスクワ生まれ。モスクワ音楽院でレ
ショスタコーヴィチの《ヴァイオリン協
オニート・コーガンに師事。1980 年、シ
奏曲第 1 番》が選ばれた。この作品は、
ベリウス国際ヴァイオリン・コンクール
1988 年にアンドレ・プレヴィン指揮ロイ
で第 1 位を獲得し、1982 年にはチャイ
ヤル・フィルハーモニー管弦楽団と録音
コフスキー国際コンクールで優勝した。
するなど、彼女が最も得意としているレ
1983 年、西側へ亡命。以後、世界の一
パートリーの一つ。古楽演奏の洗礼を受
流オーケストラと共演し、数多くの録音
けた彼女が、20 世紀を代表するヴァイ
を残す。近年は古楽(特にバッハ)に傾
オリン協奏曲をどのように演奏するのか
倒し、ピリオド奏法を取り入れ、古楽器
興味津々である。
奏者や古楽器オーケストラとの共演(弾
き振りを含む)も多い。また、ジャズや
(山田治生)
1906-1975
ショスタコーヴィチ
ヴァイオリン協奏曲 第 1 番 イ短調 作品 77
交響曲と弦楽四重奏曲、そしてオ
ペラに注目が集まりがちなショスタ
コーヴィチだが、彼が残した弦楽器
のための 4 曲の協奏曲は、どれも最
高に充実した 20 世紀にふさわしい
傑作である。その主たる理由は、勿
論、ヴァイオリンのダヴィート・オ
イストラフとチェロのムスティスラ
フ・ロストロポーヴィチという稀代
の名手との深い信頼関係にある。彼
らの高い技術と芸術性、同時代人な
らではの理解力は、これらの協奏曲
に込められた意味の核心をなしてい
た。
ショスタコーヴィチがこの作品
に着手したのは 1947 年 7 月である。
革命 30 周年を祝うカンタータ《祖
国の詩》や映画音楽《若き親衛隊》
等の作曲による中断を挟んで、第 1
楽章、第 2 楽章がそれぞれ 1947 年
11 月、12 月に完成されている。そ
して第 3 楽章の作曲を進める中、シ
ョスタコーヴィチを含むソ連の指導
的作曲家たちが新年早々クレムリン
に招集された。党書記ジダーノフは、
前年に発表されたムラデリのオペラ
《偉大な友情》を槍玉にあげ、12 年
前の《ムツェンスクのマクベス夫
人》における形式主義的誤りが再び
繰り返されていると批判、ソ連音楽
界の有害分子を告発するよう求めた。
戦後の東西対立を背景にした、新
たな文化・芸術統制の始まりである。
これに追い討ちをかけるように 1 月
13 日にはユダヤ人俳優ソロモン・ミ
ホエルスがベラルーシのミンスクで
殺害される。ショスタコーヴィチの
《交響曲第 8 番》が難解であると非
難された際、敢然とその擁護に立ち
上がった人物である。スターリン体
制末期におけるユダヤ人排斥運動を
象徴する出来事であった。直接の関
連性は薄いとはいえ、《ヴァイオリ
ン協奏曲第 1 番》の後半はこうした
一連の出来事を背景に作曲されたの
である。ショスタコーヴィチはごく
内輪の友人たちに新作を披露し、そ
の反応から確かな手ごたえを得てい
たものの、結局、激化する一方の形
式主義批判のあおりを受けて発表を
見送ることに決めた。
7 年間も留め置かれたこの作品が
復活する機会は、スターリン没後
2 年目にやってきた。1955 年 12 月、
オイストラフ初のアメリカ・ツアー
の目玉演目として、アメリカの興行
主が幻の協奏曲を提案したのである。
しかし、そのためには前もって母国
で初演する必要があった。こうして
同 曲 は、1955 年 10 月 29 日、 オ イ
ストラフの独奏、ムラヴィンスキー
指揮のレニングラード・フィルハー
Philharmony April 2013
Dmitry Shostakovich
Program
モニー交響楽団によって初演された。
2 か月後の 12 月 29 日には、オイス
トラフの独奏、ミトロプロス指揮の
ニューヨーク・フィルハーモニック
B
A
で西側初演が行われ、同じコンビに
よるレコーディングも実現した。ス
ターリン体制末期にお蔵入りとなっ
た作品が、今度は東西の緊張緩和の
象徴として復活したのである。
《ヴァイオリン協奏曲第 1 番》に
は、通常の協奏曲とは異なるユニー
クな工夫が数々見られる。全体は協
奏曲の通例である 3 楽章構成では
なく、スケルツォや緩徐楽章、それ
にロンド・フィナーレからなり、交
響曲の 4 楽章構成に匹敵する。編成
ではホルンとテューバ以外の金管楽
器が省かれる一方、チェレスタやハ
ープ、シロフォンが導入され独特の
雰囲気を醸しだしている。通常は第
1 楽章最後に置かれるカデンツァは、
独立した楽章に匹敵する内容にまで
拡大されて、第 3 楽章と第 4 楽章の
間を橋渡しする役目を担っている。
第 1 楽章 ノクターン:モデラート
イ短調 4/4 拍子。2 つの主題が自由
に変形・変容する形式で、終始一貫、
ヴァイオリン独奏が暗い叙情にあふ
れた歌を紡いでゆく。
第 2 楽章 スケルツォ:アレグロ 変
ロ短調 3/8 拍子。次第に対声部にシ
ョスタコーヴィチの音名象徴(D -
S - C - H レ-ミ♭-ド-シ)が
見え隠れし、最後のヴァイオリン独
奏ではその移調形が明確に奏される。
他方、トリオに相当する舞曲風の音
楽には、ユダヤのクレズメルの音調
がこだましているようだ。中央部分
ではスケルツォ主題によるフガート
が展開される。
第 3 楽章 パッサカリア:アンダン
テ へ短調 3/4 拍子。17 小節のパッ
サカリア主題による 9 つの変奏が展
開される。ショスタコーヴィチはパ
ッサカリアを偏愛したが、中でもこ
の楽章は厳粛・清澄な美しさで際立
っている。徐々に音楽が沈静すると、
先立つ楽章の主要主題を回想する力
強いカデンツァへと移行し、その高
揚のまま終楽章に突入する。
第 4 楽章 ブルレスカ:アレグロ・コ
ン・ブリオ イ長調 2/4 拍子。ロンド
形式。チャイコフスキーの協奏曲を
彷彿させる土俗的でユーモラスな音
楽だが、後半では第 3 楽章のパッサ
カリア主題が回帰し、プレストのコ
ーダを熱狂的に終結させる。
(千葉 潤)
作曲年代:1947 年 7 月 21 日~ 1948 年 3 月 24 日。 楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1)、オーボエ
ダヴィート・オイストラフに献呈
3(イングリッシュ・ホルン 1)、クラリネット
初演:1955 年 10 月 29 日、エフゲーニ・ムラヴィ 3(バス・クラリネット 1)、ファゴット 3(コ
ンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー ントラファゴット 1)、ホルン 4、テューバ 1、
交響楽団、ダヴィート・オイストラフの独奏
ティンパニ 1、シロフォン、タムタム、タンバ
リン、ハープ 2、チェレスタ、弦楽
ラフマニノフ
1873-1943
交響曲 第 2 番 ホ短調 作品 27
セ ル ゲ イ・ラ フ マ ニ ノ フ は、 番
号付き交響曲を生涯に 3 つ残した。
《第 1 番》はまだ作曲家として駆け
出しの 1895 年の作。指揮者グラズ
ノフの飲酒が原因で 1897 年の初演
が大失敗に終わり、ラフマニノフが
数年に及ぶ精神疾患に陥ったという
伝説は有名である。しかし、この初
演失敗の模様は全て作り話で、その
後の「精神疾患」も事実無根である。
蛇足だが、2008 年日本公開の映画
『ラフマニノフ ある愛の調べ』では、
最後のロシア語字幕に「実在の人物
とは全く関係ありません」と書かれ
ていたし、日本で広く読まれている
バジャーノフ著の伝記『ラフマニノ
フ』も完全なフィクションだ。現在
では初演の失敗は、初演地ペテルブ
ルクの長老たちがモスクワ楽派の有
望な若手であったラフマニノフを叩
くことが目的で仕組んだという新説
が有力である。
さて、そんな《交響曲第 1 番》の
初演失敗後、ラフマニノフは風当た
りが収まるのを待つべく、作曲家と
しての活動を控えてオペラ指揮者に
転向した。精神状態が不安定なら
オペラの指揮は不可能だったはず
だ。 し か も 1897 ~ 1898 年 の 1 シ
ーズンだけで 30 作品ものオペラを
振っている。1899 年には指揮者・ピ
アニストとしてロンドンで海外デビ
ュー、満を持して 1901 年に発表し
た《ピアノ協奏曲第 2 番》はモスク
ワのオーケストラが初演の争奪をす
るほどの高評価を得、ラフマニノフ
は作曲家として完全復帰を果たした。
1904 ~ 1906 年の 2 シーズンはモス
クワのボリショイ劇場常任指揮者
として大活躍し、1905 年にはオペ
ラを 2 作書き上げるなど、1900 年
代のラフマニノフは音楽家としてま
さに成熟期にあった。一方で、ロシ
ア社会は革命前夜の争乱に満ち、多
数のペテルブルク市民が犠牲となっ
た 1905 年 1 月の「血の日曜日事件」
に対して、ラフマニノフは反政府声
明文を新聞に掲載している。
紛争の余波が残る国内での音楽活
動が困難と判断したラフマニノフは、
1906 ~ 1909 年の 3 シーズンをドレ
スデンで過ごした。《交響曲第 2 番》
は、そんな充実と争乱の中で 1906
年 10 月~ 1907 年 4 月に作曲され、
ドレスデンから遠く憧れたのどかな
ロシアの自然を表すとともに、世情
を反映したかのように不安定な情景
や、革命のエネルギーにも通じるよ
うな男性的な力強さも表現されてい
る。
ところでそれまでのラフマニノフ
作品の初演地は、《交響曲第 1 番》
Philharmony April 2013
Sergei Rakhmaninov
Program
以外は全てモスクワだった。そして
同じ交響曲の《第 2 番》の初演地に
選んだのが、またしてもペテルブル
ク。自ら指揮台に立った 1908 年旧
B
A
ロシア歴 1 月 26 日(西暦では 2 月
8 日)の初演は大成功を収め、しか
もペテルブルクの長老たちが審査す
るグリンカ賞のその年の交響曲部門
賞にも輝き、ラフマニノフの長年の
おんしゆう
恩 讐 は昇華された。曲はモスクワ
音楽院時代の恩師タネーエフに献呈
された。
曲は 4 つの楽章から成る。
第 1 楽章 ラルゴ―アレグロ・モデラ
ート ホ短調 4/4 拍子。ソナタ形式。
5 分近くにも及ぶラルゴの長い序奏
で始まる。冒頭で弦が奏でる流麗な
旋律は、形を変えて交響曲全体に現
れるモットーである。ようやく登場
するアレグロ・モデラートの第 1 楽
章本体では、このモットーが第 1 主
題となっている。対照的な性格を持
つホ長調の第 2 主題も同じモットー
から派生したものだ。展開部では第
1 主題が活躍し、再現部では第 2 主
題が中心となる。
第 2 楽章 アレグロ・モルト イ短調
2/2 拍子。スケルツォ。一転して、
音楽は力強さと動きを増幅させる。
弦が刻む軽快なリズムに乗って、ホ
ルンが高らかに勇壮な主部第 1 主題
を鳴らす。叙情的な第 2 主題に続い
て主部第 1 主題が回帰する。中間部
はモットーから派生した音型が対位
法的に展開される。
第 3 楽章 アダージョ イ長調 4/4 拍
子。3 部形式。長い前ぶれを伴う第
1 楽章とは対照的に、いきなり主題
から始まる。ヴァイオリンが歌う長
く甘美なこの主題とクラリネット独
奏によって提示されるさらに長く優
美な対位主題も、第 1 楽章序奏のモ
ットーの変形である。この 2 つの旋
律と、ポーコ・ピウ・モッソの中間部
の旋律が絡み合いながら、再現部で
は悠久の時間の中で大きなクライマ
ックスが紡ぎ出される。
第 4 楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ
ホ長調 2/4 拍子。ソナタ形式。静寂
を破るかのように、鮮やかな色彩感
を伴った第 1 主題が祝祭的な気分を
盛り上げる。ゆったりしたニ長調の
第 2 主題は、またしてもモットーの
変形である。そして明瞭に第 3 楽章
主題が登場したあとで、展開部に入
る。再現部では全楽章の断片が散り
ばめられながらさらに高揚感が増し
て、華麗に全曲を閉じる。
(一柳富美子)
作曲年代:1906 年 10 月~ 1907 年 4 月
バス・クラリネット 1、ファゴット 2、ホルン 4、
初演:1908 年 2 月 8 日(旧ロシア暦 1 月 26 日)、 トランペット 3、トロンボーン 3、テューバ 1、
ペテルブルク、作曲者自身の指揮による
ティンパニ 1、大太鼓、シンバル、小太鼓、グ
楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1)、オーボエ ロッケンシュピール、弦楽
3(イングリッシュ・ホルン 1)、クラリネット 2、
B
第 1753 回 サントリーホール
4/24[水]開演 7:00pm
4/25[木]開演 7:00pm
[指揮]
1753rd Subscription Concert / Suntory Hall
24th(Wed.)Apr, 7:00pm
25th(Thu.)Apr, 7:00pm
セミョーン・ビシュコフ
[conductor] Semyon Bychkov
[ピアノ(2台)]
[pianos]
[コンサートマスター]
[concertmaster]
カティア&マリエル・ラベック
堀 正文
Katia & Marielle Labèque
Masafumi Hori
デュビュニョン
Richard Dubugnon (1968- )
2 台のピアノと 2 つのオーケストラ
Concerto for two Pianos and double
のための協奏曲
Orchestra
「バトルフィールド」作品 54(2011)
“Battlefield” op.54 (2011)
[日本初演]
(25’)
[Japan Première]
Ⅰ開戦の合図
Ⅱ交渉
Ⅲパレード
Ⅳ戦い
Ⅴ休戦
Ⅵとどめの一撃
Ⅶ葬送と凱旋の行進曲
Ⅷ平和と和解
Ⅸ祝祭
ⅠSquilli
ⅡTrattative
ⅢParate
ⅣScontro
ⅤTregua
ⅥColpo di grazia
ⅦMarcia funebre e trionfale
ⅧPace e riconciliazioni
ⅨFesteggiamenti
休憩 Intermission
ベルリオーズ
幻想交響曲 作品 14(49’)
Hector Berlioz (1803-1869)
Symphonie fantastique op.14
Ⅰ夢と情熱
Ⅱ舞踏会
Ⅲ野の風景
Ⅳ断頭台への行進
Ⅴワルプルギスの夜の夢
ⅠRêverie – Passions
ⅡUn bal
ⅢScène aux champs
ⅣMarche au supplice
ⅤSonge d’une nuit de Sabbat
Philharmony April 2013
Program
Soloist
Program
B
©Umberto Nicoletti
ピアノ(2 台)
カティア&マリエル・ラベック
Katia & Marielle Labèque
カティア&マリエル・ラベックは、世
ための協奏曲》(ヘルベルト・ケーゲル指
界で最も著名なピアノ・デュオといえる
揮)で初共演。1993 年 6 月には、モー
だろう。姉妹は南西フランスのバスク地
ツァルトの《2 台のピアノのための協奏
方バイヨンヌ出身。母親からピアノの手
曲》だけでなく、指揮者のレナード・ス
ほど
解きを受け、パリ国立高等音楽院でジャ
ラットキンを交えて、《3 台のピアノの
ン・ユボーに師事した。1980 年に録音し
ための協奏曲》も演奏。今回は、妹マリ
たガーシュウィンの《ラプソディー・イ
エルの夫でもあるセミョーン・ビシュコ
ン・ブルー》
(2 台ピアノ版)が大ヒット
フが指揮を務め、デュビュニョンが姉妹
し、一躍人気デュオとなる。以後、2 人
のために作曲した《2 台のピアノと 2 つ
での活動のほか、世界の一流オーケスト
のオーケストラのための協奏曲「バトル
ラとの共演も重ねる。
フィールド」》を日本初演する(姉妹と
NHK交響楽団とは、1983 年 9 月、
ビシュコフは世界初演も担った)。
10 月にプーランクの《2 台のピアノの
(山田治生)
デュビュニョン
1968-
2 台のピアノと 2 つのオーケストラのための協奏曲
「バトルフィールド」作品 54(2011)
[日本初演]
歴史学を修めた後に音楽へ転向し、
ソードに沿って進む。バルコニーの
コントラバス奏者でもあるローザン
トランペットとバス・トランペット
ヌ生まれの気鋭の作曲家デュビュニ
が煽動し合う第 1 曲〈開戦の合図〉
ョンは、「対比と調和」という協奏
せんどう
で戦いの幕が開く。このファンファ
曲の基本原理を徹底的に追求した。
ーレは各軍を象徴するライトモティ
その成果が《バトルフィールド》だ。
ーフとして幾度となく現れる。第 2
この曲は彼の《ヴァイオリン協奏
曲》世界初演を聴いたラベック姉妹
曲〈交渉〉では起伏に富んだピアノ
Ⅰと、滑らかな曲線のピアノⅡによ
のたっての願いで作曲され、彼女ら
る超絶技巧の応酬が繰り広げられ
に献呈された。
る。スケルツォ風の第 3 曲〈パレー
タイトルの「バトルフィールド」
は初期ルネサンスの画家パオロ・ウ
ッチェロが独自の遠近法を駆使して
ド〉を経て、この曲の核心部である
第 4 曲〈戦い〉が始まる。ストラヴ
ィンスキーの《春の祭典》における
描いた『サン・ロマーノの戦い』三
〈いけにえの踊り〉にその源を辿る
部作からインスピレーションを得た
ことができる緊張感と、時折挿入さ
ものである。躍動感あふれる旋律や
れる軽妙なラテン風のリズムが戦い
リズムはもちろん、オーケストラの
ユニークな編成と配置にも注目した
い。弦楽器群と打楽器群は両者共通
だが、舞台下手の独奏ピアノⅠ率い
るオーケストラⅠには高音域の管楽
の様子を鮮やかに描写する。第 5 曲
〈休戦〉では束の間の静寂が訪れる
が、トランペットが戦いの再開を告
げる第 6 曲〈とどめの一撃〉で一触
即発の状態へ。戦争で右手を失った
器群とエレクトリック・ベース、そ
ピアニスト、パウル・ウィトゲンシ
してバンダのトランペットが、上手
ュタインへのオマージュである第 7
の独奏ピアノⅡ率いるオーケストラ
がいせん
曲〈葬送と凱旋の行進曲〉は同名の
Ⅱには低音域の管楽器群とバンダの
ベルリオーズの交響曲を想起させる。
バス・トランペットが配されている。
第 8 曲〈平和と和解〉ではピアノⅠ、
敵対する両軍の様子を鮮やかに描写
する空間的な音響効果は、こうした
工夫によって得られている。
単一楽章の協奏曲だが 9 つのエピ
Ⅱが互いのモティーフを交換し、こ
こでようやく 1 つの大きなオーケス
トラが構築され、第 9 曲〈祝祭〉で
華々しく幕を閉じる。
Philharmony April 2013
Richard Dubugnon
Program
戦いには勝敗がつきものだが、作
ているとのことだ。
曲家によれば、どちらに軍配が上が
るのかは聴き手の想像力に委ねられ
(高橋智子)
B
作曲年代:2010 年 12 月~ 2011 年 8 月
委嘱:ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽
団、パリ管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァント
ハウス管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団に
よる共同委嘱
初演:2011 年 11 月 11 日、ロサンゼルス、ウ
ォルト・ディズニー・コンサートホール、セミ
ョーン・ビシュコフ指揮ロサンゼルス・フィル
ハーモニー管弦楽団、カティア&マリエル・ラ
ベックの独奏
楽器編成:オーケストラⅠ(左側に配置):フ
ルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、クラリネ
ット 2、バス・クラリネット 1、ホルン 4、ト
ランペット 2、バンダ:トランペット 1、ティ
ンパニ 1、トライアングル、小チャイニーズ・
シンバル、ネイル・シンバル、シンバル、クラ
ッシュ・シンバル、トムトム、小太鼓、コンガ、
木魚、グイロ、マラカス、カウベル、クラベ
ス、エレクトリック・ベース、弦楽、ピアノ・
ソロ
オーケストラⅡ(右側に配置):イングリッシ
ュ・ホルン 1、ファゴット 2、コントラファゴ
ット 1、バンダ:バス・トランペット 1、トロ
ンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、大太
鼓、シンバル、クラッシュ・シンバル、トムト
ム、小太鼓、カウベル、ウッドブロック、弦
楽、ピアノ・ソロ
1803-1869
ベルリオーズ
幻想交響曲 作品 14
ベルリオーズの《幻想交響曲》が
初演されたのは 1830 年、ベートー
ヴェンがこの世を去ってわずか 3 年
後のことである。医学の道を棄て、
パリ音楽院に学んでいたベルリオー
ズは、この年、若手作曲家の登竜門
であるローマ大賞を受賞するまでに
なっていた。一方、この数年前から、
パリ音楽院管弦楽団の初代指揮者フ
ランソワ・アブネックが、パリでは
まだあまり知られていなかったベー
トーヴェンの交響曲を盛んに指揮し
ており、ベルリオーズは大きな刺激
を受けていた。その興奮冷めやらぬ
うちに、彼はまったく新しい発想の
もと、《幻想交響曲》という型破り
の大作を書き上げたのである。
「ある芸術家の生涯からのエピソ
ード」という副題を持つこの作品は、
「ある芸術家」
、すなわちベルリオー
ズの自伝的な内容を盛り込んだ標題
音楽である。ストーリーは、病的な
感受性と燃えるような想像力を持つ
若い芸術家が、失恋してアヘンで服
毒自殺をはかるが、致死量には至ら
ず、奇怪な幻覚を見る。そのなかで、
恋人がひとつの旋律となってつきま
とう、といった内容である。ベルリ
オーズはこの恋人をあらわす旋律を
「イデー・フィクス(固定楽想)
」と
呼び、全 5 楽章を結びつける重要
な役割を与えた。「恋人」のモデル
になったのは、ベルリオーズが憧れ
ていた女優のハリエット・スミッソ
ンであることは今では定説となって
いる。彼女はイギリスのシェイクス
ピア劇団の主演女優としてパリ公演
で絶賛され、ベルリオーズも熱烈な
ファンだったが、思いは伝わらなか
った。2 人が再会し、結婚したのは
《幻想交響曲》初演後のことである。
ベルリオーズがこのような物語を
着想するにあたっては、彼がフラン
ス語訳で読みふけったゲーテの戯曲
『ファウスト』や、夢中になって観
たシェイクスピア劇などがヒントに
なった可能性がある。とくにゲーテ
に関しては、その影響から抜けきれ
ないまま《幻想交響曲》を作曲した、
と自伝に書いているほどである。文
学的な評価は別としても、オーケス
トラ音楽に文学あるいは演劇的な要
素を結びつけたこの作品は、「交響
詩」に代表されるロマン派の標題音
楽への道を切り開くことになった。
この交響曲で独創的なのは、標題
ばかりではない。ユニークな楽器編
成と、情景や心理を表現するみごと
なオーケストレーションには、時代
を先取りする新しさがあった。たと
えば、第 2 楽章〈舞踏会〉を彩る複
数のハープ、第 3 楽章〈野の風景〉
Philharmony April 2013
Hector Berlioz
Program
で活躍するイングリッシュ・ホルン、
第 5 楽章〈ワルプルギスの夜の夢〉
ひようへん
で 醜く豹 変 した 恋 人の旋 律をユー
モラスに奏でる Es 管のクラリネッ
B
ト、〈ディエス・イレ(怒りの日)
〉
の旋律をおごそかに吹くオフィクレ
イド(今日では一般にテューバで
演奏)
、鐘などは、その代表である。
これらは楽器の音色や音響効果を知
り尽くし、後に『管弦楽法』
(1844
年初版)も著したベルリオーズだか
らこそ生まれたアイディアである。
曲 の 初 演 は 1830 年 12 月 5 日、
パリ音楽院ホールにて、アブネック
の指揮で行われた。
楽章構成は以下のとおりである。
もともと具体的なストーリーが添え
られていたが、ベルリオーズは最終
的に、各楽章の標題だけあれば十分
だと述べている。
代わる、ワルツによる楽章で、ハー
プが活躍する。終結近くで、恋人の
主題がクラリネットに現れる。
第 3 楽章〈野の風景〉
舞台上のイングリッシュ・ホルン
と、舞台裏のオーボエが、羊飼いの
笛の二重奏を吹く。ティンパニが遠
雷を描写する。
第 4 楽章〈断頭台への行進〉
若い芸術家は、恋人を殺した罪で
ギロチンにかけられる。行進曲の最
後に恋人の主題がクラリネットに現
れた直後、フォルティッシモのトゥ
ッティ(総奏)でギロチンの刃が落
とされる。
第 5 楽章〈ワルプルギスの夜の夢〉
若い芸術家は魔女たちの夜宴に列
席している。こっけいな付点リズム
に姿を変えた恋人の主題を際立たせ
るために、ベルリオーズはわざわざ
第 1 楽章〈夢と情熱〉
Es 管のクラリネットを用いている。
で書かれている。序奏に続いてアレ
の「死者のためのミサ」で歌われて
交響曲の伝統に従ってソナタ形式
グロの主部に入ると、固定楽想であ
る恋人の旋律がフルートと第 1 ヴァ
イオリンに現れ、発展していく。こ
の旋律はすべての楽章に形を変えて
現れる。
第 2 楽章〈舞踏会〉
従来のメヌエットやスケルツォに
とむら
弔いの鐘が鳴ると、カトリック典礼
きた〈ディエス・イレ〉の旋律が現
れる。古典的なフーガの技法も取り
入れられており、最後は主要主題と
〈ディエス・イレ〉の旋律とが重なり
合い、圧倒的な迫力のもと曲は終結
する。 (遠山菜穂美)
作曲年代:1830 年
ファゴット 4、ホルン 4、トランペット 2、コ
初演:1830 年 12 月 5 日、パリ、パリ音楽院ホ ルネット 2、トロンボーン 3、テューバ 2、テ
ール、フランソワ・アブネック指揮
ィンパニ 2、大太鼓、シンバル、サスペンデ
楽器編成:フルート 2(ピッコロ 1)、オーボエ ッド・シンバル、小太鼓、鐘、ハープ 2、弦楽
2(バンダ:オーボエ 1)
、イングリッシュ・ホ (指揮者の意向によりフルート、オーボエ、ク
ルン 1、クラリネット 2、
(Es クラリネット 1)
、 ラリネットは倍管とし、各 4 人ずつで演奏)
C
第 1752 回 NHKホール
4/19[金]開演 7:00pm
4/20[土]開演 3:00pm
[指揮]
1752nd Subscription Concert / NHK Hall
19th(Fri.)Apr, 7:00pm
20th(Sat.)Apr, 3:00pm
セミョーン・ビシュコフ
[conductor] Semyon Bychkov
[ソプラノ]
[soprano]
[メゾ・ソプラノ]
[mezzo soprano]
[テノール]
[tenor]
[バス]
[bass]
[合唱]
[chorus]
(合唱指揮/三澤洋史)
(Hirofumi Misawa, chorus master)
[コンサートマスター]
[concertmaster]
マリナ・ポプラフスカヤ
アニタ・ラチヴェリシュヴィリ
ディミトリ・ピタス
ユーリ・ヴォロビエフ
新国立劇場合唱団
堀 正文
Marina Poplavskaya
Anita Rachvelishvili
Dimitri Pittas
Yuri Vorobiev
New National Theatre Chorus
Masafumi Hori
〜ヴェルディ生誕 200 年〜
ヴェルディ
レクイエム(84’)
~The 200th Anniversary of Verdi’s Birth~
Giuseppe Verdi (1813-1901)
Messa da requiem
Ⅰ
「永遠の安息を与えたまえ」と
「主よ、あわれみたまえ」
Ⅱ怒りの日
1)
怒りの日2)
不思議なラッパの音
3)
死は驚く4)
書きしるされた書物は
5)
哀れな私6)
みいつの大王
7)
思い出させたまえ8)私は嘆く
9)判決を受けた、のろわれた者は
10)
涙の日よ
Ⅲ主イエスよ
Ⅳ聖なるかな
Ⅴ神の小羊
Ⅵ永遠の光を
Ⅶわれを許したまえ
ⅠRequiem e Kyrie
*この公演に休憩はございません。
あらかじめご了承下さい。
* Th
is concert will be performed
ⅡDies iræ
1) Dies iræ 2) Tuba mirum
3) Mors stupebit 4) Liber scriptus
5) Quid sum miser 6) Rex tremendæ
7) Recordare 8) Ingemisco
9) Confutatis 10) Lacrymosa
ⅢOffertorio
ⅣSanctus
ⅤAgnus Dei
ⅥLux æterna
ⅦLibera me
with no intermission.
Philharmony April 2013
Program
Soloist
Program
ソプラノ
B
C
マリナ・ポプラフスカヤ
Marina Poplavskaya
©Jenkins Mitch
モスクワ生まれ。イッポリトフ・イワ
出演。同年 9 月、同歌劇場でのアレヴ
ーノフ国立音楽院で学ぶ。モスクワの
ィ《ユダヤの女》のラシェルで大成功を
ノヴァヤ・オペラでのチャイコフスキー
収め、国際的名声を獲得。2007 年 12 月、
《エフゲーニ・オネーギン》のタチヤーナ
プロコフィエフ《戦争と平和》のナター
でデビュー。2002 年から 2004 年、スタ
シャでメトロポリタン歌劇場に初出演。
ニスラフスキー&ネミロビッチ・ダンチ
同 歌 劇 場 に は 2012 年 1 月 ま で に 40 公
ェンコ記念国立モスクワ音楽劇場に所属。
演以上出演している。2008 年 8 月、ザ
2003 年、ストラヴィンスキー《道楽者
ルツブルク音楽祭でリッカルド・ムーテ
のなりゆき》のアンでボリショイ劇場に
ィ指揮のヴェルディ《オテロ》のデズデ
初出演。2006 年 4 月、ワーグナー《神々
モナを歌う。新世代のヴェルディ・ソプ
のたそがれ》の第 3 のノルンで英国コヴ
ラノとして近年の台頭は目覚ましい。N
ェント・ガーデン王立歌劇場に本格的初
HK交響楽団とは初共演。 (吉田光司)
メゾ・ソプラノ
アニタ・ラチヴェリシュヴィリ
Anita Rachvelishvili
グルジア、トビリシ生まれのメゾ・
トル・オペラなどでも歌っている。また、
ソプラノ。生地のサラジシヴィリ記念
サン・サーンス《サムソンとデリラ》の
国立音楽院で学ぶ。2007 年、ミラノの
デリラ(2011 年 5 月、アムステルダム)、
スカラ座アカデミーに留学。2009 年 12
チレーア《アドリアーナ・ルクヴルール》
月、スカラ座のシーズン開幕公演のビゼ
のブイヨン公爵夫人(2011 年 11 月、ニ
ー《カルメン》のタイトル・ロールに大
ューヨーク)、グルック《オルフェウス》
抜擢され成功、国際的な名声を獲得する。
のオルフェウス(2011 年 7 月、ペララ
カルメンは、2010 年 3 月のベルリン国
ダ)などを歌っている。
立歌劇場(シラー劇場)
、同年夏のアレ
深く濃厚な響きのメゾ・ソプラノの声
ーナ・ディ・ヴェローナ、2011 年 1 月の
は高く評価されている。NHK交響楽団
メトロポリタン歌劇場、同年 2 月のバ
とは初共演。
イエルン州立歌劇場、同年 10 月のシア
(吉田光司)
Soloist
Philharmony April 2013
テノール
ディミトリ・ピタス
Dimitri Pittas
©Kristin Hoebermann
ニューヨーク生まれのテノール。ギリ
オペラ、同年 4 月のメトロポリタン歌劇
シャ系米国人。メトロポリタン歌劇場の
場、同年 7 月のサンタフェ・オペラなど)、
リンデマン若手芸術家養成プログラムを
プッチーニ《ボエーム》のロドルフォ
修了。2007 年 10 月、メトロポリタン歌
(2011 年 11 月、12 月のメトロポリタン
劇場でのヴェルディ《マクベス》のマク
歌劇場、2012 年 9 月のフランクフルト
ダフに抜擢され国際的な注目を浴びる。
歌劇場、2012 年 11 月のヒューストン・
マクダフは、2008 年 10 月のバイエルン
グランド・オペラ)、ヴェルディ《椿姫》
州立歌劇場、2009 年 12 月のウィーン国
のアルフレードなどの役を得意としてい
立歌劇場、2011 年 6 月のコヴェント・ガ
る。
ーデン王立歌劇場でも歌っている。また、
持ち前の瑞々しい美声に輝かしさが加
ドニゼッティ《愛の妙薬》のネモリーノ
わり、人気の高いテノールである。NH
(2009 年 2 月のウェールズ・ナショナル・
K交響楽団とは初共演。 (吉田光司)
バス
ユーリ・ヴォロビエフ
Yuri Vorobiev
レニングラード(現サンクトペテル
2011 年 8 月のザルツブルク音楽祭でス
ブルク)生まれのバス。生地のグリン
トラヴィンスキー《夜鳴きうぐいす》の
カ・アカデミック・カペレ合唱学校を卒業
僧侶、2012 年 5 月にはコヴェント・ガー
後、サンクトペテルブルク音楽院で学
デン王立歌劇場でのプッチーニ《ボエー
ぶ。2004 年、リムスキー・コルサコフ若
ム》のコルリーネを歌っている。
手オペラ歌手コンクールに入賞。2009
日本では、2011 年 2 月のマリインス
年にマリインスキー劇場にソリストとし
キー劇場来日公演に同行し、プッチーニ
て所属。芸術監督ワレリー・ゲルギエフ
《トゥーランドット》のティムール、ベ
の大きな信頼を得て、同劇場で 40 近い
ルリオーズ《トロイ人》のナルバル、プ
バス役を歌う主力歌手として活躍して
リアムなど 4 役を歌っている。NHK交
いる。国際的活動も多い。2010 年 7 月
響楽団とは初共演。
のエクサン・プロヴァンス音楽祭および
(吉田光司)
Chorus
Program
B
C
合唱
新国立劇場合唱団
New National Theatre Chorus
新国立劇場は、オペラ、バレエ、コン
も高い評価を得ている。
テンポラリーダンス、演劇という現代舞
近年は、新国立劇場以外の公演への出
台芸術のためのわが国唯一の国立の劇場
演も数多く、在京オーケストラの定期演
として、1997 年 10 月に開場した。新国
奏会や音楽鑑賞教室等、幅広く活動して
立劇場合唱団も、劇場開場に合わせて、
いる。N響とは、2004 年新国立劇場公
劇場で行われる数多くのオペラ公演の核
演《神々のたそがれ》(準・メルクル指
を担う合唱団として活動を開始。個々の
揮)
、2007 年NHK音楽祭(ネルロ・サ
メンバーは、高水準の歌唱力と優れた演
ンティ指揮)で共演。定期公演は、2011
技力をもち、合唱団としての高いアンサ
年 2 月チョン・ミョンフン指揮のマーラ
ンブル能力と豊かな声量は、公演ごとに
ー《交響曲第 3 番》、2012 年 5 月尾高忠
共演する出演者、指揮者、演出家、スタ
明指揮のデュリュフレ《レクイエム》に
ッフはもとより、国内外のメディアから
出演している。 (柴辻純子)
1813-1901
ヴェルディ
レクイエム
「レクイエム」は、本来カトリッ
ク教会が死者のために執行する数多
くの「ミサ」のひとつである。
「ミ
サ」はグレゴリオ聖歌の時代から教
会で行われてきた儀式だが、14 世
紀にギヨーム・ド・マショーが見事な
ミサ曲《ノートルダム》を書いて以
来、
「ミサ」で語られるラテン語の
通常文に音楽が付けられるようにな
り、ルネサンスからバロック、そし
て古典派の時代までに無数の「ミサ
曲」が書かれた。
フランス革命を境に「ミサ曲」は
量産されなくなる。その背景には作
曲家たちの多くが教会オルガニスト
や宮廷楽長という職業から解放され
たことがある。ロマン主義時代の作
曲家たちは「日々の仕事」としてで
はなく「自己の精神の発露」として
宗教音楽を書いた。したがってこの
分野で「レクイエム」に数々の名作
が生まれたのは偶然ではないだろう。
愛と死はロマン主義の芸術家たちの
大きな関心事であったからだ。
オペラ作曲家ジュゼッペ・ヴェル
ディが畑違いの宗教音楽を書いたの
は、詩人アレッサンドロ・マンツォ
ーニ(1785 ~ 1873)の死がきっか
けだった。マンツォーニはイタリア
人の精神的支柱となる歴史小説『い
いなずけ』を著した国民的作家・詩
人で、ヴェルディは彼の作品を深く
愛し、彼の高い知性を尊敬していた。
1873 年 5 月にマンツォーニが亡く
なると、ヴェルディはこの大詩人を
追悼する《レクイエム》を作曲して
その命日に初演することを考え、ミ
ラノ市から協力の確約を得た。
じつはヴェルディが《レクイエ
ム》を書こうとしたのはこれが初
めてではなかった。その 5 年前の
1868 年にロッシーニが亡くなった
時、彼はイタリア人作曲家 13 人の
共作による《レクイエム》の制作を
発案したことがある。計画は途中で
破綻し、彼の手許には自分の分担と
して作曲した〈リベラ・メ〉が残っ
ていた。この〈リベラ・メ〉が今度
一人で作曲する《レクイエム》の構
想の核になったのである。
作曲はその年の秋から冬にかけて、
自宅のサンタガタと避寒地のジェノ
ヴァで進められ、翌年 4 月にはほ
ぼ全曲が完成した。宗教曲とはいえ、
オペラ作曲家としての表現方法が変
化したわけではない。ソロの歌手や
合唱は生々しい感情を伝える現世的
な響きをもっているし、オーケスト
ラの響きも《運命の力》や《アイー
ダ》で聴衆を興奮させるものと変わ
らない。しかし精神性は違う。劇場
の効果を狙った娯楽的な要素はまっ
Philharmony April 2013
Giuseppe Verdi
Program
たく影をひそめ、避けることのでき
ない死への恐怖と祈りが真正面から
描かれている。若い頃から鍛えてき
つちか
た対位法の技術とオペラで培った劇
B
C
的な語法を駆使しながら、ヴェルデ
ィは死を前にした人間の嘘偽りのな
い感情を芸術作品へ昇華することに
成功したのである。
初演は予定どおりマンツォーニ
の一周忌(1874 年 5 月 22 日)にミ
ラノのサン・マルコ教会で行われた。
ヴェルディ自らが指揮棒をもち、ミ
ラノ・スカラ座を中核とする 100 名
のオーケストラと 120 名の合唱に、
当時の一級のヴェルディ歌手であっ
たテレーザ・ストルツ(ソプラノ)
、
マリア・ヴァルトマン(メゾ・ソプラ
ノ)、ジュゼッペ・カッポーニ(テノ
ール)、オルモンド・マイーニ(バ
ス)がソロをつとめた。公演はスカ
ラ座でも 3 回繰り返され、センセー
ショナルな成功を収めた。翌年から
は外国ツアーも行われ、各地で熱狂
的な反響を呼び起こした。ちなみに
1875 年ロンドンのアルバート・ホー
ルで行われた公演では第 2 曲〈怒り
の日〉の「書きしるされた書物は」
が合唱から現在のメゾ・ソプラノ独
唱に書き変えられ、最終的なかたち
が次のように確定した。なお以下の
分類はシカゴ大学による批判校訂版
(全集版)による。
第 1 曲〈永遠の安息を与えたまえ〉
と〈主よ、あわれみたまえ〉
(四
重唱と合唱)
第 2 曲〈怒りの日〉(四重唱と合唱)
怒りの日(合唱)
不思議なラッパの音(合唱)
死は驚く(バス)
書きしるされた書物は(メゾ・ソ
プラノ)
哀れな私(三重唱:ソプラノ、メ
ゾ・ソプラノ、テノール)
みいつの大王(四重唱と合唱)
思い出させたまえ(二重唱:ソプ
ラノ、メゾ・ソプラノ)
私は嘆く(テノール)
判決を受けた、のろわれた者は
(バス)
涙の日よ(四重唱と合唱)
第 3 曲〈主イエスよ〉(四重唱)
第 4 曲〈聖なるかな〉(二重合唱に
よるフーガ)
第 5 曲〈神の小羊〉(二重唱[ソプ
ラノ、メゾ・ソプラノ]と合唱)
第 6 曲〈永遠の光を〉(三重唱:メ
ゾ・ソプラノ、テノール、バス)
第 7 曲〈われを許したまえ〉(ソプ
ラノと合唱)、フーガ・フィナーレ
(小畑恒夫)
作曲年代:1873 ~ 1874 年
ランペット 4、トロンボーン 3、チンバッソ 1、
初演:1874 年 5 月 22 日、ミラノ、サン・マル ティンパニ 1、大太鼓、弦楽、合唱、バンダ:
コ教会にて作曲者自身の指揮
トランペット 4(指揮者の意向により倍管の 8
楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1)、オーボエ 2、 本で演奏)
クラリネット 2、ファゴット 4、ホルン 4、ト
Verdi
レクイエム 歌詞対訳
Messa da requiem
対訳:今谷和徳
Translation: Kazunori Imatani
I. REQUIEM E KYRIE
Requiem æternam dona eis, Domine:
et lux perpetua luceat eis.
I. レクイエムとキリエ
Te decet hymnus, Deus, in Sion,
et tibi reddetur votum in
Jerusalem:
exaudi orationem meam,
ad te omnis caro veniet.
神よ、御身に賛歌をささぐるはシオンがふさわし、
Requiem æternam dona eis, Domine:
et lux perpetua luceat eis.
主よ、永遠の安息を彼らに与え、
Kyrie eleison,
Christe eleison,
Kyrie eleison,
Christe eleison,
Kyrie eleison.
主よ、あわれみたまえ。
II. DIES IRAE
DIES IRAE
Dies iræ, dies illa
solvet sæclum in favilla,
teste David cum Sibylla.
II. ディエス・イレ
ディエス・イレ
Quantus tremor est futurus,
quando judex est venturus,
cuncta stricte discussurus!
すべてを厳しくたださんと
TUBA MIRUM
Tuba mirum spargens sonum
per sepulchra regionum,
coget omnes ante thronum.
トゥーバ・ミルム
MORS STUPEBIT
Mors stupebit et natura
cum resurget creatura,
judicanti responsura.
モルス・ストゥペビト
主よ、永遠の安息を彼らに与え、
たえざる光を彼らの上に照らしたまえ。
エルサレムにて、
御身に誓いは果たさる。
わが祈りききたまえ、
すべての肉体は御身に来らん。
たえざる光を彼らの上に照らしたまえ。
キリストよ、あわれみたまえ。
主よ、あわれみたまえ。
キリストよ、あわれみたまえ。
主よ、あわれみたまえ。
怒りの日、その日こそ
ダヴィドとシビラの予言のごとく
この世は灰に帰さん。
審判者が来たもう時、
いかに恐ろしきものならん。
全土の墓に
不思議なる響きを振りまくラッパが
すべての者を玉座の前に集めん。
審判者に答えんと
造られしものがよみがえる時、
死と自然とは驚かん。
Philharmony April 2013
ヴェルディ
Program
B
LIBER SCRIPTUS
Liber scriptus proferetur,
in quo totum continetur,
unde mundus judicetur.
リベル・スクリプトゥス
Judex ergo cum sedebit,
quidquid latet apparebit,
nil inultum remanebit.
かくて審判者が坐したもう時
Dies iræ, dies illa
solvet sæclum in favilla,
teste David cum Sibylla.
怒りの日、その日こそ
QUID SUM MISER
Quid sum miser tunc dicturus,
Quem patronum rogaturus,
Cum vix justus sit securus?
クイド・スム・ミゼル
REX TREMENDAE
Rex tremendæ majestatis,
qui salvandos salvas gratis,
salva me, fons pietatis.
レクス・トレメンデ
RECORDARE
Recordare Jesu pie,
quod sum causa tuæ viæ
ne me perdas illa die.
レコルダーレ
Quærens me, sedisti lassus,
redemisti crucem passus:
tantus labor non sit cassus.
御身われを求めて疲れて坐し、
Juste judex ultionis,
donum fac remissionis
ante diem rationis.
正しく罰したもう審判者よ、
INGEMISCO
Ingemisco tamquam reus:
culpa rubet vultus meus:
supplicanti parce Deus.
インジェミスコ
すべてを書き記したる書物が
この世を裁かんとて
差し出されん。
隠れたるものはすべてあらわれ、
裁かざるものなからん。
ダヴィドとシビラの予言のごとく
この世は灰に帰さん。
その時、哀れなるわれは何を言わん。
正しき者さえ安らかならざるに
いかなる保護者をたのまん。
御恵みもて救わるるべきものを救いたもう
おそるべき力もてる王よ、
仁慈の泉よ、われを救いたまえ。
慈悲深きイエスよ、心にとめたまえ、
御身わがために来たまえることを。
その日、われを滅ぼしたもうことなかれ。
十字架を受けてあがないたまいぬ。
かかる辛苦を無にしたもうことなかれ。
評価を下す日の前に
赦しの御恵みを与えたまえ。
われ罪人として嘆き、
わが顔罪によりて赤らむ。
神よ、嘆願し奉るわれを惜しみたまえ。
マグダラのマリアを解き放ち、
Preces meæ non sunt dignæ,
sed tu bonus fac benigne,
ne perenni cremer igne.
わが懇願は価値なきものなれど、
Inter oves locum præsta,
et ab hædis me sequestra,
statuens in parte dextra.
羊の群れにわれを置き、
CONFUTATIS
Confutatis maledictis.
flammis acribus addictis,
voca me cum benedictis.
コンフターティス
Oro supplex et acclinis,
cor contritum quasi cinis,
gere curam mei finis.
われ、灰のごとく砕かれし心にて
Dies iræ, dies illa
solvet sæclum in favilla,
teste David cum Sibylla.
怒りの日、その日こそ
LACRYMOSA
Lacrymosa dies illa,
qua resurget ex favilla,
judicandus homo reus.
huic ergo parce Deus:
ラクリモーザ
Pie Jesu, Domine,
dona eis requiem.
Amen.
主よ、慈悲深きイエスよ、
III. OFFERTORIO
Domine Jesu Christe, Rex gloriæ,
libera animas omnium fidelium
defunctorum de pœnis inferni,
et de profundo lacu:
libera eas de ore leonis,
III. オフェルトリオ
盗賊の願いを聞きいれたまいし御身は
われにも希望を与えたまいぬ。
慈悲深き御身、御恵みもて
われらが永遠なる火にて、焼かるることなき
ようなしたまえ。
牡山羊より引き離し、
御身が右に置きたまえ。
呪われしもの罰せられ
烈しき火の中におとさるる時、
祝福されしものとともにわれを呼びたまえ。
ひざまずき、伏して懇願し奉る、
わが終わりの時に心を配りたまえ。
ダヴィドとシビラの予言のごとく
この世は灰に帰さん。
罪ある人が裁かるるため
灰よりよみがえるその日こそ
涙の日なり。
されば神よ、彼を惜しみたまえ。
永遠の安息を彼らに与えたまえ。
アーメン。
主イエス・キリスト、栄光の王よ、
すべての死せる信者の霊魂を、
よみの刑罰、
深き淵より救いたまえ。
獅子の口よリ彼らを救い
Philharmony April 2013
Qui Mariam absolvisti,
et latronem exaudisti,
mihi quoque spem dedisti.
Program
B
ne absorbeat eas tartarus,
ne cadant in obscurum:
sed signifer sanctus Michael
repræsentet eas in lucem sanctam.
彼らが地獄にのみこまれず、
Quam olim Abrahæ promisisti,
et semini ejus.
かつて御身がアブラハムと
Hostias et preces tibi, Domine,
laudis offerimus:
tu suscipe pro animabus illis,
quarum hodie memoriam facimus:
fac eas, Domine, de morte transire ad
vitam.
主よ、われらいけにえと賛美の祈りとを
Quam olim Abrahæ promisisti
et semini ejus.
かつて御身がアブラハムとその子孫に
Libera animas omnium fidelium
defunctorum de pœnis inferni.
fac eas de morte transire ad vitam.
すべての死せる信者の霊魂を
IV. SANCTUS
Sanctus, Sanctus, Sanctus,
Dominus Deus Sabaoth!
Pleni sunt cœli et terra
gloria tua,
Hosanna in excelsis.
Benedictus qui venit in
nomine Domini,
Hosanna in excelsis.
IV. サンクトゥス
V. AGNUS DEI
Agnus Dei,
qui tollis peccata mundi,
dona eis requiem;
Agnus Dei,
qui tollis peccata mundi,
dona eis requiem;
Agnus Dei,
qui tollis peccata mundi,
dona eis requiem sempiternam.
V. アニュス・デイ
暗黒に落ちこまぬよう、
旗手聖ミカエルが彼らを
清き光明に導かれんことを、
その子孫に約したまいし生命に。
御身にささぐ。
今日われらの記念する霊魂のために
それを受けいれたまえ。
主よ、彼らを死より生へと移したまえ。
約したまいし生命に。
よみの刑罰より救いたまえ。
彼らを死より生へと移したまえ。
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな
万軍の神なる主よ。
主の栄光は
天地にみつ。
天のいと高きところにホザンナ。
ほむべきかな、
主のみ名によりて来る者。
天のいと高きところにホザンナ。
神の小羊、
世の罪を除きたもう主よ、
彼らに安息を与えたまえ。
神の小羊、
世の罪を除きたもう主よ、
彼らに安息を与えたまえ。
神の小羊、
世の罪を除きたもう主よ、
永遠の安息を与えたまえ。
VI. ルクス・エテルナ
Requiem æternam dona eis, Domine:
et lux perpetua luceat eis.
Cum sanctis tuis in æternum,
quia pius es.
主よ、永遠の安息を彼らに与え、
VII. LIBERA ME
Libera me, Domine, de morte æterna,
in die illa tremenda:
Quando cœli movendi sunt et terra.
Dum veneris judicare sæculum
per ignem.
VII. リベラ・メ
Tremens factus sum ego et timeo,
dum discussio venerit
atque ventura ira,
Quando cœli movendi sunt et terra.
われは震えをなし、
Dies iræ, dies illa,
calamitatis et miseriæ,
dies magna et amara valde.
Dum veneris judicare sæculum
per ignem.
この日は、怒りの日、
Requiem æternam dona eis, Domine,
et lux perpetua luceat eis.
主よ、永遠の安息を彼らに与え、
Libera me, Domine, de morte æterna,
in die illa tremenda:
Quando cœli movendi sunt et terra.
Dum veneris judicare sæculum
per ignem.
Libera me.
主よ、この恐るべき日に
主よ、永遠の光を彼らの上に照らしたまえ。
永遠に御身の聖人らとともに、
御身慈悲深きゆえに。
たえざる光を彼らの上に照らしたまえ。
永遠に御身の聖人らとともに、
御身慈悲深きゆえに。
主よ、この恐るべき日に
われを永遠の死より解き放ちたまえ。
この日、天と地はゆれ動き、
御身火によりて
この世を裁くために来りたまわん。
審判の下る時、
また来るべき怒りに恐れおののく。
この日、天と地はゆれ動く
惨禍と悲惨の日、
まことに辛き大いなる日なり。
御身火によりて
この世を裁くために来りたまわん。
たえざる光を彼らの上に照らしたまえ。
われを永遠の死より解き放ちたまえ。
この日、天と地はゆれ動く。
御身火によりて
この世を裁くために来りたまわん。
われを解き放ちたまえ。
Philharmony April 2013
VI. LUX AETERNA
Lux æterna luceat eis, Domine,
Cum sanctis tuis in æternum,
quia pius es.
Program
シリーズ 名曲の深層を探る 第 7 回
B
ヴェルディの《レクイエム》は宗教音楽か
オペラと宗教音楽
文
今谷和徳
19 世紀のイタリアにおけるオペ
いのではないだろうか。
ラ界の巨匠ジュゼッペ・ヴェルディ
ヴェルディがこの作品を生み出す
(1813 ~ 1901)は、オペラ以外にも、
ことになったきっかけは、敬愛する
合唱曲や歌曲などの声楽作品をいく
先輩のロッシーニの死で、他の数人
つか残している。その中の最高傑作
の作曲家たちとともにロッシーニの
が晩年の《レクイエム》であること
追悼をしようとしたのである。結局
は誰もが認めるところだろう。レク
それは実現することはなかったが、
イエムは、カトリック教会の典礼で
しばらくして、これまた尊敬してい
用いられる「死者のためのミサ曲」
た詩人のマンツォーニの死を受けて、
のことだが、ヴェルディの《レクイ
改めて一人で《レクイエム》を完成
エム》は、典礼で歌われるものとい
させ、詩人の一周忌にミラノの教会
うより、むしろコンサート・ホール
で自らの指揮により初演したのであ
で演奏されるのにふさわしい性格を
る。曲の性格がオペラ的なものであ
もった作品である。そのためしばし
るとはいえ、それは、ヴェルディな
ば、教会の精神とは相いれないオペ
りの宗教的心情の表現であり、ロマ
ラ的な作品だ、との批判も聞かれる。
ン主義の時代にふさわしい感情の表
たしかに、この作品の劇的な性格
出であったといえよう。
は随所にみられる。典型的なものは、
全曲の中心となる第 2 曲〈怒りの日
(ディエス・イレ)
〉の冒頭部分だろ
う。激しくたたきつけるような管弦
楽とともに、男声合唱が力強く歌い
出すところは、最後の審判の恐ろし
い情景が、すさまじい迫力で表現さ
れており、ヴェルディが生み出して
きたオペラの一場面を思い浮かべる
ほどである。しかし、それをもって
宗教的でないとする批判はあたらな
現在最古のオペラは
宗教音楽だった?
そもそも、オペラと宗教音楽は、
相いれない全く別のジャンルなのだ
ろうか。
オペラという音楽劇が登場したの
は、周知のように 16 世紀末のこと
で、史上最初のオペラは、フィレン
ツェの作曲家ヤコポ・ペーリ(1561
~ 1633)の《ダフネ》である。こ
Philharmony April 2013
れは残念ながら楽譜が現存しないが、
現存する最古のオペラは、1600 年
の 10 月にフィレンツェで初演され
た、同じペーリ作曲の《エウリディ
ーチェ》である。一方、オペラの登
場とほぼ並行して、宗教的なドラマ
ともいえるオラトリオが生み出され
た。オラトリオというジャンルは、
き とう
ローマの教会付属の祈禱室(オラト
リオ)で上演されていったので、こ
うした名称で呼ばれるが、その最初
の 作 品 は、 一 般 に は、1600 年 の 2
月にローマのサンタ・マリア・イン・
ヴァッリチェッラ教会の付属オラト
リオで上演された、エミリオ・デ・
オペラ《ダフネ》の衣裳 を纏うヤコポ・ペーリ
カ ヴ ァ リ エ ー リ(1550 頃 ~ 1602)
作曲の《魂と肉体の劇》とされるこ
とが多い。ところが、これは事実上
のオペラに相当するので、現存する
最古のオペラは、この《魂と肉体の
劇》
の方である、
とする研究者もいる。
オペラとオラトリオの性格を
併せ持つ《魂と肉体の劇》
《魂と肉体の劇》は、寓意的な登
場人物たちによって、地上での現世
の楽しみと天上での神の喜びとの対
比が展開されてゆく内容で、16 世
紀の後半にローマで始まった、対抗
宗教改革の精神を体現したオラトリ
オ会の趣旨に沿った音楽劇であった。
17 世紀のローマを中心に各地で上
演されていったオラトリオには、同
じような内容のものが多いから、こ
のカヴァリエーリの《魂と肉体の
現在のサンタ・マリア・イン・ヴァッリチェッラ教会
Program
名曲の深層を探る
劇》が、オラトリオというジャンル
に属する作品という見方は当然とも
いえよう。しかし一方、この作品は
3 幕で構成され、作曲の様式は同じ
B
時期のオペラとほぼ同じである。で
は、この作品だけが両ジャンルの要
約聖書の士師記の中の悲劇がテーマ
だし、アレッサンドロ・ストラデル
ラ(1639 ~ 1682)の《洗礼者聖ヨ
ハネ》は新約聖書から題材がとられ
ているが、R. シュトラウス(1864
~ 1949)のオペラ《サロメ》と同
素を併せ持っているのだろうか。
じ内容である。しかも同時代のオペ
題材を聖書から得た
たくさんの音楽劇
アントニオ・ヴィヴァルディ(1678
ラとほぼ同じ手法で作曲されている。
~ 1741)の《敵の将軍ホロフェル
17 世紀以降のオラトリオの多く
ネスに勝って帰るユーディット》は、
は、聖書の中のドラマティックな
旧約聖書続編のユディト記の物語を
物語を素材としてとりあげている。
扱っているが、美女ユーディットが
オラトリオの確立者として知られ
敵将ホロフェルネスの首をかき切る
るジャコモ・カリッシミ(1605 ~
という、むしろオペラの題材にでも
1674)の代表作《イェフタ》は、旧
とられそうな内容で、しかも、ヴィ
『ホロフェルネスの首を斬るユーディット』カラヴァッジョ作
じく、レチタティーヴォとアリアを
繰り返してゆく手法で書かれている。
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
(1685 ~ 1759) の 英 語 の オ ラ ト リ
オのほとんどは、旧約聖書の劇的な
物語から題材がとられ、しかもオペ
ラと同じく 3 幕構成で、ロンドンの
劇場において演奏会形式で上演され
ている。つまり多くのオラトリオは、
題材は聖書などからとられているの
で、ジャンルとしては宗教音楽に入
れられるのだが、作品の性格はオペ
ラとよく似ているとえよう。
ただ奇妙なことに、オペラの中に
も聖書から素材を得たものが少なか
らずみられる。先ほどの《サロメ》
もそうだし、ヴェルディの《ナブッ
コ》
、あるいはサン・サーンス(1835
~ 1921) の《 サ ム ソ ン と デ リ ラ 》
などは、旧約聖書の中の劇的な物語
を題材にしている。シェーンベルク
(1874 ~ 1951)の《モーゼとアロン》
に至っては、オペラではあるものの、
まさに宗教劇といってもよいような
テーマによっている。このようにみ
てくると、オペラと宗教音楽の境界
がますますあいまいになってくる。
オペラ的な手法で
ミサ曲を作曲したモーツァル
ト
ところで、オラトリオは宗教音楽
ではあるものの、教会の典礼で用い
られるものではないので、純粋な宗
教音楽とはいえないのではないか、
との批判もありえよう。しかし、オ
ペラで用いられた作曲技法が、ほぼ
そのままミサ曲などにも使用されて
いる例は数多い。たとえばモーツァ
ルト(1756 ~ 1791)のザルツブル
ク時代のミサ曲の数々は、劇的な手
法のものが多いし、《戴冠式のミサ
曲》の〈アニュス・デイ〉のソプラ
ノ独唱が、オペラ《フィガロの結婚》
の第 3 幕で歌われる伯爵夫人のアリ
アとそっくりだと言われることを考
えても、モーツァルトがオペラと宗
教音楽の作曲技法をはっきりと使い
分けているとは考えられないのであ
る。
17、18 世紀のオペラと教会音楽、
あるいはオラトリオを中心とした宗
教音楽は、音楽の性格からみれば、
それほどはっきりとは区別がつけに
くいものだったが、19 世紀にはい
ってもそれは同じように続いていた。
ヴェルディが、オペラと同じような
劇的な手法で《レクイエム》を作曲
したのは、ごく自然なことであった
と言えるかもしれない。
われわれはしばしば、世俗音楽と
宗教音楽を区別しようとするが、中
世の時代から現代に至るまで、それ
はあまり意味のあることとはいえな
いのではなかろうか。
(いまたに・かずのり 音楽学)
Philharmony April 2013
ヴァルディ自身の数々のオペラと同
N響桂冠名誉指揮者
ウォルフガング・サヴァリ
ッシュさんを悼む
NHK交響楽団の桂冠名誉指揮者であるウォルフガング・サヴァリッシュ氏が、
2013 年 2 月 22 日、逝去されました。89 歳でした。
氏は、当団との永年にわたる交流の中で、常にN響を愛し、
楽団を今日の高みにまで導いてくれた育ての親のような存在でした。
ここでは生前由縁の深かった方々に、氏への思いを寄せていただきました。
2004 年 11 月の最後 の定期公演
ウォルフガング・サヴァリッシュ
Wolfgang Sawallisch
1923 年 8 月ミュンヘン生まれ。1947 年アウグスブルク
での《ヘンゼルとグレーテル》でデビューの後、アーヘン
市立歌劇場、ケルン市立歌劇場、ハンブルク州立歌劇
場の各音楽総監督、ウィーン交響楽団、スイス・ロマン
ド管弦楽団の各首席指揮者を歴任。1957 ~ 1962 年に
はバイロイト音楽祭に毎年出演した。ドレスデン・シュタ
ーツカペレ、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン・
フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ
管弦楽団など客演も数多い。
1971 年、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場の音楽
総監督に就任し、後には支配人も兼務。モーツァルト、
ワーグナー、R.シュトラウスの演奏に定評があり、なかで
も R.シュトラウスはそのオペラ全作品上演を果たすなど
第一人者として知られた。1993 年、ムーティの後任とし
てフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任。2003 年
夏までその任にあった。
N響には 1964 年 11 月に初登場。1967 年に名誉指揮
者、1994 年に桂冠名誉指揮者の称号が贈られた。N響
との最後の共演は 2004 年 11 月、ベートーヴェン《交響
曲第 7 番》の演奏。
2013 年 2 月 22 日、ドイツ南部グラッサウの自宅で死去。
享年 89。
Philharmony April 2013
サヴァリッシュさんを偲ぶ
公益財団法人 NHK交響楽団
理事長
日向英実
NHK交響楽団桂冠名誉指揮者の
ウォルフガング・サヴァリッシュさ
んが、2 月 22 日に亡くなりました。
ここに謹んで哀悼の意を表します。
サヴァリッシュさんは 1964 年に
N響を初めて指揮されて以来、およ
そ 40 年の長きにわたってN響を今
の高みに導いてくださいました。忘
れることのできない名演奏の数々が
1980 年、
「室内楽 の夕べ」より
今も耳からはなれないという方も多
いことでしょう。ピアニストとして
くのことを学びました。まさにサヴ
も大変な腕をお持ちで、たびたびN
ァリッシュさんこそ、わたくしども
響の楽員を率いては室内楽コンサー
にとってはマエストロを超えたとこ
トで素晴らしい演奏を披露されまし
ろの「プロフェッサー」であったと
た。指揮、そして室内楽演奏、また
いう気がしてなりません。
その温かいお人柄を通して、楽員た
心からの感謝の気持ちを込めて、
ちのみならず我々事務局の人間も多
ご冥福をお祈りいたします。
(ひゅうが・ひでみ)
ドイツ 南部、 グラッサウの自宅近くに
設 けられた墓地
告別ミサが 執り行 われたミュンヘンの
聖霊教会 の祭壇(3 月 7 日)
サヴァリッシュ氏の思い出
原 武
去る 2 月 22 日にこの世を去られ
たウォルフガング・サヴァリッシュ
氏。この突然の訃報にわが耳を疑い
ました。というのは、およそ 1 か月
前にドイツ、グラッサウのご自宅を
訪問した方から、「とてもお元気そ
人というだけでなく、また日本の音
楽界の節目、節目の大事なコンサー
トには必ず登場されました。1970
年、ベートーヴェン生誕 200 年のN
響とのチクルス。1986 年、サント
こけらお
リーホールの杮落としではN響との
うで安心しました」と聞いていたか
《第九》公演。1991 年、モーツァル
らです。N響にとって、また日本の
ト・イヤーではN響とのモーツァル
音楽界にとっても恩人ともいえる偉
ト《歌劇「魔笛」
》
。N響 1000 回定
大な指揮者がまた一人この世から去
期とN響 75 周年・サントリーホール
っていかれました。
15 周年のメンデルスゾーン《エリ
1964 年、 東 京 オ リ ン ピ ッ ク の
ア》の公演、さらに愛知県芸術劇場
年にN響のために来日されてから
の杮落としのバイエルン州立歌劇場
2004 年の最後のコンサートまで、
との R. シュトラウス《影のない女》
実に 40 年間も特定のオーケストラ
の公演など、枚挙にいとまがありま
でタイトルを持って指揮し、オーケ
せん。こうした功績はNHK放送文
ストラに影響を与えた指揮者は、世
化賞の受賞、国の勲三等旭日中綬章
界広しといえどもサヴァリッシュ氏
などで証明されています。
以外はそんなに例を見ないのではな
オーケストラの状況やプレイヤー
いかと思います。サヴァリッシュ氏
のコンディションなどを瞬時に感じ
自身、バイエルン州立歌劇場での在
取り、的確な対応をされるその能力
位が 21 年、あのカラヤンでもベル
や切れ味は見事でした。リハーサル
リン・フィルで 34 年間、ジョージ・
も効率的で、楽員の皆さんの信頼も
セルとクリーヴランド管は 24 年間
とても厚いマエストロでした。40
でした。40 年間という月日がいか
年間の関わりの中でN響の骨格を造
に大変な事か分かります。
ってくださった方だと思います。サ
N響にとって忘れる事のできない
ヴァリッシュ氏もN響が大好きで、
引退後も何度かグラッサウのお宅に
お邪魔しましたが、いつも最初の挨
拶が、
「N響はどうか? メンバー
は皆元気か?」とおっしゃるのが決
まり文句でした。N響をご自分の家
1964 年、N響 を初指揮
族のように思っておられたのだと思
日本のことも大好きで、お宅には
日本の思い出の品々が並べられた部
屋もありました。しかし和食は苦手、
刺身や寿司の生魚はだめで、海老や
野菜のてんぷらは召し上がっておら
れました。N響練習場でのリハーサ
ルの時は、昼休みでも何も召し上が
らず、飲み物の炭酸飲料水だけを飲
んでおられました。休憩時間でも、
いつも部屋のピアノを弾いておられ
ました。本当に手の掛からない方で
した。
また、ご自身の演奏されるコンサ
ートのためのスコアを持参されてい
るのは見た事がありませんでした。
ただリハーサルの時に、やり直しの
場所をメンバーに伝えるために、パ
ート譜の練習記号と同じ記号が書い
てあるN響のスコアを指揮台の上に
置いておられました。全ての譜面は
頭の中、という事です。
サヴァリッシュ氏は定期公演の公
演時間について、いつも神経を使っ
ておられました。それは、定期公演
はいつもFMの生放送があったから
です。プログラムを決める時も必ず
2 時間以内に公演が収まるように考
えておられました。時には時間がぎ
りぎりのケースがありましたが、そ
1986 年、N響第 1000 回定期公演
た時間と本番の演奏時間も変わりま
せんでした。まるでメトロノームが
身体の中にあるようでした。
1998 年には、初来日以来いつも
ご一緒に来日されていた大切な奥様
を亡くされました。その年の来日時
は、本当に寂しそうでした。ホテル
オークラのペントハウスで、簡単な
食事を作っておられた奥さまが来ら
れなくなったからです。この年はシ
ューマン・チクルス、そして翌年は
R. シュトラウス・チクルスが定期で
行われました。今思えば、サヴァリ
ッシュ氏が生涯を掛けて大事にして
こられた二人の作曲家のチクルスを
この時期に考えられたのも、来るべ
き引退の時期への思いがあったのか
も知れません。体調も悪くなってお
られました。そして 2004 年の来日
を最後に、愛するN響を振られる事
はありませんでした。そして 2006
年に指揮棒を置かれたのです。
んな時には最後の曲の演奏が終わ
N響に、そして日本の音楽界に大
の担当者に「時間は大丈夫だった
揮者ウォルフガング・サヴァリッシ
そで
って舞台袖に帰ってこられると、袖
か?」といつも気にしておられまし
た。また、曲の演奏時間には全く狂
いがなく、リハーサルの時に計測し
きな功績を残して来られた偉大な指
ュ氏に、改めて心から感謝の気持ち
を捧げます。
(はら・たけし NHK 交響楽団 元副理事長)
Philharmony April 2013
います。
サヴァリッシュへの感謝
前田昭雄
「 指 揮 者 サ ヴ ァ リ ッ シ ュ 逝 く 」
─全世界のメディアが一斉に報じ
た。事実上の引退声明は以前にあっ
たので、氏の芸術を惜しむ心は一般
に浸透してはいた。それでもこの訃
報に希望の残り火をかき消され、新
たな喪失感に襲われた人々の数は測
り知れないものがあろう。
第二次世界大戦後の大指揮者のう
ちで、実質上の「日本率」がこれほ
ど高いマエストロは他にはない。30
代半ばまでは母国ドイツでの彗星の
ような急上昇が、アーヘン市立歌劇
場からバイロイトへ、カラヤン同様
の軌跡を辿ってデビューの年少記録
を更新していた。そしてそのカラヤ
ンが頂点に立つ 60 年代はじめのウ
ィーンで「シンフォニカー」を率い
る第 2 のポストに就いた。まさにこ
の時点で日本が声をかけたのは、ワ
インガルトナーやカラヤンを招致し
た故有馬大五郎氏の慧眼による。し
かしその招聘は世界一流の「客演」
に止まらず、N響の音楽に入り込む
「恒常的な貢献」につながった。権
威意識も自己愛ポーズもなく、ひた
すら音楽的に爽快な「一つ上の」能
力。それがオーケストラの信頼を喚
起して、鮮やかな結果が続々と生れ
またブラームス! ウィーンやロン
ドンとの録音に伍して、N響とのブ
ラームスも全体的な再評価に値する。
ドイツ音楽のこの優れた旗手は、
知情意の理想的なバランスで、そ
の真髄を日本に伝えた。例えばそ
の ベ ー ト ー ヴ ェ ン! 生 誕 200 年
の 1970 年、カラヤン=ベルリン・
フィルをはじめ来日公演華やかな中
で、サヴァリッシュ=N響のベート
ーヴェン・チクルスは一歩も譲らず、
渾然一体の音楽魂で日本の演奏史に
記念碑を打ち建てた。あの《第九》
の前に《合唱幻想曲》を敢えて立て、
ピアノも自分で見事に弾ききった無
比の能力と誠実な集中力!
翌 1971 年からおよそ 20 年間、氏
はバイエルン州立歌劇場の総監督と
して未曾有の精力的な活動を展開し
た。その間も日本との関係は途切れ
なかった。今にして思えば、氏はあ
の全盛期に「録音率」を抑え「US
キャリア」を延期しても、日本との
縁を大事にされたのだった。
N響とNHKに残されたサヴァリ
ッシュの遺産─明日の音楽文化の
ためにそれを死蔵せず活かしてゆく
ことが、音楽世界に対する私たちの
課題であるだろう。合掌。
出る。ハイドン、モーツァルトの晴
れやかな響きの形姿。シューベルト、
シューマン、メンデルスゾーンの音
楽の「心」を啓きだす名演の数々!
(まえだ・あきお 音楽学/上野学園大学学長)
堀 正文
サヴァリッシュ先生とN響とは
1964 年からのお付き合いで、名誉
指揮者の方々の中では一番長くN響
と一緒に過ごされた方です。N響に
とって本当に大きな存在でした。最
近お具合が悪いとはうかがいながら
も、いつまでも一緒に演奏していき
たいと思っていました。
私はオーケストラのコンサートマ
スターとしての関係だったわけです
が、サヴァリッシュ先生こそは本当
の意味でのマエストロで、すべてを
完全にコントロールされていました
から、コンサートマスターとして他
のパートを気にかける必要がまるで
なく、安心して先生に任せて、ただ
自分の楽器を奏で、先生の求める音
楽に集中することができました。先
生も楽員のことを信頼してくださっ
ていたと思います。
楽員から先生への尊敬の念はたい
へん大きなものでした。ホルスト・
シュタイン先生の場合はお互いに親
しみをこめて「おれとおまえ」
、つ
るキャラクターとメンタリティに好
感を持ってくださっていたのだと思
います。
私がN響に入った 1979 年頃は、
ちょうど先生の黄金期と言ってもよ
い時期でした。バイエルン州立歌劇
場でご活躍のころで、「とにかく音
楽をたくさん知りなさい」とおっし
ゃっていました。オペラは《魔笛》
と《フィデリオ》の 2 作品だけでし
たが、思い出深い公演です。オーケ
ストラの力をつけるために、いろい
ろな曲を提案してくださいました。
先生の R. シュトラウスは理路整
然として素敵でした。最後に共演し
たベートーヴェン《交響曲第 7 番》
の練習の時には、精神性というか、
音楽への追究がさらに深くなった感
じがしました。先生の動きは大きく
ないのですが、逆にそういう小さい
動きに集中力を感じました。室内楽
を先生のピアノで一緒に演奏したこ
とも感慨深い思い出です。 (談)
(ほり・まさふみ N 響ソロ•コンサートマスター)
まりドイツ語で du と呼び合う関係
でしたが、サヴァリッシュ先生は
最後まで du ではなく Sie(あなた)
でした。いい意味での一線を保った
関係でした。
N響を大事にしてくださったのは、
オーケストラとして相性がよかった
こともあるでしょう。楽員一人一人
の集中力と、何事にも真摯に対処す
桂冠名誉指揮者授与式 にてサヴァリッシュ夫妻 と談
笑 する堀氏(1994 年 11 月 23 日、ホテルオークラ)
Philharmony April 2013
すべてを任せて音楽に集中させてくれた本当のマエストロ
音楽の神様が乗り移った最後の共演
岡崎耕治
サヴァリッシュ先生は、私個人に
とってはプロになってから本当の成
長をさせてもらえた大恩人で、一番
の心の拠りどころでした。長年にわ
たって本物の音楽の意味を教えてい
ただいたことはN響の財産です。
最後に演奏したベートーヴェンの
《交響曲第 7 番》
。指揮台のちょっと
高めの椅子にちょっと腰が浮くよう
な感じで座られた先生が、指揮棒を
振り上げるとNHKホールの何千人
の気が集まるんです。指揮棒が振り
下ろされ冒頭の音が出た瞬間、
「あ
あ!」と会場が震えました。もしか
したらN響を指揮するのはこれで最
後になると、ご自分でおわかりだっ
たのかもしれない。何かを感じてお
られたと思います。体調のお悪い中、
信じられないくらいの集中力でした。
音楽の神様が乗り移ったに違いない
という印象を 2 日とも感じました。
サヴァリッシュ先生は常に誠実に
作曲家と、そして音楽の神様と向き
合って真摯な演奏をされていました。
譜面に書いてあるとおりにきっち
りやるだけでは音楽にならないと、
練習では盛んにおっしゃっていまし
た。作曲家の考えや思い、時代背景、
様式美などについて、深い洞察を持
っておられた。1000 回目の定期公
演(1986 年)でのメンデルスゾー
ンのオラトリオ《エリア》のときも、
独唱者や楽員に、曲の本来あるべき
歌い回しやダイナミクスのバランス、
構成感をすべて的確に指示され、偉
大な指揮者とはこういうものだと感
じ入りました。
先生がN響にたいしてどれほど長
い年月にわたって愛情を持ってくだ
さったか。先生は何十年もかけてオ
ーケストラを育て上げ、音楽そのも
のの本来向かうべき方向へと導いて
くださいました。先生とともに音楽
と向き合い、先生と舞台に立てて良
かったという心の充実感、そういう
素晴らしい経験を何十回も味わわせ
ていただきました。
身体は昇天されたとしても、我々
の心の中に先生はずっといらっしゃ
います。N響のレベルが、技術だけ
ではなく、音楽の内容を伴って向上
していくことを先生は望んでいらし
たんだと思います。その財産を受け
継いでいかなければなりませんね。
(談)
2002 年 11 月定期 のリハーサルを終えて
撮影:岡崎耕治
(おかざき・こうじ 元 N 響ファゴット首席奏者)
5 月 の 定 期 公 演 は 尾 高 忠 明、 タ
ン・ドゥン、ウラディーミル・フェド
セーエフの 3 人の指揮者が登場する。
尾高忠明得意のイギリス音楽、中国
の作曲家タン・ドゥンによる自作自
演、重鎮フェドセーエフによるロシ
ア音楽と、いずれも「この指揮者な
らでは」というプログラムが組まれ
ている。三者三様、多彩な公演がそ
ろった。
イギリスでも高く評価された
尾高忠明の英国音楽集─Aプロ
Aプロを指揮するのはN響正指揮
る。ソロ楽器として聴く機会はめっ
たにない楽器であるが、テューバの
表現力の豊かさと名技性を堪能でき
るはず。
メイン・プログラムはウォルトン
の《交響曲第 1 番》
。この作品の圧
倒的なテンションの高さ、ドラマテ
ィックな高揚感は聴く人に強いイン
パクトを残す。20 世紀が生んだ交響
曲の傑作としてさらに一段と広く親
しまれてもおかしくない。
「女書」に触発されたタン・ドゥンの
新作を世界初演─Bプロ
者、尾高忠明。N響ともっとも親密
Bプロではタン・ドゥンが自作を
な関係にある日本人指揮者のひとり
中心としたプログラムを披露する。
であり、またBBCウェールズ・ナシ
注目は今回が世界初演となる《女
ョナル管弦楽団(旧BBCウェール
書:The Secret Songs of Women 〜 12
ズ交響楽団)の桂冠指揮者でもある。
のマイクロフィルムとハープのた
尾高忠明は 1987 年にBBCウェ
めの交響曲》
。NHK交響楽団とロ
ールズ・ナショナル管弦楽団の首席
イヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、
指揮者に就任したことをきっかけに
フィラデルフィア管弦楽団による共
イギリス音楽への傾倒を深め、1999
同委嘱作品である。
年には英国エルガー協会より日本人
「女書(ニュウ・シュウ)
」とは耳
として初めてエルガー・メダルを授
なじみのない言葉だが、中国の湖南
与されている。本国でも高く評価さ
省の山村で発見された女性の間だけ
れる尾高のイギリス音楽をN響で聴
に伝わる漢字由来の文字、およびそ
けるのは大きな喜びとなるだろう。
れを用いた作品だという。かつて女
プログラムにはエルガー、ディ
性が漢字を学ぶことをよしとされて
ーリアス、ヴォーン・ウィリアムズ、
いなかった時代に、女性たちが口ず
ウォルトンとイギリスの代表的作曲
さむ韻文の歌を書き記すために女書
家 4 人の名前が並ぶ。ヴォーン・ウ
が使用された。
ィリアムズの《テューバ協奏曲》で
この女書から作曲家がどういった
はN響が誇る池田幸広がソロを務め
インスピレーションを受けたのか、
Philharmony April 2013
*5月定期公演の聴きどころ*
A
Program
興味が募る。曲名に掲げられた「12
ーヴィチの《交響曲第 1 番》
、チャ
のマイクロフィルム」がどう利用さ
イコフスキーの《弦楽セレナード》
、
れるのかにも注目したい。
ボロディンの《歌劇「イーゴリ公」
他にタン・ドゥン作曲の《パーカッ
から「序曲」
「ダッタン人の踊り」》
ション協奏曲「The Tears of Nature」
》
というお国もののプログラムが組ま
から第 2 楽章が日本初演される。ま
れた。
た、ストラヴィンスキーの《バレエ
ショスタコーヴィチ作品はレニン
組曲「火の鳥」
》
(1919 年版)では鮮
グラード音楽院の卒業制作としてわ
やかなオーケストレーションを楽し
かいぎやく
ずか19 歳で書かれたもの。諧 謔と機
めることだろう。
知、軽妙さとシリアスさが入りまじ
ロシアの重鎮フェドセーエフ
N響と初共演─Cプロ
わにする。一転して、チャイコフス
る一筋縄ではいかない多面性をあら
キー作品ではたっぷりと旋律美とロ
Cプロにはロシアの大ベテラン、
マンティシズムに浸ることができる。
ウラディーミル・フェドセーエフが
ボロディン作品では野趣と熱狂を期
招かれる。日本ではおなじみといっ
待したい。ロシア音楽が持つ様々な
てもよいマエストロだが、N響への
魅力があますところなく伝えられる
客演はこれが初めて。ショスタコ
ことだろう。 (飯尾洋一)
*5月の定期公演*
◉ 5/11(土)6:00pm、5/12(日)3:00pm (Aプロ)NHKホール
指揮:尾高忠明 テューバ:池田幸広
エルガー/序曲「フロアサール」作品 19
ディーリアス/歌劇「村のロメオとジュリエット」から 間奏曲「天国への道」
ヴォーン・ウィリアムズ/テューバ協奏曲
ウォルトン/交響曲 第 1 番
◉ 5/22(水)7:00pm、5/23(木)7:00pm (Bプロ)サントリーホール
指揮:タン・ドゥン マリンバ:竹島悟史 ハープ:早川りさこ
タン・ドゥン/パーカッション協奏曲「The Tears of Nature」(2012)から第 2 楽章
[日本初演]
ストラヴィンスキー/バレエ組曲「火の鳥」(1919 年版)
タン・ドゥン/女書:The Secret Songs of Women 〜
12 のマイクロフィルムとハープのための交響曲(2012/13)[NHK交響楽団、
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団共同委嘱/世界初演]
◉ 5/17(金)7:00pm、5/18(土)3:00pm (Cプロ)NHKホール
指揮:ウラディーミル・フェドセーエフ
ショスタコーヴィチ/交響曲 第 1 番 へ短調 作品 10
チャイコフスキー/弦楽セレナード ハ長調 作品 48
ボロディン/歌劇「イーゴリ公」から「序曲」「ダッタン人の踊り」
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